怪しの者—— 国枝史郎

      一

 乞食の権七が物語った。

 尾張の国春日井郡、庄内川の岸の、草の中に寝ていたのは、正徳三年六月十日の、午後のことでありました。いくらか靄《もや》を含んでいて、白っぽく見えてはおりましたが、でもよく晴れた夏の空を、自分の遊歩場《あそびば》ででもあるかのように、鳶《とび》が舞っておりましたっけ。
 ふと人の気勢《けはい》を感じたので、躰《からだ》を蔽《おお》うている草の間から、わたしはそっちを眺めました。
 二十八、九歳の職人風の男が、いつのまにやって来たものか、わたしのいるところから数間《すうけん》はなれた岸に、佇んでいるではありませんか。(はてな?)とわたしは思いながら、その男の視線を辿って行きました。岸に近い水面を睨んでいました。そこでわたしも水面を見ました。
(成程、これじゃア誰だって、眼をつけるだろうよ)
 と、わたしは呟きましたっけ。この川(幅三十間といわれている庄内川)は、周囲にひろがってい、広漠《ひろびろ》とした耕地一帯をうるおす、灌漑《かんがい》用の川だったので、上流からは菜の葉や大根の葉や、藁屑《わらくず》などが流れて来ていましたが、どうでしょう、流れて来たそれらの葉や藁屑が、その男の立っている辺まで来ますと、緩《ゆる》く渦《うず》をまき、躊躇《ちゅうちょ》でもするように漂ったあげく、沈んでしまうではありませんか。(あれへ眼をつけるあの野郎こそ怪しい)
 と、私といたしましては、職人風の男へかえって不審を打ったのでございます。
(只者じゃアない、うろんな奴だ)
 私は考えに沈みながら、広い耕地を見やりました。野菜の名産地の尾張城下の郊外です、畑という畑には季節《とき》の野菜が、濃い緑、淡い緑、黄がかった緑などの氈《かお》を敷いておりましたっけ。人家などどこにも見えず、百姓家さえ近所にはありませんでした。いやたった一軒だけ、数町はなれた巽《たつみ》の方角に、お屋敷が立っておりましたっけ。それも因縁づきのお屋敷が。……尾張様の先々代|継友卿《つぎともきょう》が、お家督《よつぎ》の絶えた徳川|宗家《そうけ》を継いで、八代の将軍様におなりなさろうとしたところ、紀伊様によって邪魔をされて、その希望《のぞみ》が水の泡と消え、紀伊様が代わって将軍家になられた。当代の吉宗《よしむね》卿で。……その憂欝《ゆううつ》からお心が荒《すさ》み、継友様には再三家臣をお手討ちなされましたが、その中に、平塚刑部様という、御用人があり、生前に建てた庄内川近くの別墅《やしき》へ、ひどく執着を持ち、お手討ちになってからも、その別墅へ夜な夜な姿を現わされる。――という因縁づきのお屋敷なので。
(流れ屑が自然《ひとりで》に沈む淵があったり、化け物屋敷があったりして、この界隈《かいわい》は物騒だよ)と、私は呟《つぶや》いたことでした。

      

