十二神貝十郎手柄話—– 国枝史郎

    ままごと狂女

        

「うん、あの女があれ[#「あれ」に傍点]なんだな」
 大|髻《たぶさ》に黒紋付き、袴なしの着流しにした、大兵の武士がこういうように云った。独り言のように云ったのであった。
 そこは稲荷堀の往来で、向こうに田沼|主殿頭《とのものかみ》の、宏大の下屋敷が立っていた。
「世上で評判の『ままごと女』のようで」
 こう合槌を打つものがあった。旅姿をした僧侶であった。
「つまり狂人《きちがい》なのでありましょうな」
 これも単なる問わず語りのように、こう呟いた人物があった。笈摺《おいずる》を背負った六部であった。と、その側に彳《たたず》んでいた、博徒のような男が云った。「迫害されて成った狂人なのでしょうよ」
「『ね、もう一度ままごと[#「ままごと」に傍点]をしようよ』こう云って市中を狂い廻るなんて、おお厭だ、恥ずかしいことね」
 すぐにこう云う者があった。振り袖を着た町娘で、美しさは並々でなかったが、どこかに蓮《はす》っ葉なところがあった。
「それが一人や二人でなく、この頃月に幾人となく、ああいう狂人の出て来るのは、変だと云えば変ですなあ」
 こう云ったのは総髪物々しく、被布《ひふ》を着た一人の易者であった。冷雨《ひさめ》がにわかに降り出したので、そこの仕舞家《しもたや》の軒の下に、五人は雨宿りをしたものと見える。
 今も冷雨は降っていた。その冷雨に濡れながら、髪を乱し衣紋を乱した、若い美しい狂人の娘が、田沼家の前を行ったり来たりしていた。
「ね、もう一度ままごと[#「ままごと」に傍点]をしようよ」
 そう喚く声がここまで聞こえた。が、間もなく姿が消えた。裏門の方へでも[#「でも」は底本では「ても」]行ったのであろう。
 パラパラと不意に降って来て、しばらく経つとスッと上がる。これが冷雨《ひさめ》の常である。冷雨が上がった。
「へい皆様、ご免くだすって」
 易者が最初にこう声をかけて、軒下から往来へ出た。
「それじゃ私も」
「では拙者も」
 などと云いながら五人の者は、つづいて軒下から往来へ出た。そういう様子を少し離れた、これも軒下に佇《たたず》んで、雨宿りをしていた三十五、六歳の武士が、狙うようにして見守っていたが、
「またあいつら何かをやり出すな」
 言葉に出して呟いた。それから首を傾げるようにしたが、
「どうもそれにしてもお篠という女が、あのお方の側室《そばめ》にあがって以来、あのお方のやり方が変になられた。……どっちみちお篠に似た女の狂人《きちがい》が、こう輩出したのではやり切れない」
(よし、一つ調べてやろう)
 その日の夕方のことであったが、神田三崎町三丁目の、指物店山大の店へ、ツトはいって来た侍があった。雨宿りをしていた侍である。
「主人はいるかな、ちょっと逢いたいが」
「へい、どなた様でいらっしゃいますか?」
 店にいた小僧が恐る恐る訊いた。
「十二神《オチフルイ》貝十郎と云うものだ」
 主人の嘉助が奥から飛んで来た。
「これはこれは十二神《オチフルイ》の殿様で。……」
「ああ主人か、訊きたいことがある。この頃『ままごと』がよく出るようだが」
「へい」と嘉助は小鬢を掻いた。
「諸方様からご注文でございますので」
「どんな方々から注文があるか、ひとつそれを聞かしてくれ」
「かしこまりましてございます」
 それから主人は名を上げた。松本伊豆守から五個、赤井越前守から三個、松平|正允《まさすけ》から二個、伊井中将から一個、浜田侍従から一個。……等々であった。
「なるほど」
 と貝十郎は苦笑いをしたが、
「いずれも立派な方々からだな。……ところで松本伊豆守様からが、一番注文が多いようだが、この頃にご注文があったかな?」
「へい、一月の十五日までに、是非とも一つ納めるようにと、ご用人の三浦作右衛門様から。……」
「一月の十五日、ふうんそうか」
 尚二つ三つ訊ねてから、貝十郎は山大を出た。

        

(どうにも今は変な時世だ。物を贈るにも流行がある。以前には岩石菖が流行《はや》ったっけ)
 以前に田沼主殿頭が、病床に伏したことがあった。病気見舞いのある大名が、主殿頭の家臣に訊ねた。
「この頃は田沼主殿頭殿には、何をご愛玩でございますかな?」と。
「岩石菖をご愛玩でございます」
 するとそれから二、三日が間に、岩石菖の贈物が、大きい座敷二つを埋めて、田沼家へ到来したそうである。
(ところが今では『ままごと』だ。……われもわれもと『ままごと』を贈る)
 貝十郎は歩きながら、苦笑せざるを得なかった。
(これも仕方がないのだろう、贈賄《わいろ》という風習はな。……長崎奉行が二千両、御目附が一千両と、相場さえ立っているのだからな。……贈った方が得なんだからな。……贈賄をする。役にありつく。今度は自分が収賄をする。贈賄の額よりも十倍も百倍も、多額のものを収賄する。……贈った方が得なんだからな。……それにさ世間のそうした風習に、一人逆らって超然としていると、旧弊というので仲間っ外れにされる。そのあげくに迫害される。そればかりかそのあげくには、あいつばかりがこんな時世に、廉潔を保っているなんて、途方もない売名家だ。逆行して名を売ろうとしているのだ。あいつこそ本当は悪党だと悪党から悪党視されることになる。……だからさ時には岩石菖だの『ままごと』をお贈りした方がよろしい。……もっとも俺には出来ないがな。……出来ない俺には別の処世法がある、踏晦《ふみさら》して遊蕩に耽けることさ。……どれ水茶屋へでも出かけて行こう)
 こうして貝十郎は浅草まで来た。
 江戸一番の盛り場で、四季に人出が多かった。「あづま」という水茶屋があって、そこの前まで歩いて来た時、五十年輩の侍が、暖簾《のれん》を刎ねて出るのが見られた。顔にあばた[#「あばた」に傍点]があって下品であったが、衣裳や腰の物は高価の物ずくめで、裕福の身分を思わせた。
(おやあれは三浦作右衛門だ)
 貝十郎はニヤリとした。
(松本殿の用人の、ああいう人までが水茶屋女に、興味を持つようになったのかな。……ああでもないと四畳半! その四畳半趣味に飽きると、こうでもないと水茶屋の牀几へ、腰を下ろすようなことになる)
 こんなことを思いながら、貝十郎は見送った。と、その時、「あづま」の門へ、姿を現わした女があった。へへり頤、二重瞼、富士額、豊かな頬、肉厚の高い鼻。……そういう顔をした女であって、肉感的の存在であったが、心はそれと反対なのであろう。全体はかえって精神的であった。
(ここの娘のお品だな、相いも変らず美しいものだ)
 貝十郎はそう思ったが、
(待てよ! ふうん、お品の顔!)
 で、何やら考え込んだ。そういう貝十郎が見ているとも知らず、お品は何んとなく愁わしそうな様子で、暮れて行く空を仰いでいたが、にわかに活々《いきいき》と眼を躍らせた。
 向こうから一人の若侍が、お品に向かって笑いかけながら、足を早めて来たからであった。貝十郎は若侍を見た。それからお品の顔を見た。
(そうか)
 と思いあたったような様子であった。
(新八郎氏がお品に通う! これはありそうなことだわい)
 その若侍とお品とが、もつれるような姿をして、暖簾の奥へ引っ込んだのを見すてて、貝十郎は歩き出した。
 思案に耽っている様子であった。冷雨の降った後である。盛り場も今日は比較的に寂しく、それに夕暮れになっていたので、家々では店を片付け出していた。
 しかし一所《ひとところ》に大|公孫樹《いちょう》があって、そこだけには人が集まっていた。居合抜きの香具師《やし》の薬売りで、この盛り場の名物になっている、藤兵衛という皮肉な男が、口上を述べているからであった。
 この藤兵衛には特技があった。彼のお喋舌《しゃべ》りを聞こうとして、集まって来る人達の中に、知名の人や名士がいると、早速その人の名を揚げて、その人の癖や特色を、揶揄《やゆ》したり褒めたりすることであった。
「大変なお方がお立ち寄りになった。これは大和屋文魚様で! 蔵前の札差し、十八大通のお一人! 河東節の名人、文魚本多の創始者、豪勢なお方でございますよ。が、その割に花魁《おいらん》にはもて[#「もて」に傍点]ず、そこでかえって稼業は繁昌、夫婦別れもないという次第! 結構至極ではありますが、私の薬をお飲みになったら、もて[#「もて」に傍点]ないお方ももて[#「もて」に傍点]ようというもの! それ精力が増しますのでな。……これはこれは平賀源内様で、ようこそお立ち寄りくださいました。が、どうして平賀様には、奥様をお貰いなさいませんので。それにさいったい平賀様には、何が本職でございますかな? 本草学者か発明家か、それとも山師か蘭学者か? お医者衆なのでございますかな。……」
 ――などと云うような類であった。
 今も彼は十五、六人の、暇そうな見物に取り巻かれ、気忙《きぜわ》しそうに喋舌っていた。
「近来|流行《はや》る『ままごと』の中へ、この売薬を一袋、どうでも入れなければ嘘でござんす! 名に負う蘭人の甲必丹《キャピタン》から、お上へ献上なされようとして、わざわざ長崎の港から、江戸まで持って参った薬で! 人参などは愚かのこと、四目屋の薬など愚かのことで! 利きます利きます非常に利きます! 一粒飲めば胸もとが躍る、二粒飲めばこめかみ[#「こめかみ」に傍点]に汗、三粒飲めばワクワクする。四粒五粒と飲んで行くうちに、悉皆《しっかい》我慢が出来なくなる。さて一袋飲んだとする、この世がかの世か、かの世がこの世か、見境いのないことになり、うっちゃって置けば鼻血が出る。捨てっ放なしにして置けば、……もうこの後は云われない。……やッ」
 とにわかに藤兵衛は云って、一方へ眼を走らせた。それからまたも喋舌り出した。
「ご大層もない人がお立ち寄りなされた! この節世上にお噂の高い『館林様』がお立ち寄りなされた! 深編笠、無紋のお羽織、紫柄のお腰の物、黙って道を歩かれても、威厳で人が左右へ除ける! お供はいつもお一人で……おやいけない、行っておしまいなさる!」
「館林様? ふうん、そうか」
 公孫樹《いちょう》の蔭に佇んでいた、十二神《オチフルイ》貝十郎は呟きながら、右手の方へ眼をやった。
 いかさま深い編笠を冠り、黒の衣裳に無紋の羽織、紫の紐で柄を巻いたきゃしゃ[#「きゃしゃ」に傍点]な大小を穏かに差し、袴なしの着流しで、塗り下駄を穿いた二十八、九歳の、貴人のように威厳のある武士が三十五、六の大兵の武士を、後に従えて人の群から離れ、町の方へ静かに歩きつつあった。
(こういう俗悪の世になると、ああいう神聖な人物も出る。反動的とでも云うのだろう)
 貝十郎はこう思いながら、雀色になった夕暮れの中に、消え込んで行くその人の姿を、尊いもののように見送ったが、やがて藤兵衛へ近寄って云った。
「これ、薬を一袋くれ」
 買った薬を懐中し、貝十郎は歩き出した。
(お篠という女が側室《そばめ》に上がった。……お篠という女に似た女が、盛んに変な狂人《きちがい》になる。……『ままごと』という変わった道具。……松本伊豆守が頻《しき》りに使う、……お品という娘がお篠に似ている。……松本伊豆守の用人がお品の店へ出入りをする。……一月十五日に『ままごと』が、伊豆守の邸へ届けられる。……新八郎氏がお品の情人《いろ》。……藤兵衛の売っていたこの薬? ……玄伯老にでも訊ねてみよう)
 蘭医杉田玄伯の家へ、貝十郎がはいって行ったのは、初夜を過ごした頃であった。

        

 こういうことがあってから、幾日か経ったある日のこと、お品の家で、お品と新八郎とが、しめやかな声で話していた。
「お品、私はお前をいとしく[#「いとしく」に傍点]思うよ。お前一人だけを。……お前も私をいとしく[#「いとしく」に傍点]思ってくれるだろうね。裏切りはしまいね。この私を。……私は女に裏切られた男だ」
 新八郎はこういうように云って、自分の前へつつましく坐り、うなだれているお品の額へ、そのきゃしゃ[#「きゃしゃ」に傍点]な手をやった。ほつれている髪を上げてやったのである。お品は頷《うなず》くばかりであった。
(妾《わたし》もほんとにこのお方が好きだ。何の妾が裏切ろう。妾は決して裏切りはしない。でも、ある強い外界からの力が、妾を裏切らせようとしている)
 お品にはこれが苦しかった。どう云って返辞をしてよいか? それも解らなかった。頷くばかりで黙っている理由《わけ》はこれであった。
 ふとお品は新八郎へ訊いた。
「お勘定奉行の松本伊豆守様とおっしゃいますお方は、どういうお方なのでございましょう」
「厭な奴らしい」
 新八郎は吐き出すように云った。
「賄賂取りの名人だ。自分でも随分賄賂を使う。田沼侯へ贈賄して、あれまでの位置になった奴だ。……だがそれがどうかしたかな」
「はい。……いいえ」
 と曖昧《あいまい》に云った。そう曖昧に云って置いて、お品は愁然とした。
「そのお方のご用人だとかいうお方が……」
「お前を見初めたとでも云うのかな?」
「でも妾はどうありましょうとも。……」
「…………」
 この日の午後は晴れていて、この家の裏庭に向いている障子へ、木の枝の影などが映っていた。

 その同じ新八郎が、ある夜|往来《みち》で声をかけられた。
「お気の毒なお身の上でございますのね。でも、あの娘ごの罪ではございません。さりとて、松本伊豆守様の罪ばかりとも申されません。元兇は他にあります。……×××町を通り、△△町を過ぎ、□□町を行き抜け、○○町まで行き、そこで認めた異形の人数をどこまでもつけ[#「つけ」に傍点]ていらっしゃいまし。自ずとわかるでございましょう」
 それは女の声であった。
(おや?)
 と新八郎は驚きながら、声の来た方へ眼をやった。お高祖頭巾を冠っている。上身長《うわぜい》があって肥えている。そう云う女が土塀に添って、一人で立っている姿が見えた。
 新八郎は不思議そうに訊いた。
「あなたはどなたでございますか?」
 しかし女は答えなかった。
「お品のことについて云っておられますので?」
「はい。……そうしてもう一人の、お気の毒な女の方についても」
「ああそれではお篠のことについて?」
 すると女は頷いて見せた。
「妾をお信じなさりませ。云う通りに実行なさりませ」
(何んと云う眼だ! 何んと云う声だ!)
 新八郎はそう思った。
 お高祖頭巾の奥の方から、彼を見詰めている彼女の眼が、男のような眼だからであった。声にも著しい特色があった。男の声のように強かった。
(お品のことを知っている。お篠のことを知っている。この女はいったい何者なのであろう?)
(こんな所にこんな晩に、女一人で供も連れず、何んと思って立っているのか?)
(俺に云いかけたこの女の言葉! 親切なのか不親切なのか)
 新八郎は疑惑を感じながら、立ち去ることも出来ず立っていた。

        

 朧月《おぼろづき》の深夜で、往来《ゆきき》の人はなく、犬の吠え声がずっと遠くの、露路の方から聞こえて来た。お筒持ちの小身の武士達の長屋町なので、道幅なども狭かった。
 新八郎の姓は小糸、年は二十八歳で、身分は旗本の次男であり、独身の部屋住みであった。当時少しずつ流行して来た蘭学に趣味を持ち、苦心して読みにかかっていた。平賀源内か、前野良沢かについて学ぼうか、それとも長崎へ行って、通辞に従い、単語でも覚えようかなどと、そんなことを考えてもいた。
 五百石の旗本の伜《せがれ》なので、随分裕福で、わがままであった。女も好き酒も好き、それに年齢《とし》からも来ているのであろう、猟奇的の性格の持ち主であった。戸ヶ崎熊太郎の門下であって、剣道では上手の域に達してもいた。
 毎年長崎から甲必丹《キャピタン》蘭人が通辞と一緒に江戸へ来て、将軍家に拝謁した。その逗留所を客室と云い、その客室では蘭人が携さえて来た舶来品を並べて諸人に見せた。天気験器《ウェールガラス》、寒暖験器《テルモメートル》、震雷験器《ドンドルガラス》、暗室写真鏡《ドンクルカームル》、等々――そんなものが陳列された。杉田玄伯だの桂川甫周だの、中川淳庵だのがよく見に行った。で、新八郎も見に行った。そうして誰にも負けず好奇心を募《つの》らせた。
 欧羅巴《ヨーロッパ》における拷問器具――姦通をした女に冠せたという、「驢馬仮面」と十字軍の戦士連が出征に際して、その妻妾の貞操を保護するために、その妻妾連の局部へまとわせたという鉄製の「貞操帯」を見た時変な気がした。狂人のような好奇心に猟り立てられたのである。
「こういう種類の品物、まだまだありましょうな?」
 と大通辞の吉雄幸左衛門へ訊いた。
「さよう、沢山あります。そうして江戸へも持って来ました。がそれはご懇望によりある方面の貴顕へ献じました」
 こう幸左衛門は答えた。
(是非見たいものだ)
 新八郎はこう思ったが、誰に献じたのか解らなかったので、その人を尋ねて見ることは出来なかった。しかし彼は訊いて見た。
「どなたへご献上なさいましたので?」
「甲必丹《キャピタン》カランス殿にお訊きなされ」
 こう云って幸左衛門は笑って取り合わなかった。甲必丹には容易に逢うことが出来ず、出来ても言葉が解らず話すことが出来なかったので、新八郎の希望《のぞみ》はとげられそうもなかった。
(惨忍ではあるが何んと誘惑的の器具なのだろう? 是非見たいものだ)
 新八郎はそう思った。
 今もそのことを思いながら歩いているのである。それにしても何故彼はそうした器具に興味を持ったのであろう? 彼の愛人であったお篠という女が彼を裏切って、ある幕府の権臣の妾になったことが原因であった。
(是非あの女に逢って見たい、逢ってああいう器具を使用させて見たい)
 これが希望《のぞみ》なのであった。その女は町医者千賀道有の娘で、随分美しい女であった。二年の間|睦《むつ》み合い、相当の武士の養女として、そこから嫁として新八郎のもとへ来ることに話がきまってさえいた。
 ところが不意に女はいなくなった。
 で、新八郎は道有を責めて、女をどこへやったかと訊ねた。
「あるお方の側室《そばめ》に差し上げました。しかし、その方の何方であるかは申し上げられません。また、申し上げたとしても、貴所にはどうもなりますまい。御大老伊井中将直幸様さえ頭の上がらないお方なのですから」
 これが道有の返辞であった。
 女の行った先が、素晴らしい権臣であることだけは間もなく証明された。町医者であった道有が、その後恐ろしいような出世をしたのであるから。すなわち侍医法眼となり、浜町に二千坪の屋敷を持つようになったのであるから。
 お篠がそういうようになって以来、新八郎は楽しまなかった。しかるに間もなく水茶屋の娘でお品という女が、お篠と顔立ちが似ているところから、新八郎の心を引くこととなり、新八郎はお品と睦んだ。がどうだろうそのお品も、二、三日前に松本伊豆守へ、用人の手から引き上げられてしまった。小間使いという名義の下に、どうやら妾にされたようであった。
 お篠は派手な性質で、贅沢することが出来るのだったら、自分から進んで貴顕権門の、妾になるような女であった。
 しかしお品の方はそうではなかった。こまやか[#「こまやか」に傍点]なつつましい情緒を持ち、ささやかな欲望に満足し、愛する男を一本気に愛する。――そう云ったような性質の女であった。
 でお篠が自分を見捨てて権門の妾になったという、そういうことを知った時、新八郎は憎悪を感じた。
 しかしお品が同じ身の上になったと、お品の母親によって聞かされた時、新八郎は可哀そうなと思った。が、どっちみち新八郎の心は、慰めのないものとなったのである。
 そういう新八郎の眼の前に、お高祖頭巾を冠った女が、今忽然と現われて、謎めいた言葉をかけたのである。
(この女は何者なのであろう? ……どうして俺の身の上や、お品やお篠の身の上について、見通しのようなことを云うのであろう?)
 疑惑を持たざるを得なかった。
(もう少し突っ込んで訊いて見よう)
 こう新八郎は思い付いて、その女の方へ近寄ろうとした。
 と、その女は歩き出した。
「ご婦人」
 と新八郎は声をかけた。しかしその時にはもうその女は、そこの横手に延びている小広い横丁へはいっていた。
「しばらく」
 と新八郎も横丁へはいった。が、すぐに「おや」と云った。女が四人の男達に、前後を守られていたからである。
(そうか)
 と新八郎はすぐに思った。
(女は一人ではなかったのだ。以前《まえ》から男達があそこにいて、あの女を警護していたのだ)
(いよいよ不思議な女ではある)

        

 女の一団は歩き出した。
(さてこれからどうしたものだ?)
 このまま自分の家へ帰るか、それとも女の言葉に従い、×××町などを通り過ぎて、○○町まで歩いて行って、そこで逢うことになっている、異形の人数に逢ってみようか? ――新八郎はちょっと迷った。
(いやいやそれよりあの女の素姓と、住居《すまい》とを突き止める[#「突き止める」は底本では「突め止める」]ことにしよう)
 新八郎の好奇心は、女の方へ向かって行った。で、先へ行く女の一団を、新八郎はつけ[#「つけ」に傍点]て行った。
(おや)
 としばらく歩いた時に、新八郎は呟いた。×××町へ出ていたからであり、そうして女の一団が、○○町の方へ行くからであった。
(女が俺を案内して○○町まで行くのかもしれない)
 新八郎の好奇心は、このためにかえって倍加された。で、後をつけて行った。
 こうしてとうとう○○町まで来た。するとそこで新八郎は、次々に変わった出来事と、そうして変わった人物とに逢った。
 行く手に宏壮な屋敷があって、甍《いらか》を月光に光らせていたが、その屋敷の門の前まで行くと、例の女の一団が、にわかに揃って足を止め、内の様子を窺うようにした。が、急に引っ返し、その屋敷の横手に出来ている、露路の中へはいってしまった。
(いったいどうしたというのだろう)
 新八郎は不思議に思って、その屋敷の方へ小走ろうとした。しかし彼は足を止めて、あべこべに物の蔭へ隠れた。
 その屋敷の門が開いて、異様の行列が出たからである。二人の侍が最初に出、つづいて四人の侍が出た。その四人の侍が、長方形の箱を担《かつ》いでいる。と、その後から二人の侍が、一挺の厳《いか》めしい駕籠に付き添い、警護するように現われた。
 これだけでは異様とは云えまい。
 しかるにその後から蒔絵を施した、善美を尽くしたお勝手|箪笥《だんす》が、これも四人の武士に担がれ、門から外へ出たのである。
 異様な行列と云わざるを得まい。がもし新八郎が近寄って行って、先に出た長方形の箱を見たなら、一層に異様に思ったことであろう。
 その箱が桐で出来ていて、金水引きがかかっていて、巨大な熨斗《のし》が張りつけられてあり、献上という文字が書かれてあるのであるから。
 行列は無言で進んで行った。
 半町あまりも行き過ぎたであろうか、その時露路に隠れていた、例の一団が、往来へ姿を現わして、その行列をつけ[#「つけ」に傍点]出した。
 しかし行列の人達に、目付けられるのを憚るかのように、家々が月光を遮って、陰をなしているそういう陰を選んで、きわめてひそやかにつけ[#「つけ」に傍点]て行った。
 新八郎の好奇心は、いよいよたかぶら[#「たかぶら」に傍点]ざるを得なかった。でこれも後をつけた。例の屋敷の前まで行った時、それが松本伊豆守の別邸であることに感付いた。
「ふうん」
 と何がなしに新八郎は呻いた。不安と憎悪と敵愾心《てきがいしん》とが、ひとつ[#「ひとつ」に傍点]になったものを感じたからである。
(駕籠の中に伊豆守はいるのかな? 箱の中には何があるのか? そうしてあの箪笥の中には?)
(こんな深夜にどこへ行くのか?)
 疑惑が疑惑を次々に生んだ。と、その時新八郎は、背後から含み声で声をかけられた。
「小糸氏、お遊びのお帰りかな」
 驚いて新八郎は振り返って見た。三人の武士が背後にいる。

        

