スワンソン夫人は公園小路《パークレーン》の自邸で目が覚めた。彼女は社交季節が来ると、倫敦《ロンドン》の邸宅に帰って来る。彼女は昨日まで蘇格蘭《スコットランド》の領地で狐を狩って居た。その前はフランスのニースのお祭に招かれて行って居た。
室内装飾の弧と線と面の屈折と角の直截と金属性の半螺旋《はんらせん》とが先刻から運ばれている|寝床の朝飯《アイオープンナア》の仕度を守って待ちくたびれている。この邸全体の造りはジョージアン式の古い建築だが、客間と食堂と彼女の居間だけは現代式に改造した。その余の造作を仕直す事は許され無い。保険会社の評価係の技師が、
「これほどの由緒ある建築にあまり手をつける事は賛成出来ない。骨董的《こっとうてき》価格を減損するというものだ。自然保険料を値上げしなければならない」
と彼女の夫に忠告したからである。
この邸には十七万|磅《ポンド》ほどの保険がつけてある。
彼女の夫は保守党《コンサヴァチーブ》の上院議員だが政治には全く興味を持た無い。それよりも彼の家門の名望をできるだけ享楽する事に生き甲斐を感じて居る。英国や、欧洲大陸や、亜米利加《アメリカ》では、まだスコットランドの領主《ランドロード》という封建時代の鎧兜《よろいかぶと》を珍重する。一体人間は仮装会を好むものらしい。といってスコットランドの領主などという数代の手数のかかった鎧兜を今なお真面目顔で着て居られる人間も滅多に無いので、彼は世界到るところでもてる[#「もてる」に傍点]場所を見付けるのに骨が折れぬ。だが贈られたものには自然返礼が必要となり、各地で接待して呉れた人達を彼は英国で接待し返さなくてはならない。
その上彼は、
「わしの城《キャッスル》にもぜひ来て見なさい。いろいろ面白い事がありますわい」
などと愛想の好い言葉を容易に振り出すのだ。
「城」という言葉に魅着して本気で訪ねて来る連中がかなりある。だが客は多く亜米利加の家具月賦取附会社の社長の一族や濠洲の女金貸等で、フランスの伯爵夫妻やスペインの侯爵一家などはあまり来ない。
「城」に縁の遠い身分の連中ほど多く訪ねて来たがる。時にはまたとんだいかもの[#「いかもの」に傍点]が紛《まぎ》れ込む。ポーランドの貴族と自称する片眼鏡の男は城の中の礼拝堂から処女マリア像の眼を盗み取り、その上前スワンソン夫人を誘惑しかけて行ってしまった。処女マリアの彫像の眼は駝鳥《だちょう》の胃の腑を剖《さ》いて取ったという自然のダイヤがいれてあった。これをそっと紙で巻き耳の穴に押し込み、正門から素知らぬ顔で堂々とその片眼鏡のにせ貴族は退去したそうだ。そういう時でも、主人はあく迄英国の由緒ある旧家の主人としての体面上、人前であわてたり激怒の色を見せはしなかった。
そういう事があったにしろ頻繁《ひんぱん》な主人の招待、被招待癖はやまなかった。彼の生理的運動には是非それも必要なものとなって仕舞っている。そして彼は客を受けるのに少くとも彼の家の紋章が持っている(欧洲古名家紋章録に載っている)骨董的品位にふさわしい程度には待遇しなければならないと考えている。競馬《ダービー》の馬も持って居なければならず、領地に狐狩の狐も飼って置かなければならず、城の台所にスコットランドの小唄を美い声でうたいながらパンをこねる[#「こねる」に傍点]女もたくさん養成して置かなければならず――大した費用がかかる。
始めはこの古い家柄を衷心から尊敬するスコッチの大蔵大臣の肝煎《きもい》りで手堅い公債ばかり買い入れ、その利息で楽々生活費が支弁出来た。しかし彼の生活がかさむにつれ、段々自分極めで危険率の多い投資に関係し増収を図るようになった。フランス人のブローカーが彼の居間に自由に出入して殖民地の一獲千金的紙上利益をタイプライターが創造しているだけの計画書《プラン》を示し、彼に荘重な約束手形の署名をさせるようになった。もちろんスワンソンは欺《だま》されてばかり居るのだ。
大蔵大臣をやめて仕舞ってからも、しばしば彼の失策の尻拭いはさせられ続けて来たスコッチの財政家も、とうとう煩に堪え無くなって彼に断り状を送りつけた。それには週末休日《ウイクエンド》のゴルフと漁季の鱒《ます》釣りとには依然親愛の情を持って御交際するが、その他の一切に関しては御交渉を絶ち度いという申出でだ。
