岡本かの子

蝙蝠—— 岡本かの子

 それはまだ、東京の町々に井戸のある時分のことであつた。
 これらの井戸は多摩川から上水を木樋でひいたもので、その理由から釣瓶《つるべ》で鮎《あゆ》を汲《く》むなどと都会の俳人の詩的な表現も生れたのであるが、鮎はゐなかつたが小鯉《こごい》や鮒《ふな》や金魚なら、井戸替へのとき、底水を浚《さら》ひ上げる桶《おけ》の中によく発見された。これらは井の底にわく虫を食べさすために、わざと入れて置くさかな[#「さかな」に傍点]であつた。「ばけつ持つてお出《い》で」井戸替への職人の親方はさう云つて、ずらりと顔を並べてゐる子供達の中で、特にお涌《よう》をめざして、それ等《ら》のさかな[#「さかな」に傍点]の中の小さい幾つかを呉《く》れた。お涌は誰の目にもつきやすく親しまれるたちの女の子であつた。
 夏の日暮れ前である。子供達は井戸替へ連中の帰るのを見すまし、まだ泥土でねば/\してゐる流し場を草履《ぞうり》で踏み乍《なが》ら、井戸替への済んだばかりの井戸側のまはりに集つてなかを覗《のぞ》く。もう暗くてよく判らないが、吹き出る水が、ぴちよん、によん、によんといふやうに聞え、またその響きの勢ひによつて、全体の水が大きく廻りながら、少しづつ水嵩《みずかさ》を増すその井戸の底に、何か一つの生々してゐてしかも落ちついた世界があるやうに、お涌には思はれた。
[#ここから2字下げ]
蝙蝠《こうもり》来い
簑《みの》着て来い
行燈《あんどん》の油に火を持つて来い
……………………
[#ここで字下げ終わり]
 仲間の子供たちが声を揃《そろ》へて喚《わめ》き出したので、お涌も井戸|端《ばた》から離れた。
 空は、西の屋根|瓦《がわら》の並びの上に、ひと幅日没後の青みを置き残しただけで、満天は、紗《しゃ》のやうな黒味の奥に浅い紺碧《こんぺき》のいろを湛《たた》へ、夏の星が、強《し》ひて在所を見つけようとすると却《かえ》つて判らなくなる程かすかに瞬《またた》き始めてゐる。
 この時、落葉ともつかず、煤《すす》の塊《かたまり》ともつかない影が、子供たちの眼に近い艶沢《つや》のある宵闇の空間に羽撃《はばた》き始めた。その飛び方は、気まぐれのやうでもあり、舵《かじ》がなくて飛びあへぬもののやうでもある。けれども迅《はや》い。ここに消えたかと思ふと、思はぬ軒先《のきさ》きに閃《ひら》めいてゐる。いつかお涌も子供達に交《まじ》つて「蝙蝠来い」と喚きながら今更めづらしく毎夜の空の友を目で追つてゐると、蝙蝠も今日の昼に水替へした井戸の上へ、ひら/\飛び近づき、井戸の口を覗《のぞ》き込んではまた斜に外れ上るやうに見える。お涌は蝙蝠が井戸の中の新しく湧《わ》いた水を甞《な》めたがつてゐるのかとも思つた。ふと、今しがた自分が覗いた生々として落ちついた井の底の世界を、蝙蝠もまた、あこがれてゐるのではあるまいか――
「かあいさうな、夕闇の動物」
 お涌は、この小さい動物をいぢらしいものに感じた。
「捕つた/\」
 といふ声がして、その方面へ子供が、わーつと喚《わめ》き寄つて行つた。桶屋《おけや》の小僧の平太郎が蝙蝠の一ぴきを竿《さお》でうち落して、両翅《りょうばね》を抓《つま》み拡げ、友達のなかで得意顔をしてゐる。薄く照して来る荒物屋の店の灯《ほ》かげでお涌がすかして見ると、小さい生きものは、小鼠《こねずみ》のやうな耳のある頭を顔中口にして、右へ左へ必死に噛《か》みつかうとしてゐる。細くて徹《とお》つたきいきいといふ鳴声を挙げる。「ほい畜生《ちくしょう》」と云つて平太郎は巧《たくみ》に操りながら、噛みつかれないやうに翅を延《のば》して避ける。ぴんと張り拡げられた薄墨いろの肉翅《にくし》のまん中で、毛の胴は異様に蠢《うごめ》き、小鳥のやうな足は宙を蹴《け》る。二つの眼は黒い南京玉《なんきんだま》のやうに小さくつぶらに輝いて、脅《おび》えてゐるのかと見ると嬉《うれ》しさうにも見える。またきいきいと鳴く。その口の中は赤い。
