一
次郎左衛門《じろざえもん》が野州《やしゅう》佐野の宿《しゅく》を出る朝は一面に白い霜が降《お》りていた。彼に伴うものは彼自身のさびしい影と、忠実な下男《げなん》の治六《じろく》だけであった。彼はそのほかに千両の金と村正《むらまさ》の刀とを持っていた。享保《きょうほう》三年の冬は暖かい日が多かったので、不運な彼も江戸入りまでは都合のいい旅をつづけて来た。日本橋|馬喰町《ばくろちょう》の佐野屋が定宿《じょうやど》で、主《しゅう》と家来はここに草鞋《わらじ》の紐を解いた。
「当分御逗留でござりますか」
宿の亭主に訊《き》かれた時に、次郎左衛門は来春《らいはる》まで御厄介になるといって、亭主の顔に暗いかげをなげた。正直な亭主は彼のためにその長逗留を喜ばなかったのである。治六が下へ降りて来たのをつかまえて、亭主は不安らしくまた訊いた。
「旦那はまた長逗留かね。お家《うち》の方はどうなっているんだろう」
「いや、もう、お話にならねえ」と、治六は帳場の前にぐたりと坐って馬士《まご》張りの煙管《きせる》をとり出した。彼の父も次郎左衛門の家《いえ》の作男《さくおとこ》であったが、彼が四つの秋に両親ともほとんど同時に死んでしまったので、みなし児の彼は主人の家に引き取られて二十歳《はたち》の今年まで養われて来た。侍でいえば譜代《ふだい》の家来で、殊に児飼《こが》いからの恩もあるので、彼はどうしても主人を見捨てることはできない因縁《いんねん》になっていた。
「実をいうと、佐野のお家《いえ》はもう駄目だ。とうとう押っ潰《つぶ》れてしまったよ」と、治六は悲しそうな眼をしばたたいた。
亭主はしばらく黙って、旅疲ればかりではないらしい彼の痩せた顔を見つめていた。
「お家が潰れた」と、亭主は呆れたように言った。「いつ、どうして……。この前に見えた時にはちっともそんな話はなかったが……」
「なに、あのときにも内々覚悟はしていたのだが、この秋になって急にばたばた[#「ばたばた」に傍点]と傾いて来たので……。こうなっちゃあ人間の力で防ぎは付かねえ」
治六はきれいに諦めたらしく言っていた。去年からの主人の放蕩で、佐野で指折りの大家《たいけ》の身上《しんしょう》もしだいに痩せて来た。もっとも、これは吉原通いばかりのためではない。ほかに有力な原因があった。侠客肌の次郎左衛門は若いときから博奕場《ばくちば》へ入り込んで、旦那旦那と立てられているのを、先代の堅気な次郎左衛門はひどく苦に病んで、たびたび厳しい意見を加えたが、若い次郎左衛門の耳は横に付いているのか縦《たて》に付いているのか、ちっともその意見が響かないらしかった。
「百姓の忰《せがれ》めが長いものを指《さ》してのさばり歩く。あいつの末は見たくない」
口癖にこう言っていた父は、自分の生きているあいだに、形見分けの始末なども残らず決めておいた。足利《あしかが》の町へ縁付いている惣領娘《そうりょうむすめ》にもいくらかの田地を分けてやった。檀那寺《だんなでら》へも田地《でんぢ》の寄進《きしん》をした。そのほか五、六軒の分家へも皆それぞれの分配をした。
「これでいい。あとは潰すともどうとも勝手にしろ」
父は財産全部を忰の前に投げ出して、自分は思い切りよく隠居してしまった。それでも先代の息のかよっている間は、若い次郎左衛門はさすがに幾らか遠慮しているらしい様子も見えたが、その父が六十一の本卦《ほんけ》がえりを済まさないで死んだのちは、もう誰に憚《はばか》るところもない。二代目の次郎左衛門は長い脇指《わきざし》の柄《つか》をそらして、方々の賭場へ大手を振って入り込んだ。父が三回忌の法事を檀那寺で立派に営んだ時には、子分らしい者が大勢《おおぜい》手伝いに来ていて、田舎かたぎの親類たちを驚かした。足利の姉は涙をこぼして帰った。それは次郎左衛門が二十二の春であった。
次郎左衛門には栃木の町に許婚《いいなずけ》の娘があったが、そんなわけで破談となった。妾《めかけ》を二、三人取り替えたことはあったが、一度も本妻を迎えたことはなかった。いかに大家でも旧家でも、今の次郎左衛門に対して相当の家から娘をくれる筈はなかった。次郎左衛門の方でも野暮《やぼ》がたい田舎娘などを貰う気はなかった。彼はいつまでも独身《ひとりみ》で気ままに暮らしていた。
彼は博奕場へ入り込むようになってから、ある浪人者に就いて一心不乱に剣術を習った。その動機はこうであった。あるとき博奕場で他の者と論争を始めると、相手は腕をまくってこう言った。
「いくら佐野のお大尽《だいじん》さまでも、こうなりゃあ腕づくだ。腕で来い」
幸いにささえる者があったので、その場は何事もなく納まったが、もし彼がいう通りに腕づくの勝負となったら、次郎左衛門はとても彼の敵でないことを自覚していた。次郎左衛門はその以来、人間がいざという場合にはおのれの力のほかに恃《たの》む物のないことを今更のように思い知って、まず剣術を習った。柔術を習った。取り分けて剣術に趣味をもって毎日精出して習ったために、後には立派な腕利きとなった。彼はその力を利用して方々を暴れ歩いた。少し気に食わないことがあると、誰にでも喧嘩を売った。子分でも妾でも容赦なしに踏んだり蹴《け》たりした。妾は一年と居付かないでみんな逃げてしまった。
父が死んだのちの彼はもう唯の百姓ではなかった。彼はむしろ博奕打ちとして世間から認められていた。彼もそれを得意としていた。しかし彼は大親分と立てられるような徳望にかけていたので、相当の子分をもちながら彼の縄張り内は余りに拡げられなかった。子分にも片腕になって働くような者が一人もできなかった。彼はいつまでも孤立の頼りない地位に立っていた。彼は吝《けち》でないので、ずいぶん思い切って金を遣った。しかもその縄張りは余り広くないので、収支がとても償《つぐな》わない。彼の身代はますます削《けず》られてゆくばかりであった。その上に彼は吉原狂いを始めた。
去年の春、彼は治六とほかに二、三人の子分を連れて江戸見物に出た。この佐野屋に宿を取って、彼はその頃の旅人がみんなするように、花の吉原の夜桜を観に行った。江戸めずらしいこのひと群れは誰也行燈《たそやあんどう》の灯《ほ》かげをさまよって、浮かれ烏の塒《ねぐら》をたずねた末に、仲《なか》の町《ちょう》の立花屋という引手茶屋《ひきてぢゃや》から送られて、江戸町《えどちょう》二丁目の大兵庫屋《おおひょうごや》にあがった。次郎左衛門の相方《あいかた》は八橋《やつはし》という若い美しい遊女であった。八橋は彼を好ましい客とも思わなかったが、別に疎略にも扱わなかった。彼はひととおりに遊んで無事に帰った。
江戸のよし原のいわゆる花魁《おいらん》なるものが、野州在の女ばかりを見馴れていた彼の眼に、いかに美しく神々《こうごう》しく映ったかは言うまでもなかった。彼はまた次の夜すぐに二回《うら》を返した。その次の夜には三回目《なじみ》を付けた。三回目の朝には八橋が大門口《おおもんぐち》まで送って来た。三月ももう末で、仲の町の散る花は女の駒下駄の下に雪を敷いていた。次郎左衛門もその雪を踏んで、一緒に歩いた。
彼はほかの子分どもをひとまず国へ帰してしまった。治六だけを宿に残して、それからほとんど一夜も欠かさずに廓《くるわ》へかよった。彼は見返り柳の雨にほととぎすを聞いたこともあった。待合いの辻の宵にほたるを買ったこともあった。彼は三月の末から七月の初めへかけて百日ほども八橋に逢い通した。金がつづかないので、国から幾度も取り寄せた。
「旦那さま、盆がまいりますぞ。いい加減に戻らっしゃい」と、治六も呆れてたびたび催促したので、次郎左衛門もさすがに気が付いたらしく、盂蘭盆《うらぼん》まえに一旦帰ることになった。
帰って見ると、百日あまりの留守の間に子分どもの多くは散ってしまった。自分の縄張り内は大抵他人に踏み荒らされていた。いつもの次郎左衛門ならばとても堪忍する筈はなかった。彼は虎のように哮《たけ》って、自分の縄張りを荒らした相手に食ってかかるに相違なかった。彼は得意の剣術を役に立てて、相手と命の遣り取りをしたかも知れなかった。しかし彼の性質はこの春以来まったく変っていた。
彼が性格のいちじるしく変化したことは、佐野屋で一緒に起き臥《ふ》ししていた治六にもよく判っていた。虎はいつか猫に変って、彼のおそろしい爪も牙《きば》も見えなくなってしまった。彼は誰にも叱言《こごと》一ついわないようになった。彼は薄気味の悪いほどにおとなしくなった。その理由は治六にも判らなかったが、ともかくも吉原がよいを始めてから、主人の性質がこう変ったということだけは容易に想像された。
「まあ、まあ、打っちゃって置け」と、次郎左衛門は子分どもを却ってなだめていた。
自分の縄張りを踏み荒らされても、指をくわえて黙っている次郎左衛門のなまぬるい態度が子分どもの気に入らなかった。かれらは歯がゆく思った。親分を意気地なしと卑しんだ。折角踏みとどまっていた少数の子分もみんな失望して散った。さらでも孤立の次郎左衛門は、いよいよほんとうの一本立ちになってしまった。彼の影はいよいよ寂しくなった。
「いっそ、この方が旦那のためになるかも知れねえ」と、治六はひそかに喜んだ。
縄張りは人に奪《と》られ、子分はみんな散ってしまう。次郎左衛門はもう博奕打ちとしては世間に立てなくなったのである。それをしおに料簡《りょうけん》を切り替えて、もとの堅気の百姓に立ちかえれば、本人も家《いえ》も安泰である。そう祈っているのは治六ばかりでなく、分家の人たちもみんな同じ望みをもっていた。
次郎左衛門は果たして博奕打ちをやめた。喧嘩もやめた。今までは奉公人まかせにしておいた帳簿などを自分で丹念に検《あらた》めて、ついぞ持ったことのない十露盤《そろばん》などをせせくるようにもなった。彼は純な百姓生活にかえって、土の匂いに親しんだ。
それを聞いて、足利の姉は再び涙を流してよろこんだ。彼女《かれ》はここで弟に相当の嫁を持たせて、いよいよしっかりと彼と家とを結び付けようと試みたが、それは全く失敗に終った。余事は格別、縁談に就いて彼は誰の相手にもならなかった。
明くる年の春は来た。田面《たづら》の氷もようやく融《と》けて、彼岸の種|蒔《ま》きも始まって、背戸《せど》の桃もそろそろ笑い出した頃になると、次郎左衛門はそわそわして落ち着かなくなった。彼は蔵に積んである米や麦を売って、あらん限りの金をふところに押し込んで、再び江戸見物にのぼった。ことしも治六が供をして出た。
吉原は去年にまして賑わっていた。年々栽《う》え替えられる桜にも去年の春の懐かしい匂いが迷っていた。
次郎左衛門は今年も立花屋から送られて、大兵庫屋の客になった。彼は八橋に二百両の土産をやった。そうして、ことしも春から夏の終りにかけて百日ほども遊んで帰った。
「いくらお大尽さまでも、ちっと道楽が過ぎましょう」と、佐野屋の主人は二年越しの遊蕩に少しく顔をしかめていた。治六は喧嘩づらで急《せ》き立てて、ことしも盆前にひとまず国に帰ることになった。帰る時に次郎左衛門は宿の亭主に言った。
「ことしの内にまた来るかも知れません」
「お急ぎの御用があれば格別、今年はまあ在所《ざいしょ》に御辛抱なすって、また来春お出でなさいまし」と、亭主は言った。
次郎左衛門は唯にやにや[#「にやにや」に傍点]笑いながら草鞋《わらじ》の紐を結んで出た。それが果たして今年の内に出直して来た。しかも佐野屋[#「佐野屋」はママ]の家は潰れてしまったというのであった。亭主も夢のように思われてならなかった。
「なにしろ、もう七、八年前から身代《しんだい》も痛み切っていたところへ、去年も吉原で二千両ほども遣う。ことしもそれに輪をかけて三千両ほども撒き散らす。それじゃあとても堪《たま》らねえ」と、治六は投げ出すように言った。「去年江戸から帰ってすっかり堅気になって辛抱しなさるようだったから、まあいい塩梅《あんばい》だとわしらも喜んでいたんだが、なあに、やっぱり駄目なことさ。おまけに今年の秋は八朔《はっさく》と二百|十日《とおか》と二度つづいた大暴《おおあ》れで田も畑もめちゃめちゃ。こうなったら何も悪いことだらけで……。それにわしらが知っているのも知らねえのもあったが、田地のいい所は四、五年まえから大抵よそへ抵当《かた》にはいっている。それが四方から一度に取り立てに来たんだから、いやもう埒《らち》はねえ」
「それで大家《たいけ》もばたばた[#「ばたばた」に傍点]と没落したんだね」と、亭主は深い溜め息をついた。
「それでも足利のおあねえ様や分家の手合いが寄り集まって、何とか埒《らち》をあけることに苦労しているんだが、どうも右から左に纏《まと》まりそうもねえ。つまり、旦那は自分の身上《しんしょう》をみんな投げ出して、親類の人たちにあとの始末をいいように頼んで、空身《からみ》で生まれ故郷を立ち退くことになったのさ。空身といっても千両ほどの金をもっている。それを元手に江戸で何か商売でも始めるつもりだから、この後もまあよろしく願いますよ」
「千両……。古河《ふるかわ》に水絶えずだね」と、亭主は感心したように言った。「それだけの元手がありゃあ、江戸でどんな商売でもできますよ。千両はさておいて、百両あっても気強いものさ」
二階で治六を呼ぶ声がきこえるので、彼はそそくさと煙管《きせる》をしまって起《た》ちあがった。
二
暗い行燈《あんどう》の前で、次郎左衛門は黙って石町《こくちょう》の四《よ》つ(午後十時)の鐘を聴いていた。治六は旅の疲れでもう正体もなく寝入ってしまったらしいが、彼の眼は冴えていた。彼は蒲団の上に起き直って、両手を膝に置いてじっと考えていた。師走の江戸の町には、まだ往来の足音が絶えなかった。今夜の霜の強いのを悲しむように、屋根の上を雁《がん》が鳴いて通った。
次郎左衛門も今夜はすぐに吉原へ行かなかった。あしたは月代《さかやき》でもして、それから改めて出かけるつもりであった。もう再び故郷の佐野へは帰らない。江戸に根を据えてしまう覚悟であるから、さすがに一夜を争うにも及ばないと思った。勿論、八橋が恋しいには相違なかった。それでも今年もう三十一になる次郎左衛門は、なま若いものと違って、幾らか落ち着いたところもあった。彼はおとなしくあしたを待っていた。
ちらちらと揺れる行燈の灯を見つめて、彼は自分の過去を静かに考えた。十六の年から博奕場に足を入れて、二十歳《はたち》で父に別れたのちは、博奕と喧嘩で彼は十幾年の月日を送った。そのあいだに妾を置いたこともあったが、それは自分の手廻りの用をさせるのにとどまって、それから温かい愛情を見いだそうなどとは思いも付かなかった。彼は手綱《たづな》の切れた暴馬《あれうま》のように、むやみに鬣毛《たてがみ》を振り立てて狂い廻っているのを無上の楽しみとしていた。彼は自分の野性を縦横無尽に発揮して、それを生き甲斐のある仕事と思っていた。
それが去年の春からがらりと変った。自分でも不思議に思うほどに変ってしまった。それは八橋から唯ひとこと、こう言われたからであった。
八橋があるとき彼の商売を訊くと、彼は野州佐野の博奕打ちで、三、四十人の子分を持っていると自慢らしく答えた。すると、八橋はにやり[#「にやり」に傍点]と笑った。
「ほかにもいろいろの渡世《とせい》がありんしょう。喧嘩商売、よしなんし。あぶのうおざんす」
なるほど危ない商売には相違なかった。博奕打ちに喧嘩は付き物である。次郎左衛門はその命賭けの危ないなかに興味を求めていた。世間にはほかにいろいろの渡世があることも、喧嘩商売のあぶないことも、いまさら八橋の意見を聞くまでもなかった。そんなことは足利の姉からも、分家の人びとからも耳うるさいほどに聞かされていた。
「あぶのうおざんす」
この一句が今夜はふかく彼の胸に食い入った。相手はどれほどの親切気で言い聞かしたのか知れないが、次郎左衛門は心からその親切を感謝した。自分の生命《いのち》を賭けるような危ない商売はもうふっつりと思い切ろうと女に誓った。
「今度来るときには堅気の百姓で来る」
彼はその約束を忘れなかった。盂蘭盆まえに国に帰ると、もとの百姓生活に立ちかえる準備に取りかかった。しかし、もう遅かった。いわゆる喧嘩商売で幾年も送った禍いは、彼の身代の大部分を空《から》にしていた。いくら帳簿を整理しても十露盤をはじいても、いまさら療治のできるような浅い手疵《てきず》ではなかった。殊に今までの喧嘩商売を離れてから、彼の頭はぼんやりして来た。アルコール中毒の患者から酒を奪ったように、彼は活動の力を失った。おとなしくなった、堅気になったとよそ目に見えるのも、噴火山が死火山に変りつつあるというに過ぎなかった。彼としては、むしろ一種の衰えであった。
彼はその衰えを自覚しないほどに八橋にあこがれていた。そうして、約束通りに堅気の百姓になって、ことしの春ふたたび吉原へ来た。その話を聞いて、八橋は又こう言った。
「よく気を入れ替えなんした。人間は堅気に限りいす」と、彼女《かれ》は身につまされたように言った。
その深い意味は判らなかったが、女に褒められた次郎左衛門は子供のように嬉しがった。
しかし、その百姓生活を長く営むことを許されなかった。彼が今年の盆に国に帰ってから後、いろいろの禍いがそれからそれへと落ちかかって来た。彼は一家の後始末を親類に頼んで故郷を立ち退《の》くよりほかはなかった。彼は江戸へ出て、何か生きてゆく方法を考えなければならなかった。彼はさらに百姓から商人に変らなければならなかった。それにしても急ぐことはない、まず暮れから正月は吉原でおもしろく遊んで、それから佐野屋の亭主とも相談して、なんとか相当の商売を見つけ出そうと考えていた。彼のふところには千両の金があった。
「旦那さま。まだお寝《やす》みなさらねえのでごぜえますかえ」
治六は寝返りを打って、衾《よぎ》の中から主人に声をかけた。
「天井でえらく鼠がさわぐので、眼が醒めてしまいました」と、彼はまた言った。
今までは気がつかなかったが、低い天井には鼠の駈けまわる音がおびただしく聞えた。次郎左衛門も無言で天井を仰いだ。
「旦那さま。おめえさま何か考えているんじゃごぜえませんかね。道中では毎晩よく眠らっしゃるのに、どうして今夜は寝ねえんだね。もう江戸へへえったから、ゆっくりと手足が伸ばせる筈だが……」と、治六は半分起き返って言った。「おめえさま。あしたの晩に吉原へ行くつもりかね」
「むむ。午前《ひるまえ》に髪月代でもして、午《ひる》過ぎから行くつもりだ。一緒に来い」
治六は黙っていた。
「いやか」と、主人は少し面白くない顔をして苦笑いをした。
「おめえさまも止したらどうだね。いや、行くなじゃあねえが、まあ当分は……。ともかくもここの御亭主と相談して、何か商売の道を立てて、自分たちの身分を決めた上で、それから行っても遅くはあるめえと思うが……」
今度は次郎左衛門の方が黙っていた。
「佐野の家をぶっ潰して唯ぼんやり江戸へ出て来たじゃあ、吉原へ面《つら》を出しても幅が利くめえから、なんとかこっちの身分を立てて、さて今度はこういうことにしたと、誰にも話のできるようにしてから大手を振って行く方がよかろうと思うが、どうでごぜえますね」
「まあ、いい。そんなことはあしたの話にして、今夜はお前も寝ろよ。おれももう寝る」と、次郎左衛門は相手にならずに衾《よぎ》をかぶろうとした。
主人が寝ると、家来があべこべに起き直った。
「いや、こんな事は今のうちにしっかり決めて置くがいい。わしはさっきから寝た振りをしておめえさまの様子を見ていたが、何をそんなに考げえていなさるね。聞かねえでも判っていると言うかも知れねえが、もし、旦那さま。江戸へ出るまではなんにも言うめえと思って、道中でも口を結んでいたが、あの吉原の女はおめえさまに隠して情夫《おとこ》を持っているんでごぜえますよ」
去年の春は治六もちっとも気がつかなかったが、ことしの春になって彼はその噂を聞き出した。八橋には若い浪人者の馴染みがあって、起請《きしょう》までも取り交した深い仲である。治六はそれを主人に注意しようと幾たびか思ったが、確かな証拠もなしにそんなことを訴えたところで、とても取り合ってくれる気遣いもないと考えたので、今まで一度も口に出さなかったのであった。
彼は今夜初めてその秘密を洩らした。
三
