近松秋江

別れたる妻に送る手紙—— 近松秋江

 拝啓
 お前――別れて了ったから、もう私がお前と呼び掛ける権利は無い。それのみならず、風の音信《たより》に聞けば、お前はもう疾《とっく》に嫁《かたづ》いているらしくもある。もしそうだとすれば、お前はもう取返しの付かぬ人の妻だ。その人にこんな手紙を上げるのは、道理《すじみち》から言っても私が間違っている。けれど、私は、まだお前と呼ばずにはいられない。どうぞ此の手紙だけではお前と呼ばしてくれ。また斯様《こん》な手紙を送ったと知れたなら大変だ。私はもう何《ど》うでも可《い》いが、お前が、さぞ迷惑するであろうから申すまでもないが、読んで了ったら、直ぐ焼くなり、何うなりしてくれ。――お前が、私とは、つい眼と鼻との間の同じ小石川区内にいるとは知っているけれど、丁度今頃は何処に何うしているやら少しも分らない。けれども私は斯うして其の後のことをお前に知らせたい。いや聞いて貰いたい。お前の顔を見なくなってから、やがて七月《ななつき》になる。その間には、私には種々《いろん》なことがあった。
 一緒にいる時分は、ほんの些《ちょい》とした可笑《おかし》いことでも、悔《くや》しいことでも即座に打《ぶ》ちまけて何とか彼《かん》とか言って貰わねば気が済まなかったものだ。またその頃はお前の知っている通り、別段に変ったことさえなければ、国の母や兄とは、近年ほんの一月《ひとつき》に一度か、二月に三度ぐらいしか手紙の往復《やりとり》をしなかったものだが、去年の秋私一人になった当座は殆ど二日置きくらいに母と兄とに交る/″\手紙を遣った。
 けれども今、此処に打明けようと思うようなことは、母や兄には話されない。誰れにも話すことが出来ない。唯せめてお前にだけは聞いて貰いたい。――私は最後の半歳ほどは正直お前を恨んでいる。けれどもそれまでの私の仕打に就いては随分自分が好くなかった、ということを、十分に自身でも承知している。だから今話すことを聞いてくれたなら、お前の胸も幾許《いくら》か晴れよう。また私は、お前にそれを心のありったけ話し尽したならば、私の此の胸も透《す》くだろうと思う、そうでもしなければ私は本当に気でも狂《ふ》れるかも知れない。出来るならば、手紙でなく、お前に直《じか》に会って話したい。けれどもそれは出来ないことだ。それゆえ斯うして手紙を書いて送る。
 お前は大方忘れたろうが、私はよく覚えている。あれは去年の八月の末――二百十日の朝であった。お前は、
「もう話の着いているのに、あなたが、そう何時までも、のんべんぐらりと、ずる/\にしていては、皆《みんな》に、私が矢張《やっぱ》しあなたに未練があって、一緒にずる/\になっているように思われるのが辛い。少しは、あなただって人の迷惑ということも考えて下さい。いよいよ別れて了えば私は明日の日から自分で食うことを考えねばならぬ。……それを思えば、あなたは独身《ひとりみ》になれば、何うしようと、足纏いがなくなって結句気楽じゃありませんか。そうしている内にあなたはまた好きな奥さんなり、女なりありますよ。兎に角今日中に何処か下宿へ行って下さい。そうでなければ私が柳町の人達に何とも言いようがないから。」
 と言って催促するから、私は探しに行った。
 二百十日の蒸暑い風が口の中までジャリ/\するように砂|塵埃《ぼこり》を吹き捲って夏|劣《ま》けのした身体《からだ》は、唯歩くのさえ怠儀であった。矢来に一処《ひとところ》あったが、私は、主婦《おかみ》を案内に空間を見たけれど、仮令《たとい》何様《どん》な暮しをしようとも、これまで六年も七年も下宿屋の飯は食べないで来ているのに、これからまた以前《もと》の下宿生活に戻るのかと思ったら、私は、其の座敷の、夏季《なつ》の間《ま》に裏返したらしい畳のモジャ/\を見て今更に自分の身が浅間しくなった。それで、
「多分|明日《あす》から来るかも知れぬから。」
 と言って帰りは帰ったが、どう思うても急に他《ほか》へは行きたくなかった。というのは強《あなが》ちお前のお母《っか》さんの住んでいる家――お前の傍を去りたくなかったというのではない。それよりも斯うしていて自然に、心が変って行く日が来るまでは身体を動かすのが怠儀であったのだ。加之《それに》銭《かね》だって差当り入るだけ無いじゃないか。帰って来て、
「どうも可い宿《うち》はない。」というと、
「急にそう思うような宿は何《ど》うせ見付からない。松林館に行ったら屹度《きっと》あるかも知れぬ。彼処《あすこ》ならば知った宿だから可い。今晩一緒に行って見ましょう。」
 と言って、二人で聞きに行った。けれども其処には何様《どん》な室《へや》もなかった。其の途中で歩きながら私は最後に本気になって種々《いろいろ》と言って見たけれど、お前は、
「そりゃ、あの時分はあの時分のことだ。……私は先の時分にも四年も貧乏の苦労して、またあなたで七年も貧乏の苦労をした。私も最早《もう》貧乏には本当に飽き/\した。……仮令《たとい》月給の仕事があったって私は、文学者は嫌い。文学者なんて偉い人は私風情にはもったいない。私もよもや[#「よもや」に傍点]に引《ひか》されて、今にあなたが良くなるだろう、今に良くなるだろうと思っていても、何時まで経ってもよくならないのだもの。それにあなたぐらい猫の眼のように心の変る人は無い。一生当てにならない……。」
 斯う言った。そりゃ私も自分でも、そう偉い人間だとは思っていないけれども、お前に斯う言われて見れば、丁度色の黒い女が、お前は色が黒い、と言って一口にへこまされたような気がした。屡《よ》く以前、
「あなたは何彼《なにか》に就けて私をへこます。」と言い/\した。私は「あゝ済まぬ。」と思いながらも随分言いにくいことを屡※[#二の字点、1-2-22]言ってお前をこき[#「こき」に傍点]下《おろ》した。それを能く覚えている私には、あの時お前にそう言われても、何と言い返す言葉もなかった。それのみならず全く私はお前に満六年間、
「今日《きょう》は。」
 という想いを唯の一日だってさせなかった。それゆえそうなくってさえ何につけ自信の無い私は、その時から一層自分ほど詰らない人間は無いと思われた。何を考えても、何を見ても、何をしても白湯《さゆ》を飲むような気持もしなかった。……けれども、斯様なことを言うと、お前に何だか愚痴《ぐち》を言うように当る。私は此の手紙でお前に愚痴をいうつもりではなかった。愚痴は、もう止そう。
 兎に角、あの一緒に私の下宿を探しに行った晩、
「あなたがどうでも家にいれば、今日から私の方で、あなたのいる間、親類へでも何処へでも行っている。……奉公にでも行く。……好い縁《くち》があれば、明日でも嫁《かたづ》かねばならぬ。……同じ歳だって、女の三十四では今の内早く何うかせねば拾ってくれ手が無くなる。」と言うから、
「じゃ今夜だけは家にいて明日からいよ/\そうしたら好いじゃないか。そうしてくれ。」と私が頼むように言うと、
「そうすると、またあなたが因縁を付けるから……厭だ。」
「だって今夜だけ好いじゃないか。」
「じゃあなた、一足|前《さき》に帰っていらっしゃい。私柳町に一寸寄って後から行くから。」
 私は言うがまゝに、独り自家《うち》に戻って、遅くまで待っていたけれど、お前は遂に帰って来なかった。あれッきりお前は私の眼から姿を隠して了ったのだ。
 それから九月、十月、十一月と、三月の間、繰返さなくっても、後で聞いて知ってもいるだろうが、私は、お前のお母《っか》さんに御飯を炊いて貰った。お前も私の癖は好く知っている。お前の洗ってくれた茶碗でなければ、私は立って、わざ/\自分で洗い直しに行ったものだ。分けてもお前のお母《っか》さんと来たら不精で汚らしい、そのお母さんの炊いた御飯を、私は三月――三月といえば百日だ、私は百日の間辛抱して食っていた。
 お前達の方では、これまでの私の性分を好く知り抜いているから、あゝして置けば遂に堪らなくなって出て行くであろう、という量見《かんがえ》もあったのだろう。が私はまた、前《さき》にも言ったように、自然《ひとりで》に心が移って行くまで待たなければ、何うする気にもなれなかったのだ。
 それは老母《としより》の身体で、朝起きて見れば、遠い井戸から、雨が降ろうが何うしょうが、水も手桶に一杯は汲んで、ちゃんと縁側に置いてあった。顔を洗って座敷に戻れば、机の前に膳も据えてくれ、火鉢に火も入れて貰った。
 段々寒くなってからは、お前がした通りに、朝の焚き落しを安火《あんか》に入れて、寝ている裾から静《そっ》と入れてくれた。――私にはお前の居先きは判らぬ。またお母さんに聞いたって金輪際それを明す訳はないと思っているから、此方《こっち》からも聞こうともしなかったけれど、お母さんがお前の処に一寸々々《ちょいちょい》会いに行っているくらいは分っていた。それゆえ安火を入れるのだけは、「あの人は寒がり性だから、朝寝起きに安火を入れてあげておくれ。」とでもお前から言ったのだろうと思った。
 それでも何うも夜も落々《おちおち》眠られないし、朝だって習慣《くせ》になっていることが、がらりと様子が変って来たから寝覚めが好くない。以前|屡《よ》くお前に話し/\したことだが、朝|熟《よ》く寝入っていて知らぬ間に静《そっ》と音の立たぬように新聞を胸の上に載せて貰って、その何とも言えない朝らしい新らしい匂いで、何時とはなく眼の覚めた日ほど心持の好いことはない。まだ幼い時分に、母が目覚しを枕頭《まくらもと》に置いていて、「これッこれッ。」と呼び覚していたと同じような気がしていた。それが最早《もう》、まさか新聞まで寝入っている間《ま》に持って来て下さい、とは言われないし、仮令《たとい》そうして貰ったからとて、お前にして貰ったように、甘《うま》くしっくりと行かないと思ったから頼みもしなかった。が、時々|斯様《そん》なことを思って一つそうして貰って見ようかなどと寝床の中で考えては、ハッと私は何という馬鹿だろうと思って独りでに可笑くなって笑ったこともあったよ。
 で、新聞だけは自分で起きて取って来て、また寝ながら見たが、そうしたのでは唯字が眼に入るだけで、もう面白くも何ともありゃしない。……本当に新聞さえ沢山取っているばかりで碌々読む気はしなかった。
 それに、あの不愛想な人のことだから、何一つ私と世間話をしようじゃなし。――尤も新聞も面白くないくらいだから、そんなら誰れと世間話をしようという興も湧かなかったが――米だって悪い米だ。私はその、朝無闇に早く炊いて、私の起きる頃には、もう可い加減冷めてポロ/\になった御飯に茶をかけて流し込むようにして朝飯《あさめし》を済ました。――間食をしない私が、何様《どん》なに三度の食事を楽みにしていたか、お前がよく知っている。そうして独りでつくねんとして御飯を食べているのだと思って来るとむら/\と逆上《こみあ》げて来て果ては、膳も茶碗も霞んで了う。
 寝床だって暫時《しばらく》は起きたまゝで放って置く。床を畳む元気もないじゃないか。枕当の汚れたのだって、私が一々口を利いて何とかせねばならぬ。
 秋になってから始終《しょっちゅう》雨が降り続いた。あの古い家のことだから二所《ふたところ》も三所も雨が漏って、其処ら中にバケツや盥《たらい》を並べる。家賃はそれでも、十日ぐらい遅れることがあっても払ったが、幾許《いくら》直してくれと言って催促してもなか/\職人を寄越さない。寒いから障子を入れようと思えば、どれも破れている。それでも入れようと思って種々《いろいろ》にして見たが、建て付けが悪くなって何《ど》れ一つ満足なのが無い。
 私はもう「えゝ何うなりとなれ!」と、パタリ/\雨滴《あまだれ》の落ちる音を聞きながら、障子もしめない座敷に静《じっ》として、何を為ようでもなく、何を考えようでもなく、四時間も五時間も唯|呆然《ぼんやり》となって坐ったなり日を暮すことがあった。
 何日《いつ》であったか寝床を出て鉢前の処の雨戸を繰ると、あの真正面《まとも》に北を受けた縁側に落葉交りの雨が顔をも出されないほど吹付けている。それでも私は寝巻の濡れるのをも忘れて、其処に立ったまゝ凝乎《じっ》と、向《むこう》の方を眺めると、雨の中に遠くに久世山の高台が見える。そこらは私には何時までも忘れることの出来ぬ処だ。それから左の方に銀杏《いちょう》の樹が高く見える。それがつい四五日《しごんち》気の付かなかった間に黄色い葉が見違えるばかりにまばらに痩せている。私達はその下にも住んでいたことがあったのだ。
 そんなことを思っては、私は方々、目的《あて》もなく歩き廻った。天気が好ければよくって戸外《そと》に出るし、雨が降れば降って家内《うち》にじっとしていられないで出て歩いた。破れた傘を翳《さ》して出歩いた。
 そうしてお前と一緒に借りていた家は、古いのから古いのから見て廻った。けれども何《ど》の家の前に立って見たって、皆《みん》な知らぬ人が住んでいる。中には取払われて、以前《まえ》の跡形もない家もあった。
 でも九月中ぐらいは、若しかお前のいる気配はせぬかと雨が降っていれば、傘で姿が隠せるから、雨の降る日を待って、柳町の家の前を行ったり来たりして見た。
 家内《うち》にいる時は、もう書籍《ほん》なんか読む気にはなれない。大抵猫と遊んでいた。あの猫が面白い猫で、あれと追駈《おっかけ》ッこをして見たり、樹に逐い登らして、それを竿でつゝいたり、弱った秋蝉《ひぐらし》を捕ってやったり、ほうせん花の実《みの》って弾《はじ》けるのを自分でも面白くって、むしって見たり、それを打《ぶっ》つけて吃驚《びっくり》させて見たり、そんなことばかりしていた。処がその猫も、一度二日も続いて土砂降りのした前の晩、些《ちょっ》との間《ま》に何処へ行ったか、いなくなって了った。お母《っか》さんと二人で種々《いろいろ》探して見たが遂に分らなかった。
 そんな寂しい思いをしているからって、これが他の事と違って他人《ひと》に話の出来ることじゃなし、また誰れにも話したくなかった。唯独りの心に閉じ籠って思い耽っていた。けれどもあの矢来の婆さんの家へは始終《しょっちゅう》行っていた。後には「また想い遣りですか。……あなたが、あんまりお雪さんを虐《いじ》めたから。……またあなたもみっちりお働《かせ》ぎなさい。そうしたらお雪さんが、此度は向から頭を下げて謝《あやま》って来るから。……」などと言って笑いながら話すこともあったが、あの婆《ひと》は、丁度お前のお母さんと違って口の上手な人でもあるし、また若い時から随分種々な目にも会っている女だから、
「本当にお雪さんの気の強いのにも呆れる。……私だって、あゝして四十年連れ添うた老爺《じい》さまと別れは別れたが、あゝ今頃は何うしているだろうかと思って時々呼び寄せては、私が状袋を張ったお銭《あし》で好きな酒の一口も飲まして、小遣いを遣って帰すんです。……私には到底《とても》お雪さんの真似は出来ない。……思い切りの好い女《ひと》だ。それを思うと雪岡さん、私はあなたがお気の毒になりますよ……」
 と言って、襦袢の袖口で眼を拭いてくれるから、私のことと婆さんのこととは理由《わけ》が全然《すっかり》違っているとは知っていながら、
「ナニお雪の奴、そんな人間であるもんですか。……それに最早《もう》、何《ど》うも嫁《かたづ》いているらしい。屹度それに違いない。」と言うと、婆さんは此度は思わせ振りに笑いながら、
「へ……奴なんて、まあ大層お雪さんが憎いと思われますね。まさか其様《そん》なことはないでしょう。……私には分らないが、……お雪さんだって、あれであなたの事は色々と思っているんですよ……。あの自家《うち》の押入れに預かってある茶碗なんか御覧なさいな。壊れないように丹念に一つ一つ紙で包んで仕舞ってある。矢張しまたあなたと所帯を持つ下心があるからだ。……あんなに細かいことまでしゃん/\とよく気の利く人はありませんよ。」と、斯う言い/\した。
 私は、私とお前との間は、私とお前とが誰れよりもよく知っていると知っていたから婆さんがそんなことを言ったって決して本当にはしやしない。随分度々、お前には引越の手数を掛けたものだが、その度毎に、茶碗だって何だって丁寧に始末をしたのは、私も知っている――尤も後《あと》になっては、段々お前も、「もう茶碗なんか、丁寧に包まない。」と言い出した。それも私はよく知っている。また其れがいよ/\別れねばならぬことになって、一層丁寧に、私の所帯道具《もちもの》の始末をしてくれたのも知っている。
 それでいて、私は柳町の人達よりも一層深い事情《わけ》を知らぬ婆さんが、そう言ってくれるのを自分でも気安めだ、と承知しながら、聞いているのが何よりも楽みであった。私は寄席《よせ》にでも行くようなつもりで、何《なん》か買って懐中《ふところ》に入れては婆さんの六十何年の人情の節を付けた調子で「お雪さんだって、あれであなたのことは思っているんですよ。」を聞きに行った。
 そうしながら心は種々《いろいろ》に迷うた。何うせ他へ行かねばならぬのだから家を持とうかと思って探しにも行った。出歩きながら眼に着く貸家《うち》には入っても見た。が、婆さんを置くにしても、小女《こおんな》を置くにしても私の性分として矢張し自分の心を使わねばならぬ。それに敷金なんかは出来ようがない。少し纏まった銭《かね》の取れる書き物なんかする気には何うしてもなれない。それなら何うしようというのではないが、唯何にでも魂魄《こころ》が奪《と》られ易くなっているから、道を歩きながら、フト眼に留った見知らぬ女があると、浮々《うかうか》と何処までも其の後を追うても見た。
 長く男一人でいれば、女性《おんな》も欲しくなるから、矢張し遊びにも行った。そうかと言って銭が無いのだから、好くって面白い処には行けない。それゆえ銭の入らない珍らしい処を珍らしい処をと漁って歩いた。なろうならば、何《なんに》もしたくないのだから、家賃とか米代とか、お母《っか》さんに酷《きび》しく言われるものは、拠《よんどころ》なく書き物をして五円、八円取って来たが、其様《そん》な処へ遊びに行く銭は、「あゝ行きたい。」と思えば段々段々と大切にしている書籍《ほん》を凝乎《じっ》と、披《ひら》いて見たり、捻《ひねく》って見たりして、「あゝこれを売ろうか遊びに行こうか。」と思案をし尽して、最後《しまい》にはさて何うしても売って遊びに行った。矢来の婆さんの処にも度々古本屋を連れ込んだ。そうすれば、でも二三日は少しは心が落着いた。
 その時分のことだろう。居先きは明さないが、一度お前が後始末の用ながらに婆さんの処へ寄って、私の本箱を明けて見たり、抽斗《ひきだし》を引出して見たりして、
「まあ本当に本も大方売って了っている。あの人は何日《いつ》まで、あゝなんだろう。」と言って、それから私の夜具を戸棚から取出して、黴《かび》を払って、縁側の日の当る処に乾して、婆さんに晩に取入れてくれるように頼んで行ったことをも聞いた。
 まあそういうようにして、ちょび/\書籍を売っては、銭《かね》を拵えて遊びにも行った。けれども、それでも矢張し物足りなくって、私の足は一処《ひとところ》にとまらなかった。唯女を買っただけでは気の済む訳がないのだ。私には一人楽みが出来なければ寂しいのも間切《まぎ》れない。
 処がそうしている内に、遂々《とうとう》一人の女に出会《でっくわ》した。
 それが何ういう種類の女であるか、商売人ではあるが、芸者ではない、といえばお前には判断出来よう。一口に芸者でないと言ったって――笑っては可けない。――そう馬鹿には出来ないよ。遊びようによっては随分銭も掛かる。加之《それに》女だって銘々|性格《たち》があるから、芸者だから面白いのばかしとは限らない。
 その時は、多少《いくらか》纏まった銭が骨折れずに入った時であったから、何時もちょび/\本を売っては可笑《おかし》な処ばかしを彷徨《うろつ》いていたが、今日は少し気楽な贅沢が為て見たくなって、一度|長田《おさだ》の友達というので行った待合に行って、その時知った女《の》を呼んだ。そうするとそれがいなくって、他《ほか》な女《の》が来た。それが初め入って来て挨拶をした時にちらと見たのでは、それほどとも思わなかったが、別の間《ま》に入ってからよく見ると些《ちょっ》と男好きのする女だ。――お前が知っている通り私はよく斯様《こん》なことに気が付いて困るんだが、――脱いだ着物を、一寸触って見ると、着物も、羽織も、ゴリ/\するような好いお召の新らしいのを着ている。此の社会のことには私も大抵目が利いているから、それを見て直ぐ「此女《これ》は、なか/\売れる女だな。」と思った。
 よく似合った極くハイカラな束髪に結って小肥な、色の白い、肌理《きめ》の細かい、それでいて血気《ちのけ》のある女で、――これは段々|後《あと》になって分ったことだが、――気分もよく変ったが、顔が始終《しょっちゅう》変る女だった。――心もち平面《ひらおもて》の、鼻が少し低いが私の好きな口の小さい――尤も笑うと少し崩れるが、――眼も平常《いつも》はそう好くなかった。でもそう馬鹿に濃くなくって、柔か味のある眉毛の恰好から額にかけて、何処か気高いような処があって、泣くか何うかして憂いに沈んだ時に一寸々々《ちょいちょい》品の好い顔をして見せた。そんな時には顔が小く見えて、眼もしおらしい眼になった。後には種々《いろん》なことから自暴酒を飲んだらしかったが、酒を飲むと溜らない大きな顔になって、三つ四つも古《ふ》けて見えた。私も「どうして斯様な女が、そう好いのだろう?」と少し自分でも不思議になって、終《しまい》には浅間しく思うことさえもあった。肉体《からだ》も、厚味のある、幅の狭い、そう大きくなくって、私とはつりあいが取れていた。
 で、その女をよく見ると、「あゝ斯ういう女がいたか。」と思った。それが、その女が私の気に染み付いたそも/\だった。そうすると、私の心は最早《もう》今までと違って何となく、自然《ひとりで》に優《やさ》あしくなった。
 静《じっ》と女の指――その指がまた可愛い指であった、指輪も好いのをはめていた――を握ったり、もんだりしながら、
「君は大変綺麗な手をしているねえ。そうして斯う見た処、こんな社会に身を落すような人柄でもなさそうだ。それには何れ種々《いろん》な理由《わけ》もあるのだろうが出来ることなら、少しも早く斯様な商売は止して堅気になった方が好いよ。君は何となしまだ此の社会の灰汁《あく》が骨まで浸込んでいないようだ。惜しいものだ。」
 人間というものは勝手なものだ。斯様な境涯に身を置く人に同情があるならば、私は何《ど》の女に向っても、同じことを言う理由《はず》だが、私は其の女にだけそれを言った。そう言うと、女は指を私に任せながら、黙って聞いていた。
「名は何というの?」
「宮。」
「それが本当の名?」
「えゝ本当は下田しまというんですけれど、此処では宮と言っているんです。」
「宮とは可愛い名だね、え。……お宮さん。」
「えッ。」
「私はお前が気に入ったよ。」
「そうオ……あなたは何をなさる方?」
「さあ何をする人間のように思われるかね。言い当てゝ御覧。」
 そういうと、女は、しお/\した眼で、まじ/\と私の顔を見ながら、
「そう……学生じゃなし、商人じゃなし、会社員じゃなし、……判りませんわ。」
「そう……判らないだろう。まあ何かする人だろう。」
「でも気になるわ。」
「そう気にしなくっても心配ない。これでも悪いことをする人間じゃないから。」
「そうじゃないけれど……本当言って御覧なさい。」
「これでも学者見たようなものだ。」
「学者! ……何学者? ……私、学者は好き。」
 本当に学者が好きらしゅう聞くから、
「そうか。お宮さん学者が好きか。此の土地にゃ、お客の好みに叶うように、頭だけ束髪の外見《みかけ》だけのハイカラが多いんだが、お宮さんは、じゃ何処か学校にでも行っていたことでもあるの?」
 学生とか、ハイカラ女を好む客などに対しては、その客の気風を察した上で、女学生上りを看板にするのが多い。――それも商売をしていれば無理の無いことだ。――その女も果して女学校に行って居ったか、何うかは遂には分らなかったが所謂学者が好きということは、後になるに従って本当になって来た。
 斯う言って先方《さき》の意に投ずるように聞くと、
「本郷の××女学校に二年まで行っていましたけれど、都合があって廃《よ》したんです。」と言うから、じゃ何うして斯様《こん》な処に来ている……と訊いたら、斯うしてお母《っか》さんを養っていると言う。お母さんは何処にいるんだ? と聞くと、下谷にいて、他家《よそ》の間を借りて、裁縫《しごと》をしているんです、と言う。
 私は、全然《まるまる》直ぐそれを本当とは思わなかったけれど、女の口に乗って、紙屋治兵衛の小春の「私一人を頼みの母様《ははさま》。南辺《みなみへん》の賃仕事して裏家住み……」という文句を思い起して、お宮の母親のことを本当と思いたかった。……否《いや》、或は本当と思込んだのかも知れぬ。
 お前が斯様なことをしてお母さんを養わなくってもほかに養う人はないのか? と訊くと、姉が一人あるんですけれど、それは深川のある会社に勤める人に嫁《かたづ》いていて先方《さき》に人数が多いから、お母さんは私が養わなければならぬ、としおらしく言う。
「そうか。……じゃ宮という名は、小説で名高い名だが、宮ちゃん、君は小説のお宮を知っているかね?」
「えゝ、あの貫一のお宮でしょう? 知っています。」
「そうか。まあ彼様《あん》なものを読む学者だ。私は。」
「じゃあなたは文学者? 小説家?」
「まあ其処等あたりと思っていれば可い。」
「私もそうかと思っていましたわ。……私、文学者とか法学者だとか、そんな人が好き。あなたの名は何というんです?」
「雪岡というんだ。」
「雪岡さん。」と、独り飲込むように言っていた。
「宮ちゃん、年は幾歳《いくつ》?」
「十九。」
 十九にしては、まだ二つ三つも若く見えるような、派手な薄|紅葉《もみじ》色の、シッポウ形の友禅縮緬と水色繻子の狭い腹合せ帯を其処に解き棄てていたのが、未だに、私は眼に残っている。
 暫時《しばらく》そんな話をしていた。

