梶井基次郎

筧の話—– 梶井基次郎

 私は散歩に出るのに二つの路を持っていた。一つは渓《たに》に沿った街道で、もう一つは街道の傍から渓に懸った吊橋《つりばし》を渡って入ってゆく山径だった。街道は展望を持っていたがそんな道の性質として気が散り易かった。それに比べて山径の方は陰気ではあったが心を静かにした。どちらへ出るかはその日その日の気持が決めた。
 しかし、いま私の話は静かな山径の方をえらばなければならない。
 吊橋を渡ったところから径は杉林のなかへ入ってゆく。杉の梢《こずえ》が日を遮《さえぎ》り、この径にはいつも冷たい湿っぽさがあった。ゴチック建築のなかを辿《たど》ってゆくときのような、犇《ひし》ひしと迫って来る静寂と孤独とが感じられた。私の眼はひとりでに下へ落ちた。径の傍らには種々の実生《みしょう》や蘚苔《せんたい》、羊歯《しだ》の類がはえていた。この径ではそういった矮小《わいしょう》な自然がなんとなく親しく――彼らが陰湿な会話をはじめるお伽噺《とぎばなし》のなかでのように、眺められた。また径の縁には赤土の露出が雨滴にたたかれて、ちょうど風化作用に骨立った岩石そっくりの恰好になっているところがあった。その削り立った峰の頂《いただき》にはみな一つ宛小石が載っかっていた。ここへは、しかし、日がまったく射して来ないのではなかった。梢の隙間を洩れて来る日光が、径のそこここや杉の幹へ、蝋燭《ろうそく》で照らしたような弱い日なた[#「なた」に傍点]を作っていた。歩いてゆく私の頭の影や肩先の影がそんななかへ現われては消えた。なかには「まさかこれまでが」と思うほど淡いのが草の葉などに染まっていた。試しに杖をあげて見るとささくれ[#「ささくれ」に傍点]までがはっきりと写った。
 この径を知ってから間もなくの頃、ある期待のために心を緊張させながら、私はこの静けさのなかをことにしばしば歩いた。私が目ざしてゆくのは杉林の間からいつも氷室《ひむろ》から来るような冷気が径へ通っているところだった。一本の古びた筧《かけひ》がその奥の小暗いなかからおりて来ていた。耳を澄まして聴くと、幽《かす》かなせせらぎの音がそのなかにきこえた。私の期待はその水音だった。
 どうしたわけで私の心がそんなものに惹《ひ》きつけられるのか。心がわけても静かだったある日、それを聞き澄ましていた私の耳がふとそのなかに不思議な魅惑がこもっているのを知ったのである。その後追いおいに気づいていったことなのであるが、この美しい水音を聴いていると、その辺りの風景のなかに変な錯誤が感じられて来るのであった。香もなく花も貧しいのぎ[#「のぎ」に傍点]蘭《らん》がそのところどころに生えているばかりで、杉の根方はどこも暗く湿っぽかった。そして筧といえばやはりあたりと一帯の古び朽ちたものをその間に横たえているに過ぎないのだった。「そのなかからだ」と私の理性が信じていても、澄み透《とお》った水音にしばらく耳を傾けていると、聴覚と視覚との統一はすぐばらばらになってしまって、変な錯誤の感じとともに、訝《いぶ》かしい魅惑が私の心を充たして来るのだった。
 私はそれによく似た感情を、露草の青い花を眼にするとき経験することがある。草叢《くさむら》の緑とまぎれやすいその青は不思議な惑わしを持っている。私はそれを、露草の花が青空や海と共通の色を持っているところから起る一種の錯覚だと快く信じているのであるが、見えない水音の醸《かも》し出す魅惑はそれにどこか似通っていた。
 すばしこく枝移りする小鳥のような不定さは私をいらだたせた。蜃気楼《しんきろう》のようなはかなさは私を切なくした。そして深祕はだんだん深まってゆくのだった。私に課せられている暗鬱な周囲のなかで、やがてそれは幻聴のように鳴りはじめた。束《つか》の間の閃光《せんこう》が私の生命を輝かす。そのたび私はあっあっと思った。それは、しかし、無限の生命に眩惑《げんわく》されるためではなかった。私は深い絶望をまのあたりに見なければならなかったのである。何という錯誤だろう! 私は物体が二つに見える酔っ払いのように、同じ現実から二つの表象を見なければならなかったのだ。しかもその一方は理想の光に輝かされ、もう一方は暗黒の絶望を背負っていた。そしてそれらは私がはっきりと見ようとする途端一つに重なって、またもとの退屈な現実に帰ってしまうのだった。
 筧《かけひ》は雨がしばらく降らないと水が涸《か》れてしまう。また私の耳も日によってはまるっきり無感覚のことがあった。そして花の盛りが過ぎてゆくのと同じように、いつの頃からか筧にはその深祕がなくなってしまい、私ももうその傍に佇《たたず》むことをしなくなった。しかし私はこの山径を散歩しそこを通りかかるたびに自分の宿命について次のようなことを考えないではいられなかった。
「課せられているのは永遠の退屈だ。生の幻影は絶望と重なっている」

底本:「檸檬・ある心の風景」旺文社文庫、旺文社
   1972(昭和47)年12月10日初版発行
   1974(昭和49)年第4刷発行
入力:j.utiyama
校正:福地博文
1998年11月27日公開
2005年10月3日修正
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梶井基次郎

檸檬—– 梶井基次郎

 えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終|圧《おさ》えつけていた。焦躁《しょうそう》と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔《ふつかよい》があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺尖《はいせん》カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪《いたたま》らずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。
 何故《なぜ》だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくた[#「がらくた」に傍点]が転がしてあったりむさくるしい部屋が覗《のぞ》いていたりする裏通りが好きであった。雨や風が蝕《むしば》んでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣きのある街で、土塀《どべい》が崩れていたり家並が傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような向日葵《ひまわり》があったりカンナが咲いていたりする。
 時どき私はそんな路を歩きながら、ふと、そこが京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか長崎とか――そのような市へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起こそうと努める。私は、できることなら京都から逃げ出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団《ふとん》。匂《にお》いのいい蚊帳《かや》と糊《のり》のよくきいた浴衣《ゆかた》。そこで一月ほど何も思わず横になりたい。希《ねが》わくはここがいつの間にかその市になっているのだったら。――錯覚がようやく成功しはじめると私はそれからそれへ想像の絵具を塗りつけてゆく。なんのことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。
 私はまたあの花火というやつが好きになった。花火そのものは第二段として、あの安っぽい絵具で赤や紫や黄や青や、さまざまの縞模様《しまもよう》を持った花火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき。それから鼠花火《ねずみはなび》というのは一つずつ輪になっていて箱に詰めてある。そんなものが変に私の心を唆《そそ》った。
 それからまた、びいどろ[#「びいどろ」に傍点]という色|硝子《ガラス》で鯛や花を打ち出してあるおはじきが好きになったし、南京玉《なんきんだま》が好きになった。またそれを嘗《な》めてみるのが私にとってなんともいえない享楽だったのだ。あのびいどろ[#「びいどろ」に傍点]の味ほど幽《かす》かな涼しい味があるものか。私は幼い時よくそれを口に入れては父母に叱られたものだが、その幼時のあまい記憶が大きくなって落ち魄《ぶ》れた私に蘇《よみが》えってくる故《せい》だろうか、まったくあの味には幽《かす》かな爽《さわ》やかななんとなく詩美と言ったような味覚が漂って来る。
 察しはつくだろうが私にはまるで金がなかった。とは言えそんなものを見て少しでも心の動きかけた時の私自身を慰めるためには贅沢《ぜいたく》ということが必要であった。二銭や三銭のもの――と言って贅沢なもの。美しいもの――と言って無気力な私の触角にむしろ媚《こ》びて来るもの。――そう言ったものが自然私を慰めるのだ。
 生活がまだ蝕《むしば》まれていなかった以前私の好きであった所は、たとえば丸善であった。赤や黄のオードコロンやオードキニン。洒落《しゃれ》た切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持った琥珀色や翡翠色《ひすいいろ》の香水壜《こうすいびん》。煙管《きせる》、小刀、石鹸《せっけん》、煙草《たばこ》。私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがあった。そして結局一等いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。しかしここももうその頃の私にとっては重くるしい場所に過ぎなかった。書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取りの亡霊のように私には見えるのだった。
 ある朝――その頃私は甲の友達から乙の友達へというふうに友達の下宿を転々として暮らしていたのだが――友達が学校へ出てしまったあとの空虚な空気のなかにぽつねんと一人取り残された。私はまたそこから彷徨《さまよ》い出なければならなかった。何かが私を追いたてる。そして街から街へ、先に言ったような裏通りを歩いたり、駄菓子屋の前で立ち留《ど》まったり、乾物屋の乾蝦《ほしえび》や棒鱈《ぼうだら》や湯葉《ゆば》を眺めたり、とうとう私は二条の方へ寺町を下《さが》り、そこの果物屋で足を留《と》めた。ここでちょっとその果物屋を紹介したいのだが、その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった。そこは決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた。果物はかなり勾配の急な台の上に並べてあって、その台というのも古びた黒い漆塗《うるしぬ》りの板だったように思える。何か華やかな美しい音楽の快速調《アッレグロ》の流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝《こ》り固まったというふうに果物は並んでいる。青物もやはり奥へゆけばゆくほど堆《うず》高く積まれている。――実際あそこの人参葉《にんじんば》の美しさなどは素晴《すばら》しかった。それから水に漬《つ》けてある豆だとか慈姑《くわい》だとか。
 またそこの家の美しいのは夜だった。寺町通はいったいに賑《にぎや》かな通りで――と言って感じは東京や大阪よりはずっと澄んでいるが――飾窓の光がおびただしく街路へ流れ出ている。それがどうしたわけかその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。もともと片方は暗い二条通に接している街角になっているので、暗いのは当然であったが、その隣家が寺町通にある家にもかかわらず暗かったのが瞭然《はっきり》しない。しかしその家が暗くなかったら、あんなにも私を誘惑するには至らなかったと思う。もう一つはその家の打ち出した廂《ひさし》なのだが、その廂が眼深《まぶか》に冠った帽子の廂のように――これは形容というよりも、「おや、あそこの店は帽子の廂をやけに下げているぞ」と思わせるほどなので、廂の上はこれも真暗なのだ。そう周囲が真暗なため、店頭に点《つ》けられた幾つもの電燈が驟雨《しゅうう》のように浴びせかける絢爛《けんらん》は、周囲の何者にも奪われることなく、ほしいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。裸の電燈が細長い螺旋棒《らせんぼう》をきりきり眼の中へ刺し込んでくる往来に立って、また近所にある鎰屋《かぎや》の二階の硝子《ガラス》窓をすかして眺めたこの果物店の眺めほど、その時どきの私を興がらせたものは寺町の中でも稀《まれ》だった。
 その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍しい檸檬《れもん》が出ていたのだ。檸檬などごくありふれている。がその店というのも見すぼらしくはないまでもただあたりまえの八百屋に過ぎなかったので、それまであまり見かけたことはなかった。いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈《たけ》の詰まった紡錘形の恰好《かっこう》も。――結局私はそれを一つだけ買うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の心を圧えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛《ゆる》んで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。あんなに執拗《しつこ》かった憂鬱が、そんなものの一顆《いっか》で紛らされる――あるいは不審なことが、逆説的なほんとうであった。それにしても心というやつはなんという不可思議なやつだろう。
 その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった。その頃私は肺尖《はいせん》を悪くしていていつも身体に熱が出た。事実友達の誰彼《だれかれ》に私の熱を見せびらかすために手の握り合いなどをしてみるのだが、私の掌が誰のよりも熱かった。その熱い故《せい》だったのだろう、握っている掌から身内に浸み透ってゆくようなその冷たさは快いものだった。
 私は何度も何度もその果実を鼻に持っていっては嗅《か》いでみた。それの産地だというカリフォルニヤが想像に上って来る。漢文で習った「売柑者之言」の中に書いてあった「鼻を撲《う》つ」という言葉が断《き》れぎれに浮かんで来る。そしてふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を吸い込めば、ついぞ胸一杯に呼吸したことのなかった私の身体や顔には温い血のほとぼりが昇って来てなんだか身内に元気が目覚めて来たのだった。……
 実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚が、ずっと昔からこればかり探していたのだと言いたくなったほど私にしっくりしたなんて私は不思議に思える――それがあの頃のことなんだから。
 私はもう往来を軽やかな昂奮に弾んで、一種誇りかな気持さえ感じながら、美的装束をして街を濶歩《かっぽ》[#「濶歩」は底本では「※[#「さんずい+闊」]歩」]した詩人のことなど思い浮かべては歩いていた。汚れた手拭の上へ載せてみたりマントの上へあてがってみたりして色の反映を量《はか》ったり、またこんなことを思ったり、
 ――つまりはこの重さなんだな。――
 その重さこそ常《つね》づね尋ねあぐんでいたもので、疑いもなくこの重さはすべての善いものすべての美しいものを重量に換算して来た重さであるとか、思いあがった諧謔心《かいぎゃくしん》からそんな馬鹿げたことを考えてみたり――なにがさて私は幸福だったのだ。
 どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善の前だった。平常あんなに避けていた丸善がその時の私にはやすやすと入れるように思えた。
「今日は一《ひと》つ入ってみてやろう」そして私はずかずか入って行った。
 しかしどうしたことだろう、私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん逃げていった。香水の壜にも煙管《きせる》にも私の心はのしかかってはゆかなかった。憂鬱が立て罩《こ》めて来る、私は歩き廻った疲労が出て来たのだと思った。私は画本の棚の前へ行ってみた。画集の重たいのを取り出すのさえ常に増して力が要るな! と思った。しかし私は一冊ずつ抜き出してはみる、そして開けてはみるのだが、克明にはぐってゆく気持はさらに湧いて来ない。しかも呪われたことにはまた次の一冊を引き出して来る。それも同じことだ。それでいて一度バラバラとやってみなくては気が済まないのだ。それ以上は堪《たま》らなくなってそこへ置いてしまう。以前の位置へ戻すことさえできない。私は幾度もそれを繰り返した。とうとうおしまいには日頃から大好きだったアングルの橙色《だいだいろ》の重い本までなおいっそうの堪《た》えがたさのために置いてしまった。――なんという呪われたことだ。手の筋肉に疲労が残っている。私は憂鬱になってしまって、自分が抜いたまま積み重ねた本の群を眺めていた。
 以前にはあんなに私をひきつけた画本がどうしたことだろう。一枚一枚に眼を晒《さら》し終わって後、さてあまりに尋常な周囲を見廻すときのあの変にそぐわない気持を、私は以前には好んで味わっていたものであった。……
「あ、そうだそうだ」その時私は袂《たもと》の中の檸檬《れもん》を憶い出した。本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試してみたら。「そうだ」
 私にまた先ほどの軽やかな昂奮が帰って来た。私は手当たり次第に積みあげ、また慌《あわただ》しく潰し、また慌しく築きあげた。新しく引き抜いてつけ加えたり、取り去ったりした。奇怪な幻想的な城が、そのたびに赤くなったり青くなったりした。
 やっとそれはでき上がった。そして軽く跳りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬《れもん》を据えつけた。そしてそれは上出来だった。
 見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は埃《ほこり》っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。
 不意に第二のアイディアが起こった。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた。
 ――それをそのままにしておいて私は、なに喰《く》わぬ顔をして外へ出る。――
 私は変にくすぐったい気持がした。「出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」そして私はすたすた出て行った。
 変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑《ほほえ》ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。
 私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善も粉葉《こっぱ》みじんだろう」
 そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街を彩《いろど》っている京極を下って行った。

底本:「檸檬・ある心の風景」旺文社文庫、旺文社
   1972(昭和47)年12月10日初版発行
   1974(昭和49)年第4刷発行
入力:j.utiyama
校正:野口英司
1998年8月31日公開
2005年10月7日修正
青空文庫作成ファイル:
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梶井基次郎

奎吉—– 梶井基次郎

「たうとう弟にまで金を借りる樣になつたかなあ。」と奎吉は、一度思ひついたら最後の後悔の幕迄行つて見なければ得心の出來なくなる、いつもの彼の盲目的な欲望がむらむらと高まつて來るのを感じながら思つた。
 彼にとつてはもうこ[#「こ」に「(ママ)」の注記]うなればその醜い欲望が勝を占めてしまふに違ひなかつた。彼は彼で祕かにそれを見越して、それを拒否する意志の働くのを斷念する傾きが出來てゐたのだつた。
 彼は今金がつかんで見度くて堪らないのであつた。然し正當の手段でそれをこしらへるめど[#「めど」に傍点]は周圍のどこにもなかつた。
 彼は兩親から金を持つことを許されてゐないのであつた。どうして奎吉がそんな破目になつたかと云へば、それは彼の樣な性格の人間には當然な經緯《いきさつ》の結果なのである。
 ――彼は二度續けて落第したため、最近迄籍をおいてゐた高等學校を追はれた。
 あらゆる徳目と兩立しない欲望が、又しても又しても彼のちつぽけな意志を押し流した。彼の理想や彼の兩親の願望の忠臣である彼の意志なるものはあまりに弱かつたのである。彼はその度に後悔し誓つた。然し回を重ねるにつれて、放埒の度は段々はげしくなつた。結局彼は引き摺られる所まで引き摺つてゆかれたのだ。――そして彼は學校を追はれたのだつた。
「お父さんも今度といふ今度は本當に慍つてゐらつしやる。」と奎吉は母に云ひきかされた。
「お前の心が改まつたとわかるまで家へ置いてお小遣をやらないと云つてるからお前もその積りでゐなさい。それから將來の身の振方も考え[#「え」に「(ママ)」の注記]てお置き、家ではもう學校へはやらない積りでゐるから。」奎吉は然し「はい。」とは返事が出來なかつた。が、彼の自由になる金が途絶えた生活は續けられて行つた。
 然し彼はそろそろ金が欲しくなつて來た。彼は毎日散歩と稱して、息詰る樣な家の空氣から逃れ出た。然し金を持たずに街を歩くのは彼の憂鬱を増させるばかりであつた。
 そしてその生活の二十日目程にあたる今日といふ今日は金のことばかりで思ひわづらつてゐた。賣つたり質屋へ持つてゆくものは何一つ見當らなかつた。あつても到底五十錢銀貨一枚つかめそ[#「そ」に「(ママ)」の注記]うになかつた。そして最後に弟の貯金のことに不圖氣がついた時、彼はもう矢も楯もたまらなくなつた。
 非常に卑しいことだと心に否定しながらもその欲望に身を委せてしまふ時、人はこの奎吉の樣な感じを抱くのであらうか。何にせよ奎吉はそのとき變な感じを經驗したのである。それは單に感じに止まつてゐたのであつて、何らの成心も必然其處に働いてゐたのではない樣であるが、私は其處に人間が自分の卑しさを庇はふ[#「ふ」に「(ママ)」の注記]とする意志が、感ぜられないながらも働いてゐるのではないかと思ふ。事實それは(せめてこの感じがする樣なら俺も眞から卑しくはないのだ)と自分自身に斷りを云ふことが出來るその證據になるのだから。
 兔に角奎吉がその堪らなく嫌なことをやらうとした時、(いよいよ俺はやるな。)――何だかそこに第二の奎吉といふものがあつて本來の奎吉には何の申譯けもせずにそれをやり通す、そして本當の奎吉は傍からそれを眺めてゐるといふ樣な想像がふと起つたのである。
 彼の弟であるその莊之助は彼の父の外妾の子なのであつたが、その女は莊之助の十歳程の時死んでしまつたのを父は彼を自分の家へ置いて早く一人前にさせて、莊之助の祖母にあたる人間を養ふことが出來る樣にしてやらうと思つて兄弟の仲間入りをさせたのである。
 然し誰も彼もが不完全であつて、家の中は父が空想してゐた樣な調和がとれなかつた。そして誰も彼もが自分の狹量や不完全を感じる機會が多かつた。結局不幸なのは莊之助であつた。
 莊之助は最近に高等小學校を卒業して、極く少しの間父の知り合ひの店へ見習ひに行つてゐたのだつた。然し病弱でもあるし、當人もあまり氣が進まず、父もそれを可哀そ[#「そ」に「(ママ)」の注記]うに思つて又家で紺飛白を着せて遊ばせてあつた。奎吉がふと思ひついたのはその莊之助の金を借りることだつた。
 莊之助は最近見習ひに行つてゐた店から歸る時、そこの主人から包み金を渡された。そして彼の貯金には彼や彼の祖母が、幾度も空想してゐた種類の莊之助自身の金が加はつた譯であつた。
 奎吉自身としてもそんな貯金から借りるのはどうしてもいやであつた。それに彼が今迄勝手氣儘に押へつけて來た弟にとつて奎吉のその申し出が、輕蔑となつて價ひするだらうとは奎吉は知つてゐた。そして奎吉は苦しんだ。然し此の際奎吉は手段などはどうでもいゝ程金が欲しかつた。その欲望はますます巨大に膨れ上つて、奎吉の良心を窒息させてしまひそ[#「そ」に「(ママ)」の注記]うになつた。彼は非常に氣を重くさせてしまつた。何だか譯のわからないものゝ中にゐる樣な氣がした。が、と[#「と」に「(ママ)」の注記]うとうその欲望が勝を占めた。その瞬間奎吉は第二の奎吉といふ樣なものがその醜い行爲をするのを傍觀する樣な、そして自分の聲をさへ一方から傍聽する樣な空想を起しながら、莊之助に呼びかけてしまつた。
「おい、莊之助、ちよつと。」
 そ[#「そ」に「(ママ)」の注記]う云つてしまつた時、彼はその聲が非常に不機嫌に重々しく響いたと思つた。
 雜誌に讀み耽つてゐた莊之助は、兄の視線の下で、身體を起しながらも、その頁から眼をはなさず、それでも兄のいらいらしてゐる視線にゆきあたつた時、機嫌をとる樣な作り笑ひをして近づいて來た。
 それが何か用事を云ひつける樣な時だと、そんな笑顏などは恥ぢて消えてしまふ程、ますます不機嫌な顏をして、ぶつきら棒に「新聞とつといで」とでも云ふのであるが、奎吉は莊之助の視線に會ふと危く目をそらそ[#「そ」に「(ママ)」の注記]うとした。奎吉は何だかもやもやしてゐるものゝ中に閉ぢ込められてゐる樣に思つた。然し努めて顏を無表情に裝ひながら、彼の弱味を見られまいとした。
「お前の貯金から少し金を出して來て呉れ。急に入用が出來たんだが、お母さんが今使ひに行つてゐないから。」
 彼がやつとそれを云ひ終へた時には、さき程の變に歪められた(この樣な事件が今起つてゐるのだな。)といふ想像の氣持が丸切り影を消してゐた。
 莊之助は舞臺の上の人物が傍白を云ふ時の樣に一度目を横へそらせて「あゝ」と云つてうなづいた。奎吉は不幸にもその時の莊之助の顏に浮んだ微笑の影に、奎吉をなぐさめる樣な柔しい感情の表れがあつたのを見逃せなかつた。
 その人間にその申し出が拒絶される時の氣不味さを氣遣ひながら、恐る恐る金を貸して呉れと他人に云ふ時に奎吉がいつも顏面に感じたあの堪らなく嫌な顏附きが、奎吉の努力を裏切つて、ここへも出たのではあるまいか、そして莊之助は俺のその顏から、俺の苦痛をヒユーメインにも知つて、あんなに柔しい顏附きをしたのではあるまいかと彼は疑つた。然も彼は莊之助のその顏を生意氣に思ひ、いまいましく感じた。
「お前通帳と認印は自分で藏つてるんだね。ぢや直ぐ行つて五圓出しておいで、そしてこんなこと知れると少し都合が惡いから、俺が返すまで誰にも云ふんぢやないよ。いゝかい。その代り返す時には六圓にして返してやるからな。」 
 奎吉は最後の醜さを出してしまつた。然し彼はどうしても口止めをせずにはゐられなかつたのだつた。
 莊之助はそれを頷きながらきいてゐたが、おしまひに云ひ難くさを切り拔ける樣にしてこ[#「こ」に「(ママ)」の注記]う云つた。
「何も餘計にして返して貰はうとは思はないけど、確かに返してくれるのだつたら……。」
 奎吉は本當過ぎる程本當なそんな弟の言葉には全く參らされた。思ひがけなくも卑しい利息のことなどを云つたのを、堪らなく恥かしく思つた。金を返すにしても父が呉れる樣にならなければどうせ返せないのだし、金が手に入つても右左にそれを返すにはどうしても目をつぶつて自分を麻痺させなければ、惜しくて堪らなくなる自分の性質を省ても、莊之助の言葉は本當過ぎる位本當であつたので。

 莊之助が出て行つてから彼は堪らない場面をと[#「と」に「(ママ)」の注記]うとうやり過したといふ氣がしたが、次々に盛り上つて來る嫌惡の感じにゐたたまらなくなつた。そして變なことに、彼は舌をべろ[#「べろ」に傍点]と出して見た。そして次には「やつた、やつた」と小聲で云ひながら踊る樣な眞似をした。彼はそれでもあきたらなかつた。最後に奎吉は「うー」と云ひながら顏を思ひ切つてしかめた。なほもなほもひどく。なにかその顏面筋肉の收縮の感覺に快感があるかの樣に。

底本:「梶井基次郎全集 第一巻」筑摩書房
   1999(平成11)年11月10日初版第1刷発行
入力:高柳典子
校正:小林繁雄
2002年11月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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梶井基次郎

路上—– 梶井基次郎

 自分がその道を見つけたのは卯《う》の花の咲く時分であった。
 Eの停留所からでも帰ることができる。しかもM停留所からの距離とさして違わないという発見は大層自分を喜ばせた。変化を喜ぶ心と、も一つは友人の許《もと》へ行くのにMからだと大変大廻りになる電車が、Eからだと比較にならないほど近かったからだった。ある日の帰途気まぐれに自分はEで電車を降り、あらましの見当と思う方角へ歩いて見た。しばらく歩いているうちに、なんだか知っているような道へ出て来たわいと思った。気がついてみると、それはいつも自分がMの停留所へ歩いてゆく道へつながって行くところなのであった。小心翼々と言ったようなその瞬間までの自分の歩き振りが非道《ひど》く滑稽に思えた。そして自分は三度に二度というふうにその道を通るようになった。
 Mも終点であったがこのEも終点であった。Eから乗るとTで乗換えをする。そのTへゆくまでがMからだとEからの二倍も三倍もの時間がかかるのであった。電車はEとTとの間を単線で往復している。閑《のどか》な線で、発車するまでの間を、車掌がその辺の子供と巫山戯《ふざけ》ていたり、ポールの向きを変えるのに子供達が引張らせてもらったりなどしている。事故などは少いでしょうと訊《き》くと、いやこれで案外多いのです。往来を走っているのは割合い少いものですが、など車掌は言っていた。汽車のように枕木の上にレールが並べてあって、踏切などをつけた、電車だけの道なのであった。
 窓からは線路に沿った家々の内部《なか》が見えた。破屋《あばらや》というのではないが、とりわけて見ようというような立派な家では勿論《もちろん》なかった。しかし人の家の内部というものにはなにか心|惹《ひ》かれる風情《ふぜい》といったようなものが感じられる。窓から外を眺め勝ちな自分は、ある日その沿道に二本のうつぎ[#「うつぎ」に傍点]を見つけた。
 自分は中学の時使った粗末な検索表と首っ引で、その時分家の近くの原っぱや雑木林へ卯《う》の花を捜しに行っていた。白い花の傍へ行っては検索表と照し合せて見る。箱根うつぎ、梅花うつぎ――似たようなものはあってもなかなか本物には打《ぶ》つからなかった。それがある日とうとう見つかった。一度見つかったとなるとあとからあとからと眼についた。そして花としての印象はむしろ平凡であった。――しかしその沿道で見た二本のうつぎには、やはり、風情と言ったものが感ぜられた。

 ある日曜、訪ねて来た友人と市中へ出るのでいつもの阪《さか》を登った。
「ここを登りつめた空地ね、あすこから富士がよく見えたんだよ」と自分は言った。
 富士がよく見えたのも立春までであった。午前は雪に被《おお》われ陽に輝いた姿が丹沢山の上に見えていた。夕方になって陽がかなたへ傾くと、富士も丹沢山も一様の影絵を、茜《あかね》の空に写すのであった。
 ――吾々《われわれ》は「扇を倒《さかさ》にした形」だとか「摺鉢《すりばち》を伏せたような形」だとかあまり富士の形ばかりを見過ぎている。あの広い裾野を持ち、あの高さを持った富士の容積、高まりが想像でき、その実感が持てるようになったら、どうだろう――そんなことを念じながら日に何度も富士を見たがった、冬の頃の自分の、自然に対して持った情熱の激しさを、今は振り返るような気持であった。

(春先からの徴候が非道《ひど》くなり、自分はこの頃病的に不活溌な気持を持てあましていたのだった。)

「あの辺が競馬場だ。家はこの方角だ」
 自分は友人と肩を並べて、起伏した丘や、その間に頭を出している赤い屋根や、眼に立ってもくもくして来た緑の群落のパノラマに向き合っていた。
「ここからあっちへ廻ってこの方向だ」と自分はEの停留所の方を指して言った。
「じゃあの崖《がけ》を登って行って見ないか」
「行けそうだな」
 自分達はそこからまた一段上の丘へ向かった。草の間に細く赤土が踏みならされてあって、道路では勿論なかった。そこを登って行った。木立には遮《さえぎ》られてはいるが先ほどの処《ところ》よりはもう少し高い眺望があった。先ほどの処《ところ》の地続きは平にならされてテニスコートになっている。軟球を打ち合っている人があった。――路らしい路ではなかったがやはり近道だった。
「遠そうだね」
「あそこに木がこんもり茂っているだろう。あの裏に隠れているんだ」
 停留所はほとんど近くへ出る間際まで隠されていて見えなかった。またその辺りの地勢や人家の工合では、その近くに電車の終点があろうなどとはちょっと思えなくもあった。どこかほんとうの田舎じみた道の感じであった。
 ――自分は変なところを歩いているようだ。どこか他国を歩いている感じだ。――街を歩いていて不図《ふと》そんな気持に捕らえられることがある。これからいつもの市中へ出てゆく自分だとは、ちょっと思えないような気持を、自分はかなりその道に馴《な》れたあとまでも、またしても味わうのであった。
 閑散な停留所。家々の内部の隙見える沿道。電車のなかで自分は友人に、
「情旅を感じないか」と言って見た。殻斗科《かくとか》の花や青葉の匂いに満された密度の濃い空気が、しばらく自分達を包んだ。――その日から自分はまた、その日の獲物だった崖からの近道を通うようになった。

 それはある雨あがりの日のことであった。午後で、自分は学校の帰途であった。
 いつもの道から崖の近道へ這入《はい》った自分は、雨あがりで下の赤土が軟《やわらか》くなっていることに気がついた。人の足跡もついていないようなその路は歩くたび少しずつ滑った。
 高い方の見晴らしへ出た。それからが傾斜である。自分は少し危いぞと思った。
 傾斜についている路はもう一層軟かであった。しかし自分は引返そうとも、立留って考えようともしなかった。危ぶみながら下りてゆく。一と足下りかけた瞬間から、既に、自分はきっと滑って転《ころ》ぶにちがいないと思った。――途端自分は足を滑らした。片手を泥についてしまった。しかしまだ本気にはなっていなかった。起きあがろうとすると、力を入れた足がまたずるずる滑って行った。今度は片|肱《ひじ》をつき、尻餅をつき、背中まで地面につけて、やっとその姿勢で身体は止った。止った所はもう一つの傾斜へ続く、ちょっと階段の踊り場のようになった所であった。自分は鞄《かばん》を持った片手を、鞄《かばん》のまま泥について恐る恐る立ち上った。――いつの間にか本気になっていた。
 誰かがどこかで見ていやしなかったかと、自分は眼の下の人家の方を見た。それらの人家から見れば、自分は高みの舞台で一人滑稽な芸当を一生懸命やっているように見えるにちがいなかった。――誰も見ていなかった。変な気持であった。
 自分の立ち上ったところはやや安全であった。しかし自分はまだ引返そうともしなかったし、立留って考えてみようともしなかった。泥に塗《まみ》れたまままた危い一歩を踏み出そうとした。とっさの思いつきで、今度はスキーのようにして滑り下りてみようと思った。身体の重心さえ失わなかったら滑り切れるだろうと思った。鋲《びょう》の打ってない靴の底はずるずる赤土の上を滑りはじめた。二間余りの間である。しかしその二間余りが尽きてしまった所は高い石崖の鼻であった。その下がテニスコートの平地になっている。崖は二間、それくらいであった。もし止まる余裕がなかったら惰力で自分は石垣から飛び下りなければならなかった。しかし飛び下りるあたりに石があるか、材木があるか、それはその石垣の出っ鼻まで行かねば知ることができなかった。非常な速さでその危険が頭に映じた。
 石垣の鼻のザラザラした肌で靴は自然に止った。それはなにかが止めてくれたという感じであった。全く自力を施す術《すべ》はどこにもなかった。いくら危険を感じていても、滑るに任せ止まるに任せる外はなかったのだった。
 飛び下りる心構えをしていた脛《すね》はその緊張を弛《ゆる》めた。石垣の下にはコートのローラーが転がされてあった。自分はきょとん[#「きょとん」に傍点]とした。
 どこかで見ていた人はなかったかと、また自分は見廻して見た。垂れ下った曇空の下に大きな邸《やしき》の屋根が並んでいた。しかし廓寥《かくりょう》として人影はなかった。あっけない気がした。嘲笑《あざわら》っていてもいい、誰かが自分の今|為《し》たことを見ていてくれたらと思った。一瞬間前の鋭い心構えが悲しいものに思い返せるのであった。
 どうして引返そうとはしなかったのか。魅せられたように滑って来た自分が恐ろしかった。――破滅というものの一つの姿を見たような気がした。なるほどこんなにして滑って来るのだと思った。
 下に降り立って、草の葉で手や洋服の泥を落しながら、自分は自分がひとりでに亢奮《こうふん》しているのを感じた。
 滑ったという今の出来事がなにか夢の中の出来事だったような気がした。変に覚えていなかった。傾斜へ出かかるまでの自分、不意に自分を引摺《ひきず》り込んだ危険、そして今の自分。それはなにか均衡のとれない不自然な連鎖であった。そんなことは起りはしなかったと否定するものがあれば自分も信じてしまいそうな気がした。
 自分、自分の意識というもの、そして世界というものが、焦点を外れて泳ぎ出して行くような気持に自分は捕らえられた。笑っていてもかまわない。誰か見てはいなかったかしらと二度目にあたりを見廻したときの廓寥《かくりょう》とした淋しさを自分は思い出した。

 帰途、書かないではいられないと、自分は何故か深く思った。それが、滑ったことを書かねばいられないという気持か、小説を書くことによってこの自己を語らないではいられないという気持か、自分には判然《はっきり》しなかった。おそらくはその両方を思っていたのだった。

 帰って鞄《かばん》を開けて見たら、どこから入ったのか、入りそうにも思えない泥の固りが一つ入っていて、本を汚していた。

底本:「檸檬・ある心の風景」旺文社文庫、旺文社
   1972(昭和47)年12月10日初版発行
   1974(昭和49)年第4刷発行
入力:j.utiyama
校正:野口英司
1998年9月16日公開
2005年10月9日修正
青空文庫作成ファイル:
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梶井基次郎

矛盾の樣な眞實—–梶井基次郎

「お前は弟達をちつとも可愛がつてやらない。お前は愛のない男だ。」
 父母は私によくそ[#「そ」に「(ママ)」の注記]う云つて戒めた。
 實際私は弟達に對して隨分突慳貪であつた。彼等を泣かすのは何時でも私であつた。彼等に手を振り上げるのは兄弟中で事實私一人だつた。だから父母のその言葉は一應はもつともなのであるが私は私のとつてゐた態度以外にはどうしても彼等が扱へなかつた。
 私はどちらかと云へば彼等には暴君であつた。然しとにかく弟達はそれの或程度迄には折れ合つて、私對弟等の或る一定した關係の朧ろな輪廓が出來てゐた。
 然しその標準から私は時々はみ出たことをした。――と云ふよりも事實いけないと思ふ樣なことをした記憶をもつてゐる。

 三年程以前のことだと思ふ。その勘定だと、上の方の弟が十三で、その次が十の時だつた筈である。
 その下の方の弟がこんなことを云つて戸外《そと》から歸つて來た。
「勇ちやん――(上の方の弟の名)――今そとでよその奴に撲られたんだよ。」
 譯をきいて見れば、勇が自轉車につきあたられて、そしておまけに「この間拔け奴。」と云つてその乘つてゐた男に頭を撲られたと云ふのである。
 私はそれをきくとむら/\とした。年をきいて見ると四十程の男だと云ふ、私はその男を自轉車からひきずり卸[#「卸」に「(ママ)」の注記]して思ひ切りこらしめてやりたかつた。
 私は、氣が弱くて恐らくは抵抗出來なかつた弟がどんなに口惜しく思つてゐるだらうと思つた。そんな奴はどれだけこらしめてやつてもいゝと思つた。そして私は何時のまにか、うんと顏を陰氣にしてしまつてゐた。
 然し母はやはり年の功だけのことを云つた。つまり勇にもいけない所があつたにちがひないと云ふ風なことを云ひ出した。
 私はそれをもつともだとは思つたが、十三位の家の弟をよその大人が撲るといふ樣なことはどうしても許せないと思つた。
「お母さん! そ[#「そ」に「(ママ)」の注記]う云つてあなたはそれで堪忍出來るのですか。」と私は母に喰つてかゝつたのを覺えてゐる。私は不愉快で不愉快で堪らなかつたのだつた。
 そこへその本人が歸つて來た。顏を見ると悄げかへつてゐる。そして泣いたあとらしく頬がよごれてゐた。私はそのしよぼしよぼした姿を見ると可哀さうには思つたが、なほさら不愉快が増した。
 私が問ふと弟は話し話しまた涙をためた。――きいてゐる中にふと私はその話に少し嘘があるのを感じた。勝手のいゝ胡麻化しがある樣に思つた。
 その弟は常からよく勝手のいゝ嘘を云つた。私はそれがいやで堪らなかつた。
 ――私はその氣持には純粹に嘘を忌むといふ氣持もあるにはあつたらうが、それよりももつと私に應へるのは弟に私の戲畫《カリカチユア》を見せられることであつた。
 包まず云ふが、私自身はこれでかなりの嘘[#「嘘」に「(ママ)」の注記]言家なのである。そして虚榮家の素質も充分持つてゐる。私は自分の卑しい所、醜い所、弱い所をかくすためによく嘘を云つた。
 私は自分のこの性格が忌々しくてならないのである。
 その思ひ出したくない急所に、弟の淺墓な嘘が強く觸れる。そこを殊更に醜く擴大した私自身のポンチ繪を見せつけられる樣な悔[#「悔」に「(ママ)」の注記]辱を感じる。
 私のその氣持にはそれが私の肉親であるといふことも大分手傳つてゐるのだと思ふ。――つまりポンチ繪と云ふよりも本當の私の姿だと思へるためではないかと思ふ。またもう一歩進めば――「勇さんは嘘つきだ。兄弟は爭へない。あの直ぐ上の兄さんも。」といふ風になつて、あまり明瞭ではなかつた私のその嫌な性格が、弟のそれではつきり世間の人にわかつてしまふといふ懸念が、或は働いてゐるのではなからうか。
 やはりこれが肉親の故でもあらうし、永く一緒に暮して來た故でもあらうが、第一は性格の相似から、私には弟の嘘が、その顏付や語調から、手にとる樣に――丁度私自身がその嘘を云つてゐる樣にわかる樣に思へるのである。そして事實は十中八九それの正鵠を證明してゐる。
 そんな譯で私は弟が物を云ふとその話の中途で「それは嘘だ。」と云ひ切つたりすることがある。――こんな無禮なことは弟だからと云つて許さるべきものではない。然し私は不愉快のあまり憎惡さへ募らせて、意地惡くそれを云ふのである。そして弟の話の腰を折つてしまふ。
 またあまり堪へ切れなくなると、私はむらむらと前後を忘れて、「馬鹿! また嘘を云つてる。」などゝ怒鳴りつけずにはゐられなくなる。――つまり私はその時、情ない氣持で歸つて來た弟にこれを浴せかけたのだつた。

「またお前も意氣地なしだ。それで默つてゐるつてことがあるかい。何故一つでも撲り返さなかつたのだ。」
 私は弟の苦しい胡麻化しをその場合許せばよかつたのだつたが、その卑怯な嘘を感じると私は意地惡くなつて、ついそんなつかぬ[#「つかぬ」に傍点]ことを云つてしまつたのだつた。一つはあまりの口惜しさから。
「……でも石を一つ投げてやつた。……」
 その時私は、その聲の弱さに、また顏の頼りなさに、私の嫌な嫌な、眞赤な嘘の證據を見たのだつた。
 私の先程から積つてゐた不愉快は、それに出喰はすと新たに例の不愉快を加へて一時にはづんで來た。そして猛烈なはけ口を求めた。私はこの壓力で爆發する樣に「馬鹿!!」をやつてしまつた。

