K君はこの座中で第一の年長者であるだけに、江戸時代の怪異談をたくさんに知っていて、それからそれへと立て続けに五、六題の講話があった。そのなかで特殊のもの三題を選んで左に紹介する。
一 新牡丹燈記
剪燈新話のうちの牡丹燈記を翻案した、かの山東京伝の浮牡丹全伝や、三遊亭円朝の怪談牡丹燈籠や、それらはいずれも有名なものになっているが、それらとはまたすこし違ってこんな話が伝えられている。
嘉永《かえい》初年のことである。四谷塩町の亀田屋という油屋の女房が熊吉という小僧をつれて、市ヶ谷の合羽坂下を通った。それは七月十二日の夜の四つ半(午後十一時)に近いころで、今夜はここらの組屋敷や商人店《あきんどみせ》を相手に小さい草市《くさいち》が開かれていたのであるが、山の手のことであるから月桂寺の四つの鐘を合図に、それらの商人もみな店をしまって帰って、路ばたには売れのこりの草の葉などが散っていた。
「よく後片付けをして行かないんだね。」
こんなことを言いながら、女房は小僧に持たせた提灯の火をたよりに暗い夜路をたどって行った。町家の女房がさびしい夜ふけに、どうしてここらを歩いているかというと、それは親戚に不幸があって、その悔みに行った帰り路であった。本来ならば通夜をすべきであるが、盆前で店の方も忙しいので、いわゆる半通夜で四つ過ぎにそこを出て来たのである。月のない暗い空で、初秋の夜ふけの風がひやひやと肌にしみるので、女房は薄い着物の袖をかきあわせながら路を急いだ。
一|時《とき》か半時前までは土地相応に賑わっていたらしい草市のあとも、人ひとり通らないほどに静まっていた。女房がいう通り、市《いち》商人は碌々に後片付けをして行かないとみえて、そこらにはしおれた鼠尾草《みそはぎ》や、破れた蓮の葉などが穢ならしく散っていた。唐もろこしの殻や西瓜の皮なども転がっていた。その狼藉たるなかを踏みわけて、ふたりは足を早めてくると、三、四間さきに盆燈籠のかげを見た。それは普通の形の白い切子燈籠《きりこどうろう》で、別に不思議もないのであるが、それが往来のほとんどまん中で、しかも土の上に据えられてあるように見えたのが、このふたりの注意をひいた。
「熊吉。御覧よ。燈籠はどうしたんだろう。おかしいじゃないか。」と、女房は小声で言った。
小僧も立ちどまった。
「誰かが落して行ったんですかしら。」
落し物もいろいろあるが、切子《きりこ》燈籠を往来のまん中に落して行くのは少しおかしいと女房は思った。小僧は持っている提灯をかざして、その燈籠の正体をたしかに見届けようとすると、今まで白くみえた燈籠がだんだんに薄あかくなった。さながらそれに灯《ひ》がはいったように思われるのである。そうして、その白い尾を夜風に軽くなびかせながら、地の上からふわふわと舞いあがっていくらしい。女房は冷たい水を浴びせられたような心持になって、思わず小僧の手をしっかりと掴んだ。
「ねえ、お前。どうしたんだろうね。」
「どうしたんでしょう。」
熊吉も息を呑み込んで、怪しい切子燈籠の影をじっと見つめていると、それは余り高くも揚がらなかった。せいぜいが地面から三、四尺ほどのところを高く低くゆらめいて、前に行くかと思うと又あとの方へ戻ってくる。ちょっと見ると風に吹かれて漂《ただよ》っているようにも思われるが、かりにも盆燈籠ほどのものが風に吹かれて空中を舞いあるく筈もない。ことに薄あかるくみえるのも不思議である。何かのたましいがこの燈籠に宿っているのではないかと思うと、女房はいよいよ不気味になった。
今夜は盂蘭盆《うらぼん》の草市で、夜ももう更けている。しかも今まで新ぼとけの前に通夜をして来た帰り路であるから、女房はなおさら薄気味わるく思った。両側の店屋《てんや》はどこも大戸をおろしているので、いざという場合にも駈け込むところがない。かれはそこに立竦《たちすく》んでしまった。
「人魂《ひとだま》かしら。」と、かれはまたささやいた。
「そうですねえ。」と、熊吉も考えていた。
「いっそ引っ返そうかねえ。」
「あとへ戻るんですか。」
「だって、お前。気味が悪くって行かれないじゃあないか。」
そんな押問答をしているうちに、燈籠の灯は消えたように暗くなった。と思うと、五、六間さきの方へゆらゆらと飛んで行った。
「きっと狐か狸ですよ。畜生!」と、熊吉は罵るように言った。
