半七捕物帳–津の国屋—— 岡本綺堂

     一

 秋の宵であった。どこかで題目太鼓の音《ね》がきこえる。この場合、月並の鳴物だとは思いながらも、じっと耳をすまして聴いていると、やはり一種のさびしさを誘い出された。
「七偏人が百物語をしたのは、こんな晩でしょうね」と、わたしは云い出した。
「そうでしょうよ」と、半七老人は笑っていた。「あれは勿論つくり話ですけれど、百物語なんていうものは、昔はほんとうにやったもんですよ。なにしろ江戸時代には馬鹿に怪談が流行《はや》りましたからね。芝居にでも草双紙にでも無暗《むやみ》にお化けが出たもんです」
「あなたの御商売の畑にもずいぶん怪談がありましょうね」
「随分ありますが、わたくし共の方の怪談にはどうもほんとうの怪談が少なくって、しまいへ行くとだんだんに種の割れるのが多くって困りますよ。あなたにはまだ津の国屋のお話はしませんでしたっけね」
「いいえ、伺いません。怪談ですか」
「怪談です」と、老人はまじめにうなずいた。「しかもこの赤坂にあったことなんです。これはわたくしが正面から掛り合った事件じゃありません。桐畑の常吉という若い奴が働いた仕事で、わたくしはその親父の幸右衛門という男の世話になったことがあった関係上、蔭へまわって若い者の片棒をかついでやったわけですから、いくらか聞き落しもあるかも知れません。なにしろ随分入り組んでいる話で、ちょいと聴くと何だか嘘らしいようですが、まがいなしの実録、そのつもりで聴いて下さい。昔と云っても、たった三四十年前ですけれども、それでも世界がまるで違っていて、今の人には思いも付かないようなことが時々ありました」

 赤坂|裏伝馬町《うらてんまちょう》の常磐津の女師匠文字春が堀の内の御祖師様へ参詣に行って、くたびれ足を引き摺って四谷の大木戸まで帰りついたのは、弘化四年六月なかばの夕方であった。赤坂から堀の内へ通うには別に近道がないでもなかったが、女一人であるからなるべく繁華な本街道を選んだのと、真夏の暑い日ざかりを信楽《しがらき》の店で少し休んでいたのとで、女の足でようよう江戸へはいったのは、もう夕六ツ半(七時)をすぎた頃で、さすがに長いこの頃の日もすっかり暮れ切ってしまった。
 甲州街道の砂を浴びて、気味のわるい襟元の汗をふきながら、文字春は四谷の大通りをまっすぐに急いでくる途中で、彼女は自分のあとに付いてくる十六七の娘を見かえった。
「姐《ねえ》さん。おまえさん何処へ行くの」
 この娘は、さっきから文字春のあとになり先になって、影のように付きまとって来るのであった。うす暗がりでよくは判らないが、路傍《みちばた》の店の灯でちらりと見たところは、色の蒼白い、瘠《や》せ形の娘で、髪は島田に結って、白地に撫子《なでしこ》を染め出した中形《ちゅうがた》の浴衣《ゆかた》を着ていた。
 唯それだけなら別に仔細もないのであるが、彼女はとかくに文字春のそばを離れないで、あたかも道連れであるかのようにこすり付いて歩いてくる。それがうるさくもあったが、おそらく若い娘の心寂しいので、ただ何がなしに人のあとを追って来るのであろうと思って、初めは格別に気にも止めなかったが、あまりしつこく付きまとって来るので、文字春もしまいには忌《いや》な心持になった。なんだか薄気味悪くもなって来た。
 しかし相手は孱細《かぼそ》い娘である。まさかに物取りや巾着切《きんちゃっき》りでもあるまい。文字春は今年二十六で、女としては大柄の方であった。万一相手の娘がよくない者で、だしぬけに何かの悪さを仕掛けたとしても、やみやみ彼女に負かされる程のこともあるまいと多寡《たか》をくくっていたので、文字春はさのみ怖いとも恐ろしいとも思っていなかったのであるが、何分にも自分のあとを付け廻してくるのが気になってならなかった。彼女はだんだんに気味が悪くなって来て、物取りや巾着切りなどということを通り越して、なにか一種の魔物ではないかとも疑いはじめた。死に神か通り魔か、狐か狸か、なにかの妖怪が自分に付きまつわって来るのではないかと思うと、文字春は俄かにぞっ[#「ぞっ」に傍点]とした。彼女はもう強がってはいられなくなって、数珠《じゅず》をかけた手をそっとあわせて、口のうちでお題目を一心に念じながら歩いて来たのであった。それでも無事に大木戸を越して、もう江戸へはいったと思うと、彼女は又すこし気が強くなった。灯ともし頃とはいいながら、賑やかな真夏のゆうがたで、両側には町屋《まちや》もある。かれはここまで来た時に、はじめて思い切ってその娘に声をかけたのである。声をかけられて、娘は低い声で遠慮勝ちに答えた。
「はい。赤坂の方へ……」
「赤坂はどこです」
「裏伝馬町というところへ……」
 文字春はまたぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]とした。本来ならば丁度いい道連れともいうべきであるが、この場合に彼女はとてもそんなことを考えてはいられなかった。彼女はどうして此の娘が自分のゆく先を知っているのであろうと怪しみ恐れた。彼女は左右を見かえりながら又訊いた。
「おまえさんは裏伝馬町のなんという家《うち》を訪ねて行くの」
「津の国屋という酒屋へ……」
「そうして、おまえさんは何処から来たの」
「八王子の方から」
「そう」
 とは云ったが、文字春はいよいよおかしく思った。近いところと云っても、八王子から江戸の赤坂まで辿って来るのは、この時代では一つの旅である。しかも見たところでは、この娘はなんの旅支度もしていない。笠もなく、手荷物もなく、草鞋《わらじ》すらも穿《は》いていない。彼女は浴衣の裳《すそ》さえも引き揚げないで、麻裏の草履を穿いているらしかった。若い女がこんな悠長らしい姿で八王子から江戸へ来る――それがどうも文字春の腑に落ちなかった。しかし一旦こうして詞《ことば》をかけた以上、こっちも逃げ出すわけにもゆかず、先方でもいよいよ付きまとって離れまいと思ったので、彼女はよんどころなく度胸を据えて、この怪しい道連れの娘と話しながら歩いた。
「津の国屋に誰か知っている人でもあるの」
「はい。逢いにいく人があります」
「なんという人」
「お雪さんという娘《こ》に……」
 お雪というのは津の国屋の秘蔵娘で、文字春のところへ常磐津の稽古に来るのであった。怪しい娘が自分の弟子をたずねてゆく――文字春は更に不安の種をました。お雪は今年十七で、町内でも評判の容貌好《きりょうよ》しである。津の国屋は可なりの身代《しんだい》で、しかも親達が遊芸を好むので師匠にとっては為になる弟子でもあった。文字春は自分の大切な弟子の身の上がなんとなく危ぶまれるので、根掘り葉ほりに詮索をはじめた。
「そのお雪さんを前から識っているの」
「いいえ」と、娘は微かに答えた。
「一度も逢ったことはないの」
「逢ったことはありません。姉さんには逢いましたけれど……」
 文字春はなんだか忌な心持になった。お雪の姉のお清は、今から十年前に急病で死んだのである。それにしても此の娘がどうしてそのお清を識っているのかを、彼女は更に詮議しなければならなかった。
「死んだお清さんはお前さんのお友達なの」
 娘は黙っていた。
「おまえさんの名は」
 娘はやはり俯向《うつむ》いてなんにも云わなかった。こんなことを云っているうちに、あたりはもう夜の景色になって、そこらの店先の涼み台では賑やかな笑い声もきこえた。それでも文字春はなんだかうしろが見られて、どうしてもこの怪しい娘に対する疑いが解けなかった。彼女は黙ってあるきながら横眼に覗くと、娘の島田はむごたらしいように崩れかかって、その後《おく》れ毛が蒼白い頬の上にふるえていた。文字春は絵にかいた幽霊を思い出して、いよいよ薄気味悪くなって来た。いくら賑やかな町なかでも、こんな女と連れ立ってあるくのは、どう考えてもいい心持ではなかった。
 四谷の大通りを行き尽すと、どうしても暗い寂しい御堀端を通らなければならない。文字春は云い知れない不安に襲われながら、明るい両側の灯をうしろに見て、御堀端を右に切れると、娘はやはり俯向いて彼女について来た。松平佐渡守の屋敷前をゆき過ぎて、間《あい》の馬場まで来かかった時に、娘のすがたは暗い中にふっと消えてしまった。おどろいて左右を見まわしたが、どこにも見えない。呼んでみたが返事もない。文字春はぞっ[#「ぞっ」に傍点]として惣身が鳥肌になった。彼女はもう前へ進む勇気はないので、転《ころ》げるように元来た方面へ引っ返して、大通りの明るいところへ逃げて来た。
「おい、師匠。どうした」
 声をかけられてよく視ると、それは同町内に住んでいる大工の兼吉であった。
「あ、棟梁《とうりょう》」
「どうした。ひどく息を切って、何かいたずら者にでも出っ食わしたのかえ」
「え。そうじゃないけれど……」と、文字春は息をはずませながら云った。「おまえさん、町内へ帰るんでしょう」
「そうさ。友達のところへ行って、将棋をさしていて遅くなっちまったのさ。師匠は一体どっちの方角へ行くんだ。[#「。」はママ]」
「あたしも家へ帰るの。後生《ごしょう》だから一緒に行ってくださいな」
 兼吉はもう五十ばかりであるが、男でもあり、職人でもあり、こういう時の道連れには屈竟《くっきょう》だと思われたので、文字春はほっ[#「ほっ」に傍点]として一緒にあるきだした。それでも馬場の前を通りぬける時には襟元から水を浴びせられるように身をちぢめながら歩いた。さっきからの様子がおかしいので、兼吉はなにか仔細があるらしく思って、暗い堀端を歩きながらだんだん聞き出すと、文字春は声を忍ばせながら一切の事情を話した。
「あたしは最初からなんだか気味が悪くってしようがなかったんですよ。別にこうということもないんですけれど、唯なんだか忌な心持で……。そうすると、とうとう途中でふいと消えてしまうんですもの。あたしは夢中で四谷の方へ逃げだして、これからどうしようかと思っているところへ丁度棟梁が来てくれたので、あたしも生きかえったような心持になったんですよ」
「そりゃあ少し変だ」と、兼吉も暗いなかで声を低めた。「師匠。その娘は十六七で、島田に結《ゆ》っていたと云ったね」
「そうよ。よく判らなかったけれど、色の白い、ちょいといい娘《こ》のようでしたよ」
「なんで津の国屋へ行くんだろう」
「お雪さんに逢いに行くんだって……。お雪さんには初めて逢うんだけれど、死んだ姉さんには逢ったことがあるようなことを云っていました」
「むむう。そりゃあいけねえ」と、兼吉は溜息をついた。「又来たのか」
 文字春は飛び上がって、兼吉の手をしっかりと掴んだ。彼女は唇をふるわせて訊いた。
「じゃあ、棟梁。おまえさん、あの娘を知っているのかえ」
「むむ。可哀そうに、お雪さんも長いことはあるめえ」
 文字春はもう声が出なくなった。かれは兼吉の手に獅噛《しが》み付いたままで、ふるえながら引き摺られて行った。

