国木田独歩

たき火—— 国木田独歩

 北風を背になし、枯草白き砂山の崕《がけ》に腰かけ、足なげいだして、伊豆連山のかなたに沈む夕日の薄き光を見送りつ、沖《おき》より帰る父の舟《ふね》遅《おそ》しとまつ逗子《ずし》あたりの童《わらべ》の心、その淋《さび》しさ、うら悲しさは如何あるべき。
 御最後川の岸辺に茂る葦《あし》の枯れて、吹く潮風に騒ぐ、その根かたには夜半《よわ》の満汐《みちしお》に人知れず結びし氷、朝の退潮《ひきしお》に破られて残り、ひねもす解けもえせず、夕闇に白き線を水《み》ぎわに引く。もし旅人、疲れし足をこのほとりに停《と》めしとき、何心《なにごころ》なく見廻わして、何らの感もなく行過ぎうべきか。見かえればかしこなるは哀れを今も、七百年の後にひく六代御前《ろくだいごぜん》の杜《もり》なり。木《こ》がらしその梢《こずえ》に鳴りつ。
 落葉を浮かべて、ゆるやかに流るるこの沼川《ぬまかわ》を、漕《こ》ぎ上《のぼ》る舟、知らずいずれの時か心地《ここち》よき追分《おいわけ》の節《ふし》おもしろくこの舟より響きわたりて霜夜の前ぶれをか為《な》しつる。あらず、あらず、ただ見るいつもいつも、物いわぬ、笑わざる、歌わざる漢子《おのこ》の、農夫とも漁人とも見分けがたきが淋しげに櫓《ろ》あやつるのみ。
 鍬《くわ》かたげし農夫の影の、橋とともに朧《おぼ》ろにこれに映《う》つる、かの舟、音もなくこれを掻《か》き乱しゆく、見る間に、舟は葦がくれ去るなり。
 日影なおあぶずり[#「あぶずり」に傍点]の端《は》に躊《た》ゆたうころ、川口の浅瀬を村の若者二人、はだか馬に跨《またが》りて静かに歩《あゆ》ます、画めきたるを見ることもあり。かかる時浜には見わたすかぎり、人らしきものの影なく、ひき上げし舟の舳《へさき》に止まれる烏《からす》の、声をも立てで翼打《はうち》ものうげに鎌倉のほうさして飛びゆく。
 ある年の十二月末つ方、年は迫《せま》れども童《わらべ》はいつも気楽なる風の子、十三歳を頭《かしら》に、九ツまでくらいが七八人、砂山の麓《ふもと》に集まりて何事をか評議まちまち、立てるもあり、砂に肱《ひじ》を埋めて頬杖《ほおづえ》つけるもあり。坐れるもあり。この時日は西に入りぬ。
 評議の事定まりけん、童らは思い思いに波打ぎわを駈けめぐりはじめぬ。入江の端《はし》より端へと、おのがじし、見るが間に分《わか》れ散れり。潮《うしお》遠く引きさりしあとに残るは朽《く》ちたる板、縁《ふち》欠けたる椀《わん》、竹の片《きれ》、木の片、柄の折れし柄杓《ひしゃく》などのいろいろ、皆な一昨日《おととい》の夜の荒《あれ》の名残《なごり》なるべし。童らはいちいちこれらを拾いあつめぬ。集めてこれを水ぎわを去るほどよき処、乾ける砂を撰《えら》びて積みたり。つみし物はことごとく濡《うるお》いいたり。
 この寒き夕まぐれ、童らは何事を始めたるぞ。日の西に入りてよりほど経《へ》たり。箱根|足柄《あしがら》の上を包むと見えし雲は黄金色《こがねいろ》にそまりぬ。小坪《こつぼ》の浦《うら》に帰る漁船の、風落ちて陸近ければにや、帆《ほ》を下ろし漕ぎゆくもあり。
 がらす[#「がらす」に傍点]砕け失せし鏡の、額縁《がくぶち》めきたるを拾いて、これを焼くは惜しき心地すという児《こ》の丸顔、色黒けれど愛らし。されどそはかならずよく燃ゆとこの群の年かさなる子、己《お》のが力にあまるほどの太き丸太を置きつついえり。その丸太は燃えじと丸顔の子いう。いな燃やさでおくべきと年上の子いきまきて立ちぬ。かたわらに一人、今日は獲もののいつになく多きようなりと、喜ばしげに叫びぬ。
 わらべらの願いはこれらの獲物《えもの》を燃やさんことなり。赤き炎《ほのお》は彼らの狂喜なり。走りてこれを躍《おど》り越えんことは互いの誇りなり。されば彼らこのたびは砂山のかなたより、枯草の類《たぐ》いを集めきたりぬ。年上の子、先に立ちてこれらに火をうつせば、童らは丸く火を取りまきて立ち、竹の節の破るる音を今か今かと待てり。されど燃ゆるは枯草のみ。燃えては消えぬ。煙のみいたずらにたちのぼりて木にも竹にも火はたやすく燃えつかず。鏡のわく[#「わく」に傍点]はわずかに焦《こ》げ、丸太の端よりは怪しげなる音して湯気を吹けり。童らはかわるがわる砂に頭押しつけ、口を尖《とが》らして吹けどあいにくに煙眼に入りて皆の顔は泣きたらんごとし。
 沖《おき》ははや暗うなれり。江の島の影も見わけがたくなりぬ。干潟《ひがた》を鳴きつれて飛ぶ千鳥の声のみ聞こえてかなたこなた、ものさびしく、その姿見えずとみれば、夕闇に白きものはそれなり。あわただしく飛びゆくは鴫《しぎ》、かの葦間《あしま》よりや立ちけん。
 この時、一人の童たちまち叫びていいけるは、見よや、見よや、伊豆の山の火はや見えそめたり、いかなればわれらが火は燃えざるぞと。童らは斉《ひと》しく立ちあがりて沖の方《かた》をうちまもりぬ。げに相模湾《さがみわん》を隔《へだ》てて、一点二点の火、鬼火《おにび》かと怪しまるるばかり、明滅し、動揺せり。これまさしく伊豆の山人《やまびと》、野火を放ちしなり。冬の旅人の日暮れて途《みち》遠きを思う時、遥《はる》かに望みて泣くはげにこの火なり。
 伊豆の山燃ゆ、伊豆の山燃ゆと、童ら節《ふし》おもしろく唄い、沖の方のみ見やりて手を拍《う》ち、躍《おど》り狂えり。あわれこの罪なき声、かわたれ時の淋びしき浜に響きわたりぬ。私語《ささや》くごとき波音、入江の南の端より白き線《すじ》立《た》て、走りきたり、これに和《わ》したり。潮は満ちそめぬ。
 この寒き日暮にいつまでか浜に遊ぶぞと呼ぶ声、砂山のかなたより聞こえぬ。童の心は伊豆の火の方にのみ馳《は》せて、この声を聞くものなかりき。帰らずや、帰らずやと二声三声、引続きて聞こえけるに、一人の幼なき児《こ》、聞きつけて、母呼びたまえり、もはやうち捨て帰らんといい、たちまちかなたに走りゆけば、残りの童らまた、さなり、さなりと叫びつ、競うて砂山に駈けのぼりぬ。
 火の燃えつかざるを口惜《くやし》く思い、かの年かさなる童のみは、後《あと》振りかえりつつ馳せゆきけるが、砂山の頂《いただき》に立ちて、まさにかなたに走り下らんとする時、今ひとたび振向きぬ。ちらと眼《まなこ》を射《い》たるは火なり。こはいかに、われらの火燃えつきぬと叫べば、童ら驚ろき怪しみ、たち返えりて砂山の頂に集まり、一列に並びてこなたを見下ろしぬ。
 げに今まで燃えつかざりし拾木《ひろいぎ》の、たちまち風に誘われて火を起こし、濃き煙うずまき上《のぼ》り、紅《くれない》の炎の舌見えつ隠れつす。竹の節の裂《わ》るる音聞こえ火の子舞い立ちぬ。火はまさしく燃えつきたり。されど童らはもはやこの火に還《かえ》ることをせず、ただ喜ばしげに手を拍ち、高く歓声を放ちて、いっせいに砂山の麓《ふもと》なる家路のほうへ馳《は》せ下りけり。
 今は海暮れ浜も暮れぬ。冬の淋しき夜となりぬ。この淋しき逗子の浜に、主《あるじ》なき火はさびしく燃えつ。
 たちまち見る、水ぎわをたどりて、火の方《かた》へと近づきくる黒き影あり。こは年老いたる旅人なり。彼は今しも御最後川を渡りて浜に出《い》で、浜づたいに小坪街道へと志《こころざ》しぬるなり。火を目がけて小走りに歩むその足音重し。
 嗄《しわが》れし声にて、よき火やとかすかに叫びつ、杖なげ捨てていそがしく背の小包を下ろし、両《りょう》の手をまず炎の上にかざしぬ。その手は震い、その膝《ひざ》はわななきたり。げに寒き夜かな、いう歯の根も合わぬがごとし。炎は赤くその顔を照らしぬ。皺《しわ》の深さよ。眼《まなこ》いたく凹《くぼ》み、その光は濁りて鈍《にぶ》し。
 頭髪も髯《ひげ》も胡麻白《ごまじろ》にて塵《ちり》にまみれ、鼻の先のみ赤く、頬《ほお》は土色せり。哀れいずくの誰ぞや、指《さ》してゆくさきはいずくぞ、行衛《ゆくえ》定めぬ旅なるかも。
 げに寒き夜かな。独《ひと》りごちし時、総身《そうしん》を心ありげに震いぬ。かくて温まりし掌もて心地よげに顔を摩《す》りたり。いたく古びてところどころ古綿《ふるわた》の現われし衣の、火に近き裾《すそ》のあたりより湯気を放つは、朝の雨に霑《うるお》いて、なお乾《ほ》すことだに得ざりしなるべし。
 あな心地よき火や。いいつつ投げやりし杖を拾いて、これを力に片足を揚げ火の上にかざしぬ。脚絆《きゃはん》も足袋《たび》も、紺の色あせ、のみならず血色《ちいろ》なき小指現われぬ。一声《いっせい》高く竹の裂《わ》るる音して、勢いよく燃え上がりし炎は足を焦がさんとす、されど翁《おきな》は足を引かざりき。
