江見水蔭

怪異黒姫おろし—— 江見水蔭

      一

 熊! 熊! 荒熊。それが人に化けたような乱髪、髯面《ひげづら》、毛むくじゃらの手、扮装《いでたち》は黒紋付の垢染《あかじ》みたのに裁付袴《たっつけばかま》。背中から腋の下へ斜《はす》に、渋段々染の風呂敷包を結び負いにして、朱鞘の大小ぶっ込みの他《ほか》に、鉄扇まで腰に差した。諸国武者修業の豪傑とは誰の眼にも見えるのが、大鼻の頭に汗の珠《たま》を浮べながら、力一杯片膝下に捻伏《ねじふ》せているのは、娘とも見える色白の、十六七の美少年、前髪既に弾け乱れて、地上の緑草《りょくそう》に搦《から》めるのであった。
「御免なされませ。お許し下さりませ」
 悲し気にかつは苦し気に、はた唸《うめ》き気味で詫びるのであった。
「何んで許そうぞ、拙者に捕ったが最期じゃ。観念して云うがままに成りおれぇ」と、武道者の声は太く濁って、皹入《ひびい》りの竹法螺《たけぼら》を吹くに似通った。
 北国《ほっこく》街道から西に入った黒姫山《くろひめやま》の裾野の中、雑木は時しもの新緑に、午《ひる》過ぎの強烈な日の光を避けて、四辺《あたり》は薄暗くなっていた。
 山神《さんじん》の石の祠《ほこら》、苔に蒸し、清水の湧出《わきいず》る御手洗池《みたらしいけ》には、去歳《こぞ》の落葉が底に積って、蠑※[#「虫+原」、第3水準1-91-60]《いもり》の這うのが手近くも見えた。
 萱《かや》や、芒《すすき》や、桔梗《ききょう》や、小萩《こはぎ》や、一面にそれは新芽を並べて、緑を競って生え繁っていた。その上で荒熊の如き武道者が、乙女の如き美少年を、無残にも膝下《しっか》に組敷いているのは、いずれ尋常の出来事と見えなかった。
 もとより人里には遠く、街道|端《はず》れの事なれば、旅の者の往来《ゆきき》は無し。ただ孵化《かえ》り立の蝉《せみ》が弱々しく鳴くのと、山鶯《やまうぐいす》の旬《しゅん》脱《はず》れに啼くのとが、断《き》れつ続きつ聴えるばかり。
「それならば、どう致したら宜しいのか」と怨めしそうに美少年は云った。
「おぬしの身の皮を残らず剥《は》ぐ。丸裸にして調べるのじゃ」
「それは又何故に」
「ええ、未《ま》だ空惚《そらとぼ》けおるか。おぬしは拙者の腰の印籠《いんろう》を盗みおった。勿論油断して岩を枕に午睡《ひるね》したのがこちらの不覚。併し懐中無一文の武者修業、行先々《ゆくさきざき》の道場荒し。いずれ貧乏と見縊《みくび》って、腰の印籠に眼を付けたのが憎らしい。印籠は僅かに二重、出来合の安塗、朱に黒く釘貫《くぎぬき》の紋、取ったとて何んとなろう。中の薬とても小田原の外郎《ういろう》、天下どこにもある品を、何んでおぬしは抜き取った」
「いえいえ、全く覚えの無い事」
「ええ、未だ隠すか。これ、この懐中《ふところ》のふくらみ、よもやその方|女子《おなご》にして、乳房の高まりでも有るまいが」
 毛むくじゃらの手を懐中《ふところ》に突込み、胸を引裂いてその腸《はらわた》でも引ずり出したかの様、朱塗の剥げた粗末な二重印籠、根付《ねつけ》も緒締《おじめ》も安物揃い。
「これ見ろ」
 美少年は身を顫わせ、眼には涙をさえ浮べて。
「御免なされませ。まことは私、盗みました。それも母親の大病、医師《いしゃ》に見せるも、薬を買うも、心に委《まか》せぬ貧乏ぐらしに」
「なんじゃ、母親の大病、ふむ、盗みをする、孝行からとは、こりゃ近頃の感服話。なれども、待て、人の物に手を掛けたからには、罪は既に犯したもの。このままには許し置かれぬ。拙者は拙者だけの成敗、為《す》るだけの事は為る。廻国中の話の種。黒姫山の裾野にて、若衆の叩き払い致して遣わすぞ」
 力に委せて武道者は、笞刑《ちけい》を美少年に試みようとした。
「この上は是非御座りませぬ。御心委せに致しまする。が、お情けには、人に見られぬ処にて、お仕置受けましょう。ここは未だ山の者の往来が御座りまする」と美少年は懇願した。
「好《よ》し、それでは、山神の祠の後へ廻わろう」と漸《ようや》く武道者は手を緩めた。
「これもこちらへ隠しまして」と美少年は草籠《くさかご》を片寄せると見せて、利鎌《とがま》取るや武道者の頸《くび》に引掛け、力委せにグッと引いた。
「わッ」と声を立てたきり、空《くう》を掴《つか》んで武道者は、見掛けに依《よ》らぬ脆《もろ》い死に方。
 美少年は後から、トンと武道者の背を蹴った。前にバッタリ大木が倒れた状態。山蟻《やまあり》が驚いて四方に散った。
 血鎌を振って美少年はニッコと笑み。
「たわけな武者修業|奴《め》、剣法では汝《うぬ》には勝てぬけども、鎌の手の妙術、自然に会得した滝之助《たきのすけ》だ。むざむざ尻叩《しりたた》きを食うものか」
 冷笑の裡《うち》に再び印籠を取り上げた。
「これで八十六になった」