 お涌は、何か、肉体のうちを掠《かす》めるむづむづしたやうな電気を感じ、残忍な征服慾を覚え、早くこの不安なものの動作を揉《も》み潰《つぶ》してしまひ度《た》いやうな衝動にさへ駆られて、浴衣《ゆかた》の両|袂《たもと》を握つたまゝ、しつかり腕を組み合せ、唇を噛んで見入つてゐた。
「お呉《く》れよ、お呉れよ」
 とまはりの子供達が強請《せが》む中に、平太郎はお涌を見つけると愛想笑ひをして
「お涌ちゃんに、これ、やらうね、さあ」
 といつて、抓み方を教へ乍《なが》ら、お涌にこの小さい動物を指移しに渡した。
 お涌は、不気味さに全身緊張させ、また抓んだ指さきの肉翅のあまり華奢《きゃしゃ》で柔かい指触りの快いのに驚きながら、その小動物を自分の体からなるたけ離すやうにして、そろ/\自宅の方へ持ち運んで行つた。お涌に蝙蝠を取られた他の子供達がうしろから嫉妬《しっと》の喚きを立てゝ囃《はや》した。
 お涌が、自宅の煉瓦塀《れんがべい》のところまで来ると、あとから息せき切つて馳《か》けて来た日比野の家の女中が声をかけて
「お嬢さま、あなたが蝙蝠をお貰《もら》ひになつたのを、うちの坊ちやまが窓から御覧になつてまして、是非《ぜひ》標本に欲しいから、頂いて来て呉れろと仰言《おっしゃ》いますので…………ほんたうに御無理なお願ひで済みませんが…………坊ちやまのお母さまもお願ひして来るように仰言いますので…………」
 お涌は、大人の女中の使者らしい勿体《もったい》振つた口上にどぎまぎして、蝙蝠も惜《おし》くはあるが遣《や》らなければならないものと観念して、小さい声で
「ええ、あげますわ」
 といつて女中の前に小動物を差出した。
「ほんとに、済みませんで御座《ござ》います」
 女中は礼を繰返しながら蝙蝠をお涌の手から抓《つま》み代へて受取らうとする。蝙蝠は口を開けてきいきい鳴き続ける。二三度試みて、たうとう指さきを臆《おく》させてしまつた女中は
「お嬢さま、まことに恐れ入りますが、とても私の手にはおへませんから、このまま蝙蝠を宅までお持ち願へませんか」
 お涌は大人にこれほど叮嚀《ていねい》に頼まれる子供の侠気《きょうき》にそゝられて承知した。
 日比野の家は、この町内で子供達が遊び場所にしてゐる井戸の外柵の真向《まむか》ひで、井戸より五六軒|距《へだた》つたお涌の家からはざつと筋向うといへる位置にあつた。前に大溝《おおどぶ》の幅広い溝板が渡つてゐて、粋《いき》でがつしりした檜《ひのき》の柾《まさ》の格子戸の嵌《はま》つた平家の入口と、それに並んでうすく照りのある土蔵とが並んでゐた。土蔵の裾《すそ》を囲む駒寄《こまよ》せの中に、柳の大木が生えてゐる。枝に葉のある季節には、青い簾《すだれ》のやうにその枝が、土蔵の前を覆うてゐた。町内のどの家と交際してゐるといふこともなかつた。
 土蔵には、鉄格子の組まれた窓があつた。その中が勉強部屋になつてゐるらしく、末息子の皆三の顔がよく見えた。
 子供達のなかの誰もこの家のことをよく知らなかつた。富んでゐる無職業《しもたや》の旧家《きゅうか》であることだけは判つたが、内部の家族の生活振りや程度のことなど、子供|等《ら》の方から、てんで知り度《た》い慾望もなかつたのである。ただ土蔵の窓から、体格のしつかりしてさうな眉目《びもく》秀麗な子供の皆三が、しよつちゆう顔を見せてゐる癖に、決して外へ出て、みんなと一緒に遊ばない超然たるところを子供達は憎んだ。さういふ型違ひな子供のゐる日比野の家は、何か秘密がありさうな不思議な家と漠然と思つてゐるだけだつた。
