葛西善蔵

父の出郷—– 葛西善蔵

 ほんのちょっとしたことからだったが、Fを郷里の妻の許《もと》に帰してやる気になった。母や妹たちの情愛の中に一週間も遊ばしてやりたいと思ったのだ。Fをつれてきてからちょうど一年ほどになるが、この夏私の義母が死んだ時いっしょに帰って、それもほんの二三日妻の実家に泊ってきたきりだった。この夏以来私は病気と貧乏とでずいぶん惨めだった。十月いっぱい私はほとんど病床で暮した。妻の方でも、妻も長女も、ことに二女はこのごろやはり結核性の腹膜とかで入院騒ぎなどしていて、来る手紙も来る手紙もいいことはなかった。寺の裏の山の椎《しい》の樹へ来る烏《からす》の啼き声にも私は朝夕不安な胸騒ぎを感じた。夏以来やもめ暮しの老いた父の消息も気がかりだった。まったく絶望的な惨めな気持だった。
「ここは昔お寺のできなかった前は地獄谷といって、罪人の頸を刎《は》ねる場所だったのだそうですね」と、私はこのごろある人に聞いて、なるほどそうした場所だったのかと、心に思い当る気がした。
 昨年の春私を訪ねてきて一泊して行った従兄《いとこ》のKは、十二月に東京で死んで骨になって郷里に帰った。今年の春伯母といっしょにはるばるとやってきて一泊して行った義母は、夏には両眼失明の上に惨めな死方をした。もう一人の従弟のT君はこの春突然やってきて二晩泊って行ったが、つい二三日前北海道のある市の未決監から封緘葉書《ふうかんはがき》のたよりをよこした。
 ――その後は御無沙汰しておりました。七月号K誌おみくじ[#「おみくじ」に傍点]の作を拝見し、それに対するいたずら書きさしあげて以来の御無沙汰です。いや御通知いたしかねていたのです。半僧坊のおみくじでは、前途成好事――云々とあったが、あの際大吉は凶にかえるとあの茶店の別ピンさんが口にしたと思いますが、鎌倉から東京へ帰り、間もなく帰郷して例の関係事業に努力を傾注したのでしたが、慣れぬ商法の失敗がちで、つい情にひかされやすい私の性格から、ついにある犯罪を構成するような結果に立到り、表記の未決監に囚われの身となりおります次第、真に面目次第もありません。
 昨日手にしたC誌十一月号にあなたの小品が発表されていましたので、懐かしさのあまり恥を忍んでこうした筆を取りました。それによると御病気の様子、それも例の持病の喘息《ぜんそく》とばかりでなく、もっと心にかかる状態のように伺《うかが》われますが、いかがでございますか、せっかくお大事になさいますよう祈ります。私の身は本年じゅうには解決はつくまいと覚悟しております。……
 ああ! と私はまたしても深い嘆息をしないわけに行かなかった。まったく救われない地獄の娑婆《しゃば》だという気がする。死んで行った人、雪の中の監獄のT君、そして自分らだってちっとも幸福ではない。
 私も惨めであるが、Fも可哀相だった。彼は中学入学の予習をしているので、朝も早く、晩日が暮れてから遠い由比ヶ浜の学校から帰ってくるのだった。情愛のない、暗い、むしろ陰惨な世界だった。傷みやすい少年の神経は、私の予想以上に、影響されているようにも思われた。
 十一月の下旬だったが、Fは帰ってきて晩飯をすますとさっそくまた机に向って算術の復習にかかった。私は茶店の娘相手に晩酌の盃を嘗《な》めていたが、今日の妻からの手紙でひどく気が滅入《めい》っていた。二女は麻疹《はしか》も出たらしかった。彼女は八つになるのだが、私はその時分も冬の寒空を当もなく都会を彷徨《ほうこう》していた時代だったが、発表する当のない「雪おんな」という短篇を書いた時ちょうど郷里で彼女が生れたので、私は雪子と名をつけてやった娘だった。私にはずいぶん気に入りの子なのだが、薄命に違いないだろうという気は始終していた。私は都会の寒空に慄《ふる》えながら、ずいぶん彼女たちのことを思ったのだが、いっしょに暮すことができなかったので、私は雪おんなの子を抱いてやるとその人は死ぬという郷里の伝説を藉《か》りて、そうした情愛の世界は断ち切りたいと、しいて思ったものであった。「雪子は死ぬだろう……」と、私は今朝の烏啼きのことがまた思いだされた。
