下村千秋

旱天實景—— 下村千秋

         一

 桑畑の中に、大きな葉をだらりと力なく垂れた桐の木に、油蝉がギリ/\啼きしきる午後、學校がへりの子供が、ほこりをけむりのやうに立てゝ來る――。
 先に立つた子が、飛行機の烟幕だといひながら熱灰が積つたやうなほこりの中を、はだしの足で引つ掻きながら走る。ほこりは、子供のうしろに尾を引いてもん/\と黒くなるほど舞ひ上る。うしろの子供等は、敵機追撃だと叫びながら口でうなりを立てゝ、ほこりの中に走りこむ。幾つかの影が、一時まつたくほこりの中に消えて、やがて一つ一つ、兩手を掻き廻しながら、こちらへ拔け出して來る。それからみんなほこりで眞黒になつた口を開けて一せいに『ワーツ……』と譯もなく喚聲をあげる。その聲は、何の反響もなくほこりの中に吸ひこまれてしまふ。さうして子供とほこりの群は畑道から畑道へ移つて行く。
 舞ひ上つたほこりは、赤黄ろく畑の上にひろがつて、しばらくは、ぢつと動かない。それがいつか桑の葉に、岡穗の葉に、玉蜀黍の葉に、その青さを消すほどに白く積つて、そこらが稍々透明になると、そこへメロメロと陽炎が立ち、白い道はまたヂリ/\と焦げはじめる。
 村の入口の道端に生へひろがつたどくだみ[#「どくだみ」に傍点]草が、頭までほこりの中につかつて、息もつけなささうに土にまみれてゐる。それがまた堪らなくむせつぽく、もう幾十日、雨一滴降らない炎天の日がつゞいてゐることを思はせた。

         二

 ほこりと子供の一團が村の森の中に消えてからしばらくして、またほこりと人の長い列が畑の中道を動いて來る。二里ほどある雷神樣へ雨乞ひに行つた村の人人のかへりである。
 彼等は今日で五日間、二里の道を往復して雨乞ひをしてゐるのである。菅笠、麥藁帽、蝙蝠傘、それらの行列は、默々として、葬式の列のやうにして歩いて來る。彼等は、既に穗ばらんでそのまゝ枯れかかつた田の稻を、畑の岡穗を、見る度に嘆聲をもらしつゝ毎日の雨乞をつゞけて來たが、今日はもう、嘆聲すら出せなくなつてゐる。
『ヤーレ、もつとそろつと歩け、ほこりが堪んねよ。』
『いくらそろつと歩いても、ほこりの方で舞ひ上んだよ。』
 みんな變に氣むずかしくなつてゐる。ぐつたりと萎へしほれた畑作の一面に、風一つ渡る氣配なく、土色に濁つた空氣がもーツとひろがつてゐる。それが上部に行くにつれて、濁つた紫色に、更らに高くなつてギラ/\とした青さに、そしてその中心に、燒きついたやうにして太陽が輝いてゐる。彼等のうちの誰でも、そこまで眼を移して行つたなら、めまひを起してその場に卒倒するばかりである。彼等は先刻の子供等と違ひ最早太陽を見ることを病的に怖れてゐる。
 只土の上を見て歩いてゐる。が、その土は一足一足毎にぷかり/\と舞ひ立ち、むつとした草いきれと一緒に、脛から股から胸から顏へ匍ひ上り、たく/\流れる汗へ飛びついて來る。眞黒な汗が、襟筋から胸へツル/\流れ落ちる。それを拭きもせずに歩いてゐると、耳が變にガーンとして來て、眼が眞赤に充血して來る。その眼に、ギラ/\照り輝いてゐるほこりの道がカーツと迫つて來る。瞬間、氣が狂ひさうになる。
『アーツ、水だ、水だ!』雷神樣の噴井戸からいたゞいた水を各自が竹筒に入れて持つてゐる、その水を飮まうとする。
『それを飮んでなるものか、今までの雨乞が臺なしになつちまうわ。』と、一人が言ふ。
『オーイ、もつとはやく歩け。雷神樣ア、のろまが大嫌ひだと。』向うで誰かが怒鳴る。
『何をぬかす。今になつて急いだつて間に合ふか。』
『さうよ、もうはア稻も岡穗も刈り飛ばして、みんな馬に喰はせつちまへばいゝだ。』
『それでみんな首を吊つて死ねばいゝだ。』
『それでおしまひだ。』
『あれを見ろ、おしんのあま、いゝ氣になつて達公の手をつかめえて歩いてやがら。』
『あの肥つちよの乳のところをえぐり拔いて血祭りでもすると、雨は今日がうちにも降るで。』
『われがそれをやつて見ろ。』
『何が出來るもんか、こいつ、あいつに惚れてんだよ。』
『馬鹿野郎。』
『何を!』
『うるせい、默つてドシ/\歩け!』
 ほこりの中のわめき合ひはそれで消えて、行列はまた默々と動いて行く。

         三

 と、うしろの方で變に鋭どい叫び聲があがる。五、六人が一かたまりになつて押し合ふやうなことをしてゐる。そこへわた/\走つて行く若者がある。立ち停つて見てゐるものがある。その間にも一休みしようと道端の草へべつたりと坐つて、ハー/\と苦しさうな息を吐く老人がある。さうして行列の進行は一時止る。
 達吉の手につかまつて辛うじて歩いてゐたおしんが、唇まで青くして急にバタリと地べたへ倒れたのである。眼を白くし、身體中を細かく顫はしてゐる。膝の上までほこりが眞黒にひつついた兩脚をしやつきりとふんぞつてゐる。それを見るとみんなむせかへるやうな氣持になる。
『おしんさんよオ……おしんさんよオ……』女達が傍で叫ぶ。
『それ、顏へ傘を差しかけてやれよ。』さう言ふものがある。
『醫者どんを呼ばつて來ざなるめえ。』
『こんな場所へ醫者どんが來るもんかよ。』
『ソレ、水を、水を飮ませろ。』
『オ、オツ。雷神樣からいたゞいた水を飮ませてなるもんかよ。』
『それだつて仕樣があんめえ。』
『仕樣があんめえつて、そんなことがなるもんか。』
『人の命を助ける水だもの、何が惡いか。』
『いけねえ/\、一たらしだつて外のことに使つたら今までの願が臺なしになつちまふ――いくら人の命を助けるだつて、そいつア俺が使はせねえ。』
『ぐづ/\してる間に、はやく村へ連れて行けよ。ソラお前は頭だ、お前はそつちの手……』
『そんなことで運べるもんか、誰か、達さんがいい、お前おぶつて行け。』
『おしんさんよ、おしんさんよ、氣、しつかり持てよ。』
 死んだやうな行列はそこで急に活氣づき、周圍にほこりのけむりを一層舞ひ上げながら、村の森へ入つて行く。

         四

 村の入口の樹蔭に殘つた四五人は、傘をつぼめ、麥藁帽を脱ぎ、肌を脱いで、草の上に脚をなげ出し、大きな聲で言ひ合ふ。
『俺がいふこと間違つてるかよ。雨乞ひにいたゞいて來た水が、人の命を助ける譯はあんめえ。萬が一、あの水を飮んでおしんの命が助かつたつても、そのために五日もやつた雨乞ひがペケになつたらどうするんだい。雨が降らなければ村中……村中どころか、日本中の人の命が助かるめえ。おしん一人が命のためにそんなことは出來る譯がねえよ。』
『そらさうだが、雨の降る樣子はどこにもあんめえ。俺等が死ぬまで願をかけたつて、降らねえ時は降らねえんだ。そんならいつそ……』
『馬鹿こけ、そんな心掛けだからこんな日でりがつゞくだ。三峯山から三日三晩歩き通しでいたゞいて來た水でも、一たらし外のことに使つたらもう御利益はねえだ。そんな大事な水を、あんな娘《あま》の――父親のわからねえ餓鬼を二人もなしたやうな娘のために使つて堪るもんか。』
『また誰かの餓鬼を孕んでんだとよ。』
『さうか、あの娘《あま》が、また!』
『どうしたら子供をおろせるかつて、泣きながら俺らおふくろに相談したちうよ。』
『どうだオイ、そんな娘《あま》が可哀相かよ。』
『お前はまたひどくおしんがこと惡く言ふで、肘鐵砲でも喰つたと見《め》えら。』
『ぶんなぐるぞ。』
『アハヽヽヽ。』
『こんだア、誰の餓鬼だんべ。』
『何でも茂右衞門どんの伜だちうよ。』
『あの野郎かえ、太い野郎だ。四五年前にやあの茂右衞門親爺が、多助どんの嚊をぬすんでよ、それでたつた酒三升で濟したちうだ。地主だ、總代だなんどと威張つてやがつて、太《ふて》え親子だ。雨乞ひにだつて一昨日《おとてえ》から出やしねでねえか。』
『二年や三年飢饉がつゞいたつて、あすこぢや平氣だかんな。銀行にしこたま預けてあんだから。』
『くそ、そんな野郎は村からおん出しちまへ。』
『おん出しちまつて、田地をみんなで分けつこしちまうんだな。』
『そらいゝや。俺が眞先きに、一番いゝ所をぶん取つてやらア。』
『さうはいかねえ、さうなつたら籤引きだ。』
『籤引は面白くねえ。角力で一番強いもんだ。』
『角力はいけねえ、駈けつこだ。』
『ナニかけつこなんぞ駄目だ。俵かつぎで一番力持ちが勝だ。』
 かうして彼等の話は果しなくつゞく。頭の上では蝉がヂン/\啼きしきる。

         五

 中天に焦げついたやうな太陽もいつか傾いた。眞赤に溶けた光を投げながらヂリ/\と田圃の彼方の雜木林の上に落ちて行くと、大空一面に狐色の夕映えが漲り、明日もまた旱天が間違ひなく來ることを思はせる。枯れそめて所々黄ばんで來た稻田の上にも、乾からびた葉を縮めて何の艷もなくなつた畑作の上にも、夕靄がホーツと浮ぶころ、村の森では、今日もよく日が照り、よく乾いたことを喜ぶやうに、蜩が一せいに、カナ/\/\と啼く。この森で一しきり啼くと、それに答へるやうに向うの森でまた一せいに啼く。
 やがて梟が闇を吐き出すやうにホーツ、ホーツと啼き出して、村は森とした夜に鎖される。蠶で夜遲くまで起きている家では、庭に縁臺を出し、傍に蚊やりを焚いてそこへ寢ころんでゐる。前の籔で、くつわ虫がガシヤ/\/\と乾いた音を立て始める。その音が燒けた石を磨り合せるやうにきこえて、僅かに湧いて來る夜の凉味をすつかり掻き消してしまふ。おしんの家から竹籔ひとつ隔てた家の主人莊吉とその女房は背中合せに縁臺へ寢そべつて、泥水の中の魚のやうに暑苦しい息を吐いてゐる。と、そこへ、
『おしんさんが惡いとよ、死にさうだとよ。』といふ知らせが傳はる。女房は起き上つて、
『そりやまア、けふ雨乞ひのかへりにかくらん[#「かくらん」に傍点]を起したちうが、まだ落ちつかねえのか。』
『なアーに、かくらんは直つただが、急に流産しただとよ。』
『やれまア、子供持つてたのかや。……これお父つアん、起きてちよつくらおしんさんが家サ行つて見てやれよ。』
 莊吉はごろりと起きて、ふんぞりかへり大欠伸をして、それから門《かど》を出て行く。
 おしんの父親は、座敷の薄暗いランプの下に一人あぐらをかいてグイ/\冷酒をあほつてゐる。
『もう駄目でがサ、さつき先生が來て見て行つただが、藥も盛らねえで歸つてしまつたでサ。』
 さう言つてゐるうしろの座敷では、おしんの母親が絶え入りさうな聲で、おしんの名を呼びつゞけてゐる。
『駄目だとつて、うつちやつといちやなんねえ。町の醫者どんを頼んで來べえか。』と莊吉は言ふ。
『ナーニ、うつちやつとけ。もうはア、身體中の血が下りちまつて、指の先まで眞白になつちまつたんだからな、死んだと同じこつたよ。』
『おしんよー、おしんよー……』
『うるせい、默んねえか、死んだもんが、何で生きかへる、くそ!』と父親はうしろの座敷へ怒鳴りつける。
 そこへ三四人の若者が、みんな肌ぬぎで入つて來る。卒倒したおしんに雨乞ひの水をやつていゝか惡いかを、村の出戸で夕方まで論じ合つてゐた連中である。
『お父つアん、話をつけて來たよ、安心しろ。』と上り框にドサリと腰を下しながら一人がいふ、
『こつちの權幕にびつくらしてな、茂右衞門の旦那、へイ/\だつけよ。あした銀行から金を下げて來て屆けやすから、今夜のところは穩やかにしてくれろ、といふ譯サ。その上、酒二升と肴を買はせることにして來たよ。そいつア今ぢきに屆けて來るかんな、今夜はまアそれで諦めるとしろよ、なアお父つアん。』
『お父つアん、こゝで酒なんど飮まれてなるもんかよ。』さう言ひながらおしんの母親が奧から出て來る。腹の方まではだかつた無地の單衣を引きずり、涙でべた/\になつた顏の中に、ぢく/\した眼を光らせ、べそ口を開いて、みんなに噛みつくやうに、
『おしんは、まアだ死ぬか生きつかわかんねのに、酒なんどなんで飮める! 他愛もねえ奴等だ! 邪魔だからみんな歸つてくろ。サツサツと歸つてくろ。おらお父つアんも何處サでも行つちめえ。おしんがあゝして苦しんでんのに、駄目だの死んだのと縁喜くそ惡いことばかりぬかしやがつて、惡病神だ、サツサと出て行つてくろ!』

         六

 孟宗藪が、長い手をのばしたやうにだらりと垂れかかつてゐる莊吉の家の庭隅に、縁臺を二つ置き並べ、その上にみんな褌一つであぐらをかき、中におしんの父親も混つて、茂右衞門の旦那に買はせた酒を飮んでゐる。
 おしんの父親は、禿げ上つた頭を縁臺にすりつけるやうにこゞんで、一人何かつぶやいてゐる。他の連中は大聲で話し合ふ。
『なアー、今夜の權幕で、今年は茂右衞門の小作を半分に負けさしてやんべ。』
『さうよ、それでぐづ/\ぬかしたら、みんな組んで米一粒でも持つて行かねえことにするんだ。』
『ぐづ/\言はせるもんか。鼻つぱしばかりで、いざとなつたらからきしの弱蟲野郎だかんな。今夜だつて俺が尻をまくつてあぐらを掻いてぐつと睨めてやつたら、眼をビク/\さして、へい/\言つただねえか。』
『アハヽヽヽ、茂右衞門の野郎、へへののもへ野郎、今夜はほんとにいゝ氣持だつけな。』
『こらお父つアん、頭をあげて、もつと飮めよ、何も心配することアねえど。』
『おしんがことア、俺がいゝとこへ嫁に世話してやつかんな、餓鬼の二人や三人なしたつて、若いもんだもの、屁でもねえや。』
『俺が嚊にしてやるべよ。』
『さうだ、お前に世話してやるべ。』
『世話して貰はねえでも、もうはアちやんとやつてらな、なア新公。』
『馬鹿ぬかすな、おら手もさはつたことはねえど。』
『アハヽヽ、アハヽヽヽ。』と彼等はたゞ、久しぶりに酒にありつけたことを喜んでゐる。
『おらしん[#「しん」に傍点]はほんとに可哀相な奴だアよ。』とおしんの父親は首を振りながら言ひ出す、『今だからいふけんど、人の餓鬼を二人もなすし、嫁に行つちやおん出されるし、おら、ほんとにしん[#「しん」に傍点]がことぢや苦勞しただと。そんだがおらしん[#「しん」に傍点]ばかりが惡いでねえよ。みんな惡いだ。みんながよつてたかつて、おらしん[#「しん」に傍点]をたうとうあんな目に會はしまつただ。みんなが惡いど!』
 その最後の言葉が周圍の樹立にガンと響く。
『おら、金なんぞ鐚一文もいらねえから、茂右衞門の旦那のところへ行つてそいつてくろ。しんが命返してよこせといつてくろ。しんが命返してよこせと談判してくろ。さア今ぢき行つて談判してくろ』
『お父つアんよ、早く來うよ!……』十ほどの女の兒がさう叫びながらワタ/\走つて來る、『姉ちやんが惡くなつたから、はやく來うよ、はやく來うよ。』
 そして父親の片手をぐい/\引つ張る。
『うるせい、だれが行くもんか。』と父親は子供の手を押しのける。
『さう言はねで、はやく行つてやれよ、なアお父つアん。』
 父親はよろ/\と立ち上り、門の方へ出て行く。父親は、自分の家の方へ曲らうとして、ふいにあべこべの方へ行く。
『お父つアん、どこサ行くだよ、おら家はこつちだよ。』
 女の兒が、ハラ/\した聲であとから呼びかける。しかし父親は、梟の啼いてゐる杉森の屋敷の方へ、よるべのない足どりで歩いて行く。

         七

 おしんの父親は、茂右衞門の門《もん》の扉を、足で力任せに蹴る。ドーン、ドーンといふ重い音が、森の中に反響する。そして怒鳴る。
『門を開けろ、茂右衞門、門を開けろ!』
『お父つアんよー、お父つアんよー。』
 女の兒はワー/\泣きながら、父親の背後からぢだんだ踏んで、父を呼ぶ。
 女達が二三人、そこへ走つて來る。
『おみよや、はやくこつちサ來うよ。お父つアんはな醉つぱらつてんだから構はねえで、はやく姉ちやんとこサ行けよ、姉ちやんが呼んでるよ。』
 しかし彼女はそれを耳にも入れず、
『お父つアんよー、お父つアんよー。』とわめきつゞける。と、一人の女が、全身で門の扉にぶつかつてゐる父親の首根へ、ぐいと力限り抱きつき、昂奮と涙で顫へてゐる聲で、その耳元へ叫ぶ。
『お父つアんよ。おみよが、おみよが夢中で呼んでんでねえか。はやく家サ歸つてやれよ。おしんさんが惡いだよ、おしんさんが死にさうだよ。』
 父親はそこで、外の女達に兩手を掴まへられ、尻を押しこくられて、家の方へ連れ戻されて行く。彼は、ふんぞりかへり、口から泡をふきながら苦しさうな息を吐き吐き、ガクリ/\と足を運ぶ。女の兒はその前に立ち、はだしの小さな足でほこりをぷか/\立てながら、ウーウーとうなるやうに泣いて行く。
『おみよや、はやく姉ちやんとこサ行けよ、かけて行けよ。』
 さう言はれて彼女は、髮をふり立て、ワタ/\と四五歩走り出す。が急にあとを振りかへり、そつくりかへつて歩いて來る父親を見上げて、またワーツと泣き出す。
『やれ/\可哀相に、みんなおみよが心になつてやれよ。』
『ほんとになアー、ほんとになアー……』
『泣かねえで、はやくかけて行けよ。お父つアんはぢきあとから行くかんなア。』
 おしんの家では、近所の人達が、土間に、座敷に、おしんの部屋に、それぞれ集り、みんな影のやうにぢつとして默つてゐる。その中に、おしんの母親の、息も切れ/″\におしんの名を呼びつゞけてゐる聲だけがある。
 父親は、女達に持ち運ばれるやうにして、土間へ入ると、上り框へドサリと腰を下し、そこより動かうとしない。
『はやく、おしんさんが傍サ行つてやれよ。』
『はやくよオ、はやくよオ……』
 と、父親は、いきなり肌をぬき、肘を張り、眼をギラ/\させ、土間の暗い隅を睨めながら、
『しんよ、しんよ、まだ死なねえか。構はねえからサツサと死んでくろ! 今夜のうちに、茂右衞門の野郎等を叩き殺して、あの家を燒き拂つてやんだから、はやく死んでくろ、はやく死んでくろ!』
 割れた太い聲の中に、妙に鋭どい響きの混つたそのわめき聲は、森と更けた村の往還へかうしていつ迄も響き渡つてゐた。

底本:「茨城近代文学選集2[#「2」はローマ数字、1-13-22]」常陽新聞社
   1977(昭和52)年11月30日発行
初出:「早稲田文学」
   1926(大正15)年8月
入力:林 幸雄
校正:富田倫生
2005年12月17日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

下村千秋

天國の記録—— 下村千秋


彼女等はかうして、その血と
肉とを搾り盡された


 三月の末日、空《から》つ風がほこりの渦を卷き上げる夕方――。
 溝《どぶ》の匂ひと、汚物《をぶつ》の臭氣と、腐つた人肉の匂ひともいふべき惡臭とがもつれ合つて吹き流れてゐる、六尺幅の路地《ろぢ》々々。その中を、海底の藻草のやうによれ/\と聲もなくうろついてゐる幾千の漁色《ぎよしよく》亡者。
 一つの亡者が過ぎて行くと、その兩側の家の小窓から聲がかゝる。遠くから網をなげかけてたぐり寄せるやうな聲、飛びついて行つてその急所へ喰ひつくやうな聲、兩手で掴《つか》まへて力一ぱいゆすぶるやうな聲、嘆聲をあげてあはれを賣るやうな聲、哀音をしのばせて可憐さを訴へるやうな聲。
「どうだえ、陽氣なもんだらう。」
 先に立つて歩いてゐた辰つアんは、後からついて來る周三とおきみの方へふり向いて、さう言ひかけた。
「まるで何だらう。夏の夜、谷川の道を歩いてると、それ、河鹿《かじか》てえ奴の鳴き聲が、次ぎから次ぎへと新しく湧いて來る、ちやうどあれ見てえだらう。」
 周三もおきみもそれには答へなかつた。周三は、よれ/\の袷《あはせ》の裾下から現はした細い脚をひよろつかせながら、首を縮めて歩いてゐた。おきみは、からだの中に惡寒《をかん》を感じながら、胸を顫はして歩いてゐた。彼女の耳には、女達の叫び聲が、地獄の底から漏れて來る可鼻叫喚《あびけうくわん》に聞えた。
「何しろいゝ氣持ちのもんだよ。それが毎日毎晩、照つても降つても、三千人からの客がなだれ込むてえんだから、まつたく豪勢なもんだらう。おなじ働くんなら、こんな場所で働かなけりや嘘さ。」
 辰つアんはまたそんなことを言ひながら、叫びかける女共の聲へ頓狂《とんきやう》な聲で答へたり、呼び込み口へ頭を突つ込んで、げす[#「げす」に傍点]なことを吐き散らしたりした。
 暗い路地は、奧へ入るほど複雜してゐた。それはまるで蟻の巣であつた。辰つアんは、その中を右へ折れ、左へ曲つて、後の二人を案内してゐたが、とある角の青い軒燈《けんとう》のついた家の前へ來ると、その呼び込み口へ、モヂリの片袖を掛けて、
「こんばん」と聲をかけた。と、中から可愛い聲で、
「はい、こんばん、おあがんなさいな。」
「このおたんちん[#「おたんちん」に傍点]、お客ぢやねえや……ゐるかえ?」
「あら、辰つアんなの、いやに色男《いろをとこ》に見《み》えたからさ……ゐるわよ、どうぞ。」
 辰つアんは、少し離れて立つてゐる周三とおきみの傍へ來て、
「ちよつと待つてゝくんな」と言ひながら、やつと人のからだが入れるほどの路地を、裏手の方へ入つて行つた。が、すぐ出て來て、
「こつちへお入りよ」と二人を手招いた。
 二人は、裏手の臺所から、三疊ほどの茶の間へ通された。そこの長火鉢の前には、銀杏返《いてふがへ》しの變に青つぽく光る羽織をだらりと引つ掛けた女が、いぎたなく坐つて卷煙草をふかしてゐた。
「こちらがおきみちやん、こちらが旦那樣、それからこれが、當家の御主人、お銀ちやん。」
 辰つアんは、そんな言ひ方で、双方を紹介《せうかい》した。
「どうぞ、よろしくお願ひします。」
 おきみは丁寧に頭を下げた。
「あたしこそ」お銀ちやんと言はれた女はさう答へると、「辰つアん、二階へ案内しなよ。こゝは狹くつて話も出來やしない。」
 二疊と三疊と四疊半が二階の全部であつた。二疊と三疊は、彼女達の勞働部屋で、四疊半はひきつけ部屋になつてゐた。二人はそこへ案内された。黒檀《こくたん》まがひのちやぶ臺、眞赤なメリンスの座蒲團、ビーズ細工を飾りつけた電燈、壁に貼りつけた活動俳優のプロマイド、ペンキ畫の富士山の額、一生懸命に明るく華やかに飾りつけてゐながら、そこには塵箱《ごみばこ》の中のやうなむさ苦しさとむせつぽさとが籠つてゐた。辰つアんは、二人をその中へ坐らせて、
「どうです、見かけによらずしやんとした家でせう。」とふところから出した手で顎を撫でながら部屋を出て行つた。
 間もなく階下《した》からは、とき/″\げす[#「げす」に傍点]な大聲が混つて、辰つアんとお銀ちやんの密談がもれて來た。
 周三は壁に凭れて、おきみは、ちやぶ臺の上に肘《ひぢ》をついて、ぢつと息を殺してゐた。やがて周三は言つた。
「辰つアんが、こゝの主婦《おかみ》の亭主だといふのは嘘らしいよ。また引つかゝつたかも知れない。」
「そんなこと、どうでも構はないわ。」
 おきみは、度胸を据ゑた聲で答へた。
「こんな場所で、お前につとまるかえ?」
「やつて見るわ。だつて仕方がないぢやないの、今更ら……」
 二人はそんなことを話し合ひながら、各自の胸の中で――こんなことになる筈ではなかつたがと自分に言つた。と言つて、――ぢや、かうならなければどうなつたのだ? と自問しても、それに答へることは出來なかつた。

 十日ほど前の夜のことであつた。おきみは、長野發の終列車で上野へ着いた。そして、省線電車のガード下に待つてゐた周三と一緒になつた。半年ぶりで會へた二人は、互の愛情を現はすために、互の腕を力一ぱいつねり合つた。彼等はそんな場所でものを言ひ合ふことを豫《あらかじ》め禁じてゐたのである。
 二人はすぐ省線に乘つた。新宿で下車した。その足ですぐ旭町へ入つて行つた。そして狹い路地の中のマルマンといふ木賃宿についた。
 おきみは、命がけの仕事をして來たのである。それは、火のついた爆彈を背負つてゐるやうな氣持ちであつた。二人はそのためにいつ粉碎《ふんさい》されるかも知れない氣持ちであつた。それは何であつたか?
 しかし二人はそれを二人きりの部屋の中でも口へ出さなかつた。あらゆる意力を水の如く冷靜に集中して、その爆彈の火を消さうとしてゐた。
 二人は最初一泊二圓の四疊半の部屋で、メリンスの蒲團へ寢た。が、三日目には一泊一圓の木綿蒲團へ移らねばならなかつた。しかしこれも二三日で、こんどは一泊七十錢の、北向きの三疊の、棚も押入れもない、さま/″\の汚物で眞黒になつた疊の部屋へ追ひつめられた。
 二人は、この部屋の窓から、灰色の空を眺め、下の路地をうろつく浮浪者《ルンペン》を見下し、近くの線路を往復する汽車のひゞきを聞き、木枯の後の海鳴りのやうな都會の喘《あへ》ぎ聲をきいた。さうして、明日の日の來ることも信じられない眞暗な前途に對し、溜息をもらしてゐた。
 一週間ほどするうち、二人は日拂ひの宿料が支拂へなくなつた。當然の結果として、二人はその宿の追ひ立てを喰つた。おきみは、宿の主婦の膝元へひれ伏して、もう五六日泊めておいてくれと願つたが、主婦は、砂利《じやり》のやうな言葉を吐いて、おきみの頼みをはねつけた。
 そこへ一人の男が出て來た。彼等の隣室に泊つてゐる夜店のバナナ屋と稱する男であつた。その男は、これまで廊下などでおきみとぶつかる毎に、へえ/\と頭を下げて馴れ/\しく言葉をかけてゐた。それが出て來て、
「同じ宿へ泊つてゐるよしみです。當分の宿料はわしが立て替へときやせう」と言つた。
 さういふその男の魂膽《こんたん》はどこにあつたか? しかしおきみと周三は、その疑問を詮議《せんぎ》する前に、背に腹は代へられぬ、といふせつぱ詰つた氣持ちから、とりあへず、その男の厚意を受けずにはゐられなかつた。
 と、次の夜、その男は二人の部屋へのそりと入つて來て、おきみへ言つた。
「どうだね、失禮な話かも知れねえが、實ア、わしの女房も働かしとくんでこんな話も持ち出すんだが、一つ、わしの女房のゐる銘酒屋で働いて見ちや。」
 おきみはそれを聞くと、ぐつと胸が詰《つま》つた。默つてゐると、相手は、
「働くのがいやぢやこれから先、どうして生きて行かうてんだね。こんな木賃宿にいつまでもそんなことをしてゐたら、飛んでもねえ誤解《ごかい》を受けて警察へ突き出されますぜ。」
 この言葉に、おきみは思はず顏色をかへた。相手の男はそれを見逃さなかつた。そしてこんどはおつかぶさるやうに、
「そいつが恐かつたら、わしの言ふことをきゝなせえ。惡いやうにはしないよ。」
「…………」
「いやかえ。いやだといふのかえ?」
 彼は自分の顏を、おきみの鼻面《はなづら》へぶつけるやうに持つて來た。その顏の眉間には、ヂヤガ芋ほどの瘤《こぶ》があつた。その瘤の下へ暗い影を寄せて、彼はぐいとおきみを睨みつけた。そこには、金と意地とのためには命のやり取りもしかねない無智《むち》な狂暴性が自づと浮んで來た。
 見てゐた周三もそれにはギクリとした。
 おきみは聲をふるはして答へた。
「行きますわ、どこへでも行つて働きますわ。」
 さうしておきみと周三は、首に綱をつけられた仔犬の如く、いや應なしにこの世界へ連れ込まれて來たのであつた。その男といふのが即ちこの辰つアんだつたのである。

 二人は階下《した》の密談にきゝ耳を立てながら不安の目を光らしてゐた。
 そこへ辰つアんが先に、お銀ちやんも上つて來た。お銀ちやんは、ちやぶ臺の上へぐたりと片肘《かたひぢ》をつき、その上へ、平つたい濁つた顏を載せて、おきみと周三を代る/″\ヂロ/\と見守つてから、
「とにかく、ひも(情夫)つきには困るよ」とふて/″\しく言つた。
「まア待ちねえ」と辰つアんは受けて、いが栗頭をぬつと周三の方へ突き出し、「お前さんといふ男が喰つついてるんで、おかみが文句をいやがるんだよ、ひも[#「ひも」に傍点]つきには懲々《こり/\》してるといやがるんだ。一體全體お前さんのやうなれつきとした一人前の男が、何だつてひも[#「ひも」に傍点]なんぞになつてゐるんだえ、お前さんがぶら下がつてゐるばかりに、この女もこんな所へ身を賣らねばならなくなるし、おまけにそれもうまく賣れねえつてことになるんだ。せめて、自分だけは自分で働いて喰つたらどうだえ。」
「…………」周三は蒼白い顏をねぢ曲げながら視線を亂《みだ》しておど/\した。それがいかにもあどけなくまた意氣地《いくぢ》なく、生れつきのひも[#「ひも」に傍点]らしい感じであつた。
「そんなことを言はないで下さい。」おきみは辰つアんへ答へた。「あたしから頼んで無理にこの人を引き寄せてゐるのですから。あたしは、この人がついてゐるからこそ、どんなことでもする氣になつてゐるのですから……」
「お前の心懸けアそりや感心だが、男の方が、それでいゝ氣になつて働かずにゐるつて法はねえ。」
「働きたくつても仕事がないんですから仕方がないんです。……それに男は、女のやうにからだを賣つて喰ふことは出來ませんもの。」
「そんなら死んでしまやアいゝんだ。」
「……だから、この人は、いく度も死なうとしたんです。」
「…………」
「そいつをお前が助けてるてえわけかえ?」
「…………」
「野暮《やぼ》なことを言ふのアお止しよ、辰つアん」とお銀ちやんが口を出した。「ひも[#「ひも」に傍点]といふもんは癌《がん》見たいなもんで、切り離したら生きちやゐられないし、と言つて喰つつけといてもやつぱり、なアんて縁起でもないことを言つて惡いわね。つまりその、花に蝶々、水に魚で、持ちつ持たれつ、その味は辰つアんなんかにアわからないのよ。」
「へん、そんなことを言ふなら、默つてこの花と蝶々と引き取つたらどうだえ?」
「それとこれとは別問題ぢやないの。」
「面白くもねえ……」
 辰つアんは、さう言つて、急に、例の眉間《みけん》の瘤の周圍に、恐ろしい狂暴性《きやうぼうせい》を浮ばせ、おきみと周三へ言ひかゝつて來た。
「とにかくお前達に言ふことがあるんだ。といふのア、わしアこのおかみの亭主だと言つたが、そいつア嘘だぜ。先づそれを承知して貰つて、それからわつしの商賣は夜店商人といふことにしてゐたが、ありや内職、本職はこの中の女の周旋屋《しうせんや》で、それでおまんまを喰つてる男なんだ。ね、そいつをよく承知してくんなよ。かう言つちまや、お前達がいくらドヂでも覺悟アきまるだらうね。ぶちまけたことを言やア、わしア、お前達がこないだ長野の方から來た終列車で上野へ着いた時から、後をつけてたんだよ。ちやうどわしが張つてる所へ、おめえ達はポンと飛び込んで來たのさ。ねえ、だから、このわしに掴まつてこの中へ連れ込まれりや、もういくらヂタバタしたつてどうにもならねえ、つてことをよく承知しなよ。……ところで、今改めて言ふんだが、お前達ア馬鹿に××つてものを恐がつてるね。いや、そいつアお互だが、そこでその××を恐がるものが隱れて絶對××だてえ所は、廣い東京にも、こゝと××の二ヶ所しかねえんだ。そりやお前達も百も承知で、承知だからこそわつしの言ふなりにこの中へ入つて來たんだらうが、とにかく、××の御用、つて奴が嫌《きれ》えなら、こゝにぢつとしてゐねえよ。お前達に取つちや、この中は極樂で、この外はどこもかも地獄《ぢごく》なんだ、てえこともよく承知しときなよ。そいつを承知してこのおかみの言ふことをきいてりや、第一おめえ達の身が安全だし、こゝん家《ち》でも安心して世話をしてくれるし、金も貸してくれるてえわけだ。どうだ、解つたかね?」
「えゝ、よく解りました。」
 おきみは、垂れてゐた頭を更らに低く垂れた。
「君もわかつたらうね?」
 辰つアんは、周三の顏を覗《のぞ》き込んだ。
「え、わかりました。」
 辰つアんはこゝで、お銀ちやんを顧み、
「二人が口を揃《そろ》へてかう言つてるんだから、どうだ、置いてやりねえよ。」
「……仕方がない。當分置いといて見ようかね。」
 お銀ちやんは、生あくび混りにさう答へた。
「ぢや、着物を買ふぐらゐは貸してくれるだらうね。」
「まア、五六日樣子を見てからね。」
「頼むよ」辰つアんは、こゝでもう一度、狂暴性の浮んだ顏でおきみと周三を睨みつけ、
「この中は、田舍のだるま屋たアわけが違うんだからね、こゝからずらからうなどとたくらんだら、脚の一本二本、おつぺしよられると思はなきアいけねえぜ。」

「今の男、口ぢやあんなことを言つても、氣は至つていゝんだよ、もつともあの鼻の上のこぶがくせ物だが、今日からこのお銀ちやんがついてゐるんだから、安心してりやいゝよ。」
 辰つアんが歸つたあと、お銀ちやんはさう前置《まへお》きをして、おきみの方へ、
「それでどう? 今晩からでも働いて見たら。」
「……え、でも、こんななり[#「なり」に傍点]ぢや」とおきみは、目を膝の上へ落した。それはボカ/\になつたメリンスの羽織と着物で、膝のあたり、地がすけて見えてゐた。
「着物なんか何だつていゝのよ。厭ぢやなかつたら、この羽織を着ちやどう。模樣さへパツとしてりや、男の目なんかごまかせるのよ。」
「でも、あなたが困るでせう。」
「だからね、代《かは》りばんこに着ませうよ。實はね、あたしは、名義《めいぎ》はこの家の主人だけど、ほんたうの主人は、この表通りの自轉車屋なのよ。それであたしは、この家の呼び込み口一つと二階の一間だけを、毎日二圓の日拂ひで借りてるのよ。だからあたしはあんたのほんたうの主人ぢやないし、つまり二人で共同に働くといふわけになるのだからね、この羽織も共同で使へばいゝのさ。ね、その代り、さういふ譯だから、お金もなし、あんたにもさうたんとは貸せないのよ。それにあの辰つアんにも周旋料を拂はなけりやならないし……」
「それぢや當分、それを拜借さして下さいね。」
「拜借なんて代物《しろもの》ぢやないのよ。この裏を見てごらん」とお銀ちやんは、枯れた芭蕉の葉のやうに横切れのした裏を返して見せた。
「それはさうと、うちの奴がこんな場所の店へいきなり出て、お客が取れるでせうか?」
 周三は、青白い頬を撫《な》でながら、おど/\と訊いた。
「ところが案外よ」とお銀ちやんは聲をひそめ、「今、お店でお客を呼んでゐる娘《こ》ね、あれはやつと十七よ。こないだ目黒の方からうちへ初めて遊びに來て、店へ坐つて鏡を見てゐたら、どうだ上つてやらうか、といふ客の聲がするので、聞き覺えで、おあがんなさいな、と受けたら、それがすぐ上つて來たのよ。それが手初めであの娘《こ》はこの商賣を始めたのだけど、今ぢやもう立派に一人前よ。」
「それで、僕達は、その自轉車屋とはどんな關係なのでせう?」
「何の關係もないのよ。その點は、ちつとも心配しなくてもいゝの……あの自轉車屋も、考へると癪《しやく》さ。自分ぢや表できれいな顏をしてゐて、裏へ※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つてぼろい儲けをしてゐるんだからね。そんな家が外にもいくらもあるのよ。表ぢや、酒屋をしたり、荒物屋をやつたり、煙草屋をしたりしてゐる家がね。人のふんどし[#「ふんどし」に傍点]ぢやない、人の腰卷で角力を取らうつて奴さ。」
 お銀ちやんは、初めは、狡猾《かうくわつ》な意地惡のふて/″\しい女に見えたが、かうして話して行くうちに、腹の底まで平氣で見せるあけすけのお人好しに見えて來た。おきみと周三はいくらか氣樂《きらく》な氣持ちになつた。
 お銀ちやんは二人をまた下の三疊へ下した。そしておきみへ言つた。
「ぢや、お化粧を直して坐つてごらんよ。髮は、今晩はそれでいゝわ。あしたの朝、髮ゆひさんへ行つてらつしやい。あんたはきつと結ひ綿《わた》が似合《にあ》ふわね。」
 おきみは鏡臺へ向つた。その鏡へ映つた眼の細い下《しも》ぶくれの顏を、周三はこつちからとき/″\ぬすみ見て、そして泣きさうな顏をした。
 お銀ちやんは、おきみの背に向つて、店へ坐つてお客を呼ぶ方法を教へた。その中に二つの××があつた。××を呼び込まぬこと、ひやかし客と長話をせぬこと。
「××の顏はあとで教へるけど、ひやかし客と長ばなしをしてゐると、やつぱり××に踏み込まれるのよ。そしたら、主人名義のあたしとあんたが三日の拘留《こうりう》を喰つた上に二十六圓づゝの金刑《きんけい》だからね。表の自轉車屋が、あたしのやうなものを主人として屆けとくのも、そんな場合の用心なのだが、それで一番馬鹿を見るのはあたしなんだからね。そこはしつかりやつておくれよ。」
 おきみは、髮を直し、顏の化粧をすますと、その顏をお銀ちやんの方へ向けて、
「これでようございますか?」と言つた。
 周三はそれを見ると、顏を赤くしてうつ伏した。
「さうね」とお銀ちやんは、出來上りの品物を吟味するやうに、「眉をもつと濃《こ》くして、頬紅ももつと染めなさいよ。何でもいゝから、うんと若く見せる算段《さんだん》をしなきや駄目よ。そんなこと御承知でせうが。」
 やがておきみは、店へ――やつと一人が坐れるほどの場所へ出て行つて坐つた。そして、音もなく左右へ流れる人の影へ聲を掛けた。
 が、その聲は泣くやうに顫へた。
「駄目よきみちやん、そんなことぢや」とお銀ちやんは茶の間から呶鳴つた。「もつとかう力のある聲で、歩いて行く野郎をうしろからねぢ伏せるやうな勢ひでなくちや。……いろんな野郎が通るだらう。みんな雜魚《ざこ》野郎なんだから、こつちもそのつもりで、この馬鹿野郎と呶鳴るつもりで呼びアいゝんだよ。」
 さう言はれると、おきみはます/\聲がふるへて來た。夕方、外から見たときは、男を呼び込む女の聲が、惡寒《をかん》を感じたほど哀れな悲鳴にきこえたが、かうして内から覗いて見ると、窓先を群がり過ぎる男共が、一種奇怪な原始動物に見えた。
 おきみは窓の下に怯《おび》えちゞまつて、一人ほろ/\涙をこぼした。