     

 自分の家《うち》の前まで無事に送り届けて貰って、文字春は初めてほんとうに自分の魂を取り戻したような心持になった。彼女は自分を送って来てくれた礼心に、兼吉を内へ呼び込んで、茶でも一杯のんで行けと勤めた。彼女は小女《こおんな》と二人暮しであるので、すぐその小女を使に出して、近所へ菓子を買いにやりなどした。兼吉もことわり兼ねてあがり込むと、文字春は団扇《うちわ》をすすめながら云った。
「ほんとうに今夜はおかげさまで助かりました。信心まいりも的《あて》にゃあならない。あたしは余っぽど罪が深いのかしら。それにしても気になってならないのは……。あの娘が津の国屋へたずねて行くというのは、一体どういう訳なんでしょうね」
 彼女は兼吉を無理に呼び込んだのも、実はこの恐ろしそうな秘密を聞き出したいためであった。兼吉も初めはいい加減に詞《ことば》をにごしていたが、自分がうっかり口をすべらしてしまった以上、その詞質《ことばじち》を取って問い詰めるので、彼もとうとう白状しないわけには行かなくなった。
「出入り場の噂をするようで良くねえが、師匠はおいらから見ると半分も年が違うんだから、なんにも知らねえ筈だ。その娘《こ》は自分の名をなんとか云ったかえ」
「いいえ。こっちで訊いても黙っているんです。おかしいじゃありませんか」
「むむ。おかしい。その娘の名はお安というんだろうと思う。八王子の方で死んだ筈だ」
 文字春はよいよい身を固くして、ひと膝のり出した。
「そうです、そうですよ。八王子の方から来たと云っていましたよ。じゃあ、あの娘は八王子の方で死んだんですか」
「なんでも井戸へ身を投げて死んだという噂だが、遠いところの事だから確かには判らねえ。身を投げたか首をくくったか、どっちにしても変死には違げえねえんだ」
「まあ」と、文字春は真っ蒼になった。「一体どうして死んだんでしょうね」
「こんなことは津の国屋でも隠しているし、おいら達も知らねえ顔をしているんだが、おめえは今夜その道連れになって来たというから、まんざら係り合いのねえこともねえから」
「あら、棟梁、忌《いや》ですよ。あたしなんにも係り合いなんぞありゃしませんよ」
「まあさ。ともかくも其の娘と一緒に来たんだから、まんざら因縁のねえことはねえ。それだから内所《ないしょ》でおめえにだけは話して聞かせる。だが、世間には沙汰無しだよ。おいらがこんな事をしゃべったなんていうことが津の国屋へ知れると、出入り場を一軒しくじるような事が出来るかも知れねえから。いいかえ」
 文字春は黙ってうなずいた。
「おいらも遠い昔のことはよく知らねえが、親父なんぞの話を聞くと、あの津の国屋という家《うち》は三代ほど前から江戸へ出て来て、下谷の津の国屋という酒屋に奉公していたんだが、三代前の主人というのはなかなかの辛抱人で、津の国屋の暖簾《のれん》を分けて貰ってこの町内に店を出したのが始まりで、とんとん拍子に運が向いてきて、本家の津の国屋はとうに潰れてしまったが、こっちはいよいよ繁昌になるばかりで、二代目三代目と続いて来た。ところが、今度の主人夫婦になってから子供が出来ねえ。主人はもう三十を越したもんだから、早く貰い子でもせざあなるめえというので、八王子にいる遠縁のものからお安という娘を貰って、まあ可愛がって育てていたんだ。すると、そのお安が十歳《とお》になった時に、今まで子種がねえと諦めていたおかみさんの腹が大きくなって、女の子が生まれた。それがお清という娘で、貰《もら》い娘《こ》のお安と姉妹《きょうだい》のように育てていたが、そうなると人情で生みの子が可愛い、貰い娘が邪魔になる。といって、世間の手前もあり、貰い娘の親たちへの義理もあり、かたがたどうすることも出来ないので、ゆくゆくはお清に家督を嗣《つ》がせ、貰い娘の方には婿を取って分家させるというようなことを云っていたんだが、そうなると今度は又金が惜しい。分家させるには相当の金が要《い》る。こんなことから貰い娘をだんだん邪魔にし始めて……。といっても、世間の眼に立つようなことはしない。うわべは生みの娘と同じように育てているうちに、二番目の娘がまた生まれた。それが今のお雪さんだ。そうして実子が二人まで出来てみると、貰い娘の方はいよいよ邪魔になるだろうじゃねえか」
「ほんとうにねえ」と、文字春も溜息をついた。「いっそ貰い子が男だと、妻《めあ》わせるということも出来るんだけれど、みんな女じゃどうにもなりませんわね」
「それだから困る。いっそ其のわけを云って、貰い娘は八王子の里へ戻してしまったらよさそうなものだったが、そうもゆかねえ訳があると見えて、その貰い娘のお安ちゃんが十七になった時に、とうとう追い出してしまった。勿論、ただ追い出すという訳にゃゆかねえ。店へ出入りの屋根屋の職人と情交《わけ》があるというので、それを廉《かど》に追い返してしまったんだ」
「そんなことは嘘なんですか」
「どうも嘘らしい」と、兼吉は首をふった。「その職人は竹と云って、年も若し、面付《つらつ》きこそ人並だが、酒はのむ、博奕は打つ、どうにもこうにもしようのねえ野郎だ。お安ちゃんはおとなしい娘だ。よりに択《よ》ってあんな野郎とどうのこうのというわけがねえ。それでも津の国屋ではそれを云い立てにして、着のみ着のまま同様でお安ちゃんを里へ追い返してしまったんだ。世間にこそ知れねえが、それまでにも内輪《うちわ》では貰い娘を何か邪慳《じゃけん》にしたこともあるだろうし、お安という娘もなかなか利巧者だから、親たちの胸のうちも大抵さとっていたらしい。それだから、いよいよ追い出される時には大変に口惜《くや》しがって、自分は貰い子だから実子が出来た以上、離縁されるのも仕方がない。けれども、ほかの事と違って、そんな淫奔《いたずら》をしたという濡衣《ぬれぎぬ》をきせて追い出すというのはあんまりだ。里へ帰って親兄弟や親類にも顔向けが出来ない。きっとこの恨みは晴らしてやるというようなことを、仲のいい老婢《ばあや》に泣いて話したそうだ」
「まあ、可哀そうだわねえ」と、文字春も眼をうるませた。「それからどうしたの」
「それから八王子へ帰って、間もなく死んでしまったという噂だ。今もいう通り、身を投げたか首をくくったか知らねえが、なにしろ津の国屋を恨んで死んだに相違ねえ。娘はまあそれとして、その相手と決められた屋根屋の竹の野郎がおとなしく黙っているのがおかしいと思っていると、それからふた月ばかり経《た》たねえうちに、ちょうど夏の炎天に出入り場の高い屋根へあがって仕事をしている時、どうしたはずみか真《ま》っ逆《さか》さまにころげ落ちて、頭をぶち割ってそれぎりよ。そうなると世間では又いろいろのことを云って、竹の野郎は津の国屋から幾らか貰って、得心《とくしん》ずくで黙っていたに相違ねえ。あいつが変死をしたのは娘のおもいだと、まあこういうんだ」
「怖いわねえ。悪いことは出来ないわねえ」と、文字春は今更のように溜息をついた。
「どっちにしてもお安という娘は死ぬ、その相手だという竹の野郎もつづいて死ぬ。それでまあ市《いち》が栄えたいう訳なんだが、ここに一つ不思議なことは、忘れもしねえ今から丁度十年前……。これは師匠も知っているだろうが、津の国屋の実子のお清さんがぶらぶら病いで死んでしまった。そりゃあ老少不定《ろうしょうふじょう》で寿命ずくなら仕方もねえわけだが、その死んだのが丁度十七の年で、先《せん》のお安という娘と同い年だ。お安も十七で死んだ。お清も十七で死んだ。こうなるとちっとおかしい。表向きには誰もなんとも云わねえが、先の貰い娘の一件を知っているものは、蔭でいろいろのことを云っている。それにもう一つおかしいのは、あのお清さんの死ぬ前にちょうど今夜のようなことがあったんだ」
「棟梁」
「いや、おどかす訳じゃあねえ」と、兼吉はわざと笑ってみせた。「実はね、津の国屋の惣領娘がわずらいつく二、三日まえの晩に、近所の者が外へ出ると、町内の角で一人の娘に逢った。娘は撫子《なでしこ》の模様の浴衣《ゆかた》を着て……」
「もう止してください。わかりましたよ」と、文字春はもう身動きが出来なくなったらしく、片手を畳に突いたままで眼を据えていた。
「いや、もうちっとだ。その娘がどうしても津の国屋の貰い娘のお安ちゃんに相違ねえので、思わず声をかけようとすると、娘の姿は消えてしまったという話だ。おいらもその話をかねて聞いていたが、なにを云うのかと思って碌に気にも留めずにいたが、今夜の師匠の話を聴いてみると、成程それも嘘じゃなかったらしい。そのお安ちゃんが又お迎いにやって来たんだ。津の国屋のお雪ちゃんは今年十七になったからね」
 台所でかたり[#「かたり」に傍点]という音がきこえたので、文字春はまたぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]とした。菓子を買いに行った小女が今ようやく帰って来たのであった。

     

