王成《おうせい》は平原《へいげん》の世家《きゅうか》の生れであったが、いたって懶《なま》け者であったから、日に日に零落《れいらく》して家は僅か数間のあばら屋をあますのみとなり、細君と乱麻《らんま》を編んで作った牛衣《ぎゅうい》の中に寝るというようなみすぼらしい生活をしていたが、細君が小言をいうので困っていた。それは夏の燃えるような暑い時であった。その村に周《しゅう》という家の庭園があって、牆《へい》は頽《くず》れ家は破れて、ただ一つの亭《あずまや》のみが残っていたが、涼しいので村の人達がたくさんそこへ泊りにいった。王成もその一人であった。
ある朝のことであった。寝ていた村の人達は皆帰っていったが、懶け者の王成一人は陽が高く昇るまで寝ていて起き、それでまだぐすぐすしていて帰ろうとすると、草の根もとに金の釵《かんざし》が一つ光っていた。王成が拾って視ると細かな文字を鐫《ほ》ってあった。それは儀賓府造《ぎひんふぞう》という文字であった。王成の祖父は衡府《こうふ》儀賓、すなわち衡王の婿となっていたので、家に残っている品物の中にその印のある物が多かった。そこで王成は釵を持ってためらっていると、一人の老婆が来て、
「もしか、この辺《あたり》に釵は落ちていやしなかったかね。」
といった。王成は貧乏はしても頑固な正直者であったから、すぐ出して渡した。
「これですか。」
老婆はひどく喜んだ。「お前さんは正直者だ。感心な男だ、お蔭でたすかったよ。これは幾等《いくら》もしないものだが、先の夫の形見《かたみ》でね。」
王成は儀賓府造の印のある品物を遺《のこ》した夫という人の素性が知りたかった。
「あなたの夫というのは、どうした方です。」
と問うた。すると老婆が答えた。
「もとの儀賓の王柬之《おうかんし》だよ。」
王成は驚いていった。
「それは私のお祖父さんですよ。どうしてあなたに遇ったのでしょう。」
老婆もまた驚いていった。
「ではお前さんは、王柬之の孫だね。私は狐仙《こせん》だよ。百年前、お前さんのお祖父《じい》さんに可愛がられてたが、お祖父さんが没《な》くなったので、私もとうとう身を隠してしまった。それがここを通って釵をおとして、お前さんの手に入ったというのも、天命じゃないかね。」
王成も祖父に狐妻のあったということを聞いていたので、老婆の言葉を信用した。
「そうですよ、天命ですよ、では、これから私の家へいってくれませんか。」
というと老婆はそのまま随《つ》いて来た。王成はそこで細君を呼んであわした。細君の頭髪は蓬のように乱れて、顔色は青いうえに薄黒みを帯びていた。老婆はそれを見て、
「あァあァ、王柬之の子孫がこんなにまで貧乏になったのか。」
と歎息してふりかえった。そこに敗れた竈《かまど》はあったが、火を焚《た》いた痕《あと》も見えなかった。老婆はいった。
「こんなことで、どうして生きてゆかれる。」
そこで細君は細かに貧乏の状態を話して泣きじゃくりした。老婆は彼《か》の釵《かんざし》を細君にやって、
「それを質に入れてお米を買うがいい。」
といいつけて、帰りしたくをして、
「三日したらまた来るよ。」
といった。王成はそれをおし留《とど》めた。
「どうか家にいてくださいよ。」
老婆は、
「お前さんは、一人のお神さんとさえくらしていくことができないじゃないかね。私が一緒になって、じっとしていちゃなお困るじゃないかね。」
といってとうとういってしまった。王成はその後で、細君に老婆が人間でなくて狐仙であるということを話した。細君は顔色を変えて怖《おそ》れた。王成は老婆に義侠心《ぎきょうしん》のあることを説明して、姑《しゅうとめ》として事《つか》えなければならないといったので、細君も承知した。
三日目になって果して老婆が来た。老婆は数枚の金を出して、粟と麦を一|石《せき》ずつ買わせ、夜は細君と一緒の寝台に寝た。細君[#「細君」は底本では「組君」]は初めは懼《おそ》れたが、老婆が自分を可愛がってくれる心が解ったので、それからは疑い懼れぬようになった。
翌日になって老婆は王成に話していった。
「お前さんは惰《なま》けてばかりいちゃいけない。小生業《こあきない》でもしたらどうだね、坐ってたべていちゃだめだよ。」
王成は、
「商売をしようと思っても、もとでがありませんから。」
