「高村光太郎」の記事一覧

山の春—— 高村光太郎
 ほんとうは、三月にはまだ山の春は来ない。三月春分の日というのに、山の小屋のまわりには雪がいっぱい…
山の秋—— 高村光太郎
 山の秋は旧盆のころからはじまる。  カッコーやホトトギスは七月中旬になるともう鳴かなくなり、何とな…
九代目団十郎の首—— 高村光太郎
 九代目市川団十郎は明治三十六年九月、六十六歳で死んだ。丁度幕末からかけて明治興隆期の文明開化時代…
気仙沼—— 高村光太郎
女川から気仙沼へ行く気で午後三時の船に乗る。軍港の候補地だといふ女川湾の平和な、澄んだ海を飛びかふ…
顔—— 高村光太郎
顔は誰でもごまかせない。顔ほど正直な看板はない。顔をまる出しにして往来を歩いている事であるから、人…
開墾—— 高村光太郎
 私自身のやつてゐるのは開墾などと口幅つたいことは言はれないほどあはれなものである。小屋のまはりに…
回想録—— 高村光太郎
   一  私の父は八十三で亡くなった。昭和九年だったから、私の何歳の時になるか、私は歳というものを…
黄山谷について—- 高村光太郎
平凡社の今度の「書道全集」は製版がたいへんいいので見ていてたのしい。それに中国のも日本のも典拠の正…
ミケランジェロの彫刻写真に題す ——-高村光太郎
 ミケランジェロこそ造型の権化である。  造型の中の造型たる彫刻は従ってミケランジェロの生来を語るも…
ヒウザン会とパンの会——- 高村光太郎
 私が永年の欧洲留学を終えて帰朝したのは、たしか一九一〇年であった。  当時、わが洋画界は白馬会の全…
(私はさきごろ)—– 高村光太郎
 私はさきごろミケランジェロの事を調べたり、書いたりして数旬を過ごしたが、まったくその中に没頭して…