反戦文学論——黒島伝治

   一、反戦文学の階級性

      

 戦争には、いろ/\な種類がある。侵略的征服的戦争がある。防禦戦がある。又、民族解放戦争、革命も、そこにはある。
 戦争反対の文学は、かなり昔から存在して居るが、ブルジョアジーの戦争反対文学と、現代プロレタリアートの戦争反対文学とは、原則的に異ったものを持っている。戦争反対の意図を以て書かれたものは、古代ヘブライの予言者マイカのものゝ中にもある。民族間の戦争を誡《いまし》め、平和を説いたものであるが、文字に書かれた、恐らく最古のものであろう。旧約にはいっている。しかし、そういう昔のことにまでかゝずらっているヒマがない。近代文学には、明かに、戦争反対の意図を以て書かれたものを相当拾い上げることが出来る。それらは、一般的に戦争に反対している。戦争は悲惨である。戦争は不愉快で、戦争のために、多数の人間が生命を落さなければならない。そこで、戦争に反対している。
 プロレタリアートは、戦争に反対する、その反対の仕方に於て、一般的な態度はとらない。吾々は一般的に、戦争に反対するのではない。或る場合には、悲惨をも、残酷をも、人類の進歩のために肯定するプロレタリアートが徹底的にどこまでも反対するのは、帝国主義××である。即ち、××的、××的戦争に反対するのである。

      

 ブルジョアジーの戦争反対文学は、多く、個人主義的、或は、人道主義的根拠から出発している。そこに描かれているものは、個人の苦痛、数多の犠牲、戦争の悲惨、それから、是等に反対する個人の気持や、人道的精神等である。
 手近かな例を二三挙げてみる。
 田山花袋の「一兵卒」は、日露戦争に、満洲で脚気のために入院した兵卒が、病院の不潔、不衛生粗食に堪えかねて、少しよくなったのを機会に、病院を出て、自分の所属部隊のあとを追うて行く。重い脚を引きずって、銃や背嚢を持って終日歩き、ついに、兵站部の酒保の二階――たしかそうだったと思っている――で脚気衝心で死ぬ。そういうことが書いてある。こゝでは、戦争に対する嫌悪、恐怖、軍隊生活が個人を束縛し、ひどく残酷なものである、というようなことが、強調されている。家庭での、平和な生活はのぞましいものである。戦場は、「一兵卒」の場合では、大なる牢獄である。人間は、一度そこへ這入ると、いかにもがいても、あせっても、その大なる牢獄から脱することが出来ない。――こゝに、自然主義の消極的世界観がチラッと顔をのぞけている。
 戦争は悪い。それは、戦争が人間を殺し、人間に、人間らしい生活をさせないからである。そこでは、人間である個人の生活がなくなってしまう。常に死に対する不安と恐怖におびやかされつゞけなければならない。だから戦争は、悪く、戦争は、いやな、嫌悪さるべきものである。
 これは、個人主義的な立場からの一般的戦争反対である。所謂、自我に目ざめたブルジョアジーの世界観から来ている。この傾向をもっとはっきり表現しているのは、与謝野晶子の新体詩である。それは、明治三十七年、十月頃の「明星」に出た。題は、「君死にたまふことなかれ」という。弟が旅順口包囲軍に加わって戦争に出たのを歎いて歌ったものである。同氏のほかの短歌や詩は、恋だとか、何だとかをヒネくって、技巧を弄し、吾々は一体虫が好かんものである。吾々には、ひとつもふれてきない。が、「君死にたまふことなかれ」という詩だけは、七五調の古い新体詩の形に束縛されつゝもさすがに肉親に関係することであるだけ、真情があふれている。


  順の城はほろぶとも
  ろびずとても何事か
  知るべきやあきびとの
  のおきてになかりけり

君死にたまふことなかれ
××××××は戦ひに
××××からは出でまさね
かたみに人の血を流し
獣《けもの》の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは

 勝手に数行を引いたのであるが、××は筆者がした。××にしなければ、今日では恐らく発禁ものであろう。[#引用部分伏せ字の原文は、それぞれ「すめらみこと」と「おほみづ」]
 当時、大町桂月が、この詩が危険思想であるというので非難した。国を挙げて戦争に熱狂していた頃である。戦争反対を声明したのは、僅かに平民新聞だけであった時代である。作者は、桂月の非難に弁解して、歌は歌であって、自分の心のまことを、そのまゝ吐露したものである。――そういう風に云った。戦争に行く息子を親が新橋まで見送って、「達者で気をつけて無事で行って来い!」と別れの言葉を云う。その気持と同じ気持を歌ったものである、と。
 この詩は、全然個人的な気持から戦争に反対している。生活の中心がすべて個人にあった。だから最も恐ろしいのは、死である。殺し、殺されることである。
 人道主義になると、五十歩百歩ではあるが、いくらか考え方が広汎になり、戦争の原因を追求しようとする慾求が見えて居る。中途半ぱな、生ぬるいところで終ってしまっては居るが。
 武者小路実篤の「或る青年の夢」は、欧洲大戦当時に出た。これは、人道主義の戦争反対である。
 この場合に於ても、死の恐怖、人間が、人間らしい生活が出来ない悲惨を強調している。ところがこゝでは個人よりも人類が主として問題になっている。戦争は、他国の文明を破壊し、他国を自国の属国にしようとするところから起って来る。他国を属国とし、他国を征服すれば得をすると考える利己主義者があるから起って来るのだ。けれども、その利己主義が誰れであるか、それは考えていない。戦争をなくするには、人間が国家の立場で物を見ずに、人類の立場から物を見ることである。他国の文明をはなれては自国の文明が真の意味では存在出来ないというのが人類の意志である。人々は、人類の意志を尊重することを知らないからいかんのだ。人類の意志を無視する所から戦争は起る。国家主義が人類の意志に背く所に戦争は起る。これが「或る青年の夢」を貫く中心思想である。すべてが人類である。人類は、万物の霊長でほかの動物とは、種を異にする特別のものゝようである。

      

 ブルジョアジーは、眼前の悲惨や恐怖から戦争に反対はしても、決して徹底的に戦争を絶滅することは考えてはいない。若し考えてもそれは生ぬるい中途半ぱなものであって、結局に於ては反動的な役割をしかなさない。理想主義か或は現状維持の平和主義である。そこで、ブルジョアジーは戦争反対の文学に於ても、明かに、その階級性を曝露している。
 欧洲近代文学に於ても、戦争に反対しているものは、なかなかの数に上る。大体、その名前だけを挙げて、プロレタリアートの反戦文学に移りたい。
 ジャン・ジャック・ルソオ――「恒久平和の企図」
 エミイル・ヴェルハアレン――「黎明」(この戯曲に於て、ベルギイの詩人は人類社会の甦生の希望を述べている。オビドマアニュの市街が敵軍に包囲され、そのうちに、攻防両軍の革命家が叛乱を起したため、ついに戦いが終了するのである。)
 レオ・トルストイ――「セバストポール」「戦争と平和」「想いおこせ」等
 フセオロド・ガルシン――「卑怯者」「愚かなイワノフの覚書」「四日間」
 レオニイド・アンドレーエフ――「赤き笑」
 それから仏蘭西の小説家ギイド・モウパッサン、ジョセフ・アンリ・ロスニイ、人道主義者ロマン・ロオラン、英吉利の戯曲家、バナアド・ショウ、アメリカの詩人、ホイットマン、等も、或は激烈或は皮肉、或は悲痛な調子で戦争に反対している。
 独逸の表現派になると、世界大戦後に発生したものだけあって、戦争反対のものがなか/\多い。
 ハアゼンクェフェル――「アンティゴオネ」(希臘劇を改作したものであるが、彼はこれを大戦に結びつけ、タレオンを、前の独逸皇帝ウィルヘルム二世に擬し、戦争のために寡婦となったもの、孤児となったもの、不具となったものをして王に向って飢餓と傷痍を訴えさせ、「将軍を市場に晒せ」と絶叫せしめている。)
 フランツ・ウェルフェル――「トロヤの女」(戦敗者の悲惨と戦勝者の残酷とを愁訴したものである。)
 エルンスト・トルレル――「独逸男ヒンケルマン」「変転」(独逸男ヒンケルマンは戦争で睾丸を失った男の悲痛な生活を書いたものであるが、多分に人道的である。)
 ラインハルト・ゲエリング――「海戦」(海戦の中の第五の水兵は叛乱の志を持っている。)


