一
「大分世の中が静かになったな」
こう秀吉が徳善院へ云った。
「殿下のご威光でございます」
徳善院、ゴマを磨り出した。
「ところが俺は退屈でな」
「こまったものでございます」
「趣向は無いか、変った趣向は?」
「美人でもお集めになられては?」
「少々飽きたよ、実の所」
「それに淀殿がおわすので」顔色を見い見いニタリとした。
「うん淀か、可愛い奴さ」釣り込まれて秀吉もニタリとした。
後庭で鶴の声がした。
色づいた楓の病葉《わくらば》が、泉水の中へ散ったらしい。
素晴らしい上天気の秋日和であった。
「趣向は無いかな、変った趣向は?」
秀吉は駄々をこね出した。
「さあ」
と云ったが徳善院、たいして可い智慧も出ないらしい。
トホンとして坐わり込んでいる。
「ほい」
と秀吉は手を拍った。「あるぞあるぞ珍趣向が!」
「ぜひお聞かせを。なんでございますな?」
「茶ノ湯をやろう、大茶ノ湯を」
「なんだつまらない[#「つまらない」に傍点]、そんな事か」心の中では毒吐いたが、どうして表面は大恭悦で、ポンと額まで叩いたものである。
「いかさま近来のご趣向で」
「場所は北野、百座の茶ノ湯」
「さすがは殿下、大がかりのことで」
合槌は打ったが徳善院、腹の中では舌を出した。「へへ腹でも下さないがいい」
「ふれ[#「ふれ」に傍点]を廻わせ! ふれを廻わせ!」
秀吉は例の性急であった。
「大供《おおども》が悪戯《わるさ》をやり出したわい。さあ忙《せわ》しいぞ忙しいぞ!」徳善院は退出した。
×
石田治部少輔、益田右衛門尉、この二人が奉行となった。
「さる程に両人承て人々をえらび、茶ノ湯を心掛けたる方へぞ触れられける。大名小名是を承はり給ひてこは珍敷々々面白きご興行かな、いかにとしてか殿下様へ、お茶をば申べき、望ても叶べき事ならず、かゝる御意こそ有難けれと、右近の馬場の東西南北に、おの/\屋敷割を請取て、数奇屋を立てられける」
こうその頃の文献にあるが、これはとんでもない[#「とんでもない」に傍点]嘘なのであった。みんなは迷惑をしたのであった。
「さて、和漢の珍器、古今の名匠の墨跡[#「墨蹟」は底本では「黒蹟」]、家々の重宝共此時にあらずばいつを期すべきと、我も/\と底を点じて出されける」
これは何うやら本当らしい。
秀吉の御感を蒙って、高値お買上げの栄を得ようか、お目に止まったに付け込んで、献上して知行増しを受けようかと、そういうさもしい[#「さもしい」に傍点]心から、飾り立て並べたものらしい。
「さる程に時移りて、已に明日にもなりしかば、秀吉公仰せられけるは、一日に百座の会なれば、天あけてはいかがかとて、寅の一天よりわたらせ給ふべきよし、仰出されけり。お相伴には、玄以法印、法橋紹巴をめされける」
これも将しく其の通りであった。
「大小名のかこひの前なる蝋燭は[#「蝋燭は」は底本では「臘燭は」]、たゞ万燈に異ならず、百座の会なれば、いかにも短座に見えにけり」
これにも相違は無かったらしい。
「かくて時刻も移りければ、やう/\百座成就し給ひて、還御をよびたまふ。秀吉公西をごらんありければ、すこし引き退きて萱の庵見えにけり」
「玄以玄以」と秀吉は呼んだ。「鳥渡風流だな。何者か?」
「一興ある茶湯者《すきしゃ》でございます。堺の住人とか申しますことで」
「おおそうか、寄って見よう」
「竹柱にして、真柴垣を外に少しかこひて、土間をいかにも/\美しく平《なら》させ、無双の蘆屋釜を自在にかけ、雲脚をばこしらへて、茶椀水差等をば、いかにも下直なる荒焼をぞもとめける。其外何にても新きを本意とせり。我身はあらき布かたびらを渋染にかへしたるをば着、ほそ繩を帯にして、云々」
これが庵の有様であり又亭主の風貌であった。
亭主は土に額をつけ、かしこまって謹しんでいた。
二
「作意の働き面白いな。手前を見たい。一服立てろ」
秀吉は端座した。
亭主、恭しく一揖し、雲脚を立てて参らせた。
「これは、よく気が付いた。百座の茶、湯で満腹だ。かるがると香煎を出したのは、言語道断云うばかりもない。……名は何んというな、其方《そち》の名は?」
「無徳道人石川五右衛門。京師の浪人にございます」
「おおそうか、見覚え置く」
で、秀吉は帰館した。
×
伏見城内奥御殿。――
秀吉は飽気に取られていた。
淀君は今にも泣き出しそうであった。
小供の秀頼は這い廻わっていた。
侍女達はウロウロまごついていた。
一体何事が起こったのであろう?