 私はこれを思ひ出すと、その時の弟が可哀さうで堪らなくなる。本當にそ[#「そ」に「(ママ)」の注記]うだ。
 弟はそんなことでも云つて見なければ、あまりに口惜しく、自分がみぢ[#「ぢ」に「(ママ)」の注記]めだつたにちがひない。
 私がその時それを信じてやれば幾分かは、彼の無殘に傷けられた心も慰められただらうのに。
 私はその時の弟が可哀相でならない。
 惡いことをしたと思ふ。
 
      *     *    *

 私がその三年程も以前のことを思ひ出したのは、今日往來で子供の喧嘩を見てからのことである。私はその喧嘩を見ていろんなことを思つた。その思ひの辿るまにまにふとその記憶にぶつかつたのだつた。
 その喧嘩といふのはかうである。

 私は學校から熊野神社の方へ歩いてゐた。
 雨模樣の空の間から射し出す太陽がいやに蒸暑くてあの單調な路が殊更長く思へた。顏や首から油汗がねつとり滲み出てゐたが、手拭を忘れて來てゐたので、と云つても洋服の汚れた袖で拭くのはなほのこと氣味がわるく、私はやけ氣味に汗まみれであるいてゐた。晝過ぎだつた。道は小學校の生徒が四五人と中學の生徒が二三人と、そして私だけだつた。埃にまみれたポプラの葉が動かうともしない。

 はじめ自分はそれをほかの事だと思つてゐた。――が、それが喧嘩だつた。
 一人の運動シヤツを着た子供が小學校歸りらしい子供とつかみあつてゐる。中學の生徒が二人程、あまり熱心でもなくそれを留めや[#「や」に「(ママ)」の注記]うとしてゐる。
 歩きながら見てゐると、どうやら運動シヤツの子供の方が優勢らしく見えた。片方の子供はいかにも弱さうだつた。
 なんとか云つてシヤツの兒が相手の脛のあたりを蹴つた。するとも[#「も」に傍点]一人は横面を撲つた。いかにもそれが頼りなささうで撲つたとは云へない位のものだつた。攻撃のためではなく自分の威嚴のため止むを得ずその形をしてゐる。――撲りながらも心では「もうこらへて呉れ。」と云つてゐる――といふ風に見えた。
 一方は毒々しい程積極的だつた。弱い者[#「者」に傍点]いぢめをしてゐるにちがひなかつた。
 一瞬間私は、私が幼い時經驗した無念さや恐怖を、やはりそんなに迫害されてゐる私の姿を憶ひ浮べた。
 さき[#「さき」に傍点]の方は顏を紅潮させてゐて、それが變に歪んでゐた。泣き出しさうにも見えた。然し消極的にせよ一つ一つ報いてゐた。一つに一つ。私はそれがいぢらしくて見てゐられない樣な氣がした。もうその上續けさせておき度くなかつた。
 とめてやらうと思つて獨でに歩調を速めた時中學生等がやつと彼等をひき離した。
 小學生の方は直ぐに、顏を少し伏せる樣にして走り去つた。――それも片足だけでけんけん[#「けんけん」に傍点]をしつゝ一種踊る樣な恰好を身體につけながら。
 私はその瞬間そんな恰好をせずにゐられないその兒の氣持が、私自身の氣持の樣に、ぐん[#「ぐん」に傍点]と胸へ來た。
「敗けて逃ぐるのんか。何や、泣てやがる。」とそのシヤツの兒がその背後から叫んだ。
 そしてそこに立つて見てゐた、その小學生の連れらしい、それもやはり學校歸りらしく鞄を下げた二三人が、獨りで走り去つた友達を追ふともなく、その後からその方角へ歩いて行つた。
 ――それは時間にすれば僅か二分かそこらのちよつとしたことだつた。
 然し私にはそれがびんと響いた。
「男らしさ」への義理立てだけといつた風に振り上げられたその兒の弱々しい拳や、歪められた顏や、殊にけんけんで踊る樣にした恰好が何度となく眼に浮んで來た。
 その兒がいぢらしくて堪らなかつた。
 何だかその兒の顏が私の一番末の弟に似てゐる樣にも思へた。
「父親のない、母親だけが家に待つてゐるといふ風の兒なのぢやないか。」
 そんなことまで空想したりした。
 そして蒸暑い天候のことなど忘れてしまつてゐた。

底本:「梶井基次郎全集 第一巻」筑摩書房
   1999(平成11)年11月10日初版第1刷発行
入力:高柳典子
校正:小林繁雄
2002年11月10日作成
2003年5月11日修正
青空文庫作成ファイル:
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梶井基次郎

橡の花 ――或る私信―― ——梶井基次郎

 この頃の陰鬱な天候に弱らされていて手紙を書く気にもなれませんでした。以前京都にいた頃は毎年のようにこの季節に肋膜《ろくまく》を悪くしたのですが、此方《こちら》へ来てからはそんなことはなくなりました。一つは酒類を飲まなくなったせいかも知れません。然しやはり精神が不健康になります。感心なことを云うと云ってあなたは笑うかも知れませんが、学校へ行くのが実に億劫《おっくう》でした。電車に乗ります。電車は四十分かかるのです。気持が消極的になっているせいか、前に坐っている人が私の顔を見ているような気が常にします。それが私の独《ひと》り相撲だとは判っているのです。と云うのは、はじめは気がつきませんでしたが、まあ云えば私自身そんな視線を捜しているという工合なのです。何気ない眼附きをしようなど思うのが抑ゝ《そもそも》の苦しむもとです。
 また電車のなかの人に敵意とはゆかないまでも、棘々《とげとげ》しい心を持ちます。これもどうかすると変に人びとのアラを捜しているようになるのです。学生の間に流行《はや》っているらしい太いズボン、変にべたっとした赤靴。その他。その他。私の弱った身体《からだ》にかなわないのはその悪趣味です。なにげなくやっているのだったら腹も立ちません。必要に迫られてのことだったら好意すら持てます。然しそうだとは決して思えないのです。浅はかな気がします。
 女の髪も段々|堪《たま》らないのが多くなりました。――あなたにお貸しした化物の本のなかに、こんな絵があったのを御存じですか。それは女のお化けです。顔はあたり前ですが、後頭部に――その部分がお化けなのです。貪婪《どんらん》な口を持っています。そして解《ほぐ》した髪の毛の先が触手の恰好に化けて、置いてある鉢から菓子をつかみ、その口へ持ってゆこうとしているのです。が、女はそれを知っているのか知らないのか、あたりまえの顔で前を向いています。――私はそれを見たときいやな気がしました。ところがこの頃の髪にはそれを思い出させるのがあります。わげ[#「わげ」に傍点]がその口の形をしているのです。その絵に対する私の嫌悪《けんお》はこのわげ[#「わげ」に傍点]を見てから急に強くなりました。
 こんなことを一々気にしていては窮屈で仕方がありません。然しそう思ってみても逃げられないことがあります。それは不快の一つの「型」です。反省が入れば入る程尚更その窮屈がオークワードになります。ある日こんなことがありました。やはり私の前に坐っていた婦人の服装が、私の嫌悪を誘い出しました。私は憎みました。致命的にやっつけてやりたい気がしました。そして効果的に恥を与え得る言葉を捜しました。ややあって私はそれに成功することが出来ました。然しそれは効果的に過ぎた言葉でした。やっつけるばかりでなく、恐らくそのシャアシャアした婦人を暗く不幸にせずにはおかないように思えました。私はそんな言葉を捜し出したとき、直ぐそれを相手に投げつける場面を想像するのですが、この場合私にはそれが出来ませんでした。その婦人、その言葉。この二つの対立を考えただけでも既に惨酷でした。私のいら立った気持は段々冷えてゆきました。女の人の造作をとやかく思うのは男らしくないことだと思いました。もっと温かい心で見なければいけないと思いました。然し調和的な気持は永く続きませんでした。一人相撲が過ぎたのです。
 私の眼がもう一度その婦人を掠《かす》めたとき、ふと私はその醜さのなかに恐らく私以上の健康を感じたのです。わる達者という言葉があります。そう云った意味でわるく健康な感じです。性《しょう》におえない鉄道草という雑草があります。あの健康にも似ていましょうか。――私の一人相撲はそれとの対照で段々神経的な弱さを露《あら》わして来ました。
 俗悪に対してひどい反感を抱くのは私の久しい間の癖でした。そしてそれは何時《いつ》も私自身の精神が弛《ゆる》んでいるときの徴候でした。然し私自身みじめな気持になったのはその時が最初でした。梅雨が私を弱くしているのを知りました。
 電車に乗っていてもう一つ困るのは車の響きが音楽に聴えることです。(これはあなたも何時だったか同様経験をしていられることを話されました)私はその響きを利用していい音楽を聴いてやろうと企てたことがありました。そんなことから不知不識《しらずしらず》に自分を不快にする敵を作っていた訳です。「あれをやろう」と思うと私は直ぐその曲目を車の響き、街の響きの中に発見するようになりました。然し悪く疲れているときなどは、それが正確な音程で聞えない。――それはいいのです。困るのはそれがもう此方の勝手では止まらなくなっていることです。そればかりではありません。それは何時の間にか私の堪《たま》らなくなる種類のものをやります。先程の婦人がそれにつれて踊るであろうような音楽です。時には嘲笑《ちょうしょう》的にそしてわざと下品に。そしてそれが彼等の凱歌《がいか》のように聞える――と云えば話になってしまいますが、とにかく非常に不快なのです。
 電車の中で憂鬱になっているときの私の顔はきっと醜いにちがいありません。見る人が見ればきっとそれをよしとはしないだろうと私は思いました。私は自分の憂鬱の上に漠とした「悪」を感じたのです。私はその「悪」を避けたく思いました。然し電車には乗らないなどと云ってはいられません。毒も皿もそれが予《あらかじ》め命ぜられているものならひるむことはいらないことです。一人相撲もこれでおしまいです。あの海に実感を持たねばならぬと思います。
 ある日私は年少の友と電車に乗っていました。この四月から私達に一年|後《おく》れて東京に来た友でした。友は東京を不快がりました。そして京都のよかったことを云い云いしました。私にも少くともその気持に似た経験はありました。またやって来た※[#「勹<夕」、第3水準1-14-76]々直ぐ東京が好きになるような人は不愉快です。然し私は友の言葉に同意を表しかねました。東京にもまた別種のよさがあることを云いました。そんなことをいう者さえ不愉快だ。友の調子にはこう云ったところさえ感ぜられます。そして二人は押し黙ってしまいました。それは変につらい沈黙でした。友はまた京都にいた時代、電車の窓と窓がすれちがうとき「あちらの第何番目の窓にいる娘が今度自分の生活に交渉を持って来るのだ」とその番号を心のなかで極め、託宣を聴くような気持ですれちがうのを待っていた――そんなことをした時もあったとその日云っておりました。そしてその話は私にとって無感覚なのでした。そんなことにも私自身がこだわりを持っていました。

 或る日Oが訪ねてくれました。Oは健康そうな顔をしていました。そして種々《いろいろ》元気な話をしてゆきました。――
 Oは私の机の上においてあった紙に眼をつけました。何枚もの紙の上に Waste という字が並べて書いてあるのです。
「これはなんだ。恋人でも出来たのか」と、Oはからかいました。恋人というようなあのOの口から出そうにもない言葉で、私は五六年も前の自分を不図《ふと》思い出しました。それはある娘を対象とした、私の子供らしい然も激しい情熱でした。それの非常な不結果であったことはあなたも少しは知っていられるでしょう。
 ――父の苦り切った声がその不面目な事件の結果を宣告しました。私は急にあたりが息苦しくなりました。自分でもわからない声を立てて寝床からとび出しました。後からは兄がついて来ておりました。私は母の鏡台の前まで走りました。そして自分の青ざめた顔をうつしました。それは醜くひきつっていました。何故《なぜ》そこまで走ったのか――それは自分にも判然《はっきり》しません。その苦しさを眼で見ておこうとしたのかも知れません。鏡を見て或る場合心の激動の静まるときもあります。――両親、兄、O及びもう一人の友人がその時に手を焼いた連中です。そして家では今でもその娘の名を私の前では云わないのです。その名前を私は極くごく略した字で紙片の端などへ書いて見たことがありました。そしてそれを消した上こなごなに破らずにはいられなかったことがありました。――然しOが私にからかった紙の上には Waste という字が確実に一面に並んでいます。
「どうして、大ちがいだ」と私は云いました。そしてその訳を話しました。
 その前晩私はやはり憂鬱に苦しめられていました。びしょびしょと雨が降っていました。そしてその音が例の音楽をやるのです。本を読む気もしませんでしたので私はいたずら書きをしていました。その Waste という字は書き易い字であるのか――筆のいたずらに直ぐ書く字がありますね――その字の一つなのです。私はそれを無暗《むやみ》にたくさん書いていました。そのうちに私の耳はそのなかから機《はた》を織るような一定のリズムを聴きはじめたのです。手の調子がきまって来たためです。当然きこえる筈だったのです。なにかきこえると聴耳をたてはじめてから、それが一つの可愛いリズムだと思い当てたまでの私の気持は、緊張と云い喜びというにはあまりささやかなものでした。然し一時間前の倦怠《けんたい》ではもうありませんでした。私はその衣《きぬ》ずれのようなまた小人国の汽車のような可愛いリズムに聴き入りました。それにも倦《あ》くと今度はその音をなにかの言葉で真似て見たい欲望を起したのです。ほととぎすの声をてっぺんかけたか[#「てっぺんかけたか」に傍点]と聞くように。――然し私はとうとう発見出来ませんでした。サ行の音が多いにちがいないと思ったりする、その成心に妨げられたのです。然し私は小さいきれぎれの言葉を聴きました。そしてそれの暗示する言語が東京のそれでもなく、どこのそれでもなく、故郷の然も私の家族固有なアクセントであることを知りました。――おそらく私は一生懸命になっていたのでしょう。そうした心の純粋さがとうとう私をしてお里を出さしめたのだろうと思います。心から遠退《とおの》いていた故郷と、然も思いもかけなかったそんな深夜、ひたひたと膝《ひざ》をつきあわせた感じでした。私はなにの本当なのかはわかりませんでしたが、なにか本当のものをその中に感じました。私はいささか亢奮《こうふん》をしていたのです。
 然しそれが芸術に於てのほんとう、殊に詩に於てのほんとうを暗示していはしないかなどOには話しました。Oはそんなことをもおだやかな微笑で聴いてくれました。
 鉛筆の秀《ほ》をとがらして私はOにもその音をきかせました。Oは眼を細くして「きこえる、きこえる」と云いました。そして自身でも試みて字を変え紙質を変えたりしたら面白そうだと云いました。また手加減が窮屈になったりすると音が変る。それを「声がわり」だと云って笑ったりしました。家族の中でも誰の声らしいと云いますから末の弟の声だろうと云ったのに関聯《かんれん》してです。私は弟の変声期を想像するのがなにかむごい気がするときがあります。次の話もこの日のOとの話です。そして手紙に書いておきたいことです。
 Oはその前の日曜に鶴見の花月園というところへ親類の子供を連れて行ったと云いました。そして面白そうにその模様を話して聞かせました。花月園というのは京都にあったパラダイスというようなところらしいです。いろいろ面白かったがその中でも愉快だったのは備えつけてある大きなすべり台だと云いました。そしてそれをすべる面白さを力説しました。ほんとうに面白かったらしいのです。今もその愉快が身体のどこかに残っていると云った話振りなのです。とうとう私も「行って見たいなあ」と云わされました。変な云い方ですがこのなあ[#「なあ」に傍点]のあ[#「あ」に傍点]はOの「すべり台面白いぞお[#「お」に傍点]」のお[#「お」に傍点]と釣合っています。そしてそんな釣合いはOという人間の魅力からやって来ます。Oは嘘の云えない素直な男で彼の云うことはこちらも素直に信じられます。そのことはあまり素直ではない私にとって少くとも嬉しいことです。
 そして話はその娯楽場の驢馬《ろば》の話になりました。それは子供を乗せて柵《さく》を回る驢馬で、よく馴れていて、子供が乗るとひとりで一周して帰って来るのだといいます。私はその動物を可愛いものに思いました。
 ところがそのなかの一匹が途中で立留ったと云います。Oは見ていたのだそうです。するとその立留った奴はそのまま小便をはじめたのだそうです。乗っていた子供――女の児だったそうですが――はもじもじし出し顔が段々赤くなって来てしまいには泣きそうになったと云います。――私達は大いに笑いました。私の眼の前にはその光景がありありと浮びました。人のいい驢馬の稚気に富んだ尾籠《びろう》、そしてその尾籠の犠牲になった子供の可愛い困惑。それはほんとうに可愛い困惑です。然し笑い笑いしていた私はへんに笑えなくなって来たのです。笑うべく均衡されたその情景のなかから、女の児の気持だけがにわかに押し寄せて来たのです。「こんな御行儀の悪いことをして。わたしははずかしい」
 私は笑えなくなってしまいました。前晩の寐《ね》不足のため変に心が誘われ易く、物に即し易くなっていたのです。私はそれを感じました。そして少しの間不快が去りませんでした。気軽にOにそのことを云えばよかったのです。口にさえ出せば再びそれを可愛い滑稽《おどけ》なこと」として笑い直せたのです。然し私は変にそれが云えなかったのです。そして健康な感情の均整をいつも失わないOを羨《うらやま》しく思いました。

 私の部屋はいい部屋です。難を云えば造りが薄手に出来ていて湿気などに敏感なことです。一つの窓は樹木とそして崖《がけ》とに近く、一つの窓は奥狸穴《おくまみあな》などの低地をへだてて飯倉の電車道に臨む展望です。その展望のなかには旧徳川邸の椎《しい》の老樹があります。その何年を経たとも知れない樹は見わたしたところ一番大きな見事なながめです。一体椎という樹は梅雨期に葉が赤くなるものなのでしょうか。最初はなにか夕焼の反射をでも受けているのじゃないかなど疑いました。そんな赤さなのです。然し雨の日になってもそれは同じ。いつも同じでした。やはり樹自身の現象なのです。私は古人の「五月雨《さみだれ》の降り残してや光堂」の句を、日を距《へだ》ててではありましたが、思い出しました。そして椎茜《しいあかね》という言葉を造って下の五におきかえ嬉しい気がしました。中の七が降り残したる[#「たる」に傍点]ではなく、降り残してや[#「てや」に傍点]だったことも新しい眼で見得た気がしました。
 崖に面した窓の近くには手にとどく程の距離にかなひで[#「かなひで」に傍点]という木があります。朴《ほお》の一種だそうです。この花も五月闇《さつきやみ》のなかにふさわなくはないものだと思いました。然しなんと云っても堪らないのは梅雨期です。雨が続くと私の部屋には湿気が充満します。窓ぎわなどが濡れてしまっているのを見たりすると全く憂鬱になりました。変に腹が立って来るのです。空はただ重苦しく垂れ下っています。
「チョッ。ぼろ船の底」
 或る日も私はそんな言葉で自分の部屋をののしって見ました。そしてそのののしり方が自分がでに面白くて気は変りました。母が私にがみがみおこって来るときがあります。そしてしまいに突拍子もないののしり方をして笑ってしまうことがあります。ちょっとそう云った気持でした。私の空想はその言葉でぼろ船の底に畳を敷いて大きな川を旅している自分を空想させました。実際こんなときにこそ鬱陶《うっとう》しい梅雨《つゆ》の響きも面白さを添えるのだと思いました。

 それもやはり雨の降った或る日の午後でした。私は赤坂のAの家へ出かけました。京都時代の私達の会合――その席へはあなたも一度来られたことがありますね――憶《おぼ》えていらっしゃればその時いたAです。
 この四月には私達の後、やはりあの会合を維持していた人びとが、三人も巣立って来ました。そしてもともと話のあったこととて、既に東京へ来ていた五人と共に、再び東京に於ての会合が始まりました。そして来年の一月から同人雑誌を出すこと、その費用と原稿を月々|貯《た》めてゆくことに相談が定ったのです。私がAの家へ行ったのはその積立金を持ってゆくためでした。
 最近Aは家との間に或る悶着《もんちゃく》を起していました。それは結婚問題なのです。Aが自分の欲している道をゆけば父母を捨てたことになります。少くも父母にとってはそうです。Aの問題は自《おのずか》ら友人である私の態度を要求しました。私は当初彼を冷そうとさえ思いました。少くとも私が彼の心を熱しさせてゆく存在であることを避けようと努めました。問題がそういう風に大きくなればなる程そうしなければならぬと思ったのです。――然しそれがどちらの旗色であれ、他人のたてたどんな旗色にも動かされる人間でないことを彼は段々証して来ております。普段にぼんやりとしかわからなかった人間の性格と云うものがこう云うときに際してこそその輪郭をはっきりあらわすものだということを私は今に於て知ります。彼もまたこの試練によってそれを深めてゆくのでしょう。私はそれを美しいと思います。
 Aの家へ私が着いたときは偶然新らしく東京へ来た連中が来ていました。そしてAの問題でAと家との間へ入った調停者の手紙に就て論じ合っていました。Aはその人達をおいて買物に出ていました。その日も私は気持がまるでふさいでいました。その話をききながらひとりぼっちの気持で黙り込んでいました。するとそのうちに何かのきっかけで「Aの気持もよくわかっていると云うのならなぜ此方《こっち》を骨折ろうとしないんだ」という言葉を聞きました。調子のきびしい言葉でした。それが調停者に就て云われている言葉であることは申すまでもありません。
 私の心はなんだかびりりとしました。知るということと行うということとに何ら距りをつけないと云った生活態度の強さが私を圧迫したのです。単にそればかりではありません。私は心のなかで暗にその調停者の態度を是認していました。更に云えば「その人の気持もわかる」と思っていたからです。私は両方共わかっているというのは両方とも知らないのだと反省しないではいられませんでした。便りにしていたものが崩れてゆく何とも云えないいやな気持です。Aの両親さえ私にはそっぽを向けるだろうと思いました。一方の極へおとされてゆく私の気持は、然し、本能的な逆の力と争いはじめました。そしてAの家を出る頃ようやく調和したくつろぎに帰ることが出来ました。Aが使《つかい》から帰って来てからは皆の話も変って専《もっぱ》ら来年の計画の上に落ちました。Rのつけた雑誌の名前を繰り返し繰り返し喜び、それと定まるまでの苦心を滑稽化して笑いました。私の興味深く感じるのはその名前によって表現を得た私達の精神が、今度はその名前から再び鼓舞され整理されてくるということです。
 私達はAの国から送って来たもので夕飯を御馳走になりました。部屋へ帰ると窓近い樫《かし》の木の花が重い匂いを部屋中にみなぎらせていました。Aは私の知識の中で名と物とが別であった菩提樹《ぼだいじゅ》をその窓から教えてくれました。私はまた皆に飯倉の通りにある木は七葉樹《とちのき》だったと告げました。数日前RやAや二三人でその美しい花を見、マロニエという花じゃないかなど云い合っていたのです。私はその名をその中の一本に釣られていた「街路樹は大切にいたしましょう」の札で読んで来たのです。
 積立金の話をしている間に私はその中の一人がそれの為の金を、全く自分で働いているのだという事を知りました。親からの金の中では出したくないと云うのです。――私は今更ながらいい伴侶《はんりょ》と共に発足する自分であることを知りました。気持もかなり調和的になっていたのでこの友の行為から私自身を責め過ぎることはありませんでした。
 しばらくして私達はAの家を出ました。外は快い雨あがりでした。まだ宵の口の町を私は友の一人と霊南坂を通って帰って来ました。私の処へ寄って本を借りて帰るというのです。ついでに七葉樹の花を見ると云います。この友一人がそれを見はぐしていたからです。
 道々私は唱《うた》いにくい音諧《おんかい》を大声で歌ってその友人にきかせました。それが歌えるのは私の気持のいい時に限るのです。我善坊の方へ来たとき私達は一つの面白い事件に打《ぶつ》かりました。それは螢《ほたる》を捕まえた一人の男です。だしぬけに「これ螢ですか」と云って組合せた両の掌の隙を私達の鼻先に突出しました。螢がそのなかに美しい光を灯していました。「あそこで捕《と》ったんだ」と聞きもしないのに説明しています。私と友は顔を見合せて変な笑顔になりました。やや遠離《とおざか》ってから私達はお互いに笑い合ったことです。「きっと捕まえてあがってしまったんだよ」と私は云いました。なにか云わずにはいられなかったのだと思いました。
 飯倉の通りは雨後の美しさで輝いていました。友と共に見上げた七葉樹には飾燈《ネオン》のような美しい花が咲いていました。私はまた五六年前の自分を振返る気持でした。私の眼が自然の美しさに対して開き初めたのも丁度その頃からだと思いました。電燈の光が透いて見えるその葉うらの色は、私が夜になれば誘惑を感じた娘の家の近くの小公園にもあったのです。私はその娘の家のぐるりを歩いてはその下のベンチで休むのがきまりになっていました。
(私の美に対する情熱が娘に対する情熱と胎《たい》を共にした双生児だったことが確かに信じられる今、私は窃盗に近いこと詐欺に等しいことをまだ年少だった自分がその末犯したことを、あなたにうちあけて、あとで困るようなことはないと思います。それ等は実に今日まで私の思い出を曇らせる雲翳《うんえい》だったのです)
 街を走る電車はその晩電車固有の美しさで私の眼に映りました。雨後の空気のなかに窓を明け放ち、乗客も程よい電車の内部は、暗い路を通って来た私達の前を、あたかも幸福そのものが運ばれて其処にあるのだと思わせるような光で照されていました。乗っている女の人もただ往来からの一|瞥《べつ》で直ちに美しい人達のように思えました。何台もの電車を私達は見送りました。そのなかには美しい西洋人の姿も見えました。友もその晩は快かったにちがいありません。
「電車のなかでは顔が見|難《にく》いが往来からだとかすれちがうときだとかは、かなり長い間見ていられるものだね」と云いました。なにげなく友の云った言葉に、私は前の日に無感覚だったことを美しい実感で思い直しました。

 これはあなたにこの手紙を書こうと思い立った日の出来事です。私は久し振りに手拭をさげて銭湯へ行きました。やはり雨後でした。垣根のきこく[#「きこく」に傍点]がぷんぷん快い匂いを放っていました。
 銭湯のなかで私は時たま一緒になる老人とその孫らしい女の児とを見かけました。花月園へ連れて行ってやりたいような可愛い児です。その日私は湯槽《ゆぶね》の上にかかっているペンキの風景画を見ながら「温泉のつもりなんだな」という小さい発見をして微笑《ほほえ》まされました。湯は温泉でそのうえ電気浴という仕掛がしてあります。ひっそりした昼の湯槽には若い衆が二人入っていました。私がその中に混ってやや温まった頃その装置がビビビビビビと働きはじめました。
「おい動力来たね」と一人の若い衆が云いました。
「動力じゃねえよ」ともう一人が答えました。
 湯を出た私はその女の児の近くへ座を持ってゆきました。そして身体を洗いながらときどきその女の児の顔を見ました。可愛い顔をしていました。老人は自分を洗い終ると次にはその児にかかりました。幼い手つきで使っていた石鹸のついた手拭は老人にとりあげられました。老人の顔があちら向きになりましたので私は、自分の方へその子の目を誘うのを予期して、じっと女の児の顔を見ました。やがてその子の顔がこちらを向いたので私は微笑みかけました。然し女の児は笑って来ません。然し首を洗われる段になって、眼を向け難《にく》くなっても上眼を使って私を見ようとします。しまいには「ウウウ」と云いながらも私の作り笑顔に苦しい上眼を張ろうとします。そのウウウはなかなか可愛く見えました。
「サア」突然老人の何も知らない手がその子の首を俯向《うつむ》かせてしまいました。
 しばらくしてその女の子の首は楽になりました。私はそれを待っていたのです。そして今度は滑稽な作り顔をして見せました。そして段々それをひどく歪《ゆが》めてゆきました。
「おじいちゃん」女の子がとうとう物を云いました。私の顔を見ながらです。「これどこの人」「それゃあよそのおっちゃん」振向きもせず相変らずせっせと老人はその児を洗っていました。
 珍しく永い湯の後、私は全く伸々《のびのび》した気持で湯をあがりました。私は風呂のなかである一つの問題を考えてしまって気が軽く晴々していました。その問題というのはこうです。ある友人の腕の皮膚が不健康な皺《しわ》を持っているのを、ある腕の太さ比べをしたとき私が指摘したことがありました。すると友人は「死んでやろうと思うときがときどきあるんだ」と激しく云いました。自分のどこかに醜いところが少しでもあれば我慢出来ないというのです。それは単なる皺でした。然し私の気がついたのはそれが一時的の皺ではないことでした。とにかく些細《ささい》なことでした。然し私はそのときも自分のなにかがつかれたような気がしたのです。私は自分にもいつかそんなことを思ったときがあると思いました。確かにあったと思うのですが思い出せないのです。そしてその時は淋しい気がしました。風呂のなかでふと思い出したのはそれです。思い出して見れば確かに私にもありました。それは何歳位だったか覚えませんが、自分の顔の醜いことを知った頃です。もう一つは家に南京虫が湧《わ》いた時です。家全体が焼いてしまいたくなるのです。も一つは新らしい筆記帳の使いはじめ字を書き損ねたときのことです。筆記帳を捨ててしまいたくなるのです。そんなことを思い出した末、私はその年少の友の反省の為に、大切に使われよく繕われた古い器具の奥床しさを折があれば云って見たいと思いました。ひびへ漆を入れた茶器を現に二人が讃《ほ》めたことがあったのです。
 紅潮した身体には細い血管までがうっすら膨《ふく》れあがっていました。両腕を屈伸させてぐりぐりを二の腕や肩につけて見ました。鏡のなかの私は私自身よりも健康でした。私は顔を先程したようにおどけた表情で歪ませて見ました。
 Hysterica Passio ――そう云って私はとうとう笑い出しました。
 一年中で私の最もいやな時期ももう過ぎようとしています。思い出してみれば、どうにも心の動きがつかなかったような日が多かったなかにも、南葵《なんき》文庫の庭で忍冬《すいかずら》の高い香を知ったようなときもあります。霊南坂で鉄道草の香りから夏を越した秋がもう間近に来ているのだと思ったような晩もあります。妄想で自らを卑屈にすることなく、戦うべき相手とこそ戦いたい、そしてその後の調和にこそ安んじたいと願う私の気持をお伝えしたくこの筆をとりました。
――一九二五年十月――

底本:「檸檬」新潮文庫、新潮社
   1967(昭和42)年12月10日初版発行
   1990(平成2)年1月20日46刷
初出:「青空」
   1925(大正14)年11月
入力:田中久太郎
校正:久保あきら
1999年8月31日公開
2011年6月3日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

梶井基次郎

冬の蠅—– 梶井基次郎

 冬の蠅《はえ》とは何か?
 よぼよぼと歩いている蠅。指を近づけても逃げない蠅。そして飛べないのかと思っているとやはり飛ぶ蠅。彼らはいったいどこで夏頃の不逞《ふてい》さや憎々しいほどのすばしこさを失って来るのだろう。色は不鮮明に黝《くろず》んで、翅体《したい》は萎縮《いしゅく》している。汚い臓物で張り切っていた腹は紙撚《こより》のように痩《や》せ細っている。そんな彼らがわれわれの気もつかないような夜具の上などを、いじけ衰えた姿で匍《は》っているのである。
 冬から早春にかけて、人は一度ならずそんな蠅を見たにちがいない。それが冬の蠅である。私はいま、この冬私の部屋に棲《す》んでいた彼らから一篇の小説を書こうとしている。

     1

 冬が来て私は日光浴をやりはじめた。溪間《たにま》の温泉宿なので日が翳《かげ》り易い。溪の風景は朝遅くまでは日影のなかに澄んでいる。やっと十時頃溪向こうの山に堰《せ》きとめられていた日光が閃々《せんせん》と私の窓を射《い》はじめる。窓を開けて仰ぐと、溪の空は虻《あぶ》や蜂《はち》の光点が忙しく飛び交っている。白く輝いた蜘蛛の糸が弓形に膨らんで幾条も幾条も流れてゆく。(その糸の上には、なんという小さな天女! 蜘蛛が乗っているのである。彼らはそうして自分らの身体を溪のこちら岸からあちら岸へ運ぶものらしい。)昆虫。昆虫。初冬といっても彼らの活動は空に織るようである。日光が樫《かし》の梢に染まりはじめる。するとその梢からは白い水蒸気のようなものが立ち騰《のぼ》る。霜が溶けるのだろうか。溶けた霜が蒸発するのだろうか。いや、それも昆虫である。微粒子のような羽虫がそんなふうに群がっている。そこへ日が当ったのである。
 私は開け放った窓のなかで半裸体の身体を晒《さら》しながら、そうした内湾《うちうみ》のように賑やかな溪の空を眺めている。すると彼らがやって来るのである。彼らのやって来るのは私の部屋の天井からである。日蔭ではよぼよぼとしている彼らは日なたのなかへ下りて来るやよみがえったように活気づく。私の脛《すね》へひやりととまったり、両脚を挙げて腋の下を掻《か》くような模《ま》ねをしたり手を摩《す》りあわせたり、かと思うと弱よわしく飛び立っては絡み合ったりするのである。そうした彼らを見ていると彼らがどんなに日光を恰《たの》しんでいるかが憐《あわ》れなほど理解される。とにかく彼らが嬉戯《きぎ》するような表情をするのは日なたのなかばかりである。それに彼らは窓が明いている間は日なたのなかから一歩も出ようとはしない。日が翳《かげ》るまで、移ってゆく日なたのなかで遊んでいるのである。虻や蜂があんなにも溌剌《はつらつ》と飛び廻っている外気のなかへも決して飛び立とうとはせず、なぜか病人である私を模《ま》ねている。しかしなんという「生きんとする意志」であろう! 彼らは日光のなかでは交尾することを忘れない。おそらく枯死からはそう遠くない彼らが!
 日光浴をするとき私の傍らに彼らを見るのは私の日課のようになってしまっていた。私は微《かす》かな好奇心と一種|馴染《なじみ》の気持から彼らを殺したりはしなかった。また夏の頃のように猛《たけ》だけしい蠅捕り蜘蛛がやって来るのでもなかった。そうした外敵からは彼らは安全であったと言えるのである。しかし毎日たいてい二匹宛ほどの彼らがなくなっていった。それはほかでもない。牛乳の壜《びん》である。私は自分の飲みっ放しを日なたのなかへ置いておく。すると毎日決まったようにそのなかへはいって出られないやつができた。壜の内側を身体に付著した牛乳を引き摺《ず》りながらのぼって来るのであるが、力のない彼らはどうしても中途で落ちてしまう。私は時どきそれを眺めていたりしたが、こちらが「もう落ちる時分だ」と思う頃、蠅も「ああ、もう落ちそうだ」というふうに動かなくなる。そして案の定《じょう》落ちてしまう。それは見ていて決して残酷でなくはなかった。しかしそれを助けてやるというような気持は私の倦怠《アンニュイ》からは起こって来ない。彼らはそのまま女中が下げてゆく。蓋《ふた》をしておいてやるという注意もなおのことできない。翌日になるとまた一匹宛はいって同じことを繰り返していた。
「蠅と日光浴をしている男」いま諸君の目にはそうした表象が浮かんでいるにちがいない。日光浴を書いたついでに私はもう一つの表象「日光浴をしながら太陽を憎んでいる男」を書いてゆこう。
 私の滞在はこの冬で二《ふ》た冬目であった。私は好んでこんな山間にやって来ているわけではなかった。私は早く都会へ帰りたい。帰りたいと思いながら二た冬もいてしまったのである。いつまで経っても私の「疲労」は私を解放しなかった。私が都会を想い浮かべるごとに私の「疲労」は絶望に満ちた街々を描き出す。それはいつになっても変改《へんかい》されない。そしてはじめ心に決めていた都会へ帰る日取りは夙《と》うの昔に過ぎ去ったまま、いまはその影も形もなくなっていたのである。私は日を浴びていても、否、日を浴びるときはことに、太陽を憎むことばかり考えていた。結局は私を生かさないであろう太陽。しかもうっとりとした生の幻影で私を瞞《だま》そうとする太陽。おお、私の太陽。私はだらしのない愛情のように太陽が癪《しゃく》に触った。裘《けごろも》のようなものは、反対に、緊迫衣《ストレート・ジヤケツト》のように私を圧迫した。狂人のような悶《もだ》えでそれを引き裂き、私を殺すであろう酷寒のなかの自由をひたすらに私は欲した。
 こうした感情は日光浴の際身体の受ける生理的な変化――旺《さか》んになって来る血行や、それにしたがって鈍麻してゆく頭脳や――そう言ったもののなかに確かにその原因を持っている。鋭い悲哀を和《やわ》らげ、ほかほかと心を怡《たの》します快感は、同時に重っ苦しい不快感である。この不快感は日光浴の済んだあとなんとも言えない虚無的な疲れで病人を打ち敗かしてしまう。おそらくそれへの嫌悪から私のそうした憎悪も胚胎《はいたい》したのかもしれないのである。
 しかし私の憎悪はそればかりではなく、太陽が風景へ与える効果――眼からの効果――の上にも形成されていた。
 私が最後に都会にいた頃――それは冬至に間もない頃であったが――私は毎日自分の窓の風景から消えてゆく日影に限りない愛惜を持っていた。私は墨汁のようにこみあげて来る悔恨といらだたしさの感情で、風景を埋めてゆく影を眺めていた。そして落日を見ようとする切なさに駆《か》られながら、見透しのつかない街を慌《あわ》てふためいてうろうろしたのである。今の私にはもうそんな愛惜はなかった。私は日の当った風景の象徴する幸福な感情を否定するのではない。その幸福は今や私を傷つける。私はそれを憎むのである。
 溪《たに》の向こう側には杉林が山腹を蔽《おお》っている。私は太陽光線の偽瞞《ぎまん》をいつもその杉林で感じた。昼間日が当っているときそれはただ雑然とした杉の秀《ほ》の堆積としか見えなかった。それが夕方になり光が空からの反射光線に変わるとはっきりした遠近にわかれて来るのだった。一本一本の木が犯しがたい威厳をあらわして来、しんしんと立ち並び、立ち静まって来るのである。そして昼間は感じられなかった地域がかしこにここに杉の秀《ほ》並みの間へ想像されるようになる。溪側にはまた樫や椎《しい》の常緑樹に交じって一本の落葉樹が裸の枝に朱色の実を垂れて立っていた。その色は昼間は白く粉を吹いたように疲れている。それが夕方になると眼が吸いつくばかりの鮮やかさに冴える。元来一つの物に一つの色彩が固有しているというわけのものではない。だから私はそれをも偽瞞と言うのではない。しかし直射光線には偏頗《へんぱ》があり、一つの物象の色をその周囲の色との正しい階調から破ってしまうのである。そればかりではない。全反射がある。日蔭は日表《ひなた》との対照で闇のようになってしまう。なんという雑多な溷濁《こんだく》だろう。そしてすべてそうしたことが日の当った風景を作りあげているのである。そこには感情の弛緩があり、神経の鈍麻があり、理性の偽瞞がある。これがその象徴する幸福の内容である。おそらく世間における幸福がそれらを条件としているように。
 私は以前とは反対に溪間を冷たく沈ませてゆく夕方を――わずかの時間しか地上に駐《とど》まらない黄昏《たそがれ》の厳かな掟《おきて》を――待つようになった。それは日が地上を去って行ったあと、路の上の潦《みずたまり》を白く光らせながら空から下りて来る反射光線である。たとえ人はそのなかでは幸福ではないにしても、そこには私の眼を澄ませ心を透き徹らせる風景があった。
「平俗な日なため! 早く消えろ。いくら貴様が風景に愛情を与え、冬の蠅を活気づけても、俺を愚昧《ぐまい》化することだけはできぬわい。俺は貴様の弟子の外光派に唾《つば》をひっかける。俺は今度会ったら医者に抗議を申し込んでやる」
 日に当りながら私の憎悪はだんだんたかまってゆく。しかしなんという「生きんとする意志」であろう。日なたのなかの彼らは永久に彼らの怡《たの》しみを見棄てない。壜のなかのやつも永久に登っては落ち、登っては落ちている。
 やがて日が翳りはじめる。高い椎の樹へ隠れるのである。直射光線が気疎《けうと》い回折光線にうつろいはじめる。彼らの影も私の脛の影も不思議な鮮やかさを帯びて来る。そして私は褞袍《どてら》をまとって硝子《ガラス》窓を閉《とざ》しかかるのであった。
 午後になると私は読書をすることにしていた。彼らはまたそこへやって来た。彼らは私の読んでいる本へ纒《まつ》わりついて、私のはぐる頁のためにいつも身体を挾み込まれた。それほど彼らは逃げ足が遅い。逃げ足が遅いだけならまだしも、わずかな紙の重みの下で、あたかも梁《はり》に押えられたように、仰向《あおむ》けになったりして藻掻《もが》かなければならないのだった。私には彼らを殺す意志がなかった。それでそんなとき――ことに食事のときなどは、彼らの足弱がかえって迷惑になった。食膳のものへとまりに来るときは追う箸をことさら緩《ゆ》っくり動かさなくてはならない。さもないと箸の先で汚ならしくも潰《つぶ》れてしまわないとも限らないのである。しかしそれでもまだそれに弾ねられて汁のなかへ落ち込んだりするのがいた。
 最後に彼らを見るのは夜、私が寝床へはいるときであった。彼らはみな天井に貼りついていた。凝《じ》っと、死んだように貼りついていた。――いったい脾弱《ひよわ》な彼らは日光のなかで戯れているときでさえ、死んだ蠅が生き返って来て遊んでいるような感じがあった。死んでから幾日も経ち、内臓なども乾きついてしまった蠅がよく埃《ほこり》にまみれて転がっていることがあるが、そんなやつがまたのこのこ[#「のこのこ」に傍点]と生き返って来て遊んでいる。いや、事実そんなことがあるのではなかろうか、と言った想像も彼らのみてくれ[#「みてくれ」に傍点]からは充分に許すことができるほどであった。そんな彼らが今や凝《じ》っと天井にとまっている。それはほんとうに死んだよう[#「死んだよう」に傍点]である。
 そうした、錯覚に似た彼らを眠るまえ枕の上から眺めていると、私の胸へはいつも廓寥《かくりょう》とした深夜の気配が沁《し》みて来た。冬ざれた溪間の旅館は私のほかに宿泊人のない夜がある。そんな部屋はみな電燈が消されている。そして夜が更けるにしたがってなんとなく廃墟に宿っているような心持を誘うのである。私の眼はその荒れ寂びた空想のなかに、恐ろしいまでに鮮やかな一つの場面を思い浮かべる。それは夜深く海の香をたてながら、澄み透った湯を溢れさせている溪傍の浴槽である。そしてその情景はますます私に廃墟の気持を募らせてゆく。――天井の彼らを眺めていると私の心はそうした深夜を感じる。深夜のなかへ心が拡がってゆく。そしてそのなかのただ一つの起きている部屋である私の部屋。――天井に彼らのとまっている、死んだように凝《じ》っととまっている私の部屋が、孤独な感情とともに私に帰って来る。
 火鉢の火は衰えはじめて、硝子《ガラス》窓を潤《うる》おしていた湯気はだんだん上から消えて来る。私はそのなかから魚のはららごに似た憂鬱な紋々があらわれて来るのを見る。それは最初の冬、やはりこうして消えていった水蒸気がいつの間にかそんな紋々を作ってしまったのである。床の間の隅《すみ》には薄うく埃をかむった薬壜が何本も空《から》になっている。なんという倦怠、なんという因循だろう。私の病鬱は、おそらく他所の部屋には棲《す》んでいない冬の蠅をさえ棲《す》ませているではないか。いつになったらいったいこうしたことに鳧《けり》がつくのか。
 心がそんなことにひっかかると私はいつも不眠を殃《わざわ》いされた。眠れなくなると私は軍艦の進水式を想い浮かべる。その次には小倉百人一首を一首宛思い出してはそれの意味を考える。そして最後には考え得られる限りの残虐な自殺の方法を空想し、その積み重ねによって眠りを誘おうとする。がらんとした溪間の旅館の一室で。天井に彼らの貼りついている、死んだように凝《じ》っと貼りついている一室で。――