 一と月して、春も過ぎた。その中では、春が來て、その春も過ぎたことを、花が咲き、花が散り、木の葉が繁り出したことで知るのではなかつた。この中を縱横に流れてゐる溝《どぶ》の水が、温氣《うんき》でぶつぶつと煮え出し、その中にボーフラが行列をつくり出し、それが一つ/\羽を生やして路地から路地、部屋から部屋へ、ワン/\と群がり出したことでそれと知るのであつた。
 おきみは、近くの洋品店の二階の三疊へ間借りさしとく周三のところへ、親雀が小雀の巣へ餌を運んで行くやうにして、一日に一度づゝその日の食べ物を運んでやつてゐた。
 周三は曇つた顏に、ふがひ[#「ふがひ」に傍点]なささうな色を浮べながらも、その餌の方へ開けた口を持つて行つた。
 暗い路地々々には、漁色亡者がボーフラのやうに夜毎に群がりふえて行つた。
 さういふ或る夜のこと、お銀ちやんの家では例の十七の女――八重ちやんが、うつかりして因業《いんごう》なひやかし客を呼び込んだ。二人は、呼び込み口の内と外とで、引つ張つたり引つ張られたりしてゐた。
 そこへ××が飛び込んで來た。その結果は簡單|明瞭《めいれう》であつた。八重ちやんと、主人名義のお銀ちやんとは、翌日午前九時迄に、T署へ出頭を命じられた。即ち、三日の拘留と二十六圓の金刑とを二人は言ひ渡されたのである。お銀ちやんは、血相《けつさう》をかへて怒り出した。
 この私娼窟に於ては、この體刑と金刑とが、周期的に、一年に×囘乃至×囘の割りで、全部の銘酒屋へ科せられることになつてゐた。で、一度處罰されると、一つの家で、出方(私娼)と主人とが二人で都合六日の拘留《こうりう》と五十二圓也の罰金を申し渡されることに極つてゐた。だから、これを一年四囘と見ても、一年間一軒の家で、二十四日の拘留體刑と、二百八圓の金刑處分をきちんと命令された。これは彼女達の一ヶ年の實收入の×分の一に當るので、彼女達はこの「本署へ出頭しろ」に對しては、いつもおぞけをふるつてゐたのであつた。
 お銀ちやんは、毒々しく塗つた紅の唇から赤い唾《つば》を吐き飛ばしながら、八重ちやんを呶鳴りつけた。
「……白首のひよつこの癖に、いけ圖々《づう/″\》しいことをしやがるから、こんなことになるんだよ。あたしや、どうしたつて行きやしないから、どつかで代りをめつけて來て頂戴。」
「だつて、罰金はお銀ちやんが出すんぢやないんでせう。自轉車屋で出してくれるんですもの、ずゐぶんいゝわ。あたしは罰金《ばつきん》も自分で出さなきアならないのよ。」
 八重ちやんも、圓い小さな顏を角張らせて、負けてゐなかつた。
「八重ちやんが自分で出すのは當り前さ。しかしあたしの分を自轉車屋で出すなんてこと、當てになりやしないよ。あたしは、八重ちやんとは何の關係もないんだからね、八重ちやんの卷き添へを喰つちや堪らないよ。」
「そんなこと言つたつて、お銀ちやんはこの家の主人なんでせう。」
「そりや名義だけぢやないかね。」
「名義だけだつて、主人は主人ですもの。」
「だから癪《しやく》で堪らないのよ。自分で泥棒をしといて、罰は人に被《き》せるつてんだからね。」
「そんなこと××へ行つて言ふといゝわ。」
「へらず口をいふとのす[#「のす」に傍点]よ、八重ちやん!」
「…………」
 八重ちやんはたうとう默つてしまつた。
 お銀ちやんは、唾の泡立つた唇を嘗《な》めまはしながら、まだ何かを叫ぼうとしてゐたが、やがてその口をおきみの方へ向けて、
「ねえ、濟まないが、あんた、あたしの代りに行つてくれない」と言つた。
 おきみは、さう來ることを豫期《よき》してゐたが、いざさう出て來られると、はら/\しながら、
「……でも、あたしが代つてもいゝんでせうか」と何かを嘆願するやうに言つた。
「そりや構やしないのよ。あんたが代つて行つてくれりや、その間の稼《かせ》ぎ賃まであたしが出すわよ。」
 おきみは頬に亂《みだ》れ下つた結ひ綿の髮を、小さな唇でなぶりながら、深い溜息をついてゐた。
「いやなの?」
「……お銀ちやん」おきみはおろ/\と答へた、「そればかりは勘辨して下さいね。」
「あら、さう!」とお銀ちやんは、ジロリと睨みつけて、「どうもさう來るだらうと思つてたよ。だからひも[#「ひも」に傍点]つきは大嫌ひさ!」
「さういふ譯ぢやないのよ。」
「ぢや、何のわけさ。……あゝ解つたよ。ずらかりもんだからね、警察へ行つたらそいつを洗ひ出されるのが恐いんでせう。えゝ、もう頼みませんよ。その代りあしたつからこの家は空つぽになるんだから、今夜のうちに何處かへ行つちやつておくれよ。だけど、借金はきれいにしてつて貰はなきア困るよ。」
 その夜更けである。おきみと周三は、このお銀ちやんから、所有物一切を卷き上げられてしまつた。おきみは持ち金全部を、周三は、洋品店の三疊で使つてゐた夜具まで強奪《がうだつ》された。そのため周三は、その部屋からも追ひ立てられてしまつた。
 二人は途方《とはう》に暮れ、どこへ行くあてもなく、溝に沿つた暗い路地をうろついてゐた。
 と、うしろから二人を呼びかけるものがあつた。見ると、八重ちやんである。
「ねえ、あんた達、これからどこへ行くの?」
「そのあてがないのよ」おきみはほそ/″\と答へた。
「さうだらうと思つて追つかけて來たのよ。それぢや、あたしについていらつしやいよ。只で泊めてくれる家があるんだから。」
「それは銘酒屋ですか?」周三は、もう怯えてゐるやうに訊いた。
「うそよ、何でもない家なのよ。あたしが、前に世話になつたことのある家よ。」
 二人は、八重ちやんの後について歩き出した。もう一時を過ぎてゐたが、雜魚野郎共はまだ、どの路地にも七人八人とうろついてゐた。
 長屋の胴腹に穴をあけて造つたトンネル路地まで來ると、周三は、そこの破目《はめ》に凭《もた》れてしやがんでしまつた。
「どうしたの。氣持ちが惡いの?」おきみは、腰をかゞめて周三の横顏を覗き込んだ。
 周三は、何んにも答へず、兩腕の中へ頭を埋めた。
「どうしたのよ。ねえ。」
「……お前一人、ついて行きなよ」周三は腕の下で言つた。
「何をいつてるの!」
「おれがついてるから、お前までこんなことになるんだらう。……おれは……」
「馬鹿なことをいふんぢやないのよ。あたしは、あんたがゐなかつたら、今頃、生きてやしない。あんたは、あんたは……」
 おきみはさう言つてゐたが、いきなり周三の腕を取つて引き起し、その胸へしがみついて、
「あんたは馬鹿、あんたは馬鹿!」と咽《むせ》びながら叫んだ。
「…………」
 周三は、默つて立ち上り、よるべない足どりで歩き出した。

 その夜、八重ちやんの案内で二人が行きついた所は、赤い軒燈の下に、外科、皮膚泌尿科《ひふひねうくわ》、花柳病科といふ看板がかけてあつた。
 玄關の三疊に坐つてしばらく待つてゐると、なまづの顏に似た目の小さい口の大きな男が、西洋寢卷《パジヤマ》を着て出て來た。
「あゝ、そんな譯なら、とにかく今晩はこの座敷へ寢たらよからう」八重ちやんの話を一通りきいてから、彼はいかにも勿體ぶつてさう言つた。「人の病氣の世話は仕方がないが、そんな世話まではちよつと困るのだがね。」
 翌《あく》る朝、このなまづ醫者は、おきみと周三を、二階の居間へ呼び寄せた。彼はそこで朝酒をやつてゐた。だらしなく膨《ふく》れた兩頬を、無花果《いちじく》のやうに染めて、娘とも見える若い女房(?)と差し向ひに坐つてゐた。彼は先づ十圓札五枚を、おきみと周三の前に竝べて、
「そりや、當分のお小使ひに上げときませう」と言つた。それだけで、その金の性質に就ては何の説明もせず、急に語調を、醉つぱらひ口調に變へ、その大きな口をパク/\させながらこんなことを言つた。
「君達は、萬物の理想は自滅《じめつ》に在り、てえことを知つてるかね。たとへばだ、醫者といふものは病氣を直すことが仕事で、その理想は、この全世界の人類から、あらゆる病氣を驅逐するのが理想なんだ。だが、この理想が實現したとしたら、結果はどうなる。醫者は一人もいらなくなるぢやないか。即ち、醫者の理想は自滅に在りだ。教育家も然り、軍人もまた然りさ。これは、マルクス主義よりは徹底《てつてい》した理窟だよ。そこでだ、女の理想は何か? 子孫をふやすこと。が、こりや理想ぢやない。女の理想は、人間生活のあぶらとなり石炭となり食糧となることだ。都會を發展させるのも女だ、植民地を開拓させるのも女だ、軍人をしてよく戰爭せしめるのも女だ。……まア、ざつとそんな譯で、これらの理想を實現せしむるためには、われ/\はあらゆる助力と尊敬とを拂はなければならない、といふのだ。どうです、實に徹底した理論でせう。」
 おきみと周三は、妙な惡臭を持つた煙幕を目の前にひろげられたやうな不快を感じた。しかし膝の前に置かれた五十圓の手前、目をしばたゝきながら神妙にしてゐた。
 そこへ、お召しの着物をぞろりと着た一人の老婆が、誰の案内もなし、何の豫告もなしにのそりと入つて來た。なまづ醫者の煙幕は、この老婆が現はれるまでの空虚を濁《にご》し埋めるためのものらしかつた。
 老婆は、立つたまゝ、おきみと周三をじろ/\と見下した。その目は飛び放れて大きく輝いてゐた。
「このお婆さんは、うちで懇意《こんい》にしてゐる方だ。君達のことをよく頼んどいて上げたから、安心して、何もかも任せるがいゝ。お婆さん、ぢや、お願ひするよ。」
「はい/\。」
 間もなくおきみと周三は、その老婆に連れられて外へ出た。
 日中の路地は、水の涸れた河床であつた。その中を、五月の温氣《うんき》が、えたいの知れない臭氣を含んで流れてゐた。老婆は、これを我がもの顏に、少し腰をかゞめて悠々と歩いた。とき/″\二人の方へふりかへつて、その大きな目を光らした。それはまるでひきがえるの目であつた。
 電車線路を横ぎつて、三尺の路地を二三度折れると、二階とも三階ともつかぬ、屋根の歪《ゆが》んだ家の前へ來た。それは古い貝殼のやうにガラ/\になつて煤《すゝ》けてゐた。元は私娼を置いてゐた家らしく見えたが、今はそれにも使へない家である。
 老婆は二人を、先づ、入口の横の二疊へ坐らせた。それから、おきみへ、
「お前さんだけ、ちよつとこつちへ來ておくれ。」
と言つた。
 おきみは、梯子段を上つて行つた。そこは高い所に北向きの小さな窓が一つしかない六疊ほどの部屋であつた。座敷牢《ざしきらう》のやうに暗く、空家のやうに荒れてゐた。道具といつては、火鉢代りであらう、つるの取れた古鍋に灰を盛つたものが一つ置いてあるきりであつた。勿論、それには火は入つてゐなかつた。
 けれど老婆はその古鍋の前に坐つた。そして、入口の所に立つてゐるおきみをジロリと見上げ「こつちへおいで」と言つた。その目とその聲には、おきみはゾーツとした。それには、動物的な凄味と、妙に鋭く冷たい超人間的な威壓力《ゐあつりよく》とがあつた。そして更に妖婆《えうば》の持つ無氣味さがそのからだ中《ぢゆう》から發散してゐた。
「それから足袋をお脱《ぬ》ぎ。」
 おきみは、言はれるまゝにせずにはゐられなかつた。
「そこで、右の足で、この鍋の灰を踏んでごらん。」
 おきみはその通りをした。うすら冷たい灰が足の裏にふかりと觸れたとき、おきみは、髮の毛がワーツと逆立《さかだ》つやうな思ひがした。
 老婆は、灰の中に印されたおきみの小さな足跡をぢつと見詰めた。それから、その目をまばたきもせず、おきみの面へ移して、
「お前さんは、兩親がいないね?」と言つた。
 事實、おきみはさうであつた。
「兄弟はあつても、はなればなれだね。」
 それもその通りであつた。
「他人の家ではあるが、子供の時は、しあはせに育つたね。けれど、この五六年は、諸々方々《しよ/\はう/″\》、うろつき歩いたね。」
 それも當つてゐた。
「さア、その五六年の出來事を話してごらん。」
 お前が言へなければわしが話してやる、といふ言葉がその裏に潜んでゐた。
「……‥…」おきみは面を伏せて、かたく口を噤んだ。
 老婆は、片手を伸して、おきみの顎《あご》を押し上げ、
「言へなければ言はなくともいゝ。けれど、これだけははつきり言つてごらん。この中《なか》へ連れて來られる前、どこに何をしてゐたか。」
「…………」
「なか/\頑固《ぐわんこ》な女だね。ぢや、かうして言はして上げようか。」
 老婆は、自分も立ち上りながら、おきみのまへ髮を掴んでぐいと引き立て、一方の手で、背後《うしろ》の襖をヅヾツと押し開けて、そこへおきみの顏を持つて行つた。おきみは、首筋を持つて吊された猫のやうに、何の抵抗も出來ず、されるまゝに動いた。
 が、そこでおきみは、危ふく倒れようとして、襖《ふすま》へしがみついた。その襖《ふすま》のかげには、大きな蜘蛛!と思つたほど、蜘蛛そつくりの女が、ぢつと縮こまつてゐたのである。眞黒に痩《や》せこけた顏、骨ばかりとなつた手と足、さうしてギロリと光つた目……。
「見たかね」老婆は言つた。「お前さんも、あんな目に會ひたくなければ、白状しなよ。わたしはこの中へ逃げて來た女を三百人も手にかけて、これまでの經歴をみんな白状さしてゐるのだから、わたしをごまかさうたつて駄目だよ。それ、その顏に、そのからだに、何もかも書いてあるぢやないか。白状しなければ、白状するまで、そこの女のやうな目に會はしとくよ。死ぬまであゝして置くよ。死んだ後は、あの大口の醫者が始末をしてくれるからね……」
「いひます、いひます、みんないひます……」
 おきみは、疊の上へつゝ伏して、顫ひをのゝきながらさう答へた。
 さうしておきみは、胸の底の底へしまつて置いたこと、それは恐ろしい爆彈で、それに觸れたら、自分と周三は、粉微塵《ごなみぢん》に粉碎されてしまふのだと思つてゐたこと、だからこれだけはたとへ殺されても言ふまいと自分に誓つてゐたことを、この老婆に依つて、みんな搾《しぼ》り出された。それはまるで、しめ木にかけられて搾り出されるやうなものであつた。
 ――今から二年前の春、はじめて福島縣K町の料理屋へ百五十圓で賣られたこと、しかしこれは、彼女の良人、周三の入院費(當時周三は、脚氣と肋膜で身動きも出來なかつた)をつくるためだつたので、半ば自分からすゝんで買はれたこと。が、一年足らずして、群馬縣高崎市Y町の銘酒屋へ轉賣《てんばい》されたこと。この時は前借が四百圓にふえてゐたこと。この四百圓は七ヶ月の間に七百圓にふえたこと、で、それを消すために、つひに長野縣上田市の遊廓《いうくわく》、M樓へ女郎として送られたこと。この時、彼女を女郎にする手續上不都合のため、良人周三と法律上離婚させられたこと、さうして、この遊廓内での半年の間に、前借《ぜんしやく》が八百五十圓にふえたこと。この頃から彼女は肺を惡くし、毎夜の勞働に堪へられなくなり、××へ自由廢業を願ひ出たこと。が、××××から人道上許すべからざる不心得者として、こつぴどくどやしつけられ、再びM樓へ引き戻されたこと、こゝに於て彼女はつひに逃亡を決心し、良人周三の手を借りて東京へ脱け出して來たこと。
「……あたしは、殺されてもいゝ覺悟で逃げ出しました。あたしが逃げ出て來なければ、あの人(周三のこと)が自殺しさうだつたからです。あの人は、あたしが側にゐなければ、生きてゐられなくなつたのです。あたしは、今となつてはもう、殺されても生きたいのです、あの人のために。だからどうぞ、あたしを警察へだけは屆けないで下さい。あの人と離ればなれになるやうなことはしないで下さい。これだけは一生のお願ひです……」
 老婆は、大きな目を半分閉ぢて、うす笑ひしながら聞いてゐたが、この時そのひき蛙のやうな目をギロリとむいて、
「あゝ、それは安心しといで。その代りお前さんはおほつぴらにお天道樣の顏を見ることは出來なくなつたのだよ。法律の網をくゞる罪人なんだからね。その事をよく承知しときなさいよ。……だが、お前さんもよつぽど運の強い女だね。お女郎屋から無事脱け出した上に、この中へ逃げ込むことが出來たなんて、滅多《めつた》にない話だからね。この中は、いはゞお城の中のやうなものだからね。どんな恐い敵でも、この中のものには、手出しが出來ないのだからね。その代りまたこゝを逃げ出したりしたら、それこそ最後だよ。その中からの出口は、監獄《かんごく》の入口へつゞいてゐると思ひなさいよ。警察の方でお前さんを見つけ損なつたら、わしの方で掴まへて警察へつき出して上げるからね。さうなつたら、あの人と離ればなれにされるどころか、お前さん達は××××××××××××極つてゐるのだよ。」
「いゝえ、もう決して、どこへも逃げ出しません。あの人と別れないやうにさへして下されば……」
 かくておきみは、この老婆の手によつて、そのかぼそい咽喉元《のどもと》を完全に掴《つか》み取られてしまつたのであつた。

 老婆は、おきみをその部屋へ殘して、階下《した》の玄關座敷へ降りて行つた。そしてそこにぐしやりとなつて坐つてゐる周三の前に、立て膝で坐りながら、狼が兎に向つて牙をむき出して見せるやうな調子で言つた。
「お前さんは、今日から、目も見えず、耳もきこえず、口もきけなくなつた男だと思ひなさるがいゝよ。お女郎屋から逃げ出した女についてゐるやうなひも[#「ひも」に傍点]は、さうならねば生きてゐられないのだからね。」
 そして老婆はニタリと笑つた。それから下唇をつき出し、舌なめずりをしながら、
「お前さんの寢起きする部屋も世話して上げませう。夜具や炊事道具も貸して上げませう。そこでお前さんはぢつとおとなしく寢といでなさいよ。そしたら、あの女が稼《かせ》いで食はしてくれるからね。それで、ひも[#「ひも」に傍点]といふものは、お殿樣見たいに、お腹がすいてもひもじうないといふ顏をしてゐるものですよ。もしも夢にでも、あの女を連れて逃げ出さうなどと考へたら、二人共、命はないものと思ひなさいよ。この中は、お女郎屋のやうな間ぬけには出來てゐないのだからね……」
 周三は、蛇の毒氣に會つた蛙のやうになつてしまつた。もし、おきみはその咽喉元《のどもと》を絞められて、この闇のどん底へ叩きのめされてしまつたとしても、周三だけはむしろ餘計者として他界へ抛《はふ》り出されるのかと思ひの外、同じやうに、その首と足とに、この闇の鐵鎖《てつさ》を結びつけられてしまつたのであつた。この男があつておきみは生きてゐるのであり、おきみが生きてゐる限り、その血と肉とを搾《しぼ》り取ることが出來ることを、老婆はすつかり見拔いてしまつたのである。これと較べると、周三を邪魔物とした辰つアんなどはまだ他愛《たあい》がなかつた。
 こゝに於て周三も、おきみと同じやうに買はれた一個の商品といふよりは、おきみを生かすために捕へられた一匹の生き餌とされてしまつたのである。
 その夕方、老婆の手に依つて、周三は表通りの蒟蒻屋《こんにやくや》の二階へ人質の如く預けられ、おきみはその近くの倉田といふ銘酒屋へ賣り込まれてゐた。そしておきみはその夜から再び、野良犬のやうな男を呼び込まねばならなくなつた。あのなまづ[#「なまづ」に傍点]のやうな醫者の不可解な言動もこゝで始めて解《げ》せたのである。
 表通りではきれいな商賣をしてゐて、その裏へ※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つて私娼屋を經營し、彼女達から卑怯な搾取《さくしゆ》をしてゐる者が非常に多くあることは既に言つた。が、この外にもつと卑怯な搾取者《さくしゆしや》があるのだ。それは、この私娼窟を圍《かこ》んで商賣をしてゐるもの、醫者を初め、藥局、八百屋、豆腐屋、荒物屋、化粧品屋、要するに、彼女達の生活と直接關係を持つもの悉くが、有料、或ひは無料で、この私娼窟の女を周旋してゐるのであつた。彼等もまた、この私娼窟に寄生して生活してゐる寄生蟲であるからだ。一人でも多くこの世界へ私娼をふやすことは、取りも直さず、彼等自身の生活を豐かにすることであるからだ。
 それは、蟻の一族が、油蟲の一族を育てふやしてその甘汁を吸ひ取るのと變りがなかつた。
 この方法は、彼等自身をうるほすばかりでなく、私娼屋經營者側に取つても非常な利益となつた。即ち、本職の女衒《ぜげん》や口入屋から女を買ふのは、高い金がいるばかりでなく、上玉《じやうだま》が容易に得られない。が、かういふ素人の手を通せば、世間知らずのうぶ[#「うぶ」に傍点]を殆んど無代で手に入れることが出來るからであつた。
 兩者はこゝで完全に手を握り合つてゐるのである。が、この握手は以上の目的のためばかりではない。もう一つの重大な目的、それは、一度この巣窟へ引きずり込んだ女は、いかなる理由に依つても絶對に外界へ逃がさないための握手であつた。故にこの目的のためには、彼等は單なる握手には止まらず、更らに水も漏《も》らさない連絡を取り、一つの大きな有機體をつくり上げてゐるのであつた。
 例の老婆が、その妖怪《えうくわい》の凄みでおきみを引つ捕へて一室に監禁し、脅迫し、その法律的犯罪をも絞り出して、彼女の咽喉元《のどもと》を完全に抑へ込み、同時に周三をも「捕へた一匹の生き餌」としてしまつたことは、この有機體内に於ける一種の毒液の注射であつた。
 かうなれば、この有機體は、個人の力では絶對に切り開くことの出來ない荊棘《けいきよく》と毒草の原始林であつた。いかに切り開いても切り開いても、幾重の荊棘と毒草とが重なり合つて行く手を鎖《とざ》し、動くことはます/\その荊《とげ》と毒とに傷害されることになつた。しかもこの中に包圍されてゐる彼女達は、共同戰線を張ることに依つてこれ等の荊と毒とを相手に鬪ふことは絶對に不可能にされてゐた。彼女達は、めい/\一人づゝ、鋼鐵の檻の中に監禁されてゐるからである。
 このやうにして、おきみと周三も、あらゆる自由性を奪はれて、外界へ踏み出す力を完全に殺されてしまつたのである。
「さア、こゝは、きみちやんなんかの働くには、日本一のいゝ場所なんだからね。ひと身代《しんだい》つくるつもりで、どし/\働いてくんな」倉田の主人はさうおきみへ言つた。そして先づ商賣道具の衣裳を買はせた。それは、前の女から卷き上げたものらしい古物の綿紗の羽織と袷とで、袖口やふき[#「ふき」に傍点]はすり切れてゐたが、それにおきみは三十圓を拂はせられた。これと同時に、例の老婆の周旋料《しうせんれう》としてまた三十圓を取られた。醫者が渡した五十圓は、實はこの倉田の主人が出した金で、それは衣裳代及び周旋料としてすぐに卷き上げるためのものだつたのである。
 おきみは、さういふ着物を着せられ、再びいや應なしに店へ坐らされたのである。
 その店は、溝に沿つた九尺幅の道路に面してゐた。この道路は私娼窟|專用《せんよう》のものでなく、一般人の通路にもなつてゐたので、實はこゝで商賣をすることは禁じられてゐた。といつても女が呼び込み窓に坐つてゐる現場さへ見つからなければ罰にはならなかつた。
 そこで、この道路に面してゐる六七軒の家は、互に連絡を取り、警戒しながら女を店へ坐らせてゐた。
 倉田では、めざしのやうに干からびたおかみが、いつも便所へ入つてゐて、その窓口から絶えず表を見張つてゐた。主人はまたその反對の家の隅の破目板《はめいた》の隙間から往來を覗いてゐた。主人は、片目で、見える方の目は出目金のやうに出張つてゐるので、それは隙間から覗くために出來た目のやうに見えた。
 さうして、恐《こは》い目を見つけたものが逸早く店の女へ合圖《あひづ》をするのであつた。合圖がかゝると女は素早く窓を閉めて奧へ引き込む。この合圖は次ぎ/\と傳はつて、そこに並んでゐる店の女は順ぐりに窓から姿を消して行つた。それは、親蛙の鳴き聲で、子蛙が一せいに水面から出たり引つこんだりするのに似てゐた。
「だから、うちでは、パツと目につく着物を着てゐて、客が寄つて來たら素早いところで、いや應なしに引きずり上げなきァ駄目だよ、まアふみちやんのやり方を見習ふがいゝ。」
 倉田の主人はさうおきみへ言つた。
 ふみちやんといふのは、同じ家に働かされてゐる千葉生れの、十三の時に男を知つたといふ、大根のやうな手足を持つた大女であつた。倉田の店の呼び込み口は一つしかなかつたので、このふみちやんとおきみは、三十分|交代《かうたい》に店へ坐ることになつたが、ふみちやんの番が來て店へ坐ると、あのふやけたからだから、どうしてあんな聲が出るかと思はれるやうな、彈力のある強靱《きやうじん》な聲がその口からほとばしり出た。またふみちやんの手は吸盤《きふばん》を持つてゐた。呼び込み窓へ近づいて來た男の手首を一度握ると、金輪際《こんりんざい》離れなかつた。男は泣き顏をしながら上つた。
「どうだ。ふみちやんの腕は凄いもんだらう。上るときはあゝして泣きべそで上つても、かへるときアえびす顏だぜ。きみちやんもあゝならなけりや一人前たアいへねえよ。」
 主人はまたそんなことも言つた。
 しかしおきみには、ふみちやんの半分の眞似も出來なかつた。彼女は、店へ坐ると、その小さな窓口から、往來に沿つた溝の水をぢつと見詰めてゐた。眞黒な水が澱んでゐる面に、あぶくが上つては消えるのをぢつと見詰めてゐた。
「そんなことぢや商賣にならん」片目の主人はまた言つた。「仕方がない、きみちやんは奧へ引つ込んでゐてふみちやんに客を取つて貰ふことにしよう、その代り分け前は七三だよ。」
 それからおきみは、ふみちやんの呼び込んだ客を當てがはれるやうになつた。同時におきみは窓から溝の水も見ることが出來なくなつた。朝から晩まで眞暗な茶の間の隅に、蝙蝠《かふもり》のやうにうづくまつてゐなければならなかつた。
「旦那!」おきみはたうとう言ひ出した。「濟みませんが、とき/″\は蒟蒻屋《こんにやくや》の二階へかへして下さいませんか。」
「ちえツ!」主人は片目をむいて、「ぢや、かうしなよ。御亭主をうちへ泊りに來さしなよ。きみちやんの大事な人だから、特別ロハで泊めて上げらア。」
 この家の二階の部屋は、三角形のと五角形のとで、何疊とは數へられない廣さを持つてゐた。物置小屋をそのまゝ部屋に直したやうなもので、窓はあつても、それは闇を吸ひ込む窓でしかなく、これこそ蝙蝠の棲みさうな眞暗さであつた。
 おきみは、からだのあいた夜は、この部屋の一つへ周三を呼び寄せた。そして、周三のふところへ顏をぐい/\押しつけ、くつ/\と聲をしのばせて咽《むせ》び泣いた。

 夏がやつて來た。そして炎熱は、無數の蚊と共に溝から湧いて來た。それは、汚物《をぶつ》から湧いたうじ蟲の如く、この世界の家々を取り卷いて離れなかつた。その熱度は、朝も夕も夜半も變りがなかつた。ぢつと毒瓦斯のやうに澱《よど》んで動かなかつた。
 おきみのからだはだん/\衰弱して來た。彼女は、二階の三角の部屋へ引き込み、終日終夜、身動きもせず寢てゐることがあつた。
 ふみちやんは、その枕元へ來ていぎたなく坐りながらかう言つた。
「あんたも、あんな青茄子《あをなす》見たいな男にいつまでも喰つついてゐるから、そんなことになるのよ。それよりどつかの若旦那でも引つかける算段をした方がいゝわよ。地獄の中にやいゝことも惡いこともないんだからね。」
 と、或るむし暑い夜、この家のおかみが腦卒中《なうそつちう》で突然死んでしまつた。
 ふみちやんは、待つてゐましたと言はぬばかりに、死んだおかみが座つてゐた長火鉢の前にぐでんと坐つて、終日煙草ばかりふかしてゐた。彼女は、長火鉢の前を獨占すると同時に、おかみの夜の××まで占領してゐたのである。
 さうしてふみちやんはおきみへ言つた。羽をむしられて飛べなくなつてゐる庭鳥の尻をひつぱたくやうにして、
「ねえ、あたしはもう店へ坐つちやゐられないから、あんたが代つて坐つて頂戴よ。そのかはり捨て身になつて、命がけでやらなきア、あたしの代りはつとまらないよ。死んだつもりでやつてごらんよ。」
 これは、羊に向つて野牛の蠻力《ばんりよく》を強要するものである。――ふみちやんはもう、立派に野獸のやうな無智な搾取者《さくしゆしや》になりきつてゐたのである。
 おきみは、おぞ毛をふるひながら思つた。
 ――こんな家にいつまでぐづ/\してゐたら、それこそ血も肉も絞り殺されてしまふに違ひない、と。
 が、おきみがさうと氣づいた時はもう遲かつた。おきみはいつの間にか、こゝの片目の主人から、途方もない惡辣《あくらつ》な策略のわな[#「わな」に傍点]に掛けられてゐたのであつた。
 主人は、その獨眼をギシ/\音のするやうに光らしながら、おきみへ言ひ掛けた。
「ねえ、きみちやん、少し物いりが出來たんだが、借金をきれいにして貰へないかね。」
「……すぐですか?」
「さうさ、四五日中に。」
「そりや無理ですわ。」
「なアにわけアねえさ、どつかへ住み替へりやいゝんだから。」
「住み替へてもいゝんですか?」
「そりや、この場合仕方がねえ。」
 おきみに取つては、この家は吸血鬼の棲み家であつたので、それは耳よりな話であつた。で、その話をすゝめて見た。しかし彼女が返濟すべき前借の高を知つたとき、彼女は呆然《ばうぜん》としてしまつた。せいぜい五十圓前後と思つてゐたのに、いつの間にか三百五十圓ほどになつてゐたからである。
「そんな筈はないでせう!」おきみは、息を彈《はず》まして訊き返した。
「と、思ふだらうが、よく考へてごらんよ、ひも[#「ひも」に傍点]の二人も持ちア、だれだつてそれぐれえの借金は出來るぜ。」
「あたし、ひも[#「ひも」に傍点]を二人も持つた覺えはないわ。」
「とぼけちやいけねえよ、あれぐれえ注ぎ込んだら立派なひも[#「ひも」に傍点]だらうぢやねえか。」
「だれのことをいつてるの?」
「あの、長さんのことさ」と、主人は、おきみの顏へ唾を吐きかけるやうに言つた。
「……?……?」
 おきみはあつけ[#「あつけ」に傍点]に取られてしまつた。
 長さんといふのは、東家《あづまや》一門の浪花節語りだと自稱してゐる、三十四五の、口の歪《ゆが》んだ小男であつた。最初、五六日に一度の割りでおきみのところへ遊びに來て、金ばなれもきれいに、いやに乙がつたことを言つてゐたが、そのうち三圓五圓とおきみの蟇口から卷き上げて行くやうになり、やがて、おきみから直接取れなくなると、おきみの名で主人から借金して行くやうになつた。
 その金が積つて三百圓ばかりとなつた。で、おきみ自身の前借と合せて都合三百五十圓になつた、といふのであつた。
 只のおなじみ[#「おなじみ」に傍点]さんへ、この主人がなぜそんな金を貸してしまつたか?
 實はこれは、主人と、この男――長さんとの共謀搾取《きようぼうさくしゆ》だつたのである。主人は、おきみのひ弱い肉體からは碌な金が絞り出せないことをその片目で鑑定すると、その界隈《かいわい》のぐれ仲間の一人である長さんと結託し、長さんを浪花節語りの色男に仕立てゝ、おきみの政略的|情夫《ひも》としたのである。そしてこの情夫《ひも》を通じて間接におきみから搾取したのである。
 その搾取手段《さくしゆしゆだん》は簡單であつた。即ち主人は、おきみの名に依つて長さんへ金を貸す。が、その實はおきみの名に依つて貸した金額の二割ほどを長さんへ與へるだけなのである。長さんは情夫《いろ》をかさ[#「かさ」に傍点]に着て、おきみの名で三十圓、五十圓と主人から借りて行くやうに見せかけて、實はその二割ほどを、政略的|情夫《ひも》の手數料として自分の懷へ入れるだけであつた。即ち主人は、二十圓ほどを失つて、百圓ほどの借金をおきみの身に背負《せお》はせた勘定であつた。
「あと半年すりや、俺ア師匠の名をつぐんだぜ。そしたら新宿の新歌舞伎座で、大々的襲名|披露《ひろう》の看板を掛けて、一ヶ月ぶつ通して語ることになつてるんだ。ね、さうなりや、死んだ雲右衞門ぢやねえが、一晩千兩は樂にこのポツポへ入つて來らアね。」
 長さんは、おきみへよくそんなことを言つて、今、自分へみつぐことは蝦《えび》で鯛を釣るやうなものだ、と大眞面目な顏をした。そしてそんな時は必ず裏へ※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つて、主人との共謀搾取《きようぼうさくしゆ》を行なつていたのであつた。
 それが積つて三百圓ほどになつたのである。主人はこれだけおきみの身に背負はせるのに、僅か五六十圓を長さんの手に渡したに過ぎなかつたのである。
 かういふ世界でのザラにある手であつたが、おきみは、主人からさう言はれる迄、夢にもこれを知らなかつたのである。
 おきみはカツとなつて叫んだ。
「あたし……そんなお金知りません!」
 さう叫ぶと、おきみは、ワーツと氣違ひのやうに泣き出した。泣きながら疊の上をころげ※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つた。
 主人もそれには手をつけられず、遠くから長い棒切れで恐い蟲でも制《おさ》へるやうに、
「まア/\、おとなしくしなよ。表へ人だかりがするぢやねえか……」
 さうして主人は、自分の手に負へないと知ると、第二段の手を用ひた。それは長さんをして脅迫《けふはく》させることであつた。只の女を買はして貰つてゐる上に金を貰つてゐるこの種のひもは、こんな場合には命がけの仕事でもする。この點、おきみを初めてこの世界へ誘ひ込んで來たあの辰つアんと少しも變りがなかつた。
 次の夜であつた。長さんは短刀《ドス》をふところに呑んで來て、二階の五角の座敷へおきみを呼んだ。そしておきみの手首をねぢ切るやうに掴んで、
「おい、ぐづ/\言はずに、さつさと住み替へたらどうだ!」と、その歪《ゆが》んだ口を、おきみの鼻面へ持つて來た。
 おきみはすくみ上つた。唇をふるはして、凍死者のやうに動けなくなつてしまつた。