 第五水兵。俺たちは何のために今戦っているんだ。
 第一水兵。海上を自由にするためだ。
 第五水兵。じゃ、そのために母親はお前を養ったんだな、じゃ、それがお前の魂の意味なんだな。そのためにお前の身体は大きくなったんだな。
[#ここから3字下げ]
(中略)
声々。祖国、祖国、何をまた俺達から欲しいんだ。祖国、祖国、死が俺たちを氷のように貪り食べる。俺たちが此処に斃れるのを見て呉れ、祖国。俺たちに死を与えろ、死を、死を、死を与えろ、死を。
(爆発。第一、第四、第五水兵はもぎ取られた瓦斯除けマスクをつけて死にながら横たわる)
[#ここで字下げ終わり]

 表現派は、主観主義である。だから、ゲエリングは、反戦的ではありながら、本当に書こうとしていることは、人類全体の上に蔽いかゝっている運命の力との関係であるようだ。この意味から云えば「海戦」は一種の運命悲劇である。
 フリッツ・フォン・ウンルウ。――ウンルウの初期の作、つまり欧洲大戦以前に書いた、「士官」(一九一二)「プロシャ王子ルイ・フェルディナント」(一九一四)には、彼が属している階級のイデオロギーを極めてはっきり反映して居った。彼は、貴族出の軍人で所謂独逸精神――理想主義的な観念が基調になっている――を持った男であった。だから作品の中には、抽象的な観念ばかりが出ている。それが、大戦にドイツ皇太子の副官として出征した。そこで彼は戦争の惨禍を見た。それが彼の観念を大きく、深く、拡めると共に、明確な一定の方向を与えた。平和論者になり、人類愛主義者になった。そこで、彼は、塹濠の中で「決定の前に」という詩を書いた。ヴェルダンの要塞戦については、それからして、「犠牲の道」という悲壮な憤激の物語を書いた。これは、偶然にも、アンリ・バルビュスの「クラルテ」と同年(一九一九年)に発表された。
 表現派は、多く、戦争に反対し、その悲惨、その暴虐を呪咀し、絶叫してはいるが、唯心論的で、たゞ、主観的な強調に終始している。ブルジョア作家の戦争反対はこれ位いにして、プロレタリア文学に移ってみる。

