秋の夜がたり—— 岡本かの子

 中年のおとうさんと、おかあさんと、二十歳前後のむすこと、むすめの旅でありました。
 旅が、旅程の丁度半分程の処で宿をとつたのですがその国の都と、都から百五十里も離れた田舎《いなか》との中間の或る湖畔の街の静《しずか》なホテルです。
 その国と云ひましたが、さあ、日本か、外国か、今か、昔かと、それを作者はどう極《き》めませう。実は、日本でも外国でも、今でも昔でも関《かま》はないのです。この物語の真実や、真味は、さういふことに一向かまはないで作者の意図に登り、そして読者に語られようとしてゐます。だが挿画《さしえ》画家さんにお気の毒ですね。黒眼を描かうか碧眼《へきがん》を現はさうか縮毛《ちぢれげ》か延髪か描き分けよう術《すべ》もありませんでせうから。ですから具体的な人物でなくとも、草か木か鳥獣か花かで、この物語の読後の気持を現はして下さつても宜《よ》いのです。といつて私がこれ以上くどく画家さんに指図をしなくてもそれはその道の技量敏感で、どうしてでも筋や真実真味のけはひ[#「けはひ」に傍点]を現はして下さるでせうから、私は私の物語に遠慮なくは入《い》らして頂きませう。
 季節は秋です。夕方すこし烈《はげ》しかつた風もすつかり落ちて、草木のけはひが風にもまれなかつた前の静《しずか》なたゝずまひに返り、月が、余り明る過ぎない程の明るさで宵の山の端にかかりました。ホテルの窓からはほんの湖水の一端しか見えませんが、その一端の澄み上つた爽《さわや》かさが広い全面の玲朗《れいろう》さを充分に想はせる効果をもつて四人の健康な清麗な親子の瞳に沁《し》み入りました。そして、今、給仕人が引下げて行つたばかりの晩餐《ばんさん》の幾つもの皿には、その湖水でとれた新らしい香の高い魚類が料理されてあつたのです。それらの皿と入れ違ひに、附近の山でとれたといふ採りたての無花果《いちじく》の実が、はじけ相《そう》な熟した果肉を漸《ようや》く圧《おさ》へた皮のいろも艶《つや》やかに、大きな鉢に入れられて濃いこうばしいお茶と一緒に運ばれました。

  ――おとうさん。今夜こそ、わたし達は私達の真実のことを、この子供達にお話しいたしませうね。
  ――ああ、それが好い。

 これがおとうさんの返事です。

 ――さうよ、おかあさん。もう四五年前からのお約束ですもの。
 ――僕たちが二十位になつたら話してあげるつて仰《おっしゃ》つたことがありましたつけ。

 歳も二十と十九の一つ違ひのむすこと、むすめが言ひました。

  ――まあ無花果をたくさん喰べてな、お茶もこうば[#「こうば」に傍点]しいぞ、月が半分も、あの山の端に傾いた頃から話し出さうよ。

 おとうさんが、きつぱりと云ひますと、先に云ひ出したおかあさんがいそいそとしたなかにもすこし恥《はずか》し相な赫《あか》らめた顔色を見せました。わが母|乍《なが》ら美くしい愛らしいと、むすめはそれを眺めました。