熊吉はことし十五の前髪であるが、年のわりには柄も大きく、力もある。女房もそれを見込んで今夜の供につれて来たくらいであるから、最初こそは燈籠の不思議を怪しんでいたが、だんだんに度胸がすわって来て、かれはこの不思議を狐か狸のいたずらと決めてしまった。かれは提灯のひかりでそこらを照らしてみて、路ばたに転がっている手頃の石を二つ三つ拾って来た。
「あれ、およしよ。」
あやぶんで制する女房に提灯をあずけて、熊吉は両手にその石を持って、燈籠のゆくえを睨んでいると、それがまたうす明るくなった。そうして、向きを変えてこっちへ舞いもどって来たかと思うと、あたかも火取り虫が火にむかってくるように、女房の持っている提灯を目がけて一直線に飛んで来たので、女房はきゃっといって提灯を投げ出して逃げた。
「畜生!」
熊吉はその燈籠に石をたたきつけた。慌てたので、第一の石は空《くう》を打ったが、つづいて投げつけた第二の礫《つぶて》は燈籠の真っ唯中にあたって、確かに手ごたえがしたように思うと、燈籠の影は吹き消したように闇のなかに隠れてしまった。そのあいだに、女房は右側の店屋の大戸を一生懸命に叩《たた》いた。かれはもう怖くてたまらないので、どこでも構わずにたたき起して、当座の救いを求めようとしたのであった。一旦消えた燈籠は再びどこからか現れて、あたかも女房が叩いている店のなかへ消えていくように見えたので、かれはまたきゃっと叫んで倒れた。
叩かれた家では容易に起きて来なかったが、その音におどろかされて隣りの家から四十前後の男が半裸体のような寝巻姿で出て来た。かれは熊吉と一緒になって、倒れている女房を介抱しながら自分の家へ連れ込んだ。その店は小さい煙草屋であった。気絶こそしないが、女房はもう真っ蒼になって動悸のする胸を苦しそうに抱えているので、亭主の男は家内の物を呼び起して、女房に水を飲ませたりした。ようやく正気にかえった女房と小僧から今夜の出来事をきかされて、煙草屋の亭主も眉をよせた。
「その燈籠はまったく隣りの家《うち》へはいりましたかえ。」
たしかにはいったと二人が言うと、亭主はいよいよ顔をしかめた。その娘らしい十七八の若い女も顔の色を変えた。
「なるほど、そうかも知れません。」と、亭主はやがて言い出した。「それはきっと隣りの娘ですよ。」
女房はまた驚かされた。かれは身を固くして相手の顔を見つめていると、亭主は小声で語った。
「隣りの家は小間物屋で、主人は六年ほど前に死にまして、今では後家の女あるじで、小僧ひとりと女中一人、小体《こてい》に暮らしてはいますけれど、ほかに家作《かさく》なども持っていて、なかなか内福だということです。ところが、お貞さんというひとり娘……ことし十八で、わたしの家《うち》の娘とも子供のときからの遊び友達で、容貌《きりょう》も悪くなし、人柄も悪くない娘なのですが、半年ほど前にもこんなことがありました。
なんでも正月の暗い晩でしたが、やはり夜ふけに隣りの戸を叩く音がきこえる、わたしは眼ざといもんですから、何事かと思って起きて出ると、侍らしい人が隣りのおかみさんを呼出して何か話しているようでしたが、やがてそのまま立去ってしまったので、わたしもそのままに寝てしまいました。すると、あくる日になって、となりのお貞さんが家《うち》の娘にこんなことを話したそうです。わたしはゆうべぐらい怖かったことはない。なんでも暗いお堀端のようなところを歩いていると、ひとりのお侍が出て来て、いきなり刀をぬいて斬りつけようとする。逃げても、逃げても、追っかけてくる。それでも一生懸命に家まで逃げて帰って、表口から転げるように駈け込んで、まあよかったと思うと夢がさめた。そんなら夢であったのか。どうしてこんな怖い夢を見たのかと思う途端に、表の戸を叩く音がきこえて、おっ母さんが出てみると、表には一人のお侍が立っていて、その人のいうには、今ここへくる途中で往来のまん中に火の玉のようなものが転げあるいているのを見た……。」
聞いている女房はまたも胸の動悸が高くなった。亭主は一と息ついてまた話し出した。
