江見水蔭

壁の眼の怪—— 江見水蔭

      一

 寛政《かんせい》五年六月中旬の事であった。羽州《うしゅう》米沢《よねざわ》の典薬|勝成裕《かつせいゆう》が、御隠居|上杉鷹山《うえすぎようざん》侯(治憲《はるのり》)の内意を受けて、一行十五人、深山幽谷に薬草を採りに分け入るという、その時代としては珍らしい計画が立てられた。
 その最終の目的地点は東北の秘境、本朝の桃源にも比べられている三面谷《みおもてだに》であった。
 三面谷は越後の村上《むらかみ》領では有るのだけれど、又米沢からの支配をも受けているので、内藤《ないとう》家からも飯米を与えるが、上杉家からも毎年二十俵を、雪が積って初めて道が出来るのを待って、人の背を以て送られていた。そういう関係で、三面村の現状を能《よ》く調査して来いという、秘密命令も有ったのだ。
「ぜひ御一行に御加え下されえ。いかようなる任務でも致しましょうで」
 かく申込んだのは、この頃米沢に漫遊中の江戸の画師《えし》、狩野《かのう》の流れは汲めども又別に一家を成そうと焦っている、立花直芳《たちばななおよし》という若者であった。
「三面の仙境には、江戸にいる頃から憧憬《あこが》れておりました。そこをぜひ画道修業の為に、視《み》ておきとう御座りまする」
「それは御熱心な事で御座る。幸い当方に於いても、三面の奇景は申すに及ばず、異なりたる風俗なんど、絵に書き取りて、わが君初め、御隠居様にも御目に掛けたいと存じたる折柄。では御同行|仕《つかまつ》ろう」
 米沢の城下から北の方《かた》二十里にして小国《おぐに》という町がある。ここは代官並に手代在番の処である。それからまた北に三里、入折戸《いりおりど》という戸数僅かに七軒の離れ村がある。ここに番所が設けられて、それから先へは普通の人の出入を許さないのであった。
 入折戸に着くまでが既に好《い》い加減の難所であった。それから蕨峠《わらびとうげ》を越していよいよの三里は、雪が降れば路が出来るけれど、夏草が繁ってはとても行来《ゆきき》は出来ぬのであった。
 勝成裕及び立花直芳の一行十五人は、入折戸を未明に出立して、路なき処を滅茶滅茶に進んで行った。谷川を徒歩《かち》わたりし、岩山をよじ登り、絶壁を命綱に縋《すが》って下り、行手の草木を伐開《きりひら》きなどして、その難行苦行と云ったら、一通りではないのであった。
 勝|国手《こくしゅ》と立花画師との他は、皆人足で、食糧を持つ他には、道開き或いは熊|避《よ》けの為に、手斧《ておの》、鋸《のこぎり》、鎌《かま》などを持っているのであった。
 三里という呼声《よびごえ》も、どうやら余計に踏んで来たように覚えた頃、一行は断崖下に大河の横たわるのに行詰った。
「三面川の上流に御座りまする。もう向岸が三面で御座りまする」
 人夫の中の一人が云った。
「どこか、渡り好い処を選ぶように」
 勝国手の命令で、人々手分けをして渡り口を求めに散った。この間に直芳も手帳矢立を取出して、写生すべく川端を少しく下手の方へと行ったのであった。
「あッ」
 いくらか断崖の低くなっている処。下の深淵へ覗《のぞ》く様にして出張っている大蝦蟇形《おおがまがた》の岩があった。それに乗って直芳が下を見た時に、思わず知らず口走ったのであった。それは緑の水中に、消え残る雪の塊とも擬《まが》うべき浴泉の婦人を見出したからであった。丈にも余る黒髪を、今洗い終ったところらしかった。それからまた離れた川中に、子供の群が泳ぎ戯れてもいた。
 首から下を緑青の水に浸している若き婦人。それが絵になるとかならぬとか、そうした考えも何もなかった。いきなり直芳は矢立の筆の先を墨壺に突込まずにはいられなかった。
 もう少しで書き終ろうとした時に、ふいと婦人は上を見た。岩が覗くその又上から人が覗いているのを認めて、この上もない驚き方をして、水鳥が慌だしく立つ様に、水煙を立て逃げ出した。
 直芳は悪い事をしたと悔いた。そうして声高く、
「胡散《うさん》の者では御座らぬ。三面村へ参る者。米沢藩の御典医の一行が、薬草採りに参ったのじゃ」
 そう呼んだけれど、婦人は振向いても見なかった。濡れた腰巻のまま、岸に置いた衣類を引抱えて後をも見ずに走り出した。子供達も皆同じように逃げ出して、忽《たちま》ち人の影は見えなくなった。
 直芳は茫然《ぼうぜん》としてそこにいた。幻影が無惨にも破れたのであった。

       

 その間《ま》に川向うには三面の里人が、異様な風俗で多数現われた。不意に異人種が襲来して来たように、敵意を含んで見るらしかった。いくら呼んでも丸木船が有りながら、それを出してはくれなかった。そこで、漸《ようや》く発見した浅瀬を銘々|徒渉《としょう》する事になった。
「立騒ぐには及ばぬ。我等は決して敵意ある者ではない。薬草採りに参ったのじゃ」
 漸く里人に納得さして、村一番の長者|小池大炊之助《こいけおおいのすけ》の家へと案内させた。
 大炊之助は池大納言《いけだいなごん》三十二代の後裔《こうえい》だというのであった。平家の落武者がこの里に隠れ住む事|歳《とし》久《ひさ》しく、全く他郷との行通《こうつう》を絶って、桃源武陵の生活をしていたのだけれど、たまたま三面川に椀《わん》を流したのから、下流の里人に発見されたという、そうした伝説が有るのであった。
 鷲ヶ巣山《わしがすやま》、光鷺山《みつさぎやま》、伊東岳《いとうだけ》、泥股山《どろまたやま》などの大山高岳に取囲まれて、全くの別世界。家の建築も非常に変っていて、六月というに未だ雪避けの萱莚《かやむしろ》が、屋上から垂れていて、陰気臭さと云ったらないのであった。
 勝成裕と立花直芳とのみ座敷へ通った。他の従者は庭で徒渉に濡れた衣類を乾かすのであった。
 座敷と云っても畳は敷いてなく、板張りの上に古風な円座が並べられたに過ぎなかった。
「これはこれは好《よ》うぞ、お出《い》で下された」
 総髪を木皮《もくひ》で後《うしろ》に束ねて、いかめしく髭を蓄えたる主人大炊之助が、奥から花色の麻布《あさふ》に短刀を佩《は》いて出《い》で来った。
 勝国手と主人との対談中に、直芳は何心なく室内を見廻してびっくりした。四辺《あたり》が眼だらけであった。どちらを見ても多くの眼の球が光るのであった。眼、眼、眼ならざるは無し!
 煤《すす》に赤黒き障子の、破れという破れにはことごとく眼の輝きが見えた。蜘蛛《くも》の巣を塵《ちり》で太らしたのが、簾《みす》の如く張り渡された欄間の隙間にも、眼のひらめきが多数に見えた。壁の破れ穴、板戸の節穴。眼に有らざるは無しであった。村を挙《こぞ》って今日の珍客を見物に来ているのと知れた。中には階子《はしご》を掛けて軒口から見るのさえあった。
 その眼にも様々あったが、爛《ただ》れ目が殊に多かった。冬籠りに囲炉裡《いろり》の煙で痛めたらしかった。その多くの汚い眼の中に、壁の際の、そこには、木鼠《きねずみ》の生皮《いきがわ》が竹釘で打付けてある、その上部の穴からして、ジッとこちらを凝視している一つの眼。それは別段大きくはないのだけれど、いやに底光りがして、何とも云えない凄味《すごみ》が差すのであった。その怪しき眼と直芳との眼とがバッタリと見合った時には、直芳は思わずゾッとして、怪しき無形の毒矢にでも、射込まれたような気持を感じたのであった。
 それで急いで反対の方を見た。そちらの壁には、蔭乾《かげぼ》しにと釣り下げてある山草花の横手から、白露の月に光るが如き涼しく美しき眼の輝きが見えた。若き女性《にょしょう》と直覚せずにはいられなかった。あの浴泉の美女ではないだろうか。どうもその様に思われてならなかった。
 壁を透かして雪の肌が浮出すかのように感じられて、直芳は恍惚たらずにはいられなくなった。

       

 大炊之助は家重代の宝物、及び古文書を出して、勝国手に見せるのであった。いずれも貴重なる参考物なので、念入りに国手は調べ出した。
「この間に近所の見取絵を作りとう御座りまする。暫時失礼致しまする」
「ああ、それは宜しかろう」
 直芳はただ一人で屋外に出た。そこに村人は集まって、乾した股引《ももひき》脚半の小紋或いは染色《そめいろ》を見て、皆々珍しがっているのであった。
 家数昔は五十戸有ったが、今は二十戸という、その割には人の数の多いのに驚かれた。男は麻布の短き着物、女子《おなご》は紺の短き着物、白布の脚布《きゃふ》を出していた。髪は唐人風の異様に結んであった。最前の浴泉の美女はこの中にいないかと、直芳は注意して見たけれど、どうしても見つからなかった。
 従者頭の中老人(佐平《さへい》という)に向って直芳はささやいた。
「今日まで絵にも見た事のない美しい娘を見つけ出した。なろう事なら妻にもらい受けて、江戸へ同伴致したい」それが串戯《じょうだん》とも思われなかった。
「それはとてもむつかしい事で御座りまする。この里からは女を一歩も踏み出させぬ昔からの定法で御座りまするで」と従者頭の中老人は答えた。
「それでは、この土地へ入婿に来たいものじゃ」
「それも駄目で御座りまする。他土地の者は、決して入れませぬ」
「ああ、それでは、どうする事も出来ぬのかなァ」
 絶望した直芳は、村人が後《うしろ》から付いて来ぬように、ソッとこの家の庭を出て、森中から岩山へと登って見た。中腹には名も知れぬ小さい神社があった。そこの境内には青萱が繁っていた。最早絵筆を取る心はなかった。怪しきまでに魂を浴泉の美女の為に奪い去られたのであった。
 社前の拝石に腰を掛けて、深い溜息を吐《つ》いていると、突然、空中から薄黒く細太き蛇が降って来て、危く直芳に当ろうとした。びっくりして飛上った。
 蛇は忽ち鎌首を擡《もた》げて、直芳を咬《か》むべく向って来た。それを急いで矢立で打った。
 それにも挫《ひる》まず又向って来た。已《や》むを得ず脇差を抜いて切った。はずみで蛇の首は飛んで社前の鈴の手綱の端《はな》に当った。すると執念にもそれに咬み付いたまま、首だけで生きているのか、ビクビク暫くは動き止《や》まなかった。風もないのに鈴が鳴るのは、その為であった。
「誰かが投付《なげつ》けたのでは有るまいか」
 蛇が空から降りようはないので、直芳は心着いて、青萱の中に眼を配った。そこの一部が少しく動揺するのを認めて、さてはかしこに隠れたる曲者《くせもの》の仕業と、脇差で青萱を斬り斬り進んだ。果してそこに人が潜んでいた。逃げ出しかけたのを引っ捕えんとして、びっくりせずにはいられなかった。それこそ浴泉の美女なのであった。
「何ゆえ人に毒蛇を投げた。次第に依っては用捨はないぞ」
「おゆるされえ」
 娘は泣き入った。青萱の中に身を投げ出して身を震わせた。
「ゆるすも、何もない。何ゆえ拙者へ毒蛇を投げつけたか」
 直芳は問いつめた。
「毒蛇を投げたのは貴郎《あなた》を殺したい為で御座んした」
「えッ」

       

 突然毒蛇を投げて人殺しを企てた三面の娘の心は、容易に旅|画師《えし》には解けなかった。しかし段々問い詰めて見て、初めて分った。それは総べて三面谷に伝わる古くからの迷信から発したのであった。
 三面の女は、水に浴し黒髪を洗うのが習慣であった。その時、それを他郷の男の眼に見られたら、その女は一生不運である。良人《おっと》ある身は死別の悲しみを見る。良人なき者は縁談が纏《まと》まらず、やもめ暮しをするというのであった。
 そこで、それを免れるには、見たという他郷の人を、殺害すればよいというのであった。こうした場合の殺人罪は、この里では黙認されているのであった。すでにある時代の女は、毒草をひたし物にして、欺いてその男に食わして殺したという。それから最近の事件では、若い行脚僧《あんぎゃそう》がそれを見たので、娘の父が憤って、熊猟に用いる槍で突殺《つきころ》したともいう。その死骸は何《いず》れも炭焼|竈《がま》に入れて灰にしてしまうのが例とやら。
「それで拙者に毒蛇を投げつけたのか。や、それは甚だしい考え違いじゃ。世の中にそのような不思議が有って堪《たま》ったものではない。それは大方昔の人達が、限りある狭い土地の中に、広い浮世から隠れて住むためには、土地の女を他郷にやらぬようにと、そういう風につくり事して、いましめて置いたのであろう。それを今も猶《なお》まことにして守るのは愚かしい。どうじゃな、古くからの村の定法、今は何んの役にも立たぬ事を、そなた、打破って見たらどうじゃな。広い浮世が誰にも見られるように、村の娘達の後《のち》のためを考えて、そなたが先ず魁《さきがけ》を見せたらばな」
 山間|僻地《へきち》に多年潜む排外思想の結果、若き女の血に燃えるのを、脅威を以て抑圧していた、その不合理を打砕《うちくだ》かせようと、直芳は熱誠を以て説き入った。
「広い浮世?」と娘はつぶやくのであった。
「おう、そこには大江戸もある。八百八町の繁昌は、人の口ではとても語り切れぬ。何とそこへは行かれぬか。大江戸にてはこの土地のように、他郷の者に河中《かわなか》の髪洗いを見られたとて、不吉な事のあるなんど、その様ないい伝えは御座らぬ。その土地へそなたが行けば、立派に縁談が纏まるのじゃ。さてその良人には、拙者が進んで成り申そう」
「えッ、お前さまが、わたしを……」
「まことに打明ければ、拙者はかの髪洗いを一目見て、命も入《い》らぬとまで、そなたに思いを懸けた。されば、拙者ゆるされたら、この土地の者と成ってもよい。が、それよりも、そなたが、拙者と一緒に、この土地をひそかに逃げ出しては下さらぬか」
「まァ何という出し抜けの縁談であろう」
「それがいやとなら、是非もない、改めて拙者は、そなたの手にて、毒蛇の為に咬まれよう。おう、殺されよう。死ぬ方が増しじゃ。遂げ得ぬ恋に長く苦しむよりは」
「それ程まで不恙《ふつつか》な私をば」
 人の言葉を信じるのは、まことに人なれぬ里人とて早過ぎる程に早かった。それにまた説く者の誠意の表現も、熱烈を極めた為にでもあった。もうここまでになると、言葉はどちらからも発しないのであった。
 ただ青萱が、そよそよと戦《そよ》ぐばかりであった。
 宮の背後から、ぬっと出て来たのは、筋骨|逞《たく》ましい村の若者であった。それは怪獣のような鋭い眼をして、繁りの青萱の中を睨みつめた。
 執念の毒蛇の首は、未だ鈴手綱の端を咬んだまま、ときどき、ビクリ、ビクリとしているのであった。

       

 勝国手は古文書《こもんじょ》を写しなどした為に、早夕方になったのに驚き、今晩は大炊之助の家に厄介になるより他なくなった。
 茶と塩鮭の塩味とで煮た昆布を吸い物とし、それから、胡瓜《きゅうり》を切って水に浮して、塩を添えて夕食を出された。それは未《ま》だ食べられたが、困ったのは酒を強いられた事で、その酒たるや、正月に造ったという濁酒《どぶろく》で、蛆《うじ》がわいているのであった。
 それは好《よ》いが、もう暗くなったのに、直芳が帰って来ぬのが心配になり出した。
 従者をして付近を捜索さしたが、どこへ行ったやら少しも知れなかった。大炊之助の方でも心配して、村人を催して大捜索に取掛かった。
「五兵衛太《ごへえた》の娘の小露《こつゆ》の行方も知れぬ」村一番の美しい娘、それの行方も知れずなったのであった。
 炬火《たいまつ》を皆手にして三面谷の隅々を探し廻ったが、娘小露ばかりでなく、直芳の姿も見えなかった。
「夏は熊が出て、人をさらうという事はない。されば神隠しに相違あるまい」と云い出す者があった。
「でも、一人ならず、二人まで、同時に神隠しというは……」と否定するのもあった。
「や、二人ではない、三人じゃ。手熊《てぐま》の六次三郎《ろくじさぶろう》が行方知れぬ」と新しい事実を報告する者が出て来た。今まで平和であった三面の村は滅茶滅茶に破れたのであった。
 従者頭の佐平が密々に勝国手に告げた。それは直芳がある娘に恋した様子で、江戸へ連れて行きたいがと相談かけられた時の有様を語ったのであった。
「や、それでは大概事情が分った。直芳は殺されたかも知れぬ。知らぬ土地に入ってうかうかと、娘に恋慕などすると、飛んだ間違いが起るものじゃ。困った事が出来た。恐らく或る個所で直芳がその娘に云い寄っている処を、その娘の許嫁《いいなずけ》の男でも見つけて、殺害したかも知れぬ。小露とやらがその娘で、六次三郎とやらが許嫁の男であろう。だが、この事を口外致すな」勝国手は考え込んでいた。
 すると、捜索隊の一人が、山の古宮《ふるみや》の境内の青萱の中から拾ったとて、美濃《みの》横綴《よこと》じの手帳を持って来た。云うまでもなくそれは直芳の物で、途中の風景その他が写し取ってあった。それには美しき娘の髪洗いの裸体画が書きかけにしてあるのが最後であった。
 大炊之助もそれを見た。忽ち覚る処が有ったらしかった。けれども何とも口外せず、恐縮したのであった。髪洗いを見た他郷の人を殺すという事は、三面谷の秘密で、又それを決して好い事とは思っていぬからで、なるべく米沢藩に知れぬようにしたいと考えたのであった。
 夜が明けてからであった。
「それでは拙者が自から捜索致そうで」
 勝成裕が云い出した。こうなると大炊之助も従わずにはいられなかった。真先に行ったのは、例の古宮であった。祭神は単に山の神とのみ、委《くわ》しくは分らなかった。
 先ず成裕は御手洗《みたらし》に手を清めて社参すべく拝殿に向い、鈴を鳴らそうとして、手綱の蛇の首に眼が着いた。
「これは毒蛇の首」
 その胴の方が拝石の横に有るのにも注意した。それから境内の青萱の一部が切り取られているにも心着いた。その青萱の中で争闘したらしい形跡の有るのも発見した。しかしどうしても直芳の行方は分らなかった。
「大炊殿、もしここで物争いでもして一人が逃げたとする。それを追うたとすれば、どちらへ向ったもので御座ろうな。足順と申そうか。まァ、それはその時の様子と、人の気の向きでは御座るけれど」
「左様に御座りまする。この境内から西南へ掛けてが、土地では熊取路《くまとりみち》と申しまして、路と申す程の路では御座りませぬが、人の行くようには成っておりまする。が、何分にも難所で御座りまするが、まァそちらへ向くのが足順のように思われまする」
「その先は何処《どこ》かの里へ出られまするか」
「とても人里へは」
 成裕しばらく考えていたが。
「とにかくこれを行く処まで行って見ると致そう」
 一行に村人を加えて、大勢で進んで見た。
「あッ、こんな物が」
 先を切っていた村の者の一人が叫んだ。見ると矢立が落ちていたのであった。云うまでもなく直芳のであった。
 これで一同勇気が出て、かれこれ一里余りも分入《わけい》った時に、また先頭の一人が叫んだ。
「大変だッ」
 そこには古い熊の巣穴があった。その中に六次三郎が、血みどろになって死んでいた。ことごとく刃物の傷であった。
 だが、直芳と小露との行方は、どうしても分らなかった。三日滞在して探したけれど、知れなかったので、已《や》むを得ず成裕は米沢へと引挙げた。
 永久、直芳小露の行方は知れぬのであった。しかし人里を出ておらぬ事だけは分るのであった。
 この三面の秘事は、さすがに勝成裕も『中陵漫録《ちゅうりょうまんろく》』には記さなかったが、中島三伯《なかじまさんはく》という門弟に語ったのが、今日まで語り伝えられたのであった。

底本:「怪奇・伝奇時代小説選集4 怪異黒姫おろし 他12編」春陽文庫、春陽堂書店
   2000(平成12)年1月20日第1刷発行
底本の親本:「現代大衆文学全集2」平凡社
  1928(昭和3)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:岡山勝美
校正:門田裕志
2006年9月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

江見水蔭

備前天一坊—— 江見水蔭

       一

 徳川《とくがわ》八代の将軍|吉宗《よしむね》の時代(享保《きょうほう》十四年)その落胤《らくいん》と名乗って源氏坊《げんじぼう》天一が出た。世上過ってこれを大岡捌《おおおかさば》きの中に編入しているのは、素《もと》より取るに足らぬけれど、それよりもズッと前、七十余年も遡《さかのぼ》って万治《まんじ》三年の頃に備前の太守|池田新太郎少将光政《いけだしんたろうしょうしょうみつまさ》の落胤と名乗って、岡山《おかやま》の城下へ乗込んだ浪人の一組があった。この方が落胤騒動としては先口で、云って見れば天一坊の元祖に当る訳。
 大名の内幕は随分ダラケたもので、侍女《こしもと》下婢《はしため》に馴染《なじ》んでは幾人も子を産ませる。そんな事は決して珍らしくはなかったので、又この時代としては、血統相続という問題の為に、或は結婚政略の便宜の為に、子供は多い程結構なので、強《あなが》ち現今の倫理道徳を以て標準とすべきでは無いのであるが、しかし、なんにしても国守大名が私生児の濫造という事は、決して感心した事件ではないのである。
 ところが、問題の人が明君の誉高き池田新太郎少将光政で、徳川|家康《いえやす》の外孫の格。将軍家に取っては甚だ煙ッたい人。夙《つと》に聖賢の道に志ざし、常に文武の教に励み、熊沢蕃山《くまざわばんざん》その他を顧問にして、藩政の改革に努め、淫祠《いんし》を毀《こぼ》ち、学黌《がくこう》を設け、領内にて遊女稼業まかりならぬ。芝居興行禁制とまで、堅く出ていた人格者。それに秘密の御落胤というのであるから、初めてこの物語が生きるのである。

「なる程、備前岡山は中国での京の都。名もそのままの東山《ひがしやま》あり。この朝日川《あさひがわ》が恰度《ちょうど》加茂川《かもがわ》。京橋《きょうばし》が四条《しじょう》の大橋《おおはし》という見立じゃな」
 西中島《にしなかじま》の大川に臨む旅籠屋《はたごや》半田屋九兵衛《はんだやくへえ》の奥二階。欄干《てすり》に凭《もた》れて朝日川の水の流れを眺めている若侍の一人が口を切った。
「どうもこうした景色の好い場所に茶屋小屋の無いというは不自由至極。差当りこの家《うち》などは宿屋など致さずして、遊女|数多《あまた》召抱えるか、さもなくば料理仕出しの他に酌人ども大勢置いて、大浮かれに人の心を浮かした方が好かりそうなもの」
 同伴の色の黒い、これは浪人体のが、それに次いで口を開いた。
「これ、滅多な事を申されな」
 それを制止したのは分別あるらしき四十年配の総髪頭。被服から見ても医者という事が知れるのであった。
「かの伊賀越《いがごえ》の敵討、その起因《おこり》は当国で御座った。それやこれやで、鳥取《とっとり》の池田家と、岡山の池田家と御転封《ごてんぽう》に相成り、少将様こちらの御城に御移りから、家中に文武の道を励まされ、諸民に勤倹の法を説かせられて、第一に遊女屋は御禁制《ごきんぜい》じゃ。いや、この家も以前には浮かれ女を数多召抱えて、夕《ゆうべ》に源氏の公《きみ》を迎え、旦《あした》に平氏の殿を送られたものじゃが、今ではただの旅人宿《りょじんやど》。出て来る給仕の女とても、山猿がただ衣服《きもの》を着用したばかりでのう」と説明の委《くわ》しいのは既にこの土地に馴染の証拠。
「したが、女中は山猿でも、当家の娘は竜宮の乙姫が世話に砕けたという尤物《いつぶつ》。京大阪にもちょっとあれだけの美人は御座るまいて」と黒い浪人は声を潜《ひそ》めながらもニコニコ顔で弁じ立てた。
「や、駒越氏《こまごえうじ》には、もう見付られたか。余の儀は知らず女に掛けては恐しく眼の利く御人でがな」と総髪の人は苦笑《にがわらい》を禁じ得なかった。
「何はしかれ、先ず酒に致そう」と色の黒いのが向き直った。
「いや、その前に、当家の主人《あるじ》を呼出して、内意を漏らしてはいかがで御座りましょう」と総髪のがちょっと分別顔をした。
「なる程、俊良《しゅんりょう》殿の云われる通り、それが宜《よろ》しかろう」と若侍は賛成した。
 早速呼出された当家の主人半田屋九兵衛。これが土地での欲張り者。儲《もう》かる話なら聴くだけでも結構という流儀。その代り損卦《そんけ》の相談には忽ち聾《つんぼ》になって、トンチンカンの挨拶《あいさつ》で誤魔化すという。これもしかし当時の商人気質《あきゅうどかたぎ》を代表した人物であった。
「へえ、手前、当家の主人、半田屋九兵衛。本日はお早いお着き様で御座りました」
「早い訳じゃ。今朝《こんちょう》、西大寺《さいだいじ》を出立したばかりで」
「へえへえ、左様で御座りまするか」
「我等三人。チト長逗留《ながとうりゅう》を致すかも知れぬが。好いか」
「有難う御座りまする」
「いやそう早く礼を云ってくれては困る。この後を聴いたらキッとその方、前言を取消すと存ずるが」
「いえ、どう仕《つかまつ》りまして」
「実は我等懐中|甚《はなは》だ欠乏で」
「へえーン」
「三人で二月《ふたつき》三月、事に依ったら半歳か一年、それだけ厄介に相成るとして、その間に宿代の催促されてはちょっと困る。それが承知ならこのままに腰を据えるが、さもなくば他の宿屋へ早速転泊致す。それで好いか、どうじゃの」
 すべてこの談判は医者の俊良というのが当っていた。
 半田屋九兵衛これには驚いたが、しかし冗談だろうとも考えて。
「へへへへ」
「いや、ただ笑っていては困る。これは本気で掛合致すのじゃから、チャンと胆《たん》を据えて掛ってくれねば、こちらにもいろいろと都合のある事じゃで」
「いや本気で仰有《おっしゃ》るとなら、実に近頃お見上げ申した御方様で。どうもこの文無しで宿を取る人間に限って、大きな顔をして威張り散らして、散々《さんざん》大尽風《だいじんかぜ》をお吹かせの上、いざ御勘定となると、実は、とお出《い》でなさいます。一番これが性質《たち》が悪いので、それを最初から懐中欠乏。それで長逗留との御触れ出しは、半田屋九兵衛、失礼ながら気に入りました」
「それでは機嫌よく泊めてくれるか」
「ところがその何分にもはなはだ以て、その、恐縮の次第で御座りまするが、どうかハヤ御勘弁を……いえこれは御客人が物の道理の好くお了解《わかり》の方と存じまして、ひたすら御憐憫《ごれんびん》を願う次第で御座りまするが、実は手前方、こうして大きく店張りは致し居りますれど、内実は火の車。借金取が毎日詰掛けますので……」
「いや、よろしいよろしい。話は皆まで聴かずとも相分った。つまり我等を泊めては迷惑致すというのであろうな。それはもっともの次第であるので、早速他に転宿致そう。ではあるが、半田屋の主人《あるじ》、後日に至って、アアあの時にお断り申さなんだら好かッたと後悔する事が出来ると思うが。それでも好いか」
「いや、もう、決して後悔などは致しませぬ」
「好し。しからば気の毒ながら我等は他に転宿……当家は遠からず欠所と相成り、一家城外へ追放……そのくらいで済めば、まァ好い方であろう。少し間違うとその方は打首。二本松へ晒《さら》されるかな」
「へえ――、それはどういう訳で」
「いや、長く我等を世話してくれたら、過分の御褒美は勿論《もちろん》の事、次第に依ってはその方を士分にお取立てがあるかも知れぬが……や、緑なき衆生は度し灘し。どうも致し方の無い事じゃ。さァ御両所御支度なされえ。東中島の児島屋勘八《こじまやかんぱち》という店が好さそうに御座る。あそこの主人は物の分る男らしい顔つきで御座るで、あれへ参ろう」

       

 こうなると半田屋九兵衛、気に為《せ》ずにはいられなくなった。首をチョン切られた上に、二本松の刑場へ晒されるか。褒美を貰った上に士分にまで取立てられるか。どちらかに傾くかという、これは大事な別れ目。しかし、それは浪人達が好い加減の出鱈目《でたらめ》で、つまりは無銭宿泊の口実に、何か彼か拵《こしら》え事を云うのであろうとも思ったが、一体それはどういう訳か、後日の為にそれだけでも聴いて置きたいと考えて。
「まァまァお待ち下さりませ。何やら御様子ありげの今のお言葉、とにかくその仔細を、御差支《おさしつかえ》無い限りは、手前どもにお聴かしの程願いまする」
「それは次第に依っては申し聴かせぬものでもない。しかし、これは一大事である。我等に取っても一大事なら、当岡山城、池田の御家に取っても容易ならぬ一大事で」
「えッ」
「他聞を憚《はばか》る事じゃから、そのつもりで」
 半田屋九兵衛、何んだか気味が悪くなって来た。御領主にも関係しているらしい一大事なんて、吉《よ》かれ凶《あし》かれそうした事件に掛り合っては、まかり間違えば実際首が飛ぶ。しかし又間違わずに運んだらそれは又どんな利徳が得られるか、それは分らぬ。とにかく聴くだけは聴いておけと。
「半田屋九兵衛、宿屋稼業は致して居りますれど、他聞を憚る一儀ならば、決して口外致しませぬ」
「好し。それでは申し聴かせるが……他に立聞き致す者は居るまいな」
「御覧の如く、未だどの部屋も空いて居ります。泊りの御客は夕方からで御座りまするで……」
「しからばここにて一大事を申し聴かすであろうが、先ず第一に、その方に預けて置く品がある。さァ、駒越氏、例のをこれへ」
 色の黒い駒越という浪人が、早速そこへ投出したのは、皮の腹巻のまま、ズシンと響く小判百枚。
 九兵衛は意外に驚いた。これでは懐中欠乏とは嘘であった。同じ嘘でも、有ると云って無いのと、無いと云ってあるのとでは、大変な相違。
「へえ――。こんなにお持合せで……」
「いや、未だ他に二三百両は所持致す。けれども、なかなかこの先の物入が大変と存ずるので……ま、とにかくその百両だけは預かって置け」
「へえ――」
「まだ他に一品…………さァ金三郎様、ちょっと拝見の儀を……」
 若侍は鷹揚《おうよう》に二ツ割の青竹の筒を出した。それを開くと中から錦の袋が出た。その袋の中からは普通の脇差《わきざし》が一口《ひとふり》。
「さァ、拝見致せ」
 錦の袋では脅かされたが、中から出たのは蝋色《ろういろ》朱磯草研出《しゅいそくさとぎだ》しの鞘《さや》。山坂吉兵衛《やまさかきちべえ》の小透《こすか》し鍔《つば》。鮫皮《さめかわ》に萌黄糸《もえぎいと》の大菱巻《おおひしまき》の※[#「木+霸」、第3水準1-86-28]《つか》、そこまでは平凡だが、中身を見るまでもない。目貫が銀の輪蝶《りんちょう》。擬《まが》いも無い池田家の定紋。
 これを備前太守池田新太郎少将光政の差料としてははなはだ粗末な様ではあるが、奢侈《しゃし》嫌い、諸事御倹約の殿の事であるから、却って金銀を鏤《ちりば》めたのから見ると本物という事が点頭《うなずか》れるけれども、これは時として臣下に拝領を許される例もあるので、強《あなが》ち殿様の御差料とのみは断じられぬが、こうして大事そうに持っている上からは、何かこれは因縁があるに相違無いと考えて、中身を抜いて見るどころではなく押頂いてそれを返した。
「恐れ多い儀で御座りまする」
「遠慮とあればそのままで好いが、中身は当国|長船《おさふね》の住人初代|長光《ながみつ》の作じゃ」
「へえ――」
「これを御所蔵のこの御方は、仮に小笠原《おがさわら》の苗字を名乗らせ給えど、実は新太郎少将光政公の御胤《おんたね》、金三郎《きんざぶろう》様と申上げるのじゃ。改めてその方に御目通りゆるされるぞ」
「うへえ――」
 半田屋九兵衛思わず畳へ額をすり付けた。
「いや、そんなに恐れ入るのはまだ早い。その様に仔細も承わらず恐れ入っては、この先の御用にも差支える。一応事情は申し述べる。その上にて、その方、金三郎様の御宿を致すのが迷惑と存ずるなら、遠慮なく申出でよ。早速我等は他に転宿致す。東中島の児島屋勘八、あの店の方が居心が好いように思われるで」
「どう致しまして、まず、まず」

