蒲 松齢

翩翩–蒲松齢—-田中貢太郎訳

 羅子浮《らしふ》は汾《ふん》の人であった。両親が早く亡くなったので、八、九歳のころから叔父《おじ》の大業《たいぎょう》の許へ身を寄せていた。大業は国子左廂《こくしさしょう》の官にいたが、金があって子がなかったので、羅をほんとうの子供のようにして可愛がった。
 羅は十四になって、良くない人に誘われて遊廓《ゆうかく》へ遊びにいくようになった。ちょうどその時金陵から来ている娼婦《しょうふ》があって、それが郡の中に家を借りて住んでいた。羅はそれに惑溺《わくでき》して通っていたが、そのうちに娼婦《おんな》は金陵へ返っていった。羅はそっと娼婦について逃げ出し、金陵へいって娼婦の家に半年ばかりもいたが、金がなくなったので、ひどく娼婦の女兄弟から冷遇せられるようになった。しかし、それでもまだ棄《す》てられるほどではなかったが、間もなく瘡《おでき》が出来て、それが潰《つぶ》れて牀席《ねどこ》をよごしたので、とうとう逐《お》い出された。
 羅は困って乞食《こじき》になった。市の人は羅の瘡が臭いので遠くからそれをさけた。羅は他郷でのたれ死をするのが、恐ろしいので、乞食をしながら西へ西へと返っていった。毎日シナの里数で三、四十里も歩いて、やっと汾の境までいったが、敗れた着物を着てひどく汚くなっている自分の姿を顧《かえり》みると、村の門を入っていって村の人に顔を合せることができなかった。しかし、それでも故郷が恋しいので、ためらいためらい歩いて村の近くまでいった。
 日がもう暮れていた。羅は山寺へいって宿をかろうと思った。その時向うから一人の女が来た。それは綺麗な仙女《せんじょ》のような女であった。女は近くなると、
「どこへいらっしゃるのです。」
 といって訊いた。羅はほんとうのことを話した。すると女がいった。
「私は出家《しゅっけ》です。山の洞穴《ほらあな》の中に家があります。おとめしてもよろしゅうございます。何も恐しいことはありませんよ。」
 羅は喜んで女についていった。女は深い山の中へ入っていった。そこに一つの洞穴があって、入口に渓《たに》の水が流れ、それに石橋をかけてあった。その石橋を渡って入っていくと石室が二つあって、そこには明るい光が照りわたっているので、燈火《あかり》を用いる必要がなかった。女は羅にいいつけて汚いぼろぼろの着物を脱がして、渓の中へ入って体を洗わし、
「これで洗いますと、創《きず》がなおりますよ。」
 といった。女はまた障《ついたて》をよせて褥《ねどこ》の塵を払って、羅に寝よと勧めて、
「すぐおやすみなさい、今晩あなたに着物をこしらえてあげます。」
 といった。羅が寝ると女は大きな芭蕉の葉のような葉を採って来て、それを切って縫いあわせて着物をこしらえた。羅は寝ながらそれを見ていた。女は着物をしあげるとたたんで枕頭《まくらもと》へ置いていった。
「朝、お召しなさい。」
 そこで二人は榻《ねだい》を並べて寝た。羅は渓の水で洗ってから瘡の痛みがなくなっていたが、ひと眠りして創へ手をやってみると、もう乾いて痂《かさぶた》ができていた。
 朝になって羅は起きようとしたが、宵《よる》に女がこしらえてくれた着物は芭蕉のような葉であるから、とても着られないだろうと思いながら手にとって見ると、緑の錦のひどく滑《なめ》らかなものであった。
 間もなく飯のしたくをした。女は木の葉を採って来て、
「これは餅《もち》です。」
 といって出した。羅は気昧悪く思いながら口にしてみると果して餅であった。女はまた木の葉を切って鶏と魚の形をこしらえて、それを鍋に入れて烹《に》たが、皆|真《ほんとう》の鶏と魚になった。室の隅《すみ》に一つの瓶《かめ》があって佳《よ》い酒を貯えてあったので、それを取って飲んだが、すこしすくなくなると渓の水を汲んで入れた。
 三、四日して羅の痂は皆落ちてしまった。羅は女に執着を持って同棲さしてくれといった。女はいった。
「ほんとにあなたは厭《いや》なかたね。体がよくなると、もうそんなことを考えるのだもの。」
 羅はいった。
「あなたに報いたいと思いまして。」
 とうとう二人は同棲することになって、ひどく歓愛しあった。
 ある日一人の若い婦人が笑いながら入って来て、
「翩翩《へんぺん》のおいたさん、うんとお楽しみなさいよ。面白いことはいつまでもつづきませんからね。」
 といった。女も笑いながら迎えていった。
「花城《かじょう》さん、暫くね。今日は西南の風が吹きますから、その風に乗っていらしたのでしょ。男のお子さんが生れたってね。」
 花城はいった。
「また女の子よ。」
 翩翩は笑っていった。
「花城さんは、瓦竈《かわらがま》ね。なぜ伴《つ》れてらっしゃらないこと。」
 花城はいった。
「さっきまで泣いてましたが、睡ってしまったからそのままにして来たのですよ。」
 そこで二人は坐って酒を飲みだした。花城は羅の方を見ていった。
「若旦那、あなたは美しい方を手に入れましたね。」
 羅はそこで花城を精《くわ》しく見た。それは二十三、四の美しい女であった。羅は花城が好きになったので、木の実の皮をむく時わざと案《つくえ》の下へ落して、俯向《うつむ》いて拾うようなふうをして、そっとその履《くつ》をつまんだ。花城は他の方を向いて笑って知らないふうをした。羅はうっとりなって魂を失った人のようになったが、にわかに着物にぬくみがなくなって、寒くなったので、気がついて自分の着物を見た。着物は黄な葉になっていた。羅はびっくりしてほとんど気絶しそうになったので、いたずら心もなくなって、きちんと居《い》ずまいを直して坐っていると、だんだん変って来て故《もと》の着物になった。羅は二人の女がそれを見ていなかったので安心することができた。しばらくして羅は花城と酒のやりとりをすることになった。羅はまた指で花城の掌《てのひら》を掻《か》いた。花城は平気で笑いながら冗談をいってわけを知らないふうであった。羅はびくびくして心配をしていると、着物はもう葉になってしまったが、しばらくしてやっと故のようになった。それから羅は恥かしくなって妄想しなくなった。花城は笑っていった。
「あなたの家の若旦那は、たいへん身持ちがよくありませんね。あなたのようなやきもちやきの奥さんでなければ、どこへ飛んでいくか解らないのですよ。」
 翩翩はまた笑っていった。
「うわき者は、すぐ凍《こご》えて死んでしまうのですよ。」
 二人は一緒に掌《て》をうって笑った。花城は席を起っていった。
「うちの女の子が眼を醒《さま》して、たいへん啼《な》いているのでしょう。」
 翩翩もまた席を起っていった。
「よその家の男を引張ろうと思って、自家の子供の啼くのも忘れていたのでしょ。」
 花城はもういってしまった。羅は翩翩から責められるのを懼れていたが、翩翩は平生とかわらない話をして他に何もいわなかった。
 間もなく秋も末になって風が寒くなり、霜がおりて木の棄が落ちてしまった。翩翩はそこで落葉を拾いあつめて寒さを禦《ふせ》ぐ用意をしたが、羅が寒そうに体をすくめているのを見ると、※[#「巾+僕のつくり」、第3水準1-84-12]《ずきん》を持って洞穴の口を飛んでいる白雲をとり、それで綿入れをこしらえてやった。羅がそれを着てみると襦《はだぎ》のように温いうえに、軽くふんわりとしていていつも新らしく綿を入れたようであった。
 翌年になって翩翩は男の児を生んだ。それは慧《りこう》できれいな子供であった。羅は毎日洞穴の中でその子供を弄《いじ》って楽しみとしていたが、その一方ではいつも故郷のことを思っていた。羅はそこで翩翩と一緒に返りたいといいだした。翩翩はいった。
「私は一緒にいくことができないのですから、帰りたいならあなたが一人でお帰りなさい。」
 羅はしかたなしに二、三年そのままにしていた。そのうちに子供がだんだん大きくなったので、とうとう花城の家の子供と許嫁《いいなずけ》をした。羅はいつも叔父が年を寄《と》って困っているだろうと思って気にしていた。翩翩はいった。
「叔父さんは、ひどくお年をとっていらっしゃいますが、しあわせなことには達者ですから、心配しなくってもいいのです。子供が結婚してから、帰るならお帰りなさい。」
 翩翩は洞穴の中で木の葉に文字を書いて子供に読書を教えた。子供は一目見てすぐ覚えてしまった。翩翩はいった。
「この児は福相がありますから、人間の中へやりましょう。大臣にならなくても心配することはありませんよ。」
 間もなく子供は十四になった。花城は自分で女《むすめ》を送って来た。女は華やかに化粧をしていたが、その容光《きりょう》が人を照らすほどであった。羅夫婦はひどく悦んで、一家の者を呼びあつめて酒盛をした。翩翩は釵《かんざし》を扣《たた》いて歌った。
[#ここから2字下げ]
我に佳児《かじ》有り
貴官《きかん》を羨《うらや》まず
我に佳婦《かふ》有り
綺※[#「糸+丸」、第3水準1-89-90]《きがん》を羨まず
今夕首を聚《あつ》む
皆|当《まさ》に喜歓すべし
君がために酒を行う
君に勧む加餐《かさん》せよ
[#ここで字下げ終わり]
 そのうちに花城はいってしまった。羅夫婦は子供夫婦と同じ室にいたが、新婦は孝行で、さながら生んだ子供のように翁《しゅうと》姑《しゅうとめ》に事《つか》えた。羅はまた帰りたいといった。翩翩はいった。
「あなたは俗骨があって、どうしても仙品でありません。それに子供に富貴になる運命がありますから、伴《つ》れて一緒にお帰りなさい。私は子供の前途をあやまりたくありません。」
 新婦はその母に逢ってからいきたいと思っていると、花城がもう来た。子供と新婦とは泣いて涙を目に一ぱいためていた。二人の母親はそれを慰めていった。
「ちょっといってまた来るがいいよ。」
 翩翩はそこで木の葉を切って驢《ろば》をこしらえて、三人をそれに乗せて帰らした。
 羅の叔父の大業はもう官を辞して隠棲していたが、姪《おい》はもう死んでないものと思っていた。と、不意に羅がきれいな孫夫婦を伴れて帰って来たので、宝を獲たように喜んだ。
 三人は家の中へ入ってその着ていた着物を見ると、それぞれ芭蕉の葉であった。それを破ってみると湯気のようにちらちらと立ちのぼって消えていった。そこで皆が着物を着換えた。
 後になって羅は翩翩のことが忘れられないので、子供と一緒にいって探してみた。そこには黄葉が径《こみち》を埋めていて、洞穴の口には雲がかかっていた。
 羅は涙を流して帰って来た。

底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

蒲 松齢

汪士秀–蒲松齢—田中貢太郎訳

 汪士秀《おうししゅう》は盧州《ろしゅう》の人であった。豪傑で力が強く、石舂《いしうす》を持ちあげることができた。親子で蹴鞠《しゅうきく》がうまかったが、父親は四十あまりの時|銭塘江《せんとうこう》を渡っていて、舟が沈んで溺れてしまった。
 それから八、九年してのことであった。汪は事情があって湖南へいって、夜、洞庭湖《どうていこ》に舟がかりした。その時はちょうど満月の夜で月が東の方にのぼって、澄んで静かな湖の面は練ったようになっていた。汪は美しい月の湖上をうっとりと眺めていると、不意に五人の怪しい者が水の中から出て来て、持っていた大きな敷物を水の上に敷いたが、その広さは半畝《はんぽ》ばかりもあるものであった。一行はその上に酒肴をたくさん並べて酒盛の用意をした。肴を入れた器と器の触れる響がしたが、それは温かであつぼったい響で、陶器のような焼物の響ではなかった。
 そのうちに三人の者が順じゅんに坐って、後の二人はその給仕についた。坐っている者の一人は黄な衣服を着、一人は白い衣服を着ていたが、頭の上の巾《ずきん》は皆黒かった。三人の者はぎょうぎょうしい服装をして肩を並べていたが、そのこしらえはひどく時代のついた珍らしいものであった。しかし月の光がぼうっとしているのではっきりと見ることはできなかった。そして給仕をしている者は、どれも黒褐色の衣服を着ていたが、そのうちの一人は童《こども》で、他の一人は叟《としより》のようであった。と、黄な衣服を着た者の話す声が聞えて来た。
「今晩は月がひどく佳《よ》いから、面白く飲めるね。」
 すると白い衣服を着た者がいった。
「今晩のさまは、広利王《こうりおう》が梨花島で宴会する時のようだね。」
 三人は互いに勧めあって酒を飲んだが、どうも言葉が小さいので、多くは聞きとれなかった。船頭は懼《おそ》れて船底に隠れて大きな息もしなかった。汪は給仕の叟の方に注意を向けて細かく見ると、自分の父親にそっくりであった。しかし、その言葉を聴いてみると父親の声ではなかった。
 夜が更けてから不意に一人がいった。
「月が良いから毬《まり》を蹴《け》ろうじゃないか。」
 そこで見ていると童が水の中へ入っていって一つの円い物を取って来た。それは一抱えほどのものであったが、中に水銀でも入れてあるように裏と表が透きとおって見えた。坐っていた者も皆起った。黄な衣服を着た者が叟を呼んで一緒に蹴りだした。そして円い物は一丈あまりも空に飛んでいったが、その光はぎらぎらと輝いて眼さきをくらました。と、不意にどんと遠くの方で蹴りあげた円い物がそれて舟の中へ堕ちて来た。蹴鞠に自信のある汪は自分の技倆をふるいたくて仕方のない時であったから、力を極めて蹴りかえしたが、それは軽いやわらかな不思議な足ざわりのものであった。円い物は十丈あまりも空にあがったが、中から漏れる光が虹のように下に射《さ》した。そして這《は》っていくように落ちていったが、空をかすめてゆく彗星《すいせい》のようで、そのまま水の中へ落ちてしまった。どぶんという水の泡だつ音がそこらから聞えて来た。三人の者は皆怒った。
「何者だ、あの人間は。俺達の清興《あそび》を敗ったのは。」
 すると叟《としより》は笑っていった。
「いい、いい。あれは私の家でやる流星拐《りゅうせいかい》の手だよ。」
 白い衣服を着た者が叟の言葉に腹をたてていった。
「俺達が厭がっているのに、きさまが喜ぶということがあるか。」
 そこで、
「ちびと二人で、あのきちがいをつかまえて来い。そうでないと椎《つち》を喫《くら》わしてくれるぞ。」
 といった。汪は逃げることはできないと思ったが、しかし畏《おそ》れなかった。汪は刀を持って舟の中に立っていた。と、見ると童と叟が武器を持って追って来た。汪は叟をじっと見た。それは自分の父親であった。汪は早口に、
「お父さん、私はここにいるのです。」
 と叫ぶようにいった。叟はひどく驚いた。二人は顔を見合わして悲しみにたえられなかった。童はそこで逃げていった。叟はいった。
「お前は早くかくれなくちゃいけない。そうでないと皆が死ななくちゃならないぞ。」
 まだその言葉の終らないうちに、三人の者はもう舟にあがって来た。皆顔は漆《うるし》のように黒くて、その睛《ひとみ》は榴《ざくろ》よりも大きかった。怪しい者は叟を攫《つか》んでいこうとした。汪は力を出して奪いかえした。怪しい者は舟をゆりだしたので纜《ともづな》が切れてしまった。汪は刀で黄な衣服を着た者の臂《ひじ》を截《き》った。臂が落ちた。黄な衣服を着た者はそこで逃げていった。白い衣服を着た者が汪に飛びかかって来た。汪は刀でその顱《あたま》を切った。顱は水の中に堕ちて音がした。怪しい声は大声を立てながら水の中へ飛び込んでしまった。
 そこで船頭と相談して舟をやろうとしていると、やがて巨きな喙《くちばし》が水の面に出て来た。それは深い闊《ひろ》い井戸のようなものであった。それと共に四方の湖の水が奔《はし》るように流れだして、ごうごうという響がおこったが、俄《にわか》にそれが噴きあがるように湧きたって大きな浪となり、浪頭は空の星にとどきそうに見えた。湖の中にいたたくさんの舟は、簸《み》であおられるように漂わされた。湖の上にいる人達はひどく恐れた。
 舟の上には石鼓《せきこ》が二つあった。皆百|斤《きん》の重さのあるものであった。汪はその一つを持って水の中へ投げた。石鼓は水を打って雷のように鳴った。と、浪がだんだんとなくなって来た。汪はまた残りの一つを投げた。それで風も浪もないでしまった。汪はその時父親を鬼《ゆうれい》ではないかと疑った。叟はいった。
「わしはまだ死んではいない。わしと一緒に溺れた者は十九人あったが、皆、あの怪しい物に食われてしまったのだ。わしは球が蹴れたから、たすかっているので、あれは、銭塘の神に罪を犯したから、この洞庭へ逃げているのだ。あれは魚の精だよ、蹴ったものは魚の胞《えな》だ。」
 そこで父子は一緒になれたことを喜びあった。舟はその夜の中に出発した。夜が明けてから見ると舟の中に魚の翅《ひれ》が落ちていた。さしわたしが四、五尺ばかりもあった。そこでこれは宵に切った臂《ひじ》であったということを悟ったのであった。

底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
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蒲 松齢

偸桃–蒲松齢—-田中貢太郎訳

 少年の時郡へいったが、ちょうど立春の節であった。昔からの習慣によるとその立春の前日には、同種類の商買をしている者が山車《だし》をこしらえ、笛をふき鼓《つづみ》をならして、郡の役所へいった。それを演春《えんしゅん》というのであった。
 私も友人についてそれを見物していた。その日は外へ出て遊んでいる人が人垣を作っていた。堂の上には四人の官人に扮《ふん》した者がいたが、皆赤い着物を着て東西に向きあって坐っていた。私は小さかったからそれが何の官であったということは解らなかった。たださわがしい人声と笛や鼓の音が耳に一ぱいになっていたのを覚えている。
 その時一人の男が髪を垂らした子供を伴《つ》れて出て来て、官人の方に向って何かいうようなふりであったが、さわがしいので何をいっているのか聞くことができなかった。と、見ると山車の上に笑い声をする者があった。それは青い着物を着た下役人であった。下役人は大声で彼の男に向って芝居をせよといいつけた。彼の男は何の芝居をしようかと訊いた。官人達は顔を見あわして三言四言いった。そこで下役人が、
「お前は何が得意か。」
 と訊いた。彼の男は、
「何もない所から物を取ってくることができます。」
 といった。下役人はそこで官人に申しあげた。と、しばらくして命《めい》がくだった。下役人は彼《か》の男に向っていった。
「桃を取ってまいれ。」
 彼の男は承知して、衣《うわぎ》をぬいで笥《はこ》の上にかけ、物を怨むような所作《しょさ》をしていった。
「お役人様は、物がわからない。こんな氷の張っている時に、どこに桃があるだろう。しかし、また取らなければ怒りに触れる。さて、どうしたらいいかなァ。」
 すると彼の伴れている子供がいった。
「お父さんは、もう承知したじゃないか。今更できないとはいわれないだろう。」
 彼の男は困ってなげくような所作をしていて、やや暫くしていった。
「よし、思いついた。この春の雪の積んでいる時に、人間世界にどこに桃がある。ただ西王母《せいおうぼ》の園《はたけ》の中は、一年中草木が凋《しぼ》まないから、もしかするとあるだろう。天上から窃《ぬす》むがいいや。」
 そこで子供がいった。
「天へ階《はしご》をかけて昇っていくの。」
 彼の男がいった。
「それは俺に術があるよ。」
 そこで笥《はこ》を啓《あ》けて一束の縄を出したが、その長さは二、三十丈もあった。彼の男はその端を持って、空中へ向って投げた。と、縄は物があってかけたように空中にかかったので、手許にある分を順順に投げあげると縄は高く高く昇《のぼ》っていって、その端は雲の中へ入った。それと共に手に持っていた縄もなくなった。そこで子供を呼んでいった。
「来な。俺は年寄で、体が重いからいけない。お前がいって来な。」
 とうとう縄を子供に持たして、
「これから登っていきな。」
 といった。子供は縄を持って困ったような所作をして、そして父親を怨むようにいった。
「お父さんは、あまり物がわからないや。こんな一本の縄でどうして天へ登れる。もし道中で切れでもしたら、骨も肉もみじんになるのだよ。」
 彼の男は無理に昇らそうとしていった。
「俺がつい口をすべらして、引きうけたから、もう後悔してもおッつかない。いってくれ。もし、桃を窃んで来たなら、きっと百円、金を出して、それで佳《い》い女を買ってお前の嫁にしてやる。」
 子供はそこで縄を登っていった。それはちょうど蛛《くも》が糸を伝わっていくようであった。そしてだんだん雲の中へ登っていって見えないようになった。
 暫くして空から一つの桃が墜《お》ちて来た。それは※[#「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1-88-72]《わん》よりも大きなものであった。彼の男は喜んで、それを堂の上の官人にたてまつった。官人は順順にそれを見たが、それは真《ほんとう》の桃であるかないかをしらべるようなさまであった。と、忽《たちま》ち縄が空から落ちて来た。彼の男は驚いて叫んだ。
「あぶない。天に人がいて、縄を断《き》ったのだ。悴《せがれ》がたいへんだ。」
 暫くして空から物が堕《お》ちて来た。それは子供の首であった。彼の男は首を抱きかかえて泣いていった。
「これは、きっと、桃を偸《ぬす》んでいて、番人に見つかったのだ。」
 また暫くして一つの足が落ちて来たが、それにつづいて手も胴も体もばらばらと堕ちて来た。
 彼の男は非常に悲しんで、一いちそれを拾って笥の中へ入れて蓋をして、そしていった。
「私はただこの子供しかありません。この子供は毎日私について来て手助けをしてくれておりましたが、とうとうこんなことになりました。これからいって※[#「やまいだれ+(夾/土)」、第3水準1-88-54]《うず》めましょう。」
 そこで官人の前に脆《ひざまず》いていった。
「桃のために子供を殺しました。もし、私を憐れんでくださるなら、葬式を助けてください。どうにかしてこの御恩は返します。」
 傍に坐っていた者は同情して、それぞれ金を出してくれた。彼の男はそれを腰につけてから、笥《はこ》を扣《たた》いていった。
「八八、出てお礼をいわないかい。何をぐずぐずしているのだ。」
 忽ち髪をもしゃもしゃにした子供の首が笥《はこ》の蓋《ふた》をもちあげて出て来て、北の方を向いてお辞儀をした。それは彼の子供であった。それは不思議な術であったから、私は今にそれを覚えているが、後に聞くと白蓮教《びゃくれんきょう》の者はこの術をするということであったが、ついすると彼の男は、その苗裔《びょうえい》かも解らない。

底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
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   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
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蒲 松齢

連城–蒲松齢—-田中貢太郎訳

 喬《きょう》は晋寧《しんねい》の人で、少年の時から才子だといわれていた。年が二十あまりのころ、心の底を見せてあっていた友人があった。それは顧《こ》という友人であったが、その顧が没《な》くなった時、妻子の面倒を見てやったので、邑宰《むらやくにん》がひどく感心して文章を寄せて交際を求めて来た。そして二人が交際しているうちに、その邑宰が没くなったが、家に貯蓄がないので家族達は故郷へ婦ることができなかった。喬は家産を傾けて費用を弁じ、顧の家族と共に顧の柩《ひつぎ》を送っていって、二千余里の路を往復したので、心ある人はますますそれを重んじたが、しかし、家はそれがために日に日に衰えていった。
 その時|史孝廉《しこうれん》という者があって一人の女《むすめ》を持っていた。女は幼な名を連城《れんじょう》といっていた。刺繍《ししゅう》が上手で学問もあった。父の孝廉はひどくそれを愛した。連城の刺繍した女の刺繍に倦《う》んでいる図を出して、それを題にして少年達に詩をつくらした。孝廉はその詩によって婿《むこ》を択《えら》ぼうとしていた。喬もそれに応じて詩をつくって出した。
 その詩は、
[#ここから2字下げ]
慵鬟高髻緑婆娑《ようかんこうきつみどりばさ》
早く蘭窓に向って碧荷《へきか》を繍《しゅう》す
刺して鴛鴦《えんおう》に到って魂《たましい》断《た》たんと欲す
暗に針綫《しんせん》を停《とど》めて双蛾を蹙《ひそ》む
[#ここで字下げ終わり]
 というのであった。
 また連城の刺繍の巧みなことをほめて、
[#ここから2字下げ]
繍線|挑《ちょう》し来たりて生くるを写すに似たり
幅中の花鳥自ら天成
当年錦を織るは長技に非《あら》ず
倖《さいわい》に廻文を把《と》りて聖明を感ず
[#ここで字下げ終わり]
 としてあった。連城はその詩を見て喜んで、父に向ってほめた。孝廉は喬は貧乏だからといって相手にしなかった。連城は人に逢うと喬のことをほめ、そのうえ媼《ばあや》をやって、父の命だといつわって金を贈って喬のくらしを助けた。喬はひどく感じていった。
「連城こそ自分の知己《ちき》である。」
 喬は連城のことばかり考えて食にうえた人のようであった。間もなく連城は塩商の子の王化成という者と許嫁《いいなずけ》になった。喬はそこで絶望してしまったが、しかし夢の中ではまだ連城を思慕していた。
 それから間もなく連城は胸の病気になって、それがこじれて癒《なお》らなかった。インドの方から来た行脚僧《あんぎゃそう》があって自分から孝廉の家へ出かけていって、その病気を癒すことができるといったが、ただそれには男子の胸の肉を一切れ用いて薬を調合しなくてはならなかった。孝廉は人を王の家へやって婿に知らした。婿は笑っていった。
「馬鹿|爺親《じじい》、俺の胸の肉を※[#「宛+りっとう」、第4水準2-3-26]《えぐ》らすつもりか。」
 使が返って婿のいったことを伝えた。孝廉は怒って人に話していった。
「肉を割いてくれる者があれば、女を婿にやろう。」
 喬はそれを聞くと孝廉の家へいって、自分で白刃を出して、胸の肉をそいで行脚の僧に渡した。血が上衣から袴を濡らした。僧は薬とその肉を調合して三つの丸薬を作って、日に一回ずつ飲ましたが、三日してその丸薬がなくなると、連城の病気は物をなくしたように癒《なお》ってしまった。孝廉は約束を践《ふ》んで喬に連城をめあわそうと思って、先ずそのことを王の方に知らした。王は怒って官に訟えようとした。孝廉は当惑した。そこで御馳走をかまえて喬を招き、千金を几の上に列べて、
「ひどく御恩にあずかったから、お礼をしたい。」
 といって、そこで約束に背くようになった由《わけ》を話した。喬は顔色をかえて怒った。
「僕が体をおしまなかったのは、知己に報いようとしたからです。肉を売るのじゃないです。」
 といって、止める袖をふり払って帰った。連城はそれを聞いてたえられなかった。で、媼《ばあや》をやって喬をなぐさめて、そのうえで、
「あなたのような才能をお持ちになった方は、いつまでもこうしていらっしゃらないでしょうから、美しい方にはお困りにならないでしょう。私は夢見が悪いから、三年するときっと死にます。こんな死ぬるような者は人と争わないでもよろしゅうございましょう。」
 といわした。喬は媼にいった。
「士は己を知る者のために死す。色のためじゃないのです。どうも連城さんは、ほんとうに私を知ってくれないです。ほんとうに私を知っててくれるなら、結婚しなくてもかまわないです。」
 媼はそこで連城にかわって、たしかに喬を思っているということをいった。喬はいった。
「ほんとにそうなら、今度逢った時、笑ってもらいたいです。そうしてくれるなら僕は死んでも憾《うら》みがないのです。」
 媼は帰っていった。それから数日してのことであった。たまたま喬が外出していると、連城が叔《おじ》の家へいっていて帰って来るのにいき遇った。喬はそこで連城の顔をきっと見た。連城はながし目をして振りかえりながら白い歯を見せて嫣然《にっ》とした。喬はひどく喜んでいった。
「連城はほんとに自分を知ってくれている。」
 ある時孝廉の家へ王が来て結婚の期日のことを相談した。連城はその時から前の病気が再発して、二、三ヵ月して死んでしまった。喬は孝廉の家へいって、連城を弔《とむら》ってひどく悲しむと共にそのまま息が絶えてしまった。孝廉はそれを舁《かつ》がして喬の家へ送りとどけさした。
 喬は自分でもう死んだことを知ったが悲しいことはなかった。村を出て歩きながらも一度連城を見たいと思った。遥かに目をやると西北の方に一つの道があって、たくさんの人が蟻のようにいっているのが見えた。そこで喬はその方へいってその人達の中に交って歩いた。
 不意に一つの官署へ来た。喬はその中へ入っていった。そこに顧《こ》生がいてばったりいきあった。顧は驚いて訊《き》いた。
「君はどうしてここへ来たのだ。」
 そこで顧は喬の手を把《と》って送って帰そうとした。喬は太い息をして、心にあることをいおうとしていると、顧がいった。
「僕はここで文書をつかさどってるが、ひどく信用されているのだ。もし僕がしていいことがあるなら、なんでもするよ。」
 喬は連城のことを訊いた。顧はそこで喬を伴《つ》れてあっちへ廻りこっちへ廻りしていった。連城が白衣を着た一人の女と目のふちを青黒く泣き脹らして廊下の隅に坐っていた。連城は喬の来るのを見ると、にわかに起ちあがってひどく喜んだふうで、
「どうしてここへいらしたのです。」
 といった。喬はいった。
「あなたが死んだのに、僕がどうして生きていれられるのです。」
 連城は泣いた。
「すみません。私を棄《す》てないで、私に殉《じゅん》じてくださるとは、あなたは何という義に厚い方でしょう。しかし、今世ではどうすることもできないのですから、どうか来世をちかってください。」
 喬は顧の方を見ていった。
「君は仕事があるだろうからいってくれたまえ。僕は死ぬるのが楽しみで、生きたいとは思わないから。ただ君に頼みたいのは、連城が来世にどこへ生れるということと、僕もゆくゆくそこへいけるようにしてもらいたいことだけだ。」
 顧は承知していってしまった。白衣を着ている女は、連城に喬のことを訊いた。
「この方は、どうした方です。」
 そこで連城は喬のことを精しく話した。女はそれを聞いていかにも悲しくてたまらないという容《さま》をした。連城は喬にいった。
「この方は私と同姓で、賓娘《ひんじょう》さんというのです。長沙の史太守《したいしゅ》の女《むすめ》さんです。来る時|路《みち》が一緒でしたから、とうとう二人でこうして仲好くしているのです。」
 喬は女の方をきっと見たが、そのさまがいかにもいたわしかったから、そこで精《くわ》しく女の身の上を訊こうとしていると、顧がもう引返して来た。顧は喬に向っていった。
「僕が君のために、いいようにして来た。それから連城の方も君と一緒に魂を返すことにしたのだが、どうだね。」
 喬と連城とは喜んで、顧を拝んで別れようとした。賓娘は大声をあげて泣いた。
「姉さんがいって、私はどこへいくのです。どうか私もたすけてください。私は姉さんの侍女になるのですから。」
 連城は女がいたましかったが、どうすることもできなかった。連城はそこで喬に相談をした。喬はまた顧に頼んだ。顧はとてもできないときっぱりいいきった。喬は強いてそれを頼んだ。そこで顧は、
「それじゃ、せんぎをしてみよう。」
 といっていってしまったが、食事する位の時間をおいて返って来て、手をふっていった。
「これは、もう、どうにもしょうがないのだ。」
 賓娘はそれを聞くとあまえるように泣いて、連城の肘《て》にすがり、連城にいかれるのを恐れるのであった。それは惨憺《さんたん》たるものであったが、他にどうすることもできないので、顔を見合わしたままで黙っていた。しかも女の悲しそうな顔といたましい姿《すがた》とは、人をしてその肺腑を苦しましめるものがあった。顧は憤然《ふんぜん》としていった。
「どうか、賓娘を伴《つ》れていってくれ。もしとがめがあるなら、僕が身をすてて、それを受けよう。」
 賓娘はそこで喜んで、喬と連城について出た。喬は道が遠くて賓娘に侶《つれ》のないのを心配した。賓娘はいった。
「私は、あなたについてゆきます。帰りたくはないのです。」
 喬はいった。
「君はばかだよ。帰らなくてどうして生きかえることができる。僕が他日《さき》で湖南にゆくから、その時逃げないようにするがいい。機嫌よくね。」
 ちょうど二人の老婆が地獄の文書を持って長沙にゆこうとしていた。喬はそれに賓娘を頼んだ。賓娘は泣いて別れていった。喬と連城は二人で帰りかけたが、連城の足が遅くて、すこしいくとすぐ休んだ。およそ十回あまりも休んだところで、やっと村の入口の門が見えた。連城はいった。
「生きかえって後に、また約束をやぶるようなことがあってはいけないです。どうか私のむくろ[#「むくろ」に傍点]を取って来てください。私はあなたの家で生きかえります。私はすこしも悔《うら》むことがないのです。」
 喬はそれをもっともなことだと思ったので、一結に自分の家へ帰っていったが、連城は心配して歩くことができないふうがあった。喬は足をとめて待ち待ちした。連城はいった。
「私はここへ来るまでに、手足がふらふらして、すがる所がないようでした。私は自分の望みがとげられないじゃないかと思うのです。このうえにもよく考えておこうじゃありませんか。そうしないと生きかえって後に、自由になれないのですから。」
 そこで二人は伴《つ》れだって廂《ひさし》の中へ入ったが、しばらくして連城は笑っていった。
「あなたは私が憎いのですか。」
 喬は驚いてその故《わけ》を訊いた。連城は顔をぽっと赧《あか》くしていった。
「ことが諧《ととの》わなくて、再びあなたに負《そむ》くようなことがあってはと思います。私は先ず魂を以て報《むく》いたいと思います。」
 喬は喜んで歓恋《かんれん》のかぎりを尽した。で、そこにさまようていてすぐは出なかった。そして三日も廂の中にいた連城は、
「諺にも醜婦総て須《すべから》く姑障《こしょう》を見るべしということがあります。ここにそっとしているのは、将来のはかりごとじゃないのです。」
 といって、そこで喬を促して入っていかした。そして喬はわずかに死骸を置いてある室へ入るなり、からりと生きかえった。家の者は驚いて水を飲ました。喬はそこで人をやって孝廉に来てもらって、連城の死骸をもらいたいといって、
「私がきっと生きかえらします。」
 といった。孝廉はその言葉に従って、連城の死骸を舁《かつ》がせて来たが、その室に入ったところを見ると、もう生きかえっていた。連城は父を見ていった。
「私は、もう、この身を喬さんにまかせてあるのです。もう家へ帰っていくわけはありません。もし、それを変えるなら私は死んでしまいます。」
 孝廉は帰って婢《じょちゅう》をやって連城にかしずかした。王はそれを聞いて訴え出た。官吏は賄賂を受けて裁判を王の勝にした。喬は憤って死のうとしたが、どうすることもできなかった。
 連城は王の家へいったが、忿《いか》って飲食をしないで、ただ早く死なしてくれといった。室に人のいないのを見ると梁《はり》の上に紐をかけて死のうとした。そして翌日になってますますつかれ、殆《ほと》んど息が絶えそうになった。王は懼《おそ》れて、送って孝廉の許に帰した。孝廉はまたそれを舁がして喬の許へ帰した。王の方ではそれを知ったけれども如何《いかん》ともすることができなかった。そこでとうとう連城も心が安まるようになった。
 連城は起きてから、いつも賓娘のことを念《おも》って、使をやって探らそうとしたが、道が遠いのでいくことができなかった。ある日、家の者が入って来て、
「門口へ車が来ました。」
 といった。喬夫婦が出て見ると、それは賓娘で、もう庭の中へ入って来ていた。三人は相見て悲喜こもごも至るというありさまであった。それは賓娘の父の史太守が自分で女を送って来たところであった。喬は大守を室に通した。大守は、
「うちの子供は、君によって生きかえったから、どうしても他へいかないというので、その言葉に従って伴《つ》れて来た。」
 といった。喬は礼をいった。そこへ孝廉がまた来て、親類としてのあいさつをした。喬は名は年《ねん》、字《あざな》は大年《たいねん》というのであった。