 一人は彼と顔見知りの、十二神《オチフルイ》貝十郎という与力であり、後の二人は知らなかったが、どうやら風俗や態度から見て、貝十郎の輩下にあたる、同心のように思われる。
「や、これは十二神《オチフルイ》氏か」
 新八郎はテレたように云った。声をかけたのは貝十郎であった。
「遊ぶもよろしいが程々になされ」貝十郎は愉快そうに云った。「随分お噂が高うござるぞ。何んにしてもこのような寒い季節に、ブラリブラリとこのような深夜に、お歩きなさるのは考えもので。第一あのような変な物に逢います。『ままごと』や『献上箱』というような物に。……まあ、これもご時世とあればああいうものの跋扈《ばっこ》するのも、仕方ないとは云われましょうがな。全く変なご時世でござる。流行《はやり》唄などにもうたわれております。
『よにあうは、道楽者に驕《おご》り者、転び芸者に山師運上』
『世の中は、諸事ごもっともありがたい、ご前、ご機嫌、さて恐れ入る』
『世の中は、ご無事、ご堅固、致し候、つくばいように拙者その元』
『世にあおう、武芸学門、ご番衆、ただ奉公に律義なる人』……アッハッハッ、変なご時世で。……いや拙者などはその一人で、世にあわぬ者のその一人で、そこで拙者も歌を作ってござる。
『世にあわぬ、与力同心門の犬、権門衆の賄賂番人』……とは云えこれも考えようで、面白いと見れば面白うござる。
『滄浪の水清まばもって吾が纓《えい》を濯《あら》うべく、滄浪の水濁らばもって吾が足を濯《あら》うべし』……融通|無碍《むげ》になりさえすれば、物事かえって面白うござる」
(それ始まったぞ、始まったぞ)
 新八郎は苦笑と共に、こう思わざるを得なかった。
(お喋舌り貝十郎が始まったぞ)
 後世までも十二神《オチフルイ》貝十郎は、宝暦から明和安永へかけての名与力として謳《うた》われて、曲淵甲斐守や依田和泉守や牧野大隅守というような、高名の幾人かの町奉行から「部下」として力にされたばかりでなく「賓客」ないしは「友人」として尊敬されたほどであった。それに彼は学者であった、とは云え天保年間の、大塩中斎というような、ああいう厳《いか》めしい陽明学者ではなく、いうところの軟文学者――いうところの俗学者であった。でその方面の友人には、蜀山人だの宿屋飯盛だの、山東京伝だの式亭三馬だのそう云ったような人達があり、また当時の十八大通、大口屋暁翁だの大和屋文魚だの桂川甫周だのというような、そういう人達とも交際があった。
 後世田沼主殿頭が、まことにみじめに失脚した時、それを諷した阿呆陀羅経が作られ、一時人口に膾炙《かいしゃ》したが、それを作ったのが貝十郎であると、当時ひそかに噂された。
 ※[#歌記号、1-3-28]そもそもわっちが在所は、遠州相良の城にて、七ツ星から、軽薄ばかりで、御側へつん出て、御用をきくやら、老中に成るやら、それから聞きねえ、大名役人役人役替えさせやす。なんのかのとて、いろいろ名をつけ、むしょうに家中の者まで、分限になりやす。あんまりわっちも嬉しまぎれに、とてものついでに、大老なんぞと、これからそろそろむほんと出かけて、出入りの按摩を取り立て、お医者とこしらえ、玉川上水、印旛の新田、吉野の金掘り、む性に上納、御益のおための、なんのかのとて、さまざま名をつけ、おごってみたれば、天の憎しみ、今こそ現われ、てんてこ舞いやら。ヤレまたまたむすこは切られて、孫はくわるる。印旛の水から、関東へ押し出し、新田どころか、五年が間は、皆無になりやす。やれやれ、それから取り立て医者めが、薬が異って、因果とわっちが落度となりやす。御役ははなれて女の老中に、めったに叱られ、これまでいろいろ瞞《だま》して取ったる五万七千、名ばかり名ばかり、七十づらして、こんなつまらぬことこそあるまい。ほんとに今年は、天時つきたる。悲しいことだにほういほうい。
 ――これが彼の作った阿呆陀羅経なのである。辛辣、諷刺、事情通、縦横の文藻、嘲世的態度、とうてい掻《か》い撫《な》での市井人が、いいかげんに作ったものでないことは、おおよそ見当がつくことと思う。殊に一代の名臣ではあったが、その消極的政策と緊縮、節約主義とによって、浮世を暮らしにくく窮屈にした、白河楽翁|事《こと》松平越中守を「女の老中」と喝破したあたりは、彼でなければ出来なかったことで、そうしてこういう点から推して、彼がこの時代の反抗児であり、不平児であったということが、充分推察することが出来る。事実彼はそういう人物であった。そのため彼は後年において、幕府の有司から睨まれて、お役ご免になったばかりでなく、かなり身上を迫害された。そこで彼は江戸を去り、京都西山に閑居したが、所司代から圧迫されたので、名古屋へ移って住むことになったが、武士であっては都合が悪いと云うので、とうとう大小をすててしまい、大須観音の盛り場の――今日いうところの門前町へ、袋物の店を出し、商人として世を終った。
(その屋号を『かみ屋』と云い、今日も子孫が残っていて、同じ門前町に営業している)
 彼が与力であった頃の、風俗というのが粋で渋く、次のようなものだったということである。
 額は三分ほど抜き上げ、刷毛先細い本多髷、羽織は長く、紐は黒竹打ち、小袖は無垢《むく》で袖口は細い、ゆき[#「ゆき」に傍点]も長く紋は細輪、そうして襦袢は五分長のこと、下着は白糸まじりの黒八丈、中着は新形の小紋類、そうして下駄は黒塗りの足駄、大小は極上の鮫鞘《さめざや》で、柄に少し穢《よご》れめをつける、はな紙は利久であった。こういう風俗で十八大通や、蜀山人などと連れ立って、吉原などへ行ったものらしい。
「饒舌《じょうぜつ》にしてわずらわし」――彼についてこう云われている。
「油坊主」「蝉時雨《せみしぐれ》」――などというような綽名《あだな》さえ、彼にはあったということであるが、しかし彼の饒舌《じょうぜつ》は、もちろん天性にもあったろうけれども職掌からも来ているらしかった。と云うのはノベツに能弁に、不得要領のことや洒落《しゃれ》や皮肉や、警句などを連発している間に、容疑者の態度や顔色や、心理の変化を観察したからで、この饒舌が著しく、職業に役立ったということである。
 貝十郎がそのお喋舌りを、新八郎に向かってやり出したのである。
(それ始まったぞ始まったぞ)と、新八郎が苦笑したのは、当然なことと云わざるを得まい。
「とはいえ今日は一月の十五日、貴殿がここへおいでなされて、あの異様な行列をつけて行かれるのは当然とも云えます。が、拙者は、不思議なので。どうしてああいう行列が、今夜あのように練って行くか、お知りなされたかが、不思議なので。探ってお知りなされたかな? それとも恋の念力から……」
 貝十郎は云いつづけて来たが、その間も新八郎の顔を見たり、新八郎の顔を無視し、行列を眼で追ったりした。
 が、俄然として貝十郎は叫んだ。
「ソレ、方々! おやりなされ!」
 同時に喚く声や叱※[#「口+它」、第3水準1-14-88]する声や、太刀打ちの音が行く手から起こり、新八郎の横手を擦り抜け、二人の同心が矢のように、走って行くのが見てとれた。
「新八郎氏、ついて[#「ついて」に傍点]ござれ」
 こう云った時には貝十郎も、行列の方へ走っていた。
 つづいて走り出した新八郎の眼には、朧月の下の往来で、例の女の一団と、例の行列の人数とが、切り合っている姿が見えた。

        

 新八郎の行きつかない前に、これだけの事件が起こっていた。
 まず女の一団が、にわかに刀を抜き揃え、行列の人数へ切り込むや、お勝手箪笥を担いでいた侍と、献上箱を担いでいた侍とが、お勝手箪笥や献上箱を捨てて、これも刀を抜き揃えて、女の一団と切り結んだ。
 しかし女の一団の、鋭い太刀風に切り立てられ、二、三間後へ退いた。と、見てとった女の一団は、侍達を追おうとはしないで、お勝手箪笥と献上箱とを、六人で担いで側に延びていた、横町の中へ走り込んだ。が、しかし侍達も、うっちゃって置こうとはしなかった。同じ横町へ走り込んだ。そうして取り返した二種の品物を、本通りへ持って来た。
 と、女の一団達は、横町から走り出て来て、侍達へ切ってかかった。こうして乱闘が行われた。
 新八郎は走って行った。しかし新八郎が行きついた時には、行列の人数と女の一団とは、別々の道を辿っていた。新八郎の行きつく少し前に、側の露路から二人の侍が現われ、その中の一人が鋭い声で、例の女の一団に向かい、叱りつけるように声をかけると、女の一団は驚いたように、行列の人数に切ってかかるのを止め、例の横町の方角へ逃げ、行列の人数はそれを幸いに、行列を急がせて先へ進んだからである。
 ところが十二神《オチフルイ》貝十郎であるが、その頃その場へ駈けつけていたが、そう声をかけた侍の姿を見ると、一緒に走っていた二人の同心へ、
「よし! 止めろ! 手を出すな!」
 と叫び、これも例の横町の中へ、同心と一緒に走り込んだ。
 がしかし新八郎が貝十郎の後から、貝十郎の後をつけて行ったなら、
「やあこれはどうしたのだ※[#感嘆符疑問符、1-8-78] 献上箱と『ままごと』とを、向こうへも担いで行く者がある! ご両所、あれを……」
 とこう云ってから、二人の同心へ小さい声で何やら囁いたことを見聞きしたことであろう。しかし後からつけて行かなかった、小糸新八郎にはそのようなことを、見聞きすることは出来なかった。その後はどうなったか?
 行列の人数がずっと先を、今は安心したものと見えて、ゆっくりした足どりで歩いて行き、その後から二人の侍が行き――その一人は声をかけた侍であり、もう一人はその侍の家来らしかったが――その後から小糸新八郎が、疑惑の解けない心持ちで、歩いて行くという結果になった。
 次から次と起こって来る変わった事件に、新八郎の心は、解けない疑惑に充たされていたが、それよりも眼前を歩いて行く、二人の侍の中の一人――声をかけた侍に引きつけられていた。深編笠、無紋の羽織、袴なしの着流しで、きゃしゃ[#「きゃしゃ」に傍点]な大小を穏かに差し、塗り下駄を穿いた二十八、九歳の侍で、貴人のような威厳があった。それは評判の「館林様」であった。
 ところで新八郎はその人の評判を、以前から聞いてはいたけれど、姿を見たことは一度もなかった。で、今、館林様が歩いていても、そうだということは知らなかった。
(一言二言鋭い口調で、叱るように何か云ったかと思うと、争闘をしていた二組の者や、有名な十二神《オチフルイ》氏というような人まで、その言葉に驚いて逃げてしまった。よほど偉大なる人物でなければならない)
 いったいどういう人物なのであろう? この疑問が新八郎をして、その人の後をつけさせることにした。
「殿」とその時家来らしい侍が、館林様へそういうように云った。「お止めにならなかった方がよろしゅうございましたのに」
「いや」と館林様はすぐに云った。「もうあれ[#「あれ」に傍点]はあれでよかったのだ」
「ははあさようでございましたか」
「伊豆は第二の人物で、やっつける必要はないのだからな」
「それはさようでございましょうとも」
「元兇の方をかたづけなければ嘘だ」
「それはさようでございましょうとも」

        

「私のお父上のご生存中は、田沼という男も今日のように、ああも僣上《せんじょう》な真似はしなかった」
「それはさようでございましょうとも。殿のお父上右近将監様は、御老中におわすこと三十八年、その間にご加増をお受け遊ばしたこと、わずか六千石でございました。いかにご忠正でご謙謹で、お身をお守り遊ばすことが、お固すぎるほどお固うございましたことか」
「将軍家《うえさま》が田沼をご寵愛のあまり、度々ご加増遊ばされたが、ある時のご加増に田沼は憚《はばか》り、私のお父上に意見を訊いたそうだ。するとお父上は云われたそうだ。『そなたの秩《ちつ》はまだ五万石以下だ。五万石まではよろしかろう。と云うのは徳廟『吉宗』公様が、秩五万に充たざる者は、積労によって増すべきであると、こう仰せ遊ばされたからだ。……今、将軍家《うえさま》よりの命があって、そなたがご辞退致したとあれば、一つには将軍家へ不恭となり、二つには将軍家の過贈の非を、世間へ知らせることになる。だからご加増は受けるがよろしい』と。……その時田沼は感激して、涙を流したということだ。……それだのに私のお父上が、この世を辞してからというものは、千|恣《し》百|怠《たい》沙汰の限りの態だ。売官売勲利権漁り、利慾を喰わしては党を作り、威嚇を行っては異党を攻め、自己を非議する識者や学徒の、言説を封じ刊行物を禁じ、美女を蓄わえて己《おのれ》楽しみ、美女を進めて将軍家を眩まし、奢侈《しゃし》と軟弱と贈収賄と、好色の風潮ばかりを瀰漫《びまん》させておる。……老中、若年寄、大目附、内閣は組織されていても、田沼一人に掣肘《せいちゅう》されて、政治の実は行われていない。……こういう時世には私のような男が、一人ぐらい出る必要がある。お父上が老練と家柄と、穏健と徳望とを基にして、老中筆頭という高官にあって、田沼の横暴を抑えたのを、私は年若と無位無官と、過激と権謀術数と、ある意味における暴力とを基とし、表面には立たず裏面にいて田沼の横暴を膺懲《ようちょう》するのだ。……私のような人間も必要だ」
「必要の段ではございません。大いに必要でございます。でありますから世間では、殿様のことをいつとはなしに『館林様』とこのように申して、恐ろしい、神のような、救世主のような、そういう人物に空想し、尊び敬い懐しんでおります。……がしかし殿にはどう遊ばしましますので? これからどこへいらせられますので?」
「もう用事は済んだのだ。……証拠を捉えようと企んだ仕事が、今、成功したのだからな。で家へ帰ってもいいのだ。がしかし私は笑ってやりたい。で、もう少し行くことにしよう」
「あの行列の後をつけて?」
「そう、行列の後をつけて。そうしてその上であの行列が、あそこの門を何も知らずに、得意気にくぐってはいるのを見て、大声で笑ってやりたいのだ」
「殿らしいご趣味でございます」
「趣味といえばどうにも六人男の連中、あくど[#「あくど」に傍点]過ぎて少しく困る」
「根が不頼漢でございますから」
「云い換えると好人物だからさ」
「無頼漢が好人物で?」
「こんな時世に命を惜しまず、感激をもって事を行う! 気の毒なほどの好人物だよ。……仕事を成功させてからも、伊豆守を討って取ろうとして、横町から本通りへ引っ返して来て、再度の切り込みをしたことなどは、好人物の手本だよ」
「仕事と仰せられ、成功と仰せられる、どのような仕事なのでございますか?」
「家へ帰ってから話してあげよう」
(ふうん、あのお方が『館林様』なのか? 館林様のご本体は、では甲斐の国館林の領主、松平右近将監武元卿――従四位下ノ侍従六万千石の主、遠い将軍家のご連枝の一人、三十八年間も執政をなされた、その右近将監武元卿の公達、妾腹のご次男でおわすところから、本家へはいらず無位無官をもって任じ、遊侠の徒と交わられ、本家では鼻つまみ[#「つまみ」に傍点]だと云われている。松平冬次郎様であられたのか)
 後からつけながら二人の話を、洩れ聞いた小糸新八郎は、そう知って驚かざるを得なかった。
(そういう人物でおわすなら、たった一言二言で、あれだけの争闘をお止めなされた筈だ)
 松平冬次郎の事蹟については、今日相当に知られている。すなわち天明八年の頃、上州武州の百姓が、三千人あまり集まって、五十三ヵ村を鳩合《きゅうごう》して、絹糸改役所という、運上取り立ての悪施政所の、撤廃一揆を起こした事があったが、裏面にあって指揮をした者が、この松平冬次郎であった。明和元年十一月の末に、上州、武州、秩父、熊谷等の、これも百姓数千人が、日光東照宮法会のため、一村について六両二分ずつの、臨時税を課するという誅求《ちゅうきゅう》を怒って、数ヵ月にわたって暴動を起こしたが、この時の蔭の主謀者も、松平冬次郎その人であった。天明七年五月に起こり、関西から関東に波及して、天下の人心を騒がせた、米騒動ぶちこわし[#「ぶちこわし」に傍点]事件! その事件の主謀者も、彼であったということである。
 ところで田沼時代には、天変地妖引きつづいて起こった。その一つは本郷の丸山から出て、長さ六里、広さ二里、江戸の大半を焼き払った火事、その二は浅間山の大爆発、その三は東海道、九州、奥羽に、連発した旱《ひでり》や大暴風雨や洪水、数万の人民はそれがために死に饑《う》え苦しみ流離したが、そういう場合に施米をしたり、人心を鼓舞したり富豪を説いたりして、特別の救助をさせた者があったが、彼であったということである。
 で、一種風変わりの社会政策実行者としては、この、松平冬次郎は、日本裏面史の大立て者なのであった。
 そういう松平冬次郎の「館林様」が供の侍を連れて、今歩いて行くのである。以前にも増して小糸新八郎が、興味と尊敬とに誘われて、後をどこまでもつけて行ったのは、当然のことと云わなければなるまい。早春の深夜の朧月が、江戸の家々と往来と、木立と庭園と掘割と、掘割の船とを照らしている。

        

 ここの往来も月光を受けて、紗のような微光に化粧されている。そうして靄《もや》が立っている。
 ずっと向こうを例の行列が、その月光と靄とを分けて、ずんずん先へ進んで行く。その後から館林様と家来とが、話し合いながら進んで行く。それを新八郎はつけて行った。
 館林様の上品端正な、両の肩が月の光を浴びて、仄《ほの》かに銀のように白っぽくおぼ[#「おぼ」に傍点]めき、肩の上に山形に載っている、編笠があたかも異様に大きい、一片の花の弁のように見えた。こうして町々を通り抜けた。
 と、行く手に余りにも宏壮な、大名の下屋敷が立っていた。
 そこの裏門まで行った時である。例の行列が開いた扉から、呑まれるように吸い込まれた。で、後は静かとなって、人の姿は見られなかった。しかしその時その門の前で、大きく笑う笑声がした。
 見れば館林様とその家来とが、門の前に立っていた。が、やがて引っ返して来た。そうして木蔭に身を隠していた、新八郎の横手を抜けて、元来た方へ帰って行った。
(稲荷堀の田沼侯の屋敷の前で、館林様には大笑なされた。あのお方の目的はとげられたという訳さ。……何故笑ったか知らないが、笑っただけでも痛快だ)
 新八郎はこう思いながら、木蔭から姿を現わした。
(ところで俺はこれからどうしたものだ?)
 家へ帰るより仕方がなかった。
(いろいろと変わった人間に逢い、いろいろ変わった事件に逢った。無駄な一夜だったとは云われない)
 彼は満足した心持ちで、元来た方へ引っ返そうとした。しかしその時木立の蔭から、こう云う声が聞こえて来たので、引っ返すことは出来なかった。
「中へはいってごらんなされ。さよう、田沼侯のお屋敷の中へ! せめてお屋敷の庭へなりと。……貴殿がおはいりになられるようなら、拙者ご案内をいたすでござろう」
 十二神《オチフルイ》貝十郎の声であった。
「十二神《オチフルイ》氏、そこにおられたのか」新八郎はテレたように云った。「田沼侯のお屋敷へはいれと云われる、何んの必要がありましてかな?」
「『ままごと』の中に何があるか、献上箱の中に何があるか、貴殿お知りになりたくはないので?」尚も木蔭から貝十郎は云った。「貴殿の恋人お品殿が、松本伊豆守に引き上げられた。その松本伊豆守が、献上箱と『ままごと』とを仕立てて、たった今田沼侯の屋敷へはいった。二品は賄賂《まいない》の品物でござる。ところで、世上にはこう云う噂がござる。人形と称して生きた美女を献上箱の中へ入れ、好色の顕門へ納《い》れるという噂が。……」
「それでは今の献上箱の中に。……」
「お品殿がはいっておられようも知れぬ」
「行こう!」
「行かれるか?」
「屋敷の中へはいろう!」
「ご案内しましょう。おいでなされ」
 老中田沼侯の下屋敷の庭へ、外から忍んで入るというようなことは、考えにも及ばない不可能事のように、今日では想像されるけれど、あながちそうでもないのであって、鼠小僧というような賊は、田沼以上の大大名、細川侯の下屋敷の、奥方のおられる寝所へさえ、忍び込んだことさえあるのであった。
 貝十郎は風変わりの、しかも素晴らしい技倆を持った、聡明で敏捷な与力であった。田沼家の案内など、知っているのであろう。新八郎の先に立って、木立を抜けて先へ進んだが、やがて田沼家の横手へ出た。ひときわ木立が繁っていて、その繁みに沿いながら、田沼家の土塀が立っていた。
「この辺最も手薄でござる」
 こう囁《ささや》くと貝十郎は、立ち木の一本へ手をかけて、足で土塀を蹴るようにした。と、彼の姿はもうその時には、土塀の上に立っていた。そうしてその次の瞬間には、土塀から邸内へ飛び下りていた。新八郎も同じようにして、田沼家の邸内へ飛び下りた。

        

 大名の下屋敷の庭の構造《つくり》などは、大概似たようなものであって、泉水、築山、廻廊、亭《ちん》、植え込み、石灯籠、幾棟かの建物――などというようなありきたりのものを、小堀流とか遠州流とか、そういった流儀に篏めて、縦横に造ったものに過ぎないのである。
 二人の眼の先にあるものは、やはりそういうものであった。
「ともかくも向こうへ行って見ましょう」
 貝十郎は前に立って、植え込みをくぐって先へ進んだ。築山の裾を右へ廻り、泉水にかけてある石橋を渡り、綿のように白く咲いて見える満開の梅の林の横を、右手の方へ潜行した。と、正面に廻廊をもって繋《つな》いだ、主屋《おもや》と独立した建物があった。
「この建物が大変な物なので」貝十郎は指さしながら、なかば憎さげになかば嘲笑うように、
「云って見れば閨房《けいぼう》なので。同時に拷問室でもあれば、ギヤマン室までありますので。田沼侯お気に入りの平賀源内氏が、奇才を働かせて作った室の由で。四方の壁から天井から、ギヤマンの鏡で出来ているそうで。……いったい田沼という仁《じん》は、変態的の人間でしてな、秘密と公然とを一緒にしたものを、万事に好まれるということでござる。秘密であるべき賄賂というようなものを、ソレ公然とお取りになる。公然であるべき政治というようなものを、わけても人事行政などを、私的|情誼《じょうぎ》的におやりになる。……色情の方もそれと同じに、秘密にすべきを公然とするということでござる。……ええと、ところで今夜の犠牲者の中には、貴殿の恋人のお品殿が。……」
 にわかに貝十郎は黙ってしまった。殺気と云おうか、剣気と云おうか、そう云ったものを感じたからである。彼は新八郎の顔を見た。先刻から無言で終始していた新八郎は今も無言で、貝十郎の左側に立っていたが、木洩れの月光に胸と顔とを、薄い紙のように白めかしていた。顔の表情の狂気じみていることは! 二倍に見開かれた大きな眼は、その建物を見据えている。小鼻から口の側《わき》へかけて、引かれている皺《しわ》は紐のように太い! 歯を食いしばっている証拠である。
(これはいけない、喋舌りすぎたようだ。どうも挑発しすぎたようだ。何をやり出すかわからないぞ!)
 貝十郎はしまった[#「しまった」に傍点]と思った。
「新八郎氏、向こうへ行きましょう」
 なだめるように声をかけた。新八郎は動かなかった。鍔際《つばぎわ》を握った左の手が、ガタガタ顫《ふる》えているらしい。刀の鐺《こじり》が上下して見える。
「新八郎氏、向こうへ向こうへ」
 再度貝十郎が声をかけた時、飛び石づたいに歩きながら、話して来るらしい二人の侍の、話し声がこっちへ近寄って来た。主屋と離れて別棟があり、諸侍達の詰め所らしかったが、そこから小姓らしい二人の侍の、手に何やら持ちながら、二人の方へ歩いて来た。
「殺生な奴はこの道具でござる。この貞操帯という奴で」こう云いながら一人の侍は、手に持っていた長方形の木箱を、ひょいと頭上へ捧げるようにした。
「女が発狂する筈でござる」
「この驢馬仮面に至っては、いっそう殺生な器具でござる」もう一人の侍がそういうように云って、四角の木箱を胸の辺で揺すった。
「これでは女が発狂する筈で」
「我々の役目も厭な役目で」前の侍がさらに云った。「着けたり冠せたりしなければならない」
「お品という女、美しいそうで」
「が、明日は狂女となって、醜くなってしまいましょうよ」
 云い云い二人の小姓らしい侍は、廻廊の方へ歩いて行った。が、蘇鉄《そてつ》の大株があり、それが月光を遮《さえぎ》っている、そういう地点までやって来た時、突然ワッという声を上げ、一人の侍が地に仆れた。
「これどうなされた? 粗忽《そこつ》千万な」
 後の侍が驚きながら、仆れて動かない同僚の側へ、腰をかがめて立ち止まった。
 と、その侍もウーンと唸って、持っていた四角の木箱を落とすと、両手を宙へ伸ばしたが、そのまま仆れて動かなくなった。と、蘇鉄の株の蔭から、抜き身をひっさげた新八郎が、スルスルと現われて二人の横へ立った。
「小糸氏、お切りなされたので?」
 蘇鉄の蔭から貝十郎が訊いた。
「峯打ちに急所をひっ叩いたまででござる」云い云い新八郎は抜き身を鞘に納め、二つの木箱を地上から拾った。
「これから何んとなされるお気かな?」
 貝十郎が不安そうに訊いた。
「可哀そうなお品を助け出すつもりで」
「ギヤマン室へ忍び込んでかな?」
「場合によっては切り込んで!」

