宮原晃一郎

風変りな決闘—– 宮原晃一郎

    はじめて見た機関砲

 今でこそ日本は、最新兵器をもつ世界一流の陸海軍国であるが、明治維新となり、はじめて陸海軍が出来た頃《ころ》は、兵器でも軍隊の組織でもまだ尋常一年生で、すべて西洋諸国に学んでゐた。しかし日本人の優れてゐたことは、その頃でも変りなかつた。
 その頃フランスへ行つて、フランス軍人をあつといはせた「鉄砲|上村《かみむら》どん」の痛快な話がある。
「鉄砲上村どん」の本当の名は上村|五郎《ごらう》、薩摩藩《さつまはん》の人で、小さい時から射撃の天才であつた。大きくなつて藩の銃隊に入り、幕末に起つた幾度《いくたび》かの戦に従軍して、すばらしい手柄を立て、「鉄砲上村どん」と鉄砲の神様のやうに尊敬されたのだつた。
 やがて明治維新になると、新政府の軍隊の大隊長となつた。大隊長といふから今の少佐格である。そして鉄砲の名人であるところから、明治三年に、射撃術、銃砲製造法研究のため欧洲へ出張を命ぜられた。これは政府で新しく日本陸軍の制度を定めることになり、その下ごしらへをするためであつた。
 上村少佐は、まづフランスへ出かけて行つた、といふのは、その頃日本の陸軍は、フランス式であつたからだ。
 上村少佐がフランスのマルセーユ港へ着いたときには、フランスとプロシヤ(今のドイツ)との間に、まさに戦争が起らうとしてゐた。フランス国民は、プロシヤに対して、盛んに敵愾心《てきがいしん》をもやし、しきりに「ベルリンへ! ベルリンへ!」と叫んでゐるのであつた。プロシヤをやつつけて、首府ベルリンまで陥落させよといふのだ。
 上村少佐はまづ、当時精鋭をもつて聞えたスナイドル銃をこしらへる会社を見た。この会社は今でも世界一流の大兵器製造所である。少佐はその大仕掛で、精巧な兵器がどし/\と出来るのに感心した。そして日本にもこれに劣らぬ製造所をたてなければいけないと思つた。だが、賢い少佐の目には、そこで出来る銃砲にはまだ/\改良を加へなければいけないことを見てとつた。
 そんなこととは知らぬフランス人は大得意で、いろ/\なものを見せて、えらく自慢をするのだつた。
「日本なんか鉄砲があつても、まだ火繩銃《ひなはじう》くらゐのものでせう。早くこんな立派な鉄砲や大砲を使ふやうになさい。使ひ方が分からなけりや、こちらから先生をあげますから。」
 少佐は何をこいつら、失礼なことをいふかと思つたが、静かに日本のことを考へると、またさういはれるのも止《や》むを得ないと悟つた。それほど日本は何事にもまだ幼稚であつたのだ。けれども、少佐自身には深い考へがあつた。
「なあに、長いことぢやない。今にもつと/\すぐれた兵器をこしらへて、アツといはしてやるから。」
 ところが、調子に乗るくせのあるフランス人は、少佐がうはべに感心してゐるのを見ると、ます/\得意になつて、とうとう秘蔵の最新式大砲まで見せたのだ。
「これはミトライユといふ最新式の大砲です。プロシヤの豚なんか、これでめちやくちやにやつつけますよ。」
 ミトライユは今日でいへば機関砲のことで、日清戦争の頃には軍艦に据《す》ゑつけてあつたし、又陸軍でも台湾征伐に使つたものである。直径三十五ミリばかりの大きな筒が五つ並べてあつて、ガラ/\と車を廻《まは》すと、五発づつ一緒に弾がとび出すやうにしかけてあるが、二十五発|毎《ごと》、つまり車を五|度《たび》まはすたびに弾ごめしなけりやならない厄介なもので、発射の速さからも、そのとゞく距離からいつても、今の機関砲には遠く及ばないけれど、その頃ではすばらしい有力な武器であつた。
 さすがに上村少佐もこれには感心した。が、同時にすぐ気がついた。
「まてよ、敵方プロシヤにはどんな武器があるだらうか。しきりにこちらに向かつて、戦争を吹きかけてゐるやうだから、武器の上にも、何か頼むところがあるにちがひない。これは一つ、戦争が始る前にプロシヤへ行つて、調べてみなけりやならんぞ。或《あるひ》はミトライユにもまさる有力な武器があるかもしれないからな。」
 そこで上村少佐はすぐプロシヤに行つて、その軍隊の小銃や大砲を見たり、又兵器製造所を見せてもらつたりした。
 果して、少佐の考へは当つてゐた。ミトライユのやうな特別なものはなかつた。けれども普通に使つてゐるプロシヤの兵器は、大砲小銃ともに、なか/\すぐれたもので、特に大砲はフランスのものに比べると、砲架がたくみに出来てゐて、照準がたやすくて、上向きにする角度が大きいので、弾が遠くまでとどくのだつた。又小銃もいろ/\の点が改良されて、取扱《とりあつかひ》が便利にできてゐた。
「あゝ、気の毒だが、武器の上からだけ見れば、フランスはとてもプロシヤの敵ぢやない!」
 かう見ぬいた上村少佐は、ナポレオン三世皇帝がプロシヤに対して宣戦した当日、パリーへ帰りついたのだ。

    仏独武器くらべ

 いよ/\戦争が始つた。
「ベルリンへ! ベルリンへ!」といふ叫《さけび》はます/\盛んになつて、パリーの町々はわきかへる騒《さわぎ》であつた。仏軍はぞく/\国境さして出発する。ナポレオン三世は自らセダンに赴いて、軍を指揮した。
 或日《あるひ》のこと、上村少佐は射撃場へ行つて、小銃射撃を見てゐると、ふと後《うしろ》から少佐の肩をたゝく者があつた。ふりかへつて見ると、それは以前、少佐にミトライユを得意さうにみせたエミル・ダンリ中尉といふ若い士官であつた。
「少佐上村《マジユール・カミミユラ》! しばらくでしたね!」
 中尉は青年らしい元気のいゝ顔に笑を浮かべてゐた。
「おゝ、ダンリ中尉か。久しぶりだね。私はしばらくプロシヤへ行つてゐたのでね。」
「プロシヤへ?」
 中尉は青い目を丸くして、肩をすぼめ、両手をパツと開いた。これはフランス人が軽蔑《けいべつ》の意味をあらはすときにいつもする身振である。
「ほう! 豚どもの仲間へ入つて行かれたのですか。豚小屋は臭くて仕方がありますまい。なあに、おつつけ我々があんな不潔な獣をやつつけて、きれいに掃除しますから、もう一度行かれるときには、もう臭くはありませんよ!」
 といつて、「ベルリンへ! ベルリンへ!」と、歌の文句のやうにつけ足した。
 上村少佐はこの青年将校の盛な意気には感心したが、あまりに敵を知らなさすぎるのに、あはれみの微笑がひとりでに浮かんでくるのだつた。
「ほう、えらい勢ひぢやな。そして君は戦争には行かないのか。」
「勿論《もちろん》、行きます。今、新編制の機関砲隊《ミトライユール》を訓練してゐるところで、もうぢき出かけます。あゝ愉快々々! 我々はまるで大鎌で野の草を苅《か》るやうに、プロシヤの豚どもを打殺してやれるわけだ!」
 上村少佐はこの言葉を聞くと、あまりにも口から出まかせに、少し腹が立つて来た。
「なるほどミトライユは有力な武器にはちがひない。けれどもプロシヤの武器もなか/\精鋭だから、油断はならないよ。」
 ダンリ中尉は又もや肩をすぼめた。
「豚どもの大砲や小銃がなんになるものですか。奴等《やつら》と一緒に地獄へでもうせろだ!」
「いや、さう一がいにはいへないぞ。わしはよく調べて来たのだからね。敵を知り己を知ることは戦ひに勝つ秘訣《ひけつ》である――と東洋の兵法は教へてゐる。大ナポレオンの後をつぐ君等の名誉の勝利を維持して行くには、よく敵を知らなければいけない。」
「なに大丈夫だ! 我々にスナイドル銃がある。ナポレオン砲がある。おまけに精妙きはまりなきミトライユがある。」
「いや、プロシヤのモーゼル銃はスナイドル以上かも知れんぞ。もしそれクルツプ砲となると、その発射の速さといひ、弾のとゞく遠さといひ、又命中の正確さといひ、ナポレオン砲以上だ。ミトライユは結構だが、もつと照準をやさしくして、遠くまでとゞくやうにしなければ、完全とはいへない。」
「なに!」と、ダンリ中尉はたちまち眉をつり上げた。「君は仏軍を侮辱するか。」
「いや、わしは仏軍を常勝軍たらしめようと思ふからいふのだ。」
「仏軍は今度もきつと勝つにきまつてゐる!」
「いや、他《ほか》の点はどうかしらんが、大切な武器の方から見ては、それは覚束《おぼつか》ないぞ。」
「いつたな、黄猿《きざる》! おれはフランス大陸軍の名誉にかけて、貴様をゆるさんぞ。さあ、この作法が分かるか?」
 ダンリ中尉は火のやうに怒つて手袋を地面にたゝきつけた。これは西洋では、決闘を挑《いど》むしるしである。

    待つて下さい、諸君!

 それから三日後である。上村《かみむら》少佐とダンリ中尉とは、約束の決闘場たる練兵場へ現れた。双方型どほり二人づつの介添人《かいぞへにん》がついてゐる。武器はピストルで、互に百歩はなれて介添人が上げてゐる手を下すのを合図に、双方一度に発射するのだ。発射が早いと卑怯《ひけふ》といはれるし、遅いと、敵の弾にやられてしまふ危険がある。なか/\むづかしいものだ。
 やがて少佐も中尉も定《さだめ》の位置について、中尉方の一人の介添人が、今日の決闘の趣旨を宣言しようとしたとき、どうしたことか、上村少佐は突然右の手を高く上げて叫んだ。
「待つて下さい、諸君!」
 相手の中尉は元より、双方の介添人たちも少佐の言葉にすつかり呆《あき》れてしまつた。が、少佐はそんなことには一切おかまひなく言葉をつゞけた。
「私《わたし》はこの決闘の仕方を、もつと安全なものにかへたいと思ふのです。」
 ます/\意外だ。みんなの驚きは一方ならぬものがあつた。
「つまり双方とも死にもせず、怪我もしないで、しかも名誉を十分に保つことの出来る方法にかへたいのです。」
 誰《だれ》も口をきかなかつた。けれども、みんな、少佐は決闘が恐《こは》くなつたので、今更こんなことをいひ出したものと思ひ、卑怯な人間だと内心|軽蔑《けいべつ》してゐるのを、顔の色にあり/\とあらはしてゐた。それももつともである。だが、少佐は少しもひるまない。平気で言葉をつゞけた。
「私《わたし》はこれまで幾十度となく銃砲弾の中をくゞつて来たから、ちつぽけなピストルの弾など少しも恐れるものではない。しかし、今、私の一身は、天皇陛下と、日本のために捧《ささ》げたもので、これから生ひ立つて行く日本の新陸軍のために、非常に重大な任務を帯びてゐるものであるから、つまらぬ名誉心のために、勝手にそれを殺したり、傷つけたりすることはできないのだ。」
 少佐の言葉は次第に熱と威厳とを増して来たので、今まで軽蔑してゐた人々も、思はず襟《えり》を正しうして、耳を傾けた。
「またダンリ中尉もフランス軍にとつては、新式砲ミトライユの指揮者として、この場合、なくてならぬ人である。その重要な人が決闘で傷つき、倒れ、肝腎《かんじん》の戦場に出て、働かれぬやうなことがあつては、甚《はなは》だ遺憾である。熱烈な愛国者であるダンリ中尉の弾は、私に対してよりも、真のフランスの敵に向けらるべきものである。」
 すぢの通つた、正しい少佐の言葉を聞く人達は、まつたくそのとほりにちがひないと、うなづくのであつた。
 少佐はやはり厳然としてつゞけた。
「それだから、私《わたし》はまことに安全で、しかも我々両人にとつて最もふさはしい決闘法を提議する。それは、中尉は射撃の名手であり、私も又その方にかけては相当の自信をもつてゐる。それで二人して射撃の術くらべをしようといふのである。」
「うん、それは面白いな! 賛成だ!」と、ダンリ中尉はもうすつかり打ちとけて叫んだ。「だが、勝負はどうしてつけるのか。」
「何でも君がうつ的を、私《わたし》もうつことにする。もし私がうてなかつたなら、私が負だ。又もし君の的を私が残らずうつて、君が新たにうつべき的を見つけられない場合には、今度は私が的をえらぶから、それを君がうてばよい。それを君がうつたら、私が降参しようし、うてなかつたら、私の勝だ。」

    弾で書く文字

 話はきまつた。みんなはすぐつれ立つて射撃場へ行つた。そこには丁度フランス兵の一隊も射撃演習に来てゐたので、この珍しい決闘射撃のことを知ると、みんな見物することになつた。
 最初は普通の標的の点取射撃で、どちらも名人のことだから、無造作に満点で、勝負なしに終つた。
 次にダンリ中尉は速射をした。扱ひにくいその頃《ころ》の小銃で、一分間七発もうつて、それがいづれも黒点をうちぬくのだから、神技ともいふべき素晴しい腕前であつた。しかし、上村少佐はそれに輪をかけた速さで、一分間十発もうつて、やつぱり黒点のまん中をうちぬいて、フランスの軍人たちをあつといはせた。
 ダンリ中尉もいさゝか驚いたやうだが、今度は他《ほか》の人に銅貨を空にほふり上げさせて、それが地面に落ちきらないうちに、ポン/\打つのだつた。百発百中で、見てゐる多くの仏人たちはその見事さに手を拍つて悦んだ。けれども上村少佐にだつてそんなことはお茶の子さい/\だつた。
 ダンリ中尉は少しあせつて来た。「この爺《ぢぢい》め、なか/\の奴《やつ》だ。しかし今度は真似《まね》ができまい。」
 そこで中尉はいよ/\取つておきの手を出した。
「では、向かふに白紙を張つた衝立《ついたて》をおいて、僕《ぼく》がそれに一つ文字を射ぬいて現すから、あなたもそれをやつてごらんなさい。出来たら、僕が負けたことにしよう。僕はフランスの敵たるプロシヤの頭を打ちぬくといふ意味で、その頭字《かしらじ》P《ペー》を射ぬいてみせよう!」
 中尉はさういつて、用意された白紙張《はくしばり》の衝立に向かひ、ポン/\と、一発又一発、丹念にうつて行くと、やがてその弾痕は点々とつらなつて、大きなPの字をゑがき出した。なか/\あざやかな手際であつた。見てゐる仏軍の将士は今度こそと一斉に手をたゝいて悦んだ。
 上村少佐もニコ/\して手をうつた。そしてつか/\とダンリ中尉に近寄つて、手をさしのべた。
「立派だ! もう私《わたし》が試みる必要はない。君は今見事に敵の頭を打ちぬいて、大勝利を得た、私は心からお悦《よろこ》びを申し上げる!」
 ダンリ中尉は勝つたと思つて、やつぱりニコ/\しながらその手を握りしめると、又あたりから盛んに拍手が起つた。
 が、しかし、この拍手が一しきりやむと、上村少佐は再び銃を取上げ、容《かたち》をあらためて、一同に向かつていつた。
「諸君、私《わたし》は今、ダンリ中尉の妙技に絶大の敬意を表し、又フランスを祝賀するために、改めてダンリ中尉の真似をさせて頂きます。しかし、いさゝかちがつた風に、即《すなは》ち一字だけではなく、二三の言葉を射ぬくことにいたしませう。」
 少佐は銃を肩に当てるが早いか、まづポンと一つ、無造作に打《ぶ》つ放し、それからこめては打ち、こめては打ちして釣瓶打《つるべうち》だ。その速いこと! だが、白紙の衝立に残つた弾の痕《あと》は唯《ただ》、めちやくちやに点がちらばつてゐるだけで、字なんか一つもかけてゐなかつた。見てゐる人々は唯《ただ》驚き呆《あき》れてゐる。けれども少佐は一向平気だ。そしてすました顔でいつた。
「これが私《わたし》の心をこめたフランスへお祝ひの言葉です!」
 ダンリ中尉は例の肩をすぼめる身振をしていつた。
「ですが、少佐、あれは一体何と読むのですか。少くともフランス語ではありませんね。多分、日本語なんでせう。」
「いや、フランス語をかいたのです。」と、いひながら、上村少佐は衝立に近寄り、ポケツトから鉛筆を取出して、一番左端の上の弾痕《だんこん》から、その下の、六十|糎《センチ》ほどへだてて、少し右へ寄つた弾痕へ、斜にスツと一本の線をひき、更に今度はその点から、逆に上の方へ、最初の弾痕の右の方に三十糎ほどはなれて、同じ高さにならんでゐる第三の弾痕へ、スウツと一線をひいたのでV《ヴエ》の字が出来た。かうして散らばつた弾痕を次から次へと鉛筆でつないで行くと、
[#天から2字下げ]VIVE《ヴイヴ》 LA《ラ》 FRANCE《フランス》!  (フランス万歳!)
といふ言葉になつた。
 忽《たちま》ち、見事《ブラヴオ》! 見事《ブラヴオ》! といふ声が湧き起つて、上村少佐は仏軍将士のために胴上されて、しばらくは足が地につかなかつた。
 少佐は改めてプロシヤ軍の兵器について仏軍当局に注意したが、そのときにはもう遅かつた。仏軍の大敗は勿論《もちろん》士気、編制にもよるが、少佐が見破つた兵器の劣等であつたことも大なる原因であつた。
 上村少佐は帰朝後、これからその腕をふるはうとしたとき急病にかゝつて亡くなつたので、その立派な知識も、すぐれた考案も、実際の役に立てることができないでしまつたのは甚だ残念である。

底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「少年倶楽部」講談社
   1935(昭和10)年8月
初出:「少年倶楽部」講談社
   1935(昭和10)年8月
入力:tatsuki
校正:鈴木厚司
2006年3月21日作成
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宮原晃一郎

鳩の鳴く時計—– 宮原晃一郎

    

 一時間ごと、三十分ごとに、時計の上の方にある小さな戸を押し開いて、赤いくちばしをした鳩《はと》が顔を出して、時間の数だけホウホウとなく時計のあることは、みなさん御存じでせうね。わたしが今こゝにお話しようといふのは、この時計のことです。
 あるりつぱなお家《うち》の応接間に、この鳩のなく時計がかゝつてゐました。こゝの御主人がもう二十幾年前にスヰツツルに旅行をしたときお土産に買つて帰つたものでした。そのじぶんには、かういふ時計は、日本にはまだごく/\僅《わづ》かばかりより来てゐなかつたので、はじめこれを見た人はたいへん珍らしがつて、又非常にたくみな仕掛けになつてゐると感心するのでした。とりわけ子供たちは、この時計がすきで/\たまらないのでした。
「あれ、可愛《かはい》い鳥が出て来てなくよ。あの鳥はお時計のどこにゐるの。」と、腕白な一郎がきゝました。
「あれはね、時計のお腹《なか》の中にゐるの。」
「どうしてゐるの。」
「巣をこしらへてゐるの。」
「どんな巣。」
「あれ、巣を御存知ないの。この間、門の前の市兵衛《いちべゑ》の子がもつて参りましたでせう。」
「あゝ、あれ。あれは、雀《すずめ》の巣だつて言つたぢやないか。ぢや、あの鳥、雀。」
「いゝえ、お時計の鳥は鳩ポツポですよ。だから、ポツポつてなくでせう。」
「でも、鶏が時をつげるものだつていふから、鶏ぢやないか。」
「まあ、坊ちやまのおりこうなこと、お父様やお母様に申し上げませう。そしたら、きつと大へんお悦《よろこ》びになつて、坊ちやまに御褒美《ごほうび》を下さいますよ。」
 ばあやは、大した見つけものでもしたやうによろこびました。すると、一郎はます/\得意になつて、
「そいぢや、鳩ポツポなら、お豆をたべるだらう。」と、きゝました。
「えゝ、たべますどころぢやございません、ポウと一つなくとき、お豆を一つ、ポウポウつてなくとき二つ、ポウポウポウて三つなくときには三つお豆をたべますよ。」
 ばあやもつい調子にのつて、でたらめなことを言つてしまひました。
「そいぢや、お豆をやるから、鳩を出しておくれ、ねえ、ばあや。」
「いえ/\、あれはね、時間にならなければ、お腹《なか》が一ぱいで、たべたくないのでございます。坊ちやまでも、やつぱりそのとほりぢやございませんか。朝は八時に、おひるは十二時、おやつは三時、夜は六時とちやんと召し上がるときがきまつてをりませう。」
「うん、でも、ぼく、鳩ポツポにあひたいんだ。そしてお話をきくんだから、鳩を出してくれよ、ばあや。ようつてば、よう。」
 腕白な一郎がかう言ひ出したら、もうきゝはしません。とう/\ばあやは、お母様のところへ行つて、鳩を出して、一郎さまにお目にかけてもよろしうございませうかと、きゝました。お母さまは、そんなことをしたなら、時間が狂つていけないと、はじめは、なか/\お許しがなかつたのですけれど、一郎がどうしてもきかないので、とう/\根負けして、ぢや一度限りといふことで、やつとお許しが出ました。
 乳母は時計の長い針を十二時のところまで、くるつと、まはしますと、上の方のふたが、パツと開いて、胸をつき出した小さな鳩が、紅《あか》いくちばしをあけて、顔を出し、ポウ、ポウ、ポウとなきはじめたのです。それがちやうど十時だつたので、鳩はなか/\引つこみません。一郎はそれを見ると、大悦《おほよろこ》びで手を叩いて、大きな声で、「鳩ポツポウ。」をうたひながら、しきりに、おいで/\をしますけれど、鳩は自分のおつとめさへすれば、かまつたことはないといつたやうに、すましこんで、きつちり十ぺんなきますと、ピヨツコリと中へ引つこんで、あとはバツタリと戸がしまりました。
「ばあや、も一度、鳩を出して、も一度出して。」
 一郎は、また駄々《だだ》をこねだしました。けれども今度はどうしてもきかれないので、おしまひにはばあやを打《ぶ》つたり、けつたりしました。ほんとに、いけない一郎です。しかし、こんなことをしたのは、これまで一度もなかつたのですけれど、たぶん虫のゐどころがわるかつたのでせう。

    

 それから幾日かたちました。ある朝の十時過ぎ、一郎はたゞひとり、鳩《はと》のなくお時計の部屋へこつそりとはいつて来ました。どこからか、踏台を一つ、重たさうにぞろ/\とひきずつてゐました。そしてそれを時計の下にひきずつて行きました。
「さあ、鳩ポツポ、出ておいで。」
 一郎はさういひながら踏台の上にのつて、時計に手をのばしました。時計はインド更紗《さらさ》ばりの壁の低いところにかけてありました。けれども、一郎はせいの低い子供ですから、踏台にのつても、時計の針のところまでは、手がとゞかなかつたのです。
「困つたなあ。」と、一郎は、さも/\困つたやうな顔をしてゐましたが、ふと気がつくと、すみの方のテイブルに、この間、どこかのをぢさんが、お父さんのお土産にといつて、台湾から、棕櫚《しゆろ》や楠《くす》の木などのステツキをもつて来たのがのせてありました。一郎はそれを見るといゝものがあつたと、中から一本とつてきて、お時計の長い針を十二時のところへやらうとしますと、ふいにだれやらが声を出していひました。
「いたい。こらツ、腕白、いたづらをするな。」
 一郎はびつくりして、うしろを見ました。けれども誰《たれ》もそこにはゐませんでした。たゞうしろの入口の戸が開いて、そこから、お玄関の方の廊下が見えました。でも人はひとりもをりません。一郎は踏台から下りて行つて、戸をしめ、又ステツキをそろ/\針の方へさしだすと、今度は時計の文字盤が人の顔にかはつて、一郎を上から睨《にら》みつけました。
「こらツ、いたづらをしちやいかんといふのに、まだやめないか。」
 それはまちがひもなく時計が言つてゐるのでした。あたりまへの子供なら、きやつと叫んで踏台からころがり落ちて、気絶でもするところですが、さすがに腕白の大将だけに一郎は、ほんのちよつとびつくりしただけで、かへつてステツキをふりあげて「打《ぶ》つぞ」と、どなりました。
「打《ぶ》つ。おまいに、おれを打つ力があるものか。もし、おれを打つてみろ、お父さんにつかまつて、手にお炙《きう》[#「炙」はママ]をすゑられるからな。」
 一郎もさう言はれると、むやみなことはできません。この時計は、お父さんが一ばん大事にしていらつしやることは、自分にもわかつてゐましたから。
「しかし、おまいは何だつて、おれの針なんぞをいぢるのだ。」と、時計は眉毛《まゆげ》のやうに両方の針をぴく/\動かしましたが、その長い方のは、一郎がステツキで、さきほどつゝいたものですから、妙にひん曲つてゐました。
「鳩を見るんだ。」と、一郎は少し鼻声になりました。「ぼく鳩が見たいんだ。出してみせてよう。」
「鳩が見たいのか。それなら、さうと言へばいゝのだ。しかし、鳩は、ちやんと時間が来なけりや、顔を出さないから、おまい、そこの椅子《いす》におとなしく待つておいで。もう十五分ばかりで十一時になるから。こんどはよつぽど長くないてゐるよ。」
 一郎もさういはれると、待つ気になつて、ひとまづ踏台からおりて椅子《いす》の上に腰をかけました。けれども、ものゝ一分とはぢつとしてゐません。
「まだかい。」
「まだ……三十秒きりたゝないぢやないか。」
「三十秒てどれだけ。」
「おまいは小さいから、まだよく時間を知らないんだ。おれが教へてやらう。おれの顔を見ておれよ。」
 時計は、その眉毛のやうについてゐた針を平がなのくの字の反対の形に、ぴよいと曲げました。
「分つたか。これだよ。」
「分らない。」
「馬鹿《ばか》だな……それで鳩が出たらどうするんだ、おまい。」
「お豆をたべさしてやるんだ。」
「いけない。おまいはどうして、さういたづらなんだらう。」
「でも、ばあやが、鳩ポツポはお豆をたべるんだつていつたよ。だから、ぼく、ポケツトにいり豆をたくさん入れて来たんだ。」
 一郎は自分のポケツトをたゝいてみせました。
「それはいけないよ、おれんところの鳩はお豆なんか喰《た》べやしない。」
「ぢや、何を喰べるんだい。」
「さあ、何をたべるだらうね。」
「ぢや、お米をたべるの。」
「いゝえ。」
「ぢや、お魚。」
「いゝえ。」
「ぢや、牛肉。」
「そんなものなんか喰べるものか。」
「ぢや、何をたべるの。」
「いつてきかさうか。」
「うん。」
「あれはお年をたべるの。ちつとづつ、ちつとづつ、おまいのお年も喰《く》ひへらしてゐるの。」
 一郎は自分のものは何でもひとにやることがきらひなたちでしたから、お時計の鳩が自分の年を喰べるときくと、たいへんいやな気がして、いきなりステツキで時計の面《つら》をたゝきつけました。ちやうどそのとき十一時で時計の上の戸があくと、いつものとほり鳩が出て、ポウポウと鳴き始めました。
「ばか、僕のお年なんかたべるんぢやない、ばか、ばか。」
 一郎はさういひながら、今度はステツキで二つ三つ、つゞけて鳩を叩《たた》きつけました。すると、鳩はなくのをやめて、ポタリと床の上に落ちました。それといつしよに今までチクタクと音させて、動いてゐた時計もその振子をとめてだまつてしまひました。鳩は死に、お時計はこはれたのでした。でも一郎のお年はやつぱり、何か外のえたいの知れないものにたべられて、だんだん少くなるばかりです。いまに、「あゝ、小さいときつて馬鹿なことをしたな。あの時計をこはさずに置いたら、今でも、一時間毎に、三十分ごとに、ポウポウといふやさしい、鳩の鳴く声が聞えたものを」と、後悔するときが来ませう。

底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「赤い鳥」赤い鳥社
   1927(昭和2)年6月
初出:「赤い鳥」赤い鳥社
   1927(昭和2)年6月
入力:tatsuki
校正:鈴木厚司
2005年12月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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宮原晃一郎

虹猫の話—– 宮原晃一郎

いつの頃《ころ》か、あるところに一|疋《ぴき》の猫《ねこ》がゐました。この猫はあたりまへの猫とはちがつた猫で、お伽《とぎ》の国から来たものでした。お伽の国の猫は毛色がまつたく別でした。まづその鼻の色は菫《すみれ》の色をしてゐます。それに目玉はあゐ、耳朶《みみたぶ》はうす青、前足はみどり、胴体は黄《きい》、うしろ足は橙色《オレンヂ》で、尾は赤です。ですから、ちやうど、虹《にじ》のやうに七色をしたふしぎな猫でした。
 その虹猫《にじねこ》は、いろ/\と、ふしぎな冒険をしました。次にお話するのはやつぱり、そのうちの一つです。

 ある日、七色の虹猫は日向ぼつこをしてゐました。すると、何だか、たいくつで仕方がなくなりました。といふのは、近頃、お伽の国は天下太平で、何事もなかつたからです。
「どうも、かういつも、あつけらかんとして遊んでばかりゐては、体が悪くなつていけない。」と、猫は考へました。「どれ、一つ、そこいらに出かけて、冒険でもやらうか知ら。」
 そこで、猫は、戸口にはり札をしました。
「二三日、留守をしますから、郵便や小包が、もし留守中にきましたら、どうか、煙突の中に投げこんで置いて下さい。――郵便屋さんへ。」
 それから、ちよつとした荷物をこしらへて、それを尻尾《しつぽ》のさきにつゝかけ、えつちやら、おつちやら、お伽の国境までやつて来ました。すると、ちやうど、そこに雲がむく/\と起つて来ました。
「どれ一つ、雲の人たちのところに、顔出ししてみようかな。」
 猫はひとりごとを言ひながら、雲の土手をのぼり始めました。
 雲の国に住まつてゐる人たちは、たいへん愉快な人たちでした。仕事といつては、べつだん何にもしないのですが、それでも、怠けてゐるからつて、世の中が面白くないわけでもないのです。そして、みんな立派な雲の御殿に住まつてゐますが、御殿は地球から見える方よりも、見えない側がかへつて大へん美しいのです。
 雲の人たちは、とき/″\、一しよに、真珠色の馬車をはしらせたり、又軽いボートにのつて、帆をかけたりします。空の中に住まつてゐるので、たつた一人、恐《こは》いものは、雷様だけです。何しろ、雷様ときては、怒りつぽく、よく空をごろ/\と、足をふみ鳴らして、雲の人たちの家を叩《たた》きまはるからむりもないわけです。

 雲の人たちは、七色の虹猫がたづねてくれたのを大へんよろこんで、ていねいに挨拶《あいさつ》しました。
「まあ、ちやうどいゝところへお出《い》でなすつた。」と、雲の人たちは言ひました。「じつは、風の神さんのおうちで、大きなお祝ひがあるのですよ。それは、あすこの一番うへの息子《むすこ》の北の風さんが、今日、魔法の島の王様のお姫様をお嫁さんにお迎へなさるんです。」
 七色の虹猫は、こんなこともあらうかと、ちやんと尻尾のさきの袋に、いろ/\の品物を用意してきたのでした。
 ほんとに、びつくりするほどの立派な御婚礼だつたのです。
 誰《だれ》もかれも、みんなやつて来ました。お客様のうちには、慧星《はうきぼし》も見えました。よつぽどりつぱな宴会でなければ、めつたに出たことのない慧星が見えたのです。
 又北極光も、何とも言へない、美しい光りの服を着て出ました。むろん、花嫁の両親、魔法島の王とその真珠貝の妃《きさき》とはそこに出席しました。
 御馳走《ごちそう》がでて、みんながにぎやかに、面白く喰《た》べたり、飲んだりして、話してゐるまつ最中、そこへあたふたと飛びこんで来たのは燕《つばめ》でした。その話によると、大男の雷様が、えらい勢ひで、こつちをさして走つてくる。なんでも、貿易風が大急ぎで通るとき、ひよつと、雷様の寝てゐた足のさきにけつまづいたから、すつかり怒らしてしまつたんだといふことでした。
「それはまあ、どうしたらいゝだらう。」と、誰《だれ》もかれも青くなつて、口々に言ひました。「お祝ひもめちやめちやに荒らされつちまふだらう。」
 そして、お客様も主人も、あわてゝ、ちり/″\に逃げ出しました。
 けれども、七色の虹猫は落ちつきはらつてゐました。この猫はなか/\智慧《ちゑ》があつたのです。
 猫は、そつとひとり、テイブルの下にもぐりこみ、そのもつて来た小さな袋を開けて、中のものをあらためながら、ぢつと考へてをりました。
 が、間もなく、出て来ました。
「どうにか、私が雷様を来させないやうにしてみませう。」と、猫は申しました。「どうぞ、お祝ひは、もとのとほり、つゞけておやり下《くだ》さい。私が参つて、まあ一つ、何とかやつてみませうから。」
 みんなは、七色の虹猫の勇気があつて、落ちついてゐるのに、たいへん、びつくりしました。けれども、お祝ひが途中で邪魔をされないだらうといふので、よろこんで、そこに集まり、そのときには、もう遠くにはつきり聞える雷様のごろ/\いふ声をきゝながら、その方へ、ずん/\走つて行く、七色の虹猫を見てゐました。

