武蔵野——国木田独歩

     

「武蔵野の俤《おもかげ》は今わずかに入間《いるま》郡に残れり」と自分は文政年間にできた地図で見たことがある。そしてその地図に入間郡「小手指原《こてさしはら》久米川は古戦場なり太平記元弘三年五月十一日源平小手指原にて戦うこと一日がうちに三十余たび日暮れは平家三里退きて久米川に陣を取る明れば源氏久米川の陣へ押寄せると載せたるはこのあたりなるべし」と書きこんであるのを読んだことがある。自分は武蔵野の跡のわずかに残っている処とは定めてこの古戦場あたりではあるまいかと思って、一度行ってみるつもりでいてまだ行かないが実際は今もやはりそのとおりであろうかと危ぶんでいる。ともかく、画や歌でばかり想像している武蔵野をその俤ばかりでも見たいものとは自分ばかりの願いではあるまい。それほどの武蔵野が今ははたしていかがであるか、自分は詳わしくこの問に答えて自分を満足させたいとの望みを起こしたことはじつに一年前の事であって、今はますますこの望みが大きくなってきた。
 さてこの望みがはたして自分の力で達せらるるであろうか。自分はできないとはいわぬ。容易でないと信じている、それだけ自分は今の武蔵野に趣味を感じている。たぶん同感の人もすくなからぬことと思う。
 それで今、すこしく端緒《たんちょ》をここに開いて、秋から冬へかけての自分の見て感じたところを書いて自分の望みの一少部分を果したい。まず自分がかの問に下すべき答は武蔵野の美《び》今も昔に劣らずとの一語である。昔の武蔵野は実地見てどんなに美であったことやら、それは想像にも及ばんほどであったに相違あるまいが、自分が今見る武蔵野の美しさはかかる誇張的の断案を下さしむるほどに自分を動かしているのである。自分は武蔵野の美といった、美といわんよりむしろ詩趣《ししゅ》といいたい、そのほうが適切と思われる。

     

 そこで自分は材料不足のところから自分の日記を種にしてみたい。自分は二十九年の秋の初めから春の初めまで、渋谷《しぶや》村の小さな茅屋《ぼうおく》に住んでいた。自分がかの望みを起こしたのもその時のこと、また秋から冬の事のみを今書くというのもそのわけである。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
九月七日[#「九月七日」に白丸傍点]――「昨日も今日も南風強く吹き雲を送りつ雲を払いつ、雨降りみ降らずみ、日光雲間をもるるとき林影[#「林影」に丸傍点]一時に煌《きら》めく、――」
[#ここで字下げ終わり]
 これが今の武蔵野の秋の初めである。林はまだ夏の緑のそのままでありながら空模様が夏とまったく変わってきて雨雲《あまぐも》の南風につれて武蔵野の空低くしきりに雨を送るその晴間には日の光|水気《すいき》を帯びてかなたの林に落ちこなたの杜《もり》にかがやく。自分はしばしば思った、こんな日に武蔵野を大観することができたらいかに美しいことだろうかと。二日置いて九日の日記にも「風強く秋声|野《や》にみつ、浮雲変幻《ふうんへんげん》たり」とある。ちょうどこのころはこんな天気が続いて大空と野との景色が間断なく変化して日の光は夏らしく雲の色風の音は秋らしく[#「日の光は夏らしく雲の色風の音は秋らしく」に白丸傍点]きわめて趣味深く自分は感じた。
 まずこれを今の武蔵野の秋の発端《ほったん》として、自分は冬の終わるころまでの日記を左に並べて、変化の大略と光景の要素とを示しておかんと思う。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
九月十九日[#「九月十九日」に白丸傍点]――「朝、空曇り風死す、冷霧寒露、虫声しげし、天地の心なお目さめぬがごとし」
同二十一日[#「同二十一日」に白丸傍点]――「秋天|拭《ぬぐ》うがごとし、木葉火のごとくかがやく[#「木葉火のごとくかがやく」に丸傍点]」
十月十九日[#「十月十九日」に白丸傍点]――「月[#「月」に丸傍点]明らかに林影黒し」
同二十五日[#「同二十五日」に白丸傍点]――「朝は霧[#「霧」に丸傍点]深く、午後は晴る、夜に入りて雲の絶間の月さゆ。朝まだき霧の晴れぬ間に家を出《い》で野[#「野」に丸傍点]を歩み林[#「林」に丸傍点]を訪う」
同二十六日[#「同二十六日」に白丸傍点]――「午後林を訪《おとな》う。林の奥に座して四顧[#「四顧」に丸傍点]し、傾聴[#「傾聴」に丸傍点]し、睇視[#「睇視」に丸傍点]し、黙想[#「黙想」に丸傍点]す」
十一月四日[#「十一月四日」に白丸傍点]――「天高く気澄む、夕暮に独り風吹く野[#「風吹く野」に丸傍点]に立てば、天外の富士[#「富士」に丸傍点]近く、国境をめぐる連山[#「連山」に丸傍点]地平線上に黒し。星光一点、暮色ようやく到り、林影ようやく遠し」
同十八日[#「同十八日」に白丸傍点]――「月を蹈《ふ》んで散歩す、青煙地を這《は》い月光林に砕く」
同十九日[#「同十九日」に白丸傍点]――「天晴れ、風清く、露冷やかなり。満目黄葉の中緑樹を雑《まじ》ゆ。小鳥|梢《こずえ》に囀《てん》ず。一路人影なし[#「一路人影なし」に丸傍点]。独り歩み黙思|口吟《こうぎん》し、足にまかせて近郊をめぐる」
同二十二日[#「同二十二日」に白丸傍点]――「夜|更《ふ》けぬ、戸外は林をわたる風声[#「風声」に丸傍点]ものすごし。滴声しきりなれども雨はすでに止みたりとおぼし」
同二十三日[#「同二十三日」に白丸傍点]――「昨夜の風雨にて木葉ほとんど揺落せり。稲田[#「稲田」に丸傍点]もほとんど刈り取らる。冬枯の淋しき様となりぬ」
同二十四日[#「同二十四日」に白丸傍点]――「木葉いまだまったく落ちず。遠山[#「遠山」に丸傍点]を望めば、心も消え入らんばかり懐《なつか》し」
同二十六日[#「同二十六日」に白丸傍点]――夜十時記す「屋外は風雨の声ものすごし。滴声相応ず。今日は終日霧[#「霧」に丸傍点]たちこめて野や林や永久《とこしえ》の夢に入りたらんごとく。午後犬を伴うて散歩す。林に入り黙坐す。犬眠る。水流[#「水流」に丸傍点]林より出でて林に入る、落葉を浮かべて流る。おりおり時雨[#「時雨」に丸傍点]しめやかに林を過ぎて落葉の上をわたりゆく音静かなり」
同二十七日[#「同二十七日」に白丸傍点]――「昨夜の風雨は今朝なごりなく晴れ、日うららかに昇りぬ。屋後の丘に立ちて望めば富士山真白ろに[#「富士山真白ろに」に丸傍点]連山の上に聳《そび》ゆ。風清く気澄めり。
 げに初冬の朝なるかな。
 田面《たおも》に水あふれ、林影|倒《さかしま》に映れり」
十二月二日[#「十二月二日」に白丸傍点]――「今朝霜、雪のごとく朝日にきらめきてみごとなり。しばらくして薄雲かかり日光寒し」
同二十二日[#「同二十二日」に白丸傍点]――「雪[#「雪」に丸傍点]初めて降る」
三十年一月十三日[#「三十年一月十三日」に白丸傍点]――「夜更けぬ。風死し林黙す。雪しきりに降る。燈をかかげて戸外をうかがう、降雪火影にきらめきて舞う。ああ武蔵野沈黙す。しかも耳を澄ませば遠きかなたの林をわたる風の音す、はたして風声か」
同十四日[#「同十四日」に白丸傍点]――「今朝大雪、葡萄棚《ぶどうだな》堕《お》ちぬ。
 夜更けぬ。梢をわたる風の音遠く聞こゆ、ああこれ武蔵野の林より林をわたる冬の夜寒《よさむ》の凩《こがらし》なるかな。雪どけの滴声軒をめぐる」
同二十日[#「同二十日」に白丸傍点]――「美しき朝。空は片雲なく、地は霜柱白銀のごとくきらめく。小鳥梢に囀ず。梢頭《しょうとう》針のごとし」
二月八日[#「二月八日」に白丸傍点]――「梅咲きぬ。月ようやく美なり」
三月十三日[#「三月十三日」に白丸傍点]――「夜十二時、月傾き風きゅうに、雲わき、林鳴る」
同二十一日[#「同二十一日」に白丸傍点]――「夜十一時。屋外の風声をきく、たちまち遠くたちまち近し。春や襲いし、冬や遁《のが》れし」
[#ここで字下げ終わり]