        十一

 この頃三人の男女の者が、主屋《おもや》から廻廊の方へ歩いていた。
「伊豆殿、私《わし》はこう思うので、音物《いんもつ》は政治の活力だとな」こう云ったのは六十年輩の、長身、痩躯《そうく》、童顔をした、威厳もあるが卑しさもあり、貫禄もあるが軽薄さもある、変に矛盾した風貌態度を持った、気味のよくない侍であった。主人田沼主殿頭なのである。「私はな、日々登城して、国家のために苦労いたし、一刻として安き時はござらぬ。ただ退朝して我が家へ帰った時、邸の長廊下を埋めるようにして、諸家から届けられた音物類が、おびただしく積まれてあるのを見て、はじめて心の安きを覚え、働こうという勇気が起こりましてござるよ」
「ごもっとも様に存じます」こう合槌を打ったのは、後からついて来た四十年輩の侍で、眉細く口大きく、頬骨の立った狡猾らしい顔と、頑丈な体とを持っていた。他ならぬ松本伊豆守なのである。「音物《いんもつ》はお贈りする人の心の、誠の現われでございますれば、眺めて快く受けて楽しいよろしきものにございます」
「金銀財宝というものは、人々命にも代えがたいほどに、大切にいたすものではござるが、それらの物を贈ってまでも、ご奉公いたしたいという志は、お上に忠と申すもの、褒むべき儀にございますよ」
「御意《ぎょい》、ごもっともに存じます。志の厚薄は、音物の額と比例いたすよう、考えられましてございます」
「彦根中将殿は寛濶でござって、眼ざましい物を贈ってくだされた。九尺四方もあったであろうか、そういう石の台の上へ、山家の秋景色を作ったもので、去年の中秋観月の夜に、私の所へまで届けられたが、山家の屋根は小判で葺いてあり、窓や戸ぼそ[#「ぼそ」に傍点]や、板壁などは、金銀幣をもって装おってあり、庭上の小石は豆銀であり、青茅数株をあしらった裾に、伏させてあったほうぼう[#「ほうぼう」に傍点]は、活きた慣らした本物でござったよ」
「その際私もささやかな物を、お眼にかけました筈にございます」
「覚えておる、覚えておる」主殿頭は笑いながら、いそがしそうに頷いた。「小さな青竹の籃の中へ、大鱚《おおきす》七ツか八ツを入れ、少し野菜をあしらって、それに青|柚子《ゆず》一個を附け、その柚子に小刀を突きさしたものであった」
「その小刀と申しますのが……」
「存じておる、存じておる、柄に後藤の彫刻の、萩や芒をちりばめた、稀代の名作であった筈だ」
 薄縁《うすべり》の敷かれた長廊下には、現在諸家から持ち運ばれた無数の音物が並べられてあった。屏風類、書画類、器類、織物類、太刀類、印籠類、等々の音物であった。そういう音物類を照らしているのは、二人の先に立って歩いている、女の持っている雪洞《ぼんぼり》の火であった。紅裏を取り、表は白綸子《しろりんず》、紅梅、水仙の刺繍《ぬいとり》をした打ち掛けをまとったその下から、緋縮緬《ひぢりめん》に白梅の刺繍をした裏紅絹の上着を着せ[#「着せ」は底本では「記せ」]、浅黄縮緬に雨竜の刺繍の幅広高結びの帯を見せた、眼ざめるばかりに妖艶な、二十歳ばかりの女であって、主殿頭の無二の寵妾、それはお篠の方であった。唇が蜂蜜でも塗ったように、ねばっこく艶々と濡れ光っている。紅で染めた紅い唇であって、淫蕩《いんとう》の異常さを示していた。
「さあ参ろうではございませぬか、妾と同じ顔をした、お品様がお待ちかねでございます」
 お篠の方はこう云ったが、その声には惨忍な響きがあった。

        十二

「お篠、お前には退治られたよ。お前にかかると私《わし》というものは、まるっきり私《わし》でなくなってしまう」
 主殿頭はこう云い云い、廊下をゆるやかに先へ進んだ。
「いいえそうではございません」お篠の方は遮るように云った。「妾《わたくし》と全く同一嗜好《おなじこのみ》を、殿様にはお持ちなされていて、そこへ妾が参りましたので、それがお互いに強くなって、今日に及んだのでございます」
「それにしても伊豆殿へはお礼を云ってよい。次から次とお篠に似た女を、目付けて連れて来てくださるのでな」
「お品と申す今夜の女は、わけてもお篠の方に似ておられます」松本伊豆守は得意そうに云った。「ご満足なさるでございましょう」
「ままごと[#「ままごと」に傍点]というこの遊びを、私《わし》に教えてくだされたのも伊豆殿お前様であった筈だ」
「献上箱へ活きた犠牲《にえ》を入れ、殿へ音物としてお送りしましたのも、私が最初かと存ぜられます」
「さようさようお前様だ」
「抽斗《ひきだし》を引く、皿小鉢が出る。戸棚をあける、ご馳走が出る。抽斗を引く、盃が出る。戸棚をあける、酒が出る。……蒔絵を施した美しい、お勝手箪笥のあの『ままごと』! 酒盛りをひらくにすぐ間に合う、あの『ままごと』を妾《わたし》は好きだ! 『ままごと』をひらいてお酒盛りをする! それから献上箱の蓋《ふた》をあける! と、人形のよそおいをした、初心《うぶ》の未通女《おぼこ》の女が出る。引っ張り出して酌をさせる。それから? それから? それから? それから? ……もう『ままごと』も献上箱も、運ばれている筈でございます! 早く行こうではございませんか! 行ってままごと[#「ままごと」に傍点]をいたしましょうよ!」
 うわ[#「うわ」に傍点]言のように云いながら、お篠の方は先へ進んだ。やがて三人は主屋《おもや》を抜け、ギヤマン室をつないでいる、長い廻廊へ現われた。やがて三人は見えなくなった。
 ギヤマン室へはいったのである。

        十三

「小糸氏さあさあ遠慮はいらない、ここでゆっくりお品殿と、ままごと[#「ままごと」に傍点]をしてお遊びなされ、拙者お相伴いたしましょう」
 ここは神田神保町の、十二神《オチフルイ》貝十郎の邸であった。同じ夜の明け近い一時である。献上箱の蓋があいていたが、その中は空虚になっていた。その代り献上箱の横の方に、そうして小糸新八郎の、端坐している膝の脇に、京人形のよそいをした、お品が青褪めて坐っていた。
 二人の前に貝十郎がいた。
 その貝十郎の傍には、お勝手箪笥の『ままごと』が、抽斗《ひきだし》も戸棚もあけられた姿で、灯火に映えて置かれてあった。そこから取り出された酒や馳走類が、皿や小鉢や徳利に入れられて、三人の前に置かれてあった。
「実は松本伊豆守殿が、今日、一月十五日までに『ままごと』を一個納めるようにと、指物店山大へ命じたということと、お品殿が田沼侯の側室《そばめ》にあたる、お篠の方によく似ていて、そのお品殿が伊豆守によって、引き上げられたということとを、前者は拙者自分で調べ、後者は人伝てに聞きましたので、これは一月の十五日に伊豆守が田沼侯へ音物として、『ままごと』に添えてお品殿を、お贈りするのだと推察し、奪い返すことは出来ないまでも、確かめて見ようとこう思い、今宵伊豆守の邸の傍《ほとり》へ、忍んで様子を窺っていたのでござる。……ところがその果てがあの通りとなり、拙者も悉《ことごと》く胆を潰してござるよ。……それにしてもどうして館林様が、今夜の出来事を同じく察し、似たような『ままごと』と献上箱とを作り、どさくさまぎれ[#「どさくさまぎれ」に傍点]に伊豆守のそれと、すり換えたのか合点が行きませぬ。が、合点は行きませんでしたが、もう一組の『ままごと』と献上箱とが、横町を走って行くのを見た時、館林様が策略をもって、伊豆守の『ままごと』と献上箱とを、すり換えて奪って持って行くのだと、そこは拙者も職掌柄で、直覚的に知りましたので、二人の同心に云いつけて、途中からそれらの二品を、拙者の邸へ運ばせるよう、取り計らわせたという次第でござる。……それはそれとして館林様の仕立てた、『ままごと』や献上箱にはどのような物が、入れられてあるのでございましょうか。ちょっと見たいように思われますよ。実はそいつを見たいがために、拙者わざわざ貴殿の後から、田沼侯の邸へ行ったのでござるが、貴殿がほとんど死を決した様で、田沼侯の邸へ無鉄砲至極にも、切り込みをなさろうとなさるので、ようやくここまでお連れした次第。……敵の兵糧で味方が肥える。さあさああいつらの『ままごと』の中の、ご馳走で我々飲食しましょう。……ソレここに……もござる。構うことはない酒に混ぜて召され。その上で……をな、ハッハッハッ、お尽くしなされよ。お品殿はやつれて青褪めておられる。恢復なされ恢復なされ!」

        十四

 この頃京橋の、館林様の邸内の、奥まった部屋で館林様は、女勘助や神道徳次郎や、紫紐丹左衛門や鼠小僧外伝や、火柱夜叉丸や稲葉小僧新助などと、酒宴をしながら話していた。
「やくざな奴らでございますよ。私の手下ながらあの奴らは!」女の姿をした女勘助が、謝るようにそんなように云った。「同心めいた二人の侍が、後からあわただしく追っかけて来て、館林のお殿様が仰せられた、『ままごと』と献上箱とは神田神保町の、十二神《オチフルイ》貝十郎の邸まで、予定を変えて運んで行くように、と、こう私達に、云いましたので、そこで私達はその通りにしました。と手下《あいつ》ら云うじゃアございませんか、……ところがお殿様に承われば、そんなご命令はなかったとの事、やくざな奴らでございますよ、私の手下ながらあいつらは! 肝心な二品を横取られてしまって」
 女勘助の手下達が、へま[#「へま」に傍点]をやったことを女勘助が、館林様へ詫びているのであった。
「十二神《オチフルイ》貝十郎は与力の中では、風変わりの面白い奴だ。そこの邸へ運んで行ったのなら、まあそれでもよいだろう」
 館林様は案外平然と、怒りもせずにそんなように云った。
「今度の仕事には間接ではあるが、最初から十二神《オチフルイ》貝十郎が、関係をしていたのだからな」
「それはさようでございますとも」
 易者姿をした神道徳次郎が云った。
「田沼の邸前で私達が、ままごと狂女達を雨やどりしながら、何彼と噂をしているのを、あの貝十郎が少し離れた所から、同じように眺めておりまして、大分考えていた様子でしたから、何かやるなとこのように思い、外伝に云いつけて後をつけさせますと、山大という指物店へはいり、『ままごと』のことを訊ねましたそうで、外伝も後からはいって行って訊くと、一月の十五日に『ままごと』を一個、松本伊豆守へ納めるとのこと。……早速お殿様へお知らせすると、『ままごと』を奪ってすり換えろというお言葉、その結果が今夜になりましたので。……貝十郎というあの与力が、最初から関係していたものと、こう云えばこうも申せますとも」
「これは偶然からでありますが。……」女勘助が笑いながら云った。「私は女の姿をしていながら、美しい女が好きなので、水茶屋『東』のお品の顔を見たく、度々あの家へ行っているうちに、お品の顔がお篠に似ていることや、お品の情夫《まぶ》が旗本の伜の小糸新八郎だということや、お品が松本伊豆守に、引き上げられたということなどを知って、これはてっきり伊豆守から、献上箱の人形として、田沼のもとへ届けるなと感付き、気の毒だなあと思いました。ところが今夜その新八郎が、道を歩いておりましたので、言葉をかけて誘って、私達の後からつけ[#「つけ」に傍点]て来させましたが、今頃どうしておりますことやら」
「田沼め、『ままごと』や献上箱を、邸の内でひらいて見て、どんな顔をすることか、その顔が見とうございます」
 こう云ったのは僧侶に扮した、鼠小僧外伝であった。
「ご馳走の代わりにむさい[#「むさい」に傍点]物が、しこたま詰められてあるのだからなあ」
 こう云ったのは、六部姿をした、火柱の夜叉丸その者であった。
「酒の代わりにあれ[#「あれ」に傍点]なんだからなあ」
 こう云ったのは破落戸《ならずもの》に扮した、稲葉小僧新助であり、
「献上箱の中の人形が、飛んだ爺《おやじ》の人形なんだからなあ」
 こう云ったのは紫紐丹左衛門で、武骨な侍の姿をしていた。
「それより人形の持っている、あの書物を田沼が見た時、どんなに恐れおののくことか、それを私は知りたいような気がする」館林様はこう云いながら、盃を含んで微笑した。「田沼退治はこれからだ。次々に彼奴《きゃつ》を怯《おびや》かさなければならない。……だんだんに彼奴の罪悪を、彼奴と世間とへ暴露しなければならない。……暴露戦術というやつがある。大金持ちや権謀術数で、権勢を握っている為政者などを、亡ぼしたり改心させたりするには、一番恰好の戦術だ。一方では心胆を寒がらせ、一方では世間の正しい批評を、仰がせることに役立つのだからだ」

 田沼家へ行った『ままごと』の中には、何がはいっていたのであろうか?
 要するにむさい[#「むさい」に傍点]物であって、飲めも食べも出来ないものであった。では、献上箱にはいっていた物は? 田沼主殿頭その人を、さながらに作った人形であって、しかもその胸には短刀が刺してあり、手には斬奸状が持たされてあった。
 一、その方屋敷内の儀、格別の美麗を尽くし、衣食並びに翫木石に至るまでも、天下比類なき結構にて、居間|長押《なげし》釘隠し等は、金銀無垢にて作り、これは銀座の者どもより、賄賂として取り候ものの由、不届き至極。
 二、諸大名官位の儀は、天聴へ奏達も有之《これあり》、至って重き儀に御座|候処《そうろうところ》、金銀をもって賄賂すれば、容易く取り持ち、世話仕候不届き至極。
 三、近年詮挙進途の権家は、皆その方親族の者ばかりにて、その方の召使いの妾等を願望の媒《なかだち》となし、度々登城仕らせ、殊に数日逗留、その節莫大の金帛相い贈り、内外の親睦を結び置き候儀、不届き至極。
 四、諸事倹約と申す名目を立て、自己のみ奢り、上を虐げ、下を搾取す。不届き至極。
 等々と云ったような条目が、斬奸状には連らねてあった。

 二月が来て春めいた。隅田川に沿った茶屋の奥の部屋で、お品と新八郎とが媾曳《あいび》きをしていた。
「お品、こいつを着けてやろうか」
 新八郎は鉄で作った、刺《とげ》のある不気味の貞操帯を揺すった。
「阿呆らしい」
 とお品は一蹴してしまった。
「そんなもの嫌いでございます」
「お品、こいつを冠せてやろうか」
 新八郎は驢馬仮面を撫でた。
「馬鹿らしい」
 とお品は一蹴してしまった。
「男に冠せるとようございますわ」
「御意《ぎょい》で」
 と男の新八郎は云った。
「こういう刑罰の道具類や、こういう節操保持の機械は、女から男へ進呈すべきものさ。……悪事は男がしているのだからなあ」
「浮世は逆さまでございますわね」
「御意で」
 と新八郎は早速応じた。
「浮世は逆さまでございますとも。そこで大変息苦しい。そこで当分貝十郎式に、韜晦《とうかい》して恋にでも耽るがよろしい」
「でも、勇気がございましたら。……」
「あ、待ってくれ、勇気なんてものは、館林様にお任せして置け。……勇気なんてものを持とうものなら、お前となんか交際《つきあ》う代わりに、ああいう六人の無頼漢どもと、交際《つきあ》わなければならないことになる……」
「では、勇気なんか、棄ててしまいましょう」
 あわててお品は勇気をすててしまった。
 で、二人は幸福なのであった。
 で、二人は平和なのであった。

    現妖鏡

        

 浅草の境内で、薬売りの藤兵衛が喋舌《しゃべ》っていた。
「さあお立ち合いお聞きなされ。ここに素晴らしい薬がある。甲必丹《キャピタン》カランス様が和蘭《オランダ》の国から、わざわざ持って来た霊薬で、一粒飲めば神気が爽か! 二粒飲めば体力が増す。三粒四粒と毎日飲めば、女が一人では足りなくなる。つまり精力が逞《たくま》しくなるのだ。一月つづけて飲んで見なされ、妾を三人も囲いたくなる。生の活力、楽しみの泉、大きな事業を行う源! この薬に如《し》くものはない! 負けてやるから沢山お買い。十粒入りが一両とはどうだ! 何高い? 高いものか! 一粒十両でも安いくらいだ。とは云え大道商いだ、両という値は立てがたかろう。よろしいよろしい負けてやろう、十粒入りを一分にしてやろう。ナニこれでも高いというのか、どうも仕方がないもう少し負けよう、二十粒入り一朱とはどうだ! 何、何んだって、まだ高いって? これは呆れて物が云えない! 楽しみの泉のこの薬が、そうそう安くてたまるものか! とは云え大道商いだ、安く踏まれるのは仕方あるまい。同じ品物でも玄関構えの、ご大層もないお屋敷の中で、取り引きをする段になると、十倍百倍になる世の中だからなあ。とかく虚飾が勝つ時世だ、そういう時世での大道商い、踏み倒されるのは当然だろうて。そこでよろしい悟りをひらいて、ぐっと下値《げじき》に売ることにしよう。二十粒入り十文とはどうだ! もう負けないぞ買ったり買ったり! ……や、それはそうと大変なお方が、お立ち合いの中に雑《まじ》っておられる。日本橋の大町人、帯刀をさえも許されたお方、名は申さぬが屋号は柏屋、ただしご主人は逝くなられた筈だ! お気の毒にもお母様にも、二年前に逝くなられた筈だ! その柏屋の一人娘、これもお名前は云わぬ方がよかろう! ナーニ構うものか云ってしまえ! さようお島様と云われる筈だ! そのお島様が雑っておられる! 顔色がお悪い! ご病気だからだ! お眼が悲しげにすわっておられる! お心に悶えがあられるからだ! ……大家のお嬢様であられるのに、お供も連れられずたったお一人で、悪漢《わる》や誘拐師《かどわかし》がうろついている、夕暮れ時の盛り場などへ、どうしてお越しになったのか? 思案に余ったからであろう! 途方に暮れられたからであろう! ごもっとも様でご同情します! 奇病! 奇病! 何んとも云えない奇病に、取りつかれておいでなされるからだ。……そこで藤兵衛は申し上げます、浅草を出て品川まで、すぐにもお出かけなさいませ! 助けるお方が出て参りましょう! 途中に変わったことがあっても、行った先に変わったことがあっても、決して恐怖《おそれ》なさいますな、救いの前には艱難《かんなん》があり、安心の前には恐怖があるもので! さあさあお出かけなさいませ! 一人の立派なお武家様が、蔭身《かげみ》に添ってあなた様を、お守りなさるでございましょうよ」
 藤兵衛を取り巻いて二十人あまりの、閑そうな人間が立っていた。そういう人達に立ち雑って、お島がやはり立っていた。
 年は十九、美人であった。藤兵衛のお喋舌りが終えると一緒に、お島はフラフラと歩き出した、浅草の境内から誓願寺通りへ抜け、品川の方へ歩いて行く。神田の筋へ来た頃には、町へ灯火が点きはじめた。
 身長《せい》は高かったが痩せていた。苦痛のために痩せたものらしい。眼が眼窩の奥にあった。苦痛のために窪んだのであろう。瞳が曇って力なげであった。歩く足もとが定まらない。放心したように歩いて行く。――これがお島の姿であった。
 ふとお島は振り返って見た。と、一人の侍が、彼女の背後《うしろ》から歩いて来ていた。
(薬売りの言葉は嘘ではなかった)
 そう思ってお島は安心した。
(では一切あの男の言葉を、妾《わたし》は信用することにしよう)
 彼女は溺れかかっているのであった。藁《わら》をさえ掴まなければならないのであった。藤兵衛の言葉は藁と云ってよかった。
 ――どうして自分の身の上と、どうして自分の心の苦痛と、どうして自分の病気のこととを、あの薬売りは知っているのであろう? ……これが彼女には不思議であった。
 不思議ではあったがどうでもよかった。あの男が妾を救ってくれるのなら。で彼女は云われるままに、品川へ行こうとしているのであった。一人の立派なお武家様が、蔭身《かげみ》に添ってあなた様を、お守りなさるでございましょうと、こうあの薬売りの男が云った。
 侍が背後《うしろ》から従《つ》いて来ていた。その立派なお武家様なのであろう。彼女は今安心していた。

        

 京橋の中ほどまで来た時である、彼女はすっかり疲労《つか》れてしまった。こんなに歩いたことがないからである。彼女はだるそうに足を止めた。
 と、彼女の左側に、一挺の駕籠が下ろされた。そこで彼女は振り返って見た。侍が手を上げて駕籠を指している。で、彼女は安心して、駕籠の中へ身を入れた。
 こうしてお島を乗せた駕籠が、三月の月に照らされながら、品川の方へ揺れて行く後から、袴なしの羽織姿の、その立派な侍が、大して屈托もなさそうに、しかし前後に眼を配って、油断を見せずに従いて行った。
 芝まで行った時であった、そこの横町から一人の旅僧が、突然現われて駕籠へ寄ろうとした。
「これ!」と侍が声をかけた。
 旅僧はギョッとした様子であったが、何も云わずに後へ下がった。その間に駕籠と侍とは、先へズンズン進んで行った。
 と、また横町から無頼漢のような、一人の男が飛び出して来た。
「これ!」
 とたった[#「たった」に傍点]それだけであった。駕籠と侍とは先へ進んだ。しかしまたもや横町があって、そこの入り口へまで差しかかった時、一人の武士と売卜者《うらないしゃ》とが、駕籠の行く手を遮《さえぎ》るようにして、その入り口から走り出た。
「これ!」と侍は声をかけた。「駕籠へさわるな! 俺を知らぬか! ……思うに恐らく今度の事件には『館林様』はご関係あるまい! やり方があまりに惨忍に過ぎる!」
 武士と売卜者とは黙っていた。その間に駕籠と侍とは進んだ。その駕籠と侍との遠退くのを、四人の者は一つに塊《かた》まり、残念そうに見送ったが、
「どうも十二神《オチフルイ》に出られたのではね」売卜者風の神道徳次郎が云って、テレ切ったように額を撫でた。
「それにちゃあん[#「ちゃあん」に傍点]と見抜いておる」こう云ったのは武士姿の、紫紐丹左衛門であった。「館林様がご関係ないとね」
「せっかく浅草から狙って来たんだが」鼠小僧の外伝が――旅僧の姿をした男が云った。「ねっからこれでは始まらない」
「諦めるより仕方がないよ」こう云ったのは無頼漢《ならずもの》風の、稲葉小僧新助であった。「相手が十二神《オチフルイ》とあるからには、六人かかったって歯が立たねえ。まして今は四人だからな」

 この間もお島を乗せた駕籠と、与力|十二神《オチフルイ》貝十郎とは、品川の方へ進んで行った。品川の一角、高輪の台、海を見下ろした高台に、宏大な屋敷が立っていて、大門の左右に高張り提灯が、二|棹《さお》威光を示していた。
 その前まで来ると駕籠が止まり、お島が駕籠から下ろされた。
「こっちへ」
 と貝十郎は声をかけたが、潜《くぐ》りの戸を軽く打ち、開くのを待って内へはいった。で、お島も内へはいった。大門から玄関へ行くまでの距離も、かなりあるように思われた。
 宏大な屋敷の証拠である。
 訪《おとな》うと小侍が現われた。
「拙者|十二神《オチフルイ》貝十郎でござる」
 すると小侍はすぐに云った。
「は、お待ちかねでございます。どうぞずっと奥の部屋へ」
 そこで貝十郎はお島を従え、玄関を上がって奥へ通った。長い廊下や鈎手の廊下や、いくつかの座敷が二人を迎え、そうして二人を奥へ送った。
 広い裏庭が展開《ひら》けていて、木立や築山や泉水などがあり、泉水の水が木洩れの月光に、チロチロ一所光っていた。その裏庭の奥まったところに、別棟の一軒の建物があって、長い廊下でつながれていた。
「こっちへ」と貝十郎はまたも云って、お島の先に立って進んで行った。

        