 子供達は、お涌も時に交《まじ》つて、その土蔵の外の溝板《どぶいた》に忍び寄り、俄《にわ》かに足音を踏み立てて「ひとりぼつち――土蔵の皆三」と声を揃《そろ》へて喚《わめ》く。お涌もこの皆三の超然たるところを憎むことに於て、他の子供達に劣らなかつた。が、喚き立てる子供達の当て擦《こす》りの下卑《げび》た荒々しい言葉が、あの緊密|相《そう》な男の子の神経にかなり深刻に響いて、彼をいかに焦立《いらだ》たせるかとはらはらして堪《たま》らない気もした。それでゐてお涌自身も、子供達と一しよにますます喚き立て度《た》い不思議な衝動にいよ/\駆られるのであつた。お涌はさういふ気持ちで喚く時、脊筋《せすじ》を通る徹底した甘酸《あまずっぱ》い気持ちに襲はれ頸筋《くびすじ》を小慄《こぶる》ひさせた。
 窓からは皆三の憤怒《ふんぬ》に歪《ゆが》んだ顔が現はれ
「ばか――」
 と叫ぶのだが、その語尾はおろ/\声の筋をひいて彼自身の敗北を示してゐた。そのとき子供達はもう井戸の柵のところまで立退《たちの》き凱歌《がいか》を挙げてゐる。
 さういふ時の皆三と、今、自分に蝙蝠を譲つて欲しいと女中にいはせに来た皆三とは、別人のやうにお涌には感じられたが、しかし、ともかくあの変つた男の子がゐて、そして町内の子どもが誰も見たことのない神秘の家へ自分ひとり入つて行くことは、お涌に取つて女中のために蝙蝠を運んで行つてやる侠気《きょうき》以上の張合ひであつた。
 お涌の先に立つた女中が格子戸を開けた。眼の前にびつくりするやうな大きな切子燈籠《きりこどうろう》が、長い紙の裾《すそ》を垂らしてゐる。その紙を透して、油燈の灯《ほ》かげと玄関の瓦斯《ガス》の灯かげと――この時代には東京では、電気燈はなくて瓦斯燈を使つてゐた――との不思議な光線のフオーカスの中に、男の子の姿が見えた。仁王立《におうだ》ちになつてゐた。男の子は、女中ばかりでなくお涌が一しよなのに驚いた様子で、片足|退《すさ》つて身構へる様子だつたが、女中の説明を聞くうち、男の子はすつかり笑顔になつて、自分も手伝つてきいきいいふ小鳥のやうな動物を空いた鸚鵡籠《おうむかご》の中へ首尾よく移した。籠の口で、お涌が指を蝙蝠の翅《はね》から離すときに、いかにも喰ひつかれるのを怖れるやうに、勢《いきおい》づけて引込ますと、男の子はくくくと、笑つた。その声には、いぢらしいものを愛し労《いた》はる響きがあつた。
 お涌は、日頃遠くから軽蔑《けいべつ》してゐた男の子の立派な格のある姿を眼の前にはつきりと視《み》、思ひがけなくもその声からかういふ響きを聞くと、女が男に永遠に不憫《ふびん》がられ、縋《すが》らして貰《もら》ひ度《た》い希望の本能のやうなものがにはかに胸に湧《わ》き上つた。お涌はにはかに赧《あか》くなつた。それが、お涌の少女の気もちに何か戸惑《とまど》つたやうな口惜《くや》しささへ与へた。お涌は、つんと済《すま》して帰つて仕舞《しま》はうかとさへ思つたが、一たん胸に湧きあがつた本能が、ぐんぐん成長して、お涌の生意気を押へつけ、却《かえ》つて可憐《かれん》に媚《こ》びを帯びた態度をさへお涌につくらせてしまつた。
 お涌の眼と見合ふと、男の子も少し赧くなつた。男の子はその顔を鸚鵡籠へ覗《のぞ》かして
「この蝙蝠、翅が折れてら」
 とはじめて声を出して云つた。声は、金網越しに「ばか」と怒つたときの声に似てゐて、似てもつかぬ、しつかりした声だつた。だが、その声でややお涌に向いて落ちつかないもの云ひをするのだつた。するとお涌は却つて気丈になつて
「あ、ま、さうおう」
 と少し誇張したいひ方をして、美しく眉《まゆ》を皺《しわ》め、籠の中を覗き込んだ。
 十二の男の子と、十一の少女とは、やや苦しく、しかも今までにまだ覚えたことのない仄明《ほのあか》るいものを共通に感じつゝ、眼はうつろに、鸚鵡籠《おうむかご》の底に、片翅《かたばね》折り畳めないでうづくまつてゐる小動物に向けてゐた。
