幸田露伴

五重塔—— 幸田露伴

     其一

 木理《もくめ》美《うるは》しき槻胴《けやきどう》、縁にはわざと赤樫を用ひたる岩畳《がんでふ》作りの長火鉢に対ひて話し敵《がたき》もなく唯一人、少しは淋しさうに坐り居る三十前後の女、男のやうに立派な眉を何日《いつ》掃ひしか剃つたる痕の青々と、見る眼も覚むべき雨後の山の色をとゞめて翠《みどり》の均しほ床しく、鼻筋つんと通り眼尻キリヽと上り、洗ひ髪をぐる/\と酷《むご》く丸《まろ》めて引裂紙をあしらひに一本簪《いつぽんざし》でぐいと留めを刺した色気無の様はつくれど、憎いほど烏黒《まつくろ》にて艶ある髪の毛の一綜《ふさ》二綜後れ乱れて、浅黒いながら渋気の抜けたる顔にかゝれる趣きは、年増嫌ひでも褒めずには置かれまじき風体《ふうてい》、我がものならば着せてやりたい好みのあるにと好色漢《しれもの》が随分頼まれもせぬ詮議を蔭では為べきに、さりとは外見《みえ》を捨てゝ堅義を自慢にした身の装《つく》り方、柄の選択《えらみ》こそ野暮ならね高が二子《ふたこ》の綿入れに繻子襟かけたを着て何所に紅くさいところもなく、引つ掛けたねんねこ[#「ねんねこ」に傍点]ばかりは往時《むかし》何なりしやら疎《あら》い縞の糸織なれど、此とて幾度か水を潜つて来た奴なるべし。
 今しも台所にては下婢《おさん》が器物《もの》洗ふ音ばかりして家内静かに、他には人ある様子もなく、何心なくいたづらに黒文字を舌端《したさき》で嬲《なぶ》り躍《おど》らせなどして居し女、ぷつりと其を噛み切つてぷいと吹き飛ばし、火鉢の灰かきならし炭火体よく埋《い》け、芋籠より小巾《こぎれ》とり出し、銀ほど光れる長五徳を磨きおとし[#「おとし」に傍点]を拭き銅壺の蓋まで奇麗にして、さて南部霰地《なんぶあられ》の大鉄瓶を正然《ちやんと》かけし後、石尊様詣りのついでに箱根へ寄つて来しものが姉御へ御土産《おみや》と呉れたらしき寄木細工の小繊麗《こぎよう》なる煙草箱を、右の手に持た鼈甲管《べつかふらお》の煙管《きせる》で引き寄せ、長閑に一服吸ふて線香の烟るやうに緩々《ゆる/\》と烟りを噴《は》き出し、思はず知らず太息《ためいき》吐いて、多分は良人《うち》の手に入るであらうが憎いのつそりめが対《むか》ふへ廻り、去年使ふてやつた恩も忘れ上人様に胡麻摺り込んで、強《たつ》て此度《こんど》の仕事を為《せ》うと身の分も知らずに願ひを上げたとやら、清吉の話しでは上人様に依怙贔屓《えこひいき》の御情《おこゝろ》はあつても、名さへ響かぬのつそりに大切《だいじ》の仕事を任せらるゝ事は檀家方の手前寄進者方の手前も難しからうなれば、大丈夫|此方《こち》に命《いひつ》けらるゝに極つたこと、よしまたのつそりに命けらるればとて彼奴《あれめ》に出来る仕事でもなく、彼奴の下に立つて働く者もあるまいなれば見事|出来《でか》し損ずるは眼に見えたこととのよしなれど、早く良人《うちのひと》が愈※[#二の字点、1-2-22]御用|命《いひつ》かつたと笑ひ顔して帰つて来られゝばよい、類の少い仕事だけに是非為て見たい受け合つて見たい、慾徳は何でも関はぬ、谷中《やなか》感応寺《かんおうじ》の五重塔は川越の源太が作り居つた、嗚呼よく出来した感心なと云はれて見たいと面白がつて、何日《いつ》になく職業《しやうばい》に気のはづみを打つて居らるゝに、若し此仕事を他に奪られたら何のやうに腹を立てらるゝか肝癪を起さるゝか知れず、それも道理であつて見れば傍《わき》から妾の慰めやうも無い訳、嗚呼何にせよ目出度う早く帰つて来られゝばよいと、口には出さねど女房気質、今朝|背面《うしろ》から我が縫ひし羽織打ち掛け着せて出したる男の上を気遣ふところへ、表の骨太格子手あらく開けて、姉御、兄貴は、なに感応寺へ、仕方が無い、それでは姉御に、済みませんが御頼み申します、つい昨晩《ゆうべ》酔《へゞ》まして、と後は云はず異な手つきをして話せば、眉頭に皺をよせて笑ひながら、仕方のないも無いもの、少し締まるがよい、と云ひ/\立つて幾干《いくら》かの金を渡せば、其をもつて門口に出で何やら諄々《くど/\》押問答せし末|此方《こなた》に来りて、拳骨で額を抑へ、何《どう》も済みませんでした、ありがたうござりまする、と無骨な礼を為たるも可笑《をかし》。

       其二

 火は別にとらぬから此方《こち》へ寄るがよい、と云ひながら重げに鉄瓶を取り下して、属輩《めした》にも如才なく愛嬌を汲んで与《や》る櫻湯一杯、心に花のある待遇《あしらひ》は口に言葉の仇繁きより懐かしきに、悪い請求《たのみ》をさへすらりと聴て呉れし上、胸に蟠屈《わだかま》りなく淡然《さつぱり》と平日《つね》のごとく仕做《しな》されては、清吉却つて心羞《うらはづ》かしく、何《どう》やら魂魄《たましひ》の底の方がむづ痒いやうに覚えられ、茶碗取る手もおづ/\として進みかぬるばかり、済みませぬといふ辞誼《じぎ》を二度ほど繰返せし後、漸く乾き切つたる舌を湿す間もあらせず、今頃の帰りとは余り可愛がられ過ぎたの、ホヽ、遊ぶはよけれど職業《しごと》の間《ま》を欠いて母親《おふくろ》に心配さするやうでは、男振が悪いではないか清吉、汝《そなた》は此頃仲町の甲州屋様の御本宅の仕事が済むと直に根岸の御別荘の御茶席の方へ廻らせられて居るではないか、良人《うち》のも遊ぶは随分好で汝達の先に立つて騒ぐは毎※[#二の字点、1-2-22]なれど、職業《しごと》を粗略《おろそか》にするは大の嫌ひ、今若し汝の顔でも見たらば又例の青筋を立つるに定つて居るを知らぬでもあるまいに、さあ少し遅くはなつたれど母親《おふくろ》の持病が起つたとか何とか方便は幾干でもつくべし、早う根岸へ行くがよい、五三《ごさ》様も了《わか》つた人なれば一日をふてゝ怠惰《なまけ》ぬに免じて、見透かしても旦那の前は庇護《かば》ふて呉るゝであらう、おゝ朝飯がまだらしい、三や何でもよいほどに御膳を其方へこしらへよ、湯豆腐に蛤鍋《はまなべ》とは行かぬが新漬に煮豆でも構はぬはのう、二三杯かつこんで直と仕事に走りやれ走りやれ、ホヽ睡くても昨夜をおもへば堪忍《がまん》の成らうに精を惜むな辛防せよ、よいは弁当も松に持たせて遣るは、と苦くはなけれど効験《きゝめ》ある薬の行きとゞいた意見に、汗を出して身の不始末を慚《は》づる正直者の清吉。
 姉御、では御厄介になつて直に仕事に突走ります、と鷲掴みにした手拭で額拭き/\勝手の方に立つたかとおもへば、既《もう》ざら/\ざらつと口の中へ打込む如く茶漬飯五六杯、早くも食ふて了つて出て来り、左様なら行つてまゐります、と肩ぐるみに頭をついと一ツ下げて煙草管《きせる》を収め、壺屋の煙草入《りやうさげ》三尺帯に、さすがは気早き江戸ッ子気質、草履つつかけ門口出づる、途端に今まで黙つて居たりし女は急に呼びとめて、此二三日にのつそり[#「のつそり」に傍点]奴《め》に逢ふたか、と石から飛んで火の出し如く声を迸《はし》らし問ひかくれば、清吉ふりむいて、逢ひました逢ひました、しかも昨日御殿坂で例ののつそりがひとしほのつそりと、往生した鶏《とり》のやうにぐたりと首を垂れながら歩行《ある》いて居るを見かけましたが、今度此方の棟梁の対岸《むかう》に立つてのつそりの癖に及びも無い望みをかけ、大丈夫ではあるものゝ幾干か棟梁にも姉御にも心配をさせる其面が憎くつて面が憎くつて堪りませねば、やいのつそりめと頭から毒を浴びせて呉れましたに、彼奴の事故気がつかず、やいのつそりめ、のつそりめと三度めには傍へ行つて大声で怒鳴つて遣りましたれば漸く吃驚して梟《ふくろ》に似た眼で我《ひと》の顔を見詰め、あゝ清吉あーにーいかと寝惚声の挨拶、やい、汝《きさま》は大分好い男児《をとこ》になつたの、紺屋《こうや》の干場へ夢にでも上《のぼ》つたか大層高いものを立てたがつて感応寺の和尚様に胡麻を摺り込むといふ話しだが、其は正気の沙汰か寝惚けてかと冷語《ひやかし》を驀向《まつかう》から与《や》つたところ、ハヽヽ姉御、愚鈍《うすのろ》い奴といふものは正直ではありませんか、何と返事をするかとおもへば、我《わし》も随分骨を折つて胡麻は摺つて居るが、源太親方を対岸に立てゝ居るので何《どう》も胡麻が摺りづらくて困る、親方がのつそり汝《きさま》為《やつ》て見ろよと譲つて呉れゝば好いけれどものうとの馬鹿に虫の好い答へ、ハヽヽ憶ひ出しても、心配相に大真面目くさく云つた其面が可笑くて堪りませぬ、余り可笑いので憎気《にくつけ》も無くなり、箆棒《べらぼう》めと云ひ捨てに別れましたが。其限《それぎ》りか。然《へい》。左様かへ、さあ遅くなる、関はずに行くがよい。左様ならと清吉は自己《おの》が仕事におもむきける、後はひとりで物思ひ、戸外《おもて》では無心の児童《こども》達が独楽戦《こまあて》の遊びに声※[#二の字点、1-2-22]喧しく、一人殺しぢや二人殺しぢや、醜態《ざま》を見よ讐《かたき》をとつたぞと号《わめ》きちらす。おもへばこれも順※[#二の字点、1-2-22]|競争《がたき》の世の状《さま》なり。

       其三

 世に栄え富める人々は初霜月の更衣《うつりかへ》も何の苦慮《くるしみ》なく、紬に糸織に自己《おの》が好き/″\の衣《きぬ》着て寒さに向ふ貧者の心配も知らず、やれ炉開きぢや、やれ口切ぢや、それに間に合ふやう是非とも取り急いで茶室|成就《しあげ》よ待合の庇廂《ひさし》繕へよ、夜半のむら時雨も一服やりながらで無うては面白く窓撲つ音を聞き難しとの贅沢いふて、木枯凄じく鐘の音氷るやうなつて来る辛き冬をば愉快《こゝろよ》いものかなんぞに心得らるれど、其茶室の床板《とこいた》削りに鉋《かんな》礪《と》ぐ手の冷えわたり、其庇廂の大和がき結ひに吹きさらされて疝癪も起すことある職人風情は、何《どれ》ほどの悪い業を前の世に為し置きて、同じ時候に他とは違ひ悩め困《くるし》ませらるるものぞや、取り分け職人仲間の中でも世才に疎く心好き吾夫《うちのひと》、腕は源太親方さへ去年いろ/\世話して下されし節《をり》に、立派なものぢやと賞められし程|確実《たしか》なれど、寛濶《おうやう》の気質《きだて》故に仕事も取り脱《はぐ》り勝で、好い事は毎※[#二の字点、1-2-22]《いつも》他《ひと》に奪られ年中嬉しからぬ生活《くらし》かたに日を送り月を迎ふる味気無さ、膝頭の抜けたを辛くも埋め綴つた股引ばかり我が夫に穿かせ置くこと、婦女《をんな》の身としては他人《よそ》の見る眼も羞づかしけれど、何にも彼も貧が為《さ》する不如意に是非のなく、今ま縫ふ猪之が綿入れも洗ひ曝した松坂縞、丹誠一つで着させても着させ栄えなきばかりでなく見とも無いほど針目勝ち、それを先刻は頑是ない幼心といひながら、母様|其衣《それ》は誰がのぢや、小いからは我《おれ》の衣服《べゞ》か、嬉いのうと悦んで其儘|戸外《おもて》へ駈け出し、珍らしう暖い天気に浮かれて小竿持ち、空に飛び交ふ赤蜻蜻蛉《あかとんぼ》を撲《はた》いて取らうと何処の町まで行つたやら、嗚呼考へ込めば裁縫《しごと》も厭気になつて来る、せめて腕の半分も吾夫《うちのひと》の気心が働いて呉れたならば斯も貧乏は為まいに、技倆《わざ》はあつても宝の持ち腐れの俗諺《たとへ》の通り、何日《いつ》其|手腕《うで》の顕れて万人の眼に止まると云ふことの目的《あて》もない、たゝき大工|穴鑿《あなほ》り大工、のつそり[#「のつそり」に傍点]といふ忌※[#二の字点、1-2-22]しい諢名さへ負せられて同業中《なかまうち》にも軽しめらるゝ歯痒さ恨めしさ、蔭でやきもきと妾が思ふには似ず平気なが憎らしい程なりしが、今度はまた何した事か感応寺に五重塔の建つといふ事聞くや否や、急にむら/\と其仕事を是非|為《す》る気になつて、恩のある親方様が望まるゝをも関はず胴慾に、此様な身代の身に引き受けうとは、些《ちと》えら過ぎると連添ふ妾でさへ思ふものを、他人は何んと噂さするであらう、ましてや親方様は定めし憎いのつそりめと怒つてござらう、お吉《きち》様は猶ほ更ら義理知らずの奴めと恨んでござらう、今日は大抵|何方《どちら》にか任すと一言上人様の御定めなさる筈とて、今朝出て行かれしが未だ帰られず、何か今度の仕事だけは彼程吾夫は望んで居らるゝとも此方は分に応ぜず、親方には義理もあり旁《かたが》た親方の方に上人様の任さるればよいと思ふやうな気持もするし、また親方様の大気にて別段怒りもなさらずば、吾夫に為せて見事成就させたいやうな気持もする、ゑゝ気の揉める、何なる事か、到底《とても》良人《うち》には御任せなさるまいが若もいよ/\吾夫の為る事になつたら、何の様にまあ親方様お吉様の腹立てらるゝか知れぬ、あゝ心配に頭脳《あたま》の痛む、また此が知れたらば女の要らぬ無益《むだ》心配、其故何時も身体の弱いと、有情《やさし》くて無理な叱言《こゞと》を受くるであらう、もう止めましよ止めましよ、あゝ痛、と薄痘痕《うすいも》のある蒼い顔を蹙《しか》めながら即効紙の貼つてある左右の顳※《こめかみ》を、縫ひ物捨てゝ両手で圧へる女の、齢は二十五六、眼鼻立ちも醜からねど美味《うま》きもの食はぬに膩気《あぶらけ》少く肌理《きめ》荒れたる態あはれにて、襤褸衣服《ぼろぎもの》にそゝけ髪ます/\悲しき風情なるが、つく/″\独り歎ずる時しも、台所の劃《しき》りの破れ障子がらりと開けて、母様これを見てくれ、と猪之が云ふに吃驚して、汝は何時から其所に居た、と云ひながら見れば、四分板六分板の切端を積んで現然《あり/\》と真似び建てたる五重塔、思はず母親涙になつて、おゝ好い児ぞと声曇らし、いきなり猪之に抱きつきぬ。

        其四

 当時に有名《なうて》の番匠川越の源太が受負ひて作りなしたる谷中感応寺の、何処に一つ批点を打つべきところ有らう筈なく、五十畳敷|格天井《がうてんじやう》の本堂、橋をあざむく長き廻廊、幾部《いくつ》かの客殿、大和尚が居室《ゐま》、茶室、学徒|所化《しよけ》の居るべきところ、庫裡《くり》、浴室、玄関まで、或は荘厳を尽し或は堅固を極め、或は清らかに或は寂《さ》びて各々其宜しきに適ひ、結構少しも申し分なし。そも/\微々たる旧基を振ひて箇程《かほど》の大寺を成せるは誰ぞ。法諱《おんな》を聞けば其頃の三歳児《みつご》も合掌礼拝すべきほど世に知られたる宇陀の朗圓上人とて、早くより身延の山に螢雪の苦学を積まれ、中ごろ六十余州に雲水の修行をかさね、毘婆舎那《びばしやな》の三行に寂静《じやくじやう》の慧剣《ゑけん》を礪《と》ぎ、四種の悉檀《しつたん》に済度の法音を響かせられたる七十有余の老和尚、骨は俗界の葷羶《くんせん》を避くるによつて鶴の如くに痩せ、眼《まなこ》は人世の紛紜に厭きて半睡れるが如く、固より壊空《ゑくう》の理を諦《たい》して意欲の火炎《ほのほ》を胸に揚げらるゝこともなく、涅槃《ねはん》の真を会《ゑ》して執着の彩色《いろ》に心を染まさるゝことも無ければ、堂塔を興し伽藍を立てんと望まれしにもあらざれど、徳を慕ひ風を仰いで寄り来る学徒のいと多くて、其等のものが雨露凌がん便宜《たより》も旧《もと》のまゝにては無くなりしまゝ、猶少し堂の広くもあれかしなんど独語《つぶや》かれしが根となりて、道徳高き上人の新に規模を大うして寺を建てんと云ひ玉ふぞと、此事八方に伝播《ひろま》れば、中には徒弟の怜悧《りこう》なるが自ら奮つて四方に馳せ感応寺建立に寄附を勧めて行《ある》くもあり、働き顔に上人の高徳を演《の》べ説き聞かし富豪を慫慂《すゝ》めて喜捨せしむる信徒もあり、さなきだに平素《ひごろ》より随喜渇仰の思ひを運べるもの雲霞の如きに此勢をもつてしたれば、上諸侯より下町人まで先を争ひ財を投じて、我一番に福田《ふくでん》へ種子を投じて後の世を安楽《やす》くせんと、富者は黄金白銀を貧者は百銅二百銅を分に応じて寄進せしにぞ、百川《ひやくせん》海に入るごとく瞬く間《ひま》に金銭の驚かるゝほど集りけるが、それより世才に長《た》けたるものの世話人となり用人なり、万事万端執り行ふて頓《やが》て立派に成就しけるとは、聞いてさへ小気味のよき話なり。
 然るに悉皆《しつかい》成就の暁、用人頭の爲右衞門普請諸入用諸雑費一切しめくゝり、手脱《てぬか》る事なく決算したるに尚大金の剰《あま》れるあり。此をば如何になすべきと役僧の圓道もろとも、髪ある頭に髪無き頭突き合はせて相談したれど別に殊勝なる分別も出でず、田地を買はんか畠買はんか、田も畠も余るほど寄附のあれば今更また此浄財を其様な事に費すにも及ばじと思案にあまして、面倒なり好《よき》に計らへと皺枯れたる御声にて云ひたまはんは知れてあれど、恐る/\圓道或時、思さるゝ用途《みち》もやと伺ひしに、塔を建てよと唯一言云はれし限《ぎ》り振り向きも為たまはず、鼈甲縁の大きなる眼鏡の中より微なる眼の光りを放たれて、何の経やら論やらを黙※[#二の字点、1-2-22]と読み続けられけるが、いよ/\塔の建つに定つて例の源太に、積り書出せと圓道が命令《いひつ》けしを、知つてか知らずに歟《か》上人様に御目通り願ひたしと、のつそりが来しは今より二月程前なりし。

       其五

 紺とはいへど汗に褪め風に化《かは》りて異な色になりし上、幾度か洗ひ濯《すゝ》がれたるため其としも見えず、襟の記印《しるし》の字さへ朧気となりし絆纏を着て、補綴《つぎ》のあたりし古股引を穿きたる男の、髪は塵埃《ほこり》に塗《まみ》れて白け、面は日に焼けて品格《ひん》なき風采《やうす》の猶更品格なきが、うろ/\のそ/\と感応寺の大門を入りにかゝるを、門番尖り声で何者ぞと怪み誰何《たゞ》せば、吃驚して暫時《しばらく》眼を見張り、漸く腰を屈めて馬鹿丁寧に、大工の十兵衞と申しまする、御普請につきまして御願に出ました、とおづ/\云ふ風態《そぶり》の何となく腑には落ちねど、大工とあるに多方源太が弟子かなんぞの使ひに来りしものならむと推察《すゐ》して、通れと一言|押柄《あふへい》に許しける。
 十兵衞これに力を得て、四方《あたり》を見廻はしながら森厳《かう/″\》しき玄関前にさしかゝり、御頼申《おたのまを》すと二三度いへば鼠衣の青黛頭《せいたいあたま》、可愛らしき小坊主の、応《おゝ》と答へて障子引き開けしが、応接に慣れたるものの眼|捷《ばや》く人を見て、敷台までも下りず突立ちながら、用事なら庫裡の方へ廻れ、と情無《つれな》く云ひ捨てゝ障子ぴつしやり、後は何方《どこ》やらの樹頭《き》に啼く鵯《ひよ》の声ばかりして音もなく響きもなし。成程と独言しつゝ十兵衞庫裡にまはりて復案内を請へば、用人爲右衞門仔細らしき理屈顔して立出で、見なれぬ棟梁殿、何所《いづく》より何の用事で見えられた、と衣服《みなり》の粗末なるに既《はや》侮り軽しめた言葉遣ひ、十兵衞さらに気にもとめず、野生《わたくし》は大工の十兵衞と申すもの、上人様の御眼にかゝり御願ひをいたしたい事のあつてまゐりました、どうぞ御取次ぎ下されまし、と首《かうべ》を低くして頼み入るに、爲右衞門ぢろりと十兵衞が垢臭き頭上《あたま》より白の鼻緒の鼠色になつた草履穿き居る足先まで睨め下し、ならぬ、ならぬ、上人様は俗用に御関りはなされぬは、願といふは何か知らねど云ふて見よ、次第によりては我が取り計ふて遣る、と然《さ》も/\万事心得た用人めかせる才物ぶり。それを無頓着の男の質朴《ぶきよう》にも突き放して、いゑ、ありがたうはござりますれど上人様に直※[#二の字点、1-2-22]で無うては、申しても役に立ちませぬ事、何卒たゞ御取次を願ひまする、と此方の心が醇粋《いつぽんぎ》なれば先方《さき》の気に触る言葉とも斟酌せず推返し言へば、爲右衞門腹には我を頼まぬが憎くて慍《いか》りを含み、理《わけ》の解らぬ男ぢやの、上人様は汝《きさま》ごとき職人等に耳は仮したまはぬといふに、取次いでも無益《むやく》なれば我が計ふて得させんと、甘く遇《あしら》へば附上る言分、最早何も彼も聞いてやらぬ、帰れ帰れ、と小人の常態《つね》とて語気たちまち粗暴《あら》くなり、謬《にべ》なく言ひ捨て立んとするに周章《あわ》てし十兵衞、ではござりませうなれど、と半分いふ間なく、五月蠅、喧しいと打消され、奥の方に入られて仕舞ふて茫然《ぼんやり》と土間に突立つたまゝ掌《て》の裏《うち》の螢に脱去《ぬけ》られし如き思ひをなしけるが、是非なく声をあげて復案内を乞ふに、口ある人の有りや無しや薄寒き大寺の岑閑《しんかん》と、反響《ひゞき》のみは我が耳に堕ち来れど咳声《しはぶき》一つ聞えず、玄関にまはりて復頼むといへば、先刻《さき》見たる憎気な怜悧|小僧《こばうず》の一寸顔出して、庫裡へ行けと教へたるに、と独語《つぶや》きて早くも障子ぴしやり。
 復庫裡に廻り復玄関に行き、復玄関に行き庫裡に廻り、終には遠慮を忘れて本堂にまで響く大声をあげ、頼む/\御頼申すと叫べば、其声《それ》より大《でか》き声を発《いだ》して馬鹿めと罵りながら爲右衞門づか/\と立出で、僮僕《をとこ》ども此|狂漢《きちがひ》を門外に引き出せ、騒※[#二の字点、1-2-22]しきを嫌ひたまふ上人様に知れなば、我等が此奴のために叱らるべしとの下知、心得ましたと先刻より僕人《をとこ》部屋に転がり居し寺僕《をとこ》等立かゝり引き出さんとする、土間に坐り込んで出されじとする十兵衞。それ手を取れ足を持ち上げよと多勢口々に罵り騒ぐところへ、後園の花二枝三枝|剪《はさ》んで床の眺めにせんと、境内彼方此方逍遙されし朗圓上人、木蘭色《もくらんじき》の無垢を着て左の手に女郎花桔梗、右の手に朱塗《しゆ》の把りの鋏持たせられしまゝ、図らず此所に来かゝりたまひぬ。