     2

 その日はよく晴れた温かい日であった。午後私は村の郵便局へ手紙を出しに行った。私は疲れていた。それから溪《たに》へ下りてまだ三四丁も歩かなければならない私の宿へ帰るのがいかにも億劫《おっくう》であった。そこへ一台の乗合自動車が通りかかった。それを見ると私は不意に手を挙げた。そしてそれに乗り込んでしまったのである。
 その自動車は村の街道を通る同族のなかでも一種目だった特徴で自分を語っていた。暗い幌《ほろ》のなかの乗客の眼がみな一様に前方を見詰めている事や、泥除け、それからステップの上へまで溢れた荷物を麻繩が車体へ縛りつけている恰好や――そんな一種の物ものしい特徴で、彼らが今から上り三里下り三里の峠を踰《こ》えて半島の南端の港へ十一里の道をゆく自動車であることが一目で知れるのであった。私はそれへ乗ってしまったのである。それにしてはなんという不似合いな客であったろう。私はただ村の郵便局まで来て疲れたというばかりの人間に過ぎないのだった。
 日はもう傾いていた。私には何の感想もなかった。ただ私の疲労をまぎらしてゆく快い自動車の動揺ばかりがあった。村の人が背負い網を負って山から帰って来る頃で、見知った顔が何度も自動車を除《よ》けた。そのたび私はだんだん「意志の中ぶらり」に興味を覚えて来た。そして、それはまたそれで、私の疲労をなにか変わった他のものに変えてゆくのだった。やがてその村人にも会わなくなった。自然林が廻った。落日があらわれた。溪《たに》の音が遠くなった。年古《としふ》りた杉の柱廊が続いた。冷たい山気が沁《し》みて来た。魔女の跨《またが》った箒《ほうき》のように、自動車は私を高い空へ運んだ。いったいどこまでゆこうとするのだろう。峠の隧道《すいどう》を出るともう半島の南である。私の村へ帰るにも次の温泉へゆくにも三里の下り道である。そこへ来たとき、私はやっと自動車を止めた。そして薄暮の山の中へ下りてしまったのである。何のために? それは私の疲労が知っている。私は腑甲斐《ふがい》ない一人の私を、人里離れた山中へ遺棄してしまったことに、気味のいい嘲笑を感じていた。
 樫鳥《かけす》が何度も身近から飛び出して私を愕《おど》ろかした。道は小暗い谿襞《たにひだ》を廻って、どこまで行っても展望がひらけなかった。このままで日が暮れてしまってはと、私の心は心細さでいっぱいであった。幾たびも飛び出す樫鳥は、そんな私を、近くで見る大きな姿で脅かしながら、葉の落ちた欅《けやき》や楢《なら》の枝を匍《は》うように渡って行った。
 最後にとうとう谿が姿をあらわした。杉の秀《ほ》が細胞のように密生している遙かな谿! なんというそれは巨大な谿だったろう。遠靄《とおもや》のなかには音もきこえない水も動かない滝が小さく小さく懸っていた。眩暈《めまい》を感じさせるような谿底には丸太を組んだ橇道《そりみち》が寒ざむと白く匍っていた。日は谿向こうの尾根へ沈んだところであった。水を打ったような静けさがいまこの谿を領していた。何も動かず何も聴こえないのである。その静けさはひょっと夢かと思うような谿の眺めになおさら夢のような感じを与えていた。
「ここでこのまま日の暮れるまで坐っているということは、なんという豪奢な心細さだろう」と私は思った。「宿では夕飯の用意が何も知らずに待っている。そして俺は今夜はどうなるかわからない」
 私は私の置き去りにして来た憂鬱な部屋を思い浮かべた。そこでは私は夕餉《ゆうげ》の時分きまって発熱に苦しむのである。私は着物ぐるみ寝床へ這入《はい》っている。それでもまだ寒い。悪寒に慄《ふる》えながら秋の頭は何度も浴槽を想像する。「あすこへ漬ったらどんなに気持いいことだろう」そして私は階段を下り浴槽の方へ歩いてゆく私自身になる。しかしその想像のなかでは私は決して自分の衣服を脱がない。衣服ぐるみそのなかへはいってしまうのである。私の身体には、そして、支えがない。私はぶくぶくと沈んでしまい、浴槽の底へ溺死体のように横たわってしまう。いつもきまってその想像である。そして私は寝床のなかで満潮のように悪寒が退いてゆくのを待っている。――
 あたりはだんだん暗くなって来た。日の落ちたあとの水のような光を残して、冴《さ》えざえとした星が澄んだ空にあらわれて来た。凍えた指の間の煙草の火が夕闇のなかで色づいて来た。その火の色は曠漠《こうばく》とした周囲のなかでいかにも孤独であった。その火を措《お》いて一点の燈火も見えずにこの谿は暮れてしまおうとしているのである。寒さはだんだん私の身体へ匍《は》い込んで来た。平常外気の冒さない奥の方まで冷え入って、懐ろ手をしてもなんの役にも立たないくらいになって来た。しかし私は暗《やみ》と寒気がようやく私を勇気づけて来たのを感じた。私はいつの間にか、これから三里の道を歩いて次の温泉までゆくことに自分を予定していた。犇《ひし》ひしと迫って来る絶望に似たものはだんだん私の心に残酷な欲望を募らせていった。疲労または倦怠《アンニュイ》が一たんそうしたものに変わったが最後、いつも私は終わりまでその犠牲になり通さなければならないのだった。あたりがとっぷり暮れ、私がやっとそこを立ち上がったとき、私はあたりにまだ光があったときとはまったく異った感情で私自身を艤装《ぎそう》していた。
 私は山の凍てついた空気のなかを暗《やみ》をわけて歩き出した。身体はすこしも温かくもならなかった。ときどきそれでも私の頬を軽くなでてゆく空気が感じられた。はじめ私はそれを発熱のためか、それとも極端な寒さのなかで起る身体の変調かと思っていた。しかし歩いてゆくうちに、それは昼間の日のほとぼりがまだ斑《まだ》らに道に残っているためであるらしいことがわかって来た。すると私には凍った闇のなかに昼の日射しがありありと見えるように思えはじめた。一つの燈火も見えない暗《やみ》というものも私には変な気を起こさせた。それは灯がついたということで、もしくは灯の光の下で、文明的な私達ははじめて夜を理解するものであるということを信ぜしめるに充分であった。真暗な闇にもかかわらず私はそれが昼間と同じであるような感じを抱いた。星の光っている空は真青であった。道を見分けてゆく方法は昼間の方法と何の変わったこともなかった。道を染めている昼間のほとぼりはなおさらその感じを強くした。
 突然私の後ろから風のような音が起こった。さっと流れて来る光のなかへ道の上の小石が歯のような影を立てた。一台の自動車が、それを避けている私には一顧の注意も払わずに走り過ぎて行った。しばらく私はぼんやりしていた。自動車はやがて谿襞《たにひだ》を廻った向こうの道へ姿をあらわした。しかしそれは自動車が走っているというより、ヘッドライトをつけた大きな闇が前へ前へ押し寄せてゆくかのように見えるのであった。それが夢のように消えてしまうとまたあたりは寒い闇に包まれ、空腹した私が暗い情熱に溢れて道を踏んでいた。
「なんという苦い絶望した風景であろう。私は私の運命そのままの四囲のなかに歩いている。これは私の心そのままの姿であり、ここにいて私は日なたのなかで感じるようななんらの偽瞞をも感じない。私の神経は暗い行手に向かって張り切り、今や決然とした意志を感じる。なんというそれは気持のいいことだろう。定罰のような闇、膚を劈《さ》く酷寒。そのなかでこそ私の疲労は快く緊張し新しい戦慄を感じることができる。歩け。歩け。へたばるまで歩け」
 私は残酷な調子で自分を鞭《むち》打った。歩け。歩け。歩き殺してしまえ。

 その夜|晩《おそ》く私は半島の南端、港の船着場を前にして疲れ切った私の身体を立たせていた。私は酒を飲んでいた。しかし心は沈んだまますこしも酔っていなかった。
 強い潮の香に混って、瀝青《チャン》や油の匂いが濃くそのあたりを立て罩《こ》めていた。もやい[#「もやい」に傍点]綱が船の寝息のようにきしり、それを眠りつかせるように、静かな波のぽちゃぽちゃと舷側を叩《たた》く音が、暗い水面にきこえていた。
「××さんはいないかよう!」
 静かな空気を破って媚《なま》めいた女の声が先ほどから岸で呼んでいた。ぼんやりした燈《あか》りを睡《ね》むそうに提げている百|噸《トン》あまりの汽船のとも[#「とも」に傍点]の方から、見えない声が不明瞭になにか答えている。それは重々しいバスである。
「いないのかよう。××さんは」
 それはこの港に船の男を相手に媚《こび》を売っている女らしく思える。私はその返事のバスに人ごとながら聴耳をたてたが、相不変《あいかわらず》曖昧《あいまい》な言葉が同じように鈍い調子で響くばかりで、やがて女はあきらめたようすでいなくなってしまった。
 私は静かな眠った港を前にしながら転変に富んだその夜を回想していた。三里はとっくに歩いたと思っているのにいくらしてもおしまいにならなかった山道や、谿《たに》のなかに発電所が見えはじめ、しばらくすると谿の底を提灯《ちょうちん》が二つ三つ閑かな夜の挨拶を交しながらもつれて行くのが見え、私はそれがおおかた村の人が温泉へはいりにゆく灯で、温泉はもう真近にちがいないと思い込み、元気を出したのにみごと当てがはずれたことや、やっと温泉に着いて凍え疲れた四肢を村人の混み合っている共同湯で温めたときの異様な安堵《あんど》の感情や、――ほんとうにそれらは回想という言葉にふさわしいくらい一晩の経験としては豊富すぎる内容であった。しかもそれでおしまいというのではなかった。私がやっと腹を膨《ふく》らして人心つくかつかぬに、私の充たされない残酷な欲望はもう一度私に夜の道へ出ることを命令したのであった。私は不安な当てで名前も初耳な次の二里ばかりも離れた温泉へ歩かなければならなかった。その道でとうとう私は迷ってしまい、途方に暮れて暗《やみ》のなかへ蹲《うずく》まっていたとき、晩《おそ》い自動車が通りかかり、やっとのことでそれを呼びとめて、予定を変えてこの港の町へ来てしまったのであった。それから私はどこへ行ったか。私はそんなところには一種の嗅覚でも持っているかのように、堀割に沿った娼家の家並みのなかへ出てしまった。藻草を纒ったような船夫達が何人も群れて、白く化粧した女を調戯《からか》いながら、よろよろと歩いていた。私は二度ほど同じ道を廻り、そして最後に一軒の家へ這入《はい》った。私は疲れた身体に熱い酒をそそぎ入れた。しかし私は酔わなかった。酌に来た女は秋刀魚《さんま》船の話をした。船員の腕にふさわしい逞《たくま》しい健康そうな女だった。その一人は私に婬《いん》をすすめた。私はその金を払ったまま、港のありかをきいて外へ出てしまったのである。
 私は近くの沖にゆっくり明滅している廻転燈台の火を眺めながら、永い絵巻のような夜の終わりを感じていた。舷の触れ合う音、とも綱の張る音、睡たげな船の灯、すべてが暗く静かにそして内輪で、柔《なご》やかな感傷を誘った。どこかに捜して宿をとろうか、それとも今の女のところへ帰ってゆこうか、それはいずれにしても私の憎悪に充ちた荒々しい心はこの港の埠頭《ふとう》で尽きていた。ながい間私はそこに立っていた。気疎《けうと》い睡気のようなものが私の頭を誘うまで静かな海の暗《やみ》を見入っていた。――

 私はその港を中心にして三日ほどもその付近の温泉で帰る日を延ばした。明るい南の海の色や匂いはなにか私には荒々しく粗雑であった。その上卑俗で薄汚い平野の眺めはすぐに私を倦かせてしまった。山や溪《たに》が鬩《せめ》ぎ合い[#「鬩ぎ合い」は底本では「※[#「門<兒」]ぎ合い」]心を休める余裕や安らかな望みのない私の村の風景がいつか私の身についてしまっていることを私は知った。そして三日の後私はまた私の心を封じるために私の村へ帰って来たのである。

     

 私は何日も悪くなった身体を寝床につけていなければならなかった。私には別にさした後悔もなかったが、知った人びとの誰彼がそうしたことを聞けばさぞ陰気になり気を悪くするだろうとそのことばかり思っていた。
 そんなある日のこと私はふと自分の部屋に一匹も蠅がいなくなっていることに気がついた。そのことは私を充分驚かした。私は考えた。おそらく私の留守中誰も窓を明けて日を入れず火をたいて部屋を温めなかった間に、彼らは寒気のために死んでしまったのではなかろうか。それはありそうなことに思えた。彼らは私の静かな生活の余徳を自分らの生存の条件として生きていたのである。そして私が自分の鬱屈した部屋から逃げ出してわれとわが身を責め虐《さいな》んでいた間に、彼らはほんとうに寒気と飢えで死んでしまったのである。私はそのことにしばらく憂鬱を感じた。それは私が彼らの死を傷《いた》んだためではなく、私にもなにか私を生かしそしていつか私を殺してしまうきまぐれな条件があるような気がしたからであった。私はそいつの幅広い背を見たように思った。それは新しいそして私の自尊心を傷つける空想だった。そして私はその空想からますます陰鬱を加えてゆく私の生活を感じたのである。

底本:「檸檬・ある心の風景」旺文社文庫、旺文社
   1972(昭和47)年12月10日初版発行
   1974(昭和49)年第4刷発行
入力:j.utiyama
校正:横木雅子
1999年1月14日公開
2005年10月6日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

梶井基次郎

冬の日—– 梶井基次郎

     一

 季節は冬至に間もなかった。堯《たかし》の窓からは、地盤の低い家々の庭や門辺に立っている木々の葉が、一日ごと剥《は》がれてゆく様《さま》が見えた。
 ごんごん胡麻《ごま》は老婆の蓬髪《ほうはつ》のようになってしまい、霜に美しく灼《や》けた桜の最後の葉がなくなり、欅《けやき》が風にかさかさ身を震わすごとに隠れていた風景の部分が現われて来た。
 もう暁刻の百舌鳥《もず》も来なくなった。そしてある日、屏風《びょうぶ》のように立ち並んだ樫《かし》の木へ鉛色の椋鳥《むくどり》が何百羽と知れず下りた頃から、だんだん霜は鋭くなってきた。
 冬になって堯の肺は疼《いた》んだ。落葉が降り留っている井戸端の漆喰《しっくい》へ、洗面のとき吐く痰《たん》は、黄緑色からにぶい血の色を出すようになり、時にそれは驚くほど鮮かな紅《くれない》に冴えた。堯が間借り二階の四畳半で床を離れる時分には、主婦の朝の洗濯は夙《と》うに済んでいて、漆喰《しっくい》は乾いてしまっている。その上へ落ちた痰は水をかけても離れない。堯《たかし》は金魚の仔でもつまむようにしてそれを土管の口へ持って行くのである。彼は血の痰を見てももうなんの刺戟《しげき》でもなくなっていた。が、冷澄な空気の底に冴《さ》え冴《ざ》えとした一塊の彩《いろど》りは、何故かいつもじっと凝視《みつ》めずにはいられなかった。
 堯はこの頃生きる熱意をまるで感じなくなっていた。一日一日が彼を引き摺《ず》っていた。そして裡に住むべきところをなくした魂は、常に外界へ逃れよう逃れようと焦慮《あせ》っていた。――昼は部屋の窓を展《ひら》いて盲人のようにそとの風景を凝視《みつ》める。夜は屋の外の物音や鉄瓶《てつびん》の音に聾者《ろうじゃ》のような耳を澄ます。
 冬至に近づいてゆく十一月の脆《もろ》い陽ざしは、しかし、彼が床を出て一時間とは経たない窓の外で、どの日もどの日も消えかかってゆくのであった。翳《かげ》ってしまった低地には、彼の棲んでいる家の投影さえ没してしまっている。それを見ると堯の心には墨汁のような悔恨やいらだたしさが拡がってゆくのだった。日向はわずかに低地を距《へだ》てた、灰色の洋風の木造家屋に駐《とどま》っていて、その時刻、それはなにか悲しげに、遠い地平へ落ちてゆく入日を眺めているかのように見えた。
 冬陽は郵便受のなかへまで射しこむ。路上のどんな小さな石粒も一つ一つ影を持っていて、見ていると、それがみな埃及《エジプト》のピラミッドのような巨大《コロッサール》な悲しみを浮かべている。――低地を距てた洋館には、その時刻、並んだ蒼桐《あおぎり》の幽霊のような影が写っていた。向日性を持った、もやし[#「もやし」に傍点]のように蒼白い堯の触手は、不知不識《しらずしらず》その灰色した木造家屋の方へ伸びて行って、そこに滲《にじ》み込んだ不思議な影の痕《あと》を撫でるのであった。彼は毎日それが消えてしまうまでの時間を空虚な心で窓を展いていた。
 展望の北隅を支えている樫《かし》の並樹は、ある日は、その鋼鉄のような弾性で撓《し》ない踊りながら、風を揺りおろして来た。容貌をかえた低地にはカサコソと枯葉が骸骨《がいこつ》の踊りを鳴らした。
 そんなとき蒼桐の影は今にも消されそうにも見えた。もう日向とは思えないそこに、気のせいほどの影がまだ残っている。そしてそれは凩《こがらし》に追われて、砂漠のような、そこでは影の生きている世界の遠くへ、だんだん姿を掻《か》き消してゆくのであった。
 堯《たかし》はそれを見終わると、絶望に似た感情で窓を鎖しにかかる。もう夜を呼ぶばかりの凩に耳を澄ましていると、ある時はまだ電気も来ないどこか遠くでガラス戸の摧《くだ》け落ちる音がしていた。

        二

 堯は母からの手紙を受け取った。
「延子をなくしてから父上はすっかり老い込んでおしまいになった。おまえの身体も普通の身体ではないのだから大切にしてください。もうこの上の苦労はわたしたちもしたくない。
 わたしはこの頃夜中なにかに驚いたように眼が醒める。頭はおまえのことが気懸りなのだ。いくら考えまいとしても駄目です。わたしは何時間も眠れません。」
 堯はそれを読んである考えに悽然《せいぜん》とした。人びとの寝静まった夜を超えて、彼と彼の母が互いに互いを悩み苦しんでいる。そんなとき、彼の心臓に打った不吉な摶動《はくどう》が、どうして母を眼覚まさないと言い切れよう。
 堯《たかし》の弟は脊椎《せきつい》カリエスで死んだ。そして妹の延子も腰椎《ようつい》カリエスで、意志を喪《うしな》った風景のなかを死んでいった。そこでは、たくさんの虫が一匹の死にかけている虫の周囲に集まって悲しんだり泣いたりしていた。そして彼らの二人ともが、土に帰る前の一年間を横たわっていた、白い土の石膏《せっこう》の床からおろされたのである。
 ――どうして医者は「今の一年は後の十年だ」なんて言うのだろう。
 堯はそう言われたとき自分の裡に起こった何故か跋《ばつ》の悪いような感情を想い出しながら考えた。
 ――まるで自分がその十年で到達しなければならない理想でも持っているかのように。どうしてあと何年経てば死ぬとは言わないのだろう。
 堯の頭には彼にしばしば現前する意志を喪った風景が浮かびあがる。
 暗い冷たい石造の官衙《かんが》の立ち並んでいる街の停留所。そこで彼は電車を待っていた。家へ帰ろうか賑《にぎ》やかな街へ出ようか、彼は迷っていた。どちらの決心もつかなかった。そして電車はいくら待ってもどちらからも来なかった。圧しつけるような暗い建築の陰影、裸の並樹、疎《まば》らな街燈の透視図。――その遠くの交叉路《こうさろ》には時どき過ぎる水族館のような電車。風景はにわかに統制を失った。そのなかで彼は激しい滅形を感じた。
 穉《おさな》い堯は捕鼠器《ほそき》に入った鼠を川に漬けに行った。透明な水のなかで鼠は左右に金網を伝い、それは空気のなかでのように見えた。やがて鼠は網目の一つへ鼻を突っ込んだまま動かなくなった。白い泡が鼠の口から最後に泛《うか》んだ。……
 堯《たかし》は五六年前は、自分の病気が約束している死の前には、ただ甘い悲しみを撒《ま》いただけで通り過ぎていた。そしていつかそれに気がついてみると、栄養や安静が彼に浸潤した、美食に対する嗜好《しこう》や安逸や怯懦《きょうだ》は、彼から生きていこうとする意志をだんだんに持ち去っていた。しかし彼は幾度も心を取り直して生活に向かっていった。が、彼の思索や行為はいつの間にか佯《いつわ》りの響をたてはじめ、やがてその滑らかさを失って凝固した。と、彼の前には、そういった風景が現われるのだった。
 何人もの人間がある徴候をあらわしある経過を辿って死んでいった。それと同じ徴候がおまえにあらわれている。
 近代科学の使徒の一人が、堯にはじめてそれを告げたとき、彼の拒否する権限もないそのことは、ただ彼が漠然忌み嫌っていたその名称ばかりで、頭がそれを受けつけなかった。もう彼はそれを拒否しない。白い土の石膏の床は彼が黒い土に帰るまでの何年かのために用意されている。そこではもう転輾《てんてん》することさえ許されないのだ。
 夜が更けて夜番の撃柝《げきたく》の音がきこえ出すと、堯は陰鬱な心の底で呟《つぶや》いた。
「おやすみなさい、お母さん」
 撃柝の音は坂や邸の多い堯の家のあたりを、微妙に変わってゆく反響の工合で、それが通ってゆく先ざきを髣髴《ほうふつ》させた。肺の軋《きし》む音だと思っていた杳《はる》かな犬の遠|吠《ぼ》え。――堯には夜番が見える。母の寝姿が見える。もっともっと陰鬱な心の底で彼はまた呟《つぶや》く。
「おやすみなさい、お母さん」

     

 堯《たかし》は掃除をすました部屋の窓を明け放ち、籐《とう》の寝椅子に休んでいた。と、ジュッジュッという啼き声がしてかなむぐら[#「かなむぐら」に傍点]の垣の蔭に笹鳴《ささな》きの鶯《うぐいす》が見え隠れするのが見えた。
 ジュッ、ジュッ、堯は鎌首をもたげて、口でその啼き声を模《ま》ねながら、小鳥の様子を見ていた。――彼は自家《うち》でカナリヤを飼っていたことがある。
 美しい午前の日光が葉をこぼれている。笹鳴きは口の音に迷わされてはいるが、そんな場合のカナリヤなどのように、機微な感情は現わさなかった。食欲に肥えふとって、なにか堅いチョッキでも着たような恰好をしている。――堯が模《ま》ねをやめると、愛想もなく、下枝の間を渡りながら行ってしまった。
 低地を距《へだ》てて、谷に臨んだ日当りのいいある華族の庭が見えた。黄に枯れた朝鮮芝に赤い蒲団が干してある。――堯はいつになく早起きをした午前にうっとりとした。
 しばらくして彼は、葉が褐色に枯れ落ちている屋根に、つるもどき[#「つるもどき」に傍点]の赤い実がつややかに露《あら》われているのを見ながら、家の門を出た。
 風もない青空に、黄に化《な》りきった公孫樹《いちょう》は、静かに影を畳んで休ろうていた。白い化粧煉瓦を張った長い塀が、いかにも澄んだ冬の空気を映していた。その下を孫を負《お》ぶった老婆が緩《ゆっく》りゆっくり歩いて来る。
 堯《たかし》は長い坂を下りて郵便局へ行った。日の射し込んでいる郵便局は絶えず扉が鳴り、人びとは朝の新鮮な空気を撒《ま》き散らしていた。堯は永い間こんな空気に接しなかったような気がした。
 彼は細い坂を緩りゆっくり登った。山茶花《さざんか》の花ややつで[#「やつで」に傍点]の花が咲いていた。堯は十二月になっても蝶《ちょう》がいるのに驚いた。それの飛んで行った方角には日光に撒かれた虻《あぶ》の光点が忙しく行き交うていた。
「痴呆《ちほう》のような幸福だ」と彼は思った。そしてうつらうつら日溜りに屈《かが》まっていた。――やはりその日溜りの少し離れたところに小さい子供達がなにかして遊んでいた。四五歳の童子や童女達であった。
「見てやしないだろうな」と思いながら堯は浅く水が流れている溝のなかへ痰を吐いた。そして彼らの方へ近づいて行った。女の子であばれているのもあった。男の子で温柔《おとな》しくしているのもあった。穉《おさな》い線が石墨で路に描かれていた。――堯はふと、これはどこかで見たことのある情景だと思った。不意に心が揺れた。揺り覚まされた虻が茫漠《ぼうばく》とした堯の過去へ飛び去った。その麗《うらら》かな臘月《ろうげつ》の午前へ。
 堯《たかし》の虻《あぶ》は見つけた。山茶花を。その花片のこぼれるあたりに遊んでいる童子たちを。――それはたとえば彼が半紙などを忘れて学校へ行ったとき、先生に断わりを言って急いで自家《うち》へ取りに帰って来る、学校は授業中の、なにか珍しい午前の路であった。そんなときでもなければ垣間《かいま》見ることを許されなかった、聖なる時刻の有様であった。そう思ってみて堯は微笑《ほほえ》んだ。

 午後になって、日がいつもの角度に傾くと、この考えは堯を悲しくした。穉《おさな》いときの古ぼけた写真のなかに、残っていた日向《ひなた》のような弱陽が物象を照らしていた。
 希望を持てないものが、どうして追憶を慈《いつく》しむことができよう。未来に今朝のような明るさを覚えたことが近頃の自分にあるだろうか。そして今朝の思いつきもなんのことはない、ロシアの貴族のように(午後二時頃の朝餐《ちょうさん》)が生活の習慣になっていたということのいい証拠ではないか。――
 彼はまた長い坂を下りて郵便局へ行った。
「今朝の葉書のこと、考えが変わってやめることにしたから、お願いしたことご中止ください」
 今朝彼は暖い海岸で冬を越すことを想い、そこに住んでいる友人に貸家を捜すことを頼んで遣《や》ったのだった。
 彼は激しい疲労を感じながら坂を帰るのにあえいだ。午前の日光のなかで静かに影を畳んでいた公孫樹《いちょう》は、一日が経たないうちにもう凩《こがらし》が枝を疎《まば》らにしていた。その落葉が陽を喪《うしな》った路の上を明るくしている。彼はそれらの落葉にほのかな愛着を覚えた。
 堯《たかし》は家の横の路まで帰って来た。彼の家からはその勾配のついた路は崖上になっている。部屋から眺めているいつもの風景は、今彼の眼前で凩《こがらし》に吹き曝《さら》されていた。曇空には雲が暗澹《あんたん》と動いていた。そしてその下に堯は、まだ電燈も来ないある家の二階は、もう戸が鎖されてあるのを見た。戸の木肌はあらわに外面に向かって曝《さら》されていた。――ある感動で堯はそこに彳《たたず》んだ。傍らには彼の棲《す》んでいる部屋がある。堯はそれをこれまでついぞ眺めたことのない新しい感情で眺めはじめた。
 電燈も来ないのに早や戸じまりをした一軒の家の二階――戸のあらわな木肌は、不意に堯の心を寄辺《よるべ》のない旅情で染めた。
 ――食うものも持たない。どこに泊まるあてもない。そして日は暮れかかっているが、この他国の町は早や自分を拒んでいる。――
 それが現実であるかのような暗愁が彼の心を翳《かげ》っていった。またそんな記憶がかつての自分にあったような、一種|訝《いぶ》かしい甘美な気持が堯を切なくした。
 何ゆえそんな空想が起こって来るのか? 何ゆえその空想がかくも自分を悲しませ、また、かくも親しく自分を呼ぶのか? そんなことが堯には朧《おぼろ》げにわかるように思われた。
 肉を炙《あぶ》る香ばしい匂いが夕凍《ゆうじ》みの匂いに混じって来た。一日の仕事を終えたらしい大工のような人が、息を吐く微かな音をさせながら、堯にすれちがってすたすたと坂を登って行った。
「俺の部屋はあすこだ」
 堯はそう思いながら自分の部屋に目を注いだ。薄暮に包まれているその姿は、今エーテルのように風景に拡がってゆく虚無に対しては、何の力でもないように眺められた。
「俺が愛した部屋。俺がそこに棲《す》むのをよろこんだ部屋。あのなかには俺の一切の所持品が――ふとするとその日その日の生活の感情までが内蔵されているかもしれない。ここから声をかければ、その幽霊があの窓をあけて首を差し伸べそうな気さえする。がしかしそれも、脱ぎ棄てた宿屋の褞袍《どてら》がいつしか自分自身の身体をそのなかに髣髴《ほうふつ》させて来る作用とわずかもちがったことはないではないか。あの無感覚な屋根瓦や窓|硝子《ガラス》をこうしてじっと見ていると、俺はだんだん通行人のような心になって来る。あの無感覚な外囲は自殺しかけている人間をそのなかに蔵しているときもやはりあのとおりにちがいないのだ。――と言って、自分は先刻の空想が俺を呼ぶのに従ってこのままここを歩み去ることもできない。
 早く電燈でも来ればよい。あの窓の磨硝子《すりガラス》が黄色い灯を滲《にじ》ませれば、与えられた生命に満足している人間を部屋のなかに、この通行人の心は想像するかもしれない。その幸福を信じる力が起こって来るかもしれない」
 路に彳《たたず》んでいる堯の耳に階下の柱時計の音がボンボン……と伝わって来た。変なものを聞いた、と思いながら彼の足はとぼとぼと坂を下って行った。

     

 街路樹から次には街路から、風が枯葉を掃ってしまったあとは風の音も変わっていった。夜になると街のアスファルトは鉛筆で光らせたように凍《い》てはじめた。そんな夜を堯《たかし》は自分の静かな町から銀座へ出かけて行った。そこでは華ばなしいクリスマスや歳末の売出しがはじまっていた。
 友達か恋人か家族か、舗道の人はそのほとんどが連れを携えていた。連れのない人間の顔は友達に出会う当てを持っていた。そしてほんとうに連れがなくとも金と健康を持っている人に、この物欲の市場が悪い顔をするはずのものではないのであった。
「何をしに自分は銀座へ来るのだろう」
 堯は舗道が早くも疲労ばかりしか与えなくなりはじめるとよくそう思った。堯はそんなときいつか電車のなかで見たある少女の顔を思い浮かべた。
 その少女はつつましい微笑を泛《うか》べて彼の座席の前で釣革に下がっていた。どてら[#「どてら」に傍点]のように身体に添っていない着物から「お姉さん」のような首が生えていた。その美しい顔は一と眼で彼女が何病だかを直感させた。陶器のように白い皮膚を翳《かげ》らせている多いうぶ毛。鼻孔のまわりの垢《あか》。
「彼女はきっと病床から脱け出して来たものに相違ない」
 少女の面を絶えず漣※[#「さんずい+猗」、第3水準1-87-6]《さざなみ》のように起こっては消える微笑を眺めながら堯はそう思った。彼女が鼻をかむようにして拭きとっているのは何か。灰を落としたストーヴのように、そんなとき彼女の顔には一時鮮かな血がのぼった。
 自身の疲労とともにだんだんいじらしさを増していくその娘の像を抱きながら、銀座では堯は自分の痰を吐くのに困った。まるでものを言うたび口から蛙が跳び出すグリムお伽噺《とぎばなし》の娘のように。
 彼はそんなとき一人の男が痰を吐いたのを見たことがある。ふいに貧しい下駄が出て来てそれをすりつぶした。が、それは足が穿《は》いている下駄ではなかった。路傍に茣蓙《ござ》を敷いてブリキの独楽《こま》を売っている老人が、さすがに怒りを浮かべながら、その下駄を茣蓙の端のも一つの上へ重ねるところを彼は見たのである。
「見たか」そんな気持で堯は行き過ぎる人びとを振り返った。が、誰もそれを見た人はなさそうだった。老人の坐っているところは、それが往来の目に入るにはあまりに近すぎた。それでなくても老人の売っているブリキの独楽《こま》はもう田舎の駄菓子屋ででも陳腐《ちんぷ》なものにちがいなかった。堯《たかし》は一度もその玩具が売れたのを見たことがなかった。
「何をしに自分は来たのだ」
 彼はそれが自分自身への口実の、珈琲《コーヒー》や牛酪《バター》やパンや筆を買ったあとで、ときには憤怒のようなものを感じながら高価な仏蘭西香料を買ったりするのだった。またときには露店が店を畳む時刻まで街角のレストランに腰をかけていた。ストーヴに暖められ、ピアノトリオに浮き立って、グラスが鳴り、流眄《ながしめ》が光り、笑顔が湧き立っているレストランの天井には、物憂い冬の蠅《はえ》が幾匹も舞っていた。所在なくそんなものまで見ているのだった。
「何をしに自分は来たのだ」
 街へ出ると吹き通る空っ風がもう人足を疎《まば》らにしていた。宵のうち人びとが掴《つか》まされたビラの類が不思議に街の一と所に吹き溜められていたり、吐いた痰がすぐに凍り、落ちた下駄の金具にまぎれてしまったりする夜更けを、彼は結局は家へ帰らねばならないのだった。
「何をしに自分は来たのだ」
 それは彼のなかに残っている古い生活の感興にすぎなかった。やがて自分は来なくなるだろう。堯《たかし》は重い疲労とともにそれを感じた。
 彼が部屋で感覚する夜は、昨夜も一昨夜もおそらくは明晩もない、病院の廊下のように長く続いた夜だった。そこでは古い生活は死のような空気のなかで停止していた。思想は書棚を埋める壁土にしか過ぎなかった。壁にかかった星座早見表は午前三時が十月二十何日に目盛をあわせたまま埃《ほこり》をかぶっていた。夜更けて彼が便所へ通うと、小窓の外の屋根瓦には月光のような霜が置いている。それを見るときにだけ彼の心はほーっと明るむのだった。
 固い寝床はそれを離れると午後にはじまる一日が待っていた。傾いた冬の日が窓のそとのまのあたり[#「まのあたり」に傍点]を幻燈のように写し出している、その毎日であった。そしてその不思議な日射しはだんだんすべてのものが仮象にしか過ぎないということや、仮象であるゆえ精神的な美しさに染められているのだということを露骨にして来るのだった。枇杷《びわ》が花をつけ、遠くの日溜りからは橙《だいだい》の実が目を射った。そして初冬の時雨《しぐれ》はもう霰《あられ》となって軒をはしった。
 霰はあとからあとへ黒い屋根瓦を打ってはころころ転がった。トタン屋根を撲《う》つ音。やつでの葉を弾く音。枯草に消える音。やがてサアーというそれが世間に降っている音がきこえ出す。と、白い冬の面紗《ヴェイル》を破って近くの邸からは鶴の啼き声が起こった。堯の心もそんなときにはなにか新鮮な喜びが感じられるのだった。彼は窓際に倚《よ》って風狂というものが存在した古い時代のことを思った。しかしそれを自分の身に当て嵌《は》めることは堯にはできなかった。

     