八橋の男に宝生栄之丞《ほうしょうえいのじょう》という能役者《のうやくしゃ》あがりの浪人者があった。両親《ふたおや》に死に別れてから自堕落《じだらく》に身を持ち崩して、家の芸では世間に立っていられないようになった。妹のお光《みつ》と二人で下谷《したや》の大音寺《だいおんじ》前に小さい家を借りて、小鼓指南《こづつみしなん》という看板をかけていたが、弟子入りする者などほとんど一人もなかった。八橋は素人《しろうと》の時から栄之丞を識っていた。廓《くるわ》へはいって栄之丞を客にするようになってから、二人の親しみはいよいよ細《こま》やかになって来た。
治六もその以上のことは詳しく知らなかった。しかしこれだけの事実でも、主人の寝ぼけている顔を洗うには十分の冷たい水であると彼は考えていた。彼は今夜それを残らず打ち明けた。そうして、もともとが気晴らしの遊びであるから、女に情夫《おとこ》があろうが亭主があろうが、別にかけかまいはないようなものであるが、こっちもそのつもりで腹を締めて掛からないと、飛んだ馬鹿を見ることにもなる。吉原へ行くのもいいが、よくそのつもりでいて貰いたいと言った。
「おめえさまも昔とは違う身分だ。千両の金をなくしてしまえば、乞食するよりほかはあるめえ。主人と家来が二人つながって三河万歳《みかわまんざい》もできめえから、よっくそこらも考げえて下せえましよ」
次郎左衛門は衾《よぎ》から首を出して、唯《ただ》せせら笑っているばかりであった。
「馬鹿野郎、くよくよ心配するな。今だからこそ遊んでいられるのだ。これから商売を始めて、千両の金を元手にかけてしまったら、どの金で遊べる。遊ぶなら今のうちだ。八橋に情夫《おとこ》のあることはおれも知っている。現に、兵庫屋の二階で八橋からひきあわされたこともある。八橋は従弟《いとこ》だといったが、そうでないことは俺もちゃんと見ぬいていた。俺は近づきの印《しるし》だといって百両包みを出してやったら、その栄之丞という男は薄気味の悪そうな顔をしていて、容易に手を出そうともしなかった。無理に押し付けても、とうとう返して行った。いや、おとなしい可愛い男よ。あの男ならおれが訳をいって、この千両を半分やるから八橋と手を切ってくれと頼めば、いつでもきっと素直に承知してくれるに相違ない」
「千両を半分やる……」と、治六は呆れて笑い出した。「それよりもおめえさまの首をやった方がよさそうだ。わはははは」
「事によれば首をやらないとも限らない」と、次郎左衛門も笑った。「だが、金のあるうちは命が大事だ」
もう相手になるのが面倒になったらしい。次郎左衛門はくるりと寝返りを打ってこちらへ背を向けた。いつもの癖で、衾をすっぽりと頭からかぶってしまった。雁の声がまたきこえた。
ことばの行きがかりでそんなことを言ったのだろうとは思うものの、冗談にも千両の半分を八橋の情夫にやる――飛んでもないことだと治六は思った。どっちにしても、身上《しんしょう》を振ってもそれだけしかない金を、そう安っぽく扱うような料簡《りょうけん》では行く末が思いやられる。夜が明けたならば宿の亭主とも相談して、あの千両を宿にあずけてしまうに限る。当人の手に握らせて置くのはあぶないと考えた。
夜の明けるのを待ちかねて、治六は佐野屋の亭主に相談した。どうで千両の金を首へかけて歩いていられるものでない、外へ出る時には宿へあずけて行くに決まっている。そのときに受取ったが最後、なんとか文句を付けて迂闊《うかつ》に渡してくれるなと言った。客の金をあずかっておきながら、それを渡すときに文句を付けるというのは、宿屋として甚だ質《たち》のよくない遣り方で、亭主も少し躊躇したが、しょせんは自分の欲心ですることではない、預け主のために思うのであるという理屈から、亭主も治六の忠義に同情して、結局その相談に乗ることになった。しかし、いよいよその金をあずかるという段になると、次郎左衛門は半分だけしか亭主に渡さなかった。
「八橋に土産もやらなければならない。二階じゅうの者にも相当のことをしてやりたい。まして歳の暮れの物日《ものび》前だ。それ相当の用意がなくって廓へ足踏みができると思うか」
彼は治六を叱り付けて、五百両を持って供をしろと言った。治六は渋々ながら付いて行くことになった。二人とも髪月代《かみさかやき》をして、衣服を着替えて出た。ここであくまでも逆らったところで仕方がない。ともかくも残りの半分にさえ手を着けなければまあいいと、治六も諦めを付けていた。
二人が駕籠で廓《くるわ》へ飛ばせたのは昼の八つ(午後二時)を少し過ぎた頃であった。雷門《かみなりもん》の前まで来ると、次郎左衛門を乗せた駕籠屋の先棒が草鞋の緒を踏み切った。その草鞋を穿き替えている間に、次郎左衛門は垂簾《たれ》のあいだから師走の広小路の賑わいを眺めていたが、やがて何を見付けたか急に駕籠を出ると言った。
駕籠を出ると、彼は小走りに駈けて行った。呼び止められたのは、編笠《あみがさ》をかぶった若い男であった。
「栄之丞さんじゃあございませんか」
編笠の男は宝生栄之丞であった。
「おお、次郎左衛門どの。また御出府《ごしゅっぷ》でござりましたか」と、彼は笠をぬいで丁寧に会釈《えしゃく》した。
「江戸が懐かしいので又のぼりました」と、次郎左衛門は笑った。八橋に変ることはないかと取りあえず訊いた。
臆病らしい態度で栄之丞は始終挨拶していた。自分も久しく無沙汰をしているが、八橋には多分変ったこともあるまいと言った。自分は浅草観音へ参詣した帰りで、これから堀田原《ほったわら》の知りびとのところを訪ねようと思っていると言った。一緒に吉原へ行かないかと次郎左衛門に誘われたが、彼は振り切るように断わって別れて行った。
おとなしい男だと次郎左衛門はまた思った。従弟《いとこ》のなんのと言い拵《こしら》えてはいるものの、彼が八橋の情夫であることは能く判っていた。かりにこっちでは何とも思っていないとしても、普通の人情として彼がこっちに対して快《こころよ》く思っていないのは判り切っている。けれども決して忌《いや》な顔を見せない。むしろこっちを恐れるようなおどおどした態度で、いつも丁寧に挨拶している。単に身分の上から見ても、たとい浪々しても彼も宝生なにがしと名乗るお役者の一人である。こっちは唯の百姓である。その百姓に対して、彼は一目《いちもく》も二目も置いたような卑下《ひげ》した態度を取っている。どっちからいっても、よくよくおとなしい可愛い男だと次郎左衛門は思った。
治六にいくら注意されても、彼はこのおとなしい若い浪人者に対して、いわゆる色がたきの恋争いのという強い反抗心をもち得なかった。彼は恋のかたきというよりも、むしろ一種の親しみやすい友達として栄之丞を取扱いたかった。
しかしその親しみやすいといううちには、おのずからなる軽蔑の意味も含まれていた。次郎左衛門が彼に対して反抗心や競争心をもち得ないのは、相手を余りに見くびっていた結果でもあった。次郎左衛門は芝居や講談で伝えられているような醜《みにく》いあばた[#「あばた」に傍点]面《づら》の持ち主ではなかった。三十一の男盛りで身の丈《たけ》は五尺六、七寸もあろう。剣術と柔術とで多年鍛えあげた大きいからだの肉は引き締まって、あさ黒い顔に濃い眉を一文字に引いていた。彼は実に男らしい顔と男らしい体格とをもっていた。たしかに一人前の男として、大手を振って歩けるだけの資格をそなえていた。金も持っていた。力も持っていた。
それに較べると、栄之丞は哀れなほどに貧弱なものであった。目鼻立ちこそ整っているが、背も低い、病身らしく痩せている。次郎左衛門と立ちならぶと、まるで大人と子供ほどの相違があった。次郎左衛門もこんな者を相手にして、まじめに闘う気にはなれなかった。情夫であっても何でも構わない。八橋ぐるめに可愛がってやりたいと思っている位であった。
栄之丞のうしろ姿を見送って、次郎左衛門は駕籠の方へ引っ返すと、治六もいつの間にか駕籠を降りて、不安そうにこっちを窺っていた。
「旦那さま。今のは栄之丞でねえかね」
「むむ。丁度ここで逢ったのも不思議だ」
「わしがゆうべ、あんなことを言ったから、この往来なかで喧嘩でもおっ始めるのじゃあねえかと思って内々心配していたが、だいぶ仲がよさそうに別れたね」
「誰が喧嘩なんぞするものか、昔のおれとは違う」と、次郎左衛門は笑いながら駕籠に乗った。
四
仲の町の立花屋では、佐野のお大尽が不意に乗り込んで来たのに驚いた。亭主の長兵衛は留守であったが、女房のお藤がころげるように出て来て、すぐに二人を二階へ案内した。女中は兵庫屋へ報《しら》せに行った。
二階には手炙火鉢《てあぶり》が運ばれた。吸物椀や硯蓋《すずりぶた》のたぐいも運び出された。冬の西日が窓に明るいので女房は屏風を立て廻してくれた。次郎左衛門のうしろの床の間には、細い軸物《じくもの》の下に水仙の一輪挿しが据えてあった。二人は女房や女中の酌で酒を飲んでいた。
そのうちに女房はこんなことを言った。
「八橋さんの花魁《おいらん》は、大尽がお越しになったのでさぞお喜びでござりましょう。そう申してはいかがですが、花魁もことしの暮れはちと手詰まりの御様子でしてね」
「可哀そうに……。たんと金がいるのかね」と、次郎左衛門が訊いた。
「さあ、どんなものでござりましょうか。わたくし共も詳しいことは存じませんが、なんでも浮橋《うきはし》さんからそんな話がござりました」
浮橋というのは八橋の振袖新造《ふりそでしんぞう》で、治六の相方であった。
「そうか。おい、治六。貴様どうかしてやれよ」と、次郎左衛門は笑った。
治六はにっこりともしないで、黙って酒を飲んでいた。
そうでなくても、主人は金を遣いたがっているところへ、花魁が手詰まりだなどという噂を聞かされては堪まったものではない。治六はもう逃げて帰りたくなった。
女中の迎いを受けて浮橋がさきへ来た。女房と女中が階下《した》へ立ったあとで、浮橋は花魁がこの年の暮れに手詰まりの訳を話した。それも五十両ばかりあればいいのだが、さてその工面《くめん》が付かないのは情けないと言った。次郎左衛門はたったそれだけでいいのかと笑った。これは花魁へいつもの土産だといって、二百両の金包みを出した。浮橋にも十五両やった。
「これで花魁も浮かみ上がるでおざんしょう」と、浮橋は自分も生き返ったように喜んでいた。
「今ここへ来る途中で、栄之丞さんに丁度|逢《あ》ったよ」と、次郎左衛門は杯を浮橋にさしながら言った。
どこで逢ったと訊き返したので、雷門まえで逢ったというと、浮橋は黙って少し考えているらしかった。この頃こっちへ来るかと訊くと、浮橋はちっとも寄り付かないと答えた。八橋と喧嘩でもしたのかと訊くと、そんな訳でもないらしいとのことであった。
いい加減な嘘をついているのだと治六は思っていた。しかしそれは客に対する新造の駈け引きでもなんでもなかった。じっさい栄之丞はこの冬の初め頃から八橋のところへ顔を見せないのであった。使いをやっても碌《ろく》に返事もよこさなかった。二、三日まえにも使いを出して、ぜひ相談したいことがあるからちょいと来てくれと言ってやったら、当時は病気で外へ出られないという返事であった。その栄之丞が雷門まえをうろうろ歩いていたというのは、浮橋にもちっと解《げ》せなかったが、今はそれを詮議している場合でもないので、彼女は寄らず障らずの廓ばなしなどをして、しばらくその席をつないでいたが、花魁の八橋は容易に茶屋へ姿を見せなかった。
女房も八橋があまり遅いのを待ちかねて、もう一度催促をやろうかと言った。
「いいえ、わたしが見てきいんしょう」
浮橋は自分で兵庫屋へ引っ返して行った。番頭新造《ばんとうしんぞう》の掛橋《かけはし》に訊くと、花魁は急に癪が起ったので医者よ針よと一時は大騒ぎをしたが、やっと今落ち着いたとのことであった。浮橋はすぐに花魁の部屋へ行って見ると、八橋は蒼《あお》い刷毛《はけ》でなでられたような顔をして、緞子《どんす》に緋縮緬《ひぢりめん》のふちを取った鏡蒲団《かがみぶとん》の上に枕を抱いていた。
八橋は明けて十九になろうという若い遊女で、しもぶくれのまる顔で、眼の少し細いのと歯並みの余りよくないのとを疵にして、まず仲の町張りとしてひけを取りそうもない上品な花魁であった。彼女は持病の癪にひどく苦しんだと見えて、けさ結ったばかりの立兵庫《たてひょうご》がむしられたようにむごたらしく掻き散らされて、その上に水色|縮緬《ちりめん》の病い鉢巻をだらりと垂れていた。自分の源氏名《げんじな》の八橋にちなんだのであろう、金糸で杜若《かきつばた》を縫いつめた紫繻子のふち取りの紅い胴抜きを着て、紫の緞子に緋縮緬の裏を付けた細紐《しごき》を胸高に結んでいた。
「花魁。心持ちはもうようおすかえ」と、浮橋は摺り寄って彼女の蒼ざめた顔を覗くと、八橋はただひと言いった。
「浮橋さん。くやしゅうおざんす」
彼女は張りつめた胸をせつなそうに抱えて、蒲団の上に又うつ伏してしまった。苦しいのは判っているが、くやしいのは判らなかった。浮橋は黙って暫くその顔を見つめていると、掛橋が薬を煎《せん》じて持って来た。そうして、浮橋の袖をそっと曳いて廊下へ連れ出した。
「悪いことができいしてね。困ったものでおぜえすよ」と、掛橋は顔をしかめた。
十月頃からかの栄之丞がちっとも顔を見せない。手紙をやっても返事がない。呼びにやっても来ない。それで八橋はじれ切っている矢先へ、あいにくにまた悪いことが耳にはいった。店の若い者の伊之助がさっき馬道《うまみち》まで使いに出て、そのついでに観音さまへ参詣にゆくと、仲見世で栄之丞にぱったり出逢った。むこうは笠を傾けて挨拶もせずに行き過ぎたが、たしかにその人らしかったと家《うち》へ帰ってから何心《なにごころ》なくしゃべっていたのを、禿《かむろ》の八千代が立ち聞きして、それを八橋に訴えた。八橋は赫《かっ》となった。病気で外へも出られないという者が、この寒い風に吹かれて仲見世あたりをうろついている筈がない。病気は嘘に相違ない。そんな嘘をついてまでも、ここへ足踏みをしないからは、もうわたしを見限ったものに相違ない。わたしは捨てられたに相違ない、欺《だま》されたに相違ないと、廓育ちの彼女は何でも一途《いちず》に「相違ない」ことに決めてしまって、身もだえしてくやしがった。こうした機会を待ち設けていたように持病の癪の虫が頭をもたげた。さなきだに狂いかかっている彼女は、突然におそって来た差込《さしこ》みの苦痛に狂って倒れた。それは浮橋がここを出ると間もない出来事であった。
そんな騒ぎで、八橋は仲の町へも立花屋へも、とても出て行かれる訳ではなかった。
「立花屋のお客は誰でおぜえすえ」と、掛橋はまた訊いた。それは佐野の大尽であることを浮橋は話した。そうして、次郎左衛門も雷門まえで栄之丞に逢ったという話を自分もいま聴いて、不思議に思っていたところだと言った。栄之丞が病人でないことはいよいよ確かめられた。
栄之丞がなぜそんな嘘をつくのか、二人にも判らなかった。なんにしても花魁の怒るのは無理もないと思った。くやしがって癪をおこすはずだと思った。しかし、そんなことを評議している場合でない。次郎左衛門は茶屋に待っている。いつまでも沙汰なしにしておいて、機嫌を損じては悪いと思ったので、浮橋と掛橋は取りあえず仲の町へ行った。出がけに掛橋は禿を叱った。
「お前がよけいな告げ口をしなんすから、こんなことにもなるのでおざんす。これからはちっと口を慎みなんし」
わたし達がいないあいだは、花魁の枕もとへ行っておとなしく坐っていろ、何か変った事があったら直ぐに遣手《やりて》衆を呼べ。いうことを肯《き》かないと、約束の蜜柑《みかん》も買ってやらない、羽根も買ってやらないと、掛橋はきびしくおどしつけて出て行った。出ると、店口で立花屋の女中に逢った。彼女は待ちかねて二度の迎いに来たのであった。
二人は女中と一緒に立花屋へ行って、花魁が急病の話をすると、女房もおどろいた。そこで相談の上で、八橋の病気がもう少し納まるまで浮橋だけが茶屋に残っていて、いい頃を見て掛橋自身が迎いに来るか、禿を使いによこすか、それまでもう少し待っていて貰いたいということになった。女房も承知した。掛橋も二階へ顔をちょっと出して、気の毒そうにその訳をことわって行った。次郎左衛門は掛橋にも十五両やった。
掛橋が二階を降りると、やがてそのあとから便所へ起つ振りをして、治六も降りた。彼はすぐに茶屋を駈け出して、江戸|町《ちょう》の角で掛橋に追いついた。
「八橋花魁、よっぽど悪いのかね。もしよくねえようだったら、無理に我慢して迎いをよこすことはいらねえ。きょうは引っ返してもいいんだから」
「馬鹿らしい」と、掛橋は笑った。たとい花魁の病気が納まらないとしても、茶屋からすぐに帰る法はない。こっちでも帰されるものでない。ともかくも一旦兵庫屋へ来て、花魁の様子を見届けて、ほかの座敷であっさりと飲んで、それから帰るとも名代《みょうだい》を買うとも勝手にするがいい。花魁の容態の善悪にかかわらず、もう一度必ず迎いに来るから、それまでおとなしく待っていてくれと言った。そうして、彼女は「おお、寒」と、袖をかき合わせて駈けて行ってしまった。
治六は詰まらない顔をして仲の町の曲がり角に突っ立っていた。八橋の病気というのを幸いに、彼は日のあるうちに主人を連れて帰ろうと思ったのであるが、そんな浅薄《あさはか》なくわだては「馬鹿らしい」の一言に破壊された。
自分の相方の浮橋は茶屋の二階に来ているのであるが、彼はそんなことに係り合いのないようにぼんやりと考えていた。
主人は八橋にもう二百両やった。新造二人に十五両ずつやった。まだやらないが、茶屋の女房にも女中にもきっとやるに相違ない。まずあしたの朝日を拝むまでに、あわせて三百両は朝の霜のように消えてしまうものと思わなければならない。千両の三分の一はもうなくなる――こう思うと、治六は肉をそがれるように情けなかった。それでも、あしたの朝すぐに帰ればいい、もしまた未練らしくぐずぐずしていたら、きょう持って来た五百両はみんな飛んでしまう。おとなしくここまでは付いて来たものの、彼はもう主人の胸倉を掴んで引き摺って帰りたいようにもいらいら[#「いらいら」に傍点]して来た。
背中合せの松飾りはまだ見えなかったが、家々の籬《まがき》のうちには炉を切って、新造や禿《かむろ》が庭釜の火を焚《た》いていた。その焚火の煙りが夕暮れの寒い色を誘い出すように、籬を洩れて薄白く流れているのも、あわただしいようで暢《のび》やかな廓の師走らしい心持ちを見せていた。治六は煙りのゆくえを見るともなしに眺めていた。寒い風が彼の小鬢《こびん》を吹いた。
五
その頃の大音寺まえは人の家もまばらであった。枯れ田を渡る夜の風は茅《かや》屋根の軒を時どきにざらざら[#「ざらざら」に傍点]なでて通って、水谷《みずのや》の屋敷の大池では雁《がん》の声が寒そうにきこえた。
栄之丞が堀田原から帰った時には冬の日はもう暮れていた。妹のお光《みつ》の給仕で夕飯を食ってしまうと、高い空には青ざめた冷たい星が二つ三つ光って、ここらの武家屋敷も寺も百姓家も、みんな冬の夜の暗闇《くらやみ》の底に沈んでしまった。遠い百姓家に火の影がちらちら[#「ちらちら」に傍点]と揺らいで、餅を搗《つ》く音が微かに調子を取って響くほかには、ここらに春を待っている人もありそうにも思われない程に、ひっそりと静まり返っていた。栄之丞の兄妹《きょうだい》も春を待っている人ではなかった。
「今も言うような訳だが、どうだ、その家《うち》へ奉公に行って見ては……」と、栄之丞はうす暗い行燈の下にうつ向いている妹に優しく言った。
彼が堀田原の知りびとをきょう訪ねたのも、その用向きであった。妹のお光ももう明ければ十八になる。年頃の娘を浪々の兄の手もとにおいて、世帯《しょたい》やつれをさせるのも可哀そうだと思って、彼は妹のために然るべき奉公口を探していた。なるべく武家奉公をと望んでいたのであるが、どうも思わしい口が見つからなかった。しかし町家ならば相当の口があると、その人が親切に言ってくれた。町人といっても、人形町《にんぎょうちょう》の三河屋という大きい金物問屋で、そこのお内儀《かみ》さんがとかく病身のために橋場《はしば》の寮に出養生をしている。台所働きの下女はあるが、ほかに手廻りの用を達《た》してくれる小間使いのような若い女がほしい。年頃は十七、八で、あまり育ちの悪くない、行儀のよい、おとなしい娘がほしいというのである。別に忙がしいというほどの用もない、給金はまず一年一両二分と決めておいて、当人の辛抱次第で着物の移り替えその他の面倒も見てやる。もし長年《ちょうねん》するようならば、嫁入りの世話までしてやってもいいというので、まず結構な奉公口である。そこへ妹をやってはどうだと勧められて、栄之丞も考えた。
