一
「やあ、あなたも……。」と、藤木博士。
「やあ、あなたも……。」と、私。
これは脚本風に書くと、時は明治の末年、秋の宵。場所は広島停車場前の旅館。登場人物は藤木理学博士、四十七、八歳。私、新聞記者、三十二歳。
わたしは社用で九州へ出張する途中、この広島の支局に打合せをする事があって下車したのである。支局では大手町の旅館へ案内してくれたが、その本店には多数の軍人が泊り合せていたので、さらに停車場前の支店へ送り込まれた。どこの土地へ行っても、停車場前の旅館はとかくにざわざわして落着きのないものであるが、ここは旧大手前の姿をそのままに、昔ながらの大きい松並木が長く続いて、その松の青い影を前に見ながら、旅館や商家が軒をつらねているので、他の停車場前に見られないような暢《のび》やかな気分を感じさせるのが嬉しかった。
風呂にはいって、ゆう飯を済ませて、これから川端でも散歩してみようかなどと思いながら、二階の廊下へ出て往来をながめている時、不意にわたしの肩を叩いて「やあ。」と声をかけた人がある。振返ると、それは東京の藤木博士であった。
私は社用で博士の自宅を二、三回訪問したことがある。博士の講演もしばしば聴いている。そんなわけで博士とはお馴染であるが、思いも寄らないところで顔を見合せてちょっとおどろかされた。
「これかちどちらへ……。」と、わたしは訊いた。博士は某官庁の嘱託《しょくたく》になっているから、何かの用件で地方へ出張するのであろうと想像したのであった。
「いや、まっすぐに東京へ帰るのです。」と、博士は答えた。
博士の郷里は九州の福岡で、その実家にいる弟の結婚式に立会うために、先日から帰郷していたのであるが、式もめでたく終って東京へ帰るという。
九州から東京へ帰る博士と、東京から九州へゆく私と、あたかも摺れ違いに、この宿の二階で落合ったのである。機会がなければ、同じ旅館に泊り合せても、たがいに知らず識らずに別れてしまうこともある。一夜の宿で知人に出逢うのは、ほかの場所で出逢った時よりも、特別に懐かしく感じられるのが人情であろう。博士はふだんよりも打解けて言った。
「どうです。用がなければ、私の座敷へ遊びに来ませんか。」
「はあ。お邪魔に出ます。」
川ばたの散歩はやめにして、わたしは直ぐに博士のあとに付いてゆくと、廊下を二度ほど曲った所にある八畳の座敷で、障子の前の縁先には中庭の松の大樹が眼隠しのように高くそびえていた。女中を呼んで茶を入れ換えさせ、ここの名物|柿羊羹《かきようかん》の菓子皿をチャブ台に載せて、博士は私と差向いになった。今晩は急に冷えてまいりましたと、女中も言っていたが、日が暮れてから俄《にわ》かに薄ら寒くなった。その頃わたしはちっとばかり俳句をひねくっていたので、夜寒《よさむ》の一句あるべきところなどとも思った。
「九州はどっちの方へ行くのですか。」
「九州は博多……久留米……熊本……鹿児島……。」と、わたしは答えた。「まだ其他にも四、五ヵ所ばかり途中下車の予定です。」
「ははあ。では、鹿児島本線視察というような訳ですな。」
「まあまあ、そんなわけです。」
「九州は初めてですか。」
「博多までは知っていますが、それから先は初旅です。」
「それでは面白いでしょう。」と、博士は微笑した。「私は九州の生れではあり、殊に旅行は好きの方であるから、学生時代にも随分あるき廻りました。その後も郷里へ帰省するたびに、時間の許すかぎりは方々を旅行したので、九州の主なる土地には靴の跡を留《とど》めているというわけです。あなたは今度の旅行は本線だけで、佐賀や長崎の方へお廻りになりませんか。」
「時間があれば、そっちへも廻りたいと思っています。それに、Mの町には私の友人が旅館を営んでいるので、ついでに尋ねて見たいとも考えているのですが……。」
「Mの町の旅館……。なんという旅館ですか。」と、博士は何げないように訊《き》いたが、その眼は少しく光っているようにも見られた。
「Sという旅館です。停車場からは少し遠い町はずれにあるが、土地では旧家だということで……。その次男は東京に出ていて、わたしと同じ学校にいたのです。」
「その次男という人は国へ帰っているのですか。」
「わたしと同時に卒業して、東京の雑誌社などに勤めていたのですが、家庭の事情で帰郷することになって、今では家の商売の手伝いをしています。」
「いつごろ帰郷したのですか。」
