永井荷風

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猥褻独問答—– 永井荷風

○猥褻なる文学絵画の世を害する事元より論なし。書生猥褻なる小説を手にすれば学問をそつちのけにして下女の尻を追ふべく、親爺猥褻《おそ》れざるべけんや。 ○然らば何を以てか猥褻なる文学絵画といふや。人をして淫慾を興《おこ》さしむるものをいふなり...
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霊廟—– 永井荷風

〔Il suffit que tes eaux e'gales et sans fe^te〕 〔Reposent dans leur ordre et tranquillite',〕 〔Sans que demeure rien en le...
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里の今昔—– 永井荷風

昭和二年の冬、酉《とり》の市《いち》へ行った時、山谷堀《さんやぼり》は既に埋められ、日本堤《にほんづつみ》は丁度取崩しの工事中であった。堤から下りて大音寺前《だいおんじまえ》の方へ行く曲輪外《くるわそと》の道もまた取広げられていたが、一面に...
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裸体談義—– 永井荷風

戦争後に流行しだしたものの中には、わたくしのかつて予想していなかったものが少くはない。殺人|姦淫《かんいん》等の事件を、拙劣下賤な文字で主として記載する小新聞《こしんぶん》の流行、またジャズ舞踊の劇場で婦女の裸体を展覧させる事なども、わたく...
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羊羹 ——永井荷風

新太郎はもみぢといふ銀座裏の小料理屋に雇はれて料理方の見習をしてゐる中、徴兵にとられ二年たつて歸つて來た。然し統制後の世の中一帶、銀座|界隈《かいわい》の景況はすつかり變つてゐた。  仕込にする物が足りないため、東京中の飮食店で毎日滯りなく...
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洋服論———- 永井荷風

○日本人そもそも洋服の着始めは旧幕府|仏蘭西《フランス》式歩兵の制服にやあらん。その頃膝取マンテルなぞと呼びたる由なり。維新の後岩倉公西洋諸国を漫遊し文武官の礼服を定められ、上等の役人は文官も洋服を着て馬に乗ることとなりぬ。日本にて洋服は役...
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矢立のちび筆—– 永井荷風

或人《あるひと》に答ふる文《ぶん》  思へば千九百七、八年の頃のことなり。われ多年の宿望を遂げ得て初めて巴里《パリー》を見し時は、明《あ》くる日を待たで死すとも更に怨《うら》む処なしと思ひき。泰西諸詩星《たいせいしょしせい》の呼吸する同じき...
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矢はずぐさ—– 永井荷風

(例)寒夜客来[#(テ)]茶当[#(ツ)][#レ]酒[#(ニ)] 一 『矢筈草《やはずぐさ》』と題しておもひ出《いづ》るままにおのが身の古疵《ふるきず》かたり出《い》でて筆とる家業《なりわい》の責《せめ》ふさがばや。 二  さる頃も或人の戯...
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壥東綺譚—–永井荷風

一  わたくしは殆ど活動写真を見に行ったことがない。  おぼろ気な記憶をたどれば、明治三十年頃でもあろう。神田|錦町《にしきちょう》に在った貸席錦輝館で、サンフランシスコ市街の光景を写したものを見たことがあった。活動写真という言葉のできたの...
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放水路—– 永井荷風

隅田川《すみだがわ》の両岸は、千住《せんじゅ》から永代《えいたい》の橋畔《きょうはん》に至るまで、今はいずこも散策の興を催すには適しなくなった。やむことをえず、わたくしはこれに代るところを荒川《あらかわ》放水路の堤《つつみ》に求めて、折々杖...
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買出し—– 永井荷風

船橋と野田との間を往復してゐる総武鉄道の支線電車は、米や薩摩芋の買出しをする人より外にはあまり乗るものがないので、誰言ふとなく買出電車と呼ばれてゐる。車は大抵二三輛つながれてゐるが、窓には一枚の硝子もなく出入口の戸には古板が打付けてあるばか...
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梅雨晴—– 永井荷風

森先生の渋江抽斎《しぶえちゅうさい》の伝を読んで、抽斎の一子|優善《やすよし》なるものがその友と相謀《あいはか》って父の蔵書を持ち出し、酒色の資となす記事に及んだ時、わたしは自らわが過去を顧みて慚悔《ざんかい》の念に堪《た》えなかった。  ...
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日和下駄 一名 東京散策記—–永井荷風

序 東京市中散歩の記事を集めて『日和下駄』と題す。そのいはれ本文のはじめに述べ置きたれば改めてここには言はず。『日和下駄』は大正三年夏のはじめころよりおよそ一歳あまり、月々雑誌『三田文学』に連載したりしを、この度|米刃堂《へいじんどう》主人...
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伝通院—–永井荷風

われわれはいかにするともおのれの生れ落ちた浮世の片隅を忘れる事は出来まい。  もしそれが賑《にぎやか》な都会の中央であったならば、われわれは無限の光栄に包まれ感謝の涙にその眼を曇らして、一国の繁華を代表する偉大の背景を打目戍《うちまも》るで...
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虫干—–永井荷風

毎年《まいねん》一度の虫干《むしぼし》の日ほど、なつかしいものはない。  家中《うちぢゆう》で一番広い客座敷の縁先には、亡《なくな》つた人達の小袖《こそで》や、年寄つた母上の若い時分の長襦袢などが、幾枚となくつり下げられ、其のかげになつて薄...
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蟲の聲—–永井荷風

東京の町に生れて、そして幾十年といふ長い月日をこゝに送つた………。  今日まで日々の生活について、何のめづらしさをも懷しさをも感じさせなかつた物の音や物の色が、月日の過ぎゆくうちにいつともなく一ツ一ツ消去つて、遂に二度とふたゝび見ることも聞...
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男ごゝろ—–永井荷風

大方帳場の柱に掛けてある古時計であらう。間の抜けた力のない音でボンボンと鳴り出すのを聞きつけ、友田は寐てゐる夜具の中から手を伸して枕元の懐中時計を引寄せながら、 「民子さん。あれア九時でせう。まだいゝんですか。」と抱寐した女の横顔に頤を載せ...
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草紅葉——永井荷風

東葛飾《ひがしかつしか》の草深いあたりに仮住《かりずま》いしてから、風のたよりに時折東京の事を耳にすることもあるようになった。  わたくしの知っていた人たちの中で兵火のために命を失ったものは大抵浅草の町中に住み公園の興行ものに関与《たずさわ...
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雪の日—–永井荷風

曇って風もないのに、寒さは富士おろしの烈しく吹きあれる日よりもなお更身にしみ、火燵《こたつ》にあたっていながらも、下腹《したはら》がしくしく痛むというような日が、一日も二日もつづくと、きまってその日の夕方近くから、待設けていた小雪が、目にも...
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西瓜——永井荷風

持てあます西瓜《すいか》ひとつやひとり者  これはわたくしの駄句である。郊外に隠棲している友人が或年の夏小包郵便に托して大きな西瓜を一個《ひとつ》饋《おく》ってくれたことがあった。その仕末《しまつ》にこまって、わたくしはこれを眺めながら覚え...