 いつの隙にか冬至が過ぎた。そんなある日|堯《たかし》は長らく寄りつかなかった、以前住んでいた町の質店へ行った。金が来たので冬の外套《がいとう》を出しに出掛けたのだった。が、行ってみるとそれはすでに流れたあとだった。
「××どんあれはいつ頃だったけ」
「へい」
 しばらく見ない間にすっかり大人びた小店員が帳簿を繰った。
 堯はその口上が割合すらすら出て来る番頭の顔が変に見え出した。ある瞬間には彼が非常な言い憎さを押し隠して言っているように見え、ある瞬間にはいかにも平気に言っているように見えた。彼は人の表情を読むのにこれほど戸惑ったことはないと思った。いつもは好意のある世間話をしてくれる番頭だった。
 堯は番頭の言葉によって幾度も彼が質店から郵便を受けていたのをはじめて現実に思い出した。硫酸に侵されているような気持の底で、そんなことをこの番頭に聞かしたらというような苦笑も感じながら、彼もやはり番頭のような無関心を顔に装って一通りそれと一緒に処分されたものを聞くと、彼はその店を出た。
 一匹の痩せ衰えた犬が、霜解けの路ばたで醜い腰付を慄《ふる》わせながら、糞をしようとしていた。堯《たかし》はなにか露悪的な気持にじりじり迫られるのを感じながら、嫌悪に堪えたその犬の身体つきを終わるまで見ていた。長い帰りの電車のなかでも、彼はしじゅう崩壊に屈しようとする自分を堪えていた。そして電車を降りてみると、家を出るとき持って出たはずの洋傘《こうもり》は――彼は持っていなかった。
 あてもなく電車を追おうとする眼を彼は反射的にそらせた。重い疲労を引き摺《ず》りながら、夕方の道を帰って来た。その日町へ出るとき赤いものを吐いた、それが路ばたの槿《むくげ》の根方にまだひっかかっていた。堯には微《かす》かな身|慄《ぶる》いが感じられた。――吐いたときには悪いことをしたとしか思わなかったその赤い色に。――
 夕方の発熱時が来ていた。冷たい汗が気味悪く腋の下を伝った。彼は袴《はかま》も脱がぬ外出姿のまま凝然《ぎょうぜん》と部屋に坐っていた。
 突然|匕首《あいくち》のような悲しみが彼に触れた。次から次へ愛するものを失っていった母の、ときどきするとぼけたような表情を思い浮かべると、彼は静かに泣きはじめた。
 夕餉《ゆうげ》をしたために階下へ下りる頃は、彼の心はもはや冷静に帰っていた。そこへ友達の折田というのが訪ねて来た。食欲はなかった。彼はすぐ二階へあがった。
 折田は壁にかかっていた、星座表を下ろして来てしきりに目盛を動かしていた。
「よう」
 折田はそれには答えず、
「どうだ。雄大じゃあないか」
 それから顔をあげようとしなかった。堯《たかし》はふと息を嚥《の》んだ。彼にはそれがいかに壮大な眺めであるかが信じられた。
「休暇になったから郷里へ帰ろうと思ってやって来た」
「もう休暇かね。俺はこんどは帰らないよ」
「どうして」
「帰りたくない」
「うちからは」
「うちへは帰らないと手紙出した」
「旅行でもするのか」
「いや、そうじゃない」
 折田はぎろと堯の目を見返したまま、もうその先を訊《き》かなかった。が、友達の噂学校の話、久濶《きゅうかつ》の話は次第に出て来た。
「この頃学校じゃあ講堂の焼跡を毀《こわ》してるんだ。それがね、労働者が鶴嘴《つるはし》を持って焼跡の煉瓦壁へ登って……」
 その現に自分の乗っている煉瓦壁へ鶴嘴を揮《ふる》っている労働者の姿を、折田は身振りをまぜて描き出した。
「あと一と衝《つ》きというところまでは、その上にいて鶴嘴《つるはし》をあてている。それから安全なところへ移って一つぐわんとやるんだ。すると大きい奴《やつ》がどどーんと落ちて来る」
「ふーん。なかなかおもしろい」
「おもしろいよ。それで大変な人気だ」
 堯《たかし》らは話をしているといくらでも茶を飲んだ。が、へいぜい自分の使っている茶碗《ちゃわん》でしきりに茶を飲む折田を見ると、そのたび彼は心が話からそれる。その拘泥がだんだん重く堯にのしかかって来た。
「君は肺病の茶碗を使うのが平気なのかい。咳をするたびにバイキンはたくさん飛んでいるし。――平気なんだったら衛生の観念が乏しいんだし、友達|甲斐《がい》にこらえているんだったら子供みたいな感傷主義に過ぎないと思うな――僕はそう思う」
 言ってしまって堯は、なぜこんないやなことを言ったのかと思った。折田は目を一度ぎろとさせたまま黙っていた。
「しばらく誰も来なかったかい」
「しばらく誰も来なかった」
「来ないとひがむかい」
 こんどは堯が黙った。が、そんな言葉で話し合うのが堯にはなぜか快かった。
「ひがみはしない。しかし俺もこの頃は考え方が少しちがって来た」
「そうか」
 堯《たかし》はその日の出来事を折田に話した。
「俺はそんなときどうしても冷静になれない。冷静というものは無感動じゃなくて、俺にとっては感動だ。苦痛だ。しかし俺の生きる道は、その冷静で自分の肉体や自分の生活が滅びてゆくのを見ていることだ」
「…………」
「自分の生活が壊れてしまえばほんとうの冷静は来ると思う。水底の岩に落ちつく木の葉かな。……」
「丈草《じょうそう》だね。……そうか、しばらく来なかったな」
「そんなこと。……しかしこんな考えは孤独にするな」
「俺は君がそのうちに転地でもするような気になるといいと思うな。正月には帰れと言って来ても帰らないつもりか」
「帰らないつもりだ」
 珍しく風のない静かな晩だった。そんな夜は火事もなかった。二人が話をしていると、戸外にはときどき小さい呼子のような声のものが鳴いた。
 十一時になって折田は帰って行った。帰るきわに彼は紙入のなかから乗車割引券を二枚、
「学校へとりにゆくのも面倒だろうから」と言って堯に渡した。

     

 母から手紙が来た。
 ――おまえにはなにか変わったことがあるにちがいない。それで正月上京なさる津枝さんにおまえを見舞っていただくことにした。そのつもりでいなさい。
 帰らないと言うから春着を送りました。今年は胴着を作って入れておいたが、胴着は着物と襦袢《じゅばん》の間に着るものです。じかに着てはいけません。――
 津枝というのは母の先生の子息で今は大学を出て医者をしていた。が、かつて堯《たかし》にはその人に兄のような思慕を持っていた時代があった。
 堯は近くへ散歩に出ると、近頃はことに母の幻覚に出会った。母だ! と思ってそれが見も知らぬ人の顔であるとき、彼はよく変なことを思った。――すーっと変わったようだった。また母がもう彼の部屋へ来て坐りこんでいる姿が目にちらつき、家へ引き返したりした。が、来たのは手紙だった。そして来るべき人は津枝だった。堯の幻覚はやんだ。
 街を歩くと堯は自分が敏感な水準器になってしまったのを感じた。彼はだんだん呼吸が切迫して来る自分に気がつく。そして振り返って見るとその道は彼が知らなかったほどの傾斜をしているのだった。彼は立ち停まると激しく肩で息をした。ある切ない塊が胸を下ってゆくまでには、必ずどうすればいいのかわからない息苦しさを一度経なければならなかった。それが鎮まると堯はまた歩き出した。
 何が彼を駆るのか。それは遠い地平へ落ちて行く太陽の姿だった。
 彼の一日は低地を距《へだ》てた灰色の洋風の木造家屋に、どの日もどの日も消えてゆく冬の日に、もう堪えきることができなくなった。窓の外の風景が次第に蒼ざめた空気のなかへ没してゆくとき、それがすでにただの日蔭ではなく、夜と名付けられた日蔭だという自覚に、彼の心は不思議ないらだちを覚えて来るのだった。
「あああ大きな落日が見たい」
 彼は家を出て遠い展望のきく場所を捜した。歳暮の町には餅搗《もちつ》きの音が起こっていた。花屋の前には梅と福寿草をあしらった植木鉢が並んでいた。そんな風俗画は、町がどこをどう帰っていいかわからなくなりはじめるにつれて、だんだん美しくなった。自分のまだ一度も踏まなかった路――そこでは米を磨《と》いでいる女も喧嘩《けんか》をしている子供も彼を立ち停まらせた。が、見晴らしはどこへ行っても、大きな屋根の影絵があり、夕焼空に澄んだ梢《こずえ》があった。そのたび、遠い地平へ落ちてゆく太陽の隠された姿が切ない彼の心に写った。
 日の光に満ちた空気は地上をわずかも距《へだた》っていなかった。彼の満たされない願望は、ときに高い屋根の上へのぼり、空へ手を伸ばしている男を想像した。男の指の先はその空気に触れている。――また彼は水素を充《みた》した石鹸玉が、蒼ざめた人と街とを昇天させながら、その空気のなかへパッと七彩に浮かび上がる瞬間を想像した。
 青く澄み透った空では浮雲が次から次へ美しく燃えていった。みたされない堯《たかし》の心の燠《おき》にも、やがてその火は燃えうつった。
「こんなに美しいときが、なぜこんなに短いのだろう」
 彼はそんなときほどはかない気のするときはなかった。燃えた雲はまたつぎつぎに死灰になりはじめた。彼の足はもう進まなかった。
「あの空を涵《みた》してゆく影は地球のどの辺の影になるかしら。あすこの雲へゆかないかぎり今日ももう日は見られない」
 にわかに重い疲れが彼に凭《もた》りかかる。知らない町の知らない町角で、堯《たかし》の心はもう再び明るくはならなかった。

底本:「檸檬・ある心の風景」旺文社文庫、旺文社
   1972(昭和47)年12月10日初版発行
   1974(昭和49)年第4刷発行
入力:j.utiyama
校正:野口英司
1998年10月17日公開
2005年10月7日修正
青空文庫作成ファイル:
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梶井基次郎

泥濘 —–梶井基次郎

     一

 それはある日の事だった。――
 待っていた為替《かわせ》が家から届いたので、それを金に替えかたがた本郷へ出ることにした。
 雪の降ったあとで郊外に住んでいる自分にはその雪解けが億劫《おっくう》なのであったが、金は待っていた金なので関《かま》わずに出かけることにした。
 それより前、自分はかなり根《こん》をつめて書いたものを失敗に終わらしていた。失敗はとにかくとして、その失敗の仕方の変に病的だったことがその後の生活にまでよくない影響を与えていた。そんな訳で自分は何かに気持の転換を求めていた。金がなくなっていたので出歩くにも出歩けなかった。そこへ家から送ってくれた為替にどうしたことか不備なところがあって、それを送り返し、自分はなおさら不愉快になって、四日ほど待っていたのだった。その日に着いた為替はその二度目の為替であった。
 書く方を放棄してから一週間余りにもなっていただろうか。その間に自分の生活はまるで気力の抜けた平衡を失したものに変わっていた。先ほども言ったように失敗が既にどこか病気|染《じ》みたところを持っていた。書く気持がぐらついて来たのがその最初で、そうこうするうちに頭に浮かぶことがそれを書きつけようとする瞬間に変に憶《おも》い出せなくなって来たりした。読み返しては訂正していたのが、それもできなくなってしまった。どう直せばいいのか、書きはじめの気持そのものが自分にはどうにも思い出せなくなっていたのである。こんなことにかかりあっていてはよくないなと、薄うす自分は思いはじめた。しかし自分は執念深くやめなかった。また止《や》まらなかった。
 やめた後の状態は果してわるかった。自分はぼんやりしてしまっていた。その不活溌な状態は平常経験するそれ[#「それ」に傍点]以上にどこか変なところのある状態だった。花が枯れて水が腐ってしまっている花瓶《かびん》が不愉快で堪《たま》らなくなっていても始末するのが億劫で手の出ないときがある。見るたびに不愉快が増して行ってもその不愉快がどうしても始末しようという気持に転じて行かないときがある。それは億劫というよりもなにか[#「なにか」に傍点]に魅せられている気持である。自分は自分の不活溌のどこかにそんな匂いを嗅《か》いだ。
 なにかをやりはじめてもその途中で極《きま》って自分はぼんやりしてしまった。気がついてやりかけの事に手は帰っても、一度ぼんやりしたところを覗《のぞ》いて来た自分の気持は、もうそれに対して妙に空ぞらしくなってしまっているのだった。何をやりはじめてもそういうふうに中途半端中途半端が続くようになって来た。またそれが重なってくるにつれてひとりでに生活の大勢が極ったように中途半端を並べた。そんなふうで、自分は動き出すことの禁ぜられた沼のように淀《よど》んだところをどうしても出切ってしまうことができなかった。そこへ沼の底から湧《わ》いて来る沼気《メタン》のようなやつがいる。いや[#「いや」に傍点]な妄想《もうそう》がそれだ。肉親に不吉がありそうな、友達に裏切られているような妄想が不意に頭を擡《もた》げる。
 ちょうどその時分は火事の多い時節であった。習慣で自分はよく近くの野原を散歩する。新しい家の普請が到るところにあった。自分はその辺りに転っている鉋屑《かんなくず》を見、そして自分があまり注意もせずに煙草の吸殻を捨てるのに気がつき、危いぞと思った。そんなことが頭に残っていたからであろう、近くに二度ほど火事があった、そのたびに漠とした、捕縛されそうな不安に襲われた。「この辺を散歩していたろう」と言われ、「お前の捨てた煙草からだ」と言われたら、なんとも抗弁する余地がないような気がした。また電報配達夫の走っているのを見ると不愉快になった。妄想は自分を弱くみじめにした。愚にもつかないことで本当に弱くみじめになってゆく。そう思うと堪らない気がした。
 何をする気にもならない自分はよくぼんやり鏡や薔薇《ばら》の描いてある陶器の水差しに見入っていた。心の休み場所――とは感じないまでも何か心の休まっている瞬間をそこに見|出《いだ》すことがあった。以前自分はよく野原などでこんな気持を経験したことがある。それはごくほのかな気持ではあったが、風に吹かれている草などを見つめているうちに、いつか自分の裡《うち》にもちょうどその草の葉のように揺れているもののあるのを感じる。それは定かなものではなかった。かすかな気配ではあったが、しかし不思議にも秋風に吹かれてさわさわ揺れている草自身の感覚というようなものを感じるのであった。酔わされたような気持で、そのあとはいつも心が清《すが》すがしいものに変わっていた。
 鏡や水差しに対している自分は自然そんな経験を思い出した。あんな風に気持が転換できるといいなど思って熱心になることもあった。しかしそんなことを思う思わないに拘《かかわ》らず自分はよくそんなものに見入ってぼんやりしていた。冷い白い肌に一点、電燈の像を宿している可愛い水差しは、なにをする気にもならない自分にとって実際変な魅力を持っていた。二時三時が打っても自分は寝なかった。
 夜|晩《おそ》く鏡を覗《のぞ》くのは時によっては非常に怖《おそ》ろしいものである。自分の顔がまるで知らない人の顔のように見えて来たり、眼が疲れて来る故か、じーっと見ているうちに醜悪な伎楽《ぎがく》の腫《は》れ面《おもて》という面そっくりに見えて来たりする。さーっと鏡の中の顔が消えて、あぶり出しのようにまた現われたりする。片方の眼だけが出て来てしばらくの間それに睨《にら》まれていることもある。しかし恐怖というようなものもある程度自分で出したり引込めたりできる性質のものである。子供が浪打際で寄せたり退《ひ》いたりしている浪に追いつ追われつしながら遊ぶように、自分は鏡のなかの伎楽の面を恐れながらもそれと遊びたい興味に駆《か》られた。
 自分の動かない気持は、しかしそのままであった。鏡を見たり水差しを見たりするときに感じる、変に不思議なところへ運ばれて来たような気持は、却《かえ》って淀《よど》んだ気持と悪く絡まったようであった。そんなことがなくてさえ昼頃まで夢をたくさん見ながら寝ている自分には、見た夢と現実とが時どき分明しなくなる悪く疲れた午後の日中があった。自分はいつか自分の経験している世界を怪しいと感じる瞬間を持つようになって行った。町を歩いていても自分の姿を見た人が「あんな奴が来た」と言って逃げてゆくのじゃないかなど思ってびっくりするときがあった。顔を伏せている子守娘が今度こちらを向くときにはお化けのような顔になっているのじゃないかなど思うときがあった。――しかし待っていた為替はとうとう来た。自分は雪の積った道を久し振りで省線電車の方へ向った。

     

 お茶の水から本郷へ出るまでの間に人が三人まで雪で辷《すべ》った。銀行へ着いた時分には自分もかなり不機嫌になってしまっていた。赤く焼けている瓦斯煖炉《ガスだんろ》の上へ濡れて重くなった下駄をやりながら自分は係りが名前を呼ぶのを待っていた。自分の前に店の小僧さんが一人差向かいの位置にいた。下駄をひいてからしばらくして自分は何とはなしにその小僧さんが自分を見ているなと思った。雪と一緒に持ち込まれた泥で汚《よご》れている床を見ているこちらの目が妙にうろたえた。独り相撲だと思いながらも自分は仮想した小僧さんの視線に縛られたようになった。自分はそんなときよく顔の赧《あか》くなる自分の癖を思い出した。もう少し赧くなっているんじゃないか。思う尻《しり》から自分は顔が熱くなって来たのを感じた。
 係りは自分の名前をなかなか呼ばなかった。少し愚図過ぎた。小切手を渡した係りの前へ二度ばかりも示威運動をしに行った。とうとうしまいに自分は係りに口を利《き》いた。小切手は中途の係りがぼんやりしていたのだった。
 出て正門前の方へゆく。多分行き倒れか転んで気絶をしたかした若い女の人を二人の巡査が左右から腕を抱えて連れてゆく。往来の人が立留って見ていた。自分はその足で散髪屋へ入った。散髮屋は釜を壊《こわ》していた。自分が洗ってくれと言ったので石鹸で洗っておきながら濡れた手拭《てぬぐい》で拭くだけのことしかしない。これが新式なのでもあるまいと思ったが、口が妙に重くて言わないでいた。しかし石鹸の残っている気持悪さを思うと堪《たま》らない気になった。訊《たず》ねて見ると釜を壊したのだという。そして濡れたタオルを繰り返した。金を払って帽子をうけとるとき触って見るとやはり石鹸が残っている。なんとか言ってやらないと馬鹿に思われるような気がしたが止めて外へ出る。せっかく気持よくなりかけていたものをと思うと妙に腹が立った。友人の下宿へ行って石鹸は洗いおとした。それからしばらく雑談した。
 自分は話をしているうちに友人の顔が変に遠どおしく感ぜられて来た。また自分の話が自分の思う甲所《かんどころ》をちっとも言っていないように思えてきた。相手が何かいつもの友人ではないような気にもなる。相手は自分の少し変なことを感じているに違いないとも思う。不親切ではないがそのことを言うのが彼自身|怖《おそ》ろしいので言えずにいるのじゃないかなど思う。しかし、自分はどこか変じゃないか? などこちらから聞けない気がした。「そう言えば変だ」など言われる怖ろしさよりも、変じゃないかと自分から言ってしまえば自分で自分の変な所を承認したことになる。承認してしまえばなにもかもおしまいだ。そんな怖ろしさがあったのだった。そんなことを思いながらしかし自分の口は喋《しゃべ》っているのだった。
「引込んでいるのがいけないんだよ。もっと出て来るようにしたらいいんだ」玄関まで送って来た友人はそんなことを言った。自分はなにかそれについても言いたいような気がしたがうなずいたままで外へ出た。苦役《くえき》を果した後のような気持であった。
 町にはまだ雪がちらついていた。古本屋を歩く。買いたいものがあっても金に不自由していた自分は妙に吝嗇《けち》になっていて買い切れなかった。「これを買うくらいなら先刻《さっき》のを買う」次の本屋へ行っては先刻の本屋で買わなかったことを後悔した。そんなことを繰り返しているうちに自分はかなり参って来た。郵便局で葉書を買って、家へ金の礼と友達へ無沙汰の詫《わび》を書く。机の前ではどうしても書けなかったのが割合すらすら書けた。
 古本屋と思って入った本屋は新しい本ばかりの店であった。店に誰もいなかったのが自分の足音で一人奥から出て来た。仕方なしに一番安い文芸雑誌を買う。なにか買って帰らないと今夜が堪《たま》らないと思う。その堪らなさが妙に誇大されて感じられる。誇大だとは思っても、そう思って抜けられる気持ではなかった。先刻の古本屋へまた逆に歩いて行った。やはり買えなかった。吝嗇臭いぞと思ってみてもどうしても買えなかった。雪がせわしく降り出したので出張りを片付けている最後の本屋へ、先刻値を聞いて止《よ》した古雑誌を今度はどうしても買おうと決心して自分は入って行った。とっつきの店のそれもとっつきに値を聞いた古雑誌、それが結局は最後の選択になったかと思うと馬鹿気た気になった。他所《よそ》の小僧が雪を投げつけに来るのでその店の小僧はその方へ気をとられていた。覚えておいたはずの場所にそれが見つからないので、まさか店を間違えたのでもなかろうがと思って不安になってその小僧にきいてみた。
「お忘れ物ですか。そんなものはありませんでしたよ」言いながら小僧は他所《よそ》のをやっつけに行こう行こうとしてうわの空になっている。しかしそれはどうしても見つからなかった。さすがの自分も参っていた。足袋を一足買ってお茶の水へ急いだ。もう夜になっていた。
 お茶の水では定期を買った。これから毎日学校へ出るとして一日往復いくらになるか電車のなかで暗算をする。何度やってもしくじった。その度《たび》たびに買うのと同じという答えが出たりする。有楽町で途中下車して銀座へ出、茶や砂糖、パン、牛酪《バター》などを買った。人通りが少い。ここでも三四人の店員が雪投げをしていた。堅《かた》そうで痛そうであった。自分は変に不愉快に思った。疲れ切ってもいた。一つには今日の失敗《しくじ》り方が余りひど過ぎたので、自分は反抗的にもなってしまっていた。八銭のパン一つ買って十銭で釣銭を取ったりなどしてしきりになにかに反抗の気を見せつけていた。聞いたものがなかったりすると妙に殺気立った。
 ライオンへ入って食事をする。身体を温めて麦酒《ビール》を飲んだ。混合酒《カクテル》を作っているのを見ている。種々な酒を一つの器へ入れて蓋をして振っている。はじめは振っているがしまいには器に振られているような恰好をする。洋盃《グラス》へついで果物をあしらい盆にのせる。その正確な敏捷《びんしょう》さは見ていておもしろかった。
「お前達は並んでアラビア兵のようだ」
「そや、バグダッドの祭のようだ」
「腹が第一滅っていたんだな」
 ずらっと並んだ洋酒の壜を見ながら自分は少し麦酒の酔いを覚えていた。

     

 ライオンを出てからは唐物屋で石鹸を買った。ちぐはぐな気持はまたいつの間にか自分に帰っていた。石鹸を買ってしまって自分は、なにか今のは変だと思いはじめた。瞭然《はっき》りした買いたさを自分が感じていたのかどうか、自分にはどうも思い出せなかった。宙を踏んでいるようにたよりない気持であった。
「ゆめうつつ[#「ゆめうつつ」に傍点]で遣《や》ってるからじゃ」
 過失などをしたとき母からよくそう言われた。その言葉が思いがけず自分の今|為《し》たことのなかにあると思った。石鹸は自分にとって途方もなく高価《たか》い石鹸であった。自分は母のことを思った。
「奎吉《けいきち》……奎吉!」自分は自分の名を呼んで見た。悲しい顔付をした母の顔が自分の脳裡《のうり》にはっきり映った。
 ――三年ほど前自分はある夜酒に酔って家へ帰ったことがあった。自分はまるで前後のわきまえをなくしていた。友達が連れて帰ってくれたのだったが、その友達の話によると随分|非道《ひど》かったということで、自分はその時の母の気持を思って見るたびいつも黯然《あんぜん》となった。友達はあとでその時母が自分を叱った言葉だと言って母の調子を真似てその言葉を自分にきかせた。それは母の声そっくりと言いたいほど上手に模《も》してあった。単なる言葉だけでも充分自分は参っているところであった。友人の再現して見せたその調子は自分を泣かすだけの力を持っていた。
 模倣《もほう》というものはおかしいものである。友人の模倣を今度は自分が模倣した。自分に最も近い人の口調はかえって他所から教えられた。自分はその後に続く言葉を言わないでもただ奎吉《けいきち》と言っただけでその時の母の気持を生《い》きいきと蘇《よみが》えらすことができるようになった。どんな手段によるよりも「奎吉!」と一度声に出すことは最も直接であった。眼の前へ浮んで来る母の顔に自分は責められ励まされた。――
 空は晴れて月が出ていた。尾張町から有楽町へゆく鋪道《ほどう》の上で自分は「奎吉!」を繰り返した。
 自分はぞーっとした。「奎吉」という声に呼び出されて来る母の顔付がいつか異《ちが》うものに代っていた。不吉を司《つかさど》る者――そう言ったものが自分に呼びかけているのであった。聞きたくない声を聞いた。……
 有楽町から自分の駅まではかなりの時間がかかる。駅を下りてからも十分の余はかかった。夜の更《ふ》けた切り通し坂を自分はまるで疲れ切って歩いていた。袴《はかま》の捌《さば》ける音が変に耳についた。坂の中途に反射鏡のついた照明燈が道を照している。それを背にうけて自分の影がくっきり長く地を這《は》っていた。マントの下に買物の包みを抱えて少し膨《ふく》れた自分の影を両側の街燈が次には交互にそれを映し出した。後ろから起って来て前へ廻り、伸びて行って家の戸へ頭がひょっくり擡《もちあが》ったりする。慌《あわただ》しい影の変化を追っているうちに自分の眼はそのなかでもちっとも変化しない影を一つ見つけた。極く丈の詰った影で、街燈が間遠になると鮮《あざや》かさを増し、片方が幅を利かし出すとひそまってしまう。「月の影だな」と自分は思った。見上げると十六日十七日と思える月が真上を少し外れたところにかかっていた。自分は何ということなしにその影だけが親しいものに思えた。
 大きな通りを外れて街燈の疎《まば》らな路へ出る。月光は初めてその深祕さで雪の積った風景を照していた。美しかった。自分は自分の気持がかなりまとまっていたのを知り、それ以上まとまってゆくのを感じた。自分の影は左側から右側に移しただけでやはり自分の前にあった。そして今は乱されず、鮮かであった。先刻自分に起ったどことなく親しい気持を「どうしてなんだろう」と怪しみ慕《なつか》しみながら自分は歩いていた。型のくずれた中折を冠り少しひよわな感じのする頚《くび》から少し厳《いか》った肩のあたり、自分は見ているうちにだんだんこちらの自分を失って行った。
 影の中に生き物らしい気配があらわれて来た。何を思っているのか確かに何かを思っている――影だと思っていたものは、それは、生《なま》なましい自分であった!
 自分が歩いてゆく! そしてこちらの自分は月のような位置からその自分を眺めている。地面はなにか玻璃《はり》を張ったような透明で、自分は軽い眩暈《めまい》を感じる。
「あれはどこへ歩いてゆくのだろう」と漠とした不安が自分に起りはじめた。……

 路に沿うた竹藪《たけやぶ》の前の小溝《こみぞ》へは銭湯で落す湯が流れて来ている。湯気が屏風《びょうぶ》のように立騰っていて匂いが鼻を撲《う》った――自分はしみじみした自分に帰っていた。風呂屋の隣りの天ぷら屋はまだ起きていた。自分は自分の下宿の方へ暗い路を入って行った。

底本:「檸檬・ある心の風景」旺文社文庫、旺文社
   1972(昭和47)年12月10日初版発行
   1974(昭和49)年第4刷発行
入力:j.utiyama
校正:野口英司
1998年9月12日公開
2005年10月5日修正
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梶井基次郎

太郎と街—– 梶井基次郎

 秋は洗ひたての敷布《シーツ》の樣に快かつた。太郎は第一の街で夏服を質に入れ、第二の街で牛肉を食つた。微醉して街の上へ出ると正午のドンが鳴つた。
 それを振り出しに第三第四の街を歩いた。飛行機が空を飛んでゐた。新鮮な八百屋があつた。魚屋があつた。花屋があつた。菊の匂ひは街へ溢れて來た。
 呉服屋があつた。菓子屋があつた。和洋煙草屋があり、罐詰屋があつた。街は美しく、太郎の胸はわくわくした。眼は眼で樂しんだ。耳は耳で樂しんだ。鼻も敏捷な奴で、風が送つて來るものを捕へては貪り食つた。
 太郎は巨大な眼を願望した。街は定まらない繪畫であつた。幻想的なといへば幻想的な、子供だましのポンチ繪には、土瓶が鉢卷をして泳いでゐたり、日の丸の扇で踊つてゐたりするのがあるが、ブーブー唸つて走つてゐる自働車などを見れば吹き出したくなる位だ。菓子屋のドロツプやゼリビンズは點描派《ポアンチユリスト》の畫布の樣だし、洋酒瓶の竝んだ棚はバグダツドの祭の樣だ。
 飛行機がまたやつて來て、あたりは樹木に埋つた公園であつた。太郎は十錢を拂つて動物園へ入つた。此所なんぞ入場料十圓也と觸れ出せば、紳士淑女は雜鬧し、雜誌は動物園の詩で埋まるに違ひない。水族館まで見て來ると、太郎はたうとう熱い溜息を洩らした。そこを出ると知らない街へ入つた。華かな夕暮が來て、空は緋の衣で埋まつた。それを目がけて太郎は歩いた。後ろから月が昇つたらまたその方へ歩く積りだ。いよいよ夜がやつて來て、先づ全市の電燈をつけた。三日月があがつたと思つたら直ぐ沈んだ。星が出て來ては挨拶をし、出て來ては挨拶を交した。太郎も帽子が振りたくなつた。
 洋館の三階の窓。そこからは何がみえるのだらう。若い男が思ひに沈んだハモニカを吹いてゐた。塗料の匂ひがする、醫療器具屋の前だ。女の兒が群れて輪になり、歌を歌つては空へ手を伸した。子守娘が竝んでゆく。燒鳥屋は店を持ち出した。その下へはもう尨犬がやつて來てゐる。
 太郎は巨大な脚を願望した。また思つた。凡そこの地球程面白い星はあるまい。鞠をかゞる青い絲や赤い絲の樣に、地球をぐるぐる歩いてゆき度い。廻轉して朝と晝と夜を見せて呉れ、航海しては春・夏・秋・冬を送つてくれる地球だ。圓い臺《うてな》の上になり下になり、下になつても頭へ血が寄るといふことなく、大地を踏めばいつも健康だ。杳かな創世の日から勞働爭議の今日に至るまで、積みかさね積みかさねられたものがそこにある。偉大な精神は將星で、私はオノコロ島に産れて來た志願兵だ。オ一二、オ一二、太郎は歩いた。昂奮して。
 廣告塔があつた。ドラツグがあつた。唐物屋があつた。本屋があつた。賑かな街で電車が通つた。キヤブが通つた。太郎は子供の時の乘物づくし[#「乘物づくし」に傍点]を憶ひ出した。あの透視法を誇張した畫派を憶ひ出すことが、街と乘物づくし[#「乘物づくし」に傍点]を一度に生かした。冬着新柄を見た。乾物屋を見た。玩具屋を見た。煙草店を見た。太郎の精神は頓に高揚して、妖術が使ひたくなる程だつた。
「やう、やう。」
「やう。」
 これは太郎の友達だ。太郎は一錢玉を五つ持つてゐたぎりだつたので、友達の五十錢貨幣を、一錢で賣つて貰つて富を作つた。それでまぐろの壽司を食ふとまた歩き出した。
 待合のある小路へ入つた。三味線がきこえて若い女の聲がはしやいだ。双肌脱ぎで化粧をしてゐる女があつた。嬋妍に漲つて歩いてゆく女があつた。そこを出ると暗い裏通りへ出た。柔術指南と骨つぎの看板をあげた道場から出た若い男は自動車屋へはい[#「い」に「(ママ)」の注記]つた。支那料理屋で蓄音器が鳴つてゐた。今度は靜かな切り通しになつてあたりは一時に祕まつた。
 阪を登つて立ち小便をしながら街々を見おろした。蟲が鳴いて街には靄がおりてゐた。小便が汚なかつたから場所を變へて、眼を夜景のなかに吸ひこませた。黒い森が寢てゐる。甍が寢てゐる。いくつもの窓は起きてゐた。遠くの窓に女が立つてゐる。電柱は紅玉の眼を持つてゐる。太郎は感に堪へた。
 續く街は靜かであつた。ピアノも鳴つては來なかつた。あそこは宵の口で此所は深夜だ。さては緯度をとび越えたのか。時計を進めねばなるまい。頭が變だ。頭が。木戸を開くと喜ばしい思想共は押すな押すなでこぼれて來る。「よし!」と木戸を閉じ[#「じ」に「(ママ)」の注記]太郎はまたも歩き出した。秋だ。秋だ。覺えなかつた面白さだ。へたばるまで歩いて下宿へ歸り、歸つてからはこの思想共を一匹宛出して來て一匹宛演舌させてやらう。一晩かゝつてもきゝ切れないだらう。いゝ所で搖籃歌唄ひを出して來て其奴の歌で眠むつてゆかう。殘りの奴は扮裝して華麗な夢を見せて呉れ。

底本:「梶井基次郎全集 第一巻」筑摩書房
   1999(平成11)年11月10日初版第1刷発行
入力:高柳典子
校正:小林繁雄
2002年11月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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梶井基次郎

蒼穹—— 梶井基次郎

 ある晩春の午後、私は村の街道に沿った土堤の上で日を浴びていた。空にはながらく動かないでいる巨《おお》きな雲があった。その雲はその地球に面した側に藤紫色をした陰翳《いんえい》を持っていた。そしてその尨大《ぼうだい》な容積やその藤紫色をした陰翳はなにかしら茫漠《ぼうばく》とした悲哀をその雲に感じさせた。
 私の坐っているところはこの村でも一番広いとされている平地の縁《へり》に当っていた。山と溪《たに》とがその大方の眺めであるこの村では、どこを眺めるにも勾配のついた地勢でないものはなかった。風景は絶えず重力の法則に脅かされていた。そのうえ光と影の移り変わりは溪間にいる人に始終|慌《あわただ》しい感情を与えていた。そうした村のなかでは、溪間からは高く一日日の当るこの平地の眺めほど心を休めるものはなかった。私にとってはその終日日に倦《あ》いた眺めが悲しいまでノスタルジックだった。Lotus-eater の住んでいるといういつも午後ばかりの国――それが私には想像された。
 雲はその平地の向うの果である雑木山の上に横《よこ》たわっていた。雑木山では絶えず杜鵑《ほととぎす》が鳴いていた。その麓《ふもと》に水車が光っているばかりで、眼に見えて動くものはなく、うらうらと晩春の日が照り渡っている野山には静かな懶《ものう》さばかりが感じられた。そして雲はなにかそうした安逸の非運を悲しんでいるかのように思われるのだった。
 私は眼を溪《たに》の方の眺めへ移した。私の眼の下ではこの半島の中心の山彙《さんい》からわけ出て来た二つの溪が落合っていた。二つの溪の間へ楔子《くさび》のように立っている山と、前方を屏風《びょうぶ》のように塞《ふさ》いでいる山との間には、一つの溪をその上流へかけて十二|単衣《ひとえ》のような山褶《やまひだ》が交互に重なっていた。そしてその涯《はて》には一本の巨大な枯木をその巓《いただき》に持っている、そしてそのためにことさら感情を高めて見える一つの山が聳《そび》えていた。日は毎日二つの溪を渡ってその山へ落ちてゆくのだったが、午後早い日は今やっと一つの溪を渡ったばかりで、溪と溪との間に立っている山のこちら側が死のような影に安らっているのがことさら眼立っていた。三月の半ば頃私はよく山を蔽《おお》った杉林から山火事のような煙が起こるのを見た。それは日のよくあたる風の吹く、ほどよい湿度と温度が幸いする日、杉林が一斉に飛ばす花粉の煙であった。しかし今すでに受精を終わった杉林の上には褐色がかった落ちつきができていた。瓦斯《ガス》体のような若芽に煙っていた欅《けやき》や楢《なら》の緑にももう初夏らしい落ちつきがあった。闌《た》けた若葉がおのおの影を持ち瓦斯体のような夢はもうなかった。ただ溪間にむくむくと茂っている椎《しい》の樹が何回目かの発芽で黄な粉をまぶしたようになっていた。
 そんな風景のうえを遊んでいた私の眼は、二つの溪をへだてた杉山の上から青空の透いて見えるほど淡い雲が絶えず湧いて来るのを見たとき、不知不識《しらずしらず》そのなかへ吸い込まれて行った。湧き出て来る雲は見る見る日に輝いた巨大な姿を空のなかへ拡げるのであった。
 それは一方からの尽きない生成とともにゆっくり旋回していた。また一方では捲きあがって行った縁《へり》が絶えず青空のなかへ消え込むのだった。こうした雲の変化ほど見る人の心に言い知れぬ深い感情を喚《よ》び起こすものはない。その変化を見極めようとする眼はいつもその尽きない生成と消滅のなかへ溺《おぼ》れ込んでしまい、ただそればかりを繰り返しているうちに、不思議な恐怖に似た感情がだんだん胸へ昂《たか》まって来る。その感情は喉《のど》を詰らせるようになって来、身体からは平衝の感じがだんだん失われて来、もしそんな状態が長く続けば、そのある極点から、自分の身体は奈落のようなもののなかへ落ちてゆくのではないかと思われる。それも花火に仕掛けられた紙人形のように、身体のあらゆる部分から力を失って。――
 私の眼はだんだん雲との距離を絶して、そう言った感情のなかへ巻き込まれていった。そのとき私はふとある不思議な現象に眼をとめたのである。それは雲の湧いて出るところが、影になった杉山のすぐ上からではなく、そこからかなりの距《へだた》りを持ったところにあったことであった。そこへ来てはじめて薄《うっす》り見えはじめる。それから見る見る巨《おお》きな姿をあらわす。――
 私は空のなかに見えない山のようなものがあるのではないかというような不思議な気持に捕えられた。そのとき私の心をふとかすめたものがあった。それはこの村でのある闇夜の経験であった。
 その夜私は提灯《ちょうちん》も持たないで闇の街道を歩いていた。それは途中にただ一軒の人家しかない、そしてその家の燈《ひ》がちょうど戸の節穴から写る戸外の風景のように見えている、大きな闇のなかであった。街道へその家の燈《ひ》が光を投げている。そのなかへ突然姿をあらわした人影があった。おそらくそれは私と同じように提灯を持たないで歩いていた村人だったのであろう。私は別にその人影を怪しいと思ったのではなかった。しかし私はなんということなく凝《じ》っと、その人影が闇のなかへ消えてゆくのを眺めていたのである。その人影は背に負った光をだんだん失いながら消えていった。網膜だけの感じになり、闇のなかの想像になり――ついにはその想像もふっつり断ち切れてしまった。そのとき私は『何処《どこ》』というもののない闇に微かな戦慄《せんりつ》を感じた。その闇のなかへ同じような絶望的な順序で消えてゆく私自身を想像し、言い知れぬ恐怖と情熱を覚えたのである。――
 その記憶が私の心をかすめたとき、突然私は悟った。雲が湧き立っては消えてゆく空のなかにあったものは、見えない山のようなものでもなく、不思議な岬《みさき》のようなものでもなく、なんという虚無! 白日の闇が満ち充ちているのだということを。私の眼は一時に視力を弱めたかのように、私は大きな不幸を感じた。濃い藍色《あいいろ》に煙りあがったこの季節の空は、そのとき、見れば見るほどただ闇としか私には感覚できなかったのである。

底本:「檸檬・ある心の風景」旺文社文庫、旺文社
   1972(昭和47)年12月10日初版発行
   1974(昭和49)年第4刷発行
入力:j.utiyama
校正:野口英司
1998年10月20日公開
2005年10月5日修正
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梶井基次郎

淺見淵君に就いて—梶井基次郎

私は淺見君にはまだ數へる程しか會つたことのない間柄である。隨つて淺見君に就いては知ることが非常に尠い。尤も淺見君の弟である淺見篤(舊眞晝同人)とは高等學校のとき非常に親しかつた。淺見君に會つたそもそものはじめも彼を介してである。
 最初にたしか紅屋の二階であつたと思ふが會つたときは、それが淺見兄弟の共通したフイジイオグノミイである、ちよつと西洋人臭い感じがした。そしてボオドレエルのあるポートレイトにどこか似てゐるやうに思つた。少し吃音癖のある控へ目な話し振りは淺見君の奧床しい人柄を想像させた。そしてこのときの印象は今に於ても少しも變つてゐない。このときはたしか僕達のやつてゐた「青空」が出たか出かけのときで、隨分以前の話である。
 二度目はたしか池袋の方の田舍の新居へこれも弟の篤君と、訪ねたときである。このときは淺見君達は既に同人雜誌「朝」から「文藝城」をやつてゐた。そして種々同人雜誌の話をしたことを覺えてゐる。尾崎一雄君がなかなか太つ腹なことをやり、「文藝城」の經濟が尨大になるといふ話に面白いところがあつて、それは今でも頭に殘つてゐる。
 弟の篤君が自分の頼りにし尊敬してゐる兄の淵君のところへ僕を連れて行つた氣持には、僕は忘れられない好い氣持を持つてゐる。僕達二人は京都に於て最も無頼な友達同志だつたのだから。そして淵君が篤君との關係で僕に種々な心遣ひをさせることなく僕をうけ入れて呉れたことにも僕はいい感じを持つた。そしてさうした二人の兄弟仲からまたいい感じを僕はうけとつたのである。つまり僕と淺見君とが最初にかはした印象は、私達が好い兒になつた、氣持のいい記憶からはじまつてゐるのだ。
 以前に淺見君と會つたのはこの二回位のもので、それ以後は發表された數篇の小説で、その手堅い平明な作風に接した譯である。
 淺見君の小説は、洗練された筆で自分の身邊のことを素朴に書いたものが多い。評論に筆をとつても、すべての言葉が、生活に根をおいた、平明な無理のないところから出て來てゐる。だから云はれてゐることが、すつかり心よくこちらの腹へはひる。そんな點では、僕は淺見君を文藝都市のなかでも、一番しつかりした人だと思つてゐる。しかし僕はその平明な境地の自由さに、心憎さも、そして幾分の不滿も持つてゐることを表明したい。これは最近殊に氣持に無理をしてゐる僕自身から出て來る注文かも知れないが、僕は淺見君を驅つてもつと不自由な無理のある境地へ追ひ上げたいと思ふものの一人である。
 いつか百田宗治氏に會つたとき、僕は次のやうな言葉を意味深く聞いた。それは、藝術家が憂鬱になるのはいつも自分以上のことを表現しようとするからだ。世間の人は自分の身に合つたことに終始してゐてさうした憂鬱を持たない。どうやらこれの方がほんたうの生活らしい。――
 これは反語のやうにもあるひはさうでないやうにも話された。しかしそれは百田氏自身の心境に依つていづれともなり得る。だがこの言葉で大變憂鬱になつたのは僕自身だつた。僕は云はば不純なさうした憂鬱にいつも捕はれてゐる。それが生活に反響し、作品に反響し、また生活に反響し返へして來ることに思ひ及べば、僕はうたた憮然たらざるを得なかつた。この氣持にはもつと鋭い分析が要る。僕はまだそれをしてゐない。しかしこの僕のこの氣持が常に作品の上に無理を重ねてゐることから起つて來たことは爭へない。さうした僕自身である。その僕からかの平明な坦懷な淺見君の作風に接するとき、僕に起る氣持が、心憎さと同時にある種の齒痒ゆさであることは、淺見君にも了解して貰へることだらうと思ふ。もつと冒險をして下さい。僕が淺見君に抱いてゐる今云ひ度いことはそれだけだ。――そしてこの氣持は最近文藝都市に出た短篇「三人」が僕に刺衝した作者への要求である。
 淺見君の作品に就いてはもつと詳しい、種々僕自身としての回顧や感想がある。しかしそれはいづれ他日期を見て筆をとり度く思ふ。
(昭和三年七月)