     

 昔の武蔵野は萱原《かやはら》のはてなき光景をもって絶類の美を鳴らしていたようにいい伝えてあるが、今の武蔵野は林である。林はじつに今の武蔵野の特色といってもよい。すなわち木はおもに楢《なら》の類《たぐ》いで冬はことごとく落葉し、春は滴《したた》るばかりの新緑|萌《も》え出ずるその変化が秩父嶺以東十数里の野いっせいに行なわれて、春夏秋冬を通じ霞《かすみ》に雨に月に風に霧に時雨《しぐれ》に雪に、緑蔭に紅葉に、さまざまの光景を呈《てい》するその妙はちょっと西国地方また東北の者には解しかねるのである。元来日本人はこれまで楢の類いの落葉林の美をあまり知らなかったようである。林といえばおもに松林のみが日本の文学美術の上に認められていて、歌にも楢林の奥で時雨を聞くというようなことは見あたらない。自分も西国に人となって少年の時学生として初めて東京に上ってから十年になるが、かかる落葉林の美を解するに至ったのは近来のことで、それも左の文章がおおいに自分を教えたのである。
[#ここから1字下げ]
「秋九月中旬というころ、一日自分が樺《かば》の林の中に座していたことがあッた。今朝から小雨が降りそそぎ、その晴れ間にはおりおり生《な》ま暖かな日かげも射してまことに気まぐれな空合《そらあ》い。あわあわしい白《し》ら雲が空《そ》ら一面に棚引《たなび》くかと思うと、フトまたあちこち瞬《またた》く間雲切れがして、むりに押し分けたような雲間から澄みて怜悧《さか》し気《げ》にみえる人の眼のごとくに朗らかに晴れた蒼空《あおぞら》がのぞかれた。自分は座して、四顧して、そして耳を傾けていた。木の葉が頭上でかすかに戦《そよ》いだが、その音を聞いたばかりでも季節は知られた。それは春先する、おもしろそうな、笑うようなさざめきでもなく、夏のゆるやかなそよぎでもなく、永たらしい話し声でもなく、また末の秋のおどおどした、うそさぶそうなお饒舌《しゃべ》りでもなかったが、ただようやく聞取れるか聞取れぬほどのしめやかな私語《ささやき》の声であった。そよ吹く風は忍ぶように木末《こずえ》を伝ッた、照ると曇るとで雨にじめつく林の中のようすが間断なく移り変わッた、あるいはそこにありとある物すべて一時に微笑したように、隈《くま》なくあかみわたッて、さのみ繁《しげ》くもない樺《かば》のほそぼそとした幹《みき》は思いがけずも白絹めく、やさしい光沢《こうたく》を帯《お》び、地上に散り布《し》いた、細かな落ち葉はにわかに日に映じてまばゆきまでに金色を放ち、頭をかきむしッたような『パアポロトニク』(蕨《わらび》の類《たぐ》い)のみごとな茎《くき》、しかも熟《つ》えすぎた葡萄《ぶどう》めく色を帯びたのが、際限もなくもつれからみつして目前に透かして見られた。
 あるいはまたあたり一面にわかに薄暗くなりだして、瞬《またた》く間に物のあいろも見えなくなり、樺の木立ちも、降り積ッたままでまた日の眼に逢わぬ雪のように、白くおぼろに霞む――と小雨が忍びやかに、怪し気に、私語するようにバラバラと降ッて通ッた。樺の木の葉はいちじるしく光沢が褪《さ》めてもさすがになお青かッた、がただそちこちに立つ稚木のみはすべて赤くも黄いろくも色づいて、おりおり日の光りが今ま雨に濡《ぬ》れたばかりの細枝の繁みを漏《も》れて滑りながらに脱《ぬ》けてくるのをあびては、キラキラときらめいた」
[#ここで字下げ終わり]
 すなわちこれはツルゲーネフ[#「ツルゲーネフ」に傍線]の書きたるものを二葉亭が訳して「あいびき」と題した短編の冒頭《ぼうとう》にある一節であって、自分がかかる落葉林の趣きを解するに至ったのはこの微妙な叙景の筆の力が多い。これはロシアの景でしかも林は樺の木で、武蔵野の林は楢の木、植物帯からいうとはなはだ異なっているが落葉林の趣は同じことである。自分はしばしば思うた、もし武蔵野の林が楢の類《たぐ》いでなく、松か何かであったらきわめて平凡な変化に乏しい色彩いちようなものとなってさまで珍重《ちんちょう》するに足らないだろうと。