       其六

 何事に罵り騒ぐぞ、と上人が下したまふ鶴の一声の御言葉に群雀の輩《ともがら》鳴りを歇《とゞ》めて、振り上げし拳を蔵《かく》すに地《ところ》なく、禅僧の問答に有りや有りやと云ひかけしまゝ一喝されて腰の折《くだ》けたる如き風情なるもあり、捲り縮めたる袖を体裁《きまり》悪げに下して狐鼠※[#二の字点、1-2-22]※[#二の字点、1-2-22]《こそ/\》と人の後に隠るゝもあり。天を仰げる鼻の孔より火烟も噴べき驕慢の怒に意気昂ぶりし爲右衞門も、少しは慚《は》ぢてや首を俛《た》れ掌《て》を揉みながら、自己《おのれ》が発頭人なるに是非なく、有し次第を我田に水引き/\申し出れば、痩せ皺びたる顔に深く長く痕《つ》いたる法令の皺溝《すぢ》をひとしほ深めて、につたりと徐《ゆるや》かに笑ひたまひ、婦女《をんな》のやうに軽く軟かな声小さく、それならば騒がずともよいこと、爲右衞門|汝《そなた》がたゞ従順《すなほ》に取り次さへすれば仔細は無うてあらうものを、さあ十兵衞殿とやら老衲《わし》について此方へ可来《おいで》、とんだ気の毒な目に遇はせました、と万人に尊敬《うやま》ひ慕はるゝ人は又格別の心の行き方、未学を軽んぜず下司をも侮らず、親切に温和《ものやさ》しく先に立て静に導きたまふ後について、迂濶な根性にも慈悲の浸み透れば感涙とゞめあへぬ十兵衞、段※[#二の字点、1-2-22]と赤土のしつとりとしたるところ、飛石の画趣《ゑごゝろ》に布《しか》れあるところ、梧桐の影深く四方竹の色ゆかしく茂れるところなど※[#「榮」の「木」に代えて「糸」、第3水準1-90-16]《めぐ》り繞《めぐ》り過ぎて、小《さゝ》やかなる折戸を入れば、花も此といふはなき小庭の唯ものさびて、有楽形《うらくがた》の燈籠に松の落葉の散りかゝり、方星宿《はうせいしゆく》の手水鉢に苔の蒸せるが見る眼の塵をも洗ふばかりなり。
 上人庭下駄脱ぎすてゝ上にあがり、さあ汝《そなた》も此方へ、と云ひさして掌に持たれし花を早速《さそく》に釣花活に投げこまるゝにぞ、十兵衞なか/\怯《おめ》ず臆せず、手拭で足はたくほどの事も気のつかぬ男とて為すことなく、草履脱いでのつそりと三畳台目の茶室に入りこみ、鼻突合はすまで上人に近づき坐りて黙※[#二の字点、1-2-22]と一礼する態は、礼儀に嫻《なら》はねど充分に偽飾《いつはり》なき情《こゝろ》の真実《まこと》をあらはし、幾度か直にも云ひ出んとして尚開きかぬる口を漸くに開きて、舌の動きもたど/\しく、五重の塔の、御願に出ましたは五重の塔のためでござります、と藪から棒を突き出したやうに尻もつたてゝ声の調子も不揃に、辛くも胸にあることを額やら腋の下の汗と共に絞り出せば、上人おもはず笑を催され、何か知らねど老衲《わし》をば怖いものなぞと思はず、遠慮を忘れて緩《ゆる》りと話をするがよい、庫裡の土間に坐り込うで動かずに居た様子では、何か深う思ひ詰めて来たことであらう、さあ遠慮を捨てゝ急かずに、老衲をば朋友《ともだち》同様におもふて話すがよい、と飽くまで慈《やき》しき注意《こゝろぞへ》。十兵衞脆くも梟と常々悪口受くる銅鈴眼《すゞまなこ》に既《はや》涙を浮めて、唯《はい》、唯、唯ありがたうござりまする、思ひ詰めて参上《まゐ》りました、その五重の塔を、斯様いふ野郎でござります、御覧の通り、のつそり十兵衞と口惜い諢名《あだな》をつけられて居る奴《やつこ》でござりまする、然し御上人様、真実《ほんと》でござりまする、工事《しごと》は下手ではござりませぬ、知つて居ります私しは馬鹿でござります、馬鹿にされて居ります、意気地の無い奴でござります、虚誕《うそ》はなか/\申しませぬ、御上人様、大工は出来ます、大隅流《おほすみりう》は童児《こども》の時から、後藤立川二ツの流義も合点致して居りまする、為《さ》せて、五重塔の仕事を私に為せていたゞきたい、それで参上《まゐり》ました、川越の源太様が積りをしたとは五六日前聞きました、それから私は寐ませぬは、御上人様、五重塔は百年に一度一生に一度建つものではござりませぬ、恩を受けて居ります源太様の仕事を奪《と》りたくはおもひませぬが、あゝ賢い人は羨ましい、一生一度百年一度の好い仕事を源太様は為るゝ、死んでも立派に名を残さるゝ、あゝ羨ましい羨ましい、大工となつて生てゐる生甲斐もあらるゝといふもの、それに引代へ此十兵衞は、鑿《のみ》手斧《てうな》もつては源太様にだとて誰にだとて、打つ墨縄の曲ることはあれ万が一にも後れを取るやうな事は必ず/\無いと思へど、年が年中長屋の羽目板《はめ》の繕ひやら馬小屋箱溝の数仕事、天道様が智慧といふものを我《おれ》には賜《くだ》さらない故仕方が無いと諦めて諦めても、拙《まづ》い奴等が宮を作り堂を受負ひ、見るものの眼から見れば建てさせた人が気の毒なほどのものを築造《こしら》へたを見るたびごとに、内※[#二の字点、1-2-22]自分の不運を泣きますは、御上人様、時々は口惜くて技倆《うで》もない癖に智慧ばかり達者な奴が憎くもなりまするは、御上人様、源太様は羨ましい、智慧も達者なれば手腕《うで》も達者、あゝ羨ましい仕事をなさるか、我《おれ》はよ、源太様はよ、情無い此我はよと、羨ましいがつひ高《かう》じて女房《かゝ》にも口きかず泣きながら寐ました其夜の事、五重塔を汝《きさま》作れ今直つくれと怖しい人に吩附《いひつ》けられ、狼狽《うろたへ》て飛び起きさまに道具箱へ手を突込んだは半分夢で半分|現《うつゝ》、眼が全く覚めて見ますれば指の先を鐔鑿《つばのみ》につつかけて怪我をしながら道具箱につかまつて、何時の間にか夜具の中から出て居た詰らなさ、行燈《あんどん》の前につくねんと坐つて嗚呼情無い、詰らないと思ひました時の其心持、御上人様、解りまするか、ゑゝ、解りまするか、これだけが誰にでも分つて呉れゝば塔も建てなくてもよいのです、どうせ馬鹿なのつそり[#「のつそり」に傍点]十兵衞は死んでもよいのでござりまする、腰抜|鋸《のこ》のやうに生て居たくもないのですは、其夜《それ》からといふものは真実《ほんと》、真実でござりまする上人様、晴れて居る空を見ても燈光《あかり》の達《とゞ》かぬ室《へや》の隅の暗いところを見ても、白木造りの五重の塔がぬつと突立つて私を見下して居りまするは、とう/\自分が造りたい気になつて、到底《とても》及ばぬとは知りながら毎日仕事を終ると直に夜を籠めて五十分一の雛形をつくり、昨夜で丁度仕上げました、見に来て下され御上人様、頼まれもせぬ仕事は出来て仕たい仕事は出来ない口惜さ、ゑゝ不運ほど情無いものはないと私《わし》が歎けば御上人様、なまじ出来ずば不運も知るまいと女房《かゝ》めが其雛形《それ》をば揺り動かしての述懐、無理とは聞えぬだけに余計泣きました、御上人様御慈悲に今度の五重塔は私に建てさせて下され、拝みます、こゝ此通り、と両手を合せて頭を畳に、涙は塵を浮べたり。

        其七

 木彫の羅漢のやうに黙※[#二の字点、1-2-22]と坐りて、菩提樹の実の珠数《ずゞ》繰りながら十兵衞が埒なき述懐に耳を傾け居られし上人、十兵衞が頭を下ぐるを制しとゞめて、了解《わか》りました、能く合点が行きました、あゝ殊勝な心掛を持つて居らるゝ、立派な考へを蓄へてゐらるゝ、学徒どもの示しにも為たいやうな、老衲《わし》も思はず涙のこぼれました、五十分一の雛形とやらも是非見にまゐりませう、然し汝に感服したればとて今直に五重の塔の工事《しごと》を汝に任するはと、軽忽《かるはずみ》なことを老衲の独断《ひとりぎめ》で云ふ訳にもならねば、これだけは明瞭《はつきり》とことわつて置きまする、いづれ頼むとも頼まぬとも其は表立つて、老衲からではなく感応寺から沙汰を為ませう、兎も角も幸ひ今日は閑暇《ひま》のあれば汝が作つた雛形を見たし、案内して是より直に汝が家へ老衲を連れて行ては呉れぬか、と毫《すこし》も辺幅《やうだい》を飾らぬ人の、義理《すぢみち》明かに言葉|渋滞《しぶり》なく云ひたまへば、十兵衞満面に笑を含みつゝ米|春《つ》くごとく無暗に頭を下げて、唯《はい》、唯、唯と答へ居りしが、願ひを御取上げ下されましたか、あゝ有難うござりまする、野生《わたくし》の宅《うち》へ御来臨《おいで》下さりますると、あゝ勿体ない、雛形は直に野生めが持つてまゐりまする、御免下され、と云ひさま流石ののつそりも喜悦に狂して平素《つね》には似ず、大袈裟に一つぽつくりと礼をばするや否や、飛石に蹴躓きながら駈け出して我家に帰り、帰つたと一言女房にも云はず、いきなりに雛形持ち出して人を頼み、二人して息せき急ぎ感応寺へと持ち込み、上人が前にさし置きて帰りけるが、上人これを熟視《よくみ》たまふに、初重より五重までの配合《つりあひ》、屋根庇廂の勾配、腰の高さ、椽木《たるき》の割賦《わりふり》、九輪請花露盤宝珠《くりんうけばなろばんはうじゆ》の体裁まで何所に可厭《いや》なるところもなく、水際立つたる細工ぶり、此が彼不器用らしき男の手にて出来たるものかと疑はるるほど巧緻《たくみ》なれば、独り私《ひそか》に歎じたまひて、箇程の技倆を有ちながら空しく埋もれ、名を発せず世を経るものもある事か、傍眼《わきめ》にさへも気の毒なるを当人の身となりては如何に口惜きことならむ、あはれ如是《かゝる》ものに成るべきならば功名《てがら》を得させて、多年抱ける心願《こゝろだのみ》に負《そむ》かざらしめたし、草木とともに朽て行く人の身は固より因縁仮和合《いんねんけわがふ》、よしや惜むとも惜みて甲斐なく止めて止まらねど、仮令《たとへ》ば木匠《こだくみ》の道は小なるにせよ其に一心の誠を委ね生命を懸けて、慾も大概《あらまし》は忘れ卑劣《きたな》き念《おもひ》も起さず、唯只鑿をもつては能く穿《ほ》らんことを思ひ、鉋《かんな》を持つては好く削らんことを思ふ心の尊さは金にも銀にも比《たぐ》へ難きを、僅に残す便宜《よすが》も無くて徒らに北※[#「亡+おおざと」、第3水準1-92-61]《ほくばう》の土に没《うづ》め、冥途《よみぢ》の苞《つと》と齎し去らしめんこと思へば憫然《あはれ》至極なり、良馬|主《しゆう》を得ざるの悲み、高士世に容れられざるの恨みも詮ずるところは異《かは》ることなし、よし/\、我図らずも十兵衞が胸に懐ける無価の宝珠の微光を認めしこそ縁なれ、此度《こたび》の工事を彼に命《いひつ》け、せめては少しの報酬《むくい》をば彼が誠実《まこと》の心に得させんと思はれけるが、不図思ひよりたまへば川越の源太も此工事を殊の外に望める上、彼には本堂|庫裏《くり》客殿作らせし因みもあり、然も設計予算《つもりがき》まで既《はや》做《な》し出して我眼に入れしも四五日前なり、手腕《うで》は彼とて鈍きにあらず、人の信用《うけ》は遙に十兵衞に超たり。一ツの工事に二人の番匠、此にも為せたし彼にも為せたし、那箇《いづれ》にせんと上人も流石これには迷はれける。

       其八

 明日辰の刻頃までに自身当寺へ来るべし、予て其方工事仰せつけられたきむね願ひたる五重塔の儀につき、上人|直接《ぢき》に御話示《おはなし》あるべきよしなれば、衣服等失礼なきやう心得て出頭せよと、厳格《おごそか》に口上を演ぶるは弁舌自慢の圓珍とて、唐辛子をむざと嗜《たしな》み食《くら》へる崇り鼻の頭《さき》にあらはれたる滑稽納所《おどけなつしよ》。平日《ふだん》ならば南蛮和尚といへる諢名を呼びて戯談口きゝ合ふべき間なれど、本堂建立中朝夕顔を見しより自然《おのづ》と狎《な》れし馴染みも今は薄くなりたる上、使僧らしう威儀をつくろひて、人さし指中指の二本でやゝもすれば兜背形《とつぱいなり》の頭顱《あたま》の頂上《てつぺん》を掻く癖ある手をも法衣《ころも》の袖に殊勝くさく隠蔽《かく》し居るに、源太も敬ひ謹んで承知の旨を頭下つゝ答へけるが、如才なきお吉は吾夫をかゝる俗僧《づくにふ》にまで好く評《い》はせんとてか帰り際に、出したまゝにして行く茶菓子と共に幾干銭《いくら》か包み込み、是非にといふて取らせけるは、思へば怪しからぬ布施の仕様なり。圓珍十兵衞が家にも詣《いた》りて同じ事を演べ帰りけるが、扨《さて》其翌日となれば源太は鬚《ひげ》剃り月代《さかやき》して衣服をあらため、今日こそは上人の自ら我に御用仰せつけらるゝなるべけれと勢込んで、庫裏より通り、とある一ト間に待たされて坐を正しくし扣《ひか》へける。
 態《さま》こそ異れ十兵衞も心は同じ張を有ち、導かるゝまゝ打通りて、人気の無きに寒さ湧く一室《ひとま》の中に唯一人|兀然《つくねん》として、今や上人の招びたまふか、五重の塔の工事《しごと》一切汝に任すと命令《いひつけ》たまふか、若し又我には命じたまはず源太に任すと定めたまひしを我にことわるため招ばれしか、然《さう》にもあらば何とせん、浮むよしなき埋れ木の我が身の末に花咲かむ頼みも永く無くなるべし、唯願はくは上人の我が愚鈍《おろか》しきを憐みて我に命令たまはむことをと、九尺二枚の唐襖に金鳳銀凰《きんほうぎんわう》翔《かけ》り舞ふ其箔模様の美しきも眼に止めずして、茫※[#二の字点、1-2-22]と暗路《やみぢ》に物を探るごとく念想《おもひ》を空に漂はすこと良《やゝ》久しきところへ、例の怜悧気な小僧《こばうず》いで来りて、方丈さまの召しますほどに此方へおいでなされまし、と先に立つて案内すれば、素破《すは》や願望《のぞみ》の叶ふとも叶はざるとも定まる時ぞと魯鈍《おろか》の男も胸を騒がせ、導かるゝまゝ随ひて一室の中へずつと入る、途端に此方をぎろりつと見る眼鋭く怒を含むで斜に睨むは思ひがけなき源太にて、座に上人の影もなし。事の意外に十兵衞も足踏みとめて突立つたるまゝ一言もなく白眼《にらみ》合ひしが、是非なく畳二ひらばかりを隔てしところに漸く坐り、力なげ首|悄然《しを/\》と己れが膝に気勢《いきほひ》のなきたさうなる眼を注ぎ居るに引き替へ、源太郎は小狗《こいぬ》を瞰下《みおろ》す猛鷲《あらわし》の風に臨んで千尺の巌の上に立つ風情、腹に十分の強みを抱きて、背をも屈げねば肩をも歪めず、すつきり端然《しやん》と構へたる風姿《やうだい》と云ひ面貌《きりやう》といひ水際立つたる男振り、万人が万人とも好かずには居られまじき天晴小気味のよき好漢《をとこ》なり。
 されども世俗の見解《けんげ》には堕ちぬ心の明鏡に照らして彼れ此れ共に愛し、表面《うはべ》の美醜に露|泥《なづ》まれざる上人の却つて何れをとも昨日までは択びかねられしが、思ひつかるゝことのありてか今日はわざ/\二人を招び出されて一室に待たせ置かれしが、今しも静※[#二の字点、1-2-22]居間を出られ、畳踏まるゝ足も軽く、先に立つたる小僧《こばうず》が襖明、額の皺の幾条の溝には沁出《にじみ》し熱汗《あせ》を湛へ、鼻の顔《さき》にも珠をくる後より、すつと入りて座につきたまへば、二人は恭《うやま》ひ敬《つゝし》みて共に斉しく頭を下げ、少時上げも得せざりしが、嗚呼いぢらしや十兵衞が辛くも上げし面には、未だ世馴れざる里の子の貴人の前に出しやうに羞《はぢ》を含みて紅|潮《さ》し湧かせば腋の下には雨なるべし。膝に載《お》きたる骨太の掌指《ゆび》は枯れたる松枝《まつがえ》ごとき岩畳作りにありながら、一本ごとに其さへも戦々《わな/\》顫へて一心に唯上人の一言を一期《いちご》の大事と待つ笑止さ。
 源太も黙して言葉なく耳を澄まして命を待つ、那方《どちら》を那方と判かぬる、二人の情《こゝろ》を汲みて知る上人もまた中※[#二の字点、1-2-22]に口を開かん便宜《よすが》なく、暫時は静まりかへられしが、源太十兵衞ともに聞け、今度建つべき五重塔は唯一ツにて建てんといふは汝達二人、二人の願ひを双方とも聞き届けては遣りたけれど、其は固より叶ひがたく、一人に任さば一人の歎き、誰に定めて命《いひつ》けんといふ標準《きめどころ》のあるではなし、役僧用人等の分別にも及ばねば老僧《わし》が分別にも及ばぬほどに、此分別は汝達の相談に任す、老僧は関はぬ、汝達の相談の纏まりたる通り取り上げて与《や》るべければ、熟く家に帰つて相談して来よ、老僧が云ふべき事は是ぎりぢやによつて左様心得て帰るがよいぞ、さあ確と云ひ渡したぞ、既早《もはや》帰つてもよい、然し今日は老僧も閑暇《ひま》で退屈なれば茶話しの相手になつて少時居てくれ、浮世の噂なんど老衲に聞かせて呉れぬか、其代り老僧も古い話しの可笑なを二ツ三ツ昨日見出したを話して聞かさう、と笑顔やさしく、朋友《ともだち》かなんぞのやうに二人をあしらふて、扨何事を云ひ出さるゝやら。