浪々しても宝生なにがしの妹を町家の奉公には出したくない。たとい小身《しょうしん》でも陪臣《ばいしん》でも、武家に奉公させたいと念じていたのであるが、それも時節で仕方がない、なまじいに選り好みをしているうちに、だんだんに年が長《た》けてしまっても困る。何もこれが嫁にやるという訳でもない、長くて二年か三年の奉公である。こういう奉公口を取りはずして後悔するよりも、いっそ思い切ってやった方がよかろうと決心して、何分よろしく頼むと挨拶して帰って来た。
帰ってゆっくりとその話をすると、お光にも別に故障はなかった。
「兄《にい》さまさえ御承知ならば、わたくしは何処へでもまいります」
すなおな妹の返事を聞くと、栄之丞も何だかいじらしいような暗い心持ちになった。自分がまじめに家《いえ》の芸を継いでいれば、家には相当の禄も付いている。貧乏しても奉公人の一人ぐらいは使っていられるのに、今はその妹が却って町人の家へ奉公に行く。妹にはなんの罪もない。悪い兄をもったのが禍いである。結構な口を見付けたといいながらも、兄の心はやっぱり寂しかった。
「わたくしが居なくなりますと、兄さまおひとりではさぞ御不自由でございましょう」と、お光も寂しそうに言った。
「いや、こっちはわたしひとりでもどうにかなる。結構な主人といったところで、どうで奉公、楽なわけにも行くまい。まあ辛抱しろ」
「それで、いつから参るのでございます」
「さあ、いつと決めて来たわけでもないが、むこうも歳暮《くれ》から正月にかけて人出入りも多かろうし、なるべく一日も早いがいいだろう。お前の支度さえよければ、あしたにでも目見得《めみえ》に連れて行こう」
お光はもう一日待ってくれと言った。目見得に行くといっても碌な着物も持っていない。いま縫いかけている春着はあしたでなければ仕立てあがらないから、どうかあさってに延ばしてもらいたいと言った。栄之丞も承知した。約束さえ決めて置けば一日ぐらいはどうでも構わないと言った。それにしても気が急《せ》くので、お光は夜業《よなべ》で裁縫に取りかかった。
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――心弱しや白真弓《しらまゆみ》、ゆん手にあるは我が子ぞと、思い切りつつ親心の、闇打ちにうつつなき、わが子を夢となしにけり――
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栄之丞は柱に倚《よ》りかかって、小声で仲光《なかみつ》を謡っていた。寒そうな風が吹いて通った。堤へ急ぐらしい駕籠屋の掛け声がきこえた。うす暗い行燈の片明かりをたよりとして、お光はしきりに針を急がせていた。
今の栄之丞には妹に春着を買ってやるような余裕はなかった。お光がいま縫っているのは、先月の末に八橋から送ってよこしたものであった。八橋はお光も識っていた。栄之丞の妹といえば自分の妹も同様であるというので、彼女は今までにもお光にいろいろの物を送ってくれた。くるわの年季があければ八橋は自分の姉になるものとお光も思っていた。粗末ではあるが春着にでもと送ってくれた一反《いったん》の山繭《やままゆ》が、丁度お目見得の晴着となったのであった。いくら奉公でも若い女が着のみ着のままでは目見得にも行かれない。これもみんな八橋のお庇《かげ》であると、お光は今更のように有難がっていた。
それが今の栄之丞には心苦しく思われてならなかった。彼は八橋と縁を切りたいと思っていた。この夏の初めに八橋から使いが来て、少し用があるから是れから直ぐに来てくれとのことであった。
昼の九つ(十二時)過ぎで、栄之丞は夏の日を編笠によけながら出て行くと、八橋の座敷には次郎左衛門が流連《いつづけ》をしていた。彼女は栄之丞にささやいて、次郎左衛門には自分の従弟《いとこ》であるように話してあるから、お前はそのつもりで逢ってくれ。きっと幾らかの金をくれるに相違ないと言った。栄之丞は面白くなかった。いやだと振り切って帰ろうとするのを、八橋はしきりに止めた。彼は渋々ながら次郎左衛門に引き合わされて、八橋が注文通りの嘘をついてしまった。相手は別に疑うような顔を見せないで、近づきのしるしにといって百両の金を惜し気もなしにくれたが、栄之丞は恐ろしくて手が出せなかった。いくら自堕落に身を持ち崩しても、彼は決して腹からの悪人ではなかった。八橋が思うように、ひとを欺《だま》して平気ではいられなかった。ましてこれが三両や五両ではない、この時代において大枚《たいまい》百両の金をひとから欺して取ろうなどとは、彼として思いもつかないことであった。栄之丞はたって辞退してその金を受取らなかった。
彼がその金を断わったのは、ひとを欺すことのできない彼の正直な心から出たのでもあったが、もう一つ彼を恐れさせたのは、次郎左衛門その人の容貌と態度とであった。案外に正直らしい、鷹揚《おうよう》な、しかもその底には怖ろしい野性がひそんでいるらしい彼の前に曳き出された時に、栄之丞は言い知れぬ怖れを感じた。ひとを欺《だま》すことのできない彼は、いよいよこの人を欺すことを怖ろしく感じたのであった。
「ぬしも気が弱い。なぜあの金を断わってしまいなんしたえ」
八橋はあとで失望したように言った。
「いや、あの人を欺すのは悪い。ああいう人を欺すと殺されるぞ」と、栄之丞はおびえたように言った。八橋はただ笑っていた。
その以来、栄之丞は八橋に近づくことがなんだか忌《いや》になって来た。いかにひとを欺すのが商売でも八橋の仕方は余りに大胆だと思った。一面からいえば、あまりに残酷だとも思った。廓《くるわ》の水に染みると、こうも冷たい心にもなるものかと、彼はそぞろに怖ろしくもなった。それから惹《ひ》いて次郎左衛門の恨みを買うことを怖ろしかった。彼は相変らず八橋を懐かしいものに思いながらも、以前のように足近くかよって行く気にはなれなかった。それと同時に、彼はもう少しまじめになって、女を頼らずに生きてゆく方法を考えなければならないと思い立った。
それからいろいろに奔走して、この冬の初めから謡いの出稽古の口を見つけ出した。それは堀田原のある御家人《ごけにん》の家で、主人のほかに四、五人の友達が集まって、一六《いちろく》の日に栄之丞の出稽古を頼むということになった。それで乏しいながらも、どうにかこうにか食って行くだけの凌ぎは付けられるようになった。お光の奉公口もここの主人が親切に探してくれたのであった。
「兄《にい》さま。なぜこの頃は八橋さんの所へお越しにならないのでございます」
文《ふみ》が来ても、使いが来ても、なるべく避けているらしい兄《あに》のこの頃の様子をお光は不思議に思っていたが、栄之丞は妹にその訳を明かさなかった。八橋の方からは時どきに金を送ってくれた。品物も届けてくれた。それを断わるのも辛《つら》し、受け取るのも辛いので、栄之丞はそのたびごとに言うに言われない忌《いや》な思いをさせられた。
その次郎左衛門にきょう測《はか》らずも途中で出逢った。むこうではなんにも知らないような風で馴れなれしく話しかけたが、こっちは気が咎めてならなかった。栄之丞は早々にはずして逃げて来た。こっちの気のせいか、きょうは取り分けて次郎左衛門の眼つきがおそろしく見えた。こういう人を欺しては末がおそろしいと、彼はつくづく考えた。
次郎左衛門はあれから直ぐに吉原へ行ったに相違ない。今頃は八橋が彼にむかってどんなことを言っているだろう。自分の噂も出たかも知れない。それを思うと、栄之丞はますます忌な心持ちになった。妹が一心に縫っているのは、八橋から送ってくれた品である。それを見ながら栄之丞は次郎左衛門と八橋との行く末を考えたりしていた。八橋が自分のために癪をおこして半病人になっていようなどとは、彼は思いも付かなかった。
「これで妹のからだも落ちつく。おれも細ぼそながら、食《く》い続《つづ》きはできそうになって来た。不人情のようでもあるが、ここでいっそ思い切って八橋と離ればなれになってしまおうか。なんといっても向うは籠の鳥だ。こっちさえ寄り付かなければいい」
次郎左衛門を欺すと欺さないとは八橋の勝手であるが、自分だけはその係り合いを抜けたいと彼は思った。しかし、八橋に対してそれも余り薄情のようにも思われた。
ふんべつに迷った彼は、気をまぎらすために又もや小声で謡い始めると、お光はふと振り向いて訊いた。
「兄さま。わたくしが橋場へまいることを、八橋さんへ一筆《ひとふで》知らせてやりましょうか」
お光は八橋と文通をしていた。兄の使いで吉原へ行ったこともあった。
「いや、それにも及ぶまい。わたしからそのうちに知らせてやる。廓の者は無考えだから、お前の奉公さきへ返事などをよこされると迷惑だ。まあ止した方がよかろう」
「そうでございますねえ」
お光はおとなしく黙ってしまった。
六
次郎左衛門はその明くる日も、またその明くる日も流連《いつづけ》をして帰った。馬喰町の佐野屋の閾《しきい》をまたいだのは、師走の二十四日の四つ頃(午前十時)で、彼は近所の銭湯へ行って、帰るとすぐに夕方まで高いびきで寝てしまった。
「治六さん。相変らず長逗留だったね」と、佐野屋の亭主が顔をしかめてささやいた。
「どうも仕方がねえ」と、治六もあきらめたように溜め息をついていた。しかしただ諦めてはいられないので、彼は亭主になんとかいい工夫はあるまいかと更に相談した。
「いっそ、その花魁を請け出したらどうだろう」
亭主はしまいにそんなことを言い出した。こういう風にだらしなく金をつかっていたら、千両が二千両でも堪まったものではない。いっそ千両の金をたんと減らさないうちに八橋を請け出してしまって、残った金でどんな小商いでもはじめる。その方が却って無事かも知れないと彼は言った。
治六も考えた。さきおとといからの流連でも、自分が恐れていたほどに金は懸からなかった。ここの亭主に預けてある五百両のほかに、まだ百六七十両は確かに残っている。もし四、五百両ぐらいで、そっと八橋の身請《みう》けができるものならば、いっそそうした方が無事かも知れないと考えた。
「花魁の身請けは幾らぐらいかかるだろうね」と、彼は試みに亭主に訊いた。
亭主も首をひねった。幾らの金があればこの問題が解決するのか、彼にも確かな見当は付かなかった。百両で身請けのできるのもあれば、千両かかるのもある。しかし、吉原で大兵庫屋の花魁を請け出すという以上は、何かの雑用《ぞうよう》を見積もって、まず千両仕事であるらしく思われた。その話を聴いて、治六も同じく首をかしげた。
「千両かかっちゃあ大変だ。どうにもならねえ」
もともと千両しかない金のうちが、もう三分の一ほどは食い込んでいる。千両の身請けはとてもできない。たとい残りの三分の二で、どうやらこうやら埒が明いたところで、主人と花魁と自分との三人が一文なしではどうにもならない。して見ると、八橋の身請けなど初めからできない相談であった。
「だが、一概にはいえない。花魁の借金が案外すくないようならば、親許《おやもと》身請けとでもいうことにして、なるべく眼立たないようにすれば、千両の半分でも話が付かないとも限らないが……。いったい花魁の借金はどの位あるんだろう」と、亭主はまた言った。
それは治六も知らなかった。しかし旦那は大抵知っているに相違ない。一応はそれとなく次郎左衛門に訊いて見て、とても出来そうもないことならば、その儘に聞き流してしまうもよし、又どうにか手出しのできそうな話であったら、改めて自分の考えも言い、旦那の料簡も訊いて見ようと、彼は亭主と相談して別れた。
日が暮れて、夜食の膳が運び出される頃になって、次郎左衛門はようよう眼を醒ました。彼は治六に、もうなんどきだと訊いた。すぐに駕籠を呼べとでも言いそうな気色《けしき》なので、治六は先《せん》を越して八橋の身代《みのしろ》を訊くと、次郎左衛門は知らないと言った。いずれにしても今の身の上では八橋を請け出すことはむずかしかろうと言った。請け出したところで連れて来る所もないと言った。
「いっそ早くに請け出した方がよかったかも知れない」
次郎左衛門は今さら悔《くや》むように言った。この春よし原でつかった金だけでも、八橋の身請けは立派にできたのである。しかし自分は八橋の意見に従って、もとの堅気の百姓になろうと思っていた。堅気の百姓の家へ吉原の遊女を引き入れる訳にはゆかない。第一に親類の苦情が面倒である。それらの事情に妨げられて、今まで身請けを延引《えんいん》していたのであったが、こうなると知ったらば半年まえに思い切って身請けをしてしまった方が優《ま》しであった。それを悔んでももう遅い。自分はこの金のある限り、八橋に逢いつづけて、いよいよ金のなくなったあかつきに、なんとか料簡を決めるよりほかはないと言った。
その暁にどういう料簡を付けるのか、治六はそれを心もとなく思った。勿論、根掘り葉掘り詮議したところで、どうで要領を得るような返事を受取ることのできないのは万々《ばんばん》承知しているので、彼もそのままに口をつぐんでしまった。あかりがついて、夜の町に師走の人の往き来が繁くなると、次郎左衛門は果たして駕籠を呼べと言い出した。しょせん止めても止まらないと思ったので、治六も一緒に供をして行った。
その晩、治六は自分の相方の浮橋にむかって、それとなく八橋の身代のことを探って見ると、浮橋は急にまじめになった。
「なぜそんなことを聞きなんす。身請けの下ばなしでもありいすのかえ」
「なに、別にそういう訳じゃあねえ」と、治六はいい加減に胡麻化してしまったつもりでいた。
しかし相手の方では胡麻化されていなかった。くるわに馴れている彼女は、これを治六の一料簡ではないと見た。主人の次郎左衛門と内々相談の上で、それとなくさぐりを入れるに相違ないと鑑定した。彼女は直ぐにそれを花魁に耳打ちすると、八橋はしばらく考えていた。
「あとでその御家来さんに逢わせておくんなんし」
引け過ぎになって、次郎左衛門を寝かしつけてから、八橋は治六の名代部屋《みょうだいべや》へそっと忍んで来た。浮橋をそばにおいて、彼女は身請けの話を言い出した。彼女も浮橋の考えた通りに、それはお前の一存ではあるまい、主人に言い付けられてよそながら捜るのであろうと言った。治六は決してそんな訳ではない、ただ一時の気まぐれに訊いて見ただけのことだとまじめに言い訳をしたが、二人の女はなかなか承知しなかった。なんでも正直に白状しろと責めた。
「口は禍いの門《かど》で、飛んでもねえことになったが、まったくなんでもねえことでがすよ」と、治六も困り切っておろおろ声になった。
「嘘をつきなんし」
「隠すと、抓《つね》りんすによ」
八橋は睨んだ。浮橋は小突《こづ》いた。そうして、お前が言わなければ言わないでもいい、わたしが直かに主人に訊いてみると八橋は言った。そんなことを主人の耳に入れられては困ると、治六はあわててさえぎった。困るならば素直に言えと、二人は嵩《かさ》にかかって責めた。
防ぎ切れなくなって、治六もとうとう白状した。主人がいつまでも廓がよいをして、こういう風に無駄な金をつかっていては際限がない。廉《やす》い金でできることならば、いっそここで花魁を請け出してしまった方がいいと思ったので、ほんの自分の一料簡で訊いて見たまでのことである。主人はまったく知らないことであると、何もかも打ち明けて話した。それを聴いて、八橋は又かんがえていた。そうして、幾らぐらいまでの金を出してくれることが出来るのだと訊いた。
「まず、三、四百両、その上はむずかしい」と、治六は正直に答えた。
二人の女は顔を見合せた。とても問題にならないとでもいうふうに、八橋はただ笑って起って行ってしまった。
「久し振りの土産にさえ二百両もくれなんした佐野の大尽が、おいらんの身請けを四百両や五百両で……。ほほ、馬鹿らしい」と、浮橋もあざけるように笑った。
この廓へ足踏みをしてから、彼は幾たびかこの「馬鹿らしい」を浴びせられているので、治六は別に恥かしくも腹立たしくも感じなかったが、今の二人の顔色や口ぶりによると、身請けなどという相談はとても今の懐ろでは出来ないものと諦めるよりほかはなかった。
そうすると、主人は相変らず現在の放蕩を続けてゆく。金はみすみす減ってゆく。それから先きはどうなるだろうと思うと、彼は実に気が気でなかった。こうして暖かい蒲団の上に坐っていても、彼の胸には冬の夜の寒さが沁み渡るようにも思われた。しかもその「馬鹿らしい」ことを言った祟《たた》りで、彼は浮橋にさんざん振り付けられた。
けさも流連《いつづけ》かとひやひやしていると、次郎左衛門は思い切りよく朝の霜を踏んで帰った。途中はなんにも言わなかったが、馬喰町へ帰ると彼は怖い顔をして治六に宣告した。
「貴様には暇をくれる。どこへでも勝手に行け」
ゆうべの祟りの余りに劇《はげ》しいのに治六も驚かされた。なぜ暇をくれると言うのか、それに就いて次郎左衛門はなんにも説明を与えなかったが、かの身請けの一条を八橋が訴えたものに相違ない。主人に恥をかかした――それが勘当の根となったことは、治六にもたやすく想像されたので、彼はいろいろに言い訳をしてあやまった。八橋の身請けのことを口走ったのも決して悪気ではない、つまりは旦那さまのおためを思うがためであったと、彼は泣いて言い訳をした。
「今更ぐずぐず言うな。出て行け」
次郎左衛門はどうしても取り合わなかった。それでも十両の金をくれて、すぐにここを出て行けと言った。治六も途方に暮れて、帳場へ行って亭主に泣きついた。亭主もおどろいて二階へ行って共どもに口を添えて取りなしたが、次郎左衛門はやはり肯《き》かなかった。
いったん言い出したらあとへは戻らない主人の気質《きしつ》を呑み込んでいるので、治六もあきらめて階下《した》へ降りた。
「ご亭主さん。いろいろ有難うごぜえました。これもわしの不運で仕方がごぜえませんよ」
「だが、旦那の料簡が判らない。お前さんのことだから、どれほどの悪いことをした訳でもあるまいに、長年《ちょうねん》の奉公人をむやみに勘当するというのは……」と、亭主は次郎左衛門の無情を罵るように言った。
「いや、これもわしが至らねえからでごぜえますよ」
治六はゆうべの吉原の一条を話した。それを聴いて亭主はいよいよ気の毒になった。八橋の身請けのことも元来自分が知恵をつけたのである。それがもとで治六が勘当されるようなことになっては、いよいよ黙って見ている訳には行かなくなった。しかし今が今といってはどうにもならないのを知っているので、いずれそのうちにいい折りを見てもう一度詫びを入れてやろう。これが一季半季の渡り奉公というではなし、児飼いから馴染みの深い奉公人である。一旦は腹立ちまぎれに何と言おうとも時が過ぎれば機嫌が直るに相違ない。まずそれまでおとなしく待っている方がよかろうと、亭主は親切に治六をなだめた。
「ここの家《うち》に置くのは訳もないが、主人から勘当されたお前さんをそのまま泊めて置くというのは、旦那に楯を突くようでどうも穏やかでない。ともかくも近所の宿屋へ引き取って、二、三日待っていてもらいたい」
それも一応は尤《もっと》もにきこえるので、治六は素直に承知して佐野屋を引き払うことにした。出る時にもう一度二階へ行って、しきい越しにしおしお[#「しおしお」に傍点]と手をついた。
「旦那さま。長々お世話になりました」
次郎左衛門は返事もしなかった。
七
治六が心配するまでもなく、これから先きをどうするかということは、次郎左衛門の胸を強くおしつけている問題であった。治六や佐野屋の亭主は、金のあるうちにどうにかしろと言うけれども、次郎左衛門はそれと反対に、金のあるうちはどうすることも出来ないと思っていた。彼は同時に二つの仕事を抱えるほどの余裕をもたなかった。金のあるあいだは八橋に逢うのが唯一《ゆいいつ》の仕事で、とてもほかの仕事に取りかかれそうもなかった。金のあるあいだは何を考えても無駄なことだと、彼は自分で見切りを付けていた。
その金がいよいよなくなったらどうする――その時になったら初めてなんとか考えよう、又なんとかいい考えも出るだろうと、彼は努めてなんにも考えないようにしていた。
「治六の馬鹿野郎」
