高村光雲

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幕末維新懐古談 私の父の訓誡 ——-高村光雲

さて、いよいよ話が決まりましたその夜、父は私に向い、今日までは親の側《そば》にいて我儘《わがまま》は出来ても、明日からは他人の中に出ては、そんな事は出来ぬ。それから、お師匠様初め目上の人に対し、少しでも無礼のないよう心掛け、何事があっても皆...
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幕末維新懐古談 安床の「安さん」の事—— 高村光雲

町内に安床《やすどこ》という床屋がありました。  それが私どもの行きつけの家《うち》であるから、私はお湯に這入《はい》って髪を結ってもらおうと、其所《そこ》へ行った。 「おう、光坊《みつぼう》か、お前、つい、この間頭を結《い》ったんじゃない...
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幕末維新懐古談 私の子供の時のはなし—– 高村光雲

これから私のことになる――  私は、現今《いま》の下谷《したや》の北清島町《きたきよしまちょう》に生まれました。嘉永《かえい》五年二月十八日が誕生日です。  その頃《ころ》は、随分|辺鄙《へんぴ》なむさくるしい土地であった。江戸下谷|源空寺...
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まず、いろいろの話をする前に、前提として私の父祖のこと、つまり、私の家のことを概略《あらまし》話します。  私の父は中島兼松《なかじまかねまつ》といいました。その三代前は因州侯の藩中で中島|重左《じゅうざ》エ門《もん》と名乗った男。悴《せが...
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佐竹の原へ大仏をこしらえた はなし—– 高村光雲

私の友達に高橋定次郎氏という人がありました。この人は前にも話しました通り、高橋鳳雲の息子さんで、その頃は鉄筆で筒を刻《ほ》って職業としていました。上野広小路の山崎(油屋)の横を湯島の男坂の方へ曲がって中ほど(今は黒門町か)に住んでいました。...
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佐竹の原へ大仏をこしらえた はなし—— 高村光雲