 楢の類いだから黄葉する。黄葉するから落葉する。時雨《しぐれ》が私語《ささや》く。凩《こがらし》が叫ぶ。一陣の風小高い丘を襲えば、幾千万の木の葉高く大空に舞うて、小鳥の群かのごとく遠く飛び去る。木の葉落ちつくせば、数十里の方域にわたる林が一時に裸体《はだか》になって、蒼《あお》ずんだ冬の空が高くこの上に垂れ、武蔵野一面が一種の沈静に入る。空気がいちだん澄みわたる。遠い物音が鮮かに聞こえる。自分は十月二十六日の記に、林の奥に座して四顧し、傾聴し、睇視《ていし》し、黙想すと書いた。「あいびき」にも、自分は座して、四顧して、そして耳を傾けたとある。この耳を傾けて聞くということがどんなに秋の末から冬へかけての、今の武蔵野の心に適《かな》っているだろう。秋ならば林のうちより起こる音、冬ならば林のかなた遠く響く音。
 鳥の羽音、囀《さえず》る声。風のそよぐ、鳴る、うそぶく、叫ぶ声。叢《くさむら》の蔭、林の奥にすだく虫の音。空車《からぐるま》荷車の林を廻《めぐ》り、坂を下り、野路《のじ》を横ぎる響。蹄《ひづめ》で落葉を蹶散《けち》らす音、これは騎兵演習の斥候《せっこう》か、さなくば夫婦連れで遠乗りに出かけた外国人である。何事をか声高《こわだか》に話しながらゆく村の者のだみ声、それもいつしか、遠ざかりゆく。独り淋しそうに道をいそぐ女の足音。遠く響く砲声。隣の林でだしぬけに起こる銃音《つつおと》。自分が一度犬をつれ、近処の林を訪《おとな》い、切株に腰をかけて書《ほん》を読んでいると、突然林の奥で物の落ちたような音がした。足もとに臥《ね》ていた犬が耳を立ててきっとそのほうを見つめた。それぎりであった。たぶん栗が落ちたのであろう、武蔵野には栗樹《くりのき》もずいぶん多いから。
 もしそれ時雨《しぐれ》の音に至ってはこれほど幽寂《ゆうじゃく》のものはない。山家の時雨は我国でも和歌の題にまでなっているが、広い、広い、野末から野末へと林を越え、杜《もり》を越え、田を横ぎり、また林を越えて、しのびやかに通り過《ゆ》く時雨の音のいかにも幽《しず》かで、また鷹揚《おうよう》な趣きがあって、優《やさ》しく懐《ゆか》しいのは、じつに武蔵野の時雨の特色であろう。自分がかつて北海道の深林で時雨に逢ったことがある、これはまた人跡絶無の大森林であるからその趣はさらに深いが、その代り、武蔵野の時雨《しぐれ》のさらに人なつかしく、私語《ささや》くがごとき趣はない。
 秋の中ごろから冬の初め、試みに中野あたり、あるいは渋谷、世田ヶ谷、または小金井の奥の林を訪《おとな》うて、しばらく座って散歩の疲れを休めてみよ。これらの物音、たちまち起こり、たちまち止み、しだいに近づき、しだいに遠ざかり、頭上の木の葉風なきに落ちてかすかな音をし、それも止んだ時、自然の静蕭《せいしょう》を感じ、永遠《エタルニテー》の呼吸身に迫るを覚ゆるであろう。武蔵野の冬の夜更けて星斗闌干《せいとらんかん》たる時、星をも吹き落としそうな野分《のわき》がすさまじく林をわたる音を、自分はしばしば日記に書いた。風の音は人の思いを遠くに誘う。自分はこのもの凄《すご》い風の音のたちまち近くたちまち遠きを聞きては、遠い昔からの武蔵野の生活を思いつづけたこともある。
 熊谷直好の和歌に、
[#ここから2字下げ]
よもすから木葉かたよる音きけは
   しのひに風のかよふなりけり
[#ここで字下げ終わり]
というがあれど、自分は山家の生活を知っていながら、この歌の心をげにもと感じたのは、じつに武蔵野の冬の村居の時であった。
 林に座っていて日の光のもっとも美しさを感ずるのは、春の末より夏の初めであるが、それは今ここには書くべきでない。その次は黄葉の季節である。なかば黄いろくなかば緑な林の中に歩いていると、澄みわたった大空が梢々《こずえこずえ》の隙間からのぞかれて日の光は風に動く葉末《はずえ》葉末に砕《くだ》け、その美しさいいつくされず。日光とか碓氷《うすい》とか、天下の名所はともかく、武蔵野のような広い平原の林が隈《くま》なく染まって、日の西に傾くとともに一面の火花を放つというも特異の美観ではあるまいか。もし高きに登りて一目にこの大観を占めることができるならこの上もないこと、よしそれができがたいにせよ、平原の景の単調なるだけに、人をしてその一部を見て全部の広い、ほとんど限りない光景を想像さするものである。その想像に動かされつつ夕照に向かって黄葉の中を歩けるだけ歩くことがどんなにおもしろかろう。林が尽きると野に出る。