       三

 浪人小笠原金三郎、同じく駒越|左内《さない》、医師|奥野《おくの》俊良、これだけが半田屋九兵衛方に当分宿泊となった。主人はもう有頂天で、三人を福の神扱いにした歓待ぶり。別して金三郎には、離れの隠居所を寝室に宛てがって、一人娘のお綾《あや》が侍女代りに付き切りであった。
「大変な事になって来た。今に九兵衛は帯刀御免、御褒美の金はどれくらいであろうか。イヤ一時に千両二千両頂くよりも、何か物産一手捌きの御役目でも仰せつけられた方が、得分が多かろうで」とまるで夢中。
「まァ一体、どうした事で御座りまする」
 妻のお幸《こう》は煙に巻かれてばかりはいなかった。
「他聞は憚る一大事じゃが、しかし女房は一心同体。おぬしにだけなら話しても好かろう。これ、びっくりしてはならぬぞ。隠居所の御客人はアレこそ当国の太守、少将様の御落胤、奥方様御付きの御腰元|鶴江《つるえ》というのに御手が付いて、どうやら妊娠と心づき、目立たぬ間にと御暇《おいとま》を賜わった。そこで鶴江殿は産れ故郷の播州《ばんしゅう》姫路《ひめじ》に立帰り、そのまま縁付いたのが本多家の御家来小笠原|兵右衛門《ひょうえもん》。この人は余程お人好しと見えて、何も知らずに鶴江殿を嫁に貰ったのか、但しは万事心得ていて、それを知らぬ顔でいたのかそこまでは聴かなんだが、何しろそこで産声を挙げられたのが金三郎様じゃ。その後小笠原兵右衛門さんは仔細あって浪人。その伜で届けてある金三郎様も御浪人。大阪表へ出て手習並びに謡曲《うたい》の師匠。その間《うち》に兵右衛門さまは御病死、後は金三郎様が矢張謡曲と手習の師匠、阿母《おふくろ》様の鶴江様が琴曲の師匠。その鶴江様が又御病死の前に、重い枕下《まくらもと》へ金三郎様をお呼び寄せの上、実はこれこれの次第と箪笥《たんす》の抽斗《ひきだし》深く納《しま》ってあった新太郎少将様の御守脇差を取出させて、渡されて、しかし決して名乗り出ては相成ならぬ。君の御迷惑を考えねばならぬと堅く留められていられたのを、旅医者の俊良殿がチョロリと耳に入れて、なんというても御親子《ごしんし》は御親子であるで、御|記念《かたみ》の脇差を証拠に名乗り出《い》で、御当家に御召抱えあるようにと、その御願いの為にお出向きなされたので、猶《なお》まだ動きの取れぬ証拠としては、御墨付同様の書類もあるとやら。素《もと》よりこの儀造り事ならば、御殿様の御心に御覚えのあろう筈がないで、直ぐ様|騙《かた》り者と召捕られて、磔《はりつけ》にもなるは必定。そんな危い瀬を渡る為にわざわざ三人で来られる気遣いはなく、まぎれもない正物《しょうもの》とは、わしにさえ鑑定が出来るのじゃ」
「やれ、嬉しや、福の神じゃ」
 お幸と来ては亭主以上の欲張り女。
「そこで、それ、今の内に、娘のお綾をな」
「合点で御座んす」
 気が早い。欲に掛けては呑込《のみこみ》の好い事|夥《おびただ》しいのであった。
 こうした欲張二人の間に、どうして美しいお綾という娘が出来たろうか。イヤそれは出来る訳がないので、実は宿に泊った西国巡礼夫婦から金に替えて貰ったので、この娘を看板に何か金儲けと考えていたのが、今度初めて役に立った訳。
「したがこの事は、娘の耳にも入れて置いた方が宜しかろう」
「それもそうじゃの」
 この事を母のお幸から、密《そっ》と娘お綾の耳に入れた。そうして。
「お前の出世にもなる事だから、必らず金三郎様の御意に逆らわぬように、何事でも素直にお受けして、好いかえ」
 ところが、このお綾には既に人知れず言交《いいかわ》した人があるのであった。それは朝日川原の夕涼に人出の多い中をお綾はただ一人で、裏口から出て、そぞろ歩きしていた時の事であった。
「やァ評判の半田屋の娘が涼みに出た」
 忽ち人は注目して、自然にお綾を取囲むので、さなきだに備前の夕凪《ゆうなぎ》。その暑苦しさにお綾は恐れをなして、急いで吾家へ逃げ込もうとした。
 するとその頃、網《あみ》ノ浜《はま》から出て来て、市中をさまよい歩く白痴の乞食《こじき》、名代のダラダラ大坊《だいぼう》というのが前に立ちふさがった。
「いひひひひ」
 変な笑いに異状を示しながら、袂《たもと》の中から取出したのは大きな蝦蟇《ひきがえる》。それの片足を攫《つか》んでブラ提《さ》げながら、ブランブランと打振り打振り、果てはお綾の懐中《ふところ》に入れようとするのであった。
「きゃッ」
 お綾は蛇も嫌いであるが、別してこの蝦蟇のイボイボを見ては、気絶するばかりに虫が好かぬのであった。
 お綾が顔色を変えて逃げ出すのを見て、ダラダラ大坊は一層面白がって。
「わしの嫁になりんさい。それがイヤなら蝦蟇のイボイボを嘗《な》めんさい」そう云いながら追掛けた。
 それを横合から出て救ってくれた一人の若侍。これは御側《おそば》小姓を勤める野末源之丞《のずえげんのじょう》というのであった。
 それが縁となって、夜の京橋|上《うえ》に源之丞が謡曲《うたい》の声を合図として、お綾は裏口から河原に忍び出るとまで運んでいた。
 お綾はその野末源之丞の許へ、小笠原金三郎の御落胤云々、と手紙を以て密告に及んだ。栴檀《せんだん》の木稲荷の絵馬売の老婆に託して、源之丞が射場通いの途中、密《そっ》と手渡して貰ったのであった。
「容易ならぬ一大事」
 早速野末源之丞から、新太郎少将の御耳に入れたのは勿論であった。

       四

 一方には旅医者奥野俊良。家老職池田|出羽《でわ》に面会して、内密に落胤の事を談じ、表面は浪人御召抱えの嘆願という手筈を定めていたが、生憎《あいにく》その池田出羽が、天城屋敷《あまぎやしき》に潮湯治《しおとうじ》の為出向いているので、今日か翌日《あす》かと日和を見ていた。
 こちらには小笠原金三郎。京大阪にも珍らしい美人お綾が、昼間は殆《ほとん》ど付切りで、なにかと心づけてくれるので大喜び。
 ではあるが、ここは一番大事なところだと考えた。公然新太郎少将と父子の名乗りは出来ぬかも知れぬが、内密の了解は得て、いずれは池田家へ召抱えられて、分家格で何千石かを頂き、機《おり》を見ては又何万石かを貰える様になるのは、分り切っているのであるから、その前に宿屋の娘と馴れ親んでいたなど、少しでも不行跡を認められては工合が悪い。ここが我慢の仕所だと、そういう常識も出る事は出た。
 けれどもまたその後から、しかし、お綾は無類の美人だ。あれと一夜語り明かして見たい。そうした若い者の情に燃えて、抑えかねてもいるのであった。
 この道は又別なものという証拠は、現に聖賢の道に深入りして四角張ってのみいられる池田新太郎少将に見られるのだ。その裏面において、侍女《こしもと》を懐妊させたという秘事さえあるのだもの。ましてや我等凡夫に於てをやなんど、そんな勝手な考えが忽ち持上って、矢張お綾が給仕に来ると、どうも冗談口を利かずには済まされぬのであった。
 秋には近いがまだ却々《なかなか》に暑かった。奥二階で駒越左内奥野俊良の二人と、朝日川の鮎《あゆ》を肴《さかな》に散々酒を過した金三郎。独り離れの隠居所にと戻った。蚊いぶしの煙が早や衰えていた。
 ここへ母親お幸に突きやられて、娘のお綾が蚊帳を吊りに来た。
「おう、お綾。蚊帳を今から吊られては暑苦しゅうてどうもならぬ。まァまァそれよりも話して行ったが好い。今宵は又しても風が少しも無い。眠うなるまではここにいて、相手してくれやらぬか」
「はい」
 逃げ出そうとすれば庭木戸の傍に母親が隠れて頑張っている筈。それを突破して逃げる程のそれだけの勇気も出せぬので、お綾は縁側に手を支《つ》いたまま、モジモジして控えるのであった。
「まァ、何をその様に遠慮しているのじゃ。拙者は近く御当家に御召抱えと相成る身。さすれば早速又家内を迎えねば相成らぬで、それには誰彼と云おうより、お前に来て貰いたい真実の心」
「あれ、勿体ない。宿屋風情の娘が、御身分の御方様に……」
「いやいや、それは仮親を立てる法もある。まァその様な事を申さずと、嫁入り支度に就て、もっとも打解けて語り合おうではないか。さァ、さァ近く……はて、恐しい蚊の群じゃ」
 立って金三郎は撫川団扇《なつかわうちわ》バタバタと遣い散らし、軒の燈籠《とうろう》の火を先ず消した。次いで座敷の行燈《あんどん》の火も消した。庭の石燈籠の火のみが微かにこちらを照らすのであった。
「御免なされませ」
「はて、まだ好いではないか。もう少し話相手していてほしい」
 折も折とて京橋の東袂《ひがしたもと》近き所にて、屋島の謡曲《うたい》の声。それぞ源之丞のおとずれとお綾の心はそちらにも取られた。
 母親のお幸は、灯火の消えたので、安心して、店の方へ引下った。
 この時、忽ち隠居所の中で。
「あれ――」という悲鳴。それはお綾の口からであった。
 続いて金三郎の甲走った声で。
「曲漢《くせもの》ッ」と呼《よば》わった。
「御免下さりませ。つい暗いので部屋を取違えて」と聴き馴《な》れぬ女の声が、室の一隅で起った時に、悲鳴に驚いて店の方からお幸が手燭を点けて急いで来た。
 その光で見ると、白麻の衣《きぬ》に黒絽《くろろ》の腰法衣《こしごろも》。年の頃四十一二の比丘尼《びくに》一人。肉ゆたかに艶々《つやつや》しい顔の色。それが眼の光を険《けわ》しくしているのであった。
「おう、お前様は晩方お泊りの尼さんでは御座んせぬか。あなたのお部屋は表二階。それがいかに暗闇《くらやみ》とは云いながら、間違えるのに事を欠いて、離れ座敷のここへは?」とお幸は不審を打たずにはいられなかった。
「いや、庭内に稲荷の御祠《みほこら》があると女中殿から聴いて、ちょっとお参りの為に」
 尼さんでも稲荷信心。これは為《せ》ぬ事とも云われぬので、お幸はそれもそうかと思わぬでもなかったが、しかし、又何となく合点の行かぬ節ありと見ぬでもなかった。
 第一その金三郎の顔色が一通りではないのであった。まるで死人のそれの如く真蒼《まっさお》に変じているのからして、何か事情のあるらしく考えられた。
 尼は初めて気が着いたらしく。
「これはこれは。どなた様かと存じましたら、あなたは小笠原金三郎様では御座りませぬか。変った土地でお目に掛りまする」
「おう、智栄尼《ちえいに》で御座ったか」
「不思議な御対面で御座りまするな」
「左、左様で御座る」
 これは様子が変だと思ったから、お幸はお綾を促がして、ここを引下った。そうして植籠《うえこみ》の蔭で蚊に螫《さ》されるのを忍びながら、立聴きするを怠らなかった。
 この間《ま》にお綾は裏口から河原へ出た。そこには野末源之丞が待兼ねていた。

       

 誰も他にいなくなった離れ座敷では、忽ち形勢が一変した。金三郎の胸倉を取って智栄尼は小突き始めた。
 金三郎は両手を合せて拝み拝み。
「まァ密《ひそ》かに。荒立ては万事が破滅、密かに……頼む……これ、後生じゃ、頼む」
「いや頼まれぬ。破滅しても構わぬ。いや、破滅の方が却って拙尼《せつに》には幸いじゃ。この悪性男。拙尼が虎の子の様にしている貯えの金三百両引出して、これが支度金で出世が出来ると備前の太守の御落胤を売物にして、三人での旅立。それは確かな証拠もある事ゆえに、それに相違はなかろうけれど、出世したところでこの家の娘を嫁に引取る料簡《りょうけん》では、拙尼の方が丸潰れじゃ。御取立に預った上は、必らず後から呼び迎えるという、あれ程堅く約束をして置きながら、浮気するとは何事ぞい。こうした事もあろうかと、拙尼も天王寺《てんのうじ》の庵室にジッとしてはいられず、後から尾《つ》けて来て見れば、推諒《すいりょう》通りこの始末じゃ。もう三百両の金無駄にされても好い。お前が又出世せずとも宜しい。元の通りに拙尼と、人知れず……」
「まァまァ智栄殿。ここが大事のところじゃ。どうか拙者を出世さして下さりませ。今のはホンの出来心」
「その出来心が気に入らぬ」
「いや、もう決して再び、他の女に」
 こうして縺《もつ》れ合っているところへ、立聞きのお幸が注進したので、奥二階から駈け着けて来た医師の奥野俊良。
「まァまァ智栄殿。まァ腹も立とうが、ここが一番大事のところ。何事も御かんべん御かんべん。とにかく先ず奥二階へ」
 猛《たけ》り立った智栄尼を俊良は奥二階へ連れて行き、左内と共に哀訴嘆願。男子が二人揃って何度お辞儀をしたか拝んだか分らなかった。
 つまりこの尼と金三郎とは深い関係であった。それを説いて今度の運動費を出させて、それで三人が備前岡山に乗込んだのであった。
 結局どうやらこうやら、納まらぬなりに納まって、智栄尼は一先ず表二階の部屋へと帰ったが、夜更けてから又離れ座敷へ、忘れ物を取りになど拵《こしら》えて、金三郎が一人か否か、それを見廻りにと出掛けもした。尼の嫉妬《やきもち》はその時代として前代未聞、宿の者もまた興を覚《さま》していた。
 明くる日になって、朝の食事が済んでからであった。突然智栄尼が腹痛に苦しみ出した。
「こりや、毒、毒殺じゃ。毒殺じゃ」
 宿の者はびっくりした。
 第一に駈着けたのが医師の俊良。
「なに毒殺なんどと、その様な事があるものか。正しく物中《ものあたり》で、直きに治る。さ、さ、この薬を一服」
 何やら、粉薬を出して、苦しむ智栄尼の口中に割り込んだ。
 しかし、その薬を服《の》んでからは一層苦しみを重ねて、唸《うな》り声は立てても言語をする事は出来なくなった。終《つい》には血嘔《ちへど》を吐いて悶《もだ》え死に死んで了《しま》った。
 半田屋九兵衛夫婦も共に蒼くなった。宿泊者から変死者を出したとあっては、事がはなはだ面倒だからであった。
 それは毒殺? とすればいよいよ掛り合。無論医師の俊良が、秘密を保つ為に一服盛ったなとは略《ほぼ》推察は出来るのであったが、それもしかし金三郎と娘お綾との結婚の為には、邪魔が払えた勘定でもあるので、これは絶対に秘密にという小人の奸智《かんち》。
「俊良様、御掛り合で、重々御迷惑とは存じまするが。それ、な、決して、その、毒死ではない、物中《ものあたり》の為め頓死で御座りましょうで、御手数ながらその御見立を一札どうぞ」
「や、心得て御座る。決してこれは毒死では御座らぬ。これは医師の立場からして、拙老がどこまでも保証仕るで、御心配には及ばぬ事じゃ」
 届書に俊良、食べ合せ物宜しからず、脾胃《ひい》を害《そこな》い頓死|云々《うんぬん》。正に立会候者也と書き立てた。
 検視の役人も来ぬではなかったが、医師の証明があるので、一通り検分の上無事に引揚げた。
 急いで死体は笹山《ささやま》へ送って火葬。尼の堕落が悲惨の最期。いわゆる仏説の自業自得であった。

       六

 天城屋敷の池田出羽の許《もと》へ早馬で駈着けたのは野末源之丞。奥書院にて人払いの上、密談の最中。池田出羽は当惑の色をその眉宇《びう》の間に示しながら。
「シテ、その小笠原金三郎とやら申す浪人の所持致す脇差に就て、御上《おかみ》には御心覚えあらせられるかあらせられぬか。一応御伺い致されたか」
 源之丞は恐る恐る。
「御伺い致しましたところ、御覚えの程シカと御心には御留めあらせられぬとの御仰せ。しかし、御傍《おそば》御用の日記取調べましたるところにては、初代長光の御脇差。こしらえは朱磯草研出しの蝋色鞘。山坂吉兵衛の小透し鍔に、鮫皮萌黄糸の大菱巻の※[#「木+霸」、第3水準1-86-28]《つか》。目貫には銀の輪蝶《りんちょう》の御定紋。ちゃんと記録が御座りまする」
「ふむ、それに符合致す脇差を、浪人が所持するに相違無いな」
「左様に御座りまする」
「その金三郎と申す浪人の面体《めんてい》は」
「恐れ多い事ながら、御上に克似《そっくり》の箇所も御座りまする」
「ふむ――」
 智慧出羽《ちえでわ》と云われた池田の名家老も、こう聴いてはハタと当惑せずにはいられなかった。
「それで御上にはなんと仰せあそばされた。御脇差を御直々に、侍女《こしもと》鶴江に御遣わしの御覚え、あらせられるか、あらせられぬか、何んと仰せあそばされた」
「どうも覚えは無い……との御言葉」
「ふむ、その御言葉は、濁っていたか。澄んでいたか」
「何ともそこは、拙者には……」
「いや、大事なところじゃ、構わず御身の見たままを云って見なされえ」
「憚《はばか》りなく申上げますれば、平時《いつも》の御上の御言葉とは少し御違いあるかに承わりました」
「それで、この事件を他の者には聴かさずと、この出羽に先ず相談せよと、こう御上は仰せられたのか」
「左様に御座りまする」
 池田出羽は考えた。御定紋の付いた御守脇差を軽々しく侍女に、しかも内密で御遣わしになる訳がないけれども、事実に於てその脇差を金三郎の母鶴江が拝領していたとあるからには、なんと云ってもこれは御落胤だろう。いかな明君でもこの道ばかりは別な物と昔から相場は極っているのだから。
 いや、これが事実なら確かに慶事で、正しく殿の御血筋。若君一人儲かったのだけれど、今は御正腹に、綱政《つなまさ》、政言《まさとき》、輝録《てるとも》の三|公達《きんだち》さえあるのだから、それにも実は及ばぬ次第。近々御隠居ともならば、私田を御次男御三男にも御分譲。政言殿には二万五千石。輝録殿には一万五千石と、内々御決定の折柄《おりから》に、又そこへ御一人は、算盤《そろばん》の弾き直しだ。
 しかし、それはどうにでもなる事で、親は親。子は子。金三郎とやら申す浪人と、正しく御親子関係に相違無い上は、晴れての御対面は如何《いかん》としても、早速御召抱ありてしかるべきものだけれど、さてこうした事というものは直ぐに分る。御領内一般は申すに及ばず、日本国中に知れ渡って、どうだ、明君とも云われる新太郎少将も矢張女は可愛かったのだ。侍女《こしもと》に御手が付いて御落胤まである仲だ。人間とかく四角張ってばかりはいられぬものだと、忽ち風紀が弛《ゆる》んで来るは必定。御上の御配慮はそこにあるので、この出羽に何とか分別無いかと、それ故の御密使であろう。こいつはちょっと難問題だと、腕を拱《こまぬ》いたまま考え込んだ。
「や、御苦労御苦労。しからばそれに就てこちらにも考えが御座る。御身早速、半田屋九兵衛を呼出し、内密に申し聞かされえ」
「はッ」
「右の次第は」
 これこれと出羽は声を更に一段と潜《ひそ》めて、源之丞の耳近くに密告《ささや》いた。
「はッ、心得て御座りまする」
 野末源之丞は池田出羽の密謀を心得て、大急ぎで岡山に立還った。

       

 野末源之丞の屋敷へ呼出された半田屋九兵衛。薄々娘との関係を感付かぬでもなかったので、これはきっと金三郎様に取られぬ前に、娘を所望されるのではあるまいかと、そういう心配をしながら罷り出た。
「や、九兵衛。今日は一大事の密議じゃで。遠慮は入らぬ。近う」
「へえ」
「その方の宿泊人に、小笠原金三郎等の一行があろう」
「へえ、三人お泊りに御座りまする」
「恐れ多くも、御当主の御落胤と申立て、証拠の脇差を持って、御召抱の願いに魂胆致し居るとか。実際であろうな」
「能《よ》く御存じで、実は出羽様の天城屋敷御入りの為、差控え、御帰りを待って内々その運びにという事で……それを能くあなた様には御存じで」
「いや、拙者ばかりではない。既に出羽殿にも御承知」
「へえ――、えらいお早耳で」
「出羽殿より早速これを御上の御耳にも入れたところ、以ての他の事。しかしながら、浪人とあるからには家中同様の刑罰も加えられまい。見す見す騙り者と知れながらも、手の下し様もない事故《ことゆえ》。願いのままに一応は召抱え、その上にて、即座に切腹仰付けられるという、こうした御内意に定ったのじゃ」
「うへ――」
「不届なる浪人どもは、それにて始末は着くであろうが、その騙り者の宿を致したる咎《とが》に依って、その方半田屋は欠所。主人は所払い」
「うへッ」
「いかにもそれは気の毒と存じるので、内々その方の耳に入れて置く。そこまでに立至らぬ前に、何とか好きように致したらどうじゃ。これは拙者がホンの好意からの注意」
「や、有難う御座りました。なる程御召抱えの上なら切腹申付けられても否《いな》み様は御座りませぬな。宜しゅう御座りまする。左様当人にも申聞けまして、や、これは、実に、大変な事になりました」
 アタフタとして九兵衛は帰り去った。

 九兵衛から金三郎等に、召抱えの上切腹云々を密報したので、これには驚いた。
「でも、確かに拙者は落胤で、証拠の脇差も持参の事故《ことゆえ》」
 金三郎は半泣きになって愚痴を口走った。
「駄目だよ。トテモ駄目だよ。池田家に取ってその落胤が飛出したので都合が悪いに相違無いのだから、先方に好意が無いのに、こちらから押売してもイカン。召抱えられて見れば池田家の家郎《けらい》。池田家の家来となって見れば、主命に依って切腹仰付けられ、となって見る日になって見ると、お受けをしない訳にも行くまいから。諦めろッ」
 参謀たる奥野後良、もう逃げ腰。
「や、それもそうだ。命あっての物種だ」と駒越左内も臆病風《おくびょうかぜ》。
 九兵衛は又|家《うち》の大事と。
「どうか少しも早く御立退きを願いまする。お預かりの百両は、宿賃を差引いてお返し致しまするで、や、どうかそうなさった方がお互いの身の為。死んだ尼さんの後葬《あととむらい》は、必らず当家で致しまするで」
 グズグズ云ったら尼を毒殺の一件。訴人するという脅かし文句をチラつかしたので。
「や、しからば我等。立退き申す」
 こうなると九兵衛の欲張り、高い宿賃を差引いて、僅かに三十両ばかり返した切《きり》。
 三人はそれどころでなく、夜陰に乗じて西中島を出立。それからどこへ行った事やら、再び、岡山へは来なかった。
 それを西大寺越の峠道に、源之丞その他が待伏せして斬殺したという説があるが、これは取らぬ。
 有斐録《ゆうひろく》に『出羽帰り候て御前に出《い》で、云われ候は、殊《こと》の他|御鬱《おふさ》ぎ遊ばされ、あれ程の事御心付き遊ばされずや、と申上げらる』とある。
 金三郎、切腹覚悟の上にて、もう一度居据り直したらば、あるいは本統に召抱えられたかも知れぬので、その胆力試験に落第した為に、備前天一坊は失敗に終ったのかも。

底本:「捕物時代小説選集6 大岡越前守 他7編」春陽文庫、春陽堂書店
   2000(平成12)年10月20日第1刷発行
底本の親本:「現代大衆文學全集」平凡社
   1928(昭和3)年
入力:岡山勝美
校正:noriko saito
2009年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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江見水蔭

丹那山の怪—— 江見水蔭

      一

 東海道《とうかいどう》は三島《みしま》の宿《しゅく》。本陣|世古六太夫《せころくだゆう》の離れ座敷に、今宵の宿を定めたのは、定火消《じょうびけし》御役《おやく》酒井内蔵助《さかいくらのすけ》(五千石)の家臣、織部純之進《おりべじゅんのしん》という若武士《わかざむらい》で、それは酒井家の領地巡検使という役目を初めて承わり、飛地の伊豆《いず》は田方郡《たかたごおり》の諸村を見廻りの初旅というわけで、江戸からは若党一人と中間《ちゅうげん》二人とを供に連れて来たのだが、箱根《はこね》風越《かざこし》の伊豆|相模《さがみ》の国境《くにざかい》まで来ると、早くも領分諸村の庄屋《しょうや》、村役などが、大勢出迎えて、まるで殿様扱いにして了《しま》うのであった。
「出迎えの人数は?」と純之進は本陣に寛居《くつろぎ》ながら問うた。
「ええ、お出迎えにこれまでまいりましたのは、丹那《たんな》、田代《たしろ》、軽井沢《かるいざわ》、畑《はた》、神益《かみます》、浮橋《うきばし》、長崎《ながさき》、七ヶ村の者十一名にござりまする」と丹那の庄屋が一同を代表して答えた。
「おう、左様か。拙者《せっしゃ》箱根下山の際に、ちょっと数えて見たら、十二名のように見受けたが、それでは他の旅人まで数え込んだのであろう」と純之進は格別問題にしなかった。
「さて明日からは、草深い田舎を御巡検で、宿らしい宿は今宵が当分の御泊《おとまり》納《おさ》め。どうか御ゆるりと」
 庄屋達が既に主人役に廻り、吟味の酒肴《しゅこう》を美しい飯盛女に運ばせて、歓待至らざる無しであった。
「や、拙者は酒は好まぬ。食事を取急ぐように」
 純之進は江戸を立つ時に、先輩から注意されて来ているので。うッかり甘い顔を見せると、御馳走政略に載せられて、忽ち田畑の凶作を云い立て、年貢御猶予の願いと出て来る。その他いろいろ虫の好い願いを持出すから、決して油断は出来ぬという。それを胸に貯えているので、警戒を一層引締て掛ったのだ。
 今度の巡検使は、厳しいか、緩やかなのか、領内の者が脈を引いて見るのは、最初の宿の三島という事に代々極っているのだが、純之進の態度が若きに似ず意外に厳格なので、これは一筋縄では行かぬと覚ったらしかった。
 明くる日は駕《かご》かきの人足まで皆村方から出て来て、その外お供が非常に多かった。三島|明神《みょうじん》の一の鳥居前から、右に入って、市ヶ谷《いちがや》、中原《なかはら》、中島《なかしま》、大場《だいば》と過ぎ、平井《ひらい》の里で昼食《ちゅうじき》。それから二里の峠を越して、丹那の窪地に入った時には、お供が又殖えていた。役人はこわい者、機嫌を取っておかぬと後の祟《たた》りが恐ろしいという、そうしたその時代の百姓心理を、ゆくりなく初日から示したのであった。
 丹那という土地は四方を高い山々で取囲まれていて、窪地の中央《まんなか》に水田があって、その周囲に農家がチラホラとあるに過ぎなかった。
 けれどもここの旧家|山田《やまだ》氏というのは、堂々たる邸宅を構え、白壁の長屋門、黒塗りの土蔵、遠くから望むと、さながら城廓《じょうかく》の如くに見えるのであった。
 ここにも村々から大勢出迎えていた。山田家の歓迎も一通りでなく、主人は紋服|袴穿《はかまば》きで大玄関に出迎え、直ちに書院に案内して、先ず三宝に熨斗《のし》を載せて出して、着到を祝し、それから庄屋格だけを次の間に並列さして、改めてお目通りという様な形式に囚《とら》われた挨拶《あいさつ》の後、膳部なども山中とは思われぬ珍味ぞろい。この家ではどうしても杯を手に持たせずには置かなかった。
「さぞ道中御つかれの事と存じまするで、今宵はどうかお早くお寝みを願いまする」
 主人の挨拶を幸いに純之進は漸《ようや》く奥まりたる一間に入るを得、ただ一人打くつろぐ事が出来た。

       

 これで漸く楽になったと、純之進絹布の夜具の中に入ろうとすると、何者やらソロソロと襖《ふすま》を開いて入来《いりきた》った。見ると地方には稀《まれ》な美しい娘であった。
 これが恐ろしく小笠原流《おがさわらりゅう》で――それで何をするのかと思うと、枕頭《まくらもと》に蒔絵《まきえ》の煙草盆《たばこぼん》を置きに来たに過ぎなかった。
 純之進は無言《だま》ったまま、娘に構わずに寝て終《しま》った。娘はまめまめしく布団の裾《すそ》を叩《たた》きなどしたが、純之進から言葉が無いので、手持なく去った。間もなく又一人、前よりも美しい娘が入来って枕頭に水入の銀瓶と湯呑《ゆのみ》とを置いて行くのであった。これも勿論《もちろん》小笠原流であった。
 又次ぎから、又次ぎから、何か彼《か》か用事を設けては、入替わり立替わり、美しい娘が入り来《きた》った。どれも皆小笠原流。しかし急仕込には相違なかった。余りにドレも型に嵌《はま》り過ぎているのであった。
「ハハァ、これだな」
 純之進は苦笑せずにはいられなかった。先輩から、くれぐれも注意されたのであった。村中での美しい娘を選んで、それを夜の伽《とぎ》に侍《じ》せしめようとするが、決してこれと親しく語り合うてはならぬ。そうすると必らず軟化させられて、知らず知らず領内の者に買収されて、豊作でも凶作のように、虚偽の報告を持ちかえらねばならなくなって、おまけに橋梁の架替えとか、神社仏閣の修繕とかに、主君《おかみ》から補助金を下げられるように、取り成しをしなければならなくなる。老年の者でも、ついこれには引掛かるのだから、若い者はよくよくそこを考えて、謹慎しなければならないというのであった。それで純之進は布団の襟に顔を隠して、後には寝た振をしていたのであった。
 とても成功しないと諦らめたのか。もう女軍襲来は絶えて了ったけれども、純之進は興奮の結果、なかなかに眠られなかった。眠られぬまま、昨日からの事をいろいろと考え出している中に、どうも合点の行かぬ事が一ツあるのであった。
 昨日箱根山中で、誤って出迎えの人数の中に数えた若者が、今日もまた矢張見えたのであった。
 大場から平井、丹那の山に入ってからは、幾度となく駕《かご》の側まで来て、何か訴えたいような表情をしては、切出しかねて、又見えなくなった。しかもその顔色が土気色をしていて、月代《さかやき》が延びて、髪の結びもみだれて、陰気この上もない挙動なのであった。何か村方の秘事について密告私訴するつもりではなかろうか。そういう風にも取れたのであった。
 スーッと微かに襖を開く音がしたので、純之進びっくりして、今までの追想を打切りにした。そうして又しても村の娘が小笠原流で来たのではあるまいかと、不快に思わずにはいられなかった。もう何も持って来る物も尽きた筈だ。今度は素手で来て、御手足でも揉みましょうと云出すかも知れない。そうしたら一喝してやろうと息を殺して寝た、真似をしておった。
 その間にいつしか本当に眠ってしまった。真夜中に目を覚まして、もう女はいないだろうと、布団の襟から顔を出して見ると、絹張の朱骨《しゅぼね》丸行燈《まるあんどん》の影に、ションボリとして一人の娘が坐《すわ》っていた。
 おや、また来たのか。それとも先刻《さっき》から立去らずにいるのかと、その判断に苦しみながら。
「お前は何しに来た」そう云って詰問したツモリなのだが、どうしたのか、喉から声が出なかった。それを無理に出そうとすると、その苦しさと云ったらないのであった。これでは未《ま》だ本当に目が覚めていないのではないかと心着いた。
 けれども夢で見るとは思われない程、行燈の影の娘はハッキリしていた。衣物《きもの》は黄八丈《きはちじょう》の襟付で、帯は黒襦子《くろじゅす》に紫|縮緬《ちりめん》の絞りの腹合せ。今までの石持染小袖《こくもちそめこそで》の田舎づくりと違って、ズッと江戸向きのこしらえであった。
 色紙《いろがみ》縮緬を掛けた高島田が、どうしたのか大分くずれていた。ほつれ毛が余りに多過ぎる程、前髪と両鬢《りょうびん》とから抜け出ていた。項垂《うなだ》れているので顔は能《よ》く分らないが、色の白さと云ったらなかった。透き通って見えるような。恐らく今まで来た娘の中で、一番美しかろうと想像されるのであった。
 この娘は、純之進が目を覚ましたと知って、白い細い手の先を左右とも後へ廻して、縛られたような形をして、さもさも身内が痛むらしい挙動。ブルブルと身をふるわせたかと思うと、ワッとばかりに泣き入った。
 その悲鳴の物すごさに、純之進は思わず声を立て、人を呼ぼうとした。けれども依然として声が出ないのであった。
 高島田の娘は泣き入ってのみはいなかった。何か向うからも云いたそうにして、これも意の如く言葉が出ぬらしかった。
「旦那様……旦那様……」
 呼び起してくれたのは三間《みま》ばかり隔てて寝ていた若党|源八《げんぱち》であった。そこまで聴こえる程の高声で純之進は唸《うな》されていたのであった。

       