「そこでそのお侍は、きっと狐か狸がおれを化かすに相違ないと思って、刀を抜いて追いまわしているうちに、その火の玉は宙を飛んでここの家へはいった。ほんとうの火の玉か、化物か、それは勿論判らないが、なにしろここの家へ飛び込んだのを確かに見届けたから、念のために断って置くとかいうのだそうです。となりの家でも気味悪がって、すぐにそこらを検《あらた》めてみだが、別に怪しい様子もないので、お侍にそう言うと、その人も安心した様子で、それならばいいと言って帰った。お貞さんも奥でその話を聞いていたので、寝床から抜出してそっと表をのぞいてみると、店先に立っている人は自分がたった今、夢の中で追いまわされた侍そのままなので、思わず声をあげたくらいに驚いたそうです。
お貞さんは家の娘にその話をして、これがほんとうの正夢というのか、なにしろ生れてからあんなに怖い思いをしたことはなかったと言ったそうですが、お貞さんよりも、それを聞いた者の方が一倍気味が悪くなりました。その火の玉というのは一体なんでしょう。お貞さんが眠っているあいだに、その魂が自然にぬけ出して行ったのでしょうか。その以来、家の娘はなんだか怖いといって、お貞さんとはなるたけ附合わないようにしているくらいです。そういうわけですから、今夜の盆燈籠もやっぱりお貞さんかも知れませんね。小僧さんが石をぶつけたというから、お貞さんの家《うち》の盆燈籠が破れてでもいるか、それともお貞さんのからだに何か傷でもついているか、あしたになったらそれとなく探ってみましょう。」
こんな話を聞かされて、女房もいよいよ怖くなったが、まさかに、ここの家に泊めてもらうわけにもいかないので、亭主にはあつく礼をいって、怖々ながらここを出た。家へ帰り着くまでに再び火の玉にも盆燈籠にも出逢わなかったが、かれの着物は冷汗でしぼるようにぬれていた。
それから二、三日後に、亀田屋の女房はここを通って、このあいだの礼ながらに煙草屋の店へ立寄ると、亭主は小声で言った。
「まったく相違ありません。隣りの家の切子《きりこ》は、石でも当ったように破れていて、誰がこんないたずらをしたんだろうと、おかみさんが言っていたそうです。お貞さんには別に変ったこともないようで、さっきまで店に出ていました。なにしろ不思議なこともあるもんですよ。」
「不思議ですねえ。」と、女房もただ溜息をつくばかりであった。
この奇怪な物語はこれぎりで、お貞という娘はその後どうしたか、それは何にも伝わっていない。
二 寺町の竹藪
これはある老女の昔話である。
老女は名をおなおさんといって、浅草の田島町に住んでいた。そのころの田島町は俗に北寺町と呼ばれていたほどで、浅草の観音堂と隣り続きでありながら、すこぶるさびしい寺門前の町であった。
話は嘉永四年の三月はじめで、なんでもお雛さまを片付けてから二、三日過ぎた頃であると、おなおさんは言った。旧暦の三月であるから、ひとえの桜はもう花ざかりで、上野から浅草へまわる人跫《ひとあし》のしげき時節である。なま暖かく、どんよりと曇った日の夕方で、その頃まだ十一のおなおさんが近所の娘たち四、五人と往来で遊んでいると、そのうちの一人が不意にあら[#「あら」に傍点]と叫んだ。
「お兼ちゃん。どこへ行っていたの。」
お兼ちゃんというのは、この町内の数珠《じゅず》屋のむすめで、午《ひる》すぎの八つ(午後二時)を合図に、ほかの友達と一緒に手習いの師匠の家から帰った後、一度も表へその姿をみせなかったのである。お兼はおなおさんとおない年の、色の白い、可愛らしい娘で、ふだんからおとなしいので師匠にも褒められ、稽古朋輩にも親しまれていた。
このごろの春の日ももう暮れかかってはいたが、往来はまだ薄あかるいので、お兼ちゃんの青ざめた顔は誰の眼にもはっきりと見えた。ひとりが声をかけると、ほかの小娘も皆ばらばらと駈け寄ってかれのまわりを取巻いた。おなおさんも無論に近寄って、その顔をのぞきながら訊《き》いた。
「おまえさん、どうしたの。さっきからちっとも遊びに出て来なかったのね。」
お兼ちゃんは黙っていたが、やがて低い声で言った。
「あたし、もうみんなと遊ばないのよ。」
「どうして。」
みんなは驚いたように声をそろえて訊《き》くと、お兼はまた黙っていた。そうして、悲しそうな顔をしながら横町の方へ消えるように立去ってしまった。消えるようにといっても、ほんとうに消えたのではない。横町の角を曲っていくまで、そのうしろ姿をたしかに見たとおなおさんは言った。
その様子がなんとなくおかしいので、みんなも一旦は顔を見合せて、黙ってそのうしろ影を見送っていたが、お兼の立去ったのは自分の店と反対の方角で、しかもその横町には昼でも薄暗いような大きい竹藪のあることを思い出したときに、どの娘もなんだか薄気味わるくなって来た。おなおさんも俄かにぞっとした。そうして、言い合せたように一度に泣き声をあげて、めいめいの家《うち》へ逃げ込んでしまった。