       其九

 小僧《こばうず》が将《も》つて来し茶を上人自ら汲み玉ひて侑《すゝ》めらるれば、二人とも勿体ながりて恐れ入りながら頂戴するを、左様遠慮されては言葉に角が取れいで話が丸う行かぬは、さあ菓子も挟んではやらぬから勝手に摘んで呉れ、と高坏《たかつき》推遣りて自らも天目取り上げ喉を湿《うるほ》したまひ、面白い話といふも桑門《よすてびと》の老僧等には左様沢山無いものながら、此頃読んだ御経の中につく/″\成程と感心したことのある、聞いて呉れ此様いふ話しぢや、むかし某《ある》国の長者が二人の子を引きつれて麗かな天気の節《をり》に、香のする花の咲き軟かな草の滋《しげ》つて居る広野を愉快《たのし》げに遊行《ゆきやう》したところ、水は大分に夏の初め故|涸《か》れたれど猶清らかに流れて岸を洗ふて居る大きな川に出逢《いであ》ふた、其川の中には珠のやうな小磧《こいし》やら銀のやうな砂で成《でき》て居る美しい洲のあつたれば、長者は興に乗じて一尋ばかりの流を無造作に飛び越え、彼方此方を見廻せば、洲の後面《うしろ》の方もまた一尋ほどの流で陸と隔てられたる別世界、全然《まるで》浮世の腥羶《なまぐさ》い土地《つち》とは懸絶れた清浄の地であつたまま独り歓び喜んで踊躍《ゆやく》したが、渉らうとしても渉り得ない二人の児童《こども》が羨ましがつて喚《よ》び叫ぶを可憐《あはれ》に思ひ、汝達には来ることの出来ぬ清浄の地であるが、然程に来たくば渡らして与《や》るほどに待つて居よ、見よ/\我が足下の此磧は一※[#二の字点、1-2-22]蓮華の形状《かたち》をなし居る世に珍しき磧なり、我が眼の前の此砂は一※[#二の字点、1-2-22]五金の光を有てる比類《たぐひ》稀なる砂なるぞと説き示せば、二人は遠眼にそれを見ていよ/\焦操《あせ》り渡らうとするを、長者は徐《しづか》に制しながら、洪水《おほみづ》の時にても根こぎになつたるらしき棕櫚の樹の一尋余りなを架渡して橋として与つたに、我が先へ汝《そなた》は後にと兄弟争ひ鬩《せめ》いだ末、兄は兄だけ力強く弟を終に投げ伏せて我意の勝を得たに誇り高ぶり、急ぎ其橋を渡りかけ半途《なかば》に漸く到りし時、弟は起き上りさま口惜さに力を籠めて橋を盪《うご》かせば兄は忽ち水に落ち、苦しみ※[#「足へん+宛」、第3水準1-92-36]いて洲に達せしが、此時弟は既《はや》其橋を難なく渡り超えかくるを見るより兄も其橋の端を一揺り揺り動せば、固より丸木の橋なる故弟も堪らず水に落ち、僅に長者の立つたるところへ濡れ滴りて這ひ上つた、爾時《そのとき》長者は歎息して、汝達には何と見ゆる、今汝等が足踏みかけしより此洲は忽然《たちまち》前と異なり、磧は黒く醜くなり沙《すな》は黄ばめる普通《つね》の沙となれり、見よ/\如何にと告げ知らするに二人は驚き、眼《まなこ》を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》りて見れば全く父の言葉に少しも違はぬ沙磧、あゝ如是《かゝる》もの取らんとて可愛き弟を悩せしか、尊き兄を溺らせしかと兄弟共に慚ぢ悲みて、弟の袂を兄は絞り兄の衣裾《もすそ》を弟は絞りて互ひに恤《いた》はり慰めけるが、彼橋をまた引き来りて洲の後面《うしろ》なる流れに打ちかけ、既《はや》此洲には用なければ尚も彼方に遊び歩かん、汝達先づこれを渡れと、長者の言葉に兄弟は顔を見合ひて先刻には似ず、兄上先に御渡りなされ、弟よ先に渡るがよいと譲合ひしが、年順なれば兄先づ渡る其時に、転びやすきを気遣ひて弟は端を揺がぬやう確と抑ゆる、其次に弟渡れば兄もまた揺がぬやうに抑へやり、長者は苦なく飛び越えて、三人ともに最《いと》長閑《のどけ》く徐《そゞろ》に歩む其中に、兄が図らず拾ひし石を弟が見れば美しき蓮華の形をなせる石、弟が摘み上げたる砂を兄が覗けば眼も眩く五金の光を放ちて居たるに、兄弟とも/″\歓喜《よろこ》び楽み、互に得たる幸福《しあはせ》を互に深く讃歎し合ふ、爾時《そのとき》長者は懐中《ふところ》より真実の璧《たま》の蓮華を取り出し兄に与へて、弟にも真実の砂金を袖より出して大切《だいじ》にせよと与へたといふ、話して仕舞へば小供欺しのやうぢやが仏説に虚言《うそ》は無い、小児《こども》欺しでは決してない、噛みしめて見よ味のある話しではないか、如何ぢや汝等《そなたたち》にも面白いか、老僧《わし》には大層面白いが、と軽く云はれて深く浸む、譬喩方便も御胸の中に有たるゝ真実から。源太十兵衞二人とも顔見合せて茫然たり。

        其十

 感応寺よりの帰り道、半分は死んだやうになつて十兵衞、どんつく布子《ぬのこ》の袖組み合はせ、腕拱きつゝ迂濶《うか》迂濶 《/\》歩き、御上人様の彼様《あゝ》仰やつたは那方《どちら》か一方おとなしく譲れと諭しの謎※[#二の字点、1-2-22]とは、何程|愚鈍《おろか》な我《おれ》にも知れたが、嗚呼譲りたく無いものぢや、折角丹誠に丹誠凝らして、定めし冷て寒からうに御寝みなされと親切で為て呉るゝ女房《かゝ》の世話までを、黙つて居よ余計なと叱り飛ばして夜の眼も合さず、工夫に工夫を積み重ね、今度といふ今度は一世一代、腕一杯の物を建てたら死んでも恨は無いとまで思ひ込んだに、悲しや上人様の今日の御諭し、道理には違ひない左様も無ければならぬ事ぢやが、此を譲つて何時また五重塔の建つといふ的《あて》のあるではなし、一生|到底《とても》此十兵衞は世に出ることのならぬ身か、嗚呼情無い恨めしい、天道様が恨めしい、尊い上人様の御慈悲は充分了つて居て露ばかりも難有う無は思はぬが、吁《あゝ》何《どう》にも彼《かう》にもならぬことぢや、相手は恩のある源太親方、それに恨の向けやうもなし、何様しても彼様しても温順《すなほ》に此方《こち》の身を退くより他に思案も何もない歟、嗚呼無い歟、といふて今更残念な、なまじ此様な事おもひたゝずに、のつそりだけで済して居たらば此様に残念な苦悩《おもひ》もすまいものを、分際忘れた我《おれ》が悪かつた、嗚呼我が悪い、我が悪い、けれども、ゑゝ、けれども、ゑゝ、思ふまい/\、十兵衞がのつそりで浮世の怜悧《りこう》な人|等《たち》の物笑ひになつて仕舞へばそれで済むのぢや、連添ふ女房にまでも内々活用《はたらき》の利かぬ夫ぢやと喞《かこた》れながら、夢のやうに生きて夢のやうに死んで仕舞へば夫で済む事、あきらめて見れば情無い、つく/″\世間が詰らない、あんまり世間が酷《むご》過ぎる、と思ふのも矢張愚痴か、愚痴か知らねど情無過ぎるが、言はず語らず諭された上人様の彼御言葉の真実のところを味はへば、飽まで御慈悲の深いのが五臓六腑に浸み透つて未練な愚痴の出端《でば》も無い訳、争ふ二人を何方にも傷つかぬやう捌《さば》き玉ひ、末の末まで共に好かれと兄弟の子に事寄せて尚《たふと》い御経を解きほぐして、噛んで含めて下さつた彼御話に比べて見れば固より我は弟の身、ひとしほ他《ひと》に譲らねば人間《ひと》らしくも無いものになる、嗚呼弟とは辛いものぢやと、路も見分かで屈托の眼《まなこ》は涙《なんだ》に曇りつゝ、とぼ/\として何一ツ愉快《たのしみ》もなき我家の方に、糸で曳かるゝ|木偶《でく》のやうに我を忘れて行く途中、此馬鹿野郎|発狂漢《きちがひ》め、我《ひと》の折角洗つたものに何する、馬鹿めと突然《だしめけ》に噛つく如く罵られ、癇張声に胆を冷してハッと思へば瓦落離《ぐわらり》顛倒、手桶枕に立てかけありし張物板に、我知らず一足二足踏みかけて踏み覆したる不体裁《ざまのな》さ。
 尻餅ついて驚くところを、狐|憑《つき》め忌※[#二の字点、1-2-22]しい、と駄力ばかりは近江のお兼、顔は子供の福笑戯《ふくわらひ》に眼を付け歪めた多福面《おかめ》の如き房州出らしき下稗《おさん》の憤怒、拳を挙げて丁と打ち猿臂《ゑんぴ》を伸ばして突き飛ばせば、十衞兵堪らず汚塵《ほこり》に塗《まみ》れ、はい/\、狐に誑《つま》まれました御免なされ、と云ひながら悪口雑言聞き捨に痛さを忍びて逃げ走り、漸く我家に帰りつけば、おゝ御帰りか、遅いので如何いふ事かと案じて居ました、まあ塵埃まぶれになつて如何《どう》なされました、と払ひにかかるを、構ふなと一言、気の無ささうな声で打消す。其顔を覗き込む女房の真実心配さうなを見て、何か知らず無性に悲しくなつてぢつと湿《うるみ》のさしくる眼、自分で自分を叱るやうに、ゑゝと図らず声を出し、煙草を捻つて何気なくもてなすことはもてなすものゝ言葉も無し。平時《つね》に変れる状態《ありさま》を大方それと推察《すゐ》して扨慰むる便《すべ》もなく、問ふてよきやら問はぬが可きやら心にかゝる今日の首尾をも、口には出して尋ね得ぬ女房は胸を痛めつゝ、其一本は杉箸で辛くも用を足す火箸に挟んで添へる消炭の、あはれ甲斐なき火力《ちから》を頼り土瓶の茶をば温《ぬく》むるところへ、遊びに出たる猪之の戻りて、やあ父様帰つて来たな、父様も建てるか坊も建てたぞ、これ見て呉れ、と然《さ》も勇ましく障子を明けて褒められたさが一杯に罪無く莞爾《にこり》と笑ひながら、指さし示す塔の模形《まねかた》。母は襦袢の袖を噛み声も得たてず泣き出せば、十兵衞涙に浮くばかりの円《つぶら》の眼を剥き出し、※《まじろ》ぎもせでぐいと睨めしが、おゝ出来《でか》した出来した、好く出来た、褒美を与らう、ハッハヽヽと咽び笑ひの声高く屋の棟にまで響かせしが、其まゝ頭を天に対はし、嗚呼、弟とは辛いなあ。

       其十一

 格子開くる響爽かなること常の如く、お吉、今帰つた、と元気よげに上り来る夫の声を聞くより、心配を輪に吹き/\吸て居し煙草管《きせる》を邪見至極に抛り出して忙はしく立迎へ、大層遅かつたではないか、と云ひつゝ背面《うしろ》へ廻つて羽織を脱せ、立ながら腮《あご》に手伝はせての袖畳み小早く室隅《すみ》の方に其儘さし置き、火鉢の傍へ直また戻つて火急《たちまち》鉄瓶に松虫の音を発《おこ》させ、むづと大胡坐かき込み居る男の顔を一寸見しなに、日は暖かでも風が冷く途中は随分|寒《ひえ》ましたろ、一瓶《ひとつ》煖酒《つけ》ましよか、と痒いところへ能く届かす手は口をきく其|間《ひま》に、がたぴしさせず膳ごしらへ、三輪漬は柚《ゆ》の香ゆかしく、大根卸《おろし》で食はする※[#「魚+生」、第3水準1-94-39]卵《はらゝご》は無造作にして気が利たり。
 源太胸には苦慮《おもひ》あれども幾干《いくら》か此に慰められて、猪口把りさまに二三杯、後一杯を漫《ゆる》く飲んで、汝《きさま》も飲《や》れと与ふれば、お吉一口、つけて、置き、焼きかけの海苔畳み折つて、追付|三子《さんこ》の来さうなもの、と魚屋の名を独語しつ、猪口を返して酌せし後、上※[#二の字点、1-2-22]吉と腹に思へば動かす舌も滑かに、それはさうと今日の首尾は、大丈夫此方のものとは極めて居ても、知らせて下さらぬ中は無益《むだ》な苦労を妾は為ます、お上人様は何と仰せか、またのつそり奴は如何なつたか、左様真面目顔でむつつりとして居られては心配で心配でなりませぬ、と云はれて源太は高笑ひ。案じて貰ふ事は無い、御慈悲の深い上人様は何《ど》の道|我《おれ》を好漢《いゝをとこ》にして下さるのよ、ハヽヽ、なあお吉、弟を可愛がれば好い兄《あにき》ではないか、腹の饑《へ》つたものには自分が少しは辛くても飯を分けてやらねばならぬ場合もある、他《ひと》の怖いことは一厘無いが強いばかりが男児《をとこ》では無いなあ、ハヽヽ、じつと堪忍《がまん》して無理に弱くなるのも男児だ、嗚呼立派な男児だ、五重塔は名誉の工事《しごと》、たゞ我一人で物の見事に千年壊れぬ名物を万人の眼に残したいが、他の手も智慧も寸分|交《ま》ぜず川越の源太が手腕だけで遺したいが、嗚呼癇癪を堪忍するのが、ゑゝ、男児だ、男児だ、成程好い男児だ、上人様に虚言は無い、折角望みをかけた工事を半分他に呉るのはつく/″\忌※[#二の字点、1-2-22]しけれど、嗚呼、辛いが、ゑゝ兄《あにき》だ、ハヽヽ、お吉、我はのつそりに半口与つて二人で塔を建てやうとおもふは、立派な弱い男児か、賞めて呉れ賞めて呉れ、汝《きさま》にでも賞めて貰はなくては余り張合ひの無い話しだ、ハヽヽと嬉しさうな顔もせで意味の無い声ばかりはづませて笑へば、お吉は夫の気を量りかね、上人様が何と仰やつたか知らぬが妾にはさつぱり分らず些《ちつと》も面白くない話し、唐偏朴の彼《あの》のつそりめに半口与るとは何いふ訳、日頃の気性にも似合はない、与るものならば未練気なしに悉皆《すつかり》与つて仕舞ふが好いし、固より此方で取る筈なれば要りもせぬ助太刀頼んで、一人の首を二人で切る様な卑劣《けち》なことをするにも当らないではありませぬか、冷水で洗つたやうな清潔《きれい》な腹を有つて居ると他にも云はれ自分でも常※[#二の字点、1-2-22]云ふて居た汝《おまへ》が、今日に限つて何といふ煮切ない分別、女の妾から見ても意地の足らない愚図愚図思案、賞めませぬ賞めませぬ、何《どう》して中々賞められませぬ、高が相手は此方《こち》の恩を受けて居るのつそり奴、一体ならば此方の仕事を先潜りする太い奴と高飛車に叱りつけて、ぐうの音も出させぬやうに為れば成るのつそり奴を、左様甘やかして胸の焼ける連名工事《れんみやうしごと》を何で為るに当る筈のあらうぞ、甘いばかりが立派の事か、弱いばかりが好い男児か、妾の虫には受け取れませぬ、何なら妾が一[#(ト)]走りのつそり奴のところに行つて、重※[#二の字点、1-2-22]恐れ入りましたと思ひ切らせて謝罪《あやま》らせて両手を突かせて来ませうか、と女賢しき夫思ひ。源太は聞いで冷笑《あざわら》ひ、何が汝に解るものか、我の為ることを好いとおもふて居てさへ呉るればそれで可いのよ。

        其十二

 色も香も無く一言に黙つて居よと遣り込められて、聴かぬ気のお吉顔ふり上げ何か云ひ出したげなりしが、自己《おのれ》よりは一倍きかぬ気の夫の制するものを、押返して何程云ふとも機嫌を損ずる事こそはあれ、口答への甲斐は露無きを経験《おぼえ》あつて知り居れば、連添ふものに心の奥を語り明して相談かけざる夫を恨めしくはおもひながら、其所は怜悧《りこう》の女の分別早く、何も妾が遮つて女の癖に要らざる嘴《くち》を出すではなけれど、つい気にかゝる仕事の話し故思はず様子の聞きたくて、余計な事も胸の狭いだけに饒舌つた訳、と自分が真実籠めし言葉を態と極※[#二の字点、1-2-22]軽う為て仕舞ふて、何所までも夫の分別に従ふやう表面《うはべ》を粧ふも、幾許か夫の腹の底に在る煩悶《もしやくしや》を殺《そ》いで遣りたさよりの真実《まこと》。源太もこれに角張りかゝつた顔をやわらげ、何事も皆|天運《まはりあはせ》ぢや、此方の了見さへ温順《すなほ》に和《やさ》しく有つて居たなら又好い事の廻つて来やうと、此様おもつて見ればのつそりに半口与るも却つて好い心持、世間は気次第で忌々しくも面白くもなるもの故、出来るだけは卑劣《けち》な※[#「金+肅」、第3水準1-93-39]《さび》を根性に着けず瀟洒《あつさり》と世を奇麗に渡りさへすれば其で好いは、と云ひさしてぐいと仰飲《あふ》ぎ、後は芝居の噂やら弟子共が行状《みもち》の噂、真に罪無き雑話を下物《さかな》に酒も過ぎぬほど心よく飲んで、下卑《げび》た体裁《さま》ではあれどとり[#「とり」に傍点]膳睦まじく飯を喫了《をは》り、多方もう十兵衞が来さうなものと何事もせず待ちかくるに、時は空しく経過《たつ》て障子の日影《ひかげ》一尺動けど尚見えず、二尺も移れど尚見えず。
 是非|先方《むかう》より頭を低し身を縮《すぼ》めて此方へ相談に来り、何卒半分なりと仕事を割与《わけ》て下されと、今日の上人様の御慈愛《おなさけ》深き御言葉を頼りに泣きついても頼みをかけべきに、何として如是《かう》は遅きや、思ひ断めて望を捨て、既早相談にも及ばずとて独り我家に燻《くすぼ》り居るか、それともまた此方より行くを待つて居る歟《か》、若しも此方の行くを待つて居るといふことならば余り増長した了見なれど、まさかに其様な高慢気も出すまじ、例ののつそりで悠長に構へて居るだけの事ならむが、扨も気の長い男め迂濶にも程のあれと、煙草ばかり徒らに喫《ふ》かし居て、待つには短き日も随分長かりしに、それさへ暮れて群烏|塒《ねぐら》に帰る頃となれば、流石に心おもしろからず漸く癇癪の起り/\て耐へきれずなりし潮先、据られし晩食《ゆふめし》の膳に対ふと其儘云ひ訳ばかりに箸をつけて茶さへ緩《ゆる》りとは飲まず、お吉、十兵衞めがところに一寸行て来る、行違ひになつて不在《るす》へ来ば待たして置け、と云ふ言葉さへとげ/\しく怒りを含んで立出かゝれば、気にはかゝれど何とせん方もなく、女房は送つて出したる後にて、たゞ溜息をするのみなり。

        其十三

 渋つて聞きかぬる雨戸に一[#(ト)]しほ源太は癇癪の火の手を亢《たかぶ》らせつつ、力まかせにがち/\引き退け、十兵衞家にか、と云ひさまに突と這入れば、声色知つたるお浪早くもそれと悟つて、恩ある其人の敵《むかう》に今は立ち居る十兵衞に連添へる身の面を対《あは》すこと辛く、女気の繊弱《かよわ》くも胸を動悸《どき》つかせながら、まあ親方様、と唯一言我知らず云ひ出したる限《ぎ》り挨拶さへどぎまぎ[#「どぎまぎ」に傍点]して急には二の句の出ざる中、煤けし紙に針の孔、油染みなんど多き行燈の小蔭に悄然《しよんぼり》と坐り込める十兵衞を見かけて源太にずつと通られ、周章て火鉢の前に請ずる機転の遅鈍《まづき》も、正直ばかりで世態《よ》を知悉《のみこま》ぬ姿なるべし。
 十兵衞は不束に一礼して重げに口を開き、明日の朝|参上《あが》らうとおもふて居りました、といへばぢろりと其顔下眼に睨み、態と泰然《おちつき》たる源太、応、左様いふ其方の心算《つもり》であつたか、此方は例の気短故今しがたまで待つて居たが、何時になつて汝《そなた》の来るか知れたことでは無いとして出掛けて来ただけ馬鹿であつたか、ハヽヽ、然し十兵衞、汝は今日の上人様の彼お言葉を何と聞たか、両人《ふたり》で熟く/\相談して来よと云はれた揚句に長者の二人の児の御話し、それで態※[#二の字点、1-2-22]相談に来たが汝も大抵分別は既定めて居るであらう、我も随分虫持ちだが悟つて見れば彼《あの》譬諭《たとへ》の通り、尖りあふのは互に詰らぬこと、まんざら敵同士でもないに身勝手ばかりは我も云はぬ、つまりは和熟した決定《けつぢやう》のところが欲い故に、我慾は充分折つて摧《くだ》いて思案を凝らして来たものゝ、尚汝の了見も腹蔵の無いところを聞きたく、其上にまた何様とも為やうと、我も男児《をとこ》なりや汚い謀計《たくみ》を腹には持たぬ、真実《ほんと》に如是《かう》おもふて来たは、と言葉を少時とゞめて十兵衞が顔を見るに、俯伏たまゝたゞ唯《はい》、唯と答ふるのみにて、乱鬢の中に五六本の白髪が瞬く燈火《あかり》の光を受けてちらり/\と見ゆるばかり。お浪は既《はや》寝し猪の助が枕の方につい坐つて、呼吸さへせぬやう此もまた静まりかへり居る淋しさ。却つて遠くに売りあるく鍋焼饂飩の呼び声の、幽に外方《そと》より家《や》の中に浸みこみ来るほどなりけり。
 源太はいよ/\気を静め、語気なだらかに説き出すは、まあ遠慮もなく外見《みえ》もつくらず我の方から打明けやうが、何と十兵衞斯しては呉れぬか、折角汝も望をかけ天晴名誉の仕事をして持つたる腕の光をあらはし、慾徳では無い職人の本望を見事に遂げて、末代に十兵衞といふ男が意匠《おもひつき》ぶり細工ぶり此視て知れと残さうつもりであらうが、察しも付かう我とても其は同じこと、さらに有るべき普請では無し、取り外《はぐ》つては一生にまた出逢ふことは覚束ないなれば、源太は源太で我《おれ》が意匠ぶり細工ぶりを是非遺したいは、理屈を自分のためにつけて云へば我はまあ感応寺の出入り、汝は何の縁《ゆかり》もないなり、我は先口、汝は後なり、我は頼まれて設計《つもり》まで為たに汝は頼まれはせず、他の口から云ふたらばまた我は受負ふても相応、汝が身柄《がら》では不相応と誰しも難をするであらう、だとて我が今理屈を味方にするでもない、世間を味方にするでもない、汝が手腕の有りながら不幸《ふしあはせ》で居るといふも知つて居る、汝が平素《ふだん》薄命《ふしあはせ》を口へこそ出さね、腹の底では何《ど》の位泣て居るといふも知つて居る、我を汝の身にしては堪忍《がまん》の出来ぬほど悲い一生といふも知つて居る、夫故にこそ去年一昨年何にもならぬことではあるが、まあ出来るだけの世話は為たつもり、然し恩に被せるとおもふて呉れるな、上人様だとて汝の清潔《きれい》な腹の中を御洞察《おみとほし》になつたればこそ、汝の薄命《ふしあはせ》を気の毒とおもはれたればこそ今日のやうな御諭し、我も汝が慾かなんぞで対岸《むかう》にまはる奴ならば、我《ひと》の仕事に邪魔を入れる猪口才な死節野郎と一釿《ひとてうな》に脳天|打欠《ぶつか》かずには置かぬが、つく/″\汝の身を察すれば寧《いつそ》仕事も呉れたいやうな気のするほど、といふて我も慾は捨て断れぬ、仕事は真実何あつても為たいは、そこで十兵衞、聞ても貰ひにくゝ云ふても退けにくい相談ぢやが、まあ如是ぢや、堪忍《がまん》して承知して呉れ、五重塔は二人で建てう、我を主にして汝不足でもあらうが副《そへ》にたつて力を仮してはくれまいか、不足ではあらうが、まあ厭でもあらうが源太が頼む、聴ては呉れまいか、頼む/\、頼むのぢや、黙つて居るのは聴て呉れぬか、お浪さんも我《わし》の云ふことの了つたなら何卒口を副て聴て貰つては下さらぬか、と脆くも涙になりゐる女房にまで頼めば、お、お、親方様、ゑゝありがたうござりまする、何所に此様な御親切の相談かけて下さる方のまた有らうか、何故御礼をば云はれぬか、と左の袖は露時雨、涙に重くなしながら、夫の膝を右の手で揺り動しつ掻口説けど、先刻より無言の仏となりし十兵衞何とも猶言はず、再度三度かきくどけど黙※[#二の字点、1-2-22]《むつくり》として猶言はざりしが、やがて垂れたる首《かうべ》を擡げ、何《どう》も十兵衞それは厭でござりまする、と無愛想に放つ一言、吐胸をついて驚く女房。なんと、と一声烈しく鋭く、頸首《くびぼね》反らす一二寸、眼に角たてゝのつそりを驀向《まつかう》よりして瞰下す源太。