「雪子はまた麻疹も出たらしいね。今日母さんから手紙が来たよ……」と、私はFに話しかけた。
「そう……」と言って彼は私の顔をちらと視たが、すぐまた鉛筆を紙の上に走らした。
 私もそれきり黙って盃を嘗《な》めつづけていたが、ふと、机に俯向いている彼の顔に、かなりたくさんの横皺《よこじわ》のあることを発見して、ひとつはこうした空気から遁《のが》れたい気持も手伝って、
「ほう……お前の額にはずいぶん皺が多いんだねえ! 僕にだってそんなにはないよ。猿面冠者《さるめんかじゃ》の方かね。太閤様だな。……ハハハ。せい公そうだろう?」と茶湯台の向うに坐ってお酌していた茶店の娘に同感を強いるような調子で言った。
「そうのようですね。お父さんにはそんなにないようですね」と、娘も何気なく笑って二人の顔をちょっと見較べる様子しながら言った。
 それが失策だった。Fは黙ってちらりと眼を私の方に向けたが、それが涙で濡《ぬ》れていた。どんな場合でも、涙は私の前では禁物だった。敏感な神経質な子だから、彼はどうかすると泣きたがる。それが、泣くのが自然であるかもしれないが、私は非常に好かないのだ。凶暴な人間が血を見ていっそう惨虐性を発揮するように、涙を見ると、私の凶暴性が爆発する。Fの涙は、いつの場合でも私には火の鞭《むち》であり、苛責《かしゃく》の暴風であった。私の今日の惨めな生活、瘠我慢《やせがまん》、生の執着――それが彼の一滴の涙によって、たとえ一瞬間であろうと、私の存在が根柢から覆《くつが》えされる絶望と自棄を感じないわけに行かなかった。この哀れな父を許せ! 父の生活を理解してくれ――いつの場合でも私はしまいにはこう彼に心の中で哀訴《あいそ》しているのだ。涙で責めるな!……私はまたしてもカアッとしてしまった。
「何だって泣くんだ? これくらいのこと言われたって泣く奴があるか! 意気地なしめ!」
「だって……人のことを……猿面だなんて……二人でばかにするんだもの……」と、彼はすすりあげながら言った。
 こう聞いて、私は全身にヒヤリとしたものを感じて、口を緘《と》じた。二人でばかにする……この不用意な言葉が、私の腹のどん底へ、重い弾丸を投じたものだ。なるほどそんな風に考えたのか、火鉢の傍を離れて自分はせっせと復習をしている、母や妹たちのことを悲しく思いだしているところへ、親父は大胡座《おおあぐら》を掻いて女のお酌で酒を飲みながら猿面なぞと言って女と二人で声を立てて笑う、それが癪《しゃく》に障ったのはむりもないと私にも考えられたが、しかしとにかく泣くということを私は非常に好まなかった。
「とにかく貴様のような意気地なしは俺には世話ができないから、明日|早速《さっそく》国へ帰れ!」と私は最後に言った。
 すぐにも電報と思ったが、翌朝方丈の電話を借りさせて、東京の弟の勤め先きへすぐ来るようにとかけさせた。弟の来たのは昼ごろだった。
「じつはね、Fを国へ帰そうと思ってね、……いや別にそんなことで疳癪を起したというわけでもないんだがね、じつはもうこれ以上やれきれないんだよ。去年もあんなことで年を越せなくて二人で逃げだしてさんざんな目に会ったが、今年はもっと状態がわるい。身体の方ばかしでなく神経の方もだいぶまいっているらしい。毎晩ヘンな夢ばかし見てね、K君のことやおふくろのことや、……俺は少し怖くなった、とにかく早くここを逃げだしたい。僕も後から国へ帰るか、それとも西の方へ放浪にでも出かけるか、どっちにしても先きにFを国へ帰しておきたいから……」