 それから抱占めた手を、長いこと緩めなかった。痙攣が驚くばかりに何時までも続いていた。私はその時は、本当に嬉しくって、腹の中で笑い/\静《じっ》として、先方に自分の全身を任していた。漸《やっ》と私を許してから三四分間経って此度は俯伏しになって、静《そっ》と他《ひと》の枕の上に、顔を以て来て載せて、半ば夢中のようになって、苦しい呼吸《いき》をしていた。私は、そうしている束髪の何とも言えない、後部《うしろ》の、少し潰れたような黒々とした形を引入れられるように見入っていた。
 そうして長襦袢と肌襦袢との襟が小さい頸の形に円く二つ重なっている処が堪らなくなて、そっと指先で突く真似をして、
「おい何うかしたの? ……何処か悪いの?」と言って、掌で背《せなか》をサアッ/\と撫でてやった。
 すると、女は、
「いえ。」と、軽く頭振《かぶり》を掉《ふ》って、口を圧されたような疲れた声を出して、「極りが悪いから……」と潰したように言い足した。そうして二分間ほどして魂魄《こころ》の脱けたものゝように、小震いをさせながら、揺々《ゆらゆら》と、半分眼を瞑《ねむ》った顔を上げて、それを此方に向けて、頬を擦り付けるようにして、他《ひと》の口の近くまで自分の口を、自然に寄せて来た。そうして復《ま》た枕に顔を斜に伏せた。
 私は、最初《はじめ》から斯様な嬉しい目に逢ったのは、生れて初めてであった。
 水の中を泳いでいる魚ではあるが、私は急に、そのまゝにして置くのが惜しいような気がして来て、
「宮ちゃん。君には、もう好い情人《ひと》が幾人《いくたり》もあるんだろう。」と言って見た。
 すると、お宮は、眼を瞑《ねむ》った顔を口元だけ微笑《え》みながら、
「そんなに他人《ひと》の性格なんか直ぐ分るもんですか。」甘えるように言った。私は性格という言葉を使ったのに、また少し興を催して、
「性格! ……性格なんて、君は面白い言葉を知っているねえ。」と世辞を言った。――兎に角漢語をよく用いる女だった。
 そうして私は、唯柔かい可愛らしい精神《こころ》になって、蒲団を畳む手伝いまでしてやった。
 他の室《へや》に戻ってから、
「また来るよ。君の家は何という家?」
「家は沢村といえば分ります。……あゝ、それから電話もあります。電話は浪花のね三四の十二でしょう。それに五つ多くなって、三四十七、三千四百十七番と覚えていれば好いんです。」と立ちながら言って疲れて、顳※[#「需+頁」、第3水準1-94-6]《こめかみ》の辺《ところ》を蒼くして帰って行った。
 私は、何だか俄かに枯木に芽が吹いて来たような心持がし出して、――忘れもせぬ十一月の七日の雨のバラ/\と降っていた晩であったが、私も一足後から其家《そこ》を出て番傘を下げながら――不思議なものだ、その時ふと傘の破れているのが、気になったよ。種々《いろん》な屋台店の幾個《いくつ》も並んでいる人形町の通りに出た。湿《しっ》とりとした小春らしい夜であったが、私は自然《ひとりで》にふい/\口浄瑠璃を唸りたいような気になって、すしを摘もうか、やきとりにしようか、と考えながら頭でのれん[#「のれん」に傍点]を分けて露店の前に立った。
 その銭《かね》が入ったら――例の箱根から酷《きび》しくも言って来るし、自分でも是非そのまゝにしている荷物を取って来たり、勘定の仕残りだのして二三日遊んで来ようと思っていたのだが、私はもう箱根に行くのは厭になった。で、種々《いろいろ》考えて見て箱根へは為替で銭を送ることにして、明日の晩早くからまた行った。そうして此度は泊った。――斯ういう処へ来て泊るなんということは、お前がよく知っている、私には殆ど無いと言って可い。
 続けて行ったものだから、お宮は、入って来て私と見ると、「さては……」とでも思ったか「いらッしゃい。」と離れた処で尋常に挨拶をして、此度上げた顔を見ると嬉しさを、キュッと紅《べに》をさした脣で小さく食い締めて、誰れが来ているのか、といったような風に空とぼけて、眼を遠くの壁に遣りながら、少し、頸を斜《はす》にして、黙っていた。その顔は今に忘れることが出来ない。好い色に白い、意地の強そうな顔であった。二十歳《はたち》頃の女の意地の強そうな顔だから、私には唯美しいと見えた。
 私は可笑くなって此方《こっち》も暫く黙っていた。けれども、私はそんなにして黙っているのが嫌いだから、
「そんな風をしないでもっと此方《こっち》においで。」と言った。
 待っている間、机の上に置いてあった硯箱を明けて、巻紙に徒《いたず》ら書きをしていた処であったから机の向《むこう》に来ると、
「宮ちゃん、之れに字を書いて御覧。」
「えゝ書きます。何を?」
「何とでも可いから。」
「何かあなたそう言って下さい。」
「私が言わないったって、君が考えて何か書いたら可いだろう。」
「でもあなた言って下さい。」
「じゃ宮とでも何とでも。」
「……私書けない。」
「書けないことはなかろう、書いてごらん。」
「あなた神経質ねえ。私そんな神経質の人嫌い!」
「…………。」
「分っているから、……あなたのお考えは。あなた私に字を書かして見て何うするつもりか、ちゃんと分っているわ。ですから、後で手紙を上げますよ。あゝ私あなたに済まないことをしたの。名刺を貰ったのを、つい無くして了った。けれど住所《ところ》はちゃんと憶えています。……××区××町××番地雪岡京太郎というんでしょう。」
 斯様《こん》なことを言った。私に字を書かして見て何うするつもりかあなたの心は分っています、なんて自惚《うぬぼれ》も強い女だった。
 その晩、待合《うち》の湯に入った。「お前、前《さき》入っておいで。」と言って置いて可い加減な時分に後から行った。緋縮緬の長い蹴出しであった。
 尚お他の室《へや》に行ってから、
「宮ちゃん、お前斯ういう処へ来る前に何処か嫁《かたづ》いていたことでもあるの?」
 と、具合よく聞いて見た。
「えゝ、一度行っていたことがあるの。」と問いに応ずるように返事をした。
 日毎、夜毎に種々《いろん》な男に会う女と知りながら、また何れ前世のあることとは察していながら、私は自分で勝手に尋ねて置いて、それに就いてした返事を聞いて少し嫉《ねた》ましくなって来た。
「何ういう人の処へ行っていたの?」
「大学生の処へ行っていたの。……卒業前の法科大学生の処へ行っていたんです。」
 私は腹の中で、「へッ! 甘《うま》いことを言っている。成程本郷の女学校に行っていた、というから、もしそうだとすれば、何うせ野合者《くっつきもの》だ。そうでなければ生計《くら》しかねて、母子《おやこ》相談での内職か。」と思ったが、何処かそう思わせない品の高い処もある。
「へえ。大学生! 大学生とは好い人の処へ行っていたものだねえ。どういうような理由《わけ》から、それがまた斯様な処へ来るようになったの?」
「行って見たら他に細君があったの。」
「他に細君があった! それはまた非道《ひど》い処へ行ったものだねえ。欺されたの?」大学生には、なか/\女たらしがいる、また女の方で随分たらされもするから、私は、或は本当かとも思った。
「えゝ。」と問うように返事をした。
「だって、公然《おもてむき》、仲に立って世話でもする人はなかったの? お母《っか》さんが付いて居ながら、大事な娘の身で、そんな、もう細君のある男の処へ行くなんて。」
「そりゃ、その時は口を利く人はあったの。ですけれど此方《こっち》がお母さんと二人きりだったから甘く皆《みん》なに欺されたの。」
 私は、女が口から出任せに※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]八百を言っていると思いながら、聞いていれば、聞いているほど、段々|先方《さき》の言うことが真実《ほんとう》のようにも思われて来た。そうして憐れな女、母子《おやこ》の為に、話の大学生が憎いような、また羨ましいような気がした。
「ひどい大学生だねえ。お母さんが――さぞ腹を立てたろう。」
「そりゃ怒りましたさ。」
「無理もない、ねえ。……が一体|如何《どん》な人間だった? 本当の名を言って御覧。」
 女は枕に顔を伏せながら、それには答えず、「はあ……」と、さも術なそうな深い太息《ためいき》をして、「だから、私、男はもう厭!」傍《あたり》を構わず思い入ったように言った。「私もその人は好きであったし、その人も私が好きであったんですけれど、細君があるから、何うすることも出来ないの。……温順《おとな》しい、それは深切な人なんですけれど、男というものは、ああ見えても皆な道楽をするものですかねえ。……下宿屋の娘か何かと夫婦《いっしょ》になって、それにもう児があるんですもの。」
「フム。……じゃ別れる時には二人とも泣いたろう。」
「えゝ、そりゃ泣いたわ。」女は悲しい甘い涙を憶い起したような少し浮いた声を出した。
「自分でも私はお前の方が好いんだけれど、一時の無分別から、もう児まで出来ているから、何うすることも出来ない、と言って男泣きに泣いて、私の手を取って散々あやまるんですもの。――その女の方で何処までも付いていて離れないんでしょう――私の方だって、ですから怒ろうたって怒られやしない。気の毒で可哀そうになったわ。――でも細君があると知れてから、随分|捫《も》んで苛《いじ》めてやった。」
 人を傍に置いていて、そう言って独りで忘れられない、楽しい追憶《おもいで》に耽っているようであった。私は静《じっ》と聞いていて、馬鹿にされているような気がしたが、自分もその大学生のように想われて、そうして苛められるだけ、苛められて見たくなった。
 その男は高等官になって、名古屋に行っていると言った。江馬と言って段々遠慮がなくなるにつれて、何につけ「江馬さん/\。」と言っていた。
 それのみならず、大学生に馴染《なじみ》があるとか、あったとかいうのが此の女の誇で、後《あと》になっても屡《よ》く「角帽姿はまた好いんだもの。」と口に水の溜まるような調子で言い/\した。
 すると、お宮は暫時《しばらく》して、フッと顔を此方《こっち》に向けて、
「あなた、本当に奥様《おくさん》は無いの?」
「あゝ」
「本当に無いの?」
「本当に無いんだよ。」
「男というものは真個《ほんとう》に可笑いよ。細君があれば、あると言って了ったら好さそうなものに此方で、『あなた、奥様があって?』と聞くと、大抵の人があっても無いというよ。」
「じゃ私も有っても無いと言っているように思われるかい?」
「何うだか分らない。」人の顔を探るように見て言った。
「僕、本当はねえ、あったんだけれど、今は無いの。」
「そうら……本当に?」女はにや/\笑いながら、油断なく私の顔を見戍《みまも》った。
「本当だとも。有ったんだけれど、別れたのさ。……薄情に別れられたのさ。……一人で気楽だよ。……同情してくれ給え! 衣類《きもの》だって、あれ、あの通り綻びだらけじゃないか。」
「それで今、その女《ひと》は何うしているの?」お宮の瞳《め》が冴えて、両頬《ほお》に少し熱を潮《さ》して来た。
「さあ、別れたッきり、自家《うち》にいるか何うしているか、行先なんか知らないさ。」
「本当に? ……何時別れたんです? ……ちゃんと分るように仰しゃい! 法学者の処にいたから、曖昧な事を言うと、すぐ弱点を抑えるから。……何うして別れたんです?」気味悪そうに聞いた。
「種々《いろいろ》一緒にいられない理由《わけ》があって別れたんだが、最早《もう》半歳も前の事さ。」
「へッ、今だってあなたその女《ひと》に会っているんでしょう。」擽《くすぐ》るように疑って言った。
「馬鹿な。別れた細君に何処に会う奴があるものかね。」
「そう……でも其の女のことは矢張し思っているでしょう。」
「そりゃ、何年か連添うた女房だもの、少しは思いもするさ。斯うしていても忘れられないこともある。けれども最早いくら思ったって仕様がないじゃないか。宮ちゃんの、その人のことだって同《おんな》じことだ。」
「……私、あなたの家《ところ》に遊びに行くわ。」
 本当に遊びに来て貰いたかった。けれども今来られては都合が悪い。
「あゝ、遊びにお出で。……けれども今は一寸家の都合が悪いから、その内私家を変ろうと思っているから、そうしたら是非来ておくれ。」
 私は、その時初めて、お前のお母《っか》さんの家を出ようという気が起った。自然《ひとりで》に心の移る日を待っていたらお宮を遊びに来さす為には早く他へ行きたくもなった。
 そう言うと、お宮はまた少し胡散《うさん》そうに、
「都合が悪い! ……へッ、矢張しあるん[#「あるん」に傍点]だ。」と微笑《ほほえ》んだ。
「ある処《どころ》かね。あれば仕合せなんだが。」
「じゃ遊びに行く。」
「…………」
「奥様がなくって、じゃあなた何様《どん》な処にいるの?」
「年取った婆さんに御飯を炊いて貰って二人でいるんだから面白くもないじゃないか。宮ちゃんに遊びに来て貰いたいのは山々だけれど、その婆さんは私が細君と別れた時分のことから、知っているんだから、少しは私も年寄りの手前を慎まなければならぬのに、幾許《いくら》半歳経つと言ったって、宮ちゃんのような綺麗な若い女に訪ねて来られると、一寸具合が悪いからねえ。屹度変るから変ったらお出で。」
 すると、「宮ちゃん/\」と、女中の低声《こごえ》がして、階段の方で急《いそが》しそうに呼んでいる。
 二人は少しはっとなった。
「何うしたんだろう?」
「何うしたんだろう? ……」二三秒して、「えッ?」と女中に聞えるように言った。「一寸《ちょいと》行って見て来る。」
 お宮は、そのまゝ出て行った。
 四五分間して戻って来た。「此の頃、警察がやかましいんですって。戸外《そと》に変な者が、ウロ/\しているようだから何時遣って来るかも知れないから、若し来たら階下から『宮ちゃん/\。』ッて声をかけるから、そうしたら脱衣《きもの》を抱えて直ぐ降りてお出でッて。……ちゃんと隠れる処が出来ているの。……今|灯《ひ》を点して見せて貰ったら、ずうっと奥の方の物置室《ものおき》の座板の下に畳を敷いて座敷があるの……」
 そう言って大して驚いてる気色《けしき》も見えぬ。また私も驚きもしなかった。
 やがて廊下を隔てた隣の間でも、ドシ/\と男の足音がしたり、静かな話声がしたり、衣擦《きぬず》れの音がしたりして段々客があるらしい。
 自家《うち》に帰れば猫の子もいない座敷を、手索《てさぐ》りにマッチを擦って、汚れ放題汚れた煎餅蒲団に一人柏葉餅のようになって寝ねばならぬのに斯うして電灯のついた室《へや》に、湯上りに差向いで何か食って、しかも、女を相手にして寝るのだから、私はもう一生|待合《ここ》で斯うして暮したくなった。
「…………。」私は何か言った。
 廊下の足音が偶《たま》に枕に響いた。
「……誰れか来やしないか。……一寸《ちょいと》お待ちなさい。……そら誰れか其処にいるよ……」手真似で制した。警察のやかましいぐらい平気でいるかと思ったら、また存外神経質で処女《きむすめ》のように臆病な性質《ところ》もあった。
 夜が更ければ、更けるほど、朝になればなっても不思議に寝顔の美しい女であった。
 きぬ/″\の別れ、という言葉は、想い出されないほど前から聞いて知ってはいたが元来|堅仁《かたじん》の私は恥ずべきことか、それとも恥とすべからざることか、それが果して、何ういう心持のするものか、此歳になるまで、自分ではついぞ覚えがなかったが、その朝は生れて初めて成程これが「朝の別れ」というものかと懐かしいような残り惜しいような想いがした。
 女が「じゃ切りがないから、もう帰りますよ。」と言って帰って行った後で、女中の持って来た桜湯に涸《かわ》いた咽喉を湿《うるお》して、十時を過ぎて、其家《そこ》を出た。
 午前《ひるまえ》の市街《まち》は騒々しい電車や忙がしそうな人力車《くるま》や大勢の人間や、眼の廻るように動いていた。
 十一月|初旬《はじめ》の日は、好く晴れていても、弱く、静かに暖かであったが、私には、それでもまだ光線が稍強過ぎるようで、脊筋に何とも言いようのない好い心地の怠《だる》さを覚えて、少しは肉体《からだ》の処々に冷たい感じをしながら、何という目的《あて》もなく、唯、も少し永く此の心持を続けていたいような気がして浮々《うかうか》と来合せた電車に乗って遊びに行きつけた新聞社に行って見た。
 長田《おさだ》は旅行《たび》に出ていなかったが、上田や村田と一しきり話をして、自家《うち》に戻った。お宮が昨夜《ゆうべ》あなたの処へ遊びに行くと言った。それには自家を変らねばならぬ。変るには銭《かね》が入る。何うして銭を拵えようかと、そんなことを考えながら戻った。
 それから二三日して長田の家《ところ》に遊びに行くと、長田が――よく子供が歯を出してイーということをする、丁度そのイーをしたような心持のする険しい顔を一寸して、
「此間桜木に行ったら、『此の頃|屡《よ》くいらっしゃいます。泊ったりしていらっしゃいます。』……お宮というのを呼んだと言っていた。……僕は泊ったりすることはないが、……お宮というのは何様《どん》な女《の》か、僕は知らないが、……」
 その言葉が、私の胸には自分が泊らないのに、何うして泊った? 自分がまだ知らない女を何うして呼んだ? と言っているように響いた。私は苦笑しながら黙っていた。長田は言葉を統けて、
「此間《こないだ》社に来て、昨夜《ゆうべ》耽溺をして来た、と言っていたと聞いたから、はあ此奴《こいつ》は屹度桜木に行ったなと思ったから、直ぐ行って聞いて見てやった。」笑いながら嘲弄するように言った。
 私は、返事の仕様がないような気がして、
「うむ……お宮というんだが、君は知らないのか……。」と下手《したで》に出た。
 他の女ならば何でもないが、此のお宮とのことだけは誰れにも知られたくなかった。尤も平常《ふだん》から聞いて知っている長田の遊び振りでは或は夙《とっく》にお宮という女のいることは知っているんだが、長田のこととてつい何でもなく通り過ぎて了ったのかとも思っていた。……初めてお宮に会った時にもう其様《そん》なことが胸に浮んでいた。それが今、長田の言うのを聞けば、長田は知っていなかった。知っていなかったとすれば尚おのこと、知られたくなかったのだが、既《も》う斯う突き止められた上に、悪戯《いたずら》で岡妬《おかや》きの強い人間と来ているから、此の形勢では早晩《いずれ》何とか為《せ》ずにはいまい。もしそうされたって「売り物、買い物」それを差止める権利は毛頭無い。また多寡がああいう商売の女を長田と張合ったとあっては、自分でも野暮臭くって厭だ。もし他人《ひと》に聞かれでもすると一層|外聞《ざま》が悪い。此処は一つ観念の眼を瞑《ねむ》って、長田の心で、なろうようにならして置くより他はないと思った。
 が、そうは思ったものの、自分の今の場合、折角探しあてた宝をむざ/\他人に遊ばれるのは身を斬られるように痛《つら》い。と言って、「後生だ。何うもしないで置いてくれ。」と口に出して頼まれもしないし、頼めば、長田のことだから、一層悪く出て悪戯をしながら、黙っているくらいのことだ。
 と、私はお宮ゆえに種々《いろいろ》心を砕きながら、自家《うち》に戻った。此の心をお宮に知らす術《すべ》はないかと思った。
 取留めもなく、唯自家で沈み込んでいた時分には、何うかして心の間切《まぎ》れるように好きな女でも見付かったならば、意気も揚るであろう。そうしたら自然に読み書きをする気にもなるだろう。読み書きをするのが、何うでも自分の職業とあれば、それを勉強せねば身が立たぬ、と思っていた。すると女は兎も角も見付かった。けれども見付かると同時に、此度はまた新らしい不安心が湧いて来た。しばらく寂しく沈んでいた心が一方に向って強く動き出したと思ったら、それが楽しいながらも苦しくなって来た。
 女からは初めて、心を惹くような、悲しんで訴えるような、気取った手紙を寄越した。私の心は何も彼も忘れて了って、唯|其方《そっち》の方に迷うていた。
 銭がなければ女の顔を見ることが出来ない。が、その銭を拵える心の努力《はげみ》は決して容易ではなかった。――辛抱して銭を拵える間が待たれなかったのだ。
 そうする内に箱根から荷物が届いた。長く彼方《あちら》にいるつもりであったから、その中には、私に取って何よりも大切な書籍《ほん》もあった。之ばかりは何様《どん》なことがあっても売るまいと思っていたが、お宮の顔を見る為に、それも売って惜しくないようになった。
 厭味のない紺青《こんじょう》の、サンタヤナのライフ・オブ・リーゾンは五冊揃っていた。此の夏それを丸善から買って抱えて帰る時には、電車の中でも紙包《つつみ》を披《ひら》いて見た、オリーブ表紙のサイモンヅの「伊太利《イタリー》紀行」の三冊は、十幾年来憧れていて、それも此の春漸く手に入ったものであった。座右に放さなかった「アミイルの日記」と、サイモンヅの訳したベンベニュトオ・チェリニーの自叙伝とは西洋《むこう》に誂えて取ったものであった。アーサア・シモンズの「七芸術論」、サント・ブーブの「名士と賢婦の画像」などもあった。
 私は其等をきちんと前に並べて、独り熟※[#二の字点、1-2-22]《つくづく》と見惚れていた。そうしていると、その中に哲人文士の精神が籠っていて、何とか言っているようにも思われる。或はまた今まで其等が私に※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]を吐いていたようにも思われる。
 私がそんな書籍を買っている間、お前はお勝手口で、三十日《みそか》に借金取の断りばかりしていた。私もまさかそんな書籍を買って来て、書箱《ほんばこ》の中に並べ立てゝ、それを静《じっ》と眺めてさえいれば、それでお前が、私に言って責めるように、「今に良くなるだろう。」と安心しているほどの分らず屋ではなかったが、けれども唯お前と差向ってばかりいたのでは何を目的《あて》に生きているのか、というような気がして、心が寂しい。けれどもそうして書箱に、そんな種々《いろん》な書籍があって、それを時々出して見ていれば、其処に生き効《がい》もあれば、また目的《あて》もあるように思えた。私だとても米代を払う胸算《あて》もなしに、書籍を買うのでもないが、でもそれを読んで、何か書いていれば、「今に良くなるのだろう。」くらいには思わないこともなかった。
 これはお宮の髪容姿《かみかたち》と、その厭味のない、知識らしい気高い「ライフ・オブ・リーゾン」や「アミイルの日記」などと比べて見て初めて気の付いたことでもない。
 いや、お前に「私もよもやに引かされて、今にあなたが良くなるだろう、今に良くなるだろうと思っていても、何時まで経ってもよくならないのだもの。」と口に出して言われる以前から自分にも分っていた。「良くなる。」というのは、何が良くなるのだろう? 私には「良くなる。」ということが、よく分っているようで、考えて見れば見るほど分らなくなって来た。
 私は一度は手を振上げて其の本に「何だ、馬鹿野郎!」と、拳固を入れた。けれども果して書籍《ほん》に入れたのやら、それとも私自身に入れたのやら、分らなくなった。
 私は、ハッとなって、振返って、四辺《あたり》を見廻した。けれども幸い誰れもいなかった。固《もと》より誰れもいよう筈はない。
 身体は自家にいながら、魂魄《こころ》は宙に迷うていた。お宮を遊びに来さす為には家を変りたいと思ったが、お前のこと、過去《これまで》のことを思えば、無惨《むざ》と、此処を余処《わき》へ行く事も出来ない。お母さんの顔には日の経つごとに「何時までいるつもりだ。さッ/\と出て行け!」という色が、一日一日と濃く読めた。またそれを口に出して言いもした。私も無理はないと知っていた。そうでなくてさえ況《ま》して年を取った親心には、可愛い生《うみ》の娘に長い間、苦労をさした男は、訳もなく唯、仇敵《かたき》よりも憎い。お母さんで見れば、私と別れたからと言って、そんならお前を何うしようというのではない。唯|暫時《しばらく》でも傍へ置いときさえすれば好い。それが仇敵がそうしている為に、娘を傍に置くことが出来ないばかりではない、自分で仇敵に朝晩の世話までしてやらなければならぬ。老母《としより》に取っては、それほど逆《さか》さまなことはない。
 けれども、私の腹では、仮令お前はいなくっても、此家《ここ》に斯うしていれば、まだ何処か縁が繋がっているようにも思われる。出て了えば、此度こそ最早《もう》それきりの縁だ。それゆえイザとなっては、思い切って出ることも出来ない。そうしていて、たゞ一寸《いっすん》逃れにお宮の処に行っていたかった。
 四度目であったか――火影《ほかげ》の暗い座敷に、独り机によっていたら、引入れられるように自分のこと、お前のこと、またお宮のことが思われて、堪《こら》えられなくなった。お宮には、銭《かね》さえあれば直ぐにも逢える。逢っている間は他の事は何も彼も忘れている。私は何うしようかと思って、立上った。立上って考えていると、もうそのまま坐るのも怠儀になる。私は少し遅れてから出掛けた。
 桜木に行くと、女中が例《いつも》の通り愛想よく出迎えたが、上ると、気の毒そうな顔をして、「先刻《さっき》、沢村から、電話でねえ。あなたがいらっしゃるという電話でしたけれど、他の者の知らない間に主婦《おかみ》さんが、もう一昨日《おととい》から断られないお客様にお約束を受けていて、つい今、お酉《とり》さまに連れられて行ったから、今晩は遅くなりましょうッて。あなたがいらしったら、一寸《ちょいと》電話口まで出て戴きたいって、そう言って来ているんですが。……」
 私は、そうかと言って電話に出たが、固《もと》より「えゝ/\。」と言うより仕方がなかった。
 女中は、商売柄、「まことにお気の毒さまねえ、今晩だけ他《ほか》な女《の》をお遊びになっては如何《いかが》です。他にまだ好いのもありますよ。」と言ってくれたが、私はお宮を見付けてから、もう他の女は※[#「てへん+丑」、第4水準2-12-93]《ね》じ向いて見る気にもならなかった。
 まだ浅い馴染とはいいながら、それまでは行く度に機会《おり》好く思うように呼べたが、逢いたいと思う女が、そうして他の客に連れられてお酉さまに行った、と聞いては、固より有りうちのことと承知していながらも、流石に好い気持はしなかった。そういう女を思う自分の心を哀れと思うた。
「いや! また来ましょう。」と其家《そこ》を出て、そのまゝ戻ったが、私は女中達に心を見透かされたようで、独りで恥かしかった。さぞ稍然《すごすご》として見えたことであろう。
 戸外《そと》は寒い風が、道路《みち》に、時々軽い砂塵埃《すなぼこり》を捲いていた。その晩は分けて電車の音も冴えて響いた。ましてお酉《とり》さまと、女中などの言うのを聞けば、何となく冬も急がれる心地がする。
「あゝ詰らない/\。斯うして、浮々《うかうか》としていて、自分の行末は何うなるというのであろう?」と、そんなことを取留めもなく考え込んで、もちっとで電車の乗換え場を行き過ぎる処であった。心柄とはいいながら、夜風に吹き曝《さら》されて、私は眼頭に涙を潤《にじ》ませて帰った。
 それでも少しは、何かせねばならぬこともあって、二三日|間《ま》を置いてまた行った。私は電車に乗っている間が毎時《いつ》も待遠しかった。そういう時には時間の経つのを忘れているように面白い雑誌か何か持って乗った。
 その時は三四時間も待たされた。――此間《こないだ》の晩もあるのに、あんまり来ようが遅いから、来たら些《ちょい》と口説《くぜつ》を言ってやろう、それでも最う来るだろうから、一つ寝入った風をしていてやれ、と夜着の襟に顔を隠して自分から寝た気になっても見る。するとそれも、ものの十分間とは我慢しきれないで、またしても顔を出して何度見直したか知れない雑誌を繰披いて見たり、好きもせぬ煙草を無闇に吹かしたり、独りで焦れたり、嬉しがったり、浮かれたりしていた。
 火鉢の佐倉炭が、段々真赤に円くなって、冬の夜ながらも、室《へや》の中は湿《しっ》とりとしている。煙草の烟で上の方はぼんやりと淡青くなって、黒の勝った新らしい模様の友禅メリンスの小さい幕を被《き》せた電灯が朧ろに霞んで見える。
 階下《した》では女中の声も更けた。もう大分前に表の木戸を降したらしい。時々低く電話を鳴してお宮を催促しているようであった。
 やがてすうっと襖が開《あ》いて、衣擦れの音がして、枕頭《まくらもと》の火鉢の傍に黙って坐った。私は独で擽られるような気持になって凝乎《じっ》と堪えて蒲団を被ったまゝでいた。
 女は矢張し黙って軽い太息《ためいき》を洩らしている。
 私は遂々《とうとう》負けて襟から顔を出した。
 女は雲のような束髪《かみ》をしている。何時か西洋の演劇雑誌で見たことのある、西洋《あちら》の女俳優《おんなやくしゃ》のような頭髪《かみ》をしている、と思って私は仰《あおむ》けに寝ながら顔だけ少し横にして、凝乎と微笑《わら》い/\女の姿態《ようす》に見惚れていた。
 壁鼠とでもいうのか、くすんだ地に薄く茶糸《ちゃ》で七宝繋ぎを織り出した例《いつも》のお召の羽織に矢張り之れもお召の沈んだ小豆色《あずきいろ》の派手な矢絣の薄綿を着ていた。
 深夜《よふけ》の、朧に霞んだ電灯の微光《うすあかり》の下《もと》に、私は、それを、何も彼も美しいと見た。
 女は、矢張り黙っている。
「おい! どうしたの?」私は矢張り負けて静かに斯う口を切った。
「どうも遅くなって済みませんでした。」優しく口を利いて、軽く嬌態《しな》をした。
 そう言ったまゝ、後は復《ま》た黙《だま》あって此度は一層強い太息《ためいき》を洩らしながら、それまでは火鉢の縁に翳《かざ》していた両手を懐中《ふところ》に入れて、傍の一閑張りの机にぐッたりと身を凭せかけた。そうして右の掌だけ半分ほど胸の処から覗《のぞか》して、襦袢の襟を抑えた。その指に指輪が光っていた。崩れた膝の間から派手な長襦袢が溢《こぼ》れている。
 女と逢いそめてから、これでまだ四度《よたび》にしかならぬ。それが、其様《そん》な悩んだ風情を見せられるのが初めてなので、それをも、私は嬉しく美しいと自分も黙あって飽かず眺めていた。
 けれども遂々辛抱しきれないで、復た、
「どうしたの?」と重ねて柔しく問うた。すると、女は、
「はあッ」と絶え入るように更に強い太息を吐いて片袖に顔を隠して机の上に俯伏して了った。束髪《かみ》は袖に緩く乱れた。
 私は哀れに嬉しく心元なくなって来た。
 戸外《そと》を更けた新内の流しが通って行った。
「おい! 本当に何うかしたの?」私は三度《みたび》問うた。
 すると尚お暫時《しばらく》経って、女は、
「ほうッ」と、一つ深あい呼吸《いき》をして、疲れたようにそうッと顔を上げて、此度はさも思い余ったように胸元《むね》をがっくりと落して、頸を肩の上に投げたまゝ味気なさそうに、目的《あて》もなく畳の方を見詰めて居た。矢張り両手を懐中にして。
 私は何処までも凝乎とそれを見ていた。
 平常《いつも》はあまり眼に立たぬほどの切れの浅い二重瞼が少し逆上《ぼっ》となって赤く際だってしおれて見えた。睫毛が長く眸《め》を霞めている。
「何うしたい!」四度目《よたびめ》には気軽く訊ねた。「散々|私《ひと》を待たして置いて来る早々沈んで了って。何で其様な気の揉めることがあるの? 好い情人《ひと》でも何うかしたの?」
「遅くなったって私が故意に遅くしたのじゃないし。ですから、済みませんでした、と謝っているじゃありませんか。早く来ないと言ったって、方々都合が好いように行きゃしない。……はあッ、私もう斯様《こん》な商売するのが厭になった。……」うるさそうに言った。
 それまでは、機会《おり》に依っては、何処かつんと思い揚って、取澄ましているかと思えば、また甚《ひど》く慎《つつまし》やかで、愛想もそう悪くはなかったが、今夜は余程思い余ったことがあるらしく、心が悩めば悩むほど、放埒《わがまま》な感情がぴり/\と苛立って、人を人臭いとも思わぬような、自暴自棄《すてばち》な気性を見せて来た。
 その時私はます/\「こりゃ好い女を見付けた。此の先きどうか自分の持物にして、モデルにもしたい。」と腹で考えた。そう思うと尚お女が愛《お》しくなって、一層声を和げて賺《すか》すように、
「……何を言ってる? 君が早く来ないと言ってそれを何とも言ってやしないじゃないか。見給え! 斯うして温順《おとな》しく書籍《ほん》を読んで待っていたじゃないか。……戸外はさぞ寒かったろう。さッ、入ってお寝!」
「本当に済みませんでしたねえ、随分待ったでしょう。」此方《こちら》に顔を見せて微笑《え》んだ。
「さあ/\そんなことは何うでも好いわ……。」けれどもそれは女の耳に入らぬようであった。
「はあッ……私、困ったことが出来たの。」声も絶え/″\に言った。
「困った。……何うしよう? ……言って了おうか。」と一寸《ちょいと》小首を傾けたが、「言おうかなあ……言わないで置こうかッ。」と一つ舌打ちをして、「言ったら、さぞあなたが愛想を尽かすだろうなあ!」と独りで思案にくれて、とつおいつしている。私は、やゝ心元なくなって来た。
「何うしたの? ……私が愛想を尽かすようなことッて。何か知らぬが、差支えなければ言って見たら好いじゃないか。」私はその時|些《ちょっ》と胸に浮んだので、「はあ! じゃ分った! 私の知った人でも遊びに来たの?」と続けて訊いた。
「否《う》む!」と頭振《かぶり》を掉った。私も幾許《いくら》何でもまさか其様なことは無いであろうと思っていたが、あんまり心配そうに言うので、もし其様なことででもあるのかと思ったがそうでなくって、先ずそれは安心した。
「じゃ何だね? 待たして焦らしてさ! 尚おその上に唯困ったことがある、困ったことがある。……と言っていたのでは私も斯うしていれば気に掛かるじゃないか。役に立つようだったら、私も一緒に心配しようじゃないか。……何様《どん》なこと?」
「はあッ」と、まだ太息《ためいき》を吐いている。「じゃ思い切って言って了おうかなあ! ……あなたが屹度愛想を尽かすよ。……尽かさない?」うるさく訊く。
「何様《どん》なことか知らぬが尽かしゃしないよ、僕は君というものが好いんだから仮令これまでに如何《どん》なことをしていようとも何様な素姓であろうとも差支えないじゃないか。それより早く言って聞かしてくれ。宵からそう何や彼《か》に焦らされていては私の身も耐らない。」と言いは言ったが、腹では本当に拠《たよ》りない心持がして来た。
「じゃ屹度愛想尽かさない?」
「大丈夫!」
「じゃ言う! ……私には情夫《おとこ》があるの!」
「へえッ……今?」
「今……」
「何時から?」
「以前《もと》から!」
「以前から? じゃ法科大学の学生《ひと》の処に行っていたというのはあれは※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]?」私もまさかとは思っていたが、それでも少しは本当もあると思っていた。
「それもそうなの。けれどまだ其の前からあったの。」
「その前からあった! それは何様な人?」
 先刻《さっき》から一人で浮かれていた私は、真面目に心細くなって来た。そうして腹の中で、斯ういう境涯の女にはよくあり勝ちな、悪足《わるあし》でもあることと直ぐ察したから、
「遊人か何か?」続けさまに訊いた。
「いや、そうじゃないの。……それも矢張り学生は学生なの。……それもなか/\出来ることは出来る人なの……」低い声で独り恥辱《はじ》を弁解するように言った。其男《それ》を悪く言うのは、自分の古傷に触られる心地がするので、成るたけ静《そっ》として置きたいようである。
「ふむ。矢張し学生で……大学生の前から……。」私は独語《ひとりごと》のように言って考えた。
 女も、それは耳にも入らぬらしく、再び机に体を凭《もた》して考え込んでいる。
「それでその人とは今|何《ど》ういう関係なの? ――じゃ大学生の処に、欺されてお嫁に行ったというのも※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]だったね。……そうか……。」私は軽く復た独語のように言った。そうして自分から、美しゅう信じていた女の箔が急に剥げて安ッぽく思われた。温順《おとな》しいと思った女が、悪擦れのようにも思われて唯聞いただけでは少し恐《こわ》くもなって来た。
「えゝ※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]なの。……私にはその前から男があるの。……はあッ!」とまた一つ深い、太息をして、更に言葉を続けた。「私は、その男に去年の十二月から、つい此間まで隠れていたの。……もう分らないだろうと思って、一と月ほど前から此地《ここ》に来ていると、一昨日《おととい》また、それが、私のいる処を探り当てゝ出て来たの。……私、明後日《あさって》までにまた何処かへ姿を隠さねばならぬ。……ですから最早《もう》今晩きりあなたにも逢えないの。……あなたにこれを上げますから、これを記念に持って行って下さい。」と言葉は落着いて温順しいが、仕舞をてきぱきと言いつゝ腰に締めた、茶と小豆の弁慶格子の、もう可い加減古くなった、短い縮緬の下じめを解いて前に出した。
「へえッ!」と、ばかり、私は寝心よく夢みていた楽しい夢を、無理に揺り起されたようで、暫く呆れた口が塞がらなかった。けれども、しごきをやるから、これを記念に持って行ってくれ、というのは、子供らしいが、嬉しい。何という懐かしい想いをさする女だろう! 悪い男があればあっても面白い! と、吾れ識らず棄て難い心持がして、私は、
「だって、何うかならないものかねえ? そう急に隠れなくたって、……私は君と今これッきりになりたくないよ。も少し私を棄てないで置いてくれないか。……何日《いつ》かも話した通り、此の土地で初めてお蓮《れん》を呼んで、あまり好くもなかったから、二十日ばかりも足踏みしなかったが、また、ひょッと来て見たくなって、お蓮でも可いから呼べと思って、呼ぶと、蓮ちゃんがいなくって、宮ちゃんが来た。それから後は君の知っている通りだ。宮ちゃんのような女《ひと》は、また容易に目付からないもの。」
 そう言って、私は、仰けになっていた身体を跳ね起きて、女の方に向いて、蒲団の上に胡坐《あぐら》をかいた。
 お宮は、沈んだ頭振を掉って、
「いけない! 何うしても隠れなくッちゃならない!」堅く自分に決心したように底力のある声で言って、後は「ですからあなたにはお気の毒なの……。私の代りにまたお蓮さんを呼んであげて下さい。」と言葉尻を優しく愛想を言った。そうしてまた独りで思案に暮れているらしい。
 私は、喪然《がっかり》して了った。
「何うでも隠れなくってはならない! ……君には、其様《そん》な逃げ隠れをせねばならぬような人があったのか。……それには何れ一と通りならぬ理由《わけ》のあることだろうが、何うしてまあ其様なことになったの? ……そんなこととは知らず、僕は真実《ほんとう》に君を想っていた。――尤も君を想っている人は、まだ他にも沢山あるのだろうが――けれども、そういう男があると知れては、幾許思ったって仕方がない。……ねえ! 宮ちゃん! ……じゃ、せめてお前と、その人との身の上でも話して聞かしてくれないか。……もう大分遅いようだが、今晩寝ないでも聞くよ。私には扱帯《しごき》なんかよりもその方が好いよ。……私もそういうことのまんざら分らないこともない。同情するよ。……それを聞かして貰おうじゃないか。……えッ? 宮ちゃん! ……お前の国は本当何処なの?」私は、わざと陽気になって言った。
 何処かで、ボーン/\と、高く二時が鳴った。
 すると、お宮は沈み込んでいた顔を、ついと興奮したように上げて、私の問いに応じて口数少くその来歴を語った。
 一体お宮は、一口に言って見れば、単《ひと》えに※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]を商売にしているからばかりではない、その言っていることでも、その所作にも、何処までが真個《ほんとう》で何処までが※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]なのか※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]と真個との見界《みさかい》の付かないような気持をさする女性《おんな》だった。年も初め十九と言ったが、二十一か二にはなっていたろう。心の恐ろしく複雑《いりく》んで、人の口裏を察したり、眼顔を読むことの驚くほどはしこい、それでいてあどけないような、何処までも情け深そうな、たより無気《なげ》で人に憐れを催さすような、※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]を言っているかと思うと、また思い詰めれば、至って正直な処もあった。それ故その身の上ばなしも、前後《あとさき》辻褄の合わぬことも多くって、私には何処までが真個なのか分らない。
 お宮という名前も、また初めての時、下田しまと言った本当の名も、皆その他にまだ幾通かある変名《かえな》の中の一つであった。
「だから故郷《くに》は栃木と言ってるじゃないか。」お宮はうるさそうに言った。
「そうかい。……だって僕はそう聞かなかった。何時か、熊本と言ったのは※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]か、福岡と言っていたこともあったよ。……それらは皆知った男の故郷だろう。」
「そんなことは一々覚えていない。……宇都宮が本当さ!」
「何時東京に出て来たの?」
「丁度、あれは日比谷で焼討のあった時であったから、私は十五の時だ。下谷に親類があって、其処に来ている頃、その直ぐ近くの家に其男《それ》もいて、遊びに行ったり来たりしている間に次第にそういう関係になったの。」
「その人も学校に行っていたんだろうが、その時分何処の学校に行っていたんだ?」
「さあ、よく知らないけれど、師範学校とか言っていたよ。」
「師範学校? 師範学校とは少し変だな。」私は、女がまた出鱈目を云っているのか、それとも、そう思っているのか、と、真個《ほんとう》に教育の有無《あるなし》をも考えて見た。
「でも師範学枚の免状を見せたよ。」
「免状を見せた。じゃ高等であったか尋常であったか。」
「さあ、そんなことは何方《どちら》であったか、知らない。」
「その人は国は何処なんだ。年は幾つ? 何と言うの?」
「熊本。……今二十九になるかな。名は吉村定太郎というの。……それはなか/\才子なの。」
「ふむ。江馬という人と何うだ?」
「そうだなあ、才子という点から言えば、そりゃ吉村の方が才子だ。」
「男振は?」
「男は何方も好いの。」と、普通《あたりまえ》に言った。私は、それを開いて、腹では一寸|妬《や》けた。
「何うも御馳走さま! ……宮ちゃん男を拵えるのが上手と思われるナ。……そりゃまあ、学生と娘と関係するなんか、ザラに世間にあることだから、悪くばかしは言えない。が、其の吉村という人とそんな仲になって、それから何ういう理由《わけ》で、その男を逃げ隠れをするようになったり、またお前が斯様《こん》な処に来るような破目《はめ》になったんだ?」私は、何処までも優しく尋ねた。
「吉村《それ》も道楽者なの。」と、言いにくそうに言った。「あなたさぞ私に愛想が尽きたでしょう。」
「ふむ……江馬さんも温順《おとな》しい、深切な人であったが、下宿屋の娘と食付いたし、吉村さんも道楽者。……成程お前が、何時か『男はもう厭!』と言ったのに無理はないかも知れぬ。……私にしたって、斯うして斯様な処に来るのだから矢張り道楽者に違いない。……が、併しその人は何ういう道楽者か知らないが、道楽者なら道楽者として置いて、君が斯様な処に来た理由が分らないな。私には、私だって、つき合って見れば、此の土地にいる女達《ひとたち》も大凡《おおよそ》何様《どん》な人柄のくらいは見当が付く。先達て私の処に初めて寄越した手紙だって『……、多くの人は、妾等の悲境をも知らで、侮蔑を以って能事とする中《うち》に、流石は、同情を以って、その天職とせる文学者に初めて接したる、その刹那の感想は……』――ねえ、ちゃんと斯う私は君の手紙を諳記しているよ。――その刹那の感想はなんて、あんな手紙を書くのを見ると、何うしても女学生あがりという処だ。何うも君の実家《うち》だって、そう悪い家だとは思われない、加之《それに》宮ちゃんは非常に気位が高い。随分大勢女もいるが、皆な平気で商売しているのに君は自分が悲境にいることをよく知っていて、それほど侮蔑を苦痛に感じるほど高慢な人が、何うして斯様な処に来たの? ……可笑《おかし》いじゃないか。えッ宮ちゃん?」
 けれどもお宮は、それに就いては、唯、人に饒舌《しゃべ》らして置くばかりで、黙っていた。そうして此度は其の男を弁護するかのように、
「そりゃ初めはその人の世話にも随分なるにはなったの。……あなたの処に遣った、その手紙に書いているようなことも、私がよく漢語を使うのも皆其の人が先生のように教育してくれたの。……けれど、学資が来ている間はよかったけれど、その内学校を卒業するでしょう。卒業してから学資がぴったり来なくなってから困って了って、それから何することも出来なくなったの。」
「だって可笑いなあ。君がいうように、本当に師範学校に行っていて卒業したのなら、高等の方だとすると、立派なものだ。そんな人が、何故自分の手を付けた若い娘を終《しまい》に斯様《こん》な処に来なければならぬようにするか。……十五で出て来て間もなくというんだから、男を知ったのもその人が屹度初めだろう?」
「えゝ、そりゃ其の人に処女膜を破られたの。」と、それを取返しの付かぬことに思っているらしい。
「はゝゝゝ。面白いことを言うねえ。もし尋常師範ならば、成程国で卒業して、東京に出てから、ぐれるということもあるかも知れぬが、今二十九で、五年も前からだというから、年を積っても可笑しい。師範学校じゃなかろう。……お前の言うことは何うも分らない。……けれど、まあ其様《そん》な根掘り葉掘り聞く必要はないわねえ。……で、一昨日《おととい》は何うして此処に来ていることが分ったの?」
「下谷に知った家があって、其処から一昨日は電話が掛かって、一寸《ちょいと》私に来てくれと言うから、何かと思って行くと、其処に吉村が、ちゃんと来ているの。それを見ると、私ははあッと思って本当にぞっとして了った。」
「ふむ。それで何うした?」
「私は黙あッていてやった。そうすると、『何うして黙っている? お前は非道《ひど》い奴だ。俺を一体何と思っている? 殺して了うぞ。』と、恐ろしい権幕で言うから、『何と思っているッて、あなたこそ私を何と思っている?』と私も強く言ってやった。此方《こちら》でそう言うと、此度は向から優しく出るの。そうして何卒《どうぞ》これまでのようになっていてくれというの。……私は、『厭だ!』と言ってやった。其様なことを言うんなら、私は今此処で本当に殺してくれと言ってやった。……悪い奴なの。」と、さも/\悪者のように言う。
「そういうと、何う言った?」
「けれども、何うもすることは出来ないの、……元は屡《よ》く私を撲ったもんだが、それでも、此度は余程弱っていると思われて、何うもしなかった。」お宮は終《しまい》を独語《ひとりごと》のように言った。
「何うして分ったろうねえ? お前が此処にいるのが。」
「其処が才子なの。私本当に恐ろしくなるわ。方々探しても、何うしても分らなかったから、口髭《ひげ》なんか剃って了って、一寸《ちょいと》見たくらいでは見違えるようにして、私の故郷《くに》に行ったの。そうすると、家の者が、皆口じゃ何処にいるか知らない、と甘《うま》く言ったけれど、田舎者のことだから間が抜けているでしょう。すると、誰れも一寸居ない間に、吉村が状差しを探して見て、その中に私が此処から遣った手紙が見付かったの。よくそう言ってあるのに、本当に田舎者は仕様がない。」
「ふむ。お前の故郷まで行って探した! じゃ余程《よっぽど》深い仲だなあ。……そうして其の人、今何処にいるんだ? 何をしているの?」
「さあ、何処にいるか。其様なこと聞きゃしないさ。……それでも私、後で可哀そうになったから、持っていたお銭《あし》を二三円あったのを、銀貨入れのまゝそっくり遣ったよ。煙草なんかだって、悪い煙草を吸っているんだもの。……くれて遣ったよ。私。」と、ホッと息を吐いて、後は萎れて、しばらく黙っている。
「身装《なり》なんか、何様な風をしている?」
「そりゃ汚い身装をしているさ」
「どうも私には、まだ十分解らない処があるが、余程深い理由《わけ》があるらしい。宮ちゃんも少し何うかして上げれば好い。」
「何うかしてあげれば好いって、何うすることも出来やしない。際限《きり》がないんだもの。」と、お宮は、怒るように言ったが、「私もその人の為にはこれまで尽せるだけは尽しているの。初め此方《こっち》が世話になったのは、既《も》う夙《とっく》に恩は返している。何倍此方が尽しているか知れやしない。……つまり自分でも此の頃漸く、私くらいな女は、何処を探しても無いということが分って来たんでしょうと思うんだ。斯う見えても、私は、本当の心は好いんですから、そりゃ私くらい尽す女は滅多にありゃしないもの。……ですから其の人の心も、他の者には知れなくっても、私にだけは分ることは、よく分っているの。」と、しんみりとなった。
「うむ/\。そうだ。お前の言うことも、私にはよく分っている。……じゃ二人で余程《よっぽど》苦労もしたんだろう。」
「そりゃ苦労も随分した。米の一升買いもするし……私、終《しまい》には月給取って働きに出たよ。」
「へえ、そりゃえらい。何処に?」
「上野に博覧会のあった時に、あの日本橋に山本という葉茶屋があるでしょう。彼処《あすこ》の出店に会計係になっても出るし、それから神保町の東京堂の店員になって出ていたこともある。……博覧会に出ていた時なんか、暑うい時分に、私は朝早くから起きて、自分で御飯を炊いて、私が一日《いちんち》居なくっても好いようにして出て行く。その後で、晩に遅くなって帰って見ると、家では、朝から酒ばッかり飲んで、何にもしないでいるんですもの。……」
「酒飲みじゃ仕様がない。……酒乱だな。」
「えゝ酒乱なの、だから私、斯様《こん》な処にいても、酒を飲む人は嫌い。……湯島天神に家を持っていたんですが、私、一と頃生傷が絶えたことがなかった。……そんな風だから、私の方でも、終には、『あゝもう厭だ。』と思って、何か気に入らぬことがあると此方でも負けずに言うでしょう。そうすると『貴様俺に向って何言うんだ。』と言って、煙管《きせる》で撲つ、ビールの空瓶で打《ぶ》つ、煙草盆を投げ付ける。……その煙草盆を投げ付けた時であった。その時の傷がまだ残っているんです。此処に小《ちさ》い痣《あざ》が出来ているでしょう。痣なんか、私にゃありゃしなかった。」と、言って、白い顔の柔和な眉毛の下を遺恨《うらみ》のあるように、軽く指尖で抑えて見せた。それは、あるか、無いかの淡青い痣の痕であった。
 私は黙ってお宮の言うのを聞きながら、静《そっ》と其の姿態《ようす》を見|戍《まも》って、成程段々聞いていれば、何うも賢い女だ。標致《きりょう》だって、他人《ひと》には何うだか、自分にはまず気に入った。これが、まだそんな十七や八の若い身で元は皆心がらとはいいながら、男の為に、真実《ほんとう》にそういう所帯の苦労をしたかと思えば、唯いじらしくもある。自分で気にするほどでもないが、痣の痕を見れば、寧《いっ》そ其れがしおらしくも見える。私は、「おゝ」と言って抱いてやりたい気になって、
「ふむ……それは感心なことだが、併しそれほど心掛の好い人が何うして、とゞの詰り斯ういう処へ来るようになったんだろうねえ?」
 と、またころりと横になりながら、心からそう思って、余りうるさく訊くのも、却って女の痛心《こころ》に対して察しの無いことだから、さも余処《よそ》の女のことのように言ってまたしても斯う尋ねて見た。そうして、つい身につまされて、先刻《さっき》からお宮の話を聞きながらも、私は自分とお前とのことに、また熟※[#二の字点、1-2-22]《つくづく》と思入っていた。「お雪の奴、いま頃は何処に何うしているだろう? 本当に既《も》う嫁《かたづ》いているか。嫁いていなければ好いが、嫁いて居ると思えば心元なくてならぬ。最後《のち》には自分から私《ひと》を振切って行って了ったのだ。それを思えば憎い。が、元を思えば、皆《みん》な此方《こちら》が苦労をさしたからだ。あゝ、悪いことをした。彼女《あれ》も行末は何うなる身の上だろう? 浅間しくなって果てるのではなかろうか?」としみ/″\と哀れになって、斯うして静《じっ》としてはいられないような気がして来て、しばらくは、私達が丁度お宮等二人のように思われていたが、「いや/\お雪が、お宮と同じであろう道理が無い。自分がまた吉村であろう筈もない。私に、何うして斯ういう女を、終に斯様な処に来なければならぬようにするような、そんな無惨なことが出来よう!」と、私は少しく我れに返って、
「けれども其の人間も随分|非道《ひど》いねえ。そんなにして何処までも、今まで通りに夫婦《いっしょ》になっていてくれというほどならば、何故、宮ちゃんが其様なにして尽している間に、少しはお前を可愛いとは思わなかったろうねえ? お前が可愛ければ、自分でも確乎《しっかり》せねばならぬ筈だ。況《ま》して自分が初めて手を付けた若い女じゃないか!」と、人の事を全然《まるで》自分を責めるように、そう言った。
 お宮はお宮で、先刻《さっき》から黙って、独りで自分の事を考え沈んでいたようであったが、
「ですから私、何度逃げ出したか知れやしない。……その度毎に追掛けて来て捉《つかま》えて放さないんだもの……はあッ! 一昨日《おととい》からまた其の事で、彼方《あっち》此方《こっち》していた。」と、またしても太息《ためいき》ばかり吐《つ》いて、屈託し切っている。私には其大学生の江馬と吉村と女との顛末などに就いても、屹度面白い筋があるに違いない、と、それを探るのを一つは楽しくも思いながら、種々《いろいろ》と腹の中で考えて見たが、お宮に対《むか》ってはその上強いては聞こうともしなかった。唯、「で、一昨日は何と言って別れたの?」と訊ねると、
「まあ二三日《にさんち》考えさしてくれと、可い加減なことを言って帰って来た。……ですから、何うしたら好いか、あなたに智慧を借りれば好いの。……」と、其の事に種々心を砕いている所為《せい》かそれとも、唯私に対してそう言って見ただけなのか、腹から出たとも口前《くちさき》から出たとも分らないような調子で言うから、
「……智慧を借りるッたって、別に好い智慧もないが、じゃ私が何処かへ隠して上げようか。」
 と、女の思惑を察して私も唯一口そう言って見たが、此方《こちら》からそう言うと、女は、
「否《いや》! 何うしても駄目!」と頭振《かぶり》を掉《ふ》った。
「じゃ仕様がない。よく自分で考えるさ。……あゝ遅くなった。もう寝よう。君も寝たまえ。」と、言いながら、私は欠伸《あくび》を噛み殺した。
「えゝ。」と、お宮は気の抜けたような返事をして、それから五分間ばかりして、
「あなたねえ、済みませんが、今晩私を此のまゝ静《そう》ッと寝かして下さい。一昨日から何処の座敷に行っても、私身体の塩梅《あんばい》が悪いからッて、皆な、そう言って断っているの……明日の朝ねえ……はあッ神経衰弱になって了う。」と萎《な》えたように言って、横になったかと、思うと、此方に背を向けて、襟に顔を隠して了った。そうして夜具の中から「あゝ、あなた本当に済みませんが、電灯を一寸《ちょいと》捻って下さい。」
「あゝ/\。よくお寝!」
 と、私は立って電灯を消したが、頭の心《しん》が冴えて了って眠られない。
 また立って明るくして見た。お宮は眠った眼を眩しそうに細く可愛く開《あ》いて見て、口の中《うち》で何かむにゃ/\言いながら、一旦上に向けた顔を、またくるりと枕に伏せた。私は此度は幕で火影《ほかげ》を包んで置いて、それから腹這いになって、煙草を一本摘んだ。それが尽きると、また立ち上って暗くした。お宮は軈《やが》てぐっすり寝入ったらしい。……私は夜明けまで遂々《とうとう》熟睡しなかった。翌朝《あくるあさ》、お宮は、
「精神的に接するわ。」と、一つは神経の疲れていた所為《せい》もあったろうが、ひどく身体を使った。
「じゃ、これッ切り最《も》う会えないねえ。何だか残り惜しいなあ。お別れに飯でも食べよう。……何が好いか? ……かしわにしようか。」と、私は手を鳴して朝飯《めし》を誂えた。
 お宮は所在なさそうに、
「あなた、私に詩を教えて下さい。私詩が好きよッ。」と、言って自分で頼山陽の「雲乎《くもか》山乎《やまか》」を低声《こごえ》で興の無さそうに口ずさんでいる。
 その顔を、凝乎《じっ》と見ると、種々《いろん》な苦労をするか、今朝はひどく面窶《おもやつ》れがして、先刻洗って来た、昨夕《ゆうべ》の白粉の痕が青く斑点《ぶち》になって見える。「……万里泊舟天草灘《ばんりふねをはくすあまくさのなだ》……」と唯口の前《さき》だけ声を出して、大きく動かしている下腮《したあご》の骨が厭に角張って突き出ている。斯うして見れば年も三つ四つ老けて案外、そう標致《きりょう》も好くないなあ! と思った。
「ねえ! 教えて下さい。」
 と、いうから、「じゃ好いのを教えよう。」と気は進まないながら、自分の好きな張若虚の「春江花月夜《しゅんこうかげつのよ》」を教えて遣った。「これに書いて意味を教えて下さい。」というから巻紙に記して、講釈をして聞かせて遣った。「……昨夜間潭夢落花《さくやかんたんらっかをゆめむ》。可憐春半不還家《あわれむべししゅんぱんいえにかえらず》。江水流春去欲尽《こうすいりゅうしゅんさってつきんとほっす》……」という辺《あたり》は私だけには大いに心遣りのつもりがあった。
 飯は済んだが、私はまだ女を帰したくなかった。
 お宮は、心は何処を彷徨《うろつ》いているのか分らないように、懐手をして、呆然《ぼんやり》窓の処に立って、つま先きで足拍子を取りながら、何かフイ/\口の中で言って、目的《あて》もなく戸外《そと》を眺めなどしている。
「あなた、一寸々々《ちょいとちょいと》。」
 と、いうから、「えッ何?」と、立って、其処に行って見ると、
「あれ、子供が体操の真似をしている。……見ていると面白いよ。」と、水天宮の裏門で子供の遊んでいるのを面白がっている。
 私は、「何だ! 昨夜はあんな思い詰めたようなことを言って、今朝の此のフワ/\とした風は? ……」と元の座に戻りながら、不思議に思って、またしても女の態度《ようす》を見戍った。
 すると、女は、フッと此方《こちら》を振向いて、窓の処から傍に寄って来ながら、
「あなた、妾を棄てない? ……棄てないで下さい!」と、言葉に力は入っているが、それもまた口の前《さき》から出るのやら、腹の底から出たのやら分らぬような調子で言った。
「あゝ。」と、私もそれに応ずるように返事した。
「じゃ屹度棄てない? ……屹度?」重ねて言った。
 そう言われると、此方《こっち》もつい釣込まれて、
「あゝ屹度棄てやしないよ。……僕より君の方が棄てないか?」と、言ったが、真実《ほんとう》に腹から「棄てないで下さい!」と言うのならば、思い切って、何うかして下さい、とでも、も少し打明けて相談をし掛けないのであろうと、それを効《かい》なく思っていた。
 そういうと、女は黙っていた。また以前《もと》の通り何処に心があるのやら分らなかった。するとまた暫く経って、「定ったらあなたに手紙を上げますから、そうしたら何うかして下さいな。」とそう言う。此度は此方で「うむ!」と気のない返事をした。
 戸外《そと》は日が明るく照って、近所から、チーン、チーンと鍜冶の槌の音が強く耳に響いて来る。何処か少し遠い処で地を揺《ゆす》るような機械の音がする。今朝は何だか湿りっ気がない。
 勘定が大分|嵩《かさ》んだろう。……斯う長く居るつもりではなかったから、固より持合せは少かった。私は突然《だしぬけ》に好い夢を破られた失望の感と共に、少しでも勘定が不足になるのが気になって、そうしていながらも、些《ちっ》とも面白くなかった。私にはまだ自分で待合で勘定を借りた経験はなかった。お宮を早く帰せば銭《かね》も嵩まないと分っていたが、それは出来なかった。又仮令これ限《き》りお宮を見なくなるにしてもお宮のいる前で勘定の不足をするのは尚お堪えられなかった。そう思って先刻《さっき》から、一人で神経を悩ましていたが、ふっと、今日は、長田《おさだ》が社に出る日だ、彼処《あすこ》に使いを遣って、今日は最う十七日だから、今月書いた今までの分を借りよう。――それはお前も知っている通りに、始終《しょっちゅう》行《や》っていたことだ。――と、そう気が付いて、手紙の裏には「牛込区喜久井町、雪岡」と書いて車夫《つかい》に、彼方《あちら》に行ってから、若しも何処から来たと聞かれても、牛込から来た、と言わしてくれと女中に頼んだ。
 暫時《しばらく》して車夫は帰って来たが、急いで封を切って見ると、銭は入っていなくって唯、
「主筆も編輯長もまだ出社せねば、その金は渡すこと相成りがたく候。」
 と、長田の例《いつも》の乱筆で、汚い新聞社の原稿紙に、いかにも素気《そっけ》なく書いてある。私は、それを見ると、銭の入っていない失望と同時に「はっ」と胸を打たれた。成程|使者《つかい》が丁度向に行った頃が十二時時分であったろうから、主筆も編輯長もまだ出社せぬというのは、そうであろう。が、「その金は渡すこと相成り難く候。」とあるのは可怪《おかし》い。長田の編輯している日曜附録に、つまらぬことを書かして貰って僅かばかりの原稿料を、併も銭に困って、一度に、月末まで待てないで、二度に割《さ》いたりなどして受取っているのだが、分けても此の頃は種々《いろん》なことが心の面白くないことばかりで、それすら碌々に書いてもいない。けれども前借をと言えば、仮《よ》し自分が出社せぬ日であっても、これまで何時も主筆か編輯長に当てゝ幾許《いくら》の銭を雪岡に渡すように、と、長田の手紙を持ってさえ行けば、私に直ぐ受取れるように、兎に角気軽にしてくれている。然るに、仮令銭は渡せない分とも、その銭は渡すことならぬ、というその銭は、何ういうつもりで書いたのだろう? 自分は平常《ふだん》懶惰者《なまけもの》で通っている。お雪を初めその母親《おや》や兄すらも、最初こそ二足も三足も譲っていたものだが、それすら後には向からあの通り遂々《とうとう》愛想を尽かして了った。幾許自分にしても傍《はた》で見ているように理由《わけ》もなく、只々懶けるのでもないが、成程懶けているに違いない。長田は国も同じければ、学校も同時に出、また為《し》ている職業も略《ほ》ぼ似ている。それ故此の東京にいる知人の中でも長田は最も古い知人で、自分の古い頃のことから、つい近頃のことまで、長田が自分で観、また此方から一寸々々《ちょいちょい》話しただけのことは知っている。長田の心では雪岡はまた女に凝っている、あの通り、長い間一緒にいた女とも有耶無耶《うやむや》に別れて了って、段々詰らん坊になり下っている癖に、またしても、女道楽でもあるまい、と、少しは見せしめの為にその銭は渡すこと相ならぬ、という積りなのであろうか。それならば難有い訳だ。が、否《いな》! あの人間の平常《ふだん》から考えて見ても、他人《ひと》の事に立入った忠告がましいことや、口を利いたりなどする長田ではない。して見れば、此の、その銭は渡されぬという簡単な文句には、あの先達ての様子といい、長田の性質が歴然《ありあり》と出ている。これまでとても、随分向側に廻って、小蔭から種々な事に、ちびり/\邪魔をされたのが、あれにあれに、あれと眼に見えるように心に残っている。此度はまた淫売のことで崇られるかな、と平常は忘れている、其様《そん》なことが一時に念頭に上って自分をば取着く島もなく突き離されたその上に、まだ石を打付《ぶッつ》けられるかと、犇々《ひしひし》と感じながら、
「ふむ/\。」と、独り肯《うなず》き/\唯それだけの手紙を私はお宮が、
「それは何?」
 と、終《しまい》に怪しんで問うまで、長い間、黙って凝視《みつ》めていた。それ故文句も、一字一句覚えている。
 お宮にそう言われて、漸《やっ》と我れに返って、「うむ。何でもないさ!」と言って置いて、早速降りて行って、女中を小蔭に呼んで訳を話すと、女中は忽ち厭あな顔をして、
「そりゃ困りますねえ。手前共では、もう何方《どなた》にも、一切そういうことは、しないようにして居るんですが、万一そういうことがあった場合には、私共女中がお立て換えをせねばならぬことになって居るんですから。ですから其の時は時計か何か持ってお出になる品物でも一時お預りして置くようにして居りますが。」と、言いにくそうに言う。じゃ、古い外套《とんび》だが、あれでも置いとこう、と、私が座敷に戻って来ると、神経質のお宮は、もう感付いたか、些《ちょい》と顔を青くして、心配そうに、
「何事《なに》? ……何《ど》うしたの? ……何うしたの?」と、気にして聞く。私は、失敗《しくじ》った! と、穴にも入りたい心地を力《つと》めて隠して、
「否《う》む! ナニ。何でもないよ。」と言っていると、階下《した》から、
「宮ちゃん! 宮ちゃん!」と口早に呼ぶ。
 お宮は「えッ?」と降りて行ったが、直ぐ上って来て、黙って坐った。
「じゃ、もうお帰り。」と、いうと、
「そうですか。じゃもう帰りますから……種々《いろいろ》御迷惑を掛けました。」と、尋常に挨拶をして帰って行った。
 その後から、直ぐ此度は、若い三十七八の他の女中が、入り交《かわ》りに上って来て、
「本当にお気の毒さまですねえ。手前共では、もう一切そういうことはしないことにして居りますから、どうぞ悪《あし》からず思召してねえ。……あの長田さんにも随分長い間、御贔屓にして戴いて居りますけれど、あの方も本当にお堅い方で。長田さんにすら、もう一度も其様《そん》なことはございませんのですから。……況してあなたは長田さんのお友達とは承知して居りますけれどついまだ昨今のことでございますし。」
 と、さも気の毒そうな顔をして、黄色い声で、口先で世辞とも何とも付かぬことを言いながら追立てるように、其処等のものを片端《かたっぱし》からさっ/\と形付け始めた。
「えゝ、ナニ。そりゃそうですとも。私の方が済まないんです。私は今まで斯様《こん》な処で借りを拵えた覚えがないもんですから、それが極りが悪いんです。」と、心の千分の一を言葉に出して恥辱を自分で間切らした。
「あれ! 極りが悪いなんて。些ともそんな御心配はありませんわ。ナニ、斯様な失礼なことを申すのじゃございませんのですけれどねえ。」と、少し低声《こごえ》になった真似をして、「帳場が、また悪く八《や》ヶ間敷《まし》いんですから、私なんか全く困るんですよ。……時々斯うして、お客様に、女中がお気の毒な目をお掛け申して。」
「全く貴女《あんた》方にはお気の毒ですよ。……いや、何うも長居をして済みませんでした。」と、私はそんなことを言いながらも、
「あの女は、もういなくなるそうですねえ。……自分じゃ、つい此の間出たばかりだ、と言っていたが、そんなことはないでしょう。」と聞くと、
「えゝ居なくなるなんて、ことは、まだ聞きませんが、随分前からですよ。此度戻って来たのは、つい此間ですけれど、初めて出てから、もう余程になりますよ。」
 と、言う。私は「彼女《あいつ》め! 何処まで※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]を吐《つ》くか。」と思って、ます/\心に描《か》いた女の箔が褪《さ》めた思いがした。
 私は、あの古い外套《とんび》を形《かた》に置いて、桜木の入口を出たが、それでも、其れも着ていれば目に立たぬが、下には、あの、もう袖口も何処も切れた、剥げちょろけの古い米沢《よねざわ》琉球の羽織に、着物は例の、焼けて焦茶色になった秩父銘仙の綿入れを着て、堅く腕組みをしながら玄関を下りた時の心持は、吾れながら、自分の見下げ果てた状態《ざま》[#「状態」は底本では「状熊」]が、歴々《ありあり》と眼に映るようで、思い做しばかりではない、女中の「左様なら! どうぞお近い内に!」という送り出す声は、背後《うしろ》から冷水を浴せ掛けられているようであった。
 昨夜《ゆうべ》は、お宮の来るのが、遅いので、女中が気にして時々顔を出しては、「……いえ。あの娘《こ》のいる家は、恐ろしい慾張りなもんですから、一寸でも時間があると、御座敷へ出さすものですから、それで斯う遅くなるのです。……本当にお気の毒さまねえ。でも、もう追付け参りましょうから。」と詫びながら柔かいお召のどてらなどを持って来て貸してくれた。私はそれを、悠然と着込んで待っていたのだが、用事《よう》のある者は、皆な、それぞれ忙しそうにしている時分に、日の射している中を、昨夜に変る、今朝の此の姿は、色男の器量を瞬く間に下げて了ったようで、音も響も耳に入らず、眼に付くものも眼に入らず、消え入るように、勢《せい》も力もなく電車に乗ったが、私は切符を買うのも気が進まなかった。
 喜久井町の自家《うち》に戻ると、もう彼れ是れ二時を過ぎていた。さて詰らなさそうに戻って見れば、家の中は今更に、水の退《ひ》いた跡のようで、何の気《け》もしない。何処か、其処らに執《と》り着く物でもいるのではないかと思われるように、またぞっと寂しさが募る。私は、落ちるように机の前に尻を置いて、「ほうッ」と、一つ太息を吐いて、見るともなく眼を遣ると、もう幾日《いくか》も/\形付けをせぬ机の上は、塵埃《ほこり》だらけな種々《いろん》なものが、重なり放題重なって、何処から手の付けようもない。それを見ると、また続けて太息が出る。「あゝ!」と思いながら、脇を向いて、此度は、背を凹ますように捻じまげて何気なく、奥の六畳の方を振返ると、あの薄暗い壁際に、矢張りお前の箪笥がある。其れには平常《いつも》の通り、用箪笥だの、針箱などが重ねてあって、その上には、何時からか長いこと、桃色|甲斐絹《かいき》の裏の付いた糸織の、古うい前掛に包んだ火熨斗《ひのし》が吊してある。「あの前掛は大方十年も前に締めたのであろう!」と思いながら私は、あの暗い天井の隅々を、一遍ぐるりッと見廻した。そうして、また箪笥の方に気が付くと、あの抽斗《ひきだし》も、下の方の、お前の僅ばかりの物で、重《おも》なるものの入っていそうな処は、最初《はじめ》から錠を下してあったが、でも上の二つは、――私の物も少しは入っているし、――何か知ら、種々《いろん》なものがあって、錠も下さないであったが、婆さんがしたのか、誰れがしたのか、何時の間にかお前の物は、余処々々《よそよそ》しく、他へ入れ換えて了って、今では唯上《たった》の一つが、抽《ぬ》き差し出来るだけで、それには私の単衣《ひとえ》が二三枚あるばかりだ。……「一体何処に何うしているんだろう?」と、また暫時《しばら》く其様《そん》なことを思い沈んでいたが、……お宮も何処かへ行って了うと、言う。加之《それに》今朝のことを思い出せば、遠く離れた此処に斯うしていても、何とも言うに言えない失態《ぶざま》が未だに身に付き纏うているようで、唯あの土地を、思っても厭な心持がする。ナニ糞! と思って了えば好いのだが、そう思えないのは矢張りお宮に心が残るのであろう。と、ふっと自分が可笑《おかし》くもなって、独り笑いをした。
 後はまた、それからそれへと種々なことを取留めもなく考えながら、呆然《ぼんやり》縁側に立って、遠くの方を見ると、晩秋《あき》の空は見上げるように高く、清浄《きれい》に晴れ渡って、世間が静かで、冷《ひい》やりと、自然《ひとりで》に好い気持がして来る。向の高台の上の方に、何処かの工場の烟であろう? 緩く立迷っている。
 それ等を見るともなく見ると、私は、あゝ、自分は秋が好きであった。誰れに向っても、自分は秋が好きだ/\、と言って、秋をば自分の時節が回《めぐ》って来たように、その静かなのを却って楽しく賑かなものに思っていたのだが、此の四五年来というもの、年一年と何《ど》の年を考え出して見ても楽しい筈であった其の秋の楽しかったことがない。毎年《いつ》も唯そわ/\と、心ばかり急がしそうにしている間《ま》に経って行って了う。分けて此の秋くらい、斯うして斯様《こん》なに寂しい思いのするのは、初めて覚えることだ。何よりも一つは年齢《とし》の所為《せい》かも知れぬ。白髪《しらが》さえ頻りに眼に付いて来た。加之《それに》段々、予期していたことが、実際とは違って来るのに、気が付くに連れて、世の中の事物《もの》が、何も彼も大抵興が醒めたような心持がする。――昨夕《ゆうべ》のお宮が丁度それだ。あゝいう境遇にいる女性《おんな》だから、何うせ清浄《きれい》なものであろう筈も無いのだが、何につけ事物を善く美しゅう、真個《ほんと》のように思い込み勝ちな自分は、あのお宮が最初からそう思われてならなかった。すると昨夕から今朝にかけて美しいお宮が普通《あたりまえ》な淫売《おんな》になって了った。口の利きようからして次第に粗末《ぞんざい》な口を利いた。自分の思っていたお宮が今更に懐かしい――。が、あのお宮は真実《ほんとう》に去《い》って了うか知らん? ――自分は何うも夢を真実と思い込む性癖《くせ》がある。それをお雪は屡※[#二の字点、1-2-22]言って、「あなたは空想家だ。小栗風葉の書いた欽哉《きんや》にそっくりだ。」と、戯談《からか》うように「欽哉々々。」と言っては、「そんな目算《あて》も無いことばかり考えていないで、もっと手近なことを、さっ/\と為《な》さいな!」と、たしなめたしなめした。本当に、自分は、今に、もっと良いことがある、今に、もっと良いことがある、と夢ばかり見ていた。けれども、私を空想家だ空想家だと言った、あのお雪が矢張り空想勝ちな人間であった。「今にあなたが良くなるだろう、今に良くなるだろう、と思っていても何時まで経っても良くならないのだもの。」と、あの晩|彼女《あれ》が言ったことは、自分でも熟※[#二の字点、1-2-22]《つくづく》とそう思ったからであろうが、私には、あゝ言ったあの調子が悲哀《みじめ》なように思われて、何時までも忘れられない。彼女《あれ》も私と一緒に、自分の福運《うん》を只夢を見ていたのだ。私は遂々《とうとう》其の夢を本当にしてやることが出来なかった。七年の長い間のことを、今では、さも、詰らない夢を見て年齢《とし》ばかり取って了った、と、恨んで居るであろう。年々ひどく顔の皺を気にしては、
「私の眼の下の此の皺は、あなたが拵えたのだ。私は此の皺だけは恨みがある。……これは、あの音羽《おとわ》にいた時分に、あんまり貧乏の苦労をさせられたお蔭で出来たんだ。」
 と、二三年来、鏡を見ると、時々それを言っていた。……そんなことを思いながら、フッと庭に目を遣ると、杉垣の傍の、笹混りの草の葉が、既《も》う紅葉《もみじ》するのは、して、何時か末枯《すが》れて了っている中に、ひょろ/\ッと、身長《せい》ばかり伸びて、勢《せい》の無いコスモスが三四本わびしそうに咲き遅れている。
 これは此の六月の初めに、遂々《とうとう》話が着いて、彼女《あれ》が彼の女中の心配までして置いて、あの関口台町から此家《ここ》へ帰って来る時分に、彼家《あすこ》の庭によく育っていたのを、
「あなた、あのコスモスを少し持って行きますよ。自家《うち》の庭に植えるんですから。」と、それでも楽しそうに言って、箪笥や蒲団の包みと一緒に荷車に載せて持って戻ったのだが、誰れが植えたか、投げ植えるようにしてあるのが、今時分になって、漸《よ》う/\数えるほどの花が白く開いている。
 あゝ、そう思えば、あの戸袋の下の、壁際にある秋海棠《しゅうかいどう》も、あの時持って来たのであった。先達て中|始終《しょっちゅう》秋雨《あめ》の降り朽ちているのに、後から後からと蕾を付けて、根《こん》好く咲いているな、と思って、折々眼に付く度に、そう思っていたが、其れは既う咲き止んだ。
 六月、七月、八月、九月、十月、十一月と、丁度半歳になる。あの後《あと》、何うも不自由で仕方が無い。夏は何うせ東京には居られないのだから、旅行《たび》をするまでと、言って、また後を追うて此家に暫時《しばらく》一緒になって、それから、七月の十八日であった。いよ/\箱根に二月ばかし行く。それが最後の別れだ、と言って、立つ前の日の朝、一緒に出て、二人の白単衣《しろかたびら》を買った。それを着て行かれるように、丁度盆時分からかけて暑い中を、私は早く寝て了ったが、独り徹夜をして縫い上げて、自分の敷蒲団の下に敷いて寝て、敷伸《しきの》しをしてくれた。朝、眼を覚して見ると、もう自分は起きていて、まだ寝衣《ねまき》のまゝ、詰らなそうに、考え込んだ顔をして、静《じっ》と黙って煙草を吸っていた。もう年が年でもあるし、小柄な、痩せた、標致《きりょう》も、よくない女であったが、あゝ、それを思うと、一層みじめなような気がする。それから新橋まで私を送って、暫時汽車の窓の外に立っていたが、別に話すこともなかった。私の方でも口を利くのも怠儀であった。
「斯うしていても際限《きり》がないから、……私、最早《もう》帰りますよ。じゃこれで一生会いません。」と、傍《あたり》を憚るように、低声《こごえ》で強いて笑うようにして言った。
 私は「うむ!」と、唯一口、首肯《うなず》くのやら、頭振《かぶり》を掉《ふ》るのやら自分でも分らないように言った。
 それから汽車に乗っている間、窓の枠に頭を凭《もた》して、乗客《ひと》の顔の見えない方ばかりに眼をやって静《じっ》と思いに耽っていた。――彼地《あちら》に行っても面白くないから、それで、またしても戻って来たのだが、斯うしていても、あの年齢を取った、血気《ちのけ》のない、悧巧そうな顔が、明白《ありあり》と眼に見える。……あれから、あゝして、あゝしている間に秋海棠も咲き、コスモスも咲いて、日は流れるように経って了った。……
 それにしても、胸に納まらぬのは、あの長田の手紙の文句だ。帰途《かえり》に電車の中でも、勢いその事ばかりが考えられたが、此度のお宮に就いては、悪戯《いたずら》じゃない嫉妬《やきもち》だ。洒落《しゃ》れた唯の悪戯は長田のしそうなことではない。……碌に銭《かね》も持たないで長居をするなどは、誰れに話したって、自分が悪い。それに就いて人は怨まれぬ。が、あの手紙を書いた長田の心持は、忌々《いまいま》しさに、打壊《ぶちこわ》しをやるに違いない。何ういう心であるか、余処《よそ》ながら見て置かねばならぬ。もし間違って、此方《こちら》の察した通りでなかったならば、其れこそ幸いだが。それにしても、他人《ひと》との間に些《ちょっ》とでも荒立った気持でいるのは、自分には斯う静《じっ》と独りでいても、耐《こら》えられない。兎に角行って様子を見よう。自家にいても何だか心が落着かぬ。
 と、また出て長田の処に行った。
 長田は、もう一と月も前《さき》から、目白坂の、あの、水田の居たあとの、二階のある家に越して来ていたから、行くには近かった。――長田は言うに及ばず、その水田でも前に言った△△新聞社の上田でも、村田でも、其の他これから後で名をいう人達も、凡てお前の一寸でも知っている人ばかりだ。――
 長田は、丁度居たが、二階に上って行くと、平常《いつも》は大抵|此方《こちら》から何か知ら、初め口を利くのが、その時は、長田に似ず、何か自分で気の済まぬことでも、私に仕向けたのを笑いで間切らすように、些《ちょっ》と顔に愛嬌をして、
「今日も少し使者《つかい》の来るのが遅かったら、好かったんだが、……明日《あす》でも自分で社に行くと可い。」と言う。
「うむ。なに、一寸相変らずまた小遣が無くなったもんだから。」と、私は、何時も屡《よ》くいう通りに言って、何気なく笑っていた。すると、長田は、意地悪そうな顔をして、
「他人《ひと》が使う銭《かね》だから、そりゃ何に使っても可い理由《わけ》なんだ。……何に使っても可い理由なんだ。」と、私に向って言うよりも、自分の何か、胸に潜んでいることに向って言っているように、軽く首肯《うなず》きながら言った。
 私は、「妙なことを言う。じゃ確適《てっきり》と此方で想像した通りであった。」と腹で肯《うなず》いた。が、それにしても、彼様《あん》なことをいう処を見れば、今朝の使者が何処から行ったということを長田のことだから、最う見抜いているのではなかろうか、とも思いながら、俺が道楽に銭を遣うことに就いて言っているのだろう、それは飲み込んでいる、というように、
「はゝゝ。」と私は抑えた笑い方をして、それに無言の答えをしていた。けれども何処から使者が行ったかは気が付いていないらしい。
 けれども、お宮はあの通り隠れると言ったから、本当にいなくなるかも知れぬ。若し矢張りいるにしても、いなくなると言って置いた方が事がなくって好い。無残々々《むざむざ》と人に話すには、惜いような昨夕《ゆうべ》であったが、寧《いっ》そ長田に話して了って、岡嫉きの気持を和《やわら》がした方が可い。と私は即座に決心して、
「例のは、もう居なくなるよ。二三日《にさんち》あと一寸《ちょいと》行ったが、彼女《あれ》には悪い情夫《おとこ》が付いている。初め大学生の処に嫁に行っていたなんて言っていたが、まさか其様《そん》な事は無いだろうと思っていたが、その通りだった。その男を去年の十二月から、つい此間《こないだ》まで隠れていたんだが、其奴がまた探しあてて出て来たから二三日中にまた何処かへ隠れねばならぬ、と言って記念に持っていてくれって僕に古臭いしごき[#「しごき」に傍点]なんかをくれたりした。……少しの間面白い夢を見たが、最早《もう》覚めた。あゝ! あゝ! もう行かない。」
 笑い/\、そう言うと、長田は興ありそうに聞いていたが、居なくなると言ったので初めて、稍《やや》同情したらしい笑顔になって、私の顔を珍らしく優しく見戍《みまも》りながら、
「本当に、一寸だったなあ。……そういうようなのが果敢き縁《えにし》というのだなあ!」
 と、私の心を咏歎するように言った。私もそれにつれて、少しじめ/\した心地になって、唯、
「うむ!」と言っていると、
「本当にいなくなるか知らん? そういうような奴は屡《よ》くあるんだが、其様なことを言っても、なか/\急に何処へも行きゃしないって。……そうかと思っていると、まだ居ると思った奴が、此度行って見ると、もういなくなっている、なんて言うことは屡くあることなんだから。」と、長田は自分の従来《これまで》の経験から割り出したことは確だと、いうように一寸首を傾けて、キッとした顔をしながら半分は独言のように言った。
 私は、凝乎《じっ》と、その言葉を聞きながら顔色を見ていると、
「その内是非一つ行って見てやろう。」という心が歴々《ありあり》と見える。
「或はそうかも知れない。」と私はそれに応じて答えた。
 暫時《しばらく》そんなことを話していたが、長田は忙しそうであったから、早く出て戻った。
 自家《うち》に戻ると、日の短い最中だから、四時頃からもう暗くなったが、何をする気にもなれず、また矢張り机に凭《よ》って掌に額を支えたまゝ静《じっ》としていると、段々気が滅入り込むようで、何か確乎《しっかり》としたものにでも執り付いていなければ、何処かへ奪《さら》われて行きそうだ。そうして薄暗くなって行く室《へや》の中では、頭の中に、お宮の、初めて逢った晩のあの驚くように長く続いた痙攣。深夜《よふけ》の朧に霞んだ電灯の微光《うすあかり》の下《もと》に惜気もなく露出して、任せた柔い真白い胸もと。それから今朝「精神的に接するわ」と言った、あの時のこと、その他折によって、種々《いろいろ》に変って、此方《こちら》の眼に映った眉毛、目元口付、むっちりとした白い掌先《てさき》、くゝれの出来た手首などが明歴《ありあり》と浮き上って忘れられない。……それが最早《もう》居なくなって了うのだと思うと、尚お明らかに眼に残る。
 私は、何うかして、此の寂しく廃《すた》れたような心持を、少しでも陽気に引立てる工夫はないものか、と考えながら何の気なく、其処にあった新聞を取上げて見ていると、有楽座で今晩丁度呂昇の「新口村《にのくちむら》」がある。これは好いものがある。これなりと聞きに行こう、と、八時を過ぎてから出掛けた。
 そういうようにして、お宮に夢中になっていたから、勝手に付けては、殆ど毎日のように行っていた矢来の婆さんの家《ところ》へは此の十日ばかりというもの、パッタリと忘れたように、足踏みしなかったが、お宮がいなくなって見ると、また矢張り婆さんの家が恋しくなって、久振りに行って見た。婆さんは何時も根好く状袋を張っていたが、例《いつも》の優しい声で、
「おや、雪岡さん、何うなさいました? 此の頃はチットもお顔をお見せなさいませんなあ。何処かお加減でも悪いのかと思って、おばさんは心配していましたよ。」と言いながら、眼鏡越しに私を見戍って、「雪岡さん、頭髪《かみ》なんかつんで、大層綺麗におめかしして。」と、尚お私の方を見て微笑《わら》っている。
「えゝ暫時御無沙汰をしていました。」
 と言っていると、
「雪岡さん。あなた既《も》う好い情婦《おんな》が出来たんですってねえ。大層早く拵えてねえ。」と、あの婆さんのことだから、言葉に情愛を付けて面白く言う。私は、ハテ不思議だ、屹度お宮のことを言うのだろうが、何うしてそれが瞬く間に此の婆さんの家《ところ》にまで分ったろうか、と思って、首を傾けながら
「えゝ、少しゃそれに似たこともあったんですが、何うして、それがおばさんに分って?」
「ですから悪いことは出来ませんよ。……チャンと私には分ってますよ。」
「へえ! 不思議ですねえ。」
「不思議でしょう。……此の間お雪さんが柳町へ来た序《ついで》に、また一寸寄った、と言って、私の家へ来て、『まあ、おばさん。聞いて下さい。雪岡は何うでしょう、既う情婦を拵えてよ。矢張りまた前年《いつか》のように浜町か蠣殻町《かきがらちょう》らしいの。……あの人のは三十を過ぎてから覚えた道楽だから、もう一生止まない。だから愛想が尽きて了う。』ッて、お雪さんが自分でそう言っていました。……雪岡さん、本当に悪いことは言わないから淫売婦《いんばい》なんかお止しなさい。あなたの男が下るばかりだから。」と思い掛けもないことを言う。
「へーえッ……驚いたねえ! お雪が、そう言った。不思議だ! ※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]だろう。おばさん可い加減なことを言っているんでしょう。お雪が其様《そん》なことを知っている理由《わけ》がないもの。……」
「不思議でしょう! ……あなた此の頃、頭髪《あたま》に付ける香油《あぶら》かなんか買って来たでしょう。ちゃんと机の上に瓶が置いてあるというではありませんか。そうして鏡を見ては頭髪《かみ》を梳《と》いているでしょう。」婆さんは、若い者と違って、別段に冷かすなどという風もなく、そういうことにも言い馴れた、という風に、初めから終《しまい》まで同じような句調で、落着き払って、柔らかに言う。
「へーえッ! 其様《そん》なことまで! 何うしてそれが分ったでしょう?」
「それから女の処から屡《よ》く手紙が来るというではありませんか。」
「へッ! 手紙の来ることまで!」
 私は本当に呆れて了った。そうして自然《ひとりで》に頭部《あたま》に手を遣りながら、「気味が悪いなあ! お雪の奴、来て見ていたんだろうか。……彼奴屹度来て見たに違い無い。」
「否《いや》、お雪さんは行きゃしないが、お母《っか》さんが、お雪さんの処へ行って、そう言ったんでしょう。……そうして此の頃何だか、ひどくソワ/\して、一寸々々《ちょいちょい》泊っても来るって。帰ると思って、戸を締めないで置くもんだから不用心で仕様が無いって。」
「へーえッ! あの婆さんが、そう言った。※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]だ! 年寄に其様なことが、一々分る道理《わけ》が無いもの。」
「それでも、お母さんが、そう言ったって。お母さんですよ。違やあしませんよ。……あれで矢張し吾が娘《こ》に関したことだから、幾許《いくら》年を取っていても、気に掛けているんでしょうよ、……何うしても雪岡という人は駄目だから、お前も、もう其の積りでいるが好いって、お雪さんに、そう言っていたそうですよ。」
「へーえッ! そうですかなあ! 本当に済まないなあ!」私は真《しん》から済まないと思った。
「ですからお雪さんだって、あなたの動静《ようす》を遠くから、あゝして見ているんですよ。嫁《かたづ》いてなんかいやしませんよ。」
「そうでしょうか?」
「そうですよ。それに違いありませんよ……此の間も私の話を聞いて、お雪さん、独りで大層笑っていましたっけ……私が、『お雪さん、雪岡さんがねえ。時々私の家《ところ》へ来ては、婆やのように、おばさん/\と、くさやで、お茶漬を一杯呼んで下さいと言って、自家《うち》に無ければ、自分で買って来て、それを私には出来ないから、おばさんに焼いて、むしってくれって、箸を持ってちゃんと待っているのよ。』と言ったら、お雪さんが、『まあ! 其様なことまでいうの? 本当に雪岡には呆れて了う。おばさんを捉《つかま》えて私に言う通りに言っているのよ。』と独りではあはあ[#「はあはあ」に傍点]言って笑っていましたよ。」と婆さんは、言葉に甘味《うまみ》を付けて、静かに微笑《わら》いながら、そう言った。
 私も「へーえ、お雪公、其様なことを言っていましたか。」と言いながら笑った。
 淫売婦《いんばい》と思えば汚いけれどお宮は、ひどく気に入った女だったが、彼女《あれ》がいなくなっても、お前が時々、矢来《ここ》へ来て其様なことを言って、婆さんと、蔭ながらでも私の噂をしているかと思えば、思い做しにも自分の世界が賑かになったようで、お宮のことも諦められそうな気持がして、
「矢張り何処に居るとも言いませんでしたか。」
 と、訊ねて見たが、婆さんも、
「言わないッ! 何処にいるか、それだけは私が何と言って聞いても、『まあ/\それだけは。』と言って何うしても明さない。」
 と、さも/\其れだけは、力に及ばぬように言う。
 そうなると、矢張り私の心元なさは少しも減じない。それからそれへと、種々《いろん》なことが思われて、相変らず心の遣りばに迷いながら、気抜けがしたようになって、またしても、以前のように何処という目的《あて》もなく方々歩き廻った。けれどもお宮という者を知らない時分に歩き廻ったのとはまた気持が大分違う。寂しくって物足りないのは同じだが、その有楽座の新口村を聴いてから、あの「……薄尾花《すすきおばな》も冬枯れて……」と、呂昇の透き徹るような、高い声を張り上げて語った処が、何時までも耳に残っていて、それがお宮を懐かしいと思う情《こころ》を誘《そそ》って、自分でも時々可笑いと思うくらい心が浮《うわ》ついて、世間が何となく陽気に思われる。私は湯に入っても、便所に行っても其処を口ずさんで、お宮を思っていた。
 明後日《あさって》までに何とか定《き》めて了わなければならぬ、と、言っていたから、二日ばかりは其様《そん》な取留めもないことばかりを思っていたが、丁度その日になって、日本橋の辺を彷徨《うろうろ》しながら、有り合せた自動電話に入って、そのお宮のいる沢村という家へ聞くと、お宮は居なくて、主婦《おかみ》が出て、
「えゝ、宮ちゃん。そういうことを言うにゃ言っていたようですけれど、まだ急に何処へも行きゃしないでしょう。荷物もまだ自家《うち》に置いているくらいですもの。……ですから、御安心なさい、また何うか来てやって下さい。」と、流石に商売柄、此方《こちら》から正直に女から聞いた通りを口に出して訊ねて見ても、其様な悪い情夫《おとこ》の付いていることなんか、少しも知らぬことのように、何でもなく言う。
 兎に角、そう言うから、じゃお宮という女|奴《め》、何を言っているのか、知れたものじゃない、と思いもしたが、まだ何処へも行きゃしないというので安心した。斯うしてブラ/\としていても、まだ心の目的《あて》の楽しみがあるような気がする。けれども其処にいるとすれば、何れ長田のことだから、此の間も、あの「本当に何処かへ行くか知らん?」と言っていた処を見ると、遣って行くに相違ない。その他|固《もと》より種々《いろん》な嫖客《きゃく》に出る。これまでは其様なことが、そう気にならなかったが、しごきをくれた心が忘れられないばかりではない、あれからは女が自分の物のように思われてならぬ、と思い詰めれば其様な気がするが、よく考えれば、その吉村という切っても切れぬらしい情夫がある。……自分でも「いけない!」というし、情夫のある者は何うすることも出来ない。と言って、あゝして、あのまゝ置くのも惜しくって心元ない。銭《かね》がうんと有れば十日でも二十日でも居続けていたい。
「あゝ銭が欲しいなあ!」と、私は盗坊《どろぼう》というものは、斯ういう時分にするのかも知れぬ、と其様なことまで下らなく思いあぐんで、日を暮らしていた。
 そんなにして自家に独りでいても何事《なん》にも手に付かないし、そうかと言って出歩いても心は少しも落着かない。それで、またしても自動電話に入ってお宮の処に電話を掛けて見る。
「宮ちゃん、お前あんなことを言っていたから、私は本当かと思っていたのに、主婦さんに聞くと、何処にも行かないというじゃないか。君は※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]ばっかり言っているよ。君がいてくれれば僕には好いんだが、あの時は喪然《がっかり》して了ったよ。」と恨むように言うと、
「えゝ、そう思うには思ったんですけれど、種々《いろいろ》都合があってねえ。……それに自家の姉さんも、まあ、も少し考えたが好いというしねえ。……あなたまた入らしって下さい。」
「あゝ、行くよ。」
 と、言うようなことを言って、何時まででも電話で話をしていた。行く銭が無い時には、私は五銭の白銅一つで、せめて電話でお宮と話をして虫を堪《こら》えていた。電話を掛けると、大抵は女中か、主婦かが初め電話口に出て、「今日、宮ちゃんいるかね?」と聞くと、「えゝ、いますよ。」と言って、それからお宮が出て来るのだが、その出て来る間の、たった一分間ほどが、私にはぞくぞく[#「ぞくぞく」に傍点]として待たれた。お宮が出て来ると、毎時《いつ》も、眼を瞑《つぶ》ったような静かな、優しい声で、
「えゝ、あなた、雪岡さん? わたし宮ですよ。」と、定ってそう言う。その「わたし宮ですよ。」という、何とも言うに言えない句調が、私の心を溶かして了うようで、それを聞いていると、少し細長い笑窪の出来た、物を言う口元が歴々《ありあり》と眼に見える。
「じゃその内行くからねえ。」と、言って、「左様なら、切るよ。」と、言うと、「あゝ、もし/\。あゝ、もし/\。雪岡さん!」と呼び掛けて、切らせない。此度は、「さよなら! じゃ、いらっしゃいな! 切りますよ。」と、向から言うと、私が、「あゝもし/\。もし/\。宮ちゃん宮ちゃん、一寸々々《ちょいとちょいと》。まだ話すことがあるんだよ。」と何か話すことがありそうに言って追掛《おっか》ける。終《しまい》にはわざと、両方で、
「左様なら!」
「さよなら!」
 を言って、後を黙《だま》あっていて見せる。私は、お宮の方でも、そうだろうと思っていた。
 そうして交換手に「もう五分間来ましたよ。」と、催促をせられて、そのまゝ惜しいが切って了うこともあったが、後には、あと[#「あと」に傍点]からまた一つ落して、続けることもあった。白銅を三つ入れたこともあれば、十銭銀貨を入れたこともあった。私は、気にして、始終《しょっちゅう》白銅を絶やさないようにしていた。
 珍らしく一週間も経って、桜木では、此の間のようなこともあったし、元々|其家《そこ》は長田の定宿のようになっている処だから、また何様《どん》なことで、何が分るかも知れないと思って、お宮に電話で、桜木は何だか厭だから、是非何処か、お前の知った他の待合《うち》にしてというと、それではこれ/\の処に菊水という、桜木ほどに清潔《きれい》ではないが、私の気の置けない小《ちさ》い家があるから、と、約束をして、私は、ものの一と月も顔を見なかったような、急々《せかせか》した心持をしながら、電話で聞いただけでは、其の菊水という家もよく分らないし、一つは沢村という家は何様な家か見て置きたいとも思って、人形町の停留場で降りて、行って見ると、成程|蠣殻町《かきがらちょう》二丁目十四番地に、沢村ヒサと女名前の小い表札を打った家がある。古ぼけた二階建の棟割り長屋で、狭い間口の硝子戸をぴったり締め切って、店前《みせさき》に、言い訳のように、数えられるほど「敷島」だの「大和」だのを並べて、他に半紙とか、状袋のようなものを少しばかり置いている。ぐっと差し出した軒灯に、通りすがりにも、よく眼に付くように、向って行く方に向けて赤く大きな煙草の葉を印《しるし》に描《か》いている。「斯ういう処にいて働《かせ》ぎに出るのかなあ!」と、私は、穢《きたな》いような、浅間しいような気がして、暫時《しばらく》戸外《そと》に立ったまゝ静《そっ》と内の様子を見ていた。
「御免!」
 と言って、私は出て来た女に、身を隠すようにして、低声《こごえ》で、「私、雪岡ですが、宮ちゃんいますか。」と、言いながら、愛想に「敷島」を一つ買った。「あゝ、そうですか。じゃ一寸お待ちなさい!」と、次の間に入って行ったが、また出て来て、「宮ちゃん、其方《そっち》の戸外の方から行きますから。」と、密々《ひそひそ》と言う。
 私は何処から出て来るのだろう? と思って、戸外に突立っていると、直ぐ壁隣の洋食屋の先きの、廂合《ひあわ》いのような薄闇《うすくらが》りの中から、ふいと、真白に塗った顔を出して、お宮が、
「ほゝ、あはゝゝゝ。……雪岡さん?」と懐かしそうに言う。
 変な処から出て来たと思いながら、「おや! 其様な処から!」と言いながら、傍に寄って行くと、「あはゝゝゝ暫くねえ! 何うしていて?」と、向からも寄り添うて来る。
 其処《そこら》の火灯《あかり》で、夜眼にも、今宵は、紅をさした脣をだらしなく開けて、此方を仰《あおの》くようにして笑っているのが分る、私は外套《とんび》の胸を、女の胸に押付けるようにして、
「何うしていたかッて? ……電話で話した通りじゃないかッ……人に入らぬ心配さして!」
 女は「あはゝゝゝ」と笑ってばかしいる。
「おい! 菊水というのは何処だい?」
「あなたあんなに言っても分らないの? 直ぐ其処を突き当って、一寸右に向くと、左手に狭い横町があるから、それを入って行くと直き分ってよ。……その横町の入口に、幾個《いくつ》も軒灯が出ているから、その内に菊水と書いたのもありますよ。よく目を明けて御覧なさい! ……先刻《さっき》、私、お場から帰りに寄って、あなたが来るから、座敷を空けて置くように、よくそう言って置いたから……二畳の小さい好い室《へや》があるから、早く其室へ行って待っていらっしゃい。私、直ぐ後から行くから。」と嬉々《いそいそ》としている。
「そうか。じゃ直ぐお出で! ……畜生! 直ぐ来ないと承知しないぞッ!」と、私は一つ睨んで置いて、菊水に行った。
 お宮は直ぐ後から来て、今晩はまだ早いから、何処か其処らの寄席《よせ》にでも行きましょう、という。それは好かろうと、菊水の老婢《ばあさん》を連れて、薬師の宮松に呂清を聴きに行った。
 私は、もうぐっと色男になったつもりになって、蟇口をお宮に渡して了って、二階の先きの方に上って、二人を前に坐らせて、自分はその背後《うしろ》に横になって、心を遊ばせていた。
 此間《こないだ》、有楽座に行った時には、此座《ここ》へお宮を連れて来たら、さぞ見素《みす》ぼらしいであろう、と思ったが、此席《ここ》では何うであろうか、と、思いながら、便所に行った時、向側の階下《した》の処から、一寸お宮の方を見ると、色だけは人並より優れて白い。
 その晩、
「吉村という人、それから何うした?」と聞くと、
「矢張りそのまゝいるわ。」と、言う。
「そのまゝッて何処にいるの?」
「何処か、柳島の方にいるとか言っていた。……私、本当に何処かへ行って了うかも知れないよ。」と、萎れたように言う。
 私は、居るのだと思っていれば、また其様《そん》なことをいう、と思って、はっと落胆しながら、
「君の言うことは、始終《しょっちゅう》変っているねえ。も少し居たら好いじゃないか。」と、私は、斯うしている内に何うか出来るであろうと思って、引留めるように言った。けれども女は、それには答えないで、
「……私また吉村が可哀そうになって了った。……昨日、手紙を読んで私|真個《ほんとう》に泣いたよ。」と、率直に、此の間と打って変って今晩は、染々《しみじみ》と吉村を可哀そうな者に言う。
 そう言うと、妙なもので、此度は吉村とお宮との仲が、いくらか小僧いように思われた。
「へッ! 此の間、彼様《あん》なに悪い人間のように言っていたものが、何うしてまた、そう遽《にわ》かに可哀そうになった?」私は軽く冷かすように言った。
「……手紙の文句がまた甘《うま》いんだもの。そりゃ文章なんか実に甘いの。才子だなあ! 私感心して了った。斯う人に同情を起さすように、同情を起さすように書いてあるの。」と、独りで感心している。
「へーえ。そうかなあ。」と、私はあまり好い心持はしないで、気の無い返事をしながらも、腹では、フン、文章が甘いッて、何れほど甘いんであろう? 馬鹿にされたような気もして、
「お前なんか、何を言っているか分りゃしない。じゃ向の言うように、一緒になっていたら好いじゃないか。何も斯様《こん》な処にいないでも。」
 そういうと女は、
「其様なことが出来るものか。」と、一口にけなして了う。
 私は、これは、愈※[#二の字点、1-2-22]聞いて見たいと思ったが、その上強いては聞かなかった。
 お宮のことに就いて、長田の心がよく分ってから、以後その事に就いては、断じて此方《こちら》から口にせぬ方が可いと思ったが、誰れの処ということなく寂しいと思えば、遊びに行く私のことだから、……先達てから二週間ばかりも経って久振りに遊びに行くと、丁度其処へ饗庭《あえば》――これもお前の、よく知った人だ。――が来ていたが、何かの話が途切れた機会《はずみ》に、長田が、
「お宮は其の後何うした?」と訊く。
 私は、なるたけ避けて静《そっ》として置きたいが、腹一杯であったから、
「もう、お宮のことに就いては、何も言わないで置いてくれ。」と、一寸左の掌《て》を出して、拝む真似をして笑って、言うと、長田は唯じろ/\と、笑っていたが、暫時《しばらく》して、
「あの女は寝顔の好い女だ。」
 と、一口言って私の顔を見た。
 私は、その時、はっ[#「はっ」に傍点]となって「じゃ愈※[#二の字点、1-2-22]」と思ったが強いて何気ない体《てい》を装うて、
「じゃ、買ったのかい?」と軽く笑って訊いた。
「うむ! ……一生君には言うまいと思っていたけれど、……此間《こないだ》行って見た。ふゝん!」と嘲笑《あざわら》うように、私の顔を見て言った。
「まあ可いさ。何うせ種々《いろいろ》の奴が買っているんだからね……支那人にも出たと言っていたよ。」私は固《もと》より好い気持のする理由《わけ》はないが、何うせ斯うなると承知していたから、案外平気で居られた。すると、長田は、
「ふゝん、そりゃ其様なこともあるだろうが、知らない者なら幾許《いくら》買っても可いが、併し吾々の内に知った人間が買ったことが分ると、最早《もう》連れて来ることも何うすることも出来ないだろう! ……変な気がするだろう。」と、ざまを見ろ! 好い気味だというように、段々|恐《こわ》い顔をして、鼻の先で「ふゝん!」と言っている。
「変な気は、しやしないよ。」と避けようとすると、
「ふゝん! それでも少しは変な気がする筈だ。……変な気がするだろう!」負け吝《おし》みを言うな、※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]だろう、というように冷笑する。
 それでも私は却って此方から長田を宥《なだ》めるように、
「可いじゃないか。支那人や癩病《かったい》と違って君だと清浄《きれい》に素姓が分っているから。……まあ構わないさ!」と苦笑に間切らして、見て見ぬ振りをしながら、一寸長田の顔を見ると、何とも言えない、執念深い眼で此方を見ている。私は、慄然《ぞっ》とするような気がして、これはなるたけ障らぬようにして置くが好いと思って、後を黙っていると、先は、反対《あべこべ》に、何処までも、それを追掛《おっか》けるように、
「此の頃は吾々の知った者が、多勢|彼処《あすこ》に行くそうだが、僕は、最早あんな処に余り行かないようにしなければならん。……安井なんかも、屡《よ》く行くそうだ。それから生田《うぶた》なんかも時々行くそうだから、屹度安井や生田なんかも買っているに違いない。生田が買っていると、一番面白いんだが。あはゝゝゝ。だから知った者は多い。あはゝゝゝ。」と、何処までも引絡んで厭がらせを存分に言おうとする。生田というのは、自家《うち》に長田の弟と時々遊びに来た、あの眼の片眼悪い人間のことだ。……あんまり執拗《しつこ》いから、私も次第に胸に据えかねて、此方が初め悪いことでもしはしまいし、何という無理な厭味を言う、と、今更に呆れたが、長田の面と向った、無遠慮な厭味は年来耳に馴れているので尚お静《じっ》と耐《こら》えて、
「君と青山とは、一生岡焼をして暮す人間だね。」と、矢張り笑って居ろうとして、ふッと長田と私との間に坐っている右手の饗庭の顔を見ると、饗庭が、何とも言えない独り居り場に困っているというような顔をして私の顔を凝乎《じっ》と見ている。その顔を見ると自分は泣き顔をしているのではないか、と思って、悄気《しょげ》た風を見せまいと一層心を励まして顔に笑いを出そうとしていると、長田は、ますます癖の白い歯を、イーンと露《あらわ》して嬲《なぶ》り殺しの止《とど》めでも刺すかのように、荒い鼻呼吸をしながら、
「雪岡が買った奴だと思ったらいやな気がしたが、ちぇッ! 此奴《こいつ》姦通するつもりで遊んでやれと思って汚《よご》す積りで呼んでやった。はゝゝゝゝ。君とお宮とを侮辱するつもりで遊んでやった。」とせゝら笑いをして、悪毒《あくど》く厭味を言った。
 けれども私は、「何うしてそんなことを言うのか?」と言った処が詰まらないし、立上って喧嘩をすれば野暮になる。それに忌々しさの嫉妬心から打壊しを遣ったのだ、ということは十分に飲込めているから、何事《なに》に就けても嫉妬心が強くって、直ぐまたそれを表に出す人間だが其様なにもお宮のことが焼けたかなあ、と思いながら、私は長田の嫉妬心の強いのを今更に恐れていた。
 それと共に、また自分の知った女をそれまでに羨まれたと思えば却って長田の心が気の毒なような気も少しは、して、それから、そういう毒々しい侮辱の心持でしたと思えば、何だかお宮も可哀そうな、自分も可哀そうな気分になって来た。私はそんなことを思って打壊された痛《つら》い心と、面と向って突掛《つっかか》られる荒立つ心とを凝乎《じっ》と取鎮めようとしていた。他の二人も暫時《しばらく》黙って座が変になっていた。すると饗庭が、
「あゝ、今日会いましたよ。」と、微笑《にこにこ》しながら、私の顔を見て言う。
「誰れに?」と、聞くと、
「奥さんに。つい、其処の山吹町の通りで。」
 すると長田が、横合から口を出して、「僕が会えば好かったのに。……そうすれば面白かった。ふゝん。」という。私は、それには素知らぬ顔をして、
「何とか言っていましたか。」
「いえ。別に何とも。……唯皆様に宜《よ》く言って下さいって。」
 すると、また長田が横から口を出して、
「ふゝん。彼奴《あいつ》も一つ俺れが口説いたら何うだろう。はゝッ。」と、毒々しく当り散す。
 それを聞いて、仮令口先だけの戯談《じょうだん》にもせよ、ひどいことを言うと思って、私は、ぐっと癪に障った。今まで散々|種々《いろん》なことを、言い放題言わして置いたというのはお宮は何うせ売り物買い物の淫売婦《いんばい》だ。長田が買わないたって誰れが買っているのか分りゃしない。先刻《さっき》から黙あって聞いていれば、随分人を嘲弄したことを言っている。それでも此方《こちら》が強いて笑って聞き流して居ようとするのは、其様《そん》な詰まらないことで、男同士が物を言い合ったりなどするのが見っともないからだ。
 お雪は今立派な商人《あきんど》の娘と、いうじゃない。またあゝいう処にも手伝ってもいたし以前|嫁《かたづ》いていた処もあんまり人聞きの好い処じゃなかった。あれから七年此の方、自分と、彼《ああ》なって斯《こ》うなったという筋道を知っているが為に、人を卑《さげす》んでそんなことを言うが、仮令見る影もない貧乏な生計《くらし》をして来ようとも、また其の間が何ういう関係であったろうとも、苟《かりそ》めにも人の妻でいたものを捉《つかま》えて、「彼奴も、一つ俺が口説いたら何うだろう。」とは何だ。此方で何処までも温順《おとな》しく苦笑で、済していれば付け上って虫けらかなんぞのように思っている。いって自分の損になるような人間に向っては、其様なことは、おくびにも出し得ない癖に、一文もたそくにならないやくざ[#「やくざ」に傍点]な人間だと思って、人を馬鹿にしやがるないッ。
 と、忽ちそう感じて湧々《わくわく》する胸を撫でるように堪えながら、向の顔を凝乎と見ると、長田は、その浅黒い、意地の悪い顔を此方に向けて、じろ/\と視ている。
「彼奴も俺が口説いたら何うだろう。」と、いうその自暴糞《やけくそ》な出放題な言い草の口裏には、自分の始終《しょっちゅう》行っている蠣殻町で、此方が案外好い女と知って、しごきなどを貰った、ということが嫉けて嫉けて、焦《じ》れ/\して、それで其様なことを口走ったのだということが、明歴《まざ》と見え透いている。
 そう思って、また凝乎と長田の顔色を読みながら、自分の波のように騒ぐ心を落着け落着けしていたが、饗庭は先刻その長田の言った言葉を聞くと、同時にまた気の毒な顔をして私を見ていたが、二人が後を黙っているので、暫時経ってから何と思ったか、
「あの人可いじゃありませんか。……私なんか本当に感服していたんですよ。感服していたんですよ。……」と、誰れにも柔かな饗庭のことだから、平常《ふだん》略《ほ》ぼ知っている私の離別に事寄せてその場の私を軽く慰めるように言う。
「えゝ、何うもそう行かない理由《わけ》があるもんですから。」と詳しく事情を知らぬ饗庭に答えていると、また長田が口を出して、
「ありゃ、細君にするなんて、初めから其様な気はなかったんだろう。一寸《ちょいと》家を持つから来てくれって、それから、ずる/\にあゝなったんだろう。」
 と、にべも艶もなく、人を馬鹿にしたように、鼻の先で言った。
 私は、成程、男と女と一緒になるには、種々《いろん》な風で一緒になるのだから、長田が、そう思えば、それで可いのだが、饗庭が、仮令その場限りのことにしても、折角そう言って、面白くも無い、気持を悪くするような話を和げようとしているのに、また面と向って、そんなことを言う、何という言葉遣いをする人間だろう! と思って、返答の仕様もないから、それには答えず、黙ってまた長田の顔を見たが、お宮のことが忌々しさに気が荒立っているのは分り切っている。そう思うと、後には腹の中で可笑くもなって、怒られもしないという気になった。で、それよりも寧《いっ》そ悄気《しょげ》た照れ隠しに、先達ての、あのしごきをくれた時のことを、面白く詳しく話して、陽気に浮かれていた方が好い、他人《ひと》に話すに惜しい晩であった、と、これまでは、其の事をちびり、ちびり思い出しては独り嬉しい、甘い思い出を歓《たの》しんでいたが、斯う打《ぶ》ち壊されて、荒されて見ると大事に蔵《しま》っていたとて詰らぬことだ。――あゝそれを思えば残念だが、何うせ斯うなるとは、ずっと以前「直ぐ行って聞いて見てやった。」と言った時から分っていたことだ、と種々《いろん》なことが逆上《こみあが》って、咽喉の奥では咽《むせ》ぶような気がするのを静《じっ》と堪《こら》えながら、表面《うわべ》は陽気に面白可笑く、二人のいる前で、前《さっき》言った、しごきをくれた夜《よ》の様を女の身振や声色まで真似をして話した。

[#地付き](明治四十三年四月「早稲田文学」)

底本:「黒髪・別れたる妻に送る手紙」講談社文芸文庫、講談社
   1997(平成9)年6月10日第1刷発行
底本の親本:「日本現代文学全集45 近松秋江・葛西善蔵集」講談社
   1965(昭和40)年10月
※作品名は底本の親本では『別れた妻に送る手紙』ですが、「本書では、単行本『別れたる妻に送る手紙』(大正二年十月南北社刊)の表記に従った。」と書かれていました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:kompass
校正:土屋隆
2004年8月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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近松秋江

箱根の山々—– 近松秋江

 夏が來て、また山の地方を懷かしむ感情が自然に私の胸に慘んでくるのを覺える。何といつても山を樂しむのは夏のことである。曾遊の夏の山水風光を、かうして今都會の中にゐて追憶して見るさへ懷かしさに堪へないで、魂飛び神往くの思ひがするのである。
 日光の奧中禪寺湖の短艇《ボート》の上で遠く仰望した男體山の雄姿。そこからまだ三里の山奧を巡つて入つていつた湯の湖の畔、自然がいかなる妙技を以つて作り成したかと思はれる人工その物の如き庭園の草樹を分けて流れる潺流の美、盛夏八月既に秋冷を感ずる湯元の浴舍の座敷から眞青な夏草に被はれた前白根の清らかな色を眺めた時、又はその前白根の突兀たる頂邊に夕月の輝きそめる宵、晩涼に乘じて古い神話の中にでもありさうな幽暗なる湯の湖の上に輕舟を操りながら、まるで魔界の巨人の如き男體山の肩背の桔梗色に黄昏れてゆくその崇嚴な美に見惚れた時、いづれか私の自然に對する感情を騷がさしめぬものはない。けれどその美しい日光の山の湖水の色も、私の弱い心には徃々にして唯美しいといふよりは寧ろ不可思議な、そして怖しい自然となつて威壓を加へるかのごとく映ずることがある。それに比べると箱根は、日光のごとき崇拜の感じには乏しいけれど、一層の安らかさを感ずる。靜に心を落着け、病弱の體を休息せしめようとするには箱根の方が好ましい。
 私は去年の夏の半ばから秋の始めへかけて二た月ばかり箱根にいつてゐた時分のことを今そゞろに想ひ起してゐる。その年は六月の末からかけて七月一ぱい八月の初十日ごろまで息をも次がさぬほどの炎暑で、東京などでは屋敷の隅に生えた桃の若木のやうな草木などはあまりの日照りに枯死してしまふ有樣であつた。私はその八月の十日に立つて箱根にいつた。私がゆくと二三日して、がらりと天候が一變して、連日駿河灣の方から箱根山彙を越して吹いて來る西南の風は涼しいといふよりも寒いほどの雨氣を含んでゐた。殊に私の滯在してゐる海拔二千五百尺の蘆の湯のあるところは、すぐ浴舍の後に聳え立つ駒ヶ岳と双子山との峽になつてゐるので、蘆の湯から双子山の麓を巡つて元箱根の町のある方に降りてゆく一と筋の坦道、鶯坂といつて八月の半ばまで箱根竹の叢藪の中で一日鶯の鳴きしきつてゐる、坂のあるあたりは蘆の湖の水を含んだ冷い雨風が顏をも向けられないやうに強く吹いてゐた。湯疲れのした湯治客などが毎日の雨天に球突にも碁や將棋にも飽いて、浴衣のうへに貸し褞袍を重ねて番傘を翳しながら其處らを退屈さうにぶら/\歩いてゐたりするのを見掛けるが、彼等は少し歩くと詰らないので、すぐ引返へしてしまふ。そこになると日本人に比べて西洋人は男も女も實に感心するほど勇ましく活溌である。彼等は雨が降らうが何が降らうが第一着物がすつかり防水の用意が出來てゐるので雨天には雨天の身裝をして晴天と同じやうに一日も缺かさず運動をする。彼等は病人か何かでない限り温泉はなくとも多く蘆の湖畔に避暑してゐる。そして定つて毎日そこら中の山道を跋渉する、私が散歩してゐると毎日よく見る其ある二三人づれの婦人など、どれも縹緻は好くない女達であつたが、靴の上に草鞋を穿いて雨中の山道を歩いてゆくのであつた。どうかすると夜道を湖水まで歸つてゆくので懇意な店屋に寄つて、店頭から、
「提燈々々。」と呼ぶ。
 すると世辭のいゝ、そこの内儀や娘は尻輕に立ち上つて、
「奧樣、まあお遲くから。これからお歸りになるのは大變ですねえ。」
 などゝ言ひつゝ、手早く大きな文字で屋號を記した提燈を取つて蝋燭に火を點しながら渡すと、
「おゝ、大變々々。ありがたう。」
 などゝアクセントの違つた日本語を店頭に殘しておいて歸つてゆく。
 その時分からずつと九月の末まで五十日ばかりの間雨天の日の方が多かつた山の上でも、偶《たま》には清い初秋の風が習々と高原を吹いてゆくやうな美しい日に出會ふことがあつた。この模樣なら明日もまた雨であらうとおもつてゐて翌朝起きてみると陰晴定めない高い山の上は相模灘の方から朦々として湧き上つて來る白い水蒸氣に峯も溪も人家も埋つてしまひ、わづかに大空の眞中のところが少許り明るい日光を洩してゐるばかりである。さういふ日は山の上の天氣は今日は好晴であることが分る。その水蒸氣の湧くのを見てゐるのも夏の高山生活の一興である。蘆の湯は箱根七湯の中でも最も高い位地にある。その爲め蘆の湖から吹き送る濕氣が多くていけないなどゝいふ者があるが、併しその相模灘から湧き上つてくる水煮氣が刻々千變萬化の奇趣妙景を盡しつゝやがて雲となり溪を埋め、峯を這ひ大空を蔽うてゆく有樣を見ようとすれば蘆の湯に足を逗めてゐなければならぬ。それは蘆の湯のある處が箱根山彙中の最も展望に都合の好い位地にあるからだ。蘆の湯から一里ばかり下の中腹にある小涌谷《こわくだに》や底倉、宮の下などは旅館も完備してゐて入湯するには何斯《なにか》が便利ではあるが散歩はいつも溪の底の單調な一と筋道に限られてゐる。そこから仰ぐ明星ヶ岳、明神岳の眞青な夏の姿も美しくないことはないが眼界は上の方に比べてひどく狹められてゐる。小涌谷まで登ると眺望は底倉あたりよりは遙に遠く展けてくる。けれども、蘆の湯附近の峯々の、相模灘の煙波を遠く眺めうる形勢の地勢に比ぶべくもない。國府津、大磯から江の島につづく津々浦々に打寄する波頭は丁度白銀の蛇の蜿れるごとく、靜に眸を澄すと三浦半島の長嘴は淡藍色の影を遠く雲煙漂渺の境に曳き、その尖端海に沒するところ、あるかなきかの青螺のごとく微に水に浮んで見えるのは三浦半島の城ヶ島である。
 蘆の湯はちよつと其處らの小山に登つてもそんなに展望の利くところにあるから、どちらにゆくにも道は四方八方に通じてゐて窮るところがない。日に幾臺となく自動車の馳走する九十九折せる坦道を小涌谷の方へ降りてゆく順路に沿うて歩いてゆくと道の右方にあたつて舊東海道の通ずる古い大溪谷の眺望が深く抉つたやうに展望される。私はそこの緩い勾配をなしてゐる往還に櫻木の杖を曳きながら宛然大きな生物が口を開けたやうな溪谷を眺めるのが好きである。そこから見ると双子山が一入雄偉な容姿に見え上双子と下双子とが須雲川の深い溪谷にまで長く裾を曳いてゐるのも何となく壯大な感を起さしめる。好晴の日に相模灘から湧いて來る水蒸氣が、小田原口から早川の溪を眼がけて押寄せ、湯本から二派に分れて一團は早川の溪を埋め、明星ヶ岳、明神ヶ岳の峯を這ひつつ次第に西北に進んで宮城野の村を深い霧の底に沈め、金時山から足柄峠、長尾峠に向つて長驅する。私は、いつもそれを蘆の湯の笛塚山に登つて觀測する。そして一脈は、天氣の好い日であると須雲川の溪を埋めつゝ、舊東海道に沿うて車を進め、聖ヶ岳と鷹の巣山との中腹を掩ひ双子山の裾を這ひ、肩を隱し倍々《ます/\》奔騰して蘆の湯の空を渡り、駒ヶ岳神社に向つて突進する。それが雨後の濕つた天氣の日であると、白い雲霧は丁度深い水の底に澄んでゐる眞鯉の背の如き濃藍色をした聖ヶ岳の中腹を靜に搖曳してゐる。
 夕陽が駒ヶ岳の彼方に沈んでゆく頃の山々の美しさといふ者はない。駒ヶ岳は灰白色の雲霧に隱れてしまつて、日頃の懷しい姿はどこにあるかさへ分らない。太陽も雲嵐の奧に影を沒して、たゞ僅に微薄の白光を洩してゐるので、あのあたりにゐるといふことを思ふばかりである。そして、ところどころ煙霧の稀薄になつたところに、まるで無數の金粉を播き散らしたやうな夕映えが水蒸氣となつて煙り、日の射さない處は凝乎と不動の姿勢でゐるかと思はれるやうな雲霧もその實非常な急速力で盛に渦卷きつつ奔騰をつづけてゐるのであることが分る。さうして稍※[#二の字点、1-2-22]暫く見詰めてゐるうちに、どうかすると深い雲霧の中から山の一角を微に顯はすことがある。この時の駒ヶ岳は平常好晴の日に仰ぐ駒ヶ岳とは全く違つた非常な神祕なものゝのやうに思はれることがある。
 それに反して好く晴れた日の駒ヶ岳は清楚な感じがある。笛塚山または稍※[#二の字点、1-2-22]遠く離れて鷹巣山あたりから眺めると薄や刈萱などの夏草に掩はれた眞青な單色を遮ぎる一木もない、大きなヘルメットの如き圓い山の膚に丁度編靴の紐のやうな九十九折りせる山徑が裾から頂上まで通じてゐて、眞白い服裝を西洋人の男女がそこを登つてゆくのが小さく認められる。蘆の湯から頂上まで一里半。婦人や子供でも午前中に行つて來られる。少しの危險のない、優しい山である。そこに登ると展望は更に大きい。富士山は手に取るやうにすぐ西北の空に聳つてゐる。眼の下には蘆の湖の水が碧く湛へてゐる。が、駒ヶ岳は東に向いた方を小涌谷から登つて來る道から眺めたよりも、蘆の湯から双子山の裾をめぐつて蘆の湖の方におりてゆくその途上より仰ぐのが最も優れてゐる。丁度蘆の湖の東岸に沿うて長く裾を曳いてゐるその傾斜が今歩いてゐる往還のところまで緩い傾斜の一線を引いてゐる。好く晴れた日でも紗のやうな輕い浮雲を頂邊に着けてゐることがある。少し曇り勝ちの日だと直ぐ雲霧に被れて蘆の湖から湧き上る水蒸氣が丁度腰から肩のあたりを疾風のごとき勢で双子山との峽の方に吹いて通る。そこの往還から見晴しの茶屋あたりまでのところから仰いだ駒ヶ岳は何ともいへない懷しい姿である。私はそこの駒ヶ岳を最も好む。駒ヶ岳の、さうであるのに反して、その邊から眺めた双子山の南に面したところは、何となく人を脅すやうな感じを與へる。往還から舊東海道の方に向つて深い溪になつてゐて、双子山の裾は美しい一線を長くその方に曳てゐる。そして一面薄をもつて被はれた山膚の處々に凄じい焦黒色をした太古の火山岩が磊々として轉がつてゐて、中には今にも頭のうへから落ちかゝつて來さうな形をしてゐる。そこから仰いだ双子山はたゞ何となく憂欝な恐怖の感に滿ちた山である。昔の所謂箱根八里の峠を越して往來をした旅人の眼にはきつと最も強い印象を殘した山であつたにちがひない。見晴しの茶屋から、幾曲りかせる新道のだらだら坂を元箱根の方に降りていつて、舊街道に沿うた湖畔の八町の杉並木を通り越し、箱根町のところから振顧つて眺めた双子山の形も亦た印象深い容をしてゐる。私は蘆の湯からいつもの櫻のステッキを曳きながら一里ばかりの道を湖水の方に散歩して、そのローマンチックな突兀とした双子山の山容を仰ぎ眺めることを樂みにしてゐた。
 湖水の享樂は限りがないが、私は去年の秋一度箱根町から塔ヶ島の離宮の傍をめぐつて元箱根まで僅かの距離を舟に乘つたことがあつた。嘗ては宮の下から大地獄の方を巡つて湖尻から舟に乘り駒ヶ岳を仰ぎながら箱根町に着いたことがあつたが、それはもう今から十二三年も昔のことで、明瞭な印象が殘つてゐないが、去年の時くらゐ湖水の色を美しいと思つたことはない。それは避暑の客も大方退散した九月の十八日であつた。毎日降りつゞく秋雨に一日湯に入るのと部屋の中に閉籠つてゐるのに倦み果てゝ山の上の人人は頻に天日の輝きを望んでゐた。するとその日になつて空はめづらしく晴れ、拭うたやうな碧空は瑠璃の如く清く輝き、ところ/″\に紗のやうな薄い白雲が漂うてゐるばかり、夏の頃の重く濕つた風とちがひ、爽やかな輕い初秋の風が習々と輕いセルの袖を吹いた。九月になつてからはその方には長く降りてゆかなかつたので、私はあまりの好い天氣に浮かれたやうな心地になつて櫻のステッキを曳きながらぶらぶらと歩いていつた。そしていつもの八町の杉並木を通り拔けて舊關所の趾から箱根町の方へといつた。そこらからが双子山の突兀とした容を仰ぐに最もいゝ。私は双子山を眺めながら箱根町を歩いてみた。
 日本人の浴客が八月一ぱいで殆ど退き揚げていつてからも西洋人は九月の十日頃まではこの湖畔に殘つてゐるのであるが、それすらもう殆ど全部山を降りてしまつて眞夏の頃の賑かさはなくなつて、湖水の上にも舟の影は絶えてゐる。私は、ふと歸途は舟で元箱根までかへつてみる氣になつて、船頭を呼んだ。船頭は、この間からの雨で、もう舟などに乘る客はないだらうといつて舟は悉く水涯から遠く砂の上に曳き上げてあつたのを、夫婦がゝりで丸太棒を轉がして水に浮べた。莚と毛布とを持つて來て坐るところを設けてくれた。私は、近いところだからそれには及ばぬと辭退しつゝ舟に乘つて横木のうへに腰を掛け、舟が漸次沖の方へ滑つてゆくにつれて四圍の風景を顧望してゐた。夏の頃とちがつた湖のうへは遠く澄み、駒ヶ岳の裾を吹き下して來る風はもう冷いほど強く肌に沁みた。塔ヶ島の水際に續いたさゞれ石を洗つてゐる水の色も先達て中とはちがつてひどく秋寂びてゐる駒ヶ岳の裾はそのあたりの湖の上から眺めるのが最もいゝ。その長く引いた裾根が蘆の湖の水に達《とゞ》かうとする稍※[#二の字点、1-2-22]平な處に、岩崎男爵家のコッテージ風の別莊がある。丁度スチュヂオなどの繪画雜誌で見る如きピクチュアエスクな家造りで、初め、あれが岩崎男爵家の別莊と聞いた時には、すぐ吾々の平生の心の習慣から富豪の獨占を嫉み憤る念がちよいと頭を擡げかけたけれど、それも仕方がないと稍※[#二の字点、1-2-22]諦め心地になりつゝ尚ほ凝乎と眺めてゐると、もしこのコッテージがなかつたならば、荒蓼として見えるべき箱根の風景が、寧ろそれあるがために自然の景致に一點の情味を加へて、却つて親しみのあるものに感じられて來るのである。其等の風光に見惚れてゐるうちに舟はいつの間にか塔ヶ島の鼻をめぐつて元箱根から八町の杉並木を一眸に見渡されるところに進んできた。私はその時見たくらゐ杉の色の美しさを未だ嘗て見たことがなかつた。日光の東照宮山内の杉の色の美しさも忘れることが出來ぬのであるが、しかしその時湖の上からある距離を置いて遠く眺めた蘆の湖畔の杉の色の美しさといふものはない。どんな天才が丹青の妙技を凝しても、その杉の色の美はとても人工で描き出せるものではないと思ひながら、私は飽くことなく、ぢつとその杉の美に見惚れてゐた。その間に舟は段々元箱根の方に進んでゆくにつれて一としきり杉並木の方にも段々近寄りつゝ通つていつた。さうなると今までの美しさは恰も幻影のごとく次第に減じてきた。元箱根の上の方に突兀としてローマンチックな情景を點出してゐた双子山も段々近づくにつれて、その怪奇な姿から、やゝ平凡な山の形に變つてきた。
 私がもし箱根山彙中の峯々によつて異る奇趣妙景について名を選するならば駒ヶ岳は前にいつたやうに夏の姿をもつて最も優れりとする。双子山もこれを蘆の湯の方の西北から仰いだのでは何等の奇景がない。それに反して南面舊街道の溪谷から見上げるか、或は蘆の湯より鷹巣山の方に向つて降つてゆく時、道の右側須雲川の大溪谷に面して長く裾根を曳いてゐる方面が最も雄偉の感じを與へる。それと箱根町の湖畔からやゝ遠く距離を置いて仰いだローマンチックな姿である。新道から須雲川の大溪谷に向つた方面には特に雲嵐矢よりも速く上騰してゐる時を選ぶ。
 そして駒ヶ岳の晴天に仰ぐべき山であるに反し、蘆の湯方面より見た聖ヶ岳は、私は殊に雨後の景を好むのである。雨後の空がまだどんより灰白色に曇つてゐる時三千尺の聖ヶ岳は須雲川の溪谷の彼方に屏々として眞鯉の背の如き濃藍色の山膚をくつきりと浮出してゐる。そんな時には眞綿の如き純白の雲が腰から下を横樣に棚曳いたまゝ凝乎と動かずにゐる。それを見てゐると自から氣が澄んで靜かな心持ちにならしめる。さういふ時に耳の近くで蜩の晩涼を告ぐる銀鈴が爽かに響くと、もう堪らなく心が澄んで、名稱し難い希望と感興が湧いてくる。
 八月末頃になると駒ヶ岳神山の裾から笛塚山、蓬莱山にかけて見る限り一面の茅原が可愛い淡紅の薄の穗を抽きそめる。それにまじつて女郎花、兜菊、野菊、米蓼、萩などが黄紫とりどりの色彩を添へる。去年蘆の湯にゐる間私の最も多く散歩した處は前いつたやうに双子山の麓を通つて蘆の湖へ降りてゆく新道、蘆の湯から舊道の辨天山の下を通つて池尻に降り茶屋の前で一度新道に出て、それから新道に即《つ》いたり離れたりしながら翠緑鮮かな松林の中を穿つて通じてゐる舊道の細徑を傳うて小涌谷に達する間。それから鷹巣山、笛塚山などへもよく上つていつた。松林の中を分けて舊道を小涌谷の方に歩いて來ると、もうそこら中に女郎花が點々黄色い花をつけてゐる。湯の宿にも客はめつきり減り、道を歩いてゐる人影も眞夏の頃と違ひ甚だ稀に、一山|闃《げき》として、氣爽かに、心自から澄み、神冴え何を思うてみても、それが何處までゞも深くふかく考へることが出來る。東京にゐたならば僅かに四町か五町の道を歩いても脚よりも先づ神經の方が四圍の物のために疲れを感ずるのに、山の中では嘗てそんな憂ひはない。私は例の櫻のステッキを杖つきながら、松林から吐き出す強いオゾンの香を呼吸して、細徑を穿つて歩いてゆく、段々下へゆくにつれて、今まで自分と同じ高さにゐた笛塚山、鷹巣山は次第に高くたかくなり、近くから見ると平凡であつた山の形もそれとゝもに何かしら尊い威容を備へて頭の上から臨んでゐる。笛塚山は後三年の役に、新羅三郎義光が、兄の義家が清原武衡と戰ひ利あらざるを聞き、己れの官職を辭して遠く奧州の地に赴き援けんとする時、義光が笙の師豐原時元の子時秋が、乃父の祕曲を傳へてゐる義光の後を迫ふて足柄山に到り、一夜明月の下に山上に楯を布いて坐し、笙を吹奏して祕曲を授かつた。その古跡として傳へられてゐるところである。果してその笛塚山が楯を布いた跡かどうかは知らないが、笛塚といはれてゐる處には大きな岩石が重なり合つてゐて上が三疊敷ぐらゐに平つたくなつてゐる。私は苅萱の穗波をわけて雲霧の美しい好晴の日には必ずそこまで登つていつた。鷹巣山は昔し小田原北條氏の出城のあつた跡と言ひつたへられてゐる。白茅ばかりおひ茂つたその山の背を淺間山、城山、湯坂山と、どこまでも傳うてゆくと一里半ばかりで徑は獨りでに湯本まで通じてゐる。湯本から蘆の湯に達するにはこの道を往くのが最も捷徑である。これは湯坂道といつて、昔の間道である。秋晴の日などに展望を恣にしやうと思ふなら、その峯を傳うてゆくに越したことはない。湯本から順路を宮の下に取つてゆくと、溪ばかりを往くことになつて眺望が利かない。然るに鷹巣山の背を歩いてゆくと、殆ど箱根山彙の全景を双眸に集めることができる。
 それから前いつた道に戻つて小涌谷におりてゆく臺の茶屋から小涌谷の平、二の平、強羅の平を越して遠く明神ヶ岳に溪の底に群つてゐる宮城野の村を見下ろしたのも懷かしい。池尻か、臺の茶屋に熄ひながら初秋の冷涼そのものゝ如き梨の汁を啜りつゝ、すぐ眉の上に聳つ鷹巣山と峯つゞきなる宮の下の淺間山と二の平と強羅の傾斜との彼方に早川の溪が抉つたやうに深く掘れてゐる。その上に明神ヶ岳は屏々として、濃藍色に暮れてゆかうとしてゐる。明日の晴を報ずる白い雲の千切れが刻々|茜《あかね》色に夕映てゐる碧空に向つて飄々として上騰し、金時山、足柄山の方へ進んでゆく、池尻の茶屋の老婆は
「毎日々々よく降りましたが、明日はどうやらお天氣らしうございます。雲の具合が大變よろしうございます。」といふ。
 さういふ言葉にはもう何十年の昔しからこの山に住み馴れた經驗から雲の動靜や暮れゆく山の色、空の夕燒の模樣で天候を卜する知識を得てゐるらしい。
「あゝ、あの雲はお天氣らしい雲だねえ。」
「左樣でございますよ。あの雲が明神ヶ岳のところをあゝ西へ上つてゆくと明日はお天氣がよろしうございます。」
 そんな話を交はしてゐるうちにも山は黒く靜に暮色に包まれてゆく。それとともにすぐ眼の下の小涌谷あたりに丁度夏の宵の星くづを數へるやうに彼方にも此方にも燈火が瞬きをはじめる。一番遠くの谷の底に暮靄の中に微かに見えてゐるのは宮城野の人家の灯である。吾々がたゞ見てさへ懷かしい。況してその村から、家にゐれば氣まゝにしてゐられる親の傍をはなれて、蘆の湯や小涌谷邊りの旅館に奉公してゐる村の娘等が、山の上から遠くの溪の底に親里の團欒の灯を眺めて胸を搾る如《やう》に懷しがるのも無理はない。東京や横濱さへも知らず、中には小田原あたりさへ、生れて一度か二度しか活動寫眞の芝居を觀にいつたことがないくらゐ、生れてから死ぬる迄一生山の中を降りてゆかず、明神ヶ岳の麓から朝に夕に駒ヶ岳や早雲山にかゝる雲を眺めて暮らす彼女等にとつては、わづか一里にも足らぬ山の上に來てゐながら親里が死ぬほど戀しいのである。夏場の急がしい最中を働くと、八月の末にはもう暇をもらつて歸つてゆくことばかりを考へてゐる。そして客の減つてゆくにつれて彼等も一人づつ下つてゆく。
 山は靜かに暮れていつた。冷いくらゐの涼味は茶屋が軒先の筧の水から湧いて、清水に涵《ひた》した梨の味にも秋はもう深かつた。私はそこから遠い新道を迂囘するか、或はすぐそこの庭先から急坂を攣ぢて辨天山の脇の舊道を登つて歸つて來る。尾花が長く穗を抽いて道の兩脇から夕暮の中に微白く搖いでゐる。部屋にかへつて、手拭をさげて浴室へおりてゆくと懷かしい硫黄の香が鼻を衝いてくる。人によつてはこの硫黄の香をひどく嫌ふ者があるが、私にはそれが何とも云へずなつかしい。朝目覺めて楊枝を啣へて浴室に入つてゆく時、昨夜の夢の名殘りを洗ひ清め、夜遲くまで靜に讀書などしてこれから寢に就かうとする時は、自から安かな眠を誘ふ。……さうして私は湯に浴つて散歩の輕い疲れを醫するのである。
 あまり遠くへ散歩すると心地よく疲れて、書き物をする前に眠くなつてしまふことがあるので、筆を執つてゐる間はなるべく近い山の上を歩いてゐた。さういう時にはいつも辨天山へ上つていつた。山が雨のあとで靜に濕つてゐながら水蒸氣のないといふやうな日には殊に遠くの山の色が濃く美しくなつて見えた。明星ヶ岳、明神ヶ岳の上に尚ほ遠く高く見えてゐるのは足柄、愛甲諸郡につゞく北相模の山々である。ヘルメット形の大山も見える。好く晴れた日の下には其等の山々が遠近になつて濃淡を劃し、丁度品質の良いインキを溶かして塗つたやうである。横山大觀の雲去來でも寺崎廣業の白馬八題でもこの眞景の秋山雨後には到底企て及ばない。
 八月の末をも待たないで大抵の浴客は、家族を連れた多勢の客でも、東京や横濱の繁華な都會から來てゐては三十日もゐると山の眺め、温泉の香にも飽いてしまつて、まだ殘暑の劇しい八月の二十日頃にぞろ/\行李をしまつて降りていつてしまふ。いつた當座は、百に近い部屋がいづれも滿員で、私は廣い庭を隔つた遠くの離家に、東京の某中等學校の校長なる老紳士と室を隣して起臥してゐたが、やがてその老紳士も歸つてゆき、ほかの部屋も段々明いてきたので、私は受持ちの女中が寂しがるのを察して本館に近い別館の一室に移つた。其處は今までよりも一層心の落着くところであつた。長い夏の間東京にゐて極度に疲勞してゐた私の神經衰弱もそこにゐる間にだん/\元氣を囘復して來た。始終不眠症に惱まされてゐたのが、山上の空氣の清澄なると適度の散歩と温泉の效果とのため熟睡を得られるやうになつた。大きな建物の長い廊下を幾曲りかした果ての座敷に連日孤座してゐる私を見て、かゝりの女中は、御飯の給仕に來た時、
「旦那、お寂しくはないんですか、ひとりぽつんとして。」
 といつて、氣の毒さうな眼をして私の顏を眺める。
「いや、ちつとも寂しくはない。」
 といつて笑ふ。しかしその微笑には深い寂寞を湛へてゐたこととおもふけれども、その寂しみは私の好んで選んでゐる境地なのである。隣の部屋や廊下に跫音や話聲がせぬので私は伽藍のやうな大きな建て物をわがもゝの如く獨占していつまでも朝寢をすることが出來る。
 九月の七八日頃、二三日後に二百二十日を控えてゐるので何となく戸外はざわめいて、駒ヶ岳や双子山にかゝつてゐる水蒸氣は疾風の如く飛んでゐるけれど、日は黄色く照り、庭前の杉や楓は風に搖れながら涼しい蔭を地に印してゐる。私はめづらしく隙間を洩れてくる日光が條文をなして白いものに包まれた輕い夜着に射しかゝるのを知りながら、いつまでも快い夢を貪つてゐた。やがて懷しい湯の香のそこはかとなく立ち上るのを嗅ぎ潔く起き上つて、戸袋に近い雨戸を二三枚繰ると、私の長寢をするのを知つてゐて、遠く庭の彼方に見える折曲つた廊下の先の部屋にゐて蒲團の綿を入れてゐるお秋といふ三十ばかりの質樸な女中は、雨戸の音に私の起き出たのを知つて、ふとこちらを見る。そして私が楊枝を啣へて浴室に入つてゐる間にお秋さんはちやんと床を上げ、座敷を掃き清め、お茶を煎れて飮むばかりにしてある。私は靜かな心持ちになつて香ばしい番茶を啜つてゐると、そこへ彼女は味の好い燒きパンに甘《うま》いバタを付けたのを運んでくる。それが何ともいへず甘い。その時分であつた。ある朝のこと、まだ床の中に眼覺めたまゝでゐると、向うの双子山の麓のところで山を崩して地ならしをしてゐる、岩を摧《くだ》く鐵槌の音が靜かに山に反響してゐるのが長閑に枕にひゞいて來る。私はその音に夢の名殘りから綺麗に覺まされる。その頃であつた。私は駒ヶ岳に登つて見た。駒ヶ岳は前いつたごとく優しい、婦女子でも踏破することのできる山上公園中の主峯である。十五六の小娘などが二三人で四千六百尺の駒ヶ岳や四千七百尺の神山などへ午前に登つて來て、十分自分の健康を滿足せしむるやうな雄々しい運動をしてゐた。私は炎暑のため衰弱し切つた體を物憂さうに持扱ひながら、僅に温泉の附近の山道を散歩してゐると、眞青な白茅に蔽はれた駒ヶ岳の背を九十九折《つづらを》りの山徑を傳うて登つてゆく人の姿が數へられる。私はどんなに其等の人の健康を羨んで見てゐたか知れなかつた。私も早く初秋の風が山の背を渡る頃を待つて身内に元氣が囘復して來たならば、少女でさへあゝして登つてゐる駒ヶ岳の頂を一度は是非とも踏んで見たいものである。蘆の湯五十日の逗留の間そこらの山道といふ山道は殆ど殘る隈なく歩いてみた。たゞ一つ殘るは駒ヶ岳である。
 その日は朝の内は少しく二百二十日前の風が荒れてゐた。けれども清い秋の日は朗かに照り、浴舍のすぐ背に聳えてゐる寶藏岳の木々は細い梢の尖までも數へられる程に大氣は澄んで、黄金色の日光が其等の青い葉々に透きとほるやうに美しく漲つてゐる。天地渾然として瑠璃玉の如く輝いてゐる。駒ヶ岳にも今日は風に吹き拂はれてか、めづらしく雲霧がかかつてゐない。それに自分は一昨日までに書く物も一段落を告げてこゝ二三日は頭を休め、放心したやうになつて居ようとおもつてゐる時である。よく晴れた日は書く物に精神を勞してゐる、休養してゐる時には山が曇つてゐたり、雨が降つてゐたりして果さなかつたが、今日は兩方都合の好い日である。が、少し風が強過ぎるやうである。それで女中のお秋に相談しようとおもうて呼鈴を押すと、お秋の代りに物靜かな老婢が廊下を歩いて來て、用を伺つた。
「今日これから駒ヶ岳に登らうと思ふんですが、すこし風があるやうですが、どんなものでせう。」
 さういつて訊くと、老婢は、
「左樣でございますねえ。」といつて、外の木々の風に搖れてゐるのを眺めながら、思案顏にこちらを向いて、
「今日はすこし風が強過ぎるやうでございますから又の日になすつた方がよろしうございませう。下でこの通りですと、山の上はずつと風が強うございますから、今日はお止めになつた方がお宜しうございます。」
 人柄さうな老婢は忠實にさういつて、きつぱり止めた。
「ぢや止しませう。」
 と云つて、私は其の時は斷念した。そしてまた暫くして、やがてお秋が運んで來た晝飯を喫しながら庭の方を眺めてゐると、立木などは先刻と同じやうにやつぱり風にざわめいてはゐるが、午前にくらべて稍※[#二の字点、1-2-22]靜かになつたやうである。日光は相變らず朗かに輝いて、そこらの庭木や芝生などが金色を帶びてゐるかのやうに思はれる。私の心はまた動いた。
「お秋さん、先刻駒ヶ岳に上らうとおもつて相談したら、風があるので止めた方がいゝといふので止めたんだが、どうだらうねえ。先刻よりか少し惡くなつたやうだが。」
 お秋は外を眺めながら、
「このくらゐなら大丈夫でございます。ついすぐですもの、ぢきに上れますよ。」
 と事もなげにいふ。彼女等は昨日の朝私がまだ寢てゐる間に、お客や番頭や女中など七八人の多勢で上つて來たのである。
「いつていらつしやいまし。それは方々がよく見えて、いゝ景色でございますよ。昨日の朝は富士山がよく見えました。あんなに富士山のよく見えることはめづらしいつて番頭さんがさういつてゐました。それは面白うございましたよ。皆で勝手にいろんな面白いことをいひながら。」
 それでまた私は心動いて、箸を置くと嬉々《いそ/\》しながら渇を覺えた時の用意にと、大きな梨を二つ懷に入て例の櫻のステッキを杖ついて、湯の花澤へゆく道から左に折て急がぬやうに登つていつた。道は暫く淺い溪の底を歩いて左右から蔽ひかかつた苅萱の間を迂囘しつゝ進んでゆく。ところ/″\に粗雜な休み臺がしつらへてあつたり、道の急なところには丸太を横へて磴道を設けてあつたりする。私は三歩にしては憩ひ、五歩にしては振顧つて上つて來たあとを眺めしてゐるうちに次第に自分のゐる處は高くなつていつた。そして知らぬ間に浴舍の直ぐ背後に聳つ寶藏岳は自分の脚下になつてゐた。自分の位地が高くなるにつれて四邊の峯々がまた漸次高標を増し、雄偉の度を加へて來た。双子山、聖ヶ岳、明星ヶ岳、明神ヶ岳は折から午後の秋の陽を全山に浴びて、愈々靜寂の容を示してゐる。山下の坦々たる一と筋の新道は双子山の裾をめぐつて長いリボンを展べたやうに遠く、駒ヶ岳の尾を引いてゐる彼方の高原の果にいつて沒してゐる。尚ほ見返り/\段々登つてゆくに從ひ、蘆の湖の水はすぐ右方の眼下に開けて來た。午後の日光を浴びて銀灰色に輝いてゐる水の上を幾つかの短艇《ボート》が帆を孕ませて白鳥の如く動いてゐる。塔ヶ島の離宮、箱根町の人家、例の美しい八町の杉並木は沈んだやうな暗緑色を刷いて連なつてゐる塔ヶ島の蔭になつてゐるその邊は水の色も日光を反射しないので硫酸銅のやうな美しい紫色を湛へてゐる。山の色も水の色もそこら中の物が貴い顏料を落したやうに悉く翠緑の單色に彩られてゐる。
 更に左方に眸を轉ずると、相模灘はまるで廣重の繪を展いたやうな濃藍色をして眼界に擴がつてゐる。小田原、國府津、大磯、それから江の島から逗子、葉山、三浦半島にまでつゞく津々浦々が双眸に集つてくる。大山、足柄山、金時山の峯巒が遠近に從つて幾色にも濃淡を劃しながら秋の陽を受けて桔梗のやうな色さま/″\に浮びいでゝゐる。私はまたぢつと其等の遠景に眼を遊ばして一と息吐いた。清澄な山の上の風は心地よく汗ばんだ肌をさら/\と吹いていつた。夏の初になるとそこら中眞青な夏草の上に點々として白い山百合が咲く。今は丁度その白い百合の花が靜かな山の夕暮れの中に瞬いてゐる時分である。かうして今身はそこから百里を隔つてる京の町の中にゐても香氣の高いその百合の香が聯想作用で生々と私の臭官を刺激するやうである。
                  大正七年六月卅日京都安井の寓にて)