       

 美少年滝之助は越後《えちご》領|関川宿《せきかわじゅく》の者、年齢《とし》は十四歳ながら、身の発育は良好で、十六七にも見えるのであった。それで又見掛けは女子《おなご》に均《ひと》しい物優しさ、天然の美貌は衆人の目につき、北国街道の旅人の中にも、あれは女の男に仮装したものと疑う者が多いのであった。
 それが鎌遣《かまつか》いの名人、今日はここで荒熊の如き武道者をさえ殺したのであった。見掛けに依らぬ大胆不敵さ、しかも印籠盗みの罪を重ねて八十六とまでに数えるとは。
 それには遺伝性も有った。時代と境遇との悪感化も加わった。祖父は野武士の首領で、大田切《おおたぎり》小田切《おだぎり》の間に出没していた。それが上杉謙信《うえすぎけんしん》の小荷駄方《こにだがた》に紛れ入って、信州甲州或は関東地方にまで出掛け、掠奪《りゃくだつ》に掛けては人後に落ちなかったが、余りに露骨に遣り過ぎたので、鬼小島弥太郎《おにこじまやたろう》に見顕《みあらわ》されて殺されたという。
 父は岩五郎《いわごろう》と呼び、関川の端《はず》れに怪しき旅人宿を営んでいたが、金の有る旅客を毒殺したとの疑いで高田《たかだ》城下へ引立てられ、入獄中に牢死した。母はそれを悲しんで、病を起して悶《もだ》え死に死んだ。
 兄の鉄之助《てつのすけ》というのが、その為に高田の松平《まつだいら》家を呪って、城内に忍び込み、何事をか企てようとしたところを、宿直《とのい》の侍女に見出されて捕えられた。それは当主|光長《みつなが》の母堂(忠直《ただなお》の奥方にして、二代将軍|秀忠《ひでただ》の愛女《あいじょ》)の寝室近くであった。その為に罪最も重く磔刑《はりつけ》に処せられたのであった。
 こういう因縁の下に滝之助は、高田の松平家を呪って呪って呪い抜き。
「何んとかして敵《かたき》を討つ! 怨恨《うらみ》を晴さいで措《お》こうかッ」
 燃えるが如き復讐心を抱いて、機会の到来を待っているのであった。
 今ここで武道者を殺害した滝之助は、その血の滴たる鎌を洗うべく御手洗池《みたらしいけ》に近寄った。蠑※[#「虫+原」、第3水準1-91-60]《いもり》が時々赤い腹を出して、水底に蜒転《えんてん》するのは、鎌の血と色を競うかとも見えた。
 滝之助は血鎌を洗う前に、清水を手に掬って、喉の乾きを癒《い》やさずにはいられなかった。大男の圧迫がかなり長く続いたからであった。
「滝之助、美事に遣りおったな」
 不意に後から声を掛けられたので、滝之助は吃驚《びっくり》した。次第に依ってはその人をも殺して罪を隠そうと、身構えながら、振向いて見た。
「おう、先生!」
 いつの間に来たのやら、まるでそれは地の底からでも湧き出したかの様。白髪を後茶筌《うしろちゃせん》に束ねた白髯《はくぜん》の老翁。鼠色の道服を着し、茯苓《ぶくりょう》突《つ》きの金具を杖の代りにして立っていた。
「でかしたでかした。敵は大男じゃ、しかも諸国武者修業人じゃ。道場荒しの豪の者を鎌で一息に遣りおった。見事! 見事!」と老翁は賞め立てた。
「思い切って片付けました」
「油断をしたのが敵の運の尽きじゃ」
「先生、早速差上げます。印籠はこれで八十六で御座りまする。後十四で百に揃いまする」
 滝之助は武道者から取った朱塗の釘貫の黒紋の印籠を老翁に手渡した。
「確かに受取った。や、人まで殺して取ってくれたか」と老翁は大喜び。
「百の数が揃いましたら、その代り霧隠れ雲隠れの秘薬の製法、御伝授下さりましょうなァ」
「や、人まで殺した執心に感じて、百までには及ばぬ。八十六でもう好い」
「でも、百の印籠から取出した薬の数々を練り合せ、それに先生御秘蔵の薬草を混ぜたのが、霧隠れ雲隠れの秘薬とやら」
「それには又それで秘事口伝が有る。や、今夜拙老の隠宅へ来なさい、何事も残らず打明けて語り聴かそう。それよりもこの屍骸《しがい》じゃ。人目に触れぬ間に、埋め隠くさねば相成らぬ。林の中には薬草の根元まで掘下げた穴が幾つも有るで、その中の大きなのを少し拡げるまでじゃ。拙老が手伝うて遣わすぞ」
「何から何まで御親切な」
 滝之助は感激した。
 この老翁そもそも何者ぞ。見掛けは仙家の者ながら、敢て殺人の罪を憎まぬのみか、屍骸取片付けの手伝いまでする。見掛け倒しの曲者《くせもの》なる哉《かな》。