(おや)と驚いて川添いの堤へ眼をやったのは、それから間もなくのことでした。野袴《のばかま》を穿《は》き、編笠《あみがさ》をかむった、立派なみなりのお侍様五人が、半僧半俗といったような、円《まる》めたお頭《つむ》へ頭巾《ずきん》をいただかれ、羅織《うすもの》の被風《ひふ》をお羽織りになられた、気高いお方を守り、こなたへ歩いて来るからでした。
(これは大変なお方が来られた)
 こうわたしは呟《つぶや》きましたが、半僧半俗のそのお方が、前《さき》の尾張中納言様、ただ今はご隠居あそばされて、無念坊退身《むねんぼうたいしん》とお宣《なの》りになり、西丸に住居しておいであそばす、徳川宗春様であられるのですから、驚いたのは当然でしょう。
 と、宗春様はお足をとめられ、何やら一人のご家来に向かい、ささやかれたようでございました。するとそのご家来は群れから離れ、職人風の男の側《そば》へ寄って来ましたが、
「これ其方《そち》そこで何をしておる」と、厳《いか》めしい口調で申されました。
「川を見ているのでございますよ」そう職人風の男は申しましたっけ。
「川に何か変わったことでもあるのか」
「いいえそうではございませんが。所在なさに見ていますんで」
「所在ない? なぜ所在ない」
「わたしは大工なのでございますが、親方のご機嫌をとりそこなって、職を分けてもらうことができなくなったんで。……どうしたものかと、思案しいしい歩いていますうちに、こんなところへ来ましたんで。……そこでぼんやり川を眺めて……」
「大工、そうか、手を見せろ」
「手を? なんで? なんで手を?」
「大工か大工でないか調べてやる」
「…………」
「大工なら鉋《かんな》だこ[#「だこ」に傍点]があるはずだ」
「…………」
「これ手を出せ、調べてやる。……此奴《こやつ》手を懐中《ふところ》へ入れおったな!」
「斬れ!」
 とその時烈しいお声で、宗春様が仰せられました。
「あッ」
 これはわたしが言ったのです。
 ご家来が編笠をうしろへ刎《は》ね、抜く手も見せず、職人風の男の右の肩を、袈裟《けさ》がけにかけたからで。
 職人風の男は倒れました。でもそれは斬られて倒れたのではなくて、太刀先を避けて倒れたのです。
「汝《おのれ》!」
 と西条勘右衛門《さいじょうかんえもん》様は――そう、編笠が取れましたので、そのご家来が尾張の藩中でも、中条流《ちゅうじょうりゅう》では使い手といわれる、西条様だということがわかりましたが、そう仰せられると、踏み込み、刀を真向《まっこう》にふりかぶり、倒れている職人風の男の背をめがけ、お斬りつけなさいました。
 が、その途端に土と小石と、むしられた草とがひとつになって、バッと宙へ投げ上げられ、つづいて烈しい水音がして、職人風の男は見えなくなってしまいました。川へ飛び込んで逃げたのでした。

      

 二度目にこの男と逢《あ》いましたのは、それから三日後のことでありまして、名古屋お城下は水主町《かこまち》、尾張様御用の船大工の棟梁《とうりょう》、持田《もちだ》という苗字《みょうじ》を許されている八郎右衛門というお方の台所口で。
 燈《ひ》ともしころのことでありまして、わたしはその日、そのお宅へ、物乞《ものご》いに参ったのでございます。それまでにも再々参ったことがありまして、そのお宅はいわばわたしにとりましては、縄張りの一つだったのでございます。ご主人様がご親切だからでございましょうが、下女下男までが親切で、わたしの顔を見ますると「勢州《せいしゅう》が見えたから何かやりな」と、面桶《めんつう》の中へ、焚《た》きたてのご飯などを、お入れ下さるのでございます。さてその日も、ご飯を頂戴いたしましたので、台所口から出て、塀《へい》に添って往来《とおり》の方へ歩いて行きました。すると行く手から、一人の男がやって参りましたが、お台所ちかくまで参りますと、にわかに呻《うめ》き声をあげて、地へ倒れたではございませんか。驚いてわたしは引き返し、その男の側へ参り、顔を覗《のぞ》きこみましたところ、例の男だったのでございます。
(さてはこの男ここでまた一芝居《ひとしばい》を……)
 と、胸にこたえる[#「こたえる」に傍点]ところがありましたので、いっそ蹴殺してやろうかと足を上げました。

      

 ところが、お台所口から射し出している燈《ひ》の光で、その男の地に倒れている姿が、女中衆や下男衆に見えたとみえて、飛び出して来て、
「可哀そうに」
「行き倒れだね」
「自身番へ知らせてやんな」
「何より薬を」
「水を持って来い」
 などと、口々に言って、その男の介抱にかかったではありませんか。その騒がしさに不審を打ちましたものか、持田様のお嬢様と、そのお気に入りのお上女中《かみじょちゅう》のお柳さんというお方が、奥から出て参られ、
「気の毒だから家《うち》へ入れて介抱してあげたがいいよ」
 と言われました。下男衆がその男をかかえて、家の中へ運んで行く時、その男の顔を覗き、
「好《い》い縹緻《きりょう》ね」
 とお嬢様のお小夜様が、お柳という女中へささやかれたのを聞いて、わたしは厭な気がいたしましたっけ。それというのも日ごろから、そのお美しさと初々《ういうい》しさとに、感心もし敬ってもいる、お小夜様だったからでございます。お小夜様のお年は十九歳でございましたが、すこし小柄でございましたので、十七歳ぐらいにしか眺められず、小さい口、つまみ鼻、鮠《はや》の形をした艶のある眼、人形そっくりでございました。大工の棟梁とは申しましても、尾張様御用の持田家は、素晴らしい格式を持っていまして、津田助左衛門様、倉田新十郎様、などという、清洲越《きよすごえ》十九人衆の、大金持の御用達衆《ごようたししゅう》と、なんの遜色《そんしょく》もないのでありまして、その持田様のお娘御でございますことゆえ、召されておられるお召し物なども、豪勢なもので、髪飾りなどは銀や玳瑁《たいまい》でございました。
「ほんとに好い男振りでございますのね」
 とお柳という女中も申しましたっけ。
「馬鹿め、何が好い男だ!」
 とうとうわたしは腹立たしさのあまり、かなり烈しい声で、そう言ったものでございます。するとどうでしょうお柳という女は、わたしをジロリと見返しましたが、「いいじゃアないか、お嫉妬《やき》でないよ」
 と、言い返したではありませんか。