といった。すると老婆は、
「お前さんのお祖父さんのおった時は、お金は使いしだいであったが、私は世の中の人でないから、そんな物は入用がないし、べつにもらったことはなかったが、それでも化粧料としてもらったのが積って四十両になって、それがそのまま残っている。貯えて置いても入用がないから、その金で葛布《かたびら》を買って、すぐ都へいくなら、すこしはもうけがあるだろう。」
といった。王成は老婆の言葉に従って、老婆から金をもらい、その金で五十余端の葛布を買って帰って来た。老婆は、
「これから仕度をして、すぐ出かけるがいい。六日目か七日目には、北京へ往き着くよ。」
といって、その後で、
「一生懸命にやらなくちゃいけないよ。懶《なま》けちゃいけないよ。それにうんと急いで、ゆるゆるしていちゃだめだよ。一日おくれたらもう後悔してもだめだ。」
と注意した。王成は承知して品物を嚢《ふくろ》に入れて出発したが、途中で雨に遇って、着物も履物《はきもの》もびしょ濡れになった。王成は平生苦労をしたことがないから弱ってしまった。そこで暫く休むつもりで旅館へ入ったが、雨はますます強くざあざあと降りだして夜になってもやまなかった。簷《のき》を見ると縄のような雨だれがかかっている。仕方《しかた》なしに一泊して朝になってみると雨はやんでいたが、路のぬかりがひどくて、旅人達は脛《すね》まで入って往来していた。王成はそれにも弱って待っていると、午《ひる》になって路がやっと乾いた。そこで出発しようとしていると断《き》れていた雲がまた合って、また大雨になった。王成は仕方なしにまた一晩泊って翌日出発した。そして北京に近くなって人の噂を聞くと、葛布の価《ね》があがったというので、心のうちに喜んで北京へ入って旅館へいった。旅館の主人は王成の荷物を見て、
「しまったなあ。二、三日早かったら、うんともうけるところだったが。」
といって惜《お》しんだ。それは南方との交通が始まったばかりの時で、葛布が来てもたくさん来なかったうえに、市中の富豪で買う者がたくさんあったので、価が非常にあがって平生と較べて三倍ほどになっていた。それが王成の着く前日になってたくさん着荷があったので、価が急にさがって、後から葛布を持って来た者は皆失望していた。旅館の主人はそのことを王成に話した。王成は失望してふさぎこんでしまった。
翌日になって葛布の着荷がますます多く、価もますますさがった。王成は利益がないので売らずにぐずぐずしているうちに十日あまり経ったので、葛布の価はますますさがり、一方旅館の滞在費用もかさんで来たので、ますます煩悶《はんもん》した。旅館の主人が見かねて、
「置けば置くほど損をするから、今のうちに売ってしまって、何か他の工夫をしたらいいじゃないかね。」
といって勧めた。王成もその言葉に従って売ったが、十余両の損をした。そして手ぶらになって翌朝は早く起きて帰ろうと思って、金入《かねいれ》を啓《あ》けて見ると入れてあった金が亡くなっていた。驚いて旅館の主人に告げたが、主人もどうすることもできなかった。同宿していた男が、
「訴えて主人から払わしたらいいだろう。」
といって勧めた。王成は歎息して、
「これは運命だ。主人の知ったことじゃない。」
といって従わなかった。主人はそれを聞いて王成を徳として五両の金を贈って帰そうとした。しかし王成は老婆にあわす顔がないので帰ってもいけない。じっとしていられないので外へ出たり室の中にいたりして煩悶していた。ある日外出して鶉《うずら》を闘わして賭《かけ》をしている者を見た。その賭には一賭に数千金をかける者があった。鶉の価を訊《き》いてみると一羽が百文以上であった。王成は忽《たちま》ちその鶉の売買を思いついた。そこで金を計算してみるとどうかこうか出来そうであるから主人に相談した。
「鶉のかいだしをやりたいと思いますが。」
主人も、
「それはいい、すぐおやりなさい。」
といって勧《すす》め、そのうえ王成を当分ただで置くといった。王成は喜んで出かけていって、鶉を買えるだけ買って篭《かご》に入れて帰って来た。主人は喜んでいった。
「それはよかった。ではすぐ売るがいいだろう。」