 文字春はその晩おちおち眠られなかった。撫子の浴衣を着た若い女が蚊帳《かや》の外から覗いているような夢におそわれて、少しうとうとするかと思うとすぐに眼がさめた。あいにくに蒸し暑い夜で、彼女の枕紙はびっしょり濡れてしまった。あくる朝も頭が重くて胸がつかえて、あさ飯の膳にむかう気にもなれなかった。きのう遠路《とおみち》を歩いたので暑さにあたったのかも知れないと、小女の手前は誤魔かしていたが、彼女の頭のなかは云い知れない恐怖に埋められていた。仏壇には線香を供えて、彼女はよそながらお安という娘の回向《えこう》をしていた。
 近所の娘たちはいつもの通りに稽古に来た。津の国屋のお雪も来た。お雪の無事な顔をみて、文字春はまずほっ[#「ほっ」に傍点]と安心したが、そのうしろには眼にみえないお安の影が付きまとっているのではないかと思うと、彼女はお雪と向い合うのがなんだか薄気味悪かった。稽古が済むと、お雪はこんなことを云い出した。
「お師匠《しょ》さん、ゆうべは変なことがあったんですよ」
 文字春は胸をおどらせた。
「かれこれ五ツ半(午後九時)頃でしたろう」と、お雪は話した。「あたしが店の前の縁台に腰をかけて涼んでいると、白地の浴衣を着た……丁度あたしと同い年くらいの娘が家の前に立って、なんだか仔細ありそうに家の中をいつまでも覗いているんです。どうもおかしな人だと思っていると、店の長太郎も気がついて、なにか御用ですかと声をかけると、その娘は黙ってすう[#「すう」に傍点]と行ってしまったんです。それから少し経つと、知らない駕籠屋が来て駕籠賃をくれと云いますから、それは間違いだろう、ここの家で駕籠なんかに乗った者はないと云うと、いいえ、四谷見附のそばから娘さんを乗せて来ました。その娘さんは町内の角で降りて、駕籠賃は津の国屋へ行って貰ってくれと云ったから、それでここへ受け取りに来たんだと云って、どうしても肯《き》かないんです」
「それから、どうして……」
「それでも、こっちじゃ全く覚えがないんですもの」と、お雪は不平らしく云った。「番頭も帳場から出て来て、一体その娘はどんな女だと訊くと、年ごろは十七八で撫子の模様の浴衣を着ていたと云うんです。してみると、たった今ここの店を覗いていた娘に相違ない。そんないい加減なことを云って、駕籠賃を踏み倒して逃げたんだろうと云っていると、奥からお父っさんが出て来て、たとい嘘にもしろ、津の国屋の暖簾を指《さ》されたのがこっち不祥だ。駕籠屋さんに損をさせては気の毒だと云って、むこうの云う通りに駕籠賃を払ってやったら、駕籠屋も喜んで帰りました。お父っさんはそれぎりで奥へはいってしまって、別になんにも云いませんでしたけれど、あとで店の者たちは、ほんとうに今どきの娘は油断がならない。あんな生若《なまわか》い癖に駕籠賃を踏み倒したりなんかして、あれがだんだん増長すると騙《かた》りや美人局《つつもたせ》でもやり兼ねないと……」
「そりゃ全くですわね」
 なにげなく相槌《あいづち》を打っていたが、文字春はもう正面からお雪の顔を見ていられなくなった。騙りや美人局どころの話ではない。かの娘の正体がもっともっと恐ろしいものであることを、お雪は勿論、店の者たちも知らないのである。そのなかで主人一人がなんにも云わずに素直に駕籠賃を払ってやったのは、さすがに胸の奥底に思いあたることがあるからであろう。お安の魂は、御堀端で自分に別れてから、さらに駕籠屋に送られて津の国屋まで乗り込んで来たのである。なんにも知らないで其の話をしているお雪のうしろには、きっと撫子の浴衣の影が煙《けむ》のように付きまつわっているに極まった。それを思うと、文字春は恐ろしくもあり、また可哀そうでもあった。
 慾得ずくばかりでなく、かれは弟子師匠の人情から考えても、久しい馴染《なじみ》の美しい弟子がやがて死霊《しりょう》に憑《と》り殺されるのかと思うと、あまりの痛ましさに堪えなかった。さりとてほかの事とは違って、迂濶《うかつ》に注意することもできない。それが親達の耳にはいって、師匠はとんでもないことを云うと掛け合い込まれた時には、表向きにはなんとも云い訳ができない。もう一つには、そんなことをうっかりお雪に注意して、自分が死霊の恨みをうけては大変である。それやこれやを考えると、文字春はこのまま口を閉じてお雪を見殺しにするよりほかはなかった。
 重ねがさね忌な話ばかり聞かされるのと、ゆうべ碌々に眠らなかった疲れとで、文字春はいよいよ気分が悪くなって、午《ひる》からは稽古を休んでしまった。そうして、仏壇に燈明を絶やさないようにして、ゆうべ道連れになったお安の成仏《じょうぶつ》を祈り、あわせてお雪と自分との無事息災を日頃信心する御祖師様に祈りつづけていた。その晩も彼女はやはりおちおち眠られなかった。
 あくる日も朝から暑かった。お雪は相変らず稽古に来たので、文字春はまず安心した。こうして二日も三日も無事につづいたので、彼女が恐怖の念も少し薄らいできて、夜もはじめて眠られるようになった。しかし撫子の浴衣を着たお安の亡霊がたしかに自分と道連れになって来たことを考えると、まだ滅多に油断はできないと危ぶんでいると、それから五日目になって、お雪は稽古に来た時にこんなことを又話した。
「阿母《おっか》さんがきのうの夕方、飛んでもない怪我をしましたの」
「どうしたんです」と、文字春は又ひやりとした。
「きのうの夕方もう六ツ過ぎでしたろう。阿母さんが二階へなにか取りに行くと、階子《はしご》のうえから二段目のところで足を踏みはずして、まっさかさまに転げ落ちて……。それでもいい塩梅に頭を撲《ぶ》たなかったんですけれど、左の足を少し挫《くじ》いたようで、すぐにお医者にかかってゆうべから寝ているんです」
「足を挫いたのですか」
「お医者はひどく挫いたんじゃないと云いますけれど、なんだか骨がずきずき痛むと云って、けさもやっぱり横になっているんです。いつもは女中をやるんですけれど、ゆうべに限って自分が二階へあがって行って、どうしたはずみか、そんな粗相《そそう》をしてしまったんです」
「そりゃほんとうに飛んだ御災難でしたね。いずれお見舞にうかがいますから、どうぞ宜しく」
 お安の祟《たた》りがだんだん事実となって現われて来るらしいので、文字春は身もすくむようにおびやかされた。気のせいか、お雪の顔色も少し蒼ざめて、帰ってゆくうしろ姿も影が薄いように思われた。何にしてもそれを聞いた以上、彼女は知らない顔をしているわけにもゆかないので、進まないながらも其の日の午すぎに、近所で買った最中《もなか》の折《おり》を持って、津の国屋へ見舞に行った。津の国屋の女房お藤はやはり横になっていたが、けさにくらべると足の痛みは余ほど薄らいだとのことであった。
「お稽古でお忙がしい処をわざわざありがとうございました[#「ございました」は底本では「ごさいました」]。どうも思いもよらない災難で飛んだ目に逢いました」と、お藤は眉をしかめながら云った。「なに、二階の物干へ洗濯物を取込みに上がったんです。いつも女中がするんですけれど、その女中が怪我をしましてね。井戸端で水を汲んでいるうちに、手桶をさげたまますべって転んで、これも膝っ小僧を擦り剥いたと云って跛足《びっこ》を引いているもんですから、わたしが代りに二階へあがると又この始末です。女の跛足が二人も出来てしまって、ほんとうに困ります」
 それからそれへと死霊《しりょう》の祟りがひろがってくるらしいので、文字春はいよいよ恐ろしくなった。こんなところにとても長居はできないので、かれは早々に挨拶をして逃げ出して来た。明るい往来に出て、初めてほっ[#「ほっ」に傍点]としながら見かえると、津の国屋の大屋根に大きな鴉《からす》が一匹じっとして止まっていた。それが又なんだか仔細ありそうにも思われたので、文字春はいよいよ急いで帰って来た。そのうしろ姿を見送って、鴉は一と声高く鳴いた。
 津の国屋の女房はその後|十日《とおか》ほども寝ていたが、まだ自由に歩くことが出来なかった。そのうちに文字春は又こんな忌な話を聞かされた。津の国屋の店の若い者が、近所の武家屋敷へ御用聞きにゆくと、その屋根瓦の一枚が突然その上に落ちて来て、彼は右の眉のあたりを強く打たれて、片目がまったく腫《は》れふさがってしまった。その若い者は長太郎といって、このあいだの晩、自分の店先で撫子の浴衣を着た娘に声をかけた男であることを、文字春はお雪の話で知った。おそろしい祟りはそれからそれへと手をひろげて、津の国屋の一家眷属《いっかけんぞく》にわざわいするのではあるまいか。津の国屋ばかりでなく、しまいには自分の身のうえにまで振りかかって来るのではあるまいかと恐れられて、文字春は実に生きている空もなかった。
 かれは程近い円通寺のお祖師様へ日参《にっさん》をはじめた。

     