それにつけても腹立たしいのはゆうべの治六であった。八橋を身請けするほどならば、あいつらの知恵を借りるまでもなく、おれが自分から進んで立派に身請けをする。それがもう出来ないのを知っているから、今もこうして通いつづけている。その入り訳はきのうも宿で言い聞かせてあるのに、うっかりと詰まらないことを浮橋に言い出して、それが八橋の耳へもはいって、おれはいい恥を掻かなければならない事になった。佐野の大尽ともあるべき者が、多寡《たか》が四百両や五百両で大兵庫屋の花魁を請け出そうとした――そんなことが世間へきこえたら廓じゅうの笑い草になる。自分ばかりではない、八橋の恥にもなる。それを思うと、彼は胸が煮え返るように腹立たしかった。
「一年まえのおれだったら、治六の奴め、生かして置くものか」と、彼はいきまいた。
まったく一年まえの彼であったら、憎い治六の襟髪を掴《つか》んで、大道《だいどう》へ引き摺り出して踏み殺すか。又は身を放さない村正の一刀を引き抜いて、彼をまっ二つに断ちはなすか。二つに一つの成敗《せいばい》を猶予するような次郎左衛門ではなかった。十両の金をくれて長《なが》の暇《いとま》は、この主人としては勿体ないほどに有難い慈悲の捌《さば》きであった。
もうこうなったら男の意地としても、彼は八橋を請け出さなければ顔が立たないように思われた。いかにあせってもその金はもう出来ないと思うと、次郎左衛門はなんだか悲しくなった。現にゆうべも八橋から、身請けをするならばするようにしてくれと口説かれた。自分もこんな所に永くいたいことはない。まったく自分を請け出してくれる料簡があるならば、たとい立派というほどでなくとも、人並の引祝いをして廓を出られるようにしてくれと、彼女はしみじみ言った。
これには次郎左衛門も返事に困った。今の身の上でとてもそんなことの出来そうな筈はないので、彼もなま返事をしてその場はいい加減に切り抜けたが、これも畢竟《ひっきょう》は治六の奴めが詰まらないことをしゃべったからである。彼はどう考えても治六が憎かった。
日が暮れると、彼はふらふら[#「ふらふら」に傍点]と宿を出た。今夜は駕籠に乗らずに北をむいて歩いた。憎い奴だとは思いながらも、治六に離れて彼は心さびしかった。並木の通りには宵の灯がちらちら[#「ちらちら」に傍点]と揺れて、二十五日の暗い空は正面の観音堂の甍《いらか》の上に落ちかかるように垂れていた。風のない夜であったが、人のからだは霜を浴びているように寒かった。近いうちに雪が降るかも知れないと次郎左衛門は思った。
「吉原へ行こうか、行くまいか」と、彼は立ち停まって思案した。雷門はもう眼の前に立っていた。
今夜行ったら八橋がまたゆうべの身請け話をくりかえすかも知れない。いつもいつも曖昧な返事ばかりもしていられない。治六のお蔭で自分はどうにもこうにもならないことになった。いっそ正直に今の身の上を打明けて、とても人並の身請けなどはできないと断わろうか。それが潔白で一番いいのであるが、それを聴いて八橋がなんと思うか、次郎左衛門はすこぶる不安心であった。彼は八橋にこんなことを聞かせたくなかった。ふところに金のある間は、なるべく佐野の大尽で押し通していたかった。
彼は酒が飲みたくなった。今夜は宿屋で夕飯の膳に徳利《とくり》の乗っていないのを発見したが、彼は酒を持って来いとも言わなかった。宿の亭主もなんだか治六の味方をしているらしいのが、彼の癪にさわっていたからであった。どこへ行っても酒は飲めると、彼は碌々《ろくろく》に飯も食わずに宿を飛び出してしまったのであった。吉原へ行けばなんでも勝手なものが食える――それを知りながら彼は並木通りの小さな茶漬屋の暖簾《のれん》をくぐった。吉原へ行こうか、行くまいか、分別がまだ確かに決まらないからであった。
田楽豆腐と香の物で彼はさびしく酒を飲んでいた。今夜に限って、吉原へ行くのがなんだか気が進まなかった。八橋から又ぞろ身請け話を持ち出されるのが何分つらいからであった。
「おれは男らしくない」
こう思いながらも、彼は八橋の前で何もかも男らしく白状する勇気がなかった。八橋がどれほどに自分を思っていてくれるか、実はその見当がはっきり付いていないからであった。八橋は自分を嫌っていないものと彼は信じていた。しかしどれほどに自分を愛しているか、その寸法を測るべき物指しを彼はもっていなかった。自分が故郷を立ち退いて、今は一種の無宿者同様になっていることを知ったあかつきに、八橋はどんな態度を取るか。それは彼にも確かな想像はつかなかった。
もし八橋が心底《しんそこ》から自分を思っていてくれるとしたら、彼は今更こんなことを言い出して、彼女の心を傷つけるに忍びなかった。もし又それほどに自分を思っていないとしたら、なまじいのことを言い出して、彼女の冷たい心の底を見せつけられるのも怖ろしかった。彼は男らしくないということを十分に意識していながらも、八橋に対しては、どうしても男らしい態度を取り得なかった。
今夜は酒を飲んでもいい心持ちに酔えなかった。ほかに二、三人の客がはいって来て、何かいそがしそうに話していたが、それも次郎左衛門の耳へははいらなかった。彼は自分でも不思議なくらいに今夜は寂しく感じた。それはなぜだか判らなかった。
彼は子供の時のことをふと思い出した。それは歳暮にでも持って行くらしい紙鳶《たこ》をぶらさげた職人の客がはいって来たからであった。彼は故郷の広い野原で紙鳶をあげた昔の春がそぞろに恋しくなった。その頃の喧嘩友達の名なども急に思い出された。
「治六がいなくなったせいではない」
しいてそう思いながらも、やはり治六に離れたのが寂しかった。宿の亭主も自分の味方ではないらしかった。そんなことを考えると、彼は我ながら意気地がないと思うほどに寂しかった。いつもの彼の魂はどこへか抜け出してしまったように思われた。碌に酔いもしないで茶漬屋を出た彼は、これからどうしようかとまた迷った。吉原へ行くのはどうも気おくれがした。さりとてこのまま宿屋へ帰る気にもなれなかった。彼はただ無暗に寂しかった。この遣る瀬ない寂しさを打ち消すには、理屈も人情もない、なにか非常手段を取らなければならないように思われた。
「栄之丞の所へ行って見ようか」
八橋の情夫《おとこ》という宝生栄之丞に逢って、八橋が身請けのことを掛け合って見たいような気になって、彼はまっすぐに大音寺前の方へ足を向けた。田舎みちに馴れている彼は、暗い田圃《たんぼ》を行くのはさのみ苦にもならなかった。彼はまばらな星明かりを頼りにして、方角をよく知らない田圃みちをさまよいながら、どうにかこうにか大音寺前まで辿《たど》って行った。
八
思いもつかない客におそわれて、栄之丞はどぎまぎしながら挨拶した。
「こんな所がよくお判りになりました」
「ここらだろうと思ってうろうろしていると、お前さんらしい謡《うた》いの声がきこえましたので……」と、次郎左衛門は笑いながら坐った。
栄之丞も無理に笑顔を粧《つく》った。
「お独りですか」と、彼はまた訊いた。
「妹がおりましたが、一両日前にほかへやりました」と、栄之丞は火鉢に粉炭《こなずみ》をつぎながら答えた。
「おかたづきになりましたか」
「いえ、奉公に出しまして……」と、栄之丞はきまりが悪そうにうつむいた。
思ったよりも侘びしげな暮らしの有様を見て、次郎左衛門は可哀そうになった。大兵庫屋の八橋の情夫はこんなにおちぶれているのかと思うと、彼は可哀そうを通り越して、栄之丞を軽蔑するような心持ちの方が強くなって来た。自分の従弟――八橋はそう言っている――が不自由な暮らしをしているという事は、かねて彼女からも聞かされていたが、まさかこれ程とは思っていなかった。
かすかな火種では容易に火が起らないらしく、栄之丞は破れた扇で頻《しき》りに炭を煽いでいた。
「こっちへ来たらば、一度はお訪ね申そうと思いながら、いつも御無沙汰をしていました。八橋に聞きましたら、この頃はちっとも廓《なか》の方へもお出でがないそうで……」
栄之丞は蒼白い顔を少し紅くした。次郎左衛門が今夜なにしに来たのか、彼は一種の不安に囚われて碌々に返事もできなかった。
「私はこのあいだ雷門でお目にかかってから、ゆうべまで続けて八橋の所へまいりました」と、次郎左衛門はにこにこ[#「にこにこ」に傍点]しながら言い出した。「今夜も行こうかと思って宿を出ましたが、途中でなんだか寂しくなったので、ふい[#「ふい」に傍点]とこちらへ伺おうと思い立ちました」
吉原へ行くのがなぜさびしいか、それは栄之丞には判らなかった。彼は黙っておとなしく聴いていた。
「奉公人が詰まらないことをしゃべったもんですから、八橋はわたくしに身請けをしてくれと言うのです」
八橋と自分との仲をうすうす覚った彼は、八橋を請け出すについて後日《ごにち》の苦情のないように縁切りの掛け合いに来たのであろうと、栄之丞は推量した。近頃はなるべく八橋と遠ざかるように心がけてはいたものの、彼女が自分には一言の相談もなしに次郎左衛門と身請けの話をすすめているかと思うと、栄之丞は決していい心持ちがしなかった。彼は火をあおいでいる扇の手を休めて、客の方に向き直った。
「ですが、わたくしに請け出されたら、栄之丞さん、八橋はお前さんをどうする気でしょう。いや、お隠しなさるには及びません。お前さんと八橋のことはもう知っています。それでも私はお前さんを正直な善い人だと思っています。わたくしはお前さんと喧嘩をする気にはなれない。いつまでも仲好くおつきあいをしていたいと思っている位です。そこで、お前さんに少し御相談があるんですが、聞いて下さいましょうか」
いよいよ本文《ほんもん》にはいって来たなと栄之丞は思った。そうして、胸のうちでその返事の仕様をあれかこれかと臆病らしく考えていた。
「実はわたくしには身請けの金がないのです」と、次郎左衛門は思い切って言った。
少し拍子抜けがした気味で、栄之丞は相手の顔をぼんやりと眺めていた。
「わたくしはもう昔の次郎左衛門ではございません」
身代をつぶして故郷の佐野を立ち退いて来たことを彼は残らず打明けた。
そこで、ふところに金のある間は今までの通りに華やかな遊びをして、金がなくなったら又なんとか考えようと、たった今までは平気で落ち着いていたが、なんだか急に心寂しくなって、どうもこの儘《まま》ではいられないような不安な心持ちになって来た。といって、わたくしが八橋を請け出すことになれば、どうしても千両以上の金がいる。その金はない。しかしお前さんから八橋に話をして、お前さんが請け出すという事になれば、親許身請けとでも何とでも名をつけて、その半額か或いは五百両|下《した》で埒が明くことと思われる。わたくしは今ここに遣い残りの金を六百五十両ほど持っているから、みんなそれをお前さんに差し上げる。お前さんの掛け合い次第で、五百両で身請けができれば百五十両、四百両で話がまとまれば、二百五十両、その残りの金はみんなお前さんに差し上げるから、どうか八橋と縁を切ってもらいたい。むかしの次郎左衛門ならば、そんなさもしいことは言わない。千両箱を積んで八橋を請け出して、お前さんの眼の前にも手切れ金の四百両、五百両をならべて見せるが、それが出来ない今の身の上となっては、こんな手前勝手なことを言うよりほかはない。どうか悪しからず思ってくれと、彼は頼むように言った。
次郎左衛門が自分にむかってこんなことを言い出すのはよくよくのことであろうと、栄之丞は気の毒でもあり、薄気味悪くもなって来た。実をいえば、自分も八橋を次郎左衛門に譲り渡して、その係り合いをぬけたいと考えている折柄であるから、八橋さえ納得すればそうしてもいいと彼は素直に考えた。たとい多少の不満足があるとしても、この場合、彼は眼のまえで次郎左衛門に反抗する力はなかった。
そこで、彼はこう答えた。
「お話はよく判りました。出来ることやら出来ないことやら確かには判りませんが、身請けの儀は早速相談いたして見ましょう。但しその余分の金は、いかほどであろうとも手前が頂戴いたすわけには参りませんから、それは前もってお断わり申しておきます」
「ごもっともでございます。それはその時に又あらためて御相談をいたしましょう。まことに我儘《わがまま》なことばかり申し上げて相済みません」
まったく我儘な申し分であった。自分が身請けをしたいのであるが、それだけの金がないから、お前の方から金のかからないように請け出してくれ。そうして、女はこっちへ渡せというのである。それも本当の親兄弟か親類ならば格別、その女の情夫ということを承知の上で頼むのである。栄之丞としては見くびられたとも貶《おと》しめられたとも、言いようのない侮蔑《ぶべつ》を蒙《こうむ》ったように感じた。
それでも彼は争わなかった。争っても勝てないのを自覚しているのと、これまでこの人を欺《だま》していたのが、なんだか怖ろしいようにも思われるのと、この二つが彼の不満をおさえ付けて、容易に頭をもたげさせなかった。彼は忠実な奴僕《しもべ》のように次郎左衛門の前にひれ伏してしまった。
浅草寺《せんそうじ》の五つ(午後八時)の鐘を聴いてから、次郎左衛門は暇を告げて出た。出るとやはり吉原が恋しくなった。
彼は大音寺前の細い路をつたって、堤《どて》の方へ暗いなかを急いで行った。
威勢のいい四手《よつで》駕籠が次郎左衛門を追い越して飛んで行った。その提灯の灯が七、八間も行き過ぎたと思う頃に、足早に次郎左衛門の後をつけて来た者があった。と思うと、抜打ちの太刀風に彼は早くも身をかわした。武芸の心得のある彼は路ばたの立ち木をうしろにして、闇《やみ》を睨んで叫んだ。
「人違いでございましょう」
まったく人違いであったのか、あるいはこっちに心得があると思ったためか、相手は無言で刃《やいば》を引いて、もと来た方へ一散に駈けて行ってしまった。
九
次郎左衛門を驚かしたのは、そのころ折りおりに行なわれる辻斬りであった。意趣《いしゅ》も遺恨《いこん》もない通りがかりの人間を斬り倒して、刀の斬れ味を試すという乱暴な侍のいたずらであった。一刀で斬り損じるか、もしくは相手が少し手ごわいと見れば、すぐに刃を引いて逃げるのが彼等の習いであった、次郎左衛門もそれを知っていた。
「辻斬りか、栄之丞か」
彼は立ち停まって考えた。しかし場合が場合だけに、彼は栄之丞を疑った。うわべは素直に何もかも承知しておいて、あとから付けて来ておれを闇撃《やみう》ちにする――どうもそれらしく思われてならなかった。
もともと今夜の相談は自分の方が少し無理である。無理は自分も万々承知している。しかし無理ならば無理で、なぜ面とむかって不承知を言わない。おとなしそうな顔をして万事呑み込んでおきながら、暗い所でおれを亡《な》い者にしようとする。どう考えても面白くない奴だ。弱い奴だ、卑怯な奴だ、憎い奴だと、次郎左衛門は腹立たしくなった。
「よし、これからもう一度引っ返して行って、あいつの素《そ》っ首を叩き落してやろう」
彼はむらむら[#「むらむら」に傍点]として、ふた足三足行きかけたが又かんがえた。あんな意気地のない奴でも人ひとりを殺せば、こっちも罪をきなければならない。罪人になったら八橋にも、もう逢えまい。こう思うと彼の張り詰めた気もまたくじけた。忌々《いまいま》しいが我慢する方が無事であろう、打っちゃって置いたところで、あんな意気地なしがこの後なにをなし得るものでもないと、彼は多寡をくくって胸をさすった。
真っ暗な枯れ田の上を雁が啼《な》いて通った。ここらへ来ると、夜風が真っ北から吹きおろして来て、次郎左衛門は顫《ふる》えあがるほど寒くなった。つい目の前の廓では二挺鼓《にちょうつづみ》の音が賑やかにきこえた。次郎左衛門はもう何も考えずに、まっすぐに吉原の方へむいて行った。
いつもの通りに立花屋から送られて、彼は兵庫屋の客となった。その晩、座敷が引けてから次郎左衛門は八橋になにげなく訊いた。
「栄之丞さんはこの頃ちっとも見えないのか」
「ちっともたよりはありんせん」と、八橋は冷やかに答えた。
「なぜだろう」
「なぜか知りんせんが、あんな不実な人はどうなっても構いいせん」と、八橋はさらに罵《ののし》るように言った。
親身の従弟《いとこ》と思えばこそ、自分もこれまでに随分面倒も見てやった。それにこの頃は何のたよりもしない、顔も見せない。あんな不人情な人はどうなっても構わない、一生逢わないでも構わないと、八橋はさもさも見限ったように言った。嘘とほんとうが半分ずつまじっているこの話を、次郎左衛門は一種の興味をもって聴いていた。
それからだんだん捜《さぐ》りを入れて見ると、八橋はまったく栄之丞に愛想をつかしているらしく思われた。あんな不実な奴はどうなっても構わないと、本当に思っているらしかった。
そこへ新造の浮橋が来て、今夜はどうして治六を連れて来ないかと訊いた。あいつは勘当したと次郎左衛門は正直に答えると、二人の女は黙って顔を見合せていた。治六の噂がいとぐちになって、又ぞろゆうべの身請けの話が出た。
「三月になると国へ一度帰る。そうして、金を持って来るから待ってくれ」
次郎左衛門もよんどころなしに一時のがれの嘘を言った。浮橋が出て行ったあとで、八橋は急に泣き出した。
「堪忍しておくんなんし」
今までお前を欺していたが、栄之丞は自分の従弟《いとこ》ではない、実は自分の情夫《おとこ》であるということを、八橋は泣いて白状した。いくらこっちでばかり親切を運んでも、むこうではなんとも思ってくれないで、この頃はなるたけ逃げようとしている。現に達者で雷門を歩いていながら、病気だといって廓へは寄り付かない。そんな不人情な男はわたしもすっぱりと思い切った。あきらめてしまった。さてそうなると、こうして廓にいてもなんの望みもない、楽しみもない、一日も早く苦界《くがい》をぬけたい。今のわたしが杖柱《つえはしら》と取りすがるのは、お前ばかりである。一つには不実な男の顔を見返すためと、二つには廓の苦を逃がれるために、どうぞわたしを請け出してくれと、彼女は繰り返して頼んだ。
「今まで欺していたのが憎いと思いんすなら、請け出して三日でも女房にした上で、突くとも斬るとも勝手にしておくんなんし」
彼女は次郎左衛門の前にからだを投げ出した。栄之丞のことはとうの昔から承知しているので、今この白状を聴いても次郎左衛門は別に驚きもしなかった。むしろ八橋の口からこの正直な白状を聴いたのをこころよく思った。よく白状してくれたと嬉しく思った。しかも悲しいことには、今の自分にはその願いを肯《き》き入れるだけの力がない。千両に足りない金で八橋のからだをどうすることも出来ないのは判り切っていた。
「八橋も白状した。おれも男らしく白状しようか」
相手が正直に何もかも白状した上は、自分も今の身の上を正直に白状すべきである。折角の頼みではあるが、今の次郎左衛門としてはお前をどうすることも出来ないと、彼は正直に打明けなければならないと思った。しかし彼は自分でも歯がゆいほどに男らしくなかった。女の前で宿なし同様の今の身分を明かすのは如何にも辛かった。彼の胸の底には、やはり佐野のお大尽で押し通していたいという果敢《はか》ない虚栄《みえ》があった。
「治六がゆうべどんなことを言ったのだ」と、彼はまた捜りを入れた。
あるいは無考えの治六めが今の境界をべらべらしゃべっているのではないかという不安もあった。八橋の口ぶりによると、治六もさすがにそんなことは口外しなかったらしく思われたので、次郎左衛門もまず安心したが、それにしても乗りかかった舟の楫《かじ》を右へも左へも向けることは出来なかった。彼はどこまでも嘘で押し通すよりほかはないので、苦しいながらも前の誓い――偽りの誓いをまた繰り返した。
「さっきもいう通り、来年の三月には国へ帰って身請けの金を持って来る」
「ほんとうざますか」
「嘘はつかない」
次郎左衛門は息が詰まるほどに苦しくなった。今までは八橋が自分をだましていたのであるが、今は自分が八橋をだましているのである。だまされている身よりも、だましている身の方がどのくらい切《せつ》ないか判らないと、彼はつくづく情けなくなった。彼は夜の明けないうちに逃げ出したくなって来た。
八橋の方では容易に帰そうとはしなかった。彼女は全く栄之丞を見捨てた証拠だといって、掛守《かけまもり》の中から男の起請《きしょう》を出して見せた。
「この通り、よく見ておくんなんし」
彼女はその起請をずたずた[#「ずたずた」に傍点]に引き裂いて、行燈の火にあてると、紅い小さい焔がへらへら[#「へらへら」に傍点]と燃えあがった。彼女は更にその火を枕もとの手あぶりに投げ込むと、焔《ほのお》はぱっと大きく燃えて、見る見るうちに薄白い灰となった。