 げに心地よき火や、たが燃やしつる火ぞ、かたじけなし。いいさして足を替《か》えつ。十とせの昔、楽しき炉《いろり》見捨てぬるよりこのかた、いまだこのようなるうれしき火に遇《あ》わざりき。いいつつ火の奥を見つむる目《ま》なざしは遠きものを眺むるごとし。火の奥には過ぎし昔の炉《いろり》の火、昔のままに描かれやしつらん。鮮やかに現わるるものは児にや孫にや。
 昔の火は楽しく、今の火は悲し、あらず、あらず、昔は昔、今は今、心地よきこの火や。いう声は震いぬ。荒ら荒らしく杖を投げやりつ。火を背になし、沖の方《かた》を前にして立ち体《たい》をそらせ、両の拳《こぶし》もて腰をたたきたり。仰ぎ見る大ぞら、晴に晴れて、黒澄《くろす》み、星河《せいか》霜《しも》をつつみて、遠く伊豆の岬角《こうかく》に垂れたり。
 身うち煖《あたた》かくなりまさりゆき、ひじたる衣の裾《すそ》も袖《そで》も乾きぬ。ああこの火、誰《た》が燃やしつる火ぞ、誰《た》がためにとて、誰《たれ》が燃やしつるぞ。今や翁の心は感謝の情にみたされつ、老の眼《まなこ》は涙ぐみたり。風なく波なく、さしくる潮《うしお》の、しみじみと砂を浸《ひた》す音を翁は眼《まなこ》閉じて聴きぬ。さすらう旅の憂《うき》もこの刹那《せつな》にや忘れはてけん、翁が心、今ひとたび童の昔にかえりぬ。
 あわれこの火、ようように消えなんとす。竹も燃えつき、板も燃えつきぬ。かの太き丸太のみはなおよく燃えたり。されど翁はもはやこれを惜《お》しとも思わざりき。ただ立去りぎわに名残惜しくてや、両手もて輪をつくり、抱《いだ》くように胸のあたりまで火の上にかざしつ、眼しばだたきてありしが、いざとばかり腰うちのばし、二足三足《ふたあしみあし》ゆかんとして立ちかえれり、燃えのこりたる木の端々《はしばし》を掻集《かきあつ》めて火に加えつ、勢いよく燃え上がるを見て心地よげにうち笑みぬ。
 翁のゆきし後、火は紅《くれない》の光を放ちて、寂寞《じゃくばく》たる夜の闇のうちにおぼつかなく燃えたり。夜更け、潮みち、童らが焼《たき》し火も旅の翁が足跡も永久《とこしえ》の波に消されぬ。

底本:「日本文学全集12 国木田独歩 石川啄木集」集英社
   1967(昭和42)年9月7日初版
   1972(昭和47)年9月10日9版
底本の親本:「国木田独歩全集」学習研究社
入力:j.utiyama
校正:八巻美惠
1998年10月29日公開
2004年6月7日修正
青空文庫作成ファイル:
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国木田独歩

おとずれ——- 国木田独歩

※上※

 五月二日付の一通、同十日付一通、同二十五日付の一通、以上三通にてわれすでに厭《あ》き足りぬと思いたもうや。もはやかかる手紙願わくは送りたまわざれとの御意《ぎょい》、確かに承りぬ。されど今は貴嬢《きみ》がわれにかく願いたもう時は過ぎ去りてわれ貴嬢《きみ》に願うの時となりしをいかにせん。昨年の春より今年の春まで一年《ひととせ》と三月《みつき》の間、われは貴嬢《きみ》が乞《こ》わるるままにわが友宮本二郎が上を誌《しる》せし手紙十二通を送りたり、十二通に対する君が十五通の礼状を数えても一年と三月が間の貴嬢《きみ》がよろこびのほどは知らる。今十二通の裏にみなぎる春の楽しみを変えて三通を貫く苦き消息《おとずれ》となしたもうは貴嬢《きみ》ならずや。貴嬢《きみ》がいかに深き事情《わけ》ありと弁解《いいひら》きたもうとも、かいなし、宮本二郎が沈みゆく今のありさまに何の関《かかわ》りあらん。かの三通はげに貴嬢《きみ》が読むを好みたまわぬも理《ことわり》ぞかし、これを認《したた》めしわれ、心乱れて手もふるいければ。されどわれすでにこの三通にて厭《あ》き足りぬと思いたまわば誤りなり。今はわれ貴嬢《きみ》に願うべき時となりぬ。貴嬢《きみ》はわが願いを入れ、忍びて事の成り行きを見ざるべからず、しかも貴嬢《きみ》、事の落着は遠くもあるまじ、次を見|候《そうら》え。――手荒く窓を開きぬ。地平線上は灰色の雲重なりて夕闇《ゆうやみ》をこめたり。そよ吹く風に霧雨《きりあめ》舞い込みてわが面《おもて》を払えば何となく秋の心地《ここち》せらる、ただ萌《も》え出《い》ずる青葉のみは季節を欺き得ず、げに夏の初め、この年の春はこの長雨にて永久《とこしえ》に逝《ゆ》きたり。宮本二郎は言うまでもなく、貴嬢《きみ》もわれもこの悲しき、あさましき春の永久《とこしえ》にゆきてまたかえり来たらぬを願うぞうたてき。
 わが心は鉛のごとく重く、暮れゆく空の雲をながめ入りてしばしは夢心地せり。われには少しもこの夜の送別会に加わらん心あらず、深き事情《こころ》も知らでただ壮《さかん》なる言葉放ち酒飲みかわして、宮本君がこの行《こう》を送ると叫ぶも何かせん。
 げに春ちょう春は永久《とこしえ》に逝《ゆ》きぬ。宮本二郎は永久を契りし貴嬢《きみ》千葉富子《ちばとみこ》に負《そむ》かれ、われは十年の友宮本二郎と海陸、幾久しく別れてまたいつあうべきやを知らず、かくてこの二人《ふたり》が楽しき春は永久《とこしえ》にゆきたり。わが心は鉛のごとく重く、暮れゆく空は墓のごとし。
 この階下《した》の大時計六時を湿《しめ》やかに打ち、泥を噛《か》む轍《わだち》の音|重々《おもおも》しく聞こえつ、車来たりぬ、起《た》つともなく起ち、外套《がいとう》を肩に掛けて階下《した》に下り、物をも言わで車上に身を投げたり。運び行かるる先は五番町なる青年|倶楽部《クラブ》なり。
 倶楽部の人々は二郎が南洋航行の真意を知らず、たれ一人《ひとり》知らず、ただ倶楽部員の中《うち》にてこれを知る者はわれ一人のみ、人々はみな二郎が産業と二郎が猛気とを知るがゆえに、年若き夢想を波濤《はとう》に託してしばらく悠々《ゆうゆう》の月日をバナナ実る島に送ることぞと思えり、百トンの帆船は彼がための墓地たるを知らざるなり。知らぬも理《ことわり》ならずや、これを知る者、この世にわれとわが母上と二郎が叔母《おば》とのみ。あらず、なお一人の乙女《おとめ》知れり、その美しき眼《まなこ》はわが鈍き眼に映るよりもさらに深く二郎が氷《こお》れる胸に刻まれおれり。刻みつけしこの痕跡《あと》は深く、凍れる心は血に染みたり。ただかの美しき乙女よくこれを知るといえども、素知らぬ顔して弁解《いいひらき》の文《ふみ》を二郎が友、われに送りぬ。げに偽りという鳥の巣くうべき枝ほど怪しきはあらず、美《うる》わしき花咲きてその実は塊《つちくれ》なり。
 二郎が家に立ち寄らばやと、靖国社《やすくにしゃ》の前にて車と別れ、庭に入りぬ。車を下《お》りし時は霧雨やみて珍しくも西の空少しく雲ほころび蒼空《あおぞら》の一線《ひとすじ》なお落日の余光をのこせり。この遠く幽《かす》かなる空色は夏のすでに近きを示すがごとく思われぬ。されど空気は重く湿《しめ》り、茂り合う葉桜の陰を忍びにかよう風の音は秋に異ならず、木立《こだ》ちの夕闇《ゆうやみ》は頭うなだれて影のごとく歩む人の類《たぐい》を心まつさまなり。ああこのごろ、年若き男の嘆息《ためいき》つきてこの木立ちを当てもなく行き来せしこと幾|度《たび》ぞ。
 水瀦《みずたまり》に映る雲の色は心|失《う》せし人の顔の色のごとく、これに映るわが顔は亡友《なきとも》の棺《ひつぎ》を枯れ野に送る人のごとし。目をあげて心ともなく西の空をながむればかの遠き蒼空の一線は年若きわれらの心の秘密の謎語《なぞ》のごとく、これを望みてわが心怪しゅう躍りぬ。ああ年少の夢よ、かの蒼空はこの夢の国ならずや、二郎も貴嬢《きみ》もこのわれもみなかの国の民なるべきか、何ぞその色の遠くして幽《かす》かに、恋うるがごとく慕うがごとくはたまどろむごとくさむるがごときや。げにこの天をまなざしうとく望みて永久《とこしえ》の希望語らいし少女と若者とは幸いなりき。
 池のかなたより二人の小娘、十四と九つばかりなるが手を組みて唄《うた》いつつ来たるにあいぬ。一目にて貧しき家の児《こ》なるを知りたり。唄うはこのごろ流行《はや》る歌と覚しく歌の意《こころ》はわれに解《げ》し難し。ただ二人が唄う節《ふし》の巧みなる、その声は湿《しめ》りて重き空気にさびしき波紋をえがき、絶えてまた起こり、起こりてまた絶えつ、周囲《あたり》に人影見えず、二人はわれを見たれど意《こころ》にとめざるごとく、一足歩みては唄い、かくて東屋《あずまや》の前に立ちぬ。姉妹《はらから》共に色|蒼《あお》ざめたれど楽しげなり。五月雨《さみだれ》も夕暮れも暮れゆく春もこの二人にはとりわけて悲しからずとりわけてうれしからぬようなり、ただおのが唄う声の調べのまにまにおのが魂《たま》を漂わせつ、人の上も世の事も絶えて知らざるなり。人生まれて初めは母の唄いたもう調べに誘われて安けく眠り、その次は自ら歌いて自ら眠るこの姉妹のごときなり、人唄えばとて自ら歌えばとてついに安き眠りを結び得ざるは貴嬢《きみ》のごとき二郎のごときまたわれのごとき年ごろの者なるべし、ただ二郎この度《たび》は万里《ばんり》の波上、限りなき自然の調べに触れて、誠なき人の歌に傷つきし心を安めばやと思い立ちぬ。げに真情《まごころ》浅き少女《おとめ》の当座の曲にその魂を浮かべし若者ほど哀れなるはあらじ。