 おとうさんもおかあさんも、今度一族が出発して来た田舎《いなか》の人ではありませんでした。実は今夜一晩保養の為に優勝の地として名高い此《こ》の湖畔で楽しいくつろぎをしてから更に明日出向いて行かうとする都の生れの人達なのでありました。
 都でもと生れた人が百五十里もの遠い田舎の人となり、其処《そこ》でむすことむすめを設け、土着の住民となつたからとてそれが別に大して珍らしいことでもむづかしいわけのものでもありません。けれど、このおとうさんと、おかあさんがさうなつた径路についてはそこにほかの人並とは違つた事情があつたのであります。
 知る人ぞ知る。とでも云ひ度《た》いところですが、さすがに百五十里はなれれば、そしてこのおとうさんやおかあさんのやうに自然すぎるほど落ついて土着して仕舞《しま》へば実際、あやしむ人はおろか、当のおとうさんおかあさん自身でさへ殆《ほとん》ど自分達の前身は忘れはてたやうなものでした。おそらく田舎《いなか》暮らし何年間を他人事のやうに昔を思ひ隔てて仕舞つて居たにちがひありません。
 昔四十何年か前に、おとうさんとおかあさんは非常に仲好しの女友達同志を母親として都の一隅の街に生れました。二人の母親はまた生憎《あいにく》揃《そろ》ひも揃つて二人をお腹に持つて居た頃に未亡人になりました。丁度国の大戦の為にその国の丁年《ていねん》以上の男子が大方戦線へ出たその兵士の仲に当然|交《まじ》つて行つて仕舞ひ、その上間もなく二人の夫が二人とも戦死したからでありました。未亡人同志は、いよいよ仲好しになり、頼み合ひ、はげまし合ひ、何事も二人の合議で生活して行くやうになつたのです。
 その合議のなかの一つの事件として不思議なことが取り行はれたのでした。おとうさんを生んだ母親は男のおとうさんを女に仕立て、おかあさんを生んだ母親は女のおかあさんを男育てに育てたのでした。よくたとへには、玉のやうな赤ん坊を生んだなどと云ひますが、ほんたうは生れたばかりの赤ん坊といふものは、赤くてくしや/\で女だか男だか一寸《ちょっと》区別がつきかねるものです。前後して生んだ赤ん坊を真実の男とか女とか知つた人はいくらもないそのうちに二人の母親は都住居《みやこずまい》の人達によくあるあちらの街からこちらへと処々生活の都合で越して歩きました。
 おかみへ届けるときにはどうなつてゐたのでせうか分りませんが、二人が自分の名を自分で覚える頃には二人ともその育つ姿や生活に相応する――即《すなわ》ちおとうさんは女にふさはしく、おかあさんは男らしい呼名に都合よくなつて居ました。越して行く先から先の近所の人達も当然それを怪しみもせず、おとうさんを女の児《こ》扱ひにし、おかあさんを男の児と見做《みな》して仕舞ひました。二人の母親は、二人ともつつましく行儀よく出来てゐる女同志で、自分の子たちもさういふしつけの宜《よ》い育て方をしましたので、二人の子達も子供らしい遊びもいたづらも相当に仕《し》て居乍《いなが》らよく子供に有《あり》がちな肉体的な暴露などはありませんでした。さうして育つて行くうちにも仲好しの母親同志は越す先々の家を成《なる》たけ近所同志にえらび、お互ひの生活を接近させてゐました。が、自分達の合議の上で女を男に、男を女に、と取換へつこに育て上げつつある自分達の世間はづれた事業が苦もなく成功して行くのを不思議がりもせず、別に得意にもしなかつたせゐか、しまひにはお互ひ同志ばかりがどんなに人と離れて接近し合つて居る場合でも、それを得意がつたりして談《はな》し合ふことも無い様子でした。否々、しまひには自分の男の児が女として育つて居《お》り、自分の女の児が男として育つて居ることさへ追々《おいおい》忘れて仕舞つたかのやうでありました。
 しかし、あらそはれないもので、そのうちに男の児になつて居る女の児の方に女のしるし[#「しるし」に傍点]が現はれるやうになりました。母親は、今更のやうにあわてふためき、男の児の母親の方へ相談にまで行きました。そして、自分達が合議のうへでめい/\の子供を男は女に、女は男に育てて居たことを子供達に打ち明けました。ただし、それをさうしたといふ訳==つまり何故《なぜ》その母親達が、女を男にして育て、男を女に仕立てて居たかといふわけを母親達は子供達に別に話しはしませんでした。故意か、無雑作《むぞうさ》にか、そして子供達もまたうつかりそれを問ひただすでもなく……世にはそれ程でも無いことを執念《しゅうね》く探り立てする人々があると同時に、可成《かな》り重大な事でも極《ごく》無雑作にかたをつけるあつさりした人達があるものです。この親子達は一面から見ればその後者の方に属する人達とも云へませうが、また一つの解釈からすれば、親はそれ程の重大な事を他人事のやうに簡単に語れ、子もまたそれを他人事のやうに聞ける位、長い間の自分達の現実的過誤に慣れ切つてしまつて居たのです。
 では、その子供達はともかく作者はその母親達がそんな子供の育てかたを何故《なぜ》したかと読者はあるひは詰問なさりはしませんか。作者は実は、その解釈に苦しみます。さあ、どういふ原因が其処《そこ》にあつたものか、ともかく女同志の親密な気持ちには時々はかり知れない神秘的なものが介在してゐるかと思へば極々《ごくごく》つまらない迷信にも一大権威となつて働きかけられる場合もないではないぢやありませんか。
 それはともかく、長い習慣といふものは妙なもので、親が子に明した事実は、ほんの其場《そのば》の親子の間だけの現実に過ぎないものであつて、その後また何の不思議もなく前からの習慣である女の男育ち、男の女仕立てが続きました。当人達でさへそれですもの、世間がその子供達をどちらもほんたうの見かけどほりの男女だと思ふのは無理もありませんでした。