       

 地震《ない》の滝道の樺《かば》林の中に、深さ六尺位、広さ五六畳程の竪穴を掘り、その上に半開の唐傘式に木材を組合せ、それに枯茅《かれかや》を葺《ふ》いて屋根とした奇々怪々の住居《すまい》。それが疑問の老翁の隠宅であった。
 老翁は真堀洞斎《まぼりどうさい》と云い、京の医師という事。それが数年前からこちらへ来て、黒姫山中に珍奇の薬草を採集する目的で、老体ながら人手を借りず、自ら不思議な住居を建て、隙《ひま》さえあれば山野の中にただ一人で分入《わけい》るのであった。
「暖国には樹上の家、寒国には土中の室、神代《かみよ》には皆それであった」
 土地の者にも土室が好い事を勧めていた。この洞斎の住居を夜に入って密々に訪れたのは、昼の約束を履《ふ》んだ滝之助であった。
「おう、持っていた。さァ」
 初夏でも夜は山中の冷え、炉には蚊燻《かいぶ》しやら燈火《ともしび》代りやらに、松ヶ根の脂肪《あぶら》の肥えた処を細かに割って、少しずつ燃してあった。
 室内に目立つのは、幾筋も藤蔓《ふじづる》を張って、それに吊下げて有る多数の印籠。二重物、三重物、五重物。蒔絵、梨地、螺鈿《らでん》、堆朱《ついしゅ》、屈輪《ぐりぐり》。精巧なのも、粗末なのも、色々なのが混じていた。皆これは滝之助が、北国街道に網を張り、旅人の腰ばかり狙いをつけ、茶店でも盗み、旅籠屋《はたごや》でも奪い、そうしてここへ持って来た八十六箇の、それなのであった。
「今夜こそ一大事をことごとくその方に申し伝える。それというも拙老の寿命の尽きる時が参ったからじや。いや素人には知れぬが、医道に長《た》けし身じゃ。それが知れえでなろうか」
 洞斎の語り出しは淋しかった。
「お待ちなされませ、もしや人が立聞きにでも参りはしませぬか」
 滝之助は念の為め見廻りに梯子《はしご》を昇って外に出ようとした。
「ハテ、夜中にこの林間の一つ家、誰が来ようぞ。来ればいかに忍んでも、土中の室には必らず響く。まァ安心して聴くが好い」
 真堀洞斎は実に大阪落城者の一人で有った。しかも真田幸村《さなだゆきむら》の部下で、堀江錦之丞《ほりえきんのじょう》と云い、幸村の子|大助《だいすけ》と同年の若武者。但し大阪城内に召抱えられるまでは、叔父|真家桂斎《まいえけいさい》という医家の許《もと》に同居していたので、草根木皮の調合に一通り心得が有るところから、籠城中は主に負傷者の手当に廻っていた。
 それが秀頼《ひでより》公初め真田幸村等の薩摩落《さつまおち》という風説を信じて、水の手から淀川口《よどがわぐち》にと落ち、備後《びんご》安芸《あき》の辺りに身を忍ばせていたが、秀頼その他の確実に陣亡《じんぼう》されたのを知るに及んで、今更|追腹《おいばら》も気乗がせず、諸国を医者に化けて廻っているうちに、相模《さがみ》の三増峠《みませとうげ》の頂上に於《おい》て行倒れの老人に出会《でっくわ》した。
 薬を与えたので一時は蘇生したが、とてもこの先何日も保たぬ命と知って、その老人が教えてくれた大秘密、それを今夜は滝之助にと語り移すのであった。
「その老人は甲州浪人の成れの果てで、かつては武田勝頼《たけだかつより》殿に仕えた者とやら。その人の物語った事じゃが、信州黒姫山の麓には、竹流しの黄金がおおよそ五百貫目ばかり、各所に分けて隠して有るという事でのう」
「え、えッ」と滝之助は吃驚《びっくり》した。
「それを探して掘り出そう為に、薬草採りと表面を偽り、今日までは相成ったが……」
「一ヶ所にても見付かりましたか」
「それが未だじゃ」
「浪人が好い加減の事を申したのでは御座りませぬか」
「いやいや、極めて確かな話じゃ。それは斯様《かよう》な筋合じゃ」