      四

 アンリ・バルビュスの「クラルテ」も欧洲大戦から生れた、反軍国主義文学である。この小説は、はじめの方はだらだらしていて読みづらい。バルビュスは、戦争の惨禍を呪咀するばかりでなく、戦争の責任者に対して嫌悪を投げつけ、インタナショナルの精神を高揚している。「そこで君達は、祖国の武装を解かせねばならないのだ。そして、祖国観念を極度に収縮放棄して、重大なる社会観念を持たなければならないのだ。君達は、軍閥的国境を湮滅《いんめつ》しそれよりもっと悪い経済的商業的障碍を取り除かねばならないのだ。保護貿易主義は、労働の発達の中へ暴力を導引《みちび》き入れるものであり致命的な軍国主義の狂態を齎らすものなのだ。君達は、各国家の間では正当なことゝ云われ、各個人の間では『殺人』『窃盗』『不正競争』と呼ばれているところのものを廃滅しなければならないのだ。これ等のものを取除くのは、特に[#「特に」は底本では「持に」]君達でなければならないのだ。何故なら、それらのことをやるのは君達だからだ。何処へ行っても君達だけが不滅な力と、私心を交えない朗らかな良心とを持った君達だけがこれをやり得るのだ。君達は、君達自身のために戦争をやるようなことはないのだ。
 君達は、大昔の魔法や、神の殿堂などを怖れてはならない。君達の巨然たる理性は、信者達の富の根を止める偶像を破壊しなければならない。」
「世界的共和は、この人生に於て、万人の権利を平等たらしめるための避くべからざる結果なのだ。平等の観念に立脚して進むならば人民のインタナショナルに到達するであろう。若しも其処へ到達しないならば、それは正しい道理に立脚していないからなのだ。」
 こういう風に、バルビュスはインタナショナルを叫んでいる。
 プロレタリアートは、帝国主義的、侵略的××に対して絶対に反対する。従って、プロレタリアートの反戦文学には、それが表現されなければならない。ブルジョアは、戦争の真の原因を民衆の眼から隠蔽する。「彼等は、人民に向って云う、――一旦、お前達の上にいる人々の思う通りの勝利が得られた暁には、あらゆる暴政は魔術にかかったように影を消してしまって、地上に平和が来るのだ。――と、それは、ほんとではない。××による支配が来るまでは、地上に平和は来ないのだ。」それから彼は、他の箇所で全世界の兵卒に向って云う。「人間の群の中から出鱈目に掴まえられた男よ、記憶するがいい。――君が君自身であったことは片時もなかったのだということを! 『ねばならん! ねばならん!』という冷酷な絶対命令の下に君が屈服しないですんだことは断じてなかったのだ。平時には、商工業の機械工場で、不断の労働の規則に取り囲まれ、道具の奴隷となり、ペンの奴隷となり、才能の奴隷となり、又は、何か他の物の奴隷となって、朝から晩まで休息することもなく日々の労役に曳きずられる君よ。それによって、君はやっと生活を凌いで夢の裡に安息することだけは出来た。
 君が決して欲しなかったこの戦争が来ると――君の国や名は問う要がない――君をしかと握っていた怖しい運命は、きっぱりその仮面を脱ぎ捨てゝ、喧嘩好きな複雑な正体を現わしたのだ。宣告の風が起ったのだ。
 君の身体は徴発される。刑法上の逮捕と同じような威嚇の方法で君を捕える。如何に貧窮なものも、誰一人としてこの逮捕から逃げることは出来ない。君は営舎の中に××される、虫の如く裸に[#「裸に」は底本では「裡に」]剥がれて今度は誰彼の差別を無くする××を着せられる。
 君は悲惨と屈辱と、日々に陥って行く萎縮との生活を生活する。粗食を与えられ、虐待され、身体中こづき廻され、番兵の命令によってこき使われる。一瞬毎に、君は萎縮した自己の内へ激しく投げ返される。君は極めて些細な行為のために罰せられる。又、主人の命令で生命を棄てる。」
 こういう不愉快な、恐ろしい戦争が、而も××××制度が存在する限り、一遍すんでも又「起るであろう。戦争が戦闘する者以外の人間によって決定せられ得る限り、それは繰りかえし起されるであろう。銃剣を鍛えそれを振り廻したりする魯鈍な大衆以外の人間によって戦争が決定せられ得る限り、それは何遍も繰りかえし起されるであろう。」そうして××××制度が存続する限り、「この地上には、戦争の準備以外に何物も無くなるであろう。あらゆる人間の力は、そのために吸収され、あらゆる発見、あらゆる科学、あらゆる想像はそれによって独占されるだろう。」――「クラルテ」にはこういうことが叫ばれている。そして、「クラルテ」が発表されて十年を経過した今日、世界の帝国主義国家は××の準備以外、何物をもしていない状勢になっているのである。
 マルセル・マルチネは、大戦を背景にして三ツの作品を書いている。戦場に行こうとする兵士達に呼びかけた詩集「呪われた時」と、戦争の後方で呻いている民衆の悲惨な生活をかいた小説、「避難舎」と、それからドイツ革命に暗示されて書いた戯曲「夜」である。就中、そのいくつかの詩と、戯曲とは非常にすぐれたものである。恐らく、今日まで日本語に訳されたプロレタリア文学の中で、最もすぐれたものゝ一ツであろう。