 津の国屋の女房お藤の怪我はどうもはかばかしく癒らなかった。何分にも足の痛みどころであるから、それを悪くこじらせて打ち身のようになっても困るという心配から、そのころ浅草の馬道《うまみち》に有名な接骨《ほねつぎ》の医者があるというので、赤坂から馬道まで駕籠に乗って毎日通うことにした。
 七月の初め、むかしの暦でいえばもう秋であるが、残暑はなかなか強いのと、その医者は非常に繁昌で、少し遅く行くといつまでも玄関に待たされるおそれがあるのとで、お藤は努めて朝涼《あさすず》のうちに家を出ることにしていた。けさも明け六ツ(午前六時)を少しすぎた頃に津の国屋の店を出て、お藤は待たせてある駕籠に乗る時にふと見ると、一人の僧が自分の家にむかって何か頻りに念じているらしかった。この間じゅうからいろいろの禍いがつづいている矢先であるので、お藤はなんとなく気にかかって、そのまま見過ごしてゆくことが出来なくなった。かれは立ち停まって、じっとその僧の立ち姿を見つめていると、彼女を送って出た小僧の勇吉も、黙って不思議そうに眺めていた。
 僧は四十前後で、まず普通の托鉢僧という姿であった。托鉢の僧が店のさきに立つ――それは別にめずらしいことでもなかったが、ここらでかつて見馴れない出家であるのと、気のせいか彼の様子が何となく普通とは変って見えるので、お藤は駕籠によりかかったままでしばらく眺めていると、僧はやがて店の前を立ち去って、お藤の駕籠のそばを通りすぎる時に、口のうちでつぶやくように云うのが聞えた。
「凶宅じゃ。南無阿弥陀仏、なむあみだぶつ」
「あ、もし」と、お藤は思わず彼をよび止めた。「御出家様にちょいと伺いますが、何かこの家に悪いことでもございますか」
「死霊の祟りがある。お気の毒じゃが、この家は絶えるかも知れぬ」
 こう云い捨てて彼は飄然《ひょうぜん》と立ち去った。お藤は蒼くなって跛足をひきながら内へころげ込んで、夫の次郎兵衛にそれを訴えると、次郎兵衛も一旦は眉を寄せたが又思い直したように笑い出した。
「坊主なんぞは兎角そんなことを云いたがるものだ。ここの家に怪我人がつづいたということを何処からか聞き込んで来て、こっちの弱味に付け込んでなにか嚇《おど》かして祈祷料でもせしめようとするのだ。今どきそんな古い手を食ってたまるものか。きっと見ろ。あした又やって来て同じようなことを云うから」
「そうですかねえ」
 夫の云うことにも成程とうなずかれる節があるので、お藤は半信半疑でそのままに駕籠に乗った。しかも其の僧の姿が眼先にちら付いて、彼女は浅草へゆく途中も頻《しき》りにその真偽を疑っていたが、往きにも復《かえ》りにも別に変った出来事もなかった。あくる朝、かの僧は津の国屋の店先に姿を見せなかった。そうなると、一種の不安がお藤の胸にまた湧いて来た。かの僧が果たして人を嚇して何分かの祈祷料をせしめる料簡であるならば、嚇したままで姿を見せない筈はあるまい。彼が再びこの店先に立たないのをみると、やはりそれは真実の予言で、彼は夫がひと口に貶《けな》してしまったような商売ずくの卑しい売僧《まいす》ではないと思われた。店の者にも注意して店先を毎日窺わせたが、かの僧はそれぎり一度も姿をあらわさなかった。
 勿論、店の者どもにも固く口止めをして置いたのであるが、小僧の巳之助が町内の湯屋でうっかりそれをしゃべったので、その噂はすぐに近所にひろまった。文字春の耳にもはいった。さなきだに此の間からおびえている彼女は、その噂を聞いていよいよ恐ろしくなった。彼女は往来で大工の兼吉に逢ったときにささやいた。
「ねえ、棟梁。どうかしようはないもんでしょうかね。お安さんの祟りで、津の国屋さんは今に潰《つぶ》れるかも知れませんよ」
「どうも困ったもんだ」
 出入り場の禍いをむなしく眺めているのは、いかにも不人情のようではあるが、問題が問題であるだけに、差し当りどうすることも出来ないと、兼吉も顔をしかめながら云った。彼は文字春にむかって、いっそお前が津の国屋へ行って、お安の幽霊と道連れになったことを正直に話したらどうだと勧めたが、文字春は身ぶるいをして頭《かぶり》をふった。そんなことを迂濶に口走って、自分がどんな祟りを受けるかも知れないと、彼女はひたすら恐れていた。
 こんなわけで、文字春は津の国屋の運命を危ぶむばかりでなく、自分の身の上までが不安でならなかった。彼女は毎日稽古に通ってくるお雪を見るのさえ薄気味悪くて、いつも其のうしろにはお安の亡霊が影のように付きまとっているのではないかと恐れられてならなかった。そのうちにこんな噂が又もや町内の女湯から伝わった。
 津の国屋の女中でお松という、ことし二十歳《はたち》の女が、夜の四ツ(十時)少し前に湯屋から帰ってくると、薄暗い横町から若い女がまぼろしのように現われて、すれ違いながらお松に声をかけた。
「早く暇をお取んなさいよ。津の国屋は潰れるから」
 びっくりして見返ると、その女の姿はもう見えなかった。お松は急に怖くなって息を切って逃げて帰った。主人にむかって真逆《まさか》にそんなことを打ち明けるわけにも行かないので、彼女は朋輩のお米《よね》にそっと話すと、お米は又それを店の者どもに洩らした。店の者ばかりでなく、女湯へ行ってもお米はそれを近所の人達に話した。それがまた町内の噂の種になった。
 いつの代にも、すべてのことが尾鰭《おひれ》を添えて云い触らされるのが世間の習いである。まして迷信の強いこの時代の人たちは、こうした忌な噂がたびたび続くのを決して聞き流している者はなかった。噂はそれからそれへと伝えられて、津の国屋には死霊の祟りがあるということが、単に湯屋|髪結床《かみゆいどこ》の噂話ばかりでなく、堅気《かたぎ》の商人《あきんど》の店先でもまじめにささやかれるようになって来た。
 あしたが草市《くさいち》という日に、お雪はいつものように文字春のところへ稽古に来た。丁度ほかに相弟子のないのを見て、彼女は師匠に小声で話した。
「お師匠《しょ》さん。おまえさんもお聞きでしょう。あたしの家には死霊の祟りがあるとかいう噂を……」
 文字春はなんと返事をしていいか、少しゆき詰まったが、どうも正直なことを云いにくいので、彼女はわざと空とぼけていた。
「へえ。そんなことを誰か云うものがあるんですか。まあ、けしからない。どういうわけでしょうかねえ」
「方々でそんなことを云うもんですから、お父っさんや阿母《おっか》さんももう知っているんです。阿母さんは忌な顔をして、あたしのこの足ももう癒らないかも知れないと云っているんですよ」
「なぜでしょうね」と、文字春は胸をどきつかせながら訊いた。
「なぜだか知りませんけれど」と、お雪も顔を曇らせていた。「お父っさんや阿母さんも其の噂をひどく気に病んで、丁度お盆前にそんな噂をされると何だか心持がよくないと云っているんですの。誰が云い出したんだか知りませんけれど、まったく気になりますわ。津の国屋の前には女の幽霊が毎晩立っているなんて、飛んでもないことを云われると、嘘だと思っても気味が悪うござんす」
 文字春はお雪が可哀そうでならなかった。お雪はなんにも知らないに相違ない。知らなければこそ平気でそんなことを云っているのであろう。むしろ正直に何もかも打ち明けて、なんとか用心するように注意してやりたいとは思ったが、どうも思い切ってそれを云い出すほどの勇気がなかった。かれはいい加減の返事をして其の場を済ませてしまった。
 盆休みが過ぎてから、お雪は師匠のところへ来て又こんなことを云った。
「お師匠さん。家《うち》のお父っさんは隠居して坊主となると云い出したのを、阿母さんや番頭が止めたんで、まあ思い止まることになったんですよ」
「坊主に……」と、文字春もおどろいた。「旦那が坊主になるなんて、一体どうなすったんでしょうねえ」
 十二日の朝、菩提寺の住職が津の国屋へ来た。棚経《たなぎょう》を読んでしまってから、彼は近ごろ御親類中に御不幸でもござったかと訊いた。この矢先に突然そんなことを訊かれて、津の国屋の夫婦もぞっ[#「ぞっ」に傍点]とした。併しなんにも心当りはないと答えると、住職は首をかしげて黙っていた。その素振りがなんとなく仔細ありそうにも見えたので、夫婦はだんだん問いつめると、この頃三夜ほど続いて、津の国屋の墓のまえに若い女の姿が煙《けむ》のように立っているのを、住職はたしかに見とどけたというのであった。着物の色模様ははっきりとは判らなかったが、白地に撫子を染め出してあったように見えたと、住職はさらに説明した。
 それでもやはり心あたりはないと云い切って、夫婦は相当の御経料を贈って、住職を帰してやったが、その夕方からお藤の足はまた強く痛み出した。次郎兵衛も気分が悪いと云って宵から寝てしまった。夜なかに夫婦が交る交るに唸り出したので、家《うち》じゅうの者がおどろいて起きた。お藤の痛みは翌日幸いに薄らいだが、次郎兵衛はやはり気分が悪いと云って、飯も碌々に食わないで半日は寝たり起きたりしていたが、午すぎから寺まいりに出て行った。しかしその晩、迎い火を焚く時に、主人だけは門口《かどぐち》へ顔を出さなかった。
 十五の送り火を焚いてしまってから、次郎兵衛は女房と番頭とを奥の間へ呼んで、自分はもう隠居すると突然云い出した。女房は勿論おどろいたが、番頭の金兵衛もびっくりして、主人にその仔細を聞き糺したが、次郎兵衛はくわしい説明をあたえなかった。しかしそれが十三日の午すぎに寺まいりに行って、住職となにか相談の結果であるらしいことは想像された。主人が突然の隠居に対して、金兵衛はあくまでも反対であった。女房のお藤もやはり不同意で、たとい隠居するにしても、娘に相当の婿をとって初孫《ういまご》の顔でも見た上でなければならないと主張した。その押し問答のあいだに、次郎兵衛は単に隠居するばかりでなく、隠居と同時に出家《しゅっけ》する決心であることが判ったので、女房も番頭も又おどろいた。二人は涙を流して一※[#「日+向」、第3水準1-85-25]《いっとき》あまりも意見して、どうにかこうにか主人の決心をにぶらせた。
「お父っさんがああ云うのも無理はないけれど、今だしぬけにそんなことをされちゃあ、この津の国屋の店もどうなるか判らないからねえ」と、お藤はあくる朝、むすめのお雪にそっと話した。
 この話をきかされて、文字春は肚《はら》のなかでうなずいた。津の国屋の主人が隠居して頭を刈り丸めようとする仔細も大抵さとられた。おそらく菩提寺の住職に因果を説かれて、お安の死霊の恨みを解くために、俄かに発心《ほっしん》して出家を思い立ったのであろう。女房や番頭がそれに反対したのも無理はないが、見す見す死霊に付きまとわれて津の国屋の店をかたむけるよりも、お雪に然るべき婿を取って自分は隠居してしまった方が、むしろ安全ではあるまいかとも思われた。しかし、そんなことを滅多《めった》に口にすべきものではないので、彼女は黙ってお雪の話を聴いていた。

     