 七色の虹猫は、走つて行くと、もうはるか向うに大きな雷様の姿を見つけたのでそこに立ちどまつて、袋を開け、中から一枚の大きなマントを引き出して、それを着、頭の上から、耳まで、すつぽりと頭巾《づきん》をかぶり、そこに坐《すわ》つて何やら深い思案にふけつてゐるやうなふうをしました。
 雷様は、このふしぎな姿をしたものが、天の道の中ほどにゐるところまでくると、そこに立ち止まりました。
「おい。きさまは何者だ、又こゝにゐて何をしてゐるんだ。」と、大きな声でどなりました。
「私《わたし》かい。私は有名な魔術師ニヤンプウ子《し》だ。」と、七色の虹猫は、いかめしい、もつたいらしい、作り声で答へました。「私《わたし》のこの袋を見なさい。この中に魔術の種子《たね》がはいつてゐるんだよ。雷さん、わたしは前から、あなたのことを、ちやんと知つてゐるんだよ。あなたはえらい有名な人なんだから。」
 雷様はさう言はれると、少し得意になりきげんを直しかけました。けれども、足をいためたので、まだ幾分怒つてゐます。
「ふん、おれは魔術師なんてものを大してえらいとは思つちやゐない。お前一たい、何ができるのだ。」
「私《わたし》はあなたの心の中が分るのだ。」
「ふゝん、さうか。ぢや、今、おれは何を考へてゐるのか、当てゝみなさい」
「そんなことはわけはない。あなたは、自分の足をいためたことを怒つて、あなたの底豆をけとばしたやつを掴《つかま》へてやらうと思つてゐるんぢやないか。」
 七色の虹猫は、前に燕《つばめ》から、ちやんとそれを聞いて、知つてゐたのです。
 雷様はびつくりしました。
「うん、こいつは驚いた。お前、その術をおれに教へてくれないか。」
「それはむろん教へてあげよう。が、まづ、見こみがあるかないか試験をしてからでないと、いけない。お坐んなさい。」
 雷様はそこに坐りました。七色の虹猫はそのまはりを三べん廻《まは》つて、何やら口の中でわけの分らぬことを、ぶつ/\言ひました。
「さあ、言つてごらん。私《わたし》が今何を考へてゐるか。」と、猫はきゝました。
 大男の雷様はぼんやりして、猫の顔を見上げてゐました。雷様はあんまり利口ではないのです。
「たぶん、おまいは、おれがこゝにぼんやり坐つてゐるのは、馬鹿《ばか》げてゐると思つてゐるんだらう。」
「えらい。たまげた。それぢや修業して物になる見こみは十分にある。私《わたし》はまだ、こんな利口な弟子を取つたことがない。」
「ぢやも一度やつてみようか。」
 雷様は、自分が大へん利口だと思つたのです。
「よろしい。では、私《わたし》は今何を考へてゐるか当てゝごらん。」
 雷様は、賢さうなふりをして、その小さな、馬鹿げた目で、ぼんやりと、虹猫の顔を見ました。
「ビフテキと玉葱《たまねぎ》。」と、雷様は突然言ひました。
「これはえらい。」と、猫はわざと驚いたやうにいつて、尻もちをつきました。
「すつかり当つた。どうしてそんなことが分るのだい。」
「いや、なにね、ふつと心に思ひついたゞけさ。」と雷様は、言ひました。
 猫はまじめくさつて、
「あなたはその才をこれから育てあげて行かなけりやならんぜ。すばらしいものだ。」
「どうして育てるんだ。」と、雷様はきゝました。人の心をよむといふことは、大へん愉快なものだと思つたのでした。
「なんでもないさ。」と、猫は、もうしめたと思つたので、いよ/\出たら目を言ひました。「家《うち》へ行つて、二三時間、寝てゐなさい、それから、少しお菓子をたべて、又二三時間、寝るんだ。それから目がさめてからお茶を一ぱい、あつくして飲むんだよ。しかし、おとなしく、ぢつとしてゐないと、だめだよ。さうさへすれば、明日の朝、あなたはきつと人の心が、雑作なく読めるやうになるから。」
 雷様はすぐにも家《うち》へ走つて行きたいのでした。けれども、さすがに礼儀だけは忘れません。
「大きにありがたう。だがね、ニヤンプウ子先生、これを教へていたゞいたお礼には何を上げませうか。」
 七色の虹猫はしばらく考へてゐましたが、
「私《わたし》はちつとばかり、いなづまが欲しいから、ちよつぴりと下さい。」
 大男の雷様はポケツトに手を入れて、
「お安いことだ。それならこゝに一たばあるから、これを持つておいで。用があるときには、その結んである紐《ひも》を解けば、面白いやうにいなづまが出るから。」
「どうも、ありがたう。」
 さう言つて、七色の虹猫はいなづまを一たば貰《もら》ひ、二人はていねいに握手して別れました。
 大男の雷様は、大いそぎで、家《うち》へ帰ると、言ひつけられたとほりにしました。それから後といふものは、自分は、なんでも人の心を当てることができると信じてゐます。おかげで、雷様はすつかり、をさまりかへつて、もう誰《だれ》にも、別だん害をしません。
 七色の虹猫は、いなづまの束をもつて、すぐにお城へ帰つて来ました。そこにゐた人たちは猫がしてくれたことを、たいへんよろこんで、口々にお礼を言ひました。虹猫もすつかり満足して、一週間、雲のお宮にゐて、それから自分のお伽《とぎ》の国へ帰りました。そのゝち、何事が起つたかは、又この次にお話しませう。

底本:「日本児童文学大系 第一一巻 楠山正雄 沖野岩三郎 宮原晃一郎集」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
初出:「赤い鳥」1927(昭和2)年1月
入力:鈴木厚司
校正:noriko saito
2004年8月13日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

宮原晃一郎

虹猫の大女退治—- 宮原晃一郎

 木精《こだま》の国をたつて行つた虹猫《にじねこ》は、しばらく旅行をしてゐるうち、ユタカの国といふ大へん美しい国につきました。
 こゝはふしぎな国でした。大きな森もあれば、えもいはれぬ色や匂《にほ》ひのする花の一ぱいに生えた大きな/\野原もありました。空はいつも青々とすみわたつて、その国に住まつてゐる人たちはいつも何の不平もなささうに、にこ/\してゐます。でも、たつた一つのことが気にかゝつてゐるのでした。
 そのわけは、この国のまん中の、高い岩のがけの上に、一つの大きなお城がたつてゐます。そのお城には――土地の人たちが虹猫に話したところによると――一人の悪い大女がゐて、この国の人たちをさかんにいぢめ、しじう、物を盗んで行きます。ひどいことには、子供までもさらつて行くのでした。

 虹猫は、じつさいに、目のあたりこの大女を見たといふ人には、誰《たれ》ともあひませんでした。が、大女の恐ろしい顔や、そのすることについて、身の毛もよだつやうな話を聞かされました。
 なんでも、その大女は、あたりまへの人間のせいの三倍も高くて、その髪はふとい繩《なは》のやうによれて目からは焔《ほのほ》が吹《ふ》き出してゐる。くさめ[#「くさめ」に傍点]をすると、まるで雷が鳴るやうな、凄《すご》い音がして、木や草は嵐《あらし》にあつたやうに吹きなびかされる。ぢだんだをふむと小さな村なんか一ぺんで、ひつくり返つてしまふ。そればかりでなく、その大女は魔物だけあつて、魔法をつかふことができるといふので、土地の人たちは何よりもそれを一ばん恐《こは》がつてゐました。

 暗い夜など、大女は六|疋《ぴき》の竜にひかせた車にのつて、お城から降りてくるといふのでした。で、土地の人たちはそのすごい音を聞くと、めい/\自分の家ににげこんで戸をしめ、窓に錠をかけて、ぶるぶるふるへてゐるのでした。うちにゐても、納屋だの倉だの小屋だのを大女が家《や》さがしして、牛や馬をひき出して行く音が聞えるのでした。
 さうかと思ふと、闇《やみ》のうちに大きな声がして、
「こら、きさまたちの宝を出せ、出さないと子供をとつて行くぞ。」といふ叫びが聞えるのです。土地の人たちは、仕方なしに窓を開けて、こは/″\、その宝物を外に投げ出すのです。
 又ときには、いつか知ら、立札が出て、これ/\の品物をお城の門のところへ持つて来て置かないと大女が降りて来て、みんなをひどい目にあはすぞと書いてあることもあります。土地の人たちは、その立札どほり品物を持つて行つて、お城の門へ置いて来ますが、そのたんびに、そこで見て来たいろんな恐ろしい話を伝へます。

 或人《あるひと》は、大女の靴《くつ》を女中が磨《みが》いてゐるのを見たと言ひます。その靴は、ちやうど乾草《ほしくさ》をつんだ大きな荷車ほどあつたといふ話です。
 又|他《ほか》の者は、大女が洗濯物《せんたくもの》を繩に干してゐるのを見て、腰をぬかさんばかりに驚いて、走つて自分の家に帰つたが、一週間ばかりは起きることができなかつたとも言ひます。
 けれども、一ばん悪いことは家《うち》のそばを少し遠くはなれた子供が、ふつと姿を隠して、それつきり帰つて来ないことでした。
 取り残された子供の話によると、とほうもなく大きなマントを頭からかぶつた、えたいの知れないものが、どこからかヒヨツクリ飛び出して、自分たちの仲間の一人を引つさらつて森の中へ走つてにげたといふのでした。
 だから、親たちは、ちよつとの間でもその子供から目をはなすことができなくなつていつ大女が出てくるかと、そればかり心配してゐるので、仕合せといふものが、国ぢうから、だん/\消えてなくなりました。

 虹猫の智恵は、もうこの国にまでも聞えてゐましたから、土地の人たちはその来たのをみると大よろこびで、どうかいゝ智恵を貸して、助けて下さいと頼みました。虹猫はこれはなか/\面倒な仕事だと思ひましたけれど土地の人たちがあんまり気の毒なものですから出来るだけの事は致しませうと約束しました。
 そこに着いてから二日目の夕方、虹猫は小さな袋をもつて、こつそり大女のゐるお城をさして出かけました。袋の中には雷から貰《もら》つた稲妻と、木精《こだま》の国で手に入れた、とほし見の出来る千里眼のお水とがはいつてゐました。
 虹猫は、土地の人たちには、何にも言ひませんでした。言つたからとて、どうすることもできるわけではなし、たゞ心配をするきりのことですから。 
 だから、うまい計略を考へるため、少し散歩してくるといつただけで出かけました。

 虹猫は身がるに岩の出たけんそな道を上《あが》つたり下りたりして、とう/\お城の壁のま下まで来ました。
 お城にはすばらしく大きな二つの石の塔が一方の端と、も一方の端とに、一つづゝ立つてゐて、その高い煙突からは、毒々しい、みどりやら、紫やら、黒やらの煙がもく/\とあがつてゐました。
「なるほど、あれは大女が恐ろしい魔法の薬をこしらへてゐるんだな。」と、虹猫はひとりごとを言ひました。
 そこで塔の下のところに腰かけて、袋から千里眼のお水のはいつた小さな瓶《びん》を出して、それを目にぬつて、お城の中を見通さうとしました。すると、ふしぎなことには、お城の中にゐるのは大女ではなくつて、長いごましほ鬚《ひげ》の生えた、きたならしい魔法つかひの爺《ぢい》さんであることが分りました。頭には、ばかに高い帽子をかぶり、大きな炉《ゐろり》を前に、広い部屋の中に住まつてゐました。
 さま/″\変な、恐ろしい形をしたものが壁にかゝつてゐたり、戸棚《とだな》の中にしまつてあつたりして、床の上にも、テイブルの上にも魔術の本が山のやうにつみ重ねてありました。
 魔法つかひは腰に大きな鍵《かぎ》のたばをぶら下げて、火にかけたまつ黒な鍋《なべ》の中に、何やらグチヤ/\煮え立つてゐるものを、しきりにかき廻《まは》してゐました。虹猫がさつき煙突からのぼるのを見た煙はそこから来るのでした。
 炉《ゐろり》の火の光りで、鍵につけた札に書いてある字が読めました。
 金の箱、銀の箱、宝石の箱、大女の室《へや》、牢屋《らうや》、大女の庭。
 そんな札が鍵についてゐましたから、虹猫はよつぽど事情が分つて来たやうに思ひましたが、もつとよく見きはめてやらうと思つたので小さな袋を取上げて、こつそりお城の、別な端に行つて、そこの塔の下に腰をおろしました。そして又れいの千里眼のお水を目にぬりつけました。
 今度その目にうつつたのは、子供たちの一ぱい集つてゐる大きな室《へや》でした。
 子供たちはいそがしさうに仕事をしてゐました。或者は妙な草をより分けてゐる。或者は重い石で、何だか変なものをつきくだいてゐる。又別なものはえたいの知れない水薬を、この瓶から、あの瓶へとおづ/\した手つきではかつて、一てき/\とうつしてゐます。みんな、あをざめた顔をして疲れきつたやうに見えます。誰《たれ》一人として仕事をしながら笑つたりしやべつたりするものはありません。沈みきつて子供らしくもないのです。

 そのとき、ふと戸口が開きました。はいつて来たものがあります。それはほかでもない、大女でした。けれども、虹猫は二度びつくりしました。なぜかつて言へば、大女は、せいはすばらしく高かつたに相違ありません。けれどもその顔は決して恐くはなくつて、かへつて美しく、愛嬌《あいけう》があつて、黄金色《こがねいろ》の髪をしてゐました。
 大女がそこにあらはれるが早いか、子供たちはみんな走つてそのそばへ行くのが、ちやうどお母さんでも来たやうに、嬉《うれ》しさうです。
 虹猫はもうぐづ/\してはをりません。すぐにマンドリンをとつて、弾き始めました。けれども、魔法つかひに聞かれると悪いと思つて、そんなに音高くは鳴らしません。しかし幸にも風が順に吹いてゐました、それに魔法つかひは、その魔法の仕度に一生けんめいだつたので、そんな音なんか聞えはしませんでした。
 けれども、大女はあたりまへの人よりも大きな耳をもつてゐて、よく聞えるものですから、すぐその音を聞きつけました。そして窓から顔を出しました。塔の下には虹猫がマンドリンをかゝへて腰かけてゐますから、何をしてゐるのかときゝました。
「僕《ぼく》は虹猫だよ。どうぞ僕をたすけて、そこに上らしてくれたまへ。」と、虹猫は言ひました。
 大女はリボンの腰帯をといて、その一ばん下の端にハンケチを入れて置いた袋をゆはへつけて下ろしてやりました。大女の持ちものですから、その袋は虹猫がはいつて、そのうへに又宝の袋やらマンドリンやらを入れても十分あまりがあるほど大きかつたのです。
 大女は虹猫を窓のふちまで引き上げて、中に入れて、何をしてゐるのか、どうしたのかときゝました。虹猫をたゞものでないと見てとつたからです。

 虹猫が、ユタカの国で聞いたことを話しますと、大女も自分の身の上話を致しました。
 悪い魔法つかひが来て、大女がまだほんの赤ん坊であつたとき、盗み出して、このお城につれて来て中に閉ぢこめ、魔法にかけて、ありとあらゆる悪いことをしてゐたのでした。
「土地の人は何でもかんでも、みんな私《わたし》がしたと思つてゐます。それは私も知つてゐます。」と、大女が言ひました。「魔法つかひの爺さんは古い洗濯《せんたく》だらひと六粒のお豆とを、火の竜にひかせた車にすることができるのです。それにのつて出かけるときには大きなマントを着て、高い帽子をかぶりますから、だれでも私だと思ひますわ。そしてね、自分のするいろんな悪いことを子供たちに手伝はせて、私みたいに、いつもとりこ[#「とりこ」に傍点]にして置きます。おまけに私たちには、ろくすつぽ御飯も喰《た》べさせないから、早く助けて貰はなけりや、私たち死んぢまひますわ。」
 大女は目からボロ/\と涙を流しました。それは一粒で一つの池ができるやうな大粒の涙でした。
「泣いちやいけません。」と、虹猫は言ひました。「いまにみんなよくなります。僕《ぼく》の法術は爺さんの魔法よりも強いのですからね。一度あいつに出あつたらすぐあいつを片づけてしまひます。僕をあいつのところへつれて行つてくれませんか。」
 けれども大女は恐がつて、とてもそんなことをする勇気がないのでした。
「そればかりでなく、なか/\あなたを家《うち》の中に入れやしませんよ。大へん疑ひ深いんですから。」と、大女は言ひました。
「それはどうにかなりませうよ。」
 虹猫はそつとマンドリンをかき鳴らしながら考へてゐると、突然、大女は気がつきました。
「爺さんは、音楽が好きなんですよ。仕事をするのに大へん助けになるからですつて。だからもし、あなたが外を流してあるく旅音楽師の真似《まね》をなすつたら……」
 虹猫はよろこんで、とび上りました。
「そこだ。それぢや、あなた孔雀《くじやく》の羽を一本僕にかしてくれませんか。」
 大女はすぐ孔雀の羽をもつて来ました。
「どうもありがたう。これであなたは一時間たつたら、自由なからだになりませう。まづそれまで、しばらくさやうなら。」と、言つたかと思ふと、虹猫はひらりと身がるに窓からとび下りました。
 それから、すつかり外套《ぐわいたう》を着こみ、帽子を目深にかぶり、孔雀の羽を帽子の前の方にさしました。
「どうです。これですつかり旅の音楽師でせう。」と言つて、虹猫は大胆に魔法つかひのゐる塔へ行つて呼鈴《よびりん》をひきました。
 魔法つかひは自分で戸口に迎ひに出て来ました。けれども、ほんの僅《わづ》かばかりしか戸を開けません。
「おまへは誰《だれ》だ。何の用があつて来たんだ。」
「僕は旅の音楽師です。内にはいつて、一曲ひいてはいけませんか。」
 魔法つかひはうさん臭さうな目つきをして、「何だおまへ、その袋の中に入れてるものは。」と、きゝながら、足で袋をけりましたから、なかの稲妻が、ガラガラツと大きな音を立てました。
「これですか。」と、虹猫はそ知らぬ顔で答へました。
「これは珍らしい楽器です。だからあんな音を出します。これがなけりや、僕は歌がうたへません。」
「うん、さうか。ぢや一つそこでうたつてごらん。その上で中へ入れるか入れないか、きめるから。」
 虹猫はマンドリンをかき鳴らしてうたひました。
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青い草の上に、鵞鳥《がてう》が一羽、
くちばしが金で羽が銀、こんな美しい鳥は、
誰《たれ》もまだ見たことがない。
[#ここで字下げ終わり]
「うん、面白さうだ、うちにはいつて、あとをうたひなさい。」魔法つかひは、よろこんでうちへ虹猫を入れました。しめたツと、虹猫はいきなり袋をあけて、稲妻をはなしました。ピカ/\、ゴロ/\、大したさわぎです。虹猫は外套をぬぎすて、テイブルの上にとびあがつて、青い目を光らして、フツ/\ニヤオ、ニヤオと叫び立てました。魔法つかひはすつかり閉口して桑原々々とふるへ上つてゐるのを、虹猫は手足をしばつて、袋の中に押込み、そこにあつた魔術の本はみんな火にくべて、焼いてしまひました。魔法つかひはその後、悪いことをしないやうに遠くの国へ追ひやられ、大女は自分の国へ、子供たちはめい/\親のところへ帰りました。

底本:「日本児童文学大系 第一一巻 楠山正雄 沖野岩三郎 宮原晃一郎集」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
初出:「赤い鳥」1927(昭和2)年9月
入力:鈴木厚司
校正:noriko saito
2004年8月13日作成
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宮原晃一郎

虹猫と木精—– 宮原晃一郎

 第一回の旅行をすまして、お家《うち》へ帰つた虹猫《にじねこ》は、第二回の旅行にかゝりました。
 或日《あるひ》、れいのとほり、仕度をして、ぶらりと家《うち》を出て、どことはなしに、やつて行きますと、とうとう木精《こだま》の国に来てしまひました。木精といふやつは面白い、愉快な妖精《えうせい》で、人に害をするやうなこともなく、たゞ鳥のやうに木にすまつてゐるのです。けれども鳥とちがつて、飛ぶことはできないのです。もつとも、鳥とはだいの仲よしで、鳥の言葉がよくわかりますから、郵便や電信などによらないで、おたがひに通信ができるのでした。

 冬になりますと、木精は木からうつゝて、地の下の穴の中に入るのです。何しろ、はれ/″\とした木の上から、じめ/\して、きたならしい土の下に行くのですもの、大へんなちがひです。だから木精はだれもみな、春になるのを待ちどほしがつて、草が芽をふき、鳥がのどを鳴らして、春を知らせると、もう大よろこびなのです。
 木精の国にはほかに動物はゐません。けれども虹猫は、古くから、この国に出入りして、おなじみですから、いつか雲の国に行つたと同様、かんげいされたのです。
 木精は風がはりなたち[#「たち」に傍点]で、人は人、自分は自分といふ風で、他《ほか》の妖精を自分の国に住まはせません。それだからといつて、別だん、他の妖精と喧嘩《けんくわ》をするわけでもありません。いや/\、かへつて、みんなと仲好くしてゐます。さうして、木精は、音楽をよくしますけれど、そのおもな仕事は、妖精の着物をこしらへることなのです。
 その着物といふのは、とても想像も及ばぬほど、小さな/\、微妙な織物で、いろ/\さま/″\な、美しい、価のたかい材料で出来てゐるのです。たとへば、金蜘蛛《きんぐも》、銀蜘蛛《ぎんぐも》といふ、とくべつな蜘蛛の糸はもちろんのこと、その外に月の光り、蚕からとつた、それは/\柔かい生糸、魔術の井戸水にひたして色のさめないやうにした花びら、もうせん苔《ごけ》、水の泡《あわ》、草の葉の筋など、そのほか、数かぎりのない材料が使はれるのです。

 さて、この着物ができあがると、鳥がそれをもつて、妖精のところへ行き、代りの註文を受取つてくるのです。
 ごくとくべつの場合には、註文《ちゆうもん》をした妖精が寸法を合はせに来たり、服地やら、スタイルやらをえらびに、自分から出かけてくることもありますが、そんなことは、さう、たび/\ではありません。なぜかといふに、木精の縫つた服は、よくからだに合ひスタイルも見事だからです。

 虹猫《にじねこ》は木精の国に行くことが、大へん好きでした。
 虹猫は、木精の国では、美しい、ぶな[#「ぶな」に傍点]の木に住まつてゐました。朝日が、木の葉をとほして、射すときには、その小さなお家《うち》は、なんともいへない、可愛らしい薔薇色《ばらいろ》にそまつて、それはきれいに見えるのです。毎朝、小さな鳥が声をそろへて、歌をうたつて、虹猫に聞かせ、又夕方になると、いつも子守歌をうたつて、すや/\ねむらせてくれます。
 小さな鳥どもは、虹猫を、大へん立派な、きれいな人だと思つてゐました。そしてそれはじつさいのことです。

 虹猫が、二三日、木精の国に滞在してゐるうちに、或日、朝早く、木精の頭《かしら》が面会に来ました。それは大へんにこまつたことができたから、相談してみようと思つたのです。
 困つたことゝは、ほかでもありません。妖精の国の女王様から、薔薇色をした短靴《たんぐつ》が幾ダースも幾ダースも、註文がありました。女王様は、こんどの宴会に、自分の御殿にゐるものには、みんなお揃《そろ》ひで、薔薇色の短靴をはかせようと、思召《おぼしめ》したのです。それだのに、その宴会は、もうほんの三日の後に、迫つてゐました。
「やつてやれないことはないけれど。」と、木精の頭は言ひました。「材料をどうしたものだらうか。君も知つてゐるとほり、薔薇はまだ出ないし、石竹《せきちく》は近頃《ちかごろ》、むやみに註文があつたんで、すつかり使ひつくしてしまつたんだ。それに似寄りの染粉も、みんなになつてしまつたのだ。もう、薔薇色の革はちつとも持合せがないのに、すぐ取りかゝらなけりやならんのだ。そいつを造らせるうちには、日限が切れつちまふ。女王様のおきげんをそこねるのは恐しい、一たい、どうしたらいゝだらう。」

 虹猫は智慧《ちゑ》のある猫ですから、かう聞かれると、すぐいゝ考へがうかびました。
「それはどうも、お困りだらうね。」と、いつて、長いひげを二三度ひねりました。「むろんぼくは、喜んで、きみのお助けをしよう。もつとも、なか/\面倒なことだがね。」
「さうとも、なか/\面倒なので、ぼくはもう弱つてるんだ。」
「一たい、いつ頃までに、その材料が手にはいればいゝのかね。」
「どんなに遅くとも、今晩までに手に入らなけりやいけないのだ。」
「よし。できるだけのことを、やつてみよう。」と、虹猫は言ひました。「ぼくに二つの考へがある。まあ、そんなに心配し給《たま》ふな。今夜、こゝへ来給《きたま》へ。ぼくがちやんとしておくから。」
 木精の頭《かしら》は、これですつかり安心して、帰りました。非常に火急な場合に、何か助けになることを考へてくれるといふのですから、虹猫が、大へんかしこい、深切なひとのやうに思はれました。
 きつちり十二時に、虹猫は、その青黒い目玉をいき/\と、かゞやかしながら、木精の頭に会ひました。
「ぼく、二三ヶ所、心当りをさぐつてみたが、」と、虹猫はいひました。「もつとしつかり確かめなけりやいけないんだ。まあ、腰をかけて、ゆつくりと話すことにしよう。」
 木精の頭はそは/\しながらも、いはれるとほりに腰をかけて、ねつ心に、虹猫の話すのを待ちました。が、いよ/\、望みが多くなつてきたと思つて、喜びました。
「君に一つ、きくことがある。」と、虹猫は申しました。「馬追《うまお》ひ谷《だに》のやぶ薔薇は大へんいぢ悪だつてことだが、ほんたうだらうか。」
「ほんたうとも。ほんたうとも。だれだつてあいつの傍《そば》に寄れはしないよ。ひどい奴さ。やぶ薔薇だつて中にはなか/\善《い》いのもゐる。けれども、あいつはたまらない。ちつとでも、すきがありや、すぐ引つ掻《か》くんだからね。それや悪いやつさ。」
「ぢや、も一つきくが」と、虹猫は言葉をつゞけました。「あの薔薇は、自分が、せいが低くつて、天までとゞくことができないので、それを大へん口惜しがつて、ひとをねたんでゐるつてことだが、ほんたうかい。」
「ほんたうだよ。いつもぶつ/\小言をいつたり、どなりちらしたり、近じよ近ぺん大迷惑なんだ。」
「ふむ。」といつて、虹猫は腕をくみ、しばらく何やら思案してゐました。
「やぶ薔薇の花びらで、妖精の靴がつくれるだらうか。」と、虹猫はしばらくしてから言ひだしました。
「きれいなのができるよ。でも、色が白だから使へないね。」
 その時分には、やぶ薔薇は、妖精の国でも、ほかの国でも、みんな白ばかりだつたのです。
「まつたく、そのとほり。」と、虹猫はいひました。「ところでその白を赤にする工夫があるんだよ。マンドリンを一ちやう貸してくれないか。」
「えゝ、貸さう。」と、木精は走つて帰りましたが、間もなく、銀や、象牙《ざうげ》や、真珠貝などをちりばめた、美しいマンドリンを一ちやうもつて来ました。
「やあ、ありがたう。ぢや、三十分もしたら、君の入用な薔薇の花びらを、もつてくるから。」
 虹猫はさういつて、マンドリンを首にかけ、いそいで森の方へ出て行きました。

 ほどなく、虹猫は馬追ひ谷に来て、やぶ薔薇の爪《つめ》がとゞかないくらゐのところに腰をおろし、マンドリンの調子を合せて、次のやうな歌をふし面白くうたひました。


  かしの木は
   天まで腕をのばす、
   松の木は天まで頭をあげる
   細い樺《かば》の木は
  すつきりした貴婦人、
  ポプラの姿のなよ/\しさ
  だが一たい誰《だれ》だらう?
  そこの、ちつぽけな、
   いぢ悪は
   誰だらう、あゝ誰だらう?
  そこの背のひくい変てこな木は?


 虹猫が、これをうたひ終らないうちに、やぶ薔薇は、まつ赤になつて怒り出しました。立つてゐても、たまらなくなつたと見えて、体中を、ぶる/\ふるはせました。
 虹猫はそつちへは目もくれないで、第二節をうたひました。


  楡《にれ》の木は王様のやうに立派だ、
  どろの葉は踊つたり、歌つたり、
  ぶなの奥さん、きれいな奥さん、
  栗《くり》の電燈はぴつかぴか、
  だが一たい、誰だらう?
  その膝《ひざ》までもとゞかない、
  頭が白くて、足曲り、
  一たいどうしたわけなんだらう?

