横光利一

洋灯—–横光利一

このごろ停電する夜の暗さをかこっている私に知人がランプを持って来てくれた。高さ一尺あまりの小さな置きランプである。私はそれを手にとって眺めていると、冷え凍っている私の胸の底から、ほとほとと音立てて燃えてくるものがあった。久しくそれは聞いたこともなかったものだというよりも、もう二度とそんな気持を覚えそうもない、夕ごころに似た優しい情感で、温まっては滴り落ちる雫《しず》くのような音である。初めて私がランプを見たのは、六つの時、雪の降る夜、紫色の縮緬《ちりめん》のお高祖頭巾《こそずきん》を冠《かぶ》った母につれられて、東京から伊賀の山中の柘植《つげ》という田舎町へ帰ったときであった。そこは伯母の家で、竹筒を立てた先端に、ニッケル製の油壺《あぶらつぼ》を置いたランプが数台部屋の隅に並べてあった。その下で、紫や紅の縮緬の袱紗《ふくさ》を帯から三角形に垂らした娘たちが、敷居や畳の条目《すじめ》を見詰めながら、濃茶《こいちゃ》の泡の耀《かがや》いている大きな鉢を私の前に運んで来てくれた。これらの娘たちは、伯母の所へ茶や縫物や生花を習いに来ている町の娘たちで二三十人もいた。二階の大きな部屋に並んだ針箱が、どれも朱色の塗で、鳥のように擡《もた》げたそれらの頭に針がぶつぶつ刺さっているのが気味悪かった。
 生花の日は花や実をつけた灌木《かんぼく》の枝で家の中が繁《しげ》った。縫台の上の竹筒に挿した枝に対《むか》い、それを断《き》り落す木鋏《きばさみ》の鳴る音が一日していた。
 ある日、こういう所へ東京から私の父が帰って来た。父は夜になると火薬をケースに詰めて弾倉を作った。そして、翌朝早くそれを腹に巻きつけ、猟銃を肩に出ていった。帰りは雉子《きじ》が二三羽いつも父の腰から垂れていた。
 少いときでも、ぐったり首垂れた鳩や山鳥が瞼《まぶた》を白く瞑《つむ》っていた。父が猟に出かける日の前夜は、定《きま》って母は父に小言をいった。
「もう殺生だけはやめて下さいよ。この子が生れたら、おやめになると、あれほど固く仰言《おっしゃ》ったのに、それにまた――」
 母が父と争うのは父が猟に出かけるときだけで、その間に坐《すわ》っていた私はあるとき、
「喧嘩《けんか》もうやめて。」
 と云うと、急に父と母が笑い出したことがある。しかし、父の猟癖は止まらなかった。一度、私は猟銃姿の父の後からついていったことがあった。川を渡ったり、杉の密集している急な崖《がけ》をよじ登ったりして、父の発砲する音を聞いていたが、氷の張りつめた小川を跳び越すとき、私は足を踏み辷《すべ》らして、氷の中へ落ち込み、父から襟首を持って引き上げられた。それから二度と父はもう私をつれて行ってはくれなかった。
 父がまた旅に立ってしばらくしたある日、私は母につれられ隣村へ行った。沢山な人が私のいったその家に集っていて、大皿や鉢に、牛蒡《ごぼう》や人参《にんじん》や、鱈や、里芋などの煮つめたものが盛ってある間を、大きな肩の老人が担がれたまま、箱の中へ傾けて入れられるところだった。それが母の父の死の姿だった。また、人の死の姿を私の見たのはそれが初めだった。日が明るかった。そしてその村からの帰りに道路の水溜《みずたま》りのいびつに歪《ゆが》んでいる上を、ぽいッと跳び越した瞬間の、その村の明るい春泥の色を、私は祖父の大きな肩の傾きと一緒に今も覚えている。祖父の死んだこの家は、私の母や伯母の生れた家で、母の妹が養子をとっていたものであった。
 伯母の家に半年もいてから、私と母と姉とは汽車に乗り琵琶湖《びわこ》の見える街へ着いた。そこに父は新しく私たちの棲《す》む家を作って待っていてくれた。そこが大津であった。私は初めてここの小学校へ入学した。湖を渡る蒸気船が学校のすぐ横の桟橋から朝夕出ていったり、這入《はい》って来たりするたびに、汽笛が鳴った。ここの学校に私は一ヶ月もいると、すぐ同じ街の西の端にある学校へ変った。家がまた新しく変ったからであるが、この第二の学校のすぐ横には疏水《そすい》が流れていて、京都から登って来たり下ったりする舟が集ると、朱色の関門の扉が水を止めたり吐いたりした。このころ、この街にある聯隊《れんたい》の入口をめがけて旗や提灯《ちょうちん》の列が日夜激しくつめよせた。日露戦争がしだいに高潮して来ていたのである。疏水の両側の角刈にされた枳殻《からたち》の厚い垣には、黄色な実が成ってその実をもぎ取る手に棘《とげ》が刺さった。枳殻のまばらな裾《すそ》から帆をあげた舟の出入する運河の河口が見えたりした。そしてその方向から朝日が昇って来ては帆を染めると、喇叭《らっぱ》のひびきが聞えて来た。私はこの街が好きであった。しかし私はこの大津の街にもしばらくよりいられなかった。再び私は母と姉と三人で母の里の柘植《つげ》へ移らねばならなかった。父が遠方の異国の京城《けいじょう》へ行くことになったからである。小学の一年で三度も学校を変えさせられた私は、今度はもとの伯母の家からではなく、祖父の大きな肩の見えた家から学校へ通った。
 私はこの家で農家の生活というものを初めて知ったのだった。それは私の家の生活とは何ごとも違っていた。どちらを向いても、高い山山ばかりに囲まれた盆地の山ひだの間から、蛙の声の立ちまよっている村里で、石油の釣りランプがどこの家の中にも一つずつ下っていた。牛がまた人と一つの家の中に棲んでいた。
 私がランプの下の生活をしたのは、このときから三年の間である。私はこの間に、まだ見たこともない大きな石臼《いしうす》の廻《まわ》るあいだから、豆が黄色な粉になって噴きこぼれて来るのや、透明な虫が、真白な瓢形《ひさごがた》の繭《まゆ》をいっぱい藁《わら》の枝に産み作ることや、夜になると牛に穿《は》かす草履《ぞうり》をせっせと人人が編むことなどを知った。また、藪《やぶ》の中の黄楊《つげ》の木の胯《また》に頬白《ほおじろ》の巣があって、幾つそこに縞《しま》の入った卵があるとか、合歓《ねむ》の花の咲く川端の窪《くぼ》んだ穴に、何寸ほどの鯰《なまず》と鰻がいるとか、どこの桑の実には蟻がたかってどこの実よりも甘味《あま》いとか、どこの藪の幾本目の竹の節と、またそこから幾本目の竹の節とが寸法が揃《そろ》っているとか、いつの間にか、そんなことにまで私は睨《にら》みをきかすようになったりした。
 しかしこうしている間にも、私らは祖父の家から独立した別の家に棲んでいて、村村に散っている親戚《しんせき》たちの顔を私はみな覚えた。母は五人姉妹の下から二番目で、四人もあるその伯母たちの子供らが、これがまたそれぞれ沢山いた。一番上の大伯母は、この村から三里も離れた城のある上野という町にいたが、どういうものだか、この美しい伯母にだけは、親戚たちの誰もが頭が上らなかった。色が白くふっくらとした落ちつきをもっていて、才智が大きな眼もとに溢《あふ》れていた。またこの大伯母はいつも黙って人の話を聞いているだけで、何か一言いうと、それで忽《たちま》ち親戚間のごたごたが解決した。ときどき実家のあるこの村へ来ても、どこの家へも行かずに私の家へ来て泊っていったが、ある日伯母は東京へ行って来たといって私に絵本を一冊土産にくれた。それは東京の名所を描いた絵本だった。そのころは、私はもう私のいた筈《はず》の東京を忘れていて、私の一番行きたいところは、湖の見える大津と大伯母のいる上野の町とであった。この伯母には子供が五人もいた。遊女街の中央でただ一軒伯母の家だけ製糸をしていたので、私は周囲にひしめき並んだ色街の子供たちとも、いつのまにか遊ぶようになったりした。
 二番目の伯母は、私たちのいた同じ村の西方にあって、魚屋をしていた。この伯母一家だけはどの親戚たちからも嫌われていた。大伯母などは一度もここへは寄りつかなかったが私の母だけこことも仲良く交際していた。むかしはここは貧乏で、猫撫《ねこな》で声のこの伯母は実家の祖父の家から、許可なく魚屋へ逃げるように嫁いだのだということだったが、このころは祖父の家より物持ちになっていた。この伯母の主人はいつもにこにこした眼尻《めじり》で私を愛してくれた。私は祖父の家の後を継いでいる養子よりも、この魚屋の主人の方が好きだった。
「おう、利よ、来たかや。」
 こんな優しい声で小父がいうと、けちんぼだといわれている伯母が拾銭丸《じっせんだま》をひねった紙包を私の手に握らせた。ここには大きな二人の姉弟があったが、この二人も私を誰よりも愛してくれた。
 三番目の伯母は、私たちが東京から来たとき厄介になった伯母である。この伯母は気象が男のようにさっぱりしていた。この伯母の主人は近江《おうみ》の国に寺を持っている住職で、一人息子もまた別に寺を持っていた。伯母は家の中の拭《ふ》き掃除《そうじ》をするとき、お茶や生花の師匠のくせに一糸も纏《まと》わぬ裸体でよく掃除をした。ある時弟子の家の者が歳暮の餅《もち》を持ってがらりと玄関の戸を開けて這入って来た時、伯母は、ちょうどそこの縁側を裸体で拭いていた。私ははらはらしてどうするかと見ていると、
「これはまア、とんだ失礼をいたしまして、」
 と、伯母は、ただ一寸《ちょっと》雑巾《ぞうきん》で前を隠したまま、鄭重《ていちょう》なお辞儀をしたきり、少しも悪びれた様子を示さなかった。またこの伯母は、主人がたまに帰って来てもがみがみ叱《しか》りつけてばかりいた。主人の僧侶《そうりょ》は、どんな手ひどいことを伯母から云われても、表情を怒らしたことがなかった。
「お光《みつ》、お前はそんなこと云うけれども、まアまア、」
 といつも云うだけで、どういう心の習練か恐るべき寛容さを持ちつづけて崩さなかった。
 四番目の叔母は私の母とは一つ違いの妹だった。でっぷりよく肥えた顔にいちめん雀斑《そばかす》が出来ていて鼻の孔《あな》が大きく拡《ひろ》がり、揃ったことのない前褄《まえづま》からいつも膝頭《ひざがしら》が露出していた。声がまた大きなバスで、人を見ると鼻の横を痒《か》き痒《か》き、細い眼でいつも又この人は笑ってばかりいたが、この叔母ほど村で好かれていた女の人もあるまいと思われた。自分の持ち物も、くれと人から云われると、何一つ惜しまなかった。子供たちを叱るにも響きわたるような大声だったが、それでも笑って叱っていた。

底本:「昭和文学全集 第5巻」小学館
   1986(昭和61)年12月1日初版第1刷発行
底本の親本:「定本横光利一全集」河出書房新社
   1981(昭和56)年6月~
入力:阿部良子
校正:松永正敏
2002年5月7日作成
2012年7月3日修正
青空文庫作成ファイル:
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横光利一

――木人夜穿靴去、石女暁冠帽帰(指月禅師)—–横光利一

 八月――日
 駈けて来る足駄《あしだ》の音が庭石に躓《つまず》いて一度よろけた。すると、柿の木の下へ顕れた義弟が真っ赤な顔で、「休戦休戦。」という。借り物らしい足駄でまたそこで躓いた。躓きながら、「ポツダム宣言全部承認。」という。
「ほんとかな。」
「ほんと。今ラヂオがそう云った。」
 私はどうと倒れたように片手を畳につき、庭の斜面を見ていた。なだれ下った夏菊の懸崖が焔《ほのお》の色で燃えている。その背後の山が無言のどよめきを上げ、今にも崩れかかって来そうな西日の底で、幾つもの火の丸が狂めき返っている。
「とにかく、こんなときは山へでも行きましょうよ。」
「いや、今日はもう……」
 義弟の足駄の音が去っていってから、私は柱に背を凭《もた》せかけ膝を組んで庭を見つづけた。敗けた。――いや、見なければ分らない。しかし、何処を見るのだ。この村はむかしの古戦場の跡でそれだけだ。野山に汎濫した西日の総勢が、右往左往によじれあい流れの末を知らぬようだ。

 八月――日
 柱時計を捲く音、ぱしゃッと水音がする。見ると、池へ垂れ下っている菊の弁を、四五疋の鯉が口をよせ、跳ねあがって喰っている。茎のひょろ長い白い干瓢《かんぴょう》の花がゆれている。私はこの花が好きだ。眼はいつもここで停ると心は休まる。敗戦の憂きめをじっと、このか細い花茎だけが支えてくれているようだ。私にとって、今はその他の何ものでもないただ一本の白い花。それもその茎のうす青い、今にも消え入りそうな長細い部分がだ。――風はもう秋風だ。

 八月――日
 小牛が病気になって草を喰べないので、この家のものは心配でたまらぬらしい。黒豆を薬湯で煮て飲まそうとしているが、今日は山羊も凋《しお》れて悲しげである。めい、もう、と互いに鳴き合い、一方が庭へ出されると残った方が暴れ出したほどの仲良さだったのも、孰方《いずれ》もしょんぼりとしている。しかし、山羊と小牛だけではない。見るもの一切がしょんぼりとしているようだ。汽車通学をしている私の次男の中学一年生が帰って来て、
「校長さんがみなを集めて今日ね、君たちは可哀そうで可哀そうでたまらない、と云ったよ。涙をぽろぽろ流していたよ。」という。
「汽車の中はどうだった?」
「どこでも喧嘩ばかりしていたよ。大人って喧嘩するもんだね。どうしてだろう。」
 私が山中の峠を歩いていたときも、自転車を草の中に伏せた男が、ひとり弁当を食べながら、一兵まで、一兵まで……とそんなことを云っていたが、傍を通る私に咬《か》みつきそうな眼を向けた。そして、がちゃりとアルミの蓋を合せて立ち上ると、またひらりと自転車に乗ってどっかへ去っていく。

 十七歳のときここの家から峠を越して海浜の村へ嫁入した老婆、利枝が来て、生家の棟を見上げている。今年七十歳だが、古戦場の残す匂いのような、稀に見る美しい老婆で笑う口もとから洩れる歯が、ある感動を吸いよせ視線をそらすことが出来ない。私はこの老婆の微笑を見ると、ふッと吹かれて飛ぶ塵あとの、あの一点の清潔な明るさを感じる。沖縄戦で末子が潜水艦に乗りくみ戦死したばかりである。もし婦人というものに老醜なく、すべてがこのようになるものなら、人生はしばらく狂言を変えることだろうと思う。そのような顔だ。とにかく、今まで私の一度も見たことのない老婆の種類だ。漁師村の何んでもない、白髪をたばねた、わごわごした腰の、拭き掃除ばかしして来た老婆だのに、――あちらを歩き、こちらを歩きしながら、幼児の思い出を辿《たど》る風な面差しで、棟を見上げ見降ろし、倦怠を感じる様子もない。その最後の生の眺めのごとき曲った後姿に、しきりに蝉の声が降って来る。庭の古い石の上を白い蝶の飛びたわむれている午後の日ざし、――昼顔の伸び悪い垣の愁い。

 この村は平野をへだてた東羽黒と対立し、伽藍堂塔三十五堂立ち並んだ西羽黒のむかしの跡だが、当時の殷盛《いんせい》をうかべた地表のさまは、背後の山の姿や、山裾の流れの落ち消えた田の中に、点点と島のように泛《う》き残っている丘陵の高まりで窺われる。浮雲のただよう下、崩れた土から喰み出ている石塊のおもむき蒼樸たる古情、小川の縁の石垣ふかく、光陰のしめり刻んだなめらかさ、今も掘り出される矢の根石など、東羽黒に追い詰められて滅亡した僧兵らの辷《すべ》り下り、走り上った山路も、峠を一つ登れば下は海だ。朴の葉や、柏の葉、杉、栗、楢、の雑木林にとり包まれた、下へ下へと平野の中へ低まっていく山懐の村である。義経が京の白河から平泉へ落ちて行く途中も、多分ここを通って、一夜をここの山堂の中で眠ったことだろう。峠の中に今も弁慶の泉というのもある。

 この村の人で、私の職業を誰一人知っているもののないのが気楽である。私にここの室を世話してくれた人も知らなければ、またこの家のものも私については何も知らない。通りすがりに、ただふらりと来た私は偶然一室を借りられたそれだけの縁で、とにかくここをしばらく仮の棲家《すみか》とすることが出来たのは幸いである。一人の知人もなく、親類もない周囲とまったく交渉の糸の断たれた生活は、戦時の物資不足の折、危険不便は多いにちがいないが、これも振りあてられ追い詰められた最後の地であれば、自分にとっては何処よりも貴重な地だ。今はその他にどこにもないと思い、私は家族四人のものをひきつれて、この山中の農家の六畳の一室へ移ることにしたのである。すると、移って三日目に終戦になった。荷物の片づけさえもまだしてないときだ。
 参右衛門(仮名)のこの家は、農家としては大きな家だ。炉間が十畳、次ぎは十二畳、その奥は十畳、その一番奥は六畳、この部屋が私の家族の室であるが、畳もなく電灯もない。炉間から背後の一列の部屋は、ここの家族たち四人の寝室で、私は覗《のぞ》いたことはないが、多分、十二畳と八畳の二室であろう。それから玄関横に六畳の別室があり、ここは出征中の長男の嫁の部屋になっている。勝手の板の間が二十畳ほど。すべてどの部屋にも壁がなく、柾目の通った杉戸でしきり、全体の感じは鎌倉時代そのままといって良い。私のいる奥の室には縁があって、前には孟宗竹《もうそうちく》の生えた石組の庭が泉水に対《むか》ってなだれ下っている。私の部屋代については、参右衛門は一向に云おうとしないので、これには私たちも困った。何回私は部屋代を定めてくれと頼んでも、
「おれは金ほしくて貸したのではないからのう。ただでも良い。その代り、おれは貧乏だぜ、米のことと、野菜と、塩、醤油、味噌、このことだけは、一切云わないで貰いたい。それだけは、おれの家は知らん。お前たちにあげられるものは、薪と柴だけだ。これなら幾らでもあるで心配はさせん。」
 参右衛門の云い方は、見ず知らずの者にははっきりしている。彼の家の横の空地、三間をへだてた路傍に、別家の久左衛門の家がある。このあばらやのような別家が、私たちに、ここの本家の参右衛門の一室を世話してくれた農家だが、これも通りすがりの私らに対しては、何んらそれ以上のするべき責任もない。しかし、部屋を世話したからは、困らせるようなことをおれはせん、と、久左衛門が、ふと小さな声でひと言云ったのを私の妻は覚えていた。
「そんなこと云ったのかい。」と私は笑った。
「ええ、ちょっと云ったわ。」
「じゃ、そのちょっとが、ここへ僕らをひきつけたわけだな。聞きぞこないじゃないのか。」
「でも、たしかに一寸《ちょっと》いったようよ。」
「ふむ。」
 ふむ、と私の云ったのは、そんな赤の他人の呟いたひと言に、今の私たち全部を支えている心が、どこかの一点で頼っているのかもしれないと、ふと私は考えたからである。たしかに、もし久左衛門の家が傍になかったら、私らの生活の手段を何らかの方法で私は変えねばならぬにちがいない。野菜、米、味噌、醤油、塩、これら必需品を求める手がかりは、皆目まだ眼鼻も立っていない。しかし、今は、私は八方手をつくして、部屋の借り得られる村村を探し、その尽《ことごと》くに失敗した後、ようやく独力で探しあてた一室である。必需品のことなど考えられない場合だった。移って来た夕方、薄暗くなって来ると、妻は部屋の隅のまだ解かない荷物にもたれかかって泣いていた。
「どうするんでしょうね。これから。」
「どうするって。当分こうしているわけさ。」
「そんなことで良いのかしら。」
「暗くなって来たからそんなことを考えるんだよ。明日の朝になれば何もかも分る。まア、明日の朝まで辛抱することだ。」
「あたし、帰りたい。」そして、また妻は泣いた。
「明日のことは思い煩うことなかれ、ってことあるじゃないか。」
「あなたはただそうじっとしてらっしゃればいいから、そんなこと仰言るのよ。今あたし、お勝手もとへ行ってみたら、真っ暗で、何一つ見えやしないんですもの。水一つ汲もうにも手さぐりで、やっと分ったほどですのよ。毎日毎日こんなんじゃ、あたし、どうしたら良いかしら。」
 十室ちかくある家全体で、小さな電灯がただ一つよりない。それも炉間にぶら下ったまま光は私らの部屋までは届かない。電気屋を呼ぼうにも、参右衛門の家が長く電気代滞納のため、もう来てくれないという。
「六畳一室に四人暮しで、電灯がないとすると、相当困るね。」
 しかし、私にはまた別の考えが泛んでいた。まったく私には一新した生活で、私一人にとっては自然に襲って来た新しさだ。何より好都合と思うべきことばかりだが、それだけは口外すべからざる個人的興味のこと。私はただ黙って皆を引摺《ひきず》ってゆけば良いのだ。
「東京にいたときのことを思いなさい。あれよりはまだましだ。」と私は云った。
「でも、あのときは、もう死ぬんだと思っていたんですもの。何んだって辛抱出来たわ。」
「それもそうだ。」
 ここなら先ず安心だと思ったから一層不安が増して来たという理由は、たしかに今の私たちにはあった。死ぬ覚悟というものは、そのときよりも、後で分ることの方が多いということも、たびたび今までに感じていたことだのに、それが再びここまで来てまた明瞭になったのは、よほど私たちの気持ちも不安のなくなった証拠である。
「あのときは、おかしかったね。お前の病気の夜さ。」と私は云った。
「そうそう。あのときは、おかしかったわ。」と妻も思わず顔を上げて笑った。
 厳寒の空襲のあったある夜、私と妻とはどちらも病気で、別別の部屋に寝たきり起きられず、子供たち二人を外の防空壕へ入れて置いた夜のことである。私は四十度も熱のある妻の傍へ、私の部屋から見舞いに出て傍についていたが、照明弾の落ちて来る耀《かがや》きで、ぱッと部屋の明るくなるたびに、私は座蒲団を頭からひっ冠り、寝ている妻の裾へひれ伏した。すると、家の中の私たちのことが心配になったと見え、次男の方がのこのこ壕から出て来て、雨戸の外から恐わそうな声で、「お母アさん。」とひと声呼んだ。
 あまり真近い声だったので、「こらッ。危いッ。」と座蒲団の下から私が叱りつけた。子供は壕の中へまた這入ったらしかったが、続いて落ちて来る照明弾の音響で、またのこのこ出て来ると、
「お母アさん。」
「こらッ。来るなッ。」
 呶鳴《どな》るたびに雨戸の外から足音は遠のいたが、いよいよ今夜は無事ではすむまいと私は思った。私は一週間ほど前から心臓が悪く、二階|梯子《ばしご》も昇れない苦しみのつづいていた折で、妻など抱いては壕へ這入れず、今夜空襲があれば、宿運そのまま二人は吹き飛ばされようと思っていたその夜である。私は少しふざけたくなった。
「もう駄目かもしれんぞ。云っとくことはないかい。」私は子供の足音が消えると訊《たず》ねた。
「あるわ。」
「云いなさい。」
「でも、もう云わない。」
 爆発する音響がだんだん身近く迫って来る様子の底だった。
「それなら、よしッ。」
 と、私は照明弾の明るさで、最後の妻の顔をひと眼見て置こうと思い、次ぎの爆発するのを待って起き上った。
「お母さん。」また声がする。
「出て来ちゃ、いかん。大丈夫だよ。」
 私は大きな声で云いながらも、あの壕の中の二人さえ助かれば、後は、――と思った。すると、また一弾、ガラスが皺《しわ》を立てて揺れ動く音がした。
「後はどうにかなるさ。」
「そうね。」
 水腫《みずば》れのように熱し、ふくれて見える妻のそういう貌《かお》が、空の耀きでちらッと見えた。心配そうというよりも、どこかへ突き刺さったままさ迷うような視線である。今ごろここで妻がおかしかったと云うのは、そのとき妻の見た私の座蒲団姿のことを云うのだが、私のおかしかったというのは、危険の迫るたびに、のこのこ壕の中から出て来た子供のことである。私はその危険だった夜から四日目の夜、妻と子供を無理矢理に東北へ疎開させ、私一人が残っていた。私の心臓はまだ怪しいときだったが、傍に妻子にいられる心配よりも、一人身の空襲下の起居の方が安らかさを取り戻すに都合は良く、食物の困難なら、庭の野草の緑の見える限りさほどのことではあるまいと思い、居残りを決行したのだ。私はまだ雨戸を開ける力もなかったから、寝床から出て、飯を炊き、煮えて来るとまた匐《は》い込む。ぼんやり坐ったり、寝たり起きたり、そんなことをしている一週間ほどたったとき、折よく強制疎開で立ちのく友人が来てくれた。今度は二人の男の生活が始まった。自分の家もいずれは焼けるにちがいないから、私はせめてその焼けるところを見届けて見たかった。疎開をするならそれから後にしても良い。焼けた後では何の役にも立つまいが、それにしても、長らく自分を守ってくれた家である。つい家情も出て来て動く気もなく、私が飯を炊き、友人は味噌汁と茶碗という番で、互いに上手な方をひき受けて生活をしてみると、これはまたのどかで、朝起きて茶を飲む二人の一時間ほど楽しいときは、またと得られそうもない幸福を感じる時間になった。しかし、そんなことを云っても妻には分ろう筈もない。

「とにかく、自分の家が焼けなかったということは、何より結構じゃないか。あの大きな東京は、もうないのだからね。お前は見ていないから、知らないのだよ。」と私は云った。
「そうね、あたし、知らないんだわ。それだからね。ぶつぶついうの。」
 妻はさしうつ向き、よく考えこむ眼つきである。

 そういえば、この村の人たちも空襲の恐怖や戦火の惨状というものについては、無感動というよりも、全然知らない。このことに関して共通の想いを忍ばせるスタンダアドとなるべき一点がないということは、今は異国人も同様の際だった。たしかに、知らせようにも方法のない村民たちと物をいうにも、も早や、どうでも良いことばかりの心の部分で、話さねばならぬ忍耐が必要だ。この判然と分れた心の距離、胸中はっきり引かれた境界線というものは、こちらには分っているだけで、向うには分らない。人情、非人情というような、人間的なものではなく、ふかい谷間のような、不通線だ。農民のみとは限らず、一般人の間にも生じているこの不通線は、焼けたもの、焼け残り、出征者や、居残り組、疎開者や受入れ家族、など幾多の間に生じている無感動さの錯綜、重複、混乱が、ひん曲り、捻じあい、噛みつきあって、喚《わめ》きちらしているのが現在だ。呶鳴ったかと思うと、笑ったり、ぺこぺこお辞儀したかと思うと、ふん反り返り、泣き出したかと思うと、鼻唄で闊歩する。信頼をしあうにも、寸断された心の砕片を手に受けて、これがおのれの心かと思うと、ぱッと捨てる。このようなとき、道念というようなものは、先ず自分自身に立腹すること以外手がかりはないものだ。腹立ちまぎれにうっかり呶鳴ると、他人に怒る。何の関係もないものに。――実際、人の心は今は他人に怒っているのではない。誰も彼もほおけた不通線に怒っているのだ。まったくこれは新しい、生れたばかりのものである。間もなくこれは絶望に変るだろう。次ぎには希望に。

 八月――日
 南瓜《かぼちゃ》の尻から滴り落ちる雨の雫。雨を含んだ孟宗竹のしなやかさ。白瓜のすんなり垂れた肌ざわり。瞬間から瞬間へと濃度を変える峯のオレンヂ色。その上にはっきり顕れた虹の明るさ。乳色に流れる霧の中にほの見える竹林。

 八月――日
 ここへ移ってから一番自分を悩ますものは蚤《のみ》だ。昼間も食事をしている唇へまで跳びこんで来る。大げさにいえば、顔を撫でると、ぼろぼろと指間からこぼれ落ちそうな気配で、眉毛にも跳びかかる。まして夜など眠れたものではない。どたんばたんと、あちらでもこちらでも足音がする。
「これなら、空襲の方がまだましだ。」と先ず、私は悲鳴をあげた。
「ほんとにどうでしょう。いることいること。」
「しかし、これだけ人間を苦しめる奴がいるに拘らず、誰も蚤を問題にしたものがいないというのは、何んということだろう。おれはまだ蚤の評論というのを見たことがないね。」
 妻は私の云うことなど聞えない。八方へぴょんぴょん跳ぶ蚤を追っかけて夢中である。これは夜中の光景だが、これから毎夜つづくこの苦痛を考えると、他の重要なことなどすべて空しく飛び散るから不思議だ。そこがまた、おかしいのかもしれぬ。しかし、これほど苦痛なことが、おかしいとは、またどうしたことだろう。この蚤に悩まされている最中の自分と妻は、厳粛この上もない苦痛の極点で、歎声さえ発しているに拘らず、おかしいとは、何たる不真面目な客観性が自分たちの中にあるのだろう。笑いの哲学とは、流石《さすが》に軽妙|洒脱《しゃだつ》なべルグソンの着想だ。こうでなくては哲学は意味をなさぬ。ここを忘れて人間性を云云《うんぬん》したところで、――しかし、おかしい。

 八月――日
 翌朝、私は参右衛門と対い合って炉に坐った。そして、その巨きな平然とした体躯を眺めた。いったい、この人物は、蚤について一言も発せぬが、果して何の痛痒《つうよう》も感じないのだろうか。もしそれなら、この人物は自分たちには不思議な存在だと思った。雲集して来る蚤の真っただ中へ、どたりと身を横たえて鼾声《かんせい》をあげている肉体。思ってみても痛快だが、しかし蚤にも狂わぬ神経で、精神を支えている調法さというものは、――子供のときから幾多の訓練をへたとはいえ、――それなればこそ、私らの苦痛がも早や何の問題でもない地点にいられる軍隊のような健康さに、私らはいったい何をいうべきか。たしかに、誰もは私らの方を不健康というだろう。しかし、果してそこに間違いはないか。その健康そうに見える陰から覗いた衰弱の徴候に。――これは蚤だけに関したことではない。人人のおそれ戦《おの》のく対象物の相違が、こんなに違ったまま世の中が廻っていて、――プロペラの廻転を停めるように、私は一度、ぴたりと停った世の中というものを見てみたい。これだけはまだ誰一人も見たことのないものだが。

 私は農村というものを映す高速度の映写機を、一度ためしに使ってみたい。完全な廻転に用する歯車は完全な円形では駄目だという法則がある。高速度映写機もその学理を応用している。AはBと相等しく、BはCと相等しい場合に、AはCと相等し、という数学上の定理が、今はそうではなく、AとCとは等しからず、という、新しい数法が生じて来たそうだ。これを半順序概念というそうだが、他の何事よりもこれは大革命の端緒となるもの――としても、それはさて置き等しきものは何もないというこの美しさ。おそらくどこの農村も、農村の存するところすべてが異っていることだろうが、高速度機もこうなると必要だ。一疋の蚤も、半順序概念のAとして、この農村を計量する何ものか、私の円形ならざる歯車の一つにならば幸いだ。

 八月――日
 夜の明けない前に草刈りに出ていった娘たちが、山から帰って来る。自分の背丈の二倍もある高さの草束を背負う姿は青草の底から顔を出した家畜に似ている。それが二人三人と続いて山路を降りて来ると、小山が揺れ動いて来るようだ。そんなことなど忘れてから、ふとまた視線がそちらへ向くたびに、おや、風かなと思う。よく見ると、また続いて降りて来る娘たちの草の山だ。
「日が射して来てから家を出るのは、もう仕事じゃないのう。」と、久左衛門が云った。
「おれは人の二人前は、いつのときでも働いた。前には村で一番の貧乏だったが、今では先から五番になった。」
「この村の人は、女の方がずっとよく働きますね。」
「ははははは、そういえば、そうかのう。」と、この老人は笑ってから、一寸このとき考え込んだ。
 六十八歳の老人が、今まで一度も、そんなことを考えてみたこともなかったということ。――やはり、人は自分のことを一番に考えて、それから答えるのだ。しかし、私もまた迂闊《うかつ》なことを訊ねたものだ。村で働きがないと云われることは、都会のものが感じるよりも、幾そう倍の侮辱になる、という衝撃については、甚だ残念ながら手落ちはこちらだ。ははははと笑った老人の初めの笑声は、ただの笑いではあるまい。おそらく六十八年の歳月の笑いであろう。
 私はこの久左衛門という特殊な老農に注意を向けた。何ぜかというと、この平野は陸羽百三十二号という米を作る本場であること。この米は一般から日本で最上とされているのに、この平野の中でも、特にこの村の米は平野のものから美味だといわれていること、ところが、久左衛門の家の米は、この村の中でも一番美味であるということなどを考えると、――彼は日本一の米作りの名人ということになりそうだ。まだ誰も、そんなことを云ったのではない。しかし、押しせばめて来てみると、他に適当な論法のない限りは、そう思ってみる方が、私だけには興味がある。たしかに、同じ注意を向けてみるなら、ひそかに私はそう思うことにしてみたい。
「おれは小さいときから算術が好きでのう。」
 と久左衛門は云った。「今の若いもののやることを見ていても、おれよりは下手だのう。おれは算術より他に、頼りになるものは、ないように思うて来たが、やっぱりあれより無いものだ。」
 またこの老人はこうも云った。
「みんな人が働くのは、子供のためだの。おれもそうだった。」
 禿《は》げた頭の鉢は大きく開き、耳の後ろから眼尻にかけて貫通した流弾の疵痕《きずあと》が残っている。二十二のとき日露の役に出征し、旅順でうけた負傷の疵だが、このときの恩給が唯一の資本となり、峠を越した漁村の利枝の家へ、縄と筵《むしろ》を売りに通った極貧の暮しも、以来|鰻《うなぎ》のぼりに上騰した。彼の妻のお弓は利枝の妹で、本家の参右衛門の母の妹にもなる。久左衛門は隣村から養子に来たとはいえ、前から本家とは親戚で遠慮の不要な間柄だ。
「この村は二十八軒あるが、参右衛門の家は一番の大元だ。前には財産も一番だったが、今はその反対だのう。みなあれが飲んだのだ。はははは。」久左衛門はそう云ってから私に声をひそめて、「あんたに一言いうて置かねばならぬことがあるが、一つだけ気をつけておくれんか。あの参右衛門は人の良い男だが、飲んだら駄目だから、そのときはそっと座を脱して隠れて下され。あれはひどい酒乱でのう。おれは殴られた殴られた。もういくら殴られたかしれん。おれはじっと我慢をし通して来たが、あの大男の力持ちに殴られちゃ、敵《かな》うもんじゃない。恐しい力持ちじゃ。」
 参右衛門は四十八だ。巨漢である。いつも炉端に寝そべっていて働かないが、無精鬚《ぶしょうひげ》がのびて来ると、堂堂たる総大将の風貌であたりを不平そうに眺めている。剃刀《かみそり》をあてると、青い剃りあとに酒乱の痕跡の泛び出た美男になる。農夫とは思われぬ伊達《だて》な顎《あご》や口元が、若若しい精気に満ち、およそ田畑とは縁遠い、ぬらりとした気詰りで、半被《はっぴ》を肩に朝湯にでも行きそうだ。
「おれは金はない。金はないが、あんなものは入らん。食えれば良いでのう。こうしておっても食ってゆかれる。どうじゃ、あんたはそう思わんか。」
 と、参右衛門は云ったことがある。初めは冗談かと私は思って黙っていると、意外に真面目な眼差しで彼は問いつめ、じっと視線を放そうとしなかった。
「実は僕もその方でね。」と私は苦笑した。
 参右衛門は酒代で財を潰《つぶ》した自分自身の過去に、少しも後悔していなかった。彼は思うことを実行してみたのである。そして、来るべきことに突きあたったその底から、鋭い表情を上げているのだ。しかし、久左衛門は彼とは反対だった。あるとき、彼は私に、
「何というても金がなければ駄目なもんだ。」とひと言|洩《もら》したことがある。これも自分の思うことを実行してみて、結果はそのままに現れて来たのだ。
 この久左衛門と参右衛門が、まったく地位の転倒した別家と本家の関係にあり、それも三間の空地をへだてた隣家で、酒を飲み交している場では、定めし酒乱の殴打はなみなみならぬ響きが籠っていたことだろう。
「おれと参右衛門と仲が悪うなると、村のものは喜ぶ。仲が戻ると、いやそうな顔をする。この頃は参右衛門も、おれのいう通りになるので、村のものには面白うないのじゃ。はははは。」と久左衛門は眼尻を細めて笑った。一度も激したことのないような笑顔である。

 八月――日
 雨過山房の午後――鎌|研《と》ぐ姿、その蓑《みの》からたれた雨の雫。縄なう機械の踏み動く音、庭石の苔の間を流れる雨の細流。空が徐徐に霽《は》れるに随い、竹林の雫の中から蝉の声が聞えて来る。群り飛びまう蝿の渦巻――

 この二十八戸の村から十七人出征している。そのうち二人だけが帰って来た。先日、湯の浜へ行ったときのことだが、汽車から降りて来て、今しも故郷へ入って行こうとしている復員の兵士が二人、電車の昇降口で話していた。どちらも勇敢そうな、逞《たくま》しい身体で、見ていても気持ちの良くなる青年である。
「あーあ、半年おれは、ぐっすり寝たいな。」と一人が、電車の継目の欄干にもたれ、顔に真正面からかッと日を浴びて云った。
「弾の下くぐることなら、あんなことは平気だが、眠いのはのう。」と背の高い美男子の一人が云った。
 そこへその兵士の故郷の知人らしい老人が乗って来た。顔が合うと、美男の兵の方が、
「敗残兵が帰って来たア。」
 と、いきなり云って笑った。老人は、「わッはッはッ。」と笑ってから、肩を一つぽんと叩いた。それでおしまいだった。日本人らしい笑いだ。
 電車が稲の花の中を走り出し、次ぎの停留所まで来たとき、またその兵士の知人らしい、美しい若い婦人が、小さな子供をつれて乗り込んで来た。
「あら、お久しぶりですのう。」と婦人は、にこにこして嬉しそうに兵士に云った。その笑顔のどこかに、むかしの恋人にちかい俤《おもかげ》すらあった。
「敗残兵が帰って来たア。」
 と、また兵士は同じことを繰り返して笑った。すると、今までにこにこしていた婦人は、急に笑顔を消し、俯向《うつむ》いたまま、
「どうしようもありませんでのう。」
 と、悲しそうに云ったきり、もう顔を上げようとしなかった。兵士の方も的を射すぎた不手際な苦しさで、眼をぱちぱちさせて外《そ》っぽを向いたまま、これも何も云わなかった。
 三度目の停留所まで来たとき、そこでもこの兵士の知合いが乗り込んで来たが、このとき兵士は、
「やア、お暑う。」と云って、軽く頭を下げたきりだった。
 横にいた別の兵士はどこまでも黙黙として一語も発せず、笑いもしなかったが、彼の降りる停留所まで来たとき、ぎっしり詰った重い軍袋を足で蹴りつけ、プラットへ突き落した。日に耀いた鳥海山が美しく裾を海の方へ曳いている。稲の花の満ちている出羽の平野も、このような会話を聞いたことは、おそらく一度もなかったことだろう。
 
 私は海際にあるその電車の終点の湯の浜で兵士と一緒に降りた。袋を背負い、人のいない砂丘を越して自分の家の方へ消えて行く兵士の後姿を見ながら、私もまた一人で、その丘を登った。浜茄子《はまなす》の花の濃い紅色が、海の碧さを背景に点点と咲いている。腰を降して私は膝を組んだ。ここは私が妻と結婚したその夏、二人で来た同じ砂丘で、そのときは電車はなかったが、こうしてここで浜茄子の花も見た。それから二十年の年月紅色の花にうつろう愁いは、今もまだ私に残っているが、もうむかしのようなものではない。私は砂丘の向うにある兵士の家を想像し、その入口へ這人って行くときに、最初にいう彼の言葉も分っている。すべてが私らと無関係なことではない。私は人のいない大衆浴場へそれから行って服を脱ぎ、木目のとび出た板にお尻をつけた。風呂へ入るにも、私は汽車に乗り、またそれから電車でここまで来て、そして、ようやく一風呂浴びられるのだが、私にとって、今はこの痛い木目の板へ坐るのが、一週一度の何よりの楽しみだ。ぽちゃぽちゃ一人でやっていると、心はなまけた潤おいに満たされ、空腹も忘れてしまう。何とかして煙草を一本吸いたいと思うが、山から採って来たいたどりばかりで、これで二週間目だ。ふと、家の参右衛門のなまけ癖が、廂《ひさし》からの日ざしを受けたお臍《へそ》のあたりにへこんで見えて、垢を擦る。しかし、敗戦の日の私の物思いは、こんなことでは片附きそうもない。私は、今は何も云いたくはない。
 この浴場の屋根の上に露台がある。そこから右の砂丘の向うに、煙筒のかすかに並んだ岬の見えるのが、最上川の河口である。そこが酒田だ。捕虜収容所もあの煙筒の下の方にある。終戦の前日まで、そこで捕虜を使っていた日通のある人が云ったこと――
「軍人という奴は、どいつもこ奴も、無頼漢ばかりだ。」
 またか、と初めは思って、私にこの話をした青年は、聞くのを躊躇《ちゅうちょ》したそうだ。この青年も復員軍人だ。
「捕虜に食わせる食い物なんて、あれや無茶だ。人の食う物じゃない。気の毒で気の毒で、もう見ちゃおれん。」と、日通は云った。
 軍人を攻撃するのは田舎でも流行だが、これは少し流行から脱れた権幕である。罵倒も飛び脱れた大声だと、反感を忘れ、どういうものかふと人はまた耳を傾ける。
 この日通の人の使っている下働きの荷車曳きに、この地方特有の敦樸《とんぼく》な者がいた。この若ものは仕事からの帰途、毎夜一緒に働いている捕虜をこっそり自分の家へ連れ込んで、食べたいだけ物を食べさせてやっていた。そのうち若ものは出征した。ところが、出征すると間もなく終戦になったので、今度は捕虜との位置が逆になった。自由な身になった捕虜は、若ものが今日帰るか明日帰るかと、毎日ひとり停車場まで出迎えにいっていた。そのところへ、ある日ひょっこり汽車から降りて来た復員姿の若者を見つけると、「おう、」と進み二人は思わず手を握った。聞いていて私は涙が出た。
 アメリカの飛行機は、まだ酒田の上空まで飛んで来て、下にいる捕虜たちに食物を落している。私はこれらの飛行機もここの露台から眺めたことがあるが、家を突き抜いた食物で圧死した捕虜もある。例の捕虜は自分へ落ちて来た分の食物を、若ものの家へ運んでは食べよ食べよといって、承知しないということだ。以上の話には感想は不要だが、ここには、そのままに捨て置きがたい、見事な光をあげているものが沢山ある。それとは違う別のイギリス兵の捕虜の一人も、本国へ帰るとき、
「酒田へはもう一度、必ず来る。」
 と、そう一言いって帰ったそうである。

 八月――日
 別家の久左衛門の主婦は今日はめっきり心配顔だ。長女が樺太に嫁いでいる折、引上げ家族を乗せた船を、国籍不明の潜水艦が撃沈したという噂が拡がって来たからだが、本家の参右衛門の家の長男も樺太にいる。両家の今日の憂鬱さはひとしおふかい。
「もう朝飯も食べられない。今日は堪忍しておくれのう。愛想の悪いのは、お前さんたち悪う思うてじゃないでのう。」
 畠の中の茄子《なす》、唐黍《とうもろこし》、南瓜の実にとり包まれた別家の主婦は、そう云って跼《かが》み込んだ。背中に射した日光が秋の色で、浮雲がゆるく沼の上に流れている。一日一日と頭を垂れていく稲の穂。初めの颱風も無事にのがれた稲の波は後続する花房を満たして重い。栗のいがの柔かさ――

 参右衛門の細君の清江は、これはまたいつも黙っていて、心配を顕さない。樺太へ出征している長男が、帰れるものやら、奥の陸地へ連れて行かれたものやら、噂は二つで、頭も二つの間に挟まれ※[#「足へん+宛」、第3水準1-92-36]《もが》いてはいるのだが。
「いや、きっと帰れるさ。相手はソビエットだもんのう。おれたち貧乏人の忰《せがれ》を、殺すなんてことはせんもんだ。」
 と、参右衛門は云う。彼も一度は樺太へ出稼ぎに行って、石炭を掘ったこともあり、そこの景色は直ちに泛んで来る様子だ。久左衛門の主婦のお弓は、ひき吊ったような顔で本家へ来て、共通の憂鬱さを吐きまぎらせる。
「本人が帰って、門口へ立って見てからでないと、何んにも分ったことではないのう。」
 と清江は一言小声で洩しただけである。この婦人は、働くこと以外に夢を持たぬ堅実さで、私は来たその当夜、一瞥して感服したが、それは以後ずっと続いている。人の噂を聞き集めてみても、この清江のことを賞讃しないものはない。参右衛門はまことに妻運の良い男というべきだ。この点私は彼によほど負けている。
「どうもここの細君みたいな婦人は、一寸、見たことないね。それに顔立だって、よく見てみなさい。紋服でも着せて出そうものなら、東京のどこの式場へ出したって、じっと底光りして来るよ。」と私は妻に云った。
「そうね、あたしもそう思うわ。」
「ここにいる機会に、お前も少し勉強をするんだね。お前なんか、僕のあら探しで一生を費しちゃったんだが、そんなことせんもんだ。」と、私も田舎言葉になったりする。
「ほんと、あたしあなたのあらばかしより見えないんですもの。あなたは、あらばかしの人だわ。良いとこあるのかしら。」この批評家はうす笑いをもらしている。
「おれはこのごろ、人生はこういうものかと、少しばかり分って来たような気がするんだがね。辛いぞなかなか人生は――おれは毎日毎日、批評家からやっつけられ、右からも、左からもやっつけられ、内からは、またお前から毎日毎日だ。おれの身体は、穴だらけで、満足なところは、いったいどこにあるんだろうと思う。まったくだよ。人の非難するところを全部おれは、受け入れる性質だからね。こいつを全部受け入れて見なさい。おれは零以下の人間だ。そのくせ人は、おれにまだ何か書け書けだ。どういうことだろうこれは。どっかに一つ、良いところがなくちゃならんじゃないか。」
 私は少し感傷的になったのが、それが悲しかった。
「どっかしら。――ないわね。」と妻は黙っていてから云った。
「いや、一つだけある。」
「どういうとこ?」
「おれは、人に感心する性質だよ。おれは自分が悪いと思えばこそ人に感心するのだ。これが風雅というものさ。芭蕉さんのとは少しばかり違う。僕のはね。」
「芭蕉さんのはどういうの?」
「あの風雅は、まだ花や鳥に慰められている無事なところがあってね。そこが繁栄する理由だよ。芭蕉さん、きっと自分のそこがいやだったんじゃないかなア。あの人は伊賀の柘植《つげ》の人だから、おれと同じ村だ。それだから、おれにはあの人の心持ちがよく分る。小林秀雄はそこを知ってるもんだから、おれに芭蕉論をやれやれと、奨めるのさ。」
「小林さんが?」妻は顔を上げた。
「うむ。しかし、小林の方が芭蕉さんより一寸ばかし進歩しているね。おれの見たところではだ。」
「…………」
「それはそうと、小林はいつかお前を賞めてたことがあるよ。君の細君はいいね、ぼッとしていて、阿呆みたいでって。」
「まア、失礼ね。」妻は赧い顔をした。
「しかし、阿呆なところを賞められるようじゃなくちゃ、女は駄目なもんだよ。賢いところなら誰だって賞める。そんなのは、賞める方も賞められる方もまだまだ駄目だ。おれにしたってだ。」
 妻は笑いが止まらなくなった様子でくすくす俯向いて笑っている。しかし、私の方はそれどころではない。非常な難問が増して来た。もう妻なんかに介意《かま》ってはおれぬ。今しばらくは斬り捨てだ。

 一万米の高空でする戦闘と、地上百米の低空でする戦闘の相違について――これは飛行機のことではない。各人、だれでも一日に一度は必ずしなければならぬ平和裡の戦闘だ。妻と、友人と、親戚と、知人と、未知の人間と、その他、一瞥の瞬間に擦れちがって去りゆくものと。また自分と。戦法は先ず度を合して照準を定めることだが、照準器はめちゃくちゃだ。度が合ったときのその嬉しさ、そこからのみ愛情は通じるのだ。

 ある日のことを私は思い出す。それは晴れた冬の日のこと、渋谷の帝都線のプラットで群衆と一緒に電車を待っているとき、空襲のサイレンが鳴った。間もなく、 B29一機が頭上に顕れた。高射砲が鳴り出した。ぱッと一発、翼すれすれの高度で弾が開いた。すると、私の横にいた見知らぬ青年が、
「あッ、いい高度だな。」とひと声もらした。
 話はそれだけのことだが、そのひと声が、晴れた空と調和をもった、一種奇妙な美しさをもっていた。敵愾心《てきがいしん》もなく、戦闘心もない、粋な観賞精神が、思わず弾と一緒に開いた響きである。私はこの世界を上げての戦争はもう戦争ではないと思った。批評精神が高度の空中で、淡淡と死闘を演じているだけだ。地上の公衆と心の繋がりは断たれている。それにも拘らず、観衆は連絡もなく不意にころころ死んでゆく今日明日。たしかに死ぬことだけは戦争だが、しかし、戦争の中核をなすものは、何といっても敵愾心だ。いったい、今度の長い戦争中で、敵と呼ぶべきものに対して敵愾心を抱いていたものは誰があっただろうか。事、この度の戦争に関する限り、この中核を見ずして、他のいかなることにペンを用いようとも無駄である。
 愛国心は誰にもあり、敵愾心は誰にもないという長い戦争。そして、自分の身体をこの二つの心のどちらかへ組み入れねば生きられぬという場合、人は必ず何ものかに希願をこめていただろう。何ものにこめたかそれだけは人にも分らず、自分も知らぬ秘密のものだ。しかし、人は身の安全のためにそうしたのではない。たとえそれは間違ったものに祈ったとしても、そこに間違いなどという不潔なものなど、も早や介在なし得ない心でしたのである。それは狐にしようと狸にしようと、それ以外には無いのだから通すところのものはどうでも良い、有るものを通して天上のものへしていたのにちがいないのだ。ここに何ものも無い筈はない。
 おそらく以後進駐軍が何をどのようにしようとも、日本人は柔順にこれにつき随ってゆくことだろう。思い残すことのない静かな心で、次ぎの何かを待っている。それが罰であろうと何んであろうと、まだ見たこともないものに胸とどろかせ、自分の運命をさえ忘れている。この強い日本を負かしたものは、いったい、いかなるやつかと。これを汚なさ、無気力さというわけにはいかぬ。道義地に落ちたりというべきものでもない。しかし、戦争で過誤を重ね、戦後は戦後でまた重ねる、そういう重たい真ん中を何ものかが通っていくのもまた事実だ。それは分らぬものだが、たしかに誰もの胸中を透っていく明るさは、敗戦してみて分った意想外な驚愕であろう。それにしても人の後から考えたことすべて間違いだと思う苦しさからは、まだ容易に脱けきれるものでもない。

 防空壕に溜った枯葉の上へ、降り込む氷雨のかさかさ鳴る音を聞きながら、私は杜甫を一つ最後に読もうと思って持ち込んだこともある今年の冬だ。しかし、今は、戦争は停止している。私のここで見たものは一人の白痴だ。

 この白痴は参右衛門の次男である。先ずその日その日が食べられるというだけの、貧農のこの家の生活を支えているのは、二十三歳になるこの白痴だ。名は天作、彼は朝早く半里もある駅の傍の白土工場へ通い、百円の賃金を貰っている。参右衛門の怠けていられるのもこのためだ。天作は身体が父に似ていて巨漢である。無口で柔順で、稀な孝行もので、良く働き、何の不快さもない静な性質だ。およそ他人に害を与えない人物でこれほど神に近いものはないだろう。彼の仕事も三人力で、山から白土を掘り出すのだが、この土は武田製薬の胃薬の原料になるものだ。戦時中も今と同様に働き通したが、天作の掘り出した白土は、どれほど多くの人の胃袋へ入ったことだろう。あの酒を吸収して酔漢をなくするノルモザンがこの白土だ。天作は白痴のため戦争など知らない。自分の得た賃金を参右衛門の酒代にすっかり出し、代りに彼から煙草を四五本ケースへ入れて貰うと、ほくほくする。たまの休日には庭の草ひき、草刈り、庭掃除で、小牛と山羊をひっ張り廻して遊ぶのが何より愉しみなようである。弟の十二になるのが何か悪さをすると、天作のしたことにして知らぬふりだ。そして、代りに天作が参右衛門から叱られる。私は五時に起きるがときどき同じ白土工場へ出ている隣家の少年が、
「天作どーん。」
 と垣根の外から誘う声がする。すると、
「おう。」
 と、応える天作の元気な声は、一日一度の発声のようで朝霧をついて来る。何の不平もない幸福そうな、実に穏かな天作のその眼を見るのは、また私には愉しみだ。これは地べたの上を匐《は》い廻っている人間の中、もっとも怨恨のない一生活だ。他は悉《ことごと》くといってもいい、誰かに、どこかで恨みの片影を持って生活しているときに、上空では自己を忘れた精密な死闘を演じ、下のここでは、戦争を忘れた平和な胃薬掘りの一白痴図が潜んでいたのだ。
 飛騨地方では白痴が生れると、神さまが生れたといって尊崇するということだが、そういう地方も一つは在って良いものだ。

 九月――日
 別家、久左衛門の家には、機械工として熟練抜群の次男が工場解散となって都会から帰って遊んでいる。年は本家の白痴と同年だ。白痴の天作が一家の生計を支えた中心であるときに、別家では反対であるということが、二家の間に少し均衡を失いかけて見える。久左衛門の次男は、十三のとき以来ひとり都会に出ていたので、農事を今からすることは不可能だ。長男がこの弟の無職を憂い顔で、砂利を積んだ牛車を運び、駅からの真直ぐな路を往ったり来たりしている。麻疹で亡くした子供の初盆をすませたばかりの頬に、鬚がのびている。若い嫁は柔順に壁土を足でこね、ひたひたと鳴るその足音の冷やかさに驟雨が襲って来る。虫の声声が昂まる。

 参右衛門の広い家には誰も人がいない。薪のくすぶっている炉の傍に、薬湯がかかっていて、蝿が荒筵の条目《すじめ》を斜めに匐っているばかりだ。梨の炉縁の焼け焦げた窪みに、湯呑が一つ傾いたまま置いてある。よく洗濯された、継ぎ剥ぎだらけの紺の上衣が、手擦れで光った厚い戸にかかり、電灯がかすかに風に揺れている。槽に蔭干しされた種子類が格子の傍に並べてあって、水壺の明り取りから柿の生ま生ましい青色が、べっとりした絵具色で鮮明に滲み出ている。蝿の飛びまう羽音。馬鈴薯の転がった板の間の笹目から喰み出した夏菜類の瑞瑞しい葉脈――雨が霽れたり降ったりしている。

 寺の和尚、菅井胡堂氏がおはぎを持って来てくれた。私の部屋――この参右衛門の奥の一室は和尚が少童のころまだこの家の豪勢なときに誦経に来て以来五十年ぶりらしく、庭を眺め、「ほほう。」という。
 すると、突然、泉水の上に突き出た竿の先に、眼の高さでただ一つぶら下った剽軽《ひょうきん》な南瓜を見て、
「はッはッははッ。」と哄笑した。
 胡堂氏の話によると、村には二つとない、見事だったこの庭の良石と植木は、隣村の何兵衛に瞞《だま》され尽《ことごと》く持ち去られたとのことである。今、壊されたその跡に、ぶらりと垂れた南瓜の表情は、和尚には、何事か自然のユーモアとなって実り下った、真の笑いだったにちがいない。私はこういう笑いを聞いたのは初めてだ。ナンセンスの高級さ、ふかさは、このような孤独な南瓜のぶらりと下ったお尻の大きさをいうのだろう。これはまた、徳川夢声の、芸に似ている。まことに夢声の芸の酒脱さは、破れた日本の滴りのようなものである。

 九月――日
 初めて西瓜《すいか》を割る。今年は例年よりも二十日気候が遅れているとのことだ。久左衛門は、毎朝九時ごろになると必ず私に会いにやって来る。何の用もない、ただ遊びに来るだけだ。私は東京にいても、この朝の時間を潰されることほど苦しいことはない。それもこの老人が現れると、定《きま》って十二時まで動かない。私は一番自分にとって苦痛なことを、ここでは忍耐しているのだ。私は人が朝来たときは、その日一日死んだつもりになるのが習慣だったが、ここではそれが毎日だ。そこで、このごろ私は講習会に出席したつもりになって、この老人から農業について学ぶことにした。それにしても、これから以後ここにいる限り、この教授の出席が毎日続くのかと思うと溜息が出る。
「お困りなら今勉強中だといって、お断りしなさいよ。」と、妻は私のひそかな溜息を見て云った。
「僕は気が弱いんだね。どうも、それだけは云いかねるよ。あのにこにこした顔を見ちゃ、ひとつこの爺さんに殺されてやれ、と思うから不思議だ。お前断ってくれ。」
「じゃ、今度見えたら云いますわ。」
「しかし、一寸待ってくれ。あの爺さんの云うことは、こっそりノートをとって置きたくなることもあるんだが、ノートをその場でとると、こっちの職業がすぐ分っちまうからね。そいつが困るんだよ。細かい数字のことになると、どうも僕は忘れてばかりだ。」
「でも、そんなに面白ければ、お会いになってもいいじゃありませんか。」
「しかし、夜はこの部屋へは電気が来ないし、眠るとなると、この蚤で眠れたもんじゃない。朝になると、昼まであの爺さんが動かぬし、やっと午後から昼寝の時間を見つけると、これは眠っているんだから、おれの時間じゃない。おれは、もう生死不明だ。生きているなと思うときは、朝起きて、茄子の漬物の色を見た瞬間だけだね。あのときは、はッとなるよ。」
「ほんとに蚤には、あたしも困ったわ。一日だけでいいから、どっか蚤のいない所で眠ってみたいわ。」
 こんな会話を二人でひそひそ洩しているときでも、私たちには今一つ、別の不安が泌み込んで来ていた。それは四月に疎開してきた妻が、僅《わず》かよりない私たちの銀行の預金帳を、銀行焼失のためこちらで他の東京の銀行へ移管させたのが、四月以来いまだに東京から返送して来ないことだった。四月から九月まで、一銭の金銭も取れぬということと、それがまだいつまで続くか不明の故に、一家四人をひきつれて所持金なしの旅の空は、乞食同様で、考えたら最後ぞっと寒気がする。私の持って来た金銭がも早やいくばくもない折だ。この蚤から逃れる方法は、今のところ見当がつきかねる。誰も同様に困っているときとて、他人から借りる工夫もなりかねるこの不安さに対しては、援けなど求めようがない。赤の他人ばかりの中の、その日、その日の雨多いこのごろだ。

 九月――日
 米の配給日――この日は心が明るくなる筈だのに、私ら一家は反対だ。配給所まで一里あって、そこを二斗の米を背負って来ることは不可能である。人夫を頼もうにも、暇のあるものは一人もない手不足だ。駅まで半道、それからまた半道、長男と妻と二人で行く。その留守に私は道元の「心不可得」の部を読む。岩波版の衛藤氏編中のものだが、この衛藤氏は新潟在に疎開中で、そこからときおり夫人が菅井和尚の寺まで見えるとのことだ。道元集も、私が和尚から貰ったもので、和尚も著者から貰ったもの。
「奥さんが先日も来られて、一度でいいから、白い御飯をお腹いっぱい食べてみたいと私に云われましたよ。あの日本一の豪い仏教学者を食うに困らせるとは、何という仏教界の恥だろう。」と、菅井和尚は私に憤慨を洩したことがある。私の妻は蚤に、この夫人は米に悩まされている最中だ。
 私は道元禅書の中からノートヘ「夏臘《げろう》」という二字を書き写した。叢林に夏安居して修業したる年数をいう、と末尾に註釈がある。他に、
 奇拝――(弟子の三拝九拝に対して師の一拝の挨拶)有漏《うろう》――(煩悩のこと)器界――(世界のこと)秋方――(西の方)
 私は以上の五つを書き抜いてみて、次の随筆集の題を選びたく、思い迷っているとそこへまた久左衛門が現れた。私は本を伏せまた二人で庭の竹林に対《むか》い、しばらく黙って竹の節を眺めていた。「夏臘」という字と、「有漏」という字が、節の間を往ったり来たりする。そのうち、だんだん、「有漏」の方が面白く押して来たので、ひそかに舌の端に乗せてみながら、私は久左衛門の顔を見た。
「和尚さんのことで、一寸。」と久左衛門がいう。
 今日は菅井和尚の使いで来たのだ。この久左衛門は前から、和尚の寺の釈迦堂へ遠近から来る参拝人に、本堂の横の小舎で汁と笹巻ちまきを売っていた。それが資本となり彼が財を成した原因である。それ故和尚にだけは久左衛門も頭が上らない。その和尚が私の所へ、おはぎを携げて遊びに見えてからは、久左衛門も幾らか私への待遇が変って来て、今までは崩した膝を両手で組んでいたのも、このごろは、揃えた膝の上へ両手を乗せるまでになって来た。これは釈迦堂のお蔭である。そういえば、この菅井和尚の寺の釈迦堂からは、私たち一家は思わぬ手びきを受けている。私の妻がまだ一度も行ったことのないこの村の釈迦堂へ、実家のある街から汽車に乗り、参拝に来て、久左衛門の小舎の笹巻を買ったついでに、このあたりに部屋を貸す農家はないものかとふと訊ねたのが、私にこの六畳を与えられた初めだ。私は今も山を廻った所にある釈迦堂の上を通る度に、「よく見よこの村を」と、そっと囁《ささや》かれているように思うのだが、一つはそのためもあって、早く東京へ戻ろうという気持ちは起って来ない。
「和尚さんはのう、あなたの家をこの村へ建てようじゃないかと、おれに云わしゃるのじゃがのう。どっか気に入った場所を探して、そういうて下され。そうしたら、村のものらでそこへ建てますでのう。」
 甚だ話が突然なので私は答えに窮した。しかし、それだけでもう充分結構なことだ、深謝して辞退したきこと、久左衛門にいう。しかし、この村には眺望絶佳の場所が一つある。そこが眼から放れない。その一点、不思議な光を放っている一点の場所が、前から私を牽きつけている。
 それは私の部屋から背後の山へ登ること十分、鞍乗りと呼ぶ場所だ。そこは丁度馬の背に跨《また》がった感じの眺望で、右手に平野を越して出羽三山、羽黒、湯殿、月山が笠形に連なり、前方に鳥海山が聳えている。そして左手の真下にある海が、ふかく喰い入った峡谷に見える三角形の楔姿で、両翼に張った草原から成る断崖の間から覗いている。この海のこちらを覗いた表情が特に私の心を牽くのだが、――千二百年ほどの前、大きな仏像の首がただ一つ、うきうきと漂い流れ、この覗いた海岸へ着いた。それに高さ一丈ほどの釈迦仏として体をつけたのが始まりとなり、以来この西目の村の釈迦堂に納ったのみならず、汽車で遠近から参拝の絶えぬ仏となった。どこかビルマ系の風貌だが、この仏を信仰するものは米に困らぬという伝説があって、平和なときには毎日堂いっぱいの参拝人だとのことである。米作りの名人久左衛門の小舎の笹巻の味もこの仏像の余光を受けて繁昌した。それもこれも、すべてはこの海の表情の中に包み秘められている絶景だ。羽前水沢駅で降りて半里、私はここの鞍乗りの一箇所へ、炉のある部屋をひとつ自費で建てたくもなって来た。

 九月――日
 妻に部屋を建てる話をすると、私よりも乗り気である。しかし、ここでは、大工の賃金を米で支払わねばならぬとのことだ。それならも早や部屋も半ば断念した。野菜もこの村は自家の用を足すだけより作っていない。米作専門の農家ばかりで野菜を買うにはひと苦労である。魚は山越しの海から売りに来るが、米欲しさの漁夫たちの事故、先ず農家へ米と交換で売り、残りを私たちに持って来る。
 ある朝、私が縁側で蚤を取っていると、裏からいきなり這入って来た農婦が、何やら意味の通じぬことを私に喋ったことがある。妻に翻訳させると、子供を白土工場へ入社させたいので、その履歴書を私に書いてくれという意味だった。その場で書いてやった返礼に、米一升をどさりと縁側に抛《ほう》り出して農婦は帰っていったが、私の文筆が生活の資に役立ったのはこれが初めてだ。朝早く隣りから天作を誘う少年は私の書いた履歴書の主である。その声が寝床へ聞えると私も起きるようになった。またそこから野菜も頒けて貰えるようになったりした。米も無くなれば一升や二升はただでやるという。この農婦のことを宗左衛門のあばというが、金を出すから米を売って貰いたいと妻が頼むと、手を横に振り振り、
「金は要らん要らん。米はやるやる。」
 と、あばは云う。話のあまり良すぎることは、こちらもそれに乗るわけにもいかないだけ、この福運はこれで断ち消えになったも同様である。
「困ったわね。ああ云われちゃ、お米も買えないわ。」と妻は歎いた。
 しかし、人の懐勘定をするように先ずあそこには米があるのだと、ちらりと覗いたことになって、ますます私は自分の文筆の力を妻に誇って笑った。
「でも、履歴書ならあたしだって書けるわ。」と妻は無念そうだ。
「しかし、何んだかあの男は字が書けそうな人だと、僕のことを睨《にら》んだのだよ。あのあばは。睨ませたのはこの僕だ。これで小説を書くなんてことを知られちゃ、もう米も貰えないがね。」
「そうしたら、どうすればいいでしょう。お金も銀行から、いつ来るか分らないし、着物だって無くなって来たし、あたし困ったわ。」
「金が無くなれば川端に電報を打ってやる。まだあるだろう。」
 妻はほッとしたようだ。

 この村に困ったことが起っている。去年、米の供出の場合、村割当量が個人割当に変ったとき、供出せられるだけすべし、すれば一日四合分配給すると命ぜられたことがある。皆そのつもりになって、どこの村より真先にある限り完納した。ところが、四合どころか全然配給なしになった。結果は米を作らせられただけで自身たち食う米がなくなり、そのため村全体でない家を救いあうという始末だ、そして、今はその余力の続き得る限界まで来かかった米不足の声声が、満ちて来ている。ただ望むは秋の新米の生れることばかりで、「勝つために」という標語を掲げて瞞着した供出振りに対し、名誉を得たのは、ただ一人供出係りの実行組合長だけだという実感で、非難をその名誉に向けて放っている。非難の的の組合長は、参右衛門の妻の実家だ。またこの組合長は村で五位の、久左衛門と税金が同額で、何にかにつけ敵に廻って来ていた折の今年になり、ついに久左衛門から抜かれて来た。
「おれは何もかも知っとる。」と久左衛門は私に云った。「あの組合長の兵衛門は、駐在所へおれのことを、密告してのう。寺で笹巻売るというて、おれは駐在所へ呼びつけられた。おれは寺で笹巻売っても良いというから、完納してから売っていたのじゃ。はい、売りました、とおれは云うと、駐在所はのう、おれに同情してくれて、そんなこと今ごろするな、誰が報らせに来たか、お前には分っとるだろう、と云わしゃるから、はい、分っとります、とおれは云うた。はははは――密告したのじゃ。おれは、村のもののしていることを、何もかも知っとるでのう。おれだけが知っとるのじゃ。おれは、村の精米所の台帳を預っておるので、それを別に細かにみんな書き写して持っとる。どこにどれだけ米があるか、ないか、どこが無いような顔して匿しとるか、みんな知っとるのは、おれ一人じゃ、はははは――おれはいつでも黙って、知らぬ顔を通して来ているが、神も仏もあるものじゃ。それでおれは、みんながおれの悪口をいうと、いつか分る、おれが死んだら何もかも分る、そう云うて他は一切云わぬのじゃ。はははは。」
 久左衛門は笑ってからまた後で、
「神も仏もあるものじゃ。」と繰り返した。そして、顔を上げると、「おれは嫌われておるのでのう。おれの悪口ばかりみなは云うが、おれのことを分るときがきっと来る。おれは、何もかも細かに書いて仕舞っとる。」
 この老人の長所は何より自信のあることだ。

 九月――日
 夜の明けない前に、清江の刈って来た真直ぐな萱の束を、小牛と小山羊が喰っている。強烈な匂いを放った刈草の解けた束に朝日が射し込み、獣の口の中へ、鋭くめり入る折れた葉の青さ。云いがたい新鮮さで歯を洗う草の露。――堆肥の上から湯気が立ち、その間から見える穂を垂れた稲の大群の見事さ。家の周囲をめぐっている水音。青柿の葉裏にちらちら揺れる水面の照り返し。台所には、里芋の葉で一ぴきの赤えいが伏せてある。

 霽れたかと思うと海の方から降って来る。蓑《みの》を着て庭掃除をしている農婦。あなごやえいの籠を背負い、栗の木のある峠を降りてくる漁婦の姿。これらが雨の中で、米と交換の売買をしている魚籠を、一人二人と集り覗く農婦の輪。もうどこも米がなくなって来ているので、がっかりした漁婦は私たちの縁側へ廻って来て、最後に魚籠をひろげた。
「銭でもええわのう。糸があれば、なおええが。」と悲しそうな声で漁婦はいう。
 私たちは、あなごや赤えいを買い入れ、それを持って汽車で鶴岡の街まで出て、そこの親戚から交換で青物を貰って来るのだ。ここでは村と街とが反対の土産物だが、それほど金銭では野菜の入手が困難だ。米は勿論、味噌も醤油も金銭では買えない。それにも拘らず、ほそぼそながら一家四人が野菜を喰べていられるというのは、不意に近所から貰ったり、清江が知っていて、そっと私たちにくれるからである。妻は毎日あちらに礼をいい、こちらに礼をのべ、ひそかに私が聞いていると、一日中礼ばかり云っている。あんなに礼ばかり云っていては、心の在りかが無くなって、却って自分を苦しめることになるだろう。実際、物乞いのようにただ乞わないだけのことで、事実は貰った物で食っている生活である。人の親切は有難いが、これが続けばそれを予想し、心は腐ってくるものだ。
「ほんとにお金で買えれば、どんなに良いかしら。あたし、お礼をいうのにもう疲れたわ。」と、ある日も妻は私に歎息した。
 物をくれるのに別に人情を押しつけて来るのではない。ただ自然な美しさでくれるのだが、それなればこそ一層私たちは困るのだ。一度頭を昂然とあげて歩きたい。
「困るようなことはさせんでのう。」
 と、このように呟いた久左衛門の言は、今やまったく反対の意味で嘘になって来たわけだ。思いが現実から放れる喜びというものは、たしかに人にはあるものだ。恩を忘れる喜びを人に与えたものこそ、真に恩を与えたものの美しさだろう。間もなく私は東京へ戻り、忘恩の徒となり、そしてますます彼らに感謝することだろう。

 農家のものの働きを知るためには、ある特定の人物を定め、これにもっぱら視線を集中して見る方が良いように思う。私は清江の行動に気をつけているのだが、この婦人は一日中、休む暇もなく動いている。今は収穫前の農閑期だのに、清江はもう冬の準備の漬物に手をかけたり、醤油を作る用意の大豆を大鍋で煎《い》ったり、そうかと思うと草刈り、畠に肥料をやり、広い家中の拭き掃除をし、食事の用意、一家のものの溜った洗濯物、それに夜は遅くまで修繕物だ。自分の髪を梳《す》くのは夜中の三時半ごろで、それを終ると、竈《かまど》に焚きつけ、朝食の仕度、見ていると眠る暇は三時間か多くて四時間である。驚くべき労働だ。
「少し遊びなさいよ。」
 と私は冗談を云って茶を出すことがあるが、茶は嫌いだと清江はいう。農家のものの働きに今さら感心することが、おかしいことだと人はいう。定ったことだからだ。しかし、定ったことに感心し直さないようなら定ったことは腐る。よく働くことを当然だと思う心が非常な残酷心だと思い直さねば、生というものは感じることは出来ない。都会が農村から復讐を受けているといわれる現在、善いことは復讐を感じたその心の動揺であろう。不安、動揺、混乱は、まだ失われぬ都会人の初初しい徳義心の顕れだ。それにしても、私は眠い。蚤のために私は一日三時間より眠っていない。

 私たちペンを持つものの労働は遊ぶ形の労働だが、人はいまだにこれを労働と思わない。まことに遊ぶ形の労働なくして抽象はどこから起り得られるだろう。また、その抽象なくして、どこに近代の自由は育つ技術を得ることが出来るだろうか。私は感歎すべき農家の労働にときどき自分の労働を対立させて考えてみることがあるが、いや、自分の労働は彼らに負けてはいないと思うこともたまにはある。

 朝鮮のある作家に、ある日、文学の極北の観念として、私はマラルメの詩論の感想を洩したことがある。独立問題の喧しくなって来ていた折のことだ。
「マラルメは、たとえ全人類が滅んでもこの詩ただ一行残れば、人類は生きた甲斐がある、とそうひそかに思っていたそうですよ。それが象徴主義の立ち姿なんですからね、もし芸術を人間のそんな象徴と解したときに、君にとって独立ということは、あれははっきり政治ということになるでしょう。」
 朝鮮の作家は眼を耀かせて黙っていた。しかし、この作家はもう朝鮮へ去っている。

 日本の全部をあげて汗水たらして働いているのも、いつの日か、誰か一人の詩人に、ほんの一行の生きたしるしを書かしめるためかもしれない、と思うことは誤りだろうか。
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淡海のみゆふなみちどりながなけば心もしぬにいにしへ思ほゆ(人麿)
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 何と美しい一行の詩だろう。これを越した詩はかつて一行でもあっただろうか。たとえこのまま国が滅ぼうとも、これで生きた証拠になったと思われるものは、この他に何があるだろう。これに並ぶものに、
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荒海や佐渡によこたふ天の川(芭蕉)
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 今やこの詩は実にさみしく美しい。去年までとはこれ程も美しく違うものかと私は思う。

 こういうときふと自分のことを思うと、他人を見てどんなに感動しているときであろうとも、直ちに私は悲しみに襲われる。文士に憑きもののこの悲しさは、どんな山中にいようとも、どれほど人から物を貰おうとも、慰められることはさらにない。さみしさ、まさり来るばかりでただ日を送っているのみだ。何だか私には突き刺さっているものがある。
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愁ひつつ丘にのぼれば花茨(蕪村)
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 と誰も口誦むのは理由がある。この句は人と共に滅ぶものだ。耕し、愛し、眠り、食らうものらと共に滅んでゆくものでは、まだ美しさ以外のものではない。人の姿などかき消えた世界で、次ぎに来るものに異様な光りを放って謎を示す爪跡のような象徴を、がんと一つ残すもの。それはまだまだ日本には出ていない。人のいた限り、古代文字というものはどこかに少しはあったにちがいなかろうが。

 しかし、私は米のことを書こう。滅ぼうとしてもまだここに人人が喰い下ってやまぬ米のことを。どんなに人人が自身に嫌悪を感じようとも、まだ眼を放さず見詰めている米のことを。これは農村のことではない。谷から、川から、山襞《やまひだ》から、鬼気立ちのぼっている焔のことだ。私は地獄谷を書きたい。今ほどの地獄はまたとないときに、その焔の色も色別せず米を逐う人人の姿は、たしかに人が焔だからだ。自身の中から燃えるものの無くなるまで、火は火を映しあうだろう。

 九月――日
 雨だ。こんな日の雨天は、稲の花が結実しようとしている刻刻のころだから、朝夕が涼しく、日中がかッと暑くなくてはならぬものだ、と久左衛門が私にいう。もし今日のように雨天なら、実の粒が小さくて、一升五万粒を良とすべきところも、七万粒なくては一升にならぬ。これは不作だと。

 一粒の米を地に播くと三百粒の実をつける。一升五万粒を得るためには、百六十六粒の種子が必要となるわけだが、一反で二石の収穫を普通とするここでは、供出量を一反につき二石と命ぜられたとのことである。それなら来年度の種子米さえないわけだ。しかしながら、二石とり得られるのはすべての家からではない。一反につき一石七八斗の家が多い。良くて二石二三斗。それだと供出をするのに、どうしても無い家はある家から、不足の分二三斗を借りねばならず、そうして完納をすませた結果は、良くとれた家の米を無くしてしまい、現在のこの村の悲鳴となって来たのである。その上に約束の配給がないとすれば、日日自分の喰う米を借り歩くのも、どこから借りるかが問題だ。ところが、人手があって勉強をしたものの家は、二石五六斗も採れたのが中にはある。この家だけが供出もすませ、人にも貸し、なお二三斗を残して自分の生活を楽にしたのだが、今はこれをさえ人人は狙い始めた。この狙われているのが、別家の久左衛門だ。本家の参右衛門の方は借り歩き組の代表格で、貧農派はここの炉端を集会所にしている関係上、不平はいつもこの炉端の火の色を中心に起っている。
「もうじきに共産主義になるそうじや、そうなれば面白いぞ。」
 と、こういう声もときどき、誰か分らぬながら、この火の傍から聞えて来る。

 久左衛門の家へ集るものは、自作組で上流派だ。この家は酒の配給所をもかねているから、集る炉の中の火の色も、燃え方が参右衛門の家のとは違っている。ここは酒あり米ありの城砦だ。今は久左衛門の物小舎は、この上流組からも狙われているのである。酔い声が少しでもここから洩れて来ると、どこの炉端の鼻もすぐその方へひん曲る。
「ふん、どこへ匿してあるのかの。」
 と、参右衛門の方の集りは、いら立たしげだ。私はよく雨天のこんな所を目撃したが、そのときの男たちの眼の色は、米のときとは少し違って狂的だ。
「あの調子だと、朝から続けて飲んどるのう。」と一人がいう。黙り込んで聴き耳を立てていてから、また一人が、「ようあるこったのう。」とぶつりという。
 もううずうずしている別の一人が、自棄《やけ》に茶ばかり飲んでいる傍で、参右衛門は、煙管を炉縁へ叩きつけてばかりいる。酔い声が少し高まって聞えると、彼の顔は苦味走って青くなり、額の下で吊り上った眼尻にやにが溜る。不機嫌なときの参右衛門ほど露骨に不満を泛べる我ままな顔は少いであろう。しかし、これが一旦和らぐと、子供も匐いよりそうな温和な顔に変って来る。鬼瓦と仏顔が一つの相の中で揉みあっている彼の表情の底には、貞任や、山伏や、親王や、山賊やが雑然とあぐらをかいて鎮座した、西羽黒権現の何ものかを残している。ここは古戦場だが、彼の表情も、争われず霊魂入り交った古戦場だ。

 九月――日
 十米の眼前に雨が降りつつもこちらは照り輝いている空。山から幕のように張り辷って来る驟雨。稲の穂の波波うち伏した幾段階。――釣の一団が竿を揃え、山越えに行く足なみ。その尖がった竿の先がぶるぶる震えつつ日にあたっている。白く粉をふいた青竹の節節の間を、ゆれ過ぎてゆく釣竿の一団の中に、私の子供も一人混っている。この子はいま釣に夢中だが、ほとんど釣れたことがないに拘らず、餌の海老ばかり買っては盗られている。魚が盗るのか、人が盗るのか、答えはいたって不明瞭なので、ある夜、私はこれを煮て食べてみると、これは磯の魚よりはるかに美味だった。以来ときどき盗人になるのはこの私だ。野菜が少なかろうと、海で山越しの魚がなかろうと、もう恐るるに足りない。実際、これさえあれば――私は全くこんなことに興奮するほど、日日の生活が不安だったのだろうか。しかし、たしかに、釣餌の小海老を発見してからは私は勇気が出て来た。手で受ける半透明の海老一寸のこの長さは、焔を鎮める小仏に似て見える。何と私はこのごろ汎神論的に物が仏と映るのだろう。日本の思想はいつもここで停止して来たようだ。

 今、この村にとってもっとも必要なものはだい一に米、以外には塩と布切れだ。清江が今朝早くから家を出たまま、一度も姿を見せぬのは、隣村の早米の田を持つある家へ、稲刈に行っているからだと、妻は云った。
「もう稲刈か。」と私はおどろいて訊ねた。
 参右衛門たちには食べる米がないので、自分の家の収穫時まで喰いつなぐ米を、早米の田を持つ家の稲を刈り、そしてそこから借りるのだとの事である。なるほど、そういう自由な借米法があれば、周章《あわ》てずともすむわけだと思った。無理な供出の不足を補うために、こうして他人の田の厄介になりつつある農家は非常に多いそうだが、それはとにかく、今年の米は早くも田から出て来たのだ。敗戦の底から地のいのちの早や噴き湧いて来ている目前の田畑が、無言のどよめきを揚げ、互いに呼びあうように見える。まだ去年までなかったものが生れているのだ。のっそりと※[#「口+愛」、第3水準1-15-23]《おくび》をしたり、眼をぱちくりさせたり、鬣《たてがみ》を振ってみたり、――それにもう刈りとられて仕舞うその早さ。あくなき人の残酷さ。
 
 参右衛門は脚に瘍が出来て一晩眠れずに苦しみ通し、今日は遠方まで医者通いだ。久左衛門は、茄子畑へ明礬《みょうばん》を撒けば来年も連作が出来るので、茄子にしようか、馬鈴薯にしようかと朝から迷っている風だ。
 この夜、砂糖二十匁ずつ配給。夕方の六時から十一時まで、皆を並ばせた前で、計ってみたり減らしてみたり、最後に五百匁が足りなくなると、また皆のを取り上げ、計り換えて減らしたり。村へ甘さ一滴落ちて来るとこんなものだ。

 九月――日
 馬の足跡にしみ込んだ雨水に浮雲の映っている泥路、この泥路を一里、大豆の配給を受けに妻と私と二人で行く。配給所へ着いてもまだ肝心の豆が着いていない。群衆は居眠りして待っている。すると、そのとき野末の遠い泥濘の真ん中で、大豆を積んで来た牛車が立往生して動かないのが見えた。「あれだあれだ。」という声声にみな眼を醒して望む。しかし牛は突いても打っても動く様子がない。しびれを切らした群衆は、牛が動いては停るたびに、いら立ち騒ぎ、手んでに牛をぶっ叩く真似をする。牛車はちょっと動いたかと思うと、またすぐ停る。「えーい、もう、腹が立つう。」と叫ぶ農婦があった。「歯がいいッ。」と、足をばたばたさせるもんぺがある。自転車で飛び出すもの。空腹で帰って行くもの。皆ぷんぷん膨れ返って待っている中を、牛はのたりのたりと、至極ゆっくり動いてくる。前後待つこと三時間、ようやく私と妻は五升の豆を袋に入れ、また一里の泥路を帰って来た。この路は眼を遮ぎるもののない真直ぐな路のため、歩けど歩けど縮らぬ。十時に家を出て帰り着いたのが三時半だ。昨日夕食を摂ってからまだ私は何も食べていない空腹に、ひどく砂の混った屑豆は怨めしい。それに、もう虫の奴がさきに半分も喰ってしまっている。

 久左衛門の長男の嫁は無口でよく働く。昨旦二里ほどある実家の秋祭に帰ったが、一晩宿りで百合根、もち米、あずき、あられ、とち餅、白餅などを背負いこんで戻って来ると、こっそり裏口から持って来てくれた。妻はほくほくして礼を云うついでに、紙包を渡そうとしたが、どうしても受けとらない。黙って跣足で来て、どさりと縁側へ転がして、また黙ってすたすた帰っていった。いつも頬がぼっと赭く、円顔で、吉祥天のような胸のふくらみ、瑞瑞しい新鮮な足首だ。
 参右衛門の家の長男の嫁は、良人が出征のため夜だけは寝に来るが、昼間は朝から実家へ帰りきりである。清江が嫁の実家へ行ってみると、誰もいない家の中で、嫁ひとり腹痛で七転八倒している最中だとの事である。嫁競争、息子競争の本家、別家を通じて、今のところ第一等を占めつづけているのは白痴の天作であろう。

 九月――日
 青柿いよいよ膨れてくる。雨滴に打たれて絶えず葉を震わせている羊歯《しだ》。水かさを増した川で鮒釣りする蓑姿。山鳩のホーホーと鳴く声。板の間に転っている茄子に映った昼間の電灯。森の中から荷馬車で帰ってゆく疎開者の荷が見える。雨の庭石の上を飛ぶ蛙。鯉が背を半ばもっこり水面から擡《もた》げたまま、雨の波紋の中を泳ぎ廻っている――
 千年の古さを保った貴品ある面面の石塊。どの屋根の上にも五つ六つの千木を打ち違え、それを泛き上らせた霧雨がぼけ靡《なび》いて竹林に籠っている。木を挽く音。

 九月――日
 雨はやまない。この雨で稲は打撃だ。ここで一時間でも良いさっと照らないと、稲は実にならず、茎ばかり肥る憂いあり。困ったことだという憂色が全村に満ちている。
 主婦の清江は板の間の入口で、明るみの方を向いて坐り、田螺《たにし》を針でほぜくっている。参右衛門は朝から憂鬱そうに寝室に入って寝てしまう。山鳩のホッホー、ホッホーと鳴く声に、牛がまた丁度、空襲のサイレンと同じ高まりで鳴きつづける。
 午後――雨に濡れた青紫蘇をいっぱいに積み上げた中で、清江はその葉を一枚ずつむしりとる。芳香があたりに漂っていて、窓から射すうす明りに葉は濡れ光っている。紫蘇の青さが雨滴を板の間にしみ拡げてゆく夕暮、雨蛙が鳴き、笊《ざる》につもった紫蘇の実の重い湿りにあたりが洗われ、匂いつつ夜になる。ホッホー、ホッホーと、山鳩のまだ鳴く雨だ。穏かでない、重苦しい夜の雨――

 九月――日
 どこの農家もますます米が無くなって来た様子だ。馬鈴薯と南瓜で食べつなぐ家が多くなる。こんなとき芋を売る家は、米があるからだとすぐ分る。去年の供出に際して、持っているのに無い顔を装ったものの、露われてゆくのも今だ。米が無いということは、一種の誇りになり変って来ているのも今だ、各自の米を借り歩く不平貌に、ある物まで伏せてみせねばならぬ、急がわしげな歩調の悩みもある。明らかに有ることの分っている家へ集まる恨みから、超然とはしがたい苦しさや、いや、たしかに自分の家だけは無いという堅苦しい表情など、それらが雨の中をさ迷い歩く暇の間も、村の共同精米所だけは、どこにどれだけあるか、無いかを睥《にら》んだ静けさで、ひっそりと戸を閉めつづけている無気味さだ。

 九月――日
 早朝の空を見上げ、雲間から晴れの徴候を見てとると、いつも黙っている清江もひと声、
「もやもやしてるのう。天気だ。」
 と云う。しかし、それも間もなくかき曇って来る。
 二三日前からの悪天とともに続いて来ている不平が、村をかく苦しみに落した実行組合長の兵衛門に対い、集中して来た。参右衛門の家の炉端に集った貧農組も、口口に彼に悪態をついている。清江の実家の攻撃されているこの苦境を切り抜けようとする参右衛門の苦策は、誰より先に、自分自身が彼を攻撃することだ。妻と村とに絞めつけられた脂肪が、赭黒く顔に滲み出し、髭も伸び放題だ。
「もう死ぬ。もう死ぬ。」
 そんな声も、米の無い借り歩き組の主婦の口から洩れて来る。久左衛門の門口や裏口は、こんな主婦たちに攻められ通しだが、今はもう誇張ではない、雨の中の呻《うめ》きになった「もう死ぬ。」だ。

 夜中から暴風になる気配がつよく、ざわめく空の怪しげな生ぬるさ、べとついた夜風が部屋の底を匐っている。眠ってしまって誰もいない炉灰の中から、埋めてある薪がまたゆらゆらとひとり燃え始めた。起きているのはその焔ばかりだ。広い仏壇の間では、宵に清江の摘み終えた紫蘇の葉が、縮れた窪みにまだ水気を溜めて青青と匂っている。
 私は眠れぬので幾度も起きて雨雲を見た。ますます暗くなるばかりの雲の迅さ、黒い速度のような鈍い唸《うな》りをあげて通る風に背を向け、炉端にひとり坐っていると、いつか読んだ、「生《な》まのままの真は、偽《に》せよりも偽せだ。」というヴァレリイの言葉がふと泛んで来た。何という激しい爆裂弾だろうか。いよいよ来るぞと私は思った。何が来るのか分らぬながら、とにかく来ると思って、焔を見ながら坐っていた。

 生まのままの真は偽せよりも偽せだ。(ヴァレリイ)――この言葉はたしかに高級な真実である。しかし、この高級さに達するためには、どれほど多くの嘘を僕らは云い、また、多くの人の真実らしいその嘘を、真実と思わねばならぬか計り知れぬ。それにしても、ヴァレリイは死んだと聞く。真偽は分らぬが、風の便りだ。嘘だと良いが。

 九月――日
 暴風で竹林が叫び、杉木立が風穴をほって捻じまがっている。山肌が裏葉をひんめくらせて右に左に揺れ動き、密雲の垂れ込んだ平野の稲は最後の叫びをあげている。頭が重く痛い。牛のもうもう鳴きつづけているのが警笛のようだ。炉の中では、焚火が灰の上を匐い廻って鍋が煮えない。開けた雨戸をまた閉める音。喚《わめ》き狂う風で、雨も吹っち切れて戸にあたらない。
 農村だのにどこもかしこも米がなくなっていて、もう死ぬ、もう死ぬと、露骨にそういう声声の聞えているところへこの雨だ。私のいる家の亭主は長男の嫁の家へ米借りに出かけて行く。労働の出来ないこんな悪日を利用して、主婦の清江は味噌取りに駅まで行き、一日がかりでその傍の、仏の口というものを聞きに行く。春秋二度、毎年ある巫女から、自分の思いためらう心配事について聞き質しに行くのだ。この清江の心ひそかな心配事というのは、およそ私に想像はついているが、帰ればそっと妻に訊《き》かせてみたい。私には清江も云わないだろうから。