 それから十日ばかりの日がたちました。ある日わたしはいつものように、縄張りの諸家様《しょけさま》を廻り、合力《ごうりき》を受け、夕方帰路につきました。鳥にだって寝倉がありますように、乞食にだって巣はございますので。瓦町《かわらまち》の方へ歩いて行きました。考えごとをしておりましたので。町の口へ参りましたころには、初夜《しょや》近くなっておりましたっけ。ふと行く手を見ますと、一人のお侍さんが、思案にくれたように、首を垂れ、肩をちぢめて歩いて行く姿が、月の光でぼんやりと見えました。
(途方にくれているらしい)わたしはおかしくなりました。(殺生《せっしょう》だが一つからかって[#「からかって」に傍点]やろう)というのは、そのお侍さんの誰であるかが、私にわかっていたからで。
 そこでわたしはお侍さんに近より、
「討ち損じたは貴郎様《あなたさま》の未熟、それでさがし出して討とうとなされても、あてなしにおさがしなされては、なんではしっこい[#「はしっこい」に傍点]江戸者などを、さがし出すことができましょう」
 と、ささやくように言ってやりました。
 西条勘右衛門様の驚くまいことか――そう、そのお侍様は西条様なので――ギョッとしたように振りかえられました。でも見廻した西条様の眼には、菰《こも》をまとい竹の杖をつき、面桶《めんつう》を抱いた乞食のほかには、人っ子一人見えなかったはずで。そうしてまさかその乞食が、今のようなことを言ったとは、思わなかったことと存じます。
 はたして西条様は、自分の耳を疑うかのように、首をかしげましたが、やがて足を運ばれました。そこでわたしもしばらくの間は、無言で従《つ》いて行きました。でもまたこっそり背後《うしろ》へ近寄り、ささやくように言ってやりました。

      