 資本主義制度が存続する限り戦争の準備が絶えない。又、戦争も絶えない。吾々は××××戦争には絶対反対である。しかし、戦争が絶滅するのは、最も多く圧迫された最後の階級であるプロレタリアートが、自ら解放されながら、全人類をも一般に階級制度から解放した時でなければならない。そこに達するまでには、×××戦争を経なければならぬ。プロレタリアートは、××××戦争には反対するが、××××は肯定する。マルチネは、「夜」に於て、××××戦争には反対しているが、虐げられ、搾取された無産階級が団結して遂行する××××は、これを肯定しているのである。「夜」は無産階級をして、冷かな熱性を覚えさし、無産階級を奮起させる。プロレタリアートの戦争に対する態度は、その両方ともが、「夜」に於て最もよく現わされている。
 アメリカの社会主義作家、アプトン・シンクレエアは、「義人ジミー」に於て、帝国主義戦争に対する、プロレタリア階級のいろ/\な意識の内訌を書いている。一面では、シンクレエアが欧洲大戦当時、彼自身がとった、少なからぬ苦悶の後に武器を肯定した心の位置を書いたものであるという。
 欧洲諸国間の帝国主義戦争の危機が次第にはげしくなって行くと、それらの国々に於ける社会主義者や戦闘的労働者は、この戦禍に対する反対運動を開始した。それは、やがてアメリカの社会主義者をも立たせ、ジミーの属するリースヴィル社会党支部も演説会を開き、反対した。が、欧洲の黄金王や軍人は、とうとう自国の奴隷どもを戦場へ追いやってしまった。而してアメリカへは、それらの国々から武器の注文が殺到して、殆んどすべての工場は、武器工場に早変りした。ジミーが働いているグラニッチ老人のエムパイヤ工場も、武器工場に改造された。
 ジミーは、自分の手で造られているものがドイツに於ける同志を打ち殺す砲弾であることに気づいて、重大な疑問にぶつかった。インタナショナリストであり、社会主義者であるジミーが、そういう武器を作ることが、立派な行為であろうか? そうして、惨忍な掠奪の分け前として、グラニッチ老人がくれる一時間四|仙《セント》の増給を受け取ってもいいものであろうか。この問題は、アメリカの農夫が作る小麦までが、英国に買い上げられ、ドイツの同志を打ち殺すイギリス兵士の胃の中に這入っていることを知るまで、彼を悩ました。武器の注文は益々増大して賃銀は昂騰した。それは、ついに、ジミーのような正直な社会主義者をすら有頂天にした。が、貸銀が上るにつれ、物価が上ってきた。そこで工場では、不平と非難の声が高まった。
「ストライキ! ストライキ!」
 それから工場を馘首され、ジミーは、郊外のある農夫の下働きに雇われた。
 そのうちに、ロシアには革命が起って、プロレタリアートが、自分の力で平和をかく得した。がドイツでは、ロシアへ進軍した。米国の社会主義者は、世界で唯一のプロレタリア国ロシアをふみにじっている独逸を倒すという範囲内で大戦に参加する者が出来てきた。
 憎むべき独逸軍をやっつけるべきか、軍国主義に反対すべきか! 二つの絶対に相いれない物の見方にジミーは悩まされつゞけた。
 が、アメリカ陸軍の投げた巧妙な罠が、とうとうジミーを戦場に引っぱり出してしまった。しかし第一歩で、おもしろいことに出会した。ドイツの潜航艇は、彼を大西洋に[#「大西洋に」は底本では「太西洋に」]たゝきこんだ。次には彼は英国の病院へ収容せられた。そこで、彼は、英国のジョージ五世に言葉をかけられた。
「具合はどうかね?」
「おかげ様で大変いゝんです。」
「アメリカの軍人ですか?」
「いゝえ、あっしや、機械工なんで。」……
 最後にジミーは、一人のボルシェビイキの猶太人からリーフレットを受取って、それを二日のうちに全部まいてしまった。そのために、逮捕せられ、あらゆるひどい拷問に付せられたが、共犯者を白状しなかった。
 以上は、「義人ジミー」のホンの荒筋である。枚数が長くなることが気になって非常に不完全にしか書けなかった。
 こゝには、インタナショナルの精神と、帝国主義戦争××が叫ばれている。
 以上に挙げた、「クラルテ」と「夜」と、「義人ジミー」の三つの作品に於ては、そこに、ブルジョアジーの一般的戦争反対文学とは異ったものがある。プロレタリアートは、まず、インタナショナルの精神を高揚する。「インタナショナルとは、国際的乃至世界的団結、全世界的同盟という意味である。」ブハーリン監輯の「インタナショナル発展史」にはそう説明してある。
 資本主義がすさまじい勢力を以て発展して、国際的威力として、プロレタリア階級に迫ってきた時、労働者階級の中から、吾々自身のインタナショナル的な組織体を作って、資本主義に対抗しようとした。それが、国際的労働者団結である。
 プロレタリアートの戦争反対文学は、帝国主義××に反対すると共に、労働者階級の国際的団結の思想を鼓吹するものである。