大閤殿下の衣裳の襟が小柄で縫われていたのであった。
驚き恐れるのは当然であった。衣裳の襟を縫ったのである。胸を刺そうと思ったら、胸を刺すことさえ出来たろう。或は胸を刺そうとして、故意《わざ》と襟を縫ったのかも知れない。
「謀反人がいる! 謀反人がいる!」
表も裏も騒ぎ出した。
けっきょく石川五右衛門という、京師の浪人に疑がかかった。
「それ召捕れ」ということになった。
秀吉の威光で探がすことであった。苦もなく五右衛門は召捕られた。
とりあえず長束正家が、取調役を命ぜられた。
「衣裳の襟を縫いましたは、いかにも私でございます。あまり縫いよく見えましたので。……別に他意とてはございません」
これが五右衛門の申状であった。
「あまり縫いよく見えたというか? ふん」
と秀吉は小首をかしげた。
「その者直々俺が調べる」
秀吉は正家にこう云った。
そこで五右衛門は破格を以て秀吉の御前へ引き出された。
「俺の体に隙があったと、こうお前は云うのだな?」
「御意の通りにございます」五右衛門は少しも臆せなかった。
「で、どんな時、隙があった?」
「ご退座という其の瞬間、お体が斜になられました時」
「うむ、その時隙が見えたか?」
「はい、左様でございます」
秀吉は鳥渡考えた。
「よく申した、味のある言葉だ。斜? 斜? 側面だな?……いや全く世の中には側面ばかり狙う奴がある。とりわけ徳川内府などはな。……どうだ五右衛門、俺に仕えぬか」
「これは何うも恐れ入ったことで」
「得手は何んだ? お前の得手は?」
「はい、些少《いささか》、伊賀流の忍術《しのび》を……」
「ほほう忍術か、これは面白い。細作として使ってやろう。……これ、此の者に屋敷を取らせろ」
こんな塩梅に五右衛門は、ズルズルと秀吉の家来になった。
×
「居るかえ」
と云い乍ら這入って来たのは、お伽衆の曽呂利新左衛門であった。
「やあ新左、まず這入れ」
五右衛門はポンポンと座を払った。
二人は非常な親友なのであった。
その対照が面白い。
新左衛門は好男子、水の垂れるような美男であった。
それに反して五右衛門は、忍術家だけに矮身で、猪首の皺だらけの醜男であった。
新左衛門は町人出、これに反して五右衛門は、北面の武士の後胤であった。
一人は陽気なお伽衆、然るに、一方は陰険な細作係というのであった。
が、二人には一致点もあった。
「世の中が莫迦に見えて仕方が無い」――と云うのが即ち夫れであった。
そうして夫れが二人の者を、ひどく仲宜くさせたのであった。
「五右衛門」
と新左はニヤニヤしながら「俺は滅法儲けたぜ」
「お前のことだ、儲けもしようさ」五右衛門は茶釜を引き寄せた。
「まあ聞くがいい、耳を嗅いだのさ」
「え、なんだって、耳を嗅いだ? なぜそんなことをしたんだい?」五右衛門も是れには驚いたらしい。
「手段《て》だよ、手段《て》だよ、金儲けのな」
三
「で、誰の耳を嗅いだんだ[#「嗅いだんだ」は底本では「嗅いたんだ」]?」
「殿下の耳を、云う迄もねえ」
「へえ、それで金儲けか?」
「加藤、黒田、浅野、生駒、そいつらの顔を睨め乍ら、殿下の耳を嗅いだやつさ。すると早速賄賂が来た。告口されたと思ったらしい。尤もそいつ[#「そいつ」に傍点]が付目なのだが」
「アッハハハ成程な。お前らしい遣口だ。人生《ひとのよ》の機微も窺われる。……それはそうとオイ新左、お前この釜に見覚えはないか?」
「どれ」
と云って見遣ったが「アッこいつア楢柴だ!」
「殿下ご秘蔵の楢柴よ」
「どうしてお前持ってるのだ?」新左衛門は仰天した。
「どうするものか、借りて来たのさ。無断拝借というやつよ」
「それじゃお前、泥棒じゃアないか」