「大工だと申したではございませんか。ではお城下の大工の棟領を――それも船大工の棟領を、おしらべなさいましたら、あの男の素性も、現在のおり場所も、おわかりになろうかと存ぜられまする」
「チエ」
 もうこの時には西条様の刀が、抜き打ちにわたしの右の肩へ、袈裟《けさ》がけに来ておりました。
 わたしは前へつんのめり[#「つんのめり」に傍点]ました。
「そう、あの男もこんなように、貴郎様の太刀先をのがれましたねえ」
「乞食め!」
 と西条様はわたしの背を目がけ、斬りおろしました。
 それを掻《か》いくぐって左へ飛び、
「ここに庄内川がありましたら、わたしもあの男のように川へ飛び込んで、のがれることでございましょうよ。……それにしても惜しいものだ、乞食にばかりこだわらずに、素直に私という人間の言葉を聞いて、持田さんあたりを調べたら、たいした功が立てられるのに……」
 言いすててわたしは露路の一つへ駈《か》けこみましたっけ。
 庄内川の岸で、職人風の男を討ちそこなって逃がし、西丸様からお叱りを受け、どうあろうとその男をさがし出し、討ってとれとの厳命を受け、さがし廻っているがわからない。そのムシャクシャしている腹の中へ、グッと棒でも突っ込んだように、わたしの言葉がはいったのですから、わたしに対する憎しみは烈しく、あくまでも斬りすてようと、わたしの後《あと》を追って、西条様が、露路へ駈け込んで来たのは、当然のことかと存ぜられます。でも露路には枝道《えだみち》が多く、こみいっておりましたので、わたしがどこへかくれたか、西条様にはわからなかったようです。
 その西条様がぼんやりした様子で、一軒の家の前に佇んだのは、それから間もなくのことでした。
 平家《ひらや》だての格子づくりの、粋《いき》な真新しい家の前でした。
 と、格子戸の奥の障子が、土間をへだてて明るみ、やがて障子が開き行燈《あんどん》をさげた仇《あだ》っぽい女が、しどけない姿をあらわしました。睫毛《まつげ》の濃い大型の眼、中だるみ[#「だるみ」に傍点]のない高い鼻、口はといえばこれも大型でしたが、受け口めいておりましたので、色気にかけては充分でした。空《あ》いている左手を鬢《びん》へ持って行き、女のくせで、こぼれている毛筋を、掻《か》きあげるようにいたしましたが、八口《やつくち》や袖口から、紅色がチラチラこぼれて、男の心持を、迷わせるようなところがありました。及び腰をして格子戸の方を隙《す》かし、
「どなた、宅にご用?」
 と、含みのある水っぽい声で言ったものです。
「いや」
 と西条さんは狼狽《ろうばい》したような声で、
「狼藉者《ろうぜきもの》が入り込んだのでな」
「狼藉者? 気味の悪い……どのような様子の狼藉者で?」
「乞食じゃよ、穢《きた》ない乞食じゃ」
「お菰《こも》さん、おやおや……お菰さんでございましたら、もうこの辺へは、毎日のように、いくらでも立ち廻るのでございますよ」
「それが怪《け》しからん乞食でな」
「旦那様に失礼でもなさいましたので?」
「うむ、まあ、そういったことになる」
「息づかいがお荒うございますのね。お水《ひや》でも……」
「水か、いや、それには及ばぬ」
「ではお茶でも、ホ、ホ」
 その女は、プリプリしているお侍さんを、からかってやろうというような様子を、見せはじめましてございます。
「戸じまりなど充分気をつけるがよいぞ」
 西条様はテレかくしのように言って、歩き出されました。
 女は持田様の女中お柳でございました。そうしてそのお柳は少したったのちには、この家の奥の茶の間にすわって、丹前《たんぜん》を着た三十五、六の、眼の鋭い、口元の締まった武士と、砕けた様子で話していました。長火鉢の横には塗り膳があって、それには小鉢物がのせてあり、燗《かん》徳利などものせてあるという始末で。お柳がその男を旗さんと呼んだり、頼母《たのも》さんと呼んだりするところを見ると、それがその男の姓名であり、二人の間柄は、情夫情婦のようでありました。
 そうして、その旗頼母《はたたのも》という武士こそ、勢州《せいしゅう》と呼ばれているこの乞食の私なのでございます。どうして武士の私が乞食などになっているかと申しますに、ある重大な計画の秘密を探るためなので。つまり私は乞食に身を※[#「にんべん+悄のつくり」、第4水準2-1-52]《やつ》して隠密をしているのでございます。庄内川の岸に寝ていたのも、持田家の周囲を立ち廻ったのも、そのためなので。それにしてもどうして露路へ逃げ込んだ私が、そんな家で、お柳と、取膳で、酒など飲んでいたのかと申しますに、私は、露路へ逃げ込むや、その家――それは私の隠れ家なのですが、その家の前のしもた家の蔭に隠れて、お柳と西条様との会話《はなし》を聞いていたのでしたが、西条様が立ち去るやすぐに私は、自分の家の裏口から台所へはいって行き、持田家の秘密を探らせるために、持田家へ、女中として入り込ませておいたお柳が、持田家の秘密を持って、この夜来合わせていたのに手伝わせ、乞食の衣裳を脱ぎ、行水を使い、茶の間で、そんなように、取膳で……と、いうことになったのでありまして、さてそれからは、私とお柳との会話《はなし》になるのでございます。――
「今夜は泊まって行ってもいいのだろう」これは私で。
「というわけにもいかないのさ。……何しろお嬢様があんなだからねえ」
「惚れるのに事を欠いて、あんな野郎に惚れるとはなア」
「鶴吉と宣っているあの江戸者、女にかけちゃア凄いものさ」
「そこへもって来てお小夜坊《さよぼう》が、初心《うぶ》の生娘《きむすめ》ときているのだからなあ」
「ころりと参って無我夢中さ」
「駆け落ちの相談ができ上がったとは、呆《あき》れ返って話にもならない」
「世間知らずの娘だからだよ」
「男の素性に気もつかずか」
「男の心にも気がつかずさ」
「まったくそうだ、だから困るのさ。本当の恋からの所業《しわざ》ならいいのだが、そうでないのだから恐ろしい」
「江戸へうまうま連れ出されてから、どうされるかってこと、知らないんだからねえ」
「生き証拠にされるってこと、ご存知ないからお気の毒さ」
 お柳の注いだ猪口《ちょこ》を私は口へ持って行きました。

      