  ――おとうさんが女になつていらしつた時、どんな女でいらしつたでせう。

 少し控へめではありましたが、むつつりと意味深さうに今までのいきさつを聞いてゐた兄より先に妹娘がおとうさんに問ひかけました。すると、おとうさんより先きにおかあさんがその問ひを取つて云ひました。

 ――それは美しい、そしてしとやかであでやかな娘さんでおありでした。

 おかあさんが口を切つたのをしほ[#「しほ」に傍点]におとうさんはおかあさんに頼みました。

 ――おまへ、みんな私の事を知つて居る。私に代つて子供達に話してやつてお呉《く》れ。

 さういふおとうさんの顔をつい二人の子供はちらと見やつてしまひました。おとうさんは顎鬚《あごひげ》のそりあとを艶《つや》やかに灯《ほ》かげに照らして煙草《たばこ》のけむりを静《しずか》に吐いてゐました。

  ――おとうさんが十六七歳になりなさつた頃、おとうさんの母親はある都の或る街に住みついて其処《そこ》で小間物を商《あきな》つて居《お》られました。わづかな資本で始めた店でしたけれど非常に器用なその母親が飾り付けるとお店の商品は生々して造花なんぞまるで生花のやうに上手な照明で見えるのでした。それにお店に炊きこめてある何か大変好いかをりの匂ひものが人達をひきつけて思ひがけないやうな品の好いお客様も時々は見えるやうになりました。
 ――ははあ、それからあのS家のお姫様のおはなしになる段どりですな。