 その建物の内へはいり、座敷の様子を眺めた時、お島は異人館へ来たのかと思った。
 瓔珞《ようらく》を垂らした切子《きりこ》形の、ギヤマン細工の釣り灯籠《どうろう》が、一基天井から釣り下げられていたが、それの光に照らされながら、いろいろの器具、さまざまの織物、多種多様の道具類、ないしは珍らしい地図や模型、または金文字を表紙や背革へ、打ち出したところの沢山の書籍、かと思うと色の着いた石や金属、かと思うと気味の悪い人間の骸骨《がいこつ》、そう云ったものが整然と、座敷の四方に並べられてあり、壁には絵入りの額がかけてあり、柱には円錐形の鳥籠があって、人工で作ったそれのような、絢爛《けんらん》たる鳥が入れてあるからである。
 そうしてそれらの一切の物へは、いちいち札がつけてあった。硝子《ガラス》細工らしい長方形の器具が、天鵞絨《ビロード》のサックへ入れてあったが、それへ附けられた札の面には、テルモメートルと書かれてあり、四尺四方もあるらしい、黒塗りの箱の一所から、筒のようなものがはみ出しており、その先にレンズの嵌まっている器具には、ドンクルカームルと記された札が、その傍らに立ててあった。長さ五尺はあるらしい、太い竹筒を黒く塗ったような、二所ばかりに節のある器具――先へ行くに従って細くなり、その突端にレンズのある器具には、ルーブルと書いた札がつけてあった。
 そういう座敷の一所に、一人の侍が端坐して、それらの物を眺めていたが、貝十郎とお島とを見ると、気軽そうに挨拶をした。
「これはようこそ、まあまあお坐り」
「吉雄殿、お話しのお島という娘で」
 貝十郎はこう云ってから、お島の方へ声をかけた。
「大通辞の吉雄幸左衛門殿じゃ」
 お島は恭《うやうや》しく辞儀をした。それを幸左衛門は軽く受けたが、
「いかさま美しい娘ごじゃな。こういう娘ごの命を取ろうなどとは、いやとんでもない悪い奴らで。……が、もうご安心なさるがよい。今夜で危険はなくなりましょう」
「いつ見てもこの部屋は珍らしゅうござるな」
 貝十郎は見廻しながら云った。
「見物が多うございましょうな」
「さよう」と幸左衛門は微笑した。「応接に暇がないほどでござる」
「平賀源内殿、杉田玄伯殿など、相変わらず詰めかけて参りましょうな」
「あのご両人は熱心なもので。その他熱心の人々と云えば、前野良沢殿、大槻玄沢殿、桂川甫周殿、石川玄常殿、嶺春泰殿、桐山正哲殿、鳥山松園殿、中川淳庵殿、そういう人達でありましょうか。その人々の見物の仕方が、その人々の性格を現わし、なかなか面白うございます」
「ほほう、さようでございますかな。どんな見方を致しますので?」
「前野良沢殿、大槻玄沢殿、この人達と来た日には、物その物を根掘り葉掘り尋ね、その物の真核を掴もうとします」
「それは真面目の学究だからでござろう。あの人達にふさわしゅう[#「ふさわしゅう」に傍点]ござる。蘭医の中でもあのご両人は、蘭学の化物と云われているほどで」
「ところが平賀源内殿と来ると、ろくろく物を見ようともせず、ニヤリニヤリと笑ってばかりおられ、このような物ならこの源内にも、作り出すことが出来そうで――と云いたそうな様子をさえ、時々見せるのでございますよ」
「アッハッハッ、さようでござろう。平賀殿はいうところの山師、山師というのは利用更生家、新奇の才覚、工面をなして、諸侯に招かれれば諸侯を富まし、町人に呼ばれれば町人を富まし、その歩を取って自分も富む――と云う人間でありますからな。このような物を一眼見ると、それを利用してそれに類した物を、なるほどあの仁なら作られるでござろう。……それはそうとカランス殿には」
 貝十郎は改まって訊ねた。
「奥の部屋においででございます」
「では」と貝十郎は立ち上がった。「吉雄殿にもどうぞご一緒に」
「よろしゅうござる」と幸左衛門も立った。
 二人につづいてお島も立ち上がり、二人につづいて奥の部屋の方へ行った。
 お島に取ってはこの部屋も、この部屋にある諸※[#二の字点、1-2-22]の器具も、五十年輩で威厳があって、それでいてどことなく日本人ばなれしている、吉雄幸左衛門という人物も、驚異には値《あたい》していたが、不思議と恐怖には値していなかった。
(この人達なら助けてくださるだろう)
 かえってそんなように思われたのである。

        

 一本の蝋燭《ろうそく》がともっていて、その火を映した巨大な鏡が、部屋の正面の壁にあり、蝋燭の立ててある台の側に、長髪、碧眼、長身肥大、袍《ガウン》をまとった紅毛人が、椅子に腰かけて読書をしてい、それらの物の以外には、ほとんどこれという器具調度はない――と云う部屋は蝋燭の火と、それを映している鏡の反射とで、他界的と云おうか夢幻的と云おうか、そう云ったような言葉をもって、形容しなければならないような、微妙な暗さに色彩《いろど》られている。
 お島と貝十郎と幸左衛門とが、はいって行ったところの奥の部屋は、そう云ったような部屋であった。
 すぐにお島は恍惚《うっとり》となった。その部屋の光景に魅せられたのである。
 紅毛人は立ち上がったが、お島の顔を射るように見た。それから幸左衛門へ何やら云った。異国の言葉で云ったので、一言もお島には解らなかった。
 幸左衛門が異国の言葉で、紅毛人へ何か答えた。それからお島へ囁《ささや》くように云った。
「和蘭《オランダ》の甲必丹《キャピタン》カランス殿じゃ。このお方がお前様を助けてくださる」
 そこでお島は頭を下げ、真心《まごころ》からオドオドとお礼を云った。
「カランス様有難う存じます。どうぞよろしくお願いいたします」
 もちろん日本語で云ったのであるから、カランスには意味は解らなかったが、お島の態度のつつましさが、その好感を招いたらしく、彼は頷いて微笑をした。と、その時貝十郎が、お島の耳もとで囁いた。
「そなたの苦しい境遇と、そなたの不思議な病気につき、私は探って知ったのだ。いや探らせて知ったのだ。その結果を吉雄殿に話し、吉雄殿からカランス殿に話し、カランス殿の力によって、そなたの身の上に振りかかっている、危難を助けていただくことにした。……あの薬売りの藤兵衛という男に、ああいうことを云わせたのも、この十二神《オチフルイ》貝十郎なのだ。安心して一切を委《まか》せるがよい。と云うのはこれからこの部屋の中へ、そなたの胆を奪うような、奇怪な出来事が起こるからだ。驚いて気絶などしないように」
「はい有難う存じます。厚くお礼を申し上げます」
 ――で、お島はまた辞儀をした。もうこの頃は今の時間にして、午前の一時を過ごしていた。お島に病気が起こる頃であった。見ればカランスは両手をもって、大きな黒布《くろぬの》を持っていた。あのスペインの闘牛師が、闘牛に向かって赤い布を、冠せようとして構え込む、ちょうどあのような構え方で、黒布を持ち構えているのであった。と、そういうカランスが、幸左衛門へ向かって云った。それを幸左衛門が通訳した。
「お島殿、カランス殿が仰せられる、鏡を一心にご覧なされと」
「はい」と素直にお島は云って、鏡の面を凝視した。鏡は朦朧《もうろう》と霞んでいた。煙りが凝っていると形容してもよく、朝の湖水の一片が、張り付いていると形容してもよかった。
 物を写してはいなかった。四人立っているその四人の、誰もが写っていなかった。立っている位置のかげんからではあるが、蝋燭も写ってはいなかった。光は受けてはいたけれど、形を写していないのである。しかし間もなくその鏡面へ、仄《ほの》かに物の形が写った。
(妾《わたし》が病気になる時刻が来た)
 そうお島が思った時に、物の形が鏡へ写り出したのである。ぼんやりと見えていた物の形が、次第にハッキリとなって来た。それは立派な部屋であった。
 その部屋に三人の男女がいた。一人は白衣を着た修験者であり、一人は島田に髪を結った、美しい若い小間使いであり、一人は四十を過ごしたらしい、デップリと肥えた男であって、大店《おおだな》の旦那とでも云いたいような、人品と骨柄とを備えていた。
「あッ」とお島は声を上げた。
「妾の……小梅の……寮のお部屋だわ! ……お菊と、叔父様と大日坊とがおられる!」
 その時鏡中に変化が起こった。三人の間に机があったが、その上に一個の人形が、大切そうに立てられたのである。

        

 事件は過去へ帰らなければならない。
 隅田川の畔《ほとり》、小梅の里に、風雅と豪奢《ごうしゃ》とを兼ね備えた、柏屋の寮が立っていた。一人娘のお島というのが、乳母や小間使いに守られて、寂しく清く住んでいた。
 父母に逝《い》かれた孤児であった。が、日本橋の店の方は、古い番頭や手代達によって、順調に経営されていた。お島が柏屋の戸主であった。しかし女であり未婚であり、年若であるところから、叔父の勘三が後見をしていた。
 寮に住居をしているのは、父母に逝かれた悲しさから、気欝の性になったのを、癒《いや》そうとしてに他ならなかった。
 ところが今から一月ほど前から、彼女は不思議な病気となった。真夜中になると唐突にも、胸に痛みを覚えるのである。それも尋常の痛みではなくて、鋭い刃物か針のようなもので、心臓をえぐられるか刺されるかのような、そう云った烈しい痛みなのである。そういう病気を得て以来、彼女は見る見る衰弱した。いろいろの医者にも診て貰ったが、病気の原因《もと》は解らなかった。
 そういう病気の起こる前に、叔父勘三の指金《さしがね》で、お菊という女を小間使いに雇った。美しい若い勝ち気な女で、人もなげに振る舞うこともあったが、それだけ万事に気が付いて、浮世の表裏をよく知っている女、そう云った女に異存はなかった。
「よいお前の話し相手になろう」
 お菊のことをお島へこう勘三は云った。
 しかし事実はそうではなくて、そのお菊の話し相手になるのは、かえって叔父の勘三なのであった。お菊が小間使いにはいって以来、勘三はしげしげこの寮へ来て、お菊を側へ引きつけて、ふざけたり酒の酌をさせたりした。噂によるとお菊と勘三とは、以前から知っている仲であって、それでお菊を小間使いとして、この寮へ入れたのだということであった。いわば勘三はお菊という女を、名義だけをお島の小間使いとし、事実は自分の妾として、この寮へ引き入れたということになる。そのお菊はどうかというに、これは勘三をむしろ嫌って、お島へ好意を寄せていた。姉のように優しい慈愛の眼で、よくお島を見守ったりした。で、お島もお菊に対して、好感を持たざるを得なかった。いやいやむしろ好感以上の、同性の恋というような、ああ云った特殊の感情をさえ、お島は持たざるを得なかった。もっともそれをそそった[#「そそった」に傍点]のは、小間使いのお菊ではあったけれど。
 ある時などは二人の女が、お島の部屋で物も云わず、互いにその手を握り合って、互いに頬を寄せ合って、うっとり[#「うっとり」に傍点]としているようなことがあった。同性ではあるが二人の肌が、着物を通して触れ合って、その接触から来る温《あたた》かみを、味わい合っていると云いたげであった。
 お島の憂欝を祈祷《きとう》によって、快癒させようと心掛けて、大日坊という修験者を、この寮へ出入りさせて、祈祷させるように取り計らったのは、お菊が小間使いとして住み込んで、十日ほど経ってからのことであった。云い出したのは勘三であった。お菊は好まない様子であった。それだのに勘三はある日のこと、お菊に向かってこんなことを云った。
「お前が大日坊を勧めたのじゃアないか。何んだ、それだのに今になって」
 大日坊は物々しい、白の行衣などを一着して、隔日ぐらいにやって来て、お島の前で祈祷をした。
 と、どうだろう、娘のお島は、そういう祈祷が始まった頃から、例の奇病に取りつかれてしまった。しかし勘三も大日坊も云った。
「病気の癒《なお》りかけというものは、かえって苦しみを増すもので、その胸の痛みもやがて癒ろう。それと一緒に気欝性も、綺麗に癒ってしまうだろう」と。
 しかしお島のその奇病は、いよいよ勢力を逞しゅうして、お島は眼に見えてやつれて行った。ところがある日この寮へ、一人の酒屋のご用聞きが来た。出入りの杉屋という酒屋があったが、そこへ来たご用聞きだということである。
「これからは私がご用をききに来ます。どうぞ精々ご贔屓《ひいき》に。へい、私は仙介という者で」
 などお三どんや仲働きや、庭掃きの爺やにまで愛嬌を振り撤いた。三十がらみの小粋な男で、道楽のあげくにそんな身分に、おっこちたといいたそうなところがあった。
「ご用聞きには惜しいわね」などとお三どんは仙介のことを、仲働きへ噂したりして、仙介の評判は来た日から良かった。がしかしお菊だけは、その仙介を胡散《うさん》そうに見た。
「あの男の眼付き、気に食わないよ。それにさ、手の指が白すぎるよ。食わせもののご用聞きだよ」などと云って警戒した。
 こうして今日の日の前日になった。
 この日も大日坊はやって来て、お島の前で祈祷したが、それが終えると奥へ行き、勘三とお菊と三人で、何やらヒソヒソ話し出した。それから酒になったようである。
「大日坊、今日は泊まっておいで」
 などという勘三の声が聞こえた。
「そうねえ、大日坊さん泊まって行くがいいよ」
 お菊の声も聞こえたが、何んとなく不安そうな声であった。
「姉ちゃん、お庭へ行って遊びましょうよ」
 こういう間にお島の部屋では、お島にとっては姪《めい》にあたる、八歳のお京という可愛らしい娘が、お島に向かって甘えていた。

        六

 お島は寂しいところから、一つは姪のお京の家が、貧しい生活をしているところから、お京を寮へ引き取って、玩具《おもちゃ》の人形でも愛するようにして、ずっと以前から育てて来た。お京は愛くるしい性質で、悪戯《いたずら》もしたがその悪戯さえ、可愛らしく見えるという性《たち》であった。
「姉ちゃんお庭へ行って遊びましょうよ」
 しかしお島は黙っていた。いつもよりは今日は気持ちが悪く、返辞をするのさえ大儀だからであった。
「姉ちゃんお庭へ行って遊びましょうよ」
 お京はなおもせがんだが、お島が返辞をしないので、つまらなそうに部屋を出て、一人で庭の方へ行こうとした。と、奥から賑やかな、人々の笑い声が聞こえて来た。お京へ子供らしい好奇心が起こって、奥の方へはいって行った。
 酒盛りをしている次の部屋が勘三の常時《いつも》いる部屋であって、高価な調度などが飾り立ててあった。その部屋までお京がはいって行った時、彼女の心を惹く物があった。手文庫の抽斗《ひきだし》が半ば開いていて、人形の顔が見えていたのである。
「まあ」
 と彼女は嬉しそうに云って、抽斗からそっと人形を取り出し、部屋を出て庭へ走り出た。庭には午後の日があたっていて、遊ぶによくポカポカと暖かかった。
 山吹がこんもりと咲いていて、その叢《くさむら》の周囲《まわり》には青み出した芝生が、茵《しとね》のように展べられていた。山吹の背後《うしろ》には牡丹桜が重たそうに花を冠っていた。お京は芝生へ坐り込んだが、人形を膝の上へ大事そうに乗せると、しばらく熱心にもてあそんだ。
 それは縫いぐるみ[#「いぐるみ」に傍点]の人形であって、派手な振り袖が着せてあった。大きさはおよそ五寸ぐらいで、顔は十八、九の女の顔であった。
 そうやってしばらくもてあそんでいたが、そこは子供のことであった、やがて飽きると抛《ほう》り出して、何やら流行唄《はやりうた》をうたい出した。と、その時一人の男が、こっそりとこっちへ近寄って来た。今まで勝手口でお三どんを相手に、油を売っていた仙介であった。
「おやおやこれはお嬢さんで、……日向《ひなた》ぼっこでございますかな」
 こんなことを云いながら近寄って来たが、抛り出されてある人形を見ると、すぐに取り上げてじっと[#「じっと」に傍点]見た。
「…………」
 何んとも云いはしなかったが、仙介の眼の光ったことは! とにわかに「痛い!」と云った。
 見れば仙介の拇指《おやゆび》から、血がポッツリと吹き出している。人形の胎内に針があって、強く握った時それの先が、拇指の一所を刺したものと見える。
「そうか!」と仙介は思いあたったように云った。
「これですっかり見当が付いた!」
 どうしようかと云ったように、一瞬仙介は考え込んだが、チラリとお京へ眼を移してから、素早く人形を懐中しようとした。が、その時植え込みの背後《うしろ》から、
「お嬢様!」
 と呼ぶ声が聞こえて来たので、あわてて仙介は人形を取り出し、お京の膝の上へ投げるように置き、庭を横切って姿を消した。それと引き違いに姿を現わしたのは、他ならぬ小間使いのお菊であった。
 仙介の後を見送り見送り、お京の側までやって来たが、お京の膝の上の人形を見ると、ギョッとしたように眼を躍らせ、すぐに取り上げて袖の中へ引き入れ、つかつかと家の方へ走って行った。

        

 十二神《オチフルイ》貝十郎の邸の玄関へ、同心の佃三弥と連れ立ち、仙介が姿を現わしたのは、それから間もなくのことであり、二人の姿が邸の中へ消え、やがて邸から現われたのも、それから間もなくのことであり、十二神貝十郎がそれと続いて、邸から出て駕籠に乗り、品川にある和蘭《オランダ》客屋を、訪ねたのも間もなくのことであった。
 こうしてこの日は暮れてしまった。

 さて、いよいよ今日の日である。昨日から泊まり込んでいた大日坊は、この日もお島に祈祷をした。お島の衰弱はいちじるしく、放心状態になっていた。しかも心ではどうともして、この苦しみから遁《の》がれ出たいものと、あえぐがように願っていた。祈祷が終えると部屋から脱け出し、夢心地のように庭へ出たが、庭を脱けると当てもなく、両国の方へ歩いて行った。
(寮は妾《わたし》にはまるで地獄だ。あそこの空気は息苦しい。あそこの空気は寂しくて凄い。賑やかで楽に呼吸のつける、どこかへ妾は行ってしまいたい)
 彼女はこういう心持ちで歩いた。そういう彼女を寮の近くから、後を尾けて来た侍があったが、他ならぬ十二神《オチフルイ》貝十郎であった。
(どうぞして誰にも悟られないように、あの娘を連れ出そうと思っていたところ、幸い自分から脱け出して来た。さてこれからどうしたものだ)
 貝十郎は思案しいしい、お島の後から尾《つ》けて行った。
 両国を渡り浅草へはいり、お島が薬売りの藤兵衛の剽軽《ひょうきん》の口上を放心的態度で、聞きながら佇《たたず》んでいるのを見ると、貝十郎は頷いた。
(一つ暗示を与えてやろう。ああいう娘には暗示がかかる。藤兵衛を利用して暗示をかけてやろう)
 喋舌っている藤兵衛の背後《うしろ》に廻って、貝十郎が藤兵衛の耳へ、立ち合いの群集に気づかれないように、囁きかけたのはそれからであり、藤兵衛がお島へお島のことを、話しかけたのもそれからであった。

 ここで事件は和蘭《オランダ》客屋の、奥の部屋へ帰って行かなければならない。鏡へお菊と大日坊と勘三との姿が写っていて、お島ににせ[#「にせ」に傍点]た人形が、机の上に置いてあった。
 三人は何やら云い争い出した。勘三が最も多く喋舌り、大日坊へ何かを強いているようであった。それをお菊が悩ましそうに、熱心に止めている様子であった。そういう二人の間に立って、大日坊は当惑している様子であったが、やがて何やらお菊に向かって、訓《さと》すがように説き出した。その三人であるが、話し合っている間じゅう、机の上の人形の方へ、たえず瞳を注いでいた。
 そういう光景が黒塗り蒔絵の、額縁を持った大鏡の中で、芝居ででもあるかのように、ハッキリと写っているのである。
 大日坊はお菊を説き伏せたようであった。お菊を説き伏せた大日坊は、やおら人形へ近よると、鋭く人形を凝視した。手に戒刀を握っている。と、その戒刀が頭上へ上がった。思う間もなく切り下ろされた、と、その瞬間鏡中の世界を、佇んで見ていたお島の体へ、頭上からフワリと布が冠《かぶ》された。
 甲必丹《キャピタン》カランスが背後から、手に持っていた黒布《くろぬの》を、その瞬間に冠せたのであった。
「あれ!」
 とお島は意外だったので、黒布《くろぬの》の中で声を上げた。しかしその次の瞬間には、黒布《くろぬの》は既に取り去られていた。お島は鏡中の世界を見た。三人の男女が審《いぶか》しそうに、人形を取り上げて調べている。戒刀で人形を切ろうとしたのらしい。しかるに人形が切れなかったので、驚いているという様子であった。人形が机の上へ置かれた。また大日坊は戒刀を振り上げた。
 その戒刀が鏡の中で、白く横の方へ流れた時、またもお島は背後から、黒い布で全身を包まれた、が、その刹那《せつな》迂濶千万にも、お島は髪を崩すまいとして、片手で黒布を上へ揚げた。その拍子に指の先が布から出た。
「痛い!」とお島は悲鳴を上げた。
 布が体から取り去られた時、お島の右の手の中指の先から、血が掌の方へ流れていた。切り傷がそこについている。と、鏡中の世界の人は、またも人形を取り上げて、奇怪至極だというように、その人形を調べ出した。人形の左の手の中指に、どうやら傷でもついたらしく、そこを三人は調べ出した。
 またもや人形は机の上へ置かれ、またもや大日坊は戒刀を振り冠った。そうしてまたもやお島の全身が、黒布《くろぬの》によって蔽《おお》われた。しかしその布が取り去られた時、お島の体には異変はなかったが、鏡中の人々には異変があった。戒刀が折れて折れた先が、勘三の咽喉を貫いていた。

        

 この頃小梅の柏屋の寮を、取り囲んでいる人影があった。目明し、橋場の仙右衛門が、同心佃三弥に指揮され、乾児《こぶん》十二人と一緒になって、捕り物をすべく囲んだのであった。
 不意に深夜の静寂を破り、男の悲鳴が家の中から聞こえ、つづいて騒がしい人声が起こり、つづいて雨戸を蹴開く音がし、すぐに男女の人影が、裏木戸の方へ走って来た。
「御用!」
「何を!」
「勘助御用だ!」
「仙介か! ……やっぱり……岡っ引だったな!」
「やい、神妙にお縄をいただけ!」
「…………」
「夜叉丸! 手前も……年貢の納め時だ!」
「馬鹿め! 人足! 捕れたら捕れ!」
 小間使いお菊の女勘助と、大日坊の火柱夜叉丸とは、戸を蹴破って飛び出した。
 ご用聞きの仙介に身をやつしていた、目明しの仙右衛門は飛びかかった。ガラガラという錫杖《しゃくじょう》の音! 月光に閃めく匕首の光! ムラムラと寄せ、ガッと引っ組み、バタバタと仆される捕り方の姿! 枕橋の方へ一散に走る、夜叉丸と女勘助との姿が見えた。
「廻れ! 右の方へ! 三囲《みめぐり》の方へ!」同心佃三弥が叫んだ。
「旦那、冗談、そんな方へ行っては! 奴ら、枕橋の方へトッ走っていまさあ!」
 仙右衛門は不審そうにこう叫んだ。
「黙れ! よい、俺の云う通りにしろ!」
 ――で、捕り方はそっちへ走った。
 そのため明和六人男と呼ばれた、六人の盗賊のその中の二人、女勘助と火柱の夜叉丸とは捕縛されることを免れた。

 後日貝十郎は云ったそうである。
「柏屋の主人の六斎殿と、私とは遊里の友達なので、あの仁の死後も遺族については、絶えず注意をしていました。するとお島という一人娘が、変な病気にかかったという。そこで佃という同心に命じ、その様子を調べさせたところ、佃は目明しの仙右衛門という男を、ご用聞きにやつさせて[#「やつさせて」に傍点]調べさせたそうで。すると呪いの人形が、あそこの寮から出て来ました。その前にあの寮へ大日坊という、怪し気な修験者が入り込むことや、日頃から腹のよろしくない、叔父の勘三が入り込むことや、その勘三の妾のような女が、小間使いとして入り込んだという、そういうことが解っていましたので、さてはお島を呪い殺し、勘三が柏屋を乗っ取る気だなと、こう目星をつけたという訳で。一味を引っ捕えて調べるのは、訳のない話ではありますが、それでは柏屋に瑕《きず》がつくし、呪いとあってはお島の命が、その間に取られてしまうかもしれない。これは困ったなと思いましたが、その時フッと考えついたのは、懇意にしている大通辞の、吉雄幸左衛門殿のことでした。この仁《じん》は西洋の学問が出来る。その方面で呪いというようなものを、至急に防ぐことが出来るかもしれない。……で、行ってお話をしたところ、甲必丹《キャピタン》のカランス殿が引き受けたという。……で、安心してお島を連れ出し、和蘭《オランダ》客屋の奥の部屋で、ああいうことをして呪いを破り、その上悪事の元兇の、勘三をあべこべに自滅させた訳で。……しかし、どうしてああいう事が、ああして呪いを破ったのかは、とんと私にも解りません。が、東洋流の精神科学を、西洋流の精神科学が、退治したのだとは云われましょう。……女勘助や夜叉丸は、悪い奴らではありますが、私の敬まっている館林様が、手先にしている奴らでしたから、捕えることだけは止めにしました。佃に旨を云い含めた訳です。嚇しただけで追っ払えと」

 お菊の女勘助が、お島を時々救おうとしたのは、お島に恋を感じたからであった。その勘助を妾のようにして、勘三が小間使いに住み込ませたのは、事実勘助を女だと思い、そうやって住み込ませて置くうちに、物にしようと思ったからであった。
 お島がお菊を恋したのは、結局同性の恋ではなく、異性同士の恋なのであったが、お島はそれを知らなかった。最後まで知らなかったということである。