「駆け落ちの日にちと刻限とに、間違いがあっちゃア大変だが」
「今日から五日後の子《ね》の刻さ。たしかめておいたから大丈夫だよ」
「お前《めえ》も従《つ》いて行くんだったな」
「そうさ途中までお見送りするのさ。お嬢様は可愛らしいよ、何から何まで、妾《わたし》にだけはお明かしなさるのだから」
「そこがこっちのつけめ[#「つけめ」に傍点]なのだが……それにしても鶴吉というあの男、お小夜坊ばかりを連れ出して、それで満足するような、優しい玉とは思われないが」
「これまでにお嬢様の手を通して、いろいろの物を引きだしたらしいよ」
「証拠になるような品をだろう」
「ああそうさ、証拠になるような品さ」
「ところで職場の仕事だが、どうだな、はかどっているようかな」
「それだけは妾にもわからないのさ。こしらえた端《はし》から化け物屋敷の方へ、こっそり運んで行くのだからねえ」
「そういうことは鶴吉って男も、とうに知っているだろうに、化け物屋敷を調べないとは、どうにも俺には腑《ふ》におちないよ」
「これから調べるのかもしれないじゃアないか」
「そうよなア、そうかもしれない……駆け落ちの前にか、駆け落ちの夜にかな」
 私は背後《うしろ》の地袋《じぶくろ》を開け、木箱を取り出し、その中から太い竹の筒を取り出しました。
「こいつ湿らせちゃア大変だ」
「変な物だねえ、何なのさ?」
「いってみりゃア地雷火さ。普通にゃ落火《らっか》というが」
「地雷火? まア、気味の悪い……どうしてお前さんそんなものを?」
「お殿様から下げ渡されたのさ」
「お殿様って? どこのお殿様?」
「殿様に二人あるものか。俺等《おいら》のご主君は犬山の御前さ」
「それじゃア成瀬様《なるせさま》から。……でも、成瀬様がそんな恐ろしいものを……」
「いよいよの場合には火をかけろってね、俺等前もって言いつけられているのさ」
 この時露路のあちこちで、犬が吠《ほ》え出しましてございます。私は竹筒を木箱の中へ納め、また地袋の中へ押し入れて、犬の吠え声に耳をかしげましたが、「あらかた話は済んだらしいな。それじゃア……」
「何がさ」
「隣の部屋に紅裏《もみうら》の布団が敷いてあるってことさ」
「ばからしい、……わたしゃア小母様が病気だから、ちょっと見舞いに行って来るといって、お暇をいただいて来たんだよ」
「ありもしない小母様に病気をさせて、情夫《おとこ》に逢いに来るなんて、隅に置けない歌舞伎者《かぶきもの》さ」
「その歌舞伎者で心配になったよ。行き倒れ者に自分を仕組んで、持田様へ抱《かか》え込まれ、ずるずるべったりに居ついてしまって、お嬢様をたらしたあの鶴吉、わたしの居ない間に、二番狂言でも仕組んで、わたしたちを出し抜きゃアしないかとねえ」
「それじゃアすぐに帰る気か」
「どうしよう」
「じらすのか。……それともじれているのか……」
「あれ、痛いよ」
 見る眼に痛い絵模様となりましたので……。

      