 歌がすゝむにつれて、やぶ薔薇はます/\怒りました。虹猫は、
「一たいどうしたわけなんだらう。」
と、おしまひをうたふ時には、ほんとにいゝ声でした。節も面白かつたのです。

 けれども、やぶ薔薇の方では、そんなことに気がつきはしません。たゞもう、かん/\火のやうに怒るものですから、花びらはだん/\と石竹色になりました。あんまり身をふるはせるものですから、おしまひには花びらが、まるでうす紅の雨のやうに地に降りました。

 虹猫はもう、ぐつ/\してはをりません。やつぱり歌のつゞきをうたひながらも足のつゞくかぎり早く/\木精の頭のところへ走つて行きました。そして入用な材料は、馬追ひ谷に行けばあると知らせました。

 みんなが行つて、地におちたやぶ薔薇の花びらを寄せあつめて持つてかへりました。
 で、とう/\、女王様は、薔薇色の靴を御殿中のものにはかせることができ、虹猫は木精の国に、いつまでも好きなだけ、とゞまつておいでなさいといはれました。けれども、虹猫は、もつと旅がしたいからといつて、それをことわりました。
 木精たちは、沢山お土産をくれましたけれど、虹猫はたゞそのうちから、魔術の井戸の水を一びん貰《もら》ひました。この水は、一滴目につけると、石の壁をとほして、向うにあるものが見える便利なものです。又マンドリンはぜひもつていけといはれるので、これも貰つていきました。
 やぶ薔薇はその後うす紅の花をさかせるやうになりました。

底本:「日本児童文学大系 第一一巻 楠山正雄 沖野岩三郎 宮原晃一郎集」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
初出:「赤い鳥」1927(昭和2)年3月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:鈴木厚司
校正:noriko saito
2004年8月13日作成
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宮原晃一郎

動く海底—– 宮原晃一郎

    

 オーストラリヤの大陸近くに、木曜島《もくえうとう》といふ真珠貝の沢山取れる有名な島があります。そこには何百人といふ日本人の潜水夫が貝をとつてゐます。
 今は昔、そこにゐる潜水夫のうちで、太海《ふとみ》今太郎《いまたらう》といふ少年潜水夫がゐました。この人は貝をとる潜水夫のうちでも、名人とよばれた太海|三之助《さんのすけ》の一人息子でありましたが、海亀《うみがめ》を助けてやつて、海亀に助けられたところから浦島《うらしま》といふあだ名がついて、後には浦島今太郎といふ通名《とほりな》になつて、誰《だれ》も本姓太海を呼ばなくなりました。
 これから、その冒険談を聞くことにしませう。

 今太郎君が十五のときでした。
 ある日、お父さんの採貝艇《さいばいてい》(潜水夫をのせて真珠貝をとりにゆく船)に乗り、沖へ出て、空気を潜水夫へ送るポンプをせつせと動かしてゐると、すぐ船のそばへ、チヤブ台ほどの大きさの海亀が一匹浮き上りました。船の者共は面白半分|鉤《かぎ》をかけて、引上げてしまひました。
「こいつの肉はうまいから、今夜一ぱい飲めるぞ」と、水夫の一人がにこにこして言ひました。
「今太郎さん」と、も一人の水夫はポンプを動かしながら言ひました。「すばらしく、おいしいスープを拵《こしら》へて、君にも、うんと喰《た》べさしてあげるよ」
 今太郎君は船板の上に、仰向《あふむ》けにひつくりかへつてゐる亀を、珍しさうに見てゐましたが、これが今夜喰べられてしまふのかと思ふと、何だかかはいさうなやうな気がしました。そして浦島太郎の昔話を思出しました。
 そのうち、水底にもぐつてゐたお父さんが真珠貝をとつて、上《あが》つて来ました。潜水|兜《かぶと》をまづぬぐと、すぐ大きな亀に目をつけました。
「フン、えらいものを捕つたね。どうするんだい」と、お父さんがきゝました。
「どうするつて」と、さきの水夫が言ひました。「そりや親方|勿論《もちろん》、喰べるにきまつてゐるぢやありませんか」
 すると、今太郎君が横合から言ひました。
「ねえ、お父さん、かはいさうですよ。放しておやんなさいよ。だつて、日本ぢや、漁師たちは、亀がとれるのは、大漁のしらせだといつて、お酒を飲まして、放してやるつていふぢやありませんか」
「いや、それはいけない」と、別の水夫が言ひました。「日本の漁師なんて迷信が深いから、そんな馬鹿げたことをいふのだ。亀なんて、こちとら真珠とりにや、邪魔にこそなれ、ちつとも益にやならない。それよりもスープにしたり、テキにしたりして、喰《く》つた方がいゝ」
 お父さんはにこ/\笑つて、双方の言分を聞いてゐましたが、やがて、
「ぢや、かうしよう、お前たちには、わしから一人に一両づゝやるから、亀は今太郎の言ふやうに、放してやつてくれ」と、言ひました。
「ハハハ、これや、とんだ浦島太郎――ぢやない、浦島今太郎だね」と、水夫は笑ひながら、仰向けになつて、手足をもがもが[#「もがもが」に傍点]さしてゐる亀を、そのまま、ずる/\とひきずつて、海の中へ、ぼちやん[#「ぼちやん」に傍点]と投込みました。亀は水に入ると、すぐ自由を取もどして、上手に起直り、三度ほど波の上に頭を出して、こちらを見い/\、どことも知れず姿を隠してしまひました。

    

 程経て、ある日、大きな亀《かめ》が来て、もし/\今太郎《いまたらう》さん、竜宮へ御案内と言つたなら、浦島《うらしま》そのまゝですが、実際の話は、今太郎君が放してやつた海亀はその後、さつぱり行方が知れなかつたのです。又今太郎君の方でも、半分はそのことを忘れて、月日を送るうち、その年も過ぎて、十六になつたので、お父さん同様、海の底へもぐつて、真珠貝をとる稽古《けいこ》を始めました。
 今太郎君は厚い丈夫な潜水服を着て、まん丸い、ボール[#「ボール」は底本では「ポール」]のやうな潜水|兜《かぶと》をかぶり、足には何キログラムといふ重い鉛の底のついた靴《くつ》をはき、お父さんと一緒に、舷《ふなべり》の梯子《はしご》を下りて、海へ潜りました。海の底は薄暗くて、ちやうど、陸で木や草が茂つてゐるやうに、海藻《かいさう》が一ぱいに生えてゐるところもあれば、又砂原のやうなところもあり、山の崖《がけ》みたやうなところもありました。そして時々魚が、まるで鳥のやうに、身のまはりや、頭の上を泳いで通りました。
 今太郎君はお父さんにならつて、持つて来た袋に、真珠貝を拾つては入れました。けれども海の中では、人がとつて来たのを、舟の上や陸で見るやうに、さう、ざうさなくとることは出来ません。なか/\見つけるのが難しくて熟練がいるのでした。
 かうして、毎日のやうに、潜水して貝とりの稽古をしてゐるうち、ある日今太郎君が貝をさがし/\行くうち、ふと、自分から余り遠くないところに大きな岩が丘のやうにつゞいてゐるのを見つけました。
「おや、きれいだ!」
 今太郎君は心のうちで叫びました。岩は下の方が赤紫で、上の方へ行くにつれて乳色をしてゐます。そして赤紫の根本には、大小幾つもの穴が黒々とあいてゐるので、ちよつとお城のやうにも見えました。
「はゝア、これだな潜水夫たちが、竜宮城つていふやつは……」
 今太郎君は珍しいものですから、うか/\その方へ近づいて行きました。傍《そば》へ寄つてみると、その美しいこと。乳色の八つ手の葉をひろげたやうな珊瑚虫《さんごちう》が、べた一面にひろがつて、花の畑を見るやうでした。私共《わたしども》が珊瑚といつて珍重するのはこの動物の骨なのです。
 今太郎君は真珠貝をさがすことも、お父さんとはかなり遠く離れてしまつたことも忘れて、そこに立つてゐるうち、とある大きな岩穴の前に、沢山の蟹《かに》の殻が落ちてゐるのを見つけました。
「おや/\どうしたんだらう。蟹が戦争でもしたのか、こんなに沢山死んでゐる」
 今太郎君が不審をいだいて、その方へもつと近づいて行きかけたとき、忽《たちま》ち大きな穴の中から、真つ黒な雲がもく/\と湧出して、あたりは夜のやうに暗くなりました。

    三

「あツ、しまつた!」
 今太郎《いまたらう》君は我知らず、かう叫びました。それは、かね/″\潜水夫たちに聞いてゐた、海の底に住むいろ/\の怪物のうちで、一番|恐《こわ》がられてゐる大蛸《おほだこ》の仕業と分つたからです。沢山の蟹《かに》の殻は、そ奴《やつ》が今まで餌食《ゑじき》にしてゐたものだつたのです。
 蛸は敵にあつてにげるときや、大きな獲物を襲ふときには、口から墨汁《すみ》をふいて、あたりを真つ暗にする習慣をもつてゐます。つまり、我々が戦争をするとき、煙幕を張ると同じわけです。ですから、今太郎君はきつと自分が襲はれるものと思つて、早く逃げようとしましたが、真つ暗なので、どつちへ行つていゝか分りません。その上に、重い潜水服を着てゐるのですから、自由もきゝません。仕方がないから、貝入袋《かひいれぶくろ》の中から、護身用の大ナイフを手早く取出して、蛸が手をかけたら、ぶつぶつ切つてしまはうと待つてゐました。
 ところが何事もありません。はて不思議と怪しんでゐるうち、墨汁《すみ》で濁つた水もやう/\澄んで、あたりが見えるやうになると、二度びつくりしました。
 六メートルばかり前の岩穴の前に、雨傘《あまがさ》ほども頭があるすばらしい大きな蛸が、錨《いかり》の鎖にも似た、疣《いぼ》だらけの手を四本岩にかけて、残りの四本で何やら妙な大きな魚のやうなものを押へてゐます。しかし、押へてゐるだけで、すぐ喰《く》はうとはしません。
 今太郎君は蛸が自分にかゝつて来たのでない事を知ると、やつと安心して先程恐かつたことも忘れ、面白さうに、その場の成行をじつと見てゐました。
 蛸がすぐに喰《くひ》つかないのも道理で、その捕へてゐるのは、蛸にとつては恐しい大敵の海豚《いるか》だつたのです。だから大蛸は海豚が案外やす/\と押へられはしたものの、うかつにそばへは寄りつけないから、その大きな目をむいてじつと隙《すき》を狙《ねら》つてゐる、すると又、海豚の方では、不意を打たれて、幾分か自由を失つてはゐるものゝ、それぐらゐで閉口するやうな弱虫でないから、おとなしいやうなふりをして、実はじつと、蛸の様子をうかゞつてゐるのでした。
 と、たちまち、どんな隙を見つけ出したか、大蛸はその尖《とが》つた口を、まるで電光のやうな速さで、海豚の胸の真つ只中《ただなか》に、ぐさりと一突き!
「あツやられた!」
 今太郎君は自分がやられたものゝやうに、思はず大きな声を出しました。
 しかし、海豚はそれを待つてゐたのです。とつさに身をかはしたが早いかあべこべに敵の頭の下を狙つて、ぱくりと、喰《く》ひつきました。
 蛸やいか[#「いか」に傍点]は、手なんか二本や三本切つたところでびくともしませんが、その目のあるところは、人間で言へば首に当る大事な箇所ですから、こゝをやられたら、どんな奴《やつ》でもかなひません。海豚は自然に、それを知つてゐるのです。
 急所をやられて、さすがの怪物の大蛸も、とう/\参つてしまひ、吸付いてゐた疣だらけの手は、ぐつたりと力なく海の底に落ちて、大きな胴体はまるで開いた落下傘《らくかさん》みたやうに、ふわりふわりと浮びました。
 勝つた海豚は、まるで何事も起らなかつたものゝやうに、どこかへ悠々《いういう》と泳いで去りました。
 今太郎君は初めて、海の底の物凄《ものすご》い戦ひを見せられたのでした。しかし、こんなものはお茶の子です。海の底にはもつともつと恐しい危険が隠れてゐます。

    

 さて、かうして潜水を稽古《けいこ》してゐるうち、さすがに名人|太海《ふとみ》三|之助《のすけ》の子だけに、忽《たちま》ちのうちに、今太郎《いまたらう》君は一人前の――いや、子供でありながら、大人にまさるほどの立派な潜水夫になりました。そこで、もうお父さんの附添《つきそ》ひもなく、ひとりで海の底へもぐつて、どし/\真珠貝をとつてゐました。すると、ある日のこと、せつせと仕事をしてゐると、頭の上が俄《にはか》に暗くなつたので、びつくりして顔をあげると、沢山の小魚が、まるで黒い雲のやうにみつしりと群をなして、大急ぎで頭の上を通過し、珊瑚礁《さんごせう》や、海藻《かいさう》の藪《やぶ》にあわてゝ隠れました。
「おやツ! 変だぞ!」
 今太郎君はすぐさう感じました。それは大きな魚、たとへば、恐しい鱶《ふか》などがあらはれたときには、こんな沢山の魚が騒いで、逃げ隠れするものだといつもお父さんや年取つた潜水夫などに聞いてゐたからです。
「やあ大変だ!」
 今太郎君の考は当りました。
 自分の前方五、六メートルばかりの処に、頭の丸く突出て、胸の辺に口のついてゐる恐しく大きな鱶が、その小さな凄《すご》い目で今太郎君の方をじつと睨《にら》めてゐました。
「あツ鱶だ、鱶だ!」と、思はず大声をあげました、しかし、海の底にひとりゐて、潜水|兜《かぶと》をかぶつてゐるのですから、誰《だれ》に聞える筈《はず》もなく、只《ただ》自分の耳ががん/\鳴つただけです。
 今太郎君は、我知らず、走つて逃げようとしました。けれども、それは無益だといふことをすぐ感づきました。といふのは、こちらは厚い潜水服を着、重い鉛底の靴をはいた上に、長い通気管と、生命《いのち》綱を曳《ひ》いてゐて、大へん自由が妨げられてゐますから、下手に走つたりなぞすると、管が切れたり、綱が何かにからみついたりして、却《かへ》つて生命が危ないのです。それに鱶の泳ぐのはとても速いのですから、すぐ追つかれてしまひます。
 それでは上の船へ合図をして、引上げて貰《もら》はうとすれば鱶は、待つてゐましたとばかり、くるりと仰向《あふむ》けに引つくり返り、下の方から足をがつぷりと喰《く》ひ切つてしまふかも知れません。もう絶体絶命です。仕方なしに、かなはないまでもと、今太郎君は又もや護身用の大ナイフを握りしめて、そこにじつと立つてゐました。
 でも、鱶の方でも、妙な、丸つこい、てか/\光る禿頭《はげあたま》に、大きな三つ目をもつた怪物が立つてゐるものですから、さう、たやすくは飛ついて来ません。相変らず、小さな凄い目で、こちらを睨んでゐるつきりです。けれども、よく/\見てゐると、その大きな鰭《ひれ》がほんの僅《わづ》かづつ動いて、猛悪な魚の形はだん/\明瞭になつて来ます。確《たしか》にじり/\近寄つて来るのです。
 そのうち今太郎君は、むき出しになつてゐる両方の手が、鱶の食慾《しよくよく》をそゝり立てはしまいかと気遣つたので、そつと後《うしろ》の方へ廻《まは》しました。
 鱶はいよ/\近寄つて来ました。余り恐しいので、今太郎君は目をつぶらうとしましたが、どうしてもつぶれません。鱶との距離、あと三メートル、あと、二メートル、あと一メートル! 今太郎君の生命《いのち》は風前の燈火《ともしび》です!
 と、その頭の中に、海底で鱶に襲はれたときには、すばやく仰向けに泥《どろ》の中に仆《たふ》れ、手足をばた/\させて、そこらを濁してしまへば遁《のが》れることが出来るといふ話を思ひ出しました。
「さうだ。さうしよう!」
 が、ちと遅かつた。今まで、ほんのそろ/\近寄つて来た鱶はこの時、急に勢ひづいて、突進して来ました。そしてその恐しい鼻尖《はなさき》を、ごつん[#「ごつん」に傍点]と潜水兜前面の硝子《がらす》にぶつつけましたから、今太郎君はわツ[#「わツ」に傍点]と叫んで、どつかり尻餅《しりもち》をつき、めくら滅法に大ナイフを振廻しました。
 もツくり! もツくり!
 俄に泥の雲があたりを立てこめて、何もかも見えなくなりました。ちやうど今太郎君がしようとしたことを、鱶が手伝つたやうなものでした。何が幸になるか分りません。
 恐しさに胆《きも》をうばはれた今太郎君は、無我夢中でじたばたするうち、ふと何やら固いものに手がさはりました。すると不思議です。海の底が、ゆらゆらと地震のやうに揺出《ゆれだ》したので、ます/\驚いて、急いでその固いものを一方の手でつかみ、もう一方の手で、烈《はげ》しく生命綱を引きましたから、船の方では、ぐん/\引上げにかゝりました。
 ところが又、更に不思議なことには、海の底がつかんでゐる岩ぐるみ、今太郎君を載せるやうにしてずん/\上がつて行くのでした。だから今太郎君はいよ/\胆をつぶして、思はず、
「助けてくれ! 助けてくれ!」
と、叫びますと、耳ががん/\鳴つて、目がくら/\して、気が遠くなつてしまひました。

    

「今太郎《いまたらう》、おい今太郎、しつかりしなさい。お父さんだよ、分るか」
 やがて、こんな声が聞えました。今太郎君ははツと気がついてみると、いつか知ら、自分はもう海の中にはゐないで、病院の寝台の上にねてゐました。
 今太郎君はそれから鱶《ふか》に出あつた話をくはしく物語りました。
「ほゝう、それで分つた。おまへが引上げられた時、すばらしい大海亀をつかんで浮いて来たんだよ。みんな大騒ぎをして捕へようとしたが、水面まで来た時おまへの手が離れたので、そのまゝ沈んでしまつた。考へてみると、あの海亀のおかげで、おまへは鱶の顎《あご》をのがれることが出来たのだ」
と、お父さんがいひました。
 今太郎君が鱶に突かれて尻餅《しりもち》をついたのは、ちやうどそこにゐた海亀の背の上だつたのです。だから、海の底が動くと思つたわけです。そして、今太郎君は気絶した後も、亀の甲羅《かうら》をしつかりつかんで放さなかつたので、とうとう水面まで一緒に浮上つて来たのでした。
 これだけの話をお父さんに聞かされたとき、今太郎君は不思議さうにきゝました。
「ぢや、去年|僕《ぼく》が助けてやつた亀が、今度は僕を助けてくれたんでせうか」
「さアどうだらうかね」と、お父さんは笑つて言ひました。「去年の亀はチヤブ台ほどの大きさで、今年のは貨物自動車ほどもあつたからね」
「去年のが、そんなに大きくなつたのではないでせうか」
「いや、海亀は僅《わづ》か一年ばかりのうちにそんなに大きくなるものぢやないよ」
「それぢや、きつと去年の亀の親でせう」
「ハハハ、成程、子が受けた恩を、親がかはつて返したつてわけか。或《あるひ》はさうかも知れないね。実際、あの亀がお前を背に乗せて、水面まで上がつたからこそ、下から鱶に襲はれないですんだのだ。いつてみりやあの亀は身を以《もつ》て、鱶からお前を護《まも》つてくれたんだ。お前の生命《いのち》を救つてくれたのさね。去年の亀の親かも知れない。或は親の又親ぐらゐかも知れんよ。何しろ大きな亀だつたからね。百年以上の歳《とし》をとつてゐたらう。親にしろ親の親にしろ、お前が善いことをした酬《むく》ひは、ひとりでに来たわけだ。亀も始終海の底を歩いてゐるから、いつてみりや、あれも一種の潜水夫で、我々のお仲間さ。別に害をしないものだから、こつちからもひどいことをしないがいゝ。そしたら先方でも、今度のやうな善い事をしてもくれようからな」
     ×          ×
 今太郎君はその後お父さん以上の名潜水夫となつて、南洋の海底に活躍してゐます。

底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「新しい童話 五年生」金の星社
   1935(昭和10)年8月
初出:「少年倶楽部」講談社
   1932(昭和7)年7月
入力:tatsuki
校正:鈴木厚司
2006年3月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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宮原晃一郎

豆小僧の冒険—– 宮原晃一郎

    

 昔、或《あ》る大きな山の麓《ふもと》に小さなお寺がありました。小さな和尚さんと、小さな小僧とたつた二人さみしくそこに暮してをりました。
 お寺のそばには小さな村がありました。小さな村の人たちは、小さなお寺と、小さな和尚さんと、小さな小僧とのことを、豆寺《まめでら》の豆和尚《まめをしやう》さんと豆小僧《まめこぞう》とよんでゐました。
 小さなお寺ですから用事も沢山はありません。毎朝仏様にお勤《つとめ》がすむと、お天気さへよければ、豆小僧は上の山へ柴刈《しばか》りに行くのでした。
 ある日、豆小僧が柴を刈つて、束ねてゐますと、どこからかしら一人の婆《ばあ》さんが出て来て、馴々《なれなれ》しく言葉をかけました。
「まあ、豆小僧さん、お前さん本当に感心な子だね。毎日々々柴刈りに来て、よく飽《あ》きないことねえ。わたしはこの山の番人だから本当は柴をことわりなしに刈りに来る人があれば、咎《とが》めなけれはならないのだけれど、お前さんの勉強なのに感心して、黙つてゐるのだよ。」
 豆小僧は変な婆さんだと思つて黙つてゐました。なにしろ、真白《まつしろ》で、銀のやうに光る髪をもつて、するどい眼附《めつき》をしてゐる婆さんなので、豆小僧は気味が悪くなつて、仕方がなかつたのです。
 けれども、婆さんは案外深切さうで、にこ/\笑ひながら、
「お前さん余り働いたから、少し休んでおいでよ、わたしが刈つてあげるから。」と、言つて、豆小僧の手から鎌《かま》を取つて、さつさと柴を刈つて束ねてくれました。
「さあ、これをもつておいで、なにをそんなに変な目つきをするのよ。決して重くはないよ。」
 婆さんは、豆小僧が二日もかゝつて刈り集めるだけの柴を背中にのせてくれました。けれども、不思議なことには、それほど重たくないのでした。
「だがね、豆小僧さん、」と、婆さんは別れるとき念を押して言ひました。「わたしがお前さんに柴を刈つてあげたことを誰《だれ》にもしらしてはならないよ。若《も》しお前が余計なお喋《しやべ》りをしたら、ひどい目にあふからそのつもりでゐなさい。」
 婆さんはきつと豆小僧を睨《にら》みましたから、豆小僧はえりもとから水をかけられたやうに、ぞつとして何にも言はないで、お寺へ帰りました。

    二

 こんなことが毎日のやうに続きました。けれども豆和尚さんは、ちつとも気がつかないでゐましたが、或日《あるひ》ふと納屋を見ると、柴《しば》で一ぱいになつてゐますから、大変驚いて豆小僧に、これは一たいどうしたわけだとききました。
「どうしたわけもありません、私《わたし》が刈り取つて来た柴がこんなに溜《たま》つたのです。」
 豆小僧はとぼけた顔で答へました。しかし豆和尚さんはなか/\承知しません。しきりに問ひ詰めますから、豆小僧はとう/\真蒼《まつさを》になつて泣き出しました。
「言はれません、言つたら、お婆《ばあ》さんに殺されてしまひます。」
 豆小僧が、うつかりお婆さんと言ひましたので、豆和尚さんも顔色をかへましたが、それつきり何とも言ひません。
 けれども翌日《あくるひ》になつて、豆小僧が、また山に柴刈りに行くとき、豆和尚さんの前に出ますと、豆和尚さんは、待てと言つて、四枚のお守札を出して渡しました。
「このお守札は、」と、豆和尚さんは言ひました。「大般若《だいはんにや》のお札といつて、なか/\有難いものだ。もし今日お前が山に行つて、何か恐ろしいめにあつたなら、その一枚をそこに投げて、逃げるのだよ。それから後に又そんなことがあつたら、そのたんびに一枚づゝ投げて、お寺へ逃げて帰んなさい。いゝか、よく気をつけて行きなさい。」
 豆小僧ははい/\と言つて、浮かない顔をして、山に柴刈りに行きました。

    

 山へ行つてみますと、その日も婆《ばあ》さんは来てをりました。しかし豆小僧が妙にふさぎ込んで、眼《め》の隅《すみ》から婆さんをぢろ/\と眺《なが》めるやうですから、婆さんは気がついたらしく、れいの恐ろしい眼に角を立ててききました。
「豆小僧さん、お前はわたしのことを豆和尚さんに言ひはしなかつたらうね。」
 豆小僧は黙つて首を横に強く振りました。
「言はないことはあるまい。言つたら言つたと白状しなさい。嘘《うそ》をつくとなほひどいよ。」
 でも豆小僧はやはり首を横にふりました。自分でも、何にも言はないと、かたく信じてゐるのでしたから。
 婆さんはそれを見ると機嫌《きげん》をなほして、いつものとほり柴《しば》を刈つて、たばねてやつてから言ひました。
「お前さんの衣が大へん破れてゐるから、わしが縫つてあげよう。わしの家《うち》は直《す》ぐそこだから、ちよつとお出《い》で……」
 豆小僧は、もちろん恐《こは》い婆さんのうちなどへ行く気はありませんから、断りましたけれど、婆さんはきき入れません。むりに手を取つて、引きずるやうにして、その家《うち》につれこまれました。
「さア/\早く着物をお脱ぎ、縫つてあげるから。」
 婆さんが、さう言ひながら出した針を見ますと、馬の脚から血を取る三角針のやうな大きな針で、じつさい、それには血のかたまりが少しこびりついていました。
 ですから豆小僧はすつかりおつかなくなつて、おちやうづをしたくなつたと言つて、はゞかりへ行かうとしました。婆さんは、恐ろしい顔をして、
「そんなことを言つて、逃げるつもりだらう。よし/\逃げるなら逃げてみろ、かうしてやるから。」と一方の手を鎖でしばつて、便所へやりました。
 豆小僧は鎖をつけたまゝ便所へ入りました。けれども、これから先どうしたらいゝか分らず途方にくれてゐました。すると婆さんは外から待遠しがつて、きゝました。
「豆小僧まだか。」
「まだです。」
 豆小僧は鎖をはづさうとしてみますが、どうして/\、とても堅くて、びくともしません。困つてゐると、又、
「豆小僧まだか。」と、婆さんがききます。
「まだ/\。」と、返事したとき、ふと手にさはつたのは、豆和尚さんから貰《もら》つた大般若《だいはんにや》のお守札でした。これを投げるのは今だらうと思つて、一枚出して、そこへ投げますと、たちまち鎖はぼろ/\にきれて手は自由になり、それといつしよに前の壁に大きな穴があきましたので、豆小僧はそこから逃げだしました。
 婆さんは、豆小僧があまり出て来ないので幾度も――、まだか/\と呼びますと、そのたびに「まだまだ」と、返事をします。けれどもしまひには、とう/\待ちくたびれて、そつと便所の戸を開けて見ますと、小僧の姿は消えて、中には大般若のお守札が一枚落ちてゐました。それを見ると婆さんは、すぐ角の生えた悪魔の姿になつて、曲つた鼻で、犬のやうに足跡を嗅《か》ぎ/\、飛ぶやうに豆小僧の逃げた方へ追うて行きました。
 豆小僧が小股《こまた》で走つたところが、さう/\早くは逃げられません。たちまち悪魔に追ひつかれて、もはや、二三歩で、その襟《えり》がみをつかまれるといふ、あぶない場合にせまりました。で、豆小僧はも一つ大般若のお守札を出して、ほふり出すと、たちまちそこに高い/\、天までとどくやうな高い塀《へい》が出来ました。
 悪魔はきり/\歯がみをして、しばらくその塀を睨んでゐましたが、何やら呪文《じゆもん》をとなへると、すぐその指の尖《さき》が章魚《たこ》の疣《いぼ》のやうになつたので、それでべた/\と壁に吸ひついて、その塀をのりこえて、また豆小僧のあとを追ひました。

    

 又、もう二足三足で、豆小僧は悪魔におさへられようとする、あぶない目にあひましたので、今度は三枚目の大般若《だいはんにや》のお守札をそこへ投げました。
 すると、豆小僧と悪魔との間に、さつと一つの大きな/\川が出来ました。
 悪魔はもう一歩と、足を出しかけたところへ、急に、大きな川が出来たものですから、はづみをくらつて、あぶなくその川のなかへおち込むところでした。
 川には水がまん/\とたたへて、その流れの早いことは、浮いてゐる塵《ちり》や芥《あくた》が矢を射るより早く流れ去るのを見ても分りました。おまけに、向ふ岸まで一たい何里あるか分らないほどの広さでした。
 さすがの悪魔もぼんやりとして、そこに立つたきり、呆《あき》れてみてゐましたが、たちまち何やら呪文《じゆもん》をとなへると、大きな魚の形になつて、ざあ/\浪《なみ》を立てながら、その広い川をまたたくうちに泳ぎきつて、向うへ渡つてしまひました。
 もうお寺はすぐ前に見えてをります。豆小僧は、一生懸命、ちよこ/\と走りますが、何しろ、小股《こまた》で走るので、はかどりません。ぐづ/\してゐるうち、大川を渡つた悪魔が直《す》ぐ追ひついて、もう二足三足で、襟《えり》がみをつかまうとするまでに近く、迫りました。
 豆小僧は今度こそと、四枚目の大般若のお守札をほうりますと、土の中からポツと火が出て、そこらぢう一面に焔《ほのお》となりました。
 悪魔は不意を打たれて、手やら足やら顔やら焼傷《やけど》をしました。けれども、そんなことには閉口しません。何やら口で呪文をとなへますと、さすがに燃えさかつた火も見る/\消えて、あとには、只《ただ》炭と灰とだけが残りました。
「こんどは逃がさんぞ!」
 悪魔は大風の吹くやうな凄《すご》い音を出して豆小僧を追ひかけました。
「和尚さん助けて、あれ/\、悪魔が来ます、追つかけて来ます!」
 豆小僧は泣声を出して、必死に走りました。早くは行けませんが、それでもお寺の門にいま一足でとゞくところになりました。が、悪魔の手も、もう一尺のびれば、豆小僧の襟がみをとらへるところになりました。あゝ、あぶない、あぶない!
 そのとき和尚さんが門のうちから走り出して、何やらお経を読みながら悪魔の頭を数珠《じゆず》で打ちますと、悪魔の姿は煙《けむ》のやうになつて、消えてしまひました。豆和尚さんはその後、決して豆小僧を山へ柴刈《しばかり》にはやらないやうになりました。

底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「日本童話選集 第一輯」童話作家協会編、丸善
   1926(大正15)年12月
初出:「赤い鳥」赤い鳥社
   1925(大正14)年1月
入力:tatsuki
校正:鈴木厚司
2005年8月21日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