 その翌日、日比野の女中が、水引《みずひき》をかけた菓子折の箱を持つて、蝙蝠を貰《もら》つた礼を云ひにお涌の家へ来た。それから二日ばかり経《た》つて日比野の母親から、お八《や》つを差上げ度《た》いからお涌に遊びに来るやうにと招きがあつた。
 皆三が十七になり、お涌が十六になつた春、皆三は水産講習所に入つて、好きな水産動物の研究に従ふことになつた。皆三はよほど人並に高等学校から大学の道を通つて進まうと思つた。が、自分のはひつてゐる中学の理科の教師でTといふ老学士が水産講習所の講師を主職にしてゐるので、その縁に牽《ひ》かれてそこへはひつた。皆三は、このT老学士には、中学校の師弟以上の親密な指導を受けてゐた。T老学士は、中学生にして稀《まれ》に見る動物学といふやうな専門的な科学に好みを寄せる皆三を、努めて引立てた。
 お涌は女学校の四年生であつた。お涌が十一の少女の時、皆三に与へた蝙蝠は、籠のなかでぢき死んで仕舞《しま》つたが、お涌は蝙蝠のとき以来、日比野の家と縁がついて、出入りするやうになつた。日比野の家の、何か物事を銜《ふく》んで控へ目に暮してゐる空気がお涌にはなつかしまれた。それには豪華を消してゐるうすら冷たい感じがあつた。お涌自身の家は下町の洋服業組合の副|頭取《とうどり》をしてゐて、家中が事務所のやうに開放され、忙しく機敏な人たちが、次々と来て笑ひ声や冗談を絶《たや》さなかつた。ときには大量の刷物の包みがお涌の勉強机の側まで雪崩《なだ》れ込んだりした。
 お涌は今では、日比野の家の格子戸を開けて入ると女中の出迎へも待たず玄関の間を通り中庭に面してゐる縁側へ出て、その突当りの土蔵の寒水石《かんすいせき》の石段に足をかける――「ゐるの」といふ。中から「ゐるよ」と機嫌のいい声がして「早くおはいりよ」と皆三のいふのが聞える。そのときおくれ馳《ば》せに女中が馳《は》せつけて「失礼しました」と挨拶《あいさつ》してお涌を土蔵の中に導き、なにかと斡旋《あっせん》して退く――といふやうな親しさになつてゐる。
 薄暗いがよく整つた部屋で、華やかな絨氈《じゅうたん》の上に、西洋机や椅子《いす》が据ゑてあつた。周囲には家付のものらしい古絵の屏風《びょうぶ》や重厚な書棚や、西洋人のかいた油絵がかゝつてゐる。その間に皆三の好みらしい現代式の軽快な本箱が挟まつてゐた。しかし棚の上にはまた物々しい桐《きり》の道具箱が、油で煮たやうな色をして沢山《たくさん》並んでゐた。
 皆三は、其処《そこ》で顕微鏡を覗《のぞ》いてゐるか、昆虫の標本をいぢつてるかしてゐた。無口だが、人なつこい様子でお涌に向つた。額《ひたい》も頬《ほお》もがつしりしてゐて、熱情家らしい黒目勝ちの大きい眼が絶えず慄《ふる》へてゐるやうに見えた。沈鬱《ちんうつ》と焦躁《しょうそう》が、ときどきこの少年に目立つて見えた。
 お涌も皆三にむかつてゐると、あれほど気嵩《きがさ》で散漫だと思ふ自分がしつとり落付き、こまかく心が行届いて、無我と思へるほど自分には何にも無くなり、ひたすら皆三の身の囲りの面倒を見てやり度《た》くなるのであつた。
「だらしがないわ皆三さん。着物の脊筋《せすじ》を、こんなに曲げて着てるつてないわ」
「まるで赤ン坊」
 お涌は皆三の生活に対する不器用さを見て、いつもかういつて笑つた。しかし、その赤ん坊が自分にまともにむける眼には、最初皆三に逢《あ》つた晩に、彼の声が浸《し》みさせたと同様な慈《いつく》しみがある――お涌はそれに逢ふと、柔軟なリズムの線がひとりでに自分の体に生み出され、われとしもなくその線の一つを取上げて、自分の姿をそれに沿へる。それは自分でも涙の出るほど女らしくしほらしいものであつた。だがお涌はさういふ自分になるとき、宿命とかいふものに見込まれたやうな前途の自由な華やかな道を奪ひ去られたやうな、窮屈な寂しい気もちもあつた。
(これが、恋とか、愛とかいふものかしらん。いやそんなことは無い。)