     

 十月二十五日の記に、野[#「野」に丸傍点]を歩み林を訪うと書き、また十一月四日の記には、夕暮に独り風吹く野[#「野」に丸傍点]に立てばと書いてある。そこで自分は今一度ツルゲーネフ[#「ツルゲーネフ」に傍線]を引く。
[#ここから1字下げ]
「自分はたちどまった、花束を拾い上げた、そして林を去ッて[#「林を去ッて」に傍点]のら[#「のら」に白丸傍点]へ出た[#「へ出た」に傍点]。日は青々とした空に低く漂《ただよ》ッて、射す影も蒼ざめて冷やかになり、照るとはなくただジミな水色のぼかしを見るように四方に充《み》ちわたった。日没にはまだ半時間もあろうに、モウゆうやけがほの赤く天末を染めだした。黄いろくからびた刈株《かりかぶ》をわたッて烈しく吹きつける野分に催されて、そりかえッた細かな落ち葉があわただしく起き上がり、林に沿うた往来を横ぎって、自分の側を駈け通ッた、のら[#「のら」に白丸傍点]に向かッて壁のようにたつ林の一面はすべてざわざわざわつき、細末の玉の屑《くず》を散らしたように煌《きらめ》きはしないがちらついていた。また枯れ草《くさ》、莠《はぐさ》、藁《わら》の嫌いなくそこら一面にからみついた蜘蛛《くも》の巣は風に吹き靡《なび》かされて波たッていた。
 自分はたちどまった……心細くなってきた、眼に遮《さえぎ》る物象はサッパリとはしていれど、おもしろ気もおかし気もなく、さびれはてたうちにも、どうやら間近になッた冬のすさまじさが見透かされるように思われて。小心な鴉《からす》が重そうに羽ばたきをして、烈しく風を切りながら、頭上を高く飛び過ぎたが、フト首を回《めぐ》らして、横目で自分をにらめて、きゅうに飛び上がッて、声をちぎるように啼《な》きわたりながら、林の向うへかくれてしまッた。鳩《はと》が幾羽ともなく群をなして勢いこんで穀倉のほうから飛んできた、がフト柱を建てたように舞い昇ッて、さてパッといっせいに野面に散ッた――アア秋だ! 誰だか禿山《はげやま》の向うを通るとみえて、から車の音が虚空《こくう》に響きわたッた……」
[#ここで字下げ終わり]
 これはロシアの野であるが、我武蔵野の野の秋から冬へかけての光景も、およそこんなものである。武蔵野にはけっして禿山はない。しかし大洋のうねりのように高低起伏している。それも外見には一面の平原のようで、むしろ高台のところどころが低く窪《くぼ》んで小さな浅い谷をなしているといったほうが適当であろう。この谷の底はたいがい水田である。畑はおもに高台にある、高台は林と畑とでさまざまの区劃をなしている。畑はすなわち野である。されば林とても数里にわたるものなく否《いな》、おそらく一里にわたるものもあるまい、畑とても一眸《いちぼう》数里に続くものはなく一座の林の周囲は畑、一頃《いっけい》の畑の三方は林、というような具合で、農家がその間に散在してさらにこれを分割している。すなわち野やら林やら、ただ乱雑に入組んでいて、たちまち林に入るかと思えば、たちまち野に出るというような風である。それがまたじつに武蔵野に一種の特色を与えていて、ここに自然あり、ここに生活あり、北海道のような自然そのままの大原野大森林とは異なっていて、その趣も特異である。
 稲の熟するころとなると、谷々の水田が黄《き》ばんでくる。稲が刈り取られて林の影が倒《さか》さに田面に映るころとなると、大根畑の盛りで、大根がそろそろ抜かれて、あちらこちらの水溜《みずた》めまたは小さな流れのほとりで洗われるようになると、野は麦の新芽で青々となってくる。あるいは麦畑の一端、野原のままで残り、尾花野菊が風に吹かれている。萱原《かやはら》の一端がしだいに高まって、そのはてが天ぎわをかぎっていて、そこへ爪先《つまさき》あがりに登ってみると、林の絶え間を国境に連なる秩父《ちちぶ》の諸嶺が黒く横たわッていて、あたかも地平線上を走ってはまた地平線下に没しているようにもみえる。さてこれよりまた畑のほうへ下るべきか。あるいは畑のかなたの萱原に身を横たえ、強く吹く北風を、積み重ねた枯草で避《よ》けながら、南の空をめぐる日の微温《ぬる》き光に顔をさらして畑の横の林が風にざわつき煌《きらめ》き輝くのを眺むべきか。あるいはまたただちにかの林へとゆく路をすすむべきか。自分はかくためらったことがしばしばある。自分は困ったか否《いな》、けっして困らない。自分は武蔵野を縦横に通じている路[#「路」に丸傍点]は、どれを撰《えら》んでいっても自分を失望ささないことを久しく経験して知っているから。

     