       四

 洞斎老人は、語り次いだ。
「およそ古今武将の中で、徳川家康《とくがわいえやす》という古狸《ふるだぬき》位、銭勘定の高い奴《やつ》は無いとじゃった。欲ばかり突張っていたその為に、天下も金で取ったようなもの。その金好きを見抜いて喰入ったのが、元甲州は武田家の能楽役者、大蔵十兵衛《おおくらじゅうべえ》と申した奴。伊豆に金山《かなやま》の有る事を申上げてから、トントン拍子。それから又佐渡の金山を開いて大当りをして、後には大久保《おおくぼ》の苗字を賜わり、大久保|石見守長安《いわみのかみながやす》とまで出世したのじゃが、それ程の才物ゆえ、邪智にも長《た》けていて、私《ひそ》かに佐渡吹きの黄金を隠し置き、御役御免になっても老後の栄華、子孫の繁盛という事を考えて、江戸へ運び出す途中に於《おい》て、腹心の者と申し合せ、幾度《いくたび》にも切って人を替え、時を変え、黒姫山麓に埋蔵したという筋道じゃ。それも頗《すこぶ》る巧みなる遣り口でのう。腹心にはことごとく武田家の浪人筋を用い、軍用金として佐渡の黄金を溜めて置き、時機《おり》を見て、武田家再興の大陰謀を企てるのじゃで、随分忠勤を励まれよと言い含め、一方公儀に向っては、信州黒姫山の麓には、金脈有り気に見えまするで、佐渡へ上下の折々に試掘致しとう御座りまする。但し人目に触れぬように内密に立廻り致しますると、ウマイ事を言上して置き、腹心の者にあちらこちらと掘り散らさせ、その後へ又他の腹心を遣わして、密かに佐渡の金を埋め隠したのじゃ」
「佐渡の金山奉行、大久保石見守という方の噂は、能《よ》く聞いておりました」
「黄金一箱、十二貫目入り、合せて百箱を五十駄積の船に載せ、毎年五隻から十隻と、今町津まで積み出された。その中を巧《うま》く抜き取ったのじゃ。拙老が三増峠で介抱した老人も、石見守が腹心の一人じゃった。そこで隠した場所は、一々石見守が地図に書き入れ、目じるしの岩石、或は立木、谷川、道筋、神社、道標《みちしるべ》、それより何歩、どの方角にと、そういう風に委《くわ》しく記したのを、正副二枚だけ拵《こしら》え上げ、腹心の皆々立会の上、正の地図を石見守が取り、副の地図を人数だけに切放し、銘々その一片|宛《ずつ》に所持する事にして、万一石見守不慮の死を遂げた場合に、その切図を皆々持寄り、元の如く継ぎ合せて、隠し場所を見出すという仕掛けじゃ。一人一人、自分の隠した処を知っていても、他の者の処は知らぬので、左様に取極《とりき》めたのは石見守の智慧《ちえ》じゃ。そうして切図は薄い油紙に包み、銘々印籠の二重底に隠し置くという、これもその時の申合せじゃ。そうして置いて陰険な石見守は、腹心の者を一人ずつ、毒殺、或は暗殺など致して退《の》けた。三増峠の老人は、中途で、それを覚ったので、慌だしく九州路に逃げ延びて、命だけは取留めていたという」
「その石見守は疾《と》くに死去なされました筈」
「おう、慶長《けいちょう》十八年四月に頓死したが、本多上野介正純《ほんだこうずけのすけまさずみ》が石見守に陰謀が有ったと睨んで、直ちに闕所《けっしょ》に致し置き、妾《めかけ》を詮議して白状させ、その寝所の下を調べさしたところが、二重の石の唐櫃《からびつ》が出て、その中に又黒塗の箱が有り、それには武田家の定紋染めたる旗|一旒《いちりゅう》に一味徒党の連判状、異国の王への往復書類などが出たとある。これは又、上野介が小細工という説も有るが、勿論地図も出たろうなれど、それには露骨《あらわ》に黄金埋蔵とは書いてなかったので、単に金山脈の書入れとでも見たものか、何の沙汰にも及ばなんだ。そうして子息|藤十郎《とうじゅうろう》以下七人は、同年七月二十日、礫刑《はりつけ》に処せられ、召使の者等も死罪やら遠流やら……」
「そう承わると、黄金埋蔵は、本当に相違御座りませぬな」
「三増峠の老人よりは、勿論印籠を譲られたので、二重底を探って切図は得た。さァそれでおぬしにも、印籠集めを頼んだのじゃ」
「では、百種の薬を百の印籠から集めて、それで霧隠れ雲隠れの秘薬を製造とは、偽りで御座りましたか」
「偽りは偽りながら、霧隠れ雲隠れの秘薬、その他には眠り薬、痺《しび》れ薬、毒薬、解毒薬、長命不死の薬、笑い薬、泣き薬、未だ色々の秘薬の製法は、一通り心得おる。おぬしが高田の松平家に対して、父兄の仇《あだ》を報じるという、それには少からず誠意を寄せる拙老じゃ。印籠集めの熱心さに、百まで集まらずとも教えはする」
「それで、今までの印籠の中に、切図を隠したのが御座りましたか」
「八十五箇の中に漸く一枚見出された。それと前に老人より授けられたる切図とを合せて見たが、残念ながら中が一枚抜けていて、どうしても繋がれずにいたところ、今日おぬしが武道者を殺して取ったる中から、又一枚を見出した。きゃつめ、二重底の秘事は知る由もない。諸国遍歴中に偶然手に入れたものであろうが」
「すりゃ、今日の印籠から」
「しかも、前の二枚の中に入れて見れば初めて合《がっ》しる三枚続き」
「おう!」
「僅かに黒姫山麓のホンの一部に過ぎぬなれど、一箱十二貫目入りの分三箇だけの隠し場所が、今日漸く分ったのじゃ」
「三十六貫目の黄金! 小判に直せば、大層な値!」
「それは皆おぬしに遣る、未だその上におぬし引つぎ、印籠集めて他の場所のも探せ。その代りには拙老、頼みがある。おぬしを見込んで申すのじゃ」
「何んなりとも承りましょう、妙高山の硫黄の沸《に》える中へでも、地震《ない》の滝壺の渦巻く底へでも、飛込めとならきっと飛び込んでみせまする」
「さらば語ろう」

