町内に安床《やすどこ》という床屋がありました。
それが私どもの行きつけの家《うち》であるから、私はお湯に這入《はい》って髪を結ってもらおうと、其所《そこ》へ行った。
「おう、光坊《みつぼう》か、お前、つい、この間頭を結《い》ったんじゃないか。浅草の観音様へでも行くのか」
主人の安さんがいいますので、
「イエ、明日《あす》、私は奉公に行くんです」
と答えますと、
「そうかい。奉公に行くのかい。お前は幾齢《いくつ》になった」
などと話しかけられ、十二になったから、八丁堀の大工の家へ奉公に参る旨を話すと、安床は、大工は、職人の王なれば、大工になるは好かろうと大変賛成しておりましたが、ふと、何か思い出したことでもあるように、
「俺は、実は、人から頼まれていたことがあった。……もう、惜しいことをした」
と、残り惜しそうにいいますので、理由を聞くと、それは元《もと》、この町内にいた人だが、今は大層出世をして彫刻《ほりもの》の名人になっている。何んでも日本一のほりもの[#「ほりもの」に傍点]師だということだ。その人は高村東雲《たかむらとううん》という方《かた》だが、久方《ひさかた》ぶりに此店《ここ》へお出《い》でなすって、安さん、誰か一人|好《い》い弟子を欲しいんだが、心当りはあるまいか、一つ世話をしてくれないかと頼んで行ったんだ。俺は、今、お前の話を聞いて、その事を思い出したんだが、実に惜しいことをした……しかし、光坊、お前は大工さんの所へ明日行くことに決まってるというが、それはどうにかならないかい。大工になるのも好いが、彫刻師になる方がお前の行く末のためにはドンナに好いか知れないんだ。……という話を安さんが私の頭を結いながら乗り気になって話しますので、私も子供心にチョイと脳《あたま》が動いて、
「小父《おじ》さん、その彫刻師ってのは、あの稲荷《いなり》町のお店《たな》でコツコツやってるあれなんですか」と私は使いに行く途中にその頃あったある彫刻師の店のことをいい出しますと、
「あんなもんじゃないよ。あれは、ほりもの[#「ほりもの」に傍点]大工で、宮彫《みやほ》りというんだが、俺のいう高村東雲先生の方は、それあ、もっと上品なものなんだ。仏様だの、置き物だの、手間《てま》の掛かった、品《ひん》の好い、本当の彫物《ちょうこく》をこしらえるんで、あんな、稲荷町の荒っぽいものとは訳が違うんだ。そりゃ上等のものなんだ。だからお前、ただの大工や宮師《みやし》なんかとは訳が違って素晴らしいんだよ。光坊、お前やる気なら、俺がお前のお父さんに話してやる。どっちも知った顔だから、俺が仲へ這入ってやる」
こう安さんはしきりと私に勧めます所から、私も何時《いつ》かその気になって、
「それじゃア小父さん、私は大工よりも彫刻師になるよ」と承知をしました。
そこで、気の逸《はや》い安床は、夜分《やぶん》、仕事をしまってから、私の父を訪《たず》ねて参り、時に兼さん、これこれと始終のことをまず話し、それから、
「その東雲という人は、お前の家の隣りにいた人で、それ、日本橋通り一丁目の須原屋茂兵衛《すはらやもへえ》の出版した『江戸名所|図会《ずえ》』を専門に摺《す》った人で、奥村藤兵衛さんの悴《せがれ》の藤次郎さん、……これがその東雲という方なんで、今では浅草|諏訪町《すわちょう》に立派な家を構え……」と、キサクな調子で、小肥《こぶと》りの身体《からだ》を乗り出して話すものでありますから、父も心動き、
「聞けば、その東雲先生は、この同じ長屋に生まれた人だというし、お前とは親しいお方というから、それでは一つその彫刻の方へお願い申そうか。話の決まった大工の方は親類のことでかえって好いと思ったが、また考えて見ると、奉公先の身内なのは事によってはおもしろくないかも知れない。折角お前さんもそういって勧めてくれること故、これは一つお願い申すことにしよう。だが、まあ当人の志が何よりだから悴に聞いて見ましょう」というと、「そのことなら本人はもう先刻承知のことだ。善は急げだ、髪も結っていることだし、早速それでは明日《あす》俺が伴《つ》れて行こう」
と、ここで話が決まりました。
この安さんという人は、その頃四十格好で、気性の至極面白い世話好きの人でありましたから、早速、先方へその話をして、翌日、私を東雲師匠の宅へ伴れて行ってくれました。
それが、ちょうど私の十二歳の春、文久三年三月十日のことですが、妙なことが縁となって、大工になるはずの処が彫刻の方へ道を換えましたような訳、私の一生の運命がマアこの安さんの口入れで決まったようなことになったのです。で、私に取ってはこの安さんは一生忘られない人の一人であります。
後年私はこの安さん夫婦の位牌《いはい》を仏壇に祭り、今日でもその供養を忘れずしているようなわけである。
底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日第1刷発行
1997(平成9)年5月15日第6刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
1929(昭和4)年1月刊
入力:山田芳美
校正:土屋隆
2006年1月15日作成
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