「いやそういうわけでしたらなんですけど、三月といってももうじきですからね、Fさんが中学に入りさえすれば、また私たちの方で預ってもどうにでも都合がつきますからね……」
「いや僕もそんなことも考えないわけではないがね、僕もじつはおやじのところへ帰りたいのだよ。いっさいを棄てて、おやじといっしょに林檎《りんご》の世話でもして、とにかく永く活《い》きる工夫をしたい。僕も死にたくないからね。このままで行ったんでは俺の健康も永いことはないということが、このごろだんだんはっきりと分ってきた。K君、おふくろ、T君はまたあんなことになるし、今度はどうしても俺の番だという気がして、俺もほんとに怖くなってきた。ここは昔地獄谷といって罪人の刑場だったそうだが、俺はただ仏様のいる慈悲の里とばかり思ってやってきたんだがね、そう聞いてみるとなるほどこの二年は地獄の生活だったよ。ここを綺麗にして出るとなると七八百の金が要るんだがね、逃げだしたためT君のような別な地獄へ投りこまれることになるかもしれないがね、それにしても死神に脅《おびや》かされているよりはましだという気がするよ。僕はどうかするとあの仏殿の地蔵様の坐っている真下が頸を刎《は》ねる場所で、そこで罪人がやられている光景が想像されたり、あの白槇《しろまき》の老木に浮ばれない罪人の人魂が燃えたりする幻覚に悩されたりするが、自分ながら神経がどうかしてる気がして怖くなる……」と、私は弟の顔を見ると泣いても訴えたい気持をそそられた。
「いや、そういうわけでしたらそれではFさんの方はそういうことにしましょうか。兄さんの方は後でまたゆっくりと方法を考えて、国へ帰るにしても旅へ出るにしても、とにかくあまりむりをなさらない方がいいでしょう」と言って弟は私の憔《やつ》れた顔にちょっと視入《みい》ったが、
「それにしても、そういう気持が出るのも一つは病気のせいなんでしょうが、Kさんの時なんか今目を瞑《つむ》るという間ぎわまでも死神だとか何だとかそんなことは言わなかったようですがねえ、そう言ってはなんでしょうが兄さんは少しその禅の方へ、凝ってるというわけでもないんでしょうが、多少頭を使いすぎるためもあるんじゃないでしょうか、私なんかには分りませんけど……」
「そんなことはないよ。禅とは別問題じゃないか。誰が禅みたいなあほらしいものに引かかって、自分の生きる死ぬるの大事なことを忘れる奴があるか!」と、私はムッとして声を励まして言ったが、多少|図星《ずぼし》を指された気がした。
「それではとにかく行李を詰めましょうか」と、弟はおとなしく起って、次ぎの室の押入れからFの行李を出してきた。
 学校へはきゅうに郷里に不幸ができて帰ることになったからとFに言わせて、学校道具を持ってこさせた。昼のご飯を運んできた茶店の娘も残っていて手伝ったが、私の腹の底は視透《みす》かしているらしいのだが、口へ出しては言いださなかった。寺の老和尚さんも「そうかよ。坊やは帰るのかよ。よく勉強していたようだったがなあ……」と言ったきりで、お婆さんも、いつも私がFを叱るたびに出てきてはとめてくれるのだが、今度は引とめなかった。私たちの生活のことを知り抜いている和尚さんたちには、こうした結末の一度は来ることに平常から気がついているのだった。行李の中には私たち共用の空気銃、Fが手製の弓を引くため買ってきた二本の矢、夏じゅう寺内のK院の古池で鮒《ふな》を釣って遊んだ継《つ》ぎ竿、腰にさげるようにできたテグスや針など入れる箱――そういったものなど詰められるのを、さすがに淋しい気持で眺めやった。妻に宛《あ》てた簡単な手紙も入れさせた。
「すんだら一杯飲もうか」と言って娘に仕度をさせた。
「まだ出るころじゃないのか?」と、弟の細君のお産のことを訊いた。
「もうとっくに時が来てるんでしょうから、この間から今日か今日かと待ってるようなわけで、今晩にもどうかというわけなんでしょう」