 笑ひ声や冗談に開け放たれた家庭の空気に育ち、心に蟠《わだかま》りなどは覚えたこともないお涌は、恋愛などといふ入り組んだ重苦しいものは、今の世にあるものぢやないと首を振つた。
 ほとんどきまつた話はしたことのない四五年間の少年少女の交際の間にも、お涌はこの家の神秘な密閉的な原因が判るやうな気がした。
 先祖は十八大通《じゅうはちだいつう》といはれた江戸の富豪で、また風流人の家筋に当り、三月の雛祭《ひなまつ》りには昔の遺物の象牙《ぞうげ》作りの雛人形が並べられた。明治の初期には皆三の祖父に当る器量人が、銀行の頭取などして、華々しく社交界にもうつて出たが、後嗣《こうし》はひとりの娘なので、両親は娘のために銀行の使用人の中から実直な青年を選んで娘の婿に取つた。それが皆三の両親である。三人の男の子が生れた頃、どういふものか、祖父は突然その婿を離縁してやがて自分も歿《ぼっ》した。
 祖父は、あとでわかつたのであるが、強い酒に頭が狂つてゐたのであるさうだ。さうと知らず、離縁された皆三たちの父は、ただぽかんとして、葉山の別荘にひとりで暮してゐるうち、ある日海水浴をすると、急に心臓|麻痺《まひ》が来て死んでしまつた。
「僕が三つのときだ」
 皆三は何の感慨もなささうに云つた。
 何とも理由づけられない災難に逢《あ》つたのち、男の子三人抱へた寡婦として自分を発見した皆三の母親のおふみは、はじめて世の中の寂しいことや責任の重いことを覚つた。さうなるまでは、まつたく中年まで、この母親はお嬢さん育ちのままであつた。知り合ひのなかから相談相手として、三四人の男女も出て来たのであるが、成績は面白くなかつた。遺産はみすみす減つて行くばかりだつた。母親は怯《おび》えと反抗心から、その後は羽がひの嘴《くちばし》もしつかり胴へ掻《か》き合せた鳥のやうに、世間といふものから殆《ほとん》ど隔絶して、家といふものと子供とを、ただその胸へ抱き籠《こ》めるやうな生活態度を執《と》るやうになつた。
 祖父に似て派手で血の気の多い長男は、海外へ留学に出たままずつと帰らない。実直で父親似と思つた次男は、思ひがけない芸人で、年上の恋人が出来、それと同棲《どうせい》するために、関西へ移つたまま音信不通となつた。母親の羽がひの最後の力は、ただ一人残つた末子の皆三の上に蒐《あつ》められた。
「おまへが、もしもの事をしたら、お母さんは生きちやゐませんよ」
 少年の皆三を前にしておふみは、かういつて涙をぽろ/\零《こぼ》した。皆三は血の気で頭の皮膚が破れるかと思ふばかり昂奮《こうふん》して、黙つて座を立つて行つて、土蔵の中の机の前に腰かけた。
 そこで別の世界の子供の声のやうに「蝙蝠来い」と喚《わめ》くのを夢のやうに聞いた。中にも軽く意表の外に姿を閃《ひらめ》かすお涌の姿を柳の葉の間から見て、皆三はとても自分と一しよに遊べるやうな少女とは思へなかつた……だが、さういふ少女のお涌が持つて歩き出したあの黄昏時《たそがれどき》の蝙蝠が、何故《なぜ》ともなく遮二無二《しゃにむに》皆三には欲しくて堪《たま》らなくなつたのだ。性来動物好きの少年だつた皆三が、標本に欲しかつたといふことも充分理由にはなるのだけれど……。
 母親は皆三を外へ出しては自由に遊ばせない代りに、家の中ではタイラントにして置いた。そこで蝙蝠を貰《もら》つた機会から家へ来たお涌を皆三がしきりに友達にしたがつた様子を察して、その後、お涌をお八つに呼んだりなにかと目にかけるやうになつた。
 二人が育つて行くにつれ、母親にふと危惧《きぐ》の念が掠《かす》めた。二人があまり気の合つてゐる様子である。青春から結婚、それは関《かま》はない。もしそこに母親である自分の愛も挟める余地のあるものでさへあつたら……だが二人の様子を見ると、さういふ母親の気苦労を知らない若い男女は、年老いた寡婦の唯一の慰めを察して、二人の切情をも時に多少は控へても、自分の存在を中間に挟めて呉《く》れるであらうか。皆三は一徹者だし、お涌は無邪気すぎる女である。そこまで余裕のある思ひ遣《や》りが、二人の間につくかどうかが疑問であるとき、お涌の髪に手を入れてやり乍《なが》ら訊《き》いた。