       

 洞斎老人は大阪落城の無念さに、徳川家を呪う者の中で、最も執念深い者の一人であった。
 甲州老人のは武田家再興の夢であったが、洞斎老人のは、敢《あえ》て豊臣家再興は望まなかった。真田幸村の弔い合戦、それが主でもあったけれど、第一には徳川の天下が余りに横暴に過ぎるので、それが癪《しゃく》に触ってならぬのであった。
 その徳川幕府を倒壊させるには、浪士を集めて兵力で争うという、そうした武的手段を取るとするには、余りに自分が貧弱であるという事を、さすがに能く知っているのであった。
「煎じつめれば金じゃ。金の力で徳川の天下を滅茶滅茶に掻き乱してやりたい。自分で天下を取ろうとは毛頭考えぬ」
 黒姫|山下《さんか》から金塊を取出したら、それを運用して破天荒の奇策を弄《ろう》し、戦わずして徳川一門を滅亡させる考えで有ったのが、その黄金の一部分の有個所《ありかしょ》が漸く知れた時には、最早や余りに老過ぎて、その健康は衰え切っていた。それで滝之助に向って、単に高田の松平家というような、一枝葉に拘泥《かかわら》らず[#「拘泥《かかわら》らず」はママ]して、大徳川一門に向って怨恨《うらみ》を晴らせ。自分の志を受継いで、今の天下を掻き乱してくれという、そういう希望を述べたのであった。
 滝之助は一も二もなく承知した。
「必らず先生のお志を継ぎ、蔭で機密に仕事をして、徳川家を呪いましょう」
「おう、それで拙老も安心じゃ」
 朝露夕電《ちょうろせきでん》、人の命は一刻の後が分らぬ故、今夜のうちに何もかも教えようとなった。
「霧隠れ雲隠れ、と申しても、つまりは火遁《かとん》の術、煙遁の術、薬品にて煙を急造し、目潰しを大袈裟《おおげさ》にするまでじゃ。その薬法は予《かね》て記して置いたが、それよりも、眠り薬を巧みに用いれば、宿直《とのい》の者も熟睡《うまい》して、その前を大手を振って通っても見出されぬ。つまり姿を消したも同然じゃ。その製法、矢張、記してある」
 笑い薬、泣き薬、長命不死の薬、中には遊戯に過ぎたる薬まで、残らず記した秘本をくれた。
 それから、印籠の二重底から取出した切図三葉をも譲られた。いずれも雁皮《がんぴ》の薄紙に細かく書いて有るのであった。
「や、や、あの山神《さんじん》の祠《ほこら》の台座、後面の石垣のまん中の丸石を抜き取ると、その下が抜穴、そこに佐渡の金箱が隠して有るので御座りまするか」
「おう、その通りじゃ、あそことは実は気が着かなんだよ」
「早速、今夜にも参りまして」
「おう、取出して多年苦心の拙老に早く安堵をさしてくれ」
「かしこまって御座りまする」
 滝之助は闇の山路を却《かえ》って幸いに、ただ一人にて探しに行った。
 果して山神の石祠の下に、抜穴が深く通じていた。その突当りの処に、部厚の槻《けやき》の箱が三箇隠して有った。十二貫目の一箱をとても滝之助に持てそうが無かったので、その三分の一だけを、それすらも漸く持ち帰った。それはもう夜明近かった。
 これを見て、狂するばかりに喜んだ洞斎老人、余りの嬉しさに胸が躍って急にガックリ打倒れた。それは正しく中気が出たのだ。
「御心確かにお持ちなされませ」
「おー」
 舌が縺《もつ》れて思う事を口に出しては云えなかった。併《しか》しそのふるえる片手や、うっとりした目つきからで、黄金残らず取出すまでは、滅多に死なぬという表現をした。
 滝之助は苦心に苦心を重ねて、幾回にも残りの黄金を持運んだ。それには二日二夜掛ったのであった。
 ガッカリしたのは滝之助ばかりでは無かった。洞斎老人も安心して、それからは昏々《こんこん》として眠るばかり。遂にその翌日、帰らぬ旅へと立ったのであった。
 滝之助はこの結果、思いも懸けぬ大金持の一人となったのであった。

       