 夢であったと知れながらも、純之進は気味悪く感ぜずにはいられなかった。
「古い家には、能く人の唸される部屋があるもので、それは逆さ柱があるとか。窓の方角が、わるいとか。つまりなわめ[#「なわめ」に傍点]筋、あるいはえうま[#「えうま」に傍点]道なんて申しまして、それに当ったところへ寝床を敷きますと、必ず唸されると申しますが」と若党源八は弱い音を吐くのであった。
「馬鹿な。左様な事があるものか」と云って純之進は笑って了った。
 あくる日はいよいよ巡検の始まりで、先ず丹那村を庄屋その他の案内で見歩いた。
 今は水田となっている元の丹那沼の中からは、時々|神代杉《じんだいすぎ》を掘出すという事から始まって、土中から掘出し物をする話しが土地の者の口から出た。田代の古城跡から武器が出たとか。法輪寺《ほうりんじ》の門前から経筒《きょうづつ》が出たとか。中には天狗《てんぐ》の爪が出たの、人魚の骨が出たのというのもあった。
「江戸で掘出し物は、古道具屋でも、あさらねば得られぬが。こちらでは土中から珍らしい物が出て好いな」
 つい純之進は釣り込まれて云った。するとその掘出し物で又軟化させようと、先代が土中から得たという古釜を贈ろうという者さえ出た。純之進は驚いてそれを斥《しりぞ》けた。
 畑村の境から茗荷谷《みょうがだに》、多賀谷《たがだに》、それから地蔵前《じぞうまえ》。法輪寺で昼食して、鎮守|八島神社《やしまじんじゃ》に参詣した時に純之進は芝居の板番付が新しく奉納額として懸っているのを見出した。純之進は芝居が好きなので、武士ながら内密で、江戸三座の新狂言は大概見物に行っていた。
「おう、七変化芝居大一座――珍らしいな」と純之進は云った。
「はい、先月この境内に掛りました」
「この別庵《べついおり》の尾上小紋三《おのえこもんざ》と申す者の肩書に、七化役者《ななばけやくしゃ》としてあるのは珍らしいな。どういう事を致すのか」
 尾上小紋三――七化役者――それに目をつけられたので、今まで答えていた丹那の庄屋を初め、ゾロゾロ付随していた村の者の多くは、急に顔色を変えたのであった。
 すると浮橋村から来ていた庄屋というのが、無頓着に。
「へえ、それは、私共の村へも参りましてござりまする。大評判で、実に不思議な芸をして見せました。一人で七役も勤めまするので、小紋三と申しますのが、お染、久松、小僧、尼、子守女、女房、雷鳴様にまでなりまする。それから忠臣蔵を致します時は、先ず五段目でも、与一兵衛から、定九郎、勘平、テンテレツクの猪《しし》まで致しました。それで、どうもこれは、飯綱遣《いいづなつか》いであろう。でなくは切支丹《きりしたん》ではないかと、韮山《にらやま》で興行の折は、江川太郎左衛門《えがわたろうざえもん》様の手代衆が一応お調べになりまして、確かに魔法|妖術《ようじゅつ》ときめて、既に獄門にもなろうとしましたのを、江川の旦那様がお聞きになりまして、再お調べで、その時申開きが立って放免になりましたという。まことに珍らしい芸人でござりました」とくわしく説明した。
「ふむ、それを当村でも先月掛けたのだな。豊年祝としてなァ」と純之進は凶作を言立てられぬように釘を刺した。丹那村の者は皆苦い顔をして項垂れた。
 その中にヒョイと一人、面《おもて》をもたげて、さも嬉《うれ》しそうに、ニヤニヤと笑った者があった。それを見た純之進は、ゾッとした。これぞ一昨日《おととい》箱根の国境から見え出した謎《なぞ》の男。昨日《きのう》山路に掛ってから、駕脇《かごわき》に幾度となく近よって物云いた気にした者であった。
 今日こそはこっちから話しかけて見ようと構えたけれど、鎮守の社内を出てからは、もう見えなかった。
 この日は丹那だけの巡検で終り、再び山田家に泊ったが、またしても夜半に昨夜と同じ夢を見て唸された。高島田の娘が、縛られた様をしては泣くのであった。これはどうも部屋に祟りがあるのだろうと、そういう迷信を起さずにはいられなかった。しかるに翌日は田代村を巡検して、それから長崎村に廻り、ここの吉左衛門《きちざえもん》という庄屋の家に一泊したが、この日も同じく謎の男が駕の近くに出没した。それのみならず不思議なのは、ここでも又前夜と同じ様に、高島田の娘の夢を見た。すると山田の家にのみ祟るとは思えなかった。
「何か拙者に訴えるところでもあるのなら、遠慮なく申せ。聞いて遣わそう」それだけ云おうとしても喉に詰って、その苦しみで又うなされた。毎夜毎夜同じ夢を見つづけるのは、全く怪しい限りであった。

       四

 怪しい二つの事件は、どこまでもないまぜに続いた。次ぎの日の巡検にも、純之進の目にのみ月代の土気色をした若者の姿は見えた。その夜神益村の庄屋|武左衛門《ぶざえもん》の家でも、高島田の娘は行燈の影に坐って泣いた。
 その明くる日は洞道越《ほらみちごえ》という難所を通って再び丹那の山田家に帰り、これでほぼ巡検の任務を果したのであった。
 大勢はすでに定まった。今度の役人に賄賂《わいろ》は利かぬと見たので、お祭り騒ぎの行列も減じ、伺候する村役人も殆《ほとん》ど絶えた。
 純之進は却ってその方がよいのであった。この夜は、村々の選ばれたるおとぎ女、急仕込の小笠原流の美人達は一人も来なかった。これで夢の幽霊さえ出てくれねば、本当に好いのだがと思いつつ眠った。が、矢張、同じ刻限に同じ姿で出て来た。そうして珍らしくも初めて口をきいた。
「明日は、何も彼もお分りになりましょう」
 その一言を遺して、悲鳴もなく安らかに消えて失せた。

 丹那を立去る時がいよいよ来た純之進は、あくる日丹那山の唯一の名所、鸚鵡石《おうむせき》を見物して行く事にした。(鸚鵡石は、志摩国《しまのくに》逢坂山《おうさかやま》のが一番名高い。つまり声の反響、コダマの最もよく聴こえる個所なので、現在では少しも不思議とはせぬが、その時代の人は真に奇蹟としていたのであった)
 もうこの日は誰も付いて来なかった。勿論それは純之進の方からも謝絶したので、わずかに山田家の下男が道案内に立ったに過ぎなかった。但し若党は供にした。
 西の方へ山道二十町ばかり。それより南の方へ谷間を縫うて行くと、沼津《ぬまづ》領の境近き小山の中腹に高さ一丈五六尺、幅六尺ばかりの大岩が聳《そばだ》っていた。それが鸚鵡石であった。谷間《たにあい》二百歩ばかり隔《へだ》ちて、こちらから声を掛けると、同じ言葉を鸚鵡返しに答えるのだった。
「ああ、今日初めて自分の体になられた。人間は飾りを取った本当の生地で話し合うのが一番よいのだ。丹那へ来て安心して話の出来るのは、鸚鵡石殿、貴公ばかりだぞ」
 純之進が最初の声であった。すると同じ声が石の方でもした。純之進は全く清い清い心になりすました。
「これ、鸚鵡石殿、こっちにばかり物を云わさず、そちらからもチト何か申されぬか」と云った。それはホンの戯《たわむ》れに過ぎなかった。まさか石が人語を発しようとは思わなかった。
「お役人様……お役人様……」と突然鸚鵡石が声を発した。皆ビックリした。
「お訴え申上げます。当村に人殺しがござりました。その死骸《しがい》は山番小屋裏の荒地に埋めてござりまする」と又鸚鵡石が人語を発した。純之進はビックリした。若党は顔色を替えた。案内の下男は忽ちふるえ出した。
「それをお訴え致そうと存じましたが、今日やッと申上げられます。どうかお露の敵《かたき》をお取下さいまし。お願いでござりまする」
 その声は悲痛|凄愴《せいそう》を極めたのであった。案内の男は忽ち逃げ出した。昼間幽霊が出たと思ったのか。純之進は心着いて背後を振かえって見た。五十歩ばかり隔てた草むらの中から、腰から上を現わした一人の男。毎日見えつ隠れつあたかも影の如く従うて来ていた土気色の若者であった。
「その方、何者かッ」と純之進が声を掛けた時に、謎の人は手を合せて拝む真似して、そのまま姿は見えなくなった。

 鸚鵡石の怪におどろき、急いで純之進は帰路についたが、気にかかるので廻り路《みち》して、山番小屋の荒地に行って見ると、ここで村の者が大勢顔色を変えて、大騒ぎしていた。
 何事かと側に寄って見ると、野猪《いのしし》が出て畑を荒らしたついでに、荒地まで掘散らして行ったので、そこから女の死骸が出掛かっているというのであった。純之進は胸を轟《とどろ》かして、それを覗《のぞ》き見て。
「あッ」と叫ばずにはいられなかった。それは毎夜つづけて夢に見た高島田の娘。それが正しく襟付黄八丈の衣物を着て、黒襦子と紫縮緬の腹合せ帯を締めたまま、後手に縛られて、生埋めにされて死んでいるのであった。

 巡検使の職権で純之進が大吟味を試みた結果、奇怪なる犯罪が暴露した。それは、七化役者尾上小紋三が、丹那の山里で大評判で、村中の女がことごとく恋をした。その中で勝利を得たのが椎茸畑《しいたけばたけ》の番人|政十郎《まさじゅうろう》の娘お露《つゆ》であった。
 お霧は最近まで、御青物《おんあおもの》御用所《ごようどころ》神田《かんだ》竪大工町《たてだいくちょう》の御納屋《おなや》に奉公に出ていて、江戸|馴《な》れている上に、丹那小町と呼ばれた美人なので、村の若者が競って恋を寄せたのであったが、ことごとく斥けて、そうして七化役者と親しんだのであった。
 二人は手に手を取って道行をしたという事になっていたのだが、それでは何者にか殺されたのであろう。恐らく相手の小紋三が下手人であろうという村方のいい立てが皆一致した。
 純之進はそうは思わなかったが、別に証拠が上らぬので、詮議は打切にした。その為に出立が一日遅れたのであった。
 帰り路は山越しに熱海《あたみ》に出た。坂口屋弥兵衛《さかぐちややへえ》方に一泊した。ここでまた驚くべき事実を発見した。ここに謎の人が泊り合せて虫の息でいるのであった。それは七化の小紋三という旅役者であった。
 小紋三は丹那の鎮守で、忠臣蔵の早替わりを演じた夜、村の若者に捕えられて、お露と共に縛られたまま、山番小屋の後に生埋めにされたのであった。それが運よく地の底からもがき出て助かったのだという。その復讐《ふくしゅう》を余所《よそ》ながら巡検使に依頼したさに、気が張り切っていたのであったが、その目的を半ばは達したので、熱海の湯の宿へたどりつくと同時に、瀕死の状態になったのと知れた。公然名乗り出なかったは、相対死《あいたいし》にの処罰に落されはせぬかと、それを恐れたというのであった。なお委《くわ》しい事を語り得ずに、純之進に向って感謝の手を合せたまま、はかなき最期を遂げたのであった。

底本:「怪奇・伝奇時代小説選集11 妖艶の谷 他11編」春陽文庫、春陽堂書店
   2000(平成12)年8月20日第1刷発行
底本の親本:「現代大衆文學全集2」平凡社
   1928(昭和3)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:岡山勝美
校正:門田裕志
2006年9月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

江見水蔭

死剣と生縄——- 江見水蔭

       一

 武士の魂。大小の二刀だけは腰に差して、手には何一つ持つ間もなく、草履突掛けるもそこそこに、磯貝竜次郎《いそがいりゅうじろう》は裏庭へと立出《たちいで》た。
「如何《いか》ような事が有ろうとも、今日こそは思い切って出立致そう」
 武者修行としても一種特別の願望を以て江戸を出たので有った。疾《と》くに目的を達して今頃は江戸に帰り、喜ぶ恩師の顔を見て、一家相伝の極意秘伝を停滞《とどこおり》なく受けていなければ成らぬのが、意外な支障《さわり》に引掛《ひきかか》って、三月余りを殆ど囚虜《とらわれ》の身に均《ひと》しく過ごしたのであった。
 常陸《ひたち》の国、河内郡《こうちごおり》、阿波《あんば》村の大杉《おおすぎ》明神の近くに、恐しい妖魔が住んでいるので有った。それに竜次郎は捕って、水鳥が霞網に搦《からま》ったも同然、如何《いかん》とも仕難くなったのであった。一と夏を其妖魔の家に心成らずも日を過して、今朝の秋とは成ったので有った。
 大杉明神は常陸坊海尊《ひたちぼうかいそん》を祀るともいう。俗に天狗《てんぐ》の荒神様。其附近に名代の魔者がいた。生縄《いきなわ》のお鉄《てつ》という女侠客がそれなのだ。
 素《もと》より田舎の事とて泥臭いのは勿論《もちろん》だが、兎《と》に角常陸から下総《しもうさ》、利根川《とねがわ》を股に掛けての縄張りで、乾漢《こぶん》も掛価無しの千の数は揃うので有った。お鉄の亭主の火渡《ひわた》り甚右衛門《じんえもん》というのが、お上から朱房の十手に捕縄を預った御用聞きで、是れが二足の草鞋《わらじ》を穿いていた。飯岡《いいおか》の助五郎《すけごろう》とは兄弟分で有った。
 その火渡り甚右衛門が病死しても、後家のお鉄が男まさりで、まるで女の御用聞きも同然だという処から、未だ朱房の十手を預っているかのように人は忌み恐れていた。
「生縄のお鉄は男の捕物に掛けては天下一で、あれに捕ったら往生だ。罪の有る無しは話には成らぬ。世にも不思議な拷問で、もう五六人は殺されたろう。阿波の高市《たかまち》に来た旅役者の嵐雛丸《あらしひなまる》も殺された。越後《えちご》の縮売《ちぢみうり》の若い者も殺された。それから京《きょう》の旅画師に小田原《おだわら》の渡り大工。浮島《うきしま》の真菰大尽《まこもだいじん》の次男坊も引懸ったが、どれも三月とは持たなかった。あれが世にいう悪女の深情けか。まさか切支丹《きりしたん》破天連《ばてれん》でも有るまいが、あの眼で一寸睨まれたら、もう体が痺れて如何《どう》する事も出来ないのだそうな」
 斯《こ》うした噂《うわさ》は至る処に立っていた。
 とは知らぬ磯貝竜次郎、武者修行に出て利根の夜船に乗った時に、江戸帰りのお鉄と一緒で有った。年齢《とし》は既に四十近く、姥桜も散り過ぎた大年増。重量は二十貫の上もあろう程の肥満した体。色は浅黒く、髪の毛には波を打ったような癖が目立って、若《しか》も生端《はえぎわ》薄く、それを無造作に何時《いつ》も櫛巻きにしていた。鼻は低く、口は大きく、腮《あご》は二重に見えるので有ったが、如何にも其眼元に愛嬌が溢《あふ》れていた。然《そ》うして云う事|為《す》る事、如才無く、総てがきびきびとして気が利いていた。若い時には斯うした風のが、却《かえ》って男の心を動かしたかも知れぬのだ。
「大杉様へ御参詣なら、是非手前共へお立ち寄りを」
 押砂河岸《おしすながし》で夜船を上って、阿波村に行く途中の蘆原《あしはら》で、急に竜次郎が腹痛を覚えた時に、お鉄は宛如《まるで》子供でも扱うようにして、軽々と背中に負い、半里足らずの道を担いで吾家に帰り、それから親身も及ばぬ介抱をして呉《く》れたまでは好かったが、其儘《そのまま》一歩も外に踏出させぬには、此上も無い迷惑なので有った。
 竜次郎の腹痛は直ぐ治ったが、折角元の健康に復したのも、二日か三日で又衰え始めて、されば、何処が不良という事無しに、唯ぶらぶらの病に均しく、腑抜けのように日を暮らしていた。月代毛《さかやき》も延びた。顔色も蒼白く成った。眼の窪んだのが自分ながら驚かれるので有った。正しく妖魔の囚虜《とりこ》と成ったので有った。
 今日こそはと大勇猛心を出して、お鉄の不在を幸いに、裏庭から崖を降りて稲田伝いに福田《ふくだ》村の方へ出ようと考えたので有った。

       

 良心の呵責《かしゃく》は一歩毎に強く加わるので有った。年上で、身分|賤《いや》しく、格別美しくも無い一婦人の為に、次男ながらも旗本五百石の家に産まれた天下の直参筋、剣道には稀有《けう》の腕前、是|天禀《てんぴん》なりとの評判を講武所《こうぶしょ》中に轟かした磯貝竜次郎が、まるで掌の内に円め込められて三月の間は玩具《おもちゃ》の如く扱われて了《しま》ったのだ。
 講武所に学びては、主として今堀摂津守《いまぼりせっつのかみ》の指南を受けていたが、其他に、麻布《あざぶ》古川端《ふるかわばた》に浪居して天心独名流《てんしんどくめいりゅう》から更に一派を開きたる秋岡陣風斎《あきおかじんぷうさい》に愛され、一師一弟の別格稽古を受け、八方巻雲《はっぽうまきぐも》の剣法の極意を相続する位地にまで進んだので有った。
「その伝授の前に、必ずそれは武者修行に出て、一度は廻国して来なければ相成らぬ。と云った処で、普通《ただ》の道場破りをして来いと申すのでは無い。先ず香取《かとり》鹿島《かしま》及び息栖《いきす》の三社、それに流山《ながれやま》在の諏訪《すわ》の宮、常陸は阿波村の大杉明神、立木村《たつきむら》の蛟※[#「虫+「罔」の「亡」に代えて「曷-日-勹」」、169-4]《みずち》神社、それ等の神々に詣で、身も心も二つながら清めて、霊剣一通り振り納め、全く邪心を去って来れば好い。其他の神詣では追々の事として苦しゅう無い」
 秋岡陣風斎から一師一弟、八方巻雲の剣法を授かる為に、竜次郎の廻国は始ったので有った。処が大杉明神で停滞したので有った。それは併し如何《どう》考えても不思議というより他は無かった。
 押砂河岸に上る前に、木下《きおろし》河岸で朝早く売りに来た弁当を買った。それの刻み鯣《するめ》に中《あた》って腹痛を感じたとのみは思えなかった。其前に船中の人いきれに、喉の乾きを覚えた時、お鉄が呉れた湯冷しというに、何やら異臭が有った。邪推して見れば毒薬でも服《の》まされたか知れなかった。
 それからお鉄の家に引取られてというものは、血が濁り、筋が緩み、気力が衰えて、如何《どう》にも斯うにも成らなかった。痴呆の如くに成るのみで有った。
 お鉄の家は代々の目明しで有った。祖父が別して名高かった。火渡り甚右衛門は養子なので有った。それで捕物に就いての知識は却《かえ》ってお鉄の方が委《くわ》しかった。
「捕縄《とりなわ》の掛け方なら、私に及ぶ者は常陸下総|上総《かずさ》にも有りますまい」
 お鉄の自慢はそれだけの実力が有り余っていた。女ながらも掛縄、投縄、引縄、釣縄、抜縄、何でもそれは熟練していた。捕縄の掛け方に就いても、雁字搦《がんじがら》み、亀甲繋《きっこうつな》ぎ、松葉締め、轆轤巻《ろくろまき》、高手、小手、片手上げ、逆結び、有らゆる掛け方に通じていた。
 総角《あげまき》、十文字《じゅうもんじ》、菱《ひし》、蟹《かに》、鱗《うろこ》、それにも真行草《しんぎょうそう》の三通り宛《ずつ》有った。流儀々々の細説は、写本に成って家に伝わっていた。
 竜次郎は其捕縄に就いても興味を持ち、退屈凌ぎに写本は残らず読んで、それから益々研究心を起こして、実地をお鉄に就いて学んだので有った。
「これでも一子相伝ですが、貴郎《あなた》にですから伝授しましょう。併し昼間はどんな事が有っても授けられぬと、ちゃんと禁じて有りますから、真夜中に教えて上げましょう」
 教える為にはお鉄が捕縄を捌《さば》いて、竜次郎を縛りもした。又お鉄が竜次郎に縛られもした。
「縄抜けの法は泥棒ばかりでは有りません。御武家でも覚えて置いて好いと思います。敵に俘虜《とりこ》に成った時に、役に立ちますからね」
 肥満したお鉄の豊かな肉に喰入る本縄の緊縛も、身を悶《もだ》えさせて、肩に風を切り、下腹に波を打たせている間に、見事に抜けて自由の体に成るので有った。竜次郎は真底から驚嘆せずにはいられなかった。
 漸うしている間に竜次郎は、始終無形の縄に縛られて、緊《きつ》く繋がれたような気持がして、一歩も外へ踏み出せぬので有った。又お鉄が殆《ほとん》ど附切りで、近き大杉明神へも参詣させぬ。お鉄が無拠《よんどころなく》外出する時には、乾漢《こぶん》をして見張らせるので有った。
 其代り痒《かゆ》い処へ手の届かずという事なく、有らゆる優待はするので有った。
「生縄一家の用心棒、磯貝先生は、話に今も遺《のこ》っている笹川繁蔵《ささがわしげぞう》の処の平手酒造《ひらてみき》よりも豪《えら》い方だ」
 持上げられるだけ持上げられても、其実|入牢《じゅろう》させられたも同様で有った。
「斯うしていては、秋岡先生に相済まぬ」
 竜次郎は全部魂が腐敗し切ってもいなかった。良心の呵責に耐え切れず、漸く見出した隙間を見て、お鉄の家の裏庭から、崕《がけ》を雑草に縋《すが》りながら、谷地の稲田の畦路《あぜみち》にと降りた。
 やれ嬉しやと思う間もなく、パッと上から罠《わな》が落ちた。左脇の下から右の肩上に掛ったと思うと、キュッと締められた。と早や一気に釣上げられた。身は宙にぶら下った。
「先生、何んだって這《こ》んな真似をなさるの。どんな事が有っても逃がしませんよ」
 上には憤怒に上釣《かみづ》ったお鉄の声がガンガンと響いた。

       

 僅かの差で帰って来たお鉄が早速の投縄で、竜次郎の脱走を留《と》めたので有った。高手小手に縛り上げて、裏の中二階に転がし放しにして、其|傍《そば》でお鉄はやけからの茶碗酒を呷《あお》りながら、さも口惜しそうに口を切った。
「何んだって先生、逃げ掛ったのです。一寸私が油断してる間《うち》に……それも他の用で私は出たのでは有りませんよ。須賀津《すがつ》の溜《たまり》から胡麻鰻《ごまうなぎ》を取って来て、丸煮で先生に差上げて、少しでも根気を附けて上げましょうと、それは私の一心からで、人手にも掛けず選《よ》りに行ったのですよ。それをまあ何事です」
 お鉄は涙含《なみだぐ》んでさえいるので有った。
 竜次郎は斯うして縛り放しにされている意気地無さ。我と吾身に愛想の尽きるので有った。之も皆師に叛《そむ》いた罰だ。堕落した為だ。然《そ》ういう風に悔いながら、
「姉御、どうか許して呉れ。如何《どう》しても一度江戸へ行って来ねば相成らぬで」
「草深い田舎に飽いてで御座んすか。いや、私という者に愛想が尽きて、お逃げ出しで御座んすかよ」
「決して左様な訳ではない。行って見て、安心したら直ぐ帰る。実は毎夜の夢見、どうも心配で心配で耐え難いで」
「夢見?」
「夢は五臓のつかれとやら。そう云って了えばそれ迄だが、余りに一つ夢を何度も何度も繰返すので気に懸って相成らぬ。それは恩師秋岡陣風斎先生が瀕死の重態。されば先生には誰一人身寄りが無い。看病する者が居らぬ筈。孤独の御生活《おくらし》、殊に偏屈という御性癖で、弟子というても斯くいう竜次郎より他には持たれぬのだ。それが一師一弟の特別の稽古、その八方巻雲の秘伝をお授け下さるという事は、いつぞや姉御にも話して置いた」
「それは確かに聴きました」
「万一先生、御他界の間に合わぬ時は、折角の秘伝は消滅して、残念ながら此世には遺《のこ》り申さぬ。それが如何《いか》にも惜しゅうて成らぬ。や、それは又それとしても、義理人情の薄う成り過ぎた此頃、恩師を唯一人のたれ死も同然にさせたと有っては、磯貝竜次郎の一分が立たぬ。師弟の間柄が宛如《さながら》商売取引のように成ったのを、悉く不満に存じ居る折柄、是非先生の御看病を……」
「先生は本統に御病気なのですかえ」
「それは分らぬ。併し毎夜の如く続けて夢に見る。如何《どう》も気に成って耐え難い。どうか姉御、一度江戸へ遣《や》って貰いたい。いや江戸へ帰らして呉れとは云わぬ。行かして呉れ。先生御無事ならば、直様《すぐさま》此方《こちら》へ帰って来る。もし正夢で御病気ならば、御看病申上げて、其後は屹《きっ》と帰る。金打《きんちょう》致して誓い申す」
 真心は竜次郎の眼に涙と成って浮ぶので有った。これには生縄お鉄も感動せずにはいられなかった。人間の至誠が完全に表現されるのは、必ずしも多弁を要しないので有った。
「そんな事なら何も私にだんまりで、裏から逃げ出さなくっても好いでは有りませんか。私だって普通《ただ》の女では無いんですからね。筋路さえ通った事なら、機嫌|克《よ》く御見送りしますよ」と意外に理解が早いので有った。然うして急いで竜次郎の縛《いまし》めを解いて、縄の喰入った痕を、血の通うように撫《さす》ってやるのであった。
「それは幾重にも詫びるが、今朝は別して師匠の事が気に掛って何んだか一刻半刻を争うように思われたので……一足違いで師の臨終に逢えないような気がしたので、それで姉御の帰りをも待たず、飛出したような次第。どうか悪く思わないで……」
 と竜次郎は手足を遠慮がちに伸ばすので有った。
「何、私は、話さえ分れば後はさっぱりです。何んとも思いはしませんが、併し先生、本当に帰って来て下さいましょうね」
「必ず帰る」
「此間の夜も。しみじみ云いました通り、私が以前に水戸《みと》の藤田《ふじた》先生の御存命中に承わった処では、今に世の中がどんでん返しをして、吃驚《びっくり》する程変ってくる。だから武家も、別して旗本衆などは、余程考えていなければ成らないので、大概なら剣道とか槍術とか、そんな方は見切りをつけて、砲術を学んだ方が為に成る。それには一度毛唐人の国へ行って来た方が好いとのお話……私は、実は貴郎に、米利堅《メリケン》へでも、和蘭陀《オランダ》へでも渡航して頂きたい位に考えて居りますのです。失礼ながら金は祖父の代から溜め込んで有るんですからね。二千や三千の金なら、何時でも耳が揃えられるんです」
「外国渡航に就ては、国禁も有り、吉田松陰《よしだしょういん》の失敗もあり、併し追々は渡行出来ようで、是非一度は外国に渡り、見聞を弘くし、又砲術なども授って参りたいで、是非姉御の力を借らねば成らぬ故、必ず此方《こちら》へ戻って来る」
「それに最《も》一つ私は念を押して置きますよ。久々で江戸へ帰ったとて、女という女は、どんな女とでも、仲好くすると承知しませんよ」
 猛烈な嫉妬心を、其肥満の体躯《からだ》全部に貯えているのが生縄のお鉄で有った。

       

 旅装束何から何まで行き届かして、機嫌|克《よ》くお鉄は送り出して呉れた。
 鉄無地の道行《みちゆき》半合羽《はんがっぱ》、青羅紗《あおらしゃ》の柄袋《つかぶくろ》、浅黄《あさぎ》甲斐絹《かいき》の手甲脚半《てっこうきゃはん》、霰小紋《あられこもん》の初袷《はつあわせ》を裾短かに着て、袴は穿かず、鉄扇を手に持つばかり。斯うすると竜次郎の男振りは、一入《ひとしお》目立って光るのであった。
「途中でも女と道連れになんか成らないようにして下さいよ。よござんすか。私の乾漢《こぶん》は何処にでもいますからね。ちゃんと見ていますよ」
「大丈夫だ。今は唯師の身の上を思うばかり……それに次いでは御身の事を」
 竜次郎はそう喜ばせて置いて、いよいよ前途を急ぎ出した。福田の台地を越して市崎《いちざき》へ出たのは、ほんの一息で有った。
 自由の身と成りながらも未だ強力な或物に後髪を引かれるように思われて成らなかった。お鉄の勢力の絶倫な為に、如何に今まで圧迫されていたか分るので有った。
 釣られた魚の魚畚《びく》を出て、再び大河に泳ぐような気が、次第次第に加わって来た。今度は江戸の方へ引附けられて行くので有った。
「少しも早く師の許へ」
 師の陣風斎という人は、実際|轗軻《かんか》不遇の士。考えれば考える程気の毒で成らなかった。斎藤弥九郎《さいとうやくろう》、千葉周作《ちばしゅうさく》、桃井春蔵《ももいしゅんぞう》、それ等の剣道師範に比べて、敢て腕前は劣らぬのだ。けれど他が何千という弟子を取り、幕府或は諸侯から後援せられているに関らず、秋岡陣風斎は浪宅に貧窮の生活をつづけていて、弟子と云っては実に自分一人だ。其処が併し偉い点だ。わざと然《そ》うした運命に身を潜めたのかも知れないのだが、何んにしても其恩には、充分報じなければ成らないのだ。
 途中でお鉄の為に抑留されて、神前霊剣の修業を中止していた罪。それは何処までも詫びて掛ろう。然うして砲術稽古の為外国行きの事をも相談しよう。だが、夢見の通り重態で有っては成らぬと、何につけても道を急ぐので有った。
 布川《ふかわ》から布佐《ふっさ》へ、それから中峠《なかびょう》から我孫子《あびこ》へ出て行く竜次郎の見込みで有ったので、市崎から、椎塚下《しいづかした》、畑や田の間の抜路々々と急いだので有った。もう文間台《もんまだい》の立木の森が、近くに見える頃、気が着くと、自分の後から、一人の娘が附いて来るので有った。
 それは決して普通《ただ》の農家の娘とは見えなかった。髪は文金高島田に結って間もなく、一筋の乱《ほつ》れ毛も無いので有った。
 お白粉から口紅、行き届いた厚化粧。それで無くても慄《ふる》いつく程の美しさ。江戸にも珍らしい別嬪《べっぴん》で有った。
 それが又|如何《どう》したのか。垢染《あかじ》み過ぎた蝶散らしの染浴衣。白地の多いだけに秋も初めとは云いながら、冷や冷やと見すぼらしく。帯も細く皺だらけで、貧弱さと云ったら無いので有った。頭髪《かみ》の結び方と顔の化粧振りとに対して、余りに扮装《なり》が粗末なので、全く調和が取れなかった。これでは誰の眼にも謎《なぞ》で有ろう。
 未だ其上に可怪《おか》しいのは、此上天気に紺蛇の目の雨傘を持っていた。其癖素足に藁草履を穿いて、ピタピタと路を踏むので有った。
 女化ケ原《おなばけはら》の狐が娘に化けて、たぶらかしに附いて来るのか。昼間化ける位だから、余程|官禄《かんろく》の有る狐だろうとも、戯れに考えたい位で有った。
 急げば急ぎ、休めば休んだ。まるで影のように附いて来るので有った。振向いた時にはにっこり向うから笑うのであった。竜次郎は気味を悪くも覚え出した。
「御武家様は、江戸へ入《い》らっしゃいますのでしょう」
 稲田の畦中、流れ灌頂《かんじょう》の有る辺で、後から到頭声を掛けた。
「左様」とのみ竜次郎は答えて、後を何んとも云わなかった。
「私も江戸へ参ります」と問わず語りを娘がした。
「左様か」とやはり竜次郎は素気《そっけ》なく答えた。
「今夜のお泊りは布佐で御座いますか。それとも我孫子までお伸《の》し成さいますか」
 泊ると云ったら合宿を頼みたそうなのだ。竜次郎は警戒せずにはいられなかった。譬《たと》いお鉄との約束が無いにしても、此娘と親しく成りたくは無いので有った。いくら美しくても素性の怪しい女。どんな間違いが生ぜぬとも限らぬと思って。
「いや、私は夜道をする。大病人を見舞の為だ。事に依ると早駕籠《はやかご》にするか。兎に角夜通しで江戸へ行く」と答えた。これなら閉口すると思ったのだ。
「あら左様ですか。私も大病人がありますので、夜通しで行こうと思って居りました」
「女の身で夜道をする覚悟だと」
「ええ、仕方が有りませんから……旦那様が夜道を成さるのは私に取って何よりも心丈夫で御座います。お邪魔に成らないように、お後から附いて参ります」
「それはお前の随意だ」
 後から附いて来るというのだから、どうもそれを止めようも無かった。迷惑には考えても仕方が無かった。それに大病人を見舞の為というのが、竜次郎の心の一部にぴんと響かずにはいなかった。
「誰が病気なのだえ」とつい此方《こちら》からも問わずにはいられなかった。
「大師匠が大病……という夢ばかり見つづけましたので、耐《たま》らなく成って私だけ、斯うして飛出して来ましたんですよ」
「えっ、大師匠が病気の夢……」
 竜次郎はぎょっとせずにはいられなかった。