 それから五、六日経つと、津の国屋の女中のお米《よね》がまたおどされた。それはやはりかのお松が怪しい女に出逢ったのと同じ刻限で、かれも町内の湯屋から帰る途中であった。その晩は雨がしとしと降っていたので、お米は番傘をかたむけて急いでくると、途中で足駄《あしだ》を踏みかえして鼻緒をふっつりと切ってしまった。何分にも薄暗い路ばたでどうすることも出来ないので、かれは鼻緒の切れた足駄をさげて片足は跣足《はだし》であるき出そうとすると、傘のかげから若い女の白い顔が浮き出して、低い声で云った。
「津の国屋は今に潰《つぶ》れるよ」
 お松の話を聴いているので、お米は急に怖くなった。かれは思わずきゃっ[#「きゃっ」に傍点]と叫んで、持っていた足駄をほうり出して、片足の足駄も脱いでしまって、跣足で自分の店へ逃げて帰ったが、年のわかいかれは店へかけ込むと同時にばったり倒れて気を失った。水や薬の騒ぎでようように息を吹きかえしたが、お米はその夜なかから大熱を発して、取り留めもない讒言《うわごと》を口走るようになった。
「津の国屋は今に潰れるよ」
 かれは時々にこんなことも云った。主人夫婦は勿論、店の者共も気味を悪がって、病人のお米を宿へ下げてしまった。その駕籠の出るのをみて、近所の者はまたいろいろの噂を立てた。こんなことが長く続いていれば、店は次第にさびれるに決まっているので、番頭の金兵衛もひどく心配していたが、幸いにお藤の足の痛みはだんだんに薄らいで、もう此の頃では馬道へ通わないでも済むようになった。次郎兵衛は店の商売などはどうでもいいというようなふうで、毎日かならず朝と晩とには仏壇の前に座って念仏を唱えていた。
 それらの事はお雪の口からみな文字春の耳にはいるので、彼女はいよいよ暗い心持になって、津の国屋は遅かれ早かれどうしても潰れるのではあるまいかと危ぶまれた。
 八月になって、津の国屋にもしばらく変ったこともなかったが、十二日の宵に奥の間の仏壇から火が出て、代々の位牌も過去帳も残らず焼けてしまった。宵の口のことであるから、大勢がすぐに消し止めて幸いに大事にはならなかったが、場所もあろうに仏壇から火が出たということが家内の人々を又おびやかした。
「お燈明の火が風にあおられたのです」と、番頭の金兵衛は云った。
 この矢先に又こんなことが世間に聞えてはよくないと、金兵衛は努めてそれを秘《かく》して置こうとしたが、誰がしゃべるのか近所ではすぐに知ってしまった。女中のお松ももう居たたまれなくなったと見えて、その月の末に親が病気だというのを口実にして、無理に暇を取って行った。先月にはお米が宿へ下がって、今月はお松が立ち去り、出代り時でもないのに女中がみな居なくなってしまったので、津の国屋では台所働きをする者に差し支えた。近所の桂庵《けいあん》でも忌な噂を知っているので、容易に代りの奉公人をよこさなかった。
「この頃は阿母《おっか》さんとあたしが台所で働くんですよ」と、お雪は文字春に話した。「それでも阿母さんはまだほんとうに足が良くないんですから、あたしが成るたけ働くようにしています。今だからよござんすけれど、だんだん寒くなると困りますわ」
 そういうわけであるから当分は稽古にも来られまいとお雪はしおれた。稽古はともかくも、今まで大きな店で育っているお雪が毎日の水仕事は定めて辛かろうと、文字春も涙ぐまれるような心持で、不運な若い娘の顔を眺めていると、お雪はまた云った。
「お父っさんは隠居するのも、坊さんになるのも、まあ一旦は思い止まったんですけれど、この頃になって又どうしても家には居られないと云い出して、ともかくも広徳寺前のお寺へ当分行っていることになったんです。阿母さんや番頭が今度もいろいろに止めたんですけれど、お父っさんはどうしても肯《き》かないんだから仕方がありません」
「坊さんになるんじゃないんでしょう」
「坊さんになる訳じゃないんですけれど、なにしろ当分はお寺の御厄介になっていて、ほかの坊さん達が暇な時には、御経を教えて貰うことになるんですって。なんと云っても肯かないんだから、阿母さんももうあきらめているようです」
「でも、当分はお寺へ行っていて、気が少し落ち着いたら却っていいかも知れませんね」と、文字春は慰めるように云った。「その方がお家の為かも知れませんよ。そうなると、あとは阿母さんと番頭さんとで御商売の方をやって行くことになるんですね。それでも番頭さんが帳場に坐っていなされば大丈夫ですわ」
「ほんとうに金兵衛がいなかったら、家は闇です。あとは若い者ばかりですから」
 番頭の金兵衛は十一の年から津の国屋へ奉公に来て、二十五年間も無事に勤め通して今年三十五になるが、まだ独身《ひとりみ》で実直に帳場を預かっている。ほかには源蔵、長太郎、重四郎という若い者と、勇吉、巳之助、利七という小僧がいる。それに主人夫婦とお雪と、都合十人暮しの家内に対して、女中二人では今迄でも少し無理であったところへ、その女中がみな立ち去ってしまっては、これだけの人間に三度の飯を食わせるだけでも容易でない。その苦労を思いやると、文字春はいよいよお雪を可哀そうに思ったが、まさかに手伝いに行ってやるわけにもゆかないので、これからだんだんに寒空にむかって、お雪の白い柔らかい手先に痛ましいひび[#「ひび」に傍点]の切れるのをむなしく眺めているよりほかはなかった。
「それでも小僧さんが少しは手伝ってくれるでしょう」
「ええ。勇吉だけはよく働いてくれます」と、お雪は云った。「ほかの小僧はなんにも役に立ちません。暇さえあれば表へ出て、犬にからかったりなんかしているばかりで……」
「なるほど勇どんはよく働くようですね」
 勇吉は金兵衛の遠縁の者で、やはり十一の年から奉公に来て、まだ六年にしかならないが、年の割にはからだも大きく人間も素捷《すばや》い方で、店の仕事の合い間には奥の用にも身を入れて働く。若い者のうちでは長太郎がよく働く。彼は十九で、さきに屋根瓦が落ちて傷つけられた時にも、頭と顔とを白布で巻いて、その日からいつもの通りに働いていたのを、文字春も知っていた。
 それから二日の後に、津の国屋の主人は下谷広徳寺前の菩提寺へ引き移った。主人は寺のひと間を借りて当分はそこに引き籠っているのであると、津の国屋では世間に披露していたが、近所では又いろいろの噂をたてて、津の国屋の主人はとうとう坊主になったとか、少し気が触れたとか、思い思いの想像説を伝えていた。
 九月も十日をすぎて、朝晩はもう薄ら寒くなって来た。文字春は午前《ひるまえ》の稽古をすませて、午から神明の祭りに参詣しようと思って、着物などを着かえていると、台所の口で案内を求める声がきこえた。小女が出てみると、もう五十近い女が小腰をかがめて会釈《えしゃく》した。
「あの、お師匠《しょ》さんはお家《うち》でしょうか」
 狭い家でその声はすぐにこっちへも聞えたので、文字春はあわてて帯をむすびながら出た。
「おまえさんがお師匠さんでございますか」と、女は改めて会釈した。「だしぬけにこんなことを願いに出ますのも何でございますが、お師匠さんはあの津の国屋さんとお心安くしておいでなさるそうでございますね」
「はあ、津の国屋さんとは御懇意にしています」
「うけたまわりますと、あの店では女中さんが無くって困っているとか申すことですが……。わたくしは青山に居ります者で、どこへか御奉公に出たいと存じて居りますところへ、そんなお噂をうかがいましたもんですから、わたくしのような者で宜しければ、その津の国屋さんで使って頂きたいと存じまして……。けれども、桂庵の手にかかるのは忌《いや》でございますし、津の国屋さんへだしぬけに出ますのも何だか変でございますから、まことに御無理を願って相済みませんが、どうかお師匠さんのお口添えを願いたいと存じまして……」
「ああ、そうですか」
 文字春も少しかんがえた。だんだんに寒空にむかって、津の国屋で奉公人に困っているのは判り切っている。年は少し老《と》っているし、あまり丈夫そうにも見えないが、この女一人が住み付いてくれれば津の国屋でもどのくらい助かるかもしれない。お雪も水仕事をしないで済むかも知れない。まことにいい都合であると思ったが、なにをいうにも相手は初対面の女である。身許《みもと》も気心もまるで知れないものを迂濶に引き合わせる訳には行かないと、彼女はしばらくその返答に躊躇していると、女もそれを察したらしく、気の毒そうに云った。
「だしぬけに出ましてこんなことを申すのですから、定めて胡乱《うろん》な奴とおぼしめすかも知れませんが、いよいよお使いくださると決まりますれば、身許もくわしく申し上げます。決しておまえさんに御迷惑はかけませんから」
「じゃあ、少しここに待っていてください。ともかくも向うへ行って訊いて来ますから」
 出先でちょうど着物を着かえているのを幸いに、文字春はすぐに津の国屋へ駈けて行った。女房に逢ってその話をすると、津の国屋では困り切っている最中であるので、すぐにその奉公人を連れて来てくれと云った。
「お師匠さんのおかげで助かります」と、お雪もしきりに礼を云った。
 文字春は皆から礼を云われて、善いことをしたと喜びながら家へ帰って、すぐにその女を津の国屋へ連れて行った。女はお角《かく》といって、年が年だけに応待も行儀もひと通り心得ているらしいので、津の国屋では故障なしに雇い入れることに決めた。