 その夜半、おきみは二階の三角の部屋で、周三のからだに絡みついて、息が止まるほど泣いた。聲を出せば階下の主人夫婦にきこえるので、聲を殺さうとすると、その苦しさで、からだ中が窒息者《ちつそくしや》の斷末魔《だんまつま》のやうに波打つた。
 周三はハラ/\しながら、おきみのからだを引き寄せては抱きしめ、引き寄せては抱きしめた。そして、
「どうしたのだ? ね、どうしたのだよ!」
 と繰りかへし訊いた。
 が、おきみはこの理由を一言も言はなかつた。そのうちに、咽喉《のど》に詰る涙に咽《むせ》びながら周三の膝の上へ訴へた。
「あたし、今まで、みんなあなたのために生きてゐるのだけど、今日からは、あなたがあたしのために生きて下さいね。……あたし、……あたし……このまゝ死んだら、死んでも死にきれない。……あなたさへゐれば、あたしは殺されても生きかへつてやります。そして、きつと、きつと、この仇を取つてやります……」
 曾ては、すかんぽ[#「すかんぽ」に傍点]の莖《くき》のやうに水々しく美しかつたおきみのうなじも、今はどす黒く痩せて、カサカサに乾いてゐた。周三はそのうなじを抱きしめながら、一生懸命、何か言はうとしたが、これも涙がこみ上げて來て、なんにも言へなくなつてしまつた。
 蟋蟀《こほろぎ》がよく鳴いた。その聲が二人の胸にしみ通つて來た。――二人はその夜、一睡もしなかつた。
 その翌々日である。おきみは、このT私娼窟から、K私娼窟の方の新龜《しんかめ》といふ家へ、前借四百圓で住み替へさせられてゐたのである。一切、長さんの仕事であつた。
 が、長さんの仕事を操《あやつ》つたものに、倉田の主人夫婦と、もう一人、あの奇怪な魔力を持つた妖婆がゐたことを忘れてはならない。
 さうして、おきみの生き餌としておきみと共にK私娼窟へ移された周三は、天神樣の裏手の煙草屋の二階の四疊半へ押し込められた。こゝに移されてからの周三は、生き餌であると同時に、完全な人質となつたのである。あの妖婆によつて、この二人の前科――逃亡癖を持つたくせ[#「くせ」に傍点]者であることを知つた新龜の主人は、二人の逃亡の豫防策として、煙草屋の主人と共謀し、周三の毎日の行動を一つ/\監視《かんし》し、束縛《そくばく》したのであつた。(一方、おきみに對する監視と束縛の嚴しさは言ふまでもなかつた。)これは、おきみの身に投じた四百圓の資本を守るための卑怯にも巧妙な鐵條網であつた。
 おきみは、風呂へ行くにも、髮ゆひに行くにも、いち/\おかみに附かれてゐた。またそのおかみは栗鼠のやうにチヨコマカしてゐた。
 周三は、おきみに會ふにも勝手には出來なかつた。朝、おきみが店へ坐る前の僅かの時間を、それも主人と主婦が坐つてゐる茶の間で、監視つきの面會だけが許された。
「それで物足りなかつたら、まアお客になつて泊りに來るがいゝさ。」
 主人は、干からびた茄子のやうな顏に狡猾《かうくわつ》な薄笑ひを浮べて、周三へさう言つた。お客になつて泊るといふことは、泊り込み料×圓を現金で支拂へ、といふことなのだ。搾取《さくしゆ》するに相手を選ばない點では、こゝの主人は、T私娼窟の倉田の主人よりはるかに徹底してゐた。
 周三は、自分の妻と一緒に寢るために金を支拂はねばならないのである。その金こそ、妻の身を賣つて得た金ではないか。妻を賣つた金で妻を買ふ。その買つた金はまた妻の借金となる。こんな馬鹿馬鹿しいべら棒な話がこの世にあらうか。全世界のあらゆる社會層の中で、かういふ不可思議な取り引きを強ひるものは、女の肉を切り賣り切り買ひし得るこの社會のみであらう。
 しかし周三とおきみが、二人だけの夜を得るためには、二人だけで話し合ふためには、この馬鹿馬鹿しいべら棒な話を敢へて實行しなければならなかつたのである。二人はいやでも、何故、かういふべら棒な事實があり得るのかを考へさせられた。それは、金といふものに絶對權があるからだ、と解釋《かいしやく》して見た。だが、金はなぜこの絶對權を持つてゐるのか、この絶對權を與へたものは誰であるか、何であるか、そこまで考へて行くと、二人には何の解釋もつけられなかつた。只、金を通して、金の周圍に、すばらしい、同時にえたいの知れない不可思議な力を持つたからくり人形が、どし/\と跫音《あしおと》高く濶歩《くわつぽ》してゐるのを感ずるだけであつた。そして二人はその跫音に耳を塞ぎ、身を縮めるより外はなかつた。
「どうする?」
「逃げるしかないわ。」
 二人は、二人だけの夜にありつくと、この一言づゝの會話を幾度となく繰り返した。金を取り卷く跫音《あしおと》に怯《おび》えながら。
 だが、彼等二人の周圍に張り渡された鐵條網から、彼等はいかにして脱出すべきか。彼等は、信州の方の遊廓から逃亡した時のことを思ひ出した。それは全く命がけの仕事であつた。しかし今、この中から脱出することは、命がけどころではなく、脱出即ち死であるやうに思はれた。事實またさうであつた。
 T私娼窟の有機的|細胞《さいばう》組織は、このK私娼窟に於ては更らに巧妙に完備してゐたからであつた。殊に、おきみの買はれている新龜の家のある場所は、その一年前、新しく開けた一廓で、一間の路地々々はコンクリートでかため、その路地々々の出口の兩側には必ず、お目附役を兼ねる商店が並んでそれぞれの關所をつくつてゐたばかりでなく、春夏秋冬を通して、徹宵《てつせう》、ひつきりなしに※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つてゐる幾組かの火の番は、私娼達の逃亡をも見※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つてゐるのであつた。むしろそれが本職であつた。そして一度、私娼の逃亡を見つけたなら、野良猫《のらねこ》を捕へたやうに、打《ぶ》つて蹴つて縛り上げて、元の家へ引きずつて行くのが極りであつた。
 かくて、この一廓からの逃亡は絶對に不可能といつてよかつた。
 然らば前借をきれいに返濟《へんさい》しきつて、大手を振つてこゝを出て行けるまで、この中《なか》に働くとするか。だが、その時はいつ來るか。それは恐らく永遠に來ないであらう。來るものは死だけであらう。
 この中にゐても死、脱出しても死である。
「同じ死ぬなら、脱け出して殺された方がいゝわ」おきみはさう言つた。
「さう無茶なことをいふな。こゝしばらく落ちついて、みんなに安心さしといて機會をねらつた方がいゝよ」周三はさう答へた。
 が、それから一月過ぎてもその機會は來なかつた。そればかりか、五日に一度は、例の長さんがやつて來て、ふところに呑んで來た短刀を疊の上につき差して見せたりしては、おきみの逃亡を脅迫《けふはく》豫防《よばう》した。
 さなきだにやつれ衰へて來たおきみの身體は、この監視、この束縛、この脅迫のために困憊《こんぱい》するばかりであつた。そして梯子段を上り下りするだけで、息が切れるやうになつた。

 と、更に一と月して、思ひがけなく、脱出の機會が掴《つか》めさうな事態が生れて來た。それは、その頃、同じK私娼窟内から住みかへて來た女、清ちやんの變事に絡まるものであつた。
 清ちやんは、或る秋雨《あきさめ》の降る夕方、一人の男につれられてこの新龜へ來た。彼女は泣き腫《は》らした目を伏せて、臺所の板の間にぢつと坐つてゐた。
「そこは冷えるでせう、こつちへいらつしやいよ。」
 おきみがさう言ひかけながら傍へ寄つて行くと、彼女はまたワーツと聲をあげて、板の間へつゝ伏してしまつた。
 その夜更け、主人夫婦が寢しづまつてから、
「そんなに辛《つら》いことがあるの?」さう、おきみは聞いて見た。と、清ちやんはまた涙を一ぱいためて、惡いひも[#「ひも」に傍点]に附かれて、二百圓あまりの借金を背負はされてしまつたことを話した。
 おきみは、自分も同じわな[#「わな」に傍点]に掛けられていることを話して、心から清ちやんへ同情した。
 清ちやんは昂奮して、
「あたし、あんたを姉さんと呼ぶわ、だからあたしを妹だと思つてね」と言つた。
 まだやつと十六だといふ、色の白い、髮のやはらかい、ふつくらとした顏の、鳳仙花《ほうせんくわ》のやうな娘であつた。それが呼び込み口に坐つて客を呼んでゐる姿は、あまりに痛々しかつた。しかも彼女は、夜、泊り込みを掴《つか》まないうちは、主人の嚴命通り、正直に、夜明かししてでも客を呼んでゐた。
「清ちやん、いゝ加減で寢なさいよ。」
 おきみが姉さんらしくさう言ふと、清ちやんはまた涙ぐんで、
「でも、しかられるわ」といつも答へた。
 さういふ女であつただけ、新龜の主人夫婦は、清ちやんの行動に對してはそれほど嚴しい束縛を加へなかつた。それに、彼女に手枷足枷《てかせあしかせ》をはめてゐる政略的ひも[#「ひも」に傍点]はあつても、彼女を逃亡させようとする情夫《ひも》は一人もなかつたのだ。
 主人は、彼女の一人歩きにも可なりの自由を與へた。所詮《しよせん》は紐に結はへられた猿の自由であつたが。しかし彼女はその自由を利用しようとはしなかつた。いつも、三尺四方の呼び込み口に坐つて、薄暗く靜まつてゐた。そして、どうかすると、呼び込み窓へ額を載《の》せて、すう/\と眠つてゐた。客を取つた後などには、呼び込み口へ坐るなり、打ちのめされたやうになつて眠つてゐた。
「清ちやん、そんなことをしてゐるなら、二階へ行つて寢たらどう。」
 おきみがまたさういふと、
「でも、しかられるわ」と彼女は答へた。
「だつて、からだを毀《こは》しちやうぢやないの、こんな寒いところに眠つてゐたら。」
「どうせもう、こはれてゐるのよ。」
 果してそれから四五日した夜、清ちやんは、呼び込んだ客を二階へ上げようとして、梯子段の中途から轉げ落ちてしまつた。眞白くなつた唇を喰ひしばり、泡を吹きながら、からだ中をガク/\顫《ふる》はした。
「清ちやん、清ちやん!」
 おきみは夢中で叫びながら、そのからだを抱き上げ、茶の間へつれて行つて寢かした。が、この時の彼女の心臟の鼓動《こどう》は殆んど止まつてゐた。
 主人もさすがに慌てた。彼は、清ちやんのからだを背負《せお》ひ上げると、近くの病院へ運んで行つた。この病院が、もう少し遠く、醫者の手當てがあと五分間おくれたなら、清ちやんはもう死んでゐたに違ひなかつた。
 カンフルの注射で、清ちやんの心臟はとにかく動き出した。
 この病院は、この私娼窟|專有《せんいう》の病院のやうなもので、こゝの院長は、T私娼窟のあのなまづ[#「なまづ」に傍点]のやうな醫者と同樣、私娼經營者の味方ではあれ、私娼の味方では決してなかつた。頭の先から爪先まで完全に買収されてゐた。
 病院といへば、材木倉庫のやうなバラツク建で、内部は、一間の廊下をはさんで、二十疊ほどの疊敷の部屋がいくつか並んでゐた。それは柔道の道場のやうにガランとしてゐた。
 この一つの部屋の中に、六七人の患者が、思ひ/\の方向に向いて寢てゐた。みんな私娼窟の女であつた。病氣は、大部分、肺病と性病であつた。
 清ちやんは、内膜から外膜を冒《おか》され、最後に激烈な腹膜をやられた患者として、この部屋の隅へ収容されたのであつた。これは、九十パアセントまでは性病に冒されてゐるといふ[#「ゐるといふ」は底本では「ゐとといふ」]私娼のからだに、當然の結果として現はれる病氣であつて、この病院内で死亡するものの半數以上は、この病氣に依るものであつた。
 もう秋も末になつてゐた。そして、じめ/\した薄暗い部屋の空氣は、さま/″\の藥品の匂ひに濁されて、避病院内のやうな臭氣が、部屋の隅々までぢつと澱《よど》んでゐた。清ちやんは、さういふ中に蝋燭《らふそく》のやうに白い顏を横たへて、辛うじて呼吸《いき》をつゞけてゐた。
 言ふまでもなく、附き添ひの看護人が必要だつた。新龜の主人は、その看護人として、おきみの良人、周三を引つ張つて來た。煙草屋の二階へ置いとくよりも、この病院へ入れとく方が、人質としても更に完全な人質とすることが出來たからであつた。周三は、清ちやんの枕元へ、木偶坊《でくのばう》のやうにぎごちなく坐つて、終日、ぼんやりとしてゐた。
 周三がさうして囚はれてゐるためか、おきみは、二日に一度は、この病院の清ちやんを見舞ふことを主人から許された。おきみは清ちやんを、ほんたうの妹の如く愛する心から、清ちやんの好きなドロツプを買つては訪ねて來たが、一つは、そこで周三と顏を合せることに依つて、逃亡の機會を掴《つか》まうとしていたのであつた。が、その機會は全く與へられなかつた。醫者や看護婦達の目を偸《ぬす》むことは出來ても、同じ部屋の他の患者の目と耳を偸《ぬす》むことは絶對に出來なかつたからであつた。
 院長は、毎日一度、午後三時頃、一人の助手と看護婦をつれて※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]診に來た。頭が禿《はげ》てゐる上に、その天邊がキユーピーのやうに尖つてゐるので、みんなはキユーピー院長と呼んでゐた。彼は患者の枕元を、そつぽを向いて只ヅカ/\と通り過ぎるだけであつた。可なりの重症患者の所へ※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つて來ても、僅かに腰をかゞめて義理一片に顏を覗《のぞ》き見るだけであつた。只その患者が、數百圓の前借を背負つてゐる場合は、その抱《かゝ》へ主のため、その前借を殺してはならぬといふ義務から――女自身の命を生かさうとするのではない――割合に丁寧な見方をした。
「院長さん、苦しい。サンソを吸はして下さいよ。」
「院長さん、早く注射をして下さい。痛くつて死にさうよ。」
「院長さん、からだ中が焦げさうだよ。何とかして頂戴よ。」
 だが、それらの訴へ聲が、僅かの前借か、無前借の女の口から出たものであれば、院長は、尖つた頭をふり向けもせずに部屋を出て行つてしまつた。
「馬鹿! 畜生! 呪《のろ》ひ殺してやるよ。」
「みんな死んぢまへ! 世界中の人間が死んぢまへ!」
「火をつけて燒き殺してやるよ。日本中、燒き拂つてやるよ!」
 さういふ叫び聲が、院長の背中へ投げつけられた。しかし院長は、病人は一面狂人である、といふべら棒な見解から、それを平氣で受け流してゐた。
「一體、淫賣《いんばい》なんて商賣を、だれが發明したんでせうね?」
 そんなことを言ひ出す女もゐた。
「そりや、こゝのキユーピー院長見たいな人間さ。」
「それであたし達は、いくら稼いでも稼いでも借金がふえるばかりなんだね。」
「さうさ。先づ旦那にしぼられて、それから借金に卷き上げられて、ひも[#「ひも」に傍点]に取られて、衣裳代に取られて、罰金に取られて、税金に取られて、おしまひにこんな病院に取り上げられてしまふ。……骨も殘りやしないわ。」
「あゝ、早く死んぢまつた方がいゝ。」
「さうよ、死んだ方がよつぽど樂よ。地獄だつて、こんなぢやないわよ。」
 みんなはそんなことを言ひ合つてゐるうちに、誰かゞワーツと泣き出す。と、それにつゞいて、そつちでもこつちでも泣き出す。
 それは全く堪まらない絶望の叫びであつた。

 かういふ中で、清ちやんは日に日に弱つて行つた。それは、冷たい時雨《しぐれ》が、彼女の頭の上の窓に降り注いでは止み、降り注いでは止みしてゐる午後であつた。おきみが、いつもの通り見舞ひに來ると、清ちやんは、ふるへる手をおきみの方へ差し押べた。[#「差し押べた。」はママ]
「苦しいの?」おきみは、自分の顏を清ちやんの顏の上へ持つて行つて訊いた。
「……えゝ。」
「また注射をしてもらひませうか。」
「いや。」
「ぢや、酸素《さんそ》?」
「どうしていやなの。」
「あたし、直りたくないの。」
「そんなことを言ふもんぢやありませんよ。」
「だつて、ほんたうにさう思つてるのよ。」そして清ちやんはぢつと目をつぶつてゐたが、「極樂つて、地の中にあるの?」と言つた。
「……さア、さうでせうね。」
「あたし、いくら極樂でも、地の中はいや。やつぱり天國がいゝわね。ひろ/″\と晴々《せい/\》してゐて……あたし、この世で地獄ばかりにゐたんだから、死んだらせめて天國へ……」さう言ひかけて彼女は咽《むせ》び出してしまつた。
「清ちやん! 清ちやん!」おきみは叱りつけるやうに叫んでゐたが、やがてこれも涙に咽喉《のど》を詰まらして默つてしまつた。
 見てゐた周三は、只おろ/\しながら、立つたり坐つたりしてゐた。
 その夜更けである。清ちやんは全く危篤に陥《おちい》つてしまつた。周三は、新龜の主人へ使ひをやつたが、主人は來ずに、清ちやんのひも[#「ひも」に傍点]がやつて來た。物質的にも、肉體的にも蛇の如く絡《から》みついて、彼女の肉と血を絞り喰らつて來たひも[#「ひも」に傍点]である。二十七八歳の職人風の小男であつた。
 その男は、蒼い顏を昂奮さして入つて來ると、紺《こん》の股引をはいた膝をきちんと合せて、清ちやんの枕元へ坐り、
「清坊、清坊!」と呼んだ。
 しかし清ちやんの耳はもう聞えなくなつてゐた。彼は部屋を駈け出し、宿直の醫者を呼んで來て、強心劑を注射さした。と靜まりかけてゐた心臟は思ひ出したやうにコト/\と動き出した。がそれも五分としないうち、毀《こは》れた時計のセコンドが止まるやうに靜まつて來た。
「清坊! 清坊!」
 その男は、膝頭を揉《も》みながらまた叫んだ。そして傍の周三へ言つた。
「これきりで死んぢやうのかねえ!」
 そこへおきみが、ハア/\と息を切らしながら入つて來た。が、この時はもう清ちやんの心臟はぴつたりと止まつてゐた。
 おきみはすつかり昂奮し、髮を掻きむしつて泣き出した。泣くといふよりは、からだ中でうめき叫んだ。その聲には、いつものおきみの聲が入つてゐなかつた。月に向つて吠《ほ》える犬の聲に似てゐた。周三は、そんな泣き方をするおきみを初めて見た。
 おきみに取つては、清ちやんのこの死が、單なる清ちやんの死ではなかつたからである。それはもう自分の足元へもしのび込んでゐるものであつたからである。同時にそれは、自分と同じ地獄にうめいてゐるすべての女達の周圍を取り卷いて、隙を見れば飛びかゝらうとしてゐるものだからである。
 清ちやんのひも[#「ひも」に傍点]は、膝の上に頭を垂れて石のやうに固くなつてゐたが、これもやがて、ボロ/\と涙をこぼした。彼は、おきみと周三に向つて何か言はうとして、頻《しき》りにからだをもぢ/\さしてゐたが、やつとのことで、
「こ、こ、かうなりや、あんた達がやりなせえ」と、どもりながら言ひ出した。
「かうなる前に、清坊《きよばう》を逃がしてやりやよかつたんだが、もう間に合はねえ。せめてもの罪ほろぼしに、あんた達に加勢しやす。後の始末はわつしが引き受けやすから、今すぐこゝからずらかつちやいなせい。」
 この男は、おきみ達が逃亡を企《くはだ》てゝゐたことを既に感づいてゐたのである。
 周三は、咄嗟《とつさ》に湧《わ》いて來たこの男の義侠心《ぎけふしん》に對し、ひそかに昂奮し、感謝した。長い間ねらつてゐた脱走の機會が、こんな場合に突然めぐつて來るとは夢にも思はなかつたからである。
 けれど一方、清ちやんの死に依つて生命の根柢からぶち毀《こは》されたやうになつてゐるおきみは今、思ひがけなく與へられたこの機會に對して、殆んど何の昂奮もしなかつた。ばかりか、その話も耳に感じないかのやうであつた。
 と、その男はまた言つた。
「ぐづ/\してちやいけません。新龜の旦那か長さんでも來たらおぢやんだ。外までわしがつれてつて上げるから、一人づゝわつしの後について來なせえ。」
「おい」周三はおきみの肩をゆすぶつた。「しつかりしなよ。さつさと立つて出て行きなよ。」
 そして周三はおきみの手を取つて、廊下へつれ出し、
「天神樣の前を右へ、それから川に沿つて左へ、二つ目の橋の袂《たもと》で待ちあはせるのだ。わかつたか!大丈夫か!」
 周三はそれからまた一方の男の耳へ囁いた。
「こゝの醫者や看護婦に感づかれやしませんか?」
「そんな心配はいらねえ、わつしがついて出るんだから。」
 そこでその男は、おきみを前に立て、煙草に火をつけ、悠々とふかしながら、いかにもおきみの行動を監視《かんし》するかのやうにして病院の玄關を出た。
 間もなくその男は一人で引きかへして來た。そして廊下から、清ちやんの枕元に坐つてゐる周三へ目くばせをした。周三は立つて部屋を出た。
 二人が廊下の突き當りの階段を降りかけた時であつた。逃げた筈のおきみが、ふら/\と階段を上つて來る。おや! さう二人が思つた瞬間、二人の目には、おきみの後から上つて來る長さんの姿が映つた。
「おい、松公、柄にもねえことをするなよ。」
 長さんは、さう言ひながら、おきみの先へ出て階段を上つて來た。そして松公と呼んだその男の前へ立ち塞《ふさ》がると、例の歪《ゆが》んだ口を思ひきり歪《ゆが》まして、
「だれの許しを受けて、こいつらをずらかさうとしたんだ?」
「だれでもねえよ。」
 松公はさう答へて、長さんの鼻先へ顎を突き出した。
「ちえツ……まア外へ出ろ!」
「へん、どこへでも行くよ。」
 二人は、階段を下りて行つた。
 さうして五分とたゝない時であつた。清ちやんの枕元に坐つてゐる周三のところへ、おきみが泳ぐやうにして走り込んで來た。
「あなた、大變よ! 大變よ! はやく逃げなさいよ。あの二人が往來で切り合ひをしてゐる。」
 周三は、蹴《け》られたやうに立ち上つた。おきみはまた叫んだ。
「あの男が、長さんの短刀で、からだ中、まつ赤に切られちやつた。あの男は、お腹からはみ出した腹わたを片手でぶらさげて……」
 それは搾取者《さくしゆしや》のからくりの罠《わな》に自分から引つ懸かつた中間搾取者共の滑稽な悲劇であつた。
 周三はその場へ行つて見ようとした。
「あなた、どこへ行くのよ。長さんは、こんどはあなたを殺しに來るよ。はやく、はやく逃げて下さいよ。」
 さう言はれると、周三は急に慌て出し、
「あゝ、さうか、どこへ逃げよう?」
「遠くへ、出來るだけ遠くへ。」
「だから、どこへ? 場所をきめろ」さう言ひながら周三は廊下《らうか》へ來て、その奧の非常口の方へ歩いてゐた。
「……新宿の、いつかの木賃宿。」
「よし、わかつた。後からお前も來るんだぞ。」
 周三は、非常口の階段を、夢中で病院の裏庭へかけ下りた。表の切り合ひで病院中の人間が湧き立つてゐるので、周三の逃亡はだれにも氣づかれなかつた。

 周三は、新宿旭町の宿、マルマンの三疊へ落ちつく間もなく、一人の警官に踏み込まれ、
「ちよつと派出所まで來たまへ」と言はれた。
 周三はギクリとした。Kでの切り合ひ事件の參考人として調べられるのか? それにしてもどうしてこんなに早く足がついたのだらう。
 周三は不安な不審に包まれながら、近くの派出所へ連行された。
 警官は、電話で本署と打ち合せをした。周三は氣取られないやうに、要點には觸れずに話してゐたが、先方の言葉へうつかり鸚鵡返《おうむがへ》しに返した言葉に、上田[#「上田」に傍点]といふ一言が入つてゐた。周三はすくみ上つてしまつた。
 彼は、さつきの切り合ひ事件に關したこととばかり思ひ極めてゐたので、この不意打ちには全く面喰らつてしまつたのである。
「さア來た! 遊廓の逃亡がばれやがつた! 爆彈が破裂《はれつ》しやがつたぞ!」
 旭町の宿マルマンへは、この春、周三とおきみがそこを引き上げると間もなく、搜索《そうさく》の手が入つたのであつた。そして再び周三の姿を見たなら、直ちに本署へ密告するやうマルマンは嚴命されてゐたのであつた。
 一時間の後周三は本署へ連行された。そしてすべてを告白させられてしまつた。おきみが現在どこにどうしてゐるかを。
「それでよろしい」一人の刑事は一枚の電報を見せながら言つた。「この電報通り、上田市のM樓から、君の女房の取り押さへ方を依頼されてゐるのだから、こちらはそいつを先方へ渡せばいゝだけのことだ。君には大して迷惑のかゝることではあるまいから安心したまへ。しかし今晩はこゝへ泊つて貰はうぜ。」
 周三は、翌朝になつて、留置場を出された。彼はその足で、K町まで圓タクを飛ばした。しかし、さうして行つて見るまでもなく、おきみは前夜のうちに拘引されてゐた。
 おきみは、最初は、長さんと松公の切り合ひ事件の關連者として引つ張られたのであつた。そこへ、周三からの自白に依つておきみの在りかを知つたY署から、その捕縛方《ほばくかた》の依頼があつた。おきみは前後から挾《はさ》み打ちを喰つたのである。おきみは直ちに調べ室から留置場へぶち込まれてしまつたのであつた。
 一人殘された周三は、この場合自分をどう處置すべきか、まるで見當を失つてしまつた。
 ――とにかくおきみに會はして貰はう。
 それだけを考へながら周三はK署へ急いだ。彼は刑事部屋まで入ることを許された。そこには、瓢箪《へうたん》のやうに出張つて禿《はげ》たおでこを持つた男と、厚司《あつし》を着た赤髯の男とが將棋をさしてゐた。
「お願ひがありますが……」
「何だ?」厚司《あつし》が言つた。
「面會さしていたゞきたいのです。」
「だれだ?」
「おきみといふ女です。」
「駄目だよ。あいつは淫賣だ。」
「ちよつとでいゝんですが。」
「なアるほど」と××が言つた。周三は次の言葉を待つた。と、それは將棋の方のことで、××は腕を組んでしばらく考へてゐたが、その大きなおでこをぎりゝと周三の方へ向け、
「うるさい、かへれ!」と忌《い》ま/\しさうに呶鳴つた。
 周三は、取りつく島もなかつた。
 その夜周三は、千住の木賃宿へ泊り、翌日の夕方、旭町のマルマンへ行つて見た。おきみが周三へ何かの通信をするなら、この宿宛てにするしかなかつたからであつた。この宿だけが辛うじて二人の引き破られた心と心とを仲介するものであつたからだ。だが、何の便りも來てゐなかつた。
 その翌日も行つて見た。が、やつぱり徒勞に終つた。さうして周三は四日ほどの徒勞《とらう》を重ねた後、やつとおきみの手紙を手に入れることが出來た。その手紙の中には十圓札が二枚ほど入つてゐた。そして、鉛筆の走り書の紙片が入つてゐた。K警察から、前橋の警察の手に渡されたこと、それから、曾ておきみを信州上田のM樓へ周旋《しうせん》した大阪屋といふ口入屋の手に渡されたこと、今はその家に監禁《かんきん》されてゐること、だが周三がそこへ訪ねて來ることは、生命に關《かゝ》はる危險にぶつかるかも知れぬから、おきみの方から、知らせがある迄は絶對に來てはならぬこと。
「……それまでは、封入の金で暮してゐて下さい。かうなればあたしはもう棄て身です。殺されるまでたゝかつてやります。だからあなたも、決して絶望せぬやう、やけ[#「やけ」に傍点]にならぬやう、これだけは、くれぐれもお願ひします。あたしのために飽くまで強く生きて下さい……」
 おきみのからだが、上田市のM樓へ引き渡されずに、どうして前橋の大阪屋へ引き渡されたか?
 すべて遊廓では、一度逃亡した女は、きず[#「きず」に傍点]玉として、自分の所へ引き取ることは決してせず、それを周旋した口入屋の手に渡すことになつてゐる。周旋屋では、一人の女のために、大事なお得意を棒にふることは堪へられないので、その女が遊廓へ掛けた損失《そんしつ》を負はねばならない。で、大阪屋の場合も、おきみがM樓で踏み倒した八百五十圓は、大阪屋の責任となつて、大阪屋はそれだけの金をM樓の方へ返濟《へんさい》してゐた。だから今は、おきみとM樓との關係は絶たれて、大阪屋との直接關係となつた。大阪屋は、おきみのからだをもう一度轉賣することに依つて、失つた八百五十圓を取り戻さねばならない。おきみのからだが、大阪屋の手に渡されたのはその爲めだつたのである。
 前橋のK町、そこは高崎のY町と同じ組織の賣春屋で充たされてゐた。群馬縣は日本唯一の廢娼縣として誇つてゐるが、それは同時に日本第一の私娼窟を繁殖《はんしよく》せしめた縣としてまた誇る[#「誇る」に傍点]べき土地である。大阪屋の家は、かういふ私娼窟が軒を並べてゐるK町の中に、待合風な小綺麗な玄關を持ち、横手には白壁の土藏を持つて、いやに森として構へてゐた。
 大阪屋は、××からおきみのからだを受け取つてこの家へ連れて來ると、先づ言つた。
「お前の亭主は、昔のまゝ、お前のからだにぶら下つてゐるのかね?」
「…………」
「そりや念を押す迄もないが、もしもあの男をこゝへ呼び寄せるやうなことをしたら、お前の逃亡を導いたもの、つまり犯罪|教唆罪《けうさざい》として、赤い服を着せてやりますよ。でなければ、がんじがらめにして、この利根川の底へおつぽり込ませてやりますよ。」
「あの人に、あの人に罪はありません」おきみはせき込んで答へた。「お女郎屋から逃げ出したのは、みんなあたし一人でしたことですから。」
「とか、なんとかおつしやいましても、世間には通らぬ話だ。尚更ら××へは通らぬ。ほんたうなら、お前のからだを引き取ると一緒に、あの男は刑務所の方へ引き取つて貰はうと思つたのだが、まアまアこんどだけは勘辨《かんべん》してあげたんだ。」
「いゝえ、あの人には何の罪もありません、あの人は……あの人は……」
 おきみは、目を引きつらして大阪屋へ刄向つて行つた。
「さうむきにならんでもいゝよ……ともかく氣の鎭まるまで、あちらでゆつくりとからだを休めるがいゝ。わしは、一度かうと言ひ出したなら、金挺《かなてこ》でも動かない男なんだから、さうして、もくろんだことは火の中をくゞつてもやり遂げる男なんだから、よく/\考へてからものを言ふがいゝよ。」
 さう言つて大阪屋はニタ/\と笑つた。その顏は、兩のかん骨が飛び出し、その間の凹地に盛り上つた鼻の頭が白く剥《は》げてゐて、その下に大きく裂けた口を結んで默ると、まるで、しやれかうべ[#「しやれかうべ」に傍点]の相となつた。
 おきみは、見てゐるうちにからだ中がゾク/\して來た。それは、曾て、T私娼窟で、おきみの咽喉元を絞めるやうなことをしたあの奇怪な妖婆が、再び目の前に現はれたやうに感じたからであつた。違ふ所は、老婆が老爺になつただけであつた。上田の遊廓《いうくわく》へおきみを賣り込んだ當時の大阪屋からは、さそりのやうな小汚ない狡猾《かうくわつ》さを感じたのであつたが、今は、生きながら人の生血を吸ひつくす毒蛇の貪慾さを感じさせられた。
 大阪屋は、凹んだ眼窩《がんくわ》の底に青白く光る目を、ぢつとおきみの面に注いでゐたが、やがておきみを無理に立たして座敷から廊下へ引き出した。その廊下は三度ほど曲つて、急に暗くなつた。突き當つたところは、土藏の入口であつた。大阪屋は、その入口の鐵の扉を音もなく開けた。しめつぽい冷たい空氣が、スーツと流れて來た。
 おきみは、その中の二階座敷へ引き上げられたのである。鐵格子のはまつた三尺四方の窓が南に向いて一つあるきりの六疊の座敷であつた。
「こゝだと、誰に遠慮もいらぬ。手足をのばして、よく休むがいゝ。」
 さう言つて、大阪屋の例のしやれかうべの顏をニタリと笑はせ、そして梯子段を下りて行つた。と間もなく外から扉に錠《じやう》を下す音が、ピーンとひゞいて來た。