 われしばしこの二人を見てありしに二人もまた今さらのように意《こころ》づきしか歌を止《とど》め、わが顔を見上げて笑いぬ、姉なるは羞《はずか》しげに妹なるはあきれしさまにて。われまたほほえみてこれに応《こた》えざるを得ざりき。君はこのごろ毎夜狂犬いでて年若き娘をのみ噛《か》むちょううわさをききたまいしやと、妹はなれなれしくわれに問えり、問いの不思議なると問えるさまの唐突《とうとつ》なるとにわれはあきれて微笑《ほほえ》みぬ。姉はわが顔を見て笑いつ、愚かなることを言うぞと妹の耳を強く引きたり。されど片目の十蔵がかく語りしものを痛きことかなと妹は眼《まなこ》をみはり口とがらせ耳をおおいて叫びぬ。たちまち姉は優しく妹の耳に口寄せて何事かささやきしが、その手をとりて引き立つれば妹はわれを見て笑《え》みつ、さて二人は唄うこともとのごとくにしてかなたに去りぬ。
 げに見すぼらしき後ろ影、蓬《よもぎ》なす頭、色あせし衣、われはしばしこれを見送りてたたずみぬ。この哀れなる姿をめぐりて漂う調べの身にしみし時、霧雨《きりあめ》のなごり冷ややかに顔をかすめし時、一陣の風木立ちを過ぎて夕闇|嘯《うそぶ》きし時、この切那《せつな》われはこの姉妹《はらから》の行く末のいかに浅ましきやを鮮《あざ》やかに見たる心地せり。たれかこの少女《おとめ》らの行く末を守り導くものぞ、彼ら自ら唄いて自ら泣く時も遠くはあるまじ。
 急ぎて裏門を出《い》でぬ、貴嬢《きみ》はここの梅林を憶《おぼ》えたもうや、今や貴嬢には苦しき紀念《かたみ》なるべし、二郎には悲しき木陰となり、われには恐ろしき場処となれり。門《かど》を出《い》ずれば角《かど》なる茶屋の娘軒先に立ちてさびしげに暮れゆく空をながめいしが、われを見て微《かす》かに礼《いや》なしぬ、貴嬢《きみ》はこの娘を憶えいたもうや。賤《いや》しきこの娘を。
 二郎はすでに家にあらざりき、叔母はわれを引き止めてまたもや数々《かずかず》の言葉もて貴嬢を恨み、この恨み永久《とこしえ》にやまじと言い放ちて泣きぬ、されどいずこにかなお貴嬢を愛《め》ずる心ありて恨めど怒り得ぬさまの苦しげなる、見るに忍びざりき。叔母恨むというとも貴嬢《きみ》怒るに及ばじ、恨む心は女の心にして、恨む女は愛《め》ずる女なり、ただこの叔母を哀れとおぼさずや。
 叔母のいいけるは昨夜夜ふけて二郎一束の手紙に油を注ぎ火を放ちて庭に投げいだしけるに、火は雨中に燃えていよいよ赤く、しばしは庭のすみずみを照らししばらくして次第に消えゆくをかれは静かにながめてありしが火消えて後もややしばらくは真闇《まくら》なる庭の面《おも》をながめいたりとぞ。火や煙や灰や闇黒《あんこく》や、二郎はその次に何者をか見たる。
 わが車|五味坂《ごみざか》を下れば茂み合う樫《かし》の葉|陰《かげ》より光影《ひかげ》きらめきぬ。これ倶楽部《クラブ》の窓より漏るるなり。雲の絶え間には遠き星一つ微《かす》かにもれたり。受付の十蔵、卓に臂《ひじ》を置き煙草《たばこ》吹かしつつ外面《そとも》をながめてありしがわが姿を見るやその片目をみはりて立ちぬ、その鼻よりは煙ゆるやかに出《い》でたり。軽く礼《いや》して、わが渡す外套《がいとう》を受け取り、太くしわがれし声にて、今宮本ぬしの演説ありと言いぬ。耳をそばだつるまでもなく堂をもるるはかれの美《うる》わしき声、沈める調《ちょう》なり。堂の闥《たつ》を押さんとする時何心なく振り向けば十蔵はわが外套を肩にかけ片手にランプを持ちて事務室の前に立ちこなたをながめいたり。この時われかの貧しき少女が狂犬のうわさせしといいし片目の十蔵を憶《おも》い起こしぬ。十蔵はわが振り向きしを見て急にランプの火を小さくせり。われその故《ゆえ》を解《げ》し得ず、ただ見る六尺ばかりの大男の影おぼろなるが静かに事務室の中《うち》に消え去りしを。この十蔵が事は貴嬢《きみ》も知りたもうまじ、かれの片目は奸《よこしま》なる妻が投げ付けし火箸《ひばし》の傷にて盲《つぶ》れ、間もなく妻は狂犬にかまれて亡《う》せぬ。このころよりかれが挙動《ふるまい》に怪しき節多くなり増さりぬ、元よりかれは世の常の人にはあらざりき。今は三十五歳といえど子もなく兄弟《はらから》もなし。
 予は闥《たつ》を排して内に入りぬ。
 三十余りの人々長方形の卓を囲みて居並びしがみな眼《まなこ》を二郎の方にのみ注げば、わが入り来たれるに心づきしは少なかりき。一座粛然たる中《うち》に二郎が声のみぞ響きたる。かれが蒼白《あおしろ》き顔は電燈の光を受けていよいよ蒼白く貴嬢《きみ》がかつて仰ぎ見て星とも愛《め》でし眼《まなこ》よりは怪しき光を放てり。ただいずこともなく誇れる鷹《たか》の俤《おもかげ》、眉宇《びう》の間に動き、一搏《いっぱく》して南の空遠く飛ばんとするかれが離別の詞を人々は耳そばだてて聴《き》けど、暗き穴より飛び来たりし一矢深くかれが心を貫けるを知るものなし、まして暗き穴に潜める貴嬢《きみ》が白き手をや、一座の光景《ありさま》わが目にはげに不思議なりき。
 二郎は病《やまい》を養うためにまた多少の経画《けいかく》あるがためにと述べたり、されどその経画なるものの委細は語らざりき。人々もまたこれを怪しまざるようなり。かれが支店の南洋にあるを知れる友らはかれ自らその所有の船に乗りて南洋に赴《おもむ》くを怪しまぬも理《ことわり》ならずや。ただひたすらその決行を壮《さかん》なりと思えるがごとし。
 女の解し難きものの一をわが青年倶楽部の壁内ならでは醸《かも》さざる一種の※[#「さんずい+景+頁」、第3水準1-87-32]気《こうき》なりといわまほし。今の時代の年若き男子一度この裡《うち》に入りて胸を開かばかれはその時よりして自由と人情との友なるべし。さてさらに貴嬢《きみ》の解し難きものの一を言わんか、この※[#「さんずい+景+頁」、第3水準1-87-32]気《こうき》を呼吸するかの二郎なり。何ゆえぞと問いたまいそ、貴嬢もしよくこれを解し得《う》る少女ならんにはいかで暗き穴よりかの無残なる箭《や》を放たんや。二郎述べおわりて座につくや拍手勇ましく起こり、かれが周囲には早くも十余人のもの集まりたり。廊下に出《い》ずるものあり、煙草に火を点ずるものあり、また二人《ふたり》三人《みたり》は思い思いに椅子《いす》を集め太き声にて物語り笑い興ぜり。かかる間《あいだ》に卓上の按排《あんばい》備わりて人々またその席につくや、童子《ボーイ》が注《つ》ぎめぐる麦酒《ビール》の泡《あわ》いまだ消えざるを一斉に挙《あ》げて二郎が前途を祝しぬ。儀式はこれにて終わり倶楽部の血はこれより沸かんとす。この時いずこともなく遠雷のとどろくごとき音す、人々顔と顔見合わす隙《ひま》もなく俄然《がぜん》として家振るい、童子部屋《ボーイべや》の方にて積み重ねし皿《さら》の類の床に落ちし響きすさまじく聞こえぬ。
 地震ぞと叫ぶ声室の一隅《いちぐう》より起こるや江川と呼ぶ少年真っ先に闥《たつ》を排して駆《か》けいでぬ。壁の落つる音ものすごく玉突き場の方にて起これり。ためらいいし人々一斉に駆けいでたり。室《しつ》に残りしは二郎とわれと岡村のみ、岡村はわが手を堅く握りて立ち二郎は卓のかなたに静かに椅子に倚《よ》れり。この時十蔵室の入り口に立ちて、君らは早く逃げたまわずやというその声、その挙動《ふるまい》、その顔色、自己《みずから》は少しも恐れぬようなり。この時振動の力さらに加わりてこの室の壁眼前に崩《くず》れ落つる勢いすさまじく岡村と余とは宮本宮本と呼び立てつつ戸外に駆けいでたり。十蔵も続いて駆けいでしが独《ひと》り二郎のみは室に残りぬ、われいかでためろうべき、二郎を連れ出さばやと再び内に入らんとするを岡村堅くわが手を握りて放たず、われら口々に宮本宮本と呼び立てぬ。この時十蔵卒然独り内に入りたり。われらみな十蔵二郎を救うことぞと思い、十蔵早くせよと叫び、戸口をきっと見て二人の姿の飛び出《い》ずるをまちぬ。瓦《かわら》降り壁落つ。われらみな樫《かし》の老木《おいき》を楯《たて》にしてその陰にうずくまりぬ。四辺《あたり》の家々より起こる叫び声、泣き声、遠《おち》かたに響く騒然たる物音、げにまれなる強震なり。