宮原晃一郎

拾うた冠—– 宮原晃一郎

 みなさん神社の神官がお祭の時などにかぶつてゐる帽子をご存じでせう。又あれが冠といふものであることもご存じでせう。あの冠は位によつて種類があります。丁度《ちやうど》金筋の何本はひつた帽子は大将で、何本のは中将であると今軍人の帽子で官の位がわかるのと同じことです。
 昔、天皇陛下がまだ京都におすまひなされたときのことです。或時《あるとき》、京都に火事がありました。その日はあひにく風が強いのでちよつとのうちに市中に拡《ひろ》がりまして、誠に恐れ多いことですが天皇陛下のおいで遊ばす宮城にも、とう/\火が燃えつきました。宮城の人達《ひとたち》は天皇陛下や、皇后陛下や、皇太子、皇子、皇女殿下などを、それ/″\、危くない場所におつれ申すことになりました。けれどもご存じのとほり、あの百人一首の絵にかいてあるやうな、長い、だぶ/\の着物を男も女も着てをりますから、なか/\思ふやうに活溌《くわつぱつ》な働きが出来ません。そのうへに今のやうにちやんと普段から支度がとゝのへてありませんから、たゞ恐《こは》がつて、慌《あわ》ててばかりゐて、一向だめでした。宮城にゐる人達でも、下等の者は、自分達だけさつさと馬を曳《ひ》き出して、逃げ出し、そして市中に出て、自分の行く先にちつとでも邪魔になるものは皆腰にさした太刀でスパリ/\と打ち切つて行きます。で、その騒ぎといつたら大変なものでした。
 そのとき一人の皇子がどうしたものでしたか、お傍《そば》の者と別れて、独りで逃げ迷つていらつしやいました。風に煽《あふ》られた火は大蛇《だいじや》の舌のやうにペロリ/\とお軒先を甜《な》めてまゐります。瓦《かはら》が焼け落ちて、グワラ/\と凄《すご》い音を立てます。逃げ迷ふ女子供の泣き喚《わめ》く声やら、馳《ま》せまはる男達の足音、叫び声などワヤ/\ガヤ/\聞えて物凄《ものすご》い有様でした。そのうちに火はます/\勢が強くなつて、パリ/\バン/\と花火をあげてゐるやうな音をさして皇子の立つていらつしやる御殿へ移つてまゐりました。皇子のお顔はその火の熱で灼《や》けるやうに赤くなりました。皇子はお傍の人達の名をいろ/\お呼びになりましたが、あたりの音が騒がしいのに消されてよく聞えません。又お傍の人達もどこかへ逃げてしまつたものか、さつぱり誰《だれ》も御返事を申しあげません。そのうちに火はいよ/\近くなりまして、もはや皇子のお命も危いくらゐになりました。
 この大火事の最中、一人の呑気《のんき》なおぢいさんが面白さうに見物してあるきました。この人は田舎から京都見物にはじめて上つてきた人ですから、都のことが何でも珍らしくてなりません。よくも案内を知らないので半分は迷《ま》ひ子になりながら、この騒ぎのなかを怪我《けが》もしないで見てあるくうち、とう/\宮城へ入り込んでしまひました。
 宮城のうちにはもう焼け落ちた建物もあれば、まだ燃えかけてゐるのもある。広いお庭には道具だの衣服だのが、いつぱいに散らかつてをります。もう人はたいてい逃げたとみえて、姿が見えません。するとそこに一つ冠が落ちてをりました。
「これは面白いものを見付けたぞ、かぶつてやりませう。ウム、なか/\ぐあひのいゝものだ。」
 おぢいさんは独り言をいひながら、頭にそれをのせました。田舎のおぢいさんのことですから、それが大納言《だいなごん》の冠であることは知りません。たゞ頭にかぶるものとだけ知つてをりました。するとどこからか遠いところで、「大納言/\。」と呼ぶ子供の声が聞えました。おぢいさんは大納言が何だかもやはり知らないので、そこいらをうろ/\見てあるきますと、又「大納言/\。」といふ子供の声がしますので、振り返つてみますと、もう半分は焼け崩れた一つ御殿から、一人の子供がこちらを向いて「大納言/\。」と呼びながら手招きしてをりますから、「ハテな、大納言ちうは俺《おれ》のことだらうな。」と、気がついて、そこへ参りますと、子供はいきなり、
「背中を出せ。」と申しました。
 で、ぢいさんは背中を向けますと、子供はおぶさりましたから、
「どつちへ行くんですか。」と、聞きますと、子供はその行先《いくさき》を申しましたので、おぢいさんはそこへ子供をおんぶして行き、それから又|他《ほか》のところを見てあるきました。
 その子供は曩《さき》に申した皇子でありました。おぢいさんが拾つてかぶつた冠が大納言の位にゐるものがかぶるものだつたので、皇子は、この田舎のおぢいさんを尊い位の大納言とおまちがひになつたのでした。
 扨《さ》ておぢいさんはそのまゝ田舎に戻《もど》つて、次の年今度は祇園祭《ぎをんまつり》を見物に又京都へ出てまゐりました。おぢいさんはあひ変らずその拾つた冠をかぶり、後手《うしろで》をしてあつちこつちを見物してあるきました。
 祇園のお祭にはおみこしが出るばかりではありません。美しい美しい山車《だし》が出ます。之《これ》を見物に沢山な人が路《みち》の両側に垣《かき》をつくつてをります。おぢいさんもそのうちにまじつて、見物してゐますと、どういふものだか、山車がおぢいさんの前まで来ますと、ぴつたりと駐《とま》つてしまひました。
「おや/\どうしたのだらう、曳《ひ》いてゐる牛が疲れたからとまつたのか知ら。」と、おぢいさんは不思議におもつてをりました。けれども牛は金と銀の紙を貼《は》られた角をによきつと立て、眠たそうな眼《め》をパチ/\させ、長い涎《よだれ》をくり/\、のつそりとそこへ立つてをりますが、疲れたやうではありません。そのとき一人の男がおぢいさんの前へ来て、叮寧《ていねい》にお辞儀をして申しました、――
「もし大納言さま、どうぞゆるすと仰《おつ》しやつて下さい。でございませんと、山車が御前をとほつて参ることが出来ませんから……。」
 おぢいさんは「そら又大納言だ。俺はいつ大納言ちうものになつたか知ら、よし/\一つ威張つてやりませう。」と思つて、エヘン/\ともつたいぶつて咳払《せきばら》ひを致しまして、
「ゆる――す、ゆる――す。」と、申しました。
 そう致しますと山車は又|賑《にぎや》かに囃《はや》し立てゝ通つて行きました。そこでおぢいさんは「これは面白いぞ、も一度山車をとめてやらう。」と考へ、別な道から先廻《さきまは》りをして、山車のくるのを待つておりました。
 山車はおぢいさんの前へ来ますと、又ぴつたりと駐つて、動かなくなりました。
「さあ今に何とか言ひにくるだらう。」と待つてをりますと、そのとほり又人がやつて参りまして、
「大納言様、どうぞゆるすと仰しやつて下さいませ。でございませんと山車が御前を通つて参ることが出来ませんから……。」と申しました。おぢいさんは大威張りで、
「ゆる――す、ゆる――す、とほれ/\。」と、申しますと、山車が又面白く囃し立てゝ動き出しました。
 さあ、おぢいさんは愈々《いよいよ》面白くてたまりませんから、また山車の先まはりをして、それを駐めては、「ゆる――す、ゆる――す。」と、言つて歩きました。五六度もかうして山車をとめて、おぢいさんは子供がいたづらをするやうな気で、喜んでゐました。
 然《しか》しもう一度かうして山車を駐めるつもりで先廻りをしてゐますと、どうしたことか今度は未《ま》だおぢいさんの前に来ないうちに遠くの方で山車がとまつて動かなくなりました。そのうち見物してゐた人達は皆口々に、
「皇子さまがお通りなされるのだ。」と、言つて、さしてゐた日傘《ひがさ》をつぼめ、頭にかぶつてゐたものを脱ぎ、路傍《みちばた》にぺつたりと坐り込んでしまひました。
 皇子は黄金《きん》の金具のぴか/\と光る美しい御所車におのりになつて、ゆつくり/\と通つておいでになりました。見物人は皆額を土につけて御辞儀をしてをります。ところが不思議なことにはその御所車が丁度おぢいさんの前に来ますと、ぴつたりと駐つてしまひました。
「可笑《をか》しいぞ。山車のやうに俺がゆる――す、ゆる――すと言はなければ、これも又動き出さないのかしら。」と思つて、おぢいさんはそつと頭を上げてみますと、御所車の横の方の御簾《みす》が少しあがつて、そこからこちらを御覧になつておいでなさるのは、去年おぢいさんが負《おん》ぶして火事場をおにがし申した皇子さまでした。
「おや/\あれが皇子さまであつたのか。俺はえらいことをした。」と、おぢいさんは心のうちに思ひました。そのとき一人の舎人《とねり》がやつて来て、申しました。
「大納言の冠をかぶつた御老人、皇子さまのお召でございます。御行列の一番あとに入つてお城へおいで下さい。」
 おぢいさんは宮城へつれていかれて、皇子をお助け申したといふので、御褒美《ごはうび》をいたゞけるのだと嬉《うれ》しく思ひましたけれど、又考へてみますと、冠をひろつてかぶり、山車をとめて、「ゆるす/\。」といつたことで、お叱《しか》りを受けるのではないかと恐しくも思ひました。
 お行列がお城に着きますと、おぢいさんは御庭先へ呼び出されました。そこへみえましたのは皇子ではなくて、一人の大納言でした。
「去年皇居に火事があつたとき、皇子さまを負《おん》ぶしてお逃がし申したのはお前ぢやな。」と、その大納言が申しました。
「ヘイ/\私でございます。どうぞ御勘弁をお願ひ申します。」
 おぢいさんは恐れ入つて頭を下げました。
「その褒美に皇子様からお金を一包下さる。誠に大儀であつた。」
「ヘヽヽイ。」と、おぢいさんは喜びました。すると今度は大納言は詞《ことば》を改めました。
「だがその冠ぢや、それは一体|誰《だれ》から授けられたものか聞いてまゐれとの仰せぢや。」
「ヘヽヽイ。」と、おぢいさん今度は恐しくて縮み上りました。「是《これ》は御所の御庭で拾ひましたものでございます。どうぞ御勘弁を……。」
「ウン、さうか、ではお前に授けられたものではないから、お前のものとしてかぶつてならないものぢや。一体ならば、そんなものをかぶり、大納言のまねをして、山車をとめさしたりなどしたのだから、重い罰を言ひつけるのだが、皇子さまをお助け申したことがあるから、今度だけは赦《ゆる》してあげる。冠はこちらへ渡せ。」
 おぢいさんは大納言の冠をとられて、お金を一包みいたゞいて宮城を出ました。すると丁度そこへ祇園の山車が一つ帰つて行くところにであひました。大納言の冠がもうありませんから、今度は山車は駐らないばかりでなく、それについてゐる若い者のうちに、おぢいさんを見知つてゐる者がありましたので、「それや偽《にせ》大納言が通る、太い奴《やつ》だ。こらしてやれ。」と、叫んで、おぢいさんに石を投げたり、打つてかゝつてきましたので、おぢいさんは、はう/\の態《てい》で迯《に》げだしました。
「拾つた冠ぢや。ほんたうの役には立たない。やはりお上から授かつたものでなけりやいけないんだ。」
 遠くに逃げのびてから、おぢいさんは寂しさうにその禿《は》げたお頭《つむ》をつるりと撫《な》でまはしました。

底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「竜宮の犬」赤い鳥社
   1923(大正12)年5月
初出:「赤い鳥」赤い鳥社
   1921(大正10)年5月
入力:tatsuki
校正:鈴木厚司
2005年8月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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宮原晃一郎

蛇いちご —–宮原晃一郎

 林の中に行つてみると、紅のいろをした美しい蛇《へび》いちごが生《な》つてをります。
「蛇いちごを食べてはいけないよ。あれは毒ですからね。あれを食べると、体は溶けて水になつてしまひますよ。」
 お母さん達《たち》はかう子供に教へます。恐しい毒な蛇いちご、みかけは大変美しくて、人の体をとかしてしまふ蛇いちご。本当にさうなんでせうか? 私《わたし》は知りません。けれどもこんな話がつたはつてをるのです。

 日本のずうつと西の端《はて》の或国《あるくに》では、氏神といつて、どこの家《うち》でも、先祖代々自分だけの神様を祀《まつ》つてをります。その祭礼は十一月で、一年に一度|神職《かんぬし》をよんで、神棚《かみだな》に七五三《しめ》繩を張り、御《お》燈明をつけて、祝詞《のりと》をあげて貰《もら》ひます。そして親類の者や、近所の人達を呼んで御馳走《ごちそう》を致します。子供達は甘酒や御赤飯がふるまはれるので、氏神祭りといへば、楽しいものゝ一つです。
 ある時、一人の神主さんがありました。矢張りこのお祀りによばれて方々を祝詞を上げて歩いてをりました。ところが、よばれて行つた先で出す御礼は玄米一升に、一厘銭十三ときまつてをりました。至つて僅《わづ》かなものです。けれども御馳走だけはうんと出ますが、一人で一日四五軒も行くのですから、とても出された御馳走をみんな食べるわけにはいきません、といつて持つて帰ることも出来ないので、大変残念に思つてをりました。
「どうにかして、皆《みんな》でなくても、出されたものを大てい喰《た》べつちまうことはできないかしら?」
 ぼんやりと考へながら、或日神主は、谷の傍《わき》の山道をうろ/\としてゐますと、一|疋《ぴき》の大蛇《だいぢや》が向うへ出てきましたので、びつくりして、そこの岩陰にかくれてをりますと、大蛇は神主のゐることを知らないものゝやうに、大きなお腹《なか》をかゝへて、だるさうにして、谷のふちの辺《あたり》を何やら捜してをりました。神主さんは恐《こは》いけれど、何をするのだらうと、不思議がつて見てをりますと、大蛇はそこにあつたものを何やら二口三口たべて谷へ下りて行きました。神主さんがそつと覗《のぞ》いてみると、大蛇は谷川に下りて行つて、水を飲んでゐるのでした。水を飲み終ると、大蛇は向うの岸に上り、大きな松樹《まつのき》に身を巻きつけ、一つじつと締めると、見る見るうちにお腹《なか》はげつそりと小さくなつて、勢よくどこかへ行つてしまひました。
 神主さんは岩の陰を出て、蛇《へび》が何やら喰べたところへ行つてみますと、そこには美しい蛇いちごが、もう霜にしなびて残つてゐました。神主さんは「しめた。」と、手を拍《う》つて悦《よろこ》びました。それはかういふ話を思ひ出したからでした――
「蛇が腹一ぱいに物を食べると、蛇いちごを食べ、水を飲んで、立木に巻きつく。さうするとお腹《なか》の物はすつかりと消化《こな》れてしまふ。けれども亀《かめ》を呑《の》んだときだけにはそれがきかないさうだ。どういふわけかといふと、亀は堅い甲羅《かふら》を着てゐるから、蛇いちごもきかない。亀は呑まれる直《す》ぐ、首も手足もちゞこめてゐるが、蛇が水を呑むと、元気が出て、お腹《なか》の中で、首や手足を出して荒れまはる。蛇は苦しいから、立木にまきついて締めると、亀はその手足の爪《つめ》で、蛇のお腹《なか》をガサ/\引掻《ひつか》いて、とう/\その腹を裂いて、出てしまふ。」といふ話でした。
「しめた/\。」と、も一度神主さんは叫びました――
「この蛇いちごをもつて行かう。そして祝詞を上げてゐるうちにそれをたべては、水を飲んでをらう。さうしたら直ぐお腹があの蛇のやうにすいて、どこへいつてもありつたけの御馳走がたべられる。」
 神主さんはそこらぢうを捜して、沢山蛇いちごを集めて袂《たもと》に入れて、いそ/\と氏子の家へ行きました。

 さて神主さんは神前に出て、祝詞をあげながら、
「かけまくも畏《かしこ》き……ムニヤ/\、大神《おほがみ》の大前《おほまへ》にムニヤ/\……。」と、ちつとづゝ蛇いちごをたべては、お水をいたゞいてゐますと成程どうも不思議にお腹《なか》がすいて来ます。そして祝詞が終る頃《ころ》にはもう飢《ひも》じくて/\気が遠くなる程になるので、出された御馳走を、まるで餓鬼のやうにがつ/\がぶ/\と喰べたり、飲んだりして、
「マアこれでよろしい。」と、ほく/\悦《よろこ》びながら、二軒三軒と廻《まは》つてあるいてゐるうち、段々と眠たくなつて来ました。
「どうしたものだらう。あんまり喰べ過ぎたせいかしら。」
 神主さんはお腹《なか》のへんをさすつてみますけれど、お腹《なか》はげつそりとしてをります。寧《むし》ろ狼《おほかみ》のやうに腹が背骨にくつゝいてをります。そしてその飢《ひも》じいことゝいつたら、何ぼたべても追ひ付きません。
「神主さんは、御病気ぢやございませんか、大層お顔がお痩《や》せになりましたが。」
 或家《あるいへ》ではかう言はれました。
「いゝえ、どう致しまして。……たゞ余り遠いところを急いでまゐりましたので、お腹《なか》がすいたのです。」
 神主さんは情ない声を出しました。心のうちでは――
「どうやら、これは蛇いちごが利きすぎた。」と、思つてゐますがそんなことは言はれません。
「おや、それぢや何か召上るものをさし上げませう。」
 そこの家《うち》では先づ御馳走から出しましたので、神主さんはがつがつと四人分もたべて、大きなお腹《なか》をかゝへながら、やつこらせと、神前に坐《すわ》つて、ムニヤ/\と祝詞をあげ始めました。
 家《うち》の者どもは神主さんが余りに意地汚く喰べたのに驚いてをりました。
 そのうちに奥の方で祝詞をあげる神主さんの声が段々と低くなつて、とう/\しまひには聞えなくなりましたので、不思議に思つて、そこの奥さんが行つてみました。すると神棚の前には神主の坐つてゐたところに、その衣物《きもの》やら、袴《はかま》やらがあります。それもちやんと人が着てゐたまゝで、丁度その中から身体《からだ》だけを引つこ抜いて取つたやうになつてゐました。変なこともあるものだと、家《うち》の人達《ひとたち》を呼んで、捜してみても神主さんの姿はどこへ行つたか見えません。衣物や袴をといてみますと、そのあとには水が沢山|溜《たま》つてをりました。そして衣物の袂から、蛇いちごが四つ五つ出てきました。そのときそこへ来合せてゐた百姓の十袈裟《とけさ》といふ男がそれを見付けて、かう申しました。
「分りました。神主さんは溶けて水になつてしまつたのです。」
「それはどういふわけです。」と、皆が聞きかへしました。
「御覧なさい。」と、十袈裟は蛇いちごをさして申しました。
「この蛇いちごを神主さんはたべたにちがひありません。私《わたし》が山の畑に行きますと、時々大きなお腹《なか》をした蛇が出て来ます。そして蛇いちごを喰べては水を飲みますと、すぐそのお腹がげつそりと減るのです。神主さんはきつと蛇がさうするところを見て、自分もお腹をすかしては、御馳走を沢山たべてやらうと、きたない心を起したにちがひありません。相憎《あひにく》と蛇がたべればお腹がへるけれど、人間がたべれば、その身体《からだ》までが溶けてしまふのです。なぜかといへば、蛇は人間を呑んだときにも、矢張り蛇いちごを喰べて、それを溶かしてしまふのですからね。」
 そこの人達は成程と思つて、衣物《きもの》と袴とを使にもたせて、そのことを神主さんの家《うち》へ言つてやりました。

底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「竜宮の犬」赤い鳥社
   1923(大正12)年5月
入力:tatsuki
校正:鈴木厚司
2005年8月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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宮原晃一郎

子良の昇天 —–宮原晃一郎

    一

 むかし三保松原《みほのまつばら》に伯良《はくりやう》といふ漁夫《れふし》がゐました。松原によく天人が遊びに降りてくるのを見て、或日《あるひ》その一人の天《あめ》の羽衣を脱いであつたのをそつと隠しました。天人は天に上る飛行機の用をする羽衣をとられて、仕方なく、地上に止《とど》まつて伯良のおかみさんになりました。此《この》天人が生んだ子は男で子良《しりやう》といふ名でした。
 天人は天に住まうものですから、此《この》地上にゐては外国に来てゐるやうなものでさつぱり面白くありません。間がな隙《すき》がな外に出ては空を眺《なが》めて、嘆いてをります。
「あゝ羽衣があつたら、あの雲の上、あの青い/\空の奥の御殿へ行かれるものを、伯良さんは何処《どこ》に隠したか知ら。」
 伯良の留守を見ては、天人はこつそりと家のうちを捜してみますけれど、羽衣はないのでした。
「あゝ仕方がない。もう死ぬまで漁夫《れうし》の女房で暮らしていくことか。」
 天人は深い/\嘆息《ためいき》を吐《つ》いてをります。

    

 ところが或日《あるひ》のこと、自分の生んだ子の子良《しりやう》が来て、おつ母《か》さんは何《な》ぜいつもそんな不機嫌《ふきげん》な顔をしてゐるのですか、と訊《き》きますから、実は私《わたし》はお隣りの助《すけ》さんや、八さんのおかみさんとはちがつた天人であるから、故郷《ふるさと》の天へ帰りたくてたまらないのでと言つてきかせました。
「さうかい。ぢやお母さんの故郷の天はどんなところかい。海もあるかい、山もあるかい。そして木も生えてゐるかい。魚もとれるかい。」
 子良は十になつてゐましたから、もういろんなことが分るうへ、何でも珍らしいことを見たがり聞きたがりするのでした。
「そんなに一|時《とき》にきいたつてお話は出来ませんよ。妾《わたし》の故郷の天は一口に言へば、あのそれ、時時空に見えるでせう。美しいお城が、あれよ、あの蜃気楼《しんきろう》といふものとよく似てゐるの。」
「ウン、それぢや、僕も行つてみたいな。おつ母《か》さん、僕《ぼく》をつれて行かない、天へ遊びに。」
 天人は悲しさうに頭をふりました。そして天《あめ》の羽衣といふものが無ければいかれない。その羽衣は、伯良《はくりやう》がどこかに隠してゐて、どうしても渡して呉《く》れないから、迚《とて》もその望みをかなへることは出来ないと、言ひました。

    

 それから又《また》三日ばかり経《た》つて、天人が空を眺《なが》めてゐますと、子良《しりやう》がこつそりと来て、その袖《そで》を引いて、囁《ささや》きました。
「あのね、羽衣の在所《ありか》が分つたよ。」
「えつ、本当かい。」
と、母の天人は眼《め》を丸くしました。
「本当とも、けれどもね、僕《ぼく》には取れないところにあるんだ。」
 子良は、今朝お父さんの伯良《はくりやう》が、天井裏にある網を下すとき、小さなつゞらを、一緒におろし、その蓋《ふた》をあけたら美しい着物が出て来たので、何かと訊《き》いてみたら、之《これ》は天《あめ》の羽衣といふものでお母さんがお嫁に着て来た大事なものだ。他人に知れると盗まれるから、誰《たれ》にも言つてはいけないぞと、伯良が言つたのでした。
「あゝ有難い、それでは直《す》ぐそれを着て、天に昇りませう。」
 天人は大喜びで、伯良が沖に漁に出た留守を見はからひ、そのつづらの中から天の羽衣を出して、着ました。さて子良を背《せな》におぶつて、天へヒラ/\/\と昇らうとしました。ところがドツコイそんなうまいことは出来ません。如何《いか》に昇らうとしても、身体《からだ》がちつとも浮かないのです。
「ハア悲しい。困つた。」
と、天人は目に涙をためて、口惜《くや》しがりました。
「子良や迚《とて》も此《この》羽衣だけではお前までつれて昇る力がありません、お前は此地《このち》にピツタリとくつついて離れることの出来ない人間の血をうけてゐるから、なかなか重たくて迚もダメです。」
「ではおつ母《か》さん、僕《ぼく》つれていかないの。どうしてもいけない?」
「ダメ/\、あとで、また何とかしませう。今はダメ。誰かに見付かつて、又羽衣をとられるといけないから、お母さんは直ぐ帰ります。待つておいで、左様なら、左様なら!」
 天人は子良が自分を慕つて泣くのに引かされ、自分も涙を流しましたが、故郷《ふるさと》へ帰りたい一念は押へきれず、只《ただ》ひとり、ヒラリ/\と天をさして昇りました。

    

 昨日と経《た》ち今日と過ぎ、忽《たちま》ち三四年経つてしまひました。けれども明暮《あけくれ》子良《しりやう》がどんなに待つても天人の母は帰つて来ません。どうなつたものやら風の便りすらないのでした。
 子良はもう立派な漁夫《れふし》の少年です。親父《おやぢ》の伯良《はくりやう》を扶《たす》けて漁に出ます。けれども母のことばかり考へてゐました。子良の幼ない記憶に残る母は鼻の高い、色の真白《まつしろ》な、せいの高い美しい人でした。子良はその母が目について忘れられないのでした。
「お前が天《あめ》の羽衣の隠してある処《とこ》を教へたりなんかするから、お母《ふくろ》は去《い》つちまつたんだよ。だが彼《あ》の女は遉《さす》が天の者だけに子供の可愛いことを知らんと見える、人情がないね。」
 伯良は子良がぼんやりと外の松の樹《き》の下に立つて母の飛んで行つた空を眺《なが》めてゐるのを見ると、よくこんな愚痴《ぐち》まじりの小言のやうなことを言ひました。
 そのうちもう二年経ちました。或《あ》る日矢張松原に出て、空を眺めてゐますと、日のある方から何やら白いものが落ちて来るやうですから「ハテ何だらうか」と、瞳《ひとみ》をこらして見てゐると、それは段々近くなつて一羽の鶴《つる》であることが分りました。するとまたその後から黒い大きなものが降りて来ますから、いよ/\変だと思つてゐると、それは一羽の大鷲《おほわし》で、鶴をめがけて、追うてくるのだと分りました。
 鶴は悲しい声を出して、一生懸命に逃げて来ますが、鷲はその強い大きな翼を搏《う》つてすさまじい勢で風をきり、たちまちに追ひ付き、その鋭い爪《つめ》と嘴《くちばし》とで、鶴を突いたり、蹴《け》つたりするので、空は鶴の白い羽がとび散り、まるで雪がふるやうでした。鷲は鶴を引浚《ひきさら》つていくつもりですが、鶴も今は必死ですから、その長い嘴《くちばし》を槍《やり》のやうに使ひ、その羽に力をこめてふせぎながら、隙《すき》があつたら逃げようと、だんだん下へ/\と舞ひ下つて来ました。
 子良はそれを見て、鶴がかはいさうになりましたので、どうにかして助けてやらうと思ひ、手に小石を拾つては鷲をめがけて投げつけました。始めのうちは遠いのでなか/\とゞきませんでしたが、だん/\近くなつたので、その石の一つが、まぐれ当りに鷲のからだに当りました。さすがの鷲もそれには少し困つたところを、鶴はす早く逃げて、子良の近くにある小松のしげみに隠れてしまひました。

    

 マアよい事をしたと思つて、子良《しりやう》は喜んで家《うち》に帰り誰《たれ》にも言はずにその日も暮れましたので、寝床に入つて眠《ね》ました。
 しかし二三時間も経《た》つと、誰やら女の声で御免なさい/\と言つて、雨戸をたゝく者がありますから、目を醒《さ》まして明けてみますと、其処《そこ》に昼間たすけてやつた鶴《つる》が立つてゐました。
「先程はどうも大変な御助けを受けまして何とも御礼の申し様もございません。」と、鶴は丁寧に頭を下げて言ひました。
「実は私《わたし》は貴下のお母様《かあさん》から言ひつかつて、天へお迎へに来ましたが、鷲《わし》の為めにサン/″\羽や身体《からだ》をいためられて、自分だけ低い空をとぶのがやつとでございます。ですから貴下を背負《おんぶ》してあの高い天の御殿などにはもう迚《とて》もいかれませんけれども此儘《このまま》にして置いては私の役目が果せませんから、一つ貴下《あなた》が天に御昇りになれる法をお教へ致します。」
 天《あめ》の羽衣もなく、又鶴の背にものらずに天に昇る法といふのは斯《か》うでした。
 昔天人が降つて遊んだ松原のあたりに、月のよい夜時々天から大きな釣瓶《つるべ》が繩《なは》をつけて下ろされる、それは天人が風呂をたてる水を汲むのでした。
 元から天人|達《たち》は自分で降りて来て美しい景色を眺《なが》めながら、うしほを浴びるのでしたが、伯良《はくりやう》が羽衣を隠してから後危ないから、こんな工合にしてゐるのでした。で、子良はその釣瓶《つるべ》の水をまかして、自分が代りに中に入つて行けばよいといふのでした。

    

 子良《しりやう》は今度こそ天にのぼつて、蜃気楼《しんきろう》の御殿を見たり、お母さんに会つたりすることが出来ると、大変|悦《よろこ》んで、或《あ》る月のよく光つた晩、こつそり鶴《つる》が教へた処《ところ》に行き、松の蔭《かげ》に隠れて天から釣瓶《つるべ》の下りてくるのを待つてゐました。
 夜もだん/\更けて、月が高く昇り、松に吹く風の音がさえにさえて来ますと、果して空から大きな釣瓶が下りて来て、汐《しほ》の中に、ドブン、ザワ/\と音を立てました。子良はそら今だと大急ぎで飛び出し、その釣瓶の水をあけると、自分が代つてその中に入りました。釣瓶は勢よく天へ引き上げられ、高く/\上がつたとき、どうした機《はず》みにかその繩《なは》がきれて、子良は真逆様《まつさかさま》に地面へ墜《お》ち、身体《からだ》は形もないほどメチヤ/\にこはれてしまひました。けれどもその時子良の魂だけは、フワリと浮いて、羽衣も釣瓶もなしに、ひとりでに高く/\天へ昇つて行きました。

底本:「日本児童文学大系 第一一巻 楠山正雄 沖野岩三郎 宮原晃一郎集」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
入力:鈴木厚司
校正:noriko saito
2004年8月13日作成
青空文庫作成ファイル:
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宮原晃一郎

幸坊の猫と鶏—– 宮原晃一郎

    一

 幸坊《かうばう》のうちは、ゐなかの百姓でしたから、鶏を飼つてゐました。そのうちに、をんどりはもう六年もゐるので、鶏としては、たいへんおぢいさんのはずですが、どういふものか、この鳥にかぎつて、わか/\しくしてゐました。まつ白な羽はいつも生えたてのやうに、つや/\して、とさか[#「とさか」に傍点]は赤いカンナの花のやうにまつ赤で、くちばしや足は、バタのやうに黄いろでした。
 幸坊が餌《ゑ》をもつていくと、このをんどりがまつ先きにかけて来ます。幸坊がわざと、ぢらして餌をやらないと、をんどりは片足をあげながら、首をかしげて、ふしぎさうに餌箱を見上げますが、幸坊が笑ひながら、やつぱり餌をくれないでゐると、とう/\たまらなくなつてクウ/\と小さな声で鳴きます。
「幸ちやん、幸ちやん。ちやうだいな。そんな、いぢわるをしないで……」
 さう言つてゐるやうに聞えます。
「やるよ、やるよ。さア/\。」
 幸坊は、かはいさうになつて、餌をまいてやると、そこへ、いきなり、まつ黒な猫《ねこ》が一ぴきとび出してきます。ほかの鶏はびつくりして、クワツ/\と叫んでにげますけれど、をんどりだけはなか/\勇気があつて、ちよつと首をあげて、グウとのど[#「のど」に傍点]をならして、猫をにらみます。猫は面白がつて、飛びつきさうにしますと、をんどりは頭を下げ、首の毛をさかだてゝ、猫がそばに来たら、目をつゝいてやらうと、まちかまへてゐます。
「黒や、もうおよしよ。とうと[#「とうと」に傍点]がきらふからね。」
 幸坊はさう言つて、黒をだきあげて、そのつめたい鼻の先をじぶんの頬《ほ》つぺたにぴつたりとつけ、ビロードのやうなその背をなでてやります。黒は甘えて、のどをゴロ/\音させながら、するどい爪《つめ》で、しつかり幸坊の着物にすがりついてゐるのです。

    

 或日《あるひ》、幸坊《かうばう》が学校の当番で、おそくうちへかへりました。すると、お母さんが、困つた顔をしてかう言ひました。
「幸や、あのね。をんどりが見えなくなつたよ。そこらの藪《やぶ》にでも入つてゐないか見ておいで。悪い狐《きつね》が出るけれど、まさか昼だから、狐がとつたんでもあるまい。」
 幸坊はほんとにびつくりしました。あのうつくしい、かはいゝをんどりがゐなくなつたのか。それは大へんなことだ。どうしてもさがし出して来なければならないと思つて、肩からかばん[#「かばん」に傍点]をおろすとすぐ一本の竹切れをとつて、出かけようとしますと、どこからか黒《くろ》が出て来て、にやあんと鳴きながら、あとをついて来ます。
「黒や、いけないよ。おかへり。ぼくはね、をんどりのとうと[#「とうと」に傍点]をさがしにいくんだからね。おまいが犬だとつれていつて、さがす手つだひをさせるんだけれど、猫《ねこ》ぢやだめだ。」
 幸坊はしきりに黒を追ひかへさうとしますけれど黒はなか/\かへりません。仕方がないから、ほうつておくと、黒はさつさと先にいつて、畑の向うにある大きな森の中にはいつてしまひました。幸坊はをんどりばかりでなく、黒までゐなくしては大へんだと思つて、
「黒や、黒や。」と大きな声を出してよびますけれどどこへ行つたものやら、わかりません。
 森の中は、木の葉や、下草のために、昼でもまつ暗なのに、もう夕方が近いので、なほさら暗かつたのです。
「とうと[#「とうと」に傍点]、とうと[#「とうと」に傍点]、とうと[#「とうと」に傍点]。」
 幸坊は一しやうけんめいに声を出して、森の中を歩いてゐますけれど、をんどりは出て来ません。そのうち、どうしたことか、いつも馴《な》れきつてゐる森の中で、すつかり路《みち》をまよつて、どうしても出られなくなりました。
 今は、もう鶏や猫などにかまつてをれません。じぶんがどうしてこの森をぬけ出さうかと、困つてゐるとき、ふと向うに小さなうちを見つけました。
「まアよかつた。」と、幸坊は胸をなでおろして、そこへいきかけますと、その小さなうちの、かたくしめてある窓の下に、一ぴきの狐が、はうき[#「はうき」に傍点]のやうな大きな尾を地べたにひいて、おしりをすゑて、しきりにその窓を見てゐます。さて変だなと思つて、幸坊は立どまつて、ぢつと狐のすることに気をつけてゐました。すると、狐はやさしい、やさしい声を出して、かううたひました。――
[#ここから2字下げ]
カツカコー、かはいゝ鶏《とり》ちやん、
金の冠をもつたかはいゝ鶏《とり》ちやん、
つや/\光つた、かはいゝ小頭、
絹のおひげをたらした鶏《とり》ちやん、
窓をごらんな、小さな窓を、
こゝに、りつはな人が来て、
おいしいお豆をまいてゐる、
それでもだれもひろやせぬ。
[#ここで字下げ終わり]
 すると、小さな窓があいて、ひよつこり小さな頭を出したのは、幸坊のをんどりでした。
「あらツ! とうと[#「とうと」に傍点]がゐる!」
 幸坊が声をあげて、走り出したときには、もうおそかつたのです。狐はすぐとうと[#「とうと」に傍点]にとびついて、とうと[#「とうと」に傍点]をとつて、じぶんの巣へくはへて走りました。
「あれ、黒ちやん、狐がわたしをとつてまつ暗な森へ、私《わたし》の知らないところへつれて行く。黒ちやん、早く来ておくれ、たすけておくれ!」
 すると、ふしぎなことには、幸坊の黒猫がどこからか出て来て、ベースの球みたいに、はやく、ぶつ飛んで、狐のあとを追つていき、大きな爪《つめ》を狐の背に打ちこみましたので、狐は痛がつて、鶏をはなしてにげました。
「気をつけなさいよ、とうと[#「とうと」に傍点]ちやん。」と、猫は言ひました。「決して窓からお顔を出しちやいけない。又どんなことを狐が言つても、信じちやならないよ。あいつはおまいさんをたべて、骨ものこしやしないよ。」
 そして、黒はまたどこかへいつてしまひました。