 自分の朋友がかつてその郷里から寄せた手紙の中に「この間も一人夕方に萱原を歩みて考え申|候《そうろう》、この野の中に縦横に通ぜる十数の径《みち》の上を何百年の昔よりこのかた朝の露さやけしといいては出で夕の雲花やかなりといいてはあこがれ何百人のあわれ知る人や逍遥《しょうよう》しつらん相|悪《にく》む人は相避けて異なる道をへだたりていき相愛する人は相合して同じ道を手に手とりつつかえりつらん」との一節があった。野原の径を歩みてはかかるいみじき想いも起こるならんが、武蔵野の路はこれとは異り、相逢わんとて往くとても逢いそこね、相避けんとて歩むも林の回り角で突然出逢うことがあろう。されば路という路、右にめぐり左に転じ、林を貫き、野を横ぎり、真直《まっすぐ》なること鉄道線路のごときかと思えば、東よりすすみてまた東にかえるような迂回《うかい》の路もあり、林にかくれ、谷にかくれ、野に現われ、また林にかくれ、野原の路のようによく遠くの別路ゆく人影を見ることは容易でない。しかし野原の径の想いにもまして、武蔵野の路にはいみじき実《じつ》がある。
 武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。どの路でも足の向くほうへゆけばかならずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。武蔵野の美はただその縦横に通ずる数千条の路を当《あて》もなく歩くことによって始めて獲《え》られる。春、夏、秋、冬、朝、昼、夕、夜、月にも、雪にも、風にも、霧にも、霜にも、雨にも、時雨にも、ただこの路をぶらぶら歩いて思いつきしだいに右し左すれば随処《ずいしょ》に吾らを満足さするものがある。これがじつにまた、武蔵野第一の特色だろうと自分はしみじみ感じている。武蔵野を除いて日本にこのような処がどこにあるか。北海道の原野にはむろんのこと、奈須野にもない、そのほかどこにあるか。林と野とがかくもよく入り乱れて、生活と自然とがこのように密接している処がどこにあるか。じつに武蔵野にかかる特殊の路のあるのはこのゆえである。
 されば君もし、一の小径を往き、たちまち三条に分かるる処に出たなら困るに及ばない、君の杖《つえ》を立ててその倒れたほうに往きたまえ。あるいはその路が君を小さな林に導く。林の中ごろに到ってまた二つに分かれたら、その小なる路を撰《えら》んでみたまえ。あるいはその路が君を妙な処に導く。これは林の奥の古い墓地で苔《こけ》むす墓が四つ五つ並んでその前にすこしばかりの空地があって、その横のほうに女郎花《おみなえし》など咲いていることもあろう。頭の上の梢《こずえ》で小鳥が鳴いていたら君の幸福である。すぐ引きかえして左の路を進んでみたまえ。たちまち林が尽きて君の前に見わたしの広い野が開ける。足元からすこしだらだら下がりになり萱《かや》が一面に生え、尾花の末が日に光っている、萱原の先きが畑で、畑の先に背の低い林が一|叢《むら》繁り、その林の上に遠い杉の小杜《こもり》が見え、地平線の上に淡々《あわあわ》しい雲が集まっていて雲の色にまがいそうな連山がその間にすこしずつ見える。十月小春の日の光のどかに照り、小気味よい風がそよそよと吹く。もし萱原のほうへ下《お》りてゆくと、今まで見えた広い景色がことごとく隠れてしまって、小さな谷の底に出るだろう。思いがけなく細長い池が萱原と林との間に隠れていたのを発見する。水は清く澄んで、大空を横ぎる白雲の断片を鮮かに映している。水のほとりには枯蘆《かれあし》がすこしばかり生えている。この池のほとりの径《みち》をしばらくゆくとまた二つに分かれる。右にゆけば林、左にゆけば坂。君はかならず坂をのぼるだろう。とかく武蔵野を散歩するのは高い処高い処と撰びたくなるのはなんとかして広い眺望を求むるからで、それでその望みは容易に達せられない。見下ろすような眺望はけっしてできない。それは初めからあきらめたがいい。
 もし君、何かの必要で道を尋ねたく思わば、畑の真中にいる農夫にききたまえ。農夫が四十以上の人であったら、大声をあげて尋ねてみたまえ、驚いてこちらを向き、大声で教えてくれるだろう。もし少女《おとめ》であったら近づいて小声でききたまえ。もし若者であったら、帽を取って慇懃《いんぎん》に問いたまえ。鷹揚《おうよう》に教えてくれるだろう。怒ってはならない、これが東京近在の若者の癖《くせ》であるから。
 教えられた道をゆくと、道がまた二つに分かれる。教えてくれたほうの道はあまりに小さくてすこし変だと思ってもそのとおりにゆきたまえ、突然農家の庭先に出るだろう。はたして変だと驚いてはいけぬ。その時農家で尋ねてみたまえ、門を出るとすぐ往来ですよと、すげなく答えるだろう。農家の門を外に出てみるとはたして見覚えある往来、なるほどこれが近路《ちかみち》だなと君は思わず微笑をもらす、その時初めて教えてくれた道のありがたさが解《わか》るだろう。
 真直《まっすぐ》な路で両側とも十分に黄葉した林が四五丁も続く処に出ることがある。この路を独り静かに歩むことのどんなに楽しかろう。右側の林の頂《いただき》は夕照|鮮《あざや》かにかがやいている。おりおり落葉の音が聞こえるばかり、あたりはしんとしていかにも淋しい。前にも後ろにも人影見えず、誰にも遇《あ》わず。もしそれが木葉落ちつくしたころならば、路は落葉に埋れて、一足ごとにがさがさと音がする、林は奥まで見すかされ、梢の先は針のごとく細く蒼空《あおぞら》を指している。なおさら人に遇わない。いよいよ淋しい。落葉をふむ自分の足音ばかり高く、時に一羽の山鳩あわただしく飛び去る羽音に驚かされるばかり。
 同じ路を引きかえして帰るは愚《ぐ》である。迷ったところが今の武蔵野にすぎない、まさかに行暮れて困ることもあるまい。帰りもやはりおよその方角をきめて、べつな路を当てもなく歩くが妙。そうすると思わず落日の美観をうることがある。日は富士の背に落ちんとしていまだまったく落ちず、富士の中腹に群《むら》がる雲は黄金色に染まって、見るがうちにさまざまの形に変ずる。連山の頂は白銀の鎖《くさり》のような雪がしだいに遠く北に走って、終は暗憺《あんたん》たる雲のうちに没してしまう。
 日が落ちる、野は風が強く吹く、林は鳴る、武蔵野は暮れんとする、寒さが身に沁《し》む、その時は路をいそぎたまえ、顧みて思わず新月が枯林の梢の横に寒い光を放っているのを見る。風が今にも梢から月を吹き落としそうである。突然また野に出る。君はその時、  
[#ここから2字下げ]
山は暮れ野は黄昏《たそがれ》の薄《すすき》かな
[#ここで字下げ終わり]
の名句を思いだすだろう。