おなおさんの家は経師《きょうじ》屋であった。手もとが暗くなったので、そろそろと仕事をしまいかけていたお父さんは、あわただしく駈け込んで来たおなおさんを叱りつけた。
「なんだ、そうぞうしい。行儀のわるい奴だ。女の児が日の暮れるまで表に出ていることがあるものか。」
「でも、お父《とっ》さん、怖かったわ。」
「なにが怖い。」
おなおさんから詳しい話を聞かされても、お父さんは別に気にも留めないらしかった。なぜ暗くなるまで外遊びをしていると、おっ母さんにも叱られて、おなおさんはそのまま奥へ行って、親子三人で夕飯を食った。夜になって、お父さんは小僧と一緒に近所の湯屋へ行ったが、職人の湯は早い。やがて帰って来ておっ母さんにささやいた。
「さっきおなおが何を言っているのかと思ったらどうもおかしいよ。数珠屋のお兼ちゃんは見えなくなったそうだ。」
それは湯屋で聞いた話であるが、お兼はきょうのお午《ひる》すぎに手習いから帰って来て、広徳寺前の親類まで使いに行ったままで帰らない。家でも心配して聞合せにやると、むこうへは一度も来ないという。どこにか路草を食っているのかとも思ったが、年のいかない小娘が日のくれるまで帰って来ないのは不思議だというので、親たちの不安はいよいよ大きくなって、さっきから方々へ手分けをして探しているが、まだその行くえが判らないとのことであった。
「こうと知ったら、さっきすぐに知らせてやればよかったんだが……。」と、お父さんは悔むように言った。
「ほんとうにねえ。あとで親たちに恨まれるのも辛《つら》いから、おまえさんこの子をつれてお兼ちゃんの家《うち》へ行っておいでなさいよ。遅まきでも、行かないよりはましだから。」と、おっ母さんはそばから勧めた。
「じゃあ、行って来ようか。」
お父さんに連れられて、おなおさんは数珠屋の店へ出て行った。曇った宵はこの時いよいよ曇って今にも泣き出しそうな空の色がおなおさんの小さい胸をいよいよ暗くした。言いしれない不安と恐怖にとらわれて、おなおさんは泣きたくなった。数珠屋ではもう先に知らせて来たものがあったと見えて、夕方にお兼が姿をあらわしたことを知っていた。その竹藪はお寺の墓場につづいているので、お寺にも一応ことわって、大勢で今その藪のなかを探しているところだと言った。
「そうですか。じゃあ、わたしもお手伝いに行きましょう。」と、おなおさんのお父さんもすぐに横町の方へ行った。
横町の角を曲ろうとするときに、お父さんはおなおさんを見返って言った。
「おまえなんぞは来るんじゃあねえ。早く帰れ。」
言いすててお父さんは横町へかけ込んでしまった。それでも怖いもの見たさに、おなおさんはそっと伸び上がってうかがうと、暗い大藪の中には提灯の火が七つ八つもみだれて見えた。とぎれとぎれに人の呼びあうような声もきこえた。恐ろしいような、悲しいような心持で、おなおさんは早々に自分の家へかけて帰ったが、かれの眼はいつか涙ぐんでいた。おっ母さんに言いつけられて、小僧も横町の藪へ探しに行った。
夜のふけた頃に、お父さんと小僧は近所の人たちと一緒に帰って来た。
「いけねえ。どうしても見つからねえ。なにしろ暗いので、あしたの事にするよりほかはねえ。」
おなおさんはいよいよ悲しくなって、しくしくと泣き出した。おっ母さんも顔をくもらせて、お兼ちゃんは児柄《こがら》がいいから、もしや人攫《ひとさら》いにでも連れて行かれたのではあるまいかと言った。そんなことかも知れねえと、お父さんも溜息をついていた。まったくその頃には、人攫いにさらって行かれたとか、天狗に連れて行かれたとか、神隠しに遭ったとかいうような話がしばしば伝えられた。
「それだからお前も日が暮れたら、一人で表へ出るんじゃないよ。」と、おっ母さんはおどすようにおなおさんに言いきかせた。
単におどすばかりでなく、現在お兼ちゃんの実例があるのであるから、おなおさんも唯おとなしくおっ母さんの説諭を聞いていると、おっ母さんはふと思い出したようにおなおさんに訊いた。
「ねえ、お前。お兼ちゃんはもうみんなと遊ばないよって言ったんだね。」
「そうよ。」