    海外の歌

        一

「桜月夜で明るいじゃアないか! それを何んだい、ぶつかりゃアがって!」
 無頼漢風の逞しい男が、自分の方からぶつかりながら、こう京一郎へ難題を出した。
「とんだ粗相をいたしました、真《ま》っ平《ぴら》ご免くださいますよう」うるさいと思ったので京一郎は詫びた。
「いけねえいけねえ言葉ばかりじゃアいけねえ、やい何んとか色をつけろ!」
「色をつけろとおっしゃいますと?」
「解らねえ奴だな、いくらか出せ!」
「へええお銭をでございますかな」
「あたりめえよ、膏薬《こうやく》代だ」
「と云うと怪我でもなさいましたので」
「え、怪我? うん、したした! 大変もない怪我をした。だからよ、出しな、膏薬代をさ!」
「ちょっと拝見いたしたいもので」
「ナニ、拝見? 拝見とは何をよ?」
「大変もない怪我という奴を」
「うるせえヤイ! 青瓢箪め!」
 拳が突然空に流れた。素早く京一郎は身をかわしたが、その手には拳が握られていた。
「ただの町人の小伜とは、小伜なりが少し違うぞ」
「痛え痛え人殺しイーッ……やい皆《みん》な出て来てくれ!」すると背後から四人の男が、姿を現わして走って来た。
(しまった!)――で京一郎は逃げた。ここは京橋の一画で、本通りから離れた小路であった。両親に内証で町道場へ通い、一刀流の稽古をしていたが、いつもより今日は遅くなったので、道を急いでの帰るさであった。
 背後から追っかけて来るらしい。京一郎は横へ逸れた。と、運悪く袋露路で、妾宅めいた家によって、見れば行く手をふさがれている。
(どうしたものだ! これは困ったぞ!)――で、当惑して立ち止まったとたんに、眼の前の格子戸が内から開き、
「とんだ事ねえ、さあいらっしゃい」艶《なま》めいた女の声がして、つづいて白い手が伸びて来た。
「いえ、私は……」
「大丈夫なのよ」
 ガラガラと京一郎の背のうしろで、閉ざされる格子戸の音のした時には、京一郎の体は家の中にあった。

 見失ったというように、無頼漢風の男をまじえ、五人の男が露路から出た。本通りの方へ引っかえして行くのを、一軒の家の二階から――細目に開けた障子の隙から、眺めていた一人の武士があったが、
「また彼奴《きゃつ》ら悪いことをやり出したな」
 眉をひそめながら呟いた。与力の十二神《オチフルイ》貝十郎であった。
「旦那、喧嘩ね。気味の悪い」
 ちゃぶ台があってご馳走があって、徳利と盃とが置いてあり、一方の側には貝十郎がおり、一方の側には女がいたが、その女がそんなように云った。
「喧嘩といえば喧嘩だが、性《たち》の悪い喧嘩でな」
「性《たち》のよい喧嘩ってありますかしら」
「出合い頭の間違いで、ぶん撲り合うというような、そういう喧嘩は性のいい喧嘩だ」
「性の悪い喧嘩といえば?」
「計画的に仕掛けた喧嘩さ。……それはそうと、こういうお妾横丁には随分喧嘩はあるだろうな」
「そうですねえ、まあ、ちょくちょく[#「ちょくちょく」に傍点]」
「ところで突きあたりの格子づくりの家だが、やはり妾の巣だろうな?」
「巣とはお口のお悪いことね。でも、ええ、お妾さんの巣のようだわ」
「一、二度見かけたことがあるが、そのお妾さん美《よ》い縹緻《きりょう》だった」
「そこでちょっかい[#「ちょっかい」に傍点]を出そうと云うのね」
「うっかりちょっかい[#「ちょっかい」に傍点]を出そうものなら、あのお妾さんくらいつくよ」
「鬼や夜叉じゃアあるまいし」
「それ以上に凄い玉《たま》かもしれない。顔に険のある女だった……旦那というのはどんな男かな?」
「旦那だか何んだか知らないけれど、時々駕籠で立派なお武家さんが深夜においでなさるようです」
「他にも男が出入りするだろう?」
「よくご存知ね。四、五人の男が……」
「物など持ち運んでは来ないかな?」
「おや、そう云えばそんなことも……でもどうしてご存知なんでしょうね?」
「俺の身分を知っているくせに、何を云うのだ。うっかりした女だ」

        二

「そうそう旦那は与力衆でしたわね」
「今後は殿様と呼ぶがいい」
「結城ぞっきのお殿様ね」
「文句があるなら唐桟《とうざん》でも着るよ」
「いいえ、殿様と云わせたいなら、黒羽二重の紋服で、いらせられましょうとこう申すのさ」
「そういう衣装を着る時もある。が、その時には同心が従《つ》く」
「目明し衆も従くんでしょうね」
「お前なんかすぐふん[#「ふん」に傍点]縛る」
「おお恐々《こわこわ》!」と大仰に云ったが、妾のお蔦は寄り添うようにした。「でも殿様に似合うのは、そういう風じゃアありませんわね」
「河東節の水調子 ※[#歌記号、1-3-28]二人が結ぶ白露を、眼もとで拾うのべ紙の――などと喉《のど》をころがして、十寸《ますみ》蘭洲とどっちがうまい? などと云っている俺の方が仁にあうと云うのだろう」
「そうよ」とお蔦はトロンコの眼をした。「※[#歌記号、1-3-28]梛《なぎ》の枯れ葉の名ばかりにさ。……殿様、今夜は帰しませんよ」
「まてまて」貝十郎は大小を取った。「与多《よた》は与多、仕事は仕事だ。……俺はちょっくら行って来る」
「どちらへ?」
 と驚いて止めるお蔦を、ちょっと尻眼で抑えるようにし、「お前を相手に割白《わりせりふ》か何んかで、茶化したことばかり云っていて、それで暮らして行けるなら、とんだ暮らしいい浮世なんだが、まるっきり逆の世間でな」
「遊んでおいでなされても、役目は忘れないとおっしゃるのね」
「それくらいなら御《おん》の字だ。遊びを役目の助けにしている――と云う荒っぽい時世なのさ」
 妾宅を出ると貝十郎は、露路の突きあたりの家の前まで行った。が、そのまま姿が消えた。

「手頼《たよ》りない身でございますの、これをご縁にどうぞ再々、お遊びにおいでくださいましてお力におなりくださいますよう」
 お蝶はこう云って京一郎の顔を、艶めいた眼でながしめに見た。年は二十一、二でもあろうか高い鼻に切れ長の眼に、彫刻的の端麗さをそなえた、それは妖艶な女であった。
「はい、有難う存じます。妙なことからお目にかかり、飛んだおもてなしにあずかりまして、何んと申してよろしいやら。……ご迷惑でなければこれからも、ちょいちょいお伺いいたします」
 京一郎は恍惚《うっとり》とした心で、こう云って頬を掌で撫でた。五人の男に追いかけられ、それが因になって飛び込んだ家の、女主人にこんなに愛想よく、迎えられようとは思わなかった。
 茶を出され酒を出され、身の上話さえされたのである。両親のない身の上ながら、親が残して行った金があるので、女中と婆やとを二人ほど使い、男気のない女世帯を、このようなひっそりした町の露路で、しばらく前から張り出したが、その男気のないということが、何より寂しいと云うのであった。
 父は生前は長崎あたりの、相当名を知られた海産問屋で、支那や和蘭《オランダ》とも貿易をし、盛大にやった身分であった。――などとお蝶は話したりした。しかしお蝶は身の上については、多く語ろうとはしなかった。隠すというのではなかったが、目下の生活が華やかでない、それだのに過去の華やかであった生活《くらし》を、今さらになって話すのは、面はゆくもあれば笑止でもあると、そんなに思う心から、語らないというような態度を見せた。そういう態度が京一郎には、床《ゆか》しく思われてならなかった。
 表構えは粋であり、目立たぬ様子に作られてあったが、家の内は随分|豪奢《ごうしゃ》であり、それに調度だの器具だのが、日本産というより異国産らしい、舶来の品で飾られてあり、お蝶の締めている帯なども、和蘭《オランダ》模様に刺繍《ぬいとり》されてある――そういう点などがお蝶という女の、父だという人の身分や生活を――昔の身分や生活を、それらしいものに想像させた。
「風変わりの楽器でございましょうが……」
 こう云ってお蝶は手を伸ばして、床の間に置いてある異風の楽器を、取りよせてそっと膝の上へ据えた。胴が扁平で三角形で、幾筋かの絃《いと》で張られていた。
「象牙の爪で弾くのですけれど……」云い云いお蝶は四辺《あたり》を忍ぶように、指の先で絃を弾いた。
「バラードという楽器でございますの。和蘭《オランダ》の若い海員などが甲板《かんぱん》の上などで弾きますそうで」
 バラードの音色は聞く人の心を、強い瞑想に誘って行った。
 聞いている京一郎の心の中へ、海を慕う感情が起こって来た。海! 海外! 自由! 不覊《ふき》! ……そういうものを、慕う感情が、京一郎の心へ起こって来た。不意にお蝶はうたい出した。

        

  かすかに見ゆる
  やまのみね
  はれているさえなつかしし

  舟のりをする身のならい
  死ぬることこそ多ければ
  さて漕ぎ出すわが舟の
  しだいに遠くなるにつれ
  山の裾辺の麦の小田《おだ》
  いまを季節とみのれるが
  苅りいる人もなつかしし
  わが乗る船の行くにつれ
  舟足かろきためからか
  わが乗る船の行くにつれ
  色も姿もおちかたの
  ふかき霞にとざされぬ
  われらの舟路! われらの舟路!

 それはこういう歌であったが、ここまでうたって来るとうたい止めた。
「この後にもあるそうではございますが、残っていないのでございます。ええこの後にも続く歌が。……妾《わたし》はどんなに後に続く歌を、知りたいと願っているでしょう。……死なれたお父様が死なれる前に、妾にこのように申しました。『後に続く歌を知ることが出来たら、お前は幸福になれるだろう。右のこめかみに大きな痣《あざ》のある男が、一人知っているばかりなのだが』と……」
(右のこめかみに痣のある男? はてな?)と京一郎は首を傾《かし》げた。思いあたることがあったからである。でも(まさか!)と思い返した。あんまり莫迦気ているからである。
 しかし彼はこんなように思った。(この女が幸福になることならわしは何んでもしてやりたい)その時女の云う声が聞こえた。
「お父様の遺伝なのかもしれません、大船に乗って広い海へ、妾は行きたいのでございますの、好きなお方と! わだかまりなく!」
 京一郎がお蝶の家を出て、自分の家へ帰ったのは、それからしばらく経ってからであった。京一郎が出たのと引き違いのように、お蝶の家へはいって来たのは二十八、九歳の威厳のある武士で、貴人のように高尚であった。駕籠に乗って来たのである。
「どうであったか?」とその人は云った。
「はい」とお蝶は微笑したが、「大体うまく参りました」
「歌を聞かせてやったろうな」
「聞かせてやりましてございます」
「今度のことばかりは気永に構え、そろそろとやらなければ成功しがたい。暴力や権威をもってしても、歯の立つことではないのだからな」
「はい、さようでございますとも」
「直接本人にぶつかっても、口を割らない事件ではあるし」
「はい、さようでございますとも」
「それで傍流から手をつけたのが……」
 こう云って来て貴人のような武士は、円行灯《まるあんどん》の黄味を帯びた光に、正しい輪郭を照らしていた顔を、にわかに傾《かし》げて聞き耳を立てたが、急に立ち上がると円窓を開けた。
 窓の外は狭い坪庭《つぼにわ》であって、石灯籠や八手《やつで》などがあった。その庭を囲んでいるものは、この種の妾宅にはつき[#「つき」に傍点]物にしている船板の小高い塀であった。
「これ、誰だ!」と武士は云った。しかし坪庭には人はいなかった。ただ横手の露路へ出られる、切り戸口の傍らに立っている、満開の桜の下枝から、花が散っているばかりであった。
「どなたか?」と、お蝶が不安そうに訊いた。
「さあ、何んとなく気勢《けはい》がしたが……」

 この頃|十二神《オチフルイ》貝十郎は、自分の妾宅へ寄ろうともせず紗を巻いたように霞んで見える、月夜の露路を本通りの方へ、考えながら歩いていた。
(館林様が関係しておられる、大きな仕事に相違ない)
 本通りへ出ても人気がなかった。夜が更けているからであった。肩の辺に散っている桜の花弁を、手で払いながら貝十郎は歩いた。(京一郎という男は塩屋の伜だ。……昔の塩屋と来た日には、盛大もない家であったが……)人気がなくても春の夜は気分において賑やかであった。猫のさかっている声などが聞こえた。
(あの歌? ……あんなもの、何んでもありゃアしない。……しかしあの後を知ることが出来たら……)
(よし、俺は本流へぶつかってやろう!)
「面白いな」と声に出して云った。
「負けても勝っても面白い。大物を相手にして争うのだからな」
 夜警の拍子木の音がした。

        

「ね。お母様。行かせてください。どうしたって行かなければならないのです」
 京一郎は思い詰めた口調で、こうまとも[#「まとも」に傍点]に母親へ云った。ここは本所安宅町の、掘割に近い一所に、大きいが古く立っている、京一郎の家であった。その家の奥の座敷であった。更けた夜だのに五月幟が、風になびいている音が聞こえた。近くの家でうっかりして、取り入れるのを忘れたのであろう。
「京一郎やお前はどうしたのだよ、もうそんなことは云わないでおくれ。妾はそんなこと聞くだけでも厭だよ」
 母親のお才は四十九歳であったが、勝れた美貌であるところから四十ぐらいにしか見えなかった。そう云ってから京一郎の顔を、当惑と不安と親の慈愛と、それらのもののこもった眼付きで、嘆願するように凝視した。(この子はお父様に大変似ている。思い立ったことなら、何んでもやり通す! ほんとにこの子は妾を棄てて家出をしてしまいはしないだろうか)お才は恐ろしくさえ思うのであった。
「ねえ京一郎や」とお才は続けた。「こんなこと妾が云い出しては、お前はバツを悪がるかもしれない。でも妾は云ってしまおう。誰かお前の背後にいて……そう、それも女がいて、お前に云わせるのではないかえ。そんなように妾には思われるがねえ……」
 こう云われて京一郎は横を向いたが、顔がいくらか赧らんだようであった。でも彼が母の方へ向いて、おめもせずにこんなように云い出した時には、そういう赧らみはなくなっていた。
「ええお母様、そうなんですよ。女が背後《うしろ》についております。その人が私へそう云わせるのです。でもそればかりではありません、たといその人が背後《うしろ》にいなくとも、早晩私は同じようなことを、お母様に云い出したに相違ありません。ただ、あの人が私へ来たために、云い出すのが早くなったばかりなのです。……だってそうじゃアありませんか。私達の家は何んていうのでしょう。ガランとしていて寂しくて、陰惨としていて墓場のようです。その辺に沢山幽霊がいて、私達を見守ってでもいるようです。大きな屋台骨、暗い間取り、荒れ果てた庭、煤けた階段、陽の目さえ通さないじゃアありませんか。ここにじっとして坐っていると、私は滅入ってしまいそうです。……いえそれよりもっともっと[#「もっともっと」に傍点]、大事なことがあるのです。それはお母様とお父様なのです。まあどうでしょうお父様と来ては、年が年中|離座敷《はなれ》ばかりにいて一度として主屋《おもや》へはいらっしゃらない。一度として戸外へおいでにならない。庭へさえ出ないじゃアありませんか。その上お母様や私をさえ、はいらせようとしないじゃアありませんか。ええそうです離座敷《はなれ》の中へ。……つまりお父様は狂人なのです。それもひどい人間嫌いの。ところでお母様はどうかというに、猫可愛がりに私を可愛がってお父様へ接近させまいとする。教えることは何かと云うに、じっとしておれ、穏しくしておれ、世間へ出るな、出世など願うな――と云うようなことばかりです。そうしてお母様はおっしゃられる、二十五歳まで待つがよい。その時お前は金持ちになれると! ……そういう私の家庭です。こういう家庭にじっとしていれば、青年としての活気が失われます。出て行かなければなりません。出て行って私は何かしたいのです」
「そういうことを云わせるのも、お前についている女だと思うよ。妾にはその女が憎くてならない」
「悪い女ではございません、お母様誤解してくださいますな」
 ――京一郎にとってはお蝶という女は、悪い女ではないのであった。自分に勇気をつけてくれる、むしろ有難い女なのであった。その上その女は愛してくれた。
 ああいうことからお蝶に逢い、これから後も来てくれと云われたので、京一郎は家を抜け出しては、お蝶の家へ忍んで行った。そのうち自分もいつとはなしに、お蝶に恋をするようになった。
「妾はあの夜お逢いしました時から、あなた様を愛しておりました」
「私もそうなのでございます」
 とうとう互いに打ち明け合った。そうやって親しみを重ねて行くうちに、お蝶という女が覇気に富んでいて、京一郎と連れ立って、遠方へでも走って行ってしまおうと、心巧みをしているような、口吻《こうふん》を洩らすようなことがあった。しまいには露骨に勧めるようになった。
「若い時期《とき》は早く過ぎて行くものです。享楽しようではありませんか。妾はいつでもお供をします。あなたには早く決心なされて、陰気な、無気力な、生き甲斐のない、ご両親の家などお出なさいまし。外にはもっと華々しい、活気に充ちた生活があります。そうして男というものは、何か事業《しごと》をしないことには、男としての真の楽しみを、感じないものでございます。外にはいくらでも事業があります」
 などというような意味のことを、率直に云ってそそのかしたりした。

        

 京一郎は性格として、活動的の人間であって、箱入り息子式に生活させられることを、ひそかに以前《まえ》から嫌っていて、そのため両親へは内密に、町道場へ通って行き、竹刀《しない》の振り方など習うほどであった。
 で、愛するお蝶の口から、そんなように勧められると、一も二もなく家を出て外へ行きたかった。でお蝶へ云うのであった。

「出ましょう、出ますとも、家を出ましょう! お蝶様ご一緒に行ってくださるか」
「行く段ではございません……でも」
 と、すると、どうしたことか、ここで、いつもお蝶は言葉を濁し、暗示めいたことを云うのであった。
「でも、世間へは手ぶら[#「ぶら」に傍点]では、出て行けるものではございません」
「手ぶら[#「ぶら」に傍点]で! 手ぶら[#「ぶら」に傍点]とは? 何んのことでしょう?」
「世間は薄情でございます。薄情の世間と戦うには、戦うだけの用意をしなくては……」
「いえ、私はこう見えても、体は強うございますから……」
「体も体でございます。……それより、何よりお金がないことには……」
「金!」「ええ」
「金なんか」「あって?」
「いいえ。……でも、当座の……少しぐらいの金でしたら……」
「少しぐらいの当座の金などで……」ここで一層お蝶は暗示的に、このようなことを云うのであった。
「あの[#「あの」に傍点]歌の後さえ解りましたら、金はなんぼでも出来るのですが。……あの歌の後を知っている者は右のこめかみに痣《あざ》のある老人ばかりなのでございます」
「私の父の右のこめかみにも、痣があるのでございますよ。……でも私の父などが……」
「後の歌をお聞き出しくださいまし」
(変だな)と京一郎は思うのであった。
(父がそんな歌を知っているだろうか?)――とにかくこういう経緯が、幾度か繰り返されて昨夜となった。そうして昨夜もお蝶と逢った。するとお蝶は嘲笑《あざわら》うような、いつもとは異う口吻で、このような意味のことを云った。
「あなた様とは今晩限り、お逢いすることは出来ますまい」
「何故?」と京一郎は胆を冷やし、うわずった声で訊き返した。
「さあ、何故と申しましても……」
 ここでお蝶は云いよどんだが、けっきょく京一郎が意気地《いくじ》がなくてお蝶の希望を叶わせようとしない、で愛想を尽かしてしまってお蝶一人でどこへとも行こう――そう決心をしたのであると、明瞭《はっきり》とではなかったが云った。
「ふーむ」と京一郎は考え込んだ。もうこの頃の京一郎は、お蝶がないことには一日として、生きて行かれないというほどにもお蝶に心を奪われていた。
 で彼はカッとしてしまった。カッとした心で夢中のように誓った。
「それでは必ず明晩にも……」
「そう」とお蝶は頷いて見せた。
「では妾は明日の晩には、あなた様のお家の裏口の辺でお待ちしていることにいたしましょう」
 その明日の晩が今となった。
 こうして母と話している間も、恋人が家の裏口にいるのだ――そういう気がかりが京一郎の心を、わくわくさせてならなかった。
「お母様!」と京一郎は語気を強めて云った。
「二十五歳になった時に、私は大金持ちになれるのだとよくお母様は申しました。お母様お願いいたします。今、お金持ちにしてくだされ!」
「京一郎や、まあお前は……」お才は声を顫《ふる》えさせて云った。
「そんなお前、勝手なことを!」
「ねえお母様、お金をくだされ!」
「そういうことも背後《うしろ》にいる女が……」
「ねえお母様、お金をくだされ!」

        

 例の歌についてお蝶の云った、あの言葉などは京一郎といえども、信ずることは出来なかった。あの歌の後につづく歌を、聞き出すことが出来たなら、大金を得られるというような言葉は。……まして自分の父親などが、そんな歌を知っていようなどとは、京一郎といえども信じなかった。
 で京一郎はそんな方面から、金を得ようとは思わなかった。が、母親が口癖のように、お前が二十五歳になったら、大金持ちになることが出来ると、そう云ったのを知っていたので、その金を今手に入れようと、母親に迫っているのであった。
「お母様お金をくだされ!」京一郎はお才へ迫った。断乎とした執拗な、兇暴でさえもある、脅迫的の京一郎の態度と、顔色と声とはお才の心を、恐怖に導くに足るものがあった。
 食いしばった歯が唇から洩れ、横手に置いてある行灯の灯に、その一本の犬歯が光った。頸に現われている静脈が、充血のためにふくらんでいる。膝に突いている両の拳の、何んと亢奮《こうふん》で顫えていることか! ――京一郎はそういう姿で、お才へ迫って行くのであった。
「京一郎や、まあお前は!」お才は思わず立ち上がった。
「まるで妾《わたし》を! ……どうしようというのだよ! ……」
「金だ!」と京一郎もつづいて立った。
「今! すぐにだ! ねえお母様!」
「狂人《きちがい》だ! お前は! ……おお恐ろしい! 誰か来ておくれ、京一郎が妾を!」
 ――こんなことがあってよいものだろうか! 母はその子に殺されるかのように、こう大声に助けを呼んで、縁から庭へ遁《の》がれようとした。
「お母様!」と追い縋った。
「誰か来ておくれ!」と障子をひらいた。
「逃げますか! お母様! コ、こんなに……頼んでも頼んでも頼んでも!」
 よーし! と猛然と追い迫った時、自然にまかせて生い茂らせ、長年手入れをしなかったため、荒れた林さながらに見える、庭木の彼方《あなた》に立っている、これはそういう林の中の、廃屋さながらの建物の中から、老人の歌声が響いて来た。


  かすかに見ゆる
  やまのみね
  はれているさえなつかしし
  舟のりをする身のならい
  死ぬることこそ多ければ
  さて漕ぎいだすわが舟の
  しだいに遠くなるにつれ
  山の裾辺の麦の小田
  いまを季節とみのれるが
  苅りいる人もなつかしし
  わが乗る舟の行くにつれ
  舟足かろきためからか
  わが乗る舟の行くにつれ
  色も姿もおちかたの
  深き霞にとざされぬ
  われらの舟路! われらの舟路!
[#ここで字下げ終わり]

 つれてバラードの楽の音が聞こえた。
「あッ!」とその刹那京一郎は、縁に突っ立って動こうともせず、首を伸ばして聞き澄ました。

        七


  (幽暗なる世界なるかな
  蠱物《まにもの》めきしたたずまいなるかな
  ここにある物は「現在」の頽廃、ここにある物は過去への思慕、ここに住める物は生ける亡霊、この部屋へ入る者は襲わるべし)