     

 今より三年前の夏のことであった。自分はある友と市中の寓居《ぐうきょ》を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、そこで下りて北へ真直《まっすぐ》に四五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある、それを渡ると一軒の掛茶屋《かけぢゃや》がある、この茶屋の婆さんが自分に向かって、「今時分、何にしに来ただア」と問うたことがあった。
 自分は友と顔見あわせて笑って、「散歩に来たのよ、ただ遊びに来たのだ」と答えると、婆さんも笑って、それもばかにしたような笑いかたで、「桜は春咲くこと知らねえだね」といった。そこで自分は夏の郊外の散歩のどんなにおもしろいかを婆さんの耳にも解るように話してみたがむだであった。東京の人はのんきだという一語で消されてしまった。自分らは汗をふきふき、婆さんが剥《む》いてくれる甜瓜《まくわうり》を喰い、茶屋の横を流れる幅一尺ばかりの小さな溝で顔を洗いなどして、そこを立ち出でた。この溝の水はたぶん、小金井の水道から引いたものらしく、よく澄んでいて、青草の間を、さも心地よさそうに流れて、おりおりこぼこぼと鳴っては小鳥が来て翼をひたし、喉《のど》を湿《うる》おすのを待っているらしい。しかし婆さんは何とも思わないでこの水で朝夕、鍋釜《なべかま》を洗うようであった。
 茶屋を出て、自分らは、そろそろ小金井の堤を、水上のほうへとのぼり初めた。ああその日の散歩がどんなに楽しかったろう。なるほど小金井は桜の名所、それで夏の盛りにその堤をのこのこ歩くもよそ目には愚《おろ》かにみえるだろう、しかしそれはいまだ今の武蔵野の夏の日の光を知らぬ人の話である。
 空は蒸暑《むしあつ》い雲が湧《わ》きいでて、雲の奥に雲が隠れ、雲と雲との間の底に蒼空が現われ、雲の蒼空に接する処は白銀の色とも雪の色とも譬《たと》えがたき純白な透明な、それで何となく穏やかな淡々《あわあわ》しい色を帯びている、そこで蒼空が一段と奥深く青々と見える。ただこれぎりなら夏らしくもないが、さて一種の濁《にご》った色の霞《かすみ》のようなものが、雲と雲との間をかき乱して、すべての空の模様を動揺、参差《しんし》、任放、錯雑のありさまとなし、雲を劈《つんざ》く光線と雲より放つ陰翳とが彼方此方に交叉して、不羈奔逸の気がいずこともなく空中に微動している[#「不羈奔逸の気がいずこともなく空中に微動している」に丸傍点]。林という林、梢という梢、草葉の末に至るまでが、光と熱とに溶けて、まどろんで、怠けて、うつらうつらとして酔っている。林の一角、直線に断たれてその間から広い野が見える、野良《のら》一面、糸遊《いとゆう》上騰《じょうとう》して永くは見つめていられない。
 自分らは汗をふきながら、大空を仰いだり、林の奥をのぞいたり、天ぎわの空、林に接するあたりを眺めたりして堤の上を喘《あえ》ぎ喘ぎ辿《たど》ってゆく。苦しいか? どうして! 身うちには健康がみちあふれている。
 長堤三里の間、ほとんど人影を見ない。農家の庭先、あるいは藪《やぶ》の間から突然、犬が現われて、自分らを怪しそうに見て、そしてあくび[#「あくび」に傍点]をして隠れてしまう。林のかなたでは高く羽ばたきをして雄鶏《おんどり》が時をつくる、それが米倉の壁や杉の森や林や藪に籠《こも》って、ほがらかに聞こえる。堤の上にも家鶏《にわとり》の群が幾組となく桜の陰などに遊んでいる。水上を遠く眺めると、一直線に流れてくる水道の末は銀粉を撒《ま》いたような一種の陰影のうちに消え、間近くなるにつれてぎらぎら輝いて矢のごとく走ってくる。自分たちはある橋の上に立って、流れの上と流れのすそと見比べていた。光線の具合で流れの趣が絶えず変化している。水上が突然薄暗くなるかとみると、雲の影が流れとともに、瞬《またた》く間に走ってきて自分たちの上まで来て、ふと止まって、きゅうに横にそれてしまうことがある。しばらくすると水上がまばゆく煌《かがや》いてきて、両側の林、堤上の桜、あたかも雨後の春草のように鮮かに緑の光を放ってくる。橋の下では何ともいいようのない優しい水音がする。これは水が両岸に激して発するのでもなく、また浅瀬のような音でもない。たっぷりと水量《みずかさ》があって、それで粘土質のほとんど壁を塗ったような深い溝を流れるので、水と水とがもつれ[#「もつれ」に傍点]てからまっ[#「からまっ」に傍点]て、揉《も》みあって、みずから音を発するのである。何たる人なつかしい音だろう!

 “――Let us match
 This water’s pleasant tune
 With some old Border song, or catch,
 That suits a summer’s noon.”

の句も思いだされて、七十二歳の翁と少年とが、そこら桜の木蔭にでも坐っていないだろうかと見廻わしたくなる。自分はこの流れの両側に散点する農家の者を幸福《しやわせ》の人々と思った。むろん、この堤の上を麦藁帽子《むぎわらぼうし》とステッキ一本で散歩する自分たちをも。

     