     六

 三日の目見得《めみえ》もとどこおりなく済んで、お角は津の国屋へいよいよ住み込むことになった。お雪は菓子折を持って文字春のところへ礼に来た。新参ながらお角はひどく女房の気に入っているという話を聞いて、文字春もまず安心した。
 お角も礼に来た。それが縁になって、お角は使に出たついでなどに文字春のところへ顔を出した。そうして、やがて一と月ほども無事にすぎた時に、お角はいつものように訪《たず》ねて来て、文字春となにかの話の末にこんなことをささやいた。
「お師匠さんにもいろいろ御厄介になったんですが、わたくしは津の国屋に長く辛抱できればいいがと思っていますが……」
「でも、大変におかみさんの気に入っているというじゃありませんか」と、文字春は不思議そうに訊いた。
「全くおかみさんは目にかけて下さいますし、お雪さんも善い人ですから、なにも不足はないのでございますが……」
 云いかけて彼女は口をつぐんだ。それを押し詰めて詮議すると、津の国屋の女房お藤は番頭の金兵衛と不義を働いているというのであった。金兵衛は男盛りの独身者《ひとりもの》であるが、お藤はもう五十を越えている。まさかにそんな不埒《ふらち》を働く筈はあるまいと、文字春も初めは容易に信用しなかったが、お角はその怪しい形跡をたびたび認めたというのである。土蔵の奥や二階のひと間へ不義者がそっと連れ立ってゆくのを、自分はたしかに見とどけたと彼女は云った。
「併しそんなことがいつまでも知れずには居りますまい」と、お角は溜息をついた。「もし何かの面倒が起りました時に、わたくしが手引きでも致したように思われましては大変でございます」
 主人の女房と家来とが密通の手引きをした者は、その時代の法としては死罪である。お角が津の国屋に奉公をしているのを恐れるのも無理はなかった。お角は暇をとれば、それで済むが、済まないのは女房と番頭との問題で、万一それが本当であるとすれば、津の国屋が潰れるような大騒動が出来《しゅったい》するに相違ない。死霊の祟りよりもこの祟りの方が覿面《てきめん》に怖く思われて、文字春はまた蒼くなった。
 しかし彼女はまだ一途《いちず》にお角の話を信用することも出来ないので、そんなことを迂濶に口外してはならぬと、くれぐれもお角に口止めをして帰した。
 よもやとは思いながら、文字春も幾らかの疑いを懐かないわけには行かなかった。お雪は父が自分から進んで菩提寺へ出て行ったように話していたが、あるいは女房と番頭とが狎《な》れ合いでうまく勧めて追い出したのではあるまいかとも疑われた。年も五十を越して、ふだんは物堅いように見えていた女房に、そんな恐ろしい魔が魅《さ》すというのも、やはり死霊の祟りではあるまいかとも恐れられた。
 お安という女の執念はいろいろの祟りをなして、結局、津の国屋をほろぼすのではあるまいかとも思われた。併しこればかりは、文字春は誰に話すことも出来なかった。お雪にかま[#「かま」に傍点]をかけて聞き出すことも出来なかった。
「いくら願っても、お暇をくださらないので困ります」
 お角はその後にも来て文字春に話した。この間からお暇を願っているが、おかみさんがどうしても肯いてくれない。お給金が不足ならば望み通りにやる。年の暮には着物も買ってやる。こっちでは十分に眼をかけてやるから、せめて来年の暖くなるまで辛抱してくれと云われるので、こっちもさすがにそれを振り切って出ることも出来ないので困っていると、お角はしきりに愚痴をこぼしていた。かれが暇を願っているのは事実であるらしく、お雪も文字春のところへ来てそんなことを話した。お角はいい奉公人であるから、なんとかして引き留めて置きたいと阿母さんもふだんから云っていると、彼女はなんの秘密も知らないように話していた。
 自分が世話をした奉公人が評判がいいのは結構であるが、もし津の国屋の内輪《うちわ》にそんな秘密が忍んでいるとすれば、その奉公人を周旋した自分の身の上にどんな係り合いが起らないとも限らないと、文字春はそれがためにまた余計な苦労を増した。併しその後も別に何事もなしに過ぎて、今年ももう師走のはじめになった。底寒い日が幾日もつづいて、時々に大きい霰《あられ》が降った。
「おい、師匠。もう起きたかえ」
 師走の四日の朝、もう五ツ(午前八時)を過ぎたころに、大工の兼吉が文字春の家の格子をあけた。
「あら、棟梁。なんぼあたしだって……。もうこのとおり、朝のお稽古を二人も片付けたんですよ。節季師走《せっきしわす》じゃありませんか」
「そんなに早起きをしているなら知っているのかえ。津の国屋の一件を……」
「津の国屋の……。どうしたんです。何かあったんですか」と、文字春は長火鉢の上へ首を伸ばした。
「とんでもねえことが出来てしまって、ほんとうに驚いたよ」と、兼吉も火鉢の前に坐って、まず一服すった。
「おかみさんと番頭さんが土蔵のなかで首をくくったんだ」
「まあ……」
「全くびっくりするじゃねえか。何ということだ。呆《あき》れてしまった」
 兼吉は罵るように云いながら、火鉢の小縁《こべり》で煙管《きせる》をぽんぽんと叩くと、文字春の顔の色は灰のようになった。
「どうしたんでしょうねえ、心中でしょうか」と、彼女は小声で訊いた。
「まあ、そうらしい。別に書置らしいものも見当らねえようだが、男と女が一緒に死んでいりゃ先ずお定まりの心中だろうよ」
「だって、あんまり年が違うじゃありませんか」
「そこが思案のほかとでもいうんだろう。出入り場のことを悪く云いたかねえが、あのおかみさんも一体よくねえからね。いつかも話した通り、お安という貰い娘《こ》をむごく追い出したのも、おかみさんが旦那に吹っ込んだに相違ねえ。そんなことがやっぱり祟っているのかも知れねえよ。なにしろ津の国屋は大騒ぎさ。二人も一度に死んでいるんだから、内分にも何にもなることじゃあねえ。取りあえず主人を下谷から呼んでくるやら、御検視を受けるやら、家じゅうは引っくり返るような騒動だ。なんと云っても出入り場のことだから、おいらも今朝から手伝いに行ってはいるが、娘と奉公人ばかりじゃあどうすることも出来ねえので弱っている」
「そうでしょうねえ」
 お角の話が今更のように思い合わされて、文字春は深い溜息をついた。
「それで御検視はもう済んだんですか」
「いや、御検視は今来たところだ。そんなところにうろついていると面倒だから、おいらはちょいとはずして来て、御検視の引き揚げた頃に又出かけようと思っているんだ」
「それじゃあ、あたしももう少し後に行きましょう。そんな訳じゃあお悔みというのも変だけれど、まんざら知らない顔も出来ませんからね」
「そりゃあそうさ。まして師匠はあすこの家まで幽霊を案内して来たんだもの」
「いやですよ」と、文字春は泣き声を出した。「後生《ごしょう》ですから、もうそんな話は止して下さいよ。なんの因果で、あたしはこんな係り合いになったんでしょうねえ」
 半※[#「日+向」、第3水準1-85-25]《はんとき》あまりも過ぎて、兼吉は再び出ていった。文字春はこわごわながら門口《かどぐち》へ出て見ると、近所の人達もみな門《かど》に出てなにか頻りにいろいろの噂をしていた。津の国屋のまえにも大勢の人があつまって内を覗いていた。きょうも朝から雲った日で、灰を凍らせたような暗い大空が町の上を低く掩っていた。
「おい、師匠。御近所がちっと騒々しいね」
 声をかけられて見返ると、それはここらを縄張りにしている岡っ引の常吉であった。桐畑の幸右衛門はこのごろ隠居同様になって、伜の常吉が専ら御用を勤めている。彼はまだ二十五六の若い男で、こんな稼業には似合わないおとなしやかな色白の、人形のような顔かたちが人の眼について、人形常という綽名《あだな》をとっているのであった。
 人に可愛がられない商売でも、男は男、しかも人形の常吉に声をかけられて文字春は思わず顔をうすく染めた。かれは袖口で口を掩いながら初心《うぶ》らしく挨拶した。
「親分さん。お寒うございます」
「ひどく冷えるね。冷えるのも仕方がねえが、また困ったことが出来たぜ」
「そうですってね。もう御検視は済みましたか」
「旦那方は今引き揚げるところだ。就いては師匠、おめえにちっと訊きてえことがあるんだが、後に来るよ」
「はあ、どうぞ、お待ち申しております」
 常吉はそのまま津の国屋の方へ行ってしまった。文字春はあわてて内へはいって、別の着物を出して着換えた。帯も締めかえた。そうして、長火鉢へたくさんの炭をついだ。かれは津の国屋の一件について、なにかの係り合いになるのを恐れながら、一方には常吉の来るのを迷惑には思っていなかった。

     七

「師匠。内かえ」
 常吉が文字春の家の格子をくぐったのは、それから一《とき》ほどの後であった。文字春は待ち兼ねていたように、すぐに長火鉢のまえを起って出た。
「さきほどは失礼。きたないところですが、どうぞこちらへ……」
「じゃあ、ちっと邪魔をするぜ」
 若い岡っ引が草履をぬいで内へあがると、文字春は小女に耳打ちをして、近所の仕出し屋へ走らせた。
「ところで、師匠。早速だが、少しおめえに訊きてえことがある。あの津の国屋の娘はおめえの弟子だというじゃあねえか。師匠も津の国屋へときどき出這入りすることもあるんだろう」
「はあ。時々には……」と、文字春はうなずいた。「ですから、きょうも後にちょいと顔出しをしようと思っているんです」
「ところで、素人《しろと》っぽいことを訊くようだが、今度の一件についてなんにも心当りはねえかね。おいらの考えじゃあ、おかみさんと番頭の心中はどうも呑み込めねえ。あれには何か込み入ったわけがあるだろうと思うんだが……。おいらは前から知っているが、あの金兵衛という番頭は白鼠で、そんな不埒を働く人間じゃあねえ。ましておかみさんとは母子《おやこ》ほども年が違っている。たとい一緒に死んだとしても、心中じゃあねえ。何かほかに仔細があるに相違ねえ。今の処じゃあ年の若けえ娘と奉公人ばかりで、何を調べても一向に手応《てごて》えがねえので困っているんだが、師匠、決しておめえに迷惑はかけねえ。なにか気のついたことがあるんなら教えてくんねえか」
「そうですねえ。親分も御承知でしょう。なんだか津の国屋にいやな噂のあることは……」
「いやな噂……」と、常吉もうなずいた。「なにかあの店が潰れるとかいうんじゃねえか」
「そうですよ。あたしはよく知りませんけれど、津の国屋にはお安さんとかいう娘の死霊が祟っているとかという噂ですが……」
「娘の死霊……。そりゃあおいらも初耳だ。そうして、その娘はどうしたんだ」
 相手が乗り気になって耳を引き立てるので、文字春は自然に釣り出されたのと、もう一つには常吉に手柄をさせてやりたいというような下心《したこころ》をまじって、彼女はさきに兼吉から聞かされたお安の一件をくわしく話した。まだその上に自分がお祖師様へ参詣の帰り路で、お安の幽霊らしい若い娘と道連れになったことまで怖々《こわごわ》とささやくと、常吉はいよいよ熱心に耳をかたむけていた。殊に文字春が幽霊のような娘に出逢ったということが彼の興味を惹いたらしかった。彼はその娘の年ごろや人相や服装《みなり》などを一々明細に聞きただして、自分の胸のうちに畳み込んでいるように見えた。
「むむ。こりゃあいいことを聞かしてくれた。師匠、あらためて礼をいうぜ、そんなことはちっとも知らなかった」
 仕出し屋から誂えの肴を持ち込んで来たので、文字春はすぐに酒の支度をした。
「こりゃあ気の毒だな。こんな厄介になっちゃあいけねえ」と、常吉はこころから気の毒そうに云った。
「いいえ、ほんの寒さしのぎにひと口、なんにもございませんけれど、あがってください」
「じゃあ、折角だから御馳走になろう」
 二人は差し向いで飲みはじめた。その間に、文字春は津の国屋の一件について、自分の知っているだけのことを残らずしゃべってしまった。女中のお角は自分が世話をしたんだということも打ち明けた。これも常吉の注意を惹いたらしく、彼はときどきに猪口《ちょこ》をおいて考えていた。なんだか残り惜しそうに引き留める師匠をふり切って、彼は半※[#「日+向」、第3水準1-85-25]ほどの後にここを出た。
「まだ御用がたくさんある。いい心持に酔っちゃあいられねえ。また来るよ」
 彼は幾らかの金をつつんで、文字春が辞退するのを無理に押しつけるようにして置いて行った。霰はまだ時々にばらばらと降っていた。常吉はその足で再び津の国屋へ引っ返して、なにかの手伝いをしている大工の兼吉を表へ呼び出して、お安のことをもう一度訊きただした。それから女中のお角をよび出して、女房と番頭との関係についても一応詮議すると、お角は文字春にも話した通り、たしかに二人が密会しているらしい証跡を見とどけたと云った。しかし自分は新参者で、それにはなんにも関係のないということを繰り返して弁解していた。常吉はそれだけの調べを終って、更に八丁堀へ顔を出すと、同心たちの意見も心中に一致していて、もう詮議の必要を認めないような口ぶりであった。それでも此の時代に於いては、主人と奉公人との密通は重大事件であるから、なにか新しく聞き込んだことがあったならば、油断なく更に詮議しろとのことであった。常吉はお安の幽霊一件を同心らの前ではまだ発表しなかった。ただ自分には少し腑に落ちないところがあるから、もう一と足踏み込んで詮議してみたいというだけのことを断わって帰って来た。彼はそれからすぐに神田三河町の半七をたずねて、何かしばらく相談して別れた。
 その次の日の午過ぎに津の国屋から女房お藤の葬式《とむらい》が出た。しかし番頭と心中したということになっている以上、無論に表向きの葬式を営むことも出来ないので、日の暮れるのを待ってこっそりと棺桶をかつぎ出した。近所の者もわざと遠慮して、大抵は見送りに行かなかった。文字春も津の国屋へ悔みに行っただけで、葬式の供には立たなかった。大工の兼吉と店の若い者二人と、親類の総代が一人、唯それだけの者が忍びやかに棺のあとについて行った。内福と評判されている津の国屋のおかみさんの葬式があの姿とは、心柄とはいいながらあんまり哀れだと近所の者もささやきあっていた。世間に対して面目ないせいもあろう、主人の次郎兵衛は奥に閉じ籠ったきりで、ほとんど誰にも顔をあわせなかったが、初七日《しょなのか》のすむのを待って再び寺へ帰るとの噂であった。
 女房も番頭も同時に世を去って、あとは若い娘のお雪ひとりである。その上に主人が寺へ帰ってしまったらば、誰が店を取り締って行くであろう、と近所では専ら噂していた。文字春も不安でならなかった。死霊の祟りで津の国屋はとうとう潰れてしまうのかと、彼女はいよいよおそろしく思った。
 そのうちに初七日も過ぎたが、次郎兵衛はやはり津の国屋を立ち退かなかった。彼はあまりに意外の出来事におどろかされて、葬式の出たあくる日から病気になって、どっと床に就いているのだと伝えられた。店の方は休みも同様で、二、三人の親類が来て家内の世話しているらしかった。
 津の国屋の初七日が過ぎて三日の夜であった。文字春は芝のおなじ稼業の家に不幸があって、その悔みに行った帰り途に、溜池の縁《ふち》へさしかかったのはもう五ツ(午後八時)を過ぎた頃であった。津の国屋といい、今夜といい、とかくに忌なことばかり続くので、文字春もいよいよ暗い心持になった。早く帰るつもりであったのが思いのほかに時を費したので、暗い寂しい溜池のふちを通るのが薄気味が悪かった。今日《こんにち》と違って、山王山の麓をめぐる大きい溜池には河獺《かわうそ》が棲むという噂もあった。幽霊の娘と道連れになったことなどを思い出して、文字春はぞっ[#「ぞっ」に傍点]とした。月のない、霜ぐもりとでも云いそうな空で、池の枯蘆《かれあし》のなかでは雁の鳴く声が寒そうにきこえた。文字春は両袖をしっかりとかきあわせて、自分の下駄の音にもおびやかされながら、小股に急いで来ると、暗い中から駈けて来た者があった。
 避ける間もなしに両方が突き当ったので、文字春はぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]として立ちすくむと、相手はあわただしく声をかけた。
「早く来てください。大変です」
 それは若い女、しかも津の国屋のお雪の声らしいので、文字春はまた驚かされた。
「あの、お雪さんじゃありませんか」
「あら、お師匠さん。いいところへ……。早く来てください」
「一体どうしたの」と、文字春は胸を躍らせながら訊いた。
「店の長太郎と勇吉が……」
「長どんと勇どんが……。どうかしたんですか」
「出刃庖丁で……」
「まあ、喧嘩でもしたんですか」
 暗い中でよく判らないが、お雪はふるえて息をはずませているらしく、もう碌々に返事もしないで、師匠の足もとにべったりと坐ってしまった。
「しっかりおしなさいよ」と、文字春は彼女を抱き起しながら云った。「そうして、その二人はどこにいるんです」
「なんでもそこらに……」
 なにしろ暗いので、文字春にはちっとも見当が付かなかった。水明かりでそこらを透かしてみたが、近いところでは二人の人間があらそっている様子も見えなかった。仕方がなしに彼女は声をあげて呼んだ。
「もし、長さん、勇さん……。そこらにいますか。長さん……、勇さん……」
 どこからも返事の声はきこえなかった。暗さは暗し、不安はいよいよ募ってくるので、文字春はお雪の手を引いて、明るい灯の見える方角へ一生懸命にかけ出した。