底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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蒲 松齢

蓮花公主-蒲松齢–田中貢太郎訳

 膠州《こうしゅう》の竇旭《とうきょく》は幼な名を暁暉《ぎょうき》といっていた。ある日昼寝をしていると、一人の褐色《かっしょく》の衣を着た男が榻《ねだい》の前に来たが、おずおずしてこっちを見たり後を見たりして、何かいいたいことでもあるようであった。竇《とう》は訊いた。
「何か御用ですか。」
 褐衣《かつい》の人はいった。
「殿様から御招待にあがりました。」
 竇は訊いた。
「殿様とはどんな方です。」
 褐衣の人はいった。
「すぐ近くにおられます。」
 竇はそれについていった。褐衣の人はぐるりと路を変えて、牆《へい》をめぐらした家の旁を通って案内していった。楼閣の建ち並んでいる処があった。褐衣の人はそこを折れ曲っていった。そこにはたくさんの人家が軒を並べていたが、どうしてもこの世の中のものではなかった。そこにはまた宮廷に事《つか》えている官吏や女官などがたくさん往来していたが、皆、褐衣の人に向って訊いた。
「竇さんは見えましたか。」
 褐衣の人は一いち頷《うなず》いた。不意に一人の貴い官にいる人が出て来て、竇を迎えたがひどく恭《うやうや》しかった。そして堂にあがって竇はいった。
「もともとお目みえしたことがないから、拝謁しておりませんのに、どうした間違いかお迎えを受けましたが、私にはその故《わけ》が解りかねます」
 貴い官にいる人はいった。
「王様が先生が清族で、そのうえ代代徳望のあるのをなつかしく思われて、一度お目にかかってお話したいと申しますから、御足労を煩わしたしだいです。」
 竇はますます駭《おどろ》いて訊いた。
「王はどうした方です。」
 貴い官にいる人はいった。
「暫くすると自然にお解りになります。」
 間もなく二人の女官が来て、二つの旌《はた》を持って竇を案内していった。立派な門を入っていくと殿上に王がいた。王は竇の入って来るのを見ると階段をおりて出迎えて、賓主《ひんしゅ》の礼を行った。礼がおわると席についた。そこには饗宴の筵《せき》が設けてあった。殿上の扁額《へんがく》を見ると桂府《けいふ》としてあった。竇は恐縮してしまって何もいうことができなかった。王はいった。
「お隣になっておるから御縁が深い。どうかゆっくりうちくつろいでくださるように。」
 竇は王のいうなりになって酒を飲んだ。酒が三、四まわると笙歌《しょうか》が下から聞えて来たが、鉦《かね》や鼓《つづみ》は鳴らさなかった。その笙歌の声も小さくかすかであった。やや暫くして王は左右を顧みて、
「朕《ちん》が一言いうから、その方達に対句《ついく》をしてもらおう。」
 といって一聯の句を口にした。
「才人桂府に登る、四座|方《まさ》に思う。」
 竇がそこでそれに応じていった。
「君子蓮花を愛す。」
 すると王がいった。
「蓮花はすなわち公主の幼な名だ。どうしてこんなに適合したであろう。これはどうしても夙縁《しゅくえん》だ。公主にそう伝えてくれ、どうしても出て来て君子にお目にかからなければならないと。」
 暫くたってから珮環《おびだま》の音がちりちりと近くに聞えて、蘭麝《らんじゃ》の香をむんむんとさしながら公主が出て来た。それは十六、七の美しい女であった。王は公主に命じて竇を展拝さしていった。
「これが蓮花です。」
 公主はすぐいってしまった。竇は公主を見て心を動かした。彼は黙りこんでじっと考えていた。王は觴《さかずき》をあげて竇に酒を勧めたが、竇の目はその方にいかなかった。王はかすかに竇の気持ちを察したようであった。そこで王がいった。
「子供はもう婚礼させなくてはならないが、ただ世界が違っているのを慚《は》じるのだ。どう思う。」
 竇は癡《ばか》のように考えこんでいたので、そこでまたその言葉が聞えなかった。竇の近くにいた侍臣の一人が竇の足をそっと踏んでいった。
「王が觴をあげたが君はまだ見ないですか。王がいわれたが君はまだ聞かないですか。」
 竇はぼんやりしていて物を忘れたようであった。そこで気がついてひどく慚じた。席を離れていった。
「臣は優渥《ねんごろ》なお言葉を賜りながら、覚えず酔いすごして、礼儀を失いました。どうかおゆるしくださいますように。」
 そして竇が退出しようとすると起っていった。
「君に逢ってから、ひどく好きになった。なぜそんなにあわてて帰られる。君がもういることができないなら、強《し》いはしないが、もし君が心にかけていてくれるなら、更に改めてお迎えをしよう。」
 とうとう彼の褐衣の内官に命じて、竇を送って帰らした。その途中で内官は竇にいった。
「さっき王が婚礼をさすといったのは、あなたを※[#「馬+付」、第4水準2-92-84]馬《ふば》にして結婚させようとしていたようですよ。なぜ黙っていたのです。」
 竇は足ずりして悔んだがおっつかなかった。そこでとうとう家に帰った。帰ったかと思うと忽ち夢が醒めた。簷《のき》には夕陽が残っていた。竇は起きて目をつむってじっと考えた。王宮へいったことがありありと目に見えて来た。晩になって竇は、斎《へや》の燭《あかり》を消して、また彼の夢のことを思ったが、夢の国の路は遠くていくことができなかった。竇はただ悔み歎くのみであった。
 ある晩、竇は友人と榻《ねだい》を一つにして寝ていた。と、忽ち前の褐衣の内官が来て、王の命を伝えて竇を召した。竇は喜んでついていった。
 竇は王の前へいって拝謁した。王は起って竇の手を曳《ひ》いて殿上にあげ、すこし引きさがって坐っていった。
「君がその後、子供のことを思ってくれたことを知っておる。子供と婚礼してもらいたいが、君は疑わないだろうか。」
 竇はそこで礼をいった。王は学士や大臣に命じて宴席に陪侍《ばいじ》さした。酒が闌《たけなわ》になった時、宮女が進み出ていった。
「公主のお仕度がととのいました。」
 供に三、四十人の宮女が公主を奉じて出て来た。公主は紅《あか》い錦《にしき》で顔をくるんでしっとりと歩いて来た。二人は毛氈《もうせん》の上へあがって、たがいに拝しあって結婚の式をあげた。
 式がおわると公主は竇を送って館舎に帰った。夫婦のいる室《へや》は温かで清らかであった。竇は公主にいった。
「あなたを見ると、ほんとに楽しくって、死ぬることも忘れるが、ただこれが夢でないかと心配するのです。」
 公主は口に袖をやっていった。
「私とあなたと確かにこうしているではありませんか。どうしてこれが夢なものですか。」
 朝になって起きると、竇はたわむれに公主の顔に白粉をつけてやった。竇はまたその後で帯で公主の腰のまわりをはかり、それから指で足のまわりをはかった。公主は笑って訊いた。
「あなたは気が違ったのではありませんか。」
 竇はいった。
「わたしは時どき夢のためにあやまられるから、精しくしらべておくのです。こうしておけば、もし、これが夢であっても、想いだすことができるのですから。」
 竇の戯れ笑う声がまだおわらないうちに、一人の宮女があたふたと走って来ていった。
「妖怪《ばけもの》が宮門に入りましたから、王は偏殿《へんでん》に避けられました、おそろしい禍《わざわい》がすぐ起ります。」
 竇は大いに驚いて王の所へかけつけた。王は竇の手を執《と》って泣いていった。
「どうか棄てないで、国の安泰をはかってくれ。天が、※[#「((山/(追-しんにゅう)+辛)/子」、第4水準2-5-90]《わざわい》を降して、国祚《こくそ》が覆《くつがえ》ろうとしておる。どうしたらいいだろう。」
 竇は驚いて訊いた。
「それはどんなことでございます。」
 王は案《つくえ》の上の上奏文を取って竇の前に投げた。竇は啓《あ》けて読んだ。それは含香殿《がんこうでん》大学士|黒翼《こくよく》の上奏文であった。
[#ここから2字下げ]
含香殿大学士、臣黒翼、非常の妖異を為す、早く郡を遷《うつ》し、以て国脈を存することを祈る。黄門《こうもん》の報称に拠るに、五月初六日より、一千丈の巨蟒《きょもう》来り、宮外に盤踞《ばんきょ》し、内外臣民を呑食《どんしょく》する一万三千八百余口、過ぐる所の宮殿、尽《ことごと》く邱墟《きゅうきょ》と成りて等し。因《よっ》て臣勇を奮い前《すす》み窺いて、確かに妖蟒《ようもう》を見る。頭、山岳の如く、目、江海に等し。首を昂《あ》ぐれば即《すなわ》ち殿閣|斉《ひと》しく呑み、腰を伸ばせば則ち楼垣尽く覆《くつがえ》る。真に千古末だ見ざるの凶、万代遭わざるの禍、社稜宗廟《しゃしょくそうびょう》、危、旦夕《たんせき》に在り。乞う皇上早く宮眷《きゅうけん》を率《ひき》いて、速やかに楽土に遷《うつ》れよ云云。
[#ここで字下げ終わり]
 竇は読み畢《おわ》って顔の色が土のようになった。その時宮女が奔《はし》って来て奏聞《そうもん》した。
「妖物《ばけもの》がまいりました。」
 宮殿の中は哀しそうに泣く泣き声で満たされた。それは天日もなくなったような惨澹《さんたん》たるものであった。王はあわてふためいて何をすることもできなかった。ただ泣いて竇の方を向いていった。
「子供はもう先生に願います。」
 竇は息をきって帰った。公主は侍女と首を抱きあって哀しそうに泣いていた。竇が入ってゆくのを見ると公主は衿にとりついていった。
「あなたは、なぜ私をすてておくのです。」
 竇は公主がいたましくてたまらなかった。そこで腕に手をかけて抱きかかえるようにしていった。
「わたしは貧しいから、立派な邸宅のないのを慚《は》じます。ただ茅廬《あばらや》があります。しばらく一緒に匿《かく》れようではありませんか。」
 公主は目に涙をためていった。
「こんな場合です。そんなことをいってる時ではありません。どうか早く伴《つ》れてってください。」
 竇はそこで公主を扶けて宮殿を逃げだしたが、間もなく家へ着いた。公主はいった。
「これなら安心です。私の国に勝っております。私はこうしてあなたについてまいりましたが、お父様とお母様はどこにおりましょう。どうか別にも一つ家をたててください。国の者も皆まいりますから。」
 竇は貧しいので急に家を新築することはできなかった。竇は困った。公主は泣き叫んでいった。
「妻の家の急を救ってくだされないで、夫がどこに必要です。」
 竇はそれをなぐさめて自分の室へ入った。公主は牀《とこ》につッぷしたなりに啼《な》き悲しんでよさなかった。竇は心を苦しめたが他に手段がなかった。と、急に目があいた。竇は始めて夢であったということを知った。そして、気がつくと耳もとで物の啼く声が聞えていたが、じっと聞くと人の声ではなかった。それは二、三疋の蜂が枕もとを飛びながら鳴く声であった。竇は叫んだ。
「不思議なことがあるぞ。」
 一緒に寝ていた友人がその故《わけ》を訊いた。竇はそこで夢の話を友人に告げた。友人も不思議がって一緒に起きて蜂を見た。蜂は竇の袂《たもと》と裳《もすそ》の間にまつわりついて払っても去らなかった。
 友人はそこで竇に蜂の巣を造ってやれと勧めた。竇は友人の言葉に従ってそれを造り、両方の堵《かき》を堅くした。すると蜂の群が牆の外から来はじめたが、それは絡繹《らくえき》として織るようであった。蜂はまだ巣の頂上ができあがらないのに、一斗ほども集まって来た。竇はその蜂がどこから来たかと思って、来た所をしらべてみるとそれは隣の圃《はたけ》からであった。その隣の圃には蜂の巣が二つあって、三十年あまりも蜂が棲んでいた。竇はそれを隣の老人に話した。老人は圃にいってその巣を覗いた。巣の中はひっそりとして蜂はもう一疋もいなかった。壁をあばいてみるとその中に蛇がいた。蛇の長さは一丈ばかりもあった。老人はそれを殺してしまった。そこで夢の中の蟒《うわばみ》は、すなわちその蛇であったということが解った。蜂は竇の家へ移ってますます蕃息《はんそく》した。

底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
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蒲 松齢

封三娘-蒲松齢—-田中貢太郎訳

 范《はん》十一娘は※[#「田+鹿」、330-1]城《ろくじょう》の祭酒《さいしゅ》の女《むすめ》であった。小さな時からきれいで、雅致《がち》のある姿をしていた。両親はそれをひどく可愛がって、結婚を申しこんで来る者があると、自分で選択さしたが、いつも可《よ》いというものがなかった。
 ちょうど上元《じょうげん》の日であった。水月寺の尼僧達が盂蘭盆会《うらぼんえ》を行ったので、その日はそれに参詣《さんけい》する女が四方から集まって来た。十一娘も参詣してその席に列っていたが、一人の女が来て、たびたび自分の顔を見て何かいいたそうにするので、じっとその方に目をつけた。それは十六、七のすぐれてきれいな女であった。十一娘はその女が気に入ってうれしかったので、女の方を見つめた。女はかすかに笑って、
「あなたは范十一娘さんではありませんか。」
 といった。十一娘は、
「はい。」
 といって返事をした。すると女はいった。
「長いこと、あなたのお名前はうかがっておりましたが、ほんとに人のいったことは、虚じゃありませんでしたわ。」
 十一娘は訊《き》いた。
「あなたはどちらさまでしょう。」
 女はいった。
「私、封《ふう》という家の三ばん目の女ですの。すぐ隣村ですの。」
 二人は手をとりあってうれしそうに話したが、その言葉は温《おだ》やかでしとやかであった。二人はそこでひどく愛しあって、はなれることができないようになった。十一娘《じゅういちじょう》は封三娘《ほうさんじょう》が独《ひと》りで来ているのに気がついて、
「なぜお伴《つ》れがありませんの。」
 といって訊いた。三娘はいった。
「両親が早く亡くなって、家には老媼《ばあや》一人しかいないものですから、来ることができないのです。」
 十一娘はもう帰ろうとした。三娘はその顔をじっと見つめて泣きだしそうにした。十一娘はぼうっとして気が遠くなった。とうとう十一娘は三娘を家へ伴れていこうとした。三娘はいった。
「あなたのお宅は立派なお宅ですし、私とはすこしも関係がありませんし、皆さんから何かいわれはしないでしょうか。」
 十一娘は無理に勧めて伴れていこうとした。
「そんなことありませんわ、ぜひまいりましょう。」
 三娘は、
「この次にいたしましょう。」
 といっていこうとしなかった。十一娘はそこで別れて帰ることにして、金の釵《かんざし》をとって三娘にやった。三娘も髻《もとどり》の上にさした緑の簪《かんざし》をぬいて返しをした。
 十一娘はそれから家へ帰ったが、三娘のことを思うとたえられなかった。そこで三娘のくれた簪を出してみた。それは金でもなければ玉でもなかった。家の人に見せてもだれもそれを知らなかった。十一娘はひどく不思議に思いながら、毎日三娘の来るのを待っていたが、来ないので悲しみのあまりに病気になった。両親はその故《わけ》を訊いて、人をやって近村を訪ねさしたが、だれも知った者はなかった。
 九月九日の重陽《ちょうよう》の日になった。十一娘は痩《や》せてささえることもできないような体になっていた。両親は侍女にいいつけて強いて扶《たす》けて庭を見せにいかした。十一娘は東籬《とうり》の下にかまえた席によっかかっていた。と、不意に外から垣をかきあがって窺いた者があった。それは三娘であった。三娘は、
「どうか私をおろしてください。」
 といった。侍女達はいうなりに垣の下へいって、足がかりになってやった。三娘はひらりとおりて来た。十一娘はひどく喜んで、いきなり起っていって、その手を取って自分の傍《そば》へ坐らした。そして約束に負いて来なかったことを責めて、そのうえ今日はどこから来たかを訊いた。三娘はいった。
「私のほんとうの家は、ここからよっぽど遠いのですが、時どき親類の家へ遊びに来るものですから、いつか近村といったのは、その親類の家のことなのですの。あなたとお別れして、私もあがりたくってあがりたくって仕方がなかったのですが、貧乏人がお身分のある方と交際するのですから、まだあがらないうちからはじるのですわ。それに下女下男から軽蔑せられるのがおそろしいのですから、ようあがらなかったのです。いま、ちょうど牆《かきね》の外を通ってますと、女の方の声が聞えるものですから、あなたなら好いがと思って、あがってみたのですの。お目にかかれてこんなうれしいことはないのです。」
 十一娘はそこで病気になっている故《わけ》を話した。三娘は涙を流したが、そこでいった。
「私の来たことはどうか秘密にしててくださいまし。ものずきがいろいろの評判をたてると困りますから。」
 十一娘は承知した。そこで一緒に十一娘の室へ帰って同じ榻《ねだい》に起臥して心ゆくばかり話しあった。十一娘の病気はやがて癒《なお》ってしまった。二人は約束して姉妹となって、書物も履物も互いに取りかえて着けた。人が来ると三娘は隠れた。二人はそうして五、六月もいた。范祭酒と夫人がそれを訊き知った。ある日二人が棋《ご》を囲んでいると、夫人が不意に入って来て、三娘をじっと見て驚いて、
「ほんとに好いお友達だ。」
 といって、十一娘の方を見て、
「好いお友達ができて、私もお父様もうれしいのですよ。なぜ早くいわなかったの。」
 といった。十一娘はそこで三娘の意のある所を話した。夫人は三娘の方をふりかえっていった。
「あなたのような方がお友達になってくだされて、私達はうれしいのですよ。なぜお隠しになるのです。」
 三娘はぽっと顔を赤くして、帯をいじるのみで何もいえなかった。
 夫人が出ていった後で、三娘は帰りたいといいだした。十一娘はたってそれを止めた。そこで三娘は帰らなかった。
 ある夜、室の外から三娘があたふたと走りこんで来て泣きながらいった。
「私が帰るというものを、帰してくださらないから、こんな侮辱《ぶじょく》を受けたのです。」
 十一娘は驚いて訊いた。
「どうしたのです、どんなことがありました。」
 三娘はいった。
「今便所にいってると、若い男が横から出て来て、私に悪戯《いたずら》をしようとするのです。逃げるには逃げたのですけど、ほんとに辱《はず》かしいことですわ。」
 十一娘は細かにその若い男の容貌を訊いてからあやまった。
「そんな馬鹿なことをする者は、私の兄ですよ。きっとお母様にいいつけて、ひどい目にあわさせますから。」
 三娘はどうしても帰るといいだした。十一娘は朝まで待って帰ってくれといった。三娘はいった。
「親類の家は、すぐ目と鼻の間ですから、梯《はしご》をかけて牆《かきね》を越さしてくださればいいのです。」
 十一娘は止めてもいないということを知ったので、一人の侍女に垣を踰《こ》えて送らした。半路ばかりもいったところで、三娘は侍女に礼をいって別れていった。侍女はそこで帰って来た。十一娘は牀《ねだい》の上に泣き伏していたが、ちょうど夫を失った人のようであった。
 三、四ヵ月して十一娘の侍女は何かのことで東の方の村へいって、夕方帰っていると、三娘が老婆について来るのにいきあった。侍女は喜んでお辞儀をして、三娘のことを聞いた。三娘も心を動かされたようなふうで、十一娘のことを訊いた。侍女は三娘の袂《たもと》を捉《とら》えていった。
「あなたがお帰りになってから、うちのお嬢さんは、あなたのことばかり死ぬほど思いつめていらっしゃるのですよ。」
 三娘もいった。
「私も十一娘さんのことを思ってるのですが、うちの方に知られるのが厭なのでね。帰ったならお庭の門を啓《あ》けててくださいまし。私がまいりますから。」
 侍女は帰ってそれを十一娘に知らした。十一娘は喜んでその言葉のとおりに庭口の門を啓けさした。三娘はもう庭へ来ていた。二人は顔を合わした。二人はそれからそれと話して寝ようともしなかった。侍女が眠ってしまうと、三娘は十一娘の牀《ねだい》へいって一緒に寝ながら囁《ささや》いた。
「私はあなたが許嫁《いいなずけ》をしていないことを知ってるのですが、あなたのような容貌《きりょう》を持ち、才能があり、立派な家柄があって、何も身分の貴《たか》い婿がなくっても好いでしょう。身分の貴い家の子供は、いばってていうにたりないですよ。もし佳《い》い夫を得たいと思うなら、貧乏人とか金持ちとかいわないが好いでしょう。」
 十一娘はそのとおりであるといった。三娘がいった。
「昨年あなたと逢った処で、今年もまたおまつりがありますから、明日どうかいってください。きっとあなたがお気にいる旦那様をお見せしますから。私はすこし人相の本を読んでます。あまりはずれたことがないのです。」
 朝まだ暗いうちに三娘は帰っていった。帰る時二人は水月寺で待ちあわす約束をした。
 やがて十一娘がいってみると三娘はもう先に来ていた。二人はそのあたりを眺望して境内を一めぐりした。十一娘はそこで三娘を自分の車へ乗せて帰っていった。寺の門を出たところで一人の少年を見かけた。年は十七、八であろう。布の上衣を着た飾らない少年であったが、それでいてその容儀にきっとしたところがあった。三娘はそっと指をさしていった。
「あれは翰林学士《かんりんがくし》になれる方ですよ。」
 十一娘はひとわたりそれを見た。三娘は十一娘と別れた。
「あなたが先へいらっしゃい。私は後からまいりますから。」
 夕方になって果して三娘は来た。そしていった。
「私は今|精《くわ》しく探《さぐ》ったのです。あの人は、私と同じ村の孟安仁《もうあんじん》という方ですわ。」
 十一娘は孟が貧しいというのを知ったので、いいといわなかった。三娘はいった。
「あなたは、なぜ世間なみのことを考えるのです。この人は長いこと貧乏する人じゃないのですよ。もしこれが間違ったなら、私は眸《ひとみ》をくりぬいて、二度と豪い男の人相はみないのですよ。」
 十一娘はいった。
「それじゃどうしたら好いでしょう。」
 三娘はいった。
「あなたから何かいただいて、それで約束をするのです。」
 十一娘はいった。
「あなたはあまり気が早いじゃありませんか。私にはお父様もお母様もいるじゃありませんか。赦《ゆる》してくれなかったらどうするのです。」
 三娘がいった。
「これは面倒なことですから、間違うとできないようになるのです。しかし、あなたの心がしっかりしていらっしゃるなら、生死のきわに立つようなことがあっても、だれもあなたの志を奪うことはできないのです。」
 十一娘はどうしてもそれと結婚しようというような気になれなかった。三娘はいった。
「あなたには結婚の機がもう動いているのですが、魔劫《まごう》がまだ消えないのですから、私はこれまでお世話になった恩返しと思って来たのです。ではお別れして、あなたからいただいた金の釵《かんざし》を、あなたからだといって贈りましょう。」
 十一娘は改めて相談してからにしようと思った。三娘は門を出て帰っていった。
 その時孟安仁は多才な秀才として知られていたが、貧乏であるから十八になっても結婚することができなかった。ところで、その日|忽《たちま》ち二人のきれいな女を見たので、帰ってからそのことばかり想《おも》っていた。一更《いっこう》がもう尽きようとしたところで、三娘が門を敲《たた》いて入って来た。火を点《つ》けてみると昼間に見た女であった。孟は喜んで来た故《わけ》を訊いた。三娘はいった。
「私は封《ほう》というものです。范十一娘の伴《つ》れでした。」
 孟はひどく悦んで、精しいことを聞く間もよう待たないで、急に進んで抱きかかえた。三娘はこばんでいった。
「私は毛遂《もうすい》じゃないのです、曹邱《そうきゅう》です。十一娘とあなたが結婚ができるように、人の氷《なこうど》になりたいと思って来たのです。」
 孟はびっくりしたが、しかしほんとうにはしなかった。三娘はそこで釵を出して孟に見せた。孟はとめどもなしに喜んだ。そして誓《ちか》っていった。
「こんなにまでしていただきながら、十一娘を得ることができなかったなら、私は一生|鰥《やもめ》で終ります。」
 三娘はとうとういってしまった。翌朝になって孟は、隣の媼《ばあ》さんを頼んで范《はん》夫人の所へいってもらった。范夫人は孟が貧乏人であるから、女《むすめ》にはからないでそのままことわってしまった。十一娘はそれを知って心に失望すると共に、ひどく三娘が自分をあやまらしたことを怨んだ。しかし金の釵はもう返してもらうことはできない。十一娘はそこで死んでも孟と結婚しようと決心した。
 数日して某|縉紳《しんしん》の子が十一娘に結婚を申しこむことになったが、普通の手段では諧《ととの》わないと思ったので、邑宰《むらやくにん》に頼んで媒灼《ばいしゃく》してもらった。その時その縉紳は権要の地位にいたから、范祭酒は畏れて結婚させようと思って十一娘の考えを訊いた。十一娘は苦しそうな顔をした。夫人が訊いた。十一娘は黙ってしまって何もいわなかったが、ただ目に涙を浮べていた。十一娘はその後で人をやって夫人にいわした。
「私は孟生でなければ、死んでも結婚しません。」
 范祭酒はそれを聞いてますます怒って、縉紳の家へ結婚を許したが、そのうえに十一娘と孟とが関係があると疑ったので、吉日を撰《えら》んで急いで結婚の式をあげようとした。十一娘は忿《いか》って食事をしないで、毎日寝ていたが、婿が迎えに来る前晩になって、不意に起きて、鏡を見て化粧をした。夫人はひそかに喜んでいた。侍女がかけて来ていった。
「お嬢さんがたいへんです。」
 十一娘は縊死《いし》していた。一家の者は驚き悲しんだが、もうおっつかなかった。三日してとうとう葬った。
 孟は隣の媼《ばあ》さんから范家の返事を聞いて、憤り恨んで気絶しそうになったが、思いきることができないので、もう一度よりをもどしたいと思って女の容子《ようす》を探っていると、女にはもう婿《むこ》がきまったということが知れて来た。孟は忿《いか》りで胸の中が焼けるようになって、何の考えも浮ばなかった。そして間もなく十一娘が自殺して葬式をしたということが聞えて来た。孟はひどく歎いて、美しい人について一緒に死ななかったことを恨んだ。
 孟は夜の暗いのをたよりに十一娘の墓へいって、心ゆくばかり哭《な》こうと思って、夜、家を出て歩いていると、向うからきっとなって来た者があった。擦《す》れ違おうとしてみるとそれは三娘であった。三娘はいった。
「結婚ができるのですよ。」
 孟は泣いていった。
「あなたは、まだ十一娘が亡くなったのを知らないですか。」
 三娘はいった。
「私ができるというのは、亡くなったからですよ。早くお宅の方を呼んで来て墓をお掘りなさい。私が不思議な薬を持っておりますから、かならずいきかえるのです。」
 孟はその言葉に従った。墓を掘り棺を破って十一娘の屍《しかばね》を出し、穴をもとのように埋めて、自分でそれを負《せお》って三娘と一緒に帰り、それを榻《ねだい》の上に置いて三娘の持っていた薬を飲ました。時がたってから十一娘はいきかえって、三娘を見ていった。
「ここはどこです。」
 三娘は孟に指をさしていった。
「ここは孟安仁の家ですよ。」
 三娘はそこで故《わけ》を話した。十一娘ははじめて夢が醒《さ》めたようになった。三娘はそれが世間に漏《も》れることを懼れて、二人を伴れて十五里もある山村へいって、匿《かく》れさしておいて帰ろうとした。十一娘は泣いて留《と》めて、離屋《はなれ》におらした。そこで葬式の飾りにした道具を売って、それを生活費にあてたので、どうにか不自由がなかった。
 三娘は孟が十一娘に逢うたびに座をはずした。十一娘は三娘にうちとけていった。
「私とあなたとは、ほんとうの兄弟も及ばない仲ですのに、それが長く一緒にいられないのです。蛾皇女英《がこうじょえい》になろうじゃありませんか。」
 三娘はいった。
「私は小さい時に、不思議な術を授《さず》かって、気を吐いて長生することができるのですから、結婚はのぞまないです。」
 十一娘は笑っていった。
「世間に伝わっている養生術は、たくさんあるのですが、どれがほんとうに好いのでしょう。」
 三娘はいった。
「私の授かっているのは、世間の人の知らないものです。世間に伝わっているものは、皆ほんとうの法じゃないのです。ただ、華陀《かだ》の五禽図《ごきんず》は、いくらか虚でない所があります。いったい修練をする者で、血気の流通を欲しない者はないのですが、五禽図の方では、わけてそれをやるのです。もし、厄逆《しゃっくり》の症になると、虎形をするとすぐなおるのです。これがその験《しるし》じゃないでしょうか。」
 十一娘はそっと孟といいあわせて、孟を遠くの方へいくようなふうをさして家を出し、夜になって三娘に強いて酒を飲ました。三娘がもう酔ってしまったところで、孟がそっと入って来た。三娘は醒めていった。
「あなたは私を殺し、もし戒を破らないで、道がなったら、第一天に昇ることができたのです。こんなになったのも運命です。」
 そこで起きて帰っていこうとした。十一娘はほんとの自分の心をいってあやまった。三娘は、
「こうなれば私もほんとのことをいうのです。私は狐です。あなたの美しい姿を見て、あなたをしたって、繭《まゆ》の糸のようにまとっていて、こんなことになったのです。これは情魔の劫《ごう》です。人間の力ではないのです。再びとどまっておると、魔情がまたできます。あなたは福沢が長いから体を大事になさい。」
 といいおわっていってしまった。夫婦は驚歎した。
 翌年になって孟は郷試と会試に及第して、翰林学士となったので、名刺を出して范祭酒に面会を申しこんだ。祭酒は愧《は》じて逢わなかった。それを無理に頼んでやっと逢ってもらった。孟は入っていって婿としての礼を執《と》った。祭酒はひどく怒って、孟を軽薄な男ではないかと疑った。孟は人ばらいを頼んで、精しくその事情を話した。祭酒は信じないで、人をやって十一娘を探さしたが、孟のいったとおりであるからひどく喜んだ。そこでそっと孟を戒めて、だれにもいってはいけない、禍《わざわい》が起るかも解らないからといった。
 二年して彼の縉紳《しんしん》は権門に賄賂《まいない》したことが知れて、父子で遼海《りょうかい》の軍にやられたので、十一娘ははじめて里がえりをした。

底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
2008年10月5日修正
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蒲 松齢