 自分といっしょに小金井の堤を散歩した朋友は、今は判官になって地方に行っているが、自分の前号の文を読んで次のごとくに書いて送ってきた。自分は便利のためにこれをここに引用する必要を感ずる――武蔵野は俗にいう関《かん》八州の平野でもない。また道灌《どうかん》が傘《かさ》の代りに山吹《やまぶき》の花を貰ったという歴史的の原でもない。僕は自分で限界を定めた一種の武蔵野を有している。その限界はあたかも国境または村境が山や河や、あるいは古跡や、いろいろのもので、定めらるるようにおのずから定められたもので、その定めは次のいろいろの考えから来る。
 僕の武蔵野の範囲の中には東京がある。しかしこれはむろん省《はぶ》かなくてはならぬ、なぜならば我々は農商務省の官衙《かんが》が巍峨《ぎが》として聳《そび》えていたり、鉄管事件《てっかんじけん》の裁判があったりする八百八街によって昔の面影を想像することができない。それに僕が近ごろ知合いになったドイツ婦人の評に、東京は「新しい都」ということがあって、今日の光景ではたとえ徳川の江戸であったにしろ、この評語を適当と考えられる筋もある。このようなわけで東京はかならず武蔵野から抹殺《まっさつ》せねばならぬ。
 しかしその市の尽《つ》くる処、すなわち町|外《は》ずれはかならず抹殺してはならぬ。僕が考えには武蔵野の詩趣を描くにはかならずこの町|外《はず》れを一の題目《だいもく》とせねばならぬと思う。たとえば君が住まわれた渋谷の道玄坂《どうげんざか》の近傍、目黒の行人坂《ぎょうにんざか》、また君と僕と散歩したことの多い早稲田の鬼子母神《きしもじん》あたりの町、新宿、白金……
 また武蔵野の味《あじ》を知るにはその野から富士山、秩父山脈|国府台《こうのだい》等を眺めた考えのみでなく、またその中央に包《つつ》まれている首府東京をふり顧《かえ》った考えで眺めねばならぬ。そこで三里五里の外に出で平原を描くことの必要がある。君の一篇にも生活と自然とが密接しているということがあり、また時々いろいろなものに出あうおもしろ味が描いてあるが、いかにもさようだ。僕はかつてこういうことがある、家弟をつれて多摩川のほうへ遠足したときに、一二里行き、また半里行きて家並《やなみ》があり、また家並に離れ、また家並に出て、人や動物に接し、また草木ばかりになる、この変化のあるのでところどころに生活を点綴《てんてつ》している趣味のおもしろいことを感じて話したことがあった。この趣味を描くために武蔵野に散在せる駅、駅といかぬまでも家並、すなわち製図家の熟語でいう聯檐家屋《れんたんかおく》を描写するの必要がある。
 また多摩川はどうしても武蔵野の範囲に入れなければならぬ。六つ玉川などと我々の先祖が名づけたことがあるが武蔵の多摩川のような川が、ほかにどこにあるか。その川が平らな田と低い林とに連接する処の趣味は、あだかも首府が郊外と連接する処の趣味とともに無限の意義がある。
 また東のほうの平面を考えられよ。これはあまりに開けて水田が多くて地平線がすこし低いゆえ、除外せられそうなれどやはり武蔵野に相違ない。亀井戸《かめいど》の金糸堀《きんしぼり》のあたりから木下川辺《きねがわへん》へかけて、水田と立木と茅屋《ぼうおく》とが趣をなしているぐあいは武蔵野の一領分《いちりょうぶん》である。ことに富士でわかる。富士を高く見せてあだかも我々が逗子《ずし》の「あぶずり」で眺むるように見せるのはこの辺にかぎる。また筑波《つくば》でわかる。筑波の影が低く遥《はる》かなるを見ると我々は関《かん》八州の一隅に武蔵野が呼吸している意味を感ずる。
 しかし東京の南北にかけては武蔵野の領分がはなはだせまい。ほとんどないといってもよい。これは地勢《ちせい》のしからしむるところで、かつ鉄道が通じているので、すなわち「東京」がこの線路によって武蔵野を貫いて直接に他の範囲と連接しているからである。僕はどうもそう感じる。
 そこで僕は武蔵野はまず雑司谷《ぞうしがや》から起こって線を引いてみると、それから板橋の中仙道の西側を通って川越近傍まで達し、君の一編に示された入間郡を包んで円《まる》く甲武線の立川駅に来る。この範囲の間に所沢、田無などいう駅がどんなに趣味が多いか……ことに夏の緑の深いころは。さて立川からは多摩川を限界として上丸辺まで下る。八王子はけっして武蔵野には入れられない。そして丸子《まるこ》から下目黒《しもめぐろ》に返る。この範囲の間に布田、登戸、二子などのどんなに趣味が多いか。以上は西半面。
 東の半面は亀井戸辺より小松川へかけ木下川から堀切を包んで千住近傍へ到って止まる。この範囲は異論があれば取除いてもよい。しかし一種の趣味があって武蔵野に相違ないことは前に申したとおりである――

     