       其十四

 人情の花も失《なく》さず義理の幹も確然《しつかり》立てゝ、普通《なみ》のものには出来ざるべき親切の相談を、一方ならぬ実意《じつ》の有ればこそ源太の懸けて呉れしに、如何に伐つて抛げ出したやうな性質《もちまへ》が為する返答なればとて、十兵衞厭でござりまするとは余りなる挨拶、他《ひと》の情愛《なさけ》の全で了らぬ土人形でも斯は云ふまじきを、さりとては恨めしいほど没義道な、口惜いほど無分別な、如何すれば其様に無茶なる夫の了見と、お浪は呆れもし驚きもし我身の急に絞木にかけて絞《しめ》らるゝ如き心地のして、思はず知らず夫にすり寄り、それはまあ何といふこと、親方様が彼程に彼方此方のためを計つて、見るかげもない此方連《このはうづれ》、云はゞ一[#(ト)]足に蹴落して御仕舞ひなさるゝことも為さらば成《でき》る此方連に、大抵ではない御情をかけて下され、御自分一人で為さりたい仕事をも分与《わけ》て遣らう半口乗せて呉れうと、身に浸みるほどありがたい御親切の御相談、しかも御招喚《およびつけ》にでもなつてでのことか、坐蒲団さへあげることの成らぬ此様なところへ態※[#二の字点、1-2-22]|御来臨《おいで》になつての御話し、それを無にして勿体ない、十兵衞厭でござりまするとは冥利の尽きた我儘勝手、親方様の御親切の分らぬ筈は無からうに胴慾なも無遠慮なも大方|程度《ほどあひ》のあつたもの、これ此妾の今着て居るのも去年の冬の取り付きに袷姿の寒げなを気の毒がられてお吉様の、縫直《なほ》して着よと下されたのとは汝の眼には映《うつ》らぬか、一方ならぬ御恩を受けて居ながら親方様の対岸《むかう》へ廻るさへあるに、それを小癪なとも恩知らずなとも仰やらず、何処までも弱い者を愛護《かば》ふて下さる御仁慈《おなさけ》深い御分別にも頼《よ》り縋らいで一概に厭ぢやとは、仮令ば真底から厭にせよ記臆《ものおぼえ》のある人間《ひと》の口から出せた言葉でござりまするか、親方様の手前お吉様の所思《おもはく》をも能く篤《とつく》りと考へて見て下され、妾はもはや是から先何の顔さげて厚ヶ間敷お吉様の御眼にかゝることの成るものぞ、親方様は御胸の広うて、あゝ十兵衞夫婦は訳の分らぬ愚者なりや是も非もないと、其儘何とも思しめされず唯打捨て下さるか知らねど、世間は汝《おまへ》を何と云はう、恩知らずめ義理知らずめ、人情解せぬ畜生め、彼奴《あれめ》は犬ぢや烏ぢやと万人の指甲《つめ》に弾かれものとなるは必定、犬や烏と身をなして仕事を為たとて何の功名《てがら》、慾をかわくな齷齪するなと常※[#二の字点、1-2-22]妾に諭された自分の言葉に対しても恥かしうはおもはれぬか、何卒|柔順《すなほ》に親方様の御異見について下さりませ、天に聳ゆる生雲塔は誰※[#二の字点、1-2-22]二人で作つたと、親方様と諸共に肩を並べて世に称《うた》はるれば、汝の苦労の甲斐も立ち親方様の有難い御芳志《おこゝろざし》も知るゝ道理、妾も何の様に嬉しかろか喜ばしかろか、若し左様なれば不足といふは薬にしたくも無い筈なるに、汝は天魔に魅られて其をまだ/\不足ぢやとおもはるゝのか、嗚呼情無い、妾が云はずと知れてゐる汝《おまへ》自身の身の程を、身の分際を忘れてか、と泣声になり掻口説く女房の頭は低く垂れて、髷にさゝれし縫針の孔《めど》が啣《くは》へし一条《ひとすぢ》の糸ゆら/\と振ふにも、千※[#二の字点、1-2-22]に砕くる心の態の知られていとゞ可憫《いぢら》しきに、眼を瞑ぎ居し十兵衞は、其時例の濁声《だみごゑ》出し、喧しいはお浪、黙つて居よ、我の話しの邪魔になる、親方様聞て下され。

       其十五

 思ひの中に激すればや、じた/\と慄《ふる》ひ出す膝の頭を緊乎《しつか》と寄せ合せて、其上に両手《もろて》突張り、身を固くして十兵衞は、情無い親方様、二人で為うとは情無い、十兵衞に半分仕事を譲つて下されうとは御慈悲のやうで情無い、厭でござります、厭でござります、塔の建てたいは山※[#二の字点、1-2-22]でも既《もう》十兵衞は断念《あきらめ》て居りまする、御上人様の御諭《おさとし》を聞いてからの帰り道すつぱり思ひあきらめました、身の程にも無い考を持つたが間違ひ、嗚呼私が馬鹿でござりました、のつそりは何処迄ものつそりで馬鹿にさへなつて居れば其で可い訳、溝板でもたゝいて一生を終りませう、親方様|堪忍《かに》して下され我《わたし》が悪い、塔を建てうとは既《もう》申しませぬ、見ず知らずの他の人ではなし御恩になつた親方様の、一人で立派に建てらるゝを余所《よそ》ながら視て喜びませう、と元気無げに云ひ出づるを走り気の源太|悠※[#二の字点、1-2-22]《ゆるり》とは聴て居ず、ずいと身を進て、馬鹿を云へ十兵衞、余り道理が分らな過ぎる、上人様の御諭は汝《きさま》一人に聴けといふて為《なさ》れたではない我が耳にも入れられたは、汝の腹でも聞たらば我の胸で受取つた、汝一人に重石《おもし》を背負つて左様沈まれて仕舞ふては源太が男になれるかやい、詰らぬ思案に身を退て馬鹿にさへなつて居れば可いとは、分別が摯実《くすみ》過ぎて至当《もつとも》とは云はれまいぞ、応左様ならば我が為ると得たり賢《かしこ》で引受けては、上人様にも恥かしく第一源太が折角磨いた侠気《をとこ》も其所で廃つて仕舞ふし、汝は固《もとよ》り虻蜂取らず、智慧の無いにも程のあるもの、そしては二人が何可からう、さあ其故に美しく二人で仕事を為うといふに、少しは気まづいところが有つてもそれはお互ひ、汝が不足な程に此方にも面白くないのあるは知れきつた事なれば、双方|忍耐《がまん》仕交《しあふ》として忍耐の出来ぬ訳はない筈、何もわざ/\骨を折つて汝が馬鹿になつて仕舞ひ、幾日の心配を煙と消《きや》し天晴な手腕《うで》を寝せ殺しにするにも当らない、なう十兵衞、我の云ふのが腑に落ちたら思案を翻然《がらり》と仕変へて呉れ、源太は無理は云はぬつもりだ、これさ何故黙つて居る、不足か不承知か、承知しては呉れないか、ゑゝ我の了見をまだ呑み込んでは呉れないか、十兵衞、あんまり情無いではないか、何とか云ふて呉れ、不承知か不承知か、ゑゝ情無い、黙つて居られては解らない、我の云ふのが不道理か、それとも不足で腹立てゝか、と義には強くて情には弱く意地も立つれば親切も飽くまで徹す江戸ッ子腹の、源太は柔和《やさし》く問ひかくれば、聞居るお浪は嬉しさの骨身に浸みて、親方様あゝ有り難うござりますると口には出さねど、舌よりも真実を語る涙をば溢らす眼に、返辞せぬ夫の方を気遣ひて、見れば男は露一厘身動きなさず無言にて思案の頭重く低《た》れ、ぽろり/\と膝の上に散らす涙珠《なみだ》の零《お》ちて声あり。
 源太も今は無言となり少時《しばらく》ひとり考へしが、十兵衞汝はまだ解らぬか、それとも不足とおもふのか、成程折角望んだことを二人でするは口惜かろ、然も源太を心《しん》にして副になるのは口惜かろ、ゑゝ負けてやれ斯様して遣らう、源太は副になつても可い汝を心に立てるほどに、さあ/\清く承知して二人で為うと合点せい、と己が望みは無理に折り、思ひきつてぞ云ひ放つ。とッとんでも無い親方様、仮令十兵衞気が狂へばとて何して其様は出来ますものぞ、勿体ない、と周章て云ふに、左様なら我の異見につくか、と唯一言に返されて、其は、と窮《つま》るをまた追つ掛け、汝《きさま》を心に立てやうか乃至それでも不足か、と烈しく突かれて度を失ふ傍にて女房が気もわくせき、親方様の御異見に何故まあ早く付かれぬ、と責むるが如く恨みわび、言葉そゞろに勧むれば十兵衞つひに絶体絶命、下げたる頭を徐《しづか》に上げ円《つぶら》の眼を剥き出して、一ツの仕事を二人でするは、よしや十兵衞心になつても副になつても、厭なりや何しても出来ませぬ、親方一人で御建なされ、私は馬鹿で終りまする、と皆まで云はせず源太は怒つて、これほど事を分けて云ふ我の親切《なさけ》を無にしても歟。唯《はい》、ありがたうはござりまするが、虚言《うそ》は申せず、厭なりや出来ませぬ。汝《おのれ》よく云つた、源太の言葉にどうでもつかぬ歟。是非ないことでござります。やあ覚えて居よ此のつそりめ、他《ひと》の情の分らぬ奴、其様の事云へた義理か、よし/\汝《おのれ》に口は利かぬ、一生|溝《どぶ》でもいぢつて暮せ、五重塔は気の毒ながら汝に指もさゝせまい、源太一人で立派に建てる、成らば手柄に批点《てん》でも打て。

       其十六

 ゑい、ありがたうござります、滅法界に酔ひました、もう飲《いけ》やせぬ、と空辞誼《そらじぎ》は五月蠅ほど仕ながら、緒口もつ手を後へは退かぬが可笑き上戸の常態《つね》、清吉既馳走酒に十分酔たれど遠慮に三|分《ぶ》の真面目をとゞめて殊勝らしく坐り込み、親方の不在《るす》に斯様|爛酔《へゞ》ては済みませぬ、姉御と対酌《さし》では夕暮を躍るやうになつてもなりませんからな、アハヽ無暗に嬉しくなつて来ました、もう行きませう、はめを外すと親方の御眼玉だ、だが然し姉御、内の親方には眼玉を貰つても私《わつち》は嬉しいとおもつて居ます、なにも姉御の前だからとて軽薄を云ふではありませぬが、真実《ほんと》に内の親方は茶袋よりもありがたいとおもつて居ます、日外《いつぞや》の凌雲院の仕事の時も鐵や慶を対《むかう》にして詰らぬことから喧嘩を初め、鐵が肩先へ大怪我をさした其後で鐵が親から泣き込まれ、嗚呼悪かつた気の毒なことをしたと後悔しても此方も貧的、何様《どう》してやるにも遣り様なく、困りきつて逃亡《かけおち》とまで思つたところを、黙つて親方から療治手当も為てやつて下された上、かけら半分叱言らしいことを私《わつち》に云はれず、たゞ物和しく、清や汝《てめへ》喧嘩は時のはづみで仕方は無いが気の毒とおもつたら謝罪《あやま》つて置け、鐵が親の気持も好かろし汝《てめへ》の寝覚も好といふものだと心付けて下すつた其時は、嗚呼何様して此様《こんな》に仁慈《なさけ》深かろと有難くて有難くて私は泣きました、鐵に謝罪る訳は無いが親方の一言に堪忍《がまん》して私も謝罪に行きましたが、それから異《おつ》なもので何時となく鐵とは仲好になり、今では何方にでも萬一《ひよつと》したことの有れば骨を拾つて遣らうか貰はうかといふ位の交際《つきあひ》になつたも皆親方の御蔭、それに引変へ茶袋なんぞは無暗に叱言を云ふばかりで、やれ喧嘩をするな遊興《あそび》をするなと下らぬ事を小五月蠅く耳の傍《はた》で口説きます、ハヽヽいやはや話になつたものではありませぬ、ゑ、茶袋とは母親《おふくろ》の事です、なに酷くはありませぬ茶袋で沢山です、然も渋をひいた番茶の方です、あッハヽヽ、ありがたうござります、もう行きませう、ゑ、また一本|燗《つけ》たから飲んで行けと仰るのですか、あゝありがたい、茶袋だと此方で一本といふところを反対《あべこべ》にもう廃せと云ひますは、あゝ好い心持になりました、歌ひたくなりましたな、歌へるかとは情ない、松づくしなぞは彼奴に賞められたほどで、と罪の無いことを云へばお吉も笑ひを含むで、そろ/\惚気は恐ろしい、などと調戯《からか》ひ居るところへ帰つて来たりし源太、おゝ丁度よい清吉居たか、お吉飲まうぞ、支度させい、清吉今夜は酔ひ潰れろ、胴魔声の松づくしでも聞てやろ。や、親方立聞して居られたな。

       其十七

 清吉酔ふては※[#「てへん+僉」、第3水準1-84-94]束《おぼつか》なくなり、砕けた源太が談話《はなし》ぶり捌《さば》けたお吉が接待《とりなし》ぶりに何時しか遠慮も打忘れ、擬《さ》されて辞《いな》まず受けては突と干し酒盞《さかづき》の数重ぬるまゝに、平常《つね》から可愛らしき紅ら顔を一層|沢※[#二の字点、1-2-22]《みづ/\》と、実の熟《い》つた丹波王母珠《たんばほゝづき》ほど紅うして、罪も無き高笑ひやら相手もなしの空示威《からりきみ》、朋輩の誰の噂彼の噂、自己《おのれ》が仮声《こわいろ》の何所其所で喝采《やんや》を獲たる自慢、奪《あげ》られぬ奪られるの云ひ争ひの末|何棲《なにや》の獅顔《しかみ》火鉢を盗り出さんとして朋友《ともだち》の仙の野郎が大失策《おほしくじり》を仕た話、五十間で地廻りを擲つた事など、縁に引かれ図に乗つて其から其へと饒舌り散らす中、不図のつそりの噂に火が飛べば、とろりとなりし眼を急に見張つて、ぐにやりとして居し肩を聳《そば》だて、冷たうなつた飲みかけの酒を異《をか》しく唇まげながら吸ひ干し、一体あんな馬鹿野郎を親方の可愛がるといふが私《わつち》には頭《てん》から解りませぬ、仕事といへば馬鹿丁寧で捗《はこ》びは一向つきはせず、柱一本|鴫居《しきゐ》一ツで嘘をいへば鉋を三度も礪《と》ぐやうな緩慢《のろま》な奴、何を一ツ頼んでも間に合つた例《ためし》が無く、赤松の炉縁一ツに三日の手間を取るといふのは、多方あゝいふ手合だらうと仙が笑つたも無理は有りませぬ、それを親方が贔屓にしたので一時は正直のところ、済みませんが私も金《きん》も仙も六も、あんまり親方の腹が大きすぎて其程でもないものを買ひ込み過ぎて居るでは無いか、念入りばかりで気に入るなら我等《おれたち》も是から羽目板にも仕上げ鉋、のろり/\と充分《したゝか》清めて碁盤肌にでも削らうかと僻味《ひがみ》を云つた事もありました、第一彼奴は交際《つきあひ》知らずで女郎買《ぢよろかひ》一度一所にせず、好闘鶏《しやも》鍋つゝき合つた事も無い唐偏朴、何時か大師へ一同《みんな》が行く時も、まあ親方の身辺《まはり》について居るものを一人ばかり仲間はづれにするでも無いと私が親切に誘つてやつたに、我《おれ》は貧乏で行かれないと云つた切りの挨拶は、なんと愛想も義理も知らな過ぎるではありませんか、銭が無ければ女房《かゝ》の一枚着を曲げ込んでも交際《つきあひ》は交際で立てるが朋友《ともだち》づく、それも解らない白痴《たはけ》の癖に段※[#二の字点、1-2-22]親方の恩を被て、私や金と同じことに今では如何か一人立ち、然も憚りながら青沸《あをつぱな》垂らして弁当箱の持運び、木片《こつぱ》を担いでひよろ/\帰る餓鬼の頃から親方の手について居た私や仙とは違つて奴は渡り者、次第を云へば私等より一倍深く親方を有難い忝ないと思つて居なけりやならぬ筈、親方、姉御、私は悲しくなつて来ました、私は若しもの事があれば親方や姉御のためと云や黒煙の煽りを食つても飛び込むぐらゐの了見は持つて居るに、畜生ッ、あゝ人情《なさけ》無い野郎め、のつそりめ、彼奴は火の中へは恩を脊負つても入りきるまい、碌な根性は有つて居まい、あゝ人情無い畜生めだ、と酔が図らず云ひ出せし不平の中に潜り込んで、めそ/\めそ/\泣き出せば、お吉は夫の顔を見て、例《いつも》の癖が出て来たかと困つた風情は仕ながらも自己《おのれ》の胸にものつそりの憎さがあれば、幾分《いくら》かは清が言葉を道理《もつとも》と聞く傾きもあるなるべし。
 源太は腹に戸締の無きほど愚魯《おろか》ならざれば、猪口を擬《さ》しつけ高笑ひし、何を云ひ出した清吉、寝惚るな我の前だは、三の切を出しても初まらぬぞ、其手で女でも口説きやれ、随分ころりと来るであらう、汝が惚けた小蝶さまの御部屋では無い、アッハヽヽと戯言《おどけ》を云へば尚真面目に、木※[#「木+患」、第3水準1-86-05]珠《ずゞだま》ほどの涙を払ふ其手をぺたりと刺身皿の中につつこみ、しやくり上げ歔欷《しやくりあげ》して泣き出し、あゝ情無い親方、私を酔漢《よつぱらひ》あしらひは情無い、酔つては居ませぬ、小蝶なんぞは飲べませぬ、左様いへば彼奴の面が何所かのつそりに似て居るやうで口惜くて情無い、のつそりは憎い奴、親方の対《むかう》を張つて大それた、五重の塔を生意気にも建てやうなんとは憎い奴憎い奴、親方が和《やさ》し過ぎるので増長した謀反人め、謀反人も明智のやうなは道理《もつとも》だと伯龍か講釈しましたが彼奴のやうなは大悪無道、親方は何日のつそりの頭を鉄扇で打ちました、何日《いつ》蘭丸にのつそりの領地を与《や》ると云ひました、私は今に若も彼奴が親方の言葉に甘へて名を列べて塔を建てれば打捨《うつちや》つては置けませぬ、擲《たゝ》き殺して狗《いぬ》に呉れます此様いふやうに擲き殺して、と明徳利の横面|突然《いきなり》打き飛ばせば、砕片《かけら》は散つて皿小鉢跳り出すやちん鏘然《からり》。馬鹿野郎め、と親方に大喝されて其儘にぐづりと坐り沈静《おとなし》く居るかと思へば、散かりし還原海苔《もどしのり》の上に額おしつけ既|鼾声《いびき》なり。源太はこれに打笑ひ、愛嬌のある阿呆めに掻巻かけて遣れ、と云ひつゝ手酌にぐいと引かけて酒気を吹くこと良久しく、怒つて帰つて来はしたものゝ彼様《あゝ》では高が清吉同然、さて分別がまだ要るは。

        其十八

 源太が怒つて帰りし後、腕|拱《こまぬ》きて茫然たる夫の顔をさし覗きて、吐息つく/″\お浪は歎じ、親方様は怒らする仕事は畢竟《つまり》手に入らず、夜の眼も合さず雛形まで製造《こしら》へた幾日の骨折も苦労も無益《むだ》にした揚句の果に他《ひと》の気持を悪うして、恩知らず人情無しと人の口端にかゝるのは余りといへば情無い、女の差出た事をいふと唯一口に云はるゝか知らねど、正直律義も程のあるもの、親方様が彼程《あれほど》に云ふて下さる異見について一緒に仕たとて恥辱《はぢ》にはなるまいに、偏僻《かたいぢ》張つて何の詰らぬ意気地立て、それを誰が感心なと褒ませう、親方様の御料簡につけば第一御恩ある親方の御心持もよい訳、またお前の名も上り苦労骨折の甲斐も立つ訳、三方四方みな好いに何故其気にはなられぬか、少しもお前の料簡が妾の腹には合点《のみこめ》ぬ、能くまあ思案仕直して親方様の御異見につい従ふては下されぬか、お前が分別さへ更《かへ》れば妾が直にも親方様のところへ行き、何にか彼にか謝罪《あやまり》云ふて一生懸命精一杯、打たれても擲かれても動くまい程覚悟をきめ、謝罪つて謝罪つて謝罪り貫《ぬ》いたら御情深い親方様が、まさかに何日まで怒つてばかりも居られまい、一時の料簡違ひは堪忍《かに》して下さる事もあらう、分別仕更て意地張らずに、親方様の云はれた通り仕て見る気にはなられぬか、と夫思ひの一筋に口説くも女の道理《もつとも》なれど、十兵衞はなほ眼も動かさず、あゝもう云ふてくれるな、ああ、五重塔とも云ふてくれるな、よしない事を思ひたつて成程恩知らずとも云はれう人情なしとも云はれう、それも十兵衞の分別が足らいで出来したこと、今更何共是非が無い、然し汝の云ふやうに思案仕更るは何しても厭、十兵衞が仕事に手下は使はうが助言は頼むまい、人の仕事の手下になつて使はれはせうが助言はすまい、桝組も椽配《たるきわ》りも我が為る日には我の勝手、何所から何所まで一寸たりとも人の指揮《さしづ》は決して受けぬ、善いも悪いも一人で背負つて立つ、他の仕事に使はれゝば唯正直の手間取りとなつて渡されただけの事するばかり、生意気な差出口は夢にもすまい、自分が主でも無い癖に自己《おの》が葉色を際立てゝ異《かは》つた風を誇顔《ほこりが》の寄生木《やどりぎ》は十兵衞の虫が好かぬ、人の仕事に寄生木となるも厭なら我が仕事に寄生木を容るゝも虫が嫌へば是非がない、和しい源太親方が義理人情を噛み砕いて態※[#二の字点、1-2-22]|慫慂《すゝめ》て下さるは我にも解つてありがたいが、なまじひ我の心を生して寄生木あしらひは情無い、十兵衞は馬鹿でものつそりでもよい、寄生木になつて栄えるは嫌《きらひ》ぢや、矮小《けち》な下草《したぐさ》になつて枯れもせう大樹《おほき》を頼まば肥料《こやし》にもならうが、たゞ寄生木になつて高く止まる奴等を日頃いくらも見ては卑い奴めと心中で蔑視《みさ》げて居たに、今我が自然親方の情に甘へて其になるのは如何あつても小恥しうてなりきれぬは、いつその事に親方の指揮のとほり此を削れ彼《あれ》を挽き割れと使はるゝなら嬉しけれど、なまじ情が却つて悲しい、汝も定めて解らぬ奴と恨みもせうが堪忍して呉れ、ゑゝ是非がない、解らぬところが十兵衞だ、此所がのつそりだ、馬鹿だ、白痴漢《たはけ》だ、何と云はれても仕方は無いは、あゝッ火も小くなつて寒うなつた、もう/\寝てでも仕舞はうよ、と聴けば一※[#二の字点、1-2-22]道理の述懐。お浪もかへす言葉なく無言となれば、尚寒き一室《ひとま》を照せる行燈も灯花《ちやうじ》に暗うなりにけり。