十一

 おきみは、例の妖婆の家の二階の一室に監禁されて、殆んど死ぬばかりになつてゐた蜘蛛《くも》のやうな女を想ひ出した。そして、その女の運命が、今、自分へ廻つて來たことを思つた。
 しかし、これを運命といへるだらうか。
 ――運命ではない、運命ではない!
 おきみは階段を下りて行つた。鐵の扉を力一ぱい押して見た。からだでぶつかつて見た。が、扉は動きもしなかつた。
 二階へ上つて來た。鐵格子へ掴まつて、腕の脱けるほどゆすぶつた。からだをぶら下げた。が格子《かうし》は、ミシリともしなかつた。
 つひに彼女は、へと/\になつてしまつた。そして、疊の上にばたりと倒れて、打ちのめされた蟲のやうに、力のない息をつゞけてゐた。
 梯子段を上つても息が切れるほどに弱つたのは、もう二三ヶ月前のことであつた。そこへこの三日間ほど、おきみは、夜もろく/\眠らされず、まるでぼろ布の如く持ち運ばれたので、今は精《しやう》も根《こん》も全く盡き果てゝゐた。額が妙に鋭く尖り、目だけがギロリと飛び出してゐる。――その夜おきみは、惡夢に襲はれながら、コン/\と眠りつゞけた。
 その翌日の午後であつた。おきみは、大阪屋の奧座敷へ引き出され、四人の男から、賣り物としての價値を鑑定された。おきみは今まで、幾度か轉賣されて來たが、四人もの男から値ぶみされることは初めてであつた。
 四人とは、大阪屋と、升屋といふ同業者と、えたいの知れない老人と、瀬下屋といふ料理屋の主人とであつた。彼等はおきみのからだをぐるりと圍んで、まるで廢物のせり賣りのやうに始めた。
「わしが見たところぢや、きず玉もきず玉、ひでえきず玉だから、まアせい/″\百圓といふところだね。」
 料理屋の主人|瀬下屋《せがや》は、張り子の虎のやうに首をふりながらさう言つた。
「冗談いつちや困ります。そりや東京で二三年働いてはゐたが、何も淫賣屋にゐたといふわけぢやねえし……」
 大阪屋は、鋭い目を光らしながら言つた。
「それぢや、どのくらゐで話をつけようてんだね?」
 えたいも知れない老人は、顎髯《あごひげ》をしごいて大阪屋を顧みた。
「左樣、少なくも千兩ですな。」
「御冗談でせう。」瀬下屋《せがや》は冷笑しながら、
「それぢや話にも何んにもなりやせんや。」
「さう言はずに、何とか歩み寄つたらどうだね。千兩もちと高《たけ》えやうだが、百兩もあんまり可哀相だね。」
 同業者の升屋がさう口を入れた。
「ぢや、九百圓まで我慢しませう。」
「いや、百圓がせきの山です。」
「ぢや、八百五十兩。」
「いや、百圓。」
「ど、ど、どつこいさうは參りません。八百五十兩より鐚《びた》一文も引いちや賣れません。」
 大阪屋は、口から泡を飛ばして頑張つた。
 これ等の會話を隣室から聞いてゐたら、一匹の牛か馬の賣買としか聞えないであらう。
 おきみは頭を垂れ、兩手を膝の上に置いて身動きもせずに坐つてゐたが、周圍の四人の貪慾《どんよく》に輝く目にぎゆつと睨められてゐると、見てゐる間に、からだ中の血液が吸ひ取られてしまひさうに思はれた。おきみはもう、無言の反抗に依つて辛うじて自分を主張するしかなかつた。
 賣買の話は結局不調に終つた。
 大阪屋は再びおきみを土藏の二階へ引きずり上げた。彼もすつかり疲れ、おきみを前にして、がたりとあぐらをかき、せい/\と肩で息をしてゐた。羊をこゝまでくはへては來たが、もう喰ふ力もなくなつた老いぼれの狼のやうに。
 が、翌日になると、大阪屋はまたおきみをその部屋から連れ下し、奧座敷の眞中へ坐らせた。そこには、おきみの新しい買ひ手である高崎の銘酒屋の主人と、一人の女衒《ぜげん》とが坐つてゐたのである。
「この通り年齡《とし》もまだ若いし、客ずれもしてゐない、ほんのうぶ[#「うぶ」に傍点]なんですからね。」
 大阪屋は、二人の相手の顏をいら/\と見較べながら言つた。
「いやどうも」と、かまきりのやうな三角な顏をした女衒《ぜけん》は額を撫《な》でた。「これぢや話がてんで違つてまさア。」
「全くだ」と、銘酒屋の主人もさも汚物でも見るやうに頬をしかめた。「大阪屋さんも、人が惡くなりやしたねえ。」
「そいつア御挨拶だね。わしはもうこの商賣を始めてから十五年にもなり、何百人てえ女を手にかけてゐるんですぜ。それが、あんた達を相手に喰はせ[#「喰はせ」に傍点]ようなどと考へられますかね。わしは、値だけのことしか言つてないんですよ。踏めるだけのことしか踏んでゐないんですよ。まアよく目を開けて、どつちからでも覗いてごらんよ。」
「冗談《じようだん》いつちや困ります。わしも長い間女を抱へて來てやすが、こんなひでえ玉は始めてでさア。」
「ぢや、話にも乘つてくれないんかね?」
「乘るも乘らないもありませんや。そりやロハ同樣なら引き取らねえこともねえが。」
「一體、どれくれえまで踏みます。」
「さうさ、失禮だが、初めの話の一割だね。」
「と、いふと、五十兩?」
「へえ。」
「ば、ば、ばかな!」
 大阪屋は吐き出すやうに言つたが、その顏は今にも泣き出しさうであつた。
 結局、話はまた完全に不調に終つた。
 その翌々日の夜であつた。おきみはまたも土藏から引き出された。そして、大阪屋の女房なのか女中なのか、えたいの知れない下卑た中老の女から、ぺら/\の錦紗《きんしや》の着物と羽織を着せられ、更らに面をかむつたやうな厚化粧をさせられて、鹽原から來たといふ怪しげな男の前に坐らせられた。
 東京のTやKの魔窟は、その周圍を取り卷く商店街との握手に依つて、恐ろしい毒液を持つた有機體をつくり上げ、その周圍に鐵條網を張り渡して、私娼達のからだを搾取《さくしゆ》してゐたが、この地方へ來ると、それとはまた違つた細胞が、遠く廣くかすみ網のやうに掛け張られてゐて、このやうに、次ぎから次ぎと、新しい吸血《きふけつ》獵人が現はれて來るのである。さうして、一旦網へ入れた女は、その命のつづく限り、轉賣しまた轉賣して、絶對にこの世界から逃がさない點は、東京の私娼窟と少しも變りがなかつた。
 しかしこの地方のこの種の搾取者は、一方ではまた被搾取者でもあつた。資本主義制度の無數の段階は、この種の搾取者の世界をその最下層に壓し潰して置くだけ、彼等に與へられた搾取量は、最後の肉の一片、最後の血の一滴でしかなかつた。搾れるだけ搾り取つた最後の殘骸《ざんがい》から、命がけの力で噛み取ることだけが許されてゐた。だから彼等は搾取するそのことだけに疲勞|困憊《こんぱい》してゐた。さうして大阪屋の現在の姿が、それを最もよく實證してゐたのである。
 鹽原の男の前に出た今日の大阪屋は、困憊《こんぱい》の果、むしろ殺氣立つてゐた。
「一匹の豚の子の賣買にも、掛け引きといふものはありますが、この玉は、一文の掛け引きなしの正札つきです。一聲できめちやつて下せえ。」
「左樣ですな、――止めときませう。」
 相手の男は、プスンと言ひ切つた。
「何ですね、そりや?」
「これが手前の一聲ですよ。」
「そいつアあんまりひでえ一聲ですね。……いくらでも構はねえから踏んで見て下せえ。」
「いくら、などと値のつく代物ぢやありませんよ。」
 相手は、それを蹴飛ばすやうに言つた。
 大阪屋は、突きのめされたやうに、口を開けたなり、煙草のやに[#「やに」に傍点]だらけの眞黒な齒を現はしてゐたが、急にベソ口になり、聲をふるはして、
「さう言はず、ねえ、助けると思つて引き取つて下さいよ。さつきも話したやうに、二三日中にあれ[#「あれ」に傍点]だけの金が出來なきア、わしはこの家にゐられなくなるんですからね。」
「そりやお氣の毒ですが、賣りものにならねえものを買つたところで仕方ありませんからね、ご免をかうむりますよ。」
 大阪屋はぺしよりとなつて默つてしまつた。
 しばらくして大阪屋は、そのしやれかうべのやうな顏をあげると、おきみの横顏へ噛みつくやうに言つた。
「お前は……お前は生きてゐるのか! 生きてゐるなら、なぜもつと人間らしく、女らしくしないのだ。どいつもこいつも、お前を蟲けらほどにも買はないのを口惜《くや》しいとも思はないのかえ!」
 さう言はれると、おきみは靜かに面をあげて、ぢつと大阪屋を睨みかへした。その顏は氷のやうに冷たく澄んでゐた。こんな場合、今までのおきみなら、口惜し泣きに泣き叫ぶところであつたが、今のおきみはもう泣かなかつた。あれほどよく泣いたおきみであるのに、今のおきみは、目をうるませさへもしなかつた。
 大阪屋は、さういふおきみから、恐怖《きようふ》に似た壓迫を感じたらしく、妙にへどもどしたが、それを拂ひ除けるかのやうにまた叫んだ。
「その面は何だ! 睨むなら睨んで見ろ! 呪ふなら呪つてみろ! 貴樣がいくら我を張つたとて、わしはビクともせんぞ。この大阪屋はな、一旦かうと言ひ出したら、火の中へでも飛び込む男だぞ。見てやがれ! そつ首を縛つてでも叩き賣つて見せるから……」
 さう叫んでゐるうちに大阪屋は、すつかり息が切れて、聲が出なくなつてしまつた。そしてまたぺしよりと首の根を折つて默つてしまつた。
 おきみは尚もぢつと目を据ゑてゐたが、やがてふら/\と立ち上つて隣室へ入つて行つた。大阪屋はその後を睨めながら、おきみが戻つて[#「戻つて」は底本では「房つて」]來るのを待つてゐたが、稍々《やゝ》しばらくしても戻つて來ないので、これも立ち上つて、隣室へ入つて行つた。
 と、いきなり大阪屋が奇怪な驚きの聲を出した。つゞいておきみのからだを引きずりながら出て來た。――見ると、おきみの頭髮《とうはつ》は、ギザ/\に斷ち切られてゐたのである。おきみは、隣室の鏡臺の上に載つてゐた鋏を手に取るや、ある限りの髮を根元からぶつ/\切り離してしまつたのであつた。さうしておきみは下唇を血の出るほど噛《く》ひしばつて、すつかり昂奮してゐた。
「馬鹿なことをしやがつた! 途方もねえことをしやがつた! こん畜生、それで賣り物にしまいといふ魂膽だな!」
 大阪屋はぢだんだを踏んで吼え立てた。
「ヘツヘヽヽヽ、まつたくそれぢや貰ひ手もねえ。ヘツヘヽヽヽ、うめえことをしやがつたねえ。」
 鹽原の男は、口をへの字にして笑ひ立てた。
 大阪屋は、どうしてくれよう、と、その手段を考へ出さうとするかのやうに、部屋の中をわた/\と歩き※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つた。が、急に立ち止まつて、男らしい餘裕《よゆう》を見せるかのやうに、
「結構、々々。……この節は、斷髮《だんぱつ》のモダーン・ガールといふのがはやるぢやねえか。このまゝ横濱のチヤブ屋へでも向けりや、却つて値が出るんだぞ!」
 さういふと、そつくりかへつて、ケツ/\/\と庭鳥のやうに甲高く笑つた。

十二

 その一夜が過ぎた。
 玄關の格子の開く音がした。それだけで何の聲もしない。
 大阪屋は立つて行つた。
 と、そこには周三が兩手をぶらりと下げたまゝ、うつろの目を開けて、すーツと、消えかゝる影のやうに立つてゐたのである。
 大阪屋は、思はず身を引いた。からだ中、水を浴びせられたかのやうに、しばらくすくみ上つてゐた。
 が、やがて、たゝき[#「たゝき」に傍点]の上へ下り立つと、周三の兩手を、ありつたけの力で捕へた。それは、逃げ場を失つたものが、命がけで敵の急所へ喰つてかゝるやうな狂暴さであつた。
 大阪屋はそこで何か言はうとしたが、何も言ひ得ず、そのまゝ、往來へ周三を引き出した。そしてどん/\と歩き出した。
 二十分の後、大阪屋は、周三を、警察の刑事部屋へつれ込んでゐた。
「この身なり、この人相を見ても解る通り、氣違ひか馬鹿か、それとも恐ろしい惡人かに違ひありません。とにかく人の家へ無斷で上り込んで來た奴です。立派な家宅《かたく》侵入罪です。どうぞ、何とか處分《しよぶん》して下さいまし。」
 さうして周三を警察に叩き込み、うちへ歸つて來ると、大阪屋は、奧座敷へ昏倒《こんたう》してしまつた。が、一時間もするとふらつく脚を踏みしめて立ち上つた。そして、土藏の座敷牢から、おきみをまたも引き下して來た。
 今朝のおきみは、ギザ/\に切つた髮をぼう/\にして、それに蔽はれた目を火のやうにギラ/\光らしてゐた。その相貌は、東京のT私娼窟のあの妖婆の家に監禁されてゐた[#「監禁されてゐた」は底本では「鹽禁されてゐた」]「蜘蛛《くも》の女」そつくりであつた。
 大阪屋は、前夜おきみのからだに着せた着物を、おきみの前へ置いて、
「さア、早く着た!」とおきみの視線を避けながら言つた。
「…………」
 おきみは、ギロリと開いた目をまばたきもせずにゐた。
「コラ! 汽車に乘つて出かけて行くんだぞ!」
「…………」
 おきみは石のやうに動かなかつた。
「この畜生!」
 大阪屋はガバリと立ち上ると、おきみの襟がみを引つ掴んだ。そしてぐずりと引き立てた。
 おきみは、よろ/\と立ち上り、うしろの壁へ倒れかゝりながら、ギリリと白い齒をむいた。さうしてヂリ/\と大阪屋の方へにじり出た。と同時におきみは急に咳込《せきこ》み、苦しさうに首を振つた。と、その口から、パツと眞赤なものがほとばしり出た。それは顎《あご》から胸へさつと掛つた。――おきみはつひに喀血《かくけつ》したのである。
 おきみの面相は一變してしまつた。そのからだ全體から、何とも言へない凄慘《せいさん》な氣が發散した。
 大阪屋は、からだをよぢりながら夢中で叫んだ。
「この畜生! 畜生! 畜生※[感嘆符二つ、1-8-75]」
 叫びながら、蛇でも叩きつけるやうに、目茶苦茶におきみの腦天をなぐりつけた。
 おきみは、バタリと疊の上に倒れた。ちよつとの間、泥のやうにぢつとしてゐた。が、やがて倒れたまゝ、靜かに顏だけあげた。血にまみれた顏を……。
 と、その顏の表情は全く破壞《はくわい》されてゐた。瀕死《ひんし》の動物の顏を見るやうなグロテスクな蔭が全面に流れてゐた。――おきみは、氣が狂つたのである。

 この後の事件は詳しく書くに堪《た》へない。
 その日一日、土藏の二階から異樣な叫び聲がきこえてゐた。すべて意味不明であつたが、ときどき「天國、天國!」と叫ぶのだけははつきりと聞き取れた。
 大阪屋は、閉め切つた奧座敷の蒲團の中に、致命傷《ちめいしやう》を負つた野獸のやうにうめいてゐた。
 その夜更《よふけ》である。土藏の裏手へ一つの影が忍び込んで來た。それは其日の夕方警察の留置場から出された周三であつた。
 周三は、土藏の横手に掛けてあつた竹梯子《たけばしご》を外して、二階の窓へ掛け渡した。そして、まるで夢遊病者のやうに、ひよろ/\と梯子《はしご》を登つて行つた。
 しかし、この時、すべては終つてゐた。おきみは、窓の鐵格子へしごきを掛け、縊死《いし》してゐたのである。
 翌朝、鉛色の水が音もなく流れてゐる利根川の上を、一つの溺死體が流れてゐた。それは周三の自殺體であつた。

底本:「茨城近代文学選集 ※[#ローマ数字3、1-13-23]」常陽新聞社
   1978(昭和53)年3月25日発行
初出:「中央公論」
   1930(昭和5)年7月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:富田倫生
ファイル作成:
2012年3月26日作成
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下村千秋

泥の雨—– 下村千秋

 日が暮れると、北の空に山のやうに盛り上つた黒雲の中で雷光が閃めいた。キラツと閃めく度にキーンといふ響きが大空に傳はるやうな氣がした。
 由藏は仕事に切りをつけると、畑の隅に腰を下して煙草をふかし始めた。彼は死にかけてゐる親爺のことを考へると家へかへることを一刻も延ばしたかつた。けれど妻のおさわが、親爺の枕元へ殊勝らしく坐つて、その頭などを揉んでゐやしないかと想ふとぢつとしてはゐられなかつた。
「畜生、片足を穴へ突つ込んでゐるのも知りやがらねえで」
 由藏は親爺にともおさわにともつかない言ひ方をしてべつと唾を吐いた。やがて煙草入れを腰にぶつこむと、萬能を肩にして立ち上つた。
 道端のくさむらの中では晝のきりきりす[#「きりきりす」はママ]がまだ啼いてゐた。日中、ぢりぢりと燒かれた道の土のほとぼりが、むかむかしてゐる由藏の胸を厭に圧迫して吐氣を催させた。咽喉は痛いほど乾き切つてゐた。
 妻のおさわが親爺の妻にもなつてゐることを知つたのはその半年前であつた。親爺の妻――由藏の繼母はその一年前に死んでゐた。その時親爺は六十八であつた。で嫉妬深い由藏もそれだけは安心して、妻を親爺の傍に置いて十日二十日の出稼ぎに出た。そうした或る夜遲く由藏がかへつて來ると、内から人の肌をなぐるらしい音がぴしりぴしりと聞えて來た。それにつゞいて、親爺が由藏にはとても聞いてゐられないことを繰り返し言つてゐるのが聞えて來た。
 由藏がごとりと戸を開けて入つて行くと、親爺は乱杭のやうな黄ろい歯を現はして、「アフ、アフ、アフ」といふやうな笑ひ方をした。それから、親を親とも思はねえ奴はなぐるより仕方はねえといふようなことを言つて布團の中へもぐり込んだ。おさわははだかつた胸を掻き合せながら土間の中をうろうろした。由藏は何んにも言はずにおさわを力任せに突き倒した。それでもおさわはぐつとも言はなかつた。
 その時由藏は、布團の中の親爺を霜柱の立つてゐる庭へ引き摺り出さうかと思つた。けれど由藏の極度の怒りは彼の身体の自由を縛つてしまつた。彼は土間の眞中に突つ立つたまゝぢりぢりしてゐた。
 やがて由藏の胸には、氷のやうな汗が滲み出たやうに思はれる冷たいものが湧いて來た。その冷たいものは、親爺を人間ではないいやな動物かなんぞのやうに彼に思はせた。そこには、叩きつけても踏みにじつてもまだぐりぐり動いてゐる蛭を見てゐるやうな憎しみがあつた。
 この時から由藏は、親爺の方で死なゝければ俺が死なしてやると思ふやうになつた。
 由藏は十三の秋に始めていまの親爺の顏を見たのであつた。それまで彼は、霞ヶ浦の船頭をしてゐた祖父に育てられてゐた。祖父が死んだときその屍を引き取りに來たのがいまの親爺であつた。親爺は彼を村の家へ連れて行くと、神棚の隅から纜縷布にくるんだものを取り出して来て彼の前に展げた。中には乾からびた猫の糞のやうなものがあつた。
「これがわれの臍緒《へそな》だよ」と親爺は言つて、自分が眞実の親だといふことを証明しやうとした。そのとき由藏は子供心に可笑しくなつた。また腹も立つた。そしてこんな親爺なら無い方がましだと思つた。その頃由藏はよく一人でしくしく泣いた。
「われア親爺でもねえ親爺を持つて、今に見ろ、子守に叩き賣られちもうから」と村の人達はづけづけと言つた。
 果してそれから半年目に由藏は隣村へ子守にやられた。そのときから由藏は村の人が言つたことを信ずるやうになつた。彼は一年に一度も親爺の家へは歸らなかつた。
 由藏はだんだんとひねくれた図々しい人間に育つて行つた。廿才の年までに八度奉公先を代へた。廿一の年に奉公[#「奉公」は底本では「奉行」]を止め、祖父の業にならつて霞ヶ浦の船頭になつた。土浦と銚子の間を、魚や米や材木などを積んで往復した。
 廿三の春に妻を貰つた。それがいまのおさわである。おさわは同じ船頭仲間の河童《かつぱ》の大公《だいこう》と呼ばれてゐた、[#「ゐた、」は底本では「ゐた。」]眼が円くて口が尖んがつた男の妹であつた。おさわは左の眼が髑髏のやうにへこんだ独眼であつた。けれど船乗りとしては割に肌が白くつてぽつてりとした肉持ちが由藏を喜ばせた。それ迄に父《てゝ》なし子を産んでゐたといふことなどはもとより由藏を不愉快にはしなかつた。
 妻にして見るとおさわの淫らな心がやつぱり堪らなかつた。そのことで由藏はしよつちうおさわを酷い目に逢はした。いつしよになつてから七年目に由藏夫婦は船頭を止めて村の親爺の家へ歸つて來なければならなくなつた。それは由藏が賭博に負けて持ち船まで取られて了つたためであつた。
 親爺は由藏がかへると、由藏を連れて村の一軒一軒を※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つた。
「どうかよろしく頼んます、村の為めならどんなこつてもさせますで」と親爺は懇ろに頭を下げて、青洟をたらした子供等にまで仲間入りを頼んだ。このとき由藏は、この親爺はやつぱりほんとうの親爺かも知れないと思つた。そしてさう思ふ由藏の心を壞すやうなことを由藏と面と向つて言ふ村の者もなくなつた。
 由藏は親爺に頼んで貰つて、僅かばかりの小作をした。それからおさわと二人で村の被庸とりをした。由藏は決しておさわ一人を稼ぎには出さなかつた。
「由公のやきもちは煮ても食へねえど」と村の若い者は言つた。かうしたことは彼が船頭をしてゐる時も仲間からよく言はれた。さう言ひながら村の若い者だちは由藏をやかせて怒らせることを面白がつた。由藏はその度に只おさわばかりを擲つたり蹴つたりした。おさわはヒーヒー泣いた。けれどものの三十分とも経たないうちにけろりとした顏に返つた。由藏はそれを見ると一層むしやくしやして、もう死ぬやうな目に逢はせた。おさわの身体には生傷が絶へなかつた。
 或る夜由藏はやつぱり嫉妬から、たうとう村の若者の腦天に、五針も縫はねばならぬほどの傷をつけた。村の若い衆は由藏の家へ押しかけて來て、由藏を警察へ引つ張つて行かうとした。由藏は柱へしがみついて動かなかつた。親爺は若い衆の前に泣いて頼んだ。
「警察へだけは引つ張つてつてくれんな、その代りこいつの身体を打つなり縛るなりしてお前さん達がぢかに懲らしめてやつて呉ろ」と言つた。
「なにこの野郎、賭博《ばくち》も打てば泥棒もした奴だ、こんな惡黨はこの村にや置けねえ」と若い衆はいきり立つた。親爺は地べたへべつたり坐つて皆に頼んだ。
 そこで若い衆は由藏を村端れの第六天の森の中に連れて行つた。そして草の上にうつ伏せにして、その尻を青竹でひつぱたいた。百だけ打つて勘辯してやらうといふのであつた。尻の肉が青竹にむしり取られた。由藏は鼻先を土の中へ突つ込んで獣のやうにうめいていた。若い衆も流石に極めただけの數を打ち了せなかつた。
 さうして由藏夫婦は村を追ひ出された。
 由藏は村から一里程離れた原の中に、茅と笹で圍んだ堀立小屋を作つた。中の半分は土間にし、半分は藁屑を敷きその上に藁むしろを延べて寢どこを作つた。土間には四角な爐を切つて土で出來たやうな茶釜をかけた。
 由藏はおさわと一緒に原の荒地を開墾した。そして麥や小麥を作つた。冬は薪をとつて近くの町へ賣りに行つた。
 村の畑ではよく大根や葱や芋がなくなつた。村の人はそれはみな由藏がしたことだと極めた。けれどそれを責めにわざわざ一里の道を由藏の家まで來る者もなかつた。由藏自身はもちろん、おさわのことも決して村へは出さなかつた。それは村の人から泥棒と呼ばれない為めばかりではなかつた。
 二人の樣子は段々と野に棲むけものに似て來た。
「開墾畑の夫婦貉」と村の人は呼んだ。
 それから三年目の秋、村にゐた親爺は妻に死なれたのであつた。親爺は家を人に賣つて開墾畑の家へ一緒になつた。由藏は親爺と一緒に暮すことは不愉快でたまらなかつたが、家を賣つた金を欲しさに親爺を引き取つた。
 由藏は親爺の金を盜んでは酒と煙草を買つた。親爺の金は直きになくなつた。そこで由藏は、自分の素状を知らない遠い村へ稼ぎに出なければならなくなつた。妻一人を親爺の傍へ置いて行くとき、例のやきもち根性が一寸出たが、それは親爺の年を考へて先づ安心して出たのであつた。けれど歸つて來て見るとやつぱり由藏のやきもち[#「やきもち」に傍点]通りになつていたのである。
「この親爺、どうしても他人だ、さうでなくつてこんな畜生のやうなことが出來るか」と由藏は思つた。たとへ嚊に死なれても村に棲めば棲まはれたものを、わざわざこんな乞食小家の中へ一緒になりに來た親爺の魂膽がそこにあつたのだと思ふと、もう由藏は親爺を外の霜の上に引き摺り出すぐらゐでは我慢が出來なくなつた。もつとしつこい酷い責め方をしなければ氣が濟まなかつた。そしてそれは由藏の心にある非常な冷静さを与へたのである。
 由藏は親爺をどんな目に逢はしてやらうかと爪を研いでゐるやうな氣持ちでぢりぢりとその機会を待つた。しかしそのいゝ機会が來ないうちに親爺は病氣になつてしまつた。梅雨がしとしと降る時分だつた。
「こん度はたすかるめえよ」と親爺はしめつぽい藁布團の中でうめいた。
「ざまア見やがれ」
 由藏はさう口の中で言つて、いゝ氣味だと思つた。
「見殺しにしてやれ」とまた口の中でつぶやいた。外のどんな方法よりも酷い懲しめ方が見つかつたことを由藏は面白がつた。
 由藏は病人一人を置いておさわと一緒に出稼ぎに出た。さうして五日も七日も家を明けた。さうして家へ歸つて來る途中毎に、親爺が死んでゐてくれゝばいゝと思つた。しかし家の前に立つたとき、ほんとうに親爺が死んでゐたらと思ふと何んだかいやーな氣持ちにもなつた。それではあんまり飽氣ないやうにも思はれた。
 親爺は思ひの外の元氣で床の上に起き直つてゐたりした。それを見ると由藏はまた「畜生!」と思つた。おさわが親爺の為めに熱いお茶を汲んだりする手を叩き下したりした。そして次の日はまた二人で出て行つた。
 さうして二月程過ぎた。眞夏の太陽は地平線を離れると直ぐに燒きつくやうな熱を原の上に注いだ。草も木の葉もぐつたりとうなじを垂れた。さうして親爺もたうとう身動きも出來ない程に弱つた。夜も晝も力のない声で呻り通した。
 由藏は少しよわつた。懲らしめてゐたつもりの親爺からあべこべに懲らしめられてゐるやうな氣がして來た。
「おれが死んだら貴樣のこともとり殺してやるど」親爺はそんなことを言つた。
 由藏は默つて親爺の顏を偸み見た。
「何か藥でも買つて來てやれな」とおさわが言つた。
「やかましい」と由藏はおさわにはむきになつた。「手前なんぞ知つたこつぢやねえ、引つこんでやがれ、豚!」
 実は由藏も藥位買つてやらねばなるまいと思つてゐた。が、おさわからさう言はれると無暗に腹が立つた。彼はおさわを病人の傍へ寄りつけもしなかつた。
 親爺はその二日前から顏や手足が透き通るやうにむくんで來た。そしてうめく声がたまらなく不吉な調子になつて來た。由藏は苛々し出した。そしておさわを訳もなくひつぱたいたりした。
 しかし彼は藥を買ひには行かなかつた。
「自分勝手に親面をしやがつて、俺にや何處の馬の骨だかもわかりやしねえ、親が聞いてあきれらア」
 由藏はその朝もそんなことをおさわに言つて畑へ出て行つたのであつた。
 由藏は萬能を擔いでかへる道々、生れてこの年まで二年と一緒に暮したことのないあの親爺は一体自分にとつて何だらうと考へた。彼にはどうしても、何かの間違ひであゝした人間の死に水をとつてやらねばならないやうになつたのだとしか考へられなかつた。自分はこの世の中でも一番馬鹿々々しい貧乏籤を引いたのだと思つた。兎に角もう見殺しにしてゐる心が厭になつた。早く何でもなくさつぱりと死んで呉れゝばいゝと念じながら畑を横切つて裏から家へ入つた。
 ワンワンと呻り鳴いてゐる蚊の群を分けて暗い土間の中へ立つと、おさわは親爺の枕元へ坐つてその額を水で冷やしてゐた。手ランプが頼りなくともつてゐた。由藏はさうしてゐるおさわを見るとむかむかとした。
「おさわ、日が暮れたのを知んねえか」
 由藏はさう怒鳴つてそこらのものを蹴飛ばした。
「そんでもなア、爺ははア駄目だよ、こゝへ來て見ろよア」とおさわは、わくわくしながら言つた。彼はその聲の調子に少し驚かされた。裸足のまゝ兩膝を立てゝ枕元へ這つて行つた。
 親爺の顏は眼なんぞは隱れてしまつた程に腫れ上つてゐた。下唇がだらりと下つて、上顎の二本の歯が牙のやうに飛び出してゐた。ゴーツ、ゴーツといびきのやうな息をした。
 由藏はそれを見ると「いけねえ、いけねえ」とつぶやきながら土間へ戻つてそこに突つ立つた。家の中をぐるりと見※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]した。裏へ出て見た。北の空の黒雲は黒潮が流れたやうにもう頭の上まで延びて來てゐた。雷光が黒雲の輪廓をとつて鋭どく光つた。
 由藏はまた土間へ立つた。
「おさわ」と訳もなく呼んで見た。
 おさわは顎で「早く早く」と由藏を傍へ呼んだ。彼はそこから動かなかつた。そこにゐても親爺の呼吸が段々間遠になつて行くのがよく解つた。凹んだ左の眼だけが見えるやうに坐つてゐるおさわの横顏が髑髏のやうに見えて來た。
「馬鹿、畜生!」由藏はわけもなく口の中で叫んだ「死んぢやいけねえだ。俺んとこで死ぬなんてことがあるもんでねえだ、そんな死に方つてあるもんでねえだ!」
 由藏は、親爺が死ぬときは、仇を取つたやうに胸の透くやうな氣持ちがするに違ひないと思つてゐた。それだのにこの厭な氣持ちはどうしたのだらうと思つた。彼はやうやく、自分が希つてゐた親爺の死に方はかうしたものでなかつたことに氣づいた。けれどそんなら、どんな死に方であつたらいゝのかそれも解らなかつた。
 由藏は、もう既にそこへ忍び込んで來てゐる死に神を追ひ出すやうな心構ひをして、もつと何かを叫ばうとした。けれど死に神はちやんと親爺の枕元へ坐つて、親爺と一緒にお前のことも連れ出すつもりだといふやうな身構ひに、親爺の顏と等分にこつちの顏も睨めるのに怯えてしまつた。
 やがて親爺は二度ほどがくがくと下顎を動かすと呼吸を止めた。おさわは由藏の顏をぢつと見てからまた親爺の顏に見入つた。
 由藏の全身には針のやうな逆毛がざらざらに立つたやうな氣がした。それは由藏の身体を全く硬張らしてしまつた。彼は眼球が飛び出したのかと思はれるやうに、兩眼をギロリと開いて、家の隅の暗い所を見詰めてゐた。
 由藏はボロ布を入れて置いた箱を毀してそれで棺を作つた。彼は、その夜のうちに親爺の屍を土に埋めてしまはないと、親爺が言つた通り死に神がとりついて來て自分を殺すやうな氣がして來たからであつた。ひとつは自分が手にかけて親爺を殺したやうに感じられて來たので、その罪を一刻も早く土の中に隱さねばならないやうに思はれて來たからであつた。
 立棺を作つて屍を入れた。と、頭の半分がはみ出した。彼は荒繩を屍の膝の下から項へ掛けてぎゆつとしめた。それから顏を下に頭の後部を蓋で押しつけて釘を打ちつけた。打ちつけてゐるうちに古い板はバリツと割れた。親爺の白髮のうなじが現はれてぶるると顫へた。
「おさわ、この頭をおさへてゐねえか」と由藏は怒声で言つて、傍につつ立つてゐるおさわの脛を蹴つた。
 太い荒繩で棺を背負つて外へ出たときはもう夜中であつた。黒雲は空の七分を蔽つてゐた。雷光が閃めく度に四邊が青く光つた。生ぬるい風が道端の草をざわつかせた。彼は村の蘭※[#「てへん+茶」、71-11]場へ持つて行くつもりであつた。
 二丁程行つて彼は棺を埋める穴を掘る為めの萬能を忘れて來たことに氣づいた。引き返して萬能を取ると、
「おさわ、貴樣もついて來い」と言つた。
 おさわはむしろの上にべたんと坐つたまゝ阿呆のやうに開いた口を動かしもしなかつた。
 道の半分程まで來たとき、頭の天辺でだしぬけに雷が鳴つた。「うヽヽヽヽ」といふ音が雲の上をごろごろ轉げ※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つてから、東の方へ「ヅーン」と消えて行つた。由藏はもう少しで尻餅をつくところを辛うじてその場に立ちすくんだ。四邊の闇がぐるぐると渦を卷き始めたやうな氣がして來た。
 汗が襟首から胸へたくたく流れた。由藏は眼が見えなくなつたのぢやないかと思つた。彼はめくら滅法に歩いた。けれど道は決して間違ひやしないといふ自信はあつた。肩の棺はます/\重くなつて來たが、道端に棺を下して休まうなどゝは思ひもよらなかつた。
 やがて大粒の雨が四邊の樹の葉を打つてポツリポツリ降つて來た。つゞいて二閃三閃の雷光と共に大地を叩くやうな雷鳴がした。そしてものの一丁と歩かないうちに、大粒の雨は黒い棒のやうになつて一分の隙間もなく降り注いで來た。土の香がそこらに漂つた。
 雨の「ワー」といふ音は、尖り切つた由藏の神経をかなり柔らげた。けれどその雨音は少しの高低もない平らな音であるだけ、やがて何の物音もない世界と同じ世界に返した。
 親爺が棺の中からぬつと腕を差し延べて、咽喉の辺りを撫でるやうな氣が幾度もした。その度に彼は、うなじから咽喉に流れる雨を平手で拭つた。
 と、後から骨ばかりの親爺がひよろひよろついて來るやうな氣がして來た。ぴたりぴたりといふ跫音が堪らなく氣になつた。彼は振り向いて見る勇氣は無論なかつた。先へ走ることも出來なかつた。やうやくその跫音は自分の草履の音だとわかつたとき彼は草履を捨てた。
 地の底を歩いてゐるのか、黒雲の中を泳いでゐるのか解らないやうな氣持ちがしばらくつゞいた。背負つてゐる棺も、もう重いのか軽いのか解らなかつた。
 雨は黒い棒の束となつて注いだ。それを絶ち切るやうに雷光がひつきりなしに閃めた。雷鳴はドヽヽヽヽと響きのない音をつゞけた。
 狹い田甫を渡つて蘭※[#「てへん+茶」、72-18]場へ着いた。
 由藏は棺を下さうとして兩足をうんと踏ん張つた。そのとたん、棺の中の親爺が手足を突つ張つたかのやうに棺がぐんと重くなつた。由藏はそのまゝべたりと尻餅をついた。同時に繩が切れて棺は横倒しに倒れた。由藏は立つて棺を起した。と、家を出るとき慌てゝ打ちつけた蓋の釘が、親爺の頭に押し拔かれてゐた。ぐらりと動いた白髮のうなじが見えた。雨は棺の中にもどーつと流れ込んだ。彼は慌てゝ萬能の峯で釘を打ちつけた。
 由藏は蘭※[#「てへん+茶」、73-5]場の北の隅の藪の中を掘り始めた。軽い萬能では繁り盛つてゐる夏草の根が容易に切れなかつた。辛うじて三尺四方位の穴を一尺ほど掘つた。しかしそれからはどんなに掘つても穴は深まらなかつた。周圍に掘り上げた土が瀧なす雨に押し流されて、掘る傍から穴の底を埋めて行く。
 由藏はそれでも根氣よく掘つた。泥が身体中にまみれて、まるで土の中から出て来た盲者のやうな姿になつた。眼だけが火のやうに光つた。
 耳をつんざくやうな雷鳴が二つつゞけて鳴つた。同時に雨はどーつと瀧のやうな音を立てゝ注いで來た。腰まで掘り下げた穴にはまた泥が一層ひどく流れ込んで來た。その泥は穴の周圍の泥が流れ込むのではなく、空から雨と一緒に降つて來るやうに思はれて來た。頭にも項にも胸にも腰にも泥の雨は注いだ。
 由藏はもういくら掘つても無駄だと思つた。ぐつぐつしてゐると、自分の身体まで泥の雨に埋められて了ふやうな氣がして來た。
 彼は棺を抱えて來て穴の中へ入れた。棺は半分しか穴の中に隱れなかつた。彼はあと半分は土を盛つて隱さうとした。
 しかし雨は棺の上に盛つた土を直ぐに洗ひ落した。彼は草ごと土を掘り取つては棺の上に盛つた。と萬能の先が棺の蓋にがたりと当つた。蓋はまたばりゝと割れた。キラツと閃めく雷光が、親爺の白髮のうなじを青くはつきりと見せた。
 由藏の頭は少しぼーつとなつて來た。
 由藏はもう萬能を棄てた。そしてまるで熊のやうな恰好に、背を円くし十本の指を熊の爪のやうに彎曲さして、それで土を掘つては親爺の項の上にかけた。次に兩手の土を持つて行つたときは、先の土はすつかり洗ひ落されてゐた。それでも彼は土を盛つた。
 けれど、いくら土を盛つても盛つても親爺のうなじは見えなくならなかつた。

底本:「茨城近代文学選集2[#「2」はローマ数字、1-13-22]」常陽新聞社
   1977(昭和52)年11月30日発行
初出:「早稲田文学」
   1923(大正12)年5月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「來」と「来」、「聲」と「声」、「邊」と「辺」の混在は、底本通りです。
※底本では「纜」の右上は、「ケ」のようにつくられています。この異なりが、JIS X 0208 の規格票でいう「デザインの差」に該当するのか否か、判断が付きませんでしたが、ここでは「纜」としておきました。
入力:林 幸雄
校正:富田倫生
2005年12月17日作成
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下村千秋

壇ノ浦の鬼火—– 下村千秋

     

 天下《てんか》の勢力《せいりょく》を一|門《もん》にあつめて、いばっていた平家《へいけ》も、とうとう源氏《げんじ》のためにほろぼされて、安徳天皇《あんとくてんのう》を奉《ほう》じて、壇《だん》ノ浦《うら》のもくずときえてからというもの、この壇ノ浦いったいには、いろいろのふしぎなことがおこり、奇怪《きかい》なものが、あらわれるようになりました。
 海岸に、はいまわっているかに[#「かに」に傍点]で、そのこうらが、いかにもうらみをのんだ無念《むねん》そうなひとの顔の形をしたものが、ぞろぞろとでるようになりました。これは戦《たたか》いにやぶれて、海のそこに沈《しず》んだ人びとが、残念《ざんねん》のあまり、そういうかに[#「かに」に傍点]に、生まれかわってきたのだろうと、人びとはいいました。それで、これを「平家がに」とよび、いまでも、あのへんへいけば、このかにが、たくさん見られます。
 それからまた、月のないくらい夜《よる》には、この壇ノ浦の浜辺《はまべ》や海の上に、数《かず》しれぬ鬼火《おにび》、――めろめろとした青《あお》い火《ひ》が音もなくとびまわり、すこし風のある夜は、波の上から、源氏《げんじ》と平家《へいけ》とが戦《たたか》ったときの、なんともいわれない戦争《せんそう》の物音が聞えてきました。また、そうした夜など、舟でこの海をわたろうとすると、いくつもの黒い影《かげ》が波の上にうかびあがり、舟のまわりにあつまってきてその舟をしずめようとしました。
 土地の人びとは、もう夜になると海をわたることはもちろん、海岸《かいがん》へ出ることさえできなくなりました。しかし、それではこまるというので、みんなよって相談《そうだん》をして、壇《だん》ノ浦《うら》の近くの赤間《あかま》ガ関《せき》(今の下関《しものせき》)に安徳天皇《あんとくてんのう》のみささぎと平家一門《へいけいちもん》の墓《はか》をつくりました。それからそのそばに、あみだ寺をたてて、徳《とく》の高い坊《ぼう》さんを、そこにすまわせ、朝《あさ》に夕《ゆう》にお経《きょう》をあげていただいて、海の底《そこ》にしずんだ人びとの霊《れい》をなぐさめました。
 それからというもの、青《あお》い鬼火《おにび》も、戦争の物音《ものおと》も、舟をしずめる黒い影《かげ》も、あらわれなくなりました。しかしまだときどき、ふしぎなことがおこりました。平家の人びとの霊《れい》は、まだじゅうぶんには、なぐさめられなかったとみえます。つぎの物語《ものがたり》はこのふしぎなことのひとつであります。