「それがおかしいね。」と、かれはお父さんの方へ向き直った。「してみると、人攫いや神隠しじゃあなさそうだと思われるが……。お兼ちゃんは自分の一料簡でどこへか姿を隠したんじゃないかねえ。」
「むむ。どうもわからねえな。」と、お父さんも首をかしげた。
お兼はひとり娘で、親たちにも可愛がられている。まだ十一の小娘では色恋でもあるまい。それらを考えると、どうも自分の一料簡で家出や駈落ちをしそうにも思われない。結局その謎は解けないままで、経師屋の家では寝てしまった。おなおさんはやはり怖いような悲しいような心持で、その晩は安々と眠られなかった。
あくる日になって、お兼のゆくえは判った。近所の竹藪などを掻きまわしていても所詮知れようはずはない。お兼はずっと遠い深川の果て、洲崎堤の枯蘆のなかにその亡骸《なきがら》を横たえているのを発見した者があった。お兼は腰巻ひとつの赤裸でくびり殺されていたのである。お兼は素足になっていたが、そこには同じ年頃らしい女の子の古下駄が片足ころげていた。更におどろかれるのは、年弱《としよわ》の二つぐらいと思われる女の児が、お兼の死骸のそばに泣いていた。これは着物を着たままで、からだには何の疵もなかった。幸いに野良犬にも咬まれずに無事に泣きつづけていたらしい。その赤児から手がかりがついて、それは花川戸の八百留という八百屋の子であることが判った。
八百留には上総《かずさ》生れのお長ということし十三の子守女が奉公していて、その前日の午《ひる》すぎに、いつもの通り赤児を背負って出たままで、これも明くる朝まで帰らないので、八百留の家でも心配して心あたりを探し廻っているところであった。してみると、お長は洲崎堤でお兼を絞め殺して、その着物を剥ぎ取って、おそらくその下駄をもはきかえて、自分の背負っている赤児をそこへ置き捨てて、どこへか姿を隠したものであるらしい。ふたりがどうしてそんなところへ連れ立って行ったのか、それは勿論わからなかった。お兼を殺してその着物を剥ぎ取るつもりで、お長がお兼を誘い出したとすれば、まだ十三の小娘にも似合わぬ恐ろしい犯罪である。
お長の故郷は知れているので、とりあえず上総の実家を詮議すると、実家の方へは戻って来ないということであった。数珠屋では娘の死骸を引取って、型の如くに葬式をすませた。
それにしても不思議なのは、その日の夕方にお兼が自分の町内にすがたを現わして、おなおさんその他の稽古朋輩に暇乞いのような詞《ことば》を残して行ったことである。お兼はそれから深川へ行ったのか。それともかれはもう死んでいて、その魂だけが帰って来たのか。それも一つの疑問であった。おなおさんばかりでなく、そこにいた子供たちは同時に皆それを見たのであるから、思い違いや見損じであろうはずはない。
かれが竹藪の横町へ行くうしろ姿をみて、言い合せたようにみんなが怖くなったというのをみると、どこにか一種の鬼気が宿っていたのかも知れない。いずれにしても、おなおさんを初め近所の子供たちは、確かにお兼ちゃんの幽霊に相違ないと決めてしまって、その以来、日の暮れる頃まで表に出ている者はなかった。親たちも早く帰ってくるように、わが子供らを戒めていた。
しかし子供たちのことであるから、まったく遊びに出ないというわけにはいかない。それから十日あまりも過ぎた後、まだ七つ(午後四時)頃だからと油断して、おなおさん達が表に出て遊んでいると、ひとりがまた俄かに叫んだ。
「あら、お兼ちゃんが行く。」
今度は誰も声をかける者もなかった。子供たちは息を呑み込んで、身をすくめて、ただそのうしろ影を見送っていると、お兼ちゃんは手拭で顔をつつんで、やはりかの竹藪の横町の方へとぼとぼとあるいて行った。もちろんその跡を付けて行こうとする者もなかった。しかもそのうしろ姿が横町へ消えるのを見届けて、子供たちは一度にばらばらと駈け出した。今度は逃げるのでない、すぐに自分の親たちのところへ注進に行ったのであった。
その注進を聞いて、町内の親たちが出て来た。経師屋のお父さんも出て来た。数珠屋からは勿論に駈け出して来た。大勢があとや先になって横町へ探しに行くと、お兼らしい娘のすがたは容易に見付からなかった。それでも竹藪をかき分けて根《こん》よく探しまわると、藪の出はずれの、やがて墓場に近いところに大きい椿が一本立っている。その枝に細紐をかけて、お兼らしい娘がくびれ死んでいるのを発見した。お兼ちゃんの着物をきていたので、子供たちは一途《いちず》にお兼ちゃんと思い込んだのであるが、それはかの八百留の子守のお長であった。