「お涌さんは、どういふところへお嫁に行く気」
 お涌は
「知りませんわ」
 と笑つた。
「でもまあ、云つてご覧なさい」
 となほねつく訊くと
「やつぱり世間通りよ。うちで定めて呉れるところへですわ」
 と答へた。
 これはお涌にしてみれば、嘘の心情ではなかつた。
 それから少したつて、母親は晩飯のとき皆三に訊《たず》ねた。
「皆さん、妙なことを訊《き》くやうだが、もうお前さんも学校は卒業間際だから訊いとくが、何かい、お嫁なら向うの家の娘さんでも貰《もら》ひなさるかね」
 母親は、わざとお涌を娘さんといつたり、息の詰るのを隠して何気なく云つた。じつと、母親の顔を見てゐた皆三は、それから下を向いて下唇を噛《か》んで考へてゐたが
「僕は妻など持つて家庭を幸福にして行けるやうな性格ぢや無ささうですね。まあ、当分の間は、このままで勉強して行くつもりですね」
 母親は、故意に皆三の言葉どほりを素直に受け取る様子を自分がしてゐるのに、いくらか気がつき乍《なが》らも
「さうかねえ、もしお嫁さんを持つなら、あの娘は好いと思ふんだがね」

 突然の縁談はお涌の家の両親を驚かした。それは、日比野の女主人のおふみから申込まれたものであるが、相手は皆三では無かつた。日比野の親戚に当る孤児で、医科を出て病院の研究助手を勤めてゐる島谷といふ青年だつた。密閉主義の日比野の家でも、衛生には殊《こと》に神経質のおふみが、何かとこの青年に健康の相談をかけ、出入を許してゐる只《ただ》一人の親戚といふことが出来る。皆三も嫌ひな青年では無かつたが、多く母親の話し相手になつてゐた。お涌も日比野へ遊びに来た序《ついで》に、茶の間で二三度島谷に逢《あ》つたことがあつた。
 額《ひたい》が秀でてゐて唇が締《しま》てゐる隅から、犬歯の先がちよつと覗《のぞ》いてゐる。いまに事業家肌の医者になりさうな意志の強い、そして学者風に捌《さば》けてゐる青年だつた。顎《あご》から頬《ほお》へかけて剃《そ》りあとの青い男らしい風貌《ふうぼう》を持つてゐた。
 おふみからお涌の仲人《なこうど》口を聞いたとき島谷は
「だが、皆三君の方は」
 と聞き返すと、おふみは
「なに、あれとは、ただ御近所のお友達といふだけで、それに皆三は、当分結婚の方は気が無いといふから」
「では、僕の方、お願ひしてみませうか」
 島谷はあつさり頼んだ。
 おふみがお涌の家へ来ての口上はかうであつた。
「こちらのお嬢さんは、人出入りの多いお医者さまの奥さんには、うつてつけでいらつしやると思ひますので――」
 さういひ乍《なが》らもおふみは、何かしらお涌が惜しまれた。おふみに取つてお涌は決して嫌ひな娘ではなかつた。ただ皆三とお涌が結び付くときに、あまりに夫婦一体になり過ぎて母親の自分が除外されさうな危惧《きぐ》のため、二人を一緒にしないさしあたりの回避工作に、島谷との媒酌を思ひ立つたのであるけれど、おふみの心の一隅には、さすがに切ないものが残つてゐた。
 お涌の方では、あの大人であつて捌《さば》けて男らしい医師を夫と呼ぶやうになるとは、あまり唐突の感じがしないでもなかつた。しかし、これまた当然のやうに思へた。世間常識から云つて、お涌の家のやうな娘が、ああした身分人柄に嫁入りするのは順当に思へた。皆三と自分との間柄は、たとへ多少の心の触れ合ひがあつたにせよ、恐らくそのくらゐなことは世間の娘の誰もがもつ結婚まへの記憶であり、結婚後にも何の支障もなく残る感情だけのものではあるまいか。お涌は、世間並の娘の気持ちの立場になつて、かうも考へられた。