       其十九

 其夜は源太床に入りても中※[#二の字点、1-2-22]眠らず、一番鶏二番鶏を耳たしかに聞て朝も平日《つね》よりは夙《はよ》う起き、含嗽《うがひ》手水《てうづ》に見ぬ夢を洗つて熱茶一杯に酒の残り香を払ふ折しも、むく/\と起き上つたる清吉|寝惚眼《ねぼれめ》をこすり/\怪訝顔してまごつくに、お吉とも/″\噴飯《ふきだ》して笑ひ、清吉昨夜は如何したか、と嬲《なぶ》れば急に危坐《かしこま》つて無茶苦茶に頭を下げ、つい御馳走になり過ぎて何時か知らず寝て仕舞ひました、姉御、昨夜|私《わつち》は何か悪いことでも為は仕ませぬか、と心配相に尋ぬるも可笑く、まあ何でも好いは、飯でも食つて仕事に行きやれ、と和《やさ》しく云はれてます/\畏《おそ》れ、恍然《うつとり》として腕を組み頻りに考へ込む風情、正直なるが可愛らし。
 清吉を出しやりたる後、源太は尚も考にひとり沈みて日頃の快活《さつぱり》とした調子に似もやらず、碌※[#二の字点、1-2-22]お吉に口さへきかで思案に思案を凝らせしが、あゝ解つたと独り言するかと思へば、愍然《ふびん》なと溜息つき、ゑゝ抛《なげ》やうかと云ふかとおもへば、何して呉れうと腹立つ様子を傍にてお吉の見る辛さ、問ひ慰めんと口を出せば黙つて居よとやりこめられ、詮方なさに胸の中にて空しく心をいたむるばかり。源太は其等に関ひもせず夕暮方まで考へ考へ、漸く思ひ定めやしけむ衝《つ》と身を起して衣服をあらため、感応寺に行き上人に見《まみ》えて昨夜の始終をば隠すことなく物語りし末、一旦は私も余り解らぬ十兵衞の答に腹を立てしものゝ帰つてよく/\考ふれば、仮令ば私一人して立派に塔は建つるにせよ、それでは折角御諭しを受けた甲斐無く源太がまた我慾にばかり強いやうで男児《をとこ》らしうも無い話し、といふて十兵衞は十兵衞の思わくを滅多に捨はすまじき様子、彼も全く自己《おのれ》を押へて譲れば源太も自己を押へて彼に仕事をさせ下されと譲らねばならぬ義理人情、いろ/\愚昧《おろか》な考を使つて漸く案じ出したことにも十兵衞が乗らねば仕方なく、それを怒つても恨むでも是非の無い訳、既《はや》此上には変つた分別も私には出ませぬ、唯願ふはお上人様、仮令ば十兵衞一人に仰せつけられますればとて私かならず何とも思ひますまいほどに、十兵衞になり私になり二人共々になり何様《どう》とも仰せつけられて下さりませ、御口づからの事なれば十兵衞も私も互に争ふ心は捨て居りまするほどに露さら故障はござりませぬ、我等二人の相談には余つて願ひにまゐりました、と実意を面に現しつゝ願へば上人ほく/\笑はれ、左様ぢやろ左様ぢやろ、流石に汝《そなた》も見上げた男ぢや、好い/\、其心掛一つで既う生雲塔見事に建てたより立派に汝はなつて居る、十兵衞も先刻《さつき》に来て同じ事を云ふて帰つたは、彼も可愛い男ではないか、のう源太、可愛がつて遣れ可愛がつて遣れ、と心あり気に云はるゝ言葉を源太早くも合点して、ゑゝ可愛がつて遣りますとも、といと清《すゞ》しげに答れば、上人満面皺にして悦び玉ひつ、好いは好いは、嗚呼気味のよい男児ぢやな、と真から底から褒美《ほめ》られて、勿体なさはありながら源太おもはず頭をあげ、お蔭で男児になれましたか、と一語に無限の感慨を含めて喜ぶ男泣き。既此時に十兵衞が仕事に助力せん心の、世に美しくも湧たるなるべし。

       其二十

 十兵衞感応寺にいたりて朗圓上人に見《まみ》え、涙ながらに辞退の旨云ふて帰りし其日の味気無さ、煙草のむだけの気も動かすに力無く、茫然《ぼんやり》としてつく/″\我が身の薄命《ふしあはせ》、浮世の渡りぐるしき事など思ひ廻《めぐら》せば思ひ廻すほど嬉しからず、時刻になりて食ふ飯の味が今更|異《かは》れるではなけれど、箸持つ手さへ躊躇《たゆた》ひ勝にて舌が美味《うま》うは受けとらぬに、平常《つね》は六碗七碗を快う喫《く》ひしも僅に一碗二碗で終へ、茶ばかり却つて多く飲むも、心に不悦《まづさ》の有る人の免れ難き慣例《ならひ》なり。
 主人《あるじ》が浮かねば女房も、何の罪なき頑要《やんちや》ざかりの猪之まで自然《おのづ》と浮き立たず、淋しき貧家のいとゞ淋しく、希望《のぞみ》も無ければ快楽《たのしみ》も一点あらで日を暮らし、暖味のない夢に物寂た夜を明かしけるが、お浪|暁天《あかつき》の鐘に眼覚めて猪之と一所に寐たる床より密《そつ》と出るも、朝風の寒いに火の無い中から起すまじ、も少し睡《ね》させて置かうとの慈《やさ》しき親の心なるに、何も彼も知らいでたわい無く寐て居し平生《いつも》とは違ひ、如何せしことやら忽ち飛び起き、襦袢一つで夜具の上跳ね廻り跳ね廻り、厭ぢやい厭ぢやい、父様を打つちや厭ぢやい、と蕨《わらび》のやうな手を眼にあてゝ何かは知らず泣き出せば、ゑゝこれ猪之は何したものぞ、と吃驚しながら抱き止むるに抱かれながらも猶泣き止まず。誰も父様を打ちは仕ませぬ、夢でも見たか、それそこに父様はまだ寐て居らるゝ、と顔を押向け知らすれば不思議さうに覗き込で、漸く安心しは仕てもまだ疑惑《うたがひ》の晴れぬ様子。
 猪之や何にも有りはし無いは、夢を見たのぢや、さあ寒いに風邪をひいてはなりませぬ、床に這入つて寐て居るがよい、と引き倒すやうにして横にならせ、掻巻かけて隙間無きやう上から押しつけ遣る母の顔を見ながら眼をぱつちり、あゝ怖かつた、今|他所《よそ》の怖い人が。おゝおゝ、如何か仕ましたか。大きな、大きな鉄槌《げんのう》で、黙つて坐つて居る父様の、頭を打つて幾度《いくつ》も打つて、頭が半分|砕《こは》れたので坊は大変吃驚した。ゑゝ鶴亀※[#二の字点、1-2-22]※[#二の字点、1-2-22]、厭なこと、延喜《えんぎ》でも無いことを云ふ、と眉を皺むる折も折、戸外《おもて》を通る納豆売りの戦《ふる》へ声に覚えある奴が、ちェッ忌※[#二の字点、1-2-22]しい草鞋が切れた、と打独語《うちつぶや》きて行き過ぐるに女房ます/\気色を悪《あし》くし、台所に出て釜の下を焚きつくれば思ふ如く燃えざる薪《まき》も腹立しく、引窓の滑よく明かぬも今更のやうに焦れつたく、嗚呼何となく厭な日と思ふも心からぞとは知りながら、猶気になる事のみ気にすればにや多けれど、また云ひ出さば笑はれむと自分で呵《しか》つて平日《いつも》よりは笑顔をつくり言葉にも活気をもたせ、溌※[#二の字点、1-2-22]《いき/\》として夫をあしらひ子をあしらへど、根が態とせし偽飾《いつはり》なれば却つて笑ひの尻声が憂愁《うれひ》の響きを遺して去る光景《ありさま》の悲しげなるところへ、十兵衞殿お宅か、と押柄《あふへい》に大人びた口きゝながら這入り来る小坊主、高慢にちよこんと上り込み、御用あるにつき直と来られべしと前後《あとさき》無しの棒口上。
 お浪も不審、十兵衞も分らぬことに思へども辞《いな》みもならねば、既《はや》感応寺の門くゞるさへ無益《むやく》しくは考へつゝも、何御用ぞと行つて問へば、天地顛倒こりや何《どう》ぢや、夢か現か真実か、圓道右に爲右衞門左に朗圓上人|中央《まんなか》に坐したまふて、圓道言葉おごそかに、此度|建立《こんりふ》なるところの生雲塔の一切工事川越源太に任せられべき筈のところ、方丈思しめし寄らるゝことあり格別の御詮議例外の御慈悲をもつて、十兵衞其方に確《しか》と御任せ相成る、辞退の儀は決して無用なり、早※[#二の字点、1-2-22]ありがたく御受申せ、と云ひ渡さるゝそれさへあるに、上人皺枯れたる御声にて、これ十兵衞よ、思ふ存分|仕途《しと》げて見い、好う仕上らば嬉しいぞよ、と荷担《になふ》に飾る冥加の御言葉。のつそりハッと俯伏せしまゝ五体を濤《なみ》と動《ゆる》がして、十兵衞めが生命はさ、さ、さし出しまする、と云ひし限《ぎ》り喉《のど》塞《ふさ》がりて言語絶え、岑閑《しんかん》とせし広座敷に何をか語る呼吸の響き幽《かすか》にしてまた人の耳に徹しぬ。

       其二十一

 紅蓮白蓮の香《にほひ》ゆかしく衣袂《たもと》に裾に薫り来て、浮葉に露の玉|動《ゆら》ぎ立葉に風の軟《そよ》吹《ふ》ける面白の夏の眺望《ながめ》は、赤蜻蛉|菱藻《ひしも》を嬲《なぶ》り初霜向ふが岡の樹梢《こずゑ》を染めてより全然《さらり》と無くなつたれど、赭色《たいしや》になりて荷《はす》の茎ばかり情無う立てる間に、世を忍び気《げ》の白鷺が徐※[#二の字点、1-2-22]《そろり》と歩む姿もをかしく、紺青色に暮れて行く天《そら》に漸く輝《ひか》り出す星を背中に擦つて飛ぶ雁の、鳴き渡る音も趣味《おもむき》ある不忍の池の景色を下物《さかな》の外の下物にして、客に酒をば亀の子ほど飲まする蓬莱屋の裏二階に、気持の好ささうな顔して欣然と人を待つ男一人。唐桟《たうざん》揃ひの淡泊《あつさり》づくりに住吉張の銀煙管おとなしきは、職人らしき侠気《きほひ》の風の言語《ものいひ》拳動《そぶり》に見えながら毫末《すこし》も下卑《げび》ぬ上品|質《だち》、いづれ親方※[#二の字点、1-2-22]※[#二の字点、1-2-22]と多くのものに立らるゝ棟梁株とは、予てから知り居る馴染のお傳といふ女が、嘸《さぞ》お待ち遠でござりませう、と膳を置つゝ云ふ世辞を、待つ退屈さに捕《つかま》へて、待遠で/\堪りきれぬ、ほんとに人の気も知らないで何をして居るであらう、と云へば、それでもお化粧《しまひ》に手間の取れまするが無理は無い筈、と云ひさしてホヽと笑ふ慣れきつた返しの太刀筋。アハヽヽそれも道理《もつとも》ぢや、今に来たらば能く見て呉れ、まあ恐らく此地辺《こゝら》に類は無らう、といふものだ。阿呀《おや》恐ろしい、何を散財《おご》つて下さります、而《そ》して親方、といふものは御師匠さまですか。いゝや。娘さんですか。いゝや。後家様。いゝや。お婆さんですか。馬鹿を云へ可愛想に。では赤ん坊。此奴《こいつ》め人をからかふな、ハヽハヽヽ。ホヽホヽヽと下らなく笑ふところへ襖の外から、お傳さんと名を呼んで御連様と知らすれば、立上つて唐紙明けにかゝりながら一寸後向いて人の顔へ異《おつ》に眼を呉れ無言で笑ふは、御嬉しかろと調戯《からか》つて焦らして底悦喜《そこえつき》さする冗談なれど、源太は却つて心から可笑《をかし》く思ふとも知らずにお傳はすいと明くれば、のろりと入り来る客は色ある新造どころか香も艶もなき無骨男、ぼう/\頭髪《あたま》のごり/\腮髯《ひげ》、面《かほ》は汚れて衣服《きもの》は垢づき破れたる見るから厭気のぞつとたつ程な様子に、流石呆れて挨拶さへどぎまぎ[#「どぎまぎ」に傍点]せしまゝ急には出ず。
 源太は笑《ゑみ》を含みながら、さあ十兵衞此所へ来て呉れ、関ふことは無い大胡坐《おほあぐら》で楽に居て呉れ、とおづ/\し居るを無理に坐に居《す》ゑ、頓《やが》て膳部も具備《そなは》りし後、さてあらためて飲み干したる酒盃とつて源太は擬《さ》し、沈黙《だんまり》で居る十兵衞に対ひ、十兵衞、先刻に富松を態※[#二の字点、1-2-22]遣つて此様《こん》な所に来て貰つたは、何でも無い、実は仲直り仕て貰ひたくてだ、何か汝とわつさり飲んで互ひの胸を和熟させ、過日《こなひだ》の夜の我が云ふた彼云ひ過ぎも忘れて貰ひたいとおもふからの事、聞て呉れ斯様いふ訳だ、過日の夜は実は我も余り汝を解らぬ奴と一途に思つて腹も立つた、恥しいが肝癪も起し業も沸《にや》し汝の頭を打砕《ぶつか》いて遣りたいほどにまでも思ふたが、然し幸福《しあはせ》に源太の頭が悪玉にばかりは乗取られず、清吉めが家へ来て酔つた揚句に云ひちらした無茶苦茶を、嗚呼了見の小い奴は詰らぬ事を理屈らしく恥かしくも無く云ふものだと、聞て居るさへ可笑くて堪らなさに不図左様思つた其途端、某夜汝の家で陳《なら》べ立つて来た我の云ひ草に気が付いて見れば清吉が言葉と似たり寄つたり、ゑゝ間違つた一時の腹立に捲き込まれたか残念、源太男が廃《すた》る、意地が立たぬ、上人の蔑視《さげすみ》も恐ろしい、十兵衞が何も彼も捨て辞退するものを斜《はす》に取つて逆意地たてれば大間違ひ、とは思つても余り汝の解らな過ぎるが腹立しく、四方八方何所から何所まで考へて、此所を推せば某所に襞※[#「ころもへん+責」、第3水準1-91-87]《ひずみ》が出る、彼点《あすこ》を立てれば此点《こゝ》に無理があると、まあ我の智慧分別ありたけ尽して我の為ばかり籌《はか》るでは無く云ふたことを、無下《むげ》に云ひ消されたが忌※[#二の字点、1-2-22]しくて忌※[#二の字点、1-2-22]しくて随分|堪忍《がまん》も仕かねたが、扨いよ/\了見を定めて上人様の御眼にかゝり所存を申し上げて見れば、好い/\と仰せられた唯の一言に雲霧《もや/\》は既《もう》無くなつて、清《すゞ》しい風が大空を吹いて居るやうな心持になつたは、昨日はまた上人様から熊※[#二の字点、1-2-22]の御招で、行つて見たれば我を御賞美の御言葉数※[#二の字点、1-2-22]の其上、いよ/\十兵衞に普請一切申しつけたが蔭になつて助けてやれ、皆|汝《そなた》の善根福種になるのぢや、十兵衞が手には職人もあるまい、彼がいよ/\取掛る日には何人《いくら》も傭ふ其中に汝が手下の者も交らう、必ず猜忌邪曲《そねみひがみ》など起さぬやうに其等には汝から能く云ひ含めて遣るがよいとの細い御諭し、何から何まで見透しで御慈悲深い上人様のありがたさにつく/″\我折つて帰つて来たが、十兵衞、過日《こなひだ》の云ひ過ごしは堪忍して呉れ、斯様した我の心意気が解つて呉れたら従来《いままで》通り浄く陸じく交際《つきあ》つて貰はう、一切が斯様定つて見れば何と思つた彼と思つたは皆夢の中の物詮議、後に遺して面倒こそあれ益《やく》無いこと、此不忍の池水にさらりと流して我も忘れう、十兵衞汝も忘れて呉れ、木材《きしな》の引合ひ、鳶人足《とび》への渡りなんど、まだ顔を売込んで居ぬ汝には一寸仕憎からうが、其等には我の顔も貸さうし手も貸さう、丸丁、山六、遠州屋、好い問屋は皆馴染で無うては先方《さき》が此方を呑んでならねば、万事歯痒い事の無いやう我を自由に出しに使へ、め粗の頭の鋭次といふは短気なは汝も知つて居るであらうが、骨は黒鉄《くろがね》、性根玉は憚りながら火の玉だと平常《ふだん》云ふだけ、扨じつくり頼めばぐつと引受け一寸退かぬ頼母しい男、塔は何より地行が大事、空風火水の四ツを受ける地盤の固めを彼にさせれば、火の玉鋭次が根性だけでも不動が台座の岩より堅く基礎《いしずゑ》確と据さすると諸肌ぬいで仕て呉るゝは必定、彼《あれ》にも頓て紹介《ひきあは》せう、既此様なつた暁には源太が望みは唯一ツ、天晴十兵衞汝が能く仕出来しさへすりや其で好のぢや、唯※[#二の字点、1-2-22]塔さへ能く成《でき》れば其に越した嬉しいことは無い、苟且《かりそめ》にも百年千年末世に残つて云はゞ我等《おれたち》の弟子筋の奴等が眼にも入るものに、へまがあつては悲しからうではないか、情無いではなからうか、源太十兵衞時代には此様な下らぬ建物に泣たり笑つたり仕たさうなと云はれる日には、なあ十兵衞、二人が舎利《しやり》も魂魄《たましひ》も粉灰にされて消し飛ばさるゝは、拙《へた》な細工で世に出ぬは恥も却つて少ないが、遺したものを弟子め等に笑はる日には馬鹿親父が息子に異見さるゝと同じく、親に異見を食ふ子より何段増して恥かしかろ、生礫刑《いきばりつけ》より死んだ後塩漬の上礫刑になるやうな目にあつてはならぬ、初めは我も是程に深くも思ひ寄らなんだが、汝が我の対面《むかう》にたつた其意気張から、十兵衞に塔建てさせ見よ源太に劣りはすまいといふか、源太が建てゝ見せくれう何十兵衞に劣らうぞと、腹の底には木を鑽《き》つて出した火で観る先の先、我意は何《なんに》も無くなつた唯だ好く成て呉れさへすれば汝も名誉《ほまれ》我も悦び、今日は是だけ云ひたいばかり、嗚呼十兵衞其大きな眼を湿ませて聴て呉れたか嬉しいやい、と磨いて礪《と》いで礪ぎ出した純粋《きつすゐ》江戸ッ子粘り気無し、一《ぴん》で無ければ六と出る、忿怒《いかり》の裏の温和《やさし》さも飽まで強き源太が言葉に、身|動《じろ》ぎさへせで聞き居し十兵衞、何も云はず畳に食ひつき、親方、堪忍して下され口がきけませぬ、十兵衞には口がきけませぬ、こ、こ、此通り、あゝ有り難うござりまする、と愚魯《おろか》しくもまた真実《まこと》に唯|平伏《ひれふ》して泣き居たり。