恋の果てはこうしたものかと思うと、次郎左衛門はなんだか果敢ないような心持ちにもなった。それと同時に子供が蟻《あり》やみみずを踏み殺した時のような、一種の残忍な愉快と誇りを感じた。弱い栄之丞はおれの足の下に踏みにじられてしまったのだと思った。
その灰の中から栄之丞の蒼白い顔が浮き出したかのように、八橋は眼を据えて煙りのゆくえをじっと見つめていた。彼女の顔も物凄いほどに蒼白かった。やがて彼女は次郎左衛門の方をしずかに見かえった。二人は黙ってほほえんだ。
あくる朝、次郎左衛門が帰る時にも、八橋は茶屋まで送って来て、身請けのことをくれぐれも頼んだ。
「ほんとうざますか」と、彼女はここでも念を押した。
「嘘はつかない」と、次郎左衛門も同じ誓いをくりかえして別れた。
仲の町には冬の霜が一面に白かった。次郎左衛門を乗せた駕籠が大門《おおもん》を出ると、枝ばかりの見返り柳が師走の朝風に痩せた影をふるわせていた。垂れをおろしている駕籠の中も寒かった。茶屋で一杯飲んだ朝酒ももう醒めて、次郎左衛門は幾たびか身ぶるいした。
初めから相手に足らないやつとは思っていたが、それでも栄之丞を見事に蹴倒してしまったということは、次郎左衛門に言い知れぬ満足を与えた。ゆうべの闇撃《やみう》ち以来、にわかに栄之丞を憎むようになった彼に取っては、殊にそれがこころよく感じられた。八橋が栄之丞を見限ったということが嬉しかった。
「八橋はもうおれの物ときまった」
それに付けても、彼は八橋を欺《あざむ》いているのが気にかかった。いっそこれから廓へ引っ返して、自分が今の境遇をあからさまに打明けようかとも思ったが、彼はやはり臆病であった。いよいよどん底へ落ちるまでは、あくまでも嘘をつき通していたかった。その三月が来たらどうする。その三月が来るまでに、ふところの金がもう尽きてしまったらどうする。次郎左衛門は努めてそんなことを考えまいとしていた。
栄之丞を弱いやつだと笑ったおれも、やっぱり弱い奴であった。栄之丞を卑怯な奴だと罵ったおれも、やっぱり卑怯者であった。そう思いながらも、彼は自分を自分でどうすることも出来なかった。歯がゆいような、情けないような、辛いような、こぐらかった思いに責められて、彼は一人でいらいら[#「いらいら」に傍点]していた。
次郎左衛門はその後も八橋のところに入りびたっていた。暮れから春の七草までに彼は四百両あまりの金を振り撒いてしまった。どこまでも佐野のお大尽で押し通そうという見得《みえ》が手伝って、彼はむやみに金をつかった。自分の内幕を八橋に覚られまいという懸念から、彼はいつもよりも金づかいをあらくして見せた。ほかの客はみんな蹴散らされた。
栄之丞は踏みつぶしてしまった。ほかの客は蹴散らしてしまった。次郎左衛門は今が得意の絶頂であった。彼は天下を取った将軍のようにも感じた。しかもその肚《はら》の底には抑え切れない寂しさがひしひしと迫って来た。
芸妓や幇間《たいこ》が囃《はや》し立てて、兵庫屋の二階じゅうが崩れるような騒ぎのあいだにも、彼はときどきに涙ぐまれるほど寂しいことがあった。治六のことが思い出されたりした。元日から七草まで流連《いつづけ》をして、八日の午《ひる》頃に初めて馬喰町の宿へ帰ると、治六は帳場の前に坐って亭主と話していた。
「旦那さま。おめでとうござります」
治六はもとの主人の前にうやうやしく手をついた。
「お帰んなさいまし」と、亭主も会釈した。
それらを耳にも掛けないように、次郎左衛門は二階へすたすた[#「すたすた」に傍点]昇って行った。
さすがに遊び疲れたような心持ちで次郎左衛門はぼんやりと角火鉢の前に坐ると、亭主は自分で土瓶《どびん》と茶碗とを運んで来た。
「松の内もいいあんばいにお天気がつづきました」
彼は手ずから茶をついで出した。それは治六が帰参の訴訟に来たものと次郎左衛門も直ぐにさとった。彼はわざと苦《にが》い顔をして黙っていると、果たして亭主はそれを言い出した。
「治六さんもしきりに頼んでおります。わたくしも共どもにお詫びをいたしますから、どうか幾重にも御料簡を……」
次郎左衛門は顔をそむけて聴かないふうをしていた。離れていると何だか寂しいようにも思いながら、顔を見ると彼はやっぱり治六が憎くてならなかった。
十
暮れから催していた雪ぞらも、春になってすっかり持ち直したが、それも七草《ななくさ》を過ぎる頃からまた陰《くも》った日がつづいて、藪入り前の十四日にはとうとう細かい雪の花をちらちら見せた。
「今夜も積もるかな」
栄之丞は夕方の空を仰いで、独りごとを言いながらよそ行きの支度をした。今夜は謡いの出稽古《でげいこ》の日にあたるので、これから例の堀田原へ出向かなければならなかった。本来は一六《いちろく》の稽古日であるが、この十一日は具足開《ぐそくびら》きのために、三日後の今夜に繰り延べられたのであった。
春とはいっても底冷えのする日で、おまけに雪さえ落ちて来たので、遠くもない堀田原まで行くのさえ気が進まなかったが、約束の稽古日をはずす訳にもゆかないので、栄之丞はいつもよりも早目に夕飯をしまって、一張羅《いっちょうら》の黒紬《くろつむぎ》の羽織を引っ掛けた。田圃は寒かろうと古い頭巾《ずきん》をかぶった。妹がいなくなってから、独り者の気楽さと不自由さとを一つに味わった彼は、火鉢の火をうずめて、窓を閉めて、雨戸を引き寄せて、雨傘を片手に門《かど》を出ようとすると、出合いがしらに呼びかけられた。
「兄《にい》さま」
傘も持たないで門に立ったのは妹のお光であった。雪はますます強くなって来たらしく、彼女の総身は雪女のように真っ白に塗られていた。
「妹か。今頃どうして来た」
門に立ってもいられないので、栄之丞はともかくも再び内へ引っ返すと、お光もからだの雪を払ってはいって来た。家の中はもう暗かった。
「兄さま」と、お光は重ねて兄を呼んだ。その声の怪しく顫《ふる》えているのが栄之丞の耳についた。
「なんだ」
少し不安にもなって来たので、彼は行燈をまんなかに持ち出して灯をとぼした。その灯に照らされた妹の顔は真っ蒼であった。髪もむごたらしく乱れていた。着物の襟も乱れて、袖の八つ口もすこし裂けていた。何か他人《ひと》とむしり合いでもしたのではないかとも思われたので、兄はあわただしく訊いた。
「え、どうした。誰かと喧嘩でもしたのか」
お光はまだ動悸が鎮まらないらしく、幅の狭い肩をいよいよせばめて、胸を抱えるように畳に俯伏していたが、やがてわっ[#「わっ」に傍点]と泣き出した。
「おい、どうしたんだ。泣いていてはわからない。主人に叱られたのか、朋輩と喧嘩でもしたのか」
お光は崩れかかった島田をぐらつかせながら頭《かぶり》を振った。彼女はまだすすり泣きの声をやめなかった。
「わたしは稽古に出る先きだ。早く訳を言ってくれ」と、栄之丞も少し焦《じ》れ出した。
「申します。堪忍して下さい」
彼女が泣きながら訴えるのを聞くと、お光の奉公している三河屋のお内儀《かみ》さんは、よんどころない義理で二十両取りの無尽《むじん》にはいっていた。きょうは代籤《だいくじ》でそれが当ったというので、お光は深川までその金を受取りの使いにやらされた。昼間だから大丈夫だろうが、それでも気をおつけよとお内儀さんは注意した。お光は橋場の寮を出て深川へ行った。
世話人がいるとか居ないとかいうので、お光はしばらくそこに待たされた。二十両の金をうけ取って深川を出たのはもう七つ(午後四時)さがりで、陰った日は早く暮れかかった。おまけに雪さえちらちら[#「ちらちら」に傍点]と落ちて来たので、お光は小きざみに足を早めて橋場へ帰って来る途中、吾妻橋《あずまばし》の上を渡りかかると、さっきから後を付けて来たらしい一人の男が、ふいに駈けて来てうしろからお光を突き飛ばした。彼女はひと堪まりもなくそこに突んのめると、男はすぐにその手から小さい風呂敷包みを引ったくろうとした。風呂敷には財布に入れた二十両が包んであるので、お光はやるまいと一生懸命に争った。あまりに事が急なので、彼女は救いを呼ぶ間もなかった。
しばらく挑《いど》み合ったが、かよわいお光は大の男にとても勝つ事はできなかった。男はその風呂敷包みをもぎ取って、取り縋《すが》る彼女を蹴放して本所の方へ逃げてしまった。あいにくの雪で往来も途切れているので、お光が泥坊、泥坊と呼ぶ頃まで誰も救いに来る者はなかった。彼女の泣き声を聞き付けて二、三人の人が駈けつけて来た時には、曲者はとうに姿を隠していた。
「どうしたらよかろう」
お光は橋の上に泣き伏していた。人びとに慰められて彼女はようよう起ち上がったが、これからどうしていいか判らなかった。二十両といえば大金である。それを奪《と》られましたと言って唯おめおめ[#「おめおめ」に傍点]とは帰られない。彼女は途方に暮れて、橋の欄干に倚《よ》りかかって泣いていた。
「それも災難で仕方がない。早く家《うち》へ帰って御主人に謝まるがいい。決して短気や無分別を起してはいけない」
もしや川へでも飛び込むかと危ぶんだらしい一人の老人が親切に意見してくれたので、お光は泣きながら欄干を離れた。そうして浅草の方へとぼとぼと歩き出したが、馬道《うまみち》の角まで来てまた立ち停まった。どう考えてもこのまま主人の家へは帰りにくかった。ともかくも兄に相談して、その上で又なんとか仕様もあろうかと、彼女は果敢《はか》ないことを頼みにして、雪のますます降りしきる中を傘もささずに大音寺前へ訪ねて来たのであった。
「困ったことになった」
栄之丞もその話を聴いて吐胸《とむね》をついた。まだ新参の身、殊に年のゆかない妹がこんな粗相《そそう》をしでかしては、主人におめおめ[#「おめおめ」に傍点]と顔を向けられまい。時の災難とはいいながら飛んだことになったと、彼も同じく途方に暮れてしまった。しかし今さら妹を叱ったとて始まらない。これから主人のところへ妹を連れて行って、よくその事情を話して謝まるよりほかはあるまいと思った。幸いにお内儀さんはいい人でもあり、新参ながらお光に眼をかけてくれるとも聞いているから、こっちが正直に訳を言ってひたすら詫び入ったらば、さのみむずかしいことも言うまいかとも想像された。
「どうも仕方がない。これから橋場《はしば》へ一緒に行って、わたしから主人によく詫びてやろう」と、彼は泣いている妹を励ますように言った。
「そうして、そのお金はどうするのです」と、お光は不安らしく訊いた。
「どうするといって、主人に我慢してもらうよりほかはない。勿論、こっちが償《つぐの》うことが出来ればいうまでもないが、いまの身分で二十両はおろか、十両の工面《くめん》も付こう筈がない、つまりはこっちも災難、主人も災難とあきらめて貰うよりほかはない。さあ、遅くなっては悪い。ともかくも一緒に行こう」
「はい」と、お光はまだ躊躇していた。
年の若い正直な彼女は、主人に二十両の損をかけるというのが如何《いか》にも済まないことのように思われてならなかった。とても出来ない相談とは知りながら、彼女はどうにかその金の工面は付くまいかと言った。
「いっそ八橋さんに相談して見たら」と、彼女はしまいにこんな事までほのめかした。
栄之丞は厭な顔をして取り合わなかった。努めて八橋に遠ざかろうとしている矢先きに、こんな相談を彼女のところへ持って行きたくなかった。ここでいつまでも評議をしていても果てしがない。ともかくも主人に逢った上でまた分別の仕様もあろう。案じるよりも産むが易いの譬《たと》えで、思いのほかに主人がこころよく免《ゆる》してくれるかも知れないと言った。
足の進まないお光を叱るように追い立てて、栄之丞は妹と相合傘《あいあいがさ》で雪の門を出た。兄の袖にしょんぼりと寄り添って、肩をすくめて泣きながら歩いて行くお光のすがたが、兄の眼にはいじらしく見えてならなかった。雪を吹き付ける田圃の風を突っ切って、二人は真っ白になって橋場の寮にたどり着いた。
主人の方でもお光の遅いのを心配しているところであった。お内儀さんは穏やかな人で、殊に新参ながらお光を可愛がっているので、その話を聴いて一旦は驚いたが、別にお光を咎《とが》めようともしなかった。
「それでも怪我がなくってよかった。なに、あの金が今要るという訳でもないんだから心配するには及びません。阿兄《おあにい》さんもわざわざ御苦労さまでございました」
この返事を聴いた栄之丞もほっ[#「ほっ」に傍点]とした。お光は嬉し泣きにまた泣いた。
「御主人のお慈悲を仇《あだ》やおろそかに思ってはならないぞ。この上の御恩返しにはせいぜい気をつけて御奉公をしろよ」
主人の前で妹にくれぐれもこう言い聞かせて、栄之丞は早々に帰った。こんなことで堀田原へ廻るのが非常に遅くなった。殊に雪はまだ降りやまないので、彼がようようそこへ行き着いた頃には、家の遠い弟子などはもう帰ってしまっていた。栄之丞はここでも主人にむかって遅刻の詫びをしなければならなかった。
それでも妹の一条が案外に手軽く片付いたので、彼もまず安心していると、それから五、六日経って、その夜の雪もようよう消え尽くした頃に、お光が又しょんぼりと訪ねて来て、兄の前に泣き顔を見せた。
「兄さま、くやしゅうございます」
また何か仕出来《しでか》したのかと栄之丞もうんざり[#「うんざり」に傍点]した。しかしお光が泣きながら話すのを聴くと、それは案外のことであった。
お光の主人の寮には人形町の本宅から付いて来ているお兼《かね》という年増《としま》の女中があって、それがお虎という飯焚き女を指図して、家内のことを万端とりまかなっている。そのお兼は新参のお光が主人の気に入っているのを少しく妬《ねた》んでいるらしかった。それで今度のことに就いて、彼女はお光になんだか当てつけらしいことを言った。途中で金を奪《と》られたというのは嘘で、貧乏な兄と相談して一と狂言書いたのであろうというようなことを言った。お光にむかって言うばかりでなく、お内儀さんにむかっても内々こんなことを吹き込んだらしい。お内儀さんはその讒言《ざんげん》を取りあげなかったが、それでもお光にむかってこんなことを言った。
「人間はいくら自分が正直にしていても、ひとはとかくに何のかのと言いたがるもんだからね。これからは能《よ》く気をつけておくれよ」
お光は泣きたいほどに悲しかった。なるほど、自分の兄は貧乏している、自分も貧乏のなかで育った。しかしいい加減の拵え事をして主人の金を掠めようなどという、そんなさもしい怖ろしい心は微塵《みじん》も持っていない。疑いも事にこそよれ、盗人《ぬすびと》同様の疑いを受けては、どうしてもこのままには済まされない。もうこの上はいっそ死んで自分の潔白を見せようと彼女は決心した。死ぬ前にもう一度兄に逢いたいと思って、彼女は今日たずねて来たのであった。勿論、死ぬということはなんにも口へは出さなかったが、その決心の顔色と口ぶりとは兄にも大抵推量された。
「けしからんことだ」
栄之丞もくやしかった。妹がくやしがるのも無理はないと思った。いくら落ちぶれていても、奉公の妹をそそのかして主人の金を盗み取るほどの人間と見積もられたのは甚《はなは》だ心外である。妹が言うまでもない。それは自分から進んでその潔白を明らかにしなければならないと思った。それにつけても妹の突き詰めた様子が不安でならなかった。
「よし、よし、万事はおれに任せて置け。決して短気を起してはならないぞ。ここでお前がうっかりしたことをすると、あれ見ろ、あいつは悪い事をした申し訳なさに自滅したと、かえって理を以《も》って非に陥るようなことになる。くれぐれも無分別なことをしてくれるなよ」
彼は噛んでふくめるように妹をさとして、きょうはおとなしく帰っていろ、いずれ改めておれが掛け合いに行くと言い聞かせた。
こうしてお光を帰して置いて、栄之丞はその翌日堀田原へ出向いて行った。お光はここの主人の世話で三河屋の寮へ奉公するようになったのであるから、その関係上まずここへその事情を明らかに断わって置かなければならないと思ったからであった。
小身《しょうしん》ながらも武士であるから、堀田原の主人もその話を聴いて眉をしわめた。それは気の毒なことで、御迷惑お察し申すと栄之丞|兄妹《きょうだい》に深く同情した。しかしそれは一種の蔭口に過ぎないので、主人から表向きになんの話があったというでもない。お光に暇を出すと言ったのでもない。女同士の朋輩の妬み猜《そね》みは珍らしくないことで、その蔭口や悪口を取《と》っこにとって、こっちから改めて掛け合いめいたことを言い込むのは、却っておとなげない、穏やかでない。正直か不正直かは長い目で見ていれば自然に判る。まず当分はなんにも言わずに辛抱しているがよかろうと、彼は栄之丞を懇々《こんこん》説いてなだめた。
「なるほど、ごもっともでござります」
その場はすなおに得心して出たが、栄之丞もまだ若かった。事にこそよれ、兄妹がぐる[#「ぐる」に傍点]になって二十両の金を掠《かす》めたと疑われているらしいのが、どう考えても不快で堪まらなかった。堀田原を出て、途々《みちみち》でもいろいろに考えたが、やはり一応は主人に逢って自分たちの潔白を証明して置く方がいい。それが妹の後来《こうらい》のためであるとも考えたので、彼は堀田原の主人の意見にそむいて橋場の寮へ足を向けた。
案内を乞うと、お光が取次ぎに出て来た。
「兄さま。いいところへ……。もう少し前からお店《たな》の旦那さまがお出《い》でになりまして……」
「そうか。それは丁度いい。兄がまいりましたと取次いでくれ」
「あの、旦那さまが……」と、お光は少し言い渋っているらしかった。
「旦那がどうした」
「わたくしに暇を出すようにと、お内儀さんに言っているようで……」
お光の声は陰って、その眼にはもういっぱい涙を溜めていた。
「なに、お前に暇を出す……」
栄之丞も赫《かっ》となった。妹に暇をくれるという以上は、やはり我々を疑っていると見える。奇怪至極のことである。いよいよ打っちゃっては置かれないと思った。
「それならば猶更のことだ。早く主人に逢わせてくれ」
十一
栄之丞は奥へ通されて、三河屋の主人に逢った。主人は四十以上の穏やからしい人物であった。栄之丞の話を聴いて彼は気の毒そうな顔をしていた。
「いや、それは御迷惑お察し申します。わたくしの方でも決して妹御《いもとご》に疑いをかけるの何のという訳ではございません。申せばこれも双方の災難で致し方がございませんから、どうか御心配のないように願います」
こう言われて見ると、栄之丞の方でも取ってかかりようがなかった。そのうちに女房も出て来て、同じく気の毒そうに言い訳をした。自分たちも決してお光を疑ってはいない、お光の正直なことは自分たちも知っている、たとい誰がなんと言おうとも必ず気にかけてくれるなと繰り返して言った。こうなると、栄之丞はいよいよ張合い抜けがした。
「妹もなにぶん不束者《ふつつかもの》でございますから、この末ともによろしくお願い申します」
お光が死ぬの生きるのという問題も案外にたやすく解決して栄之丞もまず安心した。それから主人夫婦と差しむかいで世間話などを二つ三つしているうちに、主人は言いにくそうにこんなことを言い出した。それはお光が追剥ぎに奪《と》られた二十両の損害の半額を償《つぐな》えというのであった。
災難とあきらめるという口の下から、こんなことを言い出すのは甚だ異《い》なように聞えるかも知れないが、自分の店の掟《おきて》として、すべての奉公人が金を落したり奪られたり、あるいは勘定を取り損じたりしたような場合には、その過怠《かたい》として本人または身許引受人から半金を償わせることになっている。勿論、それは主人の方へ取りあげてしまう訳ではない。ともかくも一旦あずかって置いて、その本人が無事に年季を勤めあげた場合に、いっさい取りまとめて戻してやる。但し年季ちゅうに自儘《じまま》に店を飛び出したり、あるいは不埒を働いて暇を出されるような場合には、その金は主人の方へ没収されてしまうことになる。ちっと無理かも知れないが、自分の店では代々その掟を励行しているのであるから、今度のお光の場合にもそれを適用しない訳にはいかない。その事情を察して、どうかここで半金の十両だけをひとまず償ってくれまいかと、主人はひどく気の毒そうに話した。
女房もそばから口を添えて、何分これが店じゅうの者にも知れ渡ってしまったのであるから、お光一人のためにこの掟を破ると他の者の取締まりが付かない。依怙贔屓《えこひいき》をするなどという陰口もうるさい。そこで、失礼ながらそちらの都合が悪ければ、こっちで内所《ないしょ》で立て替えて置いてもいいから、表向きは本人または身許引受人が償ったていにして、この一件の埒をあけてくれろと頼むように言った。