 ひどく乗気になつた兄と両親と、それから日比野の女主人との取計らひで、殆《ほとん》ど、島谷とお涌との結婚が決定的なものとなつた。
 ところが、そこまで来て急にお涌の心は、何もかも詰《つま》らないといふ不思議なスランプに襲はれた。そしてあるとき皆三の母親から聞いた皆三の、当分独身といつた言葉は、皆三の性格としては、もつともと思へるが「何といふ意気地なし」といふやうな言葉で、皆三を思ひ切り罵倒《ばとう》してやり度《た》い気持ちがお涌に湧然《ゆうぜん》として来た。それでゐながら、早速皆三に逢《あ》ふほどの勇気も出ない。日毎《ひごと》に憂鬱《ゆううつ》と焦躁《しょうそう》に取りこめられるやうにお涌はなつて行つた。
 東京には、かういふ娘がひとりで蹣跚《まんさん》の気持ちを牽《にな》ひつつ慰み歩く場所はさう多くなかつた。大川端にはアーク燈が煌《きら》めき、涼み客の往来は絶ゆる間もない。両国橋は鉄橋になつて虹《にじ》のやうな新興文化の気を横《よこた》へてゐる。本所《ほんじよ》地先の隅田川百本杭は抜き去られて、きれいな石垣になつた。お涌は、別に身投げとか覚悟とかさういつた思ひ詰めたものでもない、何か死とすれ/\に歩み沿つて考へ度《た》い気持ちで一ぱいだつた。
 電車の音、広告塔の灯《ひ》、街路樹、さういふものをあとにして、お涌はひたすら暗い道へ道へと自分の今の気持ちに沿ふところを探し歩いた。どことも覚えない大溝《おおどぶ》が通つてゐて小橋がまばらに架《かか》り、火事の焼跡に休業の小さい劇場の建物が一つ黝《くろず》み、河沿ひの青白い道には燐光《りんこう》を放つ虫のやうにひしやげた小家が並んでゐる。蒼冥《そうめい》として海の如く暮れて行く空――お涌には自分の結婚の仲立ちをする日比野の女主人も、それに有頂天になる肉親も、自分の婿にならうとする島谷も、すべてはおせつかいで意地悪く、恨《うら》めしく感じられた。皆三には――皆三には、無性に※[#「てへん+毟」、第4水準2-78-12]《むし》りつき度いほど焦立《いらだ》たしさ口惜《くや》しさ、逢《あ》つてその意気地なさを罵倒《ばとう》し度《た》くて、そのくせ逢ひもせぬ自分の不思議なこじれ方をどうしやうもない……ああ、かういふ時、蝙蝠でも飛んでゐて呉《く》れればよい。子どもの井戸替への夕、あの蝙蝠も覗《のぞ》くかと見た井戸の底の落付いた仄明《ほのあか》るい世界はいまどこにあるであらう。
 お涌は、ここをどことも知らぬ空を見上げた。

 お涌と島谷との結婚は、近来なんとなく健康のすぐれぬお涌自身の返事が煮え切らず、 遷 々として時期も定まらぬままに過ぎて行くうち、島谷は他の縁談に方向を求め、極めて事務的な結婚をして仕舞《しま》つた。
 秋になつて、真黒な健康顔をして長い旅から帰つて来た皆三は、家に一休みすると突然母親にかういひ出した。
「今度、始めて家を離れて長旅をしてみましたが、なんとなく寂しい。やつぱり結婚でもしてみたくなりました。お涌さんを貰《もら》つて頂きませうか、お母さん」
 その言葉は別だん、力の籠《こも》つた云ひ方ではなかつたが、母親には電気のやうに触れた。母親には、何か無理に力一ぱい自分がへし曲げてゐたものに最後に弾《は》ね返されたやうに感じた。(やつぱりさうか)と母親は観念すると、たちまちそこに宿命に素直になる歓びさへ覚えた。
「やつぱり、さうだつたのかお前」
 母親の皆三にむけて微笑した眼には薄く涙さへ浮んだ。

 長い年月が過ぎて行つた一夏、日比野皆三博士が、学生たちを指導してゐる間、葉山の別荘に夫人の涌子は子供たちと避暑に来てゐて、土曜日|毎《ごと》に油壺《あぶらつぼ》から帰つて来る良人《おっと》を待受けてゐた。子供といつても長男はもう工科の学生で、二十三歳になり、妹は婚約中の十九になつてゐた。