 こういう箴言《しんげん》が壁の一所に、掲げられていなければ不似合いである。――と、そんなように思われるほど、この部屋は陰気で悲し気で、他界的で気味が悪かった。
 京一郎の父で塩屋の主、お才の良人《おっと》の嘉右衛門が、十数年来孤独に住んでいる、庭の奥の林の中の、廃屋の中の部屋であった。万国地図と海図との懸かった、一方の壁へ背を向けて、背革紫檀の古風で寛濶な、肘掛椅子に腰をかけ、嘉右衛門はバラードを弾いている。六十歳ぐらいの年齢《とし》でもあろうか、頭髪は晒らした麻のように白く、頸《うなじ》にかかるまで長かったが、もう一度世に出る機会が来た時、穢れていては恥であると、そんなように思った心持ちからか、丁寧《ていねい》に手入れされていた。
 鋭い眼、食いしばったような口、大資本家型の猶太《ユダヤ》鼻、嘉右衛門はそういう顔をしていたが、右のこめかみに拇指《おやゆび》大の痣《あざ》が紫がかった黒い色に、気味悪く染め出されているために、不吉な人相をなしていた。長身であり肥大であった。で体格は立派なのであった。
 そういう彼と向かい合って、同じような椅子に腰をかけている、三十五、六歳の武士があったが、他ならぬ十二神《オチフルイ》貝十郎であった。
 その二人を取り巻いて、床の上や壁の面に、雑然と掛けられ置かれてある品の、何んと異様であることか。望遠鏡があり帆綱があり、羅針盤があり櫂《かい》があり、拳銃があり洋刀があり、異国船の模型があり、黄色く色づいている龍骨があり、地球儀があり、天気験器《ウェールガラス》があり、写真器《ドンクルガラス》がありホクトメートルがあった。
 壁に添ってハンモックが釣るされてあったが、そこには、人間が寝ていずに、和蘭《オランダ》あたりの船長でも着そうな、洋服が丸めて置いてあった。
 が、そういう品々は、十数年間人の手によって、手入れをされたことがないと見え、錆《さ》び、よごれ、千切れ、こわれ、塵埃《ちりぼこり》にさえも積もられていた。しかしそれよりもそういう品々やそういう人々を包んでいる、部屋の内部の構造《つくり》の、何んと不思議であることか。天井は黒く塗られている。壁も黒く塗られている。柱も黒く塗られている。壁にあるのは円形の窓で、天井にあるのはこれも円形の、玻璃《はり》で造られた明《あか》り窓《まど》で、そこに灯火《ともしび》が置いてあると見え、そこから鈍い琥珀色の光が、部屋を下様に照らしていた。それにしても天井が蒲鉾《かまぼこ》形に垂れ、それにしても四方の黒い壁が、太鼓の胴のそれのように、中窪みに窪んでいるというのは、いったいどうしたことなのであろう? こういう構造《つくり》は欧羅巴《ヨーロッパ》あたりの、商船のサロンの構造《つくり》ではないか。……まさに、それはそうであった。商船のサロンに則《のっと》ってつくった、部屋に相違なかった。
 思うに嘉右衛門が十数年前、この部屋へ世を避けてこもった時、考えるところあってこういう部屋をひそかに造ったものと見える。
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※[#歌記号、1-3-28]われらが舟路! われらが舟路!
[#ここで字下げ終わり]
 最後の歌が終っても、尚バラードは鳴っていた。眼を閉じ追想にふけりながら、嘉右衛門が弾いているからであった。
 その嘉右衛門の顔の上に、天井から光が射していて、額を明るく照らしていた。顔を上向けているからである。閉ざされた眼の下瞼《したまぶた》の辺に――眼窩が老年で窪んでいるのでかなり濃い陰影がついていて、それが彼の顔を深刻にしていたが、尚その後をうたいつづけようとして、なかば開けた唇を、幽《かす》かに顫《ふる》わせている様子と、頬に青年のような血の色が、華やかに注《さ》している様子が、亢奮と感激と思慕と憧憬とに、充たされた顔をなしていた。
(さあもう一息だ! 一息でいい! もう一息で秘密は解けるだろう)
 向かい合って腰かけて嘉右衛門の顔を、熱心に見詰めていた貝十郎は喜びをもってこう思った。
(よし、もう一息駆り立ててやろう)で、彼はそそののかすように云った。
「空にまで届く大龍巻、丘のように浮かぶ大鯨。鰯《いわし》の大軍を追っかけて、血の波を上げる鯱《しゃち》の群れ、海の出来事は総て大きい! 赤い帆が見える! 海賊船だ! 黒い船体が島陰から出た! 真鍮《しんちゅう》の金具、五重の櫓、狭間《はざま》作りの鉄砲|檣《がき》! 密貿易の親船だ! 麝香《じゃこう》、樟脳、剛玉、緑柱石、煙硝、氈《かも》、香木、没薬《もつやく》、更紗、毛革、毒草、劇薬、珊瑚、土耳古《トルコ》玉、由縁ある宝冠、貿易の品々が積んである! さあ、日が落ちた、港へはいれ! 黎明《れいめい》が来たぞ、島へ隠れろ! ……大金がはいった、さあ上陸だ! 酒場、踊り場、寝台のある旅舎《はたご》! どれでも選べ、女を漁《あさ》れ! 飲め、酒だ、歌え! それよりもだ、バラードを鳴らして!」
 絶えようとしていたバラードの音が、この時活気を呈して来た。そうして嘉右衛門の見開かれた眼に、燠《おき》のような光が燃えて来た。
(歌うぞ?)と貝十郎は首を伸ばした。
(いよいよあの歌の次を歌うぞ!)亢奮せざるを得なかった。
 当然と云ってよいのである。彼はその歌を聞きたいがために、この夜ごろこの部屋へ入り込んで来て、なかば放心しなかば狂気し、しかも再び密貿易商として、海外へ雄飛しようとする夢を執念深く夢見していて、そのために気むずかしくなっており、そのために尊大になっており、あつかい悪《にく》くなっている、塩屋の主人の嘉右衛門を、すかしたりなだめ[#「なだめ」に傍点]たりおだて[#「おだて」に傍点]たりして、そうして絶えず亢奮させ、そうして絶えず昔を思い出させ、昔歌ったあの歌のつづきを、歌わせようと苦心をした、その苦心が報いられようとするのであるから。
(歌うぞ!)と貝十郎は耳を澄ました。(あの歌に秘めてある秘密などは、暗号というものの性質を、少しでも知っている人間にとっては何んでもなく解ける種類の秘密だ。一句一句の頭文字と、一句一句の末の文字とを、つなぎ合わせればそれで解ける秘密だ。最初の一句の頭文字は「か」という文字に他ならない。その次の句の末の末字は「ね」という文字に他ならない。こうしてつないで[#「つないで」に傍点]行くことによって、秘密は解けてしまうのだ。そうして俺は秘密を解いた。が、あれだけでは仕方がない。そうさ、「金は石の下、石は川の縁」と云ったところで、その川がどこの川だやら、その縁がどの川のどの辺の縁やら、解らないことには仕方がない。それを説明しているのが、後へ続く歌なのだ)
(歌うぞ!)と貝十郎は耳を澄ました。(後へ続くその歌を!)
 はたして嘉右衛門は歌い出した。
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※[#歌記号、1-3-28]………………
  ………………
[#ここで字下げ終わり]
 しかし言葉をなさない前に、にわかに歌うのを止めてしまい、顔を窓の方へやったかと思うと、
「汝《おのれ》ら、秘密を盗みに来たか!」
 こう叫んで立ち上がった。が、その次の瞬間には、腐った木のように床の上に仆れた。
 ぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]としてこれも立ち上がり、貝十郎は窓の方を見た。彼の眼に映ったものといえば、この家の伜の京一郎の顔と、お蝶のその実はこの時代の盗賊、六人男といわれている賊の、その中の一人の女勘助の、妖艶をきわめた顔であった。
「馬鹿め! あったら大事なところを!」
 貝十郎は残念そうに叫び、身をかがめて嘉右衛門の手を取った。が、その手には脉《みゃく》がなかった。激情が彼を殺したのである。

 後日、貝十郎は人に語った。
「嘉右衛門は本来密貿易商として、刑殺さるべき人間なのでしたが、財産を田沼侯へ差し上げたので、命ばかりは助けられたのでした。全財産を献じたと云っても、それは実は表向きで、彼は以前から大きな財産を、ひそかに隠して持っていて、その隠し場所を歌へ詠《よ》み込み、機嫌のよい時に一人で歌って、楽しんでいたということです。そうして女房だけへは云ったそうです。『京一郎が二十五にでもなり、俺の事が官から忘れられた頃、その財産を取り出して、昔のような豪快な、海の上の生活をやることにしよう』と。……そういう秘密の歌のことを、どうして館林様が知ったものか――ああいう叡智《えいち》のお方だから、どこからかお知りなされたのであろう。――秘密の歌の前半まで知って、後へつづく歌を知ろうとなされた。と云って嘉右衛門に強いて訊いても、剛愎の嘉右衛門が話すわけはない。伜の京一郎から訊かせたら、親子の情で話すだろう。……そこで手下の六人男と謀り、京一郎を玉にしたのでした。……あの時の喧嘩はカラクリなのでした。お蝶――女勘助の家へ――あの家は彼らの巣だったのでした。……逃げ込ませようためのカラクリだったのでした。それからの事はお話しなくとも推量する事が出来ましょう」

    木曽の旧家

        一

「あれーッ」
 と女の悲鳴が聞こえた。貝十郎は走って行った。森の中で若い美しい娘が、二、三人の男に襲われていた。しかし貝十郎の姿を見ると、その男達は逃げてしまった。
「娘ご、どうかな、怪我《けが》はなかったかな」
「はい、ありがとう存じます。おかげをもちまして」
「それはよかった。家はどこかな、送って進ぜる、云うがよい」
「はい、ありがとう存じます。すぐ隣り村でございまして、征矢野《そやの》と申しますのが妾《わたし》の家で……あれ、ちょうど、家の者が……喜三や、ほんとに、何をしていたのだよ……」
「お嬢様、申しわけございません。道で知人《しりあい》に逢いましてな」
 手代風の若者が小走って来た。こういう事件のあったのは明和二年のことであって、所は木曽の福島であった。

 その翌日のことである。
「どなたか! あれーッ、お助けください!」
 若い女の声がした。で、貝十郎は走って行った。駕籠舁《かごか》きが娘を駕籠へ乗せて、今やさらって行こうとしていた。
「こいつら!」と貝十郎は一喝した。駕籠舁きが逃げてしまった後で、貝十郎は女を見た。
「や、昨日の娘ごではないか」
「まあ」と娘も驚いたようであった。「あぶないところを重ね重ね」
「それはこっちでも云うことだが……」
「あれ、幸い家の者が……」
 三十五、六歳の乳母らしい女が、息をはずませて走って来た。
「お三保様、申しわけございません」

 その翌日のことであった。木曽川の岸で悲鳴がした。
(ひょっとするとあの女だぞ)
 思いはしたが貝十郎は、声のする方へ走って行った。筏師《いかだし》らしい荒々しい男が、お三保を筏へ引きずり込み、急流を下へ流そうとしていた。しかし貝十郎の走って来るのを見ると、筏師と筏とは川下へ逃げた。「娘ご、これで三度だな」「重ね重ね、ほんとうにまあ……」「隣り村はなんという村だ?」「駒ヶ根村でございます。……爺や、お前、何をしていたのだよ」「はいはいお嬢様、申しわけもない……」
 六十近い下僕《しもべ》らしい男が、汗を拭き拭き走って来た。
(あれ、幸い、家の者が――と云う段取りになったという訳か)貝十郎は思い思い別れた。
(俺を釣ろうとの計画とも見えれば、連続的偶然の出来事とも見える)旅籠屋|舛屋《ますや》へ帰ってからも、貝十郎は考え込んだ。
(よし、面白い、探って見よう)で、翌日駒ヶ根村へ出かけた。
 用があって木曽へ来たのではなかった。風流から木曽へ来たのであった。よい木曽の風景と、よい木曽の名所旧蹟と、よい木曽の人情とに触れようために来たのであった。
 与力とは云っても貝十郎は、この時代の江戸の名物男であり、伊達男《ダンデー》であり、風流児であり、町奉行の依田和泉守などとは、そういう点で憚《はばか》りのない、友人|交際《つきあい》をしていたので、そういうわがままは大目に見られていた。
 上松の宿まで来た時である。貝十郎は茶店へ休んだ。
「征矢野という家がこの辺にあるかな?」
 茶店の婆さんへ何気なく訊いた。
「へい、いくらでもございますだ」
「ナニ、一軒で沢山なのだが、美しい娘のある家だ」
「木曽は美人の名所でごわしてな」
「有難う」と貝十郎は笑って受けた。「婆さんなんかもその一人だね」
「へい、御意《ぎょい》で、三十年前には」
「三十年前の別嬪については、いずれ詮索をするとして、三保という娘のいる家だが……」
「あれ、お三保お嬢様のお家でがすか」
「さよう。お前の親戚かな」
「とんでもねえ」と婆さんは撥ねた。「勿体もねえご旧家様でごわす」
「そのご旧家様、どこにあるかな?」

        

 旧家であって財産家ではあったが、主人も主婦も死んでしまい、娘一人が生き残り、主人の弟の隼《はや》二郎という男が、後見人として入り込んでいる。上松の宿から三里あまり、山の方へはいった鷺ノ森という地点に、宏大な屋敷が立っている。――と云うのが茶店の老婆の話した、征矢野という家の輪廓であった。
(もうこれだけでも犯罪の起こる、立派な条件が具備されている)鷺ノ森の方へ歩きながら、貝十郎はそんなように思った。
(隼二郎という男が悪人で、征矢野という家を横領しようとする。後継者の娘が邪魔になる。悪漢《わるもの》に云いつけてお三保という娘を、傷者《きずもの》にするか誘拐《かどわか》させる。……平凡に考えてもこんなような、犯罪の筋道はちゃんと立つ)貝十郎は歩いて行った。
 木曽の五木と称されている、杜松《ねず》や羅漢柏《あすなろ》や椹《さわら》や落葉松《からまつ》や檜《ひのき》などが左右に茂っている。山腹の細道は歩きにくく、それに夕暮れでもあったので、気味悪くさえ思われた。空を仰いでも左右から差し出した木々の枝葉に蔽われて、夕焼けた細い空が帯のように覗かれて見えるばかりであった。足にまつわる草や蔓には、露があって脚絆《きゃはん》を冷たく濡らした。
 かなり歩いたと思った時、行く手の灌木の向こうから、若い男女の話し声が聞こえた。
「ね、いいじゃアありませんか。……いつまで待てとおっしゃるのでしょう。……」
「いいえ、いけませんの、どうぞ勘忍して。……妾《わたし》、辛いのでございますわ。……だって、叔父様が……ね、ですから……」
「叔父様が何んです! そんなもの! ……ああ私はどうしたらいいのだ! ……もう待てないのです、とても私には! ……若さだって過ぎてしまいます! ……逃げましょう、いっそ、ね、二人で! ……」
(ははあ)と貝十郎は微笑した。(野の媾曳《あいびき》っていうやつだな。度を越すと野合という奴になる。……)
「三保子!」と突然荒々しい、男の声が聞こえて来た。「何をしている。家へ帰れ!」
「あれ、叔父様、まあどうしよう! ……鏡太郎さん早く逃げて!」
 鏡太郎の逃げる足音が聞こえた。
(やれやれ)と貝十郎は苦笑をした。(叔父さんという奴は大概の場合、粋な人間に出来ているものだが、ここの叔父様は逆だったわい。待て待て、三保子と呼んだようだった。では女はお三保なのか、とすると叔父と云うのは後見をしている、隼二郎という男だな。隼二郎叔父さんを見てやろう)
 で、貝十郎は灌木を巡り、横手の方から前の方を見た。紅い帯を結んだ初々しいお三保の姿――背後《うしろ》姿が見え、その前に立っている痩躯長身の、四十年輩の男の姿が見えた。蒼白い顔色、黒い頤鬚が、陰険の相をなしていた。落ち窪んだ眼窩の奥の方で、瞳がチロチロ光っていたが、それも人相を深刻にしていた。
(これは大変な怪物だぞ)貝十郎は眉をひそめた。(俺に取っても強敵らしいぞ)
 隼《はや》二郎はお三保に何か云っていた。しかしきわめて低声だったので、貝十郎へは聞こえなかった。と、二人は歩き出した。そうして間もなく見えなくなった。
 行く手に小広い野があって、丘がいくつか連らなっていたが、その丘の向こうに征矢野《そやの》の屋敷が、どうやら立っているようであった。
(さて、これからどうしたものだ)貝十郎は思案した。
(とにかく征矢野家まで行って見ることにしよう)しかし十歩とは歩かなかった。
「もし、お武家様、お待ちなすって」こう背後《うしろ》から呼ばれたからである。振り返った貝十郎の眼の前にいたのは、二十四、五歳の若い男であった。
「何か用かな」と貝十郎は訊いた。
「へい」と若い男はニヤニヤ笑った。「あの娘、別嬪《べっぴん》でございましょうがな」
(厭な奴だな)と貝十郎は思った。で、黙って男を見詰めた。
「三保子様は別嬪でございますとも」自信がありそうに若い男は云った。「云わば花野の女王様で」
(こいつ馬鹿だ!)と貝十郎は思った。(でなかったら色情狂だ)
「それに大層もない財産家で」
(おや、こいつ、慾も深いぞ)貝十郎は降参してしまった。
(山の中へ来ると変な奴に逢うぞ)
「お武家様、あなた見ていましたね」

        

「何を?」と貝十郎は不愉快そうに訊いた。
「私と三保子様との恋三昧をでさあ」
「…………」
「旦那、邪魔をしちゃアいけませんぜ」
「貴様は誰だ!」
「鏡太郎って者だ!」
(ふうん、こいつが鏡太郎なのか)改めて貝十郎は鏡太郎を見た。
 ベロッとした顔、ベロッとした姿、――そういう形容詞が許されるなら、鏡太郎はそういう顔と姿の、持ち主と云わなければならなかった。つまり甞めたような人間なのであった。甞めたように額がテカテカしており、甞めたように頤がテカテカしていた。衣裳などでもテカテカ光っていた。都会の軟派の不良青年――と云ったような仁態であった。しかし太々しい根性は、部厚の頬や三白眼の眼に争い難く現われていた。
(ははあこいつ色悪だな)と貝十郎はすぐに思った。(こいつに比べると隼二郎の方が、まだしも感じがいいと云える。――どっちがいったい悪党なんだろう? ちょっと見当がつかなくなった。江戸にいると俺は見透しなんだが、田舎へ来るとそういかなくなる。田舎は性に合わないと見えるぞ)
「旦那」と鏡太郎が嘲笑うように云った。「ただのお武家さんじゃアなさそうですね。それにお前さんあの女に、特別の興味を持ったようですね。が、ハッキリ云って置く、手を引いた方がようござんしょうと。……鷺ノ森へ来たお前さんだ、征矢野の家のお客なんだろうが、あの女へチョッカイは出さない方がいい」
「うるさい下司《げす》だな、何を云うか!」
「何を、箆棒《べらぼう》、怖いものか」
「行け!」
「勝手だ」
「白痴者《たわけもの》め」
 云いすてて貝十郎は先へ進んだ。
(まるで俺の方が脅されたようなものだ)苦笑せざるを得なかった。(幸先必ずしもよくないぞ)
 その時彼の背後《うしろ》の方から梟《ふくろう》の啼き声が聞こえて来た。つづいて雉《きじ》の啼き声がした。呼び合い答え合っているようである。
(これはおかしい)と思いながら、貝十郎は振り返って見た。灌木の傍らに男女がいた。一人は例の鏡太郎であり、もう一人は見知らない女であって、髷の一所《ひとところ》が夕日を受けて、白く光っているのが見えた。

 征矢野家の客間は賑わっていた。大勢の客がいるのである。その中に貝十郎もいた。
「これはようこそおいでくださいました。ずっとお通りくださいますよう。主人も喜ぶでございましょう。皆様お集まりでございます」
 宏大な征矢野家の表門まで、貝十郎が行きつくや否や、袴羽織の家人が出て来て、こう云って貝十郎を案内しようとした。
「いや、拙者は、何も当家に。……単にこの辺へ参ったもので……」
 当惑して貝十郎はこう云ったが、家人は耳にも入れなかった。待っていた客を迎えるようにして、貝十郎を客間へ通した。
 その客間には貝十郎よりも先に、大勢の客が集まっていたし、貝十郎の後から、幾人かの客が、招じられてはいって来た。
 征矢野家の客間は賑わっていた。
(これまでのところ俺の負けだ)貝十郎はキョトンとした心で、むしろ憂欝と不安とを抱いて、柱へ背をもたせ座布団を敷き、出された酒肴へ手をつけようともせず、彼の左右で雑談している、人々の話をぼんやりと聞き、その合間にそんなことを思った。(これまでのところ俺の負けだ。何から何まで意表に出られる)
「ともかくも先代は人物でしたよ」
 修験者らしい老人が、盃を口から離しながら、隣席《となり》の商人らしい男に云った。「衰微していた征矢野家を、一時に隆盛にしたのですからな。修験道から云う時は『狐狗狸変様蒐珍宝』――と云うことになりますので」
「さようで」と商人はすぐに応じた。「商法の道から申しますと、十ぱい[#「ぱい」に傍点]買った米の相場が、一夜で十倍に飛び上がったようなもので」
 するとその隣りに坐りながら、いいかげんに酔っているところから、相手があったら言葉尻でも取って、食ってかかろうと構えている、博徒《あそびにん》らしい若者がいたが、
「一時に金持ちになるような奴に、善人なんかありませんや。その証拠にはここの先代だって、あんな死に態《ざま》をしてしまった。罪ほろぼしというところで、毎年命日がやって来ると、当代の主人がこんなように諸人接待のご馳走をするが、それだけ引け目があるって訳さね」

        

(そうか)と貝十郎は胸に落ちた。(諸人接待の饗応だったのか。それで俺のような人間をも、有無を云わせず連れ込んだのか。……それはそれとしてこの家の先代には、何か犯罪があるらしいな)
 で、貝十郎は聞き耳を立てて、客人達の話を聞いた。
「一人の老人の旅の者が、何んでもこの家へ泊まったのだそうです」貝十郎のすぐ側《そば》に坐って、肴《さかな》をせせっていた村医者らしい、七十近い老人が、声をひそめて他聞を憚るらしく、自分の前に坐っている、これも六十を過ごしたらしい、寺子屋の師匠とでも云いたげの、品のある老人へ囁いた。「ところがそれっきり旅の者は、この家から姿を隠したそうで。つまりこの家から出ても行かず、またこの家におりもせず、消えてなくなったのだということで」
「さよう私もそんな話を、たしか若い頃に聞きましたっけ。その時以来この征矢野家は、隆盛に向かったということですな」寺子屋の師匠は相槌を打った。「ところがその後ずっと後になって、ごろつき[#「ごろつき」に傍点]のような人間が、この征矢野家へやって来て、先代を強請《ゆす》ったということですな」
「さようさようそうだそうです。親父《おやじ》を生かして返してくれ、それが出来なかったら財産を渡せ――こう云って強請《ゆす》ったということで」
「ところがその男もいつの間にか、姿が失《な》くなってしまったそうで」
「そこで私はこう思いますので」村医者らしい老人は云った。
「ここの屋敷を掘り返したら、浮ばれない無縁の二つの仏が、白骨となって現われようとね」
「まさにね」と寺子屋の師匠が云った。「と思うとここにあるご馳走なども、血生臭くて食えませんよ」
「先代が裏庭の松の木の枝で、首を縊って死んでいたのを、私は検屍をしたのでしたが、厭な気持ちがいたしましたよ」
「私は現在ここの娘の、お三保さんに読書《よみかき》を教えているのですが、どうも性質が陰気でしてな」
(なるほど)と貝十郎はまた思った。(そういう事件があったのか。ここの先代は悪人なのかもしれない)
(しかし)と貝十郎はすぐに思った。(田舎の旧家というような物には、荒唐無稽で出鱈目な事が、伝説のような形を取って、云いつたえられているものだから、そのまま信用することは出来ない)
 ――それにしても主人の隼二郎も、娘のお三保と接待の席へ、何故姿を見せないのだろう? このことが貝十郎を不思議がらせた。
 袴羽織の召使いや、晴衣をまとった侍女などが、出たりはいったりして酒や馳走を、次から次と持ち運び、酌をしたり世辞を振り蒔いたりしたが、隼二郎とお三保とは出て来なかった。燭台が諸所に置かれてあり、それの光が襖や屏風の、名画や名筆を華やかに照らし、この家の豪奢ぶりを示していた。
 客の種類は雑多であった。村の者もいれば隣村の者もおり、通りがかりの旅人もいれば、接待の噂を聞き込んで、馳走にあずかりに来たものもあった。僧侶の隣りに浪人者がいたり、樵夫《きこり》の横に馬子がいたりした。
「お武家様おすごしなさりませ。妾《わたくし》、お酌いたしましょう」不意に横から云うものがあった。
「うむ」と貝十郎はそっちを見た。
 いつの間にそこへ来ていたものか、山深い木曽の土地などでは、とうてい見ることの出来ないような、洗い上げた婀娜《あだ》な二十五、六の女が、銚子を持って坐っていた。三白眼だけは傷であったが、富士額の細面、それでいて頬肉の豊かの顔、唇など艶があってとけそうである。坐っている腰から股のあたりへかけて、ねばっこい蜒《うね》りが蜒っていて、それだけでも男を恍惚《うっとり》させた。
「これは……」と貝十郎は思わず云ったが、釣り込まれて盃を前へ出した。
「はい」と女は上手に注いだ。
 キュッと飲んで置こうとするところを、
「お見事。……どうぞ、お重ねなすって」
 云い云い女は片頬で笑い、上眼を使って流すように見た。
「では……」「はい」
「これはどうも」「駈け付け三杯、もうお一つ」「さようか」「さあさあ」「こぼれましたぞ」
「これは失礼。……ではその分を……」「え?」

        

「いいえさ、今度こそ上手に、ホ、ホ、散らぬようお注ぎいたします」
「うーん、どうもな、大変な女だ」
「まあ失礼な、お口の悪い」
「いやはや、ご免、地金が出ました」
「今度は罰金でございます」
「と云うところでもう一つか」
「それもさ、今度は大きい器《うつわ》で」
「これは敵《かな》わぬ」「敵わぬついでに」
「降参でござる。もういけない」
「では妾《わたくし》が助太刀と出ましょう」
「おお飲まれるか、これは面白い。……さあさあ拙者が注ぎの番か」
「はい、ご返盃」「あい、合点」
「ねえお武家様」と女は云った。「江戸のお方でございましょうね」
「ナーニ、奥州は宮城野の産だ。……そなたこそ江戸の産まれであろうな」
「房州網代村の産でござんす。……ご免遊ばせ」
 とスッと立ち、向こう側の座席へ行ってしまった。
(驚いたなあ)と貝十郎は、胸へ腕を組んで考えた。(どういう素姓の女だろう? ……それにしてもすっかり酔わされたぞ)その時寺子屋の師匠の声がした。
「お豊、あの女が曲者でしてな」
「さようで」と村医者の声がした。「隼二郎殿もお蔭で痩せましょうよ」
 こうして接待は深夜まで続いた。その間に土地の人達は、次々に辞して家へ帰り、旅の者だけが希望《のぞみ》に委せて、別々の座敷で寝ることになった。
 貝十郎の案内された部屋は、十畳敷きぐらいの部屋であって、絹布の夜具が敷かれてあり、酔ざめの水などが用意されてあった。
(さて、これからどうしたものだ)貝十郎は布団の上へ坐り、ぼんやり行燈を眺めやった。したたかに彼は飲まされたので、酔がすっかり廻っていた。(何んにもなすことはないじゃアないか。フラリとやって来てご馳走になって、いい気持ちに酔ったのだからな。このままグッスリ眠ってしまって、翌日になったら顔を洗い、有難うござんしたとお礼を云って、帰ってしまったらいいじゃアないか)彼はこんなことを思い出した。(何も征矢野家の犯罪って奴を、あばき出そうために来たのじゃアない。たかだか酔狂な好奇心から、様子を探るために来たまでだ。探る必要はあるまいよ)トロンとした心でこんなことを思った。(叩いた日にはどんなものからだって、罪悪という埃は立つさ。こういう俺だってひっ[#「ひっ」に傍点]叩かれて見ろ、そりゃア目茶苦茶に埃は立つ)ここまで考えて来ておかしくなった。(二百石取りの与力の俺がさ、蔵前の札差しと対等に、吉原で花魁《おいらん》が買えるんだからな。不思議と云わなければならないよ。そういう贅沢がどうして出来る? と、歯ぎしりをして問い詰められて見ろ、ダーとなって引っ込んでしまわなければならない)