「なぜ悪い、可いじゃないか。どうせ無駄に遊んでいる釜だ。二、三日借りて立ててから、こっそり返えしたら、わかりっこはない」
「そんな勝手が出来るものかな」新左衛門は感心した。「つまり何んだ、忍術だな。……忍術って本当に可いものだな」
「そうさ、お前の頓智ぐらいな」
「なんだ、莫迦な、面白くもねえ」厭な顔をしたものである。
「おい五右衛門」と新左衛門は云った。「秘伝は何んだ、忍術の秘伝は? 思うに隙を狙うのだろう?」
「隙を狙うには相違無いさ。が、尋常の隙では無い。……用心から洩れる隙なのだ。固めから崩れる隙なのだ。開けっ放しの人間には、仲々忍術は応用出来ない」
「ははあ然うか、これは驚いた。頓智のコツとそっくり[#「そっくり」に傍点]だ。……頓智とは弱点を突くことさ。用心堅固の奴に限って沢山弱点を持っている。その弱点をギシと握り、チョイチョイ周囲《まわり》をつっ[#「つっ」に傍点]突くのさ。……まとも[#「まとも」に傍点]に突くと皮肉になる。皮肉になると叱られる。そこで軽くつっ[#「つっ」に傍点]突くのさ。……そうだ或る時こんなことがあった。『余の顔は猿に似ているそうだ。どうだ、ほんとかな、似ているかな?』こんなことを殿下が仰せられた。列座の面々一言も無い。こいつァ何うにも答えられない筈さ。事実猿には似ているのだが、相手が殿下だ、そうは云えない。で、いつ迄も無言の行よ。そこで俺が云ったものさ。『いえいえ然うではございません。つまり猿の顔なるものが、殿下に似ているのでございます』とな。すると大将大喜びだ。早速拝領と来たものさ。アッハハハこの呼吸だよ」
「いや面白い、そうなくてはならない」五右衛門は感心したらしい。
釜の湯がシンシンと音を立てた。
早咲の桜がサラサラと散った。
どこかで鶯の声がした。
将に閑室余暇ありであった。
×
「お前は飛行出来るかな?」
或る時秀吉が五右衛門に訊いた。
「自由自在でございます」
これが五右衛門の返辞であった。
「俺を連れて飛べるかな?」
「いと易いことでございます」
「都は祇園会で賑わっているそうだ。ひとつ其奴《そいつ》を見せてくれ」
「かしこまりましてございます」
五右衛門はこう云うと懐中から、鳶の羽根を取り出した。
「いざお召し下さいますよう」
それから後の光景は、こう古文書に記されてある。
「……雲の原へとぞ上りける。遙の下を見給へば、蒼海まん/\として、魂をひやせり。我にもあらぬ心地にて、なにと成りゆくやらんと覚しにける。かくて尽きぬとおもう時に、目をおきて見給へば、ほどなく大山に立りける杉の上にぞ落着ける。殿下こゝはいづくの国、いかなる所ぞと宣まへば、是こそ都の西山、愛宕山と申処にて候、祇園会もいまだ始まらず候間、いま暫|爰《ここ》におはしまして、ご休息有べし、さりながら、何にても食事の望に候はんまゝ、是にしばしまたせ給へ、とゝのへてきたり候はんとて、つゐ立ちけるとおもへば、くれに[#「くれに」に傍点]見えざりけり。とかくする中に、五右衛門はや帰りて、いざ/″\殿下まゐり候へとて、いかにもきらびやかなる器物に、好味をつくしける美膳をぞすへにける。殿下御覧じて、これは早速にとゝのふものかなとて、かたのごとく食したまひける。そのうち珍酒を振舞候はんとて、とり/″\の名酒あまたよせて、すゝめにける。とかくして時も移る程に、はや祇園会も初まる時分に候、いざ/″\御供仕らんとて、又件の鳶の羽に打乗て、虚空をさして飛けるが、刹那がうちに、祇園の廊門のうへにぞ落着ける、まこと神事の最中なれば、都鄙の貴賤上下、東西南北は充満して、人のたちこむこと家々に限りなくぞ見えにけり。