田七郎-蒲松齢—-田中貢太郎訳

武承休《ぶしょうきゅう》は遼陽《りょうよう》の人であった。交際が好きでともに交際をしている者は皆知名の士であった。ある夜、夢に人が来ていった。
「おまえは交游天下に遍《あまね》しというありさまだが、皆|濫交《らんこう》だ。ただ一人|患難《かんなん》を共にする人があるのに、かえって知らないのだ。」
 武はそこで訊いた。
「それは何という人でしょうか。」
 その人はいった。
「田《でん》七郎じゃないか。」
 武は夢が醒《さ》めて不思議に思い、朝になって友人に逢って、田七郎という者はないかと訊いてみた。友人の一人に知っている者があって、それは東の村の猟師《りょうし》であるといった。武はうやうやしく田七郎の家へ逢いにいって、馬の鞭で門をうった。間もなく一人の若い男が出て来た。年は二十余りであった。目の鋭い腰の細い、あぶらぎった帽《ぼうし》と着物を着て、黒い前垂《まえだれ》をしていたが、その破れは所どころ白い布でつぎはぎしてあった。若い男は手を額のあたりで組みあわして、どこから来たかと訊いた。武は自分の姓を名乗って、そのうえ途中で気持ちが悪くなったから暫時《しばらく》やすましてくれとこしらえごとをいって、それから七郎のことを訊いてみた。すると若い男は、
「私が七郎だ。」
 といって、とうとう武を家の内へ案内した。それは破れた数本の椽《たるき》のある小家で、崩《くず》れ堕《お》ちようとしている壁を木の股で支えてあるのが見えた。そこに小さな室があった。そこには虎の皮と狼の皮があって、それを柱に懸《か》けたり敷いたりしてあったが、他に坐るような腰掛も榻《ねだい》もなかった。
 武が腰をおろそうとすると七郎は虎の皮を敷いて席をかまえた。武はそこで七郎と話したが、言葉が質朴であったからひどく喜んで、急いで金を出して生計《くらし》をたすけようとした。七郎は受けなかった。武は強いてこれを取らした。七郎ははじめて受けて母の所へいったが、すぐ引返して来て金をかえした。武はどうかして取らそうとして三、四回も強《し》いた。七郎の母親がよろよろと入って来て、怒った顔をしていった。
「これは私の一人しかない悴です。お客さんに御奉公《ごほうこう》さしたくはありませんよ。」
 武は慚《は》じて帰って来た。帰る道でいろいろと考えてみたが、七郎の母親のいった言葉の意味がはっきりと解らなかった。ちょうど伴《つ》れていった下男が家の後で、七郎の母親の言葉を聞いていてそれを武に知らした。それははじめ七郎が金を持っていって母にいうと、母は私が公子を見るに暗い筋があるから、きっと不思議な災難に罹《かか》る。人から聞くに、知遇を受けた者はその人の憂いを分けあい、恩を受けた者は人の難に赴《おもむ》かなくてはならない。金持ちは恩返しをするに金で恩返しをし、賃乏人は恩返しをするに義で恩返しをする。故《わけ》のないのにたくさんな贈物をもらうのは善いことではない。これはお前から命をなげすてて恩返しをしてもらおうとしているのだろうといった。
 武はそれを聞いて、ひどく七郎の母親の賢明なことに感じ入った。そして、ますます七郎に心を傾けて、翌日御馳走をかまえて招待したが、遠慮して来なかった。そこで武は七郎の家へいって坐りこんで酒の催促をした。七郎は白分で酒のしたくをして、鹿の肉の乾したのを肴に出し、心をこめてもてなした。
 翌日になって武は七郎に来てもらって御馳走の返しをしようとした。そこで七郎が来たが、二人の意気がしっくりあっていて二人ともひどく懽《よろこ》びあった。武[#「武」は底本では「式」]は七郎に金を贈ろうとした。七郎はおしのけて手にしなかったが武が虎の皮を売ってもらいたいといって口実をこしらえたので、はじめて取った。
 七郎は自分の家へ帰って蓄えてある虎の皮を見たが、もらった金をつぐなえるだけの皮がなさそうであるから、再び猟をして後にそれを送ろうと思って、二日の間山へいったが猟《りょう》がなかった。ちょうどその時女房が病気になった。七郎は看病をしなくてはならないので仕事にいく遑《ひま》がなかった。十日あまりして女房の体が急に変って死んでしまった。七郎はそこで葬式のしたくをしたので、武からもらっていた金はなくなってしまった。武は自分で七郎の家へ見舞に来たが、その礼儀がひどく手あつかった。
 葬式が終ると七郎は弓を負って山の中へ入った。ますます佳い虎の皮を獲《え》て武に報いなくてはならないと思った。しかし、どうしても虎を獲ることができなかった。武は探ってこの事情を知ったので、そこで七郎に急いでやらないようにといった。そして是非一度来てくれといったが、七郎は負債《かり》のあるのを遺憾として、どうしても来なかった。武はそこで先ず旧《ふる》くから蓄えてある皮をくれといって、早く七郎に来てもらおうとした。七郎は蓄えてある革を検《しら》べてみると、それは虫が喫《く》って敗れ、毛も尽《ことごと》く脱《ぬ》けていた。七郎はがっかりすると共に武から金をもらったことをひどく後悔した。武はそれを知って七郎の家に来て、心から慰め、入って敗れた革を見て、
「これで佳い。僕のほしいのは、もともと毛でないから。」
 といって、その毛のない革を抽《ぬ》いて、七郎を伴れて一緒にいこうとした。七郎は聞かなかった。そこで武は独《ひと》りで帰っていった。
 七郎はどうしても毛のない革位では武に報いるに足りないと思ったので、食物を持って山へ入り、三晩四晩|明《あ》かしているうちにやっと一|疋《ぴき》の虎を獲った。そこでそっくりそれを武の家へ持っていった。武は喜んで御馳走をかまえて知人を呼ぶと共に、七郎には三日間おってくれといった。七郎は遠慮して帰ろうとした。武は庭の戸に鍵《かぎ》をかけて出られないようにした。他の客は七郎の質朴できたない風体をしているのを見て、公子は人の見さかいなしに交際しているといって囁《ささや》きあった。武はそんなことには頓着《とんちゃく》なく、七郎をもてなしたが、そのもてなしかたがひどく他の客とちがっていた。武はまた七郎に新らしい衣服を着せようとしたが、七郎がどうしても着ないので、寝ている間にそっと易えてあった。七郎はしかたなしにそれを着た。
 そして七郎が帰っていったところで、七郎の子供が祖母にいいつけられて、新しい衣服を返して、破れたもとの衣服を取りに来た。武は笑っていった。
「帰っておばあさんにいっておくれ。あれはもう履《くつ》の裏にしたってね。」
 それから七郎は毎日のように兎や鹿を送って来たが、自分は呼んでももう来なかった。武はある日、七郎の家へいったが七郎は猟にいってまだ帰っていなかった。七郎の母親が出て来て、門によっかかっていった。
「どうか二度と悴を呼ばないようにしてください。あまり有難く思いませんから。」
 武はそれに敬礼したままで恥じて帰って来た。
 半年ばかりしてのことであった。武の家の者が不意にいった。
「七郎は獲《と》った豹《ひょう》を争って、人をなぐり殺して、つかまえられました。」
 武はひどく驚いてかけつけた。七郎はもう械《かせ》をはめられて監獄の中に入れられていた。七郎は武と顔を見合わして黙っていたが、ただ一言いった。
「どうか母のことを願います。」
 武は心を痛めながらそこを出て、急いでたくさんの金を邑宰《むらやくにん》に送り、また百金を七郎の讎《かたき》の家へ送ったので、一ヵ月あまりで事がすんで七郎は釈《ゆる》されて帰って来た。母親は悲痛な顔をしていった。
「お前の体は武公子からもらったのだから、もうわしが惜むわけにいかない。ただわしは、公子が一生を終るまで、災難のないように祷《いの》っている。それがお前のさいわいなのだ。」
 七郎は武の家へいって礼をいおうとした。母はいった。
「いくならばいってもいいが、公子に礼をいってはいけない。小さな恩は礼をいうが、大きな恩は、決して礼をいってはいけない。」
 七郎は武の家へいって武に逢った。武はやさしい言葉で慰めた。七郎は武のいうことを聞くのみであった。武の家の者は七郎の礼儀を知らないのを怪しんだが、武はその誠の篤《あつ》いのを喜んでますます厚遇した。それから七郎はいつも三、四日武の家に滞在していくようになった。物を送ると皆取って、先のように遠慮しないと共に返しのこともいわなかった。
 ちょうど武の誕生日が来た。客と家の者とが繁《しげ》く出入して、夜もさわがしかった。武は七郎と小さな室《へや》へ寝たが、三人の下男はその寝台の下へ来て藁《わら》を敷いて寝た。二更がもう過ぎようとすると下男達は皆睡ってしまったが、武と七郎はまだそれからそれと話していた。七郎の腰につけている刀が壁際にかけてあったが、それが不意にひとりでに抜けて、鞘《さや》から二、三寸ばかり出て、ちゃりんという響と共に、その光がぎらぎらと電《いなずま》のように光った。武は驚いた。七郎も起きて、
「下にいる者は何人《なんぴと》です。」
 と訊《む》いた。武は、
「皆下男です。」
 と答えた。七郎がいった。
「このうちに、きっと悪人がおります。」
 武はその故《わけ》を訊いた。七郎はいった。
「この刀は外国から買ったものですが、人を殺すに未《いま》だ一度だって、縷《いとすじ》を濡《うる》おしたことがありません。私で三代これをつけております。首は千ばかり斬《き》っておりますが、まだ新らしく研《といし》にかけたようです。悪人を見ると鳴ってぬけます、どうも人を殺すのが近うございます。公子はどうか君子《くんし》と親しんで、小人《しょうじん》を遠ざけてください。そうしてくださるなら、ついすると免がれることができます。」
 武は頷《うなず》いた。七郎はとうとう気持ちよく睡ることができなかった。彼は寝室の上で寝がえりばかりした。武がいった。
「災《わざわい》もさいわいも運命じゃないか。なぜそんなに心配するのです。」
 七郎がいった。
「何もなければそれで佳《よ》いが。」
 その寝台の下にいる三人のうちの一人は、林児《りんじ》という者で、それは老|弥子《びし》で主人の機嫌を取っていた。一人は年のころが十二、三で、武が給事に使っている者であった。他の一人は李応《りおう》という者で、ひどくねじけていていつも小さなことで武といい争っていたので、武はいつもそれを怒っていたが、その夜じっと考えてみると、きっとその悪人が李応のようであるから、朝になって傍へ呼んで、穏やかな言葉で暇をやって帰した。
 武の長男の紳《しん》が王という家の女《むすめ》を娶《めと》っていた。ある日武は他出して林児を留守居にしてあった。そこの書斎の庭に植えてある菊の花が咲いていた。新婦の王は翁《しゅうと》が出ていって庭にはだれもいないと思ったので、自分でいって菊を摘んでいた。林児が走り出て来て戯れかかった。王は遁《に》げようとした。林児は王を小脇に抱えて室の中へ入った。王は啼《な》いてこばんだ。その王の顔色は変って声はいばえるようであった。紳はそれを聞きつけて走り込んで来た。林児は始めて王の手を放して逃げていった。
 武は帰ってそれを聞いて、怒って林児をさがしたが、どこへいったのかいった処が解らなかった。二、三日過ぎてから始めて林児が某《なにがし》という御史《ぎょし》の家にいることが解った。そしてその御史某は都の方で官職にいたので、家事のことは一切その弟がきりまわしていた。武は同輩の義理があるから無断で林児をつかまえにいくことができない。書を某の弟に送って林児を渡してくれといった。某の弟はとうとうとりっぱなしにして返事をしなかった。武はますます怒って邑宰《むらやくにん》に訴えた。邑宰からは林児を拘引すべしという命令が出たが、下役人がつかまえなかった。官の方でもそれからうえは問わなかった。武は怒りに燃えていた。ちょうどそこへ七郎が来た。武はいった。
「君がいったことがあたった。」
 そこで武は林児のことを話した。七郎はさっと顔色を変えて悲しそうにしたが、ついに一言もいわないで、すぐいってしまった。
 武は頭《かしら》だった下男にいいつけて林児を偵察《ていさつ》さしてあった。林児は夜他から帰って来て偵察している者の手に落ちた。偵察していた者は林児を武の前に突きだした。武は林児を杖《つえ》で叩《たた》いた。林児はめいらずに武の悪口をついた。武の叔父の恒《こう》は寛厚の長者であった。姪《おい》があまり怒って禍《わざわい》を招くのを恐れたので、つきだして懲《こら》してもらった方が好いだろうといって勧めた。武はその言葉に従って、林児を繋《しば》って邑宰の所へ送った。しかし御史の家から名刺をよこしてくると、邑宰は林児を釈《ゆる》してその下男に渡して帰した。林児はますます我がままになって、群集の中で、武と王とが私通しているとしいごとをいったが、武はそれをどうすることもできなかった。武は怒りに胸が塞《ふさ》がって悶死しそうになった。
 武は御史の門口へいって罵《ののし》り叫んだ。村の人が慰めて家へ帰した。翌日になって武の家の者が武にいった。
「林児は何ものかに殺されて、尸《しがい》が野の中にころがっております。」
 武は驚喜して心がややのびのびとなったが、俄《にわか》に御史の家から叔父と自分とを訟えたということを聞いた。武はとうとう叔父と裁判にいった。
 邑宰は二人のいいわけを聞き入れないで恒を杖で打とうとした。武はあらがっていった。
「人を殺したというのはけしからんが、紳士を侮辱したから、僕が彼奴《あいつ》をやっつけたのだ。叔父の知ったことじゃない。」
 邑宰はその言葉を耳に入れなかった。武は眼を怒らして飛びあがろうとした。役人達は武をとりひしいで杖で叔父と一緒に敲《たた》いた。役人達は皆御史の家の走狗《そうく》であった。恒はよぼよぼした老人であったから、打つ杖の数がまだ半分にもならないうちに死んでしまった。邑宰は恒の斃《たお》れたのを見るともうそれ以上は詮議《せんぎ》をしなかった。
 武は大声をあげて叫びかつ罵ったが、邑宰は何も聞かないふうで相手にならなかった。
 武はとうとう叔父の尸を舁《かつ》いで[#「舁《かつ》いで」は底本では「舁《かつ》いて」]帰って来たが、哀みと憤りで心が乱れてそれに対する謀《はかりごと》がまとまらなかった。武はそこで七郎から謀を得ようと思ったが、七郎はさらに見舞にも来なかった。武はこれまで七郎を待つに薄くはなかったが、なんでにわかに知らない人のようにするだろうと思った。しかし、林児を殺してくれた人のことを思うと、どうしても七郎より他にないので、七郎と謀《はか》らなければならないと思って、そこで人をその家へやった。七郎の家は戸が締ってひっそりとなっていた。隣の人に訊いても解らなかった。
 ある日、御史某の弟は村役所へ来て邑宰と相談していた。それは朝で、薪と水とを樵人《そま》が持って来る時刻であった。不意に一人の樵人が水を担《かつ》いで来たが、その担いだ物を置くなり刀を抽《ぬ》いて某に飛びかかった。某はあわてて手で刀をつかもうとした。刀はそれで腕を切り落した。樵人の次の刀は始めて某の首を斬った。邑宰は驚いて逃げていった。樵人は臂《ひじ》を張り肩を怒らして四辺《あたり》を見まわした。諸役人は急に門を締《し》めて杖を持ってさわぎだした。樵人はそこで自分で頸《くび》を突いて死んだ。皆がいり乱れて集まって来て見た。中に識っている者があって樵夫は田七郎だといった。邑宰は胸の鼓動が収まったので、始めて出て七郎を験《しら》べた。七郎は血の中に倒れていたが手にはまだ刀を握っていた。邑宰は足を止めて精しく見ていた。と、七郎の尸《しがい》が不意に起きあがって、邑宰の首を斬ったが、それが終るとまた※[#「足へん+倍のつくり」、第3水準1-92-37]《たお》れた。
 捕卒が七郎の母親をつかまえにいった。いってみると逃げうせて数日経っていた。武は七郎の死んだことを聞いて、かけつけて泣き悲しんだ。皆武が七郎にさしたことだといった。武はありたけの財産を以て当路の大官に賄賂を送って、はじめて免がれることができた。七郎の尸は三十日も野に棄てて、鳥や犬がそれを看視していた。武はそれを取って厚く葬った。
 七郎の子は登《とう》に漂泊《ひょうはく》していって、姓を※[#「にんべん+冬」、第3水準1-14-17]《とう》と変えていたが、兵卒から身を起し、軍功によって同知将軍になって遼陽《りょうよう》に帰って来た。武はもう八十余であった。そこで武はその父の墓を教えてやった。

底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

蒲 松齢

促織- 蒲松齢—- 田中貢太郎訳

 明《みん》の宣宗《せんそう》の宣徳年間には、宮中で促織《こおろぎ》あわせの遊戯を盛んにやったので、毎年民間から献上さしたが、この促繊は故《もと》は西の方の国にはいないものであった。
 華陰《かいん》の令をしている者があって、それが上官に媚《こ》びようと思って一|疋《ぴき》の促織を献上した。そこで、試みに闘わしてみると面白いので、いつも催促して献上さした。令はそこでそれをまた里正《りせい》に催促して献上さした。市中の游侠児《あそびにん》は佳《よ》い促織を獲ると篭《かご》に入れて飼い、値をせりあげて金をもうけた。邑宰《むらやくにん》はずるいので、促織の催促に名を仮《か》って村の戸数に割りあてて金を取りたてた。で、一疋の促織を催促するたびに、三、四軒の家の財産がなくなった。
 ある村に成《せい》という者があった。子供に学芸を教える役であったが、長いこと教わりに来る者がなかった。その成は生れつきまわりくどいかざりけのない男であったが、ずるい邑宰の申したてによって里正の役にあてられた。成は困っていろいろと工夫して、その役から逃れようとしたが逃れることができなかった。それがために一年たらずですくなかった財産がなくなってしまった。ちょうどその時促織の催促があった。成はおしきって村の家家から金を取りたてもしなければ、それかといって自分で賠償金を出すこともできなかった。成は困りぬいて死のうとした。細君がいった。
「死んで何の益があります。自分でいって捜すがいいじゃありませんか。万一見つからないとも限りませんよ。」
 成はなるほどと思って、竹筒と糸の篭を持って朝早く出かけていって日が暮れるまで捜した。塀《へい》の崩《くず》れた処や草原へいって、石の下を探り、穴を掘りかえして、ありとあらゆることをしてやっと二、三疋の促織を捕えたが、皆貧弱なつまらない虫であるから条件にかなわなかった。邑宰は先例に従って厳重に期限を定めて督促した。成はその期限を十日あまりも遅らしたので、その罰で百杖|敲《たた》かれて、両股の間が膿《う》みただれ、もういって虫を捉えることもできなくなった。
 成は牀《ねだい》の上に身を悶えて、ただ自殺したいとばかり思っていた。その時村へ一人のせむしの巫《みこ》が来て、神を祭って卜《うらない》をした。成の細君は金を持って巫の所へ成の身の上のことを訊《き》きにいった。そこには紅女や老婆が門口を塞《ふさ》ぐように集まっていた。成の細君もその舎《いえ》へ入っていった。そこには密室があって簾《すだれ》を垂れ、簾の外に香几《こうづくえ》がかまえてあった。身の上のことを訊《き》く者は、香を鼎《こうろ》に焚《た》いて再拝した。巫は傍から空間を見つめて代って祝《いの》った。その祝る唇《くちびる》が閉じたり開いたりしているが何をいっているか解らなかった。身の上のことを訊こうとしている者は、それぞれ体をすくめるように立って聴いていた。と、暫くして簾の内から一枚の紙を投げだした。それにはその人の思うことをいってあったが、すこしもちがうということがなかった。成の細君は前の人がしたように銭を案《つくえ》の上に置いて、香を焚いて拝《おが》んだ。物をたべる位の間をおいて、簾が動いて紙きれが飛んで来た。拾ってみると字でなくて絵を画いてあった。それは殿閣の絵であったが寺に似ていた。その建物の後に小さな山があって、その下に不思議な形をした石があったが、そこには棘《いばら》が茂って、青麻頭《せいまとう》といわれている促織がかくれ、傍に一疋の蟆《がま》が今にも躍りあがろうとしているようにしていた。細君はそれを展《ひろ》げて見ても意味を曉《さと》ることができなかったが、しかし促織が見えたので、胸の中に思っていることとぴったり合ったように思った。細君《さいくん》は喜んで帰って成に見せた。成はくりかえしくりかえし見て、これは俺に虫を捉《とら》える所を教えてくれていないともかぎらないと思って、精《くわ》しく画《え》の模様を見た。それは村の東にある大仏閣に似ていた。そこで強《し》いて起きて杖にすがって出かけていって、画に従って寺の後にいった。そこに小山のように盛りあがった古墳があって樹木が茂っていた。成はその古墳についていった。そこに一つの石があって画の模様とすこしも変っていなかった。そこで草の中へ入って虫の鳴声はしないかと思って、耳を傾けながらそろそろといった。それはちょうど針か芥《からしな》の実をたずねるようであった。そして一生懸命になって捜したが、どうしても見つからなかった。それでもやめずにあてもなく捜していると、一疋のいぼ蟇《がま》が不意に飛びだした。成はそれが画に合っているのでますます愕《おどろ》いて、急いで追っかけた。蟇は草の中へ入っていった。成は草をわけて追っていった。一疋の促織がいばらの根の下にかくれているのが見えた。成はいきなりそれを捉えようとした。虫は石の穴の中へ入った。成は尖《と》んがった草をむしってつッついたが出なかった。そこで竹筒《たけづつ》の水をつぎこんだので、虫はやっと出て来たが、その状《すがた》がひどくすばしこくて強そうであった。成はやっとそれを捉えて精しく見た。それは大きな尾の長い、項《うなじ》の青い、金色の翅《はね》をした虫であった。成は大喜びで篭へ入れて帰った。
 成の一家は喜びにひたされた。それは大きな連城《れんじょう》の璧《たま》を得た喜びにもまさっていた。そこで盆の上に伏《ふ》せて飼い、粟や米を餌《えさ》にして、手おちのないように世話をし、期限の来るのを待って献上しようと思った。成に子供があって九歳になっていた。父親のいないのを見て、そっと盆をのけた。虫はぴょんぴょんと飛びだした。子供は驚いて捉《とら》えようとしたが迅《はや》くて捉えられない。あわてて掌《てのひら》で叩《たた》きつけたので、もう股《あし》が折れ腹が裂けて、しばらくして死んでしまった。子供は懼れて啼きながら母親にいった。母親はそれを聞くと顔の色を変えて驚き、
「いたずらばかりするから、とうとうこんなことになったのだ。お父さんが帰って来たら、ひどい目に逢《あ》わされるのだよ。」
 と言って帰った。子供は泣きながら出ていった。
 間もなく成が帰って来た。成は細君の話を聞いて、雪水を体にかけられたように顫《ふる》えあがった。それと共に悪戯《いたずら》をした我が子に対する怒りが燃えあがった。成は子供をひどい目に逢わそうと思ってたずねたが、子供はどこへいったのかいった所が解《わか》らなかった。
 そのうちに子供の尸《しがい》を井戸の中に見つけた。そこで怒りは悲みとなって大声を出して泣き叫んだ。夫婦はその悲みのために物も食わないで向きあって坐って、すがるものもないような気持ちであった。日がもう暮れようとした。夫婦は子供の尸を取りあげ、粗末な葬式をすることにして、近くへいって撫《な》でてみるとかすかな息が聞えた。二人は喜んで榻《ねだい》の上へあげた。
 夜半ごろになって子供はいきかえった。夫婦の心はやや慰められたが、ただ子供はぼんやりしていて、かすかな息をして睡《ねむ》ろう睡ろうとするふうをした。成はその時気がついて虫の篭を見た。篭の中には何もいなかった。そこで成は息がつまりそうになった。成はもう子供のことを考えなかった。
 成は終夜まんじりともしなかった。そのうちに朝陽が出て来た。ぐったりとなって心配している成の耳に、その時不意に門の外で鳴く促織《こおろぎ》の声が聞えて来た。成はびっくりして起きて見にいった。虫はまだ鳴いていた。成は喜んで手を持っていった。虫は一声鳴いてから飛んだ。その飛びかたがすばしこかった。成はそこで掌でひょいとふせたが、中に何もいないようであるから、ちょっと手をすかしてみると、虫はまたぴょんと飛んでぴょんぴょんと逃げていった。成はあわてて追っていった。虫は牆《へい》の隅へまでいってそれから解らなくなった。成はそのあたりを歩きまわってたずねた。虫は壁の上にとまっていた。よくみると体の小さな赤黒い色の虫で、それは初めの虫ではなかった。成はその虫があまり小さいのでつまらないと思って、初めの虫を見つけようとあちこちと見まわした。壁にとまっていた小さな虫は、この時不意に飛んで成の肩に止まった。それを見ると促織の上等のものとせられている土狗《どこう》か梅花翅《ばいかし》のようであった。それは首の角ばった長い脛《すね》をした虫で、どうもいい虫のようであるから喜んで捉えて、まさに邑宰の許へさしだそうとしたが、つまらない虫で気に入られなかったなら大変だと思ったので、まずためしに闘わしてみてからにしようと思った。その時|好事者《ものずき》の村の少年が一疋の促織を飼って、自分で蟹殻青《かいかくせい》という名をつけ、毎日他の少年達と虫あわせをしていたが、その右に出るものがなかった。そこでその少年は利益を得ようと思って、その値《ね》を高くしたが買う者がなかった。少年は成が虫を捕ったということを聞いて、その虫も負かすつもりで、成の家へいって、成の蓄《か》っている虫を見た。それは形が小さくてつまらない虫であるからおかしくて噴《ふ》きだそうとしたが、やっと口に手をやってこらえ、そこで自分の虫を出して見せた。それは大きな長い虫であったから、成は慚《は》じてどうしても闘わさなかった。少年は強いて闘わそうとした。成はそのうちにつまらない物を飼っていても、なんにもならないから闘わしてみよう。つまらない虫なら負けるからすてるまでだ。笑われると思ってやってみようという気になった。
 そこで双方の虫を盆の中へ入れた。成の小さな虫は体を伏せたなりに動かなかった。それはちょうど木で造った鶏のようであった。少年はまたひどく笑った。そこで試みに猪《ぶた》の毛で虫の鬚《ひげ》をつッついたが、それでも動かなかったので少年はまた笑った。そこでまた幾回も幾回もつッついた。すると虫は怒りたって、いきなり進んでいった。双方の虫は闘いをはじめて、声を出しながら争った。不意に小さな虫の方が飛びあがって尾を張り鬚を伸ばして、いきなり相手の領《くび》にくいついた。少年はひどく駭《おどろ》いて、急いでひきわけて闘いをよさした。小さな虫は翅《はね》を張って勝ちほこったように鳴いた。それはちょうど主人に知らしているようであった。
 成は大喜びで、少年と二人で見ていると、一羽の鶏が不意に来て、いきなり啄《くちばし》でそれをつっつこうとした。成はびっくりして叫んだ。幸に啄は虫にあたらなかった。虫は一尺あまりも飛んで逃げた。鶏は追っかけてとうとう追いついた。虫はもう爪の下になっていた。成はあわてたが救うことができないので、顔の色を変えて腰をぬかしたようにして立った。やがて鶏は頸《くび》を伸ばして虫をつッつこうとして、虫の方を見た。虫は飛んで冠《とさか》の上にとまった。鶏はそれを振り落そうとしたが落ちなかった。成はますます驚喜して、※[#「てへん+啜のつくり」、314-2]《と》って篭の中へ入れた。
 翌日成は邑宰の前へ虫を持っていった。邑宰はその虫があまり小さいので怒って成を叱った。成はその虫の不思議に豪《つよ》いことを話したが、邑宰は信じなかった。そこでためしに他の虫と闘わした。他の虫はどれもこれも負けてしまった。また鶏と闘わしてみると、それも成のいったとおりであった。そこで邑宰は成を賞して、それを撫軍《ぶぐん》に献上した。撫軍は大いに悦んで金の篭に入れて献上して、精しくその虫の能を上書した。
 その虫がすでに宮中に入ると、西方から献上した蝴蝶《こちょう》、蟷螂《とうろう》、油利撻《ゆりたつ》、青糸額《せいしがく》などいう有名な促織とそれぞれ闘わしたが、その右に出る者がなかった。そして琴の音色を聞くたびにその調子に従って舞い踊ったので、ますます不思議な虫とせられた。天子は大いに悦ばれて、詔《みことのり》をくだして撫軍に名馬と衣緞《いどん》を賜わった。撫軍はそのよって来たる所を忘れなかった。間もなく邑宰は成の献上した虫のすぐれて不思議なことを聞いて悦び、成の役をゆるして再び教官にして、邑の学校に入れた。
 後一年あまりして成の子供の精神が旧《もと》のようになったが、自分で、
「私は促織になってすばしこく闘って、捷《か》って今やっと生きかえった。」
 といった。撫軍もまた成に手厚い贈物をしたので、数年にならないうちに田が百頃、御殿のような第宅《ていたく》、牛馬羊の家畜も千疋位ずつできた。で、他出する際には衣服や乗物が旧家の人のようであった。

底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
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蒲 松齢

成仙- 蒲松齢—- 田中貢太郎訳

 文登《ぶんとう》の周生《しゅうせい》は成《せい》生と少い時から学問を共にしたので、ちょうど後漢の公沙穆《こうさぼく》と呉祐《ごゆう》とが米を搗《つ》く所で知己《ちき》になって、後世から杵臼《ききゅう》の交《こう》といわれたような親しい仲であったが、成は貧乏であったから、しょっちゅう周のせわになっていた。そのうえ歯《とし》も周がうえであったから、成は周の細君を嫂《ねえ》さんと呼んで尊敬し、季節季節にはかならず来て一家の人のようにしていた。そうしているうちに周の細君がお産をした後で暴《にわか》に死んでしまったので、周はその継《あと》へ王姓の女を聘《めと》った。成はすこしささわりがあって来なかったので、王氏にはまだ逢っていなかった。
 ある日王氏の弟が姉をみまいに来たので、周は居間で酒盛をしていた。そこへ成が遊びに来たので家の者がとりついだ。周は喜んで迎えようとしたが、礼儀の正しい成は居間へ通るのは失礼にあたるからといって入らずに帰っていった。周は席を表座敷へ移して、成を追っかけていって伴《つ》れ還《かえ》り、やがて席についたところで、人が来て、
「今、別荘の下男が村役人につかまって、ひどく打たれております。」
 といった。それは黄《こう》という吏部《りぶ》の官にいる者の牛飼《うしかい》が、牛を曳《ひ》いて周の家の田の中を通ったのがもとで、周の家の下男といいあらそいになり、それを走っていって主人に告げたので、主人の黄《こう》吏部は周の家の下男を捉《とら》えて村役人に送った。それがために周の家の下男が打たれて責められることになったのであった。周はその故《わけ》を聞いて大いに怒った。
「黄の牧猪奴《ぶたかいめ》、よくもそんなことをしやがった。おやじは俺のお祖父《じい》さんにつかえていたくせに。すこしよくなったと思って、人をばかにしやがる。」
 周は忿《いかり》がむらむらとこみあげて来て、どうしても押えることができないので、黄吏部の家へいこうとした。成はこれをおしとめていった。
「強いものがちの世の中に、黒も白もないじゃないか。それにさ、今日の官吏は、たいがい強盗で、槍や弓をひねくりまわさない者はないじゃないか。あいてにならないがいいよ。」
 周はそれでも聴かずにいこうとした。成はかたく諌《いさ》めてはては涙さえ見せたので、周もよすことはよしたが怒りはどうしても釈《と》けなかった。それがためにその夜は睡《ねむ》らずに寝がえりばかりして朝になった。そこで周は家の者を呼んでいった。
「黄は、俺をばかにしたから仇《かたき》だが、それは姑《しばら》くおいて、村役人は朝廷の官吏で、権勢家の官吏じゃない。もし争う者があるなら双方を調べるべきだ。それを嗾《けしか》けられた狗《いぬ》のように、一方ばかり責めるとは何事だ。俺は牛飼を訴えて、村役人がどういうふうに処分するかを見てやるのだ。」
 家の者も主人のいうことが道にかなっているので、止めないばかりか是非いくがよかろうといってすすめた。そこで周の考えはきまった。周は訴状を持って村役人の所へいった。村役人は訴状をひき裂いて投げつけた。周はますます怒って村役人を罵倒《ばとう》した。村役人は慚《は》じると共に恚《いか》って周を捕縛して監獄へ繋《つな》いだ。
 周が家を出てから暫《しばら》くして成は周の家へいった。成はそこで周が訴状を持って城内へいったことを知ったので、驚いて止めようと思って城内へかけつけたが、いってみると周はもうすでに獄裏の人となっていた。成は足ずりして悔《くや》んだがどうすることもできなかった。
 その時に三人の海賊がつかまっていた。村役人はそれに金をやって周の仲間であるとつくりごとをいわせ、その申立《もうした》てを盾《たて》にして周の着物をはぎとって惨酷に拷問した。成はその時面会に来た。二人は顔を見あわして悲しみ歎いた。二人はそこで相談したが周の無実の罪を明らかにするには天子に直訴《じきそ》するより他に道がなかった。周はいった。
「僕は重い罪をきせられて、こんなに監獄に繋がれ、ちょうど鳥が篭《かご》に入れられたようだし、弟はあっても年が若くて、ただ差入れをする位のことだけしかできないし。」
 成はそれを聞くときっとなっていった。
「それは僕の責任だ。僕がやる。むつかしい事件で、それで急を要しない事件なら、友人の必要はない。」
 そこで成は都に向って出発した。周の弟が餞別《せんべつ》しようと思っていってみると、成はもう出発してかなり時間が経っていた。
 やがて成は都に着いたが控《うったえ》をする手がかりがない。どうしたならいいだろうかと思っていると、天子が御猟《ごりょう》にいかれるという噂が伝わって来た。成は木市《きば》の材木の中に隠れていて、天子の車駕《しゃが》の通り過ぎるのを待ちうけ直訴した。
 成の直訴はおとりあげになって、車駕を犯した成自身の身もそれぞれの手続の後にさげられ、上奏を経て周の罪を再審することになったが、その間が十ヵ月あまりもかかったので、周はすでに無実の罪に服して辟《つみ》につけられることになっていた。ところで天子の御批《ぎょひ》がくだったので、法院ではひどく駭《おどろ》いて、ふたたび罪をしらべなおすことになった。黄吏部もそれには駭いて周を殺そうとした。黄吏部は典獄に賄賂《わいろ》をおくって周に飲食をさせないようにした。そこで典獄は周の弟が食物を持って来ても入れることを許さなかった。それがために成が法院へいって周の無実の罪であることをいって、再審を始めてもらったときには、周は飢餓のために起つことができないようになっていた。法院の長官は怒って典獄を打ち殺させようとした。黄吏部は怖《おそ》れて村役人に数千金をおくったので、それでいいかげんなことになり、村役人は法を枉《ま》げた典獄ばかりを流刑にした。そして周は放たれて還《かえ》って来たが、それからはますます成と肝胆《かんたん》を照らした。
 成は周の裁判がすんでから、世の中に対して持っていた望みが灰のようにこなごなになったので、周を伴《つ》れて隠遁《いんとん》しようと思って、ある日、それを周にすすめた。周は若い後妻の愛に溺《おぼ》れて、成のいうことを人情に迂《うと》いつまらないことだといって一笑に付した。成はそれ以上何も言わなかったが、その意《こころ》はきちんときまっていた。
 成はそれから還っていったが数日経っても姿を見せなかった、周は使を成の家へやった。成の家には成はいずに家の者は周の所にいることとばかり思っていたといった。そこで始めて皆が疑いだしたが、周は成の心の異っていたことを知っているので、人をやって成のいそうな寺や山を偏《あまね》く物色《ぶっしょく》さすと共に、時どき金や帛《きぬ》をその子に恤《めぐ》んでやった。
 八、九年してから成が忽然《こつぜん》として周の所へ来た。それは黄な巾《ずきん》を冠《かぶ》り鶴の羽で織った※[#「敞/毛」、第3水準1-86-46]《しょう》を着た、巌壁の聳《そび》えたったような道士姿であった。周は大いに喜んで臂《うで》を把《と》っていった。
「君はどこへいってた。僕はどんなに探したかわからないよ。」
 成は笑っていった。
「僕は狐雲野鶴《こうんやかく》だ、どこときまった所はないが、君と別れた後も幸に頑健《がんけん》だったよ。」
 周は酒を出して二人で飲みながら別れた後のできごとなどを話し、成に道士の服装を易《か》えさせようとしたが、成は笑うだけでこたえなかった。周はそこでいった。
「馬鹿だなあ。君はなぜ細君《さいくん》や子供を敝《やぶ》れ※[#「尸+徙」、第4水準2-8-18]《くつ》のように棄《す》てたのだ。」
 成は笑っていった。
「そうじゃないよ。向うから人を棄てようとしているのだ。こっちから人を棄てやしないよ。」
 周は問うた。
「ではどこに棲《す》んでる。」
 成は答えた。
「労山《ろうざん》の上清宮だよ。」
 そのうちに夜になったので二人は寝台を並べて寝たが、夢に周は成が裸になって自分の胸の上に乗っかったので息ができないようになった。周はふしぎに思って、
「何をするのだ。」
 といったが成はわざと返事をしなかった。と、周の眼が寤《さ》めた。そこで周は、
「おい、成君。」
 と呼んだが返事がない。周は坐って手さぐりに索《さぐ》ってみたが、どこへいったのか沓《よう》としてわからなかった。暫くしてから周は始めて自分が成の寝台で寝ていることに気がついた。周は駭《おどろ》いていった。
「そんなに酔ってもいなかったのに、なぜこんなに顛倒《てんとう》したのだろう。」
 そこで家の者を呼んだ。家の者が来て火を点《つ》けた。周の容貌は変じて成となっていた。周はもと髭《ひげ》が多かった。周は手をやって頷《あご》をなでてみた。そこには幾莖《すうほん》の髭が踈《まば》らに生えているのみであった。周は鏡を取って自分で顔を照してみた。そこには成の顔があって自分の顔はなかった。
「おや、成の顔がある。俺はぜんたいどこへいったのだろう。」
 周はあきれて鏡を見ていたが、まもなくこれは成が幻術を以て自分を隠遁《いんとん》させようとしているためだろうと寤《さと》った。そこで気がおちついたので居間へ入ろうと思っていくと、周の弟はその貌《かおかたち》が異っているので通さなかった。周もまた自分で自分を証明することができないので、馬に乗り下男を伴《つ》れて成を尋ねていった。
 数日にして周は労山に入った。すると騎《の》っていた馬の足が疾《はや》くなって下男は随《つ》いていくことができなかった。馬は飛ぶようにいってやがて一本の樹の下に止った。そこには黄巾※[#「敞/毛」、第3水準1-86-46]服の道士がたくさん往来していた。そのうちの一道士が周に目をもって来た。そこで周は、
「成道士のいる所はどこでしようか。」
 といって問うた。道土は笑っていった。
「成道士から聞いている。上清宮にいるようだよ。」
 道士はそう言うなりすぐに離れていった。周はそれを見送った。その道士はすぐその先で向うから来た道士と何か二言三言《ふたことみこと》交えてからいってしまった。初めの道士と言葉を交えていた道士がやっと近くに来た。それは同窓の友の一人であった。同窓の友は周を見て愕《おどろ》いていった。
「数年逢わなかったね。人に聞くと、君は名山に入って道を学んでるといってたが、やっぱり人間《じんかん》にいるのかね。」
 周は同窓の友が成とまちがえていることを知ったのでそのわけを話した。同窓の友は驚いていった。
「じゃ、僕が今|遇《あ》ったのだ。僕は君とばっかり思ってた。いってから間がないから、まだ遠くへはいかないだろう。」
 周は不思議でたまらなかった。周はいった。
「そうかなあ。じゃ僕も遇っている。自分で自分の面《かお》のわからないはずはないがなあ。」
 そこへ下男がおっついて来た。周は馬を飛ばして彼の道士のいった方へといったが影も形も見えなかった。そこは一望寥闊《いちぼうりょうかつ》としたところであった。周は進退に窮してしまった。帰ろうとしても帰る家はなかった。周はとうとう意を決して成をどこまでも追っていくことにしたが、そのあたりは険岨《けんそ》で馬に騎《の》っていくことができないので、馬を下男にわたして帰し、独りになって、うねりくねった山路を越えていった。
 遥かに見ると一|僮子《どうし》の坐っている所があった。周は上清宮のある所を聞きたいので急いでその側《そば》へいって、
「これから上清宮のある所へは、何里位あるかね。僕は成道士を尋ねていく者だが。」
 といって故《わけ》を話した。すると僮子は、
「私は成道士の弟子でございます。」
 といって、代って荷物を荷い、路案内をしてくれたが、星飯露宿《せいはんろしゅく》、はるばるといって三日目になってやっとゆき着いた。そこは人間《じんかん》にあるいわゆる上清宮ではなかった。季節は十月の中頃であるのに、花が路に咲き乱れて初冬とは思われなかった。
 僮子が入っていって、
「お客さまがお出でになりました。」
 といった。すると遽《にわか》に成が出て来て、己《おのれ》の形になっている周の手を執《と》って内へ入り、酒を出して話した。
 そこには綺麗《きれい》な羽のめずらしい禽《とり》がいて、人に馴《な》れていて人が傍へいっても驚かなかった。その鳴く声は笛の音のようであったが、時おり座上《ざしき》へ入って来て鳴いた。周はひどくふしぎに思いながらも若い細君のことをはじめ世の中のことが心に浮んで来て、いつまでもそこにいようというような意《こころ》はなかった。
 そこには二枚の蒲団《ふとん》があった。二人はそれを曳《ひ》きよせて並んで坐っていたが、夜がふけていくに従って心がすっかり静まった。その時周はうとうとしたが、それと共に自分と成とが位置を易《か》えたような気がした。周はふしぎに思って頷《あご》をなでてみた。そこには髭の多い故《もと》の自分の頷があった。周は安心した。
 朝になって周は帰りたくなったので成にいった。成は固く留《と》めて返さなかった。三日すぎてから成がいった。
「今晩はすこし寝るがいいだろう。明日は早く君を送ろう。」
 周は成の言葉に従って睡《ねむ》ったところで、成の声がした。
「仕度《したく》ができたよ。」
 そこで周は起きて旅装を整えて成について出発した。周は成のいった道をゆかず他の道をいった。二人は暗い中をすこしいったかと思うと、もう故郷の村であった。成は路ばたに坐って周に向い、
「ひとりで帰るがいい。」
 といった。周は成を伴れていきたかったが、強《し》いてもいえないので独りで家の門を叩《たた》いた。返事をする者もなければ起きて来る者もなかった。周はそこで牆《かき》を越えて入ろうと思った。と、自分の体が木の葉の飛ぶようになって一躍《ひととび》に牆を越えることができた。垣はまだ二つ三つあった。周はその垣も越えて自分の寝室の前へといった。寝室の中には燈《ともしび》の光がきらきらと輝いて、細君はまだ寝ずに何人《なんぴと》かとくどくどと話していた。周は窓を舐《な》めて窺《のぞ》いてみた。そこには細君と一人の下男とが一つの杯《さかずき》の酒を飲みあっていたが、その状《さま》がいかにも狎褻《おうせつ》であるから周は火のようになって怒り、二人を執《とら》えようと思ったが、一人では勝てないと思いだしたので、そっと脱けだして成の所へ行って告げた。成は慨然《がいぜん》としてついて来た。そして寝室の前にいくと周は石を取って入口の扉を打った。内ではひどく狼狽《ろうばい》しだした。周はつづけざまに扉を打った。内では必死になって扉を押えて開かないようにした。そこで成が剣を抜いて斬りつけると、扉がからりと開いた。周はすかさず飛びこんでいった。下男が扉を衝《つ》いて逃げだした。扉の外にいた成が剣をもって片手を斬りおとした。周は細君を執えて拷問したところで、自分が獄にいれられた時から下男と私《わたくし》していたということがわかった。周はそこで成の剣を借りて細君の首を斬り、その腸《はらわた》を庭の樹の枝にかけて、成に従って帰山の途についた。と、思ったところで周の眼が醒《さ》めた。自分は寝台の上に臥《ね》ていたのであった。周はびっくりして、
「つじつまの合わない夢を見たのだ。驚いたよ。」
 といった。すると寝台を並べて寝ていた成が笑っていった。
「君は夢を真箇《まこと》にし、真箇を夢にしているのだ。」
 周は愕《おどろ》いてそのわけを問うた。成は剣を出して周に見せた。それにはなまなまと血がついていた。周は驚き懼《おそ》れて気絶しそうにしたが、やがて、それは成の法術で幻《まぼろし》を見せたではあるまいかと疑いだした。成は周の意を知ったので、
「嘘《うそ》か実《まこと》か見て来たらいいだろう。」
 といって、周に旅装をさして送って帰った。そのうちに故郷の入口になると、
「ゆうべ、剣に倚《よ》って待っていたのはここだよ。僕はけがれたものを見るのが厭だから、ここで君の還るのを待とう。もし午《ひる》すぎになって来なかったなら、僕はいってしまうよ。」
 といった。周は成に離れて家へいった。門の戸がしんとしていて空屋のようになっていた。そこで周は弟の家へ入った。弟は兄を見て涙を堕《おと》していった。
「兄さんがいなくなった後で、盗賊が入って、嫂《ねえ》さんを殺して、腸《はらわた》を刳《えぐ》って逃げたのですが、じつに惨酷《ざんこく》な殺しかたでしたよ。だが、それがまだ捕《つかま》らないです。」
 周ははじめて夢が醒《さ》めたように思った。そこで周は弟に事情を話して、もう詮議《せんぎ》することをやめるがいいといった。弟はびっくりして暫くは眼をみはっていた。周はそこで子供のことを聞いた。弟は老媼《ばあや》にいいつけて子供を抱いて来さした。周はそれを見て、
「この嬰児《あかんぼ》は、祖先の血統を伝えさすものだがら、お前がよく見てやってくれ。私はこれから世の中をすてるのだから。」
 といってそのまま起って出ていった。弟は泣きながら追いかけて挽《ひ》きとめようとしたが、周は笑いながら後を顧みずにいった。そして郊外に出て、そこに待っていた成と一緒になって歩きだしたが、遥かに遠くへいってからふりかえって、
「物事を耐え忍ぶことが、最も楽しいことだよ。」
 といった。弟はそこでそれに応《こた》えようとしたところで、成が闊《ひろ》い袖をあげたが、そのまま二人の姿は見えなくなった。弟は悵然《ちょうぜん》としてそこに立ちつくしていたが、しかたなしに泣きながら家へ返った。
 この周の弟は世才がないので家を治めてゆくことができず、数年の間に家がたちまち貧しくなった。その時周の子がやっと成長したが教師をやとうことができないので、自分で読書を教えていた。
 ある日朝早く書斎に入ってみると案《つくえ》の上に函書《てがみ》がのっかっていて、固く封緘《ふうかん》をしてあった。そして函書には「仲氏啓《おとうとひらく》」としてあった。よく見るとそれは兄の筆迹であった。そこで弟はそれを開けてみたが、ただ爪が一つ入っているのみで他には何もなかった。爪は長さが一寸ばかりのものであった。弟はそれを研《すずり》の上に置いてから書斎を出、家《うち》の者に彼の函書はだれが持って来たかといって聞いたが、だれも知っている者がなかった。ますますふしぎに思って書斎に入ってみると、彼の爪を置いてあった研石がぴかぴかと光っていた。それは化して黄金となっているところであった。弟は大いに驚いたが思いついたことがあるので、その爪を傍《そば》にあった銅器と鉄器の上に置いてみると、それも一いち黄金になった。周の弟はこれがために富豪になったので、千金を成の子に贈った。それによって世間で周の家と成の家には点金術があるといいつたえた。