 世に越前家《えちぜんけ》と云うは徳川家康の第二子|結城《ゆうき》宰相|秀康《ひでやす》。その七十五万石の相続者|三河守忠直《みかわのかみただなお》は、乱心と有って豊後《ぶんご》に遷《うつ》され、配所に於て悲惨なる死を遂げた。一子|仙千代《せんちよ》、二十五万石に減封されて越前福井より越後高田に移され、越後守|光長《みつなが》とは名乗ったものの、もとより幼少。その母こそは二代将軍秀忠の第三女、世にいう高田殿《たかだどの》(俗説|吉田御殿《よしだごてん》の主人公)。
 当分は江戸屋敷に在るべしとの将軍家の内命に従い、母子共に行列|厳《いかめ》しく、北国街道を参勤とはなった。
 高田殿は女子《おなご》の今を盛りであった。福井の城に在る頃は、忠直卿乱行の為に、一方ならず心を痛められたが、既にそれは一段落|着《つ》いたのであった。面窶《おもやつ》れも今は治って、血の気も良く水々しかった。
 雪深き越路《こしじ》を出て、久々にて花の大江戸にと入るのであった。父君《ちちぎみ》二代将軍に謁見すれば、家の事に就ても新たなる恩命、慶賀すべき沙汰が無いとも限るまい、愛児の為に悪《あ》しゅうは有るまいと、空頼みと云わば云え、希望に輝く旅立であった。
 新井《あらい》の宿《しゅく》より小出雲坂《おいずもざか》、老《おい》ずの坂とも呼ぶのが何となく嬉しかった。名に三本木の駅路《うまやじ》と聴いては連理の樹《き》の今は片木《かたき》なるを怨みもした。
 右は妙高の高嶺、左は関川の流れを越して斑尾《まだらお》の連山。この峡間《はざま》の関山宿に一泊あり。明くる日は大田切、関川越して野尻《のじり》近き頃は、夏の日も大分傾き、黒姫おろしが涼しさに過ぎた。今宵の本陣は信州|柏原《かしわばら》の定めであった。
「ハテ、不思議や」
 梨地金蒔絵、鋲打《びょううち》の女乗物。駕籠《かご》の引戸開けて風を通しながらの高田殿は、又してもここで呟《つぶや》かれた。
 それは、大田切を過ぎる頃からであった。いつぞや寝所間近く忍び寄った曲者《くせもの》が有った。危く御簾《みす》の内にまで入って、燈火《ともしび》消そうと試みたのを、宿直の侍女が見出して、取押えて面《おもて》を見れば、十七八の若衆にして、色白の美男子であった。
 それは併し磔刑《はりつけ》にして、現世《このよ》に有るべき理が無いのに、その時の若衆そっくりのが、他の土民等と道端に土下座しながら、面を上げてこちらを見詰めていた。弟にてもあるかと思ったが、その場限りの筈の者が関川でも再び現われた。大田切では旅商人の姿であった。関川では巡礼姿。今又この黒姫の裾野にては、旅の武士の姿なのであった。
 同じ人か。別の人か。同じ人とすれば、何んで着物が変るのか。別の人とすれば、三人まで、似たとは愚かそのままの顔。もしや、過ぎし曲者の由縁《ゆかり》の者にて、仇《あだ》を報ぜんとするのでは有るまいか。油断のならぬと気着いた時に、ぞっとした。
 忽《たちま》ち、チクリと右の手の甲が痛み出した。見ると毒虫にいつの間にやら螫《さ》されていた。駕龍の中には妙《たえ》なる名香さえ焚いてあるのだ。虫の入りようも無いものをと思えども、そこには既に赤く腫れ上っていた。
「これ、誰《た》そ、早う来てたもれ。虫に手を」
 乗物の両脇には徒歩《かち》女中が三人ずつ立って、警護しているのに、怪しき若衆を度々見る事も、今こうして毒虫に螫された事も、少しも心着かずにいる。高田殿はそれが腹立たしくもなった。
「はッ、御用に御座りまするか」と徒歩女中には口を利かせず、直ぐ駕籠|後《あと》に立った老女|笹尾《ささお》が、結び草履の足下を小刻みに近寄った。
 この途端、青嵐《あおあらし》というには余りに凄かった。魔風と云おうか、悪風と去おうか、突如として黒姫おろしが吹荒《ふきすさ》んだ。それに巻上げられた砂塵《すなぼこり》に、行列の人々ことごとく押包まれた。雲か霧かとも疑わした。
 笹尾は急いでお乗物の戸を締めた。陸尺《ろくしゃく》四人も立ちすくんだ。手代り四人も茫然とした。持槍、薙刀《なぎなた》、台笠、立傘、挟箱、用長持《ようながもち》、引馬までが動揺して、混乱せずにはいられなかった。
 それは併し間もなく吹き抜けて、湖水の方にと去ったのであったが、二百余人の供廻りの、眼を開き得る者は一人も無かった。
「砂が目に入ったので御座ろう」
「いや、虫の群をなしたのが、あの風に巻込まれて、運悪くも眼の中に」
「それならば未だ宜しいが、曲者有って、一時に目潰しでも投げたのでは御座るまいか、ヒリヒリ致してどうも成り申さぬ」
 大名行列の大勢ことごとくが、一時|盲目《めくら》になって立往生をしたのであった。

       