それからそれへと追窮するような博士の態度を、わたしは少しく怪しみながら答えた。
「五年ほど前です。」
「五年ほど前……。」と、博士は過去を追想するように言った。「わたしが泊まったのは七年前だから、その頃にはまだ帰っていなかったのですね。」
「じゃあ、あなたもその旅館にお泊りになった事があるんですか。」
「あります。」と、博士はうなずいた。「その土地に流行する一種の害虫を調査するために、一ヵ月ほどもMの町に滞在していました。そのあいだに近所の町村へ出張したこともありましたが、大抵はS旅館を本陣にしていました。あなたの言う通り、土地では屈指《くっし》の旧家であるだけに、旅館とはいいながら大きい屋敷にでも住んでいるような感じで、まことに落ちついた居心地のいい家でした。老主人夫婦も若主人夫婦も正直な好人物で、親切に出這入《ではい》りの世話をしてくれましたが……。」
言いかけて、博士は表に耳を傾けた。
「雨の音ですね。」
「降って来たようです。」と、わたしも耳を傾けながら言った。「さっきまで晴れていたんですが……。」
「秋の癖ですね。」
ふたりは暫く黙って雨の音を聴いていたが、やがて博士は又しずかに言い出した。
「あなたはS旅館の次男という人から何か聴いたことがありますか、あの旅館にからんだ不思議な話を……。」
「聴きません。S旅館の次男――名は芳雄といって、私とは非常に親しくしていましたが、自分の家について不思議な話なぞをかつて聴かせたことはありませんでした。一体それはどういう話です。」
「わたしも科学者の一人でありながら、真面目でこんなことを話すのもいささかお恥かしい次第であるが、とにかくこれは嘘|偽《いつわ》りでない、わたしが眼《ま》のあたりに見た不思議の話です。S旅館も客商売であるから、こんなことが世間に伝わっては定めて迷惑するだろうと思って、これまで誰にも話したことは無かったのですが、あなたがその次男の親友とあれば、お話をしても差支えは無かろうかと思います。今もいう通り、それは不思議の話――まあ、一種の怪談といってもいいでしょう。お聴きになりますか。」
「どうぞ聴かせて下さい。」と、わたしは好奇の眼をかがやかしながら、問い迫るように相手の顔をみつめた。
話の邪魔をすまいとするのか、表の雨の音はやんだらしい。ただ時どきに軒を落ちる雨だれが、何かをかぞえるように寂しくきこえた。博士は座敷の天井をみあげて少しく考えているらしかったが、下座敷の方で若い女が何か大きい声で笑い出したのを合図のように、居ずまいを直して語り出した。
二
わたしがMの町へ入り込んで、S旅館――仮に曽田屋《そだや》といって置こう。――の客となったのは七年前の八月、残暑のまだ強い頃であった。大抵の地方はそうであるが、ここらも町は新暦、近在は旧暦を用いているので、その頃はちょうど旧盆に相当して、近在は盆踊りで毎晩賑わっていた。わたしはその土地特有の害虫を調査研究するために、町役場や警察署などを訪問して、最初の一週間ほどは毎日忙がしく暮らしていたが、それも先ず一と通りは片付いて、二、三日休養することになった。そのあいだに旅館の人たちとも懇意になって、だんだんに家内の様子をみると、老主人は六十前後、長男の若主人は三十前後、どちらも夫婦揃って健康らしい体格の所有者で、正直で親切な好人物、番頭や店の者や女中たちもみな行儀の好い、客扱いの行届いた者ばかりで、まことに好い宿を取当てたと、わたしも内心満足していたが、唯ひとつ私の眉をひそめさせたのは、ここの家の娘たちの淫《みだ》らな姿であった。
姉はお政といって二十二、妹はお時といって十九、容貌《きりょう》は可もなく、不可もなく、まず普通という程度であるが、髪の結い方、着物の好みが余りに派手やかで、紅|白粉《おしろい》を毒々しいほどに塗り立てた化粧の仕方が、どうしても唯の女とは見えない。勿論、旅館も客商売であるから、その娘たちが相当に作り飾っているのは当然でもあろうが、この姉妹《きょうだい》の派手作りは余りに度を越えている。旧家を誇り、手堅いのを自慢にしている此の旅館の娘たちとはどうしてもうけ取れない。そこらの曖昧《あいまい》茶屋に巣くっている酌婦のたぐいよりも醜《みにく》い。天草《あまくさ》あたりから外国へ出稼ぎする女たちよりも更に醜い。くどくも言う通り、主人も奉公人もみな正直で行儀のいい此の一家内に、どうしてこんなだらしの無い、見るから淫蕩《いんとう》らしい娘たちが住んでいるのかと、わたしは不思議に思った位であった。