お兼の着物を剥ぎとって、それを自分の身につけて、お長はこの十日あまりを何処で過したか判らない。そうして、あたかもお兼に導かれたように、この藪の中へ迷って来て、かれの短い命を終ったのである。お長は田舎者まる出しの小娘で、ふだんから小汚ない手織縞の短い着物ばかりを着ていたから、色白の可愛らしいお兼が小綺麗な身なりをしているのを見て、羨ましさの余りに、ふとおそろしい心を起したのであろうという噂であったが、それも確かなことは判らなかった。それにしてもお長がどうしてお兼を誘って行ったか、このふたりが前からおたがいに知り合っていたのか、それらのことも結局わからなかった。
こうして、何事も謎のままで残っているうちにも、最初にあらわれたお兼のことが最も恐ろしい謎であった。
「あたし、もうみんなと遊ばないのよ。」
お兼ちゃんの悲しそうな声がいつまでも耳に残っていて、その当座は怖い夢にたびたびうなされましたと、おなおさんは言った。
三 龍を見た話
ここにはまた、龍をみたために身をほろぼしたという人がある。それは江戸に大地震のあった翌年で、安政三年八月二十五日、江戸には凄まじい暴風雨が襲来して、震災後ようやく本普請の出来あがったもの、まだ仮普請のままであるもの、それらの家々の屋根は大抵吹きめくられ、吹き飛ばされてしまった。その上に津波のような高波が打寄せて来て、品川や深川の沖にかかっていた大船小舟はことごとく浜辺に打揚げられた。本所、深川には出水して、押流された家もあった。溺死した者もあった。去年の地震といい、ことしの風雨《あらし》といい、江戸の人々もずいぶん残酷に祟《たた》られたといってよい。
その暴風雨の最も猛烈をきわめている二十五日の夜の四つ(午後十時)過ぎである。下谷御徒町《したやおかちまち》に住んでいる諸住《もろずみ》伊四郎という御徒士《おかち》組の侍が、よんどころない用向きの帰り路に日本橋の浜町河岸を通った。
彼はこの暴風雨を冒《おか》して、しかも夜ふけになぜこんなところを歩いていたかというと、新大橋の袂にある松平相模守の下屋敷に自分の叔母が多年つとめていて、それが急病にかかったという通知をきょうの夕刻に受取ったので、伊四郎は取りあえずその見舞に駈け付けたのである。叔母はなにかの食あたりであったらしく、一時はひどく吐瀉《としゃ》して苦しんだ。なにぶん老年のことでもあるので、屋敷の者も心配して、早速に甥の伊四郎のところへ知らせてやったのであったが、思いのほかに早く癒って、伊四郎が駈け付けた頃にはもう安らかに床の上に横たわっていた。急激の吐瀉でもちろん疲労しているが、もう心配することはないと医者はいった。平生が達者な質《たち》であるので叔母も元気よく口をきいて、早速見舞に来てくれた礼を言ったりしていた。伊四郎もまず安心した。
しかしわざわざ出向いて来たのであるから、すぐに帰るというわけにもいかないので、病人の枕もとで暫く話しているうちに、雨も風も烈しくなって来た。そのうちには小歇《こや》みになるだろうと待っていたが、夜のふけるにつれていよいよ強くなるらしいので、伊四郎も思い切って出ることにした。叔母はいっそ泊って行けと言ったが、よその屋敷の厄介になるのも心苦しいのと、この風雨では自分の家のことも何だか案じられるのとで、伊四郎は断ってそこを出た。
出てみると、内で思っていたよりも更に烈しい風雨であった。とても一と通りのことでは歩かれないと覚悟して、伊四郎は足袋をぬいで、袴の股立《ももだ》ちを高く取って、素足になった。傘などは所詮なんの役にもたたないので、彼は手拭で頬かむりをして、片手に傘と下駄をさげた。せめて提灯だけはうまく保護して行こうと思ったのであるが、それも五、六間あるくうちに吹き消されてしまったので、彼は真っ暗な風雨のなかを北へ北へと急いで行った。
今と違って、その当時ここらは屋敷つづきであるので、どこの長屋窓もみな閉じられて、灯のひかりなどはちっとも洩れていなかった。片側は武家屋敷、片側は大川であるから、もしこの暴風雨に吹きやられて川のなかへでも滑り込んだら大変であると、伊四郎はなるべく屋敷の側に沿うて行くと、時どきに大きい屋根瓦ががらがらくずれ落ちてくるので、彼はまたおびやかされた。風は東南《たつみ》で、彼にとっては追い風であるのがせめてもの仕合せであったが、吹かれて、吹きやられて、ややもすれば吹き飛ばされそうになるのを、彼は辛くも踏みこたえながら歩いた。滝のようにそそぎかかる雨を浴びて、彼は骨までも濡れるかと思った。その雨にまじって、木の葉や木の枝は勿論、小石や竹切れや簾《すだれ》や床几や、思いも付かないものまでが飛んでくるので、彼は自分のからだが吹き飛ばされる以外に、どこからともなしに吹き飛ばされてくる物をも防がなければならなかった。