五右衛門申されけるは、むかふへ来る武士どもを見給へ、身長に及ぶ大太刀をさして、張肘にて、大路せばしと多勢ありく事の面憎さよ、殿下もつれ/″\におはしまさんに、ちと喧嘩をさせて、賑にひらめかせ、見物せんとて、棟の上へ生ひたる苔を、すこしづつ摘み、ばり/″\と投ければ、御辺は卒爾を、人にしかけるものかなといふ中に、又飛礫を雨のごとくに打ければ、総見物ども入乱て、このうちに馬鹿者こそ有遁すまじとて、太刀かたな引ぬきて、爰に一村かしこひに一むすび、五人三人づつ渡しあひて、しのぎを削り、うち物よりも火焔を出す。女童是を見て、四方へばつと逃まどふ。あれ/\殿下御覧ぜよ。なによりも面白き慰にて候はぬかと云ひければ、殿下のたまひけるは、さのみは人を苦めて、罪造りて何かせん、はや/\やめ候へと宣へば、さあらば喧嘩をやむべしとて、西の方を二三度まねきければ、見物の人々も、喧嘩をいたす輩も、八方へむら/\とぞ逃たりけり。かくて時刻も移りて、祇園会の山鉾、はやしたてゝ渡しけり。五右衛門こゝは、所間遠にて、おもしろからず、よき所にて見せ参らせ候はんとて、四条の町の華麗なる家にともなひけり。さて何処よりとりて来たりけん。杉重角折、すはまの台など、あまた殿下にすゝめけり。かくて山鉾もこと/″\く通り過ければ、今は見るべきものゝ無ければ、いざ/″\故郷へ帰らんとて、また鳶の羽にうちのせて、其日の六つはじめに、伏見にぞ帰りける。帰館して後にぞ、殿下は夢のさめたる心地はしつれとぞ、宣ひけると語り給へば、五右衛門首尾を施ける」
四
だが此の事あって以来、秀吉は五右衛門をうとうとしく[#「うとうとしく」に傍点]した。
「恐ろしい奴だ」と思ったからであった。
自然それが五右衛門にも解り、五右衛門も秀吉を疎むようになった。
遂々《とうとう》或る日瓢然と、伏見の城を立ち去った。
剽盗《せっとう》に成ったのは夫れからである。
五右衛門が伏見から去ったのを、誰にもまして失望したのは、親友の曽呂利新左衛門であった。
彼は怏々として楽しまなかった。
「面白くないな、全く面白くない。殿下も腹が小さ過ぎる。五右衛門ぐらいを使え無いとは。……俺もお暇しようかしら。考えて見れば俺なんてものは、体のいい貴顕の※[#「封/帛」、第4水準2-8-92]間というものだ。男子生れて※[#「封/帛」、第4水準2-8-92]間となる! どうも威張れた義理じゃ無い」
こういう考えが浮かんで以来《から》、軽妙な頓智が出なくなった。
「俺は決して幇間では無い。俺はこれでも諷刺家なのだ。世の所謂る成上者が、金力と権力を真向にかざし、我儘三昧をやらかすのを、俺は俺の舌の先で、嘲弄し揶揄するのだ。例えば或る時こんなことがあった。そうだ聚楽第の落成した時だ、饗応の砌、忌言葉として、火という言葉を云わぬよう、殿下からの命令だった。が俺は考えた。言葉を忌んで何んになる。油断から火事は起こるのだ。言葉から火事は起こりはしない。土台俺には此の聚楽が、不愉快に見えて仕方が無い。構うものか逆手を使って、あべこべに殿下をとっちめ[#「とっちめ」に傍点]てやれ、で、俺は殿下へ云った。『殿下、私には槻《けやき》細工の、見事の釜がございます』『槻の釜だと、馬鹿を云え。火に掛けたら燃えるだろうに』『殿下、罰金でございます! 忌言葉を有仰ったではございませんか』『おっ成程、火と云ったな』『それそれ二度迄申されました』――で、俺は罰金を取り、京大阪伏見の住民へ、米を施してやったものだ。……俺は断じて※[#「封/帛」、第4水準2-8-92]間では無い。俺は俺の舌三寸で、成上者の我儘を、抑え付けている警世家だ! と実は今日まで信じて来たのだが、どうも今では其の自信が土台下から崩れて来た。