   二、プロレタリアートと戦争

      一

 プロレタリアートは、社会主義の勝利による階級社会の廃棄がなければ、戦争は到底なくならないということを理解する。プロレタリアートの戦争に対する態度は、ブルジョア平和主義者や、無政府主義者や、そういう思想から出発した反戦文学者とは、原則的に異っている。被支配階級が支配階級に対してやる闘争は必要で、進歩的な価値があると考える。奴隷が奴隷主に対しての闘争、領主に対する農奴の闘争、資本家に対する労働者の闘争は必要である。戦争には、残虐や、獣的行為や、窮乏苦悩が伴うものであるが、それでも、有害で反動的な悪制度を撤廃するのに役立った戦争が歴史上にはあった。それらは、人類の発展に貢献したことから考えて是認さるべきである。で、プロレタリアートは、現在の戦争に対しても、それが、吾々を解放へ導くものであるか、或は、吾々をなお圧迫するものであるか、その歴史的特殊性を分析することが必要である。
 フランス革命は、人類の歴史に新しい時代を開いた。それからパリ・コンミュンまでは、ブルジョア的進歩的な国民解放戦争があった。つまり、その戦争は、主として、封建的専制主義及び外国の支配拘束を取り除くことであった。それは進歩的戦争であった。又、イギリスに対して若し××が戦争を始めるとしたら、それは正当な、必要な戦争である。抑圧者、搾取者に対する、被圧迫階級の戦争には、吾々は同感せざるを得ない。そしてその勝利を希わざるを得ない。

      

 現在、吾々の眼前に迫りつゝある戦争は、どういう性質のものであろうか。
 こゝに、泥棒と泥棒が、その盗品を一方が少く、他方が多いのを理由に又、奪い合いしたらどうであろう。如何に少い方が大義名分を立てゝその行為を飾ろうとも、実質が泥棒であることに変りはない。
 又、三人の泥棒が、その縄張り地域の広狭から、それを公平に分配することを問題にして、喧嘩を始めたらどうであるか。如何に正義、人道を表面に出して、自己の行為を弁護しようとも、それは、泥棒自身の利益のために、人を欺くものである。而も、現在、この縄張りの広狭争いのような喧嘩が起ろうとしているのである。これが将に起ろうとする××主義戦争である。
 近代資本主義は、自由競争から独占への傾向をたどってきた。各産業部門に於ける独占は、利潤を多くする。小資本は大資本に併合される。それから銀行と産業とが結びついて、金融資本が発生し、金融寡頭政治ができてくる。
 資本家の間に於ける独占は、始めは国内の市場をそれぞれに分割する。が、国内の市場は、資本主義の下では、外国市場と密接な関係を持っていて、そこで、それらは、一定の世界市場を形成することになる。こゝで、大資本家の団体が、ある原料産地や、市場を独占していたならば、それは非常に強いし利潤も多い。そこで「国際資本団体は夢中になって、敵手から一切の競争能力を奪わんと腐心し、鉄鉱又は油田等を買収せんと努力している。而して、敵手との闘争に於ける一切の偶発事に対して独占団体の成功を保証するものは、独り植民地あるのみである。」(レニン)だから、資本家は、「植民地の征服を熱望する。」そうして、「金融資本と、それに相応する国際政策とは、結局世界の経済的政治的分割のための強国間の闘争をもたらすことになる。」
 これが即ち帝国主義××である。そうして、広大な植民地と市場を独占した資本家は、自分では何等働かずに、搾取によって寄生的な生活をする。「資本主義は、極く少数の特に富有で強力な国家を極端まで押しやり、それらの少数国家は、世界住民の約十分ノ一か、多く見積って高々五分ノ一しか擁しないに拘らず、単なる『利札切り』で全世界を掠奪しているのである。」(レニン)
 だから××××戦争は、掠奪者と掠奪者の戦争であり、泥棒と泥棒の喧嘩である。その泥棒に隷属している「植民地の住民は牛か馬のように扱われる。彼等は、種々様々な方法によって搾取される。資本輸出、租借、商品販売の場合の欺瞞、支配的国民の下に隷従させらるゝこと等によって。」(レニン)
 資本家は、国内の労働者から搾取した利潤以外に、こうして、植民地から莫大な利潤をかき集めてくる。この有りあまって、だぶついている金で彼等は、労働貴族や、労働者の指導者を買収しようとする。これは実際存在することであり、資本家は、それらの裏切者を手なずけるために、間接、直接に、あらゆる手段を弄するのである。
 彼等に買収された労働者は、もう吾々の味方ではない。それは、ブルジョアジーの手先である。その物の考え方は、もうプロレタリアートのそれではない。無産階級運動の妨げにこそなれ、役には立たないのである。そういう奴等は、一とたび帝国主義××が起れば、反対するどころか、あわてはためいて、愛国主義に走ってしまうのだ。

