全国の都市や農村から、約二十万の勤労青年たちが徴兵に取られて、兵営の門をくゞる日だ。
都市の青年たちは、これまでの職場を捨てなければならない。農村の青年たちは、鍬や鎌を捨て、窮乏と過労の底にある家に、老人と、幼い弟や妹を残して、兵営の中へ這入《はい》って行かなければならない。
村の在郷軍人や、青年団や、村長は、入営する若ものを送って来る。そして云う。国家のために入営するのは目出度いことであり、名誉なことであり、十分軍務に精励せられることを希望する、と。
若ものたちは、村から拵《こしら》えてよこした木綿地《もめんじ》の入営服か、あるいは、紋つきと羽織を着ている。そして、新しく這入ろうとする兵営の生活に対する不安と、あとに残してきた、工場や農村の同志、生活におびやかされる一家のことなどを、なつかしく想いかえす。心配する。
兵営は暗く、新しく着せられるカーキ色の羅紗《らしゃ》の服は固ッくるしい。若ものたちは、送ってきた親や、同志たちと、営庭で別れる。そして、大きな茶碗で兵営の小豆飯を食わされる。
新しく這入った兵士たちは、本当に国家のために入営したのであるか? それが目出度いことであり、名誉なことであるか?
兵士は、その殆んどすべてが、都市の工場で働いていた者たちか、或は、農村で鍬や鎌をとっていた者たちか、漁村で働いていた者たちか、商店で働いていた者たちか、大工か左官の徒弟であった者たちか、そういう青年たちばかりだ。小学校へ行っている時分から広瀬中佐や橘中佐がえらい、国のためには命を捨てなければならないと教えこまれた。旅順攻撃に三万人の兵士たちを殺[#「殺」に白丸傍点]してしまった乃木[#「乃木」に白丸傍点]大将はえらい神様であると教えこまれた。小学校を出てからも青年訓練所で、また、同じような思想を吹きこまれた。そして郷土の近くの士族の息子が大尉になっているのを、えらいもの[#「えらいもの」に傍点]のように思いこまされた。
しかし、大尉が本当にえらい[#「えらい」に傍点]か? 乃木[#「乃木」に白丸傍点]大将は誰のために三万人もの兵士たちを弾丸の餌食《えじき》として殺[#「殺」に白丸傍点]してしてしまったか?
そして、班長のサル又や襦袢の洗濯をさせられたり、銃の使い方や、機関銃や、野砲の撃ち方を習う。毎朝点呼から消燈時間まで、勤務や演習や教練で休むひまがない。物を考えるひまがない。工場や、農村に残っている同志や親爺には、工場主の賃銀の値下げがある。馘首がある。地主の小作料の引上げや、立入禁止、又も差押えがある。労働者は、働いても食うことが出来ない。働くにも働く仕事を奪われる。小作人は、折角、耕して作った稲を差押えられる。耕す土地を奪われる。そこでストライキをやる。小作争議をやる。やらずにいられない。その争議団が、官憲や反動暴力団を蹴とばして勇敢にモク/\と立ちあがると、その次には軍隊が出動する。最近、岐阜の農民の暴動に対して軍隊が出動した。先年の、川崎造船所のストライキに対して、歩兵第三十九聯隊が出動した。三十九聯隊の兵士たちは、神戸地方から入営している。自分の工場に於ける同志や、農村に於ける親爺や、兄弟が、食って行かなければならないために、また耕す土地を奪われないために、親爺や兄弟たちをとっちめるために兵士たちは、命令によって出動しなければならない。 これが国家のためであるか? いや、それは嘘だ。大きな嘘だ。資本家のためであり、地主のためである。
兵士たちは、自分が労働者の出身であり、農民の出身でありながら、軍隊に這入ると、武器を使うことを習って、自分たちの敵である資本家や地主のために奉仕しなければならない。自分の同志や、親爺や兄弟に向って銃口をさしむけることを強いられる。
そればかりではない。帝国主義的発展の段階に這入った資本主義は、その商品市場を求めるためと、原料を持って来るために、新しく植民地の分割を企図する。植民地の労働者をベラ棒に安い、牛か馬かを使うような調子に働かせるために、威嚇し、弾圧[#「弾圧」に白丸傍点]する。その目的に軍隊を使う。満洲に派遣されている軍隊と、支那に派遣されている軍隊は植民地満洲、蒙古をしっかりと握りしめるために番をさせられているのだ。ブルジョアの所有である満鉄の番をさせられるために派遣されているのだ。そして、満洲、支那に於ける中国人労働者及び鮮人労働者たちの反抗[#「反抗」に白丸傍点]を鎮圧するために使われているのだ。台湾に於てもそうである。台湾の蕃人に対しては、日本[#「日本」に白丸傍点]帝国主義のやり口は一層ひどかったのだ。強制的に蕃人の作ったものを徴発したのだ。潭水湖《たんすいこ》の電気事業工事のために、一日十五六時間働かして僅かに七銭か八銭しか賃銀を与えず、蕃人に労働を強要したのだ。そしてその電気事業のために、蕃人の家屋や耕作地を没収しようとしたのだ。蕃人の生活は極端に脅かされた。そこで、 蕃人たちは昨年十月立ち上った。すると、日本[#「日本」に白丸傍点]帝国主義は軍隊をさしむけ、飛行機、山砲、照明砲、爆弾等の精鋭な武器で蕃人たちを殺戮しよう[#「殺戮しよう」に白丸傍点]とした。その蕃人征伐に使われたのも兵士たちだ。
兵士たちは、こういう植民地の労働者を殺戮するために使われ、植民地を帝国主義ブルジョアジーに最も都合がいいように確保するために使われ、(そのために負傷する者もある。病気にかゝる者もある。)その結果はどうなるか?