もっと既にこの時世界の不況は大英の財界にも押し寄せて来て、彼の顧問会社の脈搏不整はこの偉《すぐ》れた財政家に騎士時代の革財布を丹念に繕《つくろ》うような閑道楽を許さなくなってもいた。この時スワンソン氏の財政状態も即刻スワンソン氏の命令を聞く現金はげっそりと減ってしまっていた。ただ、幸といおうか、彼の蘇格蘭の領地と公園小路の古い邸とは彼のものとしてあまりに有名で、非実用的なのが障《さわ》りで融通に対する利用性を欠いていた為め彼が容易に現金に換えようとする重宝には役立たなかった。そして彼も元来は思慮ある英国紳士である。或る過程までの失敗が却って彼の打算と反省を明確に呼び起こした。彼は或時期からフランス人のブローカー等を断然しりぞけてしまった。彼は残金と消費額とを厳重に精算した。そして先ず彼の相続税を予算して彼の死後の処まできめてしまった。これも彼の最後の名望慾が案出したのである。彼が死んだ時、息子が相続税を現金で支払えない代償に領地の半分を県の公園に引取って貰う相談を彼のいわゆる下品な労働党の政府に持ち出したり、邸の競売を写真入りの広告でタイムスへ載せたりしたらもうおしまいだ。折角生前あれほど骨折って欧米に売り込んだ彼の家門の誉《ほま》れも水の泡だ。
これ程のスワンソン氏の物質的起伏も彼の愛妻である美貌のスワンソン夫人の消費生活にはさしたる波動を及ぼさない。英国紳士たる体面はその愛妻に対してさえ容易に崩壊することを許さない。かくて、スワンソン夫人の生活はいつも平和で甘美で退屈だ。
今、繻子《しゅす》の寝床の介殻《かいがら》から抜けたスワンソン夫人の肉体は軽い空気の中に出てうす白く膨張する。彼女は逃げた肉体の重心を追う格好で部屋の左側に沿い室内靴をじゅうたん[#「じゅうたん」に傍点]にすりつける。
およそ強奪したものはみな美しいとは英国の貴族の祖先が近東を荒し廻った海賊船時代からの経験である。スワンソン夫人のピジャマはオックスフォード街の××高級品店から売出し前に強奪した自然絹《ピューアシルク》だ。その代り××高級品店はスワンソン夫人から定価以上の小切手を強奪した。この二重の強奪が行われているスワンソン夫人のピジャマに二重の魔美が潜んでいるのは合理的だ。ライラック花模様がペルシャの鷹狩の若衆に絡んで光沢の波に漂っている。
夫人は部屋のカーテンを順々にめくり初めた。第一の窓から見る樫《かし》の茂みが過剰な重みで公園の鉄柵を噛んでいる。第二の窓からやや遠方を見る。其処の屋上起重機はロンドンの今朝の濃霧を重そうに荷っている。第三の窓をめくった時金具の磨きのぴかぴか光る騎馬が一騎高くいななき乍《なが》ら眼近の道芝に蹴込んで来た。彼女は不眠の眸瞼に点薬するように逆に第三から第一の窓外風景を今一度のぞき返した。
多少の光線を恵まれたので室内の装飾の線の弧と、面の屈折と、角の直截と、金属性の半螺旋とがおのおのの適処適処に光を受留める。霧が追々薄れて窓からはいる光が増して来ると、新進室内装飾家G―氏の特性が追々明らかになって来る。
鼠大理石が銀の肋骨《ろっこつ》を露出してマホガニーの木理の義足で立っているテーブル。曇硝子《くもりガラス》のさかずきが数限りなく重なり合い鋼鉄の尺木の顎《あご》に花を咲かせている照明燈。金魚がマホメット本寺《カセドラル》の円頂塔《ドーム》に立籠って風速に嚮《むか》っている、それをコルクの砂漠に並んでアネモネの花が礼拝している。これは活花台だ。月光を線に延ばして奇怪な形に編み上げたようなアームチェーアや現代機械の臓腑の模型がグロテスクな物体となって睥睨《へいげい》し嘲笑し、旧様式美に対する新様式の反逆を直截簡明に宣言している一群の進撃隊のようだ。
この芸術的手法に於てスワンソン邸のジョージアン式の骨董的建物の心臓に喰込み、その建物の躯幹を侮辱《ぶじょく》するような振舞いを新進室内装飾家G―氏に委嘱したスワンソン夫人にそれを後援する明確な現代的新意識があるかというに、そうでも無い。夫人はこの部屋が出来上った時G―氏に云った。
「まあ奇抜ね。But……少し品が足り無いようにわたくし思いますわ」