       五

 交通不便の時代には、隔絶している人の安否を気遣うのが、今よりも深甚に迫るので有った。電信電話郵便の無い世の中では、自然に想像を走らせる場合が多かった。連れて迷信を昂《たかぶ》らせずにはいられなかった。
 占者《うらない》の言葉とか。夢見とか。烏蹄きとか。下駄の鼻緒の切れた事にも、凶兆として心配するので有った。それ故、夢見の悪さにそれを事実でも有るかの如く、遠くから見舞に立つという事は、決して突飛でも軽忽《けいこつ》でも無いので有った。
 竜次郎は自分が其夢見の為に江戸へ行くのだから、娘の事にも疑いは挟まなかった。然《そ》うして同じ境遇という点に於て、急に同情の念を生じて来た。
「その大師匠というのは……」と竜次郎は問うた。勿論《もちろん》行手を急ぎながらで有った。
「私は旅廻りの軽業師の、竹割り一座の者で御座いまして、小虎《ことら》と申しますが、一緒に巡業に歩いています師匠は竹割《たけわ》り虎松《とらまつ》、その又師匠は竹割り虎太夫《とらだゆう》と申しまして、此道の大師匠で御座います」と娘は初めて身の上を打明けた。
「ほう、竹割り一座というのは聞いていた」
「虎太夫は中気で、本所《ほんじょ》石原《いしはら》の火《ひ》の見横町《みよこちょう》に長らく寝ていますが、私は此大師匠に拾われました捨児で、真の親という者を知りませんのです。私には大師匠夫婦が生《うみ》の親も同然。お神さんの方は先年|死亡《なく》なりまして、今では大師匠一人なんですが、今の師匠の虎松は、実子で有りながら、どうも邪慳《じゃけん》で、ちっとも大師匠の面倒を見ませんので、私は猶更《なおさら》気の毒で成りません。夢見の悪さがつづくので、江戸へ見舞に帰るとしても、そんな事で私を手放すような虎松では御座いませんから、私は密《そっ》と抜け出して来たので御座います。江戸崎《えどざき》の興行先からでは、此方へ廻っては道が損かも知れませんが、行方を晦ますのに都合が好いものですから」
 この小虎の物語で、すべての疑問が解けたので有った。頭髪《かみ》と扮装《なり》との不調和も、芸人の脱走としては、有り得る事と点頭《うなずか》れた。
「や、拙者も同じく剣道の師匠の身の上を案じてだ。兎に角互いに急ごう。秋の日は釣瓶《つるべ》落しとやら。暮れるに早いで、責《せ》めて布川から布佐への本利根の渡しだけは、明るい間に越して置きたい」
「此辺は水場で、沼とか、川とか、堀割とか、どちらへ行っても水地ばかり、本利根へ掛る前に、未だ新利根の渡しも御座います」
「おう、新利根の渡しは、もう直きだなあ」
 寛文《かんぶん》年間に、蚕飼川《こかいがわ》から平須沼《ひらすぬま》へ掛けて、新たに五十間幅に掘割られた新利根川。それは立木《たつき》の台下《だいした》に横わっているので有った。
 程もなく二人は其|渡頭《わたし》にと辿《たど》り着いた。此辺は誠に寂しい処で有った。台下にはちらりほらり、貧しそうな農家は有るが、新利根川|端《べり》には一軒も無く、唯|蘆荻《あし》や楊柳《かわやなぎ》が繁るのみで、それも未《ま》だ枯れもやらず、いやに鬱陶《うっとう》しく陰気なので有った。
 此所《ここ》の渡しというのは、別に渡し守がいるのではなく、船だけ備えて有るばかりで、世に云う手繰り渡しに成っているのだ。それは両岸に高く材木を三本組合せて立て、それに藤蔓《ふじづる》を綯《な》って引張って置き、それに小さな針鉄《はりがね》の輪を箝《は》めて、其輪に綱を結んで、田船の舳《みよし》に繋いで有るのだ。田船の舳と艫《とも》とには、又別に麻縄が長く結付けてあって、どちらも両方の岸にまで届く程の長さがある。つまり田船の中に乗った者が、自分で舳の縄を手繰れば、向岸へ着く。其後へ又来た者が、其空船を此方《こちら》へ呼戻す時には、岸から艫の縄を手繰ると、人は無くても船は房って来る、然ういう甚だ元始的の方法で有った。
「この渡しを越すと越さぬとでは、道程《みちのり》に大変な損得が有るそうな」と竜次郎は云った。
「生憎、船は向河岸に着いていますが、縄さえ手繰れば此方へ戻って来ましょう」と小虎も此所は心得ていた。
「此所の麻縄は私が世話になっていた阿波の甚右衛門の家から、代々捕縄の古く成ったのを寄進するという。三河《みかわ》の宝蔵寺《ほうぞうじ》産の麻の上物を酢煮《すに》にして、三|繰《く》りにしたのを彼《あ》の家《うち》では用いているのだが、成程これは普通のとは違って丈夫だ」
 然う云いながら竜次郎は手繰り始めた。罪有る者とは云え、兎に角人の自由を奪うべく縛り上げた捕縄を、人助けの渡しの綱に遣うというのは、廃物利用にも殊に意味深く覚えられるので有った。
「あれ、私が手繰りますわ」
 小虎が代って手繰ろうとした。
「いや、女に力を出させては気の毒、それに袖を濡らすと宜しく無い」
 竜次郎はそれを遮切《さえぎ》って、矢張自分で手繰るので有った。それを小虎も手伝った。船は向河岸を離れて、空の儘《まま》七八間、藤蔓の輪を滑らせながら動き出した。

       

 此時、突然、向河岸の蘆間に、大入道の姿が出現した。鼠地《ねずみじ》の納所着《なっしょぎ》に幅細の白くけ帯を前結びにして、それで尻からげという扮装《なり》。坊主頭に捻鉢巻《ねじはちまき》をしているさえ奇抜を通越した大俗《だいぞく》さ。それが片手に水の滴たる手桶を提げて、片手に鰻掻きの長柄を杖に突いていた。破戒無残なる堕落坊主。併し其眉毛は濃く太く、眼光は鋭く、額には三ヶ月形の刀痕《とうこん》さえ有った。
 水滸伝《すいこでん》の花和尚《かおしょう》魯智深《ろちしん》も斯《か》くやと見えるのであった。
「畜生、若い男と若い女とで、縺《もつれ》れるように巫山戯《ふざけ》ながら、船を呼ぼうとしやあがるな。誰が狗鼠《くそ》、遣るもんか」
 五十間も隔たる向河岸ながら、手に取るように其|独言《つぶやき》が響くと間もなく、手桶を置いて片手ながら、反対に舳《みよし》の縄をぐっと引いた。
 二人掛りのが忽《たちま》ち、片手に敗けて、出掛った船は、逆戻りをした。
「あっ、和尚さん、お頼みだ。病人見舞に一足を争う処。臨終に間に合うか合わぬか、二人に取っては大事の処故、船は此方《こちら》へ願いまする」と竜次郎は声高に嘆願した。
「駄目だっ、畜生」
 片手ながら力一杯。悪僧がぐっと引いた。二人も一生懸命力の限り引いた。少時《しばらく》綱引きの力競べになった。空船は途中で迷っていたが、坊主がうんと頑張る途端に、艫《とも》の縄がぷつりと切れて、二人掛りの方が敗けた。船は全く坊主の手で向河岸に引付けられた。もう空船を此方へ引寄せようは無く成ったのだ。
「醜態《ざま》あ見やあがれ。さあ大廻りしろ。此近くに渡しはねえのだ。俺はこれで溜飲が下ったぞ。これですっかり好い気持だ。どれどれ最《も》少し鰻を掻き上げねえと、酒代が出て来ねえや」
 悪僧は再び手桶を提げて、蘆の間に忽然《こつぜん》と姿を隠した。何んという無慈悲な坊主だろう。人を助ける出家の身が、鰻掻きをして殺生戒を破るさえ無茶苦茶なのに、彼岸に達する救世《ぐせい》の船。それを取上げて了《しま》ったので有った。一体何寺の何んという坊主だろう。憎さも憎しと竜次郎は、歯軋《はぎし》りをして口惜しがった。併し新利根川の堀割を隔てているのて、如何《どう》する事も出来なかった。
「此上は他の渡しのある処まで廻り路でも行くの他は無い。ちぇっ、憎っくき坊主|奴《め》」と憤慨した。
「旦那様、御心配なさいますな。私が船を取って参ります。向河岸まで行くのは、何んの仔細は御座いません」と事も無気《なげ》に小虎が云った。
「えっ、船を取りに向河岸へ行く」
「私は女軽業師、幸い斯うして、彼方《あちら》から此方《こちら》へ、藤蔓が引渡して御座いますから、それを伝って行けば何んでも無い事で御座います」
「成程なあ」
 普通の者には出来ぬ芸だが、女軽業師の小虎としては、何んの造作も無いので有った。一座を脱出する時に、変り易い秋の空を気遣って、手当り次第に雨傘を持出したのが、図らず此所で役に立った。太夫身支度の間今一|囃子《はやし》、そんな景気を附けるでもなく、唯浴衣の裾を端折っただけで有った。赤の色褪めた唐縮緬《とうちりめん》の腰巻が、新堀割の濁った水の色や、小堤下の泥の色に反映して、意外に美しく引立って見えるので有った。
 忽ち手繰り船の親杭《おやぐい》の上に攀《よ》じ登った。
「気を着けないと危いよ」と、下から竜次郎は声を掛けた。
「大丈夫で御座いますよ」と小虎は云いつつ颯《さ》と紺蛇の目の雨傘を開いた。それと同時に腰巻の唐縮緬から、血の飛沫《しぶき》が八方へ散ったと見たのは、今まで藤蔓に止まっていた赤蜻蛉《あかとんぼ》が、驚いて逃げたので有った。
 名は新利根でも、五十間の堀割。手繰り渡しの藤蔓を綱渡りの足取りで越すので有った。それは実に見事なもので、大道を普通《なみ》の人が歩くのと異らなかった。
 折柄の夕陽《せきよう》は横斜《よこはす》に小虎の半身を赤々と照らした。それが流れの鈍い水の面《おも》にも写るので有った。上にも小虎、下にも小虎、一人が二人に割れて見えた。垢染みた浴衣の扮装《いでたち》も、斯うすると光輝を放って見えるので有った。況《ま》してや舞台好みの文金高島田、化粧をした顔の美艶《びえん》、竜次郎は恍惚《こうこつ》たらざるを得なかった。もう途中で落ちはせぬかという懸念は無く成ったが、あの儘自分だけで渡り終って、先を急ぐとて独《ひとり》で行って了いはせぬか。それが気遣われるばかりで有った。
 やがて其半途まで綱渡りを進めた。両岸からは如何《いか》に高く藤蔓を張っても、其中心に当る点は、自然々々にたるみが出来て水面近く垂れているので有った。それに人の身の重量《おもみ》が加わったので、危く水に漬りそうにまで成った。それすら小虎は巧みに越した。もう其難場は越したので、一息|吐《つ》くかと思う頃。
「あっ」
 小虎の鋭い叫びと殆ど同時に、巌畳《がんじょう》に綯《な》ってある藤蔓縄が、ぷつりと断《き》れた。小虎は水音凄まじく新利根の堀割に落ちた。竜次郎の驚きは絶頂に達した。

       

「巫山戯《ふざけ》た真似をしやあがる。俺が渡さねえようにして置いたのに、船を取りに綱渡りで来やあがるなんて畜生、醜態《ざま》あ見やあがれ」
 向河岸の楊柳の間に、何時《いつ》の間にやら以前《もと》の悪僧が再現して手に鰻裂《うなぎさき》の小庖丁を持っていた。此方《こちら》を睨んだ眼の凄さと云ったら無かった。此奴《こいつ》が正しく藤蔓を断ったのだ。
「私、少しは泳げます。大丈夫で御座います」
 小虎は然う云いながら、傘を捨て、平泳ぎに掛った。一手二手《ひとてふたて》でも其水泳に熟達しているのが見えたので竜次郎は安心して、「兎に角此方へ……」と、麾《さしまね》いた。
 女が泳げると見て向河岸の悪僧は、頭から湯気の立つ程|赫怒《かくど》して、
「やい、女、新堀割の人喰い藻を知らねえか。此所へ落ちたらそれ限《ぎ》りだ。藻や菱《ひし》が手足に搦《から》んで、どうにも斯うにも動きが取れなく成るんだぞ。へへ、鯉でさえ、鮒《ふな》でさえ、大きく成ると藻に搦まれて、往生するという魔所だ。おぬし一人で渡るのなら、何も這《こ》んな悪戯《いたずら》はせんのだが、若い男と連れなのが癪なんだ。其所で女|奴《め》、死んで了えっ……それとも俺に助けて呉れというか。頼めば船を出してやるが……」と其|憎体《にくてい》さと云ったら無いので有った。
「何んだ狗鼠《くそ》坊主、死ねばとて貴様なんかに、助けて貰うものかよ。これ、此通り、泳げるわいな。人喰い藻が何んだえ」
 小虎は華手《はで》に抜手まで切って見せた。併しそれは僅かの間であった。坊主の云ったのは確実で、忽ち細長い藻の先が足に搦んだ。それはぬらぬらと気味悪く、妖魔の手でも有るかのように、水草《すいそう》にも血が通い、脈が打っているかと怪しまれる程。それに掛っては既《も》う如何《どう》にも成らなかった。いつしか左右の手にも藻は搦んだ。腰にも、腕にも、脇の下から斜《はす》に肩へ掛けても犇々《ひしひし》と搦んだ恐ろしい性《しょう》の悪い藻で有った。
 斯う見ては竜次郎、如何《どう》しても見殺しには出来なかった。併し木乃伊《みいら》取りが木乃伊に成るという事を考えずにはいられなかった。此方から飛込んでも、小虎の溺れている処まで行く身の、同じく人喰い藻に掛らずにはいない筈だ。
 それよりも先ず悪僧が憎くて成らなかった。悪戯にも程がある。岡焼《おかやき》としても念が入り過ぎた。狂か、痴か、いずれにしても今又自分が飛込んだら、どんな邪魔をするか知れないのだ。
 竜次郎は咄嗟に覚悟をした。
「えいっ」と早技。力一杯に手裏剣を打った。それは刀の小柄を抜いたのだ。五十間飛ばしたのは見事で有った。若《しか》も命中して、悪僧の眉間に白毫《びゃくごう》を刻する如く突立った。
「わっ」と一声。後ざまに打倒れて、姿は此方から見えなく成った。何んとも云えぬ好い気味で有った。
 竜次郎は手早く衣類を脱いだ。手甲、脚半とまでは届かなかった。小刀を下帯に後差しにして、新利根の堀割へと飛込んだ。
 五間六間は何んでもなかったが、十間十四五間と進むに連れて、思ったよりも藻の繁りは多かった。手に搦み、足に搦み、それは恐るべき魔力の有るのに驚かされた。藻にも菱にも霊が有って、執念深く仇《あだ》をするものとしか取れなかった。裸体でさえ是《これ》だから、衣類を着ている小虎は、嘸《さぞ》泳ぎ難いだろうと思い遣《や》った。
 字の如く藻掻き藻掻き又一二間は進んだけれど、もう如何《どう》しても前に出られなくなった。恰《あたか》も本縄の雁字搦《がんじがらみ》に掛ったように感じられた。
「おう、然うだっ」
 竜次郎は心着いた。生縄のお鉄から教わった縄抜け縄切りの法を、此所《ここ》に早速応用するのだ。それが一番の上策だと考えた。
 小刀を水中で抜いた。泳ぎながら、片手切りに水草を切払った。忽ち活路は開けたのであった。
 苦心を重ねて人喰い藻と闘いつつ、漸く小虎の傍《そば》まで行った。
「おう、旦那様っ」
 小虎此時は早や疲労し切っていた。けれども水練知らぬ者のように、突如《いきなり》救いの人へ抱きつくような危険はしなかった。

       

 小虎の全身に搦んでいる種々《くさぐさ》の藻の種類。それを切払って水妖《すいよう》の囚われから救おうとする竜次郎の苦心。それは実際一通りでは無かった。
 白分も片手で泳がなければならぬ。片手に待つ小刀も水中の事とて、思う様には遣えぬのだ。注意を少しでも怠ると、小虎の身体に傷を付けるかも知れないのだ。指一本斬り落したからとて、それは大変なので有った。
「焦慮《あせ》ってはならぬ。少しの間の辛抱だ」
 眠れる竜の鼻の先、珠を取った海士《あま》よりも、危い芸をつづけた竜次郎は、漸く水草を切払って、小虎を自由の身たらしめた。
「命の親。この御恩は忘れません」と小虎は真底から感謝した。
「それ処か。少しも早く上陸を」と竜次郎は先に立って、再び邪魔な水草を切払いながら、元の岸へ泳ぎ戻るので有った。前にも既に大分切ったので、今度は大変に楽で有った。
 二人は矢張り元の岸へ戻った。竜次郎は着衣類や大の腰の物を残したからだ。小虎は又先へ行くには、人喰い藻が切開いて無いのみならず、自分ばかり先へ行くのは、恩人に対して悪いからで有った。
 岸に上って二人はほっとした。
 竜次郎は不図《ふと》小虎の方を見て吃驚《びっくり》した。女の手足の数ヶ所から、黒血をだくだくと吹出しているのだ。扨《さて》は小刀の切先が当って傷を付けたかと思ったのだ。併しそれは蛭《ひる》が吸いついているのと知れて、安心した。
「さあ、もう、斯《こ》うした難癖の附いた処は渡るまい。廻り路はしても、他から」と竜次郎は云った。
「それが宜しゅう御座います」と小虎は然う云いながら、濡れた衣物《きもの》を絞るので有った。
「おやっ」
 竜次郎は叫びを立てずにはいられなかった。その訳で、脱ぎ捨てた半合羽から、袷、襦袢《じゅばん》から、帯まで無く成っていた。それのみならず残して置いた大刀や、懐中物から手拭鼻紙まで、紛失していた。
「何者が、持去ったかっ」
 磯貝竜次郎は裸にされて了ったのだ。小刀だけは残っても武士の魂たる大刀をまで、何者にか奪われたのだ。
「まあ、私をお助け下さる為に、旦那様に此御難儀を掛けまして、申訳が御座りませぬ」と小虎まで蒼く成った。
「藻切りに心奪われて、此方《こちら》には気が着かなんだが、何時《いつ》の間に、何者が」と竜次郎憤激しても、如何《どう》しようも無いので有った。
 遠寺の鐘さえ鳴り出した。一瞬《ひとまたた》き毎に四辺《あたり》は暗く成るのであった。冷たい風は二人の肌に迫るので有った。
「兎に角、人家のある方へ廻って、其方《そなた》の濡れた着物も乾そう、拙者の紛失物も人手を加えて探して見よう。誰か盗人の姿を見た者が有るかも知れぬで」と竜次郎は先に、立木台下の方へと蘆原を進んだ。小虎も後から附いて来た。
 手甲脚半の他は裸の竜次郎、下帯に小刀をさした風は、醜態此上も有らぬ。奇禍とは云いながら、何んという有様。皆|是《これ》剣道の師の命令に叛《そむ》き、女侠客の為に抑留されて、心ならずも堕落していた身から出た錆《さび》。斯う成るのも自業自得と、悔悟の念が犇々と迫った。
 台下の農家、取着きのに先ず入ったが、夜に入っては旅の人に取合わぬ此土地の淀《おきて》と云い張って、閾《しきい》から内へは入れなかった。事情を訴えても聴くので無かった。
 次の一軒、其所は大急ぎで戸を締めて、呼べど叩けど答えも無かった。其他三四軒を訪れたが、悉《ことごと》く断わられた。
 途方に暮れて竜次郎と小虎とは、再び元の渡し口まで帰った。もう夜に入《い》って宵月が出て居った。
「皆此身の不覚からだ。此分では江戸へ帰ったとて、よしや師が健在でも、面目無さに顔が合されぬ。思案を之れは仕替えねば相成らぬで、さあ如何《どう》か小虎。お前は拙者に構わず、先へ行きやれ」
「そんな事が出来ますものか」
 小虎の声は真剣で有った。
「失礼ながら私は、腹巻の中に、少しは貯えが御座います。布川の町まで行けば、古着屋も御座りましょう。夜を幸い、さあ一息」
 竜次郎の手を引いて、堀割端を行こうとした。
「まあ、お待ちよ」
 蘆の間に女の声がした。それは生縄のお鉄なので有った。

       

「着物を取上げたのは私です。腰の物から何から残らず私が隠したのよ」
 お鉄は竜次郎と小虎とを手荒に引放して、其中間に立って怒吼《どな》り付けた。
 小虎は吃驚《びっくり》して顫《ふる》え出した。竜次郎はお鉄と知れては、口を利く事が出来なかった。蝦蟇《ひきがえる》に見込まれた蚊も同然で有った。
「這《こ》んな事が有るだろうと思って、お前さんが身支度をしている間《うち》に乾漢《こぶん》を走らして道筋々々へ、先廻りして、身内の者に網を張らして置いたのよ。然うして後から私も化け込んで、見え隠れに附けているとも知らず、此女《こいつ》とお前さんは道連れに成って仲好くして、縺れぬばかりに田圃路を歩きなすった。案山子《かがし》まで見て嫉妬《や》いていたじゃあないか」
 お鉄の語る処では、此所の渡場を見張っていたのは、古い乾漢の阿法陀羅権次《あほだらごんじ》。博徒が本職の偽坊主で有った。
 立木台下の農家が悉く二人に無情なのも、皆お鉄の声が掛ったからと分った。
「さあ、私の威勢は這《こ》んなものですよ。それだのにお前さんは、這んなめそっ子[#「めそっ子」に傍点]と道行をするんですか。濡れたん坊と裸では、余《あんま》り粋《いき》じゃあ有りませんぜ」
 盲目的、病的嫉妬に燃える一心には、理も情も通らぬので有った。
「いや、決して二人は、仲の好いの悪いのと、左様な間では御座らぬ」と竜次郎は弁解に掛った。
「おかみさん、どうか悪く思わないで下さいまし」と小虎からも言解《いいと》きに掛った。
「えっ、お玉杓子《たまじゃくし》が何を云うんだい。私という女ながらも大親分に、じかに口が利けるもんか。黙って引込んでいやあがれ」と、お鉄は突如《いきなり》小虎を突飛ばした。
 転んだ小虎は古杭で、横腹を打って、顛倒《てんとう》した。それをお鉄は執念深くも、足蹴《あしげ》にして、痰唾《たんつば》まで吹掛けた。竜次郎はつくづく此お鉄の無智な圧迫に耐えられなく成った。この女と一緒にいては、迚《とて》も一生成功は見られぬと考えた。けれども今更|如何《どう》する事も出来なかった。
「や、もう江戸行は止《よ》す。是《これ》から阿波へ帰る。其上で身の潔白を立てよう。兎に角、衣類を」と云った。
 お鉄が喜んだ事は一通りでなかった。
「これ此通り。ちゃんと私が持っている。さあ風邪を引くと悪い。早くお着きなさいよ」
 子供の湯上りに母親が衣類を着せるようにして着せ掛った。竜次郎が小刀を、下帯から抜いて、路傍《みちばた》に置いたのは勿論で有った。
 それを倒れていた小虎が密《そっ》と取った。抜くや、突然《いきなり》、お鉄の横腹へ突立てた。お鉄の悲鳴は唯一声であった。
「女の意地ですわ。私だって竹割り小虎。さあ旦那様、江戸までお供致しましょう」
 血刀をお鉄の袖で拭いて、元の鞘に納めて返すので有った。
 迚《とて》も一通りや二通りで、解決の着くべき問題では無かったのを、小虎の為に簡単に捌《さば》かれたので有った。竜次郎は唯只運命の奇なるに驚くのみで有った。
       *      *      *
 明治中期まで警視庁第一の捕物老刑事として名の高かった○○○○○氏こそは、この磯貝竜次郎の後身なので有った。其前の妻女は正しく小虎で有ったが、それは明治初年に病死したという。竜次郎が陣風斎から、八方巻雲の秘伝を授かったか如何《どうか》か。それに就ては遺憾ながら伝わらぬ。

底本:「怪奇・伝奇時代小説選集1 水鬼 他9編」春陽文庫、春陽堂書店
   1999(平成11)年10月20日第1刷発行
底本の親本:「講談倶楽部」
   1925(大正14)年11月
入力:岡山勝美
校正:門田裕志
2006年9月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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江見水蔭

月世界跋渉記—— 江見水蔭

  引力に因り月世界に墜落。探検者の気絶

「どうしよう。」
と思うまもなく、六人の月世界探検者を乗せた空中飛行船|翔鷲号《しょうしゅうごう》は非常な速力で突進して月に落ち、大地震でも揺ったような激しい衝動をうけたと思うと、一行は悉《ことごと》く気絶して終《しま》った。
 そもそもこの探検隊は目下日本で有名な否《いな》世界中に誰知らぬ者もないほどに有名な桂田《かつらだ》工学博士と、これもその道にかけては頗《すこぶ》る評判の月野《つきの》理学博士とによって主唱され、それに両博士の助手が二名、及び星岡光雄、空知晴次といういずれも中学四年生の少年とで組織されているので、一行は桂田博士が発明した最新式の空中飛行船に乗じて、この試運転の第一着手として、吾が地球から最も近い月世界の探検を思い立ったのである。しかしこんな冒険な一命を賭するような事業に加わるのは実に乱暴極まった話だが、この二人はいずれも月野理学博士の親戚の少年で博士の家に厄介になって、その監督をうけつつ通学しているのだが、いつの間に聞き出したか、桂田博士と月野博士の計画を知って、是非にお伴をさせてくれるようにと、蒼蠅《うるさ》く頼んで何といっても肯《き》かないので、博士も遂に承諾して一行の中《うち》に加えたのだ。それから助手というのは一人は山本広、一人は卯山飛達《うやまとびたつ》といって、ともに博士の手足となって数年来この事業のために尽瘁《じんすい》しているという、至極忠実なる人々だ。日本東京を出発してから十六日目、いよいよ月に近いた時に、不意に飛行器に狂いが生じて遂々《とうとう》こんな珍事が出来したのだ。
 将碁《しょうぎ》倒しになって気絶していた一行の中で、最先《まっさき》に桂田博士が正気に返ってムクムクと起き上った。半ば身を立てて四辺《あたり》を見ると実に何ともいわれない悲惨な有様だ。
 自分らの這入《はい》っていた一室はどうにか壊れずにいるが、部屋の中は宛然《まるで》玩具箱を引繰り返したように、種々《いろいろ》の道具が何一つとして正しく位置を保っているのはなく、悉く転倒して、そこら一面に散在《ちらば》っている中に、月野博士を初め助手も二少年も、折り重って気絶している。
 博士は立ち上ろうとしたが、先刻《さっき》の衝突で酷《ひど》く身体を打ったと見えて、腰の関節が痛んで中々立てそうもない。やっと我慢して這いながら室の隅まで行って、壊れた棚から一つの薬箱を取り出して呑むと、少しは心地よくなったので、まず一番手近な山本を抱き起して薬を呑ませると、暫《しばら》くしてようよう息を吹き返した。二人ながらまだ半病人だが互に協力してほかの一同に同じように薬を呑ませると幸にも皆正気に復したが、いずれもいずれも死人のような真蒼な顔をしている。
 暫時《しばらく》は誰も無言でいたが、少し元気を回復すると、桂田博士は、
「やどうも大変な目に逢ったね。」
と最先に口を切った。
「実に酷い目に逢った。僕はあの時はもう駄目だと思ったが、それでもよく気が付いた。」
と月野博士が答える。
 今迄|喘《あえ》ぐように苦しげに呼吸していた晴次はこの時ようよう口を開いて、
「叔父さん。(月野博士の事を二人ながら叔父さんと呼んでいるのだ。)今迄何でもなかったのが一体どうしてあんなになったんでしょう。」
と如何《いか》にも不思議気に尋ねる。
「それは。」と桂田博士が横から引取って、「始めの中はそうでもないが、飛行船が月に近くなるとともに、今迄は地球の引力に左右されていたのが、俄《にわか》に月の引力に曳かれたからで。」……と苦笑しつつ「僕も勿論始めにこの研究もして充分の設備はしておいたつもりなんだけれど、まだ設備が足りなかったと見えて、遂々《とうとう》こんな目にあわされたんだ。これは全く僕の手落なんだ。」
と半分は晴次への説明、半分はほかの者への申訳のようにいった。
 莞爾莞爾《にこにこ》しながら聞いていた月野博士は、
「ここまでは桂田君の尽力でまず無事に到着したからこれから僕の働く番だ。」
と、いいながら立ち上って、厚い硝子《ガラス》を張った窓から外を覗《のぞ》いて、
「実に荒涼たるもんだなあ。」
と感じ入ったようにいったので、ほかの人々もこの時始めて外を見た。
 実《げ》に見渡す限り磊々《らいらい》塁々たる石塊の山野のみで、聞ゆるものは鳥の鳴く音《ね》すらなく満目ただ荒涼、宛然《さながら》話しに聞いている黄泉《よみ》の国を目のあたり見る心地である。

    空気は皆無

 先刻から大分元気付いて来た晴次と光雄はこの光景《ありさま》を見ると、
「やあ酷《ひど》いなあ。さあいよいよ出かけようじゃないか。」
と、喜び勇んで最先に窓から飛び出したが、出たと思うと、真蒼になって這入って来て、再びそこに仆《たお》れて終った。
 助手はこの有様に驚いて、早速介抱に取り懸ったが、月野博士は笑いながら、今二人の開けた窓を手早く閉めて少年の側に立ち寄って、
「あんまりばたばたするから不可《いけ》ない。僕の思った通りいよいよこの月世界にはもう空気が全くなくなって終っているんだ。」
といったが、急に思い出したように、傍の助手の方を振り向いて、
「おい山本。一寸《ちょっと》あちらの貯蔵庫を検べて見てくれないか。先刻《さっき》の騒ぎで悉皆《すっかり》壊れているかもしれない。あれが使えなくなってはそれこそ大変だ。」
「ハ。」と助手は隣の室へ行ったが直ぐ帰って来て、
「先生、大丈夫です。あちらは後部にあったもんですから、それほどの損害はありません。」
「そうか。それは何より難有《ありがた》い。」
と、今度は自分でその室に這入ったが、暫くして再び出て来たのを見ると大変な恰好だ。

    新式空気自発器

 各自《めいめい》の家によくある赤く塗った消火器のような恰好をした円筒を背にかけ、その下端に続いている一条のゴム管を左の脇下から廻して、その端は、仮面《めん》になっていて鼻と口とを塞いで、一見すると宛然《さながら》潜水夫の出来損いのような恰好だ。これは博士が非常な苦心の末に発見した新式空気自発器で、予め今日の用意のために整えておいたのだ。
 訳を知らない二少年はこの様子を見ると病気を忘れて手を打って、
「やあ面白い恰好だなあ。どうしてそんなものを被るんです。」
 博士は簡単にその理由《わけ》を教えて、まず自分で外へ出た。後に残った助手は同じく人数だけの自発器を持ち出して、各自《てんで》にそれを被らせ、続いて外へ出た。
 頑丈に造ってある飛行器の肝要な室は比較的に安全ではあったが、外に出て見ると誠に酷い有様だ。
 羽根は飛んで了《しま》い、檣《マスト》は折れ、その他表面にある附属物は一切滅茶滅茶に破損して、まるで蝗《いなご》の足や羽根を毟《むし》ったように鉄製の胴だけが残っている。
 この様子を見ると、折角元気を盛り返しかけた光雄と晴次は又心配気な顔をして、
「こんなに壊れて終ったら、もう地球に帰れなくはありませんかねえ。」
と尋ねる。
 桂田博士も尠《すく》なからず困った様子で何とも答えない。

    六探検者の言語不通

 月野博士は最先に立ってズンズン向うに進むのでほかの人々もその後に続いてやって行く。
 広い石塊《いしころ》の原を横ぎり終ると今度は見上ぐるばかりの険山の連脈だ。
 見渡す限り石ばかりで、四辺には草一本もなく、谷間のような処に下りて行っても、一滴の水さえ流れていない。サハラの大砂漠の最中《まんなか》に投げ出されたようなものだ。それで不思議な事には自分の身体の軽い事といったら踏む足が、地に付いているかいないか訳らないくらい。足音さえしない。それでいくら石塊の上を歩こうとも、険しい山を登ろうとも少しも苦しいと感じない。
「これは面白い。」
と少年は大喜びで、どんどん兎の飛ぶように駆け歩くと、その身体は宛然《まるで》浅草の操人形を見るようにくらくら[#「くらくら」に傍点]して首を振りながら、やっている。可笑《おか》しいと思って見れば首を振ったりピョコピョコ跳ねるのはただに少年ばかりじゃない。両博士も変ちきりんな身振をやって歩いている。一番にこれを見付けた助手は、あんまり可笑しいので、
「先生大変お様子がよろしいじゃありませんか。」
と冷評《ひやか》したが何とも返事もしないで相変らず首を振っている。
「どうしたんだろう。それにしてもあの恰好は可笑しい。ハハハハハハ。」
と高笑をしたが、不思議にも自分の笑う声が聞えないのに気が付いた。
「おや。」と思って又大きな声を出して見たが矢張《やっぱり》聞えない。いよいよ不思議に思って、月野博士に追付いて、その袖を引きながら、
「先生、私はどういう加減か耳が聞えなくなっちゃいました。」
と訴えると、矢張博士にも何をいっているんだか判らない。博士は急に思い付いたようにポケットから手帳を出して、
「これは空気がないために音響が伝らないのだ。」と書くと、不思議そうに二人の様子を見ていた他の連中も成程と合点して、
「ははあ。それで聞えなかったのか馬鹿らしい。ははははは。」
と高笑をしたが、口が開いたのが見えるばかり、さっぱり笑声も何もしない。