      三

 帝国主義××は、何等進歩的意義を持っているものではなく、却って、世界の多数の民族を抑圧すると共に、その自国内に於けるプロレタリアをも抑圧して、賃銀労働の制度を確保し拡大せんがために行われるものである。けれども狡猾なるブルジョアジーは、うまい、美しげな大義名分を振りかざす。欧洲大戦当時、フランスとイギリスのブルジョアジーは、ベルギーと、その他の国民の解放のために戦争を行っていると主張して民衆を欺いた。ほんとは、自分の掠奪した植民地を保持するために戦争をやっていたのだ。独逸の帝国主義者は、又、イギリスやフランスの多過ぎる植民地を、公平に分配をやり直そうとして戦っていたのであった。この次に来る戦争に於ても、又こういうことが起るであろう。そうして無産者は、屠殺場の如き戦場へどん/\追いやられるだろう。
 しかし、プロレタリアートは、泥棒どもが縄張りを分け取りにするような喧嘩に、みす/\喧嘩場へ追いやられて、お互いに、――たとえば膚の色が異っていようとも――同じ貧乏人同志が傷つけあいをやり殺し合いをやることに絶対に反対しなければならない。そうして、泥棒同志の喧嘩を利用して泥棒制度全体をなくすることを考えるべきである。
 それがためには、プロレタリアートは、その戦争が何のためになされているかを闡明《せんめい》しなければならない。
 反戦文学は、こゝに於て、戦争が何のために行われるか、その真相を曝露し、その真実を民衆に伝え、民衆をして奮起させるべきである。泥棒どもが、なお安全に、最も悪い泥棒制度を維持しようがためにやっていることを白日の下に曝す必要がある。
 吾々の文学はプロレタリアートの全般的な仕事のうちの一分野である。吾々は、プロレタリアートの持つ、帝国主義××××の意志、思想を、感情にまで融合さし、それを力強く表現することによって、一般の労働者農民への、影響力を広く、確実にしなければならない。文学の全×××宣伝力を挙げて、労働者農民に力強く喰い入ることを心がけねばならない。
 ××××戦争は、それを、プロレタリアートのブルジョアジーに対する××に転化し得る可能性を多分に持っている。又、プロレタリアートは、それを転化するように努力しなければならない。そこで、吾々文学は、帝国主義××××の意志を強く表現するに止まらず、全×××、宣伝力を挙げて吾々のプロレタリア運動が常に最後の目的をそこへ集中していることを強調しなければならない。(最後の目的がなんであるか、それは、こゝで詳しく書く場合ではない。)労働者農民及び多くの、所謂敵国に向って銃剣を取っていた××を××し、その銃剣のきっさきを、×××、××××××に向けさせる――そういうことを文学の持つありったけの宣伝、××をつくしてその影響を確保拡大することが必要である。

      

 なお、新しい帝国主義戦争の危機――即ち、三ツの帝国主義ブルジョアジーが××の××的分割をやろうとしていることゝ共に、ソヴェート・ロシアに対する他のもろ/\の帝国主義国家が衝突しようとする危機も迫りつゝあることに、注意を喚起しておきたい。これは、いろ/\な意味で、吾々の関心を最も強く引きつける問題である。

   三、反戦文学の恒常性

      一

 戦争反対の思想、感情を組織して、労働者農民大衆に働きかける文学は、戦争が行われている時にのみ必要であるか。戦争が起っていない平和な時期に於ては、戦争反対文学は必要ではないか? いや、必要である。
 資本主義制度が存続している限り、××が絶滅される時期はやって来ない。ひとたび××××戦争によって、世界が分割され、平和な時期がやって来ても、又、次の××××戦争がやって来る。欧洲大戦が終結して平和がやってきた。しかし、それから十年も経ないうちに、又、今度は××を中心にして資本の属領争奪戦が次第に鋭くなってきた。これは、新しい世界の分割に到る性質を持っている。而して、それは、戦争を引きおこさなければやまない。ブルジョア政府は、ひたすら、戦争の準備に余念がない。資本主義的平和は、その実質を見ると、次の戦争への準備にすぎないのである。科学的発明も、化学工業も、鉄道敷設も、電信も道路の開通も、すべてが、資本主義の下にあっては、戦争準備の目標に向って集中されている。それは直接間接にプロレタリアの生活に重大な関係を持っている。反戦文学の恒常性はこゝに存在する。資本主義制度が存在する限り、プロレタリアートの反戦文学も存在し、それに向って戦わなければならない。

