黒島伝治

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国境——-黒島伝治

一 ブラゴウエシチェンスクと黒河を距《へだ》てる黒竜江は、海ばかり眺めて、育った日本人には馬関と門司の間の海峡を見るような感じがした。二ツの市街が岸のはなで睨み合って対峙《たいじ》している。  河は、海峡よりはもっと広いひろがりをもって海の...
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穴——-黒島傳治

一 彼の出した五円札が贋造紙幣だった。野戦郵便局でそのことが発見された。  ウスリイ鉄道沿線P―の村に於ける出来事である。  拳銃の這入っている革のサックを肩からはすかいに掛けて憲兵が、大地を踏みならしながら病院へやって来た。その顔は緊張し...
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鍬と鎌の五月——黒島傳治

農民の五月祭を書けという話である。  ところが、僕は、まだ、それを見たことがない。昨年、山陰地方で行われたという、××君の手紙である。それが、どういう風だったか、僕はよく知らない。  そこで困った。  全然知らんことや、無かったことは、書く...
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外米と農民——黒島傳治

隣家のS女は、彼女の生れた昨年の旱魃にも深い貯水池のおかげで例年のように収穫があった村へ、お米の買出しに出かけた。行きしなに、誰れでも外米は食いたくないんだから今度買ってきたら分けあって食べましょうと云って乗合バスに乗った。近所の者は分けて...
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海賊と遍路——黒島傳治

私の郷里、小豆島にも、昔、瀬戸内海の海賊がいたらしい。山の上から、恰好な船がとおりかゝるのを見きわめて、小さい舟がする/\と島かげから辷り出て襲いかゝったものだろう。その海賊は、又、島の住民をも襲ったと云い伝えられている。かつて襲われたとい...
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渦巻ける烏の群——黒島伝治

一「アナタア、ザンパン、頂だい。」  子供達は青い眼を持っていた。そして、毛のすり切れてしまった破れ外套《がいとう》にくるまって、頭を襟の中に埋《うず》めるようにすくんでいた。娘もいた。少年もいた。靴が破れていた。そこへ、針のような雪がはみ...
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愛読した本と作家から——-黒島傳治

いろ/\なものを読んで忘れ、また、読んで忘れ、しょっちゅう、それを繰りかえして、自分の身についたものは、その中の、何十分の一にしかあたらない。僕はそんな気がしている。がそれは当然らしい。中には、毒になるものがあるし、また、毒にも薬にもならな...
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まかないの棒——黒島傳治

京一が醤油醸造場へ働きにやられたのは、十六の暮れだった。  節季の金を作るために、父母は毎朝暗いうちから山の樹を伐りに出かけていた。  醸造場では、従兄の仁助《にすけ》が杜氏《とうじ》だった。小さい弟の子守りをしながら留守居をしていた祖母は...
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パルチザン・ウォルコフ——黒島伝治

一 牛乳色《ちちいろ》の靄《もや》が山の麓《ふもと》へ流れ集りだした。  小屋から出た鵝《がちょう》が、があがあ鳴きながら、河ふちへ這って行く。牛の群は吼《ほ》えずに、荒々しく丘の道を下った。汚れたプラトオクに頭をくるんだ女が鞭を振り上げて...
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チチハルまで——黒島伝治

一 十一月に入ると、北満は、大地が凍結を始める。  占領した支那家屋が臨時の営舎だった。毛皮の防寒胴着をきてもまだ、刺すような寒気が肌を襲う。  一等兵、和田の属する中隊は、二週間前、四平街を出発した。四※[#「さんずい+兆」、第3水準1-...
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「紋」——黒島伝治

古い木綿布で眼隠しをした猫を手籠から出すとばあさんは、 「紋よ、われゃ、どこぞで飯を貰うて食うて行け」と子供に云いきかせるように云った。  猫は、後へじり/\這いながら悲しそうにないた。 「性悪るせずに、人さんの余った物でも貰うて食えエ……...