底本:「現代日本紀行文学全集 東日本編」ほるぷ出版
   1976(昭和51)年8月1日初版発行
※巻末に1918(大正7)年6月30日記の記載あり。
入力:林 幸雄
校正:松永正敏
2004年5月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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近松秋江

霜凍る宵—– 近松秋江

     一

 それからまた懊悩《おうのう》と失望とに毎日|欝《ふさ》ぎ込みながらなすこともなく日を過していたが、もし京都の地にもう女がいないとすれば、去年の春以来帰らぬ東京に一度帰ってみようかなどと思いながら、それもならず日を送るうち一月の中旬を過ぎたある日のことであった。陰気に曇った冷たい空《から》っ風《かぜ》の吹いている日の午前、内にばかり閉じ籠《こも》っていると気が欝いで堪えられないので、また外に出て何の当てもなく街を歩いていたが、やっぱり例の、女のもといたあたりに何となく心が惹《ひ》かれるのでそちらへ廻って行って、横町を歩いていると、向うの建仁寺《けんにんじ》の裏門のところを、母親が、こんな寒い朝早くからどこへ行ったのか深い襟巻《えりまき》をしてこちらへ歩いて来るのが、遠くから眼についた。私はそれを一目見ると、心にうなずいて、
「この機会をいつから待っていたか知れぬ」と、心の中に小躍《こおど》りしながら、そこの廻り角のところでどっちに行くであろうかと、ほかに人通りのない寂しい裏町なのでこちらの板塀《いたべい》の蔭《かげ》にそっと身を忍ばせて、待っていると、母親はそれとは気がつかぬらしく、その廻り角のところに来て、左に折れた。……そこを左に折れると、先々月の末に探しあてて行った例の路次裏の方へ行く道順である。私は、母親をやり過しておいて、七、八間も後《おく》れながら忍び忍び蹤《つ》いてゆくと、幾つもある廻り角を曲ってだんだんこの間の家の方へ近づいて行く。そして、とうとう、やっぱりその路次を入っていった。母親の姿が路次の曲り角を廻って見えなくなると、私は小走りに急いで後を追うてゆくと、母親は、やっぱり過日《いつか》の三軒並んだ中央《まんなか》の家の潜戸《くぐり》を開けて入ってゆくところであった。そして入ったあとをぱたりと閉めてしまった。
 私はこちらの路次の入口のところに佇立《たちど》まって「ははあ」とばかりその様子を見ながら、心の中で、「今まで言っていたことは何もかも皆な※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]《うそ》ばかりであった。やっぱり女もこの家にいるにちがいない」と独《ひと》りでうなずいて、
「もうこうして居処《いどころ》を突き留めた以上は大丈夫である。これから一と思いに踏み込んでやろうか」と思ったが、いやいや長い間の気の縺《もつ》れに今は精神が疲労しきっている。今すぐ、あの戸を叩《たた》いては、また仕損じることがあってはいけない。あの家《うち》の中に女が潜んでいると知ったら安心である。あえて急ぐには及ばぬ。ゆっくり心を落ち着けて、精神の疲労を回復した上で話に取りかかっても遅しとせぬ。そう思案をして、そのままそっと路次を引き返して表の通りの方へ出て来た。そして早く一応宿へ帰って、積日の辛苦を寛《くつろ》げようと思って電車の方に歩いてくると、去年の十二月の初めから、空漠《くうばく》とした女の居処を探すためにひょっとしたら懊悩の極、喪失して病死しはせぬだろうかと自分で思っていた、その居処を突き留めた悦《よろこ》びやら悲しみやらが一緒に込み上げて来て、熱い玉のような涙がはらはらと両頬《りょうほお》に流れ落ちた。そして神経がむやみに昂《たかぶ》って、胸の動悸《どうき》が早鐘を撞《つ》くようにひびく。寒い外気に触れて頬のまわりに乾きつく涙を、道を行く人に憚《はばか》るようにしてそっと拭《ふ》きながら、私は心の中で、
「やっぱり初めからあすこにいたのだ。それを、あの母親の言うことにうまうまと騙《だま》されて、ありもせぬ遠くの方ばかし探していた。今のところに変って来る前|先《せん》の時もあの路次にはもういないというから、そうかと思っていると、やっぱりあすこにいたのであった。今度もまたそうであった。一度ならず二度までも軽々と、あの母親のいうことを真実《ま》に受けて、この貴重な脳神経を、どんなに無駄《むだ》に浪費したか知れぬ」と、口惜《くや》しさと憤《いきどお》りとがかっとなるようであった。
 それから二、三日の間はつとめて心をほかのことに外《そ》らして気を慰め、神経を休めてから今度はよほどの強い決心をしてまたその路次に入って行った。そして入口の潜戸のところに立って引っ張ってみたが、やっぱり昼間でも中から錠を下ろしていると思われて開《あ》かない。
「ご免なさい」
と、声をかけてみた。すると、入口の脇《わき》の※[#「木+靈」、第3水準1-86-29]子窓《れんじまど》をそっと開けて、母親が顔を出した。
「おかあはん、やっぱりここにいるんじゃありませんか」と、私は、どこまでも好きな女の母親に物をいうように優しい調子でいうと、母親は、それでもまだ剛情を張って、
「ここは私の家《うち》と違います。先から、そういうてるやおへんか」と、あくまでも白ばくれようとする。
 私も心でむっとしながら、
「いや、もう、そんなに隠さない方がいいです。あなた方は初めからここにいたのは分っているんだ。お園さんはどうしています?」
 そういうと、母親もさすがに包みかねて、声を柔らげながら、
「今まだ病気が本当にようありまへんさかい。ようなったら、あんたはんにも会わせますいうてるやおへんか、どうぞ今度また会うてやっとくれやす」
と調子のいいことをいう。
「そこにいるんなら、今会ったっていいじゃありませんか」
「今ちょっと留守どすさかい。また加減がようなったら、私の方から、あんたはんにお知らせします。もうしばらくの間待ってとくれやす」
 窓の内と外とで立ちながら、そんな話をしたが、母親は入口を開けて私を家の中へ入れようとせぬ。そしてしまいには、呆《あき》れて応答も出来ないような野卑な口をきいて毒づくのである。そもそも女に逢《あ》い初《そ》めた時分、それからつい去年の五月のころ、女の家に逗留《とうりゅう》していた時分に見て思っていた母親とは、まるで打って変った悪婆らしい本性を露出して来た。
 それにつけても、まだ女の家にいたころ、女が私と二人ばかりの時、
「内のお母はん、ちょっと欲の深い人どすさかい」と一と口いったことのあったのを、ふと思い起した。それを質樸《しつぼく》な婆さんと見たのがこちらの誤りであったか……そんなことを思った。
 私の心の中を正直に思ってみれば、もう、女の顔を見たいが一心である。ともかくも一度どうかして本人の顔が見たい。振《ふ》り顧《かえ》ってみると、母親にこそ近ごろたびたび会っているが、本人の顔を見たのは、もう、去年の七月の初め彼女のところから山の方に立っていった、あの時見たきり七、八カ月というもの見ないのである。流行感冒から精神に異状を来たして長い間|患《わずら》っていたというから、どんな容姿《すがた》をしているか、さぞ病み細っているであろう。どうかして一度顔を見たいものである。そして出来ることなら母親に内証で、こちらの胸をそっと向うに通ずる術《すべ》もないものかと、いろいろに心を砕いたが、好い方法も考えつかぬ。毎日そこの路次口にいって立っていたなら、風呂に行く時にでも会われはせぬかと思ってみたが、一月から二月にかけて寒い最中のこととて、あまり無分別なことをして病気にでもなったら、この上になおつまらぬ目に会わねばならぬと思うと、そんなことも出来ぬ。そして時々路次に入っていって入口のところに立って家の中の様子に耳を澄ましてみるが、人がいるのか、いないのか、ことりという音もせねば話し声も洩《も》れぬ。そっと音のせぬように潜戸《くぐり》を引っ張ってみても、相変らず閉めきっていて動かない。入口の左手が一間の※[#「木+靈」、第3水準1-86-29]子窓《れんじまど》になっていて、自由に手の入るだけの荒い出格子《でごうし》の奥に硝子戸《ガラスど》が立っていて、下の方だけ擦《す》り硝子《ガラス》をはめてある。そこから、手を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《さ》し入れて、試みにそっとその硝子戸を押してみると五、六寸何のこともなくずうっと開きかけたが、ふっとそれから先戸が動かなくなったのが、どうやら誰か内側からそれを押えているらしく思われたので、こんどは二枚立っている硝子戸の左手の方を反対に右手に引こうとすると、それもまた抑《おさ》えたらしく開かない。どうしようかと思ってちょっと考えたが、一旦《いったん》押す手を止めておいて、その出窓が一尺ほどの幅になっているので、こんどは隣りの家の入口の方に廻って、その横手の方から、一と押しに力を入れて、ぐっと押すと、こちらの力が勝って、硝子戸は一尺ほどすっと開いた。そして内側をふっと見ると、向うの窓の下のところに、嬉《うれ》しや、彼女が繊細《かぼそ》い手でまだ硝子戸に指を押しあてたまま私の方を見て、黙ってにっこりとしている。その顔は病人らしく蒼白《あおじろ》いが、思ったよりも肥えて頬などが円々《まるまる》としている。近いころ髪を洗ったと思われて、ぱさぱさした髪を束ねて櫛巻《くしまき》にしている。小綺麗《こぎれい》なメリンスの掛蒲団《かけぶとん》をかけて置炬燵《おきごたつ》にあたりながら気慰みに絽刺《ろさ》しをしていたところと見えて、右手にそれを持っている。私は窓の横から窺《のぞ》きながら、
「お園さん」と低い調子で深い心の籠った声をかけた。
 と、そこへ、その物音を聴《き》きつけて、次の間から母親が襖《ふすま》をあけて出て来て、
「なんで、そない端のところに出ているのや、早うこっちお入りんか。そなところにいるからや」と、ひそひそ小言をいいながら、力なげに起《た》ち上った彼女の背後《うしろ》に手を添えて奥の間の方へ推し隠してしまった。そして硝子戸を今度はぴっしゃり閉めてしまった。せっかく好いあんばいに顔を見ることが出来たのに、一と口も口を利《き》く間もなかった。
 けれども、長い間恋い焦《こが》れて、たった一と目でもいいから見たい見たいと思っていた女の顔を見ることができたので、ちょうど、長い間|冬威《とうい》にうら枯れていた灰色の草原に緑の春草が芽ぐんだように一点の潤いが私の胸に蘇《よみがえ》ってきた。病後の血色こそ好くないが、腫《むく》んだように円々と肥って、にっとこちらを見て笑っていた容姿《すがた》には、決して心から私という者を厭《いと》うてはいないらしい毒気のないところが表われていた。ああして小綺麗なメリンス友禅の掛蒲団の置炬燵にあたりながら絽刺しをしていた容姿《すがた》が、明瞭《はっきり》と眼の底にこびりついて、いつまでも離れない。それにしても、あれは、何人が、ああさしておくのであろう? よもや背後《うしろ》に誰もついていないで、気楽そうにああしていられるはずがない。
 そんなことを思うと、身を煎《い》られるような悩ましさに胸の動悸が躍って、ほとんどいても起《た》ってもいられないほど女のことが思われる。
 そして、もう悪性の流行感冒に罹《かか》っても構わない、もし、そんなことにでもなったら、かえって身を棄《す》て鉢《ばち》に思いきったことが出来る、生半《なまなか》に身を厭えばこそ心が後れるのだ、誰か男が背後《うしろ》についているにちがいないとすれば大抵夜の八時九時時分には女の家に来ているであろうと、そのころを見計らって、ほとんど毎夜のように上京《かみぎょう》の方から遠い道を電車に乗って出て来ては路次の中に忍んで、女の※[#「木+靈」、第3水準1-86-29]子《れんじ》の窓の下にそっと立っていた。そして、家の中から男の話し声が洩れはせぬか、その男の声が聴きたい、どんなことを話しているであろう? と冷たい黒闇《くらやみ》の夜気の中にしばらくじっと佇《たたず》んでいても、家《うち》の中からは、ことりの音もせぬ。そっと例の硝子戸に触《さわ》ってみるけれど、重い硝子戸は容易に動かない。誰もいない留守なのかと思っていると、いるにはいると思われて、畳の上を人の歩く足音がする。それが母親であったら勝手が悪いと思ったが、試みに、誰とも分らないほどに低い声で、
「今晩は今晩は。……ご免なさいご免なさい」
と声をかけてみると、すっと内から硝子戸が一尺ばかり開いてそっと、白い顔を出したのは、中の電燈を後に背負って、闇《くら》がりではあるが、たしかに彼女である。そして、眼で外の闇の中を探るようにしている。
「お園さん」
と、私は思わず※[#「木+靈」、第3水準1-86-29]子窓に寄り添うようにして力の籠った低声《こごえ》で呼びかけながら手に物を言わせて、おいでおいでをして見せると、彼女は、声の正体が分ったので、そのまま黙って、急いで硝子戸を閉めてしまった。どうすることも出来ない私はちょうど猿《さる》が樹から落ちたような心持になった。向うで幾らかその気があるなら、何とか合図くらいのことはしてくれそうなものであるのに、少しもそんな様子のなかったのは、すっかり心が離れてしまっているからである。そう思うともう心に勢いが脱《ぬ》けて、その上つづけて寒い闇の中に佇んでいる力がなくなり、落胆と悲憤とに呼吸《いき》も絶え絶えになりそうな胸をそっと掻《か》き抱《いだ》きながら空《むな》しく引き返して戻《もど》ってくるのであった。
 それ以来硝子戸を固く釘付《くぎづ》けにでもしたと思われて、夜の闇にまぎれて幾ら押してみても引いてみても開かなくなってしまった。相変らず出かけていって窓の下に佇んで家の中の物音に身体《からだ》中の神経を集めて耳を澄ましても母子《おやこ》の者の話す声さえせぬ。何とか家の中を窺いて見る方法はないかと思って、硝子戸を仰いで見ると、下の方は磨《みが》き硝子になっているが上の方は普通の硝子になっているので、路次の中に闇にまぎれて、人の通るのを恐る恐るそこらに足を踏み掛けてそっと※[#「木+靈」、第3水準1-86-29]子格子に取りついて身を伸び上って内を窺くと、表の四畳半と中の茶の間と両用の小さい電燈を茶の間の方に引っ張っていって、その下の長火鉢によりかかりながら彼女が独りきりでいつかの絽刺しをしているのが見える。そして身体が三分の一ばかり手前の襖に隠れているので、その蔭に母親もいるのか分らない。とにかく静かで、ただ絽刺しの針を運ぶ指先が動いているだけである。こちらが窓に伸び上っている物音でも聞えたら、ついと振り向きそうであるが、それも聞えぬのか、まるで石像のように静かにしている。ついでに内の中の様子を見ると、この間は気がつかなかったが、すぐ取付きの表の間には壁の隅《すみ》に二枚折りの銀屏風《ぎんびょうぶ》を立て、上り口に向いたところにはまた金地の衝立《ついたて》などを置いてある。
「あんな、いろんな家具などを買い込んでいる」と、それに何となく嫉妬《しっと》を感じながら、心|急《せ》き急《せ》きなおよく見ると、内は三間と思われて茶の間のも一つ奥が一枚襖を開いたところから、そちらは明るく見えている。そしてそこに寝床を敷いてあるのが半分ほど見えている。私は神経が凝結したようになってそちらを、なおじっと見ると、木賊色《とくさいろ》の木綿ではあるが、ふかふかと綿の入った敷蒲団を二、三枚も重ねて敷き、そのうえに襟のところに真白い布を当てた同じ色の厚い掛蒲団を二枚重ねて、それをまん中からはね返して、もう寝さえすればよいようにしてある。そちらの座敷が明るいので、よく見える。私はもう身体中の血が沸き返るようである。
「旦那《だんな》が来ているのだろうか?」と、小頸《こくび》を傾けてみた。
旦那らしい者があると思って見るさえ、何とも言えない不快な気持がするが、いかに欲目でそんなものはないと思おうとしても家《うち》の中の様子では、それがあることは確かである。はたして自分の他にまだそんな者があって、今その世話でこうなっているとすれば、どう、自分の身びいきという立場を離れて考えても不埒《ふらち》である。たとい売女《ばいた》にしても、容易にそんなことが出来るわけのものではない。しかしそれは彼女の自分の意思でそうなったものか? 本人の心底をよく訊《き》いてみなければならぬが、二、三日前の夜ちょっと顔を覗《のぞ》けた時、すげなく硝子戸を閉めたことと言い、そののちこうして硝子戸を開かなくしたことなどを思い合わしても女には私のことにぷっつり気がなくなってしまったのではなかろうか? 何とかしてこちらの懊悩《やきやき》している胸の中を立ち割ったようにして見せたいものだ。母親の言った詐《つく》りごとを真に受けて、あの十二月の初め寒い日に、山科《やましな》の在所《ざいしょ》という在所を、一日重い土産物《みやげもの》などを両手にさげて探し廻ったこと、それから去年の暮のしかも二十九日に押し迫って、それも母親のいう通りを信じて、わざわざ汽車に乗って、南山城《みなみやましろ》の山の中に入って行こうとしたこと、また京都中を探し歩いたこと、そんな心労を数え立てていう段になったら幾らいっても尽きない。……女は硝子戸一枚隔てたすぐ眼の前にいながら、この心の中を通ずる術《すべ》もない。
 私は※[#「木+靈」、第3水準1-86-29]子格子からやっと手を放して地におり立ちながら、「旦那が来ているので、ああして寝床までちゃんと用意してあるのだろうか。それとも自分の寝床かしらん?」
 そんな者が来ているなら、ああして自分独り黙って絽刺しをさしているはずもない、すると、あれは、これから自分の寝る床であろうか。どうかして旦那が来ているところを突き留めたい。それが、どんな人間であっても自分はそれに遠慮して手を引くのではない。自分より以上深い関係の人間がほかにあろうとは思えない。……
 そうして心の中は瞋恚《しんい》の焔《ほのお》に燃えたり、また堪えがたい失望のどん底に沈んでしまったような心持になったりしながらもまたふと思い返してみると、女は長い間の苦界《くがい》から今ようやく脱け出《い》でて、ああして静かに落ち着こうとしているところである。それを無惨に突き崩《くず》そうとするのはみじめのようでもある。そうかと思うと、また自分という者を振り返ってみると、どうであろう。この真冬の夜半に寒風に身を曝《さら》して女の家の窓の下に佇みながら家へ入って行くこともならぬ。しかもこちらは彼女のために、長い間ほとんど自分のすべての欲求を犠牲にして出来る限りのことを仕尽して来ているのではないか。ああして温々《ぬくぬく》とした寝床などをしているのに、自分はどうかといえば、これから宿に帰って冷たい夜具の中に入って寂しく寝なければならぬのである。すると、またどう考えても道理に合わない母子《おやこ》の勝手至極を憤らずにはいられない。
「よし。どうあっても、これはこのままには棄てておかないぞ」と思ったが、あまりに心が疲労しているので、その晩はそのまま悄然《しょうぜん》として宿に戻った。

     

 でも、どうかして女だけにこちらの心を通じたい。乱暴なことをして、女の心が、もし、自分から離れていなかったとしたならば、そのためにかえって、自分を遠ざかってゆくようなことがあってはならぬと思い、胸はいろんな思いで一杯になりながらやっぱり思いきったことをし得ないでいたが、もうそうしているのにたまらなくなって、二、三日過ぎた晩同じように窓の下に立ってみたが、相変らず静寂《しん》としている。男が来ているかいないか分らないが、来ていれば、こうすれば聞くであろう。その女には、こんな者がついているぞと思わせようと思って、潜戸《くぐり》のところに寄って、臆《おく》せず、二つ三つ、
「今晩は!」と高い声をかけた。
 すると、
「どなたはんどす?」といいながら、母親が硝子戸を開けて顔を出した。
「今晩は。私です」
「ああ、あんたはんどすか。あんたはんには、もう用はない」と、いって、そのままぴしゃりと硝子戸を閉めてしまった。
 そうなると、もう、耐《こら》えにこらえぬいている憤怒がかっと込み上げて抑えることが出来ない。私は、わざと夜遅く近処|合壁《がっぺき》に聞えるように、潜戸をどんどん打ち叩いて、
「今晩は今晩は今晩は今晩は」とやけに呼んだ。
 すると、家《うち》の中でも黙っているわけにゆかず母親はまた硝子戸を開けて顔を出して、少し先《せん》よりも低い声で、
「何か用どすか」という。
「何か用どすかもないもんだ。用があるから呼んでいるのです。話があるからここを開けて下さい」
「開けられまへん。ここは私の家と違います」
「ああ、もう、そんないつまでも白ばくれたことをいいなさんな。幾ら口から出まかせをいって、人を騙《だま》そうとしても、こちらが正直なもんだから、一応は騙されているが、騙されたと知っただけよけい腹が立つ。私を一体何と思っているんだ。お前さんたちに、いつまでもいいようにされている子供じゃないんだぞ。東京でもうさんざっぱら塩を嘗《な》めて来ている私だ。今までここの女に焦《こが》れていればこそ馬鹿にされ放題馬鹿になっていたが、こう見えても丹波や丹後の山の中から出て来た人間とは人が違うんだ」私は、自分ながら少し下品だと思ったが真暗な夜のことではあり、人の往来もない、深く入り込んだ路次の中とて、母子《おやこ》に聴かすよりも、もし男でも来ていたら、それに聴かすつもりで、そんなことを癇《かん》高い調子でいい続けた。そしてもし、男が来合わせているならそこへ顔を出せばちょうどいいと思った。
 すると、母親は、いつもに似ず私の剣幕が凄《すさ》まじいのと、近処隣りへ気を兼ねるので、いつもの不貞腐《ふてくさ》れをいい得ないで、私をそっと宥《なだ》めるように、
「まあ、あんたはんもそんな大きい声をせんとおいとくれやす。あんたはんも身分のある方やおへんか。あんたはんの心は私にもようわかってますよって、あの娘《こ》が病気が好うなったらまた会わせます」
「病気が好くなったら会わせますって、もう好くなっているじゃありませんか」私も少し声を低くした。「私が、どんなに、あなた方二人の身のことを長い間思って上げているか、――決して恩に被《き》せるのではないが――そのことを少し思ってみたなら、たとい今までのような商売をしていた者でも、私に※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]が吐《つ》かれるはずがない。……いや山科のお百姓の家《うち》に出養生をさしているの、いや南山城の親類が引き取ったのといって、みんな真赤な※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]じゃありませんか。あなたはよく金神様《こんじんさま》を信心しているが、何を信心しているのです」私の言葉はだんだん優しい怨《うら》み言《ごと》になって来た。
 母親がそれについて何かいおうとするのを、押《お》っ被《かぶ》せるようにして言い捲《まく》った。
「ええ、ようわかってますよって、今夜はもう遅うおすさかい、また出直して来ておくれやす。あんたはんの気の済むようにお話しますよって」
「ああ、そうですか。それじゃまた近いうちに来ますからこんど、また、もう話すことはないなどと言っては承知しませんよ」そういって、私は、おとなしく振り返って帰ろうとすると、母親は、そういった口の下から、すぐ、
「勝手にせい。今度来たら寄せつけへん」と、棄てぜりふを、私の背後《うしろ》に浴びせかけながら、ぴしゃりと硝子戸を閉めた。
 私は、「そらまた、あのとおりの悪たれ婆《ばばあ》だから始末にいけない」と心の中で慨歎《がいたん》しながら、後戻りをして、も一度戸を叩いて、近所へ恥かしい思いをさしてやろうかと思ったが、いつものとおり失望と悲憤との余り息切れがするまで精神が消耗しているので、そっと胸の動悸を抑えるようにしてそのまま路次を出て来た。
 しかし、もう、そうなると、今までのように、女の気を測りかねて、差し控えてばかりいられなくなった。何とかして家《うち》の中へはいり込んでゆく方法はないものかとさまざまに心を砕きながら、好い機《おり》の来るのを待っていた。すると、いつもの通り夜九時ごろになって※[#「木+靈」、第3水準1-86-29]子窓の下に立って聞くと、めずらしい人が来ていると思われて男の話し声がする。はっと、私は胸を躍らしながら、じっと耳を澄ますと、来ているのは一人だけでないと思われて女の話し声も交っている。どんなことを話すかとなお聞いていると、
「ほんならもう帰りましょうか」と四、五十ばかりの女の声がして、
「ああ帰りましょう」と、それに応ずる男の声がする。その晩は家《うち》の中も明るい。それで急いでまたそっと格子に取りついて伸び上がって、ちらと家《や》の内を窺《うかが》うと、一番奥の、たしか六畳の座敷に、二、三人の客がちょうど今立ち上がって帰ろうとするところである。私は急いで格子を滑《すべ》り下りて、すぐ左手の隣りの家《うち》ではまだ潜戸《くぐり》を閉めずにあったので、それを幸いと、そこの入口に身を忍ばせて上《あが》り框《かまち》に腰を掛けながら、女の家から人の出てゆくのをやり過していると、
「えらい御馳走《ごちそう》さんどした」と口々に礼をいって、何か彼か陽気な調子で話しながら、ぞろぞろ出て来た。こちらは堅くなって息を詰め、両方の家の中から幽《かす》かに洩《も》れてくる灯《ひ》の明りに、路次の敷石をからから踏み鳴らしながら帰ってゆく人影を見張っていると、闇《くら》がりでよく分らぬが、女はお茶屋のおかみらしく、中央《まんなか》に行くのが男で、背が高い。はてな、旦那ならばこうして一緒に帰ってゆくはずもなかろうと思っていると、一番|後《あと》の女と並んで、何かひそひそと話しながらゆくのは母親である。私は、
「ああ、母親のやつめ、出てゆく。そこの路次の出口まで客を送り出すのであろう。きっと、すぐ帰ってくるので、潜戸を開けたままにしているかも知れぬ」
と、早速気がついて、それらが闇がりに路次の角を曲ったのを見済ましておいて、入口のところに来てみると、はたして潜戸を開け放しにしている。
 私は、うまくしてやったりと心にうなずきながら、つっと内へ入りながら、中から潜戸を閉めておいて狭い通り庭をずっと奥へ進むと、茶の間と表の間との境になっている薄暗い中戸のところに、そこまで客を送り出したものと見えて女がひとりで立っている。
 そして出し抜けに私がはいって来たのを見て、
「ああ!」と慴《おび》えたように中声を発して、そのままそこに立ち竦《すく》んだ。
 私は、いい気味だというように強《し》いて笑いながら、
「お園さん、一遍あんたに会いたいと思っていたのだ」と、つとめて優しくいいつつ、私はそのまま茶の間へ上がって、火鉢の手前にどっかと坐ってしまった。
 女はそこらをかたづけていたらしかったが、もう、おずおずしながらしかたなく自分も上にあがって、向うの方に膝《ひざ》を突きながら、
「あんたはんが今ここへ来ておくれやしたんでは、私、どない言うてええかわかりまへん」と悄然《しおしお》としてふるえ声にいう。その眼は何ともいえない悲痛な色をして私を見ている。
 私は、気味がいいやら、可愛いやらである。
 そこへ、がらがらと表の潜戸の開く音がして、母親が戻って来た。

     

 私は、入って来た時、よっぽど、あの潜戸の猿を落して、母親に閉め出しを食わしてやろうかと思ったが、それも、あんまり意地が悪いようで、それまでにはし得なかった。それというのも、そうまでになっても、私の心の内は、やっぱり何とかして、母子《おやこ》の心が、自分の方へ向いてくるように優しく仕向けたいからであった。
 母親は通り庭から中の茶の間の前に入ってくると、思いがけなく、火鉢の向うに私が来て坐っているのを見ると、びっくりしてたちまち狂気のようになって怒り出した。
「あんたはん、何でここの家《うち》へ入っておいでやした。ここは私の家《うち》とちがいます」と、いいながら上《あが》り框《かまち》をあがって、娘に向って、
「お前もどうしてるのや、よう気いおつけんか。あんたが入れたんやろ」と、小言をいう。娘はじっとそこに坐ったまま、
「わたし、そんなことをしいしまへん。この方が自分で入っておいでやした」と尋常な調子でいっている。
 私はじっと両腕を組んで、その場の光景を見ながら、母親から何といわれても、ふてぶてしく黙り込んで、身動きもせずに坐っていた。すると、母親は、さすがに手出しはし得なかったが、今にも打ちかかって来そうな気勢《けはい》で、まるで病犬が吠《ほ》えつくような状態《ありさま》で、すこし離れたところから、がみがみいっている。
「あんたはん、何の権利があってここの家《うち》へ黙って入っておいでやした。ここの家は私の家と違いまっせ」と、いいつつ肱《ひじ》を突っ張ってだんだん私の傍《そば》に横から擦《す》り寄って来て、
「黙ってよその家《うち》へ入り込んで来て、盗人《ぬすっと》……盗人!」と、隣り合壁に聞えるような、大きな声を出してがなりつづけた。
「警察へ往《い》てそう言うてくる。警察、警察。さあ警察へうせい。警察へ連れて往く」と、母親は一人ではしたなくいきり立ったが、私が微塵《みじん》も騒ごうとせぬので、どう手出しのしようもない。本人の娘はむすめで、これもどうしていいか当惑したまま、そこに坐って口も利《き》かずに母親の騒ぐのをただ傍見しているばかりである。私は小気味のよさそうに、あくまでも泰然としていた。すると母親は、急を呼ぶように声を揚げて、
「兄さん! にいさん!」と、左手の隣家《となり》の主人を呼んだ。その隣家は、去年の十一月の末、はじめてその路次の中へ女の家を探《たず》ねて入っていった時から折々顔を見て口をきき合っていたのであったが、先《せん》だって中《じゅう》からまたたびたび私が出かけていって、母親と大きな声でいい諍《あらそ》ったりするのを見かねて、もう七十余りにもなる主人の母親というのが双方の仲に入って、ちょっと口を利きかけていたのであった。旅館や貸席などの多いその一郭を華客先《とくいさ》きにして、そこの家では小綺麗な仕出し料理を営んでいたが、兄さんと呼ばれた主人はまだ三十五、六の背の高い男で、その主人とは私はまだ顔を見ただけで一度も口を利いていなかった。母親がそういって大きな声で呼んだので、越前屋《えちぜんや》という仕出し屋の若い主人は印の入った襟のかかった厚子《あつし》の鯉口《こいぐち》を着て三尺を下の方で前結びにしたままのっそりと入って来た。
 そうして吟々いっている母親と私とのまん中に突っ立ったまま、「まあまあ、どちらも静かにおしやす」と、両方の掌《て》で抑える形をして、
「ちょうど好いとこどした。此間《こないだ》から私も見て知らん顔はしていましたけど、一遍お話を聴いてみたいと思うてたのどす」といって、そこに腰を下ろすと、母親は隣りの主人が入ってきたので気が強くなって、一層がみがみ言い募った。主人はそれを宥《なだ》めて、
「お母はん。まあそういわんと、話はもっと静かにしててもわかりますよって」といって、こんどは私の方に向い、
「兄さん、えらい済んまへんがちょっとあんたはん私のとこへ往《い》とっておくれやす。……いえ、私も及ばぬながらこうして仲に入りましたからにはこのままには致しまへんよって」と、いう。
 けれども私は、今までもう幾度か、いろんな人間が仲に入ったにもかかわらず、それらは皆母親に味方して、邪魔にこそなれ、こちらの要求するとおり、一度だって、肝腎《かんじん》の本人に差向いに会わしてくれて納得のゆく話をさする取計らいをしてくれようとはしなかった、それを思うて、私は幾度か腹の内で男泣きに泣いて、人の無情をどんなに憤ったか知れなかった。これまでは、自分の熱愛する女がそうせよというなら、もう一生京都に住んで京の土になっても厭いはせぬとまで懐《なつ》かしく思っていたその京都を、それ以来私はいかに憎悪《ぞうお》して呪《のろ》ったであろう。出来ることなら、薄情な京都の人間の住んでいるこの土地を人ぐるみ焦土となるまで焼き尽してやりたいとまで思っているのである。他人はことごとく無情である、自分のこの切なる心を到底察してくれない。そんな他人に同情してもらったり、憫《あわ》れんでもらったりしようとはかけても思わぬ。自分の大切な大切な魂の問題である。そのためによし病《わずら》って死んだって、また恥ずべき名が世間に立とうとも自分ひとりのことである。何人にもどうしてくれといいたくない。それゆえにこそ、実に一口に言おうとて言えないくらい、さまざまに胸の摧《くじ》ける思いをして、やっと今晩という今晩、またと得られない機会を捉《とら》えてこうして女の家に入り込んだのである。今までの母親の仕打ちからいったならば、この機会を逸したが最後二度と再びこんな好い都合なことはないのである。私は隣家《となり》の主人に向っていった。
「有難うございますが、今までちょいちょい御覧のとおりの次第で大抵私の恥かしい事情はお察しであろうと思いますが、今晩はどうあっても、この本人の意向を、私自身で訊《き》きたいと思っているのですから」
と、私は、傍でさっきから口の絶え間もなく狂犬のように猛《たけ》っている母親には脇眼もくれず、向うに静かにして坐っている女を指しながら堅い決意を表わした。そうして久しぶりに見れば見るほど女が好くってたまらない。
 すると主人は、
「そやから、このままにはしまへんというています。姉さんには私が必ず後で逢わせますよって、ちょっと私の家へ往とっておくれやす」と万事飲み込んだようにいう。
 それで私も物わかりよく素直に、
「それではあなたにおまかせしておきます」と、きっとした調子でいって、起《た》ち上がりかけると、彼女はどう思案したものか、静かに坐ったまま、やっと口を切って、「あんたはん、ほんなら、これから松井さんへ往て話しとくれやす」と、きっぱりした調子でいう。
 それで、私は一旦起ちかけた腰をまた下ろしながら、
「うむ、それもよかろう。松井さんへ往けというなら、あそこへ往って、あそこの主人に話を聴いてもらうのもわるくはないが、あんたも私と一緒に往くか」
 そういって訊くと、女はそれきりまた黙ってしまって返事をしない。
「お前が一緒に往くなら私も往く。さあ、どうする」
 傍にいる越前屋の主人は、その時口を入れて、
「それがよろしいやろ。ほんならそうおしやす。私も何や、途中から入って、前の委《くわ》しいことはちょっとも知らんのどすさかい。お隣りにいて、黙って見てもいられまへんよって、何とかお話をしてみようと思うたのどすけど、松井さんやったら、よう、今までのことも知ってはりますやろから」
「わたし後で往きますよって、あんたはん先き往とくれやす」と、やっぱり落ち着いた調子でいう。
 私は頭振《かぶ》りをふって、
「それじゃいけない。私を先きに出しやっておいて、ここからまた閉め出そうとするのだろう。今晩はもうその手は喰わないんだから」
「そんなことしいしまへん。あんたはん一足先きいてとくれやす。わたしちょっと遅れて往きます」
「ああそうか、たしかに来るね?」
「ええ往きます」
 隣家《となり》の主人も、長い間の入りわけを知っている、以前《まえ》の主人のところに往って話を聴いてもらうのが一等よかろうと言ってすすめるので、私はその気になって起って庭に下りようとすると、さっきからまるで狂気になって、何か彼かひとり語《ごと》をくどくどと繰り返して饒舌《しゃべ》りつづけていた母親は、私が立って上り框から庭に下りようとするのを見て、
「貴様ひとりで、勝手にさっさっとうせえ。内の娘《こ》はそんなところへ出て往く用はない」といって、またいつもの悪態を吐《つ》く。
 それを聞くと、私は、とても箸《はし》にも棒にもかからぬわからずやだとは、承知しているので、もう、なるべく母親とは、何をいわれても、口を利かぬ、相手にもせぬようにしておろうと堪《こら》えていても、やっぱり堪えきれなくなって、私は、上り框に下りかけたまま、
「何をいう」と、そっちを振り顧《かえ》って、「きっと、そんなことだろうと思っているのだ。よし、そんならもういい。もうどんなことがあってもここを立ち退《の》かないのだから、いつまでもここに居据《いすわ》っていましょう。……お隣りの親方、御免なさいよ」と、いって、私はまたもとの座に戻って坐った。
 すると越前屋の親方は、
「まあ、ほんなら、兄さんちょっと私のところへ往てとくれやす。私が引き受けて一応お話をしてみますよって。お母はんも、もう、ちょっと静かにしてとくれやす。隣家《となり》が近うおすよって。そのことは私が、後でよう聴かしてもらいます」
と、いって、双方を宥《なだ》めようとする。
 それで私はまた物わかりのよい子供のように素直に、隣家の主人のいうことを聴いて、
「それではちょっとお宅へ往ってお邪魔をしていますから、どうぞよろしく頼みます」といって出てゆこうとしながら、じっと女の方をなおよく見ると、平常《ふだん》から大きい美しい眼は、今にも、ちょっと物でも触《さわ》れば、すぐ泣き出しそうに、一層大きくこちらを見張って、露が一ぱい溜《たま》っている。私はその眼に心を残しながら、合壁《あいかべ》の隣家へ入っていった。

     

 そこの家《うち》も、女の家と同じ造りで三間《みま》の家であったが、もうこの間から、そのことで、ちょいちょい顔を見合わして、口も利《き》いている七十余りの老婆は酒が好きと思われて中の茶の間の火鉢の前に坐って、手酌《てじゃく》でちびりちびり酒を飲んでいた。もう大分|上機嫌《じょうきげん》になっていたが、見るから一と癖も二た癖もありそうな、癇癪《かんしゃく》の強いぎょろりとした大きな出眼の、額から顳※[#「需+頁」、第3水準1-94-6]《こめかみ》のあたりが太い筋や皺《しわ》でひきつったようになって、気むずかしいのは、言わずと知れている。
 そこには、その老婆のほかに主人の若い女房がいて庭に立ち働いていたり、主人の妹らしい三十くらいと二十《はたち》余りの女が来合わしていたりして、広くもない座に多勢の人間がいるのが、私には自分の年配を考えて、面伏せであったり遠慮であったりした。そして、近づきのない京都三界に来て、そうしたわけでそんな家《うち》の厄介《やっかい》になったりするのが何ともいえず欝屈《うっくつ》であったが、それも思いつめた女ゆえと諦《あきら》めていた。私は悄然としながら、案内せられるままにそちらに通ると、座蒲団《ざぶとん》を持って来てすすめたり、手焙《てあぶ》りに火を取り分けて出したりしながら、
「どうぞそないに遠慮せんと、寒うおすよって、ずっと大きな火鉢の方に寄っとおくれやす」と皆なしていってくれる。
 これも何だか半分気狂いではないかと思われそうなそこの婆さんは酔狂の癖があると思われて、ひどく興奮してしまって、こちらから辞を卑《ひく》うして挨拶《あいさつ》をしてもそれに応答しようともせず、変に、自分ほど偉い者はないといった、頭《ず》の高い調子で、いつまでも、ちびりちびり飲んでいる。いつか聞くところによると、婆さんは、西郷隆盛《さいごうたかもり》などが維新の志士として東三本樹《ひがしさんぼんぎ》あたりの妓楼《ぎろう》で盛んに遊んでいたころ舞妓《まいこ》に出ていて、隆盛が碁盤の上に立たして、片手でぐっと差し上げたことなどあった。婆さんはそれを一つばなしに今でも折々人に話して聴かすのであった。私は、何のことはない、ちょうど、毛剃九右衛門《けぞりくえもん》の前に引き出された小町屋宗七《こまちやそうしち》といったような恰好《かっこう》で、その婆さんの前に手を突いて、
「いろいろとんだ御厄介をかけます。全体あなたに昨日《きのう》一応話をおねがいしておいたのですから、その返事を待っていればよかったのですが、今晩自分が勝手に隣の家へ入り込んで来て、こんなことになったものですから」
 何によらず対手《あいて》の仕向けが少し気に入らないと、すぐ皮肉に横へ外《そ》れて出ようとする風の老婆と見たので、昨日の朝も、向うから、及ばずながら、仲に入って話してみましょうといってくれたのを幸いにちょっと頼んでおいたゆきがかりがあったから、そういって一言いいわけをすると、婆さんはぎょっと顔中を顰《しか》めたように意地の悪そうな眼をむいて、
「いいや、こんなことに年寄りの出るところやおへん」と一克《いっこく》そうに、わざと仰山《ぎょうさん》に頭振《かぶ》りをふったかと思うと、
「内の伜《せがれ》は年はまだ若うおすけどな、こんなことには私がよう仕込んでますよって、おためにならんようには取り計らいまへんやろ」とどこまでも偉い者のようにいう。
 しかし私は、女さえ自分の物になるならば、どこまで阿呆《あほう》になっていても辛抱できるだけ辛抱する気で、婆さんが、どんなに偉そうなことをいったり、凄まじい気焔《きえん》を吐いても、ただ「へいへい」して、じっと小さくなってそこに坐っていた。そして、今のこのざまが、見も知らぬ人間の前でなかったならば、自分にはとても、こうして我慢していられないであろうと思うと、それが東京と遠く離れた京都の土地であるのが、せめてもの幸いであった。婆さんはむずかしそうな顔をして膳《ぜん》の上の肴《さかな》をつつきながら、ぶつぶつひとり言をいうように、
「まだどこのどなたとも一向お名前も承わりまへんけど、出ている者に金を取られるということは、世間に何ぼもあるならいどすよって、……茶屋の行燈《あんどん》には何と書いておす、え、金を取ると書いておす。こうお見受けしたところ、あんたはんも、まんざら物の出来《でけ》んお方でもおへんやろ。向うは人を騙《だま》さにゃ商売が成り立ちまへん。それを知って騙されるのはこちらの不覚。それをまた騙されんようでは、遊びに往ても面白うない。出ていた者が引いた後まで、馴染《なじ》みのお客やからいうて、一々義理を立てていては、今日その身が立ちまへん。……どこのどなたはんかまだお名前も知りまへんが、こりゃあ、わるい御量見や」婆さんは一語一語にもっともらしゅう力を籠めて説諭するようにいう。
 私は、まだ名前を承わらぬと、厭味《いやみ》をいわれたので、それにはいささか当惑しながら、
「それは、まったく私の不行届きでした。ついこんどのことに心を取り乱して申し忘れていました。私はなにがしと申す者でございまして、生国はどこですが、もう長く東京に住んでおります」そういって初めて本名を語ると、婆さんはどこまでも皮肉らしく、
「いや、それを承わっても私どもには御用のないお方でございますやろけど」と、酒盃を口にあてながらわざと切り口上に言って、
「さだめしあんたはんにも親御たちがござりますやろ。わたくしのところにも、役には立ちまへんが、あのとおりまだ若い伜が一人ごわります。もうこの間から、あんたはんのおいでやすとこを見るにつけ、私はほかのことは思いまへん。これがわたしのところの伜であったら、わたしはどないな気がするやろと思うと、この胸が痛うなります」婆さんは、そういいながら、さもさも胸の痛みに触るように皺だらけの筋張った顔を一層|顰《しか》めて、そっと胸に手を当てる形をした。「あんたはんはそりゃ、御自分の好きな女子《おなご》のために勝手に自分の身を苦しめておいでやすのやろさかい、ちっとも私、構いまへんで。そやけど親御の身になったら、どないに思うか。わたしは、あんたはんの顔を見るのが辛い。もう、わたし、あんたはんがここの路次へ入って来るのを見るのが厭どす。見とうない、見せておくれやすな」
 婆さんは一人で、きかぬ気らしく頭振《かぶ》りを振りながら言い続けるのである。私は、揉手《もみで》をせんばかりに、はいはいして、
「あなたのおっしゃることは、一々御もっともです。けれども私にとってはまた一と口に申すことの出来ない深いわけがあるのですから……」
「ああいや、もう、そのわけがようない。それは聴かいでもわかってます。まあ、伜が何んとか埒《らち》のつく話をしていますやろ。どうぞ遠慮せんと待っといでやす」いくらか気を鎮《しず》めてそういっているかと思うと、婆さんは、しきりに酒気を吐きながら、肴の皿《さら》を箸で舐《な》めまわして、
「当年、これで七十一になります。年は取ってますが、伜で話がわからなんだら、わたしが出て話します。私がこうというたら後に寄りまへん」婆さんは、皺だらけの腕を捲《まく》ってみせて、「まだまだ若いものではしょうむない。毎日私か小言のいい続けどす」まるで何を言っているのか、拘攣《こうれん》したように変なところに力を籠めて空談《くだ》を巻いている。
 合壁一つ隔てた女の家《うち》では、いつまでも母親ががみがみがなる声ばかりが聞えていた。すると、やがて、越前屋の主人はどうしたのか、その母親を宥めすかしながら連れて戻って来た。そして優しい言葉で、
「お母さん、どうぞこちらへ。長うお手間は取らしまへんよって、ちょっとここでお待ちやしてとくれやす」といって、主人は自分で手まめに次の間から座蒲団などを取って来て、母親にすすめた。
 私は、母親の入って来たのを見ると、まるで敵《かたき》同士なので、ぷいと立ってそこを外《はず》そうとすると、主人は、
「ああ、兄さんもどうぞそこにいてとくれやしたらよろしい。構《かま》しまへんがな。さあ、どなたはんも寒うおすさかい、遠慮せんと、ずっと火鉢の傍に寄って当ってとくれやす。……お母はんも、どうぞ私のところではもう何もいわんとおいとくれやす。お話はまた後でゆっくり聴きますよって」といって、私の方に向い、「兄さんも、どうぞそのおつもりで」と、顔に多く物を言わして、主人は再び隣りへ引き返していった。
 主人がそういうのにつれて、ほかの者も狭い茶の間の一つところに母親や私を坐らした。見ると母親はさっきの激昂《げっこう》した様子は幾らか和らいで、越前屋の者に対しては笑顔《えがお》をしながら、それでもまだ愚痴っぽく「えらい遅うから兄さんもおいそがしいところ皆様にお世話かけてほんまに済まんことどす。……あんたはん、昨日こちらのお婆さんにお頼みやしたやおへんか。その返事もまだ聴かんうちから、よその家《うち》へ黙って入ってきやして、警察へ訴えて出たら、あんたはん罪人やおへんか。あの家は私の家とちがいます。旦那はんが今日は来ていやはらんからいいけど、もし旦那はんでも来といやしたら、どないおしやす」母親はまださっきの驚きと激怒の余熱《ほとぼり》の残っているように、くどくどと一つことを繰り返していっている。私は、もう母親を対手《あいて》に物をいいかけると、こちらまでが自分でも愛想の尽きるほど下劣な人間になり果てるような気がしてくるので、もう、どんな気に障《さわ》るようなことをいい出されても、じいっと腹に溜《た》めておろうとしても、「旦那はんが来ていたら……」などといわれたので、また、頭がかっとなるほど癪に障ったので、
「旦那が何です。私のほかにそんな者があろうはずがない。そんな男がもし来てでもいたら黙って引っ込んでいる私じゃない。そんな者があるなら、今晩それが来合わしていればよかったと思っているんだ。いつでも対手をしてやる」
 私は堪《こら》えかねて、母親の方に向き直って言うと、生酔《なまえ》いに酔っぱらった越前屋の婆さんは、眼と眼との間に顔中の皺を寄せて、さもさも気色《きしょく》の悪そう、
「ああもう、うるさい。喧嘩《けんか》をするなら、私の家の中でせんと、どうぞ戸外《そと》に出てしてもらいまひょう。今伜があれほどいうて往《い》きよったのに、伜の顔を潰《つぶ》さんようにしてとくれやす」
 そんな調子で私と母親とで睨《にら》み合っているところへ越前屋の主人はまた戻って来て、
「おかあはん、えらいお待ち遠さんどした。さあ、もう済みましたよって、どうぞ帰っとくれやす。ほんまにえらい済まんことどした」主人は撫《な》でるように優しくいうと、母親は内の人たちに繰り返しくりかえし礼をいいつつ、やがて自分の家へ帰っていった。

     

 そして母親が出て帰ったあとの入口を、主人は何度も気にして振り顧って見ながら、その時まだ庭に立ち働いていた女房が、
「もうお帰りやした」といったので、安心したように、私の方を見て、
「さあ兄さん、えらいお待たせして済みまへん。どうぞ、もっとずっと火鉢《ひばち》の傍にお寄りやす。夜が闌《ふ》けてきつう寒うおす」と、いって自分も火鉢の向うに座を占めながら、
「あのお母はんが傍についていると、喧《やかま》しゅうて話が出来しまへんよって、それでちょっとこちらへ来てもろうてました」主人は落ち着いていった。
 その顔をよく見ると、主人の眼は泣いたように赤く潤《うる》んでいる。そして火鉢の正座《しょうざ》に坐っている老母と、横から手を翳《かざ》して凭《よ》っている私との顔を等分に見ながら、低い声に力を入れて、
「お婆さん、わたし、今姉さんから話を聴いて呆《あき》れた。……」越前屋の主人は、あとの句も続かぬように湿っぽい調子になっている。
「なんでや?」
「なさぬ仲やの。……」と、声を秘《ひそ》めていって、「私、今はじめて聴かされた。そんなことがないか知らん思うとったんや。やっぱりそうやった」と主人は、ひどく人情につまされている。
 婆さんは、それを聴くと、これはまた傷《いた》ましさに耐えられないように仰山に顔を顰《しか》めて、
「可哀そうに……」と、呆れた口を大きく開いて一句一句力をこめていって、うなずきながら、「そうか。それで皆読めた。……生《な》さぬ仲やと……」二度も三度も思い入ったように、それを繰り返して、もっともだというように、「……いえ、そうでもござりますやろ。……それでは話がまた一層ややこしゅうござります」
と、ようやく我に返った調子で、ひとり語《ごと》のようにいって沈吟している。
 私はしばらく口を噤《つぐ》んで二人の話をじっと聴きながら最初は自分の耳を疑って訊き返してみた。主人は「ええ、真実の子やないのやそうにおす」と、私に答えておいて、「姉さんそれで今えろう泣いてた。私も一緒に泣かされた」
 婆さんは深い歎息まじりに、しんみりとした調子で、
「いや、世の中は広うおす。世の中は広うおすわい。……実の子やったら、あの商売はさせられまへん。本当の親にそれがさせられよったら、鬼どす。鬼でのうて真実のわが子にそれがさせられるものやおへん」と、つくづく感じたようにいっている。
 私は、心の中で、それを、いろいろに疑ってみた。はたして血を分けた母子《おやこ》の仲でないとすると、自分に対する考えも彼女と母親との腹は一つでないかも知れぬ。
「それを彼女《あれ》が自分で、こうだというのですか」
「ええ、姉さんそうおいいやした。……今のお母はんには何度も子供が生まれても、みんな死んでしもうて、大けうなるまで育たんので、自分はまだ三つか四つかの時分に今の親に貰われて来たのどすて。それで生みの親はどこかにあるちゅうことだけ聴いてはいるが、どこにどないしているかわからんのやそうや。それやよって、二人の間がいつも気が合わんので年中喧嘩ばかりしているけど、何でも自分の心を屈《ま》げて親のいうことに従うておらんならんいうて、姉さん今えろう泣いてはりました。私もほんまに貰《もら》い泣きをしました」
 越前屋の主人はそういって、屈強な男の眼に真実涙を潤《うる》ませている。そしてなお言葉を継いで、私の方を見ながら、
「それぐらいやよって、こんどのことも少しも姉さんは自分の本心でそうしているのやない言うてはります」
 しばらくじっと聴いていた婆さんはまた口を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《はさ》んで、
「それが真実《ほんと》でござりますやろ」という。
「そうでしょうかなあ」私も小頸を傾けながら、「そうだとすると、事訳《ことわけ》が大分わかるのですが。……」といって、まだずっと以前初めて女に案内せられて、祇園町《ぎおんまち》の、とある路次裏に母親に会いに往った時の最初の印象を思い浮べてみた。その時すでに妙に似ていない母子だなと思ったのであった。その後も、去年の夏の初めのころ、彼女たち母子の傍に、一カ月あまりも寝泊りしている時にも、時々ふっと二人の顔容《かおかたち》から態度などを見比べて、どうも似ていない、娘には自分もこれほど心から深く愛着していながら、これがその母親かと思うと、さすがに思い込んだ恋も、幾らか興が醒《さ》めるような気がするのであった。そして心の中で、どうか、これが真実の母子でなくってくれたら好い、何かしかるべき人が内証の落胤《らくいん》とでもいうのであったならば……というような空想を描いたことも事実であった。が、そう思うたびにいつでもそれを、そうでないと、語っているかのごとく、私に考えさするのは二人の耳の形であった。それは、二人とも酷《ひど》く似た殺《そ》ぎ耳であって、その耳の形が明らかに彼らの身の薄命を予言しているかのごとく思われていた。
 そして今、越前屋の主人が女から聞いて来たとおりに真実なさぬ仲であるならば、これまでに幾倍してひとしお可愛さも募る思いがするとともに、今人手に取られたようになっている女を自分の手に取り返す見込みも十分あるのであるが、主人の聞いて来た話によって、私はやや失望の奈落《ならく》から救い上げられそうな気持になりかけながら、そうなるとまた一層不安な思いに襲われて何だかあの耳一つが気にかかってくる。
「そうですかなあ……なるほどそういえば、顔容《かおかたち》にどこといって一つ似たところはないのですが」と、いって私は心に思っている耳の話をして、「始終親子でいい諍《あらそ》いすることのあるのは、私もよく見て知っていますが、その口喧嘩のしぶりから見ると、どうも真実の母子でなかったら、ああではあるまいかと思われることもあります」
 私は、彼女の家に逗留していた時分の二人のしばしば物の言い合いをしていた様子を、つとめて思い起すようにしてみた。そして、その真偽いかんに彼女自身のいうことの真偽いかんが係っていると思った。越前屋の主人は、
「さあ、そんな以前のことは、私も、どや、よう知りまへんけど、姉さんは今自分でそういうてはりました。……うたがや、どっちでも疑えますけど、姉さんが泣き泣きいうのをみると、やっぱり貰われたのが本間《ほんま》どすやろ。しかし酷《ひど》いことをする親もあるもんどすなあ……そんなの芸子にはめずらしいこともおへんけど、あの商売にそんな酷いことをする親はまあたんとはおへんなあ」主人は肝腎《かんじん》の話を忘れてしきりに思い入ったようにいう。
「わたし聞きまへん。この年になるけど初めてや」と、強く頭振《かぶ》りをふって呆れている。
 主人はさらに涙に湿った声をひそめながら、
「もう此間《こないだ》から何かこれには深いわけがあるにちがいないから、母親のおらんところで、とっくり姉さんの腹を一遍訊いてみたいと思うてたら、私の想像したとおりやった」と、分らなかった謎《なぞ》がやっと解けた時のような気持でいって、また私の方に顔を向けながら、
「ほて、姉さんはこういうてはります。……わたしは、あんたはん――あのお方のことは一日も忘れてはおらん、毎日毎日心の中ではあの人は今時分はどこにどないしておいやすやろ思うて気にかかっていたのやいうてはります。こんどのことには一口にいえん深い事情があって、自分のとうからこうしようと思うていたこととは、ちょうど反対したことになってしまったいうて、きつう泣いてはりました」といって、主人はしんみりとした調子で話した。
 私は、主人がさっきから何度も繰り返していう、姉さんがきつうそれで泣いてはりますというのを聞かされるたびに、その女の泣いてくれる涙で、長い間の自分の怨《うら》みも憤りも悲しみもすべて洗い浄《きよ》められて、深い暗い失望のどん底から、すっと軽い、好い心地で高く持ち上げられているような気がしてきた。そして今までじっと耐《こら》えていた胸がどうかして一とところ緩《ゆる》んだようになるとともに、何ともいえない感謝するような涙が清い泉のように身体中から温《あたた》かく湧《わ》いてくるのが感じられた。私は、その涙を両方の指先に払いながら、
「ああそうですか。それで今ほかの人間の世話になっているというのですか」私は早く先きが訊きたくて心がむやみと急いだ。
 主人はうなずいて、「それを姉さんいうてはりました。今世話になってる人というのは、一緒になるというような見込みのある人とちがう。おかみさんもあるし、子供も二人とか三人とかある人で、これまでにもう何度も引かしてやろう言うてたことはあったけど、姉さん自身ではもうあんたはんのところに行くことに、心は定めていたんやそうにおす。そこへ去年の秋のあの風邪《かぜ》が原因《もと》でえらい病気して自分は正気がないようになっているところを付け込んで、お母はんは目先の欲の深い人やよって、今の人がお母はんに金を五百円とかやって姉さんの身を引き受けよう、ほんなら、どうぞおまかせしますということに、自分の知らぬ間に二人で約束してしもうて、医者から何からみんなその人がしてくれて、お陰で病気も追い追い良うなったのやし、今となって向うの人にも深い義理がかかってあのお方の方ばかりへ義理を立てるわけにもゆかんようになった。それで今急にどうするということも出来んさかい、ここ半歳《はんとし》か一年待っていてもらいたい。その間に好い機《おり》があったらまたこちらから手紙を出すか、話をするかするさかい……」
「それで半歳か一年待ってくれというのですか」
「まあ、そういうてはるのどす。今急にあんたはんのところへ行けんことになったよって、それを私からあんたはんによう断りいうてくれるように、姉さんからくれぐれも頼んではりました。……そんなわけどすよって、あんたはんももう好い時節の来るまであまり気を急《せ》かんとおきやす。この話|急《せ》いたらあきまへん。私も御縁でこして及ばずながら仲に入って口をききました以上は決して悪い話には致しませんつもりどすよって」と、頼もしそうに私を慰めてくれて、
「それにしてもあの母親は、姉さんも、お母はんという人目先の欲の深い人どすいうてはったが、ひどいことをする婆さんどすなあ。ただ一時《いっとき》金貰うたかて見込みのない人やったらしかたがないやおへんか」繰り返してそれを呆れている。
「いろいろお骨折り有難うぞんじます」
と、私は主人の前に頭を下げて心から礼をいったが、そうしてむざむざ人の楽しみにさしておくのを承知しながら、今すぐにも自分の方へ取り戻すことの出来ぬのが堪えがたい不満であり、今までの長い間の、とてもいうに言えない自分の、その女のために忍んで来た惨憺《さんたん》たる胸中を考えれば考えるほど、そんな破滅になってしまったのがあまりに理不尽であるように思えてどうしたらこの耐えがたい胸を鎮めることが出来るかと思った。それとともに、向うの人間にどれだけの恩義を被《き》ているか、それは分らないにしても、またたとい、はたして彼女のいうことを信じて母親に対して生《な》さぬ仲の遠慮ということを認めるにしても、あまり女の心のいい甲斐《がい》なさと頼りなさとが焦躁《もどか》しかった。そしてその向うの人間というのは、いつか彼女が自分で話して聴かした去年の二月にも病気の時引かしてやろうといい出したその人間のことであろう。その人間ならば決してそう深いわけはなかったはずである。それにこの間の夜松井の女主人《おんなあるじ》のところへたずねて往って会った時の話にも、こんど病気でいよいよ廃業する時にももう女の身に付いた借金というほどのものもなかったというし、そんな深い客のあったことは知っているようでなかった。松井の女主人のいうのでは、あの仏壇の阿弥陀《あみだ》様の背後《うしろ》から出てきた羽織|袴《はかま》を着けた三十余りの男こそ前《さき》にも後にもただ一人きりの深い男であったが、それはもう今からいって一昨年《おととし》の夏の末に死んでしまった。松井の女主人は、先夜会った時にその死んだ男のことをいって、長火鉢の前で多勢ほかの妓《こども》のいる傍で私を、冷笑するような調子で、
「あんたはんお園はんには三野村《みのむら》さんという夫婦約束までした深い人がおしたがな。三野村さんが今まで生きとったら、もうとうに一緒になってはる」そういって三野村という、彼女の方からもひところは深く思いまた向うからは変らず深く思われていた男のあったことをいろいろいい出して、そんな深い男のあったのも知らずして、好い気で遠くの東京の空の果てにいながらただ一途《いちず》にその商売人の女を思いつめていたばかりか、こうなりゆいた今までも潔く諦めようとはせずにやっぱりその女に想《おも》いを残している男の呆気《うつけ》さ加減のあまりに馬鹿らしいのを、いささかの同情もなく冷たく笑っていた。その時の女あるじの口うらなどから細かに推察してみても、どうも、今の世話になっているその人間が女とさまで深いわけがあったとは考えられない。それどころではない、もとの女あるじが、
「三野村さんはあってもお園さんは、あんたはんも好きやった。三野村さんの死んだあとは、あんたはんのところに行く気やったのどすやろ」と一口いったことを思ってみても、女の底意は察することが出来るのである。私は、それを思うにつけても、毎度近松の作をいうようであるが、「冥途《めいど》の飛脚《ひきゃく》」の中で、竹本の浄瑠璃《じょうるり》に謡《うた》う、あの傾城《けいせい》に真実なしと世の人の申せどもそれは皆|僻言《ひがごと》、わけ知らずの言葉ぞや、……とかく恋路には虚《いつわり》もなし、誠もなし、ただ縁のあるのが誠ぞやという、思うにまかせぬ恋の悲しみの真理を語っている一くさりを思い合わせてふっとした行きちがいから、何年にも続いて、自分の魂を打ち込んで焦心苦慮したことがまるで水の泡になってしまったことを慨《なげ》いても歎《なげ》いても足りないで私はひとり胸の中で天道を怨みかこつ心になっていた。
 そして何とかして今すぐにも女を自分の手に取り返す術《すべ》はないものかと思いつづけていた。
「それで今本人はどうしています? 私に会おうともいいませんか」私は彼女に面と向って怨みのたけを言いたかった。
「ええ、それで姉さん今ここへ来やはります。……お母はんには、あんたはんは、もうとうにここからお帰りやしたことにして」と、入口の方に気を配りながら、越前屋の主人はその前に坐っている婆さんにも聞えぬように、そうっと私の耳のところに口を持ってきて押っつけるようにしながら「それからなお姉さんがこんなことをいうてはりました。――えらい失礼やけど、もしまたあんたはんがお小遣いでもお入用どしたら私の手を経て姉さんの方からどうともしますよって、そのこともちょっというといてくれ言うてはりました」
 私は、それをじいっと聞いていて、越前屋の主人の口から静かに吐き出す温かい息が軟《やわら》かに耳朶《みみたぶ》を撫《な》でるように触れるごとに、それが彼女自身の温かい口から洩れてくる優しい柔かい息のように感じられて、身体が、まるで甘い恋の電流に触れたように、ぞくぞくとした。
 主人が口を離すのを待って、私は、嬉しさに堪えかねた気持で、
「ああ、そうですか。そんなことをもいいましたか。……いやしかし、それだけ聞けば満足です。私ももう何年もの間|彼女《あれ》のことばかり思い続けて何をするにも手につかずお話のならぬ不自由な目をして来ましたが、まさか私一人の用くらいに事は欠きませんから、そんな心配は無用にしてくれ、それよりも一日も早く自分の決心をしてくれるようにいっておいてください」私はもう少しも毒のない、優しい心に帰りながら静かにそういった。
 主人は私のいうことを聞きながら、外の路次の方に気がかかるように、
「姉さんもう来やはりますやろ」といっているところへ、入口に立っていた越前屋の若い女房はそちらから、
「ああ来やはりました」と低声《こごえ》で知らせる。
 主人はそれで、表の間の方に立っていって出迎えながらわざと声を大きくして隣りの母親に聞えるように、
「お母はんえらい済んまへんが、どうぞ、今お話しましたとおりですよって、ちょっと姉さんをお貸しやしとくれやす。……あのおかたはもうさっき帰らはりましたよって、どうぞ安心してとくれやす」といって、そこへ、おずおず入ってきた隣りの女をやさしくいたわり招じ入れた。

     