 待てど二郎十蔵ともに出《い》で来たらず、口々に宮本宮本、十蔵早く出《い》でよと叫べども答えすらなし、人々は顔と顔と見合して愕《おどろ》き怪しみ、わが手を握りし岡村の手は振るいぬ。
 この時わが胸を衝《つ》きて起こりし恐ろしき想《おも》いはとても貴嬢《きみ》の解《げ》したまわぬ境なり、またいかでわが筆よくこれを貴嬢《きみ》に伝え得んや。試みに想い候《そうら》え、十蔵とは奸《よこしま》なる妻のために片目を失いし十蔵なり、妻なく子なく兄弟なく言葉少なく気重く心怪しき十蔵なり。二郎とはすなわち貴嬢《きみ》こそよく知りたもう二郎なり。あわれこの二人は始めよりその運命を等しゅうすべきところありて黙々のうちその消息《おとずれ》を互いに会しいたるならざるか。柱鳴り瓦飛び壁落つる危急の場にのぞみて二人一室に安座せんとは。われこれを思いし時、心の冷え渡るごとき恐ろしきある者を感じぬ、貴嬢《きみ》はただこの二人ただ自殺を謀《はか》りしとのみのたもうか、げに二郎と十蔵とは自殺を謀《はか》りしなるべきか。あらず、いかで自殺なる二字をもってこの二人の怪しき挙動《ふるまい》の秘密を解き得《う》べきぞ、貴嬢《きみ》がいわゆる人とは自ら生きんことを計り自ら死なんことを謀る動物なるべし、この二つの一つを出《い》でざる動物なるべし。
 間もなく振動は全くやみぬ。われら急に内に入りて二人を求めしに、二郎は元の席にあり、十蔵はそのそばの椅子に座し、二郎が眼《まなこ》は鋭く光りて顔色《がんしょく》は死人かと思わるるばかり蒼白《あおしろ》く、十蔵は怪しげなる微笑を口元に帯びてわれらを迎えぬ。あまりの事に人々出す言葉を知らざりき。倶楽部員は二郎の安全を祝してみな散じゆき、事務室に居残りしは幹事|後藤《ごとう》のみとなりぬ。十蔵は受付の卓に倚《よ》りて煙草を吹かし、そのさまわがこの夜倶楽部に来し時と変わらず見えたり、ただ口元なる怪しき微笑のみ消えざるぞあやしき。
 余は二郎とともに倶楽部を出《い》でぬ。
 一天晴れ渡りて黒澄みたる大空の星の数も算《よ》まるるばかりなりき。天上はかく静かなれど地上の騒ぎは未《いま》だやまず、五味坂なる派出所の前は人山を築けり。余は家のこと母のこと心にかかれば、二郎とは明朝を期して別れぬ。
 家には事なかりき。しばし母上と二郎が幸《さち》なき事ども語り合いしが母上、恋ほどはかなきものはあらじと顔そむけたもうをわれ、あらず女ほど頼み難きはなしと真顔にて言いかえしぬ。こは世にありがちの押し問答なれどわれら母子《おやこ》の間にてかかる類《たぐい》の事の言葉にのぼりしは例なきことなりける。されど母上はなお貴嬢が情けの変わりゆきし順序をわれに問いたまいたれど、われいかでこの深き秘密を語りつくし得ん、ただ浅き知恵、弱き意志、順なるようにてかえって主我の念強きは女の性なるがごとしとのみ答えぬ。げにわれは思う、女もし恋の光をその顔に受けて微笑《ほほえ》む時は花のごとく輝く天津乙女《あまつおとめ》とも見ゆれど、かの恋の光をその背にして逃げ惑うさまは世にこれほど醜きものあらじと、貴嬢はいかが思いたもうや。
 母上との物語をおえて二階なるわが室《しつ》にかえり、そのまま身を椅子に投げ、両手もてわが顔をおおいぬ。この時こころの疲れ、身の疲れを一時に覚えて底なき穴に落ちゆく心地《ここち》し、しばしは何事をも忘れたり。夢現《ゆめうつつ》の境を漂うて夜のふくるをも知らざりしが、ふと心づきて急に床に入りたれど今は心さえてたやすくは眠るあたわず、明けがた近くなりてしばしまどろみぬと思うや、目さめし時は東の窓に映る日影珍しく麗《うらら》かなり、階下《した》にては母上の声す、続いて聞こゆる声はまさしく二郎が叔母なり、朝とく来たりて何事の相談ぞと耳そばだつれど叔母の日ごろの快活なるに似ず今朝《けさ》は母もろともしめやかに物語して笑い声さえ雑《まじ》えざるは、いぶかしさに堪《た》えず、身を起こして衣着かえんとする時階段を上り来る音してやがて頭さしいだせしはわが妹なり、宮本の叔母様来たりたまいぬ早く下《お》りたまえと言い捨ててそのまま階下にゆけり。
 朝の事をおわるや急ぎて母上の室を入れば、母上と叔母とは火鉢《ひばち》を中にして対したまい、叔母はわが顔を見て物をものたまい得ず、ハンケチにて眼《まなこ》ふきふき一通の手紙を渡したまえり。これ二郎が手紙なり。
 文は短けれど読みおわりて繰り返す時わが手振るい涙たばしり落ちぬ、今|貴嬢《きみ》にこの文《ふみ》を写して送らん要あらず、ただ二郎は今朝夜明けぬ先に品川《しながわ》なる船に乗り込みて直ちに出帆せりといわば足りなん。この身にはもはや要なき品なれば君がもとに届けぬ、君いかようにもなしたまえと書き添えて貴嬢《きみ》の写真一枚はさみあり、こは貴嬢《きみ》がこの正月五日御地より送りたまいし物の由。さてわれにも要なき品なれば貴嬢《きみ》に送り返すべきなれど思う節あればしばしわが手もとに秘め置く事といたしぬ。無益とは知りつつも、車を駆りて品川にゆき二郎が船をもとめたれど見当たらぬも理《ことわり》なり、問屋《といや》の者に聞けば第二号南洋丸は今朝四時に出帆せりとの事なれば。
 ああ哀れなる二郎、われらまたいつ再びあうべきぞ。貴嬢《きみ》はわれもはやこの一通にて厭《あ》き足りぬと思いたもうや。あらず、あらず、時は必ず来たるべし――
 大空|隈《くま》なく晴れ都の空は煤煙《ばいえん》たなびき、沖には真帆《まほ》片帆《かたほ》白く、房総の陸地《くがじ》鮮《あざ》やかに見ゆ、射《さ》す日影、そよぐ潮風、げに春ゆきて夏来たりぬ、楽しかるべき夏来たりぬ、ただわれらの春の永久《とこしなえ》に逝《ゆ》きしをいかにせん――

※下※

 時は果たして来たりぬ、ただ貴嬢もわれも二郎もかかる時かかるところにて三人相あうべしとは想《おも》いもよらず。
 時は果たして来たりぬ、一年《ひととせ》と二月は仇《あだ》に過ぎざりき、ただ貴嬢《きみ》にはあまり早く来たり、われには遅《おそ》く来たれり、貴嬢《きみ》は永久《とこしえ》に来たらざるを希《こいねが》い、われは一日も早かれとまちぬ、いずれにもせよ余がこの手紙|認《したた》むべき時はついに来たれり。
 夏の玉章《たまずさ》一通、年の暮れの玉章一通、確かに届きぬ。われこれに答えざりしは今の時のついに来たりて、われ進みて文《ふみ》まいらすべきことあるをかねて期《ご》しいたればにて深き故《ゆえ》あるにあらず。今こそ答えまいらすべし、ただ一|言《ごん》。弁解の言葉連ねたもうな、二郎とてもわれとても貴嬢《きみ》が弁解の言葉ききて何の用にかせん。二郎が深き悲しみは貴嬢《きみ》がしきりに言い立てたもう理由《ことわり》のいかんによらで、貴嬢が心にたたえたまいし愛の泉の涸《か》れし事実の故のみ。この事実は人知れず天《あめ》が下にて行なわれし厳《おごそ》かなる事実なり。
 いかなる言葉もてもこれを言い消すことあたわず、大空の星の隕《お》ちたるがごとし、二郎はその理由《ことわり》のいかんを見ず、ただ光の失《う》せぬるを悲しむ。げにこの悲しみや深し。
 友の交わりを続けてよとの御意《ぎょい》、承りぬ。これより後なお真の友義というものわれらが中に絶えずば交わりは勉《つと》めずとも深かるべし、ただわが言うべきを言わしめたまえ、貴嬢のなすべきことは弁解を力《つと》むることにはあらで、諸手《もろて》を胸に加え厳かに省みたもうことなり、静かにおのが心を吟味したもう事なり、今われ実にかの人を愛するや否やと。おのれの心の変わりゆきし跡を見たもうてあきれたもうとも笑いたもうとも泣きたもうとも、そは貴嬢が自由なり、されどあきるるも笑うも泣くもみな貴嬢が品性《ひとがら》によりてのことなれば、あながち貴嬢が自由ともいい難《がた》し。
 さて時はついに来たりぬ、いざわが文に入らん。
 午後四時五十五分発横浜行きの列車にわれら二人が駆け込みし時は車長のパイプすでに響きし後《のち》なることは貴嬢の知りたもうところのごとし。二郎まず入りてわれこれに続きぬ、貴嬢の姿わが目に入りし時はすでに遅かりき、われら乗りかうるひまもなく汽車は進行を始めたり。