 他人の心の奥底の心配ごとをこっそり覗きたいと思う悪心は、この主婦の清江に限って私は働かせてみたいのだ。この主婦の思い願うものは驚くほど質実単純なことにちがいないのだが、その心の底から、私は鎌倉時代の女性の心をまともに感じてみたいのだ。ここはすべてが鎌倉時代とは変っていない。風俗、習慣、制度、言語、建築、等等さえも――ただ変っているのは、精米所と電灯があるぐらいのことだろう。今どきにしてはまことに珍らしい村だ。
 暴風が鎮って来ると、真っ先に活動し始めたのは蝉だ。それがまだ羽根の具合が悪いのかぴたりと停ると、別のがずっと高い旋律で鳴き出した。そのうち、あちこちからまた蝉の声が満ちて来て、すっかり風雨もやんだ。池は濁っていて鯉が水面に浮いている。しかし、それもしばらくだ。午後からの暴風は、東京地方から富山県下を廻り、日本海に添ってこの庄内地方へも廻って来たと、ラヂオは報じている。

 屋根の煙抜きの吹き飛ぶ家。電線がふっ切れ、立木が根から抜け倒れる。乱舞する木の葉、枝ごとち切れ飛ぶ青柿。真垣は捻じ倒され、ごうごうと鳴りつづける森林。実をつけた桐が倒れる。池の水面は青落葉でいっぱいになって、鯉も見えない。

 いよいよ今年は不作だ。この決定的な暴風の中でまた米の問題が色濃くなる。朝から米を借り歩いている農夫らが、私のいる参右衛門の炉端へ、木の葉のように落ち溜って来る。雨戸を閉じきったうす暗い部屋の中で、また毎日のようにいつもの不平をぶつぶつと呟きつづける。どこそこは米が有るのに、無いような顔をして借り歩いているとか、いや、あそこは事実ないと弁解してやるもの。しかし、あ奴は米がないと云ってるくせに、豆の配給となると、米より豆の方が良いといって、第一番に跳んで行くではないかと怪しむもの。いや、あそこへ米を借りに行ったら、兄だのに二升の米さえ弟に渡さなかったという。それで参右衛門は気の毒がって、自分がいま嫁の実家から借りて来たばかりの一斗分を、二升それに貸してやる。
「このごろのようなことは、この村始まってからないことじゃ、良い語り草になるじゃろう。」と一人がいう。
 雨戸や板戸へ敲《たた》きつけられる木の枝。樹木のめりめり倒れる音。鳴きつづける山鳩の憂鬱な声。右往左往して揺れ暴れる稲の穂波。割れ裂けるガラス窓。水面の青葉をひっ冠ったまま跳ね上る鯉。

 そこへ私にここ参右衛門の一室を世話してくれた別家の久左衛門が這入ってくる。この老人の完納者は、朝から米を借りにくるものらを断りつづけ、疲れはてた様子で、いつもより早口になっている。声も高い。
「死ぬ、死ぬ、いうて、朝からもう、来るわ来るわ。米を貸してやるのは人情だ。けれども、毎年貸してばかりで、借りる方は、借りるのを当然だと思うて有難がりもしやしない。今年も貸してやるとなると、借りたものが助かって、貸したものが死ぬじゃないか。死ぬなら共倒れになりたいものじゃ。借りたものだけ助かって、おれだけ死ぬのはおれはいやだ。」
「それはそうだのう。」と一人がぼんやりした声でいう。
「もうこうなれば、誰も米がないということにするより仕様がない。あれがある、これがないといっていたんでは、始まらないじゃないか。あっちから貸せ、こっちから貸せでは、もうおれの米だって、いくらもないわ。新米が出たら返すというが、古米を貸して新米で返されたんじゃ、一升五合と一升二合との替えことで、話にもなるまい。古米は古米で返して貰わねば、ま尺に合わぬわ。」
 なるほど、新米一升と古米一升では、炊き増えする古米を貸したものの方が、はるかに損をするということ。これは私には分らなかった。外から観ていただけでは分らぬ多くのことが、山積している日日だ。
「だいいち、実行組合長がこんなことは分っていた筈だろ。」
 と参右衛門がいう。この組合長は彼の妻の実家だ。妻の清江を守る意味でも、参右衛門から先だって大きな声で攻めねばならぬ義理があるのだ。
「組合長が米を出せ出せというて、みんな出させたからには、責任を負う覚悟があっていうべきだ。それに自分が借りられると、米がないから出せぬというのは、実行が伴なわぬじゃないか。自分の食うべきものまでやってこそ、人にも出せといえるのだ。自分だけが損をせず、村に完納させた名誉だけを取ろうとするのは、虫が良すぎるというものだ。誰もこの村で食えないものは、一人もなかった。」
「そうだ、そんな貧乏なものはいなかった。」とまた一人がいう。
「それならば、自分だけ損をしないように工夫するのは不法というものじゃ。人に損をさすなら、自分もそれだけ損するが良いのじゃ。」
 そこへ、主婦の清江が仏の口を聞きに行って帰って来る。また実家の組合長が矢の表面に立たされていると感じたか、炉の傍へは近よらない。

 農家のものらは、少ない言葉で抜きさしならぬ理窟をいう。自分の領分以外は世界のない綿密さだ。遠い過去からの集団の結集した総能力の中へ埋没した訓練で、自分の手がけた土地の実状に関しては、厳密な設定と等しい計算力を持っている。この頭の良さは、小さな米粒の点と、田の線からなる幾何学とをせずにはいられぬ代代の習慣により、自然に研ぎ磨かれて来ているためであろう。農家を愚鈍と思うものは、ここの言葉の不必要さを知らずに愚鈍としてすます、習慣の誤りだ。空想が少しもなく、天候の示す方向に対して実証を重んじ、土壌の化学と種子の選定以外にはあまり表情を動かさない着実さが、心理の隅隅にまで行きわたっている。まことに言葉以上の記号で生活している最上級の音楽形式がここにある。これを泥臭とばかりに見ていた自然主義は、自身の眼が根柢に於てあまりに自然主義だったというべきだ。

 都会人は農家をけちんぼだと、誰も云って来た習慣があるが、それも誤りだ。都会人の握って来た一銭と、農家のものの握った一銭とは、金銭の通用額は同じだとしても、質が違っている。ここのは真実を実証した肉体の機械のごとき一銭で、投機心から得た混濁したものは何もない。おそらく、都会人の一円と農家の一銭とを同額としてみて、初めて、ようやぐ金銭に対する心遣いに均衡ある判断が下せるかもしれない。農家にとって、金銭は天候の甘露であり、幾何学の重みであり、筋肉に咲いた花であり、祭壇に飾る神聖な象徴物であろう。あるいは、神かもしれない。これを粗末に扱えるものではなく、けちんぼにならざるを得ぬ崇高なものをここに見ぬ限り、農村論は実際は不可能だ。

 本家の参右衛門の妻の清江が、別家の久左衛門をひそかに攻撃する理由は、百姓のくせに笹巻などを売って商売をするから悪いという。商売して金銭を貯めるなら誰でも溜める。それで威張られては農村のしきたりを紊《みだ》すだけだと、暗に憤りを私の妻にほのめかすことがある。また、清江の実家の組合長がみなの攻撃を受けているのに対しても、みなが組合長になれなれというからなったので、厭だというのを無理にしたのだと弁護する。しかし、今は、村のものは、誰かを攻撃していなければ、じっとしていられないときである。これはどこでも同じであろう。正、不正などということではない。夫婦喧嘩一つでさえも、眼に見えたほんの些細な、悪結果の一つ手前の原因だけを追窮して、事足れりとするものだ。やっつけられる番のものは、現在では、人の気持ちをそれだけ救っていることになっているのだ。私は組合長の人柄について知るところは少しもないが、おそらく悪い人ではないだろう。あるいは、この村では一番豪い人物かもしれないと想像されるふしも感じる。一度調査してみよう。

 仏の口を聞きに行った清江の心中というのを妻に聞かせた。清江の長男のこと、音信のまったくない樺太に出征中の長男は、八月に負傷して今病院に入院中だが、十月になれば帰って来るという。次ぎに、先日預り主に返した小牛の病気について、――この小牛は糞が牛らしくなく固くて、胃腸が駄目だという。このようなことを巫女の口を通した言葉として清江が言うとき、それを傍で聞いている末の子供の十二になるのが、恐がって、ぴったり清江の膝に喰っついたまま離れない。電灯の消えた部屋は真暗で、炉の火だけ明明と揺れている。

 九月――日
 暴風はすんだ。稲は倒れてしまったが、雨が風に吹き込んでいたために、穂に重みが加わり、頭をふかく垂れ下げて互いに刺さり込みあったその結果、実が風に擦り落されずに済んだ。これが風だけだと擦れあい激しく、実が地に落ちてしまって去年のようになるという。しかし、稲の代りに野菜類の実がやられた。稲さえ無事なら先ず今年の米は不作としても、危機だけは切りぬけられたというものだ。

 暴風の後は上天気だ。米のない連中は早稲の刈り入れにかかっている。すでに刈り入れをすませてあった早稲の分は、充分だったといわれなくとも、何とか米にはなる程度に乾いている。少しの量だが、新米の出るまでの喰いつなぎには役立つほどだ。これで村から、死ぬ死ぬという声だけは聞かずともすむ。
「去年よりはまだましだ、去年は風ばかしだったでのう。」
 と、空を見上げ田を眺めて洩す明るい笑顔が見える。次ぎの雨の来ない今のうちに刈り取らねば――
「ああ、今年は早稲の勝ちだ。暴風にあわずにすんだのは早稲だけだ。」
 とそういうものもある。解除の軍隊の眠むそうな顔いっぱい満たした汽車が、ひれ伏した稲穂の中を通ってゆく。

 紫苑の花、暴風で吹きち切れた柿の葉の間から、実が眼立って顕れてくる。つらなる山脈のうす水色の美しさ。
「農業の労働はたいへんな労働だが、始終やっているものには、そう特にむずかしいものではないのう。そんでも、やったことのないものには、これは、とても出来ることではないね。」と久左衛門がいう。
 一冊の本さえ満足にある家は少ない。読みたいと思うよりも、そんな興味を感じる閑はないのだ。そのくせ細かい話も、話し方ではよく通じる。私はあるとき、これで村に一台新しい農具の機械が必要だという場合、どんなことに使う機械が一番必要かと訊ねたことがあるが、すると六十八にもなるこの無学な久左衛門は、
「それは検討せねばならぬことだのう。」
 と、言って暫く考え込んだ。検討という言葉は、辞苑を引いても書いてない新しい言葉だ。またこの老農は、社会上の出来事にもなかなか興味をもっていて、あるとき、
「おれは幾ら聞いても分らんことが一つあるが、労農党と社会党ということだ。あれだけは、どこがどう違うのか、さっぱり分らん。」と云ったことがある。私もこの二つの違いを説明するのに骨折れた。

 このあたりの農夫は、自分たちを労働者だとは思ってはいない。むしろ、米を製造する製作者で、家主という大将だと思っている。それは小作人でもそうだ。ただ村には共有の山林があって、先祖伝来のこれが財産だが、共同の山林であるから、その所有権を有っている先祖伝来派は利益の別け前に預るが、分家だけは除外されて来ているために、村内の同じ株内でも、母屋と分家との二派の対立が生じている。殊に村外から入って来た別家の久左衛門などは、この限りに非ずである。分家派たちは、村の共同事業のすべてには同じように金を出させられ、山林からの収入の恩恵だけは別というのが、話が分らぬという不平がある。実行組合長は、この点に対しても、別家派の久左衛門と対立し、先祖伝来派の旗頭で、随って本家の参右衛門と共通の権威を主張して譲らない。久左衛門が、田畑や山林で頭を抑えて来るこの強敵に対して、力を養うためには、も早や金銭という現金の所有でたち対う以外に法もない。そこを清江のように、久左衛門の商才を攻撃するのは、やはり伝来派の嫉妬と見ても良いわけで、ここにも、新興勢力の擡頭を抑える無言の蔑視が、労農という神聖な姿を通してさえ流れている。

 一つの大事件がある。この村にとってのことだが、そうとばかりはいえないことだ。この村の釈迦堂に戒壇院という一室がある。これは近年建ったこの寺の別室で、檀家七十家の位牌ばかり並べる室だ。建築費は当然村から出したが、費用は一様ではない。そのため、各家の木牌を安置する場所を定めるのに、先祖の古い順序に随うというわけにはいかなくなった。意見は、各家の出費の額に応じて順位を定めねば落ちつかなくなり、入札式を採用して、各自の献納額を紙に書かせ、他人には分らぬよう厳封のまま納めることにした。村にとっては非常な大事件だ。先祖の位置が金銭で決定されることであるから、ひそかに、出すべき基底の額を相談し合う寄りあいが、あちこちで行われた。このときも久左衛門は、後のもつれを明察して、誰より真先きに、一人勝手に百円を納めた。村の一同は、まだごてごてと一円から十円の間を、上ったり下ったりしているときである。いずれにしても、久左衛門には先祖がなく、自分が新しい先祖になる場合だ。どこの先祖をも追い越して、新興の意気を見せねば、生きて来た自分の努力の甲斐がない。
 蓋を開けた結果は、久左衛門が断然一等になっていた。生きながら彼はいま戒壇院を睥睨《へいげい》しているわけである。ここのこの木牌室ほど県下で立派なものはないということだが、私も一度見た。金色|燦爛《さんらん》たる部屋である。

 私のいる家の参右衛門は、本来ならば戒壇院の最高段に位置する家柄である。しかし、彼一代に酒癖のため貧農になり下った結果は、まんまと別家の久左衛門に位置をとって替られ、危く死者の位置まで落しかけたが、村の一同の納金五円が普通のところを、彼は十円出すと云い張り、ようやく中壇で踏みとまらせた。
「いや早や、あのときは大騒動だったのう。」
 と参右衛門が私に云ったりした。
 農家がせっせと汗水たらして働き通す生涯の労働の大部分は、戒壇院の位牌の位置を現在のまま維持するためか、もしくは、自分の代に前より一段とも上にあげたいがためといって良い。仏の前で、先祖の位置を辱しめるということは、この山川の恵みを落すことになるという、伝来の観念は、農家の根柢から脱けるものではない。無限の労働力は、遠く死者から吹きのぼって来ている力で、これを断ち切ると、みな彼らは新しい先祖となり、都会工場の労働者になることだろう。神仏はもう彼らから逃げ、頭を占めていくものは唯物論の体系となって、再び農村の戒壇院へ逆流し、これを破壊していく。単純のことであるだけに複雑な難問、これ以上のことは今の問題中めったにあるまい。

 日本の労働力には、周知のごとく仏から動いて来る労働力と、科学から揺れて来るものとの二種類が、歴史と自然の関係のように攻め合っている。フランス革命が祭壇から神を引き摺り落して、代りにデカルトの知性を祭壇に祭りあげたことから端を発したような、何かそれに似たものが、こんな所にも這入っている。工場で働いたものらは、農業に従事することはもう出来ない歎きが、この村のどこの隅にもあって、久左衛門の次男の二十三歳になる優秀工なども、農事を手伝おうと努めているとはいえ、力はあり余っているに拘らず、気息|奄奄《えんえん》と動いている。知性と感性の相対は知識階級の個人の中のみに限ったことではなく、今やわが国の山川の襞の中にもふかく浸み込みつつある状態だ。ここでも、デカルトとパスカルの抗争したものが、異形のまま、片鱗人知れず音を立てている。

 集団労働というものがあって、各学校の生徒の団体が、田植、稲刈に農家の田畠の中へ這入っていく。たしかに、このため農家の労働力は援助されてはいるが、これは農村機械化の初めである。もし誰か、ふと頭を上げて考えれば、もう戒壇院に火の燃え移っていることを見るだろう。しかし、それぞれ人間は年をとっていく。誰も若さをそのまま持ちつづけていることは出来ない。とすれば、米を喰いつづけて生きた標印《しるし》を、木牌一つに残したく思う祈願は人人から消えぬだろう。人に生きた標印をただ一つ許すことぐらいの寛大さは、いかなる非情な主知主義者といえども持ち合せているにちがいないその感情――感情をパスカルは神の恩寵物だという。そして、知性よりもこれを上段に置くのであってみれば、人に死のある限りはこの感情も消え失せまい。生ある限り知は消えぬごとくにだ。しかし、これらはすべて自分の緊急な問題に還って来るところ、農村の問題であるよりも個性の中の設問だろう。

 私は毎日、農村研究をしているのだが、実は、私の目的はやはり人間研究をしているのだ。毎日毎日よく働く農夫に混り、働いても見ずして、農民研究は不可能である。私が働かないという弱点をもって眺め暮していることは、しかし、一つの大きな良い結果を私に齎《もたら》している。それは私はこのため農民を尊敬しているということだ。この尊敬を自分から失わない工夫をするには、先ず彼らと共に働かない方が良い。正当な批判というものはあり得ないというある種の公理が、公理らしくもある以上、これもそれ故に間違っているかもしれないが、一応先ずそれはそれとしてみても、比較的正しさに近づく方法としてでも、傍観の徳ということは有り得るのである。何も傍観することを徳として、自分の味方たらしめようとするわけではない。しかし、人の労働する真ん中で、一人遊んでいる心というものは、誰からも攻撃せられるにちがいない立場であるだけに、少しでも味方を得たいものである。いったい、誰を味方に引き入れれば良いのであろうと考えると、やはり自分よりないものだ。そこで私は自分を私の味方とする。私はこれがいつでも嫌いなのだが、嫌いな奴まで手馴《てな》ずける工夫だって、これで容易ならざる努力がいるのである。傍観の苦しさには、働いているものには分ろう筈がない徳義心がここに必要で、私の愉しみはここから何か少しずつ芽の出てくるのを感じ、それの伸びるのを育て眺める愉しみだ。それにしても、眼に見える現象界のことなど、米を喰いあったり、引っ張ったりすることなどには、もう幾らか私も退屈した。これを疎かにする次第ではないが、ときどきうんざりするのは、これはどうした性癖の理由だろう。

 九月――日
 見ていると、農村は何もかもが習慣で動いている。考えることも、働くことも、人の悪口をいうことも。何か一つは習慣ならざることはないものかと見ているが、いまだに一つも私は発見することが出来ない。ただ一つ、米の値が十円に騰って来たこと、これには誰も驚愕置くところを知らずという表情だ。二十銭だったものが十円になったということは、も早や想像を絶したことなのだ。しかし、これも、やがて習慣になるだろう。これが習慣になれば、他の一切の現象界の習慣は顛覆《てんぷく》していく。あるいは、農民の心の中の習慣は、これで何もかも顛覆しているのかもしれない。物の値段が百五十倍も騰って来ていて、心の値段がむかしの二十銭で踏みとまっていられるという強さは、人には赦されているかどうか。何ぜかというと、人にはそんな習慣がないからだ。

 まことに考えるということは面白い。毎日毎日しているに拘らず、一つ習慣を破った出来事に突きあたると、忽《たちま》ち混乱する考えというもの――習慣になった考えで、習慣ならざることについて考える狼狽さ、これが今の私や人人に起っていて、そのまま有耶無耶に捨て去り、またどこかへかき消えていこうとしている現在というもの。なかなか答案は難儀になった。百五十倍の難儀さだが、しかし、まアせいぜい二十倍ぐらいの難儀さとしてすませて置きたい頭の性格。――しかも、事実は百五十倍の複雑さで展開しているという場合に、人人はいったいいかなることを仕様というのだろうか。

 とにかく、人が休息したくてたまらぬときに、そこを見込んで働きたくて仕方のないのがいることも事実である。東京からの通信では、米一升が六十円になったという。誰がどこで幾らで売ったか、いつ、どこへ、幾らで買いに来たか、という噂について、日夜耳を聳立《そばだ》てている農民に、こんな東京の話は聞かされたものではない。十円でびっくりしているものらに、六十円の真相を告げては、――それも、ただほんの噂だけで米の値がそれだけ跳ねあがる喜びに、呆然としているときだ。どこでも、人の集りの中では、話はひそひそ話ばかりである。私らの足音がすると、ぴたりと話は停り炉の火ばかりめらめら燃えている。草の中に跼み込み、何か呟きあっている二人ものがあるかと思うと、汚ならしい笑顔で、薄黄色い歯を出して外っ方を向く。

 稲刈りが始まったので、村の農家から狙われていた別家久左衛門の米倉も、ようやく視線を解かれた形だが、ほっとする暇もなく、今度は野菜専門に作っていた遠方の村の親戚から狙われ出した。暴風で野菜がことごとく※[#「てへん+毟」、第4水準2-78-12]《も》ぎ落された親戚たちは、米と交換する材料が無くなって来たのである。それに、復員で若ものの帰って来た漁村の利枝(久左衛門の義姉)の家が、米不足を来している。彼女にとっては妹の、この久左衛門の米倉を見詰めない筈はない。おまけに、私もここの米倉には一方ならぬ魅力を感じているのだ。私の攻め道具は衣類だが、利枝の家は魚でだ。またこの村一番の大地主の弥兵衛の家が、金はいくらでも出すから米をくれ、と久左衛門に云って来ている。
「はははは、おれんちに、物があるのは、金が欲しゅうないからじゃ。」
 と、久左衛門は頭の良いことを云って私を笑わせた。頭の使い方を知っている老人だ。

 九月――日
 焼け出されて新潟の水原在の実家に疎開していた石塚友二君から葉書が来る。発信地は福島の郡山からだが、川端康成から鎌倉文庫へ入社の奨めをうけ、目前明らむ思いで今汽車に乗っているところとある。胸に灯火をかかげ、鎌倉へ向って進行していく夜汽車が眼に泛ぶ。だんだん灯の点いていく希望ほど美しいものはない。暗黒の運命の底にも駅駅があり、そこを通過して縫いすすむ夜汽車の窓よ。元気を失うことなかれ。

 どんなことが世の中に起ろうとも、例えば、現在のように世界がひっくり返ろうと、何の痛痒も感じない人物がいるものだ。農家の中には、ときどきそのようなものもある。まるで働く場所そのものの田畑以外は、世界は彼らにとって幽霊のようなものだ。いや、むしろ、日本が敗けたがために彼らは儲けているという苦しみと喜び。しかし、それとはまったく別に、敗戦を喜ぶ苦痛もあるにはある。そして、それらの心が喜びを抱いて現れて来つつあるということの苦しい裏には、人間よりも、人類を愛することだと思い得られる、ある不可思議な未来に対する論法をひっ下げていることだ。今のところ土産はまだ論法であって、人間ではない。世界をあげての人間性の復活に際して、人間性を消滅させたこの人類論法の袋の中から、まだ幾多の土産物が続続とくり拡げられてくることだろう。それが善いか悪しいかは、残念なことにまだ私には分らない。ただ私に分ることは、何となく残念なことだけだ。

 九月――日
 現在のわが国の文学者は、自分の心のどの部分で外界と繋がっているのであろうかということ。自分らは日本人なりという定義と、自分らは東洋人なりという定義と、自分らは世界人なりという定義と、自分らは敗戦国なりという定義と、これらの四種の定義が出されている。そして、その中の一つを選定してそれぞれ幾何学をしなければならぬという場合が起れば、文学者の心はどの定義を選ぶかという問題だ。

 勿論、文学は幾何学ではない。それなら、定義は無限に初めへ逆のぼって、文学とは定義そのものだと云わねばなるまい。「ポツダム宣言を承諾す。」という厳然明白な定義。この定義一つで日本全員の生命は救われたのだ。それぞれの幾何学は、ここから無数に展開して、われわれは民主主義国民なりという命題の証明にかからねばならぬとすれば、この際、証明するとは、その命題の意味する実行にかかることか、それとも、すでに国民の中に有るものを探求して明示することか、という二通の論証方法があるわけだが、しかし、それはともかく、人間は生活せねばならぬという条件の上で、これを開明する必要に迫られるとなると、過去や未来を考えても駄目だ。一応は現在を考えてみるということ、いつも生活の実質は現在にあるのだから、何よりも今を見ることが一番だ。今は、農民と労働者は王侯のごときものである。これに対して頭の上るものはない。すでに現在がかくのごとく民主主義に徹底しているときはまたとなかったが、ただ今は、これに統一を与える精神がないだけだ。みな誰も一番探しているものは、米と精神だのに、これを紊《みだ》しているのは金である。しかし、不思議なことに、米というものは、少し手に入ると、忽ち人はこれを忘れてしまうのが習慣だ。有っても無くてもどうでも良いものの一つの中で、長らく人間にとって一番どうでも良かったものは、米と神とだ。云い換えるなら、物と精神の二つの代表である。この二つを忘れて人間はどうなるか、というところまで来てみて、やっと米だけ、物だけが眼についた。今度は何んだって物さえあれば、追っかけ引っかけするうちに、物はなくなる。次ぎには精神。しかし、これだけはどこにあるのか今もって分らない。分らなくなると、一つの顔を悪いという。誰も彼もその一つの顔で血刀を拭こうとする。

 九月――日
 稲刈りがすすんでいる。海浜の村から老婆の利枝がやって来る。沖縄で戦死した末子の霊を呼び出してもらいに、例の仏の口を聞きに来たのだが、ついでに、妹の久左衛門の妻に米の相談にも来たのである。空の雲行を見上げながら、姉妹揃って仏の口のいる駅の方へ出かけて行く姿が見える。姉は七十、妹は六十一だ。妹の方は死んだ孫に会いたくて出かけて行くのだが、初盆以来、初めて孫に会えるのでいそいそとしている。秋空はよく晴れ、稲の穂が路の両側へ伏しなびき、遠山の重なる線がいのち毛で描かれた波のようだ。生きながら霊魂の歩くには適した美しい黄金色の耀く路一本を、間もなく自分が死ねば、こうして子供らも会いに来てくれるにちがいないと信じきった二人の姿だ。秋風が吹く。

 私は沼の周囲の路をひとり歩いてみる。今朝鶴岡まで早く出て行った妻が帰って来るところだ。汽車が遠くの稲の中を通り過ぎてから三十分もたっている。とすると、あの汽車に相違ない。半里もある駅からの野路を、向うから黒い一点の影がただ一つ動いて来る。多分あれだろうと見ながら距離を縮めて行くうち、向うもそうだろうと思う風で近よって来る。見わたす広い平野の中で、自分に食わせる食物をせっせと探してくれている一人の人間が、あれかと思う。無能な自分と一緒に生活したのが彼女の運のつきだ。向うも一人、こちらも一人でだんだん照れた表情がはっきりして来たとき、ちょうど木橋の上でばったり会った。
「そうだと思ったわ。ふふふ。」
 風呂敷の端から南瓜の肌をはみ出させて妻が笑う。川の水が二人の足下を流れている。二十年も前のある日、まだ結婚もしていなかったときのこと、こんなことが一度あったようにふと思ったが、どちらも焔に追いまくられ、もうひどく疲れている二人になった。

 九月――日
 燐光のように鋭く黄色に光る黒猫の眼。人のいない部屋の蝿の群り飛ぶ中でひっそりと鳴る柱時計。翳《かげ》ったり射したりする日光。格子の間から並べた南瓜の朱に射しこむ光線。風がぴたりと停まるたびに、炉にかかった薬鑵が妙に鳴り出しては沸いてくる。

 村では、ある家の稲の早い田を共同で借り、稲刈を共同でして、自分の田の稲刈までの食い量に当てるため、今日からそこでとれた米の精米にかかっている。連日の雨で膝まで泥に没する稲刈だが、夜など精米所の電光の下では、凛凛たる物具つけた武士のように勇みたった農夫らの勢揃いだ。どっかへ夜討ちに出かける前刻のような凄じい沈黙で並んでいる。一年一度の最高潮に達した緊張にちがいない。実に美しい姿で、一ぷくの煙草を美味そうに夜気の中へ吐き流している若ものの姿も見えた。

 十月――日
 農家の竈《かまど》にはどこのも少し新米が入った。これは炊き増えしないためでもあって、四人で一日二升五合で足りていた参右衛門の家では、新米になった今日から四升を少し超過して、まだ不足だとの事だ。
 朝夕はうす寒く、火鉢に炭火が要るようになったが、この村には薪ばかりで炭がどこにもなく、消炭ばかりだ。

 新米のみずみずしい重さ、しっとりと手に受けたときの湿り具合、蝋色のほの明るい光沢の底からぼっと曙がさして来る。たしかに新米のこの匂いには抒情がある。無限の歴史のうなりが波の音のように掌の上に乗りうつって来て、私は感傷的になるのだが。
「ああ、もう日本の米には生命力がなくなった。こん度の戦争は敗けだ。」
 と、そんなに呟いた玄米研究家が一人あった。日華事変の戦争の最中に、そんな予言をして山中へ隠れてしまった人だ。私はいまその人のことをふと思い出した。人間の天才は二十五で、誰も天才としての生命力は消えてしまうものだといわれている。米にもこれに似た天才力はあるのかもしれない。曙色をしている米の天才は消え失せたかもしれないが、努力の天才ということもまだ残っている。天才とは何ものでもない、愚者を建造してその中に棲むだけだと云った人もある。米もどうやら愚者を建造して来たばかりに近い悲しみをひそめている。そういえば涙の形をしているのも、いまは皮肉なことではない実相のようだ。
「今年の新米は、おれには嬉しいのか悲しいのか分らないね。これ見なさい。」
 私は傍へ来た妻に云って掌の上の新米を出した。
「でも、美しいわ、きらきらしていること、ほら、こんなにきらきらと。」
「もうこれで、生命力はないというのだからね。日本の米は。」
「桜沢さんね、あの方、どうしてらっしやるかしら。あたしもう一度お会いしてみたいわ。」
 妻は桜沢如一氏の愛読者で、一度講演も聴きに行ったこともあって、日本の敗北を予言したその人の存在が、今ごろ興味を呼び起して来たらしい様子である。私のところへ来る青年の中にも二人ばかり、桜沢氏のもとへ出入りしていたものもあったが、ある日、太平洋戦争になったころその中の一人のA君が来て云うには、
「今度の戦争はどうしても敗ける、米に出ていると、桜沢氏がいうのですよ。大変だと思って、私はもう蒼くなってしまった。どうしたら良いでしょう。本当でしょうかね。」
 私は答えなかった。米から判断した思想というものは窺い知れざる奥ぶかく物凄いものがある。幾千年も食いつづけて来た物の中から、未来の姿の何らかを読みとどけることも出来ぬ眼力というのは、何かもう不足なもののあることぐらい気が附くべきときだ。と、私は自分のことを思って黙っていた。しかし、気がついたところで仕方がない。後の祭りだ。
「勝とうと思うな。負けないように気をつけよ。」と云ったのは兼好法師だが、これは五百年も前のことだ。それにしても、このAという青年は、それ以来住所不定となって全国をふらふらさ迷うようになり、ときどき意外なところがら風のような葉書をぽつりとくれるようになったりした。

 外国から帰って来たとき、下関から上陸して、ずっと本州を汽車で縦断し、東京から上越線で新潟県を通過して、山形県の庄内平野へ這入って来たが、初めて私は、ああここが一番日本らしい風景だと思ったことがある。見渡して一望、稲ばかり植ったところは、ここ以外にどこにもなかったからだった。その他の土地の田畑には、稲田は広くつづいても中に種種雑多なものが眼についたが、穂波を揃えた稲ばかりというところはここだけだった。この平野の、羽前水沢駅という札の立った最初の寒駅に汽車が停車したとき、私は涙が流れんばかりに稲の穂波の美しさに感激して深呼吸をしたのを覚えている。ところが、私は今そこにいるのだ。あのときは何の縁もないところのこととて、よもやここに自分が身を沈めようとは思わなかったのに、まったく十年の後に行くところのなくなった私は、偶然こんなところへ吹きよせられようとは、これが私にとっての戦争の結果だった。そして、私は初めてここで新米を手に受けてみて、米はどこに沢山あろうともこれに代るものは、世界広しといえどもどこにもないのだと思った。
「もう生命力がないのかね、これが。――そんな馬鹿な。」
 つい私もそう云わざるを得なくなって、何となく立ち外へ出た。外では稲刈のまっ最中だ。精米所の開け放された戸口からは粉が吹き散って白くあたりの樹の幹で廻っている。

 十月――日
 ここから三里ばかり離れた京田という村で、代用教員をしている私の長男は、正教員が復員で帰って来たので解雇された。生徒たちは別れに、
「先生、東京へ帰るのか。もうちっといてくれエ。ぼた餅やるよう。」と云ったという。
 十九で人生の悲しさを知った長男は、鼻緒を切らした足駄で、真暗な泥路を夜遅く帰って来てから、初めて月給を貰い、すぐ馘《くび》になった渋い辛さの表現の仕様がないらしい。
「悲しいかい。やっぱり。」と私は訊ねて笑った。
「そうだね、生徒と別れるのは、何んだか悲しいなア。教員室はいやだけど。」
「ちょっと、月給袋を見せた。」
 羞《はずか》しがって隠していた状袋を私は開くと、巻いた袋の重い底がずるずる下へ垂れてきて、中からしかつめらしい紙幣が出て来た。七十円ばかり入っている。
「沢山あるんだね。なかなか。」
「そう、宿直手当もあるんだよ。月給だけだと三十五円だけど。」
 私は自分がある大学の教師をしていたとき、月給四十二円を貰った最初の日の貴重な瞬間のことを思い出した。あのときは、月給というものは金銭ではないと思ったが、長男の月給はなおさらだ。
「一回月給を貰って、忽ち馘とは、これはまた無常迅速なものだね。しかし、おれのときよりお前の方が多いから、豪いもんだ。」
 私は嬉しくなったので妻に参右衛門の仏壇へ状袋を上げてくれと頼んだ。
「あたしもそう思っていたんですのよ。でも、ここのは他家のお仏壇でしょう。かまわないかしら。」
「どこでも同じさ。」
 私はやはり死んだ父に最初の子供の月給は見せたくて、こんなときは誰もするようなことを、争われず自分もするものだなと思った。そのくせ自分が最初に貰ったときは、家に仏壇もあるのに帰途忽ち使ってしまったが、子供の月給となると、そうも簡単になりかねて、眼の向くところほくほくして来るのは、何とも知れぬ動物くさい喜びで気羞しいのは、これはまたどうしたことだろうか。
「お前は夜おそく毎日帰って来たからな。あの長い真暗な泥路よく帰れたもんだ。」
 私はそんなことは云わないが、どうも内心絶えずそう云っているようで、ふとまた自分の父のことも思い出したりした。私の父も表面さも冷淡くさく何事も色に出したことはなかったが、私の二十五歳のとき、「南北」という作品を私が初めて「人間」へ出してもらって父に送ってみると、京城でそれを読んだ父は、嬉しさのあまりその晩脳溢血でころりと死んだ。私の「南北」は発表後さんざんな悪評で、一度でぺちゃんと私は叩き落された。以来私にとって「人間」は人生喜劇の道場となり、いまだにここは鬼門だが、鬼こそ仏と思うようになったのは、それから二十年も後のことである。歳月のままの表情というものは涙でもなければ笑いでもない。
「お前その月給何に使うんだい。」と私は子供に訊ねた。
「僕これで東京へ帰るんだよ。早く帰って、ピアノ弾きたいなア。いいでしょう、さきに帰ったって。」
「うむ。」
「この間お小遣いもらったの、十円だけ返しとこうか。」
 何を云い出すやら。私はぽかんとして見ていると、
「だって僕、早く返しとかないと、使っちまうよ、一枚だけね。」
「まアまア、大変なことになったわね。」と妻は傍で聞きながらそう云って、仏壇からまた降ろして来た袋を子供に渡した。
「はい。十円。」
 子供は一枚出して私にくれてから、また残りを大切そうに服のボタンの間に押し込んだが、受けとってはみたものの、失敗った、私は一度も父へはそんなことをした覚えのないのが、今さら突然に悲しくなった。私の子供は何も知らずに今こんなことを私の前でしているのだが、知らずにしているということが、一番したことになっているのだ。私のは知りもしなければ、為もしなかった。これが一層痛く胸を打って来て、こ奴はおれよりも見どころのある奴だと私は思った。実際、私は論にもならぬことに感服しているらしい。とはいえ、父、子、孫、という三代には、自らそれ相当の行為の転調というものがあるものだ。人は三代より直接見ることは出来ないばかりか、それも五十にならねば分らぬことがいろいろある。年寄りじみたことながらも、これで年代の相違ということは年とともに私には面白くなって来る。
「ああ早く、ピアノ弾きたいなア。」
 と子供はそんなことを仰向きに倒れてまだ云っている。
「明日東京へ行ったらいい。」
「ほんと。嬉しいなア。ああ嬉し。」子供は蒲団を頭からひっ冠り、すぐまたぬッと頭を出すと、
「お母アさん、パパ東京へ明日行けって、いい、行っても?」まるでまだ子供だ。
 私の十九のときは、私もその年初めて東京へ出て来たのだが、父にはそれまでひと言も行きたい学校さえ話さず、父からも聞きもしなかった。そして出発の前の日母に、明日東京へ行きます、とただそれだけ私は云っただけで、何の反対もされず京都の山科から行李を一つ持って出てしまった。思うに私の父は私よりはるかに良い父であったばかりか、私の子供も子としての私よりは、子供らしい点では優っているように思う。

 十月――日
 足さきが冷えてくる。栗のいがはまだ柔かい。雨に濡れた薪の燃え悪《にく》く鍋の煮えの遅い日だ。野路の中の立話にも自家の田の出来の悪さを吹聴し合う嘘も混っていて、正直さは天候の加減で少しずつ違ってくるようだ。今日などこの雨だと架に掛った稲が腐ってくるおそれもある。照るかと思うと驟雨、激しく変る光と影。一分ごとに照ったり曇ったりで、蝿だけおびただしく群れている。

 しかし、ここに村民に嘘をつかしめるもので、天候にことよせしめる別のものがひそんでいる。元来からそんなに嘘をつかぬ人人が、嘘の表情をたたえるのだから、至って下手で、同情せざるを得ない原因というのは、いつもはもうある筈の米の供出量の割当の決定が、今年はいまだにないことだ。その無気味な沈黙に疑いの影が濃厚になり、防禦のまずい身ぶりがこのようになっている。とにかく、この村はどの村よりも真正直に第一番に立派な完納をして来たため、他の村村よりも米が無くなり大騒動をしている村だ。今年こそは何としても嘘をつかなければ、と思うのこそ当然な感情というべきだ。実際、私の見たところでは、この村はよほど稀な良い村で、善良という点では第一等の村にちがいないと思われるが、それでも幾らかの濁りのあるのを思うと、他の村落のことはおよそ想像してそんなに誤りはないだろう。私は日本でもっとも誇りとなるものの一つは農民だと思っているが、もしこれが悪くなればもう日本は駄目だといっても良い。
「不作不作というが、そんなに不作ですかね。どうもおかしいところがあると思うが。」と私は久左衛門に訊ねてみた。
「そうだのう。このへんはそんなでもないのう。」と彼は小さな声で云う。「新聞が不作不作と書きたてるので、米が騰る。黙っておれば良いのにのう。」
「しかし、村にとってはその方が良いわけだな、僕らには困るが。」
「はははは、それはそうじゃ。」
 こんな露骨な話の出来るようになったのは、一つは久左衛門がいつも、私に、高い米を買わぬが良い、無くなれば何とかするというからだ。何とかされるのだと思うと油断をして、それならさっそく米を分けてくれとはいえぬもので、いまだに私らはそれも云えずに困っている。疎開者が地方を乱す原因だということは事実である。こっそり米を買い込む算段ならすれば出来るが、私も内心この村の批評をしたい食指いまだに失うことが出来ないので、批評をするからは、やはり少しは欲を抑える忍耐が必要になって力が要る。なかなかこれは疲れるが、私もまた作家の端くれであってみれば、験しに一度はどんと当ってみるつもりの用意も失っていないくせに、そこにはそこがあり、人の思うようには愚かなことを愚には思えぬ苦心がぬけきれないのである。別に善人ぶるわけではない。おそらく、僕らの多くの友人たちも、そこここでこんな苦労は必ずひそかに舐《な》めさせられていることにちがいあるまい。
「神も仏もあるものじゃ。」
 こんなことを久左衛門が口癖のように私にいうのも、やはりいつも気にかかるのは、神や仏のことからなのだろう。米はやる米はやるといいながら、一度もくれず、その後で、「神や仏は気持ちじゃ、人の気持ちというものじゃ。」とこうもいったりする。
 おそらく今ほど人人は神仏のことについて考えているときはないだろうが、神を気持ちといったのは、私も自然な説教を聴くようで彼から米を貰うよりはどことなく気持ちも良かった。
「もう僕はあなたから米はもらいたくはない。」とひそかに心中で私は云っている。皮肉ではない。私が彼に米をやりたくなって来るのだから。

 十月――日
 透明な光線の中を風が騒ぐ。眉へ突きあたる蝿のかたまり。樹の幹を辷り降りてくる蛇の首。畑にのびて来た白菜。はげしく群れ飛ぶ赤蜻蛉《あかとんぼ》の水平動。集り散っていった食卓の菜類の中でまだ青紫蘇だけが変らず出てくる。
 稲刈――このごろの稲刈は中手だ。この中手は先日の暴風にあって実りが悪い。稲の穂の垂れ曲った方向に風が吹かず、逆に吹きつけられたそのために、茎から折れ、以後の天候の良さも結実には役立つこと少い。全国的な不作と判明する。供出の命令がいまだに方向さえ明さずじっと沈黙している無気味さ。これに随って農家もしだいに沈黙を守って来た睨み合い、この間で、温泉場からの闇買いがどんな値で忍びよるか。触覚は繊細な震動をつづけている。表面鈍感さを装っているとはいえ、内外刻刻の多忙な変化に応じ、ひそかに沈黙のまま色を変えてゆきつつもあるようだ。

 滅多に人のことを賞めないこの村で、誰からも賞められているものは、私のいる家の参右衛門の妻女の清江と、別家の久左衛門の長男の嫁とである。この二人は、私も見るたびに賞めてやりたくなって、妻と二人きりのときは、こっそりこの二人のことをどちらからともなく賞めている。清江は稲刈からちょっと帰って来るとその暇を見て、自分の長男の嫁の新しい藁蒲団《わらぶとん》を作りかえてやっている。実に手早い。
「おれの嫁のときは、姑から随分大切にされたでのう、自分の嫁も大切にせんとすまんでのう。」とこういう。
 嫁にも嫁の伝統があるものだ。妻は私の傍へ来て、
「あたしもお姑さんがほしかったわ。」と、神妙な顔で云った。
 どういう了簡か私も笑い出した。「まア、そしたら三日だね。」
「そうかしら。でも、あたしはそしたら、こんなに我ままにならなかったと思うわ。」
「嫁の苦労なんて、人生で一番つらいことの一つだよ。最たるものかもしれないね。」
「いえ、あたしはやってみせる。」
 私は唖然として妻の顔をみていた。しかし、姑がなくて倖せだったと云われるよりもまだましだ。辛抱出来るかな、出来ないね、とまた私は思った。
「しかし、あれを辛抱し通せるような人なら、女としてはまア八十点だ。」
「でも、そんなことぐらい……」
「お前は亭主を尻にしく傾向があるから、ひょっとすると出来るかもしれないなア。しかし、男にとって何が辛いと云って、阿母《おふくろ》と細君とに啀《いが》み合われるほど辛いことはないものだ。あれは鋸の歯の間で寝ているようなものだよ。お前の苦労なんてものは、僕が毎日傍にいることぐらいなもんじゃないか。」
「ほんと、あたしはあなたがどこかへお勤めしていて下されば、どんなにいいかしらと思うわ。もう毎日毎日、傍にいられる苦労には、あたし、それを思うと、もうぞっとしてくるの。疲れるのよそれはそれは。」妻のいつもの歎きが始まったのだ。
 ここから見える隣家の宗左衛門のあばの家では、長男が結婚した翌日出征して、嫁が義母と一緒に今もいるが、夫婦はただの一日一緒にいたきりである。私の妻も同時にそれを思い出したと見えて、
「あそこでは、たった一日よ御一緒。どうでしょう。」と一寸首を縮めて私を見た。
 私は戦争中のある日、銀座のある洋食店で夕食を摂ろうとして、料理の出るまで一人ぼんやり壁を見ていたひとときの事をふと思い出した。壁にはミレーの晩鐘の版画がかかっていた。私は日ごろからこのバルビゾン派の画類には一度も感動を覚えたことがなかったに拘らず、野末の向うに見える寺院の尖塔を背景に、黙祷をささげている若い夫婦の農衣姿の慎しやかな美しさに、突然われを忘れた感動を覚えたことがあった。私は自分の生活して来た記憶の絵の中から、これと似たことがどこにあったかと考えてみたが、暫くは、容易に私には泛ばなかった。しかし、何ぜまたこれほどの簡単な幸福と清浄さが私にも人にも得られないのだろうか。何の特殊な難しさでもないものをと私はそのとき考え込んだ。良い宗教がないからか。自分らそれぞれの不心得のためからか。それとも世の中というものの成立が悪いからというべきか。おそらくそんなことではないだろう。いま、一寸首を縮めて私を見た妻の眼差は、実は、そういう幸福に似たものではなかったろうか。
 人は幸福の海の上に浮いている舟のようで、腹だけ水につけ、頭を水から上げているから、無常の風に面を打たれて漂うのかもしれないと思った。

 十月――日
 別家の久左衛門の長男の嫁は、四つになる一粒種の男の子をこの五月に亡くして以来、次ぎがまだ産れそうな気配がないので、もう爺さん夫婦から睨まれている。いつ離縁になるか分らぬ不安ながらも、このごろは嫁もよほど覚悟が定って来たらしい働きぶりだ。ところが、本家のここの参右衛門の家では、樺太出征中の長男の帰りがいまだに分らぬので、嫁は実家へ帰りきりである。夜だけ寝にここへ戻って来るときの、その嫁の大切にされることは女王のごときものだが、いつ嫁に去られるものか気配も相当に不安な模様に、参右衛門夫婦のひそひそ話もいつもここへ落ちて来る。静な気立の良い嫁であっても、まだ実家の云うままに動く娘のままで、村で二番の裕福なその家から、一番の貧農のこの家の嫁になっている現在の情況から想像すると、参右衛門の不在の長男は稀に見る立派な青年らしい。「あそこの長男は豪い。あんなの一人もいない。」と村のものらはいう。
 応召の際、父に頼んで、毎夜その日の支出費だけ必ずつけてくれと、云い残しただけだとの事である。酒で家を潰した父に対する釘としては、もっとも確実な打ち方だ。
 青柿が枝のまま風に騒いでいる。夕映えの流れた平野の上を走る雲足に木立が冷たい。濡れた青草を積み、農具の光ったリヤカーを引いて戻って来た久左衛門の長男の嫁は、川の流の傍で私に丁寧なお辞儀をした。健康に赤らんだ円い顔で、黙って立って礼をする夕暮どきの透明さ。私も思わずミレーになったような清浄な気持ちを覚え、彼女の幸福ならんことを願って礼をした。やはり晩鐘の美しさは誰にも一日に一度は来ているのだ。

 久左衛門の家へ入ると、彼は風呂から出たばかりで、ふんわりと丹前をかけ炉の前に坐っている。支那の学者のような穏かな顔になったり、厳しいリアリストの眼になったりする彼の表情を見ながら、この久左衛門は、六十八で、今一生のうち一番幸福の絶頂にいるのではないかと私は思った。不足なものは何一つない。子供たちの誰もが出征せず、持ち物の値は騰るのみだ。極貧からとにかく現金の所有にかけては村一番になっている。村の秘密を知っているものも彼ただ一人だ。経済のことに関する限り、彼を除いて村には知力を働かせるものもない。すること為すこと当っていって、他人が馬鹿に見えて仕方のない落ちつきで、じろりじろりと嫁を睨んでいれば良いだけだ。肩から引っかけた丹前の裾の、富士形になだれたのどかな様子が今の彼には似合っている。
「明日から大工が廂《ひさし》を上げに来るのでのう。工賃を米でくれというので、それじゃ、どっちも丸公にしょうというたばかりじゃ。はははは。米を持ってると、何んでも公正価でいけるでのう。」
 私は三間とはへだたぬ久左衛門のこの炉端へ、殆ど来ないので、少からず彼には不服のようだった。彼から私は今いる部屋を世話せられ、私係りは久左衛門だと村のものから思われているのに拘らず、その私が遠ざかっているのだから、彼とて少しは不機嫌にならざるを得なかろう。村のものらの久左衛門に向っている烈しい悪口が、私の耳へも届いていると思っていることには間違いなくとも、そんなことはどうでも良い。私には、道路の傍の彼のこの炉端は人の集りが多いので、自然に足が動かぬだけである。それも集るものに村の有力者が多いので、なおさら私の足は重くなる。
「久左衛門さんにお米のこと頼んでみて下さらない。もううちには無いんですもの。」
 妻は私の出がけにそんなことまで耳打ちしたが、米のことなど私は彼には云いたくない。いや、何一つ久左衛門には私は頼まぬつもりだ。また今までとても、まだ私からは物資のことなど彼に相談した覚えはない。
「お前んとこ、ここの村へ闇左衛門の世話で来たのかの。」
 と、こんなことを、ある日近所の娘が妻に訊ねたこともある。久左衛門のことを、闇左衛門と云ったりしたことなどから察しても、おそらく私たちまで怪しげな眼で見られているのかもしれないが、まだ私は特に彼から不愉快な思いをさせられたこともないので、彼を信用するしないは後のことだ。けれども、ここへ来てから一ヵ月、日をへるに随って彼の悪い噂ばかりを耳にする。善いことなど一度も聞いたことはない。農夫にしては稀に鋭い頭脳で、着眼の非凡さは、およそ他の者など絶えず蹌踉《よろ》めかせられて来つづけたことも、想像してあまりある。しかし、そんなことも知れたものだ。
「旅愁って、何のことですかの。」
 と、久左衛門は急にまたそんなことを私に訊ねた。昨夜、私の旅愁が放送せられたそのことを云うのだろうが、ラヂオはこの家だけにあって私は聞いてない。私が黙っていると、また久左衛門は、
「物語、横光利一としてあった。第二放送というのはどうしたら聞けるのか知らんので。」という。
 私は自分の職業を知られたくはなく隠すように努めているが、ときどきこのようなのっぴきならぬ眼にあわされる。あるときも、厠の箱に投げこまれている古新聞に私の作の大きな活字が眼につき引き破ったことがある。ここでの事ではなく別にあるとき、大阪市中での出来事もふとまた私は思い出したりした。それは堂島の橋の手前で、朝日の前あたりだったが、私が歩いていると、前を大きな箱を積んだリヤカーが走り脱けた。その途端、電車の前部に突きあたり、箱ごと眼の前でリヤカーがぶっ倒れた。あッと思うその瞬間、箱の中から、横光利一集と書いた書籍ばかりが散乱して、電車がごとごとその上を辷っていくのを見たときの呆然とした自分。また汽車の中で空席を見つけたとき、前にいる客が私の著作集を傍目もふらず読んでいる最中だったりしたときのことなど、こういうときの作者の感情は、得意というより悲惨に近いものがある。何ぜだろうか。私は久左衛門の所からも、その夕何の要領も得ず帰って来た。
「どうでしたお米。」と妻は笑顔でよって来て訊ねた。
「米のことは、おれは知らん。気持ちじゃ。」
「そうだと思ったわ。」妻はがっかりした風で、もうあきれたらしい。こういうことのみならず、私はどこか阿呆なところがあって、戦争中はひどく皆を困らせたが、見ていると、私の妻もまたそうだ。
「お前がいえば良いだろう。そんな米のことは、女のすべきことじゃないか。」
「お米のことは、男のするべきことですよ。どこだってそうだわ。」
「そんな男ろくな奴か。」
「だって、Sさんのようなお豪い方でも、自転車でいらしたというじゃありませんか。」
 云うかもしれないな、と私の思っていたことをまたうまく云い出したものだと、私も弱った。S氏は文壇の老大家で私の尊敬している作家だが、その人が知人の若いM君の所へ自転車で米借りに乗りつけられたというリュック姿のことを、M君から聞いた折、私はその直截的な行為に自分を顧みて感服したことがあった。
「闇左衛門とM君とは違うからな。」と私は苦しく云った。
「どうしましょう、ほんとうにもうないわ。」
 米櫃《こめびつ》の蓋をとって枡《ます》で計ってみている妻の手つきがかたかた寒い音を立てている。私は一日に四杯、他のものは十杯ずつ三人、併せて一升と少しで足りるのに、私のいる家の参右衛門の所では同数の家族だのに四升でまだ足りぬ。私はいつか一日四杯だと話すと、「ふうッ。」と呼吸を吐いた参右衛門、じろじろ私の顔を眺めていてから、「人じゃないの。」と云ったことがある。
 ところが二三日前の朝のことだが、どんぶり鉢が炉端で転がる激しい音を立てたことがある。同時に、
「二升|米《まい》食うやつあるか。」と参右衛門は呶鳴《どな》りつけた。
 訳を訊くと、次男の二十三になる白痴の天作が、新米に代った日、思わず二升ひとりで食べたということだった。運悪くその前夜久左衛門が来て、大阪の商人で一俵千円で村の米を買ったという話のあった折だった。五円が村の相場となっているときの千円の値は、驚倒すべき事件で、そのときから米価は鰻のぼりに騰って来たが、まだ東京の値など村のものには話せない。

 十月――日
 出払って誰も人のいない家の中に、拭き磨かれた板の間が黒く光っていて、そこを山羊がことこと爪音を立てて歩いている。追おうかと思ったが私はやめて見ていた。純白の毛が広い板の間の光沢に泛き出し、貴族の館のような品位であたりが貴重な彫刻を見るようだ。蚤と蝿とに苦しめられている時の私には、思わぬひっそりとした朝の一刻の独居だ。誰か歯形を白くつけたままの柿の実が樹に成っている。山腹の木の葉が紅葉しかけている。私は炉に火を焚きつけて湯をかけた。
 そこへ、白痴の天作がひとり早く白土工場から帰って来た。天作と二人きりになるのは私には初めてだ。炉端に坐らせ、私は彼に茶を出した。
「どうです。」
「うむ。」と天作は云ったままごくりと一口に飲んだ。胸からはだけ出た逞しい筋肉だ。
「どうです。」とまたもう一杯。
 それも忽ちひと舐めだ。どこか薄笑いの漂ったいつもの顔で、多少は照れるのか横を向き、あぐらをかいている。人から茶など出されたことは二十三歳初めてと見えて、さらに一杯注ぐと、「もうええ。」と云った。
「工場は休み。」
「うむ、硫酸がない云うてたの。」
 これでは、人の云うほど天作は白痴ではなさそうだが、一日に二升を食べる彼を思うと、「人ではないの。」とつい私も云いたくなった。一日四杯と、二升とこっそり対《む》き合っているこの朝の景色は、至極のどかだ。格子から見える山の上に一本高く楢の木が見えていて、そこへ群落して来た鶸《ひわ》が澄んだ空に点点と留っている。天作はいつもする癖が出て敷居を枕に横になった。足の裏が私の方を向いているので、
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足のうら黒き農夫を見てをれば流れ行く雲日を洩しけり
[#ここで字下げ終わり]
 そんな短歌が一つ出来た。私には初めての歌である。

 一つの家に二家族が棲んでいると、何とかして一人きりになるときばかりを探すものだが、稀に落ちて来るそんな好運なときに限って、これはまた必ず久左衛門がのっそりとやって来る。彼に来られるのはこのごろ一種の恐怖になっている。しかし彼の機嫌をそこねたなら私はもうこの好きな村にはいられそうもない。それかといって、他に行ったところで、私のような労働力のない人間は、行くところすべてを苦しめるだけなので、人人にとって私は非常な荷厄介な人物だ。家人にとっても米一つ買えない主人というものは、どういうものかおよそ私には想像がついている。私の誇り得られることといえば、ただ僅に一日四杯より食べぬということだ。このため私に配給される分の二合一勺の中、五勺ぐらいは誰か他のものの分になっており、これだけはどこへ行こうとも私は人人に恵んでいるわけだが、それも習慣になると何の効きめもない。私は駅まで半里の道を歩くとき、両側の波うつ稲の穂を眺め、外国から帰ったときここで胸うち上って来た感動を思い出して、この道は、今さら額に汗せぬものに与えられた厳しい罰を感じる道になったと思った。

 今も私は久左衛門の来ない間にと、家をぬけ出て、醤油をとりに駅の方へ、またいつものその道を歩いた。半里、平面ばかりで家一つない真一文字の道だ。どういうものか、真っ直ぐな道というものは、物を考えるより仕様のない退屈なものである。私はこの道でどれほど色んなことを考えたか知れない。またこの村の人たちが意外に頭の良いのは、自然にこの道で日ごろの考えを整えさせているからではあるまいか、とも思ったりする。
「神や仏はあるものじゃ。」
 こんなことを久左衛門が云ったりすることも、この長い道が訓えたからではあるまいか。私も人から受けた恩のことを考えたり、友人の有難さや、人生の厳しさや、夫婦の愛や、子供の教育や、神のことなぞ、次ぎから次ぎと考えつづけて停めることの出来なかったのもここで、妻や子供がよく、
「あの道はたまらないわ。長くって。」
 と云ったり、「そうだねえ。」と子供が云ったりするのも、何か矢っ張り各自に考えさせられているのである。ここを一度通って来ると、昨日の自分はもう今日の自分ではなくなっていて、その日はその日なりに人は文学をして来るのだ。そして、ふと頭を道から上げたとき、遠空に連った山脈の何と威厳をもった美しさか。
「ああ、あの山山は。」と、トルストイがコーカサスの山脈を見て、こう感歎したのは、平坦な草原ばかりを見ていたモスコウ人のせいだけではないだろう。
「汝自身を知れ。」とデルフォイの神殿に銘された文字が哲学の発生なら、私らのここの山山には何があるのか。「人間であるということは何を意味するのか。」
 雲の映った泥濘の中の水溜りを跳び跳び、ソクラテス以来のこの課題に悩まされた多くの哲学者たちの答案の結果が、ついに原子爆弾という天蓋垂れた下の人間の表情となって来た現在。このギリシャ以来の精神の連続と、私という人間と、どこにいったい関係があったのかと私は考えた。何にもない。かの山山は、物部、蘇我二族の殺戮《さつりく》しあう血族の祈りだけだった。神は一度も通った様子のない憂鬱な山脈のところどころの窪みに、仏が巣をちょぴりと結んだだけではなかったか。そして、私はまだ絶望さえしていない。
 広い平野の稲の中から突然フランス語に似た発音で、
「ダダ、どこへ行く。」
 と、呼ぶ声が聞えた。見ると、宗左衛門のあばだ。くるくるした、いつもの驚いたような眼が私の方を見て懐しそうに笑っている。円顔の嫁も手甲を額にあてて一緒だ。
 うす紫の鳥海山を背にし、あばは光った鎌の刃で駅の方をさした。
「あっちか。」
「そうだ。」と私は頷《うなず》いた。この村で向うから話しかけてくる人は、この五十すぎの農婦だけだ。この寡婦は変人で嫌いなものには傍にいても言葉一つかけないそうだが、蝗《いなご》の飛ぶ中から呼ばれる気持ちは、日を仰ぐように明るく爽爽しい。しばらくは、後から稲の穂波がまだ囁《ささや》きかけ追っかけて来るような余韻を吹かせてくる。

 十月――日
 寝ながらあちこちで話す村人の会話を聞いていると、このあたりの発音は、ますますフランス語に似て聞える。この谷間だけかもしれないが、意味が分らぬからフランスの田舎にいるようで、私はうっとりと寝床の中で聴き惚れている。私の妻に云わせると、この村の言葉はこの国でも特殊な発音だとのことだが、まことにリズミカルで柔かい。起き出して夢破れるのはいやだから、なるべく、このような朝は朝寝をして、ここだけめぐる山懐にフランスが落ち溜っている愉しみで、じっと耳を澄ませている。人人の中でも宗左衛門のあばと参右衛門の発音が、一番フランス語に近い。
 妻は真暗なうち一番の汽車で鶴岡へ出かけて行っていない。今日は煙草をどうかして手に入れたいと思い、私も鶴岡の多介屋へひとつ行って、本物の煙草を一ぷく喫ってみたくて堪らなくなると、跳び起きた。三番は十一時だ。

 三時ごろ多介屋本店へ着いた。主人の佐々木君が不在である。しばらく主人の帰りを店さきに腰かけて待っていると、入れ代り立ち代り本買いの客が来る。沢山なその中に混って一人、いつ来たのか、うすい丹前を着た、すらりと蒼い浪人風の品のある男が立って棚の本を眺めている。横から見ると、どう見てもA君だが、Aがまさかこんな鶴岡あたりに今ごろ来ている筈もないので、どうしているか今ごろは、定めし国の敗れたことを歎き悲しんでいることだろう。そう思っていると、やはりA君だった。彼は私を見つけて愕《おどろ》いたらしかったが、前からこういうときでも少しも表情に顕れない彼だった。すッと進んで来ていう。彼はある種の武術の習練者である。
「お元気で何よりでした。」
「ああ、実に珍らしいところで会ったもんだ。どうしました?」
 一ヵ月前から来ていること、ここで新妻を貰ったこと、沢山あった東京の彼の持ち家が全部焼けたことなどA君は語ったが、いつか私に話した米の生命力の予言の的中したことだけは一言も云わなかった。私もまた云うのは不快だった。
「またどうして、今日は?」とA君は訊ねた。私は長く切れていた煙草のことや、今いる山里のことなど云って笑った。
「ほおう。」
 終戦前まで半年ばかり彼が兵営にいたこともまた私は知ったが、敗戦のことに関しては、Aはやはり話を触れようとしなかった。実際、予言というものは的中するとひどく価値が薄れるもので、あんなことなど信じて何になったのかと、今さらどちらも思いあう味けなさだ。何ともならぬことを信じてさ迷っていた間Aは何をしていたのだろうか。
「私のやっている術には、天上派と堕落派と二つがむかしからありましてね。」
 と、彼はいつか、日本最古の武道だといわれる、相手に触れずに敵を倒すその術について私に語ったことがある。それによると、天上派は女人を一切身の傍へ近づけず、滝に打たれ霞を呼吸して山中で技を磨くのに対し、堕落派の方は女から女を渡り歩いて技を磨くのだとの事で、またこの二つは決して仕合をしないということ、それ故にどちらが優っているかいまだに誰にも分っていないということなど語ったが、このときもAは自分がどちらに属しているか一切云わなかったようだった。またこの術を研究し始めてからの彼は、それまで夢中になって読んでいたヴァレリイのことについても、ぱったり口にしなくなったばかりか、ひどく人間が真面目になり、私の応接室用の煙草を三本吸うと、その日帰ってから別に三本持って返しにわざわざ来たりした。おそらく彼は天上派だったのであろう。
「しかし、天上派も堕落派もどちらも決して使ってはならぬという封じ手が一つあるのです。相手の背のある部分を軽くぽんと叩く手ですがね。これをやると、やられたものは何時間か後で、ぱったり死んでしまうのです。」
 そうも云ってからAはまた、ある堕落派の天才で一人、大阪で誰からとも分らず斬り殺されたもののあったことを話した。それは非常な天才で、それが人から斬られるということは習練者ら一同の理解し兼ねることだったが、あるとき謎が解けた。その男は満洲を渡っているとき、人知れず苦力《クーリー》の背に封じ手を使ってみて、後からひそかに蹤《つ》いて行くと、やはりぱったりと仆《たお》れたまま死んだという。
「リアリストの最期か。」
 と、そのとき二人は笑ったことがある。国にも思想にも文学にも、封じ手はあるものだと、いま私はそんなことを思っている。

 十月――日
 三日間家をあけていた。村へ帰ったときは相当に疲れが出て、痔病がひどく悪くなったが、この洞窟のような奥まった六畳の部屋も体を崩すには足る。薄煙りが炉の方から流れて来ているのもわが家らしい。私は妻をからかいたくなる話を一つ溜めて戻って来ているので、それを一つと思うと自然ににやにやなって来た。話の材料というのはただの笑話にすぎぬものだが、もしかしたら、私が誰かに冗戯《ふざ》けられていることかもしれない廻転の深さも含んでいる。
 一昨日鶴岡の多介屋で一泊している折のこと、さて今朝は帰ろうと思って腰を上げかけると、S市から二人の有望な大地主の青年が嫁見立に来る。間もなく来ることだろうから、私にもその見立てに参加して意見をきかせてくれと頼まれた。待っていると正午ごろ来た。二人とも、見るからに一鞭あてて今や疾走しそうな溌剌《はつらつ》たる騎手のごとき軽快な青年だ。この嫁になるものは仕合せだと私は思った。一人は兵隊から帰ったばかりで眼が明るく大きな体をのびのびとさせている。それが花婿だ。他の一人は眉目きらめき立った才能の溢れた豊かな青年でこれは助手役に来たらしい。どちらも私の見知らぬ人のこととて私はただ黙って傍で話を聞いていると、候補者となっている娘が選定の結果二人となり、そのどちらと先に会うべきかが苦心の模様で、先方の家庭の事情や娘の素質をあれこれと話し合っている。ところが、幸運な花嫁になろうとしている娘の方は、どうも私とどこかで縁のありそうな気配が立ち籠って来始め、思わず私も他人事ならず胸のときめきを覚えるようになった。そのときのことを私は同じく鶴岡育ちの妻に話して云った。
「おい、その嫁になる娘の一人というのは、誰だと思う。例の、そら、お前の結婚する筈になっていた船問屋の、あの人物の娘だ。僕は知らぬ素振りでいたがね。」
 妻はさも無関心らしく、「あら、そう。」と云う。これも知らぬ素ぶりだ。しかし、私には、もし私がその船問屋だったら、ほんの些細なことからそうならなかったまでのことなのだが、自分の娘が第一候補の矢を立てられているのと同じ場であった。興味の起らぬ筈はない、私の妻がかつてはその船問屋から第一候補の矢を立てられて逃げたのである。そして、今、私はその男の娘を見立てようとしている稀な情景だ。
「まア、あの娘なら満点だ。親父はちょっと自慢しいで何んだが、娘はなかなか立派だ。」
 と、こんな話を中に立った多介屋主人が一昨日青年に話していたのを思い出し、私はそれもその通りに妻に話してみた。
「そう、あの人の娘さんならいい人ですよ。それは良い児だということですわ。」
 妻はそう云ってからそのとき、ふと声を落して黙った。自分の子供の、その娘のようには自慢になりそうにもないことを思い出したらしい、悲しげなその様子を見て、急に私はもう話をそれ以上つづける勇気を失った。女の幸不幸の大部分は子供にあることぐらい、もう知りすぎている二人だった。寝てからも、しかし、私は一昨日の結婚談がうまく整ってくれることをひそかに希望した。
 罪滅ぼしの気持ちも多分にある。私はついに候補者のだれとも会わずに帰って来たのだが、その日、それから青年たちを混え、男ばかり五人で田川温泉へ行って一泊した。帰りはいつまで待っても自動車が来なかったのでやむなく、炭輸送車の真黒な箱へ乗せてもらったが、炭の中で揺れている花婿を見て、私は、
「ああ、花咲けり。」と思った。私から刻刻過ぎゆくものをこのときほどまだつよく感じたことはない。がたりとメートル器の針の揺れ動くのを見る思いで、黒い輸送車の中の、丁度私の眼の高さにある青年の胸の釦《ボタン》を満開の花弁のように瑞瑞しく眺めていた。

 しかし、この炭箱の中で私は負けてばかりもいられなかった。私にも、田川温泉の思い出には少しは匂やかな秘めごともあるにはある。それもこの青年のような年のころで、まだ私が妻と結婚し立ての春のこと、――私は初めて妻の実家へ来て、妻の父から仕事場には鹿のいる田川温泉が良かろうということになり、ここで中央公論へ出す「笑った皇后」という作を書いていた。ネロ皇帝の妻のことを書いているのだが、そのときにも、実家からときどき妻は鹿のいる私の宿へ会いに来だ。ある日、妻の見えない日で、私がただ一人男の湯舟にひたっていると、隣りの女の湯舟にも誰か来て、これもただ一人で湯の音を立てていた。初めは気附かずに私は、ネロが友人オソーの妻を口説く科白を考えながら、少し滑稽にしないとネロの性格がよく出ないので、「お前の足は、お前の足は。」と、そんな文句を呟いているときである。私の足のあたりで湯がしきりに揺れ動くのを感じた。ふと下を見ると、ここの湯舟は隣室とのへだてが板壁だけで、下の湯水は一つに続いて断ってなく、午さがりの光線の射し込んだ透明な湯の底から、隣室の女の足のくの字に揺れる白い綾を見た。実に美しい。顔や姿がまったく見えずに、伸びたり縮んだりする足だけ見える湯の妖艶さは、遠い記憶の底から、揺らめきのぼって来る貴重な断片の翻える羽毛のような官能的な柔軟さに溢れている。これはここの湯舟だけであろうか。ネロに攻められ、侍女と二人で湯に浸りつつペトロニユスの死んでゆくときのあのローマも、このような湯の中の美しさはなかったであろうと感慨も豊かになり、私はなお女の足を見ながら、時間は相当前からつづいていたのだからもっと早くから眺めていれば良かったと残念に思っていた。
「あなた、お分りになって。」
 そのとき突然、隣室からそう呼んだ。声はたしかに妻のようだった。どうもおかしい。私はしばらく黙っていてから「お前かい。」と訊ねてみた。
「ええ。そう。」と妻は壁の向うで答えた。
「何んだ、いつ来た。」
「さっき、一時のバスで。お待ちしてましたのよ。」
「ふむ、もう少し脚を見せなさい。」
「いや。」と云って、妻はすぐ脚をひっ込めた。
「お前の脚は、夜の鹿のようにすらりとしている。」と、とうとうネロにこんな形容詞を私は云わせて了う始末になったが、このとき湯の底で覗いた透明な脚の白さは、二十年なお私の眼底に残っている鹿の斑のような哀感ある花である。恐らく私の前の青年も第一候補と整えばこうしてここへ再び来ることだろうが、もう今はどの浴槽もローマの湯のように文明になっている。

 夜、家人がみな寝てしまったころ、長男がひょっこり東京から帰って来た。自家の畑で採れたさつま芋をリュックに一杯つめていて、ひどく疲れている様子だ。今年初めて採れた畑の芋なので私は袋の口を開け、芋の頭を一寸撫でてから寝た。
「どうだった東京。」妻は起きてきて子供に訊ねた。
「面白いよ、ジープがぶうぶう通っている。」
「餓え死にしてる人、沢山いて?」
「そうだね。僕、朝からピアノばかり弾いていて外へなんか出なかったから、分らない。」
「つまらないこと、東京のお話たったそれだけね。」
 私と妻は、東京から来た客ということだけで、子供まで別人になったように見ている人間に、いつの間にかなっている。そろそろ私一人だけでも帰ろうと思う。ただ私としては収穫時を見終ってしまいたいと思うだけだが、村人の親切さに対してこれ以上、観るという心でいることに耐えられそうにもない。

 十月――日
 ときどき我ながらいやな気持ちが起って来る。私が疎開者同様のくせにどこか疎開者らしくない気持ちの起ることだ。事実、私はまだ東京の所帯主でここでは私の妻が所帯主になっている。妻と子供が疎開者で私だけはそうではなく、研究心をもって来ていることが、一つの義務だと思うある観想の仕わざのためだ。これでも初めに比べればよほど私も謙遜になっているのを感じるが、妻がこの村に対して感謝しきっている心とは、まだよほど私の方は好ましからざるものがあるようだ。
 五月二十四日の空襲のときは群長として役目をすませ、私でも町会から十円の賞を貰って東京を立った。立つときも留守居のHとIとに依頼し、炭焼を研究して来たいと思うがすぐ帰ると云って出て来たので、私には疎開者だと思う気持ちはいまだにない。それが悪く邪魔をしている。倦くまで研究心を失いたくはないと思う虚剛と、人間らしからざる観察者の気持ちを伏せ折りたくもあって、個人の中のこの政治は甚だ調和を失って醜い。私はまだ文学に勝ってはいないのだ。先ず第一にこれに打ち勝つことが肝要かと思う。

 十月――日
 雨がよく降るようになった。昨日も今日も大雨だ。ラヂオでは全国的な雨で汽車も停った報道が各線に見られるようだ。実のない稲、腐る稲、流される稲、砂をかむってとれぬ稲――米は不作どころではないかもしれぬという予想が、どこの農家にも拡がった。これでは、ここでとれた僅かな米も、どのような運命にあわされるか知れたものではないという恐怖も一緒になった。
 雑草の中の水音が高い。竹林の先端が重く垂れ、その滴りの下で鯉が白い髭をぴんと上げて泳いでいる。

 人が集るときは、必ず実行組合長兵衛門の悪口を云う。いつものことだが、このごろは特にそれが激しくなって来た。攻撃の仕方は千篇一律、よくあのように同じことを繰返し云えるものだと思うほどで、そのねばりっ気が恐ろしい。ねっちねちと、ぶつぶつと、官能さえ昏ますようだ。
「米を出せ出せと云って、皆出させ、村の者の喰う米をみなとり上げて置いて、名誉を一人で独占した。」とこういう。
 これは一種の合唱にまでなっており、慰めでもあり、病的な愚痴の吐きどころだが、雨が降ると、かく愚痴が困苦の思い出とも変るらしい。ところが、この実行組合長兵衛門の母親という人は、こっそり私のところへ野菜をくれる。参右衛門の妻女の清江が、私たちの困っていることを自分の実家のこととて話したらしい。いつかここから味噌漬も貰ったことがある。その漬物の美味だったこと、私はこのような漬物を食べたことはまだなかった。村民総がかりの悪口の中から掘りあてた、見事な宝玉を味わう思いで私はこれを口中に入れ愉しんだ。
 味噌と大根との本来の味が、互いに不純物を排除しあい、そのどちらでもない純粋な化合物となって、半透明な琅※[「王+干」、第3水準1-87-83]《ろうかん》色に、およそ味という味のうち、最も高度な結晶を示している天来の妙味、絶妙ともいうべきその一片を口にしたとき、塩辛さの極点滲じむがごとき甘さとなっているその香味は、古代密祖に接しているような快感を感じたが、誰か人間も人漬けの結果、このような見事な化合物となっている人物はないものかと、私はしばらく考えにふけった。大根だってこれだけの味を出せるものなら、人は容易に死にきれたものではない。それとも、そんな人間を味い得る人間がいないのかもしれぬ。

「兵衛門のことを人はみな悪口ばかりいうが、あの人だって、組合長になりたくないというのを、皆が引っ張り出して、ならせたのだからのう。」
 と、清江は私の妻に、自分の実家をこっそり弁明した。
「いやだいやだ云うのに、無理矢理にならせての、――お上のいう通りにしたのが悪いのなら、どうしようもないだろうに。」
 私はこの兵衛門を一度だけ見たことがある。四十過ぎの、愁いのあるひき緊った美男で、格子の外からちらりと眼に映ったばかりの感じでは、運の悪そうな人である。
 この村の近くの村に、供出係りで、供出量が不足し責任を感じ自殺したものが一人いる。長い戦争中、このような責任観念のつよかった供出係りは全国に一人もなかったことは、これは東京の新聞も報じて有名なことだが、私のいるこの村も、それと似たところもある、どこの村より真っ先かけの立派な完納ぶりが、敗戦の結果、今になった米不足で、組合長だけ攻撃されて来たのである。
「あなたはどこにいらっしゃる。」
 と私は鶴岡の街で人からよく訊ねられるが、西目だと答えると、ああ、あの村は良い村だと誰もいう。

 十月――日
 葱《ねぎ》の白根の冴え揃った朝の雨。ミルク色に立ちこめた雨の中から、組み合った糸杉の群りすすんで来るような朝の雨だ。峠を越えて魚売りの娘の降りて来る赤襷《あかだすき》。その素足、――参右衛門の炉端へ人が集っている。どうやらこのごろになって、村民は私をも隣組の一員として取扱ってくれるようになって来た。私も観察を止めよう。またそれも出来そうになって来ている。組長がこの集りの炉端へ役場からの報告を持って来て、云うには、――
 国旗は命じたときでなければ出してはならぬ、道路は左側通行の厳守、十四歳以下の子に牛馬を曳かしてはならぬ、武器刀剣ことごとく提出すべし、以上、進駐軍からの命令だとの事だ。そして、組長は、
「これに違犯すれば、どう罰を食うか分らんぞよ。」という。
「そうか、そんなら、こうはしてはおれん。」
 さっそく参右衛門は立ち上り、竹筒から、竿《さお》に縛りつけたままの国旗の小さいのをとり脱した。それから床間にかかった武運長久の掛軸も脱して巻いてしまう。
「やアやア、ひどいことになったわい。天子さまの写真だけは、良かろうのう。」
 と、鴨居の上の御真影を見上げていて、これだけは脱そうとしなかった。
「ああ、負けた負けた。」と、一人がいう。
「供出のさせ方が、おれらを瞞したから負けたのだ。」とまた別の一人。
「米をおれらに作らせて、作ったものが、自分の米も食えずに死にかけて、そのよなことがあるもんか。今年は何んというても、出すものか。おれは出さぬ。」と、また一人。
「おれも出さぬ。また瞞されて、出させた奴が名誉をもろうてさ。そのよな馬鹿な。」
「そんだそんだ、そのよなことを通して、今年の米を何というて出させるつもりか、聞いてやろ。」
 敗戦の直接の影響が、こうしてこの村へ入って来たこれが初めてだ。それから暫く人人の話は、この山形県下へ顕れた聯合軍の噂に花が咲いたが、どういうものか、それら持ちよりの噂はどれも良い方面のことが多い。私は悪い方面のことを一つもまだ聞かないが、日本でもっとも両者の間の善く廻っているのは、この山形県下だということも、警察の人から聞いたことがある。

 十月――日
 百合根の味噌汁がつづいて美味い。しかし、今日もまた大雨だ。昨日まで天候の模様を見ていた農家のものらも、もう躊躇の余地はない。今は人より稲を救わねばならぬ。
 そこへ米の供出方法が定められた。農家の議論はまた昂って来たようだ。去年は、定められた供出量の努力に対して、それを保証する意味の保証金が農家に下った。それが今年は、農家の努力に対してではなく、生産量に対して生産奨励金が下るという。どこがそれでは違うかというと、今年の供出量は去年のようには一定せず、生産量に従って定められるという寸法に変化して来たのである。これは去年に比較して不明なところがあるだけに、含んだ凄味が物をいっていて、睨みの幅が大きく深さがあった。一見、供出するものに同情ある様子ながらも、悪狡《わるずる》く逃げるものは逃がして置き、その後で絞め上げて見せようという肚《はら》も見え、なかなか油断のならぬ方法である。

「はい、はい、云うて置くのだな。何んでもかまわぬ。そして、出さなけれやそれで良い。」と、一人いうものがあった。
「生産額に従ってというんだの。個人割当なら話は分るが、村全体の生産額に従うなら、そんなら、真ん中のものの生産額に従うより仕様がないじゃないか。」と一人がいう。
「じゃ、真ん中以下のものは、また喰えなくなるぞ。同じことじゃ。」と、貧農らしい一人が云う。
「何しろ、去年の保証金も奨励金も、まだどっちも貰っちゃおらんじゃないか。政府は出したというし、おれたちは貰っちゃおらぬし、取り上げるだけは取り上げといて、くれるものは一つもくれぬのに、もう、今年の新米のさいそくとは、あんまり無茶じゃのう。なっちゃおらん。ほっとけほっとけ。」
 そういうものらの云い方を綜合してみていて、私も少し去年から今年への推移が分って面白かった。すると、その横のものは、
「生れただけの米は、どう隠そうたって、隠せるものじゃないさ。ぴっちり分る。分る以上は、出してしまって、後の分は村内じゃ、どう闇をしょうが、しまいが、かまわぬということにすれば良かろう。」
 こう云ったものは、おそらく私のような農家に関係のないものが傍で話を聞いていたからだろう。もしこれで私がこんな炉端にいなければ、どのような話がひそひそ進められたか甚だ私は気の毒な思いがする。どちらか云うと、私はいつも彼らの味方をしているので、悪いことも良いように解釈をしている傾きもあり、心覚えも要心しいしいというところがある。冷たい心で歴史を書くのが正しいか、愛情で歴史を見るのが正しいかはいつの場合もむつかしいことの根本だが、実相を危くして物的真実を追求するという手は、私はいつも嫌いだ。これは真実から遠のくことだ。

 十月――日
 はじけたあけびの実の口から落ちてくる雫。風に揺れた栗の下枝の間を、胸をはだけ雨に打たせて駈廻っている子供たち。磯釣の餌にする海老を手に入れた喜びで、眼を耀かせ、青竹の長さをくらべては栗の実を叩き落す子供たち。海から襲って来る密雲が低く垂れて霽れ間も見えない。加わって来る寒気つよく、稲刈に出ていたものらも午後にはどこも帰って来たが、参右衛門の妻女の清江だけは帰らない。黄ばんだ糸杉の下枝が濡れた屋根を包んでいる。森に雨が煙りこみ、つけ放したままの電灯にたかった蝿もじっと動かない。

 暮れ方になってから清江が帰って来た。薙刀《なぎなた》でも使って来たように白鉢巻をしている。が、それも取ろうとせず、蓑を脱いで、びしょ濡れになった袖を戸口で絞り水をきっている。雨の中の稲刈で、腹帯まで水が沁みとおったらしい。覚えのない冷えた指を撫で撫で、上から脱いだ仕事着を一枚ずつ炉の上の棚へかけていく。
「こんな寒い稲刈は初めてだよ、ほら――」
 子の前へ清江はかじかんだ手を見せてそう云うが、今日は、若いときの美しさも想像出来るなごやかな眼差で、いつもより嬉しそうだ。清江の後から主人の参右衛門も濡れて帰って来た。田へは殆ど出ない彼だが、何ぜだか彼も今日はにこにこ笑って這入って来る。
「芽出たいぞ、今日はうちの稲の中に鳥が巣をくっていた。卵もあったぞ。」
 稲の中に鳥が巣を作ると家運の興隆するきっかけを意味して、このあたりの農家では羨望され、餅を搗《つ》いて祝うものだとの事だ。夜も参右衛門は来るものににこにこして炉端で鳥の巣の話をした。
「御苦労が報われたんでしょう。」と私の妻は云った。
「そうだと良いがの。」
「あなたの御苦労じゃありませんよ。小母さんのよ。」
「おれは苦労をかけた方かな。」
 何を云われても参右衛門は嬉しそうだった。清江はぼろぼろに歪んだ編笠の破れ目に青笹の葉をあて、繕いながら、
「まだ指さきがしびれての。真直ぐにのびないんだよ。こんなだ、ほら。」
 炉の方へ足を向けて寝ていた清江の末の子が、薪の火の舌が廻って来るたびに、眠っていてもぴりぴり足を縮めている。上機嫌のこんな一家の夜は近来ない。思わず私もその炉の傍で夜ふかしする。

 十月――日
 降ったりやんだりしている天気だ。風も出て来た。およそこれほど悪天の続くところはあるものだろうか。ほんの二三分間密雲が破れて日が照ったかと思うと、また雨になり風になる。激しい変化ながら、海の方にある山が次第に明るみを加えて来た。
「こんな雨の多い秋はないもんだのう。」と久左衛門は来て云う。
 顔を雨に濡らした子供たちは、山の樹に絡まったあけびの実を懐いっぱい詰め込んで来て、ごろごろッと炉の傍へ投げ出した。そして、味噌を中につめ、油を皮に塗って火で焼いて、うめいぞ、これはという。どこの農家も人が出払っている留守の炉に、火だけは燃えている。猫が背を丸めた閑散な午後になったと思っていると、また強くなった風に木の葉が飛び廻り、色づき始めた柿の実が葉の吹っ切れた枝から、目立って顕れて来る。見定めなき一日の天候。

 この夜、自分らの田を全部刈り上げた参右衛門夫妻が、鳥の巣をもって帰って来て仏壇にそなえた。穂のついたままの新藁が、納豆の包みのようにふくれた中に三つ小さな卵がある。久しく見えなかった空に星が出ている。騒がしく鳴る竹林の風の音を聞きつつ、参右衛門と清江は、明日から稲刈の手伝いに出て行くさきの相談をした。主人の方は長男の嫁の実家へ、清江の方は、自分の実家の組合長の家の田へと。いつもよりこの夜二人は早く寝室へ這入っていった。むかしは人から手伝って貰わなければ刈れなかった彼らの広い稲刈だったのに、今はその反対で、鳥の巣の夢を抱いたようなさみしさがしっとり夜をこめている。何となく、しんと淋しい夜だ。

 十月――日
 久しぶりの好天だ。風がまだ残っているので、高い梢の桐の実が真っさきに乾いていく。野葡萄の汁が瓶の中で酒の匂いをたてている。酢を作る青柿の皮が樽につめられた。納豆の粘液をためす火箸が藁の中へ刺さり、天井の明り口は煙を吸い上げ、塗戸の杉の目が炉の焔の色を映して明るい。

 私は妻と二人で裏の山へ柴刈りに出かけた。二人の目的は十二三分で登れる鞍乗りの峠まで行くことだが、この峠までの坂は息苦しい。焚木を拾い拾い登ると一歩ごとに、平野は眼の下に稀に見る美しい全貌を顕して来る。私は煙草用のいたどりを採りに一人でよくここへは来たものだが、妻は初めて登るので、なるたけ柴より景色を見せてやりたい希望を持って来ているのに、この女人はどういうものかまた柴ばかり探している。そのうち私は少し腹が立って来た。
「たまに来たんじゃないか。もっと景色を見なさい景色を。」
「だって、もう見たんですもの。」
「これだけの景色は、そうざらに有るもんじゃないよ。絶景といってもいい。」
「絶景だ絶景だと仰言るもんだから、どんなにいいかしらと思っていたわ。こんなの、山と田ばかしじゃありませんか。」
 しかし、景色というものはそういうものかもしれないと私は思った。どこが良いのかと考え出したが最後、どのような景色だってもう駄目なものである。
「お前は小さいときからこのへんの山の景色に見馴れているから、珍らしくないのだよ。他国人の僕がお前の国の景色に感心してやってるのに、心の分らない女だなア。柴より頭だ。」
「いいえ、あたしは柴柴。」
 自分の一生は何んだかふとこれに似たことばかしのような気がして来たが、しかし、私はこれで良いのだと思った。谷間いっぱいに生えているいたどりはもう黄色く枯れかかっている。私は随分これで煙草の代用として助かったのだが、今のうち採って置かぬと用にはならぬかもしれない。峠まで登ったところで、下に秋の冴えた海が見えて来た。馬の背に跨がった感じのこの鞍乗峠はいつ見ても眺望は優れている。私はもう夫婦喧嘩はやめにした。ほとんど垂直になだれ下った草原の断崖に挟まれた海面は、今日は穏かだ。右手の平野を越して、羽黒、湯殿、月山、三山の重なりを見ていると、それと自然に対抗したくなって来る鞍乗り心地で、むかしこの地を本陣とした西羽黒の対立心が、向うの東羽黒に敗れ、滅亡の因を作ったことも頷《うなず》かれる眺望である。前方の鳥海山も今日は見事な晴れ姿だ。
「海がこうして見えて来ないと、あたしにはいい景色には見えないんですもの。ここだといいわ。ほんと、素晴しいわ。」
「今ごろ云ったってもう駄目だ。」
 柴を背におい、鞍乗の尾根路を左に登りながら、妻はここの海の見える所へ家を一つ建てたいとまた云い出した。しかし、ここでは水を下から運ばねばなるまい。海からの風も激しくあたることを予想しなければならぬ。
「僕はここから海までの草原の傾斜を牧場にすれば、いい牧場になると思うが、と話したことがあるんだ。そうしたら、菅井の和尚さん、専門家がいつか来たときも、ここは牧場としては理想的だといったそうだ。」
 自慢の形になったが、その実、チロルの草原でこのような所に鈴を首につけた牛がひとり歩いていたのを思い出し、牧場の専門家も同様な所を見て来たのであろうと私は思ったりした。
「やっぱりここは絶景だよ。こういうのを絶景といわずに、いい景色はないものだ。」
 私はもう柴など拾いたくはなく、縄を腰にくくりつけたまま灌木の間をぶらぶらした。鮮紅の茨の実が滴り落ちた秘玉のようで、秋の空がその実の上であくまで碧く澄んでいる。もしこれで右手の入りこんだ平野が海だったら天の橋立という感じになるここの尾根だ。しかし、海であるより平野のこの方が変化があって私には好ましい。

 今から十七八年も前のある夏、ここから一里ほど左方の由良という漁村へ海水浴に来て、私は機械という作をそこで書き上げたことがある。先日も由良はここから近いと聞いてなつかしくなり、峠越えに出かけてみた。終戦後二日目、私も元気がなく思い出を辿るばかりだったが、私の借りていた二階の部屋を下の路から見上げると、その窓から見知らぬ疎開者の女が一人、これも頬杖ついたまま行くさき分らぬ思案貌で私を見降ろしていた。十八年前の家主の和田牛之助は死んでいて、そのときは、私は中へも入らずそのまま夕暮の漁村を素通りして来た。私のいまいる家の参右衛門の所で生れた老婆の利枝は、この由良へ嫁入って来ているので、その日私は利枝の家で魚の御馳走になったりした。
「由良の婆さん、来るといいね。」
「もうそろそろ、いらっしゃるころよ。」
 と妻はいう。この老婆の利枝は私も妻も好きで、子供たちも老婆の声がすると、「そら来た。」と跳び出て行くほどだが、私が牛之助の二階にいたあの当時同じ浪を見ながら、老婆は何をしていたものだろう。私と妻はむかしの夏の海水浴の日のことを今日も柴を探しながら灌木の間で話した。紅《くれない》の茨の実はそっと耳を立てているようだ。ぴっちり詰った海水着の水に浸る音を聞く風なその眼差し。――ああ、こ奴――
 柴は相当に出来たので暫く二人は海を見ていてから、山を降りることにした。
「よっこらしょ。」と、妻は云って柴を背中に舁《か》いだ。どういうものか柴を背負うと急に自分の年を思い出す。どっちも姿を見合いながら、
「もう駄目らしいぞ。お前もおれも、爺さん婆さんになったもんだ。」と私たちは笑い合った。
「しっかりしましょうよ。元気を出して下さいね。」
「いや、もうおれは諦めた。」
「でも、もう一度若くなるのは、あたしいやだわ。あんなこと、もうこれで沢山沢山。」
 栃の実の降っている谷間を見降ろしながら、坂はだだ下りの笑いで一気に終りになってしまった。