もともとこっちの過失であるから、全額をつぐなえと言われても仕方がない。それを半額に負けてやる、年季が済めば返してやる、そっちの都合が悪ければこっちで立て替えてやると言う。これに対して栄之丞はなんとも言い返す言葉はなかった。彼はすなおに承知した。
しかし年の若い彼としては、主人夫婦に対して一種の見得《みえ》があった。主人の要求を承知すると同時に、この半額の金はなんとか自分の手で都合しなければならないと思った。いくら相手が親切に言ってくれても、さすがにその金までを立て替えてくれと厚かましくは言い出しにくかった。その金はこっちでなんとか都合して、主人に渡さなければ、妹も定めて肩身が狭かろうとも思った。妹が可愛いのと、自分の痩せ我慢とが一つになって、栄之丞はあてもない金の工面《くめん》をとうとう受け合ってしまった。
「お話はよく判りました。いずれ両三日ちゅうに十両の金子を持参いたして、あらためてお詫びの規模を立てましょう」
帰りぎわにお光を門口《かどぐち》へ呼び出して、栄之丞はこの事をささやいて聞かせると、妹の顔色はまた陰った。
「でも、兄さま。そのお金は……」
「心配するな。なんとかするから」
口では無雑作《むぞうさ》に言っているが、今の兄の身分では、十両はさておいて五両の工面もむずかしいことを、お光はよく知っていた。不安らしい彼女の眼にはもう涙がにじんでいた。
「なに、金は湧き物で、又どうにかなるものだ。わたしに任せて置け」
「八橋さんのところへでもお出でになりますか」と、お光はそっと訊いた。差しあたってはそれよりほかに工夫はあるまいと彼女は思いついた。
栄之丞は黙って考えていた。
「もし兄さまからお話しがなさりにくければ、わたくしから手紙でもあげましょうか」
「それにも及ぶまい。どっちにしても何とか埒をあけるからくよくよ[#「くよくよ」に傍点]するな。胸に屈託《くったく》があると粗※[#「勹+夕」、第3水準1-14-76]をする。奉公を専一に気をつけろ」
春の寒い風が兄妹のそそけた鬢《びん》を吹いて通った。
妹に別れて栄之丞は南の方へ小半町《こはんちょう》も歩き出したが、彼の足はにぶり勝ちであった。まったくお光の言う通り、いくら立派そうな口を利いても今の栄之丞に十両の才覚はとても出来なかった。彼は吉原へ行くよりほかはないと思いながらも、その決心が付かなかった。つとめて八橋と遠ざかりたいと念じている矢先きへ、又こんな新しい関係を結び付けて、逃げることのできない因果のきずなに、いよいよ自分のからだを絞めつけられるのに堪えなかった。
「ほかに工夫はないか知ら」と、彼は歩きながら考えた。
ちっとばかりの親類は、みんなもう出入りの叶わないようになっていた。堀田原の主人とても小身で、余事はともあれ、金銭づくの相談相手にならないのは判り切っていた。吉原へ行くよりほかはない、いやでも八橋のところへ行って頼むよりほかはない。栄之丞も絶体絶命でそう決心した。
去年の暮れに次郎左衛門が不意に押しかけて来て、八橋が身請けのことを頼んで行った。その場は栄之丞もおとなしく受け合ったが、相手の要求があまり手前勝手で、むしろ自分を踏みつけにしたような仕方であるので、彼は内心不満であった。二つには八橋に逢いに行くということが億劫《おっくう》であるので、栄之丞は自分から進み出てその話を取り結ぼうとする気にもなれなかった。そのままに捨てても置かれまいと思いながらも、松の内は無論くるわへは行かれなかった。松を過ぎても一日延ばしにきょうまで投げやって置いたのであった。
思えばいっそいい機会であるかも知れない。この話を兼ねて八橋に逢いに行こうと彼は決心した。彼はすぐに向きを変えて、寺の多い町から山谷《さんや》へぬけて、まっすぐに廓へ急いで行った。
「栄之丞さん、お久しい。どうしなんした」
新造の浮橋がすぐに出て来たが、いつものように八橋の座敷へは通さないで、別の名代部屋《みょうだいべや》へ案内した。誰か客が来ているのだろうと栄之丞は想像した。彼をそこに待たせておいて、浮橋はそそくさと出て行った。
「どっちの話から先きにしようか」と、栄之丞は思案した。問題の重い軽いをはかりにかけると、どうしても身請けの話の方をさきに切り出さなければならなかった。彼はそのつもりで待っていたが、八橋は容易に顔を見せなかった。しかし、ほかの客が来ている以上は座敷の都合もある。彼はこれまでにもたびたびこういう経験があるので、貼りまぜの金屏風の絵などを眺めながらいつまでも気長に待っていると、浮橋から報《しら》せたと見えて、やがて茶屋の女が来た。栄之丞が酒を飲まないことを知っていながらも、型ばかりの酒や肴を運んで来た。
「八橋の座敷には誰が来ている。立花屋の客かえ」と、栄之丞は訊いた。
「あい、そうでござります」と、女は答えた。
栄之丞と次郎左衛門とは茶屋が違っていた。
立花屋の客というのは、もしや次郎左衛門ではないかと栄之丞は直ぐに胸にうかんだ。次郎左衛門が来ているとすれば、挨拶をしないのも義理がわるい。しかし彼は次郎左衛門と顔を合わせたくなかった。次郎左衛門が来合せている時に、八橋にむかって身請けの話を言い出すのも妙でないとも思った。
栄之丞はいっそ八橋に逢わずに帰ろうかとも考えた。しかしまた出直して来るのも面倒であった。身請けの話はともかくも、かの十両の問題はどうしてもきょうのうちに解決して置きたかったので、彼は考え直してまた根《こん》よく待っていた。
八橋はなかなか来なかった。栄之丞よりも茶屋の女が待ちかねて、新造のところへ催促に行った。催促されて八橋はようよう出て来たが、風邪をひいて頭痛がするとかいって、彼女はひどく不気色らしい顔をしていた。
「お客は佐野の大尽かえ」と、栄之丞が念のためにまた訊いた。
「いいえ」
その返事を聞いて栄之丞も少し安心した。杯のとりやりを型ばかりした後に、茶屋の女を遠ざけて栄之丞は早速本題にはいった。
「佐野の客からこのごろ何か身請けの話でもあったかえ」
「いいえ、なんにも知りいせん」と、八橋は冷やかに答えた。
「実は旧冬二十五日の晩に、わたしのところへその相談に来たんだが……」
八橋は思いも付かないことを聞かされたように、屹《きっ》と向き直った。
「佐野の客人がお前のところへ……。して、なんと言いんしたえ」
栄之丞は正直に話した。表向きに八橋を身請けするにはどうしても千両以上の金を積まなければならないが、身代をつぶして故郷を立ち退いた今の次郎左衛門にはその工面ができない。そこで自分に頼んで、親許身請けとかいう名目にして、四、五百両で埒をあけて貰いたいという相談を受けたと、何もかも詳しく話した。
八橋の顔の色は変った。
十二
八橋は栄之丞に嘘をついていたので、自分の座敷にきょう来ている客は、やはり次郎左衛門であった。彼女はいくら自分の方から親切を運んでも、それを歓んで受け入れてくれないばかりか、むしろいろいろの口実を作り設けて、なるべく自分から遠く離れようとしている栄之丞がこのごろの態度に就いて、初めは堪え切れない恨みをいだいた。
「そうした義理じゃあござんすまいに、栄之丞さんも随分不実な人でありんすね」などと、新造の掛橋や浮橋もそばから煽《あお》った。八橋はいよいよ口惜《くや》しくなった。しかし彼女は人形《ひとがた》をあぶったり、玉子に針を刺したりして、薄情の男を呪い殺すよりも、いっそこっちから彼を突き放してしまう方が優《ま》しだと考えた。彼に対する面当てに、自分のからだを次郎左衛門に売り渡してしまおうと決心した。
八橋はそれを次郎左衛門に頼んで、次郎左衛門も承知した。その以来彼女は努めて栄之丞のことを思うまいと念じていた。次郎左衛門の見る前で手ずから焼き捨てた起請と共に、むかしの恋は冷たい灰になったものと諦めようとしていた。栄之丞がきょう思いがけなく訪ねて来たというのを聞いた時に、彼女は逢うまいかと躊躇した。
逢うまい。いつまでも打っちゃって置いて焦《じ》らしてやれ。そうして、今まで焦らされていたこっちの身の苦しさを思い知らしてやれと、彼女はいつまでも次郎左衛門のそばを離れなかった。彼女は名代部屋にぼんやりと待ち侘びている男の寂しそうな顔を頭に描きながら、それを下物《さかな》にこころよく酒を飲んでいた。しかし、茶屋の女の催促を受けては、茶屋に対する義理として彼女も顔出しをしない訳にはゆかなくなったので、渋々ここへ来て見ると、栄之丞の口から思いも寄らない秘密を聞かされた。
次郎左衛門の身代《しんだい》はもう潰れている。それを聞いた時に彼女は実に驚いた。何かの子細があって栄之丞が自分を欺すのではないかと一旦は疑った。しかしいつかの晩、治六がふと口走った身請けの話とその金高の符合していることを思い合わせると、栄之丞の話も嘘ではないらしく思われた。次郎左衛門がもうきのうの大尽でないことも大抵想像された。
相手のおちぶれたのも仕方がない。自分はおちぶれた男を見捨てるほどの薄情な女でもないと、彼女は自分でも思っていた。現に今でも栄之丞を貢《みつ》いでいた。しかしそれは相手にも因ることで、いかに不実な男に対する面当てでも、彼女は無宿同様の次郎左衛門に付きまとって居ようとは思わなかった。彼女は影の薄れた佐野の大尽の袖には取り付きたくなかった。
思い切ろうとした栄之丞は、呼びもしないのに向うから来た。取りすがろうとした次郎左衛門は足もとのぐらついているのが今判った。すべての事が自分の考えと食い違って来たので、八橋はちょっと見当がつかなくなった。
「そうして、その話をしに来なんしたからは、主《ぬし》はわたしを佐野へやる気でおざんすかえ」と、八橋は栄之丞の性根を試すように訊いた。
「男が恥を打明けて頼むのだ。わたしも忌《いや》とは言われなくなった。あの人のことだから、いったん言い出したら忌といっても承知しまい。あの人の目付きを見ろ」と、栄之丞は少しおびえたように言った。
男の弱いのが八橋の眼にはおかしいように思われた。他人《ひと》におどされて、言い交した女をむざむざと投げ出してしまうとは、あんまり意気地がないと、彼女はおかしいのを通り越して腹立たしくもなった。それでも彼女はまだ栄之丞に未練があった。男の弱いのがなんだかいじらしくもなって来た。それと同時に、その弱い男を一種の力づくで押しつけて、無理に自分をもぎ取って行こうとする次郎左衛門の横暴な処置にも強い反感をもつようになった。
自分の方から頼んだ身請けの相談ではあるが、こうなると八橋も考えなければならなかった。第一には宿無しの次郎左衛門に自分のからだを任せたくはなかった。それも自分の前で正直にそれを白状することか、蔭へ廻って弱い者をおどしつけて、腕づくで自分を安く買い取って行こうとする。どう考えても卑しい穢《きたな》い、男らしくない仕方だと彼女は思った。八橋はもう次郎左衛門にも愛想をつかしてしまった。
「そんなことは直ぐに返事も挨拶もなりんすまい。まあ、よく考えさせておくんなんし」と、彼女はともかくもそう言って置いた。
「急ぐこともあるまい。まあ考えて置いてくれ」と、栄之丞も言った。久し振りでこう差しむかいになって見ると、彼にもさすがに未練はあった。
ひとには瑕《きず》のように見える細い眼、あまりに子供らしい下《しも》ぶくれの頬、それもこれも、栄之丞の眼には又となく可愛らしく映ったこともあった。その昔の懐かしい思いを今更のように誘い出されて、この若々しい顔の持ち主を人手に渡すのが彼は急に惜しくもなった。栄之丞は飲めもしない杯を手にして、八橋の白い横顔をうっとりと見つめていた。
「ぬしはこの頃なぜちっとも寄り付きなんせん。わたしというものに愛想がつきなんしたかえ」と、八橋の方でも男の顔を覗きながらまた訊《き》いた。
「愛想がつきたというじゃあないが、あんまり近寄るとお互いのためになるまいと思うからだ」
「なぜお互いのためになりんせんえ」
「身請けの相談などが始まろうという時に、私たちがしげしげ逢うのはよくない」
「嘘をつきなんし。その相談の始まらない遠い昔から、ちっとも寄り付かないじゃありいせんか。ぬしにはたんと恨みがおざんす」
いっそ突き放してしまおうと思い切ってしまった男でも、さてこうして顔を見合せると八橋も十分に強いことは言えなかった。未練は栄之丞ばかりでない、彼女も軽率に起請を焼いてしまった自分の短気を咎めたくなった。
「久しくたよりを聞きなんせんが、妹御さんはお達者でおすかえ」
「お光は橋場の方へ奉公にやった」
「奉公に……。さぞ辛いこっておざんしょうに……。よく辛抱していなんすね」
八橋とお光とは仲好しであった。彼女はわが身に引きくらべて、奉公にやられたお光の身の上に同情した。
「なに、奉公といっても楽なものだ」
栄之丞は第二の相談を持ち出す機会を得たので、奉公早々にお光が災難に逢ったことを話した。それがために二十両の半金を償わなければならない事情も話した。
「どうかして都合してやらないと、わたしも義理が悪いし、お光も居づらいだろうと思っているのだが、どうもその十両の工面ができないので困っている」
顔を陰らせて八橋も聴いていたが、金の話になって彼女は案外にたやすく受け合った。
「お光さんも可哀そうに……。さぞ苦労していなんしょう。ちょいとお待ちなんし」
彼女は裳《すそ》を捌《さば》いてすっと起った。次の間へ出て、出入りの障子を明けようとすると、出合いがしらに人がはいって来た。それは次郎左衛門であった。
「あれ……」
驚いた八橋を押し戻すようにして、次郎左衛門は一緒に座敷へはいった。
さっき浮橋が来て八橋にささやいていた様子といい、あとからまた茶屋の女が催促に来て同じく八橋に何かささやいている様子を見て、次郎左衛門はそれがどうも普通の客らしくないことを直感した。普通の客でないとすれば、それが栄之丞ではないかという疑いが直ぐにまた彼の胸に泛《う》かんだ。あいつ、何しに来たかと、次郎左衛門もやがて後からそっと出て、障子の外に忍んで二人の対話を聞いていた。
佐野の身代のつぶれたことが栄之丞の口から出た。それは単に栄之丞と自分との間にのみ保たれているべき筈の秘密で、それを遠慮なく八橋の前にさらけ出されようとは思っていなかった。いっそ思い切って打明けようとしながらも、きょうまで徒《いたず》らにぐずぐずしていた自分の仕方も男らしくないが、ひとの秘密を無遠慮にすっぱ抜く栄之丞のきょうの仕方は、いよいよ男らしくないと思われた。その夜自分を闇撃ちにしようとしたのも恐らく栄之丞であろうとは思いながら、今までは確かな証拠もなかったが、きょうの話の様子を見るとまさしく彼に相違ない。うわべはおとなしく素直に受け合って置きながら、陰《かげ》へ廻って執念ぶかく他に祟《たた》ろうという彼は、まるで蛇のような奴である。蛇ならば蛇でいい、おれが踏み殺してやると、次郎左衛門は抑え切れない憤りの胸を畳んで、つかつかとここへ踏ん込んで来たのであった。
「栄之丞さん。このあいだは失礼をいたしました」と、次郎左衛門は彼のそばへむず[#「むず」に傍点]と坐って、まず挨拶した。
思いがけなく次郎左衛門に出られて、栄之丞も少しあわてた。居住居《いずまい》を直して、ともかくも一と通りの挨拶をした。
「まあ、ここではお話もできません。なにしろわたくしの座敷へ……」
無理に誘われて栄之丞も仕方なしに座を起って行った。八橋もあとにつづいた。
十三
「さて、栄之丞さん。何もかもよく正直に言って下すった。花魁もびっくりしたろう。次郎左衛門の身代は潰れてしまったのだ。なんどき乞食になるかも知れないのだ」
酒に酔っていながらも、次郎左衛門の顔は蒼くなっていた。
「わたしはお前さんに親許身請けのことを頼んだ。それは確かに頼みました。しかし佐野の身代の潰れたことまで吹聴《ふいちょう》して貰おうとは思わなかった。そこに念を押して置かなかったのが私の手落ちであったが、わたしはただ何と付かずにお前さんから八橋を請け出して、こっちへ渡して貰おうと思っていたのだ。それは手前勝手に相違ない。わたしもそれを百も承知しているから、大《だい》の男が手をさげてお頼み申したのだ。否《いや》なら否だと何故《なぜ》きっぱり断わっておくんなさらない。愚痴を言うようだが、わたしは恨みに思いますよ」
恨まれては迷惑である。なんだか怖ろしくもある。栄之丞も一応の言い訳をしないではいられなかった。
「いや、お言葉ではございますが、当節のわたくしに何百両という金の才覚の届こう筈はございません。それは八橋もよく知っております。金の出どころ、身請け人の身許を正直に打明けませんでは、とても得心いたすまいと存じまして……」
「それはよろしい。判っています。身請けの相手が次郎左衛門ということを隠して下さるには及ばない。しかし次郎左衛門の身代の潰れたことまでは……。いや、それもどうで遅かれ早かれ知れることで、秘し隠しにしようとするのは卑怯というもの。わたしが自身の口からは言いにくいことを、いっそあなたが打明けて下されば却って仕合せかも知れません。今のは言い過ぎで、どうぞ悪しからず思ってください」
案外にもろく折れられて、栄之丞もほっ[#「ほっ」に傍点]とした。次郎左衛門はふいと、こう言い出した。
「そこで、栄之丞さん。わたしの方でも卑怯なことはやめにして、こうして三人|三鼎《みつがなえ》で何もかも打明けて相談することにしましょうから、あなたの方でも卑怯なことは止して下さい。これからも末長くおつきあいを願おうと思っているのに、お互いに仇同士のような料簡をもっていては、どうも面白くありませんからね。この次郎左衛門に意趣遺恨があったら、どうぞ遠慮なしに真正面《まとも》からぶつかって来て下さい。ようござんすか。なんでもまともから男らしく……薄っ暗い所で卑怯な真似をしないで」
奥歯に物の挟まった言いようである。自分は次郎左衛門に対して、薄暗い所で卑怯な真似をした憶えはない。それには何か思い違いがあるに相違ないと栄之丞は思った。誰に対しても、自分が恨まれているというのは快《こころよ》くないことであるが、取り分けてこの次郎左衛門に恨まれているというのは栄之丞に取って甚だ快くなかった。むしろ薄気味の悪いように感じられてならなかった。彼は自分が卑怯な真似をしたという説明を彼からも聞き、また自分からも弁解したかった。
「今うけたまわりますと、何か私が卑怯なことでも致したようにも聞えますが、それは何かのお考え違いで、わたくしはあなたに対して……」
次郎左衛門は杯をおいて、凄い眼でじっとこっちを睨み詰めているので、栄之丞は中途で臆病らしく口をつぐんだ。
「やかましい」と、次郎左衛門はだしぬけに呶鳴り付けた。「卑怯だから卑怯だと言ったのがどうした。やい、生《い》けしゃあしゃあとした面《つら》をするな。この間の晩、大音寺前から次郎左衛門のあとを付けて来たのは誰だ。うしろから抜き身を振り廻しゃあがったのは何処のどいつだ。すぐに引っ返して行って踏み殺してやろうと思ったが、きょうまで命を助けて置いてやったのだ。さあ、次郎左衛門に意趣遺恨があるなら、まともに向いてかかって来い」
その権幕が余りに烈しいので、栄之丞は煙《けむ》にまかれた。彼の言うことは何が何だかちっとも判らなかった。栄之丞は呆気《あっけ》に取られて弁解をするすべもなかった。
「全体おもしろくもねえ野郎だと思ったが、おとなしいのを取得《とりえ》に今まで可愛がって置いてやったのだ。それになんだ、柄にもねえ光る物なんぞを振り廻しゃあがって……。この次郎左衛門はこれまでに幾たびとなく血の雨を浴びて来た男だ。貴様たちの鈍刀《なまくら》がなんだ、白痴《こけ》が秋刀魚《さんま》を振り廻すような真似をしやあがったって、びくともするんじゃあねえぞ。もうこうなったら貴様なんぞに用はねえ、身請けの相談もなんにも頼まねえ。そんな面は見たくもねえから、早くけえれ」
次郎左衛門はつづけて呶鳴りつけた。彼の濃い眉は毛虫のようにうねって、その大きい眼は火のように燃えていた。この怒れる獅子に対して、栄之丞は哀れな小兎であったが、それでも彼は一生懸命に言い訳をしようと努めた。
「それは思いも寄らない儀で、私があなたを闇撃ちにしようとしたなどとは……。夢にも憶えのないことで、それは大方人違いかと……」
次郎左衛門はただ黙ってあざ笑っていた。
「さような御無体《ごむたい》を申し掛けられましては……」
「よし、よし。もうなんにも言うことはねえ。こっちでももう聴かねえから、黙ってけえれ。ただひとこと言って聞かして置くが、八橋はもう貴様の起請を灰にしてしまったぞ」