     二

 そのころ赤間《あかま》ガ関《せき》に、法一《ほういち》というびわ[#「びわ」に傍点]法師《ほうし》がいました。この法師は生まれつきめくらでしたので、子どものときから、びわをならい、十二、三|才《さい》のころには師匠《ししょう》に負《ま》けないようになりました。そして、いまでは天才《てんさい》びわ法師《ほうし》としてだれでもその名を知っているようになりました。
 さて、多くのびわ歌《うた》の中で、この法師がいちばんとくいだったのは、壇《だん》ノ浦《うら》合戦《かっせん》の一|曲《きょく》でありました。ひとたび法師がびわをひきだし、その歌をうたいはじめると、なんともいえないあわれさ、悲《かな》しさがひびきわたり、鬼《おに》でさえも泣《な》かずにはいられないほどでありました。
 この法師は、だれひとり身よりもなく、また、ひどく貧乏《びんぼう》でした。いかに、びわの名人《めいじん》とはいえ、そのころは、まだそれでくらしをたてるわけにはいきませんでした。すると、平家の墓《はか》のそばにあるあみだ寺《でら》の坊《ぼう》さんが、それをきいて、たいへん同情《どうじょう》をし、またじぶんはびわも好《す》きだったので、この法師をお寺へひきとり、くらしには、なに不自由《ふじゆう》のないようにしてやりました。法師はひじょうによろこびました。そして、しずかな夜などは、とくいの壇《だん》ノ浦《うら》合戦《かっせん》を歌《うた》っては坊さんをなぐさめていました。
 それは春《はる》の宵《よい》でありました。坊さんは法事《ほうじ》へいってるすでした。法師はじぶんの寝間《ねま》の前の、えんがわへでて、好《す》きなびわをひきながら、坊さんの帰りを待っていました。が、坊さんは夜がふけてもなかなか帰ってきませんでした。法師は見えない目を空にむけ、なんとはなし、もの思いにふけっていました。と、やがて裏門《うらもん》に近づく人の足音《あしおと》がして、だれか門をくぐると、裏庭《うらにわ》を通《とお》って法師の方へ近づいて来ました。坊さんの足音にしては、すこしへんだと思いながら、耳をかたむけていると、とつぜん、ふとい声で、ちょうど武士《ぶし》が、けらいを呼《よ》ぶように、
「法一《ほういち》。」
と、よびかけました。法師はぎょっとして、すぐ返事《へんじ》もできずにいると、かさねて、さらにふとい声で、
「法一。」
「はい……わたしは、めくらでございます。およびになるのは、どなたでしょうか。」
 法師は、やっとそう答《こた》えることができました。
「いや、おどろくにはおよばぬ。」
と、声の主《ぬし》は、すこしやさしい調子《ちょうし》になり、
「わしは使《つか》いのものじゃ。わしのご主君《しゅくん》は、それは高貴《こうき》なお方《かた》ではあるが、多くの、りっぱなおともをおつれになり、いま赤間《あかま》ガ関《せき》に、おとどまりになっていられる。さて、ご主君《しゅくん》は、そのほうのびわ[#「びわ」に傍点]の名声《めいせい》をおききになり、今夜《こんや》はぜひ、そのほうの、とくいの壇《だん》ノ浦《うら》の一|曲《きょく》をきいて、むかしをしのぼうとされている。されば、これより、わしといっしょにおいでくだされたい。」
 この当時《とうじ》は、武士《ぶし》のことばに、そうむやみにそむくわけにはいきませんでしたので、法一はなんとなく気味悪《きみわる》く思いながらも、びわをかかえて、その案内者《あんないしゃ》に手をひかれて寺をでかけました。案内するひとの手は、まるで鉄《てつ》のように、かたく冷《つめ》たく、そして大またに、ずしりずしりと歩いていきます。そのようすから察《さっ》すると、そのひとは、いかめしいよろいかぶとを身につけた、戦場《せんじょう》の武士《ぶし》のように思われました。
 やがて、その武士はたちどまりました。そこは、大きなりっぱなご門の前のように思われました。しかし、このあたりには、それほどに大きな、りっぱなご門は、あみだ寺《でら》の山門《さんもん》よりほかにはないはずだが、と法師《ほうし》はひとり思いました。
「開門《かいもん》。」
 武士は、こう高《たか》らかにいいました。と、中でかんぬきをはずす音がして、大きなとびらはしずかに開かれました。武士は法師の手をとって、中へはいりました。しっとりとした庭を、しばらくいくと、またおごそかな、りっぱな大げんかんと思われる前に、たちどまりました。武士はそこで、また高らかにいいました。
「ただいま、びわ法師《ほうし》、法一をつれてまいりました。」
 大げんかんのうちでは、ふすまをあける音、大戸をあける音がして、やがて、やさしい女たちの話し声が聞えてきました。その声で察《さっ》すると、その女たちは、この高貴《こうき》なおやしきの、召使《めしつか》いであることがわかりました。その召使いの女のひとりが、法師の手をやわらかにとると、こちらへと、大げんかんのうちへ案内《あんない》しました。それから、すべるようにみがきこんだ、長いろうかをいくまがりかして、かぞえきれないほどの、部屋《へや》べやの前をすぎて、やがて大広間《おおひろま》へ案内されました。そこには、かなりおおぜいの人びとが息《いき》をひそめて、いならんでいることが、そのけはいでわかりました。やわらかな衣《きぬ》ずれの音が、森《もり》の木のすれあうように聞えました。
 法師は、大広間の床《とこ》の間《ま》と、はんたいがわと思われるところに、ふっくらとしたざぶとんの上にすわらせられました。法師はきちんとすわり、持って来たびわをひきよせると、耳もとで老女《ろうじょ》らしい声がしました。
「平家《へいけ》の物語《ものがたり》――壇《だん》ノ浦《うら》を弾《だん》じてください。」

     

 法師はしずかにびわ[#「びわ」に傍点]をとりあげました。大広間のうちは、水をうったようにしん[#「しん」に傍点]となりました。はじめは小川のせせらぎのように、かすかにかすかに鳴《な》りだし、ついで谷川《たにがわ》の岩にくだける水音のようにひびきだして、法師のあわれにも、ほがらかな声が、もれはじめました。その声は一だんごとに力を増《ま》し、泣くがように、むせぶがようにひびきわたりました。その声につれて弾《だん》ずるびわの音は、また縦横《じゅうおう》につき進む軍船《ぐんせん》の音、矢《や》のとびかうひびき、甲胄《かっちゅう》の音、つるぎの鳴《な》り、軍勢《ぐんぜい》のわめき声、大浪《おおなみ》のうなり、壇《だん》ノ浦《うら》合戦《かっせん》そのままのありさまをあらわしました。法師はもはやわれを忘《わす》れて歌っていました。
「なんという名手《めいしゅ》でしょう……ひろい国じゅうにも、これにまさるものはありますまい。」
「まことに、わたしも生まれてはじめて聞きます。」
 そういうささやき声が、そちこちから聞えました。
 法師は、ますます声をはりあげ、ますます、たくみにびわをひきました。平家《へいけ》一|門《もん》の運命《うんめい》も、いよいよきわまり、安徳天皇《あんとくてんのう》をいただいた二位尼《にいのあま》が水底《すいてい》ふかく沈《しず》むだんになると、いままで水をうつたようにしんとしていた広間《ひろま》には、いっせいに悲しげな苦《くる》しげな声が上がりました。その声は、だんだんと高まって、はては大声で泣きさけぶ声さえ、聞えてきました。
 法師はなんともいえない気持にうたれながら、しずかに一|曲《きょく》をひきおわりました。広間《ひろま》の人びとの声は、それでもまだしばらくのあいだ、なげき悲しみつづけていましたが、いつか流れがたえるようにきえていくと、こんどはまた、恐ろしいほどのふかいふかい沈黙《ちんもく》と、静寂《せいじゃく》が広間いっぱいにこもりました。
 しばらくしました。と、さっきの老女《ろうじょ》の声が、また法師の耳もとでしました。
「かねて聞いてはいましたが、そなたのびわには、こころから感服《かんぷく》しました。ご主君《しゅくん》も、ことのほかおよろこびになりました。お礼《れい》に、なにかよいものをおあげしたいが、旅《たび》のことで、なにもなくお気のどくです。けれどこれからあと六日の滞在《たいざい》ちゅう、毎夜来て、こよいの物語を聞かしてくだされば、ありがたいことです。あすの晩も、おなじ時刻《じこく》に使《つか》いのものをあげますから、どうぞおいでくださいまし。なお、念《ねん》のためもうしそえますが、ご主君《しゅくん》は、ただいま、おしのびの旅をなされていられるのですから、このことは、どのようなことがあっても、いっさいひみつに、だれひとりにも話さぬよう、くれぐれもおたのみもうします。」
 まもなく法師《ほうし》は、また女の手に案内《あんない》され、大げんかんへ来ました。そこには前の武士《ぶし》が待っていて、法師をあみだ寺《てら》までおくって来てくれました。

     四

 法師が寺へ帰ったのは、夜あけ近くでありました。お坊《ぼう》さんも、夜おそく帰って来ましたので、法師はもう、寝ていることと思い、法師の部屋《へや》へ見にもいかなかったのでした。それで法師のその夜のことは、だれもしらずにしまいました。もちろん法師は、なにも話しませんでした。
 つぎの夜でありました。法師はれいのとおり、寝間《ねま》の前の、えんがわにいると、昨夜《さくや》のとおり、重《おも》い足音が裏門《うらもん》からはいって来て、法師をつれていきました。大げんかんの前、召使《めしつか》いの案内《あんない》、長いろうか、大広間、そして、しんといならぶ人びとの前、そこで法師は昨夜とおなじように、壇《だん》ノ浦《うら》の物語《ものがたり》をひきました。そうして、人びとは、またも泣き、むせび、悲しみました。法師は深い感激《かんげき》にうたれて、寺へ帰って来ました。
 すると、寺ではめくらの法師が、だれの案内《あんない》もなしに寺をぬけだしていることを知りました。
 つぎの朝、法師はお坊さんの前へよばれて、やさしくいいきかされました。
「えらく心配《しんぱい》しましたぞ。めくらがひとり出《で》をするのは、わけても夜中にでるのは、なによりあぶないことじゃ。どういうわけで、出ていくのか。わしは寺男《てらおとこ》にさんざんさがさせたのじゃ。いったいどこへいきなさるのだね。」
「これは申《もう》し上げられませぬ。てまえのかってな用事《ようじ》をたしにでかけたのです。どうもほかの時刻《じこく》では、つごうがわるいものですから。」
 法師はただそう答えました。
 お坊さんは、法師のようすがあまりへんなので、これはすこしあやしい、もしかしたら悪霊《あくりょう》にでもとりつかれたのかもしれない、と思って、それ以上《いじょう》は、ききただそうとしませんでした。そのかわり、ひとりの寺男に、ひそかに法師のようすを見はらせることにして、もし夜中にそとへでていくようなことがあったら、あとをつけろといいつけておきました。
 すると、はたしてその夜も、法師はびわ[#「びわ」に傍点]を持って、寺をひとり出ていきました。寺男はちょうちんに灯《ひ》をいれて、そのあとをつけていきました。その夜は、雨もよいの陰気《いんき》なくらい晩《ばん》でありました。しかし、めくらの法師は、まるで目あきのようにさっさと歩き、いつか年《とし》よりの寺男をあとに、くらがりの中へきえてしまいました。寺男は、そのように早く歩く法師を、ふしぎにも気味悪くも思いました。
 寺男は法師がたちよりそうな家を、一けん一けんさがしまわりました。が、どこにもいませんでした。寺男はこまって、ひとり、ぼつぼつ浜辺《はまべ》づたいに寺の方へ帰ってきました。と、おどろいたことには、狂《くる》ったようにかき鳴《な》らすびわの音が、どこからか聞えてくるではありませんか。しかも、そのびわの音は、まちがいなく法師のひくものでありました。
 寺男は、ただ意外《いがい》に思いながら、音のするほうへ近づいていきました。いったところは平家《へいけ》一|門《もん》の墓場《はかば》でありました。いつか雨は降《ふ》りだしていました。一寸先《いっすんさき》見えぬ闇夜《やみよ》、寺男は、両足《りょうあし》が、がくがくふるえましたが、勇気《ゆうき》をつけて、びわの音《ね》のする墓場《はかば》の中へはいっていきました。そして、ちょうちんの灯《ひ》をたよりに、法師をさがしました。するとこれはまた意外《いがい》のことに、法師がただひとり、安徳天皇《あんとくてんのう》のみささぎの前にたん座《ざ》して、われを忘れたように、一心《いっしん》ふらんに、びわ[#「びわ」に傍点]を弾《だん》じ、壇《だん》ノ浦《うら》合戦《かっせん》の曲《きょく》を吟《ぎん》じているのでありました。そうして、法師の左右《さゆう》には、数《かず》しれぬ青《あお》い灯《ひ》、鬼火《おにび》がめらめらと、もえていたのでありました。寺男は、こんなに多いさかんな鬼火を、生まれてはじめて見るのでありました。寺男は一時は声もでないほどにおどろきましたが、やっと、心をおちつけて、
「法一さん、法一さん、あなたは、なにかにばかされていますよ。しっかりしなさい。」
と、耳もとでいいました。
 しかし、法師は、寺男のことばをききいれるどころか、ますます一心《いっしん》に、ますます高らかな声で、吟《ぎん》じつづけています。
「法一さん、法一さん、どうなされたんです。こんなところで、なんのまねをしているんです?」
 すると、法師は怒《おこ》ったように寺男《てらおとこ》を制《せい》して、
「しずかになさい。だまっていてくれ。高貴《こうき》な方々《かたがた》の前だ、ご無礼《ぶれい》にあたるぞ。」
 寺男は、これには、あっけにとられるばかりでした。もう、しようがないので、寺男は力ずくで法師をひきたて、その手をしっかりにぎって、むりやりに、寺へひっぱってきました。
 寺の坊《ぼう》さんは、びしょぬれになっている法師の着物をきかえさせ、あたたかいものを食《た》べさせて、できるだけ心をおちつかせました。なにかに心をうばわれたようになっていた法師は、そこでようやくわれにかえりました。そして、お坊さんや寺男が、じぶんのために、どんなに心配《しんぱい》をし、骨《ほね》をおったかをしり、たいへんすまないように思い、そこで、なにもかも、お坊さんにうちあけてしまいました。
 お坊さんはそれをきくと、
「法一さん、それは、おまえのふしぎなほどに、たくみなびわ[#「びわ」に傍点]の腕《うで》まえが、おまえをそういうところへみちびいたのじゃ。芸《げい》ごとの奥《おく》に達《たっ》すると、そういうことがあるもので、これはおまえの芸道《げいどう》のためには、よろこばしいことじゃが、しかし、あぶないところじゃった。昨夜《ゆうべ》、おまえは平家《へいけ》の墓場《はかば》の前で、雨にぬれて、すわっていたそうじゃ。おまえは、なにかまぼろしを見て、そうしていたのじゃろうが、いつまでも、そうしていたら、平家の亡者《もうじゃ》の中へひきこまれ、ついには八《や》つざきにされてしまうところじゃった。もう、どこへもいってはならぬぞ。わしは、今夜《こんや》も法事《ほうじ》で、るすをするが、おまえが使《つか》いのものに、つれていかれないように、今夜は、おまえのからだを、よくまもっておかねばならぬわい。」
 そこで、法師をはだかにして、ありがたい、はんにゃしんきょうの経文《きょうもん》を、頭《あたま》から胸《むね》、胴《どう》から背《せ》、手《て》から足《あし》、はては、足《あし》のうらまで一|面《めん》に墨《すみ》くろぐろと書《か》きつけました。そしてまた、着物をきせて、お坊《ぼう》さんは、
「わしは、まもなくでかけるが、おまえはいつものえんがわにすわっていなされ。やがて、れいの武士《ぶし》が来て、おまえの名をよぶだろうが、おまえは、どんなことがあっても、だんじて返事《へんじ》をしてはならぬ。万一《まんいち》返事をしたなら、おまえのからだは、ひきさかれてしまうのだ。また人のたすけをよんでもならぬぞ。だれもたすけることはできぬのだからな。そうして、おまえがりっぱに、わしのいいつけをまもりおおせたなら、もう、おまえのからだから、危険《きけん》なことは消《き》えさってしまう。おまえはもう、おそろしいまぼろしを、見ないようになるのじゃ。」
と、ねんごろにいってきかせました。

     五

 法一《ほういち》は、いいつけられたとおりに、えんがわにすわっていました。と、いつもの時刻《じこく》がきて、いつもの武士が、裏門《うらもん》からはいって来ました。
「法一。」
 しかし、法一は息《いき》を殺《ころ》していました。
「法一。」
 二どめの声は、おどすように聞えました。が、法師はかたく口をむすんでいました。
「法一。……こりゃへんじがないぞ。いないのか。」
と、武士は、えんがわへよって来ました。
「おや、ここにびわだけある。が、法一はいない。へんじのないのもむりはない。が、耳だけがあるぞ。使《つか》いに来たしょうこに、これを持っていこう。」
 こう武士《ぶし》はつぶやくと、法師のりょう耳は、いきなり鉄棒《てつぼう》のような指先《ゆびさき》で、ひきちぎられました。けれど法師は、声もだせませんでした。
 武士は、それでいってしまいました。

 夜がふけて、お坊《ぼう》さんは帰って来ました。そして法師が、りょう耳から流れでる血の中にすわっているのを見つけました。
 しかし法師は身動きひとつせず、きちんとすわっています。お坊さんは、びっくりしながら、
「法一、このありさまはどうしたのじゃ?」
と、さけびました。法師《ほうし》はそこで、はじめてわれにかえり、今夜のできごとを話しました。
「ああ、そうじゃったか。いや、それはわしの手落《てお》ちじゃった。おまえの耳ばかりへは、経文《きょうもん》を書くのを忘《わす》れたのじゃ。これはあいすまぬ。が、できたことはしかたがない。このうえは、早く傷《きず》をなおすことじゃ。それだけのさいなんで、命《いのち》びろいをしたと思えば、あきらめがつく。もう、これでおまえのからだから、悪霊《あくりょう》がきえさったのじゃから、安心《あんしん》するがよい。」
 お坊《ぼう》さんは、そういいました。

 それから、この法師《ほうし》には、「耳《みみ》なし法一《ほういち》」というあだ名がつき、びわの名手《めいしゅ》として、ますます名声《めいせい》が高くなりました。[#地付き](昭2・6)

底本:「赤い鳥代表作集 2」小峰書店
   1958(昭和33)年11月15日第1刷
   1982(昭和57)年2月15日第21刷
初出:「赤い鳥」赤い鳥社
   1927(昭和2)年6月号
入力:林 幸雄
校正:川山隆
2008年4月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

下村千秋

神様の布団—– 下村千秋

 むかし、鳥取《とっとり》のある町に、新しく小さな一|軒《けん》の宿屋《やどや》が出来ました。この宿屋の主人は、貧乏《びんぼう》だったので、いろいろの道具類《どうぐるい》は、みんな古道具屋から買い入れたのでしたが、きれい好《ず》きな主人は、何でもきちんと片《かた》づけ、ぴかぴかと磨《みが》いて、小ぎれいにさっぱりとしておきました。
 この宿屋を開いた最初《さいしょ》のお客は、一人の行商人《ぎょうしょうにん》でした。主人は、このお客を、それはそれは親切にもてなしました。主人は何よりも大事な店の評判《ひょうばん》をよくしたかったからです。
 お客はあたたかいお酒をいただき、おいしい御馳走《ごちそう》を腹《はら》いっぱいに食べました。そうして大満足《だいまんぞく》で、柔《やわ》らかいふっくらとした布団の中へはいって疲《つか》れた手足をのばしました。
 お酒を飲み、御馳走をたくさん食べたあとでは、だれでもすぐにぐっすりと寝込《ねこ》むものです。ことに外は寒く、寝床《ねどこ》の中だけぽかぽかとあたたかい時はなおさらのことです。ところがこのお客ははじめほんのちょっとの間|眠《ねむ》ったと思うと、すぐに人の話し声で目をさまされてしまいました。話し声は子供《こども》の声でした。よく聞いてみると、それは二人の子供《こども》で、同じことをお互《たが》いにきき合っているのでした。
「お前、寒いだろう。」
「いいえ、兄さんが寒いでしょう。」
 はじめお客は、どこかの子供たちが暗闇《くらやみ》に戸惑《とまど》いして、この部屋へまぎれ込《こ》んだのかも知れないと思いました。それで、
「そこで話をしているのはだれですか?」となるべくやさしい声できいてみました。すると、ちょっとの間しんとしました。が、また少したつと、前と同じ子供の声が耳の近くでするのでした。一つの声が、
「お前、寒いだろう。」といたわるように言うと、
 もう一つの声が細い弱々しい声で、
「いいえ、兄さんが寒いでしょう。」というのです。
 お客は布団《ふとん》をはねのけ、行灯《あんどん》に灯《ひ》をともして、部屋の中をぐるりと見回しました。しかしだれもいません。障子《しょうじ》も元のままぴったりとしまっています。もしやと思って、押《お》し入れの戸を開けて見ましたが、そこにも何も変わったことはありませんでした。で、お客は少し不気味《ぶきみ》に思いながら、行灯の灯をともしたままで、また床《とこ》の中にもぐり込みました。と、しばらくするとまたさっきと同じ声がするのです。それもすぐ枕元《まくらもと》で、
「お前、寒いだろう。」
「いいえ、兄さんが寒いでしょう。」
 お客は急に体中がぞくぞくとして来ました。もうじっとして寝《ね》ていられないような気持ちになりました。でも、しばらくじっと我慢《がまん》していますと、また同じ子供の声がするのです。
 お客はがたがたふるえながら、なおも、聞き耳を立てていますと、また同じ声がします。しかも、その声は、自分のかけている布団の中から出て来るではありませんか。――掛《か》け布団《ぶとん》が物を言っているのです。
 お客は、いきなり飛《と》び起きると、あわてて着物を引っかけ、荷物《にもつ》をかき集めてはしご段《だん》を駆《か》け下りました。そうして、寝《ね》ている主人を揺《ゆ》り起こして、これこれこうだと、今あったことを息もつかずに話しました。
 しかしあんまり不思議《ふしぎ》な話なので、主人はそれをどうしても信じることが出来ませんでした。商人はあくまでほんとうだと言い張《は》ります。商人と主人とは、互《たが》いに押《お》し問答《もんどう》をしていましたが、とうとうしまいに主人は腹《はら》を立てて、
「馬鹿《ばか》なことをおっしゃるな。初《はじ》めての大切なお客さまを、わざわざ困《こま》らせるようなことをいたすわけがありません。あなたはお酒に酔《よ》っておやすみになったので、おおかた、そういう夢《ゆめ》でもごらんになったのでしょう。」
 と、大きな声で言い返しました。けれどもお客は、いつまでもそんなことを言い合ってはいられないほど、おじ気《け》がついていたので、お金を払《はら》うと、とっとと、その宿を出て行ってしまいました。

 あくる日の晩《ばん》、また一人のお客が、この宿に泊《と》まりました。このお客も前夜のお客と同じように親切にもてなされて、いい気持ちで寝床《ねどこ》につきました。
 その夜が更《ふ》けると、宿の主人はまたもそのお客に起こされました。お客の言うことは、前夜のお客の言ったことと同じでした。このお客は、ゆうべの人のようにお酒を飲んではいませんでしたから、宿の主人も酒のせいにすることは出来ませんでした。で主人は、このお客はきっと、自分の稼業《かぎょう》の邪魔《じゃま》しようとしてこんなことを言うのだろうと思いました。で、やっぱり前夜と同じように腹を立てて、大きな声で言い返しました。
「大事なお客様です、喜《よろこ》んでいただこうと思いまして、何から何まで手落ちのないようにいたしました。それだのに縁起《えんぎ》でもないことをおっしゃる。そんな評判《ひょうばん》が立ちましたら私《わたくし》どもの店は立ち行きません。まぁよく考えてからものをおっしゃって下さい。」
 そう言われると、お客もたいへん機嫌《きげん》を悪くして、
「わしはほんとうのことを言っているのです。余計《よけい》なことを言う前に、自身《じしん》で調べてみなさるがいい。」と言って、これもお金を払《はら》うとすぐに、宿を出て行ってしまいました。
 お客が行ってしまってからも、主人は一人でぷりぷり怒《おこ》っていましたが、とにかく一度その布団《ふとん》を調べてみようと思い、二階のお客の部屋へ上って行きました。
 布団のそばにすわってじっと様子をうかがっていると、やがて子供《こども》の声がしてきました。それはたしかに一枚の掛《か》け布団《ぶとん》からするのでした。あとの布団はみんな黙《だま》っています。そこで主人は、これは不思議《ふしぎ》だと、二人のお客にまでつけつけと言ったことを後悔《こうかい》しながら、その掛け布団だけを自分の部屋へ持って来て、そしてそれを掛けて寝《ね》てみました。子供の声はたしかにその掛け布団からするのでした。
「お前、寒いだろう。」
「いいえ、兄さんが寒いでしょう。」
 主人は一晩中《ひとばんじゅう》眠《ねむ》ることが出来ませんでした。
 夜の明けるのを待って、主人はその布団を買った古着屋へ行き、その話をくわしくしました。古着屋の主人は、そんな布団のいわれは知らないが、その布団は、出入りの古着商から買ったというのです。そこで宿の主人はその出入りの古着商をたずねて行きますと、その人は、あの布団は、町の場末《ばすえ》にあるひどく貧乏《びんぼう》な商人から買ったのだと言うのでした。で、宿の主人は布団のいわれを探《さが》し出すために、根気《こんき》よくそれからそれへとたずねて行きました。
 やがてとうとう、その布団《ふとん》はもと、ある貧《まず》しい家のもので、その家族が住んでいた家の家主《やぬし》の手から、買い取ったものだということがわかりました。そこで宿の主人は、次のような布団の身の上話をきくことが出来ました。

 その布団の持ち主の住んでいた家の家賃《やちん》は、その頃《ころ》ただの六十|銭《せん》でした。それだけでもどんなにみすぼらしい家かはおわかりでしょう。しかしそれほどの家賃の支払《しはら》いにも困《こま》るほどこの家族は貧乏《びんぼう》なのでした。というのも、母親は病気で長い間|床《とこ》についたきりでしたし、そのうえにまだ働《はたら》くことの出来ない二人の子供《こども》――六つの女の子と八つになる男の子があり、父親は体が弱くて思うように働くことが出来なかったからです。またこの家族は、頼《たよ》るべき親戚《しんせき》や知り合いが鳥取《とっとり》の町中に一人もありませんでした。
 ある冬の日のこと、父親は仕事から帰って来て、気分が悪いと言って床についたなり、病《やまい》は急に重くなって、それきり頭が上がらなくなりました。そして一週間ほど薬ものめずにわずらってとうとう死んでしまいました。二人の子供を残《のこ》された母親は床の中で毎日|泣《な》いていましたが、間もなく病が重くなり、母親もついに亡《な》くなってしまったのです。二人の子供は抱《だ》き合って泣いているより外はありませんでした。どちらへ行っても知らぬ他人ばかりで、助けてくれるような人は一人もありません。雪に埋《う》もれた町の中で、子供たちは、働こうにも、何一つ仕事がないのでした。子供たちは、家の中の品物を一つずつ売って暮《く》らしていくより外はなかったのです。
 売る物と言っても、もとからの貧乏暮《びんぼうぐ》らしですから、そうたくさんあろうはずはありません。死んだ父親と母親の着物、自分たちの着物、布団四、五枚、それから粗末《そまつ》な二つ三つの家具、そういう物を二人は順々《じゅんじゅん》に売って、とうとう一枚の掛《か》け布団《ぶとん》しか残《のこ》らないようになってしまいました。そうしてついに何も食べるものがない日が来ました。言うまでもなく、家賃《やちん》などを支払《しはら》っているどころではありません。
 それは冬でも大寒《だいかん》といういちばん寒い季節《きせつ》でした。この季節になると、この地方は、大人の丈《たけ》ほどの雪が積《つ》もり、それが春の四月|頃《ごろ》までとけずにいるのです。二人の子供《こども》の食べるものがなくなったその日も朝から雪で、午後からは、ひどい吹雪《ふぶき》になりました。二人の子供は外へ出ることも出来ません。空いたお腹《なか》を抱《かか》えながら二人はたった一枚の布団《ふとん》にくるまって、部屋の隅《すみ》にちぢこまっていました。あばら家のことですからどこも隙間《すきま》だらけです。その隙間から吹雪は遠慮《えんりょ》なく吹《ふ》き込んで来ます。二人はぶるぶるふるえながら、しっかりと抱《だ》き合って、子供らしい言葉で互《たが》いに慰《なぐさ》め合うよりしかたがありませんでした。
「お前、寒いだろう。」
「いいえ、兄さんが寒いでしょう。」
 二人はそれを互いにくり返して、言い合っていました。
 そこへ、家主がやって来たのです。無慈悲《むじひ》な家主は怖《こわ》い顔をして、荒々《あらあら》しく怒《おこ》って家賃の催促《さいそく》をしました。二人の子供は驚《おどろ》きと悲しみのあまりものを言うことも出来ませんでした。首をすくめ、目をしばたたいているばかりでした。家主は、家の中を、じろじろ見回していましたが、金目《かねめ》の品物は何一つないのを知ると、らんぼうにも、子供たちがくるまっていた一枚の布団をひったくってしまいました。そのうえ子供たちを家の外へ追い出して、家の戸には錠《じょう》を下ろしてしまったのです。
 追い出された二人の兄妹《きょうだい》はもとより行く所はありません。少し離《はな》れたお寺の庫裡《くり》の窓《まど》から暖《あたた》かそうな灯《ひ》の光が洩《も》れて見えましたが、雪が子供《こども》たちの胸《むね》ほども積《つ》もっていましたので、そこまでも行くことも出来ません。それに子供たちは一枚の着物しか着ていませんので、体中がこごえてしまって、もう一足も動けそうもありませんでした。
 そこで二人は、怖《こわ》い家主が立ち去ったのを見ると、またもとの家の軒下《のきした》へこっそりとしのび寄《よ》りました。
 そうしているうちに二人は、だんだんと眠《ねむ》くなって来ました。長い間あんまりひどい寒さにあっていると、だれでも眠くなるものなのです。兄妹は少しでも暖《あたた》まろうと、互《たが》いにぎっしりと抱《だ》き合っていました。そしてそのまま静《しず》かな眠《ねむ》りに落ちて行きました。こうして兄妹が眠っている間に、神様は新しい布団《ふとん》――真っ白い、それはそれは美しい、やわらかい布団を、抱き合った兄妹の上にそっと掛《か》けて下さいました。兄妹はもう寒さを感じませんでした。そしてそれから幾日《いくにち》も幾日もそのままで安らかに眠りつづけました。
 やがてある雪のやんだ日、近所の人が、雪の中に冷《つめ》たくなっている二人の兄妹の体を見つけ出しました。兄妹はそうして冷たい体になっても互いにしっかと抱き合っていました。

 宿屋の主人はこの話を聞いてしまうと、しばらくの間だまって目をつぶって、神様に祈《いの》るような風《ふう》をしていました。それから家へ帰って、ものを言う不思議《ふしぎ》な布団を持ち出して、二人の兄妹の家の近くのお寺へ行って納《おさ》めました。そして、そこのお坊《ぼう》さんに頼《たの》んで、小さい美しい二人の霊《たましい》のために、ねんごろにお経《きょう》をあげてもらいました。
 それからその布団は、ものを言うことを止《や》めました。そして宿屋もたいへんに繁昌《はんじょう》したということであります。

底本:「あたまでっかち――下村千秋童話選集――」茨城県稲敷郡阿見町教育委員会
   1997(平成9)年1月31日初版発行
初出:「赤い鳥」赤い鳥社
   1925(大正14)年4月
※表題は底本では、「神様の布団《ふとん》」となっています。
入力:林 幸雄
校正:富田倫生
2012年2月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

下村千秋

曲馬団の「トッテンカン」—– 下村千秋

 いちばん先に、赤いトルコ帽《ぼう》をかむった一寸法師《いっすんぼうし》がよちよち歩いて来ます。その後から、目のところだけ切り抜《ぬ》いた大きな袋《ふくろ》をかむった大象《おおぞう》が、太い脚《あし》をゆったりゆったり運んで来ます。象の背中《せなか》には、桃色《ももいろ》の洋服をきたかわいい少女が三人、人形のようにちょこんと並《なら》んでのっかっています。その後からは楽隊《がくたい》の人々が、みんな赤いズボンをはき、大きなラッパ、小さなラッパ、クラリオネット、大太鼓《おおだいこ》、小太鼓《こだいこ》などを持って、足並《あしなみ》そろえて調子《ちょうし》よく行進曲《こうしんきょく》を吹《ふ》き鳴らして来ます。
 さてその後からは、鉄《てつ》のおりに入ったライオン、虎《とら》、熊《くま》などの猛獣《もうじゅう》が車に乗せられて来ます。つづいて馬が十頭ほど、みんなかわいい少女や少年を一人ずつ乗せて、ひづめの音をぽかぽかと鳴らしながら来ます。最後《さいご》に赤や黄や青の旗《はた》をかついだ人たちが大ぜい、ぞろぞろとつづいて来ます。その旗にはそれぞれ「東洋一《とうよういち》大曲馬団《だいきょくばだん》」「東洋一《とうよういち》移動大動物園《いどうだいどうぶつえん》」「世界的大魔術《せかいてきだいまじゅつ》」「世界的猛獣使《せかいてきもうじゅうつかい》」などという字が白く、染《そ》めぬかれてあります。
 まっ先《さき》の一寸法師から、最後の旗持ちまでは百五十メートルほどもあり、その長い行列は、楽隊《がくたい》の吹《ふ》き鳴らす行進曲《こうしんきょく》で、何ともいえない気持ちよい調子《ちょうし》につつまれ、何ともいえないにぎやかな色どりをあたりにふりまきながら、八月の朝のきらきらした太陽の光の中を進んで来ました。
 ここは東京から北の方へ二十里ほどはなれた、ある湖《みずうみ》の岸の小さな町。汽車《きしゃ》も通らず電車もなし、一日にたった二度|乗合自動車《のりあいじどうしゃ》が通るきりの、しずかなしずかなこの町に、だしぬけにこんな行列が来たのですから、大へんです。町は一どきに目がさめたように活気《かっき》づき、町の人々は胸《むね》がわくわくして仕事など手につかず、みんな往来《おうらい》へ出て、目をみはって行列を見ています。わけても、夏休みでたいくつしていた子供《こども》たちは、一年中のお祭りが一どきに来たようによろこび、もうじっとしてはいられず、行列の後からぞろぞろぞろぞろとついて行きます。元気のいい男の子たちは足も地につかぬ思いで、飛《と》びまわり、はねまわり、一寸法師《いっすんぼうし》の前へ立って背《せい》くらべをしたり、象《ぞう》のそばへ来て袋《ふくろ》の下から長い鼻をのぞいたり、楽隊といっしょに足拍子《あしびょうし》を取ったり、ライオンや虎《とら》や熊《くま》をこわごわと見たり、馬の上の少年少女たちに失敬《しっけい》してみたり、旗《はた》持ちの旗をかついだり、もうまったく夢中《むちゅう》になっています。なにしろこの町はじまって以来の出来ごとで、一寸法師はもちろん、象もはじめて、ライオン、虎、熊もはじめて見る、という子供たちが多いのですから、こういうさわぎをするのも無理《むり》はないのです。

 火の見の立っている町の四つ角の、いちじくの葉が黒いかげをおとしているところに、一|軒《けん》の鍛冶屋《かじや》があります。ここに新吉《しんきち》という十一になる丁稚《でっち》がいます。その朝も早くから、土間の仕事場で意地悪《いじわる》の親方《おやかた》にどなりつけられながら、トッテンカン、トッテンカンとやっていました。
 すると、遠くから、ききなれない楽隊《がくたい》の音が鳴りひびいて来ます。はじめは、たまに来る活動写真《かつどうしゃしん》の楽隊かな、と思いながら金づちをふりあげていましたが、だんだんその音が近づくにつれ、これはあたりまえの楽隊ではないぞと思いました。そのうちに楽隊の音は、軒《のき》下からのぞけば見えそうなところまで近づいて来ました。が、こんなとき、うっかりのぞいたりしようものなら、親方の金《かな》づちがこつんと向こうずねにぶつかって来ます。新吉《しんきち》は、いっそのこと、耳がなければいいなと思いながら、下くちびるをかみしめて、金づちをふり上げていました。
 曲馬団《きょくばだん》の行列は、鍛冶屋《かじや》の横手の火の見の下までやって来ました。と、まっ先の一寸法師《いっすんぼうし》が、くるりとうしろへ向きなおり、赤いトルコ帽《ぼう》を片手《かたて》に取って差《さ》し上げ、
「とまれーっ。」と叫《さけ》びました。からだに似合《にあ》わず、太いしゃがれ声を出したので、見物人《けんぶつにん》はびっくりしました。人間の言葉などはしゃべれないものと思っていた子供《こども》たちは、なおさらびっくりしました。
 一寸法師は、目の前の象《ぞう》の袋《ふくろ》のすそをめくりました。一|尺《しゃく》ほど象の鼻の先があらわれると、一寸法師はそれへ片手《かたて》を掛《か》けました。かと思うと、くるりと宙《ちゅう》がえりを打つようにして、象の背中《せなか》の三人の少女たちの中へ、すっぽりとのっかってしまいました。子供たちはいうに及《およ》ばず、大人たちもこれにはまたびっくりしてしまいました。
 一寸法師はそこで、ズボンのポケットから拍子木《ひょうしぎ》を取り出し、それをチョンチョンと鳴らし、
「オーケストラ、ストップ。」と叫《さけ》びました。と、楽隊がぴたりと鳴りやみました。
「チョンチョンチョン。とざい、とーざい。」と一寸法師は、胸《むね》を張《は》り、あたりを見まわしながら口上《こうじょう》をのべはじめました。
「さぁて皆《みな》さん。皆さんは今まで、私《わたくし》を世界一の小男と見て、子供《こども》さんまでが私と背《せい》くらべをしたりしまして馬鹿《ばか》になさいましたが、ただ今は世界一の大男となりました。なんと皆さんは、私の足もとにもとどかぬかわいそうな一寸法師《いっすんぼうし》となったではありませんか。くやしかったらここへ来て私と背くらべをしてみなされ、エヘン。
 チョンチョンチョン。とざい、とーざい。さぁて皆さん、この世界一の大男の一寸法師が、曲馬団《きょくばだん》一同になりかわって、ごあいさつ申し上げることと相なりました。外でもござりません。当曲馬団は、日本中はおろか、東洋中に名を知られた大曲馬団、大動物園でござります。象《ぞう》、ライオン、虎《とら》をはじめ、動物の数が九十八種、曲芸《きょくげい》の馬が十八頭、曲芸師《きょくげいし》が三十と六人、劇《げき》とダンスの少年少女が二十と八人、それに加《くわ》えて世界的|大魔術師《だいまじゅつし》、世界的|猛獣《もうじゅう》使い、オーケストラが日本一、そうして、小生《しょうせい》の私の我《わ》が輩《はい》の僕《ぼく》が、エヘン、日本一のいい男の一寸法師、チョンチョンチョン。
 さぁて皆さん。これらの面々が、いかなる芝居《しばい》、いかなるダンス、いかなる曲芸、いかなる魔術、いかなる猛獣を演出《えんしゅつ》いたしますか、今晩《こんばん》六時より当町《とうちょう》御役場裏《おんやくばうら》の大テントで相もよおすこととなりました。これにつきましては、当町長さまはじめ、警察《けいさつ》の方々さま、当町|有志《ゆうし》の皆々さまから一方《ひとかた》ならぬご後援《こうえん》をいただき、一同|感謝《かんしゃ》にたえない次第《しだい》。よって当初日は、そのおん礼といたしまして、大人小人各等|半額《はんがく》をもってごらんに入れることと相なりました。なにとぞ皆さん、それからそれへとご吹聴《ふいちょう》下され、にぎにぎしくおはやばや、ぞくぞくとご光来《こうらい》ご観覧《かんらん》の栄《えい》をたまわらんことを、一座《いちざ》一同になりかわり、象の背中《せなか》に平に伏《ふ》しておんねがい奉《たてまつ》るしだぁい。チョン、チョン、チョン。」
 そこで一寸法師《いっすんぼうし》は、象《ぞう》の背中《せなか》へくるりとしゃっちょこ立ちをしました。かと思うとまたまたくるりと起き上がり、行列を見かえって、
「オーケストラ、ゴォー。行列、進めー……」