    三

 幸坊《かうばう》は、ふしぎでたまらないものですから、すぐにその小屋のところへ走つて行きました。けれどもそのときにはもうおんどりは小屋のうちにはいり、なかから窓をしつかりしめてゐます。
「とうと[#「とうと」に傍点]や、とうと[#「とうと」に傍点]や!」
 幸坊は大きな声を出して呼びながら、小屋のまはりをまはつてみますけれど、中はひつそりとして音もしません。
「とうと[#「とうと」に傍点]や、私《わたし》だよ。狐《きつね》ぢやないよ。私だよ。」
 幸坊はしきりに窓の戸をたゝいて、をんどりを呼びましたけれど、狐だと思つて、戸を開けません。
「いけないよ、狐さん、私《わたし》をだまして、おまへ私をたべてしまつて、骨ものこさないつもりだらう。」
「さうぢやないよ。私《わたし》だよ。おまいを飼つてやつてる幸坊だよ。狐なんかゐやしない。」
「うそだ。狐さんだ。幸坊ちやんのまねをしてゐるんだ。」
「それほどうたぐるんなら、ぼく、窓のところから遠くはなれてゐるから、ほんの少し戸をあけてごらん。そしてもしかぼくが幸坊だつたら、すつかり開けて出ておいでね、とうと[#「とうと」に傍点]。」
 をんどりもさう言はれて、すこし安心したと見えて窓の戸を細く開けました。
「なるほど、幸坊さんね。ぢや、開けませう。」
 さう言つて、鶏はすつかり窓をあけて、こつちへ来ようとしました。が、そのとき、どこからともなく、狐がぴよこんと飛び出して、いきなりをんどりをくはへるが早いか、じぶんの巣をさして、一さんに走り出しました。
「黒さん、幸坊さん。狐が私《わたし》をとつていく。早く来て、たすけて下さい。」
 幸坊が追ひかけようとすると、又、黒がどこからか出て来て、いきなり狐の耳をバリ/\と引つかきましたから、狐は痛がつて、鶏をおいて、にげてしまひました。
「あれほど言つたのに、とうとさんはなぜ窓をあけたんだ。これからは、だれが何と言つて来ても、開けてはいけないよ。」
 黒猫はさう言ひ/\、いそいでをんどりを小屋に入れて、戸をしめて、さつさといつてしまひました。
「これ/\、黒、黒!」
 幸坊はしきりに呼びましたけれど、黒は見向きもしないで、いつてしまひました。
「をかしな猫《ねこ》だね。」と、幸坊はぶつ/\小言を言ひながら、又窓のところへいつて、をんどりを呼びました。
「とうと[#「とうと」に傍点]や、もう狐はゐないから、だいじやうぶだよ。早く出ておいで……」
「いやだ。そんなことをいつて、又狐がぴよつこり出てくるんだもの。」
「だいじやうぶだよ。ぼくが今度は窓のところに立つて番をしてゐるから……こゝにおまいのすきなお米ももつて来てゐるよ。ほうれ。」
 鶏はバラ/\まかれる米の音を聞いて、たべたくなつたと見え、そつと戸をあけてのぞきました。すると、幸坊がぢきそこに立つてゐるものですから、安心して、すつかり戸をあけて、出て来ました。
「もう、だいじやうぶだよ。狐はゐないからね。さアたくさんおあがり。そしてぼくと一しよにかへるんだよ。」
「どこへかへるの。」
「ぼくのうちへさ、おまいの住まつてゐた鶏小屋へさ。」
「わたしの小屋はこゝですよ。あなたのおうちツてどこなの。」
「をかしなとうと[#「とうと」に傍点]だね。じぶんのうちをわすれるなんて……あすこさ。あれ、向うの……」と、言つて、幸坊は、じぶんのうちの方をふりかへつて指さしました。
「あれツ! 狐が!」
 をんどりのさけび声に、びつくりして幸坊が向きなほつたときには、狐はをんどりをくはへて、もう一間ばかり先に走つてゐました。幸坊が後《うしろ》を向いたちよつとのゆだん[#「ゆだん」に傍点]を見すまして、狐はをんどりにとびかゝつたのでした。
「ちきしやう、うちころしてやるぞ。」
 幸坊は竹の棒をふりあげて、おひかけましたけれど、狐の足は早いものですから、たちまち見えなくなりました。こんどはどうしたものだか、黒猫もたすけに出て来ません。
 幸坊は、ぼんやりして、立つてゐますと、やつとそこへ黒猫が来ました。
「おい/\、黒。」と、幸坊が声をかけました。「とう/\をんどりは狐にとられてしまつたよ。おまい、どうするんだ。」
「やア、幸坊さんですか……」と、黒猫は言ひました。「困つたことをしましたね。あなたが戸をあけさしたからでせう。」
「さうだよ……でも狐があんなに早くとびつけようとは、ぼく思はなかつたんだ。」
「だから、私《わたし》が、だれが来ても戸をあけちやいけないと、いひつけておいたのです。しかたがないから狐の巣へいつて、とりもどして来ませう。」
「だつて、もう狐は骨ものこさずたべつちまつただらう。」
「いゝえ、あいつは、すぐにはたべません。これから飼つておいて、もつと大きく、おいしくなつてからたべるのです。」
「さうか。ぢや早くいかう。」
「したくをしますから、ちよつとおまちなさい。」
 黒猫はさう言つたかと思ふと、すぐどこへか行つて、長い外套《ぐわいたう》と、長靴《ながぐつ》と、三味線《さみせん》の竿《さを》の短かいのとをもつて来ました。
「さア、これでよろしい。まゐりませう。」

    

 幸坊《かうばう》は黒猫《くろねこ》について、狐《きつね》の巣へ行きました。穴の口もとに来ると、黒猫は三味線《さみせん》をひいてうたひ出しました。
「シヤン、シヤン、ツン、チントン。ハアよいやな。金のいとを張つた琴だぞ。きつね、きつねのおうちはこゝか。かはいゝきつねの子はどこぢや。」
 狐はその歌をきくと、一たいだれがうたつてゐるのだらうと思つて、まづ、じぶんの子どもを穴の外に出して、見させました。
「しめたツ。」と、黒猫は手早く子狐を取りおさへてじぶんの外套のすそにおしこんでしまひました。
 そしてまた、「チヤンリン、チントン、ハアよいやな」と、面白くうたつてゐると、狐は子狐がかへらないのに心配して、穴からそうツと顔を出すところを、黒猫がその目に爪《つめ》をうちこんだので、狐はおそろしい泣声をあげて、穴から飛出し、黒猫と大げんかをはじめました。
 そのさわぎに、をんどりがかつ/\と鳴いて飛出しましたから、幸坊は大急ぎで、それをつかまへて一さんにうちの方へ走りましたが、それから先のことは、じぶんでも、どうなつたかわからなくなりました。

    

 やうやく正気にかへつた幸坊《かうばう》は、じぶんのうちの床の上にねてゐました。
「とうと]は?」と、幸坊はまづかう聞きました。お母さんが枕《まくら》もとにゐて答へました。
「気がついたかい。やれ/\安心した。おまいは、どうしたんだか、あの森の中にきぜつしてゐたのだよ。」
「とうとは?」と、幸坊は又きゝました。
「心配おしでない。かへつて来たよ。」
「黒は?」
「黒もかへつて来たよ。けれども大へんけがをしてゐるよ……」
 幸坊は二三日、つかれて、床にねてゐました。がおきあがると、お母さんたちにないしよ[#「ないしよ」に傍点]で、そつと森にはいつて、小さな小屋や、狐《きつね》の穴をさがしてみました。
 けれども、どんなにさがしてもそんなものは影も形もありませんでした。たしかに夢ではなかつたのですが……。

底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「赤い鳥」赤い鳥社
   1926(大正15)年2月
初出:「赤い鳥」赤い鳥社
   1926(大正15)年2月
入力:tatsuki
校正:鈴木厚司
2005年12月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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宮原晃一郎

孝行鶉の話—– 宮原晃一郎

    一

 ある野原の薄藪《すすきやぶ》の中に、母と子との二匹の鶉《うづら》が巣を構へてをりました。母鶉はもう年よりなので羽が弱くて、少し遠いところには飛んで行くことが出来ませんでした。ですから巣から余り遠くないところで、小さな虫を捕つたり、粟《あは》の穂を拾つたりして、少しづゝ餌《ゑ》をあつめてをりました。子鶉は至つて親孝行で、毎日朝早くから巣を飛び出して、遠くへ餌をあさりに出かけ、夕方になつて帰つて参ります。そしていろ/\おいしいものを持つて来てはおつ母さんの鶉に喰《た》べさしてをりました。
 さうするうちに秋も更けて、丁度|中頃《なかごろ》になりましたから、冬の間に喰べるものを貯《たくは》へなくてはなりません。そこである日天気もいゝので、近くの野を謡《うた》ひながら、あちこち飛び廻《まは》つてをりました。鶉の声といふものはもと/\晴々として大へん威勢のいゝもので、それを聞くと気がせい/\して病気をしてゐるものでもすぐなほるほど愉快なものです。それだのにその上にこの子鶉はとりわけ美い声でそれが「チックヮラケー。」と鳴きますと、本当に深くかゝつてゐる霧もすつかり晴れてしまふやうな気持のよい、美しい声をもつてをりました。
 丁度《ちやうど》その時、国の王様が、そこの野原に遊びに出ていらつしやいました。すると子鶉の鳴く美しい声をお聞きになりますと、家来に向つておつしやいました。
「私《わたし》はまだあんないゝ声の鶉を聞いたことがない。早速あれを生捕りにしてまゐれ。お城につれて行つて飼うてつかはすから。」
 そこで家来のものどもは、すぐに馬の尾一筋づゝを結んだ網をそこいら中に張りまはしますと、可哀《かはい》さうに子鶉は、すぐ捕はれてしまひました。
 王様はいゝ声の鶉が手に入つたので大よろこびです。すぐに国中で一番上手な職人を呼んで、りつぱな籠《かご》をお作らせになりました。その籠といふのが大変なものでした。まづ四隅《よすみ》の柱と横の桟とは黄金《きん》で作り、彫刻《ほりもの》をして、紅宝石、碧玉《へきぎよく》、紫水晶などをはめそれに細い銀の格子が出来てをりました。籠の天井は七色の絹の糸の網で、寵を吊《つ》るす紐《ひも》は皆|簪《かんざし》の玉にする程の大きな真珠がつないでありました。
 それから又喰べるものは、皆おいしい摺《す》り餌《ゑ》で、「鶉の頭《かみ》」といふお役が出来て、籠の掃除やら、餌の世話など一切をいたします。朝は王様がお后《きさき》と御一緒に表の御殿へおでましになると、その御坐近くの柱に籠がかけられ、夕方お寝間へお下りになると、そのお次の間に籠が置かれます。誠に結構な身の上となりました。
 併《しか》しどういふものか子鶉は、ちつとも嬉《うれ》しさうなそぶりも見せなければ、物も喰べず、又一つも謡ひもせず、夜も昼も悲しさうに首を垂れて何やら考へてをりました。
 幾日たつても子鶉は、そのとほり物を喰べず、謡ひもせず、だん/\と眼が凹《くぼ》んで、痩《や》せてきますので、王様は大変不思議に思召《おぼしめ》して、或時《あるとき》籠に近く寄つて、かうお尋ねになりました。
「鶉や/\、お前は、なぜ鳴かないのだ。私《わたし》が遊山《ゆさん》に行つたをり聞かしたあの美しい声をお前はどうしたのだ。お前はこの立派な籠が気にいらないのか? お前はこのおいしいものが、ほしくはないのか?」
 子鶉は悲しさうに垂れた首を持ち上げて、王様をぢつと見ました。その眼《め》には涙が光つてをりました。
「尊い王様。」と、やう/\子鶉は口を開きました。
「この美しい籠や、このおいしい餌は私には余りもつたいな過ぎます。こんなものがありますと私は謡ひたくても、謡ふことが出来ません。私は何だか、あの網でとらへられたとき、私の歌を落して来たやうな気がいたします。私の声はあの広い野の風に吹かれたとき、本当に心から出すことが出来ます。私の歌は私の年よつた一人の母のそばにゐて、それを慰めるために謡ふとき本当に上手に出ます。あゝ。」
 そこで子鶉は、はら/\と涙を流しました。その雫《しづく》は丁度秋の野の黄色い草に置く露のやうに、籠に凝《こご》りつきました。
 王様はおつしやいました。
「では、お前には年よつたおつ母《か》さんがあるのだね。そして、そのおつ母さんを慰めるために、あんないゝ声を出して謡ふのか?」
「はい、その通りでございます。きつと母は私の行衛《ゆくゑ》が知れなくなつたので、ひどく心配して、死にかけてをると存じます。ですから私だけこゝにをりまして結構なものを頂戴《ちやうだい》する気には、どうしても、なれません。」
 王様は子鶉の親孝行な心に大変感心なさいまして、
「これは、私《わたし》が悪かつた。ではお前を放してやりますから、早速おつ母《か》さんのところへ行つておあげなさい。」と、おつしやつて、すぐに籠の戸をお開けになりました。
 子鶉は大よろこびで、お庭の樹《き》の枝へ飛んで行つて止りました。そして、かう申しました。
「尊い王様、今こそ、あなたは私のもとのいゝ声をお聞きになれます。私は、おつ母さんを慰めましたら、あなたが私を放して下さつた御恩返しに、これから二三日おきにこのお庭へ来て、精一ぱいいゝ声で謡つてお聞きに入れませう。では、さやうなら、御機嫌《ごきげん》よろしう。」
 子鶉はもと通りの美しい生々した勢のよい声で、
「チックヮラケー。」と、謡つたかと思ふと、ぱつと飛び立つて、はや姿は見えなくなりました。

    二

 子鶉《こうづら》は急いで巣に帰つてみますと、案の定、母鶉は可愛《かはい》い自分の独り子の行衛《ゆくゑ》が知れなくなつたので大変心配して、もう物も喰《た》べられないで、ねてをりました。併《しか》し子鶉の顔を一目見ると、すぐに飛び起きてきました。子鶉も嬉し泣きに、
「チックヮラ/\。」と吃《ども》り鳴きに鳴きながら、王様のところへ、つかまつていつたことや、りつぱな籠《かご》に入れられ、おいしいものを食べさせられたけれど、おつ母さんのことを考へると、とても心配で/\たまらないから、喰《た》べも飲みもしないで、頭を垂れてゐたら王様が、なぜさうしてゐるのかとお尋ねになつたから、そのことを御返事申し上げると、とう/\放して下さつたことなどを詳しく話しました。
「それはまあ、よかつた。それにしても王様は本当にお情け深いお方だ。お前はそんな王様のしろしめしていらつしやる国に生れたことを有難く思つて、何か王様の御用をつとめなけりやなりませんよ。」と母の鶉はよく/\さとしました。
「それはもう、やるどころではありません。私《わたし》はこれから暇を見ては二三日おきに王様の御殿へ行つて一生懸命で、美しい歌を謡《うた》つて、お聞きに入れますと、お約束いたしました。」
 母と子の鶉は、それから粟《あは》の穂や、虫などの拾つたのを喰べましたが、これまでにそれ程おいしく喰べたことはないと思ひました。
 さて翌日から、又前のとほり母の鶉は近いところを、子の鶉は遠いところを、いろ/\餌《ゑ》をあさつて歩きました。といふのは、もう冬が近いのに、王様につかまつたりなんかして、そのしたくが、まださつぱり出来てゐなかつたのでした。で、もう母も子も毎日/\、朝から晩まで真黒《まつくろ》になつて働いてをりました。それだものですから、つい忘れるともなく王様へのお約束も忘れてをりました。
 すると或日《あるひ》、藪《やぶ》の中で、お喋《しやべ》りの、みそさゞいが子鶉を呼びかけました。
「おいうづ[#「うづ」に傍点]公。お前は嘘《うそ》つきだな。」
 子鶉は、あんまりだしぬけですから少しも様子が分りません。ですから丸い眼《め》をいよ/\丸くし、尖《とが》つた嘴《くちばし》をいよ/\尖《と》んがらかして呶鳴《どな》り返しました。
「なんだと、このおしやべりもの奴《め》。俺《おれ》を嘘つきだなんて、一たい貴様、何だつてそんな悪口をいふんだ? そんなことをいふわけを言へ、もしわけを言へなかつたら、貴様の片羽へし折つて、鼠《ねずみ》の餌食《ゑじき》にしてくれるから。」
 みそさゞいは嘲笑《あざわら》ひました。
「わけを言へないで、どうするものか? お前は王様に何とお約束申し上げたのだ?」
「ウーン、それは……。」
 子の鶉は二の句がつげません。みそさゞいは、それ見ろといふやうな顔をして……。
「フン、それで嘘つきでないといふのか? お前は王様がこの間から、重い疱瘡《はうさう》にかゝつていらつしやるのを知らないか? あの菊石面《あばたづら》の赤い疱瘡神は、王様のお体に、その一万もある針を、すつかりさしこんで、毒を入れてゐる。もう王様のお命は、いつなくなるか知れないのだ。そこでお側《そば》にゐるものが、賢い学者に聞いてみると、鶉の声をお聞きになれば、疱瘡の神が驚いて遁《に》げるといふことで、いろ/\の鶉を集めて、鳴かせるが、疱瘡の神はびくともしないのだ。王様は――私《わたし》が放してやつたあの鶉の威勢のいゝ声を聞けば、きつと私の病はなほるとおつしやる。それだのにお前は自分のことばかりして、王様にお約束申したこともやらなけりや、お見舞にすら上《あが》らないぢやないか? だから私はお前を嘘つきといふのだ。」
「あゝさうだつたか?」と、子の鶉は面目なさゝうに頭を下げました。
「まつたく、そんなことは少しも知らなかつた。みそさゞい君、私《わたし》が悪かつた。どうぞ、ゆるしてくれたまへ。私はこれから、王様のお城へ行つて、その疱瘡の神をみごと追ひ払つて、王様のお寿命を、のばすやうにするから……。」
 子の鶉はさういふが早いか、すぐ、まつしぐらにお城へ飛んで丁度王様がねておいでなさる御座敷のお庭の木にとまりました。
 なるほど、菊石面《あばたづら》の赤いきたない疱瘡の神が、まるで大きな章魚《たこ》のやうに王様のお体に、ぴつたりと吸ひ付いてをります。それを見ると、子の鶉は、おのれ太い奴《やつ》と、すつかり怒つて、いきなり、大きな声で、
「チックヮラケー/\。」と鳴きました。
「おや鶉が来た。あの鶉が来た。」
 王様は重いお頭《つむ》を枕《まくら》の上にもたげ、疱瘡の神は醜い顔を王様のお体から離してこの歌をきゝました。
「チックヮラケー/\。」
 鶉の声がます/\冴《さ》えると疱瘡の神は汐《しほ》が退《ひ》いて行くやうに、王様からぢり/\と退いて行きます。それと一緒に王様のお顔には、日がさしてくるやうに血の気が紅々《あかあか》とさして来ます。
「チックヮラケー/\。」
 勢のよい、しかも美しい鶉の声にとう/\疱瘡の神は烈《はげ》しい風に吹きとばされる雲のやうに追ひのけられ、王様の御気色《みけしき》はうららかに晴れた蒼空《あをぞら》のやうに美しくなりました。

    

 するとまたしばらくお城に子の鶉《うづら》が見えません。王様は、どうしたのだらうか、ひよつとしたら鳥さしにでも捕まつてしまつたのだらうか、さうと思ひ付いたら、早く国中におふれを出して鶉を一さい捕ることはならんと人民に言ひつけて置く筈《はず》だつた、もう今からでは遅いだらう、困つたことをしたわい、と心配しておいでなさいました。
 大臣は王様の御心配を見て、もしやそのために又病気にでも、おかゝりになつては大変だと思つて、人を鶉のゐる野原へ遣はして、捜さしましたけれど、ちつとも行衛《ゆくゑ》が分りませんで弱つてをりますところへ、或日《あるひ》鶉がひよつこりとお庭の樹《き》に飛んでまゐりました。そしてお縁先まで近寄りまして、
「チックヮラケー。」と謡《うた》ひました。けれどもその声がいかにも力がなくて、例の疱瘡《はうさう》の神も遁《に》げ出すほどの勢がありません。王様を始め皆《みんな》は、鶉が来たので大変およろこびになりましたが、その声が、いかにも悲しさうなので、不審に思ひました。
「これ鶉。」と、王様はお声をおかけになりました。
「お前が来ないので、もしや鳥さしにでもさゝれたのではないかと、大変心配してをつたが、無事な姿を見てうれしく思ふぞ。併《しか》しお前の歌は今日は非常に悲しいが、一たいどうしたことか? もし心配でもあるなら、私《わたし》に打ち開けて話してくれ、王の力で出来ることなら、たとへ国の半分をつかふことでもお前のためにしてやるから。」
 子の鶉はしばらく考へてをりましたが、
「実は私ども母子《おやこ》は、よんどころないことから、もはやこの国に住《すま》つてをられなくなりましたのでございます。」と申しました。
「それは又どういふわけか。私《わたし》の国にをるのがお前はいやになつたのか?」
「いゝえ/\、いつまでも/\をりまして、王様のお耳に私の歌をお聞《きき》に入れることは私の願つても及ばぬ幸福でございますけれど、今をりますところには悪い狐《きつね》がをりまして、私どもの命が危いのでございます。誠に恐れ多いことでございますが、どうぞ私の尾のところを御覧下さいませ。」
 王様は鶉の尾のところを御覧なさると、驚いたことには一本の羽も残つてはをりませんのでした。
「おや/\、それは又一たいどうしたことか?」
「その話をくはしく申し上げれば、かうなのでございます。」鶉は次のやうに話しました。
 子鶉が或日畑に出て粟《あは》の落穂を拾つてをりますと、どこからか一匹の狐が来て、子鶉に申しました。
「鶉さん/\、お前は誠によく勉強して、おつ母《か》さんに孝行するのは感心なものぢや。お前さんも骨が折れよう。わしは幸ひ隠居の身で、暇が多いから、これからお前さんの手伝ひでもしてあげませう。」
 そして、それからは毎日/\精出してよく手伝ひをしてくれました。子鶉はそれを珍しい親切な仕方だと思つて母鶉に話しますと、母鶉は、
「狐は悪賢いものだから、油断をするとどんなひどい目にあふかも知れませんよ。」と注意をしましたけれど子の鶉は余り気にかけないでをりました。
 すると或時、子鶉が後《うしろ》をむけて虫をつゝいてゐるのを見て、狐は突然飛びかゝつて、鶉の尾の方を咬《くは》へてしまひました。子鶉はびつくりしましたが、ふと計略をもつて、遁げてやらうと思ひ付きました。そこで、わざと落ち着いて申しました。
「狐さん、お前さんは私《わたし》を殺してたべるつもりだね。そんな殺生をするものぢやありませんよ。だがさういつてみたところで、お前さんは私をのがしてはくれまい。よし。ぢや私もおつ母《か》さんの言ふことをきかないで、油断した罰《ばち》とあきらめて、お前さんに喰《く》はれてしまひませう。けれども私には年よりの母がゐる。私がこのまゝお前さんに食はれてしまつたなら、さぞ困るだらう。だから生きてゐるうちに一目あつて、一寸遺言をして置きたいことがあります。どうか大きな声を出して、鶉の母、と呼んで下さい。さうすれば母が来ますから。」
 狐は口を開けては遁げられると思ひますから、口を閉ぢたまゝで、
「鶉のウヽウ……。」
「それぢやだめ、もつと大きく。」
「鶉の母。」
「しめた。」子鶉は、ぱつと飛び出しましたから、狐はあわてゝ口をしめますと、尾だけが歯の間に残つて、鶉は飛んで遁げてしまひました。
「ですから。」と、子鶉は申しました。
「私は御覧のとほり尾がございません。」
 王様はこの話をお聞きになつて仰せられました。
「それでは私《わたし》のお城のお庭に来て住みなさい。そこには狐も狸《たぬき》も決して入れないことにする。又お前が飛ぶも、歩くも自由にして決して妨げない。決して籠《かご》などに入れようとは言はないから……そして私にお前の生々した、美しい歌を謡つて聞かしてくれ。私はお前を今後生れる鶉の先祖にしてやるから。」
 そこで鶉は王様のお城に住み、今見るやうな尾無し鶉の先祖になりました。

底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「竜宮の犬」赤い鳥社
   1923(大正12)年5月
初出:「赤い鳥」赤い鳥社
   1922(大正11)年2月
入力:tatsuki
校正:鈴木厚司
2005年8月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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宮原晃一郎

賢い秀雄さんの話—宮原晃一郎

 日吉《ひよし》さんの秀雄《ひでを》さんは今年七つ。ほんとに賢い子供だ。毎日、ランドセルをせおつていきほひよく、
「いつてまゐります。」と、ごあいさつをして、家《うち》を出る。まつすぐに、道草なんかくはないで、さつさと学校へいつて、教室では先生のおつしやることを、よく聞いてゐて、よくそのとほりにするし、問はれたことには一番早く手をあげて、答をする。家へかへつては、よくおさらへをして、夜は早くねて、朝は早く起る。ほんとに好い子。賢い秀雄さんといふ名は、そこらでたれも知らぬものがないほどだ。
 ところが、此の賢い秀雄さんが、どうしたものか、一つ悪いくせをおぼえた。といふのは、いつかしら、うらの軒に立てかけてある梯子《はしご》をつたつて、屋根にのぼることであつた。
「あらまた、秀雄さん、屋根にのぼつてよ。あぶないから、いけません。早くお下りなさい。」
 お姉さんがはら/\しておつしやるけれど、賢い秀雄さんが、どうしたわけか、これだけはどうしてもいふことをきかない。
「うゝん、大ぢやうぶだよ。ぼく、ちやんとつかまつてるから……あんまりこはがると、かへつて、おちるものだつて、大工の熊《くま》さんがをしへてくれたよ。」
「それぢや、あんたも大きくなつたら、大工さんになるのね。」
「うゝん、ちがふよ。僕は空の荒鷲《あらわし》になるんだ。だから今のうちから、高いところにのぼつて、なれるんだ。『僕は少年航空兵』ほら来た。あれは複葉の偵察機だよ。」
 秀雄さんは、をりから飛んできた飛行機に両手をあげて、万歳をさけんでゐる。
 そのうち、お母さんも出ていらして、しきりに下りていらつしやいといつても、なか/\下りようとはしない。やつと、お母さん、気がついて、
「あゝよろしい、下りなけりや、下りないで、いつまでも、そこへいらつしやい。梯子はとつてしまひますから……」
と、おつしやると、これには秀雄さんも閉口して、やつとおりてきた。
「もう上れないようにしませう。」と、お母さんは、お姉さんと二人して、重い梯子を横にたふして、お置きになつた。
 ところが次の日曜日に、お姉さんが大きな声でさけんだ。
「あれ、秀雄さんが、また屋根に上ぼつてよ。どうして上ぼれたんでせう、梯子もかゝつてゐないのに……」
 そこで、お母さんが出て御覧になると、梯子はもとのまゝ、そこにたふしてあるのに秀雄さんはちやんと屋根の上にのぼつて、東の方を見てゐる。今日は観兵式の予行演習で、その方から、たくさんの飛行機がとんでくることを知つてゐるからだ。
「いけない、秀雄さん。あぶないわ、今梯子をかけてあげるから、早く下りてちやうだい。」
 下ではお母さんが心配して、梯子をかけようとさはいでいらつしやるが、秀雄さんは下りようとはしない。そこへ、お父さんが、よそからかへつていらつした。
「なに、秀雄が屋根に上がつた。よし/\うつちやつとけ。梯子なんかかけてやらんでもよい。梯子がなくてのぼれたら、梯子がなくても下りられやう。どれ、わしがいつて下ろしてやらう。」
 たうとうお父さんまでがお出かけだ。
 ちやうど、そのとき、飛行機が三機、五機と隊をくんで、空をとんで来たので、まちかまへてゐた秀雄さんは、万歳をさけんで、手をあげて、むちゆうになつてゐる。
 お父さんはそれを見ても、声をかけることをなさらなかつた。びつくりさしては、かへつておちるから、いけないと、お思ひなすつたのだ。
 でも飛行機がはるか向ふの空に見えなくなると、しづかに声をおかけになつた。
「秀雄、さあ、もうおりて来なさい!」
 秀雄さんは、ひどくしかられるかと思つてゐたのに、お父さんのお顔も、お声もあんぐわいやさしいので、安心して、そろ/\と、屋根のはじまで下りてきた。
 お父さんは、そのはじのところに、柿《かき》の木が屋根にくつゝいて立つてゐるのを見つけた。
「ハハア、秀雄は梯子をとられたので、あれをつたつて屋根に上ぼることを考へついたのだな。なか/\賢い。だが、むやみと屋根にのぼるのはあぶない。よし、少し、こらしめて、もう上ぼらないようにしてやらう。」
 はたして、秀雄さんは、柿の木が屋根へさしかけたうちの、一番大きな枝につかまつて、うまく柿の木の幹にうつり、だん/\と下りてきた。
 ちやうど、お父さんの手がとゞくところまでくると、お父さんは、片方の手で、秀雄さんの足をしつかりとおさへ、も一方の手でその足を二つ三つたゝいて、きびしい声でおつしやつた。
「こら、悪い、言ふことをきかない足、お前は賢い秀雄の足ではないだらう。こら、早く下りろ。でないと、これだぞ。」
 お父さんは又三つばかりたゝいた。秀雄さんはべそをかきかけたが、泣きはしなかつた。でも泣きさうな声で言つた。
「お父さん。それはぼくの足ですよ。僕の足、柿の実ぢやないから……」
「なんだ、柿の実ぢやない?」
「さうさ、柿の実ぢやないから、たゝいてもおちやしませんよ。」
 秀雄さんはこのあひだ、此の柿の実をとるのに、お母さんや柿さんたちが梯子をかけようといつてさわいでゐるとき、お父さんがきて、
「そんな、めんだうなことをしないでも、たゝけばいゝのだ。」と、いつて、竿《さを》でたゝいておおとしになつたことをおもひ出したのである。
 で、秀雄さんのこの言葉をきくとお父さんは思はず、笑へさうになつたのをわざとまじめな顔をしておつしやつた。
「いや、柿の木の枝にのつてゐるからには、柿の実にちがひない。それも、いふことをきかない、悪いしぶ柿だらう。煮てもやいてもくへないやつだ。かう、たゝかなけりやめつたに下へはこないやつだ。」
 お父さんはさういつて、又三つばかり秀雄さんの足をたゝいてから、やつと手をおはなしになつた。
 秀雄さんはそれでも泣かなかつた。けれども、やつと木から下りて、地へ足がつくとはじめて、わつと大きな声をあげて泣きだした。
 そこへ出ていらつしたお母さんがびつくりなさつて、
「おや、をかしいわね。もうおりてしまつてからなぜ泣くの。うたれたのは、木の上にゐるときだつたのに!」と、おつしやると、秀雄さんは首をふつて、
「うゝん、でも高いところで泣けば、涙で目が見えなくなつて、おりられなくなるもの。だから、ぼく、泣きたかつたけれど、がまんしてゐたの……」
 秀雄さんのいふことが、あまりにをかしいので、たうとうお父さんも笑つておしまひなすつた。そして、なほ、よく/\お父さんから教へていたゞいたので、もう秀雄さんは、けつして屋根に上ぼらなくなつた。尤《もつと》もそのかはりに、それからのち、近くの飛行場にゐるをぢさんところへ行つて、とき/″\ほんとの飛行機にのせていたゞいたから、屋根なんかへ上ぼるのは、もう少しも面白いことゝは思はれなくなつたのでもあつた。

底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「日本童話名作選」金の星社
   1940(昭和15)年3月
入力:tatsuki
校正:鈴木厚司
2005年12月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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宮原晃一郎

熊捕り競争—– 宮原晃一郎

    一

 御維新の少し前頃《まへごろ》、北海道|有珠《うす》のアイヌ部落《コタン》にキクッタとチャラピタといふ二人の少年がゐました。キクッタは十七で、チャラピタは一つ下の十六でした。小さなときから、大へん仲好《なかよ》しで、遊ぶにも魚をとるにも、また罠《わな》をかけに行くにも、いつも一しよでした。ところが、その年になつて、二人が今までのやうに睦《むつま》じくやつていけないことが起りました。それはアイヌが一ばん手柄にする熊捕《くまと》りの競争を二人が始めたからです。特に本年は
「部落《コタン》で、十五歳から十八歳までの少年で、一ばん早く、一ばん大きな熊をとつたもの、または一番沢山の数をとつた者には会所《くわいじよ》のお役人からりつぱな鉄砲を一|挺《てう》下さる。そして部落《コタン》ではその人をやがて酋長《しゆうちやう》の候補者にしよう」
 さういふ懸賞の附《つ》いた課題が出てゐましたから、みんなが勇んだのですがじつさいそれに応ずる力のあるのは、キクッタとチャラピタとだけよりなかつたので、自然、二人の間の競争となつてしまひました。
「おれが勝つてみせるぞ!」
「なアに、優勝はおれのものだ」