       其二十二

 言葉は無くても真情《まこと》は見ゆる十兵衞が挙動《そぶり》に源太は悦び、春風|湖《みづ》を渡つて霞日に蒸すともいふべき温和の景色を面にあらはし、何もやさしき語気|円暢《なだらか》に、斯様打解けて仕舞ふた上は互に不妙《まづい》ことも無く、上人様の思召にも叶ひ我等《おれたち》の一分も皆立つといふもの、嗚呼何にせよ好い心持、十兵衞|汝《きさま》も過してくれ、我も充分今日こそ酔はう、と云ひつゝ立つて違棚に載せて置たる風呂敷包とりおろし、結び目といて二束《ふたつかさね》にせし書類《かきもの》いだし、十兵衞が前に置き、我にあつては要なき此品《これ》の、一ツは面倒な材木《きしな》の委細《くはし》い当りを調べたのやら、人足軽子其他|種※[#二の字点、1-2-22]《さま/″\》の入目を幾晩かかゝつて漸く調べあげた積り書、又一ツは彼所《あすこ》を何して此所《こゝ》を斯してと工夫に工夫した下絵図、腰屋根の地割だけなもあり、平地割だけなのもあり、初重の仕形だけのもあり、二手先または三手先、出組《だしぐみ》ばかりなるもあり、雲形波形唐草|生類彫物《しやうるゐほりもの》のみを書きしもあり、何より彼より面倒なる真柱から内法《うちのり》長押《なげし》腰長押切目長押に半長押、椽板橡かつら亀腹桂高欄垂木|桝肘木《ますひぢき》、貫《ぬき》やら角木《すみぎ》の割合算法、墨縄《すみ》の引きやう規尺《かね》の取り様余さず洩さず記せしもあり、中には我の為しならで家に秘めたる先祖の遺品《かたみ》、外へは出せぬ絵図もあり、京都《きやう》やら奈良の堂塔を写しとりたるものもあり、此等は悉皆《みんな》汝に預くる、見たらば何かの足しにもなろ、と自己《おの》が精神《こゝろ》を籠めたるものを惜気もなしに譲りあたふる、胸の広さの頼母しきを解せぬといふにはあらざれど、のつそりもまた一[#(ト)]気性、他の巾着で我が口濡らすやうな事は好まず、親方まことに有り難うはござりまするが、御親切は頂戴《いたゞ》いたも同然、これは其方に御納めを、と心は左程に無けれども言葉に膠《にべ》の無さ過ぎる返辞をすれば、源太大きに悦ばず。此品《これ》をば汝は要らぬと云ふのか、と慍《いかり》を底に匿して問ふに、のつそり左様とは気もつかねば、別段拝借いたしても、と一句|迂濶《うつか》り答ふる途端、鋭き気性の源太は堪らず、親切の上親切を尽して我が智慧思案を凝らせし絵図まで与らむといふものを、無下に返すか慮外なり、何程|自己《おのれ》が手腕の好て他の好情《なさけ》を無にするか、そも/\最初に汝《おのれ》めが我が対岸へ廻はりし時にも腹は立ちしが、じつと堪へて争はず、普通《なみ》大体《たいてい》のものならば我が庇蔭被《かげき》たる身をもつて一つ仕事に手を入るゝか、打擲いても飽かぬ奴と、怒つて怒つて何にも為べきを、可愛きものにおもへばこそ一言半句の厭味も云はず、唯※[#二の字点、1-2-22]自然の成行に任せ置きしを忘れし歟、上人様の御諭しを受けての後も分別に分別渇らしてわざ/\出掛け、汝のために相談をかけてやりしも勝手の意地張り、大体《たいてい》ならぬものとても堪忍《がまん》なるべきところならぬを、よく/\汝を最惜《いとし》がればぞ踏み耐へたるとも知らざる歟、汝が運の好きのみにて汝が手腕の好きのみにて汝が心の正直のみにて、上人様より今度の工事《しごと》命けられしと思ひ居る歟、此品をば与つて此源太が恩がましくでも思ふと思ふか、乃至は既慢《もはや》気の萌して頭《てん》から何の詰らぬ者と人の絵図をも易く思ふか、取らぬとあるに強はせじ、余りといへば人情なき奴、あゝ有り難うござりますると喜び受けて此中の仕様を一所《ひととこ》二所《ふたとこ》は用ひし上に、彼箇所は御蔭で美《うま》う行きましたと後で挨拶するほどの事はあつても当然なるに、開けて見もせず覗きもせず、知れ切つたると云はぬばかりに愛想も菅《すげ》もなく要らぬとは、汝十兵衞よくも撥ねたの、此源太が仕た図の中に汝の知つた者のみ有らうや、汝等《うぬら》が工風の輪の外に源太が跳り出ずに有らうか、見るに足らぬと其方で思はば汝が手筋も知れてある、大方高の知れた塔建たぬ前から眼に映《うつ》つて気の毒ながら批難《なん》もある、既堪忍の緒も断れたり、卑劣《きたな》い返報《かへし》は為まいなれど源太が烈しい煮趣返報は、為る時為さで置くべき歟、酸くなるほどに今までは口もきいたが既きかぬ、一旦思ひ捨つる上は口きくほどの未練も有たぬ、三年なりとも十年なりとも返報《しかへし》するに充分な事のあるまで、物蔭から眼を光らして睨みつめ無言でじつと待つてゝ呉れうと、気性が違へば思はくも一二度終に三度めで無残至極に齟齬《くひちが》ひ、いと物静に言葉を低めて、十兵衞殿、と殿の字を急につけ出し叮嚀に、要らぬといふ図は仕舞ひましよ、汝一人で建つる塔定めて立派に出来やうが、地震か風の有らう時壊るゝことは有るまいな、と軽くは云へど深く嘲ける語《ことば》に十兵衞も快よからず、のつそりでも恥辱《はぢ》は知つて居ります、と底力味ある楔《くさび》を打てば、中※[#二の字点、1-2-22]見事な一言口ぢや、忘れぬやうに記臆《おぼ》えて居やうと、釘をさしつゝ恐ろしく睥みて後は物云はず、頓て忽ち立ち上つて、嗚呼飛んでも無い事を忘れた、十兵衞殿|寛《ゆる》りと遊んで居て呉れ、我は帰らねばならぬこと思ひ出した、と風の如くに其座を去り、あれといふ間に推量勘定、幾金《いくら》か遺して風《ふい》と出つ、直其足で同じ町の某《ある》家が閾またぐや否、厭だ/\、厭だ/\、詰らぬ下らぬ馬鹿※[#二の字点、1-2-22]※[#二の字点、1-2-22]しい、愚図※[#二の字点、1-2-22]※[#二の字点、1-2-22]せずと酒もて来い、蝋燭いぢつて其が食へるか、鈍痴《どぢ》め肴で酒が飲めるか、小兼春吉お房蝶子四の五の云はせず掴むで来い、臑《すね》の達者な若い衆頼も、我家《うち》へ行て清、仙、鐵、政、誰でも彼でも直に遊びに遣《よ》こすやう、といふ片手間にぐい/\仰飲《あふ》る間も無く入り来る女共に、今晩なぞとは手ぬるいぞ、と驀向《まつかう》から焦躁《じれ》を吹つ掛けて、飲め、酒は車懸り、緒口《ちよく》は巴と廻せ廻せ、お房|外見《みえ》をするな、春婆大人ぶるな、ゑゝお蝶め其でも血が循環《めぐ》つて居るのか頭上《あたま》に鼬《いたち》花火載せて火をつくるぞ、さあ歌へ、ぢやん/\と遣れ、小兼め気持の好い声を出す、あぐり踊るか、かぐりもつと跳ねろ、やあ清吉来たか鐵も来たか、何でも好い滅茶 滅茶 に騒げ、我に嬉しい事が有るのだ、無礼講に遣れ/\、と大将無法の元気なれば、後れて来たる仙も政も煙《けぶ》に巻かれて浮かれたち、天井抜けうが根太抜けうが抜けたら此方の御手のものと、飛ぶやら舞ふやら唸るやら、潮来《いたこ》出島《でじま》もしほらしからず、甚句に鬨《とき》の声を湧かし、かつぽれに滑つて転倒《ころ》び、手品《てづま》の太鼓を杯洗で鐵がたゝけば、清吉はお房が傍に寐転んで銀釵《かんざし》にお前|其様《そのよ》に酢ばかり飲んでを稽古する馬鹿騒ぎの中で、一了簡あり顔の政が木遣を丸めたやうな声しながら、北に峨々たる青山をと異《おつ》なことを吐き出す勝手三昧、やつちやもつちやの末は拳も下卑て、乳房《ちゝ》の脹れた奴が臍の下に紙幕張るほどになれば、さあもう此処は切り上げてと源太が一言、それから先は何所へやら。

       其二十三

 鷹《たか》の飛ぶ時|他所視《よそみ》はなさず、鶴なら鶴の一点張りに雲をも穿《うが》ち風にも逆《むか》つて目ざす獲物の、咽喉仏|把攫《ひつつか》までは合点せざるものなり。十兵衞いよ/\五重塔の工事《しごと》するに定まつてより寐ても起きても其事《それ》三昧《ざんまい》、朝の飯喫ふにも心の中では塔を噬《か》み、夜の夢結ぶにも魂魄《たましひ》は九輪の頂を繞るほどなれば、況して仕事にかゝつては妻あることも忘れ果て児のあることも忘れ果て、昨日の我を念頭に浮べもせず明日の我を想ひもなさず、唯一[#(ト)]釿《てうな》ふりあげて木を伐るときは満身の力を其に籠め、一枚の図をひく時には一心の誠を其に注ぎ、五尺の身体こそ犬鳴き鶏歌ひ權兵衞が家に吉慶《よろこび》あれば木工右衞門《もくゑもん》が所に悲哀《かなしみ》ある俗世に在りもすれ、精神《こゝろ》は紛たる因縁に奪《と》られで必死とばかり勤め励めば、前《さき》の夜源太に面白からず思はれしことの気にかゝらぬにはあらざれど、日頃ののつそり益※[#二の字点、1-2-22]長じて、既何処にか風吹きたりし位に自然軽う取り做し、頓ては頓と打ち忘れ、唯※[#二の字点、1-2-22]仕事にのみ掛りしは愚鈍《おろか》なるだけ情に鈍くて、一条道より外へは駈けぬ老牛《おいうし》の痴に似たりけり。
 金箔銀箔瑠璃真珠|水精《すゐしやう》以上合せて五宝、丁子《ちやうじ》沈香《ぢんかう》白膠《はくきやう》薫陸《くんろく》白檀《びやくだん》以上合せて五香、其他五薬五穀まで備へて大土祖神埴山彦神埴山媛神《おほつちみおやのかみはにやまひこのかみはにやまひめのかみ》あらゆる鎮護の神※[#二の字点、1-2-22]を祭る地鎮の式もすみ、地曳土取故障なく、さて龍伏《いしずゑ》は其月の生気の方より右旋《みぎめぐ》りに次第据ゑ行き五星を祭り、釿《てうな》初めの大礼には鍛冶の道をば創められし天《あま》の目《ま》一箇《ひとつ》の命《みこと》、番匠の道|闢《ひらか》かれし手置帆負《ておきほおひ》の命《みこと》彦狭知《ひこさち》の命より思兼《おもひかね》の命|天児屋根《あまつこやね》の命太玉の命、木の神といふ句※[#二の字点、1-2-22]廼馳《くゝのち》の神まで七神祭りて、其次の清鉋の礼も首尾よく済み、東方提頭頼※[#「咤-宀」、第3水準1-14-85]持國天王《とうばうたいとらだぢごくてんわう》、西方尾※[#「口+魯」、第4水準2-4-45]叉廣目天王《さいはうびろしやくわうもくてんわう》や南方毘留勒叉増長天《なんぱうびるろしやぞうちやうてん》、北方毘沙門多聞天王《ほつぱうびしやもんたもんてんわう》、四天にかたどる四方の柱千年萬年|動《ゆる》ぐなと祈り定むる柱立式《はしらだて》、天星色星多願《てんせいしきせいたぐわん》の玉女三神、貪狼巨門《たんらうきよもん》等北斗の七星を祭りて願ふ永久安護、順に柱の仮轄《かりくさび》を三ツづゝ打つて脇司《わきつかさ》に打ち緊めさする十兵衞は、幾干《いくそ》の苦心も此所まで運べば垢穢顔《きたなきかほ》にも光の出るほど喜悦《よろこび》に気の勇み立ち、動きなき下津盤根《しもついはね》の太柱と式にて唱ふる古歌さへも、何とはなしにつく/″\嬉しく、身を立つる世のためしぞと其|下《しも》
の句を吟ずるにも莞爾《にこ/\》しつつ二度《ふたたび》し、壇に向ふて礼拝|恭《つゝし》み、拍手の音清く響かし一切成就の祓を終る此所の光景《さま》には引きかへて、源太が家の物淋しさ。
 主人は男の心強く思ひを外には現さねど、お吉は何程さばけたりとて流石女の胸小さく、出入るものに感応寺の塔の地曳の今日済みたり柱立式《はしらだて》昨日済みしと聞く度ごとに忌※[#二の字点、1-2-22]敷、嫉妬の火炎《ほむら》衝き上がりて、汝十兵衞恩知らずめ、良人《うち》の心の広いのをよい事にして付上り、うま/\名を揚げ身を立るか、よし名の揚り身の立たば差詰礼にも来べき筈を、知らぬ顔して鼻高※[#二の字点、1-2-22]と其日※[#二の字点、1-2-22]※[#二の字点、1-2-22]を送りくさる歟、余りに性質《ひと》の好過ぎたる良人《うち》も良人なら面憎きのつそりめもまたのつそりめと、折にふれては八重縦横に癇癪の虫跳ね廻らし、自己《おの》が小鬢の後毛上げても、ゑゝ焦つたいと罪の無き髪を掻きむしり、一文貰ひに乞食が来ても甲張り声に酷く謝絶りなどしけるが、或日源太が不在《るす》のところへ心易き医者道益といふ饒舌坊主遊びに来りて、四方八方《よもやま》の話の末、或人に連れられて過般《このあひだ》蓬莱屋へまゐりましたが、お傳といふ女からきゝました一分始終、いやどうも此方の棟梁は違つたもの、えらいもの、男児は左様あり度と感服いたしました、と御世辞半分何の気なしに云ひ出でし詞を、手繰つて其夜の仔細をきけば、知らずに居てさへ口惜しきに知つては重々憎き十兵衞、お吉いよ/\腹を立ちぬ。

       其二十四

 清吉|汝《そなた》は腑甲斐無い、意地も察しも無い男、何故私には打明けて過般《こなひだ》の夜の始末をば今まで話して呉れ無かつた、私に聞かして気の毒と異《おつ》に遠慮をしたものか、余りといへば狭隘《けち》な根性、よしや仔細を聴たとてまさか私が狼狽《うろたへ》まはり動転するやうなことはせぬに、女と軽しめて何事も知らせずに置き隠し立して置く良人《うちのひと》の了簡は兎も角も、汝等《そなたたち》まで私を聾に盲目にして済して居るとは余りな仕打、また親方の腹の中がみす/\知れて居ながらに平気の平左で酒に浮かれ、女郎買の供するばかりが男の能でもあるまいに、長閑気《のんき》で斯して遊びに来るとは、清吉|汝《おまへ》もおめでたいの、平生《いつも》は不在《るす》でも飲ませるところだが今日は私は関へない、海苔一枚焼いて遣るも厭なら下らぬ世間咄しの相手するも虫が嫌ふ、飲みたくば勝手に台所へ行つて呑口ひねりや、談話が仕たくば猫でも相手に為るがよい、と何も知らぬ清吉、道益が帰りし跡へ偶然《ふと》行き合はせて散※[#二の字点、1-2-22]にお吉が不機嫌を浴せかけられ、訳も了らず驚きあきれて、へどもどなしつゝ段※[#二の字点、1-2-22]※[#二の字点、1-2-22]と様子を問へば、自己《おのれ》も知らずに今の今まで居し事なれど、聞けば成程何あつても堪忍《がまん》の成らぬのつそりの憎さ、生命と頼む我が親方に重※[#二の字点、1-2-22]恩を被た身をもつて無遠慮過ぎた十兵衞めが処置振り、飽まで親切真実の親方の顔踏みつけたる憎さも憎し何して呉れう。
 ムヽ親方と十兵衞とは相撲にならぬ身分の差《ちが》ひ、のつそり相手に争つては夜光の璧《たま》を小礫《いしころ》に擲付《ぶつ》けるやうなものなれば、腹は十分立たれても分別強く堪へて堪へて、誰にも彼にも鬱憤を洩さず知らさず居らるゝなるべし、ゑゝ親方は情無い、他の奴は兎も角清吉だけには知らしても可さそうなものを、親方と十兵衞では此方が損、我とのつそりなら損は無い、よし、十兵衞め、たゞ置かうやと逸《はや》りきつたる鼻先思案。姉御、知らぬ中は是非が無い、堪忍して下され、様子知つては憚りながら既叱られては居りますまい、此清吉が女郎買の供するばかりを能の野郎か野郎で無いか見て居て下され、左様ならば、と後声《しりごゑ》烈しく云ひ捨て格子戸がらり明つ放し、草履も穿かず後も見ず風より疾く駆け去れば、お吉今さら気遣はしくつゞいて追掛け呼びとむる二[#(タ)]声三声、四声めには既《はや》影さへも見えずなつたり。

       其二十五

 材《き》を釿《はつ》る斧《よき》の音、板削る鉋の音、孔を鑿《ほ》るやら釘打つやら丁※[#二の字点、1-2-22]かち/\響忙しく、木片《こつぱ》は飛んで疾風に木の葉の翻へるが如く、鋸屑《おがくづ》舞つて晴天に雪の降る感応寺境内普請場の景況《ありさま》賑やかに、紺の腹掛頸筋に喰ひ込むやうなを懸けて小胯の切り上がつた股引いなせに、つつかけ草履の勇み姿、さも怜悧気に働くもあり、汚れ手拭肩にして日当りの好き場所に蹲踞み、悠※[#二の字点、1-2-22]然と鑿を※[#「石+刑」、第3水準1-89-2]《と》ぐ衣服《なり》の垢穢《きたな》き爺もあり、道具捜しにまごつく小童《わつぱ》、頻りに木を挽割《ひく》日傭取り、人さま/″\の骨折り気遣ひ、汗かき息張る其中に、総棟梁ののつそり十兵衞、皆の仕事を監督《みまは》りかた/″\、墨壺墨さし矩尺《かね》もつて胸三寸にある切組を実物にする指図|命令《いひつけ》。斯様《かう》截《き》れ彼様《あゝ》穿《ほ》れ、此処を何様して何様やつて其処に是だけ勾配有たせよ、孕みが何寸凹みが何分と口でも知らせ墨縄《なは》でも云はせ、面倒なるは板片に矩尺の仕様を書いても示し、鵜の目鷹の目油断無く必死となりて自ら励み、今しも一人の若佼《わかもの》に彫物の画を描き与らんと余念も無しに居しところへ、野緒《ゐのしゝ》よりも尚疾く塵土《ほこり》を蹴立てゝ飛び来し清吉。
 忿怒の面火玉の如くし逆釣つたる目を一段視開き、畜生、のつそり、くたばれ、と大喝すれば十兵衞驚き、振り向く途端に驀向《まつかう》より岩も裂けよと打下すは、ぎら/\するまで※[#「石+刑」、第3水準1-89-2]ぎ澄ませし釿を縦に其柄にすげたる大工に取つての刀なれば、何かは堪らむ避くる間足らず左の耳を殺ぎ落され肩先少し切り割かれしが、仕損じたりと又|踏込《ふんご》んで打つを逃げつゝ、抛げ付くる釘箱才槌墨壺|矩尺《かねざし》、利器《えもの》の無さに防ぐ術なく、身を翻へして退く機《はずみ》に足を突込む道具箱、ぐざと踏み貫く五寸釘、思はず転ぶを得たりやと笠にかゝつて清吉が振り冠つたる釿の刃先に夕日の光の閃《きら》りと宿つて空に知られぬ電光《いなづま》の、疾しや遅しや其時此時、背面《うしろ》の方に乳虎《にうこ》一声、馬鹿め、と叫ぶ男あつて二間丸太に論も無く両臑《もろずね》脆く薙《な》ぎ倒せば、倒れて益※[#二の字点、1-2-22]怒る清吉、忽ち勃然《むつく》と起きんとする襟元|把《と》つて、やい我《おれ》だは、血迷ふな此馬鹿め、と何の苦も無く釿もぎ取り捨てながら上からぬつと出す顔は、八方睨みの大眼《おほまなこ》、一文字口怒り鼻、渦巻縮れの両鬢は不動を欺くばかりの相形。
 やあ火の玉の親分か、訳がある、打捨つて置いて呉れ、と力を限り払ひ除けむと※[#「足へん+宛」、第3水準1-92-36]《もが》き焦燥《あせ》るを、栄螺《さゞえ》の如き拳固で鎮圧《しづ》め、ゑゝ、じたばたすれば拳殺《はりころ》すぞ、馬鹿め。親分、情無い、此所を此所を放して呉れ。馬鹿め。ゑゝ分らねへ、親分、彼奴を活しては置かれねへのだ。馬鹿野郎め、べそをかくのか、従順く仕なければ尚《まだ》打つぞ。親分酷い。馬鹿め、やかましいは、拳殺すぞ。あんまり分らねへ、親分。馬鹿め、それ打つぞ。親分。馬鹿め。放して。馬鹿め。親分。馬鹿め。放して。馬鹿め。親。馬鹿め。放《はな》。馬鹿め。お。馬鹿め馬鹿め/\/\、醜態《ざま》を見ろ、従順くなつたらう、野郎我の家へ来い、やい何様した、野郎、やあ此奴は死んだな、詰らなく弱い奴だな、やあい、誰奴《どいつ》か来い、肝心の時は逃げ出して今頃十兵衞が周囲に蟻のやうに群《たか》つて何の役に立つ、馬鹿ども、此方には亡者が出来かゝつて居るのだ、鈍遅《どぢ》め、水でも汲んで来て打法《ぶつか》けて遣れい、落ちた耳を拾つて居る奴があるものか、白痴め、汲んで来たか、関ふことは無い、一時に手桶の水|不残《みんな》面へ打付《ぶつけ》ろ、此様野郎は脆く生るものだ、それ占めた、清吉ッ、確乎《しつかり》しろ、意地の無へ、どれ/\此奴は我が背負つて行つて遣らう、十兵衞が肩の疵は浅からうな、むゝ、よし/\、馬鹿ども左様なら。

       其二十六

 源太居るかと這入り来る鋭次を、お吉立ち上つて、おゝ親分さま、まあ/\此方へと誘へば、ずつと通つて火鉢の前に無遠慮の大胡坐かき、汲んで出さるゝ櫻湯を半分ばかり飲み干してお吉の顔を視、面色《いろ》が悪いが何様かした歟、源太は何所ぞへ行つたの歟、定めし既《もう》聴たであらうが清吉めが詰らぬ事を仕出来しての、それ故一寸話があつて来たが、むゝ左様か、既十兵衞がところへ行つたと、ハヽヽ、敏捷《すばや》い/\、流石に源太だは、我の思案より先に身体が疾《とつく》に動いて居るなぞは頼母しい、なあにお吉心配する事は無い、十兵衞と御上人様に源太が謝罪《わび》をしてな、自分の示しが足らなかつたで手《て》下の奴が飛だ心得違ひを仕ました、幾重にも勘弁して下されと三ツ四ツ頭を下げれば済んで仕舞ふ事だは、案じ過しはいらぬもの、其でも先方《さき》が愚図※[#二の字点、1-2-22]※[#二の字点、1-2-22]いへば正面《まとも》に源太が喧嘩を買つて破裂《ばれ》の始末をつければ可いさ、薄※[#二の字点、1-2-22]聴いた噂では十兵衞も耳朶の一ツや半分|斫《き》り奪られても恨まれぬ筈、随分清吉の軽操行為《おつちよこちよい》も一寸をかしな可い洒落か知れぬ、ハヽヽ、然し憫然《かはいそ》に我の拳固を大分食つて吽※[#二の字点、1-2-22]《うん/\》苦しがつて居るばかりか、十兵衞を殺した後は何様始末が着くと我に云はれて漸く悟つたかして、噫悪かつた、逸り過ぎた間違つた事をした、親方に頭を下げさするやうな事をした歟|噫《あゝ》済まないと、自分の身体《みうち》の痛いのより後悔にぼろ/\涙を翻《こぼ》して居る愍然《ふびん》さは、何と可愛い奴では無い歟、喃お吉、源太は酷く清吉を叱つて叱つて十兵衞が所へ謝罪《あやまり》に行けとまで云ふか知らぬが、其時表向の義理なりや是非は無いが、此所は汝《おまへ》の儲け役、彼奴を何か、なあそれ、よしか、其所は源太を抱寝するほどのお吉様に了《わか》らぬことは無い寸法か、アハヽヽヽ、源太が居ないで話も要らぬ、どれ帰らうかい御馳走は預けて置かう、用があつたら何日でもお出、とぼつ/\語つて帰りし後、思へば済まぬことばかり。女の浅き心から分別も無く清吉に毒づきしが、逸りきつたる若き男の間違仕出して可憫《あはれ》や清吉は自己《おのれ》の世を狭め、わが身は大切《だいじ》の所天《をつと》をまで憎うてならぬのつそりに謝罪らするやうなり行きしは、時の拍子の出来事ながら畢竟《つまり》は我が口より出し過失《あやまち》、兎せん角せん何とすべきと、火鉢の縁に凭《もた》する肘のついがつくりと滑るまで、我を忘れて思案に思案凝らせしが、思ひ定めて、応左様ぢやと、立つて箪笥の大抽匣、明けて麝香《じやかう》の気《か》と共に投げ出し取り出すたしなみの、帯はそも/\此家《こゝ》へ来し嬉し恥かし恐ろしの其時締めし、ゑゝそれよ。懇話《ねだ》つて買つて貰ふたる博多に繻子に未練も無し、三枚重ねに忍ばるゝ往時《むかし》は罪の無い夢なり、今は苦労の山繭縞《やままゆじま》、ひらりと飛ばす飛八丈此頃好みし毛万筋《けまんすぢ》、千筋百筋気は乱るとも夫おもふは唯一筋、唯一筋の唐七糸帯《からしゆつちん》は、お屋敷奉公せし叔母が紀念《かたみ》と大切に秘蔵《ひめ》たれど何か厭はむ手放すを、と何やら彼やら有たけ出して婢《をんな》に包ませ、夫の帰らぬ其中と櫛|笄《かうがい》も手ばしこく小箱に纏めて、さて其品《それ》を無残や余所の蔵に籠らせ、幾干かの金懐中に浅黄の頭巾小提灯、闇夜も恐れず鋭次が家に。