 鍛冶屋《かじや》の新吉《しんきち》は、頭ががーんとするほど、うちょうてんになり、今の曲馬団《きょくばだん》について、何でもかまわず、めちゃくちゃにしゃべってみたくなりました。けれど仕事の最中《さいちゅう》に一言でもよけいなことを口に出したら、親方の金づちがごつんと飛《と》んで来ます。仕方なく新吉は、大金づちを力いっぱいふり上げて、トッテンカン、トッテンカンと打ちおろしていました。そうして、曲馬団の楽隊《がくたい》の音《ね》が、遠く町はずれへ消え去ってから、ようやく頭の中がしずまりました。
 鍛冶屋の仕事は、夕方暗くなってからやっとしまいます。その仕事のしまわないうちに、役場|裏《うら》の大テントの方からは、はたして、曲馬の楽隊が鳴りひびいて来ました。そうして遠くからきこえて来る楽隊の音は、また何ともいえない、やわらかい静《しず》かないい調子《ちょうし》となってひびいて来ます。クラリオネットとラッパの音とが、離《はな》れたりもつれたり、何か見知らぬ遠い国からきこえて来る夢《ゆめ》のようなひびきを伝《つた》えて来ます。
 そのうち店の前を、三人五人と、楽隊の音に吸《す》われるようにして、急いで行く人たちが通りはじめました。兄弟同士が手をつないで走って行く子供《こども》たちもありました。それを見ると新吉は今の自分の身の上が急に悲しくなりました。
 新吉は、両親がなく、たった一人の姉さんは東京のおじさんの家へ奉公《ほうこう》に行ってしまい、自分は小学校へ二年ほどかよったきりで、この鍛冶屋の丁稚《でっち》になってしまったのです。兄弟で曲馬を見に行くなどはおろか、一人ぽっちでも見に行ける身の上ではないのです。新吉《しんきち》は、三日に一度、町の風呂《ふろ》へ行くとき、おかみさんから一銭銅貨《いっせんどうか》を三つだけうけ取るきり、お小使銭《こづかいせん》としては、ただの一銭ももらえない約束《やくそく》になっているのです。
「せめて、曲馬の外まわりだけでも見てこよう。」
 新吉はわずかにそれだけで、がまんしようと思いました。
 仕事がしまいになると、新吉はいそいで仕事場をかたづけ、大いそぎで冷《ひ》やめしをかっこみはじめました。と、毎晩《まいばん》寝《ね》つきのわるい赤《あか》ん坊《ぼう》が、いつものとおりぎゃんぎゃん泣《な》き出しました。
「新吉、いつまでめしを食ってるんだえ。さっさとお守《も》りをしな。」
 おかみさんがかん高い声でどなりました。
 新吉は、かさぶた頭の赤ん坊をおぶって、耳もとでぎゃんぎゃん泣かれながら、その声のしずまるまで、店の前を何十ぺんでも行ったり来たりしていなければなりませんでした。そのうちに曲馬はおしまいになってしまうだろう。
 新吉はとうとう、火の見の下の暗いところへ立って、ぽろりぽろりと涙《なみだ》をこぼしました。

 しかしつぎの夜は、新吉は町の風呂へ行ける番でした。曲馬の楽隊《がくたい》はもうとっくから、すばらしいにぎやかさで鳴りひびいて来ています。新吉は夕飯《ゆうはん》をかみながら外へとび出しました。そして風呂屋とははんたいの曲馬の方へ、自分にもこんなにはやく走れるのかと思うほどはやく、まっ黒な顔をふり立てながら、まるで風のようにすっ飛《と》んでいきました。
 行って見て新吉はびっくりしてしまいました。何というすばらしい光と色のお家でしょう。テントのてっぺんからは四方八方《しほうはっぽう》へ、赤と青の電灯《でんとう》の綱《つな》がはりわたされて、それが湖《みずうみ》から吹《ふ》いて来る夜風にゆらりゆらりとゆれかがやいています。テントの正面には、金と銀との垂《た》れ幕《まく》が下がり、絵看板《えかんばん》がならび、赤と黄と青との旗《はた》がそれをかこみ、きらきら光る電灯《でんとう》が何十となく照《て》りかがやき、その中に楽隊《がくたい》がわきたつようなひびきをまき起こしているのです。
「さーぁ、いらっしゃい、いらっしゃい。空中の曲芸《きょくげい》は大|飛行《ひこう》のはじまり、はじまぁり。」
 客|呼《よ》びが、片手《かたて》を頬《ほ》っぺたにあててどなります、すると正面の幕がさっと上がり、中から、胸《むね》に金銀の星の輝《かがや》く赤い服をきた少女を、二人ずつ乗せた馬が三、四頭出て来ます。かわって同じすがたをした少年少女たちが中へ入って行きます。出て来た馬は右と左へ分かれます。見ると、そこには、同じような馬がずらりとならび、その背《せ》にはそれぞれ、それこそ造《つく》りつけた人形のような少女たちが、まばたき一つせずじっとしています。そうして見ていればいるほど、新吉《しんきち》はびっくりするものばかり見つけ出し、海の底《そこ》の竜宮《りゅうぐう》か、雲の上の天国か、自分はもうこの世の中にいるものとは思えなくなってしまいました。
「さぁー、いらっしゃい、いらっしゃい。猛獣《もうじゅう》つかいがライオンとすもうをとります。さぁさぁ。」
 中からは見物人《けんぶつにん》の拍手《はくしゅ》が、あらしのように鳴りひびいて来ます。楽隊の音は、大なみのように鳴りわたります。
 新吉は、からだが宙《ちゅう》に浮《う》かんでいるような気持ちで、テントのまわりを何べんとなくまわり歩きました。と、ある場所にちょっとしたすき間があり、ちらりと中のようすが見えました。新吉はそこへ吸《す》いついて中をのぞきました。すると、今、竹わたりの芸《げい》をやっているところです。玉虫色《たまむしいろ》の服をきた美しい女が、片手《かたて》に絵日傘《えひがさ》を持ち、すらりとした足をしずかにすべらせようとしています。二|丈《じょう》もあろうと思われる高いところです。両はしを綱《つな》につるされた長い竹竿《たけざお》はぶるぶるとこまかくふるえています。
「あっ、あぶない!」新吉《しんきち》は思わずそこを飛《と》びはなれました。胸《むね》がどきどきしている。
「たいへんな芸当《げいとう》なのだ。あんなところからのぞいたら、ばちがあたる。」
 新吉は胸をおさえて正面の方へ来ました。
 いつか時間はたっていました。風呂《ふろ》へ三度も入ったほどの時間がたっていたかも知れません。ぐずぐずしていたら、またおかみさんにどなりつけられます。新吉はくやしそうにふりかえりふりかえり、家の方へかえりかけました。
 テントのあかりが、かくれてしまう町かどまで来ると、新吉は両手を地べたへついて股《また》のぞきをして見ました。またの下からさかさまに見ると、曲馬小屋はまた一段《いちだん》と美しくはなやかに、まるで空中に浮《う》かんだ御殿《ごてん》のように見えました。

 つぎの一日、新吉はからだ中がぞくぞくするほど幸福《こうふく》な気持ちでいました。どうしてこう幸福なのか、自分でもはっきりわけがわかりません。そして、いつもの親方の怒《いか》り声もろくに耳へ入らず、重い金づちをふりあげることもつらいとも思いませんでした。
 つぎの日も、またそのつぎの日も、新吉の気持ちは同じようでした。というよりは一日ごとに、幸福な気持ちが胸の中にひろがっていきました。
 さてそのつぎの日の夕方には、いつもの曲馬団《きょくばだん》の楽隊《がくたい》の音がきこえて来ませんでした。新吉の知らぬ間に、あの曲馬団はどっかへ行ってしまったのだろうか。考えていると、新吉は急にあかりがきえたようにさびしくなって来ました。
 すると、店の前を、いく台もの馬車ががらがらと通りかかりました。馬車の上にはおりに入ったライオンや熊《くま》がのせられています。例《れい》の象《ぞう》が、例の袋《ふくろ》をかぶって歩いています。それから大ぜいの少年少女たちが、馬車いっぱいに乗っかっています。最後《さいご》にいろんな荷物《にもつ》をのせた馬車がいくつもつづいて行きます。
 いよいよ曲馬団《きょくばだん》は停車場《ていしゃば》の方へ引きあげて行くのです。その停車場は、湖の岸づたいに一里あまり北の方へ行ったところにありました。
 新吉《しんきち》は火の見の下に、ぼんやり立って見送っていましたが、もういても立ってもいられないほど、さびしくなって来ました。あの曲馬団が今の自分の幸福をみんな持って行ってしまうような気がするのです。
 とうとう新吉は、曲馬団のあとを追って走り出しました。曲馬団といっしょにいたい、と思うきり、外のことは何一つ考えられなかったのです。顔も手も足も、まるでインド人の子のようにまっ黒けの鍛冶屋《かじや》の新吉が、幸福そうな目をかがやかせながら、あかりのつきはじめた町をひとり遠ざかって行くすがたは、まったくただごとではありませんでしたが、町ではこれをだれ一人知るものもありませんでした。

 新吉は、曲馬団の荷物をつんだ馬車に追いつくと、うしろからこっそりと馬車のすみっこへ乗っかりました。
 空には星が光りはじめました。その星空をぼんやりと眺《なが》めながら新吉は、曲馬団の仲間《なかま》に加《くわ》わってからのことをいろいろと想像《そうぞう》しました。その想像はみんな、はなやかな、幸福なことばかりでした。
 すっかり夜になってから、曲馬団の一行は停車場へつきました。
「なんと言って頼《たの》んだら、仲間《なかま》に入れてもらえるだろうな。」
 新吉《しんきち》はそれを考えていました。するとそこへひょっこりと、赤いメリンスの着物をきた少女があらわれました。馬乗りの少女ですが、着物をきているので、ふつうの町の少女のように見えました。少女は、新吉を見つけると、
「おや、こんなところに黒ん坊《ぼう》の子がいるよ。」と言いました。新吉はどぎまぎして、馬車からずり下りました。
「お前さん、どっからついて来たの?」
「ぼ、ぼ、ぼくね。」と新吉はどもってから「僕《ぼく》、曲馬《きょくば》の仲間に入りたいんだよ。」
 やっとそれを言いました。
「いやーだ。」
 そう言ったかと思うと、少女はくるりと背中《せなか》を向けて走り去ってしまいました。と間もなく、少女はもっと年の多い女の人をつれて、またやって来ました。
「お前、曲馬団《きょくばだん》へ入りたいんだって? いったいどこから来たの?」
「昨日《きのう》まで曲馬をやってたろう。あの町からついて来たんだ。」
「それで、あんたの家は。」
「僕、鍛冶屋《かじや》の小僧《こぞう》だよ。」
「どうりで、まっくろけの顔をしていると思った。それで、だまって鍛冶屋を出て来たんだね。悪い子だね。親方に怒《おこ》られるから、さっさとおかえんなさいね。」
「でも僕、鍛冶屋へかえるのいやなんだよ。親方もおかみさんも意地悪《いじわる》で、しょっちゅうひどい目にあわせるんだもの。」
「曲馬団の中だっておんなじことだよ。曲馬団の中はもっとつらいことばかりだよ。ね、だからそんなつまらない考えを起こさずに、おとなしくおかえんなさい。わかった?」
「…………」
 新吉《しんきち》が返事に困《こま》っていると、
「おーい、時間だよ。ぐずぐずしていると、汽車が出ちまうよ。」と大きな叫《さけ》び声が聞こえて来ました。女の人は少女の手を引いて、改札口《かいさつぐち》の方へ走って行ってしまいました。
 やがて曲馬団《きょくばだん》の一行を乗せた汽車は出発《しゅっぱつ》してしまいました。一人あとに残《のこ》された新吉はがっかりしてその場につっ立っていました。まもなく曲馬の荷物《にもつ》は倉庫《そうこ》の方へ引かれて行きました。倉庫の前のレールには貨車《かしゃ》が三つほど引きこまれていました。荷物は、象《ぞう》やライオンや虎《とら》やその他の動物といっしょに、積《つ》まれて行くのです。
 それと知った新吉は、貨車の戸が開いているのを幸いに、暗い方からそっとしのんで行って、ちょろりと鼠《ねずみ》のように素早《すばや》く、貨車の中へ飛《と》びこんでしまいました。

 そうしてとうとう新吉は、東京の北の端《はし》の町まで来てしまったのです。
 はじめ、貨車の中へ飛びこんだとき、新吉はすみの方に円くなっていました。するとそこへ象が乗りこんで来たのです。これには新吉もびっくりしてしまいました。うっかりしたら、象の足に踏《ふ》みつぶされてしまうからです。新吉は夢中《むちゅう》になって子鼠のようにちぢこまりました。
 象は、長い鼻の先でフウフウと息をしながら、新吉の頭や肩《かた》へさわってみました。新吉は生きた心地《ここち》がしません。けれど象はそれっきりおとなしくなりました。
「おや、ここに人間の子が寝《ね》ているぞ、かわいそうに。」
 象《ぞう》はそう思ったのかも知れません。そのうちに新吉《しんきち》はそのままぐっすりと寝《ね》こんでしまったのです。
「こら小僧《こぞう》。」
 大きな声がしたので、新吉はびっくりして目をさますと、目の前に、洋服を着た大きな男が、目をぎろぎろ光らせながら立っていました。これが曲馬団《きょくばだん》の団長《だんちょう》でした。いつの間にか夜が明け、いつの間にか貨車《かしゃ》は東京の北端《きたはず》れの町の停車場《ていしゃば》へついていたのです。象はもう貨車から下ろされていました。
「おい小僧。」
 団長はもう一度そう言って、
「てめえ曲馬団の仲間《なかま》へ入れてやろうか。」とやさしい顔をしました。
「おじさん、ほんとに入れてくれる?」
 新吉は元気よく立ち上がって、そうききかえしました。
「ああ。おとなしくいうことをきいて、そして一生《いっしょう》けんめいに働《はたら》けば、入れてやってもいいよ。」
「僕《ぼく》、一生けんめい働くよ。何でもするよ。」
「よしよし、いい子だ。」
 団長はにこにこして、新吉の頭をなでました。
 これで新吉は、自分の思う通り、曲馬団の仲間に入ることが出来たのです。

 曲馬小屋は、町の通りへ、もう立派《りっぱ》に出来上がっていました。屋根にはイルミネーションがつき、前面には金銀の垂《た》れ幕《まく》が下がり、幾本《いくほん》もの旗《はた》がにぎやかに立ち並《なら》び、すべて新吉の町に造《つく》ったものと少しも変《か》わりませんでした。
 つい昨日《きのう》までは、この小屋の中をのぞいて見ることも出来なかったのに、今日の新吉はもう曲馬団の一人となってしまって、この立派な小屋が自分の家なのです。新吉《しんきち》は、あんまりうれしくて、これは夢《ゆめ》ではないかとさえ思いました。
 新吉はうれしさのあまり、おがくずの敷《し》いてある円い演技場《えんぎじょう》を、ぴょんぴょん飛《と》びまわっていると、出入り口の垂《た》れ幕《まく》のかげから、一人の少女と、それより年の多い女の人が出て来ました。よく見ると、昨日《きのう》の夕方、田舎《いなか》の停車場《ていしゃば》でいろいろと新吉に忠告《ちゅうこく》してくれた二人でした。二人はちょっとおどろいたように目を円くしていましたが、
「お前はとうとう仲間《なかま》入りをしてしまったのね。」と年の多い方の女が言いました。それからまた、
「もういやになっても、この仲間から出られやしないよ。」と言いました。
「ほんとねえ、かわいそうね。」と少女も同情《どうじょう》するように言いました。
 曲馬団《きょくばだん》というものは、はなやかな幸福なものとばかり思っている新吉には、この二人の女たちは、昨日も今日もどうしてこんなことばかり言うのだろうと、ただ不思議《ふしぎ》に思うばかりでした。
 新吉はなんとも答えずに垂れ幕をすりぬけて、象《ぞう》のいる方へ走って行きました。象は、大きな耳をばさばさ動かし、長い鼻を左右にうちふり、足をばたばたさせました。なんにも知らぬ新吉が見ても、象はたいへんよろこんでいることがわかりました。昨夜《さくや》一晩《ひとばん》、同じ貨車《かしゃ》の中ですごしたので、象は新吉を友だちのように思っている風《ふう》なのです。
 それから新吉と象は、すっかり仲《なか》よしになりました。象の名はファットマンといいました。太った男という意味《いみ》です。
 十時|頃《ごろ》になると楽隊《がくたい》がはじまりました。そして十二時頃から曲馬ははじまりました。人はぞろぞろと通りましたが、中へは新吉の町でやったときほども入らず、やっと、見物席《けんぶつせき》の三分の一がふさがっただけでしたけれど、馬の曲乗り、自転車の曲乗り、竹|渡《わた》り、綱渡《つなわた》り、空中|飛行《ひこう》、象《ぞう》の曲芸《きょくげい》、猛獣使《もうじゅうつか》いの芸当《げいとう》、少女たちのダンスと、演芸《えんげい》はそれからそれへ、かぎりもなく演《えん》じられました。
 新吉《しんきち》は見物《けんぶつ》したくてたまらないのですが、そうは出来ません。十|幾《いく》頭という馬のかいばをつくらねばなりません。何十|種《しゅ》という動物の食べものをつくらねばなりません。それから、小屋の裏手《うらて》の小さなテントの中で、何十人という曲馬|団員《だんいん》の御飯《ごはん》のしたくをしなければなりません。これらの受け持ちの人は外に幾人もいましたが、その人たちは道具方《どうぐかた》の男で、みんな意地悪の横着《おうちゃく》ものばかりでした。だから新吉は、それ、水をくんで来い、それ、お米をとげ、それ、じゃがいもの皮をむけ、それ、たくあんを買って来いと、次から次へ目のまわるほどこき使われるのでした。
 けれど新吉は、一生《いっしょう》けんめい働《はたら》きます。どんなことでもします。団長《だんちょう》へ約束《やくそく》したのですから、いやだなどということはもちろん、ちょっとでもなまけることは出来ません。ですから新吉は、いなかの鍛冶屋《かじや》にいた時分《じぶん》よりは、もっとまっ黒けになって、朝っから夜まで、その夜も十一時から十二時|頃《ごろ》まで働きつづけました。朝の働きはそれほどつらくはなかったが、夜、演技《えんぎ》がおわって、見物人がかえって、それから後かたづけをするときのつらさといったらありませんでした。おなかはすき、からだはへとへと、そして頭がおっこちそうに眠《ねむ》い。新吉はただもう、無我夢中《むがむちゅう》で働いていました。

 十日ほどでそこを打ち上げた曲馬団《きょくばだん》は、今度は東京の南の端《はし》の町へうつり、そこでまた十日ほど打ちました。それから横浜《よこはま》へ行きました。次に小田原《おだわら》へ行きました。次に静岡《しずおか》、次に浜松《はままつ》、それからさらに大阪《おおさか》、神戸《こうべ》、京都《きょうと》、金沢《かなざわ》、長野《ながの》とまわって、最後《さいご》に甲府市《こうふし》へ来たときは、秋も過《す》ぎ、冬も越《こ》し、春も通りぬけて、ふたたび夏が来ていました。
 新吉《しんきち》の曲馬団《きょくばだん》の生活も、もう一年になったのでした。そしてその間に、新吉はりっぱな象《ぞう》使いの名人になっていました。次から次へうつって行くときの長い旅を、新吉はいつも象といっしょに貨車《かしゃ》に乗せられたのです。はじめから仲《なか》よしだった新吉と象はこのような長い旅のあいだに、もう兄弟のようになってしまい、象のファットマンは、新吉のいうことなら何でもわかり、新吉の命ずることなら何でもするようになったのでした。
 団長《だんちょう》もこれにはびっくりもし、よろこびもしました。そこで新吉を、象使いの名人として見物人《けんぶつにん》の前へ出すことにしたのです。
 これまでの象使いは例《れい》の一寸法師《いっすんぼうし》でしたが、一寸法師には、片足《かたあし》を上げさせたり、ラッパを吹《ふ》かせたり、碁盤《ごばん》の上へ乗せたりするぐらいしか出来ませんでした。けれど新吉がやると、ファットマンは、象のからだで出来ることは何でもやりました。中でも一番|面白《おもしろ》い芸当《げいとう》は、新吉と二人で鍛冶屋《かじや》をやることでした。大きな木琴《もっきん》をつくり、その木琴を新吉が持ってぐるぐるまわり歩きます。ファットマンはその後からついて歩きながら、鼻の先に持った棒《ぼう》で木琴をたたくのです。
 新吉が、トッテンとたたくと、ファットマンはカンとたたきます。トッテンカン、トッテンカンと実に調子《ちょうし》よく木琴は鳴ります。三角帽《さんかくぼう》をかむり、道化役《どうけやく》の服を着た新吉は、そこで大きな声で歌います。
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「たたけやたたけ、はげあたま、
  トッテンカン。
 火花がちるぞ、はげあたま、
  トッテンカン。
 あははの、あははの、はっはっは、
  トッテンカン。」
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 いうまでもなくこの芸《げい》は、新吉《しんきち》がもと鍛冶屋《かじや》の小僧《こぞう》だったので、それから思いついた芸で、歌の文句《もんく》の「たたけやたたけ、はげあたま」というのは、鍛冶屋の親方のはげ頭を思い出してつくったものでした。
 新吉がこれを歌い出すと、ファットマンも耳をばさばさやり、しつぽをふり、足をあげて、からだ中で笑《わら》います。見物人《けんぶつにん》もこれにはみんなお腹《なか》をかかえて笑いました。
 もし見物人の中に、あの鍛冶屋の意地《いじ》わるおやじがいたら、どんな顔をするだろう。そう思うと新吉はまた一人でおかしくなり、ますます元気づいて、それでますます芸が面白《おもしろ》くなりました。
 それから新吉には「トッテンカン」というあだ名がつき、「曲馬団《きょくばだん》のトッテンカン」というと、どこへ行ってもたいへんな人気ものとなりました。

 朝から夜中まで、まっ黒けになって働《はたら》いていた新吉も、今は、象《ぞう》使いの名人、曲馬団のトッテンカンとなって、この大きな曲馬団の人気を一人で背負《せお》って立つほどの人気ものとなり、見物人の前で芸をする以外《いがい》には、何一つからだを動かさなくてもいいようになりました。そうして甲府《こうふ》の町へ小屋を張《は》ったときには、「曲馬団のトッテンカン」という評判《ひょうばん》だけで、見物人は毎日ぞくぞくとおしよせて来ました。
 新吉は得意《とくい》の絶頂《ぜっちょう》にいました。
 さてある日のこと、それは九月のはじめのことでした。新吉は、象のファットマンの外に、きえちゃんとわか姉さんという二人の竿上《さおのぼ》りの芸人《げいにん》と仲《なか》よしになっていましたが、きえちゃんの方が、その前の日から目まいがして、その日の芸が出来そうもなくなりました。きえちゃんはその前日、芸《げい》をしくじったので、その罰《ばつ》として御飯《ごはん》を一日に一度しか食べさせられなかったのです。そのために目まいがするのです。しかし団長《だんちょう》は、
「横着《おうちゃく》ものめ、ぐずぐずしていると、たたきのめすぞ。」とどなりつけました。
 新吉《しんきち》は見ていて、かわいそうでたまらなくなりました。新吉が一年前、いなかの町を逃《に》げ出して停車場《ていしゃば》まで曲馬団《きょくばだん》のあとを追っかけて来たとき、はじめて新吉に話しかけたのがこのきえちゃんでした。そのとき「曲馬団の中はもっとつらいところだよ。」とさとしてくれたのが、わか姉さんでした。それからこの二人は、何かにつけて新吉の味方《みかた》になり、新吉がまっ黒けになって、朝から夜おそくまで働《はたら》かせられているときは、涙《なみだ》を流して同情《どうじょう》し、新吉の手にあまるつらい仕事は、かげながら手伝《てつだ》ってくれたのでした。で、新吉は今はこの二人を、またとない恩人《おんじん》とも思っているのです。
 その一人の、新吉より年下《としした》のきえちゃんが、今こんな目にあっているのですから、新吉は黙《だま》って見ていられるはずはありません。
「ねえ、きえちゃん、僕《ぼく》が代わって芸をしてあげよう。」
 そう新吉はいい出しました。
「だってトッテンカンには、わたしの芸が出来やしないよ。」
「大丈夫《だいじょうぶ》、むずかしいことはしないのさ。」
「でも、外の人に代わってもらうと、また罰をくわされるもの。」
「だからね、僕がきえちゃんの服を着て、わか姉《ねえ》さんにお化粧《けしょう》をしてもらって、きえちゃんそっくりの少女になるのだよ。団長だって見わけのつかないような少女になるのだよ。そんなら大丈夫だろう。」と新吉は自信《じしん》のあることばで言いました。

十一

 トッテンカンの新吉《しんきち》は、いよいよ、病気のきえちゃんに代わって、竹のぼりの芸当《げいとう》をすることになりました。
 その芸当というのは、まず、わか姉さんが象《ぞう》のファットマンの背《せ》の上に立ちます。それから三メートルほどの太い竹棒《たけぼう》を、手を使わずに肩《かた》の上に立てています。すると、きえちゃんは、その竹棒のてっぺんへよじ上って行って、そこで手ばなしでうつ伏《ぶ》せになったり、あおのけになったり、しゃっちょこ立ちをしたり、足首《あしくび》でつかまってぶら下がったりするのです。それを専門《せんもん》にしているきえちゃんには、それほどむずかしい芸当ではありませんが、今日はじめてそれをやる新吉にはむずかしいどころか、その中の一つの芸《げい》だって満足《まんぞく》に出来るはずはないのです。そして、もしやりそこなって、おっこちでもしたら、それこそたいへんです。何しろ、竹棒のてっぺんから象《ぞう》の足下までは七メートルもあるのですから、たとえ死なないまでも、大怪我《おおけが》をするにきまっています。
「よした方がいいよ、トッテンカン。」とわか姉さんは不安そうに言いました。
「だって僕《ぼく》がよしたら、きえちゃんがしなきゃあならないじゃないか。あんなに、立てないほど弱っているきえちゃんがやったら、それこそおっこちて死んじゃうよ。」
「だから、だれもしないのさ。」
「そしたら、こんどはわか姉さんが罰《ばつ》を食うじゃないか。」
「かまやしないよ。」
「いやだいやだ。僕がやれば、みんな助かるんだもの。僕はどうしてもやるよ。僕はね。あのファットマンの背中《せなか》でする芸なら、なんでも失敗《しっぱい》しないという自信《じしん》があるんだからね。そんなに心配しないでやらせてくれよ。」
 わか姉さんも、こんなに言っている新吉《しんきち》の決心を止めることは出来ませんでした。それにわか姉さんは、下に立って竹棒《たけぼう》を支《ささ》える芸《げい》をしているのだから、もし彼《かれ》がおっこちるようなことがあったら、下からうまく救《すく》ってやろうと、心の中で考えたのでした。
 わか姉さんは幕《まく》のかげに新吉をかくして、そこでお化粧《けしょう》をしてやりました。白粉《おしろい》をつけ、頬紅《ほおべに》、口紅《くちべに》をつけ、まゆずみを引き、目のふちをくま取り、それからきえちゃんの芸服《げいふく》を着せ、絹《きぬ》の三角帽《さんかくぼう》をかぶせました。少し離《はな》れたところから見ると、きえちゃんそっくりになりました。せかっこうも、新吉はきえちゃんによく似《に》ていたのです。
「それなら大丈夫《だいじょうぶ》。でも、口をきいちゃ駄目《だめ》だよ。」とわか姉さんは注意しました。
「なぁに、掛《か》け声《ごえ》ぐらい、きえちゃんそっくりの声を出して見せるよ。」
 新吉はそう言って笑《わら》いました。

十二

 それは夜の八時|頃《ごろ》でした。場内《じょうない》は見物人《けんぶつにん》でいっぱいでした。四方《しほう》が山《やま》に囲《かこ》まれた甲府《こうふ》の町のことですから、九月になるともう山颪《やまおろ》しの秋風が立ち、大きなテントの屋根は、ばさりばさりと風にあおられていました。
 楽隊《がくたい》がにぎやかに鳴り出しました。と、きえちゃんに扮《ふん》した新吉が、まず垂《た》れ幕《まく》のかげから現《あらわ》れました。それから、胸《むね》に金銀の星の輝《かがや》く服を着たわか姉さんが現れました。つづいて大|象《ぞう》のファットマンが、のそりのそりとまかり出ました。見物席《けんぶつせき》からはあらしのような拍手《はくしゅ》が起こりました。三人は一列に並《なら》んで見物席へあいさつをしました。
 やがてわか姉さんが、ファットマンの鼻の上に乗ってひらりとその背《せ》へ飛《と》び上がりました。そして長い竹棒《たけぼう》を受け取りました。つづいて新吉《しんきち》がファットマンの鼻へ乗ろうとすると、ファットマンはちょっと鼻を巻《ま》きこんで、しばらく新吉の顔を見ていました。きえちゃんに扮《ふん》してはいるが、それが兄弟分の新吉であることを、ファットマンはちゃんと見分けてしまったのです。
 ファットマンは不審《ふしん》そうに鼻を巻き上げて、新吉を背中《せなか》へのっけてやりました。しかし中央《ちゅうおう》の垂《た》れ幕《まく》の前に立っている団長《だんちょう》はもちろん、ファットマンの周囲《しゅうい》に立っている四、五人の道具方も、それが新吉であることは夢《ゆめ》にも知りませんでした。
 新吉は、ファットマンの背中の上で、きえちゃんがいつもするようにもう一度|見物席《けんぶつせき》へあいさつをし、それから、わか姉さんの肩《かた》の上に立っている竹竿《たけざお》をするするとのぼって行きました。
 新吉は、竹竿を上りきったところでまずあぐらをかいて、まわりを見下ろしました。それから、ハッと掛《か》け声をかけて、しゃっちょこ立ちをしました。次に竹竿のてっぺんへうつ伏《ぶ》せになり、両手両足をはなして、亀《かめ》の子《こ》のようにふらふらとまわりました。すべて、きえちゃんがやるのと変わりありません。わか姉さんは、肩先で竹竿の平均《へいきん》を取りながら、このような芸当《げいとう》の出来る新吉を、不思議《ふしぎ》に思って見上げていました。
 さて新吉は、こんどは前と反対に、背中を下にして、つまり竹竿の上にあおのけになって亀《かめ》の子のように手足を動かす芸《げい》に移ったのです。これは見ていてもはらはらする芸で、芸をする当人にも一番むずかしい芸でした。
 新吉はまず足を放しました。それから手を放そうとした瞬間《しゅんかん》です。頭の方がぐらりとゆれたかと思うと、そのまま、サァッ――と落ちて来ました。
「あっ。」とわか姉さんは叫《さけ》びました。そして竹竿《たけざお》をほうり出すと、両手をひろげて新吉《しんきち》のからだを受け止めようとしました。が、勢《いきお》いついた新吉の身は、わか姉さんの手をすり抜《ぬ》け、ファットマンの頭にぶつかると、もんどり打って下の板敷《いたじき》へ、まっさかさまにたたきつけられた、と思ったその刹那《せつな》です。ファットマンは、その長い強い鼻をぐいと差《さ》し延《の》べて、新吉のからだをふわりと宙《ちゅう》で受け止めてしまったのです。

十三

 見物人《けんぶつにん》はいつか総立《そうだ》ちになっていました。そして新吉のからだが、ファットマンの鼻の先でみごとに救《すく》い上げられたとき、見物人はどっと声をあげてよろこびました。見物人は、新吉が芸《げい》をしくじったことなどはすっかり忘《わす》れて、危機一髪《ききいっぱつ》というとき、ファットマンの長い鼻がうまく食い止めたということを、涙《なみだ》を流さぬばかりによろこんだのです。
 けれど見物人は、次のような光景《こうけい》を見て、びっくりしてしまいました。それは、新吉が、ファットマンの鼻の上から無事《ぶじ》に下へ下りたとき、例《れい》の団長《だんちょう》がいきなり飛《と》んで来て、新吉の横面《よこつら》をぴしゃりとなぐったことでした。
「ふぬけめ。」と団長はどなりつけました。そして新吉の手が抜《ぬ》けるほどぐいと引き立て、引きずるようにして中央《ちゅうおう》の垂《た》れ幕《まく》のかげへ連《つ》れて行ってしまいました。
「僕《ぼく》たちはよろこんでいるのに、あいつは怒《おこ》っていやがる。馬鹿《ばか》な奴《やつ》だなぁ。」と見物人は話し合いました。
 団長は、新吉を楽屋《がくや》へつれて行くと、またひどくなぐりました。
「またもだらしねえことをしやがって、このトンチキめ!」
 そのとき、そばから、
「団長《だんちょう》さん、団長さん、かんにんしてやって下さい。」という泣《な》きそうな声がしました。見ると、それはふだんの着物をきたきえちゃんです。団長はそのきえちゃんを怒《おこ》りつけているのだとばかり思っていたのに、そばから別《べつ》なきえちゃんが顔を出したので、あっけにとられてきょとんとしてしまいました。
 が、まもなく、新吉《しんきち》がきえちゃんの身代《みが》わりになって芸《げい》をやったのだと知ると、どこまでも意地悪《いじわる》でつむじ曲がりの団長は、こんどはそのことを怒り出しました。
「貴様《きさま》はなぜほかの人に芸をやらせたのだ。」ときえちゃんをせめました。
「てめえはまたなぜ芸も出来ないくせに、人の身代わりなどになったのだ。」と、また改《あらた》めて新吉をどなりつけました。
 そこへ、わか姉さんが出て来ました。
「みんなわたしがやらせたことです。どうぞ二人をせめる代わりに、わたしをせめて下さい。」
 わか姉さんはそう言いました。
「馬鹿《ばか》っ。」団長はわれるような声を出して、
「てめえら、みんなぐるになって勝手《かって》なことをしてやがるんだな。よし、どうするか見てやがれ。」
 そう言って、鷹《たか》のようなすごいずるい目を光らせながら、その場を去って行きました。

十四

 その夜から、新吉もきえちゃんもわか姉さんもみんな罰《ばつ》を受けました。お小使いは一銭《いっせん》ももらえなくなるし、三度の食事は二度になりました。それも、犬が食べるような粗末《そまつ》な食事でした。
 その前からすっかり弱っていたきえちゃんは、とうとうひどい熱《ねつ》を出し、もう頭も上がらなくなりました。それから急性《きゅうせい》の肺炎《はいえん》になり、うわごとを言い通していましたが、四日目の夜中に、ついに死んでしまいました。
 新吉《しんきち》とわか姉さんは、きえちゃんに取りついて泣《な》きました。新吉は泣きながら団長《だんちょう》に食ってかかりました。
「この鬼《おに》め、この罰《ばち》あたりめ、首でもくくって死んでしまえ!」
 青くなって叫《さけ》んでいる新吉を、団長はただにやにや笑《わら》って見ているばかりでした。
 次の日、わか姉さんは新吉をものかげへ呼《よ》んで、こう言いました。
「新吉さん――トッテンカンなんて呼《よ》ぶのは止《よ》しましょうね。もとの新吉さんになって、そして、この曲馬団《きょくばだん》から逃《に》げ出してしまいなさいよ。そしてお国の町の鍛冶屋《かじや》さんへおかえんなさい。」
「僕《ぼく》もそう考えたのだけど、あの鍛冶屋のおやじのところへ帰るのはいやなんだ。」
「じゃ、どこかほかにない? 新吉さんを引き取ってくれるところが。」
「東京に叔父《おじ》さんがいるの。僕の姉さんもそこにいるから、僕そこへ行こうかしら。」
「それがいい。お金も少しばかりわたしが上げるからね。ここにいつまでもぐずぐずしていたら、新吉さんも、あのきえちゃんのような目にあわされるにきまっているから。」
「この曲馬団に入る前に、わか姉さんにいわれたことが、僕今になってやっとわかったよ。それで、わか姉さんはどうするの?」
「わたしはわたしで、ほかに考えていることがあるから、わたしのことは心配しないでいいのよ。」
 二人はそう話し合って、その夜は小屋の隅《すみ》へ、テントをゆすぶる秋風《あきかぜ》をききながら寝《ね》ました。
 そのあくる朝早く、まだ東《ひがし》がやっと白《しら》みかけたころ、新吉《しんきち》は、しもふりの夏服に靴《くつ》をはき、むぎわら帽《ぼう》をかむり、ふろしき包《づつ》み一つを持って、一年間あまり住みなれたテント小屋《ごや》をぬけ出しました。
 新吉はそこを抜《ぬ》け出すとき、兄弟分のファットマンのそばへそっとしのんで行って、この一年のあいだ、新吉のためになんでもしてくれ、最後《さいご》に新吉の命まで救《すく》ってくれたその長い鼻をなでながら、
「ファットマンよ、ありがとうよ。さよなら、さよなら。」と言いました。

十五

 新吉は停車場《ていしゃば》へ来ると、一|番《ばん》列車《れっしゃ》に乗りました。そして、おひる前に新宿の停車場へ着きました。それから電車に乗り、叔父《おじ》さんの家のある小石川へむかって行きました。
 しかし新吉は、そこですっかり途方《とほう》にくれてしまいました。叔父さんの家はどっかへ引っこしてしまって、その引っこし先もまるでわからなかったからです。
 新吉は、ふろしき包みを抱《だ》いて、夢中《むちゅう》でそこらをほっつき歩きました。歩いているうちに、広い池《いけ》のはたへ出ました。そこは不忍池《しのばずのいけ》で、新吉はいつの間にか、そんなとこまで迷《まよ》いこんで来たのです。
 池の向こうに、森《もり》の繁《しげ》った高台が見えました。そこは上野公園《うえのこうえん》でしたが、新吉はそんなことは知りません。ただ何となく、いなかの町はずれの高台の森に似《に》ているので、わけもなく引きつけられました。新吉は公園の上へ上って行きました。
 そのうちに日が暮《く》れてしまいました。新吉は泣《な》きたくなりました。新吉は、公園の高台から、美しい灯《ひ》の街《まち》を見下ろしながら、いつまでもいつまでもそこに立っていました。
 その夜新吉は、公園の奥《おく》のこかげの石の上に寝《ね》てしまいました。眠《ねむ》ったりさめたりしている新吉の頭の中には、いなかの町のことや、鍛冶屋《かじや》のおやじのことや、曲馬団《きょくばだん》の中でのさまざまのことが、とぎれとぎれに浮《う》かんでは消え、消えては浮かびました。
 その朝明けのことです。新吉《しんきち》はまずライオンのほえ声をききつけました。それからいろんな動物のなき声をききつけました。曲馬団の動物園でききつけている声なので、それは自分の耳のせいではないかと思いながら、新吉はその声のする方へ歩いて行きました。すると高い石の塀《へい》がぐるりとめぐっているところへ出ました。ああ、これが上野《うえの》の動物園というのだな、と新吉はやっと思いつきました。
 新吉は、曲馬団のファットマンのことを思い出し、門の鉄格子《てつごうし》の扉《とびら》につかまって、中のようすをいっしんにのぞいていました。
 すると、そこへ、白いズボンをはいた人品《じんぴん》のいいおじいさんが出て来て、にこにこしながら、
「お前さんは、こんなに早く動物園を見に来たのかね?」と新吉に話しかけました。
 新吉は、そうじゃないと答えてから、
「おじさん、僕《ぼく》を動物園の象《ぞう》つかいにしてくださいな。」と、しんけんな顔で言いました。
「いったいお前さんは、どうした子なんだね!」とおじいさんはそれをたずねました。そこで新吉は、曲馬団へ入ってそこを逃《に》げ出すまでのいきさつと、東京へ叔父《おじ》さんをたずねて来て、こうして迷《まよ》っていることを一通り話しました。
「じゃ、お前は宿なしなんだね。そりゃ困《こま》ったね。ここじゃおいそれと象つかいに頼《たの》むわけにはいかないが、お前の叔父さんのいどころがわかるまで、わしがお前を引き取って上げよう。曲馬団で慣《な》れているならちょうどいい、いろんな動物へ、えさをやることでも手伝っているがいい。さぁ、こっちへお入り。」
 親切なおじいさんはそう言って、新吉を門のうちへ引き入れました。