 一色の海岸にうち寄せる夕浪《ゆうなみ》がやや耳に音高く響いて来て、潮煙のうちに、鎌倉の海岸線から江の島が黛《まゆずみ》のやうに霞《かす》んでゐる。
 兄妹は逗子《ずし》へ泳ぎに行き、友だちのところへ寄つたと見えてまだ帰らない。涌子夫人は夫に食事の世話をしつゝ、自分も食べ終つた。二人とももう脂肪気の多い食品はなるべく避ける年配になつてゐた。
 近くに※[#「魚+膠のつくり」、47-13]釣の火が見え出し、沖に烏賊《いか》釣りの船の灯《ひ》が冷涼《すず》しく煌《きら》めき出した。
 冷した水蜜桃《すいみつとう》の皮を、学者風に几帳面《きちょうめん》に剥《む》き乍《なが》ら博士は云つた。
「じつに、静かな夕方だな」
「さうでご座いますね」
 涌子夫人はまだこの時代に、この辺にはちらほらする蝙蝠の影を眺めてゐた。
「油壺の方で、毎晩食後にいろいろ教職員や学生の身の上話も出るのだが、あれでなかなか複雑な経歴なものもある。それに較べると、僕とお前のコースなぞは、まあ平凡といつていいね」
 博士は、この平凡といふ言葉につまらないといふ意義は響かせなかつたが、夫人にはただそれだけの言葉ではもの足りないやうな思ひがした。夫人は何気なささうに
「さうでご座いますね」
 と博士の言葉に返事をしながら、今眼の前に見る蝙蝠の影に、二人が少年少女だつた遠い昔の蝙蝠の羽撃《はばた》きが心の中で調子を合せてゐるやうで、懐しい悲しい気持ちがした。
 しばらくして夫人はおだやかに云つた。
「それはさうと、もう二三日でお盆の仕度にちよつと東京へ帰つて参らうと思ひます」
「そしたら序《ついで》にどつかで金米糖《こんぺいとう》を見つけて、買つて来て貰《もら》ひ度《た》いね。この頃何だかああいふ少年の頃の喰べものを、また喰べ度くなつた」
 博士は庭の植物に水をやりに行つた。夫人は山の端《は》に出た夕月を見つゝ、自分が日比野の家へ入つてから、東京の家も、土蔵だけ残して、便利で明るい現代風の建物に改築したことや、良人《おっと》の母親も満足して死に、良人の兄たちとも円満に交際を復旧したことや、そして子供達の無事な成長――
 これが、良人のいふ平凡な私たちの生涯の経過といふものであつたのかと想つた。

 夏も終る頃、日比野博士一家は東京の家へ戻つて来た。またおだやかな日々が暫《しばら》く経《た》つて行つた或日《あるひ》、今も良人の研究室になつてゐる土蔵の二階から、涌子は昔、自分に貰つた蝙蝠を良人が少年の丹念を打ち籠《こ》めて剥製《はくせい》にしてあつたのを持ち出した。蝙蝠の翅《はね》の黒色は煤《すす》のやうに古び、強く触ればもろく落ちるかと見え乍《なが》ら、涌子がそれを自分の居間の主柱《おもばしら》の上方に留め付けると、古びた剥製の蝙蝠は一種の格合ひを持つた姿の張りを立派に表示するのであつた。
 涌子はそれをひとりつくづく眺めてゐるうちに、少女の自分が、とある夕暮、この家に持ち込んだ蝙蝠が、祖父の狂死からこの家に伝はつた憂鬱《ゆううつ》を、この黒い奇怪な翅のいろに吸ひつくして呉《く》れたのではないかと考へるやうになつた。日比野博士夫人涌子の穏かな平凡な生涯に、この煤黒い小動物の奇怪な神秘性の裏付けのあることを、今更誰も気づかないのが、夫人自身のうら寂しくもなつかしい感懐であつた。

底本:「日本幻想文学集成10 岡本かの子」国書刊行会
   1992(平成4)年1月23日初版第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集」冬樹社
   1975(昭和49)年発行
※ルビを新仮名遣いとする扱いは、底本通りにしました。
入力:門田裕志
校正:湯地光弘
2005年2月22日作成
2005年12月11日修正
青空文庫作成ファイル:
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