底本:「梶井基次郎全集 第一卷」筑摩書房
   1999(平成11)年11月10日初版第1刷発行
初出:「文藝都市」
   1928(昭和3)年7月号
入力:土屋隆
校正:高柳典子
2005年5月5日作成
青空文庫作成ファイル:
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梶井基次郎

川端康成第四短篇集「心中」を主題とせるヴァリエイシヨン ———梶井基次郎

 彼が妻と七才になる娘とを置き去りにして他郷へ出奔してから、二年になる。その間も、時々彼の心を雲翳のやうに暗く過るのは娘のことであつた。
「若し恙なく暮してゐるのだつたら、もう學校へあがつてゐる筈だ。あの娘等の樣に」
 他郷の町の娘等は歌を歌つたり、毬をついたり、幸福そ[#「そ」に「(ママ)」の注記]うに學校へ通つてゐた。――幸福そ[#「そ」に「(ママ)」の注記]うに。
 そのうちに彼は、父に捨てられた幼い者の姿で、毬をついてゐる、自分の娘を感じる瞬間を持つ樣になつた。そこには何時も、とんとん、とんとん、といふ音が聞えた。生きてゐるか、死んでゐるか、わからない――また、一體そんな娘を嘗て持つたことがあつたのかどうかも、時々には疑はしくなる、彼の娘なるものが、その不思議なとんとん、とんとん、といふ響のなかに不幸な生存を傳へて來るのであつた。
 其の音に彼は搾木にかけられたやうに苦しんだ。そんな自分を、彼はどうすることも出來なかつた。
(子供にゴム毬をつかせるな。その音が聞えて來るのだ。その音が俺の心臟を叩くのだ。)
 彼は思ひ餘つてそんな手紙をかいた。封筒の表書をすませると、彼はそんな國、そんな町が一體存在したのかどうかも疑はしかつた。封筒に裏書はしなかつた。そして投函した町から、直ぐ彼は去つた。
 もう彼にはゴム毬の音は聞えて來なかつた。生活《なりはひ》の響、瀬の音、木の葉ずれ、そんなものが旅に出た當初の鮮かさを持つて彼に歸つて來た。が、それも永くは續かなかつた。心が重くなつて來た。戛々と――それは娘が路を踏む靴の音ではないか? その音は必ずいぢらしい娘の登校姿を心象に伴つて來るのであつた。彼は黴臭い旅籠の蒲團の上で轉輾した。
 戛々、戛々、父の心臟の上とも知らず、いたいけな娘の歩く音。
(子供を靴で學校に通はせるな、その音が聞えて來るのだ。その音が心臟を踏むのだ。)
 彼はまた手紙を書いた。左うする外に、どういふ方法も彼は知らなかつた。たゞ彼は信じてゐた。若し妻が手紙を受取れば、子供から靴を脱がすに違ひない。そして若し彼女等が此の世にゐないのだつたら…………どちらにしても、靴の音を聞く苦しみから、自分は全く解れることになるのだ。――
 第三の手紙は、最初と次の手紙の間隔より遙かに短い、一月の間をおいて投げ込まれた。
 そしてその音も、次々小さく、然も段々質が固く冷くなつて來た。
(子供に瀬戸物の茶碗で飯を食はせるな。その音が聞えて來るのだ。その音が俺の心臟を破るのだ。)

       

 彼女が夫の上に氣遣つてゐること、そしてまた自分達の上に願つてゐること。夫の手紙はそれらのことに一筆だも觸れてゐない。妻は昔にかわ[#「わ」に「(ママ)」の注記]らない夫の冷酷をそのなかに見た。然し、何といふ苦しみ樣だらう。不自然な老いが此度の手紙には察せられるではないか。
 ――そして短い文面の不思議に嚴かな力は、此度も彼女をその命に從はせるのであつた。
 彼女は薄氷の上に立たされる思ひで生活してゆかなければならなかつた。夫の今にも破れそ[#「そ」に「(ママ)」の注記]うな心臟――それを預つてゐるといふ意識の如何に重いこと。
 夫はもう死んでゐるかも知れない。そんなことも彼女は思つた。死んでゐるどころか、嘗てそんな夫を持つてゐたといふそのことさへ、誰かに左う思ひ込まされてゐるばかりのことではないのか。…………
 見て、彼女はギクとした。娘が勝手に茶碗を取出して來てゐる。
「いけない!」
 奪ひ取るが早いか、彼女はそれを庭石の上へ激しく投げた。夫の心臟が破れる音。突然彼女は眉毛を逆立てて自分の茶碗を投げつけた。しかしこの音こそ夫の心臟が破れた音ではないのか。彼女は食卓を庭へ突飛ばした。この音? 壁に全身をぶつつけて拳で叩いた。襖へ槍のやうに突きかかつたかと思ふと、襖の向ふ側へ轉り出た。この音?
「かあさん、かあさん、かあさん」
 泣きながら追つかけて來る娘の頬をぴしやりと打つた。おお、この音を聞け。
 その音の木魂のやうに、また夫から手紙が來た。これまでとは新しい遠くの土地の差出局からだ。
 夫の心臟は破れずにあつた。彼女は高い喜びと深い苦痛を同時に感じた。
(お前達は一切の音をたてるな。戸障子の開け閉めもするな。呼吸もするな。お前達の家の時計も音を立ててはならぬ。)
 おゝ何といふことを! そして「お前達の家」と遂に夫は呼ぶ積りなのか。
「お前達」と彼女は口に出して呟いて見た。それは己れと己れ等をいとしむ響を持つてゐた。
「お前達」夫がその言葉に托した、切々たる愛情が感ぜられた。
「お前達、お前達よ」呟きながら彼女はぽろぽろと涙を落した。
 それからの彼女達はもう一切の音を立てなくなつた。死んだのだ。
 そして彼女達のたてる物音が即ちその存在であつた、夫なる者の生命も同時に消えてしまつたのである。不思議にも、彼女達と枕を竝べて死んでゐたといふ彼は、彼女達の死と共に動かなくなつた陰影のことではなかつたのだらうか。

「心中」の話を私は左う云ふ風にきいてゐる。


 題がどうも白癡威しであるが、兔に角題の樣なものを作る意圖でこれは試みたのである。私は川端氏のこの神祕的な作品を、或程度私の感覺的な經驗で裏づけることの出來るのを感じたのだ。そこにこの試みの契機がある。そして、若しこれが成功したならば、畸形ながらにも、原作に對するある解釋と、私自身の創作が、同時に讀者に示せると思つてゐたのだつたが、それに必要な頭の透徹と時間の贅澤が與へられなかつたため、どうも強引でものにしたやうな傾きがある。原作の匂ひや陰影は充分かき亂され、神祕は平凡化され、引き緊つた文體はルーズになつてしまつた。然しそのある程度はこんな試みとして避け難い。
 妻が茶碗をぶつつけるあたりから、おゝこの音を聞け、の邊までは原作と文字通り同樣である。原作に於て、この部分は、實に霹靂を聞く如き大音響をたてる所である。毬をつく音、靴の響き、飯を食ふ茶碗の音、次にこの大音響、そして永遠に微かな音も立てなくなる、この推移は、素晴らしい響きの藝術である。
 本號で川端康成氏の作品に就て何か書かうと思つてゐた心組みが、幾屈折してこんなものを書いてしまつた。川端氏に對してはその作品を汚したことを幾重にもお詫びしたい。 六・十九

底本:「梶井基次郎全集 第一巻」筑摩書房
   1999(平成11)年11月10日初版第1刷発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:高柳典子
校正:小林繁雄
2002年11月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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梶井基次郎

雪後—– 梶井基次郎

     一

 行一が大学へ残るべきか、それとも就職すべきか迷っていたとき、彼に研究を続けてゆく願いと、生活の保証と、その二つが不充分ながら叶《かな》えられる位置を与えてくれたのは、彼の師事していた教授であった。その教授は自分の主裁している研究所の一隅に彼のための椅子を設けてくれた。そして彼は地味な研究の生活に入った。それと同時に信子との結婚生活が始まった。その結婚は行一の親や親族の意志が阻んでいたものだった。しかし結局、彼はそんな人びとから我《わ》が儘《まま》だ剛情だと言われる以外のやり方で、物事を振舞うすべを知らなかったのだ。
 彼らは東京の郊外につつましい生活をはじめた。櫟林《くぬぎばやし》や麦畠や街道や菜園や、地形の変化に富んだその郊外は静かで清《すが》すがしかった。乳牛のいる牧場は信子の好きなものだった。どっしりした百姓家を彼は愛した。
「あれに出喰わしたら、こう手綱《たづな》を持っているだろう、それのこちら側へ避けないと危いよ」
 行一は妻に教える。春埃の路は、時どき調馬師に牽《ひ》かれた馬が閑雅な歩みを運んでいた。
 彼らの借りている家の大家というのは、この土地に住みついた農夫の一人だった。夫婦はこの大家から親しまれた。時どき彼らは日向《ひなた》や土の匂いのするようなそこの子を連れて来て家で遊ばせた。彼も家の出入には、苗床が囲ってあったりする大家の前庭を近道した。
 ――コツコツ、コツコツ――
「なんだい、あの音は」食事の箸《はし》を止めながら、耳に注意をあつめる科《しぐさ》で、行一は妻に※[#「目+旬」、第3水準1-88-80]《めくば》せする。クックッと含み笑いをしていたが、
「雀よ。パンの屑を屋根へ蒔いといたんですの」
 その音がし始めると、信子は仕事の手を止めて二階へ上り、抜き足差し足で明り障子へ嵌《は》めた硝子《ガラス》に近づいて行った。歩くのじゃなしに、揃《そろ》えた趾《あし》で跳ねながら、四五匹の雀が餌を啄《つつ》いていた。こちらが動きもしないのに、チラと信子に気づいたのか、ビュビュと飛んでしまった。――信子はそんな話をした。
「もう大|慌《あわ》てで逃げるんですもの。しと[#「しと」に傍点]の顔も見ないで……」
 しと[#「しと」に傍点]の顔で行一は笑った。信子はよくそういった話で単調な生活を飾った。行一はそんな信子を、貧乏する資格があると思った。信子は身|籠《ごも》った。

     二

 青空が広く、葉は落ち尽くし、鈴懸《すずかけ》が木に褐色《かっしょく》の実を乾かした。冬。凩《こがらし》が吹いて、人が殺された。泥棒の噂や火事が起こった。短い日に戸をたてる信子は舞いこむ木の葉にも慴《おび》えるのだった。
 ある朝トタン屋根に足跡が印《しる》されてあった。
 行一も水道や瓦斯《ガス》のない不便さに身重の妻を痛ましく思っていた矢先で、市内に家を捜し始めた。
「大家さんが交番へ行ってくださったら、俺の管轄内に事故のあったことがないって。いつでもそんなことを言って、巡回しないらしいのよ」
 大家の主婦に留守を頼んで信子も市中を歩いた。

     

 ある日、空は早春を告げ知らせるような大雪を降らした。
 朝、寝床のなかで行一は雪解の滴《しずく》がトタン屋根を忙しくたたくのを聞いた。
 窓の戸を繰ると、あらたかな日の光が部屋一杯に射し込んだ。まぶしい世界だ。厚く雪を被った百姓家の茅屋根《かややね》からは蒸気が濛々《もうもう》とあがっていた。生まれたばかりの仔雲! 深い青空に鮮かに白く、それは美しい運動を起こしていた。彼はそれを見ていた。
「どっこいしょ、どっこいしょ」
 お早うを言いにあがって来た信子は
「まあ、温かね」と言いながら、蒲団を手|摺《す》りにかけた。と、それはすぐ日向の匂いをたてはじめるのであった。
「ホーホケキョ」
「あ、鶯《うぐいす》かしら」
 雀が二羽|檜葉《ひば》を揺すって、転がるように青木の蔭へかくれた。
「ホーホケキョ」
 口笛だ。小鳥を飼っている近くの散髪屋の小僧だと思う。行一はそれに軽い好意を感じた。
「まあほんとに口笛だわ。憎らしいのね」
 朝夕朗々とした声で祈祷《きとう》をあげる、そして原っぱへ出ては号令と共に体操をする、御嶽教会の老人が大きな雪|達磨《だるま》を作った。傍に立札が立ててある。
「御嶽教会×××作之」と。
 茅屋根《かややね》の雪は鹿子斑《かのこまだら》になった。立ちのぼる蒸気は毎日弱ってゆく。
 月がいいのである晩行一は戸外を歩いた。地形がいい工合に傾斜を作っている原っぱで、スキー装束をした男が二人、月光を浴びながらかわるがわる滑走しては跳躍した。
 昼間、子供達が板を尻に当てて棒で揖《かじ》をとりながら、行列して滑る有様を信子が話していたが、その切り通し坂はその傾斜の地続きになっていた。そこは滑石を塗ったように気味悪く光っていた。
 バサバサと凍った雪を踏んで、月光のなかを、彼は美しい想念に涵《ひた》りながら歩いた。その晩行一は細君にロシアの短篇作家の書いた話をしてやった。――
「乗せてあげよう」
 少年が少女を橇《そり》に誘う。二人は汗を出して長い傾斜を牽《ひ》いてあがった。そこから滑り降りるのだ。――橇はだんだん速力を増す。首巻がハタハタはためきはじめる。風がビュビュと耳を過ぎる。
「ぼくはおまえを愛している」
 ふと少女はそんな囁《ささや》きを風のなかに聞いた。胸がドキドキした。しかし速力が緩み、風の唸《うな》りが消え、なだらかに橇が止まる頃には、それが空耳だったという疑惑が立|罩《こ》める。
「どうだったい」
 晴ばれとした少年の顔からは、彼女はいずれとも決めかねた。
「もう一度」
 少女は確かめたいばかりに、また汗を流して傾斜をのぼる。――首巻がはためき出した。ビュビュ、風が唸って過ぎた。胸がドキドキする。
「ぼくはおまえを愛している」
 少女は溜息をついた。
「どうだったい」
「もう一度! もう一度よ」と少女は悲しい声を出した。今度こそ。今度こそ。
 しかし何度試みても同じことだった。泣きそうになって少女は別れた。そして永遠に。
 ――二人は離ればなれの町に住むようになり、離ればなれに結婚した。――年老いても二人はその日の雪滑りを忘れなかった。――
 それは行一が文学をやっている友人から聞いた話だった。
「まあいいわね」
「間違ってるかも知れないぜ」
 大変なことが起こった。ある日信子は例の切り通しの坂で顛倒《てんとう》した。心弱さから彼女はそれを夫に秘していた。産婆の診察日に彼女は顫《ふる》えた。しかし胎児には異状はなかったらしかった。そのあとで信子は夫に事のありようを話した。行一はまだ妻の知らなかったような怒り方をした。
「どんなに叱られてもいいわ」と言って信子は泣いた。
 しかし安心は続かなかった。信子はしばらくして寝ついた。彼女の母が呼ばれた。医者は腎臓の故障だと診《み》て帰った。
 行一は不眠症になった。それが研究所での実験の一頓挫《いちとんざ》と同時に来た。まだ若く研究に劫《こう》の経ない行一は、その性質にも似ず、首尾不首尾の波に支配されるのだ。夜、寝つけない頭のなかで、信子がきっと取返しがつかなくなる思いに苦しんだ。それに屈服する。それが行一にはもう取返しのつかぬことに思えた。
「バッタバッタバッタ」鼓翼の風を感じる。「コケコッコウ」
 遠くに競争者が現われる。こちらはいかにも疲れている。あちらの方がピッチが出ている。
「……」とうとう止してしまった。
「コケコッコウ」
 一声――二声――三声――もう鳴かない。ゴールへ入ったんだ。行一はいつか競漕《レース》に結びつけてそれを聞くのに慣れてしまった。

     

「あの、電車の切符を置いてってくださいな」靴の紐《ひも》を結び終わった夫に帽子を渡しながら、信子は弱よわしい声を出した。
「今日はまだどこへも出られないよ。こちらから見ると顔がまだむくんでいる」
「でも……」
「でもじゃないよ」
「お母さん……」
「お姑《かあ》さんには行ってもらうさ」
「だから……」
「だから切符は出すさ」
「はじめからそのつもりで言ってるんですわ」信子は窶《やつ》れの見える顔を、意味のある表情で微笑《ほほえ》ませた。(またぼんやりしていらっしゃる)――娘むすめした着物を着ている。それが産み日に近い彼女には裾がはだけ勝ちなくらいだ。
「今日はひょっとしたら大槻《おおつき》の下宿へ寄るかもしれない。家捜しが手間どったら寄らずに帰る」切り取った回数券はじかに細君の手へ渡してやりながら、彼は六ヶ敷《むつかし》い顔でそう言った。
「ここだった」と彼は思った。灌木《かんぼく》や竹藪《たけやぶ》の根が生《なま》なました赤土から切口を覗かせている例の切通し坂だった。
 ――彼がそこへ来かかると、赤土から女の太腿《ふともも》が出ていた。何本も何本もだった。
「何だろう」
「それは××が南洋から持って帰って、庭へ植えている○○の木の根だ」
 そう言ったのはいつの間にやって来たのか友人の大槻の声だった。彼は納得がいったような気がした。と同時に切り通しの上は××の屋敷だったと思った。
 小時《しばらく》歩いていると今度は田舎道だった。邸宅などの気配はなかった。やはり切り崩された赤土のなかからにょきにょき女の腿《もも》が生えていた。
「○○の木などあるはずがない。何なんだろう?」
 いつか友人は傍にいなくなっていた。――
 行一はそこに立ち、今朝の夢がまだ生《なま》なましているのを感じた。若い女の腿《もも》だった。それが植物という概念と結びついて、畸形《きけい》な、変に不気味な印象を強めていた。鬚根《ひげね》がぼろぼろした土をつけて下がっている、壊《く》えた赤土のなかから大きな霜柱が光っていた。
 ××というのは、思い出せなかったが、覇気《はき》に富んだ開墾家で知られているある宗門の僧侶――そんな見当だった。また○○の木というのは、気根を出す榕樹《たこのき》に連想《れんそう》を持っていた。それにしてもどうしてあんな夢を見たんだろう。しかし催情的な感じはなかった。と行一は思った。
 実験を早く切り上げて午後行一は貸家を捜した。こんなことも、気質の明るい彼には心の鬱したこの頃でも割合平気なのであった。家を捜すのにほっとすると、実験装置の器具を注文に本郷へ出、大槻の下宿へ寄った。中学校も高等学校も大学も一緒《いっしょ》だったが、その友人は文科にいた。携わっている方面も異い、気質も異っていたが、彼らは昔から親しく往来し互いの生活に干渉し合っていた。ことに大槻は作家を志望していて、茫洋《ぼうよう》とした研究に乗り出した行一になにか共通した刺激を感じるのだった。
「どうだい、で、研究所の方は?」
「まあぼちぼちだ」
「落ちついているね」
「例のところでまだ引っ掛かってるんだ。今度の学会で先生が報告するはずだったんだが、今のままじゃまだ貧弱でね」
 四方山《よもやま》の話が出た。行一は今朝の夢の話をした。
「その章魚《たこ》の木だとか、××が南洋から移植したというのはおもしろいね」
「そう教えたのが君なんだからね。……いかにも君らしいね。出鱈目《でたらめ》をよく教える……」
「なんだ、なんだ」
「狐の剃刀[#「狐の剃刀」に傍点]とか雀の鉄砲[#「雀の鉄砲」に傍点]とか、いい加減なことをよく言うぜ」
「なんだ、その植物ならほんとうにあるんだよ」
「顔が赤いよ」
「不愉快だよ。夢の事実で現実の人間を云々《うんぬん》するのは。そいじゃね。君の夢を一つ出してやる」
「開き直ったね」
「だいぶん前の話だよ。Oがいたし、Cも入ってるんだ。それに君と僕と。組んでトランプをやっていたんだから、四人だった。どこでやっているのかと言うと、それが君の家の庭なんだ。それでいざやろうという段になると、君が物置みたいな所から、切符売場のようになった小さい小舎《こや》を引張り出して来るんだ。そしてその中へ入って、据《すわ》り込んで、切符を売る窓口から『さあここへ出せ』って言うんだ。滑稽な話だけど、なんだかその窓口へ立つのが癪《しゃく》で憤慨していると、Oがまたその中へ入ってもう一つの窓口を占領してしまった。……どうだその夢は」
「それからどうするんだ」
「いかにも君らしいね……いや、Oに占領しられるところは君らしいよ」
 大槻は行一を送って本郷通へ出た。美しい夕焼雲が空を流れていた。日を失った街上には早や夕暗《ゆうやみ》が迫っていた。そんななかで人びとはなにか活気づけられて見えた。歩きながら大槻は社会主義の運動やそれに携わっている若い人達のことを行一に話した。
「もう美しい夕焼も秋まで見えなくなるな。よく見とかなくちゃ。――僕はこの頃今時分になると情けなくなるんだ。空が奇麗だろう。それにこっちの気持が弾まないと来ている」
「呑気《のんき》なことを言ってるな。さようなら」
 行一は毛糸の首巻に顎を埋めて大槻に別れた。
 電車の窓からは美しい木洩《こも》れ陽《び》が見えた。夕焼雲がだんだん死灰に変じていった。夜、帰りの遅れた馬力が、紙で囲った蝋燭《ろうそく》の火を花束のように持って歩いた。行一は電車のなかで、先刻大槻に聞いた社会主義の話を思い出していた。彼は受身になった。魔誤《まご》ついた。自分の治めてゆこうとする家が、大槻の夢に出て来た切符売場のように思えた。社会の下積みという言葉を聞くと、赤土のなかから生えていた女の腿《もも》を思い出した。放胆な大槻は、妻を持ち子を持とうとしている、行一の気持に察しがなかった。行一はたじろいだ。
 満員の電車から終点へ下された人びとは皆働人の装いで、労働者が多かった。夕刊売りや鯉売りが暗い火を点《とも》している省線の陸橋を通り、反射燈の強い光のなかを黙々と坂を下りてゆく。どの肩もどの肩もがっしり何かを背負っているようだ。行一はいつもそう思う。坂を下りるにつれて星が雑木林の蔭へ隠れてゆく。
 道で、彼はやはり帰りの姑《しゅうとめ》に偶然追いついた。声をかける前に、少時《しばらく》行一は姑を客観しながら歩いた。家人を往来で眺める珍しい心で。
「なんてしょんぼりしているんだろう」
 肩の表情は痛いたしかった。
「お帰り」
「あ。お帰り」姑はなにか呆《ぼ》けているような貌《かお》だった。
「疲れてますね。どうでした。見つかりましたか」
「気の進まない家ばかりでした。あなたの方は……」
 まあ帰ってからゆっくりと思って、今日見つけた家の少し混み入った条件を行一が話し躊《ためら》っていると、姑はおっ被《かぶ》せるように
「今日は珍しいものを見ましたよ」
 それは街の上で牛が仔を産んだ話だった。その牛は荷車を牽《ひ》く運送屋の牛であった。荷物を配達先へ届けると同時に産気づいて、運送屋や家の人が気を揉《も》むうちに、安やすと仔牛は産まれた。親牛は長いこと、夕方まで休息していた。が、姑がそれを見た頃には、蓆《むしろ》を敷き、その上に仔牛を載せた荷車に、もう親牛はついていた。
 行一は今日の美しかった夕焼雲を思い浮かべた!
「ぐるりに人がたくさん集まって見ていましたよ。提灯《ちょうちん》を借りて男が出て来ましてね。さ、どいてくれよと言って、前の人をどかせて牛を歩かせたんです――みんな見てました……」
 姑の貌《かお》は強い感動を抑えていた。行一は
「よしよし、よしよし」膨《ふく》らんで来る胸をそんな思いで緊めつけた。
「そいじゃ、先へ帰ります」
 買物があるという姑を八百屋の店に残して、彼は暗い星の冴えた小路へ急ぎ足で入った。

底本:「檸檬・ある心の風景」旺文社文庫、旺文社
   1972(昭和47)年12月10日初版発行
   1974(昭和49)年第4刷発行
入力:j.utiyama
校正:野口英司
1998年10月7日公開
2005年11月14日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

梶井基次郎

青空同人印象記(大正十五年六月號) 『青空』記事 —–梶井基次郎

忽那に就て

 忽那はクツナと讀む。奇妙な名だ。こんな話がある。高等學校では彼も教場を下駄穿きで歩く方だつた。獨逸人の教師が、
「何故下駄で教室へ入るのだ」と或日彼に云つた。
「靴がないのです」
 そこでヘルフリツチユ先生が
「|道理で《ナチユールリツヒ》クツナ」
 忽那の生國は伊豫だ。彼は犬神の話を持つてゐる。鬪鷄の話。海上の婚禮の話。おこぜの話。――そんなところから郷土的な「肥料盜人」のやうなものが生れた。
 高等學校ではラグビーをやつてゐたことがある。應援團の中にもゐた。それでゐて畫をやる。かなり多方面だ。高等學校でも大學でも獨逸人には「能筆《シエーンシユライバー》」と云はれる。
 情に脆く人なつこい性質とその半面の孤獨――時として彼はまいまいつぶらの樣に蓋を閉ぢてしまふ。
 私は彼の印象から龍を畫くことが出來さうだ。然し睛を點じることは忽那よ、それは私一人ではやれないことだ、友情を力にして、二人で睛を點じようではないか。

     飯島に就て

 寄宿舍の受付には外國からの映畫雜誌が飯島宛に澤山來る。古顏の生徒が勝手に開封して「シヤンだな」など云つて頁をまくる。飯島はそれを一番嫌つた。活動から歸つて來ると、「義侠のらつふるず」といふ風にノートへ役割からシナリオから何から何まで書き入れる、――そんな熱心さだつた。佛文科へ入ることは一等最初から極めてゐた。同室だつた自分は隨分影響をうけた。それが京都で三年、私が遲れて東京へ來てからも、まだ續いてゐた。そして飯島の名は人々の知るところとなつてゐた。小方又星、伊吹武彦、淺野晃、そんな人々と新思潮に據り戲曲をどし/\發表し出した。その人が病氣になつた。確か一昨年の冬だつたと思ふ。それから此方まだ快くならない。
 飯島ははつきりした人だ。たくらまない表現がそれを語つてゐるやうに、正直な淡白な人だ。そのなかに自からの含蓄を持つてゐる。
 詩を作るやうになつたのはやはり病氣になる前後だつた。高輪の家で君の枕頭ではじめて君の小説は讀んだ。君の制作力は健康な私達を壓倒する位だ。毎日二三頁を書いたとか。大部の未完原稿が此の間屆き、私は驚いた。君は病から病へ苦しみ續けて來た。そして私達の知らない樣な心境に到達したと見える。その間の心の歩みは尊く涙ぐましい。
 私は君の學殖に敬意を拂ふ。そして君の素質に大きな期待を持つ。早く快くなつて呉れ。

底本:「梶井基次郎全集 第一卷」筑摩書房
   1999(平成11)年11月10日初版第1刷発行
初出:「青空」
   1926(大正15)年6月号
入力:土屋隆
校正:高柳典子
2005年5月5日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

梶井基次郎

城のある町にて—– 梶井基次郎

ある午後

「高いとこの眺めは、アアッ(と咳《せき》をして)また格段でごわすな」
 片手に洋傘《こうもり》、片手に扇子と日本手拭を持っている。頭が奇麗《きれい》に禿《は》げていて、カンカン帽子を冠っているのが、まるで栓《せん》をはめたように見える。――そんな老人が朗らかにそう言い捨てたまま峻《たかし》の脇を歩いて行った。言っておいてこちらを振り向くでもなく、眼はやはり遠い眺望《ちょうぼう》へ向けたままで、さもやれやれ[#「やれやれ」に傍点]といったふうに石垣のはなのベンチへ腰をかけた。――
 町を外《はず》れてまだ二里ほどの間は平坦な緑。I湾の濃い藍《あい》が、それのかなたに拡がっている。裾《すそ》のぼやけた、そして全体もあまりかっきりしない入道雲が水平線の上に静かに蟠《わだかま》っている。――
「ああ、そうですな」少し間誤《まご》つきながらそう答えた時の自分の声の後味がまだ喉《のど》や耳のあたりに残っているような気がされて、その時の自分と今の自分とが変にそぐわなかった。なんの拘《こだわ》りもしらないようなその老人に対する好意が頬《ほほ》に刻まれたまま、峻《たかし》はまた先ほどの静かな展望のなかへ吸い込まれていった。――風がすこし吹いて、午後であった。

 一つには、可愛《かわい》い盛りで死なせた妹のことを落ちついて考えてみたいという若者めいた感慨から、峻はまだ五七日を出ない頃の家を出てこの地の姉の家へやって来た。
 ぼんやりしていて、それが他所《よそ》の子の泣声だと気がつくまで、死んだ妹の声の気持がしていた。
「誰だ。暑いのに泣かせたりなんぞして」
 そんなことまで思っている。
 彼女がこと切れた時よりも、火葬場での時よりも、変わった土地へ来てするこんな経験の方に「失った」という思いは強く刻まれた。
「たくさんの虫が、一匹の死にかけている虫の周囲に集まって、悲しんだり泣いたりしている」と友人に書いたような、彼女の死の前後の苦しい経験がやっと薄い面紗《ヴェイル》のあちらに感ぜられるようになったのもこの土地へ来てからであった。そしてその思いにも落ちつき、新しい周囲にも心が馴染《なじ》んで来るにしたがって、峻には珍しく静かな心持がやって来るようになった。いつも都会に住み慣れ、ことに最近は心の休む隙もなかった後で、彼はなおさらこの静けさの中でうやうやしくなった。道を歩くのにもできるだけ疲れないように心掛ける。棘《とげ》一つ立てないようにしよう。指一本詰めないようにしよう。ほんの些細《ささい》なことがその日の幸福を左右する。――迷信に近いほどそんなことが思われた。そして旱《ひでり》の多かった夏にも雨が一度来、二度来、それがあがるたびごとにやや秋めいたものが肌に触れるように気候もなって来た。
 そうした心の静けさとかすかな秋の先駆は、彼を部屋の中の書物や妄想《もうそう》にひきとめてはおかなかった。草や虫や雲や風景を眼の前へ据えて、ひそかに抑えて来た心を燃えさせる、――ただそのことだけが仕甲斐《しがい》のあることのように峻《たかし》には思えた。

「家の近所にお城跡がありまして峻の散歩にはちょうど良いと思います」姉が彼の母のもとへ寄来した手紙にこんなことが書いてあった。着いた翌日の夜。義兄と姉とその娘と四人ではじめてこの城跡へ登った。旱《ひでり》のためうんか[#「うんか」に傍点]がたくさん田に湧いたのを除虫燈で殺している。それがもうあと二三日だからというので、それを見にあがったのだった。平野は見渡す限り除虫燈の海だった。遠くになると星のように瞬《またた》いている。山の峡間《はざま》がぼう[#「ぼう」に傍点]と照らされて、そこから大河のように流れ出ている所もあった。彼はその異常な光景に昂奮《こうふん》して涙ぐんだ。風のない夜で涼みかたがた見物に来る町の人びとで城跡は賑《にぎ》わっていた。暗《やみ》のなかから白粉《おしろい》を厚く塗った町の娘達がはしゃいだ眼を光らせた。

 今、空は悲しいまで晴れていた。そしてその下に町は甍《いらか》を並べていた。
 白堊《はくあ》の小学校。土蔵作りの銀行。寺の屋根。そしてそこここ、西洋菓子の間に詰めてあるカンナ屑《くず》めいて、緑色の植物が家々の間から萌《も》え出ている。ある家の裏には芭蕉《ばしょう》の葉が垂れている。糸杉の巻きあがった葉も見える。重ね綿のような恰好《かっこう》に刈られた松も見える。みな黝《くろず》んだ下葉と新しい若葉で、いいふうな緑色の容積を造っている。
 遠くに赤いポストが見える。
 乳母車なんとかと白くペンキで書いた屋根が見える。
 日をうけて赤い切地を張った張物板が、小さく屋根瓦の間に見える。――
 夜になると火の点《つ》いた町の大通りを、自転車でやって来た村の青年達が、大勢連れで遊廓《ゆうかく》の方へ乗ってゆく。店の若い衆なども浴衣がけで、昼見る時とはまるで異ったふうに身体をくねらせながら、白粉を塗った女をからかってゆく。――そうした町も今は屋根瓦の間へ挾まれてしまって、そのあたりに幟《のぼり》をたくさん立てて芝居小屋がそれと察しられるばかりである。
 西日を除けて、一階も二階も三階も、西の窓すっかり日覆《ひおおい》をした旅館がやや近くに見えた。どこからか材木を叩く音が――もともと高くもない音らしかったが、町の空へ「カーン、カーン」と反響した。
 次つぎ止まるひまなしにつくつく[#「つくつく」に傍点]法師が鳴いた。「文法の語尾の変化をやっているようだな」ふとそんなに思ってみて、聞いていると不思議に興が乗って来た。「チュクチュクチュク」と始めて「オーシ、チュクチュク」を繰り返す、そのうちにそれが「チュクチュク、オーシ」になったり「オーシ、チュクチュク」にもどったりして、しまいに「スットコチーヨ」「スットコチーヨ」になって「ジー」と鳴きやんでしまう。中途に横から「チュクチュク」とはじめるのが出て来る。するとまた一つのは「スットコチーヨ」を終わって「ジー」に移りかけている。三重四重、五重にも六重にも重なって鳴いている。
 峻《たかし》はこの間、やはりこの城跡のなかにある社《やしろ》の桜の木で法師蝉《ほうしぜみ》が鳴くのを、一尺ほどの間近で見た。華車《きゃしゃ》な骨に石鹸玉のような薄い羽根を張った、身体の小さい昆虫《こんちゅう》に、よくあんな高い音が出せるものだと、驚きながら見ていた。その高い音と関係があると言えば、ただその腹から尻尾《しっぽ》へかけての伸縮であった。柔毛《にこげ》の密生している、節を持った、その部分は、まるでエンジンのある部分のような正確さで動いていた。――その時の恰好が思い出せた。腹から尻尾へかけてのブリッとした膨《ふく》らみ。隅《すみ》ずみまで力ではち切ったような伸び縮み。――そしてふと蝉一匹の生物が無上にもったいないものだという気持に打たれた。
 時どき、先ほどの老人のようにやって来ては涼をいれ、景色を眺めてはまた立ってゆく人があった。
 峻がここへ来る時によく見る、亭《ちん》の中で昼寝をしたり海を眺めたりする人がまた来ていて、今日は子守娘と親しそうに話をしている。
 蝉取竿《せみとりざお》を持った子供があちこちする。虫籠を持たされた児《こ》は、時どき立ち留まっては籠の中を見、また竿の方を見ては小走りに随《つ》いてゆく。物を言わないでいて変に芝居のようなおもしろさが感じられる。
 またあちらでは女の子達が米つきばった[#「米つきばった」に傍点]を捕えては、「ねぎさん米つけ、何とか何とか」と言いながら米をつかせている。ねぎさん[#「ねぎさん」に傍点]というのはこの土地の言葉で神主《かんぬし》のことを言うのである。峻《たかし》は善良な長い顔の先に短い二本の触覚を持った、そう思えばいかにも神主めいたばった[#「ばった」に傍点]が、女の子に後脚を持たれて身動きのならないままに米をつくその恰好が呑気《のんき》なものに思い浮かんだ。
 女の子が追いかける草のなかを、ばったは二本の脚を伸ばし、日の光を羽根一ぱいに負いながら、何匹も飛び出した。
 時どき烟《けむり》を吐く煙突があって、田野はその辺《あた》りから展《ひら》けていた。レンブラントの素描めいた風景が散らばっている。
 黝《くろ》い木立。百姓家。街道。そして青田のなかに褪赭《たいしゃ》の煉瓦《れんが》の煙突。
 小さい軽便が海の方からやって来る。
 海からあがって来た風は軽便の煙を陸の方へ、その走る方へ吹きなびける。
 見ていると煙のようではなくて、煙の形を逆に固定したまま玩具の汽車が走っているようである。
 ササササと日が翳《かげ》る。風景の顔色が見る見る変わってゆく。
 遠く海岸に沿って斜に入り込んだ入江が見えた。――峻はこの城跡へ登るたび、幾度となくその入江を見るのが癖になっていた。
 海岸にしては大きい立木が所どころ繁っている。その蔭にちょっぴり人家の屋根が覗《のぞ》いている。そして入江には舟が舫《もや》っている気持。
 それはただそれだけの眺めであった。どこを取り立てて特別心を惹《ひ》くようなところはなかった。それでいて変に心が惹かれた。
 なにかある。ほんとうになにかがそこにある。と言ってその気持を口に出せば、もう空ぞらしいものになってしまう。
 たとえばそれを故のない淡い憧憬《しょうけい》と言ったふうの気持、と名づけてみようか。誰かが「そうじゃないか」と尋ねてくれたとすれば彼はその名づけ方に賛成したかもしれない。しかし自分では「まだなにか」という気持がする。
 人種の異ったような人びとが住んでいて、この世と離れた生活を営んでいる。――そんなような所にも思える。とはいえそれはあまりお伽話《とぎばなし》めかした、ぴったりしないところがある。
 なにか外国の画で、あそこに似た所が描いてあったのが思い出せないためではないかとも思ってみる。それにはコンステイブルの画を一枚思い出している。やはりそれでもない。
 ではいったい何だろうか。このパノラマ風の眺めは何に限らず一種の美しさを添えるものである。しかし入江の眺めはそれに過ぎていた。そこに限って気韻が生動している。そんなふうに思えた。――
 空が秋らしく青空に澄む日には、海はその青よりやや温い深青に映った。白い雲がある時は海も白く光って見えた。今日は先ほどの入道雲が水平線の上へ拡がってザボンの内皮の色がして、海も入江の真近までその色に映っていた。今日も入江はいつものように謎をかくして静まっていた。
 見ていると、獣のようにこの城のはなから悲しい唸《うなり》声を出してみたいような気になるのも同じであった。息苦しいほど妙なものに思えた。
 夢で不思議な所へ行っていて、ここは来た覚えがあると思っている。――ちょうどそれに似た気持で、えたいの知れない想い出が湧いて来る。
「ああかかる日のかかるひととき」
「ああかかる日のかかるひととき」
 いつ用意したとも知れないそんな言葉が、ひらひらとひらめいた。――
「ハリケンハッチのオートバイ」
「ハリケンハッチのオートバイ」
 先ほどの女の子らしい声が峻《たかし》の足の下で次つぎに高く響いた。丸の内の街道を通ってゆくらしい自動自転車の爆音がきこえていた。
 この町のある医者がそれに乗って帰って来る時刻であった。その爆音を聞くと峻の家の近所にいる女の子は我勝ちに「ハリケンハッチのオートバイ」と叫ぶ。「オートバ」と言っている児もある。
 三階の旅館は日覆をいつの間にか外《はず》した。
 遠い物干台の赤い張物板ももう見つからなくなった。
 町の屋根からは煙。遠い山からは蜩《ひぐらし》。