     

 半分は夢中で自分の家のまえまで駈けて来て、文字春は初めてほっと息をついた。よく見ると、お雪も真っ蒼になって、今にも再び倒れそうにも思われたので、ともかくも家の中へ連れ込んで、ありあわせの薬や水を飲ませた。すこし落ち着くのを待って今夜の出来事を聞きただすと、それは又意外のことであった。
 今夜お雪が店先へ出ると、あとから若い者の長太郎がついて来て、少し話があるから表までちょいと出てくれというので、なに心なく一緒に出ると、長太郎は突然に短刀を抜いて彼女の眼の先に突きつけた。そうして、そこまで黙って一緒に来いとおどした。相手が鋭い刃物を持っているのにおびやかされて、お雪は声を立てることが出来なかった。両隣りにも人家がありながら、声を立てたら命がないとおどされているので、彼女は身をすくめたままで溜池のふちまで連れて行かれた。
 長太郎はあたりに往来のないのを見て、自分の女房になってくれとお雪に迫った。おどろいて返答に躊躇していると、長太郎はいよいよ迫って、もし自分の云うことを肯かなければ、おまえを殺してこの池へ投げ込んで、自分もあとから身を投げて、世間へは心中と吹聴《ふいちょう》させると云った。お雪はいよいよおびえて、しきりに堪忍してくれと頼んだが、長太郎はどうしても肯かなかった。お雪はもう切羽《せっぱ》つまったところへ、小僧の勇吉があとから駈けて来て、これも出刃庖丁を振りかざして、やにわに長太郎に斬ってかかった。二人は短刀と出刃庖丁とで闘った。お雪は途方にくれて、誰かの救いを呼ぼうとして夢中で駈け出したが、もう気が転倒しているので反対の方角へ足を向けたらしく、あたかもこっちへ帰って来る文字春に突き当ったのであった。
 そう判って見ると、いよいよ捨てては置かれないので、文字春はすぐに津の国屋へ知らせに行った。店でもその報告に驚かされたらしく、若い者二人と小僧二人とが提灯を持って其の場へ駈け付けると、果たして長太郎と勇吉とが血だらけになって枯蘆の中に倒れているのを発見した。どっちも二、三ヵ所の浅手を負った後に、刃物を捨てて組討ちになったらしく、二人は堅く引っ組んだままで池の中へころげ落ちていた。刃物の傷はみな浅手で命にかかわるようなことはなかったが、池へころげ落ちた時に、長太郎は運悪く泥深いところへ顔を突っ込んだので、そのまま息が止まってしまった。勇吉は半死半生の体《てい》であったが、これは手当ての後に正気にかえった。
 お雪を無事に送りとどけて貰ったので、津の国屋では文字春にあつく礼を云った。しかし津の国屋よりもほかに礼を云ってもらいたい人があるので、文字春はさらに桐畑の常吉の家へと報《し》らせに行った。
「どうせ一人死んだことですから、そちらの耳へも無論はいりましょうが、なるべく早い方がいいかと思いまして……」
「いや、それはありがてえ」と、ちょうど居合わせた常吉がすぐに出て来た。「よく知らせてくれた。じゃあ、これから出かけるとしよう。これでこの一件もたいがい眼鼻が付いたようだ。師匠、今にお礼をするよ」
 思い通りに礼を云われて、文字春は満足して帰った。かれはもう死霊の怖いことなどは忘れていた。ちっとぐらい祟られてもいいから、自分も立ち入ってこの事件のために働いて見たいような気にもなった。
 常吉はすぐに津の国屋へ行ってみると、勇吉の傷は右の手に二ヵ所と、左の肩に一ヵ所であったが、どれも手重いものではなかった。それでもよほど弱っているらしいのを常吉はいたわりながら、町内の自身番へ連れて行った。
「おい、小僧。おめえはえれえことをやったな。命がけで主人の娘の難儀を救ったんだ。お上から御褒美が出るかも知れねえぞ。しかしおめえはどうして刃物を持って長太郎のあとから追っかけて行ったんだ。あいつが娘を連れ出すところを見ていたのか」
 弱ってはいたが、勇吉は案外はっきりと答えた。
「はい、見ていました。長太郎が刃物でお雪さんをおどかして、無理にどこへか連れて行こうとするのを見ましたから、空手《からて》じゃあいけないと思って、すぐに台所から出刃庖丁を持ち出して行きました。そうして溜池のところで追っ付いたんです」
「よし、判った。だが、まだ一つ判らねえことがある。おめえはそれを見つけたら、なぜほかの者に知らせねえ。自分一人で刃物を持ち出して行くというのはおかしいじゃねえか」
 勇吉は黙っていた。
「ここが大事のところだ」と、常吉は諭《さと》すように云った。「おめえが褒美を貰うか、下手人《げしゅにん》になるか、二つに一つの大事のところだ、よく落ち着いて返事をしろ」
 勇吉はやはり黙っていた。
「じゃあ、おれの方から云うが、おめえは何か長太郎を怨んでいるな。娘を助ける料簡も無論だが、まだ其のほかに、いっそここで長太郎をやっつけてしまおうという料簡がありゃあしなかったか、どうだ。はっきり云え」
「恐れ入りました」と、勇吉は素直に手をついた。
「むむ、そうか」と、常吉はうなずいた。「よく素直に申し立てた。そこで、なぜ長太郎をやっつける気になった。長太郎になにか遺恨でもあるのか」
「どうも仇《かたき》のように思われてなりませんので……」
「かたき……。むむ、おめえは津の国屋の番頭の親類だということだな」
「はい。金兵衛の縁で津の国屋へ奉公にまいりました」
「その金兵衛の仇……。長太郎が金兵衛を殺したのか」と、常吉は念を押した。
「どうもそう思われてなりません」と、勇吉は眼をふいた。
 それには何か証拠があるかと常吉が押し返してきくと、勇吉は別に確かな証拠はないと云った。併しどうもそう思われてならない。金兵衛は自分の親類であるが、決して主人と不義密通を働くような人間ではない。かれの死骸を土蔵の中で発見した時から、これは自分で首をくくったのではない、誰かが彼を絞め殺してその死骸を土蔵の中へ運び込んだのに相違ないと判断したが、何分にも確かな証拠がないので、自分はよんどころなしに今まで黙っていたのであると、勇吉は申し立てた。それにしても、数ある奉公人の中でどうして長太郎一人を下手人と疑ったのかと、常吉はかさねて詮議すると、その前日の午《ひる》すぎに長太郎が主人の娘に向って何か冗談を云った。それがあまりにしつこいのと猥《みだ》りがましいのとで、帳場にいた金兵衛が聞き兼ねて、大きい声で長太郎を叱り付けた。叱られた長太郎はすごすご起って行ったが、その時に彼は怖い眼をして金兵衛をじろりと睨んだ。その鋭い眼つきが今でも自分の眼に残っていると勇吉は云った。
 併しそれだけのことでは表向きの証拠にならないので、勇吉は口惜しいのを我慢していると、今夜の事件が測らずも出来《しゅったい》した。憎らしい長太郎が主人の娘を脅迫して、どこへか連れて行こうとするのである。今年十六の勇吉はもう堪忍ができなくなって、いっそ彼を殺してお雪を救おうと、咄嗟《とっさ》のあいだに思案を決めたのであった。
「よし、よし、よく申し立てた」と、常吉は満足したようにうなずいた。「傷養生をして後日《ごにち》の御沙汰を待っていろ。かならず短気を出しちゃあならねえぞ。金兵衛の仇はまだほかにも大勢ある。それは俺がみんな仇討ちをしてやるから、おとなしく待っていろ」
「ありがとうございます」と、勇吉は再び眼を拭いた。
 勇吉をいたわって、あとから津の国屋へ送ってやるようにと町《ちょう》役人に云いつけておいて、常吉はすぐに津の国屋へ引っ返して行こうとして、文字春の家の前を通りかかると、家の中では何かけたたましい女の叫び声がきこえた。それが耳について思わず立ちどまる途端に、水口《みずくち》の戸を押し倒すような物音がして、ひとりの女が露路の中から転がるように駈け出して来た。つづいて又一人の女が何か刃物をふり上げて追って来るらしかった。常吉は飛んで行って、あとの女の前に立ちふさがると、女は夜叉《やしゃ》のようになって彼に斬ってかかった。二、三度やりたがわして其の刃物をたたき落して、常吉は叫んだ。
「お角、御用だ」
 御用の声を聞くと、女は掴まれた腕を一生懸命に振りはなして、もとの露路の奥へ引っ返して駈け込んだ。常吉はつづいて追ってゆくと、逃げ場を失ったものか但しは初めから覚悟の上か、かれはそこにある井戸側に手をかけたと思うと、身をひるがえして真っ逆《さか》さまに飛び込んだ。
 長屋じゅうの手を借りて常吉はすぐに井戸の中から女を引き揚げさせたが、かれはもう息が絶えていた。それが文字春の世話で津の国屋へ奉公に行ったお角であることは、常吉も初めから知っていた。文字春の話によると、たった今その水口の戸をそっとたたいて師匠に逢いたいという者がある。この夜更けに誰か知らんと思いながら、文字春は寝衣《ねまき》のままで出て見ると、それはかのお角で、お前が余計なおしゃべりをしたもんだから何もかもばれてしまったと云いながら、隠していた剃刀《かみそり》でいきなりに斬ってかかったので、文字春はおどろいて表へ逃げ出したというのであった。
「大方そんなことだろうと思った。だが、まあ、怪我がなくてよかった」と、常吉は云った。
 女房と番頭と二人の死人を出した津の国屋では、それから十日も経たないうちに、又もや長太郎とお角と二人の死人を出した。しかし、これで丁度差し引きが付いたのであるということが後に判った。