    二

 そこで、キクッタは、ある日、お父さんのモコッチャルの銃を借りて、ベンベの森を熊《くま》をさがして、歩き廻《まは》つてゐました。
 時は秋の半ばでした。赤く、紫に、黄《きいろ》に、樺《かば》色に、まるで花のやうにいろいろの紅葉が青い松や樅《もみ》と入りまじつた、その美しさといつたらありません。しかし、それよりもつと、このアイヌの少年の目をひきつけたのは、青いコクワと、濃紫《こむらさき》の山葡萄《やまぶどう》の実が、玉をつらねたやうに、ふさ/\と生《な》つて、おいで/\をしてゐることでした。
 これはキクッタのやうなアイヌの少年には結構なおやつ[#「おやつ」に傍点]であるばかりか、また熊にとつても、大好物です。だから、コクワや山葡萄が沢山生つてゐるところには、きつと熊が来るものです。果して熊の糞《ふん》をキクッタは見付けました。
「やア、親父《おやぢ》(熊のこと)がゐるぞ!」
 キクッタは銃を肩から下ろし、注意ぶかくそこらをあらためました。糞はごく新らしく、あたりの草はふみにぢられて、大きなお盆のやうな熊の足あとがいつぱいついてゐました。
「よし、〆《しめ》た。おれが勝ちだ。この熊をおれがとつてやる!」
 キクッタは胸をどき/\させながら、そろ/\と、なほも足あとをつけて行きました。
 と、たちまち、右手の藪《やぶ》がガサ/\と音がしたので、急いで銃を取り直すひまもなく、いきなり目の前に、牡牛《をうし》のやうな大きな羆《ひぐま》があらはれ、後ろ脚でスクッと立上がり、まつかな口に、氷のやうな牙《きば》をあらはし、ウオーッと吼えました。
「畜生!」
 キクッタはその心臓を狙つて、引金をひきました。
「ドーン」
 鋭い銃声が森に反響しました。射術にかけては、少年の間は勿論大人のアイヌの間にも有名なキクッタですから、大熊はその場に地響きさして、ぶつ仆《たふ》れた――はずですが、不幸、ガチッと音がして、不発でした。さア大へん。もう弾丸《たま》をこめ直すひまもありませんから、いきなり銃を逆手《さかて》に持ち直し、とびかゝつて来ようとする大熊の頭を力まかせになぐりつけましたが、岩のやうなその頭は、銃の台尻《だいじり》の一打ぐらゐは平気です。大熊はいよ/\怒つて、キクッタにとびついて来ましたから、キクッタはひらりと身をかはして、やりすごし、そばの立木の下枝へ手をかけるが早いか、すら/\と、まるで猿《さる》のやうに、その梢《こずえ》によぢのぼりました。
 大熊はその木の幹に前脚をかけ、ウオ/\と吼《ほ》え狂ひながら、力まかせにゆすぶりました。生憎《あいに》くその木は小さかつたので、まるで暴風《あらし》に吹かれてゞもゐるやうに、ゆら/\、ざわ/\と動いて、キクッタは今にも落ちさうでした。
 しばらく、かうゆすぶつては吼え、吼えては梢のキクッタを見上げてゐた大熊は、やがて何か思ひ付いたやうに、その大きな片手をあげて、小さな木の幹をハッシと打ちました。直径十センチぐらゐの、柔かい、ゑぞ松でしたから、大熊の一打ちに、まるでマッチの棒みたやうに、ポッキと折れて、メリ/\と仆れかけました。しかし、さすがは、キクッタです、その拍子にすばやく、ヒョイとそばの、べつな木にとび移りました。
 が、運の悪いときは仕方のないもので、その手のかゝつた枝が枯れてゐたとみえ、ポッキリと音がして、キクッタはずる/\、ズドンと地に落ちました。それと殆《ほと》んど同時に、銃声がひゞいたやうでしたが、すぐ気絶したのであとは分りません。
 気がついてみると、自分のそばに、チャラピタが立つてゐました。折りよく、来合はせたチャラピタは、大熊の頭に一発、弾丸《たま》を打ち込んで、キクッタを救つたのでした。

    三

 キクッタは折角、自分が見付けた熊《くま》をチャラピタの為《ため》に打取られ、おまけに生命《いのち》までも救つてもらつたことになつたので、口惜《くやし》くてたまりません。これからは何んとかして、大きな熊をたくさんとつて、あはよくば、チャラピタの生命《いのち》を救つてやらなければ、一つでも年上の自分の面目が立たないと、せつせと熊をさがして歩きました。
 けれども、もう銃はないので、その代りに弓矢をもつて出ました。矢の根には、トリカブトといふ草の根からとつた毒汁《どくじる》ブシを泥《どろ》にねりまぜたものが塗つてあるので、その矢が中《あた》れば、どんな猛悪な熊でも、すぐ、ゴロリとたふれて死ぬのです。
 ところが、ある日、オサル川の岸を上へのぼつて行くと、近くで、猛烈に熊が吼《ほ》えるのを聞いて、急いで、その方へ行つてみると、驚いてしまひました。一人のアイヌが、大きな熊と、必死となつて、組打ちしてゐるのでした。しかも、そのアイヌはチャラピタだつたのです。チャラピタは大胆にも、大熊のふところにとびこみ、両手両足で大熊の胸にしがみついてゐるのでした。熊は怒つて、チャラピタの頭を、たゞ一口に噛みくだいてやらうとするけれど、チャラピタはそのあごの下に、ピッタリと顔をつけてゐるので、大熊にはそれが出来ません。そこで、爪《つめ》でもつて、八つ裂きにしてやらうとしましたが、熊の手は、人間の手ほど深く内側に曲らないので、ダニのやうに胸にくひこんでゐるチャラピタの身にまではとゞきません。だから、大熊はなほ更怒つて、ウオ/\と吼えながら、この厄介な人間を振り落してやらうと、そこらぢうを飛び廻《まは》り、跳ね廻つてゐるのでした。
 然《しか》し、チャラピタの方でも、これ以上は、どうにも仕方がありません。腰の小刀《マキリ》をとることが出来さへすれば、熊の心臓を一刺しに突き刺してしまふのですが、さうするために、うつかり片手を放さうものなら、振り落される恐れがあるので、仕方なしに、只《ただ》しつかりと抱付いてゐるのでした。
 キクッタはそれを見て、日頃《ひごろ》の念《おも》ひがかなつたと、大悦《おほよろこ》びでした。
「おい、チャラピタ、しつかりしろツ! キクッタが助けに来たぞ!」と、大きな声でどなりながら、毒矢を弓につがへて、大熊を狙《ねら》ひました。キクッタは弓にかけても、たしかな腕前をもつてゐましたけれど、大熊は一秒の休みもなく、とびまはり、跳ねまはりしてゐるうへ、その胸にはチャラピタが抱きついてゐるのですから、射そんじると大へんなことになります。
 で、只、ぢつと狙ひをつけ、すきをうかゞつてゐましたが、容易にそんなすきが見付かりません。そのうち、大熊が、ウオッと一きわ強く吼えて、ピョンとはね上がつた拍子に手の力がゆるんだかして、チャラピタはどしんとそこへ振り落されました。
「あッ!」
 キクッタは思はず驚きの声をあげましたが、さすがに弓の名手です。熊が姿勢をあらためて、チャラピタに向つてとび付かうとした瞬間、早くも狙ひをつけて、ピユッと毒矢を放ちました。中りました。が足のさきでしたからさすがに猛烈なブシ毒も、さう急にはきゝめがありません。
 大熊は横合ひから、不意に矢を射込まれたので、チャラピタをおいてこつちへ向つて、例の後ろ脚で立ち上がつて、攻撃して来ようとしました。
 もう二発目の矢は間に合ひません。そのときキクッタの目についたのはそこにチャラピタが落した、長さ二メートルばかりの手槍《てやり》でした。キクッタは電光《いなづま》のやうにそれを拾ひ上げると、二三歩前へ進み出で、穂尖《ほさき》を大熊の胸につきつけ、石突きを地面に当てがひ、柄をしつかり握つたまゝ、そこへうづくまりました。
 勢ひこんだ大熊は、槍が自分の心臓に当てがはれてゐることには気がつかず、只、そこに恐れたやうに、うづくまつてゐるキクッタを、おし潰《つぶ》し、掴《つか》み殺してやらうと思つて、まるで大木でも仆《たふ》れるやうに、のしかゝつて来ました。そこで、丁度、こちらの注文どほり、熊先生、自分の身体《からだ》の重さで、自分の胸をぶす/\と刺して、たあいもなく参つてしまひました。
 これは熊が人をおそふときの癖をよくのみこんで、アイヌが発明した滑稽《こつけい》なやうで、大胆不敵な狩猟法です。チャラピタはそれをやつてみようとして手槍を持つて出たのでしたが、あんまり不意に熊にとびつかれたので、それが出来ず、組打ちをしてゐるうち、ふりとばされ、しばらく足が立たなかつたので、キクッタにその功をゆづることになつたのです。

    四

 熊捕《くまと》りの競争はこれでまづ勝負なしでした。といふのは、最初に熊を見付けたのはキクッタでも、それを打ちとめたのはチャラピタでしたから、まづキクッタが負けでした。すると、二度目にはその反対で、チャラピタが見付けて、キクッタが打ち取つたから、これはキクッタが有利でした。で、あいこです。その上、熊は二|疋《ひき》とも三メートルばかりの身の長《たけ》で、重さが百五十キロ以上でしたから、これも優劣なしでした。
 チャラピタは組打ちしたゝめ、ところ/″\負傷してゐましたから、しばらくは家《うち》にねてゐました。キクッタは毎日のやうに見舞つて、親切にいたはつてやりましたが、疵《きず》がなほると、一たん中止してゐた熊捕り競争を、ふたゝび始めることに、二人は相談をきめました。
「おい、チャラピタ」と、キクッタは言ひました。「これから一人々々別々に行かず、一緒に往《ゆ》かうぢやあないか」
「さうだね」と、チャラピタが答へました。「二人一しよなら、あぶないめにあふことはないな。それでも、さうすると競争は出来なくなるよ」
「うーん、出来るよ。たとへば、一しよに鉄砲や弓をうつて、両方とも中《あた》つたとしても、その中りどころが急所の方が勝ちときめりやいゝぢやあないか」
「さうだね。それもよからう。」
 そこで、二人は仲好しの友達として、お互に目の前で手柄をきそふことになりました。ところが、この結構な相談が、妙な結果になつてしまひました。
 或日《あるひ》、二人は有珠岳《うすだけ》の麓《ふもと》を廻《まは》つて、洞爺湖《とうやこ》のそばまで往つたとき、一疋の熊を見付けました。
「さきに見付けた人がさきにうつことにしようぢやないか」と、キクッタが言ひました。この熊をさきに見付けたのは、自分だつたからです。
「いゝだらう。君、やり給《たま》へ!」
 おとなしいチャラピタはすぐ承知しました。
 で、キクッタは新らしい銃を取り上げました。これは前の銃を折つてからキクッタの親父《おやぢ》が熊の皮十枚を出して和人《シヤモ》から買ひ取つたもので、最新式の軍用銃だといふことでしたから、キクッタは、今度こそは、たゞ一発でうちとめてみせるぞと思つたのでした。
 熊は可なり大きなもので、人の姿を見ると、れいによつて、後ろ脚で立ち上がつて、ウオッと吼《ほ》えました。
 キクッタはこゝぞと、その心臓をめがけてドンと一発放つと、みごとに命中しました。けれども、不思議にも熊はたふれずに、たゞ少し後ろへよろめいたゞけで、すばらしい、大きな唸《うな》り声を出して、ふたゝびキクッタにとびかゝらうとしましたが、そのとき、チャラピタの銃が鳴りひゞいて、熊はそこへゴロリところがつて息絶えてしまひました。
「なんだ、君はよけいなことをして僕《ぼく》の手柄を横取りするつもりだな」
 キクッタは額に青筋立てゝ怒りました。
「いや、そんなことはない。君の弾丸《たま》で熊が死なゝかつたので、僕《ぼく》は君を助けて、一発打つたのだ」
「ちがふ、僕の弾丸は、たしかに心臓に命中した。だから、熊はよろめいて仆《たふ》れるところだつたではないか、君の弾丸なんか碌《ろく》なところに中つてゐやしない」
 そこで二人は、只《ただ》そんな水掛論をしてゐたんでは、果てしがつかないから熊の死骸《しがい》を検《あらた》めてみようといふことになりました。
 二発の弾丸《たま》が熊の左の胸に打ち込んでゐました。そして二つとも、僅《わづ》か三四センチをへだてゝ、同じところに命中してゐました。一発は上、一発は下でした。
 しかし、これだけでは、どれが誰《だ》れの弾丸で、どれが熊の生命《いのち》をとつたのか分りませんから、二人は小刀《マキリ》を出して、その局所《ところ》を切り開いてみました。すると、上の方の弾丸は心臓のそばをかすつてゐますが、下の方の弾丸は見事に心臓に中つてゐました。
「これ見給へ。これが僕の弾丸だ。このとほり心臓に中つてゐる。君のなんか、中りつこはありやしない」
 キクッタは威張つていひました。チャラピタはその出て来た弾丸を手にとつて、見くらべてゐました。二つとも鉛のでしたから、形が、ひどくいびつになつてゐました。でも、上の方の弾丸は明かに長めで、下の方のは丸い形でした。
「可笑《をか》しいね。君の鉄砲弾はドングリの実の形をしてゐるつて言つたらう。そしたら此《こ》の上の方の傷口から出たのと同じ形ぢやないか。僕のは丸い弾丸だから、この下の方のと同じだ。そしたら、僕の弾丸こそ心臓に中つてゐるんぢやないか」
 チャラピタは穏かながら、自信をもつて、さう言ひました。けれども、キクッタはどうしても承知しません。とう/\自分の弾丸が、熊を仆したのだと強情を張りとほしてしまひました。

    五

 おとなしいチャラピタでしたが、これには少からず腹を立てました。でもその日はキクッタのむりな言ひ分を通しましたが、それからは、また元のとほり、ひとりで狩に出て、せつせと熊《くま》を狩り集めてゐました。
 キクッタの方では、相当な大熊を自分がまつさきに打ちとつたことにしましたので、まづ一安心しましたが、その後チャラピタにもつと大きなのを捕られたんでは大へんですから、ひとりで歩いて、もつと大きな熊をとらうとしましたが、さつぱりとれないのに、チャラピタはさう大きくはないけれど運よくもう三|疋《びき》もとつてゐるので、やきもきして何んとか、かんとか、うまいことを言つて、チャラピタといつしよに往《い》かうとしましたが、チャラピタはキクッタのずるいのにはこりてゐますから、相手になりません。
 そのうち、冬になつて、雪がまつ白に降りつもりました。斯《か》うなると、熊は大てい、自分の穴の中へ引つ込んで、飲まず、食はず、長いこと眠つて、来年の春が来るのを待つてゐるものです。アイヌはこのときをねらつて、穴打ちといふ頗《すこぶ》る面白い、けれども危険至極な熊狩をするのです。
 チャラピタは少年のくせに、大胆にもこの穴打ちをやらうと思つて、熊のはいつてゐさうな穴をさがして歩きました。アイヌの目で見れば、熊の入つてゐる穴と、ゐない穴とはすぐ分るのです。
「ゐるぞ、巨《でか》いやつが!」
 一つの大きな熊の穴を見付けたチャラピタは、身につけてゐた一切のものをそこへ下ろし、只《ただ》鉄砲と弾薬とだけをもつて、四つんばひに、穴の中へ匐《は》ひ込んで行きました。じつに大胆不敵の少年ではありませんか。
 奥深くはひこんで行くと、やがて、向ふの闇《やみ》に、青く、きら/\と光るものがありました。いふまでもなく熊の目玉です。
 チャラピタは腹をぴつたりと土につけ、そのきら/\光つたものを狙《ねら》つて一発打ちました。狭い穴の中ですから、ガーンと耳がつぶれるやうな、ひどい音がしましたが、それと同時に傷をうけた熊の猛烈にうなる声がしました。チャラピタはぴつたり地面に顔を押し付けて、平ぺつたくなつてゐると、熊は唸《うな》りながら、非常な勢ひで、チャラピタの身体《からだ》を踏み越えて、穴の外へ走つて出ました。そして雪の上をウオー/\ワア/\と吼《ほ》えたり唸つたりして、狂ひまはつてゐます。つまり自分を傷つけた敵が外にゐると思つて、そいつを掴殺《つかみころ》してやらうと怒り猛《たけ》つてゐるのでした。
 けれどもチャラピタは穴の中に隠《か》くれたまま、その姿を出さないので、熊は張合ひがぬけて、すご/\穴の中に戻《もど》り、出て往つたときと同じにチャラピタの背を踏通つて、奥に往《ゆ》き、しきりと傷をなめてゐる様子でした、チャラピタはそれを見て、またもや一発|喰《く》はせました。熊は
「今度こそは、ゆるさないぞ」と、いふやうに、猛々しく吼えながら、またもや穴の外へ走つて出ましたが、やつぱり誰《だれ》もゐないので、すご/\と引返へして来ました。
 三度目に、熊はとびだすことは、飛び出したけれど、もう二発も弾丸《たま》を喰らつてゐるので、大ぶよわつてゐるらしいので、チャラピタは外へ出て、止《とど》めを刺してやらうと思ひ、銃にたま[#「たま」に傍点]をこめると、そのあとをおつて、穴の口まではひ出しました。
 丁度、そのときでした。穴の外で、ドーンと銃声がひゞき、つゞいて熊がすさまじく吼える声が聞えたので、急いで、穴を出てみると、手負ひの熊は死物ぐるひになつて、今一人の人をめがけて、とびつく瞬間でしたから、チャラピタは碌《ろく》に狙ひをつけるひまもなく、ドーンと一発はなすと、うまく熊の背骨に中《あた》りましたから、ひとつたまりもなく、熊はその場に仆《たふ》れました。
「やア、チャラピタぢやないか、君は?」
 そのとき、向ふの人が声をかけて、頭布《づきん》をとると、それはキクッタであることが分りました。
 キクッタは偶然、チャラピタがはいつてゐる穴の口へ来て、その模様をしらべてゐるところに、突然銃声が聞えて、大熊がとびだしたので、一発打つたのですが、すつかり慌《あわ》ててゐたので、中らず、今度はもう身をかはす間もなく、危いところを、またもやチャラピタに救はれたのでした。
「あゝ、チャラピタ、君だつたか、穴打ちをやつてたのは、えらい勇気だなア!」と、さすがに勇敢なキクッタは今死ぬ目にあつたことなどケロリと忘れたやうにニコ/\して言ひました。
「さうだよ。穴打をしたんだ。然し、君はなんだつて、僕《ぼく》のあとをつけて来たんだい。また僕の功名を横取りしようつていふのかい。だが、今度はだめだよ」と、チャラピタは怒つたやうに言ひました。
「いや、もう決して、そんなことはない。熊捕り競争では、僕すつかり負けた。僕はまた生命《いのち》を君に助けて貰《もら》つた。僕はもうその恩を返へす見込みはない。だから鉄砲も酋長《オツテナ》の候補者も、君のものだ、僕がしたことはみないけなかつた。僕はすつかり君に降参する。どうか、ゆるしてくれたまへ」
 チャラピタは正直で、優しい気質《きだて》の人でした。小さいときから、親しい友達のキクッタが余りずるいので、一時は怒つたのでしたが、今から詫《わ》びをいはれると、すつかり心がとけてしまひました。
「さうか。君が、さういふ気持なら、僕、もう何んとも思はない。僕たちはまた元のとほりの親友にならう」
 そこで二人はアイヌの習慣どほり、柳の枝をけづつて御幣《イナオ》をつくり、それを神様《カムイ》にそなへて、仲よくすることを誓ひました。

底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「新しい童話 五年生」金の星社
   1935(昭和10)年8月
入力:tatsuki
校正:鈴木厚司
2006年3月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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宮原晃一郎

漁師の冒険—– 宮原晃一郎

 いつの頃《ころ》でしたか、九州の果の或《ある》海岸に、仙蔵《せんざう》と次郎作《じろさく》といふ二人の漁師がをりました。
 或日二人はいつものとほり小さな舟にのつて沖へ漁に出ますと大風が吹いて、とほくへ流されました。けれども運よく舟も沈まず、怪我《けが》もしないで、とある島へ流れつきました。二人はお腹《なか》がすいてゐるものですから、早く人家のあるところへ出て、御飯をたべさして貰《もら》はうと、奥の方へあるいて参りますと、そこに畑があつて、大きな西瓜《すゐくわ》が生《な》つてゐるのを見付けました。ところがその西瓜が仙蔵も次郎作もまだ見たこともない程のものでした。それは酒を拵《こし》らへるときの、大樽《おほだる》ほどもありました。二人は大へん喫驚《びつくり》しました。けれども何しろ、もう一足も歩けぬ程お腹がすいてゐるときですから、直ぐにもつて来た小刀で、それに穴をあけて、中の赤い肉を切りとつて喰《た》べ始めました。すると余りにおいしいので、段々喰べていくうちに、とう/\体とも西瓜の中に入つてしまひました。そしてお腹が充分にみちたので、いゝ気持になつて、二人とも歌を唄《うた》つてをりました。

 こちらはその大きな西瓜をうゑた人達《ひとたち》です。その人達は奈良《なら》の大仏を二つも合した程の巨人《おほびと》でありました。今はそんな大きな人間は世界にゐないことになつてゐますけれども、昔の人にはそんな巨人のゐたことが本当に思はれてをりました。
 その巨人が、孫をつれて、畑を見に来ますと、自分の西瓜に穴があいて、そのなかゝら美しい声で歌が聞えました。
「おや変だぞ。」と、巨人は二人の入つてゐる西瓜に目をつけて申しました、「これは西瓜に虫がついた。困つたことをした。」
「ほんとに虫がついたね、おぢいさん、でもいゝ声の虫だから、取つて帰つて、飼ひませう。」
 孫の巨人はさう言ひながら、指を穴に入れて、仙蔵と次郎作とを摘《つま》み出し、掌《てのひら》にのせました。驚いたのは二人です。たゞもう恐ろしさに小さく縮み上つてゐると、孫の巨人は、丁度私共が、バツタか蜻蛉《とんぼ》をおもちやにするやうに、二人の頭をつまんでみたり背中を指でなでてみたりするのでした。
「こら/\虫よ、」と、孫は二人が歌を止《や》めたので、申しました。「唄へ/\。」
 二人は恐ろしいので、声も碌《ろく》に出ません。けれども唄はないと孫が太い指で頭をつまんでふりまはしますから仕方がありません。一生懸命に唄ひました。
「本当に悧巧《りかう》な虫だな。」と、おぢいさんの巨人は申しました。「ちやんとこつちのいふことが分るんだ。大事にして飼つて置かうね。手荒いことをして、つまみつぶしちやいけないよ。」
 仙蔵と次郎作は、巨人達から、とう/\虫と見られて、その家《うち》につれていかれました。孫の巨人は、これは本当に悧巧で、美《い》い声の虫だから、今晩は抱いてねるのだと、二人を寝床の中に入れました。
 困つたのは二人の漁師でした。
「仙蔵。」と、弱虫で少々馬鹿な次郎作は泣き声を出して申しました。「どうしたらいゝだらうかね。しまひにや喰《く》はれてしまやしないかしら?」
「さうだね。」と、仙蔵も心配さうに答へました。「まさかそんなこともあるまい。俺達《おれたち》が美《い》い声で唄つてやりさへすれば悦《よろこ》んでゐるのだから……」
「でもいつまでもこゝにつかまつてゐた日にやもう日本へ帰ることも出来ないが、どうかして逃げ出す工夫もないだらうか?」
「さうだな、俺《おれ》もそのことを考へてゐるんだ。お前だつて俺だつて、家《うち》にや親兄弟もあれば、女房や子供もあるんだから、生きてゐるからにや一度は帰りたいものだ。」
「ぢや今夜逃げよう。」
「さうだ、巨人達が寝てから、こつそりと海岸へ逃げて行かう。まだ乗つて来た舟もあるから、あれで沖へ出てしまへば、それからさきは又どうにか考へをつけよう。」
 二人はすつかり相談をきめました。
 程なく孫の巨人がグウー、ゴーと、まるで大きな岩穴へ、嵐《あらし》が吹き入るやうな鼾《いびき》をかいて眠つてしまひましたので、二人はこつそりと手を引き合つて、逃げ出しました。
「次郎作、しつかりしろよ!」
「よし、合点だ! でも暗くて方角が知れない。」
「蒲団《ふとん》の中だから暗いんだ。どつちにでも走つて、早く端に出ることだ。」
 二人は一生懸命に走り出しました。けれどもまちがつて裾《すそ》の方へ走つたとみえて、なか/\明るいところへ出ません。そのうちにとう/\夜があけてしまひました。
 一番がけに眼《め》をさましたのは、孫の巨人です。直《す》ぐに虫はどこにゐるかと、入れて置いた蒲団の中をみますけれども、二匹とも影も形もありません。
「あゝおぢいさん、大変だよ/\、大事の/\西瓜の虫がゐなくなつちやつた。」
 孫は眼から拳骨《げんこつ》のやうな大きな涙をパラ/\と流して、泣き出しました。
 するとおぢいさんの巨人は、
「よし/\泣くんぢやない/\。どこかそこいらに匐《は》ひ出してゐるだらうから、俺《わし》が捜してやる。」と、言つて、蒲団をすつかり取り除《の》けますと、一里も先に逃げのびた筈《はず》の二人は、まだ裾《すそ》の辺《あたり》にうろ/\してをりました。大変広い蒲団であつたと見えます。
「それ見なさい。」と、おぢいさんの巨人は直ぐに、二人をつかまへて、掌にのせて、孫の巨人の顔の前へ差し出しました。「この通りゐたぢやないか? もう泣きなさんなよ。」
「あゝゐた/\。有難い/\。もうお前|達《たち》、無暗《むやみ》とあるきまはるのではないよ。もし俺《わし》が寝返りでもした時、圧《お》し潰《つぶ》されるといけないからね。」と、いゝ気嫌《きげん》になつた孫の巨人は、今度は肉を削つた西瓜の中に二人を入れて、飼つて置くことにしました。
 二人はもう逃げようとて逃げるわけにはまゐりません。仕方なく/\御飯の代りに西瓜を喰《た》べて、孫から言ひつけられるとほりに歌を唄ひ、あぢきない日を送つてをりました。

 或日のことでした。おぢいさんの巨人は、孫に申しました。――
「これ/\孫や、俺《わし》にお前の虫を貸してくれまいか。」
「おぢいさん、貸してあげてもいゝですが、何をなさるんですか?」
「あのね、あの虫は大変賢いだらう。だから俺《わし》の鼻の孔《あな》に沢山毛が生えて、垢《あか》もついてゐるから、毛をかつたり垢を掃除したりさせるのだよ。」
「ぢや貸しませう。」
 そこで仙蔵と、次郎作は、鎌《かま》と鍬《くは》とをもたされて、おぢいさんの巨人の鼻の中へ入ることにされました。そのとき、仙蔵は次郎作にむかつて申しました。――
「さあ愈々《いよいよ》危いときが来た。今までは二人一緒だつたが今度は鼻の孔《あな》に別々に入るのだ。だから若《も》しかすると、それつきりで、もう会へなくなるかも知れないぜ。」
 次郎作はびつくりして聞きかへしました。――
「どうして?」
「それはね、巨人が若《も》しか強く内の方へ息を吸ひ込んだら、そのはづみに俺達は、鼻の孔から腸の中へ落ちていかないとも限らないからだ。」
「それは困つたな。どうかしてそんなことにならない工夫はないかしら。」
「ないよ……だがね、せめてはお互にまだ無事でゐるつてことを生きてゐる間は知らせ合はふぢやないかえ。だからかうするんだ。時々巨人の鼻の障子を鎌か鍬で叩《たた》いて合図をするんだ。」
「うん、それがよからう。ぢやさうしよう。」
 二人はかう約束して、恐る/\鼻の入口から入つて、先づ鎌で藪《やぶ》のやうに生えた鼻毛を苅《か》り、鍬で鼻の垢《あか》を掘りしては、鼻の障子を叩いて、無事でゐることを互に知らせ合ひました。けれどもその仕事は危いものでした。
 なぜかつていへば、巨人がたえず息を呼吸してゐるのが、鼻の毛をまるで強い風が林を吹くやうに音を立てゝ動かして通り、うつかりすると、仙蔵が気遣つたとほりに吸ひ込まれたり、又吹き倒されさうになつたりするからでした。
 しかしそれでも鼻の孔の半分までは無事に掃除をすましてきました。たゞこの辺から暗いことも段々暗くなり、その上に暑くなつて来ました。弱虫で、そゝつかしやの次郎作は、独りで働いてゐるのが愈々《いよいよ》心細くなつて、一本の鼻毛を刈つては、合図に鼻の障子をたゝき、一つ垢をほぢつては、又合図をしました。けれども巨人の方では奥に二人が入るにつれて、こそばゆくなつて、嚏《くさみ》をしさうになりますのを怺《こら》へ/\致しますので、中の二人は時々その強い息に吹き仆《たふ》されました。それに気のついた仙蔵は、次郎作が合図をする度に、危いから、さう度々するんぢやないと、大声に叫んで注意しますけれども、聞えないと見え、矢張り合図をしてよこしますから、ハラ/\してゐます。そのうちどうしたはづみでしたか、次郎作が合図に鼻の障子を一つ叩きますと、その叩きやうが少しひどかつたとみえ、巨人はとう/\たまらず、ハツクシヨンと、上を向いて、大きな山でもとばされるやうな嚏《くさみ》をしました。
 空に高く、風が木の葉を吹きあげたやうに、持つていかれた二人は、しばらくしてからどしんと地面におとされて、気絶しました。正気にかへつてみると、二人とも日本まで吹きとばされて、帰りついたのでした。

底本:「日本児童文学大系 第一一巻 楠山正雄 沖野岩三郎 宮原晃一郎集」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
初出:「赤い鳥」1920(大正9)年11月
入力:鈴木厚司
校正:noriko saito
2004年8月13日作成
青空文庫作成ファイル:
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宮原晃一郎

怪艦ウルフ号—– 宮原晃一郎

    