「さあ、姉さん、ずっとこちらへお入りやしとくれやす。ほかに遠慮するような人だれもいいしまへんよって」
といいつつ、主人は母親が今まで敷いていた蒲団を裏返して、長火鉢に近いところに直した。主人の背後《うしろ》に身を隠すようにしながら、庭から茶の間に入ってきた彼女は、隅の暗いところに立ち竦《すく》んだまま、へえへえと温順に会釈《えしゃく》ばかりして、いつまでもそこに居わずろうている風情《ふぜい》である。
 婆さんもともに声をかけて、
「姉さん、なんもそないに遠慮せんかてよろしい。さあさあそなとこにおらんとずっとこちらへお上りやす。きつう寒うおす」
 彼女が、そうしたまま、いつまでも家の人たちに口をきかしているのを傍にいて見かねながら、私もそちらを振り顧って、
「皆さんがいうて下されるのだから早うこちらへ上がったがいいだろう」と、声をかけながら、そこに佇《たたず》んだ容姿《すがた》をちらと見ると、蒼ざめた頬のあたりに銀杏返《いちょうがえ》しの鬢《びん》の毛が悩ましく垂《た》れかかって、赤く泣いた眼がしおしおとして潤《うる》んでいる。
 女はなおも面羞《おもはゆ》そうな様子をしながら、
「わたし、もう、ここで失礼いたします」と、口の中でいって、上がろうとせぬ。
 主人も婆さんも、声をそろえて、
「何おいやす、姉さん。そんなとこにいられしまへん。さあさあ」と急いだ。
 女は、「へえ」と腰をこごめながら、それでやっと、「ほんならここからどうぞごめんやす」と沈み沈み言って、上り框に躙《にじ》り上がって、茶の間の板の間のところに小さくなって坐った。主人はそれを咎《とが》めるように、
「姉さん寒いのに、そんなとこにおられしまへんたら、さあこちらへおいでやして、兄さんの傍に来て火鉢におあたりやす」と手を取らんばかりに世話を焼いた。
 女は幾たびもいくたびも催促せられて、まだ泣きじゃくりをしながら、ようよう座蒲団の上まで寄ってきた。
 主人は、合壁の隣りに居残っている母親に気を兼ねて、声をひそめ、二人の仲を改めて取りなすような口を利《き》いて、
「さあ、姉さん、ここは私の内どす。もう誰に遠慮もいりまへんよって、兄さんと心置きのう話したい思うておいでやしたことをお話しやす」
 そういったが、彼女は、何といわれても、ただ「へえ、へえ」と、低い声でいうのみで、憂わしそうに湿っている。
 私も、あれほど会いたい、見たいと思っていながら、そうして面と顔を差し向ってみると、即座に何からいい出していいやらいいたいことがあり余って、かえって何にもいいえないような気がして、初心《うぶ》らしくただ黙っていると、主人は、小言のように、
「さあ、兄さんも何とか姉さんに言葉をかけてお上げやす」と言ったが、二人ともそのままやっぱり黙っていた。
 そこでかえってそこにいて用のない生酔いの婆さんが傍からまたしてもうるさく口出しをするのを、彼女も私も同じ思いで、神経に障るように自然と顔に表わしていた。主人はそれを払い退《の》けるように、
「お婆さんあんた、あっちい往《い》といでやす。あんた自分で関係せんというといやしたやないか」とたしなめておいて、女の方を見て言葉を改めながら、
「姉さん、今いろいろあんたはんから聞きました事訳《ことわけ》はあらまし私から兄さんにお話して兄さんも心よう納得してくりゃはりましたよって、それはどうぞ安心しておくれやす……」といって、しばらく間《ま》をおいて一層声に力を籠《こ》めて、
「その代り私がこうして仲に入って口を利きました以上は、姉さん今度また私にまでも※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]をお吐《つ》きやすようなことがおしたら、その時こそ今度は私が承知しまへんで……。よろしいか」と、念を押すように言った。
 彼女はそれでまた温順《おとな》しく、「へえ」とうなずきながら両手の襦袢《じゅばん》の袖《そで》でそっと涙を拭いている。まだ商売をしている時分から色気のないくらい白粉気《おしろいけ》の少い女であったが、廃《や》めてから一層|身装振《なりふ》りなど構わぬと思われて、あたら、つくれば、目に立つほどの標致《きりょう》をおもいなしにか妙に煤《すす》けたように汚《よご》している。そのうえ今泣いたせいか美しい眼のあたりがひどく窶《やつ》れている。ここのあるじがさっきも、戻って来てからの話に、
「姉さんがおいいやすのが本間《ほんま》に違いおへんやろ。自分も好きで世話になってる旦那があるのやったら、あんなものやおへん。この隣りに越しておいでやしてからでももう三月か四月になりますけれど、姉さんが綺麗にしておいでやすのを内の者だれかてちょっとも見いしまへん。お湯にかて、そうどすなあ、十日めくらいにおいでやすのを見るくらいのものどす」といって、隣家《となり》にいてそれとなく気のついている、女の平常《ふだん》のことを噂《うわさ》していたが、今じっと女の容姿《すがた》を打ちまもりながら心の中で、なるほど主人のいうとおり、今の彼女にはつくるの飾るのという気は少しもないものと見た。そして私もやっと口を切って、彼女に話しかけた。
「私も一伍一什《いちぶしじゅう》のことを話して、あんたにとくと聴いてもらいたいことは山ほどあるけれど、それをいい出す日になれば腹も立てねばならぬ、愚痴もいわねばならぬ。とても一と口や二た口では言い尽せぬし、あんたもそんな病後のことだから、それはまたの日に譲っておく。それで今こちらの親方から聴いたとおり、しかたがない好い機《おり》の来るまで辛抱しているつもりでいるから、あんたもその気でいてもらわねばならぬ」私は、あれほど、逢わぬ先は会ったらどうしてくれようと憤怒に駆られていたものが、そうして悄然と打ち沈んでいるのを面と向って見ると、打って変ったように気が弱くなってしまって、怨みをいうことはさておき、かえって、やっぱり哀れっぽい容姿《すがた》をしている女をいたわり慰めてやりたい心になった。
 すると彼女は私からはじめて物をいいかけられて、どんな気になったのか、今までの温順しく沈んでいた様子とはやや変った調子になって、
「あんたはん何で山の井さんへいて、その話をしておもらいやさんのどす」と、神経質の口調で不足らしく言う。山の井というのは初めて女を招《よ》んでいた茶屋の名である。
 私は、女のそういった発作的の心持を推測しかねて、ちょっと不思議そうに彼女の顔を見たが、
「あんた今、この場でそんなことをいい出したってしかたがないじゃないか」といったが、おおかた彼女の腹では自分の心にもなく今の人間に急に脱ぐことの出来ない恩義を被《き》なければならぬようになったのも、自分の知らぬ間に母親とその男との仲に立ってもっぱら周旋したのがその客で入っていたお茶屋の骨折りであったことを思って、もう今となっては、ちょっと抜き※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《さ》しならぬ破目《はめ》になってしまったのも、私が最初からの茶屋を通して話を進めなかったことの手ぬかりを言うのであろうと思った。けれども、そうなり入った原因《もと》をいえばまた彼女にもそうした責めがないでもなかったのだ。
 主人も私の言葉につれて、
「姉さん、そんなこともう、今いわんとおきやす。いつでも後になって、あんたはんたち二人でまた笑ってそんなことは話せますよって」と抑えるようにいって、
「……さあ、もうあんまり長うなると、お母はんがまた喧しゅういわはりますさかい……姉さんほんならよろしいなあ、どうぞ今夜の約束はこのお方でのうて私に対して違《たが》えんようにしておくれやす」
と主人は重ね重ね念を押していった。そして私に向って、
「兄さん、あんたはんも、もういうことおへんか……ほんならもう、どっちも異存おへんなあ」と、言いきって、また気を変えて、
「さあ、姉さんえらい御苦労さんどした。どうぞ帰ってお寝《やす》みやしとくれやす。遅うまで済みまへん」
 彼女はそれをしおにようよう立ち上がって、礼をいいつつ、壁隣りの自分の家に帰った。

     

 まだ二月半ばの厳《きび》しい寒威は残っていても、さすがに祇園町まで来てみると明麗な灯の色にも、絶ゆる間もない人の往来にも、何となくもう春が近づいて来たようで、ことに東京と異《ちが》って、京は冬でも風がなくって静かなせいか夜気の肌触《はだざわ》りは身を切るように冷たくっても、ほの白く露霜を置いた、しっとりとした夜であった。私は、その女の勤めていた先の女主人《おんなあるじ》に会うために、上京《かみぎょう》の方から十一時過ぎになって、花見小路《はなみこうじ》のその家に出かけて往った。
 もう去年の十一月の末、女がそんなことになった時から、直接に女主人にぜひ一度会って、彼女の勤めていた時分のことから病気で引いた前後の事情を、自分の得心するように委《くわ》しく訊いてみたいと思っていたのであった。※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]を商売とするその社会の者の習いで、こちらが客として今まで外部から知ることの出来なかった裏面の真相を、はたしてどれだけの誠意を披瀝《ひれき》して聴かしてくれるものか、それと知りつつ、わざわざ笑われるために行くのも阿呆《あほ》らしいようで控えていたが、それでも、いつまでも女のいるところが知れなくって懊悩に懊悩を重ねていた時分には、もう思案に余って愚かになり、女の在所《ありか》を探し出すことが出来なければ、せめて彼女の話でも、誰かを対手にしていたい、それには先の主人に会っていろいろな話を訊いたならばあるいは手がかりが見つかるかも知れない。そう思って、その家へ電話をかけて女主人の都合を問い合わすと、いつも留守という返事であった。彼女が勤めていた時分にも電話をかけると、定《きま》って、女衆《おなごしゅ》の声で冷淡に、
「今留守どす」というのがそこの家の癖で、あんな不愛想なことでよく商売が出来ると思うくらいであったが、女衆の返事では、女主人は昼間から外に出て夜の九時か十時ごろでなければ帰らぬという。それがいつ訊《たず》ねても同じことなので、三度に一度は私ということを知ってわざと嫌《きら》ってそういわしているのかも知れないと疑ってみたりした。頭《てん》から会うのを嫌っているくらいなら会ったところで奥底のない話をしてくれるはずもない。先の女主人が私を向うに廻しているくらいなら女の話はもう所詮《しょせん》駄目と思わなければならぬ。そう思うと私はますますどこへ取りつく島もないような気がして、どっちを向いても京都の人間は揃《そろ》いもそろってよくもこう薄情に出来ているものだ、いっそ自分の名も命も投げ出して、憎いと思う奴《やつ》らをことごとく殺してやろうか、残らず殺すことさえ出来れば殺してやるんだがと思ったこともあった。けれどもそれもならず、女主人に会って見たならばと思う望みも絶えて、消え入るような乏しい心地になっていた。それでもどうかしてはまたたまらなくなって、どんな羞《はじ》を忍んでも厭《いと》わないから、一度会ってこちらの悲しい真心を立ち割って話して見たならば、いかに冷淡無情を商売の信条と心得ている廓者《くるわもの》でも、よもやこちらの赤誠が通じないことはあるまい。そう思い返して時々電話をかけて都合を訊いたり、自分で入口まで出かけて往ったことも一度や二度でなかったが、小面《こつら》の憎い女衆《おなごしゅ》はよく私の顔を覚えていると思われて、卑下しながら入口に立った私を見ると、わざと素知らぬ振りをして狭い通り庭の奥の方で働いていた。そして幾度も案内を乞《こ》うと、やっと渋々出て来て、「太夫《こったい》どすか、今いやはりゃしまへん」といって、それっきり中戸の奥にまた引っ返ってしまうのであった。
 女主人は今から二十年ほど前まで祇園で薄雲太夫《うすぐもだゆう》といって長い間全盛で鳴らしたもので、揚屋の送り迎えに八文字を踏んで祇園街を練り歩いていたそのころ廓の者が太夫を尊敬して呼び習わした通称を今でもなお口にして太夫《こったい》といっているのであった。
 電話で訊くと、今すぐならいるというので夜遅く遠くから急いで行ってみると、今まで内にいたがまたどこかへ出て往ったというよっなことがあって、私はほとんど耐えがたい屈辱を感じていたが、彼らの前にはどんなに馬鹿になっていても、それほど苦痛とも思わなかった。
 そのうち女の居所が知れて、本人の心の奥底も分り幾らか自分にも心に張合いか出来たせいか、今までよりも少し勇気づいて、たとい効《かい》のないことにしてももとの女主人のところにもいって話してみようという気になって、また電話で都合を訊くと、「今晩は内にいやはりますよってどうぞ来ておくれやす。太夫《こったい》がそういうてはります」という、いつにない女衆《おなごしゅ》が気の軽い返事である。もっともその二、三日前に私はちょっとした物を持って、ただ入口まで顔を出したのであった。十二時近くになると花見小路の通りは冬の夜ながら妓共《こども》の送り迎えに、またひとしきり往来の人脚がつづいて、煌々《こうこう》としている妓楼の家の中はちょうど神経が興奮している時のように夜の深《ふ》けるに従って冴《さ》え返っている。その家の入口に立って訪《おとな》うと、今度はいつもとちがった小婢《おちょぼ》が取次ぎに出て、一遍奥に引き返したが、すぐまた出て来て、丁寧に、
「どうぞお通りやして」
といって、玄関から畳敷きの中廊下を伝うて、ずっと奥の茶の間に案内していった。八畳に六畳ばかりの二間つづきの座敷の片隅には長火鉢を置いて、鉄瓶《てつびん》にしゃんしゃん湯が煮立っている。女主人はその向う側に座を占めていた。見たところそこは多勢の抱妓《こども》たちをはじめ家中の者の溜り場にしてあると思われて縁起棚《えんぎだな》にはそんな夜深けでもまだ宵《よい》の口のように燈明の光が明るくともっていて、眩《まぶ》しいような電燈の灯影《ほかげ》の漲《みなぎ》ったところに、ちょうど入れ替え時なので、まだ二人三人の妓《こ》たちが身支度をして出たり入ったりしている。
 私は心の中で今日は不思議に調子が柔かいなと思いながら、座敷の入口の方でわざと腰を卑《ひく》うしていると、女主人はわだかまりのない物の言い振りで、
「さあ、ずっとこちらへお越しやす」
と、年はもう五十の上を大分出ていると聞いているにもかかわらず、声はまだ、まるで二十《はたち》余りの女のように柔和である。顔から容姿《すがた》から、とてもそんな年寄りとは思えない。これがその昔祇園街で全盛を誇った薄雲太夫の後身かと思うと、私は妙な好奇心にも駆られながら、そう打ち融けた言葉をかけられたのを機会《しお》に、
「は、どうぞ、ご免なさいまし」
といって、さっと起って長火鉢のこちら側まで進んで小婢《おちょぼ》のなおした座蒲団の上に坐った。
 色気のない束髪に結って、何かしら野暮な物を着た大柄で上品に見える女主人は柔和な顔で、二、三日前に持っていった物の礼をいったり、今までいつ訪《たず》ねて往っても留守がちであったりしたことを言って「こんな商売をしてますよって、朝は遅うおすし、昼からは毎日お詣《まい》りにゆくか、そでなけや活動が好きでよう活動見に往きますよって、いつも夜の今時分からでないと家《うち》にいいしまへんもんどすさかい」と、若い声でいっていた。
 私は、多年情海の波瀾《はらん》を凌《しの》いで来た、海に千年山に千年ともいうべき、その女主人と差し向いに坐っていると、何だか、あまりに子供じみた馬鹿らしいことをいい出すのが気恥かしいようで、妙に自分ながら硬《かた》くなって口ごもっていると、そこへ外から今帰ったらしい若い妓《おんな》が一人出てきて、
「ただ今」といいながら長火鉢の傍に寄った。
 女主人はそっちを向いて、
「おかえりやす」と返事しながら何か二言三言話していたが、また私の方を見て、
「あんたはん、この妓《ひと》を知っといやすやろ」という。
 私はちょっと思い出せないので小頸を傾けながら、その妓の顔をまじまじと見ていると、向うではよく知っていると思われて、
「よう知っています」といいながら、私の顔を見て笑っている。十八、九ばかりの小柄な妓《おんな》であるが口元などの可愛い、優しい容姿《すがた》をしている。女主人も笑いながら、
「なあ、よう知ってやすはずどすがな」といって、私の顔を見ている。
 私はこんな美しい妓《こ》に知っていられる覚えがないというよっに、なおもしきりに頭を傾けていると、女主人が、
「お園さんと一緒にようあんたはんに招《よ》ばれて往かはりましたがな、若奴《わかやっこ》さんどすがな」といったので、私はやっと思い起した。そして四、五年前に較《くら》べると全く見違えるほど成人した若奴の大人びた容姿を呆れたように見まもりながら、
「あッ、そうだったか、若奴さんとはちょっと気がつかなかった。あんたがあんまり好い芸妓《げいこ》さんになったもんだから、そういわれるまでどうしても思い出せなかった」そういって、私はまた彼女の顔をしみじみと見ていた。ほんとに四、五年前見ていた時分とはまるで比べ物にならぬくらい美しい女になっているのに私は驚いたのであった。
 女主人は機嫌好げに彼女の顔と私の方とを交《かわ》る交《がわ》る見ながら、
「ほんまに好い芸妓《げいこ》さんになりゃはりましたでっしゃろ。この妓《ひと》にも、好きな人がひとりあるのっせ」と、軽く弄《からか》うようにいうと、若奴は優しい顔に笑窪《えくぼ》を見せて羞《はず》かしそうにしながら、両掌《りょうて》で頬のあたりを擦《こす》って、
「ほんまにあのころはよう寄せてもろていましたなあ」
と、過ぎ去った時分のことを思いうかべるような顔をしている。私もそれにつれてそのころのことがまた思い起されるのであった。
 涼しい加茂の河原にもうぽつぽつ床《ゆか》の架かる時分であった。春の過ぎてゆくころからほとんど揚げつめていた女がだんだん打ちとけてくるにつけて、
「なあ、へ、内に、わたしの妹のようにしている可愛い芸者がひとりあるのっせ」というから、
「へえ、どんな芸者」と訊くと、
「そりゃ可愛い芸者。まだ十四どっせ」
「十四になる芸者、そんな若い芸者があるの。舞妓《まいこ》じゃないの」
「ちがいます。芸妓どす」
「おかしいなあ。なぜ舞妓にならないんだろう」
「さあ、そなことどうや、わたしようわけは知りまへんけど、初めから芸者で出てはります。そりゃ可愛《かわい》かわい人どっせ、あんたはんに一遍|招《よ》んでもろとくれやすいうて、わたし内の姐《ねえ》さんから頼まれていました」
 そういうので、招んでみると、女のいうとおりまだ子供の芸者であった。それから後も時々女と一緒に来て方々外に連れて歩いたりしていたが、あれからずっと見なかったので、まるで別な女になっていた。私は、自分の女のことを、あまり正面から女主人に切り出すのをきまりわるく思っていたところへまたそんなほかの者が傍に来たのでいよいよいい出しかねていたが、若奴とちょうどそんな話になったので照れ隠しのように、
「若奴さん、ほんとに美《い》い芸妓さんになったなあ」と私はまたつくづくとその容姿《すがた》に見入りながら、
「こんな別嬪《べっぴん》になるんだと知っていたら、あんな薄情な女に生命《いのち》を打ち込んで惚《ほ》れるんじゃなかった」
と、わざといって笑っていった。
 すると女主人は、自然にそっちへ話を向けてきて、
「お園さんにお会いやしたか」といって訊いた。
「ええ此間《こないだ》初めて一遍会いました」
「病気はどうどす。わたしも一遍見舞いにいこういこう思うて、ねっからよういきまへん」
「病気はもう大したこともなさそうです。一体不断から病人らしい静かにしている女ですから」
 すると若奴も傍から、
「ほんまにそうどす。お園さんはおとなしい人どしたなあ。姐さんあんな静かな人おへんなあ」
 私はだんだん話をそっちへ進めて、
「病気で気が変になったというのは、あれは真実《ほんとう》なのですか」といって女主人に訊ねた。
「そりゃ本間《ほんま》どす」と女主人は真面目《まじめ》な顔になって、「初めは私たちも熱に浮かされてそんなことをいうのか思うていましたが、そのころ病気の方はもうとうに良うなって、熱もないようになっているのに異《ちご》うたことをいい出したので、さあ、これは大変なことになった思うて心配しました。……あんたはんもよう知っといやすとおり、あの人たち母子《おやこ》二人きりどすさかい、同じ病気になるのやったかてまだお母はんの方やったら困っても困りようがちがいますけど、親を養わんならん肝腎《かんじん》の娘が病気も病気もそんな病気になってしもうてどうしようもなりまへんもんどすさかい。……そりゃ気の毒どした。あれで一生あのとおりやったら、どないおしやすやろ思うて心配していましたけど、それでもまあ早う良うおなりやして結構どす。一時はどないなるか思うてたなあ」女主人はそういって若奴の方を振り返って見た。
 若奴は同情するような眼をしてうなずきながら、
「ほんまに気の毒どしたわ。皆なほかの人面白がって対手にしてはりましたけど、姐さんわたし何もよういえしまへなんだ。顔を見るさえ辛うて」
「そうやった。眼が凄《すご》いように釣《つ》り上がって、お園さんのあの細い首が抜け出たように長うなって、怖《こわ》いこわい顔をして」
 私はそうであったかと思いながら、
「そんなにひどかったのですか」
といっていると、女主人は私の方をじっと見ながら、
「あんたはんよっぽどお園さんに酷《ひど》いことをおいいやしたんやなあ」とたずねるようにいう。
「どうしてです?」
「あんたはんの手紙に警察へ突き出すとか、どうとかするようなことをいうてあったと見えて、そのことをいつもよういうてました。ほかの者警察のことも巡査のことも何も言うておらんのに、お園さん、そら警察から私を連れに来た、警察が来る警察が来るいうて、警察のことばかりいうていました。よっぽどあんたはんの手紙に脅かされたものらしい」
 彼女の言葉は婉曲《えんきょく》であるが、その腹の底ではお園が精神に異状を呈したのも大根《おおね》の原因《もと》は私からの手紙に脅迫されたのだと思っているらしい口振りである。

     

 なるほどそう思われるのも全く無根の事実でもない。去年の春まだ私が東京にいて京都に来ない時分、もう何年にかわたるたびたびの送金の使途について委《くわ》しい返事を聞こうとしても、いつも、柳に風と受け流してばかりいて少しも要領を得たことをいってよこさなかったので、随分思いきった神経質的な激しいことを書いて怨んだり脅かしたりするようなことをいってよこしたのは事実であった。けれども、そんなことは他人に打ち明かすべきことでないから、自分ひとつの胸の底に深く押し包んでいたけれど、それほど気に染《そ》んで片時も思い忘れることの出来ない女を、一年も二年もじっと耐《こら》えて見ないでいて、金だけは苦しい思いをしてきちんきちんと送ってやり、ただわずかに女からよこす手紙をいつも懐《ふところ》にして寝ながら逢いたい見たい心の万分の一をまぎらしていたのではないか。あらゆる永遠の希望や目前の欲望を犠牲にし、全力を挙げてその女を所有するがために幾年の間の耐忍辛苦を続けて来たのである。自分でも時々、
「ああ馬鹿らしい。こんなにして金を送ってやっても、今時分女はよその男とどんなことをしているか……」
と、それからそれへ連想を馳《は》せると、頭がかっと逆上して来て、もういても起《た》ってもいられなくなり、いっそこの金を持って、これからすぐ京都へ往って、あの好きな柔和らしい顔を見て来ようかと思ったことが幾たびであったか知れなかったが、その都度、
「いやいや、往って逢いたいのは山々であるが、今の逢いたさ見たさをじっと耐えていなければ、この先きいつになったら首尾よく彼女を自分の物にすることが出来るか、覚束《おぼつか》ない」
 そう思い返しながら、われとわが拳固《こぶし》をもって自分の頭を殴《なぐ》って、逸《はや》り狂う心の駒《こま》を繋《つな》ぎ止めたのであった。けれども、さすがの私も、後にはとうとう隠忍しきれなくなって、焦立《いらだ》つ心持をそのまま文字に書き綴《つづ》ってやったのである。女の方でも、こちらの心持はよく知っているので、手紙でいってやることを、ただ何でもなく聞いているわけにはいかなかったのである。それがために気が狂ったといえば当然のようでもあるがまた可憐《かれん》なような気もする。
 私は何となく女主人《おんなあるじ》の顔から眼をそらしながら、
「脅かしたわけでもなかったんですが、私にしてもあれくらいのことをいう気になるのも無理はないと思うんです。……」と、私はいいなして、後をすこしくいい澱《よど》んでいたが、彼女がもうここにいなくなったのであるから、今となってそれをいったところで、格別女主人の気を悪くさする気づかいもないと思ったので、自分がとうから女の借金を払って商売の足を洗わすつもりであったことを話して、
「こんなことはもう幾十たびとなく知り飽きていられるあなたがたに向って今さらこんな土地にありうちの話をするも愚痴のようですけれど、そのために、私はとても一と口や二た口にいえない苦心をして来たのです」
 私はもっぱら女主人の同情に訴えるつもりで肺腑《はいふ》の底から出る熱い息と一緒にかこち顔にそう言った。いくら冷淡と薄情とを信条として多勢の抱妓《かかえ》に采配《さいはい》を揮《ふ》っているこの家の女主人にしても物の入りわけはまた人一倍わかるはずだと思ったのであった。すると彼女は今まで話していた調子とすこし変って、冷嘲《れいちょう》するような笑い方をしながら、
「あんたはんそんなことをおいいやしたかて、お園さんにはもうずっと前から三野村さんという人がおしたがな。三野村さんが今まで生きとったらとうに夫婦になってはる」
 遠慮もなく、ずばりといい放った。それを聴くと私はぐさりと心臓に釘を刺されたようにがっかりした。が、そんな深くいい交わした男があるのも知らずに、自分ひとりで好い気になって自惚《うぬぼ》れていたと思われるのがいかにも恥かしいので、強《し》いてそんな風を顔色に出さないようにしながら、私はややしばらくいうべき言葉もなかったが、やがてわざと軽い調子で、
「ええそんなことも少しは知らぬでもなかったのですが、そんな人間はあっても大丈夫お園は自分の物になると私は思っていたのです」と、私はあくまでも信ずるようにいった。
 すると彼女は、一層|嵩《かさ》にかかって冷笑しながら、
「あんたはんだけ自分でそう思いやしたかて、お園さんあんたはんのところへ行く気いちょっともあらしまへんなんだんどすもの。……その人はもうお死にやしたけど」といって、私に語る言葉の端々が妙に粗雑《ぞんざい》になってくるに反して、その死んだ人間のことをいう時にはひどく思いやりのある調子になりながら、火鉢の傍に坐っている若奴の顔を振《ふ》り顧《かえ》って、
「なあ、三野村さんとお園さんのことでは何遍も揉《も》めたなあ」と、女あるじはその時分のことを思いうかべて心から亡くなった人の身を悲しむかのように、私が傍にいることなどてんで忘れてしまった風で、しんみりとなり、
「三野村さん死なはったのはついこの間のように思うてたら、もう一昨年《おととし》になる。そうやなあ、一昨年の夏のもうしまいごろやった。可哀そうやったなあ、あんなにお園さんに惚れていても死んでしもうたらしようがない」
 彼女はとうとう独り言をいい出した。
 私は厭あな気持で黙ってそれを聴いていた。私にあてつけて故意にそんなことをいっているのかと思って気をつけていたが、彼女は真実三野村という男の死を哀れんでいるらしい。それならば情涙の涸渇《こかつ》したと思っていたこの薄雲太夫の後身にもやっぱり人並の思いやりはあるのだ。ただ私に対して同情を懐《いだ》かないばかりなのだ。それにしても私のこれほど血の涙の出るほどの胸の中がどうして彼女の胸に徹せぬのであろう。私は自分で自分のことを思ってみても昔の物語や浄瑠璃などにある人間ならばともかくも今の世におよそ私くらい真情《まごころ》を傾け尽して女を思いつめた男があるであろうか……なるほどその三野村という男のことは、もう三、四年も前にちょっと耳にせぬでもなかったが、たといいかなる深い男があっても、自分のこの真情《まごころ》に勝《まさ》る真情を女に捧《ささ》げている者は一人もありはせぬ。それに、自分の観察したところによると、女は自分の方から進んでいって決して男に深くなるような気質は持っていない。男に惚れるような女ならばかえってまた手を施すことも出来るのであるが、彼女に限ってそういう風は少しもなかった。どうせ卑しい勤めをしているのであるから、いろんな男に近づきはあるにちがいない。どんな男があっても構わぬ。自分は猜疑《さいぎ》もしなければ、嫉妬もせず、ただ一と筋に真情《まごころ》を傾けて女の意のままに尽してやってさえいれば、いつかはこちらの真情が向うに徹しなければならぬ。ことさらにああいう稼業《かぎょう》の女はそんな嫉妬がましいことをいう男に対して厭気をさすのである。そう思って私は、三野村という男のことを全く知らぬこともなかったけれど、そんなことは彼女に向って戯談《じょうだん》にもあまり口に出したことはなかったのである。また私自身にしても、そんなことを思ってみるさえ堪えられない焦躁《もどか》しさに責め苛《さいな》まれるので、そんな悩ましい欝懐《おもい》をばなるべくそのままそっと脇へ押しやっておくようにしておいたのであった。が、今女あるじから初めて、入り組んだその男のことを聞くにつけ思い起したのは、去年の五月のころ女の家にいた時仏壇の奥から出て来た写真の和服姿の男がそれであろうと、そう思うと、その男と彼女との仲の濃《こま》やかな関係がはっきり象《かた》を具《そな》えて眼に見えて来た。私はちょうど沸《に》え湯《ゆ》を飲んだように胸が燃えた。
 女主人は、私の今の胸の中を察してか、察せずしてか、今度は私の方を見ながら、
「そりゃ三野村さん死なはった時には可哀そうにおしたで」と私をまで誘い込むようにいうのであった。「けども死んだらあきまへんなあ。あんなに惚れていて死んでしもて……」
 私はもう火を吹くような気持で、
「そしてお園の方でもやっぱりその男には惚れていたのですか」と、言葉だけは平気を装って確かめるように訊《き》いてみた。
「そりゃあお園さんかて惚れてはりましたがな。商売を止めたらお園さん自分でも三野村さんの奥さんになることに極《き》めておったのどす」女主人は当然のことを語るようにいう。
 私の胸の中はますます引っ掻きまわされるようになった。そして、まさかそんなこととは夢にも知らずあくまでも女を信じきっていた自分の愚かさが、真面目に考えるにはあまりに馬鹿げていて、このうえなお女主人や若奴のいる前で腹を立てた顔を見せるのが恥の上塗りをするようで私はどこまでも弱い気を見せずに、
「だって三野村にはほかに女があったというじゃありませんか」といってみた。
 自分がはじめて彼女を知って一年ばかり経《た》ってから女には、京都に土着の人間で三野村という絵師で深い男があるということを聞いたので、その後京都に往って女に逢った時、軽く、
「三野村という人とは相変らず仲が好いのかい?」と戯弄《からか》うようにいって気を引いてみた。
 すると女は顔色も変えずに、
「あの人たまあにどす。それに奥さんのある人やおへんか」と、鼻の先でこともなげにいってのけたことがあった。
 女と三野村のことをいったのは後にも前にもそれきりであったのみならず、自分でもそれっきりその人間のことを考えてもみなかった。その男のことなど物の数にも思わなかったのである。
 そういうと女主人は、
「ええ、そりゃおした。そやけど三野村さんはあの女よりお園さんの方がどのくらい好きやったか知れまへん。……それで揉めたのどす」といって、前に遡《さかのぼ》って彼らの交情の濃やかであった筋道を思い出して話すのであった。
 その男ももとは東京か横浜あたりの人間で絵の修行に京都に来る時一緒に東から連れて来た女があった。それは以前から茶屋女であったらしく、京都に来ても京極《きょうごく》辺の路次裏に軒を並べている、ある江戸料理屋へ女中に住み込ませて、自分も始終そこへ入り浸っているのであった。話の様子では職人風の絵師によくあるような、あまり上品な人間でもなかった。技術も捗々《はかばか》しく上達しないで死んでしまったが女のことにかけては腕があったらしく、一方その女が喰いついていて離れようとしないのに自分ではひどくお園に惚れていた。
 女主人は今思い出しても、三野村がいとしくもありおかしくもあるというように笑いながら、
「あんなに惚れはって。……なあ、私、三野村さんがお園さんに惚れはったようにあんなにほれた人見たことおへんわ」そういってまた若奴と私に話しかけながら、「三野村さん、あんたお園さんのどこがようてそんなにほれたんどすいうて訊くと、三野村さんもお園さんの、ほんならどこが好《え》えというところもないけれど、ただこうどことなくおとなしいようなところがええいうのどす」
「じゃ、男の好きなのは誰の思うところも同じこった」
と、私は、その三野村が女を観《み》る眼にかけては自分と正《まさ》しく一致していたことを思うにつけても、なるほどと肯《うなず》けるのであった。女主人のいうとおり彼は深い心の底からお園に惚れていたのにちがいない。私もやっぱり女の起居《たちい》振舞などのしっとりして物静かなところが不思議に気に入っているのであった。そして、三野村の惚れようが傍《はた》の見る眼も同情に堪えないくらいそれはそれは切ないものであったことを女主人がしきりに繰り返していうのを聴かされると、またしても私がその三野村にまた輪をかけたほど惚れているのに、それを遺憾なくわからす術《すべ》のないのが焦躁《もどか》しかった。そして、
「私だってあの女には真実《ほんと》に惚れているんですよ」といったが、幾ら真剣なところを見せようとしても、それをそのとおり受け入れてくれそうにないので、半ば戯談にまぎらして、いっているよりほかなかった。
 女主人はこっちの見ているとおり、そういってもただ、
「ええ」と心にもない義理の返辞をしているに過ぎなかった。そして三野村の話をしかけさえすれば好い機嫌で向うから進んでいろんな話をそれからそれへとするのであった。
「じゃその人はここへ――あなたのところへ来たのですな」
「ええもう始終ここへ来てはったのどす。……ひところよう来てはったなあ」女あるじは若奴の方に話しかけた。
「よう来てはりましたなあ」
 私は、そんなことからすでにその男の敵でなかったことを思った。自分もずっと以前ならば、惚れた女の抱えられている家へ入り込んで行くくらいのことをしかねない人間ではあったが、どこまでも自分の顔を悪くしないで手際《てぎわ》よく事を運びたいとあまり大事を取り過ぎたのがいけなかった。やっぱりこういうことは押しが強くなくってはいけないのだと今さらのように心づきながら、
「そうですか……始終こちらへ来ていたのですか」私は思わずそれを繰り返してしばらく開いた口が塞《ふさ》がらなかった。
 女主人は顔で若奴の坐している長火鉢の横を示しながら、
「ようここへお園さんと二人で並んで私とこのとおりに話してはりましたがな、家でもお園さんとよう泊まりやはった」
 彼女の語ることは向うではその心でなくても言々句々縦横無尽に私の肺腑を刺した。私は真実胸の痛みを撫《な》でるようにしながら、
「そうですか。……しかし私には幾ら惚れていてもその女の抱えられている屋形《やかた》まで押しかけてゆくのは何となく遠慮があって、それは出来なかったのです」私は自分の慎みをいくらか誇りかにいうと女主人はそんなことは無用のことだというように、
「ここの内お茶屋どすがな。何も遠慮することあらしまへん。おいでやしたらええのに」
 私はその家《うち》が揚げ屋をかねていることは、その時女主人がいうまで気がつかなかった。それととうから知っていたならば何の遠慮をすることがあろう、それにしても女はどういう心で私にはそれを明かさなかったか。旧《ふる》いことを思い出してみても最初行きつけのお茶屋から彼女を招《よ》ぶには並み大抵の骨折りではおいそれと来てくれなかった。それというのも今になっていろいろ思い合わすれば、やっぱりそういう深い男が始終ついているので滅多な客が自分の家《うち》へじかに来ることを好まなかったのかも知れぬ……それにしても五年前から自分と逢っていた場合の記憶をあの時はこうとさまざま思い浮べて見ると、それが何もかもみんな腹にもないことをただ巧んでしたりいったりしていたとばかりはどうしても思えない。……私はじっとひとり考え沈んでいた。

     

 若奴も傍から折々思い直したように口を入れて、
「お園さんも三野村さんのところへよう行かはりましたなあ」
というと、女主人《おんなあるじ》はうなずいて、
「ふむ、よう通うて行てたあ」
といって話すところによると、彼らが馴染《なじ》みはじめの時分男は二、三人の若い画家と一緒に知恩院《ちおんいん》の内のある寺院に間借りをして、そこで文展に出品する絵などを描いていた。仲間の中でも彼がひとり落伍者《らくごしゃ》でついに一度も文展に入選しなかったが、お園は昼間体のあいている時間を都合し始終そこへ遊びに行っていた。そして画師《えし》が画枠《えわく》に向っている傍について墨を摺《す》ったり絵の具を溶かしたりした。
 女あるじは笑っていっていた。
「三野村さんあなた、勉強をおしやすのにそないに女を傍に置いたりしてよう絵が描けますなあいうて私がきくと、そなことない、お園が傍についておってくれんと絵が描けんおいいやすのどす。……そうどすか、わたしまた何ぼ好きな女かて傍についていられたりしたら気が散って描けんやろ思われるのに、そんなこというてはりました」
 私は、二人の情交の濃やかであったことを聞けばきくほど身体に血の通いが止まる心地がしながら、惚れた女を思う男の心は誰も同じだと、
「私だってそのとおりですよ。私の傍に引きつけておくことが出来ぬ代りに遠くにいてどんなに彼女《あれ》を思っていたか。その人間などはまだそうして傍に置いとくことが出来ただけでも埋め合せがつく」私は溢《こぼ》すようにいうのであった。
「三野村さんのようここでお園さんが傍にいるところでいうてはった。……頼りない女や。私が京都にいるからこうしているようなものやけど、東京の方にでも往ってしまえばそれきりやいうて、始終頼りない女やいうてはりました」
「ほんとにそのとおりだ。そしてお園は傍で聴いていて何というのです」
「お園さんただ黙って笑い笑いきいているだけどす。……ほて、そんなに惚れているくせにまた二人てよう喧嘩をする。喧嘩ばかりしていた。三野村さんよう言うてはりました。姉さん、ああして私のところへ遊びに来てくれるのはええが、顔さえ見ればいつでも喧嘩や。そしてしまいにはやっぱり翌日《あくるひ》までお花をつけることになるから来てくれるたびに金がいって叶《かな》わんいうてはりました。お園さんの方でもほんよう喧嘩をして戻ってかというのに、やっぱり戻らない、喧嘩をしながらいつまで傍についている」
 そういって、女主人がなおつづけて話すのでは、ずっと先のころひとしきりあまりにお園の方から男のところに通うて行くので女主人が気に逆らわぬように三野村のところへ遊びにゆくのもよいが両方の身のためにならぬからあまり詰めて行かぬようにしたがよいといっていい含めたのであった。するとちょっと見はおとなしいようでも勝気のお園はそれが癪《しゃく》に触ったといって一月ばかりも商売を休んでいたことがあった。その後も三野村のことで時々そんなことがあった。女主人と同じように彼女の母親もそんな悪足《わるあし》のような男がついているのをひどく心配して二人の仲を切ろうとしていろいろ気を揉《も》んでいた。それでしばらく三野村との間が中絶していたこともあったが、男の方でどうしても思いきろうとしなかった。いろいろに手をかえて母親の機嫌を取ろうとすればするほど母親の方では増長して彼をさんざんにこき下ろすのであった。そして一度でも文展に入選したら娘をやってもよいとか、東京から伴《つ》れて来ている女と綺麗に手を切ってしまえば承諾するとか、その場かぎりの体《てい》の好いことをいっていた。そして母親や女主人の方で二人の間を堰《せ》くようにすればするほど三野村の方で一層躍起になってお園が花にいっている出先までも附き纏《まと》うて商売の邪魔になるようなことをしたりするのであった。
 女主人は、それでも私が長居をしていろいろ話をしている間にいくらかこちらの心中がわかって来たようであったが、いくたびも澱《よど》むように私の顔をじっと見ながら、
「今やからあんたはんに言いますけど、真相《ほんとう》はこうやのどす」といって、なお委《くわ》しく話して聞かせたところによると、こうであった。
 母親や女主人から、三野村のような男にいつまでも係り合っていては後の身のためにならぬと喧《やかま》しくいうのと、お園自身でだんだんそれとわかって来て、その後自分の方からはなるたけ男に遠ざかるようにしていたのであった。するとちょうどそのころ初めて私と知るようになった。その年春の終りから夏の半ばまで三月ばかりもいて私が東京に帰ってからも引きつづき絶えず手紙の往復をしているうち、秋になって女から急に体の始末について相談をしかけて来た。もちろんそのことはこちらから進んでそうするつもりであったから、こちらでも必死になって金の工夫をしてみたけれどついに思うだけの金は出来なかった。それで、自分の方ではそう急にといってはとても金の策はつかない。はなはだ残念であるが、やっぱりかねて約束しておいたとおり早くてもう半年くらいはどうしても待っていてもらわなければならぬ。それでも是非とも今に今身を退《ひ》かねばならぬという止《や》みがたい事情でもあるなら、ほかにしかたがない、その場合に処すべき非常手段について参考となるべきことを細かに書中にしてやったのであった。そして彼女からの手紙は来るたびごとに切なくなって、ひたすら不如意の身の境遇をかこち歎いていた。こちらからそれに応《こた》えてやる手紙もそれに相当したものであった。
 三野村は、前にしばらく、祇園町から程近い小堀の路次裏に母親がひとりで住んでいるころそこの二階に同居していたこともあったくらいで、そこから他へ出ていってからもやっぱり時々母親のところへ訪ねて来ていたが、ある日母子二人とも留守の間に入って来てそこらを掻き探しているうちにふと私からやった手紙の蔵《しま》ってあったのを目つけて残らず読んでしまった。それには、抱えぬしのひどく忌むようなことが書いてあった。それまであるじから敵《かたき》のように遠ざけられていた三野村は好い物を握ったと小躍《こおど》りして悦び、早速それを持って往って、
「姐さんあんたは私ばかりを悪い者のように思っていますが、これ、こんなことを二人で相談している。用心しなけりゃいけません」
といって、私から女にあててやった秘密の手紙をすっかり女主人に見せてしまった。もし私と彼女と手紙で相談していたことが成就したならば、立場はおのおの異っていても彼らは利害を同じゅうせねばならなかった。
 女主人はまた私の方を見て、
「私のとこでもそんなことでお園さんにあの時|廃《や》められでもすると困るさかい……それまでは私もあんたはんという人があってお園さんを深切にいうておくれやすいうことは蔭ながらよう知っていまして、あんたはんのところへ行くのでもなるたけ他を断ってもそこを都合ようしてお園さんを上げるようにしておいたのに、どうしてそんな私のとこの迷惑になるようなことをおしやすやろ思うて……こんなこというてはえらい済まんことどすけど、そんな手紙を見てから後あんたはんのことを怨んでいました。それで三野村さんも初めは私の方で、お園さんにあんな人をつけておいては後にお園さんの出世の邪魔になるというてだんだん二人の間を遠ざけるようにしてたのどすけど、あんたはんがそんなことをお園さんと手紙で相談してやすことを知ってから、こんどはまた私から進んで三野村さんとお園さんを手を握るようにさしたのどす。それは私の方でわざとそうさしたのどす」女主人は話に力を入れてそういうのであった。
 その話はもう四、五年前のことであったけれど、今向きつけて女主人からこちらの秘密にしていたことを素破《すっぱ》抜かれては、早速何といってよいか言葉に窮した。自分ももうその時分の委しいことは大方忘れているが、女の方からあまり性急にやいやいいって、とても急には調《ととの》いそうもない額の金を請求して来て、もしこちらでそれだけの金が調わない時には、かねて自分を引かそうとしている大阪の方の客にでも頼んでなりともぜひともここで身を引かねば自分の顔が立たぬ、それもこれもみんな私への義理を立て通そうとする苦しい立場からのことであるというようなことを真実こめた言葉でいってよこすところから、その際こちらで出来る限りのことをしてやったうえで、それでどうすることもならなかったら止むを得ないから思いきって最後の手段に出るよりほかはなかろうといってやったのであった。もちろん女からの手紙には、来る手紙にも来る手紙にもこんどの抱えぬしの仕打ちに対して少なからず不満を抱いているらしい口吻《こうふん》をも洩《も》らしていた……私はその時分のことを心の中でまたいろいろ思い起してみながら、今はじめて聴く、こちらではそれと重きを置かなかった恋の競争者の三野村が、そうした極秘密の私の手紙まで女のところから奪い去って、しかもそれを利用して抱え主の女あるじの信用を回復し彼自身の恋の勝利を確実にしたとは!
 ややしばらくして私は、
「ええ、そういわれればそんな手紙をよこしたことがあったのは自分でも覚えています。しかしその時分彼女から私によこした手紙ではこちらでいろいろ不平があったようなことをよくいってよこしていました。一体どんなことがあったのです。私の方から、それはどんなことで揉めているのかといって訊ねても、その内わけは何にもいわずに、ただ癪に触ることがあるから母のところに帰って店を休んでいる、一日も早く商売を廃めたいと言っていました」
 そういって訊くと、女あるじは思い合わすような顔をして、
「ああ、そうやそうや。それが三野村さんのことで私の言うことが気に入らんいうてお園さん休んでた時のことどす」
 そういうと、若奴も傍にいて、
「へえ、そうどした」という。
 私はあれやこれやその時のことをさらに精《くわ》しく思い出して、
「じゃ、何もかも私のことが原因《もと》で屋形と捫着《もんちゃく》を惹《ひ》き起しているようなことをいって手紙をよこしていながら、それは皆な拵《こしら》え事で真相《ほんとう》は三野村のことが原因だったのですな……どうも、そうでしょう。私はあんたもご承知のとおりあの年の夏の三カ月ばかり京都にいて東京に帰ったきり手紙と金とを送ってよこすだけで、てんで自分の体は来ないんですもの、私のために捫着が起る道理がないのです。みんな※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]《うそ》をいっていたのだ、だからこうして話してみなければ真相は分らない。それでいて私こそ好い面の皮だ。三野村自身のことでそんなに揉めているのとは知らず、言ってくるがままに身受けの金のことまで遠くにいてどれだけ心配してやったか。……私は何もあなたの方の迷惑になるようなことを初めから好んで彼女《あれ》に勧めたわけじゃない。自分ではどこまでも穏便な方法で借銭を払って廃業させようと思っていたのです。それであまり火のついたようにいって強請《せが》んで来るからそうでもするよりほかにしかたがなかろうと思ったのです」
 そういうと女あるじは幾らかこちらの事情も分ったように、
「三野村さんもずっと前に一度そんなことをお園さんに勧めたことがあったのどす。そんなことせられては私の方かて黙って見ておられんさかい、それでお園さんを長いこと三野村さんのお花にはやらんようにしてたのどす。そりゃあの人のことでは何度も揉めたことがあるのどす。あんたはんのいまおいいやす、あの時かて大変どした。お園さんもまた三野村さんのことやいうとあんなおとなしい人が本気になるのやもの……」
 私はまたその四、五年前の当時女から悲しい金の工面を訴えて来た時のことを繰り返して思い浮べながら、
「しかし、そうであったかなあ。……」と、その時の女の心底を考え直してみた。「じゃその時私が彼女《あれ》からいって来ただけの金を調えて送ったら、それで脚を抜いて、そして体は私の方に来ないで三野村の方に往ってしまったな」
 女あるじは真正面《まとも》に私の顔を見て、
「ええ、そしたらもう三野村さんの方にいてしまう気どしたのどす」
 それでもまだ私は小頸を傾けて、
「そうでしょうかなあ。その時は無論三野村が離れずついているから、たといお園の方では自分だけの一存で私に金を頼んで来たのであっても、自由な体になってしまえば三野村がすぐ浚《さら》って去《い》ったにちがいない。……その時一日に追っかけて二度もよこした手紙が幾十通となく、今までも蔵って私は持っています。それで見ると、まさか※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]ばかりで私に頼んだものとは自惚《うぬぼ》れか知らぬがどうしてもそう思えないなあ」
 私はひとり語のようにいって、心の中でその時血の出るような苦しい金の才覚をした悲しい記憶を呼び起した。すると女主人も思案するような顔をして、
「ふむ――変どすなあ……そやけどお園さんは、ええようにいうてお客さんを騙《だま》してお金を取るような悪い知恵のまわる人やない。私のとこに七年も八年もいたのどすさかい、あの人の気性は親よりも誰よりも私が一番よう知っています。商売かて方々渡って歩いたりしたこともないし、初めて私のところから出て廃めるまで一つところにいて、長い間商売はしてもいつまでも素人《しろうと》のとおりどした。三野村さんかて、お園さんがあんたから貰う金で花をつけて遊ぶのどうするのいうことはない、心の綺麗な人どした。……お園さん本当に三野村さんに惚れとったのやろか」
 女主人はそういいさしてまた傍にいる若奴の方を振り顧った。私はそれに口を入れて、
「あの女は自分でもよくいっていた。わたし、こんな商売していたかて、まだ一度も男に惚れたいうことおへん。そういっていたが、三野村ともそんな捫着がたびたびあったくらいだから無論嫌いではなかったろうが、そう魂を打ち込んで男にほれるというような性質《たち》の女じゃなさそうですな」
「ようここで三野村さんと喧嘩してはりましたなあ」若奴がいう。
「ふむ、よう喧嘩をしてたなあ。あんなに惚れていてどうしてああ喧嘩したのやろ」女主人はその時分のことを思い出すような風で笑った。
「それは仲が好過ぎてする喧嘩でしょう」
 そういうと、女主人と若奴とは口を揃《そろ》えてそれを否定し、
「いや仲が好過ぎてするのとちがう。仲が好うてする喧嘩とそうでのうてする喧嘩とは違っています。お園さんと三野村さんの喧嘩は本当に仲が悪うてするような喧嘩やったなあ」
「ええそうどす。お園さん、もうあんたはんのような人は嫌いや、もうここへ来んとおいとくれやすいうて、随分きついこというてはりました」若奴がそれにつけていった。
「男が死んだときお園はどうしていました。ひどく落胆《がっかり》していましたか」
 女主人はまた若奴と顔を見合わしながら、
「死んだ時かて格別お園さんの方では力落したような風はなかったなあ」
 若奴はその時分のことはよく覚えているらしく、
「ちょっともそんな様子はありゃしまへなんだわ。……そうそうあの時お園さん二、三日大阪へ行ってはりました。そして夜遅うなって帰って来やはりました。まあ、お気の毒に三野村さんがお死にやしたのに、お園さんは大方そんなこととも知らはらんやろか大阪に往《い》てどこで何しておいやすんやろいうて私うちで言うていました。ほて、ここへ入っておいでやした時、お園さんの顔を見ると、私すぐ、お園さん三野村さんが死なはりました、こっちゃは大きな声でいいましたけど、お園さんはびっくりともしやはらんで、ただ一と口そうどすかおいいやしたきりどっせ、姐さん。その時私、お園さん薄情な人やなあ思いました」
 若奴がそういうと、女主人は、
「ふん、そうやったかなあ、わたしあの時どうしてたか内におらなんで、あとで聞いた。……死んだ時はそりゃあ可哀そうどしたで」
といって、また追憶を新たにする風であったが、私はそれよりも自分の目前の境遇の方がはるかに憐《あわ》れであった。

底本:「日本の文学 8 田山花袋 岩野泡鳴 近松秋江」中央公論社
   1970(昭和45)年5月5日初版発行
入力:久保あきら
校正:松永正敏
2001年6月4日公開
2006年1月26日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

近松秋江

雪の日—– 近松秋江

 あまり暖いので、翌日は雨かと思って寝たが、朝になってみると、珍らしくも一面の銀世界である。鵞鳥《がちょう》の羽毛を千切《ちぎ》って落すかと思うようなのが静かに音をも立てず落ちている。
 私はこういう日には心がいつになく落着く。そうして勤めのない者も仕合せだなと思うことがある。私たちは門を閉めて今日は打寛《うちくつろ》いで、置炬燵《おきごたつ》に差向かった。そうしてこういう話をした。
「お前は何かね、私とこうしていっしょになる前に、本当に自分の方から思っていたというような男があったかね」
「ええそれはないことはありませんでした。本当に私がお嫁に行くんなら、あんな人の処に行きたいと思ったのが一人ありました。それがしばしば小説なんかに言ってある初恋というんでしょう。それは一人ありましたよ。あったといってどうもしやしない。それこそただ腹の中で思っていただけですが、あんな罪もなく思ってたようなことは、あれっきりありませんね。ちょうどあの、それ一葉女史の書いた『十三夜』という小説の中に、お関という女が録之助という車夫《くるまや》になっている、幼馴染《おさななじ》みの煙草屋《たばこや》の息子と出会すところがあるでしょう、ちょっとあれみたようなものです。
 私の家、その時分はまだ米屋をしていたころです、ですからもう十年にもなります、すると問屋から二十ばかりの手代が三日置きくらいに廻ってくるんです。それがいかにもシャンとした、普通な口数しか聞かない、おとなしい男で、私は『ああ嫁にゆくならこういう人の処に行っていっしょに稼《かせ》ぎたい』と思って――その時分は、米屋の娘だからやっぱし米屋か酒屋かへ嫁に行くものとただ、普通のことしか思っていなかったのです。何でもあの時分が大事なんですねえ。
 そりゃ縁不縁ということもあり、運不運ということもありますが、やっぱしそれ相応な処へ、いい加減な時分に、サッサと嫁《かたづ》いてしまわねばとんだことになってしまう。どうしたって私とあなた[#「あなた」に傍点]とは相応な縁じゃないんですものねえ。――そうして私、その手代が三日置きに廻ってくるような気がしましたよ。すると、米搗《こめつ》きの男なんかが、もう私の心持を知っていて、その男が来ると、姉さん来ましたよと言ってからかうんです。からかわれてもこっちは何だか嬉《うれ》しいような気がしました」
「フウ。それからどうなったの」
「別にどうもなりゃしません。ただそれだけのことで、――そうしているうちに兄さんにあの嫁が来て、それから、私は自家《うち》を飛びだすようになったのが失敗の初りになったんです。
 それから先の連合《つれあい》に嫁いでさんざん苦労もするし、そりゃおもしろいことも最初《はじめ》のうちはありましたさ。けれど罪もなく、どうしようなんという、そんなにはしたない考えもなく、『あんな人がいい』と、本当に私が思ったのは、その時ばかりです。先の連合《つれあい》に嫁いたのだって、傍の者や、向うがヤイヤイ言ってくるし、そこへもってきて、自分は、もう、あんな女房を取るとすぐ女房に巻《まか》れて、妹を袖《そで》にするような、あんな兄の世話には一生ならぬ。自分は自分で早く身を固めようと思っていた矢先だったから、それほどにいうものならと、ついあんな処へ嫁《ゆ》くようになったんです。けれどもその時は、何もこっちから思ったんじゃない。私の思ったのはその手代きりです――どうしましたか、私は自家《うち》を飛びだしてから妙な方に外《そ》れてしまったから、ただそれだけのことです」
「フウ、……そうだろう、お前にはそんなだらしのないこともなかったろう。他人の腹の中は割ってみなければ何とも言えないというけれど、――そりゃそうだろう。お前が本当に男の肌を知っているのは、私と先の亭主とだけだろう。こうして長くいればたいてい察しられるものだよ。……私には男だけにだいぶあるよ」
「ああ、そうそうそれからこんなことがまだありました」
 女はだんだん往昔《むかし》の追憶が起ってくるというように、自分の心の底に想い沈んでいるというようであったが、自分の話に興を感ずるといったようにこう言った。
「私は別に縹致《きりょう》といっては、そりゃよくないけれど、十七八から二十ごろまでは皮膚の細かい――お湯などに行って鏡の処に行って自分でもどうしてこう色が白いだろうと、鏡に向いて自分でも嬉しいようで、ツト振返ってお湯に来ている人を見廻すと、皆な自分より色は黒い。そう思うと――若い女というものはおかしなものですねえ。――そう思うと自惚《うぬぼ》れるんです。その時分は、私はそりゃお洒落《しゃれ》でしたから。――皆なしばしばスマちゃんくらいお洒落はないと言い言いしたくらいです。
 すると、――あれはいつでしたか、何でもお母さんと私と神楽坂の傍の軽子坂の処に隠居していた時分です。
 あれはちょうど私が二十歳の時分でした。春の宵の口に、私|独《ひと》りでお湯から帰ってくると、街の角の処で、どこの男か、若い男が突立っている。こっちは誰か知らないのに、先は私の名を知ってて『おスマさんおスマさん』と言って呼び留める。
 私はギョッとして、こんな時、なまなか逃げたり走ったりするのはよくないと思ったから、じっと立ち止って、『何か御用ですか』って落着いて、そう言った。落着いているようでも、こっちはもう一生懸命で、足がブルブルして動悸《どうき》がして、何を言ったか自分の声が分らない。……そりゃ私、幼い時分からちょっとしたことにも吃驚《びっくり》する性質《たち》でしたから。……一遍十六七の時分に、お勝手をしていたら、内庭の米俵の蔭に、大きな蛙がいるのを知らずに踏み蹴って、私その時くらい吃驚したことはなかった。『キャッ』と言って飛び上って、胸がドキドキしていつまでも止まない、私あんまり吃驚させられて悔しかったから、いじいじして大きな火箸《ひばし》を持って行って、遠くの方から火箸の尖《さき》で打ってやった。さんざんぱら打ったらようやくのことで俵の奥の方に、ノソノソ逃げて入った。そうすると、夜になってあんなにひどく蛙を打った。怨《うら》んで出やしないだろうか、火箸で焼傷《やけど》をして困っていやしないだろうか、枕の所にあの何とも言えない色をした蛙が来ているようで、私|蒲団《ふとん》を頭からすっぽり被《かぶ》って明朝は早く起きて、米|搗《つ》きの男を頼んで、積み俵を取り除けてもらってみよう。そうしようと思って、一晩寝られなかったことがありました」
 私は「ウムウム」と言って聞きながら、十年も経ってから、十六七の時分に蛙を火箸で打ったことをよく覚えていたり、それよりも蛙を踏み蹴ったくらいを、さも大事のように思ったり、それを火箸で打ったのを、夜じゅう苦に病《や》んだりする性情をじっと黙って解釈しながら、気楽な、落着いた淡い興味を感じて、そんな女の性質が気に入った。そうして、
「それからその男の話はどうした」と前の話の続きを促《うなが》した。
「別にどうと言うことはない。それだけの話ですが、『何か御用ですか』と言うと、男の方でも何でだか極りの悪るそうに先方だって声が顫《ふる》えていました。
『あなた[#「あなた」に傍点]は私を知らないでしょうけれど、私はよくあなたを知っています。どうぞ私の言うことを聞いてくれないでしょうか』って言うんです。私は『そうですか、どういう御用か知りませんが、御用があるなら、私にはお母さんがあるから、お母さんにそう言ってください』って、そう言ってやったんです。そうすると、男は何とも言いえませんでした。
 けれども私はどうなるかと思って恐かった。そうしているところへちょうど都合よく道を通る者が来合わしたから、私はそれからいっさんに駆《か》けて戻りました」
「フウ、そんなことがあったのか」
 私はこう簡単に言った。
 私が女といっしょになったのは、言うまでもなく、普通の手続きでこうなったのではない。妙な仲から今のようになったのである。女はその時、もうさんざん苦労を仕抜いて所帯《しょたい》崩しであった。私とこうなったについても、それからいっしょになってからも、四年越の今日になるまでには、一口にも二口にも言うことのできない――つまり主として私の性格境遇から由来《ゆらい》した種々雑多な悲しい思い、味気ない思いもした。もとよりおもしろい思いもした。また不思議な嫉妬《しっと》もした。それがためには私は身体が痩《や》せるまでに悲み悶《もだ》えた。しかしながら、それがどういうことであったか、ここではそれを言うまい。――あるいは一生言わない方がいいかもしれない。いや、言うべきことでないかもしれぬ。断じて断じて言うべきことでない。何となれば自己の私生活を衆人環視の前に暴露して、それで飯を食うということが、どうして堪えられよう!
 私は、まだこの口を糊《のり》するがために貴重なる自己を売り物にせねばならぬまでにあさましくなりはてたとは、自分でも信じられない。
 この創痍《きず》多き胸は、それを想うてだに堪えられない。この焼け爛《ただ》れた感情は、微かに指先を触れただけでも飛び上るように痛ましい。
 で、私は前もって言ったようにただ「フム、そんなことがあったのか」と言った。
 こう言って、私は、その自分の言葉をふと想ってみた。私は、女が、淡い、無邪気《むじゃき》な恋をしたこともあったかと思ったが、私は、それを嫉《ねた》ましいとは想えなかった。
 私は、女といっしょになってから今では何でもない先の夫との仲をひどく嫉んだ。現在不義せられているもののごとく嫉んだ。私はそれがために嫉妬の焔に全身を燃した。それがために絶えず喧嘩《けんか》をした、そうして喧嘩をしながらも熱く愛していた。愛しながら喧嘩をした、反感と熱愛と互に相表裏して長くつづいた。その時分、女はしばしばこういうことを言った。「あなたくらいおかしな人はない。自分で出戻りだってかまわない、と言っていっしょになっていながら、いっしょになれば、出戻りは厭だというんですもの。これが仲に立つ人でもあっていっしょになったのならば話の持って行き場もあるが、二人で勝手にいっしょになっていて、あなたにそんなことを言われて、私は――立つ瀬がない」
 私はこの道理にむりはないと思った。そう思ったけれどもいっしょになる前には邪魔にならなかった先の夫の幻影が、今は盛《さかん》に私をして嫉妬の焔に悶えしめたのであった。
「フム、そんなことがあったか」
 と言う私の言葉は、どうしてももう、たいした感興から発せられたものとは思えなかった。そうして私は女に向ってこう言った。
「お前とはよく喧嘩をしたり、嫉妬《やきもち》を焼いたりしたもんだなア。あれっきりだんだんあんなことはなくなったねえ」
「ええ、あのころは、あなたが先の連合《つれあい》と私との事についてよくいろんなことをほじって聞いた、前の事を気味悪がり悪がり聞いた」
「ウム。いろんなことを執固《しつこ》く聞いては、それを焼き焼きしたねえ。それでもあの年三月|家《うち》を持って、半歳《はんとし》ばかりそうであった、が秋になって、蒲生《がもう》さんの借家《うち》に行った時分から止んだねえ」
「ええ、あの時分はあなたがもうどうせ、私とは分れるものと思って、前のことなんぞはどうでもいいと諦《あきら》めてしまったから」
「だって、またこうしていっしょになっているじゃないか」
「………」女は不思議のように、またこの先きどうなるのであろう? と思っているもののようにしばらく黙っていた。
 すると、そんなことは考えていたくないというように、
「私、あの時分のように、もう一遍あなた[#「あなた」に傍点]の泣くのが見たい」
「俺はよく泣いたねえ。一度お前を横抱きにして、お前の顔の上にハラハラ涙を落して泣いたことがあったねえ、別れなければならない、と思ったから……」
「ええ」
 こう言って、二人はいくらかその時分のことの追憶の興に促《うなが》されたように、じっと互に顔を見合わした。
「俺はもう、あんなに泣けないよ」
「そうですとも、もう私をどうでもいいと思っているから」
「そうじゃない。もう何もそんなにしいて泣く必要がなくなったからじゃないか」
 と、言ったが、私は女の言うとおりに、はたして女に対して熱愛が薄くなったために、二人のこれから先の関係について泣けそうになくなったのか、それとも歳月を経ている間に知らず識らず二人の仲がもうどうしても離すことのできない、たとえばランプとか飯茶碗とかいったような日常|必須《ひっす》の所帯道具のように馴れっこになってしまったのかもしれぬ。私はそれがいずれとも分らなかった。
「お前先の人と別れた時には泣いたと言ったねえ」
「ええ、それゃ泣きましたさ」
「私ともし別れたって泣いてはくれまい」
「そりゃそうですとも。あなたと私とはもしそんなことがあればあなたが私を棄てるんだもの。……私はもうたいした慾はありません。一生どうかこうかその日に困らぬようになりさえすればいい。あなたも本当に、早くも少し気楽にならなけりゃいけません。仕事を精出してくださいよ」
「まあ、そんなことは、今言わなくったっていい。……先の別れる時に泣いた。……お前いったん戻ってからも、後になって、お前が患《わずら》っているのを聞いたとかいって、見舞に来て、今までのとおりになってくれって、向うでまたそう言って頼んだんだろう」
 私はこれまでにもう何度も聞き古したことを聞いた。
「ええ、そう言って、たって頼みましたけれど、私どうしても聞かなかった。そりゃあなたと違って親切にゃあった。つまり親切に引かれて辛抱したようなものの、最初嫁いで行き早々『ああこれはよくない処へ来た』と自分で思ったくらいだから、何と言ったって、もう帰りゃしません」
「私も、もういつかのように、お前の先《せん》の連合《つれあい》のことを、私とお前とがするように、『ああもしたろう、こうもしたろう』と思い沈んで嫉くようなことはしない、……けれどもお前だって少しは思いだすこともあるだろう」
「不断は、そりゃ忘れていますさ。けれどもこんな話をすると、思いださないことはないけれど、七年にも八年にもなることだから忘れてしまった。もうそんなおさらい話を廃《よ》しにしましょう」
「まあまあ。いいじゃないか。して聞かしてくれ。……たまには、それでも会ってみたいという好奇心は起らないものかねえ」
 女は黙ってじっと考えていたが、少し感興を生じたような顔をして、
「ああ、そうそう、一度こういうことがありました。あれは何でもあなたが函根《はこね》に行っていた時分か、それとも国に行ってらしった時分か、たしか去年の春だったろうと思う。私、買い物に×町の通りに行って、姉といっしょに歩いてたんです。
 そうして呉服屋であったか、八百屋であったかの店前《みせさき》に、街の方を背にして立っていると、傍に立っていた姉が、『あれあれ』って不意に私の横腹の処を突くから私、何かと思って『えッ、何ッ』って背後《うしろ》を向くと、姉がそっちじゃない。あっちあっちってまだ一間か一間半ばかしも行っていない方を頤《あご》で指し『間抜けだねえ。お前、あれが分らないか』と言うんです、それが先の連合《つれあい》なの。――ですから姉が初め私の横腹を突いた時分に、ちょうど背後のところを通っていたくらいでしょう。それでもまだ先方《さき》の横顔だけは見えました。――それが自分の兄さんの嫁と二人連れなの。――私より兄さんの嫁は遅く来て私が戻ってくる時分には、以前は商売人であったとかいって病身でひどく瘻《やつ》れていたが顔立ちはいい女だから、病気も直ったとみえて、私の知っている時分より若くなって綺麗《きれい》になっているの。お召《めし》かなんかのいい着物を着て、私の連合の方はやっぱし結城《ゆうき》かなんか渋いものを着ていました。そうして二人連れだって行くんでしょう。――牛込の奥に菩提寺《ぼだいじ》があるんですから、きっとお寺詣《てらまい》りにでも行ったんでしょうが、変なものですねえ。そうして二人並んで歩いて行くのを見ると、もう、縁もゆかりもないんだが、ああして二人でいっしょに歩いたりなんかするようではどうかなっているのじゃないかと思われてそれが何だか腹が立つような、こう憎いような気がしましたよ」
 別れて戻る時だって、『私は牛込には先祖の寺があるから時々|寺詣《てらまい》りには行く。そのほかどこで出会わぬとも言わぬ。会ったら悪い顔をしないで、普通に挨拶くらいは互にしよう。けれどお前が今度持つ夫といっしょであったら、会ってもその人に気の毒だから見ても見ぬ振りをしておろう。私の方でもしこんどいつか持つ家内といっしょであっても、そのつもりでいてくれ』と言っていたんでしょう。それが、ああして兄さんの神さんといっしょに私のすぐ傍を通りながら黙って行くなんてことがあるものか。人を三年も四年も苦労をさしておきながら、……と思って、姉にどうだった? 私を見たようであった? と聞くと、『姉は、ああ知っていたようであったよ。二人でお前の方を見い見い何かひそひそ話しながら行ったから』と言うし、私は悔しくって悔しくってじっと向の方に行くのをいつまでも見送っている。と、よほど行ってから二人で私の方を振返ってみていました。
「私はそれから気分が変になって、すぐ近処の姉の家に寄って――姉が餅菓子か何か買って行って茶を入れたりなどしたけれど――私は茶も菓子も欲しくない。少し心持が悪いからと言うと、姉もそれを察して、『じゃ少し横になって休んだらいいだろう』と言って枕を出したりなどしてくれました」
「フム、それからどうした?」私も何だか古い焼疵《やけど》を触られるような心持がして、少し呼吸《いき》が詰るようになった。
「ナニ、それからどうということはない。少し休んでいるとだんだん落着いてきたから『も少し休んで行ったらいいだろう』と姉が言うのを、ナニもういいよと言って自家《うち》に戻ってきたけれど、私その日、一日あなたは留守だし、お母さんに、私今日少し心持が悪いから寝るよと言って寝ました。……私、このことはけっしてあなたには言うまいと思っていたけれど、まあこういういろんな話が出たからと言うんです。それは変な何とも言えない気分になりましたよ」
 女はこう言って、罪深いような、私にすまないというような顔をして私の顔を見た。
 私も、それを聞いていくらか身体が固く縛《しば》られたような感じがしてきた。そうして、
「いつの事だえ? それは」と聞いてもつまらないことを聞きなおした。
「ですからさ、去年ですよ。――去年の春ですよ。――それからこれはその後でしたが、あなたが国から帰ってきてから、一度姉の処に行くと、姉の処の新さんが『どうです、おスマさん。雪岡さん今度国に帰って、おスマさんの話しでも定《き》めてきたのですか』って聞いたから、『いえそんな話は少しもなかったようでした』って言うと、新さんのことだから『雪岡という人は恐ろしい薄情の人だ。あんな薄情な人はない。私はまたおスマさんといっしょになって、始めて国に行ったんだからそんな話でもあったかと思っていた。どうですおスマさん、いっそまた初めの人に戻ってはどうです。あの人の方が雪岡さんよりどれくらい親切だったかしれやしない』って、新さんも、姉から、先達《せんだ》ってその先の連合が通った時の私の様子を後で聞いていたもんだから、……それに引き更えてあなたがいつまでも、他人の娘を蛇の生殺しのようにしているという腹で、ついそう言ってみたんでしょう。新さんだって本当にそんなことができるものじゃないと知っていますが」
 私は、女が、情に脆《もろ》いが、堅いしっかりした気質だということを信じている、そうしてこう言ってみた。
「姦通《かんつう》なんてできるものかね?」
「そうそう、それから一遍こういうことがありました。先の時分に、もうどうしても花牌《はな》の道楽が止まないから、いよいよ出て戻ろうかどうしようかとさんざん思いあぐんで、頭髪《かみ》も何も脱けてしまって、私は自家《うち》で肩で呼吸《いき》をしている。それでも五日も十日も自家へ寄りつかない。それを知っているある男があって、私が一人で裁縫をしているところへ入ってきて、
『私は前からあなたのことは思っている。どうしてお宅ではあんなにいつまでも道楽が止まないんでしょう。あなたがお気の毒だ』というようなこと言ってうまく持ちかけてくるから、『私にはいくら道楽をしても何をしても亭主があるのですから、たってそうおっしゃれば、宿にも話しましょう』とそう言ってやったら、その男は、それっきり顔を見せませんでしたよ」
 私は、女のいわゆる、気味を悪がり悪がりほじっては嫉《や》いていた時分に、聞き洩《も》らしたことやまた自分といっしょになってからの女の心持の――その一部分をこうして聞いた。けれども私はもう以前のように胸のわくわくすることはなかった。それはどういう理由であろう? 愛が薄くなったのであろうか。それともまた愛のためにそんなやくざな思いがいつしか二人の仲に融《と》けて流れてしまったのでもあろうか。分らない。
 戸外《そと》の雪は、まだハタハタと静かに降って、積っていた。
「やあ、だいぶいろんな話を聞いたね」
 と、言って一つ大きな欠伸《あくび》をした。そうして、
「今日はひとつ鰻《うなぎ》でも食おうか」
「ええ、食べましょう」
「じゃ私がそう言ってくるよ」と、私は出て行った。

底本:「日本文学全集14 近松秋江集」集英社
   1969(昭和44)年2月12日初版
初出:「趣味」
   1910(明治43)年3月
入力:住吉
校正:川山隆
2013年5月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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近松秋江

黒髪—– 近松秋江

     

 ……その女は、私の、これまでに数知れぬほど見た女の中で一番気に入った女であった。どういうところが、そんなら、気に入ったかと訊《たず》ねられても一々口に出して説明することは、むずかしい。が、何よりも私の気に入ったのは、口のききよう、起居振舞《たちいふるま》いなどの、わざとらしくなく物静かなことであった。そして、生まれながら、どこから見ても京の女であった。もっとも京の女と言えば、どこか顔に締りのない感じのするのが多いものだが、その女は眉目《びもく》の辺が引き締っていて、口元などもしばしば彼地《あちら》の女にあるように弛《ゆる》んだ形をしておらず、色の白い、夏になると、それが一層白くなって、じっとり汗ばんだ皮膚の色が、ひとりでに淡紅色を呈して、いやに厚化粧を売り物にしているあちらの女に似ず、常に白粉《おしろい》などを用いぬのが自慢というほどでもなかったけれど……彼女は、そんな気どりなどは少しもなかったから……多くの女のする、手に暇さえあれば懐中から鏡を出して覗《のぞ》いたり、鬢《びん》をなおしたり、または紙白粉で顔を拭《ふ》くとかいったようなことは、ついぞなく、気持ちのさっぱりとした、何事にでも内輪な、どちらかというと色気の乏しいと言ってもいいくらいの女であった。
 そして、何よりもその女の優《すぐ》れたところは、姿の好いことであった。本当の背はそう高くないのに、ちょっと見て高く思われるのは身体《からだ》の形がいかにもすらりとして意気に出来ているからであった。手足の指の形まで、すんなりと伸びて、白いところにうす蒼《あお》い静脈の浮いているのまで、ひとしお女を優しいものにしてみせた。冬など蒼白いほど白い顔の色が一層さびしく沈んで、いつも銀杏《いちょう》がえしに結った房々とした鬢の毛が細おもての両頬《りょうほお》をおおうて、長く取った髱《たぼ》が鶴《つる》のような頸筋《くびすじ》から半襟《はんえり》に被《おお》いかぶさっていた。
 それは物のいい振りや起居と同じように柔和な表情の顔であったが、白い額に、いかつくないほどに濃い一の字を描いている眉毛《まゆげ》は、さながら白沙青松《はくさせいしょう》ともいいたいくらい、秀《ひい》でて見えた。けれど私に、いつまでも忘れられぬのはその眼であった。いくらか神経質な、二重瞼《ふたえまぶた》の、あくまでも黒い、賢そうな大きな眼であった。彼女は、決して、人に求めるところがあって、媚《こび》を呈したりして泣いたりなどするようなことはなかったけれど、どうかした話のまわり合わせから身の薄命を省みて、ふと涙ぐむ時など、じっと黙っていて、その大きな黒眸《くろめ》がちの眼が、ひとりでに一層大きく張りを持ってきて、赤く充血するとともに、さっと露が潤《うる》んでくるのであった。私は、彼女の、その時の眼だけでも命を投げ出して彼女を愛しても厭《いと》わないと思ったのである。そのころは年もまだ二十を三つか四つ出たくらいのもので若かったが、商売柄に似ぬ地味な好みから、頭髪《かみ》の飾りなども金あしの簪《かんざし》に小さい翡翠《ひすい》の玉をつけたものをよく※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《さ》していた。……

    

 それは、その女を知ってから、もう四年めの夏であった。夏中を、京都に近い畿内《きない》のある山の上に過した。高い山の上では老杉の頂から白い雲が、碧《あお》い空のおもてに湧《わ》いて、八月の半ばを過ぎるころには早くも朝夕は冷たい秋めいた風を身に覚えるようになり、それとともにそぞろに都会の生活が懐《なつ》かしくなってきた。夏の初め、山に行くまで、東京から京都に来ると、私は一カ月あまりその女の家にいたのであったが、また近いうちに山を下りてゆくということを言ってやると、女からは簡単な返事が来て、少しく事情があって、まだ自由な身でないので、内証の男を自分のところに置いとくことは方々に対して憚《はばか》りがある、夏の時は、一年半も会わなかったあとのことで、あれは格別に主人の計らいで公けにそうしたのであったが、たびたびというわけにはゆかぬ、そのうちこちらから何とか挨拶《あいさつ》をするまで、京都へは来ないで、すぐ東京の方へ帰っておってもらいたいというのであった。
 けれども私は、どうしてもそのまますぐ東京へ帰ってゆく気にはなれなかった。そして九月の下旬に山を下りて紀伊から大阪の方の旅に二、三日を費やして、侘《わび》しい秋雨模様の、ある日の夕ぐれに、懐かしい京都の街《まち》に入ってきた。夏の初め、山の方に立ってゆく時は女の家から立っていったので、長い間情趣のない独《ひと》り住居《ずまい》に飽きていた私は、しばらくの間でも女の家にいた間のしっとりした生活の味が忘られず、出来ることならばすぐまた女のところへ行きたかったのだが、女は九月の初めに、それまでいたよその家の二階がりの所帯を畳んで母親はどこか上京《かみぎょう》辺の遠い親類にあずけ、自分の身が自由になるまで、少しでもよけいな銭《かね》のいるのを省きたいと言っていた。そのくらいのことならば、私の方でも心配するから、夏のおわりに、自分がまた山を下りてくるまでお母さんは、やっぱりここの家へ置いて、所帯もこのままにしているように言い置きもし、手紙でもたびたびそのことを繰り返しいってよこしたにもかかわらず、とうとう家は一時仕舞ってしまったと言って来ていたので、私は懐かしさに躍《おど》る胸を抱《いだ》きながら、その晩方京都に着くと、荷物はステーションに一時あずけにしておき、まず心当りの落着きのよさそうな旅館を志して上京《かみぎょう》の方をたずねて歩いたが、どうも思わしいところがなく、そうしているうちに秋の日は早くも暮れて、大分蒸すと思っていると、曇った灰色の空からは大粒の雨がぽつりぽつりと落ちてきた。
 どこか親し味のある取扱いをして泊めてくれるようなところはないだろうか。女はなぜ、あの二階借りの住居を畳んでしまっただろう。自分は、五月から六月にかけて一カ月ばかり彼女のところにいる間に健康を増して、いくらか体《からだ》に肉が付いたくらいであった。しかし、もうあそこにいないと言えば、これから行ってみたところでしかたもない。母親はどこにいるのだろう。もっとも女に逢《あ》おうとおもえば、すぐにでも会えないことはないが、そうして逢うのは、つまらない。
 そんなことを考えながら、ともかくも、これからしばらくゆっくり滞泊するところが求めたいと思ったけれど、そのほかに心あたりもなく、しかたなくまた奥まったところから、電車の通っている方へ出てくると、その電車はちょうど先《せん》に女のいたところの方にゆく電車であったので、今はそこにいてもいなくても、やっぱりそっちの方へ引き着けられてゆくような気がして、雨も降ってくるので、そのまま電車に飛び乗った。そして東山の方をずっと廻《まわ》って祇園町《ぎおんまち》の通りを少しゆくと、そこに彼女のいた家があるので、その近くの停留場で電車を降り、夏の前しばらくいて勝手を知っている、暗い路次の中に入っていって見たが、門は締っていて、階下《した》の家主の老女もいる気配はせず、上の、女のいた二階――自分もそこに一カ月ばかり女と一つの部屋にいた――は戸が締って火光《あかり》も洩《も》れていない。
「まあ、しかし、それは明日になってからでもよい」
 そう思いながら、なるたけそこに近いところに宿を取りたい、しばらくの間でも好きな女と一緒にいた、懐かしい場所から遠く離れたくない気がして、そこから少し東山よりの方へ上っていったところにある、とある旅館にいって泊ることにした。それというのも、その旅館へはその女とも一緒によく泊りにいったことのある馴染《なじ》みふかい家であったからだ。そのあたりは、そんな種類の女の住んでいる祇園町に近いところで、三条の木屋町でなければ下河原《しもがわら》といわれて、祇園町の女の出場所になっている洒落《しゃ》れた土地であった。それは東山の麓《ふもと》に近い高みになっていて、閑雅な京都の中でも取り分けて閑寂なので人に悦《よろこ》ばれるところであった。

     