 貴嬢の目と二郎が目と空にあいし時のさまをわれいつまでか忘るべき、貴嬢は微《かす》かにアと呼びたもうや真蒼《まさお》になりたまいぬ、弾力《ばね》強き心の二郎はずかずかと進みて貴嬢が正面の座に身を投げたれど、まさしく貴嬢を見るあたわず両の掌《たなごころ》もて顔をおおいたるを貴嬢が同伴者《つれ》の年若き君はいかに見たまいつらん。ただ静かに貴嬢を顧みたまいて貴嬢《きみ》の顔色の変われるに心づき、いかにしたまいし心地《ここち》悪《あ》しくやおわすると甘ゆるように問いたまいたる、その時もしわが顔にあざけりの色の浮かびたりせば恕《ゆる》したまえ、二郎が耳にはこの声いかに響きつらん、ただかれがその掌《たなごころ》を静かに膝《ひざ》の上に置きて貴嬢が伴《つれ》の方をきっと見たる、その時のかれが眼《まなこ》より怪しき光の閃《ひらめ》きしを貴嬢はよくも得《え》見たまわざりしと覚ゆ。
 貴嬢《きみ》がわずかに頭をあげて、いなとかの君の問いに答えたまいたる、その声は墓のかなたより亡者や吹き込みし。
 よき物まいらせんとてかの君手さげの内を探りたまいしが、こはいかに宝丹《ほうたん》を入れ置きぬと覚えしにと当惑のさまを、貴嬢は見たまいて、いなさまでに候わずとしいて取り繕わんとなしたもうがおかしく、その時もしわが顔に卑下《いやしみ》の色の動きたりせば恕《ゆる》したまえ。
 われ二郎に向かいて、御身は宝丹持ちたもうならずやと問えば、二郎、打ち惑いたるさまにてわずかに、しかりと答う。かの君の肝《きも》太きことよ、直ちに二郎に向かって、少し賜わずやと求めたもう。貴嬢がこの時の狼狽《ろうばい》のさまこそおかしけれ、君よさまでには候わず宝丹には及ばずと訴うるようにのたまいし声はしわがれて呼吸《いき》するも苦しげにおわしぬ。
 二郎やむを得ず宝丹取りだして、われに渡しければわれ直ちに薬を掬《すく》いて貴嬢が前に差しいだしぬ、この時|貴嬢《きみ》が眼《まなこ》うるみてわが顔を打ち守りたまいたる、ああ刻《むご》き君かなとのたまいしようにわれは覚えぬ。
 たやすく貴嬢が掌《たなごころ》いだしたまわぬを見てかの君、早く受けたまわずやと諭《さと》すように物言いたもうは貴嬢《きみ》が親しき親族《みうち》の君にてもおわすかと二郎かの時は思いしなるべし、ただわれ、宇都宮時雄の君とはこの人のことよと一目にて看《み》破りたれば、貴嬢《きみ》に向かってかかる物の言いざましたもうを少しも怪しまざりき。貴嬢《きみ》が掌に宝丹移せし時、貴嬢《きみ》は再びわが顔を打ち守りたまいぬ、うるみたる貴嬢の目の中には、むしろ一|匙《さじ》の毒薬たまえ刻《むご》き君とのたもう心|鮮《あざ》やかに読まれぬ。二郎はかの方《かた》に顔を負《そむ》け、何も知りたまわぬかの君は、ただ一口に飲みたまえと命ずるように言いたもう、そのさまは、何をかの君かく誇りたもうぞと問わまほしゅうわが思いしほどなりき。貴嬢《きみ》が眼《まなこ》を閉じて掌を口に当て、わずかに仰ぎたまいし宝丹はげに魂《たま》に沁《し》み髄に透《とお》りて毒薬の力よりも深く貴嬢の命を刺しつらん。されどかの君は大口開きて笑いたまい、宝丹飲むがさまでつらきかと宣《のたま》いつつわれらを見てまた大口に笑いたもう。げに平壌《へいじょう》攻落せし将軍もかくまでには傲《おご》りたる色を見せざりし。
 二郎が苦笑いしてこの将軍の大笑《たいしょう》に応《こた》え奉りしさまぞおかしかりける。将軍の御齢《おんとし》は三十を一つも越えたもうか、二郎に比ぶれば四つばかりの兄上と見奉りぬ。神戸《こうべ》なる某商館の立者とはかねてひそかに聞き込みいたれど、かくまでにドル臭き方とは思わざりし。ドル臭しとは黄金《こがね》の力何事をもなし得るものぞと堅く信じ、みやびたる心は少しもなくて、学者、宗教家、文学者、政治家の類《たぐい》を一笑し倒さんと意気込む人の息気《いき》をいう、ドルの文字はまたアメリカ帰りの紳士ちょう意をも含めり。詳しき説明は宇都宮時雄の君に請いたもうぞ手近なる。
 いずこまで越したもうやとのわが問いは貴嬢《きみ》を苦しめしだけまたかの君の笑壺《えつぼ》に入りたるがごとし。かの君、大磯《おおいそ》に一泊して明日は鎌倉《かまくら》まで引っ返しかしこにて両三日遊びたき願いに候えど――。われ、そは御《おん》楽しみの事なるべし、大磯鎌倉は始めてのお越しにや。かの君さりげなく、妹《いもと》には始めての遊びになん。ああこの時、わが目と二郎の目とは電《いなずま》のごとく貴嬢が目を射たり、蒼《あお》ざめし貴嬢が顔はたちまち火のごとく赤く変わり、いそぎハンケチもておおいたまいし後はしばしわれらの言葉も絶えつ。
 貴嬢がかかる気高《けだか》き兄君をもちたもうことはわれらまことに知らざりき、まして貴嬢が鎌倉の辺に遊びたもうは始めての由を聞き、われらあきれてしばしは物も得《え》言わず眼をみはりて貴嬢を打ち守りたる、こは理《ことわり》あることと貴嬢もうなずきたまわん、かくにわかに顔色を変えたもうは限りなき恥を感じたまいしこととわれらは見たり。貴嬢《きみ》はよも鎌倉にて初めて宮本二郎にあいたまいたる、そのころの本末《もとすえ》を忘れたまわざるべければ。
 鎌倉ちょう二字は二郎が旧歓の夢を呼び起こしけん、夢みるごときまなざし遠く窓外の白雲《はくうん》をながめてありしが静かに眼を閉じて手を組み、膝《ひざ》を重ねたり。
 げに横浜までの五十分は貴嬢《きみ》がためにも二郎がためにもこの上なき苦悩なりき、二郎には旧歓の哀《かな》しみ、貴嬢には現場の苦しみ、しかして二人等しく限りなきの恥に打たれたり。ただ貴嬢《きみ》の恥は二郎に対する恥、二郎の恥は自己《おのれ》に対する恥、これぞ男と女の相違ならめ。
 汽車横浜に着きてわれら立ちあがりし時、かの君も立ちあがりて厚く礼のべたもう、その時|貴嬢《きみ》もまたわずかに顔なるハンケチを外《はず》して口ごもりたもうや直ちにまた身を座に投げハンケチを顔に当てたまいぬ。その手のいたくふるえるさまわが目にも知れければ、かの君顧みたまいて始めて怪しと思う色を眼《まなこ》の中に示したまえり。
 乗る客、下りる客の雑踏の間をわれら大股《おおまた》に歩みて立ち去り、停車場より波止場まで、波止場より南洋丸まで二人|一言《ひとこと》も交えざりき。
 船に上《のぼ》りしころは日ようやく暮れて東の空には月いで、わが影淡く甲板に落ちたり。卓あり、粗末なる椅子《いす》二個を備え、主と客とをまてり、玻璃《はり》製の水瓶《びん》とコップとは雪白なる被布《カバー》の上に置かる。二郎は手早くコップに水を注《つ》ぎて一口に飲み干し、身を椅子に投ぐるや、貞二と叫びぬ。
 声高く応《いらえ》してここに駆け来る男は、色黒く骨たくましき若者なり、二郎は微笑《ほほえ》みつ、早く早くと優しく促せり。若者はただいまと答え身を回《めぐ》らしてかなたに去りぬ。二郎、空腹ならずや。われ、物言うも苦し。二人は相見て笑いぬ、二郎が煙草《シガー》には火うつされたり。
 今宵《こよい》は月の光を杯《さかずき》に酌《く》みて快く飲まん、思うことを語り尽くして声高く笑いたし、と二郎は心地《ここち》よげに東の空を仰ぎぬ。われ、こしかた行く末を語らば二夜《ふたよ》を重ぬとも尽きざらん、行く末は神知りたもう、ただ昨日《きのう》を今日《きょう》の物語となすべし、泣くも笑うもたれをはばからんや。
 二郎、早く早く貞二、と叫びてまた快く笑い、こしかたは夢のみ、夢を語るに泣くは愚かなり。われ、ともかくも早く飲み早く食わずば泣くのほかあらず。
 間もなく貞二が運ぶ酒肴《しゅこう》整いければ、われまず二郎がために杯《さかずき》を挙《あ》げてその健康を祝し、二郎次にわがために杯を挙げかくて二人ひとしく高く杯を月光にかざしてわが倶楽部《クラブ》の万歳を祝しぬ。
 二郎はげに泣かざるなり、貴嬢が上を語りいで、こし方《かた》の事に及べど、かれはただ夢みるごときまなざしにて杯の底をながめ、哀れなる少女よとかこつのみ。ああ時よ!。時の力は不思議なるかな、一年余りの月日は二郎が燃ゆるごとき恋を変えて一片の憐《あわれ》みとなしぬ。かれが沸騰せし心の海、今は春の霞《かす》める波平らかに貴嬢はただ愛らしき、あわれなる少女《おとめ》富子の姿となりてこれに映れるのみ。されどかれも年若き男なり、時にはわが語る言葉の端々《はしはし》に喚《よ》びさまされて旧歓の哀情《かなしみ》に堪《た》えやらず、貴嬢がこの姿をかき消すこともあれど、要するに哀れの少女《おとめ》よとかこつ言葉は地震の夜の二郎にはあらず、燃ゆる恋はいつしか静かなる憐みと変われり。されど貴嬢《きみ》、こはわが期《ご》しいたる変化なるのみ。
 今日汽車の内なる彼女《かれ》の苦悩《くるしみ》は見るに忍びざりき、かく言いて二郎は眉《まゆ》をひそめ、杯をわれにすすめぬ。泡立《あわた》つ杯は月の光に凝りて琥珀《こはく》の珠《たま》のようなり。二郎もわれもすでに耳熱し気|昂《あが》れり。月はさやかに照りて海も陸《くが》もおぼろにかすみ、ここかしこの舷燈《げんとう》は星にも似たり。