 信州柏原の本陣、古間内《こまうち》の表屋敷上段の間には、松平越後守光長が入り、奥座敷上段の間には、御後室《ごこうしつ》高田殿が入られたのであった。
 老女笹尾を筆頭としてお供の女中残らずが、黒姫の裾野の怪旋風に両眼殆ど潰れたも同然、表方の侍とても皆その通りで、典薬が手当も効を見ず、涙が出て留度《とめど》が無かった。
 されば本陣御着にても、御湯浴、御召替、御食事など、お側小姓も、お付女中も、手の出しようが無い為に、異例では有るが本陣の娘、宿役人の娘など急に集めて、御給仕だけはさせたのであった。
「駕籠の戸を笹尾が早う閉じたので、妾《わらわ》だけは目を痛めなんだ。したが、皆の者、今宵は早う眠るが好い、左様致したなら翌日《あす》は治ろう。好《よ》う一畑の薬師如来を信仰せよ」
 御後室はそう云って、自分にも早くより蚊帳を吊らせ、寝所にと入られたのであった。
 高田を立って二日目、女中達は皆足を痛めている上に、眼まで今日は痛めたので、行燈の光さえ眼眩《まぶ》しいところから、宿直《とのい》の人を残して、いずれも割当てられた部屋部屋へ引下った。
 お次の間には老女笹尾が御添寝を承わり、その又次の間が当番の腰元二人、綾女《あやじょ》、縫女《ぬいじょ》というのが紅絹《もみ》の片《きれ》で眼を押えながら宿直に当った。
 この土地冬は雪多く、夏は又蚊が少くないのであった。団扇《うちわ》使いは御寝《ぎょしん》の妨げと差控え、その代り名香をふんだんに、蚊遣り火の如く焚くのは怠らなかった。それも併し、時の過ぎるに従って、昼間のつかれに二人とも、居眠りせずにはいられなかった。
 高田殿は広き白紗《はくしゃ》の蚊帳の中で、身を悶悩《もんのう》させずにはいられなかった。眼はただ一人助かったなれど、その代り右の手の甲を毒虫に螫《さ》されたので、それがいつまでも痛痒《いたがゆ》くて何んとしても耐えられぬのであった。
 それにいつの間にやられたのか、その手の甲と同じように、背筋にも痛痒さを覚えるので、それを自から掻こうとしても、手の先は巧く思う壺に達せぬ事を怠緩《もどか》しがった。
 それや、これや、中々に眠りに就けなかった。寝られぬままに考えると、怪しき事のみ今日は多かった。
 大田切の路傍で見た旅商人の若衆、関川で見た巡礼の若衆、最後に黒姫山の裾野で見た武家若衆。同じ人か。別の人か。三ヶ所で見たのは、扮装《いでたち》は別々ながら、いずれも高田城内に忍び込んだ怪しき若者にそのままで有った。もしやその由緒《ゆかり》の者が怨恨《うらみ》を晴らさん為に、附狙うのではあるまいか。そう思うと又してもぞっとして、全身を悪寒をさえ生じたのであった。
 背筋の痒さは一層強く覚え出した。いかに身を悶悩さして、敷蒲団《しきぶとん》に擦付《こすりつ》けても、少しも思うように痒さは癒えぬのであった。
「あッ、もう、どうしようのう」
 思わず知らず、口走った。大名の権威も、女子の謹慎も、共に忘れて了《しま》ったのであった。
「誰《た》そ、早う……あ……もう、絶入《たえい》るばかりじゃ。誰《た》そ来てたもれ」
 常ならば次の間の笹尾が真先に起きて来るものを、疲れ切ってか、眠りから覚めなかった。宿直の侍女もどうしたのか、二人ともそれを聴かぬらしい。こっちへ来ようとはしなかった。
「誰《た》そ、誰そ」
 高田殿の悩みの声。
「はッ、何御用に御座りまするか」
 絹張の丸行燈の下に、両手を突いて頭《かしら》を下げた少女を、高田殿は蚊帳越しに見た。それはどうやら給仕に出た本陣の娘らしく思われたのであった。
「おう、能《よ》う来てくれやった。さッ、早う。その方でも苦しゅうない。ここへ来て、毒虫に螫された後の、手当をしてくれやいのう」

       