 十月――日
 晴れたかと思うとこの日も驟雨だ。遠山に包まれた平野の架《はさ》の棒に刺さった稲束が、捧げつつをした数十万の勢揃いで、見渡すかぎり溢れた大軍のその中に降り込む驟雨。くっきり完壁の半円を描いた虹に収穫を飾られた大空の美しさ。本家の参右衛門の家では、夕暮から餅搗《もちつ》きをやり出した。例の鳥の巣の祝いである。大力の天作が搗くのでたちまち一臼が出来上り、私たちも鳥の巣餅を食べる。さみしい希望――

 十月――日
 山頂に一本高く見える楢の木に、日ごとに多く日本海の方から鶸《ひわ》の群が渡って来て止る。谷間の樹の根に溜り込んだ栗の実。一雨ごとに落ちた胡桃が籠に積ったまま触れるもののない板の間で、魚の匂いを嗅ぎ廻っている黒猫。花序を白ませた紫苑の丈が垣根に添い崩れて来る。

 別家、久左衛門の家の末娘のせつに縁談が起った。それがどちらも好調の様子で、仏の口という例の巫女からもこれは良縁と折紙がついて、彼の家はこのごろとみに色めき立っている。婿は新庄在の青年で牧場の種馬つけとかいう。大兵肥満の厚い唇の、この青年は、もう遠い新庄から汽車で来ており、久左衛門の家から一向に帰って行く様子もない。どちらも初めて見合いしてから日数もたたず、まだ結婚の決定さえ見ぬ今のうちから泊り込んでいる。一種不思議な縁談の進行だ。
「おせっちゃんは、この村一番の美人だと云うことですよ。」
 と妻はあるとき私に云った。この末娘のせつは、由良の利枝の末の子と結婚する筈だったのに、それが沖縄戦で戦死して、これも日のたたぬ躊躇の折、責任を感じた利枝は自らすすんでこの新庄の婿との間を取りもった。せつは十九、ものに動じぬませた美しさのある娘で、父親に似ていてどこか冷たいリアリストの眼で、唇が赭く柔順だ。
「あの久左衛門の家は、いまに罰があたるのう。」
 とは、村のものの云うことだが、理由は寺で参詣人に物を売って儲けたからだそうである。

 十一月――日
 今日は豪雨になった。橋は腹まで水に浸り、田も水底に見えず道路だけ、橋のように長く水上に浮いている。色を増した紅葉の間から、鮮やかな曲りで瑠璃色のあけびの実が垂れ、小豆の粒の艶麗な光沢と、毛ばだった牛蒡《ごぼう》の種とが板の間に並ぶ。口を開いた無花果《いちじく》畑の方向から山鳩の湿った声が、ホッホー、ホッホーとする。

 十一月――日
 茗荷《みょうが》のうす紅い芽に日が射している。雨は過ぎたらしい。

 久左衛門の家へ由良から利枝が出て来た。せつの結婚の日が定ったからであるが、新しい婿を自分が取りもったとはいえ、戦死の子と結ばるべき縁だったせつ子であれば、浮き足だった喜びに満ちている久左衛門の家には居づらいらしく、暇を見ては生家の参右衛門の炉端へ来て、愚痴をこぼしている。ところが、嫁入道具を見せる習慣があると見えて、私の妻も久左衛門の家から呼ばれて行くと、今度は、せつの姉が参右衛門の炉端へそっと脱け出て来て、これが自分の嫁入の際の無一物だった貧しさをこぼし、妹の豪華さを羨望して泣いている。
「なかなかお調度立派でしたよ。だけど、あちらはにこにこだし、こちらはめそめそだし、今日はあたしまで急がしいこと。」
 妻はそう云いながら私のいる部屋へ来てから、突然、
「馬の種つけ係りって、何のことですか。」と訊ねた。
 なるほど、そういう職業は知らないかもしれない。しかし、私は口に出して説明する気は起らなかった。この年になっても妻と話せぬことは、ときどきこれであるものだと思った。妻も私が黙っているので察したらしく、すぐ別のことを云う。
「あそこの家のことだと、どうしてみなが、あんなに悪口を云うんでしょうね。お婿さんになる人もさんざんよ。唇がでれりと下っているだとか、むっつりふくれ返って、言葉一つ云やしないとか、相撲取みたいだとかって。それにまた、大地主だっていうふれ込みだのに、蔵がないんだそうですよ。蔵のない地主ってあるものかどうか、というので、ぼそぼそ皆の人悪口いうんですの。」
「云ったところで、もう遅いだろ。あの久左衛門にぬかりはあるものか。」

 そういえば、これで三日も久左衛門と私は会っていない。午前中は必ずやって来て、彼に午前の時間をつぶされる苦しさから、やっと逃れた好日だのに、どういうものか、この爺さんの顔が見えなくなるとやはり私は淋しくなる。私にとっては、この久左衛門という老人はこの村で唯一の話の通じる人物になっているのだ。いつの間にか、私は私流の話の通じ口を一つだけこの村に掘りあてて、そこから毎日話の水を流し込んでいたようなものだったが、――おそらく、彼が私の時間を邪魔していたのではなく私が彼の時間を奪うようにしていたのかも分らない。
「あなたと話してると、どういうもんか面白うて面白うて――」
 と、そんなにふと久左衛門は呟いたこともある。米のこともいまだ私の方から依頼したことのないのも、一つはあまり毎日二人で話しすぎた結果であろう。私は彼に会うと、何の意もなく自然に話は私の見て来た他県のあれこれに関することになるのだが、私はもうこれで、いつの間にか、全国で行かない県はないまでになっている。自然にその地方の食物ならおよそどこのも見逃さずに食べて来てみた。話につれてその地の景色も眼に泛ぶが、ここの鞍乗りからの平野や海の眺め、米の美味さ、鯛と小鰈《こがれい》の味の好さは、ここならではと思われるものがあっていつも話はそこで停り、久左衛門の自信を強める結果になっているのだ。
「東京へは日露戦争のとき、出征するので一度通ったきりだ。」
 とこういう久左衛門には、私のする東京の話も興味をひくのも尤《もっと》もなことにちがいない。中でも東条英機という人の話は、私と町会が同じだと知ってからは、ひどくこの老人の興味をそそった風である。
「あの人は家を建てたとかで、一時はここでも悪ういわれたもんだがのう。」
「その家が実はおかしいことがあった。」
 と、私もつい云わずも良いことを思い出し話してしまったことがある。私は外国から帰った直後のこと、何とかしてじかに一度土地というものへの愛情を感じて見たくなり、少し自分で持ってみたいと思ったことがあって、義弟のいる玉川附近を二人で歩き廻ったある日のこと、むかしの神社の跡で八幡山という小高い丘の前へ立った。
「いいな、ここは。」と私は云った。
 私はそこを買いたかった。赤松が沢山生えている傾斜地で、手ごろなここの空地は日をよく浴び草も柔かった。
「いいけれども、この赤松で首吊りがあったのですよ。」と義弟は一本の枝ぶりの良い松をさして云った。
 ふと文句なく私は不快になった。
「じゃ、駄目だ。」
 しかし、惜しい傾斜の中ごろのところで、その一本の赤松だけ不相応に延び下った枝で体を傾け、滑かな肌に日をよく浴びて美しかった。それから一二年の後再びその小丘の前に立ってみると、そこだけ縄張りのしてある中に、東条英機建築敷地という立札が建ててあった。いやな所を買ったものだ、僕さえ止めたところだのにと思っていると、間もなくそのあたりは美しく切り開かれ、眼醒めるばかりの広闊な場所に変っていた。
「ところが、どういうものか、結果はこんな風になってしまって、もし僕がそのときあそこを買って置いたら。」
 私が笑うと久左衛門は、「ほう、ほう。」と鳥の啼くような声を出してから、
「首吊りはのう。」と云って黙った。
「二代目はピストルだが、やはり、首のところだ。」
 しかし、久左衛門には話はそこで止めねばならぬ不便もあった。何ぜかというと、彼は人の云うように、寺で物を売って儲けた人だからである。どうでも良いようなものの、それはやはり、どことなく云い難いものがあった。つまりはそこが彼の不幸な部分というべきものだろう。やはり、このような保守的な、限りもない習慣ばかりの村では、悲劇の種類も自ら違って来るのだ。そこがいつも話していてむつかしいところである。

 十一月――日
 稲刈はまだ終ってはいない。悪天の連続でどの田の進行も遅遅としている。私は農家の収穫を見おさめれば東京へ帰ろうと思っているが、雁が空を渡っていく夕暮どきなど、むかしこの出羽に流された人人も恐らくこのような気持ちだったであろうと思われて、東京の空が千里の遠きに見え、帰心しきりに起ることがある。しかし、妻は反対で、このままここで埋もれてもいい、どこへも行きたくないという。
「しかし、いつまでもここにいたって仕方がなかろう。」
「じゃ、あなたはそんなにお帰りになりたいんですか。」
「特に帰りたいというわけでもないが、僕はここの冬は知らないからね。」
 冬のことに話が落ちると妻も黙る。出羽で育った妻の実家の一族も遠い時代は京から来ている模様なので、冬の来るたびに夫婦の間で繰り返されたこんな言葉も、終生つづいたことだろう。また東京の冬は一年のうちでも一番良く、雨も風も少くて光線はうらうらとして柔かい。冬の東京を思うと私はもうたまらなく懐しいが、こんなとき久左衛門はやってくると、一丈もつもるここの吹雪のことを云ってから、
「ここの鱈《たら》は美味い。ここの冬の鱈は格別じゃ。」
 と、ただ一つだけ良いことを云っては、食い物でつい私の決心を鈍らせる。私はまた寒鱈が至って好きだ。それも良いなア、とふと思ったりする。
 こんな気がふと起るとなかなか後が厄介だが、半道の長い駅までの吹雪の中を一番の汽車に間に合せて、それから三駅鶴岡まで通う中学一年の私の子供のことを思えば、私より一層この冬は子供にとっては難事なことだ。
「ここにいるのは、幾らいてもらっても良いでのう。」と、久左衛門は私に云うが、参右衛門はそうすると、
「いられんと思うの。初めてのものには、冬は無理じゃ。」という。

 一つの家に他家族との雑居は、どこまでこちらが他の方を邪魔しているのか程度が分らず、その不分明な心の領域がときどき権利を主張してみて暗影を投げる。影は事の大小に拘らず心中の投影であるから、互いの表情に生じる無理が傷をつけあう。しかし、こういうことはここの農家ではあまり生じない。参右衛門の無作法さや我ままは怠け方同様に傍若無人で立派である。

 十一月――日
 自分はいったいいつまで続く自分だろうか、よくも自分であることに退屈せぬものだ、と私はあきれる。外では、ひと雨ごとに葉を落していく山の木。茂みは隙間をひろげて紅葉を増し山は明るい。部屋に並べてある種子箱で、小豆が臙脂《えんじ》色のなまめかしい光沢を放っている。毛ば立った皮からむき出た牛蒡《ごぼう》の種の表面には、蒔絵に似た模様が巧緻な雲形の線を入れ、蝋燭豆のとろりと白い肌の傍に、隠元《いんげん》が黒黒とした光沢で並んでいる。しかし、これらももう私の憂鬱な眼には、ただ時の経過を静に支えていてくれる河床の石のように見える。
 赤欅の娘が秋雨の降りこむ紅葉の山越え、魚を売りに来る。海の色の乗り越えて来るような迅さで、鰈《かれい》や烏賊《いか》、えい、ほっけを入れた笊籠はどこの家の板の間にも転がり、白菜の見事な葉脈の高く積っているあたりから、刈上げ餅を搗く杵音がぼたん、ぼたん、と聞える。白む大根の冴えた山肌、濡れた樹の幹――

 由良の老婆の利枝は稲刈に出払っている久左衛門の家の食事万端を一人でしており、
「もう由良へ帰らずに、うちの嫁になってくれんかの。」と調法がられている。
 久左衛門家のせつは婿の田舎へ母につれられて二泊して帰って来ても、また婿も一緒である。二人は結婚式も済まさぬのに寝室を一つにしているらしい。のんきな皆の中で、これには利枝だけがいらいらして、参右衛門の炉端へ逃げて来てはこう歎息する。
「おれらの嫁のときは、羞しくて婿と口もきけなかったのに、あの子は何という子だろうのう。ぺちゃくちゃ婿と喋ったり、今ごろから二人で一緒に散歩したり、部屋も閉め切って、一日二人が中から出て来やしない。式もあげずに何をしてるものだかのう。」
 戦死した自分の子の幻影が泛ぶのであろうか。老婆は一晩愚痴をこぼしづめだ。そのため参右衛門の妻女はいつまでも眠れないで弱りきり、今度は私の妻に睡眠の不足を訴えるが、新婚の夢の描く波紋はどうやら私の胸まで来てやっと止ったようである。私にはも早やそんなことは無用のようだ。

 十一月――日
 来る日も来る日も同じことを繰り返している農業という労働。しかし、仔細に見ていると少しずつ労働の種類は変化している。もう忘れた日にして置いた働きが芽を伸ばし、日日結果となって直接あらわれて来ているものを採り入れ、次ぎの仕度の準備であったり、仕事にリズムがあって倦怠を感じる暇もない。他に娯楽といっては何もなさそうだが、そんなものは祭だけで充分忍耐の出来ることにちがいない。特に都会化さえしなければ農業自身の働きの中に娯楽性がひそんでいそうである。

 私は東京から一冊の本も、一枚の原稿用紙も持って来ていない。職業上の必需品を携帯しなかったのは、どれほど職業から隔離され得られるものか験しても見たかったのだが、ときどき子供の鞄の中から活字類の紙片が見つかると、水を飲むように私は引き摺り出して読んだりする。中に抽象的な文章があったりすると急に頭は眠けから醒めて、生甲斐を感じて来る。も早や私には観念的な言葉は薬物に変っているらしく、周囲を取り包む労働の世界は夢、幻のように見えたりする。どういうものか。生物は自己の群から脱れると死滅していくという法則は私にも確実に作用し始めているのであろう。――こういうときには、私は振り落されそうな混雑した汽車に乗り鶴岡の街まで出て行くのだ。私の労働は汽車の昇降口で右を向いたり左に廻されたり、捻じ廻されることであって、これは相当に私には愉しみだ。

 私は昨夜鶴岡の多介屋で一泊させて貰ったが、そのとき主人の佐々木氏が岸田劉生の果物図の軸物を懸けてくれた。淡彩の墨絵だが、しばらく芸術品から遠ざかっていた近ごろの生活中、一点ぽとりと滴り落ちて来た天の美禄を承けた気持ちで、日ごろ眼にする山川は私の眼から消え失せた。美を感じる歓びの能力が知性の根源だという新しい説には、私は賛成するものだ。旧哲学の顛覆していく場所もここからだろう。

 帰って来て見ると、由良の老婆の利枝は、久左衛門の台所から、妹が宝のように隠してあった三年|諸味《もろみ》の味噌を持ち出して、参右衛門の台所へ、どさりと置いた。そして、食べよ食べよと云いながら、
「あの婆アは慾ふかだでのう。こうして盗ってやらねば、くれたりするもんか。」
 この三年諸味は清江が欲しくて、久左衛門の妻女に幾度頼んでもくれようとしなかったものである。また夕暮になってから、利枝は駈け込んで来て、
「あの婿は、おれを飯炊き婆と思うてるんだよ。挨拶一つもしてくれやしない。一口ぐらい物いうてくれて良さそうなものじゃないか。」
 こうも云っては暴れている。ひどく悲しいらしい。

 十一月――日
 雨は降りつづく。刈上げをすませた農家も雨で取り入れが出来ない。このため収穫時のさ中に意外な閑がどの家にも生じて来たので、農事の他の仕事、街へ出て行ったり、実家へ戻ったり、遠い田舎の親戚間との往復など、どこの炉端もそんな出入が頻繁になって来た。このような人の交流が旺んになると、より合う話はまた自然に物の値段の噂話となり、それだけ値の低い村の物価が揺れのぼっていく結果となるのみだ。
 酒一升を三十円で買いとった疎開者らが、それを都会へ持ち運んで三百円で売っているという話、米一升を十円で買い集めては、それを七十円で売り捌《さば》いている疎開者の話、うっかり図にのって米を買い集められた人の好い村では、そのため米が無くなり逆に疎開者から高値の米を買わされているという滑稽な話など、そんな山奥生活の話も聞えて来てどの炉端も哄笑が起っている。
「都会のものはどれほど金を持ってるものやら、もう分らない。幾らでも持ってるもんだ。」
 と、こういう村のものらの結論は今はどこでもらしく、私などの所持金もうすうす皆は見当をつけているのであろうが、中に一軒、疎開者を置いているある農家のもので、うちの疎開者は少しもうちから物を買ってくれたことがないと云ってこぼしているのもある。私としては、他で金を落すものならこの村で落して行きたいと思っているのだが、買いたいと思うと、「おれんとこは商売はしたことがないでのう。」と、暗に私係りの久左衛門に当ったことを云ったりする。

 十一月――日
 川端康成から三千円送ってくれた。鎌倉文庫の「紋章」の前金だが、一度も催促したこともないのに、見当をつけたようにぴたりと好都合な送金で感謝した。これでひと先ず帰り仕度は出来たとはいえ、終戦以来最初の入金のためか、再び活動をし始めた文壇の最初の一息のようで、貴重な感じがする。

 立ちこもった霧雨の中から糸杉、槙の葉、栗の枝が影絵のように浮き出ている。参右衛門の家では今日は刈上げ餅を夕方から搗き始めた。夜のお祝いに私たち一家のものも隣室の仏壇の間で御馳走になった。中央の大鍋いっぱいにとろりと溶け崩れた小豆餅、中鍋には、白い澄し餅がいっぱい。そして、楕円形の見事な大櫃には盛り上った白飯が置かれ、それを包んで並んだ膳には、主人の参右衛門がこの日磯釣りして来たあぶらこ[#「あぶらこ」に傍点]という魚が盛ってある。主人の横に、まだ復員しない長男の蔭膳が置かれてあって、これとその嫁の膳と並んで二つだけ高膳である。
 私ら一家疎開者の客には、粒粒辛苦一年の結実ならざるなき膳部が尽く光り耀くごとき思いがした。厚い鉄鍋で時間をかけて煮た汁や餅は実に美味だ。あぶらこ[#「あぶらこ」に傍点]という魚は長さ四五寸の小さなものだが、このあたりではこの魚を非常に珍重する。なまずを淡泊にした細かい味のものだ。
 その他、醤油も味噌も、そば、納豆、菜類、これらは皆、ここの清江一人の労働で作ったもので、「雨の日も風の日も」と、人の謡うのも道理だと思った。由良の老婆もこの夜は私の前の膳について神妙に食べている。参右衛門はどこで手に入れたものだか珍らしく私に一献酒を注いでくれた。久しぶりの酒である。いつも祭日より帰って来ない参右衛門の末娘のゆきも来ている。この村の一番の大地主の所へ奉公している十七の娘だが、長男の嫁と二人並ぶと仏間も艶めき、その傍ら忽ち平げていく天作の手つきも鮮やかだ。初めはどうしてこれだけの餅と飯と汁とを食べるだろうと思っていると、見る間に八方から延び出る手で減っていくその迅さ、私の食慾などというものは生存の価値なきがごときものだ。やはり私は見るために生れて来た人間だとつくづくと思った。

 十一月――日
 澄み重なった山脈のその重なりの間に浮いた白雲。刈田の上を群れわたっていく渡鳥。谷間で栃の実がひそかに降っている。
 久左衛門は田の中でまだ稲刈をしている若者を見ながらいう。
「おれの若いときは一時間に二百五十束もしたもんだ。ところが、今の若いものは、よく出来るもんでも百二十束だのう。ほら、あの通り、掴んで刈った束の置き方も知らんのじゃ。掴んで切りとったのをすぐ横に置く。あれは縦に置かぬと駄目なものじゃて。」
「あなたの田はまだ刈り上らないんですか。」と私は訊ねた。
「今年は三週間も遅れている。稲が乾かぬのじゃ。奥手はこれからだのう。」
 少し日の目を見ると架《はさ》の稲を一枚ずつ裏返して干している。田の稲を刈っても米になるまでには三週間もかかるというとき、早米の収穫でようやく補給をつけていた農家も、稲の乾きの遅さでまた食糧を借り歩くようになり、久左衛門の家の貯蔵米がまたしても人人から狙われて来たということだ。一度退散した久左衛門の気苦労は再び増して来始めた風である。
「ないのも困るが、有るのも困ったものじゃ。」と彼はとうとうそんな音をあげた。
 由良の老婆の利枝はまだ久左衛門の所から帰らないが、今日も参右衛門の炉端へ駈けこんで来て、
「とうとう婆アと喧嘩してやった。姉妹だというのに、もう米も貸してくれやせんわ。剛っ腹だぜ、そら、持って来てやった、食べよ食べよ。」
 と云いながら、前垂の下から野菜や芋の煮つけを出す。清江は笑っているだけだ。由良の漁場では東京の網元が焼失してしまっており、網の修繕が出来ず、油も高くて来ないところへ、復員の子が一人増し、米は何としても久左衛門の家から都合をつけずにはいられない。せつ子の結婚式用の魚を揃える約束で今から米を催促している老婆の苦労は、こうして朝毎の姉妹喧嘩となって、台所をばたばたと活気づけるのだが、この利枝は来るたびにまた板の間を、拭く癖がある。
「ここはおれの生れた家だでのう。こうしてふき掃除して美しゅうして置かんと、来た気がせんわ。」
 別に私たちへの当てつけではない。私の部屋の縁先まで拭きつづけてくれては、一寸休むと庭の竹林を眺めている。
「むかしは美しかったがのう、ここの庭は。それにもう石も樹も、ありゃしない。」
 この老婆は立てつづけにべらべらと無邪気に喋り散らすかと思うと、すぐ炉端でい眠っている。七十年間、一里半向うの漁村とこの村との間より往き来をせず、その二村のことなら何事も知っていて、人が聞こうと聞くまいと、のべつ幕なしに話すので、およそのこと、誰が誰から幾ら儲けたとか、誰が誰を口説いて嫁にしたとか、狐が誰にひっついたとか、――私の子供までが知ってしまう。清江はにこにこして聞いているが、
「あれで家へ帰れば、嫁に虐められるのだがのう。」と私の妻にそっという。
 しかし、いつ見てもこの由良の老婆は美しい。私にもしこんな老婆が一人あったなら良かっただろうと思う。いっか一度、参右衛門たちの集っているところで、「あのお婆さんは美しい人だなア。」と、ふと私が洩すと、一同急に眼を見張って私の方を見た。そして、意外なことを云うものだと不思議そうに黙ったことがあるが、漁村の白毛の老婆の美醜などいままで誰も気にとめたことはなかったのだろう。この老婆のいるために、私にはこの村や山川がどれほど引き立ち、農家の藁屋根や田畑が精彩を放って見えているか知れない。そういえば、参右衛門の怠けぶりもまたそうだ。彼が徹底した怠けものであるところが、何となくこの村に滑稽でゆとりのある、落ちついた風味を与えている。配給物の抽籤のとき彼はいつも一等を引きあてるが、どういうものか、それがまた人人の笑いを波立てる。

 夜になると、炉端で清江が畑から切って来た砂糖黍《さとうきび》の茎を叩いている。この寒国でも今年から砂糖黍を植え始め、自家製の砂糖を作るのだが、それも今夜が初めてで炉端もために賑やかだ。一尺ほどの長さに切った茎を大きな俎《まないた》の上で叩き潰しては、大鍋の中へ投げ入れ投げ入れして、
「ほう、これや甘い。なるほど、これなら砂糖になるかもしれないや。」
 太股をはじけ出した参右衛門は、糖黍の青茎を噛《かじ》ってみてはふッふ、ふッふと笑っている。少し鍋が煮えて来ると、蓋を取ってみて、汁を一寸指につけては、
「ほう、甘い甘い。今にのう、ぼた餅につけて、うんと美味いの食べさせてやるぞ。」
 と、私の子供らにいう。子供らは面白がって庖丁ですぽりすぽりと糖黍を切り落していく。参右衛門は杓子《しゃくし》で攪《か》き廻しているうち、鍋の汁は次第にとろりとした飴色の粘液に変って来る。
「ほう、これは美味い。砂糖だ。」
 相好を崩してそういう参右衛門の髭面へ、鍋炭が二本灼痕のように長くついていて、味噌や醤油を作る夜とはだいぶ様子が違っている。大人に見えるのは清江一人だ。

 十一月――日
 路の両側から露れて来た茨の実。回復して来た空に高く耀く柿の実。紅葉の中から飛び立つ雉子の空谷にひびき透る羽音。農家はこうしてまた急がしくなって来たようだ。朝霧の中で揺れている馬の鬣《たてがみ》。霜の降り始めた路の上で鳴りきしむ轍《わだち》の音――

 一俵千五百円で二十五俵を都合をつけてくれという闇師が、先日からこの村へ潜入して来ている。東京までトラックで運ぶということ、そんなことは出来るものではないという結論で、これは纏《まとま》らなかった様子だが、そのときから米の値は一躍騰った 一升が四十円ほどになって来たのだ。東京からの通信では六十円から七十円になっている。一升五円以上の値で売るものなどこの村にはないのうと、そう久左衛門の云っていたのは夏のことだ。それが二十円になったときには村のものらは眼を見張ったものだが、今は誰もが、暴れ放された駻馬《かんば》を見るように田の面を見ているばかりである。
「これじゃ、この冬は餓え死するものは多いのう。」
 と、久左衛門は気の毒そうにいう。
「もうこんなになっちゃ、東京へ帰って隣組の人達と一緒に、餓え死する方がよござんすわ。帰りましょうよ。」
 と、妻は私にそっという。帰る決心のついたことは良いことだ。この夜、妻は衣類を巻いて隣家の宗左衛門のあばの家へ裏からこっそり出ていった。そして、戻って来てから、
「宗左衛門の婆さん、宗左衛門の婆さん。」と嬉しそうに呟いている。話はこうだ。妻が一俵四百円で米を売ってはくれまいかと頼むと、この寡婦は眼を丸くぱちぱちさせていてから、暫くして、
「罰があたる、罰があたる。」とそう二言いって顔を横に振ったそうだ。「そんな高い金では売られない。供出すると六十円だぞ。それに四百円――罰があたる、罰があたる。」とまた云った。
「それだって、お米が買えなけれやあたしたち、餓え死するわ。売って下さいよ、四百円でね。」
「売られん売られん。この間も常会で、二百円までなら闇じゃないということになったでのう。おれは闇は大嫌いだ。百五十円なら一俵だけだと、何とかなるが。」
「でもそれじゃあんまりだわ。じゃ、三百円。」と妻は云った。
 横から、東京へ嫁入して手伝いに戻っている娘が聞いていて、妻の持って来た衣類を見ると、「欲しいのう。おれの着物にしてくれ。」と云い出した。そこで話は、米は売らぬが足らぬ前だけ少しずつならやるという相談になったらしい。
「今どきこんな人もいるのかしらと思ったわ。あたし、帰りに二度も転んで、ああ痛ッ、ここ打って――ああ痛ッ。」
 妻は横に身体を崩し今ごろ腰を撫でている。上には上があり、下には下があるものだと私は思った。

 十一月――日
 山峡から山の頂へかけて一段と色を増して来た紅葉。ゆるぎ出て来たように山肌に幕を張りめぐらせた紅葉は、人のいない静かな祭典を見るようだ。鮮やかなその紅葉の中に日が射したり、驟雨が降りこんだりする間も、葉を払い落した柿の枝に実があかあかと照り映え、稲がその下で米に変っていく晩秋。朝夕の冷たさの中から咲き出して来た菊。どの家の仏間にも新藁の俵が匂いを放っていて、炉端の集団は活き活きした全盛の呼吸を満たして来る。

 参右衛門の仏間の十畳も、新藁でしっかり胴を縛った米俵が重重しく床板を曲らせて積み上り、先ず主婦の清江の労苦も報われた見事な一年の収穫だ。確実に手に取り上げてみた事実の集積で、心身の潔まるような新しい匂いが部屋に籠っている。明るい。――しかし、まだ出征している清江の長男は帰って来ない。遠山にもう雪がかかっているのに。

 銀杏の実が降って来る。唐芋という里芋と同じ芋は、ここでは泥田の中で作っているが、清江はこれを掘りに朝からもう泥の中へ浸ってがぼがぼ攪き廻している。私は感動より恐怖を覚えた。もうこの婦人は労働マニアになっているのではあるまいか。

 私は沼の周囲の路をまた一人で歩いてみる。この路は平坦で人のいたことは一度もない。垂れ下った栗の林に包まれ落葉が積っているので、つい私はここへ来て一人になる。そうすると、いつも定って私の胃には酸が下って来て腹痛になり、木の切株に休みながら沼に密集した菱の実を見降ろしてじっとしている。自然に埋没してしまう自分の頭が堪らない陰鬱さで動かず、振り立てようにもどうともならぬ無感動な気持ちで、湮滅《いんめつ》していった西羽黒の堂塔の跡を眺め廻しているだけだ。
 人間全体に目的なんてない。――私は突然そんなことを思う。それなら手段もないのだ。生を愉しむべきだと思っても酸が下って来ては死が内部から近づいて来ているようなものである。びいどろ色をした、葛餅《くずもち》色の重なった山脈の頂に日が射していて、そこだけほの明るく神のいたまうような気配すらあるが、私の胃の襞に酸が下って来て停らない。眼に映る山襞が胃の内部にまで縛りつづいて来ているように見える、ある何かの紐帯《ちゅうたい》を感じる刻刻の呼吸で、山波の襞も浸蝕されつつあるように痛んで来る。切断されようとしている神――木の雫に濡れた落葉の路の上で栗のいがが湿っている。沼岸の雑草の中を匐い歩く一疋の山羊だけ、動き停らない。縛られた綱の張り切った半径で円を描きながら、めいめい鳴き叫び草を蹴っている山羊の白さは、遠山の雪のひっ切れた藻掻《もが》き苦しむ純白の一塊に見えて、動かぬ沼の水面はますます鮮かな静けさを増して来る夕暮どき――

 十一月――日
 余目から最上川に添って新庄まで行く。最上川の紅葉はつきる所がない。万灯の列の中を過ぎ行くように明るい。傍に南鮮から引き上げて来たばかりの三人の婦人が語っている哀れな話も、紅葉の色に照り映って哀音には響かず、汽車は混雑しながらいよいよ錦繍《きんしゅう》の美に映えてすすむ。妻の亡父がこのあたりの汽車から見える滝のあたりに、自分の山のあることを話していたのを私は思い出し、注意して見ているうち、対岸の断崖から紅葉の裏を突き通して流れ落ちている滝が見えた。ここだなと思う。
「現金なものですね。毎日したしく話していた朝鮮人も、その日からぱったり私らと話さなくなったんですよ。お金も家も何もかも奪られてしまうし。」と一人がいう。
「あたしはそうじゃなかった。あなたここで朝鮮人になってしまいなさいって、そういってくれるんです。なってやろうかなと、あたしは思った。今さら郷里へ帰ったってねえ。」
 こういう声を後にして三時に新庄へ着いた。醤油醸造家の井上松太郎氏の邸宅へ向う。この夜ここで催される座談会に私は出席するためである。

 井上氏の庭は数千坪の見事なもので、廊下でつながった別棟の数軒に囲まれた広い庭の中央に、大きな池があり、根元から五つに岐れた榧《かや》の大木が枝を張っている。島にかかった俎形の石橋が美しく、左端の池辺にのぞんだ私たちに当てられた部屋には日光室もある。小雨が降って来て、濡れた落葉の漂う庭の向うからショパンの練習曲が聞えて来る。疎開して来ている大審院の検事総長の部屋のピアノだとのことだ。落葉の静かな池辺によく似合った曲で、晩秋の東京の美しさがこういう所へ移って来ているのを感じた。
 夕食に最上川で獲れた鮭が出る。見事な味で、その他、鮪、豆腐、なめこ、黄菊、天麩羅《てんぷら》、生菓子、いくら等。
 座談会に集った人たちは二三十人で、私は昨夜考えて来た田園都市と文化人と題し、重苦しいテーマ二十ばかりを出して概略を述べてみた。
「私たちの階級では、諦めということが何よりの訓練とされておりまして。」と、こう云った婦人が一人あった。私の階級とはどのような階級か私には分らなかったが、人人が帰った後でその婦人は、この地方の旧大名の夫人だと判明した。その後で、またこの地方の大地主三人がしきりに小作人問題で討論していた。ここの地主階級では諦めの訓練が不足しているようだと、ふとそんなことを私は思った。
 鶴岡から私を案内して来てくれた佐々木剋嘉君とここで一泊して、翌日二人は四時の列車で帰る。余目まで来たとき、大きな五升入の醤油樽を背負っている佐々木君が、
「これをどうして水沢まで持って帰られますか。」と訊ねた。
「その樽は私のですか。」
「そうです。井上君があなたにと云ってお土産にくれたものですよ。」
 重い醤油を始終背負ってくれながら、長い間今まで黙っていてくれた佐々木君に私は恐縮した。この夜は、鶴岡の同君の所で厄介になり、二度の恐縮である。

 十一月――日
 一年を通じて十一月の路ほど悪い路はないと、私のいる村では云うが、まったくこの月の路は路ではない。参右衛門は山へ自然薯《じねんじょ》を掘りに行く。彼のする仕事の中でこれほど愉しみなことはないそうだ。私の妻は腹痛で寝ており、参右衛門の妻はまた泥田の中で唐芋を掻き廻している。冬越しをするには無くてはならぬ食料だ。空気は冷えて来て濡れた山肌に大根の白さが冴え静まり、揺り動かすように落葉だけ散って来る。

 佐々木君の所から支那哲学の書を買って来たのを読み終ったが、少しも要領を得ない。孔子の次ぎの時代にギリシャのソフィストに似た一群の隠者たちの思想に、私のまだ知らなかったものが多かった。文明を支えていたこれらの名も知れぬ高度の知性は、その高級さのために滅んでいき、吾吾に残されて来たものは概念の強い平凡な骨だけだということ。しかし、この骨を叩いてみて肉の音を知るには、よほどの年月を必要とすることだろう。先日、佐藤正彰君が東京から見えた折の話だが、同君の父君は漢学の大家の正範氏で先年七十幾歳で亡くなった学者――この学者は専門七十年の漢学の末、説文と称する文字の起源を調べる学問に達して亡くなられたが、これはまだ殆ど誰も手をつけたことのない学問の部とされている。
「あなたの専門のフランス語も七十年もかかりますか。」と私は訊ねてみた。
「それや、かかるでしょう。」
「じゃ、文学は一番かからないというわけになりそうだが、かかるかな。」
「それや、かかる。」
「じゃ、まだ僕は二十年だ。」
 よろし、もう二十年、と、こんなところでどちらも笑ってから、その後で久左衛門に会ったとき、農家の仕事のうちで何が一番難しいかと私が訊ねると、
「種を選ぶことだの。」と即座に答えた。
 どの田畑にどの種を選んで播くかということの難しさは、六十八歳になった達人久左衛門も、これだけはまだ分らぬとの事だ。おそらく一生かかっても分りそうにもないという。私らも連作してはならぬ茄子だったり、トマトだったりしているのであろうが、誰も訓えてくれるものではない。自分を工夫するとはどうすることか、それさえ誰も云ったものはない。いや、自分がトマトか南瓜かそれも分らぬ。七十年、百年たっても――。ただ一生の間にちらりと蝶の来てくれること、そればかり待っているのだ。支那の隠者たちは空しく死んでいったのであろうか。篆刻《てんこく》の美は、死の海に泛んだ生の美の象徴ではなかったか。

 十一月――日
 農家はどこも三日間刈り取り祭だ。盆、正月以外ではこれが最も大きな祝い日である。隣組のどの家からも餅を貰う。夕刻六畳の私の部屋は並んだ餅で半分点点と白くなった。家家に随って餅には個性がある。見ていると篆刻のようで、家の盛衰も餅の円形に顕れている。これはどこ、それはあそこ、と私は想像で当てるとほとんど的中したが、現在というものが餅に姿を顕しているのも、手で作った円形という最も簡単で、難しい威厳あるものを無意識で作ったからであろうと思う。祈りは餅に出るものだ。

 昼食を私一人が久左衛門の家で御馳走になる。せつの新婿も一緒だが、この婿は終始少しも喋らず無愛相な顔で、ぺろぺろと食い、最後に一言だけ、突然、
「嫁をもらうまでは、おれは女を、買った買った。」と妙なことを云った。
 そして、「おい、おせつ、火つけてくれ。」と云ったかと思うと、部屋の一隅に二間ほど離れているせつの所へ、一本煙草を投げつけた。別に怪しむものもない。愛情を示した見栄のこの荒荒しい挙動がも早や普通のこととなっている二人の生活だ。それも種馬つけという天然の破壊を行う作業が、また二人の間でも物柔かな紐帯で行われている日日を、ふと私も普通の生活のように思い込み一緒に箸を動かしているのである。
 すると、夕食には、私は参右衛門のところから呼ばれて、いつもの仏間で馳走になった。このときには、私の前に、特攻隊から帰還して来たばかりで、いま一台で飛び立つ間際に終戦になったという青年が、客となって来ていた。これは生命の破壊を事もなげに、一瞬の間にやり終る訓練に身を捧げた若ものである。
「ああ、もう、助かったのか死んだのか、分らん分らん。」
 とそんなことを云いつつ、実に暢気《のんき》に、傍にいる父から酒を注がれている。先日から煮溜めた砂糖黍の液汁に浸した小豆餅が、大鍋の中で溶けているのももう忘れ、私の妻は、特攻隊員だと聞かされてからは、突然戦争が眼前に展開されているのを見るように、表情が変った。そして、
「死ぬこと恐くありませんでした。」
 と、恐わ恐わ訊ねた。
「あんなこと、何んでもない。分らんのだもの。」
 こういう青年の傍でも、どういうものか、私はまた全く普通のことのように思いつつ箸を動かしているのである。恐るべき速度で何事か皆かき消えて進んでいるのだった。速度の方が恐ろしい、茫然としたこの痴漢のような自分の中で、何が行われているのか私ももう知らない。特攻隊は鼻謡を唄いながら、ケースをポケットから出し、抜き取った煙草を一本ぽんと叩いて、今夜これから寺で芝居をして来るのだと云っている。異常なことが日常のありふれた事に尽く見えてしまっている今日この頃の心情は、われも人も同様に沸騰した新しさだ。私は自分がどれほど新しくなっているのかそれさえも分らぬが、これを表現する言葉は誰にもない。おそらく、誰も自身の心情を表現し得るということはもう出来ないのにちがいない。すべてを普通のこととしてしまう本能の自然さといえども、今までは、そこにまだ連絡した心理があった。しかし、今はそれもない。人生にはいつも幕間が用意されているものだが、この幕間は人のものか神のものか分らぬながらも、どこかの一ヵ所だけ森閑とした部分がある。そこでひそひそ声がしているようだが、おそらく、それは人の声ではないのだろう。

 そら芝居が始まった、と云って、子供らは釈迦堂の方へ駈け出ていく。特攻隊も出ていった。その後で、参右衛門と青年の父親とがなお二人で飲み続け、舌の廻りも怪しくなって来るのを私は隣室で聞いていると、いつまでも絡み合っていてきりがない。参右衛門は濁酒を作ってくれと頼まれて、お礼をすると云われたのが気に喰わぬ、水臭いと云って怒っている。それをまた特攻隊の親父が弁解する。この二人の酔漢の芝居が止み間もないその中に、寺の芝居は済んで特攻隊が戻って来たが、参右衛門ら仏間の「水臭さ」劇は止まる様子もない。とうとう一時だ。そして、最後の二人の科白は――
「もうじき、共産主義になるそうじゃ、面白いのう。あはははは――」
「とにこうに、おれは、礼をされて作るとあれば、いやじゃ、そんなのは、おれは――」
「共産主義になったところで、おれらには、何もないでのう。あはははは。」
「とにこうに――」
「あはははは、おれは、酔っぱらう奴は大嫌いじゃ。」
「いや、礼をされて――」
 と、このような調子である。冗漫さというものも度を越すと面白い。これで人生は退屈しないのだ。間もなく、一人がその場へ眠ると、次ぎも眠った。私は眼が冴えいよいよ蚤との苦闘はこれから始まるところだが、この百ヵ日にあまる無益な苦しみは、想像を絶して苦しい私の劇だ。私は、今は蚤のことあるばかりで退屈をしない模様である。

 十一月――日
 祝いがつづいた二日目、隣家の宗左衛門のあばは、軒の葱《ねぎ》をひき抜きながら、
「あーあ、退屈だのう。」
 とそう呟くのが、私の立っている縁側まで聞えた。二日目にこの寡婦は、もう遊ぶことに退屈しているのだ。この家の裏の家では、今日は、私のいる隣組の娘たち全部と、若い嫁たちが集って、持ちよりの品で一日自由に食べくらし、遊び暮す。当番に当っているその家から、賑かに出入する娘らの声がよく聞える。娘たちの娯楽といえばたったそれだけだそうだが、他人目から見ればつまらなそうな遊びながらも、本人にしてみればおそらくこれほど愉快な娯楽はあるまい。厳しい老人たちの眼から離れ、ぺちゃくちゃ喋る話の中には、この村一の美人といわれるせつの新婿の職業は、異様な花を咲かせてさざめき返っていることだろう。

 菅井和尚が見えた。この釈迦堂の和尚が見えると、いつも参右衛門は家の中から姿を消す。おかしいほど彼には和尚が苦手らしく、小学校の生徒が先生の姿を見て逃げ出す足と同様にすごく迅い。私はこの和尚から机を貸してもらい、おはぎを貰い、柿を貰い、馬鈴薯《ばれいしょ》を貰った。僧侶くさみの少しもない闊達な老人で、ここから十里あまりへだてた温海という温泉場では、この和尚のことを、ああ、あの名僧かと人はいう。ところが、私の今いるここの村では、僧侶臭のないところが有難味がないと見えて、悪くは云わぬが、にやにやと笑うだけだ。従僕に英雄なしというゲーテの言葉ならずとも、傍にいるものには、いかなる傑物も凡人に見える作用をここでもしている。一里ごとに変っている和尚の自由な行動に対する世間の批評は、円周の外波の響ほど真実であるか。人は死ねば、その彼の伝うる響は、距離とは違い、時とともにまた異なるだろうが、結局、人の存在価値は、傍にいても分らなければ、外にいても分らない。時たってもまた同様だ。小空、中空、大空、空空、無空、というような言葉は、徹底するとついに天上天下唯我独存、(尊ではない)存すというところに落ちつくのも、菅井和尚の釈迦堂の釈尊の首一個の存在がよく語っているようだ。そういえば、釈迦が天上天下唯我独尊と唇から発した日は、十二月八日だった。太平洋戦争も同一の日だが、まもなくその日はやって来る。

 十一月――日
 預金帳が無事に着いた。四月から半年以上も行衛不明で、東京の銀行の方を調べて貰うと、銀行の女事務員が今まで握り潰していたということが判明した。何事にも腹を立てないということは、要するに堕落しているのだ。しかし、どこへも私は怒りようがない。せめて家族の者を温泉へでもつれて行ってやりたくなって、急にこの日の土曜を利用し温海へ行くことにした。次男の方がまだ学校から戻らず、やむなく三時まで待ったがそれでも来ない。長男に、それでは明日後から次男をつれて来るように※[#「口+云」、第3水準1-14-87]咐《いいつ》け、私は妻と二人で先きに立つことにした。
「何んだか、子供から逃げて行くようですわね。」
 と妻はしょんぼりしていう。
「たまにはいいだろう。温泉行きも十年ぶりだからね。しかし、宿屋はやっているかどうだか分らないから、それが少少心配だ。」
 駅まで泥路を跳び跳び行くのにも二人は何となく気も軽くなったが、降ったりやんだりしている雨の中で、開業不明の行く先きの宿を思うと少し無謀だったかと思う。それでも子供たちから逃げて行く感情は、妙に捨てがたい新鮮なものがある。
「今日は悪る親だねどっちも。」
「そうね。何だか、おかしいわ。」
 金錆汁の流れ出た駅までの泥路も、二人で逃げるのだと思うとそんなに遠くはないものだ。醤油と味噌と米とを下げているのに、それもそんなに重くはない。
「残った二人は、鬼のいない間の洗濯で、今夜はさぞ凱歌をあげることだろうな。」
「そうよ、嬉しくってたまらないでしょうきっと。」
 上り汽車はすぐ来たが非常な混雑だった。そこへ無理に捻じこむように妻を乗せ、遅れて私が乗ろうとすると、中から私の脇腹を擦りぬけて一人跳び出て来た小僧がいる。見ると次男だった。背後から肩をぴしゃりと一つ打って、
「おいおい。」
 跳び降りた次男は振り向いたが、そのときもう発車し始めた。
「おい。明日来るんだよ。」と私は云った。
 温海行をまだ知らぬ次男は何のことか分らぬらしくプラットに突き立ったままこちらを見ている。混雑と汽車の音で聞えぬらしい。顔が蒼くなっている。
「来るんだよ明日。」
 またそう云っても一層子供には聞えぬ風で、汽車は離れていった。

 温海へ着いたのは五時すぎだった。バスはどれも満員でやっと来たのは故障だ。雨の中をまた二人で歩いて滝の屋まで行った。もう真暗だった。この宿屋は戦前私たちは毎夏来たのだがそれから十年もたっている。私はこの温泉が好きで何度も書いたことがあるのに一度も名を入れたことがない。戦争で定めし荒れたことだろうと思っていたが、今さきまで海軍の傷病兵の宿舎にあてられて満員だったのが、今朝から開放されて空だということであった。部屋も川添いの良い部屋があてられた。
「あなたさん方が初めてのお客さんですよ。運の良いお方です。」
 と、主婦は云う。この主婦とも十年も見ないが一向に年とった模様はない。ともかく良かった。疲労でぐったりした上に空腹で動けない。薬品の匂いがぷんとするのでよく見ると看護婦部屋だったらしい。婦人の好きそうな覚悟を定めた和歌二三首が短冊で壁に貼ってある。妻がすぐ湯舟へ降りて行った間、服を脱ぐのも面倒でひとり火鉢に手を焙《あぶ》っていると、そこへもう電話があった。座談会をこれからすぐやるので是非出てくれとの文化部からの交渉である。宿へ坐ってからまだ十分もたっていないのに忽ちこれだ。佐々木邦氏が見えているので是非とのことだが、この今の場合のおつき合いは苦しく、夫婦揃って初めての夕食さえ出来ない歎息が出る。そこへ文化部の人が直接来てまた督促が始まった。「鶏を潰したのですよ。それを御馳走しますから――もう間もなく煮えるころでしょう。ひとつ今夜は、思うこと云いたいこと、何んだって云える時代になりましたから、云いたい会というのですよ。」
「云いたいことが、あんまり云えて、何も云えないでしょう。」
 と私は苦笑した。結局、この人にその場から引き立てられ連行された。湯から上って来た妻はぼんやりと見ているだけだ。今日の昼間、子供がプラットで私を見てぼんやり立っていたのと同じ表情だ。

 この座談会ほど馬鹿げた座談会に会ったのは初めてだが、それが一種の面白さだったというべきものも、またあった。
「今夜は鴨が来ましてね、急に夕暮から一羽の鴨がやって来て――」
 文化部の人の紹介の後、私は広間の寒い一隅に坐らせられ、この町のある医者の科学談を聴衆と一緒に聴かされつづけただけである。
「先日も岩波茂雄君が東京から私のところへ来ましたが、君のその話は面白いから、是非書けとすすめてくれました。」と医者は名調子で聴衆に対い、自分の原稿を立って読み上げる。およそ一時間、でっぷり太った栄養の良い赭顔で、朗朗たる弁舌の科学談だ。酔っている。とにかく人は今は酔いたいらしい。酔えるものなら何んであろうと介意《かま》ってはいられぬときかもしれない。
「浜の真砂は尽きるとも、真理の真砂は尽きぬであろうと云ったニュートンの偉大さ。あのニュートンは――」
 百人ばかりの聴衆は私と佐々木氏とに気の毒そうに黙り、しょぼしょぼ俯向いているだけだ。私はいつかこの医者が、盲腸患者の腹を切開したとき、鋏を腹の中へ置き忘れたまま縫い上げて、また周章てて腹を破ったが死んだという話を思い出した。これはこの地方で有名な逸話である。浜の真砂とひとしい多くの追憶の中に一粒の毒石があるなら、真砂の浜は血で染っている筈だろうが、科学上の磊落《らいらく》な過失というものは、東洋人、殊に日本人は滑稽な偶然事として赦す寛大さを持って生れているのかもしれない。この医者は流行している。
 会が終ってから、私を連行して来た人は私にこう云った。
「東北人というものは、どうしてこう馬鹿なんだろうか思いますよ。だって、東条、米内、小磯と三代も、一番馬鹿な、誰もひき受け手のないときに担がれて、まんまとその手に乗せられて総理大臣になる阿呆さ加減というものは、あったもんじゃありませんよ。みなあれは東北人だ。」
 私はまたそれとは別のことを考えていた。誰も逃げ廻るところを引き受けた誠実さを認めずに、他のどこをあの人人から認めようとするのかと。しかし、これは今後の問題でむずかしくなることの一つである。誰からも一大危機と分っているとき、逃げ廻る狡猾さと坐り込む諦念と。危機でなくともこれは毎日人には来ていることだ。今夜も私は襲われて鴨にされ、こうして十年目に巡って来た一刻の夫婦の夕さえ失った。宿へ帰ったときは妻はもう寝ていたが起きて来た。
「どうでした。今夜のここのお料理は、それはおいしかったですよ。」
「僕の方は、あの有名な医者が出てひとり演説だ。おれはあの人の科学談を拝聴しに行っただけだよ。」
 あの医者といえばもう分る。
「ああ、あの人ね、あの人ならそうでしょう。鶴岡にむかしいた人ですの。ほら、お腹の中へ、鋏を置き忘れたという人。」
 妻もすぐ思い出したと見え、そう云ってくつくつ笑った。妙な人気である。しかし、宿へ帰ってこうして落ちついてみると、不思議な面白さが湧いて来るのを覚え、後が愉快だった。実に田舎らしい頓間な空気の中に溶けこんだ、あの医者の粗忽な逸話の醸す酔いのためかもしれない。

 十一月――日
 子供たちは正午ごろどやどやと部屋へ這入って来た。すると、もう服を脱ぎにかかって湯へ飛び込む。先ず一ぷく、などということのないのが、ぴちぴち跳ねる鱗の周囲にいるように感じて、私の一ぷくが一層休息らしく思われて来る。久左衛門の妻女が持たせてくれたという食用の黄菊の花を沢山袋につめて来たので、温泉の湯口の熱湯で茄でて食べる。妻は番頭が持って来た新九谷の茶器の湯呑が気に入ったといっては、それを眺めてばかりいる。
「あたし、このお茶碗を見にだけでも、もう一度ここへ来たいわ。いいこと。ほら。」
 久しぶりに美に接した慶びでためつすがめつしているが、私は火鉢の炭火の消える方が気にかかった。昨夜文化部からお礼に届けてくれた酒一升も、もう酒を飲まなくなっている私には興少く、誰かこの酒と煙草とを交換してくれる客はないものかと、番頭に訊ね廻らせてみたが駄目だった。ここでは酒よりも煙草の方が少いと見える。午後から冷えて来て寒い。

 十一月――日
 朝の十一時のバスで帰ることにした。妻はまだ宿の湯呑茶碗と別れることを惜しがって、立ちかねているのが、おかしくあわれだ。
「こっそり一つ譲ってくれないものかしら、東京にだって、こんなのないわ。」
 掌の上へ載せてみては、買えるものなら幾ら高価でもいいと呟いている。
「譲ってくれないなら、一つだけこっそり貰って帰ろうかしら。」
「おいおい、盗るなよ。」
「まさか。」
 ふざけて、そんなことを云ってみたりまでしているが、私にはそれほど魅力もない茶碗だ。妻はやっと部屋の隅へ五つ揃えて茶碗を片づけてから、
「さア、行きましょう。」と云って立った。
 バスの待っている方へ歩きながら、私は、まだそれほど一つの茶器に執心する感動を失ってはいない妻から、ある新鮮な興味を覚えて、妻とは別の感動に揺られていた。私はまだ長い疎開生活中それほど執心したものは一つもなく、僅に村里の人人の心だけ持ち去りたい自分だと思った。しかし、これで私は、今まで会って来た多くの人人の心をどれほど身に持ち廻っているかしれないと思った。自分という一個の人間は、あるいは、そういうものかもしれないのである。自分というものは一つもなく、人の心ばかりを持ち溜めて歩いている一個の袋かもしれない。私の死ぬときは、そういう意味では人人の心も死ぬときだと、そんなことを思ったりしてバスに揺られていた。このバスはひどく揺れた。一番奥まった座席にいるので押し詰った人の塊りで外が見えず、身をひねってちらりと見ると、外では、高い断崖の真下で、浪の打ちよせている白い皺に日が耀いていた。屈曲し、弾みがあり、転転としていく自分らのバスは、相当に危険な崖の上を風に吹かれて蹌踉《よろ》めいているらしい。
 水沢で降りたのが二時である。小川の流れている泥路に立って、そこで四人が握り弁当を食べることにした。指の股につく飯粒を舐めて、一家をひき連れた漂泊の一生をつづけているような、行く手の長い泥路を思うと、ここで荷を軽くして置く必要があったからだった。
 どの田の稲も刈られている。見渡す平野の真正面、一里の向うに私たちの今いる姿の良い山が見える。そこまで一文字の泥路を歩くのだが、三日も見ないとやはりもう懐しくなっている荒倉山である。位のある良い山の姿だと思った。

 十一月――日
 朝起きて炉の前に坐った。ふといつも眼のいく山の上に一本あった楢《なら》の樹が截られてない。百円で売れたのだという。もう渡り鳥の留るのも見られなくなることだろう。

 夕暮から薄雪が降って来る。洗いあげた大根の輪に包まれた清江がまだ水の傍に跼んでいる。どの家も大根の白さの中に立った壮観で、冬はいよいよこの山里に来始めたようだ。背をよせる柱の冷たさ。二股大根の岐れ目に泌みこむ夕暮どきの裾寒さ。

 十一月――日
 見知らぬ十八九の青年が来たので、留守をしている私が出た。身だしなみの良い、眼が丸く活き活きした青年だ。私は用を察し奥から借用の洋傘を持って来てみた。
「これでしょう、家のものがお借りしたの。どうも、どうも。」
 先日、駅から雨の中を傘なしで妻と子供が帰って来たとき、後から来た見たこともない青年が、絹張りの上等の洋傘を渡した。そして、さして行けといってきかないので借りて来たが、名をいくら訊ねても隣村のものだというだけで云わない。傘は自分の方から取りに行くといって私たちの住所だけ訊ねたということだった。今どき知らぬ他人に名も告げず、上等の洋傘など貸せるものではない。この青年の眼には、そんな危険を逡巡することなくする立派な緊張があって、美しく澄んでいる。私から傘を突き出された青年は、「そうです。」と云っただけで、名を訊ねても答える様子もなく、ようやく、「松浦正吉です。」と低い声で云うと、礼など受けつけず、すぐ姿が見えなくなった。文明を支えている青年というべきだ。間もなく東京へ帰ろうとしている私には何よりの土産である。私がもしこの青年に会わなかったなら、東北に来ていて、まだ東北の青年らしい青年の一人にも会わなかったことになる。健康な精神で、一人突き立つ青年があれば、百人の堕落に休息を与えることが出来るものだ。

 夜から雪が積った。

 十一月――日
 鳥海山も月山も真白である。東北に雪の降るのを見るのは私にはこれが初めてだ。もう長靴がなくては生活が出来ない。午後、菅井和尚が見え、釈迦堂で農会の人たちと座談会をしたいから出席せよとの事だ。私は承諾してから松浦正吉君について和尚に訊ねた。正吉青年は横浜の工場から帰国後、村の因循姑息な風習を見て慨歎し、何とか青年の力で村を溌剌たらしめたいと念じている一人だとの事だが、どこから手をつけて良いのか企画の端緒が見つからない。和尚も青年たちの情熱には大いに賛成らしく、このままあの青年たちを腐らせたくはないという。
 和尚の帰ったあとで、参右衛門は、青年たちの新しい意気についてこういう。
「あんな、十九や二十のあんちゃんら、何にやったて、駄目なもんだ。ふん。」
 これは五十歳前後の年齢線のいうことだが、村では、五十歳の壮年でも実権は彼らにはなく、先ず六十歳から七十歳の老人連で、それも村一番の地主の弥兵衛の家の、八十になる長老一人にあるらしい。
「あの人がうんと云わねば、何一つ出来やしない。他のものらは、一升でも二升でも、ただ余けいに取ろうと思うてるだけなもんだ。その他のことは、何にも分りやせん。」
 落葉の降り溜るように、それはそのようになってきたものがあったからだろう。その他のことを要求するには、正吉青年のようにするだけのことをしていこうとしなければならぬ。私の妻に洋傘を貸したのもその発心の顕れであろうが、たしかに日常時のこのような些細なことから初めて落葉は燃え、土壌は肥料を増していくのだ。

 長老のこの弥兵衛の家の中は混乱している。妻女は後妻だが、私のところへこの婦人は魚を売りに来ることがある。前には由良の利枝と同村で料亭の酌婦をしていたのを、長老の漁色の網にひき上げられて坐ってみたものの、一家の経済の実権は六十過ぎの先妻の息子にあるから、こうして由良から魚を取りよせひそかに売り貯えているらしい。一見しても、格式ある立派な老杉が周囲をめぐっていて、神宮のような建物の長老らしい家である。そこから隠れて魚を売りに出て来る後妻の、でっぷりと肥えた皮膚の下に、むかしの生活の澱《よど》んだ憂鬱な下半白の眼は、幸福ではなさそうだ。長老はまた後妻の代りのも一人立てている風評も、杉木立の隙から私らの耳にもれて来ている。参右衛門の末の娘はこの家に奉公しているが、前には、弥兵衛と同格の名門であった彼のこの没落には、人の同情を誘ういたましいものはない。むしろ、人を失笑せしめる明朗なものがあって、そこが参右衛門の味ある人柄というべきところだろう。
「何んという阿呆かのう参右衛門は。遊んでばかりいて、飲んだくれて、家をこんなに潰してしもて。」
 叔母にあたる久左衛門の妻女のお弓がこういうのも、言葉の裏の対象には、いつも弥兵衛の家が隠れている。祭日には参右衛門の末の娘はここから自分の家へ帰って来る。そして、餅など食べているのを私はよく見るが、今夜は家で泊って行きたいと娘が云うときも、
「お前は奉公してるんだからのう。やっぱり、大屋さんへ帰って寝るもんだ。良いか、今夜は帰れよ。」
 と、参右衛門はこう静に娘をさとしている。娘は泣き顔で戻って行くが、負けん気の参右衛門も、このようなときは、さすがに声は低く娘に詫びを云うように悄気ている。殊に、後三四日もすれば、別家の久左衛門の十九のせつ女の結婚式が迫っているからには、十七の自分の娘の身の上も、そろそろ考えてやらねばなるまい。私は出来る限り、同じ金銭を落すものなら、ここの家へ落して帰りたいと思っているのだが、
「おれは金はいらん、あんなものは――」
 と、久左衛門への対抗か、むかしの旦那風の名残りは、手出しの仕様もない。実際、金を少しは欲しがってくれる人間もいてくれねば、不便なことが多くて困るものだ。私たちはこの参右衛門の家にいて、まだここから一升の米さえ買っていない。無論、貰ったこともない。

 十一月――日
 突然のことだが、意外なことが起って来た。東京から農具を買い集めに来た見知らぬ一人の男が、参右衛門の所へ薪買いに来て、東京へ貨車を買切りで帰るのだが、荷の噸《トン》数が不足して貨車が出ない。誰か帰る者の荷物を貸す世話をして貰いたいというのだ。そこで私たちにその荷の相談があった。その客というのは、私も知らないばかりか参右衛門も知らない。まったく知らないその男の荷として、私の荷物を送る冒険譚になって来たのだ。しかし、このような雪ぶかい中から私らが動き出すためには、こんな唐突なことでもない限り容易に腰は上りそうもない。先ずその客という人間にひと眼あい、私は人相で決めたいのだが、荷を積み込む日は後三日の中だという。

 しかし、私にはまた妙な癖があって、人の運命というものは人から動いて来るものだと思えないところがいつもあるのだ。もう、そろそろ帰らねばならぬときだと思っているときに、まったく偶然こんな好都合な話が持ち上って来たということは、人よりもその機縁の方を信じる癖で、私はもう客の人相よりそれ以前の事の起りの方に重きを置いて考えている。これは、ひょっとすると荷を動かしてしまいそうだという気がする。何ものにも捉われぬ判断力というものは有り得るものかどうか。私は自分の癖に捉われている。これは生理作用だ。
「その薪買いの客という男を、お前は見たのか。」と私は妻に訊ねた。
「一寸見ましたわ。」
「信用は出来そうか。」
「そうね。悪い人ではなさそうでしたね。でも、何んだか、そわそわばかりしていて、ちっとも落ちつきがないんですのよ。何んだってあんなに、そわそわばかりしてるんでしょうかしら。それが分らないんですの。」
「じゃ、人は善さそうなんだね。」
「ええ。そんな変なことしそうな人じゃありませんでしたわ。」
 よし、会おう。明日もう一度来るという。そろそろ荷物の整理をし始めるよう私は妻に頼んだ。このような渡りに船のことを、むかしは仏が来たと人人は思ったものだが、そう思えば、明日この人に会うのが私には楽しみだ。私もこの地のようにだんだん鎌倉時代に戻っているのであろう。

 十一月――日
 十時に例の客が蓑を着て来た。私のこの仏は、三十過ぎのビリケン頭をした、眼の細く吊り上っている、気の弱そうな正直くさい童顔の男であった。大きな軍靴を穿いているところを見ると復員らしい。円顔で、おとなしい口もとが少し出ていて、疑いを抱かぬまめまめしい身動きは、なるほど、こんな仏像は奈良や京都の寺でよく私は見たことがある。炉に対いあっている間も、私に見詰められるのが辛そうな様子で、絶えず横を向いて話している。
「これから東京への土産に荷車を買いに行くんですよ。それから羽黒へ行って、帰ってから大山へ廻って――何が何んだかもう分らない、急がしくって――」
 こういうことを云うときも、そわそわし、ひょこひょこしつづけている。客の今日一日に歩き廻る円囲を頭に泛べてみても十五里ほどの円だ。私はこの人を仏だと思ってみていることが、何んだか非常に面白くなって来たようだ。
「一日で出来るのですか、そんなこと。」と私は訊ねた。
「この間まで兵隊へ行ってたものだから、まア、こんなことはね。東京へ帰って百姓をしなくちゃならんものだから、農具を買い集めているんですよ。なかなか無くってね、それに有っても高いことをいう。」
 とにかく、生れはこの近村で自分は養子であること、養父が火燧崎に来ているから、一度荷物の相談をその人としてくれと客は私にいう。菅井和尚から貰った小豆餅《あずきもち》を出すと、喜んですぐ食べた。積みこむ荷の整理から買い集めまで一切この人一人でやるらしく、瞬時の暇もないらしい多忙さは気の毒なほどである。
「私は荷と一緒に東京へ帰りますが、またすぐ、もう一ぺん引き返して来るんですよ。」と客はいう。
 この混雑の列車の中を、帰るだけが私にやっとだが、この人は、私のやろうとすることの十数倍のことをやろうとしている。帰って行くときのこの客の後姿を見ていると、横っちょに引っかけた蓑が飛ぶような迅さだ。あれなら十五里は今日中にやれそうだと思った。

 私は小一里もある野路を火燧崎まで出かけた。山裾の入り組みが田の中へ複雑な線で入り浸っている。行く路はそれに随い海岸のように曲りうねっていて、霙《みぞれ》の降っているその突端の岬に見える所が火燧崎だ。このあたりは古戦場だから多分ここから火を打ちかけたものだろう。家の一軒もない泥田の中に、ぼつりと一つ農家があり、それが温泉宿で、一ヵ月も水を変えない沸し湯のどろどろした汚れ湯が神経痛によいという。泥のような中から裸体の農婦の背中や腰が白い肌を見せている。そこの勝手元に私の訪ねる人は、どてらを着て炉の前に坐った六十過ぎの男であった。眼のぎろりと大きい、養子とは反対の太っ腹なむっつりした男で、垢と泥とでどす黒く見える懐の中から、すっきりとした外国製の煙草を一本抜き出した。悪く見ると山賊の親分で、善く見ると大道具の親方という風貌だが、向うも相手を誤ったと思ったらしく、不機嫌な様子で押し黙っている。背景の宿が宿で、私はまだこんな温泉宿というものを見たことがない。泥宿めいた混雑の中にこうしている男が、私の荷主になるのかと思うと、少し私も躊躇した。誤れば私の財産の半分はこれで失うのだ。
「荷物が東京へ着いてから、私の家まで運送するのが面倒で、それに困っているのですがね、運送屋をお世話願えませんか。」と私は云ってみた。
「ええ、しましょう。」と、一言ぼつりという。
 それだけだ。一つ東京の住所をここへ書いて貰いたいと私は云って手帖を出した。男は鉛筆を受けとりすらすらと名と住所とを書きつけた。意外に良い字だ。悪い男はこのような字を書けるものではない。私は多少それで、この男は見かけによらぬ善良な人物だと信用する気になった。
 貨車賃を等分にし、駅までの運搬その他、必要事項を定めるときにも、
「貨車賃は要りませんよ。どうせ、わたしの方は送るついでですから。」とそう男がいう。
 炉の中で枯松葉が良い匂いを立てている。その匂いがまた善かった。私は帰ろうとして立ちかけると、
「米は?」と男は訊ねた。
「米は入れてないですよ。」
「どうして?」いぶかしそうにまた訊ねる。
「買う暇もなし、何とかなるでしょう。」
 男は前にいる宿の主人と顔を見合せて黙っていた。貨車に荷を積み込むときや、着いてからまた荷別けのとき、その他私らの立会いでするべきことも、皆私はしないつもりであるから、荷の目標《めじる》しをしておかなければならぬ。
「荷の着くころ私は東京へ行ってるつもりですが、ひと先ずあなたのお宅へ私のも預けてもらえませんか。それでないと、東京の方の運搬事情は、終戦後どうなっているか、さっぱり僕には分りませんからね。」
「そうしときましょう。」
 これも不安なほど簡単だ。とにかく向うにとってはどうでも良いことばかりだが、私にとっては運命のある部分を賭けたようなものである。乗ったが最後ひき摺られ通しは私の方だ。しかし、人の人相は戦争でみな悪くなっているので私は字の方を信用する。これなら私はあまり今まで間違ったことはない。

 薄雪が沼の上に降ってくる。私は自分の荷物を失うまいとして、人を仏と見ようとしている自分の利己心について、沼の傍の路上を歩きながら、ときには利己心も良いものだと思った。もし私にこんな利己心がなかったら、一生、人をただの人間とばかり思いつづけたかもしれない。それにしても、人間を人間と思うことは誰に教わったことだろう。そして、これがそもそも一番の幻影ではないのか。自分というものが幻影で満ちているときに。まことに、我あるに非らざれど、という馬祖はもうこれから脱け出ている。しかし、私はこの幻影を信じる。二者選一の場合に於ても、つねに私は自分の排する方に心をひかれる小説家だった。たしかに私は賢者ではない。万法明らかに私の中にも棲みたまう筈だのに、私は愚者にちかい。
 断《き》り通しの赭土の傍に立って私は火燧崎の方を振り返ってみた。僧兵の殺戮し合った場所は、あのあたりから、このあたりにかけてであろうが、念念刻刻死に迫る泥中の思いにも薄雪はこうして降っていたことだろう――

 十一月――日
 荷は十一包みも出来あがった。参右衛門が縛りあげてくれたものだが、日ごろの習練が効きすぎどれも米俵のようになる。
「じゃ、あたしたちも、いよいよ帰るのね。」
 妻は荷を見ながら名残り惜しげだ。喜んでいるのは子供らだけである。私もさみしい気持ちでがらんと空いて来た部屋の中を見廻した。鯉もふかく水中に沈んでいる。
「毎年いくら飼っても盗まれるんだが、今年はお前さんたちがここにいるので、鯉も盗まれずにすんだのう。」
 と参右衛門は云って喜んだ。彼は私の注文した薪を取りに山へ清江と二人で出かけて行く。東京の留守宅から手紙が来た。食い物の入手の困難なこと、強盗がさかんに出るので帰ることを見合すようにと書いてある。もう遅い。しかし、妻はその手紙を見て急に恐怖を覚えて来たらしい。
「いやね。東京強盗ばかりですって。」
「しかし、もう駄目だ。」
「火燧崎の人、どんな人でしたの。大丈夫かしら。」
 東京から来ているということで、火燧崎まで強盗に見え出して来るのも、今は輸送の安全率が皆目私らには見当がつかぬからだ。現に預金帳の握り潰しで半年以上も苦しめられた直後である。その無政府状態の真っただ中へ、見も知らぬ人の荷物として投げ出すこれら私の荷の行衛については、考え出せばきりなく不安だ。一点たりとも安心出来る部分はどこにもない。しかし、疑心群れ襲って来る怪雲のごとき底から、じっと澄み冴えて来るのは正しい彼の書体であった。それだけは、打ち消しがたくしっかと何かを支えている。篆刻のごとき美しさだ。あれが生の象徴だ。私は東洋を信じる。日本を信じる。人みな美し、とそう思った。
「大丈夫だよ。この荷物は無事に着く。」と私は云った。
「そうかしら、でも、一つ無くしてももう買えないものばかしですのよ。」
「いや、大丈夫だ。」

 久左衛門が来た。そして妻にこう云う。
「せつの結婚式が明日なもので、急がしゅうて来れなんだが、何んでも、お前さんたち知らぬものに荷物を頼んだいうことだでのう。心配で見に来た。そんなことはせん方がええぞ。せっかく今までおれはお世話して来て無事だったのに、今になって危いことがあっては、おれも困るでのう。」
 とにかく、急なことで一言の相談もせず荷を造ったことは、重重失礼したと妻は詫びを云った。私はまた彼にそんなことを云い出せば、せっかくの参右衛門の好意をもみ消しそうで、この二人の間に挟まれての行動は、目立たぬところでうるさいことの多かったのも、今までから度度感じていた。
「うまくいけば良いがのう。おれも知らん人間だぜ。大切な品物は出さん方がええ。参右衛門も知らん男だというから、どうしたことでそんなことするものかと思うて、それが心配での――」
 たしかに久左衛門のいうことは道理である。このこととは限らず、私たちを彼はひどく愛してくれており、特に私に示してくれた彼の愛情にはなみならぬものがある。

 人を見ると、直ちに自分の利益になる人間かどうかを直覚して、それから人を世話するのが久左衛門の悪癖だと、隣人からそんな批評を浴びせられているのも私は知らぬこともない。参右衛門が私たちに冷淡な様子を示すのも、久左衛門への礼儀もあるであろうが、反感もこれでないとは限らない。しかし、人を見て、打算に終る人物としてみても、久左衛門は少し私は違っていると思っている。彼の打算は彼自身の生活の律法で、その神聖さを彼とて容易に犯すことは出来ぬ。しかし、久左衛門にとっては愛情はまた律法とは自ら別物に感じているところがある。用談の際の駈け引き、応対の寛容、瞬時に損得を見極めたリズムある美しい要点の受け応え、不鮮明な認識の流れはそのまま横に流して朦朧たらしめる訥弁《とつべん》で、適度の要領ある次ぎの展開の緒を掴む鋭敏な探索力など、彼の政治力は数字と離れて成り立たないものだ。それも緩急自在な芸術性さえ備えている。その稀な計算力の才腕には、たしかに天才的なところがあって、周囲のものにはただ打算に見えるだけの抜きん出た悲劇性さえ持っている。
「おれの悪口をみなは云うが、おれが死ねば何もかも分る。」
 こう久左衛門が云うところを見ても、彼なら、分るようにしてあるにちがいあるまい。彼は、この村で農業というものにうち勝った唯一の人物だ。その上、私に神のことさえ口走ったのは打算でいう必要などどこにもない。まさか神まで私に売ろうとは彼とて思ってはいなかろう。
「神は気持ちじゃ、人の気持ちというものじゃ。」
 六十八年伝統との苦闘の後、ついに掴んだ久左衛門の本当の財宝はそういうものであったのだ。後はただ死ねばもう彼は良いのだ。

 十一月――日
 雪が舞っている。私の荷の出る時間が迫って来た。結婚式のある久左衛門の裏口から出て来た参右衛門は、袴をつけたまま、荷物を荷馬車の上に舁《かつ》ぎこんだ。馬子が手綱で一つひっ叩くと、鬣《たてがみ》を振り上げた馬は躍り上り、車が動いていった。私の荷は薄雪の中に見えなくなった。人より荷の方がつよく生きぬいて来たように見えるのは、どうしたことだろう。私は雪の中に立って轍の音の遠ざかるのを淋しく聞きながら、家の中へ這入った。

 せつの式は新庄の婿の家で挙げられている。久左衛門の宅では留守式で、清江や私の妻は手伝いに行ききりだったが、夜になって、祝いが崩れ、乱酔した参右衛門の声が炉端から聞えて来た。妻や子供たちは恐れをなして早くから寝た。酒乱癖の彼の酔った夜は、清江はあたりの物をすべて取り片附けて傍へは近よらない。鉄瓶《てつびん》、薬鑵《やかん》、どんぶり鉢、何んでも手あたり次第に清江に投げつけ、「出て行け、帰れ。」といいつづける参右衛門の口癖も、今夜は結婚式で上機嫌に歌を謡っている。袴をつけた大きな顔をにこにこさせ、暫く皆を笑わせてはいるが、後はどうなるものか分らない。
「参右衛門が酔ったら、そっと座を脱して下されや。恐ろしい力持ちじゃ。おれはあれから殴られた殴られた。」
 と、こう私に注意した久左衛門のこともある。子供たちが参右衛門の下手な歌を面白がってときどき蒲団から頭を上げるが、
「そうら、来るわ。」と妻に云われると、ぺたりとまたすっ込む。
 しかし、隣家が結婚式だと思うと、誰でも自分らのそのときの事を思い出す。おそらく参右衛門の酔いにも、清江の幻影が泛んだり消えたりしていることだろう。二人は同級生で、卒業式の写真の中に一緒に二人の写っていたのを私も見た。
「これ、こ奴がおれの女房になろうとは、思わんだのう。それに、こ奴が――」
 そう云っては幾度も突ッついた跡が、写真の清江の顔にぶつぶつとついている。家を飲み潰し、妻子を残して樺太へ出稼ぎに十年、浮き上ろうにもすでに遅い、五十に手の届いた私と同年の参右衛門の幻影は、節の脱れた鴨緑江節に変っている
「朝鮮とオ、支那とさかいの、あの、鴨緑江オ――おい、おいお前もやれよ。やれってば――」
 足をばたつかせて清江にいう参右衛門も、ここの炉端で一人児として生れ、旅をして、またもとの生れた炉端で前後不覚に謡っている。暴れようと投げようと、人の知ったことではない。どう藻掻こうと鍋炭のかなしさは取れぬのだ。外では雪が降っている。
 深夜になってから参右衛門は寝室へ這入った。そこは私の寝ている部屋と杉戸一枚へだてているだけで一層私に近くなった。彼の足の先は私の頭のところにありそうだが、寝てくれて静まったと思うと、またすぐ彼は歌を謡い出した。それも炉端のときと同じ歌のくり返しで私は眠れないが、同年のおもいは年月の深みに手をさし入れているようで、彼の脈の温くみが私にも伝わって来る。
「もっとやれ、いいぞ。」と私は云っている。
 自分らの青春の夢は、明治と昭和に挟み打ちに合った大正で、以後通用しそうなときはもうないのだ。
「朝鮮とオ、支那の……流す筏《いかだ》は……おい、お前やれよ、おい、やれってば。」
 呂律《ろれつ》の怪しい歌を一寸やめては、参右衛門は清江の枕を揺り動かすようだ。それが二三度つづいたときだった。
「おおばこ来たかやと……
 たんぼのはんずれまで、出てみたば……」
 清江の歌が聞えて来た。彼女の眼のような、ふかい穏かに澄んだ声である。それも、もう羞しそうではなかった。参右衛門は、よもや清江が歌うまいと思っていたらしく、この予期に反した妻の歌には虚を衝かれた形で、暫くは彼も音無しくしていた。が、「うまい、うまい、うまい。」と、急に途中で云って彼は手を叩いた。しかし、もう清江は、そんなことなどどうでも良いという風に、
「おばこ来もせず、用のない、
 たんばこ売りなど、ふれて来る。」
 おそらく清江の歌など聞いたのは参右衛門も、初めてなのではあるまいかと、私は思った。およそ歌など謡いそうに思えぬ清江である。清江が謡いやめると参右衛門は自分も一寸後から真似て謡ってみたが、これはダミ声でとても聞けたものではなかった。彼はまたすぐ清江にやれやれと迫った。すると、また清江は謡った。
 夜半のしんとした冷気にふさわしい、透明な、品のある歌声だった。調子にも狂いが少しもなかった。静かだが底張りのある、おばこ節であった。それも初めは、良人を慰めるつもりだったのも、いつか、若い日の自分の姿を思い描く哀調を、つと立たしめた、臆する色のない、澄み冴えた歌声に変った。私は聞いていて、自分と参右衛門と落伍しているのに代って、清江がひとりきりりと立ち、自分らの時代を見事に背負った舞い姿で、押しよせる若さの群れにうち対《むか》ってくれているように思われた。
「うまい、うまい、うまい、うまいぞオ。」
 と、参右衛門は喜んでまた手を叩いたが、暗闇で打ち合わす手は半分脱れていた。しかし、そうなると、謡い終った清江を参右衛門はもう赦しそうになかった。清江は彼にせがまれてまた謡った。
「朝鮮とオ、支那とさかいの、あの、鴨緑江オ――」
 鴨緑江節となっては、参右衛門ももう我慢が出来なくなったらしく、「流す筏は……」その後を今度は夫婦揃ってやり始めた。私もひどく愉快になった。そして、もうこのまま一緒にこの良い夜を明そうと思い、隣室で寝ながら二人の歌を愉しく聞いた。若さがしだいに蘇って来るようだった。

 十二月――日
 雪が積っていてまだ歇《や》まなかった。私は筧《かけひ》の水で顔を洗い終ってからも昨夜のことを思うと、石に垂れた氷柱の根の太さが気持ち良かった。久しく崩れていた元気も沸いて来た。今日の午後から農会の人たちと釈迦堂であうことになっていたのが、それが先日から気がすすまずいやだったのも、よし会おうと乗り出る気にもなったりした。
 私は三ヵ月ぶりに手鏡を前に剃刀をあててみた。刃のあとから芽の出て来る姿勢で、雪にしだれた孟宗竹のふかぶかした庭に対い、私はネクタイの若やいだのを締めてみた。
「いつまでも、こうはしちゃおれぬからね。」
 ふと私は意味の分らぬことを妻に口走った。先からの私の素ぶりで妻は何か察したようだった。
「そうですよ。まだお若いんですもの。そのネクタイはあたしも好きですわ。」
「これか。」
 これはハンガリヤで一人の踊子、イレエネといったが、その娘からいま妻が洩したのと同じような口ぶりで、賞められたことのあるネクタイだった。あのダニューブの夜は愉しく私はイレエネから、手を取られて習ったハンガリヤの踊りの足踏みをつま先に感じ、攻め襲って来るような雪の若い群れを見渡しながら、用意はこちらも出来ている自信で私は穏かになった。そして、いよいよ自分の出番になったと思った。一陣は参右衛門で昨夜は失敗、次ぎが清江でこれは立派な成績、その次ぎが私のこれからだった。眼ざす私の舞台は漠として分らなかったが、それは今日の農会の人の集りのようでもあれば、強盗横行の東京のようでもあり、そのどちらでもない、荒れ狂った濁流の世の若さが、今見る雪の飛び交うさまに見えたりしているようでもあった。

 午後家を出てから長靴で、雪を踏むときも、つねになく私は元気であった。釈迦堂まで行く参道の両側の杉が太く雪の中に幹を連ねて昇っている。石畳のゆるい傾斜の途中に山門が一つあって、左手に谷のように低まった平野が雪で掩《おお》われている。いま私の会おうとしている人たちは、この広い平野全面の村村に設計を与え、実行に押しすすめ、危機に応じる対策を練り、土地と人との生活の一切に号令を下している本部である。私と何の関係もない人人であるが、私はこの健康な人人の意志の片鱗をただ一言覗けば良い。この人たちの私に需めるものは、おそらく批評であろう。それらの人人の失望することは疑いないが、私にはただ利益あるのみであった。

 集りは本堂の北端にある和尚の書院だ。清潔な趣味に禅宗の和尚の人柄が匂い出ていて抹香《まっこう》臭なく、紫檀《したん》の棚の光沢が畳の条目と正しく調和している。正面の床間の一端に、学生服の美しい鋭敏な青年の写真が懸けてある。私はそれを振り仰いで伊藤博文に似た貌の和尚に訊ねると、長男で電信員として台湾へ出征中、死亡の疑い濃くなって来ているとの事である。すでに私は大きな悲劇の座敷の中央にいつの間にか坐っていたのだ。
「しかし、台湾なら、まだ……」
 と、私が云いかけると、
「いや、途中の船でやられたらしいのです。調べて貰いましたがね、もう駄目なようでした。」
 朝からの若やいだ私の気持ちが急にぺたんと折れ崩れて坐った。背面の山のなだれが背に冷え込むのを覚え、襲って来ている若い時代が傷つき仆《たお》れた荒涼とした原野の若木に見えて来た。今さらここで何の批評の口を切ろうとするのだろう。私はもう昨日の深夜、雪を掘り起した底かち格調ある歌を聞いてしまっている。あれが時を忘れた深夜の清江の祈りではなかったか。
 谷間から暗く夕暮れが来て人も揃った。私の横に村長、その横が前村長、順次に左右へ農会の技師、みなで十人ばかりの人たちだが、寒さは寺の畳の冷えからではなさそうだった。公益を重んじて来た老人たちの眼の冴え光っている慎しさに、しばらく部屋が鳴りをひそめ焙《あぶ》る手さきだけ温かい。そのうち膳部が出た。一番悲しみの深い菅井和尚が一番暢気な笑いを立てて、適当な話を出しているが、地平より高く巻き返して来ている災厄の津浪を望んで、目下の方寸誰が何を云えようか。も早や一座の人人は、何もかも知りきっているその後の会話で、今夜は私を慰めてやろうという好意ある会合と分った。
 清酒が温まる程度に出て、刺身、いくら、鳥雑煮、しるこ、等、禅堂の曇らぬ美しい椀と箸の食事となって、切り口を揃えた菜の青いひたし物が雪の夜の歯を清めた。私は本当にこの食事に感謝した。感謝のしるしに何か、と思うと、何もないかなしさに瞬間襲われたが、また胸中駈けめぐって見ても何もない。ほッとそのとき出て来たのが、
「昨夜は面白かったですよ。深夜にね。」
 という醜態になった。ところが、この参右衛門夫婦の短い昨夜の饗宴の話は、ひどく皆を慶ばせた。特に老人たちは一層慶びにほころび、和尚はたいへんな感動の仕方で、
「それは珍らしいお話だ。ふむ、それは良いところを御覧になりましたね、ふーむ。」
 と云うと、それから話に花が咲き始め、座は急に賑かになっていった。

 これらの雑談の中で、いつも黙っていた一人の農業技師だけは笑わなかった。参右衛門夫婦の話は、老人でなければ興趣の薄らぐ種類にちがいないが、若いこの技師の胸中で鳴りつづけていたものは、他にあった。この人は一言何かぼつりと口を開くと、同じことばかりを繰り返した。
「目下農家に行わせることは、ただ一つ、三度の米の食事を二度にして、中の一度だけ何か米より美味いものを作らせ、これを代用にする、そして、一食分だけの米を増やすことですが。」
 技師にとっては、平野を隅から隅まで点検してみた結果の行い得られる緊急の処置は、これだけらしい口調だ。おそらくそうだろう。
「しかし、米に代る美味いものというと―――」
「まア、麦でしょうが。」
「しかし、それは米には敵わぬでしょう。」
「そうだと困るのですが。しかし、まア、それよりありませんから。」
「しかし、現在の状態で、麦にしたって、これより以上の収穫を上げるということは、出来るものでしょうかね。」
「出来ませんね。ですから、一ヵ村につき五町歩平均に新しく開墾させる計画をしております。そして、そこへ麦を植えさせます――」
「五町歩ならどこも可能なわけですか。」
「それは出来ます。」
 具体的な実行案が出来ている以上は、もう中心の話題はこれで済んだことになる。その他の話題は――鹿爪らしく切り出せば、土地整理問題、耕作地の半分は地主の所有地であるこの村の小作状況、それに起って来る経済の問題。そして、これらが日本経済の枠の中から商工業に引摺られ当然に転換せられる世界経済の波の中での浮き沈み、ということなど、予想はどこまでも切りがない。しかし、私の云う可からざることで、ひそかに知りたいと思うことは、まだ生じていない農民組合の卵のことであった。いずれこの村にもそれはちかく発生して来ることだけは確実だ。この組合を作る卵の敵とするところのものは、当然地主の多い今夜のここの集りとなることも必然的なことであろう。それならいったい、それはこの平野の中のどのあたりから発生して来るものだろうか。卵はいつでも自分が卵であることを知らずにいるものだが、おそらく、それはあの傘を私らに貸してくれた、正吉青年たちの集りではなかろうか。いずれにしても、農会が開墾に着手するのもその組合のまだ発生しない今のうちである。
「あなたはこの村を御覧になって、どういうことをお感じになりましたか。」
 いよいよ来た私への最初の老人の質問だった。直せば直る水質の悪さ、絶景を放置してある道路の悪さ、牧畜への無関心さ、など幾らか私にも感想はあった。
「しかし、今は細かいことは、申し上げられないですね。何ぜかと云いますと、私は農業にくらいばかりじゃなく、現在の農業は素人眼にも、抜き差しならぬ集約状態の飽和点に達しているように見受けられるものですから、一ヵ所を改革すれば、全面的に微妙な変化を及ぼしていくのじゃありませんか。しかし、現状のままのとき先ず最初に用いる農具として新しい機械が一つ入用という場合、これはいずれ必ず起ってくる問題でしょうが、ここではどのような機械なものでしょうかね。」
 答えはなかった。私の質問は少し難問すぎるきらいはある。しかし、どんな政府が出現して、どのような革命が来ようとも、遅かれ早かれこの問題だけはさし迫って来ることだ。
「三食を二食にして、中の一食だけ米を抜く、その代りにいま何を作るかということで――」
 と、農業技師はまた云った。これが出ると尤もすぎて話はそこで停止する。実際、今はこの技師の云うこと以外、無益なことばかりだからだ。
「私は役場のものですが、私は文化を農村へ注入したいのですよ。それにはどういうことが良いと思われますか。」と、一人の若い剽悍《ひょうかん》な人が訊ねた。
「それは私からもお訊ねしたいことですが、文化の中のどういうことを、ここの人人が一番求めているのか、それも僕の知って置きたいことの一つです。実は何もそんなものを、欲しいとは思っちゃいないのかも知れないのだし、入らざるものを注入して、やたらに都会化させるということは考えねばならぬと思うのです。いったい、欲しがっているのですか村の人人は。私のいる隣家のお神さんは、休日が二日つづいたら、あーあ、退屈だのうと、独り言いってたですよ。」
「私の文化を注入したいという意味は、つまり、人が団扇《うちわ》を使っているときに、それはただ暑いから使っているんじゃなくて、それは一種の風流なことだと思わせたい、いかにも心に余裕のある、ゆったりしたことだと思わせたい、そういった風な意味なんですよ。」
 なるほど、その表現の仕方は、郷土を愛しているものでなくては云えない深さから出て来ているものだと私は感心した。
「とにかく、それにしても、労働時間が長すぎて、過労している風ですね。働きすぎるんじゃないですか。」
 こう云いながらも、私はわが国の農業は労働教という一つの宗教だと思った。そしてこの神は米だ。西洋の農業は遊牧教ともいうべきもので、この神はあるいは音楽かもしれないと思ったが、それだけは大胆にすぎ私は口へ出すのをさしひかえた。
「アメリカの農業専門家が日本の農業の視察に来たときの感想は、こんなの、これは農業じゃない園芸だといったそうですよ。一本一本手で草をひいてるのを見ちゃ、笑わざるを得ないでしょうからね。アメリカの俘虜に名古屋の一番大きな工場を見せたら、これは工業じゃない手工業だと云ったともいいます。しかし、そういう外国と日本との違いは、農業と工業とに限っちゃいない、何んだってそうです。芝居と演劇との違いだとか、文芸と文学との違いだとか、軍隊にしたって、日本のはあれは宗教でしょう。官吏だって学者だって、美術だって、どういうものか日本のはみな宗教の形をとって、より固ってしまう癖がありますね。戦争に敗けた原因の一つもたしかに、こんな癖が結ぼれあって、各宗派が戦い合った結果かもしれませんよ。敵は自分の中だったのです。」
 私はこう云ってから一寸日本の左翼も宗派の形をとって進行していると思った。科学も文学もまたそうだ。そして、自分はどうだろうか。――
「僕らにしてもそうですが、しかし、宗教の形をとって進んでいることの良い点だってありましょう。宗教なら各団体の理想は何んと云おうと、人を救うということが目的ですから、どんな悪い団体にしたって、根柢にはその理想が何らかの形で流れていると、僕はそんな風に思うんです。ですから今は、道徳が失われたのではなくって、本当の徳念をより建てようとしている姿の混乱だと僕は見ています。実際、皆は苦しみましたからね。」
 ふとそのとき、ここは禅寺だと私は思った。禅では殺すことだって救うことではなかったか。自分を木石と見て殺し、習錬する法ではなかっただろうか。そして、日常人と人とが接した場合、日本人の肉体からどんなに沢山の火花がこの禅の形で飛び散ったことかと思った。またそれは無意識の習慣にまでなっている根の深さを思うと、日本人の不可解さはそこにもあると思わざるを得なかった。皆が黙ってしまったとき、
「参右衛門のお神さん、歌を謡ったのは面白いなア、ふーむ、面白いお話だなア。」
 と、和尚はまたそう云って腕を組んで感心した。私はこの和尚はやはりこれは一種の名僧だと思った。