 相変らず菰をかむり、竹の杖をつき、面桶《めんつう》を抱《かか》えた、乞食のわたしが、庄内川の方へ辿って行きましたのは、それから五日後の夜のことでした。
 化け物屋敷の前まで来ました。
 一|町四方《ちょうしほう》もある、宏大なお屋敷は、樹木と土塀とで、厳重に囲《かこ》まれておりまして、外から見ますると、内部《なか》の建物《たてもの》は、家根さえ見えないほどなのでございます。
 しばらくわたしは土塀について、お屋敷の周囲をまわりました。と、東側の小門《こもん》から小半町《こはんちょう》ほど距たった辺に、こんもりした林がありました。それをわたしは眺めやりましたが(あれ[#「あれ」に傍点]に任《ま》かせて置けば大丈夫さ)と、こう心中で思いまして、そのまま先へ進んで行きました。足場のよいところまでやって来ました。そこでわたしは木立へ登り、そこから土塀の頂《いただき》へ登り、お屋敷の構内へ飛び下りました。構内の土塀近くに茂っているのは、松や楓《かえで》や槇《まき》や桜の、植え込みでございました。
(塀外の木立ちと高い厚い土塀と、そうして内側のこの植え込みとで、こう厳重に鎧《よろ》われたんでは、屋敷内で何を企てようと、外からは見えもしなければ聞こえもしない。ましてその上に化け物屋敷などという、気味の悪い噂を立てておいたら、近寄ろうとする人はないだろう。)[#「近寄ろうとする人はないだろう。)」は底本では「近寄ろうとする人はないだろう。」]
 そんなことをわたしは思いながら、植え込みをわけて進んで行きました。と行く手から大勢の人声や、物を打つ音や物を切る音やが、潮の遠鳴りのように聞こえ、燈《ひ》の光なども見えて来ました。不意にその時人声が、此方《こなた》へ近づいて参りましたので、わたしは藪《やぶ》蔭へ身をかくしました。
「見慣れない奴でありましたよ」
「外から忍び込んだ人間らしい」
「どうあろうとさがし出して捕えねば……」
 それは二人のお侍さんでした。
「居た!」
 とその中の一人が、わたしを目付けて叫び、手取りにしようとしてか組みついて来ました。(やむを得ない)と思って、わたしは竹の杖を突き出しました。もちろん急所へあて[#「あて」に傍点]たんで。かすかに呻き声をあげたばかりで、そのお侍さんは倒れてしまいました。
「曲者《くせもの》!」
 この人は斬り込んで来ました。
 でもその人も倒れてしまいました。
 わたしの突き出した竹の杖が、うまく鳩尾《みぞおち》へはまった[#「はまった」に傍点]からで。
(ナーニ半刻《はんとき》のご辛棒で。自然と息を吹き返しまさあ)
 わたしは先へ進んで行きました。
 でもわたしは気が気ではありませんでした。あの鶴吉という男が、わたしのように土塀を乗り越えて、屋敷内にはいり込んだということは、わたしにはわかっておりましたが、愚図愚図しているうちに目的を遂げて、この屋敷から脱け出されたら、一大事と思ったからです。
 わたしは先へ進んで行きました。
 すると「誰だ!」という声が起こり、つづいて「わッ」という悲鳴が起こり、すぐに「曲者!」と喚《わめ》く声が聞こえ、つづいて「わッ」という悲鳴が聞こえ、さらに逃げてでも行くらしい、けたたましい足音が聞こえましたが、またもや「わッ」という悲鳴が聞こえ、その後は寂然《しん》となってしまいました。
(凄《すご》いな。三人|殺《や》った! 彼奴《きゃつ》だ!)
 とわたしは走って行きました。
 そうして間《ま》もなくわたしは、厳重な旅の仕度をし、黒い頭巾で顔をつつんだ、鶴吉と呼ぶ例の男と、木立ちの中で刀を構えていました。そうですわたしも竹杖《たけづえ》仕込みの刀を、ひっこ抜いて構えたのです。
 わたしたちの足許にころがっているのは、三人の武士の死骸《しがい》でした。みんな一太刀で仕止められていました。
(凄い剣技《てなみ》だ、油断するとあぶない)
 わたしは必死に構えました。
 と、鶴吉は月の光で、わたしの姿を認めたらしく、
「なんだ、貴様、乞食ではないか。……しかし、……本当の乞食ではないな。……宣《なの》れ、身分を!」
「そういう貴様こそ身分を宣れ! 庄内川からこの屋敷へ、大水《たいすい》を取り入れるために作り設けた、取入口を探ったり、行き倒れ者に身を※[#「にんべん+悄のつくり」、第4水準2-1-52]《やつ》して、船大工の棟領持田の家へはいり込み、娘をたぶらかして秘密を探ったり、最後にはこの屋敷へ忍び入り、現場を見届けようとしたり……」
「黙れ! 此奴《こやつ》、それにしてもそこまで俺の素性を知るとは?……さては、汝《おのれ》は、……もしや汝は※[#疑問符感嘆符、1-8-77]」
「…………」
「隠密《おんみつ》ではないかな? どこぞの国の?」
「…………」
「ものは相談じゃ、いや頼みじゃ、同じ身分のものと見かけ、頼む見遁《みのが》してくれ」