 おとうさんが一寸《ちょっと》なつかしさうなへうきんな調子の横槍《よこやり》をいれましたが却《かえ》つておかあさんの息つぎにそれがなりました。

  ――おとうさんはお店を手伝はなければならなかつたので学校は十六七の歳でやめておしまひになりましたが、やはり本性は男で、どうしても建築学を研究する志《こころざし》でお店を手伝ひ乍《なが》らも独学で一生懸命店裏で本を読んだり暇を見ては方々の街の有名な建築を見て歩いたりしていらしつた。でもよくしたもので、世間の人達はおとうさんのさういつた独学の建築学研究なんか眼に這入《はい》らず、おとうさんが娘姿でお店を手伝ふあでやかな姿ばかりに気をとめて評判をするやうになりました。
 ――S家のお嬢さまがいらしつたといふのはいつでしたの。
  ――まあお待ちなさいよ。それはおとうさんのあでやかな娘姿がお店へ出てから半年もたつた頃、ある日そのお方がおしのびで侍女二三人程連れて街へ買物がてら散歩にお出になつたのですよ。その時、ふとお店におはひりになつたのが始まりで……さあお嬢さまは何がお気にいりで店へさうさいさい[#「さいさい」に傍点]お出《い》でになるやうになつたのでせう。それは小さい非常に感じの好い、まるで月のかくれ家のやうなお店がお気にいりになり大変匂ひの好い炊きものの香もおこのみに合つたのかも知れませんが結局はその店に居るしとやかな娘姿のおとうさんがお好きだつたからだとあとで仰《おっしゃ》つたさうな。
  ――お嬢様はおとうさんが男で娘になつて居ることをもちろん知らなかつたんでせうな。

 と兄がませた口調で聞きました。

  ――ええ、もちろんですとも、そんなこと少しも御存じなくておとうさんをお好きになつたのだから、それは純粋なごひいき様におなりになつたわけなのだよ。
  ――そのお嬢様はお美しかつたの、おかあさん。

 おかあさんは少し困つたやうに娘の問ひに答へました。

 ――お美しかつたとも、ねえおとうさん。お美しいお嬢様でしたともねえ。
  ――ああ、美しいお嬢様でした。

 おとうさんの頬《ほお》は何故《なぜ》か少し赫《あか》らみました。

 ――まあ、それはともかく、おとうさんはたうとうお嬢様に好かれ切つておしまひになり、S家へ来て欲しいとお嬢様から懇望されなさつた。始めはお嬢様のお相手などして折角の建築学の研究を止《や》めなければならないのは厭《いや》だとお思ひになつた相《そう》だけれど、よくお考へなさるとそのS家といふのは都でも名だたる富豪で、本邸は云ふに及ばず広い屋敷内に実に珍らしい建築の亭《ちん》や別荘をお持ちになつていらつしやることに気付き、とてもただではさういふ建築の内部など拝見出来ない、当分お嬢様のお相手がてらさういふ処の見学をなさるおつもりで承知なさつた。ただし、親一人子一人の淋《さび》しい母親を置いて行くのだからお風呂の日だけは実家へ戻して母親と会はせて呉《く》れろといふ条件も直ぐ近所のお邸《やしき》なので聞きとゞけられたのさ。やはり自然と他所《よそ》で風呂になど男の女がは入《い》り度《た》くない気もちがおとうさんに働いたんですね。それから半年、一年と月日が流れおとうさんが十八の春にもなつた頃、おとうさんのお気持ちはとてもとても、苦しいものになつて居ました……。

 お母さんは云ひ淀《よど》みました。むすことむすめも少し堅くなつておとうさんとおかあさんを見較べました。

 ――つまりね。まあ少し云ひ憎《にく》いが、おとうさんがそのお嬢様を大変お慕ひ申すやうにおなりになつてしまつた。お嬢様はお美しい上に、傍に居れば居る程、お利口で優しくなつかしい御性質なのでそれは無理もないことでしたらうよ――しかし、たとへおとうさんが男そのままでお慕ひ申した処が御身分も違ひまして女であり切つてゐるおとうさんが、そんなところをお嬢様にお知らせ申せるわけのものではなし、とかうして苦しんでおいでの処へ、またも一つおとうさんに苦しい事情が出て来ました。ほかでもないそのS家のお嬢様にお兄様がおいでになつた。お歳は二十位。そのお方がいつか娘姿のおとうさんをすつかり女と思つてお慕ひになるやうにおなりなさつた。しかもそのお兄様はS家の大切な一番御子息、そして御病気になる程思ひ慕つてお仕舞《しま》ひなされたのだから困ると云つても一通りの困り方では無く、或《ある》日、お嬢様を通してそのおこころもちをおとうさんにお打ち明けなさつた。おとうさんは御自分の悲しい恋に引くらべ、到底悲恋であるべきお兄様のお心を思ひくらべ乍《なが》ら何にも御存じなくそれを仰《おっしゃ》るお嬢様の御顔をぢつと見詰めて涙を流されたと云ふことですよ。
  ――で、結局どうなりました。