残暑の強い時節といい、旧盆に相当しているせいか、ここらの旅館に泊り客は少なく、最初の二、三日は私ひとりであったが、その後に又ひとりの客が来た。それは大阪辺のある保険会社の外交員で、時どきにここらへ出張して来るらしく、旅館の人たちとも心安そうに話していた。年のころは二十七、八で、色の白い、身なりの小綺麗な、いかにも外交員タイプの如才のない男で、おそらく宿帳でも繰って私の姓名や身分を知ったのであろう、朝晩に廊下などで顔を見合せると、「先生、先生。」と、馴れなれしく話し掛けたりした。彼は氷垣明吉という名刺をくれた。
ある日の宵に、わたしは町へ散歩に出た。うす暗い地方の町にこれぞという見る物もないので、わたしは中途から引っ返して、町はずれから近在の方へ出ようとすると、二人の男に挨拶《あいさつ》された。月あかりで透かして視ると、かれらはこのごろ顔なじみになった町役場の書記と小使《こづかい》で、これから近所の川へ夜釣りに行くというのであった。
「ここらの川では何が釣れます。」
そんな話をしながら、わたしも二人とならんで歩いた。一町あまりも町を離れて、小さい土橋にさしかかると、むこうから男と女の二人連れが来て、私たちと摺れ違って通った。男はわたしを見て俄《にわ》かに顔をそむけたが、女は平気で何か笑いながら行き過ぎた。
「曽田屋の気違いめ、又あの保険屋とふざけ散らしているな。」と、若い書記は二人のうしろ姿を見送って、幾分の嫉妬もまじっているように罵った。
男は保険会社の社員の氷垣で、女は曽田屋の妹娘のお時であることを、わたしも知っていた。しかも「気違い」という言葉が私の注意をひいた。
「気違いですか、あの娘は……。」
「まあ、気違いというのでしょうな。」と、老いたる小使は苦笑いをしながら答えた。「東京の先生は御存じありますまいが、曽田屋のむすめ姉妹といえば、ここらでは評判の色気違いで……。今夜もあの通り保険屋の若い男と狂い廻っている始末……。親たちや兄《あに》さんはまったく気の毒ですよ。」
私もまったく気の毒だと思った。揃いも揃って娘二人があの体《てい》たらくでは、親や兄は定めて困っているに相違ない。普通の人は単に、色気違いとして嘲《あざけ》り笑っているに過ぎないらしいが、わたしから観ると、かの娘らは一種の精神病者か、あるいはヒステリー患者のたぐいであった。みだりに嘲り笑うよりも、むしろ気の毒な痛ましい人々ではあるまいかと思われた。わたしは更に小使にむかって訊いた。
「あの姉妹はいつ頃からあんな風になったのですか。」
「二、三年前……。おととし頃からかな。」と、小使は書記をみかえった。
「そうだ。おととしの夏ごろからだ。」と、書記は冷やかに言った。「あの家《うち》の普請《ふしん》が出来あがった頃からだろう。」
「あの家で普請をした事があるのですか。」
「表の方は元のままですが……。」と、小使は説明した。「なにしろ古い家で、奥の方はだいぶ傷《いた》んでいるところへ、一昨々年《さきおととし》の秋の大風雨《おおあらし》に出逢ったので、どうしても大手入れをしなければならない。それならばいっそ取毀《とりこわ》して建て換えろというので、その翌年の春、職人を入れてすっかり取毀させて、新しく建て直したのですよ。」
今度初めて投宿した私は、広い旅館の全部を知らないのであるが、小使らの説明によると、曽田屋の家族の住居は、長い廊下つづきで店の方につながっているが、その建物は別棟になっていて、大小|五間《いつま》ほどある。おととし改築したというのは其の一と棟で、さすがは大家《たいけ》だけに、なかなか念入りに出来ているという。それだけの話ならば別に子細《しさい》もないが、その住居の別棟が落成した頃から、娘ふたりが今までとは生れ変ったような人間になって、眼にあまる淫蕩の醜態を世間に暴露するに至ったのは、少しく不思議である。
「親たちはそれを打っちゃって置くのですか。」