今度は栄之丞の方が蒼くなった。膝の上についている彼の指さきはぶるぶると顫《ふる》えた。いかに遠ざかろうとしている女の前でも、自分の競争者の口からこの残酷な宣告を受けては、栄之丞の素直な心にも相当の弾力をもたなければならなかった。彼は正面の敵から眼をそらして、斜《はす》に女の方を見かえると、八橋は俯向いてなんにも言わなかった。頭を垂れているので、その顔の色は読めなかった。
それでも栄之丞は素直であった。素直というよりもむしろ男らしいというのかも知れないが、もうこの上は、何を言うのも無駄であると彼は考えた。野獣の怒ったような次郎左衛門を相手にして、いつまでとやこうと言い争っても果てしがない。ここで女の薄情を責めても始まらない。こういう不快な、そうして危険な場所からは、ちっとも早く立ち退いてしまった方が無事であると考えた。
むこうで帰れというのをしおに、栄之丞はおとなしく挨拶して起ちかかると、次郎左衛門は紙入れから一両を十枚出した。
「おい。さっき聴いていりゃあ、十両の金が要るとかいって、八橋に無心を言っていたようだったね。さあ、十両はおれがやる。その代りに八橋の起請を置いて行くがいい」
ここで持っていないと言うのは余り卑怯だと思って、栄之丞は掛守《かけまもり》から女の起請を取り出した。彼はせめてもの腹癒せに、次郎左衛門の眼の前でずたずた[#「ずたずた」に傍点]に引き裂いて見せた。
芝居のようなこの場は、これで終った。
栄之丞は黙って起ち上がると、次郎左衛門はうしろから声をかけた。
「おい、栄之丞さん。この金を持って行かねえのか」
聞かない振りをして彼は廊下へ出た。次の間にいた浮橋も気の毒なような、困った顔をして、これも黙って送って来た。栄之丞が二階の階子《はしご》を降りようとする時に、あとから八橋がそっと追って来た。
「みんなあとで判ることでありんす」
彼女は紙につんだ十両を男の手に掴ませた。いっそ叩き返そうと思っても、その手さきは女にしっかり握られているので、栄之丞はどうすることも出来なかった。彼はくすぐったいような心持ちで、とうとうその金をふところに収めて出た。
堤《どて》へあがると、うすら寒い風はいつしか凪《な》いで、紫がかった箕輪田圃《みのわたんぼ》の空に小さい凧《たこ》の影が二つ三つかかっていた。堤したの田川の水も春の日に輝いて、小鮒《こぶな》をすくっている子供の網までがきらきらと光って見えた。稽古のために空駕籠を担いで、長い堤を往ったり来たりしている駕籠屋のひたいにも、煙りの出そうな汗が浮いていた。
「寒いようでも、もう春だ」と、栄之丞もふと思った。
そう思いながらも、彼は春らしいのびやかな気分にはとてもなれなかった。懐中《ふところ》にしている十両の金が馬鹿に重いように思われてならなかった。この十両を手切れがわりに貰ったのかと思うと、彼は言うに忍びない屈辱を蒙ったようにも感じた。くやし涙がおのずと湧いて来た。
闇撃ち――飛んでもないことを言うと、彼は次郎左衛門の無法におどろいた。八橋と言い合わせて、おれと手を切るためにわざとあんな無法な言いがかりをしたのではないかとも疑った。こうと知ったら、きょうは廓へ来るのではなかったものをと、彼は今更のように後悔した。
自分の方から遠ざかろうとしていながら、女の不実を責めるのは手前勝手かも知れないが、八橋が起請を灰にしたということは、どう考えても腹立たしかった。自分が今まで欺かれていたようにくやしく思われた。その女の手からなぜこの金を受取って来たのであろう。なぜ女のひたいに叩き付けて来なかったのであろうと、栄之丞は自分の弱い心を自分で罵り恥ずかしめたかった。
「お光も可哀そうだ」
彼はまた思い返した。
意気地《いくじ》なしと言われても、弱虫とあざけられても仕方がない。ともかくも目的の通りに金の才覚ができた以上は、早くこれを橋場へ届けて妹に安心させてやろうと思った。妹もおれのためには随分苦労している。せめてこういう時には兄甲斐《あにがい》のあるようにしてやらなければならないと、彼は妹が可愛さに一時の不平を抑えて、すぐに橋場の奉公さきへ急いで行った。
十四
三月になって絹糸のような雨が二、三日ふりつづいた。馬喰町の佐野屋の二階から見おろすと、隣りの狭い庭に一本の桃の花が真っ紅《か》に濡れて見えた。どこかで稽古三味線《けいこじゃみせん》の音が沈んできこえた。なま暖かいひと間の空気に倦《う》んで、次郎左衛門は障子を少しあけていたが、やがて又ぴっしゃりと閉め切って古びた手あぶりの前に坐って、小さい鉄瓶の口から軽く噴く湯煙りのゆくえを見つめていた。
座敷の片隅には寝床が延べてあった。先月の末から十日あまりも吉原の三つ蒲団に睡らない彼は、明けても暮れても宿の二階に閉じ籠って、綿の硬いごつごつした衾《よぎ》にくるまって寝るよりほかに仕事はなかった。眼が醒めると酒を注文した。酔うと又すぐに寝てしまった。
こんなことをして冬の蛇のように唯ぼんやりと生きているのは、彼に取って実に堪え難い苦痛であったが、今の彼はもう穴を出る力を失っていた。宿の亭主にあずけておいた五百両も、とうに喧嘩づらで引き出して、二月の中ごろまでには一文も残さずつかった。彼はいよいよ大尽の頭巾《ずきん》をぬいで、唯の旅びとの次郎左衛門になった。仲の町の茶屋にも幾らかの借りも出来た。たとい催促をされないまでも、面《つら》の皮を厚くして乗り込むわけには行かなくなった。初めから判り切っている事ではあるが、彼はその判り切っている路を歩んで、判り切っている最後の行き止まりに突き当った。金がいよいよ無くなったら何とか考えよう――彼はその最後の日まではなんにも考えまいと努めていたが、さていよいよ何とか考えなければならない時節になった。彼はやはりなんにも考えられなかった。
歳《とし》は男盛りである。からだは丈夫である。いざとなれば天秤棒《てんびんぼう》を肩にあてても自分一人の糊口《くちすぎ》はできると多寡をくくっていたものの、何を楽しみにそんな事をして生きて行くのかということを、彼はこの頃になってしみじみと考えさせられた。もうそうなったら八橋には逢えない。おれは八橋と離れて生きてはいられないということが、今さら痛切に感じられて来た。
博奕打ちをやめたのも八橋の意見に基づいたのである。身上《しんしょう》を潰したのも八橋が半分は手伝っている。命と吊り替えというほどの千両を残らず煙《けむ》にしたのも、みんな八橋のためである。この三年このかたの自分は、すべて八橋に操られた木偶《でく》のように動いていたのであった。人形遣いの手を離れて木偶の坊が一人で動ける筈がない。昔の次郎左衛門は知らず、今の次郎左衛門は八橋を離れて動くことのできない約束になっていることを、彼は自分で見極めてしまった。八橋がきっと自分の物になるという保証がつけば、彼は車力にでも土方にでも身を落すかも知れなかったが、そんな望みのないことは彼自身もよく承知していた。
栄之丞の口から佐野の家の没落が発覚したときに、八橋はなんと感じたであろうか。彼は切《せつ》にそれを知りたかった。栄之丞が帰ったあとで、彼はいろいろにして訊こうとした。すると、八橋の返事は案外であった。
「わたしに突き出されたのを遺恨に思って、栄之丞さんは嘘をつきなんした。それはわたしがよく知っておりいす」
彼女はあくまでも栄之丞の話を嘘にして、佐野の家の没落を信じないというのであった。次郎左衛門はまた白状する機会を失って、それをいいしおに嘘だとも本当だとも、はっきり言い切らずに別れてしまった。
「おれも昔は男を売ったものだが……」と、彼は過去のおのれと現在のおのれとを対照して、あまりに男らしくない卑怯な心持ちを自分であざけった。そうして、相変らず夢のように吉原へ通いつづけていた。
それももう行き詰まった。茶屋はさておいて、宿屋の払いさえも出来なくなった。彼は髪結い銭にも煙草銭にも困って、宿の者の眼につかないように着替えの衣服《きもの》や帯などをそっと抱え出して、柳原の古着市へ忍んで行ったこともあった。それも長くはつづかないで、今の次郎左衛門が持っているものは、自分のからだ一つと村正《むらまさ》の刀一本になってしまった。村正の刀は十年前に或る浪人から百両で買ったもので、持ち主は家重代《いえじゅうだい》だと言った。水も溜まらぬ切れ味というので、籠釣瓶《かごつるべ》という銘が付いていた。次郎左衛門はこの籠釣瓶で、博奕場の喧嘩に六、七人傷つけたことがあった。彼は幾|口《ふり》も持っている刀のうちでも、これを最も秘蔵の業物《わざもの》としていたので、去年故郷を退転する時にも余の刀はみんな手放してしまって、籠釣瓶だけを身につけて来たのであった。
「もうこの上は、籠釣瓶を手放すよりほかはない」
村正は徳川家に祟《たた》るという奇怪な伝説があるので、江戸の侍は村正を不祥《ふしょう》の刀として忌むことになっているが、他国の藩士はさのみ頓着しないから、いい相手を見付ければ相当の高値に売れる。刀屋へ捨て売りにしても四、五十両のものはある。ここで思い切って籠釣瓶を手放す事にすれば吉原へも行かれる、当分の小遣いにも困らない。自分のからだと籠釣瓶と、この二つしか残っていない彼は、どうしても籠釣瓶と別れを告げるよりほかに仕様はなかった。しかし彼は辛かった。籠釣瓶に別れるのは兄弟に別れるよりも辛《つら》かった。この長いものを横たえて野州に男を売った昔の花盛りを思い出すと、彼は悲しい秋が急に押し迫って来たように心さびしくなった。
町人や百姓に刀は不用だというが、おれは佐野の次郎左衛門である。刀はおれの魂であると、彼は平生から考えていた。八橋の意見について一旦は土臭い百姓に復《かえ》ったものの、本来の野性は心の奥にいつまでも忍んでいた。彼はいかなる場合にも、この刀を身に着けているつもりであった。
今の次郎左衛門からどうしても引き放すことの出来ないものは、この籠釣瓶と八橋とであった。八橋は自分の命であった。籠釣瓶は自分の魂であった。どっちを離れても、自分というものはこの世に存在しないように思われた。どんなに落ちぶれても、どんなに行き詰まっても、彼はこの二つを手放したくなかった。たとい籠釣瓶を手放したところで、その金で一生を安楽に送られるという訳でもない。思い切ってこれを手放したところで、多寡が百両に足りない金を握るだけのことで、その金の尽きた時には八橋にも別れを告げなければならない。こう思うと、籠釣瓶をむざむざ[#「むざむざ」に傍点]手放すのがいよいよ惜しくってならなかった。
雨は小やみなしにしとしと[#「しとしと」に傍点]と降っていた。そろそろ花見どきに近づいて、どこの宿屋も江戸見物の客で込み合う頃であるのに、ことしは田舎の人の出が遅いとかいうので、広い佐野屋の二階も森閑《しんかん》としていた。四、五人の泊まり客は雨がふるのに何処へか出て行ってしまって、どの座敷にも灰吹きを叩く音もきこえなかった。なんだか鬱陶《うっとう》しいので、次郎左衛門はまた起って障子をあけると、どこかで籠の鶯《うぐいす》の声がしめって聞えた。このごろ聞きなれた豆腐屋の声が表で睡そうにきこえるのも、やがてもう午《ひる》に近いのを思わせた。
次郎左衛門は戸棚から籠釣瓶を取り出して、なんということもなしにするりと引き抜いて障子のあいだから流れ込む真昼のうすい光りに照らして見た。彼は水のように美しく澄んでいる焼刃《やいば》を惚れぼれと眺めているうちに、今までにこの刀を幾たび抜いたかということを考えた。これで喧嘩相手の小鬢《こびん》や腕を切った時のこころよい感じが、彼の両腕の肉をむずがゆいように顫わせた。
「もう一度人を切って見たい」
彼はふとそんなことを考えた。村正は不祥の刀であるということもまた思い出された。自分と八橋と籠釣瓶と、この三つはどうしても引き放すことの出来ない約束になっているらしくも思われた。八橋とも別れたくない、籠釣瓶とも別れたくない。それを煎じ詰めて考えていると、彼はとうとう最後の結論に到着した。
「籠釣瓶で八橋を殺して、自分も籠釣瓶を抱いて死ぬ。これよりほかに途はない」
重荷を卸《おろ》したようにほっ[#「ほっ」に傍点]として、彼はもう一度その刀をつくづく眺めた。やがて刀を鞘《さや》に納めて、女中を呼んで硯と巻紙とを取り寄せた。彼は姉と親類とに宛てた手紙を書き始めた。書いてしまった頃に、ちょうど午飯の膳を運んで来たので、彼はいつもの通りに酒を注文した。酔うと寝床へもぐり込んで、昼から夜までぐっすりと寝てしまった。
あくる日も雨が降っていた。
「毎日降って困りますね」
佐野屋の入り口へ治六が寂しそうな顔を出した。
「治六さん。しばらく見えなさらなかったね。どうかしなすったか」と、帳場にいる亭主が宿帳をつけている筆をおいて訊いた。
「はい。少し風邪《かぜ》を引きまして、つい御無沙汰をいたしました」
三日目に一度ぐらいずつは必ずそっと訪ねて来て、主人の安否を蔭ながら訊いてゆく治六が小《こ》半月ばかりも顔を見せないので、亭主も内々心配しているところであった。なるほど病気で寝てでもいたらしく、ふだんから髪月代《かみさかやき》などに余り頓着しない男が一層じじむさくなって、少し痩せた頬のあたりにそそけた鬢の毛がこぐらかってぶら下がっていた。
「旦那さまはこの頃どうでごぜえます」と、彼は帳場の前ににじり寄って来てすぐに訊いた。
「相変らずさ」と、亭主はにがい顔をした。「だが、もう大抵遣い切ってしまったらしい。吉原へもだいぶ遠退いたし、この頃では髪結い銭もないらしい」
次郎左衛門は二月の勘定もまだ払わない。長年の馴染みであるから、勿論あらためて催促もしないが、今まで晦日《みそか》には几帳面《きちょうめん》に払っていた人が僅かばかりの宿賃をとどこおらせているようでは、その懐ろ都合も思いやられる。例の千両もとうとうみんなおはぐろ溝《どぶ》へ投げ込んでしまったらしいと、亭主は気の毒そうに言った。
治六はじっと俯向いて聴いていたが、やがて肌に着けていた鬱金《うこん》木綿の胴巻から三両の金を振り出して亭主の前にならべた。
「旦那さまの二月分の勘定というのは幾らになるか知りませんが、まあこれで取って置いて下せえまし」
「冗談言っちゃあいけない」と、亭主は叱るように押し戻した。「お前さんに立て替えさせようと思って壁訴訟《かべそしょう》をした訳じゃあない。長年の定宿だ。まかり間違ったところで私の方の損とあきらめれば済む。今のお前さんには大事の金だ。むやみに遣わせちゃあならない」
「これもみんな旦那さまから貰った金で、つまり旦那さまの物を預かっているも同様でごぜえます。こういう時の用にと思って、去年お暇の出るときに貰った十両はちゃんと手をつけずにあります。どうぞ受取って置いて下せえまし」と、治六の方でも押し返した。
亭主の眼からは涙がこぼれた。お前さんの志はよく判っているが、どうもこの金をお前さんから受取るわけには行かない。旦那がああいう始末になっては、お前さんももう帰参の見込みもあるまい。その十両を元手にして何か自分の身を立てる工夫を付けた方がよかろうと、亭主は親切に意見すると、治六はときどきに眼を拭きながらおとなしく聴いていた。そうして、久し振りで旦那さまに逢って来たいと言った。
「どうでいい顔もしなさるまいが、逢いたければちょいと顔を出して来なさるがいい」と、亭主は言った。
治六はそっと二階へあがって行くと、もうやがて八つ(午後二時)というのに次郎左衛門は衾《よぎ》をすっぽりと引っかぶっていた。障子の外から声をかけて、治六は這うように座敷へいざってはいると、次郎左衛門は薄く眼をあいていた。
「治六か。どうしている」
久し振りで主人から優しい声をかけられて、治六は急に悲しくなった。彼は胸がいっぱいになったようで、腰から手拭を取って顔に当てたまま俯向いていた。
「何を泣く。馬鹿野郎」と、次郎左衛門はあざけるように叱りながら起き直った。「だが、貴様が来たので丁度いい。少し頼みたいことがある。国まで使いに行って来てくれ」
ここの亭主からもう聞いたかも知れないが、おれも財布の底をはたき尽くして、宿の払いにも困るような始末になってしまった。もう、うかうかしてはいられない。今度という今度は本気になってなんとか身の振り方を付けなければならない。それには幾らかまとまった金が欲しい。これから故郷の佐野へ行って、姉や親類にもその訳を話して、金の都合をして来てくれ。なんといっても親《しん》は泣き寄りで、まさかに情《すげ》なくも追い返すまい。実は飛脚を頼むつもりできのうから手紙を書いておいたから、これを持って行けば判るといって、彼は蒲団の下から一通の手紙を探り出して治六に渡した。
正直な治六はなんにも疑わなかった。主人としては今の場合こうするよりほかに、知恵も工夫もあるまいと素直に考えた。しかしこれは余ほど難儀な使いで、今さら故郷へのめのめ[#「のめのめ」に傍点]と引っ返して、おまけに無心がましいことを言い出して、親類たちに忌《いや》な顔を見せられるのは治六もなにぶん辛かったが、その辛い目を辛抱しなければ主人の身が立たない。殊に財布が空《から》になった故でもあろうが、宿の亭主の話によれば、この頃は廓へ足踏みもしないという。あるいは主人もいよいよ本気になって、これからまじめに稼ぎ出そうという料簡になったのかも知れない。自分にやさしい声をかけてくれたのも、くるわの酒の醒めたしるしかも知れない。こう思うと、彼の心にもおのずからなる勇みも出て、辛い役目をひき受けて働く甲斐があるようにも思われた。
「よろしゅうごぜえます。すぐにめえります」
治六はこころよく承知したので、主人も久し振りで笑顔を見せた。忌《いや》でもあろうが我慢して行ってくれと重ねて言った。治六はあしたの朝すぐに発つと約束して、主人の手紙を懐ろへしっかりしまったが、帰る時に彼は胴巻から十両の金を出して、自分はそのうちから佐野まで往き復りの路用《ろよう》として一両だけを取って、残りの金を主人に戻した。次郎左衛門は要らないといったが、治六は無理に押しつけて帰った。
「あいつもやっぱり可愛い奴だ」
馬鹿と叱った主人の口から、こんな情けぶかい独り言も洩れた。
十五
毎日ふり続いた雨が今日はからりと晴れると、春の光りが一度に輝いて来た。栄之丞が窓をあけて見ると、急に雪でも降ったように、近所の屋敷や寺の桜がみんな真っ白に咲き出して、いろいろの鳥の声がきこえた。彼の若い心もそそられるように浮き立って、なんとはなしに門《かど》へ出て、白い雲の流れている瑠璃《るり》色の空を仰いだ。
きょうは人通りも多かった。吉原では仲の町の桜が咲いたといううわさ話をして行くのもあった。その噂の種になっている吉原の空は薄紅く霞んで、鳶《とび》が一羽低く舞っていた。彼はうっとりとそれを見あげていると、だしぬけに声をかけられて驚いた。妹のお光が笑いながら自分の前に立っていた。
「きょうは奥のお使いで門跡《もんぜき》さまの方まで参りましたから」と、彼女は言った。
使いに出て道草を食ってはならない。用がなければ滅多に来るなと栄之丞はふだんから言い聞かせてあるが、兄思いのお光はときどきに訪ねて来る。兄も叱りながら悪い気持ちはしなかった。
「内へあがると長くなる。門《かど》で帰れ」
二人は門口に立って、薄い煙りのあがる水田を眺めていた。
「どうだ。この頃は主人の首尾もいいか」
「はい」と、お光はにこにこ[#「にこにこ」に傍点]していた。お内儀《かみ》さんは相変らず可愛がってくれて、このあいだも半襟を下すった。古参の女中のお兼さんも、こっちが素直に受けているので、この頃ではだんだんに打ちとけて来た。この分ならばちっとも居づらいことはない。どうぞ安心してくれと、彼女は嬉しそうに話した。
その晴れやかな顔を見るに付けても、栄之丞はこの正月のことが思い出された。あの時に八橋というものがなかったら、妹は勿論のこと、自分もどんなに苦しい思いをしたかも知れない。金は次郎左衛門の懐ろから出たにしても、つまりは八橋に救われたのである。その時すぐに金を届けてやると、お光は泣いて喜んだ。主人は満足した。それから二、三日経つと、お光は礼手紙を書いて、ついでの時にそれを八橋さんに届けてくれと兄にくれぐれも頼んで行った。そうして、今度の事が首尾よく済んだのもみんな八橋さんのお蔭であるから、兄さまもどうぞ忘れないでくれと、栄之丞がこの頃とかくに八橋に遠ざかっているのを、それとなく注意するように言って帰った。