 もうさうした人情を正当に解し得る年齢のむすことむすめでありました。正面切つて真面目《まじめ》に追及したのも無理はありません。

  ――結局おとうさんはS家からお退《ひ》きになつた……お嬢様といふ悲恋の対象から御自分を退かせる為と御子息の悲恋の対象である自分をお邸《やしき》から消す為にね……。
  ――そしておとうさんは直ぐお家へ帰られましたの。

 むすめの聞きさうな事です。

  ――いいえ。このわたし==おかあさんの処へ来られたの。
 ――今度は、わしが話さう。

 とおとうさんが二十年来むすことむすめが聞きなれたおとうさんの声で云ひました。ですが、今まで長いおかあさんのおはなしの内で娘姿にばかり想像して居たおとうさんが突然、男の声を出したので、ほんの一瞬間ではありましたが、むすめも、むすこも何か、あでやかな変怪の姿のなかから忽然《こつぜん》、おとうさんが男姿で抜け出したやうな不思議な感じがいたしました。

  ――お前たち、その頃、おかあさんが、どんな男でゐたか想像がつくか。
 ――いいや、とても、それは難かしい。

 むすこは全く、このはなしの中心に身を入れ切つて其処《そこ》から途方もなく開展して行き相《そう》な事件に対する好奇心の眼を瞠《みは》つて居るのでした。

  ――おかあさんは美青年だつたぞ。だが、まだ恋愛事件になぞ身を縛られてゐなかつた。と云つても、やつぱり外《ほか》の事情で身を縛られてゐたから、厄介な境遇だつたことに変りは無かつた。おかあさんは気性が女の内気であり乍《なが》ら乗馬や、ほかの武芸に実に優れて居た[#「優れて居た」は底本では「優れた居た」]。お前達の知る通り田舎《いなか》でもおかあさんの耕作達者には村の人達も息を引いて居るのと思ひ合せて御覧、美しい優しい顔して居るおかあさんの今でもこんなに立派な体格をご覧。
  ――ほほほほ……。