 その前の年の冬に東京から久しぶりに女に逢いにいった時にも、やはりその家へ泊ったが、私はその時分のことを忘れることが出来ない。急に会って話したいことがあるから来てもらいたいという手紙を、女からよこしたので、一月の中ごろであった、私は夜の汽車で立っていった。スチームに暖められた汽車の中に仮睡の一夜を明かして、翌朝早く眼を覚《さ》ますと、窓の外は野も山も、薄化粧をしたような霜に凍《い》てて、それに麗《うら》らかな茜色《あかねいろ》の朝陽《あさひ》の光が漲《みなぎ》り渡っていた。雪の深い関ヶ原を江州《ごうしゅう》の方に出抜けると、平濶《へいかつ》な野路の果てに遠く太陽をまともに受けて淡蒼《うすあお》い朝靄《あさもや》の中に霞《かす》んで見える比良《ひら》、比叡《ひえい》の山々が湖西に空に連らなっているのも、もう身は京都に近づいていることが思われて、ひとりでに胸は躍ってくるのであった。そして、幾ら遠く離れていても、東京にじっとしていれば、諦《あきら》めて落ち着いているはずの、いろいろの思いが、汽車の進行につれて次第に募ってきて、はては悩ましいまでに不安に襲われてくる。
「女はいいあんばいに家にいるだろうか。此間《こないだ》中から大阪などへ行っていて留守ではなかろうか。大阪には一人深くあの女を思っている男があるのだ。……自分が女を初めて知った時の夏であった。その男に招《よ》ばれて、女が向うの座敷にいっている時、ちょうど上の木屋町の床で、四、五軒離れたところから、二人とも今湯を上がったばかりの浴衣姿《ゆかたすがた》で、その男の傍に女が来て坐っているところを遠見に見たことがあった。その時さながら身を熬《い》るような悩ましさを覚えたことがあった。それを思うても、何が苦しいといって恋の苦しみほど身に徹《こた》えるものはない。どうか家におってくれて、すぐ逢えればよいが。昨夜《ゆうべ》は、こうして、自分は汽車に一夜を明かして、はるばる東京から逢いに来たのである。女はどこへ、どんな人間の座敷に招ばれていったろうか。まだ朝は早い。朝の遅《おそ》い廓《くるわ》では今ごろはまだ眠っているであろう」
 そんなことが綿々として、後からあとから思い浮んで、汽車の座席にじっとしているに堪えられないくらいになった。私はそのあたりから頼信紙をとり出して、十一時までには必ず加茂川《かもがわ》べりのある家に行き着いているからという電報を打っておいた。そして京都駅に着いたのはまだ八時ごろであったが、どんよりとした暁靄《あさもや》は朝餉《あさげ》の炊煙と融け合い、停車場前の広場に立って、一年近くも見なかったあたりの山々を懐かしく眺めわたすと、東山は白い靄に包まれて清水《きよみず》の塔が音羽《おとわ》山の中腹に夢のようにぼんやりと浮んで見える。遠くの愛宕《あたご》から西山の一帯は朝暾《あさひ》を浴びて淡い藍色《あいいろ》に染めなされている。私は足の踏み度《ど》も軽く、そこからすぐさっき電報で知らしておいた加茂川べりの、とある料理屋を志していったが、そこも廓の中にある家のこととて、家の前に行った時、ようよう店の者が表の戸をあけかけているところであった。やがて階段を上がって、河原《かわら》を見晴らす二階の座敷に通り、食べる物などをあつらえているうちに、靄とも煙ともつかず、重く河原の面《おもて》を立ちこめていた茜色を帯びた白い川霧がだんだん中空をさして昇《のぼ》ってくる朝陽の光に消散して、四条の大橋を渡る往来の人の足音ばかり高く聞えていたのが、ちょうど影絵のような人の姿が次第に見え渡って来た。静かな日の影はうらうらと向う岸の人家に照り映《は》えて、その屋並の彼方《かなた》に見える東山はいつまでも静かな朝霧に籠《こ》められている。
 女中に、少ししたら女の声で電話がかかってくるかも知れぬからと頼んでおいて、私はひとり暖かい鍋《なべ》の物を食べながら、
「ああいって、委《くわ》しい電報を打っておいたけれど、ちょうどいいあんばいに女が家にいるか、いないか分らない、とり分け気ばたらきのない、悠暢《ゆうちょう》な女のことであるから……もっともその、しっとりして物静かなところがあの女の好いところであるが……たとい折よく昨夜の出先きから今朝《けさ》もう家に戻《もど》ってきていたにしても、あの電報を見て、早速てきぱきと、電話口に立ってゆくような[#「立ってゆくような」は底本では「立つてゆくような」]ことはあるまい。ほんとに、人の心も知らないというのは彼奴《あいつ》のことだ」
と、そんなことを思って、不安の念に悩んでいると、ものの一時間ともたたないうちに、女中が座敷に入ってきて、
「あの、お電話どっせ」という。
 私は、跳《は》ね上がったような気がしながら、すぐさま立って電話のところへ下りていった。
「ああ、もしもし私」と声をかけると、向うでも、
「ああ、もしもし」と呼ぶ声がする。何という懐かしい、久しぶりに聴《き》く女の声であろう。振り顧《かえ》って考えると、それは去年の五月から八、九カ月の間も聴かなかった声である。手紙こそ月の中に十幾度となく往復しているが、去年の五月からと言えば顔の記憶も朧《おぼ》ろになるくらいである。
「ああ、わたし。電報を読んだの?」
「ええ、今読んだとこどす」
「よく、家にいたねえ。こちらは分っているだろう」
「よう分っています」
「それじゃすぐおいで」
「ええ、いても、よろしいけど、そこの人知っとる人多うおすさかい。私顔がさすといけまへんよって。あんたはん、今日そこからどこへおいでやすのどす」
「どこへ、とは? 泊るところ?」
「ええ、そうどす」
「それは、まだ定《き》めてない。あんたに一遍逢ってからでもいいと思って」
 それから、ともかくそんなら東山の方のとある、小隠れた料理屋で一応逢ってからのことにしよう。二時から三時までの間に両方でそこまで行って待ち合わすことにして互いに電話を切ろうとすると、女は念を押すように、
「もしもし、あんたはん違えんようにおしやす」
 いくらか嗄《しわが》れたような女の地声で繰り返していう。私はいきなり電話口へ自分の口をぴたりと押し付けたいほどの気になって、
「戯談《じょうだん》を。そちらこそ違えちゃいけないよ。私はねえ、京都の地にいる人と違うんだよ。ゆうべ夜汽車で、わざわざ百何十里の道をやって来たのだよ。気の長い人だから、時間が当てにならない。待たしたら怒るよ」そういうと、電話口で、ほほと笑う声だけして、電話は切れた。
 やがてもとの座敷に戻ってくると、女中はくたくた煮える鍋の傍に付いていたが、
「来やはりしまへんのどすか」と訊《き》く。
「ここへは来ないようだ」
 そういって、私はそこそこに御飯にしてしまった。南に向いた窓から河原の方に眼を放すと、短い冬の日はその時もう頭の真うえから少し西に傾いて、暖かい日の光は、そう思うて見るせいか四条の大橋の彼方に並ぶ向う岸の家つづきや八坂《やさか》の塔の見える東山あたりには、もう春めいた陽炎《かげろう》が立っているかのようである。私は約束の時間をちがえぬように急いでそこを出ていった。京都の冬の日の閑寂さといったらない。私はめずらしく、少しの酒にやや陶然となっていたので、そこから出るとすぐ居合わす俥《くるま》に乗って、川を東に渡り建仁寺の笹藪《ささやぶ》の蔭《かげ》の土塀《どべい》について裏門のところを曲って、だんだん上りの道を東山の方に挽《ひ》かれていった。そして静かな冬の日のさしかけている下河原の街を歩いて、数年前一度知っている心あたりの旅館を訪《と》うと、快く通してくれた。それを縁故にして、その後もたびたびいって泊ったが、そこの座敷は簡素な造りであったが、主人が風雅の心得のある人間で、金目を見せずに気持ちよく座敷を飾ってあった。私は厚い八端《はったん》の座蒲団《ざぶとん》の上にともかくも坐って、女中の静かに汲《く》んで出した暖かい茶を呑《の》んでから、さっき女と電話で約束した会合の場所が、そこからすぐ近いところなので、時計を出して見い見い遅刻せぬようにと、ちょっとそこまでといい置いて、出て行った。そこらは、もう高台寺《こうだいじ》の境内に近いところで、蓊欝《おううつ》とした松の木山がすぐ眉に迫り、節のすなおな、真青な竹林が家のうしろに続いていたりした。私は、山の方に上がってゆく静かな細い通りを歩いて、約束の、真葛《まくず》ヶ|原《はら》のある茶亭の入口のところに来てしばらく待っていた。そこは加茂川ぞいの低地から大分高みになっているので、振り顧って向うの方を見ると、麗らかに照る午《ひる》さがりの冬の日を真正面に浴びた愛宕の山が金色に輝く大気の彼方にさながら藍霞のように遠く西の空に渡っている。そして、あまり遠くへゆかぬようにしてそこらを少しの間ぶらぶらしているところへ、こちらに立って、見ていると細い坂道を往来の人に交ってやって来るのは、まぎれもない彼女である。それは、去年の五月以来八、九カ月見なかった容姿《すがた》である。だんだん近くなってくると、向うでもこちらを認めたと思われて、にっこりしている。銀杏返《いちょうがえ》しに結った頭髪《かみ》を撫《な》でもせず、黒い衿巻《えりまき》をして、お召の半コートを着ている下の方にお召の前掛けなどをしているのが見えて、不断のままである。
「私をよく覚えていたねえ」と、笑うと、
「そら覚えていますさ」
「今そこで宿をきめたのだ。知っているだろう、すぐそこのあの家。あそこが早く気がつくと、すぐあそこへ来てもらうんだった。まあ、いい、入ろう」そういって、私は先に立って、そこの茶亭に入った。
 そして、庭の外はすぐ東山裾の深い竹林につづいている奥まった離室《はなれ》に通って、二、三の食べる物などを命じてしばらく話していた。
「こんな物が出来てえ」と甘えるような鼻声になって、しきりに顔の小さい面皰《にきび》のようなものを気にしている。
「私、ちょっと肥《ふと》りましたやろ」
「うむ、ええ血色だ。達者で何より結構だ。そして急に話したいことがあるから来てくれと言ったのは何のことだい?」
 そういって訊いても女は黙って答えない。重ねて訊くと、
「それはまた後で話します」と、いう。
「じゃ、これからそろそろ宿の方にゆこうか」というと、
「私、今すぐは行けまへんの。あんたはん先き帰ってとくれやす。夜になってから行きます」
「なぜ今いけないの。一緒にゆこうじゃないか」そういって勧めたけれど、今はちょっとよそのお座敷をはずして逢いに来たのですぐというわけにはいかぬというので、堅く後を約束してそこの家を伴《つ》れ立って一緒に出て戻った。そして旅館の入口の前で別れながら、
「一緒に御飯を食べるように、都合してなるたけ早くおいで」
「ええ、そうします」といって、女はかえって去《い》った。
 冬の夜は静かに更《ふ》けて、厳《きび》しい寒さが深々と加わるのを、室内に取り付けた瓦斯煖炉《ガスだんろ》の火に温《あたた》まりながら私は落ち着いた気分になって読みさしの新聞などを見ながら女の来るのを今か今かと待ちかねていた。女はなかなかやって来なかったので、とうとう空腹に堪えかねて独りで、物足りない夕食を済ましてしまった。そうしていても女はまだまだやって来ないので、徴醺《ほろよい》気分でだいぶ焦《じ》れ焦れしてきて、気長く待つ気で読んでいた雑誌をもとうとうそこに投げ出して、煖炉の前に褞袍《どてら》にくるまって肱枕《ひじまくら》で横になり、来ても仮睡した真似《まね》をして黙っていてやろう、と思っていると、十時も過ぎて、やがて十一時ちかくになって、遠くの廊下に静かな足音がして、今度は、どうやら女中ばかりの歩くのとは違うと思っていると、襖《ふすま》の外で何かいう気配がして、女中が外から膝《ひざ》をついて襖をそうっと開《あ》けると、そこに彼女のすらりとした姿が立っていた。そして、さっきとちがい頭髪《かみ》の容《かたち》もととのえ薄く化粧をしているのでずっと引き立って見えた。こうしてみると、たしかに佳《い》い女である。この女に自分が全力を挙《あ》げて惚《ほ》れているのは無理はない。こんな女を自分の物にする悦びは一国を所有するよりもっと強烈なる本能的の悦びである。
 女は悠揚《ゆったり》とした態度で入ってきながら、
「えらい遅《おそ》なりました」と、一と口言ったきり、すこしもつべこべしたことはいわない。夕飯は済んだのかと訊くと、食べて来たから、何も欲《ほ》しくないという。翌日は一日、寒さを恐れて外にも出ずにそこで遊んでいたが、彼女は机に凭《もた》れて、遠くの叔母《おば》にやるのだといってしきりに巻紙に筆を走らせていた。桜の花びらを、あるかなきかに、ところどころに織り出した黒縮緬《くろちりめん》の羽織に、地味な藍色がかった薄いだんだら格子《ごうし》のお召の着物をきて、ところどころ紅味《あかみ》の入った羽二重しぼりの襦袢《じゅばん》の袖口《そでぐち》の絡《から》まる白い繊細《かぼそ》い腕を差し伸べて左の手に巻紙を持ち、右の手に筆を持っているのが、賤《いや》しい稼業《かぎょう》の女でありながら、何となく古風の女めいて、どうしても京都でなければ見られない女であると思いながら、私は寝床の上に楽枕しながら、女の容姿に横からつくづく見蕩《みと》れていた。……
 その時は、その晩遅い汽車で、女に京都駅まで見送られて東京に戻って来た。それから一年ばかり、手紙だけは始終贈答していながら、顔を見なかったのである。

     

 その女が、自分のほかにどんな人間に逢っているか、自分に対して、はたしてどれだけの真実な感情を抱いているか。近いところにいてさえ売笑を稼業としている者の内状は知るよしもないのに、まして遠く離れて、しかも一年以上二年近くも相見ないで、ただ手紙の交換ばかりしていて、対手《あいて》の心の真相は知られるはずもないのであるが、そんなことを深く疑えば、いくら疑ったって際限がなかった。時とすると堪えがたい想像を心に描いて、ほとんどいても起《た》ってもいられないような愛着と、嫉妬《しっと》と、不安のために胸を焦がすようなこともあったが、私は、強《し》いてみずから欺くようにして、そういう不快な想像を掻《か》き消し、不安な思いを胸から追い払うように努めていたのであった。
 そして、三、四年につづいている長い間のこちらの配慮の結果、あたりまえならば、もうとうに女の身の解決は着いているはずであるのに、それがいつまで経《た》っても要領を得ないので、後には自分の方から随分詰問した書面を送ったこともあったが、女はそれについては、少しも、こっちを満足せしめるようなはっきりした返事をよこさなかった。とうとうまた、ようやく一年半ぶりに女に逢うべく京都の地に来ていながら、私はただ、あたりまえの習慣に従って女に逢うのが物足りなくなって、この前の時のように手紙や電報で合図をしても、それに対して一向満足な手紙をよこさないのであった。ただ普通の習慣に従って逢おうとすればすぐにでもあえるのであるが、女の方から進んで何とか言ってくるまではしばらく放棄《ほ》っておこう。これを仮りに人のこととして平静に考えてみても、向うから進んで何とか言わなければならぬ義理である。百歩も千歩も譲って考えても、いくら卑しい稼業の女であってもそんなわけのものではない。
 そう思い諦めて、しばらくの間、気を変えるために、私は晩春の大和路《やまとじ》の方に小旅行に出かけていった。そっちの方は、もう長い間行ってみたいと思っていたところであったが、この四、五年の間私の頭の中は全部その女のために占領せられて、ほかのことは何もかも後まわしにしておいた。事実のこと、私は、その女を自分のものにしなければ、何も欲しくないと思っていたのであった。名誉も財宝もいらぬ、ただ、あの、漆のように真黒い、大きな沈んだ瞳《ひとみ》、おとなしそうな顔、白沙青松のごとき、ばらりとした眉毛、ふっくりと張った鬢《びん》の毛、すらりとした容姿《すがた》。あらゆる、自分の心を引き着ける、そんな美しい部分を綜合的《そうごうてき》に持っている生き物を自分の所有《もの》にしてしまわなければ、身も世もありはせぬ。随分身体を悪くするまでそんなに思いつめてこの数年を、まるで熱病にでも罹《かか》っているごとき状態で過ぎて来たのであった。
 それゆえ私が、美しい自然や古い美術の宝庫である大和の方の晩春の中に入って行ったのは、ちょうどウェルテルが悲しく傷《いた》んだ心を美しい自然の懐《ふところ》に抱かれて慰めようとしたと同じようなものであった。
 そして一と月近く大和の方の小旅行をして再び京都に戻って来た時にはもう古都の自然もすっかり初夏になっていた。悩ましい日の色は、思い疲れた私の眼や肉体を一層|懊悩《おうのう》せしめた。奈良《なら》からも吉野《よしの》からも到《いた》るところから絵葉書などを書いて送っておいた。女から何とか言って来るだろうと思っていたが、依然として知らん顔をして何のたよりもしてよこさなかった。とうとうまた根負けしてこちらから出かけて行ってしかたなく普通の習慣に従ってある家から自分とはいわずに知らすると、女はちょうど折よく内にいたと思われて早速やって来た。一年半の間見なかったのである。この前冬見た時よりも気候の好い時分のせいか、それとも普通に招かれたお座敷にゆくので美しく化粧をしているせいか、ずっと肉が付いて身体が大きくなったように思われ、もとからすらりとした容姿《すがた》が一段引き立って、背がさらに高く見えた。彼女たちがそんな不意の座敷に招ばれてゆく時の風俗と思われ、けばけばしい友禅の襦袢のうえに地味な黒縮緬の羽織を着ている。彼女は、階段の上り口から私の方を見たが、顔の表情は微動だもせず、ぬうっとして落ち着いたその態度はまるで無神経の人間のようであった。そして傍へ来ても、「お久しゅう」とも何とも言わずに黙ってそこへ坐ったままである。どんなことがあっても彼女は決して深く巧んだ悪気のある女とは認めないが、対手のいうことがあまり腹の立つようなことを言ったり、くどかったりする時にはさながら京人形のようにその綺麗《きれい》な、小さい口を閉じてしまって石のごとく黙ってしまうのである。その気心をよく知っているので、私は、こちらでもややしばらく黙って、わざとらしく、じろじろ女の顔を見ていたが、やっぱりついに根まけして、
「京人形、京人形の顔を二年も見なかったので、今そこへ来た時にはほかの人間かと思った」戯弄《からか》うようにそういうと、彼女はそれでも微笑もせず、反対に、
「あんたはんかてあんまりやおへんか」
 彼女は美しい眉根を神経質に顰《しか》めながら、憤《いきどお》るようにいう。私は「えらい済まんこと」くらいはいうであろうと思っていたのに、向うからそんな不足をいうので、何という勝手な女であろうと思って、腹の中で少しむっとなったが、また、そんなぺたつくような調子の好いことをいわぬのがかえって好くも思われる。
「一年と半とし見ないんだよ。そして一体どんな話になるのだい? こんなに長い間顔を見たいのを堪《こら》えていたのも、後を楽しみにしているからじゃないか」
 そういって、今まで手紙のたびに幾度となく訊《たず》ねている彼女の境遇の解放について重ねて訊ねたが、女は、ただ、
「そのことはまた後でいいます」といったきり何にもいおうとしない。
「また後でいいますもないじゃないか。何年それを言っていると思う」
 二人はちゃんと坐って向い合いそんな押し問答をしばらく繰り返していたが、彼女は黙って考えていたあげく、謎《なぞ》のように、
「ここではそのことも言えませんから、私、かえります」と、いう。
 私は、少し眼の色を変えて、
「妙なことをいう。ここで言えないで、どこでそれを言うの?」
「あんたはんがようおいでやす下河原の家へこれからいて待っとくれやす。そしたら私あとからいきます。ここの家から一緒にゆくのはここの家へ対していけまへんやろ。それから私一遍家へ去《い》んで、あっちゃから往きます」女の持ち前の愛想のない調子でそんなことをいう。
 私はまた女のいうことにいくらか不安をも感じたが、本来それほど性情の善《よ》くない女とは思っていないので、だんだん疑いも解け、その気になり、
「じゃ、そうするから、きっとあそこへ来なければいけないよ」と、根押《ねお》しをして、その上もうあまりくどくいわぬようにして、そこの家は体《てい》よくして、二人は別々に出て戻った。
 それから私はまた、いつかの下河原の家へ行って待っていた。それは日の永い五月の末の、まだ三時ごろであったが、彼女は容易にやって来なかった。悠暢《ゆうちょう》な気の長い女であることはよく知っているので、そのつもりで辛抱して待っていたがしまいには辛抱しきれなくなって、いいようのない不安の思いに悩まされているうちに、高い塀に取り囲まれている静かな栽庭《にわ》にそろそろ日が影って、植木の隅《すみ》の方が薄暗くなり、暖かかった陽気が変ってうすら寒く肌《はだ》に触《さわ》るようになってきた。それでもまだ女の顔は見られなかった。不安のあとから不安が襲ってきて、いろいろに疑ってみたが、あんなにいっていたからよもや来ないことはあるまい。そんな背を向けて欺き遁《に》げるような質《たち》の悪い女ではないはずである。そんなことをする女を、おめおめ四、五年の長い間|一途《いちず》に思いつめ、焦がれ悩んでいたとしたら、自分はどうしても自身の不明を恥じねばならぬ。義理にもそんな薄情な行為を為向《しむ》けられるようなことを、自分は少しもしていない。……今に来るにちがいない。不安の念を、そう思い消して待っていた。
 しかし、それは何ともいえない好い晩春の宵《よい》であった。この前の冬の時と同じように女の来るのを待っている心に変りはないが、あの時とちがい今は初夏のころとて、私は湯上りの身体《からだ》を柔かい褞袍《どてら》にくるまりながら肱枕をして寝そべり、障子を開放した前栽《せんざい》の方に足を投げ出してじっと心を澄ましていると、塀の外はすぐ円山《まるやま》公園につづく祇園社《ぎおんしゃ》の入口に接近しているので、暖かい、ゆく春の宵を惜しんで、そぞろ歩きするらしい男女の高い笑い声が、さながら歓楽に溢《あふ》れたように聞えてくるのである。花の季節はもうとうに過ぎてしまったけれど、新緑の薫《かお》りが夕風のそよぎとともにすうっと座敷の中に流れこんで、どこで鳴いているのか雛蛙《かわず》の鳴く音がもどかしいほど懐《なつ》かしく聴えてくる。それを聞いていると、
「あの、喰《く》い付いてやりたいほど好きでたまらない女は、しまいには本当に自分の物になるのか知らん。いつまでこんな不安な悩ましい思いに責め苛《さいな》まされていなければならぬのであろう。もういつまでもこんな苦しい思いをさせられていないで早く安らかな気持になりたい」
 そこへ長い廊下を遠くの方で足音が静かに聴えると思って見ると、やがて女中が襖の外に膝まずきながら、
「えらい遅うおすなあ。お夕飯はどない致しまひょう、もうちょっとお侍ちになりますか」
と訊く。そんなことが二、三度繰り返された後、私はとうとう待ちきれなくなって、腹立ちまぎれに、またいつかの時のように、先きに一人で食べてしまったら、きっと来るだろう、早く顔を見せるまじないに先きに食べてしまおう、と思って、
「持ってきて下さい」と命じた。その自分の心持ちには、ひとりでに眼に涙のにじむような悲しい憤りの感情が込み上げてきた。それは卑しい稼業の女にあくまでも愛着している、その感情が十分満足されないというばかりでなく、どうしてこちらのこの熱愛する心持ちが向うに通わぬであろう。こちらの熱烈な愛着の感情がすこしでも霊感あるものならば、それが女の胸に伝わって、もっと、はきはきしそうなのに、彼女はいつも同じように悠暢であった。
 そこへ女中が膳《ぜん》を運んできた。
「おおきにお待ちどおさん」と、いいつつ餉台《ちゃぶだい》のうえに取って並べられる料理の数々。それは今の季節の京都に必ずなくてはならぬ鰉《ひがい》の焼いたの、鮒《ふな》の子|膾《なます》、明石鯛《あかしだい》のう塩、それから高野《こうや》豆腐の白醤油煮《しろしょうゆに》に、柔かい卵色湯葉と真青な莢豌豆《さやえんどう》の煮しめというような物であった。
 私は、口に合ったそれらの料理を、むらむらと咽《のど》へこみ上げてくる涙と一緒に呑み込むようにして食べていた。そうしてもう済みかけているところへ廊下にほかの女中とはちがうらしい足音がして、襖の蔭から女がぬっと立ち顕《あら》われた。彼女はさっきとちがい、よそゆきらしい薄い金茶色の絽《ろ》お召《めし》の羽織を着て、いつものとおり薄く化粧をしているのが相変らず美しい。
「今まで待っていたけれどあんまり遅いから食べてしまった。まだ?」
「ええ……」
「じゃ、お今さん、すぐこしらえて下さい。このとおりでいい」女中に命ずると、女は、
「いりません。食べんかてよろしい」
「まあ、そんなことをいわないで一緒に食べよう、待っている」
 女は、私の方へは答えず、女中に向って、
「姉さん、どうぞ、ほんまに置いとくれやす」
といって断ったが、ともかくも調《ととの》えて持って来させた。けれども、彼女は箸《はし》も着けようとせず、餉台の向う側に行儀よく坐ったままでいる。そんな近いところから見ていても、ちょうどこんなすがすがしい初夏の宵にふさわしいばらりとした顔であった。匂《にお》やかな薄化粧の装いが鮮《あざや》かで、髪の櫛目《くしめ》が水っぽく電燈の光を反射して輝いている。
 女はとうとう並べた物に箸をつけなかった、女中が膳《ぜん》を引いてゆく時、
「姐《ねえ》さん、えらい済んまへんけど苺《いちご》がおしたら、後で持ってきとくれやす」
 自分で注文しておいて、やがて女中が退《さが》っていったあとで、女はさっきから黙って考えているような風であったが――もっとも彼女はいつでも、いうべき用のない時は無愛想なくらい口数の少い女であった。自分は、それが好きであった――やがてまた、彼女の癖のように、べちゃべちゃとその理由をいわないで出抜けに、
「あんたはん、私、ちょっと帰ります」と、謎のようなことをいう。
 私は思わず胸をはっとさせて、じっと女の顔を見ながら、
「帰りますって、お前、やっと今来たばかりじゃないか。なぜそんなことをいうの。さっきの袖菊《そでぎく》へいけば、あそこでは話がしにくい、此家《ここ》へ行っていてくれと、あんたがいうから、私はここへ来たじゃないか。一体お前の体のことはどうなっているの? 私ももう四年五年君のことを心配しつづけて上げて、今日になっても、五年前と同じように、やっぱりずるずるでは、とても私の力には及ばない。私は、先日うちから幾度も手紙でいっているとおり、今度もあんたと遊ぶためにこうして今日は来たのではない。そのことを訊こうと思って来たのだ。君はいつまで商売をしている気でいるの?」
 私は腹を立てたような、彼女のために憂いているような、なんどりした口調で訊ねるのであった。けれど彼女は、口ごもるようにして、それには答えず、
「それはまたあとでわかります」と、困ったようにしかたなく笑っている。
「あとでいいます言いますって、それが、あんたの癖だ。もうそれを言って聴かしてくれてもいい時分じゃないか」私もしかたなく笑いにまぎらしてとい詰める。
「ここではいえまへん」子供かなんぞのように同じことをいう。
「ここでは言えんて、ここで今言えなければ、いう折はないじゃないか。なぜかえるというの?」
 そういって、問いつめても、女はろくにわけをもいわずただ頑強《がんきょう》に口を噤《つぐ》んでいるばかりである。
 明るい電燈の光をあびている彼女の容姿《すがた》は水際立《みずぎわだ》って、見ていればいるほど綺麗である。そして、ふっと気がついてみると長い間見なかった間にそうして坐っている様子に何となく姉さんらしい落着きが出来て、どこといって口に言えない顔のあたりがさすがに幾らか年を取ったのがわかる。それはそうである。はじめて彼女を知ったのが五年前のちょうど今の時分で、爽《さわ》やかな初夏の風が柳の新緑を吹いている加茂川ぞいの二階座敷に、幾日もいくかも彼女を傍に置いて時の経つのを惜しんでいた。座敷から見渡すと向うの河原の芝生《しばふ》が真青に萌《も》え出《い》でて、そちらにも小褄《こづま》などをとった美しい女たちが笑い興じている声が、花やかに聞えてきたりした。彼女はそのころよく地味な黒縮緬のたけの詰った羽織を着て、はっきりした、すこし荒い白い立縞《たてじま》のお召の袷衣《あわせ》を好んで着ていたが、それが一層女のすらりとした姿を引き立たせてみせた。でもそのころは今から見ると女の二十という年からあまり遠ざかっていない若さがあった。私自身にとっても、この女のために……まさしくこの女のためのみに齷齪《あくせく》思っている間に、五年という歳月は昨日今日《きのうきょう》と流れるごとく過ぎてしまって、彼女は今年もう二十七になるのである。そう思ってまたじっとその顔を見ていると、水浅黄《みずあさぎ》の襦袢の衿の色からどことなく年増《としま》らしい、しっかりしたところも見える。
 女は、女中が先ほど持ってきた白い西洋皿に盛った真紅な苺の実を銀の匙《さじ》でつつきながら、おとなしく口に持っていっている。
「今夜ぜひ逢《あ》う約束でもしている人があるのか?」私はそういって訊ねた。
「ちがいます」
「逢う約束の人がなければ、ここにいたっていいのじゃないか。手紙でこそ月に幾度となく話はしていたけれども二年近くも逢わなかったのだから私にいろんな話したいことがあるのはあんたもようわかっているはずだ」
「そやから帰ってから、後でいいます」
「あんた、何をいっているのか、私には少しもわからない。かえってから後にいうとは。そんなら今ここでいったらいいじゃないか」
「ほんなら、私帰ってすぐあとで使いに手紙を持ってこさします」
「せっかくここへ来て、すぐまた帰るというのが私にはわからないなあ。あんた、もう私に逢わないつもりなの?」
「ちがいます。私またあとで逢います」
「なあんのことをいっているのだか、私には少しも合点《がてん》がゆかぬ。しかしまあいい。それじゃお前の好きなようにおしなさい。どんなことをいってくるかあんたの手紙を持ってくるのを待っているから。必ず使いをよこすねえ」
「ええ、これから二時間ほどしてから俥屋《くるまや》をおこします。ほんなら待ってとくれやす」
 そういいおいて、彼女は静かに立ち上って廊下の外に消えるように帰ってしまった。私はまた変な不安の念《おも》いを抱《いだ》きながら、あまり執拗《しつよう》に留めるのも大人げないことだと思って女のいうがままにさしておいた。開放した濡縁《ぬれえん》のそとの、高い土塀《どべい》で取り囲んだ小庭には、こんもり茂った植込みのまわりに、しっとりとした夜霧が立ち白んだようになって、いくらか薄暖かい空気の中へ爽やかな夜気が絶えず山の方から流れ込んでくる。私は食べ物の香の残っている餉台のところから身体をずらして、そちらの小庭に近い端の方へ行ってまたごろりと横になり、わけもなく懐かしい植物性の香気の立ち薫《かお》っているような夜気の流通を呼吸しながら、女の約束していった二時間のちのたよりを、それがどんなものであるかという不安でたまらないうちにもいいがたい楽しみに充《み》ちた期待をもって待つ心でいた。
 あたりは静かなようでも、さすがに一歩出れば、すぐ繁華な夜の賑《にぎ》わいの街《まち》に近いところのこととて、折々人の通り過ぎるどよみが遠音にひびいてくる。しかし、そのためにひとしお静けさを増すかのように思われる。あんまり快《い》い気持ちなので、私は肱《ひじ》を枕にしたまま、足の先を褞袍《どてら》の裾《すそ》にくるんで、うつらうつらとなっていた。そこへ女中が入ってきて、
「お風召すといけまへん。もうお床おのべ致しまひょうか。……あの、どこかちょっとおいきやしたんどすか」
「ああ、お今さんか。あんまり好い心地《ここち》なのでうとうとしていた。……いや、ちょっと、もう少し待って下さい」
「そうどすか。そやったら、どうぞええ時およびやしておくれやす」お今さんは、そのまままた静かにさがっていった。
 時刻はだんだん移って、障子開けてそうしているのが冷えすぎるくらいに夜も更《ふ》けてきた。ああ言っていったが、女はいつになったら本当に使いをよこすだろう。もう、そろそろここの家《うち》でも門を締めて寝てしまう時分である。もしこのままに放棄《ほう》ってしまうようなことでもしたら、どうしてやろう。いっそ、このまま床を取らして寝ておろう。生なか目を覚《さ》まして起きていると、そのことばかり思って苦しくていけない、眠って忘れよう。そんなことを思いながら、またうとうとしているところへ、廊下を急ぐ足音にふと目を覚まされると、女中が襖《ふすま》の外に膝《ひざ》をついて、
「お手紙どす」と、いって渡す封書を手にとってみると、走り書きの手紙で、「先ほどは失礼いたしました。まことにむさくるしいところなれど一しょにおこし下されたく候《そろ》。あとはおめもじのうえにて」と書いてある。状袋を裏返してみたが、処《ところ》も何も書いていない。
「お今さん、どんな使いがこれを持ってきた」女中に訊ねると、
「さあ、わたし、どや、よう知りまへんけど、何でも年とった女の人のようどした」
「年とった女。まだ待っているだろうな」私にはすぐには合点がゆかなかった。
「へえ、待ってはります」
 それで、急いで玄関のところに立ち出てみると、門の外にいるというので、また玄関から門のところまで、長い敷石の道を踏んで出てみると、そこには暗がりの中に彼女の母親が佇《たたず》んでいた。
「あっ、おかあはんですか。お久しゅうお目にかかりません」と思わず懐かしそうにいった。使いが母親であったので、私はもう、すっかり安心して好い心持ちになってしまった。
「えらい御返事が遅うなって済まんさかい、ようお詫《ことわ》りをいうておくれやすいうて、あの娘《こ》がいうていました」母親は、門口の、頭のうえを照らしている電燈の蔭《かげ》に身を隠すようにしながらいう。
「どうも、こんな夜ふけに御苦労でした。じゃすぐ一緒に行きますから、ちょっと待っていて下さい、私着物を着てきますから」
 私はまた座敷に取って返して衣服を更《あらた》め、女中には、都合で外へ泊ってくるかも知れぬといい置いて、急いでまた出て来た。
「お待ちどおさま。さあ行きましょう」

     

 私は、それから母親の先に立ってゆく方へ後から蹤《つ》いて行った。もう夜は十二時もとうに過ぎているので、ことに東山の畔《ほとり》のこととて人の足音もふっつりと絶えていたが、蒼白《あおじろ》く靄《もや》の立ちこめた空には、ちょうど十六、七日ばかりの月が明るく照らして、頭を仰《あお》のけて眺《なが》めると、そのまわりに暖かそうな月暈《おかさ》が銀を燻《いぶ》したように霞《かす》んで見えている。そんなに遅く外を歩いていて少しも寒くなく、何とも言えない好い心地の夜である。私は母親と肩を並べるように懐かしく傍に寄り添いながら、
「おかあはん、ほんとうにお久しぶりでした。こうと、いつお目にかかったきり会いませんでしたか」といって私は過ぎたことを何かと思い浮べてみた。
 はじめて女を知った当座、自家《うち》はどこ、親たちはどうしている、兄弟はあるのかなどと訊《き》いても、だれでも、人をよく見たうえでなければ容易に実のことをいうものではないが、追い追い親しむにつれて、親は、六十に近い母が今は一人あるきり、兄弟も多勢あったが、みんな子供のうちに死んで、たった一人大きくなるまでは残っていた弟が、それも去年二十歳で亡《な》くなった。それがために母親はいうまでもなく自分までも、今日ではこの世に楽しみというものが少しもなくなったくらいに力を落している。叔父叔母《おじおば》といっても、いずれも母方の親類で、しかも母親とは腹の異《ちが》った兄弟ばかり。父親の親類というのはどこにもなく、生命《いのち》の綱とも杖《つえ》とも柱とも頼んでいた弟に死なれてからは本当の母ひとり娘ひとりのたよりない境涯《きょうがい》であった。彼女は、ほかのことはあまり言わなかったが、弟のことばかりは腹から忘れられないと思われて、懐かしそうによく話して聞かせた。私は、そんな身の上を聴《き》くと、すぐさま自分の思いやりの性癖から「天の網島」の小春が「私ひとりを頼みの母《かあ》さん、南辺《みなみへん》に賃仕事して裏家住み。死んだあとでは袖乞非人《そでごいひにん》の餓《う》え死にをなされようかと、それのみ悲しさ」とかこち嘆くところを思い合わせて、いとさらにその女が可憐《かれん》な者に思えたのであった。
 もとは父親の生きている時分から上京《かみぎょう》の方に住んでいたが、廊《くるわ》に奉公するようになって母親も一緒に近いところに越してきて、祇園町の片ほとりの路次裏に侘《わび》しい住いをしていた。そこへ訪《たず》ねていって初めて母親に会った。そして後々のことまで話した。彼女はこんな女にどうしてあんな鶴《つる》のような娘が出来たかと思われる、むくつけな婆さんであったが、それでも話の様子には根からの廊者でない質朴《しつぼく》のところがあって、
「ほんまの親一人子ひとりの頼《たよ》りない身どすさかい、どうぞよろしゅうお願いいたします」といって、悲しい鼻にかかる声で、今のように零落せぬ、まだ一家の困らなかった時分のことなどを愚痴まじりに話してきかせた。その話によると、彼女の家はもと同じ京都でも府下の南山城《みなみやましろ》の大河原に近い鷲峯山下《しゅほうさんか》の山の中にあったのであるが、二、三十年前に父親が京都へ移ってきた。故郷の山の中には田畑や山林などを相当に所持していたが随分昔のことで、その保管を頼んでいた人間が借金の抵当に入れてすっかり取られてなくしてしまった。
「あれだけの物があればこの子にこない卑しい商売をさせんかて、あんたはん結構にしていられますのや」母親は心細い声でそんな古いことまでいっていた。
 女もそこに坐って、黙って母親と私との話を聴いていたが、大きな黒い眼がひとりでに大きくなって充血するとともに玉のような露が潤《うる》んだ。
「もう古いことどすやろ」と、彼女はただ一口おとなしく言って、母親の話もそれきりになった。
 その後夏の終りごろまでも京都の地にいる間たまに母親のところへも訪ねていってそのたびごと女の後々のことなど繰り返して話していたのであった。振り顧《かえ》って指を折ってみると、もうあの時から足かけ五年になる。
「おかあはん、あなたがどうしておられるか私、始終、心にかかっていたのです。手紙のたびにあなたのことを訊ねてもどこにいるのか、少しも委《くわ》しいことを知らないものですから、一向|不沙汰《ぶさた》をしていました」
「滅相もない。私こそ御不沙汰してます。あんたはんが始終無事にしといやすちゅうこと、いつもあの娘《こ》から聞いていました。ほんまにいつもお世話になりまして、お礼の申しようもおへんことどす」
 月の下の夜道をそんなことを語り合いながら私たちはもう電車の音も途絶えた東山通りを下へしもへと歩いていった。そしてしばらく行ってから母親は、とある横町を建仁寺の裏門の方へ折れ曲りながら、
「こっちゃへおいでやす」といって、少しゆくと、薄暗いむさくるしい路次の中へからから足音をさせて入っていった。私はその後から黙って蹤《つ》いてゆくと、すぐ路次の突当りの門をそっと扉《とびら》を押し開いて先きに入り、
「どうぞお入りやして」といって、私のつづいて入ったあとを閂《かんぬき》を差してかたかた締めておいて、また先きに立って入口の潜戸《くぐり》をがらりと開《あ》けて入った。私もつづいて家の中に入ると、細長い通り庭がまたも一つ、ようよう体の入れるだけの小さい潜戸で仕切られていて、幽《かす》かな電燈の火影《ほかげ》が表の間の襖ごしに洩《も》れてくるほかは真暗である。母親はまたそのくぐりをごろごろと開けて向うへ入った。そして同じように、
「どうぞ、こっちゃへずっとお入りやしとくれやす。暗うおすさかい、お気つけやして」
といって中の茶の間の上《あが》り框《かまち》の前に立って私のそっちへ入るのを待っている。私は手でそこらをさぐりながらまた入って行った。と、そこの茶の間の古い長火鉢《ながひばち》の傍には、見たところ六十五、六の品の好い小綺麗《こぎれい》な老婦人が静かに坐って煙草《たばこ》を喫《す》っていた。母親はその老婦人にちょっと会釈しながら、私の方を向いて、
「構いまへんよって、どうぞそこからお上がりやしてくれやす。お婆さん、どうぞ御免やしとくれやす」といって、自分から先きに長火鉢の前を通って、すぐその三畳の茶の間のつきあたりの襖の明いているところから見えている階段の方に上がってゆく。私はそれで、やっとだんだんわかってきた。
「これは、この品の良い老婦人の家の二階を借りて同居しているのだな」と、心の中で思いながら自分もその老婦人に対して丁寧に腰を折って挨拶《あいさつ》をしつつ、母親のあとから階段を上がっていった。すると、階段のすぐ取付きは六畳の汚《よご》れた座敷で、向うの隅《すみ》に長火鉢だの茶棚《ちゃだな》などを置いてある。そして、その奥にはもう一間あって、そちらは八畳である。
 母親は階段を上がるなり、
「おいでやしたえ」とそっちへ声をかけると、今まで暗いところを通ってきた眼には馬鹿に明るい心地のする電燈の輝いている奥から女がさっきのままの姿で静かに立って来た。まるで先ほどの深く考え沈んでいる様子とは別人のごとく変って、打ち融《と》けた調子で微笑《ほほえ》みながら、
「お越しやす。先ほどはえらい失礼しました。こんな、むさくるしいところに来てもろうて、済んまへんけど、あこよりここの方が気が置けいでよろしいやろ思うて」と、彼女はお世辞のない、生《うぶ》な調子でいって、八畳の座敷の方に私を案内した。
 私はもう、それで、すっかり安心して嬉《うれ》しくなってしまい、座敷と座敷の境の閾《しきい》のところに立ったまま、そこらを見廻すと、八骨の右手の壁に沿うて高い重ね箪笥《たんす》を二|棹《さお》も置き並べ、向うの左手の一間の床の間にはちょっとした軸を掛けて、風炉釜《ふろがま》などを置いている。見たところ、もう住み古した雑な座敷であるが、それでも八畳で広々としているのと、小綺麗に掃除《そうじ》をしているのとで何となく明るくて居心地が好さそうに思われる。座敷のまんなかに陶物《せともの》の大きな火鉢を置いて、そばに汚れぬ座蒲団《ざぶとん》を並べ、私の来るのを待っていたようである。私は、つくづく感心しながら、
「これは好いところだ、こんなところにいたのか。いつからここにいたの。まあ、それでもこんなところにいたのならば、私も遠くにいて長い間会わなくっても、及ばずながら心配して上げた効《かい》があったというものだ。うう好い箪笥を置いて」私はそういいながらなお立っていると、
「まあ、どうぞここへお坐りやして」と、母子《おやこ》ともどもして言う。
 やがて火鉢の脇《わき》の蒲団に座を占めて、母親は次の間の自分の長火鉢のところから新しい宇治を煎《い》れてきたり、女は菓子箱から菓子をとってすすめたりしながらしばらく差向いでそこで話していた。
「長いことあんたはんにもお世話かけましたお蔭で私もちょっと楽になったとこどす」
 自分でもよく口不調法だといっている彼女は、たらたらしい世辞もいわず、簡単な言葉でそんなことをいっていた。
 私はいくらか咎《とが》めるような口調で、
「そんならそれと、なぜ、もっと早くここへ来てくれ話をするとでも言ってくれなかったのだ。一カ月前こちらへ来てからばかりじゃない、もう今年の初めごろから、あんなにやいやい喧《やかま》しいことを言ってよこしたのも、それを知らぬから、いらぬよけいな憎まれ言をいったようなものだった。こうして来てみて私は安心したけれど」
 すると、母親も次の間の襖の蔭から声をかけて、
「この子がそういうていました。おかあはん、私は口が下手《へた》で、よういわんさかい、あんたから、おいでやしたら、ようお礼いうてえやちゅうて。……此家《ここ》のことも、もっと早うにお返事すりゃ好うおしたのどすけど、この子が二月に一と月ほど、ちょっと心配するほど患《わずら》いましたもんどすさかい、よう返事も出しまへなんだのどす」
 私はそちらへ頭を振り向けながら、
「いや、もう、こうして来て見て、思っていたほどでなかったので安心しました」と、そちらへ声をかけた。
 ちょうど気候の加減が好いので、いつまで起きていても夜の遅くなっているのが分らないくらいである。
 やがてまた母親が、
「もう二時をとうに過ぎたえ。……あんたはんもお疲れやしたろ。お休みやす」
といったので、ようやく気がついて寝支度《ねじたく》をした。

     

 そこがあまりおり心が好かったので、何年の間という長い独棲生活《ひとりぐらし》に飽いていた私は、そうして母子の者の、出来ぬ中からの行きとどいた待遇《もてなし》ぶりに、ついに覚えぬ、温《あたた》かい家庭的情味に浸りながら一カ月余をうかうかと過してしまった。そのために、まだ春の寒いころから傷《そこ》ねていた健康をも、追い追い暖気に向う気候の加減も手伝って、すっかり回復したのであった。
 女は用事を付けてその月一ぱいだけは一週間ばかり家にいたまま休んでいた。どこかへ一緒に歩いてみようかといって誘っても、
「ほんとに商売を廃《や》めてしもうてからにします」とばかりで、夜遅く近処の風呂にゆくほかは一日静かにして家にとじ籠《こ》もっていた。そして稚《おさな》い女の子の気まぐれのように、ふと思い出して風炉の釜に湯を沸かして、薄茶を立てて飲ましたりした。そして、そこにある塗り物の菓子箱を指さして、
「わたしが二月に病気で寝ている時これを持って、見舞いに来てくれた人が、その時私を廃めさすいうてくれたんどっせ」
「へえ、そんな深い人があるの」
「深いことも何もおへんけど」
「そして引かすといった時あんたは何と言ったの」
「私、すこし都合がおすさかいいうて断りました」
「その人はどんな人? 何をする人」
「やっぱり商人の人どす」
「まだ若い人?」
「若いことおへん。もうおかみさんがあって、子供の三人もある人どす」
「そんな人しかたがないじゃないか」
「そやから、どうもしいしまへん」
「でも向うではお前が好きなのだろう」
「そりゃ、どや知りまへん」
 母親のいない時など私たち二人きり座敷で遊んでいて、そんなことを話すこともあった。女はいつも無口で真面目《まじめ》なようでも打ち融けてくると、よくとぼけた戯談《じょうだん》を言った。
 母親がどこかへ行っていない時、宵《よい》のうちから私が疲れたといって、床を取ってもらって楽枕《らくまくら》をして横になっている傍にきて彼女は坐っていたが、急に真面目になって、
「私、あんたはんにはまだいいまへなんだけど、本当は一人子供が出来たんどっせ」と、いう。
 私は初めは疑いながら、じっと女の本当らしい眼のところを見て、
「※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]《うそ》だ」というと、
「うう」と、女は頭振《かぶ》りをふって、「ほんまどす」という。
「それは、そんな商売をしていたって、全く例のないことでもないから。本当?」
「ほんまどすたら」
「へへ」と、いっていたが、私はむらむらとむきになってきて、体中の血が凍るような心地になり、寝床の上に腹這《はらば》いに起き直って、
「いつ? 近いこと?」追っ掛けて訊《たず》ねた。
 すると女は、いよいよ落ち着いて、
「ええ、ちょっと半歳《はんとし》ほどになります」
「じゃ、私が一年半も来なかった間のことだな」といったが、私は自然に声が上ずったようになるのを、わざと心で制しながら、「じゃ、おかあはんも喜んでいるだろう。どんな人間の子? お前にも覚えがあるの?」
「お母はん、悦《よろこ》んではります」
「そうだろうとも。それが、いつか話したお前の病気の時廃めさすといって来た人のこと?……そしてその赤ン坊はどこにいるの? どこかへ里子にでも預けてあるの」
 私はもう、何もかもそうと自分の心で定《き》めてしまった。そうすると、胸が無性にもやもやして、口が厭《いや》な渇《かわ》きを覚えてたまらない。そして、そう思いつつ、寝ながら改めて女の方を見ると、いつもの通り、しっとりとした容姿《すがた》をして、なりも繕《つくろ》わず、不断着の茶っぽい、だんだらの銘仙《めいせん》の格子縞《こうしじま》の袷衣《あわせ》を着て、形のくずれた銀杏返《いちょうがえ》しの鬢《びん》のほつれ毛を撫《な》で付けもせず、すぐ傍に坐っている顔の蒼いほど色の白い、華奢《きゃしゃ》な円味《まるみ》を持った、頷《おとがい》のあたりがおとなしくて、可愛《かわい》らしい。私は心の中で、
「どんな男が、この私の生命《いのち》と同じい女に子を生ましたのだろう。なぜ私の子が生まれなかったか。そんなことが万一にもあるかも知れぬからこそ、一日も早く商売を廃めさしたかったのだ。いよいよいけないことになってしまった」
と、そんなことを思っていると、女は、
「その子を見せまよか」という。
「うむ、見せてくれ。どこにいる。男の子か女の子か」
「女の子どす。ほんなら伴《つ》れて来ます」と、いって女は立ち上がった。
 どこから伴れて来るだろうと思って、私は女の背姿《うしろすがた》を睨《にら》むように見守っていると、彼女は重ね箪笥の上に置いてあった長い箱を取り下ろして、蓋《ふた》をあけて、その中から大きな京人形を取り出した。
「なあんだ、人を馬鹿にしている」私はそれで、一杯に詰まっていた胸がたちまち下がったように軽くなって、大きな声で笑った。
 女もほほと、柔和な顔をくずして静かに笑った。
「ええお人形さんどっすやろ」
 私は「うう」と、ただ答えたが、その人形や塗り物の菓子器の彼方《むこう》にいろいろな男の影が見えるような気がした。
 女はよく二つ並べた箪笥の前に坐って鍵《かぎ》をがちゃがちゃいわせていたが、
「あんたはんに見てもらいまよか」といって、衣装戸棚の中からいろんな衣類をそこへ取り拡《ひろ》げて見せたりした。大島紬《おおしまつむぎ》の揃《そろ》った物やお召や夏の上布《じょうふ》の好いものなどを数々持っていた。
「大変に持っているじゃないか。それだけあればたくさんだ」
「それら皆、あんたはんにいただいた物で拵《こしら》えましたのどす」母親もいて、次の間からこちらを見ながらそういっていたが、そうばかりでもなさそうであった。
「これもあんたはんので……」と、いいながら彼女は一枚一枚脇へ取り除《の》けてゆくうちに、ついこの間の夜着ていた金茶の糸の入った新調らしいお召し袷衣《あわせ》に手がかかった時、私が、
「それも?」といって、訊くと、なぜか、彼女も母親もそれには黙っていた。
「こんなに持っていれば安心じゃないか」そういうと、母親は、
「まだまだあんたはん、たんと持っていましたのどすけど、上京《かみ》から祇園町《こっちゃ》へ来るようになった時、みんな売ってしまいましたのどす。人のために災難に罹《かか》って、持ってた物を悉皆《しっかい》取られても足りまへんので、この子にとうとうこんなところへ出てもらわんならんようになってしまいました」母親の悲しそうな愚痴がまた始まった。
「こっちゃへ来てからかて、来た当座にはまだ大分持っていましたえ」
「あんたはん、この子何でも人さんに物を上げるのんが好きどすさかい、今のとこへ来た時、あんなところへ来るような人皆な困った末の人たちどすよって、ひどい人やと、それこそ着たままの人がおすさかい、なんでも好きなもんお着やすちゅうて、持ったもの皆な上げてしまいましたのどす」
「初めてそこへ来た時わたし、人が恐《こお》うおしたえ」
「それはそうだったろう。ずぶの世間知らずが、どっちを向いても性の知れない者ばかりのところへ入って来たのだから。……それでも体さえ無事でいればまた先きで好いこともある」
「ほんまに体一つ残っているだけどっせ」彼女はそういって笑った。「残っているのは、あの古い長火鉢と、あの掛硯《かけすずり》だけどす」
 私はまたそこらを見廻した。箪笥の上には、いろんな細々《こまごま》した物を行儀よく並べていたが、そこには小さい仏壇もあった。私はそれに目をつけて、
「あの仏壇は?」
「あれも新しいのどす。お母はん、こっちゃへ来る時古い仏壇を売るのが惜しゅうて」女はそういってまた柔和に笑った。
 私も笑いながら立ち上って、その小さな仏壇の扉を開けて中に祀《まつ》ってあるものをのぞいて見た。一番中央に母子の者の最も悲しい追憶となっている、五、六年前に亡《な》くなった弟の小さい位牌《いはい》が立っている。そして、その脇には小さい阿弥陀《あみだ》様が立っていられる。私は何気なく、手を差し伸べてそれを取ってみようとすると、その背後《うしろ》に隠したように凭《も》たせかけてあった二枚の写真が倒れたので、阿弥陀様よりもその方を手に取り出してよく見ると、それは、どうやら、女の死んだ父親でも、また愛していた弟の面影でもないらしい。一つは立派な洋服姿の見たところ四十|恰好《かっこう》の男で、も一枚の方は羽織袴《はおりはかま》を着けて鼻の下に短い髭《ひげ》を生《は》やした三十ぐらいの男の立姿である。私はそれを手に持ったまま、
「おい、これはどうした人?」と、女の着物を畳んでいる背後《うしろ》から低い声をかけた。
 すると女は、すぐこちらを振り顧《かえ》りながら立って来て、「そんなもん見てはいけまへん」と、むっとしたように私の手からそれらの写真を奪いとった。

底本:「日本の文学 8 田山花袋 岩野泡鳴 近松秋江」中央公論社
   1970(昭和45)年5月5日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:久保あきら
校正:松永正敏
2001年6月4日公開
2006年1月25日修正
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近松秋江

湖光島影 琵琶湖めぐり—— 近松秋江

 比叡山《ひえいざん》延暦寺《えんりやくじ》の、今、私の坐つてゐる宿院の二階の座敷の東の窓の机に凭《よ》つて遠く眼を放つてゐると、老杉|蓊鬱《おううつ》たる尾峰の彼方に琵琶湖の水が古鏡の表の如く、五月雨|霽《ば》れの日を受けて白く光つてゐる。湖心の方へ往復する汽船が煙を吐いて靜かに滑つてゆくのも見える。帆船が動いてゐるのも見える。そのあたりは山の上から眺めても湖水が最も狹められてゐる處で、向ふ側から長く突き出して來てゐる遠洲は野洲《やす》川の吐け口になつてゐる。北方(西岸)から突き出てゐる所に人家が群つてゐて、空氣の澄明な日などには瓦甍《ぐわばう》粉壁が夕陽を浴びて白く反射してゐる。やがて日が比良《ひら》比叡の峰つゞきに沒して遠くの山下が野も里も一樣に薄暮の底に隱れてしまふと、その人家の群つてゐる處にぽつりぽつり明星のごとき燈火が山を蔽うた夜霧を透して瞬きはじめる。その賑やかな人家の群りが先頃から、京都の繁華を離れて此の無人聲の山の上の僧房生活をしてゐる者の胸には何となく懷しくて堪らない。人里の夜の燈火のむれがどんなに此の山の上からは心を惹くか知れない。そこは八景の一つに數へられてゐる堅田《かただ》の町であつた。堅田の町、秋ならば雁の降りる處。また浮御堂《うきみだう》の立つてゐるので知られてゐる名勝區である。叡山東麓の坂本からこの延暦寺の根本中堂《こんぽんちゆうだう》のあるところまで急阪二十五町の登路。坂本から堅田までは汀《なぎさ》づたひに二里弱離れてゐるから、私の凭つてゐる窓から燈火の見えてゐる處まで直徑どのくらゐあるか、私は兎に角、早く一度そちらに降りていつてみたくなつた。

 琵琶湖はまた鳰《にほ》の海ともいひ、その名の如く琵琶に似て、瀬田《せた》、膳所《ぜぜ》、大津などの湖尻から三里ばかり北に入つてゆく間は東西の幅も一里位のもので、それが野洲河口の長沙と堅田の岬端とで狹められてゐる邊は約半里くらゐのものかも知れぬ。それだけの間が恰も琵琶の轉軫《てんじん》の部分である。所謂近江八景は「比良《ひら》の暮雪」のほかは、多く湖南に屬する地點を撰んで名附けてあるが、今日の如く西洋文明の利器に涜《けが》されない時代には、その邊の風景も落着いてゐて一層雅趣が豐であつたかも知れぬ。その頃は唐崎《からさき》の松も千年の緑を誇つてゐたのであらう。膳所《ぜぜ》の城もその瓦甍影を水に※[#「酉+焦」、第4水準2-90-41]《ひた》してゐたであらう。粟津《あはづ》が原の習々たる青嵐も今日のごとく電車の響のためにその自然の諧音を亂されなかつたであらう。芭蕉は殊のほかこの湖國の風景を愛《め》でて、石山の奧には長く住んでゐたのであるが、翁の詠んだ句には湖水の深い處の句は、自分の寡聞のせゐか餘り知らない。多く湖南に屬する景物を吟じてゐる。
[#天から2字下げ]唐崎の松は花よりおぼろにて
 と大津にゐて詠んでゐる句を見ると、二百年前にはそれが實景であつたかも知れぬが、今はもう半ば枯れて空しく無慘な殘骸を湖畔に曝《さら》してゐる。それは樹齡の定命で自然にさうなつたものか、それならば止むを得ないが、汽船の煤煙で枯れたものとすれば惜しいものである。
 とにかく堅田《かただ》、野洲《やす》川河口の長沙以南の湖畔の景致は産業文明のために夥しく損傷されて、昔の詩人騷客を悦ばしめた風景の跡は徒に過去の夢となつてしまつてゐる。水も底が泥で汚く濁つてゐる。その代り轉軫の部分から胴の部分に入つて、堅田の鼻を一と※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]りして遙に北に眼を放つと、水面忽ち濶《ひら》け雲煙蒼茫として際涯を知らない。
 私は琵琶湖の奧の絶景を人から聞いてゐたのは長いことであつたが、いつかは行つてみたいと思つて氣にかゝりながら久しく果たすことが出來なかつた。先頃京都にゐる間にも三條大橋の京津《けいしん》電車の終點からゆけばわけないので、幾度か思ひ立ちながら毎時好機を逸してばかりゐた。すると、僧房の色彩の乏しい生活と、寂しい心を誘惑するやうな堅田の人家の群りと燈火とは遂に私をして、ある五月雨ばれの朝早く比叡山の上から二十五町の急阪を降つてゆかしめた。發着の時間がよく分つてゐなかつたので、比叡の辻の太湖汽船の乘降場までゆくと、八時半にそこに寄航する東※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]りの船が二十分ばかり前に出たあとで、その船は煙を吐きながら堅田の沖を今滑つてゆくのが見える。私はぐるりと湖水を一とめぐりするつもりである。殊に東岸には奧の島があつて、そこには古い長命寺の寺があるので、かねてよりその寺に行つてみたいと思つてゐたから、どちらを先きにしてもよかつたのだ。私は折角二十五町、坂本の濱までは三十五六町の道を喘いで降りて來たのに、そんなわけで、殘念さうに遠くの水の上をゆく船の影を追うて眺めたが仕方がない。そこで通ひ船の船頭の教へるまゝに、その次に西※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]りをゆく船は急行で、坂本港へは寄航しないので、堅田まで俥でいつて、其處から乘ることにした。なるべくならば少しの行程も水路をゆきたいのであるが、先頃來、山の上から眺めてゐる堅田の町に入つてみるのも旅の一興であると早速心を取り直して俥のある處までまた七八町の道を無駄足して下坂本の濱から俥に乘つた。比叡の峰つゞきの裾山が比良岳の方に向つて走つてゐる山麓の村里を過ぎ插秧《さふあう》のをはつたばかりの水田や青蘆の生ひ茂つた汀つたひの街道を走つていつた。俥の上から湖東の方を顧ると、此の春遊びにいつた三上山が平濶な野洲郡の碧落と緑樹と點綴せる上にくつきりと薄墨色に染まつて見えてゐる。衣川といふ昔は一萬石の城下で、北國街道の宿であつた村を越して村はづれを流れてゐる衣川といふ小川の土手を上つて橋を向ふに渡ると、堅田の人家は右手の湖の方に突出でた田甫《たんぼ》の彼方に見えた。大津を十時に發する船は十一時に堅田を發することになつてゐる。時計の針はもう十時五十分を示して、船は田甫の向ふの青蘆のうへに黒い煙突だけを見せて吾々の俥を追掛けるやうに水の上を滑つて進んでゐる。脚達者な車夫は、
「これに遲れたら、もうお金もらひまへん」と笑つて語りながら急速力で驅け出した。
「どうどす。浮御堂へ一寸寄つてお見やすか」と車夫は、そちらへゆく道と棧橋の方へとの岐小路の處で聲をかけたが、私は、京にゐる間から今まで幾度か行きそびれてゐるのに懲りて、直ぐ棧橋の方へ走らした。軒の低い呉服屋や荒物屋などの竝んだ商家の通りを過ぎて俥が棧橋の手前の切符賣場にやつと轅棒《かぢぼう》を下すと、ぽうと笛を吹いて汽船の姿が近くの水の上に見えた。
 浮御堂は、その棧橋を渡りながら右手の方の汀から架け出してあるのが見えてゐる。緑の濃い松が數株そのまはりの汀に立つてゐる。芭蕉は、
[#天から2字下げ]錠あけて月さし入れよ浮御堂
 と詠んでゐる。叡山|横川《よかは》の惠心僧都《ゑしんそうづ》の創建で海門山滿月寺といつてゐるのは、ふさはしい名である。中には千體阿彌陀佛を安置してある。やがて船が着いて私はやつと湖上に浮ぶことが出來た。前甲板に呉蓙《ござ》を敷いて天幕の張つてある處に座をとつて私はそこから四方を顧望してゐた。
 今朝山を下りて來る時分には、どうかと氣遣つた天氣は次第に晴れて大空の大半を掩《おほ》つてゐた雲は追々に散らけ、梅雨上りの夏の來たことを思はせる暑い日が赫々と前甲板の上を蔽ふたテントの上に照りつけた。雲が刻々に消散して頭の眞上にあたる蒼空が次第に天上の領域を擴げてゆくと共に、水の面も船の進行につれて蒼茫として濶けて來た。日は水を照らし、水は光を反射して輝き、水と天と合して渾然たる一大碧瑠璃の世界を現出し、船はその中を、北から吹いてくる習々たる微風に逆つて靜に滑つてゆくのである。湖水では北風が吹くと晴としてゐる。昨日一日山の上で濛々として咫尺《しせき》を辨ぜぬ淫雨に降り籠められ、今朝は夙《つと》に起きいでゝ二十五町の急阪を驅けるがごとく急ぎ下り、勝手の分らぬ船の乘降に、さらでだに疲れたる頭を無益に惱ましたるそのうへに尚二百里[#「二百里」はママ]の間、いぶせき田舍の泥濘路《ぬかるみみち》を俥に搖られて、ほと/\探勝に伴ふ體苦心苦の辛さを味はひ、強《したた》か幻滅の悲しさを感じてゐたのが、眼の前に開けた美しい湖山の大觀のために、今までの憂苦は全く忘れられて、私の心は嬉々として眼の覺めたごとき悦びに滿ち、或は左舷に立つて眺め、或は右舷に凭つて遠く瞳を放ち、片時も眼を休ませないで、飽くことを知らず刻々に移り變る山の影水の光に見惚れてゐた。ここまで來ると比良比叡の峰つゞきが、適度の距離を置いて一とまとめに雙眸に入つて來た。上空から次第に拭ひ去られた雲は僅かに比叡と比良の頂に白紗を纏ふたごとく殘つてゐたが、正午ごろになつて太陽の光が一層強くなつてくると、やがて比叡の頭にも雲は消えてなくなり、船の北進するにつれて山の影は次第に淡く南に殘り、清楚な夏の姿は、さながら薄化粧を施したやうに緑の上を白く霞に包まれてゐる。
 船が堅田を出て初めての寄航地である南濱に寄つて、そこから再び沖に出ると比叡の山影はいよ/\淡く、逢坂《あふさか》山からずつと左に湖南の方に連なつてゐる山脈《やまなみ》とともに段々と遠く水の彼方に薄れていつた。そして左舷には、蜒蜿として湖西の天を蔽ふて聳えてゐる比良岳がその雄大なる山容の全幅を雙眸の中に展開して來た。雨後の翠巒《すゐらん》は一際鮮かで、注意してよく見てゐると、峰は大きく二つに分れてその二つがまた處々深い溪によつて幾つかの峰に分れてゐる。雲は山の面から去つてしまつたが、一番高い主峰だけには綿を千切つたやうな灰白色の雲が頂にかかつたまゝ何時までも動かうともしない。それが如何にも主峰は主峰だけの威嚴を示してゐるかのやうで雲に隱れた部分は距離が遠いせゐか清楚な夏の色も暗緑色に掻き曇つて恐しさうな感情を與へてゐる。雄松崎《をまつざき》の白沙青松は、主峰が大きな溪によつて二つに分れてゐる處から流れ落ちて來る急角度の傾斜を成した比良川の溪流が直ちに湖水に迫つて汀に土砂を押流したところに出來てゐる。山は攝津の六甲山などと、同じやうに花崗岩質の山と思はれて、船の上からも白い砂の盛れ上つてゐる溪流の水路が明かに見えてゐる。比良岳はその高標の割に何となく雄偉の感じに富んだ山である。一つは山の處々に薙の多いのが、何となく慘憺として悲壯な感じを起さしめるのかも知れぬ。肉が少く骨の太いやうな山である。それでも山下の村々はこの靜かな山の裾に平和に棲息してゐると思はれて眼の醒めるやうな山麓の青草と緑樹に埋れて汀を綴つて人家が斷續してゐる。雄松崎は近江舞子の名、遊覽者の眼を欺かず、洗つたやうな清い汀に靜かな小波が寄せてゐる。まだ樹齡のさまで古くなささうな、すんなりとした松林が白砂の上に遠くつゞいてゐる。
 其處から西北にあたる比良の北岳の中腹の岩に深く刻まれた皺があつて、飛瀑が懸つてゐるのが白く見えてゐる。楊梅の瀑といはれてゐる。船の上からそこまで直徑にしても一里以上はあるだらうが、それでも可なり大きく見えてゐるところを思ふと、なか/\高い瀧らしい。
 船は長い間比良岳を仰望しながら走航をつゞけてゐた。更に右舷の方に眸を轉ずると、此の時、湖東の奧の島の三つに整つた山の影はもう稍東南の方に退いて、その前に横はつてゐる沖の島の翠微が赭土色の斷崖面をいつまでも眼印のやうに此方に向けてゐる。
 湖面は東北に向つて、愈※[#二の字点、1-2-22]遠く濶け、※[#「水/(水+水)」、第3水準1-86-86]漫《べうまん》たる水は海の如く蒼茫として窮まるところは空と水と遂に一つに融けてその他には何物も認められない。やゝあつて多景島と白石島とが遠く水の上に微かな姿を現はしてきた。
 多景島は青螺《せいら》の如く淡く霞み、沖の白石は丁度帆船が二つ三つ一と處にかたまつてゐるやうに見えてゐる。その向うの方にぎざぎざとして入江の影ともつかず、人家の群りともつかず障子に映る影繪のやうに、たゞ輪廓のみ續いてゐるのは彦根から長濱の方であらう。地平線の上は水に煙つてゐて、はつきりとした物が見えないが、その上の方に遠く青空を支へて湖東から湖北の天を繞らしてゐる山の容《すがた》が逶※[#「二点しんにょう+施のつくり」、第3水準1-92-52]《ゐい》として連なつてゐるのが次第に明かに認められてきた。遠く北國の方から來て、北美濃と東淺井郡との境を長城の如く堅めてゐる山脈は北の方に抽《ぬき》んでゝ高く、深い巒《らん》氣を付けてゐるのが金糞ヶ岳といふのであらう。それより山勢大いなる波濤の如く南に走つて伊吹《いぶき》山に到つて強く支へられてゐる。伊吹山は北背に其等の山脈の餘波を堰き止めようとして山容やゝ崩れてゐるが、西南に面した部分は急に鮮やかな傾線を引いて、さながら東國と西國との通路を守るものゝごとく、關ヶ原と思ふあたりの狹隘を俯瞰して峙つてゐる形勢が明かに看取される。東海道を往復する毎に、いつも私の強い興味を惹く山であるが、今日は雨後の澄明な空氣の中に夢の如く淡く薄紫の霞を罩《こ》めて靜かに立つてゐる。比良岳の主峰と同じやうに、その頂にも一團の雲がかゝつて、それが何時までも消えようとしない。頂點がどこまで空に達してゐるか分らない。そこに何だか犯し難い神祕を藏してゐるやうで、高山の威重を示してゐる。傷ましいやうな大きな薙のあるのも見えてゐる。西軍の主將石田三成が戰に破れて、あの山の中の洞窟に潛んでゐたといふのは極めてふさはしいといふ一種の悲壯な感じを表はしてゐる。伊吹山の南の方は暫く山脈が斷絶し、更に關ヶ原低地のある南方に至つて再びもく/\と天に支へるやうに隆起してゐる一團の山塊が古の不破の關を固めてゐた靈仙山である。伊吹山や靈仙山や其等の山々が皆昔時の東山道《とうさんだう》の通路を阨してゐたといふことは一望して明かに肯かれる。琵琶湖は是等の湖東の國境に連なる山脈の眺望と、比良岳の翠巒を仰ぐことがなかつたならば、湖水の風景はどんなに平凡なものであつたか知れない。是等の山々をパノラマの如く雙眸に收めてゐることは、琵琶湖をして恰も中禪寺湖や葦の湖などのごとき、高山の中腹に湛へてゐる火山湖の趣きを成さしめてゐる。それと共に湖水を取り卷いてゐる四圍の地が古來人文の中心に近く、また湖東の地が屡※[#二の字点、1-2-22]戰國時代に在つて英雄の爭覇戰の行はれた史蹟に富んでゐるので、自然がたゞ單純な山河としてゞなく豐かな歴史的の感興を以て裏付けられてゐる。
 私は右舷の欄干に凭《もた》れて伊吹山の頂にかゝる雲と、その傷ましい薙の跡とをやゝ暫らく見つめてゐた。船はその間にも進航をつゞけて、白鬚明神の社のある明神岬を※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つてゐた。明神岬は比良岳の餘脈が比良の北岳から二つに分れて、一つはそのまゝに北に走り一つは本來の比良山脈と殆ど直角を成して湖岸に迫り山崖が汀に突出してゐる處がそれである。そこまで來るともう今まで長い間見て來た比良岳も斜に後に退いて、綿帽子を着けたやうな主峰のみが嚴かに聳えてゐるのが遠く眺められるばかりである。明神岬の鼻を一寸※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]ると大溝の町が水に臨んで立つてゐる。そこから琵琶湖の岸に沿ふて近江國の西北端になつてゐる高島郡の平野が安曇《あど》川を挾んで濶けてゐる。近江聖人の邸址で知られた青柳村の藤樹書院も大溝の港から半道ばかり北に行つた處に在る。明神岬の鬱蒼たる森に至つて盡きてゐる比良の支脈を後にしてから船はやゝ山の眺望から遠ざかつて安曇川の河口に擴がつてゐる平洲を左舷に見て進んでゆくが、それでも比良岳がそのまゝ一直線に北に向つて伸びて出來てゐる蛇谷峰、阿彌陀山などの相應な高度を示してゐる山巒が安曇川流域の平野の果てに屏立して左舷の遠望に景致を添へてゐる。それは丁度二時頃の日盛りで強い日光に照りつけられてゐる其等の山巒には多量の雨氣を含んだ薄墨色の水蒸氣が纏うて眼を威脅するやうに險しい表情をしてゐる。
 竹生島《ちくぶしま》は大分遠くから見えてゐたが、その邊まで來ると、一層明かに青い水の上に浮んでゐるのが見えて來た。伊吹山、金糞ヶ岳、それから若狹、越前の國境に繞らしてゐる蜒蜿とした連山も段々明かに認められて來た。賤《しづ》ヶ岳、淺井長政の居城とした小谷山なども指ざされた。そして伊吹山は恰も其等の盟主であるかの如く、頂點のところに白い横雲が捺塗《なす》つたやうにやつぱり引懸つてゐる。天に支へるやうな巨大な體に溢れるほどの感情を表はしながら何といふ強い沈默であらう。頂の雲は今にも動きさうな形をして流れてゐながら、雲も山もそれを見てゐる人間の眼を焦らすかのやうに、彼等は動いたり口を利いたりすることを忘れたのかといひたいほど沈滯してゐる。
 饗庭野《あへばの》の陸軍演習地のあるので賑はうてゐる今津の町は、水の上からも、陸軍の白いバラック屋根が多くあるので遠くからそれと知れてゐる。船はそこを最後の歸航地として棧橋を離れると、今まで北に向つてゐた進路を轉じて稍※[#二の字点、1-2-22]北に振つた、東に向つて進んだ。竹生島は船首に當つて段々近寄つて來た。その時分にはもう乘客は殆ど何處の船室にも、甲板にもゐなくなつて、或は私一人であつたかも知れぬ。やがて竹生島の棧橋に上陸したのは午後三時であつた。堅田からそれまで四時間の間飽くことを知らぬ美しい山水を眺めつゞけにして來たのであるが、丁度活動寫眞などを餘り熱心に見てゐると、後で頭痛がしたり精神が疲勞したりすると同じやうに、知らぬ間にひどく神經を使つたと思はれて、さうなくてさへ先達つて京都にゐて二度ばかり劇しい腦貧血を惱んだ後なので、竹生島の棧橋に上陸するとともに頻りに生欠伸が連發して頭が痛み、何とも云へない不快な心持ちになつて來た。その晩は竹生島の寺に一泊するつもりであつたので、ともかく寺務所の一室に通されて暫らく休息した上で、觀音堂や都久夫須麻《つくぶすま》神社などを一順參拜した。いづれも太閤の桃山御殿の一部を移したものとかで、壯麗なる蒔繪の天井や柱が年を經て剥落してゐる。すこし良くなつたと思つた心持がまた前に倍して惡くなつてきたので、觀るのはいい加減にしてまた寺務所の一室に戻つて來て外套にくるまつたまゝ仰けに寢てゐた。頭は壓し潰されるやうに痛む。胸は嘔氣を催ほして少しでも頭を動かすことが出來ぬ。氣も遠くなるやうな心持になつてゐた。そして若し此のまゝ腦溢血にでもなつて死んだらどうなるだらうなどといふやうな雜念が湧いて起つた。それでそこにゐた所化に事由を話し、別棟の寢處に移つてその晩は夕飯も食はず風呂にも入らず、呻吟しながら寢てゐた。それでも一と寢入りして九時頃に眼を覺ますと、頭もやゝ輕く、氣分も大分快くなつてゐた。それで安心して此度寢なほすと、翌朝まで一と寢りに熟睡することが出來た。

 湖の西岸は汽船の往復も一日に數囘あるが、湖東の方はずつと汽車が通じてゐるので、從つて船の便は少く、大津と竹生島との間は東廻は一日の往復一廻るづゝしかない。琵琶湖の一番奧になつてゐる、もう餘呉《よご》の湖《うみ》に近い鹽津をまだ闇いうちに出帆した船が竹生島に朝の五時三十分に寄航するのである。歸航はぜひとも湖東を廻つて來ようと志してゐたので五時半の船に乘り遲れたら、また一日竹生島に逗留しなければならぬ。寺男は氣を利かして寢室を覗いて、どうするかと注意してくれたが、強ひて起きられさうだつたけれど、折角まだ二三時間は眠れさうなので、此の快よい睡眠は何物にも代へがたく、私は蒲團の中から聲を出してもう一日延ばすことにした。
 午前十時三十分には西まはりをして大津の方に歸つてゆく船があるので、その時はいつそ昨日と同じ風景を眺めて歸らうか、二日續いても三日とは受け合はれない梅雨半ばの此の頃の天候は明日になつてまたどう變るかも知れないとさまざまに迷つてみたが、まゝよ、雨が降らば降れ、雨も又奇なりと思ひあきらめて、遂々その一日は竹生島に逗まることにして、それより舟を雇うて島の周圍を一とまはりしてみる。謠曲の「竹生島」に、

  緑樹影沈んで魚木に登る景色あり、月海上に浮んでは兎も浪を走るか、

 面白の景色や

 といつてゐるのは實景である。島の周圍は全部岩石を築き上げてそれに生ひ茂つた眞青な苔や一つ葉、擬寶珠など名の知れぬ無數の草がその上に生ひ被さつてゐる。その上に又緑の木々が蓊鬱として繁茂し、瑠璃を碎いて溶かしたやうな美しい眞青の水に暗緑色の影を※[#「酉+焦」、第4水準2-90-41]《ひた》してゐる。深い水の底を鯉や鮒などが泳いでゐるのが、よく透いて見える。頭を上げて岩上を見ると上には驚くほど無數の種類の草木が足を踏み入れる隙もないまでに雜然と密生してゐて、中に櫻、椿、藤、楓などの四季々々を飾る樹木が案外に多い。椿は殊に島の蔭に面した、凄いほど青い水が岩を浸す《ひた》してゐる處に濃緑色の影を翳《かざ》してゐる。舟夫はその椿が眞赤な花を付ける時分や藤の花が長い薄紫の房を水に映す頃の島の美しさを語つた。私にもその時分の美しさがよく想像せられた。琵琶湖もそこまで來ると、若狹、越前の國境に連なつてゐる山脈の餘脈が直ちに湖岸に迫つてゐて、廣い水は其等の斷崖によつて圍《かこま》れてゐるので、中禪寺湖や葦の湖などの火山湖と少しも異らない感じを與へてゐる。
 その日は一日さうして孤島に逗《とど》まつて私は又しても退屈さうに湖上を遠く眺めて早く夜が明けて明日になることを思つた。辨天の祠前の舞臺に上つて東の方を見ると、沖は灰色に掻曇つて伊吹山も、たゞ山の輪畫ばかりが幽かに見えてゐる。明日は雨らしい空模樣で、島の根を洗ふ波の音が夕刻に近づくに從つて大きくなつて來たやうである。