一体全体俺の頓智が、どの位い世の為めになってるか? これが第一疑わしい。せいぜい殿下の臍繰を攫って、施米するぐらいがオチでは無いか。そうして殿下の我儘は、そのため毫も抑えられはしない。次に俺に就いて考えて見るに、警世家で候、諷刺家で候と、よく口癖には云うけれど、態度たるや然うでは無い。軽口頓智を申上げ、それで殿下がお笑いになれば、唯無性と嬉しくなる。こういう心持は何う弁解しても、傭人の卑窟心だ。操っている操っていると思い乍ら、いつか人形に操られている、可哀そうな馬鹿な人形師! どうやら其奴が俺らしい。成程なあ、こうなって見れば、浪人した五右衛門は利口だわえ」
彼は怏々として楽しまなかった。
五
剽盗になってからの五右衛門は、文字通り自由の人間であった。
本能によって振舞った。
快不快によって振舞った。
所謂る徹底した功利主義者として、天空海濶に振舞った。
「その結果が愉快でさえあれば、動機なんか何うだって構うものか」
これが五右衛門の心持であった。
だが、賊としての五右衛門の、その凶悪の事蹟に就いては、既に大分の読者諸君は、講談乃至は草双紙によって、先刻承知のことと思う。で、詳しくは語るまい。
関白秀次に仕えたのは、秀次の執事木村常陸介と、同門の誼《よしみ》があったからであった。
「おい、仕えろ」「うん、よかろう」
こんな塩梅に簡単に、常陸介の周旋で、五右衛門は秀次へ仕えたのであった。
当時秀次は聚楽第にいて、日夜淫酒に耽っていた。
「天下はどうせ秀頼のものだ。俺は廃嫡されるだろう。どうも浮世が面白くない。面白くない浮世なら、面白くしたら可いじゃ無いか」
で、淫酒に耽るのであった。
快楽主義者の五右衛門に執っては、秀次は格好な主君であった。
素敵に愉快な日がつづいた。
或る時常陸がこんなことを云った。
「五右衛門、一働き働いてくれ」
「よかろう、何んでも云い付けるがいい」
「伏見の城へ忍んでくれ」
「…………」
さすがに五右衛門も黙って了った。
よく其の意味がわかったのであった。「ははあ常陸奴この俺を、刺客にしようというのだな」
ややありて五右衛門は「諾《うん》」と云った。「俺はいつぞや秀吉の襟へ、小柄を縫い付けたことがある。つまり、なんだ、その小柄を、今度は深目に刺すばかりだ」
×
五右衛門が秀次に仕えたと聞くと、ひどく秀吉は恐怖した。
そこで諸国へ令を出し、名誉の忍術家を召し寄せた。
その中から十人を選抜し、「忍術《しのび》十人衆」と命名し、大奥の警護に宛てることにした。
一条弥平、一色鬼童、これは琢磨流の忍術家であった。
茣座小次郎、伊賀三郎、黄楊《つげ》四郎の三人は、甲賀流忍術の達人であった。
敷島松兵衛、運運八、この二人は八擒流であった。
小笠原民部は民部流開祖で、十人衆の頭であった。
連《むらじ》武彦、霧小文吾、これは霧派の忍術家であった。
由来忍術というものは、武芸十八般のその中には、這入ることの出来ないものであった。外道を以って目されていた。何時の時代に始まったものか、それもハッキリとは解っていない。日本神代史を調べて見ると、神々はすべて忍術家であって、国土を産んだり火焔を産んだり、海を干したり山を移したり、死の国へ平気で行ったりしている。
忍術が所謂る「術」として、日本の芸界へ現われたのは、藤原時代だということである。
戦国時代に至っては、尤も軍陣に用いられた。特に信玄が重用した、「蜈蚣衆」と称された物見武士は、大方優秀なる忍術家であった。
信長は夫れほど重用せず、秀吉も重用しなかった、家康に至って稍用いたが、併し次第に衰微した。