 私一人は今夜の客であったから、皆より一人さきに座を立って帰った。太い杉の参道はまったくの無灯で長かった。柄の折れた洋傘を杖に、寸余も見えない石畳を探り探り降りて行く私の靴音だけが頼りだった。谷間の雪が幹の切れ目からときどき白く見えていた。
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木人夜穿靴去
石女暁冠帽帰
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 こつこつ鳴る靴音から指月禅師のそんな詩句が泥んで来る。夜の靴というこの詩の題も、木石になった人間の孤独な音の美しさを漂わせていて私は好きであった。石畳が村道に変ってからも灯はどこにも見えなかった。雪明りで道は幾らか朧《おぼろ》ろになったが、踏み砕ける雪の下から水が足首まで滲み上り、ごぼごぼ鳴った。

 十二月――日
 廂の日に耀いた氷柱から雫が垂れている。峠をくだって来る雪路に魚売り娘の来るのが見えると、迅い速度でたちまち私のいる縁側へ現れ籠をどさりと降ろした。妻が今夜東京へ発つ長男に持たせるために魚を買っているところへ、火燧崎が来て荷を無事に発送させたと報告した。その荷を逐うようにして午後四時長男が出発する。駅まで送っていった妻が帰って来てから、「もう大変な混雑ですよ。四時のならあなたお一人では帰れませんわ。」という。
 私の出発は荷の着くころを狙って行くのだが、私は朝の一番にするつもりだ。その汽車だと駅前のどこかで前晩から泊っていなければ、駅までの夜の泥路は通れない。

 夜はまた雪が降って来る。半分に荷の減った部屋の中では、子供の寝床も一つ無くなり隙間が一層拡がった。

 十二月――日
 雪が解けて来た。傾いた村道に水が流れ底から小石がむき出ている。五六日は東京へ帰る準備で私は日を費していたが、さて身を起して出発しようとすると、意外なふかさで自分の根の土に張っているのを感じた。おそらく私はもう一度この村へ来ることはあるまい。そう思うと、石の間を流れる細流の曲りも靴を洗ってくれているようだ。
 私は手荷物を用意してから、竹林の孟宗の節を眺め、降りて来る薄闇の中の山を見ていた。炉端から柴を折る音がしている。どういうものか私は庭の鯉が見たくなって覗くと、夕暮れの石垣の根に鯉は沈んでいてよく見えない。
「久左衛門さんがもうお見えになりましたよ。」と妻が云った。
 黒い釣鐘マントを着た久左衛門が庭に立っていて、もう私の荷物を下げていた。私は炉端へ行って参右衛門夫妻に別れの挨拶をした。参右衛門の丸い膝頭が白くはみ出ている前で、礼をする私の眼から涙が出て来た。炉の煙が低く匐《はらば》い流れている筵《むしろ》へ清江も並んでいる。
「一週間もすれば家内らも立ちましょうから、それまで宜敷く願います。」
 出立といっても、今夜は、久左衛門が取って置いてくれた駅前の蕎麦《そば》屋で私は泊ることになっていて時間を気にする要もなかったが、待っていてくれる久左衛門に私もゆっくりは出来なかった。それに間もなく夜路は見えなくなる。
 私は宗左衛門のあばにも挨拶に廻った。脚絆をつけた嫁が出て来たが、あばは留守だった。外へ出てから久左衛門の長男の所へ私は挨拶にまた行った。由良の老婆も裏口へ出ていた。私が別家の長男に表口から挨拶をしようとすると、裏口に私が皆と一緒にいると思ったらしい長男は裏へ廻った。外で見ている長男の嫁や老婆が表だ表だというと、今度は表へ廻ったらしい。しかし、そのときには私は裏口へ長男の廻っている様子を察してまた裏へ廻っていた。見ているものらには両方が分るので鼬鼠《いたち》ごっこの二人を見て、あはあは笑いながら表だ裏だという。どちらが裏か表か分らず二人はますます困るばかりだった。
 久左衛門は駅までのいつもの路を選ばず、山添いに釈迦堂の方の路を選んで歩いた。少し遠いが路はその方が良いそうだ。天作が毎朝暗いうちから白土を掘り出しに通う路で、また由良から老婆が通って来る路でもある。釈迦堂の下まで来たとき、久左衛門に下で待っていてもらって私一人釈迦堂へ参拝した。堂までの参道を登る石畳は長いが、この良い村を暫くの間私に与えられた好運を私は感謝したかった。
 湿った杉枝の落ちている石畳に靴が鳴り谷間に響いた。もうあたりが暗く、正面の堂の閉った扉が隙間を一寸ほど開けている。観音開きになった扉の厚い合せ目に下から手をかけて引いてみるのに、中から鍵が降りていてかたかた隙間が鳴るだけだった。私は閉ったままの扉の外から拝した。そして、少し戻って来たとき、今どき山中の怪しげな私の靴音を聞いたものか、方丈の戸が開いて間へ和尚の半身が顕れた。
「どなたです。」
 もう傍へよらねば分らぬ暗さの中で、私は黙って和尚の方へ近よって行った。
「ああ、あなたでしたか。どうぞどうぞ。」
 愕いている和尚に、私は立ったままそこで別れの礼をのべて、下で人を待たせてある理由を云ってすぐ引き返した。山際に残った雪が杉の幹の間から白く見えている。その下の村道に、両足をきちんと揃えた久左衛門が前の姿勢を崩さずに立っていた。
 うねうねした泥路を二人が行くうちまったく周囲は見えなくなって来た。彼は馬の蹄の跡を踏むようにして泥を渡って行った。どれも同じように見える刈田ばかり続いた闇夜の底を一本細い路が真直ぐに延びていて、その中ごろまで来たとき、久左衛門はぴたりと立ち停って田を見ていた。
「ここが自宅《うち》の田だ。」という。
「この真暗な中でよく分りますね。」とそう私が云うと、刈り株の切り口で分るものだという。
 久左衛門の妻女が三人田へ児を産み落して死なしたということをふと私は思い出した。中の一人はここの田かも知れない素ぶりで、彼は、闇夜のそこからじっと暫く足を動かそうとしなかった。
「これで、今年の米が出来上るのは、正月を越すのう。」と久左衛門は云う。
 駅までは遠かった。蕎麦屋の清潔でよく拭かれた二階へ上ったときは、夕食ごろをもうよほど過ぎていた。ここでも床の間に戦死した長男の写真が大きな額に懸けてある。その下で二人は火鉢に対き合って夕飯を待ったが、私の行く家家に戦争の災厄の降り下っている点点とした傷痕が眼について、この平野も収穫をすませたといえ、今は痕だらけの刈田となって横たわっているのみだと思った。そう思うと、窓硝子の向うに迫っている闇が大幅の寒さで身にこたえた。
 食事には酒も出た。久左衛門は酔いが少し廻って来ると聞きとり難い口調で、何かひとりぼつぼつこぼしている。
「おれはのう、殴られた殴られた。もうあの参右衛門から、幾ら殴られたかしれん。」二度と私と会うこともなかろうと察しているらしい彼は、過去の忍耐のすべてを呟いてしまいたい口ごもりである。「お前さんも、あの男の傍じゃ気苦労で辛かったでしょうのう。それでも、あの男は人は好い。おれがあの男の別家のくせに、金を儲けたというては、おれを殴るのじゃが、あれは良い男じゃ。」
 久左衛門はこう云ってから今度は、自分の死なした初孫がどんなに利巧だったかということをくどくこぼし始めた。やはり、彼の一番の悲しさは孫を失ったことらしい。次ぎには、私の時間をいつも奪って邪魔したことを謝罪した。
「あんたとお話してると、面白うて面白うて、何んぼう邪魔しようまいと思うてひかえても、面白うてのう、行かずにいると淋しゅうなるのじゃ。おれは、あんな面白いお話は聞いたことがない。」
 彼から一番困らされたことは、たしかに私の方が悪いことを私は認めている。他人の時間を奪う盗人がこの世にいない限り、自分の空間は廻らぬのだ。これについては、私はもっと後で考えることとして彼に酒を注ぎ注ぎお礼を云った。
 十時すぎに二人は寝床を二つ造って貰って寝た。手織木綿の固い雪国の蒲団で重く私は一枚だけはねて寝たが、久左衛門は横になるともう眠っていた。私はいつまでも眠れなかった。駅を通る貨物が来ては去り来ては去っていく。明日一日中私は汽車の中で、夜十二時に上野へ着くとすると、朝までそこで夜明しだ。そして、私が自宅の門へ這入って行くのは十二月八日だった。
 眠れないので私はときどき電気をつけて久左衛門の顔を覗いた。彼は寝息も立てずによく眠っている。見るたびに真直ぐに仰向いた正しい姿勢で、少し開いた口もとの微笑が、「おれは働いた働いた。」といっている。土台の骨が笑っている寝顔だ。戒壇院の最上段から見降している久左衛門の位牌は、こうして寝ている銃貫創の跡つけた彼の額の上に置かれることも、そう遠い日のことではないだろう。そして、私は二度とこの顔を見ることも、おそらくもうあるまい。夜汽車が木枯の中を通って行く。

底本:「夜の靴・微笑」講談社文芸文庫、講談社
   1995(平成7)年1月10日第1刷発行
底本の親本:「定本横光利一全集 第十一巻」河出書房新社
   1982(昭和57)年5月
入力者:kompass
校正:松永正敏
2003年6月12日作成
2005年12月10日修正
青空文庫作成ファイル:
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横光利一

黙示のページ—–横光利一

終始末期を連続しつつ、愚な時計の振り子の如く反動するものは文化である。かの聖典黙示の頁に埋れたまま、なお黙々とせる四騎手はいずこにいるか。貧、富、男、女、層々とした世紀の頁の上で、その前奏に於て号々し、その急速に於て驀激し、その伴奏に於てなお且つ奔闘し続ける、黙示の四騎士はこれである。もしも黙示の彼らが、かかる現前の諸相であると仮定したなら、彼らの中の勝者はいずれであるか。曾て敗北せる者は貧であった。女性であった。今やその隠忍から擡頭せるものは彼らである。勝利の盃盤は特権の簒奪者たる富と男子の掌中から傾いた。しかし吾々は、肉迫せる彼ら二騎手の手から武器を見た。彼らの憎悪と怨恨と反逆とは、征服者の予想を以て雀躍する。軈て自由と平等とはその名の如く美しく咲くであろう。その尽きざる快楽の欣求を秘めた肺腑を持って咲くであろう。四騎手は血に濡れた武器を隠して笑うであろう。しかし我々は、彼らの手からその武器を奪う大いなる酒神の姿を何処で見たか。再び、彼らはその平和の殿堂で、その胎んだ醜き伝統の種子のために開戦するであろう。彼らの武器は、彼らのとるべき戦法は、彼らの戦闘の造った文化のために益々巧妙になるであろう。益々複雑になるであろう。益々無数の火花を放って分裂するであろう。かかる世紀の波の上に、終にまた我々の文学も分裂した。
 明日の我々の文学は、明らかに表現の誇張へ向って進展するに相違ない。まだ時代は曾てその本望として、誇張の文学を要求したことがない。そうして、今や最も時代の要求すべきものは、誇張である。脅迫である。熱情である。嘘である。何故なら、これらは分裂を統率する最も壮大な音律であるからだ。何物よりも真実を高く捧げてはならない。時代は最早やあまり真実に食傷した。かくして、自然主義は苦き真実の過食のために、其尨大な姿を地に倒した。嘘ほど美味なものはなくなった。嘘を蹴落す存在から、もし文学が嘘を加護する守神となって現れたとき、かの大いなる酒神は世紀の祭殿に輝き出すであろう。嘘とは恐喝の声である。貧、富、男、女、四騎手の雑兵となって渦巻く人類からその毒牙を奪う叱咤である。愛である。かかる愛の爆発力は同じき理想の旗のもとに、最早や現実の実相を突破し蹂躙するであろう。最早懐疑と凝視と涕涙と懐古とは赦されぬであろう。その各自の熱情に従って、その美しき叡智と純情とに従って、もしも其爆発力の表現手段が分裂したとしたならば、それは明日の文学の祝福すべき一大文運であらねばならぬ。そうして、明日の文学は分裂するであろう。大いなる酒神は、かの愚な時計の振り子の如く終始末期を連続しつつ反動する文化を、美しく平和の歴史の殿堂に奉納するであろう。今や明日の文学は、その終局の統率的使命を以て、健康に剛健に、朗々として政治を併呑しなければならない。黙示の頁を剥奪すべき勇敢なる人々は、大いなる突喊《とっかん》の声を持たねばならぬ。

底本:「日本の名随筆 別巻100 聖書」作品社
   1999(平成11)年6月25日第1刷発行
底本の親本:「定本 横光利一全集 第一四巻」河出書房新社
   1982(昭和57)年12月
入力:加藤恭子
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年5月3日作成
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横光利一

盲腸—–横光利一

Fは口から血を吐いた。Mは盲腸炎で腹を切つた。Hは鼻毛を抜いた痕から丹毒に浸入された。此の三つの報告を、彼は同時に耳に入れると、痔が突発して血を流した。彼は三つの不幸の輪の中で血を流しながら頭を上げると、さてどつちへ行かうかとうろうろした。
「やられた。しかし、」とFから第二の報告が舞ひ込んだ。
「顔が二倍になつた。」とHから。
「もう駄目だ。」とMから来た。
 ――俺は下から――と彼は云つた。
 彼はもうどつちへも行くまいと決心した。死ぬ者を見るより見ない方が記憶に良い。彼は三点の黒い不幸の真中《まんなか》を、円タクに乗つて、ひとり明るい中心を狙ふやうにぐるぐると廻り出した。血は振り廻されるやうに流れて来た。
 ――俺は下から、
 ――俺は下から、
 下から不幸が流れ出す故に、頭の上の明るい幸福を追つ馳けるのだ――だが、廻れば廻るほど、彼に付着して来たものは借金だつた。――幸福とは何物だ?――推進機から血を流して借金を追ひ廻す――その結果が一層不幸であると分つてゐても、明るい空《から》を追つかけ廻したそのことだけでも幸福だ。――それが喜ばしい生活なら、下から不幸が流れ出して了ふまで、幸福な頭の方へ馳け廻らう。――死ねば不幸はなくなるだらう。――死なねば、幸はなくなるまい。――四人の中で死んだ者が幸福だ。――誰がその富籤《とみくじ》を引き当てるか。――彼は競争する選手のやうに、円タクに乗つて飛んでゐた。
 と、Mが死んだ。
 彼は廻り続けた円タクの最後の線をひつ張つてMの病室へ飛び込んだ。が、Mの病室は空虚《から》だつた。医者が出て来て彼に云つた。
「今日、退院なさいました。」
「どこへ行つたのです?」
「さア、それは分りません。」
 ――それや、さうだ。
 ――だが身体の中で何の必要もない盲腸で殺《や》られると云ふことは?
 ――身体の中に、誰でも一つ、幸福を抱いてゐると云ふことになつて来る。
 彼は円タクに乗つて、盲腸のやうな身体をホテルに着けた。ホテルのボーイは彼に云つた。
「もう部屋は一つもございません。」
 その次のホテルも彼に云つた。
「もう部屋は一つもございません。」
 ――死を幸福だと思ふものに、ホテルは部屋を借す必要は少しもない。
 彼はまたぶらりと円タクの中へ飛び込んだ。
「どこへ参りませう。」と運転手は彼に訊いた。
「どこへでもやつてくれ。」
 円タクは走り出した。彼は運転手の後から声をかけた。
「明るい街を通つてくれ、明るい街を。暗い街を通つたら金は出さぬぞ。」
 ――盲腸が円タクの中で叫んでゐる。
 彼はにやりと笑ひ出した。
 ――此の盲腸は、今度は誰を殺すのだらう。
 ――だが、身体の中に、誰でも一つの盲腸を持つてゐると云ふことは?
 彼は街路を、血管の中の虫のやうに馳け廻つた。だが、此の盲腸はどこへ行くと云ふのだらう。

底本:「定本横光利一全集 第二巻」河出書房新社
   1981(昭和56)年8月31日初版発行
底本の親本:「文藝時代」
   1927(昭和2)年4月1日発行、第4巻第4号
初出:「文藝時代」
   1927(昭和2)年4月1日発行、第4巻第4号
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、旧字、旧仮名の底本の表記を、新字旧仮名にあらためました。
入力:高寺康仁
校正:松永正敏
2001年12月11日公開
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横光利一

無常の風—–横光利一

 幼い頃、「無常の風が吹いて来ると人が死ぬ」と母は云つた。それから私は風が吹く度に無常の風ではないかと恐れ出した。私の家からは葬式が長い間出なかつた。それに、近頃になつて無常の風が私の家の中を吹き始めた。先づ、父が吹かれて死んだ。すると、母が死んだ。私は字が読める頃になると「無常」の風とは「無情」の風にちがひないと思ひ出した。所が「無情」は「無常」だと分ると、無常とは梵語で輪廻の意味だと云ふことも知り始めた。すればいづれ仏教の迷信的な説話にすぎないと高を括つて納まり出したのもその頃だ。その平安な期間が十年も続いて来た。もう私は無常の風が梵語であらうがなからうが全く恐くはなくなつてゐた。すると、父が急に骨になつた。それから私は母を引きとつて郊外に住まつてゐた。母は隣家の主婦と垣根越しに新しい友情を結び出した。暇さへあれば彼女は額に手をあてて樹の間から故郷の方を眺めてゐた。ある日、母は「アツ」と云つたまま死んでしまつた。一ヶ月たつた。隣家の主婦はもう垣根の傍に立たなくなつた。すると、彼女の家の人が来て、「母は今朝、アツと云ふと鍋を下げたまま死にました。」と云つた。全く私の母と隣家の母とは同じ死に様をしたのである。それから私はまた無常の風が気になり出した。確かにある。無常の風に吹きつけられると人の血管が破れるのにちがひないと思つた。私は中学時代から地貌と云ふことに興味を持つてゐた。私は旅行をするといつもその土地の岩質に眼をつけた。河原を歩いても砂礫の質の相違によつて河の支流の拡がりを感じるのが面白かつた。しかし今は地貌の隆起に心がひかれる。隆起の相違によつて気流に変化があるのは当然だからである。此の気流と生活と云ふことは余程親密な相関性を持つてゐる。殊に人間の運命とは特にいちじるしい関係があると私は思ふやうになつて来た。人間の意志は気流の為に屈折する。意志は直線形に進行する性情があるが、途中で方向を変化さすのは気流の力が多大である。この法則は私の独断だとは思はない。アメリカの或る地方では東風が吹くと殺人犯が激増するといふ。フエリオの犯罪学には殺人者が殺人をする際、気流の温度の相違によつて忽ち狂人に変化し、殺人が不可能となつて逃亡する実例を上げてある。私の家でも窓の相違で部屋の空気の中に一定の通路が生じ、通路を外れた箇所で碁を打つと後が長く続かずに直ぐ頭が疲れて来る。だが通路の中で碁を打つと客観性が無くなつて喧嘩碁ばかり打ち始める。その代りに頭がいつまでも続いて行く。家相学では家の東南に桃の木があると淫風が吹くと書いてあるが、淫風は風の吹く所には起らない風である。風の吹きまくる所で性慾は起りはしない。それはともかくとして無常の風は日本の地貌ではどのあたりから吹いて来る風かと考へると、もうここからは独断にならざるを得なくなる。とにかく乾燥した風だ。乾燥した風は窒素の加減で霊魂が放散し易いものらしい。塩分を含んだ風の中では人はさう容易く死ぬものではないと見える。それに乾燥した風は太陽のコロナと多大の関係を持つてゐる。コロナがまた太陽の黒点と著しい関係を持つてゐる。私は社会主義の布衍される地域がまた此の風の密度によつて非常に相違して行くものといつも思ふ。此の主義は風のやうに地貌とまた密接な関係を持つてゐる。地貌の運動作用、特に準平原の輪廻作用を思ふと私は社会主義者にならざるを得なくなる。ボルシエビイキの現状を見てゐても伊太利及び日本、英国、独逸の社会現象を見てゐてもその作用は地質学の造山運動と殆ど異る所がない。私は小説を書く男であるが小説の中で人間の運命を発展さす場合、いつも此の風と光線とが気にかかる。確に此の風と光線とは人間の意志と感情の発生及び発展に重大な必然的影響があると思ふ。此の風と光線とエヂプト、アツシリア、ペルー、印度、支那の文化の発達とを関連させて考へて見た場合、誰とてひそかな私のこのあられもない独断の楽しみを嗤ひはすまい。

底本:「日本の名随筆37 風」作品社
   1985(昭和60)年11月25日第1刷発行
底本の親本:「定本・横光利一全集 第一三巻」河出書房新社
   1982(昭和57)年7月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2005年5月14日作成
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横光利一

夢もろもろ—–横光利一

    

 私の父は死んだ。二年になる。
 それに、まだ私は父の夢を見たことがない。

    良い夢

 夢は夢らしくない夢がよい。人生は夢らしくない。それがよい。

    性欲の夢

 トルストイがゴルキーに君はどんな恐ろしい夢を見たかと質問した。
「長靴がひとり雪の中をごそごそと歩いていた。」とゴルキーが答えた。
「うむ、それは性欲から来ているね。」と、いきなりトルストイは解答を与えた。
 何ぜか、これは少し興味がある。

    恐い夢

 私は歯の抜ける夢をしばしば見る。音もなくごそりと一つの歯が抜ける。すると二つが抜ける。三つが抜けたと思わないのに、不思議に皆抜けているのである。赤い歯茎だけが尽く歯を落して了って、私の顔であるにも拘らずその歯を落した私の顔が私にからかって来るのである。

    夢の解答

 私は今年初めて伯父に逢った。伯父は七十である。どう云う話のことからか話が夢のことに落ちて行った。そのとき伯父は七十の年でこう云った。
「夢と云うものは気にするものではない。長い間夢も見て来たが皆出鱈目だ。」

    たまらぬ夢

 ある小説に、妻が他の男と夢の中でけしからぬ悦び事をしているにちがいないと思って悩む男のことが書いてあった。男はそれを、
「たまらぬことだ。」と云っていた。
 なるほど、これはたまらぬことだ。手のつけようがないではないか。そう云う妻の行為に対する処罰の方法は! それは空を見ることだ。空を見ると、夜なれば星と月。星と月とを見ていれば、総てが夢だと思うだろう。空は無いもの。夢は空と同じ質のものに相違ない。

    夢の定義

 生理学の夢の定義は、夢とは催眠中の記憶が現識《げんしき》の中に呼び起されたものだと云う。してみれば、夢の中の妻の行為は良人にとっては重大なことである。

    夢の効果

 愛人を喜ばすには、
「私は昨夜あなたの夢を見ましたよ。」と云うが良い。
 なお喜んで貰うためには、
「私はこれからあなたの夢を毎夜見ようと思います。」と云うが良い。
 またもし彼女と争うた場合には、
「ああ、私は今夜あなたと争った夢を見なければなりません。」と云えば良い。
 そうしてもしも、彼女が君を裏切ったときが来たならば、いとも悲しく細々と、
「私は毎夜あなたの夢をひとり見て楽しむことといたしましょう。」と云い給え。
 またもし君が彼女を裏切った日が来たならば、
「私はあなたの夢となって生涯お怨みいたします。」と云われなければ君は不徳な男である。

    痛快な夢

 私は喧嘩をした。負けた。蹴り落された。どこへともなく素張らしい勢いで落ち込んで行く。ハッと思うと、私の身体はまん円い物の上へどしゃりッと落《おっこ》ったのだ。はてな―ふわふわする。何ァんだ。他愛もない地球であった。私は地球を胸に抱きかかえて大笑いをしているのである。

    まごついた夢

 歩こうとするのに足がどちらへでも折れるではないか、……………

    面白くない夢

 金を拾った夢。……………

    笑われた子

 これは夢を題材にした私の創作の中の一つである。ある子供の両親がその子を何に仕立てていってよいものかと毎夜相談をしている。そう云うある夜、子は夢を見た。野の中で大きな顔に笑われる夢である。翌朝眼が醒めてから子はその夢の中の顔をどうかして彫刻したくなって来た。そこで二ヶ月もかかって漸く彫刻仕上げたとき、父親に見つけられて了った。父は子の造ったその仮面を見ると実に感心をしたのである。
「これはよく出来とる。」
 そこで、子は下駄屋にされて了った。これは夢が運命を支配した話。

    佐藤春夫の頭

 私は或る夜佐藤春夫の頭を夢に見た。頭だけが暗い空中に浮いているのである。顔をどうかして見ようと思うのに少しも見えない。その癖顔は何物にも邪魔されてはいないのだ。頭だけが大きく浮き上り、頂上がひどく突角《とが》って髪が疎らで頭の地が赤味を帯んでいるのである。実物の春夫氏の頭はよく見て知っているにも拘らず、実物とは全く変っている夢の中のその無気味な頭を、誰だかこれが春夫氏の頭だ頭だとしきりに説明をするのである。誰が説明をしているのかと思うと誰もいないのだ。

    見ない夢

 友人で文学をやっているものがいた。その男の告白によると、
「僕は夢と云うものをまだ生れてから見たことがない。」と云う。
 私にはそれが嘘だとより思えなかった。が、彼はどうかして一生に一度夢と云うものを見たいとしきりに云った。私はこれが「夢を見たことのない男」だと思うと、おかしくなった。そう云う種類の男に逢ったことがないからだ。その癖、彼の作品の中には夢と云う字があったのだ。もっともその頃は夢と云う字を用いなければ文学だと思わない頃ではあった。しかしそれにしても、夢を見たことがないと云う男のことを聞いた例があるかしら。未だに疑わざるを得ないのだ。

    夢の色

 夢の色とはどう云う色か。夢では色彩を見ないと云うことが夢の特色ではないか。

    夢の研究家

 私の友人で夢の研究家があった。夢ばかりを分析していた。逢うと夢の話をしていた。すると、死んで了った。

    夢の話

 夢の話と云うものは、一人がすると、他の者が必ずしたくなる。すると、前に話した者は必ず退屈し出すのだ。何ぜかと云えば、それは夢にすぎないからだ。

底本:「日本の名随筆14 夢」作品社
   1984(昭和59)年1月25日第1刷発行
   1985(昭和60)年3月30日第2刷発行
底本の親本:「横光利一全集 第一四巻」河出書房新社
   1982(昭和57)年12月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:土屋隆
校正:門田裕志
2008年1月15日作成
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横光利一

父—–横光利一

 雨が降りさうである。庭の桜の花が少し凋れて見えた。父は夕飯を済ませると両手を頭の下へ敷いて、仰向に長くなつて空を見てゐた。その傍で十九になる子と母とがまだ御飯を食べてゐる。
「踊を見に行かうか三人で。」と出しぬけに父は云つた。
「踊つて何処にありますの。」と母は訊き返した。
「都踊さ、入場券を貰ふて来てあるのやが、今夜で終ひやつたな。」
 母は黙つてゐた。
「これから行かうか、お前等見たことがなからうが。」
「私らそんなもの見たうない、それだけ早やう寝る方がええわ。」
「光、お前行かんか。」
 父は子の顔を見た。子は父の笑顔からある底意を感じたので、直ぐ眼を外らすと、
「どうでも宜しい。」と答へた。
 併し子はまだ遊興を知らなかつたし都踊も見たことがないので綺麗な祇園の芸妓が踊るのだと思ふと、実は行きたかつたのだが、父や母と一緒に見に行つてからの窮屈さが眼についた。
「行くなら早い方がええし。」と又父は云つた。
「行きたうないわな、光。」と母は横から口を入れた。
 子は真面目な顔をして、「うむ」と低く答へると母の方へ茶碗を差し出した。が、もう食べるのでなかつたのに、と気が付いたが又思ひ切つて箸をとつた。
「光ひとりで行つて来い。」と父は言つた。すると、
「あんた一人でお行きなはれ。」と直ぐ母は父に言つた。
 父は又笑顔を空に向けた。それぎり三人は黙つて了つた。
 子は御飯を済ますと縁側へ出て、両手を首の後で組んで庭の敷石の上をぼんやり見詰めてゐた。両足がしつかりと身体を支へて呉れてゐないやうに思はれた。
 鶏小舎の縄を巻きつけた丸梯子の中程を、雌鶏が一羽静に昇つてゆく。そのとき石敷の上に二つ三つ斑点が急に浮かんだ。雨だなと子は思つた。母は元気の良い声で
「そうら降つて来た」と云つて笑つた。
 父も笑つた。そして
「なアに止むさ。光ひとりで行つて来んか、あんな札を遊ばしておいても仕様がないし。」
 子は父のさう言ふ言葉の底意に懐しさを感じて来た。
「光らあんな所へ行き度うはないわなア光?」と、母は云つた。
 子はそれに答へずに直ぐ二階へ昇らうとして父の前を通ると、父は体を少し起した。
「よ光、一人で見て来いや。もう今夜で終ひやぞ。」
「もう雨が降るしよしませう。」
 子はさう云つて二階へ来ると窓の敷居に腰をかけた。下腹から力が脱けてゐた。
 空はそれなり雨を落とさずに何時の間にか薄明かるくなって来た。その下に東山がある。その向ふに京都の街がある。
 二十分程して、他所行きの着物を着た母が腰帯のまま二階へ来た。行くんだなと子は思ふと、気が浮いて、
「何処へ行くの?」と訊いた。
 母は黙つて押入を開けると、下唇を咬んで蒲団の載つてゐるまま長持の蓋を上げた。
「行くの?」と子は又聞いた。
 母は黒く光つた丸帯を出して、
「お父さんつて雨が降つてるのに、」と呟くと、子の顔を一目も見ずに下へ降りて行つて、階段の中程の所から
「用意お仕や。」と強く云つた。
 子は腹を立てた。「行くものか。」と思つた。
 暫くしてから、母は帯をしめて又二階へ来た。
「まだ用意おしやないの。」
「行きたかないよ。」
 母は黙つて子の顔を眺めてゐた。
「お母さんとお父さんと行くといい、俺は留守をしてゐるよ。」
「今頃そんなことを言うて……」
「やめだつてば。」
「可笑しい子。」
 母は薄笑をし乍ら押入から子の着物と帯とを出した。子は東山の輪郭に沿うて幾度も自分の顋を動かしてゐた。
「早やう。」と母は云つた。
 子は母の出して呉れた着物を一寸見て又眼を東山に向けた。母はそのまま立つて子の顔を見てゐたが「可笑しい子やないか、」と呟くと下へ降りて行つた。
 子はソツと着物を弄つてみた。が、下へ降りた時母の手前を考へて呼ばれる迄着返ずにゐてやらうと思つた。すると直下から母が呼んだ。子は強ひて落ちつくために返事をせずに又敷居へ腰を据ゑた。下から声がする。
「お父さんが待つてゐやはるのえ。」
 子は父を思ふとそのまゝの容子《なり》で下へ降りた。
「まだ着返てやないの、」と母は顔を顰めた。
「これでいいよ。」
「ああそれで好えとも。」さう云つて父は煙草入に敷島を詰めた。
 子は父の前では拗ねる気がしなかつた。三人は外へ出た。
 母が空を見上げて「降るに定つてるのに、」と云ふと、父は、
「何アに。」と云つて停留所の方へ歩いた。
 祇園へ着いた時にはもう真暗であつた。歌舞練場と書かれた門の中へ父は這入つていつた。そこに踊がある。二人はその後に従いた。踊のひときりがまだついてゐなかつたので三人は光つた広い板間の控へに坐つて次のを待つた。
 子は父が莨を口に銜へたのを見ると自分のマツチでそれに火を点けた。が、父に媚びてゐる自分の気待を両親に見ぬかれてゐるやうな気がしたので、父の莨入から自分も一本ぬきとつてすつた。
 周囲に群衆がつまつてゐるためか三人は黙つてゐた。間もなく踊のきり[#「きり」に傍点]がついた。群衆は控へから桟敷の方へ動いて行つた。
 三人が土間の中程へ場をとつた時、母は父と子の間へ二人より少し退き加減に坐つた。
 幕が上ると同時に左手の雛壇から鼓の音がして、両側の花路から背の順に並んだ踊子の群が駆けるやうに足波揃へて進んで来た。夫々手に花開いた桜の枝を持つてゐる。最初には踊子らの顔が、どれも同じやうに綺麗に見えた。
 母は不意に子の肩を叩くと後を向いて囁いた。
「光、それそれ、あの西洋人の顔をお見いな、面白さうな顔をしてゐる。」
 子は舞台の反対の桟敷に居る二三の外国人の顔を見た。が、別に彼等の顔から母の云ふ程な表情を感じなかつた。で、又急いで踊子達の顔に見入らうとした時、ふと自分の眼を後へ向けささうと努める母の気持ちを意識した。
「なアをかしい顔をしてゐるやらう。日本人は奇妙な踊をするもんやと思うて見てゐるのやらうな。」
 子はただ「ふむ、ふむ」と答へておいた。が、母が正面に向き返るまで自分からさきに舞台の方を見ることが出来なかつた。
「あれきつと自分の国へ帰つてから、日本で面白いものを見て来たつて云ふのやな。」
 さう云つてから母は漸く踊子の方を向いた。子はまだ故意に後を向いてゐた。が、見るものが無かつたので、その時間を利用して群る人々の顔の中から目立つた綺麗な顔を模索した。
 一度舞台から消えた踊子の群は再び手拭を持つて、ゆるゆると踊り乍ら両側の花道から現はれた。
 すると母は子の方へ顔を寄せて又囁いた。
「あの子お見、可愛らしいことなア、人形さんのやうや。」
 子は母が胸の上で指差してゐる踊子に見当をつけてよく見ると、最後から二番目のまだ小さい杓子顔の雛妓《おしやく》であつた。子はその顔から何処か良い所を捜さうとつとめてみた。そして時々眠さうな眼をすることが可愛いと強ひて思つた。
「後から二番目?」
「そやそや、可愛らしいやろ」
「うむ。」と子は言つて見付けておいた美しいいま一人の踊子を見ようとしたが、母の看視を思ふと図太くその方許りを見続けることが出来なくなつた。彼は母に知れるやうにあちらこちらに眼を置き変へた。そして、右手の雛壇の隅で長唄を謡つてゐる年増の醜い女を見あてたとき、ここならよからうと思つて、眼の置き場をそれに定めた。直ぐ首条に疲れを感じたが耐へてゐた。彼の横に彼の年頃の学生が一人自由に踊を眺めてゐる。彼は羨しく思つた。
 父は初から絶えず舞台の方を向いてゐた。子は父を有りがたく思つた。
 間もなく踊は済んだ。まだ早かつたので電車通りに出てから三人は街を見て歩いた。子は下駄を引摺るやうにして黙つて親等の後に従いた。歩き乍ら、恋人を抱いた時の自分の姿を思ひ浮べた。今母の眼の前で、傍を通る少女を一人一人攫へてキツスしてやらうかと考へた。
「もうし、光がね万年筆が欲しいんですつて。」と母は不意に良人に云つた。
「入りませんよ。」と子は強く云つて母を睥んだ。
 父は黙つてゐた。
 母は子の方を振り向いて、
「お前欲しいつて云うてたやないの。」と笑ひながら云つた。
「そんなこと云はない。」
 が、実は言つたと子は思つた。
 ある文房具店の前まで来た時、父は黙つてその中へ這入つていつた。子は万年筆を手にとつてゐる父を見ると、急に父が恐ろしくなつて来た。

底本:「定本横光利一全集 第一巻」河出書房新社
   1981(昭和56)年6月30日初版発行
底本の親本:「御身」金星堂
   1924(大正13)年5月20日発行
初出:「時事新報」
   1921(大正10)年1月5日
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、旧字、旧仮名の底本の表記を、新字旧仮名にあらためました。
入力:高寺康仁
校正:松永正敏
2001年12月10日公開
2003年6月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

横光利一

琵琶湖—–横光利一

 思ひ出といふものは、誰しも一番夏の思ひ出が多いであらうと思ふ。私は二十歳前後には、夏になると、近江の大津に帰つた。殊に小学校時代には我が家が大津の湖の岸辺にあつたので、琵琶湖の夏の景色は脳中から去り難い。今も東海道を汽車で通る度に、大津の街へさしかかると、ひとりでゐても胸がわくわくとして、窓からのぞく顔に微笑が自然と浮かんで来る。こんなひそかな喜びといふものは、誰にもあると見えて、ある夏のこと、私の二十一二のころ大津から東京へ行くときに、二十二三の美しい婦人が私の前の席に乗つたことがあつた。私は東京近く来るまで、その婦人と一言も言葉も交へなければ、顔も見合したこともなく坐つて一夜を明したが、大森まで汽車が来かかつたとき、突然その婦人は私に、「あそこに見える家に、あたしをりますの。」と一言いつて笑つた。私は返事も出来ずに窓から指差された家を見たきりで、黙つてそのまま別れてしまつたが、それとは違つてまたもう一度、それに以寄つた目にあつた。これも私の二十二三のときの夏のことで、九州へ行つたときであるが、汽車が熊本へ這入《はい》り、球磨《くま》川の急流に沿つて沢山のトンネルを抜けては出、抜けては出てゐる最中である。私の前に老人の男が一人高い鼾《いびき》をかいて横になつてゐた。そのときには、私たちの車内に私と老人とただ二人きりで、他にも誰もゐなかつたが、汽車が断崖にさしかかつてしばらくたつてから、河をへだてた対岸の絶壁の中腹に、一軒ぽつりと家が見えた。すると、その老人は急にむくりと起き上ると、「あれはわしの女房の里や。」と一言いつて、またころりと寝てしまつた。
 これらの話はささいなことながら、いつまでも忘れずに、生涯微笑ましい記憶となつて、何か書かうとするときや、世間話をするときなどに、第一番に浮き上つて来るものであるが、この老人の心理や前の婦人の気持ちに似た喜ばしさは、東海道では大津より以外は私には起らない。大津へ来かかると、私も傍にゐる見知らぬ人にでも、ここは私の小さいときにゐたところでと、思はずいひたくて堪らぬ気持に誘惑される。大津の美しさは、たまに大津へ行つたものでも感じるのであらうか。去年初めて関西へ連れて来た私の家内は、京都大阪奈良と諸所を歩いてから大津へ来ると、一番関西で好きな所は大津だと私に洩した。家内と大津へ行つたときには早春であつたが、夏の大津の美しさは、またはるかに早春とは違つてゐる。「唐崎の松は花より朧《おぼろ》にて」といふ芭蕉の句は、非常な駄作だといふ俳人逹の意見が多いが、膳所《ぜぜ》や石場あたりから、始終対岸の唐崎の松を見つけてゐる者でなければ、この句の美しさは分り難いと思ふ。
 夏前になると今年はどこへ行くかといふ質問を毎年受ける。しかし、私は田舎の夏よりも都会の夏の方が好きである。一夏を都会で過ごすと、その一年を物足らなく誰も思ふらしいが、私はさうではない。夏の美しさや楽しさは、昼よりも夜であるから、田舎にゐては、夜が来ると早くから寝なければならぬので、夏の過ぎることばかりが待ち遠しい。しかし、都会にゐると、もう、秋が来るのかと、過ぎ行く夏が惜しまれる。殊に私は夏が一番仕事が出来るので、旅をしては一年の働く時機を見失ふ。人は一年の終りになると、それぞれ自分の好きな来年の季節を待つものだが、私は何となく夏を待つ。夏は過ぎ去つた楽しい過去に火が点いたやうで、去年の夏も今年の夏も区別がなくなり、少年の日が幻のやうに浮き上つて来るのである。舟に灯籠をかかげ、湖の上を対岸の唐崎まで渡つて行く夜の景色は、私の生活を築いてゐる記憶の中では、非常に重要な記憶である。ひどく苦痛なことに悩まされてゐるときに、何か楽しいことはないかと、いろいろ思ひ浮べる想像の中で、何が中心をなして展開していくかと考へると、私にとつては、不思議に夜の湖の上を渡つて行つた少年の日の単純な記憶である。これはどういふ理由かよくは分らないが、油のやうにゆるやかに揺れる暗い波の上に、点々と映じてゐる街の灯の遠ざかる美しさや、冷えた湖を渡る涼風に、瓜や茄子を流しながら、遠く比叡の山腹に光つてゐる灯火をめがけて、幾艘もの灯籠《とうろう》舟のさざめき渡る夜の祭の楽しさは、暗夜行路ともいふべき人の世の運命を、漠然と感じる象徴の楽しさなのであらう。象徴といふものは、過去の記憶の中で一番に強い整理力を持つてゐる場面から感じるものだが、してみると、私には夜の琵琶湖を渡る祭がそれなのである。このときには、小さな汽船の欄干の上に、鈴のやうに下つた色とりどりの提灯の影から、汗ばんでならぶ顔の群が、いつぱいの笑顔の群となり、幾艘ものそれらの汽船の、追ひつ追はれつするたびに、近づく欄干はどよめき立つて、舟ばた目がけて茄子や瓜を投げつけ合ふ。舟が唐崎まで着くと、人々はそこで降りて、今はなくなつた老松の枝の下を繞《めぐ》り歩いてから、また汽船に乗つて帰つて来る。日は忘れたが、何んでもそれは盆の日ではなからうか。大津の北端に尾花川といふ所がある。ここは野菜の産地で、畑から這ひ下りた大きな南瓜が、蔓をつけたまま湖の波の上に浮いてゐた。この剽軽《ひようきん》な南瓜は、どういふものか夏になると、必ず私の頭に浮んで来る。尾花川の街へ入る所に疏水の河口がある。ここから運河が山に入るまでの両側は、枳殻《からたち》が連つてゐるので、秋になると、黄色な実が匂を強く放つて私たちを喜ばせた。運河の山に入る上は三井寺であるが、ここ境内一帯は、また椎の実で溢れたものだ。去年の私は久しぶりに行つてみたが、このあたりだけは、むかしも今も変つてゐない。明治初年の空気のまだそのままに残つてゐる市街は、恐らく関西では大津であり、大津のうちでは疏水の付近だけであらう。
 私の友人の永井龍男君は江戸つ子で三十近くまで東京から外へ出たこととてない人であるが、この人が初めて関西へ来て、奈良京都大阪と廻つたことがあつた。常人以上に勘のよく利く永井君のことなので、私は彼が帰つてから、関西の印象を話すのを楽しみにして待つてゐると、帰つて来て云ふには、自分は関西を諸々方々廻つてみたけれども、人の云ふほどにはどこにも感心出来なかつたが、ただ一ヶ所近江の坂本といふ所が好きであつたといふ。坂本のどこが好きかと、訊ねると、日枝神社の境内にかかつてゐる石の橋だ。あれにはまことに感心したといふので、それでは大津へ行つたかと訊くと、そこへは行かなかつたといふ。坂本で感心をするなら大津の疏水から三井寺へ行くべきであると私は云つたのだが、奥の院の夏の土の色の美しさと静けさは、あまり人々の知らないことだと思ふ。あそこの土の色の美しさには、むかしの都の色が残つてゐる。すべて一度前に、極度に繁栄した土地には、どことなく人の足で踏み馴らされた脂肪のやうな、なごやかな色が漂つてゐるものだが、私の見た土では、神奈川の金沢とか、鎌倉とかには、衰へ切つてしまつてゐるとはいへ、幕府のあつた殷盛《いんせい》な表情が、石垣や樹の切株や、道路の平担な自然さに今も明瞭に現はれてゐる。東北では松島瑞巌寺、それから岩手の平泉。これらはみな大津の奥の院の土の色と似たところがある。この奥の院をなほ奥深くどこまでも行くと、京都へ脱ける間道のあるのは、ほとんど土地の人さへ知らないことだが、ここをほじくれば、一層珍しいさまざまなところがあるに相違ないと私は思つてゐる。私はそこの道も通つたことがあるが、道の両側は、ほとんど貝塚ばかりと思へる山々の重複であつた。
 青年時代に読んだ田山花袋の紀行文の中に、琵琶湖の色は年々歳々死んで行くやうに見えるが、あれはたしかに死につつあるに相違ない、といふやうなことが書いてあつたのを覚えてゐる。私はそれを読んで、さすが文人の眼は光つてゐると、その当時感服したことがあつた。今も琵琶湖の傍を汽車で通る度毎に、花袋の言葉を思ひ出して、一層その感を深くするのだが、私にもこの湖は見る度に、沼のやうにだんだん生色を無くしていくのを感じる。大津の街は湖に面した所は、静かで人通りも少く、湖に遠ざかるに従つて賑やかになつてゐるが、あれを見ると湖の空気といふものは、そこの住む人々の心から活気を奪ふのであらう。近江商人といふものは、自国では繁栄せずに、他国へ出て成功するのが特長であるのも、いろいろな原因もあるであらうが、一つは湿気を帯《はら》んだ湖の空気に、身も心も胆汁質に仕上げられ、怒りを感ぜず、隠忍自重の風が自然と積上つて来てゐるためかもしれぬ。この観察は勿論|滑稽《こつけい》なところがあるが、絶えず飽和してゐる気圧の中に住つてゐる住民の心理は、乾燥した空気の中にゐる住民よりも、忍耐心の強くなる事は事実である。
 いつたい胆汁質といふものは、胆汁質それ自身では成功はし難く、他人の褌《ふんどし》で相撲をとつて初めて役に立ち易いもので、腹黒とか陰険だとかいはれるのも、自然と他を利用するやうに出来上がつてゐるからである。私は去年大津の街を歩いてゐて、ぶくぶく膨れてゐる人の多いのに、今さら驚いたのであるが、大津地方の人は、物事にあまり感動を現はさない。むしろ他人には冷胆なところがあるやうに思ふのは、私だけではないだらう。

底本:「心にふるさとがある3 心に遊び 湖をめぐる」作品社
   1998(平成10)年4月25日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:浦山敦子
校正:noriko saito
2006年12月30日作成
青空文庫作成ファイル:
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横光利一

微笑—–横光利一

 次の日曜には甲斐《かい》へ行こう。新緑はそれは美しい。そんな会話が擦れ違う声の中からふと聞えた。そうだ。もう新緑になっていると梶《かじ》は思った。季節を忘れるなどということは、ここしばらくの彼には無いことだった。昨夜もラジオを聞いていると、街の探訪放送で、脳病院から精神病患者との一問一答が聞えて来た。そして、終りに精神科の医者の記者に云うには、
「まア、こんな患者は、今は珍らしいことではありません。人間が十人集れば、一人ぐらいは、狂人が混じっていると思っても、宜《よろ》しいでしょう。」
「そうすると、今の日本には、少しおかしいのが、五百万人ぐらいはいると思っても、さしつかえありませんね、あはははははは――」
 笑う声が薄気味わるく夜の灯火の底でゆらめいていた。五百万人の狂人の群れが、あるいは今一斉にこうして笑っているのかしれない。尋常ではない声だった。
「あははははは……」
 長く尾をひくこの笑い声を、梶は自分もしばらく胸中にえがいてみていた。すると、しだいにあはははがげらげらに変って来て、人間の声ではもうなかった。何ものか人間の中に混じっている声だった。
 自分を狂人と思うことは、なかなか人にはこれは難しいことである。そうではないと思うよりは、難しいことであると梶は思った。それにしても、いまも梶には分らぬことが一つあった。人間は誰でも少しは狂人を自分の中に持っているものだという名言は、忘れられないことの一つだが、中でもこれは、かき消えていく多くの記憶の中で、ますます鮮明に膨れあがって来る一種異様な記憶であった。
 それも新緑の噴き出て来た晩春のある日のことだ。
「色紙を一枚あなたに書いてほしいという青年がいるんですが、よろしければ、一つ――」
 知人の高田が梶の所へ来て、よく云われるそんな注文を梶に出した。別に稀《まれ》な出来事ではなかったが、このときに限って、いつもと違う特別な興味を覚えて梶は筆を執った。それというのも、まだ知らぬその青年について、高田の説明が意外な興味を呼び起させるものだったからである。青年は栖方《せいほう》といって俳号を用いている。栖方は俳人の高田の弟子で、まだ二十一歳になる帝大の学生であった。専攻は数学で、異常な数学の天才だという説明もあり、現在は横須賀の海軍へ研究生として引き抜かれて詰めているという。
「もう周囲が海軍の軍人と憲兵ばかりで、息が出来ないらしいのですよ。だもんだから、こっそり脱け出して遊びに来るにも、俳号で来るので、本名は誰にもいえないのです。まア、斎藤といっておきますが、これも仮名ですから、そのおつもりで。」
 高田はそう梶に云ってから、この栖方は、特種な武器の発明を三種類も完成させ、いま最後の一つの、これさえ出来れば、勝利は絶対的確実だといわれる作品の仕上げにかかっている、とも云ったりした。このような話の真実性は、感覚の特殊に鋭敏な高田としても確証の仕様もない、ただの噂《うわさ》の程度を正直に梶《かじ》に伝えているだけであることは分っていた。しかし、戦局は全面的に日本の敗色に傾いている空襲直前の、新緑のころである。噂にしても、誰も明るい噂に餓《う》えかつえているときだった。細やかな人情家の高田のひき緊《しま》った喜びは、勿論《もちろん》梶をも揺り動かした。
「どんな武器ですかね。」
「さア、それは大変なものらしいのですが、二三日したらお宅へ本人が伺うといってましたから、そのときでも訊《き》いて下さい。」
「何んだろう。噂の原子爆弾というやつかな。」
「そうでもないらしいです。何んでも、凄《すご》い光線らしい話でしたよ。よく私も知りませんが、――」
 負け傾いて来ている大斜面を、再びぐっと刎《は》ね起き返すある一つの見えない力、というものが、もしあるのなら誰しも欲しかった。しかし、そういう物の一つも見えない水平線の彼方に、ぽっと射《さ》し露《あら》われて来た一縷《いちる》の光線に似たうす光が、あるいはそれかとも梶は思った。それは夢のような幻影としても、負け苦しむ幻影より喜び勝ちたい幻影の方が強力に梶を支配していた。祖国ギリシャの敗戦のとき、シラクサの城壁に迫るローマの大艦隊を、錨《いかり》で釣り上げ投げつける起重機や、敵船体を焼きつける鏡の発明に夢中になったアルキメデスの姿を梶はその青年|栖方《せいほう》の姿に似せて空想した。
「それにはまた、物凄い青年が出てきたものだなア。」と梶は云って感嘆した。
「それも可愛いところのある人ですよ。発明は夜中にするらしくて、大きな音を立てるものだから、どこの下宿屋からも抛《ほう》り出されましてね。今度の下宿には娘がいるから、今度だけは良さそうだ、なんて云ってました。学位論文も通ったらしいです。」
「じゃ、二十一歳の博士か。そんな若い博士は初めてでしょう。」
「そんなことも云ってました。通った論文も、アインシュタインの相対性原理の間違いを指摘したものだと云ってましたがね。」
 異才の弟子の能力に高田も謙遜《けんそん》した表情で、誇張を避けようと努めている苦心を梶は感じ、先《ま》ずそこに信用が置かれた気持良い一日となって来た。
「ときどきはそんな話もなくては困るね。もう悪いことばかりだからなア。たった一日でも良いから、頭の晴れた日が欲しいものだ。」
 梶の幻影は疑いなくそのような気持から忍び込み、拡《ひろが》り始めたようだった。とにかく、祖国を敗亡から救うかもしれない一人の巨人が、いま、梶の身辺にうろうろし始めたということは、彼の生涯の大事件だと思えば思えた。それも、今の高田の話そのものだけを事実としてみれば、希望と幻影は同じものだった。
「しかし、そんな青年が今ごろ僕の色紙を欲しがるなんて、おかしいね。そんなものじゃないだろう。」
 と梶は云った。そして、そう思いもした。
「けれども、何といっても、まだ小供《こども》ですよ。あなたの色紙を貰ってくれというのは、何んでも数学をやる友人の中に、あなたの家の標札を盗んで持ってるものがいるので、よし、おれは色紙を貰って見せると、ついそう云ってしまったらしいのです。」
 梶は十年も前、自宅の標札をかけてもかけても脱《はず》されたころの日のことを思い出した。長くて標札は三日と保《も》たなかった。その日のうちに取られたのも二三あった。郵便配達からは小言の食いづめにあった。それからは固く釘《くぎ》で打ちつけたが、それでも門標はすぐ剥《は》がされた。この小事件は当時梶一家の神経を悩ましていた。それだけ、今ごろ標札のかわりに色紙を欲しがる青年の戯れに実感がこもり、梶には、他人事《ひとごと》ではない直接的な繋《つな》がりを身に感じた。当時の悩みの種が意外なところへ落ちていて、いつの間にかそこで葉を伸ばしていたのである。彼は一日も早く栖方に会ってみたくなった。おそるべき青年たちの一塊をさし覗《のぞ》いて、彼らの悩み、――それもみな数学者のさなぎが羽根を伸ばすに必要な、何か食い散らす葉の一枚となっていた自分の標札を思うと、さなぎの顔の悩みを見たかった。そして、梶自身の愁いの色をそれと比べて見ることは、失われた門標の、彼を映し返してみせてくれる偶然の意義でもあった。

 ある日の午後、梶の家の門から玄関までの石畳が靴を響かせて来た。石に鳴る靴音の加減で、梶は来る人の用件のおよその判定をつける癖があった。石は意志を現す、とそんな冗談をいうほどまでに、彼は、長年の生活のうちこの石からさまざまな音響の種類を教えられたが、これはまことに恐るべき石畳の神秘な能力だと思うようになって来たのも最近のことである。何かそこには電磁作用が行われるものらしい石の鳴り方は、その日は、一種異様な響きを梶に伝えた。ひどく格調のある正確なひびきであった。それは二人づれの音響であったが、四つの足音の響き具合はぴたりと合い、乱れた不安や懐疑の重さ、孤独な低迷のさまなどいつも聞きつける足音とは違っている。全身に溢《あふ》れた力が漲《みなぎ》りつつ、頂点で廻転《かいてん》している透明なひびきであった。
 梶は立った。が、またすぐ坐《すわ》り直し、玄関の戸を開け加減の音を聞いていた。この戸の音と足音と一致していないときは、梶は自分から出て行かない習慣があったからである。間もなく戸が開けられた。
「御免下さい。」
 初めから声まで今日の客は、すべて一貫したリズムがあった。梶が出て行ってみると、そこに高田が立っていて、そしてその後に帝大の学帽を冠《かぶ》った青年が、これも高田と似た微笑を二つ重ねて立っていた。
「どうぞ。」
 とうとう門標が戻って来た。どこを今までうろつき廻《まわ》って来たものやら、と、梶は応接室である懐しい明るさに満たされた気持で、青年と対《むか》いあった。高田は梶に栖方の名を云って初対面の紹介をした。
 学帽を脱いだ栖方はまだ少年の面影をもっていた。街街の一隅を馳《か》け廻っている、いくら悪戯《いたずら》をしても叱《しか》れない墨を顔につけた腕白な少年がいるものだが、栖方はそんな少年の姿をしている。郊外電車の改札口で、乗客をほったらかし、鋏《はさみ》をかちかち鳴らしながら同僚を追っ馳け廻している切符きり、と云った青年であった。
「お話をきくと毎日が大変らしいようですね。」
 先ずそんなことから梶は云った。栖方は黙ったまま笑った。ぱッと音立てて朝開く花の割れ咲くような笑顔だった。赤児が初めて笑い出す靨《えくぼ》のような、消えやすい笑いだ。この少年が博士になったとは、どう思ってみても梶には頷《うなず》けないことだったが、笑顔に顕《あらわ》れてかき消える瞬間の美しさは、その他の疑いなどどうでも良くなる、真似手《まねて》のない無邪気な笑顔だった。梶は学問上の彼の苦しみや発明の辛苦の工程など、栖方から訊き出す気持はなくなった。また、そんなことは訊《たず》ねても梶には分りそうにも思えなかった。
「お郷里《くに》はどちらです。」
「A県です。」
 ぱっと笑う。
「僕の家内もそちらには近い方ですよ。」
「どちらです。」と栖方は訊ねた。
 T市だと梶が答えると、それではY温泉の松屋を知っているかとまた栖方は訊ねた。知っているばかりではない。その宿屋は梶たち一家が行く度によく泊った宿であった。それを云うと、栖方は、
「あれは小父の家です。」
 と云って、またぱッと笑った。茶を煎《い》れて来た梶《かじ》の妻は、栖方《せいほう》の小父の松屋の話が出てからは忽《たちま》ち二人は特別に親しくなった。その地方の細かい双方《そうほう》の話題が暫《しばら》く高田と梶とを捨てて賑《にぎ》やかになっていくうちに、とうとう栖方は自分のことを、田舎言葉まる出しで、「おれのう。」と梶の妻に云い出したりした。
「もうすぐ空襲が始るそうですが、恐《こわ》いですわね。」と梶の妻が云うと、「一機も入れない」と栖方は云ってまたぱッと笑った。このような談笑の話と、先日高田が来たときの話とを綜合《そうごう》してみた彼の経歴は、二十一歳の青年にしては複雑であった。中学は首席で柔道は初段、数学の検定を四年のときにとった彼は、すぐまた一高の理科に入学した。二年のとき数学上の意見の違いで教師と争い退校させられてから、徴用でラバァウルの方へやられた。そして、ふたたび帰って帝大に入学したが、その入学には彼の才能を惜しんだある有力者の力が働いていたようだった。この間、栖方の家庭上にはこの若者を悩ましている一つの悲劇があった。それは、母の実家が代代の勤皇家であるところへ、父が左翼で獄に入ったため、籍もろとも実家の方が栖方母子二人を奪い返してしまったことである。父母の別れていることは絶ちがたい栖方のひそかな悩みであった。しかし、梶はこの栖方の家庭上の悩みには話題を触れさせたくはなかった。勤皇と左翼の争いは、日本の中心問題で、触れれば、忽ち物狂わしい渦巻に巻き襲われるからである。それは数学の排中律に似た解決困難な問題だった。栖方は、その中心の渦中に身をひそめて呼吸をして来たのであってみれば、父と母との争いのどちらに想《おも》いをめぐらせるべきか、という相反する父母二つの思想体系にもみぬかれた、彼の若若しい精神の苦しみは、想像にかたくない。同一の問題に真理が二つあり、一方を真理とすれば他の方が怪しく崩れ、二つを同時に真理とすれば、同時に二つが嘘《うそ》となる。そして、この二つの中間の真理というものはあり得ないという数学上の排中律の苦しみは、栖方にとっては、父と母と子との間の問題に変っていた。
 しかし、勤皇と左翼のことは別にしても、人の頭をつらぬく排中律の含んだこの確率だけは、ただ単に栖方一人にとっての問題でもない。実は、地上で争うものの、誰の頭上にも降りかかって来ている精神に関した問題であった。これから頭を反らし、そ知らぬ表情をとることは、要するに、それはすべてが偽せものたるべき素質をもつことを証明しているがごときものだった。実に静静とした美しさで、そして、いつの間にかすべてをずり落して去っていく、恐るべき魔のような難題中のこの難題を、梶とて今、この若い栖方の頭に詰めより打ち降ろすことは忍びなかった。いや、梶自身としてみても自分の頭を打ち割ることだ。いや、世界もまた――しかし、現に世界はあるのだ。そして、争っているのだった。真理はどこかになければならぬ筈《はず》にもかかわらず、争いだけが真理の相貌《そうぼう》を呈しているという解きがたい謎《なぞ》の中で、訓練をもった暴力が、ただその訓練のために輝きを放って白熱している。
「いったい、それは、眼にするすべてが幽霊だということか。――手に触れる感覚までも、これは幽霊ではないとどうしてそれを証明することが出来るのだ。」
 ときには、斬《き》り落された首が、ただそのまま引っ付いているだけで、知らずに動いている人間のような、こんな怪しげな幻影も、梶には泛《うか》んで来ることがあったりした。われ有るに非《あら》ざれど、この痛みどこより来るか。古人の悩んだこんな悩ましさも、十数年来まだ梶から取り去られていなかった。そして、戦争が敗北に終わろうと、勝利になろうと、同様に続いて変らぬ排中律の生みつづけていく難問たることに変りはない。
「あなたの光線は、威力はどれほどのものですか。」
 梶が栖方に訊《たず》ねてみようかと思ったのも、何かこのとき、ふと気かがりなことがあって、思いとまった。
「ドイツの使い始めたV一号というのも、初めは少年が発明したとかいうことですね。何んでも僕の聞いたところでは、世界の数学界の実力は、年齢が二十歳から二十三四歳までの青年が握っていて、それも、半年ごとに中心の実力が次ぎのものに変っていく、という話を、ある数学者から聞いたことがありますが、日本の数学も、実際はそんなところにありますかね。どうです。」
 君自身がいまそれか、と暗に訊ねたつもりの梶の質問に、栖方は、ぱッと開く微笑で黙って答えただけだった。梶はまたすぐ、新武器のことについて訊《き》きたい誘惑を感じたが、国家の秘密に栖方を誘いこみ、口を割らせて彼を危険にさらすことは、飽《あ》くまで避けて通らねばならぬ。狭い間道をくぐる思いで、梶は質問の口を探しつづけた。
「俳句は古くからですか。」
 これなら無事だ、と思われる安全な道が、突然二人の前に開けて来た。
「いえ、最近です。」
「好きなんですね。」
「おれのう、頭の休まる法はないものかと、いつも考えていたときですが、高田さんの俳句をある雑誌で見つけて、さっそく入門したのです。もう僕を助けてくれているのは、俳句だけです。他のことは、何をしても苦しめるばかりですね。もう、ほッとして。」
 青葉に射《さ》し込もっている光を見ながら、安らかに笑っている栖方の前で、梶は、もうこの青年に重要なことは何に一つ訊けないのだと思った。有象無象《うぞうむぞう》の大群衆を生かすか殺すか彼一人の頭にかかっている。これは眼前の事実であろうか、夢であろうか。とにかく、事はあまりに重大すぎて想像に伴なう実感が梶には起らなかった。
「しかし、君がそうして自由に外出できるところを見ると、まだ看視はそれほど厳しくないのですね。」と梶は訊ねた。
「厳しいですよ。俳句のことで出るというときだけ、許可してくれるのです。下宿屋全部の部屋が憲兵ばかりで、ぐるりと僕一人の部屋を取り包んでいるものですから、勝手なことの出来るのは、俳句だけです。もう堪《たま》らない。今日も憲兵がついて来たのですが、句会があるからと云って、品川で撒《ま》いちゃいました。」
 帰ってから憲兵への口実となる色紙の必要なことも、それで分った。梶は、自分の色紙が栖方の危険を救うだけ、自分へ疑惑のかかるのも感じたが、門標につながる縁もあって彼は栖方に色紙を書いた。
「科学上のことはよく僕には分らなくて、残念だが、今は秘密の奪い合いだから、君も相当に危いですね、気をつけなくちゃ。」
「そうです。先日も優秀な技師がピストルでやられました。それは優秀な人でしたがね。一度横須賀に来てみて下さい。僕らの工場をお見せしますから。」
「いや、そんな所を見せて貰っても、僕には分らないし、知らない方がいいですよ。あなたにこれでお訊ねしたいことが沢山あるが、もう全部やめです。それより、アインシュタインの間違いって、それは何んですか。」
「あれは仮設が間違っているのですよ。仮設から仮設へ渡っているのがアインシュタインの原理ですから、最初の仮設を叩《たた》いてみたら、他がみな弛《ゆる》んでしまって――」
 空中楼閣を描く夢はアインシュタインとて持ったであろうが、いまそれが、この栖方の検閲にあって礎石を覆えされているとは、これもあまりに大事件である。梶にはも早や話が続かなかった。栖方を狂人と見るには、まだ栖方の応答のどこ一つにも狂いはなかった。
「君の数学は独創ばかりのような感じがするが、君は零《ゼロ》の観念をどんな風に思うんです。君の数学では。僕は零《ゼロ》が肝心だと思うんだが、どうですか。」
「そこですよ。」栖方《せいほう》はひどく乗り出す風に早口になって笑った。「おれのは、みんなそこからです。誰一人分ってくれない。この間も、それで喧嘩《けんか》をしたのですが、日本の軍艦も船も、みな間違っているのです。船体の計算に誤算があるので、おれはそれを直してみたのですが、おれの云うようにすれば、六ノット速力が迅《はや》くなる、そういくら云っても、誰も聞いてはくれないのですよ。あの船体の曲り具合のところです。そこの零の置きどころが間違っているのです。」
 誰も判定のつきかねる所で、栖方はただ一人孤独な闘いをつづけているようだった。殊に、零点の置きどころを改革するというような、いわば、既成の仮設や単一性を抹殺《まっさつ》していく無謀さには、今さら誰も応じるわけにはいくまいと思われる。しかし、すでに、それだけでも栖方の発想には天才の資格があった。二十一歳の青年で、零の置きどころに意識をさし入れたということは、あらゆる既成の観念に疑問を抱いた証拠であった。おそらく、彼を認めるものはいなかろうと梶《かじ》は思った。
「通ることがありますか。あなたの主張は。」と梶は訊《たず》ねた。
「なかなか通りませんね。それでも、船のことはとうとう勝って通りました。学者はみんな僕をやっつけるんだけれども、おれは、証明してみせて云うんですから、仕方がないでしょう。これからの船は速度が迅くなりますよ。」
 どうでも良いことばかり雲集している世の中で、これだけはと思う一点を、射《さ》し動かして進行している鋭い頭脳の前で、大人たちの営営とした間抜けた無駄骨折りが、山のように梶には見えた。
「いっぺん工場を見に来てください。御案内しますから。面白いですよ。俳句の先生が来たんだからといえば、許可してくれます。」栖方は、梶が武器に関する質問をしないのが不服らしく、梶の黙っている表情に注意して云った。
「いや、それだけは見たくないなア。」と梶は答えを渋った。
 栖方は一層不満らしく黙っていた。前後を通じて栖方が梶に不満な表情を示したのは、このときだけだった。
「そんなところを見せてもらっても、僕には何の益にもならんからね。見たって分らないんだもの。」
 これは少し残酷だと梶は思いもした。しかし、梶には、物の根柢《こんてい》を動かしつづけている栖方の世界に対する、云いがたい苦痛を感じたからである。この梶の一瞬の感情には、喜怒哀楽のすべてが籠《こも》っていたようだった。便便として為すところなき梶自身の無力さに対する嫌悪や、栖方の世界に刃向う敵意や、殺人機の製造を目撃する淋しさや、勝利への予想に興奮する疲労や、――いや、見ないに越したことはない、と梶は思った。そして、栖方の云うままには動けぬ自分の嫉妬《しっと》が淋しかった。何となく、梶は栖方の努力のすべてを否定している自分の態度が淋しかった。
「君、排中律をどう思いますかね、僕の仕事で、いまこれが一番問題なんだが。」
 梶は、問うまいと思っていたことも、ついこんなに、話題を外《そ》らせたくなって彼を見た。すると、栖方は「あッ、」と小声の叫びをあげて、前方の棚の上に廻転《かいてん》している扇風機を指差した。
「零点五だッ。」
 閃《ひら》めくような栖方の答えは、勿論《もちろん》、このとき梶には分らなかった。しかし、梶は、訊《き》き返すことはしなかった。その瞬間の栖方の動作は、たしかに何かに驚きを感じたらしかったが、そっとそのまま梶は栖方をそこに沈めて置きたかった。
「あの扇風機の中心は零でしょう。中の羽根は廻《まわ》っていて見えませんが、ちょっと眼を脱《はず》して見た瞬間だけ、ちらりと見えますね。あの零から、見えるところまでの距離の率ですよ。」
 間髪を入れぬ栖方の説明は、梶の質問の壺《つぼ》には落ち込んでは来なかったが、いきなり、廻転している眼前の扇風機をひっ掴《つか》んで、投げつけたようなこの栖方の早業には、梶も身を翻す術《すべ》がなかった。
「その手で君は発明をするんだな。」
「おれのう、街を歩いていると、石に躓《つまず》いてぶっ倒れたんです。そしたら、横を通っていた電車の下っ腹から、火の噴いてるのが見えたんですよ。それから、家へ帰って、ラジオを点《つ》けようと思って、スイッチをひねったところが、ぼッと鳴って、そのまま何の音も聞えないんです。それで、電車の火と、ラジオのぼッといっただけの音とを結びつけてみて、考え出したのですよ。それが僕の光線です。」
 この発想も非凡だった。しかし、梶はそこで、急いで栖方の口を絞《し》めさせたかった。それ以上の発言は栖方の生命にかかわることである。青年は危険の限界を知らぬものだ。栖方も梶の知らぬところで、その限界を踏みぬいている様子があったが、注意するには早や遅すぎる疑いも梶には起った。
「倒れたのが発想か。倒れなかったら、何にもないわけだな。」
 これもすべてが零からだと梶は思って云った。彼は栖方が気の毒で堪《たま》らなかった。

 その日から梶は栖方の光線が気にかかった。それにしても、彼の云ったことが事実だとすれば、栖方の生命は風前の灯火《ともしび》だと梶は思った。いったい、どこか一つとして危険でないところがあるだろうか。梶はそんなに反対の安全率の面から探してみた。絶えず隙間《すきま》を狙《ねら》う兇器の群れや、嫉視《しっし》中傷《ちゅうしょう》の起す焔《ほのお》は何を謀《たくら》むか知れたものでもない。もし戦争が敗《ま》けたとすれば、その日のうちに銃殺されることも必定である。もし勝ったとしても、用がすめば、そんな危険な人物を人は生かして置くものだろうか。いや、危い。と梶はまた思った。この危険から身を防ぐためには――梶はその方法をも考えてみたが、すべての人間を善人と解さぬ限り、何もなかった。
 しかし、このような暗澹《あんたん》とした空気に拘《かかわ》らず、栖方の笑顔を思い出すと、光がぽッと射し展《ひら》いているようで明るかった。彼の表情のどこ一点にも愁いの影はなかった。何ものか見えないものに守護されている貴《とお》とさが溢《あふ》れていた。
 ある日、また栖方は高田と一緒に梶の家へ訪ねて来た。この日は白い海軍中尉の服装で短剣をつけている彼の姿は、前より幾らか大人に見えたが、それでも中尉の肩章はまだ栖方に似合ってはいなかった。
「君はいままで、危いことが度度あったでしょう。例えば、今思ってもぞっとするというようなことで、運よく生命が助かったというようなことですがね。」と、梶は、あの思惑から話半ばに栖方に訊ねてみた。
「それはもう、随分ありました。最初に海軍の研究所へ連れられて来たその日にも、ありました。」
 栖方はそう答えてその日のことを手短に話した。研究所へ着くなり栖方は新しい戦闘機の試験飛行に乗せられ、急直下するその途中で、機の性能計算を命ぜられたことがあった。すると、急にそのとき腹痛が起り、どうしても今日だけは赦《ゆる》して貰いたいと栖方は歎願《たんがん》した。軍では時日を変更することは出来ない。そこで、その日は栖方を除いたものだけで試験飛行を実行した。見ていると、大空から急降下爆撃で垂直に下って来た新飛行機は、栖方の眼前で、空中分解をし、ずぼりと海中へ突き込んだそのまま、尽《ことごと》く死んでしまった。
 また別の話で、ラバァウルへ行く飛行中、操縦席からサンドウィッチを差し出してくれたときのこと、栖方は身を斜めに傾けて手を延ばしたその瞬間、敵弾が飛んで来た。そして、彼に的《あた》らず、後ろのものが胸を撃ち貫かれて即死した。
 また別の第三の偶然事、これは一番|栖方《せいほう》らしく梶《かじ》には興味があったが、――少年の日のこと、まだ栖方は小学校の生徒で、朝学校へ行く途中、その日は母が栖方と一緒であった。雪のふかく降りつもっている路《みち》を歩いているとき、一羽の小鳥が飛んで来て彼の周囲を舞い歩いた。少年の栖方はそれが面白かった。両手で小鳥を掴《つか》もうとして追っかける度に、小鳥は身を翻して、いつまでも飛び廻《まわ》った。
「おれのう、もう掴まるか、もう掴まるかと思って、両手で鳥を抑《おさ》えると、ひょいひょいと、うまい具合に鳥は逃げるんです。それで、とうとう学校が遅れて、着いてみたら、大雪を冠《かぶ》ったおれの教室は、雪崩でぺちゃんこに潰《つぶ》れて、中の生徒はみな死んでいました。もう少し僕が早かったら、僕も一緒でした。」
 栖方は後で母にその小鳥の話をすると、そんな鳥なんかどこにもいなかったと母は云ったそうである。梶は訊《き》いていて、この栖方の最後の話はたとい作り話としても、すっきり抜けあがった佳作だと思った。
「鳥飛んで鳥に似たり、という詩が道元《どうげん》にあるが、君の話も道元に似てますね。」
 梶は安心した気持でそんな冗談を云ったりした。西日の射《さ》しこみ始めた窓の外で、一枚の木製の簾《すだれ》が垂れていた。栖方はそれを見ながら、
「先日お宅から帰ってから、どうしても眠れないのですよ。あの簾が眼について。」と云って、なお彼は窓の外を見つづけた。「僕はあの簾の横板が幾つあったか忘れたので、それを思い出そうとしても、幾ら考えても分らないのですよ。もう気が狂いそうになりましたが、とうとう分った。やっぱり合ってた。二十二枚だ。」栖方は嬉《うれ》しそうに笑顔だった。
「そんなことに気がつき出しちゃ、そりゃ、たまらないなア。」一人いるときの栖方の苦痛は、もう自分には分らぬものだと梶は思って云った。
「夢の中で数学の問題を解くというようなことは、よくあるんでしょうね。先日もクロネッカァという数学者が夢の中で考えついたという、青春の論理とかいう定理の話を聞いたが、――」
「もうしょっちゅうです。この間も朝起きてみたら、机の上にむつかしい計算がいっぱい書いてあるので、下宿の婆さんにこれだれが書いたんだと訊いたら、あなたが夕べ書いてたじゃありませんかというんです。僕はちっとも知らないんですがね。」
「じゃ、気狂い扱いにされるでしょう。」
「どうも、そう思ってるらしいですよ。」栖方はまた眼を上げて、ぱッと笑った。
 それでは今日は栖方の休日にしようと云うことになって、それから梶たち三人は句を作った。青葉の色のにじむ方に顔を向けた栖方は、「わが影を逐《お》いゆく鳥や山ななめ」という幾何学的な無季の句をすぐ作った。そして葉山の山の斜面に鳥の迫っていった四月の嘱目《しょくもく》だと説明した。高田の鋭く光る眼差《まなざし》が、この日も弟子を前へ押し出す謙抑《けんよく》な態度で、句会の場数を踏んだ彼の心遣《こころづか》いもよくうかがわれた。
「三たび茶を戴《いただ》く菊の薫《かお》りかな」
 高田の作ったこの句も、客人の古風に昂《たか》まる感情を締め抑えた清秀な気分があった。梶は佳《よ》い日の午後だと喜んだ。出て来た梶の妻も食べ物の無くなった日の詫《わ》びを云ってから、胡瓜《きゅうり》もみを出した。栖方は、梶の妻と地方の言葉で話すのが、何より慰まる風らしかった。そして、さっそく色紙へ、
「方言のなまりなつかし胡瓜もみ」という句を書きつけたりした。

 栖方たちが帰っていってから十数日たったある日、また高田ひとりが梶のところへ来た。この日の高田は凋《しお》れていた。そして、梶に、昨日《きのう》憲兵が来ていうには、栖方は発狂しているから彼の云いふらして歩くこと一切を信用しないでくれと、そんな注意を与えて帰ったということだった。
「それで、栖方の歩いたところへは、皆にそう云うよう、という話でしたから、お宅へもちょっとそのことをお伝えしたいと思いましてね。」
 一撃を喰《くら》った感じで梶は高田と一緒にしばらく沈んだ。みな栖方の云ったことは嘘《うそ》だったのだろうか。それとも、――彼を狂人にして置かねばならぬ憲兵たちの作略の苦心は、栖方のためかもしれないとも思った。
「君、あの青年を僕らも狂人としておこうじゃないですか。その方が本人のためにはいい。」と梶は云った。
「そうですね。」高田は垂れ下っていくような元気の失《う》せた声を出した。
「そうしとこう。その方がいいよ。」
 高田は栖方を紹介した責任を感じて詫びる風に、梶について掲っては来なかった。梶も、ともすると沈もうとする自分が怪しまれて来るのだった。
「だって君、あの青年は狂人に見えるよ。またそうかも知れないが、とにかく、もし狂人に見えなかったなら、栖方君は危いよ。あるいはそう見えるように、僕ならするかもしれないね。君だってそうでしょう。」
「そうですね。でも、何んだか、みなあれは、科学者の夢なんじゃないかと思いますよ。」高田はあくまで喜ぶ様子もなく、その日は一日重く黙り通した。
 高田が帰ってからも、梶は、今まで事実無根のことを信じていたのは、高田を信用していた結果多大だと思ったが、それにしても、梶、高田、憲兵たち、それぞれ三様の姿態で栖方を見ているのは、三つの零《ゼロ》の置きどころを違《たが》えている観察のようだった。
 一切が空虚だった。そう思うと、俄《にわか》に、そのように見えて来る空《むな》しかった一ヶ月の緊張の溶け崩れた気怠《けだ》るさで、いつか彼は空を見上げていた。
 残念でもあり、ほっとした安心もあり、辷《すべ》り落ちていく暗さもあった。明日からまたこうして頼りもない日を迎えねばならぬ――しかし、ふと、どうしてこんなとき人は空を見上げるものだろうか、と梶は思った。それは生理的に実に自然に空を見上げているのだった。円い、何もない、ふかぶかとした空を。――

 高田の来た日から二日目に、栖方から梶へ手紙が来た。それには、ただ今天皇陛下から拝謁《はいえつ》の御沙汰《ごさた》があって参内《さんだい》して来ましたばかりです。涙が流れて私は何も申し上げられませんでしたが、私に代って東大総長がみなお答えして下さいました。近日中御報告に是非御伺いしたいと思っております。とそれだけ書いてあった。栖方のことは当分忘れていたいと思っていた折、梶は多少この栖方の手紙に後ろへ戻る煩わしさを感じ、忙しそうな彼の字体を眺めていた。すると、その翌日栖方は一人で梶の所へ来た。
「参内したんですか。」
「ええ、何もお答え出来ないんですよ。言葉が出て来ないのです。一度僕の傍まで来られて、それから自分のお席へ戻られましたが、足数だけ算《かぞ》えていますと、十一歩でした。五メータです。そうすると、みすが下りまして、その対《むこ》うから御質問になるのです。」
 ぱッといつもの美しい微笑が開いた。この栖方の無邪気な微笑にあうと、梶は他の一切のことなどどうでも良くなるのだった。栖方の行為や仕事や、また、彼が狂人であろうと偽せものであろうと、そんなことより、栖方の頬《ほお》に泛《うか》ぶ次の微笑を梶は待ちのぞむ気持で話をすすめた。何よりその微笑だけを見たかった。
「陛下は君の名を何とお呼びになるの。」
「中尉は、と仰言《おっしゃ》いましたよ。それからおって沙汰《さた》する、と最後に仰言《おっしゃ》いました。おれのう、もう頭がぼッとして来て、気狂いになるんじゃないかと思いましたよ。どうも、あれからちょっとおかしいですよ。」
 栖方《せいほう》は眼をぱちぱちさせ、云うことを聞かなくなった自分の頭を撫《な》でながら、不思議そうに云った。
「それはお芽出《めで》たいことだったな。用心をしないと、気狂いになるかもしれないね。」
 梶《かじ》はそう云う自分が栖方を狂人と思って話しているのかどうか、それがどうにも分らなかった。すべて真実だと思えば真実であった。嘘《うそ》だと思えばまた尽《ことごと》く嘘に見えた。そして、この怪しむべきことが何の怪しむべきことでもない、さっぱりしたこの場のただ一つの真実だった。排中律のまっただ中に泛《うか》んだ、ただ一つの直感の真実は、こうしていま梶に見事な実例を示してくれていて、「さア、どうだ、どうだ。返答しろ。」と梶に迫って来ているようなものだった。それにも拘《かかわ》らず、まだ梶は黙っているのである。「見たままのことさ、おれは微笑を信じるだけだ。」と、こう梶は不精に答えてみたものの、何ものにか、巧みに転がされころころ翻弄《ほんろう》されているのも同様だった。
「今日お伺いしたのは、一度|御馳走《ごちそう》したいのですよ。一緒にこれから行ってくれませんか。自動車を渋谷の駅に待たせてあるのです。」と、栖方は云った。
「今ごろ御馳走を食べさすようなところ、あるんですか。」
「水交社《すいこうしゃ》です。」
「なるほど、君は海軍だったんですね。」と、梶は、今日は学生服ではない栖方の開襟服の肩章を見て笑った。
「今日はおれ、大尉の肩章をつけてるけれど、本当はもう少佐なんですよ。あんまり若く見えるので、下げてるんです。」
 少年に見える栖方のまだ肩章の星数を喜ぶ様子が、不自然ではなかった。それにしても、この少年が祖国の危急を救う唯一の人物だとは、――実際、今さし迫っている戦局を有利に導くものがありとすれば、栖方の武器以外にありそうに思えないときだった。しかし、それにしても、この栖方が――幾度も感じた疑問がまた一寸《ちょっと》梶に起ったが、何一つ梶は栖方の云う事件の事実を見たわけではない。また調べる方法とてもない夢だ。彼のいう水交社への出入も栖方一人の夢かどうか、ふと梶はこのとき身を起す気持になった。
「君という人は不思議な人だな。初めに君の来たときには、何んだか跫音《あしおと》が普通の客とどこか違っていたように思ったんだが。――」と梶は呟《つぶや》くように云った。
「あ、あのときは、おれ、駅からお宅の玄関まで足数を計って来たのですよ。六百五十二歩。」栖方はすぐ答えた。
 なるほど、彼の正確な足音の謎《なぞ》はそれで分った、と梶は思った。梶は栖方の故郷をA県のみを知っていて、その県のどこかは知らなかったが、初め来たとき梶は栖方に、君の生家の近くに平田篤胤《ひらたあつたね》の生家がありそうな気がするが、と一言|訊《き》くと、このときも「百メータ、」と明瞭《めいりょう》にすぐ答えた。また、海軍との関係の成立した日の腹痛の翌日、新飛行機の性能実験をやらされたとき、栖方は、垂直に落下して来る機体の中で、そのときでなければ出来ない計算を四度び繰り返した話もした。そして、尾翼に欠点のあることを発見して、「よくなりますよ。あの飛行機は。」と云ったりしたが、氾濫《はんらん》しつつ彼の頭に襲いかかって来る数式の運動に停止を与えることが出来ないなら、栖方の頭も狂わざるを得ないであろうと梶は思った。
 正確だから狂うのだ、という逆説は、彼にはたしかに通用する近代の見事な美しさをも語っている。
「君はきょうは、水交社から来たんですか。憲兵はついて来ていないの。」と梶は栖方に家を出る前|訊《たず》ねてみた。
「きょうは父島から帰ったばかりですよ。その足で来たのです。」
 栖方の発音では父島が千島《ちしま》と聞えるので、千島へどうしてと梶が訊ね返すと、チチジマと栖方は云い直した。
「実験をすませて来たのですよ。成功しました。一番早く死ぬのは猫ですね。あれはもう、一寸光線をあてると、ころりと逝《ゆ》く。その次が犬です。猿はどういうものか少し時間をとりますね。」
 と栖方は低く笑いながら、額に日灼《ひや》けの条《すじ》の入った頭を痒《か》いた。狂人の寝言のように無雑作《むぞうさ》にそう云うのも、よく聞きわけて見ると、恐るべき光線の秘密を呟いているのだった。
「僕は動物の心臓というものに興味が出て来ましたよ。どうも、いろいろ心臓に種類があるような気がして来て、これを皆|験《しら》べたら面白いだろうなアと思いました。」
 栖方の武器は、事実それなら進行しているのだろうか、と梶は思った。しかし、何ぜだか梶は、ここまで彼と親しくなって来ていても、それが事実かどうかを栖方に訊き返す気はしなかった。あまりに面倒で起っている事件は異様すぎて、却《かえ》って梶に迫力を与えない。のみならず、どこかで栖方をまだ狂人と思っているところがあって、何を云っても彼を許しておけるのだった。
「父島まではどれほどかかるのです。」
「二時間です。あそこの電力は弱いから、実験は思うようには出来ないんですよ。それでも、一万フィートぐらいまでなら、効力がありますね。初めは海中では駄目だろうと思っていたんですが、海水は塩だから、空気中より海中の方が、効力のあることが分りましたよ。」
「へえ、一万フィートなら相当なものだな。うまくゆきますか、飛行機だと落ちますね。」
「落ちました。初め操縦士と合図しといて落下傘で飛び降りてから、その後の空虚《から》の飛行機へ光線をあてたのです。うまくゆきましたよ。操縦士と夕べは握手して、ウィスキイを二人で飲みました。愉快でしたよそのときは。」
 自信に満ちた栖方の笑顔は、日常眼にする群衆の憂鬱《ゆううつ》な顔とはおよそかけ放れて晴れていた。
「潜水艦にもかけてみましたが、これは、うっかりして、後尾へ当っちゃったものだから、浮きあがる筈《はず》のやつが、いつまでも浮かないんですよ。気の毒なことをした。でも、まア、仕様がない、国のためだから、我慢をしてもらわなきゃア。」
 ちょっと栖方は悲しげな表情になったが、それも忽《たちま》ち晴れあがった。
「日本の潜水艦?」と梶は驚いて訊ねた。
「そうです。いやだったなア、あのときは。もう実験はこりごりだと思いましたね。あれだからいやになる。」
 異様な事件が不思議と真実の相をおびて梶に迫って来始めた。では、みな事実か。この青年の口走っていることは――
「しかし、そんな武器を悪人に持たした日には、事だなア。」と梶は思わず呟いた。
「そうですよ。監理が大変です。」
「人類が滅んじまうよ。」
「その武器を積んだ船が六ぱいあれば、ロンドンの敵前上陸が出来ますよ。アメリカなら、この月末にだって上陸は出来ますね。」
 もう冗談事ではなかった。どこからどこまで充実した話か依然疑問は残りながらも、一言ごとに栖方の云い方は、空虚なものを充填《じゅうてん》しつつ淡淡とすすんでいる。梶は自分が驚いているのかどうか、も早やそれも分らなかった。しかし、どうしてこんな場合に、不意に悪人のことを自分は考えたのだろうか。たしかに、事は戦争の勝ち敗《ま》けのことだけでは済みそうにないと梶は思った。勿論《もちろん》、彼は自分が国を愛していることは疑わなかった。負けることを望むなどとは考えることさえ出来ないことだった。勝ってもらいたかった。しかし、勝っている間は、こんなに勝ちつづけて良いものだろうかという愁いがあった。それが敗《ま》け色がつづいて襲って来てみると、愁いどころの騒ぎでは納まらなかった。戦争というものの善悪《ぜんあく》如何《いかん》にかかわらず祖国の滅亡することは耐えられることではなかった。そこへ出現して来た栖方《せいほう》の新武器は、聞いただけでも胸の躍ることである。それに何故また自分はその武器を手にした悪人のことなど考えるのだろうか。ひやりと一抹《いちまつ》の不安を覚えるのはどうしたことだろうか。――梶は自分の心中に起って来たこの二つの真実のどちらに自分の本心があるものか、暫《しばら》くじっと自分を見るのだった。ここにも排中律の詰めよって来る悩ましさがうすうすともみ起って心を刺して来るのだった。先日までは、まだ栖方の新武器が夢だと思っていた先日まで、栖方の生命の安危が心配だったのに、それが事実に近づいて来てみると、彼のことなども早やどうでも良くなって、悪魔の所在を嗅《か》ぎつけようとしている自分だということは、――悪魔、たしかにいるのだこ奴は、と梶《かじ》は思った。
「その君の武器は、善人に手渡さなきゃア、国は滅ぶね。もし悪人に渡した日には、そりゃ、敗けだ。」と、何ぜともなく梶は呟《つぶや》いて立ち上った。神います、と彼は文句なくそう思ったのである。