 頭の調子がどう狂つたか、昨夜は一寸も眠られなかつたので、夜の明けるのを待ちかねて起きいで、體を拭いて衣服を更《あらた》め、五時半に發する汽船をもう五時頃から棧橋の處に降りて行つて待つてゐた。沖は曇つてゐるが、切符を賣つてゐる老人に今日の天氣はどうかと訊くと、「天氣になりますやろ」といふ。雨が降つたら潮が多少荒れるばかりぢやない。坂本から二十五町の杉林の下を叡山まで登つてゆくのが難儀である。昨夜は眠られぬまゝにそんなことばかり氣にかゝつてゐたが、老水夫の經驗によつてその點は安心らしい。やがてブウと汽笛が島の蔭で鳴つて鹽津から出て來た船が着いた。客は私一人かと思つて通ひ船に乘り込んでゐると、寺の高い石段を寶巖寺の老僧が新發意《しんぼち》などに扶けられて、杖を突いて急いで降りて來られる。舟夫に老僧が何處かへゆかれるかと訊くと、何處かへゆかれると答へたが、言葉がよく分らなかつたので、何處へゆくのだらうと思つてゐるうちに老僧はそこに渡した歩板をわたつて舟に入つて來られた。十四五歳の新發意が千代田袋に菓子折くらゐの小さい包みを持ちそへて附いてゐる。私は好い鹽梅に老僧に會ふことが出來た。二晩厄介になつたお禮もいひ、話しに七十幾歳の高齡で、竹生島に小僧さんの時分からずつと定住してゐられるのだといふ。花は咲き鳥は歌ふことがあつても嘗て女人を解せず、葷酒《くんしゆ》を知らず、春風秋雨八十年の生涯を此の江湖の水によつて遠く俗界と絶ち、たゞ一と筋に佛に近よることを勤めて老の到るのを忘れてゐられるのである。それは昨日ほかの者から噂にきいていた。
 老僧は通ひ船に乘り込んだはずみに私の方に近づいて來られたので、私は會釋をしつゝ、
「いろ/\お世話になりました……」
 とお禮を述べると、老僧もそれと同時に、女の樣な柔和な笑顏をこちらに向けて、
「ゆきとゞきませんで、さぞ御不自由でお困りでございましたでせう」
 と、聲も女のやうに優しい寂のある聲である。觀音さまには男相と女相とあり、或ひは男とも女とも區別のつかぬ御顏をして居られるのであるが、老僧こそ風光明媚なるこの竹生島觀世音の化身ではあるまいかと思はれて、顏容といひ音聲といひ、體まで小さく痩枯れて女と見まがふ柔和な方である。中古の黒絽の道服に絹紬の着物の質素な裝をした老僧は杖をついて舟の中に向ふをむいて立つてゐられる。
 やがて汽船の傍に漕ぎ寄せて老僧は雛僧《こぞう》さんに扶けられて船に乘り移り、私もそのあとから續いて乘つた。雛僧さんが手荷物を老僧に渡して歸つてゆくと、一等室には老僧と私と二人きりである。老僧は行儀よく端の方に腰を掛けて、兩手を膝に載せてをられる。どこまでゆくのであらう。あまり遠くへゆくのでもなささうだと思ひながら、
「どちらへおいでになります?」
「私は早崎まで、すぐこの先の地方《ぢかた》です。」
「あゝ左樣ですか、御老體にもかゝはらず、お達者で御結構です。お幾つにおなりになります。」
「今年七十七になります。」
「あゝ左樣ですか、私の老母は當年七十八歳になりますが、先年竹生島へ參詣いたしましたことを話して居りましたので、湖水の風景を觀かた/″\是非私も參詣したいと思つて居りましたが、今囘漸く宿望を遂げました。誠に聞くに優る美しい景色の處で。」
「あゝ左樣で、その頃は今より又一層交通なども不便であつたでせう。」
 老僧は柔和な口元に優しい微笑を浮べながら語る。世間のさういふ老僧などに屡※[#二の字点、1-2-22]見る對手を見下したやうな尊大な口の利《き》きやうや、僧侶に共通の俗人を諭すやうな言葉尻の臭味もない。そこへ船童が茶を入れてきた。老僧はそれを見ると、船童に、
「私は白湯《さゆ》にしてもらふ。この方はお茶にして、……此の方はお茶にして。」
 さういつて、二度目の、此の方はお茶にしてといふのを稍※[#二の字点、1-2-22]語勢を強めていはれた。ボーイはその通りに老僧には白湯を汲んで薦め、私の方へは茶を煎れて出した。すると、老僧はその茶碗を手にとつて底に一滴も殘さぬやうに仰向いて茶碗を啜り、空になつた茶碗を靜《そつ》と茶托の上に伏せて置かれた。人は平素の行儀を一朝にして改むることは出來ない。書生流の私は茶碗を半分だけ飮み殘した。老僧に眞似てそれを伏せることもならず、そのまゝ茶托とともに卓の上に突出して置いた。舟車の中では大抵の人は通常の家に在るよりも一層行儀を忘れて顧みないものだが、老僧には少しもさういふ風は見えぬ。その時もし私がゐなくなつて老僧が一人きりであつてもその通りに恭謙であつたにちがひない。一椀の食一滴の水も佛恩であるから、これを粗末にしてはならないといふ訓條を恪守《かくしゆ》して、それが今は習ひ性となつてゐるのであらうと思はれた。そのうちにもう船は向岸に近づいたと思はれて船長が入つて來て老僧に挨拶をしていつた。私も起つて老僧にお別れの辭儀をして頭を上げてみると老僧はまだ/\圓い頭を兩|掌《て》に載せて卓の上に額づいてゐられる。私は詮方《せんかた》なくもう一遍額を下げた。船童は手荷物を持つて老僧の先きに立つて案内する。私もあとから送つて出た。
 舷側には一二人の乘客を乘せた通ひ船が近づいて來た。老僧は船長や船童に扶けられて通ひ船に乘り移り、蓙《ござ》の上にきちんと坐られた。そして舷側を離れるとともに恰も佛の前に稽首《ぬかづ》くやうに、三度ばかり鄭寧に頭を下げて謝意を表せられた。恐らく此の時の老僧の心には船長やボーイその他の見送つてゐる者が佛の使者として考へられたのであらう。老僧の心眼には一切の有情無情が佛の一部として映つてゐるのであらう。
 船はさうして老僧を通ひ船に移すと直ぐまたけたゝましい推進機の音に水を蹴つて進航を始めた。甲板に上つて見てゐると、朝霧の中から漸く眼の覺めかゝつてきた水の上にどこからともなく薄い日影がさして湖の上が次第に白く輝いて來た。老僧の圓い顏が一つその中に見えて通ひ船は段々向ふに遠ざかつてゆく。早崎に續く地方の寺や人家の屋根が緑の樹々と點綴して汀の青蘆の彼方に遠く廣がつてゐる。先刻竹生島の棧橋で老人のいつたとほり、天氣は確かに晴れであるらしく東の方が倍々明るくなつて東北の方の山脈が霧の奧から雄大なる姿をすこしづゝ露はしてきた。金糞ヶ岳、伊吹山も深い雲霧の後方にまだ夢みてゐるやうな淡い影だけ見せてゐる。老僧はと水の上を見ると白い水煙の彼方にやつぱり圓顱《えんろ》の姿が小さく見えてゐたが、そのうち舟の影と共に霧の中に消えてしまつた。竹生島も、もうずつと西北の水の向ふに影が薄れてしまつた。
 昨夜の代りに今のうちに少し寢て置かうと思つて一旦船室に入つて來たが、やつぱり甲板の眺望が氣にかゝつて眠られさうにないのでまた起きて出て見る。その間に船は姉川の河口を※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つて南濱といふところに寄つて、そこからは乘客がどやどや甲板に上つて來た。賤ヶ岳の方も今朝は船尾の方にそれと認められる。小谷川も朝靄の中に朝日を浴びてゐる。長濱に着いた時はまだ七時で貨物の積み下しに出帆までには三十分ばかりの時間があるといふので、その間を利用して長濱の町の瞥見に上陸してみる。肥料にする干魚の臭や繭の市場の臭ひのする中に商賣に拔目のなささうな町の人間はもう夙に起き出でて、その日の業務に就いてゐる。天氣は本當に晴れ上つて暑さが劇しくなつて來た。
 長濱を出てから昨日は遠くに見た靈仙山が今日は長濱から彦根につゞく坂田郡の平野の彼方に天を衝いて盛り上つてゐるのが見える。彦根の城閣も朝霧の中に朦朧とした輪廓を見せて來た。その少し左の方に佐和《さわ》山の城址も見えてゐる。
 今まで忘れてゐた右舷の方の湖上に眼を放つと、多景《たけ》島がやゝ近くに岩の上に立つてゐる堂塔の形を見せてゐる。沖の白石はその眞西にあたつて、今日も白帆を集めたやうに水の上に浮いてゐる。今日は一昨日に倍して湖の上が一層和やかで、平滑な水の面は油を流したやうにのんびりとして沖の方はたゞ縹渺と白く煙つてゐる。天氣が好いと見たか湖西の方の水面には幾つも帆舟がかゝつてゐる。船が彦根を出るとボーイに誂らへて置いた辨當が出來たので、それを甲板に持つてこさせて湖上を展望しながら食べる。そこから奧の島の伊崎不動のあたりまでは三四十分ばかりの間左舷の風景が稍※[#二の字点、1-2-22]單調なので、今のうちに少し微睡をとつて頭を休めておいて、奧の島が近づいて來た時分に起きようと思つて室に入つてシャツと股引ばかりになつて長く寢そべつてゐると、相客は一人もゐないで、いゝ心地にづる/\とまどろむことが出來た。そして眼を覺して舷窓から水の上を覗くと、いつの間にか伊崎の不動は後の方に退いて船は沖の島の東端を※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]はつて早や奧の島との湖峽にさしかゝらうとしてゐる處である。此の邊を見ずしては大變だと、慌てゝ甲板に立ち出ると、左舷には文人畫に見るやうな奧の島の明媚な山水が眼の前に展開してゐるところである。それとともに右舷の方を顧望すると、比良岳は縹渺たる水の果てに一昨日見た時よりも今日は一層壯美な姿をして聳えて見える。

底本:「現代日本紀行文学全集 西日本編」ほるぷ出版
   1976(昭和51)年8月1日初版発行
底本の親本:「旅こそよけれ」冨山房
   1939(昭和14)年7月発行
※巻末に1919(大正8)年7月記と記載有り。
入力:林 幸雄
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年9月9日作成
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近松秋江

狂乱—– 近松秋江

     

 二人の男の写真は仏壇の中から発見されたのである。それが、もう現世にいない人間であることは、ひとりでに分っているのだが、こうして、死んだ後までも彼らが永《とこし》えに、彼女の胸に懐《なつ》かしい思い出の影像となって留《とど》まっていると思えば、やっぱり、私は、捕捉《ほそく》することの出来ないような、変な嫉妬《しっと》を感じずにはいられなかった。そして今、何人にも妨げられないで、彼女を自分ひとりの所有《もの》にして楽しんでいる限りなき歓《よろこ》びが、そのためにたちまち索然として、生命《いのち》にも換えがたい大切な宝がつまらない物のような気持になった。しかし、また思いなおすと、彼らは、どのくらい女に思われていたか、私よりは深く思われていたか、そうでなかったか、わからぬにしても写真を仏壇に祀《まつ》られるようになったのでは、結局この私よりもあの男たちは不幸な人間であった。そう思うと、死んだ人間が気の毒にもなった。
「そんなに隠さないで、ちょっと見せたっていいじゃないか。それは好きな人の写真だろう。どうせここへ祀ってあるくらいだから、死んだ人に相違ない。生きているころ世話になった人なら、祀って上げるのが当りまえだ」さばけた気持でそう言って、私は写真の面影をなお追うような心持になったが、女は瞬《またた》く間に、数の多い、どこかそこらの箪笥《たんす》の小抽斗《こひきだし》にそれを隠してしまった。
 羽織袴《はおりはかま》を着けている三十|恰好《かっこう》の男はくりくりした二重瞼《ふたえまぶた》の、鼻の下の髭《ひげ》を短く刈っていたりするのが、あとの四十年配の洋装の男よりも安っぽく思われた。そしてそれが、ずっと前から、ちょいちょい私の耳に入っていた、女と大分深い関係であったという男のように直感させた。ある日本画の画家で女と噂《うわさ》の高かった男が去年の夏ごろ死んだということを聞いていたので、それを思いうかべた。
「和服を着ていた人間は、何だか活動の弁士のようじゃないか」私は幾らか胸苦しい反感をもってそういうと、
「何でも構いまへん。あの人たちが生きてたら、私、もうとうにこんな商売してえしまへん」
 女は向うをむいて、せっせと、取り拡《ひろ》げた着物を畳みながらこちらの言葉にわざと反抗するように、そう言っている。私は、そんな言葉を聴《き》かされると、また、あまり好い心地《ここち》はしなかった。そして腹の中で、
「それじゃ、四、五年も前から、自分ばかりに、身体《からだ》の始末をつけてもらいたいようにいって頼んでいたのは、みんな※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]《うそ》であったかも知れぬ」と思ったが、女の厭《いや》がるようなことを、くどく追窮して訊《き》くのはかえって好くないと思って、黙っておいた。
 けれども、もう此間《こないだ》から訊こう訊こうと思って、幾度もいい出しかけては、差し控えていた、女の借金が今どうなっているか、また自分が長い間仕送った金が、その借金を減らすために、どういう具合に有効に使用せられているか否かを明細に訊きたいと思った。女は、そのことを突っ込んで訊かれるのが、痛いところへ触《さわ》られるようで、なるたけ訊かれずに、そうっとしておきたい風があるのは、今年のまだ正月時分から、その金の使途について、急にやかましく、私から訊《たず》ねてよこした再三再四の手紙に対する返事で一向要領を得なかったのでも、それがわかっているし、今度京都に来て、先日《こないだ》から、祇園町《ぎおんまち》の茶屋で久しぶりに逢《あ》った時にも、それを言うと、妙に話を脇《わき》へそらすようにするし、そうかといって、女のいうままに下河原《しもがわら》の旅館の方にいって要領を得た話を訊こうとしても、そこでもなるべくそんな話はいい出さないようにして、一寸|遁《のが》れに逃《のが》れておりたいのが見えていた。そして、あの晩とうとう自分をこの二階に伴《つ》れて来たのであったが、こうして、しばらくでも女と一緒にいて、母親にもともどもに大事にせられていると、長い間自分の望んでいた願いが叶《かな》ったようなものであるが、女の身体が今におき、やっぱり、借金のために廓《くるわ》に繋《つな》がっているのであっては、目前の歓楽はうたかたのごとくはかない。
「着物がそんなに出来たのも好いことだが、あんたの借金の方は一体どうなっているの? 着物は、あんたの身が自由になった後に、ぽつぽつ出来る。それよりも急ぐのは今の商売を廃《よ》して、綺麗《きれい》に脚《あし》を洗うことじゃないか」
 しばらくしてから私はなんどり訊いてみた。すると女も母親も黙っていたが、私が繰り返して、
「ねえ、どうなっているの」というので、女は、
「借金はまだ大分あります」という。
「大分ありますって、どのくらいあるの」
「さあ、まだ千円ちかくありますやろ」
 彼女は、わざと陽《うわべ》に反抗の意を表わして、誠意の籠《こ》もらないような口吻《こうふん》で、そういう。それで私はまたむっとなり、
「千円?」自分の耳を疑うように、重ねて、言葉を強くして訊いた。
 けれども女は黙りこくっている。
「まだそんなにあるの?」私の声は、自然に上ずってきた。「そんなにあるはずがないじゃないか。私があんたを初めて知った四、五年前にそのくらいあると言っていた。そしてそれだけの物は私から一度に纏《まと》めてではないが確かに来ている。あれから四、五年も稼《かせ》いでいて、そのうえそれだけの金も手に入っていて、今になってもやっぱり四、五年前と少しも借金が減っていないというようなことで、それで、あんた、どうするつもりなの?」私は、次の間の長火鉢《ながひばち》のところにいる母親にも聞えるように、畳みかけて問いつめた。
 すると女はまた棄《す》て鉢《ばち》のように、
「そやからもうあんたはんの世話になりまへん。私自分で自分の体《からだ》の解決をつけますよって、どうぞ心配せんとおいとくれやす」
 私は呆《あき》れた顔をして、そんなことをいう女の顔をしばらくじっと見ていた。
「もうあんたはんのお世話になりまへんて、それじゃお前、今までどんな考えで私にいろんなことを頼んでいたの。あんたの体の解決をするために、私は出来るだけのことをしたのじゃないか。今になってそんなことをいっては、何のことはない、まるで私を騙《かた》っていたようなものじゃないか」
 そういうと、女は返答に窮したように黙って焦《じ》れ焦れしながら、肩で大きな息をしているばかりである。
「ねえ、私の送って上げた金は一体何に使ったの、……そりゃ、こんな着類をこしらえるにもいったろうが、私自身にも欲《ほ》しい物や買いたいものが幾らもあるのを、そんな物より何より私には、ただただお前という者が欲しいために、出来ぬ中から私の力に能《あた》う限りのことをして来たのじゃないか。まとまっていないといっても、二百円三百円と纏まった金を送ったこともある。それは、あんたも覚えているはずだ。私にとっては血の出るようなその金を、これと言って使い途《みち》のわからぬようなことに使って、今になってもまだそんなに借金がある。……私はこうしてあんたに逢うのも、何度もいうとおり、去年の一月からちょうど一年と半歳《はんとし》ぶりだ。始終この京都の土地に居付いているわけじゃないから委《くわ》しいことは知らぬが、あんたが私から貰《もら》う金をほかの人間に貢《みつ》いでいるという噂を、ちらちら耳にしたこともあったけれども、私はそれを真実とは思わないが、どうも、借金がなおそんなにあるはずはないと思う。もっと私の納得するように本当のことをいって聴かしてもらいたい。私が今までお前に尽している真心がお前にわかっているなら、もっと本当のことを打ち融《と》けて聴かしてくれてもいいと思う」私はそれでもなるべく女の気に障《さわ》らぬように、言葉のはしばしを注意しながら、そういった。
 すると彼女は、いよいよ言うことに詰ったと思われて、畳んでしまった着物をそこに積み重ねたまま、箪笥の前に凭《もた》れかかってじっとしていたが、ヒステリックに、黒い、大きな眼を白眼ばかりのようにかっと※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みひら》いて、
「わたし何も、引いてからあんたはんのところへ行く約束した覚えありまへん」と、早口にいった。
 そのあまりに凄《すさ》まじい相好に私はびっくりして、そのままややしばらく口を噤《つぐ》んでいたが、
「今になってそんなことを言っている」と、言葉を和らげていうと、女もすぐ静かな調子になって、
「あんたはんが、ただ自分ひとりでそうお思いやしたのどすやろ」
「私が自分ひとりでそう思った?……あんたの体を解決することを」
「ええ、そうどす」
「私が自分ひとりでそう思ったって、あんたの方でも依頼したから送る物を送っていたのじゃないか。いくら私がお前を好いていたって、そっちでも頼まないものを、どこに、自分の身を詰めてまで仕送る道理がない」
「そやけど、あんたはん、初めの時分は、私にそうおいいやしたやおへんか。自分はお前を可哀《かわい》そうや思うて恵んでやるさかい。後になって私のところにお前が来る気があったら来てもええ、その気がなかったら来てもらわいでもええ。……私そのつもりでいました」彼女は静かな調子ですこし人を戯弄《からか》うようにいう。
 なるほどそう言えば、ぼんやりしているようでも、女がよく記憶しているとおりに、彼女に、ずっと初めに金品などをくれてやった時分には、そんなことを言ったように思う。それは、女にどんな深い関係の人間があるかわからないための、こちらの遠慮であると同時に、また自分の方へ彼女を靡《なび》き寄せようとする手もまじっていたのであった。けれども女の方でも後には、そんな考えでのみこちらの扶助を甘んじて受けていなかったことは、長い間の経緯《いきさつ》で否応《いやおう》なしに承知しているはずであった。
「うむ、それは、あんたのいうとおり、初めはそんなことを言っていたことも覚えている。けれどもお前もだんだん、そんなつもりばかりで私に長い間依頼していたのではなかったろう」
 そういうと、女はそれに何といって応《こた》えたらいいかと、ちょっと考えているようであったが、
「そない金々て、お金のことをいわんとおいとくれやす」と、また口を突いていった。
 それで、大分心が平静に復《かえ》っていた自分はまた感情が激してきて、
「金のことをいわんとおいてくれて、私は好んで金のことをいいたくはない。けれども出来ぬ中から無理をして出来る限りのことをして上げたというのは、そこに、とても一口では言い尽すことのできぬ私の真心が籠《こ》もっているからじゃないか。何も金が惜しいのでいうのじゃない」
 女はやっぱり箪笥に凭《よ》りかかりながら、
「それはようわかってます。……そやからお金をお返ししますいうてます。何ぼお返ししまよ」
「いや、私は金が返してほしいのじゃない。今お前がいうように、私がこれまでしたことが、ようわかっているなら、少しも早くその商売を止《や》めてもらいたい」
 女はそれに対して確答を与えようとはしないで、
「お金をお返ししさえすりゃ、あんたはんに、そんな心配してもらわんかてよろしいやろ」
 私の静まりかけている心はまたしても女の言いようで激してくるのであった。
「お前は、お金をどれだけか私に戻《もど》しさえすれば、それで私と今までのことが済むと思っているのか」
 私は金を返そうと主張する女の心の奥に潜んでいる何物かをじっと疑ってみた。それで、そうなれば、どんなに金を山ほど積んでもますます、金では済まされないということになる。けれども、そんな者が、もしあっては、彼女が私に対してとかく真実のある返答を避けようとするのもそのはずである。よし、それならこちらにもそのつもりがある。
「私は金が取り戻したいなどとは少しも思っていない。けれども、あんたが真意を打ち明けて、私のところに来てくれようという心が全くないものなら、私もあり余る金ではないから、それで済ますというわけには行かぬ。金でも返してもらうよりしかたがない」
「ほんなら何ぼお返ししまよ」
 女は本当に金を返す気らしい。
 そうなると、やっぱり自分は元々金よりも女の方にあくまで未練があるので、口の中で言い澱《よど》んでいると、女は重ねて、
「なんぼでよろしい」と、いって、こちらの意向を測りかねたように私の顔を見守りながら、
「私もそうたんとのことは出来まへんけど、何ぼくらいか、言うてみとくれやす」
 女が金で済まそうとするらしい意向が見えればみえるほど自分は、この女は金銭などには替えられない、自分にとっては何物にも優《まさ》る、欲しい物品であるのだと思うと、どんなにしても自分の所有《もの》にしたい。
「私は金は返して欲しいとは思わない。けれどもあんたが金を返して私との約束を止めようというのなら、私は初めから上げた金を全部返してもらう」
「初めからの金て、どのくらいどす」
「それは、あんた自分でも知っているはずだ。いつかの手紙にも書いたくらいはあるだろう」
 すると、女はむっとして、
「わたし、そんなに貰うてえしまへん」と白々しそうに言う。
「いや、たしかにそれくらいは来ているけれども幾度もいうとおり私は金は一文も返してほしくはないのだ。ただ、あんたが私のところに来てくれぬというなら、それを皆な戻してもらわねばならぬ」
 すると、女はまた棄て鉢のようになって、
「もうあんたはんの心はようわかりましたから、ほんなら返します。私も御覧のとおりどすよって、一度にはよう返しまへんけど追い追いにお返しします。……おかあはん、これ、あそこへ持っていとくれやす」と、ぷりぷりしながら、突然|起《た》ち上って、やけに箪笥の抽斗をあけて、中から唐草《からくさ》模様の五布風呂敷《いつのふろしき》を取り出してそこに積み重ねていた衣類をそれに包んだうえに、またがちゃがちゃと箪笥を引き出して、ほかの品物まで入れ足そうとする。どこかへ持って往《い》ってすぐ金を融通しようというのであろう。
 私はすこしも金など欲しいとは思わないので、飛んだことになったと、はらはらしながら、眉《まゆ》に皺《しわ》を寄せて宥《なだ》めるように、
「これ、何をするの。そんなことはしないがいい。そうしてせっかく出来ている物をそんなことをしないでもいいじゃないか。私はお前から金を戻してもらいたくないのだ」
と、手を差し出して女の手を捉《と》らんばかりにしていうと、彼女はそれには答えず、「おかあはん、これすぐ持っていとくれやす」と、荒々しく風呂敷を包んでいる。
 私は、母親はどんな心持でいるのかと、そっちを振り顧《かえ》ってみると、母親は次の間の火鉢の傍で人の好さそうな顔をして、微笑しながら娘のすることを黙って遠くから見ているばかりである。そして、女が幾度も急《せ》き立てるように、
「持っていとくれやす。さあ今すぐ持っていとくれやす」というのを、母親は「ええええ」とばかりいって、起とうとはしない。
 私は母親の火鉢の前に立っていって、
「おかあはん、どうぞ持っていかないようにして下さい」
というと、母親はうなずきながら、
「ええ、心配せんとおいとくれやす。またあとであの娘《こ》によういいますよって」と、事もなげに笑っている。
 彼女はまるで母親と私と二人に向ってだだを捏《こ》ねるように、なおしばらくの間、
「はよう持って往《い》とくれやす」と、幾度も母親を催促していた。
 女の機嫌《きげん》を傷つけてしまったので、どうか、そんな衣類の入った大風呂敷などを外に持ち出すような浅ましいことをしてくれなければよい、ここへ初めて来た夜彼女がいったように、長いことあんたはんにもお世話かけましたお蔭《かげ》で、私もちょっと楽になったとこどす。というのが本当ならば、せっかくいくらか幸福《しあわせ》になりかけている彼女の境遇を、そんなことをして、また情けない思いをさせたくない。それにしても、自分から少しは楽になったといっているのだから、もう借金もそう多くあるはずがない。なぜこの女は私に真実の心を明かさないのであろうか。
 それで、私はしばらくそこにいない方が女の焦立った気分を和らげるによかろうと思って、重ねて、母親に風呂敷包みなどを持ち出さぬようにいいおいて、そのまま外に出ていき、東山の方をぶらりと一とまわりして帰って来た。

     

 唐草模様の五布の風呂敷はそのまま箪笥の上に載せてその後三、四日は目についていたが、私の知らぬ間に、外に持ち出したのか、それとも中の物をまた箪笥に蔵《しま》ったのか、やがていつものところに見えなくなった。そして、それに懲りて私は、彼女の体の解決のことについては幾ら心に思っていても口には出さなくしていた。母子《おやこ》の間ではどんな話をしていたか知れぬが、女の気持もすぐまたもとのとおりになった。それのみならず、そのことがあった夜、母親が長く外に出ていって帰らなかったので、風呂敷包みを持ち出したのかと思って気をつけると、それは無事にあるので、そうでもないと思って安心していた。すると、その翌日《あくるひ》母親は、娘がちょっと主人のところへ帰ってくるといって、出ていって留守になっている間に、
「昨日《きのう》はえらい、お気の毒どした」と、次の間の長火鉢のところから声をかけた。私は、
「お気の毒て、何のことです」と、そちらを振り向くと、母親は微笑しながら、
「あの娘《こ》があんな我儘《わがまま》いうて、あんたはんに、えらい済まんことどした」
「なに、そんなことはちっとも心配いりません。機嫌さえ直ればいいです」
 母親はそれでも腹から憂わしげな顔をして、
「わたし、もう心配で。あの娘が、あのとおりあんまり我儘いうて、あんたはんに後で愛想尽かされるようなことがありゃしまへんかと思うて、心配でならんどすさかい、昨夜《ゆうべ》あとであちらの主人のところへ相談に往《い》て来ましたのどす。そしたら、あちらの姐《ねえ》さんのおいいやすには、お母はん、なんもそないに心配することはない、そんなこというて、あんたはんに甘えるんやさかい、構わんとおきやすいうてくりゃはりましたけど、私はそれが心配になって、ゆうべも、よう寝られしまへんのどす。ほて、お母はん一遍本人を越《おこ》しやす、私からよう言うて聴かすさかい、いうておくれやすので、それで今日あの子もちょっと屋形《やかた》へいとります。また姐さんから、あんじょう言うて聴かしておくれやすやろ思うてますけど」
 私は母親が正直そうにそういって心配しているのを聴くと、ひとしお打ち解けた好い気持になって、
「どうぞ、そんなに心配しないで下さい。だだを捏ねているのはよくわかっているんです」
といって、自分も一緒に笑っていたが、そのついでに前日女に向って訊いたようなことを重ねて母親に話しかけてみたけれど、
「さあ、どないなっていますことどすか、私はこうしてあの娘《こ》に養うてもろうてる身どすさかい、何もかもあの娘がひとりで承知してるのどすよって、あんたはんから、また機《おり》をお見やしてよういうて聴かしとくれやす」といって、彼女自身では、娘の体のことについての金銭の出入りのことなど委しく知らぬような口ぶりであったが、
「屋形の主人さんもあんたはんのことを昨夜もそういうてはりました。おかあはん、その方大事にしてお上げやす、自分で来ずと、金だけ長い間送って越すというのはよほど量見が広うないと出来んことやさかい。そない言うてはりました」
 母親はそういって、私を喜ばすようなことをいっていた。私もそのとおりに聴いていた。
 今日はついでに花にでも行くのかと思っていたら、女はその晩屋形から早く戻ってきたが、昨日から何となく沈んで眉根を顰《しか》めたようにしていたのが、帰ってくると、にわかに打って変ったように好い気分になっていた。
 私も、二人が大事にしてくれるからといって、あまり好い気になって、いつまでもそこにいては外聞もあるし、母子の者が迷惑するであろうとは思いながらも、居心が好いので、すっかり心が落ち着いていた。女も打ち融けて、よく、私が凭っている机の傍に来て坐って、自分もそこで楽書きなどをしたりしてよく話していた。そして、そこが居心地の好いことを私がまたしても繰り返していうと、
「そんなによかったら、ここをあんたはんのまあにしときまひょうか」
「まあとは。……ああ間《ま》か、ああどうぞ居間にしておいてもらいたい」
などといっていたが、日は瞬く間に経《た》って、そこに来てから半月ばかりして、私は六月の中旬しばらく山陰道の方の旅行をしていた。けれど、梅雨《つゆ》のころの田舎《いなか》は悒欝《うっとう》しくって、とても長くは辛抱していられないので、京都の女のいる二階座敷の八畳の間が、広い世界にそこくらい住み好いところはないような気がするので、いずれ夏には紀州の方の山の上に行くつもりではあるが、一週間ばかりして、またそこへ舞い戻って来た。
 その日は欝陶《うっとう》しい五月雨《さみだれ》のじめじめと降りしぶいている日であった。ステーションからすぐ俥《くるま》で女の家に帰って来て、薄暗い入口をはいって、玄関から音なうと、階下《した》の家主の老女はもとより、上も下も家中みんな留守と思われるほどひっそりとしている。それでも黙って上がって行くのは厚かましいようで、二、三度大きな声をかけると、やがて階段を下りて来る足音がして、外から開《あ》かぬように、ぴたりと閉《し》めた奥の潜戸《くぐり》の彼方《むこう》で、
「どなたはんどす」という、母親の声がする。
「私、わたしです」というと、潜戸をそっと半分ほど開けながら母親が胡散《うさん》そうに外を覗《のぞ》くようにして顔を出した。そして、その瞬間、先だって中の待遇から推して期待していたような、あまり好い顔をして見せなかった。
「私です。今帰りました」というと、
「ああ、あんたはんどすか」といったが、「さあお上がりやす」というかと思っていると、「ちょっと待っとくれやす。今ちょっとお客さんどすよって」
といって、ちょうど留守でいない階下の家主の老婆の表の六畳の座敷に案内して、「どうぞちょっとここでお待ちやしてとくれやす」といって、私をそこに置いといて、間《あい》の襖《ふすま》をぴしゃりと閉めて、自分は二階へ上って行った。
 するとしばらく待つ間もなく母親と入れちがいに女がそこへ入って来て、笑顔を作りながら、
「おかえりやす」と懐かしそうにいって、私の膝《ひざ》の前に近く寄ってぺったり坐った。そして二言三言口をきき交わしているうちに、客というのが襖の外の茶の間を通って、中庭から帰ってゆくと思われて、母親も後から入口まで送って出たらしい。私は、何の気もなく、どんな人間が帰ってゆくのかと思って、ちょっと起ち上がって縁側の障子を開いて、小さい前栽《せんざい》と玄関口の方の庭とを仕切った板塀《いたべい》の上越しに人の帰るのを見ると、蝙蝠傘《こうもりがさ》を翳《かざ》して新しい麦藁《むぎわら》帽子を冠《かぶ》り、薄い鼠色《ねずみいろ》のセルの夏外套《なつがいとう》を着た後姿が、肩から頭の方の一部だけわずかに見えたばかりで、どんな人間かよく分らなかった。
 そこへ母親も入って来て、
「お帰りやす」と、今度はいつかのとおりに愛想のよい調子で、あらためて挨拶《あいさつ》をしながら、「今ちょっと知った呉服屋さんが来てましたので、あんたはんまた顔がさすと悪い思うて、ちょっとここで待ってもらいましたんどす。……階下《した》のお婆さんも今日は出やはりましてお留守どす。さあ、どうぞ二階にお上がりやして」
と、母親は、さっき私が入って来た時、潜戸の中から覗いた時の様子とは、まるで違った調子でいう。
 私は、ただ何ということもなく、さっきのその顔色が気になりながら、
「へえ、ありがとう。上がります。……何もこんな雨の降る日に戻って来なくとも好いのですけれど……」といいかけると、母親は、妙に感疑《かんぐ》ったか、
「あんたはんのお留守の間に誰か来ている思いやして?」と、笑顔しながら言う。
「いや、そんなことはちっとも思ってやしませんけれど、こんな雨の降る日に戻らなくってもいいのですけれど、田舎は何としても蚊がいる、蝿《はえ》がいる、とても辛抱出来ませんから……」
 母親とそうして口を利《き》き交わしていると、娘はそれきり黙ってしまった。それから私は二階の八畳に上がって来て母親が今言ったことから妙に気がさしたので、それとなく注意してよく見ると座敷の中央《まんなか》に今まで人の坐っていた夏座蒲団《なつざぶとん》が、女もそこにいたらしく二つ火鉢の傍に出ていて、火鉢の中には敷島の吸殻《すいがら》がたくさん灰の中に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《さ》してあった。私は腹の中で、ただ呉服物の用ばかりで来ていた客かどうかと自然《ひとりで》に疑ってみる気になった。が、もちろんそんなことを口には出さなかった。
 そして、またここへ舞い戻って来てしばらく厄介《やっかい》をかけることのさぞ迷惑であろうということを繰り返して詫《わ》びて、女には、私には少しも構わず、主人の思惑もあるから店に帰って勤めの方を大事にするようにいった。
 私が田舎に往ったあとは、私のいる間いろいろ気を使ったために疲れあんばいで、あれからずっと休んでいたので、
「今日久しぶりに店へかえります。ほんならちょっといてきます」
といって、出て往ったが、女は、その晩からかけて翌日《あくるひ》の晩も戻って来なかった。それから半月ばかりして、私が山の方に出立するまで彼女は多くは主人の方にいっていたが、立つ前にはまた二、三日休んで、私のために別れを惜しんでくれたのであった。

     

 あれほど母子二人して歓待しておきながら、今度居処を変ったのに、なぜ知らしてくれないであろうと、少なからず淋《さび》しい気持になって、せめてこの欝《ふさ》いだ心を慰めるには、明るく温《あたた》かい感じのする、行きとどいた旅館に往って泊るのが何よりよいと思ってその家へ投宿した。
 するとちょうど古い馴染《なじ》みの、気の利《き》いた女中が出て来て、気持よく世話をしてくれた。私はさっきステーションに着いてから欝陶しい空模様と同じようにほとんど泣き出したいばかりに悲しくなっていたのが、やっと、そのためにいくらか心をまぎらすことができた。そして心地《ここち》の好い風呂に入って柔かい蒲団の中に横たわって、都会的情趣に浸りながら早くから寝に就《つ》いた。七月の初めからほとんど三カ月に近い、高い山の上の枯淡な僧房生活の、心と体との飢渇から、すっかり蘇生《そせい》したような気持になった。外では夜に入るとともに豪雨にひどい嵐《あらし》が吹き添って来たと思われて、よっぴて荒れ狂うていたが、私はそれとは反対にかえって安らかに眠りに陥《お》ちた。
 翌日《あくるひ》は午前はまだ暴風雨の名残《なご》りがつづいていたが、午《ひる》過ぎから風も次第に歇《や》み、雨も晴れた。女のことは始終念頭にあったけれど、実はあまりにそのことばかり長い間思い続けて、思いに疲れているので、たまにはほかのことで気を晴らしたく、そのころちょうど東都から京都に来ていた知人のところを訪《たず》ねたりしてその日は一日消した。
 その翌日は、昨日の暴風雨の名残りは痕跡《あと》もなく綺麗《きれい》に拭《ぬぐ》い取ったような朗らかな晴天になった。紺碧《こんぺき》の空は高く澄み渡って、一昨日《おととい》の豪雨に洗い清められた四囲の景色が、暑くも寒くもない初秋の太陽の光を一杯浴びているのが、平常《いつも》でさえ美しいその街《まち》の眺《なが》めを、今日はあたかも玻璃《ガラス》の中の物を窺《のぞ》いて見てるように明麗であった。
 今日は一つ女の先にいた家の様子を見て来よう。――無論女からの手紙を信じてもうそこにはいないものと思っていたから――と思って、私は午少し前に衣服を更《あらた》めて、旅館からはすぐ近いところにある、電車通りを向うに渡った横町にある路次の中に入って往ってみた。すると、その日は好いあんばいに階下《した》の家主の老婆が内にいたので、私は玄関の上り框《かまち》に腰を掛けながら、老婆と久しぶりの挨拶を交わして、しばらく話していた。すると、そこへ女の母親が、寺詣《てらまい》りでもするらしい巾着《きんちゃく》をさげて入って来た。
「ああ、おかあはんお久しゅう。私、一昨日の晩紀州から帰って来ました。このごろはもうここにいないんですって」
といって、訊《き》くと、母親もそこに腰を掛けながら、もう先月の末からそこの所帯を畳んでしまって、自分は上京《かみぎょう》の方の親類の家に厄介になっているようなことを言っていた。私は、そこでも、そんな親類の家に厄介になっているよりも、何とかして私が自分で適当な家を一軒借りて京都に住みたいから、そしたら、おかあはんに、そこへ来てもらいたいというような意向を洩《も》らすと、家主の老婆も傍から、
「そうおしやしたら、ほんよろしいがな」といって、口を添えていたが、母親はいつも愛想よくにこにことはしていたが、
「そのこともあの娘《こ》がどない言いますか、あの娘の腹一つにきまることどすさかい」といって、いつものとおりに何もかも自分では要領を得た返事をしなかった。
 それでも私は、一昨日雨模様の欝陶しい晩方にこの街にかえって来て、ここの路次を覗いて見た時とちがい、もうここにはいないと思っていた母親に偶然また会ったので、さながら彼女に会ったと同じような喜びを感じたのであった。
「今日は死んだ息子の命日どすよって、ちょっとお墓詣りに来たついでにここのお婆さんとこへもお寄りしましたのどす」といっている。
「そうですか、今日はちょうどお寺詣りに好い彼岸びよりだ。私も一緒にまいってもいいな」と、私はひとりごとのようにいったが、母親にはまた会って話す機会もあるだろうと思って、その時はそのまま家主の老婦人のところを出て戻った。
 そして、女に会おうと思えば、どこかへ行って知らしさえすれば会えるのだが、こちらの心はそれではないので、それから一、二度女を電話口まで呼び出して話したことがあった。紀州の方の山から帰ってきた、この間おかあはんにも先の家でちょっと遭《あ》った、ここへ来てもらいたい、来ないか、と言ったけれど、そのうち都合して行きますと言ったきり、向うから電話を掛けてくれるようなこともなく、いつもこちらの言うことを柳に風のように受け流しているようであった。後には、帳場に近いところで、女中や番頭などの耳に入るのが厭《いや》で、外の自動電話にいって呼び出したりしたこともあったが、いつも返事は同じことで、少しも要領を得なかった。何だか、池の水の中に泳いでいる美しい金魚か何ぞのように、あまり遠くへ逃げもせず、すぐに手に捕《つか》まりそうで、さて容易に捉《つか》まらないというような心地のするのがその女であった。
 どちらにしても纏《まと》まった金を幾らか調《ととの》えてからでなければ、たとい会ってみたところで、今までのとおりであると思って、格別|逢《あ》おうともせず、ただ、籠《かご》の中に飼われている鳥のように、番をしていないからとて、めったに、いなくなることもあるまいと、常に心には関《かか》りながら、強《し》いて安心して、せめて同じ土地の、しかも女のいるところとは目と鼻との近いところにいるというので満足していた。そして、夏の前いた、女の家の路次の中が何となく恋しくって、宿からは近いところではあるしするので、ときどき階下《した》の親切そうな老婦人のもとを訪ねて往って、玄関先きで話して帰ることがあった。家主の老婦人は、
「あれから姉さんにお会いしまへんのどすか」
といって訊いてくれるのであった。
「ええ、まだ逢いません」というと、
「そうどすか」と、老婦人は呆《あき》れるようにいって、「何であんたはんに会わんのどっしゃろなあ。ここで、私のところでちょっとお会いしやしたらよろしがな」と、同情するようにいってくれるので、私は、その老婦人には、夏の前その二階がりの女のところに一カ月あまりいる時分にも話したことのなかった、女との長い間の入りわけを打ち開けて愚痴まじりに聴《き》いてもらうこともあった。母親にもその後またそこで一、二度出会ったことがあった。彼女は、ちょっとそこまで来たついでに立ち寄ったというような様子であった。私は母子《おやこ》の言葉を信じて、無論もうその二階には八月以来いないのだが、娘の奉公しているところがそこから近いので、そんなにして、すぐ隣家《となり》へでも行くようにして会いに来た足ついでに、以前厄介になっていたこの老婦人のところへも立ち寄るのだと思っていた。
「あんたはんのこの間おいいやしたこと、あの娘《こ》に話してみましたら、あの娘のいうのには、あんたはんがまた上京の方へおいでやしたら、一遍話しに寄せてもらいます言うていました」母親は、私が家を持つから、そこへ来てもらいたいという話を、顔を見るたびに言うと、そんな返事をしていた。
 その間に月が変って十月になり、長い間降りつづいた秋霖《あきさめ》が霽《は》れると、古都の風物は日に日に色を増して美しく寂《さ》びてゆくのが冴《さや》かに眼に見えた。それとともに、街の灯《ひ》の色は夜ごと夜ごとに明麗になってきて、まして瀟洒《しょうしゃ》とした廓町《くるわまち》の宵《よい》などを歩いていると、暑くも寒くもない快適な夜気の肌触《はだざわ》りは、そぞろに人の心を唆《そそ》って、ちょうど近松の中の、恋と小袖は一模様、身に引き締めて抱いて寝《い》ねてこそなつかしいということが思われて、どうかして一と目なりとも彼女の姿が見たいと思って、私は折々女の勤めている家の前を、宵暗《よいやみ》にまぎれてそっと通ってみることもあったが、一度も途中で出会わなかった。
 その内にも秋は次第に闌《た》けて旅寝の夜の衾《ふすま》を洩れる風が冷たく身にしむようになってくるにつれて、いつになったら、果てしの着くとも思われない愛欲の満たされない物足りなさに、私はちょうど移りゆく四囲の自然と同じように沈んだ心持に胸を鎖《とざ》されていた。そうして一と月ばかりつまらない日を過しているうちに高い山に囲まれた京都の周囲には冬の襲うてくるのも早かった。旅館の二階の縁側に立って遠くの西山の方を眺めると、ついこの間まで麗《うら》らかに秋の光の輝いていたそちらの方の空には、もういつしか、わびしい時雨雲《しぐれぐも》が古綿をちぎったように夕陽《ゆうひ》を浴びてじっと懸《か》かっている。陰気な冬はそこから湧《わ》いてくるのである。この四、五年来そのことのみを思いつづけて、ほとほと思い疲れてしまった私は、どうかして女のことをなるべく思うまいとして、いくら掻《か》き消すようにしても綿々として思い重なってくる女のことを胸から追い払うようにして、洛中洛外《らくちゅうらくがい》をさまよい歩いて、時としては人気のない古い寺院などに入っていって、疲れ爛《ただ》れた脳を休めるようにしていた。

     四

 十月の末から私はまた一と月ばかり中国の方の田舎に帰っていた。心に浮かぬことがあるので田舎は少しも面白いこともなかったが――もっとも面白かろうと思って往ったのではなかったけれど――ことに、この年は初めて悪性の世界的流行感冒が流行《はや》った秋のことで、自分もその風邪《かぜ》に罹《かか》ったが、幸いにして四、五日の軽い風邪で済んだ。けれども、その年はそんな悪性の風邪が流行するほどあって、例年ならば美しい小春日の続くころに、毎日じめじめとした冷たい雨ばかり降りつづいていたので、私は京の女のことが毎日気にかかりながらも、しばらく故郷の生まれた家に滞留していた。田舎でも四囲の山々が日々に紅に色づいて、そして散り落ちていった。私は何となく、気忙《きぜわ》しくなった。その年の五月から六月にかけて、女の家にいて以来、もうどこへ往っても彼女の傍にいるくらい好いところはなかった。彼女と一緒にいるところのほかは自分の満足して住むべき世界はないような気がするのであった。
 私は冷たい冬雨の降りそぼつ中をも厭《いと》わず、また田舎から京都に出て来た。そして今度は先にいた旅館には行かず、ずっと上京の方の、気の張らない、以前から馴染《なじ》みのある家に往って滞泊することにした。そこは、先の下河原の方の意気な都雅な家とは打って変り、堅気一方の、陰気な宿で、そうなくてさえヒポコンドリイのように常に気の欝いでいる自分の症状に対してはますます好くないと思ったけれど、先だって田舎に往く前にちょっと女と自動電話で話した時にも、
「上京の方の気の張らん宿にお変りやしたら、私一ぺん寄せてもらいます」
と、女が言っていたので、女を宿に訪ねて来さしたいばっかりに、そこへ宿を定《き》めたのであった。欲《ほ》しい女が思うように自分の所有《もの》にならぬためにそんなに気が欝いでいるせいか、そのころ私はちょっとしたことにもすぐ感傷的になりやすくなっていた。田舎から出て来て宿に着いたその晩も、そうして京都に出て来てみると、しばらく滞留していた田舎のことなどが、胸に喰《く》い入るように哀れに感じられたりして、私は、どうすることも出来ないような漂泊《さすらい》の悲哀と寂寞《せきばく》とに包まれながら、ようやくのことで、その宿で第一の夜を明かしたのであった。
 そして明けても暮れても女のことばかり一途《いちず》に思いつめていると気が苦しくなってしかたがないので、かねてからこの秋は、見ごろの時分をはずさず高雄の紅葉を見に往きたいと思っていると、幸い翌日《あくるひ》はめずらしい朗らかな晩秋の好晴であったので、宿にそれといいおいて、午少し前からそっちへ遊山《ゆさん》に出かけていった。時は十一月の二十四日であった。電車のきく北野の終点まで行って、そこから俥で洛西《らくせい》の郊外の方に出ると、そこらの別荘づくりの庭に立っている楓葉《ふうよう》が美しい秋の日を浴びて真紅《まっか》に燃えているのなどが目についた。それから仁和寺《にんなじ》の前を通って、古い若狭《わかさ》街道に沿うてさきざきに断続する村里を通り過ぎて次第に深い渓《たに》に入ってゆくと、景色はいろいろに変って、高雄の紅葉は少し盛りを過ぎていたが、見物の群衆は、京から三里も離れた山の中でも雑沓《ざっとう》していた。私は、高い石磴《いしだん》を登って清洒《せいしゃ》な神護寺の境内に上って行き、そこの掛け茶屋に入って食事をしたりしてしばらく休息をしていたが、碧《あお》く晴れた空には寒く澄んだ風が吹きわたって、茶褐色《ちゃかっしょく》のうら枯れた大木の落葉がちょうど小鳥の翔《かけ》るように高い峰と峰との峡《はざま》を舞い上がってゆく。愛宕《あたご》の山蔭に短い秋の日は次第にかげって、そこらの茶見世から茶見世の前を、破れ三味線を弾《ひ》きながら、哀れな声を絞って流行唄《はやりうた》を歌い、物を乞《こ》うて歩く盲《めし》いた婦《おんな》の音調が悪く腸《はらわた》を断たしめる。侘《わび》しい心にはどこに行っても明るく楽しいところがなかった。

     

 田舎へ往ってからも二、三度手紙を出して、今、悪い風邪が流行っているが、変りはないかと訊《たず》ねて越《おこ》したりしたが無論何とも言って来なかった。京都に出てくると、その晩すぐ手紙を出して、今度はこういうところにいるから、一度訪ねて来てもらいたいと言ってやったけれど、例のとおりに何ともいって来なかった。そして、今度の宿は、先のところとちがい気の張らないだけに、土地柄からいっても、何からいっても陰気で、気が晴れ晴れとしないので私は部屋の中にじっとしているのがいたたまらなくなって、高雄の紅葉を見にいった翌晩祇園町の方に出て往き、夜にまぎれて女の勤めている家の前をそっと通ってみた。
 すると、不思議ではないか。入口の格子戸《こうしど》の上のところに、家に置いている妓《こ》の名札が濃い文字で掲げてあるのに、しかもその女の札は、もう七、八年もそこに住み古しているので、七、八人も並んで札の掲っている一番筆頭であるのに、なぜか、そこのところだけ、ちょうど歯の脱《ぬ》けたようになっているではないか。察するところ、札を外《はず》してからまだ幾日も日が経ぬのでまだ名札をはずすだけはずして後を揃《そろ》えず、そのままにしているのらしい。私は寒い夜風の中に釘付《くぎづ》けにされたような気持で、そこへ突っ立ったまま、
「はて、不思議だ。どうしたのだろう?」と、思った。彼女を知ってから五年の長い間、不安に思う段になれば、随分不安なわけであった。日夜数知れぬ多くの人に名を呼ばれている境涯《きょうがい》の身であれば、商売を廃《や》めるからとて、一々馴染みの客に断って往くわけのものでもない。けれども自分は、初めから度胸を据《す》えて、女は私に黙って、そこから姿を消して往かないと[#「往かないと」は底本では「住かないと」]信じていた。百に一つ、そんな場合がありはせぬだろうかと、遠く離れていて、ふと不安に襲われることがあっても、何となく、そんなことはめったになさそうに思われたのであった。しかるに、今、まぎれる方もなく、明らかに彼女の名札が取れているのを見ると、近いうちにここにいなくなったに相違ない。籠《かご》に飼われた小鳥と同じく容易に逃げていなくなる気づかいはないと思っていたのは、もとよりこちらの不覚であった。そんなことがありはせぬか、せぬかと不安に思いながら、今までなかったから、あるまいと思っていたら、とうとう籠の鳥は、いつの間にか逃げてしまった。
 私は、そこに棒立ちになったまま、幾度か自分の眼を疑って、札の取れているのが、どうぞ悪い夢であれかしと念じたが、たしかに札は取れている。よほど思いきって、そのままその家へ入って行って訊ねてみようかと思った。彼女に自分という者が付いているのは、ここの家でもよく知っているはずである。構いはしないだろうと思ったが、自分は、彼女と関係の出来た最初から、どこまでも蔭の者になって、そっと自分の所有《もの》にしてしまうつもりであったので、今さら、女がいなくなったといって、そこの家へ訪ねて往き、自分のほかに、もっと深いふかい男があって、その男に落籍《ひか》されたのに、こちらが、男は自分ひとりのような顔をしていて、裏にうらのある、そんな稼業《かぎょう》のものの真唯中《まっただなか》に飛んだ恥を曝《さ》らすようなことがあってはならぬ。自分は、彼女をこそ、生命《いのち》から二番めに愛していたけれど、それとともに自分の外聞をも遠慮しなければならぬ。
 と、焦躁《いらつ》く胸をじっと抑《おさ》えながら急いで、そこの小路を表の通りに出てきて、そこから近い、とある自動電話の中に入って、そこの家の番号を呼び出して訊ねてみた。いつも、その女の本姓をいって電話をかけたので、電話口へ出た婢衆《おなごしゅ》らしい女に、こちらの名をいわず、それとなく、
「もしもし、あなたは松井さんですか。藤村さんはおいでですか」といってきくと、いつでも、その松井の家の定まった返事の通りに、婢衆は、
「藤村さんは今留守どす」という。
 これまでとても、彼女が家にいてさえ一応はそんな返事をするのが癖なのであったが札が取れているのでは、留守であることは問わずとも知れている。それでも、女がそこの家にいる時分と同じように、いつもの「留守どす」で、返事を済ませている。もちろんこちらが誰であるか、知っているはずもないのだが、もし知れていたならば、一層不愛想な返事をしたかも知れぬ。私は、ひたすら紙よりも薄い人情の冷たさを、夜の冷気とともに身に沁《し》みて感じながら、重ねて委《くわ》しいことを訊こうとする気力も抜けてしまい、胸の中が空洞《うつろ》になったような心持で、足の踏み度も覚えず、そのまま喪然《そうぜん》として電車に乗り、上京《かみぎょう》の方の宿に戻《もど》ってきた。とてもその勢いで取って返し、その家に訪ねていって、名札の取れて、もういなくなってしまった事情を訊ねてみる力は失《な》くなってしまったのである。そして足かけ五年の間真実死ぬほど思いつめたあげくが、こんなことになってしまったと思うと、何より自分という者が可哀《かわい》そうになって来て、冬の夜の寒い電車の中にじっと腰を掛けていてさえ、ひとりでに悲しい涙が流れ出た。
 名札が取れて女がいなくなったにしても、もとよりどこを当てに訊ねるわけにも行かず、ましてそれが他の男に落籍されてしまったのであるとすれば、今ごろは、こちらのことを――もし知っているとすれば――「阿呆《あほう》め」とでもいって、好い心持になっているであろう。それを思いこれをおもい、この冬の寒い夜風の中を気狂《きちが》いになって飛びまわってもしかたがない。今夜はこのまま宿に帰り、哀れな自分をいたわりながら、どうかじっと寝ながらよく考えよう。
 そう思って、宿にかえり、自分の部屋に通って、火鉢《ひばち》の傍に一旦《いったん》坐って、心を落ち着けようとしてみたが、とても、もっと委しい事情を訊き糺《ただ》さねばそのままに寝られるどころではない。それで、その宿には電話がないので、いつも借りつけになっている、近処の家まで出ていって、また彼女のいた祇園町の家へ電話を掛けてみた。
 すると、初めはやっぱりさっきと同じことをいっていたが、こちらの名を明かして、実は、さっきそちらの前を通りかかって、ふと見ると、藤村の名札が取れているのを見てはじめて気がついたのであるといって、
「留守じゃない、もうあんたの家にはいないんだろう」
と訊ねると向うの婢衆《おなごしゅ》は、
「ほんならちょっと待ってくれやす」といって、しばらくして今度は変った、すこし年をとった女の声で、
「藤村さんは、もう内にいやはりゃしまへんのどっせ」という。
「どうしていなくなったの。だれかお客さんに引かされたの?」
「さあ、わたし、そんなこと、どや、よう知りまへんけど、病気でもうとうに引かはりました」
「そして、病気で廃めて、藤村さんのおかあさんが連れて去《い》ったの?」
「ちがいます。小父さんが来て連れていかはりました」
 小父さんが来て連れて往った。どんな小父さんか知れたものじゃないと思ったが、それ以上、電話でそんな婢衆などに訊いても委しいことの知られようわけもなく、また真実のことをいって明かすはずもないと思って、私はそれで電話を切ってしまった。そして、仮に※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]《うそ》にしても……※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]にちがいないと思うが……病気で廃めたというだけのことに、せめて幾らか頼みの綱が繋《つな》がっているような気がして、それだけに心に少し勢いがついて、宿にとって返し、夜の寒さに風邪を恐れながら、思いきって厚着になり、また祇園町へと出かけていった。今から二た月前の九月の末、紀州の旅から京都に帰って来て、久しぶりに会ったばかりの、多年東京で懇親《ねんごろ》にしていた知人がつい二十日《はつか》ばかり前、自分も田舎に往って流行風邪《はやりかぜ》で臥《ふ》せっている時に流行感冒であえなく死んだということが強く胸に刻みつけられているので、不幸なる自分がまた風邪にでも罹って、このまま死にでもしたら、どんなに悲惨であろう、そんなことがあったら執念が残ってとても死にきれはせぬ。
 そんなことまでも考えながらまた祇園町まで出て来ると、十一月末の夜は闌《ふ》けていても、廓の居まわりはさすがにまだ宵の口のように明るくて、多勢の抱妓《かかえ》を置いているうえに、お茶屋を兼ねている松井の内では今がちょうど潮時のようないそがしさである。
 小父さんといっても、何だか分りはせぬ。ほかの男に引かされたものを、よく恥かしげもなく、商売していた女の廃めた後を探ねて来る阿呆な男と笑われはせぬかという気が先きに立って、心が後《おく》れるのを、そんなことを恥かしいと思って、引込み思案でいては、ますます自分の身一つを苦しめるばかりであると思い直して、勇気をつけ、松井の入口に立って、その夏の初め、女の家にいたころちょっと顔を見て、言葉を交わしたことのあるお繁《しげ》さんという婆さんにお目にかかりたいと、そこに出て来た婢衆に取次ぎを頼むと、お繁婆さんは、すぐ奥から出て来た。
 それはもう五十を少し過ぎた女であったが、何でも聞くところによると、もと此家《ここ》の女あるじと同じく今から二、三十年前にやっぱり祇園町で商売に出ていたことのある女で、松井の主人が運の好いのに反して、この方は運が[#「運が」は底本では「連が」]悪かった。そして以前|朋輩《ほうばい》であった人間の内へ女中|頭《がしら》のような相談相手のようにして住み込んでいるのであった。松井の女あるじの今なお一見、二、三十年前この土地で全盛を謡《うた》われたことを偲《しの》ばしめるに反して、お繁婆さんの方は標致《きりょう》もわるく、見るから花車婆《やりてばあ》さんのような顔をしていた。それでも話してみると、わけは割合によくわかる方で、お繁さんは笑顔で、
「おこしやす。えらいお久しぶりどす」と、いって、打ち融《と》けて挨拶《あいさつ》をして、
「えらい端の方でお気の毒さんどすが、今ちょっと奥が取り込んでいますよって、ここで失礼いたします」と、いって、婢衆《おなごしゅ》に座蒲団を持って来さして、私にすすめる。
「ええ、もう、どうぞ構わないで下さい」と、私は小さくなって、そこの玄関の二畳の間に差し向って坐った。
 そこで、さっき電話で聞いた女のことを改めて問い糺すと、お繁さんは、率直な調子で、
「お園さんはもう半月ばかり前にひどい病気になりまして、それで引きました」
「はあ、ひどい病気で……」私は、そういって、すぐ心の中ではあの繊細《かぼそ》い彼女の美しく病み疲れた容姿《すがた》を思い描きながら、
「この土地に長くいると、そんなことになるだろうと思っていたのだ。だから……」と、ひとり言のようにいって、もう、私の眼には涙がにじんで来た。
「そして、ひどい病気とはどんな病気でした?」静かに訊いた。私は、彼女の体質や容姿から想像すると、多分肺でも悪くなったのではあるまいかと思った。そして、もしそうであったならば、一層|可憐《かれん》でたまらないような気がしてくるのであった。
 するとお繁さんは黙って意味ありげに笑いながら、私の顔を見るだけで、その病気が何であるか言おうとしない。それで、これは真実《ほんとう》は病気ではない。病気というのは偽りで、やっぱり旦那《だんな》にでも引かされて、今ごろはどこかそこらに好い気持で納まっているのだなと感疑《かんぐ》りながら、こちらも、つとめて心を取り乱さぬようにわざと平気に笑いにまぎらわして、
「※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]でしょう、病気というのは」重ねて訊くと、
「いえ、病気はほんまどす」といって、まだ笑って真相を語ろうとせぬ。
「どんな病気です?」私は、今度は、商売柄恥かしいひどい病気でもあるのかとも思った。
 すると、お繁婆さんはやっぱり笑いながら、
「お園さん、気狂いになったのどす」と率直にいう。
「へえ、気狂いになった!」私は、しばらく呆然《ぼうぜん》として対手《あいて》の顔をじっと見つめていた。
「一体どうして、そんなことになったのです」
 お繁婆さんが話して聴かすところによると、先月の末か今月の初めごろ、彼女も、瞬《またた》く間に流行してきた流行感冒に襲われて一時は三十九度から四十度近い発熱で心配するほどであったが、熱は間もなく下り、風邪も一週間くらいで癒《なお》るにはなおったが、すっかり熱が除《と》れて、ようよう起き上がることが出来るようになった時分に、ふっと間違ったことを口に言い出した。初めは皆なも、平常《ふだん》から、あんな温順《おとな》しいに似ず、どうかすると、よく軽い戯談《じょうだん》などを言ったりすることもあるので、
「お園さん、何いうてはるのや」と、笑って、いつもの戯談かと思っていると、本人はあくまでも真顔でいるので、これは、どうもいつもとは少し様子が違って変だなと思っていると、彼女はだんだん妙な違ったことをいうようになった。そして眼つきがおそろしく据《すわ》ったようになって、そうなくてさえ、平常から陰欝《いんうつ》になりがちの顔が、一層恐い顔になった。家にいる他の妓《こ》たちはまたそれを面白がって、対手になって戯弄《からか》うと、彼女は生真面目《きまじめ》な顔をしてそれに受け応《こた》えをしているという有様である。
 お繁さんはおかしそうに笑いながら、
「そんな具合でもう気の毒で見ていられまへんがな。ほて、もう、わたし、あんた方、そんなつまらんこと言うてお園さん戯弄《なぶ》らんとおいとくれやすいうて、小言いうてました」
 私は、それを聴いて身にしみて悲惨を感じながら、じっと涙を飲み込むようにして、
「飛んだことになってしまったものですなあ」と、あとの言葉も出でずに黙って太息《ためいき》を吐《つ》いていた。
「もう、どだい、いうことがなってへんのどすもの」お繁婆さんは変なハイカラの言葉に力を入れていう。
 そんな有様で、とてもこの先続けて商売など出来そうにないところから、母親のほかに西京《にし》の方にいるという母方の叔父《おじ》にも来てもらって、話を着け、お繁さんが附き添うて管轄の警察署へ行って、営業の鑑札を返納して来たというのである。お繁婆さんはなおおかしそうに、
「警察へいても、お園さん真面目な顔をして役人に怒鳴りつけるようなことをいうもんやから、わたし、傍に付き添うていてはらはらしてました」
 私は思わず寂しい笑いを洩《も》らしながら、
「なるほどそういうわけじゃしようがありませんな。そして、今どこにいるでしょう」
「さあ、その時叔父さんに伴《つ》れられて帰ったきり、どこにいるのかそれなりでちょっとも音信《たより》がないそうにおす。わたしもそれから用事で大阪の方に往《い》てきまして、今日帰ったばかりのとこどすよって。今日も、あんたはんから訊かれる前に、お園さん、ちょっとも音信がないなあ、どないしてはるやろ言うて噂《うわさ》してましたところどす」
 なるほど叔父のあることは前から知っていたけれど、私はなおもその叔父さんというのははたして真実《ほんとう》の叔父さんに違いあるまいかと疑ったので、念を押すように、
「叔父さんといって、その実旦那じゃありませんか。こんな土地じゃ、こう申しちゃ、何ですが、裏にうらがあるのが習わしですからな」と、捌《さば》けた調子で、対手の口うらを引いてみたが、お繁は言下に、
「あの人旦那なんてありゃしまへん。そりゃ本当の叔父さんどす」
「その叔父のいるところはどこでしょう。あんた知っていませんか」
「さあ、それも、わたしどこや、よう知りまへんけど」と、小頸《こくび》を傾けるようにして、「何でも三条とか、油の小路とか聴いたように思うけど、委しいことは、よう知りまへん」と、真実知っていなそうである。
 私はなお、もっと委しいことを、ああもこうもと訊ねたいと思ったが、家の内が急がしそうにしているのと、向うがはたして誠意をもって話してくれているのか、どうか半信半疑なので、いい加減にして出て戻ろうとして、まだ立ちにくそうにしながら、
「いろいろありがとうございました。あなたにお眼にかかって、様子が一と通り分りました」
 私は、この上にもなお向うの誠意を哀求するような心持で丁寧にお礼をいった。幾度思ってみても、全く自分の生命《いのち》にも換えがたい女である。その女のゆえならば、いかなる屈辱をあえてしても決して厭わないと思っていたのである。
 お繁婆さんは、
「ああそれからあんたはんのお手紙が来ているのも知ってます。たしか二度来てたかと思ってます。前のはお園さんが自分で受け取ってたしか見ていました。後のはここにおらんようになってから来ましたよって、私が預かっておきました」
といって、彼女は奥に立って往き、三、四本の、女にあてて来ている封書を、私から越《おこ》したのと一緒に持って出てきた。それを見ると、中の一つは自分のちょっと知っている、ある男からの文《ふみ》であった。私は、それを一目みると何とも言えない厭《いや》な気持になって、「あの人間が!」と、ちょうどウロンスキイが、自分の熱愛しているアンナの夫のカレニンの風貌《ふうぼう》を見て穢《けが》らわしい心持になったと同じような気がして、その瞬間たちまち、自分が長い年月をかけて宝玉のごとくに切愛していた彼女が終生いかんともすべからざる傷物になったかのように思われて、またもやがっかり失望してしまった。女がいなくなったことがすでに自分には生命《いのち》を断たれたと同じ心地《ここち》がしているのに、自分が一面識のある人間とも知っていたのかと思うと、私はあまりに運命の神の冷酷やら皮肉やらを悲しみかつ嘆かずにはいられなかった。しかし、それも、皆な自分の愚かゆえである。こうした売笑の女に恋するからは、それはありがちのことである。西鶴《さいかく》もとうの昔にそれを言っている。今こんなことがあると知ったのを好い思いきり時に、いっそここで、これっきり女を綺麗《きれい》さっぱりと思い断《き》ってしまおうか、そうすると、この心の悩ましさを解脱することが出来て、どんなに胸が透くであろう。そして決然としてすぐにも東京へ帰って行って、多年女ゆえに怠っている自分の天職に全心を傾倒しよう。どうかして、そういう心になりたい、と思いながら、私は、膝《ひざ》の前に置かれたそれらの男からの手紙をじっと見つめながら、封の中にどんなことを書いてあるのか、出来ることならば、封を切って中を読んでみたいように思った。差し出したところを見ると、どこか地方に行っていて、その旅先から出したものらしいから、その男も、女が気が変になって、商売を廃めてこの土地から消え失《う》せたことは知らずにいるのであろう。……私がそうして、じっとそれらの封書に見入っているので、お繁はどう思ったか、
「この人はほんの五、六度知ってるだけどす。私もちょっと顔を見て知ってます。あれはどこのお客やったか」と考えるようにして、
「たしか、井の政のお客やったと思う。去年の春からのお客どした。……こうして人さんの手紙どすさかい、中を読んで見るわけにもいきまへんしなあ」と、私を慰め顔に言う。
「いえいえ、なにこの手紙を見たいと思ってるわけじゃありません。……ただお園が、叔父さんに連れられていったきりで、今どこにいるのか、私も、あなたも御存じのとおり、もう長い間心配していた、あの女のことですから、ぜひ一遍会って、病気の様子を見たいと思って……」と、私は、どこへ取りつく島もないような気がして、そういうと、お繁婆さんも、さすがに同情のある調子でうなずきながら、
「ええええ、あんたはんのことは、皆な、もうよう知ってます。どこにいやはるか、ここにおらんようになってからでも、もう半月くらいになりますよってなあ」
 私はなおも繰り返して、そのうちにも自然居処が知れるようなことがあったら、是非知らしてほしいとくれぐれも嘆願するように頼んでおいて、ようようそこを出て戻った。

     六

 外に出ると、もう十二時を過ぎているので、お茶屋へ往き交う者のほかは人脚も疎《まば》らになって、冷たい夜の風の中に、表の通りの方を歩く下駄《げた》の足音ばかりが、凍《い》てついた地のうえに高くひびいているばかりであった。
 そして、気が狂って叔父に連れられて、どこへ往ったとも分らなくなった女の身の上が、今は可愛《かわい》い、いじらしいというよりも、その可愛い、自分にとっては、自分がこの世に生存している唯一の理由でもあり楽しみであると思っていた女が、自分が一、二度会ったことのある男とも知っていたのであったのであったかということのみが、胸の中一杯に蔓《はびこ》って、これほど愚かしいことはない、何の因果で、あの女が思いきれぬのであろうと、自分の愚かしさを咎《とが》めつつも、やっぱり思いきることが出来ず、その愚かしい煩悩《ぼんのう》に責め苛《さいな》まれる思いをしながら、うかうかと道を歩いていた。
 そこから祇園町の一郭をちょっと出はずれると女の先《せん》にいたところまではすぐなので、たとい今はもうそこにいなくなったにしても、その階下《した》の家主の老婦人は性格《たち》の良い女性《おんな》であるから、その人に会って訊ねたならば、もしや知っているかも知れないと思って、一旦戻りかけた足をまたそちらへ向きかえて、そこの暗い路次の中に入ってみたが、門は堅く締っていて、あたりはいずこももう寝静まっている。
「ああ、われながら愚かしい。今時分この辺に起きている家もないはずであった」と、心づいて、「ともかく今晩は帰って寝て考えよう。気が狂ったといううえに、今晩になって、はじめて気がついたわけでもないが、知らぬうちこそ清浄《きれい》だが、だんだんあとからいろいろなことが分ってくると、この先まだまだ厭な思いをしなければならぬ。自分に強い意思があるなら、今晩という今晩こそ、彼女を潔く思いきって、彼女をはじめて知って以来、足かけ五年の間片時も心の安まらなかった苦患《くげん》を免かれて、快い睡眠を得ることが出来るのだが。……今、あんな人間から来ている手紙を見たのは、冷酷で皮肉と思われる運命の神がその実深切に、自分に誡告《かいこく》してくれたのかも知れぬ。……それにしても、運命はあまりに皮肉で悪戯《いたずら》なことをする」と、私は気ちがいになった、憐《あわ》れな彼女を愛しようとしても、皮肉な悪戯な悪魔がいて、愛することを妨げられているような、何ともいえない辛《つら》い思いに胸を拉《ひし》がれながら、やっと終い際《ぎわ》の電車に乗って、上京《かみぎょう》の方の宿に戻って来た。
 その夜はほとんど微睡もせずに苦しみのうちに明かして、翌日《あくるひ》は幸い気候も暖かであったので、ゆうべ一と夜寝ずにああこうと考えていた順序に従って、朝飯の箸《はし》を置くとそのまま出て往き、どこよりも先ず祇園町の裏つづきの、例の、女が先にいた家にいって、階下《した》の家主の老婦人のもとを訪《たず》ねてみたが、今朝《けさ》は宅にいるはずだと思っていたのに、昨夜《ゆうべ》のとおりにやっぱり門に錠がおりている。しかたなく路次の入口の店屋で訊《き》くと、
「お婆さんは、上京の方の親類とかに病人があるとかいうて、一週間ほど帰らんいうてお往きやして、そうどんなあ、それがもう二、三日前のことどす」といってくれる。
 私は、そこに突っ立ちながら、「二、三日前」それなら何という残念なことをしたろう。田舎《いなか》から京都に戻ったあの翌日《あくるひ》高雄へ紅葉を見に行かずに、ここへ来たら、何とか女の様子も分ったろうに、と、思ったがしかたがない。それにもうここには三月も前からいなくなっているのだから、家主のお婆さんがいたとて委しいことは分らないかも知れぬ。昨夜松井の内のお繁婆さんの話の端に、叔父さんというのは、油の小路とか三条とか言っていた。それに、ずっと以前に女から一人の叔父は油の小路とかで悉皆屋《しっかいや》とか糊屋《のりや》とかをしていると聞いていたように思う。母親が上京の方の親類に同居して厄介《やっかい》になっているといったのも、そこかも知れぬ。姓も彼女の姓とは異《ちが》っている、名も知らないが、もし神という者がこの私の真心を知ってくれるならば何とかしたら分るすべもないこともあるまい。これから油の小路に往って、悉皆屋と糊屋とを一軒一軒|探《たず》ねて歩いてみよう。そう決心して、それからすぐ油の小路に廻っていった。そして三条四条を中心にして、その上下を幾回となく往きつ戻りつして一々両側を歩いてみたが、もとより雲を掴《つか》むような話で、悉皆屋と糊屋とは幾らもあるが、手がかりのあろうはずもない。そしてほとんど半日以上も一つのところをお百度を踏むようにして、ついに歩き疲れて屈託しながらひとまず宿まで引き揚げて来た。
 そのまた翌日、むやみに探ね歩いてもしかたがない、何とか好い思案はあるまいかと一日外へ出ずに考えていたが、暮れ方になって、やっぱりあの先にいた路次の中の家主のところに行ってみるのがいいように思われるので、一日内にとじ籠《こ》もっているよりもと思って出かけていったが、一週間ほど不在《るす》といいおいていって、まだ三、四日にしかならぬのであるから、老婦人はまだ帰っていない。相変らず門の扉《とびら》にはさびしく錠がおろしてある。するとその路次の中に立っていると、そこへ路次の入口の米屋の女房が共用水道の水を汲《く》みに出てきたので、そのおかみは東京者で、一度も口をきいたことはなかったが、夏の初め以来、顔だけ見知っていたので、もちろん先きでは、これが、あそこの二階にいる女の旦那と思って、こちらよりも一層注意して見ていたかも知れぬ。それで、そのおかみに、
「ここのお婆さんはお留守でしょうか」と、昨日《きのう》も出口の店屋で訊いているので無駄だと知りつつも、そう言って訊《たず》ねると、おかみは、バケツを提《さ》げたまま、
「あの、あそこの二階にいたお婆さんですか」と、門の外から女のいた二階の方を指さしながら、訊き返した。それで私は腹の中で、階下《した》のお婆さんのことを訊ねたのだが、それを訊くのも、やっぱり階上《うえ》にいた女の母親のことを訊ねようとてであるから、これは、うまい具合だと思って、
「ええそうです」と、いうと、
「あのお婆さんは、つい五、六日前に、すぐそこの、安井の金比羅《こんぴら》様のあちら側にお越しになりました」という。
 私は、心の中で肯《うなず》いて、それじゃ、八月の末にここの所帯を畳んでしまって母親もいなくなったと言ったのは、皆なこしらえごとであったかと、合点《がてん》しながら、さあらぬ風に、
「ああそうですか。五、六日前に変りましたか」
「ええ、ついこの間です。たくさんに荷物を持って。お婆さん、私にも挨拶をして下すって、今までは二階借りをしていましたけれど、今度は自分で一軒借りました。気兼ねがなくなりましたから、どうぞ遊びに来て下さいというて行かれましたけれど、私もわざわざ行く用もありませんから、まだ往っては見ませんが、なんでもすぐそこの横町の通りからちょっと入った、やっぱり路次の中だそうです」
 私は、はっと胸を刺すように思い当って、自分でも、顔から血の気が一時に失せたかと思った。今までは二階借りであったけれど、今度は一軒借りきりで、気兼ねがない。たとい病気というに※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]はないにしても、背後《うしろ》に誰か金を出す者が付いているに定《きま》っている。……心の中ではそんなことが鶯梭《おうさ》のごとく往来する。それをじっと堪《こら》えて、
「はあ、一軒借りて。……」と、私は思わずその一事に満身の猜察力《さいさつりょく》を集中しながら、独《ひと》り言のようにいっていると、委しいわけを知らぬおかみは、多分夏の初めそこに私の姿を時々見ていた以来、私たちの関係に変りのないことと思ったのであろう。
「もしおいでになるなら、あそこの俥屋《くるまや》でお訊きになると、すぐ分ります。あそこの俥屋が荷物を運んでゆきましたから、よく知っています」
と、深切に教えてくれたので、私は幾度も礼を繰り返しながら、路次を出て、横町の廻り角の俥屋にいって訊ねると、俥屋の女房がいて、自分は行かないが、そこをどう行って、こういってと、委しく教えてくれた。きけば、なるほどすぐ近いところである。
 私は、心に勇みがついて、その足ですぐ金毘羅様の境内を北から南に突き抜けて、絵馬堂に沿うたそこの横町を、少し往ってさらに石畳みにした小綺麗な路次の中に入って行ってみると、俥屋の女房は小さい家だと教えたが、三、四軒並んだ二階建ての家のほかには、なるほど三軒つづきの、小さい平家があるけれど、入口の名札に藤村という女の姓も名も出ていない。それでまた引き返してもう一度俥屋にいってもっと委しく訊くと、その三軒の平家の中央《まんなか》の家がそれだという。
「ああ、そうですか?」と、いって、俥屋の女房には、逆らわずそのまままたもとの路次の方に引き返したが、今の先き見たところでは、その中央の家には、なるほど、まだ白木のままの真新しい名札が出ていたが、それには飯田とのみ誌《しる》してあった。私は不審さに小頸を傾《かし》げながら、もう一度路次に入って来てその飯田という名札の掲っている中央の家の前に立って、しばらく考えていた。
 ああ読めた! 飯田というのは旦那の姓であろう、こうして、この旦那は、可哀《かわい》そうな私とは正反対に好きな女をうまうまと自分の持物にしおおせて、この新しい表札を打ったのであろう、と、向うの、その嬉《うれ》しい気の内を想像するだけ、自分は恐ろしい修羅《しゅら》に身を燃やしながら、もう生命《いのち》がけであくまでも自分の悪運に突撃してゆこうとする涙ぐむような意地になって来た。三尺をまた半分にした、ようよう体《からだ》のはいられるだけの小さい潜戸《くぐり》は、まだ日も暮れぬのに、緊《かた》く閉《し》めきって、留守かと思うほどひっそりしている。
「もしもし、御免なさい」二、三度声をかけると、やがて、内から、
「どなたはんどす?」という声がする。たしかに母親の声である。じゃ、この家がそれにちがいなかったと思いながら、
「私です、わたしです」と自分の名をいうと、母親はそうっと、五、六寸潜戸を開《あ》けて、内から胡散《うさん》そうに外を窺《のぞ》いて見たが、そこには私が突っ立っているので、
「ああ、あんたはんどすか」と、気まずい顔をしていいながら、がらりと潜戸を開けて外に出るや否や身体《からだ》で入口に立ち塞《ふさ》がるような恰好《かっこう》をして、後手にぴしゃりと潜戸を閉めてしまった。
 そして五歩六歩入口を遠ざかりながら、
「あんたはん、私がここに来ているのがよう分りました。どなたにお訊きやした?……ここは人さんのお家どすよって。私ちょっと雇われて来ていますのどす」というようなことを、弁解がましくいいつつ、なるたけ私を家の前から遠ざけるように、路次を出ようとする。
 私は、つい一と月ばかり前時々会っていた時と打って変ったようなその、あまりによそよそしい様子に、そうなくてさえ失望のあまり、ひどく弱くなっている心を押し潰《つぶ》されたような心地がしたが、努めて気を励ましながら、
「お母はん、お園さんが飛んでもない病気になったというじゃありませんか」と、まるで泣きかかるような調子で言葉をかけた。
 すると母親ももう鼻声になって、
「私、あの娘《こ》にあんな病気しられて、もう、どないしょうかと思うてます。同じ病気かで、糞尿《ばばしい》の世話をするくらいどしたら、わたし何ぼか嬉しいか知れしまへん。あの娘の病気の世話やったら、どないに私骨が折れたかて、ちょっとも厭《いと》やしまへん。私もあの娘と一緒に死んだかて本望どすけど、あんたはん、何の因果であんな病気になりましたか思うて私、もうここ半月ほどの間というもの、夜もろくに寝られやしまへんのどす。ちょっと油断してる間にどんなことをするか知れまへんよって」母親は悲しい声で立てつづけに泣きごとをいう。そういう顔をよく見ると、なるほど娘の病気に心痛すると思われて、顔に血の気は失せて真青である。
 私は一々うなずきながら、一昨日《おととい》の夜から、病気ということをはじめて聞いて、居処が知れないためにほとんど京都中を探《さが》して歩いていたことを怨《うら》みまじりに話して、
「そして、今少しは良い方なのですか、どんなです? 私も一遍様子を見たいです」と、いうと、母親は、それを遮《さえぎ》るような口吻《こうふん》で、
「今もう誰にも会わしてならんとお医者さんがいわはりますので、どなたにも会わせんようにしています。仲の好い友達が気の毒がって、見舞いに行きたいいうてくりゃはりますのでも、みんな断りいうてるくらいどすよって。あの病気は薬も何もいらんさかい、ただじっと静かにしてさえおけばええのやそうにおす。この二、三日やっとすこし落ち着いて来たとこどす」
「ああそうですか。何にしても心配です。……そして、今ひとりで静かに寝ていますか」私は、どうかして、よそながらにでも、そうっと様子を見たそうにいうと、母親は、また一生懸命に捲《まく》し立てるような調子で、
「ほて、今、京都におらしまへんのどす」
「えッ、あそこに寝ているんじゃないんですか。そして、どこにいるんです?」
「違います。あそこは、あんたはん、よその金持ちのお婆さんがひとりで隠居しておいでやすところどす。もうお年寄りのことどすさかい、この間からえらい病気でむつかしい言うて息子はんたち心配してはりますところへ、知った人さんから頼まれて私が付添いに来てますのどす。そしてあの娘は遠いところの親類に預けてしまいました」母親がおろおろ声で誠しやかにそういうので、私は心の中で、道理で、取ってもつかぬ飯田という表札が出ているのである。そして、そんな精神に異状のある、たった一人きりの娘の傍に付き添うていないで、他人の年寄りの病人に付き添うているのを不思議に思いながら、
「遠い親類に預けた!……あんた、そしてまたなぜ傍に付いて介抱してやらないのです?」
「あんたはん、私が傍について介抱してやりとうても、あの娘《こ》がそんな病気で、たんとお金《かね》がかかりますよって、私が人さんの家へ雇われていてでも少しくらいのお金を儲《もう》けんことにはどもならしまへんがな」母親は泣くようにいう。
 私はつくづくと彼ら母子《おやこ》の者の世にも薄命の者であることを思いながら、眉《まゆ》を顰《ひそ》めるようにして、
「あんた、銭《かね》を儲けなければならないなんて、それは何とか出来るじゃありませんか。あんたただ一人きりの大切な娘がそんな一通りならぬ病気をしているのに、傍に付いていて介抱してやらないということがありますか」と小言をいうようにいうと、母親は、少し顔を和らげて、
「ええ、私も付いていてやりたいは山々どすけど、今いうとおり、医者に見せることもいらん、薬も飲まないでもええ、ただ静かにしておりさえすりゃ好えのやそうにおすさかい、親類のおかみさんが、お母はん、もうちょっとも心配することはない、確かに癒してあげますよって、安心しといでやすいうてくりゃはりますので、そこへ委《まか》せてあります」
「遠い親類て、どこです?」
 そういって訊ねても、母親ははっきりどこということをいわずに、ただ、
「ずっと遠いところどす。田舎の方どす」という。
「田舎て、どこの田舎です? お母はん、あなたにも、あんなにいうておったじゃありませんか、私と一処に家を持って、お園さんが廃《や》めるまで待っていましょうって。そんな病気をなぜ私に知らしてくれなかったのです」
 私が、怨言《うらみごと》まじりに心配して訊くので、母親も返事を否むわけにも行かず、折々考えるようにしながら、「あんたはんにも一遍相談したい思いましたけど、そうしておられしまへんがな。そんな病気どすよって。田舎というのは京から二、三里離れたお百姓の家どす。私の弟の家どすさかい、そこの嫁はんが、ほん深切にしてくりゃはりますよって」
「二、三里の田舎じゃ、あんまり遠い家でもありません」
「私も、二、三日前にちょっと行って来たきり、こちらの御隠居さんが病院に入ろうかどうしようかいうてはりますくらいで、少しも手が引けませんよって、一遍あとの様子を見に行かんならん思うてもまだ、あんたはん、よう往かれまへんがな。私も、あんたはんがおいでやしたんで、今家を黙って出て来ましたよって、早う去《い》なんと、年寄りの病人さんが、用事があるといけまへんさかい……」
 母親は鼻声で、あっちもこっちも心のせくように言う。私は一層同情に堪えない心持で、
「いくら、あんた、親類に預けて安心だといって、一人の親が一人の娘の病気の世話をしないで、よその他人の介抱に雇われているということがあるものですか。まあ、今ここで委《くわ》しい話も出来ませんから、何とか繰り合わして暇ができたら、お母はん一遍今度の私の宿まで来て下さい。そして、もっとくわしい病気の様子も訊きたいし、いろいろな御相談もしましょう」
 そういって、宿の名とところとをくわしく教えると、母親は少し考えるようにして、明日はちょっと都合が悪くてゆけないから明後日《あさって》はきっと訪ねて行きますという。その約束を堅めて、
「あんたはんもまた風邪ひかんように早う往んでお休みやす」
「お母はんもあまり心配せんと。そのうえ自分がまた患《わずら》ったら困りますよ」
 挨拶《あいさつ》を交わして、そのままそこで立ち別れた。日はもうとっぷり暮れて、寒い寒い乾《かわ》いた夕風が薄暗《うすやみ》の中を音もなく吹いていた。

