黒島伝治

田舎から東京を見る——黒島傳治

 田舎から東京をみるという題をつけたが本当をいうと、田舎に長く住んでいると東京のことは殆ど分らない。日本から外国へ行くと却て日本の姿がよく分るとは多くの海外へ行った人々の繰返すところであるし、私もちょっとばかり日本からはなれて、支那とシベリアへ行ったことがあるが、そのときやはり、日本がよく分るような気がした。しかし東京をはなれて田舎にいるのでは、その筆法は、あてはまらないような気がする。
 田舎へきて約半年ばかりは、東京のことが気にかかり東京の様子や変遷を知り進歩に遅れまいと、これつとめるのであるが、そのうちに田舎の自分に直接関係のある生活に心をひかれ、自分自身の生活の中に這入りこんで、麦の収穫の多寡や、村税の負担の軽重に、喜んだり腹を立てたり、近隣の噂話に耳を傾けて笑ったりするようになる。田舎の生活も決して単調ではない。退屈するようなことはない。私の村には、労働者約五百人から、三十人ぐらいのごく小さいのにいたるまで大小二十余の醤油工場がある。三|反《たん》か四反|歩《ぶ》の、島特有の段々畠を耕作している農民もたくさんある。養鶏をしている者、養豚をしている者、鰯網をやっている者もある。複雑多岐でその生活を見ているだけでもなか/\面白い。このなかに身をひそめているのはひそめかたがあると思われるのである。
 二年、三年、田舎の生活に年期を入れてくるに従って、東京から送られる郵便物や、雑誌の数がすくなくなって、その郵便物の減りかげんは、田舎への埋れようの程度を示す。自分がここにいるということを人に知られずに、垣間から舞台をのぞき見するのはこころよいものである。私が東京を去って、この七月でまる四年になるが、その間に、街路や建物が変化したであろうと想像される以上に人間が特に文学の上で変っていることが数すくない雑誌や、旬刊新聞を見ても眼につく。殊に、それが現実の物質的な根拠の上に立っての変化でなく、現実の掛声に過敏になりすぎて――あるいはおびえて飛び立っているように感じられる。めまぐるしい文学上の主張や流行の変化を田舎にいて一々知り得る由もないが、わけてもこの頃のあわただしさは、東京にいても、二三カ月仕事に打ちこんで新刊の雑誌新聞に目を通すひまなしにいようものなら、取り残されて分らなくなるのではあるまいか。
 私は、バルザックとドストエフスキーが流行しだしたという言葉をきいてその頃離京したのだが、いまでは、この世界第一流の作家もかえりみる者がすくなくなっているだろう。田舎で流行にはずれていると、バルザックや、ドストエフスキーや、トルストイは、米の飯である。なんべん読みなおしてもあきることがない。
 先日思いがけなくT君が帰省して、いろいろ東京の様子や、最近の文学の傾向や人々の動静をきくことができた。
 その時、プロレタリア文学のことに話が及ぶと、T君は、いまどきプロレタリア文学などといったら、馬鹿か、気ちがいだと思われるよと笑い出してしまった。すくなくとも肚《はら》の底では考えていても、口に出していうものはないとのことである。
 常に労働者と鼻突きあわして住み、また農産物高の半面、増税と嵩ばる生活費に、農産物からの増収を吐き出して足りない百姓の生活を目撃している者には、腑甲斐ない話だとそれは嘆ぜられるのだ。攻勢の華やかな時代にプロレタリア文学があって、敗北の闇黒時代に、それぞれちゃんと生きている労働者の生活を書かないのは、おかしな話だ。むしろ、こういう苦難の時代の労働者や農民の生活をかくことにこそ意義があるのではないか。
 これも、しかし東京のことが分らない田舎者の感慨だろうか。

底本:「黒島傳治全集 第三巻」筑摩書房
   1970(昭和45)年8月30日第1刷発行
入力:Nana ohbe
校正:林 幸雄
2006年1月27日作成
2006年7月2日修正
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