舊臘二十三日私達は大津の公會堂で青空の講演會を開くことになつてゐた。講演會の直接の目的は讀者を殖すことであつた。世間へ出て私達の信ずるところを説く、私達共同で出來る正式な方法としてはさしあたりそれ以外にはない。
獻立は外村と淺沼がやつた。淀野と清水が伏見からそれに加つて二十二日の夜伏見で先づ第一回を催した。私は二十三日大津に着いた。それを加へて五人が大津では講壇に登つた。
淺沼と外村の詩朗讀、清水の畫の制作に於る覺悟。淀野、今後の方針に就て。次に私が一月號の過古[#「過古」に傍点]を讀んだ。次は外村、淺沼と私が武者小路[#「武者小路」に傍点]氏のその妹[#「その妹」に傍点]の所々を讀み、淺沼は彼の精神主義文學に就て、外村は一時間に亙つて彼の所信を述べた。私は餘興に歌を歌つたりした。聽衆は少なかつたが京都から眞晝の同人の楢本と淺見が來てくれたりして嬉しかつた。
信ずるところを述べることはその以前に文學に於て信ずるところを持してゐての上のことである。それを述べて見ることにより、自分の立場が明瞭し、次に進むべき土臺となる。そんな意味からも度々いゝ講演の出來る樣になり度いと思ふ。
二十四日は京都で眞晝の同人達と歡談した。ジル・マルシエツクスの告別演奏會が公會堂にあるので皆で出掛け、其處で外山楢夫先生、外村完二氏にお會ひした。寒い晩でジル・マル氏の鼻が赤くなつてゐた。
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二月號から飯島正君が同人に加つた。飯島は只今病氣療養の爲逗子にゐる。飯島は中谷と私とが三高の寄宿舍で同室だつたことがある。それ以來の友人である。今飯島を紹介すると共に、願ふことは早く元氣になつていゝものをどし/\書いて欲しいといふことだ。
底本:「梶井基次郎全集 第一卷」筑摩書房
1999(平成11)年11月10日初版第1刷発行
初出:「青空」
1926(大正15)年2月号
入力:土屋隆
校正:高柳典子
2005年5月5日作成
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