これは現代の若き女性気質の描写《びょうしゃ》であり、諷刺《ふうし》であり、概観《がいかん》であり、逆説である。長所もあれば短所もある。読む人その心して取捨《しゅしゃ》よろしきに従い給《たま》え。
○彼女はじっとして居《い》られなくなった。何か試《こころ》み度《た》がっている。自分を試《ため》して見度《みた》がっている。自分の市場価値を。
○「恋など馬鹿《ばか》らしくて出来《でき》なくなりましたわ」と言う。「けれども愛の気持ちだけは失い度くありません。」
○彼女に取ってスピーディで無いものは魅力《みりょく》が無い。それで退屈な時は、せめて街の自動車を眺《なが》める。
○「結婚? そうね。出来るだけ我儘《わがまま》をさして呉《く》れる男か、それとも絶対的に服従させられる強い男とならばね。」
○チョコレートを食べられる暇《ひま》さえある職業だったら職業というものは何という好もしいものでしょう。
○繕《つくろ》った靴下《くつした》でも穿《は》くときは皺《しわ》の寄らないように。
○「お習字、生花《いけばな》、お琴《こと》、おどり――こういうものに却《かえ》ってモダニティを感じ、習い度いと思うことはあるけれど、さて、いざとなって見るとね。」
○「何でも断《ことわ》られて顔が赭《あか》くなるようじゃ駄目《だめ》よ。」
○女に向って機嫌《きげん》を取るような男も嫌いなら、見下げて権柄《けんぺい》づくな男も嫌い。
○自分で慥《こしら》えたものくらい気に入るものはない。洋服でも、お友達でも。
○「お金入れの口を開けてみて、お金が一文《いちもん》も無いときは何だか可笑《おかし》くって可笑くって、あはあは笑うのよ。たとえ困るのは知れ切っていても、若さのせい[#「せい」に傍点]か知らん。」
○「訣《わか》れの挨拶《あいさつ》のお辞儀《じぎ》をしてしまってから、また立話をする。あんなことあたし達にはないわ。」
○「おなかが減《す》いて家へ帰る電車がなかなか来ないときだけ、ちょっとセンチになるわよ。」
○来年あたりのことまで見当がつくけれど其《そ》の先は考えても判《わか》らない。考えると頭が痛くなるから止《よ》す。
○ついでに洗う洗濯物が無くて、お湯にどっぷり入るときくらい嬉《うれ》しいことはない。
○「どうしてこう心配事が出来ない性分《しょうぶん》だろう。もっとも心配事があると直《す》ぐレコードをかけて直ぐ紛《はぐ》らかしちまう癖《くせ》があるんだけれど。」
○牡丹《ぼたん》や桜のように直ぐ散ってしまう花には同情が持てない。枯《か》れてもしがみ付いている貝細工草《かいざいくそう》や百日草《ひゃくにちそう》のような花に却《かえ》って涙がこぼれる。
○ラグビーを見ているときだけ男の魅力を感ずる。
○子供は少し不器量なのが好き。
○「自分ながら利口《りこう》過ぎるのが鼻につくから、少し馬鹿になる稽古《けいこ》をしようと思うんだけど。」
○お金があると、ついお友達と円タクに乗ってしまって。
○大概《たいがい》な事は我慢《がまん》が出来るけれど。鈍感《どんかん》なものだけはトテモ堪《たま》らない。
○ジャズの麻痺《まひ》、映画の麻痺、それで大概の興味は平凡なものに思える。始終《しじゅう》習慣的に考えているのは「何か面白《おもしろ》いものは無いか知らん。」
○「一生のうち一度だけ、巴里《パリ》は死ぬほど行って見度《みた》いわ。」
○フレッシュの苺《いちご》クリーム、ブライトな日傘《ひがさ》、初夏は楽しい。
○折角《せっかく》ハイキングに行っても、帰って来て是非《ぜひ》銀座へ寄らねば何となく物足《ものた》り無い。
○偉くなろうなぞとはちっとも思わない。空虚な気がする。それより刹那《せつな》々々の充足感。
○そりゃ時々はくさる[#「くさる」に傍点]こともあるわ。希望の飛行機が経済的事情にぶつかって、うまく飛行が運ばない時の気分のエアポケット。けれども理由を運動の不足になすり[#「なすり」に傍点]付けてしまって、せっせとスポーツすれば癒《なお》る。
○わたくし達は、外でお友達と一緒《いっしょ》の時は「ノシちゃえ」なぞと随分《ずいぶん》、男のような言葉も使ってわあわあ騒ぐ。けれども家へ帰って家庭の人となる時は、まるで別人になっておとなしい良家の娘になる。それでいて、どっちにもちっとも矛盾《むじゅん》を感じないのは、われながら不思議《ふしぎ》だ。
○「一生に一度は真剣《しんけん》な気持ちにさせられるものにぶつかってみたいと思うことは、そりゃあたし達にだって、ちゃんとあるわ。」
○「流行なんてつまんないと思うんだけれど、やってみれば悪い気持もしないものね。」
○「第一、朗《ほがら》かにしなくっちゃ損《そん》じゃなくて。」
○「いざとなって決心すりゃ、裸のモデルにでも平気でなれますわ。そして食べて行きますわ。」
○「あたし達に向ってはっきりした考えを言えと言ったって、そりゃ無理ですわ。まだまだいろいろ経験してから考えを決め度《た》いと思って居《い》るんですもの。」
○彼女の笑いは、全く自然に見えるほど洗練《せんれん》されている。けれども彼女は、腹の底から笑った味を知らない。
底本:「愛よ、愛」メタローグ
1999(平成11)年5月8日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集」冬樹社
1976(昭和51)年発行
※「慥《こしら》えた」の表記について、底本は、原文を尊重したとしています。
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2004年3月30日作成
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