「そりゃたいへんだね。何しろ今年はみんなが運がわるいようだからよっぽど気をつけないと」
「身体の方にどこにもわるいところがなさそうだから、だいじょうぶだろうと思うけど」
 こうして私たちは日の暮れるのを待った。最初の動機は、Fの意気地なしの懲《こら》しめと慰めとを兼ねて一週間も遊びに帰えすつもりだったのが、つい自分ながらいくらか意外なような結果になったのだった。しかしこうした場合だから迷わんで断行した方がいいと私はしいて気を張っていたが、さすがにFと別れるのがもの悲しく、これがついに一生の別れででもあるかのような頼りない気さえした。Fの方は昨晩からずいぶん悄《しょ》げていたが、行李もできて別れの晩飯にかかったが、いよいよとなると母や妹たちや祖父などに会えるという嬉しさからか、私とは反対に元気になった。
「母さんとこで二三日も遊んだら、祖父さんの方へ行ってすぐ学校へ行くようにせ。僕もじき帰る。どっちにしてもお前の入学試験時分までには帰るから、どこにおっても意気地なくかかって泣いたりするな」と、私はFに最後の訓戒を垂れた。
 すっかり暗くなったところで弟は行李を担《かつ》いで、Fとの二人が茶店の娘に送られて出て行ったが、高い石段を下り建長寺の境内《けいだい》を通ってちょうど門前の往来へ出たかと思われた時分、私はガランとした室に一人残って悲みと寂しさに胸を噛まれる気持で冷めたくなった盃を嘗《な》めていたところへ、電報! と言う声が聞えて、寺のお婆さんが取次いで持ってきてくれたが、原稿|催促《さいそく》の電報だろうと手に取ってみると、差出人が妻の名だったので、私はハッとして息を呑んだ。
「雪子が死んだ……」そう思うと封を切る手が慄《ふる》えた。――チチシスアサ七ジウエノツク――私はガアーンと頭を殴られた気がして、呆然《ぼうぜん》としてしまった。底知れない谷へでも投りこまれたような、身辺いっさいのものの崩落、自分の存在の終りが来たような感じがした。
「どうかなすったんですか?」と、お婆さんは私の尋常《じんじょう》でない様子を見て、心配そうに言った。
「おやじが死んだんだそうです……おやじが死んだんだそうです」と、私は半分泣声で繰返した。
「とにかくあいつらを呼んでこなくては……」
 私は突嗟《とっさ》に起ちあがって、電報を握ったまま暗い石段を駈け下り、石段の下で娘に会ったが同じことを言って、夢中で境内《けいだい》を抜けて一気にこぶくろ[#「こぶくろ」に傍点]坂の上まで走った。そして坂の途中まで下りかけていた彼らの後からオーイオーイF!……と声をかけた。
「おやじが死んだという電報だ。それで明日の朝女房が出てくるというんだが、とにかく引返してくれ」と、私は息を切らして言った。
「おやじが死んだ……?」と、弟も声を呑んだ。
「おやじが死んだからって、あれが出てくるってのも変な話だが、とにかくただ事じゃないね……」
「そうですねえ……」
 こうして話しながら引返したが、変死、頓死《とんし》――とにかく父は尋常の死方をしたのではないということが、私たちの頭に強く感じられた。室に帰ってきて幾度電報を繰りひろげてみても、ほかに解釈のしようもなかった。
「やっぱしこんなことだったのか。それにしてもまさかおやじとは思ってなかった。雪子のことばかし心配していたんだが、この間から気になっていた烏啼きや、ゆうべあんなつまらないことでFが泣きだしたのも――たぶんおやじはちょうどその時分死にかけていたんだろうがね、それにしてもなんとか前におやじから手紙の一本もありそうなものだったがなあ……」
「それにしても、おやじが死んだからって嫂《ねえ》さんが出てくるっていうのも、どうも変だと思いますがね……」