 げに見るに忍びざりき、されど彼女自ら招く報酬《むくい》なるをいかにせん、わがこの言葉は二郎のよろこぶところにあらず。
 二郎、君は報酬《むくい》と言うや、何の報酬ぞ。
 われ、人の愛を盗みし報酬なり。
 二郎はしばし黙して月を仰ぎつ、前なる杯《さかずき》を挙げ光にかざせば珠のごとき色かれが額に落ちぬ。しからば愛を盗まれし者の報酬《むくい》は何ぞと言いつつ飲み干せり。われ、哀《かな》しき心にその美酒《うまざけ》の浸《し》み渡る心地ならめ。二郎は歓然として笑いまた月を仰ぎぬ。
 この時|檣《ほばしら》のかなたに立つ人あり、月を背にして立てばその顔は知り難し。突然こなたに向きて、しからば問いまいらせん、愛の盗人もし何の苦悩《くるしみ》をも自ら覚えで浮世を歌い暮らさばいかに、これも何かの報酬あるべきか。
 二郎は高く笑いてわが顔をながめ、わが答えをまつらんごとし。問いの主《あるじ》はわれ聞き覚えある声とは知れど思いいでず。檣《ほばしら》の方に身を突きいだして、御《おん》問いに答えまいらすはやすし、こなたに進みてまず杯を受けたまえといえば、二郎は、来たれ来たれと手招きせり。
 檣の陰より現われしは一個《ひとり》の大男なり。
 見忘れたもうなと言いもおわらず卓の横に立つは片目の十蔵ならんとは。二郎は椅子を離れ手を拍《う》って笑いぬ。
 いかで忘るべきと杯を十蔵の前に置き、飲み干してわれに与えよ再会を祝せん。
 十蔵はわれを寿《ことぶ》きて杯を飲み干しつ、片目一人、この船に加わりいることをかねて知りたまいしやと問う。われ、なんじの影地震の夜《よ》の間に消え失《う》せぬと聞き、かの時の挙動など思い合わして大方は推《すい》しいたれどかく相見ては今さらのようにうれし。
 かつて酒量少なく言葉少なかりし十蔵は海と空との世界に呼吸する一年余りにてよく飲みよく語り高く笑い拳《こぶし》もて卓をたたき鼻歌うたいつつ足尖《つまさき》もて拍子取る漢子《おとこ》と変わりぬ。かれが貴嬢をば盗み去ってこの船に連れ来たらばやと叫びし時は二郎もわれも耳をふさぎぬ。かれの説によれば、貴嬢はもと心順なる少女《おとめ》なれば境によりてその情を動かすがゆえに南洋丸に乗せて一年が間、浮世の風より救い出さば必ず御《おん》顔にふさわしき天津乙女となりたもうとの事なり、われはたやすくこれを信ずるあたわざるのみ。
 十蔵はその片目を細くして小歌うたいつ、たちまち卓を打ちて、君よかの問いの答えはいかにしたまいしとその片目をみはりぬ。二郎はいたく酔《え》い、椅子の背《うしろ》に腕を掛けて夢現《ゆめうつつ》の境にありしが、急に頭をあげて、さなりさなりと言い、再び眼《まなこ》を閉じ頭を垂《た》れたり。
 もし君が言わるるごとくば世には報酬《むくい》なくして人の愛を盗みおおせし男女はなはだ多しと、十蔵はいきまきぬ。
 われ、なんじの妻のごときをいえるにや。
 あらず、あらず、彼女《かれ》は犬にかまれて亡《う》せぬ、恐ろしき報酬《むくい》を得たりと答えて十蔵は哄然《こうぜん》と笑うその笑声は街《ちまた》多き陸《くが》のものにあらず。
 二郎は頭《こうべ》あげて、しからばかのふびんなる少女《おとめ》もついには犬にかまるべきか。
 犬や犬や浮世の街《ちまた》にさすろうもの犬ならざるいくばくぞ、かみつかまれつその日と夜《よ》を送り、そのほゆる声騒がしく、とてもわれらの住み得べきにあらず、船を家となし風と波とに命を託す、安ければ買い高ければ売り、酒あれば飲み、大声あげて歌うもわがために耳傾くるは大空の星のみ――月さゆる夜は風清し、はてなき海に帆を揚げて――ああ君はこの歌を知りたもうや――月さゆる夜は風清し――右を見るも左を見るも島影一つ見えぬ大海原《おおうなばら》に帆を揚げ風斜めに吹けば船軽く傾き月さえにさえて波は黄金を砕く、この時|舷《ふなばた》に立ちてこの歌をうたうわが情《こころ》を君知りたもうや、げに陸《りく》を卑しみ海を懼《おそ》れぬものならではいかでこのこころを知らんや、ああされど君は知りたもう――
 十蔵はその杯《さかずき》を干してわが前に置き、――されど君は知りたもうと繰り返せり。
 この時二郎は静かに頭をあげて月を仰ぎしが急に身を起こしてかなたこなたと歩みつつ、ああ心地よき夜やと言い、皿よりパインアップルの太き一片を取りて口に入れつ、われを顧みて、なんじその杯を干してわれに与えずや。かれはわが杯を受けて心地よげに飲み干し、大空を仰ぎて、愛盗まれし者の受くべき報酬《むくい》はげに幸いなりき、十蔵なんじもその一人ならずやと杯を十蔵が前に置きぬ。十蔵は半ば眠りて応《こた》えなし。片目を微《かす》かに開きしもまた閉じたり。
 夜はいよいよふけ月はますますさえ、市街の物音もやや静まりぬ。二郎は欄に倚《よ》りわれは帆綱に腰かけしまま深き思いに沈みしばしは言葉なかりき。なんじはまことに幸いなる報酬《むくい》を得たりと思うや二郎、とわれは二郎の顔を仰ぎて問いぬ。
 二郎は目を細くして月を仰ぎつ、うれしき報酬とは思わず、されどかの少女をふびんなりと想えば限りなき哀れを覚え、われに負《そむ》きし挙動など忘れはて、ただ懐《なつ》かしさに堪《た》えず、げにふびんなるはかの少女なり。
 二郎しからばなんじにまいらすべき一|品《しな》ありと、かねて用意せる貴嬢《きみ》が写真のポッケットより取り出して二郎が手に渡しぬ。何心なく受け取りてかれはしばし言葉なくながめ入りぬ、月の光は冷ややかに貴嬢《きみ》が姿を照らせり。
 そはなんじが叔母に託して昨年の夏の初め、品川出帆の朝、わがもとに送りたる品なり、今再びこれをなんじに還《かえ》さん、なんじはなお手もとに置き難しと言うや、かく言いしわが言葉は短けれどその意《こころ》は長し。
 二郎はなお言葉なくながめ入りぬ。
 げにかたじけなしと軽く戴《いただ》き内衣兜《うちかくし》に入れて目を閉じたり。
 二郎がこの言葉はきわめて短くこの挙動《ふるまい》ははなはだ単純なれど、その深き意《こころ》はたやすく貴嬢《きみ》の知り得ざるところなり。
 なんじはげにわが友なりと二郎はわが手を堅く握りて言えり、その声はふるいぬ。われこの時二郎に向かって、よししからばわが言うをきけ、人は到底陸の動物なり、かつなんじはわれらと共になすべき業《わが》を有すと言い放つを願わざりしにはあらねど、されど二郎ほどの男、わが言葉によりて感憤するほどの不覚をなさじ、かれ必ずかれの志あり、海を懼《おそ》れず陸を懼れずなさんと欲するところをなすはこの若者なるをわれ知れば、ただしばしそのなすところに任さんのみと思いてやみぬ。
 二郎はわれを導きてその船室《ケビン》に至り、貴嬢《きみ》の写真取り出して写真掛けなるわが写真の下にはさみ、われを顧みてほほえみつ、彼女《かれ》またわれらの中に帰り来たりぬといえり。この言葉は短けれどその意《こころ》は長し――
 この書状は例によりてかの人に託すべけれど、貴嬢《きみ》が手に届くは必ず数日の後なるべし、貴嬢《きみ》もしかの君に示さんとならば、そは貴嬢《きみ》の自由なり、われには何の関《かかわ》りもなし。
                       (明治三十年十一月作)

底本:「武蔵野」岩波文庫、岩波書店
   1939(昭和14)年2月15日第1刷発行
   1972(昭和47)年8月16日第37刷改版発行
   2002(平成14)年4月5日第77刷発行
底本の親本:「武蔵野」民友社
   1901(明治34)年3月
初出:「国民之友」
   1897(明治30)年11月
入力:土屋隆
校正:門田裕志
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国木田独歩

あの時分—— 国木田独歩

さて、明治の御代《みよ》もいや栄えて、あの時分はおもしろかったなどと、学校時代の事を語り合う事のできる紳士がたくさんできました。
 落ち合うごとに、いろいろの話が出ます。何度となく繰り返されます。繰り返しても繰り返しても飽くを知らぬのは、またこの懐旧談で、浮き世の波にもまれて、眉目《びもく》のどこかにか苦闘のあとを残すかたがたも、「あの時分」の話になると、われ知らず、青春の血潮が今ひとたびそのほおにのぼり、目もかがやき、声までがつやをもち、やさしや、涙さえ催されます。
