古川緑波

想い出——古川緑波

 よき日、よき頃のはなしである。
 フランスの汽船会社M・Mの船が、神戸の港へ入ると、その船へ昼食を食べに行くことが出来たものだった。
 はじめての時は、フェリックス・ルセルという船だった。
 その碇泊中の船の食堂で、食べたフランス料理の味を、僕は永遠に記念したい。
 落着いた食堂で、純白のテーブル掛のかかったテーブルに着くと、黒ん坊のウェイターが、サーヴィスして呉れる。
 パンを、皿に載せないで、直《じ》かに、テーブルクロースの上へ置かれたのに、いささか面喰いつつ――パンの粉を、黒ん坊のウェイターが、時々刷毛で掃除して呉れた。――先ず出て来た、フォアグラの味に、もう、うっとりとしてしまった。
 本場のフランス料理ってものを、M・M汽船の食堂で覚えたことは、或いは僕にとって、生涯の不幸だったかも知れない。
 だって、フェリックス・ルセルをはじめとして、それから僕が、神戸へ行く度に通った[#「通った」に傍点]船は、クイン・ドウメル、アラミス等々と数多いが、皆それは、戦争のはじまり頃のことなのだ。
 やがて、フランスの船へ食べに行くことなど、まかり成らない御時世にもなったし第一もう、M・Mの船なんか、日本へ来なくなってしまったのだもの。
 そして、わが国の食糧事情という奴が、もうセッパ詰って来て、洋食の如きも、殆んど姿を消すに至ったのだもの。
 うまい御馳走を、ちょいと味わわせて貰った、その後が、めちゃくちゃな食いものの時代になったのだから、たまらない。
 何を食ったって、船の食堂を思い出す。たまに、洋食のようなものが出たって、ああ、船では――と思っちまう。
 いっそ、罪な目に遭った。そんな気がした。なまじ、あんな美味《うま》いものを知らなきゃあ、こんな苦労はあるまいものをと、戦時中、幾たび嘆いたか分らない。
 又、戦後の今日、もはや何でも出揃い申し候の今日に至っても、M・Mの船で食ったフランス料理の味は、時々思い出す。
 今でも、ラングース・テルミドオー(とでも発音するのか)という、伊勢海老のチーズ焼。それが出て来ると、ハッと思い出すのだ、船の食堂を。
 船の食堂では、昼食には、スープは出なかった。いきなりが、オードヴルとしてのフォアグラ(ああその味!)(氷でこしらえた白鳥の背中などに盛られてありし――)が出て、その次が、伊勢海老のチーズ焼。
 ホカホカ熱いのを、フーフー言いながら食べる。甘いシャムパンのような酒が出る。ああこう書いていても、僕の心は躍るのだ。
 倦《あ》きも倦かれもせぬ仲を、無理に割かれた、そのかみの恋人を思うように。
 伊勢海老でない時は、そうだ、平目のノルマンディー風、なんてのもあったっけ。おお、そして、車海老のニューバーグ!
 いずれにしても、チーズの、じゅーッと焦げたのが、舌に熱かった。
 チーズといえば、もう食事の終る頃に、いろいろなチーズの(やっぱり、ここではフロマージュと発音しないと感じが出ない)並んだ大きな皿が出る。
 カビの生えた、それも青々と、そして、やたらに穴のあいているのなどを、これがオツなんだと言われて、口に入れてはみたものの、あんまりオツすぎて、プフッと言っちまって、あわてて、甘口のシャムパンを飲んだことなども思い出す。
 フランス語と来ては、まるで分らない。それが食い気のために一心不乱、何とかして通じさせようと思って、覚えた。
 氷は、グラスっていうんだっけ。
 ええと、それから、パンは何だっけな?
 英語では、ブレッドだが、フランス語では? と、あわてたが、何のことフランス語でも、パンは、パンだった。
 魚の皿が引込んで、白い葡萄酒が、赤に変ると、肉が出る。
 テクニカラー映画でも、あの、桃色とも、赤とも言えない、ロースト・ビーフの色は中々に出まいと思われる。
 おおそして、その肉に従属するところの、もろもろの野菜たちよ!
 貪欲倦くところなき僕は、幾たびか又その肉のお代りをしたものである。
 ひょいと後を向いて、又お代りだという表情をすると、黒ん坊のウェイターは、笑いもせずに、たちどころに、大きな皿を僕の傍へ持って来るのだった。
 食事が終って、葉巻になる。
 フィンガーボールは、レースの敷きものに乗っていて、水には、レモンが浮いていた。これじゃあ、飲みものと間違えても、しようがない、という姿だった。
 甘いシャムパンと、赤白の葡萄酒の、ほろ酔いである。
 甘い酒は、かおが酔いますね。
 頬っぺたが、くすぐったくて、眼がボーッとなる。そこへ葉巻を吸うでしょう?
 おなかは張っているし――いい心持。
 さ、そのフランス船での食事も、馴れて来ると、二度目三度目、さのみ美味いとも思わなくなったんだが、そこがそれ、前にもお話したように、それから、段々わが国の食べものが無くなって来て、世にも悲しいものばっかり食膳に並ぶようになったんだから、さてそれからというものは、夢にうつつに、フランス船を思い出したというわけでございます。
 これは、わたくしの一生の不幸になったかも分りません。
 かなしくも、なつかしき思い出でございます。

底本:「ロッパの悲食記」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年8月24日第1刷発行
   2007(平成19)年9月5日第3刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2011年11月29日作成
青空文庫作成ファイル:
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