    不思議なる空気孔の発見。桂田博士の失跡

 でこの後は用事の時は筆談する事として、又ずんずん向うに進んでいると、晴次の踏んだ石がグラッと揺いでそこに一つの穴を見出した。極めて小さな穴だが月野博士は注意してその中を覗いていたが、何を思ったか洋寸《マッチ》を出して火を点ずるとパッと火が付いた。博士は大喜びで四辺の石を少しばかりとりのけてその中に飛び込み、中から手招きをするので、いずれも中に這入ると博士は仮面を脱いで、
「この穴には空気が充満している。」
 今度は声が聞えた。
「これは何かの具合でこの穴にずっと昔の空気が残っていたんだ。」といいながら又懐中|洋燈《ランプ》を点じてそれを高く翳《かざ》して隈なく四辺を見回した。
 一行のいる処は八畳敷ほどの処であるが、その横に一間四方ほどの洞《ほら》があって、そこから先きは何丁あるか判らないほど深いらしい。それは助手が奥へ向って石を投じて見たその反響でも大概は判っている。
 月野博士は非常に喜ばしげな顔付で、
「いや難有い難有い。何にしてもこれだけ大きな空気孔があれば、余程長い間吾々は呼吸には困難しないから、この間に緩々《ゆるゆる》探検もしたり、飛行器の修繕も出来るというものだ。」
と雀躍していたがやがて、
「しかしこうしている中にもこの中の空気が飛散すると大変だから、至急に入口を塞がなければならない。」
「僕らが道具を持って来ましょう。」
と少年はもう駆け出した。
 桂田工学博士は、
「それじゃ僕だけここに留守しているから、皆んなで支度をして来|玉《たま》え。」
「では頼むよ。」
と月野博士は助手を率いて引返した。
 種々の道具を担いで再び大急ぎで、かの洞穴に帰ったがどうしたのか待っているはずの桂田博士がいない。
「どうしたんだろう。」
と大きな声で呼んだが何とも返事がない。五人声を合せて博士の名を呼んだ。それでも何とも答はない。
「多分そこらへ一人で探検に出かけているんだろう。もう程なく帰って来ようから、吾々《われわれ》は少しも早くここの空気の逃げ出さないようにしなければならない。」
と自ら道具を取って石を動かし始める。二少年も助手とともに働いたが、この月世界で物体の軽い事は驚くほどで、馬二頭でやっと運べそうな大石が、杖の先でも手軽く動く。いやそれ処じゃない掌にでも乗せられるくらい。
 間もなくそこの工事も出来上ったので一同は一まず飛行器の処まで帰って、晩餐の用意に取り懸った。
 やがてそれも出来上って月世界第一回の晩餐会は始まった。
 本気で食事をしていた晴次は急に顔を上げて、
「叔父さん。」と博士を呼びかけて、
「桂田さんはどうしたんでしょうねえ。」
「さよう。きっと最先に一人で探検に出かけているのだろうと思う。」
「そうでしょうかしら。僕は何だかこの月世界の中にほかの人類か動物が生存していて、桂田さんは、それに見付かって捕われたんじゃないかと思うんです。」
 博士は笑いながら、
「そんな事があるもんか。どうして空気のない処にそんなものが生存して行けるものか。」
と言うと、光雄は横から、
「だって僕らが今こうして生きているようにほかの者だって生きているかも知れないでしょう。」と一本遣りこめる。
「そりゃそうだけれども少なくとも月にはそんな生存したものは一|疋《ぴき》だっていないという定説なんだから、そんな事はあるまい。もう程なく帰って来るだろうから、それよりは飯でもすんだなら吾々の住宅《すみか》をあの洞穴の横に造るんだ。」
「家を? だってどうして建てるんです。材木も何もありゃしないじゃありませんか。」と又晴次が口を出す。
「何もむつかしい事はありゃしない。この飛行器を皆で担いで行くんだ。」
「飛行器を? 五人や六人で出来るもんですか。日本だって人夫が二十人以上も要ったのでしょう。」
「そうさ。しかしお前は今あしこの穴を塞ぐ時にあんな大きな石をコロコロ転がしていたじゃないか。空気のない処じゃ石でも羽根でも重さは同じだ。飛行船だって己《おれ》一人でも持って行ける。」と説明すると、
「そうですねえ。」と感服して、
「それにしても博士を探しちゃどうでしょう。僕らが迎いに行って来ましょうかしら。」
「さようさ。今に皆で出かけよう。」

    月のアルプス山に於ける紀念碑

 五人は色々な話をしながら食事を終った。暫時《しばし》休息した。
 もうここに着いてからかれこれ二十四時間以上にもなるが夜が来ない。絶えず昼で朝も晩も何にもない。
 しかしいずれも身体は綿のように疲れているので、シートの上に寐《ね》るや否やぐっすり[#「ぐっすり」に傍点]と寐込んで了った。
 かれこれ三時間もたった頃博士はまず眼を醒しほかの者を揺り起した。
「ああ眠い眠い。もう何時でしょう。」
 晴次は目を擦りながら尋ねる。
「何時も糞もあるもんか、一日が二十四時間より長いんだから僕らの持っている時計じゃ訳らない。さあいよいよそれじゃ博士を捜索に出かけようかな。」
と空気自発器に薬品を補充して再びそこを発足した。
 今度も矢張首をグラグラさせながら歩いて前とは少しく方向を換えて山を見かけて進んだ。
 その山の高い事といったら想像も及ばないほどで、その下は一面に広い凹地《くぼち》になっている。
 博士は手帳を出して、
「あそこに見える高い山脈は月世界のアルプス山脈で、今吾々の足下に拡がっているのが、ベポアー海だ。」
と書き示すと、二少年は吃驚《びっくり》して、
「海ですって?」と声を出したが、前と同じくさっぱり聞えない。
 余儀なく鉛筆を出して、
「だって海といっても水は一滴もありゃしないじゃありませんか。」
「昔はこの凹所に水が溜っていて海だったのだが、永い年月の間に全然《すっかり》乾き切って終ったんだ。しかし一度は海だったのだから、天文学者は矢張今でも海とか山とかいうように名称をつけて図を作っているのだ。」
 こんな話をしながら一行はいつとなくこの海を渡って、いよいよアルプス山の麓に出た。
 遠くより望んだよりはさらに一層の険峻で、岩は悉く削ったように聳《そばだ》っている。それを伝って段々と昇って行ってやっとの事で絶頂に達した。
 晴次は何やら見出して、不思《おもわず》また「ヤッ」といったが、気が着いて博士の袖を曳きながら、頻りに先方《むこう》を指差すので、そちらを見ると如何にも石碑らしいものがある。
 無人の境に石碑!
 いずれも審《いぶか》りながらそちらへ駆け付けて見ると、一間四方もあるような四角な天然石を立てて、それに何やら彫刻してある。側によってその字を読むと、英文と日本文とで、

明治四十年十月大日本帝国月世界探検隊この地に達す、一行の姓名を刻んで紀念となす。


工学博士 桂田啓次
理学博士 月野 清
日本少年 星岡光雄
同    空地晴次
助手   山本 広
同    卯山飛達

と記してある。
「博士はもう一番にここまで来たんだ。」
と一同はその無事なのを知って、いずれも安堵の胸を撫で下したが、晴次は又、
「それにしてもここからどちらへ行かれたでしょう。」
「さようさ。」と博士は四辺を見廻していたが、
「とにかくこの山を向側に越して、今少し行って見よう。」
と、その紀念碑の裏に廻った。こちらは足の掛りもないほど急で、頂上《てっぺん》から下を見ると眼も眩むばかり幾十万丈とも知れぬ深さだ。
 光雄はその一番先きに突き出している岩の上に這い出て下を見ていたが、立ち上ろうとする途端によろよろとして底知れぬ千仭《せんじん》の谷に真倒様《まっさかさま》に落ちて終った。
 晴次はこの有様に吃驚して、どうしようと度を失っていると博士は手帳に、
「さああの後に蹤《つ》いて一同《みんな》も飛び降りるんだ。」
「え? ここから」
と晴次が吃驚するまもなく博士は勢をつけて飛んだ。
 乱暴※[#感嘆符三つ、35-上-18] 乱暴※[#感嘆符三つ、35-上-18]
 晴次はますます驚いていると、助手が、
「貴方何も心配なさる事はありません。空気のない処じゃ羽根のようなもんです。いくら高い処から飛んだって平気なんです。」
「さあ一緒に降りましょう。」
と晴次の手を取って否《いや》がる奴を無理に谷底見蒐けて飛び込んだ。
「もう駄目だ。死んで了《しま》うんだ。」
と思って晴次は眼を閉じたが、どうも千仭の谷底へ落ちているとは思われない。まるで風船にでも乗って下っているよう。フワフワとして気持のよさったらない。
 不思議に思って眼をあけると、不思議※[#感嘆符三つ、35-下-10] 不思議※[#感嘆符三つ、35-下-10] 助手が教えてくれたように、春風に鳥の毛が散っているくらいの速力《はやさ》で、そろそろと下降しているのだ。
「これは面白い。」
と横を見るとほかの連中も莞爾莞爾して同じく気持のよさそうにキョロキョロ四辺を眺めながら降っている。
 次第次第に地が見え出すと、下には博士と光雄が笑いながら、三人の飛び降りるのを見上げて待っている。
 やがて地に着くと、粉微塵になると思ったのが大違い、花火の風船玉が落ちたくらいに音もせず一同無事にそこに立った。
 互にその不思議な現象を笑いながら、なおも人々と進んで行くと、また大きな平原=否《いや》海原に出た。
「ここは何という処ですか。」
と晴次が聞くと、
「ここはツランクイリチー大海の痕だ。」
と博士は手帳に書き示した。
 一同は又そこを横切った。
 かれこれ半ば頃にも達したと思う頃、遥か岩の影から一塊の黒い物が現われて、それが段々とこちらへ近づいて来る。
「何でしょう。怪物じゃないかしら、」
「鉄砲を忘れて来ちゃった。どうしよう。」
と二少年はもうそろそろ騒ぎ初める。
「何でもありゃしない。鉄砲を発《う》った処が、こんな処じゃ一寸も利目はありゃしない。あれは多分桂田博士だろう。」
「博士でしょうかしら。」
と、語りながら、少年は尚|怖々《おずおず》と見守っていると、その黒い物は次第に近くよって来る。
 矢張人間だ。
 それが半布《ハンケチ》を振り出した。こちらからもそれに応じて各自にハンケチを振った。
「博士だ※[#感嘆符三つ、36-下-3] 博士だ※[#感嘆符三つ、36-下-3]」

    数万丈の谿谷に博士と再会

 近付くのを見ると、いよいよ博士だ。二少年はバラバラと駆け出してその側によると、桂田博士は微笑しながら、
「どうだ大分元気がいいじゃないか。」
「僕らは愉快で愉快で堪らないんです。」
と筆談をやっている中に月野博士も近づいて握手しながら、
「君が不意に居なくなったものだから、どうしたのかしらと思って大変心配したさ。それで今探しに来た処なんだ。」
「そうかそれは済まなかった。」
と軽く会釈して、
「とにかく、それじゃ帰りながら話しをしようじゃないか。」と先に立って、
「君らの来るのを待っている中にあの山に昇って見ようと思って、頂上に行くと石の恰好のいい奴があったものだから、ナイフで紀念碑を彫《きざ》んで、それから後ろに行くと谷から落ちたんだ。」
「そうか、あの紀念碑を見たから君が無事だった事を知って安心したのだ。それから僕らもあの後ろの崖から飛んで下に降りたのだ。」
「面白いですねえ。」と光雄は横合から鉛筆を引手繰って「僕はあの石を踏み外した時はもう死んで終ったと思ったんだけれど、どうも変だと思って眼をあけるとフウワリと落ちているんでしょう。どうしたんだかさっぱり訳らなかったんです。」
「ははあ。そりゃ吃驚しただろう。」
と打ち興じつつ、今度はアルプス山の谷間を伝うて一まず飛行器まで引き上げた。

    月世界の日課。探検と修繕工事

 一同無事に打ち揃うて引き揚げたが、次に起る問題はまず吾々の地球へ帰るために飛行器の修繕だ。
 空気は前に空気孔を発見したので、二月間は支える事を得るが食料は一月足らずしか貯蓄《たくわえ》がないのだから、どうしてもそれまでにはこの飛行器を修繕しなければならないのだ。
 評議の末六人を二組に分け、一方は月世界の探検、一方は飛行器の修繕とした。勿論、月野博士が前者を率い桂田博士が後を受け持つので。それに助手を一名ずつ、それから二少年の中、晴次を月野博士に光雄を桂田博士につけて、いよいよその日から定めの日課に取り懸った。
 まず月野博士の一隊は二十日の食料を分割して各自の腰に結び付けて出て行った。後には桂田博士が二人を相手に一生懸命、羽根の破れやら、器械の破損などを一々修繕している。
 三人が一心になって働いた揚句は、地球でいえば十八日目に、目出度《めでたく》出来上った。
 博士は一応詳く検査した上で、
「よし。これなら大丈夫だ。初めよりはよくなったくらいだ。これで探検隊さえ帰って来ればいつでも出発出来る。」
「何日くらいで帰れるでしょう。」
「まず一週間だね。」
「じゃもう十日ほどで又日本へ帰れるんですね。」
「どうだ。もう弱ったか。」
「何弱るもんですか。」
と元気よくいって窓の処へ覗いたが、
「やあ帰って来ました。帰ってきました。」
「そうか。」
と博士も助手も一様に窓に出ると、如何にも三人の探検隊は各自に山のような荷物を背負って意気揚々として帰って来た。
「どうだ。結果は。」
 まず桂田博士が尋ねると、月野博士は快活な調子で、
「余程変った現象があるですねえ。」といいながら、包を下して、その大風呂敷を拡げると、中から出たのはいずれも地球上でいまだ見た事もない珍奇な物ばかりだ。修繕方の三人が驚いて見ていると、博士は得意気にまず、珍妙な形をした人形の土器を出して、「これが、例のヒマラヤ山の後方から二十里ばかりの処に石塊の間に転がっていたのです。余程珍らしいもので、これが僕の一番の土産です。これによって見ると、始めにはきっと月にも人類が生存していたに違いない。でその人間は地球上の石器時代くらいの程度まで進化して滅亡したものらしいです。」
と幾十となき古代遺物をさらけ出しては、宛然小児が珍らしい玩具でも貰ったように、一人でホクホクして喜んでいる。
 博士は暫くその獲物に夢中になっていたがやがて思い出したように桂田博士の方を振り向いて、
「貴方の方はどうです。」
「僕の方も先刻出来上った。」
「そうですか、それは何より目出度い。いよいよそれでは明日にでも出発しますかな。」
「さよう。それでは一つ祝杯を挙げようじゃないか。もう空気などありたけ吸う気であの空気孔で大に胸襟を開いて飲もう。」
「賛成※[#感嘆符三つ、38-下-14]」
といずれもその洞内に赴き、ありたけの蝋燭を点じてその中に坐り、各自にブランデーを注いだ洋盃《コップ》を高く差し上げ、桂田博士の音頭で「日本帝国万歳※[#感嘆符三つ、38-下-17] 月世界探検隊万歳※[#感嘆符三つ、38-下-18]」
を三唱すると、その声は遍く洞内に響き渡って、谺《こだま》はさながら月がこの一隊を祝するように、「月世界探検隊万歳※[#感嘆符三つ、39-上-1]」と唱え返した。
「探検世界」明治四〇年一〇月増刊号)

底本:「懐かしい未来――甦る明治・大正・昭和の未来小説」中央公論新社
   2001(平成13)年6月10日初版発行
初出:「探検世界 秋季臨時増刊 月世界」成功雑誌社
   1907(明治40)年10月号
入力:川山隆
校正:伊藤時也
2006年10月18日作成
青空文庫作成ファイル:
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江見水蔭

怪異黒姫おろし—— 江見水蔭

      一

 熊! 熊! 荒熊。それが人に化けたような乱髪、髯面《ひげづら》、毛むくじゃらの手、扮装《いでたち》は黒紋付の垢染《あかじ》みたのに裁付袴《たっつけばかま》。背中から腋の下へ斜《はす》に、渋段々染の風呂敷包を結び負いにして、朱鞘の大小ぶっ込みの他《ほか》に、鉄扇まで腰に差した。諸国武者修業の豪傑とは誰の眼にも見えるのが、大鼻の頭に汗の珠《たま》を浮べながら、力一杯片膝下に捻伏《ねじふ》せているのは、娘とも見える色白の、十六七の美少年、前髪既に弾け乱れて、地上の緑草《りょくそう》に搦《から》めるのであった。
「御免なされませ。お許し下さりませ」
 悲し気にかつは苦し気に、はた唸《うめ》き気味で詫びるのであった。
「何んで許そうぞ、拙者に捕ったが最期じゃ。観念して云うがままに成りおれぇ」と、武道者の声は太く濁って、皹入《ひびい》りの竹法螺《たけぼら》を吹くに似通った。
 北国《ほっこく》街道から西に入った黒姫山《くろひめやま》の裾野の中、雑木は時しもの新緑に、午《ひる》過ぎの強烈な日の光を避けて、四辺《あたり》は薄暗くなっていた。
 山神《さんじん》の石の祠《ほこら》、苔に蒸し、清水の湧出《わきいず》る御手洗池《みたらしいけ》には、去歳《こぞ》の落葉が底に積って、蠑※[#「虫+原」、第3水準1-91-60]《いもり》の這うのが手近くも見えた。
 萱《かや》や、芒《すすき》や、桔梗《ききょう》や、小萩《こはぎ》や、一面にそれは新芽を並べて、緑を競って生え繁っていた。その上で荒熊の如き武道者が、乙女の如き美少年を、無残にも膝下《しっか》に組敷いているのは、いずれ尋常の出来事と見えなかった。
 もとより人里には遠く、街道|端《はず》れの事なれば、旅の者の往来《ゆきき》は無し。ただ孵化《かえ》り立の蝉《せみ》が弱々しく鳴くのと、山鶯《やまうぐいす》の旬《しゅん》脱《はず》れに啼くのとが、断《き》れつ続きつ聴えるばかり。
「それならば、どう致したら宜しいのか」と怨めしそうに美少年は云った。
「おぬしの身の皮を残らず剥《は》ぐ。丸裸にして調べるのじゃ」
「それは又何故に」
「ええ、未《ま》だ空惚《そらとぼ》けおるか。おぬしは拙者の腰の印籠《いんろう》を盗みおった。勿論油断して岩を枕に午睡《ひるね》したのがこちらの不覚。併し懐中無一文の武者修業、行先々《ゆくさきざき》の道場荒し。いずれ貧乏と見縊《みくび》って、腰の印籠に眼を付けたのが憎らしい。印籠は僅かに二重、出来合の安塗、朱に黒く釘貫《くぎぬき》の紋、取ったとて何んとなろう。中の薬とても小田原の外郎《ういろう》、天下どこにもある品を、何んでおぬしは抜き取った」
「いえいえ、全く覚えの無い事」
「ええ、未だ隠すか。これ、この懐中《ふところ》のふくらみ、よもやその方|女子《おなご》にして、乳房の高まりでも有るまいが」
 毛むくじゃらの手を懐中《ふところ》に突込み、胸を引裂いてその腸《はらわた》でも引ずり出したかの様、朱塗の剥げた粗末な二重印籠、根付《ねつけ》も緒締《おじめ》も安物揃い。
「これ見ろ」
 美少年は身を顫わせ、眼には涙をさえ浮べて。
「御免なされませ。まことは私、盗みました。それも母親の大病、医師《いしゃ》に見せるも、薬を買うも、心に委《まか》せぬ貧乏ぐらしに」
「なんじゃ、母親の大病、ふむ、盗みをする、孝行からとは、こりゃ近頃の感服話。なれども、待て、人の物に手を掛けたからには、罪は既に犯したもの。このままには許し置かれぬ。拙者は拙者だけの成敗、為《す》るだけの事は為る。廻国中の話の種。黒姫山の裾野にて、若衆の叩き払い致して遣わすぞ」
 力に委せて武道者は、笞刑《ちけい》を美少年に試みようとした。
「この上は是非御座りませぬ。御心委せに致しまする。が、お情けには、人に見られぬ処にて、お仕置受けましょう。ここは未だ山の者の往来が御座りまする」と美少年は懇願した。
「好《よ》し、それでは、山神の祠の後へ廻わろう」と漸《ようや》く武道者は手を緩めた。
「これもこちらへ隠しまして」と美少年は草籠《くさかご》を片寄せると見せて、利鎌《とがま》取るや武道者の頸《くび》に引掛け、力委せにグッと引いた。
「わッ」と声を立てたきり、空《くう》を掴《つか》んで武道者は、見掛けに依《よ》らぬ脆《もろ》い死に方。
 美少年は後から、トンと武道者の背を蹴った。前にバッタリ大木が倒れた状態。山蟻《やまあり》が驚いて四方に散った。
 血鎌を振って美少年はニッコと笑み。
「たわけな武者修業|奴《め》、剣法では汝《うぬ》には勝てぬけども、鎌の手の妙術、自然に会得した滝之助《たきのすけ》だ。むざむざ尻叩《しりたた》きを食うものか」
 冷笑の裡《うち》に再び印籠を取り上げた。
「これで八十六になった」

       

 美少年滝之助は越後《えちご》領|関川宿《せきかわじゅく》の者、年齢《とし》は十四歳ながら、身の発育は良好で、十六七にも見えるのであった。それで又見掛けは女子《おなご》に均《ひと》しい物優しさ、天然の美貌は衆人の目につき、北国街道の旅人の中にも、あれは女の男に仮装したものと疑う者が多いのであった。
 それが鎌遣《かまつか》いの名人、今日はここで荒熊の如き武道者をさえ殺したのであった。見掛けに依らぬ大胆不敵さ、しかも印籠盗みの罪を重ねて八十六とまでに数えるとは。
 それには遺伝性も有った。時代と境遇との悪感化も加わった。祖父は野武士の首領で、大田切《おおたぎり》小田切《おだぎり》の間に出没していた。それが上杉謙信《うえすぎけんしん》の小荷駄方《こにだがた》に紛れ入って、信州甲州或は関東地方にまで出掛け、掠奪《りゃくだつ》に掛けては人後に落ちなかったが、余りに露骨に遣り過ぎたので、鬼小島弥太郎《おにこじまやたろう》に見顕《みあらわ》されて殺されたという。
 父は岩五郎《いわごろう》と呼び、関川の端《はず》れに怪しき旅人宿を営んでいたが、金の有る旅客を毒殺したとの疑いで高田《たかだ》城下へ引立てられ、入獄中に牢死した。母はそれを悲しんで、病を起して悶《もだ》え死に死んだ。
 兄の鉄之助《てつのすけ》というのが、その為に高田の松平《まつだいら》家を呪って、城内に忍び込み、何事をか企てようとしたところを、宿直《とのい》の侍女に見出されて捕えられた。それは当主|光長《みつなが》の母堂(忠直《ただなお》の奥方にして、二代将軍|秀忠《ひでただ》の愛女《あいじょ》)の寝室近くであった。その為に罪最も重く磔刑《はりつけ》に処せられたのであった。
 こういう因縁の下に滝之助は、高田の松平家を呪って呪って呪い抜き。
「何んとかして敵《かたき》を討つ! 怨恨《うらみ》を晴さいで措《お》こうかッ」
 燃えるが如き復讐心を抱いて、機会の到来を待っているのであった。
 今ここで武道者を殺害した滝之助は、その血の滴たる鎌を洗うべく御手洗池《みたらしいけ》に近寄った。蠑※[#「虫+原」、第3水準1-91-60]《いもり》が時々赤い腹を出して、水底に蜒転《えんてん》するのは、鎌の血と色を競うかとも見えた。
 滝之助は血鎌を洗う前に、清水を手に掬って、喉の乾きを癒《い》やさずにはいられなかった。大男の圧迫がかなり長く続いたからであった。
「滝之助、美事に遣りおったな」
 不意に後から声を掛けられたので、滝之助は吃驚《びっくり》した。次第に依ってはその人をも殺して罪を隠そうと、身構えながら、振向いて見た。
「おう、先生!」
 いつの間に来たのやら、まるでそれは地の底からでも湧き出したかの様。白髪を後茶筌《うしろちゃせん》に束ねた白髯《はくぜん》の老翁。鼠色の道服を着し、茯苓《ぶくりょう》突《つ》きの金具を杖の代りにして立っていた。
「でかしたでかした。敵は大男じゃ、しかも諸国武者修業人じゃ。道場荒しの豪の者を鎌で一息に遣りおった。見事! 見事!」と老翁は賞め立てた。
「思い切って片付けました」
「油断をしたのが敵の運の尽きじゃ」
「先生、早速差上げます。印籠はこれで八十六で御座りまする。後十四で百に揃いまする」
 滝之助は武道者から取った朱塗の釘貫の黒紋の印籠を老翁に手渡した。
「確かに受取った。や、人まで殺して取ってくれたか」と老翁は大喜び。
「百の数が揃いましたら、その代り霧隠れ雲隠れの秘薬の製法、御伝授下さりましょうなァ」
「や、人まで殺した執心に感じて、百までには及ばぬ。八十六でもう好い」
「でも、百の印籠から取出した薬の数々を練り合せ、それに先生御秘蔵の薬草を混ぜたのが、霧隠れ雲隠れの秘薬とやら」
「それには又それで秘事口伝が有る。や、今夜拙老の隠宅へ来なさい、何事も残らず打明けて語り聴かそう。それよりもこの屍骸《しがい》じゃ。人目に触れぬ間に、埋め隠くさねば相成らぬ。林の中には薬草の根元まで掘下げた穴が幾つも有るで、その中の大きなのを少し拡げるまでじゃ。拙老が手伝うて遣わすぞ」
「何から何まで御親切な」
 滝之助は感激した。
 この老翁そもそも何者ぞ。見掛けは仙家の者ながら、敢て殺人の罪を憎まぬのみか、屍骸取片付けの手伝いまでする。見掛け倒しの曲者《くせもの》なる哉《かな》。

       

 地震《ない》の滝道の樺《かば》林の中に、深さ六尺位、広さ五六畳程の竪穴を掘り、その上に半開の唐傘式に木材を組合せ、それに枯茅《かれかや》を葺《ふ》いて屋根とした奇々怪々の住居《すまい》。それが疑問の老翁の隠宅であった。
 老翁は真堀洞斎《まぼりどうさい》と云い、京の医師という事。それが数年前からこちらへ来て、黒姫山中に珍奇の薬草を採集する目的で、老体ながら人手を借りず、自ら不思議な住居を建て、隙《ひま》さえあれば山野の中にただ一人で分入《わけい》るのであった。
「暖国には樹上の家、寒国には土中の室、神代《かみよ》には皆それであった」
 土地の者にも土室が好い事を勧めていた。この洞斎の住居を夜に入って密々に訪れたのは、昼の約束を履《ふ》んだ滝之助であった。
「おう、持っていた。さァ」
 初夏でも夜は山中の冷え、炉には蚊燻《かいぶ》しやら燈火《ともしび》代りやらに、松ヶ根の脂肪《あぶら》の肥えた処を細かに割って、少しずつ燃してあった。
 室内に目立つのは、幾筋も藤蔓《ふじづる》を張って、それに吊下げて有る多数の印籠。二重物、三重物、五重物。蒔絵、梨地、螺鈿《らでん》、堆朱《ついしゅ》、屈輪《ぐりぐり》。精巧なのも、粗末なのも、色々なのが混じていた。皆これは滝之助が、北国街道に網を張り、旅人の腰ばかり狙いをつけ、茶店でも盗み、旅籠屋《はたごや》でも奪い、そうしてここへ持って来た八十六箇の、それなのであった。
「今夜こそ一大事をことごとくその方に申し伝える。それというも拙老の寿命の尽きる時が参ったからじや。いや素人には知れぬが、医道に長《た》けし身じゃ。それが知れえでなろうか」
 洞斎の語り出しは淋しかった。
「お待ちなされませ、もしや人が立聞きにでも参りはしませぬか」
 滝之助は念の為め見廻りに梯子《はしご》を昇って外に出ようとした。
「ハテ、夜中にこの林間の一つ家、誰が来ようぞ。来ればいかに忍んでも、土中の室には必らず響く。まァ安心して聴くが好い」
 真堀洞斎は実に大阪落城者の一人で有った。しかも真田幸村《さなだゆきむら》の部下で、堀江錦之丞《ほりえきんのじょう》と云い、幸村の子|大助《だいすけ》と同年の若武者。但し大阪城内に召抱えられるまでは、叔父|真家桂斎《まいえけいさい》という医家の許《もと》に同居していたので、草根木皮の調合に一通り心得が有るところから、籠城中は主に負傷者の手当に廻っていた。
 それが秀頼《ひでより》公初め真田幸村等の薩摩落《さつまおち》という風説を信じて、水の手から淀川口《よどがわぐち》にと落ち、備後《びんご》安芸《あき》の辺りに身を忍ばせていたが、秀頼その他の確実に陣亡《じんぼう》されたのを知るに及んで、今更|追腹《おいばら》も気乗がせず、諸国を医者に化けて廻っているうちに、相模《さがみ》の三増峠《みませとうげ》の頂上に於《おい》て行倒れの老人に出会《でっくわ》した。
 薬を与えたので一時は蘇生したが、とてもこの先何日も保たぬ命と知って、その老人が教えてくれた大秘密、それを今夜は滝之助にと語り移すのであった。
「その老人は甲州浪人の成れの果てで、かつては武田勝頼《たけだかつより》殿に仕えた者とやら。その人の物語った事じゃが、信州黒姫山の麓には、竹流しの黄金がおおよそ五百貫目ばかり、各所に分けて隠して有るという事でのう」
「え、えッ」と滝之助は吃驚《びっくり》した。
「それを探して掘り出そう為に、薬草採りと表面を偽り、今日までは相成ったが……」
「一ヶ所にても見付かりましたか」
「それが未だじゃ」
「浪人が好い加減の事を申したのでは御座りませぬか」
「いやいや、極めて確かな話じゃ。それは斯様《かよう》な筋合じゃ」

       四

 洞斎老人は、語り次いだ。
「およそ古今武将の中で、徳川家康《とくがわいえやす》という古狸《ふるだぬき》位、銭勘定の高い奴《やつ》は無いとじゃった。欲ばかり突張っていたその為に、天下も金で取ったようなもの。その金好きを見抜いて喰入ったのが、元甲州は武田家の能楽役者、大蔵十兵衛《おおくらじゅうべえ》と申した奴。伊豆に金山《かなやま》の有る事を申上げてから、トントン拍子。それから又佐渡の金山を開いて大当りをして、後には大久保《おおくぼ》の苗字を賜わり、大久保|石見守長安《いわみのかみながやす》とまで出世したのじゃが、それ程の才物ゆえ、邪智にも長《た》けていて、私《ひそ》かに佐渡吹きの黄金を隠し置き、御役御免になっても老後の栄華、子孫の繁盛という事を考えて、江戸へ運び出す途中に於《おい》て、腹心の者と申し合せ、幾度《いくたび》にも切って人を替え、時を変え、黒姫山麓に埋蔵したという筋道じゃ。それも頗《すこぶ》る巧みなる遣り口でのう。腹心にはことごとく武田家の浪人筋を用い、軍用金として佐渡の黄金を溜めて置き、時機《おり》を見て、武田家再興の大陰謀を企てるのじゃで、随分忠勤を励まれよと言い含め、一方公儀に向っては、信州黒姫山の麓には、金脈有り気に見えまするで、佐渡へ上下の折々に試掘致しとう御座りまする。但し人目に触れぬように内密に立廻り致しますると、ウマイ事を言上して置き、腹心の者にあちらこちらと掘り散らさせ、その後へ又他の腹心を遣わして、密かに佐渡の金を埋め隠したのじゃ」
「佐渡の金山奉行、大久保石見守という方の噂は、能《よ》く聞いておりました」
「黄金一箱、十二貫目入り、合せて百箱を五十駄積の船に載せ、毎年五隻から十隻と、今町津まで積み出された。その中を巧《うま》く抜き取ったのじゃ。拙老が三増峠で介抱した老人も、石見守が腹心の一人じゃった。そこで隠した場所は、一々石見守が地図に書き入れ、目じるしの岩石、或は立木、谷川、道筋、神社、道標《みちしるべ》、それより何歩、どの方角にと、そういう風に委《くわ》しく記したのを、正副二枚だけ拵《こしら》え上げ、腹心の皆々立会の上、正の地図を石見守が取り、副の地図を人数だけに切放し、銘々その一片|宛《ずつ》に所持する事にして、万一石見守不慮の死を遂げた場合に、その切図を皆々持寄り、元の如く継ぎ合せて、隠し場所を見出すという仕掛けじゃ。一人一人、自分の隠した処を知っていても、他の者の処は知らぬので、左様に取極《とりき》めたのは石見守の智慧《ちえ》じゃ。そうして切図は薄い油紙に包み、銘々印籠の二重底に隠し置くという、これもその時の申合せじゃ。そうして置いて陰険な石見守は、腹心の者を一人ずつ、毒殺、或は暗殺など致して退《の》けた。三増峠の老人は、中途で、それを覚ったので、慌だしく九州路に逃げ延びて、命だけは取留めていたという」
「その石見守は疾《と》くに死去なされました筈」
「おう、慶長《けいちょう》十八年四月に頓死したが、本多上野介正純《ほんだこうずけのすけまさずみ》が石見守に陰謀が有ったと睨んで、直ちに闕所《けっしょ》に致し置き、妾《めかけ》を詮議して白状させ、その寝所の下を調べさしたところが、二重の石の唐櫃《からびつ》が出て、その中に又黒塗の箱が有り、それには武田家の定紋染めたる旗|一旒《いちりゅう》に一味徒党の連判状、異国の王への往復書類などが出たとある。これは又、上野介が小細工という説も有るが、勿論地図も出たろうなれど、それには露骨《あらわ》に黄金埋蔵とは書いてなかったので、単に金山脈の書入れとでも見たものか、何の沙汰にも及ばなんだ。そうして子息|藤十郎《とうじゅうろう》以下七人は、同年七月二十日、礫刑《はりつけ》に処せられ、召使の者等も死罪やら遠流やら……」
「そう承わると、黄金埋蔵は、本当に相違御座りませぬな」
「三増峠の老人よりは、勿論印籠を譲られたので、二重底を探って切図は得た。さァそれでおぬしにも、印籠集めを頼んだのじゃ」
「では、百種の薬を百の印籠から集めて、それで霧隠れ雲隠れの秘薬を製造とは、偽りで御座りましたか」
「偽りは偽りながら、霧隠れ雲隠れの秘薬、その他には眠り薬、痺《しび》れ薬、毒薬、解毒薬、長命不死の薬、笑い薬、泣き薬、未だ色々の秘薬の製法は、一通り心得おる。おぬしが高田の松平家に対して、父兄の仇《あだ》を報じるという、それには少からず誠意を寄せる拙老じゃ。印籠集めの熱心さに、百まで集まらずとも教えはする」
「それで、今までの印籠の中に、切図を隠したのが御座りましたか」
「八十五箇の中に漸く一枚見出された。それと前に老人より授けられたる切図とを合せて見たが、残念ながら中が一枚抜けていて、どうしても繋がれずにいたところ、今日おぬしが武道者を殺して取ったる中から、又一枚を見出した。きゃつめ、二重底の秘事は知る由もない。諸国遍歴中に偶然手に入れたものであろうが」
「すりゃ、今日の印籠から」
「しかも、前の二枚の中に入れて見れば初めて合《がっ》しる三枚続き」
「おう!」
「僅かに黒姫山麓のホンの一部に過ぎぬなれど、一箱十二貫目入りの分三箇だけの隠し場所が、今日漸く分ったのじゃ」
「三十六貫目の黄金! 小判に直せば、大層な値!」
「それは皆おぬしに遣る、未だその上におぬし引つぎ、印籠集めて他の場所のも探せ。その代りには拙老、頼みがある。おぬしを見込んで申すのじゃ」
「何んなりとも承りましょう、妙高山の硫黄の沸《に》える中へでも、地震《ない》の滝壺の渦巻く底へでも、飛込めとならきっと飛び込んでみせまする」
「さらば語ろう」