 栖方と梶とは外へ出た。西日の射《さ》す退《ひ》けどきの渋谷のプラットは、車内から流れ出る客と乗り込む客とで渦巻いていた。その群衆の中に混って、乗るでもない、降りもしない一人の背高い、蒼《あお》ざめた帝大の角帽姿の青年が梶の眼にとまった。憂愁を湛《たた》えた清らかな眼差《まなざし》は、細く耀《かがや》きを帯びて空中を見ていたが、栖方を見ると、つと美しい視線をさけて外方《そっぽ》を向いたまま動かなかった。
「あそこに帝大の生徒がいるでしょう。」
 と栖方は梶に云った。
「ふむ。いる。」
「あれは僕の同僚ですよ。やはり海軍詰めですがね。」
 群衆の流れのままに二人は、海軍と理科との二つの襟章をつけたその青年の方へ近づいた。
「あッ、黙っているな。敵愾心《てきがいしん》を感じたかな。」と栖方は云うと、横を向いた青年の背後を、これもそのまま梶と一緒に過ぎていった。
「もう僕は、憎まれる憎まれる。誰も分ってくれやしない。」と栖方はまた呟いたが、歩調は一層|活溌《かっぱつ》に戞戞《かつかつ》と響いた。並んだ梶は栖方の歩調に染ってリズミカルになりながら、割れているのは群衆だけではないと思った。日本で最も優秀な実験室の中核が割れているのだ。
 栖方が待たせてあると云った自動車は、渋谷の広場にはいなかった。そこで二人は都電で六本木まで行くことにしたが、栖方は、自動車の番号を梶に告げ、街中で見かけたときはその番号を呼び停《と》めていつでも乗ってくれと云ったりした。電車の中でも栖方は、二十一歳の自分が三十過ぎの下僚を呼びつけにする苦痛を語ってから、こうも云った。
「僕がいま一番尊敬しているのは、僕の使っている三十五の伊豆《いず》という下級職工ですよ。これを叱《しか》るのは、僕には一番|辛《つら》いことですが、影では、どうか何を云っても赦《ゆる》して貰いたい、工場の中だから、君を呼び捨てにしないと他のものが、云うことを聞いてはくれない、国のためだと思って、当分は赦してほしいと頼んであるんです。これは豪《えら》い男ですよ。人格も立派です。そこへいくと、僕なんか、伊豆を呼び捨てに出来たもんじゃありませんがね。」
 この栖方のどこが狂人なのだろうか、と梶はまた思った。二十一歳で博士になり、少佐の資格で、齢上《としうえ》の沢山な下僚を呼び捨てに手足のごとく使い、日本人として最高の栄誉を受けようとしている青年の挙動は、栖方を見遁《みのが》して他に例のあったためしはない。それなら、これからゆく先の長い年月、栖方は今あるよりもただ下るばかりである。何という不幸なことだろう、梶はこの美しい笑顔をする青年が気の毒でならなかった。
 六本木で二人は降りた。橡《とち》の木の並んだ狸穴《まみあな》の通りを歩いたとき、夕暮のせまった街に人影はなかった。そこを坂下からこちらへ十人ばかりの陸軍の兵隊が、重い鉄材を積んだ車を曳《ひ》いて登って来ると、栖方の大尉の襟章を見て、隊長の下士が敬礼ッと号令した。ぴたッと停《とま》った一隊に答礼する栖方の挙手は、隙《すき》なくしっかり板についたものだった。軍隊内の栖方の姿を梶は初めて見たと思った。
「もう君には、学生臭はなくなりましたね。」と梶は云った。
「僕は海軍より陸軍の方が好きですよ。海軍は階級制度がだらしなくって、その点陸軍の方がはっきりしていますからね。僕はいま陸軍から引っ張りに来ているんですが、海軍が許さないのです。」
 水交社《すいこうしゃ》が見えて来た。この海軍将校の集会所へ這入《はい》るのは、梶には初めてであった。どこの煙筒からも煙の出ないころだったが、ここの高い煙筒だけ一本|濛濛《もうもう》と煙を噴き上げていた。携帯品預所の台の上へ短剣を脱《はず》して出した栖方は、剣の柄のところに菊の紋の彫られていることを梶に云って、
「これ僕んじゃないのですが、恩賜の軍刀ですよ。他人のを借りて来たんです。もうじき、僕も貰うもんですから。」
 子供らしくそう云いながら、室の入口へ案内した。そこには佐官以上の室の標札が懸っていた。油の磨きで黒黒とした光沢のある革張りのソファや椅子《いす》の中で、大尉の栖方は若若しいというより、少年に見える不似合な童顔をにこにこさせ、梶に慰めを与えようとして骨折っているらしかった。食事のときも、集っている将校たちのどの顔も沈鬱《ちんうつ》な表情だったが、栖方だけ一人|活《い》き活《い》きとし笑顔で、肱《ひじ》を高くビールの壜《びん》を梶のコップに傾けた。フライやサラダの皿が出たとき、
「そんな君の尉官の襟章で、ここにいてもいいのですか。」と梶は訊《たず》ねてみた。
「みなここの人は僕のことを知ってますよ。」
 栖方は悪びれずに答えた。そのとき、また一人の佐官が梶の傍へ来て坐《すわ》った。そして、栖方に挨拶《あいさつ》して黙黙とフォークを持ったが、この佐官もひどくこの夕は沈んでいた。もう海軍力はどこの海面のも全滅している噂《うわさ》の拡《ひろ》がっているときだった。レイテ戦は総敗北、海軍の大本山、戦艦大和も撃沈された風説が流れていた。
 珍らしいパン附の食事を終ってから、梶と栖方は、中庭の広い芝生へ降りて東郷神社と小額のある祠《ほこら》の前の芝生へ横になった。中庭から見た水交社は七階の完備したホテルに見えた。二人の横たわっている前方の夕空にソビエットの大使館が高さを水交社と競っていた。東郷|小祠《しょうし》の背後の方へ、折れ曲っている広い特別室に灯が入った。栖方は黄楊《つげ》の葉の隙から見える後のその室を指して、
「あれは少将以上の食堂ですが、何か会議があるらしいですよ。」と説明した。大きな建物全体の中でその一室だけ煌煌《こうこう》と明るかった。爽《さわ》やかな白いテーブルクロスの間を白い夏服の将官たちが入口から流れ込んで来た。梶は、敗戦の将たちの灯火を受けた胸の流れが、漣《さざなみ》のような忙しい白さで着席していく姿と、自分の横の芝生にいま寝そべって、半身を捻《ね》じ曲げたまま灯の中をさし覗《のぞ》いている栖方を見比べ、大厦《たいか》の崩れんとするとき、人皆この一木に頼るばかりであろうかと、あたりの風景を疑った。一人の明※[#「析/日」、第3水準1-85-31]判断《めいせきはんだん》のない狂いというものの持つ恐怖は、も早や日常茶飯事の平静ささえ伴なっている静かな夕暮だった。
「ここへ来る人間は、みなあの部屋へ這入《はい》りたいのだろうが、今夜のあの灯の下には哀愁があるね。前にはソビエットが見ているし。」
「僕は、本当は小説を書いてみたいんですよ。帝大新聞に一つ出したことがあるんですが、相対性原理を叩《たた》いてみた小説で、傘屋の娘というです。」
 どういう栖方《せいほう》の空想からか、突然、栖方は手枕《てまくら》をして梶《かじ》の方を向き返って云った。
「ふむ。」梶はまことに意外であった。
「長篇《ちょうへん》なんですよ。数学の教授たちは面白い面白いと云ってくれましたが、僕はこれから、数学を小説のようにして書いてみたいんです。あなたの書かれた旅愁というの、四度読みましたが、あそこに出て来る数学のことは面白かったなア。」
 考えれば、寝ても立ってもおられぬときだのに、大厦《たいか》を支える一木が小説のことをいうのである。遽《あわただ》しい将官たちの往《ゆ》き来《き》とソビエットに挟まれた夕闇《ゆうやみ》の底に横たわりながら、ここにも不可解な新時代はもう来ているのかしれぬと梶は思った。
「それより、君の光線の色はどんな色です。」と梶は話を反らせて訊《たず》ねた。
「僕の光線は昼間は見えないけども、夜だと周囲がぽッと青くて、中が黄色い普通の光です。空に上ったら見ていて下さい。」
「あそこでやっている今夜の会議も、君の光の会議かもしれないな。どうもそれより仕様がない。」
 暗くなってから二人は帰り仕度をした。携帯品預所で栖方は、受け取った短剣を腰に吊《つ》りつつ梶に、「僕は功一級を貰うかもしれませんよ。」と云って、元気よく上着を捲《ま》くし上げた。
 外へ出て真ッ暗な六本木の方へ、歩いていくときだった。また栖方は梶に擦りよって来ると、突然声をひそめ、今まで抑《おさ》えていたことを急に吐き出すように、
「巡洋艦四|隻《せき》と、駆逐艦四隻を沈めましたよ。光線をあてて、僕は時計をじっと計っていたら、四分間だった。たちまちでしたよ。」
 あたりには誰もいなかった。暗中|匕首《あいくち》を探ぐってぐっと横腹を突くように、栖方は腰のズボンの時計を素早く計る手つきを示して梶に云った。
「しかし、それなら発表するでしょう。」
「そりゃ、しませんよ。すぐ敵に分ってしまう。」
「それにしても――」
 二人はまた黙って歩きつづけた。緊迫した石垣の冷たさが籠《こ》み冴《さ》えて透《とお》った。暗い狸穴《まみあな》の街路は静な登り坂になっていて、ひびき返る靴音だけ聞きつつ梶は、先日から驚かされた頂点は今夜だったと思った。そして、栖方の云うことを嘘《うそ》として退けてしまうには、あまりに無力な自分を感じてさみしかった。いや、それより、自分の中から剥《は》げ落ちようとしている栖方の幻影を、むしろ支えようとしているいまの自分の好意の原因は、みな一重に栖方の微笑に牽引《けんいん》されていたからだと思った。彼はそれが口惜しく、ひと思いに彼を狂人として払い落してしまいたかった。梶は冷然としていく自分に妙に不安な戦慄《せんりつ》を覚え、黒黒とした樹立《こだち》の沈黙に身をよせかけていくように歩いた。
「僕はね、先生。」とまた暫《しばら》くして、栖方は梶に擦りよって来て云った。「いま僕は一つ、悩んでいることがあるんですよ。」
「何んです。」
「僕は今まで一度も、死ぬということを恐《こわ》いと思ったことはなかったんですが、どういうものだが、先日から死ぬことが恐くなって来たんです。」
 栖方の本心が眼覚《めざ》めて来ている。梶はそう思って、「ふむ」と云った。
「何ぜでしょうかね。僕はもうちょっと生きていたいのですよ。僕はこのごろ、それで眠れないのです。」
 深部の人間が揺れ動いて来ている声である。気附いたなと梶は思った。そして、耳をよせて次の栖方の言葉を待つのだった。また二人は黙って暫く歩いた。
「僕はもう、誰かにすがりつきたくって、仕様がない。誰もないのです。」
 今まで無邪気に天空で戯れていた少年が人のいない周囲を見廻《みまわ》し、ふと下を覗《のぞ》いたときの、泣きだしそうな孤独な恐怖が洩《も》れていた。
「そうだろうな。」
 答えようのない自分がうすら悲しく、梶は、街路樹の幹の皮の厚さを見過してただ歩くばかりだった。彼は早く灯火の見える辻《つじ》へ出たかった。丁度、そうして夕暮れ鉄材を積んだ一隊の兵士と出会った場所まで来たとき、溌剌《はつらつ》としていた昼間の栖方を思い出し、やっと梶は云った。
「しかし、君、そういうところから人間の生活は始まるのだから、あなたもそろそろ始まって来たのですよ。何んでもないのだ、それは。」
「そうでしょうか。」
「誰にもすがれないところへ君は出たのさ。零《ゼロ》を見たんですよ。この通りは狸穴といって、狸《たぬき》ばかり棲《す》んでいたらしいんだが、それがいつの間にか、人間も棲むようになって、この通りですからね。僕らの一生もいろんなところを通らねばならんですよ。これだけはどう仕様もない。まァ、いつも人は、始まり始まりといって、太鼓でも叩《たた》いて行くのだな。死ぬときだって、僕らはそう為《し》ようじゃないですか。」
「そうだな。」
 漸《よう》やく泣き停ったような栖方の正しい靴音が、また梶に聞えて来た。六本木の停留所の灯が二人の前へさして来て、その下に塊《かたま》っている二三の人影の中へ二人は立つと、電車が間もなく坂を昇って来た。

 秋風がたって九月ちかくなったころ、高田が梶の所へ来た。栖方の学位論文通過の祝賀会を明日催したいから、梶に是非出席してほしい、場所は横須賀で少し遠方だが、栖方から是非とも梶だけは連れて来て貰いたいと依頼されたということで、会を句会にしたいという。句会の祝賀会なら出席することにして、梶は高田の誘いに出て来る明日を待った。
「どういう人が今日は出るのです。」
 と、梶は次の日、横須賀行の列車の中で高田に訊ねた。大尉級の海軍の将校数名と俳句に興味を持つ人たちばかりで、山の上にある飛行機製作技師の自宅で催すのだと、高田の答えであった。
「この技師は俳句も上手《うま》いが、優秀な豪《えら》い技師ですよ。僕と俳句友達ですから、遠慮の要《い》らない間柄なんです。」と高田は附加して云った。
「しかし、憲兵に来られちゃね。」
「さァ、しかし、そこは句会ですから、何とかうまくやるでしょう。」
 途中の間も、梶と高田は栖方が狂人か否かの疑問については、どちらからも触れなかった。それにしても、栖方を狂人だと判定して梶に云った高田が、その栖方の祝賀会に、梶を軍港まで引き摺《ず》り出そうとするのである。技師の宅は駅からも遠かった。海の見える山の登りも急な傾きで、高い石段の幾曲りに梶は呼吸がきれぎれであった。葛《くず》の花のなだれ下った斜面から水が洩れていて、低まっていく日の満ちた谷間の底を、日ぐらしの声がつらぬき透っていた。
 頂上まで来たとき、青い橙《だいだい》の実に埋った家の門を這入《はい》った。そこが技師の自宅で句会はもう始っていた。床前に坐《すわ》らせられた正客の栖方の頭の上に、学位論文通過祝賀俳句会と書かれて、その日の兼題も並び、二十人ばかりの一座は声もなく句作の最中であった。梶と高田は曲縁の一端のところですぐ兼題の葛の花の作句に取りかかった。梶は膝《ひざ》の上に手帖を開いたまま、中の座敷の方に背を向け、柱にもたれていた。枝をしなわせた橙の実の触れあう青さが、梶の疲労を吸いとるようであった。まだ明るく海の反射をあげている夕空に、日ぐらしの声が絶えず響き透っていた。
「これは僕の兄でして。今日、出て来てくれたのです。」
 栖方は後方から小声で梶に紹介した。東北なまりで、礼をのべる小柄な栖方の兄の頭の上の竹筒から、葛《くず》の花が垂れていた。句会に興味のなさそうなその兄は、間もなく、汽車の時間が切れるからと挨拶《あいさつ》をして、誰より先に出ていった。
「橙《たう》青き丘の別れや葛の花」
 梶《かじ》はすぐ初めの一句を手帖に書きつけた。蝉《せみ》の声はまだ降るようであった。ふと梶は、すべてを疑うなら、この栖方《せいほう》の学位論文通過もまた疑うべきことのように思われた。それら栖方のしていることごとが、単に栖方個人の夢遊中の幻影としてのみの事実で、真実でないかもしれない。いわば、その零《ゼロ》のごとき空虚な事実を信じて誰も集り祝っているこの山上の小会は、いまこうして花のような美しさとなり咲いているのかもしれない。そう思っても、梶は不満でもなければ、むなしい感じも起らなかった。
「日ぐらしや主客に見えし葛の花」と、また梶は一句書きつけた紙片を盆に投げた。
 日が落ちて部屋の灯が庭に射《さ》すころ、会の一人が隣席のものと囁《ささや》き交しながら、庭のま垣の外を見詰めていた。垣裾《かきすそ》へ忍びよる憲兵の足音を聞きつけたからだった。主宰者が憲兵を中へ招じ入れたものか、どうしたものかと栖方に相談した。
「いや、入れちゃ不可《いか》ん。癖になる。」
 床前に端座した栖方は、いつもの彼には見られぬ上官らしい威厳で首を横に振った。断乎《だんこ》とした彼の即決で、句会はそのまま続行された。高田の披講で一座の作句が読みあげられていくに随《したが》い、梶と高田の二作がしばらく高点を競りあいつつ、しだいにまた高田が乗り越えて会は終った。丘を下っていくものが半数で、栖方と親しい後の半数の残った者の夕食となったが、忍び足の憲兵はまだ垣の外を廻《まわ》っていた。酒が出て座がくつろぎかかったころ、栖方は梶に、
「この人はいつかお話した伊豆《いず》さんです。僕の一番お世話になっている人です。」
 と紹介した。
 労働服の無口で堅固な伊豆に梶は礼をのべる気持になった。栖方は酒を注《つ》ぐ手伝いの知人の娘に軽い冗談を云ったとき、親しい応酬をしながらも、娘は二十一歳の博士の栖方の前では顔を赧《あか》らめ、立居に落ち付きを無くしていた。いつも両腕を組んだ主宰者の技師は、静かな額に徳望のある気品を湛《たた》えていて、ひとり和やかに沈む癖があった。
 東京からの客は少量の酒でも廻りが早かった。額の染った高田は仰向きに倒れて空を仰いだときだった。灯をつけた低空飛行の水上機が一機、丘すれすれに爆音をたてて舞って来た。
「おい、栖方の光線、あいつなら落せるかい。」と高田は手枕《てまくら》のまま栖方の方を見て云った。一瞬どよめいていた座はしんと静まった。と、高田ははッと我に返って起きあがった。そして、厳しく自分を叱責《しっせき》する眼付きで端座し、間髪を入れぬ迅《はや》さで再び静まりを逆転させた。見ていて梶は、鮮かな高田の手腕に必死の作業があったと思った。襯衣《シャツ》一枚の栖方はたちまち躍るように愉《たの》しげだった。
 その夜は梶と高田と栖方の三人が技師の家の二階で泊った。高田が梶の右手に寝て、栖方が左手で、すぐ眠りに落ちた二人の間に挟まれた梶は、寝就《ねつ》きが悪く遅くまで醒《さ》めていた。上半身を裸体にした栖方は蒲団《ふとん》を掛けていなかった。上蒲団の一枚を四つに折って顔の上に乗せたまま、両手で抱きかかえているので、彼の寝姿は座蒲団を四五枚顔の上に積み重ねているように見えて滑稽《こっけい》だった。どういう夢を見ているものだろうかと、夜中ときどき梶は栖方を覗《のぞ》きこんだ。ゆるい呼吸の起伏をつづけている臍《へそ》の周囲のうすい脂肪に、鈍く電灯の光が射していた。蒲団で栖方の顔が隠れているので、首なしのようにみえる若い胴の上からその臍が、
「僕、死ぬのが何んだか恐《こわ》くなりました。」と梶に呟《つぶや》くふうだった。梶は栖方の臍も見たと思って眠りについた。

 梶と栖方はその後一度も会っていない。その秋から激しくなった空襲の折も、梶は東京から一歩も出ず空を見ていたが、栖方の光線はついに現れた様子がなかった。梶は高田とよく会うたびに栖方のことを訊《たず》ねても、家が焼け棲家《すみか》のなくなった高田は、栖方についてはもう興味の失《う》せた答えをするだけで、何も知らなかった。ただ一度、栖方と別れて一ヶ月もしたとき、句会の日の技師から高田にあてて、栖方は襟章の星を一つ附加していた理由を罪として、軍の刑務所へ入れられてしまったという報告のあったことと、空襲中、技師は結婚し、その翌日急病で死亡したという二つの話を、梶は高田から聞いただけである。栖方と同じ所に勤務していた技師に死なれては、高田もそこから栖方のことを聞く以外に、方法のなかったそれまでの道は断ちきれたわけであった。随《したが》って梶もまたなかった。
 戦争は終った。栖方は死んでいるにちがいないと梶は思った。どんな死に方か、とにかく彼はもうこの世にはいないと思われた。ある日、梶は東北の疎開先にいる妻と山中の村で新聞を読んでいるとき、技術院総裁談として、わが国にも新武器として殺人光線が完成されようとしていたこと、その威力は三千メートルにまで達することが出来たが、発明者の一青年は敗戦の報を聞くと同時に、口惜しさのあまり発狂死亡したという短文が掲載されていた。疑いもなく栖方のことだと梶は思った。
「栖方死んだぞ。」
 梶はそう一言妻に伝って新聞を手渡した。一面に詰った黒い活字の中から、青い焔《ほのお》の光線が一条ぶつと噴きあがり、ばらばらッと砕け散って無くなるのを見るような迅さで、梶の感情も華ひらいたかと思うと間もなく静かになっていった。みな零になったと梶は思った。
「あら、これは栖方さんだわ。とうとう亡くなったのね。一機も入れないって、あたしに云ってらしたのに。ほんとに、敗《ま》けたと聞いて、くらくらッとしたんだわ。どうでしょう。」
 妻のそういう傍で、梶は、栖方の発狂はもうすでにあのときから始っていたのだと思われた。彼の云ったりしたりしたことは、あることは事実、あることは夢だったのだと思った。そして、梶は自分も少しは彼に伝染して、発狂のきざしがあったのかもしれないと疑われた。梶は玉手箱の蓋《ふた》を取った浦島のように、呆《ほう》ッと立つ白煙を見る思いで暫《しばら》く空を見あげていた。技師も死に、栖方も死んだいま見る空に彼ら二人と別れた横須賀の最後の日が映じて来る。技師の家で一泊した翌朝、梶は栖方と技師と高田と四人で丘を降りていったとき、海面に碇泊《ていはく》していた潜水艦に直撃を与える練習機を見降ろしながら、技師が、
「僕のは幾ら作っても作っても、落される方だが、栖方のは落とす方だからな、僕らは敵《かな》いませんよ。」
 悄然《しょうぜん》として呟く紺背広《こんせびろ》の技師の一歩前で、これはまた溌剌《はつらつ》とした栖方の坂路を降りていく鰐足《わにあし》が、ゆるんだ小田原提灯《おだわらぢょうちん》の巻ゲートル姿で泛《うか》んで来る。それから三笠艦を見物して、横須賀の駅で別れるとき、
「では、もう僕はお眼にかかれないと思いますから、お元気で。」
 はっきりした眼付きで、栖方はそう云いながら、梶に強く敬礼した。どういう意味か、梶は別れて歩くうち、ふと栖方のある覚悟が背に沁《し》み伝わりさみしさを感じて来たが、――
 疎開先から東京へ戻って来て梶は急に病気になった。ときどき彼を見舞いに来る高田と会ったとき、梶は栖方のことを云い出してみたりしたが、高田は死児の齢《よわい》を算《かぞ》えるつまらなさで、ただ曖昧《あいまい》な笑いをもらすのみだった。
「けれども、君、あの栖方の微笑だけは、美しかったよ。あれにあうと、誰でも僕らはやられるよ。あれだけは――」
 微笑というものは人の心を殺す光線だという意味も、梶は含めて云ってみたのだった。それにしても、何よりも美しかった栖方《せいほう》のあの初春のような微笑を思い出すと、見上げている空から落ちて来るものを待つ心が自ら定って来るのが、梶《かじ》には不思議なことだった。それはいまの世の人たれもが待ち望む一つの明※[#「析/日」、第3水準1-85-31]判断《めいせきはんだん》に似た希望であった。それにも拘《かかわ》らず、冷笑するがごとく世界はますます二つに分れて押しあう排中律のさ中にあって漂いゆくばかりである。梶は、廻転《かいてん》している扇風機の羽根を指差しぱッと明るく笑った栖方が、今もまだ人人に云いつづけているように思われる。
「ほら、羽根から視線を脱《はず》した瞬間、廻《まわ》っていることが分るでしょう。僕もいま飛び出したばかりですよ。ほら。」

底本:「昭和文学全集 第5巻」小学館
   1986(昭和61)年12月1日初版第1刷発行
底本の親本:「定本横光利一全集」河出書房新社
   1981(昭和56)年~
入力:阿部良子
校正:松永正敏
2003年6月12日作成
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横光利一

碑文—–横光利一

雨は降り続いた。併し、ヘルモン山上のガルタンの市民は、誰もが何日太陽を眺め得るであらうかと云ふ予想は勿論、何日から此の雨が降り始めたか、それすら今は完全に思ひ出すことも出来なくなつた。人々の胃には水が溜つた。さうして、婦女達の乳房はだんだん青く脹らみ、赤子や子供は水を飲まされた怒りのために母親の乳首を噛んだ。
 最早や人々は空を見飽きた。高窓から首を差し出して空を仰いでゐるのを見ると、通行人は腹立たしさに歩道の上で嘲弄した。
「ああ、高窓からガルタンの太陽が現れた。」
 忽ち怒つた顔が高窓から椅子や器物を歩道の上へ投げつけた。続いて礫が高窓を狙つて飛び込んだ。が、またそれは忽ちの間に鎮ると、後悔の標に、彼らの蒼ざめた顔が高窓の上と下とでげら/\と笑ひ合つた。
 日に日に酒甕を冠つて横たはつてゐる酔漢が、歩道や廻廊や石階の上に増して来た。
「ガルタンの空は旱魃である。」
「ガルタンの市民は、レバノンの戍楼《やぐら》のごとく干されるであらう。」
 彼らは瞞着した皮肉を浮べながら、酒舖から酒舖へ蹣跚として蹌踉めいていつた。が、彼らの頭は夜が来ると一様に冴え渡つた。時々深夜に狂つた管絃楽が突発した。すると、忽ち城市の方々からは、乱雑な舞踏が一斉に爆けた鋼螺《バネ》線のやうに噴出した。不眠に懊む者達は寝台の上から飛び降りた。さうして、彼らは何時の間にか、見ず知らずの者達と一つの集団を作りながら、歩道や廻廊の上を暴徒《モツブ》のやうに躍り廻つてゐる自分を知つた。が立ち停つて顔を見合せた瞬間、彼らは不可解な憎悪を感じて互に侮蔑の視線を投げ合ふと又躍つた。
 併し、雨はへルモンの山に降り続いた。
「吾らの市民よ、ガルタンに危機が来た。へルモンの山に危機が来た。」
 大道の四つ角で、片腕に酒甕を抱いたまゝ掌を振つて群衆に叫ぶ志士が現れた。すると、直ちに聴衆はなくなつて群衆は尽くその場で志士となつて拳を振つた。
「吾らの市民よ、ガルタンに危機が来た。ヘルモンの山に危機が来た。」
 彼らは直ぐさま酒甕へその唇をあてながら、酒舖や劇場へ雪崩れ込むと、魚のやうにべた/\と大理石や白檀の上へ酔ひ潰れて又叫んだ。
 けれども、雨は降り続いた。日に日に市民の死者が急激に増加した。それら死者の顔は老若男女に拘らず、皆一様に老耄の相に変つてゐて、歯は揺るぎ、窪んだ肉の影には岩のやうに疥癬の巣を張らせ、さうして、彼らの頭髪は引けば茄だつた芋毛のやうにぼく/\と※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77、198-1]れて来た。
 或る日、ガルタンの哲学者らは尽く市の会堂に聚められると、此の未曾有の大降雨の原因と、それに応ずる救済方法に関して執政官の面前で論争させられた。或る哲学者はガルタンがヘルモン山上に位置するを以つてと云ひ、或る者は新生の惑星が城市の上空を飛遊しつつあるが故と論じ、またある者は、数千年に一度飛翔し来る雲の大塊が、今やその動力を失つて彷徨しつゝあるを以つてと結論した。併し、此れらの様々の言葉は、夫々皆降雨に応ずる救済方法に関しては忘却の態度を装つた。が、中の一人は口を開いた。
「ヘルモンの山を下りよ。ガルタンの市民はカイザリアへ逃げよ。」
「空は続いてゐる。」と一人は云つた。
「ガルタンを捨てて、ボルペレオンへ行け。」
「見よ、ヘルモンを下る大道は瀑布である。」
「ガルタンを守れ。雲は空の如く大きくはない。」
「日々に隙間を拡げるガルタンの穀庫は七つである。」
 会堂は静まつた。滔々として山から落ちる瀑布の音は高まつた。その時、立ち上つた哲学者は名高い醜男のカンナであつた。
「ガルタンの哲学者らよ、卿等は賢明の武器を捨てゝ、卿等の祖父と父と妻とを吾に告げよ。卿等の子と孫とをガルタンに捜せ。嗚呼ガルタンの道念は、地に倒れたソロモンの旗の如く穢された。ガルタンの哲学者らよ、卿等は碧玉を飾つた裸形の首と、杯盤の香りを忘れて空を見よ。大いなる神は怒つた。ガルタンの市民は、マハナイムの祭りに焼かれた犠牲のごとくヘルモンの山上に載るであらう。嗚呼ガルタンの哲学者らよ。卿等は額に服罪の水を受けてガルタンを神に返せ。今や吾がガルタンの上には、滅亡と共に神の浄き恵与物が自殺となつて下つてゐる。」
 会堂に並んだ哲学者達の面色は蒼然として変つて来た。会合の詳細な報告は直ちにガルタンの城市に拡つた。
「大いなる神は怒つた。ガルタンは絶滅するであらう。」
 恐怖の波が人々の胸から胸を揺るいでいつた。ガルタンの大路小路では、叩かれたやうに乱舞が止まつて祈りの声が空に上つた。その昔美しい妻を奪はれた独身者のカンナは、その夜、竊に階上の観台からガルタンの城市を見下した。
「ガルタンよ、爾は爾の醜き慣習のために滅落するであらう。嗚呼ガルタンよ。滅亡せよ。今や爾は吾のためにバタラビンの池のごとく亡びるときが来た。」
 彼は醜い顔に市民に放つ復讐の微笑を浮べながら、酒を呷つて首筋の動脈を切断した。併し、彼はふと傍に立つてゐる飲み干した酒甕に気がつくと、その日会堂を震はせた自分の堂々たる雄弁と、酒甕と、自分の死体とを思ひ比べて物語つてゐる市民の言葉が浮んで来た。
「賢者は死んだ。賢者は自殺を怖れて美酒を飲んだ。賢者の言葉はエルサレムの卜者のやうに嘘言である。」
 彼は酒甕を抱いて立ち上つた。そして、蹌踉として円柱を辿りながら部屋の中を廻り始めたが、四方の壁となつて積み上げられた哲学書の山々は、到る所でその偽善を湛へた酒甕の隠匿所になることを許さなかつた。が、最後に彼は庭園の池の底を胸に描いた。彼は衣の裾から滴る血の一線を床石の上に引きながら、長く緩慢に池の方へうねつてゐる石階を下つていつた。と、途中で彼の膝はがくりと前に折れた。彼は酒甕を抱いたまま、崩れた切石の隙から延び上つてゐる草の上へ転がつた。彼は起き上らうとして手に触れた立物に身を支へると、それは軟な一握の草だつた。彼は再び転がつた。が、彼の優れた智謀は咄嗟の間、彼の動脈の切断口を酒甕の口に着けしめた。間もなく、血は、ガルタンのために受けた不幸な彼の生涯を、その酒甕の中に盛り始めた。
「ガルタンよ、吾に倣へ。ガルタンよ、滅ベ。」
 血は刻々に酒甕の底から、彼の確信ある復讐の微笑をその表面に映しながら浮き上つた。それと同時に、恰もそれに伴奏するかのやうにガルタンの祈りの声は、断滅しながら黒まつて長く続いた葡萄園の上から流れて来た。
「ガルタンよ、吾に倣へ。ガルタンよ、滅ベ。」カンナの頭は酒甕の口から切石の上へ辷つて落ちた。酒甕は顛覆した。血は彼の全身に降りかゝると、酒の香りを上げつゝ段階を一つ一つと下つて池の方へ流れていつた。
「聡明な賢者は死んだ。ガルタンに下つた福音は自殺である。」
 翌日から市民の間に自殺が流行し始めた。初め彼らの多くは、穢れたガルタンの慣習に怨恨を持つ失恋者や疾病者や不具者であつた。が、彼らを先駆に立てて、その後日を追つて益々健全な市民の多くが自殺した。さうして最早や彼らの首の動脈は、僅か一片の嘲笑と冷顔とで購ひ得るにいたつたが、しかし、彼らはその生の終末に臨んで、各々廻廊の壁に市民の罪業の数々を刻みつけた。彼らの懺悔の心は、彼らの過去の悪業を刻み、彼らの怨恨は、生き残る市民の秘めた悪徳を彼らに刻ませた。このため、日ならずして城市の壁は、穢れたガルタンの罪跡を曝露した石碑となつて雨に打たれた。人々は壁から壁へと押し流れて、日々に現れる新らしい壁の文字を読み渡つた。
「あゝ、爾は吾に石を背負せた銀子をもつて、イスラエルの女の首に手を巻いた。」
「あゝ、爾は吾が妻の腹に爾の子を落して逃亡した。」
「爾はシユラミの婦女のために、吾の娘を葡萄のごとく圧し潰した。」
「爾は一片の番紅花《サフラン》を得んとして、シオンの商人に身を投げた。」
「爾はアマナの山の牝鹿のごとく、八十人の男子に吾の眼を盗んで爾の胸の香物を嗅がしめた。」
「あゝ婚姻の夜の爾の唇は、廻り遶つた杯盤のやうに穢れてゐた。」
 ガルタンの城市では、このときから自殺の流行が衰へ始めると、それに代つて遽に殺人が流行した。怨恨者の復讐の剣は赤錆のまま、破廉を秘めた市民の胸へ公然と突き刺された。それに和してガルタンの賤民達は、一斉に歓楽の簒奪者として貴族や富豪を殺戮した。悲鳴と叫喚が幾日も続いていつた。廃れた花園や路傍の丈延びた草叢の中には、到る所男女の死体が、酒盃のやうな開いた傷口に雨を湛へて横たはつてゐた。併し、雨はます/\降り続いた。ガルタンの殺戮は次第にその勢ひを弱めていつた。が、それにひきかヘ、市民の肉体は日に日に激しい性の衝動を高め始めると、終にガルタンの城市はヘルモンの山上で、声を潜めた一大売淫所と変つて来た。彼らの中の薄弱な肉体は、横たはつたまゝに死へ落ちた。併し、空は彼らの頭の上で、夜を胎んだ雲のやうに層々として暗みを増した。さうして、今やガルタンの市民は、過去の一切の記憶を忘却し、眠りに落ちる青白い獣であるかのやうに、たゞ呆然と生きてゐるにすぎなかつた。
 ガルタンの中央のガンタアルの大路では、二人の市民が雨に打たれたまゝ、凡ゆる刺戟に麻痺した鈍感な眼をして立つてゐた。すると、突然一人の頭の中ヘカンナの予言が浮び上つた。彼の垂れ下つた両手は遽にぶる/\と慄へて来た。
「吾らは絶滅するであらう。」
 彼の叫びを聞くと同時に、他の一人の眼は急に光りを発して拡がつた。
「何に故か!」
「吾らは絶滅するであらう!」
「何に故か!」
 二人は肩を掴み合つた。さうして、仇敵のやうに相手の眼の中を覗き込むと、無言のまま激しくその肩を揺り合つた。と、二人は相手かまはず過去の鬱積した憤怒を一時に爆発させて、互に掴んだ肩を突き放した。
「涜神者!」
「姦淫者!」
「簒奪者!」
「欺瞞者!」
 二人は餓ゑた白痴のやうに顔を振りながら、大道を彷徨ひ歩いてまた往き合ふ人々を罵つた。
「ガルタンを滅亡せしめたのは爾である。ガルタンを吾に返せ。」
「爾のためにガルタンは滅亡した。ガルタンを吾に返せ。」
 大路の人々は立ち所に酒甕で二人を打つた。が、二人は酒甕の破片を全身に突き立てたまゝ、尚知らざるごとく人々の間を吠え狂ふと、その声を聞きつけた者達は、一斉に忘却してゐたガルタンの記憶を投げつけられて戦慄した。と、忽ち彼らは二人に感染した狂人のやうに怒り出すと、また相手かまはず往き合ふ人々を打ち叩いて罵り合つた。
「ガルタンを滅亡せしめたのは爾である。ガルタンを吾に返せ。爾のためにガルタンは滅亡した。ガルタンを吾に返せ。」
 大路の上を車輪や礫が酒甕の破片と共に飛び廻つた。が、更に怒の群れは死骸や蠢動する負傷者を蹂躙して、ドアーや窓から四方の屋内に闖入した。そこでは楽器や倒れた彫像や寝台や敷石が、飛び散る血潮のために見る/\新鮮に塗り変へられた。さうして、この狂つた憤怒の集団は、絶望に煽られたガルタンの恐怖の上を、不規則な雲のやうな形を描きつゝ、壁を突き破り石塀を乗り越えて火を待つ油のやうに益々四方へ追ひ拡がつた。それはその狂気の行く先き先きに、恰も無数の怨恨が声を潜めて地に鬱伏してゐたかのやうであつた。それは夜となく昼となく中間を空虚にして続いていつた。併し、この狂暴の最後に残つた勇者らは、その体躯を打ち衝る目あての物が、たゞ堅牢な石壁や石柱や樹木となつてゐるのに気付いたとき、彼らは蹌踉めきながら半眼を開いたまゝ、唖者のやうに黙つて終日同じ所を歩き廻つた。が、彼らの中の多くの者は、石柱や石塀に突き衝つて倒れると最早再びとは起き上つて来なかつた。ヘルモンの山上から流れる雨水は、血の瀑布となつてガルタンの渓谷の方へ落ちていつた。ガルタンの城市では、壊れた楽器や酒甕が僅に生き残つた二人の市民の足の裏で、時々その破片を鳴らせるにすぎなくなつた。が、その時その最後の二人の者は、廻廊の端で突き衝つた。二人は幽かに呻きを漏らすと抱き合つた。彼らの歯は咬み合ふやうに暫く空虚を咬んで慄へてゐた。さうして、二人の身体は互に暖まりを感じ始めると、彼らは抱き合つたまゝ眠りに落ちて横に倒れた。
 かくしてガルタンは永久に沈黙した。高い空宙からガルタンの城市を見下すと、人々の行跡を刻んだ壁の周囲に、点々としてゐる市民の死骸は丁度黴のやうに青白く見えてゐた。併し雨は依然としてへルモンの山に降り続いた。

底本:「定本横光利一全集 第一巻」河出書房新社
   1981(昭和56)年6月30日初版発行
底本の親本:「日輪」春陽堂
   1924(大正13)年5月18日発行
初出:「新思潮」
   1923(大正12)年7月10日発行、第6次の2第1号
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、旧字、旧仮名の底本の表記を、新字旧仮名にあらためました。
※くの字点は、底本のママとしました。
入力:高寺康仁
校正:松永正敏
2001年12月11日公開
2003年6月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

横光利一

比叡《ひえい》——横光利一

 結婚してから八年にもなるのに、京都へ行くというのは定雄夫妻にとって毎年の希望であった。今までにも二人は度度《たびたび》行きたかったのであるが、夫妻の仕事が喰《く》い違ったり、子供に手数がかかったりして、一家引きつれての関西行の機会はなかなか来なかった。それが京都の義兄から今年こそは父の十三回忌をやりたいから是非来るようにと云って来たので、他のことは後へ押しやっていよいよ三月下旬に京へ立った。定雄は妻の千枝子が東京以西は初めてなので、定雄の幼年期を過した土地を見せておくのも良かろうと思い、一つは今年小学校へ初めて上る長男の清に、父の初めて上った小学校を見せてやりたくもあったので、一人でときどき来ている京阪の土地にもかかわらず、この度は案内役のこととて気骨も折れた。
 定雄夫妻は宿を定雄の姉の家にした。翌日は姉の子供の娘一人と定雄の子供の長男次男と、それに定雄夫妻に姉、総勢六人で父母の骨を納めてある大谷《おおたに》の納骨堂へ参った。すでに父母は死んでいるとはいえ、定雄は子供を見せに堂へ行くのは初めてのこととて反《そ》りを打った石橋を渡る襟首《えりくび》に吹きつける風も穏やかに感ぜられた。彼はまだ二つによりならぬ次男の方をかかえて、もう盛りをすぎた紅梅を仰ぎながら石段を登った。清より一年上の姉の娘の敏子と清とは、もう高い石段を真っ先に馳《か》け登ってしまって見えなくなった。定雄は石段を登る苦しさに身体がよほど弱って来ているのを感じた。彼はその途中で、今年次ぎ次ぎに死んでいった沢山の自分の友人のことを思いながら、ふと、自分が死んでも子供たちはこうして来るであろうと思ったり、そのときは自分はどんな思いで堂の中から覗《のぞ》くものであろうかと思ったり、世の常の堂へ参る善男善女の胸に浮ぶ考えとどこも違わぬ空想の浮ぶのに、しばらくは閉口しながら子供らの後を追っていった。しかし定雄は千枝子や姉を見ると、彼女らは一向父母の骨の前に出る感慨もなさそうに、あたりの風景を賞しながら楽しげに話しているのを見ると、それではこの中で一番に古風なのは自分であろうかと思ったりした。そのくせ京都へは幾度も一人で来ていながら、まだ彼は一度も墓参をしなかったのである。
 先きに行った子供らは定雄らがまだ石段を登り切らないうちに、もう上の境内を追っかけ合いをして来た足で、また石段を降りて来ると、今度は母親たちの裾《すそ》の周囲をきゃっきゃっと声を立てて追っ馳け合った。
「静になさい静に、また咳《せき》が出ますよ」と姉は敏子を叱《しか》った。
 しかし、子供たちは初めて会った従姉弟《いとこ》同士なので、親たちの声を耳にも入れずまたすぐ階段を馳け上っていった。
 一同|揃《そろ》って上に登り、納骨堂へ参拝して、それからいよいよ本堂で経を上げて貰《もら》わねばならぬのであるが、誦経《ずきょう》の支度のできるまで六人は庭向の部屋に入れられた。そこは日の目のさしたこともなかろうと思われるような、陰気な冷い部屋、畳は板のように緊《しま》って固く、天井は高かった。しかし、周囲の厚い金泥の襖《ふすま》は永徳《えいとく》風の絢爛《けんらん》な花鳥で息苦しさを感じるほどであった。定雄は部屋の一隅に二枚に畳んで立ててある古い屏風《びょうぶ》の絵が眼につくと、もう子供たちのことも忘れて眺《なが》め入った。葉の落ち尽した池辺の林のところどころに、木蓮《もくれん》らしい白い花が夢のように浮き上っていて、その下の水際《みずぎわ》から一羽の鷺《さぎ》が今しも飛び立とうとしているところであるが、朧《おぼ》ろな花や林にひきかえてその鷺一匹の生動の気力は、驚くばかりに俊慧《しゅんけい》な感じがした。定雄はこれは宗達《そうたつ》ではないかと思ってしばらく眼を放さずにいると、いつの間にか茶が出ていた。子供らは砂糖のついた煎餅《せんべい》を音無《おとな》しく食べていたが、定雄の末の二つになる子だけは、細く割りちらけて散乱している菓子の破片の中で、泳ぐように腹這《はらば》いになり、顔から両手にかけて菓子のかけらだらけにしたまま、定雄の見ている屏風を足でぴんぴん勢い良く蹴《け》りつけた。
「こりゃこりゃ」
 定雄は次男の足の届かぬように屏風を遠のけると、また倦《あ》かず眺めていた。しかし、火鉢《ひばち》に火のあるのに、ひどくそこは寒かった。これではまた皆|風邪《かぜ》にやられるどころか、定雄自身もう続けさまに嚔《くさめ》が出て来た。そのうちにようやく経の用意も出来たので本堂へ案内されたが、来てみると、ここは一層寒いうえに、勿論《もちろん》火鉢も座蒲団《ざぶとん》もなかった。定雄の横へ敏子、清と並んで、定雄の姉が彼の次男を抱いている傍へ千枝子が坐った。見渡したところ異常はなかったが、姉に抱かれている次男の突き出している足に、靴がまだそのままになっていた。しかし、次男の靴はまだ下へも降ろしたこともなく、足袋《たび》代りの靴と云えないものでもなかったので、定雄は注意もせずに黙って僧侶の出て来る方を眺めていると、姉はそれを見つけたらしい。
「あら、慶ちゃん、豪《えら》そうに靴を履《は》いたままやがな。これゃどもならん」
と云って、笑いながら慶次の靴をとろうとした。
「良い良い」と定雄は云った。
「そうやな、愛嬌《あいきょう》があってこれもお祖父《じい》さん、見たいやろ」
 姉の言葉に慶次の靴を脱《ぬ》がそうとした千枝子もそのままにした。清と敏子とは仏壇の方を一度も見ずに、まだ石段からのふざけ合いをつづけながら、肩をつぼめて「くっくっ」と笑い声を忍ばせて坐っていた。
 誦経が始ると一同は黙って経の終るのを待っていたが、後から吹きつけて来る風の寒さに、定雄は長い経の早く縮《ちぢま》ることばかりを願ってやまなかった。しかし、もしこれが父の回忌ではなくって他人のだったら、こんな願いも起さずにいるだろうと思うと、いつまでも甘えかかることの出来るのは、やはり父だと、生前の父の姿があらためて頭に描き出されて来るのだった。彼は父が好きであったので、父に死に別れてからは年毎に一層父に逢《あ》いたいと思う心が募った。父は定雄の二十五歳のときに京城《けいじょう》で脳溢血《のういっけつ》のために斃《たお》れたので、定雄は父の死に目にも逢っていなかった。父が死んでから十年目に、彼は先輩や知人たちと飛行機で京城まで飛んだことがあったが、そのときも機が京城の空へさしかかると、まだそのあたりの空気の中に、父がうろうろさ迷っているように思われて、涙が浮き上って来たのを彼は思い出した。
 ようやく長い誦経がすんで、一同は広い高縁に立つと、陽《ひ》のさしかかって来た市街が一望の中に見渡された。
「さアさア、これで役目もすみましたよ」
 そういう姉の後から、千枝子もショールを拡げながら、「ほんとに、これで晴晴しましたわ」と云って高縁の段を降りた。
 後はもう定雄は家内一同をつれて、勝手にどこへでも行けば良かった。
 次ぎの日から彼は子供を姉に預け、千枝子と二人で大阪と奈良へ行った。それをすますと見残した京都の名所を廻って、最後に比叡山越しに大津に出てみようと定雄は思った。大津は彼が最初に学校へ行った土地でもあり、殊《こと》に六年を卒業するときに植えた小さな自分の桜が二十年の間に、どれほど大きくなっているか見たかった。
 比叡登りの日には、毎日歩き廻ったため定雄も千枝子も相当に疲れていたが、次男を姉の家に残して清をつれ、ケーブルで山に登った。定雄は比叡山へは小学校のときに大津から二度登った記憶があるが、京都からは初めてであった。千枝子はケーブルが動き出すと、気持ちが悪いと云って顔を少しも上げなかった。しかし、登るにつれて霞《かすみ》の中に沈んでいく京の街の瓦《かわら》は美しいと定雄は思った。
「見なさい。飛行機に乗ると丁度こんなだ」と定雄は清の肩を掴《つか》まえて云った。
 終点で降りてから頂上へ出る道が二つに別れていたので、定雄は先きに立って広場の中を突きぬけて行くと、道は林の中へ這入《はい》ってしまってだんだんと下りになった。
「こりゃおかしい。間違ったぞ」
 定雄は道を訊《き》き正そうにも通行人がいないのでまた後へ引き返した。千枝子は常常から京大阪ならどこでも知っている顔つきの定雄の失敗に、
「だから、豪そうな顔はするもんじゃありませんわ」と云ってやりこめた。
 雪解けでびしょびしょの道をようやくもとへ戻ると、一組の他の人達と一緒になったのでその後から定雄たちもついていった。細い山道は陽のあった所を解け崩《くず》しながらも、山陰は残雪で踏む度に草履が鳴った。千枝子はときどき立ち停って、まだ雪を冠《かぶ》っている丹波《たんば》から摂津へかけて延びている山山の峰を見渡しながら、
「おお綺麗《きれい》だ綺麗だ」と感歎しつづけた。
 七八町も歩くと、また針金に吊《つ》るされた乗物で谷を渡らねばならなかったが、これはケーブルよりも一層乗り工合が飛行機に似ていた。
「この方が飛行機に似ているよ」
「これなら気持ちがいいけど、ケーブルは何んだかいやだわ」
 そう云う千枝子に抱きかかえられている清は、
「ほらほら、また来た」と突然叫んで前方を指差した。
 見ると向うから新しく仕立てて来た車が、こちらを向って浮いて来た。皆がしばらく口をぼんやり開《あ》けてその車の方を面白そうに眺めていた。するとその途端に、中継の柱のところで、急にごとりと車体が一度ずり下った。一同は息の根をとめて互に顔を見合したが、中継の柱が行きすぎた車の後方に見えると、初めて納得したらしくまた急に声を上げて、あれだあれだと云って笑い出した。しかし、そのときにはもう新しく前方から来た車は、皆のびっくりしている顔の前を行き過ぎていたので、双方の車は安心のあとの陽気な気持ちで、互に手拭《てぬぐい》を振り合って一層前よりはしゃいだ。
 車を降りて初めて地を踏んだとき、清は大きな声で、
「恐《こわ》かったね、さっき、ごとりっていうんだもの。僕、落っこちたかと思った」と千枝子に云った。
 すると、車を降りてからもうずっと前方を歩いている人人まで、振り返ってまたどっと笑い出した。
 頂上の根本中堂《こんぽんちゅうどう》まではまだ十八町もあるというので、駕籠《かご》をどうかと定雄は思ったが、千枝子は歩きたいと云った。駕籠かきはしきりに雪解の道の悪さを説明しながら三人の後を追って来てやめなかった。しかし、定雄も千枝子も相手にせず歩いて行くと、なるほど雪は草履を埋めるほどの深さでどこまでも延びていた。
「どうだ、乗るか」とまた定雄は後を振り返った。
「歩きましょうよ。こんなときでも歩かなければ、何しに来たのか分らないわ」と千枝子は云った。
 定雄には、道はどこまでも平坦なことは分っていたが、清も弱るし、濡《ぬ》れた草履の冷たさは後で困ると思ったので、
「乗ろうじゃないか。気持ちが悪いよ」とまたすすめた。
「あたしは乗らないわ、だって登りがもうないんでしょう」と千枝子はまだ頑強《がんきょう》に一人先に立って雪の中を歩いていった。
「それじゃ、困ったって知らないぞ」と定雄は云うと尻《しり》を端折《はしょ》った。
 道は暗い杉の密林の中をどこまでもつづいた。千枝子と定雄は中に清を挟《はさ》んで、固そうな雪の上を選びながら渡っていった。ひやりと肌寒い空気の頬《ほお》にあたって来る中で、鶯《うぐいす》がしきりに羽音を立てて鳴いていた。定雄は歩きながらも、伝教大師《でんぎょうだいし》が都に近いこの地に本拠を定めて高野山の弘法《こうぼう》と対立したのは、伝教の負けだとふと思った。これでは京にあまり近すぎるので、善《よ》かれ悪《あ》しかれ、京都の影響が響きすぎて困るにちがいないのである。そこへいくと弘法の方が一段上の戦略家だと思った。定雄は高野山も知っていたが、あの地を選んだ弘法の眼力は千年の末を見つめていたように思われた。もし伝教に自身の能力に頼るよりも、自然に頼る精神の方が勝《すぐ》れていたなら、少くともここより比良《ひら》を越して、越前の境に根本中堂を置くべきであったと考えた。もしそうするなら、京からは琵琶湖《びわこ》の舟楫《しゅうしゅう》と陸路の便とを兼ね備えた上に、背後の敵の三井寺《みいでら》も眼中に入れる要はないのであった――。
 こういうような夢想に耽《ふけ》って歩いている定雄の頭の上では、また一層鶯の鳴き声が旺《さか》んになって来た。しかし、定雄はそれにはあまり気附かなかった。彼は自身に頼る伝教の小乗的な行動が、いま現に、まだどこまで続くか全く分らぬ雪の中を、駕籠を捨てて徒歩で歩き抜こうとしている妻の千枝子と同様だと思った。それなら今の自分は弘法の方であろうか。こう思うと、定雄はまた弘法の大乗的な大きさについて考えた。出来得る限り自然の力を利用して、京都の政府と耐久力の一点で戦ったのであった。つまり、いまの定雄について考えるなら、駕籠を利用して行く先の不明な雪路を渡ろうというのである。弘法は政府と高野山との間に無理が出来ると行方《ゆくえ》をくらまし、問題が解決するとまた出て来た。そうして生涯安穏に世を送った弘法は、この叡山から京都の頭上を自身の学力と人格とで絶えず圧しつけた伝教の無謀さに比べて、政府という自然力よりも恐るべきこの世の最上の強権を操縦する術策を心得ていたのである。定雄は最上の強権を考えずして行う行為を、身を捨てた大乗の精神とは考えない性質であった。なぜかというなら、もし自我を押しすすめて行く伝教の行いを持続させていくなら、彼の死後につづく行者の苦慮は、必然的に天台一派に流れる底力を崩壊させていくのと等しいからである。
 現に定雄は、千枝子と自分との間に挟まれて、不機嫌《ふきげん》そうにとぼとぼ歩いている子の清の足つきを見ていると、いつまで二人の歩みにつづいて来られるものかと、絶えず不安を感じてならなかった。そのうちにしつこく従《つ》いて来た駕籠かきは、いつの間にかいなくなっていたが、それに代って、清の足つきを見ていた婆さんがまだついて来て、子供を坂本|降《くだ》りのケーブルの所まで負わせてもらいたいと云って来た。
「どうする。清だけ負《おぶ》ってもらわないか」と定雄はまた云った。
「いいわ。歩けるわね」と千枝子は後ろの清を振り返った。
「それでも、まだまだ遠いどすえ。こんなお子さんで歩けやしまへんが、安う負けときますわ」と婆さんは云いながら、今度は清と定雄の間へ割り込んで来た。
「でも、この子は足が強いんですから、もういいんですの」
「負ってもらえ負ってもらえ」と定雄は云った。
「だって、もうすぐなんでしょう」と千枝子は婆さんに訊《たず》ねた。
「まだまだありますえ。安うお負けしときますがな。二十銭でいきますわ。どうせ帰りますのやで、一つ負わしておくんなはれ」
 あくまで擦《す》りよって歩いて来る婆さんに、千枝子も根負けがしたらしく、
「清ちゃん、どうする。おんぶして貰う?」と訊ねた。
「僕、歩く」と清は云って婆さんから身を放した。
 こんなときには、長く一人児だった清はいつも母親の方の味方をするに定《きま》っていた。
「あなた坂本まで帰るんですの」と千枝子は婆さんに訊ねた。
「ええ、そうです。毎日通ってますのや」
「おんぶして貰う人ありまして、こんなとこ?」
「このごろはあんまりおへんどすな。毎日手ぶらどすえ」と婆さんは云ったが、もう清を負うのは断念したらしく、旅の道連れという顔つきで千枝子と暢気《のんき》に並んで歩き出した。
 定雄は傾きかかった気持ちもようやく均衡の取れて来るのを感じた。しかし、清は母と父とが自分のことで先から険悪になりかかっているのを感じているので、定雄が傍へ近づくとすぐ千枝子の身近へひっついて歩いた。定雄はこれから次ぎのケーブルまでこの婆さんがついて来るのだと思うと、気持ちを直してくれた婆さんであるにもかかわらず、先のいらだたしさがいつまた絡《から》みついて来るか知れない不安さを感じたので、今度は一番先頭に立って歩いていった。彼は歩きながらも、いま一人ここを歩いていたのでは今以上の満足を感じないであろうと思った。彼は幾度も京からこの道を通ったにちがいない伝教が、このあたりで、どんな満足を感じようとしたのかと、ふと雪路を歩いて浮ぶ彼の孤独な心理について考えてみた。伝教とて一山をここに置く以上は、衆生《しゅじょう》済度の念願もこのあたりの淋《さび》しさの中では、凡夫の心頭を去来する雑念とさして違う筈《はず》はあるまいと思われた。しかし、そのとき、定雄の頭の中には、京都を見降ろし、一方に琵琶湖の景勝を見降ろすこの山上を選んだ伝教の満足が急に分ったように思われた。それにひきかえて、今の自分の満足は、ただ何事も考えない放心の境に入るだけの満足で良いのであるが、それを容易に出来ぬ自分を感じると、一時も早く雪路を抜けて湖の見える山面へ廻りたかった。
 間もなく、今まで暗かった道は急に開けて来て、日光の明るくさしている広場へ出た。そこは根本中堂のある一山の中心地帯になっていたが、広場から幾らか窪《くぼ》みの中にある中堂の廂《ひさし》からは、雪解の滴《したた》りが雨のように流れ下っていた。
「やっと来たぞ」定雄は後ろの千枝子と清の方を振り返った。
 中堂の前まで行くには草履では行けそうもないので、三人はすぐ広場の端に立って下を見降ろした。早春の平野に包まれた湖が太陽に輝きながら、眼下に広広と横《よこたわ》っていた。
「まア大きいわね。わたし、琵琶湖ってこんなに大きいもんだとは思わなかったわ。まア、まア」と千枝子は云った。
 定雄も久しく見なかった琵琶湖を眺めていたが、少年期にここから見た琵琶湖よりも、色彩が淡く衰えているように感じられた。殊に一目でそれと知れた唐崎《からさき》の松も、今は全く枯れ果ててどこが唐崎だか分らなかった。しかし、京都の近郊として一山を開くには、いかにもここは理想的な地だと思った。ただ難点はあまりにここは理想的でありすぎた。もしこういう場所を占有したなら、周囲から集る羨望《せんぼう》嫉視《しっし》の鎮《しずま》る時機がないのである。定雄はこの地を得られた伝教の地位と権威の高さを今さらに感じたが、絶えず京都と琵琶湖を眼下に踏みつけて生活した心理は、伝教以後の僧侶の粗暴な行為となって専横を行ったことなど、容易に想像出来るのであった。これをぶち砕くためには、信長のようなヨーロッパの思想の根源である耶蘇《やそ》教の信者でなければ、出来|難《にく》いにちがいない。定雄は神仏の安置所がこのような高位置にあるのはそれを守護する僧侶の心をかき乱す作用を与えるばかりで、却って衆生を救い難きに導くだけだと思われた。それに比べて親鸞の低きについて街へ根を降ろし、町家の中へ流れ込んだリアリスティックな精神は、すべて、重心は下へ下へと降すべしと説いた老子《ろうし》の精神と似通っているところがあるように思われた。
 しかし、それにしても、定雄は琵琶湖を脚下に見降ろしても、まだ容易に放心は得られそうにもなかった。伝教とて、時の政府を動かすことに夢中になる以上に、所詮《しょせん》は放心を得んとして中心をこの山上に置いたにちがいないであろうが、それなら、それは完全な誤りであったのだ。定雄は根本中堂が広場より低い窪地《くぼち》の中に建てられて、眼下の眺望《ちょうぼう》を利《き》かなくさせて誤魔化してあるのも、苦慮の一策から出たのであろうと思ったが、すでに、中堂そのものが山上にあるという浪漫主義的な欠点は、一派の繁栄に当然の悪影響を与えているのである。
 定雄は清と千枝子をつれて、いくらか下り加減になって道をまた歩いた。ここは京向きの道より雪も消えて明るいためでもあろう。鶯の鳴き声は前より一段と賑《にぎ》やかになって来た。彼は途中、青いペンキを塗った鶯の声を真似《まね》る竹笛を売っていたので、それを買って一つ自分が持ち、二つを清にやった。その小さな笛は、尻を圧《おさ》える指さきの加減一つで、いろいろな鶯の鳴き声を出すことが出来た。定雄は清に一声吹いてみせると、もう疲れで膨《ふく》れていた清も急ににこつき出して自分も吹いた。歩く後から迫って来るのか、鶯の声は湧《わ》き上るように頭の上でしつづけた。
 定雄は吹く度にだんだん上達する笛の面白さにしばらく楽んで歩いていると、清も両手の笛を替る替る吹き変えては、木の梢《こずえ》から辷《すべ》り流れる日光の斑点《はんてん》に顔を染めながら、のろのろとやって来た。
「まるで子供二人つれて来たみたいだわ。早くいらっしゃいよ」
 千枝子は清の来るのを待って云った。清は母親に云われる度に二人の方へ急いで馳《か》けて来たが、またすぐ立ち停った。道が樹のない崖際《がけぎわ》につづいて鶯の声もしなくなると、今度は清と定雄とが前と後とで竹笛を鳴き交《かわ》せて鶯の真似をして歩いた。そのうちに清もいつの間にか上手になって、
「ケキョ、ケキョ、ホーケッキョ」
とそんな風なところまで漕《こ》ぎつけるようになって来た。
「あ奴《いつ》の鶯はまだ子供だね。俺のは親鳥だぞ。お前も一つやってみないか」
 定雄は笑いながら千枝子にそう云って、
「ホー、ホケキョ、ホー、ホケキョ」とやるのであった。
 千枝子は相手にしなかったが、崖を曲るたびに現れる湖を見ては、手を額にあてながら楽しそうに立ち停って眺めていた。
 間もなく三人はケーブルまで着いたが、まだ下る時間まで少しあったので、深い谷間に突き出た峰の頭を切り開いた展望場の突端へ行って、そこのベンチに休んだ。定雄は榧《かや》の密林の生え上って来ている鋭い梢の間から湖を見ていたが、ベンチの上に足を組むと仰向きに長くなった。彼は疲労で背中がべったりと板にへばりついたように感じた。すると、だんだん板に吸われていく疲労の快感に心は初めて空虚になった。彼はもう傍《そば》にいる子のことも妻のことも考えなかった。そうして眼を一点の曇りもない空の中に放ってぼんやりしていると、ふと自分が今死ねば大往生が出来そうな気がして来た。もう望みは自分には何もないと彼は思った。いや、枕が一つ欲しいと思ったが、それもなくとも別にたいしたことでもなかった。
 千枝子も疲れたのか黙って動かなかったが、清だけはまだ、「ホー、ケッキョ、ケッキョ」と根よくくり返して笛を吹いた。
 定雄はしばらく寝たまま日光にあたっていたが、もう間もなく発車の時刻になれば、今の無上の瞬間もたちまち過去の夢となるのだと思った。そのとき、急に彼の頭の中に、子のない自分の友人たちの顔が浮んで来た。すると、それは有り得べからざる奇妙な出来事のような気がして来て、どうして子のないのに日々を忍耐していくことが出来るのかと、無我夢中に暴れ廻った延暦寺《えんりゃくじ》の僧侶達の顔と一緒になって、しばらくは友人たちの顔が彼の脳中を去らなかった。しかし、これとて、ないものはないもので、有るものの煩悩《ぼんのう》のいやらしさをおかしく眺めて暮し終るのであろうと思い直し、ふとまた定雄は天上の澄み渡った中心に眼を向けた。
「神神よ照覧あれ、われここに子を持てり」
 彼は俎《まないた》の上に大の字になって横《よこたわ》ったように、ベンチの上にのびのびと横っていた。彼は伝教のことなどもう今はどうでもよかった。しかし、時間は意外に早くたったと見えて、うつらうつら睡気《ねむけ》がさして来かかったとき、
「もう切符を切っていましてよ。早く行かないと遅れますわ」突然千枝子が云った。
「発車か、何んでも来い」と定雄は不貞不貞《ふてぶて》しい気になって起き上った。彼は坂道を駅の方へ馳け登って行く千枝子と清の背中を眺めながら、後から一人遅れて歩いていった。
 定雄が車に乗るとすぐケーブルのベルが鳴った。つづいて車は湖の中へ刺さり込むように三人を乗せて真直ぐに辷っていった。
「ホー、ケキョケキョ、ホー、ケキョケキョ」と清は窓にしがみついたまままだ笛を吹きつづけていた。

底本:「機械・春は馬車に乗って」新潮文庫、新潮社
   1969(昭和44)年8月20日初版発行
   1995(平成7)年4月10日34刷
入力:MAMI
校正:松永正敏
2000年10月7日公開
青空文庫作成ファイル:
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横光利一

犯罪——横光利一

 私は寂しくなつて茫然と空でも見詰めてゐる時には、よく無意識に彼女の啼声を口笛で真似てゐた。すると下の鳥籠の中から彼女のふけり声が楽しく聞えて来る。で、私もつい面白くなつてそれに応へたり誘つたりする。其中に面倒臭くなると彼女を放つたらかしておいた。が、彼女は猶も懸命にふけり続けた。凝乎とそれを聞いてゐると可哀相になつて来るので、又知らず/\に相手になつてやつたりした。今も私は彼女を呼びかけた。が、もう彼女が居ないのだと気付いて堪まらなく淋しくなつた。私は裏の山を凝乎と見た。
 それは好く晴れた暖かい日であつた。私は前からゐた囮の目白を入れた籠と、新しい籠と、細い女竹に黐を塗つたのを二三本とを用意して山へ行つた。山には椿の花が沢山咲いてゐた。私は鬱然と茂つたある一本の椿の枝へ囮の籠を掛けて、上へ用意の女竹を交叉した。それからずつと離れた木蔭へ隠れて口笛を吹くと囮も切に彼方で真似た。然れ共中々彼女はやつて来なかつた。私は終ひには何もかも悉皆忘れて了つて、背負つてゐる弟の由を径傍へ下して寝転び乍ら椿の花を裂いては中の蜜を啜り始めた。由も食物と思つたのかして、私の捨てた啜りさがしの花を、口のあたりへにじり付けたので、低い鼻面を真黄にさしてゐた。夕暮近くなつて全く思ひもかけなかつた時、突然目白の金切声が聞えた。私は周章て走つて行つて見ると、未だ雛上りの若々しい彼女が、両翅にベツトリ黐を引付けて、熊笹の中でバタ/\やつてゐた。私が彼女を拾い上げた時、彼女は切と悲しさうに啼き立てた。私は誇つてやる人がゐないので由の前へ出した。「鳥、鳥」と弟は嬉しさうに手を振つたかと思ふとギユツと彼女の首を握つた。私は急いで奪ひ返して見ると、死んでゐなかつたので、柔かく由の頭を張つた。「阿呆やなお前は」
 彼女はそれから数日と云ふもの、私の心尽しの摺餌を余り口にしなかつた。それ所か傍へ寄つても激しく鳴いて、狭い籠の中を縦横に飛び廻つた。が、二月程経つた頃にはもう私に馴れて了つて、手をさし入れても静かにしてゐた。彼女はその一夏を古い囮から唄を習ふのに暮した。
 二年程経つた。そして彼女も私も由も皆共に老いた。此夏になつて私が都から帰つて見ると、古い方の籠が空虚の儘物置の隅に置かれてあつた。酷く蜘蛛の巣がかかつてゐた。そして家の中には、めつきり老練さを増した彼女の謡ひ声と、私の一番末の弟となつて何処からか出て来た新しい人間の泣き声とが賑つてゐた。私は時々、末の弟が泣き出すと、彼女を棚から下して彼の眼の前へさし出した。「バーア、廣ちやんこれ何あに」すると廣は泣き止んで、額を籠の格子にピツタリ付けた。彼女は落ち付いて止木の上をアチコチ[#「アチコチ」に傍点]に飛んだ。が、廣の眼を運ぶより早いので、彼は反対の方許りを見た。其処へ由がやつて来ると、廣の頭をポンポン叩いて云つた。「廣ちや。是れトート。トートなあ」
 或日私は彼女に餌を与らうとした時、その翅の極めて小さいのに気が付いた。其時不意に私の頭の中へドストエフスキーが現れた。彼は悲痛な顔をしてゐた。頬をげつそり落して、蒼白い額を獄砦の円木の隙間へ押しあてて、若芽の燃え出た黄緑色の草原のずつとかなたから漂うて来るキルギスの娘の唄に耳を傾けてゐた。――私の眼は熱くなつて、彼女の姿がボヤケて二重に見えた。
「逃がしてやらう」私は籠の格子戸を開けた。然れ共彼女は容易に出なかつた。で、反対の方を叩くと漸つと出て、庭の上をピヨンピヨン飛んで、植木鉢の楓の下を出たり入つたりしてゐた。私は傍へ行つてシツシヨと追つてみたが、彼女は一尺も高く飛び続けることが出来なかつた。(俺は神に対する犯罪を背負つた)と私は思つた。そして今逃がすのは逃さないよりも悪いと知つたので、籠を傍へ突き付けてやると、彼女は直ぐ飛び入つて餌を啄んだ。
 二三日前から彼女は夜の真暗な時になつて囀り出した。私は彼女の死を其時薄々乍らも直覚した。
 今朝はいつもよりも寒かつた。
「ちよつとまあ敏来てお見。目白が面白い事をしてるえ」と母が下から云つた。私はハツとした。で、急いで下りて見ると、彼女は白い環の中の眼をパチパチやつて、間を置いては身を慄はせてゐた。と、首を縮めて動かなくなつたと思ふと、眼を開けた儘止木の上から落つこちた。
「アツ死んだ!」と母は云つた。
 彼女は小さい両足を真直に尾の方へ引き延ばして、溜つた昨日の糞の上へ、白い腹を仰向きにして横になつてゐた。それが彼女の死の姿であつた。私は彼女の死骸を、初めて捕つた時のやうに掌へ乗せてみると、首がガクリと下つて延びた。私はその儘彼女と空虚の籠とを交り番こに眺めてゐた。と、軽い恐怖がサツと胸を走つた。「死によつた!」と長らくしてから私は呟いた。

底本:「定本横光利一全集 第一巻」河出書房新社
   1981(昭和56)年6月30日初版発行
底本の親本:「萬朝報」萬朝報社
   1917(大正6)年10月29日
初出:「萬朝報」萬朝報社
   1917(大正6)年10月29日
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、旧字、旧仮名の底本の表記を、新字旧仮名にあらためました。
※底本は総ルビでしたが、ルビは削除しました。
※くの字点は、底本のママとしました。
入力:高寺康仁
校正:松永正敏
2001年12月11日公開
2003年6月1日修正
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横光利一

日輪—–横光利一

     序章

 乙女《おとめ》たちの一団は水甕《みずがめ》を頭に載《の》せて、小丘《こやま》の中腹にある泉の傍から、唄《うた》いながら合歓木《ねむ》の林の中に隠れて行った。後の泉を包んだ岩の上には、まだ凋《しお》れぬ太藺《ふとい》の花が、水甕の破片とともに踏みにじられて残っていた。そうして西に傾きかかった太陽は、この小丘の裾《すそ》遠く拡《ひろが》った有明《ありあけ》の入江の上に、長く曲折しつつ※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1-92-55]《はる》か水平線の両端に消え入る白い砂丘の上に今は力なくその光を投げていた。乙女たちの合唱は華《はな》やかな酒楽《さかほがい》の歌に変って来た。そうして、林をぬけると再び、人家を包む円《まろ》やかな濃緑色の団塊となった森の中に吸われて行った。眼界の風物、何一つとして動くものは見えなかった。
 そのとき、今まで、泉の上の小丘を蔽《おお》って静まっていた萱《かや》の穂波の一点が二つに割れてざわめいた。すると、割れ目は数羽《すうわ》の雉子《きじ》と隼《はやぶさ》とを飛び立たせつつ、次第に泉の方へ真直ぐに延びて来た。そうして、間もなく、泉の水面に映っている白茅《ちがや》の一列が裂かれたとき、そこには弦《つる》の切れた短弓を握った一人の若者が立っていた。彼の大きく窪《くぼ》んだ眼窩《がんか》や、その突起した顋《あご》や、その影のように暗鬱な顔の色には、道に迷うた者の極度の疲労と饑餓《きが》の苦痛が現れていた。彼は這《は》いながら岩の上に降りて来ると、弓杖《ゆんづえ》ついて崩《くず》れた角髪《みずら》をかき上げながら、渦巻《うずま》く蔓《つる》の刺青《ほりもの》を描いた唇を泉につけた。彼の首から垂れ下った一連の白瑪瑙《しろめのう》の勾玉《まがたま》は、音も立てず水に浸《ひた》って、静かに藻《も》を食う魚のように光っていた。

       一

 太陽は入江の水平線へ朱《しゅ》の一点となって没していった。不弥《うみ》の宮《みや》の高殿《たかどの》では、垂木《たるき》の木舞《こまい》に吊《つ》り下《さ》げられた鳥籠《とりかご》の中で、樫鳥《かけす》が習い覚えた卑弥呼《ひみこ》の名を一声呼んで眠りに落ちた。磯《いそ》からは、満潮のさざめき寄せる波の音が刻々に高まりながら、浜藻《はまも》の匂《にお》いを籠《こ》めた微風に送られて響《ひび》いて来た。卑弥呼は薄桃色の染衣《しめごろも》に身を包んで、やがて彼女の良人《おっと》となるべき卑狗《ひこ》の大兄《おおえ》と向い合いながら、鹿の毛皮の上で管玉《くだだま》と勾玉とを撰《え》り分《わ》けていた。卑狗の大兄は、砂浜に輝き始めた漁夫の松明《たいまつ》の明りを振り向いて眺めていた。
「見よ、大兄、爾《なんじ》の勾玉は玄猪《いのこ》の爪《つめ》のように穢《けが》れている。」と、卑弥呼はいって、大兄の勾玉を彼の方へ差し示した。
「やめよ、爾の管玉は病める蚕《かいこ》のように曇っている。」
 卑弥呼のめでたきまでに玲瓏《れいろう》とした顔は、暫《しばら》く大兄を睥《にら》んで黙っていた。
「大兄、以後我は玉の代りに真砂《まさご》を爾に見せるであろう。」
「爾の玉は爾の小指のように穢れている。」と、大兄はいうと、その皮肉な微笑を浮べた顔を、再び砂浜の松明の方へ振り向けた。「見よ、松明は輝き出した。」
「此処《ここ》を去れ。此処は爾のごとき男の入るべき処《ところ》ではない。」
「我は帰るであろう。我は爾の管玉を奪えば爾を置いて帰るであろう。」
「我の玉は、爾に穢されたわが身のように穢れている。行け。」
「待て、爾の玉は爾の霊《たましい》よりも光っている。玉を与えよ。爾は玉を与えると我にいった。」
「行け。」
 卑狗の大兄は笑いながら、自分の勾玉をさらさらと小壺に入れて立ち上った。
「今宵《こよい》は何処《いずこ》で逢《あ》おう?」
「行け。」
「丸屋《まろや》で待とう。」
「行け。」
 大兄は遣戸《やりど》の外へ出て行った。卑弥呼は残った管玉を引きたれた裳裾《もすそ》の端で掃《は》き散《ち》らしながら、彼の方へ走り寄った。
「大兄、我は高倉の傍で爾を待とう。」
「我はひとり月を待とう。今宵の月は満月である。」
「待て、大兄、我は爾に玉を与えよう。」
「爾の玉は、我に穢された爾のように穢れている。」
 大兄の哄笑《こうしょう》は忍竹《しのぶ》を連ねた瑞籬《みずがき》の横で起ると、夕闇《ゆうやみ》の微風に揺れている柏《かしわ》の※[#「木+長」、第4水準2-14-94]《ほこだち》の傍まで続いていった。卑弥呼は染衣《しめごろも》の袖《そで》を噛《か》みながら、遠く松の茂みの中へ消えて行く大兄の姿を見詰めていた。

       二

 夜は暗かった。卑弥呼は鹿の毛皮に身を包んで宮殿からぬけ出ると、高倉の藁戸《わらど》に添って大兄を待った。栗鼠《りす》は頭の上で、栗の梢《こずえ》の枝を撓《たわ》めて音を立てた。
「大兄。」
 野兎《のうさぎ》は※[#「くさかんむり/冏」、182-14]麻《いちび》の茂みの中で、昼に狙《ねら》われた青鷹《あおたか》の夢を見た。そうして、飛《と》び跳《は》ねると※[#「くさかんむり/冏」、182-14]麻の幹に突きあたりながら、零余子《むかご》の葉叢《はむら》の中に馳《か》け込《こ》んだ。
「大兄。」
 梟《ふくろう》は木※[#「木+患」、第3水準1-86-5]樹《もくろじゅ》の梢を降りて来た。そして、嫁菜《よめな》を踏みながら群《むらが》る※[#「くさかんむり/意」、第3水準1-91-30]苡《くさだま》の下を潜《くぐ》って青蛙《あおがえる》に飛びついた。
「大兄。」
 しかし、卑狗の大兄はまだ来なかった。卑弥呼は藁戸の下へ蹲踞《うずくま》ると、ひとり菘《すずな》を引いては投げ引いては投げた。月は高倉の千木《ちぎ》を浮かべて現れた。森の柏の静まった葉波は一斉に濡れた銀の鱗《うろこ》のように輝き出した。そのとき、軽い口笛が草玉の茂みの上から聞えて来た。卑弥呼は藁戸から身を起すと、草玉の穂波の上に半身を浮かべて立っている卑狗の大兄の方へ歩いていった。
「大兄、大兄。」彼女は鹿の毛皮を後《うし》ろに跳ねて彼の方へ近か寄った。「夜は間もなく明けるであろう。」
 しかし、大兄は輝く月から眼を放さずに立っていた。
「大兄よ、我は管玉を持って来た。爾は受けよ。」と卑弥呼はいって管玉を大兄の前に差し出した。
「爾は何故《なにゆえ》にここへ来た? 我はひとり月を眺めにここへ来た。」
「我は爾に玉を与えにここへ来た。受けよ、我は玉を与えると爾にいった。」
 大兄は卑弥呼の管玉を攫《つか》んでとった。
「我は爾に逢《あ》わんがためにここへ来た。爾は我に玉を与えにここへ来た。爾は帰れ。」と大兄はいって再び空の月へ眼を向けた。
 卑弥呼は黙って草玉の実をしごき取ると大兄の横顔へ投げつけた。大兄は笑いながら急に卑弥呼の方へ振り向いた。そうして、彼女の肩へ両手をかけて抱き寄せようとすると、彼女は大兄の胸を突いて身を放した。
「我は帰るであろう。我は爾に玉を与えた。我は帰るであろう。」
「よし、爾は帰れ、爾は帰れ。」と、大兄はいいながら、彼女の振り放そうとする両手を持った。そうして、彼女を引き寄せた。
「放せ、放せ。」
「帰れ、帰れ。」
 大兄は藻掻《もが》く卑弥呼を横に軽々と抱き上げると、どっと草玉の中へ身を落した。さらさらと揺《ゆら》めいた草玉は、その実《み》を擦《す》って二人の上で鳴っていた。
「卑弥呼、見よ、爾は彼方《かなた》の月のように美《うるわ》しい。」
 彼女は大兄の腕の中に抱かれたまま、今は静《しずか》に眼を瞑《と》じて彼の胸の上へ頬《ほお》をつけた。
「卑弥呼、もし爾が我の子を産めば姫を産め。我は爾のごとき姫を欲する。もし爾が彦《ひこ》を産めば、我のごとき彦を産め。我は爾を愛している。爾は我を愛するか。」
 しかし、卑弥呼は大兄を見上げて黙ったまま片手で彼の頬を撫《な》でていた。
「ああ、爾は月のように黙っている。冷たき月は欠けるであろう。爾は帰れ。」
 大兄は卑弥呼を揺って睥《にら》まえた。が彼女は微笑しながら静に大兄の顔を見上て黙っていた。
「帰れ、帰れ。」
と大兄はいいつつ彼女を抱いた両腕に力を籠《こ》めた。卑弥呼は大兄の首へ手を巻いた。そうして、二人は黙っていた。月は青い光りを二人の上に投げながら、彼方の森からだんだん高く昇っていった。そのとき、一人の痩《や》せた若者が、生薑《しょうが》を噛みつつ木※[#「木+患」、第3水準1-86-5]樹《もくろじゅ》の下へ現れた。彼は破れた軽い麻鞋《おぐつ》を、水に浸った俵《たわら》のように重々しく運びながら、次第に草玉の茂みの方へ近か寄って来た。卑狗《ひこ》の大兄は足音を聞くと立ち上った。
「爾は誰か?」
 若者は立停ると、生薑を投げ捨てた手で剣《つるぎ》の頭椎《かぶつち》を握って黙っていた。
「爾は誰か。」と再び大兄はいった。
「我は路に迷える者。」
「爾は何処《いずこ》の者か。」
「我は旅の者、我に糧《かて》を与えよ。我は爾に剣と勾玉とを与えるであろう。」
 大兄は卑弥呼の方へ振り向いて彼女にいった。
「爾の早き夜は不吉である。」
「大兄、旅の者に食を与えよ。」
「爾は彼を伴《とも》のうて食を与えよ。」
「良きか、旅の者は病者のように痩せている。」
 大兄は黙って若者の顔を眺めた。
「大兄、爾はここにいて我を待て、我は彼を贄殿《にえどの》へ伴なおう。」卑弥呼は毛皮を被《かぶ》って若者の方を振り向いた。「我に従って爾は来《きた》れ。我は爾に食を与えよう。」
「卑弥呼、我は最早《もは》や月を見た。我はひとりで帰るであろう。」大兄は彼女を睥んでいった。
「待て、大兄、我は直ちに帰るであろう。」
「行け。」
「大兄よ。爾は我に代って彼を伴なえ、我は此処で爾を待とう。」
「行け、行け、我は爾を待っている。」
「良きか。」
「良し。」
「来れ。」と卑弥呼は若者に再びいった。
 若者は、月の光りに咲き出た夜の花のような卑弥呼の姿を、茫然《ぼうぜん》として眺めていた。彼女は大兄に微笑を与えると、先に立って宮殿の身屋《むや》の方へ歩いていった。若者は漸く麻鞋《おぐつ》を動かした。そうして、彼女の影を踏みながらその後から従った。大兄の顔は顰《ゆが》んで来た。彼は小石を拾うと森の中へ投げ込んだ。森は数枚の柏の葉から月光を払い落して呟《つぶや》いた。

       三

 身屋《むや》の贄殿《にえどの》の二つの隅《すみ》には松明が燃えていた。一人の膳夫《かしわで》は松明の焔《ほのお》の上で、鹿の骨を焙《あぶ》りながら明日の運命を占っていた。彼の恐怖を浮べた赧《あか》い横顔は、立ち昇る煙を見詰めながらだんだんと悦《よろこ》びの色に破れて来た。そのとき、入口の戸が押し開けられて、後に一人の若者を従えた王女卑弥呼が這入《はい》って来た。膳夫は振り向くと、火のついた鹿の骨を握ったまま真菰《まこも》の上に跪拝《ひざまず》いた。卑弥呼は後の若者を指差して膳夫にいった。
「彼は路に迷える旅の者。彼に爾は食を与えよ。彼のために爾は臥所《ふしど》を作れ。」
「酒は?」
「与えよ。」
「粟《あわ》は?」
「与えよ。」
 彼女は若者の方を振り向いて彼にいった。
「我は爾を残して行くであろう。爾は爾の欲する物を彼に命じよ。」
 卑弥呼は臂《ひじ》に飾った釧《くしろ》の碧玉《へきぎょく》を松明に輝かせながら、再び戸の外へ出て行った。若者は真菰《まこも》の下に突き立ったまま、その落ち窪んだ眼を光らせて卑弥呼の去った戸の外を見つめていた。
「旅の者よ。」と、膳夫の声が横でした。
 若者は膳夫の顔へ眼を向けた。そうして、彼の指差している下を見た。そこには、海水を湛《たた》えた※[#「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1-88-72]《もい》の中に海螺《つび》と山蛤《やまがえる》が浸してあった。
「かの女《おんな》は何者か。」
「この宮の姫、卑弥呼という。」
 膳夫は彼の傍から隣室の方へ下がっていった。やがて、数種の行器《ほかい》が若者の前に運ばれた。その中には、野老《ところ》と蘿蔔《すずしろ》と朱実《あけみ》と粟とがはいっていた。※[#「木+怱」、第3水準1-85-87]《たら》の木の心から製した※[#「酉+璃のつくり」、第4水準2-90-40]《もそろ》の酒は、その傍の酒瓮《みわ》の中で、薫《かん》ばしい香気を立ててまだ波々と揺《ゆら》いでいた。若者は片手で粟を摘《つま》むと、「卑弥呼。」と一言呟いた。
 そのとき、君長《ひとこのかみ》の面前から下がって来た一人の宿禰《すくね》が、八尋殿《やつひろでん》を通って贄殿の方へ来た。彼は痼疾《こしつ》の中風症に震える老躯《ろうく》を数人の使部《しぶ》に護《まも》られて、若者の傍まで来ると立ち停った。
「爾は何処の者か。」
 宿禰の垂れ下った白い眉毛《まゆげ》は、若者を見詰めている眼の上で慄《ふる》えていた。
「我は路に迷える旅の者。」
「爾の額《ひたい》の刺青《ほりもの》は※[#「王+夬」、第3水準1-87-87]《けつ》である。爾は奴国《なこく》の者であろう。」
「否《いや》。」
「爾の顎《あご》の刺青は月である。爾は奴国の貴族であろう。」
「否。」
「爾の唇の刺青は蔓《つる》である。爾は奴国の王子であろう。」
「否、我は路に迷える旅の者。」
「やめよ。爾の祖父は不弥《うみ》の王母《おうぼ》を掠奪《りゃくだつ》した。爾の父は不弥の霊床《たまどこ》に火を放った。彼を殺せ。」
 宿禰の茨《いばら》の根で作った杖《つえ》は若者の方へ差し向けられた。忽《たちま》ち、使部《しぶ》たちの剣は輝いた。若者は突っ立ち上ると、掴《つか》んだ粟を真先に肉迫する使部の面部へ投げつけた。剣を抜いた。と見る間に、使部の片手は剣を握ったまま胴を放れて酒の中へ落ち込んだ。使部たちは立ち停った。若者は飛《と》び退くと、杉戸を背にして突き立った。彼を目がけて※[#「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1-88-72]《もい》が飛んだ。行器《ほかい》が飛んだ。覆《くつがえ》った酒瓮《みわ》から酒が流れた。そうして、海螺《つび》や朱実《あけみ》が立ち籠めた酒気の中を杉戸に当って散乱すると、再び数本の剣は一斉に若者の胸を狙って進んで来た。身屋《むや》の外では法螺《ほら》が鳴った。若者は剣を舞わせて使部たちの剣の中へ馳《か》け込《こ》んだ。そうして、その背後で痼疾に震えている宿禰の上へ飛びかかると、彼を真菰の上へ押しつけた。使部たちの剣は再び彼に襲って来た。彼は宿禰の胸へその剣の尖《さき》をさし向けると彼らにいった。
「我を殺せ、我の剣も動くであろう。」
 使部たちは若者を包んだまま動くことが出来なかった。宿禰は若者の膝《ひざ》の下で、なおその老躯を震わせながら彼らにいった。
「我を捨てよ。彼を刺せ。不弥のために奴国の王子を刺し殺せ。」
 しかし、使部たちの剣は振り上ったままに下らなかった。法螺はただ一つますます高く月の下を鳴り続けた。銅鑼《どら》が鳴った。兵士《つわもの》たちの銅鉾《どうぼこ》を叩いて馳せ寄る響が、武器庫《ぶきぐら》の方へ押し寄せ、更に贄殿《にえどの》へ向って雪崩《なだ》れて来た。
「奴国の者が宮に這入った。」
「姫を奪いに。」
「鏡を掠《と》りに。」
 騒ぎは人々の口から耳へ、耳から口へと静まった身屋《むや》を包んで波紋のように拡った。やがて贄殿の内外は、兵士たちの鉾尖《ほこさき》のために明るくなった。
「奴国の者は何処へ行った。」
「奴国の者を外へ出せ。」
 贄殿の入口は動乱する兵士たちの肩口で押し破られた。そのとき、彼らの間を分けて、一人卑弥呼が進んで来た。兵士たちは争って彼女の前に道を開いた。彼女は贄殿の中へ這入ると、使部たちの剣に包まれた若者の姿を眼にとめた。
「待て、彼は道に迷いし旅の者。」
「彼は奴国の王子である。」
「彼は我の伴ないし者。」
「彼の祖父は不弥の王母を掠奪した。」
「剣を下げよ。」
「彼の父は不弥の神庫《ほくら》に火を放った。」
 卑弥呼は使部たちの剣の下を通って若者の傍に出た。
「我は爾に食を与えた。爾は爾の国へ直ちに帰れ。」
 若者は踏み敷いた宿禰を捨てて剣を投げた。そうして、卑弥呼の前に跪拝《ひざまず》くと、彼は崩れた角髪《みずら》の下から眼を光らせて彼女にいった。
「姫よ、我を爾の傍におけ、我は爾の下僕《しもべ》になろう。」
「爾は帰れ。」
「姫よ、我は爾に我の骨を捧げよう。」
「去れ。」
「姫よ。」
「彼を出せ。」
 使部たちは剣を下げて若者の腕を握った。そうして、彼を戸外の月の光りの下へ引き出すと、若者は彼らを突き伏せて再び贄殿の中へ馳け込んだ。
「姫よ。」
「去れ。」
「姫よ。」
「去れ。」
「爾は我の命を奪うであろう。」
 忽ち、兵士たちの鉾尖は、勾玉《まがたま》の垂れた若者の胸へ向って押し寄せた。若者は鉾尖の映った銀色の眼で卑弥呼を見詰めながら、再び戸外へ退《しりぞ》けられた。そうして、彼は数人の兵士に守られつつ、月の光りに静まった萩《はぎ》と紫苑《しおん》の花壇を通り、紫竹《しちく》の茂った玉垣の間を白洲《しらす》へぬけて、磯まで来ると、兵士たちの嘲笑とともに※[#「革+堂」、第3水準1-93-80]《ど》ッと浜藻の上へ投げ出された。一連の波が襲って来た。そうして、彼の頭の上を乗り越えて消えて行くと、彼は漸《ようや》く半身を起して宮殿の方を見続けた。