 それからの新吉《しんきち》はどうなったかはわかりませんが、世の中には鍛冶屋《かじや》のおやじや曲馬団《きょくばだん》の団長《だんちょう》のようなわからずやの意地《いじ》わるの人間がいるかわりに、この動物園のおじいさんのようなわけのわかった親切《しんせつ》な人もたくさんいます。すなおでまじめで同情心《どうじょうしん》の深い新吉は、やがてこういう人たちに見|込《こ》まれて、幸福《こうふく》な生活をするようになったにちがいありません。

底本:「あたまでっかち――下村千秋童話選集――」茨城県稲敷郡阿見町教育委員会
   1997(平成9)年1月31日初版発行
初出:「赤い鳥」赤い鳥社
   1928(昭和3)年9~11月
※表題は底本では、「曲馬団《きょくばだん》の「トッテンカン」」となっています。
入力:林 幸雄
校正:富田倫生
2012年2月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

下村千秋

鬼退治 —–下村千秋

 頭は少々|馬鹿《ばか》でも、腕《うで》っぷしさえ強ければ人の頭に立っていばっていられるような昔の時代であった。常陸《ひたち》の八溝山《やみぞさん》という高い山の麓《ふもと》の村に勘太郎《かんたろう》という男がいた。今年十八|歳《さい》であったが、頭が非常《ひじょう》によくって、寺子屋《てらこや》で教わる読み書きそろばん[#「そろばん」に傍点]はいつも一番であった。何を考えても何をしても人よりずばぬけていた。しかしその時代にいちばん必要《ひつよう》な腕っぷしの力がなかった。体は小さく腕や脚《あし》はひょろひょろしていて、自分より五つも六つも年下の子供とすもうを取っても、たわい[#「たわい」に傍点]もなく投げ飛《と》ばされてしまった。
 だから勘太郎は人前に出るといつも小さくなっていなければならなかった。勘太郎から見れば馬鹿《ばか》としか思われない男が、ただ腕力《わんりょく》があるばかりに勘太郎をいいように引きまわしていた。勘太郎はそれを腹《はら》の中でずいぶんくやしがりながらも、どうすることも出来なかった。
 勘太郎の村から十丁ばかり離《はな》れた所に光明寺《こうみょうじ》という寺があった。山を少し登りかけた深い杉森《すぎもり》の中にあって、真夏《まなつ》の日中でもそこは薄寒《うすさむ》いほど暗くしん[#「しん」に傍点]としていた。この寺には年寄《としよ》った住職《じゅうしょく》と小坊主《こぼうず》一人が住んでいたが、住職はついに死んでしまい、小坊主はそんなところに一人では住んでいられないと言って、村へ逃《に》げて来てしまった。
 それから四、五年の間、その寺は荒《あ》れるままに任《まか》せて、狐《きつね》や狢《むじな》の住み家となっていたが、それでは困《こま》るというので、村の人たちは隣村《となりむら》の寺から一人の若《わか》い坊《ぼう》さんを呼《よ》んで来てそこの住職とした。すると十日もたたないうちに、その住職は姿《すがた》をくらましてしまった。やっぱり若いから一人では恐《おそ》ろしくて住んでいられないのだろうと村の人は思い、今度は五十ぐらいのお坊さんを外の寺から頼《たの》んで来てその寺に住まわせた。が、このお坊さんは十日とたたぬうちに死んでしまった。いや死んだのではなく頭だけ残《のこ》して胴《どう》や手足は骨《ほね》ばかりになって殺《ころ》されていたのであった。おおかた何かの獣《けもの》に食われてしまったのだろうと村の人たちは言い合った。
 三人目のお坊さんが外の寺から頼まれて来た。このお坊さんは元は武士《さむらい》であったので、今度は獣の餌食《えじき》になるような意気地《いくじ》なしではなかろうと、村の人たちは安心していた。
 ところが五、六日してこの坊さんは、左腕《ひだりうで》をつけ根の所から何かに食い取られて、生き血を流しながら村へ逃げて来た。
「どうしたのだ、何奴《なにめ》に食われたのだ。」と村の人たちはよってたかってきいた。
「鬼《おに》だ。あの寺には鬼が住んどる。口が耳まで裂《さ》けている青鬼赤鬼が何匹《なんびき》もいて、おれをこんな目に会《あ》わしたのだ。」と坊さんは苦しそうな息をしながら話した。
 それを聞いた村の人たちもびっくりしてしまった。
「四、五年の間、あの寺を空《あ》き家《や》にしといたので、その間に鬼どもが巣《す》をくったのだろう。」
「そうだ。最初《さいしょ》の坊主の姿が見えなくなったのも、二番目の坊主《ぼうず》が骨《ほね》ばかりになって死んでいたのも、皆《みな》鬼《おに》にやられたのだ。えらいことになったものだ。」
 村の人たちはそう話し合った。この噂《うわさ》はすぐに方々《ほうぼう》へ伝《つた》わったので、もうだれもこの寺の住職《じゅうしょく》になろうというものがなくなってしまった。

 村の人たちは寄《よ》り合いをやって相談《そうだん》をした。そして結局《けっきょく》、村の人の中で、寺の鬼どもを退治《たいじ》したものを寺の住職にしようということになった。その寺には村中の田や畑を合わせたほどの田畑がついているので、もちろんこの寺の住職になりたがらないものは一人もなかった。そればかりでなく、鬼を退治してみんなの前でいばってやりたいという力|自慢《じまん》、度胸自慢《どきょうじまん》の若者《わかもの》も大ぜいいた。そこでみんなでくじを引いて、くじに当たったものが一番先に鬼退治に出かけることになった。ところで弱虫の勘太郎《かんたろう》もそのくじを引く仲間《なかま》に入ろうとすると、みんなは手をたたいて笑《わら》いながら、
「勘太郎が鬼退治をするとよ、鼠《ねずみ》が猫《ねこ》を捕《と》りに行くよりひどいや。阿呆《あほ》もあのくらいになると面白《おもしろ》いな。」と言った。
 勘太郎はくやしくてたまらなかったが、仲間に入ることはあきらめてしまった。
 くじに当たった男は新平《しんぺい》という若《わか》い力持ちの男だった。猟《りょう》に行って穴熊《あなぐま》を生《い》け捕《ど》りにしたことのある男で、村でも指|折《お》りの度胸のいい男であった。新平はもう寺を自分のものにしたようなつもりで、大鉈《おおなた》を一打《ひとうち》腰《こし》にぶち込《こ》んだだけで、羨《うらやま》しがる若者どもを尻目《しりめ》にかけながら山の寺へ出かけて行った。
 が、新平は翌日《よくじつ》の明け方、お尻《しり》や背中《せなか》の肉をさんざんに食い破《やぶ》られ、命からがら逃《に》げ帰って来た。新平は驚《おどろ》きのあまり、死んだようになって、鬼退治の様子を話すことさえ出来なかった。
 そこで二度目のくじ引《び》きが行われて今度は力造《りきぞう》という男がくじに当たった。この男は村一番の強者《つわもの》で、ある時村の一番強い牛と喧嘩《けんか》をして、その牛の角をへし折《お》り、あばら骨《ぼね》を蹴破《けやぶ》って見事《みごと》に倒《たお》してしまったことのある男であった。だから村の人たちもあの男が行ったら、さすがの鬼《おに》どももどてっ腹《ぱら》を突《つ》っこぬかれたり、首っ玉を引っこ抜《ぬ》かれたりしてしまうだろうと話し合った。
 ところが、この男も退治《たいじ》に出かけた次の朝、片足《かたあし》半分食い取られ、おまけに鼻や耳や頬《ほ》っぺたまでかみ切られて、おいおい泣《な》きながら地べたを這《は》うようにして逃《に》げ帰って来た。
 それを見た村の人たちは、始めはわれもわれもと鬼退治に行きたがったのに、今はだれ一人それを言い出すものもなかった。
「あの男でさえあんな目にあって来たんだから、おれなんか問題にならない。」と弱音《よわね》を吐《は》くものも出て来た。
 もうだれもくじ引きをしようとはしなかった。
 この時、弱虫の勘太郎《かんたろう》が、
「だれも行けないなら、おれが行って立派《りっぱ》に退治して来て見せよう。」と言い出した。
 それを聞いていた村の人たちは、また笑《わら》い出した。
「お前に出来たら、この暑いのに雪が降《ふ》るよ。」
「いやその雪が見たい。一つ退治してもらいたいもんだ。」
「お前の体じゃ鬼も食べでがあるまいが、鬼も食わないよりましだろう。一つ御馳走《ごちそう》をしてやるさ。」
 村の人たちはてんでにそんなことを言っては勘太郎をひやかした。けれど勘太郎はすました顔をして、
「馬鹿力《ばかぢから》さえあれば鬼退治が出来ると思っているのがおかしいよ。おれはそんな力はないから腕《うで》っぷしで退治しようとは思わん。まぁこの頭一つで首尾《しゅび》よくやっつけて来て見せるさ。」といった。
「お前に退治《たいじ》が出来たら、三年があいだ飲まず食わずで生きて見せる。」
「お前に退治が出来たら、おれは水の中にもぐって三日いて見せる。」
「お前に退治が出来たら、おひる前のうちに江戸《えど》まで三度|往復《おうふく》して見せる。」
 みんな勝手なことを言って勘太郎《かんたろう》をからかったが、勘太郎はそんなことは耳にも入れず、身じたくをすると獲物《えもの》一《ひと》つ持たずに光明寺《こうみょうじ》へ出かけて行った。
 すべて怪物《かいぶつ》は、昼のうちはどこかに姿《すがた》を隠《かく》していて、夜になって現《あらわ》れて来るものだということを知っていたので、勘太郎はまず明るいうちに寺へ着いて、どこかに自分の身を隠しておこうと考えた。
 寺までの道には夏草がぼうぼうと生えて、勘太郎の小さい体を埋《うず》めるほどであった。山門の所からは杉《すぎ》森は暗いほどに繁《しげ》り、奥《おく》へ行くにしたがって肌《はだ》がひやりとするような寒い風が流れるように吹《ふ》いて来た。大木の梢《こずえ》からは雨も降《ふ》っていないのに滴《しずく》がぽたりぽたりと垂《た》れ、風もないのに梢の上の方にはコーッという森の音がこもっていた。
 やがて寺の本堂《ほんどう》へついた。大きな屋根は朽《く》ち、広い回廊《かいろう》は傾《かたむ》きかけ、太い柱は歪《ゆが》み、見るから怪物の住みそうなありさまに、勘太郎も始めはうす気味悪くなった。しかしぐっと胆力《たんりょく》をすえて、本堂の中へ入ってみた。そして中の様子を隈《くま》なく調《しら》べた。それから廊下《ろうか》つづきの庫裡《くり》の方へ入って行った。そこも雨は漏《も》り、畳《たたみ》は腐《くさ》り、天井《てんじょう》には穴《あな》があき、そこら中がかびくさかった。勘太郎は土間の上《あ》がり框《かまち》のところにある囲炉裏《いろり》の所へ行ってみた。と、自在鉤《じざいかぎ》の掛《か》かっている下には、つい昨夜《さくや》焚火《たきび》をしたばかりのように新しい灰《はい》が積《つ》もり、木の枝《えだ》の燃《も》えさしが散《ち》らばっていた。さらによく見るとその炉端《ろばた》には、鳥の羽根や、獣《けもの》の毛や、人間の骨《ほね》らしいものが散らばっていた。
「なるほど、鬼《おに》どもは生《い》け捕《ど》って来たえもの[#「えもの」に傍点]をこの囲炉裏《いろり》で焼《や》いて食うのだな。それじゃ一つ、この炉《ろ》の上の天井《てんじょう》に隠《かく》れて今夜の様子を見てやろう。」
 勘太郎《かんたろう》はそうひとりごとを言って、それから土間《どま》の柱をよじ上って、ちょうど炉端《ろばた》がぐあいよく見える穴《あな》のあいている天井の上に隠れた。

 やがて日は暮《く》れた。日が暮れると短い夏の夜はすぐ更《ふ》けていった。一寸《いっすん》先も見えない真《ま》っ暗《くら》な寺の中はガランとして物音一つしない。勘太郎は息を殺《ころ》し、今か今かと鬼どもの来るのを待っていた。
 すると夜中の一時|頃《ごろ》であろうか。本堂《ほんどう》の方の廊下《ろうか》を歩く大きな足音がきこえて来た。その足音は少なくも八本か十本ぐらいの足で踏《ふ》みならす音であった。間もなくその足音は、勘太郎の隠れている天井の下の炉端に近づいた。そしてどさりと炉端にあぐらをかく音がする。木の枝《えだ》を折《お》る音がする。しかし真っ暗なので勘太郎はただ耳で様子をきくより外はなかった。
 と、同時に囲炉裏には火がめろめろと燃《も》え出した。勘太郎は天井の穴に目をつけて下を覗《のぞ》き始めた。めろめろとした赤い炎《ほのお》は、炉端に座《すわ》っている四|匹《ひき》の鬼の顔を照《て》らした。土間を正面に見た旦那座《だんなざ》に座っているのが鬼の大将《たいしょう》であろう。腰《こし》のまわりに獣《けもの》の皮を巻《ま》いて大あぐらをかいている。口の両端《りょうはし》から現《あらわ》れている牙《きば》が炎に照《て》らされて金の牙のように光っている。勘太郎も一目見て、なるほどこいつぁうっかりかかったら、頭からひとかじりにやられそうだと思った。
 家来の三匹の鬼は大将ほど大きな牙は生えていないが、目の光るところを見ただけでも勘太郎は体中《からだじゅう》がすくむような気持ちになった。勘太郎は、ぴったりと天井に腹《はら》ばったまま身動きもせず、じっと下の様子を見ていた。
 間もなく鬼《おに》どもは話を始めた。まず家来《けらい》の鬼がいった。
「今夜みたいに不猟《ふりょう》なことはねえ。腹《はら》がへってやりきれねえよ。」
「ほんとにろくな晩《ばん》じゃねえ。人の子一|匹《ぴき》つかまえなかった。腹の虫がグーグー鳴るわい。」と外の家来が合槌《あいづち》を打った。
 すると大将《たいしょう》の鬼がみんなを見回して、
「そのうちに村の若者《わかもの》がやって来る。落ちついて待っていろ。」と言った。
「いや親分、いくら人間が馬鹿《ばか》だって今夜も来るようなことはあるまい。もうこりてるはずだよ。」
「ところがきっと来る。人間という奴《やつ》は、自分たちが世界で一番強いものだと思っているんだからしようがない。村中の奴らがみんな食われてしまうまでやって来るに違《ちが》いないよ。」と大将の鬼は大将だけに偉《えら》そうなことをいった。
「そりゃそうだな。力もろくにないうえに、知恵《ちえ》が足りないと来てるんだから人間もかわいそうなもんだ。」と家来の鬼は言って鼻を高くした。
「ところで人間がおれたちより弱いとなると、世界中でおれたちより強いものは何だろう。」と今まで黙《だま》って火を燃《も》していた家来の鬼が言った。
「何もないよ。おれたちの敵《てき》は世界中にないんだよ。」と外の家来がいばった顔をした。
「いや、一つあるよ。たった一つおれたちより強いものがいる。」と大将の鬼がまじめな顔をしていった。
「何だろう。」
「さぁ何だろう。」
「わからないかね。それは人間どもに飼《か》われている鶏《にわとり》というけものだ。」
「鶏! 初《はじ》めて聞く名だな。だが、いったいそれがどうしてそんなに強いんだね。」
「それはこうだ。その鶏《にわとり》という奴《やつ》はトッテクーと鳴くのだ。取って食うと鳴いたら最後《さいご》、どんなものでも取って食ってしまうのだ。恐《おそ》ろしい奴だ。」
「なるほどそんな鳴き声をする奴は外にはいない。そいつぁよっぽど強い奴だろう。」
 この話を天井《てんじょう》で聞いていた勘太郎《かんたろう》は「しめた」と思った。するとその時、大将《たいしょう》の鬼《おに》が鼻を天井に向けてもがもがさせながら、
「何だか人くさいぞ。」と言い出した。
 ぐずぐずしていたら、あべこべに取って食われると思った勘太郎は、そこで寺中に響《ひび》くような声を張《は》りあげて、
「トッテクー……」と叫《さけ》んだ。
 さぁたいへん、鬼どもはあわてふためきながら逃《に》げ出した。家来《けらい》の一|匹《ぴき》は土間《どま》へもんどり打って転げ落ち腰《こし》を折《お》ってしまった。他の二匹の家来は柱に頭をぶつけて頭《あたま》の鉢《はち》をぶち割《わ》ってしまった。大将の鬼は旦那座《だんなざ》から一足|飛《と》びに土間へ跳《は》ね下りようとして、囲炉裏《いろり》にかけた自在鉤《じざいかぎ》に鼻の穴《あな》を引っかけてしまった。すると、
「鶏につかまった。ああ……鶏につかまった。」と叫びながら、もう手足を動かそうともせず、自在鉤にぶらりとぶら下がってしまった。
 勘太郎は腹《はら》を抱《かか》えて笑《わら》いながら天井から下りて来て、大将の鬼を生《い》け捕《ど》ってしまった。勘太郎は鬼の鼻の穴に引っかかっている自在鉤をそのままにして、残《のこ》りの綱《つな》で両手をうしろに回して縛《しば》りあげ、先に歩かせながら村へ帰って来た。
 今まで勘太郎をはずかしめた村中の人たちは、これを見て勘太郎の前にみんな両手をついてあやまり、勘太郎の偉《えら》い手柄《てがら》をほめた。そして勘太郎を一番強い偉いものとしてあがめ奉《たてまつ》った。
 勘太郎は寺の住職《じゅうしょく》となり、後には知徳《ちとく》すぐれた名僧《めいそう》となったということである。

底本:「あたまでっかち――下村千秋童話選集――」茨城県稲敷郡阿見町教育委員会
   1997(平成9)年1月31日初版発行
初出:「赤い鳥」赤い鳥社
   1925(大正14)年7月
※表題は底本では、「鬼退治《おにたいじ》」となっています。
入力:林 幸雄
校正:富田倫生
2012年2月2日作成
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下村千秋

飢餓地帯を歩く ――東北農村惨状報告書――    ——下村千秋

 これは、青森県のある新聞に載せてあったもので、或る農村――八甲田山麓の村の一青年の詩である。詩としての良し悪しはここでは問題としない。只、この短かい詩句の中から、大飢饉に見舞われたこの地方の百姓達の、生きるための苦闘をはっきり想い浮べて貰えれば足るのである。殊に、
「俺はいつも、男だ男だと思って、寒さを消しながら、夢中で山から山をあさって歩く」という文句の、男だ男だと、ひとりで我《が》ん張っているところが、あまりに単純素朴であるだけ、哀れにも惨めではないか。
 私も、常陸《ひたち》の貧乏な百姓村に生れて、百姓達の惨めな生活は、いやというほど見て来た。また、東京へ出てからは、暗黒街にうごめく多くの若い女達、失業者街にうろつく多くの浮浪者《ルンペン》達の、絶望的な生活も、げんなりするほど見て来た。そうして、人間、飢えということが、どんなことであるか、それはどんな結果を見るか、ということも、あらゆる機会あらゆる場合で見て来た。
 しかし、右の詩句に現われているような、単純にして素朴な苦闘ぶりには、それが、大凶作、大飢饉地帯の中であるだけに、私は、今までの暗黒街の女群や、ルンペン群の生活苦闘に対して感じたのとはまた異った、一種特別の暗然たる気持ち――泣きながら眠って行く孤児を見るような淋しい暗さを感ぜずにはいられなかったのである。
 で、私は考えずにはいられなかった。果してこれが、飢饉地帯の百姓達の最後までの生き方[#「生き方」に傍点]であろうか。多くの百姓達は、食物が尽き果てて、ついに餓死する時まで、同じように黙々として、何ものも恨まず、何ものにも訴えずに終るのであろうか?
 岩手県下に三万余人、青森県下に十五万人、秋田県下に一万五千人、そうして北海道全道には二十五万人、総計四十五万人近くの百姓達は、この冬の氷と雪に鎖されながら、字義通り餓死線上に立たされているという。
 私は、これらの人達の中の幾人かと会って話し合い、以上の疑問をただして見たかった。即ち、それらの百姓達の胸の奥には、この大凶作、大飢饉に対して、どんなことが考えられているか、どんな生き方が考えられているか、またそれが今、どんな具体的な姿となって現われつつあるか、そのほんとうのところを知りたかった。――私は出かけて行ったのである。
 それは今から、十日ほど前、昨年十二月二十七日の午後一時頃であった。私は先ず、岩手県下で最もひどかったという地方――岩手県の御堂村《みどうむら》という部落へ入って行った。ここは、盛岡市から北へ一時間ほど乗り、沼宮内《ぬまくない》という小駅で降りて、更らに徒歩で一里近く山手に入った所である。
 空は晴れたり曇ったりしていたが、やがて、北の方からうす墨の雲が低く流れて来たかと思うと、粉雪がさァーッと降り出して来た。私は、オーバーの襟を立てて、田圃と畑との間の村道を歩いていた。それは、どろどろの道である。じっと立っていれば、泥は脛までも埋めそうな深い泥の道である。
 私は、満洲の泥道を想い出しながら、短靴を靴下まで泥にして、山裾の村へ入って行った。と、子供が四五人、ある小さな藁家の軒の下にうずくまって、私を珍らしそうに見ている。私は、小学校を訪ねるつもりだったので、その子供達へその道順を訊いて見た。
「ここを行ったら、学校へ行けるかえ?」
「…………」
 子供達は、顔を見合して黙っている。私は手をあげてまた訊いた。
「学校は、こっち、あっち?」
 すると、一人の男の子が、その短かい手をあげて、
「あっちだべえし」と言った。
 私はこの時、つくづくとこの子供達の着物を見た。それは縞目も解らない真黒のもので、また実にひどいぼろ[#「ぼろ」に傍点]であった。私も、貧乏百姓の子供達と一緒に、ぼろにくるまって育ったのであるが、これほどのぼろではなかった。冬になれば、木綿ではあったが、シャツも股引もはいた。が、この子供達は雪が降っているというのに、シャツも着ていず、足袋もはいていなかった。そして、女の子は、脛だけをくるんだ赤い布の股引をはいているきりであった。
 私は、ふと、台湾の生蕃人を想い出した。生蕃人もその脛に赤い布の脚絆をはいていたからである。こればかりではない。この子供達のぼうぼうに乱れた頭髪、いつ風呂に入ったか解らないような真黒けな手や足を見ても、生蕃人を聯想せずにはいられなかった。これは、単に今年の凶作のためばかりではなく思われた。今までの彼等の生活が、こうなのだろうと思われた。で、私は、間もなく小学校を訪ねて、その校長に会うといきなり質問したのである。
「この地方の百姓達は、あれほどまでに原始的の生活をしているのですか?」
「さようです」校長は、顎一ぱいに生えらかした髯をざらざらと撫でながら答えるのである。「私も、始めて赴任して来た当時はびっくりしました。何しろ、生徒の大部分は、いつも泥だらけの手足をしている。風呂へ入らないどころか、手足もろくに洗わないのです。で、それを注意したところがこんど来た校長は変な人だ。ひるに、手足を洗えと言った、と言って、あべこべに私が非難されたですから」
「それじゃ、教育程度もずいぶん低いですね?」
「さようです。子供の入学年齢が来ても、たまたま役場からの通知漏れがあったりすると、その子供が九つになっても十になっても学校へ入れようとはしません。それから、農繁期になりますと、学校よりゃ野良仕事が大事だと言って、めったに学校へは出て来ない子供が多いです」
「それじゃ、村の百姓達の人情、人気《じんき》はどうでしょう?」
「その点はまた実に純朴です。恐らく日本中で、一番純朴な人達ではなかろうかと思います。その一つの証拠でありますが、最近、この村の青年訓練所の人達が、在満軍人慰問金を集めるために、活動写真をやりました。一人十銭の入場料で、この学校の生徒もその切符を買うようすすめられましたが、何しろこの不況と凶作とで、百姓達は一銭の金も持っていません。ですから、四百人近くの生徒の中で、その十銭の入場券を買い得たものはたった六人でした。活動写真といえば、子供は泣くほど見たいのですが、その金がないのです。そんな訳で、この村中六百軒あまりから集った金が僅か二十円足らずであったそうですが、そしてこの金こそ全く血の出るような金ですが、それを全部、在満の軍人へ送ってしまったのです。この純朴な忠君愛国熱は非常なもので、この地方の百姓達はみんな『一太郎ヤーイ』のお婆さんのような人達ばかりです」
 この村の今年の凶作状態を見ると、一反二石が平作であるに対し、一反(三百坪)三斗乃至四斗であった。また全村総反別二百町の二割までは全然無収穫であったという。そうして百姓達は、粟と稗とで飢えをしのぎ、更らに山地の百姓達になると、シダミと称する楢の実をふかして食い、わらびの根を澱粉として腹を充たしているというのだ。従って、全村の小学校児童九百名のうち、四百名までは欠食児童であるというのだ。この事実と、今の話、在満軍人慰問金との話とを思い合わせて、私は、何とも言えなくなったのであった。
 私は最後に言ったのである。
「じゃ、この地方の人達は、今、食うものを食わず着るものを着ずという状態ですね?」
「まアそうです」と校長は暗い顔をした。
「子供達の大部分は、とてもひどいぼろ[#「ぼろ」に傍点]を着ています。今まででもずいぶんひどい身なりでしたが、今年の飢饉では、もう身につけるものなどは一つでも買うことが出来ない有様です。雪が降り出してから、ゴム靴ははいて来ますが、そのゴム靴が破けていて、中が泥だらけのが多いです。しかも素足にその泥だらけのをはいているのですから、堪らないです。もしこのままでいたら二月頃には、餓死者と同時に、凍死者も出るのではないかと思われるほどです……」
 そうして校長先生は、しばらく沈黙の後、部屋の隅の「かます俵」を指し、
「あれは、この学校に所属した田から取れた米です。年々三斗ばかり取れるので、お正月が来ると、それでお餅をついて祝ったのですが、今年はもみ[#「もみ」に傍点]で一斗ばかり、それとどうせくだけ[#「くだけ」に傍点]米ですから、このお正月にはお餅もつかないことにしました」


   また雪が降り出した。
   もう一尺五寸、
  手の指も足の指もちぎれそうだ。
  しかし俺は喰いものをあさりに、
  一人山へ登って行く。
   俺はいつも、男だ男だと思って、
  寒さを消しながら、
  夢中で山から山をあさって歩く。

 岩手県下は、この岩手郡を始め、二戸郡、八戸郡の大部分、下閉伊郡、上閉伊郡、和賀郡の一部分が、飢餓地帯と化した。その総面積は約三千町歩であるという。殊に問題であることは、八戸郡、下閉伊郡の交通不便の山地であるという。鉄道はなし、道路も山地の凸凹道で、トラックは勿論、馬橇《ばそり》もろくに通れない部落が多い。この地方は、水田が殆んどないので、平年でも、畑作もの、即ち、粟や稗を常食としているのだが、今年はその粟や稗も殆んど取れず、代用食であるシダミ(楢の実)トチの実もまたよく実らなかったというので、今唯一の食物は、わらびの根であるが、これにも限りあり、また雪が尺余に積れば、それを掘り取ることが出来なくなるので、この時になって、今言った交通不便のため、他所からの食糧運搬が不充分であったなら、彼等は文字通り餓死するのではないかと言われているのである。
 私は、御堂村を訪ねた翌日の午後、二戸郡の小鳥谷《こずや》村の山合いの部落へ入り、ある山裾にあった炭焼小屋の老爺と話したのである。
 昨日降った雪が、山かげには、三四寸に積り、雑木山の地肌にはうす白い雪が敷かれて、あたりはひっそりとしていた。炭がま[#「炭がま」に傍点]は、かやの屋根に蔽われ、その屋根のうしろの煙出しからは、浅黄色の煙がほうほうとこぼれ出て、傍の雑木の梢にからまりながら消えて行った。老爺は、かまの前の風穴の所にこっちりと縮まり、かま[#「かま」に傍点]のぬくもりで暖まりながら、炭俵を編んでいた。老爺はいろいろの凶作話の末にこういったのである。
「いよいよ食うものが無くなりゃ、こんどは金で買わなければならねえが、その金を取るにゃ、この地方ではこの炭焼きするより外の方法はねえでさア。だが、この炭材は、官有林から払い下げにゃならねえで、それが現金でなくっちゃいけねえですから、先ずそれで困るでがす。それからやっと炭材を買い込んで、こうしてかま[#「かま」に傍点]で焼いた炭が――楢の上等の五貫目俵が、たった四十五銭ですからな。それもこのかま[#「かま」に傍点]一つからやっと二十俵で、日数にすれば五日はかかります。五日で二十俵、売って九両ですが、炭材代を差し引くと、残るのが五十銭か六十銭、一日やっと十銭の稼ぎというわけです……」
 ここで私は、少々訊き難いことであったが、思いきってこう訊いて見たのであった。
「それでは、僅かの金のために、娘を売るような家もあるでしょうね?」
 すると老爺は、何んにも言わず、静かに首を廻して私の額を見詰めた。炭がま[#「炭がま」に傍点]の熱に焼かれた赤黒い皺だらけの顔であったが、それがやがて笑うとも泣くともつかぬ顔に変ると、こう言ったのである。
「お前さんは知っているかどうか。山に吹雪が来る時は、その山中の小鳥共はチンとも啼かねえもんです。小鳥共は、山の荒れることを知ってどっかへ飛んで行ってしまうものと見えますだ。この村の小鳥共もそれと同じでがす……」
 私はこれ以上を訊くことは出来なくなってしまった。
 この、娘を売る哀話は、青森県の津軽半島へ入ってから実際に聞きもし見もし、私は、その売られた娘とも会って話したのであるが、これは後で述べることにして、私は先ず、青森県下へ踏み込んで、第一番に見聞した三本木《さんぼんぎ》町、七戸町附近、及び浦野館《うらのたて》村一帯の飢餓地の惨状を述べなければならない。
 ここは、上地郡内で、例の太平洋横断機の飛び出した淋代《さびしろ》海岸もその一部であるが、私が踏み入ったのは、この海岸より八甲田山の方へ六七里入った平野の村であった。岩手県には僅か三四寸の雪も、この地方へ来ると、七八寸から一尺ほどに積っていて、遙か北の空を区切っている八甲田山は、麓まで真白に輝いていた。
 三本木町までは軽便があったが、それから七戸町、浦野館村へ行くには乗合自動車しかなかった。しかし私は村々を一つ一つ見て歩くために、一人の百姓青年を道案内に頼み、ズボンには巻ゲートルをつけて、歩ける所まで歩き、歩けなくなったら、どっかの百姓家へ泊めて貰う覚悟で、ぽつぽつと歩き出した。それが十二月二十九日の朝である。
 私は歩きながら青年と話した。
「この地方は南部馬の名産地である筈だが、今年の値はどうでした?」
「てんで問題になりませんでした」と、青年は投げ棄てるように答えた。「二歳子の一等いい馬が、たまに百五十円ぐらいに売れたが、これでも、飼いば[#「飼いば」に傍点]料を引いたら儲かる所はありやせん。あとは大てい一頭五十円ぐらいで、ひどえのは、たった三十円ぐらいですから、みんな、一頭について百円あまり損をしたです」
「養蚕はどうです」
「やっぱり問題になりやせん。一貫目一円だの一円二十銭だのでは、桑代の三分の一にもなりやせんから」
「それじゃ、外に金を取る方法がありませんか」
「この辺では、なんにもありません。山地じゃありませんから、炭焼きも出来ないし、海には遠いですから漁は出来ないし、だから、金と言ったら米を売るしかないですが、その米が三分作以下ですから、売るどころか、もうそろそろ喰いつくしてしまったのです。仕方がないので、どこの家でも、じゃが芋[#「じゃが芋」に傍点]を餅にして喰っていますが、それもあと一ト月もしたら無くなってしまいます。それで金はないし、外米も買えないとなれば、その時はどうなることか。いくら百姓が馬鹿でも、いよいよ何んにも食えなくなったら、黙って死にやしまい、と俺達若者は言ってるです」
「県庁の方から、救済金や米が来ないですか」
「まだなんにも来ません。たとえそれが来たとこで、やっと生かして貰えるのが関の山で、これから先の百姓の暮しが根っから救われる訳じゃないから、先のことを考えりゃ、みんな真暗な気持です」
 私は、この旅の帰途、私の郷里の百姓の友人の口からも、これと同じような意味のことを聞き、百姓の生活に対して、絶望的の気持ちしか抱いていないのは、ひとりこの青森県下の凶作地の青年ばかりではないと思ったのであった。しかし、この飢饉地の青年の口からこれを聞いたとき、私は、この旅に出る時に知りたいと思った一つの疑問――百姓達の胸の奥に潜んでいる考えの一つを伺い得たと思ったのであった。
 このあたりの自然は大陸的で、朗らかであった。尺余の雪が一面に光り、タバコ色の落葉松の梢が美しく連なり、その彼方には、銀色の八甲田山がなだらかに走っていて、私は、思わず言葉に出した。
「しかし、このあたりの景色はいいねえ!」
 すると、その青年は、こういったのである。
「でも、このあたりの畑も、今年はひどい不作でした」
 百姓達に取っては、美しい自然の風景は、同時に食物を豊かに実らす土地でなければならないのだ。その土地が、全く食物を実らすことが出来なければ、美しい自然も風景もあったものではないのだ。――私は、ここでも黙るより外はなかったのである。
 ところで私は、この青年の言おうとしていることを、もっと率直に露骨に叫んでいるのを、七戸町のある暗いめし屋で聞いたのである。
 それは、五十ぐらいか、それとも六十の老爺か、長い間の生活の寒風に曝された顔は、松の皮のように荒れて硬くなっていた。彼の前には、二本ばかりの徳利が、置かれてあった。そして、相応に酔っていた。
「それでも酒も飲める男もいるのだ」
 私は、そう思いながら、気持ちよくその男を見ていたのだが、その男は、木の瘤《こぶ》のような拳をふり上げながら、めし屋の主婦を相手に叫んでいるのだ。この地方の言葉を言っているので、私には解らない所が非常に多かったが、しかし大体は聞きとれた。
「いいか、おかみさん、二年半育てた馬が只の三十五両だよ。それも、この七月に渡してその金がまだ入らねえだ。仕方ねえから、今日は、馬を取りかえして来べと思って出かけて行ったところが、それはかんべんしてくれろ、馬を持って行かれてしまっては、わし等親子四人が干ぼしになるだと言われただ。相手は馬車曳きだからな。そでも、五両札一枚出して、今年はこれで我慢してくれろ、と拝むだねえか、なア、おかみさん、そこでわしは言っただよ。ようし、こうなっちゃ、お互いさまだ。干ぼしになって死ぬ時ア一緒に死ぬべえ、と言って、その五両札へ二両のお釣りを置いて帰《けえ》って来ただが、おかみさん、去年は豊年で、それでやっぱり飢饉と同じことだった。つまり、豊年飢饉てえ奴だというが、わしもこの年になって始めて聞いた。ばかりでねえ、始めて出会った。なアこういうことア一度起ったら毎年起って、それが年々悪くなるばかりだ。そうなりゃ、豊年もくそもねえじゃねえか。……そこへ持って来て、今年は飢饉の飢饉、これでは来年は、百姓奴等は、干ぼしになって飢え死んで野たれ死んで、それで足りなくて、首をくくって死ぬ、ということになるだア。べら棒め……なア! おかみさん、わしも一人の息子を満洲の兵隊へ出しているだが、こないだも手紙で言ってやっただ。国のために勇敢に戦って、いさぎよく戦死をしろ、とな。そうすりゃ。なアおかみさん、なんぼか一時金が下って、わしらの一家もこの冬ぐらいは生き伸びるだからな。娘を持ってるものは娘を売ることが出来るだが、わしは、息子しか持たねえから、そうして息子を売ろうと考えてるだよ……」
 その男は、これらの言葉を、土間の土に向って一つずつ叩きつけるように叫んだのであった。