       

 洞斎老人は大阪落城の無念さに、徳川家を呪う者の中で、最も執念深い者の一人であった。
 甲州老人のは武田家再興の夢であったが、洞斎老人のは、敢《あえ》て豊臣家再興は望まなかった。真田幸村の弔い合戦、それが主でもあったけれど、第一には徳川の天下が余りに横暴に過ぎるので、それが癪《しゃく》に触ってならぬのであった。
 その徳川幕府を倒壊させるには、浪士を集めて兵力で争うという、そうした武的手段を取るとするには、余りに自分が貧弱であるという事を、さすがに能く知っているのであった。
「煎じつめれば金じゃ。金の力で徳川の天下を滅茶滅茶に掻き乱してやりたい。自分で天下を取ろうとは毛頭考えぬ」
 黒姫|山下《さんか》から金塊を取出したら、それを運用して破天荒の奇策を弄《ろう》し、戦わずして徳川一門を滅亡させる考えで有ったのが、その黄金の一部分の有個所《ありかしょ》が漸く知れた時には、最早や余りに老過ぎて、その健康は衰え切っていた。それで滝之助に向って、単に高田の松平家というような、一枝葉に拘泥《かかわら》らず[#「拘泥《かかわら》らず」はママ]して、大徳川一門に向って怨恨《うらみ》を晴らせ。自分の志を受継いで、今の天下を掻き乱してくれという、そういう希望を述べたのであった。
 滝之助は一も二もなく承知した。
「必らず先生のお志を継ぎ、蔭で機密に仕事をして、徳川家を呪いましょう」
「おう、それで拙老も安心じゃ」
 朝露夕電《ちょうろせきでん》、人の命は一刻の後が分らぬ故、今夜のうちに何もかも教えようとなった。
「霧隠れ雲隠れ、と申しても、つまりは火遁《かとん》の術、煙遁の術、薬品にて煙を急造し、目潰しを大袈裟《おおげさ》にするまでじゃ。その薬法は予《かね》て記して置いたが、それよりも、眠り薬を巧みに用いれば、宿直《とのい》の者も熟睡《うまい》して、その前を大手を振って通っても見出されぬ。つまり姿を消したも同然じゃ。その製法、矢張、記してある」
 笑い薬、泣き薬、長命不死の薬、中には遊戯に過ぎたる薬まで、残らず記した秘本をくれた。
 それから、印籠の二重底から取出した切図三葉をも譲られた。いずれも雁皮《がんぴ》の薄紙に細かく書いて有るのであった。
「や、や、あの山神《さんじん》の祠《ほこら》の台座、後面の石垣のまん中の丸石を抜き取ると、その下が抜穴、そこに佐渡の金箱が隠して有るので御座りまするか」
「おう、その通りじゃ、あそことは実は気が着かなんだよ」
「早速、今夜にも参りまして」
「おう、取出して多年苦心の拙老に早く安堵をさしてくれ」
「かしこまって御座りまする」
 滝之助は闇の山路を却《かえ》って幸いに、ただ一人にて探しに行った。
 果して山神の石祠の下に、抜穴が深く通じていた。その突当りの処に、部厚の槻《けやき》の箱が三箇隠して有った。十二貫目の一箱をとても滝之助に持てそうが無かったので、その三分の一だけを、それすらも漸く持ち帰った。それはもう夜明近かった。
 これを見て、狂するばかりに喜んだ洞斎老人、余りの嬉しさに胸が躍って急にガックリ打倒れた。それは正しく中気が出たのだ。
「御心確かにお持ちなされませ」
「おー」
 舌が縺《もつ》れて思う事を口に出しては云えなかった。併《しか》しそのふるえる片手や、うっとりした目つきからで、黄金残らず取出すまでは、滅多に死なぬという表現をした。
 滝之助は苦心に苦心を重ねて、幾回にも残りの黄金を持運んだ。それには二日二夜掛ったのであった。
 ガッカリしたのは滝之助ばかりでは無かった。洞斎老人も安心して、それからは昏々《こんこん》として眠るばかり。遂にその翌日、帰らぬ旅へと立ったのであった。
 滝之助はこの結果、思いも懸けぬ大金持の一人となったのであった。

       

 世に越前家《えちぜんけ》と云うは徳川家康の第二子|結城《ゆうき》宰相|秀康《ひでやす》。その七十五万石の相続者|三河守忠直《みかわのかみただなお》は、乱心と有って豊後《ぶんご》に遷《うつ》され、配所に於て悲惨なる死を遂げた。一子|仙千代《せんちよ》、二十五万石に減封されて越前福井より越後高田に移され、越後守|光長《みつなが》とは名乗ったものの、もとより幼少。その母こそは二代将軍秀忠の第三女、世にいう高田殿《たかだどの》(俗説|吉田御殿《よしだごてん》の主人公)。
 当分は江戸屋敷に在るべしとの将軍家の内命に従い、母子共に行列|厳《いかめ》しく、北国街道を参勤とはなった。
 高田殿は女子《おなご》の今を盛りであった。福井の城に在る頃は、忠直卿乱行の為に、一方ならず心を痛められたが、既にそれは一段落|着《つ》いたのであった。面窶《おもやつ》れも今は治って、血の気も良く水々しかった。
 雪深き越路《こしじ》を出て、久々にて花の大江戸にと入るのであった。父君《ちちぎみ》二代将軍に謁見すれば、家の事に就ても新たなる恩命、慶賀すべき沙汰が無いとも限るまい、愛児の為に悪《あ》しゅうは有るまいと、空頼みと云わば云え、希望に輝く旅立であった。
 新井《あらい》の宿《しゅく》より小出雲坂《おいずもざか》、老《おい》ずの坂とも呼ぶのが何となく嬉しかった。名に三本木の駅路《うまやじ》と聴いては連理の樹《き》の今は片木《かたき》なるを怨みもした。
 右は妙高の高嶺、左は関川の流れを越して斑尾《まだらお》の連山。この峡間《はざま》の関山宿に一泊あり。明くる日は大田切、関川越して野尻《のじり》近き頃は、夏の日も大分傾き、黒姫おろしが涼しさに過ぎた。今宵の本陣は信州|柏原《かしわばら》の定めであった。
「ハテ、不思議や」
 梨地金蒔絵、鋲打《びょううち》の女乗物。駕籠《かご》の引戸開けて風を通しながらの高田殿は、又してもここで呟《つぶや》かれた。
 それは、大田切を過ぎる頃からであった。いつぞや寝所間近く忍び寄った曲者《くせもの》が有った。危く御簾《みす》の内にまで入って、燈火《ともしび》消そうと試みたのを、宿直の侍女が見出して、取押えて面《おもて》を見れば、十七八の若衆にして、色白の美男子であった。
 それは併し磔刑《はりつけ》にして、現世《このよ》に有るべき理が無いのに、その時の若衆そっくりのが、他の土民等と道端に土下座しながら、面を上げてこちらを見詰めていた。弟にてもあるかと思ったが、その場限りの筈の者が関川でも再び現われた。大田切では旅商人の姿であった。関川では巡礼姿。今又この黒姫の裾野にては、旅の武士の姿なのであった。
 同じ人か。別の人か。同じ人とすれば、何んで着物が変るのか。別の人とすれば、三人まで、似たとは愚かそのままの顔。もしや、過ぎし曲者の由縁《ゆかり》の者にて、仇《あだ》を報ぜんとするのでは有るまいか。油断のならぬと気着いた時に、ぞっとした。
 忽《たちま》ち、チクリと右の手の甲が痛み出した。見ると毒虫にいつの間にやら螫《さ》されていた。駕龍の中には妙《たえ》なる名香さえ焚いてあるのだ。虫の入りようも無いものをと思えども、そこには既に赤く腫れ上っていた。
「これ、誰《た》そ、早う来てたもれ。虫に手を」
 乗物の両脇には徒歩《かち》女中が三人ずつ立って、警護しているのに、怪しき若衆を度々見る事も、今こうして毒虫に螫された事も、少しも心着かずにいる。高田殿はそれが腹立たしくもなった。
「はッ、御用に御座りまするか」と徒歩女中には口を利かせず、直ぐ駕籠|後《あと》に立った老女|笹尾《ささお》が、結び草履の足下を小刻みに近寄った。
 この途端、青嵐《あおあらし》というには余りに凄かった。魔風と云おうか、悪風と去おうか、突如として黒姫おろしが吹荒《ふきすさ》んだ。それに巻上げられた砂塵《すなぼこり》に、行列の人々ことごとく押包まれた。雲か霧かとも疑わした。
 笹尾は急いでお乗物の戸を締めた。陸尺《ろくしゃく》四人も立ちすくんだ。手代り四人も茫然とした。持槍、薙刀《なぎなた》、台笠、立傘、挟箱、用長持《ようながもち》、引馬までが動揺して、混乱せずにはいられなかった。
 それは併し間もなく吹き抜けて、湖水の方にと去ったのであったが、二百余人の供廻りの、眼を開き得る者は一人も無かった。
「砂が目に入ったので御座ろう」
「いや、虫の群をなしたのが、あの風に巻込まれて、運悪くも眼の中に」
「それならば未だ宜しいが、曲者有って、一時に目潰しでも投げたのでは御座るまいか、ヒリヒリ致してどうも成り申さぬ」
 大名行列の大勢ことごとくが、一時|盲目《めくら》になって立往生をしたのであった。

       

 信州柏原の本陣、古間内《こまうち》の表屋敷上段の間には、松平越後守光長が入り、奥座敷上段の間には、御後室《ごこうしつ》高田殿が入られたのであった。
 老女笹尾を筆頭としてお供の女中残らずが、黒姫の裾野の怪旋風に両眼殆ど潰れたも同然、表方の侍とても皆その通りで、典薬が手当も効を見ず、涙が出て留度《とめど》が無かった。
 されば本陣御着にても、御湯浴、御召替、御食事など、お側小姓も、お付女中も、手の出しようが無い為に、異例では有るが本陣の娘、宿役人の娘など急に集めて、御給仕だけはさせたのであった。
「駕籠の戸を笹尾が早う閉じたので、妾《わらわ》だけは目を痛めなんだ。したが、皆の者、今宵は早う眠るが好い、左様致したなら翌日《あす》は治ろう。好《よ》う一畑の薬師如来を信仰せよ」
 御後室はそう云って、自分にも早くより蚊帳を吊らせ、寝所にと入られたのであった。
 高田を立って二日目、女中達は皆足を痛めている上に、眼まで今日は痛めたので、行燈の光さえ眼眩《まぶ》しいところから、宿直《とのい》の人を残して、いずれも割当てられた部屋部屋へ引下った。
 お次の間には老女笹尾が御添寝を承わり、その又次の間が当番の腰元二人、綾女《あやじょ》、縫女《ぬいじょ》というのが紅絹《もみ》の片《きれ》で眼を押えながら宿直に当った。
 この土地冬は雪多く、夏は又蚊が少くないのであった。団扇《うちわ》使いは御寝《ぎょしん》の妨げと差控え、その代り名香をふんだんに、蚊遣り火の如く焚くのは怠らなかった。それも併し、時の過ぎるに従って、昼間のつかれに二人とも、居眠りせずにはいられなかった。
 高田殿は広き白紗《はくしゃ》の蚊帳の中で、身を悶悩《もんのう》させずにはいられなかった。眼はただ一人助かったなれど、その代り右の手の甲を毒虫に螫《さ》されたので、それがいつまでも痛痒《いたがゆ》くて何んとしても耐えられぬのであった。
 それにいつの間にやられたのか、その手の甲と同じように、背筋にも痛痒さを覚えるので、それを自から掻こうとしても、手の先は巧く思う壺に達せぬ事を怠緩《もどか》しがった。
 それや、これや、中々に眠りに就けなかった。寝られぬままに考えると、怪しき事のみ今日は多かった。
 大田切の路傍で見た旅商人の若衆、関川で見た巡礼の若衆、最後に黒姫山の裾野で見た武家若衆。同じ人か。別の人か。三ヶ所で見たのは、扮装《いでたち》は別々ながら、いずれも高田城内に忍び込んだ怪しき若者にそのままで有った。もしやその由緒《ゆかり》の者が怨恨《うらみ》を晴らさん為に、附狙うのではあるまいか。そう思うと又してもぞっとして、全身を悪寒をさえ生じたのであった。
 背筋の痒さは一層強く覚え出した。いかに身を悶悩さして、敷蒲団《しきぶとん》に擦付《こすりつ》けても、少しも思うように痒さは癒えぬのであった。
「あッ、もう、どうしようのう」
 思わず知らず、口走った。大名の権威も、女子の謹慎も、共に忘れて了《しま》ったのであった。
「誰《た》そ、早う……あ……もう、絶入《たえい》るばかりじゃ。誰《た》そ来てたもれ」
 常ならば次の間の笹尾が真先に起きて来るものを、疲れ切ってか、眠りから覚めなかった。宿直の侍女もどうしたのか、二人ともそれを聴かぬらしい。こっちへ来ようとはしなかった。
「誰《た》そ、誰そ」
 高田殿の悩みの声。
「はッ、何御用に御座りまするか」
 絹張の丸行燈の下に、両手を突いて頭《かしら》を下げた少女を、高田殿は蚊帳越しに見た。それはどうやら給仕に出た本陣の娘らしく思われたのであった。
「おう、能《よ》う来てくれやった。さッ、早う。その方でも苦しゅうない。ここへ来て、毒虫に螫された後の、手当をしてくれやいのう」

       

 関川の滝之助は急に大|富限者《ぶげんしゃ》と成ったけれど、直ぐその金持|面《づら》をする時は、人から疑われるを知っていた。
 江戸へ出て、とも考えたが、三十六貫目の黄金を、どうして運んで好い事か、それにも迷わずにはいられなかった。
 身体はいくら大きくても、未《ま》だ十四歳。死んだ洞斎老人の遺言通り、徳川の家に仇するには、余りに準備が足りなかった。
 異国へ渡って切支丹《きりしたん》を学び、その魔法で徳川家を呪えという、それも洞斎の遺言であったが、いずれはそうしようとも考えながら、生れ故郷の関川を未だ一歩も出ずにいたのだ。そこへ高田城主の江戸詰と聞き、小さな復讐は放棄せよと、洞斎老人の意見ではあったなれど、いかにしても諦悟《あきらめ》が着かなかった。
 父の牢死、母の悶死、兄の刑死、それを思うと松平家を呪わずにいるのが耐えられぬ苦痛。それに又一方に於て、洞斎老人から伝授された奇薬を遣っての秘法をば、実地に行って見たくてならなかった。
 霧隠れ雲隠れの秘薬、かつてこれは洞斎から真田幸村にも教えて、風を利用して薬粉を散らし、敵の大軍へ一時に目潰しを食わせるという計画をも立てたのだが、大阪夏之陣の風の吹き方が、巧く注文に適《はま》らなかったのであった。
 それを滝之助は今日しも試みたのであった。最初に大田切で隙を狙って失敗したので、急いで変装して間道を駈抜けて、関川で再挙を企て又成らず、三度目の黒姫おろし、見事にこれは成功して、大名行列を一斉に盲目《めくら》にした。
 今又、里の娘に変装して、本陣内に忍び込み、宿直《とのい》その他の者に眠り薬を嗅《か》がして、高田殿の側まで接近したのであった。
 背筋の虫に螫された痕《あと》、その痒さを留《と》める役目なので、蚊帳の中に入っても直ぐと後へ廻った為、顔を見られずに済んだのであった。
 もうここまでに成ればこちらのもの、隠し持ったる鎌で、後から、高田殿の喉笛を掻切り、父兄の仇の幾分を報じるのだ。それから又表座敷へ廻って、越後守光長の首級《しるし》をも貰い受けよう。そういう復讐の念に燃えるので、滝之助は赫々《かっかっ》と上気して、汗は泉の如く身内に吹き出た。
「さァ苦しゅうない、寝間衣《ねまき》の上からでは思うように通るまい、肌|襦袢《じゅばん》の薄い上から、爪痕立て、たとえ肌を傷《きずつ》けようと好い程に」
 高田殿は狂気の如く身を悶悩させるのであった。
 今! 今! 今を除いていつの日ぞ。父や母や兄の仇、松平家を代表した一人《いちにん》に、怨恨《うらみ》の鎌の刃とは、思えども、初めて接した貴人の背後、物怯《ものおじ》してブルブル戦慄《せんりつ》して、手の出しようがないのであった。
 熊も熊、荒熊の如き武者修業の背後から、何の躊躇《ちゅうちょ》もなく鎌の刃を引掛けたが、尊き女※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26]《じょろう》の切下げ髪、紫の打紐《うちひも》にキリキリと巻いたるにさえ、焚籠《たきこ》めてある蘭麝待《らんじゃたい》の名香。ついそれを鼻の先に嗅ぐからに、反対にこちらが眠り薬に掛ったかの様、滝之助は恍惚《こうこつ》として、つい鎌を取落した。
「怪しき女!」
 高田殿は振向いた。初めて見たその顔!
「あッ」
 昼間三度も見た若衆の顔!
 守刀《まもりがたな》を早速に取って袋のままに丁と打った。
「覚悟ッ」
 滝之助は本気に復《かえ》って鎌を取上げて身構えた。この時既に高田殿は、守刀を抜放《ぬきはな》していた。
 広くはあっても限りある蚊帳の中、振上げる度に鎌は引懸った。
 守刀を突き込む刃先の鋭さには勝てなかった。女性《にょしょう》ながらも武将の後室。
 颯《さっ》と白紗《はくしゃ》の蚊帳に血飛沫《ちしぶき》が散って、唐紅《からくれない》の模様を置いた。
「人々出会えッ。曲者は仕留めたぞえ」

 滝之助はこうして怨恨《うらみ》を呑んで死んだ。巨万の富はどこへ隠されたか、そのままになったのであった。大久保石見守長安が隠したその他の分も、ついに発見されぬのであった。
「高田殿は乱行、若き男子《おとこ》を屋敷内に引入れて、寵《ちょう》衰えると切殺し、井戸の中に死骸を捨てられるよ」
 そういう風説が江戸中に拡がった。これは併し冤罪《えんざい》である事は、後世の歴史家が既に証明している。二代将軍の三女というので、幕府でも優遇したが、旗本の若者達、喧嘩口論して人を斬り、罪を得たその時には、皆高田殿へ駈込んだのであった。
 高田殿は良人《おっと》忠直卿の事を考えて、常に慈悲深く、それ等の人を庇護された。幕府でもそうなると手を附けなかった。
 益々若者の駈込むのが多くなった。けれどもここに奇怪なのは、駈込んだ若者が、一人として無事には出なかった。いつの間にやら行方が不明になった。それは正《まさ》しくその時代の不思議の一つとせられたのであった。
「あッ、又今度の若者も、妾《わらわ》を付狙う黒姫の曲者よ」
 駈込んで来た若者の顔が、高田殿にはいつとしもなく、滝之助の顔に見えるのであった。そうしてその時ばかり狂気の如くなって、守刀で刺し殺されるのであった。その死屍《しし》は古井戸の中に捨てられたのであった。
 寛文《かんぶん》十二年二月二十一日晩方、高田殿は逝去した。天徳寺に之を葬った。天和《てんな》元年には、家断絶。世にいう越前家の本系は全く滅亡に及んだのだ。
 滝之助の怨恨《うらみ》。地下に初めて晴れしや如何《いか》に。

底本:「怪奇・伝奇時代小説選集4 怪異黒姫おろし 他12編」春陽文庫、春陽堂書店
   2000(平成12)年1月20日第1刷発行
底本の親本:「現代大衆文學全集2」平凡社
   1928(昭和3)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:岡山勝美
校正:門田裕志
2006年9月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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江見水蔭

怪異暗闇祭—— 江見水蔭

      一

 天保《てんぽう》の頃、江戸に神影流《しんかげりゅう》の達人として勇名を轟かしていた長沼正兵衛《ながぬましょうべえ》、その門人に小机源八郎《こづくえげんぱちろう》というのがあった。怪剣士として人から恐れられていた。
「小机源八郎のは剣法の正道ではない。邪道だ。故に免許にはいまだ致されぬが、しかし、一足二身三手四口五眼を逆に行って、彼の眼は天下無敵だ。闇夜《あんや》の太刀の秘術を教えざるにすでに会得している。怪剣士というは彼がことである」
 師の正兵衛さえ舌を巻いているのであった。
 天保九年五月五日の朝。同門の若者、多くは旗本の次男坊達が寄って、小机源八郎を取囲んだ。
「ぜひどうか敵討《かたきうち》に出掛けて貰いたい。去年の今夜でござる。その節もお願いして置いた。この敵《かたき》を討ってくれる人は貴殿よりほかにはござらぬと申したので。や、その節快く御承諾下されたので、我々共は今日の参るのを指折り数えて待っておった次第で」
「なんでござったかな、敵討なんどと、左様な大事件をお引受け致したか知らん」
「御失念では痛み入る。それ、武州《ぶしゅう》は府中《ふちゅう》、六所明神《ろくしょみょうじん》暗闇祭《くらやみまつり》の夜、我等の仲間が大恥辱を取ったことについて」
「ああ、あの事でござるか」
 天保八年五月五日の夜、長沼門下の旗本の若者が六人で、府中の祭に出掛けたのであった。それは神輿《しんよ》渡御の間は、町中が一点の燈火《ともしび》も残さず消して真の暗闇にするために、その間において、町の女達はいうまでもなく、近郷から集って来ている女達が、喜んで神秘のお蔭を蒙《こうむ》りたがるという、噂《うわさ》の虚実を確めずに、その実地を探りにと出掛けたのであった。
 こうした敗頽《はいたい》気分に満ちている、旗本の若き武士はその夜、府中の各所に散って、白由行動を取り、翌朝|深大寺《じんだいじ》門前の蕎麦屋《そばや》に会して、互いに一夜の遭遇奇談を報告し合おうとの約束であった。
 さて、明くる朝、定めの家に六人集って見ると、六人が六人とも、鼻頭《はなさき》をそぎ取られていて、満足の顔の者は一人もないのであった。
「暗闇祭には怪物が出る。まさか神わざとも思われぬが、いかにしても残念。その正体を見届けて、退治て貰わなければ堪忍ならぬ」
 六人が六人とも、もとより暗闇の中の事ゆえ、正体を見届けようもなかったが、何者やら知れず前に立ったと思うと、忽ち鼻を切られたのだという。ただそれだけで一同取留めた事実が無かったのだ。
「天狗《てんぐ》の所業《しわざ》と云ってしまえばそれまでだが、いわゆる鎌鼬《かまいたち》の悪戯《いたずら》ではござるまいか」という説もあった。
「いや確かに人間でござった。心願あって、六所明神の祭礼に六つの鼻を切るという願掛けでも致したのではござるまいか」という説もあった。
「なれども、六人が六人とも切られたところに疑いがござる。こりゃ長沼の道場に遺恨のある者が、六人を見掛けて致したのではござるまいか」という。この説、はなはだ有力となった。
「しかし、まだほかに、鼻を切られた者があったかも知れ申さぬ。ありとすれば強《あなが》ち、長沼の門人とのみ限られたわけでもござらぬで」という説も出て、要するに何の目的で誰がそのような悪戯をしたのやら、少しも見当がつかぬのであった。
 小机源八郎も、これには多少の興味を持たぬではなかったので、
「よろしい。しからば拙者、府中へまかりこし、怪物の正体を見届け、巧《うま》く行けば諸氏の敵も討ち申そう。しかし、まかり間違ったら拙者の鼻もいかがでござるか」
 笑いながら出て行った。

       

 江戸より府中までは八里。夕方前に小机源八郎は着いた。
 府中はいまさら説くまでもなく、古昔《いにしえ》の国府の所在地で、六所明神は府中の惣社《そうじゃ》。字は禄所《ろくしょ》が正しいという説もあるが、本社祭神は大己貴命《おおなむちのみこと》、相殿《あいでん》として素盞嗚尊《すさのおのみこと》、伊弉冊尊《いざなみのみこと》、瓊々杵尊《ににぎのみこと》、大宮女大神《おおみやひめのおおかみ》、布留大神《ふるのおおかみ》の六座(現在は大国魂《おおくにたま》神社)。武蔵《むさし》では古社のうちへ数えられるのだ。
 毎年五月三日には、競馬《くらべうま》が社前の馬場において、暗闇の中で行われる。四日には拝殿において神楽が執行される。五日には大神事として、八基の神輿が暗闇の中を御旅所《おたびしょ》に渡御とある。六日には御田植があって終るので、四日間ぶっ通しの祭礼を当込みに、種々《いろいろ》の商人、あるいは香具師《やし》などが入込み、その賑《にぎ》わしさと云ったらないのであった。
 源八郎は番場宿《ばんばじゅく》の立場茶屋《たてばぢゃや》に入って、夕飯の前に一杯飲むことにした。客はほとんど満員の有様なので、ようやく庭の隅の方の腰掛に席を取った。
「肴《さかな》は何があるな。甲州街道《こうしゅうかいどう》へ来て新らしい魚類を所望する程野暮ではない。何か野菜物か、それとも若鮎《わかあゆ》でもあれば魚田《ぎょでん》が好《よ》いな」
「ところがお侍様、お祭中はいきの好い魚が仕入れてございます。鰈《かれい》の煮付、鯒《こち》ならば洗いにでも出来まする。そのほか海鰻《あなご》の蒲焼に黒鯛《かいず》の塩焼、鰕《えび》の鬼殻焼《おにがらやき》」
「まるで品川《しながわ》へ行ったようだな」
「はい、みな品川から夜通しで廻りますので。御案内でもござりましょうが、お祭前になりますると、神主様達が揃って品川へお出《い》でになり、海で水祓《みそぎ》をなさいまして、それから当日まで斎《いみ》にお籠《こも》りで、そういう縁故から品川の漁師達も、取立ての魚を神前へお供えに持って参りまするが、同じ持って行くのならたくさん持って行って売った方が好いなんて、いつの間にやら商売気を出してくれたのが、私達の仕合せで、多摩《たま》の山奥から来た参詣人《さんけいにん》などは、初めていきの好い魚を食べられるなんて、大喜びでございます」
「そう講釈を聴くと江戸では珍らしくないが、一つ海鰻を焼いて貰って、それから鯒は洗いが好いな。まあその辺で一升つけてくれ」
「一升でございますか」
「いずれ又後もつけて貰う。白鳥《はくちょう》で大釜へつけて持って来い」
「へえへえ」
 小机源八郎は長沼の内弟子。言って見れば今の苦学生だ。金は無いのだ。ところが今日は暗闇で旗本六人が鼻をそがれた敵討というので同門から金を集めてくれたので、大分|懐中《ふところ》は温かいのだから、大束《おおたば》を極めて好きな酒が呑めるのであった。
 隣りの腰掛で最前から、一人でちびりちびり、黒鯛の塩焼で飲んでいる旅商人《たびあきんど》らしい一人の男。前にも銚子が七八本行列をしているのだが、一向酔ったような顔はしていなかった。色は青味を帯びた、眉毛の濃く、眼の鋭い、五分《ごぶ》月代毛《さかやけ》を生《はや》した、一癖も二癖もありそうなのが、
「お武家様、失礼ながら、大分御酒はいけますようで」と声を掛けた。
「いや余計もやらぬが、貧乏世帯の食事道具|呑位《のみぐらい》のものじゃ」
「へえ、貧乏世帯の食事道具呑……聴いたことがございませんな。それはどういう呑み方でございますか」
「金持の道具では敵《かな》わぬが、貧乏人の台所なら高が知れておる。それに一通り酒を注《つ》いで片っ端から呑み乾すのだ」
「へえ、それでは、まあ茶碗に皿、小鉢、丼鉢、椀があるとして、親子三人暮しに積ったところで、大概知れたもんでございますな。手前でもそれなら頂けそうでございます」
「ところが、拙者は茶碗や皿などは数には入れておらん。いくら貧乏世帯でも鍋釜はあるはず。それまで一杯注いで置いて呑む」
「こいつあ恐れ入りました」
 まさか小机源八郎、それ程呑めもしないのだが、座興《ざきょう》を混ぜて吹飛ばしたのだ。
 話が面白くなって酒も大分はずんで来た。
「や、拙者は当所の御祭礼は初めてだが、なんでも昨年は、暗闇の間に、余程奇怪な事が行われたと申すが、それはほんの噂に過ぎぬのか。それも本統にあった事かな」
 源八郎はこの旅商人が去年の祭にも来ていたというのからして、探りを入れて見たのであった。
 旅商人は少し真面目《まじめ》になって、
「旦那のお聴きになったのは、どんな出来事でございましたね」と問い入れた。
「されば、なんでもどこかの侍が数人とも顔面を何者にか知れず傷つけられたと申す事で」と明白《あからさま》には源八郎云わなかった。
「や、それは私として、初耳でございますが、私の聴きましたのは、ちっと違いますので」
「どんな話か、肴に聴きたいもんだな」
 そう云いつつ、猪口《ちょこ》代用の茶碗をさした。

       

 旅商人は四辺《あたり》に気を配り、声を低めて、
「実は旦那、去年には限りません、毎年この暗闇祭には、怪しい事があるんでございますよ。ですが、それをぱっとさせた日には、忽ちお祭がさびれっちまうので、土地の者は秘し隠しにして居りますがね。昨年のはちっと念入りでございましたよ。女がね、お臀《しり》の肉を斬られたんでね。なんでも十二三人もやられたらしいんで。大道臼《だいどううす》のようなのは、随分斬り出があったろうと思います」と語り出した。
「ふむ、それは怪《け》しからん。女の臀部《でんぶ》を斬るとは一体何の為だか。いずれ馬鹿か、狂人《きちがい》の所業《しわざ》であろうな」と源八郎も新事実を聴いてちょっと驚いた。
「まだほかに何があったか知れませんが、それはただ私達の耳に入らねえだけのことだと思います。今夜もきっと何かあるだろうと思われますよ。何しろ諸方から大勢人が入込んで居りますから……それに、昨年は、信州《しんしゅう》のある大名のお部屋様が、本町宿《ほんちょうじゅく》の本陣《ほんじん》旅籠《はたご》にお泊りで、そこにもなんだか変な事があったそうで、それについては私は能《よ》く存じませんがね」
「大名のお部屋が泊っていても、矢張神輿渡御の刻限には火を消さずばなるまいな」
「それはもうどちら様がお泊りでも、火を点《つ》けることはできますまい」
 源八郎は考えた。六人の旗本の鼻を削ったのと、十数人の女の臀部を斬ったのと、又大名の愛妾《あいしょう》を襲ったのと、同一人物の手であるかどうか。これは研究物だと心着いたのであった。
 この時、旅商人は急に心づいた様子で、
「や、御武家様、私に限らず今夜はもうとてもこの宿《しゅく》へは泊れません、どこも一杯です。それで私は布田《ふだ》までのして置きまする。へえ、甲州へ絹を仕入れに行った帰りでございます。御免下さいまし」
 勘定を済ましてせっせと先に行ってしまった。源八郎はその旅商人を、どうも怪しいと睨《にら》まずにはいられなかった。
 道中の胡麻《ごま》の灰《はい》形の男にも見えた。あるいは又すり[#「すり」に傍点]稼ぎのために入込んだ者のようにも思われた。あいつが仕事のついでに、悪戯《いたずら》をして廻るのではあるまいか。そんな疑念をも生じたのであった。
 すり[#「すり」に傍点]は一種特異の刃物を掌中に持っている。それで巾着《きんちゃく》を切ることもあり、仕事の邪魔をした者に復讐的に顔面を傷つけるという話は聴いている。あの旅商人が巾着切とすれば、どうも鼻そぎ臀切りの犯人が、あいつのように思われてならぬのであった。
 あいつ真《しん》に甲州へ絹の仕入れに行き、江戸へ帰るべく今夜布田に泊る者とすれば、もうこの土地に姿を見せぬはず。もしあいつが暗闇の前後に、まだ府中の土地を踏んでいるとすれば、もう確かだ。引捕えて白状さして、今度はこっちから鼻を落してやると、源八郎はそういう決心をして、酒は一升で打ち切り、勘定済まして立場茶屋を出た。
 まだ神輿出御の刻限には間があったので、源八郎は群集を避けて、本社の背後へと廻って見た。
 有名な乳房銀杏《ちぶさいちょう》から後《うしろ》には杉松その他の木が繁っていて、昼も暗いくらいだから、夜はまだ燈明を消さぬ間から暗いのであった。
 源八郎にはしかし、少しもそれが暗くないのであった。透《すか》せば朧気《おぼろげ》に立木の数も数えられるのであった。源八郎の眼は長沼正兵衛すらも驚いているのであった。
 小机源八郎は、武州|橘樹郡《たちばなごおり》小机村《こづくえむら》の郷士の子で、子供の時に眼を患ったのを、廻国の六十六部が祈祷して、薬師の水というのを付けてくれた。それで全治してから後《のち》は、不思議に夜目が利くようになったのであった。
 野獣の眼が暗夜に輝くという、そこまでには至らずとも、とにかく普通の者に比べると、薄々ながら見えるのであった。