 おかあさんの張《はり》のある綺麗《きれい》な笑ひ声……むすこも、むすめも、勇ましいおかあさんの男姿に引き入《いれ》られようとした想像からまた引戻されました。

  ――笑つたりしてはいけないおかあさん……かういふ話は一歩それると飛《とん》でも無い不面目なものになる。
 ――はい。

 おかあさんも真面目《まじめ》な聴きてになりました。

 ――おかあさんの母親はおとうさんの母親よりやま[#「やま」に傍点]気があつてしつかり者だつただけに仕事も小さい乍《なが》ら機業工場なんか始めた。大分具合ひは宜《よ》かつたがもともと資本はひと[#「ひと」に傍点]から借りた。貸した人があとでおかあさんを義理で縛つた爺《じい》さんよ。と云つても爺さんは決して悪人では無い。ただ昔武人だつた丈《だけ》に冒険|癖《へき》があつたが本性はむしろ善良だつた位だ。それで却《かえ》つてこちらから義理を迎へて縛られてしまつたやうなわけだ。義理も強《し》ひられたのはまだそこから逃げ宜《よ》いよ。なんと云つたつて迎へた義理は自分で造つた罠《わな》へ自分で罹《かか》つたも同じだよ。つまり罠の仕組みを知れば知る程、知らない仕組みにかゝつたやうに無茶に逃げ出す力が出ないからな。ところでその爺《じい》さんがおかあさんの武者振《むしゃぶ》りには他には類の無い裏にデリケートな処がある。つまり一遍の武辺《ぶへん》では無いと見て取つたとでも云はうかな。はははは……(しまつた今度はわしが笑つた)でも本性が女だからな、云はばまあ、その方が当り前の事だ。デリケートな裏の方が本当で、表の武威がむしろ借り物なのだ。しかし、わしがあでやかな娘姿であつたと同じやうにおかあさんにしても、どうせ女として生れ乍《なが》ら男で世間を押さねばならぬ様な運命に生れた者には、やはりそれ相当の保護色が備はつて裏も表も調和よく発達したものなんだな。爺さんが其処《そこ》を目付けどころにしたんだ。爺さんが毎年その都に行はれる荒馬《あらうま》馴《な》らしの競技場へおかあさんの美丈夫《びじょうふ》を出し度《た》くなつたんだ。今一二年馬術を猛烈に勉強すれば、屹度《きっと》優賞者になれる見込みのある好乗馬青年だ。就《つい》ては、是非《ぜひ》自分の愛婿《まなむこ》として出て貰《もら》ひ度《た》いといふ希望だ。この種の人に有り勝ちな極《ごく》、無邪気な虚栄家なのだ。尤《もっと》も愛婿とするにしても、何も自分の家へ引き入れて只《ただ》一人の母親を放擲《ほうてき》して来させようなんて業慾なことは云はない。爺さんに小さな可愛《かわ》ゆい娘があつた。その娘をゆくゆく貰ふ約束を極《き》めて外戚の婿に定まつて呉《く》れといふのだつた。
  ――さうありさうな尤な話ですね。
  ――さうか、お前たちもさう思ふか。さうだとも其処《そこ》にその話を断る何の理由も存在しない以上、それをよろこんで承諾するよりおかあさん親子のとる道はなかつたらうぢやないか。しかも、それはどこまでも表面のおかあさんに適当な条件であつて裏面の女性を何《どう》しやうも無い。いくら武術を好み乗馬に巧みだからと云つて、国全体を震憾《しんかん》させるやうな荒競技に……それにまた達するやうな猛練習など第一生理的耐持力もありやう筈《はず》は無い。おかあさん親子ははた[#「はた」に傍点]と返答に行き詰まつたが、爺さんの頼みがごういん[#「ごういん」に傍点]でなくまた恩を笠《かさ》の命令的でもなくまるで年寄りが余生の願望の只一つのやうな哀願的な態度で頼み入るので先刻云つたやうにそれ、義理を迎へ入れるやうにして却《かえ》つてこちらからはまつて行つてしまつた。絶体絶命の承諾といふ境地には入《い》つた形になつて居たんだな。
 ――そこへS家から逃げ出したおとうさんが行き合せたんですね。
  ――さうだ。聴き手のお前達が、この物語の構成者になつちまつたな。有難いよ、さう熱心に聴いて呉《く》れれば、はは……(しまつたまた、笑つちまつた。)それでと、今まで別に自分達の運命を不思議にも思つて居なかつた二人が、始めて因果同志のかこち[#「かこち」に傍点]合ひをしたのだな。一たん嘆き始めると、何もかもあべこべな二人の運命に気がついて、果てしもなしに悲しくなつた。と云つて、今さら、二人が二人の母親に抗議を申込む気にもなれず、さうだ、わし達は逆な運命を痛感すると同時に、母親と面と向へば、どうも、さういふ運命のつくり主である母親を責めさうで、却《かえ》つて足が母親の方に向かなかつた。気が弱いと云はうか、それよりも、まあ、優しい気だてだつたと云つて置かう、わしがS家から逃げておかあさんの処へ向つたのも、自然、親を責めさうな機運を意識して、却つてそこから廻逃したのだな。そして親より以外に本当の自分の運命を知るものは自分と同じに性を取違へてゐるおかあさんより外《ほか》にない、どうも、其《そ》のおかあさんの処へ行つて見るよりほかに思案も無かつたのだ。