底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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蒲 松齢

織成- 蒲松齢—- 田中貢太郎訳

洞庭湖《どうていこ》の中には時とすると水神があらわれて、舟を借りて遊ぶことがあった。それは空船《あきぶね》でもあると纜《ともづな》がみるみるうちにひとりでに解けて、飄然《ひょうぜん》として遊びにゆくのであった。その時には空中に音楽の音が聞えた。船頭達は舟の片隅にうずくまって、目をつむって聴くだけで、決して仰向《あおむ》いて見るようなことをしなかった。そして、舟をゆくままに任《まか》しておくと、いつの間にか遊びが畢《おわ》って、舟は元の処に帰って船がかりをするのであった。
 柳《りゅう》という秀才があって試験に落第しての帰途、舟で洞庭湖まで来たが酒に酔ったのでそのまま舟の上に寝ていた。と、笙《ふえ》の音が聞えて来た。船頭は水神があらわれたと思ったので、柳を揺り起そうとしたが起きなかった。船頭はしかたなしに柳をそのままにして舟の底へかくれた。
 と、人が来て柳の頸筋《くびすじ》をつかんで曳《ひ》き立てようとした。柳はひどく酔っているので持ちあがらなかった。そこで手を放すとそのまままたぐったりとなって眠ってしまった。しばらくしてその柳の耳に鼓《つづみ》や笙の音が聞えて来た。柳はすこし眼が醒めかけたのであった。蘭麝《らんじゃ》の香が四辺《あたり》に漂っているのも感じられた。柳はそっと窺《のぞ》いてみた。舟の中は綺麗な女ばかりで埋まっていた。柳は心のうちでただごとでないことを知った。柳は目をつむったように見せかけていた。しばらくして、
「織成《しょくせい》、織成。」
 と口移しにいう声がした。すると一人の侍女が来て、柳の頬《ほお》の近くに立った。それは翠《みどり》の襪《くつたび》に紫の色絹を着て、細い指のような履《くつ》を穿《は》いていた。柳はひどく気に入ったので、そっと口を持っていってその襪を齧《か》んだ。しばらくして女は他の方にいこうとした。柳が襪を齧んでいたためによろよろとして倒れた。一段高い所に坐っている者がその理由《わけ》を訊《き》いた。
「その方は、何故に倒れたのか。」
 女はその理由を話した。
「ここにいる人間が私の襪を齧んだためでございます。」
 高い所にいた者[#「者」は底本では「音」]はひどく怒った。
「その者に誅《ばつ》を加えるがよかろう。」
 武士が来て柳をつかまえ曳《ひ》き立てていこうとした。高い所には冠服をした王者が南に面して坐っていた。柳は曳き立てられながらいった。
「洞庭の神様は、柳姓でありますが、私もまた柳姓であります。昔、洞庭の神様は落第しましたが、私も今落第しております。しかるに洞庭の神様は、竜女に遇って神仙になられ、今私は酔って一人の女に戯れたがために死ぬるとは、何という幸不幸の懸隔のあることでしょう。」
 王者は、それを聞くと柳を呼びかえして問うた。
「その方は下第《かだい》の秀才か。」
 柳はうなずいた。そこで王者は柳に筆と紙をわたして、
「風鬟霧鬢《ふうかんむひん》の賦を作ってみよ。」
 といった。柳は嚢陽《じょうよう》の名士であったが、文章を構想することは遅かった。筆を持ってやや久しく考えたができなかった。王者はそれをせめた。
「名士、どうして遅い。」
 柳は筆を置いていった。
「昔、晋《しん》の左思《さし》が作った三都《さんと》の賦は十年してできあがりました。文章は巧みなのを貴《とうと》んで、速いのを貴びません。」
 王者は笑って聴いていた。辰《たつ》の刻から午《うま》の刻になって始めて脱稿《だっこう》した。王者はそれを見て非常に悦んだ。
「これでこそ真の名士である。」
 そこで柳は酒を下賜せられた。時を移さず珍奇な肴が前に列べられた。王者が柳に何かいおうとしている時、一人の使が帳簿を持って来て捧《ささ》げた。
「溺死者の名簿ができました。」
 王者は問うた。
「幾人ある。」
「一百二十八人あります。」
「だれを差遣《さけん》するのか。」
「毛《もう》将軍と南《なん》将軍の二人でございます。」
 柳はその前を退こうとした。王者は黄金十斤と、水晶の界方《かいほう》をくれた。界方とは直線を引くに用いる定規で、それで文鎮《ぶんちん》をかねるものであった。王者はいった。
「湖の中で災厄に逢っても、これを持っているなら、免がれることができる。」
 ふと見ると羽葆《はねがさ》をさしかけた人馬の行列が水面にあらわれた。王者は舟からおりてその輿《くるま》に乗ったが、そのまま見えなくなってしまった。舟の中一ぱいにいた女達ももういなくなっていた。船頭はやっと船底からはい出して来て、舟を漕いで北に向った。強い風が逆に吹きだしたので舟は進まなかった。と、その時不意に水の中から鉄錨《てつびょう》が浮いて出た。船頭は狼狽《ろうばい》しだした。
「毛将軍がお出でましになった。」
 附近を往来していた舟の乗客は皆船底につッぷしてしまった。間もなく水の中に一本の木が立っていて、それが揺れ動いているのが見えた。客も船頭も色を失った。
「南将軍がまたお出ましになったぞ。」
 波が急に湧きたって来て、その波頭が空の陽をかくすように見えた。舳先《へさき》を並べていたたくさんの舟はみるみる漂わされて別れ別れになった。柳の舟では柳が界方をさしあげて危坐していたので、山のような波も舟に近くなると消えてしまった。そこで柳は無事に故郷へ帰ることができたが、いつも人に向って舟の中の不思議なことを話して、そしてそれにつけ加えていった。
「舟の中の女は、はっきりとその顔は見なかったが、裙《もすそ》の下の二本の足は、人間の世にはないものだったよ。」
 後に柳は事情があって武昌《ぶしょう》にいった。その時|崔《さい》という老婆が水晶の界方を一つ持っていて、これと寸分違わない物を持っている者があるなら女《むすめ》を嫁にやろうといった。柳はそれを人から聴いて不思議に思って、彼の界方を持っていった。
 老婆は喜んで面会した。そして女を呼んで見せた。それは十五、六の綺麗《きれい》な女であった。女は一度お辞儀をするかと思うともう幃《まく》の中へ入っていった。柳の魂は揺れ動いた。
「私が持っている物と、こちらの物と似ておりましょうか。」
 そこで双方が界方を出しあって較べた。その長さも色合もすこしも違わないものであった。老婆は喜んで柳の住所を問い、女を後から伴《つ》れてゆくから、輿《くるま》に乗って早く帰って仕度をしておけ、そして界方を印に遺しておけといった。柳は界方を遺《のこ》しておくのが不安であるからすぐ承知しなかった。老婆は笑った。
「旦那《だんな》もあまり心が小さいじゃありませんか。私がどうして一つの界方位とって逃げるものですか。」
 柳はしかたなしに界方を置いて帰っていったが、どうも不安でたまらないから、輿を傭《やと》って急いで老婆の家へ取りにいった。老婆の家は空《から》になってだれもいなかった。柳は駭《おどろ》いて、その附近の家を一軒一軒訊いてみたが、だれも知ったものはなかった。陽《ひ》はもう西にまわっていた。柳は怒りと懊《なや》みで自分のことも忘れて帰って来た。途中で一つの輿とゆき違った。と、向うの輿の簾《すだれ》をあげて、
「旦那あまり遅いじゃありませんか。」
 という者があった。それは崔であった。柳は安心して喜んだ。
「どこへいくのです。」
 崔は笑っていった。
「あなたが、きっと、私を騙《かた》りと疑っていらっしゃるだろうと思って、あなたと別れた後で輿の便があったから、その時旦那も旅住居で、仕度ができなかろうと、女を送って、あなたの舟までいったのですよ。」
 柳は崔の輿を返してもらおうとしたが崔がきかなかった。柳は崔が女を舟へ送ってあるというのも怪しいと思ったので、あたふたと帰っていった。舟には女が一人の婢を伴《つ》れて坐っていた。女は笑いながら柳を迎えた。翠《みどり》の襪《くつたび》、朱《あか》い履《くつ》、洞庭の舟の中で見た侍女の妝飾《そうしょく》とすこしも違わない女であった。柳は心で不思議に思って、そのあたりを歩きながら女に注意した。女は笑った。
「そんなに御覧になるが、まだ一度も御覧になったことはないのですか。」
 柳はますます眼を近くにやった。襪の後には歯の痕《あと》が残っていた。柳は驚いていった。
「お前は織成か。」
 女は口もとを掩《おお》って微《ひそ》かに笑った。柳は長揖《ちょうゆう》の礼をとっていった。
「お前は神か。早くほんとうのことをいってくれ、俺を惑《まど》わしてくれるな。」
 女がいった。
「ほんとうのことを申しましょう。あなたが洞庭の舟の中でお遭いになったのは、洞庭の神様ですよ。洞庭の神様は、あなたの大きな才能を崇拝して、私をあなたに贈ることになりましたが、私は王妃に愛せられていましたから、帰って相談しました。私のあがりましたのは王妃の命であります。」
 柳は喜んで手を洗い香を焚《た》いて、洞庭湖の方に向いて遥拝《ようはい》してから、女を伴れて帰った。後にまた武昌にいく時女が里がえりがしたいというので、同行して洞庭までいった。女は釵《かんざし》を抜いて水の中に投げた。と、見ると一|艘《そう》の舟が湖の中から出て来た。女はそれに飛び乗って鳥の飛ぶようにいったが、またたく間に見えなくなった。柳は舟の舳《へさき》に坐って小舟の消えた処をじっと見つめていた。
 遥か遠くから一艘の楼船が来たが、すぐ傍へ来ると窓を開けた。一羽の色鳥が飛んで来たようにして織成が帰って来た。すると窓の中から金帛珍物をこちらの舟に向けて投げてくれた。それは皆王妃の賜物《たまもの》であった。
 柳夫妻はそれから毎年、年に一、二回洞庭にゆくことが例になった。柳の家はますます富んで珍らしい珠《たま》が多かった。それを世間に出してみると、いろいろの珍らしい物を見ている家柄の家でも知らなかった。

底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
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蒲 松齢

小翠- 蒲松齢—–田中貢太郎訳

王太常《おうたいじょう》は越人であった。少年の時、昼、榻《ねだい》の上で寝ていると、空が不意に曇って暗くなり、人きな雷がにわかに鳴りだした。一疋《いっぴき》の猫のようで猫よりはすこし大きな獣が入って来て、榻の下に隠れるように入って体を延べたり屈めたりして離れなかった。
 暫くたって雷雨がやんだ。榻の下にいた獣はすぐ出ていったが、出ていく時に好く見るとどうしても猫でないから、そこでふと怖《こわ》くなって、次の室にいる兄を呼んだ。兄はそれを聞いて喜んでいった。
「弟はきっと、ひどく貴《とうと》い者になるだろう。これは狐が来て、雷霆《らいてい》の劫《ごう》を避けていたのだ。」
 後、果して少年で進士になり、県令から侍御《じぎょ》になった。その王は元豊《げんぽう》という子供を生んだが、ひどい馬鹿で、十六になっても男女の道を知らなかった。そこで郷党では王と縁組する者がなかった。王はそれを憂えていた。ちょうどその時、一人の女が少女を伴《つ》れて王の家へ来て、その少女を元豊の夫人にしてくれといった。王夫妻はその少女に注意した。少女はにっと笑った。その顔なり容《かたち》なりが仙女《せんじょ》のように美しかった。二人は喜んで名を訊いた。女は自分達の姓は虞《ぐ》、少女の名は小翠《しょうすい》で、年は十六であるといった。そこで少女を買い受ける金のことを相談した。すると女がいった。
「私と一緒にいると腹一ぱいたべることもできません。こうした大きなお宅に置いていただいて、下女下男を使って、おいしいものがたべられるなら、本人も満足ですし、私も安心します。金はいただかなくてよろしゅうございます。」
 王夫人は悦《よろこ》んで小翠をもらい受けることにして厚くもてなした。女はそこで小翠にいいつけて、王と王夫人に拝《おじぎ》をさして、いいきかせた。
「このお二方は、今日からお前のお父さんお母さんだから、大事に事《つか》えなくてはいけないよ。私はひどく忙しいから、これから帰って、三、四日したらまた来るよ。」
 王は下男にいいつけて女を馬で帰そうとした。女は家はすぐ近いから、人手を煩わさなくても好いといって、とうとうそのまま帰っていった。小翠は悲しそうな顔もせずに、平気で匳《はこ》の中からいろいろの模様を取り出して弄《いじ》っていた。
 王夫人は小翠を可愛がった。夫人は三、四日しても小翠の母親が来ないので、家はどこかといって訊いてみたが、小翠は知らなかった。それではどの方角からどうして来たかと訊いたが、それもいうことができなかった。
 王夫妻はとうとう外の室をかまえて、元豊と小翠を夫婦にした。親戚の者は王の家で貧乏人の子供を拾って来て新婦にするということを聞いて皆で笑っていたが、小翠の美しい姿を見て驚き、もうだれも何もいわないようになった。
 小翠は美しいうえにまたひどく慧《りこう》であった。能く翁《しゅうと》姑《しゅうとめ》の顔色を窺《み》て事《つか》えた。王夫妻もなみはずれて小翠を可愛がった。それでも二人は嫁が馬鹿な悴《せがれ》を嫌いはしないかと思って恐れた。小翠はむやみに笑う癖があってよく謔《いたずら》をしたが、元豊を嫌うようなことはなかった。
 小翠は布を刺して毬《まり》をこしらえて毬蹴《まりけり》をして遊んだ。小さな皮靴を着けて、その毬《まり》を数十歩の先に蹴っておいて、元豊をだまして奔《はし》っていって拾わした。元豊と婢はいつも汗を流して小翠のいうとおりになっていた。ある日、王がちょうどそこを通っていた。毬がぽんと音を立てて飛んで来て、いきなりその顔に中った。小翠と婢は一緒に逃げていった。元豊はまだ勢込んで奔っていってその毬を拾おうとした。王は怒って石を投げつけた。元豊はそこでつッぷして啼《な》きだした。
 王はそのことを夫人に告げた。夫人は小翠の室へいって小翠を責めた。小翠はただ首を垂れて微笑しながら手で牀《こしかけ》の隅をむしりだした。夫人がいってしまうと小翠はもういたずらをはじめて、元豊の顔を脂《べに》と粉《おしろい》でくまどって鬼のようにした。夫人はそれを見て、ひどく怒って、小翠を呼びつけて口ぎたなく叱った。小翠は几《つくえ》に倚《よ》っかかりながら帯を弄《いじ》って、平気な顔をして懼れもしなければまた何もいわなかった。夫人はどうすることもできないので、そこで元豊を杖で敲《たた》いた。元豊は大声をあげて啼き叫んだ。すると小翠が始めて顔の色を変えて膝を折ってあやまった。それで夫人の怒りもすぐ解けて元豊を敲くことをやめていってしまった。小翠は笑って泣いている元豊を伴《つ》れて室《へや》へ入り、元豊の着物の上についた塵を払い、涙を拭き、敲かれた痕をもんでやったうえで、菓《かし》をやったので元豊はやっと笑い顔になった。
 小翠は戸を閉めて、また元豊を扮装《ふんそう》さして項羽《こうう》にしたて、呼韓耶単于《こかんやぜんう》をこしらえ、自分はきれいな着物を着て虞《ぐ》美人に扮装して帳下の舞を舞った。またある時は王昭君《おうしょうくん》に扮装して琵琶を撥《ひ》いた。その戯れ笑う声が毎日のようにやかましく室の中から漏れていたが、王は馬鹿な悴が可愛いので嫁を叱ることができなかった。そこで聞かないようなふりをして、そのままにしてあった。
 同じ巷《まち》に王と同姓の給諌《きゅうかん》の職にいる者がいた。王侍御の家とは家の数で十三、四軒隔っていたが、はじめから仲がわるかった。その時は三年毎に行うことになっている官吏の治績を計って、功のある者は賞し、過のある者は罰する大計の歳に当っていたが、王給諌は王侍御の河南道を監督していることを忌《い》みきらって、中傷《ちゅうしょう》しようとした。王侍御はその謀《くわだて》を知ってひどく心配したがどうすることもできなかった。ある夜王侍御が早く寝た。小翠は衣冠束帯《いかんそくたい》して宰相に扮装したうえに、白い糸でたくさんなつくり髭《ひげ》までこしらえ、二人の婢に青い着物を着せて従者に扮装さして、廐《うまや》の馬を引きだして家を出、作り声をしていった。
「王先生にお目にかかろう。」
 馬を進めて王給諌の門口までいったが、そこで鞭《むち》をあげて従者を敲《たた》いていった。
「わしは王侍御にお目にかかるのじゃ、王給諌に逢うのじゃない。あっちへいけ。」
 そこで馬を回して帰った。そして家の門口へ来たところで、門番は真《ほんとう》の宰相と思ったので、奔っていって王侍御に知らした。王侍御は急いで起きて迎えに出てみると、小翠であったからひどく怒って夫人にいった。
「人が、わしのあらをさがしている時じゃないか。これでは家庭がおさまらないということで中傷せられる。わしの禍《わざわい》も遠くはない。」
 夫人は怒って小翠の室へ走り込んでいってせめ罵《ののし》った。小翠はただ馬鹿のように笑うのみで弁解しなかった。夫人はますます怒ったがまさか敲くこともできないし、また出そうにも家がないので出すこともできなかった。夫妻は嫁を怨《うら》みもだえて一晩中睡らなかった。
 その当時宰相は権勢が非常に盛んであったが、その風采《ふうさい》は小翠の扮装にそっくりであったから、王給諌も小翠を真の宰相と思った。そこでしばしば王侍御の門口へ人をやってさぐらしたが、夜半になっても宰相の帰っていく気配がなかった。王給諌はそこで宰相と王侍御とが何かもくろんでいると思ったので不安になり、翌日早朝、王侍御に逢って訊いた。
「昨夜宰相があなたの所へいったのですか。」
 王侍御は王給諌がいよいよ自分を中傷しようとするしたがまえだと思ったので、慙《は》じると共にひどく恐れて、はっきりと返事をすることができなかった。王給諌の方では王侍御が言葉を濁すのは確かに宰相がいって何かもくろんでいるから、王侍御を弾劾《だんがい》してはかえって危険であると思って、弾劾することはとうとうやめてしまい、それから王侍御に交際を求めていくようになった。王侍御はその情を知って心に喜んで、そしてひそかに夫人にいいつけて、小翠に行いを改めるように勧めさした。小翠は笑ってうなずいた。
 翌年になって宰相は官を免ぜられた。ちょうどその時、秘密の手紙を王侍御に送って来た者があったが、それが誤って王給諌の許へ届いた。王給諌はひどく喜んで、その秘密の手紙を種に王侍御を恐喝《きょうかつ》して金を取るつもりで、先ず王侍御と仲の善い者にその手紙を持っていかして一万の金を仮らした。王侍御はそれを拒んで金を出さなかった。そこで王給諌が自分で王侍御の家へ出かけていった。王侍御は王給諌に逢おうと思って客の前へ着てゆく巾《ずきん》と袍《うわぎ》をさがしたが、二つとも見つからないので、すぐ出ることが[#「出ることが」は底本では「出ることか」]できなかった。王給諌は長く待っていたが王侍御が出て来ないので、これは王侍御が傲慢《ごうまん》で出て来ないだろうと思って、腹を立てて帰ろうとした。と、元豊が天子の着るような袞竜《こんりょう》の服を着、旒冕《そべん》をつけて、室の中から一人の女に推《お》し出されて出て来た。王給諌はひどく駭《おどろ》くと共に、王侍御を陥れる材料がいながらにして見つかったので、笑顔をして元豊を旁《そば》へ呼んで、だましてその服と冕を脱がせ、風呂敷に包んでいってしまった。王侍御は急いで出て来たが、客がもう帰っていないので、訊いてみるとその事情が解った。王侍御は顛《ふる》えあがって顔色が土のようになった。彼は大声を出して哭《な》いていった。
「もうたすからない。大変なことになった。」
 王侍御は陽《ひ》に指をさして、我が一族が誅滅《ちゅうめつ》せられることは、この陽を見るよりも明らかであるといった。王侍御は小翠を殺しても飽きたらないと思った。彼は夫人と杖を持って小翠の室へいった。小翠はもうそれを知って扉を閉めて、二人が何といって罵《のの》ってもそのままにして啓《あ》けなかった。王侍御は怒って斧で扉を破った。小翠は笑いを含んだ声でいった。
「お父様、どうか怒らないでください。私がおりますから。罪があれば私一人が受けます。どんなことがあっても御両親をまぎぞえ[#「まぎぞえ」はママ]にはいたしません。お父様がそんなことをなさるのは、私を殺して人の口をふさごうとなさるのですか。」
 王侍御もそこで止めてしまった。家へ帰った王給諌は上疏《じょうそ》して王侍御が不軌《ふき》を謀《はか》っているといって、元豊から剥ぎとった服と冕を証拠としてさし出した。天子は驚いてそれを調べてみると、旒冕《そべん》は糜藁《きびわら》の心《しん》で編んだもので、袞竜《こんりょう》の服は敗れた黄ろな風呂敷《ふろしき》であった。天子は王給諌が人を誣《し》いるのを怒った。また元豊を召したところで、ひどい馬鹿であったから、笑っていった。
「これで天子になれるのか。」
 そこでその事件を法司の役人にわたした。その時王給諌はまた王侍御の家に怪《あや》しい人がいると訟《うった》えた。法司の役人は王侍御の家の奴婢を呼び出して厳重に詮議をしたがそれにも異状がなかった。ただお転婆《てんば》の嫁と馬鹿な悴とが毎日ふざけているということが解った。隣家について詮議をしても他に違ったことをいう者がなかった。そこで裁判が決定して、王給諌は雲南《うんなん》軍にやられた。
 王侍御はそれから小翠を不思議な女だと思いだした。また母親が久しく来ないので人でないかもわからないと思って、夫人にそれを訊かした。小翠はただ笑うのみで何もいわなかった。二度目にまた問いつめると小翠は口に袂をやって笑いをこらえながら、
「私は玉皇《ぎょくこう》の女《むすめ》です、母は知りません。」
 といって真《ほんとう》のことはいわなかった。それから間もなく王侍御は京兆尹《けいちょういん》に抜擢せられた。年はもう五十あまりになっていた。王はいつも孫のないのを患《うれ》えていた。小翠は王の家へ来てからもう三年になっていたが、元豊とは夜よる榻《ねだい》を別にしていた。夫人はその時から元豊の榻をとりあげて、小翠の榻に同寝《ともね》させるようにした。
 ある日、小翠は室で湯あみをしていた。元豊がそれを見て一緒に湯あみをしようとした。小翠は笑い笑いそれを止めて、湯あみをすまし、その後で熱い煮たった湯を甕《かめ》に入れて、元豊の着物を脱ぎ、婢に手伝わして伴れていってその中へ入れた。元豊は湯気に蒸《む》されて苦悶しながら大声を出して出ようとした。小翠は出さないばかりか衾《やぐ》を持って来てそのうえからかけた。
 間もなく元豊は何もいわなくなった。衾をとって見るともう死んでいた。小翠は平気で笑いながら元豊の屍《しかばね》を曳《ひ》きあげて牀《とこ》の上に置き、体をすっかり拭いて乾かし、またそれに被《よぎ》を着せた。夫人は元豊の死んだことを聞いて、泣きさけびながら入って来て罵った。
「この気ちがい、なぜ私の子供を殺した。」
 小翠は笑っていった。
「こんな馬鹿な子供は、ない方がいいじゃありませんか。」
 夫人はますます怒って、小翠にむしゃぶりついて自分の首を小翠の首にくっつけるようにした。婢達はなだめなだめ曳き別けようとした。そうしてやかましくいってるうちに、一人の婢がいった。
「若旦那様が呻《うな》ってますよ。」
 夫人は喜んで泣くことをやめて元豊を撫《な》でた。元豊は微《かす》かに息をしていたが、びっしょり大汗をかいて、それが※[#「ころもへん+因」、第4水準2-88-18]褥《しとね》まで濡らしていた。食事する位の時間をおいて汗がやんだところで、元豊は忽ち目をぱっちり開《あ》けて四辺を見た。そして家の人をじっと見たが、見おぼえがないようなふうであった。元豊はいった。
「私は、これまでのことを思ってみるに、すべて夢のようです。どうしたのでしょう。」
 夫人はその言葉がはっきりして今までの馬鹿でないから、ひどく不思議に思った。父の前へ伴《つ》れていって試めしてみたが、生れかわったようになっているので、不思議な宝を得たように大喜びをした。そこで夫人は元豊から取りあげてあった榻《ねだい》を故《もと》の処へ還《かえ》して、更めて寝床をしつらえて注意していた。元豊は自分の室へ入ると婢を出した。朝早くいって覘《のぞ》いてみると榻を空にして小翠の室にいっていた。それから元豊の病気は二度と起らなかった。元豊と小翠は夫婦の間がいたって和合して、影の形に随うがようであった。
 一年あまりして王は給諌の党から弾劾《だんがい》せられて免官になった。王の家に一つの玉瓶《ぎょくへい》があった。広西|中丞《ちゅうじょう》が小さな過失があって譴責《けんせき》を受けた時に賄賂《わいろ》として贈って来たものであった。それは千金の価があった。王はそれを出して当路《とうろ》の者に賄賂に贈ろうとしていた。小翠はそれが好きで平生|玩《いじ》っていたが、ある日それを取り堕《おと》して砕いてしまった。小翠は自分の過《あやまち》を慙《は》じて王夫妻の前へいってあやまった。王はちょうど免官になって不平な際であったから怒って口を尖《とが》らして罵《ののし》った。小翠も怒って元豊の所へいっていった。
「私があなたの家を援《すく》ったことは、一つの瓶《かめ》位ではありません。なぜすこしは私の顔もたててくれないのです。私は、今、あなたに真《ほんとう》のことをいいます。私は人ではありません。私の母が雷霆《らいてい》の劫《ごう》に遭って、あなたのお父様の御恩を受けましたし、また私とあなたは、五年の夙分《しゅくぶん》がありましたから、母が私をよこして、御恩返しをしたのです。もう私達の宿願は達しました。私がこれまで罵られ、はずかしめられてもいかなかったのは、五年の愛がまだ盈《み》たなかったからですが、こうなってはもうすこしもいることはできません。」
 小翠は威張って出ていった。元豊は驚いて追っかけたがもうどこへいったか見えなかった。王は茫然《ぼうぜん》とした。そして後悔したがおっつかなかった。元豊は室へ入って、小翠の化粧の道具を見て、またしても小翠にいかれたのが悲しくなって、泣き叫んで死のうとまで思った。彼は寝ても睡られず食事をしても味がなかった。彼は日に日に痩せていった。王はひどく心配して、急に後妻を迎えてその悲しみを忘れさせようとしたが、元豊はどうしても忘れなかった。そこで上手な画工《えかき》に小翠の像を画かして、夜も昼もそれに祷《いの》っていた。
 幾《ほと》んど二年位してのことであった。元豊は故《わけ》があって他村へいって夜になって帰っていた。円い明るい月が出ていた。村の外《はずれ》に王の家の亭園があった。元豊は馬でその牆《へい》の外を通っていたが、中から笑い声が聞えるので、馬を停《とど》め、従者に鞍《くら》をしっかり捉えさしてその上にあがって見た。そこには二人の女郎《むすめ》が戯れていた。ちょうどその時月に雲がかかったので、どんな者とも見わけることができなかった。ただ一方の翠《みどり》の着物を着た女のいう声が聞えた。
「お前をここから逐《お》いだすわよ。」
 すると一方の紅《あか》い着物を着た女がいった。
「あなたは、私の家の庭にいながら、だれを逐いだすというのです。」
 翠の着物の女はいった。
「お前はお嫁になることもできないで、おんだされたのを羞《は》じないの。まだ人の家の財産を自分の所有《もの》にしているつもりなの。」
 紅い着物の女はいった。
「姉さんは、ひとりぼっちでいる者に勝とうとしているのですね。」
 その紅い着物の女の声を聴くとひどく小翠に似ているので、急いで大声でいった。
「小翠、小翠。」
 翠の着物の女はいってしまった。いく時紅い着物の女にいった。
「暫く喧嘩するのを待とうね。お前の男が来たのだから。」
 紅い着物の女がもう来た。思ったとおりそれは小翠であった。元豊はうれしくてたまらなかった。小翠を垣の上にのぼらして、手をかしておりてこさした。小翠はいった。
「二年お目にかからないうちに、ひどくお痩せになりましたね。」
 元豊は小翠の手を握って泣いた。そして思いつめていたということをいった。小翠はいった。
「私もよくそれを知っていたのですが、ただお宅へは帰れないものですから、今、姉と遊んでましたが、またこうしてお目にかかるのも、因縁ですね。」
 元豊は小翠を伴《つ》れて帰ろうとしたが、小翠はきかなかった。それではこの亭園にいてくれというと承知した。そこで従者をやって夫人に知らした。夫人は驚いて轎《かご》に乗ってゆき、鑰《かぎ》を啓《あ》けて亭に入った。小翠は趨《はし》っていって迎えた。夫人は小翠の手を捉《と》って涙を流し、力《つと》めて前の過《あやまち》を謝した。
「もし、前のことを気にかけないでいてくれるなら、一緒に帰っておくれでないかね。私も年をとったし。」
 小翠ははげしい言葉でそれを断った。夫人はそこで田舎の荒れた寂しい亭園に二人でいるのは不便だろうと思って、多くの奴婢をつけておこうとした。女はいった。
「私はそんなたくさんな人の顔を見るのはいやです。ただ前の二人の婢と、外に年とった下男を一人、門番によこしてくださいまし。その外には一人も必要がありません。」
 夫人は小翠のいうなりになって、元豊に頼んでその亭園の中で静養さすことにし、毎日食物を送ってよこした。
 小翠はいつも元豊に、別に結婚せよと勧めたが、元豊は承知しなかった。
 一年あまりして小翠の容貌や音声がだんだん変って来た。元豊はいつか画《か》かした小翠の像を出して見くらべた。が、別の人のようであるからひどく怪しんだ。女はいった。
「私は今と昔とどうなっているのです。」
 元豊はいった。
「今も美しいことは美しいが、昔に較べると及ばないようだな。」
 小翠はいった。
「それは私が年とったからでしょう。」
 元豊はいった。
「二十歳あまりで、どうして急に年をとるものかね。」
 小翠は笑ってその画を焚《や》いた。元豊はそれを焚かすまいとしたが、もうあらあらと燃えてしまった。
 ある日小翠は元豊に話していった。
「昔、お宅にいる時に、お母様が私を死ぬるような目に逢わせましたから、私にはもう子供が生れません。今、御両親がお年を召していらっしゃるのに、あなたが一人ぼっちでは、私に子供はできないし、あなたの血統がたえるようなことがあっては大変です。お宅へ奥さんをお連れになって、御両親のお世話をさし、あなたは両方の間を往来なさるなら、不便なこともないじゃありませんか。」
 元豊はそれをもっともだと思った。そこで幣《ゆいのう》を鍾太史《しょうたいし》の家へ納れて婚約を結んだ。その結婚の式が近くなったところで、小翠は新婦のために衣装から履物までこしらえて送ったが、その日になって新婦が元豊の家の門を入ると、その容貌から言語挙動まで、そっくり小翠のようになって、すこしもかわらなかった。元豊はひどく不思議に思って亭園へいって見た。小翠はもうどこへかいっていった所が解らなくなっていた。婢に訊くと婢は紅《あか》い巾《てふき》を出していった。
「奥さんは、ちょっとお里へお帰りになるとおっしゃって、これをあなたにおあげしてくれと申しました。」
 元豊が巾をあけてみると玉※[#「王+夬」、第3水準1-87-87]《ぎょくけつ》を一枚結びつけてあった。元豊はもう心に小翠が二度と返って来ないということを知った。そこでとうとう婢を伴れて家に帰った。元豊はすこしの間も小翠を忘れることはできなかったが、幸いに小翠そっくりの新婦の顔を見ると小翠を見るようで心が慰められた。そこで元豊は始めて鍾氏との結婚を小翠が予《あらかじ》め知っていて、先ずその容貌を変えて、他日の思いを慰めてくれるようにしてくれてあったということを悟った。