       其二十七

 池の端の行き違ひより翻然《からり》と変りし源太が腹の底、初めは可愛う思ひしも今は小癪に障つてならぬ其十兵衞に、頭を下げ両手をついて謝罪らねばならぬ忌々しさ。さりとて打捨置かば清吉の乱暴も我が命令けて為せし歟のやう疑がはれて、何も知らぬ身に心地快からぬ濡衣被せられむ事の口惜しく、唯さへおもしろからぬ此頃余計な魔がさして下らぬ心|労《づか》ひを、馬鹿 馬鹿 しき清吉めが挙動《ふるまひ》のために為ねばならぬ苦々しさに益々心|平穏《おだやか》ならねど、処弁《さば》く道の処弁かで済むべき訳も無ければ、是も皆自然に湧きし事、何とも是非なしと諦めて厭々ながら十兵衞が家|音問《おとづ》れ、不慮の難をば訪ひ慰め、且は清吉を戒むること足らざりしを謝び、のつそり夫婦が様子を視るに十兵衞は例の無言三昧、お浪は女の物やさしく、幸ひ傷も肩のは浅く大した事ではござりませねば何卒《どうぞ》お案じ下されますな、態※[#二の字点、1-2-22]御見舞下されては実《まこと》に恐れ入りまする、と如才なく口はきけど言葉遣ひのあらたまりて、自然《おのづ》と何処かに稜角《かど》あるは問はずと知れし胸の中、若しや源太が清吉に内※[#二の字点、1-2-22]含めて為せし歟と疑ひ居るに極つたり。
 ゑゝ業腹な、十兵衞も大方我を左様視て居るべし、疾《とく》時機《とき》の来よ此源太が返報《しかへし》仕様を見せて呉れむ、清吉ごとき卑劣《けち》な野郎の為た事に何似るべき歟、釿《てうな》で片耳殺ぎ取る如き下らぬ事を我が為うや、我が腹立は木片の火のぱつと燃え立ち直消ゆる、堪へも意地も無きやうなる事では済まさじ承知せじ、今日の変事は今日の変事、我が癇癪は我が癇癪、全で別なり関係《かゝりあひ》なし、源太が為やうは知るとき知れ悟らする時悟らせ呉れむと、裏《うち》にいよ/\不平は懐けど露塵ほども外には出さず、義理の挨拶見事に済まして直其足を感応寺に向け、上人の御目通り願ひ、一応自己が隷属《みうち》の者の不埒を御謝罪《おわび》し、我家に帰りて、卒《いざ》これよりは鋭次に会ひ、其時清を押へ呉たる礼をも演べつ其時の景状《やうす》をも聞きつ、又一ツには散々清を罵り叱つて以後《こののち》我家に出入り無用と云ひつけ呉れむと立出掛け、お吉の居ぬを不審して何所へと問へば、何方へか一寸《ちよと》行て来るとてお出になりました、と何食はぬ顔で婢《をんな》の答へ、口禁《くちどめ》されてなりとは知らねば、応左様歟、よし/\、我は火の玉の兄《あにき》がところへ遊びに行たとお吉帰らば云ふて置け、と草履つつかけ出合ひがしら、胡麻竹の杖とぼ/\と焼痕《やけこげ》のある提灯片手、老の歩みの見る目笑止にへの字なりして此方へ来る婆。おゝ清の母親《おふくろ》ではないか。あ、親方様でしたか、

       其二十八

 あゝ好いところで御眼にかゝりましたが何所《どちら》へか御出掛けでござりまするか、と忙し気に老婆《ばゞ》が問ふに源太軽く会釈して、まあ能いは、遠慮せずと此方へ這入りやれ、態※[#二の字点、1-2-22]夜道を拾ふて来たは何ぞ急の用か、聴いてあげやう、と立戻れば、ハイ/\、有り難うござります、御出掛のところを済みません、御免下さいまし、ハイ/\、と云ひながら後に随いて格子戸くゞり、寒かつたらうに能う出て来たの、生憎お吉も居ないで関ふことも出来ぬが、縮《ちゞこ》まつて居ずとずつと前へ進《で》て火にでもあたるがよい、と親切に云ふてくるゝ源太が言葉に愈※[#二の字点、1-2-22]身を堅くして縮まり、お構ひ下さいましては恐れ入りまする、ハイ/\、懐炉を入れて居りますれば是で恰好でござりまする、と意久地なく落かゝる水涕を洲の立つた半天の袖で拭きながら遥《はるか》下《さが》つて入口近きところに蹲まり、何やら云ひ出したさうな素振り、源太早くも大方察して老婆《としより》の心の中嘸かしと気の毒さ堪らず、余計な事仕出して我に肝煎らせし清吉のお先走りを罵り懲らして、当分出入ならぬ由云ひに鋭次がところへ行かんとせし矢先であれど、視れば我が子を除いては阿彌陀様より他に親しい者も無かるべき孱弱《かよわ》き婆のあはれにて、我清吉を突き放さば身は腰弱弓の弦《つる》に断れられし心地して、在るに甲斐なき生命ながらへむに張りも無く的も無くなり、何程か悲み歎いて多くもあらぬ余生を愚痴の涙の時雨に暮らし、晴※[#二の字点、1-2-22]とした気持のする日も無くて終ることならむと、思ひ遣れば思ひ遣るだけ憫然《ふびん》さの増し、煙草捻つてつい居るに、婆は少しくにぢり出で、夜分まゐりまして実に済みませんが、あの少しお願ひ申したい訳のござりまして、ハイ/\、既御存知でもござりませうが彼清吉めが飛んだ事をいたしましたさうで、ハイ、/\、鐵五郎様から大概は聞きましたが、平常からして気の逸い奴で、直に打つの斫《き》るのと騒ぎまして其度にひや/\させまする、お蔭さまで一人前にはなつて居りましても未だ児童《がき》のやうな真一酷《まいつこく》、悪いことや曲つたことは決して仕ませぬが取り上せては分別の無くなる困つた奴《やつこ》で、ハイ/\、悪気は夢さら無い奴でござります、ハイ/\其は御存知で、ハイ有り難うござります、何様いふ筋で喧嘩をいたしましたか知りませぬが大それた手斧《てうな》なんぞを振り舞はしましたそうで、左様きゝました時は私が手斧で斫られたやうな心持がいたしました、め組の親分とやらが幸ひ抱き留めて下されましたとか、まあ責めてもでござります、相手が死にでもしましたら彼奴《あれめ》は下手人、わたくしは彼を亡くして生きて居る瀬はござりませぬ、ハイ有り難うござります、彼めが幼少《ちいさい》ときは烈《ひど》い虫持《むしもち》で苦労をさせられましたも大抵ではござりませぬ、漸く中山の鬼子母神様の御利益で満足には育ちましたが、癒りましたら七歳《なゝつ》までに御庭の土を踏ませませうと申して置きながら、遂何彼にかまけて御礼参りもいたさせなかつた其御罰か、丈夫にはなりましたが彼通の無鉄砲、毎※[#二の字点、1-2-22]お世話をかけまする、今日も今日とて鐵五郎様がこれ/\と掻摘んで話されました時の私の吃驚、刃物を準備《ようい》までしてと聞いた時には、ゑゝ又かと思はずどつきり胸も裂けさうになりました、め組の親分様とかが預かつて下されたとあれば安心のやうなものゝ、清めは怪我はいたしませぬかと聞けば鐵様の曖昧な返辞、別条はない案じるなと云はるゝだけに猶案ぜられ、其親分の家を尋ぬれば、其処へ汝《おまへ》が行つたが好いか行かぬが可いか我には分らぬ、兎も角も親方様のところへ伺つて見ろと云ひつ放しで帰つて仕舞はれ、猶※[#二の字点、1-2-22]胸がしく/\痛んで居ても起ても居られませねば、留守を隣家《となり》の傘張りに頼むでやうやく参りました、何うかめ組の親分とやらの家を教へて下さいまし、ハイ/\直にまゐりまするつもりで、何んな態して居りまするか、若しや却つて大怪我など為て居るのではござりますまいか、よいものならば早う逢て安堵したうござりまするし喧嘩の模様も聞きたうござりまする、大丈夫曲つた事はよもやいたすまいと思ふて居りまするが若い者の事、ひよつと筋の違つた意趣でゞも為た訳なら、相手の十兵衞様に先此婆が一生懸命で謝罪り、婆は仮令如何されても惜くない老耄《おいぼれ》、行先の長い彼奴《あれめ》が人様に恨まれるやうなことの無いやうに為ねばなりませぬ、とおろ/\涙になつての話し。始終を知らで一[#(ト)]筋に我子をおもふ老の繰言、此返答には源太こまりぬ。

       其二十九

 八五郎其所に居るか、誰か来たやうだ明けてやれ、と云はれて、なんだ不思議な、女らしいぞと口の中で独語《つぶやき》ながら、誰だ女嫌ひの親分の所へ今頃来るのは、さあ這入りな、とがらりと戸を引き退くれば、八《は》ッ様《さん》お世話、と軽い挨拶、提灯吹き減《け》して頭巾を脱ぎにかかるは、此盆にも此の正月にも心付して呉れたお吉と気がついて八五郎めんくらひ、素肌に一枚どてらの袵《まへ》広がつて鼠色《ねずみ》になりし犢鼻褌《ふんどし》の見ゆるを急に押し隠しなどしつ、親分、なんの、あの、なんの姉御だ、と忙しく奥へ声をかくるに、なんの尽しで分る江戸ッ児。応左様か、お吉来たの、能く来た、まあ其辺《そこら》の塵埃《ごみ》の無さゝうなところへ坐つて呉れ、油虫が這つて行くから用心しな、野郎ばかりの家は不潔《きたない》のが粧飾《みえ》だから仕方が無い、我《おれ》も汝《おまへ》のやうな好い嚊でも持つたら清潔《きれい》に為やうよ、アハヽヽと笑へばお吉も笑ひながら、左様したらまた不潔※[#二の字点、1-2-22]※[#二の字点、1-2-22]と厳敷《きびしく》御叱《おいぢ》めなさるか知れぬ、と互ひに二ツ三ツ冗話《むだばな》し仕て後、お吉少しく改まり、清吉は眠《ね》て居りまするか、何様いふ様子か見ても遣りたし、心にかゝれば参りました、と云へば鋭次も打頷き、清は今がたすや/\睡着《ねつ》いて起きさうにも無い容態ぢやが、疵といふて別にあるでもなし頭の顱骨《さら》を打破つた訳でもなければ、整骨医師《ほねつぎいしや》の先刻云ふには、烈《ひど》く逆上したところを滅茶※[#二の字点、1-2-22]※[#二の字点、1-2-22]に撲たれたため一時は気絶までも為たれ、保証《うけあひ》大したことは無い由、見たくば一寸覗いて見よ、と先に立つて導く後につき行くお吉、三畳ばかりの部屋の中に一切夢で眠り居る清吉を見るに、顔も頭も膨れ上りて、此様に撲つてなしたる鋭次の酷《むご》さが恨めしきまで可憫《あはれ》なる態《さま》なれど、済んだ事の是非も無く、座に戻つて鋭次に対ひ、我夫《うち》では必ず清吉が余計な手出しに腹を立ち、御上人様やら十兵衞への義理をかねて酷く叱るか出入りを禁《と》むるか何とかするでござりませうが、元はといへば清吉が自分の意恨で仕たではなし、畢竟《つまり》は此方の事のため、筋の違つた腹立をついむら/\としたのみなれば、妾は何《どう》も我夫《うち》のするばかりを見て居る訳には行かず、殊更少し訳あつて妾が何《どう》とか為てやらねば此胸の済まぬ仕誼《しぎ》もあり、それやこれやを種※[#二の字点、1-2-22]《いろ/\》と案じた末に浮んだは一年か半年ほど清吉に此地《こち》退かすること、人の噂も遠のいて我夫の機嫌も治つたら取成し様は幾干も有り、まづそれまでは上方あたりに遊んで居るやう為てやりたく、路用の金も調《こしら》へて来ましたれば少しなれども御預け申しまする、何卒宜敷云ひ含めて清吉めに与つて下さりませ、我夫は彼通り表裏の無い人、腹の底には如何思つても必ず辛く清吉に一旦あたるに違ひ無く、未練気なしに叱りませうが、其時何と清吉が仮令云ふても取り上げぬは知れたこと、傍から妾が口を出しても義理は義理なりや仕様は無し、さりとて慾で做出来《しでか》した咎でもないに男一人の寄り付く島も無いやうにして知らぬ顔では如何しても妾が居られませぬ、彼《あれ》が一人の母のことは彼さへ居ねば我夫にも話して扶助《たすく》るに厭は云はせまじく、また厭といふやうな分らぬことを云ひも仕ますまいなれば掛念はなけれど、妾が今夜来たことやら蔭で清をば劬ることは、我夫へは当分|秘密《ないしよ》にして。解つた、えらい、もう用は無からう、お帰り/\、源太が大抵来るかも知れぬ、撞見《でつくわ》しては拙からう、と愛想は無けれど真実はある言葉に、お吉嬉しく頼み置きて帰れば、其後へ引きちがへて来る源太、果して清吉に、出入りを禁《と》むる師弟の縁断るとの言ひ渡し。鋭次は笑つて黙り、清吉は泣て詫びしが、其夜源太の帰りし跡、清吉鋭次にまた泣かせられて、狗《いぬ》になつても我や姉御夫婦の門辺は去らぬと唸りける。
 四五日過ぎて清吉は八五郎に送られ、箱根の温泉《いでゆ》を志して江戸を出しが、夫よりたどる東海道いたるは京か大阪の、夢はいつでも東都《あづま》なるべし。

       其三十

 十兵衞傷を負ふて帰つたる翌朝、平生《いつも》の如く夙《と》く起き出づればお浪驚いて急にとゞめ、まあ滅相な、緩《ゆる》りと臥むでおいでなされおいでなされ、今日は取りわけ朝風の冷たいに破傷風にでもなつたら何となさる、どうか臥むで居て下され、お湯ももう直沸きませうほどに含嗽《うがひ》手水《てうづ》も其所で妾が為せてあげませう、と破土竃《やぶれべつつひ》にかけたる羽虧《はか》け釜の下焚きつけながら気を揉んで云へど、一向平気の十兵衞笑つて、病人あしらひにされるまでの事はない、手拭だけを絞つて貰へば顔も一人で洗ふたが好い気持ぢや、と箍《たが》の緩みし小盥に自ら水を汲み取りて、別段悩める容態《やうす》も無く平日《ふだん》の如く振舞へば、お浪は呆れ且つ案ずるに、のつそり少しも頓着せず朝食《あさめし》終ふて立上り、突然《いきなり》衣物を脱ぎ捨てゝ股引腹掛|着《つけ》にかゝるを、飛んでも無い事何処へ行かるゝ、何程仕事の大事ぢやとて昨日の今日は疵口の合ひもすまいし痛みも去るまじ、泰然《ぢつ》として居よ身体を使ふな、仔細は無けれど治癒《なほ》るまでは万般《よろづ》要慎《つゝしみ》第一と云はれた御医者様の言葉さへあるに、無理圧して感応寺に行かるゝ心か、強過ぎる、仮令行つたとて働きはなるまじ、行かいでも誰が咎めう、行かで済まぬと思はるゝなら妾が一寸《ちよと》一[#(ト)]走り、お上人様の御目にかゝつて三日四日の養生を直※[#二の字点、1-2-22]に願ふて来ましよ、御慈悲深いお上人様の御承知なされぬ気遣ひない、かならず大切《だいじ》にせい軽拳《かるはずみ》すなと仰やるは知れた事、さあ此衣《これ》を着て家に引籠み、せめて疵口《くち》の悉皆《すつかり》密着《くつつ》くまで沈静《おちつい》て居て下され、と只管とゞめ宥め慰め、脱ぎしをとつて復《また》被《き》すれば、余計な世話を焼かずとよし、腹掛着せい、これは要らぬ、と利く右の手にて撥ね退くる。まあ左様云はずと家に居て、とまた打被する、撥ね退くる、男は意気地女は情、言葉あらそひ果しなければ流石にのつそり少し怒つて、訳の分らぬ女の分で邪魔立てするか忌※[#二の字点、1-2-22]しい奴、よし/\頼まぬ一人で着る、高の知れたる蚯蚓膨《みゝずばれ》に一日なりとも仕事を休んで職人共の上《かみ》に立てるか、汝《うぬ》は少《ちつと》も知るまいがの、此十兵衞はおろかしくて馬鹿と常※[#二の字点、1-2-22]云はるゝ身故に職人共が軽う見て、眼の前では我が指揮《さしづ》に従ひ働くやうなれど、蔭では勝手に怠惰《なまけ》るやら譏《そし》るやら散※[#二の字点、1-2-22]に茶にして居て、表面《うはべ》こそ粧《つくろ》へ誰一人真実仕事を好くせうといふ意気組持つて仕てくるゝものは無いは、ゑゝ情無い、如何かして虚飾《みえ》で無しに骨を折つて貰ひたい、仕事に膏《あぶら》を乗せて貰ひたいと、諭せば頭は下げながら横向いて鼻で笑はれ、叱れば口に謝罪られて顔色《かほつき》に怒られ、つく/″\我折つて下手に出れば直と増長さるゝ口惜さ悲しさ辛さ、毎日※[#二の字点、1-2-22]※[#二の字点、1-2-22]棟梁※[#二の字点、1-2-22]※[#二の字点、1-2-22]と大勢に立てられるは立派で可けれど腹の中では泣きたいやうな事ばかり、いつそ穴鑿りで引使はれたはうが苦しうないと思ふ位、其中で何か斯か此日《こゝ》まで運ばして来たに今日休んでは大事の躓き、胸が痛いから早帰りします、頭痛がするで遅くなりましたと皆《みんな》に怠惰《なまけ》られるは必定、其時自分が休んで居れば何と一言云ひ様なく、仕事が雨垂拍子になつて出来べきものも仕損ふ道理、万が一にも仕損じてはお上人様源太親方に十兵衞の顔が向られうか、これ、生きても塔が成《でき》ねばな、此十兵衞は死んだ同然、死んでも業を仕遂げれば汝《うぬ》が夫《おやぢ》は生て居るはい、二寸三寸の手斧傷に臥て居られるか居られぬ歟、破傷風が怖しい歟仕事の出来ぬが怖しい歟、よしや片腕奪られたとて一切成就の暁までは駕籠に乗つても行かでは居ぬ、ましてや是しきの蚯蚓膨に、と云ひつゝお浪が手中より奪ひとつたる腹掛に、左の手を通さんとして顰《しか》むる顔、見るに女房の争へず、争ひまけて傷をいたはり、遂に半天股引まで着せて出しける心の中、何とも口には云ひがたかるべし。
 十兵衞よもや来はせじと思ひ合ふたる職人共、ちらりほらりと辰の刻頃より来て見て吃驚する途端、精出して呉るゝ嬉しいぞ、との一言を十兵衞から受けて皆冷汗をかきけるが、是より一同《みな/\》励み勤め昨日に変る身のこなし、一をきいては三まで働き、二と云はれしには四まで動けば、のつそり片腕の用を欠いて却て多くの腕を得つ日※[#二の字点、1-2-22]|工事《しごと》捗取《はかど》り、肩疵治る頃には大抵塔も成《でき》あがりぬ。