     

 母親の居処が知れて、まず一と安心したものの、路次の出口の女房のはなしでは、つい五、六日前に先の二階借りのところから引き移って行ったという。それを母子の者はなぜ私に対して隠していたか、考えて見ると水くさいしうちである。それにさっき飯田と表札を打った家の潜り戸を開けて母親が中から出て来ながら、ちょうどこちらが押し入ってゆこうとするのを先廻りをして入れまいとでもするような様子をしたのが疑ってみればみるほど変である。まあ、しかし、そんなことをあくどく根問《ねど》いせぬ方が美しくっていい、委細は明後日宿へ訪ねて来た時に、よくわかるように、なんどりと話してみよう、と、それからそれへと、疑ってみたり、また思いなおして安心してみたりしながら宿へ帰って来た。
 それから中一日置いて、約束の明後日になって、今に来るかくるかと一日どこへも出ず晩まで待っていたけれど母親は訪ねて来ないので、とうとう待ちあぐねて、日暮れ方にまたこちらからそこまで出かけて往ってみた。と、一昨日《おととい》見た飯田と誌した表札は取りはずしてしまって、相変らず潜戸は寂然《しいん》と閉まっている。ややしばらくそのままそこに佇《たたず》んで思案をしていると、すぐ左隣りの二十七、八のおかみさんが、入口から顔を出して、
「お隣りはもうお留守どっせ」という。
「ああそうですか。もうお留守て、誰もいないのですか」と重ねて訊くと、
「ええ、私、どやよう知りませんけど、何でも病人さんが、えらい悪うて入院してはりますとかいうて、お婆さんも昨日付いて行かはりまして、今どなたもいやはりゃしまへん。何や知らん、お婆さんこの二、三日えらい忙しそうにいうてはりました」という。
 私は、何だか狐《きつね》につままれたようで、茫然《ぼうぜん》としていたが、そういえば、母親が一昨日話していた隠居のお婆さんが入院したというのかも知れぬと思いながら、なおそこを立ち去りかねて、一、二度表から潜り戸を引っ張ってみたり、※[#「木+靈」、第3水準1-86-29]子窓《れんじまど》の磨《す》り硝子《ガラス》の障子の隙《すき》から家の中を窺いてみようとしたけれど、隣家《となり》の女房が見ているので、押してそうすることもならず、そのまま引き返して路次を出て来た。そして群疑《ぐんぎ》はまた雲のごとく湧《わ》き上った。けれども、母親のいったように付き添うている隠居の婆さんと、自分の娘と二人の病人を持っているのが真実ならば、急《せわ》しい道理である。今日は私を訪ねるという約束が一日二日延びても無理はないと、また思い直して、悄然《しょうぜん》として宿の方に戻ってきた。
 その翌日《あくるひ》、たしかに当てにはならぬが、もしか今日は来はせぬかと、また一日外へ出ぬようにして心待ちに待ちながら、不安と疑いとに悩まされて欝《ふさ》ぎ込んでいると、二、三時ごろになって、宿の者が、お年寄りの御婦人の方がお見えになりましたと知らして来たので、とうとう来たなと、すぐ通してくれるようにいって待っていると、表の方から、長い廊下を伝うて部屋に入って来たのは、母親のほかに今一人、かつて見も知らぬ、人相がはなはだ好くない五十余りの、背のひょろ高い、痩《や》せぎすの男である。見ると蒼白《あおじろ》い顔色に薄い痘痕《あばた》がある。
 私はその男の様子を見ると同時に、はっとした感じが頭に閃《ひらめ》いた。それで、じっと心を落ち着けて、態度を崩《くず》さぬようにしながら、平らやかな顔をしてわざと丁寧に一応の挨拶を交わしてみると、その男は懐中から一枚の名刺を取り出して私の前に差し出しながら、
「私はこういう者です」という。
「ああそうですか」といいつつ、それを手に取り上げて読んでみると、「京都市何々法律事務所事務員小村|何某《なにがし》」と仰山に書いている。私は、
「ああそうですか」と重ねてうなずいて見せたがこんな男が二人や三人組んで来たくらいで、びくともするのじゃないが、それにしても一昨々日《さきおととい》の晩、母親と立ち話をして別れた時にも、自分はどこまでも人情ずくで、真実|母子《おやこ》二人の者の身を哀れに思ったのであった。そして、哀れに思えばこそ一人|愛《いと》しんで長い間尽していたのである。それゆえたとい精神に異状を来たしていようが気狂《きちが》いであろうが、あんな繊美《うつく》しい女が狂人になっているとすれば、そんな病人になったからといって、今さら棄《す》てるどころか、一層|可愛《かわい》い。いかなる困難を排しても女を自分の手中の物にして、病気をも癒《なお》してやらねばならぬと思っているのに、もし、自分のこの体《てい》たらくを見知っている者があって、自分を痴愚とも酔狂ともいわば言え、自分ながら感心するほどの真実を傾け尽して女のことを思っているのに、こんな男を同伴して来る母親の心が怨めしい。なぜ自分のこの胸の内が母親には分らぬのであろう。自分一人で来て打ち融《と》けた談合をしようとせずに、訊くまでもなくもう底意《そこい》は明らかに見えている。その母親の心が、もうすっかり私と絶縁しているということが、惨《みじ》めに私の胸に打撃を与えた。
 それを思いながら、私は黙り込んでいると、その男は、
「僕は、この藤村の親類の者に依頼せられて今日来たのだが、君がこの藤村の娘を大変脅迫したために、精神に異状を来たしたといって、ひどく立腹をしている。それで、君がどうしても女が欲《ほ》しいなら、銭《かね》を五百何十円出してもらわねばならん」と、横柄な調子でいう。
 私は、それを聴《き》くと、もう、むらむらとなった。そして、腹の中で、「何を吐《ぬ》かしやがる。盗人《ぬすっと》猛々《たけだけ》しいとは、その言い分である」と、思ったが、それはじっと抑《おさ》えて口には出さず、
「はあ、私が藤村の娘を脅迫したために精神に異状を来たしたというのですか。……なお、女が欲しいようなら、銭を五百何十円出せ? 私にはよく合点がゆかぬ」と、言葉は、なるべく静かにしながら、きっとなって問い返した。
 するとその男は、
「自分はただ頼まれたので、委しいわけは知らんが、君が当人をひどく嚇《おど》かしたのが原因で気が狂ったそうじゃないか。そのために親類一同の者が大変君を怨んでいる」と、頭から押《お》っ被《かぶ》せようとする。
 それを聴いて私は、あまりの腹立たしさに顔が痙攣《けいれん》するかと思うほど硬《かた》くなったのを、強《し》いて笑いながら、
「戯談《じょうだん》をいっている!」と、語気を強めて吐き出すように言った。「なるほど今年の一月以来、……それまで、もう何年という長い年月の間私の方からさんざん尽して心配していることが、いつまで経《た》っても少しも埒《らち》があかぬので、一体どうなっているかと、随分|厳《きび》しいことを、手紙でいってよこしたことはたびたびあります。しかし、それは私としては当然のことで、もちろん、あんな商売をしている女に山ほど銭を入れ揚げたって、それは入れ揚げる方が愚ではあるが、たとい幾ら泥水稼業《どろみずかぎょう》の女にしても、ただむやみに男を騙《だま》して金を捲《ま》き上げさえすればいいというわけのものでもありますまい。私がこの藤村の娘に対してしたことを最初からずっとお話をするとこうなのです。まあ聴いて下さい」
と、いって、対手が妙に生齧《なまかじ》りの法律口調で話しかけるのを、こちらは、わざと捌《さば》けた伝法《でんぽう》な口の利《き》きようになって、四、五年前からの女との経緯《いきさつ》を、その男には、口を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《さ》し入れる隙もないくらいに、二時間ばかり、まるで小説の筋でも話して聴かすように、ところどころ惚気《のろけ》まで交えて、立てつづけに話してきかせた。私の顔は熱して、頬《ほお》には紅《くれない》が潮《さ》してきた。
 するとその男は、だんだん私の話に釣《つ》り込まれてしまい、初めの変に四角張っていた様子はいつか次第に打ち融けて、私の話が惚気ばなしのようになって来ると、たまらず、噴《ふ》き出しながら、
「君は女に甘い。君は下手《へた》だ。そんな君、女にただ遠方から金を送るということがあるものか。そういう時には君が自分で金を持って京都に来て、さあ、金はここに用意してある。廃めて自分の方に来るかどうするかと向うの腹を確かめて、こっちのいうことを聴くなら、金を出してやろうという調子で行かにゃ駄目《だめ》じゃ」と意見するようにいって、笑っている。
 私はまた、半ばはわざとそうして見せるところもあったが、男が笑っているのを見て、むっとなり、あくまでも真剣な調子で、
「いや、笑いごとじゃありません。また惚気を言うつもりでもありません。他人から見れば馬鹿と見えるくらい、およそそれほどまでに、私は、相手を信じきって尽して来たことをお話するのです。惚気を聴かすようですが、それも私たちの間がそれほどまでに打ち融けておったことを説明しているのです。それにもかかわらず、……」と、なお後を継ごうとすると、その男は、一層笑い出して、
「いや、君は馬鹿だ。はははは君、出ている女は君、君一人だけが客じゃない、ほかにも多勢そんな男があるもの……」と笑い消してしまう。
 母親も傍から口を出して、
「世話になった人はあんたはんばかりやおへん。まだまだもっと他に、いうに言えんお世話になったお人がありますのどす」と、その男にも聴いてくれというようにいう。
「うむ、そりゃそうやろとも」男はもっともというようにうなずいている。
 私は、それを不快に思いながら聴いていたが、
「そりゃ、私のほかに、もっと世話になっていた男があるかも知れない。何も自分一人が色男のつもりでいたわけじゃないが、自分もこの年になって、女に引っ掛かったのは、これが初めてじゃない。随分女の苦労は東京にいてたびたびして来ているんだ。しかし今度のような御念の入った騙され方をしたのは初めてだ。それに何ぞや、私が嚇かしたために気が狂ったなぞと、聞いて呆《あき》れる。それどころじゃない、私の方であの女のことを思いつめて患わぬが不思議なくらいに自分でも、思っているのです。私が嚇かしたためにそんな病気になったという苦情があるなら私の方で悦《よろこ》んで引き取って癒してやりましょう。しかし、さっきのお話で銭を五百円出せというのはどういうわけです?」
 きっぱり、そういうと、その男はまたうなずいて、妙な東京弁を交えながら、
「うむ、そりゃ君の心持も私にはようわかっている。だから、病気になったことについては、情状を酌量《しゃくりょう》して、どうしてくれとは言わぬから、女のことは諦《あきら》めてもらいたい。それでも、どうしても君の方へ連れて来たいというなら、五百五十円か、それだけの金を君の方から出してもらわねばならん。その金が出来るか」
 人を馬鹿扱いにして宥《なだ》めるような、また足もとを見透かして軽蔑《けいべつ》したようなことをいう。私は、情状を酌量するもあったものではないと心の中でその浅薄な言い草を腹を立てるよりも笑いながら、
「へえ、五百何十円! それはどうした金です?」と訊き返しながら、今までさんざん人を騙して、金を搾《しぼ》れるだけ絞っておきながら――もっとも本人は何にも知らずにいるのかも知れぬが――どこまで虫の好いことを言うと思った。
 すると、母親はまた興奮した顔で傍から口を出して、
「その金はどうした金て、あんたはん、まだ松井さんにあの娘《こ》の借金がおすがな。あんたはんも私のところにおいやした時に、何度もあの娘に訊いておいやしたやおへんか、まだたんとの借金おした。その金を返さんことには、あんたはん松井さんかて、あの娘を廃めさしてくりゃはりゃしまへんがな」真顔でいう。
「その借金を五百五十円今度親類から出してもらったのだ」傍の男が後を受け取って言う。
 私には、どうも、はっきり腑《ふ》に落ちぬ。
「へえ?……しかし、この間私が松井へ行って、お繁さんに会って訊いた時には、そんなに借金はもうなさそうな口ぶりであったが」
「あの人何も知らはりゃしまへん。ないどころか、まだ仰山あって、あの娘はそんな病気になる……親一人、子ひとりの私の身になったら、あんたはん、泣くに泣かりゃしまへんがな。それで南山城《みなみやましろ》の旧《ふる》い親類に頼んで、証文書いて、それだけの金を今度貸してもろうたのどす」母親は、傍の男にも訴え顔にいう。
 私は、黙ってそれを聴いていたが、なるほど彼女たちの先祖はもと府下の南山城の大河原《おおかわら》というところであったとは、自分が女を知って間もない時分から聞いていることであった。その大河原というのは関西線の木津川の渓流《けいりゅう》に臨んだ、山間の一駅で、その辺の山水は私のつとに最も好んでいるところで、自分の愛する女の先祖の地が、あんな景色の好いところであるかと思うと、一層その辺の風景が懐《なつ》かしい物に思われていたのであった。そして女の祖父に当る人間が、彼女の父親の弟分にして、も一人他人の子を養子にしていたが、祖父が死に、今からざっと三十年も前に父親が一家を挙《あ》げて京都に移って来る時分に、所有していた山林田畑をその義弟の保管に任しておくと、彼はその財産を全部|失《な》くしてしまい、自分は伊賀の上野在の農家に養子に行って、なお存命である。ほかに兄弟とてなかった父方の親類といえば言われるのはそこきりで、血こそ繋《つな》がっていないが今でも親類づき合いをしているのであった。……それだけのことはたびたび母子の者から聴かされて自分も知っているが、その他に南山城に、不断親しい往来をしないでいて、突然金を貸してくれるようたところがありそうに思えぬ。
「へえ?……そんな親類があるのですか。伊賀の上野にはあると、あなた方から私もかねて聞いていたが」と、私が訝《いぶか》しそうにいうと、母親は、引ったくるような調子で、
「あんたはん、そんな委しいこと知らはりゃしまへん。そんな親類ありますがな」という。
「へえ? 何という親類です? やっぱり大河原の?」と重ねて訊くと、傍の男は、またそれを受け取って、
「自分で、藤村の親類で、やっぱり藤村利平という者だというとった。その人間がわざわざ私のところに来て依頼して帰った」
「あんたはん、あんな遠いところからそのことで出て来てくれたのどす」二人は調子の合ったことをいっている。
 私も、心の中で、ああいうのだから、そんな親類があるのかも知れぬと思った。
「じゃ、私がその藤村利平という人に一応会って話しましょう」
「いや、もうこの間ちょっと来て、すぐ帰ってしもうた」といってしまう。
 ついに、どちらのいい分も要領を得ずにそんな取り留めのない話になったが、私の心は、どうあっても女を思い絶たない、女に会わなければ承知しないが腹一ぱいで、たといこの天地が摧《くじ》けるとも女を見なければ気が済まぬのである。それで、とうとう三、四時間も話し込んでいる内に暗くなってしまったので、その男は、忙しいといって立ちそうにするのを、私はどこまでも一度女に会って、差向いで納得するような話をしなければ何といってもこのままに済ますわけにはゆかぬといい張った。
 すると、母親もその男も遅《おそ》くなって心が急《せ》くのと両方で、
「そやから、病気さえ良うなったら、あんたはんにも会わせますいうてるやおまへんか」
「きっと会わせますな」
ということにして、二人は帰った。

     

 この間母親と一緒に来た小村という男が、十日か十五日経ったら会わせましょうと受け合ったので、自分もそれで幾らか安心して、なるべく他のことに気をまぎらすように努めながら、その十日間の早く経つのを待っていた。そして約束の十日が過ぎると、もうそのことばかりが考えられて心が急くので、宿からあまり遠くないところと聞いていた、その小村の家を訪ねて往って、この間母親と一緒に来た時に聴き残した、もっと委しいことをあれこれと訊ねてみた。そして、金を出したのはやっぱり南山城の大河原|字《あざ》童仙房《どうせんぼう》というところの藤村利平という人間であって、その人間が、自分の事務に携わっている室町竹屋町の法律事務所にわざわざ訪ねて来て、親戚《しんせき》関係の藤村の娘のことを依頼していったのである。大河原の童仙房というところにそういう人間があるかどうか、自分は委しいことは知らぬが、事務所の方には四、五年前に他の事件を依頼して来たことがあるので、今度はその縁故で来たのである、という。
 私は、それを、この間はじめて聞いた時から幾度となく疑ってみた。そんな親類があって、こんどそれだけの金を出してくれるくらいならば、そもそもあんな卑しい境涯《きょうがい》に身を沈めない前に泣きついて行くはずである。けれども、そういう親類があるというから、あるいはそうかも知れぬ。そして、
「もう、あれからしばらく経ったから、病気も大分良くなったでしょう。私自分で一遍往って様子を見て来たいと思うんですが」というと、小村は口をきくよりも先きに頭振《かぶ》りをふって、
「いやいやまだなかなかそんなどころでない。母親の話ではどうも良くないらしい」という。
「とにかく、それでは私が自分で往ってみましょう」といって、女の静養しているという山科《やましな》の方の在所へ往く道順や向うのところを委しく訊ねると、小村は、君が独《ひと》りで往ったのではとても分らない、ひどく分りにくいところだといっていたが、それでも強いてこちらが訊くので、山科は字小山というところで、大津ゆき電車の毘沙門《びしゃもん》前という停留場で降りて、五、六町いった百姓家だという。姓はときくと、さあ姓は、自分も一度母親に連れられて一度行ったきりでつい気がつかなかったが、やっぱり藤村といったかも知れぬという。
 まるで雲を掴《つか》むような当てのないことであるが、私はそれから小村方を出て、寒い空に風の吹く砂塵《さじん》の道を一心になって、女に食べさすために口馴染《くちなじ》みの祇園のいづ宇の寿司《すし》などをわざわざ買いととのえて三条から大津行きの電車に乗った。小村のいった毘沙門前の停留場というのは、大津街道の追分からすこし行くとすぐなので、そこで電車を降りて、踏切番をしている女に小山というところへ行くのはどう往ったらよいかと訊ねると、女は合点のいかぬように、
「小山はここから五、六町やききまへんなあ。あこに見えるのが小山どすよって、一里もっとおすやろ」といって指さす方を見ると、田圃《たんぼ》の向うの逢阪山《おうさかやま》の峰つづきにあたる高い山の麓《ふもと》の方に冬の日を浴びて人家の散らばっている村里がある。私は、あそこまでは大変だと思いながら、
「そうですか、毘沙門前の停留場を降りてすぐ五、六町ときいたのですが」と、私は繰り返して独《ひと》り言を言ってみたが、踏切りの番の女は、ただ、
「ちがいますやろ」
とばかりでしかたがない。そして、自分ながら阿呆《あほう》な訊ねようだと思ったが、もし京都からかくかくの風体《ふうてい》の者で病気の静養に来ている者がこの辺の農家に見当らないであろうかと問うてみたが、それもやっぱり、
「さあ、気がつきまへんなあ」で、どうすることも出来ない。
 しかたがないから、私はそこから大津街道の往来の方に出て、京都から携えてきた寿司の折詰と水菓子の籠《かご》とを持ち扱いながら、雲を掴むようなことを言っては、折々立ち止まって、そこらの人間に心当りをいって問い問い元気を出して向うの山裾《やますそ》の小山の字《あざ》まで探ねて往った。十二月の初旬のころでところどころ薄陽《うすび》の射《さ》している陰気な空から、ちらりちらり雪花《ゆき》が落ちて来た。それでも私は両手に重い物を下げているので、じっとり肌《はだ》に汗をかきながら道を急いで、寂れた街道を通りぬけて、茶圃《ちゃばたけ》の間を横切ったり、藪垣《やぶがき》の脇《わき》を通ったりして、遠くから見えていた、山裾の小山の部落まで来て、そこから中の人家について訊ねたが、そういう心当りはどこにもなかった。それでもなお諦めないで、そこからまた引き返して、ほとんど、山科の部落という部落を、ちらちら粉雪《こゆき》の降っているにもかかわらず私は身体中汗になって、脚《あし》が棒のようになるまで探ね廻ったが、もとより住所番地姓名を明細に知っているわけでもないので、ついにどこにもそんな心当りはなく、在所の村々が暗くなりかけたからしかたなく、断念して、失望しながら帰路についた。
 あとで小村という男に会ってそのことを話すと、彼は「一人往ったのでは、とても分らん」といっていたが、母親が近いうちにまたその話で来ることになっているから来てくれというので、少しは好い話をするかと思って、楽しんでその日に往くと、母親の調子はこの前会った時より一層険悪になって、こちらが、女に未練があるので、どこまでも下手に優しくして物をいうと、彼女は、理詰めになって来ると、しまいには私に向ってさんざんぱら悪態を吐《つ》いた。
 そして、山科に娘を預けたというのは、※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]《うそ》であろうというと、もう、そんなところにいるものか、遠くの親類が引き取ったとか、またこういえば、私が東京へ帰って行くとでも思ったか、世話をする人が家内にするといって東京へ連れて行ったなどといろんなことをいっていた。たしかに南山城に行っているとも思えないが、母親が、いつもよくいうとおりだとすれば、あるいはそうかも知れぬ。あの女が、自分の索《さぐ》り求めえられる世界から外へ身を隠した、もう、とてもどうしても会うことも見ることも出来ぬと思えば、自分は生きている心地《ここち》はせぬ。そんな思いをして毎日じっとして欝《ふさ》いでばかりいるよりは、当てのないことでも、往って探《さが》してみる方がいくらか気を慰めると思って、私は、十二月のもう二十九日という日に、わざわざそちらの方へ出かけていった。木津で、名古屋行きに汽車を乗り換えると、車内は何となく年末らしい気分のする旅行者が多勢乗っている。一体木津川の渓谷《けいこく》に沿うた、そこら辺の汽車からの眺望《ちょうぼう》はつとに私の好きなところなので、私は、人に話すことは出来ないが、しかし、自分の生きているほとんど唯一の事情の縺《もつ》れから、堪えがたい憂いを胸に包みながら、それらの旅客に交って腰を掛けながら、せめても自分の好める窓外の冬景色に眼を慰めていた。車室がスチームに暖められているせいか、冬枯れた窓外の山も野も見るから暖かそうな静かな冬の陽に浴して、渓流に臨んだ雑木林の山には茜色《あかねいろ》の日影が澱《よど》んで、美しく澄んだ空の表にその山の姿が、はっきり浮いている。間もなく志す大河原駅に来て私は下車した。
 かねて南山城は大河原村の字童仙房というところの親類に引き取られていると聞いていたので、大河原の駅に下車すると、そこから村里まで歩いて、村役場について、まず親類という人間の姓名をいって、戸籍簿を調べてもらったが、村役人は、「そんな名前の人は心当りがありませんが」といって、帳簿を私に見せてくれた。そして、童仙房というところは、この大河原村の内であっても、ここから車馬も通わぬ険悪な山路《やまみち》を二、三里も奥へ入って行かねばならぬという。そんな遠い山路を入っていっても童仙房というところにそんな人間がないならば無益なことである。
 そして、そんな姓名はこの大河原村にはない。それと同じ姓は、この隣村の何がし村の聞き違えではないか、その村には藤村という姓が多いという。しかしその村もやっぱり鷲峰山《しゅほうざん》という高い山の麓になっているので、そこまで入って行くには、どちらからいっても困難であるが、まだここから行くよりも、ここから三つめの停車場の加茂から入って行った方がいいが、それでも五、六里の道である。そちらからならば俥《くるま》が通うかも知れぬといって教えてくれた。
 大河原ということは、今度の場合に限らずこれまでもたびたび母親の口から聞いているので、そんな人間が実存するなら大河原にちがいはなかろうと思ったが、あの連中の言うことには、どんな虚構があるかも知れぬ。もしや、その隣村ではあるまいかと思案して、ここまで乗りかかったついでに、どこまでも追究せずにはいられない気がするので、私はそこまで探ね入って行く決心をした。南山城の相楽《さがら》郡といえばほとんど山ばかりの村である。そこに峙《そばだ》っている鷲峰山は標高はようやく三千尺に過ぎないが、巉岩《ざんがん》絶壁をもって削り立っているので、昔、役《えん》の小角《おづぬ》が開創したといわれている近畿《きんき》の霊場の一つである。その麓を繞《めぐ》って、ほとんど外界と交通を絶ったような別天地が開けているのである。
 私はこの寒空にそこまで入って行くことの容易ならぬことを思って、幾度か躊躇《ちゅうちょ》して、長い太息《ためいき》を吐いたが、女がもしその深い山の中に行っているとしたら、自分もそこまで入ってゆかねば会うことも見ることも出来ぬのであると思うと、それを中止するのも何だか心残りである。そう思って、大河原駅からまた笠置《かさぎ》、加茂と三つ手前の駅まで引き返して戻った。そして、加茂駅に下車して停車場の出口で、そこに客待ちをしながら正月のお飾りをこしらえていた二、三人の車夫に、何がしの村までこれから行ってくれぬかというと、彼らは、呆れた顔をして、笑いながら、
「とっても……」と、一口いったきりで顔を横に振って対手《あいて》になろうとせぬ。なおよく訊ねると、泥濘《ぬかるみ》が車輪を半分も埋めるので、俥が動かない、荷車ならば行くという。
 私は、思案に暮れてしばらくそこに突っ立って考えていたがそうかといって、断念する気にはならぬので必ず行くという決心はなかったがしかたなく駅路《うまやじ》の、長い街《まち》つづきを向うへ向うへとどこまでも歩いて行った。やがて半道も行くと、街道はひとりでに高い木津川の堤に上がっていった。木津川も先きの大河原駅あたりから、ここまで下って来ると、汪洋《おうよう》とした趣を備えて、川幅が広くなっている。鷲峰山下の村に通う街道は、そこに架した長い板橋を彼方《むこう》に渡ってゆくのである。私は、ゆこうかゆくまいかと思うよりも、行けるかどうかを気づかいながら、ともかくその長い板橋を向うに渡っていった。それでも、なかなか交通が頻繁《ひんぱん》だと思われて、相応に人が往来している。私は長い橋の中ほどに佇《たたず》んで川の上流の方を眺《なが》めると、嶮岨《けんそ》な峰と峰とが襟《えり》を重ねたように重畳《ちょうじょう》している。時によっては好い景色とも見られるであろうが、午後から何だか、寒さが増して陰気な空模様に変ったと思っていたら、雪花《ゆき》がちらりちらり散って来た。私は、長い橋の上に立って空を見上げながら、「この空模様で、膝《ひざ》を没する泥濘道ではとてもおぼつかない」とまた思案をしたが、ともかく橋を向うに渡ってなお歩いていると、そこへ後からがらがら空車《からぐるま》を挽《ひ》いた若い男の荷馬車がやって来た。私はその男に声をかけた。
「その荷馬車はどこまで行く? 何がしの村まで行かぬか」
と訊ねると、その途中まで帰るのだという。
「君、その荷馬車に乗せてもらえないか」と頼むと、
「ああ、乗って行きなはれ」といいながら、彼はずんずん行く。
 それは、何か貨物を運搬した帰りと思われて、粗雑な板箱の中は汚《きたな》くよごれている。私はそれを見て心を決しかねて、なお後からついてゆくと、彼はしばらく行くと、馬を停《と》めておいて、道傍《みちばた》にあり合わした藁塚《わらづか》から藁を抜き取って来て、それを箱の中に敷いて、
「さあ、乗んなはれ」という。
 私は、心に、若い馬子《まご》の深切を謝したものの、さすがにその荷車に乗りかねた。自分は、何の因果であの女が諦められぬのであろう、と感慨に迫りながら行く手の方を見ると、灰色空の下に深い山また山が重畳している気勢《けはい》である。
「いや、もう、止《よ》そうか」と、若い馬子にいって、私はとうとう断念して引き返した。そしてまた木津川の長い板橋を渡ってくると、雪を含んだ冷たい川風が頬を斬《き》るように水の面から吹いて来た。

底本:「日本の文学 8 田山花袋 岩野泡鳴 近松秋江」中央公論社
   1970(昭和45)年5月5日初版発行
入力:久保あきら
校正:松永正敏
2001年6月4日公開
2006年1月25日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

近松秋江

伊賀國—– 近松秋江

 伊賀國は小國であるけれども、この國に入るには何方からゆくにも相應に深い山を踰《こ》えねばならぬ。自分はいつも汽車の中に安坐しながら、此の國を通過するのであるが、西から木津川の溪谷を溯つて來るのもいゝし、東から鈴鹿山脈を横斷して南畫めいた溪山の間を入つて來るのも興が饒《ふか》い。況《いは》んや俳聖芭蕉の生地である。吾々日本人の自然觀、人生觀乃至それ等の風物に對する趣味といふやうなものが芭蕉一人の存在によつて、いかに幽邃《いうすゐ》深遠の趣きを加へたかといふことを考へると、人間の世界には、烏合の群集ばかりでは足りない、寶玉の如き一人者がなければならぬ。
 私はこの伊賀國の野と山とを多年憧憬して居た。眺め飽かぬ鈴鹿山脈の溪谷を横斷して汽車が伊賀の國境を踰えると、すぐ柘植《つげ》の驛がある。芭蕉はこの柘植で生まれたといふことである。それを上野と柘植とで生地爭ひをしてゐるのはつまらぬことである。芭蕉はたゞ伊賀の人でよい。
 汽車がその上野の驛に着いた頃には、又今晩あたり雨になりさうな空模樣になつてきた。今日これからすぐ月ヶ瀬に往くつもりであるが、勿論梅にはもう季節は遲れてゐるが月ヶ瀬の溪山も亦た多年憧憬してゐるところである。
 ステーションを出て車夫に訊くと、そこから上野の町までは約一里ある。そしてすぐこれから月ヶ瀬に往くにしてもやつぱり上野の町を通過してゆくのである。手荷物を携へてゐるので、それを、今朝|鳥羽《とば》を立つ時、皆春樓《かいしゆんろう》で紹介状を書いてくれた上野の宿屋へ預けて置いて、單身月ヶ瀬に直行して彼地に泊まり、今宵は梅花はなくとも、十分梅溪の山水に浸らうと思つてゐたのに、とかく荷物の爲に累せられて行動の自由を缺く感があるのを憾《うら》みつゝともかくも俥を命じ、一臺にはトランクを載せて走つた。南に向つて行く手の方は四圍の山々遠く、平野が目も遙かに開展してゐる。そこから上野まではやゝ上り道になつてゐて、伊賀川の長橋を向うに渡ると、昔藤堂家の支城の跡の丘陵にさしかゝる。それを向うへ出拔けると上野の町がある。皆春樓の指状にある本町通りの友忠といふ旅館についてその状を示し、案内せられて座敷に通ると、宿の若主人がその手紙を見て挨拶に來り、
 これから月ヶ瀬まではまだ四里の道があるのみならず、最早梅花の季節は過ぎて自動車の往復も頻繁ならず、宿といつても土地の農家が、三月梅花の季間のみ片手間に客を泊めてゐるので不行屆きである。今晩は格別見る物のない處であるが、當處に一泊ありて上野の町を見物し、殊に芭蕉の舊跡|簔蟲庵《みのむしあん》へは是非御一覽をお勸めするといふので、月ヶ瀬にも泊つてみたかつたけれど、もとより上野の町にも、何となく、夙《つと》に親みを抱いてゐることであつたから、有無なくそれに一決し、まだ暮れには少しの間があるので、私は寫眞機を携へて市街にいで、主人に委しく教へられたとほり旅館の前の整然たる街路を眞直に南へゆくと五六町ばかりにして、やゝ街はづれる場末、一寸横丁を左折して入つた處に芭蕉翁の舊庵があつた。

底本:「現代日本紀行文学全集 西日本編」ほるぷ出版
   1976(昭和51)年8月1日初版発行
底本の親本:「旅こそよけれ」冨山房
   1939(昭和14)年7月発行
※巻末に1923(大正12)年5月と記載有り。
入力:林 幸雄
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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近松秋江

伊賀、伊勢路—– 近松秋江

 私には、また旅を空想し、室内旅行をする季節となつた。東京の秋景色は荒寥としてゐて眼に纏りがない。さればとて帝劇、歌舞伎さては文展などにさまで心を惹かるゝにもあらず、旅なるかな、旅なるかな。芭蕉も
  憂きわれを淋しがらせよ閑古鳥
 といひ、また
  旅人と我名呼ばれん初しぐれ
 ともいつたが、旅にさすらうて、折にふれつゝ人の世の寂しさ、哀れさ、またはゆくりなく湧き來る感興を味はふほど私にとつての慰藉はない。東京は、私には、あまりに刺戟が強く、あまりに賑かすぎて、心はいつも皮相ばかりを撫でてゐるやうである。東京にゐると、文筆のわざさへひたすら枯淡なる事務のやうになつて、旅にゐるときのやうに自然の情趣が湧かない。私の魂魄は今、晩秋初冬の夜々東京の棲家をさまよひ出でて、遠く雲井の空をさして飛んでゐる。
 私は府縣別の地圖を座右に備へて置く。そして毎晩就寢のとき枕頭にそれを展いて見るのである。哀れ深き旅の空想は私の夢を常に安からしめる。富士の頂きに初雪を見る頃になつて、さすがに夏は懷かしい東北の山河は、私には思ひ浮べるだにおぞましい。南海、西海の邊土は、未だ多くわが脚を踏み入れたことはないが、須磨、明石さへ遠隔の地のやうに思つた昔の京都の殿上人の抱いてゐたやうな感情は私にも遺傳されてゐると思はれて石炭の煙突煙る九州の地は私にはあまりに遠國すぎる。私の最も愛好する地勢と風土は伊勢大和近江の境にある。そのあたりの地圖を閲しつゝ私は自由に旅の空想を夢むのである。此度の旅は少くとも二箇月くらゐはさすらふ豫定でそのつもりで旅支度をとゝのへ些の未練もない東京の空には暫時の訣別を心の中に告げつゝ夜九時の急行車で中央ステーションを出發する。この時停車場の大廊下に鳴りひゞく旅人の下駄の足音も私の耳には天樂の如くいみじき音律となつて聞えるのである。それより心地よいクッションにまづ腰を落着けつゝ今宵一夜を共に此處に明かすべき同車の旅の人々の知らぬ容貌風采、さては一歩想像を深めて、それ等の職業、運命などについて考へてみるのもまた一興である。此の際に於ける私の注意の働きと、想像の奔放なることは、到底歌舞伎座や帝國劇場などにあつて死劇を觀てゐる比ではない。
 やがて夜行列車は、寢つ起きつする間に翌朝の午前六時を少し過ぐる頃無事に名古屋に着く。私は昨夕東京を立つとき伊賀《いが》の上野《うへの》までの乘車券を買つてゐたので、そこで關西線の湊町ゆきの二番が發車するのを待つ間二時間ばかりに輕い朝食を取つたり、電車を利用してちよつと名古屋の街の一角を窺《のぞ》いて見るであらう。實は多年の宿望なる、関ヶ原、古の不破の關所のあつたあたりのわびたる野山、村里の秋景色をも歩いて見たいのだが、それは今は割愛して豫定のとほりに、やがて湊町ゆきに乘つて午前八時二十三分發で伊勢路に向つて旅をつづける。
 桑名《くはな》、四日市《よつかいち》は昨夕の殘睡のうちにいつしか通りすごして、車道は漸う/\四山の群がる間をわけ登るに、冬近き空の氣色定めなく、鈴鹿《すずか》は雲に隱れて嘘のやうな時雨がはら/\と窓を打つてきた。行方なき風雲の、先きを急ぐ旅でもないので、かういふ日にこそ廢驛を眺めわびたいとおもつて、待夜の小室節關の小萬で名の高い關の驛で汽車を棄てる。まだ十時半過ぎたばかりなので早い。
 今夜はこの處に一夜逗留して見たいと思ふが、名匠|狩野元信《かのうもとのぶ》が、いくら巧に描いても繪は到底自然生えの杉の美しさには比ぶべくもないと浩歎を發して繪筆をとつて、投げ捨てたと傳へられる筆捨《ふですて》の溪も遠くはない。殊にこのわたりの杉は自然を見る眼の常人に卓絶してゐた審美眼を感動せしめたも無理からぬほどに美しい。それで停車場の車夫に掛合ひつゝ、有名な地藏尊は歸途に殘して、まづ筆捨山に向ふ。時雨れて濟むほどの雨ならば、行々かの恐ろしきローマンスの傳はる坂下より昔の鈴鹿峠を越えて、江州に入り、「阪は照る/\鈴鹿は曇る。あひの土山《つちやま》雨が降る。」てふ郷曲の風情を一人旅の身にしめながら土山までのり、その晩は遂にいぶせき旅籠《はたご》に夜を明し、翌日は尚ほ三里の道を水口までゆき、貴生川《きぶかは》を經て汽車を利して柘植《つげ》に※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]り、そのまゝ上野に出るか、或は土山より昨日の道をまた關に戻るか、それは其時の心の赴くままになし、再び名古屋、湊町の線路にたよりて左方の車窓に崢※[#「山+榮」、第3水準1-47-92]《さうえい》たる靈山寺山、長野峠の錦繍を遙に送迎しつゝ、やがて伊賀の國境に入れば、春ならば黄白の菜の花薫る上野の盆地遠く展けて、收穫濟みたる野の果て、落葉しぐれる山の際に戌亥《いぬゐ》の方に白壁の土藏を置いたる農家の冬待ち顏に靜かに立つを見る。佐奈具《さなぐ》の一驛をへてやがて上野に着く。此地は芭蕉翁故郷塚、伊賀越の敵討で名の高い鍵屋《かぎや》の辻など心に留むるかたぞ多し、私はこゝに一夜二夜を明し、翁のことどもを忍びつゝ俳人ならぬ俗人の俗膓を洗ひ、
  今宵たれ吉野の月も十六里
 と翁もいはれしとほり、かねて假りの住居の望みなる吉野も程遠からねばそれより大和街道を志て名張《なばり》に向ふ。ところどころは俥を下りて、車夫を勞《いた》はり、ひろひ歩きして、南畫に描《か》かまほしき秋の山々の黄葉を拂ふ風に旅衣を吹かれつゝ、そのわたりの溪山の眺めは私をして容易く立去りかねしめるであらう。

底本:「現代日本紀行文学全集 西日本編」ほるぷ出版
   1976(昭和51)年8月1日初版発行
底本の親本:「旅こそよけれ」冨山房
   1939(昭和14)年7月発行
※巻末に1917(大正6)年11月記と記載有り。
※「關」と「関」の混在は底本通りにしました。
入力:林 幸雄
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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近松秋江

うつり香—– 近松秋江

 そうして、それとともにやる瀬のない、悔しい、無念の涙がはらはらと溢《こぼ》れて、夕暮の寒い風に乾《かわ》いて総毛立った私の痩《や》せた頬《ほお》に熱く流れた。
 涙に滲《にじ》んだ眼をあげて何の気なく西の空を眺《なが》めると、冬の日は早く牛込《うしごめ》の高台の彼方《かなた》に落ちて、淡蒼《うすあお》く晴れ渡った寒空には、姿を没した夕陽《ゆうひ》の名残《なご》りが大きな、車の輻《や》のような茜色《あかねいろ》の後光を大空いっぱいに美しく反射している。そういう日の暮れてゆく景色を見ると、私はまたさらに寂しい心地《ここち》に滅入《めい》りながら、それでもやっぱり今柳沢に毒々しく侮辱された憤怒の怨恨《うらみ》が、嬲《なぶ》り殺しに斬《き》り苛《さいな》まされた深手の傷のようにむずむず五体を疼《うず》かした。
 音羽《おとわ》の九丁目から山吹町《やまぶきちょう》の街路《とおり》を歩いて来ると、夕暮《くれ》を急ぐ多勢の人の足音、車の響きがかっとなった頭を、その上にも逆《のぼ》せ上らすように轟々《どろどろ》とどよみをあげている。私はその中を独《ひと》り狂気のようになって歩いていた。そして山吹町の中ほどにある、とある薪屋《まきや》のところまで戻《もど》って来ると、何というわけもなくはじめて傍《そば》にある物象《ものかたち》が眼につくようになって来た。そしてその陰気な灰色の薪を積み上げてあるのをじっと見据《みす》えながら、
「これからすぐお宮のところに行こう」私は口の中で独語《ひとりごと》をいった。
 色の白い、濃いけれど柔かい地蔵眉《じぞうまゆ》のお宮をば大事な秘密《ないしょ》の楽しみにして思っていたものを、根性の悪い柳沢の嫉妬心《しっとしん》から、霊魂《たましい》の安息する棲家《すみか》を引っ掻《か》きまわされて、汚されたと思えば、がっかりしてしまって、身体《からだ》が萎《な》えたようになって、うわの空に、
「もうやめだ。もうお宮はやめだ」
 柳沢が、あのお宮……を買ったと思えば、全く興覚《きょうざ》めてしまって、神経を悩む病人のように、そんなことをぶつぶつ口の先に出しながら拳固《にぎりこぶし》を振り上げて柳沢を打《ぶ》つつもりか、どうするつもりか、自分にも明瞭《はっきり》とは分らない、ただ憎いと思う者を打《ぶ》ん殴《なぐ》る気で、頭の横の空《くう》を打ち払い打ち払い歩いて来たのだが、
「これッきりお宮を止《や》めてしまう。柳沢が買ったので、すっかり面白くなくなった」
 と、残念でたまらなく言いつづけてここまでの道を夢中のようになって歩いて来たが、それでもまだどうしても止められない愛着の情が、むらむらと湧《わ》き起って来た。そうしてこういうことが考えられた。
 強盗が入って妻が汚された時に、夫は、その妻に対してその後愛情に変化《かわり》があるだろうか。それを思うと、それが現在あることというのでなく、ただ私が自身で想像に描いて判断しているだけなのだが、ちょうど今自分の身にそういう忌わしい災難が降りかかって来ているかと思われるほど、その夫の胸中が痛ましかった。
 そうしたら夫は、どうするであろう。妻は可愛《かわい》くってかわいくってたまらないのである。しかるにその可愛い妻の肉体《からだ》はみすみす浅ましくも強盗のために汚されてしまった。妻は愛したくって、あいしたくってたまらないのであるが、それを愛しようにも、その肉体は汚されてしまった。その場合の夫の心ほど気の毒なものはない。その時はただじっと観念の眼を瞑《つぶ》って諦《あきら》めるよりほかはないだろうか。私はそんなことまで考えて、お宮も強盗のために汚されてしまったのだ。まして秘密に操を売っているお宮は、明らさまに柳沢が買ったといえばひどく気に障《さわ》るようなものの、柳沢の他に自分が見知らぬ人間に幾たび接しているか分らない。
 そうも思い反《か》えすと、その柳沢に汚されたお宮の肉体に対して前より一層切ない愛着が増して来た。
「そうだ! これから今晩すぐ行ってお宮を見よう」
 そう決心すると、柳沢が今晩もまた行ってお宮を呼びはしないかと思われて、気が急《せ》けて少しも猶予してはいられない。そして柳沢が買ったのでもお宮に対する私の愛情には変化《かわり》はないと思い極《きわ》めてしまうと、もうこれから早く一旦《いったん》自家《うち》に帰って、出直して蠣殻町《かきがらちょう》にゆくことにのみ心が澄んで来た。
 喜久井町《きくいちょう》にかえると、老母《ばあ》さんは、膳立《ぜんだ》てをして六畳の机の前に運んで来た。私はそれを食べながら、銭《かね》の工面をして、出かけようとすると、
「またどこかへおいでなさるんですか」老母さんは、門の木戸を明けている私の背後《うしろ》から呼びかけた。
「ええ、ちょっと」と、いったまま、私は急いで歩き出した。
 そして先だってお宮の連れ込みで行った、清月《せいげつ》という小さい待合に行ってお宮を掛けると、すぐやって来た。
 一と口|挨拶《あいさつ》をした後は黙って座《すわ》っているその顔容《かおかたち》から姿態《すがた》をややしばらくじいっと瞻《みまも》っていたが柳沢がどうもせぬ前とどこにも変ったところは見えない。肌理《きめ》の細かい真白い顔に薄く化粧をして、頸窪《うなくぼ》のところのまるで見えるように頭髪《かみ》を掻きあげて廂《ひさし》を大きく取った未通女《おぼっこ》い束髪に結ったのがあどけなさそうなお宮の顔によく映っている。そしてその女の癖で鮮《あざや》かな色した唇《くち》を少し歪《ゆが》めたようにして眩《まぶ》しそうに眸《ひとみ》をあげて微笑《え》みかけながら黙っていた。
「どうしていた?」
 私は、やっぱりじろじろとその顔を見守った。傍《はた》で、その顔を見ている者があったら薄気味わるく思ったかも知れぬ。
「いいい」お宮は何ともいえない柔かな可愛い声を出した。
 これが、あの柳沢にどうかされたのだ。と思えば他の男のことは不思議になんとも感じないのに、ただそればかりが愛情の妨げになって、名状しがたい、浅ましい汚辱を感じて堪えられない。
「お前ねえ、私の友達のところにも出たろう。――しかしそれは構わないんだけれど……」
 私はじっと平気を装ってからいって見た。
「いいえ。そんな人知らない」頭振《かぶ》りをふった。
「ああ、そりゃお前は知らないかも知れぬ。お前は知らないだろう。けれども出るのは出たんだ。僕がその友達から聞いたんだから」
「いや、知らない。あなたの友達なんか、ちっとも知らない」
「いや、知らないわけはないんだ。お前は知らないんだけど。……四、五日前に、背の低い色の浅黒い、ちょっときりッとした顔の三十ばかりの人間が来たろう」
 そういうと、お宮はしばらく思い起すような顔をしていたが、
「ああ、来た。久留米絣《くるめがすり》かなんかの羽織と着物と同じなのを着た。さっぱりした人よ。あの人よ、この間|鳥安《とりやす》に連れて行ってくれた人」
 私はそれを聴《き》くと、またかっと逆上《のぼ》せて耳が塞《ふさ》がったような心地がした。
「そうだろう。あれが私の友達なの」
 私はその言葉で強《し》いて燃え立つ胸を静めようとするように温順《おとな》しくいった。
「あははは」お宮は仕方なく心持ち両頬を紅《あか》く光らして照れたように笑った。が、その、ちょっとした笑い方が何ともいえない莫連者《ばくれんもの》らしい悪性《あくしょう》な感じがした。
 それっきり私はしばらく黙ってまた独りで深く考え沈んだ。
 つい先だって来た時にお宮と一処《いっしょ》に薬師の宮松亭《みやまつてい》に清月の婆さんをつれて女義太夫《おんなぎだゆう》を聴きにいって遅《おそ》く帰った時、しるこか何か食べようかといったのを、二人とも何にも欲しくない、
「あなた欲しけりゃ、家へ帰って、叔母《おば》さんに洋食を取ってもらってお食べなさい。おいしいのがあってよ」と、いって、清月の小座敷でお宮とそれを食べている時、
「鳥安の焼いた鳥はうまいわねえ」と、いった。
「鳥安知っているの?」
「ええ、この間初めてお客に連れていってもらった。そりゃうまかったわ」
 こんなことをいっていたが、じゃ、その客は柳沢であったかと、私は思った。こういえば、お前にもすぐわかるだろうが、私といったら始終自分の小使銭にも不自由をしているくらいだが、柳沢は十円札を束にして懐中《ふところ》に入れて歩いているという話のあるほどだ。私が銭《かね》を勘定しいしいお宮と遊んでいるのに、柳沢は銭に飽かして遠くに連れ出すなり、外に物を食べに行くなりしようと思えば、したい三昧《ざんまい》のことが出来る。
 それで、私は、先だって鳥安につれてった客が柳沢であったということが分ると、もうお宮を取ってゆかれそうな気がして、また堪えられなくなって来た。
「そりゃいつごろのこと?」
「うむ、ついこの間さ」
 ついこの間といえば、いつのことだろう。先だってからお宮は、深い因縁の纏綿《つきまと》った男が、またひょっこり、自分がまたこの土地に出ていることを嗅《か》ぎつけて来たといって、今にもどこかへ姿を隠すようにいっていたのが、一週間ばかりして、また当分どこへもゆかないといって、それで、先《せん》に来た時に一緒に義太夫を聴きにいったりしたのだ。あの時もう鳥安に行ったことを言っていたから、じゃ私が一週間ばかり来なかった、その間に柳沢は来て、私がまだ女をつれて外になど少しも出ない時分に鳥安なんかへ行ったのだ。女にかけては、世間では私などを道楽者のようにいっているが、よっぽど柳沢の方が自分より上手《うわて》だ。と思うと、私はなおのことお宮のことが心もとなくなって来た。そしてつまらぬことをお宮に根掘り葉掘り訊《き》きたいのを、じっと抑《おさ》えて耐《こら》えながらもやっぱり耐えられなくなって、さあらぬようにして訊《たず》ねた。
「あの人、好い男だろう」
「本当に好い男よ。私、あんな人大好き。着物なんか絹の物なんか着ないで、着物も羽織も久留米絣かなんかの対のを着て、さっぱりしているわ」
「何か面白い話しがあったか」
「うむ、あんまり饒舌《しゃべ》らない人よ。そうしてじろじろ人の顔を見ながら時々口を利《き》いて、ちっとも無駄《むだ》をいわない人。私あんな人好き」
 お宮には本当に柳沢が気に入っているのらしい。
「君が買った女だと思ったから、じっと顔を見ていてやったら非常に興味があった」
 こんなことを、柳沢は、さっき饗庭《あいば》もいる前で話していた。
 こちらは、柳沢がそんな意地の悪いことをするとは知らないから、胸に奸計《たくらみ》を抱《いだ》いていてお宮を傍に置いていたことはない。柳沢の方じゃそうじゃない。これが雪岡《ゆきおか》の呼んでいる売女《おんな》であると初めっから知っていて、口を利くにもその腹で口を利いている。鳥安なんぞへつれ出すにも、そういう胸に一物あってしていることだ。
 こういうと、お前は、つまらない、蠣殻町の女|風情《ふぜい》を柳沢に取られたといって、そんな他人聞《ひとぎ》きの悪いことをいうのはお止《よ》しなさい。あなたの器量を下げるばかりじゃありませんか。と、いうであろうが、それは私も知っているけれど、まあ、そんな具合で柳沢は最初お宮を呼んだのだ。そういえば、お前にも柳沢のすることが大抵判断がつくだろうと思って。
 そんな厭《いや》な思いをしながらも、やっぱり傍で見ていれば見ていてお宮の美目形《みめかたち》が好くって、その柳沢の買った女をまた買った。
 そうして疲れて戻《もど》って来ると、神経が一層悩まされてお宮のことが気になって気になって仕方がない。私がいっている間だけは安心しているが、見ないでいると、その間は柳沢が行って、ああもしているであろう、こうもしているであろう。と思い疲れていた。
 それから柳沢とは、なるたけ顔を合わさぬようにしようと思ってしばらく遠ざかっていたが、またあんまり柳沢に会わないでいると、今日もお宮のところに行っているであろう。いっているに違いない。きっと行っている。と思いめぐらすと、どうしても行っているように思われて、柳沢の様子を見なければ気が済まないで久しぶりに行って見た。
 例の片眼の婆さんに、
「旦那《だんな》はいるかね?」と、訊くと、
「ええ、おいでになります」
 何だか気に入らぬことでもあると思われて仏頂面《ぶっちょうづら》をしていう。
 柳沢が家にいるというので、私はいくらか安心しながら、婆さんがお上んなさいというのを、すぐには上らず、婆さんに案内をさせて、高い階段《はしごだん》を上ってゆくと、柳沢はあの小《ち》さい体格《からだ》に新調の荒い銘仙《めいせん》の茶と黒との伝法《でんぼう》な厚褞袍《あつどてら》を着て、机の前にどっしりと趺座《あぐら》をかいている。書きさえすればあちらでもこちらでも激賞されて、売り出している真最中なので、もう正月の雑誌に出す物など他人《ひと》よりは十日も早く手まわしよくかたづけてしまって、懐中《ふところ》にはまた札の束がふえたと思われて、いなせに刈ったばかりの角がりの頬《ほお》のあたりに肉つきが眼につくほど好くなって、浅黒い顔が艶々《つやつや》と光っている。
 私は、何よりもその活《い》き活《い》きとした景気の好い態度《ようす》に蹴落《けおと》されるような心持ちになりながら、おずおずしながら、火鉢《ひばち》の脇《わき》に座って、
「男らしい人よ。私あんな人大好き」と、いった宮の言葉を想《おも》い浮べて、それをまた腹の中で反復《くりかえ》しながら、柳沢の顔と見比べていた。
 柳沢は最初《はじめ》から、私が階段《はしごだん》を上って来たのを、じろじろと用心したような眼つきで瞻《みまも》ったきり口一つ利かないでやっぱり黙りつづけていた。私も黙り競《くら》をするような気になって、いつまでも黙っていた。
「どうだ。このごろは蠣殻町にゆくかね?」打って変ったような優しい顔をしてさばけた口を利いた。
「うむ。ゆかない。もう止めだ。つまらないから。君はどうだね?」
「僕もあんまり行かないが、……その後お宮を見ないかね?」
 柳沢は、日ごろに似ぬどこまでも軽い口の利きようをする。
 私には、何だか両方が互いの腹を探っているような感じがして来た。そうして柳沢との仲でそんな思いをするのが厭でいやでたまらないのだけれど、今度のことは最初から柳沢が私たち二人の中へ横から割り込んで来たのだから仕方がない。
「いや、見やしないさ。あれっきり行かないから……」
 といったが、お宮が、私が来たということを、もし柳沢に話していたら、すぐ尻《しり》が割れてしまう。そんな嘘《うそ》を言って隠し立てをしているこちらの腹の中を見透かされると、柳沢の平生の性質から一層|嵩《かさ》にかかって逆に出られると思ったから、
「……おお、あれから一度ちょっと行ったかナ」
 と、さあらぬようにいった。そうして腹の中では、どこまでも、どこまでも後を追跡していられるようで気持ちが悪かった。
「よく売れると思われて、いつ行って見てもいたことがない」柳沢はやや語声を強めていった。
 じゃあ柳沢はあれからたびたびいって、お宮を掛けているのだナ。と、私は秘《ひそ》かに思っていた。
「君はこのごろまた大変に肥《ふと》って、英気|颯爽《さっそう》としているナ」
 柳沢の顔を見守りながら、私は話頭を転ずるようにいった。
「うむ。僕はこのごろ食べる物が何を食ってもうまい」
 愉快そうにいって、柳沢は両手で頬のあたりを撫《な》でた。
「君はこのごろ何だか影が薄くなったような気がする」
 と、冷やかに笑い笑いいって、また私の顔をじろじろ凝視《みつ》めながら、
「そうして、だんだんいけなくなって……」
 柳沢は、惨《みじ》めな者を見るのも、聞くのも、さもさも厭だというように、顔を顰《しか》めていった。
「ああ、影が薄くなったろう」私は憮然《ぶぜん》として痩《や》せた両頬を撫でて見た。
 そうしてこう思った。自分は、何も柳沢に同情をしてもらいたくはないが、しかし私がどうして今こんなになっているか、その原因については、とても柳沢は理解《わか》る人間ではない。あるいはわかるにしてもそのことが私ほど馬鹿馬鹿しく骨身に喰《く》い入る人間ではないと思ったし、お前に置き棄《す》て同然の目に逢《あ》わされたがためにこうなっているのだともいえないし、またそんな気持ちは話したからとて、そういう経験のない者にはわかるものでもないから、私はただそういったまままた黙り込んでしまった。
「お宮が、雪岡さんを見ると気の毒な気がする。と、いっていた」
 柳沢は、またそういって笑った。
「…………」私はしょげたように黙って笑っていた。
「……今日はお宮いるか知らん。……これからいって見ようか……」
 柳沢は私を戯弄《からか》うのか、それとも口では何でもなくいっていても、その実自分で大いにお宮に気があるのか、あるいはまた影の薄い私が思うようにお宮の顔を見ることが出来ぬのを惨めに思って、お勝手口の塵埃箱《ごみばこ》に魚の骨をうっちゃりに出たついで、そこに犬のいるのを見て、そっちへ骨を投げてやるように、連れていってお宮に逢わしてやろうというお情けかと、私はちょっと考えたが、それはどちらにしたって構わない、とにかく柳沢とお宮と一座したら、両方にどんな様子が見られるか、柳沢にはお宮が好いのには違いない。そう思案すると、
「ああ、行ってもいい」
 これから二人はややしばらく気の置けない雑談に時を過しながら点燈《ひともし》ごろから蠣殻町に出かけていった。
 柳沢は歳暮《くれ》にしこたま入った銭《かね》の中から、先だって水道町の丸屋を呼んで新調さした越後結城《えちごゆうき》か何かのそれも羽織と着物と対の、黒地に茶の千筋の厭味っ気のない、りゅうとした着物を着て、大黒さまの頭巾《ずきん》のような三円五十銭もする鳥打帽を冠《かぶ》っている。私はあの銘仙の焦茶色になった野暮の絣を着て出たままだ。
 小石川は水道町の場末から九段坂下、須田町《すだちょう》を通って両国橋の方へつづく電車通りにかけて年の暮れに押し迫った人の往来《ゆきき》忙しく、売出しの広告の楽隊が人の出盛る辻々《つじつじ》や勧工場の二階などで騒々しい音を立てていた。私はそんな人の心をもどかしがらすような街《まち》のどよみに耳を塞がれながら、がっかりしたような気持ちになって、柳沢が電車の回数券に二人分|鋏《はさみ》を入れさせているのを見て、何もかも人まかせにして窓枠《まどわく》に頭を凭《もた》していた。
「今日いるか知らん?」
 電車を降りると柳沢は先に立って歩きながら小頸《こくび》を傾けて、
「どこへゆこう?」
「さあ、どこでもいいが、その、君の先だって行ったところがよかないか」
 私は、これから後々自分が忍んでゆくところにしようと思っている清月に柳沢と一緒にゆくのは厭であった。
「じゃやっぱり彼家《あすこ》にしよう。……僕もあんまり行かない待合《うち》だがお宮を初めて呼んだ待合だから」
 そういってお宮のいる置屋《うち》からつい近所の待合《まちあい》に入った。
「……宮ちゃんすぐまいります」女中は報《し》らせて来た。
「いたナ!」私は微笑しながらいった。
「うむ」柳沢は、わざと苦い顔をした。
「今日はどんな顔をしているか。この間、昼、日の照っているところへ連れ出したら顔の蒼白《あおじろ》いところへ白粉《おしろい》の斑《まだら》に剥《は》げているのが眼について汚《きたな》くってたまらなかった」
 そういって柳沢は顔を顰めて、
「どう見ても高等|淫売《いんばい》としか見えない」
「芸者ともどこか違うしねえ」
「そりゃ芸者と違うさ。この間鳥安に連れていった時に鳥安の女中が黙って笑っていたが、これは淫売をつれて来たなと思ったのだろう。少し眼のこえた者には誰れが見てもすぐそれと分るもの」
 柳沢はしきりにお宮のことを気にして話をする。柳沢がそんなに女というものに興味を持って話をするのは、まだ一緒に学校にいっている時から十年の余知っている仲だが、ついぞこれまでに聞かぬことである。
「これは、よっぽど執心なのだナ」と、私は、ますます柳沢の心が飲み込めて来るにつれて、どうしてもこれは吾々《われわれ》の間に厭な心持ちのすることが持ち上らずにはいない。困ったことだと、ひそかに腹の中で太息《ためいき》を吐《つ》いていた。
「それでもこの間|歌舞伎座《かぶきざ》の立見につれていってやったら、ちょうど重《しげ》の井《い》の子別れのところだったが、眼を赤くして涙を流して黙って泣いていた。あれで人情を感じるには感じるんだろう」
 柳沢は、そのお宮の涙をしおらしそうにいった。
「歌舞伎座にもつれて行ったの?」
「うむ」
「いつ?」
「やっぱりこの間鳥安につれて行った時に」柳沢は済まない顔をして、そういって、ちょっとそこをまぎらすように「立見から座外《そと》に出ると、こう好い月の晩で、何ともいえないセンチメンタルな夜だった。僕は黙っているし、お宮も黙ってとぼとぼと蹤《つ》いて来ていたが、ふと月を見上げて『いい月だわねえ』と、いいながら真白い顔をこちらに振り向けた時には、まだ眼に涙を滲ませていて、そりゃ綺麗《きれい》なことは綺麗だったよ」
 さすがに柳沢も思い入ったようにいった。
 私は、それを聴いていて胸が塞がるような気がした。私がわずかばかりの銭《かね》の工面をして、お宮にただ逢《あ》うのでさえ精一ぱいでいるのに柳沢はもうお宮とそんな小説の中の人間のような楽しい筋を運んでいるかと思うと、世の中のものが何もかも私を虐《しいた》げているような悲痛な怨恨《うらみ》が胸の底に波立つようにこみあげて来た。そうしてよそ目には気抜けのしたもののように呆然《ぼんやり》として自分一人のことに思い耽《ふけ》っていた。すると自分が耐力《たあい》もなく可哀《かわい》そうになって来て、今にも泣き溢《こぼ》れそうになるのをじっと呑《の》み込むように抑えていた。
 ややしばらく経《た》ってから取着手《とって》もない時分になって、
「歌舞伎座にもつれて行ったのか!」と、曖昧《あいまい》な勢《せい》のない声を出した。
「その帰途《かえり》に鳥安にいったのだ」
 そして私は腹の中で、先日お宮が、
「書生らしい、厭味のない人よ。鳥安を出てから浅草橋のところまで一緒に歩いて行ったの。『僕はここから帰る。電車賃だ』と、いって十銭銀貨をすうっと私の掌《て》に載せて、自分はそれきり電車に飛び乗ってしまって」
 こういって思い味わうようにしていたのを、自分でもまた想いだして、下らなく繰り返していた。
 そこへそうっと襖《ふすま》を明けてお宮が入って来た。後からも一人若い女がつづいて入った。
「あらッ!」とお宮は、入って来るからちょうど真正面《まとも》にそっち向きに趺座《あぐら》をかいていた柳沢の顔を見て燥《はしゃ》いだように笑いかかった。
 いつもよく例の小豆《あずき》色の矢絣《やがすり》のお召の着物に、濃い藍鼠《あいねずみ》に薄く茶のしっぽうつなぎを織り出したお召の羽織を着てやって来たのだが、今日は藍色の地に細く白い雨絣の銘仙の羽織に、やっぱり銘仙か何かの荒い紫紺がかった綿入れを着ているのが、良い家の小間使か、ちょっとした家の生娘のようで格別あどけなく美しく見えた。そうして私は、柳沢がいつか小間使というものが好きだ。といって、かつて大倉喜八郎の家へ新聞記者で招待せられた時、そこで一人の美しい小間使が眼にとまって、
「僕はあんな女が好きだ」と話していたことを思い出していた。
 白い顔に薄く白粉をして、両頬に少し縦に長い靨笑《えくぼ》を刻みながら、眩しいような長い睫毛《まつげ》をして
「どうしていたの? あなた。しばらくじゃないの」
 やっぱり柳沢の方に向ってそういいながら餉台《ちゃぶだい》を挟《はさ》んで柳沢と向い合って座った。そしてその横手に黙って坐っている私の方をチラリと振り向きながら、
「いらっしゃい!」と、一口低い調子でいった。
「よく売れると思われていつ来たっていないね」柳沢はじろじろお宮を瞻《みまも》りながらいった。
「あら、あれから来たの。だって来たと言わないんだもの」
「僕は来たって、来たということを誰にもいわないもの。名なんかいやあしないもの」
 そういう名をこんな土地で明かして、少しでも女に好かれようとするようなことは自分はしないのだといわぬばかりにいった。
「あなたの名は何という名?」
「俺《おれ》には名なんかないのだ」
 今にも対手《あいて》を噛《か》み付くような恐ろしい顔をしていながら柳沢はしきりに軽口を利いて女どもの対手になっていた。
「じゃ、名なし権兵衛《ごんべえ》?」も一人の十六、七の瓢箪《ひょうたん》のような形の顔をした口先のませた女がいった。
「ああ、僕は名なしの権兵衛」
「好い名だわねえ」
「うむ、好い名だろう」
 柳沢は、まるで人が違ったように気軽に饒舌《しゃべ》っていた。
「今日お前はいつものよそゆきと違って大変|直《ちょく》な生《うぶ》な身装《なり》をしているねえ」
 私は、お宮を見上げ見下していった。
「うむ。僕は、あんなお召や何かあんな物を着たのよりも、こんな風をした方が好きだ。……君は好い着物を持ってるねえ」
 柳沢がよくいいそうなことをいった。
「そう。これがそんなにあなたに気に入って?」お宮は乳のまわりを見廻《みまわ》しながらそういって、柳沢の方を見守りつつ、
「あなたも今日は大変好い着物を着てるねえ。……今日はあの絣を着て来なかったの。あれが私大好き。活溌《かっぱつ》で。……だけどその着物も好い着物だわ。こんど拵《こしら》えたの?」
「うむ。いいだろう」柳沢も自分の胸のあたりを見まわして、気持ちよさそうに言った。
「私もこんど好い春着を拵えたわ。……もう出来て来たわねえ」
 お宮はも一人の小女をちょっと誘うように見ていった。
「どんな着物だい?」私は黙っていた口を開いた。
「どんなって、ちょっと言えないねえ。羽織は縮緬《ちりめん》の紋付、着物は上下|揃《そろ》った、やっぱりお召さ」
 そこへ誂《あつら》えた寿司《すし》が来た。
「君たちも食べないか」私は女どもにすすめながら摘《つま》んだ。柳沢はもう黙って口に押し込んでいた。
「食べようねえ」お宮はも一人の女に合図して食べた。
 柳沢は口をもぐもぐさせながら指先の汚《よご》れたのを何で拭《ふ》こうかと迷っていた。
「ああ拭くもの?……これでお拭きなさい」
 お宮は女持ちの小《ち》さい、唐草《からくさ》を刺繍《ししゅう》した半巾《ハンケチ》を投げやった。
 柳沢はそれで掌先を拭いて、それから茶を飲んだ後の口を拭いた。
「君、あっちい二人で行ったらいいじゃないか」
 柳沢は気を利かしてそっと私に目配せした。
「うむ。……まあ好いさ。……君はどうする?」私は自分でも明らかに意味のわからないことをいって訊いた。
「僕は、お前とここで話しをしているねえ」柳沢はふざけたようにも一人の女の顔を窺《のぞ》くように見ていった。
 私は、自分の慎むべき秘密を人にあけすけに見ていられるような侮辱を感じたけれどこんなところにすでに来ていてそんな外見《みえ》をしなくってもいいと思ったから、遠慮をしないでお宮をつれて別の部屋に入っていった。
 間もなく私たちは其待合《そこ》を出て戻った。
「ふん! あんな変な女を連れて来て」
 柳沢は人形町の電車通りまで出て来ると、吐き出すようにいった。
「君は、どうもしなかったかね?」
「どうもするもんか。あんな小便臭い子供を。お宮はあんな奴《やつ》を、自分の妹分だといって、あれを他の客によく勧めるんだ。だれがあんな奴を買うものがあるもんか!」
 中二日置いて、この間からいっていた、外套《コート》を買ってやる約束があったのでまたお宮に逢いに行った。清月にいって掛けるとお宮はすぐやって来た。
「今日外套を一緒に買いにゆこう」
「今日」と、お宮は嬉《うれ》しさを包みきれぬように微笑《わら》い徴笑い「これから? 遅《おそ》かなくって?」行きとうもあるし、躊躇《ためら》うようにもいった。
「ゆこうよ。遅かない」
「そうねえ。何だか私、今日|怠儀《たいぎ》だ。……あなた一人行って買って来て下さい。私どこへもゆかない、ここに待っているから……その辺にいくらもある」と、無愛相にいう。
「いや、それはいけない、僕は一緒に物を買いにゆくのが楽しみなのだ」
 先だってから、
「私コ―トが欲しい。あなた表だけ買って下さい。裏は自分でするから」
 といっていた。私はお前と足掛け七年一緒にいたけれどコート一枚拵えてはやらなかった。それに三、四度逢ったばかりの蠣穀町の売女風情《ばいたふぜい》に探切立てをしていくら安物とはいいながら女の言うがままにコートを買ってやるなんて、どうしてそんな気になったろうかと、自分でも阿呆《あほう》のようでもあり、またおかしくもなって考えて見た。そうすると先き立つものは涙だ。
「ああ、おすまには済まなかった。七年の間ろくろく着物を一枚着せず、いつも襷掛《たすきがけ》けの水仕業《みずしわざ》ばかりさせていた」
 そう思うと、売女《おんな》にたった十五円ばかりのコートの表を一反買ってやるにしても、お前に対して済まないことをするようで気が咎《とが》めたけれど、また
「俺《わし》が、蔭《かげ》でこんなに独《ひと》りの心で、ああ彼女《あれ》には済まない。と思っているのをも知らないで、九月の末に姿を隠したきり私のところには足踏みもしないのだ。あんまりな奴だ。……あんまりひどいことをする奴だ。……ナニ構うものか、お宮にコートを買ってやる! 買ってやる! おすまが見ていなくってもいい、面当《つらあ》てにお宮に買ってやるんだ!」
 誰れもいない喜久井町の家で、机の前に我れながら悄然《しょんぼり》と趺座《あぐら》をかいて、そんな独言をいっていると自分の言葉に急《せ》きあげて来て悲しいやら哀れなやら悔しいやらに洪水《おおみず》の湧《わ》き出るように涙が滲《にじ》んで何も見えなくなってしまう。
 それで当然《あたりまえ》ならば正月着《はるぎ》の一つも拵えなければならぬ冬なかばに、またありもせぬ身の皮を剥いだり、惜しいのばかり取り残しておいた書籍《ほん》を売ったりしてやっといるだけの銭《ぜに》を工夫してお宮の気嫌《げん》をとりにやって来たのだ。
 それを、さぞ喜ぶかと思いのほか、ありがとうともいわないで、何か厭なところへでも行くように怠儀そうにいう。女というものはこんなにも我儘《わがまま》なものか、今に罰《ばち》が当るだろう。と腹の中で思ったがこの間は柳沢と一緒に外に出て、歌舞伎座や鳥安に行ったことがあるので、私もぜひどこかへ連れていきたくて仕方がなかった。それで「この不貞腐《ふてくさ》れの売女《ばいた》め!」と思ったが、素直にいそいそと立とうとしないのが業腹で、どうかして気嫌よく連れてゆこうと思って
「ねえ行こうよ。そして帰途《かえり》に何か食べよう」と、優しくいうと、
「そう、じゃ行こうかねえ。すぐそこらにいくらもあるよ」いけ粗雑《ぞんざい》な口でいう。
「ああ、お前はさっきからすぐそこらで買うつもりでいたの? それで私に一人で行って買って来てくれといったのか」
「そうさ! あんな物どこにだってあるよ」
「いや、そりゃいけない。どこかもっと好いところにゆこう」
「日本橋の方へ?」
「ああ」
「そう、じゃ私ちょっと自家《うち》へ帰って主婦《おかみ》さんにそういって来るから」
 と、いってお宮は帰っていった。間もなくやって来て、今度は前《さき》と打って変って、いつか一週間も逢わないでいて久しぶりにお宮のいる家の横の露地口で出会った時のようにげらげら顔を崩《くず》しながら
「自家の主婦さん、『雪岡さん深切な人だ。ゆっくりいっておいで』と、いっていたわ!」
 こんどは、そんなことを言やあがる。何というむらっ気の奴だろうと癪《しゃく》に障《さわ》ったけれど、一緒に連れ出したいのが腹一ぱいなので気嫌を直して行くというから、こちらも嬉しくって外に出た。
「主婦さあ、『日本橋の松屋においで、松屋が安くって好いから』と、いっていたわ。うちの主婦さあも彼店《あすこ》で買うの」
 お宮が気の浮いた時によく出す主婦さあというような調子で声を出しながらいそいそとして歩いた。
「安いといったって、何ほど違うものか」と思いながら「じゃそこへ行こう」私は、お宮の言うとおりになった。
 蠣殻町から汚い水の澱《おど》んだ堀割を新材木町の方へ渡ってゆくと、短い冬の日はもう高い棟《むね》の彼方《かなた》に姿を隠して、夕暮らしい寒い風が問屋物《とんやもの》を運搬する荷馬車の軋《きし》って行く跡から涸《かわ》ききった砂塵《すなほこり》を巻き揚げていった。
 柳沢の言い草じゃないが、こうして連れ出して見ると、もう暗い冬の日光《ひかげ》の照りやんだ暮れ方だからまだしもだとはいいながら今さらにお宮の姿が見る影もなくって、例《いつも》のお召の羽織はまあいいとして、その下には変な唐草模様のある友禅めりんすの袷衣《あわせ》か綿入れを着ているじゃないか。それが忙がしそうに多勢の往来している問屋町の前を通って行くのがひどく目に立って、私はせっかくの思いに連れ出していながら、独り足早にさっさっと先きに立って歩いた。
 そんな風をした女をつれて松屋へ入って行くのが冷汗をかくようであったが誰れも知った人間に遭《あ》いはしないだろうかと恐る恐る二階に上ってゆくと、よくしたもので二階のすぐ上り口の鼻先に知った人間が夫婦《ふたり》で買い物をしている。私はちょいとお宮の袖《そで》を引っ張ってすうと物蔭に隠れてしまった。間もなくそれらが降りていったので私は恥かしそうに売場の番頭の前に安物の下着のようなめりんす友禅を着たお宮をつれて行った。
 すると、お宮がちょうどお前と同じことだ。どうして女というものはああなんだろう。お前にいつか袷衣《あわせ》にするからといって紡績物の絣を買った時にどうだったろう、私が見立てて買って来てやったのを、柄が気に入らぬからといって、何といった?
「あなた、そんな押し付けるようなことをいうもんじゃないわ、何か買って来た時は――『お前にこんな物を買って来てやったが、どうだい、気に入るか』って、まず訊《き》くものよ」
 そんなことをいった。あの時お前は、先《せん》の亭主《ていしゅ》は、それは深切であった、深切であったと、よく口癖のようにいっていたから、
「それはお前の先の亭主はそんなことをいってお前を可愛《かわい》がったか知れないが、俺はそんなことをいうのは厭《いや》だ」
 と、いって笑ってやったら、その時お前は気嫌悪そうな顔をしながら笑った。でも、やっぱりその柄が気に入らないからといって、せっかく私とその呉服屋の息子とで見立ててこれが好いときめた物を、また他なのを子僧に持って来さして比べて見た。そしてやっぱり先のがお前にも気に入った。それから早速仕立てて着て見たら、「あなた、これはなかなか好い柄ですよ。姉のところに着て行ったら、『好いのが出来たねえ』って、引っ張って見ていました」
 そういったじゃないか。
 お宮がそのとおりだ。
 たかがセルのコートを一枚買うのに、いろいろ番頭の出して見せる品物《もの》を、
「ああこれが好い!」と、手に取り上げているかと思うと、後から変った柄のが出ると、
「ああこの方がいいわ!」そしてまたそっちに手を出す。
「じゃ、その方に定《き》めたらいいだろう」と急くと、
「やっぱりこっちの方が好いわ」と、指を一本口の中に入れて考えたようにしている。私は番頭の手前つくづく穴にもはいりたくなって、
「じゃ、そっちのにするさ」
「…………」
「これも、なかなかおよろしい柄でございます」
 番頭がそういって、お宮が手放した方を取り上げて斜めに眺《なが》めていると、
「じゃあ、あっちにしようか?」こうだ。
「さあさあ※[#感嘆符二つ、1-8-75] もういい加減にしてどれかに早くきめたらいいじゃないか」私は焦《じ》れったくなって、せき立てた。
「いえ、どうぞ御ゆっくりと御覧なすって下さいまし」番頭はお世辞をいった。
「これがおよろしいじゃございませんか」こんどは先《せん》のと違ったのを取って見た。
「じゃ、あれにするわ!」お宮は口から指を出していった。そしてついに番頭が二度めに取り上げたのにきめた。
 きめたのはいいが、後で聞くと、家へ持って帰ってから多勢《みんな》にいろいろにいわれて、翌日《あくるひ》自分でまたわざわざ松屋まで取り換えにいって、他なのを取って来ると、また主婦《おかみ》や他の売女《おんな》どもに何とかかとかいわれて、こんどは電話をかけて持って来てもらって、多勢で見比べたが、やっぱり元のにきめたのだそうな。
 私はそんなことを聞いてから、お宮という奴はよっぽど浮気な、しょっちゅう心の動揺《ぐらつ》いている売女だと、ちょっと厭あになったが、それでもやっぱり止《や》められなかった。
 松屋から帰途《かえり》に食傷横丁に入って、あすこの鳥料理に上った。私は海鼠《なまこ》の肴《さかな》で飲《い》けぬ口ながら、ゆっくりした気持ちになって一ぱい飲みながら、お宮のために鳥を焼いてやって
「どうだ? うまいか」と訊くと
「あんまりうまくないわねえ。……私今日昼から歯が痛いの」
 そういって渋面《しかめつら》をして、口を歪《ゆが》めてすすり込むような音を立てていた。
 その夜遅くなってから
「俺はもう帰ろう!」
 考えていると、だんだんつまあらなくなったので、私はむくりと起き上ってこっちもあんまり口を利《き》かないで戻《もど》って来た。自家《うち》に戻るといえばいいが、ようよう電車に間に合って寒い深更《よふ》けに喜久井町に帰って来ると婆さんは、今晩もまた戻って来ないと思ってか、とっくに戸締りをして寝ていた。どんどん叩《たた》いて起すと、
「あなたですか、また遅くかえって!」
 と、ぶつぶつ口の中でいいながら戸を明けてくれた。
 私は押入れを明けて氷のような蒲団《ふとん》の中へ自棄糞《やけくそ》にもぐりこんで軒下の野良犬《のらいぬ》のように丸く曲ってそのまま困睡した。