 これから先は作者がまた話すことにしませう。おとうさんも大分語り疲れたやうですから。おとうさんとおかあさんはとど都から姿をかくすことに相談を極《き》めました。二人とも母親を残して行くことは実に悲しいことでありましたが、止《や》むを得ない当面の仕儀、そしてこのまま、不自然な二人が都に苦しみ乍《なが》らうろたへて居ることは、却つて追々人目にも怪しまれる、随《したが》つて母親達を辛《つら》い立場に立たせるやうにならうもはかられぬ。で、二人は母親達に極々安心の行くやう言葉の順序をつくした書き置きをしたため、都をあとにあてもなく落ちて行つたのです。むろんおとうさんとおかあさんが住みつく田舎《いなか》へ着く迄にはいくばくかの月日も経《へ》、その間に完全な男女に二人の性を還元させる外貌《がいぼう》姿態に二人が自分達自身を、変らせて居たのは云ふまでもありません。そしてこの二人が、いつごろ何処《どこ》で夫婦の約《ちぎり》を云ひ交したか……それも水の低きにつくごとく極めて自然な落着として今さらせんぎ[#「せんぎ」に傍点]の必要もありませんでせう。二人が都を出る時は、別に二人の間に男女の感情が動いてゐたわけではなかつたのですが。
 さて、此度《このたび》、都へと、一家|揃《そろ》つての旅ですが、これは或ひは一家にとつて単なる旅では無くなるかもしれません。おとうさんもおかあさんも再生の喜びが力となつて、村では勤勉な良民の模範となりお金ももう贅沢《ぜいたく》せずなら都でも暮らして行ける位ゐな貯へになりました。子供達もなるべくなら都で仕込んでやり度《た》く思ふのです。もう都へ行つてから本当にその気分になり切つたら或ひは田舎の生活を切り上げて都の人達になるかも知れません。しかし、そのまへにおとうさんとおかあさんには成すべき或る事がありますのです。それは昔の大方の知己《ちき》を見て廻ることです。もちろん一番先きにS家、またおかあさんを婿にしようとしたお爺《じい》さん(お爺さんは多分死んで届るでせうから娘)の家へも立寄つて見るつもりです。そして、実は斯《か》く/\と遠い二十幾年も前の真実を打ち明けて、たとへ一時はけしきを損じようともそれを過ぎれば恐らくお互ひのわだかまりがとけて朗《ほがらか》にならう。そして或ひは寛《くつろ》いだ都暮らしの気分も其処《そこ》から自然に湧《わ》いて来ようとのおとうさんとおかあさんの意図なのですが、その結果がどうならうかは作者も今ここに明言出来ません。人は、或る年齢に達すると、どうも故郷を顧みずには居られないのが通例のやうです。
 それから云ひ遅れましたがおとうさんとおかあさんの母親達は二人の出発後大いに悟るところでもあつたやうに双方とも今までよりより以上頼み合ひ終《つい》に同棲《どうせい》迄して一方が一方の死までを見送り、あとまた間もなく一方も別に不自由なしの一生を終つて死に就《つ》いたとの事がおとうさんおかあさんに自然知れましたが、その頃はまだ二人とも田舎《いなか》で世をしのんで居た最中ですから、二人心に嘆き弔《とむら》ひ乍《なが》らそのまゝ年月を経て、その悲しみも消えて行きました。もはや顧慮する母親達も無いので二人は故郷に帰つて本性を明すの冒険をも試みようとするのかもしれません。

 月も落ちた。夜も更けた。作者も語りくたびれました。
 親子四人もいつしか各々の寝所に入り、安らかな眠りの息を呼吸してゐます。

底本:「日本幻想文学集成10 岡本かの子」国書刊行会
   1992(平成4)年1月23日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集」冬樹社
   1974(昭和49)年発行
初出:「婦女界」
   1933(昭和8)年11月
※ルビを新仮名遣いとする扱いは、底本通りにしました。
入力:門田裕志
校正:湯地光弘
2004年4月29日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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