       

 何心なく源八郎は裏山の方を透して見た。すると大きな大きな欅《けやき》の樹の、すでに立枯れになっているのが、妖魔の王の突立つ如くに目に入った。その根下《ねもと》に、怪しい人影が一個認められた。
 気になるので密《そっ》と立木の間を縫って、近寄って見ると、意外にもそれは例の旅商人であった。
 いよいよ以て怪しいと思って、源八郎は忍び足に近寄ろうとすると、旅商人はすでにそれと感付いたらしく、立上って逃げようとした。
「おいおい、お前はまだここにいたんだな。布田の方へは行かなかったのか」
 源八郎は声を掛けた。
「おやっ」
 少からず旅商人は驚いた。
「旦那は、能くこの暗いのに、私ということが分りましたね」
「お前は又拙者が忍んで近寄ったのに、能く分ったの」
 向うも驚いたが、こちらでも驚いたのであった。
「へえ、私は、昼間より、夜分の方が眼が能く見えますんで」
「なに、その方も夜目が利くのか。拙者も実は夜目が利くのだ」
「おや、旦那も夜目がねぇ、へえ、そうでございますかい。じゃあ矢張、お稼ぎになるんですね」
「稼ぐとは何を」
「へへへへ」
「何を稼ぐと申すのか」
「なに、ちょっと、その」
「拙者を白浪《しらなみ》仲間とでも感違いを致したのか」
「まあ、その、ちょっとね。へへへへ、夜目が利くと仰有《おっしゃ》いましたので……どうも相済みません」
「するとその方は、確かに泥棒だな」
「御免なすって下さいまし。隠しゃぁ致しません。全く私は花婿仲間でございます」
「花婿仲間とはなんだ」
「夜目取《よめど》りで。へへへ、嫁取りに文字《もじ》ったので」
「江戸の者は泥棒まで洒落《しゃれ》っ気《け》があるな。面白い。そこでその方は、毎年暗闇祭には稼ぎに来るんだな」
「実は旦那、稼ぐというのは二の次で、遊び半分、まあ毎年来て居ります。私ばかりじゃぁございません。仲間の者がみな腕試しやら眼試しのために」
「腕試しというのはあるが、眼試しとはなんだ」
「この泥棒稼業に一番大事なのは眼でございます。暗闇で物を見るようにならなければ、好い稼ぎができません。それで泥棒、と云っても、それぞれ筋があるのでございますが、私達の仲間の古老からみな教わったのでございますが、食忌《しょくい》みをして、ある秘薬を三年の間|服《の》みつづけまして、それから又暗闇の中で眼を光らかす修業を二三年致します。泥棒になるんだって本統になろうと思うと、修業に骨が折れて楽ではございません。もちろんこれは昔のすっぱ[#「すっぱ」に傍点]の家から伝わった法が土台になっておるそうで……そこで、まあ私もその修業の法は早く済ましてしまいまして、闇夜でも手紙が読めるくらいまでには行っております。異名を五郎助七三郎《ごろすけしちさぶろう》と申しますが、七三郎が本名で五郎助は梟《ふくろう》の啼《な》き声から取ったのでございますがね」
「それで今、お前の仲間は」
「仲間は日本国中にどのくらいあるか知れませんが、関東だけでざっと五百二十人ばかり、でも本統に夜目の利く奴《やつ》は、僅かなもので、ようやく五人でございました。今から六年前のちょうど今月今日召捕られまして、八月十九日に小塚《こづか》っ原《ぱら》でお仕置を受けました鼠小僧次郎吉《ねずみこぞうじろきち》なんか、その五人の中には入って居りません。あんな野郎はまだ駆出しで」
「その五人というのは……」
「そう申しては口幅っとうございますが、先ずこう申す五郎助七三郎が筆頭で、それから夜泣《よな》きの半次《はんじ》、逆《さか》ずり金蔵《きんぞう》、煙《けむり》の与兵衛《よへえ》、節穴《ふしあな》の長四郎《ちょうしろう》。それだけでございます」
「変な名だな。それがみな、暗闇祭へ来たのか」
「揃って来たこともありましたが、近在の百姓衆の財袋《さいふ》を抜いたところで高が知れております。しかし、まあ、悪戯《いたずら》をするのが面白いんで、たとえば神様のいらっしゃる境内をも憚《はばか》らず、暗闇を幸いに、男女が密談などしているのを見付けては、知らない間に二人の髷《まげ》をちょん切って置いたりなんかして、脅かしてやりまして、以後そんな不謹慎な事をしないように誡《いまし》めてやりますので」
「去年も五人揃って参ったか」
「それが旦那、それからがお話でございます。夜泣きの半次は御用になりまして、まだ御牢内に居ります。煙の与兵衛は上方へ行って居りまして、一昨年には節穴の長四郎と、逆ずり金蔵と、私と、三人連れで参りましたがね。その時に、えらい目に遭《あ》いましてねえ」

       

 奇怪極まる五郎助七三郎の話に、小机源八郎はすっかり聴き惚れてしまったのであった。
「どんな目に遭ったのか」
 五郎助七三郎は少しく興奮して、
「あんなのを天狗とでも云いましょうか。夜目の利く私達よりも、もっと夜目の利く山伏風の大男がね。三人で、ちょうどこの裏山で、抜き取った品物を出し合って勘定をしていたところへ、不意に現われて、金剛杖のような物で滅茶滅茶です。三人もじっとして打たれるようなのじゃあありません。懐中《ふところ》に呑んでいた匕首《あいくち》で、魂限《こんかぎ》り立ち向ったんですが、とても敵《かな》いませんでしてね。三人とも半殺しの目に遭わされました。それが原因で逆ずり金蔵は二月ばかり患って死んでしまいました。節穴の長四郎と私は湯治《とうじ》に行くてえような有様で……そこで去年、その敵討というので、すっかり準備をして、長四郎と二人でね、暗闇祭に来ましたがね」
「どんな準備をして」
「目つぶしです。目つぶしを仕入れて、それを叩きつけてから斬付《きりつ》ける手筈でしたが、矢張いけませんでした。長四郎があべこべに眼を潰されて了いました」
「向うから目潰しを投げたのか」
「いいえ、指を眼の中へ突込みやあがったので」
「酷《ひど》い事をするな」
「とうとう私一人になってしまいました。今年は口惜しいから、どうしても私一人で敵《かたき》を討つ了簡で、実は種ヶ島《たねがしま》を忍ばせているんでございます」
「去年も矢張山伏姿か」
「左様でございました」
「そいつではないか。去年、武家の顔面を傷つけたのは……」
「さあそうかも知れません」
「臀肉《でんにく》を切ったというのは、その者ではあるまいか」
「多分そうかも知れませんな」
「七三郎とやら、お前、拙者に隠してはいかんぞ。お前と長四郎とで、旗本六人の鼻の頭《さき》を斬ったのじゃあないか」
「いや隠しません。隠すくらいなら初めからなんにも云いません。や、白状ついでだから一つは云いますが、本陣へ忍び込んで、大名のお部屋様の小指を切って逃げたのは私です。その女は私の稚《おさな》友達だったのですから」
「じゃあ全く、その方、旗本の鼻や、女の臀を切ったのではないのだな」
「前には男女の髪は切りましたが、昨年は、お部屋様のほかにはなんにも致しませんでございました」
「そうか。実は拙者……」かくかくの次第と、旗本六人の敵討に来たことを物語った。
 五郎助七三郎は喜んだ。
「や、長沼先生の御高弟、小机先生でございましたか。そういうことならぜひどうかお力添えを願います。お旗本の鼻を削ったのも、怪しい山伏に相違ございませんぜ」
 この時大欅の枝の上で、
「あっはっはっはっはっ」と高笑いがした。
 さすがの小机源八郎もびっくりした。五郎助七三郎などは飛上って驚いた。
 透して見るとそこに人が登っていた。朧気《おぼろげ》ではあるが山伏の姿であった。
「なんだ、そんな所にいて、我々の話を黙って聴いていたのか」と源八郎は呼ばわった。
「夜目が利くの、闇夜《あんや》の太刀を心得ておるのと、高慢なことを申しても和主達《おぬしたち》は駄目だ。俺がここにいるのが見えなかったろう」と、樹上の怪人は嘲《あざけ》り気味に云った。
「ぐずぐず云わずとここへ降りて来い」
「降りても好い。だが、貴様達がそこにいては降りられない」
「こわくって降りられんのか」
「いや、そうじゃあない。俺は一足飛びにそこへ飛んで降りるのだが、ちょうど足場の好い所へ二人並んでいやあがる。邪魔だ」
「馬鹿を云うな。二人の前でも、後でも、右でも、左でも、空地はある。どちらへでも勝手に飛降りろ」
「だから貴様等の夜目は役に立たないんだ。まだ暗闇が見えるというところまでに達して居らない。貴様達の後には犬の糞《くそ》がある。それが貴様達には見えないだろう。前には山芋を掘った穴がある。能く貴様等は落ちなんだものだ。右には木の根が張っている。左には石や瓦のかけ[#「かけ」に傍点]が散《ちらか》っている。みな飛降りるのに都合が悪い。ちょうど貴様達二人のいる所が、草の生え具合から土の柔かみで、足場が持って来いだ。それをこの二丈五六尺から高い樹の上から、暗闇の中にちゃんと見分けることのできる俺だのに、貴様達にはそれができぬ。夜目について威張った口を利くのは止《よ》せっ」
 これには二人とも驚いた。正《まさ》しく天狗だ。いでその鼻の高いのを、降りて来て見ろ、斬落してくれるぞと、云い合さねど互いに待構えた。

       

「さあ、飛ぶぞ。退《ど》かなけりゃあ片足をすり[#「すり」に傍点]の頭の上に、片足を三ぴんの頭の上に、乗っけて立つように飛んで見せるぞ」
 そう云いながら樹上の怪山伏は、一気に二丈五六尺の高さから飛降りた。
「えいっ」
 待構えていた小机源八郎は飛降りてまだ立直らないところを、度胆を抜くつもりで刀の背打《むねうち》を食わせようとした。
「はっはっはっ」
 後《うしろ》の方で又例の高笑いがした。
 前に飛んだのは、大きな幣束《へいそく》であった。後に山伏は早や立っていた。
 何しろ大男だ。顔までは能く分らなかったが、丈は雲を突くばかり、手には金剛杖を持っていた。
「生意気な山伏|奴《め》。さあ小机源八郎の闇夜の太刀先を受けて見ろっ」
「いくらでも受けるが、俺の姿が見えるかっ」と山伏は嘲笑《あざわら》った。
「何っ」
 一刀両断は神影流の第一義。これ、実の実たる剣法であったのを、見事に身を交わされて、虚の虚とさせられた。
「おのれっ」
 二度の打込は虚の実。二段の剣法。正面急転右替の胴切と出たところを、巧みに金剛杖で受留められた。
 杖に鉄条でも入っているのか、その杖さえも切落せぬので、源八郎もこれは手ごわいと、先ず気を呑まれた。
 源八郎危しと見て、五郎勘七三郎は、種ヶ島の短銃を取出し……までは、好かったが、その時代のは点火式で、火打石で火縄へ火を付けて、その又火縄で口火へ付けるという、二重三重の手間の掛かる間に、金剛杖でぐわんと打たれて、手に持っていた火打鎌が、どこへ飛んだか、夜目自慢の七三郎も、こうなると面食《めんくら》って、見付けられず、手探りに探っている間に、何度頭を金剛杖で撲《なぐ》られたか、数知れず、後には気絶して突伏してしまった。
 鋭く斬込んで来る源八郎を扱いながら、その隙間《すきま》に七三郎を参らしたのだから、どの位腕が利くか、ほとんど分らなかった。
「もう止せ。とても俺には敵うまい。ぐずぐずしていると貴様の命はなくなるぞ。や、それでは少し借しい。それに貴様達は考え違いをしておる。俺は旗本六人の鼻も切らねば、十数名の女の臀部も切らぬ」
「えっ」
「それについて実は俺も不思議に思っているところなんだ。さあ勝敗《しょうぶ》止《や》めて話し合って見ようじゃあないか」
 止めるも止めぬもない。小机源八郎すでにへとへとで、ただ青眼に構えているだけで、四方八方隙間だらけだ。
「うーむ」
「唸らなくっても好い。まあ木の根にでも腰を掛けろ。おっとそこの木の根には毛虫が這ってる。貴様には見えまいが、俺には見える」
「何、毛虫がいたって構わん」
 源八郎、敗《ま》けぬ気を出したわけではない。ほかの木の根を探すよりも、早く休みたいからであったのだ。

       

「一体、貴公は何者だ」と小机源八郎は、ようやく息を納めてから問うた。
「俺は本当の天狗だ。天狗にもいろいろあるが、俺のは正札付きの天狗だ。ただし昔話にある羽団扇《はうちわ》を持った、鼻の高い、赤い顔の、あんなのではない。普通の人間で、ちゃんと両親もある、兄弟もある。武州|御岳山《おんたけさん》で生れたんだ。代々山伏だ。俺の先祖は常陸坊海尊《ひたちぼうかいそん》。それから血統正しく十八代伝わっている。長命が多いので、百歳以上まで生きたのが二三人ある。代々夜目が利くんだ。俺は大竜院泰雲《だいりゅういんたいうん》という者だ」
 なる程天狗だ。大天狗だ。
「それがどうして一昨年と昨年と、二年つづきで七三郎の仲間を、半殺しの目に遭わされたか」
「当り前じゃあないか。神祭《かんまつり》の際に悪事を働くなんど怪しからん奴等だから、懲らしめのために二年つづきで遣付《やっつ》けてやった。今年で根絶《ねだや》しに致すところなんだ」
「それでは、旗本六人の鼻は」
「や、それは本統に知らん。俺は全くそんな事はしらない。女の臀部を切ったのも全《まる》で知らん。ほかにあるに違いない。俺は暗闇を幸に悪事をする奴を懲らしめるために、毎年下山して来ておるが、どうも去年のだけは見当がつかぬ」
「すると、ほかにあるんだな。何者だろうか」
「や、面白い。どうだ、源八郎。貴様のようなのでも、とにかく夜目の利く一人だ。すり[#「すり」に傍点]の野郎も先ず先ず夜目が少しは見える。今夜はこの三人で暗闇の中を見廻って、左様な悪戯をする者を引捕え、以来手を出させぬように致してやろうではないか」
「それは結構。三人で暗闇の中を探して見よう」
「じゃあ、そのすり[#「すり」に傍点]を活かしてやろう」
 大竜院泰雲が、七三郎に活を一つ入れた。
「うーむ」と七三郎は唸り出した。
「しっかりしろっ」と源八郎が呼ばわった。
「もうたくさんです」
「安心しろ、もう撲らん」
 ここで三人が約束して、三方に散って、暗闇祭の中を縫い歩き、鼻切り臀切りの犯人を捕えたら、一先ずこの大欅の根下まで連れて来るということにした。
「誰が捕えるか、眼力くらべだ。敗けた者に酒を奢《おご》らせることにしようではないか」と源八郎が云い出した。
「や、それは御免だ。眼力も眼力だが、もし運が悪ければ見付けられない。俺が敗けたとなると貧乏山伏だから、酒代は出せぬ。そこで酒はすり[#「すり」に傍点]が人の金を取ってたくさん持っているだろうから、誰が見付けたに関らず、七三郎、貴様|一樽《ひとたる》買えっ。その代りだ、見付けた者が一番威張るということにして、敗けた二人は仕方がない、お辞儀をする。そうして一つ拳固《げんこ》で頭をこつん。これくらいの余興がないと面白くない」と泰雲が主張した。すり[#「すり」に傍点]の上前を跳ねて、酒を呑もうなんて、えらい奴もあったものだ。
 こうして、遺伝性で夜目の利く大竜院泰雲。奇蹟的に夜目の利く小机源八郎。練習の功で夜目の利く五郎助七三郎。この三人は社後の林を出て、思い思いに三方に散った。

       

 いよいよ暗闇祭の時は来た。神宮|猿渡何某《さるわたりなにがし》が神殿において神勇《かむいさめ》の大祝詞《おおのりと》を捧げ終ると同時に、燈火《ともしび》を打消し、八基の神輿は粛々として練り出されるのであった。
 七基は二の鳥居前より甲州街道の大路を西に渡り、一基は随身門《ずいしんもん》の前より左に別れ、本町宿の方から共に番場宿の角札辻《かどふだつじ》の御旅所にと向うのであった。
 三人は三人互いに姿を晦《くら》まして、どちらに向ったか知れぬのであった。
     *       *       *
 くさくさの式も首尾好く終って鼕々《とうとう》と打鳴らす太鼓の音を合図に、暗黒世界は忽ち光明世界に急変するのであった。家々の高張、軒提燈《のきぢょうちん》は云うも更なり、四ヶ所の大篝火《おおかがりび》は天をも焦《こ》がすばかりにて、森の鳥類を一時に驚かすのであった。
「又遣られたっ」
「今年は耳を切られた者が三人」
「鼻をそがれたのも五六人あるそうな」
「女は相変らずお臀だそうな」
 群集の中で、あちらこちらに怪事件を語り伝えるのであった。
     *       *       *
 社後の裏山大欅の下に、真先に帰って来たのは怪山伏泰雲であった。はなはだ機嫌が悪く、ぶつぶつ独語《ひとりごと》をつぶやきながら、金剛杖で立木を撲りなどしていた。
 そこへ怪剣士小机源八郎が、ぼんやりした顔で帰って来た。
「やあお前もしけ[#「しけ」に傍点]か」
「どうも見付からなかった」
「しかし、矢張、やられた者があるようだな」
「我々で見廻って発見されないのだから、すり[#「すり」に傍点]の野郎にはとても駄目だろう。今にしょげながら帰って来るよ」
 そう話し合っているところへ、怪巷賊《かいこうぞく》五郎助七三郎が帰って来た。背中に黒髪振乱したる若い娘の、血に染ったのを背負って来た。
「はっはっはっ曲者が見付からないので、埋合せに美人を生捕って来たな。酒の酌でもさせようというのであろうが、それはよろしくない。帰してやれ。おや、ぐったりしているじゃあないか。気絶しているのか」
 七三郎は黙ってそこへ娘を下した。そうして片手の平で鼻を一つ擦《こす》り上げて、腮《あご》をしゃくって反り身になり、
「さあどうだ。二人とも地面《じびた》に手を仕《つ》いて、お辞儀をしなせえ。拳固で一つ頭をこつんだ。もちろん酒は私が奢《おご》ってやる」と馬鹿に威張り出した。
「おいおい、血迷っちゃいかん。切られた娘を連れて来たって何になるか。切った奴を連れて来なけりゃあ駄目だ」と源八郎が笑いながら云った。
「ところがこの娘が今夜も遣ったんで、去年のも多分そうでしょう」
「えっ」
「お前さん達は男ばかり目を付けて廻ったから逃がしたんで、あっしは女に目を付けたんで奴と分った。当身で気絶さして、引担いで来たんです。御覧なさい、着物に血が着いている。手にも着いてるでしょう。帯の間に血塗《ちまみ》れの剃刀《かみそり》が手拭に巻いて捻込《ねじこ》んであります」
「うーむ」
 今度は大竜院泰雲が唸り出した。
 気絶している娘を三人で介抱して、蘇生さして、脅《おど》しつ透《すか》しつ取調べた。
 最初は泣いてばかりいて、どうしても白状しなかったが、絶対にこの事実は秘密にしてやるという条件が利《き》いて、娘は奇怪なる犯罪の事実を告白に及んだ。
 娘は社家《しゃけ》、葛城藤馬《かつらぎとうま》の長女で稲代《いなよ》というのであった。
 神楽殿の舞姫として清浄なる役目を勤めていたのであったが、五年前の暗闇祭の夜に、荒縄で腹巻した神輿かつぎの若者十数人のために、乳房銀杏の蔭へ引きずられて行き、聴くに忍びぬ悪口雑言に、侮辱の極みを浴びせられたのであった。
 余りの無念|口惜《くちお》しさ。それに因果な身をも耻《はじ》入りて、多摩川に身を投げて死のうとしたことが八たびに及んだ。それを発狂と見られて、土蔵の中を座敷牢にして、三年ばかり入れられていた。この裏面には継母の邪曲《よこしま》も潜むのであった。
 既に定《さだま》っていた良家への縁談は腹違いの妹にと移された。
 稲代はかかる悲運に陥《おとし》いれた種蒔の若者達を、極悪の敵《かたき》と呪わずにはいられなかった。けれどもどこの誰やら暗闇の出来事とて、もとより知れようはずがなかった。
 復讐、それは誰に向って遂げようもない。悲劇中の悲劇であった。終《つい》には世の中を呪い出した。人間を呪い出した。別して若い男、若い女、それを無上に呪い出した。
 三年の座敷牢。土蔵の中の暗さに馴れて、夜目が恐しく利くようになったのを幸、去年の暗闇祭に紛れて、男の鼻をそぎ、女の臀を切ったのであった。
 そのために非常な快感を覚えたのであった。今年もまたそれを企てたのであった。これでは矢張|狂人《きちがい》なのであった。家人が座敷牢から自由にしたのが間違っているのであった。
 不思議な事実を聴いて三人とも、娘稲代に同情して、好いか悪いか分らなかった。
「これではなるほど、犯人が分らなかったわけだ」と源八郎は云った。
「それを見付けたのは五郎助七三郎だ。や、いくら夜目が利くからって、お前さん達は本統の目先が利かねえのだから駄目の皮だ。そこへ行くと矢張江戸っ子でなくっちゃあ通用しねえ。この犯人を女と睨んだところが全く気の利いているところなんだ」と無闇に七三郎威張り出した。
「なんだ。貴様、すり[#「すり」に傍点]の癖に、生意気な事を云うなっ」と泰雲が赫《かっ》となった。
「いや約束だ。酒は私が奢る。これも約束だ。見付けた者が威張れるだけ威張って、後の二人が地面に手を仕《つ》いてお辞儀と極《きま》ってるんだ。そこで私は、相談だ。山伏の奴は俺の友達の敵《かたき》なんだから、拳骨で頭をこつんというのを、小机さんの分と一緒にして、二つ殴らせて貰いてえね。それは逆ずり金蔵と、節穴長四郎との二人の敵討に当ててえので。それさえ済んだら後は笑って、機嫌よく飲んで別れようではありませんか」
「小机の代理に俺が一つ余計に打《ぶ》たれるなんて、そんな馬鹿馬鹿しいことはないが。まあ好い。どの道殴られるんだ。一つも二つも同じだ。ただし、俺の頭は石よりも固いから、打つ方が痛いぞ」
「なんだって好い。打ちせえすりゃあ、講釈で聴いて知っている晋《しん》の予譲《よじょう》の故事《ふるごと》とやらだ。敵討の筋が通るというもんさ」
 大正の現代人には馬鹿馬鹿しく思われる事も、この時代には大概の場合にも茶番気が付いて廻っていて、それをしかも滑稽にせず、真面目に遣って退《の》けるのであった。
 泰雲、頭巾を取って、頭を出すと、七三郎、拳骨の先に唾を付けて力一杯、こつん! こつん!
「これで胸がさっぱりした」
 この変な敵討をよそに、小机源八郎は頻《しき》りに考え込んでいたが、やがて決心した体《てい》で、
「や、拙者はこの稲代殿を嫁に貰い受けたい」と云い出した。
 これには泰雲も七三郎もびっくりした。余りにそれは突然に過ぎたからであった。源八郎は単に稲代の境遇に同情したばかりではないのであった。泰雲の夜目の利くのが代々であるというのから考えて夜目の利く男と、同じく夜目の利く女との相婚の結果、その子により以上夜目を利かして見たいという、そうした腹から出たのであった。

底本:「怪奇・伝奇時代小説選集8 百物語 他11編」春陽文庫、春陽堂書店
   2000(平成12)年5月20日第1刷発行
底本の親本:「現代大衆文學全集 江見水蔭集」平凡社
   1928(昭和3)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:岡山勝美
校正:門田裕志
2006年9月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

江見水蔭

悪因縁の怨—— 江見水蔭

      

 天保銭《てんぽうせん》の出来た時代と今と比べると、なんでも大変に相違しているが、地理でも非常に変化している。現代で羽田《はねだ》というと直ぐと稲荷《いなり》を説き、蒲田《かまた》から電車で六七分の間に行かれるけれど、天保時代にはとてもそう行かなかった。
 第一、羽田稲荷なんて社《やしろ》は無かった。鈴木新田《すずきしんでん》という土地が開けていなくって、潮の満干のある蘆《あし》の洲《す》に過ぎなかった。
「ええ、羽田へ行って来ました」
「ああ、弁天様《べんてんさま》へ御参詣で」
 羽田の弁天と云ったら当時名高いもので、江戸からテクテク歩き、一日掛りでお参りをしたもの。中には二日掛ったのもある。それは品川《しながわ》の飯盛女《めしもりおんな》に引掛ったので。
 そもそも羽田の弁天の社は、今でこそ普通の平地で、畑の中に詰らなく遺《のこ》っているけれど、天保時代には、要島《かなめじま》という島に成っていて、江戸名所図絵《えどめいしょずえ》を見ても分る。此地眺望最も秀美、東は滄海《そうかい》漫々《まんまん》として、旭日《きょくじつ》の房総《ぼうそう》の山に掛るあり、南は玉川《たまがわ》混々《こんこん》として清流の富峰《ふほう》の雪に映ずるあり、西は海老取川《えびとりがわ》を隔て云々、大層賞めて書いてある。
 この境内の玉川尻に向った方に、葭簀《よしず》張りの茶店があって、肉桂《にっけい》の根や、煎豆や、駄菓子や、大師河原《だいしがわら》の梨の実など並べていた。デブデブ肥満《ふと》った漁師の嬶《かみ》さんが、袖無し襦袢《じゅばん》に腰巻で、それに帯だけを締めていた。今時こんな風俗をしていると警察から注意されるが、その頃は裸体《はだか》の雲助《くもすけ》が天下の大道にゴロゴロしていたのだから、それから見るとなんでも無かった。
「好い景色では無いか」
「左様で御座います。第一、海から来る風の涼しさと云ったら」
 茶店に休んで、青竹の欄干に凭《よ》りながら、紺地に金泥で唐詩を摺《す》った扇子で、海からの風の他に懐中《ふところ》へ風を扇《あお》ぎ入れるのは、月代《さかやき》の痕《あと》の青い、色の白い、若殿風。却々《なかなか》の美男子であった。水浅黄に沢瀉《おもだか》の紋附の帷子《かたびら》、白博多《しろはかた》の帯、透矢《すきや》の羽織は脱いで飛ばぬ様に刀の大を置いて、小と矢立だけは腰にしていた。
 それに対したのが気軽そうな宗匠振《そうじょうぶり》。朽色《くちいろ》の麻の衣服に、黒絽《くろろ》の十徳《じっとく》を、これも脱いで、矢張飛ばぬ様に瓢箪《ひょうたん》を重石《おもし》に据えていた。
「宗匠は、なんでも委《くわ》しいが、チト当社の通《つう》でも並べて聞かしたら如何《どう》かの。その間《うち》には市助《いちすけ》も、なにか肴《さかな》を見附けて参るであろうで……」
「ええ、そもそも羽田の浦を、扇ヶ浜《おうぎがはま》と申しまするで、それで、それ、此地を要島、これは見立で御座いますな。相州《そうしゅう》江《え》の島《しま》の弁財天《べんざいてん》と同体にして、弘法大師《こうぼうだいし》の作とあります。別当は真言宗《しんごんしゅう》にして、金生山《きんしょうざん》龍王密院《りゅうおうみついん》と号し、宝永《ほうえい》八年四月、海誉法印《かいよほういん》の霊夢《れいむ》に由り……」
「宗匠、手帳を出して棒読みは恐れ入る。縁起を記した額面を写し立のホヤホヤでは無いかね」
「実は、その通り」
 他愛の無い事を云っているところへ、茶店の嬶さんが茶を持って来た。
「お暑う御座いますが、お暑い時には、かえってお熱いお茶を召上った方が、かえってお暑う御座いませんで……」
「酷くお暑い尽しの台詞《せりふ》だな。しかし全くその通りだ。熱い茶を暑中に出すなんか、一口に羽田と馬鹿にも出来ないね」
「能《よ》く江戸からお客様が入らッしゃいますで、余《あん》まりトンチキの真似も出来ませんよ」
「それは好いけれど、何かこう、茶菓子になる物は無いかえ。川上になるが、川崎《かわさき》の万年屋《まんねんや》の鶴と亀との米饅頭《よねまんじゅう》くらい取寄せて置いても好い筈だが」
「お客様、御冗談ばかり、あの米饅頭は、おほほほほ。物が違いますよ」
「ははは。羽田なら船《ふな》饅頭だッけなア」

       

 そこへ中間《ちゅうげん》の市助が目笊《めざる》の上に芦の青葉を載せて、急ぎ足で持って来た。ピンピン歩く度に蘆の葉が跳ねていた。
「やア市助どん、御苦労御苦労。何か好い肴が見附かった様だね。蘆の下でピンピン跳ねているのは、なんだろう」と宗匠は立って行った。
「海※[#「魚+喞のつくり」、第3水準1-94-46]《かいず》ですよ。一枚切りですが、滅法威勢が好いので……それから石鰈《いしがれい》が二枚に、舌平目《したびらめ》の小さなのが一枚。車鰕《くるまえび》が二匹、お負けで、二百五十文だてぇますから、三百置いて来たら、喫驚《びっくり》しておりましたよ」
「じゃア丸で只の様なもんだ」
 嬶さんは口を出して。
「あれまア、二百で沢山だよ、百文余計で御座いますよ」
「一貫でも、二貫でも、江戸じゃア高いと云われないよ。何しろこのピンピンしているところを、お嬶さんどうにかして貰えないだろうか」
「一寸|家《うち》まで行って、煮て来ましょうで」
「お前の家まで煮に帰ったのじゃア面白く無い。ここで直ぐ料理に掛けるのが即吟《そくぎん》で、点になるのだ。波の花が有るなら石鰈と舌平目は、塩焼にして、海※[#「魚+喞のつくり」、第3水準1-94-46]《かいず》と鰕を洗いというところだが、水が悪いからブツブツ切りにして、刺身で行くとして、紫は有るまいねえ」
「別当さんのところへ御無心に行って参りましょう」
「そうして貰おう。御前《ごぜん》、愚庵《ぐあん》の板前をまア御覧下さい」
 この宗匠、なんでも心得ている。持参の瓢酒《ひょうしゅ》で即席料理、魚が新鮮だから、非常に美味《うま》い。殊に車鰕の刺身と来たら無類。
「魚は好し、景色は好し、これで弁天様が御出現ましまして、お酌でもして下さると、申分は無いのだが……」と宗匠は早や酔って来た。
「この上申分無しだと、どこまで酔うか分らない。そうしたら江戸まで今日中には帰られまい」と若殿は未だ真面目《まじめ》であった。
 茶店のお嬶はこの時口を出して。
「お客様、羽田には弁天様よりも美しいという評判娘がおりますでねえ」
「へえ、そいつは何よりだ。琵琶の代りに三味線でも引いてくれるかね」と市助も少々酔っていた。
「いえ、そんな意気筋の女では御座いません。船頭の娘ですがね」
「船頭の娘なら、頓兵衛《とんべえ》の内のお船《ふね》じゃア無いか。矢口《やぐち》もここも、一ツ川だが、年代が少し合わないね」と宗匠は混ぜ返した。
「お客様、お酒のお相手にはなりませんが、これから川崎まで船をお仕立てなさいますと、その娘がお供致しますよ」
「女船頭か」
「左様ですよ、大師様へお参りなさるなら、森下《もりした》まで行きます。それから又川崎の渡し場まで入らッしゃるのなら、お待ち申しておりますよ。八町畷《はっちょうなわて》を砂《すな》ッ塵《ぽこり》でお徒歩《ひろい》になりますより、矢張《やっぱり》船を待たして置いてお乗りになれば、この風ですから、帆も利きます、訳無く行って了《しま》いますよ」
「成程なア、それは妙だ」
「川崎の本街道へお出ましになれば、馬でも、駕《かご》でも御自由で……」
 今なら電車も汽車も自動車もと云うところだ。
「いよ、それに限る。それで弁天様よりも美しい娘なんだな」
「左様で御座いますよ。色は少し黒う御座いますがね」
「それはどうも仕方が無い。御前、如何《いかが》です、そう致そうじゃア御座いませんか」
「美人はともかく、船で川崎まで溯《のぼ》るのは思いつきだ。早速、その用意をして貰おう」