 そこで寝てしまおうと帯を解きはじめた。その時どこからともなく、雉《きじ》の啼き声が聞こえて来た。すぐに続いて梟の啼き声が、――こんな深夜だのにそれに答えて、どこからともなく聞こえて来た。
(いけない)と貝十郎は帯を解く手を止め、その手で大小を手《た》ばさんだ。与力としての良心が、にわかに閃めいたからである。襖をあけて廊下へ出た。しかしすぐによろめいた。(はてな、悪酔いをしたらしいぞ)
 ヒョロヒョロヒョロヒョロと先へ進んだ。

        

 廊下の片側が雨戸になっていて、その一枚が開いていたので、そこから裏庭へ出て行った時にも、貝十郎の酔は醒めていなかった。
 遅い月が出て植え込みの葉が、いぶし銀のように光っている蔭から、男女の話し声が聞こえて来た時には、しかし貝十郎も耳を澄ました。
「おい豊ちゃんどうなんだい」
「鏡ちゃん、駄目だよ、まだなんだよ」
「駄目、へえ、どうして駄目なんで?」
「あの人どうにも固いのでね」
「何んだい、豊ちゃん、意気地《いくじ》がないなあ」
「鏡ちゃんだって意気地がないよ。二度も三度も縮尻《しくじ》ったじゃアないか」
「邪魔がそのつど出やがるのでね。それもさいつも同じ奴が。江戸者らしい侍なんだよ」
「江戸者らしい侍といえば、妾もそういうお侍さんへ、酒を飲ませて酔いつぶしてやったよ」
「邪魔の奴はつぶ[#「つぶ」に傍点]してしまうがいいなあ。……でないといい目が見られないからなあ。……豊ちゃんと俺《おい》らとのいい目がさ」
「そうとも」と女の声が云った。愛を含んだ声[#「含んだ声」は底本では「含ん声」]であった。
「そうとも二人のいい目がねえ。……妾《わたし》アお前さんが可愛くてならない」
 それっきり、声は絶えてしまった。
(オーヤ、オーヤ)と貝十郎は思った。(ここでも媾曳《あいびき》が行われている。悪党同士の媾曳だ。鏡太郎とそうしてお豊とらしい)(悪くないな)としかし思った。(罪悪のあるらしい旧家の裏庭で、美貌の若者と美貌の女とが、月光に浸りながら媾曳をしている。詩じゃアないか! 詩じゃアないか! そいつを与力が立ち聞きしている。詩じゃアないか! 詩じゃアないか! ……厭だよ、こんないい光景を「御用だ!」などという野暮な声を出して、あったらぶち壊してしまうのは。……こっそり逃げて帰ってやろう)
 酔がさせる業であった。与力の方から逃げ出したのである。
 彼は家へははいらなかった。庭を巡ってどこまでも歩いた。
 宏大な建物を囲繞《いにょう》して、林のようにこんもりと、植え込みが茂っている庭であり、諸所に築山や泉水や、石橋などが出来ており、隔ての生垣には枝折戸《しおりど》などがあったが、鍵などはかかってはいなかった。幾個《いくつ》かの別棟の建物があり、厩舎《うまや》らしい建物も、物置きらしい建物も、沢山の夫婦者の作男達のための、長屋らしい建物もあった。夜が更けているところから、どの建物からも灯火《あかり》は射さず、人の声も聞こえなかった。厩舎の前まで行った時、ませ[#「ませ」に傍点]棒を蹴っていた白い馬が、人なつかしそうに首を伸ばし、太い鼻息をして貝十郎を迎えた。横射しに射していた月光が、その長い顔をいよいよ長く見せた。
 貝十郎は彷徨《さまよ》って行った。と、行く手に建物があり、そこから灯火が射していた。主屋と五間ほど離れた所に、独立して建ててある建物であって、二間か三間かそれくらいの座敷を、含んでいる程度の大きさであり、主屋とは幾個かの飛び石をもって、簡単に連絡されていた。風変わりの建物でもなかったが、頑丈にしかして用心堅固に、造られているように見て取られた。三方厚い壁であり、その壁々には明りとりの、鉄格子をはめた窓ばかりが、わずかについているばかりであった。主屋《おもや》に向いた方角に、出入り口がついていた。土蔵づくりの建物なのである。燈火は出入り口から射していた。戸をとざすのを忘れたからであろう。射している光もほんの幽《かす》かで、他の幾棟かの建物から、同じように光が射していたら、紛れて気づかれないほどであった。
 貝十郎はそっちへ進んだ。入り口の前まで歩いて行った時、彼は女の泣き声と、そうして男の叱る声とを、その建物の中から聞いた。
(オーヤ、オーヤ)と彼は思った。(ここでは女が虐められている。反対側のあっちの庭では、男と女とが愛撫し合っていたが)
 彼はしたたかに酔っていた。そうして彼は与力であった。与力としての精神と、酔漢としての戯心《たわむれごころ》とで、彼は真相を知ろうと思った。
 で、足音を忍ばせて、建物の中へはいって行った。泣きながら女の喋舌《しゃべ》る声が、すぐ彼へ聞こえて来た。
「妾《わたし》、もうもう待てません。……これではまるで嫐《なぶ》り殺しです。……今夜こそ……どうしたって……でなかろうものなら……」
 男の叱る声が聞こえた。
「ね、あっちへ行っておいで。……お前の心は解っているよ。……が、しかしそう性急には……物事にはすべて順序がある。あの……娘《こ》を……ね、三保の方を……三保は年頃になっているのだから。……それに私《わし》には仕事がある。……これもどうしたって仕上げなければならない。……だからこそ私《わし》はこんな所へ……ああそうだよ。こんな所へこもって……」
 泣きながら反対する女の声がした。
「ですから三保子様を早くどなたかへ。……鏡太郎さんというあの人へでも。……お仕事! ああ、そのお仕事です! どんなに妾はそのお仕事を、憎んで憎んで憎んでおりますことか! ……そのためあなたは人相までも、変わってしまったではありませんか! ……二つの骸骨! 壊してしまおうかしら!」
「これ、お豊! 何を云うのだ!」
「旦那様! いいえ隼二郎様」
「お豊、私《わし》はお前を愛している。……ね、それだけは信じておくれ」
「妾《わたし》も、ええ妾《わたし》もですの」二人の声はここで切れた。
(さて)と貝十郎は苦笑して思った。(この後は抱擁ということになるのさ)
 彼の足下には二尺幅ぐらいの、狭い廊下が左右に延び、同じくらいの狭い廊下が、前方へ向かっても延びていた。丁字形になっている廊下の中央に、彼は佇んでいるのであった。その前方に延びている廊下の、右側に大きな部屋があり、部屋の扉が開いているので、燈火と人声とが洩れて来るのであった。数歩進んで扉の口まで行き、そこから内を覗いたなら、内の様子は見えるのであった。内部の一部――床の端だけは、ここにいる貝十郎にも見て取れた。畳が敷いてないのである。板張りになっているのである。
(お豊とそうして隼二郎なのか。……いや、腕の凄い女ではある。あっちの庭では年の下の、美少年と媾曳をしたかと思うと、こっちの部屋では年の上の、金持ちの旦那を口説いている、同じ晩にさ、わずかの時間にさ。……あんな女は都会にも少ない。どうにも俺は田舎が嫌いだ)

        

 この時隼二郎の声が聞こえた。
「杉田玄伯殿、前野良沢殿、あの人達と約束したのだよ、私の方が早く仕とげて見せると。……江戸でああいう人達と一緒に、研究していた頃は面白かった。……後見人となってこの家へ入り、木曽山中のこんな所で、くらしをするようになってから、私には面白い日がなくなってしまった。……お前が来てからそうでもなくなったが。……さあ私《わし》はやらなければならない。……さあお前はあっちへ行ってお休み。……あの娘が眼でも醒ますといけない。……私《わし》はあの娘《こ》を愛している。……どうもあの娘には誘惑が多い。……無理はないよああいう身分だから。……あの娘《こ》を幸福にしてやることが、死んだ兄さんへの大切な義務だ。……今日は兄さんの死んだ日だったね。……そうだ諸人接待の日だった。……私はこの日が来る度ごとに、鞭撻されるような気持ちがする。いやいや鞭撻されようために、今日を諸人接待の日に、取り決めたのだと云った方がいい。……兄さんは死ぬ前に私にあてて、気の毒な手紙をよこしたのだよ。悲痛の手紙と云ってもよいが。……お前は向こうへ行っておくれ。……ああ少し待っておくれ。接待に来てくれた人の中に、変わった人があったかしら?」
「いいえ」とお豊の云う声が聞こえた。「でも猪之助が来ていました」
「猪之助? おお猪之助が。……あの破落戸《ごろつき》が! 執念深い! ……兄の悪口を云っていたであろうな」
「ええ申しておりました」
「去年も来た、一昨年《おととし》も来た。……普通の日にもやって来て、私を強請《ゆす》ったことさえある。……あいつは誤解をしているのだ。……いやいやいや、誤解ではないが。……お豊や、私は気持ちが悪くなった。お前は向こうへ行って休むがよい」
 ここでしばらく話が絶え、やがて足音が聞こえて来た。貝十郎は身を翻えしたが、素早く廊下を右の方へ走り、闇に立って窺った。と、すぐにお豊の姿が、戸口から出て庭の方へ行った。と、庭から驚いたような、お豊の声が聞こえて来た。
「ま、猪之助さん! どうしたのです!」
 男の答える声がしたが、兇暴な響きを持っていた。
「退け! 今夜こそ埒《らち》をあけるんだ!」
「いけません! ……おお、誰か来てください!」
「敵《かたき》だ! 畜生め! 親の敵だ! ……待って待って待っていたのだ! ……他国からこの地へやって来て、こんな山の中へ住み込んで! 金……命を取るか、金を取るかと! ……やい、放せ! 埒をあけるのだ!」
「危険《あぶな》い! そんな、刃物なんか! ……誰か来てください! あッ誰か!」
(これはいけない)と貝十郎は、素早く入り口の方へ走って行った。が、こういう瞬間にも彼は疑問を脳裡へ浮かべた。
(俺の耳へさえ聞こえて来たのだ。隼二郎にも聞こえなければならない。どうして助けに行かないのだろう?)――で彼は庭へ飛び出すより先に、隼二郎のいる部屋を覗いて見た。
「いない! ……どうしたのだ、隼二郎はいない!」
 部屋は洋風に出来ていて、巨大な飾り棚や頑丈な卓や、椅子や書架が置いてあり、卓の上には杉田玄伯や、前野良沢や大槻玄沢や、貝十郎にとっては知己にあたる、そういう蘭医達の家々で見かける、外科の道具類が置いてあり、書棚には書物が詰めてあった。
 その部屋に隼二郎がいないのである。では隣室へでも行ったのであろうか? いやその部屋は四方壁で、出入り口は一つしか附いていなかった。窓はあったが閉ざされていた。そうして一つだけの出入り口からは、お豊が出て行ったばかりであって、隼二郎は出ては行かなかった。それは貝十郎も見て知っていた。
(これはいったいどうしたことだ)

        

 しかし貝十郎は部屋の中へはいって、隼二郎を探そうとはしなかった。この時またも庭の方から、女と男の叫び声が、逼迫して聞こえて来たからであった。で、貝十郎は飛び出して行った。月光の中でお豊と猪之助とが――諸人接待の馳走の席で、憎々しい反抗的態度と言葉とで、征矢野家の先代の悪口を、憚らず云っていたごろつき[#「ごろつき」に傍点]のような男――その猪之助とが格闘していた。と、前方から一つの人影が、二人目がけて走って来た。
「鏡ちゃん! いいところへ! 早く来ておくれ!」
「姉さん! あぶない! ……おのれ猪之助!」
「何を、こいつら! 邪魔をするな!」
 二人の格闘が三人となった。貝十郎は走って行こうとした。悪酔いがいまだに醒めなかった。足が云うことを聞かなかった。
「わッ」「斬ったな!」「態《ざま》ア見やアがれーッ」「あれーッ! 皆さん! 来てくださいヨ――!」
 一人が地上へぶっ倒れた。と、つづいてもう一人倒れた。そこから一人が走り出して来た。
「待て!」と貝十郎は身を挺して、走って来た猪之助を遮《さえぎ》ろうとした。体が云うことをきかなかった。
「邪魔だ! こいつも!」
 ドッとぶつかっ[#「ぶつかっ」に傍点]た。よろめいた貝十郎の横をすり抜け、土蔵づくりの建物の中へ、猪之助は一散に走り込もうとした。と、赤い一点の火が、花の蕾のような形を取って、建物の入り口から現われた。扉がその背後《うしろ》で閉ざされている。
「ね、叔父様はお仕事中よ、ですからはいっちゃアいけませんの」
 焔の立っている蝋燭を持ち、その光に顔を輝かせ、佇んでいる娘がそういうように云った。それは他ならぬお三保であった。隣りの部屋に眠っていたところ、庭での騒ぎが起こったので、驚いて様子を見に来たものらしい。処女らしい美しさが驚きのために、純粋性を増して見えた。唇がポッとひらいている。眼が大きくひらいている。
「ああ、あなた猪之助さんね。……どうなさいました、匕首など持って。……」
「…………」
 静が動を制したらしい。猪之助は呆然として突っ立っていた。

 地下室は決して暗くはなかった。
 明るい燈火《ともしび》に照らされて、その地下室の上にある部屋――隼二郎の部屋の舶来の、いろいろの外科の道具よりも、もっといろいろの外科の道具が、卓や棚に備えつけられてあった。そうしてその地下室の一所に、立派な柩が二つ置かれてあり、その中に二つの骸骨が研究材料のように置かれてあった。
 そうしてその側の机によって、庭に騒ぎなどあろうとも知らず、隼二郎が手紙を読んでいた。それは古びた手紙であって、諸人接待の日が来るごとに、読むことに決めている手紙であった。
「弟よ、私は自殺をする。私は家を興そうとして、物質ばかりに齷齪《あくせく》した。そうしてそのため二人の人をさえ殺した。一人は大金を持っていたからだ。一人は私の犯罪を知って、恐喝をしに来たからだ。自責のために私は死ぬ。私が縊死をした松の木の下を、試みに掘って見るがよい。二つの骸骨が出るであろう。私の殺した二人の人の骨だ。……お蔭で私は財を貯えた。お前に善用して貰いたい。私と違って学究のお前だ。その方面で尽くしてくれ。娘を頼む、三保を頼む」

 後日貝十郎は人に語った。「征矢野周圃といえば木曽の蘭医で、骨格の研究では最も早く、よい文献を出している人で、その方面では有名なのだそうです。隼二郎がつまり周圃なのです。例の二つの骸骨で、実地研究をしたのだそうです。お豊という女は悪人ではなく、周圃が江戸にいた頃から、周圃を愛していた女なので、周圃が木曽へはいってからは、家政婦として入り込んで来て、周圃の研究を助けながら、周圃と夫婦になろうとしたのです。ところが周圃は真面目なので、姪のお三保に婿を取るまでは、夫婦にならないと云っていたのです。そこでお豊は弟を呼び寄せ――鏡太郎というのはお豊の弟で、これも大した悪人ではなく、軟派の不良の少年だったのですが、弟とは云わずに附近に住ませ、お三保とくっつけ[#「くっつけ」に傍点]ようとしたのです。お三保が誘惑に応じないので、誘拐しようとまでしたのです。だが可哀そうに鏡太郎もお豊も、猪之助に切られたのが基となって、間もなく死んでしまいました。猪之助ですか、ありゃア解りません。二つの骸骨の縁辺《みより》なのか、秘密を知っていて強請《ゆす》りに来たものか、その辺ハッキリ解りません。素ばしっこく逃げてしまいましてね、その後|行方《ゆくえ》が解らないのです。……どっちみち私は田舎は嫌いだ。田舎へ行くと目違いをします。……征矢野家の先代の罪悪を、あばけば発くことは出来るのですが、そんな必要はありませんでした。隼二郎氏が真面目にやっているのですから、浄罪的な立派な仕事ですよ」

    妖説八人芸

        

 昼の海は賑わっていた。人達が潮を浴びていた。泳ぎ自慢に沖の方へ、ズンズン泳いで行く若者もあった。渚《なぎさ》に近い浅い所で、ボチャボチャやっている老人もあった。そうかと思うと熱い砂の上へ、腹這っている中年者もあった。小舟に乗って漕ぎ出す者もあれば、小舟に乗って帰って来る者もあった。桟橋の上を彷徨《さまよ》いながら、海にいる人達を眺めている、女や子供の群もあり、脱衣場で着物を脱いでいる者もあった。
 岸に近い海は濁っていたが、沖の方へ行くに従って、緑の色を深めていた。波が来た! 大きな波が! 波が崩れて飛沫《しぶき》を上げた。と、そこから笑い声が起こった。
 帆船が遠くの海の上を、野茨のように白く蠢《うごめ》いていれば、浜の背後を劃している、松林が風で揺れてもいた。海は向こうまで七里あり、対岸には桑名だの四日市だのの、名高い駅路《うまやじ》が点在していた。
 よく晴れた日で暑かった。
 と、一人の美しい娘が、島田髷をつやつやと光らせながら、貸し別荘のある林の中から、供も連れず一人で歩いて来たが、ひょいと砂地へかがみ込んだ。彼女の前にある物といえば、脱ぎすてられた潮湯治客の衣裳や、潮湯治客の持ち物であった。
 彼女は間もなく立ち上がった。そうしてソロソロと歩き出した。何んの変わったこともない。とまた彼女はかがみ込んだ。彼女の前にある物といえば、脱ぎすてられた潮湯治客の衣裳や、潮湯治客の持ち物であった。
 彼女は間もなく立ち上がった。そうしてソロソロと歩き出した。何んの変わったこともない。と彼女は脱衣場へ上がり、あたりを見廻して佇んだ。
 派手な模様の白地の振り袖、赤地の友禅の単帯《ひとえおび》、身長《せい》が高く肉附きがよく、それでいて形の整った体へ、垢抜けた様子にまとっている。そういう姿を衆人に見せて、彼女は佇んでいるのであった。またも彼女はかがみ込み、やがて立ち上がって脱衣場を下りた。何んの変わったこともない。
 しかし程経て潮湯治客達は、あっちでもこっちでも騒ぎ出した。
「おや財布を盗まれたぞ」
「俺も印籠を盗まれた」
「掏摸《すり》が入り込んでいるらしい」
「どこにいる、捕えろ、叩きのめせ」
 しかし彼らは例の娘が、犯人であろうとは気がつかなかった。が、たった一人だけ、気がついている者があった。ずっと向こうを彷徨《さまよ》っている、例の娘を見やったが、
「あの[#「あの」に傍点]お方はあんな大きな仕事を、懸命に計画していられるのに、あいつ[#「あいつ」に傍点]はそれに参画していながら、あんなちっぽけな小泥棒を、こんな所でやろうとは。……親の心|児《こ》知らずというやつだな。大きな計画の方へ眼をつけている俺だ、ああいう小仕事は見|遁《の》がして置こう」
 その人物は呟いた。
 潮湯治客を目当てにして、浜の幾所かに出している茶屋の、その一軒の牀几に腰かけ、茶を呑んでいた武士であって、編笠を冠っているところから、その容貌は判らなかったが、黒|絽《ろ》の羽織、蝋塗りの大小、威も品もある立派な武士であった。
「おや、あれは、珠太郎殿ではないか」
 武士は一所《ひとところ》を凝視した。
「あの娘に見とれている」
 富豪の息子とも思われるような、鷹揚《おうよう》で品のある青年が、ずっと向こうの渚の辺で、扇で胸を煽ぎながら、潮湯治場の賑わいを、面白そうに眺めていたが、例の娘が自分の横を、桟橋の方へ歩いて行くのを見ると、ひどく衝《う》たれたというふうに、恍惚《うっとり》とした様子で見送った。
 が、すぐに自分も歩き出し、その娘の後をつけ[#「つけ」に傍点]て行った。
「これは困ったことになったぞ」武士は呟いて考え込んだ。
「おや、二人は話し出したぞ」
 桟橋の上で青年と娘とが、羞《はじ》らいながらぼそぼそと、話しているのが見て取れた。
 ――その日から十日の日が経った。

「いつ?」とお小夜は情熱的に訊ねた。
「いつでも」と珠太郎は熱心に答えた。
 二人の手はしっかりと握られている。それは七月のことであって、十三日の月が懸かっていた。
 媾曳《あいびき》をしている二人の者へも、月光は降りそそいでいた。ここは尾張領知多の郡、大野の宿の潮湯治場(今日のいわゆる海水浴場)で、夜ではあったが賑わっていた。珠太郎は二十歳の青年で、尾張家|御用達《ごようたし》の大町人、清洲越十人衆の一人として、富と門閥とを誇っている、丸田屋儀右衛門の長男であった。
 お小夜はというに十数日前から、潮湯治に江戸からやって来た、筒井屋助左衛門という商人の娘で、年は十九だと云うことであったが、それよりは老けているようであった。珠太郎の家の夏別荘が、大野にあってその別荘へ、珠太郎は潮湯治にやって来ていた。浜で再々お小夜と逢った。並々ならぬその美貌と、洗い上げた江戸前の姿とが、珠太郎を魅さないでは置かなかった。で二人は恋仲となった。
 珠太郎は名古屋という退嬰的の都会の、老舗《しにせ》の丸田屋の箱入り息子なので、初心《うぶ》で純情で信じ易かった。お小夜の性質はそれとは異って、計画的のところがあった。何かを珠太郎に対してたくらんでいる――と云ったようなところがあった。
「江戸へ行きましょう」と云い出したのは、珠太郎でなくてお小夜であった。駈け落ちをしようと云い出したのである。
 最初珠太郎は顫《ふる》えたいほどにも恐れた。でもいつの間にか従うようになった。
 今宵などはお小夜に「いつ?」と訊かれて「いつでも」と云うほどになっていた。
 夏別荘には相違なかったが、大家の丸田屋の別荘なので、お屋敷と云ってもよいほどに、大きくもあれば立派でもあった。
 今二人が媾曳《あいびき》をしている、裏庭なども林かのように、茂っていた木々によって蔽われていた。木々を通して向こうに見える、二階建ての建物から華やかな笑いと、華やかな灯火とが洩れて来ていた。丸田屋の主人が客を招《よ》んで、夜宴をひらいているからである。
 芙蓉の花がにわかに揺れた。お小夜の袖が煽《あお》ったからである。そのお小夜の左右の手が、珠太郎の背に廻っていた。
「それでは明後日《あさって》の夜。……ね、珠太郎様」
「明後日《あさって》の夜? ……ええ、きっと。……」
「まず名古屋まで通し駕籠で。……」
「通し駕籠で、……参りましょうとも」
「詳細《くわし》い手筈は明日の晩に、やはりここで致しましょうよ」
「ええここで、明日の晩に。……」
 珠太郎の頬にお小夜の髪が触れた。と、その時少し離れた、築山のあるほとりから、突然笑う声が聞こえて来、つづいて話す声が聞こえて来た。
「アッハッハッ、どうしたものだ。そんな殺生な真似《まね》はしない方がいい」
「これはこれはとんだ話で、あなた様こそ殺生な真似など、なさいません方がよろしいようで」
「何を馬鹿な、十二神《オチフルイ》め!」
「館林様こそよくございません」

 その後の事を十二神貝十郎は、後日次のように人に話した。
 お小夜と珠太郎の媾曳《あいびき》をだね、築山の蔭から見ていたのは、我輩《わがはい》ばかりではなかったのさ。館林様も見ていたのさ。それを互いに知ったものだから、大声で暴露し合ったのさ。
 お小夜と珠太郎の吃驚《びっくり》したことは! それはほんとに気の毒なほどだった。もちろん二人は逃げてしまったさ。お小夜は外へ、珠太郎は家内《うち》へな。そこで我輩も外へ出た。
 丘を下りると街道で、片側が松林になっている。松林の中からは人声などがしていた。少し行って左へ曲がった。と、明るい燈の光が見え、沢山の人が集まっていた。
 ナーニ何んでもありゃアしない、潮湯治の客を当て込みにした、薦張《こもば》りの見世物の小屋があって、無数の提灯がともっていて、看板を見る人達が、小屋の前に集まっていただけなのさ。

        