底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
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蒲 松齢

珊瑚 蒲松齢—– 田中貢太郎訳

 安大成《あんだいせい》は重慶《じゅうけい》の人であった。父は孝廉《こうれん》の科に及第した人であったが早く没くなり、弟の二成《じせい》はまだ幼かった。大成は陳《ちん》姓の家から幼《おさ》な名《な》を珊瑚《さんご》という女を娶《めと》ったが、大成の母の沈《しん》というのは、感情のねじれた冷酷な女で、珊瑚を虐待したけれども、珊瑚はすこしも怨《うら》まなかった。そして、朝あさ早く起きては身じまいをして、母の所へ挨拶にいった。
 大成がその時病気になった。母は珊瑚がみだらであるからだといって、ある朝珊瑚を責め詬《ののし》った。珊瑚は自分の室《へや》へ入って化粧をおとして母の前へいった。それを見て母はますます怒った。珊瑚は額を地に打ちつけてあやまった。大成は親孝行であった。それを見て鞭《むち》を執《と》って珊瑚を打った。それで母の気がすこし晴れてその場は収まったが、母はそれからますます珊瑚を憎んで、珊瑚が心から仕えても一言も物をいわなかった。
 大成は母が珊瑚に怒っていることを知ったので、我が家に寝ずに他所で泊って、珊瑚と夫婦の交わりを絶っていることを見せたが、それでも母の気持ちはなおらなかった。何かにつけて怒り罵るのは皆珊瑚のとばっちりであった。大成は、
「妻《かない》をもらうのは、舅姑《りょうしん》につかえさせるためなのだ。こんなことで何が妻だ。」
 といって、とうとう珊瑚を離縁して、老姨《ばあや》をつけて親里へ送らしたが、村を離れようとすると珊瑚は泣いて、
「女と生れて人の妻となることができないで、どうして両親に顔があわされよう。いっそ死ぬるがましだ。」
 といって、袖の中から剪刀《はさみ》を出して喉を突いた。老媼《ばあや》はびっくりして剪刀をもぎとったが、血は傷口から溢れ出て襟を沽《うるお》した。老媼はそれで珊瑚を大成の叔母にあたる王という家へ伴《つ》れていった。王はやもめぐらしで夫はなかった。珊瑚はとうとうそこにいることになった。
 老媼が帰って来ると大成は、この事情を隠しているようにいいつけたが、母がそれをさとりはしないかと思って恐れた。で、数日して珊瑚の傷がすこし癒《い》えかけたということを知ると、叔母の許へいって、門口で叔母に、
「叔母さん、あんな者を置いちゃいけない、おんだしなさい。」
 といった。叔母は、
「まァ、まァ、門口でそんなことをいってはいけない、お入りなさいよ。」
 といったが、大成は入らないで、
「おい、珊瑚出ていけ。こんな所にいてはいけない、出ろ、出ていけ。」
 といって怒鳴った。間もなく珊瑚は大成の前に出て来た。
「私にどんな罪がございましょう。」
 大成はいった。
「お母さんに仕えることができないじゃないか。」
 珊瑚は何かいいたそうにしながら何もいわないで、俯向《うつむ》いて啜《すす》り泣きをした。その泪《なみだ》には色があってそれに白い衫《じゅばん》が染まったのであった。大成はいたましさにたえないので、いおうとしていた詞《ことば》もよして引返した。
 それからまた二、三日して、母は珊瑚のことを聞き知った。怒って王家へいって汚い詞で王を誚《せ》めた。王も威張って負けていなかった。かえってさんざんに母の悪口をいった。そのうえ、
「嫁はもう出ているじゃないか、まだ安家のなにかになるのですか。私が自分で陳家の女を留めてある、安家の嫁を留めてあるのじゃないよ。なんで他の家のことに口を出すのです。」
 母はひどく怒ったが王のいうことが道理にかなっているので何もいえなかった。それに王の勢いが盛んであるから、だんだんしょげて来て大声に泣きながら返っていった。珊瑚は心がおちつかないので他へいこうと思った。
 その時、王の姨《おば》にあたる老婆があった。それは沈の姉であった。年は六十あまりであった。子供が亡くなって一人の小さな孫と、寡婦になった嫁との三人で暮らしていたが、せんに珊瑚をかわいがってくれたことがあるので、珊瑚はとうとう王の家を出て姨の所へいった。姨は故《わけ》を聞いて、
「妹のわからずやにもほどがある。」
 といって、そこで珊瑚を送り還そうとしたが、珊瑚は、
「それはだめですよ。」
 と、帰っていけない事情を頻りにいって、
「どうか、ここに来ていることをいわないでください。」
 と頼んだ。そこで珊瑚は姨の家にいることになったが、その容子は姑《しゅうとめ》に仕える嫁のようであった。
 珊瑚には二人の兄があった。兄は珊瑚のことを聞いて憐《あわ》れに思って、家《うち》へ連れて来て他へ嫁にやろうとした。珊瑚はどうしてもきかずに、姨の傍で女の手仕事をして生計《くらし》をたてていた。
 大成が細君を離縁してから、母は多方《ほうぼう》へ嫁をもらう相談をしたが、母親がわからずやのひどい人であるということが世間の評判になったので、どこにも嫁になる者がなかった。
 三、四年して大成の弟の二成がだんだん大きくなって、とうとう先に結婚した。その二成の細君は臧《ぞう》という家の女であったが、気ままで心のねじけたことは姑にわをかけていた。で、姑がもし頬をふくらまして怒ったふうを見せると、臧は大声で怒鳴った。それに二成はおくびょうで、どっちにもつかずにおずおずしていたから、母の威光はとんとなくなって、臧にさからわないばかりか、かえってその顔色を見て強いて笑顔をして機嫌をとるようになった、しかし、それでもなお臧の機嫌をとることができなかった。
 臧は母を婢のように追いつかったが、大成は何もいわずにただ母の代わりになってはたらいた。器を洗うことから掃除をすることまでも皆やった。母と大成とはいつも人のいない処へいって泣いた。
 間もなく母は気苦労がつもって病気になり、たおれて牀《とこ》についたが、便溺《しものもの》から寝がえりまで皆大成の手をかりるようになった。それがために大成も昼夜睡ることができないので、両方の目が真赤に充血してしまった。そこで弟の二成を呼んで代りにやらせようとしたが、二成が門を入って来ると臧がすぐ喚びに来て伴れていった。
 大成はそこで姨の家へかけつけて、
「見舞ってやってください。」
 といって涙を流しながら頼んだ。その頼みの言葉の畢《おわ》らないうちに、珊瑚が幃《とばり》の中から出て来た。大成はひどく慚《は》じて、黙って出て帰ろうとした。珊瑚は両手をひろげて出口にたちふさがった。大成は困ってその肘の下を潜《くぐ》りぬけて帰って来たが、そのことは母には知らさなかった。
 間もなく姨が来た。大成の母は喜んでいてもらうことにした。それから姨の家から日として人の来ないことはなかった。そして来れば旨《うま》い物を送ってよこさないことはなかった。姨は家にいる寡婦《やもめ》の嫁にことづけをした。
「ここではひもじいめに逢うようなこともないから、もう何も送って来ないようにってね。」
 しかし姨の家からは欠かさずに物を送って来た。姨はそれをすこしも食わずに、のこしておいて病人にやった。
 大成の母の病気はだんだんよくなった。姨の孫がその母親にいいつけられて、おいしい食物を持って病人の見舞に来た。大成の母は歎息していった。
「賢いのね、嫁は。姉さんは、前世でどんな善いことをしたのでしょう。」
 姨はいった。
「お前さんが出してしまった嫁はどうだった。」
 大成の母はいった。
「あァ、あァ、それはね、夫己氏《だれか》のようにひどくはないが、でも、どうしてお宅の嫁にかないましょう。」
 姨はいった。
「嫁がいた時には、お前は苦労を知らないでいられたし、お前が怒っても、嫁は怨まなかったし、嫁があるにこしたことはないじゃないか。」
 大成の母はそこで泣いて、そして珊瑚を出したことを後悔しているといって、
「珊瑚はもう他へかたづいたでしょうか。」
 と訊いた。姨はいった。
「知らないが、ね。詮議をしてみよう。待っておいで。」
 二、三日して大成の母の病気は一層良くなった。姨は家へ帰ろうとした。大成の母は泣いていった。
「姉さんがいなくなったら、私は死ぬるのですよ。」
 姨はそこで大成と相談して、二成を分家さすことにした。二成はそれを臧に知らした。臧は気を悪くして大成と姨に悪口をついた。大成は良い田地をすっかり二成にやりたいといった。臧はそこで機嫌がよくなったので、財産を分配するに用いる書類をこしらえた。
 姨はそこで始めて持っていった。翌日になって姨は車を以て大成の母を迎えにやった。大成の母は姨の家へいって、先ず、
「嫁に逢わしてくださいよ。」
 といって、ひどく甥嫁を褒めた。姨はいった。
「あの子はいくら善いといったところで、すこしも欠点がないということはないよ。それは、ただ私がゆるしているからだよ。お前さんに、もし嫁があって、家の嫁のようであっても、たぶん世話になれまいよ。」
 大成の母はいった。
「あんまりですわ、私を無神経だとおっしゃるのは。私にも目も鼻もありますよ、物の善い悪いが解らないことはありませんよ。」
 姨はいった。
「では、珊瑚のように出されたら、お前のことを何といってるだろうね。」
 大成の母はいった。
「悪くいってるでしょうよ。」
 姨はいった。
「ほんとうに自分の身を振りかえってみたら、悪くいうことはないから、なんで悪くいうものかね。」
「しかし、どんな人にも至らない所があります。珊瑚も賢人でないから、悪くいってると思うのですよ。」
 姨はいった。
「怨むはずのものを怨まないのは、その人の心が解るし、いってしまってよいものをいかないのは、かわいがっていることが解かるのだよ。あの食物を送って来てめんどうを見たのは、私の嫁でなくてお前の嫁だよ。」
 大成の母は驚いていった。
「なんですって。」
「珊瑚は長いことここにいるのだよ。あの送ってくれた食物は、皆あれが夜績《よなべしごと》でのこしたものだよ。」
 大成の母はそれを聞くと涙を流していった。
「私は、嫁にあわす顔がありません。」
 姨はそこで珊瑚を呼んだ。珊瑚は涙を目に一ぱいためて出て来て、べったりと身を投げ伏してしまった。大成の母は慚《は》じてひどく自分で自分の身をせめた。
「私はなんという愚《ばか》だろう。私はなんという心だったろう。」
 姨はそれをやっとなだめた。そこで、とうとう初めのような嫁と姑の仲になり、十日あまりして一緒に帰っていった。
 良田を二成にやってしまった大成の家では、痩せた幾畝かの田地を作っていたが、たべるに足りないので、大成は筆耕をやり、珊瑚は針仕事をして、それをたのみにしていた。
 二成の方では足りないものはなかった。しかし、兄の方では助けを求めようともしなければ、弟の方でもまた世話をしようとはしなかった。そして、臧の方では嫂《あによめ》が家を出ていたことをいやしんでいたし、嫂の方でもまた臧の気の荒いことを悪んで相手にしなかった。兄弟は庭を隔てて住んでいたが、臧が時とすると凌辱することがあっても、一家の者は皆耳をふさいでいた。臧はいじめる者がないので夫と婢とにあたった。
 婢は臧の虐待にたえかねて、ある日、自分で首をつるして死んだ。婢の父親が臧を訟《うった》えた。二成は細君に代って裁判をうけて、ひどく鞭でたたかれた。そのうえ臧もかかりあいで拘えられた。大成は上下の役人に対して赦《ゆる》してもらう運動をしたが、どうしても赦されなかった。臧は指械《ゆびかせ》をせられたので指の肉がすっかり脱けてしまった。そして、役人の賄賂の貪《むさぼ》りようがひどくて、巨額の金を要求するので、二成は田を質に入れて金を貸り、いうとおりに収めて、やっと赦してもらって帰って来た。けれども債権者の催促が日ましにきびしいので、やむを得ず、すっかり良田を村の任《じん》という老人に売ってしまった。任はその田地の半分どおりが大成の譲ったものであるところから、大成にその書付を要求した。安は出かけていって任に逢った。と、任は忽ち、
「わしは、安孝廉だ。任というのは何者だ、わしの財産を買おうとするのは。」
 といってから、大成を顧みて、
「冥間《あのよ》で、お前達夫婦の孝を感心せられて、それで、わしを帰して、逢わせてくだされたのだ。」
 といった。大成は涙を流していった。
「お父様に霊《みたま》がありますなら、どうか弟を救ってやってください。」
「あんな不孝な悴《せがれ》や、わがままの嫁は、惜しくはない。それよりかお前は早く家へ帰って、早く金をこしらえて、わしの大事な財産を買いもどしてくれ。」
 大成はいった。
「母子がやっと生計をたてております。どうして、そんなたくさんの金ができましょう。」
「紫薇樹《さるすべり》の下に金をしまっておいた。それを掘ってつかうがいい。」
 大成はも一度精しいことを訊こうとしたが、老人はもう何もいわなかった。しばらくして大成は夢の覚めたようになって、何をしていたのか茫としていて自分で自分のやっていたことが解らなかった。
 大成は帰って来てそれを母に話したが、あまり不思議であるから母もやはり深くは信じなかった。臧はこのことを聞くともう数人の者をつれていって窖《あなぐら》を発《あば》きはじめた。そこに四、五尺の深さになった坑《あな》があった。しかしそこには石ころばかりで金らしいものはなかった。臧は失望して帰っていった。大成は臧が紫薇樹の下を掘っているということを聞くと、母と珊瑚にいいきかせて視にいかせなかった。そして、後で何もなかったということを知ったので、母がそっといって窺《のぞ》いて見た。やはり石ころが土の中に雑っているばかりであった。そこで母が返った。珊瑚が継《つ》いでいってみると、土の中は一めんに銭さしにさした銀貨ばかりであった。珊瑚は自分で自分の目が信じられないので、大成を呼んで一緒にいってしらべると、やはり銀貨であった。しかし大成は父親の遺したものであるから自分一人で取るに忍びないので、二成を呼んでそれを同じように分け、めいめい嚢に入れて帰った。
 やがて家へ帰った二成は、臧と二人でそれをしらべようと思って、嚢の口を開けてみた。嚢の中には瓦と小石が一ぱい入っていたので大いに駭いた。臧は二成が兄のために愚《ばか》にせられたのだろうと思って、二成を兄の所へやって容子を見さした。兄はその時嚢から出した金を几の上にならべて、母とよろこびあっていた。そこで二成は兄に事実を話した。安もそれには駭いたが、心ではひどく二成を憐《あわれ》に思って、その金をすっかりくれてやった。二成は喜んで、任の家へいって金を返してしまった。二成はひどく兄を徳とした。臧はいった。
「これで、ますます兄さんの詐《うそ》が知れるのですよ。もし、自分で心に愧《は》じることがなくて、だれが二つに分けたものをまた人にやるものですか。」
 二成はそれを聞かされると半信半疑になった。翌日になって任の家から下男をよこして、払った金はすっかり偽金《にせがね》であるから、つかまえて官にわたすといって来た。二成と臧は顔色を変えて驚いた。臧がいった。
「どうです。私ははじめから兄さんは利巧《りこう》で、ほんとに金なんかくれることはないといったじゃありませんか。どうです。これは兄さんがお前さんを殺そうとしていることじゃないの。」
 二成は懼れて任の家へいって哀みを乞うた。任は怒って釈《ゆる》さなかった。二成はそこでまた地券を任にやって、かってに售《う》ってもかまわないということにして、やっともとの金をもらって帰って来た。そして断ってある二つの錠《いたがね》をよく見ると、真物の金は僅かに菲《にら》の葉ぐらいかかっていて、中はすっかり銅であった。臧はそこで二成と相談して、断ったものだけ残しておいて、あとは皆兄の許へ返して容子を見さした。そして、二成に教えてこういわした。
「たびたびお金をいただいてすみません。で、二枚だけ残しておいて、お心ざしをいただきます。しかし私は残っている財産が、まだ兄さんと同じくらいあります。たくさんの田地はいりませんから、もうすててしまいました。買いもどすとも、そのままにするとも、それは兄さんしだいです。」
 大成は二成の心が解らなかったから、
「それは一たんお前にやったものだから、それはお前のものだよ、かえしてはいけない。」
 といって取らなかったが、二成がひどく決心したようにいうので、そこで受け取って秤《はかり》にかけてみると、五両あまりすくなくなっているので、珊瑚にいいつけて鏡台を質に入れて足りないだけの金をこしらえ、それを足して任の家へいって田地を取り戻そうとした。任はその金が二成が持って来た金に似ているので、剪刀《はさみ》で断ってしらべてみた。模様も色も完全に備ってすこしの謬《あやま》りもないものであった。そこで任は金を受け取って地券を大成に、かえした。二成は金を還した後で、きっと間違いがあるだろうと思ってみたが、もう旧《もと》の財産が買いもどされたと聞いたので、ひどく不思議に思ったのであった。臧は金を掘りだした時、兄が先ず貢物の金を隠しておいたものだろうと思って、忿《いか》って兄の所へいって兄を責め罵った。大成はそこで二成が金を返して来た故《わけ》を知ったのであった。珊瑚は臧を迎えて笑顔をしていった。
「財産がもどったじゃありませんか。なぜそんなに怒ります。」
 そこで大成に地券を出さして臧に渡した。と、二成はある夜父の夢を見た。父は二成を責めていった。
「汝《きさま》は不孝不弟であるから、死期がもうせまっているのだ。僅かな田地も汝の有《もの》にならない。持っていてどうするつもりなのだ。」
 二成は醒めてから臧に話して、田地を兄に返そうとした。臧は、
「ほんとにあなたは愚《ばか》ですよ。」
 といって承知しなかった。その時二成に二人の男の子があって、長男が七歳で次男が三歳になっていたが、間もなく長男が痘《ほうそう》で死んだ。臧は懼れて二成に地券を返えさした。大成は二成がいくらいっても受け取らなかった。間もなく次男がまた死んだ。臧はますます懼れて、自分で地券を持っていって嫂の所へ置いて来た。
 その時は春ももう尽きようとしているのに、二成の持っていた田地は草の生えるにまかして耕してなかった。安はしかたなしに耕して種を蒔いた。臧はその時から行いを改めて、朝夕母の機嫌を伺うのが孝子のようになり、嫂を敬うこともまた至れりであった。
 半年たらずに母が没くなった。臧は慟哭《どうこく》して、飲食ができないほどであったが、人に向っていった、
「お母さんの早く没くなって、私がつかえられなくなったのは、天が私に罪を贖《あがな》わないためです。」
 臧は十人も子供を生んだが皆育たなかったので、とうとう兄の子を養子にした。大成夫婦は天命をまっとうして世を終ったが、三人の子供があって、二人は進士に挙げられた。世人はそれを孝友の報《むくい》だといった。

底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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蒲 松齢

庚娘 蒲松齢—– 田中貢太郎訳

 金大用《きんたいよう》は中州《ちゅうしゅう》の旧家の子であった。尤《ゆう》太守の女《むすめ》で幼な名を庚娘《こうじょう》というのを夫人に迎えたが、綺麗《きれい》なうえに賢明であったから、夫婦の間もいたってむつましかった。ところで、流賊の乱が起って金の一家も離散した。金は戦乱の中を両親と庚娘を伴《つ》れて南の方へ逃げた。
 その途中で金は少年に遇った。それも細君《さいくん》と一緒に逃げていく者であったが、自分から、
「私は広陵《こうりょう》の王《おう》十八という者です。どうか路案内をさしてください。」
 といった。金は喜んで一緒にいった。河の傍《そば》へいった時、庚娘はそっと金に囁《ささや》いた。
「あの男と一緒に舟に乗ってはいけませんよ。あれは時どき私を見るのです。それにあの目は、動いて色が変りますから、心がゆるされませんよ。」
 金はそれを承知したが、王が心切に大きな舟をやとって来て、代って荷物を運んでくれたり、苦しいこともかまわずに世話をしてくれるので、同船をこばむこともできなかった。そのうえ若い細君を伴れているので、たいしたこともないだろうという思いもあった。そして一緒に舟に乗って、細君と庚娘とを一緒においていると、細君もひどくやさしいたちであった。
 王は船の舳《へさき》に坐って櫓《ろ》を漕《こ》いでいる船頭と囁《ささや》いていた。それは親しくしている人のようであった。
 間もなく陽が入った。水路は遥かに遠く、四方は漫漫たる水で南北の方角も解《わか》らなかった。金はあたりを見まわしたが、物凄いのでひどく疑い怪しんだ。暫《しばら》くして明るい月がやっとのぼった。見るとそのあたりは一めんの蘆《あし》であった。
 舟はもう舟がかりした。王は金と金の父親とを上へ呼んだ。二人は室の戸を開けて外へ出た。外は月の光で明るかった。王は隙《すき》を見て金を水の中へつきおとした。金の父親はそれを見て大声をあげようとすると、船頭が※[#「竹かんむり/高」、第3水準1-89-70]《さお》でついた。金の父親もそのまま水の中へ落ちてしまった。金の母親がその声を聞いて出て窺《のぞ》いた。船頭がまた※[#「竹かんむり/高」、第3水準1-89-70]でつきおとした。王はその時始めて、
「大変だ、大変だ、皆来てくれ。」
 といった。金の母親の出ていく時、庚娘は後にいて、そっとそれを窺《のぞ》いていたが、一家の者が尽く溺れてしまったことを知ると、もう驚かなかった。ただ泣いて、
「お父さんもお母さんも没くなって、私はどうしたらいいだろう。」
 といった。そこへ王が入って来て、
「奥さん、何も御心配なされることはありませんよ。私と一緒に金陵《きんりょう》にお出でなさい。金陵には田地も家もあって、りっぱにくらしておりますから。」
 といった。庚娘は泣くことをやめていった。
「そうしていただくなら、私は他に心配することはありません。」
 王はひどく悦んで庚娘を大事にした。夜になってしまってから王は女を曳《ひ》いて懽《かん》を求めた。女は体※[#「女+半」、265-15]《たいはん》に託してはぐらかした。王はそこで細君の所へいって寝た。
 初更がすぎたところで、王夫婦がやかましくいい争いをはじめたが、その由《わけ》は解らなかった。それをじっと聞いていると、細君の声がいった。
「あなたのしたことは、雷に頭をくだかれることですよ。」
 と、王が細君をなぐりつける音がした。細君は叫んだ。
「殺せ、殺せ。死ぬるがいい、死にたい。人殺の女房になっているのはいやだ。」
 王の吼《ほ》えるように怒る声がして、細君をひッつかんで出ていくようであったが、続いてどぶんと物の水に落ちる音が聞えて来た。
「だれか来てくれ、女房が水に落ちたのだ。」
 王のやかましくいう声がした。
 間もなく金陵にいった。王は庚娘を伴《つ》れて自分の家へ帰って、堂《おく》へ入って母親に逢った。母親は王の細君が故《もと》の女でないのを不審がった。王はいった。
「あれは水に堕《お》ちて死んじゃったから、これをもらったのです。」
 寝室へ帰って王は庚娘に迫った。庚娘は笑っていった。
「男子が三十になって、まだ人の道が解らないのですか。市《まち》の小商人の子供でさえ、初めて結婚する時には、いっぱいの酒を用いるじゃありませんか。それにあなたはお金持じゃありませんか。御馳走位はなんでもないでしょう。酒なしで結婚するのは、儀式に欠けるじゃありませんか、」
 王は喜んで酒をかまえて二人で飲んだ。庚娘は杯を持ってしとやかに酒を勧めた。王はだんだん酔って来て、もう飲めないといいだした。庚娘は大きな杯を自分で飲んでから、強いて媚《こび》をつくってそれを王に勧めた。王は厭というに忍びないので、またそれを飲んだ。王はそこで酔ってしまったので、裸になって庚娘に寝を促した。庚娘は酒の器をさげて燭《ひ》を消し、手洗にかこつけて室を出ていって、刀を持って暗い中へ入り、手さぐりに王の項《くび》をさぐった。王はその臂《うで》をつかんで昵声《なれごえ》をした。庚娘は力まかせに切りつけた。王は死なないで叫んで起きた。庚娘はまたそれに切りつけた。そこで王は殪《たお》れた。
 王の母親は夢現《ゆめうつつ》の間にその物音を聞きつけて、走って来て声をかけた。庚娘はまたその母親も殺した。王の弟の十九がそれを覚った。庚娘はにげることができないと思ったので、急いで自分の吭《のど》を突いた。刀が純《なまくら》で入らなかった。そこで戸を啓《あ》けて逃げだした。十九がそれを逐《お》っかけた。庚娘は池の中へ飛び込んだ。十九は人を呼んで引きあげたが、もう庚娘は死んでいた。しかしその美しいことは生きているようであった。
 人びとは一緒に王母子の尸《しがい》を験《しら》べた。窓の上に一つの凾《はこ》があった。開けて見ると庚娘の書いた物があって、精《くわ》しく復讎《ふくしゅう》の事情を記してあった。皆庚娘を烈女として尊敬し、金を集めて葬ることにした。夜が明けて見に集まって来た者が数千人あったが、その容《さま》を見て皆が拝んでいった。そして一日のうちに百金集まったので、そこでそれを南郊に葬ったが、好事者《ものずき》は朱い冠に袍《うわぎ》を着けて会葬した。それは手厚い葬式であった。
 一方王に衝《つ》き堕《おと》された金大用《きんたいよう》は、板片《いたきれ》にすがりつくことができたので死ななかった。そして流れて淮《わい》へいったところで、小舟に救いあげられた。その小舟は富豪の尹《いん》翁というのが溺れる者をすくうために設けてあるものであった。
 金はやっと蘇生したので、尹翁の許へいって礼をいった。翁は厚くもてなして逗留《とうりゅう》して子供を教えさせようとした。金は両親の消息が解らないので、いって探ろうとしていたから決しなかった。その時網で老人と老婆の尸《しがい》を曳《ひ》きあげた者があった。金は両親かも解らないと思ったので、急いで出かけていって験べた。果して両親であった。尹翁は金に代って棺をかまえた。金はひどく悲しんだ。
 また人が来て、一人の溺れている婦人をすくったが、それは自分で金生の妻であるといっているといった。金は驚いて出ていった。女はもう来ていたが、それは庚娘でなかった。それは王十八の細君であった。女は金を見てひどく泣いて、
「どうか私を棄《す》てないでください。」
 といった。金はいった。
「僕の心はもう乱れている。人のことを考えてやる暇はないのだ。」
 女はますます悲しんだ。尹翁は精しく故《わけ》を聞いて、
「それは天の報《むくい》だ。」
 といって喜び、金に勧めて結婚させようとした。金は、
「親の喪におりますから困ります。それに復讎《ふくしゅう》するつもりですから、女を伴《つ》れていては手足まといになるのです。」
 といった。女はいった。
「もしあなたのお言葉のようだと、もしあなたの奥さんが生きていらしたら、復讎と喪のために離縁なさるのですか。」
 尹翁はその言葉が善いので、暫く代って女を世話しようといったので、金もそこで結婚することを承知した。そして日を見て両親を葬った。女は喪服を着て泣いた。舅《しゅうと》姑《しゅうとめ》を喪った時のように。
 すでに葬式が終った。金は刀を懐にして行脚《あんぎゃ》の僧に化けて広陵にいこうとした。女はそれを止めていった。
「私は唐《とう》という姓です。先祖から金陵におって、あの王の悪人と同郷です。あれが広陵といったのは嘘です、それにこのあたりの舟にいる悪人は、皆あれの仲間ですから、復讎することはむつかしいのです。うっかりするとあべこべに酷《ひど》い目に逢わされますから。」
 金はそのあたりを歩きながら考えたが、復讎の方法が見つからなかった。忽ち女子が復讎したということが伝わって来て、その河筋《かわすじ》で評判になり、その姓名も精しくいい伝えられた。金はそれを聞いてうれしかったが、しかし両親が殺されまた庚娘が死んだことを思うとますます悲しかった。そこで女にいった。
「幸に汚されずに復讎してくれた。この烈婦の心にそむいて結婚することはできない。」
 女はもう約束ができあがっているので離れようとはしなかった。
「私は妾になってもよろしゅうございます。」
 その時副将軍の袁《えん》公という者があって、尹翁と古い知合であった。ちょうど西の方に向けて出発することになって尹の所へ寄った。袁は尹の家で金を見て、ひどくその人となりを愛して秘書となってくれと頼んだ。間もなくその地方に流賊の乱が起って、袁は大功をたてた。金も袁の機務にたずさわっていたので、その功によって游撃将軍となって帰って来た。そこで金と唐は始めて結婚の式をあげた。
 三、四日いて金は唐を伴れて金陵へいって、庚娘の墓参りをしようとした。そして舟で鎮江《ちんこう》を渡って金山《きんざん》に登ろうとした。舟が中流へ出た時、不意に一|艘《そう》の小舟が擦《す》れ違った。それに一人の老婆と若い婦人が乗っていたが、その婦人がひどく庚娘に似ていた。舟は矢よりも早くゆき過ぎようとした。若い婦人も舟の窓の中から金の方を見た。その貌《かお》も容《かたち》もますます庚娘に似ているので驚きあやしんだ。そこで名をいって呼ばずにいそがしそうに、
「群鴨《ぐんおう》児、飛んで天に上るを見るか。」
 といった。婦人はそれを聞くとまたいった。
「※[#「飮のへん+巉のつくり」、270-16]※[#「けものへん+渦のつくり」、第3水準1-87-77]《さんか》児、猫子の腥《なまにく》を喫《くら》わんと欲するか。」
 それは当年行われた閨中《けいちゅう》の隠語《いんご》であった。金はひどく驚いて、舟を返して近づいた。それはほんとうの庚娘であった。婢が手を引いてこちらの舟へ来た。二人は抱きあって泣いた。同船の旅客ももらい泣きをした。
 唐は庚娘に正夫人に対する礼を以て接した。庚娘は驚いて訊いた。金は始めてその故《わけ》を話した。庚娘は唐の手を執っていった。
「舟で御一緒になった時から、あなたのことは忘れませんでした。それにはからずこんなことになりまして、私の代りにお父さんお母さんを葬っていただいて、何といってお礼を申していいか解りません。私はあなたにそうしていただいてはすみません。」
 そこで年齢の順序で一緒におることになったが、唐は庚娘の一つ歳下であったから妹としていることになった。
 庚娘は初め葬られた時は何も解らなかったが、不意に人の声がして、
「庚娘、その方の夫は生きておる。その方はまた夫に逢って夫婦となることになっておる。」
 といった。そしてとうとう夢が醒めたようになった。手をやってなでてみると四面は皆壁であった。庚娘は始めて自分は死んでもう葬られているということを悟った。庚娘は困ってもだえたが苦しい所はなかった。
 悪少年が庚娘の葬具が多くてきれいであったのを知って、塚を発《あば》いて棺を破り、中を掻《か》きまわそうとして、庚娘の活きているのを見て驚きあった。庚娘は悪少年達に害を加えられるのが懼《おそ》ろしいので、哀願していった。
「あなた達が来てくだされたばかりで、私は外に出ることができたから、頭の物は皆あげます。どうか私を尼寺へでも売ってください。そうすればすこしはお金になりましょう。私は決してひとにもいわないですから。」
 悪少年達は頭を地にすりつけていった。
「奥さんの貞節なことは、ほめないものはありません。私達は貧乏でしかたがないから、こんな悪いことを致しました。どうかひとにもいわないようにしてくださいますなら、しあわせです。どうして尼寺などへ売られましょう。」
 庚娘はいった。
「これは、私から好きこのんでゆくのですから。」
 すると他の一人の悪少年がいった。
「鎮江《ちんこう》の耿《こう》夫人はひとりぼっちで子供がありません。もし奥さんがいらっしゃるなら、きっと大喜びをしますよ。」
 庚娘はそれに礼をいって、自分で頭の物を抜いてそっくり悪少年にくれてやった。悪少年はどうしても取らないので、無理にやった。そこで悪少年はそれを戴いて受けとり、とうとう庚娘を載せて鎮江へいった。庚娘は耿夫人の家へいって、難船して迷っている者だといった。耿夫人の家は豪家で自分一人で何もかもやっていたが、庚娘を見てひどく喜んで、自分の子にした。そしてちょうど二人で金山へいって帰るところであった。庚娘はその故《わけ》を精しく話した。金はそこで耿夫人の舟へいって夫人を拝した。夫人は金を婿のように待遇して、一緒に伴れてその家へいった。
 金はそこで数日逗留して始めて帰って来たが、以後往来を絶たなかった。