       其三十一

 時は一月の末つ方、のつそり十兵衞が辛苦経営むなしからで、感応寺生雲塔いよ/\物の見事に出来上り、段※[#二の字点、1-2-22]足場を取り除けば次第※[#二の字点、1-2-22]※[#二の字点、1-2-22]とに露るゝ一階一階また一階、五重|巍然《ぎぜん》と聳えしさま、金剛力士が魔軍を睥睨《にら》んで十六丈の姿を現じ坤軸《こんぢく》動《ゆる》がす足ぶみして巌上《いはほ》に突立ちたるごとく、天晴立派に建つたる哉、あら快よき細工振りかな、希有ぢや未曾有ぢや再《また》あるまじと爲右衞門より門番までも、初手のつそりを軽しめたる事は忘れて讃歎すれば、圓道はじめ一山《いつさん》の僧徒も躍りあがつて歓喜《よろこ》び、これでこそ感応寺の五重塔なれ、あら嬉しや、我等が頼む師は当世に肩を比すべき人も無く、八宗九宗の碩徳《せきとく》達虎《たちこ》豹鶴鷺《へうかくろ》と勝ぐれたまへる中にも絶類抜群にて、譬へば獅子王孔雀王、我等が頼む此寺の塔も絶類抜群にて、奈良や京都はいざ知らず上野浅草芝山内、江戸にて此塔《これ》に勝るものなし、殊更塵土に埋もれて光も放たず終るべかりし男を拾ひあげられて、心の宝殊《たま》の輝きを世に発出《いだ》されし師の美徳、困苦に撓《たゆ》まず知己に酬いて遂に仕遂げし十兵衞が頼もしさ、おもしろくまた美はしき寄因縁なり妙因縁なり、天の成せしか人の成せし歟《か》将又諸天善神の蔭にて操り玉ひし歟、屋《をく》を造るに巧妙《たくみ》なりし達膩伽尊者《たにかそんじや》の噂はあれど世尊在世の御時にも如是《かく》快き事ありしを未だきかねば漢土《から》にもきかず、いで落成の式あらば我|偈《げ》を作らむ文を作らむ、我歌をよみ詩を作《な》して頌せむ讃せむ詠ぜむ記せむと、各※[#二の字点、1-2-22]互に語り合ひしは慾のみならぬ人間《ひと》の情の、やさしくもまた殊勝なるに引替へて、測り難きは天の心、圓道爲右衞門二人が計らひとしていと盛んなる落成式|執行《しふぎやう》の日も略定まり、其日は貴賤男女の見物をゆるし貧者に剰《あま》れる金を施し、十兵衞其他を犒《ねぎ》らひ賞する一方には、また伎楽を奏して世に珍しき塔供養あるべき筈に支度とり/″\なりし最中、夜半の鐘の音の曇つて平日《つね》には似つかず耳にきたなく聞えしがそも/\、漸※[#二の字点、1-2-22]《ぜん/\》あやしき風吹き出して、眠れる児童も我知らず夜具踏み脱ぐほど時候生暖かくなるにつれ、雨戸のがたつく響き烈しくなりまさり、闇に揉まるゝ松柏の梢に天魔の號《さけ》びものすごくも、人の心の平和を奪へ平和を奪へ、浮世の栄華に誇れる奴等の胆を破れや睡りを攪《みだ》せや、愚物の胸に血の濤《なみ》打たせよ、偽物の面の紅き色奪れ、斧持てる者斧を揮へ、矛もてるもの矛を揮へ、汝等が鋭《と》き剣は餓えたり汝等剣に食をあたへよ、人の膏血《あぶら》はよき食なり汝等剣に飽まで喰はせよ、飽まで人の膏膩を餌《か》へと、号令きびしく発するや否、猛風一陣どつと起つて、斧をもつ夜叉矛もてる夜叉餓えたる剣もてる夜叉、皆一斉に暴れ出しぬ。

       其三十二

 長夜の夢を覚まされて江戸四里四方の老若男女、悪風来りと驚き騒ぎ、雨戸の横柄子《よこざる》緊乎《しつか》と挿せ、辛張棒を強く張れと家※[#二の字点、1-2-22]ごとに狼狽《うろた》ゆるを、可愍《あはれ》とも見ぬ飛天夜叉王、怒号の声音たけ/″\しく、汝等人を憚るな、汝等|人間《ひと》に憚られよ、人間は我等を軽んじたり、久しく我等を賤みたり、我等に捧ぐべき筈の定めの牲《にへ》を忘れたり、這ふ代りとして立つて行く狗、驕奢《おごり》の塒《ねぐら》巣作れる禽《とり》、尻尾《しりを》なき猿、物言ふ蛇、露|誠実《まこと》なき狐の子、汚穢《けがれ》を知らざる豕《ゐのこ》の女《め》、彼等に長く侮られて遂に何時まで忍び得む、我等を長く侮らせて彼等を何時まで誇らすべき、忍ぶべきだけ忍びたり誇らすべきだけ誇らしたり、六十四年は既に過ぎたり、我等を縛せし機運の鉄鎖、我等を囚へし慈|忍《にん》の岩窟《いはや》は我が神力にて切断《ちぎ》り棄てたり崩潰《くづれ》さしたり、汝等暴れよ今こそ暴れよ、何十年の恨の毒気を彼等に返せ一時に返せ、彼等が驕慢《ほこり》の気《け》の臭さを鉄囲山外《てつゐさんげ》に攫《つか》んで捨てよ、彼等の頭を地につかしめよ、無慈悲の斧の刃味の好さを彼等が胸に試みよ、惨酷の矛、瞋恚《しんい》の剣の刃糞と彼等をなしくれよ、彼等が喉《のんど》に氷を与へて苦寒に怖れ顫《わなゝ》かしめよ、彼等が胆に針を与へて秘密の痛みに堪ざらしめよ、彼等が眼前《めさき》に彼等が生したる多数《おほく》の奢侈の子孫を殺して、玩物の念を嗟歎の灰の河に埋めよ、彼等は蚕児《かひこ》の家を奪ひぬ汝等彼等の家を奪へや、彼等は蚕児の智慧を笑ひぬ汝等彼等の智慧を讃せよ、すべて彼等の巧みとおもへる智慧を讃せよ、大とおもへる意《こゝろ》を讃せよ、美しと自らおもへる情を讃せよ、協《かな》へりとなす理を讃せよ、剛《つよ》しとなせる力を讃せよ、すべては我等の矛の餌なれば、剣の餌なれば斧の餌なれば、讃して後に利器《えもの》に餌《か》ひ、よき餌をつくりし彼等を笑へ、嬲らるゝだけ彼等を嬲れ、急に屠るな嬲り殺せ、活しながらに一枚※[#二の字点、1-2-22]※[#二の字点、1-2-22]皮を剥ぎ取れ、肉を剥ぎとれ、彼等が心臓《しん》を鞠として蹴よ、枳棘《からたち》をもて脊を鞭《う》てよ、歎息の呼吸涙の水、動悸の血の音悲鳴の声、其等をすべて人間《ひと》より取れ、残忍の外快楽なし、酷烈ならずば汝等疾く死ね、暴《あ》れよ進めよ、無法に住して放逸無慚無理無体に暴《あ》れ立て暴れ立て進め進め、神とも戦へ仏《ぶつ》をも擲け、道理を壊《やぶ》つて壊りすてなば天下は我等がものなるぞと、叱咤する度土石を飛ばして丑の刻より寅の刻、卯となり辰となるまでも毫《ちつと》も止まず励ましたつれば、数万《すまん》の眷属《けんぞく》勇みをなし、水を渡るは波を蹴かへし、陸《をか》を走るは沙を蹴かへし、天地を塵埃《ほこり》に黄ばまして日の光をもほとほと掩ひ、斧を揮つて数寄者が手入れ怠りなき松を冷笑《あざわら》ひつゝほつきと斫るあり、矛を舞はして板屋根に忽ち穴を穿つもあり、ゆさ/\/\と怪力もてさも堅固なる家を動かし橋を揺がすものもあり。手ぬるし手ぬるし酷さが足らぬ、我に続けと憤怒の牙噛み鳴らしつゝ夜叉王の躍り上つて焦躁《いらだて》ば、虚空に充ち満ちたる眷属、をたけび鋭くをめき叫んで遮に無に暴威を揮ふほどに、神前寺内に立てる樹も富家の庭に養はれし樹も、声振り絞つて泣き悲み、見る/\大地の髪の毛は恐怖に一※[#二の字点、1-2-22]竪立《じゆりつ》なし、柳は倒れ竹は割るゝ折しも、黒雲空に流れて樫の実よりも大きなる雨ばらり/\と降り出せば、得たりとます/\暴るゝ夜叉、垣を引き捨て塀を蹴倒し、門をも破《こは》し屋根をもめくり軒端の瓦を踏み砕き、唯一ト揉に屑屋を飛ばし二タ揉み揉んでは二階を捻ぢ取り、三たび揉んでは某寺《なにがしでら》を物の見事に潰《つひや》し崩し、どう/\どつと鬨《とき》をあぐる其度毎に心を冷し胸を騒がす人々の、彼に気づかひ此に案ずる笑止の様を見ては喜び、居所さへも無くされて悲むものを見ては喜び、いよ/\図に乗り狼籍のあらむ限りを逞しうすれば、八百八町百万の人みな生ける心地せず顔色さらにあらばこそ。
 中にも分けて驚きしは圓道爲右衞門、折角僅に出来上りし五重塔は揉まれ挟まれて九輪は動ぎ、頂上の宝珠は空に得読めぬ字を書き、岩をも転ばすべき風の突掛け来り、楯をも貫くべき両の打付《ぶつか》り来る度撓む姿、木の軋る音、復《もど》る姿《さま》、又撓む姿、軋る音、今にも傾覆《くつがへ》らんず様子に、あれ/\危し仕様は無きか、傾覆られては大事なり、止むる術も無き事か、雨さへ加はり来りし上周囲に樹木もあらざれば、未曾有の風に基礎《どだい》狭くて丈のみ高き此塔の堪《こら》へむことの覚束なし、本堂さへも此程に動けば塔は如何ばかりぞ、風を止むる呪文はきかぬか、かく恐ろしき大暴風雨に見舞に来べき源太は見えぬ歟、まだ新しき出入なりとて重※[#二の字点、1-2-22]来では叶はざる十兵衞見えぬか寛怠なり、他《ひと》さへ斯様《かほど》気づかふに己が為《せ》し塔気にかけぬか、あれ/\危し又撓むだは、誰か十兵衞招びに行け、といへども天に瓦飛び板飛び、地上に砂利の舞ふ中を行かむといふものなく、漸く賞美の金に飽かして掃除人の七藏爺を出しやりぬ。

       其三十三

 耄碌頭巾に首をつゝみて其上に雨を凌がむ準備《ようい》の竹の皮笠引被り、鳶子《とんび》合羽に胴締して手ごろの杖持ち、恐怖《こは/″\》ながら烈風強雨の中を駈け抜けたる七藏|爺《おやぢ》、やうやく十兵衞が家にいたれば、これはまた酷い事、屋根半分は既《もう》疾《とう》に風に奪られて見るさへ気の毒な親子三人の有様、隅の方にかたまり合ふて天井より落ち来る点滴《しずく》の飛沫《しぶき》を古筵《ふるござ》で僅に避《よ》け居る始末に、扨ものつそりは気に働らきの無い男と呆れ果つゝ、これ棟梁殿、此|暴風雨《あらし》に左様して居られては済むまい、瓦が飛ぶ樹が折れる、戸外《おもて》は全然《まるで》戦争のやうな騒ぎの中に、汝の建てられた彼塔は如何あらうと思はるゝ、丈は高し周囲に物は無し基礎《どだい》は狭し、何《ど》の方角から吹く風をも正面《まとも》に受けて揺れるは揺れるは、旗竿ほどに撓むではきち/\と材《き》の軋る音の物凄さ、今にも倒れるか壊れるかと、圓道様も爲右衞門様も胆を冷したり縮ましたりして気が気では無く心配して居らるゝに、一体ならば迎ひなど受けずとも此天変を知らず顔では済まぬ汝が出ても来ぬとは余《あんま》りな大勇、汝の御蔭で険難《けんのん》な使を吩咐かり、忌※[#二の字点、1-2-22]しい此瘤を見て呉れ、笠は吹き攫はれる全濡《ずぶぬれ》にはなる、おまけに木片が飛んで来て額に打付りてくさつたぞ、いゝ面の皮とは我がこと、さあ/\一所に来て呉れ来て呉れ、爲右衞門様圓道様が連れて来いとの御命令《おいひつけ》だは、ゑゝ吃驚した、雨戸が飛んで行て仕舞ふたのか、これだもの塔が堪るものか、話しする間にも既倒れたか折れたか知れぬ、愚図愚図 せずと身支度せい、疾く/\と急り立つれば、傍から女房も心配気に、出て行かるゝなら途中が危険《あぶな》い、腐つても彼火事頭巾、あれを出しましよ冠つてお出なされ、何が飛んで来るか知れたものではなし、外見《みえ》よりは身が大切《だいじ》、何程《いくら》襤褸でも仕方ない刺子絆纏《さしこばんてん》も上に被ておいでなされ、と戸棚がた/\明けにかゝるを、十兵衞不興気の眼でぢつと見ながら、あゝ構ふてくれずともよい、出ては行かぬは、風が吹いたとて騒ぐには及ばぬ、七藏殿御苦労でござりましたが塔は大丈夫倒れませぬ、何の此程の暴風雨で倒れたり折れたりするやうな脆いものではござりませねば、十兵衞が出掛けてまゐるにも及びませぬ、圓道様にも爲右衞門様にも左様云ふて下され、大丈夫、大丈夫でござります、と泰然《おちつき》はらつて身動きもせず答ふれば、七藏少し膨れ面して、まあ兎も角も我と一緒に来て呉れ、来て見るがよい、彼の塔のゆさ/\きち/\と動くさまを、此処に居て目に見ねばこそ威張つて居らるれ、御開帳の幟《のぼり》のやうに頭を振つて居るさまを見られたら何程《なんぼ》十兵衞殿|寛濶《おうやう》な気性でも、お気の毒ながら魂魄《たましひ》がふはり/\とならるゝであらう、蔭で強いのが役にはたゝぬ、さあ/\一所に来たり来たり、それまた吹くは、嗚呼恐ろしい、中※[#二の字点、1-2-22]止みさうにも無い風の景色、圓道様も爲右衞門様も定めし肝を煎つて居らるゝぢやろ、さつさと頭巾なり絆纏なり冠るとも被るともして出掛けさつしやれ、と遣り返す。大丈夫でござりまする、御安心なさつて御帰り、と突撥る。其の安心が左様手易くは出来ぬわい、と五月蠅云ふ。大丈夫でござりまする、と同じことをいふ。末には七藏焦れこむで、何でも彼でも来いといふたら来い、我の言葉とおもふたら違ふぞ圓道様爲右衞門様の御命令ぢや、と語気あらくなれば十兵衞も少し勃然《むつ》として、我は圓道様爲右衞門様から五重塔建ていとは命令かりませぬ、御上人様は定めし風が吹いたからとて十兵衞よべとは仰やりますまい、其様な情無い事を云ふては下さりますまい、若も御上人様までが塔危いぞ十兵衞呼べと云はるゝやうにならば、十兵衞一期の大事、死ぬか生きるかの瀬門《せと》に乗かゝる時、天命を覚悟して駈けつけませうなれど、御上人様が一言半句十兵衞の細工を御疑ひなさらぬ以上は何心配の事も無し、余の人たちが何を云はれうと、紙を材《き》にして仕事もせず魔術《てづま》も手抜もして居ぬ十兵衞、天気のよい日と同じことに雨の降る日も風の夜も楽※[#二の字点、1-2-22]として居りまする、暴風雨が怖いものでも無ければ地震が怖うもござりませぬと圓道様にいふて下され、と愛想なく云ひ切るにぞ、七藏仕方なく風雨の中を駈け抜けて感応寺に帰りつき圓道爲右衞門に此よし云へば、さても其場に臨むでの智慧の無い奴め、何故其時に上人様が十兵衞来いとの仰せぢやとは云はぬ、あれ/\彼揺るゝ態を見よ、汝《きさま》までがのつそりに同化《かぶれ》て寛怠過ぎた了見ぢや、是非は無い、も一度行つて上人様の御言葉ぢやと欺誑《たばか》り、文句いはせず連れて来い、と圓道に烈しく叱られ、忌※[#二の字点、1-2-22]しさに独語《つぶや》きつゝ七藏ふたゝび寺門を出でぬ。

       其三十四

 さあ十兵衞、今度は是非に来よ四の五のは云はせぬ、上人様の御召ぢやぞ、と七藏爺いきりきつて門口から我鳴れば、十兵衞聞くより身を起して、なにあの、上人様の御召なさるとか、七藏殿それは真実《まこと》でござりまするか、嗚呼なさけ無い、何程風の強ければとて頼みきつたる上人様までが、此十兵衞の一心かけて建てたものを脆くも破壊《こは》るゝ歟のやうに思し召されたか口惜しい、世界に我を慈悲の眼で見て下さるゝ唯一つの神とも仏ともおもふて居た上人様にも、真底からは我が手腕《うで》たしかと思はれざりし歟、つく/″\頼母しげ無き世間、もう十兵衞の生き甲斐無し、たま/\当時に双《ならび》なき尊き智識に知られしを、是れ一生の面目とおもふて空《あだ》に悦びしも真に果敢無き少時《しばし》の夢、嵐の風のそよと吹けば丹誠凝らせし彼塔も倒れやせむと疑はるゝとは、ゑゝ腹の立つ、泣きたいやうな、それほど我は腑の無い奴《やつ》か、恥をも知らぬ奴《やつこ》と見ゆる歟、自己《おのれ》が為たる仕事が恥辱《はぢ》を受けてものめ/\面押拭ふて自己は生きて居るやうな男と我は見らるゝ歟、仮令ば彼塔倒れた時生きて居やうか生きたからう歟、ゑゝ口惜い、腹の立つ、お浪、それほど我が鄙《さも》しからうか、嗚呼々々生命も既《もう》いらぬ、我が身体にも愛想の尽きた、此世の中から見放された十兵衞は生きて居るだけ恥辱《はぢ》をかく苦悩《くるしみ》を受ける、ゑゝいつその事塔も倒れよ暴風雨も此上烈しくなれ、少しなりとも彼塔に損じの出来て呉れよかし、空吹く風も地《つち》打つ雨も人間《ひと》ほど我には情《つれ》無《な》からねば、塔|破壊《こは》されても倒されても悦びこそせめ恨はせじ、板一枚の吹きめくられ釘一本の抜かるゝとも、味気無き世に未練はもたねば物の見事に死んで退けて、十兵衞といふ愚魯漢《ばかもの》は自己が業の粗漏《てぬかり》より恥辱を受けても、生命惜しさに生存《いきながら》へて居るやうな鄙劣《けち》な奴では無かりしか、如是《かゝる》心を有つて居しかと責めては後にて吊《とむら》はれむ、一度はどうせ捨つる身の捨処よし捨時よし、仏寺を汚すは恐れあれど我が建てしもの壊れしならば其場を一歩立去り得べきや、諸仏菩薩も御許しあれ、生雲塔の頂上《てつぺん》より直ちに飛んで身を捨てむ、投ぐる五尺の皮嚢《かはぶくろ》は潰れて醜かるべきも、きたなきものを盛つては居らず、あはれ男児《をとこ》の醇粋《いつぽんぎ》、清浄の血を流さむなれば愍然《ふびん》ともこそ照覧あれと、おもひし事やら思はざりしや十兵衞自身も半分知らで、夢路を何時の間にか辿りし、七藏にさへ何処でか分れて、此所は、おゝ、それ、その塔なり。
 上りつめたる第五層の戸を押明けて今しもぬつと十兵衞半身あらはせば、礫を投ぐるが如き暴雨の眼も明けさせず面を打ち、一ツ残りし耳までも※[#「てへん+止」、第3水準1-84-71]断《ちぎ》らむばかりに猛風の呼吸さへ為せず吹きかくるに、思はず一足退きしが屈せず奮つて立出でつ、欄を握《つか》むで屹と睥《にら》めば天《そら》は五月《さつき》の闇より黒く、たゞ囂※[#二の字点、1-2-22]《がう/\》たる風の音のみ宇宙に充て物騒がしく、さしも堅固の塔なれど虚空に高く聳えたれば、どう/\どつと風の来る度ゆらめき動きて、荒浪の上に揉まるゝ棚無し小舟のあはや傾覆らむ風情、流石覚悟を極めたりしも又今更におもはれて、一期の大事死生の岐路《ちまた》と八万四千の身の毛|竪《よだ》たせ牙|咬定《かみし》めて眼《まなこ》を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》り、いざ其時はと手にして来し六分|鑿《のみ》の柄忘るゝばかり引握むでぞ、天命を静かに待つとも知るや知らずや、風雨いとはず塔の周囲《めぐり》を幾度となく徘徊する、怪しの男一人ありけり。

       其三十五

 去る日の暴風雨は我等生れてから以来《このかた》第一の騒なりしと、常は何事に逢ふても二十年前三十年前にありし例をひき出して古きを大袈裟に、新しきを訳も無く云ひ消す気質《かたぎ》の老人《としより》さへ、真底我折つて噂仕合へば、まして天変地異をおもしろづくで談話《はなし》の種子にするやうの剽軽な若い人は分別も無く、後腹の疾まぬを幸ひ、何処の火の見が壊れたり彼処の二階が吹き飛ばされたりと、他《ひと》の憂ひ災難を我が茶受とし、醜態《ざま》を見よ馬鹿慾から芝居の金主して何某め痛い目に逢ふたるなるべし、さても笑止彼の小屋の潰れ方はよ、又日頃より小面憎かりし横町の生花の宗匠が二階、御神楽だけの事はありしも気味《きび》よし、それよりは江戸で一二といはるゝ大寺の脆く倒れたも仔細こそあれ、実は檀徒から多分の寄附金集めながら役僧の私曲《わたくし》、受負師の手品、そこにはそこの有りし由、察するに本堂の彼の太い柱も桶でがな有つたらうなんどと様※[#二の字点、1-2-22]の沙汰に及びけるが、いづれも感応寺生雲塔の釘一本ゆるまず板一枚剥がれざりしには舌を巻きて讃歎し、いや彼塔《あれ》を作つた十兵衞といふは何とえらいものではござらぬ歟、彼塔倒れたら生きては居ぬ覚悟であつたさうな、すでの事に鑿|啣《ふく》んで十六間真逆しまに飛ぶところ、欄干《てすり》を斯う踏み、風雨を睨んで彼程の大揉の中に泰然《ぢつ》と構へて居たといふが、其一念でも破壊るまい、風の神も大方血眼で睨まれては遠慮が出たであらう歟、甚五郎このかたの名人ぢや真の棟梁ぢや、浅草のも芝のもそれ/″\損じのあつたに一寸一分歪みもせず退《ず》りもせぬとは能う造つた事の。いやそれについて話しのある、其十兵衞といふ男の親分がまた滅法えらいもので、若しも些《ちと》なり破壊れでもしたら同職《なかま》の恥辱知合の面汚し、汝《うぬ》はそれでも生きて居られうかと、到底《とても》再度鉄槌も手斧も握る事の出来ぬほど引叱つて、武士で云はば詰腹同様の目に逢はせうと、ぐる/\/\大雨を浴びながら塔の周囲を巡つて居たさうな。いや/\、それは間違ひ、親分では無い商売|上敵《がたき》ぢやさうな、と我れ知り顔に語り伝へぬ。
 暴風雨のために準備《したく》狂ひし落成式もいよ/\済みし日、上人わざ/\源太を召《よ》び玉ひて十兵衞と共に塔に上られ、心あつて雛僧《こぞう》に持たせられし御筆に墨汁《すみ》したゝか含ませ、我此塔に銘じて得させむ、十兵衞も見よ源太も見よと宣《のたま》ひつゝ、江都《かうと》の住人十兵衞之を造り川越源太郎之を成す、年月日とぞ筆太に記し了られ、満面に笑を湛へて振り顧り玉へば、両人ともに言葉なくたゞ平伏《ひれふ》ふして拝謝《をが》みけるが、それより宝塔|長《とこしな》へに天に聳えて、西より瞻《み》れば飛檐《ひえん》或時素月を吐き、東より望めば勾欄夕に紅日を呑んで、百有余年の今になるまで、譚《はなし》は活きて遣りける。
         (明治二十四年十一月―二十五年三月・四月「国会」)

底本:「日本現代文學全集 6 幸田露伴集」講談社
   1963(昭和38)年1月19日初版第1刷発行
   1980(昭和55)年5月26日増補改訂版第1刷
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記を新字、旧仮名にあらためました。
入力:kompass
校正:浅原庸子
2004年11月3日作成
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