 私が来た十九の時でした、城北大学といえば今では天下を三分してその一を保つとでも言いそうな勢いで、校舎も立派になり、その周囲の田も畑もいつしか町にまでなってしまいましたがいわゆる、「あの時分」です、それこそ今のおかたには想像にも及ばぬことで、じゃんと就業の鐘が鳴る、それが田や林や、畑を越えて響く、それ鐘がと素人下宿《しろとげしゅく》を上ぞうりのまま飛び出す、田んぼの小道で肥えをかついだ百姓に道を譲ってもらうなどいうありさまでした。
 ある日|樋口《ひぐち》という同宿の青年《ひと》が、どこからか鸚鵡《おうむ》を一羽、美しいかごに入れたまま持って帰りました。
 この青年《ひと》は、なぜかそのころ学校を休んで、何とはなしに日を送っていましたが、私には別に不思議にも見えませんでした。
 午後三時ごろ、学校から帰ると、私の部屋《へや》に三人、友だちが集まっています、その一人は同室に机を並べている木村という無口な九州の青年《ひと》、他の二人は同じこの家に下宿している青年《ひと》で、政治科および法律科にいる血気の連中でした。私を見るや、政治科の鷹見《たかみ》が、
「窪田《くぼた》君、窪田君、珍談があるよ」と声を低く、「きのうから出ていない樋口《ひぐち》が、どこからか鸚鵡《おうむ》を持って来たが、君まだ見まい、早く見て来たまえ」と言いますから、私はすぐ樋口の部屋に行きました。裏の畑に向いた六畳の間に、樋口とこの家《や》の主人《あるじ》の後家《ごけ》の四十七八になる人とが、さし向かいで何か話をしているところでした。この後家の事を、私どもはみなおッ母《か》さんとよんでいました。
 おッ母《か》さんはすこぶるむずかしい顔をして樋口の顔を見ています、樋口はいつもの癖で、下くちびるをかんではまた舌の先でなめて、下を向いています。そして鸚鵡のかごが本箱の上に置いてあります。
「樋口さん樋口さん」と突然鸚鵡が間のぬけた調子で鳴いたので、
「や、こいつは奇体《きたい》だ、樋口君、どこから買って来たのだ、こいつはおもしろい」と、私はまだ子供です、実際おもしろかった、かごのそばに寄ってながめました。
「うん、おもしろい鳥だろう」と、樋口はさびしい笑いをもらしてちょっと振り向きましたが、すぐまた、下を向いてしまいました、
 なぜかおッ母《か》さんは、泣《な》き面《つら》です、そして私をしかるように「窪田さん、そんなものをごらんになるならあっちへ持っていらっしゃい」
「いいかい君、」と、私は持ち主の樋口に聞きますと、樋口は黙ってうなずいて軽くため息をしました。
 私が鸚鵡《おうむ》を持って来たので、ねそべっていた政法の二人ははね起きました、
「どうした」と鷹見は鸚鵡のかごと私の顔を見比べて、しかも笑いながら、聞きますから、「どうしたって、どうした」
「樋口の部屋《へや》におッ母《か》さんがいたろう」
「いたよ」と、私は何げなく答えましたが、様子の変であったことは別に言いませんでした。しかし政法の二人は顔を見合わして笑いました、声は出しません。そしてかごの上に結んである緋縮緬《ひぢりめん》のくけ紐《ひも》をひねくりながら、「こんな紐《ひも》なぞつけて来るからなおいけない、露見のもとだ、何よりの証拠だ」と、法科の上田がその四角の顔をさらにもっともらしくして言いますと、鷹見が、
「しかし樋口には何よりこの紐がうれしいのだろう、かいでみたまえ、どんなにおいがするか」
「ばか言え、樋口じゃあるまいし」と、上田の声が少し高かったので、鸚鵡が一声高く「樋口さん」と叫びました。
「このちくしょう?」と鷹見がうなるように言いましたが、鸚鵡はいっさい平気で、
「お玉さん」
「人をばかにしている!」と上田が目を丸くしますと、「お玉さん、……樋口さん……お玉さん……樋口さん……」と響き渡る高い調子で鸚鵡は続けざま叫び出したので、政法も木村も私もあっけに取られていますと、駆けこんで来たのが四郎という十五になるこの家《うち》の子です。
「鸚鵡《おうむ》をくださいって」と、かごを取って去ってしまいました。この四郎さんは私と仲よしで、近いうちに裏の田んぼで雁《がん》をつる約束がしてあったのです、ところがその晩、おッ母《か》アと樋口は某坂《なにざか》の町に買い物があるとて出てゆき、政法の二人は校堂でやる生徒仲間の演説会にゆき、木村は祈祷会《きとうかい》にゆき、家に残ったのは、下女代わりに来ている親類の娘と、四郎と私だけで、すこぶるさびしくなりましたから、雁つりの実行に取りかかりました。
 かねて四郎と二人で用意しておいた――すなわち田溝《たみぞ》で捕えておいたどじょうを鉤《はり》につけて、家を西へ出るとすぐある田のここかしこにまきました。田はその昔、ある大名の下屋敷《しもやしき》の池であったのを埋めたのでしょう、まわりは築山《つきやま》らしいのがいくつか凸起《とっき》しているので、雁にはよき隠れ場であるので、そのころ毎晩のように一群れの雁がおりたものです。
 恋しき父母兄弟に離れ、はるばると都に来て、燃ゆるがごとき功名の心にむちうち、学問する身にてありながら、私はまだ、ほんのこどもでしたから、こういういたずらも四郎と同じ心のおもしろさを持っていたのです。
 十幾本の鉤《はり》を凧糸《たこいと》につけて、その根を一本にまとめて、これを栗《くり》の木の幹に結び、これでよしと、四郎と二人が思わず星影寒き大空の一方を望んだ時の心持ちはいつまでも忘れる事ができません。
 もちろん雁のつれるわけがないので、その後二晩ばかりやってみましたが、人々に笑われるばかり、四郎も私も断念しました。悲しい事にはこの四郎はその後まもなく脊髄病《せきずいびょう》にかかって、不具《かたわ》同様の命を二三年保っていたそうですが、死にました。そして私は、その墓がどこにあるかも今では知りません。あきらめられそうでいてて、さて思い起こすごとにあきらめ得ない哀別のこころに沈むのはこの類の事です、そして私は「縁が薄い」という言葉の悲哀を、つくづく身に感じます。
 ツイ近ごろのことです、私は校友会の席で、久しぶりで鷹見や上田に会いました。もっともこの二人は、それぞれ東京で職を持って相応に身を立てていますから、年に二度三度会いますが、私とは方面が違うので、あまり親しく往来はしないのです。けれども、会えばいつも以前のままの学友気質で、無遠慮な口をきき合うのです。この日も鷹見は、帰路にぜひ寄れと勧めますから、上田とともに三人連れ立って行って、夫人のお手料理としては少し上等すぎる馳走《ちそう》になって、酒も飲んで「あの時分」が始まりましたが、鷹見はもとの快活な調子で、
「時に樋口《ひぐち》という男はどうしたろう」と話が鸚鵡《おうむ》の一件になりました。
「どうなるものかね、いなかにくすぼっているか、それとも死んだかも知れない、長生きをしそうもない男であった。」と法律の上田は、やはりもとのごとくきびしいことを言います。
「かあいそうなことを言う、しかし実際あの男は、どことなく影が薄いような人であったね、窪田《くぼた》君。」
 と鷹見の言葉のごとく、私も同意せざるを得ないのです。口数をあまりきかない、顔色の生白《なまじろ》い、額の狭い小づくりな、年は二十一か二の青年《わかもの》を思い出しますと、どうもその身の周囲に生き生きした色がありません、灰色の霧が包んでいるように思われます。
「けれども艶福《えんぷく》の点において、われわれは樋口に遠く及ばなかった」と、上田は冷ややかに笑います、鷹見は、
「イヤ、あんな男に限って、女にかあいがられるものサ、女の言いなりほうだいになっていて、それでやはり男だから、チョイと突《つ》っ張《ぱ》ってみる、いわゆる張りだね、女はそういうふうな男を勝手にしたり、また勝手にされてみたりすると、夢中になるものだ。だから見たまえ、あの五十|面《づら》のばあさんが、まるで恥も外聞も忘れていたじゃあないか。鸚鵡《おうむ》の持ち主はどんな女だか知らないがきっと、海山千年の女郎だろうと僕は鑑定する。」
「まアそんな事だろう、なにしろ後家ばあさん、大いに通《つう》をきかしたつもりで樋口《ひぐち》を遊ばしたからおもしろい、鷹見君のいわゆる、あれが勝手にされてみたのだろうが、鸚鵡まで持ちこまれて、『お玉さん樋口さん』の掛合《かけあい》まで聞かされたものだから、かあいそうに、ばあさんすっかりもてあましてしまって、樋口のいない留守に鸚鵡を逃がしたもんだ、窪田君、あの滑稽《こっけい》を覚えているかえ。」
 私はうなずきました、樋口が鸚鵡を持ちこんだ日から二日目か三日目です、今では上田も鷹見もばあさんと言っています、かの時分のおッ母《か》さんが、鸚鵡のかごをあけて鳥を追い出したものです。すると樋口が帰って来て、非常に怒った様子でしたが、まもなく鸚鵡がひとりで[#「ひとりで」に傍点]にかごへ帰って来たので、それなりに納まったらしいのです。