「しかしほかに判断のしようがないじゃないか。とにかく死んだんだとすれば、尋常な死方をしたもんじゃないだろう。それではとにかく今夜お前たちは帰って、明日の朝上野へ出てくれないか。そしてすぐ電報を打ってくれないか。今夜いっしょに行ってもお前とこでは寝るところもないんだし、今夜はよく眠って気を落ちつけて出て行きたいから」
「その方がいいでしょう。とにかく兄さんにしっかりしてもらわないと、あまり神経を痛めてまた病気の方を重くしても困りますからね。遅かれ早かれ一度はこういう時期が来るんでしょうからね、まあ諦《あきら》めるほかないでしょうよ」と、こういた場合にもあまり狼狽《ろうばい》した様子を見せない弟は、こう慰めるように言って、今度は行李を置いてFと二人で出て行った。
 が翌朝十時ごろ私は寝床の中で弟からの電報を受け取ったが、チチブジデキタ――という文句であった。それで昨夜チチシスのシがアの字の間違いであったことがすぐ気づかれてホッと安心の太息をついたが、同時に何かしら憑《つ》き物にでも逃げだされたような放心の気持と、禅に凝ってるのではないかと言った弟の言葉が思いだされて、顔の赧《あか》くなるのを感じた。……
 じつは弟たちが出て行った後、私は一人で娘相手に酒を飲み続けていたが、私は坐っているにも堪えない気持で、盃持つ手の慄《ふる》えもやまなかった。
「押入れの袴《はかま》を出してくれ。これから老師さんへ独参に行ってくるから」と、娘に言った。
「もう九時でしょう」
「何時だってかまわない……」
 私はこう言って羽織と足袋を脱ぎ、袴をつけて、杉の樹間の暗い高い石段を下り、そこから隣り合っている老師のお寺の石段を、慄える膝頭を踏ん張り、合掌の姿勢で登って行ったのであった。春以来二三度独参したことがあるがいつも頭からひやかされるので、すっかり悄《しょ》げていっこうに怠けているのだが、しかしこうした場合のことだから、よもや老師はお見捨てはなさるまい、自分は老師の前に泣きひれ伏しても、何らか奇蹟的な力を与えられたいと、思ったのだ。蔦が厚く扉をつつんだ開かずの門のくぐりから、寂寞《せきばく》とした境内《けいだい》にはいって玄関の前に目をつぶって突立った。物音一つ聴えなかった。暗い敷台の上には老師の帰りを待っているかのように革のスリッパが内へ向けて揃えられてあり、下駄箱の上には下駄が載って、白い籐《とう》のステッキなども見えたが、私の二度三度の強い咳払いにも、さらに内からは反響がなかった。お留守なのかしら?……そうも思ったが、私は何となく不安になってきた。「老師さん!……」と私は渾身《こんしん》の力を下っ腹に入れて、叫んだ。……老師さん!……老師さん!……老師さん!……さらに反響がなかった。庫裡《くり》に廻って電灯の明るい窓障子の下に立って耳を傾けたが、掛時計のカッタンカッタンといういい音のほかには、何にも聞えてこない。私はまた玄関で二三度叫んだ。それから数株の梅の老木のほかには何一つなく清掃されている庭へ出て、老師の室の前の茅葺《かやぶ》きの簷下《のきした》を、合掌しながら、もはや不安でいっぱいになった身体をしいて歩調を揃えて往ったり来たりして、やはり老師さん! 老師さん! を繰返し続けたが、だんだんその叫び声が自分ながら霜夜に啼く餓《う》えた野狐の声のような気がされてきて、私はひどく悲しくなってきて、私はそのまま地べたに身体を投げだして声の限り泣きたいと思った。雨戸を蹶飛《けと》ばして老師の前に躍《おど》りだしてやるか――がその勇気は私にはなかった。私は絶望と老師を怨《えん》じたい気持から涙のにじみでてくる眼をあげて、星もない暗い空を仰いだが、月とも思われない雲の間がひとところポーと黄色く明るんだ。「父だ!」とその瞬間にそう思った。父の亡魂なのだ。不孝の子を父ははるばると訪ねてきてくれたのだと思うと私はまた新しく涙が出てきたが、私は父を慕う心持で胸がいっぱいになった。「お前も来い! 