「いえ、親たちも兄さん夫婦もひどく心配して、初めのうちは叱ったり諭《さと》したりしていたのですが、姉も妹も肯《き》かないのです。なにしろ人間がまるで変ってしまったのですから……。」と、小使は嘆息するように言った。「あれだけの大きい店でもあり、旧家でもあり、お父さんは町長を勤めたこともある位ですから、その家の娘たちが色気違いのようになってしまっては、世間へ対しても顔向けが出来ません。曽田屋でも困り抜いた挙げ句に、姉は小倉にいる親類に預け、妹は久留米の親類にあずける事にしたのですが、それが又いけない。行く先ざきで男をこしらえて……。それも決まった相手があるならまだしもですけれど、学生だろうが、出前持だろうが、新聞売子だろうが、誰でも構わない。手あたり次第に関係を付けて、人の見る眼も憚《はばか》らずにふざけ散らすというのですから、とてもお話になりません。預けられた家でも呆れてしまって、どこでも断わって返して来る。そうかといって、ほかには変ったことも無いので、気違い扱いにして、病院へ入れるわけにもいかず、座敷牢へ押しこめて置くわけにもいかず、困りながらも其のままにして置くと、いつの間にか泊り客と関係する。旅芸人と駈落ちをして又戻って来る。親泣かせというのは全くあの娘たちのことで、どうしてあんな人間になったのか判りませんよ。」
「普請の出来あがる前までは、ちっともおかしなことは無かったのですな。」
「御承知の通り、あすこの兄さんは手堅い一方のいい人です。娘たちもそれと同じように、子供の時からおとなしい、行儀のいい生れ付きであったのですから、本来ならば姉妹ともに今頃は相当のところへ縁付いて、立派なお嫁さんでいられる筈《はず》なのですが……。貧乏人の娘なら、いっそ酌婦にでも出してしまうでしょうが、あれだけの家では世間の手前、まさかにそんな事も出来ず、もちろん嫁に貰《もら》う人もなし、あんなことをしていて今にどうなるのか。考えれば考えるほど気の毒です。昔から魔がさすというのは、あの娘たちのようなのを言うのでしょうよ。」
現にこの盂蘭盆《うらぼん》にも、姉妹そろって踊りの群れにはいって、夜の更けるまで踊っていたばかりか、村の誰れかれと連れ立って、そこらの森の中へ忍び込んだとか、堤《どて》の下に転げていたという噂《うわさ》もある。その噂のまだ消えないうちに、妹娘は又もや保険会社の若い男と浮かれている。あの氷垣という男は毎年一度ずつはここらへ廻って来て、曽田屋を定宿《じょうやど》としているので、姉とも妹とも関係しているらしいという噂を立てられている。なんにしても困ったものだ、親たちは気の毒だと、老いたる小使は繰り返して言った。
今夜の釣り場は町からよほど距《はな》れていると見えて、これだけの話を聴き終るまでに其処《そこ》らしい場所へは行き着かなかった。人家のまばらな田舎道のところどころに、大きい櫨《はぜ》の木が月のひかりを浴びて白く立っているばかりで、川らしい水明かりは見当らなかった。
どこまでも此の人たちと連立って行くことは出来ない。私はもうここらで引っ返そうと思いながら、やはり一種の好奇心に引摺られて歩きつづけた。
「その普請の前後に、なにか変ったことはなかったのですか。」と、わたしはまた訊いた。今までおとなしかった娘たちの性行が、普請以後にわかに一変したというのは、何かの子細ありげにも思われたからであった。
「普請の前後に……。」と、小使は少し考えていたが、別に思い出すようなこともなかったらしい。
「普請中にも変ったことはなかったようだ。まあ、あの一件ぐらいだな。」と、書記は笑いながら言った。
「なんだ、あんなこと……。あははははは」と、小使も笑い出した。
「あの一件とは……。どんな事です。」と、わたしは重ねて訊いた。
「なに、詰まらない事ですよ。」と、若い書記はまた笑った。
「曽田屋の別棟は五間《いつま》ぐらいですが、ほかにも手入れをする所が相当にあるので、七、八人の大工が絶えず入り込んで、材木の切り組から出来《しゅったい》までには三月以上、やがて四月くらいはかかりましたろう。それは一昨年《おととし》の三月頃から五、六月頃にかけてのことで、その仕事に来た大工はみな泊り込みで働いていたんです。そのなかに西山――名は何というのか知りませんが、とにかく西山という若い大工がまじっていました。年はまだ十九とか二十歳《はたち》とかいうんですが、小僧あがりに似合わず仕事の腕はたいへんに優れていて、一人前の職人もかなわない位であったそうです。それが西山という姓を名乗ってはいますが、実は朝鮮人だともいい、又は琉球人の子で鹿児島で育ったのだともいう噂があって、当人に訊いてもはっきりした返事をしないので、まあどっちかだろう、ということになっていました。見たところは内地人にちっとも変らず、言葉は純粋の鹿児島弁でした。色の蒼白い、痩形《やせがた》の、神経質らしい男でしたが、なにしろ素直でよく働き、おまけに腕が優れているというんですから、親方にも仲間にも可愛がられていました。曽田屋の人たちも可愛がっていたそうです。
すると、あしかけ三月目の五月頃のことでした。さっきから問題になっている曽田屋の娘、お政とお時の姉妹が寺参りに行くとかいうので、髪を結い、着物を着かえて、よそ行きの姿で普請場へ行ったんです。母の身支度の出来るのを待っている間に、なに心なく普請場を覗《のぞ》きに行ったんでしょう。その時はちょうど午《ひる》休みで大工も左官もどこへか行っていて、あの西山がたった一人、何か削り物をしていたんです。姉妹もふだんから西山を可愛がっているので、傍へ寄って何か話しているうちに、どういう切っ掛けで何を言い出したのか知りませんが、要するに西山がふたりの娘にむかって、突然に淫《みだ》らなことを言い出したんです。いや、言い出したばかりでなく、何か怪《け》しからん行動に出《い》でたらしいんです。そこへ親方と他の大工が帰って来て、親方はすぐ西山をなぐり付けました。他の職人にも殴られたそうです。
勿論、親方はたいへんに怒って、出入り場のお嬢さん達に不埒《ふらち》を働くとは何事だ。貴様のような奴は何処へでも行ってしまえと呶鳴《どな》る。娘たちは泣き顔になって奥へ逃げ込む。それが老主人夫婦の耳にもはいったんですが、夫婦ともに好い人ですから、怒っている親方をなだめて無事に済ませたんです。怒る筈の主人が却って仲裁役になったんですから、親方も勘弁するのほかはありません。親方は西山を老主人夫婦、若主人夫婦、娘ふたりの前へ引摺って行って、さんざん謝《あや》まらせたんです。親方というのは暴《あら》っぽい男で、まかり間違えばぶち殺し兼ねないので、西山も真っ蒼になってしまったそうですよ。はははははは。」
「あの親方に取っ捉まっちゃあ、どんな人間だって堪まるまいよ。あははははは。」
小使も声を揃えて笑った。
三
若い職人が出入り場の娘を口説いて失敗した。単にそれだけの事ならば、世間にありふれた一場の笑い話に過ぎないかも知れない。しかし私は深入りして訊いた。
「その後、その西山という大工は相変らず働いていたのですか。」
「働いていました。」と、書記は答えた。「なんでも其の晩はどこへか出て行って、二時間も三時間も帰って来ないので、あいつ、極まりが悪いので夜逃げでもしたのじゃあないかと言っていると、夜が更《ふ》けてこっそり帰って来たそうです。そんなことが三晩ばかり続いて、その後は一度も外出せず、いよいよ落成の日までおとなしく熱心に働いていたといいます。」
「西山というのは此の土地の職人ですか。」
「鹿児島から出て来て、一年ほど前から親方の厄介になっていたんですが、曽田屋の普請が済むと、親方にも無断でふらりと立去ってしまって、それぎり音も沙汰もないそうです。たぶん鹿児島へでも帰ったんでしょう。」
「朝鮮だとか琉球だとかいうには、何か確かな証拠でもあるのですか。」
「さあ。証拠があるか無いか知りませんが、職人伸間ではみんなそう言っていたそうですから、何か訳があるんだろうと思います。」
釣り場はいよいよ眼の前にあらわれて、そこにはかなりに広い川が流れていた。書記と小使はわたしに会釈《えしゃく》して、すすきの多い堤《どて》を降りて行った。わたしは月を踏んで町の方角へ引っ返した。
どう考えても、曽田屋の一家は気の毒である。殊に本人の娘たちは可哀そうである。前にもいう通り、かの姉妹は色情狂というよりも、おそらく一種のヒステリー患者であろう。書記や小使は格別の注意を払っていないらしいが、姉妹に対する若い大工の恋愛事件、それが何かの強い衝撃を彼女らに与えたのではあるまいか。大工は姉妹にむかって何事を言ったのか、何事を仕掛けたのか、その現場に立会っていた者でない限りは、大方こんな事であったろうと想像するにとどまって、その真相を明らかに知り得ないのである。
大工は親方に殴られて、曽田屋の人々に謝罪して、その後はおとなしく熱心に働いていたというが、果たして其の通りであったか。その後にも親方らの眼をぬすんで、若い女たちをおびやかすような言動を示さなかったか。それらの事情が判明しない以上、この問題を明らかに解決することは不可能である。
しかもあの姉妹が果たしてヒステリー患者であるとすれば、それを救う方法が無いではない。曽田屋の父兄らに注意をあたえて、適当の治療法を講ずればよい。だが困るのは、その問題が問題であるだけに、父兄の方から言い出せば格別、わたしの方から父兄にむかって、ここの家の普請中にこんな出来事があったか、又その後に娘たちがどうして淫蕩の女になったか、それらの秘密を露骨に質問するわけにはゆかない。殊に今度初めて投宿した家で、双方の馴染みが浅いだけに猶更工合が悪い。さりとてこのままに見過すのも気が咎《とが》める。せめては番頭にでも内々で注意して置こうかなどと考えながら、もと来た道をぶらぶらと歩いて来ると、月の明かるい宵であるにも拘らず、どこからどうして出て来たのか判らなかったが、おそらく路ばたの櫨《はぜ》の木の蔭からでも飛び出して来たのであろう、ひとりの男の姿が突然にわたしの行く手にあらわれた。と思う間もなく、つづいて又ひとりの女があらわれた。
その男と女が氷垣とお時であることを私はすぐに覚った。お時は何か小さい刃物を持っているらしく、それを月の光りにひらめかしながら、男に追い迫って来るように見られるので、私もおどろいて遮《さえぎ》った。私という加勢を得たので、氷垣も気が強くなったらしく、引っ返して女を取鎮めようとした。お時は見掛けによらない強い力で暴れ狂ったが、なんといっても相手は男二人であるから、遂にその場に押しすくめられてしまった。彼女はなんにも言わずにあえいでいた。
「君。早く刃物を取りあげたまえ。」と、わたしは氷垣に注意して、お時の手から剃刀《かみそり》を奪わせた。
半狂乱のような女を押さえは押さえたものの、さてどうしていいか、二人はその始末に困っていると、いい塩梅《あんばい》に二人の男が通りかかった。それは氷垣も私も識らない人たちであったが、曽田屋へ出入りの商人であるらしく、彼らはお時をよく知っているので、私たちと一緒に彼女を護衛しながら、無事に町まで送って来てくれた。
暮れても暑い上に、突然こんな事件に出逢ったので、涼みながらの散歩が却って汗を沸かせる種となった。わたしは曽田屋へ帰って、二階の座敷の欄干に倚《よ》りかかって、暫く息を休めていると、かの氷垣が挨拶に来た。
「先生。とんだ御迷惑をかけまして、なんとも申し訳がありません。」
彼はひどく恐縮していた。そうして、何か頻りに言訳らしいことを繰返していたが、わたしは別に彼を咎めもしなかった。
氷垣の説明によると、今夜はあまり暑いので、自分ひとりで散歩に出ると、あとからお時が追って来て一緒に行こうという。それから連立って村の方へ出ると、お時は更に自分にむかって何処へか連れて逃げてくれという。そんなことは出来ないと断わっても、お時は肯《き》かない。無理になだめて引っ返して来ると、お時は帯のあいだから剃刀を取出して、わたしを連れて逃げるのが忌《いや》ならば一緒に死んでくれという。いよいよ持て余して、しまいには怖くなって逃げ出すところへ、あなたがちょうどに来合せたので、まずは無事に済んだのである。さもなければどういうことになったか判らないと、彼は汗を拭きながら語った。
しかし彼はお時と自分との関係に就いては、なんだか曖昧《あいまい》なことを言っていた。わたしはたって他人の秘密を探り出す必要もなかったが、この際なにかの参考にしたいという考えから、冗談まじりにいろいろ穿索《せんさく》すると、氷垣も結局降参して、実は姉娘のお政とは秘密の関係が無いでもないが、妹のお時とは何の関係もないと白状した。この白状も果たして嘘か本当か判らなかったが、わたしはその以上に追窮することを敢てしなかった。
氷垣が立去ると、入れ代って旅館の番頭が来た。これは氷垣とは違って、見るからに老実そうな五十余歳の男であったが、その来意は氷垣と同様で、家の娘が途中で種々の御迷惑をかけて相済まないという挨拶であった。彼もひどく恐縮していた。氷垣の恐縮はそれに一種の愛矯[#「愛矯」はママ]も含まれていたが、この老番頭の恐縮は痛々しいほどに真面目なものであった。私はいよいよ気の毒に思うと同時に、番頭がここへ来てくれたのは好都合であるとも思った。
「ここの家《うち》の娘さん達は何か病気でもしているのかね。」と、わたしは何げなく訊いた。
「まことにお恥かしい次第でございます。」と、番頭は泣くように言った。「別に病気というわけでもございませんが……。」
「わたしは医者でないから確かなことは言えないが、素人が見て病気でないと思うような人間でも、専門の医者が見ると立派な病人であるという例もしばしばあるから、主人とも相談して念のために医者によく診察して貰ったらいいだろうと思うが……。」
「はい。」
とは言ったが、番頭は難渋《なんじゅう》らしい顔色をみせた。さしあたり娘たちのからだに異状があるわけでもないのであるから、医者に診て貰えといっても、おそらく当人たちが承知すまい。もう一つには主人らは非常に外聞《がいぶん》を恥じ恐れているのであるから、この問題については、娘たちを医者に診察させるなどということには、おそらく同意しないであろうと、彼は言った。
外聞を恐れるというのも一応無理ではないが、これはもう世間に知れ渡っている事実であるから、今さら秘密を守るよりも、進んで医師の診察を求めた方が優《ま》しであると思われたが、何分にも馴染みの浅いわたしとして、あまりに立ち入ってかれこれ云うわけにも行かないので、そのままに黙ってしまった。
四
藤木博士がここまで話して来た時に、夜の雨がまたおとずれて来た。博士はひと息ついて、わたしの顔を暫く眺めていた。
「どうです。これだけの話では格別おもしろくもないでしょう。S旅館の娘ふたりが淫蕩の事実を詳しくお話しすると、確かに一編の小説になると思うのですが……。いや、わたしが聴いただけのことでも、それを正直に書いたら発売禁止は請け合いです。いずれにしても、今までの話だけでは、単にその娘たちが放縦淫蕩の女であったというにとどまって、奇談とかいうほどの価値はないのですが、肝腎の話はこれからですよ。あなたは新聞記者で第六感が働くでしょうが、かの娘たちが俄かに淫蕩な女に生れ変った原因はどこにあると思います。」
こんな問題について第六感を働かせろというのは無理である。私はだまって微笑していると、博士はまた語りつづけた。
「判りませんか。わたしにも判らなかった。実は今でもはっきりと判らないのですが……。私はその後も旅館に三週間ほど滞在していました。そのあいだにもいろいろの事件がありますが、それを一々話していると、どうしても発売禁止の問題に触れますから、一足飛びに最後の事件に到着させましょう。
わたしは自分の仕事を終って、いよいよ四、五日中には東京へ引揚げよう。その途中、郷里へもちょっと立寄ろうなどと思って、そろそろ帰り支度をしていると、九月のはじめ、例の二百二十日の少し前でした。二日ふた晩もつづいた大風雨《おおあらし》……。一昨々年《さきおととし》の風雨もひどかったが、今度のは更にひどい。こんな大暴れは三十年振りだとかいうくらいで、町も近村もおびただしい被害でした。S旅館もかなりの損害で、庭木はみんな根こぎにされる、塀を吹き倒される、家根《やね》を吹きめくられるという始末。それでも、表の店の方は、建物が古いだけに破損が少ない。こういうときには昔の建物が堅牢であるということを、今更のように感じました。それと反対に奥の別棟、すなわち家族の住居の方は、おととしの新築というにも拘らず、実に惨憺《さんたん》たるありさまで、家根瓦はほとんど完全に吹き飛ばされ、天井板も吹きめくられてしまいました。
風雨が鎮まると、南国の空は高く晴れて、俄かに秋らしい日和《ひより》になりました。旅館では早速に職人をあつめて、被害の修繕に取りかかったのですが、新築の別棟は半分ほども取毀して、さらに改築しなければならないということでした。あしかけ四年のあいだに二度のあらしを食ったのだから、どこの家も気の毒です。そこで、まず別棟の取毀しに着手して、天井板をはずしていると、六畳の間の天井裏から不思議な物が発見されたのです。」
博士はなかなか話し上手である。ここで聴き手を焦《じ》らすようにまた一と息ついた。その手に乗せられるとは知りながら、私もあとを追わずにはいられなかった。
「その天井裏から何が出たんです。」
「一|対《つい》の人形……木彫りの小さい人形ですよ。」と、博士は言った。「小さいといっても、六、七|寸《すん》ぐらいで、すこぶる精巧に出来ているのです。わたしも見せて貰いましたが、まったく好く出来ているように思われました。職人たちも感心していました。木地《きじ》は桂だろうということでした。」
「二つの人形は何を彫ったのですか。」
「それがまた怪奇なもので、どちらも若い女と怪獣の姿です。」
「怪獣……。」
「怪獣……。むかしの神話にも見当らないような怪獣……。むしろ妖怪といった方が、いいかも知れません。その怪獣と若い女……。こんな彫刻を写真に撮って、あなたの新聞にでも掲載してごらんなさい。たちまち叱られます。それで大抵はお察しくださいと言うのほかはありません。実に奇怪を極めたものです。そこで当然の問題は、いったい誰がこんな怪しからん物をこしらえて、この天井裏に隠して置いたかということですが……。あなたは誰の仕業《しわざ》だと鑑定します。」
「朝鮮だとか琉球だとかいう若い大工でしょう。」と、私はすぐに答えた。
「誰の考えも同じことですね。」と、博士はうなずいた。「あなたの鑑定通り、それは西山という若い大工の仕業に相違ないと、諸人の意見が一致しました。娘たちに挑《いど》んで、親方に殴られて、それから三晩ほどは外出して、いつも夜が更けて帰って来たという。おそらく何処へか行って、秘密にかの人形を彫刻していたのであろうと察せられます。そうして、誰にも覚《さと》られないように、その二つの人形を天井裏に忍ばせて置いたのでしょう。六畳の部屋は娘たちの居間です。彼はかねてそれを知っていて、その天井裏に不可解な人形を秘めて置いたのは、娘たちに対する一種の呪《のろ》いと認められます。職人たちの話を聴きますと、自分らの大工のあいだには、そんな奇怪な伝説はないといいます。してみると、彼が他国人であるとかいうのも、まんざら嘘でもないように思われます。彼は親方の家を立去った後、鹿児島へ帰った様子もなく、その消息は不明だそうです。あるいは自分の呪いを成就《じょうじゅ》させるために、どこかで自殺したのではないかという説もありますが、確かなことは判りません。」
「そうすると、その人形があった為に、S旅館の娘ふたりは俄かに淫蕩な女に変じたという訳ですね。」と、私はまだ幾分の疑いを抱きながら言った。「そこで、その娘たちはどうしました。」
「娘たちには隠して置こうとしたのですが、何分にも大勢が不思議がって騒ぎ立てるので、とうとう娘たちにも知れました。しかしその話を聴いただけで、別にその人形を見せてくれとも言わず、急に気分が悪いと言い出して、寝込んでしまいました。ふだんならば格別、あらしの被害で大手入れの最中、ふたりの病人が枕をならべて寝ていては困るので、ひとまず町の病院へ入れることにしましたが、姉妹ともに素直に送られて行きました。番頭や女中たちの話によると、半分眠っているようであったといいます。」
「その人形はどう処分しました。」
「家でも人形の処分に困って、いろいろ相談の結果、町はずれの菩提寺《ぼだいじ》へ持って行って、僧侶にお経を読んでもらった上で、寺の庭先で焼いてしまうことにしたのです。それは娘たちが入院してから三日目のことで、この日も初秋らしい風が吹いて空は青々と晴れていました。読経《どきょう》が型の如くに済んで、一対の人形がようやく灰になった時に、病院から使いがあわただしく駈けて来て、姉妹は眠るように息を引取ったと言いました。」
「先生……。」
「いや、まだお話がある。」と、博士は畳みかけて言った。「姉に関係があり、妹に関係があったらしい氷垣という外交員……。彼は先夜の一件以来、旅館にも居にくいようになったと見えて、早々にここを立去って、三里あまりも離れた隣りの町へ引移って、相変らず外交の仕事に歩き廻っていたのですが、例の大風雨の後、近所の川の渡し船が増水のために転覆して、船頭だけは幸いに助かったが、七人の乗客は全部溺死を遂げた。土地の新聞はそれを大々的に報道していましたが、その溺死者の一人に氷垣明吉の名を発見した時、わたしは何だかぞっ[#「ぞっ」に傍点]としました。但し、それは人形を焼いた当日でなく、その翌日の午前中の出来事でした。」
わたしは息を嚥《の》んで聴いていた。わたしの友人に二人の妹があって、それが流行病で同時に仆《たお》れたという話はかつて聴かされたが、その死に就いてこんな秘密がひそんでいることを、今夜初めて知ったのである。それは流行病以上の怖ろしい最期であった。
「その当時、わたしはコダックを携帯していたので、その怪獣を撮影して置きたいと思ったのですが、遺族の手前、まさかにそんな事も出来ないので、そのままにしてしまいました。」と、博士は言った。
底本:「鷲」光文社文庫、光文社
1990(平成2)年8月20日初版1刷発行
初出:「オール讀物」
1934(昭和9)年7月
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2006年10月31日作成
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