底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
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蒲 松齢

五通 蒲松齢—– 田中貢太郎訳

 南方に五通《ごつう》というみだらにして不思議な神のあるのは、なお北方に狐のあるようなものである。そして、北方の狐の祟《たた》りは、なおいろいろのことをして追いだすことができるが、江蘇浙江《こうそせつこう》地方の五通に至っては、民家に美しい婦《おんな》があるときっと己《おのれ》の所有として、親兄弟は黙って見ているばかりでどうすることもできなかった。それは害毒の烈《はげ》しいものであった。
 呉中の質屋に邵弧《しょうこ》という者があった。その細君は閻《えん》といって頗《すこぶ》る美しい女であったが、ある夜自分の内室《いま》にいると一人の若い強そうな男が外から不意に入って来て、剣に手をかけて四辺《あたり》を見まわしたので、婢《じょちゅう》や媼《ばあや》は恐れて逃げてしまった。閻も逃げようとしたが、若い男はその前に立ちふさがっていった。
「こわがることはない。わしは五通神の四郎だ。わしは、あんたが好きだから、あんたに禍《わざわい》をしやしない。」
 そういって嬰児《あかんぼ》を抱きあげるように抱きあげ、寝台の上に置いた。閻は恐れて気を失ってしまった。五通神はやがて寝台からおりて、
「五日したらまた来るよ。」
 といっていってしまった。弧はその夜門の外で典肆《しちみせ》を張っていた。そこへ婢が奔《はし》って来て怪しい男の入って来たことを知らした。しかし弧はそれが五通ということを知っているので、そのままにしてあった。
 翌朝になって閻は病人のようになって起きることができなかった。弧はひどく心にはじて、家の者にいいつけて他人に話させないようにした。
 三、四日して閻はやっともとの体になったが、五日したらまた来るといった五通神の来るのを懼《おそ》れて、その夜は婢や媼を内室の中へ寝かさずに外の舎《へや》へやって、ただ一人で燭《ひ》に向って悲しそうにして待っていた。
 間もなく五通神の四郎は二人の仲間を伴《つ》れて入って来た。皆おっとりした少年であった。そこには一人の僮《こども》がいて酒肴を列べて酒盛の仕度をした。閻ははじて頭をたれていた。四郎はそれに強いて酒を飲まそうとしたが、閻は恐ろしいのでどうしても飲まなかった。
 四郎はじめ三人の者は、互いに杯をさしあって酒を飲みながら、
「大兄。」
「三弟。」
 などと呼びあった。
 夜半ごろになって上座に坐っていた二人の少年は起って、
「今日は四郎に美人を以て招かれたから、この次は、かならず二郎と五郎を邀《むか》えて、酒を買って健康を祝そう。」
 といって出ていった。
 四郎は閻の手をとって幃《とばり》の中へ入っていった。閻はその手からのがれようとしたがのがれることができなかった。四郎が去った後で閻は羞《はじ》と憤《いきどお》りにたえられないので自殺しようと思って、帯で環をこしらえて縊死《いし》しようとしたが、帯が断《き》れて死ぬることができなかった。閻はそれにもこりずに死のうとしたが、そのつど帯が断れて死ぬることができないので、それを苦しいことに思った。
 四郎はいつも来ずに閻の体がよくなるのを待って来た。そのうちに二、三ヵ月たった。一家の者は皆生きた心地がしなかった。
 会稽《かいけい》に万《ばん》という姓の男があった。それは邵《しょう》の母がたのいとこであったが、強くて弓が上手であった。ある日万は邵の家へ来た。邵は客を泊める舎《へや》に婢や媼を入れてあるので、とうとう万生を内院《いま》へ伴れていって泊めた。
 その夜、万は枕についたが長い間寝つかれなかった。と、庭の中を人の歩いていくような気配がするので、窓からそっと窺《のぞ》いた。見ると一人の男が細君の室《へや》へ入っていくのであった。万は怪しいと思ったので刀を捉《と》ってそっといってのぞいた。
 細君の室には細君の閻と若い男が肩を並べ、肴を几の上に置いて酒盛をしようとしていた。万は火のように怒って、いきなり室の中へ入っていった。と、男は驚いて起ちあがった。万は刀を抜いて斬りつけた。刀はその男の頭蓋骨に中《あた》ったので、頭が裂けて※[#「足へん+倍のつくり」、第3水準1-92-37]《たお》れた。
 見るとそれは人間でなくて小さな驢《ろば》のような馬であった。万は愕《おどろ》いて、
「これは一たいどうしたのです。」
 といって訊いた。閻は五通神になやまされていたことを話して、それから、
「今にこの仲間が来ることになっているのです、どうしたらいいでしょう。」
 といった。万は手を振って、
「いいのです。声を出さずに、そっとしていらっしゃい。」
 といって、燭《ひ》を消して弓を構え、暗い中に身をかくして待っていた。
 間もなく四、五人の人が空から飛びおりて来た。万は急いで矢を飛ばした。その矢は先に立っていた者を殪《たお》した。すると後の三人が吼《ほ》えるように怒って、剣を抜いて弓を射た者を捜しだした。万は刀をかまえて扉の後にぴったり脊《せ》をくッつけて、すこしも動かずに待っていた。そこへ一人が入って来た。万はその頸《くび》に斬りつけた。相手はそのまま殪れてしまった。万はそこでまた扉の後へ背をくッつけて待っていたが、長い間待ってももう入って来る者もなければ声もしないので、出ていって扉を叩いて邵に知らした。
 邵はひどく驚いて入って来て、一緒に燭を点《つ》けて見た。室の中には彼の馬と二|疋《ひき》の豕《ぶた》が死んでいた。
 一家の者は喜びあったが、討ちもらした二つの怪しい物が復讎《ふくしゅう》に来るかも判らないので、万にいてもらうことにして、その豕を焼き馬を煮て御馳走をこしらえたが、その味はいつもの料理とちがってうまかった。
 万生の名はそれから高くなった。万はそこに一ヵ月あまりもいたが、もう怪しいこともないので、そこで別れて帰ろうとした。その時材木商の某《なにがし》という者があって、万を自分の家へ招待した。その材木商の家にはまだ嫁にいかない女があったが、ある日不意に五通が来た。それは二十歳あまりのきれいな男であった。その五通は女を細君にするといって、百両の金を置いて日を決めてから帰っていったが、その期日もすでに迫って来たので、一家の者はおそれまどうているうちに万生の名が聞えて来た。一家の者は万に来てもらって五通の禍を除いてもらおうと思ったが、厭といわれるのが恐ろしいので、その事情はかくして饗燕《きょうえん》にかこつけて招待したのであった。
 そんな事とは知らない万は、材木商の家へ招待せられていって、酒盛が終ったので帰ろうとしていると、きれに化粧した女が出て拝礼をした。それは十六、七の可愛らしい女の子であった。万はひどく驚いて故《わけ》は解らないが急いで起って礼をかえした。主人の材木商は強《し》いて万をもとの席に就《つ》かして、
「どうか女をたすけてください。」
 といってその故を話した。万ははじめは驚いたが、平生意気をたっとぶ男であったから承知した。
 その日になって材木商の家では、五色の絹を門口にかけて婚礼をあげる目標をこしらえ、万を女のいる室の中に坐らしておいた。
 午《ひる》をすぎても五通は来なかった。そこで万は今日の新郎となる五通は自分が殺したうちの者であったかも解らないと思って喜んだ。と、間もなくして簷《のき》先から不意に鳥の堕ちて来るようにおりて来た者があった。それは一人の立派な服装をした少年であったが、万を見るなり身をそらして逃げていった。万は追っていった。そこには黒い雲のような物があって飛ぼうとしていた。万は刀を以て躍《おど》りかかってその一方の足を斬りおとした。
 怪しい少年は大声に叫びながらどこともなく逃げていった。万は俯向《うつむ》いて斬りおとした足を見た。それは手のような巨大な爪であったが、何物とも解らなかった。その血の痕をつけて尋ねていってみると江の中へいって消えていた。
 材木商はひどく喜んで、万に細君のないことを聞くと、その夜、その日の結婚道具をそのまま用いて、女と結婚さした。
 そこで五通を患《うれ》えていた者は、一度その家へ来て泊ってくれといって頼みに来た。万はそこに一年あまりもいて、そのうえで細君を伴れて国へ帰っていった。それから呉中には一通ばかりいることになったが、敢て公然と害をしないようになった。

      又

 金《きん》生は字《あざな》を王孫《おうそん》といって蘇州の生れであった。淮安《わいあん》の縉紳《しんしん》の屋敷の中にいて土地の少年子弟を教授していた。その屋敷の中にはあまり家がなくて、花や木が一めんに植わっていた。夜が更けて僮僕《こづかい》などがいなくなると、ただ一人でぶらぶらしているが、何も気をまぎらすものがないのでつまらなくて仕方がなかった。
 ある夜、それは十時ごろであったが、不意に人が来て、指先で軽く扉をたたいた。
「どなたです。」
 金は早口に訊《き》いた。と、外の人は、
「すみませんが火を借してください。」
 といった。その声が僮僕のようであるから金はすぐ戸を開けて入れた。それは十五、六の麗しい女で、その後には一人の婢がつきそっていた。金はどうしても人でないと思ったので、
「あなたは、どなたです。何というかたです、名をいってください。何しに来たのです。」
 と追窮《ついきゅう》した。女は静かにいった。
「私は、あなたが風雅な方で、こうして寂しそうにしていらっしゃいますから、今晩お話しのお相手になろうと思ってまいりました。私のまいりました故《わけ》をあまり精《くわ》しく訊かれますと、私もあがることができませんし、あなたもまた私を入れてくださらないでしょうから。」
 金はそこでまたこの女は隣の不身持な女だろうと思いだしたので、自分の品性を汚《けが》されるのを懼れて、
「それは大いに感謝しますが、若い男と女が、夜、同席するということは、世間の手前もありますし、だいいち、あなたにお気の毒ですから。」
 といった。と女は流し目に金を見た。金はそれに魅せられて我を忘れてしまった。婢は金の容子《ようす》をもう見てとった。そこで女に向って、
「霞《か》さま、私はこれから帰りますよ。」
 といった。女はうなずいたが、やがて婢を呵《しか》った。
「帰るなら帰ってもいいわ。雲《うん》だの霞《か》だのってなんです。」
 婢はもういってしまった。女は笑っていった。
「だれも人がいなかったから、とうとうあれを伴《つ》れてきましたが、ほんとにばかですよ。とうとう幼《おさ》な名《な》をあなたに聞かしてしまいましたわ。」
 金はいった。
「あなたがこんなにまで用心なさるのは、めんどうなことが起るからじゃないですか。僕はそれを心配するのですよ。」
 女はいった。
「久しい間には、私のことも自然と解りますわ。私は決して、あなたの行いを敗るようなことは致しません。決して御心配なされることはありませんわ。」
 そこで女は寝台の上にあがり、きちんと着ていた衣服を緩《ゆる》めて、臂《うで》にはめている腕釧《うでわ》をあらわした。それは条金《じょうきん》で紫金の色をした火斉珠《かせいしゅ》をとおして、それに二つの明珠《めいしゅ》をはめこんだものであった。燭《ひ》を消してしまっても、その腕釧の光が室の内を照らして明るかった。金はますます駭《おどろ》いたが、とうとうその女がどこから来たかということを知ることができなかった。
 話がすんでから婢が来て窓を叩いた。女は起《お》きて腕釧の光で徑《こみち》を照らして、木立の中へ入っていった。
 それから夜になって女の来ないことはなかった。金はある時、女の帰っていくのを遥かにつけていったが、女がもうそれを覚《さと》ったものか遽《にわ》かに腕釧の光を蔽《おお》った。すると木立の中は真暗になって、自分の掌《てのひら》さえ見えないようになったので引返した。
 ある日金は河の北の方へいった。と、笠の紐《ひも》が断《き》れて風に吹かれて落ちそうになった。そこで金は馬の上で手を以ておさえていた。河へいって小舟に乗ったところで、強い風が来て笠を吹き飛ばして、波のまにまに流れていった。金はひどく残念に思ったが仕方がなかった。
 そして河を渡ったところで、ふと見るとさっき流した笠が大風に漂わされて空に舞っていた。そして、それがだんだん落ちて来て風の前に来たので、手で以て承《う》けたが、不思議に断れていた紐がもとのようにつながっていた。
 金は自分の室へ帰って女と顔をあわせた時、その日のことを精しく話した。女は何もいわずに微《ひそ》かに晒《わら》った。金は女のしたことではないかと思って聞いた。
「君は神だろう。はっきりいって僕のうたがいをはらしてくれ。」
 女はいった。
「寂しい中で、私のような女ができて、くさくさすることがなくなっておりましょう。私は悪いものではないということを自分でいいます。たとえ私がそんなことをしたとしても、やっぱりあなたを愛しておるからです。それを根ほり葉ほりするのは、きれようとなさるのですか。」
 金はそこでもう何もいわなかった。
 その時金は甥女《めい》を養っていたが、すでに結婚してから、五通の惑わすところとなった。金はそれを心配していたが、それでもまだ他人にはいわなかった。ところで女と知りあって久しくなって心の中に思ったことは何事も口にするようになったので、ある時そのことを話していた。すると女はいった。
「こんなことなんか私の父ならすぐ除くことができるのですが、どうしてあなたのことを父にいえましょう。」
 金は女の力を借るより他に手段がないと思ったので、
「なんとかして、お父さんに頼むことができないだろうか。僕をたすけると思って、やってくれないか。」
 といって頼んだ。女はそれを聞いてじっと考えていたが、
「なに、あんなものは何んでもありませんわ。ただ私がゆくことができないものですから。あんなものは皆私の家の奴隷です。もし、あんなものの指が私の肌にさわろうものなら、この恥は西江の水でも洗うことができないですから。」
 といった。金はそれでもやめずに女に頼んだ。
「どうか、なんとかしてくれないか。甥女が可哀そうでしかたがない。」
 女は承知した。
「では、なんとか致しましょう。」
 その翌晩になって女はいった。
「あなたのために、婢を南へやりました。婢は弱いから、殺すことができないという恐れはありますが。」
 その翌晩、女が来て寝ていると、婢が来て戸を叩いた。女が起きて扉を開けて内へ入れて、
「どうだね。」
 と訊いた。婢は、
「つかまえることができないものですから、片輪にしてやりました。」
 といった。女は笑ってその状を訊いた。婢はいった。
「はじめは旦那様のお家だと思っていましたが、いってみてそうでない事が解りました。で、婿さんの家へいってみますと、もう燈《あかり》が点《つ》いておりました。入ってみますと奥様が燈の下に坐って、几《つくえ》によりかかっておやすみになろうとするふうでした。私はそこで奥様の魂をとって、※[#「倍のつくり+瓦」、第3水準1-88-38]《かめ》の中へ入れてしまって、待っておりますと、しばらくして彼奴《あいつ》が来て室《へや》の中へ入りましたが、急に後にどいて、どうして知らない人を置いてあるのだといいました。それでもよく見ると何もいないものですから、また入って来ました。私はうわべに迷わされたようなふりをしておりますと、彼奴は衾《ふとん》をあけて入りかけましたが、また驚いて、どうして刃物があるのだといいました。私はもともと穢い物で指を汚すのはいやでしたが、ぐずぐずしていて間違いができると困りますから、とうとう捉えて片輪にしてしまいますと、彼奴は驚いて吼《ほ》えながら逃げてしまいました。そこで起きて※[#「倍のつくり+瓦」、第3水準1-88-38]を開けると奥様もお醒めになったようですから、私も帰ってまいりました。」
 金は喜んで女に礼をいった。そこで女と婢とは一緒に帰っていった。
 その後半月あまりしても女は来なかった。金はもう女は来ないものだと諦《あきら》めてしまった。その時は歳の暮であった。金は塾を閉じて帰ろうとした。と、女が不思議にやって来た。金は喜んで女を迎えていった。
「君に見すてられたので、きっと何か怒られたと思っていたのだが、しあわせとすてられっきりでもなかったね。」
 女はいった。
「一年もああしていたのに、別れに一言もなくては物足りないじゃありませんか。あなたがここをおひきあげになると聞いたので、それで、そっと来たのですよ。」
 金は女を伴れて帰っていきたかった。
「一緒に僕の家へいこうじゃないか。」
 女はためいきをついていった。
「申しにくいことですけれど、お別れしなくちゃなりませんから、あなたにかくすこともできません。私は金竜大王の女《むすめ》なのですが、あなたと御縁があったものですから、それでこんなになったのです。口どめしておかなかったものですから、あの婢を江南にやったことが世間に知れて、私があなたのために五通を片輪にしたといいだしましたから、それをお父様が聞いて、たいへんな恥だといって、ひどく忿って私を死なせようとしましたが、いいあんばいに婢が自分のことにしてくれましたので、お父様の立腹もすこしおさまって、婢を何百とたたいてすみました。私はそれから一足出るにも、皆|保姆《ばあや》をつけられるのです。その隙を見てやっとまいりましたから、申しあげたいこともありますが、精しいことはいっていられないのです。」
 女はそういってから別れていこうとした。金はその女の袖をとらえて涙を流した。女はいった。
「あなた、そんなになさらなくっても、三十年したなら、また一緒になります。」
 金はいった。
「僕は今三十だが、これからまた三十年すると白髪の老人じゃないか。どんな顔をして君と逢うのだ。」
 女はいった。
「そんなことはありませんよ。竜宮には白髪の老人はないのですから。それに人の長生と若死は、貌や容子によりません。もし若い顔をそのままにしておきたいというなら、それはなんでもないことです。」
 そこで女は書物のはじめの方に一つの方法を書いていってしまった。
 金は故郷へ帰った。金の甥女《めい》はそこで不思議なことのあったことを話した。
「その晩、夢のように、ある人が私をつかまえて※[#「央/皿」、第3水準1-88-73]《かめ》の中へ入れたと思いましたが、醒《さ》めてみると血が衾に赤黒くついていたのです。それっきり怪しいことはなくなったのです。」
 金はそこで、
「それは、俺が黄河《こうが》の神に祷《いの》ったからだ。」
 といったので、皆の疑いも解けてしまった。
 彼、金は六十あまりになったが、容貌はなお二十ばかりの人のようであった。その金がある日、河を渡っていると、遥かの上流から蓮の葉が流れて来たが、その大きさは蓆《むしろ》のようであった。それには一人の麗人《れいじん》が坐っていたが、近づいてから見るとそれは彼の仙女であった。金はそれを見るといきなり身を躍らして蓮の葉に乗り移った。と、蓮の葉は流れくだって、人は次第に小さくなり、やがて銭のようになって見えなくなってしまった。
 この事は邵弧《しょうこ》の話と同じく倶《とも》に明末《みんまつ》の事であるが、いずれが前、いずれが後ということは解らない。もし万《ばん》生が武を用いた後であったならば、すなわち呉の地方には僅かに半通だけが遺っているわけであるから、害をなすにたらないのである。

底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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蒲 松齢

王成 蒲松齢—– 田中貢太郎訳

 王成《おうせい》は平原《へいげん》の世家《きゅうか》の生れであったが、いたって懶《なま》け者であったから、日に日に零落《れいらく》して家は僅か数間のあばら屋をあますのみとなり、細君と乱麻《らんま》を編んで作った牛衣《ぎゅうい》の中に寝るというようなみすぼらしい生活をしていたが、細君が小言をいうので困っていた。それは夏の燃えるような暑い時であった。その村に周《しゅう》という家の庭園があって、牆《へい》は頽《くず》れ家は破れて、ただ一つの亭《あずまや》のみが残っていたが、涼しいので村の人達がたくさんそこへ泊りにいった。王成もその一人であった。
 ある朝のことであった。寝ていた村の人達は皆帰っていったが、懶け者の王成一人は陽が高く昇るまで寝ていて起き、それでまだぐすぐすしていて帰ろうとすると、草の根もとに金の釵《かんざし》が一つ光っていた。王成が拾って視ると細かな文字を鐫《ほ》ってあった。それは儀賓府造《ぎひんふぞう》という文字であった。王成の祖父は衡府《こうふ》儀賓、すなわち衡王の婿となっていたので、家に残っている品物の中にその印のある物が多かった。そこで王成は釵を持ってためらっていると、一人の老婆が来て、
「もしか、この辺《あたり》に釵は落ちていやしなかったかね。」
 といった。王成は貧乏はしても頑固な正直者であったから、すぐ出して渡した。
「これですか。」
 老婆はひどく喜んだ。「お前さんは正直者だ。感心な男だ、お蔭でたすかったよ。これは幾等《いくら》もしないものだが、先の夫の形見《かたみ》でね。」
 王成は儀賓府造の印のある品物を遺《のこ》した夫という人の素性が知りたかった。
「あなたの夫というのは、どうした方です。」
 と問うた。すると老婆が答えた。
「もとの儀賓の王柬之《おうかんし》だよ。」
 王成は驚いていった。
「それは私のお祖父さんですよ。どうしてあなたに遇ったのでしょう。」
 老婆もまた驚いていった。
「ではお前さんは、王柬之の孫だね。私は狐仙《こせん》だよ。百年前、お前さんのお祖父《じい》さんに可愛がられてたが、お祖父さんが没《な》くなったので、私もとうとう身を隠してしまった。それがここを通って釵をおとして、お前さんの手に入ったというのも、天命じゃないかね。」
 王成も祖父に狐妻のあったということを聞いていたので、老婆の言葉を信用した。
「そうですよ、天命ですよ、では、これから私の家へいってくれませんか。」
 というと老婆はそのまま随《つ》いて来た。王成はそこで細君を呼んであわした。細君の頭髪は蓬のように乱れて、顔色は青いうえに薄黒みを帯びていた。老婆はそれを見て、
「あァあァ、王柬之の子孫がこんなにまで貧乏になったのか。」
 と歎息してふりかえった。そこに敗れた竈《かまど》はあったが、火を焚《た》いた痕《あと》も見えなかった。老婆はいった。
「こんなことで、どうして生きてゆかれる。」
 そこで細君は細かに貧乏の状態を話して泣きじゃくりした。老婆は彼《か》の釵《かんざし》を細君にやって、
「それを質に入れてお米を買うがいい。」
 といいつけて、帰りしたくをして、
「三日したらまた来るよ。」
 といった。王成はそれをおし留《とど》めた。
「どうか家にいてくださいよ。」
 老婆は、
「お前さんは、一人のお神さんとさえくらしていくことができないじゃないかね。私が一緒になって、じっとしていちゃなお困るじゃないかね。」
 といってとうとういってしまった。王成はその後で、細君に老婆が人間でなくて狐仙であるということを話した。細君は顔色を変えて怖《おそ》れた。王成は老婆に義侠心《ぎきょうしん》のあることを説明して、姑《しゅうとめ》として事《つか》えなければならないといったので、細君も承知した。
 三日目になって果して老婆が来た。老婆は数枚の金を出して、粟と麦を一|石《せき》ずつ買わせ、夜は細君と一緒の寝台に寝た。細君[#「細君」は底本では「組君」]は初めは懼《おそ》れたが、老婆が自分を可愛がってくれる心が解ったので、それからは疑い懼れぬようになった。
 翌日になって老婆は王成に話していった。
「お前さんは惰《なま》けてばかりいちゃいけない。小生業《こあきない》でもしたらどうだね、坐ってたべていちゃだめだよ。」
 王成は、
「商売をしようと思っても、もとでがありませんから。」
 といった。すると老婆は、
「お前さんのお祖父さんのおった時は、お金は使いしだいであったが、私は世の中の人でないから、そんな物は入用がないし、べつにもらったことはなかったが、それでも化粧料としてもらったのが積って四十両になって、それがそのまま残っている。貯えて置いても入用がないから、その金で葛布《かたびら》を買って、すぐ都へいくなら、すこしはもうけがあるだろう。」
 といった。王成は老婆の言葉に従って、老婆から金をもらい、その金で五十余端の葛布を買って帰って来た。老婆は、
「これから仕度をして、すぐ出かけるがいい。六日目か七日目には、北京へ往き着くよ。」
 といって、その後で、
「一生懸命にやらなくちゃいけないよ。懶《なま》けちゃいけないよ。それにうんと急いで、ゆるゆるしていちゃだめだよ。一日おくれたらもう後悔してもだめだ。」
 と注意した。王成は承知して品物を嚢《ふくろ》に入れて出発したが、途中で雨に遇って、着物も履物《はきもの》もびしょ濡れになった。王成は平生苦労をしたことがないから弱ってしまった。そこで暫く休むつもりで旅館へ入ったが、雨はますます強くざあざあと降りだして夜になってもやまなかった。簷《のき》を見ると縄のような雨だれがかかっている。仕方《しかた》なしに一泊して朝になってみると雨はやんでいたが、路のぬかりがひどくて、旅人達は脛《すね》まで入って往来していた。王成はそれにも弱って待っていると、午《ひる》になって路がやっと乾いた。そこで出発しようとしていると断《き》れていた雲がまた合って、また大雨になった。王成は仕方なしにまた一晩泊って翌日出発した。そして北京に近くなって人の噂を聞くと、葛布の価《ね》があがったというので、心のうちに喜んで北京へ入って旅館へいった。旅館の主人は王成の荷物を見て、
「しまったなあ。二、三日早かったら、うんともうけるところだったが。」
 といって惜《お》しんだ。それは南方との交通が始まったばかりの時で、葛布が来てもたくさん来なかったうえに、市中の富豪で買う者がたくさんあったので、価が非常にあがって平生と較べて三倍ほどになっていた。それが王成の着く前日になってたくさん着荷があったので、価が急にさがって、後から葛布を持って来た者は皆失望していた。旅館の主人はそのことを王成に話した。王成は失望してふさぎこんでしまった。
 翌日になって葛布の着荷がますます多く、価もますますさがった。王成は利益がないので売らずにぐずぐずしているうちに十日あまり経ったので、葛布の価はますますさがり、一方旅館の滞在費用もかさんで来たので、ますます煩悶《はんもん》した。旅館の主人が見かねて、
「置けば置くほど損をするから、今のうちに売ってしまって、何か他の工夫をしたらいいじゃないかね。」
 といって勧めた。王成もその言葉に従って売ったが、十余両の損をした。そして手ぶらになって翌朝は早く起きて帰ろうと思って、金入《かねいれ》を啓《あ》けて見ると入れてあった金が亡くなっていた。驚いて旅館の主人に告げたが、主人もどうすることもできなかった。同宿していた男が、
「訴えて主人から払わしたらいいだろう。」
 といって勧めた。王成は歎息して、
「これは運命だ。主人の知ったことじゃない。」
 といって従わなかった。主人はそれを聞いて王成を徳として五両の金を贈って帰そうとした。しかし王成は老婆にあわす顔がないので帰ってもいけない。じっとしていられないので外へ出たり室の中にいたりして煩悶していた。ある日外出して鶉《うずら》を闘わして賭《かけ》をしている者を見た。その賭には一賭に数千金をかける者があった。鶉の価を訊《き》いてみると一羽が百文以上であった。王成は忽《たちま》ちその鶉の売買を思いついた。そこで金を計算してみるとどうかこうか出来そうであるから主人に相談した。
「鶉のかいだしをやりたいと思いますが。」
 主人も、
「それはいい、すぐおやりなさい。」
 といって勧《すす》め、そのうえ王成を当分ただで置くといった。王成は喜んで出かけていって、鶉を買えるだけ買って篭《かご》に入れて帰って来た。主人は喜んでいった。
「それはよかった。ではすぐ売るがいいだろう。」
 夜になって大雨になって明け方まで降り続いたが、夜が明けたころには路の上に水が出て河のようになった。そのうえ雨がまだやまなかった。王成は雨の晴れるのを待っていたが、その雨は二、三日も続いて更にやみそうにもなかった。王成は鶉を心配して起《た》っていって篭の中を見た。鶉はたくさん死んでいた。王成は大いに困ったがさてどうにもしようがなかった。翌日になると鶉は大半死んで僅かに二、三羽しか生きていなかった。それを一つの篭へ入れて飼ってあったが、翌日いって窺《のぞ》いた時には、また死んで一羽だけ残っていた。王成はそこでそれを主人に知らして、おぼえず涙を流した。
「私はなんという不運な男でしょう。」
 主人も王成のために口惜《くやし》がってくれたがどうすることもできない。王成はもう金がなくなってしまったので、故郷へ帰ろうにも帰れない。いっそ死んでしまおうと思いだした。主人は慰めて、
「まァ、そう力を落したものじゃない。またいい事も廻《めぐ》って来る。」
 といって一緒にいって生き残った鶉を見ていたが、
「この鶉は豪《つよ》い奴かもわからないよ。他の鶉の皆死んだのは、それが殺したかもわからない。お前さんは暇なんだから、やってみたらどうだね。もし良い鳥だったら、賭で生計《くらし》がたつよ。」
 といった。王成は主人に教えられたように鶉を馴《な》らした。鶉ははや馴れて来た。そこで主人が持って街頭へ出て、酒や料理を賭けて闘わしてみるとなかなか強いので皆勝った。主人は自分のことのように喜んで、金を王成にやって、またその辺の若いものと賭をやらしたが、三たび賭けて三たび勝った。
 王成は半年ばかりの間に賭で二十金の貯蓄ができたので、心がますます慰められ、鶉を自分の命のように大事にした。その頃|某《なにがし》という鶉の好きな王があって、正月十五日の上元《じょうげん》の節にあうごとに、民間の鶉を飼っている者を呼んで、それを闘わさした。旅館の主人は成に向って、
「お前さんはすぐ大金持ちになれるが、それを取るか取らないかはお前さんの運しだいだ。」
 といって、そこで鶉好きの王の話をして聞かせ、王成を案内して一緒にいったが、みちみち注意して、
「もし負けたならほうほうの体《てい》で帰るばかりさ。もし、万一お前さんの鶉が勝ったなら、王がきっと買うというから、お前さんはすぐ承知しちゃいけないよ。もしたって売れといったら、わっちの首を見るがいいよ。それでわっちの首がうなずいたら、承知をするがいいよ。」
 といった。王成はうなずいた。
「ああ、そうしよう。」
 そこで王の屋敷へいってみると鶉を持った人達が内庭にあふれていた。そして、暫くして王が御殿に出ると近侍《きんじ》の者がいった。
「鶉を闘わせたい願いのある者は、登ってまいれ。」
 すると一人の男が鶉を持って登っていった。王は侍臣《じしん》に命じて自分の飼鳥を放たした。その男もまた自分の飼鳥を放した。その鶉と鶉はちょっと蹴《け》りあったかと思うと、もう男の鶉が負けてしまった。王は心地よさそうに笑った。続いて二、三人登っていったが、皆王の鶉のために負けてしまった。旅館の主人は王成にいった。
「今だ。」
 二人は一緒に登っていった。王は王成の手にした鶉を見て、
「眼に怒脈《どみゃく》があるな、これは強い鳥だ。弱い鳥ではいけない。鉄口を持って来い。」
 といいつけた。侍臣の一人が喙《くちばし》の黒い鶉を持って来て王成の鶉に当らした。二羽の鶉は一、二度蹴りあっただけで王の鶉の羽が痛んでしまった。王は更に他の良いのを選んで当らしたが、それも負けてしまった。王は、
「急いで宮中の玉鶉を持って来い。」
 といいつけた。侍臣が王の命のままに持って来たのは羽の真白な鷺《さぎ》のような鶉で、ただの鳥ではなかった。王成はその鶉を見てしょげてしまい、ひざまずいて罷《や》めさしてくれといった。
「大王の鶉は、神物でございます。私はこの鳥で生計《くらし》たてておりますから、傷でも負うようなことがあっては、たちまち困ってしまいますから。」
 主は笑っていった。
「まァ放してみるがいい。もし鶉が死んでしまったら、その方に十分|償《つぐな》いをしてとらせる。」
 王成はそこで鶉を放した。王の鶉はすぐに王成の鶉に向って飛びかかった。王成の鶉は王の鶉が来ると、鶏の怒ったようなふうで身を伏《ふ》せて待った。王の鶉が強い喙でつッかかって来ると、王成の鶉は鶴の翔《かけ》るようなふうでそれを撃った。進んだり退いたり飛びあがったり飛びおりたり、ものの一時も闘っていたが、王の鶉の方がようやく懈《つか》れて来た。そして、その怒りはますます烈《はげ》しくなり、その闘いもますます急になったが、間もなく雪のような毛がばらばらに落ちて、翅《はね》を垂れて逃げていった。見物していたたくさんの人達は王成の鶉をほめて羨まない者はなかった。
 王はそこで王成の鶉を手に持って、喙《くちばし》より爪先《つまさき》まで精《くわ》しく見てしまって、王成に問うた。
「この鶉は売らないか。」
 王成はここぞと思ったので、
「私は財産がございませんから、この鶉で命をつないでおります。売るのは困ります。」
 といった。すると王がいった。
「たくさん金を取らせる。百金を取らせるがどうじゃ。売りたいとは思わぬか。」
 王成は俯向《うつむ》いて考えてからいった。
「私は、もともと鶉を飼うのが本職でもございませんから、大王がこれをお好みになりますなら、私に衣食のできるだけのことをしていただければ、それでよろしゅうございます。」
「それでは幾等《いくら》と申すか。」
「千両でよろしゅうございます。」
 王は笑っていった。
「たわけ者|奴《め》。この鶉がどれほどの珍宝で、千両の価《ね》があるのじゃ。」
「大王には宝ではございますまいが、私に取っては連城《れんじょう》の璧《たま》でも、これにはおっつかないと思っております。」
「それはどういう理由じゃ。」
「私はこれを持って、毎日市へ出てまいりまして、毎日幾等かの金を取って、それで粟《あわ》を買って、一家十余人が餒《う》えず凍《こご》えずにくらしております。これにうえ越す宝がありましょうか。」
「わしは、くさすではない、あまり法外であるからいったまでじゃ。では二百両とらそう。」
 王成は首をふった。
「それはどうも。」
 すると王が金を増した。
「ではもう百両とらせようか。」
 王成は首をふりながら旅館の主人の方をそっと見た。主人はすましこんでいた。そこで王成はいった。
「大王の仰せでございますから、それでは百両だけ負けましょう。」
 王はいった。
「だめじゃ。誰が九百両の金を一羽の鶉と易《か》える者がある。」
 王成は鶉を嚢《ふくろ》に入れて帰ろうとした。すると王が呼びかえした。
「鶉売り来い、鶉売り来い。それでは六百両取らそう。承知なら売っていけ、厭ならやめるまでじゃ。」
 王成はまた主人の方を見た。主人はまだ自若としていた。王成の望みは満ちあふれるほどであった。王成は早く返事をしないと機会を失って大金をもうけそこなうと思ったので、
「これ位の金で売るのは、まことに苦しゅうございますが、この話がこわれるようなことがありますと、罪を獲《う》ることになりますから、しかたがありません。大王の仰せのままにいたしましょう。」
 といって売ることにした。王は喜んで金を秤《はか》って王成に渡した。王成はそれを嚢に入れて礼をいってから外へ出た。外へ出ると主人がうらんでいった。
「わっちがあれほどいってあるじゃないか。なぜ売り急ぎをするのです。もうすこしふんばってるなら八百両になったのですぜ。」
 王成は旅館へ帰ると金を案《つくえ》の上へほうりだして、主人に思うだけ取れといったが主人は取らないで、食料だけの金を計算して取った。
 王成はそこで旅装を整えて帰り、家に着いてそれまでの経過を話して、金を見せて慶びあった。老婆はその金で王成にいいつけて三百|畝《ほ》の良田を買わせ、屋《いえ》を建て道具を作らしたので、居然たる世家《きゅうか》となった。老婆は朝早く起きて王成に農業の監督をさし、細君に機織《はたおり》の監督をさした。そして二人がすこしでも懶《なま》けると叱りつけたが、夫婦は老婆の指揮に安んじていて怨みごとはいわなかった。三年過ぎてから家はますます富んだ。その時になって老婆が帰るといいだした。夫婦は涙を流して引き留めた。それで老婆も留まったが翌日見るともういなかった。