 関川の滝之助は急に大|富限者《ぶげんしゃ》と成ったけれど、直ぐその金持|面《づら》をする時は、人から疑われるを知っていた。
 江戸へ出て、とも考えたが、三十六貫目の黄金を、どうして運んで好い事か、それにも迷わずにはいられなかった。
 身体はいくら大きくても、未《ま》だ十四歳。死んだ洞斎老人の遺言通り、徳川の家に仇するには、余りに準備が足りなかった。
 異国へ渡って切支丹《きりしたん》を学び、その魔法で徳川家を呪えという、それも洞斎の遺言であったが、いずれはそうしようとも考えながら、生れ故郷の関川を未だ一歩も出ずにいたのだ。そこへ高田城主の江戸詰と聞き、小さな復讐は放棄せよと、洞斎老人の意見ではあったなれど、いかにしても諦悟《あきらめ》が着かなかった。
 父の牢死、母の悶死、兄の刑死、それを思うと松平家を呪わずにいるのが耐えられぬ苦痛。それに又一方に於て、洞斎老人から伝授された奇薬を遣っての秘法をば、実地に行って見たくてならなかった。
 霧隠れ雲隠れの秘薬、かつてこれは洞斎から真田幸村にも教えて、風を利用して薬粉を散らし、敵の大軍へ一時に目潰しを食わせるという計画をも立てたのだが、大阪夏之陣の風の吹き方が、巧く注文に適《はま》らなかったのであった。
 それを滝之助は今日しも試みたのであった。最初に大田切で隙を狙って失敗したので、急いで変装して間道を駈抜けて、関川で再挙を企て又成らず、三度目の黒姫おろし、見事にこれは成功して、大名行列を一斉に盲目《めくら》にした。
 今又、里の娘に変装して、本陣内に忍び込み、宿直《とのい》その他の者に眠り薬を嗅《か》がして、高田殿の側まで接近したのであった。
 背筋の虫に螫された痕《あと》、その痒さを留《と》める役目なので、蚊帳の中に入っても直ぐと後へ廻った為、顔を見られずに済んだのであった。
 もうここまでに成ればこちらのもの、隠し持ったる鎌で、後から、高田殿の喉笛を掻切り、父兄の仇の幾分を報じるのだ。それから又表座敷へ廻って、越後守光長の首級《しるし》をも貰い受けよう。そういう復讐の念に燃えるので、滝之助は赫々《かっかっ》と上気して、汗は泉の如く身内に吹き出た。
「さァ苦しゅうない、寝間衣《ねまき》の上からでは思うように通るまい、肌|襦袢《じゅばん》の薄い上から、爪痕立て、たとえ肌を傷《きずつ》けようと好い程に」
 高田殿は狂気の如く身を悶悩させるのであった。
 今! 今! 今を除いていつの日ぞ。父や母や兄の仇、松平家を代表した一人《いちにん》に、怨恨《うらみ》の鎌の刃とは、思えども、初めて接した貴人の背後、物怯《ものおじ》してブルブル戦慄《せんりつ》して、手の出しようがないのであった。
 熊も熊、荒熊の如き武者修業の背後から、何の躊躇《ちゅうちょ》もなく鎌の刃を引掛けたが、尊き女※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26]《じょろう》の切下げ髪、紫の打紐《うちひも》にキリキリと巻いたるにさえ、焚籠《たきこ》めてある蘭麝待《らんじゃたい》の名香。ついそれを鼻の先に嗅ぐからに、反対にこちらが眠り薬に掛ったかの様、滝之助は恍惚《こうこつ》として、つい鎌を取落した。
「怪しき女!」
 高田殿は振向いた。初めて見たその顔!
「あッ」
 昼間三度も見た若衆の顔!
 守刀《まもりがたな》を早速に取って袋のままに丁と打った。
「覚悟ッ」
 滝之助は本気に復《かえ》って鎌を取上げて身構えた。この時既に高田殿は、守刀を抜放《ぬきはな》していた。
 広くはあっても限りある蚊帳の中、振上げる度に鎌は引懸った。
 守刀を突き込む刃先の鋭さには勝てなかった。女性《にょしょう》ながらも武将の後室。
 颯《さっ》と白紗《はくしゃ》の蚊帳に血飛沫《ちしぶき》が散って、唐紅《からくれない》の模様を置いた。
「人々出会えッ。曲者は仕留めたぞえ」

 滝之助はこうして怨恨《うらみ》を呑んで死んだ。巨万の富はどこへ隠されたか、そのままになったのであった。大久保石見守長安が隠したその他の分も、ついに発見されぬのであった。
「高田殿は乱行、若き男子《おとこ》を屋敷内に引入れて、寵《ちょう》衰えると切殺し、井戸の中に死骸を捨てられるよ」
 そういう風説が江戸中に拡がった。これは併し冤罪《えんざい》である事は、後世の歴史家が既に証明している。二代将軍の三女というので、幕府でも優遇したが、旗本の若者達、喧嘩口論して人を斬り、罪を得たその時には、皆高田殿へ駈込んだのであった。
 高田殿は良人《おっと》忠直卿の事を考えて、常に慈悲深く、それ等の人を庇護された。幕府でもそうなると手を附けなかった。
 益々若者の駈込むのが多くなった。けれどもここに奇怪なのは、駈込んだ若者が、一人として無事には出なかった。いつの間にやら行方が不明になった。それは正《まさ》しくその時代の不思議の一つとせられたのであった。
「あッ、又今度の若者も、妾《わらわ》を付狙う黒姫の曲者よ」
 駈込んで来た若者の顔が、高田殿にはいつとしもなく、滝之助の顔に見えるのであった。そうしてその時ばかり狂気の如くなって、守刀で刺し殺されるのであった。その死屍《しし》は古井戸の中に捨てられたのであった。
 寛文《かんぶん》十二年二月二十一日晩方、高田殿は逝去した。天徳寺に之を葬った。天和《てんな》元年には、家断絶。世にいう越前家の本系は全く滅亡に及んだのだ。
 滝之助の怨恨《うらみ》。地下に初めて晴れしや如何《いか》に。

底本:「怪奇・伝奇時代小説選集4 怪異黒姫おろし 他12編」春陽文庫、春陽堂書店
   2000(平成12)年1月20日第1刷発行
底本の親本:「現代大衆文學全集2」平凡社
   1928(昭和3)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:岡山勝美
校正:門田裕志
2006年9月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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