       四

「王子は帰った。」
「呪禁師《じゅこんし》の言はあたった。」
「峠《とうげ》を越えて。」
「矛木《ほこぎ》のように痩せて帰った。」
 奴国《なこく》の宮は、山の麓《ふもと》の篠屋《しのや》の中から騒ぎ始めた。そうして、この騒ぎは宮を横切って、宮殿の中へ這入《はい》って行くと、夜になって、神庫《ほくら》の前の庭園で盛大な饗宴となって変って来た。
 松明《たいまつ》を咬《か》んだ火串《ほぐし》は円形にその草野を包んで立てられた。集った宮人《みやびと》たちには、鹿の肉片と、松葉で造った麁酒《そしゅ》や※[#「酉+璃のつくり」、第4水準2-90-40]《もそろ》の酒が配《くば》られ、大夫《たいぶ》や使部《しぶ》には、和稲《にぎしね》から作った諸白酒《もろはくざけ》が与えられた。そうして、宮の婦人たちは彼らの前で、まだ花咲かぬ忍冬《すいかずら》を頭に巻いた鈿女《うずめ》となって、酒楽《さかほがい》の唄《うた》を謡《うた》いながら踊り始めた。数人の若者からなる楽人は、槽《おけ》や土器《かわらけ》を叩きつつ二絃《にげん》の琴《きん》に調子を打った。
 肥《こ》え太《ふと》った奴国の宮の君長《ひとこのかみ》は、童男と三人の宿禰《すくね》とを従えて櫓《やぐら》の下で、痩せ細った王子の長羅《ながら》と並んでいた。長羅は過ぎた狩猟の日、行衛《ゆくえ》不明となって奴国の宮を騒がせた。彼は十数日の間深い山々を廻っていた。そうして、彼は不弥《うみ》へ出た。かつてあの不弥の宮で生命を断たれようとした若者は彼であった。
「長羅よ、見よ、奴国の女は美しい。」と君長はいって踊る婦女たちを指差した。「我は爾《なんじ》に妻を与えよう。爾は爾の好む女を捜せ。」
 長羅の父の君長は、妃《きさき》を失って以来、饗宴を催すことが最大の慰藉《いしゃ》であった。何《な》ぜなら、それは彼の面前で踊る婦女たちの間から、彼は彼の欲する淫蕩《いんとう》な一夜の肉体を選択するに自由であったから。そうして、彼は、回を重ねるに従って常に一夜の肉体を捜し得た。今また彼は、櫓の下から二人の婦女に眼をつけた。
「見よ、長羅、彼方《かなた》の女の踊りは美事であろう。」
 長羅の細まった憂鬱な眼は、踊りを外《はず》れて森の方を眺めていた。君長は空虚《から》の酒盃《さかずき》を持ったまま、忙しそうに踊りの中へ眼を走らせながら、再び一人の婦人を指差していった。
「彼方の女は子を産む猪《いのしし》のように太っている。見よ、長羅、彼方の女は子を胎《はら》んだ冬の狐のように太っている。」
 饗宴は酒甕《みわ》から酒の減るにつれて乱れて来た。鹿は酔《よ》い潰《つぶ》れた若者たちの間を漫歩しながら酢漿草《かたばみそう》の葉を食べた。やがて、一団の若者たちは裸体となって、榊《さかき》の枝を振りながら婦人たちの踊の中へ流れ込んだ。このとき、人波の中から、絶えず櫓の上の長羅の顔を見詰めている女が二人あった。一人は踊の中で、君長の視線の的となっていた濃艶な若い大夫の妻であった。一人は松明の明りの下で、兄の訶和郎《かわろ》と並んで立っている兵部《ひょうぶ》の宿禰の娘、香取《かとり》であった。彼女は奴国の宮の乙女《おとめ》たちの中では、その美しい気品の高さにおいて嶄然《ざんぜん》として優れていた。
「ああ長羅、見よ、彼方に爾の妻がいる。」と、君長はいって長羅の肩を叩きながら、香取の方を指差した。
 香取の気高き顔は松明の下で、淡紅《うすくれない》の朝顔のように赧《あか》らんで俯向《うつむ》いた。
「王子よ、我の酒盞《うくは》を爾は受けよ。」と、兵部の宿禰は傍からいって、馬爪《ばづ》で作った酒盞を長羅の方へ差し延べた。何ぜなら、彼の胸中に長く潜《ひそ》まっていた最大の希望は、今|漸《ようや》く君長の唇から流れ出たのであったから。
 しかし、長羅の頭首《こうべ》は重く黙って横に振られた。彼の眼の向けられた彼方では、松明の一塊が火串《ほぐし》の藤蔓《ふじかずら》を焼き切って、赤々と草の上へ崩れ落ちた。一疋の鹿は飛び上った。そうして、踊の中へ角を傾けて馳け込んだ。
「父よ、我は臥所《ふしど》を欲する。我を赦《ゆる》せ。」
 長羅は一人立ち上って櫓を降りた。彼は人波《ひとなみ》の後をぬけ、神庫の前を通って暗い櫟《いちい》の下まで来かかった。そのとき、踊りの群《むれ》から脱《ぬ》け出《だ》した一人の女が、彼の後から馳《か》けて来た。彼女は大夫の若い妻であった。
「待て、王子よ。」と彼女はいった。
 長羅は立ち停って後を向いた。
「我は爾の帰るを、月と星とに祈っていた。」
 長羅は黙って再び母屋《もや》の方へ歩いていった。
「待て、王子よ、我は夜の来る度に爾の夢を見た。」
 しかし、長羅の足はとまらなかった。
「ああ、王子よ。爾は我に言葉をかけよ。爾はわれを森へ伴なえ。我は我の祈りのために、再び爾を櫓の上で見た。」
 そのとき、二人の後から一人の足音が馳けて来た。それは女の良人の痩せ細った若い大夫であった。彼は蒼《あお》ざめた顔をして慄《ふる》えながら長羅にいった。
「王子よ、女は我の妻である。願くば妻を斬《き》れ。」
 長羅は黙って母屋の踏段に足をかけた。大夫の妻は長羅の腕を握ってひきとめた。
「王子よ、我を伴なえ、我は今宵《こよい》とともに死ぬるであろう。」
 大夫は妻の首を掴《つか》んで引き戻そうとした。
「爾は我を欺《あざむ》いた。爾は狂った。」
「放せ、我は爾の妻ではない。」
「ああ、妻よ、爾は我を欺いた。」
 大夫は妻の髪を掴んで引き伏せようとしたときに、再び新しい一人の足音が、蹌踉《よろ》めきながら三人の方へ馳けて来た。それは酒盞《うくは》を片手に持った長羅の父の君長であった。彼は踏《ふ》み辷《すべ》ると土を片頬に塗りつけて起き上った。
「女よ、我は爾を捜していた。爾の踊りは何者よりも美事であった。来《きた》れ、我は今宵爾に奴国の宮を与えよう。」
 君長は女の腕を握って踏段を昇っていった。大夫は女の後から馳け登ると、再び妻の手を持った。
「王よ、女は我の妻である。妻を赦《ゆる》せ。」
「爾の妻か。良し。」
 君長は女を放して剣《つるぎ》を抜いた。大夫の首は地に落ちた。続いて胴が高縁《たかえん》に倒れると、杉菜《すぎな》の中に静まっている自分の首を覗《のぞ》いて動かなかった。
「来れ。」と君長は女にいってその手を持った。
「王子よ、王子よ、我を救え。」
「来れ。」
 女は君長を突き跳ねた。君長は大夫の胴の上へ仰向きに倒れると、露わな二本の足を空間に跳ねながら起き上った。彼は酒気を吐きつつその剣を振り上げた。
「王子よ、王子よ。」
 女は呼びながら長羅の胸へ身を投げかけた。が、長羅の身体は立木のように堅かった。剣は降りた。女の肩は二つに裂けると、良人の胴を叩いて転がった。
「長羅よ、酒楽《さかほがい》は彼方である。朝はまだ来ぬ。行け、女は彼方で待っている。」
 君長は剣を下げたまま松明の輝いた草野の方へ、再び蹌踉《よろ》めきながら第二の女を捜しに行った。
 長羅は突き立ったまま二つの死体を眺めていた。そうして、彼は西の方を眺めると、
「卑弥呼《ひみこ》。」と一言《ひとこと》呟いた。

       

 奴国《なこく》の宮の鹿と馬とはだんだんと肥《こ》えて来た。しかし、長羅《ながら》の頬は日々に落ち込んだ。彼は夜が明けると、櫓《やぐら》の上へ昇って不弥《うみ》の国の山を見た。夜が昇ると頭首《こうべ》を垂れた。そうして、彼の唇からは、微笑と言葉が流れた星のように消えて行った。彼のこの憂鬱に最も愁傷した者は、彼を愛する叔父《おじ》の祭司の宿禰《すくね》と、香取を愛する兵部《ひょうぶ》の宿禰の二人であった。ある日、祭司の宿禰は、長羅の行衛不明となったとき彼の行衛を占《うらな》わせた咒禁師《じゅこんし》を再び呼んで、長羅の病を占わせた。広間の中央には忍冬《すいかずら》の模様を描いた大きな薫炉《くんろ》が据《す》えられた。その中の、菱殻《ひしがら》の焼粉《やきこ》の黄色い灰の上では、桜の枝と鹿の肩骨とが積み上げられて燃え上った。咒禁師はその立《た》ち籠《こ》めた煙の中で、片手に玉串《たまぐし》を上げ、片手に抜き放った剣《つるぎ》を持って舞を舞った。そうして、彼は薫炉の上で波紋を描く煙の文《あや》を見詰めながら、今や巫祝《かんなぎ》の言葉を伝えようとした時、突然、長羅は彼の傍へ飛鳥のように馳けて来た。彼は咒禁師の剣を奪いとると、再び萩《はぎ》の咲き乱れた庭園の中へ馳け降りた。そうして、彼は蟇《がま》に戯《たわむ》れかかっている一疋の牝鹿《めじか》を見とめると、一撃のもとにその首を斬り落して咒禁師の方を振り向いた。
「来《きた》れ。」
 呆然《ぼうぜん》としていた咒禁師は、慄《ふる》えながら長羅の傍へ近寄って来た。
「我の望は西にある。いかが。」
「ああ、王子よ。」と、咒禁師はいうと、彼の慄える唇は紫の色に変って来た。
 長羅は血の滴《したた》る剣を彼の胸さきへ差し向けた。
「いえ、我の望は西にある。良きか。」
「良し。」
「良きか。」
「良し。」というと、咒禁師は仰向きに嫁菜《よめな》の上へ覆《くつがえ》った。
 長羅は剣をひっ下げたまま、蒸被《むしぶすま》を押し開けて、八尋殿《やつひろでん》の君長《ひとこのかみ》の前へ馳けていった。そこでは、君長は、二人の童男に鹿の毛皮を着せて、交尾の真似をさせていた。
「父よ、我に兵を与えよ。」
「長羅、爾《なんじ》の顔は瓜《うり》のように青ざめている。爾は猪と鶴とを食《くら》え。」
「父よ、我に兵を与えよ。」
「聞け、長羅、猪は爾は頬を脹らせるであろう。鶴は爾の顔を朱《あけ》に染めるであろう。爾の母は我に猪と鶴とを食わしめた。」
「父よ、我は不弥《うみ》を攻める。我に爾は兵を与えよ。」
「不弥は海の国、爾は塩を奪うか。」
「奪う。」
「不弥は玉の国、爾は玉を奪うか。」
「奪う。」
「不弥は美女の国、爾は美女を奪うて帰れ。」
「我は奪う、父よ、我は奪う。」
「行け。」
「ああ、父よ、我は爾に不弥の宝を持ち帰るであろう。」
 長羅は君長《ひとこのかみ》の前を下ると、兵部の宿禰を呼んで、直ちに兵を召集することを彼に命じた。しかし、兵部の宿禰は、この突然の出兵が、娘、香取の上に何事か悲しむべき結果を齎《もたら》すであろうことを洞察した。
「王子よ、爾は一戦にして勝たんことを欲するか。」
「我は欲す。」
「然《しか》らば、爾は我が言葉に従って時を待て。」
「爾は老者、時は壮者にとりては無用である。」
「やめよ。我の言葉は、爾の希望のごとく重いであろう。」
 長羅は唇を咬《か》み締《し》めて宿禰を見詰めていた。宿禰は吐息を吐いて長羅の前から立ち去った。

       

 奴国《なこく》の宮からは、面部の※[#「王+夬」、第3水準1-87-87]形《けっけい》の刺青《ほりもの》を塗《ぬ》り潰《つぶ》された五人の使部《しぶ》が、偵察兵となって不弥《うみ》の国へ発せられた。そうして、森からは弓材になる檀《まゆみ》や槻《つき》や梓《あずさ》が切り出され、鹿矢《ししや》の骨片の矢の根は征矢《そや》の雁股《かりまた》になった矢鏃《やじり》ととり変えられた。猪の脂《あぶら》と松脂《まつやに》とを煮溜めた薬煉《くすね》は弓弦《ゆづる》を強めるために新らしく武器庫《ぶきぐら》の前で製せられた。兵士《つわもの》たちは、この常とは変って悠々閑々《ゆうゆうかんかん》とした戦いの準備を心竊《こころひそか》に嗤《わら》っていた。しかし、彼らの一人として、娘を憶《おも》う兵部《ひょうぶ》の宿禰《すくね》の計画を洞察し得た者は、誰もなかった。
 偵察兵の帰りを待つ長羅《ながら》の顔は、興奮と熱意のために、再び以前のように男々《おお》しく逞《たくま》しく輝き出した。彼は終日武器庫の前の広場で、馬を走らせながら剣《つるぎ》を振り、敵陣めがけて突入する有様を真似ていた。しかし、卑弥呼《ひみこ》を奪う日が、なお依然として判明せぬ焦燥さに耐え得ることが出来なくなると、彼は一人国境の方へ偵察兵を迎いに馬を走らせた。
 或《あ》る日、長羅は国境の方から帰って来ると、泉の傍に立っていた兵部の宿禰の子の訶和郎《かわろ》が彼の方へ進んで来た。彼は長羅の馬の拡った鼻孔を指差して彼にいった。
「王子よ、爾《なんじ》は爾の馬に水を飲ましめよ。爾の馬の呼吸は切れている。」
 長羅は彼に従って馬から降りた。そのとき、一人の乙女《おとめ》が垂れ下った柳の糸の中から、慄《ふる》える両腕に水甕《みずがめ》を持って現れた。それは兵部の宿禰の命を受けた訶和郎の妹の香取《かとり》であった。彼女は美しく装いを凝《こら》した淡竹色《うすたけいろ》の裳裾《もすそ》を曳《ひ》きながら、泉の傍へ近寄って水を汲んだ。彼女の肩から辷《すべ》り落《お》ちた一束の黒髪は、差し延べた白い片腕に絡《から》まりながら、太陽の光りを受けた明るい泉の水面へ拡った。長羅は馬の手綱《たづな》を握ったまま彼女の姿を眺めていた。彼女は汲み上げた水壺の水を長羅の馬の前へ静《しずか》に置くと、赧《あか》らめた顔を俯向《うつむ》けて、垂れ下った柳の糸を胸の上で結び始めた。
 やがて、馬は水甕の中から頭を上げた。
「奴国の宮で、もっとも美しき者は爾である。」と長羅はいうと、馬の上へ飛び乗った。
 香取の一層赧らんだ気高《けだか》い顔は柳の糸で隠された。馬は再び王宮の方へ馳《か》けて行った。
 しかし、長羅は武器庫の前まで来たときに、三人の兵士が水壺の中へ毒空木《どくうつぎ》の汁を搾《しぼ》っているのを眼にとめた。
「爾の汁は?」と長羅は馬の上から彼らに訊《き》いた。
「矢鏃《やじり》に塗って、不弥《うみ》の者を我らは攻《せ》める。」と彼らの一人は彼に答えた。
 長羅の眼には、その矢を受けて倒れている卑弥呼の姿が浮び上った。彼は鞭《むち》を振り上げて馬の上から飛び降りた。兵士たちは跪拝《ひざまず》いた。
「王子よ、赦《ゆる》せ、我らの毒は、直ちに一人を殺すであろう。」と一人はいった。
 長羅は毒壺を足で蹴った。泡を立てた緑色の汁は、倒れた壺から草の中へ滲《し》み流《なが》れた。
「王子よ、赦せ、我らに命じた者は宿禰である。」と、一人はいった。
 忽《たちま》ち毒汁の泡の上には、無数の山蟻《やまあり》の死骸が浮き上った。

       

 不弥《うみ》の国から一人の偵察兵が奴国《なこく》の宮へ帰って来た。彼は、韓土《かんど》から新羅《しらぎ》の船が、宝鐸《ほうたく》と銅剣とを載せて不弥の宮へ来ることを報告した。長羅《ながら》は直ちに出兵の準備を兵部《ひょうぶ》の宿禰《すくね》に促した。しかし、宿禰の頭は重々しく横に振られた。
「爾は奴国の弓弦《ゆづる》の弱むを欲するか。」と、長羅はいって詰め寄った。
「待て、帰った偵察兵は一人である。」
 長羅は沈黙した。そうして、彼は、嘆息する宿禰の頭の上で、不弥の方を仰いで嘆息した。
 六日目に第二の偵察兵が帰って来た。彼は、不弥の君長《ひとこのかみ》が投馬《ずま》の国境へ狩猟に出ることを報告した。
 長羅は再び兵部の宿禰に出兵を迫っていった。
「宿禰よ、機会は我らの上に来た。爾は最早や口を閉じよ。」
「待て。」
「爾は武器庫《ぶきぐら》の扉を開け。」
「待て、王子よ。」
「宿禰、爾の我に教うる戦法は?」
「王子よ、狩猟の日は危険である。」
「やめよ。」
「狩猟の日の警戒は数倍する。」
「やめよ。」
「王子よ、爾の必勝の日は他日にある。」
「爾は必勝を敵に与うることを欲するか。」
「敵に与うるものは剣《つるぎ》。」
「爾は我の敗北を願う者。」
「我は爾を愛す。」
 長羅は鹿の御席《みまし》の毛皮を宿禰に投げつけて立ち去った。
 宿禰はその日、漸《ようや》く投げ槍と楯《たて》との準備を兵士《つわもの》たちに命令した。
 四日がたった。そうして、第三の偵察兵が奴国の宮へ帰って来た。彼は、不弥の宮では、王女|卑弥呼《ひみこ》の婚姻が数日の中《うち》に行われることを報告した。長羅の顔は、見る見る中に蒼《あお》ざめた。
「宿禰、銅鑼《どら》を鳴らせ、法螺《ほら》を吹け、爾は直ちに武器庫の扉を開け。」
「王子よ。我らの聞いた三つの報導は違っている。」
 長羅は無言のまま宿禰を睥《にら》んで突き立った。
「王子よ、二つの報告は残っている。」
 長羅の唇と両手は慄えて来た。
「待て、王子よ、長き時日は、重き宝を齎《もたら》すであろう。」
 長羅の剣は宿禰の上で閃《ひらめ》いた。宿禰の肩は耳と一緒に二つに裂けた。
 間もなく、兵士を召集する法螺と銅鑼が奴国の宮に鳴り響いた。兵士たちは八方から武器庫へ押し寄せて来た。彼らの中には、弓と剣と楯とを持った訶和郎《かわろ》の姿も混っていた。彼は、この不意の召集の理由を父に訊《き》き正《ただ》さんがために、ひとり王宮の中へ這入《はい》っていった。しかし、寂寞《せきばく》とした広間の中で彼の見たものは、御席《みまし》の上に血に塗《まみ》れて倒れている父の一つの死骸であった。
「ああ、父よ。」
 彼は楯と弓とを投げ捨てて父の傍へ馳《か》け寄《よ》った。彼は父の死の理由の総《すべ》てを識《し》った。彼は血潮の中に落ちている父の耳を見た。
「ああ、父よ、我は復讐するであろう。」
 彼は父の死体を抱き上げようとした。と、父の片腕は衣の袖《そで》の中から転がり落ちた。
「待て、父よ、我は爾に代って復讐するであろう。」
 訶和郎は血の滴《したた》る父の死体を背負うと、馳《は》せ違《ちが》う兵士たちの間をぬけて、ひとり家の方へ帰って来た。
 やがて、太陽は落ちかかった。そうして、長羅を先駆に立てた奴国の軍隊は、兵部の宿禰の家の前を通って不弥の方へ進軍した。訶和郎の血走った眼と、香取の泣き濡れた眼とは、泉の傍から、森林の濃緑色の団塊に切られながら、長く霜のように輝いて動いて行く兵士たちの鉾先《ほこさき》を見詰めていた。

       

 不弥《うみ》の宮には、王女|卑弥呼《ひみこ》の婚姻の夜が来た。卑弥呼は寝殿の居室で、三人の侍女を使いながら式場に出るべき装いを整えていた。彼女は斎杭《いくい》に懸った鏡の前で、兎の背骨を焼いた粉末を顔に塗ると、その上から辰砂《しんしゃ》の粉を両頬に掃《は》き流《なが》した。彼女の頭髪には、山鳥の保呂羽《ほろば》を雪のように降り積もらせた冠《かんむり》の上から、韓土《かんど》の瑪瑙《めのう》と翡翠《ひすい》を連ねた玉鬘《たまかずら》が懸かっていた。侍女の一人は白色の絹布を卑弥呼の肩に着せかけていった。
「空の下で、最も美しき者は我の姫。」
 侍女の一人は卑弥呼の胸へ琅※[#「王+干」、第3水準1-87-83]《ろうかん》の勾玉《まがたま》を垂れ下げていった。
「地の上の日輪《にちりん》は我の姫。」
 橘《たちばな》と榊《さかき》の植《うわ》った庭園の白洲《しらす》を包んで、篝火《かがりび》が赤々と燃え上ると、不弥の宮人たちは各々手に数枚の柏《かしわ》の葉を持って白洲の中へ集って来た。やがて、琴と笛と法螺《ほら》とが緩《ゆる》やかに王宮の※[#「木+長」、第4水準2-14-94]《ほこだち》の方から響いて来た。十人の大夫《だいぶ》が手火《たび》をかかげて白洲の方へ進んで来た。続いて、幢《はたぼこ》を持った三人の宿禰《すくね》が進んで来た。それに続いて、剣を抜いた君長《ひとこのかみ》が、鏡を抱いた王妃《おうひ》が、そうして、卑弥呼は、管玉《くだだま》をかけ連ねた瓊矛《ぬぼこ》を持った卑狗《ひこ》の大兄《おおえ》と並んで、白い孔雀《くじゃく》のように進んで来た。宮人たちは歓呼の声を上げながら、二人を目がけて柏の葉を投げた。白洲の中央では、王妃のかけた真澄鏡《ますみかがみ》が、石の男根に吊《つ》り下《さ》がった幣《ぬさ》の下で、松明《たいまつ》の焔《ほのお》を映して朱の満月のように輝いた。その後の四段に分れた白木の棚の上には、野の青物《あおもの》が一段に、山の果実と鳥類とが二段目に、鮠《はえ》や鰍《かじか》や鯉《こい》や鯰《なまず》の川の物が三段に、そうして、海の魚と草とは四段の段に並べられた。奏楽が起り、奏楽がやんだ。君長は鏡の前で、剣を空に指差していった。
「ああ無窮なる天上の神々よ、われらの祖先よ、二人を守れ。ああ広大なる海の神々よ、地の神々よ、二人を守れ、ああ爾《なんじ》ら忠良なる不弥の宮の臣民よ、二人を守れ、不弥の宮は、爾らの守護の下に、明日の日輪のごとく栄えるであろう。」
 周囲の宮人たちの手が白い波のように揺れると、再び一斉に柏の葉が投げられた。卑弥呼と卑狗の大兄は王宮の人々に包まれて、奏楽に送られながら、白洲を埋めた青い柏の葉の上を寝殿の方へ返っていった。群衆は歓《よろこ》びの声を上げつつ彼らの後に動揺《どよ》めいた。手火《たび》や松明《たいまつ》が入り乱れた。そうして、王宮からは、※[#「酉+璃のつくり」、第4水準2-90-40]《もそろ》や諸白酒《もろはくざけ》が鹿や猪の肉片と一緒に運ばれると、白洲の中央では、※[#「くさかんむり/意」、第3水準1-91-30]苡《くさだま》の実を髪飾りとなした鈿女《うずめ》らが山韮《やまにら》を振りながら、酒楽《さかほがい》の唄《うた》を謡《うた》い上げて踊り始めた。やがて、酒宴と舞踏は深まった。威勢良き群衆は合唱から叫喚《きょうかん》へ変って来た。そうして、夜の深むにつれて、彼らの騒ぎは叫喚から呻吟《しんぎん》へと落ちて来ると、次第に光りを失う篝火と一緒に、不弥の宮の群衆は、間もなく暁の星の下で呟《つぶや》く巨大な獣《けもの》のように見えて来た。
 そのとき、突然|武器庫《ぶきぐら》から火が上った。と、同時に森の中からは、一斉に鬨《とき》の声が群衆めがけて押し寄せた。それに応じて磯《いそ》からは、長羅《ながら》を先駆に立てた一団が、花壇を突き破って宮殿の方へ突撃した。不弥の宮の群衆は、再び宵《よい》のように騒ぎ立った。松明は消えかかったまま酒盞《うくは》や祝瓮《ふくべ》と一緒に飛び廻った。そうして、投げ槍の飛《と》び交《か》う下で、鉾《ほこ》や剣が撒《ま》かれた氷のように輝くと、人々の身体は手足を飛ばして間断なく地に倒れた。
 長羅はひとり転がる人波を蹴散らして宮殿の中へ近づくと、贄殿《にえどの》の戸を突き破って寝殿の方へ馳《か》け込《こ》んだ。広間の蒸被《むしぶすま》を押し開けた。八尋殿《やつひろでん》を横切った。そうして、奥深い一室の布被《ぬのぶすま》を引きあけると、そこには、白い羽毛の蒲団《ふとん》に被《おお》われた卑弥呼が、卑狗の大兄の腕の中で眠っていた。
「卑弥呼。」長羅は入口に突き立った。
「卑弥呼。」
 卑狗の大兄と卑弥呼とは、巣を乱された鳥のように跳ね起きた。
「去れ。」と叫ぶと、大兄は斎杭《いくい》に懸った鹿の角を長羅に向って投げつけた。
 長羅は剣の尖《さき》で鹿の角を跳ねのけると、卑弥呼を見詰めたまま、飛びかかる虎のように小腰《こごし》を蹲《かが》めて忍び寄った。
「去れ、去れ。」
 長羅に向って鏡が飛んだ。玉が飛んだ。しかし、彼は無言のまま卑弥呼の方へ近か寄った。大兄は卑弥呼を後《うしろ》に守って彼の前に立《た》ち塞《ふさ》がった。
「爾は何故にここへ来た。」
 と、大兄はいうと、彼の胸には長羅の剣が刺さっていた。彼は叫びを上げると、その剣を握って後へ反《そ》った。
「ああ、大兄。」
 卑弥呼は良人《おっと》を抱きかかえた。大兄の胸からは、血が赤い花のように噴《ふ》き出《だ》した。長羅は卑弥呼の肩に手をかけた。
「卑弥呼。」
「ああ、大兄。」
 卑狗の身体は卑弥呼の腕の中へ崩れかかって息が絶えた。
「我は爾を奪いに不弥へ来た。卑弥呼、我とともに爾は奴国《なこく》へ来《きた》れ。」
 長羅は卑弥呼を抱き寄せようとした。
「大兄、大兄。」と彼女はいいながら、卑狗の大兄を抱いたまま床の上へ泣き崩れた。
 そのとき、奴国の兵士《つわもの》たちは血に濡れた剣を下げて、長羅の方へ乱入して来ると口々に叫び合った。
「我は王を殺した。」
「我は王妃を刺した。」
「不弥の鏡を我は奪った。」
「我は宝剣と玉を掠《と》った。」
 長羅は卑弥呼を床の上から抱き上げた。
「我は爾を奪う。」
 彼は卑狗の大兄を卑弥呼の腕から踏み放すと、再び宮殿を突きぬけて広場の方へ馳け出した。卑弥呼は長羅の腕の中から、小枝を払った※[#「木+長」、第4水準2-14-94]《ほこだち》の枝に、上顎《うわあご》をかけられた父と母との死体が魚のように下っているのを眼にとめた。
「ああ、我を刺せ。」
 焔《ほのお》の家となった武器庫は、転っている死体の上へ轟然たる響を立てて崩れ落ちた。長羅は卑弥呼を抱きかかえたまま、ひらりと馬の上へ飛び乗った。
「去れ。」
 彼は馬の腹をひと蹴り蹴った。馬は石のように転っている人々の頭を蹴散して、森の方へ馳け出した。それに続いて、血に塗られた奴国の兵の鉾尖《ほこさき》が、最初の朝日の光りを受けてきらめきながら、森の方へ揺れて来た。
「卑弥呼。」と長羅はいった。
「ああ、我を刺せ。」
 彼女は馬の背の上で昏倒《こんとう》した。
「卑弥呼。」
 馬は走った。葎《むぐら》と薊《あざみ》の花を踏みにじって奴国の方へ馳けていった。
「卑弥呼。」
「卑弥呼。」

       

 遠く人馬の騒擾《そうじょう》が闇の中から聞えて来た。訶和郎《かわろ》と香取《かとり》は戸外に立って峠《とうげ》を見ると、松明《たいまつ》の輝きが、河に流れた月のように長くちらちらとゆらめいて宮の方へ流れて来た。それは不弥《うみ》の国から引き上げて来た奴国《なこく》の兵士《つわもの》たちの明りであった。訶和郎と香取は忍竹《しのぶ》を連ねた簀垣《すがき》の中に身を潜《ひそ》めて、彼らの近づくのを待っていた。
 やがて、兵士たちのざわめきが次第に二人の方へ近寄って来ると、その先達《せんだち》の松明の後から、馬の上で一人の動かぬ美女を抱きかかえた長羅《ながら》の姿が眼についた。訶和郎は剣を抜いて飛び出ようとした。
「待て、兄よ。」と香取はいって、訶和郎の腕を後へ引いた。
 先達の松明は簀垣の前へ来かかった。美女の片頬は、松明の光りを受けて病める鶴のように長羅の胸の上に垂れていた。
 訶和郎は剣《つるぎ》を握ったまま長羅の顔から美女の顔へ眼を流した。すると、憤怒《ふんぬ》に燃えていた彼の顔は、次第に火を見る嬰児《えいじ》の顔のように弛《ゆる》んで来て口を解いた。そうして、彼の厚い二つの唇は、兵士たちの最後の者が、跛足《びっこ》を引いて朱実《あけみ》を食べながら、宮殿の方へ去って行っても開いていた。しかし、間もなく、兵士たちの松明が、宮殿の草野の上で円《まる》く火の小山を築きながら燃え上ると、訶和郎の唇は引きしまり、再び彼の両手は剣を持った。
「待て、兄よ。」
 物に怯《おび》えたように、香取の体は軽く揺れた。しかし、訶和郎の姿は闇の中を夜蜘蛛《よぐも》のように宮殿の方へ馳け出した。
「ああ、兄よ。」と香取はいうと、彼女の悲歎の額《ひたい》は重く数本の忍竹へ傾きかかり、そうして、再び地の上へ崩れ伏した。

       

 訶和郎《かわろ》は兵士《つわもの》たちの間を脱けると、宮殿の母屋《もや》の中へ這入《はい》っていった。そうして、広間の裏へ廻って尾花《おばな》で編んだ玉簾《たますだれ》の隙間《すきま》から中を覗《のぞ》いた。
 広間の中では、君長《ひとこのかみ》は二人の宿禰《すくね》と、数人の童男と使部《しぶ》とを傍に従えて、前方の蒸被《むしぶすま》の方を眺めていた。数箇の燈油の皿に燃えている燈火は、一様に君長の方へ揺れていた。暫《しばら》くして、そこへ、数人の兵士たちを従えて現れたのは長羅《ながら》であった。
「父よ、我は勝った。我は不弥《うみ》の宮の南北から襲め寄せた。」と長羅はいった。
「美女は何処《いずこ》か。」
「父よ。我は不弥の宮に立てる生き物を残さなかった。我は王を殺した、王妃《おうひ》を刺した。」
「美女をとったか。」
「美女をとった。そうして、宝剣と鏡をとった。我の奪った宝剣を爾《なんじ》は受けよ。」
「美女は何処か。不弥の美女は潮の匂いがするであろう。」
 長羅は兵士たちの持って来た剣と、苧《からむし》の袋の中からとり出した鏡と琅※[#「王+干」、第3水準1-87-83]《ろうかん》の勾玉《まがたま》とを父の前に並べていった。
「父よ。爾は爾の好む宝を選べ。宝剣は韓土の鉄。奴国《なこく》の武器庫《ぶきぐら》を飾るであろう。」
「長羅よ。我は爾の殊勲に爾の好む宝剣を与えるであろう。我に美女を見せよ。不弥の美女は何処にいるか。」
 君長は御席《みまし》の上から立ち上った。長羅は一人の兵士に命じて言った。
「連れよ。」
 卑弥呼は後に剣を抜いた数人の兵士に守られて、広間の中へ連れられた。君長は卑弥呼を見ると、獣慾に声を失った笑顔の中から今や手を延《のば》さんと思われるばかりに、その肥《こ》えた体躯《たいく》を揺り動かして彼女にいった。
「不弥の女よ。爾は奴国を好むか。我とともに、奴国の宮にとどまれ。我は爾に爾の好む何物をも与えるであろう。爾は亥猪《いのこ》を好むか。奴国の亥猪は不弥の鹿より脂《あぶら》を持つであろう。不弥の女よ。我を見よ。我は王妃を持たぬ。爾は我の王妃になれ。我は爾の好む蛙《かえる》と鯉《こい》とを与えるであろう。我は加羅《から》の翡翠《ひすい》を持っている。」
「奴国の王よ、我を殺せ。」
「不弥の女よ。我の傍に来れ。爾は奴国の誰よりも美しい。爾は鐶《たまき》を好むか。我の妻は黄金の鐶を残して死んだ。爾は鐶を爾の指に嵌《は》めてみよ。来たれ。」
「奴国の王よ。我を不弥に返せ。」
「不弥の女よ。爾は奴国の宮を好むであろう。我とともにいよ。奴国の月は田鶴《たず》のように冠物《かぶりもの》を冠っている。爾は奴国の月を眺めて、我とともに山蟹《やまがに》と雁《かり》とを食《くら》え。奴国の山蟹は赤い卵を胎《はら》んでいる。爾は赤い卵を食え。山蟹の卵は爾の腹から我の強き男子《おのこ》を産ますであろう。来たれ。我は爾のごとき美しき女を見たことがない。来たれ。我とともに我の室《へや》へ来りて、酒盞《うくは》を干せ。」
 君長は刈薦《かりごも》の上に萎《しお》れている卑弥呼の手をとった。長羅の顔は刺青《ほりもの》を浮かべて蒼白《あおじろ》く変って来た。
「父よ、何処へ行くか。」
「酒宴の用意は宜《よろし》きか。長羅よ。爾の持ち帰った不弥の宝は美事である。」
「父よ。」
「長羅よ。我は爾のために新らしき母を与えるであろう。爾は臥所《ふしど》へ這入って、戦いの疲れを憩《いこ》え。」
「父よ。」長羅は君長の腕から卑弥呼を奪って突き立った。「不弥の女は我の妻。我は妻を捜しに不弥へ行った。」
「長羅、爾は我を欺《あざむ》いた。不弥の女よ。我に来れ。我は爾を嫁《めと》りに長羅を遣《や》った。」
「父よ。」
「不弥の女よ。我とともに来れ。我は爾を奴国の何物よりも愛《め》でるであろう。」
 君長は卑弥呼の手を引きながら長羅を突いた。長羅は剣を抜くと、君長の頭に斬りつけた。君長は燈油の皿を覆《くつがえ》して勾玉の上へ転がった。殿中は君長の周囲から騒ぎ立った。
 政司《さいし》の宿禰は立ち上ると剣を抜いて、長羅の前に出た。
「爾は王を殺害した。」
 長羅は宿禰を睥《にら》んで肉迫した。忽《たちま》ち広間の中の人々は、宿禰と長羅の二派に分れて争った。見る間に手と足と、角髪《みずら》を解いた数個の首とが斬《き》り落《おと》された。燈油の皿は投げられた。そうして、室の中は暗くなると、跳ね上げられた鹿の毛皮は、閃めく剣の刃さきの上を踊りながら放埒《ほうらつ》に飛び廻った。
 卑弥呼は蒸被《むしぶすま》を手探りながら闇にまぎれて、尾花の玉簾《たますだれ》を押し分けた。その時、玉簾の後《うしろ》に今まで身を潜めていた訶和郎《かわろ》は、八尋殿《やつひろでん》の廻廊から洩れくる松明の光に照《てら》されて、突然に浮き出た不弥の女の顔を目にとめた。
「姫よ、待て。」
 と訶和郎はいうと、広間の中へ飛び込もうとしていたその身を屈して彼女を横に抱き上げた。そうして、彼は宮殿の庭に飛び下り、厩《うまや》の前へ馳《か》けて行くと、卑弥呼の耳に口を寄せて囁《ささや》いた。
「姫よ、我と共に奴国を逃げよ。王子の長羅は、我と爾の敵である。爾を奪わば彼は我を殺すであろう。」
 一頭の栗毛《くりげ》に鞭《むち》が上った。馬は闇から闇へ二人を乗せて、奴国の宮を蹴り捨てた。
 長羅は蒸被の前へ追いつめた宿禰の肩を斬り下げた。そうして、剣を引くと、「卑弥呼、卑弥呼。」と呼びながら、部屋の中を馳け廻り、布被《ぬのぶすま》を引き開けた。玉簾を跳ね上げた。庭園へ飛び下りて、萩《はぎ》の葉叢《はむら》を薙《な》ぎ倒《たお》しつつ広場の方へ馳けて来た。
「不弥の女は何処へ行った。捜せ。不弥の女を捕えたものは宿禰にするぞ。」
 再び庭に積まれた松明の小山は、馳け集った兵士たちの鉾尖に突き刺されて崩された。そうして、奴国の宮を、吹かれた火の子のように八方へ飛び散ると、次第に疎《まばら》に拡りながら動揺《どよ》めいた。

       十一

 訶和郎《かわろ》の馬は狭ばまった谷間の中へ踏み這入った。前には直立した岩壁から逆様に楠《くす》の森が下っていた。訶和郎は馬から卑弥呼を降して彼女にいった。
「馬は進まず。姫よ、爾《なんじ》は我とともに今宵《こよい》をすごせ。」
「追い手は如何《いかん》。」
「良し、姫よ。我は奴国《なこく》の宿禰《すくね》の子。我の父は長羅のために殺された。爾を奪う兵士《つわもの》を奴国の宮に滞《とど》めて殺された。長羅は我の敵である。もし爾が不弥の国になかりせば、我の父は我とともに今宵を送る。爾は我の敵である。」
「我の良人《おっと》は長羅の剣《つるぎ》に殺された。」
「我は知らず。」
「我の父は長羅の兵士に殺された。」
「我は知らず。」
「我の母は長羅のために殺された。」
「やめよ、我は爾の敵ではない。爾は我の敵である。不弥《うみ》の女。我は爾を奪う。我は長羅に復讐のため、我は爾に復讐のため、我は爾を奪う。」
「待て。我の復讐は残っている。」
「不弥の女。」
「待て。」
「不弥の女。我の願いを容れよ。然《しか》らずば、我は爾を刺すであろう。」
「我の良人は我を残して死んだ。我の父と母とは、我のために殺された。ひとり残っている者は我である。刺せ。」
「不弥の女。」
「刺せ。」
「我に爾があらざれば、我は死するであろう。我の妻になれ。我とともに生きよ。我に再び奴国の宮へ帰れと爾はいうな。我を待つ物は剣であろう。」
「待て。我の復讐は残っている。」
「我は復讐するであろう。我は爾に代って、父に代って復讐するであろう。」
「するか。」
「我は復讐する。我は長羅を殺す。」
「するか。」
「我は爾の夫に代って、爾の父と母に代って復讐する。」
「するか。」
「我は爾を不弥と奴国の王妃にする。」
 その夜二人は婚姻した。頭の上には、蘭《らん》を飾った藤蔓《ふじづる》と、数条の蔦《つた》とが欅《けやき》の枝から垂れ下っていた。二人の臥床は羊歯《しだ》と韮《にら》と刈萱《かるかや》とであった。そうして卑弥呼《ひみこ》は、再び新らしい良人《おっと》の腕の中に身を横たえた。訶和郎《かわろ》は馬から鹿の毛皮で造られた馬氈《ばせん》を降《おろ》して、その妻の背にかけた。月は昇った。訶和郎は奴国の追い手を警戒するために、剣を抜いたまま眠らなかった。※[#「鼬」の「由」に代えて「吾」、第4水準2-94-68]鼠《むささび》は楠《くす》の穴から出てくると、ひとり枝々の間を飛び渡った。月の映る度《たび》ごとに、※[#「鼬」の「由」に代えて「吾」、第4水準2-94-68]鼠の眼は青く光って輝いた。そうして訶和郎の二つの眼と剣の刃は、山韮と刈萱の中で輝いた。
 その時、突然、卑弥呼は身を顫《ふる》わせて訶和郎の腕の中で泣き出した。

       十二

 その夜から、奴国《なこく》の野心ある多くの兵士《つわもの》たちは、不弥《うみ》の女を捜すために宮を発った。彼らの中に荒甲《あらこ》という一人の兵士があった。彼の額《ひたい》から片頬《かたほお》にかけて、田虫《たむし》が根強く巣を張っていたために、彼の※[#「王+夬」、第3水準1-87-87]形《けっけい》の刺青《ほりもの》は、奴国の誰よりも淡かった。彼は卑弥呼《ひみこ》が遁走《とんそう》した三日目の真昼に、森を脱け出た河原の岸で、馬の嘶《いなな》きを聞きつけた。彼は芒《すすき》を分けてその方へ近づくと、馬の傍で、足を洗っている不弥の女の姿が見えた。荒甲は背を延ばして馳け寄ろうとした時に、兎と沙魚《はぜ》とを携《さ》げた訶和郎が芒の中から現れた。
「ああ、爾《なんじ》は荒甲、不弥の女を爾は見たか。」
 荒甲は黙って不弥の女の姿を指さした。訶和郎は荒甲の首に手をかけた。と、荒甲の身体は、飛び散る沙魚と兎とともに、芒の中に転がされた。訶和郎は石塊を抱き上げると、起き上ろうとする荒甲の頭を目蒐《めが》けて投げつけた。荒甲の田虫は眼球と一緒に飛び散った。そうして、芒の茎にたかると、濡れた鶏頭《とさか》のようにひらひらとゆらめいた。訶和郎は死体になった荒甲の胴を一蹴りに蹴ると、追手《おって》の跫音《あしおと》を聞くために、地にひれ伏して苔《こけ》の上に耳をつけた。彼は妻の傍にかけていった。
「奴国の追手が近づいた。乗れ。」
 馬は卑弥呼と訶和郎を乗せて瀬を渡った。数羽の山鴨《やまがも》と雀《すずめ》の群れが柳の中から飛び立った。前には白雲を棚曳《たなび》かせた連山が真菰《まこも》と芒の穂の上に連っていた。
「かの山々は。」
「不弥の山。」
「追手は不弥へ廻るであろう。」
「廻るであろう。」
 卑弥呼は訶和郎と共に不弥に残った兵士たちを集めて奴国へ征《せ》め入《い》る計画を立てていた。しかし、二人を乗せた馬の頭は進むに従い、不弥を外《はず》れて耶馬台《やまと》の方へ進んでいった。秋の光りは訶和郎の背中に廻った衣の結び目を中心として、羽毛の畑のような芒の穂波の上に明るく降り注いだ。そうして、微風が吹くと、一様に背を曲げる芒の上から、首を振りつつ進む馬の姿が一段と空に高まった。空では鷸子《つぶり》と鳶《とび》とが円《まる》く空中の持ち場を守って飛んでいた。

       十三

 その夜二人は数里の森と、二つの峰とを越して小山の原に到着した。そこには椎《しい》と蜜柑《みかん》が茂っていた。猿は二人の頭の上を枝から枝へ飛び渡った。訶和郎《かわろ》は野犬と狼《おおかみ》とを防ぐために、榾柮《ほだ》を焚《た》いた。彼らは、数日来の経験から、追手の眼より野獣の牙《きば》を恐れねばならなかった。卑弥呼《ひみこ》はひとり訶和郎に添って身を横たえながら目覚めていた。なぜなら、その夜は彼女の夜警の番であったから。夜は更《ふ》けた。彼女は椎の梢《こずえ》の上に、群《むらが》った笹葉《ささば》の上に、そうして、静《しずか》な暗闇に垂れ下った藤蔓《ふじづる》の隙々《すきずき》に、亡き卑狗《ひこ》の大兄《おおえ》の姿を見た。
 卑狗の大兄の幻が彼女の眼から消えてゆくと、彼女は涙に濡れながら、再び燃え尽きる榾柮の上へ新らしく枯枝を盛り上げた。猿の群れは梢を下りて焚火の周囲に集ってきた。そうして、彼女が枯枝を火に差《さ》し燻《く》べるごとに、彼らも彼女を真似て差し燻べた。
 榾柮の次第に尽きかけた頃、山麓の闇の中から、突然に地を踏み鳴らす軍勢の響が聞えて来た。卑弥呼は傍の訶和郎を呼び起した。
「奴国の追手が近づいた、逃げよ。」
 訶和郎は飛び起ると足で焚火《たきび》を踏み消した。再び兵士たちの鯨波《とき》の声が張り上った。二人は馬に飛び乗ると、立木に突きあたりつつ小山の頂上へ馳け登った。すると、芒《すすき》の原に掩《おお》われた小山の背面からは、一斉に枯木の林が動揺《どよ》めきながら二人の方へ進んで来た。それは牡鹿《おじか》の群だった。馬は散乱する鹿の中を突き破って馳け下った。と、原の裾《すそ》から白茅《ちがや》を踏んで一団の兵士が現れた。彼らは一列に並んだまま、裾から二人の方へ締め上げる袋の紐《ひも》のように進んで来た。訶和郎は再び鹿の後から頂上へ馳け戻った。その時、椎《しい》と蜜柑《みかん》の原の中から、再び新らしい鹿の群が頂へ向って押《お》し襲《よ》せて来た。そうして、訶和郎の馬を混えた牡鹿の群の中へ突入して来ると、鹿の団塊は更に大きく混乱しながら、吹き上げる黒い泡のように頂上で動揺《どよ》めいた。しかし、間もなく、渦巻く彼らの団塊は、細長く山の側面に川波のように流れていった。と行手の裾に、兵士たちの松明《たいまつ》が点々と輝き出した。そうして、それらの松明は、見る間に一列の弧線を描いて拡がると、忽《たちま》ち全山の裾を円形に取り包んで縮まって来た。鹿の流れは訶和郎の馬を浮べて逆上した。再び彼らの団塊は、小山の頂で踏み合い乗り合いつつ沸騰した。松明を映した鹿の眼は、明滅しながら弾動する無数の玉のように輝いた。その時、一つの法螺《ほら》が松明の中で鳴り渡った。兵士たちの収縮する松明の環《わ》は停止した。それと同時に、芒の原の空中からは一斉に矢の根が鳴った。鹿の群れは悲鳴を上げて散乱した。訶和郎の馬は跳ね上った。と、訶和郎は卑弥呼を抱いたまま草の上に転落した。しかし、彼は窪地の中に這《は》い降《お》りると、彼女の楯《たて》のようにひれ伏して矢を防いだ。矢に射られた鹿の群れは、原の上を狂い廻って地に倒れた。忽ち窪地の底で抱き合う二人の背の上へ、鹿の塊《かたま》りがひき続いて落ち込むと、間もなく、雑然として盛り上った彼らは、突き合い蹴り合いつつ次第に静《しずか》に死んでいった。そうして、彼らの傷口から迸《ほとばし》る血潮は、石垣の隙間を漏れる泉のように滾々《こんこん》として流れ始めると、二人の体を染めながら、窪地の底の蘚苔《こけ》の中まで滲み込んでいった。

       十四

 訶和郎《かわろ》と卑弥呼《ひみこ》を包んだ兵士《つわもの》たちは、君長《ひとこのかみ》に率いられて、遠巻きに鹿の群れを巻き包んで来た耶馬台《やまと》の国の兵士であった。彼らは小山の頂上で狂乱する鹿の群れの鎮《しずま》るのを見ると、松明《たいまつ》の持ち手の後から頂きへ馳《か》け登《のぼ》った。明るく輝き出した頂は、散乱した動かぬ鹿の野原であった。やがて、兵士たちは松明の周囲へ尽《ことごと》く集って来ると、それぞれ一疋《いっぴき》の鹿を引《ひ》き摺《ず》って再び山の麓の方へ降りていった。その時、頂上の窪地の傍で群《むらが》った一団の兵士たちが、血に染った訶和郎と卑弥呼を包んで喧騒した。二人を見られぬ人たちは、遠く人垣の外で口々にいい合った。
「鹿の中から美女と美男が湧《わ》いて出た。」
「赤い美女が鹿の腹から湧いて出た。」
「鹿の美女は人間の美女よりも美しい。」
 やがて、兵士たちの集団は、訶和郎と卑弥呼を包んだまま、彼らの君長の反耶《はんや》の方へ進んでいった。
「王よ。」と兵士たちの一人は跪拝《ひざまず》いて反耶にいった。「鹿の中から若い男女が現れた。彼らを撃つか。」
 君長の反耶は、傍の兵士の持った松明をとると、頭上に高くかざして二人の姿を眺めていた。
「我らは遠く山を越えて来《きた》れる不弥《うみ》の者。我らを放せ。」と訶和郎はいった。反耶の視線は訶和郎から卑弥呼の方へ流された。
「爾《なんじ》は不弥の国の旅人か。」
「然《しか》り、我らは不弥へ帰る旅の者。我らを赦《ゆる》せ。」と卑弥呼はいった。
「耶馬台の宮はかの山の下。爾らは我の宮を通って旅に行け。」
「赦せ。われらの路は爾の宮より外《はず》れている。われらは明日の旅を急ぐ者。」
 反耶は松明を投げ捨てて、兵士たちの方へ向き返った。
「行け。」
 兵士たちは王の言葉を口々にいい伝えて動揺《どよ》めき立った。再び小山の頂では地を辷《す》べる鹿の死骸の音がした。その時、突然、卑弥呼の頭に浮んだものは、彼女自身の類い稀なる美しき姿であった。彼女は耶馬台の君長を味方にして、直ちに奴国《なこく》へ攻め入る計画を胸に描いた。
「待て、王よ。」と卑弥呼はいうと、並んだ蕾《つぼみ》のような歯を見せて、耶馬台の君長に微笑を投げた。「爾はわれらを爾の宮に伴なうか。われらは爾の宮を通るであろう。」
「ああ、不弥の女。爾らは我の宮を通って不弥へ帰れ。」
「卑弥呼。」と訶和郎はいった。
「待て、爾はわれに従って耶馬台を通れ。」卑弥呼は訶和郎の腕に手をかけた。
「卑弥呼、われらの路は外れて来た。耶馬台を廻れば、われらの望みも廻るであろう。」
「廻るであろう。」
「われらの望みは急いでいる。」
「訶和郎よ。耶馬台の宮は、不弥の宮より奴国へ近い。」
「不弥へ急げ。」
「耶馬台へ廻れ。」
「卑弥呼。」
 訶和郎は、眼を怒らせて、卑弥呼の腕を突き払った。その時、今まで反耶の横に立って、卑弥呼の顔を見続けていた彼の弟の片眼の反絵《はんえ》は、小脇に抱いた法螺貝《ほらがい》を訶和郎の眉間《みけん》に投げつけた。訶和郎は蹌踉《よろ》めきながら剣の頭椎《かぶつき》に手をかけた。反絵の身体は訶和郎の胸に飛びかかった。訶和郎は地に倒れると、荊《いばら》を※[#「てへん+毟」、第4水準2-78-12]《むし》って反絵の顔へ投げつけた。一人の兵士は鹿の死骸で訶和郎を打った。続いて数人の兵士たちの松明は、跳ね上ろうとする訶和郎の胸の上へ投げつけられた。火は胸の上で蹴られた花のように飛び散った。
「彼を縛《しば》れ。」と反絵はいった。
 数人の兵士たちは、藤蔓《ふじづる》を持って一時に訶和郎の上へ押しかむさった。
「王よ、彼を赦せ、彼はわれの夫《つま》、彼を赦せ。」卑弥呼は王の傍へ馳け寄った。反絵は藤蔓で巻かれた訶和郎の身体を一本の蜜柑の枝へ吊《つ》り下《さ》げた。卑弥呼は王の傍から訶和郎の下へ馳け寄った。
「彼を赦せ、彼は我の夫、彼を赦せ。」
 反絵は卑弥呼を抱きとめると、兵士たちの方を振り返って彼らにいった。
「不弥の女を連れよ。山を下れ。」
 一団の兵士は卑弥呼の傍へ押し寄せて来た。と、見る間に、彼女の身体は数人の兵士たちの頭の上へ浮き上り、跳ねながら、蜜柑の枝の下から裾の方へ下っていった。
 訶和郎は垂れ下ったまま蜜柑の枝に足を突っ張って、遠くへ荷負《にな》われてゆく卑弥呼の姿を睥《にら》んでいた。兵士たちの松明は、谷間から煙のように流れて来た夜霧の中を揺れていった。
「妻を返せ。妻を返せ。」
 蜜柑の枝は、訶和郎の唇から柘榴《ざくろ》の粒果《つぶ》のような血が滴《したた》る度ごとに、遠ざかる松明の光りの方へ揺らめいた。その時、兵士たちの群から放れて、ひとり山腹へ引き返して来た武将があった。それはかの君長《ひとこのかみ》の弟の反絵であった。彼は芒《すすき》の中に立《た》ち停《どま》ると、片眼で山上に揺られている一本の蜜柑の枝を狙《ねら》って矢を引いた。蜜柑の枝は、一段と闇の中で激しく揺れた。訶和郎の首は、猟人の獲物《えもの》のように矢の刺った胸の上へ垂れ下った。間もなく、濃霧は松明の光りをその中にぼかしながら、倒れた芒の原の上から静にだんだんと訶和郎の周囲へ流れて来た。

       十五

 耶馬台《やまと》の兵士《つわもの》たちが彼らの宮へ帰ったとき、卑弥呼《ひみこ》はひとり捕虜の宿舎にあてられる石窖《いしぐら》の中に入れられた。それは幸運な他国の旅人に与えられる耶馬台の国の習慣の一つであった。彼女の石窖は奥深い石灰洞から成っていた。数本の鍾乳石《しょうにゅうせき》の柱は、襞打《ひだう》つ高い天井の岩壁から下っていた。そうして、僅《わず》かに開けられた正方形の石の入口には、太い欅《けやき》の格子《こうし》が降《おろ》され、その前には、背中と胸とに無数の細い蜥蜴《とかげ》の絵でもって、大きな一つの蜥蜴を刺青《ほりもの》した一人の奴隷がつけられていた。彼の頭は嫁菜《よめな》の汁で染められた藍色《あいいろ》の苧《からむし》の布《きれ》を巻きつけ、腰には継ぎ合した鼬《いたち》の皮が纏《まと》われていた。
 卑弥呼は兵士たちに押し込められたまま乾草の上へ顔を伏せて倒れていた。夜は更《ふ》けた。兵士たちのさざめく声は、彼らの疲労と睡《ねむ》けのために耶馬台の宮から鎮《しず》まった。そうして、森からは霧を透《とお》して梟《ふくろう》と狐の声が石窖の中へ聞えて来た。かつて、卑弥呼が森の中で卑狗《ひこ》の大兄《おおえ》の腕に抱かれて梟の声を真似《まね》たのは、過ぎた平和な日の一夜であった。かつて、彼女が訶和郎《かわろ》の腕の中で狐の声を聞いたのは、過ぎた数日前の夜であった。
「ああ、訶和郎よ、もし我が爾《なんじ》に従って不弥《うみ》へ廻れば、我は今爾とともにいるのであろう。ああ、訶和郎よ、我を赦《ゆる》せ。我は卑狗を愛している。爾は我のために傷ついた。」
 卑弥呼は頭を上げて格子の外を見た。外では、弓を首によせかけた奴隷が、消えかかった篝火《かがりび》の傍で乾草の上に両手をついて、石窖の中を覗《のぞ》いていた。彼女は格子の傍へ近か寄った。そして、奴隷の臆病な犬のような二つの細い眼に嫣然《えんぜん》と微笑を投げて、彼にいった。
「来《きた》れ。」
 奴隷は眼脂《めやに》に塊《かたま》った逆睫《さかまつげ》をしばたたくと、大きく口を開いて背を延ばした。弓は彼の肩から辷《すべ》り落《お》ちた。
「爾は鹿狩りの夜を見たか。」
「見た。」
「爾は我の横に立てる男を見たか。」
「見た。」
 卑弥呼は首から勾玉《まがたま》を脱《はず》すと、彼の膝《ひざ》の上へ投げていった。
「爾は彼を見た山へ行け。爾は彼を伴なえ。爾は玉をかけて山へ行け。我は爾にその玉を与えよう。」
 奴隷は彼女の勾玉を拾って首へかけた。勾玉は彼の胸の上で、青い蜥蜴《とかげ》の刺青《ほりもの》を叩《たた》いて音を立てた。彼は加わった胸の重みを愛玩するかのように、ひとり微笑を洩《もら》しながら玉を撫《な》でた。
「夜は間もなく明けるであろう、行け。」と卑弥呼はいった。
 奴隷は立ち上った。そうして、胸を圧《おさ》えると彼の姿は夜霧の中に消えていった。しかし、間もなく、彼の足音に代って石を打つ木靴《きぐつ》の音が聞えて来た。卑弥呼は再び格子の外を見ると、そこには霧の中にひとり王の反耶《はんや》が立っていた。
「不弥の女、爾は何故に眠らぬか、我は耶馬台の国王の反耶である。」と君長《ひとこのかみ》は卑弥呼にいった。
「王よ、耶馬台の石窖は我の宮ではない。」
「爾に石窖を与えた者は我ではない。石窖は旅人の宿、もし爾を傷つけるなら、我は我の部屋を爾のために与えよう。」
「王よ、爾は何故に我が傍に我の夫《つま》を置くことを赦さぬか。」
「爾と爾の夫とを裂いた者は我ではない。」
「爾は我の夫を呼べ。夜が明ければ、我は不弥へ帰るであろう。」
「爾の行く日に我は爾に馬を与えよう。爾は爾の好む日まで耶馬台の宮にいよ。」
「王よ、爾は何故に我の滞《とどま》ることを欲するか。」
「一日滞る爾の姿は、一日耶馬台の宮を美しくするであろう。」
「王よ、我の夫を呼べ。我は彼とともに滞まろう。」
「夜が明ければ、我は爾に爾の夫と、部屋とを与えよう。」
 反耶の木靴の音は暫《しばら》く格子の前で廻っていた。そうして、彼の姿は夜霧の中へ消えていった。洞内の一隅ではひとすじの水の滴《したた》りが静かに岩を叩いていた。

       十六

 反絵《はんえ》は鹿狩りの疲労と酒とのために、計画していた卑弥呼の傍へ行くべき時を寝過した。そうして、彼が眼醒《めざ》めたときは、耶馬台《やまと》の宮は、朝日を含んだ金色《こんじき》の霧の底に沈んでいた。彼は松明《たいまつ》の炭を踏みながら、霧を浮かべた園《その》の中で、堤《つつみ》のように積み上げられた鹿の死骸の中を通っていった。彼の眠りの足らぬ足は、鹿の堤から流れ出ている血の上で辷《すべ》った。遠くの麻の葉叢《はむら》の上を、野牛の群れが黒い背だけを見せて森の方へ動いていった。するとその最後の牛の背が、遽《にわか》に歩を早めて馳け出したとき、刺青《ほりもの》のために青まった一人の奴隷の半身が、赤く血に染った一人の身体を背負って、だんだんと麻の葉叢の上に高まって来た。そうして、反絵が園を斜めに横切って、卑弥呼の石窖《いしぐら》を眺めて立った時、奴隷の蜥蜴《とかげ》は一層曲りながら、石窖へ通る岩の上を歩いていった。奴隷を睥《にら》んだ反絵の片眼は強く反《そ》りを打った鼻柱の横で輝いた。
「ああ、訶和郎《かわろ》よ。」と石窖の中から卑弥呼の声が聞えて来た。
 奴隷は背負った赤い死体の胸を石窖の格子に立てかけて、倒れぬように死体の背を押しつけた。格子の隙《すき》から卑弥呼の白い両手が延び出ると、垂れた訶和郎の首を立て直していった。
「ああ爾《なんじ》は死んだ。爾は復讐を残して死んだ。爾は我のために殺された。」
 奴隷は死体の背から手を放した。彼は歓喜の微笑をもらしながら、首の勾玉を両手で揉《も》んだ。訶和郎の死体は格子を撫《な》でて地に倒れた。
 反絵は毛の生えた逞《たくま》しいその臑《すね》で霧を揺るがしながら石窖の前へ馳けて来た。
 訶和郎を抱き上げようとして身を蹲《かが》めた奴隷は、足音を聞いて背後を向くと、反絵の唇からむき出た白い歯並《はなみ》が怒気を含んで迫って来た。奴隷は吹かれたように一飛び横へ飛びのいた。
「女はわれに玉を与えた。玉は我の玉である。」
 彼は胸の勾玉を圧えながら、櫟《いちい》と檜《ひのき》の間に張り詰った蜘蛛《くも》の網を突き破って森の中へ馳け込んだ。
 反絵は石窖の前まで来ると格子を握って中を覗《のぞ》いた。
 卑弥呼は格子に区切られたまま倒れた訶和郎の前に坐っていた。
「旅の女よ。」と反絵はいってその額《ひたい》を格子につけた。
 卑弥呼は訶和郎を指差しながら、反絵を睥んでいった。
「爾の獲物《えもの》はこれである。」
「やめよ。我は爾と共に山を下った。」
「爾の矢は我の夫《つま》の胸に刺さっている。」
「我は爾の傍に従っていた。」
「爾の弓弦《ゆづる》は爾の手に従った。」
「爾の夫を狙った者は奴隷である。」
「奴隷はわれに従った。」
 反絵は奴隷の置き忘れた弓と矢を拾うと、破れた蜘蛛の巣を潜《くぐ》って森の中へ馳け込んだ。しかし、彼の片眼に映ったものは、霧の中に包まれた老杉と踏《ふ》み蹂《にじ》られた羊歯《しだ》の一条の路とであった。彼はその路を辿《たど》りながら森の奥深く進んでいった。しかし、彼の片眼に映ったものは、茂みの隙間から射し込んだ朝日の縞《しま》を切って飛び立つ雉子《きじ》と、霧の底でうごめく野牛の朧《おぼ》ろに黒い背であった。そうして、露はただ反絵の堅い角髪《みずら》を打った。が、路は一本の太い榧《かや》の木の前で止っていた。彼は立ち停って森の中を見廻した。頭の上から露の滴《したた》りが一層激しく落ちて来た。反絵はふと上を仰《あお》ぐと、榧の梢《こずえ》の股の間に、奴隷の蜥蜴《とかげ》の刺青《ほりもの》が青い瘤《こぶ》のように見えていた。反絵は蜥蜴を狙《ねら》って矢を引いた。すると、奴隷の身体は円《まる》くなって枝にあたりながら、熟した果実のように落ちて来た。反絵は、舌を出して俯伏《うつぶ》せに倒れている奴隷の方へ近よった。その時、奴隷の頭髪からはずれかかった一連の勾玉が、へし折れた羊歯の青い葉の上で、露に濡れて光っているのが眼についた。彼はそれをはずして自分の首へかけ垂らした。

       十七

 霧はだんだんと薄らいで来た。そうして、森や草叢《くさむら》の木立《こだち》の姿が、朝日の底から鮮《あざや》かに浮き出して来るに従って、煙の立ち昇る篠屋《しのや》からは木を打つ音やさざめく人声が聞えて来た。しかし、石窖《いしぐら》の中では、卑弥呼《ひみこ》は、格子を隔てて、倒れている訶和郎《かわろ》の姿を見詰めていた。数日の間に第一の良人《おっと》を刺され、第二の良人を撃《う》たれた彼女の悲しみは、最早《もは》や彼女の涙を誘《さそ》わなかった。彼女は乾草の上へ倒れては起き上り、起きては眼の前の訶和郎の死体を眺めてみた。しかし、角髪《みずら》を解いて血に染っている訶和郎の姿は依然、格子の外に倒れていた。そうして、再び彼女は倒れると、胸に剣《つるぎ》を刺された卑狗《ひこ》の姿が、乾草の匂いの中から浮んで来た。彼女はただ茫然《ぼうぜん》として輝く空にだんだんと溶け込む霧の世界を見詰めていた。すると、今まで彼女の胸に溢れていた悲しみは、突然|憤怒《ふんぬ》となって爆発した。それは地上の特権であった暴虐な男性の腕力に刃向う彼女の反逆であり怨恨であった。彼女の眼は次第に激しく波動する両肩の起伏につれて、益々冷たく空の一点に食い入った。ふとその時、草叢《くさむら》の葉波が描いた地平の上から立昇っている一条の煙が彼女の眼の一角に映り始めた。それは薄れゆく霧を突き破って真直ぐに立ち昇り、渦巻《うずま》きながら円を開いて拡げた翼《つばさ》のようにだんだんと空を領している煙であった。彼女は立ち上った。そうして、格子を掴《つか》むと高らかに煙に向って呼びかけた。
「ああ、大神はわれの手に触れた。われは大空に昇るであろう。地上の王よ。我れを見よ。我は爾《なんじ》らの上に日輪の如く輝くであろう。」
 石窖《いしぐら》の格子の隙から現れた卑弥呼の微笑の中には、最早や、卑狗も訶和郎も消えていた。そうして、彼らに代ってその微笑の中に潜《ひそ》んだものは、ただ怨恨を含めた惨忍な征服慾の光りであった。

       十八

 耶馬台《やまと》の宮の若者たちは、眼を醒《さ》ますと噂《うわさ》に聴いた鹿の美女を見ようとして宮殿の花園へ押しよせて来た。彼らの或《ある》者は彼女に食わすがために、鹿の好む大バコや、百合根《ゆりね》を持っていた。しかし、彼らの誰もが鹿の美女を捜し出すことが出来なくなると、やがて庭園に積まれた鹿の死体が彼らの手によって崩し出された。その時、君長《ひとこのかみ》反耶《はんや》の命を受けた一人の使部《しぶ》は厳かな容姿を真直ぐに前方へ向けながら、彼らの傍を通り抜けて石窖《いしぐら》の方へ下っていった。若者たちの幾らかは直ちに彼の後から従った。使部は石窖の前まで来るとその閂《かんぬき》をとり脱《はず》し、欅《けやき》の格子《こうし》を上に開いて跪拝《ひざまず》いた。
「王は爾《なんじ》を待っている。」
 間もなく若者たちは、暗い石窖の中から現れた卑弥呼《ひみこ》の姿を見ると、斉《ひと》しく足を停めて首を延ばした。彼女は入口に倒れている訶和郎《かわろ》を抱き上げるとそこから動こうともしなかった。
「王は爾を待っている。」と、再び使部は彼女にいった。
 卑弥呼は訶和郎の胸から顔を上げて使部を見た。
「爾は王の前へ彼を伴なえ。」
「王は爾を伴えと我にいった。」
「王は彼を伴うを我に赦《ゆる》した。連れよ。」
 使部は訶和郎の死体を背に負って引き返した。卑弥呼は乱れた髪と衣に、乾草の屑《くず》をたからせて使部の後から石の坂道を登っていった。若者たちは左右に路を開いて彼女の顔を覗《のぞ》いていた。そうして、彼女の姿が彼らの前を通り抜けて、高い麻の葉波の中に消えようとしたとき、初めて彼らの曲った腰は静《しずか》に彼女の方へ動き出した。彼らの肩は狭い路の上で突《つ》き衝《あた》った。が、百合根を持った一人の若者は後の方で口を開いた。
「鹿の美女は森にいる。森へ行け。」
 若者たちは再び彼の方を振り向くと、石窖の前から彼に従って森の中へ馳け込んだ。

       十九

 卑弥呼《ひみこ》の足音が高縁《たかえん》の板をきしめて響いて来た。君長《ひとこのかみ》の反耶《はんや》は、竹の遣戸《やりど》を童男に開かせた。薄紅《うすくれない》に染った萩《はぎ》の花壇の上には、霧の中で数羽の鶴が舞っていた。そうして、朝日を背負った一つの峰は、花壇の上で絶えず紫色の煙を吐いていた。
 やがて、卑弥呼は使部の後から現れた。君長は立ち上って彼女にいった。
「旅の女よ。爾《なんじ》は爾の好む部屋へ行け。我は爾のためにその部屋を飾るであろう。」
「王よ。」使部は跪拝《ひざまず》いた膝の上へ訶和郎《かわろ》を乗せていった。「われは女の言葉に従って若い死体を伴のうた。」
「旅の女よ。爾の衣は鹿の血のために穢《けが》れている。爾は新らしき耶馬台《やまと》の衣を手に通せ。」
「王よ、若い死体は石窖《いしぐら》の前に倒れていた。」
「捨てよ、爾に命じたものは死体ではない。」
「王よ、若い死体はわれの夫《つま》の死体である。」と卑弥呼はいった。
 反耶の赤い唇は微動しながら喜びの皺《しわ》をその両端に深めていった。
「ああ、爾はわれのために爾の夫を死体となした。着よ、われの爾に与えたる衣はわれの心のように整うている。」
 王は隅《すみ》にひかえていた一人の童男を振り返った。童男は両手に桃色の絹を捧げたまま卑弥呼の前へ進んで来た。
「王よ。」と使部は訶和郎を抱き上げていった。「若い死体を何処《いずこ》へ置くか。」
「旅の女よ、爾は爾の夫を何処へ置くか。」
 その時、急に高縁の踏板が、馳け寄る荒々しい響を立てて振動した。人々は入口の空間に眼を向けると、そこへ怒った反絵《はんえ》が馳《か》け込《こ》んで来た。
「兄よ、旅の女が逃げ失せた。石窖の口が開いていた。」
「王よ。我は夫の死体を欲する者に与えるであろう。」と卑弥呼はいった。そうして、使部の膝から訶和郎の死体を抱きとると、入口に立《た》ち塞《ふさが》った反絵の胸へ押しつけた。
 反絵は崩れた訶和郎の角髪《みずら》を除《の》けると片眼を出して彼女にいった。
「われは爾に代って奴隷を撃った。爾の夫を射殺した奴隷を撃った。」
「やめよ。夫の死体を欲した者は爾である。」と、卑弥呼はいった。
「旅の女よ、森へ行け、奴隷の胸には我の矢が刺さっている。」
 卑弥呼は反絵の片眼の方へ背を向けた。そうして、腰を縛《しば》った古い衣の紐《ひも》を取り、その脇に廻った結び目を解きほどくと、彼女の衣は、葉を取られた桃のような裸体を浮かべて、彼女の滑《なめら》かな肩から毛皮の上へ辷《すべ》り落《お》ちた。
 反耶の大きく開かれた二つの眼には、童男の捧げた衣の方へ、静かに動く円い彼女の腰の曲線が、霧を透《とお》した朝日の光りを区切ったために、七色の虹となって浮き立ちながら花壇の上で羽叩《はばた》く鶴の胸毛をだんだんにその横から現してゆくのが映っていた。そうして、反絵の動かぬ一つの眼には、彼女の乳房《ちぶさ》の高まりが、反耶の銅の剣《つるぎ》に戯れる鳩《はと》の頭のように微動するのが映っていた。卑弥呼は裸体を巻き変えた新しい衣の一端で、童男の捧げた指先を払いながら部屋の中を見廻した。
「王よ。この部屋をわれに与えよ。われは此処《ここ》に停《とど》まろう。」
 彼女は静に反耶の傍へ近寄った。そうして、背に廻ろうとする衣の二つの端を王に示しながら、彼の胸へ身を寄せかけて微笑を投げた。
「王よ、われは耶馬台の衣を好む。爾はわれのために爾の与えた衣を結べ。」
 反耶は卑弥呼を見詰めながら、その衣の端を手にとった。悦《よろこ》びに声を潜《ひそ》めた彼の顔は、髯《ひげ》の中で彼女の衣の射る絹の光を受けて薄紅に栄《は》えていた。部屋の中で訶和郎の死体が反絵の腕を辷《すべ》って倒れる音がした。反絵の指は垂下った両手の先で、頭を擡《もた》げる十疋《じっぴき》の蚕《かいこ》のように動き出すと、彼の身体は胸毛に荒々しい呼吸を示しながら次第に卑弥呼の方へ傾いていった。
 反耶は衣を結んだ両手を後から卑弥呼の肩へ廻そうとした。と、彼女は急に妖艶な微笑を両頬《りょうほお》に揺るがしながら、彼の腕の中から身を翻《ひるがえ》して踊り出した。そうして、今や卑弥呼を目がけて飛びかかろうとしている反絵の方へ馳け寄ると、彼の剛《つよ》い首へ両手を巻いた。
「ああ、爾は我のために我の夫を撃ちとめた。我を我の好む耶馬台の宮にとどめしめた者は爾である。」
「旅の女よ。我は爾の夫を撃った。我は爾の勾玉《まがたま》を奪った奴隷を撃った。我は爾を傷つける何者をも撃つであろう。」
 反絵の太い眉毛は潰《つぶ》れた瞼《まぶた》を吊り上げて柔和な形を描いて来た。しかし反耶の空虚に拡がった両腕は次第に下へ垂れ落ると、反耶は剣を握って床を突きながら使部にいった。
「若い死体を外へ出せ。宿禰《すくね》を連れよ。鹿の死体の皮を剥《は》げと彼にいえ。」
 使部は床の上から訶和郎の死体を抱き上げようとした。卑弥呼は反絵の胸から放れると、急に使部から訶和郎を抱きとって毛皮の上へ泣き崩れた。
「ああ、訶和郎、爾は不弥《うみ》へ帰れと我にいった。我は耶馬台の宮にとどまった。そうしてああ爾は我のために殺された。」
 反絵は首から奴隷の勾玉を取りはずして卑弥呼の傍へ近寄って来た。
「旅の女よ。我は奴隷の奪った勾玉を爾に返す。」
「旅の女よ。立て。われは爾の夫を阿久那《あくな》の山へ葬ろう。」と使部はいって訶和郎の死体を抱きとった。
「王よ。我を不弥へ返せ、爾の馬を我に与えよ。我は不弥の山へ我の夫を葬ろう。」
「爾の夫は死体である。」
「朝が来た、爾が我を不弥へ帰すを約したのは夕べである。馬を与えよ。」
「何故に爾は帰る。」
「爾は何故に我をとめるか。」
「我は爾を欲す。」
 卑弥呼の顔は再び生々とした微笑のために輝き出した。そうして、彼女は反耶の肩に両手をかけると彼にいった。
「ああ、われを爾の宮にとどめよ、われの夫は死体である。」
「旅の女、われは爾を欲す。」と反絵はいって彼女の方へ迫って来た。
 卑弥呼は反耶に与えた顔の微笑を再び反絵に向けると彼にいった。
「我は不弥へ帰らず。われは爾らと共に耶馬台の宮にとどまるであろう。爾はわれのために、我に眠りを与えよと王に願え。我は数夜の眠りを馬の上に眠っていた。」
「兄よ。この部屋を去れ。」と反絵はいった。
「爾の獲物は死体である。爾は獲物を持って部屋を去れ。」と反耶はいった。
 卑弥呼は二人に挾まれながら反耶の肩を柔く入口の方へ押していった。
「王よ。我に眠りを与えよ。眼が醒めなば我は爾を呼ぶであろう。」
「不弥の女、われも呼べ。兄が爾を愛するよりも我は爾を愛す。」
 反絵は肩を立てて王を睨《にら》むと部屋の外へ出て行った。
「女よ眠れ、爾の眼が醒めなば、われは爾のためにこの部屋を飾らそう。」
 反耶の卑弥呼に囁《ささや》いた声に交って、部屋の外からは、高く反絵の銅鑼《どら》のような声が響いて来た。
「兄よ、部屋を出よ。我は爾よりも先に出た。不弥の女よ、兄を出せ。」
 反耶は眉間《みけん》に皺を落して入口の方へ歩いて行った。童男は彼の後から従った。使部は最後に訶和郎の死体を抱いて出ようとすると、卑弥呼は彼の腕から訶和郎を奪って荒々しく竹の遣戸を後から閉めた。
「ああ、訶和郎、われを赦せ。われは爾の復讐をするであろう。」
 彼女は床の上に坐って、歯を咬《か》みしめた訶和郎の顔に自分の頬をすり寄せた。しかし、その冷い死体の触感は、やがて卑狗《ひこ》の大兄《おおえ》の頬となって彼女の頬に伝わった。彼女の顔は流れる涙のために光って来た。
「ああ、大兄よ。爾は爾の腕の中に我を雌雉子《めきじ》の如く抱きしめた。爾はわれをわれが爾を愛するごとく愛していた。ああ大兄、爾は何処《いずこ》へ行った。返れ。」
 彼女は両手で頭をかかえると立ち上った。
「大兄、大兄、我は爾の復讐をするであろう。」
 彼女はよろめきながら部屋の中を歩き出した。脱ぎ捨てた彼女の古い衣は彼女の片足に纏《まつわ》りついた。そうして、彼女の足が厚い御席《みまし》の継ぎ目に入ると、彼女は足をとられてどっと倒れた。

       二十

 反絵《はんえ》は閉された卑弥呼《ひみこ》の部屋の前に、番犬のように蹲《かが》んでいた。前方の広場では、兵士《つわもの》たちが歌いながら鹿の毛皮を剥《は》いでいた。彼らの剣《つるぎ》は猥褻《わいせつ》なかけ声と一緒に鹿の腹部に突き刺さると、忽《たちま》ち鹿は三人からなる一組の兵士の手によって裸体にされた。間もなく今まで積まれてあった鹿の小山の褐色の色が、麻の葉叢《はむら》の上からだんだんに減ってくると、それにひきかえて、珊瑚色《さんごいろ》の鹿の小山が新しく晴れ渡った空の中に高まってきた。手の休まった兵士たちは、血の流れた草の上で角力《すもう》をとった。神庫《ほくら》の裏の篠屋《しのや》では、狩猟を終った饗宴《きょうえん》の準備のために、速成の鹿の漬物《つけもの》が作られていた。兵士たちは広場から運んだ裸体の鹿を、地中に埋まった大甕《おおがめ》の中へ塩塊《えんかい》と一緒に投げ込むと彼らはその上で枯葉を焚《た》いた。その横では、不足な酒を作るがために、兵士たちは森から摘《つ》みとってきた黒松葉を圧搾《あっさく》して汁を作っていた。ここでは、その仕事の効果が最も直接に彼ら自身の口を喜ばすがために、歌う彼らの声も、いずれの仲間たちの歌より一段と威勢があった。
 反絵は時々戸の隙間から中を覗《のぞ》いた。薄暗い部屋の中からは、一条の寝息が絶えず幽《かす》かに聞えていた。彼は顔を顰《しか》めて部屋の前を往《ゆ》き来《き》した。しかし、兵士たちの広場でさざめく声が一層|賑《にぎ》わしくなってくると、彼は高い欄干《らんかん》から飛び下りてその方へ馳《か》けて行った。今や麻の草場の中では、角力の一団が最も人々を集めていた。反絵は彼らの中へ割り込むと今まで勝ち続けていた一人の兵士の前に突きたった。
「来《きた》れ。」と彼は叫んでその兵士の股《また》へ片手をかけた。兵士の体躯は、反絵の胸の上で足を跳ねながら浮き上った。と、反絵は彼の身体を倒れた草の上へ投げて大手を上げた。
「我を倒した者に剣をやろう。来れ。」
 その時反絵の眼には、白鷺《しらさぎ》の羽根束を擁《かか》えた反耶《はんや》の二人の使部《しぶ》が、積まれた裸体の鹿の間を通って卑弥呼の部屋の方へ歩いて行くのが見えた。反絵の拡げた両手は、だんだんと下へ下った。
「よし、我は爾《なんじ》に勝とう。」と一人がいった。それは反絵に倒された兵士の真油《まゆ》であった。彼は立ち上ると、血のついた角髪《みずら》で反絵の腹をめがけて突進した。
「放せ、放せ。」と反絵はいった。が、彼の身体は曲った真油の背の上で舟のように反《そ》っていた。と、次の瞬間、彼は踏《ふ》み蹂《にじ》られた草の緑が眼につくと、反耶に微笑《ほほえ》む不弥《うみ》の女の顔を浮べて逆様《さかさま》に墜落《ついらく》した。
「我に剣を与えよ。我は勝った、我は爾に勝った。」
 ひとり空の中で喜ぶ真油の顔が高く笑った。反絵は怒りのバネに跳ね起されると、波立つ真油の腹を蹴り上げた。真油は叫びを上げて顛倒《てんとう》した。それと同時に、反絵は卑弥呼の部屋の方を振り返ると、遣戸《やりど》の中へ消えようとしている使部の黄色い背中が、動揺《どよ》めく兵士たちの頭の上から見えていた。
「真油は死んだ。」
「真油は蹴られた。」
「真油の腹は破れている。」
 広場では兵士たちの歌がやまった。あちらこちらの草叢《くさむら》の中から兵士たちは動かぬ真油を中心に馳け寄って来た。しかし、反絵は彼らとは反対に広場の外へ、鹿の死体を飛び越え、馳け寄る兵士たちを突き飛ばし、麻の葉叢の中を一文字に使部たちの方へ突進した。
 遣戸の中では、卑弥呼の眠りに気使いながら、二人の使部は、白鷺の尾羽根を周囲の壁となった円木《まろき》の隙に刺していた。
 反絵は部屋の中へ飛び込むと、一人の使部の首を攫《つか》んで床の上へ投げつけた。使部の腕からはかかえた白鷺の尾羽根が飛び散った。
「我を赦《ゆる》せ。王は部屋を飾れとわれに命じた。」転りながら叫ぶ使部の上で、白鷺の羽毛が、叩かれた花園の花瓣のようにひらひらと舞っていた。反絵は拳《こぶし》を振りながら使部の腰を蹴って叫んだ。
「部屋を出よ、部屋を出よ、部屋を出よ。」
 二人の使部は直ちに遣戸の方へ逃げ出した。その時彼らに代って、両手に竜胆《りんどう》と萩《はぎ》とをかかえた他の二人の使部が這入《はい》って来た。反絵は二人の傍へ近寄った。そうして、その一人の腕から萩の一束を奪い取ると、彼の額《ひたい》を打ち続けてまた叫んだ。
「部屋を出よ、部屋を出よ、部屋を出よ。」
「大兄《おおえ》、我は王の言葉に従った。」
「去れ。」
「大兄、我は王のために鞭打《むちう》たれるであろう。」
「行け。」
 二人の使部は出て行った。が、彼らに続いてまた直ぐに二人の使部が、鹿の角を肩に背負って這入って来た。反絵は散乱した羽毛と萩の花の中に突き立って卑弥呼の寝顔を眺めていた。彼は物音を聞きつけて振り返ると、床へ投げ出された鹿の角の一枝を、肩にひっかけたまま逃げる使部の姿が、遣戸の方へ馳けて行くのが眼についた。反絵は捨てられた白鷺の尾羽根と竜胆の花束とを拾うと使部たちに代って円木の隙に刺していった。彼は時々手を休めて卑弥呼の顔を眺めてみた。しかし、その度《たび》に、細く眼を見開いて彼の後姿を眺めていた卑弥呼の瞼《まぶた》は、再び眠りのさまを装《よそお》った。
「不弥の女。」と反絵はその野蛮な顔に媚びの微笑を浮べて彼女を呼んだ。
「不弥の女。見よ、我は爾の部屋を飾っている。不弥の女。起きよ。我は爾の部屋を飾っている。」
 卑弥呼の眠りは続いていた。そうして、反絵のとり残された媚の微笑は、ひとりだんだんと淋しい影の中へ消えていった。彼は卑弥呼の頭の傍へ近寄って片膝つくと、両手で彼女の蒼白《あおじろ》い頬《ほお》を撫《なで》てみた。彼の胸は迫る呼吸のために次第に波動を高めて来ると彼の手にたかっていた一片の萩の花瓣も、手の甲と一緒に彼女の頬の上で慄《ふる》えていた。
「不弥の女。不弥の女。」と彼は叫んだ。が、彼の胸の高まりは突然に性の衝動となって変化した。彼の赤い唇はひらいて来た。彼の片眼は蒼《あお》みを帯びて光って来た。そうして、彼女の頬を撫でていた両手が動きとまると、彼の体躯《たいく》は漸次に卑弥呼の胸の方へ延びて来た。しかし、その時、怨恨を含んだ歯を現して、鹿の毛皮から彼の方を眺めている訶和郎《かわろ》の死体の顔が眼についた。反絵の慾情に燃えた片眼は、忽ち恐怖の光を発して拡がった。が、次の瞬間、挑《いど》みかかる激情の光に急変すると、彼は立ち上って訶和郎の死体を毛皮のままに抱きかかえた。彼は荒々しく遣戸の外へ出ていった。そうして、広場を横切り、森を斜めに切って、急に開けた断崖の傍まで来ると、抱えた訶和郎の死体をその上から投げ込んだ。訶和郎の死体は、眼下に潜んだ縹緲《ひょうびょう》とした森林の波頭の上で、数回の大円を描きながら、太陽の光にきらきらと輝きつつ沈黙した緑の中へ落下した。

       二十一

 夜が深まると、再び濃霧が森林や谷間から狩猟の後の饗宴に浮れている耶馬台《やまと》の宮へ押し寄せて来た。場庭《ばにわ》の草園では、霧の中で焚火《たきび》が火の子を爆《はじ》いて燃えていた。その周囲で宮の婦女たちは、赤と虎斑《とらふ》に染った衣を巻いて、若い男に囲まれながら踊っていた。踊り疲れた若者たちは、なおも歌いながら草叢《くさむら》の中に並んだ酒甕《みわ》の傍へ集って来た。彼らの中の或者たちは、それぞれ自分の愛する女の手をとって、焚火の光りのとどかぬ森の中へ消えていった。王の反耶《はんや》は大夫《だいぶ》たちの歓心に強いられた酒のために、だんだんと酔いが廻った。彼は卑弥呼《ひみこ》の部屋の装飾を命じた五人の使部《しぶ》に、王命の違反者として体刑を宣告した。五人の使部は、武装した兵士《つわもの》たちの囲みの中で、王の口から体刑停止の命令の下るまで鞭打《むちう》たれた。彼らの背中の上で、竹の根鞭の鳴るのとともに、酒楽《さかほがい》の歌は草園の焚火の傍でますます乱雑に高まった。そうして、遠い国境の一つの峰から立ち昇っている噴火の柱は、霧の深むにつれて次第にその色を鈍い銅色に変えて来ると、違反者の背中は破れ始めて血が流れた。彼らは地にひれ伏して草を引《ひ》き※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]《むし》りながら悲鳴を上げた。反耶は悶転《もんてん》する彼らを見ると、卑弥呼にその体刑を見せんがために彼女の部屋の方へ歩いていった。何《な》ぜなら、もし彼女が耶馬台の宮にいなかったなら、反耶にとってこの体刑は無用であったから。しかし、反耶が卑弥呼の部屋の遣戸《やりど》を押したとき、毛皮を身に纏《まと》って横わっている不弥《うみ》の女の傍に、一人の男が蹲《かが》んでいた。それは彼の弟の反絵であった。
「不弥の女、我と共に来《きた》れ。我は爾《なんじ》のために我の命に反《そむ》いた使部を罰している。われは彼らに爾の部屋を飾れと命じた。」
「彼らを赦せ。」と卑弥呼はいって身を起した。
「反絵、爾はこの部屋を出でよ。酒宴の踊りは彼方《かなた》である。」と反耶はいって反絵の方を振り向いた。
「兄よ、爾の后《きさき》は爾と共に踊りを見んとして待っていた。」
「不弥の女、来れ。われは爾を呼びに来た。爾の部屋を飾り忘れた使部の背中は、鞭のために破れて来た。」
「彼らを赦せ。」と卑弥呼はいった。
「よし、我は兄に代って彼らを赦すであろう。」と反絵はいって遣戸の方へ出ようとすると、反耶は彼の前へ立《た》ち塞《ふさが》った。
「待て、彼らを罰したのはわれである。」
 反絵は兄の手を払って遣戸の方へ行きかけた。反耶は卑弥呼の傍へ近寄った。そうして彼女の腕に手をかけると彼女にいった。
「不弥の女よ。酒宴の準備は整《ととの》うた。爾はわれと共に酒宴に出よ。」
「兄よ。不弥の女と行くものは我である。」と反絵はいって遣戸の傍から反耶の方を振り返った。
「行け、使部の罪を赦すのは爾である。」
「不弥の女、我と共に酒宴に出よ。」反絵は再び卑弥呼の傍へ戻って来た。
「王よ、我を酒宴に伴うことをやめよ。爾は我と共に我の部屋にとどまれ。」
 卑弥呼は反耶の手を取ってその傍に坐らせた。
「不弥の女、不弥の女。」
 反絵は卑弥呼を睨《にら》んで慄《ふる》えていた。「爾は我と共に部屋を出よ。」
 彼は彼女の腕を掴《つか》むと部屋の外へ出ようとした。
 反耶は立ち上って曳《ひ》かれる彼女の手を持って引きとめた。
「不弥の女、行くことをやめよ。我とともにいよ。我は爾の傍に残るであろう。」
 反絵は反耶の胸へ飛びかかろうとした。そのとき、卑弥呼は傾く反絵の体躯をその柔き掌《てのひら》で制しながら反耶にいった。
「王よ、使部の傍へわれを伴え、我は彼らを赦すであろう。」
 彼女は一人先に立って遣戸の外へ出て行った。反絵と反耶は彼女の後から馳け出した。しかし、彼らが庭園の傍まで来かかったとき、五人の使部は、最早や死体となって土に咬《か》みついたまま横たわっていた。兵士たちは王の姿を見ると、打ち疲れた腕に一段と力を籠《こ》めて、再び意気揚々としてその死体に鞭を振り下げた。
「鞭を止めよ。」と、反耶はいった。
「王よ、使部は死んでいる。」と一人の兵士は彼にいった。卑弥呼は振り向いて反絵の胸を指差した。
「彼らを殺した者は爾である。」
 反絵は言葉を失った唖者《あしゃ》のように、ただその口を動かしながら卑弥呼の顔を見守っていた。
「来れ。」
 と反耶は卑弥呼にいった。そうして、卑弥呼の手をとると、彼は彼女を酒宴の広間の方へ導いていった。
「待て、不弥の女、待て。」と反絵は叫びながら二人の後を追いかけた。