     手品と花火

 これはまた別の日。
 夕飯と風呂を済ませて峻《たかし》は城へ登った。
 薄暮の空に、時どき、数里離れた市で花火をあげるのが見えた。気がつくと綿で包んだような音がかすかにしている。それが遠いので間の抜けた時に鳴った。いいものを見る、と彼は思っていた。
 ところへ十七ほどを頭《かしら》に三人連れの男の児が来た。これも食後の涼みらしかった。峻に気を兼ねてか静かに話をしている。
 口で教えるのにも気がひけたので、彼はわざと花火のあがる方を熱心なふりをして見ていた。
 末遠いパノラマのなかで、花火は星|水母《くらげ》ほどのさやけさに光っては消えた。海は暮れかけていたが、その方はまだ明るみが残っていた。
 しばらくすると少年達もそれに気がついた。彼は心の中で喜んだ。
「四十九」
「ああ。四十九」
 そんなことを言いあいながら、一度あがって次あがるまでの時間を数えている。彼はそれらの会話をきくともなしに聞いていた。
「××ちゃん。花は」
「フロラ」一番年のいったのがそんなに答えている。――

 城でのそれを憶い出しながら、彼は家へ帰って来た。家の近くまで来ると、隣家の人が峻《たかし》の顔を見た。そして慌《あわ》てたように
「帰っておいでなしたぞな」と家へ言い入れた。
 奇術が何とか座にかかっているのを見にゆこうかと言っていたのを、峻がぽっと出てしまったので騒いでいたのである。
「あ。どうも」と言うと、義兄《あに》は笑いながら
「はっきり言うとかんのがいかんのやさ」と姉に背負わせた。姉も笑いながら衣服を出しかけた。彼が城へ行っている間に姉も信子(義兄の妹)もこってり化粧をしていた。
 姉が義兄に
「あんた、扇子は?」
「衣嚢《かくし》にあるけど……」
「そうやな。あれも汚れてますで……」
 姉が合点合点などしてゆっくり捜しかけるのを、じゅうじゅうと音をさせて煙草を呑《の》んでいた兄は
「扇子なんかどうでもええわな。早う仕度《したく》しやんし」と言って煙管《きせる》の詰まったのを気にしていた。
 奥の間で信子の仕度を手伝ってやっていた義母《はは》が
「さあ、こんなはどうやな」と言って団扇《うちわ》を二三本寄せて持って来た。砂糖屋などが配って行った団扇である。
 姉が種々と衣服を着こなしているのを見ながら、彼は信子がどんな心持で、またどんなふうで着付けをしているだろうなど、奥の間の気配に心をやったりした。
 やがて仕度ができたので峻《たかし》はさきへ下りて下駄を穿《は》いた。
「勝子(姉夫婦の娘)がそこらにいますで、よぼってやっとくなさい」と義母が言った。
 袖の長い衣服を着て、近所の子らのなかに雑っている勝子は、呼ばれたまま、まだなにか言いあっている。
「『カ』ちうとこへ行くの」
「かつどうや」
「活動や、活動やあ」と二三人の女の子がはやした。
「ううん」と勝子は首をふって
「『ヨ』ちっとこへ行くの」とまたやっている。
「ようちえん?」
「いやらし。幼稚園、晩にはあれへんわ」
 義兄が出て来た。
「早うお出《い》でな。放っといてゆくぞな」
 姉と信子が出て来た。白粉《おしろい》を濃くはいた顔が夕暗《ゆうやみ》に浮かんで見えた。さっきの団扇《うちわ》を一つずつ持っている。
「お待ち遠さま。勝子は。勝子、扇持ってるか」
 勝子は小さい扇をちらと見せて姉に纏《まと》いつきかけた。
「そんならお母さん、行って来ますで……」
 姉がそう言うと
「勝子、帰ろ帰ろ言わんのやんな」と義母は勝子に言った。
「言わんのやんな」勝子は返事のかわりに口真似をして峻《たかし》の手のなかへ入って来た。そして峻は手をひいて歩き出した。
 往来に涼み台を出している近所の人びとが、通りすがりに、今晩は、今晩は、と声をかけた。
「勝ちゃん。ここ何てとこ[#「とこ」に傍点]?」彼はそんなことを訊《き》いてみた。
「しょうせんかく」
「朝鮮閣?」
「ううん、しょうせんかく」
「朝鮮閣?」
「しょう―せん―かく」
「朝―鮮―閣?」
「うん」と言って彼の手をぴしゃと叩《たた》いた。
 しばらくして勝子から
「しょうせんかく」といい出した。
「朝鮮閣」
 牴牾《もどか》しいのはこっちだ、といったふうに寸分違わないように似せてゆく。それが遊戯になってしまった。しまいには彼が「松仙閣」といっているのに、勝子の方では知らずに「朝鮮閣」と言っている。信子がそれに気がついて笑い出した。笑われると勝子は冠を曲げてしまった。
「勝子」今度は義兄の番だ。
「ちがいますともわらびます」
「ううん」鼻ごえをして、勝子は義兄を打つ真似をした。義兄は知らん顔で
「ちがいますともわらびます。あれ何やったな。勝子。一遍|峻《たかし》さんに聞かしたげなさい」
 泣きそうに鼻をならし出したので信子が手をひいてやりながら歩き出した。
「これ……それから何というつもりやったんや?」
「これ、蕨《わらび》とは違いますって言うつもりやったんやなあ」信子がそんなに言って庇護《かば》ってやった。
「いったいどこの人にそんなことを言うたんやな?」今度は半分信子に訊《き》いている。
「吉峰さんのおじさんにやなあ」信子は笑いながら勝子の顔を覗いた。
「まだあったぞ。もう一つどえらい[#「どえらい」に傍点]のがあったぞ」義兄がおどかすようにそう言うと、姉も信子も笑い出した。勝子は本式に泣きかけた。
 城の石垣に大きな電灯がついていて、後ろの木々に皎々《こうこう》と照っている。その前の木々は反対に黒ぐろとした蔭《かげ》になっている。その方で蝉がジッジジッジと鳴いた。
 彼は一人後ろになって歩いていた。
 彼がこの土地へ来てから、こうして一緒に出歩くのは今夜がはじめてであった。若い女達と出歩く。そのことも彼の経験では、きわめて稀《まれ》であった。彼はなんとなしに幸福であった。
 少し我《わ》が儘《まま》なところのある彼の姉と触れ合っている態度に、少しも無理がなく、――それを器用にやっているのではなく、生地《きじ》からの平和な生まれ付きでやっている。信子はそんな娘であった。
 義母などの信心から、天理教様に拝んでもらえと言われると、素直に拝んでもらっている。それは指の傷だったが、そのため評判の琴も弾かないでいた。
 学校の植物の標本を造っている。用事に町へ行ったついでなどに、雑草をたくさん風呂敷へ入れて帰って来る。勝子が欲しがるので勝子にも頒《わ》けてやったりなどして、独《ひと》りせっせとおし[#「おし」に傍点]をかけいる。
 勝子が彼女の写真帖を引き出して来て、彼のところへ持って来た。それを極《き》まり悪そうにもしないで、彼の聞くことを穏やかにはきはきと受け答えする。――信子はそんな好もしいところを持っていた。
 今彼の前を、勝子の手を曳《ひ》いて歩いている信子は、家の中で肩縫揚げのしてある衣服を着て、足をにょきにょき出している彼女とまるで違っておとな[#「おとな」に傍点]に見えた。その隣に姉が歩いている。彼は姉が以前より少し痩せて、いくらかでも歩き振りがよくなったと思った。
「さあ。あんた。先へ歩いて……」
 姉が突然後ろを向いて彼に言った。
「どうして」今までの気持で訊《き》かなくともわかっていたがわざと彼はとぼけて見せた。そして自分から笑ってしまった。こんな笑い方をしたからにはもう後ろから歩いてゆくわけにはゆかなくなった。
「早う。気持が悪いわ。なあ。信ちゃん」
「……」笑いながら信子も点頭《うなず》いた。

 芝居小屋のなかは思ったように蒸し暑かった。
 水番というのか、銀杏返《いちょうがえ》しに結った、年の老《ふ》けた婦《おんな》が、座蒲団を数だけ持って、先に立ってばたばた敷いてしまった。平場《ひらば》の一番後ろで、峻《たかし》が左の端、中へ姉が来て、信子が右の端、後ろへ兄が座った。ちょうど幕間《まくあい》で、階下は七分通り詰まっていた。
 先刻の婦《おんな》が煙草盆を持って来た。火が埋《うず》んであって、暑いのに気が利かなかった。立ち去らずにぐずぐずしている。何と言ったらいいか、この手の婦《おんな》特有な狡猾《ずる》い顔付で、眼をきょろきょろさせている。眼顔《めがお》で火鉢を指したり、そらしたり、兄の顔を盗み見たりする。こちらが見てよくわかっているのにと思い、財布の銀貨を袂《たもと》の中で出し悩みながら、彼はその無躾《ぶしつけ》に腹が立った。
 義兄は落ちついてしまって、まるで無感覚である。
「へ、お火鉢」婦《おんな》はこんなことをそわそわ言ってのけて、忙しそうに揉《もみ》手をしながらまた眼をそらす。やっと銀貨が出て婦《おんな》は帰って行った。
 やがて幕があがった。
 日本人のようでない、皮膚の色が少し黒みがかった男が不熱心に道具を運んで来て、時どきじろじろと観客の方を見た。ぞんざいで、おもしろく思えなかった。それが済むと怪しげな名前の印度《インド》人が不作法なフロックコートを着て出て来た。何かわからない言葉で喋《しやべ》った。唾液をとばしている様子で、褪《さ》めた唇の両端に白く唾がたまっていた。
「なんて言ったの」姉がこんなに訊《き》いた。すると隣のよその人も彼の顔を見た。彼は閉口してしまった。
 印度人は席へ下りて立会人を物色している。一人の男が腕をつかまれたまま、危う気な羞笑《はじわらい》をしていた。その男はとうとう舞台へ連れてゆかれた。
 髪の毛を前へおろして、糊の寝た浴衣を着、暑いのに黒足袋を穿《は》いていた。にこにこして立っているのを、先ほどの男が椅子《いす》を持って来て坐らせた。
 印度人は非道《ひど》いやつであった。
 握手をしようと言って男の前へ手を出す。男はためらっていたが思い切って手を出した。すると印度人は自分の手を引き込めて、観客の方を向き、その男の手振を醜く真似て見せ、首根っ子を縮めて、嘲笑《あざわら》って見せた。毒々しいものだった。男は印度人の方を見、自分の元いた席の方を見て、危な気に笑っている。なにかわけのありそうな笑い方だった。子供か女房かがいるのじゃないか。堪《たま》らない。と峻《たかし》は思った。
 握手が失敬になり、印度人の悪ふざけはますます性がわるくなった。見物はそのたびに笑った。そして手品がはじまった。
 紐《ひも》があったのは、切ってもつながっているという手品。金属の瓶《びん》があったのは、いくらでも水が出るという手品。――ごく詰まらない手品で、硝子《ガラス》の卓子《テーブル》の上のものは減っていった。まだ林檎《りんご》が残っていた。これは林檎を食って、食った林檎の切《きれ》が今度は火を吹いて口から出て来るというので、試しに例の男が食わされた。皮ごと食ったというので、これも笑われた。
 峻はその箸にも棒にもかからないような笑い方を印度人がするたびに、何故《なぜ》あの男はなんとかしないのだろうと思っていた。そして彼自身かなり不愉快になっていた。
 そのうちにふと、先ほどの花火が思い出されて来た。
「先ほどの花火はまだあがっているだろうか」そんなことを思った。
 薄明りの平野のなかへ、星|水母《くらげ》ほどに光っては消える遠い市の花火。海と雲と平野のパノラマがいかにも美しいものに思えた。
「花は」
「Flora.」
 たしかに「Flower.」とは言わなかった。
 その子供といい、そのパノラマといい、どんな手品師も敵《かな》わないような立派な手品だったような気がした。
 そんなことが彼の不愉快をだんだんと洗っていった。いつもの癖で、不愉快な場面を非人情に見る、――そうすると反対におもしろく見えて来る――その気持がものになりかけて来た。
 下等な道化に独《ひと》りで腹を立てていた先ほどの自分が、ちょっと滑稽だったと彼は思った。
 舞台の上では印度人が、看板画そっくりの雰囲気のなかで、口から盛んに火を吹いていた。それには怪しげな美しささえ見えた。
 やっと済むと幕が下りた。
「ああおもしろかった」ちょっと嘘のような、とってつけたように勝子が言った。言い方がおもしろかったので皆笑った。――
[#ここから2字下げ]
美人の宙釣り。
力業《ちからわざ》。
オペレット。浅草気分。
美人胴切り。
[#ここで字下げ終わり]
 そんなプログラムで、晩《おそ》く家へ帰った。

     病気

 姉が病気になった。脾腹《ひばら》が痛む、そして高い熱が出る。峻《たかし》は腸チブスではないかと思った。枕元で兄が
「医者さんを呼びに遣《や》ろうかな」と言っている。
「まあよろしいわな。かい[#「かい」に傍点]虫かもしれませんで」そして峻にともつかず兄にともつかず
「昨日あないに暑かったのに、歩いて帰って来る道で汗がちっとも出なんだの」と弱よわしく言っている。
 その前の日の午後、少し浮かぬ顔で遠くから帰って来るのが見え、勝子と二人で窓からふざけながら囃《はや》し立てた。
「勝子、あれどこの人?」
「あら。お母さんや。お母さんや」
「嘘いえ。他所《よそ》のおばさんだよ。見ておいで。家へは這入《はい》らないから」
 その時の顔を峻は思い出した。少し変だったことは少し変だった。家のなかばかりで見馴れている家族を、ふと往来で他所《よそ》目に見る――そんな珍しい気持で見た故と峻は思っていたが、少し力がないようでもあった。
 医者が来て、やはりチブスの疑いがあると言って帰った。峻《たかし》は階下で困った顔を兄とつき合わせた。兄の顔には苦しい微笑が凝《こ》っていた。

 腎臓の故障だったことがわかった。舌の苔《こけ》がなんとかで、と言って明瞭にチブスとも言い兼ねていた由を言って、医者も元気に帰って行った。
 この家へ嫁いで来てから、病気で寝たのはこれで二度目だと姉が言った。
「一度は北|牟婁《ムロ》で」
「あの時は弱ったな。近所に氷がありませいでなあ、夜中の二時頃、四里ほどの道を自転車で走って、叩き起こして買うたのはまあよかったやさ。風呂敷へ包んでサドルの後ろへ結《ゆわ》えつけて戻って来たら、擦《す》れとりましてな、これだけほどになっとった」
 兄はその手つきをして見せた。姉の熱のグラフにしても、二時間おきほどの正確なものを造ろうとする兄だけあって、その話には兄らしい味が出ていて峻も笑わされた。
「その時は?」
「かい[#「かい」に傍点]虫をわかしとりましたんじゃ」
 ――一つには峻自身の不検束《ふしだら》な生活から、彼は一度肺を悪くしたことがあった。その時義兄は北|牟婁《ムロ》でその病気が癒《なお》るようにと神詣でをしてくれた。病気がややよくなって、峻は一度その北|牟婁《ムロ》の家へ行ったことがあった。そこは山のなかの寒村で、村は百姓と木樵《きこり》で、養蚕《ようさん》などもしていた。冬になると家の近くの畑まで猪《いのしし》が芋を掘りに来たりする。芋は百姓の半分常食になっていた。その時はまだ勝子も小さかった。近所のお婆さんが来て、勝子の絵本を見ながら講釈しているのに、象のことを鼻巻き象、猿のことを山の若い衆[#「山の若い衆」に傍点]とかやえん[#「やえん」に傍点]とか呼んでいた。苗字《みょうじ》のないという子がいるので聞いてみると木樵《きこり》の子だからと言って村の人は当然な顔をしている。小学校には生徒から名前の呼び棄てにされている、薫という村長の娘が教師をしていた。まだそれが十六七の年頃だった。――
 北|牟婁《ムロ》はそんな所であった。峻《たかし》は北|牟婁《ムロ》での兄の話には興味が持てた。
 北|牟婁《ムロ》にいた時、勝子が川へ陥《はま》ったことがある。その話が兄の口から出て来た。
 ――兄が心臓脚気で寝ていた時のことである。七十を越した、兄の祖母で、勝子の曽祖母にあたるお祖母《ばあ》さんが、勝子を連れて川へ茶碗を漬《つ》けに行った。その川というのが急な川で、狭かったが底はかなり深かった。お祖母さんは、いつでも兄達が捨てておけというのに、姉が留守だったりすると、勝子などを抱きたがった。その時も姉は外出していた。
 はあ、出て行ったな。と寝床の中で思っていると、しばらくして変な声がしたので、あっと思ったまま、ひかれるように大病人が起きて出た。川はすぐ近くだった。見ると、お祖母さんが変な顔をして、「勝子が」と言ったのだが、そして一生懸命に言おうとしているのだが、そのあとが言えない。
「お祖母さん。勝子が何とした!」
「……」手の先だけが激しくそれを言っている。
 勝子が川を流れてゆくのが見えているのだ! 川はちょうど雨のあとで水かさが増していた。先に石の橋があって、水が板石とすれすれになっている。その先には川の曲がるところがあって、そこはいつも渦が巻いている所だ。川はそこを曲がって深い沼のような所へ入る。橋か曲がり角で頭を打ちつけるか、流れて行って沼へ沈みでもしようものなら助からないところだった。
 兄はいきなり川へ跳び込んで、あとを追った。橋までに捕えるつもりだった。
 病気の身だった。それでもやっと橋の手前で捕えることはできた。しかし流れがきつくて橋を力に上ろうと思ってもとうてい駄目《だめ》だった。板石と水の隙間は、やっと勝子の頭ぐらいは通せるほどだったので、兄は勝子を差し上げながら水を潜り、下手でようやくあがれたのだった。勝子はぐったりとなっていた。逆にしても水を吐かない。兄は気が気でなく、しきりに勝子の名を呼びななら、背中を叩いた。
 勝子はけろりと気がついた。気がついたが早いか、立つとすぐ踊り出したりするのだ。兄はばかされたようでなんだか変だった。
「このべべ何としたんや」と言って濡れた衣服をひっぱってみても「知らん」と言っている。足が滑った拍子に気絶しておったので、全く溺れたのではなかったとみえる。
 そして、なんとまあ、いつもの顔で踊っているのだ。――
 兄の話のあらましはこんなものだった。ちょうど近所の百姓家が昼寝の時だったので、自分がその時起きてゆかなければどんなに危険だったかとも言った。
 話している方も聞いている方も惹《ひ》き入れられて、兄が口をつぐむと、静かになった。
「わたしが帰って行ったらお祖母《ばあ》さんと三人で門で待ってはるの」姉がそんなことを言った。
「何やら家にいてられなんだわさ。着物を着かえてお母ちゃんを待っとろと言うたりしてなあ」
「お祖母《ばあ》さんがぼけ[#「ぼけ」に傍点]はったのはあれからでしたな」姉は声を少しひそませて意味の籠《こも》った眼を兄に向けた。
「それがあってからお祖母さんがちょっとぼけ[#「ぼけ」に傍点]みたいになりましてなあ。いつまで経ってもこれに(と言って姉を指し)よしやん[#「よしやん」に傍点]に済まん、よしやんに済まんと言いましてなあ」
「なんのお祖母さん、そんなことがあろうかさ、と言っているのに」
 それからのお祖母さんは目に見えてぼけ[#「ぼけ」に傍点]ていって一年ほど経ってから死んだ。
 峻《たかし》にはそのお祖母さんの運命がなにか惨酷な気がした。それが故郷ではなく、勝子のお守りでもする気で出かけて行った北|牟婁《ムロ》の山の中だっただけに、もう一つその感じは深かった。
 峻が北|牟婁《ムロ》へ行ったのは、その事件の以前であった。お祖母さんは勝子の名前を、その当時もう女学校へ上っていたはずの信子の名と、よく呼び違えた。信子はその当時母などとこちらにいた。まだ信子を知らなかった峻には、お祖母さんが呼び違えるたびごとに、信子という名を持った十四五の娘が頭に親しく想像された。

     勝子

 峻は原っぱに面した窓に倚《よ》りかかって外を眺めていた。
 灰色の雲が空一帯を罩《こ》めていた。それはずっと奥深くも見え、また地上低く垂れ下がっているようにも思えた。
 あたりのものはみな光を失って静まっていた。ただ遠い病院の避雷針だけが、どうしたはずみか白く光って見える。
 原っぱのなかで子供が遊んでいた。見ていると勝子もまじっていた。男の児《こ》が一人いて、なにか荒い遊びをしているらしかった。
 勝子が男の児に倒された。起きたところをまた倒された。今度はぎゅうぎゅう押えつけられている。
 いったい何をしているのだろう。なんだかひどいことをする。そう思って峻《たかし》は目をとめた。
 それが済むと今度は女の子連中が――それは三人だったが、改札口へ並ぶように男の児の前へ立った。変な切符切りがはじまった。女の子の差し出した手を、その男の児がやけに引っ張る。その女の子は地面へ叩きつけられる。次の子も手を出す。その手も引っ張られる。倒された子は起きあがって、また列の後ろへつく。
 見ているとこうであった。男の児が手を引っ張る力加滅に変化がつく。女の子の方ではその強弱をおっかなびっくりに期待するのがおもしろいのらしかった。
 強く引くのかと思うと、身体つきだけ強そうにして軽く引っ張る。すると次はいきなり叩きつけられる。次はまた、手を持ったというくらいの軽さで通す。
 男の児は小さい癖《くせ》にどうかすると大人の――それも木挽《こび》きとか石工とかの恰好そっくりに見えることのある児で、今もなにか鼻唄でも歌いながらやっているように見える。そしていかにも得意気であった。
 見ているとやはり勝子だけが一番よけい強くされているように思えた。彼にはそれが悪くとれた。勝子は婉曲《えんきょく》に意地悪されているのだな。――そう思うのには、一つは勝子が我《わ》が儘《まま》で、よその子と遊ぶのにも決していい子[#「いい子」に傍点]にならないからでもあった。
 それにしても勝子にはあの不公平がわからないのかな。いや、あれがわからないはずはない。むしろ勝子にとっては、わかってはいながら痩我慢を張っているのがほんとうらしい。
 そんなに思っているうちにも、勝子はまたこっぴどく叩きつけられた。痩我慢を張っているとすれば、倒された拍子に地面と睨《にら》めっこをしている時の顔付は、いったいどんなだろう。――立ちあがる時には、もうほかの子と同じような顔をしているが。
 よく泣き出さないものだ。
 男の児《こ》がふとした拍子にこの窓を見るかもしれないからと思って彼は窓のそばを離れなかった。
 奥の知れないような曇り空のなかを、きらりきらり光りながら過《よぎ》ってゆくものがあった。
 鳩《はと》?
 雲の色にぼやけてしまって、姿は見えなかったが、光の反射だけ、鳥にすれば三羽ほど、鳩一流のどこにあて[#「あて」に傍点]があるともない飛び方で舞っていた。
「あああ。勝子のやつめ、かってに注文して強くしてもらっているのじゃないかな」そんなことがふっと思えた。いつか峻《たかし》が抱きすくめてやった時、「もっとぎうっと」と何度も抱きすくめさせた。その時のことが思い出せたのだった。そう思えばそれもいかにも勝子のしそうなことだった。峻は窓を離れて部屋のなかへ這入《はい》った。

 夜、夕飯が済んでしばらくしてから、勝子が泣きはじめた。峻《たかし》は二階でそれを聞いていた。しまいにはそれを鎮《しず》める姉の声が高くなって来て、勝子もあたりかまわず泣きたてた。あまり声が大きいので峻は下へおりて行った。信子が勝子を抱いている。勝子は片手を電燈の真下へ引き寄せられて、針を持った姉が、掌へ針を持ってゆこうとする。
「そとへ行って棘《とげ》を立てて来ましたんや。知らんとおったのが御飯を食べるとき醤油《しょうゆ》が染みてな」義母が峻にそう言った。
「もっとぎうとお出し」姉は怒ってしまって、邪慳《じゃけん》に掌を引っ張っている。そのたびに勝子は火の付くように泣声を高くする。
「もう知らん、放っといてやる」しまいに姉は掌を振り離してしまった。
「今はしようないで、××膏《こう》をつけてくくっとこうよ」義母が取りなすように言っている。信子が薬を出しに行った。峻は勝子の泣声に閉口してまた二階へあがった。
 薬をつけるのに勝子の泣声はまだ鎮まらなかった。
「棘はどうせあの時立てたに違いない」峻は昼間のことを思い出していた。ぴしゃっと地面へうつっぶせになった時の勝子の顔はどんなだったろう、という考えがまた蘇えって来た。
「ひょっとしてあの時の痩我慢を破裂させているのかもしれない」そんなことを思って聞いていると、その火がつくような泣声が、なにか悲しいもののように峻には思えた。

     昼と夜

 彼はある日城の傍の崖の蔭に立派な井戸があるのを見つけた。
 そこは昔の士《さむらい》の屋敷跡のように思えた。畑とも庭ともつかない地面には、梅の老木があったり南瓜《かぼちゃ》が植えてあったり紫蘇《しそ》があったりした。城の崖からは太い逞しい喬木《きょうぼく》や古い椿《つばき》が緑の衝立《ついたて》を作っていて、井戸はその蔭に坐っていた。
 大きな井桁《いげた》、堂々とした石の組み様、がっしりしていて立派であった。
 若い女の人が二人、洗濯物を大盥《おおだらい》で濯《すす》いでいた。
 彼のいた所からは見えなかったが、その仕掛ははね[#「はね」に傍点]釣瓶《つるべ》になっているらしく、汲みあげられて来る水は大きい木製の釣瓶|桶《おけ》に溢れ、樹々の緑が瑞《みず》みずしく映っている。盥の方の女の人が待つふり[#「ふり」に傍点]をすると、釣瓶の方の女の人は水をあけた。盥の水が躍り出して水玉の虹がたつ。そこへも緑は影を映して、美しく洗われた花崗岩《かこうがん》の畳石の上を、また女の人の素足の上を水は豊かに流れる。
 羨《うらや》ましい、素晴《すばら》しく幸福そうな眺めだった。涼しそうな緑の衝立の蔭。確かに清冽《せいれつ》で豊かな水。なんとなく魅せられた感じであった。


きょうは青空よい天気
まえの家でも隣でも

水|汲《く》む洗う掛ける干す。

 国定教科書にあったのか小学唱歌にあったのか、少年の時に歌った歌の文句が憶《おも》い出された。その言葉には何のたくみも感ぜられなかったけれど、彼が少年だった時代、その歌によって抱いたしん[#「しん」に傍点]に朗らかな新鮮な想像が、思いがけず彼の胸におし寄せた。


かあかあ烏《からす》が鳴いてゆく、
お寺の屋根へ、お宮の森へ、
かあかあ烏が鳴いてゆく。

 それには画がついていた。
 また「四方」とかいう題で、子供が朝日の方を向いて手を拡げている図などの記憶が、次つぎ憶い出されて来た。
 国定教科書の肉筆めいた楷書の活字。またなんという画家の手に成ったものか、角のないその字体と感じのまるで似た、子供といえば円顔《まるがお》の優等生のような顔をしているといったふうの、挿画のこと。
「何とか権所有」それをゴンショユウと、人の前では読まなかったが、心のなかで仮に極《き》めて読んでいたこと。そのなんとか権所有の、これもそう思えば国定教科書に似つかわしい、手紙の文例の宛名のような、人の名。そんな奥付の有様までが憶い出された。
 ――少年の時にはその画のとおりの所がどこかにあるような気がしていた。そうした単純に正直な児《こ》がどこかにいるような気がしていた。彼にはそんなことが思われた。
 それらはなにかその頃の憧憬の対象でもあった。単純で、平明で、健康な世界。――今その世界が彼の前にある。思いもかけず、こんな田舎の緑樹の蔭に、その世界はもっと新鮮な形を具《そな》えて存在している。
 そんな国定教科書風な感傷のなかに、彼は彼の営むべき生活が示唆《しさ》されたような気がした。

ある午後

「高いとこの眺めは、アアッ(と咳《せき》をして)また格段でごわすな」
 片手に洋傘《こうもり》、片手に扇子と日本手拭を持っている。頭が奇麗《きれい》に禿《は》げていて、カンカン帽子を冠っているのが、まるで栓《せん》をはめたように見える。――そんな老人が朗らかにそう言い捨てたまま峻《たかし》の脇を歩いて行った。言っておいてこちらを振り向くでもなく、眼はやはり遠い眺望《ちょうぼう》へ向けたままで、さもやれやれ[#「やれやれ」に傍点]といったふうに石垣のはなのベンチへ腰をかけた。――
 町を外《はず》れてまだ二里ほどの間は平坦な緑。I湾の濃い藍《あい》が、それのかなたに拡がっている。裾《すそ》のぼやけた、そして全体もあまりかっきりしない入道雲が水平線の上に静かに蟠《わだかま》っている。――
「ああ、そうですな」少し間誤《まご》つきながらそう答えた時の自分の声の後味がまだ喉《のど》や耳のあたりに残っているような気がされて、その時の自分と今の自分とが変にそぐわなかった。なんの拘《こだわ》りもしらないようなその老人に対する好意が頬《ほほ》に刻まれたまま、峻《たかし》はまた先ほどの静かな展望のなかへ吸い込まれていった。――風がすこし吹いて、午後であった。

 一つには、可愛《かわい》い盛りで死なせた妹のことを落ちついて考えてみたいという若者めいた感慨から、峻はまだ五七日を出ない頃の家を出てこの地の姉の家へやって来た。
 ぼんやりしていて、それが他所《よそ》の子の泣声だと気がつくまで、死んだ妹の声の気持がしていた。
「誰だ。暑いのに泣かせたりなんぞして」
 そんなことまで思っている。
 彼女がこと 切れた時よりも、火葬場での時よりも、変わった土地へ来てするこんな経験の方に「失った」という思いは強く刻まれた。
「たくさんの虫が、一匹の死にかけている虫の周囲に集まって、悲しんだり泣いたりしている」と友人に書いたような、彼女の死の前後の苦しい経験がやっと薄い面紗《ヴェイル》のあちらに感ぜられるようになったのもこの土地へ来てからであった。そしてその思いにも落ちつき、新しい周囲にも心が馴染《なじ》んで来るにしたがって、峻には珍しく静かな心持がやって来るようになった。いつも都会に住み慣れ、ことに最近は心の休む隙もなかった後で、彼はなおさらこの静けさの中でうやうやしくなった。道を歩くのにもできるだけ疲れないように心掛ける。棘《とげ》一つ立てないようにしよう。指一本詰めないようにしよう。ほんの些細《ささい》なことがその日の幸福を左右する。――迷信に近いほどそんなことが思われた。そして旱《ひでり》の多かった夏にも雨が一度来、二度来、それがあがるたびごとにやや秋めいたものが肌に触れるように気候もなって来た。
 そうした心の静けさとかすかな秋の先駆は、彼を部屋の中の書物や妄想《もうそう》にひきとめてはおかなかった。草や虫や雲や風景を眼の前へ据えて、ひそかに抑えて来た心を燃えさせる、――ただそのことだけが仕甲斐《しがい》のあることのように峻《たかし》には思えた。

「家の近所にお城跡がありまして峻の散歩にはちょうど良いと思います」姉が彼の母のもとへ寄来した手紙にこんなことが書いてあった。着いた翌日の夜。義兄と姉とその娘と四人ではじめてこの城跡へ登った。旱《ひでり》のためうんか がたくさん田に湧いたのを除虫燈で殺している。それがもうあと二三日だからというので、それを見にあがったのだった。平野は見渡す限り除虫燈の海だった。遠くになると星のように瞬《またた》いている。山の峡間《はざま》がぼう[#「ぼう」に傍点]と照らされて、そこから大河のように流れ出ている所もあった。彼はその異常な光景に昂奮《こうふん》して涙ぐんだ。風のない夜で涼みかたがた見物に来る町の人びとで城跡は賑《にぎ》わっていた。暗《やみ》のなかから白粉《おしろい》を厚く塗った町の娘達がはしゃいだ眼を光らせた。

 今、空は悲しいまで晴れていた。そしてその下に町は甍《いらか》を並べていた。
 白堊《はくあ》の小学校。土蔵作りの銀行。寺の屋根。そしてそこここ、西洋菓子の間に詰めてあるカンナ屑《くず》めいて、緑色の植物が家々の間から萌《も》え出ている。ある家の裏には芭蕉《ばしょう》の葉が垂れている。糸杉の巻きあがった葉も見える。重ね綿のような恰好《かっこう》に刈られた松も見える。みな黝《くろず》んだ下葉と新しい若葉で、いいふうな緑色の容積を造っている。
 遠くに赤いポストが見える。
 乳母車なんとかと白くペンキで書いた屋根が見える。
 日をうけて赤い切地を張った張物板が、小さく屋根瓦の間に見える。――
 夜になると火の点《つ》いた町の大通りを、自転車でやって来た村の青年達が、大勢連れで遊廓《ゆうかく》の方へ乗ってゆく。店の若い衆なども浴衣がけで、昼見る時とはまるで異ったふうに身体をくねらせながら、白粉を塗った女をからかってゆく。――そうした町も今は屋根瓦の間へ挾まれてしまって、そのあたりに幟《のぼり》をたくさん立てて芝居小屋がそれと察しられるばかりである。
 西日を除けて、一階も二階も三階も、西の窓すっかり日覆《ひおおい》をした旅館がやや近くに見えた。どこからか材木を叩く音が――もともと高くもない音らしかったが、町の空へ「カーン、カーン」と反響した。
 次つぎ止まるひまなしにつくつく[#「つくつく」に傍点]法師が鳴いた。「文法の語尾の変化をやっているようだな」ふとそんなに思ってみて、聞いていると不思議に興が乗って来た。「チュクチュクチュク」と始めて「オーシ、チュクチュク」を繰り返す、そのうちにそれが「チュクチュク、オーシ」になったり「オーシ、チュクチュク」にもどったりして、しまいに「スットコチーヨ」「スットコチーヨ」になって「ジー」と鳴きやんでしまう。中途に横から「チュクチュク」とはじめるのが出て来る。するとまた一つのは「スットコチーヨ」を終わって「ジー」に移りかけている。三重四重、五重にも六重にも重なって鳴いている。
 峻《たかし》はこの間、やはりこの城跡のなかにある社《やしろ》の桜の木で法師蝉《ほうしぜみ》が鳴くのを、一尺ほどの間近で見た。華車《きゃしゃ》な骨に石鹸玉のような薄い羽根を張った、身体の小さい昆虫《こんちゅう》に、よくあんな高い音が出せるものだと、驚きながら見ていた。その高い音と関係があると言えば、ただその腹から尻尾《しっぽ》へかけての伸縮であった。柔毛《にこげ》の密生している、節を持った、その部分は、まるでエンジンのある部分のような正確さで動いていた。――その時の恰好が思い出せた。腹から尻尾へかけてのブリッとした膨《ふく》らみ。隅《すみ》ずみまで力ではち切ったような伸び縮み。――そしてふと蝉一匹の生物が無上にもったいないものだという気持に打たれた。
 時どき、先ほどの老人のようにやって来ては涼をいれ、景色を眺めてはまた立ってゆく人があった。
 峻がここへ来る時によく見る、亭《ちん》の中で昼寝をしたり海を眺めたりする人がまた来ていて、今日は子守娘と親しそうに話をしている。
 蝉取竿《せみとりざお》を持った子供があちこちする。虫籠を持たされた児《こ》は、時どき立ち留まっては籠の中を見、また竿の方を見ては小走りに随《つ》いてゆく。物を言わないでいて変に芝居のようなおもしろさが感じられる。
 またあちらでは女の子達が米つきばった[#「米つきばった」に傍点]を捕えては、「ねぎさん米つけ、何とか何とか」と言いながら米をつかせている。ねぎさん[#「ねぎさん」に傍点]というのはこの土地の言葉で神主《かんぬし》のことを言うのである。峻《たかし》は善良な長い顔の先に短い二本の触覚を持った、そう思えばいかにも神主めいたばった[#「ばった」に傍点]が、女の子に後脚を持たれて身動きのならないままに米をつくその恰好が呑気《のんき》なものに思い浮かんだ。
 女の子が追いかける草のなかを、ばったは二本の脚を伸ばし、日の光を羽根一ぱいに負いながら、何匹も飛び出した。
 時どき烟《けむり》を吐く煙突があって、田野はその辺《あた》りから展《ひら》けていた。レンブラントの素描めいた風景が散らばっている。
 黝《くろ》い木立。百姓家。街道。そして青田のなかに褪赭《たいしゃ》の煉瓦《れんが》の煙突。
 小さい軽便が海の方からやって来る。
 海からあがって来た風は軽便の煙を陸の方へ、その走る方へ吹きなびける。
 見ていると煙のようではなくて、煙の形を逆に固定したまま玩具の汽車が走っているようである。
 ササササと日が翳《かげ》る。風景の顔色が見る見る変わってゆく。
 遠く海岸に沿って斜に入り込んだ入江が見えた。――峻はこの城跡へ登るたび、幾度となくその入江を見るのが癖になっていた。
 海岸にしては大きい立木が所どころ繁っている。その蔭にちょっぴり人家の屋根が覗《のぞ》いている。そして入江には舟が舫《もや》っている気持。
 それはただそれだけの眺めであった。どこを取り立てて特別心を惹《ひ》くようなところはなかった。それでいて変に心が惹かれた。
 なにかある。ほんとうになにかがそこにある。と言ってその気持を口に出せば、もう空ぞらしいものになってしまう。
 たとえばそれを故のない淡い憧憬《しょうけい》と言ったふうの気持、と名づけてみようか。誰かが「そうじゃないか」と尋ねてくれたとすれば彼はその名づけ方に賛成したかもしれない。しかし自分では「まだなにか」という気持がする。
 人種の異ったような人びとが住んでいて、この世と離れた生活を営んでいる。――そんなような所にも思える。とはいえそれはあまりお伽話《とぎばなし》めかした、ぴったりしないところがある。
 なにか外国の画で、あそこに似た所が描いてあったのが思い出せないためではないかとも思ってみる。それにはコンステイブルの画を一枚思い出している。やはりそれでもない。
 ではいったい何だろうか。このパノラマ風の眺めは何に限らず一種の美しさを添えるものである。しかし入江の眺めはそれに過ぎていた。そこに限って気韻が生動している。そんなふうに思えた。――
 空が秋らしく青空に澄む日には、海はその青よりやや温い深青に映った。白い雲がある時は海も白く光って見えた。今日は先ほどの入道雲が水平線の上へ拡がってザボンの内皮の色がして、海も入江の真近までその色に映っていた。今日も入江はいつものように謎をかくして静まっていた。
 見ていると、獣のようにこの城のはなから悲しい唸《うなり》声を出してみたいような気になるのも同じであった。息苦しいほど妙なものに思えた。
 夢で不思議な所へ行っていて、ここは来た覚えがあると思っている。――ちょうどそれに似た気持で、えたいの知れない想い出が湧いて来る。
「ああかかる日のかかるひととき」
「ああかかる日のかかるひととき」
 いつ用意したとも知れないそんな言葉が、ひらひらとひらめいた。――
「ハリケンハッチのオートバイ」
「ハリケンハッチのオートバイ」
 先ほどの女の子らしい声が峻《たかし》の足の下で次つぎに高く響いた。丸の内の街道を通ってゆくらしい自動自転車の爆音がきこえていた。
 この町のある医者がそれに乗って帰って来る時刻であった。その爆音を聞くと峻の家の近所にいる女の子は我勝ちに「ハリケンハッチのオートバイ」と叫ぶ。「オートバ」と言っている児もある。
 三階の旅館は日覆をいつの間にか外《はず》した。
 遠い物干台の赤い張物板ももう見つからなくなった。
 町の屋根からは煙。遠い山からは蜩《ひぐらし》。

     手品と花火

 これはまた別の日。
 夕飯と風呂を済ませて峻《たかし》は城へ登った。
 薄暮の空に、時どき、数里離れた市で花火をあげるのが見えた。気がつくと綿で包んだような音がかすかにしている。それが遠いので間の抜けた時に鳴った。いいものを見る、と彼は思っていた。
 ところへ十七ほどを頭《かしら》に三人連れの男の児が来た。これも食後の涼みらしかった。峻に気を兼ねてか静かに話をしている。
 口で教えるのにも気がひけたので、彼はわざと花火のあがる方を熱心なふりをして見ていた。
 末遠いパノラマのなかで、花火は星|水母《くらげ》ほどのさやけさに光っては消えた。海は暮れかけていたが、その方はまだ明るみが残っていた。
 しばらくすると少年達もそれに気がついた。彼は心の中で喜んだ。
「四十九」
「ああ。四十九」
 そんなことを言いあいながら、一度あがって次あがるまでの時間を数えている。彼はそれらの会話をきくともなしに聞いていた。
「××ちゃん。花は」
「フロラ」一番年のいったのがそんなに答えている。――