「けれども君は、かの後の事はよく知るまい、まもなく君は木村と二人で転宿してしまったから……なんでも君と木村が去ってしまって一週間もたたないうちだよ、ばあさんたまらなくなって、とうとう樋口をくどいて国郷《くに》に帰してしまったのは。ばアさん、泣きの涙かなんかでかあいい男を新橋まで送ったのは、今から思うと滑稽《こっけい》だが、かあいそうだ、それでなくてあの気の抜けたような樋口がますますぼんやり[#「ぼんやり」に傍点]して青くなって、鸚鵡のかごといっしょに人車《くるま》に乗って、あの薄ぎたない門を出てゆく後ろ姿は、まだ僕の目にちらついている。」とさすがの上田も感に堪えないふうでした。
 それから樋口の話ばかりでなく、木村の事なども話題にのぼり、夜の十一時ごろまでおもしろく話して別れましたが、私は帰路に木村の事を思い出して、なつかしくなってたまりませんでした、どうして彼はいるだろう、どうかして会ってみたいものだ、たれに聞き合わすればあの人の様子や居所《いどころ》がわかるだろうなどいろいろ考えながら帰りました。
 私がおッ母《か》さんの素人下宿《しろとげしゅく》を出たのは全く木村に勧められたからです。鸚鵡《おうむ》の一件で木村は初めてにがにがしい事情を知って、私に、それとなく、言葉少なに転宿をすすめ、私も同意して、二人で他の下宿に移りました。
 木村は細長い顔の、目じりの長く切れた、口の小さな男で、背たけは人並みに高く、やせてひょろり[#「ひょろり」に傍点]とした上につんつるてん[#「つんつるてん」に傍点]の着物を着ていましたから、ずいぶんと見すぼらしいふうでしたけれども、私の目にはそれがなんとなくありがたくって、聖者のおもかげを見る気がしたのです。朝一度晩一度、彼は必ず聖書《バイブル》を読みました。そして日曜の朝の礼拝にも、金曜日の夜の祈祷会《きとうかい》にも必ず出席して、日曜の夜の説教まで聞きに行くのでした。
 他の下宿に移ってまもなくの事でありました、木村が、今夜、説教を聞きに行かないかと言います。それもたって勧めるではなく、彼の癖として少し顔を赤らめて、もじもじして、丁寧に一言《ひとこと》「行きませんか」と言ったのです。
 私はいやと言うことができないどころでなく、うれしいような気がして、すぐ同意しました。
 雪がちらつく晩でした。
 木村の教会は麹町区《こうじまちく》ですから、一里の道のりは確かにあります。二人は木村の、色のさめた赤毛布《あかけっと》を頭からかぶって、肩と肩を寄り合って出かけました。おりおり立ち止まっては毛布《けっと》から雪を払いながら歩みます、私はその以前にもキリスト教の会堂に入ったことがあるかも知れませんが、この夜の事ほどよく心に残っていることはなく、したがってかの晩初めて会堂に行った気が今でもするのであります。
 道々二人はいろいろな話をしたでしょうがよく覚えていません。ただこれだけ頭に残っています。木村はいつもになくまじめな、人をおしつけるような声で、
「君はベツレヘムで生まれた人類が救い主エス、クリストを信じないか。」
 別に変わった文句ではありませんが、『ベツレヘム』という言葉に一種の力がこもっていて、私の心にかつてないものを感じさせました。
 会堂に着くと、入口の所へ毛布《けっと》を丸めて投げ出して、木村の後ろについて内に入《はい》ると、まず花やかな煌々《こうこう》としたランプの光が堂にみなぎっているのに気を取られました。これは一里の間、暗い山の手の道をたどって来たからでしょう。次にふわり[#「ふわり」に傍点]とした暖かい空気が冷え切った顔にここちよく触れました。これはさかんにストーブがたいてあるからです。次に婦人席が目につきました。毛は肩にたれて、まっ白な花をさした少女《おとめ》やそのほか、なんとなく気恥ずかしくってよくは見えませんでした、ただ一様に清らかで美しいと感じました。高い天井、白い壁、その上ならず壇の上には時ならぬ草花、薔薇《ばら》などがきれいな花瓶《かびん》にさしてありまして、そのせいですか、どうですか、軽い柔らかな、いいかおりが、おりおり暖かい空気に漂うて顔をなでるのです。うら若い青年、まだ人の心の邪《よこしま》なことや世のさまのけわしい事など少しも知らず、身に翼のはえている気がして、思いのまま美しい事、高いこと、清いこと、そして夢のようなことばかり考えていた私には、どんなにこれらのことが、まず心を動かしたでしょう。
 木村が私を前の席に導こうとしましたが、私は頭《かしら》を振って、黙って後ろのほうの席に小さくなっていました。
 牧師が賛美歌の番号を知らすと、堂のすみから、ものものしい重い、低い調子でオルガンの一くさり、それを合図に一同が立つ。そして男子の太い声と婦人の清く澄んだ声と相和して、肉声の一高一低が巧妙な楽器に導かれるのです、そして「たえなるめぐみ」とか「まことのちから」とか「愛の泉」とかいう言葉をもって織り出された幾節かの歌を聞きながら立っていますと、総身に、ある戦慄《せんりつ》を覚えました。
 それから牧師の祈りと、熱心な説教、そしてすべてが終わって、堂の内の人々|一斉《いっせい》の黙祷《もくとう》、この時のしばしの間のシンとした光景――私はまるで別の世界を見せられた気がしたのであります。
 帰りは風雪《ふぶき》になっていました。二人は毛布《けっと》の中で抱き合わんばかりにして、サクサクと積もる雪を踏みながら、私はほとんど夢ごこちになって寒さも忘れ、木村とはろくろく口もきかずに帰りました。帰ってどうしたか、聖書《バイブル》でも読んだか、賛美歌でも歌ったか、みな忘れてしまいました。ただ以上の事だけがはっきりと頭に残っているのです。
 木村はその後|二月《ふたつき》ばかりすると故郷《くに》へ帰らなければならぬ事になり、帰りました。
 そのわけはなんであろうか知りませんが、たぶん学資のことだろうと私は覚えています。そして私には木村が、たといあの時、故郷《くに》に帰らないでも、早晩、どこにか隠れてしまって、都会の人として人中に顔を出す人でないと思われます。木村が好んで出さないのでもない、ただ彼自身の成り行きが、そうなるように私には思われます。樋口《ひぐち》も同じ事で、木村もついに「あの時分」の人となってしまいました。
 先夜鷹見の宅《うち》で、樋口の事を話した時、鷹見が突然、
「樋口は何を勉強していたのかね」と二人に問いました。記憶のいい上田も小首を傾けて、
「そうサ、何を読んでいたかしらん、まさかまるきり遊んでもいなかったろうが」と考えていましたが、
「机に向いていた事はよく見たが、何を専門にやっていたか、どうも思いつかれぬ、窪田君、覚えているかい」と問われて、私も樋口とは半年以上も同宿して懇意にしていたにかかわらず、さて思い返してみて樋口が何をまじめに勉強していたか、ついに思い出すことができませんでした。
 そこで木村のことを思うにつけて、やはり同じ事であります。木村は常に机に向いていました、そして聖書《バイブル》を読んでいたことだけは今でも思い出しますが、そのほかのことは記憶にないのです。
 そう思うと樋口も木村もどこか似ている性質があるようにも思われますが、それは性質が似ているのか、同じ似たそのころの青年の気風に染んでいたのか、しかと私には判断がつきませんけれども、この二人はとにかくある類似した色を持っていることは確かです。
 そう言いますと、あの時分は私も朝早くから起きて寝るまで、学校の課業のほかに、やたらむしょうに読書したものです。欧州の政治史も読めば、スペンサーも読む、哲学書も読む、伝記も読む、一時間三十ページの割合で、日に十時間、三百ページ読んでまだ読書の速力がおそいと思ったことすらありました。そしてただいろんな事を止め度もなく考えて、思いにふけったものです。
 そうすると、私もただ乱読したというだけで、樋口や木村と同じように夢の世界の人であったかも知れません。そうです、私ばかりではありません。あの時分は、だれもみんなやたらに乱読したものです。           (完)

底本:「号外・少年の悲哀 他六編」岩波文庫、岩波書店
   1939(昭和14)年4月17日第1刷発行
   1960(昭和35)年1月25日第14刷改版発行
   1981(昭和56)年4月10日第34刷発行
入力:紅 邪鬼
校正:LUNA CAT
2000年8月21日公開
2006年5月19日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。