もちろん夫人はジョージアン式の旧い邸宅のカビ臭さには尚更幾つもの But を続けた結果この新式を招致して見たのだ。それでも矢張り But である。そして彼女は夫スワンソン氏にも劣らず彼女が持ち続けて居る彼女の家系的プライドに対してさえ英国民主主義的批判を時々振りかざして見る。
「――But。貴族なんてまったく前世紀の遺物よ」
ああでも[#「ああでも」に傍点]無い。こうでも[#「こうでも」に傍点]無い。一たいどうなのであろう。
英国の社会層の中に But クラスという貴婦人達の一層がある。ヴィクトリア朝以前から現代まで持続している豪家の子女達がその豊富な物資に伴う伝統的教習に薫育されて、随分知識も感覚も発達して居る。だが結局その知識や教習がやがてそれ等自身を逆に批判し返す程の発達を遂げた。然《しか》しもともと受けた薫育の中枢はやはり伝統的教習であるから、いくら時代に刺戟されても断然新らしくなり切れもしない極端に発達した感覚は当惑し彷徨し、疲労する。やがていくらかの麻痺状態にまで達して何を見ても、何に接しても全部感銘し切れない。
「これ、好いわね、But(だけれど……)」
「そう、それも好いわね、But(だけれど……)」つまり But の数限りない連続が彼女等の生活の行進体の大部分なのだ。
[#ここから横組み]Grenadine《グレナジン》※[#3分の1、1-7-88] Drygin《ドライジン》※[#3分の2、1-7-89][#ここで横組み終わり]
玉子の白味一つ。
今、スワンソン夫人に命令された給仕男は鸚鵡《おうむ》返しにその通り復誦する。これは朝飯の「カクテール」と呼ばれているものであって、美髪師「マダム・H」のサロンから夫人が覚えて来たものである。「美髪師マダム・H」は顧客の引付策としてスワンソン夫人始めロンドンの But クラス婦人達を招いて毎週一回カクテール・パーテーを催す。それにはサヴォイ・ホテルの酒場主任《テンダア》が出張して世界の新流行のカクテールを混合筒から振り出して紹介する。「朝のカクテール」は夫人が其処で今まで覚えたなかで気に入ったものの一種だ。
だが、給仕の男が恭《うやうや》しくグラスを捧《ささ》げて来た時にはもう夫人の気が変って居る。
そうだ。カフェ・カクテール。今朝はあれをやって見なくちゃ。
給仕は姿勢を取り直してまた夫人の命令を復誦する。
玉子の黄味一つ。茶匙に砂糖一ぱい、ポートワイン三分の一。ブランデイ六分の一。ダッチ・キュウラソオ小グラス一ぱい。
今度給仕が持って来たものをみると成程カフェ・カクテールとはよく名を付けたものだ。これは熱帯国の木の実が焙じられた時、うめき出す濃情な苦渋の色そっくりだ。酒であって珈琲《コーヒー》、珈琲であって酒なのだ。夫人は霧の朝の蒼暗い光線にグラスを浸してしばらく錯覚を楽しむ。二つの認識に疲れ飽き他の認識を開拓する勇気を欠いて居る But 階級の人々はこの両者が交感する屈折光線の世界にしばらく楽な新味を貪《むさぼ》ろうとする。この錯覚の世界もまた当面に直視するとき立派な事実の認識として価値を新に盛って来るのだが、夫人はそれ程骨を折らない。ただ、イージーゴーイングに感覚がトリックにかかるのを弄《もてあそ》ぶだけだ。夫人の興味は直き次に移って犬のドクトルが部屋に呼び付けられた。老人の獣医は毎金曜、狆《ちん》の歯を磨きに午前中だけ通って来る。今も玄関の側部屋で仕事にかかって居たのだ。
老人が狆の健康状態の報告に入ろうとするのを押えて夫人は云った。
「珈琲を一つ交際《つきあ》って下さらない?」
老人は夫人に珈琲と云って与えられた椀の中のものをすぐ酒と悟った。元来酒好きの老人なのでそのまま居坐っていかにも浸み込むように飲む。夫人のトリックにかかって「酒か珈琲か」と飲み惑ってあわてふためき夫人の笑う材料になって呉れない。
「驚きましたな。驚きましたな」
と口では云うがそれがただ相槌《あいづち》のお世辞に過ぎ無い事は夫人にもよく判る。しまった、と夫人は想う。ドクトルはやはり寒い側部屋で酒に餓えさせ乍ら獣の黄色い牙を磨かせて置く方が興味価値があったのだのに。夫人はこれほどうまそうに飲む老人の嗜慾に嫉妬《ゼラシー》を感じた。
生々しい膝節を出してスカートのような赤縞のケウトを腰につけたスコットランド服の美貌の門番《ガードマン》が銀盆の上に沢山の「平凡」を運んで来た。