 城でのそれを憶い出しながら、彼は家へ帰って来た。家の近くまで来ると、隣家の人が峻《たかし》の顔を見た。そして慌《あわ》てたように
「帰っておいでなしたぞな」と家へ言い入れた。
 奇術が何とか座にかかっているのを見にゆこうかと言っていたのを、峻がぽっと出てしまったので騒いでいたのである。
「あ。どうも」と言うと、義兄《あに》は笑いながら
「はっきり言うとかんのがいかんのやさ」と姉に背負わせた。姉も笑いながら衣服を出しかけた。彼が城へ行っている間に姉も信子(義兄の妹)もこってり化粧をしていた。
 姉が義兄に
「あんた、扇子は?」
「衣嚢《かくし》にあるけど……」
「そうやな。あれも汚れてますで……」
 姉が合点合点などしてゆっくり捜しかけるのを、じゅうじゅうと音をさせて煙草を呑《の》んでいた兄は
「扇子なんかどうでもええわな。早う仕度《したく》しやんし」と言って煙管《きせる》の詰まったのを気にしていた。
 奥の間で信子の仕度を手伝ってやっていた義母《はは》が
「さあ、こんなはどうやな」と言って団扇《うちわ》を二三本寄せて持って来た。砂糖屋などが配って行った団扇である。
 姉が種々と衣服を着こなしているのを見ながら、彼は信子がどんな心持で、またどんなふうで着付けをしているだろうなど、奥の間の気配に心をやったりした。
 やがて仕度ができたので峻《たかし》はさきへ下りて下駄を穿《は》いた。
「勝子(姉夫婦の娘)がそこらにいますで、よぼってやっとくなさい」と義母が言った。
 袖の長い衣服を着て、近所の子らのなかに雑っている勝子は、呼ばれたまま、まだなにか言いあっている。
「『カ』ちうとこへ行くの」
「かつどうや」
「活動や、活動やあ」と二三人の女の子がはやした。
「ううん」と勝子は首をふって
「『ヨ』ちっとこへ行くの」とまたやっている。
「ようちえん?」
「いやらし。幼稚園、晩にはあれへんわ」
 義兄が出て来た。
「早うお出《い》でな。放っといてゆくぞな」
 姉と信子が出て来た。白粉《おしろい》を濃くはいた顔が夕暗《ゆうやみ》に浮かんで見えた。さっきの団扇《うちわ》を一つずつ持っている。
「お待ち遠さま。勝子は。勝子、扇持ってるか」
 勝子は小さい扇をちらと見せて姉に纏《まと》いつきかけた。
「そんならお母さん、行って来ますで……」
 姉がそう言うと
「勝子、帰ろ帰ろ言わんのやんな」と義母は勝子に言った。
「言わんのやんな」勝子は返事のかわりに口真似をして峻《たかし》の手のなかへ入って来た。そして峻は手をひいて歩き出した。
 往来に涼み台を出している近所の人びとが、通りすがりに、今晩は、今晩は、と声をかけた。
「勝ちゃん。ここ何てとこ[#「とこ」に傍点]?」彼はそんなことを訊《き》いてみた。
「しょうせんかく」
「朝鮮閣?」
「ううん、しょうせんかく」
「朝鮮閣?」
「しょう―せん―かく」
「朝―鮮―閣?」
「うん」と言って彼の手をぴしゃと叩《たた》いた。
 しばらくして勝子から
「しょうせんかく」といい出した。
「朝鮮閣」
 牴牾《もどか》しいのはこっちだ、といったふうに寸分違わないように似せてゆく。それが遊戯になってしまった。しまいには彼が「松仙閣」といっているのに、勝子の方では知らずに「朝鮮閣」と言っている。信子がそれに気がついて笑い出した。笑われると勝子は冠を曲げてしまった。
「勝子」今度は義兄の番だ。
「ちがいますともわらびます」
「ううん」鼻ごえをして、勝子は義兄を打つ真似をした。義兄は知らん顔で
「ちがいますともわらびます。あれ何やったな。勝子。一遍|峻《たかし》さんに聞かしたげなさい」
 泣きそうに鼻をならし出したので信子が手をひいてやりながら歩き出した。
「これ……それから何というつもりやったんや?」
「これ、蕨《わらび》とは違いますって言うつもりやったんやなあ」信子がそんなに言って庇護《かば》ってやった。
「いったいどこの人にそんなことを言うたんやな?」今度は半分信子に訊《き》いている。
「吉峰さんのおじさんにやなあ」信子は笑いながら勝子の顔を覗いた。
「まだあったぞ。もう一つどえらい[#「どえらい」に傍点]のがあったぞ」義兄がおどかすようにそう言うと、姉も信子も笑い出した。勝子は本式に泣きかけた。
 城の石垣に大きな電灯がついていて、後ろの木々に皎々《こうこう》と照っている。その前の木々は反対に黒ぐろとした蔭《かげ》になっている。その方で蝉がジッジジッジと鳴いた。
 彼は一人後ろになって歩いていた。
 彼がこの土地へ来てから、こうして一緒に出歩くのは今夜がはじめてであった。若い女達と出歩く。そのことも彼の経験では、きわめて稀《まれ》であった。彼はなんとなしに幸福であった。
 少し我《わ》が儘《まま》なところのある彼の姉と触れ合っている態度に、少しも無理がなく、――それを器用にやっているのではなく、生地《きじ》からの平和な生まれ付きでやっている。信子はそんな娘であった。
 義母などの信心から、天理教様に拝んでもらえと言われると、素直に拝んでもらっている。それは指の傷だったが、そのため評判の琴も弾かないでいた。
 学校の植物の標本を造っている。用事に町へ行ったついでなどに、雑草をたくさん風呂敷へ入れて帰って来る。勝子が欲しがるので勝子にも頒《わ》けてやったりなどして、独《ひと》りせっせとおし[#「おし」に傍点]をかけいる。
 勝子が彼女の写真帖を引き出して来て、彼のところへ持って来た。それを極《き》まり悪そうにもしないで、彼の聞くことを穏やかにはきはきと受け答えする。――信子はそんな好もしいところを持っていた。
 今彼の前を、勝子の手を曳《ひ》いて歩いている信子は、家の中で肩縫揚げのしてある衣服を着て、足をにょきにょき出している彼女とまるで違っておとな[#「おとな」に傍点]に見えた。その隣に姉が歩いている。彼は姉が以前より少し痩せて、いくらかでも歩き振りがよくなったと思った。
「さあ。あんた。先へ歩いて……」
 姉が突然後ろを向いて彼に言った。
「どうして」今までの気持で訊《き》かなくともわかっていたがわざと彼はとぼけて見せた。そして自分から笑ってしまった。こんな笑い方をしたからにはもう後ろから歩いてゆくわけにはゆかなくなった。
「早う。気持が悪いわ。なあ。信ちゃん」
「……」笑いながら信子も点頭《うなず》いた。

 芝居小屋のなかは思ったように蒸し暑かった。
 水番というのか、銀杏返《いちょうがえ》しに結った、年の老《ふ》けた婦《おんな》が、座蒲団を数だけ持って、先に立ってばたばた敷いてしまった。平場《ひらば》の一番後ろで、峻《たかし》が左の端、中へ姉が来て、信子が右の端、後ろへ兄が座った。ちょうど幕間《まくあい》で、階下は七分通り詰まっていた。
 先刻の婦《おんな》が煙草盆を持って来た。火が埋《うず》んであって、暑いのに気が利かなかった。立ち去らずにぐずぐずしている。何と言ったらいいか、この手の婦《おんな》特有な狡猾《ずる》い顔付で、眼をきょろきょろさせている。眼顔《めがお》で火鉢を指したり、そらしたり、兄の顔を盗み見たりする。こちらが見てよくわかっているのにと思い、財布の銀貨を袂《たもと》の中で出し悩みながら、彼はその無躾《ぶしつけ》に腹が立った。
 義兄は落ちついてしまって、まるで無感覚である。
「へ、お火鉢」婦《おんな》はこんなことをそわそわ言ってのけて、忙しそうに揉《もみ》手をしながらまた眼をそらす。やっと銀貨が出て婦《おんな》は帰って行った。
 やがて幕があがった。
 日本人のようでない、皮膚の色が少し黒みがかった男が不熱心に道具を運んで来て、時どきじろじろと観客の方を見た。ぞんざいで、おもしろく思えなかった。それが済むと怪しげな名前の印度《インド》人が不作法なフロックコートを着て出て来た。何かわからない言葉で喋《しやべ》った。唾液をとばしている様子で、褪《さ》めた唇の両端に白く唾がたまっていた。
「なんて言ったの」姉がこんなに訊《き》いた。すると隣のよその人も彼の顔を見た。彼は閉口してしまった。
 印度人は席へ下りて立会人を物色している。一人の男が腕をつかまれたまま、危う気な羞笑《はじわらい》をしていた。その男はとうとう舞台へ連れてゆかれた。
 髪の毛を前へおろして、糊の寝た浴衣を着、暑いのに黒足袋を穿《は》いていた。にこにこして立っているのを、先ほどの男が椅子《いす》を持って来て坐らせた。
 印度人は非道《ひど》いやつであった。
 握手をしようと言って男の前へ手を出す。男はためらっていたが思い切って手を出した。すると印度人は自分の手を引き込めて、観客の方を向き、その男の手振を醜く真似て見せ、首根っ子を縮めて、嘲笑《あざわら》って見せた。毒々しいものだった。男は印度人の方を見、自分の元いた席の方を見て、危な気に笑っている。なにかわけのありそうな笑い方だった。子供か女房かがいるのじゃないか。堪《たま》らない。と峻《たかし》は思った。
 握手が失敬になり、印度人の悪ふざけはますます性がわるくなった。見物はそのたびに笑った。そして手品がはじまった。
 紐《ひも》があったのは、切ってもつながっているという手品。金属の瓶《びん》があったのは、いくらでも水が出るという手品。――ごく詰まらない手品で、硝子《ガラス》の卓子《テーブル》の上のものは減っていった。まだ林檎《りんご》が残っていた。これは林檎を食って、食った林檎の切《きれ》が今度は火を吹いて口から出て来るというので、試しに例の男が食わされた。皮ごと食ったというので、これも笑われた。
 峻はその箸にも棒にもかからないような笑い方を印度人がするたびに、何故《なぜ》あの男はなんとかしないのだろうと思っていた。そして彼自身かなり不愉快になっていた。
 そのうちにふと、先ほどの花火が思い出されて来た。
「先ほどの花火はまだあがっているだろうか」そんなことを思った。
 薄明りの平野のなかへ、星|水母《くらげ》ほどに光っては消える遠い市の花火。海と雲と平野のパノラマがいかにも美しいものに思えた。
「花は」
「Flora.」
 たしかに「Flower.」とは言わなかった。
 その子供といい、そのパノラマといい、どんな手品師も敵《かな》わないような立派な手品だったような気がした。
 そんなことが彼の不愉快をだんだんと洗っていった。いつもの癖で、不愉快な場面を非人情に見る、――そうすると反対におもしろく見えて来る――その気持がもの[#「もの」に傍点]になりかけて来た。
 下等な道化に独《ひと》りで腹を立てていた先ほどの自分が、ちょっと滑稽だったと彼は思った。
 舞台の上では印度人が、看板画そっくりの雰囲気のなかで、口から盛んに火を吹いていた。それには怪しげな美しささえ見えた。
 やっと済むと幕が下りた。
「ああおもしろかった」ちょっと嘘のような、とってつけたように勝子が言った。言い方がおもしろかったので皆笑った。――
[#ここから2字下げ]
美人の宙釣り。
力業《ちからわざ》。
オペレット。浅草気分。
美人胴切り。
[#ここで字下げ終わり]
 そんなプログラムで、晩《おそ》く家へ帰った。

     病気

 姉が病気になった。脾腹《ひばら》が痛む、そして高い熱が出る。峻《たかし》は腸チブスではないかと思った。枕元で兄が
「医者さんを呼びに遣《や》ろうかな」と言っている。
「まあよろしいわな。かい[#「かい」に傍点]虫かもしれませんで」そして峻にともつかず兄にともつかず
「昨日あないに暑かったのに、歩いて帰って来る道で汗がちっとも出なんだの」と弱よわしく言っている。
 その前の日の午後、少し浮かぬ顔で遠くから帰って来るのが見え、勝子と二人で窓からふざけながら囃《はや》し立てた。
「勝子、あれどこの人?」
「あら。お母さんや。お母さんや」
「嘘いえ。他所《よそ》のおばさんだよ。見ておいで。家へは這入《はい》らないから」
 その時の顔を峻は思い出した。少し変だったことは少し変だった。家のなかばかりで見馴れている家族を、ふと往来で他所《よそ》目に見る――そんな珍しい気持で見た故と峻は思っていたが、少し力がないようでもあった。
 医者が来て、やはりチブスの疑いがあると言って帰った。峻《たかし》は階下で困った顔を兄とつき合わせた。兄の顔には苦しい微笑が凝《こ》っていた。

 腎臓の故障だったことがわかった。舌の苔《こけ》がなんとかで、と言って明瞭にチブスとも言い兼ねていた由を言って、医者も元気に帰って行った。
 この家へ嫁いで来てから、病気で寝たのはこれで二度目だと姉が言った。
「一度は北|牟婁《ムロ》で」
「あの時は弱ったな。近所に氷がありませいでなあ、夜中の二時頃、四里ほどの道を自転車で走って、叩き起こして買うたのはまあよかったやさ。風呂敷へ包んでサドルの後ろへ結《ゆわ》えつけて戻って来たら、擦《す》れとりましてな、これだけほどになっとった」
 兄はその手つきをして見せた。姉の熱のグラフにしても、二時間おきほどの正確なものを造ろうとする兄だけあって、その話には兄らしい味が出ていて峻も笑わされた。
「その時は?」
「かい[#「かい」に傍点]虫をわかしとりましたんじゃ」
 ――一つには峻自身の不検束《ふしだら》な生活から、彼は一度肺を悪くしたことがあった。その時義兄は北|牟婁《ムロ》でその病気が癒《なお》るようにと神詣でをしてくれた。病気がややよくなって、峻は一度その北|牟婁《ムロ》の家へ行ったことがあった。そこは山のなかの寒村で、村は百姓と木樵《きこり》で、養蚕《ようさん》などもしていた。冬になると家の近くの畑まで猪《いのしし》が芋を掘りに来たりする。芋は百姓の半分常食になっていた。その時はまだ勝子も小さかった。近所のお婆さんが来て、勝子の絵本を見ながら講釈しているのに、象のことを鼻巻き象、猿のことを山の若い衆[#「山の若い衆」に傍点]とかやえん[#「やえん」に傍点]とか呼んでいた。苗字《みょうじ》のないという子がいるので聞いてみると木樵《きこり》の子だからと言って村の人は当然な顔をしている。小学校には生徒から名前の呼び棄てにされている、薫という村長の娘が教師をしていた。まだそれが十六七の年頃だった。――
 北|牟婁《ムロ》はそんな所であった。峻《たかし》は北|牟婁《ムロ》での兄の話には興味が持てた。
 北|牟婁《ムロ》にいた時、勝子が川へ陥《はま》ったことがある。その話が兄の口から出て来た。
 ――兄が心臓脚気で寝ていた時のことである。七十を越した、兄の祖母で、勝子の曽祖母にあたるお祖母《ばあ》さんが、勝子を連れて川へ茶碗を漬《つ》けに行った。その川というのが急な川で、狭かったが底はかなり深かった。お祖母さんは、いつでも兄達が捨てておけというのに、姉が留守だったりすると、勝子などを抱きたがった。その時も姉は外出していた。
 はあ、出て行ったな。と寝床の中で思っていると、しばらくして変な声がしたので、あっと思ったまま、ひかれるように大病人が起きて出た。川はすぐ近くだった。見ると、お祖母さんが変な顔をして、「勝子が」と言ったのだが、そして一生懸命に言おうとしているのだが、そのあとが言えない。
「お祖母さん。勝子が何とした!」
「……」手の先だけが激しくそれを言っている。
 勝子が川を流れてゆくのが見えているのだ! 川はちょうど雨のあとで水かさが増していた。先に石の橋があって、水が板石とすれすれになっている。その先には川の曲がるところがあって、そこはいつも渦が巻いている所だ。川はそこを曲がって深い沼のような所へ入る。橋か曲がり角で頭を打ちつけるか、流れて行って沼へ沈みでもしようものなら助からないところだった。
 兄はいきなり川へ跳び込んで、あとを追った。橋までに捕えるつもりだった。
 病気の身だった。それでもやっと橋の手前で捕えることはできた。しかし流れがきつくて橋を力に上ろうと思ってもとうてい駄目《だめ》だった。板石と水の隙間は、やっと勝子の頭ぐらいは通せるほどだったので、兄は勝子を差し上げながら水を潜り、下手でようやくあがれたのだった。勝子はぐったりとなっていた。逆にしても水を吐かない。兄は気が気でなく、しきりに勝子の名を呼びななら、背中を叩いた。
 勝子はけろりと気がついた。気がついたが早いか、立つとすぐ踊り出したりするのだ。兄はばかされたようでなんだか変だった。
「このべべ何としたんや」と言って濡れた衣服をひっぱってみても「知らん」と言っている。足が滑った拍子に気絶しておったので、全く溺れたのではなかったとみえる。
 そして、なんとまあ、いつもの顔で踊っているのだ。――
 兄の話のあらましはこんなものだった。ちょうど近所の百姓家が昼寝の時だったので、自分がその時起きてゆかなければどんなに危険だったかとも言った。
 話している方も聞いている方も惹《ひ》き入れられて、兄が口をつぐむと、静かになった。
「わたしが帰って行ったらお祖母《ばあ》さんと三人で門で待ってはるの」姉がそんなことを言った。
「何やら家にいてられなんだわさ。着物を着かえてお母ちゃんを待っとろと言うたりしてなあ」
「お祖母《ばあ》さんがぼけ[#「ぼけ」に傍点]はったのはあれからでしたな」姉は声を少しひそませて意味の籠《こも》った眼を兄に向けた。
「それがあってからお祖母さんがちょっとぼけ[#「ぼけ」に傍点]みたいになりましてなあ。いつまで経ってもこれに(と言って姉を指し)よしやん[#「よしやん」に傍点]に済まん、よしやんに済まんと言いましてなあ」
「なんのお祖母さん、そんなことがあろうかさ、と言っているのに」
 それからのお祖母さんは目に見えてぼけ[#「ぼけ」に傍点]ていって一年ほど経ってから死んだ。
 峻《たかし》にはそのお祖母さんの運命がなにか惨酷な気がした。それが故郷ではなく、勝子のお守りでもする気で出かけて行った北|牟婁《ムロ》の山の中だっただけに、もう一つその感じは深かった。
 峻が北|牟婁《ムロ》へ行ったのは、その事件の以前であった。お祖母さんは勝子の名前を、その当時もう女学校へ上っていたはずの信子の名と、よく呼び違えた。信子はその当時母などとこちらにいた。まだ信子を知らなかった峻には、お祖母さんが呼び違えるたびごとに、信子という名を持った十四五の娘が頭に親しく想像された。

     勝子

 峻は原っぱに面した窓に倚《よ》りかかって外を眺めていた。
 灰色の雲が空一帯を罩《こ》めていた。それはずっと奥深くも見え、また地上低く垂れ下がっているようにも思えた。
 あたりのものはみな光を失って静まっていた。ただ遠い病院の避雷針だけが、どうしたはずみか白く光って見える。
 原っぱのなかで子供が遊んでいた。見ていると勝子もまじっていた。男の児《こ》が一人いて、なにか荒い遊びをしているらしかった。
 勝子が男の児に倒された。起きたところをまた倒された。今度はぎゅうぎゅう押えつけられている。
 いったい何をしているのだろう。なんだかひどいことをする。そう思って峻《たかし》は目をとめた。
 それが済むと今度は女の子連中が――それは三人だったが、改札口へ並ぶように男の児の前へ立った。変な切符切りがはじまった。女の子の差し出した手を、その男の児がやけに引っ張る。その女の子は地面へ叩きつけられる。次の子も手を出す。その手も引っ張られる。倒された子は起きあがって、また列の後ろへつく。
 見ているとこうであった。男の児が手を引っ張る力加滅に変化がつく。女の子の方ではその強弱をおっかなびっくりに期待するのがおもしろいのらしかった。
 強く引くのかと思うと、身体つきだけ強そうにして軽く引っ張る。すると次はいきなり叩きつけられる。次はまた、手を持ったというくらいの軽さで通す。
 男の児は小さい癖《くせ》にどうかすると大人の――それも木挽《こび》きとか石工とかの恰好そっくりに見えることのある児で、今もなにか鼻唄でも歌いながらやっているように見える。そしていかにも得意気であった。
 見ているとやはり勝子だけが一番よけい強くされているように思えた。彼にはそれが悪くとれた。勝子は婉曲《えんきょく》に意地悪されているのだな。――そう思うのには、一つは勝子が我《わ》が儘《まま》で、よその子と遊ぶのにも決していい子[#「いい子」に傍点]にならないからでもあった。
 それにしても勝子にはあの不公平がわからないのかな。いや、あれがわからないはずはない。むしろ勝子にとっては、わかってはいながら痩我慢を張っているのがほんとうらしい。
 そんなに思っているうちにも、勝子はまたこっぴどく叩きつけられた。痩我慢を張っているとすれば、倒された拍子に地面と睨《にら》めっこをしている時の顔付は、いったいどんなだろう。――立ちあがる時には、もうほかの子と同じような顔をしているが。
 よく泣き出さないものだ。
 男の児《こ》がふとした拍子にこの窓を見るかもしれないからと思って彼は窓のそばを離れなかった。
 奥の知れないような曇り空のなかを、きらりきらり光りながら過《よぎ》ってゆくものがあった。
 鳩《はと》?
 雲の色にぼやけてしまって、姿は見えなかったが、光の反射だけ、鳥にすれば三羽ほど、鳩一流のどこにあて[#「あて」に傍点]があるともない飛び方で舞っていた。
「あああ。勝子のやつめ、かってに注文して強くしてもらっているのじゃないかな」そんなことがふっと思えた。いつか峻《たかし》が抱きすくめてやった時、「もっとぎうっと」と何度も抱きすくめさせた。その時のことが思い出せたのだった。そう思えばそれもいかにも勝子のしそうなことだった。峻は窓を離れて部屋のなかへ這入《はい》った。

 夜、夕飯が済んでしばらくしてから、勝子が泣きはじめた。峻《たかし》は二階でそれを聞いていた。しまいにはそれを鎮《しず》める姉の声が高くなって来て、勝子もあたりかまわず泣きたてた。あまり声が大きいので峻は下へおりて行った。信子が勝子を抱いている。勝子は片手を電燈の真下へ引き寄せられて、針を持った姉が、掌へ針を持ってゆこうとする。
「そとへ行って棘《とげ》を立てて来ましたんや。知らんとおったのが御飯を食べるとき醤油《しょうゆ》が染みてな」義母が峻にそう言った。
「もっとぎうとお出し」姉は怒ってしまって、邪慳《じゃけん》に掌を引っ張っている。そのたびに勝子は火の付くように泣声を高くする。
「もう知らん、放っといてやる」しまいに姉は掌を振り離してしまった。
「今はしようないで、××膏《こう》をつけてくくっとこうよ」義母が取りなすように言っている。信子が薬を出しに行った。峻は勝子の泣声に閉口してまた二階へあがった。
 薬をつけるのに勝子の泣声はまだ鎮まらなかった。
「棘はどうせあの時立てたに違いない」峻は昼間のことを思い出していた。ぴしゃっと地面へうつっぶせになった時の勝子の顔はどんなだったろう、という考えがまた蘇えって来た。
「ひょっとしてあの時の痩我慢を破裂させているのかもしれない」そんなことを思って聞いていると、その火がつくような泣声が、なにか悲しいもののように峻には思えた。

     昼と夜

 彼はある日城の傍の崖の蔭に立派な井戸があるのを見つけた。
 そこは昔の士《さむらい》の屋敷跡のように思えた。畑とも庭ともつかない地面には、梅の老木があったり南瓜《かぼちゃ》が植えてあったり紫蘇《しそ》があったりした。城の崖からは太い逞しい喬木《きょうぼく》や古い椿《つばき》が緑の衝立《ついたて》を作っていて、井戸はその蔭に坐っていた。
 大きな井桁《いげた》、堂々とした石の組み様、がっしりしていて立派であった。
 若い女の人が二人、洗濯物を大盥《おおだらい》で濯《すす》いでいた。
 彼のいた所からは見えなかったが、その仕掛ははね[#「はね」に傍点]釣瓶《つるべ》になっているらしく、汲みあげられて来る水は大きい木製の釣瓶|桶《おけ》に溢れ、樹々の緑が瑞《みず》みずしく映っている。盥の方の女の人が待つふり]をすると、釣瓶の方の女の人は水をあけた。盥の水が躍り出して水玉の虹がたつ。そこへも緑は影を映して、美しく洗われた花崗岩《かこうがん》の畳石の上を、また女の人の素足の上を水は豊かに流れる。
 羨《うらや》ましい、素晴《すばら》しく幸福そうな眺めだった。涼しそうな緑の衝立の蔭。確かに清冽《せいれつ》で豊かな水。なんとなく魅せられた感じであった。


きょうは青空よい天気
まえの家でも隣でも
水|汲《く》む洗う掛ける干す。


 国定教科書にあったのか小学唱歌にあったのか、少年の時に歌った歌の文句が憶《おも》い出された。その言葉には何のたくみも感ぜられなかったけれど、彼が少年だった時代、その歌によって抱いたしん[#「しん」に傍点]に朗らかな新鮮な想像が、思いがけず彼の胸におし寄せた。


かあかあ烏《からす》が鳴いてゆく、
お寺の屋根へ、お宮の森へ、
かあかあ烏が鳴いてゆく。

 それには画がついていた。
 また「四方」とかいう題で、子供が朝日の方を向いて手を拡げている図などの記憶が、次つぎ憶い出されて来た。
 国定教科書の肉筆めいた楷書の活字。またなんという画家の手に成ったものか、角のないその字体と感じのまるで似た、子供といえば円顔《まるがお》の優等生のような顔をしているといったふうの、挿画のこと。
「何とか権所有」それをゴンショユウと、人の前では読まなかったが、心のなかで仮に極《き》めて読んでいたこと。そのなんとか権所有[#「権所有」に傍点]の、これもそう思えば国定教科書に似つかわしい、手紙の文例の宛名のような、人の名。そんな奥付の有様までが憶い出された。
 ――少年の時にはその画のとおりの所がどこかにあるような気がしていた。そうした単純に正直な児《こ》がどこかにいるような気がしていた。彼にはそんなことが思われた。
 それらはなにかその頃の憧憬の対象でもあった。単純で、平明で、健康な世界。――今その世界が彼の前にある。思いもかけず、こんな田舎の緑樹の蔭に、その世界はもっと新鮮な形を具《そな》えて存在している。
 そんな国定教科書風な感傷のなかに、彼は彼の営むべき生活が示唆《しさ》されたような気がした。

 ――食ってしまいたくなるような風景に対する愛着と、幼い時の回顧や新しい生活の想像とで彼の時どきの瞬間が燃えた。また時どき寝られない夜が来た。
 寝られない夜のあとでは、ちょっとしたことにすぐ底熱い昂奮が起きる。その昂奮がやむと道端でもかまわないすぐ横になりたいような疲労が来る。そんな昂奮は楓《かえで》の肌を見てさえ起こった。――
 楓樹《ふうじゅ》の肌が冷えていた。城の本丸の彼がいつも坐るベンチの後ろでであった。
 根方に松葉が落ちていた。その上を蟻《あり》が清らかに匍《は》っていた。
 冷たい楓《かえで》の肌を見ていると、ひぜん[#「ひぜん」に傍点]のようについている蘚《こけ》の模様が美しく見えた。
 子供の時の茣蓙《ござ》遊びの記憶――ことにその触感が蘇《よみが》えった。
 やはり楓の樹の下である。松葉が散って蟻が匍《は》っている。地面にはでこぼこ[#「でこぼこ」に傍点]がある。そんな上へ茣蓙《ござ》を敷いた。
「子供というものは確かにあの土地のでこぼこ[#「でこぼこ」に傍点]を冷たい茣蓙の下に感じる蹠《あしうら》の感覚の快さを知っているものだ。そして茣蓙を敷くやいなやすぐその上へ跳び込んで、着物ぐるみじか[#「じか」に傍点]に地面の上へ転がれる自由を楽しんだりする」そんなことを思いながら彼はすぐにも頬ぺたを楓の肌につけて冷やしてみたいような衝動を感じた。
「やはり疲れているのだな」彼は手足が軽く熱を持っているのを知った。


「私はおまえにこんなものをやろうと思う。
一つはゼリーだ。ちょっとした人の足音にさえいくつもの波紋が起こり、風が吹いて来ると漣《さざなみ》をたてる。色は海の青色で――御覧そのなかをいくつも魚が泳いでいる。
もう一つは窓掛けだ。織物ではあるが秋草が茂っている叢《くさむら》になっている。またそこには見えないが、色づきかけた銀杏《いちょう》の木がその上に生えている気持。風が来ると草がさわぐ。そして、御覧。尺取虫が枝から枝を葡《は》っている。
この二つをおまえにあげる。まだできあがらないから待っているがいい。そして詰らない時には、ふっと思い出してみるがいい。きっと愉快になるから
。」

 彼はある日葉書へそんなことを書いてしまった、もちろん遊戯ではあったが。そしてこの日頃の昼となし夜となしに、時どきふと感じる気持のむずかゆさを幾分はかせたような気がした。夜、静かに寝られないでいると、空を五位が啼《な》いて通った。ふとするとその声が自分の身体のどこかでしているように思われることがある。虫の啼く声などもへんに部屋の中でのように聞こえる。
「はあ、来るな」と思っているとえたい[#「えたい」に傍点]の知れない気持が起こって来る。――これはこの頃眠れない夜のお極《きま》りのコースであった。
 変な気持は、電燈を消し眼をつぶっている彼の眼の前へ、物が盛んに運動する気配を感じさせた。厖大《ぼうだい》なものの気配が見るうちに裏返って微塵ほどになる。確かどこかで触ったことのあるような、口へ含んだことのあるような運動である。廻転機のように絶えず廻っているようで、寝ている自分の足の先あたりを想像すれば、途方もなく遠方にあるような気持にすぐそれが捲き込まれてしまう。本などを読んでいると時とすると字が小さく見えて来ることがあるが、その時の気持にすこし似ている。ひどくなると一種の恐怖さえ伴って来て眼を閉いではいられなくなる。
 彼はこの頃それが妖術が使えそうになる気持だと思うことがあった。それはこんな妖術であった。
 子供の時、弟と一緒に寝たりなどすると、彼はよくうつっ伏せになって両手で墻《かき》を作りながら(それが牧場のつもりであった)
「芳雄君。この中に牛が見えるぜ」と言いながら弟をだました。両手にかこまれて、顔で蓋《ふた》をされた、敷布の上の暗黒のなかに、そう言えばたくさんの牛や馬の姿が想像されるのだった。――彼は今そんなことはほんとうに可能だという気がした。
 田園、平野、市街、市場、劇場。船着場や海。そう言った広大な、人や車馬や船や生物でちりばめられた光景が、どうかしてこの暗黒のなかへ現われてくれるといい。そしてそれが今にも見えて来そうだった。耳にもその騒音が伝わって来るように思えた。
 葉書へいたずら書きをした彼の気持も、その変てこなむず痒《がゆ》さから来ているのだった。

     

 八月も終わりになった。
 信子は明日市の学校の寄宿舎へ帰るらしかった。指の傷が癒《なお》ったので、天理様へ御礼に行って来いと母に言われ、近所の人に連れられて、そのお礼も済ませて来た。その人がこの近所では最も熱心な信者だった。
「荷札は?」信子の大きな行李《こうり》を縛ってやっていた兄がそう言った。
「何を立って見とるのや」兄が怒ったようにからかうと、信子は笑いながら捜しに行った。
「ないわ」信子がそんなに言って帰って来た。
「カフスの古いので作ったら……」と彼が言うと、兄は
「いや、まだたくさんあったはずや。あの抽出《ひきだ》し見たか」信子は見たと言った。
「勝子がまた蔵《しま》い込んどるんやないかいな。いっぺん見てみ」兄がそんなに言って笑った。勝子は自分の抽出しへごく下らないものまで拾って来ては蔵い込んでいた。
「荷札ならここや」母がそう言って、それ見たかというような軽い笑顔をしながら持って来た。
「やっぱり年寄がおらんとあかんて」兄はそんな情愛の籠《こも》ったことを言った。
 晩には母が豆を煎《い》っていた。
「峻《たかし》さん。あんたにこんなのはどうですな」そんなに言って煎りあげたのを彼の方へ寄せた。
「信子が寄宿舎へ持って帰るお土産《みやげ》です。一升ほど持って帰っても、じきにぺろっと失くなるのやそうで……」
 峻が語を聴きながら豆を咬《か》んでいると、裏口で音がして信子が帰って来た。
「貸してくれはったか」
「はあ。裏へおいといた」
「雨が降るかもしれんで、ずっとなかへ引き込んでおいで」
「はあ。ひき込んである」
「吉峰さんのおばさんがあしたお帰りですかて……」信子は何かおかしそうに言葉を杜断《とぎ》らせた。
「あしたお帰りですかて?」母が聞きかえした。
 吉峰さんのおばさんに「いつお帰りです。あしたお帰りですか」と訊《き》かれて、信子が間誤《まご》ついて「ええ、あしたお帰りです」と言ったという話だった。母や彼が笑うと、信子は少し顔を赧《あか》くした。
 借りて来たのは乳母車だった。
「明日一番で立つのを、行李乗せて停車場まで送って行《い》てやります」母がそんなに言ってわけを話した。
 大変だな、と彼は思っていた。
「勝子も行くて?」信子が訊《き》くと、
「行くのやと言うて、今夜は早うからおやすみや」と母が言った。
 彼は、朝も早いのに荷物を出すなんて面倒だから、今夜のうちに切符を買って、先へ手荷物で送ってしまったらいいと思って、
「僕、今から持って行って来ましょうか」と言ってみた。一つには、彼自身体裁屋[#「体裁屋」に傍点]なので、年頃の信子の気持を先廻りしたつもりであった。しかし母と信子があまり「かまわない、かまわない」と言うのであちらまかせにしてしまった。
 母と娘と姪《めい》が、夏の朝の明け方を三人で、一人は乳母車をおし、一人はいでたち[#「いでたち」に傍点]をした一人に手を曳《ひ》かれ、停車場へ向かってゆく、その出発を彼は心に浮かべてみた。美しかった。
「お互いの心の中でそうした出発の楽しさをあて[#「あて」に傍点]にしているのじゃなかろうか」そして彼は心が清く洗われるのを感じた。

 夜はその夜も眠りにくかった。
 十二時頃夕立がした。その続きを彼は心待ちに寝ていた。
 しばらくするとそれが遠くからまた歩み寄せて来る音がした。
 虫の声が雨の音に変わった。ひとしきりするとそれはまた町の方へ過ぎて行った。
 蚊帳をまくって起きて出、雨戸を一枚繰った。
 城の本丸に電燈が輝いていた。雨に光沢を得た樹の葉がその灯の下で数知れない魚鱗《ぎょりん》のような光を放っていた。
 また夕立が来た。彼は閾《しきい》の上へ腰をかけ、雨で足を冷やした。
 眼の下の長屋の一軒の戸が開いて、ねまき姿の若い女が喞筒《ポンプ》へ水を汲みに来た。
 雨の脚が強くなって、とゆ[#「とゆ」に傍点]がごくりごくり喉を鳴らし出した。
 気がつくと、白い猫が一匹、よその家の軒下をわたって行った。
 信子の着物が物干竿にかかったまま雨の中にあった。筒袖の、平常着ていたゆかた[#「ゆかた」に傍点]で彼の一番眼に慣れた着物だった。その故か、見ていると不思議なくらい信子の身体つきが髣髴《ほうふつ》とした。
 夕立はまた町の方へ行ってしまった。遠くでその音がしている。
「チン、チン」
「チン、チン」
 鳴きだしたこおろぎの声にまじって、質の緻密な玉を硬度の高い金属ではじくような虫も鳴き出した。
 彼はまだ熱い額を感じながら、城を越えてもう一つ夕立が来るのを待っていた。

底本:「檸檬・ある心の風景」旺文社文庫、旺文社
   1972(昭和47)年12月10日初版発行
   1974(昭和49)年第4刷発行
入力:j.utiyama
校正:野口英司
1998年9月8日公開
2005年10月21日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

例の宛名のような、人の名。そんな奥付の有様までが憶い出された。
 ――少年の時にはその画のとおりの所がどこかにあるような気がしていた。そうした単純に正直な児《こ》がどこかにいるような気がしていた。彼にはそんなことが思われた。
 それらはなにかその頃の憧憬の対象でもあった。単純で、平明で、健康な世界。――今その世界が彼の前にある。思いもかけず、こんな田舎の緑樹の蔭に、その世界はもっと新鮮な形を具《そな》えて存在している。
 そんな国定教科書風な感傷のなかに、彼は彼の営むべき生活が示唆《しさ》されたような気がした。

 ――食ってしまいたくなるような風景に対する愛着と、幼い時の回顧や新しい生活の想像とで彼の時どきの瞬間が燃えた。また時どき寝られない夜が来た。
 寝られない夜のあとでは、ちょっとしたことにすぐ底熱い昂奮が起きる。その昂奮がやむと道端でもかまわないすぐ横になりたいような疲労が来る。そんな昂奮は楓《かえで》の肌を見てさえ起こった。――
 楓樹《ふうじゅ》の肌が冷えていた。城の本丸の彼がいつも坐るベンチの後ろでであった。
 根方に松葉が落ちていた。その上を蟻《あり》が清らかに匍《は》っていた。
 冷たい楓《かえで》の肌を見ていると、ひぜん[#「ひぜん」に傍点]のようについている蘚《こけ》の模様が美しく見えた。
 子供の時の茣蓙《ござ》遊びの記憶――ことにその触感が蘇《よみが》えった。
 やはり楓の樹の下である。松葉が散って蟻が匍《は》っている。地面にはでこぼこ[#「でこぼこ」に傍点]がある。そんな上へ茣蓙《ござ》を敷いた。
「子供というものは確かにあの土地のでこぼこ[#「でこぼこ」に傍点]を冷たい茣蓙の下に感じる蹠《あしうら》の感覚の快さを知っているものだ。そして茣蓙を敷くやいなやすぐその上へ跳び込んで、着物ぐるみじか[#「じか」に傍点]に地面の上へ転がれる自由を楽しんだりする」そんなことを思いながら彼はすぐにも頬ぺたを楓の肌につけて冷やしてみたいような衝動を感じた。
「やはり疲れているのだな」彼は手足が軽く熱を持っているのを知った。

[#ここから2字下げ]
「私はおまえにこんなものをやろうと思う。
一つはゼリーだ。ちょっとした人の足音にさえいくつもの波紋が起こり、風が吹いて来ると漣《さざなみ》をたてる。色は海の青色で――御覧そのなかをいくつも魚が泳いでいる。
もう一つは窓掛けだ。織物ではあるが秋草が茂っている叢《くさむら》になっている。またそこには見えないが、色づきかけた銀杏《いちょう》の木がその上に生えている気持。風が来ると草がさわぐ。そして、御覧。尺取虫が枝から枝を葡《は》っている。
この二つをおまえにあげる。まだできあがらないから待っているがいい。そして詰らない時には、ふっと思い出してみるがいい。きっと愉快になるから。」
[#ここで字下げ終わり]

 彼はある日葉書へそんなことを書いてしまった、もちろん遊戯ではあったが。そしてこの日頃の昼となし夜となしに、時どきふと感じる気持のむずかゆさを幾分はかせたような気がした。夜、静かに寝られないでいると、空を五位が啼《な》いて通った。ふとするとその声が自分の身体のどこかでしているように思われることがある。虫の啼く声などもへんに部屋の中でのように聞こえる。
「はあ、来るな」と思っているとえたい[#「えたい」に傍点]の知れない気持が起こって来る。――これはこの頃眠れない夜のお極《きま》りのコースであった。
 変な気持は、電燈を消し眼をつぶっている彼の眼の前へ、物が盛んに運動する気配を感じさせた。厖大《ぼうだい》なものの気配が見るうちに裏返って微塵ほどになる。確かどこかで触ったことのあるような、口へ含んだことのあるような運動である。廻転機のように絶えず廻っているようで、寝ている自分の足の先あたりを想像すれば、途方もなく遠方にあるような気持にすぐそれが捲き込まれてしまう。本などを読んでいると時とすると字が小さく見えて来ることがあるが、その時の気持にすこし似ている。ひどくなると一種の恐怖さえ伴って来て眼を閉いではいられなくなる。
 彼はこの頃それが妖術が使えそうになる気持だと思うことがあった。それはこんな妖術であった。
 子供の時、弟と一緒に寝たりなどすると、彼はよくうつっ伏せになって両手で墻《かき》を作りながら(それが牧場のつもりであった)
「芳雄君。この中に牛が見えるぜ」と言いながら弟をだました。両手にかこまれて、顔で蓋《ふた》をされた、敷布の上の暗黒のなかに、そう言えばたくさんの牛や馬の姿が想像されるのだった。――彼は今そんなことはほんとうに可能だという気がした。
 田園、平野、市街、市場、劇場。船着場や海。そう言った広大な、人や車馬や船や生物でちりばめられた光景が、どうかしてこの暗黒のなかへ現われてくれるといい。そしてそれが今にも見えて来そうだった。耳にもその騒音が伝わって来るように思えた。
 葉書へいたずら書きをした彼の気持も、その変てこなむず痒《がゆ》さから来ているのだった。

