沖野岩三郎

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馬鹿七—— 沖野岩三郎

一  紀州《きしう》の山奥に、狸山《たぬきやま》といふ高い山がありました。其所《そこ》には、大きな樫《かし》だの、樟《くす》だのが生え繁《しげ》つてゐる、昼でも薄暗い、気味の悪い森がありました。森の中には百|穴《あな》といふのがありました。...
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山さち川さち—– 沖野岩三郎

一  昔、紀州《きしう》の山奥に、与兵衛《よへゑ》といふ正直な猟夫《かりうど》がありました。或日《あるひ》の事いつものやうに鉄砲|肩《かた》げて山を奥へ奥へと入つて行きましたがどうしたものか、其日《そのひ》に限つて兎《うさぎ》一|疋《ぴき》...
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源八栗 —–沖野岩三郎

一  もうりい博士は、みなとの汽船会社から、こまりきつたかほをして、かへつて来ました。それは、午後一時に、出るはずの汽船が、四時にのびたからです。  もうりい博士は今晩の八時から、次の町でお話をする、やくそくをしてあるのです。だから、四時の...
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硯箱と時計—– 沖野岩三郎

石之助《いしのすけ》が机にむかつて、算術をかんがへてゐますと、となりの金《きん》さんが来て、 「佐太《さだ》さん。石さんはよく勉強するね。きつと硯箱《すずりばこ》になりますよ。」と、言ひました。すると佐太夫は、 「いいえ。石之助はとても硯箱...
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熊と猪—— 沖野岩三郎

一  紀州《きしう》の山奥に、佐次兵衛《さじべゑ》といふ炭焼がありました。五十の時、妻《かみ》さんに死なれたので、たつた一人子の京内《きやうない》を伴《つ》れて、山の奥の奥に行つて、毎日々々木を伐《き》つて、それを炭に焼いてゐました。或日《...
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愚助大和尚—– 沖野岩三郎

愚助《ぐすけ》は忘れん坊でありました。何を教へましても、直《す》ぐ忘れてしまふので、お父様は愚助を馬鹿《ばか》だと思ひ込んで、お寺の和尚《をしやう》さまに相談にまゐりました。すると和尚さまは、 「其《そ》の子は御飯を食べますか。」と、ききま...
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岩を小くする—– 沖野岩三郎

後村上《ごむらかみ》天皇さまの皇子さまに、寛成《ひろなり》さまと申すお方がございました。  まだ、ごく御幼少の時、皇子さまは、多勢の家来たちと、御一しよに、吉野川の上流、なつみの川岸へ、鷹狩《たかがり》を御覧においでになりました。  川岸に...
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蚊帳の釣手—– 沖野岩三郎

一万作《まんさく》は十二歳になりました。けれども馬鹿《ばか》だから字を書く事も本を読む事も出来ません。数の勘定もやつと一から十二までしか知らないのでした。 「おい万作! お前は幾歳《いくつ》になつた。」と問ひますと「十二です!」と元気よく答...
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ばべるの塔—– 沖野岩三郎

まだ、電話も電信も、なんにもない、五六千年も、まへのおはなしです。  ひろいひろい、のはらを、みつけた男がありました。あまり、けしきがよいので、そのまんなかに、一けんの家を、たてました。すると、いつのまにか、われもわれもと、そこへ、何十万の...
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バークレーより——- 沖野岩三郎

サンフランシスコから渡船《フェリー》でオークランドに渡り、更にエス・ビーの電車で五哩程行くと、セミナリー・アヴェニュに出る。ここで下車して山手の方へ十町ばかり行くと、そこにユーカリプタスの森がある。その森の中には太平洋沿岸最古の女子大学ミル...
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にらめつくらの鬼瓦—– 沖野岩三郎

今雄《いまを》さんは、五年級甲組の一番でした。  京一《きやういち》さんは、五年級乙組の一番でした。 今雄さんのお父さまは、ごん七さんといふ名で、東山《ひがしやま》の中ほどに、大きな家を建てて、瓦屋《かはらや》をしてゐました。  京一さんの...
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アラメダより——- 沖野岩三郎

アラメダの飛行場へ行った。 『飛行機に乗ろう?』 『およしなさい。落ちたら大変です。奥様に申訳がない。』  それはミセス山田の制止であった。そこへのこのこやって来たのはプーシャイドという男。おれの飛行機は美しいから見せてやろうという。見るだ...