栄之丞は少し迷惑したが、その手紙を握り潰してしまうのも妹に対してなんだか義理が悪いように思われるので、さらに二、三日経ってから吉原へ届けに行った。しかし八橋には逢わないで、茶屋の門口《かどぐち》から女中に頼んで、逃げるように早々帰って来た。
八橋が起請を焼いたことを栄之丞は妹になんにも話さなかったが、彼の内心には消すことのできない一種の不満と嫉妬とがみなぎっていた。勿論、自分も八橋から遠ざかりたいと念じていたが、むこうから突き放されようとはさすがに思い設けていなかった。落ちぶれたといっても一方は佐野の大尽である。その大尽の襟もとに付いて、浪人者の自分を袖にした女の心が憎かった。手前勝手ではあるが、栄之丞は自分の方から女を突き放したかった。女の方から突き放されたくなかった。
しかしそれももう仕方がない。これで切れる縁ならば、こうして切れてもよんどころない。お光の礼手紙をとどけた以上は、八橋にも妹にも義理は立っている。もうこれでなんにもない昔と思えばいいと、彼も一旦は思い切りよく諦めた。ところが、八橋の方ではそう素直に諦めさせなかった。すぐに打ち返してお光に宛てた手紙をよこした。お光ばかりでなく、栄之丞にも三日にあげずに手紙をよこすようになった。
起請を焼いたのにも、いろいろの訳がある。もう一度お目にかかって、よくその訳を言いたいから、ぜひ逢いに来てくれという手紙を受取っても、栄之丞はもう吉原へ足をむける気にはなれなかった。次郎左衛門に逢うのも怖ろしかった。彼は廓の使いに対しても、なんとか、かとかいい加減の作り口上をならべて、努めて女に近寄らない手段を講じていた。実はきのうも八橋から呼び出しの手紙が来て、いろいろの恨みつらみや愚痴が長々と書いてあった。そうして、この頃は次郎左衛門がちっとも影を見せないというようなことも書き添えてあった。それでも栄之丞はまだ釣り出されようとは思っていなかった。
「兄さま、吉原では桜がもう咲いたそうでございますね」と、お光は言い出した。八橋さんからたよりがあったかなどとも訊いた。
兄の返事がなんだかあいまいなので、お光は少し疑うような眼色を見せた。
「この頃もやっぱり八橋さんのところへお出でにならないのですか」
「むむ。行こうとは思っているが……。行ってもおもしろくないから」
「面白づくばかりでなく、時どきは行ってあげて下さい。このあいだの手紙にも、兄さまを是非よこしてくれとくれぐれも書いてございました。このお正月のこともみんな八橋さんのお庇《かげ》で無事に済んだのでございます。どうかしてお礼をしたいと思っておりますけれども、今のわたくしの力ではどうにもなりません。せめて兄さまにお願い申して……」と、なんにも知らないお光は頼むように言った。
あんなに世話になって置きながら、それぎりに顔出しをしないでは、義理知らずだと思われるのも心苦しいとも言った。
「そのうちに一度行こうよ」と、栄之丞も妹の気休めにまずこう言っておいた。
「では、ぜひ近いうちに……。いずれ又お話を伺いに出ますから……」
お光は余り遅くならないうちにと、言うだけのことをいってすぐに帰った。
さっきから日向《ひなた》に立っていたので、栄之丞はうすら眠いような心持ちになって、どんよりした眼でふたたび吉原の空を見た。春の癖とはいいながら、晴れた空でも少しはなれた廓の上は煙るように霞んでいた。
ゆうべは八橋から手紙を受取った。きょうは妹に一度は行ってくれと頼まれた。しかも、このうららかな春の日にあぶられて、栄之丞の肉も心もおのずと春めいて来た。ともかくも一度八橋に逢って、起請を焼いたわけを聞いて見ようかというような未練もおこった。次郎左衛門がこの頃ちっとも来ないという訳も聞きたかった。
この際よし原に入り込んでも次郎左衛門と顔を合わせる気づかいはあるまいという一種の安心もあった。ちょうど天気もよし、いっそ今夜行って見ようと、彼はふらふらとその気になった。別に用もないからだであるので、彼はそれから髪結床へ行って、その帰りに湯にもはいって来た。
今夜八橋に逢って、起請を焼いたわけも判って、次郎左衛門ももう来ないと決まったら、これから後はどうするか。やっぱりもとの通りに八橋との縁をつなぐか、それともあくまでも彼女の冷たい心を恐れてなんとか縁をきる工夫をするか。栄之丞もまだそこまではよく考え詰めていなかった。ゆうべの八橋の手紙と、きょうのお光の頼みと、自分自身の春めいた心と、この三つにそそのかされて、彼は唯うかうかと春の日の暮れるのを待っていたのであった。
先月は霜枯れで廓も寂しかったのは、この大音寺まえを通る駕籠の灯のかずでも知られた。いよいよ今が花の三月となっても、毎日の雨に邪魔されていたらしかったが、きょうは俄か天気で世間も俄かに春めいたので、日が暮れると表には駕籠屋の威勢のいい掛け声がつづけてきこえた。ひやかしのそそり節《ぶし》も浮いてきこえた。
栄之丞ももうじっとしてはいられなくなって、六つ(午後六時)を合図に家を出ると、十日のおぼろ月は桜の梢を夢のように淡く照らしていた。
兵庫屋へ送られてゆくと、八橋は待ちかねていたように彼を迎えた。手紙に書いてあった恨みや辛みは口へも出さないで、彼女はただ懐かしそうな笑顔で男と向き合っていた。お光の安否などもたずねた。こっちで第一に詮議しようと思っている起請のことも次郎左衛門のことも、容易に彼女の口から出そうもないので、栄之丞の方から催促するように訊いた。
「佐野の大尽はどうして来ない」
「来られた義理でもありんすまい。三月までに請け出すのなんのと嘘ばかり言って……」と、八橋は冷やかに言った。
人の心づくしを仇にして、去年以来とかくに自分から遠退《とおの》こうとしているらしい栄之丞の不真実が、八橋に取っては恨めしいを通り越して憎く思われた。憎い彼を突き放して、可愛くもない次郎左衛門に身を任せようとしたのも、それがためであった。そうして、起請はつめたい灰にしてしまったが、彼女の胸の底にはそのほとぼりがまだ残っていた。お光の金の一条で栄之丞が偶然訪ねて来たのが口火になって、そのほとぼりはまた煽られた。それと一緒に、次郎左衛門の落ちぶれたことも判った。落ちぶれた二人の男を列《なら》べて見くらべた時に、八橋はもう新しく考える余地はなかった。彼女はやっぱり昔の男が恋しかった。
いったん次郎左衛門に倚《よ》りかかろうとした彼女の心は、その時から又がらりと変った。いったん持ち出した身請けの相談も、なるべく口には出さないようにしていた。次郎左衛門が落ちぶれたという話も、なるべく聞かない振りをしていた。彼女はどこまでも今までのお大尽さまとして次郎左衛門を取扱っていた。そこに彼女の冷たい心の忍んでいることを、次郎左衛門はまだ覚らないらしかった。
次郎左衛門を見限ると同時に、彼女はむやみに栄之丞が懐かしくなって、うかうか[#「うかうか」に傍点]と起請を焼いたことがしきりに悔まれた。いろいろの手段を尽くして、むかしの恋人を引き寄せようとあせった。その念がふた月越しでようように届いて、眼に見えない糸に引かれたように男が今夜ふらり[#「ふらり」に傍点]と来た。彼女は嬉しいので胸がいっぱいになって、次郎左衛門のことなどを話している余地はなかった。
栄之丞から訊かれて、彼女は初めて思い出したように、二月以来、次郎左衛門の足が遠ざかったことを話した。浮橋の噂によると、次郎左衛門は余ほど内証が詰まって来て、茶屋にも借りが出来たらしい。今まで大尽かぜを吹かせていた彼が、廓の人たちの手前、余り落ちぶれた姿を見せたくもあるまい。このごろ足をぬいたのも無理はない。利口な人ならば、ここらでもう見切りをつけて、二度と大門《おおもん》をくぐらない筈であると、八橋は彼の未来を占うように言った。
「そうかも知れない」
栄之丞は思わず溜め息をついた。廓で全盛を尽くした大尽の零落は珍らしくない。次郎左衛門が佐野の身上《しんしょう》をつぶしたことは、栄之丞もとうに知っていた。それでも彼がいよいよ大門をくぐることが出来ないほどに行き詰まったかと思うと、栄之丞は急に悲しい果敢ないような、なんだか涙ぐまれるような寂しい心持ちになって来た。
「何を考えていなんす。花の三月、浮きうきとおしなんし」と、八橋は華やかな声で笑った。
栄之丞は黙っていた。こうしてうかうか[#「うかうか」に傍点]釣り出されて来たものの、彼は女の心がやはりおそろしかった。
新造の掛橋や浮橋が催促に来た。八橋は仲の町の茶屋へ行かなければならなかった。彼女は栄之丞を待たせて置いて出た。
十六
享保時代の仲の町には、まだ桜が多く植えられていなかった。その頃の夜桜というのは、茶屋の店先や妓楼の庭などへ勝手に植えられたもので、それが年中行事の一つとなって、仲の町に青竹の垣を結い廻して春ごとに幾百株の桜を植え、芝居の「鞘当《さやあて》」の背景に見るような廓の春を描き出すことになったのは、この物語の主人公が亡《ほろ》びてから二十年余の後であった。それでも春の夜はやはり賑わしかった。
そのぞめき[#「ぞめき」に傍点]の群れにまじって、次郎左衛門は仲の町を忍ぶように通った。八橋の予言ははずれて、彼は再び大門をくぐったのであった。しかも、なんの躊躇もせずに彼はまっすぐに立花屋の店先へずっとはいった。
「おや、佐野の大尽さま。お久し振りでござりました」
女房のお藤はいつもの通り愛想よく迎えた。次郎左衛門はもうこの茶屋に百両余りの借りが出来ていた。
「この頃はどうなされたかとお噂ばかり致しておりました。浮橋さんの噂では、ひょっとするとお国へお帰りなすったのかなど申しておりましたが、やはりまだ御逗留でござりましたか。八橋さんの花魁もさぞお待ちかねでござりましょう。まあどうぞお二階へ……」
「いや、急に暖かくなったせいか、駕籠にゆられてなんだか頭痛がする。少しここで休ませてもらおうか」
次郎左衛門は店さきの床几《しょうぎ》に腰をおろして、花暖簾を軽くなぶる夜風に吹かれていた。彼は女中が汲んで来た桜湯《さくらゆ》をうまそうに一杯飲んで、ゆったりした態度で往来の人を眺めていた。女中がすぐに八橋のところへ報《しら》せに行こうとするのを、次郎左衛門は急に呼び止めた。彼は兵庫屋の二階へ登りたくなかった。
「あ、これ、わたしは少し都合があって、今夜はここで帰るかも知れないから、八橋をここへ呼んでくれまいか」
「まあ、そんなことを仰しゃりますな。茶屋で帰るという法はござりますまい」
女中は笑って行ってしまった。
次郎左衛門は少し目算《もくさん》が狂った。彼は今夜八橋を殺しに来たのである。それには兵庫屋の二階へ刀を持ってゆくことは出来ないので、なるべく彼女を茶屋まで呼び出したかった。一緒に死んでくれと頼んでも、八橋が承知しそうもないことは彼もさすがに知っていた。なまじいのことを言い出して恥をかくよりも、なんにも言わずに不意に切ってしまう方がいいと胸を決めていた。しかし思い切って彼女を切れるかどうだか、次郎左衛門は我ながら少し不安であった。
腕に覚えはある、刀は銘刀である、骨の細い女ひとりを打《ぶ》っ放すのは、なんの雑作《ぞうさ》もないことではあるが、八橋を切る――それを思うと、彼はなんだか腕がふるわれた。人を切った経験はたびたびある。血を見ることを恐れるおれではないと思いながらも、八橋を切ることは次郎左衛門に取って一生で一度のおそろしい仕事であった。
一旦ひそんだ野性が再びむらむら[#「むらむら」に傍点]と頭をもたげて、すでに人を殺すと覚悟した以上、なんの遠慮も容赦もない筈であるが、相手が八橋であるだけに彼はやはり臆病らしい一種の未練に囚《とら》われていた。いま殺そうというきわまで彼は八橋が可愛かった。勿論、可愛いから殺すのである。そうは知っていながらも、どうして突くか、どこから切るか、彼はおののく腕を組みながら、まず刃の当てどころからして考えなければならなかった。
「いっそ喧嘩でも吹っ掛けようか」
彼は更にまず刀をぬく機会を求めなければならなかった。尋常に八橋と向き合っていて、とても彼女に切り付けることはできない。何かの切っ掛けを見付けて、ひと思いに切り付ける工夫をしなければならないと思った。八橋がいつものように笑い顔をしていたら、とても切るも突くも出来そうもない。何か相手の方からいい機会を与えてくれればいいと、ひそかに祈っていた。
やがて女中が帰って来た。やはり八橋は来なかった。新造の浮橋が来て、無理に次郎左衛門を兵庫屋へ連れて行ってしまった。彼はよんどころなしに、籠釣瓶を茶屋にあずけて出た。
次郎左衛門が来たと聞いた栄之丞は、案外に思った。八橋は別に驚きもしなかった。
「ほほ、未練らしい。また来なんしたか」と、彼女は平気で笑っていた。
栄之丞は廊下へ出るにも注意して、なるべく次郎左衛門と顔を合わせないように念じていた。彼は引け四つ(十時)前に帰ろうといったが、八橋が無理にひき留めて放さなかった。
この晩は夜なかから南風《みなみ》が吹き出して、兵庫屋の庭の大きい桜の梢をゆすった。
夜があけるのを待ちかねて、栄之丞は兵庫屋を出た。八橋も茶屋まで送って行った。その留守の間に次郎左衛門も飛び起きて、忙がしそうに顔を洗った。
「いっそ直しておいでなんし」
新造たちの止めるのを振り切るようにして、次郎左衛門は立花屋へ帰った。浮橋が送って行った。ゆうべの風の名残りで、仲の町には桜が一面に散って、立花屋の店先には白い花の吹き溜まりがうずたかく積もっていた。まだ大戸をあけたばかりの茶屋では、次郎左衛門がいつにない早帰りに驚かされた。
「お早うござります」
二階へあがれと勧められたが、次郎左衛門はすぐに帰るといって、籠釣瓶をうけ取って腰にさした。女中は駕籠を呼びに行った。浮橋は栄之丞の茶屋へ八橋を迎いに行った。ひと足さきへ帰るつもりであったのを、かえって次郎左衛門に先《せん》を越された気味で、栄之丞は少し躊躇したが、いっそこうなったら次郎左衛門をさきにやりすごして、自分は後から大門を出ようと思ったので、ともかくも早く立花屋へ顔を出して来たらよかろうと八橋に言った。
「そんなら、ちょいと行って来るまで待っていておくんなんし」と、八橋は念を押して出て行った。
浮橋はひと足さきへ駈けぬけてゆくと、次郎左衛門はやはり立花屋の店先に腰をかけていた。表はもう薄明るくなっていたが、店の奥には暁《あ》けの灯の影が微かにゆらめいていた。
「もう帰りなんすかえ」
八橋は次郎左衛門のそばへ来て同じく腰をかけた。籠釣瓶を身に着けていながら、次郎左衛門はまだ思い切って手をかける機会がなかった。彼は花の吹き溜まりを爪先《つまさき》で軽くなぶりながら、なるべく女の顔を見ないように眼をそらしていた。そのうちに女房は衣類を着替えて奥から出て来て、ともかくも二階へあがれと次郎左衛門にすすめた。浮橋も勧めた。
「まあ、大尽から」と、女房は手を揉みながら言った。
次郎左衛門は無言でずっと起って店口の階子《はしご》をあがった。少しおくれて八橋も上がった。
彼女が階子の中ほどまで登った時に、もう上がり切っていた次郎左衛門が上から不意に声をかけた。
「八橋」
思わず振り仰ぐ八橋の頭の上に、さっ[#「さっ」に傍点]という太刀風が響いたかと思うと、彼女の首は籠釣瓶の水も溜まらずに打ち落されて、胴は階子に倒れかかった。兵庫に結った首は斜《はす》に飛んで、つづいて登ろうとする浮橋の足もとに転げ落ちた。浮橋も女房も、はっ[#「はっ」に傍点]と立ちすくんだままで声も出なかった。
丁度そこへ次郎左衛門を迎いの駕籠が来た。駕籠屋がおどろいて口々にわめいた。近所の者も駈けて来た。
「逃げ隠れする者でない。次郎左衛門はここで切腹する。見とどけてくれ」と、次郎左衛門は二階から叫んだ。しかし彼が最後の要求は誰にも肯《き》き入れられなかった。
「人殺しだ、人殺しだ。逃がすな、縛《くく》れ」
立花屋の店先には人の垣を築いた。聞き分けのない奴らだと次郎左衛門は憤った。卑怯に逃げ隠れをするのでない。ここで尋常に自滅するというものを、無理無体に引っくくって生き恥をさらさせようとする。それならばこっちにも料簡がある。最後の邪魔をする奴は片っ端から切りまくって、一旦はここを落ち延びて、人の見ないところで心静かに籠釣瓶を抱いて死のうと、彼は八橋を切った刀の血糊《ちのり》をなめて、階子の上がり口に仁王立《におうだ》ちに突っ立って敵を待っていた。くるわの火消しがまっさきに駈けあがったが、その一人は左の肩を切られて転げ落ちた。つづいて上がろうとした一人も、手鳶《てとび》を柄から斜めに切られて、余った切っ先きで小手《こて》を傷つけられた。狭い階子の上に相手が刃物をふりかざしているので、誰も迂闊《うかつ》に寄り付くことができなかった。みんなは店から煙草盆を持って来て二階へ投げあげた。茶碗や小皿なども投げ付けた。
「屋根から窓の方へ廻れ」と、誰か叫ぶ者があった。
逃げ路を塞がれては不便だと気がついて、次郎左衛門は敵の廻らないうちに、自分から先きに窓を破って大屋根の上に逃げて出た。風は暁け方から吹きやんで、三月の朝の空は眼を醒ましたようにだんだんに明るくなった。幾羽の鳩の群れが浅草の五重の塔から飛び立つのが手に取るようにあざやかに見えた。眼の下の仲の町には妓楼や茶屋の男どもが真っ黒に集まっていた。
火消しは長ばしごを持ち出して来て、方々から屋根伝いに追い迫って来た。次郎左衛門はそれでも二、三人を切りおとして、隣りの屋根から物干の上に出た。物干のあがり口には窓があったが、その窓はもう固く閉められて、はいることは出来なかった。彼は屋根伝いに隣りからとなりへと伏見町の方へ四、五軒逃げた。
この騒ぎを聞いて栄之丞も茶屋から出ると、狂人のようになって駈けて来る浮橋に出逢った。彼は自分の胸に時どき兆《きざ》していた怖ろしい予覚が現実となって現われたのに驚かされた。彼も大勢と一緒に次郎左衛門のゆくえを見届けに行った。その蒼ざめた顔が大屋根の上に立っている次郎左衛門の眼にはいった。
次郎左衛門は急に栄之丞を殺したくなった。しかし敵の群がっている往来へ飛び降りることの危険を知っているので、彼は屋根の瓦を一枚引きめくって栄之丞を目がけて投げおろした。それが丁度彼の右の小鬢《こびん》にあたって、若い男の半面は鮮血《なまち》に染められた。偶然に思いも寄らない武器を発見した次郎左衛門は、これを手始めに屋根の瓦をがらがら[#「がらがら」に傍点]と投げおとして、眼の下に群がっている敵を追い払おうとした。下からもその砕けた瓦を拾って投げ返した。
大門の会所をあずかっている三浦屋四郎兵衛は分別者《ふんべつもの》であった。彼はおくればせに駈け付けて来て、すぐにこの持て余した狼藉者を召捕る法を考え付いた。彼は火消しどもに指図して、屋根へ水を投げ掛けろといった。火消しは龍骨車《りゅうこつしゃ》を挽き出して来て、火がかりをするように屋根を目がけて幾条の瀧をそそぎかけた。みんなも桶などを持って来て、手のとどく限り水を投げかけたので、ぬれた瓦に足をすべらせて、次郎左衛門はとうとう伏見町の河岸へ落ちた。落ちると直ぐに彼は籠釣瓶を腹へ突き立てようとしたが、その手はもう大勢に押さえられて働かすことが出来なかった。
彼は血走ったまなこで栄之丞はと見廻したが、その顔はそこらに見えなかった。栄之丞はほかの手負《てお》いと一緒に廓内の医者の手当てを受けに連れて行かれていた。
次郎左衛門の終りはあらためて説くまでもない。彼は千住《せんじゅ》で死罪におこなわれた。八橋ばかりでなく、ほかにも大勢の人を殺したので、彼の首は獄門にかけられた。
栄之丞のことはよく判らない。その疵がもとで死んだともいい、あるいは次郎左衛門と八橋との菩提を弔うために出家したともいい、ある町家の入り婿になって七十余歳で明和の末年まで生きていたとも伝えられている。お光のことは猶わからない。
治六が佐野へ帰って、次郎左衛門の姉や親類の眼さきへ突き出したのは、思いも寄らない主人の書置きであった。それと知って、彼がおどろいて江戸へ引っ返したのは、次郎左衛門が入牢《じゅろう》ののちであった。彼は主人の行く末を見とどけて、ふたたび佐野へ泣きに帰った。
籠釣瓶の刀はあがり物になって、官に没収されてしまった。
底本:「江戸情話集」光文社時代小説文庫、光文社
1993(平成5)年12月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:かとうかおり
2000年6月12日公開
2008年10月3日修正
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