 自分は以上の所説にすこしの異存もない。ことに東京市の町外《まちはず》れを題目とせよとの注意はすこぶる同意であって、自分もかねて思いついていたことである。町|外《は》ずれを「武蔵野」の一部に入《い》れるといえば、すこしおかしく聞こえるが、じつは不思議はないので、海を描くに波打ちぎわを描くも同じことである。しかし自分はこれを後廻わしにして、小金井堤上の散歩に引きつづき、まず今の武蔵野の水流を説くことにした。
 第一は多摩川、第二は隅田川、むろんこの二流のことは十分に書いてみたいが、さてこれも後廻わしにして、さらに武蔵野を流るる水流を求めてみたい。
 小金井の流れのごとき、その一である。この流れは東京近郊に及んでは千駄ヶ谷、代々木、角筈《つのはず》などの諸村の間を流れて新宿に入り四谷上水となる。また井頭池《いのかしらいけ》善福池などより流れ出でて神田上水《かんだじょうすい》となるもの。目黒辺を流れて品海《ひんかい》に入るもの。渋谷辺を流れて金杉《かなすぎ》に出ずるもの。その他名も知れぬ細流小溝《さいりゅうしょうきょ》に至るまで、もしこれをよそで見るならば格別の妙もなけれど、これが今の武蔵野の平地高台の嫌いなく、林をくぐり、野を横切り、隠《かく》れつ現われつして、しかも曲《まが》りくねって(小金井は取除け)流るる趣《おもむき》は春夏秋冬に通じて吾らの心を惹《ひ》くに足るものがある。自分はもと山多き地方に生長《せいちょう》したので、河といえばずいぶん大きな河でもその水は透明であるのを見慣れたせいか、初めは武蔵野の流れ、多摩川を除《のぞ》いては、ことごとく濁っているのではなはだ不快な感を惹《ひ》いたものであるが、だんだん慣れてみると、やはりこのすこし濁った流れが平原の景色に適《かな》ってみえるように思われてきた。
 自分が一度、今より四五年前の夏の夜の事であった、かの友と相|携《たずさ》えて近郊を散歩したことを憶えている。神田上水の上流の橋の一つを、夜の八時ごろ通りかかった。この夜は月|冴《さ》えて風清く、野も林も白紗《はくしゃ》につつまれしようにて、何ともいいがたき良夜《りょうや》であった。かの橋の上には村のもの四五人集まっていて、欄《らん》に倚《よ》って何事をか語り何事をか笑い、何事をか歌っていた。その中に一人の老翁《ろうおう》がまざっていて、しきりに若い者の話や歌をまぜッかえしていた。月はさやかに照り、これらの光景を朦朧《もうろう》たる楕円形《だえんけい》のうちに描きだして、田園詩の一節のように浮かべている。自分たちもこの画中の人に加わって欄に倚って月を眺めていると、月は緩《ゆ》るやかに流るる水面に澄んで映っている。羽虫《はむし》が水を摶《う》つごとに細紋起きてしばらく月の面《おも》に小皺《こじわ》がよるばかり。流れは林の間をくねって出てきたり、また林の間に半円を描いて隠れてしまう。林の梢に砕《くだ》けた月の光が薄暗い水に落ちてきらめいて見える。水蒸気は流れの上、四五尺の処をかすめている。
 大根の時節に、近郊《きんごう》を散歩すると、これらの細流のほとり、いたるところで、農夫が大根の土を洗っているのを見る。

     

 かならずしも道玄坂《どうげんざか》といわず、また白金《しろがね》といわず、つまり東京市街の一端、あるいは甲州街道となり、あるいは青梅道《おうめみち》となり、あるいは中原道《なかはらみち》となり、あるいは世田ヶ谷街道となりて、郊外の林地《りんち》田圃《でんぽ》に突入する処の、市街ともつかず宿駅《しゅくえき》ともつかず、一種の生活と一種の自然とを配合して一種の光景を呈《てい》しおる場処を描写することが、すこぶる自分の詩興を喚《よ》び起こすも妙ではないか。なぜかような場処が我らの感を惹《ひ》くだらうか[#「だらうか」はママ]。自分は一言にして答えることができる。すなわちこのような町外《まちはず》れの光景は何となく人をして社会というものの縮図でも見るような思いをなさしむるからであろう。言葉を換えていえば、田舎《いなか》の人にも都会の人にも感興を起こさしむるような物語、小さな物語、しかも哀れの深い物語、あるいは抱腹《ほうふく》するような物語が二つ三つそこらの軒先に隠れていそうに思われるからであろう。さらにその特点《とくてん》をいえば、大都会の生活の名残《なごり》と田舎の生活の余波《よは》とがここで落ちあって、緩《ゆる》やかにうず[#「うず」に傍点]を巻いているようにも思われる。
 見たまえ、そこに片眼の犬が蹲《うずくま》っている。この犬の名の通っているかぎりがすなわちこの町外《まちはず》れの領分である。
 見たまえ、そこに小さな料理屋がある。泣くのとも笑うのとも分からぬ声を振立ててわめく[#「わめく」に傍点]女の影法師が障子《しょうじ》に映っている。外は夕闇がこめて、煙の臭《にお》いとも土の臭いともわかちがたき香りが淀《よど》んでいる。大八車が二台三台と続いて通る、その空車《からぐるま》の轍《わだち》の響が喧《やかま》しく起こりては絶え、絶えては起こりしている。
 見たまえ、鍛冶工《かじや》の前に二頭の駄馬が立っているその黒い影の横のほうで二三人の男が何事をかひそひそと話しあっているのを。鉄蹄《てってい》の真赤になったのが鉄砧《かなしき》の上に置かれ、火花が夕闇を破って往来の中ほどまで飛んだ。話していた人々がどっと何事をか笑った。月が家並《やなみ》の後ろの高い樫《かし》の梢まで昇ると、向う片側の家根が白《し》ろんできた。
 かんてら[#「かんてら」に傍点]から黒い油煙《ゆえん》が立っている、その間を村の者町の者十数人駈け廻わってわめいて[#「わめいて」に傍点]いる。いろいろの野菜が彼方此方に積んで並べてある。これが小さな野菜市、小さな糶売場《せりば》である。
 日が暮れるとすぐ寝てしまう家《うち》があるかと思うと夜《よ》の二時ごろまで店の障子に火影《ほかげ》を映している家がある。理髪所《とこや》の裏が百姓|家《や》で、牛のうなる声が往来まで聞こえる、酒屋の隣家《となり》が納豆売《なっとううり》の老爺の住家で、毎朝早く納豆《なっとう》納豆と嗄声《しわがれごえ》で呼んで都のほうへ向かって出かける。夏の短夜が間もなく明けると、もう荷車が通りはじめる。ごろごろがたがた絶え間がない。九時十時となると、蝉《せみ》が往来から見える高い梢で鳴きだす、だんだん暑くなる。砂埃《すなぼこり》が馬の蹄《ひづめ》、車の轍《わだち》に煽《あお》られて虚空《こくう》に舞い上がる。蝿《はえ》の群が往来を横ぎって家から家、馬から馬へ飛んであるく。
 それでも十二時のどん[#「どん」に傍点]がかすかに聞こえて、どことなく都の空のかなたで汽笛の響がする。

底本:「日本文学全集12 国木田独歩 石川啄木集」集英社
   1967(昭和42)年9月7日初版
   1972(昭和47)年9月10日9版
底本の親本:「国木田独歩全集」学習研究社
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:j.utiyama
校正:八巻美惠
1998年10月21日公開
2004年6月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました