浜尾四郎君は鋭い頭の持主であった。それに卑しくも曖昧な事を許して置けない性質で、何事でも底まで追究しなければ止まない風があった。従って時には根掘り葉掘り問い質して、為に相手がしどろもどろになる事があった。之は一見意地悪るのようであるが、決してそうではなく、全く物事をいい加減にして置く事が出来ない為で、実は真正直な人であった。
他人に対して相当追究する一方、自分自身に対しても亦厳重で、曖昧な態度などは微塵もなかった。議論の場合ばかりでなく、単なる会話の時にも、用語には細心の注意をして、どこからも突込まれないように、相手の返答すべき事を、予め限定された一点に追込んで置くという風であった。従って浜尾君の議論なり会話なりには毫末も陥穽というものがなく、誠に公明正大で、相手は時によると、単に「はい」とか「いいえ」とか、簡単に答えるより他にないほどであった。
然し、こういった無色透明の態度や、鋭ど過ぎる頭は、往々余裕を欠くもので、そういった嫌いは若干浜尾君にもあったようである。だから浜尾君をよく知らないものは、彼から春風駘蕩たるものを感ずるよりは、秋霜烈々たるものを感ずる事が多かったらしい。私がここに浜尾君が非常に親切で、且つ世話好きな半面を持っていたといったら、意外に感ずる人があるかも知れない。
鋭い頭の持主の長所であって、且つ通弊とする所は、俗にいう、つーといえばかーと応えるような敏感な者に対しては親しむけれども、鈍感なものにはどうもいい感情を持たない事である。尤も鈍感といい、敏感という事は、そうした人々の賢愚の絶対値を極めるものでない。敏感鈍感という事は、単位時間に於ける頭脳反応の大きさである。だから、敏感な人が時間をかければ、多くの効果が挙げられるというのではなく、鈍感な人でも時間をかければ、敏感な人に勝る仕事は出来る訳である。然し、一般に敏感な人は鈍感な人が馬鹿に見える。馬鹿に見えないまでも、いかにも交際し悪い。そういう意味で、浜尾君にとっては、鈍感な人達は互いに迷惑な相手であったに違いないと思う。
敏感な人は、つまり単位時間に於ける頭の働きが大きいのであるから、どうしても自らの才に頼り不勉強になり易い。所が、浜尾君はこの原則に反して実に勉強家であった。一つには彼の負けじ魂が知らぬという事を嫌っての結果でもあろうが、そればかりではなく、物事の追究という事そのものに、非常な興味を持っていた為だと思う。例えば、彼の専攻の法律の事について質問した時、彼は相手が素人だと思っても、決していい加減な返辞はしない。知らない場合は知らないと答え、而も後に必ず十分に調べて答えて呉れる。その良心的な点と、熱心且つ親切な点は敬服の他はない。
ここまで書けば浜尾君は何事にも誠にハッキリした人であった事が十分諒解されると思う。一般に人の世は不純なもので、中々このハッキリした態度で押切れるものではないが、浜尾君は堂々と押切っていた。不純な気持や、世間一般の考えで浜尾君に対すると、面喰う場合が多いであろう。然し、こっちも亦その覚悟になって、ハッキリした態度で行くと、実に交際し易い、いい人であった。
浜尾君の才筆については喋々する必要がない。徹底的な気質の一面に、幼少の頃から芸術性が豊かで、中学卒業後法律を専攻するようになったのは、むしろ周囲の人の意外とする所であったそうである。啻《つと》[#ルビの「つと」はママ]に文筆のみならず、音楽にも亦深い趣味と諒解があって、誠に多芸多能の人であった。
こうした性格、学識、多趣味は最も随筆に必要な事であって、又それらのものは必ず随筆のうちに現われるものである。今や、春秋社から浜尾君の遺稿随筆集が出版されると聞いて、読者諸君と共に、故浜尾君の珠玉の如き文章に親しむ事が出来るのを、心から喜ぶものである。 (一〇・一二・一七)
底本:「日本探偵小説全集 5 浜尾四郎集」創元推理文庫、東京創元社
1985(昭和60)年3月29日初版
1993(平成5)年3月5日4版
底本の親本:「浜尾四郎随筆集」春秋社
1936(昭和11)年1月
初出:「浜尾四郎随筆集」春秋社
1936(昭和11)年1月
入力:川山隆
校正:門田裕志
2013年1月23日作成
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