       

 お嬶《かみ》が呼びに行ったが、間もなく帰って来て、
「じきに参ります。船をここのすぐ下まで廻させます。お値段のところは、お分りになっている旦那方ですから、わざッと極めて参りませんでしたから、そこは宜しい様に……」
「や、魚の買振りで、すッかり懐中《ふところ》を覗《のぞ》かれたね。その分で茶代もハズムと思っていると大当違《おおあてちが》いだよ」と宗匠は引受けて弁じ立てた。
 そこへ早や一隻の荷足《にた》り船《ぶね》を漕いで、鰕取川《えびとりがわ》の方から、六郷《ろくごう》川尻の方へ廻って来るのが見えた。
「あれだな」と若殿が扇子で指した。
「左様で。あれで御座います、近くなる程綺麗に見えます」
「遠くでも光って見えるね」と又しても宗匠が口を出した。
「あの艪《ろ》を漕ぐ腰ッ振が好う御座いますね」と市助までが黙ってはいなかった。
「あなた方、前以てお断りして置きますが、あれで色気と云ったら些《ちっ》ともありません。冗戯《じょうだん》が執拗《しつこ》いと直き腹を立てまして、なんでも、江戸の鳶《とび》の衆を、船から二三人|櫂《かい》で以て叩き落したと云いますからね。あなた方にそんな事も御座いますまいが、どうかそのおツモリで」
「そいつは大変だ」
「それで気は優しくッて、名代《なだい》の親孝行で御座います」
 そう説明している間《うち》に、早や船は岸のスレスレに青蘆《あおあし》を分けて着いた。
 青い二ツ折の編笠に日を避《よ》けていた。八幡祭《はちまんまつり》の揃いらしい、白地に荒い蛸絞《たこしぼ》りの浴衣に、赤い帯が嬉しかった。それに浅黄の手甲脚半《てっこうきゃはん》、腰蓑《こしみの》を附けたのが滅法好い形。
 だが、肝腎《かんじん》の顔は見え無かった。
「お嬶さん、毎度、お客様を有難う」と船の中から挨拶したその声が又|如何《いか》にも清らであった。
「有難い有難い、これが本統の渡りに舟だ。さア御前、御出立と致しましょう。ここの取りはからいは万事愚庵が致しますから、さアさアお先へお先へ」と宗匠は若殿を押し遣《や》る様にした。
「しからば参ろう、茶店の者、手数《てかず》を掛けたな」
 若殿は羽織を着て、大小を差し直し、雪駄《せった》を穿《は》いて、扇子で日を避《よ》けながら茶店を出た。
「御機嫌よろしゅう」と茶店の女房が送るのを後にして、供の市助と共に川岸に出て、青蘆を分けて船の胴の間に飛ぶと、船は動揺して、浪の音がピタリピタリ。蘆の根の小蟹《こがに》は驚いて、穴に避《に》げ入るのも面白かった。
 その船を岸から離れぬ様に櫂で突張っている女船頭は、客人が武家なので、編笠を冠っていては失礼と、この時すでに取っていたので、能くその顔は武家の眼に入った。
 成程、弁天様より美しい。色は浜風に少しは焼けているが、それでも生地は白いと見えて、浴衣の合せ目からチラと見える胸元は、磨ける白玉の艶《つや》あるに似たり。それに髪の濃いのが、一入《ひとしお》女振を上げて見せて、無雑作の櫛巻《くしまき》が、勿体《もったい》無いのであった。
 若殿は恍惚《うっとり》として、見惚《みと》れて、蓙《ござ》の上に敷いてある座蒲団《ざぶとん》に、坐る事さえ忘れていた。
 そこへ、梨の実を手拭に包んで片手に持ち、残る片手に空の瓢箪を持って、宗匠も乗込んで来た。
「惜しい事をしましたね。こうと寸法が初めから極っていたら、酒肴《さけさかな》は船の中で開くんでしたね。美しい姐《ねえ》さんに船を漕いで貰う、お酌もして貰う、両天秤を掛けるところを、肴は骨までしゃぶッて、瓢箪は一滴を留《とど》めずは情け無い。と云って、羽田の悪酒を詰めるでもありませんから、船中では有《あり》の実《み》でも噛《かじ》りましょう。食いさしを川の中へ捨てると、蝕歯《むしば》の痛みが留《とま》る呪法《まじない》でね」
 一番酔っているだけに、一番又能く喋《しゃべ》っていた。
「お客様、もう出しますよ」と女船頭の声。

       

「どうも万事がトントン拍子、この風に白帆を張って川上に遡《のぼ》るのは、なんとも云えませんな。おやおや、弁天様のお宮の屋根が蘆の穂のスレスレに隠れて、あの松林よりも澪《みお》の棒杭の方が高く見えますな。おや川尻は、さすがに浪が荒い、上総《かずさ》の山の頂きを見せつ隠しつは妙々。姐さん、木更津《きさらづ》はどっちの見当かね」と宗匠は相変らず能く喋《しゃ》べった。
「木更津は巳《み》の方角ですから、ちょうどこうした見当で御座います。海上九里と申しますが、風次第でじきに行かれます」と娘は手甲に日を受けながら指示《さししめ》した。
 中間《ちゅうげん》の市助は艫《とも》の方に控えながら。
「宗匠、後ばかり見ねえで、まア先手《さきて》の川上をお見なせえ。羽田の漁師町も川の方から見ると綺麗だ。それに餓鬼《がき》どもが飛込んで泳いでるのが面白い」
「先の方を見ると、大師様の御堂の御屋根が見えるくらいで、何んの変哲もないが、後の方をこうして振向いていると、弁天様の松林が、段々沈んで行くのが見えて嬉しい」
「なに、生きた弁天様のお顔が拝みたいのでしょう」
「実は金星、大当りだ。はははは」
 二人が他愛も無い事を云って笑い騒ぐのに、若殿のみは一人沈黙して、張切った帆の面をただ見詰めていた。その帆の破れ目から、梶座《かじざ》にいる娘の顔を、ただ一心に凝視《みつ》めていた。
 宗匠が持込んだ梨の実と空瓢箪とが、船のゆれに連れてゴロゴロ転がって、鉢合せをするのを、誰も気が着かなかった。
 だが、帆の破れ目からチラチラ見るくらいでは物足りぬ。傍近《そばちか》く見もし又語りもしたいので。
「宗匠、この胴の間は乗心地は好いに違いないが、西日が当ってイケない。同じくは艫の方へ移って帆を自然と日避けにしたいものだが」と若殿は云い出した。
「なる程、それが宜しゅう御座いましょう。さアこちらへ……こうなると市助どん、お前は邪魔だから、舳《へさき》の方へ行っていなさい」
 中間こそ好い面の皮。
「ねえ、御前、故人の句に御座いますね。涼しさや帆に船頭の散らし髪。これはしかし、千石船か何かで、野郎の船頭を詠んだので御座いましょうが、川船の女船頭が、梶座に腰を掛けているのに、後から風が吹いて、アレあの様に乱《ほつ》れ毛《げ》が頬に掛るところは、なんとも云えませんな。そこで、涼しさや頬に女船頭の乱れ髪。はははは字余りや字足らずは、きっと後世に流行《はや》りますぜ」
 相変らず宗匠、駄弁を弄《ろう》している間に、酔が好い心持に廻ったと見えて、コクリコクリ。後《のち》には胴の間へ行って到頭横になって了《しま》った。
 宗匠の坊主頭と、梨の実と、空瓢箪と、眉間尺《みけんじゃく》の三ツ巴。コツンコツンを盛んにやったが、なかなかに覚めなかった。
 市助も舳で好い心持に寝て了った。
 若殿と女船頭とただ二人だけ起きているのが、どちらからも口を利かないから、静かなものだ。
 蘆間の仰々子《ぎょうぎょうし》もこの頃では大分鳴きつかれていた。
「姐さん……」
「はい……」
「お前の名は何んと申すか」
「……玉《たま》と申しますよ」
「お玉だね……玉川の川尻でお玉とは好い名だね。大層お前は親孝行だそうだね」
「いいえ……嘘で御座いますよ」
「両親は揃っているのかい」
「いいえ、母親ばかりで御座います」
「それは心細いね。大事にするが好い」
「まア出来るだけ、楽をさしたいと思いますが……餌掘りや海苔《のり》拾い、貝を取るのは季節が御座いますでね、稼ぎは知れたもので御座います」
「でも、こうして船を頼む人が多かろうから……」
「いいえ、偶《たま》にで御座いますよ。日に一度|宛《ずつ》お供が出来ますと好いのですが、月の内には数える程しか御座いませんよ」
「それでは困るねえ、早く婿《むこ》でも取らなくッちゃア……」
「あら、婿なんて……」
「だッて、一生独身で暮らされもしなかろう」
「それはそうで御座いますが、私、江戸へ出て、奉公でもしたいと思っております」
「奉公は好いな。どうだな、武家奉公をする気は無いかな」
「私の様な者、とても御武家様へはねえ……こちらで置いて頂きたくッても、先方様《さきさま》でねえ」
「いいや、そうで無いよ。お前の様な美顔《きりょう》で、心立《こころだて》の好い者は、どのくらい武家の方で満足に思うか分らない」
「おほほほは、お客様、お弄《なぶ》りなさいますな」
「いや、本統《ほんとう》だよ、奉公どころか、嫁に欲しいと望む人も出て来るよ」
「おほほほは、私、羽田の漁師を亭主に持とうとも思いませんが、御武家様へ縁附こうなんて、第一身分が違いますでねえ」
「身分なんて、どうにでもなるもんだよ。仮親さえ拵《こしら》えればね」
「……ですが……私はとても、そんな出世の出来る者では御座いません」と急にお玉は打萎《うちしお》れた。
 若殿の心の帆は張切って来た。
「いや、そんな事はどうにでもなるんだよ。とにかく、どうだね、身が屋敷へ腰元奉公に来る気は無いか」
「えッ、御前の御屋敷へ?」
 とんと洲へ船を乗上げた。話に実が入って梶を取損《とりそこな》ったからであった。
 市助まず喫驚《びっくり》して飛起きると、舳を蘆間に突込んだ拍子《ひょうし》に、蘆の穂先で鼻の孔を突かれて。
「はッくしょイ」
 宗匠は又坊主頭を蘆の穂先で撫廻《なでまわ》されて。
「梨の実と間違えて、皮を剥《む》いちゃア困ります」と寝惚《ねぼ》けていた。

       

 やがて船を大師河原の岸に着けた。
「さて、ここが森下というのだね。平間寺《へいけんじ》へ御参詣、厄除《やくよけ》の御守を頂きにはぜひ上陸|然《しか》るべし。それから又この船で川崎の渡場まで参りましょう」と宗匠はさきに身支度した。
 中間市助は、早や岸に飛んで、そこに主人の雪駄《せった》を揃えていた。
 それで未だ若殿は立上りそうも無いのであった。
「痛ッ、痛ッ、どうも腹痛で……」と突然言い出した。
「えッ、御腹痛、それには幸い、大森で求めた和中散《わちゅうさん》を、一服召上ると、立地《たちどころ》に本腹《ほんぷく》致しまする」と宗匠、心配した。
「いや、大した事でも無い。少しの間《うち》、休息致しておれば、じき平癒致そうで……どうか身に構わず行って下さい」
「でも、御前《ごぜん》がお出《い》でが無いのに、我々で参詣しても一向|興《きょう》が御座いませんから……」
「いや、遊びの心で参詣ではあるまい。大師信心……どうか拙者《せっしゃ》の代参として、二人で行って貰いたい」
 中間市助、宗匠の袖を引いて。
「それ、御代参で御座いますよ。宗匠、分りましたか。二人は御代参……ね、厄除の御守りを頂くので御座いますよ」と目顔《めがお》で注意を加えた。
「な、な、な、なる程、や、確かに二人で代参致しましょう。厄除けでげす、女難除けが第一で。へへへへ、急いでゆッくり、お参りをして戻りましょう」と宗匠呑込んだとなると、無闇に呑込んで了うのであった。
 市助と連立って畑の中を大師の方へと行って了った。今ではこの辺、人目が多い。第一に、工場が建って、岸に添うて人家もあれば、運送船も多く繋《かか》っているが、その頃の寂しさと云ったら無いのであった。それに、川筋も多少違い、蘆荻《ろてき》の繁茂も非常であった。
 女船頭のお玉は心配して。
「旦那様、酷《ひど》くお腹《なか》が痛みますなら、冷えると余計悪くなりますので、河原の石でも焼いて、間に合せの温石《おんじゃく》でもお当てなさいますか」と親切は面《おもて》に現われた。
「いや、それ程でも無い。少しここで休んでいたら、納まりそうだが、帆を下して了ったので、日避けが無くなった。どこか日蔭へ船を廻して貰いたいな」
「それでは、中洲の蘆の間が好う御座います。洲の中には船路《ふなみち》が掘込んで御座いますから、ズッと中まで入れますで」
「だと、人も船も蘆の間に隠れて了うのだね」
「左様で御座いますよ」
「それは好い隠家《かくれが》だ。早速そこへ船を廻して貰いたいな」
 岸から船を離して艪を漕いで中洲の蘆間に入ったのを、誰も見ている者は無かったが、喫驚《びっくり》したのは葭原雀《よしきり》で、パッタリ、鳴く音を留めて了った。
 中洲の掘割の水筋に、船は入って見えなくはなったが、その過ぎるところの蘆の穂が、次ぎから次ぎと動揺しているのだけは見えていた。
 その留《とま》ったところに、船は繋《かか》ったのであろう。葭原雀は又しても囀《さえず》り出した。
 海の方からして、真黒な雲が出て来たと思うと、早手《はやて》の風が吹起って、川浪も立てば、穂波も立ち、見る見る昼も夜の如く暗くなって、大夕立、大|雷鳴《かみなり》。川上の矢口の渡で新田義興《にったよしおき》の亡霊が、江戸遠江守《えどとおとうみのかみ》を震死《しんし》せしめた、その大雷雨の時もかくやと思わしめた。

       

「仏罰恐るべし恐るべし。女難除けの御守を代参で受け様なんて、御前の心得方が違っているので、忽《たちま》ちこの大夕立だ。田を三廻りの神ならばどころでないね。しかし我々は百姓|家《や》に飛込んで、雨宿りは出来た様なものの船ではどうも仕様が無かったろう」と宗匠は雪駄を市助に持って貰い、脱いだ足袋を自分で持って、裾をからげながら田甫路《たんぼみち》を歩いた。
「どうせお旦那《だんな》はお濡《ぬ》れなさいましたよ。どうしても清元《きよもと》の出語《でがた》りでね、役者がこちとらと違って、両方とも好う御座いまさア」と市助も跣足《はだし》で夕立後の道悪《みちわる》を歩いて行った。
「よもや、鳶の者の二の舞はなされまい。何しろ御旗本でも御裕福な六浦琴之丞《むつうらきんのじょう》様。先殿の御役目が好かッたので、八万騎の中でも大パリパリ……だが、これが悪縁になってくれなければ好いが、少々心配だて」
「宗匠、大層、月並の事を仰有《おっしゃ》いますね」
「何が月並だよ」
「だって、吉《よ》かれ凶《あ》しかれ事件《こと》さえ起れば、あなたの懐中《ふところ》へお宝は流れ込むんで」
「金星、大当りだ。はははは」
 笑いながら土手の上に出て見ると、そこには船は見えなかった。
「おや、今の夕立で船が沈んだか。それとも雷鳴《かみなり》が落ちて、微塵《みじん》になったか」
「そんな事はありませんや。どこかへ交《かわ》しているんでしょう。なにしろ呼んで見ましょう」
「なんと云って呼ぶかね。羽田の弁天娘のお玉の船やアーい、か」
 二人が土手で騒いでいる声を聴いて、中洲の蘆間を分けて出て来たのは、苫《とま》の代りに帆で屋根を張った荷足り船で、艪を漕いでいるのは、弁天娘のお玉だが、若殿六浦琴之丞の姿は見えなかった。
「宗匠、いよいよ遣《や》られましたぜ。鳶の者が櫂で叩落されたと同じ様に、御前も川へドブンですぜ。肱鉄砲《ひじでっぽう》だけなら好いが、水鉄砲まで食わされては溜《たま》りませんな」
「そんな事かも知れない。若殿の姿が見えないのだからな」
「こうなると主人の敵《かたき》だから、打棄《うっちゃ》っては置かれない。宗匠も助太刀に出て下さい」
「女ながらも強そうだ。返り討は下さらないね」
 そう云っているところへ、船は段々近寄って来た。
「娘の髪が余りキチンとしていますぜ。些《ちっ》とも乱れていませんが、能く蘆の間で引懸《ひっかか》らなかッたもので」
「巻直したのだろう」
「濡れていませんぜ」
「当前《あたりまえ》さ、帆で屋根が張ってあるから大丈夫だ」
「おやおや、帆屋根の下に屍骸《しがい》がある。若殿が殺されていますぜ」
「なに、寝ていらッしゃるんだろう」
 六浦琴之丞、起上って極り悪るそうに、帆の下から顔を出して。
「えらい夕立だッたね」
 こちらの二人は顔を見合せて。
「まア好かッた。しかし、顔色がお悪いね。未だ御腹痛かも知れない」
「腹痛に雷鳴に女船頭、三題|噺《ばなし》ですね」と囁《ささや》き合った。

       

 秋晴の気も爽やかなる日に、羽田要島の弁天社内、例の茶店へ入来《いりきた》ったのは、俳諧の宗匠、一水舎半丘《いっすいしゃはんきゅう》。
「お嬶《かみ》さん、いつぞやは世話になった」と裾の塵を払いながら、床几《しょうぎ》に腰を掛けた。
「おや、今日は御一人で御座いますか。この夏には余分にお茶代を頂きまして……」と嬶さんは世辞《せじ》が好い。
「や、お嬶さん、今日は一人で来たけれど、お茶代はズッと張込むよ。小判一枚、投げ出すよ」
「へへへへ、どうか沢山お置き下さいまし」
「いや、冗談じゃア無い、真剣なんだ。その代り悉皆《すっかり》こっちの味方になって、大働きに働いて貰わなければならないんだがね」
「へえ、お宝になる事なら、どんなにでも働きます」
「実は、例の羽田の弁天娘、女船頭のお玉に就いてな」
「分りましたよ。どうもそんな事だろうとこの間|内《うち》から察しておりましたよ。お玉坊がブラブラ病。時々それでも私のところへだけは出て来ましてね。この間の御武家様は、未だ入らッしゃらないかッて、私を責めるんですから困って了います」
「お玉坊がブラブラ病とは不思議だね。実はこちらでも若殿がブラブラ病。ブラとブラとの鉢合せでは提灯屋《ちょうちんや》の店へ颶風《はやて》が吹込んだ様なものだ」
「なんですか知りませんが、あれは本物で御座いますよ。初めて男の優しさを知ったので御座いますからね。でもお玉が惚《ほ》れるのも道理で御座いますよ。あんな立派な殿様は、羽田の漁師町にはありませんからね」
「それは無いに極っている」
「似合の二人、どうにかして夫婦にして遣りたいと思いますが、何分にも身分が身分ですからね」
「それなんだ。そこがどうにも行悩みだが、御隠居《ごいんきょ》奥様も大層《たいそう》物のお分りになった方だし、御親類内にも捌《さば》けた方が多いので、そんな訳なら、とにかく、屋敷へ呼寄せたい。母親の生活《くらし》は又どうにでもしてやると、親元には相当の人を立て、そこから改めて嫁入り……と、まア、そこまで行かない分が、二千八百石御旗本の御側女《おそばめ》になら、今日が今日にでも成られるので、支度料の二百両、重いけれど愚庵は、これ、ここに入れて来ているのだがね」
「それはどうも有難う御座います」
「待ってくれ、礼には早い」
「左様ですか」
「若い同士二人でモヤモヤしている間《うち》は、顔が美しくッて、気立が優しくッて、他に浮気もせず、殿を大事にさえしておれば、好いに相違無いが、いずれは二人の間に、子宝が出来ると考えなければならない」
「それはそうで御座いますよ。あの娘は、六人や七人は大丈夫産みますね」
「その時にだ、能《よ》くある奴《やつ》、元の身分を洗って見ると、一件だッてね」
「一件?」
「一件で無いにしたところで、癩病《なりんぼう》の筋なんか全く困る」
「それはそうで御座いますねえ」
「どうも世継の若様が眉毛が無くッては、二千八百石は譲られない」
 家の相続、系統上の心配は、現代の我々が想像出来ない程昔は苦労にしたもので、断家《だんけ》という事は非常に恐れていた時代だから、血統に注意するのは無理では無かった。
「そこで、念には念を入れて、身元を洗って来てくれ。これは金銭に換えられぬ家の一大事だからと、御隠居奥様から、入用として別に頂いて来ているので、それを残らずお前に上げては、愚庵も困る。そこで、お嬶さん、何もかも打明けての話なんだ。お前を味方と抱き込んでの話なんだ」
「へえへえ、いくらでも抱き込まれますよ」
「そんなに傍へ寄って来なくッても好い。そこでお嬶さん、愚庵の立前《たちまえ》を引いて、お前さんに、小判で十両上げよう」
「小判十両! 結構で御座います」
「まアお待ちよ。この十両はだね、この十両は巧く話が纏《まと》まったら、御礼として上げるのだよ」
「だと、話が纏まらない時は、頂け無いのですか」
「そこだよ。愚庵も江戸ッ子だ。話がバレたとしても十両上げるよ」
「だと、お玉坊の本統の身元を申上げて、それが為にバレになりましても、十両……」
「その代り、話が纏まっても十両、どっちへ転んでも十両で、お前に損は無いのだから、本統の事さえ教えて貰えば好いのだよ。嘘偽《うそいつわ》りを教えられたのでは後日になって、愚庵が申分けが無い。申分けが無いとなると、切腹するより他には無いのだが、同じ死ぬのならお前のドテッ腹へ風穴を穿《あ》けて、屍骸が痩《や》せるまで血を流さした上で、覚悟をする」
「いえ、正直のところを申しますよ。決して嘘偽りは申しません。本統の事を申しますよ」

       

「さア、それでは、小判で十枚……その代り茶代に一両置くと云ったのは取消すよ」と一水舎半丘、なかなかズルイ。
「ええ、もう沢山で御座います。十両の金は我々に取っては大変な物で御座いますよ。早速|亭主《うち》の野郎に見せて腰を抜かさして遣ります」と嬶さんは急いで小判を納《しま》い出した。
「そこでどうだい、一件の家筋、非人の家筋という心配は無いかね」
「そんな事は御座いませんよ。一件でも非人でも、そんな気は些《ちっ》ともありませんから、その方は請合《うけあい》ます」
「やれ、それで一安心。そこで、肝腎の血の筋だ。癩病《なりんぼう》の方はどうだね」
「その方は大丈夫です。あの家には昔から悪い病のあったという事を聞きません。あの家に限らず羽田には、そんな血筋は無い様で……私だッて大丈夫で」
「分った分った、それならもう心配する事は無い」
「それがね、ただ一ツ御座いましてね。いえ、隠しても直ぐ分る事で御座いますから、あの娘に取ってはまことに気の毒ですが、余り知れ切った話ですからね、申しますがね」
「ふむ、なんだい、どんな曰《いわ》くが有るんだね」
「あの娘の父親《てておや》は、名代の海賊で御座いました」
「えッ、海賊?」
「竜神松五郎《りゅうじんまつごろう》と云って、遠州灘《えんしゅうなだ》から相模灘《さがみなだ》、江戸の海へも乗り廻して、大きな仕事をしていましたよ」
「おう、竜神松五郎と云ったら、和蘭船《おらんだぶね》の帆の張り方を知って、どんな逆の風でも船を走らして、出没自在の海賊の棟梁《とうりょう》、なんでも八丈島《はちじょうじま》沖の無人島で、黒船と取引もしていたッてえ、あ、あ、あの松五郎の娘……あの松五郎の娘が、お玉だッたか」
「それで御座いますよ。その松五郎も運の尽きで、二百十日の夜に浦賀《うらが》の船番所の前を乗切る時、莨《たばこ》の火を見られて、船が通ると感附かれて、木更津沖で追詰められて、到頭子分達は召捕りになりましたが、松五郎ばかりは五十貫もある異国の大|錨《いかり》を身に巻附けて、海へ飛込んで死んで了いましたので、未だその他に同累《どうるい》も御座いましたのですが、それはお調べにならないで了ったそうで……」
「竜神松五郎の娘。嗚呼《ああ》、あのお玉が海賊の娘かい……どうもこれは飛んでも無い事が出来て了った」
「ねえ、先生、それはそうで御座いますが、どうにかそこがならない者で御座いましょうか。父親《てておや》は海賊でも、母親は善人で御座いましてね、それにあの通り娘は出来が好いので御座いますから、これは私の慾得《よくとく》を離れて、どうにか纏めて遣りたいもので御座いますが……」
「それがどうもそう行かない。や、行かない訳が有るんだ。なるべくなら愚庵も纏めて遺りたい。又六浦家の方でも、ナニ海賊なら大仕掛で、同じ泥棒でも好いよと、マサカ仰有《おっしゃ》りもしないが、そう仰有ったところで、娘の方で承知出来ない」
「へえ、それはどういう訳で御座いますか」
「その海賊竜神松五郎を退治《たいじ》た浦賀奉行は、六浦の御先代、和泉守友純《いずみのかみともずみ》様だ」
「えッ」
「琴之丞様の父上が御指揮で、海賊船を木更津沖まで追詰めて、竜神松五郎に自滅をおさせなさったので、それが為に五百石の御加増まで頂いていらッしゃるので、お玉の父の敵は琴之丞様の御父上、敵同士の悪縁だから、纏まりッこは無い」
「なる程、それじゃア夫婦にはなれませんや」
 悪縁というのは正しくこれだ。今の若い人の考えで見ると、恋愛は神聖だ。親と親とが、どんな関係だろうが、子は子で又別の者だ。互いに愛し合っているのに不思議は無い。早速自由結婚をしよう、戸籍面なんかどうでも好いという風に、ドシドシ新解釈で運んで了うが、天保時代にはとてもそうは行かなかった。
 金儲けになる事だから、どうにかして纏めたいと考えたのだが、こればかりはどうにもならぬので、宗匠と茶店の嬶さんと顔を見合せて、溜息を吐《つ》くばかり。
 此時、葭簀《よしず》の陰で、不意に女の泣声がした。喫驚《びっくり》して見ると、それはお玉。
「まアお玉さん、聴いていたかい。まア能く三人で相談を仕直すから、こちらへお出《い》で」と、嬶さんが云うのも肯《き》かず、そのまま走り出した。
「や、飛んだ事になったね。早く行って留めなければ身を投げて死ぬかも知れないね」と半丘も顔色を変えた。
「なに、泳ぎが出来るから、身は投げませんよ。投げても浮いて死なれやアしません」
 これは道理《もっとも》だ。

       

 一水舎半丘の報告は、どの位琴之丞をして失望せしめたか分らなかった。病気は益々悪くなって来た。六浦家の後室《こうしつ》始め、一門の心配は一通《ひととお》りではなくなった。
「どうも半丘宗匠の取調べが物足りねえ様に私は考えます。なる程お玉という娘の父親は竜神松五郎という海賊かも知れませんが、そんな奴には種々《いろいろ》又|魂胆《こんたん》がありまして、人の知らねえ機関《からくり》も御座いますから、再調《さいしら》べの役目を私奴《わたくしめ》にお云附《いいつ》け下せえまし」と中間市助が願い出た。
「なる程、それはそうだ。ではも一度調べて見てくれないか」
 こいつも運動費をウンと貰って、飛出して行った。他へは行こう筈がない。矢張《やはり》弁天社内の茶店であった。
「おや入《い》らッしゃいまし。どうも飛んだ事で御座いましたねえ」と嬶《かみ》さん未だに以て、ガッカリしていた。
「お嬶さん、今度は私が調べに来たんだ。礼はウンと出すよ。宗匠は何程出したか知らねえが、この市助はケチな上前なんか跳ねやアしねえ。五十両出すよ、五十両」
「それがねえ、五十両が百両お出しになりましても、いけないので御座いますよ」
「いけねえのは分っているが、そこを活《い》かすのが市助の智謀なんだ。お前にしろ、宗匠にしろ、正直だからいけねえのだ。俺に法を書かせるとこういう筋にするんだ。好いかい、先ず羽田で一番慾張りで年を取った者を味方に附けるんだ。その年寄にお玉の素姓を問合せて見たところが、その年寄の云うのには、あれは松五郎の実の娘では御座いません。これには一条の物語が御座いますと云わせるんだ」
「ああそんな役廻りなら、宅の隠居をお遣い下さいまし。慾張りでは羽田一番ですから」
「そこで、その一条の物語というのを書卸すのだがね。竜神松五郎が房州沖で、江戸へ行く客船を脅《おびや》かして、乗組《のりくみ》残らず叩殺《たたきころ》したが、中に未だ産れ立の赤ン坊がいた。松五郎の様な悪人でも、ちょうど自分の女房が産をする頃なので、まア、それに引かされて連れて帰って見ると、自分の子は死んで産れたところで……これこそ虫が知らせたので、ちょうど好い。産婦に血を上《あが》らしてはいけねえと、連れて来た赤ン坊を今産れたと偽る様に産婆と腹を合せてその場を繕《つくろ》ったのが今のお玉。実のお母親《ふくろ》の気でいても全くは他人、この魂胆を知っているのは松五郎の生前に聴いた俺《おれ》ばかりだ……とお前のところの隠居に云わせるのだ」
「お前さんは実に偉い。智慧者《ちえしゃ》だねえ。そうすればお玉さんは松五郎の子で無いのだから、敵《かたき》同士の悪縁という方は消えて了うね」
「そうだよ。それで双方申分が立つてえものだ。なアにどっちからも惚《ほ》れ合っているのだから、こいつは少々怪しいと思っても、筋さえ立っている分には、それで通して了おうじゃアねえか。人間このくらいな細工をするのは仕方がねえよ。嘘も方便で、仏様でも神様でも、大目に見て下さろうじゃアねえか」
「では早速そういう事に取掛るに就ては、内の老爺《おやじ》をここへ呼んで来ますよ」
「その序《つい》でにお玉坊のところへも一寸《ちょっと》立寄って、悪い様にはしねえ。近い内に好い便りを聴かせるから、楽しみにして待っていねえと、そう云って喜ばして置くが好いぜ」
「ああそうしましょう」
「留守の間《うち》に店の菓子を片っ端から食べるが好いかい」
「好いどころじゃア無い、前祝いに一升|提《さ》げて来ますよ」
「有難い。魚は海※[#「魚+喞のつくり」、第3水準1-94-46]《かいず》も結構だッたが、子持の蟹が有ったら二三バイ頼むぜ」
「好う御座んす。探して来ましょう」
 慾に目の眩《くら》んだ茶店の嬶さんは、駈出して行った。
「これせえ纏まれア、御主人もお喜び。お玉坊だッて喜び、俺達も甘え汁が吸えるというものだ。我ながら好い智慧を出したものだ」
 市助はもう物になった了簡。煎豆をポリポリ噛《かじ》って待っているところへ、顔色を変えて嬶さんが戻って来た。
「どうしたい」
「大変です」
「何が大変だ」
「死にましたよ」
「お前の老爺《おやじ》が死んだのか」
「なアに、家の老爺はピンピンしていますが、大事なお玉さんが血を吐いて死にましたよ」
「えッお玉坊が死んだ?」
 血を吐いて死んだというのは肺病であったかも知れぬ。肺病なら矢張今日では癩病《らいびょう》に次いで嫌われるのだが、その頃には一向問題にしていなかった。
「一足違いだッた。その事を聴かしたら病気も快《よ》くなって、死なずに出世も出来たろうのに……」
 慾は慾として、あわれ薄命なお玉の為に茶店のお嬶は泣いた。市助も泣いた。
 海賊の娘は遂に旗本の奥方になり得ずして死んだ。
 その墓は、朗羽山《ろううざん》長照寺《ちょうしょうじ》内に建てられた。六浦琴之丞は、一水舎宗匠及び市助と共に、一度墓参に来たが、間もなく又琴之丞も吐血して死んで、六浦の家は断絶して了った。琴之丞の肺病がお玉に感染したのか、お玉の方にその気があって感染したのか、そこは不明。
 六郷川の中洲の蘆間にただ一度の契《ちぎ》りから、海賊の娘と旗本の若殿との間に、業病《ごうびょう》の感染。悪因縁《あくいんねん》の怨《うらみ》は今も仰々子《ぎょうぎょうし》が語り伝えている。

底本:「怪奇・伝奇時代小説選集5 北斎と幽霊 他9編」春陽文庫、春陽堂書店
   2000(平成12)年2月20日第1刷発行
底本の親本:「現代大衆文學全集2」平凡社
   1928(昭和3)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:岡山勝美
校正:門田裕志
2006年9月22日作成
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