 老婆《ばあ》さんは、前にもいったようにきっとお前や柳町の入れ知恵もあったのだろうが、私にここのうちを出ていってくれといって、後には毒づくように言って追い立てようとした。
 私も、お前がどこにどうしているか、それを知りたいばかりに喜久井町の家で欝《ふさ》ぎこんで湿っぽい日を暮しているものの、そこにいたって所詮《しょせん》分るあてのないものとなればどこか他の、もっと日当りの好い清洒《こざっぱり》とした間借りでもしようかと思っていたが、それにしても六年も七年も永い間不如意ながら自分で所帯をもって食べたい物を食べて来たのに、これから他人の家の一|間《ま》を借りて、恋でも情けでもない見知らぬ人間に気兼ねをするのが私には億劫《おっくう》であった。それでずるずるにやっぱり居馴《いな》れた喜久井町の家に腐れ着いていたのだ。
 すると弟の柳沢のいた、あの関口の加藤の二階が先だってから明いていて、柳沢のところの老婢《ばあさん》に
「雪岡さん、本当においでになるんでしょうか、おいでになるんなら、なるんでそのつもりで明けておくから」
 といって、加藤の家の主婦《おかみ》さんが伝言《ことづけ》をしていたというから、それで喜久井町の家の未練を思いきって其家《そこ》へ移ることに決心した。
 それは確か十二月の十七日であった。宵《よい》から矢来《やらい》の婆さんのところの小倉《おぐら》の隠居に頼んでおいて荷物を運んでもらった。
 萎《な》えたような心を我れから引き立てて行李《こうり》をしばったり書籍《ほん》をかたづけたりしながらそこらを見まわすと、何かにつけて先立つものは無念の涙だ。
「何で自分はこんなに意気地《いくじ》がないのだろう。男がこんなことでは仕方がない」
 と、自身で自身を叱《しか》って見たが、私にはただたわいもなく哀れっぽく悲しくって何か深い淵《ふち》の底にでも滅入《めい》りこんでゆくようで耐《こら》え性《しょう》も何もなかった。
 小倉に一と車積み出さしておいて、私は散らかった机の前で老母《ばあさん》の膳立《ぜんだ》てしてくれた朝飯の箸《はし》を取り上げながら
「お老母《ばあ》さん、長いことお世話になりましたが、私も今日かぎり此家《ここ》を出てゆきます。もう此家を出てしまえば私とおすまやあなた方との縁もそれで切れてしまいます。七年の間には随分あなたやおすまに対してひどいことをいったこともありますが、それは勘弁してもらいます。……私も出て行ってしまえば、もうおすまをどうしようとも思いませんから安心して下さい。……真実《ほんとう》におすまはどうしているんです。私がこうして綺麗に引き払って出てゆくんですから、それだけ言ってきかしたって別条ないでしょう」
 私は心から詫《わ》びるような気になって優しくいった。すると老母さんはどう思ったか、きっとそんな言葉には何とも感じなかったろうが、膳を置いてゆきがけに体《からだ》を半分襖に隠すようにして
「おすまは女の児の一人ある年寄りのところに嫁《かたづ》いています……」
 老母さんの癖で言葉尻を消すようにただそれだけいって、そのまま襖をぴたりと閉《し》めて勝手の方へ行ってしまった。
 私はそれを聴《き》くと一時《ひととき》に手腕《うで》が痲痺《しび》れたようになって、そのまま両手に持っていた茶碗《ちゃわん》と箸を膳の上にゴトリと落した。一と口入れた御飯が、もくし上げて来るようで咽喉《のど》へ通らなかった。
 そして引越しの方はそのまま小倉に任せておいて私はまるで狂気のようになって家を飛び出した。
「ああ、七年添寝をしていたあの肉体《からだ》は、もう知らぬ間に他の男の自由になっていたのだ。ああもう未来|永劫《えいごう》取返しのつかぬ肉体になっていたのか!」
 と、心を空にその年寄りだという娘の子の一人ある男の顔容《かおかたち》などをいろいろに空想しながら、やたらに道を歩いていった。
 そうしていつか矢来の老婆《ばあ》さんが
「どうもおすまさんは伝通院《でんづういん》の近くにいるらしい」
 と、いったことを思って山吹町の通りからいっさんに小石川の方に出て伝通院まで行って、あすこの裏あたりのごみごみした長屋を軒別《けんべつ》見て廻った。そしてがっかり疲《くたび》れた脚《あし》を引《ひ》き擦《ず》りながら竹早町から同心町の界隈《かいわい》をあてどもなくうろうろ駆けまわってまた喜久井町に戻って来た。
「もう皆な小倉さんが持っていきなすったんですよ。もう何にもありやしません」
 老婆さんは、何しに来たかというように言った。
 だんだん減っていた私の所持品《もちもの》といっては小《ち》さい荷車一つにも足らなかった。小倉は暇にまかせて近いところを二度に運んでいった。
 そうなくてさえ薄暗い六畳二間ががらんとして荷物を運び出した後がまるで空家《あきや》のように荒れていた。
 私は老母《ばあ》さんのぶつぶつ言っているのを尻目《しりめ》にかけながら座敷に上って喪心したようにどかりと尻を落してぐったりとなっていた。
 家外《そと》は静かな暖《あった》かな冬の日が照って、どこかそこらを歩いたらば、どんなに愉快だろうと思うようにカラリと空が晴れていた。
 ようやく立ち上って私はそこらの家ん中を見てまわった。すると台所の板の間に鼠入《ねずみい》らずがあるのに気がついて、
「ああ、これは高い銭《かね》を出して買ったのだ」と思いながら、方々の戸棚《とだな》を明けて見るといろんな物が入っている。よく二人の仲が無事であった時分に私が手伝って西洋料理をこしらえて食べた時のパン粉やヘットの臭《にお》いがして、戸棚の中に溢《こぼ》れている。
 小袖斗《こひきだし》の中には新らしい割箸がまだたくさんにある。
「お客に割箸の一度使ったのを使うのは、しみったれていますよ。あんな安いものはない。それでもよく黒くなったのを出す家がありますよ。私はあんな人気が知れない」
 そういって割箸の新しいのなどには欠かさなかったお前の効々《かいがい》しい勝手の間の働き振りなどを、私はふと思い起してしばらくうっとりと鼠入らずの前に立ち尽して考え込んでいた。すると、
「なんです?」
 老母《ばあ》さんが四畳半の部屋から顔を窺《のぞ》けて私が鼠入らずの前に突っ立って考えているのを見て
「あなたその鼠入らずまで持っておいでなさるんですか? それはおすまにやるんじゃありませんかおすまにやるとおいいなすったんじゃありませんか」
 口の中で独語《ひとりごと》でもいうようにぶつくさいった。
 私は癪に障ったから、道具屋を呼んで来てそいつを叩き売ってやろうという考えが起った。
 なるほどこれはお前にやるとはいったことはあるようだが、矢来の老婆《ばあ》さんのところに来ての話しにも
「お姑《ば》さん、こんど雪岡が来たら、そういって所帯道具などは安い物だ。後腐りのないように何もかも売ってしまうようにいって下さい。あんな物がいつまでも残っていてしょっちゅう眼についているとかえっていろいろなことを想《おも》い起していけないから」
 と、そういっていたというのを思い浮べたから、私は外の通りに出て古道具屋を探《さが》したが、一軒近くにあった家では亭主が出ていて、いなかった。それでまた「え、面倒くさい!」と思って老母さんのいうがままにうっちゃらかしてとうとう喜久井町の家を出て加藤の家へやって来た。
 加藤の家では主婦《かみさん》が手伝って小倉と二人がかりであの大きな本箱を二階に持って上って置き場を工夫しているところであった。
南向きの障子には一ぱい暖かい日が射《さ》して、そこを明けると崖下《がけした》を流れている江戸川を越して牛込の窪地《くぼち》の向うに赤城《あかぎ》から築土八幡《つくどはちまん》につづく高台がぼうと靄《もや》にとざされている。砲兵|工廠《こうしょう》の煙突から吐き出す毒々しい煤煙《けむり》の影には遠く日本銀行かなんかの建物が微《かす》かに眺められた。
 私は、そこの※[#「木+靈」、第3水準1-86-29]子窓《れんじまど》の閾《しきい》に腰をかけてついこの春の初めまでいた赤城坂の家の屋根瓦《やねがわら》をあれかこれかと遠目に探したり、日本橋の方の人家を眺めわたしたりして、いくらか伸び伸びとした気持ちになっていた。

 まだ一緒にいる時分よく先《せん》のうち、お前が前の亭主と別れて帰った時の話しをして、四年前一緒になる時にも仲に立った人間が、
「おすまさんもまんざら悪くもなければこそこうして四年もいたのだから、あの人の顔を立てて半歳《はんとし》の間はどんな好い縁談《はなし》があっても嫁かないようにして下さい」
 と、いって別れて戻ったと言ったじゃないか、私とは満《まる》七年近くも一緒にいて、それで私がまだ現在お前の親の家にいる間にそんなことをしたかと思うと、どれほど私の方でああ済まぬことをした、苦労をさした、気の毒である、可愛《かわい》そうだと思っていても、そう思っていればいるほどお前ら一族の者の不人情な仕打ちを胸に据えかねて、そのままあのとおりの手紙を寝床の中で書いたのだ。
 柳町の新吉の奴、どうしてくれよう。まだ暑い時分であった。私が、ともかくもお前と別れることになって、当分永い間東京に帰らぬつもりで函根《はこね》にいって、二十日《はつか》ばかりいて間もなくまた舞い戻って来た時、
 新橋に着くとやッと青の電車の間に合って、須田町まで来ると、もう江戸川ゆきはなかった。ようよう電車賃が片道あったばかりだから俥《くるま》にも乗らず、幸い夏の夜で歩くのによかったから、須田町から喜久井町までてくてく歩いて戻った。
 思いきって一旦《いったん》出て去った家へ帰るのは、それは仲に入って口を利いた柳町に対しても好かあないと思ったけれど、一時過ぎてから門を潜《くぐ》って庭から廻り四畳半の老母《ばあ》さんに聞えぬようにお前の枕頭《まくらもと》と思う六畳の縁側の戸を叩くと、
「あなたですか※[#感嘆符疑問符、1-8-78]」
 と、お前が眼を覚《さ》まして内《なか》から忍ぶように低声《こごえ》で合図をしてくれた。
 私は、やれ嬉しやと、お前が起き出て明けてくれた雨戸からそうっとはいりこんだ。夏の夜更《よふ》けの、外は露気を含んで冷や冷やと好い肌触《はだざわ》りだけれど部屋の中は締め込んでいるのでむうっと寝臭い蚊帳《かや》の臭いに混ってお前臭いにおいが、夜道に歩き疲《くたび》れた私の肉体《からだ》を浸すようにそこらに籠《こ》もっていた。私は何とも言いがたいそのにおいの懐《なつ》かしさにそのまま蚊帳の裾《すそ》をはねて寝床に転《ころ》げ込むと、初めの内はやさしく私を忍ばせたお前が何と思ったか寝床に横たわりながら
「あなたあっちいってお休みなさい。別にあなたの蚊帳を吊《つ》ってあげますから……ここは私の寝るところです」
 と、神経の亢進《たかぶ》ったようにはねつけた。
「いんにゃ、ここでいい、もう怠儀だ」
「怠儀だって、それはあなたの勝手じゃありませんか。あなたはもうここを出て去《い》った人です。一旦切れてしまえば、あなたと私とはもう赤の他人ですから、どこか他へ宿を取るなり、友達のところに行くなり、よそへいって泊って下さい」
「…………」
「ねえ、そうして下さい。ここは私の家です、あなたの家じゃありません。こうしていて明日《あす》老母《おばあ》さんに何といいます。あなた私の家の者を馬鹿にしているんだからそんなことは何とも思わないでしょうが、私が翌朝《あす》お老母《ばあ》さんに対して言いようがないじゃありませんか。私がすき好んでまたあなたを引き入れでもしたように思われて……」
「…………」
「ねえ、そうして下さい。どっか他へいって泊って下さい。あなたは何をいっても私の言うことなど馬鹿にしている。そうなくてさえ柳町の姉を初め自家《うち》の者は皆な私が浮気であなたとこんなことをしているように思っているんですから。あなたは、そりゃ男だし、ちゃんとお銭《かね》をかけて一人で食べてゆかれるようにしてある体ですから、浮気をしたっていいでしょうが、私は少しもそんな考えであなたと今まで一緒にいたんじゃない」
 そういいながらだんだん眼が冴《さ》えて来たと思われて、寝床の上に起き直ってむやみと長煙管《ながぎせる》で灰吹きを叩いていた。
 蚊帳ごしに洩《も》れくる幽暗《うすぐら》い豆ランプの灯影《ほかげ》に映るその顔を、そっと知らぬ風をして細眼に眺めると、凄《すご》いほど蒼《あお》ざめた顔に色気もなく束《つか》ねた束髪の頭髪《あたま》がぼうぼうと這《は》いかかっていた。
 私は、いいたいだけ言わしておいて、借りて来た猫《ねこ》のように敷布団の外に身を縮めてそのまま睡《ねむ》りこけた。
 
 翌朝《あくるあさ》になると、それでも気嫌よさそうに
「お老母さんには、柳町に行っても、あなたのことは何にもいわないようにしておくれ。と、いっておきました」
 そういった。
「ああそうか」
 と、いいながら、私は、久しぶりで口に馴れたお前の手で漬《つ》けた茄子《なす》と生瓜《きゅうり》の新漬で朝涼《あさすず》の風に吹かれつつ以前のとおりに餉台《ちゃぶだい》に向い合って箸を取った。
「あなた、またああそうかって、ああそうかじゃいけませんよ。老母さんに口留めしている間に二、三日の内に下宿なり、間借りをするなり早く他へ行って下さい」
 そういわれて、私はせっかくうまく食べかけていた朝飯が溜飲《りゅういん》になってしまった。
 三日目に老母さんから聴いたと思われて、柳町から新吉が凄《すさま》じい権幕でやって来た。
 私は折から来客があったので、老母さんの四畳半の方に上っていった様子をチラリと認《み》たから、わざとその客を引き留めて雑談に時を過しながらヒステリーの女みたいに癇癪《かんしゃく》の強い新吉の気を抜いていた。
「あなた、新さんが、ちょっと雪岡さんに話しがあるといって、他室《あちら》でさっきから来て待っています」
 お前が、さも新吉の凄じい権幕に懼《おび》えたように、神経の硬《こわ》ばった相形《そうぎょう》に強《し》いて微笑《わらい》を見せながら、そういって私の部屋に入って来た。
「雪岡さん、君は一体どんな考えでいたんです? つい此間《こないだ》函根に行く前に奇麗に此女《これ》と手を切って行ったんじゃありませんか」
 私には、新吉のいう文句よりもその躍起となって一時血の循環《めぐり》の止ったかと思われるように真青になった相形が見ていて厭《いや》だった。
 私は、その毒々しい顔を見ながら、わざとずるく構えて新吉にばかり言いたいだけ文句を並べさして黙り込んでいた。
「お前さんはずるいよ、人にこんなに饒舌《しゃべ》らしておいて。さあ、どうしてくれるんだ? 雪岡さん、今ここを出ていって下さい」
「あなたがそんなに言わなくっても出てゆくさ。しかし出てゆくには出てゆくで、私の方でも下宿するなりどうするなり、いろいろ準備をしなければならぬから」
 私は対手《あいて》にするのが厭で鄭寧《ていねい》にいうと、
「準備をするのはもう何日も前から分っているじゃないか、そりゃお前さんの勝手だ。こっちはそんなことは知らない。早くこの老母《おふくろ》の家を出て行っておくんなさいッ……さあ出て行っておくんなさいッ」
 私がつい一と口くちを出すと、また図に乗って十口も文句を並べた。
「猫や犬じゃあるまいしそんなに早く出てゆかれるものか」
「お前さんのような道理《わけ》の分らない人間は猫や犬を見たようなものだ。何だ教育があるの何のといって、人の娘を玩弄《おもちゃ》にしておいて教育が聴いて呆《あき》れらあ。……へんッお前さんなんぞのような田舎者《いなかもの》に江戸ッ児が馬鹿にされてたまるものか」
 まるで人間を見たことのない田舎の犬が吠《ほ》えつくようにぎんぎんいった。
 私は微笑《うすわらい》しながら黙っていた。
「あなた、今日出て行って下さい。……義兄《あに》さんのいうのが本当です。あなたが一体函根からまた此家《ここ》へ舞い戻って来るというのが違っているんですもの」そういって新吉の方に向いて言葉を柔らげて「私が出します。ほんとに義兄さんには多忙《いそが》しいところを毎度毎度こんなつまらぬことで御心配ばかりかけて済みません」
「ええ、いや。しかしおすまさんもおすまさんじゃないか。雪岡さんがいくら戻って来たってお前さんが家へ入れるというのがよくない……」
「ええ、それはもう私が悪いんです。そのこともこの人によくそういったんです。お急がしいところをどうも済みません。きっとこの人も出てゆきますから、どうぞもう引き取って下さいまし。……また大きな仕事を何かお請けなすったって」お前はそういってほかへ話をそらそうとした。
「いえ、ええ」と、新吉は得意げな返辞を洩らしながらだんだん静かになって来た。
「……あなた、新さんがあんなにいうんですから、どうぞ新さんのために別れると思って此家《ここ》を出ていって下さい」
 新吉が帰っていってからお前は私の傍に戻って来てそういった。
「何だ。あの物のいい振りは。俺《わし》はあんな人間がお前の姉の亭主だと思うと厭だからいわなくとも早くどこか探して出てゆくよ」
「初めガラッと門をあけて入って来た時に、あんまり恐ろしい権幕だったから、私はどうしようかと思った。私を打《ぶ》ちでもするかと思った。私、あれが新さんが厭なの。そりゃ姉の亭主だから義兄《にい》さんにいさんと下手《したで》に出ていれば親切なことは親切な人なんですけれど」
「なんだ。教育がどうのこうのッて」
「自分一人偉い者のようにいって」お前もそういって冷笑《わら》った。
 そんな喧《やかま》しいことがあったけれど、私がどうしてもずるずるに居据って出てゆかなかったのでとうとうお前の方から姿を隠してしまったのだった。
 そしていつの間にかもうそんなところへ嫁《かたづ》いていたのだと聴いたから、私は、新吉はじめお前たちを身を八裂きにして煮て喰《く》ってもなお飽き足らぬくらい腹が立ってあんなに、お前をどこの街頭《まちつじ》でも構わない、見つけ次第打ち殺すと書いたのだ。
 加藤の二階で、寂しさやる瀬なさに寝つかれぬままその手紙を書きながら、どうあってもお前を殺すという覚悟をしていると、いくらか今朝からの怨恨《うらみ》が鎮静して来たようだった。
 翌朝《あくるあさ》その手紙を入れた足で矢来の老婆《ばあ》さんのところにゆき
「おばさん、もうおすまの奴《やつ》ほかへ嫁づいていやがるんだ!」
 そういって、私は身を投げるようにそこに寝転んだ。
「へえ! もう嫁いているんですって?……誰れがそんなことをいいました」
 昨日《きのう》これこれでお前の老母《おっか》さんから聴いたという話しをすると、
「そうですか。……どうも私にはそんなには思われませんがねえ。けれどもおすまさんも年がもう年ですから、急いでそうしたかも知れません」
 老婆《ばあ》さんは手頼《たよ》りないことをいいながら、相変らず状袋をはる手をつづけていた。
 あんなに私がしおれて正直に出たのだからお前の老母《おっか》さんがよもや嘘《うそ》をいいはすまい。そうすると嫁いているに違いない。嫁づいているとすれば、返すがえすも無念だ。そう思うとその無念やら怨恨《うらみ》やらは一層お宮を思い焦がれる情を切ながらした。

 お宮のいる家の主婦《おかみ》とも心やすくなって、
「雪岡さん親切な人だ。大事におしよ」と、いっていたというのをお宮の口からよく聴いた。
「自家《うち》の主婦さあ、雪岡さんのとこなら待合にゆかないでもあっち行って泊らしてもらっといでと、いっているのよ」
「そうか、じゃ僕のところに来てくれたまえ」
 その内私は加藤の家の主婦にも事故《ことわけ》を話して点燈《ひともし》ごろから、ちょうど今晩嫁を迎えるような気分でいそいそとして蠣殻町までお宮を迎えにいった。
 帰途《かえり》には電車で迂廻《まわりみち》して肴町《さかなちょう》の川鉄に寄って鳥をたぺたりして加藤の家へ土産《みやげ》など持って二人俥を連ねて戻って来た。
「それは御無理はありません。七年も八年も奥さんのおあんなさった方が急に一人者《ひとり》におなんなすったのでは。誰れか一人楽しみがなければつまりません」
 と、いってくれている主婦は、私が女を連れ込んで来たのを快く迎えて枕の心配などしてくれた。
 翌朝《あくるあさ》日覚めると明け放った※[#「木+靈」、第3水準1-86-29]子窓《れんじまど》から春といってもないほどな暖《あった》かい朝日が座敷の隅《すみ》まで射《さ》し込んで、牛込の高台が朝靄《あさもや》の中に一眸《ひとめ》に見渡された。
「好い景色ねえ。一遍自家の主婦さんと一緒に遊びに来るわ!」
 お宮は窓に凭《もた》れて余念もなく遠くの森や屋根を眺《なが》めていた。
 私はまるで新婚の朝のような麗《うら》らかな心持に浸って、にわかに世の中の何もかもが面白いものに思いなされた。
 いつも階下《した》におりて食べる御飯を、今日は主婦さんが小《ち》さい餉台をもって上って、それに二人の膳立《ぜんだ》てをしてくれた。
 私の大好きな小蕪《こかぶ》の実の味噌汁《みそしる》は、先《せん》のうち自家でお前がこしらえたほど味は良くなかったけれど久しぶりに女気がそこらに立ち迷うていて、二人差向いでお宮にたき立ての暖かい御飯の給侍《きゅうじ》をしてもらって食ぺていると、まるで御飯が咽喉《のど》へ飛び込むようであった。女というものは恐ろしいものだが、どうしてまたこうお腹《なか》の具合を良くするものであろう。それに比べると医者からもらった胃の薬なんざあ駄目《だめ》だなあと思った。
 お宮は五円札を一枚やると嬉《うれ》しさを押し包むように唇《くち》をきゅっと引き締めて入口まで送って出た私の方を格子戸《こうしど》を閉めながらさも思いを残してゆくような嬌態《しな》を見せて、
「さようなら!」と、眼を瞑るようにしながら猫のような繊細《かぼそ》い仮声《つくりごえ》をして何度も繰り返しながら帰っていった。
 私は急いで二階に駆け戻って、お宮の帰ってゆく姿の見られる西側の小高い窓を開いてそっちの方を見送ると、今しもお宮は露路口の石段を上って表の通路《とおり》に出で立ちながら腰帯の緩《ゆる》みをきゅっと引き締めながら、
「これから帰ってまた活動するんだ」と、いわぬばかりに鬼の首をも取らんず凄じい様子で眼八分に往来を見おろして歩いていった。
 それを見て私は浅ましい考えにつづいて厭らしい気がした。
 加藤の家に来てから柳沢の家とはすぐ目と鼻とであったが、お宮がちょいちょい私の二階に泊りに来るようになってからは、一層気をつけて柳沢の家へは立ち寄らぬようにしていた。たまにそれとなく入っていって柳沢の留守に老婢《ばあ》さんと茶の間の火鉢《ばち》のところで、聞かれるままにお前の噂《うわさ》ばなしなどをしたりして、ついでに柳沢の遊ぶ話など老婢さんが問わず語りにしてきかすのをきいても、それからお宮のところへはあまり凝ってゆかぬらしい。
 私は、とにかくにお宮を自分の物にしたような気になっていた。
 三日ばかり間を置いて、お宮が病気で休んでいるという葉書をよこしたので、私は親切だてに好い情人《いろおとこ》気取りで見舞かたがた顔を見にいった。
 平常《ふだん》でさえ賑《にぎ》やかな人形町通りの年の市はことのほか景気だって、軒から軒にかけ渡した紅提燈《べにぢょうちん》の火光《ほかげ》はイルミネーションの明りと一緒に真昼のように街路《まち》の空を照らして、火鉢や茶箪笥《ちゃだんす》のような懐かしみのある所帯道具を置き並べた道具屋の夜店につづく松飾りや羽子板の店頭《みせさき》には通りきれぬばかりに人集《ひとだか》りがしていた。
 他人になった今でも、それを聞けばお前は、またかといってさぞ顔を顰《しか》めるであろうが、年暮《くれ》に入用があって故郷《くに》から取り寄せた勧業銀行の債券が昼の間に着いたので、それを懇意な質屋にもって行って現金に換えた奴を懐中《ふところ》に握って、いい気持ちになりながら人群《ひとごみ》を縫うて通った。
 そして三原堂で買った梅干あめを懐中にしてお宮の家の店先から窺《のぞ》いた。
 狭苦しい置屋の店も縁起棚《えんぎだな》に燈明の光が明々《あかあか》と照り栄《は》えて、お勝手で煮る香ばしいおせち[#「おせち」に傍点]の臭《にお》いが入口の方まで臭うている。
 早くに化粧《みじたく》をすました姿に明るい灯影を浴びながらお座敷のかかって来るのを待つ間の所在なさに火鉢の傍に寄りつどうていた売女《おんな》の一人が店頭《みせさき》に立ち表われた。
「お宮ちゃん内にいるのはいますが……」
「出られないでしょうか」
「雪岡さんかい?……どうぞお上んなさいと、そうおいい」奥の茶の間から主婦《おかみ》の声がした。
「どうぞお上んなさい。宮ちゃんいます」売女は主婦の声をきいてそういった。
「さあ、どうぞ。……蒲団《ふとん》を……お敷きなさいまし。……雪岡さんというお名は宮ちゃんからたびたびきいています。また先日は宮ちゃんに何より結構なお品をありがとうございました。……宮ちゃん今家にいますよ。この間から少し身体《からだ》が悪いといって休んでいます。宮ちゃん二階《うえ》にいるだろう。雪岡さんがいらしったからおいでッて」
「宮ちゃん、汚《きたな》い風をしているから行きませんて」
 この前柳沢と一緒に来た時来た瓢箪《ひょうたん》のような顔をした小《ち》さい女が主婦のいったことを伝えて二階に上っていった。
「何をいっている!……汚い風をしていたって構やしないじゃないか、お馴染《なじ》みの方だもの。……」おかみは愛想笑いをしながら「もう我儘《わがまま》な女《ひと》ですからさぞあなた方にも遠慮がありませんでしょう。この間から歯が痛いとか頬《ほお》が脹《は》れたとかいって、それは大騒ぎをしているんですよ。……もう一遍いって雪岡さんがいらしったんですから、そのままでいいから降りておいでッて」
 お宮は階段《はしごだん》を二つ三つ降りて来て階下《した》を覗《のぞ》きながら、「あははは!」と笑った。
 二、三日|逢《あ》わなかった懐かしい顔は櫛巻《くしま》きに束《つか》ねた頭髪《あたま》に、蒼白《あおじろ》く面窶《おもやつ》れを見せて平常《いつも》よりもまだ好く思われた。
「どうしたの。そのままだって構やしないじゃないか。……どっか二人でその辺を、年の市でも見ながらブラブラ歩いていらっしゃいまし。……どうだい、雪岡さんが見えたから頬の痛むのが癒《なお》ったろう。どっか二人でそこらを散歩しといで……」
「ええ。あなたどうする? ゆく。じゃ私も行くからちょっと待っていて下さい」私の方を見ながら媚《こ》びるようにいっていそいそ二階に駆け上っていった。
 私は主婦と長火鉢の向いに差し向ってそういう売女を置く家の様子を見ぬ振りをしながら気をつけて見ていた。堅気らしい丸髷《まるまげ》に結《い》ってぞろりとした風をした女や安お召を引っ張って前掛けをした女などがぞろぞろ二階に上ったり下りたりしている。
 勝手口に近い隣の置屋《うち》では多勢の売女《おんな》が年の瀬に押し迫った今宵《こよい》一夜を世を棄《す》てばちに大声をあげて、
「一夜添うても妻は妻。たとい草履《ぞうり》の鼻緒でもう……」
 ワンワン鳴るように燥《はし》ゃいでいる。私は浅ましく思ってきいていた。
 やがてお宮は先《せん》のままの風で降りて来て、
「私もうこのままで行くわ!」この間のめりんすの綿入れの上に羽織だけいつものお召を引っかけている。
「そのままでいいとも」
 主婦《おかみ》は、「御夫婦で仲よう行っていらっしゃいまし」と、煙草《たばこ》を並べた店頭まで送り出した。
 街路《そと》はぞろぞろと身動きもならぬほどの人通りである。
「どっち行くの」お宮はいつもの行儀の悪い悪戯娘《いたずらもの》のような風の口をきいた。
「さあ、どっち行こう。あんまり人の通っていない方がいい」
 私は、人眼のない薄暗い横丁をお宮と二人きりで手と手を握り合って歩いて見たかった。
「もっと人の通っていない方に行って見よう。材木町の河岸《かし》の方にでも」
「あんなところ歩いたってしょうがないさ」お宮は歯が痛むといって、頬を抑《おさ》えながら怒ったようにいった。
「じゃどこを歩くの?」
「どこってどこでも」
「そんなことをいったって仕方がない。お前はどこへ行きたいんだ」
「私はどこへも行きたかない」
「じゃ行くのが厭《いや》なの」
「いやじゃないさ」また怒ったようにいう。
「そうか。じゃもっと歩きいい静かなところをゆこうよ」私はまた横丁に曲りかけた。
「そっち厭!」
「じゃどっちだい?」
 お宮のふてぶてしい駄々《だだ》ッ児《こ》を見たような物のいい振りや態度《ようす》に、私は腹の中でむっとなった。
「どっちでもゆくさ」
「だってお前、私のゆくという方は厭だというじゃないか」
 そういって、私は勝手にずんずん人形町通りの片側を歩いていった。
 そうして水天宮《すいてんぐう》前の大きな四つ辻《つじ》を鎧橋《よろいばし》の方に向いて曲ると、いくらか人脚《ひとあし》が薄くなったので、頬を抑えながら後から黙って蹤《つ》いて来たお宮を待って肩を並べながら、
「宮ちゃん、さっき君の家《ところ》で階段《はしごだん》の下に突っ立っていたあの丸髷に結《い》った女《ひと》は何というの」
 私は優しい声をして訊《たず》ねた。
「だれだろう? 丸髷に結っていた。……家には丸髷の人多勢いるよ」
「そうかい。いいねえ丸髷。こう背のすらりとした。よく小説本の口絵などにある、永洗《えいせん》という人が描《か》いた女のように眉毛《まみげ》のぼうっと刷《は》いたような顔の女《ひと》さ」
「ああ、そりゃ菊ちゃんだ。あなたあんな女好き?」
「ああ好きだ。いいねえ丸髷は。宮ちゃんお前も丸髷に結《ゆ》うといい」
「私|嫌《きら》い!」そういいながらお宮はついと退《の》いた。
 二人はまた黙って別れ別れに歩いた。鎧橋を向うへ渡って山栗《やまぐり》の大きな石造の西洋館について右に曲ると電車の響きも絶えて、株屋町の夜は火の消えたようにひっそりとしていた。凍《い》てついた道に私たちの下駄を踏み鳴らす音が、両側の大戸を閉《し》めきった土蔵造りの建物にカランコロンとびっくりするような谺《こだま》を反《かえ》した。
 私はせっかくの思いでお宮と一緒に歩いていながら、女の方が思うように自分に対して和らかに靡《なび》いて来ぬのが飽き足らなくって、こっちでも拗《す》ねた風になって、怠儀そうにして歩いてるお宮を後にしてさっさっと兜橋《かぶとばし》の方に小急ぎに歩いた。
 するとお宮は「あなたどこへゆくの?」と歯をすすりながら後から声をかけた。
「ねえ、あなたどこへゆくの?……待って頂戴《ちょうだい》よ」
 私はその声をきくといくらか気持よく感じながら、人通りのぱったりと途絶えた暗闇《くらがり》を今までよりもなお急ぎ足に走った。
「ねえ。ようあなた。どこへゆくんです?」お宮は躍起になって後から走って来る様子である。私はお宮がそんなにしているのが分ると、さっきから一ぱいに塞《ふさ》がっていた胸がたちまち和らかに溶けて軽くなったようになった。そして兜橋の上まで来ると欄《てすり》に凭れてお宮の追っかけて来るのを待っていた。
「あなたどこへゆくつもり? こんな寂しいところに人をうっちゃっておいて」むきになって傍《そば》に寄って来た。
「どこへも行きやしないさ。お前が怠儀そうにして歩いているから私は一緒に歩くのが焦《じ》れったくなったばかりさ」私は冷やかな口調でいった。
「…………」
「私、これから帰って、清月にいって菊ちゃんを呼んでもらおうかしら!」独語《ひとりごと》のように考えかんがえいってやった。
「あの女、君とちがって何だか優しそうだ」そういいながらも私の心の中はお宮に対して弱くなっていた。
「そんなによけりゃ呼んだらいいじゃありませんか。さっきから菊ちゃんきくちゃんて、菊ちゃんのことばかりいっているんだもの」
 暗黒《やみ》の中に恐ろしい化物かなんぞのように聳《そそ》り立った巨大な煉瓦《れんが》造りの建物のつづいた、だだッ広い通りを、私はまた独りで歩き出した。水道の敷設がえでもあるのか深く掘り返した黒土が道幅の半分にもりあげられて、暗《やみ》を照らしたカンテラの油煙が臭い嗅《にお》いを漲《みなぎ》らしている。
「あなた、またどこへゆくの?」お宮は追っかけて来た。
 並んで一緒にいると仏頂面《ぶっちょうづら》をして黙っているのが気に入らないので、私は少しも面白くなくって、物をもいわず、とっとと走った。
「じゃ私もう帰る!」お宮は私の後からそう呼びかけて、途中から引っ返えしたらしい。しばらくして後の方を振り顧《かえ》って見ると、お宮は本当に後戻《あともど》りをして、もう向うの方に帰ってゆく様子である。
 そうなるとこんどは私の方で気になって後を追っかけた。
「おうい、かえるのかい。じゃ私も一緒にかえる」
 お宮はその声を聞いてから、前より一層早く駆け出した。
「おうい、まてよ。私も一緒にかえるよ」そういっていくら呼んでもお宮はどこまでも駆けていった。そしてあらめ橋を渡って新材木町の河岸を先へさきへと一生懸命に走った。すると暗いところをむやみに走って来たので二人とも方向《ほうがく》のつかぬ街筋《まちすじ》に出てしまった。
 二、三間先に走っていたお宮ははたと佇立《たちどま》って、
「どちらへ行くの?」けろけろとして訊《き》いた。
 私は、やっとそれで取り着く島を見つけたような気になって、
「こっち行くんだよ」と、いい加減に先に立って歩いた。
「なぜそんなにぷりぷりするんだい」
「あなた私をうっちゃってゆくんだもの」
「お前、私と一緒に歩くのがさもさも怠儀そうだから」
 やっと葭町《よしちょう》から人形町の見えるところまで来たことに気がつくと、お宮は、
「あなた、私は身体が悪いんですから、もうお帰んなさいッ」そんな棄て辞《ぜりふ》をいっておいて、ついと先に立って駆けていった。
 私は、思いきって帰ってしまうかと思ったが、何で面白くもない加藤の家の二階にそのまま戻れるものか。またのめのめとお宮の後を追うて一と足|後《おく》れに置屋に舞い戻って来ると、
「一体どうしたんです? 今宮ちゃん、息をはずませて帰って来て、雪岡さんと喧嘩《けんか》をしたって、それっきり、何にもいわないで二階に上ってしまいましたよ。……若い人たちのすること私どもに分らない」主婦《おかみ》は、長火鉢の向うに私を坐らせて微笑《わら》い微笑いいった。
「あなた方あんまり仲が好すぎるんですよ」
「そんなこともないですがな」私も笑った。
「ほんとにどうしたんです。私、あんな浮気な人嫌い。といっていましたよ。あなたどうかしたのでしょう」
「はははは。そうか、じゃわかった。さっきねえ、此家《ここ》を出てから、私|戯談《じょうだん》に此家の菊ちゃんのことを、あの女《ひと》好きな人だって、ほめたの。それでわかった」
「何だ、くだらない。二人で痴話喧嘩をしたお尻《しり》を私のところへ持って来たって、私知らないよ。雪岡さん何か奢《おご》って下さいよ。……ああそうそうお礼をいうのを忘れていました。さっきはまた子供にまで好いものを。……じゃあなに一と足さきに清月にいっていらしって下さい。あとからすぐ宮ちゃんをやりますから」
「だって歯が痛いとか、頬が脹《は》れたとかいっているんでしょう」
「なに、昨日《きのう》一日休んでいたからもう快《い》いんですよ。わがままばかりいっているんですよ。……ほんとにあなたにお気の毒さまです。あんな女《ひと》だと思ってどうぞ末永く可愛《かわい》がってやって下さい」
 腹の中ではお宮の気心をはかりかねて、真個《ほんと》に嫌われたのだろうかと、消え入るような心地《ここち》になっていたのが、主婦の物馴れた調子に蘇《よみがえ》ったような気になって、私は一と足さきに清月にいった。
 お宮はじき後からやって来た。
「あなた、自家《うち》の子にいろんな物をやってくれたでしょう。主婦さんそういっていた。……あんなにしてもらうと、私顔が立っていいの」お宮は横になりながら宵のことは忘れたようにいった。
「しばらくだったねえ」
「わたいもしばらくだわ」
「お前さっきどうしてあんなに怒ったんだい」
「あなたが、あんまり菊ちゃんのことばかりいうからさ」
 その晩はいつにない打ち解けた心持ちになって、私は早く帰った。
 加藤の家へも梅干飴《うめぼしあめ》を持って帰ってやると、老人《じいさん》に老婆《ばあさん》は大悦《おおよろこ》びで、そこの家でも神棚《かみだな》に総燈明をあげて、大きな長火鉢を置いた座敷が綺麗《きれい》に取りかたづけられて、まわりが年の暮の晩らしゅう光るように照り映《は》えている。
 私とお前と一緒にいた間は、今年の年の暮はと、正月らしい気持ちのしたことはついぞ一度もなかったのに、加藤の家の老人《としより》夫婦の物堅い気楽そうな年越しの支度《したく》を見て、私は自分の心までが稀《めず》らしく正月らしい晴れやかな気持ちになった。
 そして翌日《あくるひ》の大晦日《おおみそか》には日の暮れるのをまちかねてまた清月に出かけた。お宮の来るのを待って一緒に人形町の通りをぞろぞろ見て歩いた。
「わたし扱帯《しご》が一つ欲《ほ》しいの。あなた買ってくれる?」お宮は眩《まぶ》しいばかりに飾った半襟屋《はんえりや》の店頭《みせさき》に立ちどまってそこに懸《か》けつらねた細くけを捻《ひね》りながらいった。
「うむ」と、私は鷹揚《おうよう》にうなずいた。
「じゃ、あの松ちゃんにもこの細くけを一つ買ってやってもよくって」
「うむ」
「何かうまい物を買っていって、食べようじゃないか」
「うむ」
 十日ばかりというもの風ほこりも立たず雨も降らず小春といってもないほど暖《あった》かな天気のつづいた今年の年暮《くれ》は見るから景気だって、今宵かぎりに売れ残った松飾りや橙《だいだい》が見ているうちにどんどんなくなってゆく。
 そうして軒から軒を見て歩いているうちに、さすがに長く雨を見なかった空から八時ごろになるとぱらぱらと大きな雨粒を落して来た。そして見る見るうちに本降りになって来た。不意を喰《くら》った人群《ひとごみ》は総崩《そうくず》れに浮き足だって散らかっていった。
「ああ好い雨だ。早くかえろう」
 夜店の商人《あきんど》が雨を押し上げる思いで怨《うら》めしそうに天を見上げながら、
「もう二時間|遅《おそ》いと早いとで大きな違いだ」と、舌打ちするようにいってつぶやいているのを、私はしっとりとした好い気持ちに聞きなしながらお宮を連れて清月にもどって来た。
 平常《いつも》と違って客はないし、階下《した》で老婢《ばあさん》が慈姑《くわい》を煮る香ばしい臭いをききながら、その夜くらい好い寝心地の夜はなかった。

 年が改まってからも今までのとおり時々お宮を呼んで加藤の家に泊めた。それでいて私は、お宮を落籍《ひか》すなら受け出してすっかり自身のものとしてしまうことも出来なかった。
「お前、いつまでもこんな稼業《かぎょう》をしていたって仕方がないじゃないか。早く足を洗って堅気にならなけりゃいけないよ」
「ほんとに私もそう思うよ」お宮は太息《ためいき》を吐《つ》くようにしていった。
「僕が出してあげようか」
「出してもらったって仕方がない」
 少し真面目《まじめ》な話しになろうとすると、後はそういってそらしてしまった。そういうわけで私もしばらくお宮に会わずにいた。
 すると、忘れもせぬ二月の十一日の夜であった。日がな一日陰気に欝《ふさ》ぎ込んでばかりいた私は、その夜も、ついそこらをちょいと散歩して来るといって、水道町の通りをぐるりと一と廻りして帰って来た。私が入口に入る姿を見ると、すぐ上り口の間で炬燵《こたつ》にあたっていた加藤の老人夫婦は声をそろえて微笑《わら》いながら、
「あッもう一と足のところでした。惜しいことをした」
「どうしたのです? 誰れか来たのですか」
「あなたの好きな人が今見えました」老婦《おかみさん》は笑い笑いいう。
「好きな人ってだれです?」私は、そういいながら、腹の中ではッと度胸《とむね》を衝《つ》きながら、もしやお前でも夜の人目を忍んでたずねて来てくれたのではないかと思った。
 そう思うと、お前の顔容《かおかたち》から、不断よく着ていたあの赤っぽい銘仙《めいせん》の格子縞《こうしじま》の羽織を着た姿がちらりと眼に浮んだ。
「じゃ、おすまでも来ましたか」
「いや、お宮さん。あなたがそこへおかえりになるちょっと前、まだ終点まで行っていられるか、いられないくらいです。お会いになるはずだがなあ。お会いにならなかったですか」
「いえ、会いません。……それで何とかいってゆきましたか」
 今まで何度来ても、それはこちらで玉《ぎょく》をつけてやるから来るので、向うからついぞ訪《たず》ねて来たことなどなかったのに、めずらしい。どうしたのだろう。と、滅入《めい》っていた心がにわかに引き立って、これはいくらか、惚《ほ》れられているのだな、と。そう思うとそこらがたちまち明るくなって、ぞくぞく嬉《うれ》しくなった。
「そしてこれを家へあげますといって置いていらっしゃいました」
 老婦はお宮の絹手巾《きぬハンケチ》で包んだ林檎《りんご》を包みのまま差し出した。手に取り上げて見るとお宮と一緒にいるような薫《かお》りの高い香水の匂《にお》いが立ち迷うている。
「ああ、そうですか。何か用があるんだな」
「ええ、何か御用がありそうでしたよ。お留守ですと申しましたら、ちょっとそこに立って考えていらっしゃいましたが、これをあげますといって、包みのまま置いておかえんなさいました」
「ああ、そうですか。でもよく向うから今日は訪ねて来たな」
 そんな話をしながら私はしばらく老人《としより》夫婦の炬燵にあたっていた。
「温順《おとな》しい、美しい方ですねえ。今日はいつもよりも綺麗に見えた。あなたがお惚れになるのも無理はないと思いました」
「うむ、好い人です」老人《じいさん》までが今夜は老婦《おかみさん》に和してお宮の美しく温順しやかなことをほめた。
「ああそうですか。あれであんな商売をしているとは思われますまい」
「ほんとにそうですよ。ちっともそんな風は見えません」
「あの人を出して奥さんにしたらいいでしょう」今夜はどうしたのか、老人がしきりにさばけたことをいう。
「まさかねえ、蠣殻町の売女《おんな》を女房にも出来ますまいが、妾《めかけ》にする分にはかまわない。もっとも私は妾でも女房でも同じこったから……何か用があるんだなあ」
「また明日《あす》でもおいでになりますよ。何か用がありそうでしたから」
 けれども明日になってもお宮は来なかった。ほんとに用があるなら手紙でもよこしそうなものだと思って待ちあぐんでいたが、手紙もよこさなかった。堪《こら》えかねてこちらから手紙を出して見たが、それに対する返辞もない。とうとう耐忍《がまん》しきれなくって、その次の次の日に清月まで出かけて行った。
「この間私の留守のまに君来てくれたそうだけれど残念だった。何か用でもあったの?」
 面と向っても黙ったまま何とも口を利《き》かないので、私の方から口をきった。そして私は腹の中で、この女の勝手につけてはよく饒舌《しゃべ》りながら、気の向かぬ時は怒ったようにむっつりしているのを、柳沢によく似た女だなと思っていた。
「この間は用があったけれど、もう何にもない」
 まるで義理で口を利くような物の言いぶりをする。
「けれど来た時はどんな用だったの。それを聞かないと何だか気になってしようがない」
 私はやさしく訊いた。
「いったってしようがない」お宮はまた怒ったようにいった。
 それで私もその上|強《し》いて訊こうとはしなかった。そして横になってから、
「私、朝鮮に行くかも知れないよ」と、考え深そうにしていった。
「また例の男が何とかいって来るの」私はこの女を遠くに手放すのが惜しいようで、それをきくとたちまち失望を感じながら「そんなに朝鮮なんかへゆかなくたって、東京でどうかなるだろう」
「だってしようがないもの。もう女郎にでも何にでも身を売って、その金をやってこんどこそ縁を切ってしまう」
 そんな話しをしていても、さらばどうしたらばよかろうかとか、何とか私を頼《たよ》りに相談を持ちかけるという風でもないので、こちらもあっけなくって、勝手にしろと思って泊らずに早く帰った。
 四、五日たってから、加藤の内に来てくれるように電話をかけたけれど、留守であったり何かしていつものようにその日に来なかった。それでこちらからわざわざ蠣殻町まで迎えにいった。
「宮ちゃん、用があるとか何とかいっていましたよ。今いません」女中のお清《きよ》が一人いて、そういった。
 その時分は、私は清月にゆかずに、すぐお宮のいる家にいって、主婦やお清を対手《あいて》にしながら話し込むことがめずらしくなかった。
「雪岡さん、何にもありませんが御飯を食べませんか。宮ちゃんと一緒にお食べなさい」
 私は大きな餉台《ちゃぶだい》にほかの売女《おんな》どもと一緒に並んで御飯《めし》を食べたりなどしていた。
 お宮が外から帰って来たので、厭というのを主婦の口添えで無理にさそうて連れて来た。すると関口台町の坂を上って柳沢の家の前を通るときにお宮は私と肩を並べて歩きながら、
「ここが柳沢さんの家でしょう」といった。
 私は、いつかお宮に「柳沢さんの家はどこ?」といって訊かれたことがあった。けれど教えなかった。教えなかったのは私はこんな尾羽《おは》打ち枯らした貧乏くさい生活をしているのに柳沢はいつも洒瀟《こざっぱ》りとした身装《なり》をして、三十男の遊び盛りを今が世の絶頂《つじ》と誰れが目にも思われる気楽そうな独身《ひとりみ》で老婢《ばあや》一人を使っての生活《くらし》むきはそれこそ紅葉山人《こうようさんじん》の小説の中にでもありそうな話で、
「まあ意気だわねえ!」と、芸者などは惚れつくようにいうだろうと思う。それで私がお宮に柳沢の家を明かさなかったのでもない。私はとかくお宮のことについて今までよりも柳沢と私との間をなるたけ複雑にしたくないと思ったのである。
 そのころ柳沢はどっか神楽坂《かぐらざか》あたりにも好いのが見つかったと思われて、正月《はる》以来好いあんばいにお宮のことは口にしなくなっていた。
 いつであったか、久しぶりに柳沢の家を覗《のぞ》いて見ると玄関に背の高い色の白い大柄な一目に芸者《それ》と見える女がいて、お召の着物に水除《みずよ》けの前掛けをしてランプに石油を注《つ》いでいた。私は先生味をやっているなと思いながら、
「柳沢さんは留守ですか」と訊くと、
「ええおるすでございます」という。
「老婢《ばあ》さんは?」
「お老婢さんもただ今自分の家にいったとかでいませんです」
 芸者《おんな》は、私の微笑《ほほえ》んでいる顔を見て笑い笑いいう。
 そんなようなわけであったから、柳沢はあれッきりお宮をつつきにゆかないものと思っていたのだ。それでちょっと不思議に思いながら、
「お前柳沢の家を知っているの?」と訊ねた。
「ええ、……いや知らないの」
「そうじゃあなかろう」
「真実《ほんとう》よ。知らないの。ただそうかと思ったからちょっと聞いて見たのさ」
 加藤の二階に上って来てからもお宮は初めから不貞腐《ふてくさ》れたように懐手《ふところで》をしながら黙り込んでいた。
「どうしたの……大変沈んでいるじゃないか」
「…………」
「何か心配なことでもあるの?」
「うむ!……あなた私にしばらく何にもいわずにおいて下さい。……」そういってお宮はまた黙りこんだ。
 私は、あまりに人を馬鹿にしたわがままな素振りにかっとなったが、それでもじっと耐《こら》えてうっちゃっていた。するとお宮はどう思ったか、
「……柳沢さんは好い人ねえ」と、だしぬけにいった。
「うむ。……お前柳沢に逢《あ》ったの?」
「ほほほほ」お宮は莫蓮者《ばくれんもの》らしい妖艶《ようえん》な表情《かおつき》をして意味ありそうに笑った。
「逢ったのだろう」さっきからちょっとの間に恐ろしく相形《そうぎょう》の変ったお宮の顔を瞻《みまも》った。
「そりゃあ柳沢に逢おうと、だれに逢おうと、どうだって構わないのだが……」
「私、あなた嫌い!」
「そうか、そりゃああんまり好かれてもいないだろうが。嫌いな男のところへ無理に来てもらってお気の毒だったねえ。じゃこれから帰ってもらっても差支《さしつか》えないよ」
 私はたまりかねた胸をじっと抑えながらいった。
「今晩これから柳沢さんのところへ二人で遊びにいって見ようか」
 お宮は私を馬鹿にしたような横着そうな口の利きようをする。
「うむ。……お前一人行って見たらいいだろう」私は、お宮や柳沢のよく言う口ぶりでいった。
「あなた行かなけりゃ厭《いや》!」
「あなたが行かなきゃあッて。お前が自分でいって見ようと言ったんじゃないか」
「…………」
「いって来たらいいだろう。私はもう寝るから」
 二時間ばかり、気まずい無言の時が過ぎた。
「さあ、どうするの。僕はもう寝るよ」私は、勝子にしゃあがれと思いながら促した。
「私も寝る。……あなたが行かないんだもん」
 私は、それと聞いて何という気随な横着な女だろうと呆《あき》れながら、
「はははは、柳沢のところには私が何もゆこうといったのじゃない。お前が勝手にゆきたいといい出したのじゃないか」私は、不愉快をまぎらすようにわざと高笑いを発した。
 お宮は私が立って床を敷いている間もじっと座ったまま何事か深い考えに沈んでいた。そしてだしぬけに、
「私、柳沢さんが好いの」と、泣き声を出した。
 私はそれと聴《き》くと、どうせそんなことであろうとは思っていながらも、自分に対する欲目から、お宮の心は私に靡《なび》いていないまでも、まさか遠くに離れているとも思っていなかった。しかるにさっきからさも思い迫ったように柳沢の家《ところ》にゆきたがっていたあと、そうと口に出されて見ると、私は木から落された猿《さる》といおうか何といおうか自分が深く思いつめていればいるほど、何ともいいようのない侮辱を感じた。私は、ありとあらゆるものから独《ひと》り突き放されたような失望と怨恨《うらみ》に胸が張り裂けるような気持ちがした。
 そして「何だ。柳沢が好いといって、いわば現在|恋敵《こいがたき》の俺《おれ》のところに来ていて、ほろほろ泣き声を出す奴《やつ》があるものか」
 と、私は怨めしい、腹が立つというよりも呆れかえっておかしくなって、何という見境もない駄々《だだ》っ児《こ》の、我儘《わがまま》放題に生まれついた女であろうと思った。
「勝手にしゃあがれ」と思いながらうっちゃらかしておいて私はさっさっと便処に行って来て床の中にもぐりこんで頭からすっぽり蒲団《ふとん》を被《かぶ》った。
「私も寝る」お宮はまたも泣き声でいいながら後からそうっと入って来た。
 私はくるりと背《せな》を向けて寝た振りをしていた。そしてそのまま黙って寝入ってしまおうとしたが、胸は燃え、頭は冴《さ》えて寝られるどころではない。お宮の方に向き直って何か言わねば気が済まぬのをじっと息を詰めて耐《こら》えていた。やや三、四十分もそうしていたが、とうとう堪《こら》えきれなくなってお宮の方に向きなおりながら、
「お前|真実《ほんとう》に柳沢が好いの? 真実のことをいってくれ。僕怒りやしないから」
 弱い声でいった。するとお宮は、
「ええ、柳沢さんが好いの」やっぱりさっきのような泣き声で返辞をした。
 私は消え入るような心地になってじっと堪えていたが、果ては耐えられなくなっていきなり、
「ああ悔しい※[#感嘆符二つ、1-8-75]……思いつめた女に友達と見変えられた」といってかっと両子で頭髪《あたま》を引っ掻《か》いて蒲団の中で身悶《みもだ》えした。
 するとお宮は、「おう恐《こわ》い人※[#感嘆符二つ、1-8-75]」と、呆れたようにいって蒲団の端の方に身を退《の》いて、背後《うしろ》に※[#「てへん+丑」、第4水準2-12-93]《ね》じ向いて私の方を見た。
 私は、その時お宮と自分との間が肉体《からだ》はわずか三尺も隔っていなくっても互いの心持ちはもう千里も遠くに離れている仇《かたき》同志のような感じがした。

 そうなったら憎いが先に立って、私は翌朝《あくるあさ》起きてからもお宮には口も利かなかった。それでも主婦《おかみさん》が階下《した》からお膳《ぜん》を運んで来た時、
「御飯をお食べなさい」と、いうと、
「私、食べない」といったきり不貞くされたように沈み込んでじっと坐っている。
 私も進まぬ朝飯を茶漬《ちゃづけ》にして流しこんだ後は口も利かずに机に凭《もた》れて見たくもない新聞に目を通していた。
「わたし朝鮮に行ってしまうよ」と、また泣き声でいった。
 私は、勝手にしろ。朝鮮にゆこうと満州にゆこうとこっちの知ったことじゃない。と思いながらも、
「朝鮮なんかへ行くのは止《よ》した方がいいよ。私がどうかしてあげるよ」と、優しくいった。
「あなたにどうしてもらったってしょうがない」
 そういういい方だ。
 私は素知らぬ振りをしてややしばらく新聞を読んでいた。
 お宮は黙って考え沈んでいる。するとだしぬけに、
「あなた奥さんどうしたの?」そんなことをいった。
「うむ、どっかへ行ってしまった」
「もうどっかへ嫁《かた》づいているの?……柳沢さんそんなことをいっていたよ」
 それを聴いて私はいよいよ柳沢が蔭《かげ》でお宮にいろんなことをいっているのが見え透くように思われた。
「柳沢がどんなことをいっていた?」
 私は思わず顔を恐ろしくしてきっとお宮を瞻った。
「うむ、何にもいやしないさ」怒ったようにいった。
 私はますます気に障《さわ》ったがそれでもなおじっと堪えて、再び口を噤《つぐ》んだ。
「あなた私が柳沢さんのところへいったらどうする?」お宮はまた泣くような声でいった。
「行くなら行ったらいいじゃないか。何も私に遠慮はいらない」
「ほんとに柳沢さんのところにいってもよくって?」
「そんなにくどく私に訊《き》く必要はないじゃないか。……私にも考えがあるから」
「じゃどうするの?」
「どうもしやあしないさ」
「私、あなた厭。何でもじきに柳沢さんにいってしまうから」
「私が何を柳沢にいった?」
「あなた何だって、私があなたに話したことを柳沢さんにいった」
「うむ、そりゃいったかも知れないが、お前と私とで話したことを話したまでで、他人の噂《うわさ》でもなければ悪口でもない。柳沢こそそうじゃないか、私は柳沢を友達と思っているから、お前のことばかりじゃない。もっと大切な先《せん》の妻君のことまで委《くわ》しく打ち明けて話している。それを柳沢がまた他の者に笑い話しにするこそ好くないことだ。私は自身の恥辱《はじ》になることをこそいえ、決して他人の迷惑になることをいやあしない」
 私は柳沢が、お宮に向って、雪岡は先の妻君がどうしたとかこうしたとか蔭口を言っているのがよく分っているので、お宮がそんなことを言ったので、むっとなった。そうしてどちらが善《い》いか悪いか誰れだって考えて見ろと思った。すると、
「そんな自分のことを何も他人《ひと》にいわなくたって好いじゃあないか」
 お宮は人を馬鹿にしたようなことをいった。
 私はたちまちかあっとなった。先だっても誰れだったか、柳沢さんという人は自己に寛にして他人に厳なる人だといっていた。全くその通りだ。またこのお宮がその通りの奴だ。昨夜《ゆうべ》から自分で勝手なことをいいながら、さもさも私がよくないようなことをいっている。そう思うと私は、カッとお宮の横着そうな面に唾《つばき》を吐きかけて、横素頬《よこずっぽう》を三つ四つ張り飛ばして、そのまま思いきろうと咽喉《のど》まで出しかけた痰唾《たんつば》をぐっと押えてまた呑《の》み込み、いやいや今ここでお宮を怒らして喧嘩《けんか》別れにしてしまうとこれまでお宮にやっている手紙を取り戻すことが出来ない。先だっても柳沢の言っていたことに、真野《まの》がある女にやった手紙《ふみ》を水野がその女から取り上げて人に見せていた。他の男が女にやった手紙を女から取り上げて見るのは面白い。水野は腕がある。
 そういって、柳沢自身もそんなことをして見たそうにいっていた。私がもしお宮を怒らしてしまうと不貞腐れのお宮のことだから、きっと柳沢に私のことを何とかかとかいうに違いない。そうすりゃ柳沢もますます好い気持ちになってこちらからやっている手紙をまき上げて読むに違いない。女を取られた上にこちらの手紙まで読まれて笑いものにせられるのが残念だ。
 と、じっと歯を喰い縛る思いで、また声を和らげながら、
「君が、僕が厭なら厭でかまやしないよ。僕は諦《あきら》めるから」
 そういった。けれども私の本心は、こいつにそんなにまで柳沢と見変えられたかと思えば、未練というよりも面《つら》が憎くなって、どうしてこの恋仇《あだ》をしてやろうかと胸は無念の焔《ほむら》に燃えていた。するとお宮は、
「じゃこれから二人で柳沢さんのところにいって見ようか」と思い立ったようにいった。
 私は、また柳沢とお宮と並べておいて二人がどうするか見たいと思ったから、
「ああ行って見よう」といって、それから二人で柳沢の家に行った。
 柳沢は例《いつも》のとおり二階の机の前に趺座《あぐら》をかいていたが私たちが上っていったのを見て、笑うのは厭だというような顔をして黙り込んでまじまじ他《ひと》の顔を瞻《みまも》っていた。
「書生の家だから、何にもないだろう」
 お宮がそこらを見廻しているのを見て、柳沢はそういった。
「好い家ねえ。こんなところにいたらさぞ勉強出来ていいでしょう」お宮は腹からいうようにいった。
 私は畳が冷たかったから、自身で床の間に積んであった座蒲団を取って来て敷いた。
 するとお宮はそれを見て、
「あなた自分のだけ取って来て私のは取って来てくれないの」ぷりぷりしていった。
 私は聞いて呆れながら、お宮は、私がそんなにして女の気嫌《きげん》を取るほど惚れていると自惚《うぬぼ》れているのだろうかと思って柳沢の顔を見た。柳沢もお宮のいうことがあまりに妙なことをいうとでも思ったか私と顔を見合わせて笑った。
「俺は、そんなにしてまで君の気嫌を取らなくってもいいのだ。ははは」
 そういって、私はわざと声高に笑った。
 お宮は不貞た面をふくらして黙りこんでいたが、しばらくして私の顔をジロジロと汚《きたな》そうに瞻りながら、
「あなたその顔はどうしたの?」
 柳沢もそれにつれて私の顔を汚そうに見てにやりにやり笑っていた。
 私の顔はその時分口にするさえ浅ましい顔をしていた。まだ去年の秋お宮のところへ二度めか三度めにいった時|翌朝《あくるあさ》帰って気がつくと飛んだことになっていた。医師に見てもらうとその病気《やまい》だといって手当てをしてくれたけれど、別に痛くも何ともなかったから、そのままうっちゃっておいた。それが一月の末時分から口や鼻のまわりから頭髪《あたま》に小《ち》さい腫物《ふきでもの》のようなものが出来て来たからまた医者に行って見てもらうと医者は、顔を渋《しか》めて、
「ああ、来た……。ちょうどあれがこうなって来る時分だ」といって、いろいろ手当てをしてくれて「ひとしきり頭髪《かみ》が脱《ぬ》けてしまうよ……ナニまたじき生《は》えるのは生えるけれど」そういった。
 はたして医者のいったとおりに顔の吹出物はだんだん劇《はげ》しくなって人前に出されない顔になった。そうなると私は故郷《くに》に年を取っている一人の母親のことを思った。
 親が満足に産みつけてくれた身体《からだ》にもし生涯《しょうがい》人前に出ることの出来ないような不具な顔にでもなったら、どうしよう。そのことを考えるとまた夜の眼も眠られないことがあった。お前のことといい、たとい高等地獄とはいいながらお宮の義理人情に叛《そむ》いた仕方といい、その上にお宮から感染した忌わしい病のために一生不具の身となるようなことがあっては年を取った一人の親に対して申しわけがない。
 お宮が私に叛いて柳沢に心を寄せて行っても、私はその浅ましい汚らわしい顔を恥じてじっと陰忍していた。皆を殺して自殺をしようかと思った。
「どうしたって、これはお前からもらった病気だ」
「ふむ?……」お宮はそういったきりしばらく黙っていたが、
「何んだ! あんまり道楽をするからそんなことになるんだ。……おかみさんにも道楽をするから棄《す》てられたんだろう。……おかみさんどっかで妾をしているというじゃないか」
 そういってお宮は荒い口も利かぬように堪《こら》えている私に毒づいた。そして今お宮のいったことでまたグッと癪《しゃく》に障ったというのは、おかみさんは妾をしているというじゃないかといった一言だ。私は、お前がもしそういうことをしておりはしないかという心当りがあったから、いつか柳沢にだけはそれを打ち明けて話したことがあった。柳沢から私の蔭口に聞いたのでなければお宮がそんなことを口に出すはずがない。
 私はそう思ってじっと柳沢の顔とお宮の顔とを見合わした。柳沢は、私がいつかそういうことを話したのを、柳沢だからそんなことをも打ち明かしたのだと思うよりも、そんなことを他人《ひと》に話した私を、腹の中では馬鹿だと嘲笑《あざわら》いながら聞いておいて、そうして私とお宮との仲をちくりちくりとつっつくためにそれを利用したのだろう。
 私はいきなり立ち上って二人を蹴飛《けと》ばしてやろうかと、むらむらとなったが、また手紙のことを思い出してじっと胸をさすって耐《こら》えた。
 どうして私がそんなにお宮にやっている手紙のことを気にするかというのに、私は今度のお宮のことについても、お宮に向って柳沢のことを露ほども蔭口めいたことをいっていない。ただ一番近くにやった手紙に、柳沢のことを一と口いってあった。それをどうかして柳沢の手に巻きあげられて見られるのが厭だ。そうかといってその手紙にも決してそんな悪口などをいってあるのではなかった。柳沢が私の蔭口をきき、また私の方でもちょうど柳沢のするとおりに柳沢の蔭口をいっているであろうとは、かねて柳沢が邪推しているのだが、私はこれまでそんなことは少しもない。しかるに高等地獄に与えたたった一本のその手紙ゆえに柳沢の平生の邪推を確実なものにするということが私には何よりも耐えられなかったのである。
「柳沢さんのところを、いくら訊いても教えないんだもの」
 黙っている私に、おっ被《かぶ》せてお宮はまた毒づいた。
 柳沢は、私が教えなかった心持ちを読んだような鋭い黒眼をしてにやりにやり笑っていた。
 けれども柳沢とお宮との関係がどんなになっているかは、まだよく分らなかった。
 柳沢は、お宮が私に向ってそんなに悪態を吐《つ》いている間もしょっちゅう意味ありげににやりにやりと笑ってばかりいた。
「もう帰ろう」私はお宮を促した。
「ええ」といったきりお宮は尻《しり》を上げようとはしなかった。
「あなたまだ社へ行かないの」
「まだゆかない」お宮は柳沢に対っては優しい口をきいている。
「おいもう帰ろう」しばらくしてまた私はお宮を促した。
「あなた帰るならお帰んなさい。私もっといるから」
 私は、自分がもし一人で先帰ったら後で二人どんな話しをするか、それが気づかわれた。私は、お宮が柳沢とすでに二、三日前に三日も蠣殻町の待合に居続けして逢っていることをちっとも知らなかったのだ。
 それでお宮にそういわれても私は一人で起《た》とうとせず、やっぱりお宮を促して待っていた。
「ああ帰ろう」と、いってお宮はとうとう立ち上りそうにした。
 私はもう起ち上った。
「すぐ行くよ。あなた階下《した》に降りて待ってて下さい」
 そういってお宮は何か柳沢に用ありそうにぐずぐずしている。
 それを見ては、私もそこにいるのが気が咎《とが》めたからさっさっと降りてしまった。
 やがて五分間ばかりしてお宮は降りて来た。そして私のいる加藤の家を出る時はろくろく挨拶《あいさつ》もしなかったお宮が柳沢のところの老婢《ばあさん》に対《むか》ってぺったり座って何様のお嬢さんかというように行儀よく挨拶をしていた。

 いろいろな素振りで、私にはもうお宮の私と柳沢とに対する本心がわかったから、私は怨恨《うらみ》と失望とに胸を閉されつつ、どうかして私からお宮にやっている手紙を取り返すことに苦心した。
 二、三日立ってからであった。私にはふとしたことから柳沢とお宮とがどこかで逢っているような気がしてたまらない。それで柳沢の家を覗いて見ると老婢《ばあさん》が一人留守をしていて柳沢はいない。いよいよお宮のところにいっているに違いないと思うと、ますます手紙のことが気になりだした。で、すぐその足でお宮を置いている家までやって行った。
 八時ごろだったから売女《おんな》は大方出ていって家内《うち》は女中のお清が独り留守をしていた。
「お主婦《かみ》さんはどうしたの」といいながら私は例《いつも》の通り長火鉢の向うに坐った。
「おかみさんも今ちょっと出ていませんよ」
「宮ちゃんは今日どこ?」
「ちょっとそこまで行っています」
「今晩は帰らないだろう」
「ええ、帰りませんでしょうなあ」
 私は、もうどうしても柳沢と逢っているに違いないような気がして来た。
「いつから行っているの?」
「もう大分前からですよ」
「大分前からって、いつごろから?」
「そうですなあ。もう一昨日《おととい》、その前の日あたりからでしょう」
「一人のお客のところへそんなにいっているの?」
「ええ、そうでしょう。私よく知らないんですよ。……あなた大変気にしているのねえ」
「気にしているというわけもないが、……どこの待合?」
「……さあどこか、私知らないのよ」
「お清さん君知らないことはないだろう。教えてくれないか」
「そりゃ言えないの」
「いえないのは知っているが、教えてくれたまえ」
 そんなことを戯談《じょうだん》半分にいいながら、お清がお勝手口の方へちょっと出ていった間にふっと火鉢の上の柱に懸かっている入花帳《ぎょくちょう》が眼に着いたので、そっと取りはずして手早く繰って見ると、お宮が一昨日からずっと行っている待合が分った。
 その待合は、いつか清月も柳沢に知れているから他にどこか好いところはないだろうかとお宮に相談したら、じゃ有馬学校の裏にこういう待合があるからといって教えてくれたその待合である。
「ははあ、じゃあすこに行っているな。すると柳沢と違うかな。それとも柳沢もそこへ連れ込んでいるのだろうか」
 そんなことを考えながら、お宮のいっている先がそう分ってしまえばもうお清なんかに用はない。
「お清さん、主婦《おかみ》さんはどこへいったんだね。大変|遅《おそ》いじゃないか」
「ええ、大変遅うございますねえ、大方活動へでも行ったんでしょう」
「そうか。じゃ僕はまた来ます。お留守にお邪魔しました」
「まあ好いでしょう。お宮ちゃんがいないからって、そう早く帰らなくってもいいでしょう。今におかみさんも帰って来ますよ」
 そこを出ると私は心を空《そら》にして有馬学校の裏に急いだ。二月も末になると、もう何となく春の宵《よい》めいた暖かい夜風が頬《ほお》をなでて、曇りがちな浮気な空から大粒な雨がぽたりぽたりと顔に降りかかった。
 その待合にいって、私の名をいわずにそっとお宮を下に呼んでもらった。
「便処にゆくことにしてこちらにまいりますから、どうぞ処室《ここ》でしばらくお待ち下さいまし」
 物馴《ものな》れた水戸訛《みとなま》りの主婦が出て来て私を階下《した》の奥まった座敷に通した。
 間もなくお宮は酒に赤く火照《ほて》った頬を抑《おさ》えながら入って来た。
「あッ、あなたですか。私だれかと思った」
 と入りながらちょっと笑顔を見せたが、すぐ不貞《ふて》たような面をして、
「私酒に酔った」独語《ひとりごと》のようにいって頬をなでている。
「だれだえ? お客は?」軽く訊《き》いて見た。
「うむ、誰れでもないの」
「誰れでもないわけはない。だれだろう。それとも君の好きな柳沢さん?」
「うむ、柳沢さんなんか来るものですか。……よく酒を飲む客。一昨日から芸者を上げて騒いでいるの」
 そういうところを見ればなるほど柳沢らしくはない。
「そうか。……まあそんなことはどうでもいいとして、この間私の家へ来た時から私には君の心はよく分ったから、とにかく私が君のところにやっている手紙だけそっくり皆な私に返してくれたまえ。君からもらった手紙も私はこうして皆な持って来ているから。君の方から返してくれれば私の方からも皆な返すから……」
 そういって私は懐中《ふところ》から、ちょうど折よく持ち合わしていた紫めりんすの風呂敷《ふろしき》の畳んだのを取り出して、
「これこのとおり君の手紙は持っている。私のさえ返してもらえばその時これも返すから」
「私、ここにあなたの手紙なんか持って来ていないもの」
「だから今というんじゃない。君がも一度よく考えて見て、私の方に来てくれるのが厭《いや》ならば、その手紙は私の方に返して欲《ほ》しいというんだ。君は柳沢さんの方にゆくんだろう」
「そりゃ考えて見るけれど、私、柳沢さんなんか、あなたの友達に身を任すなんてそんなことをする気遣《きづか》いはない」
 私は何を言うかと思いながら、
「それならそれでいいから、私また一週間ばかりして来るから、その時分までよく考えておいてくれたまえ」そういってそこの待合を出た。
 柳沢は行ってはいなかった。
 じゃ、いろいろ思いまわしたのが自分の邪推であったろうか、邪推としたら自分は厭な性質をもっている。私自身|他人《ひと》から邪推せられた時ほど厭な心持ちのすることはない。自分はそんな邪推をするような人間を何よりも好かぬ。そんなことを考え考えその晩は加藤の二階に戻って来た。
 それから二、三日たって、それでもまだやっぱり柳沢とお宮との間が気になるので柳沢の家にいって見た。
 すると柳沢は階下《した》の茶の間で老婢《ばあさん》に給侍《きゅうじ》をさせながら御飯を食べていたが、
「この間うち家にいなかったな」と、いいながら私は火鉢《ひばち》の横に坐った。
「うむ」と、いいながら柳沢は黙って飯を喰《く》っている。
 飯が済んでから柳沢は、
「僕は鎌倉《かまくら》へしばらく行って来るつもりだ」と、いう。
「そりゃ好いなあ。いつ?」
「いつって、今日か明日か分らない」
「あれからお宮に会わないかえ?」私は微笑しながら訊《たず》ねた。
「会やしないさ」柳沢は苦い顔をしていった。
「ランプ掃除《そうじ》をしていた神楽坂の女はどうした?」
「あれは、あれっきりさ」
「だってちょっと好い女じゃないか」
「あんまりよくもない。……彼女《あれ》なら君にゆずってもいい」柳沢は戯談《じょうだん》らしゅう笑いながらいった。
 私は、はて変なことをいうなあ。と心のうちで思った。
 彼女《あれ》なら君にゆずってもいいというのは、彼女《あれ》でない女があるということだ。それはお宮のことである。じゃ、やっぱりお宮のことを柳沢は思っているのだな。そう思いながら私は、
「いや、別に僕はあの女が欲しいのじゃないが」といって笑いながら、
「やっぱりお宮の方が僕は好きだ」と、柳沢の思っていることに気のつかぬもののように無邪気にいった。
「……お宮はどうしても小間使というところだな。……それに襟頸《えりくび》が坊主襟じゃないか」と、柳沢は口の先でちょいとくさすようにいう。
「うむ。それからあの耳が削いだような貧相な厭な耳だ」私も柳沢に和してお宮を貶《けな》した。
「とにかくよく顔の変る女だ」
「うむ、そうだ。君もよく気のつく人間だなあ。実によく顔の変る女だ」
 まったくお宮は恐ろしくよく顔の変る女だった。
 ややしばらくそんな話しをしていた。
「もう出かけるのか」
「うむ、もう出る」
 それで私は柳沢の家を出て戻った。

 その翌日《あくるひ》であった、この間お宮に会って話しておいたことをどう考えているか、もう一度よく訊いて見るつもりで、こんどは本当にお宮の手紙を懐中《ふところ》にして蠣殻町に出かけていった。
 先だって中からよくお宮の家から一軒おいた隣家《となり》の洋食屋の二階に上ってお客を呼んでいたので、今日もそこにいってよくお宮の思案を訊こうと思って何の気もなく入口のカーテンを頭で分けながら入っていった。
「いらっしゃい!」と、いう声をききながら、土間からすぐ二階にかけた階段《はしごだん》を上ろうとして、ふと上り口に脱ぎすてた男女の下駄《げた》に気がつくと、幅の広い、よく柾《まさ》の通った男の下駄はどうも柳沢の下駄に違いない。
 私は、はっと度胸《とむね》を突いて、「柳沢は昨日鎌倉に行ったはずだが」と思いながらなお女下駄をよく見るとそれも紫の鼻緒に見覚えのあるお宮の下駄らしい。ちょうど女の歩きつきの形のままに脱いだ跡が可愛《かわい》らしく嬌態《しな》をしている。それを見ると私はたちまち何ともいえない嫉妬《しっと》を感じた。そうしてややしばらく痛い腫物《しゅもつ》に触《さわ》るような快《い》い心持ちで男と女の二足の下駄をじっと見つめていた。
 そうしてじっと階上《うえ》の動静《ようす》に聴《き》き耳を立てていると、はたして柳沢が大きな声で何かいっているのが聞える。どんな話をしているだろうかとなおじっと聴き澄ましていると、洋食屋の小僧が降りて来た。
 私は声を立てぬように、
「おい!」と手まねぎして、「お宮ちゃんが来ているのかい?」
「ええ」
「じゃあねえ、私がここにいるといわずにちょっと宮ちゃんを呼んでおくれ」
 小僧は階段《はしごだん》をまた二つ三つ上って、
「宮ちゃんちょっと」と呼ぶと、
 小僧が階段《はしご》を降りるすぐ後からお宮は降りて来た。そしてもう二つ三つというところまでおりて土間に私が突っ立っているのをちらりと見てとるとお宮は、
「あらッ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」と、いったままちょっと段階《だんばしご》の途中に佇立《たちどま》った。そしてまた降りて来た。
 その様子を見るとまた身体《からだ》でも良くないと思われて、真白い顔が少し面窶《おもやつ》れがして、櫛巻《くしま》きに結《い》った頭髪《あたま》がほっそりとして見える。
 階段《はしごだん》を降りてしまうと、脱いでいた下駄を突っかけていきなり私の傍《そば》に来て寄り添うようにしながら、
「わたし病気よ」と、猫《ねこ》のようにやさしい声を出して、そうっと萎《しお》れかけて見せた。私は、
「この畜生が!」と思いながらも、自分も優しい声をつくって、
「ふむ、そうか。それはいけないねえ」と、いいつつまたお宮の頭髪から足袋《たび》のさきまでじろじろ見まわした。
 春着にこしらえたという紫紺色の縮緬《ちりめん》の羽織にお召の二枚重ねをぞろりと着ている。
「こんな着物が着たさに淫売《じごく》をしているのだなあ」と思うと唾《つばき》を吐きかけてやりたい気になりながら、私は鳶衣《とんび》の袖《そで》で和らかにお宮を抱くような格好をして顔を覗《のぞ》いて、「おい、この下駄はだれの下駄?」と、男下駄を指さした。
「…………」
「おい、この下駄はだれの下駄?」
「それは柳沢さんの」
 お宮は例《いつも》の癖の泣くような声を出した。
「そうだろう。……洋食屋で朝からお楽しみだねえ」
 私は気味のいいように笑った。
「じゃあねえ、先だって君に話したとおり、もう君の心もよく分ったから、どうぞ私から上げてある手紙を返しておくれ」私は一段声をやわらげていった。
「ええ……」と、お宮は躊躇《ため》らうようにしている。
「おい、早くしてくれ。君たちにもお邪魔をして相済まぬから」
「じゃ、ちょっと待って下さい」と、いってお宮はまた二階に上っていった。
 私は階下《した》でどかりと椅子《いす》に腰を落して火のごとく燃える胸をじっと鎮《しず》めていた。
 二、三十分も経《た》ったけれど、まだお宮は降りて来ぬ。
 どうしているのだろう。二階から屋根うらへでも出て二人で逃げたのだろうか。そうだったら後で柳沢の顔を見る時が面白い、それとも上っていって見ようか、いやそいつはよくない。そう思って根よく待っていると、お宮は笑顔を作りつつ降りて来た。
「じゃ手紙をお返ししますから私の家に来て下さいって。自家の主婦さんが」
「自家の主婦さんて、お前んとこの主婦さんに何も用はない」
 そういいつつ私は一軒置いた先のお宮の家に入って行った。
 長火鉢の向うに坐っていた主婦はものものしい顔にわざとらしい微笑《えみ》を浮べて、
「一体どうしたんです?」と呆《あき》れた風の顔をして私の顔を見上げた。
 座には主婦のほかに女中のお清、お宮と同じ仲間のお菊、お芳、おしげなどが方々に坐っていて、入っていった私の顔をじろじろと黙って見守っている。
「なに、どうもしやあしないさ。私もうお宮さんのところに来ないから、私からよこしている手紙をもらって行こうと思って」
「つまらない。どうしてそんなことをするんです?……若い人たちのすることは私にはわからない」
「そんなことはどうでもいいんだ。私もこのとおり今まで貰《もら》っていた手紙を持って来た。これを戻すんです」
 そこへお宮は二階から金唐紙《きんからかみ》の小さい函《はこ》を持って降りて来た。その中には手紙が一ぱい入っている。
 そして茶の間の真中にこちらに尻を向けて坐りながら、
「さあ、こんなものがそんなに欲しけりゃあいくらでも返してやる」と、山のような手紙の中から私の手紙を選《え》り分けて後向きに叩《たた》きつけた。
「さあ、これもそうだ! ありったけ返してやるから持って行け」
 私は長火鉢の前に坐って、それを横眼に見ながら笑っていた。
 お宮は七、八本の手紙をそこに投げ出しておいて、
「あんまり人に惚《ほ》れ過ぎるからそんな態《ざま》を見るんだ」といいつつ二階に駆け上って、函を置いて降りて来ると、
「こんなところに用はない。柳沢さんのところに早くゆこう」と、棄《す》て科《ぜりふ》をいって裏口から出ていった。
 私は、黙って笑っていた。
「一体どうしたんです?」主婦は笑いながらまた同じことをいった。
 私は腹の中でこの畜生め、何もかも知っていやあがるくせに白ばくれていやあがる。と思いながら、
「いや何でもない。この手紙さえ戻してもらえば私には何にも文句はないんです」わざと静かにいって、お宮の投げ出して行った手紙を取り上げて懐中《ふところ》に収めた。
 そこへお宮はまた戻って来て、座敷に突っ立ちながら、
「柳沢さんが、ちょっと雪岡さんに用があるから来て下さいって。……でも卑怯者《ひきょうもの》だから、よう来ないだろうって」
 それを聴くと私はグッと癪《しゃく》に障《さわ》った。そして長火鉢に「挿」《さ》してあった鉄火箸《てつひばし》をぎゅうと握りしめて座り直りながら大きな声で、
「なんだ? 卑怯者だ?……それは柳沢がいったことか、お前がいったことか。お前なんぞのような高等|淫売《いんばい》を対手に喧嘩《けんか》をしたかあないんだ。しかし卑怯者というのを柳沢がいったなら、卑怯者か卑怯者でないか、柳沢と喧嘩をして見せよう」
 するとお宮は私が本気になったのを見て折れたように笑いながら、
「卑怯者とは私がいったの。柳沢さんはそんなことをしやあしない」
 と、にわかに声を和らげた。
 私も淫売《じごく》のことで柳沢と喧嘩をするでもあるまいと、胸を撫《な》でながら家外《そと》に出た。

底本:「日本の文学 8 田山花袋・岩野泡鳴・近松秋江」中央公論社
   1970(昭和45)年5月5日初版発行
入力:久保あきら
校正:松永正敏
2001年1月30日公開
2006年1月24日修正
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