不憫《ふびん》な子よ、お前の三十五年の生涯だって結局闇から闇に彷徨《ほうこう》していたにすぎないんだが、私の年まで活《い》き延びたって、やっぱし同じことで、闇から闇に消えるまでのことだ。妄想未練を棄てて一直線に私のところへ来い。その醜態は何事だ!」父は暗い空の上からこう言った気がして、私はフラフラと昏倒するような気持になった。そこの梅の老木の枝ぶりも、私には誘惑だった。私はコソコソと往きとは反対の盗み足で石段を帰ってきたが、両側の杉や松の枝が後ろから招いてる気がして、頸筋に死の冷めたい手触りを感じた。……

「で、ゆうべあんなことで、ついフラフラとあの松の枝にぶらさがったはいいとして、今朝になってほんとに俺の正体は人間でなくて狐だったなんということだったら、多少痛快だったな……」と、寝床の中で電報を繰返して読みながら、そうした場合のことなどまで空想されて、苦笑を感じないわけには行かなかった。
 弟とFは四時ごろ帰ってきた。
「おやじどうした?」
「いや別にどうもなくて無事で来ましたがね、じつは今度いっさい家の方の始末をつけ、片づける借金は片づけ、世帯道具などもすべてGに遣ってしまって、畑と杉山だけ自分の名義に書き替えて、まったく身体一つになって出てきたんだそうですよ。親戚へもほとんど相談なんかしなかったものらしいですね。行李一つと夜具だけ上野までチッキをつけて、一昨日ほとんどだしぬけに嫂《ねえ》さんところへ行ってすぐ夜汽車で来るつもりだったんでしょうがね、夜汽車は都合がわるいと止められたんで、一昨日の晩は嫂さんところへ泊って、昨日青森まで嫂さんに送られて一時の急行で発ってきたんだそうですがね、私の方の電報はチチアスアサ七ジと間違いなく来てますが、何しろひどく思いきったもんですね」
「まあそうだな。でも思いきって出てきてよかったさ。身体の方はだいぶ弱ってるようか?」
「いや脚が少し不自由なだけで、ほかはなかなか元気のようですよ。朝からさっそく飲んでましたがね、ようやく寝たもんですから……」
「なんにしても思いきって出てきてよかったよ。ああして一人でいたってしようがないんだからね。そうかといって僕らが行って整理をつけるとなると、畑だって山だって難かしいことになるからね、何しろおやじうまくやった、大出来だね」
「まあそうでしょう。春になって雪でも消えたら一度桐でも伐りに行こうなんて、なかなか吹いてますよ」
「それにしてもおやじとしてはずいぶん命がけの決心だったのだろうからね、電報の間違いぐらい偶然でないのかもしれないが、こんな間違いがあるとかえって長生きするもんだというからそうであってくれるといいがね、おふくろなんかの場合のように、鎌倉まで来たはいいやですぐ死なれたのでは困っちまうなあ」
「まさかみんながみんなそんなことも。……どうも兄さんの考え方は」と弟は非難と冷笑の色を見せたが、言葉は続けなかった。
「それでは大急ぎで仕事を片づけて三日中に出て行くからね。……おやじには出てきてくれたんでたいへん安心して悦《よろこ》んでいると言ってくれ」私はこう言って弟だけ帰したが、それでは一昨晩の騒ぎの場合は父は私の妻の実家で酒を飲んでいたんだし、昨晩のあの九時ごろはたぶん盛岡附近を老の独り身を汽車に揺られていたわけであるが――がそれにしてもこのあわただしい出て来方は、何ものかに招かれての急ぎの途中ではないかと思うと、私はまたしても暗い気持に囚われた。

底本:「日本文学全集31 葛西善蔵・嘉村礒多集」集英社
   1969(昭和44)年7月12日初版発行
入力:住吉
校正:小林繁雄
2011年10月25日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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