      

 反戦文学は、勿論、兵営や、軍隊生活のみを取扱う文学ではない。資本主義は、次の戦争に備えるために、あらゆるものを利用している。労働者、農民の若者を××に引きずりこんで、誰れ彼れの差別なく同じ××を着せる。人間を一ツの最も使いいゝ型にはめこんでしまおうとする。そうして、労働者農民の群れは、鉄砲をかついで変装行列のような行列をやりだす。――これは、帝国主義ブルジョアジーが××によって、プロレタリアートを搾取する、その準備にやる行為の一ツである。そのほか、学校も、青年訓練所も、在郷軍人会も、彼等の××のための道具となっている。製鉄所も、化学工場も、肥料会社も――そして、そこに働いている労働者が――戦争のために使われる。化学工場からは、毒瓦斯を、肥料工場からは――肥料会社は、肥料を高い値で百姓に売りつけるが、必要に応じて、そこから火薬が出来るようになっている。無線電信も、鉄道も、汽船も、映画や、演劇までも、帝国主義ブルジョアジーは、それを××のために、或は好戦思想を鼓吹するために使っているのである。あらゆるものがすべて軍事上の力を増大するために集中されている。が、それは、ブルジョアジーにとって、目的ではなく、手段である。彼等はその軍国主義によって、現在の搾取制度を一日でも長く、確実に維持しようとしている。そして、無産階級圧迫をどこまでもつづけようとする。それが彼等の目的である。だから軍国主義は、外国との××のためばかりでなく、国内に於ける、無産階級の××にも備えてあるのだ。農民の暴動や大ストライキに××が出動するのは、それを裏書きする一つの証拠である。
 そこで、そういう、帝国主義的、――軍国主義的実質を曝露し、労働者農民大衆に働きかけ、大衆をして×起させることは、プロレタリア文学の任務である。これは、戦争が起っていない平和の時期に於ても、常に継続しなければならないのは、云うまでもない。この場合、吾々の力点は主として、軍国主義の実質の曝露にある。つまり、反軍国主義文学にあるのだ。

      

 平時に於ては、主として反軍国主義文学に力点を置く、ということを述べたが、しかし、勿論、それに限ったことではない。どういう内容を扱ってもそれは自由である。そして、なお、次に述べようとする内容をも併せて、取扱って一向差支ない。たゞ、主として、力点をアンチ・ミリタリズム文学に置くと云ったまでのことである。
 帝国主義ブルジョアジーは、平時から、殖民地の××他民族の隷属、労働運動の抑圧政策をとる。その政策が継続し、発展してついには、××手段による戦争が起ってくる。が、戦争が起ると、必ず帝国主義ブルジョアジーを代表する政府にとっても、危険な状勢が発生して来る。労働者、農民大衆の××に対する政府の不安は増大して来る。例えばロシアに於ては、日露戦争の後に千九百五年の××が起り、欧洲大戦の終りに近く、千九百十七年の××が起っている。パリー・コムミュンの例をとって見ても、この事実は肯かれる。プロレタリアートは、その時期を××しなければならぬ。
「××××戦争を××へ!」これを力説強調して、労働者、農民大衆を××せしめ、×××××××××××××。
 戦時に於ける、反戦文学の主要力点は、こゝに注がれなければならぬ。
 プロレタリアートは、××のために起って来る、経済的、政治的危機を××××「資本主義社会の××を迅速ならしめなければならない。」
 が、これも、これだけを独立して取扱うべきものと限ってはいない。たゞ、主として力点をそこに置くのである。

底本:「黒島傳二全集 第三巻」筑摩書房
   1970(昭和45)年8月30日第1刷発行
※底本には「植民」と「殖民」の二種類の表記が見られるが、統一しなかった。
入力:大野裕
校正:原田頌子
2001年9月3日公開
2005年11月11日修正
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