 時は欧洲《おうしう》大戦の半ば頃《ごろ》、処《ところ》は浪《なみ》も煮え立つやうな暑い印度洋《いんどやう》。地中海に出動中の日本艦隊へ食糧や弾薬を運ぶ豊国丸《ほうこくまる》は、独逸《どいつ》商業破壊艦「ウルフ号」が、印度洋に向つたといふ警報を受けたので、帝国軍艦「伊吹《いぶき》」の保護を求めて、しきりに無電をかけながら、西へ西へと進んでゐた。
 前部甲板の日覆《ひおひ》の下には、とぐろ[#「とぐろ」に傍点]を巻いたロープを椅子《いす》代りに腰掛けた二人の少年が話してゐる。水夫の服装をした少年は下村《しもむら》といつて当年十八歳、もう一人は中原《なかはら》といつて一つ下の十七歳、中原は麻の白服にカラーをつけたボーイ姿だつた。二人はこの船に一緒に乗組んでから、まだ一航海をしたつきりなのに、非常に仲好《なかよし》になつて、互に仕事を助け合つたり、相談したり、将来の希望を語り合つたりするのだつた。
「ウルフの畜生奴《ちくしやうめ》、やつぱり出て来ないな。」と、下村は幾分か失望したやうな口振で言つた。「やつぱり帝国軍艦『伊吹』が恐《こは》いのだらう。」
「出て来ないで幸だらうよ。」と、中原は年下のくせに慎重な口のきゝやうをした。「こつちは武装してゐるとは言へ、十二サンチ砲を前後二門づつ載せてゐるつきり、速力だつて、高々十五ノットだ。ところが『ウルフ号』は一万八千噸もある客船を補助巡洋艦に仕立てたんだから、十八サンチが二門に、十サンチが十門も備へつけてあるつて話だ。それに二十二ノツトも出ると言ふから、見つかつたら最後、こつちは撃沈されるか、自爆するかより外に途《みち》はない。」
「さうだな。だが、こつちだつて大砲があるんだから、むざむざやられはしないさ。一発でも二発でも打つて、かなはない時は、この船を爆沈させるだけの話だ。監督将校の堀《ほり》大尉も、さつき船橋《ブリツヂ》で船長にさう言つてゐた。」
 下村は自分が何でも知つてゐるやうに意気込んで話した。
 中原はしばらく黙つてゐたが、そろ/\と言つた――
「それもよからう。だが、僕《ぼく》なら、魚雷を使つて、あべこべに敵艦を撃沈してやるねえ。」
「えツ! 魚雷? この船に魚雷なんて無いぢやないか。」
「いや、ある。地中海の駆逐隊《くちくたい》へ送る分が二十発ばかり積み込んである。しかも大型の二十一インチだからね。補助巡洋艦なんか、こいつを一発くらへば、木葉微塵《こつぱみぢん》だ。」
「さうか。けれども、そいつを発射する発射管がなからう。」
「いや、魚雷は発射管がなくたつて、使へるものだよ。僕の親父《おやぢ》は水雷専門の兵曹長《へいさうちやう》で水雷のことなら、僕も小さい時から、見たり、聞いたりして、よく知つてゐるんだ。実は僕、この間から、万一の場合には使つてやらうかと思つて、積んであるやつを調べて見たんだがね、ちやんと圧搾空気《あつさくくうき》もはいつてゐるし、恐しい爆薬をつめた実用頭部も取りつけてあるんだ。僕がちよつと仕掛をすれば、すぐ走つて行くやうになつてゐるんだ。」
「さうか。そいつは手廻《てまは》しがいゝな。ぢや断然やれよ。俺《おれ》も手伝はあ。貴様が発射した魚雷で、巨艦『ウルフ』が海の底に深く沈むなんざア愉快だ!」
 下村は単純で、無邪気な少年だ。もはや敵艦を沈めてしまつたやうな燥《はしや》ぎやうだ。
「ところが君、」と、中原はちよつと困つた顔をした。「二十一インチの魚雷ときたら、いゝ加減のボートぐらゐの大きさがあるから、大人でも、一人や二人の腕ぢや扱へないんだ。」
「それなら何でもない。」と、下村はすぐに言つた。「巻揚機《ウインチ》を使ふさ。俺はその方にかけちや名人だ。巻上げるんでも、振り落すんでも自由自在だ。」
「フム。」と、中原はしばらく考へてゐたが、半ば独言《ひとりごと》のやうに、
「さうだ、後部の巻揚機《ウインチ》で上甲板まで上げて、ちやんと準備をしてから、水ん中へ振り落してやれば、あとは水雷がひとりでに仕事をする。」
 中原がこゝまで言ひかけたとき、船橋《ブリツヂ》の方で、けたゝましく喇叭《らつぱ》が鳴つた。
「おうツ、非常喇叭だ!」
 二人はとび上つた。そして、右舷《うげん》近くへ走りよつて、敵はどこ? と見渡すと……
 見える、見える! 右斜、前方の水平線に三本煙突、二本マストの巨船が、こちらの航路をおさへるやうに走つて来る。四段にかまへた甲板、舳《へさき》や艫《とも》の形などからして、勿論《もちろん》、軍艦ではない。旅客船だ。
 速い、速い! 見る/\うちに双方の距離が五千メートルになつた。と忽ち、その前檣《ぜんしやう》にさら/\と上がつたのはドイツの鉄十字! あゝ、つひに恐しい海の上の狼《おほかみ》、「ウルフ号」は現れた。羊《ひつじ》の皮を着た狼とは、まさしくこのことである。表面は平和な客船に見えてゐるけれど、艦長が電気|釦《ぼたん》を一つ押せば、忽《たちま》ち武装いかめしい軍艦に変るのだ。今まで何にも見えなかつた舷側には、この時|俄《には》かに砲門がずらりと開いて、大砲がによき/\[#「によき/\」に傍点]と頭を出し、前後の甲板には十八サンチ砲がにゆうつ[#「にゆうつ」に傍点]とせり上つた。
 と、忽ち、その横檣《わうしやう》に万国信号旗がひら/\と上つた。中原はそれを見て、さも軽蔑《けいべつ》するやうに言つた。
「ふん、海賊のおきまりの脅《おど》し文句だ。『止れ、我、汝《なんぢ》に語るべき用事あり。』と言ふんだらう。信号簿をくつて見るまでもないや。」
「生意気な!」と、下村がそれを受継いで呶鳴《どな》つた時、ドンとすさまじい音を立てて、こつちの十二サンチが打出した。それと同時に檣頭高く日章旗が翻つた。これが「ウルフ号」の信号に対する日本男児の答であつた。
「うまいぞ、かう来なくちや!」
 下村がむやみに興奮してゐるうち、豊国丸は続けさまに打《ぶ》つ放した。
 一発遠く、二発近く、三発命中!
 命中、又命中、四門ではあるが砲射の技術にかけては、世界にほこる日本の海軍兵だ。見る/\「ウルフ号」の甲板は滅茶滅茶《めちやめちや》に打ちこはされた。勿論《もちろん》、敵もこれしきのことにひるむやうな弱虫ではない。その十八サンチの主砲をはじめ、十サンチの副砲が猛烈に火をふきだした。しかし、敵はこちらを余りに弱いものと見くびつて、油断をしてゐたので、はじめの程の砲撃は徒《いたづら》に魚を驚かしたに過ぎなかつた。
 とは言へ、大人と子供とでは角力にならない。間もなく独艦の精鋭クルツプ砲は恐るべき威力を見せ出した。十八サンチの一弾は豊国丸の煙筒《えんとつ》を根本からもぎ取つた。十サンチの砲弾は舷側に蜂《はち》の巣のやうに穴をあけた。もしその一発でもが、積んでゐる水雷か、砲弾にか当らうものなら!
 そのうち、だん/\時が経《た》つにつれて、海図室をやられる。操舵機《さうだき》をこはされる。おまけに大事な前部の十二サンチ砲は敵弾を受け、砲身が曲つたり砲架をいためられたりして、砲員も死傷して、とう/\二門とも発砲が出来なくなつた。後部の二門もこの時、別な理由でだめになつた。
「弾薬がつきました。監督大尉!」
 後部の掌砲兵《しやうはうちやう》が悲痛の声を絞つて、伝声管《ボーイス・チユーブ》に口を寄せて叫んだ。けれども伝声管《ボーイス・チユーブ》はもう敵弾にいたんでゐるので、船橋《ブリツヂ》へは通じない。よし通じても、監督の堀大尉は戦死してゐた。砲のことは素人の船長には分らない。いや、その船長も既に重傷を負うて、船の指揮は今一等運転士がつかさどつてゐる。
「せめてもう一発でも――畜生もう一発あれば、あの艦橋《ブリツヂ》にドカンと打《ぶ》つくらはしてやるんだが! ちえツ、残念だ!」
 掌砲長が砲の把手《ハンドル》を握りしめて、口惜しさうに敵を睨《にら》んで叫ぶのを、嘲笑《あざわら》つてでもゐるやうに、敵弾はぶん/\飛んで来て、ところきらはず命中するそれだのに、こちらからは答へる弾薬が尽きてしまつたのだ。いよいよ自ら爆沈すべき最後の時がせまつて来た。

    

 非壮な瞬間だ。と、突然、後部の巻揚機《ウインチ》ががら/\と凄《すさま》じい響を出して、その五六本の鋼条《ワイヤー》の先に吊《つ》るした鈎《かぎ》づきの滑車が弾薬庫にする/\と滑りこんだ。それを真つ先に見つけたのは掌砲長《しやうはうちやう》だつた。
「やア有難い。えらいぞ下村《しもむら》! 積荷の弾薬に気がついたのか。しつかりやつてくれ!」
 掌砲長は、下村が弾薬を自分の方へ廻《まは》してくれるものと思つたので、躍り上つて悦《よろこ》んだ。しかし巻揚機《ウインチ》の滑車の鈎について上つて来たのは弾薬箱ではなくて、二十一インチの素晴しく大きな魚雷で、その上に中原《なかはら》が跨《また》がつてゐた。
「何だ、馬鹿《ばか》々々しい。水雷と弾薬とを間違へる奴《やつ》があるか、あわて者、しつかりしろ!」
 掌砲長はぷり/\して呶鳴《どな》つたが、あたりが騒がしいので、向ふまで聞えなかつたのか、下村も中原も、そつちを見向きさへしなかつた。
 魚雷は小さな潜水艦のやうな姿を、甲板の上にあらはした。磨《みが》き上げたその表面は白金のやうに輝いてゐる。敵弾の飛んでくるのはよほど少くなつたが、それでもまだぞく/″\命中する。その中を、中原は必死の覚悟で、水雷発射の準備に夢中になつてゐる。が、熟練した水雷士官でも、これはよほど難しい。それを僅《わづ》か十七歳の少年が、見覚え、聞覚えでやるのだ。成功するか知ら? 危ないものだ!
 いや、しかし、中原の父は魚雷の発射にかけては天才と言はれた人だつた。その子の彼に、この天才が伝はつてゐないとは誰《だれ》が断言出来よう。
「ようし!」
 中原は準備を終つて、すばやく魚雷から飛び下りた。と、下村はすかさず巻揚機《ウインチ》をあやつつて、軽々と吊るした魚雷をそろそろ水面近く下した。中原は舷側《げんそく》に立つて、右の手を上げ、敵艦を睨《にら》んで立つてゐる。息づまるやうな緊張の十数秒だ!
「三千メートル!」
 彼の耳に誰《だれ》やらがさう叫んだやうだつた。彼はさつと、合図の手を振つて叫んだ。
「オーライ!」
 下村は巧みに巻揚機《ウインチ》にはずみをつけて、ざんぶと魚雷を水へ抛《はふ》り込んだ。
「やツ! えらいぞ中原! 出かしたぞ、下村!」
 掌砲長が嬉《うれ》しさうに叫んだ。
 しかし下村も中原も、そんなことはまるで知らないものゝやうに、たゞ一心に魚雷の進行を見つめてゐた。
「うまいぞ! あれを見ろ、下村!」
 中原は今しも百メートルばかり向ふの水面を浅く、大鯨《おほくぢら》のやうに浪《なみ》の畝《うね》を立てて、まつしぐらに敵艦目がけて突進する魚雷を指さした。魚雷は発射されてから、命中するまで、やゝ長い時間がかゝるので、その間に敵が気づいて、艦《ふね》の向《むき》を変へたら、或《あるひ》は外《そ》れるかも知れない。
「気づかないでくれ、気づかないでくれ。」
 二人の少年は一心不乱に神を念じた。一秒、二秒と時が経《た》つて、魚雷は与へられた方向にまつしぐらに飛んで行く。
「あツ、とう/\見つけた!」と、中原が叫んだ。敵艦から海面めがけてパチ/\と小銃や機関銃を放す音が聞えた。
「へツ! 魚雷を撃沈するつもりだな。さうはいかないぞ! ――そら、とうとう艦《ふね》の向を変へたぞ、畜生奴《ちくしやうめ》!」と、下村は残念さうにうなつた。
 が、少し遅かつた。「ウルフ号」がまだ、十分に位置を変へきらないうちに水雷はその後部水線下に命中した。小山のやうな水柱がその大きな半身を包むのが見えると、次いで、海の底で火山でも爆発したやうな物凄《ものすご》い音がとゞろき渡り、約三千メートルの距離にある豊国丸《ほうこくまる》までがビリ/\と震へた。二十一インチの魚雷が「ウルフ号」のどてつ腹をゑぐ[#「ゑぐ」に傍点]つて、大孔《おほあな》をあけたのだつた。
 やがて水煙がをさまつた時には、敵の巨艦は、もう後部甲板まで水にひたつてゐたが、やがてそろ/\と艦首を天に向けて、次第々々に浪の底へ沈んで行つた。後には大きなうづ[#「うづ」に傍点]と、黒豆をぶちまけたやうに、溺《おぼ》れる乗組員の姿が見えた。
「万歳、万歳!」
 豊国丸の船上には素晴しい万歳の叫が起つた。
 下村と中原は感激して、抱き合ひながらおん/\声をあげて泣いた。
 と、その耳にはつきり聞えたのは、船長に代つてこの船の指揮をとる一等運転士の声であつた。
「二番|艙《さう》、三番艙浸水。総員ポンプへ!」
 無線電信室からは救難信号S・O・Sの電波が空中へ散つてゐる。
「伊吹《いぶき》」は全速力で救助に向つてゐることは明らかだ。もう僅《わづ》かな間である。豊国丸はそれまでどうしても浮かんでゐなければならない。
「僕等《ぼくら》もポンプへ行かう!」
「オーライー!」
 下村、中原の両少年は勇躍して、ポンプへ走つた。

底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「新しい童話 五年生」金の星社
   1935(昭和10)年8月
初出:「少年倶楽部」講談社
   1933(昭和8)年2月
入力:tatsuki
校正:鈴木厚司
2006年3月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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宮原晃一郎

科學的の神祕—– 宮原晃一郎

 ストリンドベーリが科學に造詣の深かつたことは、その莫大な著作中に、幾多の科學的研究があることで知れる。ところが、彼は晩年になつてスウェデンボーリの影響を受けて、神祕主義者になつてしまつた。
 その種類の勞作のうち、最大なるものは、青書 Blaa Bok 三卷である(シェーリングのドイツ譯では第一卷を Ein Blauduch、第二卷を Ein neues B. として別物扱ひにしてゐる)。
 私は今この青書の飜譯にかゝつてゐるが、それは神祕主義といつても、今日、此の國で行はれてゐる、既成、新成の宗教に見る奇蹟や、神癒や、天啓や、依憑などの鵜呑では決してない。
 科學が必然的に手をふれ殘してゐる不可知界を指摘して、その弱點を衝き、神祕――寧ろ唯一神の存在、可能を説くところ、形式は説話的ではあるものの、その論證は神學の辨證論的で神祕的なものにふれてもなほ、そこにはハッキリした理智のひらめきを見せてゐる。
 これを讀むと、彼が科學上に、すぐれた先見をもつてゐることが分る。殊にラジオの今日あるを豫見したやうなところは、ちよつと意外にすらも感じさせられる。
 この青書は私がさきに譯した『歴史の縮圖』の形をかへた續篇とも見るべきものでかれこれ併せて讀むべきものである。
 科學と信仰(或は宗教)とは全く對蹠的に立つ樣に思はれるが、ふしぎなことには、大きな科學者や、科學の深い教養を持つ文學者が、その科學的知識を通して、神祕主義になる例がいくらもある。
 ダーウィンと共に進化論を發見したウォレスが『宇宙に於ける人間の位置』を書き、心理學者、哲學者として有名なヂェームズが人間個體の不滅を説き、犯罪學の大家ロムブローゾが、スピリチズムに趨り、ラジオの先覺者サー・オリ※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]ー・ロッヂがフランドルで死んだ息子の靈と通話したことを發表して、センセーションを起したなどは、科學の奧義をきはむる者が、神祕主義にはしる恰好の例である。文人の方から云へば、ゲーテのごときもさうであるし、ストリンドベーリ、メーテルリンク、コナン・ドイル等が何れも深い科學の素養をもちながら、熱心な神祕主義者になつてしまつたのは他の一例である。現代文人のうちで、科學によく通じてゐる人にエチ・ヂー・ウエルズがある。彼はもういい年配であるが、まだ神祕主義にはなつてゐない。然し、彼が信じてゐる科學はふしぎにも、あらゆる點に於て神祕な不可知の領域を擴げてみせるのではないかと思はれる。
 彼の著、生命の科學(平凡社版)は今、まだ一卷を出したばかりであるが、私はこれを讀んで、非常に面白く感じたと同時に、最近の科學が宗教に對して、反對どころでなく、却つてこれを肯定してゐるやうな形にも見えるのに、驚異の念に打たれたのだつた。
 ほんの一例に過ぎないが、有機物、無機物の區別の如き、今日では、昔のやうに判然としなくなつた。といふのは、如何なるものも根本に於ては同じもので、只原子の組成の簡單か複雜かによつて相違するにすぎないことが明かになつたからである。
 山川草木皆具佛生といつて、あらゆるものに生命をみとめる佛教の説を、科學は原子の研究によつて、實證してゐるとも見える。
 私は今、ストリンドベーリの青書を譯する傍ら、そのウェルズの生命の科學を讀み、彼我對照して非常に興味をおぼえてゐる。

底本:「北歐の散策」生活社
   1943(昭和18)年3月20日発行
入力:鈴木厚司
校正:土屋隆
2008年3月20日作成
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宮原晃一郎

悪魔の尾—– 宮原晃一郎

 それはずつと大昔のことでした。その頃《ころ》は地球が出来てからまだ新しいので、人間はもちろんのこと、鳥や獣すら住まつてゐませんでした。住まつてゐるものはたゞ悪魔ばかりであつたのです。
 悪魔たちはみんな恐ろしく長い尾をもつてをりましたので、それを人間で言へば槍《やり》や刀の代りに使つて、のべつ幕なしに喧嘩《けんくわ》をしたり、戦争をしたり、始末におへないので、世界中は治まりがつきませんでした。
 こんな悪い悪魔たちでも、やはり仲間とは一緒に住みたいと見えて、とある山の中ほどに大きな湖水のある、見晴らしのよい場所を見付けて、市街をつくつてゐました。
 けれどもこの湖からは、一筋の大きな河が流れて丁度《ちやうど》悪魔の市《まち》の真ん中をとほるものですから、いつかしら悪魔たちは右の岸、左の岸と二派に分れましたので、とう/\喧嘩を始めました。すると両方へどこからともなく他の悪魔が来て、加勢するものですから、その喧嘩が愈々《いよいよ》大きくなり、遂《つひ》に戦争になつてしまひました。
 それからといふものは、夜昼の区別なく、春夏秋冬、年がら年中、のべつ幕なしの大戦争で、お互に敵に打勝つ手段を考へては、その魔法をつかつて戦ひました。
 腹の黒い悪魔の吐く息は、雲か霞《かすみ》のやうに空を立《たて》こめて、まだ生れてから若い、お天道様の美しい光りも覆ひ隠し、地上はまだ世界がひらけない前のやうに真暗《まつくら》になりました。おまけに唸《うな》り合ひ、啀《いが》み合ふ声は、山々谷々をゆり動かし、足踏み鳴らすその響は地震と雷とを一緒くたにしたやうで、その恐ろしさといつたらありません。
 右の岸の悪魔が大きな岩を雨か霰《あられ》のやうに投げつければ、左の岸の悪魔は、まるで火山のやうに口から火焔《くわえん》を噴き出すといふ具合で、互に魔法のありつたけを尽して戦争しましたが、いたづらに双方が怪我《けが》をしたり、死んだりするばかりで、一向勝負はつきません。
 ところで丁度その時分、神様は余り世界が悪魔ばかりでは、殺風景だからと言つて、鳥や獣や、それから人間もこしらへて、住まはせようと、まづ、草や木の種子《たね》をお播《ま》きになつたのが、ほんの少しばかり芽を出しかけてをりました。それだのに悪魔どもがこの大戦争を始めましたおかげで、せつかくの神様の思召《おぼしめし》も無駄《むだ》になつて、そんなものは皆踏みにじられ焼き枯らされてしまひました。
 けれどもこの悪魔のうちに、一|疋《ぴき》の大きな悪魔がゐました。この悪魔は体が大きいばかりでなく、魔術を一番沢山知つてゐて、元は神様の御使ひの一等よい一人でありましたから、よく神様の御心《みこころ》を察することが出来ました。ですから、自分では余り戦争なんて下らないことはしないで、他の悪魔が一生懸命に生命《いのち》の取遣《とりや》りをしてゐるのに、お尻《しり》をそこにドツカと据《す》ゑ込み、煙草なんか吹かして、たゞ見てゐるだけでした。
 ところが、こんなに戦争がひどくなると、大悪魔はお日様が曇るやうな大きな眉《まゆ》のよせ方をして、独り言を申しました。
「これはどうも賢いことでない。こんなに大きな戦争を永く続けては、しまひには我々悪魔の種族は皆殺されて、根絶やしになつてしまふ。ひよつとしたら、神様もそのつもりで、黙つて、内輪喧嘩をおゆるしになつてゐるのかも知れない。せつかく神様がお播きになつた木や草の種子までも、悪魔が踏み荒しても黙つておいでなさるところを見ると、これからおつくりになる人間にこの世界を渡してしまふため、先づ悪魔同志喧嘩をさして、悪魔が自分から滅びるやうにお仕掛なすつたかも知れない。これは早く戦争をやめさしたがいゝぞ。」
 で、大悪魔は大きな声で叫びました。まつたく大きな声――まるでお寺の鐘を千も一時に搗《つ》き鳴らしたやうな大きな声で、ゴーンと山から山へ、谷から谷へ響き渡るほどの声で叫びました。
「皆しづまれツ! 戦争|止《や》めツ!」
 とにかく、大悪魔の声に、戦争は一時中止されました。けれども平和会議を開いて、今後は悪魔の仲間では、戦争をしないことにきめなければなりません。
 さて当日の会議には例の大悪魔が大演説をやりました。
「諸君、私《わたし》は神様が人間といふものをこの世界におつくりになつて、それに世界ぢうのものを皆与へ、世界の主とする御決心をなさつたことを勘付きました。諸君の足の下に踏みにじつた草や木の芽生えはその人間にお与へになるつもりで、おつくりなされたものです。神様は私共悪魔がこの世界にゐることをお好みなさらんので、どこか遠い/\ところへ追ひやつておしまひなさるつもりです。なぜかといへば悪魔がゐては人間の邪魔になるからです。神様は深く人間をお愛しになつて、その心に十分の九まで自分の魂をお吹込みなさるつもりです。ですから殆《ほと》んど神様と同じになるわけです。たゞあと一分だけをお残しになつて、神様との区別となさるのであります。しかし人間が本当に神様の思召《おぼしめし》どほりの行ひをするなら、その残りの一分も神様の御心を頂戴《ちやうだい》出来て神様と同じになれるのです。さうなつたら大変です。我々悪魔はもうこの世にはをられません。たゞ幸なことには、人の魂のその残りの一分には我々悪魔も又指をいれることが出来ます。ですから我々はそこにつけこんで、そこから人間の魂を全部腐らしてしまへばよいわけです。しかし今のやうに我々悪魔の仲間が戦争ばかりしてゐては、皆自滅してしまふばかりですから、これからは仲よくして、力を合せて人間を堕落させることに致しませう。」
 ところが他の悪魔たちは、この大悪魔ほど悧巧《りかう》でなかつたものですから、その言葉を聞きいれません。
「あいつ。いゝ加減なこと言つてゐやがる。」
「さうとも、あんなずるい奴《やつ》だから、何をたくらんでゐるか知れやしない。」
「えらさうなことを言つて、自分がこの悪魔の国の王様になるつもりだらう。」
「さうにちがひない。」
「やつゝけろ。」
「殺してしまへ。」
 一人が言へば二人、三人と、しまひには、ありつたけの悪魔がよつてたかつて、この大悪魔ひとりをめがけて、打つて、かゝりました。
 大悪魔はたゞ一人ではかなひませんから、放々のていで逃げ出しました。すると悪魔は皆ドン/\後を追ひかけて来ます。丁度《ちやうど》大悪魔が山の湖の岸まで逃げて来たとき、追ひつかれさうで、大分危くなりました。でどうしようかと困つてゐるとき、ふと思ひ付いたのは例の力強い尾です。大悪魔はこれはよいことがあると、その尾を振つて地面を一打ち打ちました。すると、地面が大きく裂けて、その割れ目へ湖の水がどし/\流れ込み、大きな河になりました。ですから追つて来た悪魔のうち、足の早い者だけがこの割れ目を跳び越してゐましたけれど、後《おく》れたものはその中に落ちて、アブ/\/\しながら、溺《おぼ》れるやら、流されるやら大騒ぎでした。
 けれども割れ目をとんだ悪魔も沢山ゐましたから、そんな奴がやはり追つかけて来ます。
 また/\近く追ひつかれさうになりましたから、二度大悪魔は例の尾で力一ぱいに地面を打ちますと地面は割れて、湖の水が流れ込みました。今度の割れ目は前のよりも大きかつたので、また沢山の悪魔が落込みました。
 けれども悪魔の方はあとからつゞいてくる者が多いので、やはりドン/\と追ひかけて、また/\追ひつかれさうになります。大悪魔は苦しくて/\たまらないものですから、三度目には力一ぱい、無茶苦茶に尾で地面をたゝきつけましたので、いくつもいくつも大きな河が出来て、湖から水が矢を射るやうにゴウ/\音を立てゝ流れました。追ひかけて来た悪魔どもは大抵その中に落ちて、海へ押し流されてしまひました。
 大悪魔は、だいぶ働いたので、すつかり疲れ、ぐつたりとして道端に臥《ね》てゐましたが、ふと気がついて驚いたのは、自分の強い尾がなくなつてゐることでした。
「あんまり強く地面をたゝいたので、切れてしまつたものと見える。」と大悪魔はそこをさがしてみましたが、きつと河の中に落ちて、水に流されたのでせう。影も形も見えませんでした。
「驚いた/\、尾がなくなつたら、どうして他の悪魔を防げるだらうか。」
 大悪魔は心配しながら、自分が拵《こしら》へた、大きな川を幾つも/\跳び越えて、自分の家に帰りました。
 けれども他の悪魔から攻撃を受ける心配はなくなつてゐました。といふのは大悪魔の敵はみな大抵川に溺れて死んでしまつたからでした。で後に残つた僅《わづ》かの悪魔に、仲間同志の喧嘩は決してするものでない。それよりも人間がいまに出来たら、その魂をくさらすことに力をいれるがよいと教へました。他の悪魔どもゝ今度はよく分りましたから、もう手向ひせず、大悪魔の家来になりましたので、大悪魔の子孫はだん/\数がふへて、地上に栄えました。けれどもそれからは皆尾がなくなりましたので、悪魔の姿は大変人間にまぎらはしくなり、その為《た》め愚な人間は悪魔と友達になつて堕落しました。たゞ賢い人の眼《め》にだけは、その無い尾がちやんと見えるので、どんなにうまく化けても悪魔の正体はすぐ分るのです。

底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「悪魔の尾」講談社
   1927(昭和2)年2月
初出:「赤い鳥」赤い鳥社
   1924(大正13)年8月
入力:tatsuki
校正:鈴木厚司
2005年8月21日作成
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宮原晃一郎

愛人と厭人—– 宮原晃一郎

 有島武郎君の「惜みなく愛は奪ふ」は出版されるや否や非常な売れ行きであるさうな。しかし売れ行きといふことが直にその本の真価を示すものではないと同時に、売れ行く本は直に俗受けのものと独断して、文壇の正系(?)が之を無視するのはよくないことだ。過般有島君の芸術を通じてその生活を一般が云々《うんぬん》することについて、中央文学に一寸《ちよつと》書いた時、「三部曲」の批評が出なかつたことを指摘して置いたが、此本の「後書」を見ると、矢張りあの書に対する批評は賀川[#「賀川」に丸傍点]氏ものゝみが只一つ公にされたつきりであつたさうな。自分は武郎[#「武郎」に丸傍点]君の門下でもなければ、乾分《こぶん》でもないのだから、敢《あへ》て阿諛《おべつか》をつかつて彼是言はねばならぬ義務は持たぬが、当然問題となるべき「三部曲」の批評が一つも文学雑誌――少なくとも文芸をその要素の一つとする雑誌や新聞に、殆ど一言半句ものせられなかつた不公正に対して、自分は親友としては勿論、仮りに無関係な立場にある人としても非常に遺憾とするものである。従つて今度出た「惜みなく愛は奪ふ」は武郎[#「武郎」に丸傍点]君が五ヶ年の心血を注いで、その思想上の頂点を為すものと言はれてゐるだけに、決して同一の不公正が行はれはすまいと思ひながらも、又一方にはなほその懸念がないでもない。願はくは之は自分の杞憂であつて呉れゝばいゝが。
 自分が彼の書を読んだところでは、武郎君はその思想を自我の肯定にまで溯りデカルトの Cognito ergo sum の代りに、Cognosco ergo sum だといつてゐる。併し表現の方法は哲学的の論文ではなく論文の形を借りた詩である。組織されたる思想といふよりも寧ろ生み出された思想といふが適当だ。然らばその生み出された思想とは何かと云へば、それは愛だ。啻《ただ》に最近五年間といはず、有島君が最初から目指してきた、又総て武郎[#「武郎」に丸傍点]君の生命活動の主動《ライトモチフ》を為した愛が、此処にその全我の大肯定の下《もと》に、自らを確立したのである。武郎[#「武郎」に丸傍点]君の愛なるものゝ本質が何であるか、惜みなく奪ふ愛そのものである主我は他の多くの同様な主我と如何に対立共存し得られるか、武郎[#「武郎」に丸傍点]君の見るところ、説くところ、信ずるところに対してきつといろ/\な意見が発表せられるであらうし、又さういふことを論じ合ふのは、下らぬ揚足とりや、与太話よりも、ズツトましであるから、大なる期待を以て自分は観てゐるのである。
 然し自分は此処に「惜みなく愛は奪ふ」の批評をする積りでもなければ、武郎[#「武郎」に丸傍点]君の人生観を彼是言ふものでもない。只之を所縁としてつく/″\と感じたことを述べてみたいのである。
 他人のことを言ふ資格のない私は矢張り自分のことを言ふ。私は「惜みなく愛は奪ふ」を読んで、今更に自分の生き永らへてゐることを奇怪に、恥辱に、又恐ろしくさへ思つた。一体自分は考へてみると善にしろ、悪にしろさう大した桁外《けたは》づれではない。平たく言へば凡骨だ。君は立派な人格の所有者だなんかと、過つて言はれでもすると、内心頗る忸怩《ぢくぢ》たるものがあるが、さりとて偽善者だと名乗つてそれを打消すにも価ひしないと自分を侮つてゐる。然し悪に対する自分の態度は寸毫も仮借しない激烈を極めてゐる。邪悪といふものは真黒々で、そこには一点の光明を認めることが出来ない、そして此暗黒は光りのあるところに陰の必ず伴ふ如く、善に伴つてゐる。否寧ろ暗い夜に灯火をつけるやうに、大きな暗は小さな光りを隠くさんとする。是は今日の文壇に主潮を為してはゐないかと思はれる人道主義的傾向とも、又有りふれた道徳観念とも正反対である。自分には今、どんな堕落した人間の裡にも神の光りを認める偉大なドストイエヴスキイの亜流で世の中が満ちてゐるやうに見える。その証拠は此観念を裏切る典型の一人を描かうものなら、批評家は直ぐに、うまくは描けたが、もつと人間らしいところを見てやるべきと言ふ。即ち文学者たる者は、その作に、お菓子に砂糖のいるやうに、きつと甘いところを添ふべきことになつてゐるのだ。自分もクロポトキンだつたか誰かゞいつたやうに、ロムブロオゾオの所謂る罪人型の人間は先天的にはゐないものと信じてゐる。けれども悪いものを悪いまゝに描き、又悪いことを悪いと痛撃するに何の容赦も要らないものと思つてゐる。或は言ふ人があるかも知れない。お前は同じ人間に善と悪とが対立してゐることを忘れて、只その悪ばかりを見るからいけないのだ。そんな見方は人間を汚涜《をとく》し、生命を殺すものだと。自分もそれを思はぬではない、いやそれを思へばこそ恥しくも、恐しくもなるのだ。然しそれでも自分は今日の正義の声は余りに、かしましい拙悪な吹奏者の喇叭のやうに、その底に或る不協和な、擽《くすぐ》つたい何ものかゞ聞きとれると白状しないではをられない。自分は人性を善なりと大掴みにきめてかゝれないと同時に、その反対に悪なりとも断言することを躊躇するものだが、誰も彼も皆正義人道の擁護者らしく見えるときに、自分の汚ない心は皮肉な嘲笑を催して、それぢや是を見ろと現実暴露といふ昔|流行《はや》つたアナクロニズムをやつてみ度くなる。そしてあらゆるものがカリカチユア化してみえる。自分も恁※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2-94-57]《こんな》心理は一種病的で、医学上の露出狂 Expositionmania のやうなもので、何れも立派に着かざり、万物の霊長とは之だぞと取繕つて坐つてゐる真中に、容赦なく、赤裸々の醜をさらけ出して、皆を座に堪へぬまで赤面させ自分は後《あと》で指弾と、冷罵と、憫笑とを、播いた収穫として投げ返されると知つて、自分が恁※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2-94-57]病に罹つてゐるのではないかと思ふと堪らなく恥しくもなる、がそれはまだ治癒の望みもある、絶望ではない、併し本当の厭人厭世となつたら、なかなかそのやうな生優しいものではない。「惜みなく愛は奪ふ」を読んだとき、自分はその行先にある此暗い深淵が大きな咽喉を開いて自分を一歩々々その方へ吸ひ寄せてゐることを、愕然として悟つた。語彙の概念に捕はれ易い自分は虚無といふ幻想的な非実在の名を以て此深淵を称ふことは出来ないが、其処には総てが否定で、絶望であるといふ、自分の此観照に目醒めて、驚きかつ顫ひをのゝいたとき、更に自分はその死の谷への道を安んじて、恰も生命の門に進むが如く、平然と寧ろあらゆる空しき影に無限の希望を置き、喜びをさへ感じて生きてゐる矛盾を、無頓着を、冷淡を、倦怠を痛感して、此処に改めて自分に対する反抗と、嫌悪の念がむづ[#「むづ」に傍点]の走るが如く、心に湧き起つた。そして自分は此急激な霊の嘔吐を押へる対症療法として、短時間のうちに、今まで漠然として感じてゐたことを、どうか纏まりをつけねばならなくなつた。どんなふうに解決をつけたか、それを詳しくいふことになれば、如何に一夜づけでも十枚や二十枚では書き足りないから、只一言にして尽くすことにすれば、それは至極平凡なもので、武郎[#「武郎」に丸傍点]君の「我は知る、故に我は在る」よりも、もうちつと前なる意識に溯つて「我は感ず、故に我はある」sencio, ergo sum といふ生存の根帯を肯定して次には「在る」という事実はその終りが死であらうと、滅亡であらうと、又その「在る」道程が美であらうと、醜であらうと、善であらうと、悪であらうとに論なく、あらんとするその慾望であつて、我を中心に見た、一切のものは之に根ざしてゐる。此慾望を指して人は愛とよぶもまた憎みといふもそは関するところでない。そは一本質の只形を異にした現はれに過ぎないのだから。ツウルゲーニエフが「煙」の中で、誰だつたかに「私は限りなく露国を愛するが故に、限りなく露国を憎む」と言はしたやうに、生きんとする生命の促進から起つた執着があればこそ、厭人も厭世も、憤りも憎みもあるのだ。若しその慾がなくなつたら、そのときこそは生きてはゐられないときである。
 恁《こ》う考へたとき自分が生きてゐること、憎みながら、厭ひながらも生きてゐる理由が分つたやうな気がした。恥づることも、恐るゝこともいらないやうに思つた。自分が世を厭ひ、憎むといふことはその実、生に対する執着が深いからである。憎むことが深ければ深い程、生命の力は強いのである。それは矢張り愛ではないかと或は人はいふかも知れない。
 或はさうであらう。それは視点の相違である、愛を力説する人は、金を砂中に拾ひ上げる人だ。憎みを主張する人は鉱石を熔炉に投じて、金塊から不純の分子を潔める人だ。何れにしても同じことだ。只何れにするも不徹底が一番にいけない。その時愛は偽善となり、憎みはカリカチユアとなる。自分は信ず何時何処でも偉大な人の多くはミスアンスロツプであるか、さもなければ境遇上から、又は能動的に求めて、霊肉の苦行を経た人であると。象牙の椅子に倚《よ》りて、民の疾苦を説く政治家の態度を学ぶフイランスロプは盲目的な獣類の愛、非常に Selfish-ness を含む危険に陥り易い。今我々の間には斯るフイランスロツプが甚だ多くはないだらうか。自分はこれを厭ふ余りにその反端のカリカチユーリストになつたではあるまいか。しかし他人のことはどうでもかまはない。自分は今後此立場から大に厭人的の苦《に》がい憎悪を吐き散らして呉れようと決心した。そして若し生命そのものが愛といふものであるならば、此苦い憎悪の中から、棘《とげ》と、渋皮の奥なる甘い栗を取り出すやうに、美味な純真な愛に到達しようと思ふ。尤《もつと》も生物の死滅は個体として、種属として、又全体より見て、如何にしても免れぬことで、生命の飛躍といひ、霊魂の不滅といふも、そは只|奇《く》しき夢を見るべく運命づけられた人間のあこがれの幻影で、愛は美酒《うまざけ》の一場の酔に過ぎないことは、千古の鉄案として動かせないのであるが、我れ感じ、我れ生きて、なほ只生きんと衝動の波に押しすゝめられて行く間は、せめては冷たく、堅く、物凄い真理のゴルゴンの見えぬやう、愛なる酒に酔うて、幻滅に開かんとする眼を眩《くら》まして置かう。自分には「虚無に立脚した力強い肯定も」出来ねば、「絶望の法悦」も味ははれぬ身であるから、輪廻《りんね》を想うて非常な悒鬱、絶望に陥りかけたニイチエか Uacht Zum Nille を高調し、そこに悦ばしい生命の隠遁所を発見したやうに憎悪を通じて自己肯定へ進まう。
                        (大正九・八「新潮」)