化学、物理、変装術、早走り、度胸、小太刀使い、機械体操式軽身術、機智の七種を学ぶことによって、大体その道に達することが出来た。
彼等の日常の携帯品といえば、鍔無柄巻の小刀一本(一尺足らずのものである。)金属製の小|喞筒《ぽんぷ》(これで硫酸や硝酸を、敵の面部へ注ぎかけた。)精巧無比の発火用具(燧石の類である。)折畳式の鉄梯子、捕繩、龕燈、各種の楽器(これで或る時は虫の音を聞かせ、又或る時には鳥の音をきかせ、その他川の音風の音、蛙の音などを聞かせたものである。)そうして些少《いささか》の催眠剤など。……
そうして詳細の地図を持ち、目欲しい城の繩張絵図、こういうものを持っていた。
「平法術」も必要であった。(即ち平日喧嘩の場合に、特に用いる術として、伊藤伴右衛門高豊が、編み出した所の武術である。)
立合抜打と称された「抜刀術」も必要であった。
「小具足腰の廻わり」も必要であり「捕手」「柔術《やわら》」も大切であった。「強法術」は更に大事、「手裏剣」の術も要ありとされた。
「八方分身須臾転化」これが忍術家の標語であった。「居附」ということを酷く嫌った。
「欲在前忽然而在後」これでなければならなかった。
「澄む月は一つなれども更科や田毎の月は見る人のまま」
こうでなければならないのであった。
六
或る夜秀吉はお伽衆を集め、天狗俳諧をやっていた。
刀売おどろいて見し刄傷沙汰
木魚打つ南無阿弥陀仏新左殿
南無三宝夜はふけまさる浪士なり
京つくし野を馬曳きて吠える犬
天が下はるばるかかる鯨売
蚊遣立って静かに伝ふ闇夜かな
蚊柱の物狂ふなり伏見城
京伏見経机ありあはれなり
辻斬の細きもとでや念仏僧
鬼瓦長し短し具足櫃
忍術の袈裟かぶり行くほととぎす
こんな名吟が続出した。
で、みんなドッと笑い、ひどく陽気で可い気持であった。
で、秀吉が不図見ると、細川幽斎と新左衛門との間に、見慣れない人間が坐わっていた。
黒小袖を着、黒頭巾を冠り、伊賀袴を穿き、草鞋を[#「草鞋を」は底本では「草蛙を」]をつけた、身真黒の人間であった。いつ来たものとも解らなかった。誰一人気が付いた者がなかった。
ギョッとして秀吉は声をかけた。
「貴様は誰だ! 何者だ!」
すると其の男は一礼したが、
「小笠原民部でございます」
それは「忍術十人衆」の、小笠原民部一念斎であった。
「おお民部か、これはこれは」苦笑せざるを得なかった。
「何時何処から這入って来たな? いやいやお前は忍術《しのび》の達人、これは訊くだけ野暮かもしれない。……で、何か用事かな?」
「今夜、先刻より、石川五右衛門、忍び込みましてございます」
これを聞くと一座の者は、颯とばかりに顔色を変えた。
「うむ、そうか、縛《から》め取れ!」
秀吉は烈しく命令した。
「只今苦戦中でございます」
「ナニ苦戦? なんのことだ?」
「我等十人十方に分れ、厳重に固めて居りますものの、五右衛門は本邦無雙の術者、ジリジリ攻め込んで参ります」
「うむ」と秀吉は渋面を作った。
「そこで御注意致し度く、参上致しましてございます。……如何様な不思議がございましても、決してお声を立てませぬよう」
「声を上げては不可ないのか?」
「決して決してなりませぬ。誰人様にも申し上げます。決してお声を立てませぬよう。おお夫れから最う一つ、是非とも何か一つの事を、熱心にお考え下さいますよう。他へお心を移しませぬよう。……では、ごめん下さいますよう」
襖を開けると退出した。
後は一座|寂然《しん》となった。
×
併し私は忍術に就いては深い研究をしていない。で、五右衛門と十人衆とが、どんな塩梅に戦ったものか、どうも遺憾乍ら[#「遺憾乍ら」は底本では「遣憾乍ら」]記すことが出来ない。いずれ素晴らしい術比べが、闇中で行われたことだろう。
