吾が友といつては少し不遜に當るかも知れないが、先づ友達といふことにして、淡島寒月といふ人は實に稀有な人であつた。やゝもすれば畸人の稱を與へたがる者もあるが、畸人でも何でもない、むしろ常識の圓滿に驚くばかり發達した人で、そして徹底的に世俗の眞實が何樣なものであるかといふことを知盡した人であつた。しかも多くの人は苦勞をしたり困難に出會つたり、痛い思や辛い目を見たりしてから、はじめて浮世の鹽辛さを悟るのであるが、別に人生の磨※[#「龍/石」、第3水準1-89-17]に逢つたといふこともないらしい生活を經て來て、夙く然樣いふ境地に到り得てゐたのであつたのは、裏面の消息はもとより知らぬが、蓋し天稟の聰明さが然らしめたのであらう。
それで何人に對しても極めて平等に、また温和に、支那流にいつたら、いはゆる一團の和氣を以て人に接した人であつた。かりそめにも人を強ひたり人を壓したりするやうなことはその氣味さへ見せぬ人であつた。勿論自分も人に干渉されることや、また強ひられるやうなことは甚だ好まなかつた。どこまでも他を一個の人として存在させ、自分も一個の人として立ち、そして同じ日月の下にこの生を了せんとする、といふ調子をもつて終始してゐた。で、交際も餘り深入りすること無しに淡※[#二の字点、1-2-22]と淺い川の水が清く流るゝやうに濟ませて行くといふ人であつた。そのあつさりした風格は或種類の人には冷淡だなど評されもしたが、よし冷淡であつたにしても、それはたゞ相互の自由を尊重するところから出たものであつた。天成の自由人であつたのであり、且善良であつたのであり、そして自分は自分の趣味を自分の生命としてゐたのであつた。人に迷惑を掛けないで、自分でおとなしく遊んでゐるのに越したことは無い、といふのがその欺かざる信向であつた。
ところでそのおとなしく遊んでゐるのが、泥繪具で汚らしい拙いやうな畫を寫實にも寫意にも筆法にも何にも拘らはずに描いたり、先史時代の土器のやうなものを造つたり、古風な家具を※[#「鹿/(鹿+鹿)」、第3水準1-94-76]樸な方法でこしらへたり、狹いところへ自然生の雜木に篠をあしらつて、田舍の野原の端か、塚原の末のやうな庭を作つたり、筆墨に親しんで日を送ることの多いにもかゝはらず甘泉宮や長樂未央の瓦でも何でも無い丸瓦の裏を硯にして使つてゐたり、室内の造作を薪のやうなもので手ごしらへに歪みなりに埒明けたりして、それで面白がつてゐたので、普通の人は畸人だと噂したものなのだ。しかしその異樣なる物の中に、人をして面白いと思はせることも勿論あつたのである。
何でも彼でも自分でして見たのであるが、「疊ばかりは別に面白いわけには行かなかつた」と或時語られたのを聽いたことがあつた。して見ると疊までも手製を試みたのかと驚かされた。手染め澁染の衣は、これは慥に畸人の大槻如電と相客になつた時、流石の如電先生もその澁臭いのに悲鳴を擧げさせられたといふ。
君は何でもない人が何でもない談をするのを聽いてゐても、時※[#二の字点、1-2-22]、おもしろい、といふのが癖のやうなものだつた。内田不知庵はその「おもしろい」について、何か不知庵流の説を出したが、それは今忘れた。たゞし君は不思議な才能を有してゐた。自分と共に景色が好いでも何でもない東京近郊を遊歩してゐると、一寸スケッチにかゝることなどが有つた。自分は、何だ、つまらない、と思ふ。ところが君が注意したところは、たとひそこが杜といふほどでも無い痩樹が五六本生えて、田舍細工のつまらぬ小祠があるに過ぎぬといふやうな平※[#二の字点、1-2-22]凡※[#二の字点、1-2-22]の有觸れたものでも、成程、斯樣看れば面白く無くもない、と思はれるのである。農村の老幼の風俗などでも、自分は何の氣もつかず看過《みすご》して終ふところを、おもしろいといはれて氣がついて看ると、成程一寸おもしろい、と思はれることが度※[#二の字点、1-2-22]有つた。
淺草の年の市や、奧山の見せ物小屋の前などを通つて、群集の中からおもしろいものを見出して、或時君はみづからつか/\と近寄つて、その人物に對談などはじめる。何だらうと思つて、後で糺すと、君あの顏つきや音の出かたなどに氣がつかなかつたかい、隨分おもしろかつたぢや無いか、といはれて、ハヽアと心づいたことも幾度かあつた。
髮の禿切《かぶつきり》のことを「かぶつちろ」といふ田舍言葉などは、かぶつきりのアイヌの繪看板の前で、それを見てゐた田舍者と君とが對談してゐたところを聽いてから、いまだに可笑しくて記憶してゐる。このやうに何でもないところや何でもない人から、何かおもしろいものを抽出すのは、實に驚くべき君の能力であつた。
で、君と遊歩すると、面白くも何ともないところを通つても、大なり小なり何か興味を覺えるところがあつた。君は天成の福人で、造化の音樂を樂しく聽く聽慧を有した人であつた。君の大體の輪廓は、嘗つて一文を草してこれを描いてゐるつもりであるから今は省く。
(昭和十三年六月)
底本:「露伴全集第三十卷」岩波書店
1954(昭和29)年7月16日初版発行
1979(昭和54)年7月16日2刷
初出:「東京日日新聞」
1938(昭和13)年6月4日号、5日号
入力:土倉明彦
校正:小林繁雄
2007年8月15日作成
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