      八

「礼には何をくれる」わたしはこう言ってやりました。
「ナニ礼だと、礼がほしいのか?」
「ただで頼《たの》まれてたまるものか」
「なるほどな、もっともだ。……かえって話が早くていい。……何がほしい、なんでもやる。」[#「何がほしい、なんでもやる。」」は底本では「何がほしい、なんでもやる。」]
「調べた秘密をこっちへ吐き出せ」
「…………」
「抑《おさ》えた材料《ねた》を当方へ渡せ」
「…………」
「江戸まで連れて逃げようとする生き証拠を俺の手へ返せ」
「チェッ、要求《のぞみ》はそれだけか」
「もう一つ残っている」
「まだあるのか、早く言え!」
「汝《おのれ》この場で消えてなくなれ」
「ナ、なんだと?」
「汝《おのれ》に生きていられては都合が悪いと言っているのだ」
 疾風迅雷とでも形容しましょうか、怒りと憎悪《にくみ》とで斬り込んで来た、鶴吉の刀の凄《すさま》じかったことは! あやうく受け流し、わたしは木立ちの中へ駈け込みました。そのわたしを追いかけて来る、鶴吉の姿というものは、さながら豹《ひょう》でしたよ。
(駄目だ)とわたしは観念しました。(俺の手では仕止められない)
 松の木を盾として、鶴吉の太刀先を防ぎながら、わたしは大音に呼びました。
「お屋敷の方々お出合い下され、江戸|柳営《りゅうえい》より遣《つか》わされた、黒鍬組《くろくわぐみ》の隠密が、西丸様お企《くわだ》ての秘密を探りに、当屋敷へ忍び込みましてござる! 生かして江戸へ帰しましては、お家の瑕瑾《かきん》となりましょう! 曲者はここにおりまする、お駈けつけ下され!」
 声に応じて四方から、おっ取り刀のお侍さんや、鋸《のこぎり》や槌《つち》を持った船大工の群れが、松明《たいまつ》などを振り照らして、わたしたちの方へ駈けつけて来ました。その先頭に立っておりましたのが、西条勘左衛門様でございましたので、
「あなた様の太刀先をひっ[#「ひっ」に傍点]外《ぱず》して、庄内川へ飛び込んだ男が、隠密の此奴《こやつ》でございます。川がないから大丈夫で。今度こそお討ちとりなさりませ」
「そういう貴様《きさま》は……や、いつぞやの晩……」
「あれは内証《ないしょ》にしておきましょうよ。お味方同志でございますから」
 言いすてるとわたしはお屋敷の建物の方へ、一散に走って行きました。

 やるべき仕事をやってしまうと、わたしは引っ返して来ました。屋敷の門が開《あ》いていました。で、わたしは走り出ました。
 何が門外にあったでしょう?
 東側の小門から、小半町ほどはなされている林の中から、人声が聞こえ、松明《たいまつ》の火が射しているのです。
 わたしはそっちへ走って行きました。
 そこでわたしの見たものといえば、垂《たれ》を下《さ》げた一梃《いっちょう》の駕籠《かご》の前に、返り血やら自分の血やらで、血達磨《ちだるま》のようになりながら、まだ闘士満々としている、精悍《せいかん》そのもののような鶴吉が、血刀を右手にふりかぶり、左手を駕籠の峯へかけ、自分の前に集まっている尾張藩の武士や、持田八郎右衛門の弟子の、大勢の船大工たちを睨《にら》んでいる、凄愴《せいそう》とした光景でした。
「かかれ、汝等《おのれら》、かかったが最後だ!」
 と、嗄《しわが》れた声で、鶴吉は叫びましたっけ。
「かかったが最後駕籠の中の女は、俺が一刀に刺し殺す!……持田八郎右衛門の娘を殺す! かかれたらかかれ!」
 船大工たちは口惜しそうに、口々に詈《ののし》りました。
「畜生、鶴吉!」
「恩知らず!」
 ――しかし棟領の秘蔵の娘を、人質にとられているのですから、かかって行くことはできませんでした。西条様はじめお侍さんたちも、刀を構えて焦心《あせ》っているばかりで、どうすることもできませんでした。というのは持田八郎右衛門は、船大工の棟領とはいいながら、立派な藩の御用番匠《ごようばんしょう》であり、ことには西丸様の今度のお企ての、大立物でありますので、その人の娘にもしも[#「もしも」に傍点]のことがあったら、一大事だと思ったからで。
 しかしわたしは遠慮しませんでした。大声で言ってやりました。
「今だ、お小夜坊《さよぼう》、やっつけな!」

      