 足芸をする若い女太夫、一人で八人分の芸を使う、中年増の女太夫、曲独楽《きょくごま》を廻す松井源水の弟子、――などというような芸人を、一緒に集めて打っている小屋で、都会ではとうてい見ることの出来ない、大変もないイカモノ揃いなのだが、そこは田舎のことなので、毎夜繁昌していたものさ。
 潮湯治というのは海水を浴びて、病気を癒すというのが一つ、水泳自慢に泳ぐことによって夏の暑さを忘れるというのが一つ、……遊山半分の贅沢な人の、贅沢な療治そのものなのだから、夜などは無聊に苦しんでいる。そこでそんなような見世物が掛かって、繁昌をする次第なのさ。
 木戸番の老爺《おやじ》が番台の上に坐って、まねき[#「まねき」に傍点]の口上を述べていた。
「八人芸の真っ最中で、見事なものでございますよ。足で胡弓を弾くかと思うと、口で太鼓の撥《ばち》をくわえ、太鼓を打つのでございますからな。その間に片手で三味線を弾き、片手で鉦《かね》を打つんでさあ。その太夫が年増でこそあれ、滅法美しい仇《あだ》者なのですからなあ。……団十郎の声色であろうと、菊五郎左団次の声色であろうと、声色であったらどんな声色でも、一度耳にしたら使って見せる――と云う器用な太夫さんでもあるので。……八人芸の真っ最中、さあさあはいってごらんなされ。……」
 しかし老爺はすぐ黙ってしまった。その時一人の年増女が、小屋の口から現われて、
「とんちき[#「とんちき」に傍点]、何んだよ、おかしくもない、八人芸は済んだじゃアないか、今は独楽《こま》の曲廻しだよ」
 こう伝法に云ったからさ、その女が八人芸の女太夫の、蔦吉という女なのさ。
「おい、蔦吉」
 と呼びかけてやった。
「ちょっと来てくれ、訊きたい事がある」
「おや、十二神《オチフルイ》の殿様でしたか」
 我輩は蔦吉を物の蔭へ呼んだ。
「どうだ、大概は大丈夫か」
「はい、大丈夫でございます」
「八人芸のお前なんだからな」
「とんだものがお役に立ちまして。……」
「相手は六人だから訳はあるまい」
「癖を取るのは訳はないんですが、六人が一緒に集まって、話しているところへぶつかる[#「ぶつかる」に傍点]のが大骨折りでございました」
「一緒に住んでいないのだからな」
「みよし屋の寮だけがまあまあ[#「まあまあ」に傍点]で」
「だから俺が教えたのさ。三人住んでいるのだからな」
「娘ッ子が難物でございましたよ」
「そうだったろう、大いに察しる」
「いつご用に立てますので?」
「大体明日の晩だろう」
「さようでございますか、よろしゅうございます」
 こんなことで我輩は蔦吉と別れた。
 我輩は好奇《ものずき》の人間なので、こういう蔦吉といったような、やくざ[#「やくざ」に傍点]な芸人には知己《しりあい》があり、手なずけることも出来たのさ。
 それから我輩は浜の方へ行った。海は波が高かった。桟橋などもきしん[#「きしん」に傍点]でいた。で浜には幾艘かの小舟が、引き上げられて置かれてあった。月があったので明るかったが、それだけに波と波とがぶつかり[#「ぶつかり」に傍点]、白泡立つのが物凄く見えた。
 我輩は北の方へ渚《なぎさ》づたいに歩いた。
 渚は湾をなしていて、その行き止まりが岩の岬で、それを廻ると潮湯治場外になり、潮湯治場外の海はわけても荒く、そこで泳ぐ者はめったになかった。我輩はそっちへ歩いて行った。岬を越して向こう側へ下り、しばらく様子を窺った。
 と、松の林の中から、云い争う声が聞こえて来、やがて一人の若い女が、逃げるようにして走り出して来た。
 と、五人の男の姿が、松林の外側へ現われ出た。
「困った奴だなあ、止せばいいのに」
「あんな姿であんなことをして、人に見られたらどうするのだ」
「病気のように好きなんだからなあ、潮湯治っていうやつ[#「やつ」に傍点]をよ。どうにもこうにもやり[#「やり」に傍点]切れない」
「それも毎晩やるんだからなあ」
 五人の男達は話し合っていた。
 松林の中から燈が見えていた。貸し別荘のみよし屋の寮が、その松林の中にあって、そこでともして[#「ともして」に傍点]いる灯火なのさ。
 我輩は娘の様子を見ていた。と、どうだろう女だてらに、渚《なぎさ》まで行くと着物を脱ぎ、全裸体《すっぱだか》になって海へ飛び込み、抜き手を切って泳ぎ出したじゃアないか。
 それも素晴らしい泳ぎぶりなのだ。
 今も云ったとおりこの辺の海は、潮湯治場の外なので、波が荒くて危険なのだ。ところどころに岩さえあって、うっかりすると岩の角へ、叩き付けられることさえある。それだのに娘は恐れ気もなく、島田の髷を濡らさないように、乳から上を波から出し、グングン沖の方へ泳いで行くのだ。
 月がそいつを照らしている。白い肩、白い頸《うなじ》、白い腕、白い脛、時々ムックリと持ち上がって見える。月がそいつを照らすのだ。
 だが間もなく見えなくなった。遙かの沖へ泳いで行ったからさ。五人の男も見えなくなった。みよし屋の寮へ帰って行ったのだ。我輩はしかし帰らなかった。もう少し見てやろうと思ったからだ。
 四半刻ぐらいも経っただろうか、人魚の姿が見えて来た。渚を目がけて例の娘が、沖から泳いで帰って来たのだ。潮から上がって渚《なぎさ》に立って、手拭いで体を拭き出した時、さすがの我輩も変な気持ちがしたよ。
 な、女は全裸体《すっぱだか》なのだ。月がそいつを照らしているのだ。グーッと手拭いで体を拭く。そんな時女は羞《はず》かし気もなく、片足を上へ持ち上げるのだ。とうとう我輩は呟いてしまった。
「この様子をあの男へ見せてやらなければならない」と。
 衣裳をまとうとみよし[#「みよし」に傍点]屋の方へ、娘は走って行ってしまった。

「十二神《オチフルイ》、お前何んに来たのだ」
 翌日の晩のことだったよ、館林様がこんなように云って、我輩の席へやって来られた。
「丸田屋と深い縁故でもあるのか」
「さようで」と我輩は云ってやった。「丸田屋とは趣味の友でございます」
 事実それに相違ないのだ。我輩は役目こそ与力であれ、いわば身勝手自由勤めの身分で、肝心の役より蔵前の札差しなどと、吉原へ行って花魁《おいらん》を買ったり、蜀山人や宿屋飯盛などと、戯作や詩文の話をしたりして、暮らす日の方が多いのだ。ところで丸田屋は俳人なので、かなり以前から懇意にしていて、我輩が名古屋へ来るごとに、立ち寄っては話し合っていた。で今年もやって来たのさ。そうして大野の潮湯治場の、丸田屋の夏別荘へも一再ならず、客としてこれまでも来たことがある。で、今年もやって来たのさ。
「私などよりも館林様こそ、どうして丸田屋の夏別荘などへ、おこしなされたのでございますか!」我輩はこう云って逆襲してやった。
「俺は部屋住みで自由の身分だ。それに天下に知己《しりあい》がある。どこの何者を訪ねようと、少しも不思議はないではないか」
「これは御意《ぎょい》にございます」我輩は心から頷《うなず》いて云った。
 と云うのはこの人は将軍家の遠縁、元の老中の筆頭の、松平右近将監武元卿の庶子で、英俊で豪邁な人物で、隠れた社会政策家で、博徒や無頼漢や盗賊の群をさえ、手下にして使用するかと思うと、御三家や御三卿のご連枝方と、膝組みで話をすることだって出来る――そういう人物であるのだからな。
「これは御意にございます」――で、そう云ったというものさ。
「十二神《オチフルイ》!」
 と、すると館林様は、不意に鋭い口調をもって、こう我輩を呼びかけたものだ。
「この席にいる客人を、お前、何んとか思わないかな?」
「はい、いいえ、別に何んとも。……」
 云い云い我輩は座を見廻した。善美を尽くした丸田屋の、夏別荘の大広間には、二十人あまりの客があって、出された酒肴を前にして、湧くような快談に耽っていたが、その客人はいずれも男で、女は雑っていなかった。
(はい、いいえ、別に何んとも。……)事実我輩はこういうように答えた。がしかしこれは嘘なのだ。何んとも思わないどころではない、いずれもとんでもない客ばかりなのだからな。身分と姓名とを挙げて見よう。
 生駒家の浪人永井忠則(今は大須の講釈師)、最上家の浪人富田資高(今は熱田の寺子屋の師匠)、丹羽家の旧家臣久松氏音(今は片端のにわか神官)、那須家の浪人加藤近栄(今は鷹匠町の町道場の主)、土方家の浪人品川長康(今は虚無僧として一所不住)、大久保家の旧家臣高橋成信(今は七ツ寺の大道売卜者)、青山家の浪人西郷忠英(今は寺町通りの往生寺の寄人)、桑山家の浪人夏目主水(今は大道のチョンガレ坊主)、久世家の旧家臣鳥井克己(今は大須の香具師《やし》の取り締まり)、石川家の浪人佐野重治(今は瑞穂町の祭文かたり)、小笠原家の旧家臣喜多見正純(今は博徒の用心棒)、植村家の浪人徳永隣之介(今は魚ノ棚の料理人)、堀家の旧家臣稲葉甚五郎(今は八事の隠亡の頭《かしら》)、小堀家の浪人笹山元次(今は瀬戸の陶器絵師)、屋代家の旧家臣山口利久(今は常滑《とこなめ》の瓦焼き)、里見家の旧家臣里見一刀(今は桑名の網元の水夫《かこ》)、吉田家の浪人仙石定邦(今は車町の私娼《じごく》宿の主人《あるじ》)

        

 ざっとこういう輩《やから》なのだ。取り潰された大名達の遺臣、つまり浪人ばかりなのだ。
(昨夜は名古屋の富豪連を招いて、その席で館林様は話をされた。訓諭と懇願とを雑えたような話を。しかるに今夜は浪人連を招いて、慰撫と激励の話をされた。仲介役が丸田屋の主人だ。……警戒しないでいられるものか)我輩は心からそう思ったよ。
「十二神《オチフルイ》!」と館林様がまた言われた。「お前浪人をどう思うな?」
「は、どう思うとおっしゃいますと?」
「社会的に見てどう思うか?」
「…………」
「浪人とは失業知識階級の謂《いい》だ。……社会の中間に浮動している群だ」
「…………」
「一番危険な連中だ」
「…………」
「時代の宗教、時代の道徳、幕府の強圧や迫害に屈せず、食って行けないという事実の下に、浪人という浪人の、あるいは潜行的にあるいは激発的に、押し進んで行く目標といえば、政治的革命という一点なのだ。由井正雪の謀反事件も、天草島原の一揆事件も、その指導者は浪人群だった。別木、林戸の騒擾事件から、農村に起こった百姓一揆の、指導者もおおかた浪人者なのだ。そういう危険の浪人者が、今非常に多くなっている。将来益※[#二の字点、1-2-22]多くなるだろう。何故というに大名取り潰し政策を、幕府が固執しているからだ。徳川が天下を取って以来、二百年近くになっているが除封減禄された大名の数、三百をもって数えることが出来る。石高にして二千万石、一万石の大名から、二百人の浪人は出る。と、これまでに四十万人の、浪人が出ていることになる。さてこれらの浪人に対して、幕府はどういう処置をとっているか?『他所ヨリ牢人者(浪人者の事)参リ所有度由申候ハバ吟味ノ上、御断申可シ』――追っ払ってしまえと達《たっし》を出している。『近年村々ヘ浪人体ノモノ参、合力ヲ乞、ネだりヶ間敷儀申モノ数多有之候間、右体ノモノ召捕候ハバ、直ニ訴可』――合力もするな、捕えて突き出せ、こう残酷に命じているのだ。こう残酷にあつかわれては、浪人といえどもたまらない。とはいえどうしても生きて行かなければならない。そこでとうとう対抗上『近来浪人体ノ者所々ヘ大勢|罷越《まかりこし》、村方ノ手ニ難及《およびがたく》、会難儀候段相聞候』というように、多勢が一緒にかたまって、押し借りをするようになってしまい、『近年諸国在々浪人体ノモノ多ク徘徊イタシ、頭分、師匠分抔ト唱、廻場、留場ト号シ、銘々、私ニ持場ヲ定、百姓家ヘ参リ合力ヲ乞』というように、合力を乞う持ち場をさえ、定めるようになってしまい、甚しいのに至っては『近来浪人共、槍鉄砲等ヲ大勢シテ持歩、在々所々ニ於テ及狼藉』――と云うようになってしまった。……槍鉄砲を持ち歩くに至っては、内乱の萠《きざし》と云ってもよい。が、それはそれほどまでに、失業知識階級の――浪人者の心境が、荒《すさ》んで来ているという証拠であり、それほどまでに浪人者の、生活が苦しくなって来た。――と云うことの証拠でもある。……ではそういう浪人者の群を、少なくとも安全に生活させてやる、そういう政策を立つべきではないか。どうだな十二神《オチフルイ》、そうは思わぬかな?」
 云われて我輩は一言もなかった。それに相違ないのであるから。我輩は閉口して黙ってしまった。
「十二神《オチフルイ》!」と館林様は叱るように云われた。「お前、このわし[#「わし」に傍点]を尾行《つ》けて来たのだろう。江戸から尾張へ! つけて[#「つけて」に傍点]来たのだろう」
「…………」
「邪魔をするな、このわし[#「わし」に傍点]の仕事を!」
「…………」
「お前も掻《か》い撫《な》での与力ではなく、物の解った人間の筈だ。邪魔をするな、わし[#「わし」に傍点]の仕事を!」

 よい時刻だと思ったので、館林様に挨拶をして、酒宴の席を脱け出して、我輩は庭の方へ忍んで行った。と、木蔭に人影が見えた。我輩は故意《わざ》と咳をしてやった。と、一つの人影が、周章《あわ》てて向こうへ逃げて行った。後に残ったもう一つの影が、家の中へ走って行こうとするのへ、「珠太郎殿」と声をかけて、我輩はそっちへ寄って行った。
「お小夜殿と相談がまとまりましたかな」
 珠太郎は黙ってうな[#「うな」に傍点]垂れてしまった。
「浜の方へでも行って見ましょう」
 で、我輩は先に立って歩いた。
 もう話してやってもいいだろう――こう我輩は思ったので、それから思い切ってぶちまけ[#「ぶちまけ」に傍点]てやった。
「そうです私がこの土地へ来た、最初の日のことでありましたよ、あなたのとこの夏別荘へ、まだお訪ねをしない前でした。潮湯治の様子を見ようと思って、浜へ行って茶店へ立ち寄ったものです。すると一人の美しい娘が、潮湯治客の金や持ち物を、巧みに抜き取るじゃアありませんか。ひどい娘だと睨んでおりますとね、一人の若者がその娘を、見初めてしまったじゃアありませんか。これは困ったと思いましたよ。と云うのは不幸なその若者を、元から私が知っていたからです。……他でもありませんあなたなのです。そうして娘はお小夜なのです」
 珠太郎がにわかに興奮して、恐ろしい勢いで食ってかかるのを、我輩は笑いながら黙殺してやった。
(もうこれ以上云うことはない。これからはただ見せるまでだ)つまりこんなように思ったからだ。
 浜へ出ると風が吹きつけて来た。わけても強い風であって、波頭が次々に無数に砕けて、見渡す限り月の海上は、白衣の亡者が踊っているようであった。
 我々は北の方へ歩いて行った。そうして岩の岬を越えた。珠太郎は恐ろしく不機嫌でもあれば、どうしてこんな変な方角へ、連れて来られたのか不可解だと、そう思っているようなところがあった。が、我輩には考えがあるので、説明してもやらなかった。
 海の方へ少し突き出して、その裾が窪んで穴をなしている、そういう岩があったので、その穴の入り口へ腰を下ろし、我々はしばらく休むことにした。と云っても我輩から云う時は、ここで休むということが、予定の行動になっていたのだが。……
 真夏ではあったが夜は涼しく、それに馨《かぐ》わしい磯の香はするし、この辺に多く住んでいる鵜が、なまめかしく啼いたり羽搏きをしたりして、何んとも云えない風情であった。
 が、我輩は待っていた。早く彼女が来ればよいと。すると松林の方角から、砂を踏む音を幽《かす》かに立てて、こっちへ走って来る足音がした。足音は岩の辺で止まったが、またすぐに聞こえて来た。どうやら岩の上へ上るらしい。ややあって衣摺《きぬず》れの音がした。
「珠太郎殿、海の方をご覧」
 放心したように考え込んでいる、珠太郎へ我輩は小声で云った。
「素晴らしいものが見られますよ」
 不承不承に珠太郎は、海の方へ眼をやった。もちろん我輩も海の方を見た。と、その二人の視界の中へ、真っ白の物が躍り込んで来た。我々の頭上の岩の頂から、素裸体《すっぱだか》のお小夜が海へ向かって飛び込みをやった形なのさ。
 水音! 飛沫《しぶき》! 水底へ消えた彼女! が、すぐに浮き出して、泳いで行く島田髷と肩と腕!
「あッ、お小夜だ! お小夜だお小夜だ!」
「さよう、お小夜です。大変なお小夜です。……帰って来るまで見ていましょう」
 かなりの時間が経った時、彼女、お小夜は帰って来た。ヌックリと海から陸へ上がり、ノシノシと岩へ上がって行こうとした。
「オイ勘介! 女勘介!」
 隠れ場所から身を現わしながら、こう我輩は声をかけてやった。
「ここにお前の情夫がいるんだ。何んて馬鹿な真似をやらかすんだ。……素裸体《すっぱだか》とは呆れたなあ。……珠太郎殿、お解りですか、あいつは女ではありませんよ。……オイ――勘介、女勘介、他の連中にも云ってやれ、まごまごみよし屋の寮なんかにいるなと! ……」

 同じ夜我輩は館林様を連れ出し、月夜を賞しながら彷徨《さまよ》った。
「誰かが先駆者にならなければいけない」
 館林様は我輩に説いた。
「貝を吹き旗差し物をかざし、進む者がなければいけないのだ。でなければいつまでも悪い浮世は悪い浮世のままで居縮《いすく》んでしまう」
「そこであなた様が先駆者となって、事を起こそうとなさいますので?」
「うん」と館林様は仰せられた。「まずそう云ってもいいだろう」

        四

「結構なことではございますが。……」我輩は故意《わざ》と皮肉に云った。「先に立って進むはよろしゅうございますが、さて背後《うしろ》を振り返って見て、従《つ》いて来る者のないのを見た時、寂しさ一層でございましょう」
「馬鹿な」と館林様は一笑した。「裏切られたらと云うのだろうが、わし[#「わし」に傍点]の部下にはそんな者はいない。裏切り者など一人もいない」
 振り返って見ると灯火の光が、まだ丸田屋の夏別荘の、大広間から射していた。浪人達は飲んでいるのである。一晩飲み明かすに相違ない。
 私達は丘を下りた。それから街道を左へ曲がり、さらに左へ空地を横切った。月見草の花が咲いていて、早生まれの松虫が鳴いていた。少し行くと松林であり、松林の中に家があった。みよし屋の賃貸しの寮なのである。寮には灯火《ともしび》が点いていなかった。が、人声は聞こえていた。
「館林様なんかいいかげんなものさ」不意に声高に云う者があった。「甘いお方さ、大甘者さ!」
 館林様は足を止めた。すぐに我輩は館林様へ云った。
「あなた様のお噂をしております。つまらない手合でございましょう、お気にかけてはいけません。さあさあ先へ参りましょう」
 しかし館林様は動かなかった。と、別の声が聞こえて来た。
「要するにあのお方は人形なのさ。看板と云ってもいいかもしれない。俺らを使っているなどと、あのお方は思っていられるようだが、その実あのお方こそ俺達六人に、あやつられ[#「あやつられ」に傍点]ておいでなさるんだからなあ」
「そうとも」と別の声がした。「あのお方が俺達を贔屓《ひいき》にしている、――と云うことが知れているので、俺ら相当悪事をしても、お官《かみ》では目こぼし手加減をしてくれる」
「そうだそうだ」と別の声がした。「要するにあのお方は丸袴《がんこ》の子弟さ。自惚《うぬぼれ》の強い貴公子なのさ。自分の力を自分で過信し、勝手に幻影を描いている方さ。……名古屋の富豪を呼びつけて金を出せと偉そうに仰せられたが、出す奴なんかありゃアしないよ」
「今夜集まって来た浪人者なんか、食いも慣らわないご馳走を食い、かつてなかった待遇を受け、いい気持ちに大言壮語して館林様を讃美しているが、明日になって自分の古巣へ帰ると、古巣の生活を後生大事に守り、館林様が事を挙げたって、一人だって従いて行きはしないよ」
「俺らにしてからがそうだろう、神道徳次郎、火柱夜叉丸、鼠小僧外伝、いなば[#「いなば」に傍点]小僧新助、女勘介、紫紐丹左衛門、こう六人揃っていたって、心からあのお方に従いて行こうと、そう思っている者はないのだからなあ。……女勘介、お前はどうだ? お前の方の仕事はどうなっている?」
「ああ俺らの例の仕事か、俺らあいつは止めてしまった。丸田屋が寝返りを打った場合、苦しめてやる手段として、一人息子の珠太郎を、誘拐して監禁してしまえという、館林様の吩咐《いいつ》けだったので、そのつもりで骨を折ったんだが、こういう仕事には飽き飽きしている俺だ。投げ出してしまったよ、止めてしまったよ」
 館林様の体が顫え、片手が刀の柄にかかった。で、我輩は急いで云った。
「浜の方へでも参りましょう、海など見ようではございませんか」
「うん」
 と館林様は云われたが、尚体は顫えていた。それでもとうとう歩き出した。浜にも海にも変わったことはなかった。ただ寂しいばかりだった。

 翌朝《あくるあさ》とも云わずその夜のうちに、館林様は大野を去られた。一人で、寂しく、飄然と、裏切られた先駆者の悩みを抱いて。

 翌日の晩みよし屋の本店で、蔦吉を招んで我輩は飲んだ。
「お前の八人芸、巧いものだな」
「お役に立って何よりでした」
「よく六人の無頼漢《ならずもの》どもの、声の特徴を真似したものだ」
「それでも妾《わたし》はハラハラしました。殿様から教えられた白《せりふ》といえば、あそこ[#「あそこ」に傍点]までしかなかったのですから。あれから先が入用《いる》ようなら、どうしたものかと思いましてね」
「あれはあれだけでよかったのだった」
「それにしても妾には不思議でならない。誰もいないあんなみよし屋の寮で、六人の声色を使うなんて」
「お前にあそこへ行って貰う前に、三人の男が住んでいたのだ。そうして他にもう三人の男が――そいつらは人目に立たないように、他の貸し別荘にバラバラになって、めいめい住んでいたのだが、時々あそこへ集まって、よくないことを企んでいたのさ。が、そいつらはお前が行く前に、あわてて引き上げて行ってしまった。引き上げさせたのは俺なのだがな」
「妾、芸当をやりながら、障子の隙から見ていました、大変品のあるお武家様が、あなた様と連れ立っておいでなさいましたのね」
「あのお方へお聞かせしたかったのさ、そのお前の芸当をな」

 これは後から聞いたことだが、富豪と浪人とを呼び寄せて、館林様が事を起こそうとした、――その事というのは謀反などではなく、穏かな政策に過ぎなかったそうだ。
 荻生徂徠が云っている。
「浪人は元来武士なれば町人百姓の業もならず、渡世すべき様なければ、果ては様々の悪事を仕出すものなり、これを生かす法は、その浪人仕官の頃百石取り以上なれば、たとい幾千石に至るとも、地方にて知行五十石ずつ下され、やはりその土地に差し置かれ郷士とすべき也、されば十万石の家潰れても、公儀へ八万石ほど奉りて余の二万石を件《くだん》の郷士の領とすべし。五十石を不足と思い、他所へ立ち去る人は心次第たるべし。ただ、諸士の流浪を不憫に思し召して如此《かくのごとく》なし給わば、莫大のご仁政なるべし」
 こう徂徠は云っている。しかし公儀では採用しなかった。そこでそれだけの金や米を、大富豪から出させることによって、浪人の生活を安穏にしてやろう――その実行を名古屋からやろう。と云うのが館林様の計画だったそうだ。
 そうとは我輩は知らなかったので、それにお町奉行の依田様から、館林様が名古屋へ行かれて、何やら大事をやられるらしい。尾張は御三家の筆頭で、公儀にとっては恐ろしいお家だ。そこで大事を起こされてはたまらぬ。と云って他領だから江戸町奉行としては、どうにも策の施しようがない。ついてはその方個人として出かけて館林様の行動を監視し、もし出来たら邪魔をするがよいと、こういう吩咐《いいつけ》を受けたので、ああいう行動をとったのだが、今ではかえって後悔している。そういう館林様の目的だったら、邪魔をするどころか賛成をして、あべこべにお助けしたものを。
 が、我輩としては館林様から、あの六人の無頼漢どもを、離間させたことだけはよかったと今でも心を安んじている。頭領とも云うべき館林様が、それだけの大事業をしておられるのに、潮湯治客の金や持ち物を、こそこそ盗むというような、小さい盗心を蔵している輩を、附けて置くのはよくないからな。
 館林様には六人男どもが、本当に自分を裏切ったものと思い、爾来彼らを近付けなかったそうだよ。

底本:「十二神貝十郎手柄話」国枝史郎伝奇文庫17、講談社
   1976(昭和51)年9月12日第1刷発行
初出:「文芸倶楽部」
   1930(昭和5)年1月~6月
※誤植の確認には「国枝史郎伝奇全集 巻4」(未知谷)を用いました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「不頼漢」と「無頼漢」、「女勘助」と「女勘介」、の混在は底本の通りです。
入力:阿和泉拓
校正:小林繁雄、門田裕志
2005年5月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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