答礼の花束。
レセプションの招待状。
慈善病院の資金窮乏の訴え。
土耳古《トルコ》風呂の新築披露。
コナンドイル未亡人からとどいた神秘主義実験報告のパンフレット。
国際聯盟婦人会の幹事改選予選会報。等、ほかにまた一通夫人がしばらく手にとって眺めて居たものは古着払下げの勧誘広告だ。夫人の感情はこれに少し局部的の衝撃をうけた。
――失礼な――だがためしに売って見ようか――だが――。
午前十一時半。ふらんす風の正式の「昼の朝飯」前に夫人は居間附応接室で彼女の夫と朝の挨拶を交す。
モーニングの夫は眉を動かして、
「結構《グロリアス》な天気じゃないか、奥」
そして彼はあらゆる問題に五分から二十分間位討論する用意は持って居る。「イギリスがもし注意を欠くなら」という前提で。だが、それから永くなるとぐっと反身《そりみ》になって、
「むろん、わしよりもそちらがこの問題についてはセンシブルな意見を持たるる筈だが」
と、微笑にまぎらす。夫人もまた、たった一つの方法で夫の一日の機嫌をよくして置く。それは彼の名声に関して話すことだ。
「××伯爵がたいへんあなたの事をよく云って居られました」
この一言の注射はスワンソン氏の上機嫌を二十四時間保たしめる。
夫人は後妻だ。彼女が前に経験した初婚の年齢の均衡の取れた夫婦関係では夫が青臭く匂って張合いが持てなかったが、今の「若く美しき後妻」の位置とても彼女を緊張させは仕無い。ただ割合いに煩《わずら》わされず勝手な懐疑と孤独とを自分に侍《はべ》らせて居られるのを取柄として居る。
彼女はなぜスコッチ服の若い門番に眼をつけ無いか。ふしだら[#「ふしだら」に傍点]もふしだら[#「ふしだら」に傍点]らしいのはアカデミック小説の履行で何の刺戟も無い。彼女はこの頃貞操という事にエロチシズムを感じて居る。
卓上には昨夜彼女が見なかった夕刊新聞が今日の朝刊と一緒に載っている。それには、アインシュタインを叮嚀にもてなして居るバアナアド・ショーの写真が出ている。彼女はこころもち夫の方へ首を差し出しその写真を見せながら不服そうに云った。
「ねえ、あなた。ショーのおやじは、あの空威張りの傲慢の時の方が似合いますね。アインシュタインがいくら偉大な学者だって、もともとユダヤ種のドイツ人じゃありませんか……(あとは独言のように)でもショーだって洗って見ればアイリッシュだから妙に如才ない処もあるんだわ」
スワンソン氏はタイムスの厖大《ぼうだい》な紙量の上に遠視眼鏡を置き、霧の朝の薄暗い室内を明るくする為に卓上電燈のスイッチを捻った。夫人が次にめくったD紙の社会面にはこんな記事が簡単に載っていた。
××街の大劇場○○座が今度経営困難に陥り米国の富豪某氏所属のデパートとなった。旧劇場附属の人員は此の際大方採用されて、その新百貨店の使用人となった。なかに旧劇場で案内係をして居た一人の娘の親が英人の娘として米人の使用人に変ることは英国の不節操であると同時に米国への屈従であると云って断然許さなかった。新職業に就いた多くの友人に取残された娘は気が違って自殺した。
夫人は一瞬この記事の小心な娘気を可憐に思った。そして近頃ますますロンドンに侵入する米国物資の跳梁《ちょうりょう》を憎んだ。が、次の瞬間米国への聯想が夫人の心を広々と明るくしていた。夫人はこの夏の休暇にはサウザンプトン港から新造の米船に乗りニューヨークに上陸してはるばる北アメリカを横断する計劃が良人と約束してある。ロンドンよりもずっと清新なニューヨーク街の雑沓や速力の早い汽車の南側から眺める米大陸の深林の緑が夫人の空想のなかに浸み込む。だがそれもやがて夫人の頭の倦怠素ににぶく溶け込んで行って夫人はかすかな朝の眠気に誘われはじめた。
底本:「岡本かの子全集2」ちくま文庫、筑摩書房
1994(平成6)年2月24日第1刷発行
底本の親本:「世界に摘む花」実業之日本社
1936(昭和11)年発行
入力:門田裕志
校正:オサムラヒロ
2008年10月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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