底本:「惜しみなく愛は奪う」角川文庫、角川書店
   1969(昭和44)年1月30日改版初版発行
   1979(昭和54)年4月30日改版14版発行
初出:「新潮」
   1920(大正9)年8月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:鈴木厚司
校正:土屋隆
2008年3月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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宮原晃一郎

ラマ塔の秘密—– 宮原晃一郎

    一 白馬《はくば》の姫君

「ニナール、ちよつとお待ち」と、お父様のキャラ侯がよびとめました。ニナール姫は金銀の糸で、ぬひとりした、まつ赤な支那服《しなふく》をきて、ブレツといふ名のついたまつ白な馬にのつて、今出かけようとするところでした。
「なんですの、お父様」と、ニナール姫はふりかへりました。
 まだ十五になつたばかりですから、顔はほんの子供ですけれど、身体《からだ》はなか/\大きくて、まるで大人のやうでした。
「今日は、お前、ジウラをつれて、山へあそびに出かけるはずだつたぢやないか。それだのにどうして、ひとりで、馬にのつて出かけるの」
 ニナール姫は、赤い花が咲いたやうにパツと朗らかに笑つて、金の拍車をチャラ/\と鳴らしました。
「だつてお父様、ジウラさんは男のくせに、お馬にのることが下手で、落ちるのが恐《こは》いからいやですつて行かうといひませんもの」
 キャラ侯は八の字を額によせました。
「フム、蒙古《もうこ》の王子が馬にのることが下手では困つたものだね。よし/\、わしに考へがあるから、ぢや、今日はお前ひとりで行つてもよろしい。だが近頃《ちかごろ》、馬賊がこのへんの山にはいつて来たといふことだから、よく気をつけなさいよ」
「大丈夫よ。ブレツに一むちあてれば、馬賊なんか追ひ付きつこありやしませんわ」
 ニナール姫は、さういふが早いか、足で一つ、ブレツのお腹《なか》をポンとけると、矢のやうに、向ふに高くそびえるギンガン嶺《れい》の方をさして、走《は》せ去りました。

 ニナール姫はこのギンガン嶺の麓《ふもと》に、お城をかまへてゐる、満洲《まんしう》貴族の一人子でした。お母様は蒙古の王様からお嫁に来てゐらつしたのですが、さき程、病気でお亡くなりになりました。お父様《とうさん》のアイチャンキャラ侯は、たつたひとりぽつちのニナール姫が、淋《さび》しいだらうと、従兄《いとこ》に当るジウラ王子を蒙古から呼びよせ、そのお相手になさつたのです。ジウラ王子は蒙古の王様のうちでも、成吉斯汗《ジンギスカン》のすゑだとよばれる名家の子でした。が、不幸にして早く、お父様になくなられ、それから又、近頃、お母様も死んで、孤児《みなしご》になつてゐました。だから、キャラ侯は王子の為《ため》にもよからうと思つたのです。
 ところが、ジウラ王子は年こそニナール姫よりも一つ上でしたけれど、身体《からだ》もやせて、小さく、青い顔をして、いつも隅《すみ》の方へ引つ込み、だまつてばかりゐるのでした。しかも、そのくせ、ゐばりやさんで、どうかすると「おれは蒙古の王子だぞ」といふやうに、高慢な顔をしますから、大勢の召使ひたちから、軽蔑《けいべつ》されたり、いやがられたりするだけで、一向、ニナール姫のさびしさを慰める役にはたちません。
 尤《もつと》も、ニナール姫の方だけでは、ジウラ王子がゐやうがゐまいが、そんなことはどうでもいゝので、以前とかはりなく、朗らかで、活溌《くわつぱつ》で、勇ましい男もかなはないほど大胆で、馬に乗り、鉄砲をうち、せい一ぱいにあばれてをりました。
 然《しか》し、うはべはさうでも、やはり女のことですから、心の底では、亡くなつたお母様のやさしい言葉や、美しかつた姿を、始終思ひ出して、人知れず涙をながすことがありました。つまり、烈《はげ》しい運動や、勇ましい武術をするのも、それに心をまぎらして、こんな悲しい思ひを、なるべく、少なくしようといふのでした。

    二 ラマ塔の燈火

 それから一週間ほど経《た》つた、美しい、晴れた夜でした。ニナール姫と、ジウラ王子とは、お城の庭に出て、新鮮な空気を吸つてゐました。このあたりは、満洲《まんしう》でも、ずつと北によつてゐるので、夏は日のくれるのが、大へんおそいので、人はよく夜ふかしをするのでした。
 バラに似た花の香りがして、時鳥《ほととぎす》のやうな鳥の声が聞えました。と、お城の広間の時計が、地の底まで沈むやうな深い音をたゝて、ヂーン/\と十一時を打ちました。この時計はずつと昔、支那《しな》がまだ清国《しんこく》といつた頃《ころ》、北京《ペキン》の宮城の万寿山《まんじゆさん》の御殿にかけてあつたもので、その頃、皇帝よりも勢ひをもつた西太后《せいたいごう》(皇太后)の御機嫌《ごきげん》とりに、外国から贈つたものを、ニナール姫のお祖父様《ぢいさま》がいたゞいたものでした。
 時計が、十一時を打ちきつたとき、ジウラ王子はどうしたのか、俄《にはか》にニナール姫の腕にすがりつくやうにして、恐ろしさうに、さゝやきました。
「ニナール、あれ何、何《な》んの光?」
 ジウラ王子の指は、向ふに、怪物のやうに、黒々と聳《そび》えてゐる、ラマ塔をさしてゐました。
 まつたく、平生、人のゐないラマ塔の下の階《きざはし》から、小さな火の光りがちらちらと見えました。ふつと消えたかと思へば、また黄色く光り出して、丁度草の中の螢《ほたる》かなぞのやうでした。
 それを見ると、ニナール姫も、胸がドキ/\しました。
 ラマ塔は昔、このお城がラマ仏教のお寺であつたとき、建つた、ずゐぶん古《ふ》るいものですが、アイチャンキャラ侯の先祖が、これを取つてからのち、或時《あるとき》、外敵にせめられて、一時これを占領されたことがありました。そのとき、タクマールといふ勇敢な娘が、僅《わづ》か十八歳の身で、その年下の弟や妹たちを助けて、この塔に立てこもり、最後まで敵と戦つて、とう/\切り死にしました。それでラマ塔には、タクマールの幽霊が出るといふ噂《うはさ》があつて誰《だれ》もそばへは寄らないのでした。
「さうね。タクマールの幽霊がでるといふから、さうかも知れないわ。ジウラさん、ひとつ、行つて、正体を見届けちやどう」と、ニナール姫は笑ひながら言ひました。
「いやだ! 僕《ぼく》、こわい。もう内へ帰つて、ねませう。おそいぢやないの、今夜は!」
 ジウラ王子はさういふと、もう立ち上がつて、家《うち》へ帰りかけました。すると、ニナール姫は、からかつてやりたい気持が一そう加はつて、ジウラ王子を捕へて放しません。
「何んですね、将来、蒙古《もうこ》の王様になる人が、そんないくぢなしで、どうしますか。さあ、私《わたし》が、あの入口まで送つてあげますから、一つ探見していらつしやい」
「いやだ/\、僕、こわい。」
 ジウラ王子はなか/\行かうとはしません。けれども、ニナール姫は、お父様が、さきに言つたことを想出《おもひだ》してゐたので、むりにジウラ王子をひきずるやうにして、黒いラマ塔のところへつれて行つたのでした。ニナール姫がさうしたのは、丁度、その日、お父様が、ジウラ王子の胆《きも》をねるために、ひとりで、あの幽霊塔に行かしてみようと言はれたのを、おぼえてゐたからでした。だから、そのあかりも、或《あるひ》はお父様のいひつけで、誰《だれ》かゞとぼしてゐるかも知れないと、そんなふうにも思つたのです。

 ラマ塔はぢきそこにあるやうでしたが、実は雑木の小さな森を通つて、谷のふちへ出て、それからそこにある橋をわたつて、小さな山のふもとまで、三百メートルも行かなければならないのでした。塔の上には、青黒い空に、星がきら/\と光つてゐました。
「さあ、これから先きはジウラさんひとりで行くのよ」と、ニナール姫は言ひました。「あの塔の光りが何んだか、見届けていらつしやい。もし悪《わ》る者でもゐたら、これで打つておしまひなさい」
 ニナール姫は闇《やみ》にも光るピストルを、ふるへてゐるジウラ王子の手に渡しました。
「私、こゝで待つてゐますからね。勇気をふるつて行くんですよ」
 けれどもジウラ王子はまだぐづ/\してゐるので、ニナール姫は、その背をポンと一つつきました。ジウラ王子はフラ/\と仆《たふ》れさうな足取りで、高くしげつた夏草の中を、がさ/\と分けて行きました。そして間もなくすぐ目の前に小山のやうにそびえ立つ、まつ黒なラマ塔は、小さなジウラ王子の姿を呑んでしまひました。

    三 悪事の相談

 それから十五六分も経《た》ちましたらうか。ニナール姫も、さすがに心配しながら、ジウラ王子が無事で早く帰つてくるやうに祈つてをりましたが、どうしたことか、待てども待てども帰つて来ません。ニナール姫は心配で、もうぢつとしてゐられなくなりました。で、自分も、ラマ塔をめざして行きました。一足々々、ジウラ王子が、そこに仆《たふ》れてはゐないかと、危ぶみながら進みました。
 いよ/\ラマ塔の入口に来ると、さすがに勇気のある姫もちよつと躊躇《ちうちよ》しました。といふのは塔の根のところは、なか/\宏大なもので、その入口はお城の門ほど高くて、広くて、しかも、すばらしく大きな、仁王様《にわうさま》のやうな石像が、門の両側の柱や、壁に立つてゐるので、勇気のあるニナール姫でもぞつとするほど恐《こは》いのですから、ジウラ王子のやうな弱い人は、とても、その前を通れやうはずがない。或《あるひ》はこゝらで気絶してゐはしなからうかと、思ひながら、あたりをよく見まはしても、そんなふうもないので、ニナール姫は断然、塔の中へはいりました。ひやり[#「ひやり」に傍点]とした空気が顔をなで、黴《かび》つ臭いにほひが鼻をうちました。然《しか》し、何分、まつくらなので、足元があぶないからちよつと立ちすくんでゐましたが、フト前の方に、かすかに燈《あかり》が見えて来ました。
「あゝ、やつぱりお父様が、誰《だれ》かにいひつけて、燈火《あかり》をおつけさせになつたんだわ。ジウラさんも、きつと、あすこにゐるでせう」
 ニナール姫は、足元をさぐり/\、そつと奥へすゝみました。すると、二三人の男の声で、何やら話してゐるのが聞えました。それがこゝらへんの言葉でないらしいので、賢い姫ははて、変だと感づいて、いよ/\そつと進んで行きますと、燈明《あかり》は塔の北側の部屋からもれてくることが分りました。そつと忍寄《しのびよ》つてのぞくと、その中には、三人の、馬賊らしい、鬚《ひげ》モジャの男たちが、あぐらをかいて、坐《すわ》つてゐました。そのうちの二人だけは入口に向かつて坐り、そばに馬の鞍《くら》やら、馬具の類やら、宝石をちりばめた短剣やら、美しい手箱などが置いてありました。
「もう少し負けねえか」
と、そのうちの一人が、こちらへ後ろを向けてゐる男に言ひました。
「一銭も負からねえ」とこつちの男が、答へました。それが土地の言葉である上、何んだか声にも聞き覚えがあるやうでした。
「考えて見ろ。ブレツといや、キャラ侯の厩《うまや》のうちばかりでねえ、北満洲《きたまんしう》、蒙古《もうこ》きつての名馬だぞ」
「さう云《い》や、さうだが――すると、馬を渡すのはいつだい」
「明日、渡してやる」
「間違ひないな。それぢや、手附金《てつけきん》五十両やつて置く」
 長い赤鬚の馬賊は、ピカ/\光つた銀貨をかぞへて、そこに出しました。それを、こつちへ後ろを向けてゐる男が、受取る拍子に、ふとその横顔を見せました。
「あツ!」
 ニナール姫は思はず、小さな驚きの声をあげました。それはニナール姫の馬の世話をしてゐる馬丁のアルライだつたからです。
 アルライはニナール姫の小さな叫びをきゝつけて、すぐに戸を開けて、炬火《あかり》をつけました。けれども、ニナール姫はすばやく、隅《すみ》の方の壁にピタリと身を押し付けましたから、見付かりませんでした。
「何んだい」と、馬賊の一人が声をかけました。
「何んだか声がしたので、又|誰《だれ》か来やがつたと思つたんだが、空耳だつた」
と、アルライが答へました。すると、赤鬚の馬賊が、
「あの餓鬼はどうするんだ」と、訊きました。
「あすこに投《はふ》り込んどきや、鼠《ねずみ》の餌《ゑ》になるか、飢ゑ死にするか、どつちみちおれの秘密がもれることはない。おれも、ブレツをお前たちに渡しや、もう仕事もないから、いゝ加減、見切りをつけて、此《こ》の城を立退《たちの》くんだ」
「だが、只《ただ》、くたばらせるのは惜しいな。どうだ人質にして、五十でも百でも金にするからおれに売らねえか」と、その馬賊が言ひました。
「うん、そいつはいゝ考へだ。ぢや、いくらに買ふ?」
「五両ぢやどうだ」
 アルライはせゝら笑つて
「そんな金ぢあ渡せねえよ、あれでも未来は蒙古は伽什爾《カジウル》の王様になるのだぜ、やがては大蒙古の王様だ。それを人質にとるんだ。どんなに安くつもつても、万両の価はあるんだぞ」
「まあ話は半分と聞いて置かう。とにかく、いくらなら手放す」
「千両といひたいが、うんとまけて百両」
「高い/\五十両にしとけ!」
「さうはならねえ。いやなら止《よ》せ」
 ニナール姫はこの話を聞いて歯ぎしりしました。悪馬丁のアルライはニナール姫の愛馬ブレツを盗み出して、馬賊に売る約束した上、うつかり塔に入つたジウラ王子をつかまへて人質として売らうとしてゐるのでした。
「あゝ、ジウラさんに、あのピストルを渡してゐなかつたなら、アルライも二人の馬賊も、すぐ射殺して、ジウラさんを助けてあげられるのに」
 ニナール姫は、思はず懐をさぐると、短剣の柄《つか》に手がふれました。
「タクマールがしたやうに、入口に待受けて、一人づつ、これで胸を刺してやらうか」と、思ひました。けれども、相手は大の男が三人で、こちらは小さな女の児一人です。やりそこなつたら、それこそ大へんです。勇気ばかりでなく、智恵《ちゑ》もすぐれてゐるニナール姫は、そんな危《あ》ぶないことをする代りに、別に安全な方法を考へ出して、アルライや、馬賊たちのすることをこつそりと見てゐました。
 悪者どもはさうとも知らず、ジウラ王子の値段を押問答してゐましたが、とう/\五十両で約束がきまつて、アルライはそのお金を受取り、馬賊の一人はあとに残つて、番をし、他《ほか》の一人は、外の仲間をつれて来て、此処《ここ》で買つた品物やら、ジウラ王子やらを受取つて行くことにきまりました。

    四 不敵の馬丁

 ニナール姫はアルライと一人の馬賊とが塔から出て行つたあとで、自分もこつそりと、塔を出て、走つてお城へ帰りました。
 お城ではニナール姫と、ジウラ王子との姿が見えなくなつたといふので、大騒ぎをしてゐるところだつたので、ニナール姫がひよつこりと帰つてくると、お父様は大悦《おほよろこ》びで
「まあ、ニナール?」と、たしなめるやうに言ひました。「お前はこの夜中、何処《どこ》へ行つたの。心配させるぢやないか。お転婆《てんば》もいゝ加減にするものだよ。そしてジウラは何処に、」
 ニナール姫はわざと落着いて、
「お父様、それについて大事なお話がありますの。ちよつと、お広間へ来てちやうだい」お広間へ来ると、ニナール姫は声をひそめて「あのね、とても大へんなことよ」
「何が大へんなのかい。」
「ジウラさんが、馬賊にさらはれるところよ」
「えッ、何をいふ」
「それに私《わたし》のブレツも盗みだして、明日は売られてしまふところよ」
「誰《だれ》が売るのか」
「アルライが」
「お前、どうかしてゐやしないか」
「いゝえ」と、いつて、ニナール姫は今までの話を手短かにしました。するとキャラ侯はかん/\に怒つて、すぐアルライをよばうとしましたが、ニナール姫はとめました。
「まづ塔に兵隊をやつて、内からも外からも、馬賊が出入りのならぬやうにして下さい。それも中の馬賊に知られると、ジウラさんを殺すやうなことになるといけませんから、ジウラさんは、あとで、私《わたし》たちがいつて、うまく、けいりやくで、内の馬賊を押へて置いて、それから助け出しませう。それよりもさきに、此処《ここ》へ、守備隊長をよんで、このことを話して兵隊を二三人つれて来させ、それから厩頭《うまやがしら》のウラップに、アルライを此処へつれて来るやうに言付けて下さい」
 ニナール姫の手配はまるで、りつぱな警察署長のやうに、よく行きとゞいたものでした。で、お父様もすつかり感心して、そのいふとほりにしました。
 アルライは、まさか自分の悪事がつゝぬけに御主人の耳にはいつてゐるとは知りませんが、たつた今、悪《わ》るいことをして、帰つて来たばかりのところへ、こんな夜更けによび出されるのを不審に思つた、不安心な様子でした。
 アイチャンキャラ侯はアルライが広間へはいつてくると、眉《まゆ》をつり上げて雷のやうな声で叱《しか》りつけました。
「貴様はふらちな奴だ。主人の馬を馬賊に売る約束をしたり、ジウラをかどわかして、人質にやらうとしたり、悪いことばかりをしてゐるな、こちらには一々分つとるぞ!」
 アルライはさすがに驚いて顔の色を変へました。でも飽《あ》くまでづう/\しく、にや/\笑ひながら
「何をおつしやるんです。そんな馬鹿《ばか》げたことを! 誰《だれ》か私《わたし》をねたむものが言つたことでせう」
「馬鹿およし」と、わきから、ニナール姫が言ひました。「わたし、お前たちが塔のなかでしてゐたことや、言つてたことを見たり、聞いたりしてゐたんですよ」
「へへへ、お姫様は夢を見ていらつしやるんでせう」
 アルライはさう言ひながら、戸口の方へそろ/\と歩るいて行きました。
「黙れ!」と、どなつたキャラ侯は、いきなり壁から鞭《むち》をとり下ろして、ピシリ/\と、二度、アルライの頭を打ちました。
「畜生!」と、アルライが叫んだかと思ふと、ぴかりと何やらその手に光りました。かくしてゐた短剣をぬいたのでした。そしてキャラ侯にとびかゝりました。
「どつこい、さうは問屋で下ろさない」と、後《うし》ろから、ウラップがその手をしつかりと押へつけました。
「ハハハ、じたばたするない。手前《てまい》は鷲《わし》でもまだ羽の生えそろはない子供だ。そんな大それた真似《まね》をするのは、早いぞ!」
 アルライはまつかな顔をして、一生懸命にその手をもぎ放さうとしましたが、なか/\放れません。その額には、今打たれた鞭の痕《あと》が、醜くついてゐました。
 その途端、戸が開いて、守備隊長が、二人の兵をつれて、はいつて来ました。それを見ると、アルライはありつたけの力を出してウラップの手をふりきつて、みんながアツといふ間に、窓にとびのり、すぐその張り出しの上に、すつくと立ちました。下は、二十メートルばかりの高い断崖《がけ》で、その下は底知れぬ深い淵《ふち》です。けれども大胆不敵のアルライは、こつちを見返つて、そのきら/\する短剣をふりまはし、
「親も子も、よく覚えてをれ。アルライ様の仕返しが、どんなに恐ろしいかつてことを!」
 守備隊長はすぐ腰のサツクから、短銃を取り出しました。が、ドンといふ物凄《ものすご》い音がその手から起つた瞬間には、アルライの姿はもう深い淵へザンブととび込んでゐました。
「ちえツ! 遁《に》がしたか。まさか、あんなところから飛び込みはしないと思つたのは、油断だ。しかし、流れが早いから、助かりやしまい」
 守備隊長は自分で自分を慰めて、それからキャラ侯に向つて、
「閣下、鞭など使はずに、あんな悪魔は、すぐ首《くび》を叩《たた》つきつておしまひなされば、ようございましたのに!」
「いや/\、あんな者を切つちや、刀の汚れだ」
と、侯は言ひながら、鞭を二つにへし折つて、別々になげすてました。

    五 袋の鼠

 塔の中では馬賊が一人、番に残つてゐました。首領が二三人手下をつれて迎へにくるのを待つてゐるのでした。
 すると、少時《しばらく》たつて、外で、何やら人のけはひがしたやうで、草やぶの鳴る音も聞えたやうでした。
「ハテな、迎へに来たのにしちや、少し早いぞ」と、馬賊は首を傾《かし》げました。
「ことによつたら、あの子供をお城の者がさがしにでも来たかしら」
 馬賊は目じるしにならないやうに、急いであかりを吹き消しました。このときは、実はニナール姫の指図で、武装兵がこつそりと塔を囲んだときでした。
 それから、またしばらくして、今度は、はつきり二三人の足音が聞えました。
「来た/\、いよ/\親分が来た」
 馬賊は悦《よろこ》んで、また燈火《あかり》をつけました。そして「親分ですか」と低い声で訊《き》いてみました。そのときには、足音はもう、ごく近くに来てゐました。
「うん、待たせたね」と、闇《やみ》の中で、太い声が答へました。それは変でしたけれど、中の馬賊は気がつきませんでした。
「ちよつと、入口まで出てくれ」と、その声は言ひました。
「ヘイ/\。あの人質もつれて行きますか」
「いや、お前だけでいゝ」
 賊は火のついた蝋燭《らふそく》を手にもつて、戸口を一歩踏み出すと、忽《たちま》ち、何者にか足をさらはれて、バツタリとそこに仆《たふ》れました。
 そのとき、懐中電気の光りが、まばゆく目をいました。そして、しまつたと思つたときには、もうきり/\と、後ろ手にしばり上げられてゐました。
「ハハハ、うまくつり出されたな。斯《か》うして置けば、ジウラ殿下はもう大丈夫です」と、守備隊長が言ひました。「いや、どうもニナール姫さまの、何から何までお気づかれるのには、恐ろしいくらゐでございます。外の方も網が張つてありますから、馬賊がくれば、すぐ捕へます」
 その言葉が終るか終らぬうちに、塔の外で、烈しい銃声が起つて、人の叫びのゝしる声や、走り廻《ま》はる足音がしました。それからまた二三発銃声がして、それがやむと、塔をさして、四五人の黒い人影が走つて来ました。
「誰《たれ》か!」
 守備隊長は入口に出て、どなりました。
「味方!」と、声がしました。つゞいて「隊長殿。賊は抵抗するので、みんな射殺《いころ》しました」と、言ひました。
「よろしい。此処《ここ》で取押へた奴《やつ》を城《しろ》へ曳《ひ》いて行け。あとでしらべるから」

    六 仏像のからくり

 ニナール姫は懐中電気をつけ、まつ先きに立つて、先程、アルライや馬賊たちが、悪事の取引きをしてゐた部屋に入りました。けれども、ジウラ王子の姿は見えません。王子どころか、生きたものは、鼠《ねずみ》一|疋《ぴき》もゐません。そして可なり広い室の向ふの壁に、たゞ大きなラマ仏の木像が三つ立つてゐるつきりでした。
「おや、ジウラ殿下はお見えになりませんね」と、守備隊長が、失望したやうに言ひました、
「うん、ゐないね。どうしたのだらう」と、キャラ侯も心配さうに言ひました。「ニナールの見ちがひぢやないかね」
「いゝえ、悪者どもは、たしかに此《こ》の部屋にゐました。見違ひぢやありませんね。もつとも、ジウラさんの姿は見やしないんですが、どこかにかくしてあるやうに、アルライが言つてゐましたから、さがしてみませう」
「でも、隠すところがないぢやないか。別な部屋に押しこめてあるんだらう」
「いや、一時押へて置くのにまつ暗な別な部屋へ、わざ/\面倒な思ひをして、入れに行く筈《はず》がありませんわ。きつと、この部屋に、何か秘密の戸口があるのよ。あたし呼んでみませう――ジウラさん、ジウラさん!」
 ニナール姫はしきりに呼んでみますけれど、何んの答へもありません。只《ただ》井戸の中で物を言つてゐるやうに、高い天井に反響するつきりでした。
 みんなは懐中電気やら、炬火《たいまつ》やら、蝋燭《らふそく》やらを壁だの天井だのにさしつけて、秘密の出入口でもありはしないかと、しきりにさがしましたけれど、一向それらしいものが見当りません。でみんな困つてゐました。
 と、そのとき、ニナール姫が、突然叫びました。
「分つたわ。あれよ! あすこよ!」
 姫の指は牀《ゆか》をさしてゐました。そこには二三寸も高く積つた埃《ほこり》の上に、大きな支那靴《しなぐつ》の跡がポタリ/\とついて、ラマ仏像の横の方へ走つてゐました。
「あの仏像が怪しいわ!」
 ニナール姫は、向つて右端の仏像をゆびさしながら、その足跡をつけて行きました。
「怪しいといつて、この仏像の中にでも、ジウラがかくしてあるといふのかい」と、キャラ侯もニナール姫について行つて、その仏像を見上げました。
 そこへ、守備隊長が来て、仏像の台坐のまはりを、手で押してみたり、叩《たた》いてみたりしましたが、ビクともしません。
「どうも、お姫様、今度はお考へがちがつたやうですね」
「いゝえ」と、ニナール姫は強く首を横に振りました。「間違ひありません。ほら、この仏像を外のと比《く》らべて御覧なさい。一目で、ちがつてゐることが分りませう」
 然し、隊長の目にも、キャラ侯の目にも、それは、外のと同じ、奇怪な、醜い、恐ろしいやうなラマ仏でしかありませんでした。
「分りませんか。これを御覧なさい」と、ニナール姫は仏像の膝《ひざ》のあたりから、台坐の下まで、なで下ろすやうな手附《てつき》をしました。「それね、あすこだけ埃がとれて、縞《しま》になつてゐるでせう。他《ほか》の仏像は埃を一めんにかぶつて、そんな縞がないぢやないの。だから、この仏像には人がさはつた証拠よ」
「やあ、すつかり感心しました」と、守備隊長は頭を下げました。「お姫様のお目はするどいですなあ」
「なるほど、ニナール、お前はえらい。だが、仏像のどこにジウラがかくしてあるのかい」
「さあ、仏像の中か、どこか分りません。でも、あの縞が終つてゐるお腹《なか》の横に光つた小さな石が見えるでせう。多分、あれを押すと、どこか秘密の戸口があくんぢやないか知らと思ひますわ。お母様が、ラマ仏には、そんな仕掛のしたのがあるつて、お話をなさつたことをおぼえてゐますもの」
 守備隊長はすぐ仏像の台坐にのり、その光つた石を押すと、ぎつと音がして、仏像は前の方へ動き出して、あとには人のはいれるやうな穴が一つ、牀《ゆか》にあきました。
「ジウラさん!」と、叫びながら、ニナール姫はその穴に電気をさしこみのぞきました。「ジウラさん、しつかりなさいよ! 私達《わたしたち》、助けに来たのよ!」
 ジウラ王子は、穴の中に、ぐつたりとなつて、仆《たふ》れてゐましたので、守備隊長がすぐそれを抱き上げて、牀の上にねかすと、ニナール姫はその口に手を当てがつて、息があるかを確めてみながら、
「ジウラさん、ジウラさん、しつかりしてよ! あたしよ、ニナールよ!」
と、心配さうに叫びました。けれども、ジウラ王子は目も開けなければ、動きもしません。勇敢で賢いニナール姫も、やつぱり少女です。かうなると、もう泣声になつて、
「お父様、どうしませう。ジウラさんがこのまゝ死にでもしたら、あたしが殺したやうなものですわ。どうかして頂戴《ちようだい》よ。早く/\」
「いや、ジウラを死なしちや、お前ばかりか、わしの責任ぢや。早く城へつれて行つて、松本《まつもと》先生に手当をして貰《もら》はなけりや」
 ジウラ王子はすぐお城へ運ばれ、侯の侍医をしてゐる日本人の松本氏に診察して貰ひました。別にどうしたといふわけでもなく、只《ただ》驚きの余り気絶してゐたのでしたから、間もなく息を吹き返しました。
 枕元《まくらもと》にすわつて、心配してゐたニナール姫はやつと安心しましたが、それでも、目には涙をためて、言ひました。
「ジウラさん、御免なさいね。もう、肝《きも》ためしだなんて、あんな危ない目に貴方《あなた》を、あはしませんわ。あたし本当に馬鹿《ばか》だつたのねえ。でも、貴方、これから強く/\なつて、成吉斯汗《ジンギスカン》のやうな英雄になつて下さいね」
 ジウラ王子はその痩《や》せて、あを白い顔に熱心の紅味《あかみ》をあらはして、うなづきました。

底本:「日本児童文学大系 第一一巻 楠山正雄 沖野岩三郎 宮原晃一郎集」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
入力:鈴木厚司
校正:noriko saito
2004年8月13日作成
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