     

 津の国屋のお藤を絞め殺したのは、女中のお角であった。金兵衛を絞め殺したのは、勇吉の想像の通りに若い者の長太郎であった。かれらは女房と番頭が熟睡しているところを絞め殺して、二つの死骸をそっと土蔵の中へ運び込んで、あたかも二人が自分で縊《くび》れ死んだようによそおったのであった。
 津の国屋の親戚で、下谷に店を持っている池田屋十右衛門、浅草に店を持っている大桝屋弥平次、無宿のならず者熊吉と源助、矢場女お兼、以上の五人は神田の半七と桐畑の常吉の手であげられた。津の国屋の菩提寺の住職と無宿の托鉢僧とは寺社方の手に捕えられた。これでこの一件は落着《らくぢゃく》した。
 これまで書けば、もう改めてくわしく註するまでもあるまい。池田屋十右衛門と大桝屋弥平次と菩提寺の住職と、この三人が共謀して、かねて内福の聞えのある津の国屋の身代を横領しようと巧んだのであった。津の国屋の主人次郎兵衛は貰い娘《こ》のお安をむごたらしく追い出して、とうとう変死をさせたことを内心ひそかに悔んでいた。殊に惣領娘のお清があたかもお安と同い年で死んだので、彼はいよいよそれを気に病んで、おりおりには菩提寺の住職に向って懺悔話をすることもあった。それが彼等三人に悪計を思い立たせる根源で、坊主が一人加わっているだけに、かれらはお安の死霊を種にして津の国屋の一家をおびやかそうと企てた。
 今日から考えると、頗る廻り遠い手段のようではあるが、その時代の彼等としては余ほど巧妙な手段をめぐらそうとしたのかも知れない。かれらはまず死霊の祟りということを云い触らさせて、津の国屋一家に恐れを懐かせ、さらに菩提寺の住職から次郎兵衛をおどして、体《てい》よく隠居させて自分の寺内へ押し込めてしまうつもりであった。そうすれば、いやでも娘のお雪に婿を取らなければならない。その婿には池田屋十右衛門の次男を押し付けるという段取りで、だんだんにその計略を進行させることになった。しかし堅気の商人《あきんど》や寺の坊主ばかりでは、万事が不便であるので、かれらは浅草下谷をごろ付きあるいている無宿者の熊吉と源助とを味方に抱き込んだ。
 お安の幽霊に化けたのは、浅草のお兼という矢場女で、見かけは十七八の初心《うぶ》な小娘らしいが、実はもう二十を二つも越しているという莫蓮者《ばくれんもの》で、熊吉の世話でこれもこの一件の徒党に加わったのであった。熊吉と源助は津の国屋の近所を徘徊して、絶えずその様子をうかがっているうちに、お雪の師匠の文字春が堀の内へ参詣に行って、その帰り路はきっと日が暮れるのを見込んで、撫子の浴衣をきたお兼を途中に待ち受けさせて、怪談がかったお芝居を演じさせたのであった。しかし文字春が迂濶《うかつ》にそれを世間に吹聴しないらしいので、かれらは的《あて》がはずれた。今度は手をかえて、怪しい托鉢僧を津の国屋の前に立たせた。お兼は女中たちの湯帰りをおどした。
 それでどうにかこうにか次郎兵衛だけはこっちへ人質《ひとじち》に取ってしまったが、女房と番頭とが案外にしっかりしていて、かれらの目的も容易に成就しそうもないので、かれらは少し焦《じ》れ出して更に残酷な手段をめぐらすことになった。お兼は叔母のお角を津の国屋へ住み込ませて、隙を見て女房と番頭とを亡き者にしようと試みたが、さすがにお角一人では荷が重いので、店の若い者の長太郎を味方に引き込もうとした。長太郎はふだんから主人の娘のお雪に思いをかけているので、これが首尾よく成就すればかならずお雪と添わせてやるという条件で、とうとう悪人の仲間に入れてしまった。そうして女房と番頭とが不義を働いているらしいということをお角の口から前以って吹聴させて置いて、よい頃を見測らって二人の悪人が予定の計画通りに女房と番頭とを亡《ほろぼ》した。しかもそれを巧みに心中と見せかけて世間を欺き、あわせて検視の役人の眼を晦《くら》ました。
 これまでは先ず彼等の思いのままに進行したが、その秘密を桐畑の常吉に嗅ぎ付けられたらしいのが、彼等におびただしい不安をあたえた。常吉は文字春から委《くわ》しい話を聴いて、半七と相談の上で先ずその幽霊の身許詮議に取りかかった時に、半七がふと思い付いたのは彼《か》のお兼のことであった。お兼はいつまでも初心《うぶ》らしく見えるのを種として、これまでに小娘に化けて万引や騙りを働いた兇状がある。もしや彼女ではあるまいか眼串を刺して、子分の者に云い付けてひそかに彼女が此の頃の様子を探らせると、お兼は先頃浅草の小料理屋へ行って池田屋十右衛門に逢ったことが判った。池田屋は津の国屋の親類である。もう一つには、かの熊吉が大桝屋へ忍んで行って、ときどきに博奕の資本《もとで》を借り出して来るらしいことが、彼の仲間の口から洩れた。大桝屋も津の国屋の親類である。それから疑いはいよいよ深くなって、半七は遠慮なしに熊吉を引き揚げてしまった。しかし彼もなかなかの強情者で、容易にその秘密を白状しなかった。
 たとい白状しても、白状しないでも、徒党の一人が引き揚げられたと聞いて、かれらは俄かにうろたえ始めた。源助はあわてて何処へか姿をかくした。それが津の国屋の方へもきこえたので、お角も長太郎もぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]とした。お角は文字春の家の小女をだまして、師匠の口から常吉にいろいろのことを訴えられたらしいことを探り知ったが、大胆な彼女はわざと平気で澄ましていた。しかし年の若い長太郎はなかなか落ち着いていられなかった。彼は破れかぶれの度胸を据えて、いっそお雪を脅迫して何処へか誘拐して行こうと企てたが、それを勇吉に妨げられて、自分は溜池の泥水を飲んで死んだ。
 こうなると、お角もさすがに平気ではいられなくなった。そのまますぐに姿を隠してしまえば、或いはもう少し生き延びられたかも知れなかったが、こうした女の習いとして彼女は文字春をひどく憎んだ。何をしゃべったか知らないが、男のいい岡っ引を引っ張り込んで、酒を飲ませてふざけながら、自分たちの秘密を洩らしたかと思うと、お角はむやみに文字春が憎らしくなって、行きがけの駄賃に殺すつもりか、それとも顔にでも傷をつけるつもりか、ともかくも彼女の家へ押掛けて行ったのが運の尽きで、お角はわが身を井戸へ沈めることとなったのである。勿論、死人に口なしで、お角がほんとうの料簡はよく判らない。事情の成行きで唯こう想像するだけのことであった。
 徒党の者はすべてその罪状を白状した。源助は一旦その姿を晦《くら》ましたが、千住の友達へ立ち廻ったところを捕えられた。主犯者の池田屋と大桝屋は死罪、菩提寺の住職とお兼は遠島、その他の者は重追放を申し渡された。
 これでこの怪談は終ったが、ついでに付け加えて置きたいのは、その明くる年に桐畑と津の国屋とに二組の縁談の纒《まと》まったことであった。一方は常吉と文字春とで、一方は勇吉とお雪であった。常吉は二十六で、文字春は二十七であった。勇吉は十七で、お雪は十八であった。もっとも、津の国屋の方は約束だけで、ほんとうの祝言はもう一年繰り延べることとなったが、二組ともに一つずつの年上の嫁を持つというのは、そこに何かの因縁があったのかも知れないと、大工の兼吉は仔細ありそうに話していた。

「どうです。かなり入り組んでいるでしょう」と、半七老人は笑いながら云った。「くどくもいう通り、随分廻り遠い計略で、今日の人達から考えると、あんまり馬鹿々々しいように思われるかも知れませんが、第一には何といっても昔の人間は気が長い。もう一つには金儲けということがなかなかむずかしかったからですね。津の国屋――津国屋と書くのがほんとうだそうですが、暖簾にはやはり津の国屋と、の字を入れてありました。読みいいためでしょう――は何でも地所家作を合わせて二、三千両の身代だったそうです。その頃の二、三千両と云えばこの頃の十万円ぐらいに当るでしょうから、それだけのものをただ取るには並大抵のことではむずかしい。大勢の人間が知恵をしぼって、暇をつぶしても二、三千両の身代を乗っ取れば、まず大出来だったんでしょうよ。今日のようにボロ会社を押っ立てて新聞へ大きな広告をして、ぬれ手で何十万円を掻き込むなんていう、そんな器用な芸当をむかしの人間は知りませんからね。十万円の金を儲けるにも、これほど手数がかかった芝居をしたんです。それを思うと、むかしの悪党は今の善人よりも馬鹿正直だったかも知れませんね。あははははは」
 これもやはりほんとうの怪談ではなかった。わたしは何だか一杯食わされたような心持で、老人の笑い顔をうっかりと眺めていた。

底本:「時代推理小説 半七捕物帳(二)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年3月20日初版1刷発行
入力:tat_suki
校正:ごまごま
1999年8月2日公開
2004年2月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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