夜になって大雨になって明け方まで降り続いたが、夜が明けたころには路の上に水が出て河のようになった。そのうえ雨がまだやまなかった。王成は雨の晴れるのを待っていたが、その雨は二、三日も続いて更にやみそうにもなかった。王成は鶉を心配して起《た》っていって篭の中を見た。鶉はたくさん死んでいた。王成は大いに困ったがさてどうにもしようがなかった。翌日になると鶉は大半死んで僅かに二、三羽しか生きていなかった。それを一つの篭へ入れて飼ってあったが、翌日いって窺《のぞ》いた時には、また死んで一羽だけ残っていた。王成はそこでそれを主人に知らして、おぼえず涙を流した。
「私はなんという不運な男でしょう。」
主人も王成のために口惜《くやし》がってくれたがどうすることもできない。王成はもう金がなくなってしまったので、故郷へ帰ろうにも帰れない。いっそ死んでしまおうと思いだした。主人は慰めて、
「まァ、そう力を落したものじゃない。またいい事も廻《めぐ》って来る。」
といって一緒にいって生き残った鶉を見ていたが、
「この鶉は豪《つよ》い奴かもわからないよ。他の鶉の皆死んだのは、それが殺したかもわからない。お前さんは暇なんだから、やってみたらどうだね。もし良い鳥だったら、賭で生計《くらし》がたつよ。」
といった。王成は主人に教えられたように鶉を馴《な》らした。鶉ははや馴れて来た。そこで主人が持って街頭へ出て、酒や料理を賭けて闘わしてみるとなかなか強いので皆勝った。主人は自分のことのように喜んで、金を王成にやって、またその辺の若いものと賭をやらしたが、三たび賭けて三たび勝った。
王成は半年ばかりの間に賭で二十金の貯蓄ができたので、心がますます慰められ、鶉を自分の命のように大事にした。その頃|某《なにがし》という鶉の好きな王があって、正月十五日の上元《じょうげん》の節にあうごとに、民間の鶉を飼っている者を呼んで、それを闘わさした。旅館の主人は成に向って、
「お前さんはすぐ大金持ちになれるが、それを取るか取らないかはお前さんの運しだいだ。」
といって、そこで鶉好きの王の話をして聞かせ、王成を案内して一緒にいったが、みちみち注意して、
「もし負けたならほうほうの体《てい》で帰るばかりさ。もし、万一お前さんの鶉が勝ったなら、王がきっと買うというから、お前さんはすぐ承知しちゃいけないよ。もしたって売れといったら、わっちの首を見るがいいよ。それでわっちの首がうなずいたら、承知をするがいいよ。」
といった。王成はうなずいた。
「ああ、そうしよう。」
そこで王の屋敷へいってみると鶉を持った人達が内庭にあふれていた。そして、暫くして王が御殿に出ると近侍《きんじ》の者がいった。
「鶉を闘わせたい願いのある者は、登ってまいれ。」
すると一人の男が鶉を持って登っていった。王は侍臣《じしん》に命じて自分の飼鳥を放たした。その男もまた自分の飼鳥を放した。その鶉と鶉はちょっと蹴《け》りあったかと思うと、もう男の鶉が負けてしまった。王は心地よさそうに笑った。続いて二、三人登っていったが、皆王の鶉のために負けてしまった。旅館の主人は王成にいった。
「今だ。」
二人は一緒に登っていった。王は王成の手にした鶉を見て、
「眼に怒脈《どみゃく》があるな、これは強い鳥だ。弱い鳥ではいけない。鉄口を持って来い。」
といいつけた。侍臣の一人が喙《くちばし》の黒い鶉を持って来て王成の鶉に当らした。二羽の鶉は一、二度蹴りあっただけで王の鶉の羽が痛んでしまった。王は更に他の良いのを選んで当らしたが、それも負けてしまった。王は、
「急いで宮中の玉鶉を持って来い。」
といいつけた。侍臣が王の命のままに持って来たのは羽の真白な鷺《さぎ》のような鶉で、ただの鳥ではなかった。王成はその鶉を見てしょげてしまい、ひざまずいて罷《や》めさしてくれといった。
「大王の鶉は、神物でございます。私はこの鳥で生計《くらし》たてておりますから、傷でも負うようなことがあっては、たちまち困ってしまいますから。」
主は笑っていった。
「まァ放してみるがいい。もし鶉が死んでしまったら、その方に十分|償《つぐな》いをしてとらせる。」