       二十二

 卑弥呼《ひみこ》は竹皮を編んで敷きつめた酒宴の広間へ通された。松明《たいまつ》の光に照された緑の柏《かしわ》の葉の上には、山椒《さんしょう》の汁で洗われた山蛤《やまがえる》と、山蟹《やまがに》と、生薑《しょうが》と鯉《こい》と酸漿《ほおずき》と、まだ色づかぬ※[#「けものへん+爾」、第4水準2-80-52]猴桃《しらくち》の実とが並んでいた。そうして、蓋《ふた》のとられた行器《ほかい》の中には、新鮮な杉菜《すぎな》に抱かれた鹿や猪の肉の香物《こうのもの》が高々と盛られてあった。その傍の素焼の大きな酒瓮《みわ》の中では、和稲《にぎしね》製の諸白酒《もろはくざけ》が高い香を松明の光の中に漂《ただよ》わせていた。最早《もは》や酔の廻った好色の一人の宿禰は、再び座についた王の後で、侍女の乳房の重みを計りながら笑っていた。卑弥呼は盃《さかずき》をとりあげた王に、柄杓《ひしゃく》をもって酒を注ごうとすると、そこへ荒々しく馳けて来たのは反絵であった。彼は王の盃を奪いとると卑弥呼にいった。
「不弥の女、使部を殺した者は兄である。爾《なんじ》はわれに酒を与えよ。」
「待て、王は爾の兄である。盃を王に返せ。」と卑弥呼はいって、彼女は差し出している反絵の手から、柔《やわらか》にその盃を取り戻した。「王よ、我を耶馬台にとどめた者は爾である。今日より爾は爾の傍に我を置くか。」
「ああ、不弥の女。」と反耶はいって、彼女の方へ手を延ばした。
「王よ。爾は不弥の国の王女を見たか。」
「盃をわれに与えよ。」
「王よ。我は不弥の国の王女である。我の玉を爾は受けよ。」
 卑弥呼は首から勾玉《まがたま》をとり脱《はず》すと、瞠若《どうじゃく》として彼女の顔を眺めている反耶の首に垂れ下げた。
「王よ。我は我の夫と奴国《なこく》の国を廻って来た。奴国の王子は不弥の国を亡した。爾は我を愛するか。我は不弥の王女卑弥呼という。」
「ああ、卑弥呼、我は爾を愛す。」
「爾は奴国を愛するか。」
「我は爾の国を愛す。」
「ああ、爾は不弥の国を愛するか。もし爾が不弥の国を愛すれば、我に耶馬台の兵を借せ。奴国は不弥の国の敵である。我の父と母とは奴国の王子に殺された。我の国は亡びている。爾は我のために、奴国を攻めよ。」
「卑弥呼。」と横から反絵はいった。そうして、突き立ったまま彼女の前へその顔を近づけた。
「我は奴国を攻める。我は兄が爾を愛するよりも爾を愛す。」
「ああ、爾は我のために奴国を撃《う》つか。坐れ、我は爾に酒を与えよう。」
 卑弥呼は王に向けていたにこやかな微笑を急に反絵に向けると、その手をとって坐らせた。反耶の顔は、喜びに輝き出した反絵の顔にひきかえて顰《ゆが》んで来た。
「卑弥呼、耶馬台の兵は、われの兵である。反絵は我の一人の兵である。」と反耶はいった。
 反絵の顔は勃然《ぼつぜん》として朱《しゅ》を浮べると、彼の拳《こぶし》は反耶の角髪《みずら》を打って鳴っていた。反耶は頭をかかえて倒れながら宿禰を呼んだ。
「反絵を縛《しば》れ。宿禰、反絵を殺せ。」
 しかし、一座の者は酔っていた。反絵はなおも反耶の上に飛びかかろうとして片膝を立てたとき、卑弥呼は反耶と反絵の間へ割り込んで、倒れた反耶をひき起した。反耶は手に持った酒盃を反絵の額へ投げつけた。
「去れ。去れ。」
 反絵は再び反耶の方へ飛びかかろうとした。卑弥呼は彼の怒った肩に手をかけた。そうして、転っている酒盃を彼の手に握らせて彼女はいった。
「やめよ、爾はわれの酒盃をとれ。われに耶馬台の歌をきかしめよ。われは不弥の歌を爾のために歌うであろう。」
「卑弥呼。われは耶馬台の兵を動かすであろう。耶馬台の兵は、兄の命よりわれの力を恐れている。」
「爾の力は強きこと不弥の牡牛《おうし》のようである。われは爾のごとき強き男を見たことがない。」と卑弥呼はいって反絵の酒盃に酒を注《そそ》いだ。
 反絵の顔は、太陽の光りを受けた童顔のように柔《やわら》ぐと、彼は酒盃から酒を滴《したた》らしながら勢いよく飲み干した。しかし、卑弥呼は、彼女の傍で反絵を睨《にら》みながら唇を噛み締めている反耶の顔を見た。彼女は再び柄杓《ひしゃく》の酒を傍の酒盃に満して彼の方へ差し出した。そうして、彼女は左右の二人の酒盃の干される度に、にこやかな微笑を配りながらその柄杓を廻していった。間もなく、反絵の片眼は赤銅《しゃくどう》のような顔の中で、一つ朦朧《もうろう》と濁って来た。そうして、王の顔は渋りながら眠りに落ちる犬のように傾き始めると、やがて彼は卑弥呼の膝の上へ首を垂れた。卑弥呼は今はただ反絵の眠入《ねい》るのを待っていた。反絵は行器《ほかい》の中から鹿の肉塊を攫《つか》み出すと、それを両手で振り廻して唄《うた》を歌った。卑弥呼は彼の手をとって膝の上へ引き寄せた。
 外の草園では焚火の光りが薄れて来た。草叢のあちこちからは酔漢の呻《うめ》きが漏れていた。そうして、次第に酒宴の騒ぎが宮殿の内外から鎮《しずま》って来ると、やがて、卑弥呼の膝を枕に転々としていた反絵も眠りに落ちた。卑弥呼は部屋の中を見廻した。しかし、一人として彼女のますます冴《さ》え渡《わた》ったその朗《ほがらか》な眼を見詰めている者は誰もなかった。ただ酒気と鼾声《かんせい》とが乱れた食器の方々から流れていた。彼女は鹿の肉塊を冠《かぶ》って眠っている反絵の顔を見詰めていた。今や彼女には、訶和郎《かわろ》のために復讐する時が来た。剣《つるぎ》は反絵の腰に敷かれてあった。そうして彼女の第二の夫《つま》を殺害した者は彼女の膝の上に眠っていた。しかし、反絵のその逞《たくま》しい両肩の肉塊と、その狂暴な力の溢れた顎《あご》とに代って、奴国に攻め入る者は、彼の他の何者が何処《いずこ》の国にあるであろう。やがて、彼のために長羅《ながら》の首は落ちるであろう。やがて、彼女は不弥と奴国と耶馬台の国の三国に君臨するであろう。そうして、もしその時が来たならば、彼女は更に三つの力を以て、久しく攻伐し合った暴虐な諸国の王をその足下に蹂躙《じゅうりん》するときが来るであろう。彼女の澄み渡った瞳《ひとみ》の底から再び浮び始めた残虐な微笑は、静まった夜の中をひとり毒汁のように流れていた。
「ああ、地上の王よ、我を見よ。我は爾らの上に日輪の如く輝くであろう。」
 彼女は膝の上から反絵と反耶の頭を降ろして、静《しずか》に彼女の部屋へ帰って来た。しかし、彼女はひとりになると、またも毎夜のように、幻《まぼろし》の中で卑狗《ひこ》の大兄《おおえ》の匂を嗅《か》いだ。彼は彼女を見詰めて微笑《ほほえ》むと、立ちすくむ小鳥のような彼女の傍へ大手を拡げて近寄って来た。
「卑弥呼。卑弥呼。」
 彼女は卑狗の囁《ささやき》を聞きながら、卑狗の波打つ胸の力を感じると、崩れる花束のように彼の胸の中へ身を投げた。
「ああ、大兄、大兄、爾は何処へ行った。」
 彼女の身体は毛皮の上に倒れていた。しかし、その時、またも彼女の怨恨は、涙の底から急に浮び上った仇敵《きゅうてき》の長羅に向って猛然と勃発した。最早や彼女は、その胸に沸騰する狂おしい復讐の一念を圧伏していることが出来なくなった。
「大兄を返せ、大兄を返せ。」
 彼女は立ち上った。そうして、きりきりと歯をきしませながら、円木《まろき》の隙に刺された白鷺の尾羽根を次ぎ次ぎに引き脱いては捨てていった。しかし、再び彼女は彼女を呼ぶ卑狗の大兄の声を聞きつけた。彼女の身体は呆然《ぼうぜん》と石像のように立ち停り、風に吹かれた衣のように円木の壁にしなだれかかると、再び抜き捨てられた白鷺の尾羽根の上へどっと倒れた。
「ああ、大兄、大兄、爾は我を残して何処《いずこ》へ行った。何処へ行った。」

       二十三

 反耶《はんや》は夜中眼が醒《さ》めると、傍から不弥《うみ》の女が消えていた。そうして、彼の見たものは自分の片手に握られた乾いた一つの酒盃と、肉塊を冠って寝ている反絵の口を開いた顎《あご》とであった。
「不弥の女、不弥の女。」
 彼は立ち上って卑弥呼の部屋へ行こうとしたとき、反絵の足に蹉《つまず》いて前にのめった。しかし、彼の足は急いでいた。彼は蹌踉《よろ》めきながら、彼女の部屋の方へ近づくと、その遣戸《やりど》を押して中に這入《はい》った。
「不弥の女。不弥の女。」
 卑弥呼《ひみこ》は白鷺の散乱した羽毛の上に倒れたまま動かなかった。
 反耶は卑弥呼の傍へ近寄った。そうして、片膝をつきながら彼女の背中に手をあてて囁《ささや》いた。
「起きよ、不弥の女、我は爾の傍へ来た。」
 卑弥呼は反耶の力に従って静かに仰向《あおむけ》に返ると、涙に濡れた頬に白い羽毛をたからせたまま彼を見た。
「爾《なんじ》は何故に我を残してひとり去った。」と反耶はいった。
 卑弥呼は黙って慾情に慄《ふる》える反耶の顔を眺め続けた。
「不弥の女。我は爾を愛す。」
 反耶は唇を慄わせて卑弥呼の胸を抱きかかえた。卑弥呼は石のように冷然として耶馬台《やまと》の王に身をまかせた。
 そのとき、部屋の外から重い跫音《あしおと》が響いて来た。そうして、彼女の部屋の遣戸が急に開くと、そこへ現れたのは反絵《はんえ》であった。彼は二人の姿を見ると突き立った。が、忽《たちま》ち彼の下顎は狂暴な嫉妬《しっと》のために戦慄した。彼は歯をむき出して無言のまま猛然と反耶の方へ迫って来た。
「去れ。去れ。」と反耶はいって卑弥呼の傍から立ち上った。
 反絵は、恐怖の色を浮かべて逃げようとする反耶の身体を抱きかかえると、彼を円木《まろき》の壁へ投げつけた。反耶の頭は逆様《さかさま》に床を叩いて転落した。反絵は腰の剣《つるぎ》をひき抜いた。そうして、露わな剣を跳《は》ねている兄の脇腹へ突き刺した。反耶は呻《うめ》きながら刺された剣を握って立ち上ろうとした。が、反絵は再び彼の胸を斬《き》り下《さ》げた。反耶は卑弥呼の方へ腹這《はらば》うと、彼女の片足を攫《つか》んで絶息した。しかし卑弥呼は横たわったまま身動きもせず、彼女の足を握っている王の指先を眺めていた。反絵はまた陽《ひ》に逢《あ》わぬ影のように青黒くなって反耶の傍に突き立っていた。やがて、反絵の手から剣が落ちた。静かな部屋の中で、床に刺って横に倒れる剣の音が一度した。
「卑弥呼、我は兄を殺した。爾《なんじ》は我の妻になれ。」
 反絵は卑弥呼の傍へ蹲《かが》むと、荒い呼吸を彼女の顔に吐きかけて、彼女の腰と肩とに手をかけた。しかし、卑弥呼は黙然として反耶の死体を眺めていた。
「卑弥呼、我は奴国《なこく》を攻める。我は爾を愛す、我は爾を欲す。卑弥呼、我の妻になれ。」
 彼女の頬《ほお》に付いていた白い羽毛の一端が、反絵の呼吸のために揺れていた。反絵はなおも腕に力を籠《こ》めて彼女の上に身を蹲めた。
「卑弥呼、卑弥呼。」
 彼は彼女を呼びながら彼女の胸を抱こうとした。彼女は曲げた片肱《かたひじ》で反絵の胸を押しのけると静にいった。
「待て。」
「爾は兄に身を与えた。」
「待て。」
「我は兄を殺した。」
「待て。」
「我は爾を欲す。」
「奴国の滅びたのは今ではない。」
 反絵の顔は勃発する衝動を叩《たた》かれた苦悩のために歪《ゆが》んで来た。そうして、彼の片眼は、暫時《ざんじ》の焦燥に揺られながらも次第に獣的な決意を閃《ひらめ》かせて卑弥呼の顔を覗《のぞ》き始めると、彼女は飛び立つ鳥のように身を跳ねて、足元に落ちていた反絵の剣を拾って身構えた。
「卑弥呼。」
「部屋を去れ。」
「我は爾を愛す。」
「奴国を攻めよ。」
「我は攻める。剣を放せ。」
「奴国の王子を長羅《ながら》という。彼を撃て。」
「我は撃つ。爾は我の妻になれ。」
「長羅を撃てば、我は爾の妻になる。部屋を去れ。」
「卑弥呼。」
「去れ。奴国の滅びたのは今ではない。」
 反絵は彼の片眼に怨恨《えんこん》を流して卑弥呼を眺めていた。しかし、間もなく、戦いに疲れた獣のように彼は足を鈍らせて部屋の外へ出ていった。卑弥呼は再び床の上へ俯伏《うつぶ》せに身を崩した。彼女は彼女自身の身の穢《けが》れを思い浮べると、彼女を取巻く卑狗《ひこ》の大兄《おおえ》の霊魂が今は次第に彼女の身辺から遠のいて行くのを感じて来た。彼女の身体は恐怖と悔恨とのために顫《ふる》えて来た。
「ああ、大兄、我を赦《ゆる》せ、我を赦せ、我のために爾は返れ。」
 彼女は剣を握ったまま泣き伏していたとき、部屋の外からは、突然喜びに溢れた威勢よき反絵の声が聞えて来た。
「卑弥呼、我は奴国を攻める。我は奴国を砂のように崩すであろう。」

       二十四

 耶馬台《やまと》の宮では、一人として王を殺害した反絵に向って逆《さから》うものはなかった。何故なら、耶馬台の宮の人々には、彼の狂暴な熱情と力とは、前から、国境に立ち昇る夜の噴火の柱と等しい恐怖となって映っていたのであったから。しかし、君長《ひとこのかみ》の葬礼は宮人《みやびと》たちの手によって、小山の頂きで行われた。二人の宿禰《すくね》と九人の大夫《だいぶ》に代った十一の埴輪《はにわ》が、王の柩《ひつぎ》と一緒に埋められた。そうして、王妃と、王の三頭の乗馬と、三人の童男とは、殉死者として首から上を空間に擡《もた》げたままその山に埋められた。貞淑な王妃を除いた他の殉死者の悲痛な叫喚は、終日終夜、秋風のままに宮のうえを吹き流れた。そうして、次第に彼らの叫喚が弱まると一緒に、その下の耶馬台の宮では、着々として戦《たたかい》の準備が整《ととの》うていった。先ず兵士《つわもの》たちは周囲の森から野牛の群れを狩り集めることを命ぜられると、次に数千の投げ槍と楯《たて》と矢とを造るかたわら、弓材となる梓《あずさ》や檀《まゆみ》を弓矯《ゆみため》に懸《か》けねばならなかった。反絵は日々兵士たちの間を馳け廻っていた。しかし、彼の卑弥呼を得んとする慾望はますます彼を焦燥せしめ、それに従い彼の狂暴も日に日にその度を強めていった。彼は戦々兢々《せんせんきょうきょう》として馳け違いながら立ち働く兵士たちの間から、暇ある度に卑弥呼の部屋へ戻って来た。彼は彼女に迫って訴えた。しかし、卑弥呼の手には絶えず抜かれた一本の剣《つるぎ》が握られていた。そうして、彼女の答えは定《きま》っていた。
「待て、奴国《なこく》の滅びたのは今ではない。」
 反絵はその度に無言のまま戸外へ馳け出すと、必ず彼の剣は一人の兵士を傷つけた。

       二十五

 奴国《なこく》の宮では、長羅《ながら》は卑弥呼《ひみこ》を失って以来、一つの部屋に横たわったまま起きなかった。彼は彼女を探索に出かけた兵士《つわもの》たちの帰りを待った。しかし、帰った彼らの誰もは弓と矢を捨てると黙って農夫の姿に変っていた。長羅は童男の運ぶ食物にも殆《ほとん》ど手を触れようともしなくなった。そればかりでなく、最早《もは》や彼を助ける一人残った祭司の宿禰《すくね》にさえも、彼は言葉を交えようとしなかった。そうして、彼の長躯《ちょうく》は、不弥《うみ》を追われて帰ったときの彼のごとく、再び矛木《ほこぎ》のようにだんだんと痩《や》せていった。彼の病原を洞察した宿禰は、蚯蚓《みみず》と、酢漿草《かたばみそう》と、童女の経水《けいすい》とを混ぜ合せた液汁を長羅に飲ませるために苦心した。しかし長羅はそれさえも飲もうとはしなかった。そこで、宿禰は奴国の宮の乙女《おとめ》たちの中から、優れた美しい乙女を選抜して、長羅の部屋へ導き入れることを計画した。しかし、第一日に選ばれた乙女と次の乙女の美しさは、長羅の引き締った唇の一端さえも動かすことが出来なかった。宿禰は憂慮に悩んだ顔をして、自ら美しい乙女を捜し出さんがため、奴国の宮の隅々《すみずみ》を廻り始めた。その噂《うわさ》を聞き伝えた奴国の宮の娘を持った母親たちは、己《おのれ》の娘に華《はな》やかな装《よそお》いをこらさせ、髪を飾らせて戸の外に立たせ始めた。そうして、彼女自身は己の娘を凌駕《りょうが》する美しい娘たちを見たときにはそれらの娘たちの古い悪行を、通る宿禰の後から大声で饒舌《しゃべ》っていった。こうして、第三に選ばれた美しい乙女は、娘を持つ奴国の宮の母親たちのまだ誰もが予想さえもしなかった訶和郎《かわろ》の妹の香取《かとり》であった。しかし、己の娘の栄誉を彼女のために奪われた母親たちの誰一人として、香取の美貌と行跡について難ずるものは見あたらなかった。何《な》ぜなら、香取の父は長羅に殺された宿禰であったから。彼女は父の惨死に次いで、兄の逃亡の後は、ただ一人訶和郎の帰国するのを待っていた。彼女にとって、父を殺した長羅は、彼女の心の敵とはならなかった。彼女の敵は、彼女がひとり胸底深く秘め隠していた愛する王子長羅を奪った不弥《うみ》の女の卑弥呼《ひみこ》であった。そうして、彼女の父を殺した者も、彼女にとっては、彼女を愛する王子長羅をして彼女の父を殺さしめた不弥の女の卑弥呼であった。選ばれた日のその翌朝、香取は宮殿から送られた牛車《ぎっしゃ》に乗って登殿した。彼女は宿禰が彼女を選んだその理由と、彼女に与えられた重大な責任とを、他に選ばれた乙女たちの誰よりも深く重く感じていた。彼女は藤色の衣を纏《まと》い、首からは翡翠《ひすい》の勾玉《まがたま》をかけ垂し、その頭には瑪瑙《めのう》をつらねた玉鬘《たまかずら》をかけて、両肱《りょうひじ》には磨かれた鷹《たか》の嘴《くちばし》で造られた一対の釧《くしろ》を付けていた。そうして、彼女の右手の指に嵌《はま》っている五つの鐶《たまき》は、亡き母の片身として、彼女の愛翫《あいがん》し続けて来た黄金の鐶であった。彼女は牛車から降りると、一人の童男に共《とも》なわれて宿禰の部屋へ這入《はい》っていった。宿禰は暫《しばら》く彼女の姿を眺めていた。そうして、彼はひとり得意な微笑をもらしながら、長羅の部屋の方を指差して彼女にいった。
「行け。」
 香取は命ぜられるままに長羅の部屋の杉戸の方へ歩いていった。彼女の足は戸の前まで来ると立《た》ち悚《すく》んだ。
「行け。」と再び後《うし》ろで宿禰の声がした。
 彼女は杉戸に手をかけた。しかし、もし彼女が不弥の女に負けたなら、そうして、彼女が、もし奴国の女を穢《けが》したときは?
「行け。」と宿禰の声がした。
 彼女の胸は激しい呼吸のために波立った。が、それと同時に彼女の唇は決意にひき締って慄《ふる》えて来た。彼女は手に力を籠《こ》めながら静《しずか》に杉戸を開いてみた。彼女の長く心に秘めていた愛人は、毛皮の上に横わって眠っていた。しかし、彼女の頭に映っていたかつての彼の男々《おお》しく美しかったあの顔は、今は拡まった窪《くぼ》みの底に眼を沈ませ、髯《ひげ》は突起した顋《おとがい》を蔽《おお》って縮まり、そうして、彼の両頬は餓えた鹿のように細まって落ちていた。
「王子、王子。」
 彼女は跪拝《ひざまず》いて小声で長羅を呼んだ。彼女の声はその気高き容色の上に赧《あか》らんだ。しかし、長羅は依然として彼女の前で眠っていた。彼女は再び膝を長羅の方へ進めて行った。
「王子よ、王子よ。」
 すると、突然長羅の半身は起き上った。彼は爛々《らんらん》と眼を輝かせて、暫く部屋の隅々を眺めていた。そうして、漸《ようや》く跪拝いている香取の上に眼を注ぐと、彼の熱情に輝いたその眼は、急に光りを失って細まり、彼の身体は再び力なく毛皮の上に横たわって眼を閉じた。香取の顔色は蒼然《そうぜん》として変って来た。彼女は身を床の上に俯伏《うつぶ》せた。が、再び弾《はじ》かれたように頭を上げると、その蒼《あお》ざめた頬に涙を流しながら、声を慄《ふる》わせて長羅にいった。
「王子よ、王子よ、我は爾《なんじ》を愛していた。王子よ、王子よ、我は爾を愛していた。」
 彼女は不意に言葉を切ると、身体を整えて端坐した。そうして、頭から静かに、玉鬘《たまかずら》を取りはずし、首から勾玉をとりはずすと、長羅の眼を閉じた顔を従容《しょうよう》として見詰めていた。すると、彼女の唇の両端から血がたらたらと流れて来た。彼女の蒼ざめた顔色は、一層その色が蒼ざめて落つき出した。彼女の身体は端坐したまま床の上に傾くと、最早《もは》や再びとは起き上って来なかった。こうして、兵部《ひょうぶ》の宿禰の娘は死んだ。彼女は舌を咬《か》み切《き》って自殺した。しかし、横たわっている長羅の身体は身動きもしなかった。

 香取の死の原因を知らなかった奴国の宮の人々は、一斉に彼女の行為を賞讃した。そうして、長羅を戴く奴国の乙女たちは、奴国の女の名誉のために、不弥《うみ》の女から王子の心を奪い返せと叫び始めた。第四の乙女が香取の次ぎに選ばれて再び立った。人々は斉しく彼女の美しさの効果の上に注目した。すると、俄然《がぜん》として彼女は香取のように自殺した。何《な》ぜなら香取を賞讃した人々の言葉は、あまりに荘厳であったから。しかし、また第五の乙女が宿禰のために選ばれた。人々の彼女に注目する仕方は変って来た。けれども、彼女の運命も第四の乙女のそれと等しく不吉な慣例を造らなければならないのは当然のことであった。こうして、奴国の宮からは日々に美しい乙女が減りそうになって来た。娘を持った奴国の宮の母親たちは急に己の娘の美しい装いをはぎとって、農衣に着せ変えると、宿禰の眼から家の奥深くへ隠し始めた。しかし宿禰はひとり、ますます憂慮に顰《ゆが》んだ暗鬱な顔をして、その眼を光らせながら宮の隅々をさ迷うていた。第六番目の乙女が選ばれて立った。人々は恐怖を以て彼女の身の上を気遣《きづか》った。その夜、彼らは乙女の自殺の報《し》らせを聞く前に、神庫《ほくら》の前で宿禰が何者かに暗殺されたという報導を耳にした。しかし、長羅の横たわった身体は殆ど空虚に等しくなった王宮の中で、死人のように動かなかった。
 或る日、一人の若者が、王宮の門前の榧《かや》の※[#「木+長」、第4水準2-14-94]《ほこだち》を見ると、疲れ切った体をその中へ馳け込ませてひとり叫んだ。
「不弥《うみ》の女を我は見た。不弥の女を我は見た。」
 若者の声に応じて出て来る者は誰もなかった。彼は高縁《たかえん》に差し込んだ太陽の光りを浴びて眠っている童男の傍を通りながら、王宮の奥深くへだんだんと這入《はい》っていった。
「不弥の女を我は見た。不弥の女は耶馬台《やまと》にいる。」
 長羅は若者の声を聞くと、矢の音を聞いた猪のように身を起した。彼の顔は赧《あか》らんだ。
「這入れ、這入れ。」しかし、彼の声はかすれていた。若者の呼び声は、長羅の部屋の前を通り越して、八尋殿《やつひろでん》へ突きあたり、そうして、再び彼の方へ戻って来た。長羅は蹌踉《よろ》めきながら杉戸の方へ近寄った。
「這入れ、這入れ。」
 若者は杉戸を開けると彼を見た。
「王子よ、不弥の女を我は見た。」
「よし、水を与えよ。」
 若者は馳《か》けて行き、馳けて帰った。
「不弥の女は耶馬台にいる。」
 長羅は※[#「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1-88-72]《もい》の水を飲み干した。
「爾《なんじ》は見たか。」
「我は見た、我は耶馬台の宮へ忍び入った。」
「不弥の女は何処《いずこ》にいた。」
「不弥の女を我は見た。不弥の女は耶馬台の宮の王妃《おうひ》になった。」
 長羅は激怒に圧伏されたかのように、ただ黙って慄《ふる》えながら床の上の剣《つるぎ》を指差していた。
「王子よ、耶馬台の王は戦いの準備をなした。」
「剣を拾え。」
 若者は剣を長羅に与えると再びいった。
「王子よ、耶馬台の王は、奴国の宮を攻めるであろう。」
「耶馬台を攻めよ。兵を集めよ。我は爾を宿禰にする。」
 若者は喜びに眉毛《まゆげ》を吊り上げて黙っていた。
「不弥の女を奪え。耶馬台を攻めよ。兵を集めよ。」
 若者は※[#「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1-88-72]《もい》を蹴って部屋の外へ馳け出した。間もなく、法螺《ほら》が神庫《ほくら》の前で高く鳴った。それに応じて、銅鑼《どら》が宮の方々から鳴り出した。

       二十六

 耶馬台《やまと》の宮では、反絵《はんえ》の狂暴はその度を越えて募《つの》って来た。それにひきかえ、兵士《つわもの》たちの間では、卑弥呼《ひみこ》を尊崇する熱度が戦いの準備の整って行くに従って高まって来た。何《な》ぜなら、いまだかつて何者も制御し得なかった反絵の狂暴を、ただ一睨《いちげい》の視線の下に圧伏さし得た者は、不弥《うみ》の女であったから。そうして、彼女のために、反絵の剣の下からその生命を救われた数多くの者たちは彼らであった。彼らは彼らの出征の結果については必勝を期していた。何ぜなら、いまだ何者も制御し得なかった耶馬台の国の大なる恐怖を、ただ一睨の下に圧伏さし得る不弥の女を持つものは彼らの軍であったから。反絵の出した三人の偵察兵は帰って来た。彼らは、奴国の王子が卑弥呼を奪いに耶馬台の宮へ攻め寄せるという報導を齎《もたら》した。反絵と等しく怒った者は耶馬台の宮の兵たちであった。その翌朝、進軍の命令が彼らの上に下された。一団の先頭には騎馬に跨《またが》った反絵が立った。その後からは、盾《たて》の上で輝いた数百本の鋒尖《ほこさき》を従えた卑弥呼が、六人の兵士に担《かつ》がれた乗物に乗って出陣した。彼女は、長羅を身辺に引き寄せる手段として、胄《かぶと》の上から人目を奪う紅《くれない》の染衣《しめごろも》を纏《まと》っていた。一団の殿《しんがり》には背に投げ槍と食糧とを荷《にな》いつけられた数十疋の野牛の群が連《つらな》った。彼らは弓と矢の林に包まれて、燃え立った櫨《はぜ》の紅葉の森の中を奴国の方へ進んでいった。そうして、この蜒々《えんえん》とした武装の行列は、三つの山を昇り、四つの谷に降り、野を越え、森をつききって行ったその日の中に、二人の奴国の偵察兵を捕えて首斬《くびき》った。二日目の夕暮れ、彼らはある水の涸《か》れた広い河の岸へ到着した。

       二十七

 不弥《うみ》を一挙に蹂躙《じゅうりん》して以来、まだ日のたたぬ奴国の宮では、兵士《つわもの》たちは最早や戦争の準備をする必要がなかった。神庫《ほくら》の中の鋒《ほこ》も剣《つるぎ》も新らしく光っていた。そうして、彼らの弓弦《ゆづる》は張られたままにまだ一矢の音をも立ててはいなかった。しかし、王子長羅の肉体は弱っていた。彼は焦燥しながら鶴《つる》と鶏《にわとり》と山蟹《やまがに》の卵を食べ続けるかたわら、その苛立《いらだ》つ感情の制御しきれぬ時になると、必要なき偵察兵を矢継早《やつぎば》やに耶馬台《やまと》へ向けた。そうして、彼は兵士たちに逢《あ》うごとに、その輝いた眼を狂人のように山の彼方《かなた》へ向けて、彼らにいった。
「不弥の女を奪え。奪った者を宿禰にする。」
 彼の言葉を聞いた兵士たちは互にその顔を見合せて黙っていた。しかし、それと同時に彼らの野心は、その沈黙の中で互に彼らを敵となして睨《にら》み合《あわ》せた。
 数日の後、長羅の顔は蒼白《あおじろ》く痩《や》せたままに輝き出した。そうして、逞《たく》ましく前に蹲《かが》んだ彼の長躯は、駿馬《しゅんめ》のように兵士たちの間を馳け廻っていた。出陣の用意は整った。長羅の正しく突《と》がった鼻と、馬の鼻とは真直に耶馬台を睨んで進んでいった。数千の兵士たちは、互に敵となって塊《かたま》った大集団を作りながら、声を潜《ひそ》めて彼の後から従った。長羅の馬は耶馬台へ近か寄るに従って、次第にひとり兵士たちから放れて前へ急いだ。このため兵士たちは休息することを忘れねばならなかった。しかし、彼らはその熱情を異にする長羅の後に続くことは不可能なことであった。そうして、二日がたった。兵士たちは、ある河岸へ到着したときは、最早《もはや》前進することも出来なかった。彼らはその日、まだ太陽の輝いている中《うち》から河原の芒《すすき》の中で夜営の準備にとりかかった。
 遠い国境の山の峯が一つ高々と煙を吐いていた。太陽は桃色に変って落ち始めた。そのとき、遽《にわか》に対岸の芒の原がざわめき立った。そうして、一斉に水禽《みずどり》の群れが列を乱して空高く舞い上ると、間もなく、数千の鋒尖が芒の穂の中で輝き出した。
「耶馬台の兵が押し寄せた。」
「耶馬台の兵が攻め寄せた。」
 奴国《なこく》の兵士たちは動乱した。しかし、彼らは休息を忘れて歩行し続けた疲労のために、かえって直ちにその動乱を整えて、再び落ちつきを奪回することに容易であった。彼らは応戦の第一の手段として、鋒や剣やその他|総《すべ》ての武器を芒の中に伏せて鎮《しず》まった。何《な》ぜなら、彼らは奴国の兵の最も特長とする戦法は夜襲であることを知っていた。数名の斥候《せっこう》が川上と川下から派出された。長羅は一人高く馬上に跨って対岸を見詰めていた。川には浅瀬が中央にただ一線流れていた。そうして、その浅瀬の両側には広い砂地が続いていた。
 夜は次第に降りて来た。対岸の芒の波は、今は朧《おぼ》ろに背後の山の下で煙って見えた。その時、突然対岸からは銅鑼《どら》がなった、すると、尾に火をつけられた一団の野牛の群れが、雲のように棚曳《たなび》いた対岸の芒の波を蹴破って、奴国の陣地へ突進して来た。奴国の兵は野牛の一団が真近まで迫ったときに、一斉に彼らの群へ向って矢を放った。牛の群は鳴き声を上げて突き立つと、逆に耶馬台の陣地の方へ猛然と押し返した。奴国の兵は牛の後から対岸に向って押し寄せようとした。しかし、長羅は彼らの前を一直線に馬を走らせてその前進を食いとめた。と、斉《ひと》しく野牛の群は、対岸から放たれ出した矢のために、再び逆流して奴国の方へ向って来た。それと同時に鯨波《とき》の声が対岸から湧き上ると、野牛の群れの両翼となって、投げ槍の密集団が、砂地を蹴って両方から襲って来た。奴国の兵は直ちに川岸に添って長く延びた。そうして、その敵の密集団に向って一斉に矢を放つと、再び密集団は彼らの陣営へ引き返した。野牛の群は狂いながらひとり奴国の兵の断ち切れた中央を突きぬけて、遠く後方の森の中へ馳け過ぎた。
 夜は全く降りていた。国境の噴火の煙は火の柱となって空中に立っていた。奴国の兵の夜襲の時は迫って来た。しかし、彼らの疲労は一段と増していた。彼らは敵の陣地の鎮まると一緒に芒の中に腰を下して休息した。長羅は彼らの疲労の状態に気がつくと、その計画していた夜襲を断念しなければならなかった。けれども、奴国の軍は次に来るべき肉迫戦のときまでに、敵の陣営から矢をなくしておかねばならなかった。それには夜の闇が必要であった。彼らは疲労の休まる間もなく、声を潜めて川原の中央まで進んで出ると、盾《たて》を塀のように横につらねて身を隠した。そうして、彼らは一斉に足を踏みたたき、鯨波《とき》の声を張り上げて肉迫する気勢を敵に知らしめた。対岸からは矢が雨のように飛んで来て盾にあたった。彼らは引きかえすとまた進み、退《しりぞ》いては再び喊声《かんせい》を張り上げた。そうして、時刻を隔《お》いてこの数度の牽制《けんせい》を繰り返している中《うち》に、最早対岸からは矢が飛ばなくなって来た。しかし、彼らに代って敵からの牽制が激しくなった。初め奴国の兵は敵の喊声が肉迫する度に、恐怖のために思わず彼らに向って矢を放った。けれども、それが数度続くと、彼らは敵軍の夜襲も所詮自国の牽制と等しかったことに気付いて矢を惜しんだ。夜はだんだんと更《ふ》けていった。眠ったように沈黙し合った両軍からは、盛に斥候が派せられた。川上と川下の砂地や芒の中では小さな斥候戦が方々で行われた。こうして、夜は両軍の上から明けていった。朝日は奴国の陣地の後方から昇り初めた。耶馬台の国の国境から立ち昇る噴火の柱は再び煙の柱に変って来た。そうして、両軍の間には、血の染《にじ》んだ砂の上に、矢の刺った屍《しかばね》や牛の死骸が朝日を受けて点々として横たわっていた。そのとき、耶馬台の軍はまばらに一列に横隊を造って、静々と屍を踏みながら進んで来た。彼らの連なった楯の上からは油を滲《にじ》ませた茅花《つばな》の火口《ほぐち》が鋒尖につきささられて燃えていた。彼らは奴国の陣営真近く迫ったときに、各々その鋒尖の火口を芒の中へ投げ込んだ。奴国の兵は直ちに足で落ち来る火口を踏みつけた。しかし、彼らの頭の上からは、続いて無数の投げ槍と礫《つぶて》が落ちて来た。それに和して、耶馬台の軍の喊声《かんせい》が、地を踏み鳴らす跫音《あしおと》と一緒に湧き上った。消え残った火口《ほぐち》の焔《ほのお》は芒の原に燃え移った。奴国の陣営は竹の爆《はじ》ける爆音を交えて濛々《もうもう》と白い煙を空に巻き上げた。長羅は全軍を森の傍まで退却させた。そうして、兵を三団に分けると、最も精鋭な一団を自分と共に森へ残し、他の二団をして、立ち昇る白煙に隠れて川上と川下に別れさせた。分れた二団の軍兵は鋒と剣を持って、砂地の上の耶馬台の軍を両方から一時にどっと挾撃した。白煙の中へ矢を放っていた耶馬台の軍は散乱しながら対岸の陣地の中へ引き返した。奴国の二団は川の中央で一つに合すると、大集団となって逃げる敵軍の後から追撃した。そうして、今や彼らは敵の陣営へ殺倒しようとしたときに、新たなる耶馬台の軍が、奴国の密集団を中に挾んで芒の中から現れた。彼らは奴国の密集団と同じく鋒と剣を持って、喊声を上げつつ堂々と二方から押し寄せて来た。長羅は自国の軍が敵軍に包まれたのを見てとると、残った一団を引きつれて斜に火の消えた芒の原を突き破って現れた。耶馬台の軍は彼の新らしき一軍を見ると、奴国の密集団を包んだまま急に進行を停止した。長羅は自分の後ろに一団を張って敵の大団に対峙しながら動かなかった。その時、対岸の芒の中から、逃げ込んだ耶馬台の兵の一団が、再び勢いを盛り返して進んで来た。と、三方から包まれた奴国の密集団は渦巻《うずま》きながら、耶馬台の軍の右翼となった大団の中へ殺倒した。それと同時に、かの芒の中から押し返した敵の一団は、投げ槍を霜のように輝かせて動乱する奴軍の中へ突入した。忽《たちま》ち、動揺《どよ》めく人波の点々が、倒れ、跳ね、躍《おど》り、渦巻くそれらの頭上で無数の白い閃光《せんこう》が明滅した。と、やがて、その殺戮《さつりく》し合う人の団塊は叫喚しながら紅《くれない》となって、延び、縮み、揺れ合いつつ次第に小さく擦《す》り減《へ》って行くと、遽《にわか》に長羅の動かぬ一団の方へ潮《うしお》のように崩れて来た。それに和して、今まで彼と対峙《たいじ》して止どまっていた耶馬台の左翼の軍勢も、一時に鯨波《とき》の声を張り上げて彼の方へ押し寄せた。長羅の一団は彼を捨てて崩れて来た。長羅は一人馬上に踏みとまって、「返せ、返せ。」と叫び続けた。
 その時、放してあった一人の奴国の斥候が彼の傍へ馳け寄って来ると、手を喇叭《らっぱ》のように口にあてて彼に叫んだ。
「不弥《うみ》の女を我は見た。見よ、不弥の女は赤い衣を纏《まと》っている。」
 長羅は彼の指差す方を振り向いた。そこには、肉迫して来る刃《やいば》の潮の後方に、紅の一点が静々《しずしず》と赤い帆のように彼の方へ進んでいた。長羅はひらりと馬首を敵軍の方へ振り向けた。馬の腹をひと蹴り蹴った。と、彼は無言のままその紅の一点を目がけて、押し寄せる敵軍の中へただ一騎|驀進《ばくしん》した。鋒《ほこ》の雨が彼の頭上を飛び廻った。彼は楯《たて》を差し出し、片手の剣《つるぎ》を振り廻して飛び来る鋒を斬《き》り払《はら》った。無数の顔と剣が彼の周囲へ波打ち寄せた。彼の馬は飛び上り、跳ね上って、その人波の上を起伏しながら前へ前へと突き進んだ。長羅の剣は馬の上で風車のように廻転した。腕が飛び、剣が飛んだ。ばたばたと人は倒れた。と、急に人波は彼の前で二つに割れた。
「卑弥呼。」長羅の馬は突進した。そのとき、片眼の武将を乗せた黒い一騎が砂地を蹴って彼の前へ馳けて来た。
「聞け、我は耶馬台の王の反絵《はんえ》である。」
 長羅の馬は突き立った。そうして、反絵の馬を横に流すと、円を描いて担《かつ》がれた高座《たかざ》の上の卑弥呼の方へ突進した。
 卑弥呼の高座は、彼の馬首を脱しながら反絵の後へ廻っていった。長羅は輝いた眼を卑弥呼に向けた。
「卑弥呼。」
 彼は馬を蹴ろうとすると、再び反絵の馬は疾風のように馳《か》けて来た。と、長羅は突然馬首を返すと、反絵の馬に向って突撃した。二頭の馬は嘶《いなな》きながら突き立った。楯が空中へ跳ね上った。再び馬は頭を合せて落ち込んだ。と、反絵の剣は長羅の腹へ突き刺さった。同時に、長羅の剣は反絵の肩を斬り下げた。長羅の長躯は反絵の上に躍り上った。二人の身体は逆様《さかさま》に馬の上から墜落すると、抱き合ったまま砂地の上を転った。蹴り合い、踏み合う彼らの足尖《あしさき》から、砂が跳ね上った。草葉が飛んだ。そうして、反絵の血走った片眼は、引《ひ》っ掴《つか》まれた頭髪に吊り上げられたまま、長羅の額を中心に上になり、下になった。二つの口は噛《か》み合った。乱れた彼らの頭髪は絡《から》まった鳥のようにぱさぱさと地を打った。
 卑弥呼の高座は二人の方へ近か寄って来ると降された。しかし、耶馬台の兵士の中で、彼らの反絵を助けようとするものは誰もなかった。何《な》ぜなら、耶馬台の恐怖を失って、幸福を増し得る者は彼らであったから。彼らは卑弥呼と一緒に剣を握ったまま、血砂にまみれて呻《うめ》きながら転々する二人の身体を見詰めていた。彼らの顔は、一様に、彼らの美しき不弥の女を守り得る力を、彼女に示さんとする努力のために緊《ひ》き締《しま》っていた。しかし、間もなく彼らの前で、長羅と反絵の塊《かたま》りは、卑弥呼の二人の良人《おっと》の仇敵は、戦いながら次第にその力を弱めていった。そうして、反絵の片眼は瞑《つ》むられたまま砂の中にめり込むと、二人は長く重なったまま動かなかった。卑弥呼はひとり彼らの方へ近かづいた。そのとき、長羅は反絵の胸を踏みつけて、突然地から湧き出たように起き上った。彼は血の滴《したた》る頭髪を振り乱して、柔《やわらか》に微笑しながらその蒼《あお》ざめた顔を彼女の方へ振り向けた。
「卑弥呼。」
 彼女は立ち停ると剣を上げて身構えた。兵士たちは長羅の方へ肉迫した。
「待て。」と彼女は彼らにいった。
「卑弥呼、我は爾《なんじ》を迎えにここへ来た。」
 長羅は腹に反絵の剣を突き通したまま、両腕を拡げて彼女の方へ歩もうとした。しかし、彼の身体は左右に二足三足|蹌踉《よろ》めくと、滴る血の重みに倒れるかのようにばったりと地に倒れた。彼は再び起き上った。
「卑弥呼、爾は我と共に奴国へ帰れ。我は爾を待っていた。」
「爾は我の夫《つま》の大兄《おおえ》を刺した。」
「我は刺した。」
「爾は我の父と母とを刺した。」
「我は刺した。」
「爾は我の国を滅ぼした。」
「我は滅ぼした。」
 長羅は再び蹌踉めきながら彼女の方へ歩みよった。と、またも彼の身体はどっと倒れた。振り上げた卑弥呼の剣は下がって来た。長羅はなおも起き上ろうとした。しかし、彼の胸は地に刺された人のように地を放れると地についた。そうして、彼は漸《ようや》く砂の上から額を上げると彼女の方へ手を延ばした。
「卑弥呼、我は爾を奪わんために、我の国を滅ぼした。我は爾を奪わんために我の父を刺した、宿禰を刺した。爾は返れ。」
 長羅の蒼ざめた額は地に垂れた。
「卑弥呼、卑弥呼。」
 彼は恰《あたか》も砂に呟《つぶや》くごとく彼女を呼ぶと、彼の瞼《まぶた》は閉じられた。卑弥呼の身体は顫《ふる》えて来た。彼女の剣は地に落ちた。
「大兄よ、大兄よ、我を赦せ。彼を刺せと爾はいうな。」
 卑弥呼は頭をかかえると剣の上へ泣き崩れた。
「大兄よ、大兄よ、我を赦せ。我は爾のために長羅を撃った。我は爾のために復讐した。ああ、長羅よ長羅よ、我を赦せ。爾は我のために殺された。」
 長羅と反絵と卑弥呼を残して、彼方《かなた》の森の中では、奴国の兵を追いながら、奴国の方へ押し寄せて行く耶馬台の軍の鯨波《とき》の声が一段と空に上った。

底本:「日輪・春は馬車に乗って 他八篇」岩波文庫、岩波書店
   1981(昭和56)年8月17日第1刷発行
底本の親本:「日輪」春陽堂
   1924(大正13)年5月18日
初出:「新小説」
   1923(大正12)年5月号
入力:土屋隆
校正:鈴木厚司
2009年5月13日作成
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横光利一

南北—–横光利一

 村では秋の収穫時が済んだ。夏から延ばされていた消防慰労会が、寺の本堂で催された。漸《ようや》く一座に酒が廻った。
 その時、突然一枚の唐紙《からかみ》が激しい音を立てて、内側へ倒れて来た。それと同時に、秋三と勘次の塊りは組み合ったまま本堂の中へ転り込んだ。一座の者は膝を立てた。
 暫くすると、人々に腕を持たれた秋三は勘次を睥《にら》み乍ら、裸体の肩口を押し出して、
「放せ、放せ。」と叫んでいた。
 勘次はただ黙って突き立ったまま、ひた押しに秋三の方へ進もうとした。
「今日という今日は、承知せんぞ!」
「何にッ!」
 二人は羽がい締めにされた闘鶏のように、また人々の腕の中で怒り立った。
「放してくれ、此奴《こいつ》逝《い》わさにゃ、腹の虫が納るかい。」
「泣きやがるな!」
「何にッ!」
 秋三は人々を振り切った。そして、勘次の胸をめがけて突きかかると、二人はまた一つの塊りになって畳の上へぶっ倒れた。酒が流れた。唐の芋が転がった。
「抛《ほう》り出せ。」
「なぐれ。」
「やれやれ。」
 騒ぎの中に二人の塊りは腰高障子を蹴|脱《はず》した。と、再びそこから高縁の上へ転がると、間もなく裸体の四つの足が、空間を蹴りつけ裏庭の赤万両の上へ落ち込んだ。葛《くず》と銀杏《いちょう》の小鉢が蹴り倒された。勘次は飛び起きた。そして、裏庭を突き切って墓場の方へ馳《か》け出すと、秋三は胸を拡げてその後から追っ馳けた。

 本堂の若者達は二人の姿が見えなくなると、彼らの争いの原因について語合いながらまた乱れた配膳を整えて飲み始めた。併《しか》し、彼らの話は、唐紙の倒れた形容と、秋三の方が勝味であったと云うこと以外に少しも一致しなかった。が、この二人の争いは、彼らにとって眼新しいものではないらしかった。彼らの話に拠ると、二人の家は村の南北に建っていて、二人の母は姉妹で、勘次の母は姉であるにも拘らず、秋三の家から勘次の父の家へ嫁いだものであった。けれども此の南北二家は親戚関係の成り立った当夜から、既に絶縁同様になっていた。と云うのは、秋三の祖父が、血統の不浄な貧しい勘次の父の請いを拒絶した所、勘次の母は自ら応じてその家へ走ったことから始まった。祖父の死後秋三の父は莫大な家産を蕩尽して出奔した。それに引き換え、勘次の父は村会を圧する程隆盛になって来た。そこで勘次の父は秋三の家が没落して他人手に渡ろうとした時、復讐と恩酬《おんしゅう》とを籠めたあらゆる意味において、「今だ!」と思った。そして、妻が反対したのに拘らず、彼は妻の実家を立て直して翌年死んだ。以後勘次の家は何事につけても秋三の家の上に立った。で、何物にも屈伏することを好まない青年の自尊心を感じることの出来る者達程、此の日の二人の乱闘の原因も、所詮酒の上の、「箸で突いた」程度のことから始まったと自然な洞察を下して、また酒盃をとり上げた。
 併し此の噂は村の幾宵《いくよさ》を騒がせた。そして、軈《やが》て来る冬の仕事の手始めとして、先ず柴山の選定に村人達が悩み始める頃迄続いていった。

 まだ夕暮には時があった。秋三は山から下ろして来た椚《くぬぎ》の柴を、出逢う人々に自慢した。
 そして、家に着くと、戸口の処に身体の衰えた男の乞食が、一人彼に背を見せて蹲《しゃが》んでいた。
「今日は忙しいのでのう、また来やれ。」
 彼が柴を担《かつ》いだまま中へ這入ろうとすると、
「秋か?」と乞食は云った。
 秋三は乞食から呼び捨てにされる覚えがなかった。
「手前、俺を知っているのか?」
「知るも知らんもあるものか。汝《われ》大きゅうなったやないか。」
 秋三は暫く乞食の顔を眺めていた。すると、乞食は焦点の三に分った眼差しで秋三を斜めに見上げながら、
「俺は安次や。心臓をやられてさ。うん、ひどい目にあった。」と彼から云った。
 秋三は自分の子供時代に見た村相撲の場景を真先に思い浮かべた。それは、負けても賞金の貰える勝負に限って、すがめ[#「すがめ」に傍点]の男が幾度となく相手|関《かま》わず飛び出して忽ち誰にも棹《さお》のように倒されながら、なお真面目にまたすがめ[#「すがめ」に傍点]をしながら土俵を下って来る処であった。彼は安次だ。安次は両親と僅に残された家産を失くすると、間もなく軽蔑された身体を村から消した。最早やそれから九年も経った。が、今、また秋三は彼を見たのであった。
「ほんに、お前安次やったのう。なんと汚い身体になったもんやないか。触ったら苔《こけ》がめくれて来うが?」
「お母《かあ》を呼んでくれんか?」
「今日はおらんぞ。お前これから何処へ行くつもりや?」
 秋三は柴を下ろしながらそう云うと安次の傍へ蹲んだ。
「何処って、俺に行くところがありゃ結構やさ。」
「帰って来たんか?」
「帰ったんや。医者がお前、保《も》たん云いさらしてのう。心臓や。」
「心臓か、えろう上品や病やのう。」
「うむ、もう念仏や。お母はおらんか。」
「お母に何ぞ用があるのか?」
「お前とこで世話になろうと思うているがの、一つ頼んでくれんかなア?」
「お前、俺とこへ来たのか?」
「うむ、医者めが、もたん云いさらしてさ。」
「それで俺とこへ転げ込んだのやな?」
「お前、酒桶からまくれ落って、土台もうわやや。お母に頼んでくれよ。おらんのか?」
「好え加減にしとけ。」
 秋三は立ち上った。
「おい、頼む頼む。お母に一寸云うてくれったら。」
 秋三はそのまま黙って柴を担ごうとすると、
「お前とこ、俺とこの母屋《おもや》やないか、頼むで置かしてくれよ。」と安次は云った。
「俺とこが母屋や?」
「そうとも、誰なと聞いてみい。」
「縁起《げん》たれの悪いこと云うてくれるな。手前とこは谷川って云うやら。俺とこは山本や。」
 その時、秋三はふと勘次の家と安次の家とは同姓で、その二家以外に村には谷川と名附けられる姓の一軒もないのに気がついた。してみれば、今安次を勘次の家へ、株内と云う口実で連れていったとしたならば? 勘次の母の吝嗇《りんしょく》加減を知っていればそれだけ、秋三には彼女の狼狽《うろた》える様子が眼に見えた。それは彼にとって確に愉快な遊戯であった。
 と、忽ち、秋三は安次を世話する種々な煩雑さから迯《のが》れようとしていた今迄の気持がなくなって、ただ、勘次の家を一日でも苦しめてみることに興味を持った。
「おい、南の勘とこへ行かんか。あいつはお前とこの株内や。」
「肴《さかな》屋か。あんなけちんぼは、俺とこの株内やないぞ。」
「そうかて谷川って云うのは、あの家一軒ばち有るか。お前とこの株内や。」
「だいたいあの家、俺は好かんのや。」
「贅沢ぬかしてよ。俺が連れてってやるぞ。立て立て。」
「あっこはとても駄目って。」
「あくもあかんもあるもんか。手前、あっこへのたり込むのが当り前じゃ。」
「あかん、あかん。」と云って安次は頭の横で泳ぐように両手を振った。
「ぐずぐずぬかすな!」
 秋三が安次の首筋を持って引き立てると、安次は胸を突き出して、「アッ、アッ。」と苦しそうな声を立てた。
「早よ歩けさ。厄介な餓鬼やのう!」
「腹へって腹へって、お前、負うてくれんか!」
「うす汚い! 手前のようなやつ、負えるかい。」
 安次は片手で胸を圧えて、裂けた三尺のひと端を長く腰から垂らしたまま曳かれていった。痩せた片肩がひどく怒って見えるのは、子供の頃彼の家が、まだ此の村で安泰であった時と同じであった。そして、まだ変らぬものは、彼の姿を浮かばせている行く手に固まった安泰な山々の姿であった。

 西風が吹いて来た。勘次は桑の根株を割って風呂場の下を焚きつけた。煙は風呂場の下から逆に勘次の眼を攻めて、内庭へ舞い込むと、上り框《かまち》から表の方を眺めている勘次の母におそいかかった。と、彼女は、天井に沿っている店の缶詰棚へ乱れかかる煙の下から、
「宝船じゃ、宝船じゃ。」と云いながら秋三が一人の乞食を連れて這入って来るのが眼に留まった。
「やかまし、何じゃ。」と彼女は云った。
「伯母やん、結構なもんが着いたぞ、喜びやれ。」
 勘次の母は店の間へ出て行って乞食の顔を見た。
「まア珍しい、安次やないか!」
「安次も提灯もあったもんか、えらい高次じゃ。」
 秋三は店の間をぐるりと見廻した。が、勘次に逢うのが不快であった。彼はそのまま、帰ろうと思って敷居の外へ出かけると、
「秋公|帰《い》ぬのか?」と安次が訊いた。
「もう好えやろが。」
「云うてくれ、云うてくれ。」
「云うてくれって、お前宝船やないか、ゆっくりそこへ坐っとりゃ好えのじゃ。」
「こらこら、俺も行くぞ。」
「阿呆ぬかせ! 伯母やん、此奴どっこも行くとこが無うて困っとるのやが、ちょっとの間、世話してやっとくれ。」
「そんなこと云うて来てお前。」
 と勘次の母が顔を曇らせて云いかけると、安次は行司が軍扇を引くときのような恰好で、
「心臓や、医者がお前、もう持たんと云いさらしてさ。」
「どうしてまたそんなになったんやぞ?」
「酒桶から落ってのう。亀山で奉公して十五円貰うてたのやが、どだい、こうなったらもうわやや。医者が持たん云いさらしてさ、往生したわ。」
「ふむ、それは気の毒なことやなア、長いこと見んで、私ゃもうすっかり見忘れて了うたわ。何年程になるなア?」
「九年や。」
「もうそんなになるかいな、幾つやな、そうすると四十?」
「四十二や。」
「四十二か。まあ厄年やして。」
「厄年や、あかん、今年やなんでも厄介にならんならん。」
「そうか、四十二か、まアそこへ掛けやえせ。そして、亀山で酒屋へ這入ってたのかな?」
「酒屋や、十五円貰うてたのやが、お前、どっと酒桶へまくれ込んでさ。医者がお前もう持たんと云いさらしてのう。心臓や、えらいことやったわ。」
 秋三は勘次の姿が裏の水壺の傍で揺れたのを見ると、黙って少し足音を忍ばせる気持で外へ出た。が、勘次を恐れている自分に気附いたとき、彼は一寸舌を出して笑ったが、そのまま北の方へ歩いていった。
 勘次は裏庭から店の間へ来ると、南天の蔭に背中を見せて帰って行く秋三の姿が眼についた。
「今来たのは秋公か?」
「お前、秋が安次を連れて来てくれたんやがな。」
 安次は急に庭から立ち上ると、
「秋公、こら、秋公。」と大声で呼び出した。
 勘次は秋三に逢いたくはなかった。
「安次か、えらく年寄ったやないか。」と彼は安次の呼び声を遮《さえぎ》った。
「うん、こう鼻たれるようになったらもうあかん。帰れたもんやないけれどさ。とうとうやられてのう。心臓や。お前医者めが持たん云いさらしてのう。どうもこうもあったもんやない。このざまやさ。」
「どうした?」
「酒桶からまくれてお前、ここやられてのう。」安次は胸を押えてみせた。
「ふむ、よう死なんでこっちゃして?」
「死にゃお前結構やが、運の悪い時ゃ悪いもんで、傷ひとつしやへんのや。親方に金出さそうと思うたかて、勝手の病気やぬかしてさ。鐚銭《びたせん》一文出しやがらんでお前、代りに暇出しやがって。」
「そうか、道理で顔が青いって。」
「そうやろが。」
「そしてこれから何処行きや?」
「何処って、俺に行くとこあるものか。母屋に厄介になろうと思うて帰って来たのやが、秋公がお前、南の家は株内やぬかして、引っ張って来よったのや、ほんまに済まんこっちゃ。」
「秋が連れて来たんか?」
「うん、秋がお前、株内はここだけや云いよってさ。」
「母屋へ行け母屋へ。かまうか、俺がつれてってやろ。あいつ、ほんまに猾《ずる》い奴や!」
「お前頼んでくれんか?」
「ええとも、あの餓鬼ったら、仕様のない奴や。」
「そうしてくれのう。土産も何もあらへんけど、二円五十銭持ってるのやが、どうにかならんかのう?」
「要るもんか。」
「要らんか、頼むぜ。」
「行こ行こ。」
「ちょっと待ってくれ、お霜さん、飯ないかなア、腹へって、腹へって。」
「飯か? 今頃お前、夕飯前でこれから焚くとこやがな。」
「ちょびっとでも好《え》えがな。」
「じゃ見て来てやるわ。」
 お霜は台所へ這入った。勘次は表へ出て北の方を眺めてみたが、秋三の姿は竹藪の向うに消えていた。彼は又秋三とひと争いをしなければならぬと思った。そして、胸の中で、自分は安次を引取ることに異議を立てるのではなく、秋三の狡猾《こうかつ》さに立腹しているのだと理窟も一度立ててみた。が、事実は秋三や母のお霜がしたように、病人の乞食を食客に置く間の様々な不愉快さと、経費とを一瞬の間に計算した。
 お霜は麦粉に茶を混ぜて安次に出した。
「飯はちょっともないのやわ、こんなもんでも好けりゃ食べやいせ。」
「そうかな、大きに大きに。」
「塩が足らんだら云いや。」
「結構結構。」
 安次は茶碗からすが[#「すが」に傍点]眼を出して口を動かした。
「こりゃええ、麦粉かな?」
「こりゃ麦や、塩加減はええか?」
「上加減や、こりゃうまい、お霜さん、わしは酒加減はよう味《み》るぞな、一時亀山でや、わしがおらんと倉が持ていでのう。」
 勘次は安次を待つのが五月蠅《うるさ》かった。ひとり出かけて行って秋三の狡さを詰《なじ》ろうかとも思ったが、それは矢張り自分にとって不得策だと考えつくと、今更安次を連れて来てにじり附けた秋三の抜け目のない遣方に、又腹立たしくなって来た。
 安次は食べ終ると暫く缶詰棚を眺めながら、
「しび[#「しび」に傍点]は美味《うま》いもんや。」とひとり言を云った。
 煙は又風呂場の方から巻き込んで来た。お霜は洗濯竿の脱《はず》れた音を聞きつけて立ち上った。
「お霜さん。煙草一ぷく吸わしてくれんかな。」
「安次、行くぞ。」勘次は云った。
「お前ひとりで行って来てくれんかよ。」
「お前、行かにゃ何んにもならんが。」
「もうお前、ひ怠《だ》るてひ怠るて歩けるか。」
「たったそこまでやないか、向うまで行ったら締めたもんや。お前図々しい構えてりゃことがあるかい。」
「堪《こら》えてくれ。もうもうお前、今夜あたりでも参るかもしれんのじゃ。」
「そんなことを云うてらち[#「らち」に傍点]があくか。」
「こらかなわんのう。」
「行こって、行こって、悪るうなりゃ俺が引き受けてやろぞ。」
「もうお前。」
「行こ行こ、何んじゃ!」
 勘次は安次の手首をとった。安次は両足を菱張りに曲げて立ち上った。

 秋三は麦の種播きに出掛けようと思っていた。が、勘次が安次を間もなく連れて来るにちがいなかろうと思われるとそう遠くへ行く気にもなれなかった。で、彼は軒で薪を割りながら暇々に家の中の人声に気をつけた。
 よく肥えた秋三の母のお留は古着物を背負って、村々を廻って帰って来た。
「今日は馬が狸橋から落ちよってさ。」
 彼女は人の見えない内庭へ這入って大声でそう云うと、荷を縁に下ろして顔を撫でた。が、便所へ行く筈だったと気が附くと、裾を捲って裏口へ行きかけたが、台所の土瓶が眼につくと、また咽喉が渇いているのに気がついた。彼女は土瓶を冠《かぶ》って湯を飲んだ。そこへ勘次が安次を連れて這入って来た。
「秋公いるかな?」
「お前今日な、馬が狸橋の上から落ちよってさ、そりゃ豪《えら》いこっちゃぞな。」とお留は云った。
「秋公はな! 今俺とこへ来よったんやが。」
「知らんぞな。わしゃ今帰ったばっかりやが。お前、馬が横倒しにどぶんと水の中へはまりよったら見い、馬ったら豪《えら》いものや。くれんといっぺんに起き返りよるな。ありゃ! 何んじゃ、お前安次やして!」
「さっき来たんやが、お前いやせんだ。」
 安次は怒《いか》った肩を撫でながら縁に腰を下ろした。
「どうしてるのや?」
「どうって見た通りのざまや。」
「そうか。安次か。長いこと何処へ言ってたんや!」
「亀山や。」
「亀山か、近いところにいたんやして、お前何んじゃぞ、それ痩せて! 死神に憑《つ》かれたみたいやないか。」
「あかん。」
「あかんって、どうしたんやぞ。」
「医者がもうお前、持たん云いさらしてさ、心臓や。どだいわや[#「わや」に傍点]や。」
「心臓や、それは困ったことやないか。まア待っとくれ。」
 お留は周章《あわ》てて厠《かわや》へ行った。そして、戻るとき戸棚の抽出しから白紙を出して、一円包んで出て来ると安次に黙って握らせた。
「あかんのや、あかんのや、もうそんなことして貰うたて。」と安次は云って押し返した。
 しかし、お留は無理に紙幣を握らせた。「薬飲んでるのか?」
「いいや、此の頃はもう飲みとうない。」
「叔母やん、秋がさっき来てな、安次を俺とこへ置いとけって云うのやが、俺とこは困るぜ。」と勘次はきり出した。
「何んやぞ? わし一寸も知らんが。」
「秋公はひどい奴や、こんな病人を俺とこへ無理に引っ張って来てさ。」
「そうかな、あいつ何処へ行っとるのやろ。」
「ほんとにあいつは酷《ひど》い奴やぞ、わざわざ母屋へ頼って来てるのに、俺とこへ連れて来て、何ぼ何でもあんまりや!」
「わしとこにいりゃええわして。」
「阿呆ぬかせ!」と秋三は裏口から叫んで這入って来た。
「秋公、お前、ひどすぎるやないか。」と勘次は云った。
「何がひどい。手前とこは株内や、株内が引きとるのに何の不足がある。」
「お前こそ母屋やないか。母屋のなりして、株内へ廻すってことがあるかい。」
「母屋や、阿呆たれよ、どこがどう母屋や。それを検べてから云うて来い。」
「安次が母屋母屋云うてりゃ、それで分ってるこっちゃ。何も母屋やないもの頼って来る理窟があるか。」
「そんなもの、何代前の母屋かしれたもんか。俺とこが母屋やったら、何処でも母屋や。こんな死にぞこないの、油虫みたいな奴は、どこへへたばりさらすか知れるかい。」
「もう止さえせ。昼日中喧嘩して!」とお留は口を入れた。
「お母ア、黙っとりゃええんじゃ。」
「秋公頼むわ。どこへでもええで寝さしてくれよ。」と安次は云った。
「ぬかしてよ。汝《われ》や汝で、何ぜ俺とこを母屋やなんてたれるのや。どこで聞いて来た。他家《ひと》んとこへ来るなら来るで、ちゃんとして来い。」
「そんなに大っきな声出さんでも、ええわして。」とお留は云った。
「いいや、声ででも嚇《おど》しつけんと、こんな奴、何さらすかしれん。」
「阿呆なこと云うてんと、置いといてやらえな。」
「こんな奴置く位なら、石の頭巾冠ってる方が、ましじゃ。」
 勘次は今が引き時だと思った。そして、そのまま黙って帰りかけると、秋三は彼を呼びとめた。
「勘公、此奴をどうするつもりや。」
「どうするって、こちゃ知らんわ。」
「知らん! もういっぺん云うてみよ。」
「こちゃ知らんてことよ。」
 勘次は後も見ずに帰っていった。秋三は勘次の後を追い馳けようとして二三歩進んだが、又引き返すと、縁へごろりと横になっている安次の襟を持ってひき起した。
「寝さらして、こら!」
「もう勘忍してくれ。」
「勘忍も糸瓜《へちま》もあるかえ。南へ行きやがれ南へ。」
「もうお前、へたばるが。」
「立てったら、立ちさらせ。」
 安次は蹲んだまま怒った片肩をなお張り上げて、戸口までずるずる引き摺られた。
「そんなことせんと、ここで休ましといてやらえな。」とお留は云った。
「何アに此の餓鬼、贋病《にせびょう》使うてくさるのや、あっこまで歩けんことあるものか。」
「痛いが、痛いが、痛いたら!」と安次は云った。
「やかましい、歩け歩け!」
 秋三は忙しそうに安次を曳いて、勘次を見守りながらまた南の方へ下って行った。
 お留は安次に渡した一円の紙幣が庭に落ちているのを見ると、走って行って渡そうかと思ったが、しかしそれでは却《かえ》って追い出すようでいけないし、
「まア好えわア。」と彼女は呟いた。
 それより此の次もう一円増してやる方が、息子の無情な仕打ちを差し引いて功徳《くどく》になるように思われた。彼女は台所へ戻ると又土瓶を冠って湯を飲んだ。

 勘次は後から追って来る秋三の視線を強く背中に感じ出した。足がだんだんと早くなった。それに何ぜだか後を見ていることが出来なかった。竹藪を廻ると急に彼は駈け出したが、結局このままでは自分から折れない限り、二人の間でいつまでも安次を送り合わねばならぬと考えついた時には、もう彼の足は鈍っていた。そして今逆に先手を打って、安次を秋三から心良く寛大に引き取ってやったとしたならば、自分の富の権威を一倍敵に感ぜしめもし、彼の背徳を良心に責めしめもする良策になりはしないか、と考えついた時には、早や彼は家に帰って風呂の湯加減をみる為に、一寸手さきを湯の中につけていた。が、更に又彼は自分の愛人の姿を思い浮べて考えた。もしそうして彼女が自分の博愛を聞き知ったとしたならば? それは確に幸福な婚姻の日を、早めるに役立つことになるだろう。
 秋三は着いた。不足な賃銀を握った馬丁のように荒々しく安次を曳いて、
「勘次、勘次。」と呼びながら這入って来た。勘次は黙って出迎えた。
「これ勘公、逃げさらすなよ。」
「遠いところを済まんのう、何んべんも。」
 秋三は急に静な微笑を浮べた勘次のその出方が腑に落ちかねた。
「安次、手前ここに構えとれよ。今度俺とこへ来さらしたら、殴打《どや》しまくるぞ。」
 安次は戸口へ蹲んだまま俯向いて、
「もうどうなとしてくれ。」と小声で云った。
「当分ここにおったらええが、その中に良うなろうぜ。」
 そう勘次が静に云うと、安次は急に元気な声で早口に、
「すまんこっちゃ、すまんこっちゃ。」
 と云いながら続けさまに叩頭《こうとう》した。勘次は落ちつけば落ちつく程、胸の底が爽やかに揺れて来た。が、秋三は勘次の気持を見破ると、盛り上って来た怒りが急に折れて侮辱の念に変って来た。と同時に安次の弱さに腹の底から憎悪を感じると、彼の掌はいきなり叩頭している安次の片頬をぴしゃりと打った。
「しっかり、養生しやれ。」
 秋三は嘲弄した微笑を勘次に投げた。
「ええか、頼んだぞ。」と彼は云うと、威勢好く表へ立った。
 勘次は秋三の微笑から冷たい風のような寒さを感じた。彼は暫く庭の上を見詰めたまま動けなかった。
「すまんこっちゃわ、えらい厄介かけてのう、大きに大きに。」
 勘次も安次に叩頭されればされる程、不思議に安次を軽蔑したくなって来た。彼は黙って裏の井戸傍へ立って来た。が、秋三の冷たい微笑を思い出すと身体が竦《すく》んで固まった。彼は秋三に追いついて力限り打ち※[#「足へん+倍のつくり」、第3水準1-92-37]《の》めしてしまいたかった。恋人との婚姻もこのまま永久に引き延ばしていたかった。そして、安次を最も残忍な方法で放逐《ほうちく》して了ったならば、彼は秋三の嘲笑を一瞬にして見返すことが出来るように思われた。

 安次は股引の紐を結びながら裏口へ出て来ると、水溜の傍の台石に腰を下ろした。彼は遠い物音を聞くように少し首を延ばして、癖ついた幽《かす》かな笑いを脣に浮かべながら水菜畑を眺めていた。数羽の鶏の群れが藁小屋を廻って、梨の木の下から一羽ずつ静に彼の方へ寄って来た。
「好えチャボや。」と安次は呟いて鶏の群れを眺めていた。
 お霜は遅れた一羽の鶏を片足で追いつつ大根を抱えて藁小屋の裏から現れた。
「また来たんか?」
「また厄介になったんや、すまんが頼むぞな。ええチャボやな。こいつなら大分大っきな卵を産みよるやろ?」
「勘はな?」
「さア、今そこにうろうろしていらったが。」
 安次は三尺の中から丸めた紙幣をとり出した。
「お霜さん。これ持っててくれんかな。二円五十銭あるのやが、何ぞの足しに、ならんかな。」
「そんなにたんと預かっておいて、お前使うて了うたらどうするぞ。」と、お霜は笑って云った。
「何アに使うて貰うたら結構や。持っててお呉れ、使い残りで悪いけど、それだけばち[#「ばち」に傍点]有りゃせんのや。」
「まアお前持ってやいな。お霜さんが安次の金とったなんて云われると、こちゃ困るわ。」
 お霜は家の中へ這入って大根を切った。安次はまた三尺の中へ紙幣を巻くと、
「トトトトトト。」
 と呼びながら鶏の方へ手を延ばした。どこかで土を掘り返す鋤《すき》の音がした。菜園の上からは白い一条の煙が立ち昇っていて、ゆるく西の方へ靡《なび》いていた。
 勘次は叺《かます》を抱えて蔵の中から出て来ると、誰にも相手にされず、台石の上でひとりぼんやりしている安次の姿が眼についた。それは弱々しいとり残された者の感じで不意に彼の心に迫って来た。と勘次は急に今までと全く違った愛情を安次に対して感じ出した。
「安次、今晩は御馳走を食わそうか、よう?」
「いいや、もう結構や。」
「風呂が沸いてるぞ、お前這入らんか?」
「あかんのじゃ、あいつに這入ると、やられるんじゃ。」
「そうかて、いつまでも這入らずにいられまいが。」
「何アに、もうお前かれこれ二タ月這入らんが。」
「二タ月よ?」
 安次はまた三尺から紙幣を出すと近寄って来た勘次にそれを差し出した。
「お前これ持ってくれんかのう。二円五十銭あるのやが、何んぞの足しになるやろぜ。」
「自分で持ってりゃええやないか。」
「こんなもの、五月蠅《うるそ》うてしょうがないが。」
 勘次は安次の※[#「言+稻のつくり」、第4水準2-88-72]《へつら》う容子を見るとまた不快になった。そのまま内庭へ這入って行って叺を下ろすと、流し元にいたお霜が嶮しい顔をして彼の傍へ寄って来た。
「お前まアどうするつもりや、あんな者連れ込んで来てさ。」
「抛っておいたらええが。」
「抛っておけって、たちまちお前どこへ置くぞ。汚い! わしは知らんぞな。お前勝手に世話しやいせ。」
「ええが。」
「ええがも無いやないか。お前たちまちどこへ寝せるつもりや。食わす位ならまだ我慢もしよが、どんと寝附かれて動きもこじりも出来んようになったらどうするぞ!」
「抛っといたらええってば。」
「抛っといてそれで済むもんならええわさ。それより、お前どこで寝せるぞ、奥の間か?」
「小屋へ置いときゃええ。」
「たあいもないお前、あんとこで死なれてみい。五月になったら蚕さん夜養《よがい》せんならんのに誰が恐《こわ》うて行くもんがあるぞ。お前の阿呆にもあきれるわ。」
「秋が連れて来たんやないか、秋に怒ったらええ。」
「秋ってあの餓鬼、どうも仕方のない奴や。ひとん所の恩も知りさらさんとからに、ひとん処へあんな者引っ張って来やがってな、私《わし》今晩喧嘩しまくってやらんならん!」お霜は呟きながらまた大根を切った。
「米を何んぼ出しとこう?」
「連れて来るものがないと、終いにゃあんな乞食の病人引っ張って来さらして!」
「米をよ。」
「一斗でええ。」とお霜はわが子に怒鳴り出した。

 夜、お霜が秋三の家へ安次を連れて行くと云い出したとき、勘次は秋三の前でいかにも寛大に安次を引き取った自分の態度を思い出した。これは困った。しかし、安次を拒んでいるのは自分ではないと思うと気が休まった。それに母親ひとりでとても秋三を説き伏せ終おせるものではないのを知ると、結局また安次は自分の家に落ちつくにちがいないと考えた。でお霜が出掛けてゆくことには、余り親子争いをしたくなかった彼は、外見、自分も母親同様の考えだと云うことを、ただ彼女だけに知らせるために黙っていた。が、安次を連れて行くことには反対した。けれども、自分のその気持を秋三に知らさない限り、自分の骨折りが何の役に立つだろう。そう思うと彼には秋三の罵倒が眼に見えた。が、また自分に安次を引き受ける気持のある以上、敵の罵倒に反抗し得るだけの力は、自然出て来るであろうと思われた。

 秋三の母はひと笊《ざる》豆をむき終えた。そこへ姉のお霜は黙って一人這入って来た。
「姉やんか。丁度ええわ。あのな、生繻子《きじゅす》の丸帯が出たのやが、そりゃ安いのや、買わいせな。」とお留は云った。
「それよりお前とこの秋って、どうも仕様のない奴やぞ。株内やぬかしてからに、わしとこへお前、安次みたいな者引っ張って来さらしてさ。お前とこが困るなら、わしとこかて同じこっちゃ。」
「秋ゃいくら云うても聞きゃせんのやして。あんな者の云うこと生《しょう》しやいすな。」
「そうかて連れて来られたもの、黙っていられるかいな。」
「うちへ連れて来やいせ。何処かて同じこっちゃがな。なア姉やん、中古でな、ほんまに持って来いやが見せようか。織留のとこに一寸した汚点《しみ》があるのやが、二円五十銭にしとくわな。」
「要らん要らん。銭がないわ。」
「直ぐ売れてしまうで今やなきゃあかんぞな。銭なんていつでもええわ。上村の三造さんの嫁さんに頼まれてるのやで、姉やんが要らんだら持っていくけど。」
「わしらそんな良《え》えのしたかて、何処へも見せに行くところがないわ。」
「そんなこと云うてたら、裸体でいようかしらず、まアいっぺん見てみやいせ。」
 お留が奥の間へ立っていった後へ、秋三は牛の雑炊《ぞうすい》をさげて表の方から帰って来た。
「秋よ、お前もお前やないか、とうとうわしとこへ安次をにじりつけてさ。」と、お霜は云った。
 秋三はお霜の来た用事を悟ると痛快な気持が胸に拡った。彼はにやにやしながら云った。
「にじりつけるか。勘が引受けよったのやないか。勘に訊《き》いてみい、勘に。」
「連れて来んもの、誰が引受けるぞ。」
「そりゃお前、お前とこが株内やで俺が連れて行くのはあたり前の話や。」
「お前株内や株内や云うけど、苗字《みょうじ》が一緒やで株内やと定ってまいが、それに自分勝手に私とこへ連れて来て、たちまちわしとこが迷惑するやないか。」
「定ってら、あんな物に迷惑せんとこって、あるもんか。」
「そんならなぜわし所へ連れて来た?」
「伯母やんみたいなしぶったれ[#「しぶったれ」に傍点]や、あんな奴の世話、いっぺん位しといてもええぞ。」
「お前って、※[#「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52]ても焼いても食えん奴やぞ! 業《ごう》ざらし。」
「また喧嘩《けんか》してるわ。もう止さえせ。」とお留は、帯を持って出て来て云った。
「こんなしぶったれ婆と、誰が喧嘩するか。」と秋三は笑って見せた。
「お前、黙っていやいて云うのにな!」
「こいつ、どうしたらええ奴やろ!」とお霜は秋三を睥《にら》んで云った。
「姉やん見やいせ。良え光沢《つや》やろが。汚点《しみ》が惜しいことにちょっと附いてるのでな。」
 お霜は差し出された丸帯を見向きもせず、
「いまに思いしらせてやるわ、覚えてよ。」とまた云った。
 秋三は「帰《い》ね帰ね」と云うとそのまま奥庭の方へ行きかけた。
「何を云うのや! 姉やん、あんな奴に相手にならんと、まア一寸此の帯を見やいせな。」
「そんなもの、どうでもええわ。それよか、安次のことをきりつけんと私《わし》とこが困るわ。」
「安次ならうちへ連れて来てたもれ。なア、手にとって見てみやえな。中古でも夜さりゃと新に買うたように見えようがな。」
「そんなら安次を連れて来るぜ。帯は後でゆっくり見せて貰うわ。」
「あかんぞ、あかんぞ!」と秋三は叫ぶと、奥庭から柄杓《ひしゃく》を持って走って来た。
「うちへ置いといてやってもええわして。」とお留は云った。
「あかん。」
「そんなこと云うてたら、仕方あらへんやないか。」
「あかん、あかん。」
「おかしい子やな。あんな死にかけてる者、何処へ行くところがあるぞ、可哀想に。」
「あんな腐った鰯《いわし》みたいな奴と一緒にいたら、虫が湧くわ。」
「そんな無茶苦茶云うてんと。」
「あかんったらあかん。南のが引き取りゃそれでええんじゃ。」
「お前とこ虫が湧きゃ、わしとこでも虫が湧くわ。」とお霜は云った。
「勘が引受けよったんや。不足があるなら何処へでも抛り出しゃええ。俺とこはもう関係があるもんか。」
「勘が引受けたって、勘はお前、お前が無理に連れて来たで、置いたまでのことやないか。」
「どう云うたかよう勘にきいて来い。」
「勘は知らんと云うとったが。」
「知らん? よしッ、そんなら勘を呼んで来い。殴打《どや》しまくってやるぞ。」
「秋よ、もう黙っていやいせ!」とお留は叱った。
「いいや、勘の餓鬼、豪そうな顔して引受けさらしたくせに、そんなほざいたことをぬかしてるなら、こちにも考えがあるわ。」
「ひちくどい! もうええわして。」
「云うとこまで云わにゃことが分るかい。勘を呼んで来い、勘を。」
「姉やん、もうこうなったら本当にきりがないでな。姉やんとこ今晩ひと晩、安次を置いといてやっとくれ。」
「そんな鳥黐《とりもち》桶へ足突っこむようなこと、わしらかなわんわ。」とお霜は云った。
「ひと晩でええわ。そしたら明日どこぞへ小屋建てよう、清溝《しみぞ》の柿の木の横へでも、藁でちょっと建てりゃわけやないわして、半日《ひんなか》で建つがな。」
「それでもお前、十五六円やそこらかかろがな?」
「その位はそりゃかかるわさ。そやけど瓦のかけらでもあろまいし、藁ばっかしで建てたら後が何なと間に合うがな、なア、そうしようまいか?」
「藁かて二三十束も要るやないか。」
「そんなもの、高が知れてるわして。あんな安次みたいな者を世話しといたら、功徳になるぞな。」
「ひんなかで建つやろか?」
「そればっかしにかかりゃ半日《ひんなか》で建つやろまいか。皆で建てよまいか。そしたら私ゃお粥《かゆ》位毎日運んでやるし、姉やんとこ抛っときゃええわ。」
「そうしようか、藁三十束で足るかお前?」
「足るとも。三畳敷位の小っちゃいのでけっこうやさ。それで安次も一生落ちつけるのや、有難いもんやないか。」
「あんな奴、抛っとけ。」秋三は笑いながら云った。
「阿呆ばっかし云うて!」とお留は叱った。
「あんな碌《ろく》でもない奴は、人目につかん処で死にさらしゃええんじゃ。」
「お前はよっぽど罰あたりやぞ!」
「俺が罰あたりなら、南の伯母やんら、とっくの昔罰あたって死んでら。のう伯母やん?」
「あれ見やえ!」とお留は云って姉を見た。
 お霜は何か考えているらしく黙っていたが、
「お前、小屋建てるなら組で建てて貰うまいか?」と云い出した。
「組が建ててくれりゃ結構やけどなア。」
「そりゃ建てるわさ。いっぺん組長さんに相談してみよまいか?」
「どうなと勝手にせ!」と秋三は云って又奥庭の方へ這入って行った。
「そんなことしてると、またごてごて長びくでな。」とお留は云った。
「そうかてお前、実の所は組が引きとらんならんのやして、お前とこが母屋や云うたて、そんなこと昔から云うてるだけで、何も特別と安次とこと交際してたわけでもなしさ。うちかて株内や云うたてはっきりしたことって何一つないのやし、組が引取らんならんのや。なアそうやろう? その間、わし処に安次を置いとくわ。」
「そんねにうまい工合にいくやろか?」
「まア事は何でもあたってみよや。組長さんに相談してみよにさ。」
「そうしてみるか?」
「なア? わし、これから行って来るわ、事は何んでも当って見よや。何も母屋や株内や云うたかて名だけや。わし一寸これから行って来うぞ。」
 お霜は外へ出ていった。
「しぶったれ!」と秋三は奥庭から叫んだ。しかし、勘次と反馳《はんち》してゆくお霜の出方がますます彼を喜ばしめた。
「こりゃ面白い、こりゃ面白い。」と、秋三は膝を叩いて喜び出した。
 お留は丸帯の汚点をランプの下に晒《さら》してみた。小指の爪で一寸擦ると、
「こりゃ姉やんに持って来いやがなア。」と云いながらまた奥の間へ這入っていった。

 安次の小屋が組から建てられることに定ったと知ったとき、勘次は母親をその夜秋三の家へ送ったことを後悔した。しかし、今はもうその方が何方《どちら》にとっても得策であるに拘らず、強《し》いてそれを打ち壊してまでも自分は自分の博愛を秋三に示さねばならないか? いやそれよりも、一体秋三とは何者か? そう思うと、彼は今一段自分の狡猾さを増して、自分から明らかに堂々と以後一家で負う可き一切の煩雑さを、秋三に尽く背負わして了ったならば、その鮮かな謀叛《むほん》の手腕が、いかに辛辣《しんらつ》に秋三の胸を突き刺すであろうと思われた。
 彼は初めて秋三に復讐し終えたような快活な気持になった。

十一

 一週間の後、小さな藁小屋が掘割の傍に建てられた。そこは秋三の家に属している空地であった。
 その日最早や安次は自由に歩くことも出来なくなっていた。彼は勘次の家の小屋から戸板に吊られて新しい小屋まで運ばれた。
 勘次は自分の手から全く安次が離れていったのだと思うと、今迄の安次に向っていた自分の態度は、尽く秋三に動かされていた自分の頭の所作事であったと気が附いた。けれども別に何の悔い心も起らなかった。ただ彼は自分の博愛心を恋人に知らす機会を失つたことを少なからず後悔した後で、それほどまでも秋三に踊らせられた自分の小心が腹立たしくなって来た。が、曽て敵の面前で踊った彼の寛大なあのひと踊りの姿は、一体彼の心の何処へ封じ込まねばならないのか? 彼は次第に不機嫌になって来た。
「厄介者が行ってくれたんで、晴々するわ。あんな者にいられると、こちまで病気つくがな。」
 お霜は安次の立った後の掃除をしながらそう勘次に云った。勘次は何ぜだか母親に突きかかっていきたくなったが黙っていた。
「それでもお前のお蔭でみやいせ、蒲団三枚も損したわ。あの蒲団かて手織やが、まだそんねに着やせんのやぞ。お前ら碌なことしやせんのや。」
「好きで誰が連れて来る!」と息子は強く云った。お霜は何ぜ息子が怒り出したのかを疑いながら、
「お前が要らんことせなんだら誰が来るぞ!」と云い返した。
「済んでから、ごてごて云うな!」
「云う云う。お前の阿呆にもあきれるわ。」
「勝手に饒舌《しゃべ》ってよ!」
「要らんことばっかしてな。お前ら自家《うち》の財産減らすことより考えやせんのや。」
「安次の一疋やそこら何んじゃ。それに組へのこのこ出かけていって恰好の悪いこと知らんのか!」
「何を云うのや、お前!」
 お霜は勘次をじっと見た。
「しぶったれ!」勘次は小屋の外へ出ていった。
 お霜は何ぜ勘次が怒るのか全く分らなかった。が、自分の吝嗇の一事として、曽て勘次を想わない念から出たことがあっただろうか? 彼女は追っ馳けていって自分の悩ましさを尽く勘次に投げかけてやりたくなった。すると涙が溢れて来た。

十二

 お霜が安次の小屋へ行ってみたとき、もう組の人達は帰っていた。
「厄介ばっかしかけて、ほんまにすまんこっちゃ。」
 安次はお霜を見ると弱々しい声で云った。お霜は彼の声からいかにも有難そうな気持を感じると初めて愉快になって来た。
「きょうは天気がよいで気持好かろが、ここにいたらお前、ええ隠居さんやがな。」
 彼女は貸した安次の着ている蒲団を一寸見た。そして彼が死んでからまだ役に立つかどうかと考えたが、彼女の気持が良ければ良いだけ、安次を世話した自分の徳が、死んだ良人の「あの世の苦しさ」まで滅ぼすように思われてありがたくなって来た。彼女は入口の筵戸《むしろど》を捲き上げた。陽の光りは新しい小屋いっぱいに流れ込んだ。病人の頬や眼窩《がんか》や咽喉の窪みに深い影が落ちて鎮まった。お霜は床に腰を下ろすと、うっとりしながら眼の前に拡っている茶の木畑のよく刈り摘まれた円い波々を眺めていた。小屋の裏手の深い掘割の底を流れる水の音がした。石橋を渡る駄馬の蹄の音もした。そして、満腹の雀は弛《たる》んだ電線の上で、無用な囀《さえず》りを続けながらも尚おいよいよ脹《ふく》れて落ちついた。
「姉さん、すまんな、今お医者さんとこへ行って来たんやわ。もう来てくれやっしゃるやろ。」
 暫くしてお霜はお留に呼び醒まされて彼女を見た。
「どうや、一寸はええか?」とお留は安次を覗いて訊いた。
「すまんこっちゃ、皆に厄介かけるなア。」
 お霜は妹にそう云っている安次の声からも感謝の気持を見出した。そして、自分が預る「仏の利生《りしょう》」を、それだけ妹の方に分けられはすまいかと、今さら不安な気持が起って来ると、自分よりも先に医者を迎えに行ったお留の仕打ちに微かな嫉妬を感じて来た。
「何ぞ欲しいものはないか?」とお霜は安次に訊いた。
「結構や。」
「お前この間、銭持ってたの、どうしたぞ。それだけ欲しいもんでも買う方が好かろが?」
「火ん中へ燻《く》べて了うた。」
「燻べた!」
「邪魔になって仕様がない。」
「たあいもない。どうや、あんな物燻べて何んにもならんやないか!」
「もう半分気が触れてるのやぞ。」とお留は云った。
 二人は暫く安次の痩せ衰えた顔を黙って眺めていた。すると、どちらも同じように、病人が最早や自分達と余程離れた不思議な遠い世界にいることを感じて恐ろしくなって来た。が直ぐその後で、お霜は病人が紙幣を自分に預ってくれと頼んだとき、預っておけば好かったと思って後悔した。だが、お留は、安次に与えようとしてまだそのままにしておいた金包のことを思い出すと、今まで忘れていたのは結局自分に仏様がそれだけ授けて下さったのだと思って喜んだ。

十三

 霜が降りた。夜が明け初めると間もなくその日は晴れ渡るであろう。山々の枯れた姿の上には緑色の霞が流れていた。いつもの雀は早くから安次の新しい小屋の藁条《わらすじ》を抜きとっては巣に帰った。が、一疋の空腹な雀は、小屋の前に降りると小刻みに霜を蹴りつつ、垂れ下った筵戸の隙間から小屋の中へ這入っていった。
 中では、安次が蒲団から紫色の斑紋を浮かばせた怒《いか》った肩をそり出したまま、左右に延ばした両手の指を、縊《くび》られた鶴の爪のように鋭く曲げて冷たくなっていた。が、雀は一粒の餌さえも見附けることが出来なかった。で、小屋の中を小声で囀りながら一廻りすると外へ出て来て、また茶畑の方へ霜を蹴り蹴りぴょんぴょんと飛んでいった。

