黒島伝治

前哨——黒島傳治

一 豚  毛の黒い豚の群が、ゴミの溜った沼地を剛い鼻の先で掘りかえしていた。  浜田たちの中隊は、※[#「さんずい+兆」、第3水準1-86-67]昂鉄道の沿線から、約一里半距った支那部落に屯《たむろ》していた。十一月の初めである。奉天を出発...
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選挙漫談——黒島傳治

投票を売る  投票値段は、一票につき、最低五十銭から、一円、二円、三円と、上って、まず、五円から、十円どまり位いだ。百姓が選挙場まで行くのに、場所によっては、二里も三里も歩いて行かなければならない。  ところが、彼等は遊んでいられる身分では...
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戦争について——黒島傳治

ここでは、遠くから戦争を見た場合、或は戦争を上から見下した場合は別とする。  銃をとって、戦闘に参加した一兵卒の立場から戦争のことを書いてみたい。  初めて敵と向いあって、射撃を開始した時には、胸が非常にワク/\する。どうしても落ちつけない...
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雪のシベリア——黒島傳治

一  内地へ帰還する同年兵達を見送って、停車場《ていしゃば》から帰って来ると、二人は兵舎の寝台に横たわって、久しくものを言わずに溜息《ためいき》をついていた。これからなお一年間辛抱しなければ内地へ帰れないのだ。  二人は、過ぎて来たシベリヤ...
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窃む女——黒島傳治

一  子供が一人ぐらいの時はまだいゝが、二人三人となると、育てるのがなかなか容易でない。子供のほしがるものは親として出来るだけ与えたい。お菓子、おもちゃ、帽子、三輪車――この頃は田舎でも三輪車が流行《はや》っている。女の子供は、少し大きくな...
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小豆島——黒島傳治

用事があって、急に小豆島へ帰った。  小豆島と云えば、寒霞渓のあるところだ。秋になると都会の各地から遊覧客がやって来る。僕が帰った時もまだやって来ていた。  百姓は、稲を刈り、麦を蒔きながら、自動車をとばし、又は、ぞろ/\群り歩いて行く客を...
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自伝——黒島傳治

明治三十一年十二月十二日、香川県小豆郡苗羽村に生れた。父を兼吉、母をキクという。今なお健在している。家は、半農半漁で生活をたてゝいた。祖父は、江戸通いの船乗りであった。幼時、主として祖母に育てられた。祖母に方々へつれて行って貰った。晩にねる...
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自画像——黒島傳治

なか/\取ッつきの悪い男である。ムッツリしとって、物事に冷淡で、陰鬱で、不愉快な奴だ。熱情なんど、どこに持って居るか、そんなけぶらいも見えん。そのくせ、勝手な時には、なか/\の感情家であるのだ。なんでもないことにプン/\おこりだす。なんにで...
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四季とその折々——黒島傳治

小豆島にいて、たまに高松へ行くと気分の転換があって、胸がすツとする。それほど変化のない日々がこの田舎ではくりかえされている。しかし汽車に乗って丸亀や坂出の方へ行き一日歩きくたぶれて夕方汽船で小豆島へ帰ってくると、やっぱり安息はここにあるとい...
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砂糖泥棒——黒島傳治

与助の妻は産褥についていた。子供は六ツになる女を頭に二人あった。今度で三人目である。彼はある日砂糖倉に這入《はい》って帆前垂《ほまえだれ》にザラメをすくいこんでいた、ところがそこを主人が見つけた。  主人は、醤油醸造場の門を入って来たところ...
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国境——-黒島伝治

一  ブラゴウエシチェンスクと黒河を距《へだ》てる黒竜江は、海ばかり眺めて、育った日本人には馬関と門司の間の海峡を見るような感じがした。二ツの市街が岸のはなで睨み合って対峙《たいじ》している。  河は、海峡よりはもっと広いひろがりをもって海...
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穴——-黒島傳治

一  彼の出した五円札が贋造紙幣だった。野戦郵便局でそのことが発見された。  ウスリイ鉄道沿線P―の村に於ける出来事である。  拳銃の這入っている革のサックを肩からはすかいに掛けて憲兵が、大地を踏みならしながら病院へやって来た。その顔は緊張...
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鍬と鎌の五月——黒島傳治

農民の五月祭を書けという話である。  ところが、僕は、まだ、それを見たことがない。昨年、山陰地方で行われたという、××君の手紙である。それが、どういう風だったか、僕はよく知らない。  そこで困った。  全然知らんことや、無かったことは、書く...
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外米と農民——黒島傳治

隣家のS女は、彼女の生れた昨年の旱魃にも深い貯水池のおかげで例年のように収穫があった村へ、お米の買出しに出かけた。行きしなに、誰れでも外米は食いたくないんだから今度買ってきたら分けあって食べましょうと云って乗合バスに乗った。近所の者は分けて...
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海賊と遍路——黒島傳治

私の郷里、小豆島にも、昔、瀬戸内海の海賊がいたらしい。山の上から、恰好な船がとおりかゝるのを見きわめて、小さい舟がする/\と島かげから辷り出て襲いかゝったものだろう。その海賊は、又、島の住民をも襲ったと云い伝えられている。かつて襲われたとい...
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渦巻ける烏の群——黒島伝治

一 「アナタア、ザンパン、頂だい。」  子供達は青い眼を持っていた。そして、毛のすり切れてしまった破れ外套《がいとう》にくるまって、頭を襟の中に埋《うず》めるようにすくんでいた。娘もいた。少年もいた。靴が破れていた。そこへ、針のような雪がは...
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愛読した本と作家から——-黒島傳治

いろ/\なものを読んで忘れ、また、読んで忘れ、しょっちゅう、それを繰りかえして、自分の身についたものは、その中の、何十分の一にしかあたらない。僕はそんな気がしている。がそれは当然らしい。中には、毒になるものがあるし、また、毒にも薬にもならな...
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まかないの棒——黒島傳治

京一が醤油醸造場へ働きにやられたのは、十六の暮れだった。  節季の金を作るために、父母は毎朝暗いうちから山の樹を伐りに出かけていた。  醸造場では、従兄の仁助《にすけ》が杜氏《とうじ》だった。小さい弟の子守りをしながら留守居をしていた祖母は...
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パルチザン・ウォルコフ——黒島伝治

一  牛乳色《ちちいろ》の靄《もや》が山の麓《ふもと》へ流れ集りだした。  小屋から出た鵝《がちょう》が、があがあ鳴きながら、河ふちへ這って行く。牛の群は吼《ほ》えずに、荒々しく丘の道を下った。汚れたプラトオクに頭をくるんだ女が鞭を振り上げ...
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チチハルまで——黒島伝治

一  十一月に入ると、北満は、大地が凍結を始める。  占領した支那家屋が臨時の営舎だった。毛皮の防寒胴着をきてもまだ、刺すような寒気が肌を襲う。  一等兵、和田の属する中隊は、二週間前、四平街を出発した。四※[#「さんずい+兆」、第3水準1...