     雨

 八月も終わりになった。
 信子は明日市の学校の寄宿舎へ帰るらしかった。指の傷が癒《なお》ったので、天理様へ御礼に行って来いと母に言われ、近所の人に連れられて、そのお礼も済ませて来た。その人がこの近所では最も熱心な信者だった。
「荷札は?」信子の大きな行李《こうり》を縛ってやっていた兄がそう言った。
「何を立って見とるのや」兄が怒ったようにからかうと、信子は笑いながら捜しに行った。
「ないわ」信子がそんなに言って帰って来た。
「カフスの古いので作ったら……」と彼が言うと、兄は
「いや、まだたくさんあったはずや。あの抽出《ひきだ》し見たか」信子は見たと言った。
「勝子がまた蔵《しま》い込んどるんやないかいな。いっぺん見てみ」兄がそんなに言って笑った。勝子は自分の抽出しへごく下らないものまで拾って来ては蔵い込んでいた。
「荷札ならここや」母がそう言って、それ見たかというような軽い笑顔をしながら持って来た。
「やっぱり年寄がおらんとあかんて」兄はそんな情愛の籠《こも》ったことを言った。
 晩には母が豆を煎《い》っていた。
「峻《たかし》さん。あんたにこんなのはどうですな」そんなに言って煎りあげたのを彼の方へ寄せた。
「信子が寄宿舎へ持って帰るお土産《みやげ》です。一升ほど持って帰っても、じきにぺろっと失くなるのやそうで……」
 峻が語を聴きながら豆を咬《か》んでいると、裏口で音がして信子が帰って来た。
「貸してくれはったか」
「はあ。裏へおいといた」
「雨が降るかもしれんで、ずっとなかへ引き込んでおいで」
「はあ。ひき込んである」
「吉峰さんのおばさんがあしたお帰りですかて……」信子は何かおかしそうに言葉を杜断《とぎ》らせた。
「あしたお帰りですかて?」母が聞きかえした。
 吉峰さんのおばさんに「いつお帰りです。あしたお帰りですか」と訊《き》かれて、信子が間誤《まご》ついて「ええ、あしたお帰りです」と言ったという話だった。母や彼が笑うと、信子は少し顔を赧《あか》くした。
 借りて来たのは乳母車だった。
「明日一番で立つのを、行李乗せて停車場まで送って行《い》てやります」母がそんなに言ってわけを話した。
 大変だな、と彼は思っていた。
「勝子も行くて?」信子が訊《き》くと、
「行くのやと言うて、今夜は早うからおやすみや」と母が言った。
 彼は、朝も早いのに荷物を出すなんて面倒だから、今夜のうちに切符を買って、先へ手荷物で送ってしまったらいいと思って、
「僕、今から持って行って来ましょうか」と言ってみた。一つには、彼自身体裁屋[#「体裁屋」に傍点]なので、年頃の信子の気持を先廻りしたつもりであった。しかし母と信子があまり「かまわない、かまわない」と言うのであちらまかせにしてしまった。
 母と娘と姪《めい》が、夏の朝の明け方を三人で、一人は乳母車をおし、一人はいでたち[#「いでたち」に傍点]をした一人に手を曳《ひ》かれ、停車場へ向かってゆく、その出発を彼は心に浮かべてみた。美しかった。
「お互いの心の中でそうした出発の楽しさをあて[#「あて」に傍点]にしているのじゃなかろうか」そして彼は心が清く洗われるのを感じた。

 夜はその夜も眠りにくかった。
 十二時頃夕立がした。その続きを彼は心待ちに寝ていた。
 しばらくするとそれが遠くからまた歩み寄せて来る音がした。
 虫の声が雨の音に変わった。ひとしきりするとそれはまた町の方へ過ぎて行った。
 蚊帳をまくって起きて出、雨戸を一枚繰った。
 城の本丸に電燈が輝いていた。雨に光沢を得た樹の葉がその灯の下で数知れない魚鱗《ぎょりん》のような光を放っていた。
 また夕立が来た。彼は閾《しきい》の上へ腰をかけ、雨で足を冷やした。
 眼の下の長屋の一軒の戸が開いて、ねまき姿の若い女が喞筒《ポンプ》へ水を汲みに来た。
 雨の脚が強くなって、とゆ[#「とゆ」に傍点]がごくりごくり喉を鳴らし出した。
 気がつくと、白い猫が一匹、よその家の軒下をわたって行った。
 信子の着物が物干竿にかかったまま雨の中にあった。筒袖の、平常着ていたゆかた[#「ゆかた」に傍点]で彼の一番眼に慣れた着物だった。その故か、見ていると不思議なくらい信子の身体つきが髣髴《ほうふつ》とした。
 夕立はまた町の方へ行ってしまった。遠くでその音がしている。
「チン、チン」
「チン、チン」
 鳴きだしたこおろぎの声にまじって、質の緻密な玉を硬度の高い金属ではじくような虫も鳴き出した。
 彼はまだ熱い額を感じながら、城を越えてもう一つ夕立が来るのを待っていた。

底本:「檸檬・ある心の風景」旺文社文庫、旺文社
   1972(昭和47)年12月10日初版発行
   1974(昭和49)年第4刷発行
入力:j.utiyama
校正:野口英司
1998年9月8日公開
2005年10月21日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

梶井基次郎

詩集『戰爭』—– 梶井基次郎

私は北川冬彦のやうに鬱然とした意志を藏してゐる藝術家を私の周圍に見たことがない。
 それは彼の詩人的 career を貫いてゐる。
 それはまた彼の詩の嚴然とした形式を規定してゐる。
 人々は「意志」の北川冬彦を理解しなければならない。この鍵がなくては遂に彼を理解することは出來ないであらう。
 彼は「短詩運動」「新散文詩運動」を勝利にまで戰ひ通して來た。終始一貫して。新しい詩壇は今やその面目を一新してゐる。韻文は破壞された。韻文的なもの――古臭い情緒――は姿を消して、新しいエスプリが隨所に起つた。「表現の單純化」「效果の構成」は古い詩人達の詩型にまで及んでゐる。嘗てはわれわれに親しかつた古い歌ひ振りの詩を今日に於いて省みるならば、われわれはそれがもう全く讀めないものになつてゐるのに驚く。「口説き」は五月繩く、讀んでしまつて何等のヴイジョンがなかつたことに氣付く。時代は明らかに一新したのである。
 北川冬彦は終始この運動の尖端に立つて戰つてゐた。身をもつて。彼ははじめから他の人々のやうに一枚の古い衣裳も纏つてはゐなかつた。カモフラージユなしで戰つたのである。最も新しい、「詩とは思へないもの」で身を曝したのである。その彼の威力ある屹立は、だからいつも人々のブツブツいふ聲でその脚もとを洗はれてゐた。また彼はいつも最も簡單な言葉で彼の教理を説いてゐた。同じことを繰返し繰返しして云つてゐた。これは自ら恃むことに厚く最も勇敢な人々のみの爲し得ることである。――かくの如く彼は戰つて來た。身をもつて。鐵のやうな意志をもつて。
 彼の詩の嚴然とした詩型が彼の「意志」によつて規定されてゐるといふことについては、數多の論證を必要とするやうである。また少しの論證をも必要としないやうである。私は單にこの獨斷を掲げるにとどめて、次に「戰爭」の批評に移る。批評とは云ふものの私は小説家であつて自分の思つたことを最も平凡に披瀝するに過ぎない。
「戰爭」は三つの部分に分れてゐる。――戰爭。光について。檢温器と花その他。この最後の部分は彼の第二詩集「檢温器と花」から再録されたもので、私はまづこれに數言を費した後、第三詩集の第三詩集たる部分へは入つてゆくことにしようと思ふ。
 北川冬彦は嘗て最も潔癖に日本産の文學をうけつけなかつた詩人である。彼の愛したのはフランス、それもダダ以後の人々であつた。その代りその愛しやうは全く一通りのものではなかつた。私は屡々不思議な氣持に打たれたことがある。それは彼がそれらの人々に對する先輩としての尊敬や僚友としての友情を、まるでそれらの人々がみな東京に住んでゐるかのやうな「間近さ」で表現するからであつた。アポリネエル、ジヤコブ、コクトオ、ブルトン、エリュアル、――それからマチス、ピカソ、シヤガル、アルキペンコ等々の畫家についてもそれは同樣なのであつた。「檢温器と花」はなによりもこれらの人々との親和をよくあらはしてゐる。
 彼は「檢温器と花」の後記に、ジヤン・コクトオの所謂「對象を消化して、次第にその主宰する獨自の世界へ連れていくやうな詩」を意圖したと云つてゐる。それは作品の全般について云はれたのではないが、たしかにそれらの作品はこの詩集の精髓をなすものである。私はその典型的なものとして「椿」「馬」「爬蟲類」「秋」などを擧げたい。
「椿」は Statics の領域内にあつたものを、彼がはじめて Dynamics のなかへ持ち込んだのである。

     馬

軍港を内臟してゐる

 北川冬彦のこのやうな詩になつて來ると、軍港といふ二字が既にもう軍港のヴイジョンを伴ふのである。そして「内臟してゐる」で、昔の人が南蠻渡來の人體解剖圖を信じた奇怪さで、馬がそれを「内臟してゐる」眞實を信じさせられてしまふのである。この最も短い詩は最も強い暗示力を示してゐる。そしてもう一つ注意さるべきことは、この詩の構圖が「物質の不可侵性」を無視することによつて成り立つてゐるといふことである。このことは屡々 cubism の畫家の motive になつてゐる。私はこの affinity についてもう暫く語り度い。
 彼の第一詩集「三半規管喪失」のなかに次のやうな詩がある。

     瞰下景


ビルデイングのてつぺんから見下すと
電車 自動車 人間がうごめいてゐる
目玉が地べたへひつつきさうだ

 高いところから下を見たときの感じがこんなにも生々と表現されたことはないであらう。この生々しさは何によるか。それは「目玉が地べたへひつつく」といふ空間を無視した表現法のためである。これによつて彼は知覺、若しくは感覺の速度を表現し得たのである。私はここに後來「馬」等々に達した端緒の一つがあると思ふ。それは空想と云はんよりは實感であり、實感であるよりは實感をあらはすための手段であり、――そしてそれは最後の段階に達して、手段そのものから嘗て一度も人間の頭腦に存在しなかつたやうな「實感」を呼び起す作品を形成する。「對象を主宰して獨自の世界へ連れてゆく」やうな詩とは畢竟この段階のものを指すに外ならない。北川冬彦の「馬」は cubist を聯想せしめる。しかし決して「故なくして」ではないのである。
 その他彼は多くの cubist 達を聯想せしめる作品を「檢温器と花」のなかに書いてゐる。例へば「水兵」「女と雲」の明るい風景。「薄暮」「壁」の陰氣な風景。そしてここに示された彼の手法は實に完璧である。
 北川冬彦にも嘗て器物愛好があつた。それは何を。檢温器をである。では彼は病氣ででもあつたのか。否。「樂園」「落日」――この抒情的な靜けさのなかで、彼はそれを愛することをおぼえた。
「花の中の花」「檢温器と花」といふ詩集の名は「樂園」や「落日」のなかの檢温器、それからこの詩などから得て來たものではなからうか。この作品は小説に於ける横光利一を聯想せしめる。北川冬彦はこの詩を愛してゐるにちがひない。
 紙數がない。次へはひらねばならぬ。
「戰爭」及「光について」。即ち「檢温器と花」以後三年間の勞作である。
 私は彼のこの三年間を深い感慨なしには回想することが出來ない。彼は生き死にの苦しみを經て生きて來た。
「絶望の歌」。これこそはモニユメントである。この一種人に迫る鬼氣を持つた作品は彼の陷つた絶望の深さを示してゐる。恐らくこれほど彼の愛し且つ憎む作品はないであらう。しかし彼は死なずに生きて來た。骨を刻むやうに詩を作りながら。
「絶望の歌」や「肉親の章」は第二詩集以後彼の示した一つの轉向であつた。人は彼の詩が「小説のやうになつた」と云つた。彼はこの形式に彼の恐ろしい苦悶を盛りはじめたのである。
「腕」の白癡のやうな笑ひ。無題及び無題の夢魘。人はこれらの詩のなかにも彼の苦悶を讀まねばならぬ。さるにしてもこの「腕」の大膽な手法は全く驚嘆に値する。
 これらの作品及び「機械」「空腹について」などは第二詩集以後の彼の詩の主流をなすものである。それは次に「光について」の難解な一群の詩へはひつてゆく。私はそれへはひる前にこれらの間に介在してゐる傍流的なものを調査し整理してゆかねばならぬ。
「萎びた筒」「剃刀」などは「三半規管喪失」的なものである。前者のキタナさ、「剃刀」の痲痺的痛覺。共に彼の第一詩集から生き殘つたものである。私はいまもこのキタナさを愛してゐる。
「ラッシュ・アワア」も「風景」も「檢温器と花」的なものである。
「菱形の脚」「砂埃」「花」の三つの「支那風景」は「光について」などと竝行して書かれたものである。おそらく休息的な愉しさが彼をとらへたのであらう。人をして微笑ましめる。秀れた作品である。菱形の脚の間に見えてゐる風景、女の姿をかくしてしまふ砂埃、心憎いことである。
 さて私は「光について」へはひらう。
 彼はこれらの詩に於いて「絶望の歌」以後の更に深い精神的苦悶の時期を經てゐる。彼の詩は難解になつた。このことは一つの極點を暗示してゐる。即ち彼が自己の主觀のなかに苦しむことの、これが最後の姿なのである。さう私は考へる。
「光について」のなかにはわれわれにとつて噛み割り難い數多の Symbol と Metaphor がある。その間に、傷ついた魚が深く水中に沒して、ときどきその苦しんでゐる身の在所をキラ・キラ、と光らすやうに、生命、死、光明の Symbol が閃めく。
「皮膚の經營」「戀愛の結果」「灰」は暫時私には不可解である。
「光について」の六齣の詩も僅かにその片鱗が理解出來るにとどまる。

壁のうへの蟻の凍死、焔のつらら。

 この一行の詩は私をしてボオドレエルの「秋の歌」の一節を思ひ出さしめる。


冬のすべては私の身内に迫つて來る。――それは、苦痛、憎惡、戰慄、強ひ られた苦役や恐怖。
そして極地のうへのかの北方の太陽のやうに、
私の心臟は直ぐにも一箇の石となつてしまふであらう、凍結し灼然せる。

 勿論彼の念頭にこの詩はなかつたのである。私はその契合に驚く。しかもこの詩は最後の凝結を示してゐる。
「花」「人間」「光について」(50[#「50」は縦中横]頁)の三つの詩も解し難い。そして私はこれらの謎のやうな詩を總括して再びさきの獨斷を繰り返す。即ちこの難解な形式は彼の主觀の究極の表現である。この究極の表現はまた最後の表現である。即ち彼は自己の主觀のなかに苦しむことをこれらの詩をもつて終りとするであらうと。
「戰爭」「大軍叱咤」「壞滅の鐵道」「鯨」「腕」「腕」などは明らかに彼の目の前に展けた新しい視野を示してゐる。それは階級である。彼は自己を苦しめるものの正體に突き當つた。それを認識しはじめた。そしてこれは詩集「戰爭」のもつ最も大いなる意義である。私は彼の「意志」がこの道をどのやうに今後進んでゆくかを見守らう。それはわれわれの最も深い關心であらねばならぬ。

[#ここから2字下げ]
眼の中には劍を藏つてゐなければならぬ。
背の上の針鼠には堪へてゐなければならぬ。
太陽には不斷の槍を投げてゐなければならぬ。
               (「腕」より)
[#ここで字下げ終わり]

 然り! 病床のなかに詩集「戰爭」をうけとつて私の感動は激しい。
[#地から1字上げ](昭和四年十二月)

底本:「梶井基次郎全集第一卷」筑摩書房
   1999(平成11)年11月10日初版第1刷発行
初出:「文學 第三号」第一書房
   1929(昭和4)年12月1日発行
入力:高柳典子
校正:土屋隆
2006年11月16日作成
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梶井基次郎

講演會 其他(大正十五年二月號) 『青空』記事 —–梶井基次郎

舊臘二十三日私達は大津の公會堂で青空の講演會を開くことになつてゐた。講演會の直接の目的は讀者を殖すことであつた。世間へ出て私達の信ずるところを説く、私達共同で出來る正式な方法としてはさしあたりそれ以外にはない。
 獻立は外村と淺沼がやつた。淀野と清水が伏見からそれに加つて二十二日の夜伏見で先づ第一回を催した。私は二十三日大津に着いた。それを加へて五人が大津では講壇に登つた。
 淺沼と外村の詩朗讀、清水の畫の制作に於る覺悟。淀野、今後の方針に就て。次に私が一月號の過古[#「過古」に傍点]を讀んだ。次は外村、淺沼と私が武者小路[#「武者小路」に傍点]氏のその妹[#「その妹」に傍点]の所々を讀み、淺沼は彼の精神主義文學に就て、外村は一時間に亙つて彼の所信を述べた。私は餘興に歌を歌つたりした。聽衆は少なかつたが京都から眞晝の同人の楢本と淺見が來てくれたりして嬉しかつた。
 信ずるところを述べることはその以前に文學に於て信ずるところを持してゐての上のことである。それを述べて見ることにより、自分の立場が明瞭し、次に進むべき土臺となる。そんな意味からも度々いゝ講演の出來る樣になり度いと思ふ。
 二十四日は京都で眞晝の同人達と歡談した。ジル・マルシエツクスの告別演奏會が公會堂にあるので皆で出掛け、其處で外山楢夫先生、外村完二氏にお會ひした。寒い晩でジル・マル氏の鼻が赤くなつてゐた。

       ○

 二月號から飯島正君が同人に加つた。飯島は只今病氣療養の爲逗子にゐる。飯島は中谷と私とが三高の寄宿舍で同室だつたことがある。それ以來の友人である。今飯島を紹介すると共に、願ふことは早く元氣になつていゝものをどし/\書いて欲しいといふことだ。

底本:「梶井基次郎全集 第一卷」筑摩書房
   1999(平成11)年11月10日初版第1刷発行
初出:「青空」
   1926(大正15)年2月号
入力:土屋隆
校正:高柳典子
2005年5月5日作成
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梶井基次郎

交尾—— 梶井基次郎

その一

 星空を見上げると、音もしないで何匹も蝙蝠《こうもり》が飛んでいる。その姿は見えないが、瞬間瞬間光を消す星の工合から、気味の悪い畜類の飛んでいるのが感じられるのである。
 人びとは寐《ね》静まっている。――私の立っているのは、半ば朽ちかけた、家の物干し場だ。ここからは家の裏横手の露路を見通すことが出来る。近所は、港に舫《もや》った無数の廻船《かいせん》のように、ただぎっしりと建て詰《こ》んだ家の、同じように朽ちかけた物干しばかりである。私はかつて独逸《ドイツ》のペッヒシュタインという画家の「市に嘆けるクリスト」という画の刷り物を見たことがあるが、それは巨大な工場地帯の裏地のようなところで跪《ひざまず》いて祈っているキリストの絵像であった。その連想から、私は自分の今出ている物干しがなんとなくそうしたゲッセマネのような気がしないでもない。しかし私はキリストではない。夜中になって来ると病気の私の身体《からだ》は火照《ほて》り出し、そして眼が冴《さ》える。ただ妄想《もうそう》という怪獣の餌食《えじき》となりたくないためばかりに、私はここへ逃げ出して来て、少々身体には毒な夜露に打たれるのである。
 どの家も寐静まっている。時どき力のない咳《せき》の音が洩《も》れて来る。昼間の知識から、私はそれが露路に住む魚屋の咳であることを聞きわける。この男はもう商売も辛《つら》いらしい。二階に間借りをしている男が、一度医者に見てもらえというのにどうしても聴《き》かない。この咳はそんな咳じゃないと云って隠そうとする。二階の男がそれを近所へ触れて歩く。――家賃を払う家が少なくて、医者の払いが皆目集まらないというこの町では、肺病は陰忍な戦いである。突然に葬儀自動車が来る。誰もが死んだという当人のいつものように働いていた姿をまだ新しい記情のなかに呼び起す。床についていた間というのは、だからいくらもないのである。実際こんな生活では誰でもがみずから絶望し、みずから死ななければならないのだろう。
 魚屋が咳《せ》いている。可哀《かわい》そうだなあと思う。ついでに、私の咳がやはりこんな風に聞こえるのだろうかと、私の分として聴いて見る。
 先ほどから露路の上には盛んに白いものが往来している。これはこの露路だけとは云わない。表通りも夜更《よふ》けになるとこの通りである。これは猫だ。私はなぜこの町では猫がこんなに我物顔に道を歩くのか考えて見たことがある。それによると第一この町には犬がほとんどいないのである。犬を飼うのはもう少し余裕のある住宅である。その代り通りの家では商品を鼠《ねずみ》にやられないために大低猫を飼っている。犬がいなくて猫が多いのだから自然往来は猫が歩く。しかし、なんといっても、これは図々しい不思議な気のする深夜の風景にはちがいない。彼らはブールヴァールを歩く貴婦人のように悠々《ゆうゆう》と歩く。また市役所の測量工夫のように辻《つじ》から辻へ走ってゆくのである。
 隣の物干しの暗い隅《すみ》でガサガサという音が聞こえる。セキセイだ。小鳥が流行《はや》った時分にはこの町では怪我人《けがにん》まで出した。「一体誰がはじめにそんなものを欲しいと云い出したんだ」と人びとが思う時分には、尾羽打ち枯らしたいろいろな鳥が雀《すずめ》に混って餌《えさ》を漁《あさ》りに来た。もうそれも来なくなった。そして隣りの物干しの隅には煤《すす》で黒くなった数匹のセキセイが生き残っているのである。昼間は誰もそれに注意を払おうともしない。ただ夜中になって変てこな物音をたてる生物になってしまったのである。
 この時私は不意に驚ろいた。先ほどから露路をあちらへ行ったりこりこちらへ来たり、二匹の白猫が盛んに追っかけあいをしていたのであるが、この時ちょうど私の眼の下で、不意に彼らは小さな唸《うな》り声をあげて組打ちをはじめたのである。組打ちと云ってもそれは立って組打ちをしているのではない。寝転《ねころ》んで組打ちをしているのである。私は猫の交尾を見たことがあるがそれはこんなものではない。また仔猫《こねこ》同志がよくこんなにしてふざけているがそれでもないようである。なにかよくはわからないが、とにかくこれは非常に艶《なま》めかしい所作であることは事実である。私はじっとそれを眺《なが》めていた。遠くの方から夜警のつく棒の音がして来る。その音のほかには町からは何の物音もしない。静かだ。そして私の眼の下では彼らがやはりだんまりで、しかも実に余念なく組打ちをしている。
 彼らは抱き合っている。柔らかく噛《か》み合っている。前肢でお互いに突張り合いをしている。見ているうちに私はだんだん彼らの所作に惹《ひ》き入れられていた。私は今彼らが噛み合っている気味の悪い噛み方や、今彼らが突っ張っている前肢の――それで人の胸を突っ張るときの可愛《かわい》い力やを思い出した。どこまでも指を滑《すべ》り込ませる温《あたた》かい腹の柔毛《にこげ》――今一方の奴《やつ》はそれを揃《そろ》えた後肢で踏んづけているのである。こんなに可愛い、不思議な、艶めかしい猫の有様を私はまだ見たことがなかった。しばらくすると彼らはお互いにきつく抱き合ったまま少しも動かなくなってしまった。それを見ていると私は息が詰って来るような気がした。と、その途端露路のあちらの端から夜警の杖《つえ》の音が急に露路へ響いて来た。
 私はいつもこの夜警が廻《まわ》って来ると家のなかへはいってしまうことにしていた。夜中おそく物干しへ出ている姿などを私は見られたくなかった。もっとも物干しの一方の方へ寄っていれば見られないで済むのであるが、雨戸が開いている、それを見て大きい声を立てて注意をされたりするとなおのこと不名誉なので、彼がやって来ると匆々《そうそう》家のなかへはいってしまうのである。しかし今夜は私は猫がどうするか見届けたい気持でわざと物干しへ身体を突き出していることにきめてしまった。夜警はだんだん近づいて来る。猫は相変わらず抱き合ったまま少しも動こうとしない。この互いに絡《から》み合っている二匹の白猫は私をして肆《ほしいまま》な男女の痴態を幻想させる。それから涯《はて》しのない快楽を私は抽《ひ》き出すことが出来る。……
 夜警はだんだん近づいて来た。この夜警は昼は葬儀屋をやっている、なんとも云えない陰気な感じのする男である。私は彼が近づいて来るにつれて、彼がこの猫を見てどんな態度に出るか、興味を起して来た。彼はやっともうあと二間ほどのところではじめてそれに気がついたらしく、立ち留った。眺めているらしい。彼がそうやって眺めているのを見ていると、どうやら私の深夜の気持にも人と一緒にものを見物しているような感じが起って来た。ところが猫はどうしたのかちっとも動かない。まだ夜警に気がつかないのだろうか。あるいはそうかも知れない。それとも多寡《たか》を括《くく》ってそのままにしているのだろうか。それはこういう動物の図々しいところでもある。彼らは人が危害を加える気遣《きづか》いがないと落ち着き払って少しぐらい追ってもなかなか逃げ出さない。それでいて実に抜け目なく観察していて、人にその気配が兆《きざ》すと見るやたちまち逃げ足に移る。
 夜警は猫が動かないと見るとまた二足三足近づいた。するとおかしいことにはニつの首がくるりと振り向いた。しかし彼らはまだ抱き合っている。私はむしろ夜警の方が面白くなって来た。すると夜警は彼の持っている杖をトンと猫の間近で突いて見せた。と、たちまち描は二条の放射線となって露路の奥の方へ逃げてしまった。夜警はそれを見送ると、いつものようにつまらなそうに再び杖を鳴らしながら露路を立ち去ってしまった。物干しの上の私には気づかないで。

その二

 私は一度|河鹿《かじか》をよく見てやろうと思っていた。
 河鹿を見ようと思えばまず大胆に河鹿の鳴いている瀬のきわまで進んでゆくことが必要である。これはそろそろ近寄って行っても河鹿の隠れてしまうのは同じだからなるべく神速に行なうのがいいのである。瀬のきわまで行ってしまえば今度は身をひそめてじっとしてしまう。「俺《おれ》は石だぞ。俺は石だぞ。」と念じているような気持で少しも動かないのである。ただ眼だけはらんらんとさせている。ぼんやりしていれば河鹿は渓《たに》の石と見わけにくい色をしているから何も見えないことになってしまうのである。やっとしばらくすると水の中やら石の蔭から河鹿がそろそろと首を擡《もた》げはじめる。気をつけて見ていると実にいろんなところから――それが皆申し合わせたように同じぐらいずつ――恐る恐る顔を出すのである。すでに私は石である。彼らは等しく恐怖をやり過ごした体で元のところへあがって来る。今度は私の一望の下に、余儀ないところで中断されていた彼らの求愛が encore されるのである。
 こんな風にして真近に河鹿を眺めていると、ときどき不思議な気持になることがある。芥川龍之介は人間が河童《かっぱ》の世界へ行く小説を書いたが、河鹿の世界というものは案外手近にあるものだ。私は一度私の眼の下にいた一匹の河鹿から忽然《こつぜん》としてそんな世界へはいってしまった。その河鹿は瀬の石と石との間に出来た小さい流れの前へ立って、あの奇怪な顔つきでじっと水の流れるのを見ていたのであるが、その姿が南画の河童とも漁師ともつかぬ点景人物そっくりになって来た、と思う間に彼の前の小さい流れがサーッと広びろとした江に変じてしまった。その瞬間私もまたその天地の孤客たることを感じたのである。
 これはただこれだけの話に過ぎない。だが、こんな時こそ私は最も自然な状態で河鹿を眺めていたと云い得るのかもしれない。それより前私は一度こんな経験をしていた。
 私は渓へ行って鳴く河鹿を一匹捕まえて来た。桶《おけ》へ入れて観察しようと思ったのである。桶は浴場の桶だった。渓の石を入れて水を湛《たた》え、硝子《ガラス》で蓋《ふた》をして座敷のなかへ持ってはいった。ところが河鹿はどうしても自然な状態になろうとしない。蠅《はえ》を入れても蠅は水の上へ落ちてしまったなり河鹿とは別の生活をしている。私は退屈して湯に出かけた。そして忘れた時分になって座敷へ帰って来ると、チャブンという音が桶のなかでした。なるほどと思って早速桶の傍へ行って見ると、やはり先ほどの通り隠れてしまったきりで出て来ない。今度は散歩に出かける。帰って来ると、またチャブンという音がする。あとはやはり同じことである。その晩は、傍へ置いたまま、私は私で読書をはじめた。忘れてしまって身体を動かすとまた跳《と》び込んだ。最も自然な状態で本を読んでいるところを見られてしまったのである。翌日、結局彼は「慌《あわ》てて跳び込む」ということを私に教えただけで、身体へ部屋中の埃《ほこり》をつけて、私が明けてやった障子から渓の水音のする方へ跳んで行ってしまった。――これ以後私は二度とこの方法を繰り返さなかった。彼らを自然に眺めるにはやはり渓へ行かなくてはならなかったのである。
 それはある河鹿のよく鳴く日だった。河鹿の鳴く声は街道までよく聞こえた。私は街道から杉林のなかを通っていつもの瀬のそばへ下りて行った。渓向うの木立のなかでは瑠璃《るり》が美しく囀《さえず》っていた。瑠璃は河鹿と同じくそのころの渓間をいかにも楽しいものに思わせる鳥だった。村人の話ではこの鳥は一つのホラ(山あいの木のたくさん繁《しげ》ったところ)にはただ一羽しかいない。そして他の瑠璃がそのホラへはいって行くと喧嘩をして追い出してしまうと云う。私は瑠璃の鳴き声を聞くといつもその話を思い出しそれをもっともだと思った。それはいかにも我と我が声の反響を楽しんでいる者の声だった。その声はよく透《とお》り、一日中変わってゆく渓あいの日射《ひざ》しのなかでよく響いた。そのころ毎日のように渓間を遊び恍《ほう》けていた私はよくこんなことを口ずさんだ。
 ――ニシビラへ行けばニシビラの瑠璃、セコノタキへ来ればセコノタキの瑠璃。――
 そして私の下りて来た瀬の近くにも同じような瑠璃が一羽いたのである。私ははたして河鹿の鳴きしきっているのを聞くとさっさと瀬のそばまで歩いて行った。すると彼らの音楽ははたと止まった。しかし私は既定の方針通りにじっと蹲《うずく》まっておればよいのである。しばらくして彼らはまた元通りに鳴き出した。この瀬にはことにたくさんの河鹿がいた。その声は瀬をどよもして響いていた。遠くの方から風の渡るように響いて来る。それは近くの瀬の波頭の間から高まって来て、眼の下の一団で高潮に達しる。その伝播《でんぱ》は微妙で、絶えず湧《わ》き起り絶えず揺れ動く一つのまぼろしを見るようである。科学の教えるところによると、この地球にはじめて声[#「声」に傍点]を持つ生物が産まれたのは石炭紀の両棲類《りょうせいるい》だということである。だからこれがこの地球に響いた最初の生の合唱だと思うといくらか壮烈な気がしないでもない。実際それは聞く者の心を震わせ、胸をわくわくさせ、ついには涙を催させるような種類の音楽である。
 私の眼の下にはこのとき一匹の雄《おす》がいた。そして彼もやはりその合唱の波のなかに漂いながら、ある間《ま》をおいては彼の喉《のど》を震わせていたのである。私は彼の相手がどこにいるのだろうかと捜して見た。流れを距《へだ》てて一尺ばかり離れた石の蔭《かげ》におとなしく控えている一匹がいる。どうもそれらしい。しばらく見ているうちに私はそれが雄の鳴くたびに「ゲ・ゲ」と満足気な声で受け答えをするのを発見した。そのうちに雄の声はだんだん冴えて来た。ひたむきに鳴くのが私の胸へも応《こた》えるほどになって来た。しばらくすると彼はまた突然に合唱のリズムを紊《みだ》しはじめた。鳴く間がたんだん迫って来たのである。もちろん雌は「ゲ・ゲ」とうなずいている。しかしこれは声の振わないせいか雄の熱情的なのに比べて少し呑気《のんき》に見える。しかし今に何事かなくてはならない。私はその時の来るのを待っていた。すると、案の定、雄はその烈《はげ》しい鳴き方をひたと鳴きやめたと思う間に、するすると石を下りて水を渡りはじめた。このときその可憐《かれん》な風情《ふぜい》ほど私を感動させたものはなかった。彼が水の上を雌に求め寄ってゆく、それは人間の子供が母親を見つけて甘え泣きに泣きながら駆《か》け寄って行くときと少しも変ったことはない。「ギョ・ギョ・ギョ・ギョ」と鳴きながら泳いで行くのである。こんな一心にも可憐な求愛があるものだろうか。それには私はすっかりあて[#「あて」に傍点]られてしまったのである。
 もちろん彼は幸福に雌の足下へ到《いた》り着いた。それから彼らは交尾した。爽《さわ》やかな清流のなかで。――しかし少なくとも彼らの痴情の美しさは水を渡るときの可憐さに如《し》かなかった。世にも美しいものを見た気持で、しばらく私は瀬を揺がす河鹿の声のなかに没していた。

底本:「日本文学全集別巻1現代名作集」河出書房
   1969(昭和44)年5月30日初版発行
入力:kaku
校正:浜野 智
1998年8月28日公開
2003年9月7日修正
青空文庫作成ファイル:
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梶井基次郎

器楽的幻覚—– 梶井基次郎

 ある秋|仏蘭西《フランス》から来た年若い洋琴家《ピアニスト》がその国の伝統的な技巧で豊富な数の楽曲を冬にかけて演奏して行ったことがあった。そのなかには独逸《ドイツ》の古典的な曲目もあったが、これまで噂ばかりで稀にしか聴けなかった多くの仏蘭西系統の作品が齎《もた》らされていた。私が聴いたのは何週間にもわたる六回の連続音楽会であったが、それはホテルのホールが会場だったので聴衆も少なく、そのため静かなこんもりした感じのなかで聴くことができた。回数を積むにつれて私は会場にも、周囲の聴衆の頭や横顔の恰好にも慣れて、教室へ出るような親しさを感じた。そしてそのような制度の音楽会を好もしく思った。
 その終わりに近いあるアーベントのことだった。その日私はいつもにない落ちつきと頭の澄明を自覚しながら会場へはいった。そして第一部の長いソナタを一小節も聴き落すまいとしながら聴き続けていった。それが終わったとき、私は自分をそのソナタの全感情のなかに没入させることができたことを感じた。私はその夜床へはいってからの不眠や、不眠のなかで今の幸福に倍する苦痛をうけなければならないことを予感したが、その時私の陥っていた深い感動にはそれは何の響きも与えなかった。
 休憩の時間が来たとき私は離れた席にいる友達に目※[#「目+旬」、第3水準1-88-80]《めくば》せをして人びとの肩の間を屋外に出た。その時間私とその友達とは音楽に何の批評をするでもなく黙り合って煙草を吸うのだったが、いつの間にか私達の間できまりになってしまった各々の孤独ということも、その晩そのときにとっては非常に似つかわしかった。そうして黙って気を鎮めていると私は自分を捕えている強い感動が一種無感動に似た気持を伴って来ていることを感じた。煙草を出す。口にくわえる。そして静かにそれを吹かすのが、いかにも「何の変わったこともない」感じなのであった。――燈火を赤く反映している夜空も、そのなかにときどき写る青いスパークも。……しかしどこかからきこえて来た軽はずみな口笛がいまのソナタに何回も繰り返されるモティイフを吹いているのをきいたとき、私の心が鋭い嫌悪《けんお》にかわるのを、私は見た。
 休憩の時間を残しながら席に帰った私は、すいた会場のなかに残っている女の人の顔などをぼんやり見たりしながら、心がやっと少しずつ寛解して来たのを覚えていた。しかしやがてベルが鳴り、人びとが席に帰って、元のところへもとの頭が並んでしまうと、それも私にはわからなくなってしまうのだった。私の頭はなにか凍ったようで、はじまろうとしている次の曲目をへんに重苦しく感じていた。こんどは主に近代や現代の短い仏蘭西《フランス》の作品が次つぎに弾かれていった。
 演奏者の白い十本の指があるときは泡を噛《か》んで進んでゆく波頭のように、あるときは戯れ合っている家畜のように鍵盤に挑みかかっていた。それがときどき演奏者の意志からも鳴り響いている音楽からも遊離して動いているように感じられた。そうかと思うと私の耳は不意に音楽を離れて、息を凝らして聴き入っている会場の空気に触れたりした。よくあることではじめは気にならなかったが、プログラムが終わりに近づいてゆくにつれてそれはだんだん顕著になって来た。明らかに今夜は変だと私は思った。私は疲れていたのだろうか? そうではなかった。心は緊張し過ぎるほど緊張していた。一つの曲目が終わって皆が拍手をするとき私は癖で大抵の場合じっとしているのだったが、この夜はことに強《し》いられたように凝然としていた。するとどよめきに沸き返りまたすーっと収まってゆく場内の推移が、なにか一つの長い音楽のなかで起ることのように私の心に写りはじめた。
 読者は幼時こんな悪戯《いたずら》をしたことはないか。それは人びとの喧噪《けんそう》のなかに囲まれているとき、両方の耳に指で栓《せん》をしてそれを開けたり閉じたりするのである。するとグワウッ――グワウッ――という喧噪の断続とともに人びとの顔がみな無意味に見えてゆく。人びとは誰もそんなことを知らず、またそんななかに陥っている自分に気がつかない。――ちょうどそれに似た孤独感が遂に突然の烈しさで私を捕えた。それは演奏者の右手が高いピッチのピアニッシモに細かく触れているときだった。人びとは一斉に息を殺してその微妙な音に絶え入っていた。ふとその完全な窒息に眼覚めたとき、愕然《がくぜん》と私はしたのだ。
「なんという不思議だろうこの石化は? 今なら、あの白い手がたとえあの上で殺人を演じても、誰一人叫び出そうとはしないだろう」
 私は寸時まえの拍手とざわめきとをあたかも夢のように思い浮かべた。それは私の耳にも目にもまだはっきり残っていた。あんなにざわめいていた人びとが今のこの静けさ――私にはそれが不思議な不思議なことに思えた。そして人びとは誰一人それを疑おうともせずひたむきに音楽を追っている。言いようもないはかなさが私の胸に沁《し》みて来た。私は涯《はて》もない孤独を思い浮かべていた。音楽会――音楽会を包んでいる大きな都会――世界。……小曲は終わった。木枯《こがらし》のような音が一しきり過ぎていった。そのあとはまたもとの静けさのなかで音楽が鳴り響いていった。もはやすべてが私には無意味だった。幾たびとなく人びとがわっわっとなってはまたすーっとなっていったことが何を意味していたのか夢のようだった。
 最後の拍手とともに人びとが外套《がいとう》と帽子を持って席を立ちはじめる会の終わりを、私は病気のような寂寥感《せきりょうかん》で人びとの肩に伍《ご》して出口の方へ動いて行った。出口の近くで太い首を持った背広服の肩が私の前へ立った。私はそれが音楽好きで名高い侯爵だということをすぐ知った。そしてその服地の匂いが私の寂寥を打ったとき、何事だろう、その威厳に充ちた姿はたちまち萎縮《いしゅく》してあえなくその場に仆《たお》れてしまった。私は私の意志からでない同様の犯行を何人もの心に加えることに言いようもない憂鬱を感じながら、玄関に私を待っていた友達と一緒になるために急いだ。その夜私は私達がそれからいつも歩いて出ることにしていた銀座へは行かないで一人家へ歩いて帰った。私の予感していた不眠症が幾晩も私を苦しめたことは言うまでもない。

底本:「檸檬・ある心の風景」旺文社文庫、旺文社
   1972(昭和47)年12月10日初版発行
   1974(昭和49)年第4刷発行
入力:j.utiyama
校正:福地博文
1998年11月27日公開
2005年10月3日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。