その結果は、帝国主義ブルジョアジーが、一日だけ余命を長く保って、労働者農民の頭を一日だけより長く抑えつけているということになるのだ。満洲や台湾の苦力《クーリー》や蕃人を動物を使うように酷使して、しこたま儲けてきた金で、資本家は、ダラ幹や、社会民主主義者どもにおこぼれ[#「おこぼれ」に傍点]をやるだろう。しかし、革命[#「革命」に白丸傍点]的プロレタリアートに対しては、徹底的に弾圧の手をゆるめやしないのだ。
なお、そればかりではない。第三期に這入《はい》って帝国主義戦争[#「戦争」に白丸傍点]が間近かに切迫して来るに従って、ブルジョアジーは入営する兵士たちに対してばかりでなく、全国民を、青年訓練所や、国家総動員計画や、その他あらゆる手段をつくして軍国主義化しようと狂奔している。そして、それはまた、労働者農民の祖国サヴェート同盟に対[#「対」に白丸傍点]する戦争[#「戦争」に白丸傍点]の準備[#「準備」に白丸傍点]ともなっているのだ。
こういう時にあたって、全国から十二万の働いている青年たちが、初年兵として兵営の中へ吸いこまれて行く。ブルジョアジーは労働者や、労働者や農民の出身である兵士たちを完全に彼等の道具に使おうとして、軍国主義化しようとしている。
だが青年たちは軍隊の中へ這入って行くことを拒んではならない。軍隊の中に這入って、銃の持ち方や、射撃のし方を学ばなければならない。機関銃の使い方も、野砲の使い方も、重砲の使い方も、また飛行機の操縦法も、戦車の操縦法も学ばなければならない。そして、その武器を、ストライキをやった同志や親爺や兄弟達にさしむけるのではなくブルジョアジー[#「ブルジョアジー」に白丸傍点]にさしむけ[#「さしむけ」に白丸傍点]てやるのだ。銃や、機関銃や、大砲に対抗するのに、弓や竹槍や、つぶて[#「つぶて」に傍点]ではかなわない、プロレタリアは、ブルジョアに負けない優秀[#「優秀」に白丸傍点]な武器[#「武器」に白丸傍点]を自分のものとしなければならない。レーニンは次のように云っている。「武器[#「武器」に白丸傍点]を取扱い武器[#「武器」に白丸傍点]を所有することを学ぼうと努力しない被抑圧階級はただ奴隷的待遇に甘んじていなければならぬであろう。吾々は、ブルジョア的平和主義者や、日和見主義者に変ることなく、吾々が階級社会に住んでいること、階級闘争と支配階級の権力の打倒[#「打倒」に白丸傍点]との外には、それからの如何なる遁《のが》れ路《みち》もないし、またあり得ないことを忘れてはならぬ。吾々のスローガンはこうでなければならぬ。即ち、ブルジョアジーを打倒[#「打倒」に白丸傍点]し、収奪[#「収奪」に白丸傍点]し、武装解除するために、プロレタリアを武装[#「武装」に白丸傍点]させること。プロレタリアートは、たゞブルジョアジーを武装[#「武装」に白丸傍点]解除した後にのみ、その世界史的見地に叛くことなく、あらゆる武器を塵芥《じんかい》の山に投げ棄てることが出来る。そしてプロレタリアートは、また疑いもなく、このことを成遂《なしと》げるであろう。」と。
新しく入営する青年たちのなかには、こういうことがよく分かっている人々もあるだろう。だが、自分が国家のために入営するのだと思っている者も、少くはないだろう。又徴兵に取られて馬鹿らしいが、仕様がない位いにしか思っていない人々もあるだろう。
自分たちが、誰れのために使われているか? そして、その中へ這入って何をしなければならないか? それを知っている青年達は中隊の班内で寝台を並べてねる同年兵たちに、そのことを噛みくだいて分るように語らねばならぬ、武器の使用方法を習って、その武器を誰れに対して用いるか、そのことについてほかの分かっていない同年兵たちに語らねばならぬ。そして、兵営内に於ける組織を作りそれから、革命的[#「革命的」に白丸傍点]な、サークルや、グループを組織化することに努めねばならぬ。
軍隊[#「軍隊」に白丸傍点]内における組織[#「組織」に白丸傍点]的活動、軍国主義と資本主義のためにする軍隊の使用に反対する啓蒙的な宣伝は、兵営に這入ろうとする革命[#「革命」に白丸傍点]的な青年たちのやらねばならぬ仕事である。
ブルジョア軍隊を打倒[#「打倒」に白丸傍点]することなくしては、プロレタリア革命[#「革命」に白丸傍点]は完全に勝利に到達することが出来ない。
底本:「黒島傳治全集 第三巻」筑摩書房
1970(昭和45)年8月30日第1刷発行
※底本には以下の注が書かれています。「*白丸傍点の部分は発表当時伏字で××になっていた箇所を一応復元させたものである。」
入力:Nana ohbe
校正:林 幸雄
2009年6月17日作成
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