底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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蒲 松齢

嬰寧 蒲松齢—– 田中貢太郎訳

 王子服《おうしふく》は※[#「くさかんむり/呂」、第3水準1-90-87]《きょ》の羅店《らてん》の人であった。早くから父親を失っていたが、はなはだ聡明で十四で学校に入った。母親がひどく可愛がって、ふだんには郊外へ遊びにゆくようなこともさせなかった。蕭《しょう》という姓の家から女《むすめ》をもらって結婚させることにしてあったが、まだ嫁入って来ないうちに没《な》くなったので、代りに細君となるべき女を探していたが、まだ纏《まと》まっていなかった。
 そのうちに上元《じょうげん》の節となった。母方の従兄弟《いとこ》に呉《ご》という者があって、それが迎いに来たので一緒に遊びに出て、村はずれまでいった時、呉の家の僕《げなん》が呉を呼びに来て伴《つ》れていった。王は野に出て遊んでいる女の多いのを見て、興にまかせて独りで遊び歩いた。
 一人の女《むすめ》が婢《じょちゅう》を伴《つ》れて、枝に着いた梅の花をいじりながら歩いていた。それは珍らしい佳《い》い容色《きりょう》で、その笑うさまは手に掬《すく》ってとりたいほどであった。王はじっと見詰めて、相手から厭《いや》がられるということも忘れていた。女は二足三足ゆき過ぎてから婢を振りかえって、
「この人の眼は、ぎょろぎょろしてて、盗賊《どろぼう》みたいね。」
 といって、花を地べたに打っちゃり、笑いながらいってしまった。王はその花を拾ったが悲しくて泣きたいような気になって立っていた。そして魂のぬけた人のようになって怏怏《おうおう》として帰ったが、家へ帰ると花を枕の底にしまって、うつぶしになって寝たきりものもいわなければ食事もしなかった。
 母親は心配して祈祷《きとう》したりまじないをしたりしたが、王の容態はますます悪くなるばかりで、体もげっそり瘠《や》せてしまった。医師が診察して薬を飲まして病気を外に発散させると、ぼんやりとして物に迷ったようになった。母親はその理由《わけ》を聞こうと思って、
「お前、どうしたの。お母さんには遠慮がいらないから、いってごらんよ。お前の良いようにしてあげるから。」
 といって優しく訊《き》いても黙って返事をしなかった。そこへ呉が遊びに来た。母親は呉に悴《せがれ》の秘密をそっと聞いてくれと頼んだ。そこで呉は王の室へ入っていった。王は呉が寝台の前に来ると涙を流した。呉は寝台に寄り添うて慰めながら、
「君は何か苦しいことがあるようだが、僕にだけいってくれたまえ。力になるよ。」
 といって訊いた。王はそこで、
「君と散歩に出た日にね。」
 というようなことを前おきにして、精《くわ》しく事実を話して、
「どうか心配してくれたまえ。」
 といった。呉は笑って、
「君も馬鹿だなあ、そんなことはなんでもないじゃないか。僕が代って探してみよう。野を歩いている女だから、きっと家柄の女じゃないよ。もし、まだ許嫁《いいなづけ》がなかったなら、なんでもないし、許嫁があるにしても、たくさん賄賂をつかえば、はかりごとは遂《と》げられるよ。まァそれよりか病気をなおしたまえ、この事は僕がきっと良いようにして見せるから。」
 といった。王はこれを聞くと口を開けて笑った。
 呉はそこで王の室を出て母親に知らせた。母親は呉と相談して女の居所を探したが、名もわからなければ家もわからないので、その年恰好の容色の佳い女のいそうな家を聞きあわして、それからそれと索《さが》してもどうしても解らなかった。母親はそれを心配したがどうすることもできなかった。
 そして王の方は、呉が帰ってから顔色が晴ばれとして来て、食事もやっとできるようになった。
 二、三日して呉が再び来た。王は待ちかねていたのですぐ問うた。
「君、あの事はどうだったかね。」
 呉はほんとうの事がいえないので、でたらめをいった。
「よかったよ。僕はまただれかと思ったら、僕の姑《おば》の女《むすめ》さ、すなわち君の従妹じゃないか。ちょうどもらい手を探していたところだよ。身内で結婚する嫌いはあるが、わけをいえば纏《まと》まらないことはないよ。」
 王は喜びを顔にあらわして訊いた。
「家はどこだろう。」
 呉はまた口から出まかせにいった。
「西南の山の中だよ。ここから三十里あまりだ。」
 王はまたそこで呉に幾度も幾度も頼んだ。
「ほんとに頼むよ。いいかね。」
「いいとも。僕が引き受けた。」
 呉はそういって帰っていった。王はそれから食事が次第に多くなって、日に日に癒《なお》っていった。そして思いだしては枕の底を探して彼《か》の梅の花を出した。花は萎《しお》れていたけれどもまだ散っていなかった。王は彼の女のことを考えながら、それが彼の女でもあるようにその花をいじった。
 王は呉の返事を待っていたが呉が来ないので、ふしんに思って手紙を出した。呉は用事にかこつけて来なかった。王は怒って悶えていた。母親はまた病気になられては大変だと思ったので、急に他から嫁をもらうことにして、それをちょっと相談したが、王は首を振って振りむかなかった。そして、ただ毎日呉の来るのを待っていたが、どうしても呉が来ないので、王はたちまち怒って呉を怨んだが、ふと思いなおして、三十里はたいした道でもない、他人に頼む必要がないといって、彼の梅の花を袖に入れて、気を張って出かけていった。家の人はそれを知らなかった。
 王は独り自分の影を路伴《みちづ》れにしていった。そして道を聞くこともできないので、ただ南の方の山を望んでいった。ほぼ三十里あまりもゆくと、山が重なりあって、山の気が爽《さわ》やかに肌に迫り、寂《ひっそり》として人の影もなく、ただ鳥のあさり歩く道があるばかりであった。遥かに谷の下の方を見ると、花が咲き乱れて樹の茂った所に、僅《わず》かな人家がちらちらと見えていた。
 王は山をおりてその村へといった。わずかしかない人家は皆|茅葺《かやぶき》であったが、しかし皆風流な構えであった。北向きになった一軒の家があった。門の前は一めんに柳が植《う》わり、牆《かき》の内には桃や杏《あんず》の花が盛りで、それに長い竹をあしらってあったが、野の鳥はその中へ来て格傑《かっけつ》と鳴いていた。
 王はどこかの園亭《にわ》だろうと思ったので、勝手には入らなかった。振りむくとその家の向いに、大きな滑らかな石があった。王はそれに腰をかけて休んでいた。と、牆の内に女がいて、声を長くひっぱって、
「小栄《しょうえい》。」
 と呼ぶのが聞えた。それはなまめかしい細い声であった。王はそのままその声を聞いていると、一人の女が庭を東から西の方へゆきながら、杏の花の小枝を執《と》って、首を俯向《うつむ》けて髪にさそうとして、ひょいと頭を挙《あ》げた拍子《ひょうし》に王と顔を見あわすと、もうそれをささずににっと笑って花をいじりながら入っていった。それは上元の日に遭った彼の女であった。王はひどく喜んで、すぐ入っていきたいと思ったが、姨《おば》の名も知らなければ往復したこともないので、何といって入っていっていいかその口実《こうじつ》がみつからなかった。そうかといって門内に訊《き》くような人もいないので訊くこともできなかった。王は仕方なしに朝から夕方まで、石に腰をかけたりその辺を歩いたりして、その家に入ってゆく手がかりを探していたので、ひもじいことも忘れていた。その時彼の女が時どき半面をあらわして窺《のぞ》きに来て王がそこにいつもいるのを不審がるようであった。夕方になって一人の老婆が杖にすがって出て来て王にいった。
「どこの若旦那だね。朝から来ていなさるそうだが、何をしておりなさる。ひもじいことはないかね。」
 王は急いで起《た》ってお辞儀して、
「私は親類を見舞おうと思って、来ているのです。」
 といったが、老婆は耳が遠いので聞えなかった。そこで王はまた大きな声でいった。それはやっと聞こえたと見えて、
「親類は何という苗字だね。」
 といったが、王は苗字を知らないので返事ができなかった。老婆は笑っていった。
「苗字を知らずに、どうして親類が見舞われるのだよ。お前さんは書《ほん》ばかり読んでいる人だね。私の家へお出でよ、御飯でもあげよう。汚い寝台もあるから、明日の朝帰って、苗字を聞いてまた来るがいいよ。」
 王はその時空腹を感じて物を喫《く》いたかった。また彼の美しい女の傍《そば》へいくこともできる。王は大喜びで老婆について入っていった。
 門の内は白い石を石だたみにして、紅《あか》い花がその道をさしはさみ、それが入口の階段にちらちらと散っていた。西へ折れ曲ってまた一つの門を潜《くぐ》ると、豆の棚《たな》と花の架《たな》とが庭一ぱいになっていた。老婆は王を案内して家の内へ入った。白く塗った壁が鏡のようにてらてらと光って、窓の外には花の咲き満ちた海棠《かいどう》の枝が垂れていて、それが室の内へもすこしばかり入っていた。室の内は敷物、几《つくえ》、寝台にいたるまで、皆清らかで沢《つや》のある物ばかりであった。
 王が腰をおろすと、窓の外へだれかが来て窺くのがちらちら見える。老婆が、
「小栄、早く御飯をこしらえるのだよ。」
 というと、外から女がかんだかい声で、
「へい。」
 と返辞をした。そこで二人の坐が定まったので、王が精しく自分の家柄を話した。すると老婆が、
「お前さんの母方のお祖父《じい》さんは、呉という姓じゃなかったかね。」
 といった。そこで王が、
「そうです。」
 というと、老婆は驚いた。
「では、お前さんは、私の甥《おい》だ。お母さんは私の妹だ。しょっちゅう貧乏しているうえに、男手がないから、ついつい往来もしなかったが、甥がこんなに大きくなってるのに、まだ知らなかったとは、どうしたことかなあ。」
 王はいった。
「私がここへ来たのは、姨《おば》さんを見舞いに来たのですよ。ついあわてたものですから、苗字を忘れたのですよ。」
 老婆はいった。
「私の苗字は秦《しん》だよ。ついぞ子供はなかったが、妾《めかけ》にできた小さな子供があって、その母親が他へ嫁にいったものだから、私が育てているが、それほど馬鹿でないよ。だが躾《しつけ》がたりないでね、気楽で悲しいというようなことは知らないよ。今、すぐここへ来させて逢わせるがね。」
 間もなく婢が飯を持って来た。肥った鶏の雛などをつけてあった。老婆は王に、
「何もないがおあがりよ。」
 といって勧めた。王がいうままに膳について食べてしまうと、婢が来て跡始末をした。老婆はその婢にいった。
「寧子を呼んでお出で。」
「はい。」
 婢が出ていってからやや暫くして、戸外《そと》でひそかに笑う声がした。すると老婆は、
「嬰寧《えいねい》、お前の姨《おば》さんの家の兄さんがここにいるよ。」
 といった。戸外では一層笑いだした。それは婢が女を伴《つ》れにいっているところであった。婢は女を推《お》し入れるようにして伴れて来た。女は口に袖を当ててその笑いを遏《と》めようとしていたが遏まらなかった。老婆はちょと睨《にら》んで、
「お客さんがあるじゃないかね。これ、これ、それはなんということだよ。」
 といった。女はやっと笑いをこらえて立った。王はそれにお辞儀をした。老婆は女に向っていった。
「これは王さんといって、お前の姨さんの子供だよ。一家の人も知らずにいて、人さまを笑うということがありますか。」
 王は老婆に、
「この方はおいくつです。」
 と女の年を問うた。老婆にはそれが解らなかったので、王はまた繰りかえした。すると女がまた笑いだして顔をあげることができなかった。老婆は王に向っていった。
「私の躾がたりないといったのは、それだよ。年はもう十六だのに、まるで、嬰児《あかんぼ》のようだよ。」
 王はいった。
「私より一つ妹ですね。」
 老婆はいった。
「おお、お前さんは、もう十七か。お歳になるのだね。」
 王はうなずいた。
「そうですよ。」
 老婆が訊いた。
「お前さんのお嫁さんは、何という人だね。」
「まだありませんよ。」
「お前さんのような才貌《きりょう》で、なぜ十七になるまでお嫁さんをもらわないね。嬰寧もまだ約束もないし、まことに良い似合だが、惜しいことには身内という、かかわりがあるね。」
 王は何もいわずに嬰寧をじっと見ていて、他へ眼をやる暇がなかった。婢は女に向って小声で囁《ささや》いた。
「眼がきょろきょろしていますから、まだ盗賊《どろぼう》がやまないでしょう。」
 女はまた笑いながら娘を見かえって、
「花桃が咲いたか咲かないか、見て来ようよ。」
 といって、急いで起ち、袖を口に当てながら、刻み足で歩いていった。そして門の外へ出たかと思うと崩れるように大声を出して笑った。老婆も体を起して、婢を呼んで王のために夜具の仕度をさしながら王にいった。
「お前さん、ここへ来るのは容易でないから、来たからにゃ、三日や五日は逗留《とうりゅう》していくがいいよ、ゆっくりお前さんを送ってあげるから。もし欝陶《うっとう》しいのが嫌でなけりゃ、家の後には庭がある。気ばらしをするがいいよ。書物もあるから読むがいい。」
 翌日になって王は家の後へ歩いていった。果して半畝位の庭があって、細かな草が毛氈《もうせん》を敷いたように生え、そこの逕《こみち》には楊柳《やなぎ》の花が米粒を撒《ま》いたように散っていた。そこに草葺《くさぶき》の三本柱の亭《あずまや》があって、花の木が枝を交えていた。
 王は小刻みに歩いてその花の下をいった。頭の上の樹の梢《こずえ》がざわざわと鳴るので、ふいと顔をあげてみた。そこに嬰寧があがっていたが、王を見つけるとおかしくておかしくてたまらないというように笑いだした。王ははらはらした。
「およしよ、おっこちるよ。」
 嬰寧は木からおりはじめた。おりながらとめどもなしに笑って廃《よ》すことができなかった。そして、やっと足が地にとどきそうになってから、手を滑らして堕ちた。それと一緒に笑いもやんだ。王は嬰寧を扶け起したが、その時そっとその腕をおさえたので、嬰寧の笑いがまたおこった。嬰寧は樹にかきつくようにして笑って歩くこともできなかったが、暫くしてやっとやんだ。
 王は嬰寧の笑いやむのを待って、袖の中から彼の萎《しお》れた梅の花を出して、
「これを知ってるの。」
 といった。嬰寧は受け取っていった。
「枯れてるじゃないの。なぜ、こんな物を持ってるの。」
「これは上元の日に、あんたがすてたものじゃないか。だから持っているのだよ。」
「持っててどうするの。」
「あんたを愛するためだよ。上元の日にあんたに逢ってから、思いこんで病気になって、もう死ぬるかと思ったのだよ。それがこうして逢えたから、気の毒だと思っておくれよ。」
 嬰寧はいった。
「そんなことなんでもないわ。親類の間柄ですもの、兄さんがお帰りの時、老爺《じいや》を呼んで来て、庭中の花を大きな篭《かご》へ折らせて、おぶわしてあげますから。」
 王はいった。
「馬鹿だなあ。」
 嬰寧はいった。
「なぜ、馬鹿なの。」
 王はいった。
「私は花が好きじゃないよ、花を持っていた人が好きなのだよ。」
 嬰寧はいった。
「親類じゃないの、愛するのはあたりまえだわ。」
 王はいった。
「私が愛というのは、親類の愛じゃないよ、つまり夫婦の愛だよ。」
 嬰寧はいった。
「親類の愛だっておんなじじゃないの。」
「夫婦になったら一緒にいるのだよ。」
 嬰寧は俯向《うつむ》いて考えこんでいたが、暫《しばら》くしていった。
「私、知らない人と一緒にいたことないわ。」
 その言葉のまだ終らない時に、婢がそっとやって来たので、王はあわてて逃げた。
 暫くして王と女は、老婆の所で逢った。老婆は嬰寧に訊いた。
「どこへいってたね。」
 嬰寧はいった。
「庭で話していたわよ。」
 老婆はいった。
「とうに御飯ができてるのに、何の話をしていたのだよ。またお喋りをしていたのだろう。」
 嬰寧はいった。
「兄さんが私と一緒に……。」
 王はひどく困って急に嬰寧に目くばせした。嬰寧はにっと笑ってよした。しかし幸にしてそれは老婆に聞えなかったが、そのかわり老婆はくどくどと嬰寧の長く帰らなかった理由を訊いた。そこで王は他のことをいって打ち消し、そのうえで小声で嬰寧を責めた。
「あんな馬鹿なことをいうものじゃないよ。」
 すると嬰寧がいった。
「あんなことをいってはいけないの。」
 王はいった。
「そんなことをいうのは、人に背《そむ》くというのだよ。」
 嬰寧はいった。
「他人に背いても、お祖母《かあ》さんには背かれないわ。それに一緒にいることなんて、あたりまえのことじゃないの、何も隠さなくってもいいじゃないの。」
 王は嬰寧に愚《おろ》かな所のあるのを残念に思ったが、どうすることもできなかった。
 食事がちょうど終った時、王の家の者が二|疋《ひき》の驢《ろば》を曳《ひ》いて王を探しに来た。それは王が家を出た日のことであった。王の母親は王の帰りを待っていたが、あまり帰りが遅いので始めて疑いをおこし、村中を幾日も捜してみたがどこにもいなかった。そこで呉の家へいった。呉はでたらめにいった自分の言葉を思いだして、西南の山の方へいって尋ねてみよと教えた。家の者は幾個かの村を通って始めてここに来たのであった。王は門を出ようとして、その人達に逢ったのであった。王はそこで入っていって老婆に知らし、そのうえ嬰寧を伴《つ》れて帰りたいといった。老婆は喜んでいった。
「私がそう思っていたのは、久しい間のことだよ。ただ私は、遠くへいけないから、お前さんが伴れて、姨《おば》さんに見知らせてくれると、好い都合だよ。」
 そこで老婆は、
「寧子や。」
 といって嬰寧を呼んだ。嬰寧は笑いながらやって来た。老婆は、
「何の喜しいことがあって、いつもそんなに笑うのだよ。笑わないと一人前の人なのだが。」
 といって、目に怒りを見せていった。
「兄さんがお前を伴れていってくれるというから、仕度をなさいよ。」
 老婆はまた使の者に酒や飯を出してから、一行を送りだしたが、その時嬰寧にいった。
「姨《おば》さんの家は田地持ちだから、余計な人も養えるのだよ。あっちにいったなら、どうしても帰ってはいけないよ。すこし詩や礼を教わって、姨さんに事《つか》えるがいい。そして、姨さんに良い旦那をみつけてもらわなくちゃいけないよ。」
 二人は出発して山の凹みにいって振りかえった。ぼんやりではあるが老婆が門に倚《よ》って北の方を見ているのが見えた。やがて二人は王の家へ着いた。母親は美しい女を見て訊いた。
「これはどなた。」
 王は、
「それは姨さんの家の子供ですよ。」
 といった。母親は、
「姨って、いつか呉さんのいったことは、うそですよ。私には姉なんかありませんよ、どうして甥《めい》があるの。」
 といって、嬰寧の方を向いていった。
「ほんとに私の甥《めい》なの。」
 嬰寧はいった。
「私、お母さんの子じゃないの。お父様は秦という苗字なの。お父様の没《な》くなった時、私、あかんぼでしたから、何も覚えはありませんの。」
 王親はいった。
「そういえば、私の一人の姉が、秦《しん》へ嫁入ってたことは確かだが、没くなってもう久しくなっているのに、なんでまた生きているものかね。」
 そこで顔の恰好や痣《あざ》や贅《いぼ》のあるなしを訊いてみると一いち合っている。しかし母親の疑いは晴れなかった。
「そりゃ合ってるがね。しかし没くなって、もう久しくなる。どうしてまた生きているものかね。」
 判断がつきかねている時、呉が来た。嬰寧は避けて室の中へ入った。呉は理由を聞いて暫くぼんやりしていたが、忽《たちま》ちいった。
「女は嬰寧といいやしないかい。」
「そうだよ。」
 と王がいった。呉は、
「いや、そいつは、怪しいよ。」
 といった。王は呉が女の名を知っていることを先ず聞きたかった。
「君はどうしてその名を知っているね。」
「秦の姑《おば》さんが没くなった後で、姑丈《おじ》さんが鰥《やもめ》でいると、狐がついて、瘠《や》せて死んだが、その狐が女の子を生んで、嬰寧という名をつけ、むつきに包んで牀《とこ》の上に寝かしてあるのを、家の者は皆見ていたのだ。姑丈《おじ》が没くなった後でも、狐が時おり来ていたが、後に張天師のかじ符《ふだ》をもらって、壁に貼《は》ったので、狐もとうとう女の子を伴れていったのだか、それじゃないかね。」
 皆で疑っている時、室の中からくつくつと笑う声が聞えて来た。それは嬰寧の笑う声であった。母親はいった。
「ほんとに彼《あ》の子は馬鹿だよ。」
 呉が女に逢ってみようといいだした。そこで母親が室の中へ呼びにいった。嬰寧はまだ大笑いに笑っていてこっちを向かなかった。
「ちょっとおいでなさいよ。逢わせる人があるから。」
 嬰寧は始めて力を入れて笑いをこらえたが、また壁の方に向ってこみあげて来る笑いをこじらしているようにしていて、時を移してからやっと出たが、わずかに一度お辞儀をしたのみで、もうひらりと身をかえして室の中へ入って、大声を出して笑いだした。それがために家中の婦《おんな》が皆ふきだした。
 呉はその不思議を見きわめて、異状がなければ媒酌人《ばいしゃくにん》になろうといって、西南の山の中の村へ尋ねていった。そこには家も庭もまったくなくて、ただ木の花が落ち散っているばかりであった。呉は姑《おば》の墓がそのあたりにあるような気がしたが、何も墓らしいものが見えないので、疑い怪しみながら帰って来た。
 母親は呉の報告を聞いて、嬰寧を幽霊ではないかと疑って、その室へ入っていって、
「お前さんの家は、ないというじゃないか、どうしたの。」
 といったが、嬰寧はべつにあわてもしなかった。
「お気の毒ねえ、家がなくなって。」
 ともいったが、べつに悲しみもせずに笑うばかりであった。
 嬰寧は何につけても笑うばかりであるから、だれもその本姓を見きわめることはできなかった。母親は夜、嬰寧と同じ室に寝ていた。嬰寧は朝早く起きて朝のあいさつをした。裁縫をさしていると手がうまかった。ただ善く笑うだけは止めても止まらなかった。しかし、その笑いはにこにこしていて、狂人のように笑っても愛嬌《あいきょう》をそこなわなかった。それで人が皆楽しく思って、隣の女や若いお嫁さん達が争って迎えた。
 母親は吉日を択《えら》んで王と嬰寧を結婚させることにしたが、しかし、どうも人間でないという恐れがあるので、ある日、嬰寧が陽《ひ》の中に立っているところを窺《のぞ》いてみた。影がはっきりと地に映っていてすこしも怪しいことはなかった。そこで母親はその日が来ると華かな衣装を着せて儀式の席へ出したが、嬰寧がまた笑いだして顔をあげることができないので、儀式はとうとうできずに終った。王は嬰寧が馬鹿なために二人の間の秘密を漏らしはしないかと恐れたが、それは決して漏らさなかった。
 母親が心配したり腹を立てたりする時に、嬰寧が傍へいって一度笑うと、それでなおってしまった。婢《じょちゅう》や奴《げなん》が過《あやま》ちをしでかして、主婦に折檻《せっかん》せられるような時には、嬰寧の所へ来て、一緒にいって話してくれと頼むので、一緒にいってやるといつも免《ゆる》された。
 嬰寧は花を愛するのが癖になっていた。そっと金の釵《かんざし》を質に入れて、その金で親類の家をかたっぱしから探して、佳《よ》い花の種を買って植えたが、数月の中に、家の入口、踏石《ふみいし》、垣根《かきね》、便所にかけて花でない所はなくなった。庭の後に木香《もっこう》の木の棚があった。それは元から西隣の家との境にあった。嬰寧はいつもその棚の上に攀《よ》じ登って、薔薇《ばら》の花のようなその花を摘んで頭髪にさした。母親は時どきそれを見つけて叱ったが嬰寧はついに改めなかった。
 ある日、西隣の男がこれを見つけて、じっと見とれたが、嬰寧は逃げもせずに男の方を見て笑った。西隣の男は女が自分に気があると思ったので、心がますますとろけた。と、女は牆《かきね》の下に指をさして笑ってからおりていった。西隣の男は女が晩にここへ来いといったと思ったので、大悦びで日の暮れるのを待ちかねて牆の下へいった。いってみると果して女が来ていた。西隣の男はすぐ抱きかかえた。と体の一部が錐《きり》で刺されたように痛さが体にしみわたったので、大声に叫ぶなり※[#「足へん+倍のつくり」、第3水準1-92-37]《たお》れてしまった。その男の女と思ったのは一本の枯木であった。その男の父親は悴《せがれ》の叫び声を聞きつけて走って来て、
「おい、どうした、どうした。」
 といったが悴は呻《うめ》くのみで何もいわなかった。そこへ細君が来たので悴は事実を話した。そこで火を点《つ》けて枯木の穴を照らしてみた。そこには小さな蟹《かに》のようなさそりがいた。父親は木を砕いてさそりを殺し、悴をおぶったが、夜半頃になって悴は死んでしまった。
 西隣では王を訟《うった》えて、嬰寧が怪しいことをするといった。村役人はかねてから王の才能を尊敬して、篤行の士と言うことを知っていたので、西隣の父親のいうことは誣《し》いごとだといって、杖《むち》で打たそうとした。王は西隣の父親のためにあやまってやったので、西隣の父親は釈《ゆる》してもらって帰って来た。
 王の母親は嬰寧にいった。
「馬鹿なことをするから、こんなことになるのだよ。もう笑うことはよして、悲しいことも知るがいいよ。村役人は幸にわかった方だから、よかったものの、これがわからない役人だったら、きっとお前を役所で調べたのだよ。もしこんなことがあったら、あれが親類へ顔向けができますか。」
 嬰寧は顔色を正していった。
「もう、これからは、決して笑いません。」
 母親はいった。
「人は笑わないものはないから、笑ってもいいが、ただ時と場合を考えなくちゃ。」
 嬰寧はこれからはまたと笑わなかった。昔の知人に逢ってもついに笑わなかった。しかし、終日|淋《さび》しそうな顔はしなかった。
 ある夜、嬰寧は王といる時に、涙を流した。王は不思議に思って訊《き》いた。
「どうした。」
 すると嬰寧はむせび泣きをしていった。
「これまでは日が浅いから、こんなことをいったら、怪しまれるだろうと思って黙っていましたが、今ではお母さんもあなたも、皆さんが私を可愛がってくださって、へだてをしてくださらないからありのままに申しますが、私はもと狐から生まれたものです。母が他へゆくことになって、私を没くなっているお母さんに頼んだものですから、私は十年あまりもお母さんの世話になってて、今日のようなことになりました。私には他に兄弟もありませんし、恃《たの》みにするのはあなたばかりです。今、お母さんは寂しい山かげにいるのですが、だれもお父さんの傍へ葬ってくれないものですから、お母さんはあの世で悲しんでいるのです。あなたがもし、費用をおかまいなさらないなら、あの世の人の悲しみをなくしてやってください。私をお世話してくだされてるから、すてておくこともできないと思って。」
 王はうなずいた。
「いいとも、だがどこにあるだろう。」
 嬰寧はいった。
「すぐ判《わか》ります。」
 日を期して二人は※[#「木+親」、第4水準2-15-75]《ひつぎ》を持って出かけていった。嬰寧はいばらの生い茂った荒れはてた中を指さした。掘ってみると果して老婆の尸《しがい》があった。皮膚も肉体もそのままであった。嬰寧はその尸を撫《な》でて泣いた。
 そこで二人はその尸を※[#「木+親」、第4水準2-15-75]に入れて帰り、秦氏の墓を尋ねて合葬した。その夜、王の夢に老婆が来て礼をいって帰った。王は寤《さ》めてそれを嬰寧に話した。嬰寧はいった。
「私は、ゆうべ逢ったのですよ。あなたをびっくりさしてはいけないというものですから。」
 王はいった。
「なぜ留《と》めておかなかったのだ。」
 嬰寧はいった。
「あの人はあの世の人ですから、生きた人の多い、陽気の勝った所にはいられないのです。」
 そこで王は訊いた。
「小栄はどうしたのだろう。」
 嬰寧がいった。
「あれは狐ですよ。あれは気が利いてたから、母が私の世話をさしたものです。しょっちゅう木の実を取って来てくれました。だから私は有難いと思ってるのですが、母に訊きますと、もうお嫁にいったのですって。」
 その歳から冬至《とうじ》から百五日目にあたる寒食《かんしょく》の日には、夫婦で秦氏の墓へいって掃除するのを欠かさなかった。女は翌年になって一人の子を生んだが、抱かれているうちから知らない人を畏《おそ》れなかった。そして、人さえ見れば笑ってまた大いに母のふうがあった。

底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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蒲 松齢