王成はそこで鶉を放した。王の鶉はすぐに王成の鶉に向って飛びかかった。王成の鶉は王の鶉が来ると、鶏の怒ったようなふうで身を伏《ふ》せて待った。王の鶉が強い喙でつッかかって来ると、王成の鶉は鶴の翔《かけ》るようなふうでそれを撃った。進んだり退いたり飛びあがったり飛びおりたり、ものの一時も闘っていたが、王の鶉の方がようやく懈《つか》れて来た。そして、その怒りはますます烈《はげ》しくなり、その闘いもますます急になったが、間もなく雪のような毛がばらばらに落ちて、翅《はね》を垂れて逃げていった。見物していたたくさんの人達は王成の鶉をほめて羨まない者はなかった。
王はそこで王成の鶉を手に持って、喙《くちばし》より爪先《つまさき》まで精《くわ》しく見てしまって、王成に問うた。
「この鶉は売らないか。」
王成はここぞと思ったので、
「私は財産がございませんから、この鶉で命をつないでおります。売るのは困ります。」
といった。すると王がいった。
「たくさん金を取らせる。百金を取らせるがどうじゃ。売りたいとは思わぬか。」
王成は俯向《うつむ》いて考えてからいった。
「私は、もともと鶉を飼うのが本職でもございませんから、大王がこれをお好みになりますなら、私に衣食のできるだけのことをしていただければ、それでよろしゅうございます。」
「それでは幾等《いくら》と申すか。」
「千両でよろしゅうございます。」
王は笑っていった。
「たわけ者|奴《め》。この鶉がどれほどの珍宝で、千両の価《ね》があるのじゃ。」
「大王には宝ではございますまいが、私に取っては連城《れんじょう》の璧《たま》でも、これにはおっつかないと思っております。」
「それはどういう理由じゃ。」
「私はこれを持って、毎日市へ出てまいりまして、毎日幾等かの金を取って、それで粟《あわ》を買って、一家十余人が餒《う》えず凍《こご》えずにくらしております。これにうえ越す宝がありましょうか。」
「わしは、くさすではない、あまり法外であるからいったまでじゃ。では二百両とらそう。」
王成は首をふった。
「それはどうも。」
すると王が金を増した。
「ではもう百両とらせようか。」
王成は首をふりながら旅館の主人の方をそっと見た。主人はすましこんでいた。そこで王成はいった。
「大王の仰せでございますから、それでは百両だけ負けましょう。」
王はいった。
「だめじゃ。誰が九百両の金を一羽の鶉と易《か》える者がある。」
王成は鶉を嚢《ふくろ》に入れて帰ろうとした。すると王が呼びかえした。
「鶉売り来い、鶉売り来い。それでは六百両取らそう。承知なら売っていけ、厭ならやめるまでじゃ。」
王成はまた主人の方を見た。主人はまだ自若としていた。王成の望みは満ちあふれるほどであった。王成は早く返事をしないと機会を失って大金をもうけそこなうと思ったので、
「これ位の金で売るのは、まことに苦しゅうございますが、この話がこわれるようなことがありますと、罪を獲《う》ることになりますから、しかたがありません。大王の仰せのままにいたしましょう。」
といって売ることにした。王は喜んで金を秤《はか》って王成に渡した。王成はそれを嚢に入れて礼をいってから外へ出た。外へ出ると主人がうらんでいった。
「わっちがあれほどいってあるじゃないか。なぜ売り急ぎをするのです。もうすこしふんばってるなら八百両になったのですぜ。」
王成は旅館へ帰ると金を案《つくえ》の上へほうりだして、主人に思うだけ取れといったが主人は取らないで、食料だけの金を計算して取った。
王成はそこで旅装を整えて帰り、家に着いてそれまでの経過を話して、金を見せて慶びあった。老婆はその金で王成にいいつけて三百|畝《ほ》の良田を買わせ、屋《いえ》を建て道具を作らしたので、居然たる世家《きゅうか》となった。老婆は朝早く起きて王成に農業の監督をさし、細君に機織《はたおり》の監督をさした。そして二人がすこしでも懶《なま》けると叱りつけたが、夫婦は老婆の指揮に安んじていて怨みごとはいわなかった。三年過ぎてから家はますます富んだ。その時になって老婆が帰るといいだした。夫婦は涙を流して引き留めた。それで老婆も留まったが翌日見るともういなかった。
底本:「聊斎志異」明徳出版社
1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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