十四

 野路では霜柱が崩れ始めた。お霜は粥を入れた小鉢を抱えたまま、
「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ。安次が死んどる。熱いお粥食わそう思って持っててやったのに、死んどるわア。」と叫びながら、秋三の家の裏口から馳け込んだ。
 お霜の叫びに納戸からお留が出て来た。秋三は藁小屋から飛び出て来た。そして二人が安次の小屋へ馳けて行くと、お霜はそのまま自分の家へ馳けて帰って勘次に云った。
「お前えらいこっちゃ。安次が死によった。折角お粥持っててやったのに、冷とうなって死んどるのやして。」
「死によったか!」
「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ。」
 お霜は小鉢を台所へ置くと、さて何をして好いものかと迷ったが、別に大事な出来事が起ったのでもなく、ただ自分ひとりが勝手に狼狽《うろた》えているのだと気が附いた。が、その狼狽えたどこかには、常より却って晴やかな気持が流れていたことには彼女とても気附かなかった。

十五

 勘次とお霜は直ぐ又安次の小屋へ行った。勘次は初め秋三と顔を合すのが不快さに行きたくはなかったが、それは却って秋三を恐れているようでいけないし、とうとう何時の間に決心したのか自分ながら分らずに、ただ母親に曳かれる気持で小屋へ来た。
「おい、喜びやれ、往生しよったぞ。」
 秋三は勘次を見るなり皮肉な微笑を浮かべて云った。
 勘次は彼の微笑から曽て覚えた嘲弄を感じると、憤りが胸に込み上げた。が、それを見抜かれるのが不快であった。彼は入口に下っていた筵戸を引きちぎって、
「こんな邪魔物は要らんやろが。」とごまかした。
「伯母やんに訊いてみよ、神棚へでも吊らっしゃろで。」
 勘次は秋三を一寸|睥《にら》んだが、また黙って霜解けの湿った路の上へ筵を敷いて上から踏んだ。
「さアお前らぼんやりしてんと、どうするのや?」とお霜は云った。
「和尚さん呼んで来うまいか。」とお留は云った。
「それよか何より棺桶や。棺桶どうする?」と秋三は云い出した。
「うちのお父つぁんの死んだときは棺桶やったが、あれでもお前、八円したぞな。」とお霜は云った。
「六分板やろが。あれならその位かかるわさ。杉の四分板やったら五円位で出来るやろ。」とお留は云った。
「大分苦しみよったらしいな。」
 勘次は安次の紫色に変っている指さきを弄びながらそう云うと、
「苦しかったやろまいか。可哀想に、水いっぱい飲ましてくれる者がありゃせんしさ。」とお留が云った。
「やっぱり極道すると、碌な死にざま出来やせんなア。」とお霜は云った。
「棺桶どうする。」と秋三はまた云い出した。
「箱棺で好かろが。あれなら三円位で出来るしな。」
「寝棺はどうや、もっと安かろが?」
「寝棺は高い高い。どんねに安うても十両はかかる。」
「そうか。そんなら箱棺の口や。どうや伯母やん。ひとつ奮発してくれんか?」
「伯母やん。伯母やんって、損のいくことやったら、何んでもわしににじりつけるのやな。わしとこはもう、蒲団出したやないか。お前とこしてやれ。」
「そうかて、本当に勘が何もかも引き受けよったんやないか。そのくせ組へにじりつけて了うてさ。棺桶ぐらいしてもええぞ。」
「うちのがしたらええわして。」とお留は秋三をたしなめた。
「俺がする。」と勘次は云った。
「それみよ。」と秋三は煽《おだ》てて云って、勘次の額に現れ始めた怒りの条を見れば見る程、ますます軽快に皮肉の言葉が流れそうに思われた。
「勘よ、うちにビール箱が沢山あったやろが、あれで作ったらどうやろな?」とお霜は云い出した。
 秋三はにやにや笑いながら、
「そいつは好え。あれなら八分板や、あんなもんでして貰うたら、それこそ極楽へ行きよるに定ってる。やっぱり伯母やんやなけりゃ、ええ考えが出て来んわ。」
「なア、あれはほんとに好かろが、三つ位で出来るやろ。」
「二つでええとも。あれでして貰うたら、安次もなかなか腐らへんわ。そりゃ結構や。」とお留は云った。
「勘よ。お前これから帰《い》んで、一寸|拵《こしら》えて来てくれんか。」
 勘次は黙って帰って来た。母親が煽動に乗せられているのを思うと、別に大工の手にかけて棺を造ろうかと思った。が、しかし一々秋三に反抗するのもあまり大人気ないように思われた。が、何かにつけて自分の弱味――安次を組の手に押し附けたと云う此の弱味、それは自分の知らないことだと彼一人拒否したとて免れないその点に、――絶えず触れて出ようとする秋三の態度には我慢がしきれなかった。彼は棚からビール箱を下ろすと、一枚一枚釘打で板を放した。放しながら、秋三を叩いている所を想像すると、尚お彼の力は加わった。
「此の餓鬼! 此の餓鬼! 此の餓鬼!」
 彼は釘打を振り上げては打ち下ろした。すると、自分が棺を造っているのだと云うことも忘れて了って、だんだん加わって来る気持良い興奮の中に、間もなく彼は三つの箱をばらばらの板切れにして了った。そして、一時間の後には旭《あさひ》の紋の浮き上った四角い大きな箱棺が安次の小屋へ運ばれていた。

十六

「こりゃ上等や。こんなんなら俺でも這入りたいが。どうや伯母やん、一寸這入ってみやえ。」と秋三はお霜に云って、勘次の造って来た箱棺を叩いてみた。
「冗談云わんと、早よ安次を入れてたもれ。」とお霜は云った。
「こんな汚い奴、俺ゃ知らんぞ。」
「何でも知らん知らんと云うてよ。」
 お霜は安次の蒲団を捲って、「早う。」と秋三を促した。
「おい、掻き込もうやないか、汚い。」
 秋三は勘次にそう云って棺を横に倒すと安次の死体の傍へ近寄せた。
 二人は安次の身体を転がしながら、棺の中へ掻き寄せようとした。が、張り切った死人の手足が縁に閊《つか》えて嵌《はま》らなかった。秋三は堅い柴を折るように、膝頭で安次の手足の関節をへし折った。そして、棺を立てると身体はごそりと音を立てて横さまに底へ辷《すべ》った。
 秋三は棺を一人で吊り上げてみた。
「此奴、軽石みたいな奴や。」
「そやそや、お前今頃から棺桶の中へ入れたらあかんがな。お医者さんの診断書貰うて、役場へ死亡届出さにゃ叱られるわして。」とお留は云った。
「そんなら、もういっぺん打ちやけるか?」
 秋三はお霜を眺めてそう訊くと、お霜は安次の着ていた蒲団を摘まみ上げて眺めた。
「そんな汚い物、焼いて了え。」と秋三は云った。
「よう云うてくれるな。これでもお前、洗濯してちゃんとしたら、結構間に合うわ。」
「まだそれでも、着て寝よう思うてるのやな。」
「きまってるわ。」
「しぶったれ!」
「何がしぶったれや!」
「まアまア伯母やんみたいなしぶったれて、あったもんやないわ。」
 すると、お霜はいつになく厳しい眼付で秋三を睥みながら腰を延ばした。
「よう云うな! 汝《われ》や自分の棟の下で飯が食っていけるのは、誰のお蔭やと思うてる。此のしぶったれの伯母が有ってこそやぞ。それも知りさらさんとからに、渋ったれ渋ったれって一寸は人の恩も考えてから云いや!」
「ぬかしてよ! 俺とこが恩受けてるのは、手前とこの親父にじゃ。」
「わしがいなんだら、誰がお前らに恩を施すぞ!」
「恩恩って、大っきな声でぬかすな! 手前とこが有るばっかしで、俺とこまで穢《けが》しやがって、そんな恩施しなら、いつなと持っていけ!」
 勘次は怒りのために慄《ふる》え出した。と、彼は黙って秋三の顔を横から殴打《う》った。秋三は蹌踉《よろ》めいた。が、背面の藁戸を掴んで踏み停ると、
「何さらす。」と叫んで振り返った。
 再び勘次は横さまに拳《こぶし》を振った。秋三は飛びかかった。と忽ち二人は襟を握って、無数の釘を打ち込むように打ち合った。ばたりと止めて組み合った。母親達は叫びを上げた。彼女達は、夫々自分の息子を引き放そうとした。が、二人の塊りは無言のまま微かな唸りを吐きつつ突き立って、鈍い振子のように暫く左右に揺れていた。
「此の餓鬼めッ。」
「くそったれッ。」
 勘次の身体は秋三を抱きながら、どっと後の棺を倒して蒲団の上へ顛覆《てんぷく》した。安次の半身は棺から俯伏に飛び出した。四つの足は跳ね合った。安次の死体は二人に蹴りつけられる度毎に、へし折れた両手を振って身を踊らせた。と、間もなく、二人は爆《は》ぜた栗のように飛び上った。血が二人の鼻から流れて来た。
「エーイくそッ。」
「何にをッ。」
 二人は再び一つに組みついた。と、また二人は安次の上へどっと倒れると、血に濡れながら死体の上で蹴り合い出した。
[#地から1字上げ](大正十年)

底本:「日本文學全集 29 横光利一集」新潮社
   1961(昭和36)年2月20日
   1966(昭和41)年12月30日15刷
初出:「人間」
   1921(大正10)年2月
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
入力:ウィルキンス賢侍
校正:米田
2012年1月4日作成
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横光利一

頭ならびに腹——横光利一

真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けてゐた。沿線の小駅は石のやうに黙殺された。
 とにかく、かう云ふ現象の中で、その詰み込まれた列車の乗客中に一人の横着さうな子僧が混つてゐた。彼はいかにも一人前の顔をして一席を占めると、手拭で鉢巻をし始めた。それから、窓枠を両手で叩きながら大声で唄ひ出した。
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「うちの嬶ア
 福ぢやア
 ヨイヨイ、
 福は福ぢやが、
 お多福ぢや
 ヨイヨイ。」
[#ここで字下げ終わり]
 人々は笑ひ出した。しかし、彼の歌ふ様子には周囲の人々の顔色には少しも頓着せぬ熱心さが大胆不敵に籠つてゐた。
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「寒い寒いと
 云たとて寒い。
 何が寒かろ。
 やれ寒い。
 ヨイヨイ。」
[#ここで字下げ終わり]
 彼は頭を振り出した。声はだんだんと大きくなつた。彼のその意気込みから察すると、恐らく目的地まで到着するその間に、自分の知つてゐる限りの唄を唄ひ尽さうとしてゐるかのやうであつた。歌は次ぎ次ぎにと彼の口から休みなく変へられていつた。やがて、周囲の人々は今は早やその傍若無人な子僧の歌を誰も相手にしなくなつて来た。さうして、車内は再びどこも退窟と眠気のために疲れていつた。
 そのとき、突然列車は停車した。暫く車内の人々は黙つてゐた。と、俄に彼等は騒ぎ立つた。
「どうした!」
「何んだ!」
「何処だ!」
「衝突か!」
 人々の手から新聞紙が滑り落ちた。無数の頭が位置を乱して動揺めき出した。
「どこだ!」
「何んだ!」
「どこだ!」
 動かぬ列車の横腹には、野の中に名も知れぬ寒駅がぼんやりと横たはつてゐた。勿論、其処は止るべからざる所である。暫くすると一人の車掌が各車の口に現れた。
「皆さん、此の列車はもうここより進みません。」
 人々は息を抜かれたやうに黙つてゐた。
「H、K間の線路に故障が起りました。」
「車掌!」
「どうしたツ。」
「皆さん、この列車はもうここより進みません。」
「金を返せツ。」
「H、K間の線路に故障が起りました。」
「通過はいつだ?」
「皆さん、此の列車はもうここより進みません。」
 車掌は人形のやうに各室を平然として通り抜けた。人々は車掌を送つてプラツトホームへ溢れ出た。彼等は駅員の姿と見ると、忽ちそれを巻き包んで押し襲せた。数箇の集団が声をあげてあちらこちらに渦巻いた。しかし、駅員らの誰もが、彼らの続出する質問に一人として答へ得るものがなかつた。ただ彼らの答へはかうであつた。
「電線さへ不通です。」
 一切が不明であつた。そこで、彼ら集団の最後の不平はいかに一切が不明であるとは云へ、故障線の恢復する可き時間の予測さへ推断し得ぬと云ふ道断さは不埒である、と迫り出した。けれ共一切は不明であつた。いかんともすることが出来なかつた。従つて、一切の者は不運であつた。さうして、この運命観が宙に迷つた人々の頭の中を流れ出すと、彼等集団は初めて波のやうに崩れ出した。喧騒は呟きとなつた。苦笑となつた。間もなく彼らは呆然となつて了つた。しかし、彼らの賃金の返済されるのは定つてゐた。畢竟彼らの一様に受ける損失は半日の空費であつた。尚ほ引き返す半日を合せて一日の空費となつた。そこで、此の方針を失つた集団の各自とる可き方法は、時間と金銭との目算の上自然三つに分かれねばならなかつた。一つはその当地で宿泊するか、一つはその車内で開通を待つか、他は出発点へ引き返すべきかいづれであるか。やがて、荷物は各車の入口から降ろされ出した。人波はプラツトから野の中へ拡り出した。動かぬ者は酒を飲んだ。菓子を食べた。女達はただ人々の顔色をぼんやりと眺めてゐた。
 所がかの子僧の歌は、空虚になつた列車の中からまたまた勢ひ好く聞え出した。
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「何んぢや
 此の野郎
 柳の毛虫
 払ひ落せば
 またたかる、
 チヨイチヨイ。」
[#ここで字下げ終わり]
 彼はその眼前の椿事は物ともせず、恰も窓から覗いた空の雲の塊りに噛みつくやうに、口をぱくぱくやりながら。その時である。崩れ出した人波の中へ大きな一つの卓子が運ばれた。そこで三人の駅員は次のやうな報告をし始めた。
「皆さん。お急ぎの方はここへ切符をお出し下さい。S駅まで引き返す列車が参ります。お急ぎのお方はその列車でS駅からT線を迂廻して下さい。」
 さて、切符を出すものは? 群衆は鳴りをひそめて互に人々の顔を窺ひ出した。何ぜなら、故障線の列車はいつ動き出すか分らなかつた。従つて迂廻線の列車とどちらが早く目的地に到着するか分らなかつた。
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さて?
さて?
さて?
[#ここで字下げ終わり]
 一人の乗客は切符を持つて卓子の前へ動き出した。駅員はその男の切符に検印を済ますと更に群衆の顔を見た。が、卓子を巻き包んでそれを見守つてゐる群衆の頭は動かなかつた。

 さて?
 さて?
 さて?

 暫くすると、また一人じくじくと動き出した。だが、群衆の頭は依然として動かなかつた。そのとき、彼らの中に全身の感覚を張り詰めさせて今迄の様子を眺めてゐた肥大な一人の紳士が混つてゐた。彼の腹は巨万の富と一世の自信とを抱蔵してゐるかのごとく素晴らしく大きく前に突き出てゐて、一条の金の鎖が腹の下から祭壇の幢幡のやうに光つてゐた。
 彼はその不可思議な魅力を持つた腹を揺り動かしながら群衆の前へ出た。さうして彼は切符を卓子の上へ差し出しながらにやにや無気味な薄笑ひを洩して云つた。
「これや、こつちの方が人気があるわい。」
 すると、今迄静つてゐた群衆の頭は、俄に卓子をめがけて旋風のやうに揺らぎ出した。卓子が傾いた。「押すな! 押すな!」無数の腕が曲つた林のやうに。尽くの頭は太つた腹に巻き込まれて盛り上つた。
 軈て、迂廻線へ戻る列車の到着したのはそれから間もなくのことであつた。群衆はその新しい列車の中へ殺到した。満載された人の頭が太つた腹を包んで発車した。跡には、踏み蹂じられた果実の皮が。風は野の中から寒駅の柱をそよそよとかすめてゐた。
 すると、空虚になつて停つてゐる急行列車の窓からひよつこりと鉢巻頭が現れた。それは一人取り残されたかの子僧であつた。彼はいつの間にか静まり返つて閑々としてゐるプラツトを見ると、
「おッ。」と云つた。
 しかし、彼は直ぐまた頭を振り出した。
[#ここから1字下げ]
「汽車は、
 出るでん出るえ、
 煙は、のん残るえ、
 残る煙は
 しやん癪の種
 癪の種。」
[#ここで字下げ終わり]
 歌は瓢々として続いて行つた。振られる鉢巻の下では、白と黒との眼玉が振り子のやうに。
 それから暫くしたときであつた。一人の駅員が線路を飛び越えて最初の確実な報告を齎した。
「皆さん、H、K間の土砂崩壊の故障線は開通いたしました。皆さん、H、K間の……」
 しかし、乗客の頭はただ一つ鉢巻の頭であつた。しかし、急行列車は烏合の乗合馬車のやうに停車してゐることは出来なかつた。車掌の笛は鳴り響いた。列車は目的地へ向つて空虚のまま全速力で馳け出した。
 子僧は? 意気揚々と窓枠を叩きながら。一人白と黒との眼玉を振り子のやうに振りながら。

 「ア――
  梅よ、
  桜よ、
  牡丹よ、
  桃よ、
  さうは
  一人で
  持ち切れぬ
  ヨイヨイ。」

底本:「定本横光利一全集 第一巻」河出書房新社
   1981(昭和56)年6月30日初版発行
底本の親本:「無禮な街」文藝日本社
   1924(大正13)年5月20日発行
初出:「文藝時代 第1巻第1号」
   1924(大正13)年10月1日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、旧字、旧仮名の底本の表記を、新字旧仮名にあらためました。
入力:高寺康仁
校正:松永正敏
2001年12月10日公開
2006年5月19日修正
青空文庫作成ファイル:
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横光利一

冬の女——横光利一

 女が一人|籬《まがき》を越してぼんやりと隣家の庭を眺めてゐる。庭には数輪の寒菊が地の上を這ひながら乱れてゐた。掃き寄せられた朽葉の下からは煙が空に昇つてゐる。
「何を考へていらつしやるんです。」と彼女に一言訊ねてみるが良い。
 彼女は袖口を胸に重ねて、
「秋の歌。」
 もし彼女がそのやうに答へたなら止《と》めねばならぬ。静に彼女の手を曳いて、
「あなたは春の来るのを考へねばなりません。家へ帰つてお茶でもお煎れになつてはどうですか。春の着物の御用意はいかゞです。湯のしん/\と沸き立つた銅壷の傍で縫物をして下さい。あなたの良人は間もなく手先を赤くして帰つて来るでせう。それまであなたは過ぎ去つた秋の物思ひに耽つてはいけません。秋には幸福がありません。さア家の中へ這入らうではありませんか。もし炭箱へ手を入れることがお嫌ひなら手袋を借しませう。水は冷めたくとも間もなく帰る良人の手先を考へておやりなさい。花々はまだ花屋の窓の中で凋んではをりません。暖炉の上の花瓶から埃りをとつて先づ一輪の水仙を差し給へ。縁の上では暖く日光が猫を眠らせ、小犬は明るい自分の影に戯れてゐる筈です。だが、あなたはあの山茶花を見てはなりません。あの花はあれは淋しい。物置の影で黙然と咲きながら散つて行きます。あなたは快活に白い息をお吐きなさい。あの散り行く花弁に驚いて飛び立つ鳥のやうに。眼をくる/\むいて白い大根《だいこ》をかゝヘて勝手元でお笑ひなさい。良人の持つて帰つた包からはあなたの新らしいシヨールが飛び出るでせう。しかし、春は間もなく来るのです。手水鉢の柄杓の周囲で蜜蜂の羽音が聞えます。村から街へ登る車の数が日増しに増して参ります。百舌は遠い国へ帰つて行き、枯枝からは芽が生々と噴き出します。あなたは、愛人の手をとつて郊外を漫歩する二人の若い人達を見るでせう。そのときあなたは良人の手をとつて、『まア、春が来ましたわ。ね、ね。』と云ひ給へ。だが、あなたの良人のスプリングコートは黴の匂ひがしてゐてはいけません。」

底本:「定本横光利一全集 第二巻」河出書房新社
   1981(昭和56)年8月31日初版発行
底本の親本:「改造」
   1924(大正13)年12月1日発行、第6巻第12号
初出:「改造」
   1924(大正13)年12月1日発行、第6巻第12号
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、旧字、旧仮名の底本の表記を、新字旧仮名にあらためました。
※くの字点と踊り字「ゞ」は、底本のママとしました。
入力:高寺康仁
校正:松永正敏
2001年12月11日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

横光利一

鳥——-横光利一

 リカ子《こ》はときどき私《わたし》の顔《かお》を盗見《ぬすみみ》するように艶《つや》のある眼《め》を上《あ》げた。私《わたし》は彼女《かのじょ》が何《な》ぜそんな顔《かお》を今日《きょう》に限《かぎ》ってするのか初《はじ》めの間《あいだ》は見当《けんとう》がつかなかったのだが、それが分《わか》った頃《ころ》にはもう私《わたし》は彼女《かのじょ》が私《わたし》を愛《あい》していることを感《かん》じていた。便利《べんり》なことには私《わたし》はリカ子《こ》を彼女《かのじょ》の良人《おっと》から奪《うば》おうという気《き》もなければ彼女《かのじょ》を奪《うば》う必要《ひつよう》もないことだ。何《な》ぜなら私《わたし》はリカ子《こ》を彼女《かのじょ》の良人《おっと》に奪《うば》われたのだからである。この不幸《ふこう》なことが幸《さいわ》いにも今頃《いまごろ》幸福《こうふく》な結果《けっか》になって来《き》たということは、私《わたし》にとっては依然《いぜん》として不幸《ふこう》なことになるのであろうかどうか、それは私《わたし》には分《わか》らない。私《わたし》はリカ子《こ》――私《わたし》の妻《つま》だったリカ子《こ》をQから奪《と》られたのはそれは事実《じじつ》だ。しかし、それは私《わたし》が彼《かれ》にリカ子《こ》を与《あた》えたのだといえばいえる。それほども私《わたし》とリカ子《こ》とQとの間《あいだ》には単純《たんじゅん》な迷《まよ》いを起《おこ》させる條《すじ》がある。それは世間《せけん》にありふれたことだと思《おも》われるとおりの平凡《へいぼん》な行状《ぎょうじょう》だが、ここに私《わたし》にとっては平凡《へいぼん》だと思《おも》えない一|点《てん》がひそんでいるのだ。人《ひと》は二人《ふたり》おればまア無事《ぶじ》だが三|人《にん》おれば無事《ぶじ》ではなくなる心理《しんり》の流《なが》れがそれが無事《ぶじ》にいっているというのは、どこか三|人《にん》の中《なか》で一人《ひとり》が素晴《すば》らしく賢《かしこ》いか誰《たれ》かが馬鹿《ばか》かのどちらかであろうように、三|人《にん》の中《なか》でこの場合《ばあい》私《わたし》が一|番《ばん》図抜《ずぬ》けて馬鹿《ばか》なことは確《たし》かなことだ。Qと私《わたし》とにいたってはことごとに私《わたし》の方《ほう》が馬鹿《ばか》な成績《せいせき》を上《あ》げているのだ。もとを洗《あら》えば私達《わたしたち》二人《ふたり》、Qと私《わたし》とは同年《どうねん》で同級《どうきゅう》で専攻科目《せんこうかもく》さえ同《おな》じだった所《ところ》へ、同《おな》じ食客《しょっかく》としてリカ子《こ》の家《いえ》の上《うえ》と下《した》とで彼女《かのじょ》を迷《まよ》わせることにかけても同様《どうよう》な注意《ちゅうい》を払《はら》っていたのだ。結晶学《けっしょうがく》の実習《じっしゅう》でダイヤモンドの標本《ひょうほん》を学校《がっこう》から持《も》って帰《かえ》り、初《はじ》めてリカ子《こ》に見《み》せたのが思《おも》えばこのリカ子《こ》のわれわれ二人《ふたり》に迷《まよ》い出《だ》した初《はじ》めであった。つまり、リカ子《こ》の人生《じんせい》はダイヤモンドから始《はじ》まったのだ。そのとき私達《わたしたち》はQの部屋《へや》で今《いま》私《わたし》が下《した》でして来《き》たダイヤモンドの結晶面《けっしょうめん》の測定《そくてい》について話《はな》していた。すると、リカ子《こ》は丁度《ちょうど》お茶《ちゃ》を持《も》って這入《はい》って来《き》ていつものように話《はな》し出《だ》し、そのダイヤモンドはどこの産《さん》かと質問《しつもん》した。所《ところ》が、私《わたし》にはそのダイヤモンドの母岩《ぼがん》との関係《かんけい》とか産出状態《さんしゅつじょうたい》とか自然性《しぜんせい》の結晶面《けっしょうめん》とかは分《わか》っていても、その少女《しょうじょ》の最《もっと》も知《し》りたい平凡《へいぼん》なことだけは分《わか》らなかった。すると、Qは実《じつ》に私《わたし》も驚歎《きょうたん》したのであるが、直《ただ》ちにそれはミナスゲラスだといい切《き》った。私《わたし》にはミナスゲラスはどこの国《くに》にあるのかさえも分《わか》らないのに、リカ子《こ》――漸《ようや》く女学校《じょがっこう》を出《で》かかった彼女《かのじょ》に、分《わか》ろう筈《はず》もないことをいうQの心理《しんり》に、初《はじ》めは私《わたし》とて驚《おどろ》かざるを得《え》ないのだが、しかし、私《わたし》の驚《おどろ》きは忽《たちま》ち彼《かれ》への尊敬《そんけい》の念《ねん》へ変《かわ》り出《だ》して再《ふたた》び全《まった》く別《べつ》の驚《おどろ》きに変《かわ》り出《だ》したというのは、他《ほか》でもない。Qは怪《あや》しい顔《かお》をしている私《わたし》の表情《ひょうじょう》に向《むか》って投《な》げつけるように、そのダイヤモンドの母岩《ぼがん》が礫岩《れきがん》であり削剥堆積《さくはくたいせき》の噴出状態《ふんしゅつじょうたい》の痕跡《こんせき》を表《あらわ》している所《ところ》を見《み》ると、オルドウィス紀《き》の噴出《ふんしゅつ》にちがいなく、母岩《ぼがん》が礫岩《れきがん》でオルドウィス紀《き》の噴出《ふんしゅつ》なら、ミナスゲラス以外《いがい》にはないではないかといい出《だ》した。私《わたし》にはミナスゲラスさえ知《し》らないのにどうしてQがそのミナスゲラスとダイヤモンドとの関係《かんけい》を知《し》っているのだろうか、これは全《まった》く驚《おどろ》く以外《いがい》にはなくなって、ふと私《わたし》はリカ子《こ》が傍《そば》にいることさえ忘《わす》れてしまい、君《きみ》のいうミナスゲラスとはいったいどこだいと訊《き》いてみた。すると、Qはこれ以上《いじょう》リカ子《こ》のいる前《まえ》で私《わたし》に辱《はずかし》い思《おも》いをさせるのを慎《つつし》むかのように黙《だま》りながら、Minas Geraesと鉛筆《えんぴつ》で書《か》いてコーヒーだといった。ははあブラジルかと私《わたし》はいったがもうそのときは遅《おそ》かった。いつも二人《ふたり》の知識《ちしき》を比《くら》べたがる年齢《ねんれい》のリカ子《こ》の前《まえ》でのこの最初《さいしょ》の敗北《はいぼく》は、人生《じんせい》の半《なか》ばを敗北《はいぼく》し続《つづ》けたのと同《おな》じことだ。私《わたし》はそれからはこの最初《さいしょ》の敗北《はいぼく》を取《と》り返《かえ》そうとして彼《かれ》の下《した》で一|層《そう》激《はげ》しく勉強《べんきょう》をし始《はじ》めたのだが、私《わたし》がすればするほどQも二|階《かい》でそれだけ勉強《べんきょう》をしているのだ。同《おな》じ量《りょう》の勉強《べんきょう》を二人《ふたり》がしているとするといつも私《わたし》の方《ほう》がはるかに彼《かれ》より勉強《べんきょう》しないことになっていく。私《わたし》がランゲを読《よ》めばQはバウエルを読《よ》んでいる。私《わたし》がフムボルトを読《よ》めば彼《かれ》はローレンツとモアッサンを読《よ》んでいる。私《わたし》が漸《ようや》くモアッサンにかかるともう彼《かれ》はウォルフとハッスリンガーにかかっているという状態《じょうたい》で、夜《よ》の目《め》も寝《ね》ずに私《わたし》が勉強《べんきょう》したとてとても彼《かれ》には及《およ》ぶことが出来《でき》ないのだ。何《なに》が悲《かな》しいといったとて自分《じぶん》の敵《てき》が頭《あたま》の上《うえ》で自分《じぶん》との距離《きょり》をますます延《の》ばしていくことほど口惜《くや》しいことはないであろう。しかし、それがあまりにかけ離《はな》れるともう私《わたし》はただ彼《かれ》を尊敬《そんけい》することだけが専門《せんもん》になり始《はじ》めた。彼《かれ》にとっては初《はじ》めから私《わたし》などは敵《てき》ではないのだ。それを愚《おろ》かしくもこちらが敵《てき》だと思《おも》ってひとりくよくよしていた自分《じぶん》の格好《かっこう》を考《かんが》えると、私《わたし》は私自身《わたしじしん》が気《き》の毒《どく》でならなくなった。殊《こと》にQには彼《かれ》を絶《た》えず凌駕《りょうが》していた敵手《てきしゅ》のAがあったのだ。AとQとはQと私《わたし》との場合《ばあい》におけるがように何《なに》かにつけてAの方《ほう》が上《うえ》になった。Qが凡水論《ネプチュニズム》にかかっているとAは凡火論《ボルカニズム》にかかっている。Qが災異論《カタストロフィズム》にかかっているとAはもうパイエルの進化論《しんかろん》にかかっているという調子《ちょうし》がQをますます勉強《べんきょう》させていたのである。しかし私《わたし》はQがAに圧迫《あっぱく》されているこの状態《じょうたい》に対《たい》して復讐《ふくしゅう》の快感《かいかん》よりも応援《おうえん》の快感《かいかん》を感《かん》じて鞭《むち》を打《う》った。ある日《ひ》の研究報告会《けんきゅうほうこくかい》でQがAに打《う》ち負《ま》かされたときなどには私《わたし》は私《わたし》がQであるかのように萎《しお》れてしまった。それは丁度《ちょうど》私《わたし》がQからミナスゲラスで刺《さ》されたときのように。QはAから岩石学《がんせきがく》の最大問題《さいだいもんだい》である岩漿分化《がんしょうぶんか》と母液《ぼえき》との関係《かんけい》の説明《せつめい》に這入《はい》って刺《さ》され出《だ》したのだが、Aは突然《とつぜん》、黒曜石《こくようせき》の結晶母液《けっしょうぼえき》となるべき硅酸《けいさん》の比重測定《ひじゅうそくてい》の方式《ほうしき》はダーウィンによって始《はじ》められたといい出《だ》したのだ。私《わたし》は無論《むろん》のことそこに並《なら》んでいた者達《ものたち》と同様《どうよう》に今《いま》までダーウィンを生物学者《せいぶつがくしゃ》だとばかり思《おも》っていたQにとって、これはあまりに意外《いがい》であった。もうそうなれば今《いま》までの問題《もんだい》であった熔岩中《ようがんちゅう》の各鉱物《かくこうぶつ》の比重差《ひじゅうさ》と沈澱位置《ちんでんいち》などということにかけてはAが最《もっと》もよく知《し》っているに定《きま》っているのだ。座《ざ》はそれから次第《しだい》に結晶学《けっしょうがく》の法則《ほうそく》そのままの形《かたち》をとり始《はじ》め、その各人《かくじん》の比重《ひじゅう》に従《したが》って沈《しず》み出《だ》した。私《わたし》はQよりはるかに劣《おと》っている自分《じぶん》を考《かんが》え、そのQよりもはるかに優《すぐ》れたAを考《かんが》え、そのAと自分《じぶん》との比較《ひかく》すべくもなき素質《そしつ》の距離《きょり》を考《かんが》えると、もう自分《じぶん》の運命《うんめい》さえ判然《はんぜん》となって眼《め》の前《まえ》に現《あらわ》れ出《だ》したのだ。私《わたし》の頭《あたま》はそれからいよいよ謙遜《けんそん》になる一|方《ぽう》であった。Qに対《たい》しては勿論《もちろん》のこと、他《た》の友人《ゆうじん》や隣人《りんじん》、長上《ちょうじょう》や年少《ねんしょう》の者《もの》に対《たい》してさえも私《わたし》は頭《あたま》を上《あ》げることが出来《でき》なくなった。私《わたし》が神《かみ》のことを考《かんが》え出《だ》したのもつまりはそのときからである。人《ひと》の肉体《にくたい》が皆《みな》それぞれ尽《ことごと》く同数《どうすう》の筋肉《きんにく》と骨格《こっかく》とを持《も》っているにも拘《かかわ》らず、この素質《そしつ》の不均衡《ふきんこう》は何事《なにごと》であろうか、と考《かんが》えたのが神《かみ》への一|歩《ぽ》の私《わたし》の近《ちか》づきであった。今《いま》思《おも》えば私《わたし》がこの探索《たんさく》の方向《ほうこう》をもったということが、私達《わたしたち》友人《ゆうじん》の中《なか》での特長《とくちょう》ある素質《そしつ》であったことに気《き》がつくのだが、そのときはそれが私《わたし》の友人達《ゆうじんたち》からの敗北《はいぼく》の結果《けっか》だとばかりより思《おも》えなかった。それ以後《いご》の私《わたし》の謙譲《けんじょう》さは私《わたし》とQとの間《あいだ》を一|層《そう》親《した》しく接近《せっきん》せしめるばかりであった。Qは私《わたし》にはことごとに助力《じょりょく》を与《あた》え、私《わたし》の性格《せいかく》を友人中《ゆうじんちゅう》並《なら》ぶものもなく高《たか》いといい、私《わたし》の頭脳《ずのう》の速度《そくど》の遅《おそ》い原因《げんいん》を過度《かど》の頭《あたま》の良《よ》さが常《つね》に逆《ぎゃく》に働《はたら》くがためだと賞《ほ》め、発見力《はっけんりょく》や発明力《はつめいりょく》はQやAの頭《あたま》の働《はたら》きにはなく常《つね》に私《わたし》の頭《あたま》の逆廻転力《ぎゃくかいてんりょく》にあるという。それのみならず彼《かれ》は私《わたし》とリカ子《こ》を近《ちか》づけることに喜《よろこ》びを感《かん》じるかのように彼女《かのじょ》と私《わたし》とを労《いた》わるのだ。私《わたし》はQがそのようにも変《かわ》り始《はじ》めたことについては、それが彼《かれ》の美徳《びとく》の当然《とうぜん》の現《あらわ》れだと思《おも》う以外《いがい》には感《かん》じることが出来《でき》なかった。そうして、私《わたし》とリカ子《こ》とはいつの間《ま》にかQの寛大《かんだい》さに甘《あま》えて結婚《けっこん》する破目《はめ》になった。それは私《わたし》が彼女《かのじょ》を最初《さいしょ》に誘惑《ゆうわく》したのか彼女《かのじょ》に私《わたし》が誘惑《ゆうわく》されたのか分《わか》らぬのだが、その時《とき》家中《うちじゅう》に誰《たれ》も人《ひと》がいなかったということが二人《ふたり》の不幸《ふこう》の原因《げんいん》を造《つく》ったのだ。ただ私《わたし》はそのときいつものように噴火口《ふんかこう》から拾《ひろ》って来《き》た粗面岩《そめんがん》の吹管分析《すいかんぶんせき》にかかっていると、突然《とつぜん》リカ子《こ》が私《わたし》の部屋《へや》に這入《はい》って来《き》てデアテルミイが壊《こわ》れたようだから見《み》て貰《もら》いたいという。私《わたし》は彼女《かのじょ》に何事《なにごと》かいわれると不思議《ふしぎ》に自分《じぶん》の勉強《べんきょう》を投《な》げ出《だ》す習慣《しゅうかん》がついていて、投《な》げ出《だ》した瞬間《しゅんかん》これは失敗《しま》ったといつも思《おも》うのだ。そこへいくとQは勉強《べんきょう》の時《とき》となると誰《たれ》が何《なに》をいっても横《よこ》を向《む》くことさえ稀《まれ》である。私《わたし》は私《わたし》の勉強《べんきょう》を投《な》げ出《だ》してリカ子《こ》の後《うしろ》から従《つ》いていきながらもQの豪《えら》さを考《かんが》えさせられてひとり腹立《はらだ》たしささえ感《かん》じていた。それで私《わたし》は他人《たにん》の勉強《べんきょう》をしているとき教養《きょうよう》ある女性《じょせい》ともあろうものが何《な》ぜ邪魔《じゃま》をするのだと怒《おこ》りながらリカ子《こ》の部屋《へや》へ這入《はい》っていくと、あなただからこそいつでも何《な》んでも頼《たの》めるのだ、デアテルミイのように直接《ちょくせつ》自分《じぶん》の皮膚《ひふ》へあてがう機械《きかい》の狂《くる》ったのを直《なお》して貰《もら》うのもあなただからこそではないかという。しかし、私《わたし》は私《わたし》で自分《じぶん》の頭《あたま》がだんだん悪《わる》くなるのも君《きみ》が私《わたし》の頭《あたま》を使《つか》うからだ。同《おな》じ使《つか》うなら私《わたし》の頭《あたま》を引《ひ》き摺《ず》り上《あ》げるように使《つか》ってくれ、そうでなくとも私《わたし》の頭《あたま》は君《きみ》の方《ほう》へ向《む》き過《す》ぎて困《こま》るのだというと、リカ子《こ》は急《きゅう》に黙《だま》ってしまって私《わたし》の膝《ひざ》へ頭《あたま》をつけたまま動《うご》かない。私《わたし》は動《うご》かないリカ子《こ》を上《うえ》から見《み》ていると、私《わたし》がリカ子《こ》にそういうことをいう資格《しかく》もないにも拘《かかわ》らずいい出《だ》したのでリカ子《こ》は困《こま》って泣《な》いているのだと思《おも》い込《こ》んだ。それで私《わたし》は直《す》ぐ何《なに》かいい訳《わけ》をしようと思《おも》い、周章《あわ》てて彼女《かのじょ》を起《おこ》そうとすると、リカ子《こ》はリカ子《こ》で私《わたし》が彼女《かのじょ》をいよいよ事実的《じじつてき》に愛《あい》し出《だ》したのだと思《おも》い込《こ》んだと見《み》えて、ますますぴったり身体《からだ》をひっつけて来《き》て放《はな》れない。すると、私《わたし》の頭《あたま》は一|層《そう》混乱《こんらん》を始《はじ》めるばかりで何《なに》が何《な》んだか分《わか》らなくなり、時間《じかん》も場所《ばしょ》も私達《わたしたち》二人《ふたり》からだんだんと退《しりぞ》いてしまったのだ。この過失《かしつ》をこれだけだとすると別《べつ》にこの場《ば》の二人《ふたり》の行為《こうい》は過失《かしつ》ではないのだが、この事件《じけん》の最《もっと》も最初《さいしょ》に、二人《ふたり》の意志《いし》とは全《まった》く関係《かんけい》のないデアテルミイの振動《しんどう》がリカ子《こ》の身体《からだ》を振動《しんどう》させていたということが、二人《ふたり》の運命《うんめい》をひき裂《さ》く原因《げんいん》となって黙々《もくもく》と横《よこ》たわっていたのである。後《あと》で気《き》づいたのだがこのラジオレーヤーと同様《どうよう》な機械《きかい》は私《わたし》がリカ子《こ》の部屋《へや》へいく前《まえ》から、リカ子《こ》は最早《もはや》いくらかの腹痛《ふくつう》を自分《じぶん》で癒《なお》すためにかけていたのだ。だから彼女《かのじょ》がその途中《とちゅう》で機械《きかい》の狂《くる》いを直《なお》そうとして私《わたし》を呼《よ》びに来《き》た時《とき》には、もう彼女《かのじょ》の身体《からだ》は十|分《ぶん》刺戟《しげき》を受《う》けて既《すで》に過失《かしつ》に侵《おか》されていたのである。しかし、私《わたし》は彼女《かのじょ》のその時《とき》の興奮《こうふん》がただ私《わたし》の為《ため》ばかりだと長《なが》い間《あいだ》思《おも》っていて、彼女《かのじょ》がその時《とき》そのようにも私《わたし》を愛《あい》した態度《たいど》の中《なか》には、機械《きかい》が恐《おそ》らくその大半《たいはん》をこっそり占《し》めていようなどとは思《おも》っていなかった。私《わたし》はそれからというもの夜盗《やとう》のように家人《かじん》の隙《すき》を狙《ねら》うと同時《どうじ》にリカ子《こ》と結婚《けっこん》する準備《じゅんび》ばかりに急《いそ》ぎ出《だ》した。私《わたし》はそのことをQに話《はな》して良《よ》いものかどうかと初《はじ》め暫《しばら》くの間《あいだ》は迷《まよ》っていたのだが、とうとうそれを切《き》り出《だ》した。すると、Qは暫《しばら》く黙《だま》っていてから私《わたし》の顔《かお》を見《み》て、大丈夫《だいじょうぶ》かと一言《ひとこと》いった。私《わたし》はQが黙《だま》っているのはQがリカ子《こ》を愛《あい》していたからに違《ちが》いないと思《おも》ってひやりとしていた所《ところ》なので、Qがそういうと初《はじ》めてQは私《わたし》の生活《せいかつ》を心配《しんぱい》していてくれたが為《ため》に黙《だま》っていたのだと気《き》がついた。私《わたし》はQに感謝《かんしゃ》をし、Qにもいわずリカ子《こ》とそういう状態《じょうたい》になったのも実《じつ》は君《きみ》が余《あま》り私《わたし》を看視《かんし》していてくれなかったからだというと、それなら看視《かんし》をしなくて良《よ》かったといってQは笑《わら》いながら、もしこれから二人《ふたり》の生活《せいかつ》が困《こま》れば遠慮《えんりょ》をせずにいうようと迄《まで》励《はげ》ましてくれた。そこで私達《わたしたち》は結婚《けっこん》すると同時《どうじ》に私《わたし》は地質学協会《ちしつがくきょうかい》に勤《つと》めQは大学院《だいがくいん》に残《のこ》るようになった。そうして私達《わたしたち》はその後《ご》三|年《ねん》の間《あいだ》幸福《こうふく》であった。Qとの穏《おだ》やかな交際《こうさい》が続《つづ》けられた。私《わたし》は第《だい》三|紀層《きそう》の調査《ちょうさ》にかかるとQはますます深《ふか》く層位学《そういがく》の方《ほう》へ這入《はい》っていった。しかし、このわれわれの交友期間《こうゆうきかん》の静《しず》けさは河水《かすい》を挟《はさ》んで屹立《きつりつ》している岩石《がんせき》のようなものであった。水《みず》は絶《た》えず流《なが》れていたのだ。私《わたし》をも感動《かんどう》せしめるQの美徳《びとく》と才能《さいのう》とは二人《ふたり》の間《あいだ》を昔《むかし》から流《なが》れていたリカ子《こ》にだけ映《うつ》らない筈《はず》はないのである。間《ま》もなくリカ子《こ》の心《こころ》はQの幻想《げんそう》の為《ため》に日々《ひび》私《わたし》を忘《わす》れ出《だ》した。これをいい換《か》えると、その最初《さいしょ》に私《わたし》に身《み》を与《あた》えたリカ子《こ》の中《なか》からデアテルミイの効力《こうりょく》がだんだん影《かげ》を潜《ひそ》めて来始《きはじ》めたのだ。機械《きかい》と一|緒《しょ》になって彼女《かのじょ》を征服《せいふく》していた私《わたし》が機械《きかい》から去《さ》られると、それに代《かわ》るべき何《なに》ものかを彼女《かのじょ》に与《あた》えなければならなくなったのだ。しかし、私《わたし》にはそれが何《なに》ものであるか分《わか》らなかった。初《はじ》めの間《あいだ》は私《わたし》はリカ子《こ》のそれが頭脳《ずのう》の成長《せいちょう》だと思《おも》って忍《しの》んでいた。所《ところ》が彼女《かのじょ》はだんだん私《わたし》を突《つ》き除《の》けるばかりではない。一言《ひとこと》の争《あらそ》いにも彼女《かのじょ》はしまいにQの名《な》を出《だ》し、独《ひと》りいる時《とき》は絶《た》えず紙《かみ》の上《うえ》へQの名《な》を書《か》き、睡眠《すいみん》の時《とき》の囈言《うわごと》にもQの名《な》を呼《よ》び始《はじ》めた。私《わたし》は彼女《かのじょ》のそうすることには嫉妬《しっと》を感《かん》じないばかりか良人《おっと》の友人《ゆうじん》を愛《あい》することは最《もっと》も良人《おっと》を愛《あい》する証拠《しょうこ》であり最《もっと》も気品《きひん》のある礼譲《れいじょう》だとさえ思《おも》っていた。するとリカ子《こ》は私《わたし》のこの快活《かいかつ》な礼節《れいせつ》に対《たい》して一|層《そう》彼女《かのじょ》のその礼節《れいせつ》を適用《てきよう》させ、終《しま》いにはQは自分《じぶん》を私《わたし》が彼女《かのじょ》を愛《あい》していたよりも愛《あい》していたといい始《はじ》めた。そういわれると私《わたし》は何《なに》もいうことが出来《でき》なくなり、リカ子《こ》から考《かんが》えれば考《かんが》えようによってはそれに違《ちが》いないと思《おも》い出《だ》し、それがしばしば続《つづ》けられると或《ある》いはそれはそうであったのかもしれないと思《おも》い、なお彼女《かのじょ》にいわれるとそれほど彼女《かのじょ》のいう所《ところ》を見《み》てもこれは必《かなら》ずQの方《ほう》が私《わたし》よりも愛《あい》していたのだと思《おも》うようにまで進《すす》んで来《き》た。すると私《わたし》は結婚《けっこん》する前《まえ》Qに打《う》ちあけた際《さい》のQの暫《しばら》くの沈黙《ちんもく》を思《おも》い出《だ》した。そのとき私《わたし》はそれはQが私《わたし》のことを心配《しんぱい》していたからだと喜《よろこ》んだことが実《じつ》は反対《はんたい》で、Qは悲《かな》しみのあまり黙《だま》ってしまい、私《わたし》に気附《きづ》かれたと思《おも》うやいなや急《きゅう》に私《わたし》への心配《しんぱい》さを表《あらわ》したのではないかと思《おも》うようになった。そう思《おも》うともう私《わたし》は俄《にわか》にリカ子《こ》がそのときから自分《じぶん》の妻《つま》だという気《き》がしなくなった。私《わたし》の生活《せいかつ》は根柢《こんてい》から逆《さか》さまになり始《はじ》めた。今《いま》まで私《わたし》はリカ子《こ》が私《わたし》を愛《あい》していたから結婚《けっこん》したのだと思《おも》っていたのもそれも私《わたし》だけの考《かんが》えで、実《じつ》はリカ子《こ》もQを愛《あい》しており、Qもリカ子《こ》を愛《あい》していたのだと分《わか》ってみると、私《わたし》の狼狽《ろうばい》の仕方《しかた》はもう穴《あな》ばかり捜《さが》して隠《かく》れることよりなくなり出《だ》した。かつてのQの美徳《びとく》のためになされた私達《わたしたち》の結婚《けっこん》が、これほども私《わたし》に不幸《ふこう》を与《あた》えたことを私《わたし》は歎《なげ》き続《つづ》けた。結婚《けっこん》とは負《ま》けたことだと思《おも》いだしたのもそのときからだ。しかし、私《わたし》はQがひそかに愛《あい》していたリカ子《こ》をQから最初《さいしょ》に奪《うば》ったのだと思《おも》うと、私《わたし》よりも日々《ひび》歎《なげ》き続《つづ》けていたにちがいないQの忍耐《にんたい》に対《たい》して、再《ふたた》び私《わたし》は今《いま》の私《わたし》の小《ちい》さい忍耐《にんたい》をもって対立《たいりつ》させねばならなかった。この奇怪《きかい》な忍悔《にんかい》の競争《きょうそう》の中《なか》で、リカ子《こ》はますます私《わたし》と結婚《けっこん》したことの後悔《こうかい》の重《おも》さのために縮《ちぢ》んで来《き》た。私《わたし》は彼女《かのじょ》の日々《ひび》の容子《ようす》をもう見《み》るに忍《しの》びなかったし、私自身《わたしじしん》ももうそれ以上《いじょう》このままの生活《せいかつ》には耐《た》えることが出来《でき》なくなった。或《あ》る日《ひ》私《わたし》は思《おも》いきってリカ子《こ》にQの所《ところ》へ行《ゆ》くようにとすすめてみた。一|度《ど》人《ひと》の妻《つま》になった身《み》だとはいえ、人《ひと》の妻《つま》などにさせたのはQではないか、しかもおのれの負《お》うべき石《いし》を私《わたし》に負《お》わしたのだ。私《わたし》がその石《いし》を再《ふたた》びQに返《かえ》したとて彼《かれ》が私《わたし》に怒《おこ》ることは出来《でき》ないであろうと私《わたし》がいうと、リカ子《こ》は顔《かお》を赧《あか》らめながら「行《ゆ》く」といった。そこで私《わたし》はリカ子《こ》をQの家《いえ》の門《もん》まで送《おく》ってゆきながら、途々《みちみち》、また私《わたし》はQとの「忍耐《にんたい》」の競争《きょうそう》においても彼《かれ》から敗《ま》かされたことに気《き》がついた。しかし、それからの私《わたし》ひとりの生活《せいかつ》の寂《さび》しさは彼女《かのじょ》を負《お》っていた日《ひ》の「忍耐《にんたい》」とは比《くら》べものにならなかった。殊《こと》にときどきリカ子《こ》はひとり私《わたし》の所《ところ》へ遊《あそ》びに来《く》るのだ。私《わたし》はリカ子《こ》に来《く》るなといっても是非《ぜひ》Qが私《わたし》の所《ところ》へゆけといってきかないという。それならなお来《き》てはいけないではないかというと、でも私《わたし》も来《き》てみたいのだと彼女《かのじょ》はいう。私《わたし》が来《く》るなといいQが行《ゆ》けというこの虔《つつ》ましやかな美徳《びとく》の点《てん》においてさえも、猶且《なおか》つ行《ゆ》けとすすめるQの方《ほう》が私《わたし》よりも優《すぐ》れているのだ。美徳《びとく》の悪徳《あくとく》、私《わたし》はリカ子《こ》の顔《かお》を見《み》せられる度毎《たびごと》に、私《わたし》とQとの美徳《びとく》を押《お》し合《あ》う悪徳《あくとく》について考《かんが》えずにはいられなかった。しかもリカ子《こ》は私《わたし》を愛《あい》していないにも拘《かかわ》らず、私《わたし》を憐《あわ》れむ姿《すがた》に愛情《あいじょう》の大《おお》きさをさえ含《ふく》めなければならぬのだ。私《わたし》は私《わたし》でQとリカ子《こ》とから受《う》けた過去《かこ》の過度《かど》の恩愛《おんあい》に対《たい》しても彼女《かのじょ》のしたいままなる行状《ぎょうじょう》を赦《ゆる》していなければならない。私《わたし》は彼等《かれら》二人《ふたり》のいかなる点《てん》に怒《いか》る必要《ひつよう》があるのだろう。ただ私《わたし》にとって惨酷《ざんこく》なのはQとリカ子《こ》との私《わたし》を憐《あわれ》む愛情《あいじょう》だけだ。それも彼等《かれら》にとっては私《わたし》を憐《あわ》れまないより憐《あわ》れむ方《ほう》が私《わたし》を尊重《そんちょう》することになっているのは分《わか》っている。しかも、彼等《かれら》にとって私《わたし》を憐《あわ》れみ続《つづ》けることはなお一|層《そう》の苦痛《くつう》を続《つづ》けていることになっているのだ。ここに不用《ふよう》なものが一つある。――私《わたし》は或《あ》る日《ひ》それをリカ子《こ》に説明《せつめい》してQにいうように彼女《かのじょ》にいった。すると彼女《かのじょ》のいうにはそんな取越苦労《とりこしくろう》はあなたたちのすることではなくって、私《わたし》ひとりでしていれば良《よ》いのだという。それならもう来《き》て貰《もら》わない方《ほう》が結構《けっこう》だというと、私《わたし》はあなたがやはり好《す》きなんだから仕方《しかた》がない。もう暫《しばら》くすっかり嫌《きら》いになるまで逢《あ》っていてくれと頼《たの》むのだ。あまりに虫《むし》が良《よ》く、あまりにそれは勝手《かって》すぎるではないかと私《わたし》がいっても、こんなにしたのはそれなら二人《ふたり》の中《うち》の誰《だれ》だという。そういわれればそれは矢張《やは》り私《わたし》にちがいないのだし、私《わたし》とても彼女《かのじょ》に逢《あ》わない日《ひ》が続《つづ》くと、その間《あいだ》は殆《ほとん》どリカ子《こ》の幻想《げんそう》ばかりで埋《うず》まってしまうのだ。これでは困《こま》る、どうかしようと思《おも》ってもそのうちにわれながら浅《あさ》ましくなるほど元気《げんき》がすっかりなくなってぼんやりする。私《わたし》はリカ子《こ》に私《わたし》の寂《さび》しさを告《つ》げることが出来《でき》ないばかりではない。彼女《かのじょ》に逢《あ》うとただ一|途《ず》に彼女《かのじょ》に逢《あ》いたくないことばかりをいわねばならぬのだ。彼女《かのじょ》もそれを知《し》っていて、私《わたし》に逢《あ》いに来《く》ると逢《あ》いたくなったとはいわずにQの美点《びてん》ばかりをいうのである。私《わたし》は彼女《かのじょ》からQの悪口《あっこう》を聞《き》くよりも二人《ふたり》で認《みと》めた美点《びてん》をなお持続《じぞく》させて喜《よろこ》ぶ方《ほう》が良《よ》いのだが、しかしだんだんQを賞《ほ》めているリカ子《こ》の言葉《ことば》が私《わたし》の性格《せいかく》に喜《よろこ》びを与《あた》えるためだけだと感《かん》じ出《だ》した。何《なに》か彼女《かのじょ》のうちには私《わたし》の思《おも》っていること以外《いがい》の新《あたら》しい変化《へんか》が起《おこ》っているのではないか。そう私《わたし》が思《おも》ってから暫《しばら》くしてからであった。地質学者《ちしつがくしゃ》の雑誌《ざっし》の上《うえ》で続《つづ》けていたQとAとの介殻類《かいがらるい》の化石《かせき》に関《かん》する論争《ろんそう》が激《はげ》しくなった。それは私《わたし》のQを怨《うら》む心《こころ》が手伝《てつだ》わなくとも、その豊富《ほうふ》な材料《ざいりょう》の帰納的《きのうてき》な整理《せいり》においても推理《すいり》を貫《つらぬ》く原則《げんそく》の確実《かくじつ》な使用法《しようほう》においても明《あき》らかにQの方《ほう》の負《ま》けであった。終《しま》いにはQはAから独逸語《ドイツご》のPerefactenよりFossilの方《ほう》が化石《かせき》の意味《いみ》には適当《てきとう》しているからそれを使《つか》え、Fossilはラテン語《ご》の掘《ほ》り出《だ》すことを意味《いみ》するFossereからの転化《てんか》で古生物《こせいぶつ》と訳《やく》する位《ぐらい》は誰《だれ》でも知《し》っていることであろうとまでいわれていた。勿論《もちろん》私《わたし》はAのこの傲慢《ごうまん》な態度《たいど》には腹《はら》を立《た》てたがそれより差《さ》し詰《づ》めQの敗北《はいぼく》には同情《どうじょう》せざるを得《え》なかった。定《さだ》めしQは日々《にちにち》不快《ふかい》な日《ひ》を続《つづ》けていることであろうと思《おも》うとその傍《そば》にいるリカ子《こ》の顔色《かおいろ》が眼《め》に見《み》えるのだ。彼女《かのじょ》の容子《ようす》はQの怏々《おうおう》として日々《にちにち》の不快《ふかい》な心《こころ》の波《なみ》を伝《つた》えて私《わたし》へ向《むか》って打《う》ち寄《よ》せて来《き》ているのだ。私《わたし》はリカ子《こ》を見《み》ているとQの敗北《はいぼく》した打撃《だげき》の度合《どあい》までも感《かん》じることが出来《でき》始《はじ》めた。しかもリカ子《こ》はQがAよりはるかに劣《おと》った人物《じんぶつ》だと知《し》り出《だ》した動揺《どうよう》さえ私《わたし》は彼女《かのじょ》がQを賞《ほ》める言葉《ことば》の裏《うら》から嗅《か》ぎつけた。私《わたし》は彼女《かのじょ》の一|番《ばん》嫌《きら》いな所《ところ》はそこだ。自分《じぶん》の良人《おっと》の敗北《はいぼく》に対《たい》して動揺《どうよう》する彼女《かのじょ》の新《あたら》しい醜悪《しゅうあく》さ、この醜悪《しゅうあく》さは女《おんな》の最《もっと》も野蛮《やばん》な兇悪《きょうあく》さにすぎない。しかし、あくまでリカ子《こ》のこの兇悪《きょうあく》さと闘《たたか》いながら、なお日々《にちにち》不断《ふだん》に逞《たくま》しいAに打《う》ち負《ま》かされ続《つづ》けていかねばならぬであろうQの生涯《しょうがい》を考《かんが》えると、私《わたし》はQが一|番《ばん》誰《だれ》よりも悲惨《ひさん》な男《おとこ》に思《おも》われて来《き》た。もうリカ子《こ》とQの間《あいだ》には恐《おそ》らく陽《ひ》の目《め》のさすことはないであろう。もしQがリカ子《こ》をAに渡《わた》さぬ限《かぎ》り。――しかし、Qはそこが私《わたし》と違《ちが》っていた。彼《かれ》は自身《じしん》より弱者《じゃくしゃ》に対《たい》してはいくらでも自身《じしん》を犠牲《ぎせい》にすることの出来《でき》る善徳《ぜんとく》を持《も》つ代《かわ》りに、自身《じしん》よりも強者《きょうしゃ》に対《たい》しては死《し》ぬまで身《み》を引《ひ》くことの出来《でき》ない男《おとこ》である。しかもAとQとは、この二人《ふたり》の闘《たたか》いならどこまでいってもAが勝《か》ち続《つづ》けるに定《きま》っているのだ。その度《たび》にリカ子《こ》がQを軽蔑《けいべつ》するなら、――私《わたし》はリカ子《こ》をQに返《かえ》したことは彼《かれ》と彼女《かのじょ》とのためには最大《さいだい》の悪徳《あくとく》でさえあったことに気《き》がついた。私《わたし》は私《わたし》の善行《ぜんこう》だと思《おも》ってしたことが悪行《あくぎょう》に変《かわ》ったとて恐縮《きょうしゅく》する要《よう》のないこと位《くらい》は分《わか》っていても、それにしてもリカ子《こ》が急《きゅう》にこの時《とき》から嫌《きら》いになったと同時《どうじ》に、私《わたし》にはますますQが親《した》わしくなって来《き》たことも事実《じじつ》である。或《あ》る日《ひ》私《わたし》はリカ子《こ》にそれとなく地質学界《ちしつがっかい》の過去《かこ》の大天才《だいてんさい》が次《つ》ぎ次《つ》ぎに現《あら》われる新《あたら》しい天才《てんさい》に負《ま》かされていった歴史《れきし》を話《はな》してやった。まことに過去《かこ》一|世紀《せいき》の間《あいだ》に現《あら》われた新学説《しんがくせつ》の興亡《こうぼう》を私《わたし》が思《おも》い出《だ》しても、個人《こじん》の力《ちから》の限界《げんかい》の小《ちい》ささを感《かん》ぜざるを得《え》ないのだ。一|世《せい》を風靡《ふうび》した凡水論《ネプチュニズム》の主唱者《しゅしょうしゃ》エルナーを顛覆《てんぷく》させた凡火論《ボルカニズム》、その凡火論《ボルカニズム》の主唱者《しゅしょうしゃ》ハットンを顛覆《てんぷく》させた災異説《カタストロフィズム》、その災異説《カタストロフィズム》の主唱者《しゅしょうしゃ》セヂウィックを破《やぶ》った斉一説《ユニフォルミタラニズム》のライエルと、そうしてそれらの総《すべ》てを綜合《そうごう》した進化説《ダーウィニズム》のダーウィンを思《おも》えば、私《わたし》は一|個人《こじん》が他個《たこ》に敗北《はいぼく》することはそれは敗北《はいぼく》することではなくして神《かみ》への奉仕《ほうし》に思《おも》えてならないのだ。もしそれが敗北《はいぼく》なら、勝《か》ったものは必《かなら》ず誰《たれ》かに負《ま》けねばならぬ。AとQとの闘《たたか》いもそれは闘《たたか》いではなくして次《つぎ》に現《あら》われる天才《てんさい》への贈物《おくりもの》を製造《せいぞう》しているにすぎないと私《わたし》がいえば、今《いま》まで黙《だま》って私《わたし》の饒舌《しゃべ》っているのを聞《き》いていたリカ子《こ》は急《きゅう》に私《わたし》の胸《むね》の上《うえ》へ倒《たお》れて来《き》た。彼女《かのじょ》のこの感情《かんじょう》の転向《てんこう》がもしQと彼女《かのじょ》の上《うえ》に、再《ふたた》び幸福《こうふく》をもたらすなら――と私《わたし》が思《おも》っていると、それは意外《いがい》にもリカ子《こ》が私《わたし》へ転向《てんこう》して来《き》たことを示《しめ》していたのだ。なるほど個人《こじん》の負《ま》けることが負《ま》けることでないなら、QがAに負《ま》けたのではないごとく私《わたし》もまたQに負《ま》けたことにはならぬのだ。私《わたし》の今《いま》まで饒舌《しゃべ》っていたことは誰《たれ》のためでもない私《わたし》のためだったのだ。リカ子《こ》が私《わたし》の胸《むね》の上《うえ》へ倒《たお》れたのも多分《たぶん》私《わたし》が私《わたし》のためにいったのだと思《おも》ったからでもあったろうが、それにしても彼女《かのじょ》のその行為《こうい》は、私《わたし》が饒舌《しゃべ》っている間《あいだ》、彼女《かのじょ》がQのことを考《かんが》えずに私《わたし》のことを考《かんが》えていてくれた証拠《しょうこ》にだけは十|分《ぶん》になっているのだ。復活《ふっかつ》した愛《あい》――しかし、それは所詮《しょせん》私《わたし》が捻向《ねじむ》けたものではないか。私《わたし》は私《わたし》としてもう一|度《ど》彼女《かのじょ》をQへ捻戻《ねじもど》さねばならぬ。そうおもった私《わたし》は早速《さっそく》リカ子《こ》にお前《まえ》はわれわれ二人《ふたり》で製作《せいさく》したQの美徳《びとく》の使用法《しようほう》を間違《まちが》っているのだから、今日《きょう》から心《こころ》を入《い》れ変《か》えてQに慰安《いあん》を与《あた》えるよう、それでない限《かぎ》りお前《まえ》には永久《えいきゅう》に幸福《こうふく》はもうないのだ、幸福《こうふく》というものは知識《ちしき》の上《うえ》には絶対《ぜったい》にあったためしがなく、ただ自身《じしん》の頭《あたま》を下《さ》げて同化《どうか》することにあるばかりだというと、いった瞬間《しゅんかん》また私《わたし》はこれもますます私自身《わたしじしん》のためのみにいっているにすぎないことだと気《き》がついた。それで私《わたし》は結局《けっきょく》私《わたし》の注告《ちゅうこく》する言葉《ことば》は私《わたし》の心《こころ》の中《なか》から出《で》ていくにちがいないのだから、私《わたし》が私《わたし》のためにいっていると思《おも》わないで聞《き》いてくれ、私《わたし》のいうのは皆《みな》お前《まえ》のためにいっているので、私《わたし》のためだと思《おも》えば私《わたし》は死《し》んでもいわぬであろう位《くらい》のことは長《なが》い二人《ふたり》の生活《せいかつ》に対《たい》して敬意《けいい》を表《ひょう》する意味《いみ》でも思《おも》ってくれ、そうでない限《かぎ》り何《なん》のための二人《ふたり》の生活《せいかつ》だったのか分《わか》らぬではないかというと、リカ子《こ》は、それはあなたが近頃《ちかごろ》の私《わたし》について考《かんが》え違《ちが》いばかりをしているからだという。どういう考《かんが》え違《ちが》いかと聞《き》くと、あなたは私《わたし》の行《おこな》いを私《わたし》の醜《みにく》い部分《ぶぶん》からばかりで見《み》たがり、そのため折角《せっかく》の良《よ》い部分《ぶぶん》もあなたの私《わたし》を愛《あい》して下《くだ》さる心《こころ》のために払《はら》い落《おと》してしまっている。だからもっと私《わたし》から前《まえ》のように良《よ》い所《ところ》を探《さが》してくれ、そうでない限《かぎ》り自分《じぶん》にはもう幸福《こうふく》がないとまでいう。私《わたし》は急《きゅう》にリカ子《こ》にそんなことをいわしたのはQのどこがいわしめたのかともう一|度《ど》考《かんが》えたが、私《わたし》の考《かんが》えた以上《いじょう》にはもう考《かんが》えることが出来《でき》なかった。それで私《わたし》はお前《まえ》はそれでQを愛《あい》しているのかと訊《き》くと、愛《あい》してはいるが前《まえ》のようではない、私《わたし》はやはりあなたの方《ほう》を愛《あい》しているのだという、嘘《うそ》にしてもそれは私《わたし》には喜《よろこ》ばしいのだが、どうしてこういうことが喜《よろこ》ばしいのかもう私《わたし》は自分《じぶん》が分《わか》らなくなって来《き》た。いやそれよりあれほどもQを慕《した》いながら出《で》ていったリカ子《こ》が、まだ一|年《ねん》ともたたない今頃《いまごろ》どうしてこれほども変《かわ》って来《き》たのであろう。それは丁度《ちょうど》私《わたし》の家《うち》にいたときの彼女《かのじょ》がデアテルミイの醒《さ》めるに従《したが》って逃《に》げ出《で》たように、Qから逃《に》げ出《だ》して来始《きはじ》めたのも、Qの中《なか》に潜《ひそ》んでいた新《あたら》しいデアテルミイの私《わたし》が効力《こうりょく》を失《うしな》い出《だ》して来《き》たからではなかろうか。私《わたし》がリカ子《こ》と最初《さいしょ》に結婚《けっこん》する破目《はめ》になったのも、彼女《かのじょ》の身体《からだ》にデアテルミイが火《ひ》を点《つ》けたからにちがいないのだ。彼女《かのじょ》がQと結婚《けっこん》したのも、私《わたし》がデアテルミイのように彼女《かのじょ》に火《ひ》を点《つ》けていたからにちがいないのだ。そうしていままた彼女《かのじょ》が私《わたし》へ舞《ま》い戻《もど》って来始《きはじ》めたのは、Qのデアテルミイが彼女《かのじょ》に火《ひ》を点《つ》け返《かえ》して来《き》たのであろう。私《わたし》はこの女《おんな》がもう嫌《きら》いだ。出《で》ていけ、畜生《ちくしょう》、そう私《わたし》が黙《だま》って腹《はら》の中《なか》で叫《さけ》んでいると、リカ子《こ》は私《わたし》に考《かんが》えを与《あた》えないかのように、急《きゅう》に今迄《いままで》慎《つつし》んで来《き》たQの悪口《あっこう》を切《き》って落《おと》したようにいい始《はじ》めた。彼女《かのじょ》のいうにはあなたの悪口《あっこう》をいう、あなたがあれほどもQをひそかに賞《ほ》めているにも拘《かかわ》らずQはそれが反対《はんたい》だ。私《わたし》はQのどこが豪《えら》いのかこの頃《ごろ》どこからも感《かん》じることが出来《でき》ない。あれは贋物《にせもの》で嘘《うそ》つきで負《ま》けず嫌《ぎら》いでその癖《くせ》威張《いば》ることだけが何《なに》より好《す》きで、知《し》っているのは女《おんな》のことと人《ひと》を軽蔑《けいべつ》することだけだという。私《わたし》は唖然《あぜん》として彼女《かのじょ》の顔《かお》を見《み》ているとリカ子《こ》は笑《わら》いながらもその笑《わら》う度《たび》にだんだん蒼《あお》ざめていきつつ涙《なみだ》を流《なが》していい出《だ》すのだ。私《わたし》は擦《す》りあったガラスの奥《おく》でまた別《べつ》のガラスが擦《す》り合《あ》っているのを見《み》ているようで、どこからどこまでが私《わたし》の喜《よろこ》ぶべき領分《りょうぶん》かどこでQが蹴《け》りつけられているのか朦朧《もうろう》とし始《はじ》めた。するとリカ子《こ》は私《わたし》の咽喉笛《のどぶえ》に食《く》いつくように、あなたは馬鹿《ばか》でお人好《ひとよ》しのように見《み》える癖《くせ》に猾《ずる》くて隅《すみ》に置《お》けなくて、くよくよしている坊主《ぼうず》みたいにめそめそしていてそれに説教《せっきょう》ばかりしたがってとやっつけ出《だ》した。このリカ子《こ》の暴風《ぼうふう》のような暴《あば》れ出《だ》し方《かた》が今迄《いままで》Qの悪口《あっこう》を聞《き》いて不快《ふかい》になっていた私《わたし》の心《こころ》を吹《ふ》き払《はら》った。そればかりではない、私《わたし》にはリカ子《こ》のいっていることがいちいち胸《むね》に応《こた》えて来《き》て、そうだ、そうだと首《くび》まで調子《ちょうし》を合《あわ》せて頷《うなず》くのだ。全《まった》く私《わたし》は今《いま》までQとリカ子《こ》とから賞《ほ》められすぎて来《き》たのである。私《わたし》は賞《ほ》められれば賞《ほ》められるままの姿《すがた》に堅《かた》められ、ますます不幸《ふこう》な方向《ほうこう》へばかり辷《すべ》り込《こ》んで来《き》ていたのだ。その癖《くせ》心《こころ》は絶《た》えず反対《はんたい》の幸福《こうふく》を望《のぞ》み、人《ひと》に勝《か》つことを心《こころ》がけ、負《ま》けると人《ひと》の急所《きゅうしょ》を眺《なが》めて心《こころ》を沈《しず》め、あらゆる凡人《ぼんじん》の長所《ちょうしょ》を持《も》ち、心静《こころしず》かに悟得《ごとく》し澄《す》ましたような顔《かお》をし続《つづ》けてひそかに歎《なげ》き、闘《たたか》いを好《この》まず気品《きひん》を貴《とうと》んで下劣《げれつ》になり、――私《わたし》は私自身《わたしじしん》でまだかまだかと私《わたし》をやっつけ出《だ》すと、面前《めんぜん》のリカ子《こ》と一|緒《しょ》に兇暴《きょうぼう》に笑《わら》い出《だ》した。Qが陰《かげ》でひそかに私《わたし》の悪口《あっこう》をいったことが、今《いま》は私《わたし》に彼《かれ》への尊敬《そんけい》の念《ねん》を増《ま》さしめるだけとなった。しかし、それにしても私《わたし》のこの心《こころ》の動《うご》きは本当《ほんとう》であろうか。私《わたし》の物《もの》の見方《みかた》は間違《まちが》いであるとしても、おのれの痛《いた》さを痛《いた》さと感《かん》じて喜《よろこ》ぶ人間《にんげん》は私《わたし》だけではないであろう。私《わたし》の豪《えら》さ、もしそれがあるなら、私《わたし》は私《わたし》の弱《よわ》さを強《つよ》さと感《かん》じないことだけだ。私《わたし》はリカ子《こ》にいった。お前《まえ》はいつの間《ま》にやら私《わたし》のびっくりするような女《おんな》の知識《ちしき》を探《さが》して来《き》たが、それはお前《まえ》がお前《まえ》とQとを滅《ほろ》ぼしていく知識《ちしき》であるだけで、結果《けっか》は私《わたし》を一|層《そう》救《すく》い上《あ》げていくにすぎないのだ。私《わたし》はお前《まえ》の落《おと》していくものをいつも拾《ひろ》ってばかりいるのを知《し》らないのか。お前《まえ》はお前《まえ》の落《おと》しているものが何《な》んであるのか知《し》らないのか。しかし、いくらいってもリカ子《こ》はただ自身《じしん》の投《な》げた言葉《ことば》のために蒼《あお》ざめているだけで、終《しま》いには私《わたし》の膝《ひざ》の上《うえ》で泣《な》きながらもう再《ふたた》びQの所《ところ》へは戻《もど》らないといい出《だ》した。私《わたし》はもう一|度《ど》彼女《かのじょ》をQの所《ところ》へ帰《かえ》すために、また偽《いつわ》りを並《なら》べて苦心《くしん》しなければならなかった。彼女《かのじょ》は私《わたし》を生臭坊主《なまぐさぼうず》といい、嘘《うそ》つきといい、弱虫《よわむし》といい、それからなお私《わたし》の悪口《あっこう》を探《さが》すために言葉《ことば》が詰《つ》まると、私《わたし》の手首《てくび》に噛《か》みついた。私《わたし》は彼女《かのじょ》を突《つ》き飛《と》ばして、お前《まえ》なんかを愛《あい》することは忘《わす》れているのだ。穢《けが》らわしい、帰《かえ》れ、といってもリカ子《こ》は再《ふたた》び私《わたし》の身体《からだ》に飛《と》びかかり、あなたは私《わたし》を愛《あい》している。いくら嘘《うそ》をいったって駄目《だめ》だといって私《わたし》から放《はな》れない。私《わたし》は――私《わたし》はそこで今迄《いままで》惨憺《さんたん》たる姿《すがた》をして漸《ようや》く崖《がけ》の上《うえ》まで這《は》い上《あが》った私《わたし》を、再《ふたた》び泥《どろ》の中《なか》へ突《つ》き落《おと》してしまったのだ。リカ子《こ》は私《わたし》の惨落《ざんらく》した姿《すがた》を見《み》ると急《きゅう》に生《い》き生《い》きと子供《こども》のようになり始《はじ》めた。それは喜《よろこ》ぶときの彼女《かのじょ》の癖《くせ》だ、しかし、それより彼女《かのじょ》にひとり置《お》かれたQはこれからどうするだろう。彼女《かのじょ》とまた一《ひと》つの生活《せいかつ》を続《つづ》けていかねばならぬ私《わたし》こそどうすれば良《よ》いのであろう。が、何《なに》はともあれ先《ま》ずその夜《よ》は一|度《ど》Qの家《いえ》へ帰《かえ》り、来《き》たければQにその事《こと》をいって更《あらた》めて来《く》るようにとリカ子《こ》をなだめて私達《わたしたち》二人《ふたり》は外《そと》へ出《で》た。外《そと》へ出《で》ると彼女《かのじょ》は通《とお》りがかりの神社《じんじゃ》の境内《けいだい》へ這入《はい》っていって鈴《すず》を振《ふ》った。その間《あいだ》私《わたし》はひとり門前《もんぜん》に立《た》ったまま宙《ちゅう》にぶらりと浮《う》き上《あが》っているかのような不安定《ふあんてい》な自分《じぶん》を感《かん》じていた。リカ子《こ》は神前《しんぜん》から戻《もど》って来《く》ると私《わたし》にそこの神前《しんぜん》へいってお辞儀《じぎ》をせよという。私《わたし》はいやだといった。すると彼女《かのじょ》は私《わたし》のためにお辞儀《じぎ》をして来《き》てくれ、私《わたし》は長《なが》い間《あいだ》迷《まよ》い続《つづ》けて漸《ようや》く本当《ほんとう》のあなたの有《あ》り難《がた》さが分《わか》って来《き》たのだからそのためにでも一|度《ど》だけお辞儀《じぎ》をしてくれるようにという。しかし私《わたし》はまだ内心《ないしん》彼女《かのじょ》への怒《いか》りが沈《しず》まっていないのにお辞儀《じぎ》も出来《でき》ないのだ。私《わたし》は黙《だま》ってそのまま行《ゆ》き過《す》ぎようとした。しかしリカ子《こ》は私《わたし》の腕《うで》を持《も》って放《はな》さない。どうか私《わたし》のためだ、あなたのような良《よ》い人《ひと》を困《こま》らせ続《つづ》けた自分《じぶん》を思《おも》うと私《わたし》がいくらひとりでお辞儀《じぎ》をしたって駄目《だめ》だからという。いやだという。それでは私《わたし》はいつまでたったって罰《ばち》のあたり通《どお》しだ、あなたの所《ところ》へ来《き》たってもう私《わたし》には幸《しあ》わせがないといって泣《な》き始《はじ》めた。私《わたし》はリカ子《こ》の泣《な》くのを眺《なが》めていると心《こころ》が自然《しぜん》に折《お》れて来《く》るのを感《かん》じた。それにしても、さきにはあれほど私《わたし》を罵《ののし》っていたのに今《いま》は何《な》ぜこれほども惨《みじ》めに弱《よわ》っているのであろうか、これは多分《たぶん》猛々《たけだけ》しい女《おんな》の私《わたし》に負《ま》けていく姿《すがた》なのであろうと思《おも》いながらも、私《わたし》は彼女《かのじょ》の面部《めんぶ》を叩《たた》きつけるように頭《あたま》を屈《くっ》しなかった。するとリカ子《こ》は私《わたし》の身体《からだ》を無理矢理《むりやり》に神前《しんぜん》の方《ほう》へ向《む》けると頭《あたま》を上《うえ》から圧《お》さえるのだ。私《わたし》は怒《おこ》ることは出来《でき》ないのだがリカ子《こ》のその手《て》をはじき返《かえ》すと人込《ひとごみ》の中《なか》へ這入《はい》ろうとした。彼女《かのじょ》は私《わたし》を追《お》っ駈《か》けて来《く》るとまたいうのだ。あなたは私《わたし》に怒《おこ》っている、私《わたし》はあなたに怒《おこ》られたって仕方《しかた》がないが今日《きょう》だけは赦《ゆる》して欲《ほ》しい。自分《じぶん》は心《こころ》から改心《かいしん》しているのだからそれだけでも受《う》け入《い》れて貰《もら》いたい、もしあなたが私《わたし》の改心《かいしん》も突《つ》き放《はな》すなら自分《じぶん》は堕落《だらく》するより道《みち》がない。今《いま》私《わたし》を助《たす》けてほしい、頼《たの》むという。私《わたし》は何《なに》をまだ怒《おこ》り続《つづ》けているだろうかと思《おも》いながら前《まえ》に立《た》って歩《ある》くのだが、急《きゅう》にリカ子《こ》の萎《しお》れているのが憐《あわ》れになって、もうよしもうよしといってしまうのだ。これだからいけないと思《おも》ってまた彼女《かのじょ》を苦《くる》しめた長《なが》い時間《じかん》を思《おも》い出《だ》しては腹《はら》を立《た》てても直《す》ぐ駄目《だめ》になって自分《じぶん》よりリカ子《こ》の方《ほう》が可哀相《かあいそう》になってくるのである。どうしようもないこの自分《じぶん》に気《き》がつくと今度《こんど》は私《わたし》からいつの間《ま》にかQに対《たい》して頭《あたま》を下《さ》げているのである。恐《おそ》らくリカ子《こ》にしてもQにひそかに頭《あたま》を下《さ》げているのであろうと思《おも》うと私《わたし》はぜひ彼女《かのじょ》がそうであってくれれば良《よ》いと思《おも》い出《だ》した。私《わたし》はリカ子《こ》にお前《まえ》はQに対《たい》してさきから一|度《ど》でも謝罪《しゃざい》をしたことがあるか、と訊《き》いてみた。するとリカ子《こ》は黙《だま》っていていつまでも答《こた》えない。それで神前《しんぜん》へいってお辞儀《じぎ》をしたって何《なん》の役《やく》にも立《た》つかというと、そんなことをしてはあなたの有難《ありがた》さがなくなってしまうという。それではまたいつかお前《まえ》はQの所《ところ》へ舞《ま》い戻《もど》ってしまうにちがいないというと、リカ子《こ》はまた私《わたし》の後《うしろ》へ廻《まわ》って泣《な》き始《はじ》めた。私《わたし》は彼女《かのじょ》に自分《じぶん》がお前《まえ》にそういうことをいうのは自分《じぶん》のQとは比較《ひかく》にならぬ善良《ぜんりょう》さをなおこの上《うえ》お前《まえ》に示《しめ》そうとしていうのではなく、お前《まえ》がQから去《さ》った後《のち》のQの寂《さび》しさが自分《じぶん》には一|番《ばん》胸《むね》に応《こた》えて分《わか》るからだというと、それではQに今夜《こんや》帰《かえ》って謝罪《あやま》ると彼女《かのじょ》はいう。よしそれならと私《わたし》はいったが彼女《かのじょ》をQの家《いえ》の門前《もんぜん》まで送《おく》っていって帰《かえ》って来《く》ると、また一|層《そう》私《わたし》はリカ子《こ》の処置《しょち》に迷《まよ》い出《だ》した。事実《じじつ》私《わたし》はQからリカ子《こ》を最初《さいしょ》に奪《と》るときも黙《だま》って奪《と》り、返《かえ》すときも黙《だま》って返《かえ》し、そうして再《ふたた》び彼女《かのじょ》を奪《と》った今日《こんにち》もまた黙《だま》って奪《と》り、いったい私《わたし》のどこにそれだけの特権《とっけん》があるのだろう。いかにリカ子《こ》が私《わたし》の前《まえ》の妻《つま》だとはいえ今《いま》は他人《たにん》の妻《つま》ではないか、しかしそう考《かんが》えた後《あと》から、不意《ふい》に冷水《れいすい》を浴《あ》びたように負《ま》けたものはQではないこの俺《おれ》だと気《き》がついた。彼女《かのじょ》を奪《と》ったものこそ負《ま》かされたのだ。何《なに》を好《この》んで自分《じぶん》の敗北《はいぼく》に罪《つみ》の深《ふか》さまですりつけて苦《くる》しむ奴《やつ》があるだろう。するとそのときから私《わたし》の心《こころ》は掌《たなごころ》を返《かえ》すがように明《あか》るくなった。私《わたし》は先《ま》ず何《なに》より一|切《さい》の過去《かこ》の記憶《きおく》から絶縁《ぜつえん》しなければならぬ。過去《かこ》の生活《せいかつ》を振《ふ》り捨《す》てねばならぬ。敗《ま》けたら敗《ま》けたでそれでも良《よ》い。先《ま》ず何《なに》よりも雲《くも》を突《つ》き抜《ぬ》けたような明《あか》るさだ。そう思《おも》った私《わたし》は早速《さっそく》私《わたし》とリカ子《こ》とのとりかかるべき最《もっと》も新《あたら》しい生活《せいかつ》の手初《てはじ》めとして、地《ち》を蹴《け》って疾走《しっそう》する飛行機《ひこうき》に乗《の》って旅行《りょこう》に出《で》ようと決心《けっしん》した。翌朝《よくちょう》リカ子《こ》が私《わたし》の所《ところ》へやって来《く》ると、私《わたし》はひと眼《め》で彼女《かのじょ》の喜《よろこ》びを見抜《みぬ》くことが出来《でき》た。私《わたし》はもうQがどんなことをいったかどうかは一|切《さい》訊《き》かぬことにして直《す》ぐ私《わたし》の計画《けいかく》を話《はな》し出《だ》した。私《わたし》はいった。お前《まえ》と私《わたし》との関係《かんけい》は長《なが》い間《あいだ》もつれていたが私《わたし》と一|緒《しょ》に今日《きょう》という今日《きょう》過去《かこ》の総《すべ》ての記憶《きおく》や生活《せいかつ》を振《ふ》り落《おと》して貰《もら》いたい。二人《ふたり》は生《うま》れ変《かわ》るのだ。もしそれがお前《まえ》にとっても慶《よろこ》びなら私《わたし》と一|緒《しょ》に今日《きょう》これから飛行機《ひこうき》で旅行《りょこう》に立《た》って貰《もら》いたい。しかしもし落《お》ちて死《し》んだらと彼女《かのじょ》はいった。落《お》ちて死《し》んだら生活《せいかつ》の始《はじ》まりで終《おわ》りなだけだ、それほど結構《けっこう》なことはないではないか。われわれの関係《かんけい》は他人《ひと》とは違《ちが》う。一|度《ど》地上《ちじょう》から足《あし》を洗《あら》わなければ古《ふる》い生活《せいかつ》の匂《にお》いはどこまでだってくっついてくるにちがいないのだ。もしこの上《うえ》絶《た》えずわれわれが古《ふる》い生活《せいかつ》に追《お》われるようなら、そのときを限《かぎ》りとしてわれわれの生活《せいかつ》を私《わたし》から打《う》ち切《き》るだろう! そう私《わたし》がいい切《き》るとリカ子《こ》も初《はじ》めて頷《うなず》いた。頷《うなず》くと私《わたし》より彼女《かのじょ》の方《ほう》が乗《の》り気《き》になり出《だ》し、直《す》ぐそれから航空会社《こうくうかいしゃ》へ電話《でんわ》をかけて二|席《せき》を買《か》った。間《ま》もなく二人《ふたり》は鳥《とり》になるのだ。鳥《とり》に。この喜《よろこ》びは地質学者《ちしつがくしゃ》の私《わたし》にとってもこの上《うえ》もなく大《おお》きいのだ。山《やま》と川《かわ》と海《うみ》と平野《へいや》の上《うえ》を飛《と》び越《こ》える肉体《にくたい》、地《ち》を蹴《け》る刹那《せつな》、雲《くも》の上《うえ》の感覚《かんかく》、私《わたし》はもう今《いま》まさに飛《と》ぼうとしている鷲《わし》のように空《そら》を見上《みあ》げながら飛行場《ひこうじょう》へ自動車《じどうしゃ》を駈《か》けさせた。――さてそのときになっていよいよ野《の》の中《なか》で廻《まわ》っているプロペラの音《おと》を聞《き》き出《だ》すと、私《わたし》はリカ子《こ》に耳《みみ》へ綿《わた》を込《こ》ませ、良《よ》いかと訊《き》いた。良《よ》いと答《こた》える。二人《ふたり》は機体《きたい》の中《なか》の傾《かたむ》いた席《せき》に並《なら》んで腰《こし》を降《お》ろした。飛行場《ひこうじょう》の黒《くろ》い人々《ひとびと》は私達《わたしたち》二人《ふたり》の最後《さいご》の姿《すがた》を見《み》るかのように、まだ開《あ》いているドアの口《くち》から中《なか》を覗《のぞ》き込《こ》んだ。私《わたし》は一|刻《こく》も早《はや》くこの地《ち》を離《はな》れたくてならない。過去《かこ》へ向《むか》って手袋《てぶくろ》を投《な》げつけたい。長《なが》い間《あいだ》の萎《しな》びた過去《かこ》に。すると、いきなりドアが閉《し》まった。もう良《よ》い、さらばだ。機体《きたい》が滑走《かっそう》を始《はじ》め出《だ》した。私《わたし》は足《あし》のような車輪《しゃりん》の円弧《えんこ》が地《ち》を蹴《け》る刹那《せつな》を今《いま》か今《いま》かと待《ま》ち構《かま》えた。と私《わたし》の身体《からだ》に、羽根《はね》が生《は》えた。車輪《しゃりん》が空間《くうかん》で廻《ま》い停《とま》った。見《み》る間《ま》に森《もり》が縮《ちぢ》み出《だ》した。家《いえ》が落《お》ち込《こ》んだ。畑《はたけ》が波《なみ》のように足《あし》の裏《うら》で浮《う》き始《はじ》めた。私《わたし》は鳥《とり》になったのだ。鳥《とり》に。私《わたし》の羽根《はね》は山《やま》を叩《たた》く。羽根《はね》の下《した》から潰《つぶ》れた半島《はんとう》が現《あら》われる。乾《かわ》いた街《まち》が皮膚病《ひふびょう》のように竦《すく》み出《だ》す。私《わたし》は過去《かこ》をどこへ落《おと》して来《き》たのであろう。雲《くも》と雲《くも》との中《なか》で扇《おうぎ》のように廻《まわ》っている光《ひか》りばかり[#「ばかり」は底本では「かばり」]を追《お》っ駈《か》けながら、私《わたし》は浮《う》き続《つづ》けているのである。今《いま》や私《わたし》には生活《せいかつ》はどこにもない。心《こころ》は光線《こうせん》のように地上《ちじょう》を蹂躙《じゅうりん》しているだけだ。直《ま》っ二ツに割《わ》れていく時間《じかん》の底《そこ》から見《み》えるのは、墓場《はかば》ばかりだ。太古《たいこ》が私《わたし》の周囲《しゅうい》を取《と》り包《つつ》んで眠《ねむ》り出《だ》した。夢《ゆめ》と夢《ゆめ》とが大海《たいかい》のように拡《ひろ》がってはまた拡《ひろ》がる。私《わたし》はその行衛《ゆくえ》を見守《みまも》りながらいつの間《ま》にか砕《くだ》けてしまう。ふと私《わたし》は横《よこ》にいるリカ子《こ》を見《み》ると、自分《じぶん》の位置《いち》を取《と》り戻《もど》した。しかしリカ子《こ》は――この半島《はんとう》とも匹敵《ひってき》すべき巨大《きょだい》な怪物《かいぶつ》は何物《なにもの》であろう。――私《わたし》は彼女《かのじょ》の身体《からだ》に触《さわ》ってみた。すると、私《わたし》の指先《ゆびさき》は地上《ちじょう》からつながっているただ一|本《ぽん》の線《せん》のように長《なが》い間《あいだ》全《まった》く忘《わす》れていた地上《ちじょう》の習慣《しゅうかん》や匂《にお》いや温度《おんど》を私《わたし》の体内《たいない》へ送《おく》って来《き》た。だが、それは隙間《すきま》から吹《ふ》き込《こ》む鋭《するど》い風《かぜ》のように、今《いま》は