阿繊 蒲松齢—– 田中貢太郎訳

 奚山《けいざん》は高密《こうみつ》の人であった。旅に出てあきないをするのが家業で、時どき蒙陰《もういん》県と沂水《ぎすい》県の間を旅行した。ある日その途中で雨にさまたげられて、定宿《じょうやど》へゆきつかないうちに、夜が更《ふ》けてしまった。宿をかしてくれそうな物を売る家の門口をかたっぱしから叩《たた》いてみたが、返事をするものがなかった。しかたなしに廡下《のきした》をうろうろしていると、一軒の家の扉を左右に開けて一人の老人が出て来た。
「お困りのようだな。お入り。」
「有難うございます。」
 山は喜んで老人についてゆき、曳《ひ》いている驢《ろば》を繋《つな》いで室《へや》の中へ入った。室の中には几《つくえ》も腰掛けもなかった。老人はいった。
「わしは、あんたがお困りのようだから、お泊めはしたが、わしの家は食物を売ったり、飲物を沽《う》ったりする所でないから、手すくなでゆきとどかん。ただ婆さんと、年のいかない女《むすめ》があるが、ちょうど眠ったところじゃ。残りの肴はあるが、煮たきに困るので何もできない。かまわなければ、それをあげようか。」
 老人はそういってから入っていった。そして、間もなく足の短い牀《しょうぎ》をもって来て下に置き、山をそれに坐らしたが、また入っていって一つの足の短い几《つくえ》を持って来た。それはいかにも急がしそうにいったりきたりするのであった。そのさまを見ては山もじっとしていられないので、曳《ひ》きとめて休んでもらった。
「どうか、どうか、おかまいくださらんように。どうかお休みください。」
 暫くすると一人の女が出て来て仕度をしてくれた。老人は女の方をちょっと見ていった。
「これが家の阿繊《あせん》だ。起きて来たのか。」
 見ると年は十六、七で、綺麗でほっそりしていて、それで愛嬌があった。山には年のいかない弟があってまだ結婚していないので、こういうのをもらいたいものだと思った。そこで老人の故郷や属籍《ぞくせき》を訊《き》いてみた。老人はいった。
「わしは、士虚《しきょ》という名で、苗字は古《こ》というよ。子も孫も皆若死して、この女だけが遺っておる。ちょうど睡っておったから、そのままにしておったが、婆さんが起したと見える。」
「お婿さんは何という方です。」
「まだ許嫁《いいなずけ》になっておらんよ。」
 山は喜んだ。そのうちに肴がごたごたと並んだが、旅館のこんだてに似ていた。食事が終ってから山はおじぎをしていった。
「旅をしておりますと、どんな方に御厄介になるかも解りません。ほんとうに御世話をかけました。この御恩は決して忘れません、ほんとにあなたのお蔭です。そのうえ、だしぬけに、こんなことを申しましてはすみませんが、私に三郎という弟があります。十七になりますが、書物も読み、商売をさしても、それほど馬鹿ではありません。どうかお嬢さんと縁組をさしていただきたいですが。貧乏人ですけれども。」
 老人は喜んでいった。
「わしもこの家は、借りておる。もしそうなれば、一軒借りて移っていってもいい。そうするなら懸念《けねん》もなくなる道理じゃ。」
 山はすべてそれを承諾した。そこで起って礼をいった。老人も殷勤《いんぎん》に後始末をして出ていった。
 朝になって鶏が鳴いた。老人は起きて来て、山に顔を洗わして食事をさした。山はすっかり仕度して金を出した。
「これはすこしですが、食物代にとってください。」
 老人はどうしてもとらなかった。
「一晩の宿じゃないか、金をもらうわけがない。それに婚礼の約束をした間柄じゃないか。」
 山はそこで一家の者と別れて、一ヵ月あまり旅をして返って来た。そして村から一里あまり離れた所へいったところで、老婆が一人の女を伴《つ》れていくのに逢った。それは喪中であろう、冠《ぼうし》から衣服まで皆白いものを着ていた。そして近くへいってみると、どうもその女が阿繊に似ているように思われた。女もまた頻《しき》りにこちらを見ていたが、やがて老婆の袂《たもと》をつかまえて、その耳の傍《そば》へ口を持っていって囁《ささや》いた。老婆は足を停《と》めて山に向っていった。
「あんたは奚《けい》さんではありませんか。」
 山はいった。
「そうですよ。」
 老婆は悲しそうな顔をしていった。
「お爺さんは、崩れかかった牆《かき》に圧しつぶされて死んじゃったよ。今、ちょうど墓詣りにいくところだ。家にはだれもいないから、ちょっと路ばたで待っててくださいよ、すぐ帰ってくるから。」
 そこで二人は林の中へ入っていったが、暫くたってやっと帰って来た。日が暮れて途はもう真暗であった。三人は一緒にその暗い中をいったが、老婆は将来のたよりないことを話して泣いた。山もまた心を動かされた。老婆はいった。
「この土地は人情がよくないから、親のない子や孀《やもめ》では暮していけない。阿繊ももう、あなたの家の婦《よめ》になっておる。ここをすごすとまた日が遅れるから、今晩のうちに一緒に伴れてってもらうといいが。」
 そのうちに家へ着いた。老婆は燈《あかり》を点《つ》けて山に食事をさし、それがすんでからいった。
「あんたがもう帰って来る時分だと思って、持っている粟は皆売ったが、それでもまだ二十石あまり残っておる。遠くては持ってゆけないから、ここから四、五里もいくと、村の中の第一ばんめの門に、談二泉《だんじせん》というものがおる、これが私の買い主じゃ。あんたは気の毒だが、あんたの驢《ろば》に一嚢《ひとふくろ》おぶわせていって、門を叩いて、南村の婆が、二、三石の粟を売って、旅費にするのだから、馬を曳《ひ》いて来て持っててくださいといえばいい。」
 そこで嚢の粟を山にわたした。山は驢を曳いていって戸を叩《たた》いた。一人の大きな腹をした男が出て来た。山はその男に老婆のいったとおりにいって、持っていった嚢の粟を開けて帰って来た。
 山が帰る間もなく二人の男が五|疋《ひき》の騾《らば》を曳いて来た。老婆は山を伴れて粟のある所へいった。それは窖《あなぐら》の中に入れてあった。そこで山がおりて量をはかると、老婆は女に収めさせた。みるみる入れ物に一ぱいになったので、それをわたして運ばした。およそ四かへりして粟はなくなってしまった。やがて買い主は老婆に金をわたした。老婆はその男の一人と二疋の騾[#「騾」は底本では「螺」]を留めておいて、荷物を積んで皆で東の方へ出発した。そして一行が二十里もいったところで夜がやっと明けた。そこで唯《と》ある市へいって、乗る馬をやとい、送って来た男はそこから返した。
 山はやがて家へ帰って両親にその事情を話した。両親もひどく喜んだ。そこで別邸を老婆の住居にして、吉日を択《えら》んで三郎と阿繊を結婚さしたが、老婆は阿繊に嫁入り仕度を十分にした。
 阿繊は寡言《むくち》で怒るようなこともすくなかった。人と話をしてもただ微笑するばかりであった。昼夜|績《つむ》いだり織《お》ったりして休まなかった。それがために上の者も下の者も皆阿繊を可愛がった。阿繊は三郎に頼んでいった。
「兄さんにおっしゃってください。また西の道を通ることがあっても、私達母子のことを口に出さないようにって。」
 三、四年して奚《けい》家はますます富んだ。三郎は学校に入った。
 ある日、山は商用で旅行して、古《こ》の家の隣に宿をとった。そして宿の主人と話していて、ふと雨にへだてられて定宿にゆけずに古老人に世話になったことを話した。宿の主人は、
「そりゃお客さん、何かの間違いでしょう。東隣は私の兄の別宅で、三年ほど前に貸してあった者が、時とすると怪しいことがあったので、引移して空屋《あきや》になっておる。どうして爺さんや婆さんがおるものかね。」
 それを聞いて山はひどく不思議に思った。しかしまだそれほど深くは信じなかった。主人はまたいった。
「あの家は、せんに十年空いてて、よう入る者がなかったが、ある日、家の後の牆が傾いたもんだから、兄がいってみると、大きな猫のような鼠がはさまれてて、尻尾は牆の内でまだ動いていたので、急いで帰って来て、皆を呼んでいってみると、もういなかったのだ。皆がそれが怪しいことをしてたろうといったのだよ。その後十日あまりして、また入っていってためしたが、ひっそりしてもう何もなかったよ。それからまた一年あまりしてから、やっと人がいるようになったのだよ。」
 山はますます不思議に思って、家へ帰って両親にそっと話し、どうも阿繊は人であるまいと思って、三郎のために心配したが、三郎は初めとすこしもかわらずに阿繊を愛した。
 暫《しばら》くして家の中の人の心がちぐはぐになって阿繊をうたがいだした。阿繊はかすかにそれを察して、夜、三郎に話した。
「私は、あなたの所へまいりましてから、数年になりますが、まだ一度だって悪いことをしたことがありませんのに、この頃は人並に待遇せられません。どうか私に離縁状をください。そして、あなたは自分で良い奥さんをおもらいなさい。」
 そういって阿繊は泣いた。三郎はいった。
「私の気持ちは、お前がよく知ってくれているはずだ。お前が家へ来てくれてから、家は日増に繁昌して来た。皆これはお前が福を持って来てくれたものだといって喜んでいる。だれがお前のことを悪くいうものか。」
 阿繊はいった。
「あなたの気持ちは好く解っております。ただ他の人の口がやかましいので、すてられはしないかと心配するのです。」
 三郎は一生懸命になってなだめたので、阿繊もそれからは何もいわなかったが、山はどうしても釈《と》けなかった。彼は善く鼠をとる猫をもらって来て女の容子《ようす》を見た。阿繊は懼《おそ》れはしなかったが面白くない顔をしていた。
 ある夜、阿繊は老婆のぐあいが悪いからといって、三郎に暇をもらって看病にいったので、夜明けに三郎がいってみた。老婆の室は空になって老婆も阿繊もいなかった。三郎はひどく駭《おどろ》いて、人を四方に走らして探《さが》さしたが消息が解らなかった。三郎はそれがために心を痛めて寝もしなければ食事もしなかったが、山はじめ両親はかえって幸にして、いろいろと三郎を慰め、後妻をもらわそうとした。三郎はひどくいやがって一年あまり阿繊のたよりを待っていたが、とうとうそのたよりがなかった。三郎は山や両親からせめられるので、しかたなしに多くの金を出して妾を買ったが、阿繊を思う心は衰えなかった。
 そのうちにまた数年たった。奚家は日に日に貧しくなって来た。そこで家の者が、皆阿繊を思いだした。三郎の弟に嵐《らん》という者があった。事情があって膠《こう》にゆく道で、まわり道をして母方の親類にあたる陸《りく》という者の家へいって泊った。夜になって隣で悲しそうに泣く声が聴えたが、訊くひまもなく出発して、帰りにまた寄ってみるとまた泣声がした。そこで主人の陸生に訊いた。
「この前にも聞いたが、隣で泣声がするが、あれはどうした人だね。」
 すると主人がいった。
「二、三年前、孀《やもめ》の婆《ばあ》さんと女の子が来て借家をしていたが、前月その婆さんが死んじゃったから、女の子は独りぼっちで、親類もないから泣いてるのだよ。」
「何という苗字だろう。」
「古《こ》という苗字だが、近所の者とつきあわないので、家筋は解らないよ。」
 嵐は驚いていった。
「それは僕の嫂《あによめ》だよ。」
 そこで、いって扉を叩いた。と、内にいた人が起って来て扉を隔てていった。
「あなたはどなたです。私の家には男の方に知りあいはないのですが。」
 嵐《らん》が扉の隙《すき》から窺《のぞ》いてみると果して阿繊であった。そこでいった。
「ねえさん、開けてください。私は弟の嵐ですよ。」
 女はそれを聞くとかんぬきを抜いて扉を開けた。嵐が入っていくと、阿繊はひとりみの苦しさを訴えた。嵐はいった。
「三郎兄さんは、あなたをひどく思っているのです。夫婦ですもの、仲違い位はありますよ。なぜこんなに遠くまで逃げるのです。」
 そこで輿《くるま》をやとって一緒に帰ろうとした。阿繊は悲しそうにいった。
「私は人あつかいをせられないので、とうとう母と隠れたのです。今、返っていったなら、いやな顔をせられるのでしょう。もしまた帰るとなれば、大兄《おおにい》さんと別家するのですね。でなければ私は死んでしまいます。」
 嵐はそこで帰って三郎に知らした。三郎は昼夜兼行でいって阿繊に逢った。二人は顔を見合わして泣いた。翌日二人は出発することにして屋主《やぬし》に知らした。屋主の謝監《しゃかん》という男は、阿繊の美しいのを見て、妾にしようと思って、初めから家賃を取らずに置いて、頻りに老婆にほのめかしたが、老婆はことわっていた。その老婆が死んでくれたので、屋主は目的が達せられると思って喜んでいると、三郎が来たので、初めからの家賃を計算して苦しめにかかった。三郎の家はもう豊かでないから、多額になっている家賃のことを聞いて心配した。すると阿繊はいった。
「そんなことは心配ありませんよ。」
 といって三郎を伴《つ》れていった。そこに倉があって三十石にあまる粟が儲《たくわ》えてあった。それがあるなら家賃を払ってもまだ剰《あま》りがあった。三郎は喜んだ。そこで屋主の謝に粟をとってくれといった。謝は困らすつもりで、
「こんな物をもらっても仕方がない。金をもらおう。」
 といった。繊はためいきしていった。
「それが私の罪障ですから。」
 そこで阿繊は謝のことを話した。三郎は怒って訴えようとした。陸氏はそれをとめて、粟を村の者に別け、その金をあつめて謝に払って、車で二人を送り帰した。
 三郎は家へ帰って事実を両親に知らし、兄の山と別居した。阿繊は自分の金を出して、たくさんの倉を建てさせた。家の中には僅かばかりの蓄えもないので皆が怪しんでいたが、一年あまりしてみると倉の中は一ぱいになっていた。そこで幾年もたたないうちに大金持ちになった。そして、山は貧乏に苦しんでいた。阿繊は両親を自分の家へ呼んで養い、兄の山にも金や粟をやってたすけたが、それがなれて常のこととなった。三郎は喜んでいった。
「お前は旧悪を思わないという方だよ。」
 阿織はいった。
「兄さんはあなたを可愛がっていらっしゃるのですわ。兄さんがなかったなら、どうしてあなたを知ることができたでしょう。」
 その後はまた何の怪しいこともなかった。

底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
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蒲 松齢

阿霞 蒲松齢—– 田中貢太郎訳

 文登《ぶんとう》の景星《けいせい》は少年の時から名があって人に重んぜられていた。陳《ちん》生と隣りあわせに住んでいたが、そこと自分の書斎とは僅かに袖垣《そでがき》一つを隔てているにすぎなかった。
 ある日の夕暮、陳は荒れはてた寂しい所を通っていると、傍の松や柏の茂った中から女の啼《な》く声が聞えて来た。近くへいってみると、横にしだれた樹の枝に帯をかけて、縊死《いし》しようとしているらしい者がいた。陳は、
「なぜ、そんなことをするのです。」
 といって訊いた。それは若い女であった。女は涕《なみだ》を拭いながら、
「母が遠くへまいりましたものですから、私を従兄《いとこ》の所へ頼んでありましたが、従兄がいけない男で、私の世話をしてくれないものですから、私は独りぼっちです。私は死ぬるがましです。」
 といってからまた泣いた。陳は枝にかけてある帯を解いて、
「困るなら結婚したらいいでしょう。」
 といって勧めた。女は、
「でも私は、ゆく所がないのですもの。」
 といった。陳は、
「では、私の家に暫《しばら》くいるがいいでしょう。」
 といった。女は陳の言葉に従うことになった。陳は女を伴《つ》れて帰り、燈《あかり》を点《つ》けてよく見ると、ひどく佳《い》い容色《きりょう》をしていた。陳は悦んで自分の有《もの》にしようとした。女は大きな声をたててこばんだ。やかましくいう声が隣りまで聞えた。景は何事だろうと思って牆《かき》を乗り越えて窺きに来た。陳はそこで女を放した。女は景を見つけてじっと見ていたが、暫くしてそのまま走って出ていった。陳と景とは一緒になって逐《お》っかけたが、どこへいったのか解らなくなってしまった。
 景は自分の室へ帰って戸を閉めて寝ようとした。と、さっきの女がすらすらと寝室の中から出て来た。景はびっくりして訊いた。
「なぜ、きみは、陳君の所から逃げたかね。」
 女はいった。
「あの方は、徳が薄いのに、福が浅いから、頼みにならないですわ。」
 景はひどく喜んで、
「きみは、何というのだ。」
 といって訊いた。女はいった。
「私の先祖が斉《せい》にいたものですから、斉を姓としてるのですよ。私の幼な名は阿霞《あか》といいますの。」
 二人は寝室の中へ入った。景はそこで冗談をいったが、女は笑ってこばまなかった。とうとう女は景の許にいることになった。景の書斎へ友人がたくさん来た。女はいつも奥の室に隠れていた。数日して女がいった。
「私、ちょっと帰ってまいります。それにここは人の出入が多くて、私がいては人に迷惑をかけますから、今から夜よるまいります。」
 といった。景は、
「きみの家はどこだね。」
 というと、女はいった。
「あまり遠くないことよ。」
 とうとう朝早く帰っていったが、夜になると果して来た。二人の間の懽愛《かんあい》はきわめて篤《あつ》かった。また数日して女はいった。
「私たち二人の間は佳《い》いのですけど、いってみると馴れあいですからね。私のお父様が官途に就《つ》いて、西域《せいいき》の方へいくことになって、明日お母さんを伴《つ》れて出発するのですから、それまでに好い機《おり》を見て、お父さんとお母さんの許しを受けて、一生お側にいられるようにして来ますわ。」
 景は訊いた。
「じゃ、幾日したら来る。」
 女は、
「十日したらまいります。」
 と約束して帰っていった。景はその後で女をいつまでも書斎におくことができないから、母屋の方へおきたいと思ったが、そうすると細君がひどく嫉妬しそうであるから、それにはいっそ細君を離縁するがいいと思った。とうとう腹を決めて、細君が傍《そば》へ来ると口ぎたなく罵《ののし》った。細君はその辱《はずかし》めに堪えられないで、泣きながら死のうとした。景はいった。
「ここで死なれちゃ、俺がまきぞえに逢うのだ。どうか早く帰ってくれ。」
 とうとう細君をおしだすようにして伴れていこうとした。細君は啼《な》いていった。
「私は、あなたの所へまいりまして十年になります。まだ一度だって悪いことをしたことがないのに、なぜ離縁するのです。」
 景は細君の言葉には耳を傾けないで、細君をおったてた。細君はそこで門を出ていった。景は壁を塗り塵を除けて阿霞の来るのを待っていたが、来もしなければ消息もなかった。
 景の細君が実家へ帰った後、景の友人達は原《もと》のように復縁させようと思って、しばしば景に交渉したが、景がどうしても承知しないので、とうとう夏侯《かこう》という姓の家へ再縁した。その夏侯は景の家の地並びにいたが、田の境のことで代代仲が悪かった。景はそのことを聞いてますます夏侯の家を恨んだ。そして康はその一方で阿霞が来て自分の心を満足さしてくれるのを待っていたが、一年あまりしても行方《ゆくえ》が解らなかった。
 ある時、海の神を祭ってある社《やしろ》の祭礼があった。祠《ほこら》の内にも外にもその附近の男女があふれていた。景もその中に交っていたが、遥か向うの方にいる一人の女を見ると、ひどく阿霞に似ているので、近くへいってみた。いったところで女は人群の中へ入っていった。景もそれについていった。女は門の外へ出た。景もまたそれについていったが、女はとうとう飄然《ひょうぜん》といってしまった。景はそれに追っつこうとしたが追っつけなかった。景はもだえながら返って来た。
 後半年ばかりしてのことであった。ある日、景が途《みち》を歩いていると、一人の女郎《むすめ》が朱《あか》い衣服を着て、たくさんの下男を伴《つ》れ、黒い驢《ろば》に乗って来るのを見た。それを見ると阿霞であった。そこで景は伴をしている下男の一人に訊いた。
「奥さんは何という方です。」
 すると下男が答えた。
「南の村の鄭《てい》公子の二度目の奥さまでございます。」
 景はまた訊いた。
「いつ婚礼をしたのです。」
 下男はいった。
「半月ほど前でございます。」
 景は半月[#「半月」は底本では「年月」]位前とはおかしいと思った。
「それは思いちがいじゃないかね。」
 驢の上の女郎はこの言葉を聞いて、振り向いてじっと見た。それはほんとうの阿霞であった。景は女が約束に負《そむ》いて他の家へ適《い》ったのを知って憤《いきどお》りで胸の中が一ぱいになった。彼は大声をあげて叫ぶようにいった。
「阿霞、君は昔の約束を忘れたのか。」
 下男達は景が主婦の名を口にするのを聞いて、怒ってなぐりつけようとした。女はそれを止めて、障紗《かおおおい》を啓《あ》けて景にいった。
「人に負いておいて、どんな顔をして私を見るのです。」
 景はいった。
「君が自分で僕に負いてるじゃないか。僕が何を君に負いたのだ。」
 女はいった。
「奥さんに負くのは、私に負くよりもひどいです。少さい時から夫婦になっている者さえそうするのですから、まして他の者であったら、どうするのでしょう。先には先祖の徳が厚くて、及第者の名簿に乗っていたのですから、身を委《まか》してましたが、今は奥さんを棄てたために、冥官《あのよのやくにん》から福を削られたのです。今年の試験の亜魁《あかい》になる王昌はあなたの名に替るのです。私はもう鄭に片づきましたから、私のことを心配してくださらなくってもいいのです。」
 景は俯向《うつむ》いたままで何もいうことができなかった。女は驢に鞭を加えて飛ぶように往った。景はそれを見て嘆き悲しむのみで如何ともすることができなかった。
 その年の試験に景は落第して、亜魁すなわち経魁五人に亜《つ》ぐの成績を得たのは果して王昌であった。鄭も及第した。景はそれがために軽薄だという名がひろまった。
 四十になっても景は細君がなかった。家はますます衰えて、いつも友達の家へいって食事をさしてもらっていた。ある時ふと鄭の家へいった。鄭は款待《かんたい》して泊っていかした。阿霞は客を窺《のぞ》いて景を見つけ、それを憐んで鄭に訊いた。
「お客さんは景慶雲ではありませんか。」
 鄭はそこで阿霞[#「阿霞」は底本では「阿震」]にどうして知っているかと訊いた。阿霞はいった。
「まだ、あなたの所へまいりません時に、あすこへ逃げ込んで、ひどくお世話になっております。あの人は行いは賎しいのですが、それでも先祖の徳がまだたえておりません。それにあなたとはお友達ですから、友達のよしみになんとかしてあげたらいいでしょう。」
 鄭はそれをもっともの事であるとして、景の着ている敗れた綿入をかえさし、数日間|留《と》めてやった。それは夜半ごろであった。景が寝ようとしていると婢《じょちゅう》が来て二十余金を置いていった。その時阿霞は窓の外に立っていたが、
「それは、私の金ですから、昔お世話になったお礼にさしあげます。お帰りになったら、良い匹《つれあい》をお求めになるがよいでしょう。幸にあなたには先祖の徳が厚いのですから、まだ子孫に及ぼすことができます。どうかこれから、二度と節制を失わないようにして、晩年を送ってください。」
 景は感謝して帰り、その金のうちから十余金さいて、ある縉紳《しんしん》の家にいる婢《じょちゅう》を買って細君にしたが、その女はひどく醜くて、それで気が強かった。景とその女との間に一人の子供が生れたが、後に郷試と礼部の試《し》に及第した。
 鄭は官が吏部郎までいったが、間もなく没《な》くなった。阿霞はその葬式を送って帰って来たが、その輿《くるま》を啓《あ》けてみると中は空になって人はいなかった。そこで始めて阿霞が人でないということを知った。

底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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蒲 松齢

阿英 蒲松齢—– 田中貢太郎訳

 甘玉《かんぎょく》は幼な名を璧人《へきじん》といっていた。廬陵《ろりょう》の人であった。両親が早く亡くなったので、五歳になる弟の※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]《かく》、幼な名を双璧《そうへき》というのを養うことになったが、生れつき友愛の情に厚いので、自分の子供のようにして世話をした。そして※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]がだんだん大きくなったところで、容貌《かおかたち》が人にすぐれているうえに、慧《りこう》で文章が上手であったから、玉はますますそれを可愛がった。そしていつもいった。
「弟は人にすぐれているから、良い細君がなくてはいけない。」
 そして選択をしすぎるので、婚約がどうしても成立しなかった。その時|玉《ぎょく》は匡山《きょうざん》の寺へいって勉強していた。ある夜|初更《しょこう》のころ、枕に就《つ》いたところで、窓の外で女の声がした。そっと起きて覘《のぞ》いてみると、三、四人の女郎《むすめ》が地べたへ敷物を敷いて坐り、やはり三、四人の婢《じょちゅう》がその前に酒と肴をならべていた。女は皆すぐれて美しい容色《きりょう》をしていた。一人の女がいった。
「秦《しん》さん、秦さん、阿英《あえい》さんはなぜ来ないの。」
 下の方に坐っていた者がいった。
「昨日、凾谷《かんこく》から来たのですが、悪者に右の臂《て》を傷つけられたものですから、一緒に来られなかったのよ。ほんとに残念よ。」
 一人の女がいった。
「私、昨夜夢を見たのですが、今に動悸《どうき》がするのよ。」
 下の方に坐っていた者が手を揺《ふ》っていった。
「およしなさいよ、およしなさいよ。今晩皆で面白く遊んでるじゃありませんか。おっかながるからだめだわ。」
 女は笑っていった。
「お前さん怯《ひきょう》だよ。何も虎や狼がくわえていくのじゃあるまいし。もしお前さんが、それをいわないようにしてもらいたいなら、一曲お歌いなさいよ。」
 女はそこで低い声で朗吟《ろうざん》[#ルビの「ろうざん」はママ]した。
[#ここから2字下げ]
間階桃花《かんかいとうか》取次に開く
昨日|踏青《とうせい》小約未だ応《まさ》に乖《もと》らざるべし
嘱付《しょくふ》す東隣の女伴
少《すこし》く待ちて相催すなかれ
鳳頭鞋子《ほうとうあいし》を着け得て即《すなわ》ち当《まさ》に来るべし
[#ここで字下げ終わり]
 朗吟が終った。一座の者で賞《ほ》めない者はなかった。一座はやがて笑い話になった。不意に大きな男があらわれて来た。それは恐ろしい顔の鶻《くまだか》のように眼のぎらぎらと光る男であった。女達は口ぐちにいった。
「妖怪《ばけもの》だ。」
 皆あわてふためいて鳥が飛び散るようにばらばらになって逃げた。ただ朗吟していた者だけは、なよなよとした姿でためらっているうちにつかまえられ、啼《な》き叫びながら一生懸命になって抵抗した。怪しい男は吼《ほ》えるように怒って、女の手に噛みついて指を噛み断《き》り、それをびしゃびしゃと噛《か》んだ。女はそこで地べたに※[#「足へん+倍のつくり」、第3水準1-92-37]《たお》れて死んだようになった。玉は気の毒でたまらなかった。そこで急いで剣を抽《ぬ》いて出ていって切りつけた。剣は怪しい男の股《あし》に中って一方の股が落ちた。怪しい男は悲鳴をあげて逃げていった。
 玉は女を抱きかかえて室の中へ伴《つ》れて来た。女の顔色は土のようになっていた。見ると襟《えり》から袖にかけてべっとりと血がついていた。その指を験《しら》べると右の拇《おやゆび》が断《き》れていた。玉は帛《きぬ》を引き裂いてそれをくるんでやった。女は気がまわって来て始めて呻《うめ》きながらいった。
「あぶない所を助けていただきまして、どうしてお礼をしたらいいでしょう。」
 玉は覘《のぞ》いていた時から、心の中でこんな女を弟の細君にしてやりたいと思っていたので、そこで弟と結婚してもらいたいと言った。女はいった。
「かたわ者は、人の奥さんになることができませんから、べつに弟さんにお世話をしましょう。」
 玉はそこでそれは何という女であるかといってその姓を訊いてみた。
「何という方でしょう。」
 女はいった。
「秦《しん》というのです。」
 玉《ぎょく》はそこで衾《やぐ》を展《の》べて暫く女をやすまし、自分は他の室《へや》へいって寝たが、朝になって女の所へいってみると、女は帰ったのかもういなかった。玉はそこで近村を尋ねてみたが秦という姓の家はすくなかった。親戚や朋友に頼んで広く探してもらったが、その方でも確実な消息が解らなかった。玉は家へ帰って弟と話して残念がった。
 ある日|※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]《かく》は一人で郊外に遊びにいっていたところで、十五、六に見える一人の女郎《むすめ》に遇った。それは美しい女であったが、※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]の方を見てにっと笑って、何かいいたそうにしたが、やがて秋波《ながしめ》をして四辺《あたり》を見た後にいった。
「あなたは、甘家の弟さんですね。」
 ※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]は言った。
「そうです。」
 女はいった。
「あなたのお父様が、昔、私とあなたの結婚の約束をしてあったのです。それなのに、その約束を破って、秦家と約束をなさるのですか。」
 ※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]はいった。
「私は小さかったから、そんなことはちっとも知らなかったのです。どうかあなたの家柄をいってください。帰って兄に訊いてみますから。」
 女はいった。
「そんな面倒なことはおよしなさい。ただあなたが可《よ》いと一言いってくださるなら、私が自分でまいります。」
 ※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]は、
「兄さんにいわれていないから、訊かなくちゃ。」
 といった。女は笑った。
「あなたは、馬鹿よ。なぜそんなに兄さんを恐れるのです。もうこうして約束しているじゃありませんか。私は陸ですよ。山東の山望《さんぼう》村にいるのですよ。三日のうちに、私がまいります。待っててください。」
 そこで女は別れていった。※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]は帰ってそれを兄と嫂《あによめ》に話した。玉はいった。
「それは間違っている。お父さんの没くなった時は、私は二十歳あまりであったから、もし、そんなことがあったら、聞かないことはないのだ。」
 玉はまたその女が野原を独《ひと》りで歩いていて、男になれなれしく話をしかけたというのでひどく鄙《いやし》んだ。そこで玉は※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]にその顔だちを訊いた。※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]は顔を紅くして返事をすることができなかった。嫂は笑っていった。
「どうも別嬪《べっぴん》らしいのですね。」
 玉はいった。
「子供がどうして佳《い》い悪いがわかるものかね。たとえよかったにしても、秦には及ばないよ。秦の方がだめになったら、その時にしても晩《おそ》くはないよ。」
 ※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]は黙って兄夫婦の前をさがった。三、四日して玉は途《みち》を歩いていた。一人の女が涙を流しながら向うへいっていた。玉は馬を停《と》めてそっと見た。それはこの世に住んでいる人にはほとんど較べる者のない美しい女であった。玉は従僕に訊かした。
「あなたはどうした方です。」
 女はいった。
「私はもと甘家の弟さんと許婚《いいなずけ》になっていたものですが、家が貧しくって、遠くへ徒《うつ》ったものですから、とうとう音信がなくなりました、それが今度帰って聞きますと、甘の方では、私との約束を敗って、他と許婚なさるそうですから、甘のお兄さんの所へいって、私を置いてもらおうと思ってゆくところです。」
 玉は驚き喜びをしていった。
「甘の兄は、私だ。父が約束したことは知らないが、私の家はすぐそこだから、一緒に来てください。相談しますから。」
 玉はそこで馬からおりて一緒に歩いて帰った。女は途みち自分でいった。
「私は幼な名を阿英《あえい》というのです。家には兄弟もありません。ただ外姉《いとこ》の秦が同居しているばかりです。」
 玉はそこで彼の夜の美しい女のいったのは、この女であろうと思った。そして※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]と結婚さした。そこで玉はそのことをその家へ通知しようとした。阿英は固くそれを止めた。玉は心で弟が佳い婦人を得たことを喜んだが、しかし、軽卒なことをしては世間の物議《ぶつぎ》を招く恐れがあるので、それについては心配もしていた。
 阿英は矜《つつし》み深くて、身をきちんとしていた。そしてものをいうには、あまえるようなやわらかな言葉づかいをした。その阿英は嫂に母のように事《つか》えた。嫂《あによめ》もまた阿英をひどく可愛がった。
 中秋明月の夜が来た。※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]夫妻は自分の室で酒を飲んでいた。嫂のよこした婢《じょちゅう》が阿英を呼びに来た。※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]は阿英をやるのが厭であったからおもしろくなかった。阿英は婢を先に帰して後からゆくことにした。そして婢が帰っていって暫くしても、阿英は坐って冗談をいって動かなかった。※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]は嫂を長く待たしてはいけないと思って、阿英を促《うなが》したが阿英は笑うばかりで、どうしてもいかなかった。朝になって阿英が身じまいをすましたところで嫂が自身で阿英をなぐさめに来た。嫂はいった。
「昨夜一緒にいるとき、ふさいでいたから、どうかと思って見に来たのですよ。」
 阿英は微かに笑った。※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]は嫂の言葉を聞いて驚いた。阿英は朝まで※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]と一緒にいたのであった。嫂の所にいたというのは奇怪千万《きかいせんまん》である。※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]は嫂に阿英がいっていたかいないかをたしかめたうえで阿英と対質《たいしつ》した。阿英の言薬はつじつまが合わなかった。阿英は確かに分身していた。嫂は非常に駭《おどろ》いた。玉もそれを聞いて懼《おそ》れた。玉は簾《すだれ》を隔てていった。
「私の家は、代代徳を積んでいて、一度だって怨《うら》みをかったことがない。もし怪しい者なら、どうか早く出ていって弟を殺さないようにしてくれ。」
 女は恥かしそうにしていった。
「私は人じゃありませんが、ここのお父さんとの約束がありましたから、秦の家の姉さんが私を勧めてよこしました。私は子供を育てることができないから、とうに出ていこうと思いましたが、兄さんと姉さんが、可愛がってくださいますから、それでこうしていたのですが、しかし、もう疑われましたから、これからお別れいたします。」
 と、阿英は一羽の鸚鵡《おうむ》になって、ひらひらと飛んでいった。
 甘《かん》の父親がまだ生きている時、甘の家には一羽の鸚鵡を蓄《か》ってあったが、ひどく慧《りこう》な鳥であった。ある時※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]はその鸚鵡に餌《えさ》をやった。それは※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]が四つか五つの時であったが、父親に訊いた。
「なぜ、これを飼うのです。」
 父親は冗談にいった。
「お前のお嫁さんにするのだよ。」
 それから鸚鵡の餌がなくなりそうな時には、父親は※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]を呼んでいった。
「餌をやらないと、お前のお嫁さんが死んでしまうのだよ。」
 家の者もやはりそういって※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]に冗談をいったが、後になってその鸚鵡は鎖《くさり》を断《き》って亡《に》げていった。玉も※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]も始めて阿英が旧約があるといった言葉の意味を悟ることができた。
 ※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]は阿英が人でないことを知ったが、しかし阿英のことを忘れることができなかった。嫂はなお一そう阿英のことを思って朝夕に泣いていた。玉は阿英に出ていかしたことを後悔したが、どうすることもできなかった。二年して玉は※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]のために姜《きょう》氏の女を迎えたが、※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]はどうしても満足することができなかった。
 玉に従兄《いとこ》があって粤《えつ》で司李《しほうかん》をしていた。玉はその従兄の所へいって長い間帰らなかったところで、たまたま土寇《どこう》が乱を起して、附近の村むらは、大半家を焼かれて野になった。※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]は大いに懼れて、一家の者を伴《つ》れて山の中へ逃げた。そこにはたくさんの男女がいたが、だれも知った人はなかった。不意に女の小さな声で話をする声が聞えて来た。それがひどく阿英に似ているので、嫂は※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]にそういって傍へいって験《しら》べさした。果してそれは阿英であった。※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]はうれしくてうれしくてたまらないので、そのまま臂《て》をつかまえて釈《はな》さなかった。女はそこで一緒に歩いていた者にいった。
「姉さん、あなたは先に帰ってください。私は甘の姉さんにお目にかかって来ますから。」
 もう嫂がそこへ来た。嫂は阿英を見て泣いた。阿英は嫂を慰めた。そしていった。
「ここは危険です。」
 阿英はそこで勧めて家へ帰そうとした。※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]をはじめ皆土寇の来るのを懼れて引返そうとしなかった。阿英は強《し》いていった。
「だいじょうぶです。」
 そこで一緒になって帰って来た。阿英は土で戸を塞《ふさ》いで家の中から外へ出ないようにさした。そして、坐って、二言三言話をするなり帰っていこうとした。嫂は急にその腕をつかみ、また二人の婢に左右の足をつかまえさした。阿英は仕方なしにいることになった。しかし、もう私室には入らなかった。※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]が三、四回もそういったので、やっと一回入った。
 嫂は平生阿英に新婦は美しくないから※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]の気に入らないといった。阿英は朝早く起きて姜《きょう》の髪を結い、細く白粉《おしろい》をつけてやった。※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]が入っていくと姜は数倍美しさを増していた。こんなことを三日位やっているうちに、姜は美人になった。嫂はそれを不思議がった。そこで嫂はいった。
「私に子供がないから、妾を一人おかそうと思うのですが、金がないからそのままになっているのです。家の婢でも佳い女にすることができるのでしょうか。」
 阿英はいった。
「どんな人でもできるのです。ただ質の佳い人なら、ぞうさなしにできるのです。」
 とうとう婢の中から一人の色の黒い醜い女をよりだして、それを傍へ喚んで一緒に体を洗い、それに濃い白粉と薬の粉とを交えた物を塗ってやったが、三日すると顔の色がだんだん黄ろくなり、また数日すると光沢が出て来てそれが皮肌にしみとおって、もう立派な美人になった。
 甘の家では毎日笑っていて、兵火のことなどは考えていなかった。ある夜四方が騒がしくなった。どうも土寇が襲って来たようであるから皆が驚いたが、どうしていいかわからなかった。と、俄《にわか》に門の外で馬の嘶《いなな》く声と人のわめく声が交って聞えだしたが、やがてそれががやがやと騒ぎながらいってしまった。
 夜が明けてから事情が解った。土寇の群は掠奪《りゃくだつ》をほしいままにして、家を焼き、巌穴《いわあな》に匿《かく》れている者まで捜し出して、殺したり虜《とりこ》にしたりしていったのであった。甘の家ではますます阿英を徳として、神のように尊敬した。不意に阿英は嫂にいった。
「私がこちらへあがりましたのに、嫂さんがこれまで私に尽してくだされたことが忘れられないので、盗賊の難儀を分けあったのですが、兄さんがいらっしゃらないから、私は諺にいう、李にあらず奈にあらず、笑うべき人なりということになります。私はこれから帰って、また間《ひま》を見て一度伺います。」
 嫂は訊いた。
「旅に出ている者は無事でしょうか。」
 阿英はいった。
「途中に大きな災難がありますが、これは秦の姉が大恩を受けておりますから、きっと恩返しをするのでしょうから、まちがいはないでしょう。」
 嫂は阿英を止めてその晩は寝さしたが、夜の明けきらないうちにもういってしまった。
 玉は東粤《とうえつ》で乱を聞いて昼夜兼行で帰って来たところで、途で土寇の一群に遇った。主従は馬を乗りすてて金を腰にしばりつけ、草むらの中に匿れていた。鸚鵡《おうむ》のような一羽の秦吉了《しんきちりょう》が飛んで来て棘《いばら》の上にとまって、翼《つばさ》をひろげて二人を覆《おお》った。玉は下からその足を見た。一方の足には一本の爪がなかった。玉は不思議に思った。俄に盗賊が四方から迫って来て、草むらの中をさがしだした。主従は息をころして動かなかった。盗賊の群はいってしまった。すると鳥が始めて飛んでいった。そこで家へ帰ってそのことを家の者に話した。玉は始めて秦吉了がいつか救った美しい女であったということを知った。
 後になって玉が他出して帰らないようなことがあると、阿英はきっと夕方に来て、玉が帰る時刻を計って急いで帰っていった。※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]は嫂の所で阿英に逢うようなことがあると、おりおり自分の室《へや》へ伴《つ》れていこうとしたが、阿英は承知しながらいかなかった。
 ある夜玉が他出した。※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]は阿英がきっと来るだろうと思って、そっと匿れて待っていた。間もなく阿英が来た。※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]は飛びだしていって立ち塞がり、自分の室へ伴れていった。阿英がいった。
「私は、もうあなたとは縁がつきております、強いて合うと、天に忌《にく》まれます。すこし余裕をこしらえて、時どき会おうではありませんか。」
 ※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]は聴かないで阿英を自分の室に泊めた。夜が明けてから阿英は嫂の所へいった。嫂は不審がった。阿英は笑っていった。
「中途で悪漢に劫《おびや》かされたものですから、嫂さんにお侍たせしました。」
 阿英は二言三言いってから帰っていった。嫂はそのままそこにいたところで、一疋《いっぴき》の大きな猫が鸚鵡をくわえて室の前を通っていった。嫂はびっくりした。嫂はこれはどうしても阿英だろうと思った。その時嫂は髪をかいてた。嫂は手をとめて急に人を呼んだ。家の内の者が皆大騒ぎをして猫を追いまわして、やっと鸚鵡をとりかえした。鸚鵡は左の翼に血がにじんでやっと息をしていた。嫂はそれを抱いて膝の上に置いて撫でさすった。暫くして鸚鵡はやっと正気づいて来た。そこで啄《くちばし》で翼をつくろって飛びあがり、室の中をまわっていった。
「姉さん、姉さん、お別れします。私は※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]さんを怨みます。」
 そして翼をのしていってしまったが、もう二度と来なかった。

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