「こうと知ったら、いっそ泊めてもらえばよかった。」と、彼は今更に後悔した。
さりとて再び引っ返すのも難儀であるので、伊四郎はもろもろの危険を冒して一生懸命に歩いた。そうして、ともかくも一町あまりも行き過ぎたと思うときに、彼はふと何か光るものをみた。大川の水は暗く濁っているが、それでもいくらかの水あかりで岸に沿うたところはぼんやりと薄明るく見える。その水あかりを頼りにして、彼はその光るものを透かしてみると、それは地を這っているものの二つの眼であった。しかしそれは獣《けもの》とも思われなかった。二つの眼は風雨に逆らってこっちへ向ってくるらしいので、伊四郎はともかくも路ばたの大きい屋敷の門前に身をよせて、その光るものの正体をうかがっていると、何分にも暗いなかではっきりとは判らないが、それは蛇か蜥蝪《とかげ》のようなもので、しずかに地上を這っているらしかった。この風雨のためにどこから何物が這い出したのかと、伊四郎は一心にそれを見つめていると、かれは長い大きいからだを曳きずって来るらしく、濡れた土の上をざらりざらりと擦《こす》っている音が風雨のなかでも確かにきこえた。それはすこぶる巨大なものらしいので、伊四郎はおどろかされた。
かれはだんだんに近づいて、伊四郎のひそんでいる屋敷の門前をしずかに行き過ぎたが、かれはその眼が光るばかりでなく、からだのところどころも金色《こんじき》にひらめいていた。かれはとかげのように四つ這いになって歩いているらしかったが、そのからだの長いのは想像以上で、頭から尾の末まではどうしても四、五間を越えているらしく思われたので、伊四郎は実に胆《きも》を冷やした。
この怪物がようやく自分の前を通り過ぎてしまったので、伊四郎は初めてほうとする時、風雨はまた一としきり暴れ狂って、それが今までよりも一層はげしくなったかと思うと、海に近い大川の浪が逆まいて湧きあがった。暗い空からは稲妻が飛んだ。この凄まじい景色のなかに、かの怪物の大きいからだはいよいよ金色にかがやいて、湧きあがる浪を目がけて飛込むようにその姿を消してしまったので、伊四郎は再び胆を冷やした。
「あれは一体なんだろう。」
彼は馬琴の八犬伝を思い出した。里見|義実《よしざね》が三浦の浜辺で白龍を見たという一節を思いあわせて、かの怪物はおそらく龍であろうと考えた。不忍池にも龍が棲むと信じられていた時代であるから、彼がこの凄まじい暴風雨の夜に龍をみたと考えたのも、決して無理ではなかった。伊四郎は偶然この不思議に出逢って、一種のよろこびを感じた。龍をみた者は出世すると言い伝えられている。それが果して龍ならば、自分に取って好運の兆《きざし》である。
そう思うと、彼が一旦の恐怖はさらに歓喜の満足と変って、風雨のすこし衰えるのを待ってこの門前から再び歩き出した。そうして、二、三間も行ったかと思うと、彼は自分の爪さきに光るものの落ちているのを見た。立停まって拾ってみると、それは大きい鱗《うろこ》のようなものであったので、伊四郎は龍の鱗であろうと思った。龍をみて、さらに龍の鱗を拾ったのであるから、かれはいよいよ喜んで、丁寧にそれを懐ろ紙につつんで懐中した。彼は風雨の夜をあるいて、思いもよらない拾い物をしたのであった。
無事に御徒町《おかちまち》の家へ帰って、伊四郎は濡れた着物をぬぐ間もなく、すぐに懐中を探ってみると、紙の中からはかの一片の鱗があらわれた。行灯の火に照らすと、それは薄い金色に光っていた。彼は妻に命じて三宝を持ち出させて、鱗をその上にのせて、うやうやしく床の間に祭った。
「このことはめったに吹聴《ふいちょう》してはならぬぞ。」と、彼は家内の者どもを固く戒めた。