とまれ其の結果、伏見城方では、十人の人間が殺された。そうして大閤秀吉は、曽呂利新左衛門の頓智によって、あやうく命を助かった。
小笠原民部一人を抜かし、後の九人の忍術家達は、二時間ばかりの其の間に、五右衛門の精妙な法術のため、屈折されて了ったのであった。そこで五右衛門は城中大奥、秀吉の居る隣室まで、堂々と入り込んで来たそうである。
忽然その時秀吉の耳へ小供の泣声が聞えて来た。火の付いたような泣声であった。しかも秀頼の声であった。
「や、若が泣いている」
ハッと思った一刹那、秀吉の体はズルズルと、一尺ばかり前へ出た。何者かの力が引き出したのであった。「うむ、しまった!」と気が付くと共に、小供の泣声がハタと止んだ。
陰々滅々静かであった。
と、呼ぶ声が聞えて来た。
「殿下! 殿下! 在しませぬかな!」
「応」と我知らず答えようとした途端、
「……世に盗賊の種は尽きまじ」と、曽呂利新左衛門が大声で呼んだ。「五右衛門、上の句を付けてくれ!」
すると隣室から笑う声がした。
「うむ、新左か、新左がいたのか! アッハハハ、そうであったか。……石川や浜の真砂は尽くるとも。……沙阿弥! 沙阿弥! 沙阿弥はいぬか!」
お坊主沙阿弥は迂濶りと、「ヘーイ」と大きな返辞をした。と、スルスルと沙阿弥の体は、隣の部屋まで引き出されて行った。
が、その後は何事も無かった。沙阿弥の死骸はその翌日、泉水の畔で見出された。
七
秀吉暗殺の壮図破れ、面目を失った五右衛門は、秀次の許を浪人! ふたたび剽盗の群へ這入った。
秀次が高野山で自尽した後、しばらくあって五右衛門も、新左衛門の手で捕えられた。
千鳥の香爐の啼音に驚き、仙石権兵衛の足を踏み、法術破れて捕えられたのでは無い。
瓜一つのために捕えられたのであった。
京師警備の任にあった、徳善院前田玄以法師が、或る日数人の従者を連れ、大原野を散歩した。その中には曽呂利新左衛門もいた。
それは中夏三伏の頃で、熱い日光がさしていた。
と、一つの辻堂があった。縁下から二本の人間の足が、ヌッと外へ食み出していた。そうして其の側に一つの瓜が、二つに割られて置いてあった。
一行はそのまま通り過ぎようとした。
機智縦横の新左衛門だけが、それに不審の眼を止めた。
「徳善院様徳善院様」
彼はそっと囁いた。「誰か人が寝て居ります」
「附近の百姓が労働に疲労《つか》れ、辻堂で昼寝をしているのさ」徳善院は事も無げに云った。
「足をごらんなさりませ」
「人間の足だ、異ったこともない」
「白くて滑らかで細うございます。百姓の足ではございません」
「そう云えば百姓の足では無いな」
「瓜が傍に置いてあります」
「さようさ、瓜が置いてあるな」
「蠅が真黒にたかっ[#「たかっ」に傍点]て居ります」
「蠅や虻がたかっ[#「たかっ」に傍点]ている」
「あれは賊でございます」新左衛門は自信を以って云った。
「夜働きに疲労れた盗賊が、瓜の二つ割で毒虫を避け、昼寝をしているのでございます」
「うん、成程、そうかも知れない。それ者共召捕って了え!」
素晴らしい格闘が行われ、その結果賊は捕縛された。
それが石川五右衛門であった。
底本:「蔦葛木曾棧」桃源社
1971(昭和46)年12月20日発行
初出:「大衆文芸 第一巻第一号」
1926(大正15)年1月号
※「※[#「封/帛」、第4水準2-8-92]」と「幇」との混在は底本通りにしました。
入力:伊藤時也
校正:伊藤時也、小林繁雄
2007年4月5日作成
青空文庫作成ファイル:
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