 途端に「あッ」という悲鳴が起こり、刀をふりかぶったまま、鶴吉は躰《からだ》を捻《ねじ》りましたが、やがて、よろめくと、ドット倒れました。脇腹《わきばら》から血が吹き出しています。
「わーッ」という声が湧《わ》き上がりましたが、これは船大工や藩士の方々が、思わずあげた声でした。でもその声はすぐに止《や》んで、気味悪くひっそりとなってしまいました。
 血にぬれた懐剣をひっさげて、駕籠の垂《た》れを刎《は》ねてお小夜坊が、姿を現わしたからです。
 お小夜坊ではなくてお柳《りゅう》でした。
 はじめて人を斬ったのでした。お柳の顔色はさすがに蒼《あお》く、その眼は血走っておりましたが、それだけにかえって凄艶《せいえん》で、わたしとしましてはお柳という女を、この時ほど美しいと思ったことは、ほかに一度もありませんでした。お柳はわたしを見やってから、船大工たちへ言いましたっけ。
「皆様ご安心なさいまし、お小夜様は妾《わたし》がお助けして、この林の奥の、藪蔭にお隠しして置きました」
 歓喜の声をあげて、船大工たちが林の奥へ走って行ったのは、いうまでもないことでございます。その間に西条様や藩士の方々は、鶴吉の息の根を止めようとしました。でもわたしは制止しました。
「どうせ死んで行く人間です、静かに死なせてやって下さい」
 見れば鶴吉は断末魔に近い眼を、わたしの眼へヒタとつけて、物言いたげにしておりました。そこでわたしは近寄って行って、耳に口を寄せてささやきました。
「言いたいことがあるなら言うがいい」
「乞食に計られて死んだとあっては、オ、俺《おれ》は死に切れぬ。頼む、明かしてくれ、お前の素性を」
「もっともだ、明かすことにしよう。……尾張家の附家老《つけがろう》、犬山の城主、成瀬隼人正《なるせはやとのしょう》の家臣、旗頼母《はたたのも》、それが俺だ」
 ここで私は言葉を改め、「貴殿のご姓名なんと申されるかな?」
「…………」無言で首を振るのでした。
「隠密として事破れし以上、姓名は言わぬというお心か。ごもっともでござる」
 この時突然屋敷内から、火の手が立ち昇りました。
「火事だ!」
「大変だ、作事場《さくじば》が燃える!」
 人々は叫んで走って行きました。
「鶴吉殿」と耳に口を寄せ、またわたしはささやきました。
「貴殿をこの地へ遣《つか》わした、そのお方が心にかけられた、宗春様ご建造の禁制の大船、ただ今燃えておりまする。貴殿のお役目遂げられたも同然、お喜びなされ、ご安心なされ!」
「火事?……大船が?……燃えている?」
「拙者が放火《つけび》いたしたからでござる」
「貴殿が……お身内の貴殿が?」
「われらが主君成瀬隼人正、西丸様お企てを一大事と観じ、再三ご諫言《かんげん》申し上げたれど聞かれず、やむを得ず拙者に旨を含め……」
 この時船大工たちがお小夜様を連れて、林の奥から出て来ました。
「お柳、お小夜様を、鶴吉殿へ!」
 わたしの相棒のお柳は、お小夜様の手を取って、鶴吉の側へ連れて行きました。お小夜様は恐怖《おそろしさ》と悲哀《かなしさ》とで、生きた空もないようでございましたが、でもベッタリと地へすわると、鶴吉の項《うなじ》を膝の上へのせ、しゃくり[#「しゃくり」に傍点]上げて泣きました。鶴吉を愛していたのですねえ。

 宗家相続の問題以来、将軍吉宗様《はちだいさま》と尾張家とは、面白くない関係《あいだがら》となりまして、宗春様が年若の御身《おんみ》で、早くご隠居なされましたのも、そのためからでございますし、ご禁制の大船を造られましたのも、吉宗様《はちだいさま》に対する欝忿《うっぷん》晴らし、そのためだったように思われます。そのご禁制の大船ですが、もうあの時には九分がたできていて、立派なものでございました。ご主君から渡された竹筒仕込みの地雷で、わたしが焼き払いさえしなかったなら、完成したに相違ございません。庄内川から取り入れた水を、すぐに船渠《せんきょ》へ注ぎ入れ、まず庄内川へ押しいだし、それから海へ出すように、巧みに仕組まれてもおりました。
 勢州《せいしゅう》産まれの乞食《こじき》権七《ごんしち》、そんなものにまで身を※[#「にんべん+悄のつくり」、第4水準2-1-52]《やつ》し、尾張家のためとはいいながら、あの立派な船を焼きはらったことは、もったいなく思われてなりません。

底本:「日本伝奇名作全集4 剣侠受難・生死卍巴(他)」番町書房
   1970(昭和45)年2月25日初版発行
初出:本全集収録まで未発表
入力:阿和泉拓
校正:門田裕志、小林繁雄
2004年11月24日作成
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