あくる日になると、ゆうべの風雨の最中に、永代《えいたい》の沖から龍の天上《てんじょう》するのを見た者があるという噂が伝わった。伊四郎はそれを聞いて、自分の見たのはいよいよ龍に相違ないことを確かめることが出来た。そのうちに、口の軽い奉公人どもがしゃべったのであろう。かの鱗の一件がいつとはなしに世間にもれて、それを一度みせてくれと望んでくる者が続々押掛けるので、伊四郎はもう隠すわけにはいかなくなった。初めは努めてことわるようにしたが、しまいには防ぎ切れなくなって、望むがままに座敷へ通して、三宝の上の鱗を一見させることにしたので、その門前は当分賑わった。
「あれはほんとうの龍かしら。大きい鯉かなんぞの鱗じゃないかな。」と、同役のある者は蔭でささやいた。
「いや、普通の魚の鱗とは違う。北条時政が江の島の窟《いわや》で弁財天から授かったという、かの三つ鱗のたぐいらしい。」と、勿体らしく説明する者もあった。
「してみると、あいつ北条にあやかって、今に天下を取るかな。」と、笑う者もあった。
「天下を取らずとも、組頭ぐらいには出世するかも知れないぞ。」と、羨ましそうに言う者もあった。
こんな噂が小ひと月もつづいているうちに、それが叔母の勤めている松平相模守の屋敷へもきこえて、一度それをみせてもらいたいと言って来た。その時には、叔母はもう全快していた。ほかの屋敷とは違うので、伊四郎は快く承知して、新大橋の下屋敷へ出て行ったのは、九月二十日過ぎのうららかに晴れた朝であった。鱗は錦切れにつつんで、小さい白木の箱に入れて、その上を更に袱紗につつんで、大切にかかえて行った。
叔母は自分が一応検分した上で、さらにそれを奥へささげて行った。幾人が見たのか知らないが、そのあいだ伊四郎は一時《いっとき》ほども待たされた。
「めずらしい物を見たと仰せられて、みなさま御満足でござりました。」と、叔母も喜ばしそうに話した。「これはお前の家の宝じゃ。大切に仕舞って置きなされ。」
これは奥から下されたのだといって、伊四郎はここでお料理の御馳走になった。彼は酔わない程度に酒をのみ、ひる飯を食って、九つ半(午後一時)過ぐる頃にお暇《いとま》申して出た。
彼が屋敷の門を出たのは、門番もたしかに見届けたのであるが、伊四郎はそれぎり何処へ行ってしまったのか、その日が暮れても、御徒町の家へは帰らなかった。家でも心配して叔母のところへ聞合せると、右の次第で屋敷の門を出た後のことは判らなかった。それから二日を過ぎ、三日を過ぎても、伊四郎はその姿をどこにも見せなかった。彼は龍の鱗をかかえたままで、なぜ逐電してしまったのか、誰にも想像が付かなかった。
ただひとつの手がかりは、当日の九つ半ごろに酒屋の小僧が浜町河岸を通りかかると、今まで晴れていた空がたちまち暗くなって、俗に龍巻《たつまき》という凄まじい旋風《つむじかぜ》が吹き起った。小僧はたまらなくなって、地面にしばらく俯伏《うつぶ》していると、旋風は一としきりで、天地は再び元のように明るくなった。秋の空は青空にかがやいて、大川の水はなんにも知らないように静かに流れていた。旋風は小部分に起ったらしく、そこら近所にも別に被害はないらしく見えた。ただこの小僧のすこし先をあるいていた羽織袴の侍が、旋風のやんだ時にはもう見えなくなっていたということであるが、その一刹那、小僧は眼をとじて地に伏していたのであるから、そのあいだに侍は通り過ぎてしまったのかも知れない。
伊四郎が見たのは龍ではない、おそらく山椒魚《さんしょううお》であろうという者もあった。そのころの江戸には川や古池に大きい山椒魚も棲んでいたらしい。それが風雨《あらし》のために迷い出したので、鱗はなにかほかの魚のものであろうと説明する者もあった。いずれにしても、彼がゆくえ不明になったのは事実である。彼は当時二十八歳で、夫婦のあいだに子はなかった。事情が事情で、急養子の届けを出すというわけにもいかなかったので、その家はむなしく断絶した。
底本:「影を踏まれた女」光文社文庫、光文社
1988(昭和63)年10月20日初版1刷発行
2001(平成13)年9月5日3刷
初出:
新牡丹燈記「写真報知」
1924(大正13)年6月
寺町の竹藪「写真報知」
1924(大正13)年9月
龍を見た話「週刊朝日」
1924(大正13)年10月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:hongming
2006年1月13日作成
青空文庫作成ファイル:
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