「西部戦線異状なし」の中に、地上で戦争をする兵士に取っては、大地は、地べたは、土は、母の懐である。大地のみが守護してくれる。その大地の有り難さを知るものは、戦場に於ける兵士以外の者には全く解らないものだ、という意味のことが書いてあるが、百姓達に言わすれば、百姓達に取っても、大地は、土は、母の懐であるのだ。一切であるのだ。土の有り難さを知るものは、百姓以外の者には全く解らないものだ。
 その大地が、その土が、今年は、一切の食物を実らせなかったのである。母の懐は、死人の懐と化してしまったのである。その最大の原因は、五月の稲の植付時から、九月の稲の実る節まで、僅か数日を除いた他の百数十日は、只の一日も平年の温度には達しなかったためであった。「ばかりか、八月九月には、二度までも、非常な厳寒と降雹とに見舞われた。水稲も、畑の作物も、僅かにその茎を育てたきり、ついに満足な実を入れる暇がなかったのであった。そうして十月が来れば、いやでもこの地方には冬が来る。十一月となれば雪が降り出す。昨年の豊年飢饉[#「豊年飢饉」に傍点]のために、さなきだに、この社会を恨み嘆いていた百姓達は、この年の飢饉襲来に依って、完全に自暴自棄の絶望状態に陥し込まれてしまったのである。彼等は、宿命論者となって、大自然の無情を儚《はかな》むと同時に、一方では、被圧迫者の立場から、現在の都会中心制度、都会商工業制度から来る搾取階級の無法を恨み呪うようになってしまった。
 だが、斯く考える力[#「考える力」に傍点]を持ち、それを実行に現わそうとする意志を持つ[#「意志を持つ」に傍点]農村の若き人々に対しては、私達は、或る未来[#「未来」に傍点]と希望[#「希望」に傍点]とを期待することが出来るが、それをすら持つことの出来ない、純朴な老人、母親などを見るとき、私は、只、暗涙を流すより外はなかったのである。
 私は、七戸町のめし屋を出ると、案内の青年の後についてこの附近の最凶作地の浦野館村へ向って歩き出した。まだ午后二時頃であったが、空一面に墨色の雲が蔽いひろがって、夕暮のように暗い。しかも田圃の中の道路は、馬車と乗合自動車とにこね上げられて、雪と泥との河である。七割の納税不能者を持つというこの村では、道路の修繕費など、一文も出ないので、この通りの泥道であるというのだ。
 私はここの泥道で、七戸町へ買いものに行って来たという一人の百姓の母親と道づれになった。母親は、二つぐらいの子供を、かくまき[#「かくまき」に傍点]で包み背負い、手には、買いものの風呂敷包みを持っていた。そうしてその足には、大きな藁靴をはいていた。それはまるで、竹串へ八ツ頭芋を差したようであった。泥にまみれたまま、わら屑が、雀の巣のようにほうけ出し、藁靴というよりは只のわら屑を足のまわりに纏りつけたという風であった。長野県でも、新潟県でも、雪靴というのを見たが、それはもっと手際よく作ってあったのと思い比べて見て、私は、この地方の百姓達の無器用さ、というよりは、こんな藁靴にも非常に幼稚な原始性を発見して驚いたのである。背中の子供の手には、赤い風船が一つ、竹棒の先にふわふわしていた。私はこれを見てまた思わずほろりとした気持ちになった。で、私は、言葉をかけたのである。
「ずいぶん寒いですね」
 事実、私の短靴の中の足も雪水に濡れて、ちぎれそうだったのだ。
「へえ……」と、母親は答えて、どこまで行くのか、と方言で訊いた。
「浦野館まで行くつもりです」と私が答えると、浦野館に、親類でもあるのかという。無い、と答えると、それじゃ、宿屋はなし、どこへ泊るつもりかと訊き返すので、私は、「百姓家へ泊らして貰うつもりです」と答えて見た。すると、その母親は、かぼちゃのめしで、囲炉裏端へごろ寝してもいいのなら、わたしの家へ泊るがいい、と言ってくれた。私は、喜んで答えた。
「それで結構です。是非泊めていただきます」
 そこで私は、そこまで私のカバンを持ちながら道案内して来てくれた三本木の青年に帰って貰うことにした。そのお礼として五十銭銀貨二つを出すと、その一つだけを取り、あとはどうしても取らない。ここにもこの地方人の純朴さが現われていた。私は、二つの銀貨を渡すために、長い間、泥道の中に彳《たたず》まなければならなかった。
 さて、その青年と別れると、私は、子供をおぶった母親の後について、その日の暮れ方、どろどろの足を、その家の土間へ踏み入れたのであった。この家の周囲には、雪に蔽われた田圃と畑とが、荒寥としてひろがっていた。その庭には、藁塚が四つ五つ、円い塔を作って居り、家の周囲には、雪除けの藁の垣が張りめぐらされていた。軒の下には、一尺あまりの氷柱《つらら》がずらりと寒い色にぶら下り、またその下には、めしの中へ入れて食べるための大根の葉、もろこしの穂などが繩にしばられ、幾重にも釣り下げられてあった。
 家の中は、料金不払いで電燈も消されたとかで、炉の焚火で僅かに照らしている。炉端の一方には真黒な屏風が立てられ、そこに子供の着物やおしめがじっとりと掛けられていた。そうして、その屏風のうしろには、一枚の障子もなくて、ふだんの居間であり、めしを食う所であり、また寝る場所でもあった。そうしてまた、これと向い合った板仕切りの向う側は厩であった。それは、中に六尺巾の土間を挟むだけで、彼等が寝たりめしを食ったりする所と、九尺とは離れていないのであった。しかもその板仕切りは、隙間だらけなので、黒い馬の姿の輪廓がはっきりと見えていた。
 この地方の百姓達には、馬もまた家族の一員である。だからこそ、南部馬の名に依って知られている良馬が出るのであろうが、これほどまで人と馬とが近々と寝起きしているとは、私はそれまで知らなかったのである。

   蚤《のみ》虱《しらみ》馬の尿《ばり》する枕もと

 これは、芭蕉の「奥の細道」の中の一句であるが、私はこの夜、この炉端にごろ寝しながら、この句を思い出し、この地方の百姓の生活ぶりは、元禄の芭蕉の時代も、昭和の吾々の時代も、少しも変っていないのだ、と思わずにはいられなかったのである。
 さて、その炉端には、当家の主人が、ぼんやりと焚火を見詰めていた。いつ剃りを当てたのか解らない髯面の中に、目だけを白く光らしている。しかし主人は、私を連れて来たわけを主婦から訊くと、その白い目を細めてこころよく迎えてくれたのである。
 私は泥靴を脱いで、炉の火に氷のような足をかざした。炉にかけた鍋の中には、何かぐずぐず煮えている。それは、めしの時に食べたが、くだけ米に、かぼちゃのうらなりを混ぜたものであった。うらなり南瓜は、平年には、田圃へ棄ててしもうものである。ぐしゃぐしゃで、味もそっけもないものであった。
 主人は、方言を出来るだけ標準語に直しながら、ぼつりぼつりと話し出した。話すことは勿論暗いことばかりであった。同じ村内に、たった六銭の金がないばかりで、満洲へ出征している息子からの手紙を見損ったという老父のあることも話した。
「切手の不足税六銭が払えないばかりに手紙は元へかえされちまったのだそうです。それで、親爺さんは、涙を流しながら言ってだです。どっちりと重い手紙でした。いろんなことが書いてあったに違えねえだ。わしはそれを手に取って、よくさわって見て、伜の心持ちを読み取ったです、と言ってやした。ほんとの話かどうか、何んでも満洲の兵隊は、一人について、歯ブラシが二十本も渡ったり、キャラメルが十ずつも配られたりするちゅうが、こちらの国の家では、六銭の金にも不自由している始末ですからな」
 これに似た哀話が、中郡和徳村のある出征軍人の家族にもあった。それは、その軍人の妹が病死したが、葬式を出す金がまるで無いばかりか、それを満洲の兄へ知らせる手紙を送ることも出来なかった。満洲の兄は、このことを、ある新聞の記事に依って知り、一人声を忍ばせて泣いていた。それが、隊長の目に止り、二十円の葬式費を隊の名で送り届けて来たので、やっと葬式を済すことが出来たというのであった。
 めし時になると、主人はまたこう言った。「まだこれでも、もみ殻[#「もみ殻」に傍点]を取ったくだけ米[#「くだけ米」に傍点]ですから、どうやら咽喉が通るが、そのうちに、くだけ米も無くなるので、こんどは、もみ殻の着いたままを、かぼちゃ[#「かぼちゃ」に傍点]やじゃが[#「じゃが」に傍点]芋に混ぜて食べるのです。これは平年には、馬が喰うものだが、今年は、わし達が馬になるです」
 ところで、このような食物で、幾月となく生きつないで行くうちに、栄養不良から、先ず子供の健康が害されることは明らかであった。これは、この数日後に、青森県庁の農務課長の口から聞いたことであるが、現に凶作地の小学校生徒の健康は甚だしく害されつつあることが、県の巡廻医師に依って発見されたということであった。で、食糧の最も欠乏する三月四月に入って、尚も現状のまま放置しとくならば、栄養不良に依る子供の死亡率が激増するのではないか、ということであった。
 夕めしが済むと、灯はなし、もう寝るより外はなかった、主人と主婦と子供とは、炉端の屏風のかげに、ぼろ布を重ね縫ったような布団にくるまって寝た、私は、一枚のかけ布団をかけ、それへかしわ[#「かしわ」に傍点]にくるまって寝た。私は、寝ながら訊いて見た。
「こちらでは、お子さんは一人ですか?」
 すると、主婦が、
「なアに、もう一人、今年十七になるのがあるのです」と答えた。
 その娘は、今、どこにいるか、私はそれを訊いて見たかったが、ここではもうそれを訊くのが余りに残酷に思われて来た。で、黙っていると主人が、溜息をつくようにして言った。
「その娘《こ》は、今、東京の方へ行ってます。この村からは、紡績へ出る娘がずいぶん多いですが、わしの娘《こ》は、五年の年期で、売り飛ばしてしまったです」
 これには私は合槌も打てなかった。
 僅か二三円の手附金で、一人の娘が売られて行くと、東京の新聞にはあったが、それは新聞のよた[#「よた」に傍点]であった。いかに純朴な百姓といえども、それほど愚かではない。しかし、百円から三百円ぐらいの金で、一人の娘が、或いは私娼に、或いは公娼に売られて行く例はザラにあるのであった。私はその実例を、蟹田村の近くのある部落で見たのである。
 そこは、青森市から、乗合自動車で三時間ほど、陸奥湾を右に見ながら、泥と雪の道を走らねばならなかった。このあたりも、殆んど無収穫の地であった。しかし、百姓達の多くは、一方では漁夫でもあったので、いわし[#「いわし」に傍点]、たら[#「たら」に傍点]の漁をして、今のところどうやら生きつづけているというのであった。が、それも一月一杯で、二月以後は、当分無漁となる。しかも、今までは年々、北海道から何百人とまとめて、漁夫を刈り出しに来たが、今年はてんで来ないという。ここでも、二月以後の生活は全く絶望であるというのである。
 私は暗い思いで、揺られていた。それは一月二日の午後で、一旦止んだ雪が、またさんさんと降り出して来た。降り出すと、海面は、一面の灰色に鎖され、行く手の道も、半丁先は見えないほどであった。
「ひょっとしたら、吹雪になるだ」と、私の隣りの男が言っていたが、果して、六里ほど進んだところで、雪は、渦を巻いて走り飛び出した。と、私のうしろに坐っていた老人が言った。
「飢饉の上に、三日も吹雪いたら、この辺の百姓は、干《ひ》死んでしまうだ。天明年間の飢饉年には、三万人からの人が干死んで、生き残った者共は、人間の肉、そいつも十七八の娘の肉がうまいというで、それが干死ぬのを待って食ったという話だが、うっかりすると、今年もそんなことになるだ。明治三十五年と、大正二年の飢饉はわしもよく知ってるだが、どっちも今年ほどじゃなかった。今年のような飢饉が来るというのも、いよいよ世が末になった証拠だ」
「だからさ、どうせ干死ぬなら、せめて一度でも、米のめしをげんなりするほど喰って見てえと思ってるだ」
「一度でも喰《く》えりゃまだいいだ。岩手の山奥じゃ、茶碗一ぱいの米のめしを、家から家へ持ち廻して、目で見るだけで喜んでるちゅうだ。それほどだから、病人が出来ると、枕元へその米のめしを置いとけば、病気が直るとせえ言ってるちゅうだ。米を作る百姓が、米のめしを拝むことしか出来ねえとは、全く嘘のような話だよ」
 自動車は吹雪をついて走っている、人々はそれで黙ったが、この時、うしろの方で、パンという音がした。
「畜生奴、とうとうパンクしちめえやがった」
 運転手は、パンクを予期してたもののようにそう言って、車を止めた。宿屋のある蟹田村まではまだ一里半ほどある。この吹雪の中を歩いて行ける筈はなし、車の中のものは、私を合せて四人、道路に面した或る百姓家の中へ避難したのであった。
 家の中の暗さ惨めさは、浦野館村の百姓家と変りがなかった。私達は、上り框の炉端へ、足を踏み入れて火にあたった。
 しばらくすると、風が少し静まった。二人の男は、五六丁先が自分の家だからと言って、穏やかになりかけた吹雪の中を出て行った。残ったのは、私と、五十歳ほどの老婆である。その老婆は、蟹田村から更らに一里近く山手に入った小国《おぐに》村のものであった。私はこの老婆と、その一夜を炉端で明したのだが、老婆は、私を相手にさまざまの身の上話をした末に、
「実は今日は、娘を、青森市のごけ屋[#「ごけ屋」に傍点](私娼の家)へ置いて来たのです」という意味を、方言で話し出たのであった。
 何故娘をそんな所へ置いて来たか、それを今更ら尋ねる必要はない。私はまたも暗い思いで黙っていると、老婆は、一人言のようにぼそぼそと、こんな意味のことも言った。
「わしの村は、稲田一反歩から二斗ばかしか取れなかった。それで、みんな外米を買って喰べているが、それを買うには金が先だ。その金を取るには、炭を焼くしかないが、その炭を焼くには炭材を買わねばならぬ。というのは、青森県下の山林の七割までは官有林で、一俵の炭を焼くにも、その官有林の木を現金で払い下げねばならぬ、という始末で、わしらの村の百姓達も、今、ほとほと途方に暮れている……」
 この老婆は、見かけに依らず、青森県下の山林の七割までは官有林だということを知って居り、それに対して一つの意見を持っていたのであった。
 また老婆は、こういう意味のことも言った。「この辺の百姓はまだ布団というものに寝られるので結構だ、これから西の方の、北津軽郡の車力村、稲垣村、西津軽郡の相内、内潟、武田の村々の百姓達は、布団と名のつくものは一枚も持っていない。みんなワラの中へ寝るのだ。一番下に稲のワラを敷き、その上に、ネシキというむしろのように織った菅を敷き、百姓達はその上にじかに寝る。そして、上には十三潟から取れる水藻で作ったネゴ(やっぱりむしろのように織ったもの)を掛けるのだ。割に暖かいが、がさごそと、いや全く、綿布団とは大変な違いだ」
 私は、岩手の山間の百姓達の生活が、生蕃人ほどの原始的であることに驚いたのであったが、青森の百姓達も、これほどなのかと、再び驚かずにはいられなかった。その前日、やっぱりワラの中に寝る百姓達の話をした男が、
「飢饉は飢饉として救わねばならぬが、同時に、この機会に、岩手、青森の百姓達の生活が、この年まで、いかに原始的な惨めな生活に虐げられて来ているかを暴露して、都会の消費生活者の目を覚してやらねばならぬ。昭和の御代に、粟や稗を常食とし、ワラの中に寝起きしている日本人がいるのだ、という事実を、為政当局者の眼前へさらけ出して見せねばならぬ!」と、叫んだのであったが、私も、この老婆の話を聞きながらも、全くそうだと思わずにはいられなかった。
 老婆は今迄の話の結論のようにして、こういう意味を言ったのである。「さっきの話ではないが、人の肉を喰ったのは昔の人ばかりではない。わし達も、つまりは人間を喰い合っている。子供を生かそうとすれば、親の肉を喰わせねばならぬし、親を生かそうとすれば子供の肉を喰わねばならぬ。そして、わしは今、娘を喰って生きようとしている」
 私は、思わず老婆の顔を見詰めた。この老婆は、娘を売って来た小金を持っているらしく、それを頻りと気にした。そして、傍にいる私をまで、時々警戒するような素振を見せるには、私も少しばかり参った。
 さて、その翌日の夜、私は、この老婆の娘を訪ねるために青森市の私娼窟へ入って行ったのであった。粉雪が降っては止み、降っては止んでいた。そして、往来には、雪と氷とがカンカンに凍っていて、私は幾度か、辷り倒れそうになった。そこは、海岸に近い所で、陸奥湾から吹きつけて来る寒風が、寒い往来の夜の空気を、引き裂くように吹き抜けていた。私は、この三日前、浅虫温泉の近くの凶作地、小湊村を歩いている時も、雪と風とに、からだ中が凍りつくような目に会ったが、しかし、それもこれほどではなかった。私娼窟――暗黒街へ、その女を訪ねて行くという気持ちも大分私の心を寒くしたせいもあったではあろうが。
 私娼窟は、窟の名にふさわしくはない、広いガランとした往来の両側に、うす暗く並んでいた。大ていは一戸一戸に別れた二階建で、私娼の家としては大き過ぎたが、それだけに、うらぶれた感じが漂っていた。多くは、三人か四人の女を置き、それが、入口の小座敷の中にいて、前をうろつく男達を呼び込んでいた。いけすかない[#「いけすかない」に傍点]が、えけしかない[#「えけしかない」に傍点]と発音するので、場所が場所だけ、ちょっとおかしかった。
 ところで、彼女[#「彼女」に傍点]の家はすぐ解った。入口に四人の女が立っていた。私は、彼女の本名を言って、その中から彼女[#「彼女」に傍点]を見出すと、すぐ二階へ上った。部屋は、日本中のどの私娼窟の部屋にも共通した恐ろしく荒れすさんだ部屋であった。彼女は、はじめ、私をひどく警戒したが、私が彼女の母親に会ったことを話すと、それから急に打ち解けた。
 しかし、百姓村にのみ育った女だけ、その容子は――紅や白粉をこてこてと塗りつけているだけ、むしろ滑稽なほど奇怪な感じであった。
「いつ、ここへ来たの?」「もう十日ばかりになる」
「いつから店へ出ているの?」「三日前から」
 そんな会話から、彼女は、彼女の母親も話さなかったことを話し出した。それは彼女の父親に関することであった。
 彼女の父親は、村と、青森市とを往復して相当手広い商売をしていた。雑貨の卸し商であった。が、年々の不景気で、にっちもさっちも動きがつかなくなっている所へ、今年の凶作と、つづいて、銀行の支払停止とに出会った。(今、青森県下の銀行の殆んどは、支払停止である)で金の融通が全く利かなくなり、同時に商売はぱったりと行き詰ってしまった。父親は最早半分絶望状態になった。そして、各方面の不義理はそのままにして、単身、青森市へ飛び出してしまった。
 父親は、埠頭の仲仕となった。しかし、さなきだに頼み人《て》がない所へ、見ず知らずの父親が入り込んでも、まるで仕事にありつけなかった。父親は毎日、雪風に吹かれながら、埠頭の倉庫のかげで、弁当を食うだけのことしかしなかった。そうして、やがてその弁当も持って行けない日が来た。或る日である。父親は、空腹のあまり、仲間の弁当を盗んで喰った。それがすぐ発見され、父親は、仲間のものから袋叩きにされた。そして足腰も立てぬまでに負傷した。
 父親は、木賃宿の一室に、一人棄てられたように寝ていた。
「それから四日目か五日目に、お父つァんは死んだの。怪我のために死んだのか、干死んでしまったのか、それはだれも知らない……」
 娘は、最後に、津軽弁でこう言ったのである。
 私は、これで筆を擱《お》こう。餓死線上にうめいている人々をさんざん書いた後に、こんな話を持ち出すのは、読者も堪らないだろうし、書く私は尚更堪らないから。
 青森県庁では、いま、あらゆる努力と方法とで、救済方法を講じている。現に、去年の暮には、県会議員三十三名が、全部お揃いで上京し救済金の借り出しに奔走したとかである。その救済方法は、先ず、破産しかけている県下の銀行を救済し、そして、それに依って融資の道を開き県下の商工業者を救済し、そうして後、飢饉地帯の百姓達を救済するのだと私は聞いた。いや、そうじゃない。直接百姓達へ、金も融通するし、食糧も給与するのだ、とも聞いた。
 夜道には日が暮れないそうだが、凶作地帯の暗黒は、只の暗黒ではないのだ。ということは、県当局者も充分御存じで、その一人は現にこう言ったのである。
「もしこの青森県下に、只一人でも、餓死者を出したなら、それこそ聖代の恥辱である。われわれは絶対に、聖代を恥辱せしめてはならぬ!」
 私は、県下の百姓達と共に、この言葉に非常な信頼と期待を掛けよう。
[#1字下げ](尚、秋田県北海道の惨状も記す筈であったが、紙面の都合で割愛する。其惨状は以上に依て推察して戴きたい)一九三二年一月十日
                      (昭和七年二月)

底本:「土とふるさとの文学全集 7」家の光協会
   1976(昭和51)年7月20日発行
初出:「中央公論」
   1932(昭和7)年2月号
入力:林 幸雄
校正:富田倫生
ファイル作成:
2012年3月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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下村千秋

とんまの六兵衛—— 下村千秋

 昔、ある村に重吉《じゅうきち》と六兵衛《ろくべえ》という二人の少年が住んでいました。二人は子供《こども》の時分から大の仲《なか》よしで、今まで一度だって喧嘩《けんか》をしたこともなく口論《こうろん》したことさえありませんでした。しかし奇妙《きみょう》なことには、重吉は目から鼻へ抜《ぬ》けるほどの利口者《りこうもの》でしたが、六兵衛は反対《はんたい》に何をやらせても、のろまで馬鹿《ばか》でした。また重吉の家は村一番の大金持ちでしたが、六兵衛の家は村一番の貧乏《びんぼう》でした。それでいて二人が兄弟のように仲がいいのですから、村の人々が不思議《ふしぎ》に思ったのも無理《むり》はありません。六兵衛は、その生まれつきの馬鹿のために、仲間《なかま》からしょっちゅうからかわれて、とんま[#「とんま」に傍点]の六兵衛というあだ名をつけられていました。
「とんま[#「とんま」に傍点]の六兵衛さん、川へ鰹節《かつおぶし》をつりに行かねえか。」
「お前とお父さんは、どっちがさきに生まれたんだい。」
 こんなことを言われても、六兵衛は怒《おこ》りもせず、にやにや笑《わら》っているばかりでした。それを見ている重吉はつくづく六兵衛がかわいそうになりました。そしてどうしたら六兵衛を利口にして、金持ちにすることが出来るかと、そればかりを考えていました。それで、
「六さんは金持ちになりたくないかい?」と尋《たず》ねると、六さんは、
「うん、なりてえよ。」と答えます。
「利口《りこう》になりたくないかい?」と尋ねると、
「うん、なりてえよ。」と言って、いつものようににやにや笑《わら》っています。
 ある日のこと、重吉《じゅうきち》はなにを思ったか、お父さんが大切にしまって置《お》いた掛《か》け物《もの》を、そっと取り出して、台所の片隅《かたすみ》にかくしてしまいました。するとお正月が来て、お父さんがその掛け物を床《とこ》の間へかけようとすると、いつもしまってある場所に見当たりません。お父さんはびっくりして、家中を探《さが》し回りましたが、どうしても見つかりません。お父さんは弱ってしまいました。これを見すまして重吉はお父さんの前に行って、
「お父さん、私の友達《ともだち》の六さんはうらないがうまいよ。だから掛け物のある場所をうらなわせてみてごらんよ。」と言いました。
 すると、お父さんは笑《わら》いながら、
「なに、とんま[#「とんま」に傍点]の六兵衛《ろくべえ》がうらなうって? これほどさがしても見つからぬものを、あんな馬鹿《ばか》にどうしてわかるものかえ。」と言って、まるで取り合ってくれません。
「お父さん違《ちが》うよ。お父さんはまだ六兵衛さんのえらいことを知らないんだ。六兵衛さんはうらないにかけては日本一なんだよ。」
 あまり重吉がまじめに言い張《は》るので、お父さんもついその気になって、
「じゃ一つうらなわせてみようか。」と言いましたので、とんま[#「とんま」に傍点]の六兵衛は、いよいよお父さんの掛け物のありかをうらなうことになりました。
「あのとんま[#「とんま」に傍点]の六兵衛のうらないが当たったら、あしたからおてんとう様が西から出らあ。」と、村の人々は笑《わら》いました。
 使いのものにつれられて六兵衛《ろくべえ》は、重吉《じゅうきち》の家にやって来ました。そして座敷《ざしき》のまん中に落ちつきはらって座《すわ》り、勿体《もったい》ぶって考えていましたが、やがてぽんとひざを叩《たた》いて、とんま[#「とんま」に傍点]に似合《にあ》わないおごそかな声で言いました。
「皆《みな》さん、掛《か》け物《もの》のありかはわかりました。こちらです。」と言って台所の方をゆびさしました。そこで重吉のお父さんは、その台所のあたりを探《さが》しますと、果《は》たして掛け物が出て来ました。六兵衛は、もとより重吉から掛け物のありかを教えられていたのですから、こんなことはわけもないことだったのです。でも重吉のお父さん始め家の人々は、そんなことは知りませんから、六兵衛のうらないにびっくりしてしまいました。そして、
「六兵衛は、すばらしいうらないの名人だ。」ということがやがて家から村へ、村から城下《じょうか》へとひろがって、六兵衛は重吉のちょっとしたいたずら半分のはかりごとのために、うらないの大先生になってしまったのです。
 ちょうどその頃《ころ》、その国の殿《との》様のお屋敷《やしき》につたわっている家宝《かほう》の名刀が、だれかのために盗《ぬす》まれました。これはまったくの一大事《いちだいじ》ですから、殿様は国中に命令《めいれい》を下して、盗人《ぬすびと》を探させましたが、どうしても見つけることが出来ませんでした。

 その頃またちょうど、六兵衛先生の名が殿様のお耳に達《たっ》しました。そこで殿様は早速《さっそく》、六兵衛先生をむかえて、名刀のありかをうらなわせることになりました。
 さすがの六兵衛もこれには驚《おどろ》きました。あんまり重吉のいたずらがすぎたために、とんだことになったと、内心びくびくしていますと、やがて殿様から使いがやって来て、六兵衛ははるばると殿様のお城《しろ》につれられて来ました。六兵衛《ろくべえ》は心配でたまりませんでした。どうしてうらなったらいいのかまるで見当もつきません。
 さて、いよいよ明日は登城《とじょう》して、殿《との》様の御前《ごぜん》でうらないをするという晩《ばん》です。六兵衛はまんじりともせず考えこんでいましたが、なんにもいい考えは浮《う》かんで来ません。そのうちに頭がぼんやりして来たので、六兵衛は頭をひやすつもりで庭の方に出て行きました。と、その時、一|匹《ぴき》の虫が六兵衛の大きな鼻の穴《あな》へとびこんだのです。そこで六兵衛は、持ちまえの大声をはり上げて、
「ハックショ、ハックショ。」とくさめをしました。ところがだしぬけに、縁《えん》の下で何か言うものがありました。六兵衛は、
「だれだっ。」と言おうとしましたが、鼻の中がくすぐったいので、また大きなくさめをしました。と、こんどは、縁の下からおろおろ声で、
「ハイ、白状《はくじょう》いたします。実は私《わたくし》が殿様の名刀を盗《ぬす》んだものでございます。名高いうらないの先生がうらなうということをきいて、どんなものかと思って、今までここにしのんでいたのでございます。ところが、あなた様は私がここにしのんでいることまでうらない当てて、ただいま『白状、白状』と申されました。名刀は、お城《しろ》の裏《うら》のいちばん大きな松《まつ》の根元にうずめてありますから、どうぞ命だけはお助け下さいまし。」
 六兵衛はこりゃすてきなことをきいたと思い、大|喜《よろこ》びで盗人《ぬすっと》はそのまま逃《に》がしてやりました。
 次の日六兵衛は、生まれてから一度も手を通したことのない礼服《れいふく》をきせられ、お城に参上《さんじょう》しました。百|畳《じょう》敷《じき》もある大広間には、たくさんの家来《けらい》がきら星のようにずらりと居流《いなが》れています。六兵衛はとんま[#「とんま」に傍点]ですからあまり驚《おどろ》きませんでしたが、それでもおどおどしながら殿様の御前《ごぜん》に平伏《へいふく》しました。
「六兵衛《ろくべえ》とはその方か。御苦労《ごくろう》、御苦労。」と殿《との》様は声をかけました。
「さて、余《よ》の家に伝《つた》わる名刀のありかについて、そのうらないをその方に申しつける。正しく名刀のありかを判《はん》じ当てるならば、ぞんぶんの褒美《ほうび》を取らすぞ。」
 六兵衛はこれをきくと、頭をあげてピョッコリとあいさつをして、
「はい、はい、ありがとうございます。」と答え、それから勿体《もったい》ぶって考えこみました。ずらりとならんでいる家来《けらい》たちは、せきばらい一つせず、六兵衛の振舞《ふるまい》を見ています。すると、やがて六兵衛はひざをぽんと叩《たた》いて、
「殿様、わかりました。お家の名刀はたしかに、お城《しろ》のうらのいちばん大きな松《まつ》の根元にうずめてございます。」と申し上げました。
 そこで、家来たちがさっそくその松の根元を掘《ほ》って見ますと、果《は》たして宝物の名刀が出て来ました。
 ところが殿様は、大|喜《よろこ》びと思いのほか、ことのほかの御立腹《ごりっぷく》でありました。
「さてはその方、あらかじめ自分で盗《ぬす》み、松の根元にかくし置《お》いたものにちがいあるまい。不届《ふとど》きもの奴《め》!」
 こう言うや、殿様はそばの刀を取って引き抜《ぬ》こうとしました。とんま[#「とんま」に傍点]の六兵衛も、これには驚《おどろ》き、がたがたふるえ出しました。
 すると、かたわらに座《すわ》っていた家来の一人が、
「恐《おそ》れながら申し上げます。当人はあだ名をとんま[#「とんま」に傍点]の六兵衛とか申し、生まれつきの馬鹿者《ばかもの》のゆえ、かかるものを切っては殿の刀のけがれ、いかがなものでしょうか、もう一度外のことをうらなわせて、それで当たらずば殿の前にて拙者《せっしゃ》が真っ二つにいたしましては。」
 殿様も、これにも一理《いちり》があると思いましたのか、さっそく六兵衛《ろくべえ》を次のうらないに取りかからせました。
 殿《との》様はこんどは、手のひらに何やら字を書きました。そしてその手のひらをかたくにぎって、言いました。
「こりゃ六兵衛、汝《なんじ》が盗人《ぬすっと》でない証拠《しょうこ》を見せるために、余《よ》の手のひらに書いた文字を当ててみよ。うまく判《はん》じ当てたならば、のぞみ通りの褒美《ほうび》をとらせよう。判じそこねた時は、汝の首は汝の胴《どう》にはつけて置《お》かぬぞ。」
 さあこんどこそ、六兵衛も死にものぐるいです。どうかして考え出そうとしましたが、もとよりのろま[#「のろま」に傍点]でとんま[#「とんま」に傍点]なのですから、とうてい考え出せません。のろま[#「のろま」に傍点]のとんま[#「とんま」に傍点]でなくとも、これを判じ当てることはちょっと出来ないことでしょう。六兵衛は急に悲しくなりました。このまま自分は殿様に殺《ころ》されるのかと思うと、涙《なみだ》が出て来ました。
「コラ! 早く判じ当てんか。」と殿様は催促《さいそく》しました。
 いよいよ絶体絶命《ぜったいぜつめい》です。これももとはといえば重吉《じゅうきち》のいたずらから出たことです。思えば重吉がうらめしくなりました。で、とうとう六兵衛はおろおろ声で、
「重吉さんがうらめしい。」と言おうとしましたが、涙《なみだ》が、こみ上げて来て、
「重……重……」とどもってしまいました。
「なに、十だと。六兵衛、でかしたでかした。」
 殿様はさっと手をひろげて、そう叫《さけ》びました。
 どうでしょう。殿様の手のひらには、たしかに十という字が書いてあったのです。六兵衛はびっくりするやら、ホッとするやら、夢《ゆめ》のような気がしてぼんやりしてしまいました。が、やがてたくさんの御褒美《ごほうび》をいただいて、喜《よろこ》び勇《いさ》んで村へ帰って来ました。
 それからはだれも、六兵衛をとんまの六兵衛と呼《よ》ぶものはありませんでした。

底本:「あたまでっかち――下村千秋童話選集――」茨城県稲敷郡阿見町教育委員会
   1997(平成9)年1月31日初版発行
初出:「赤い鳥」赤い鳥社
   1925(大正14)年7月
※表題は底本では、「とんまの六兵衛《ろくべえ》」となっています。
入力:林 幸雄
校正:富田倫生
2012年2月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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下村千秋

あたまでっかち—– 下村千秋

 霞《かすみ》ガ浦《うら》といえば、みなさんはごぞんじでしょうね。茨城県《いばらきけん》の南の方にある、周囲《しゅうい》百四十四キロほどの湖《みずうみ》で、日本第二の広さをもったものであります。
 日本第一の近江《おうみ》のびわ湖《こ》は、そのぐるりがほとんど山ですが、霞ガ浦は関東平野《かんとうへいや》のまんなかにあるので、山らしい山は、七、八|里《り》はなれた北の方に筑波山《つくばさん》が紫《むらさき》の色を見せているだけで、あとはどこを見まわしても、なだらかな丘《おか》がほんのり、うす紫に見えているばかりであります。
 ですから、この湖《みずうみ》の景色《けしき》は、平凡《へいぼん》といえば平凡ですが、びわ湖《こ》のように、夏、ぐるりの山の上に夕立雲《ゆうだちぐも》がわいたり、冬、銀色の雪が光《ひか》ったりすると、少しすごいような景色になるのとはちがって、春夏秋冬、いつもおだやかな感じにつつまれています。びわ湖を、厳格《げんかく》なおとうさんとすれば、霞ガ浦は、やさしいおかあさんのようだともいえるでしょう。この湖の周囲《しゅうい》には、土浦《つちうら》、石岡《いしおか》、潮来《いたこ》、江戸崎《えどざき》などという町々のほかに、たくさんの百姓村《ひゃくしょうむら》が、一里おき二里おきにならんでいます。大むかし、人間は波のおだやかな海岸とか、川の岸とか、湖のまわりなどに一番さきすんだものですから、このおかあさんのようなやさしい霞ガ浦のまわりには、もちろんずっと大むかしから人がすんでいたのです。いまでも、方々から貝塚《かいづか》がほりだされたり、矢の根石やいろんな石器《せっき》が発見《はっけん》されたりするのでも、それがわかります。
 それで、百姓村でもずいぶんふるい歴史《れきし》をもった村があり、何《なん》十|代《だい》つづいたかわからないような百姓家が、方々に残っているわけです。
 林太郎《りんたろう》の村も、このふるい歴史をもった村のひとつでした。湖の南の岸の丘の上にあって、戸数《こすう》は五十|戸《こ》ばかりでした。また林太郎の家も何十代つづいたかわからないという旧家《きゅうか》で、村の一番北のはずれに、霞ガ浦を見下して、大きなわら屋根をかぶっていました。
 しかし、旧家というのは名ばかりで、いまでは、屋敷《やしき》まわりの大きな杉林はきりはらわれ、米倉《こめぐら》はとりこわされ、馬もいないうまやと、屋根に草がぼうぼうにはえた納屋《なや》があるきりの、貧乏《びんぼう》な百姓《ひゃくしょう》となっていました。同じ村の百姓も年々貧乏になっていきましたが、林太郎の家は村一番の旧家であるうえに、むかしは「名主《なぬし》」というのをつとめ、十年前ごろまでは村の、「総代《そうだい》」というのをやっていただけ、その貧乏がひじょうにめだつのでした。
 林太郎のおじいさんは、それを年中|苦《く》にしていて、
「せめて子どもでも大ぜいいたら、にぎやかでいいのだが、林太郎ひとりきりだから、よけいに家の中がめいるばかりだ。」
といっていました。林太郎はことし十一|才《さい》で、小学校の五年生になっていましたが、弟も妹もなく、まったくの一|粒《つぶ》っ子なのでした。あとは、おとうさんとおかあさんとおじいさんの三人きりでしたから、がらんとした広い暗い家の中にいると、人はどこにいるかわからないほどで、まったく陰気《いんき》だったのです。

 さて、ひとりっ子というものは、わがままっ子のきかんぼうが育《そだ》つものですが、林太郎はどっちかといえば、いくじなしの泣《な》き虫《むし》子にそだちました。おじいさんがかわいがりすぎたせいだ、とおとうさんはよくいいましたが、そうばかりではなく、あんまり陰気《いんき》な家の中にそだったためかもしれません。とにかく林太郎は、ちょっとしたことにもすぐめそめそとなきだすのでした。
 それにもうひとつ困《こま》ったことは林太郎はからだのわりに頭でっかちで、それで口の悪い村の子どもらから、「ごろっこ」というあだ名をつけられていることでした。「ごろっこ」とはかわずの子という意味《いみ》で、あの頭でっかちの「おたまじゃくし」のことです。村の子どもらは、なにかというと、
「やあい、ごろっこめ。」
とはやしたてるのです。すると林太郎は、すぐべそ口になり、くやしそうになきだすのでした。
「頭がでかい子は、えらい人になるんだぞ。なくことはない。」
 おじいさんは、林太郎がなきながら家へかえってくるのを見ると、そういってその頭をなでるのでした。またおかあさんは、夜、林太郎をだいてねるたびに、その頭を平手《ひらて》でなでながら、
「林太郎は、学校がよくできるので、みんながやっかんであんな悪口をいうのだよ。子どもの頭は大きい方がいいんだぞ。みんなの頭は小さすぎるんだぞ。」
と、やさしくいってきかせるのでした。
 実際《じっさい》、林太郎は学校の成績《せいせき》がよく、いままでに三番とさがったことはなかったのです。ただ、頭が重いため、運動がへたで、ことにかけっくらになると、いつもびりっかすでした。で、おとうさんはよくこういうのです。
「学校なぞはできなくてもいいから、かけっくらで一番になれ。いつまでたってもごろっこ[#「ごろっこ」に傍点]じゃ、百姓にもなれやしない。」
 そういわれると、林太郎はまたくやしそうになきだします。するとおとうさんはまた、
「またなきやがる。乞食《こじき》の子にくれてやるぞ。」
と、どなりました。
 おじいさんとおかあさんは、頭が大きいのをほめてくれるのに、おとうさんだけは、いつもそんなふうにいっては、つらくあたるので、林太郎はおとうさんをこわがって少しもなつきませんでした。もの心がついてから、一度だっておとうさんにおんぶしたり、だかさったり、夜、いっしょにねたりしたことはなかったのです。
 そのうえ、林太郎にはどうしてもおとうさんになじめないわけがありました。それはおとうさんが、ときどき夜おそく、お酒《さけ》によっぱらい、人相《にんそう》まで変わってかえってきて、一晩中おかあさんをいじめてなかすことでした。林太郎はこわいので、ふとんの中に頭をひっこめ、かめの子のようにちぢまっているのですが、それでもおとうさんのあらあらしい声がきこえるのです。
 ふだんでもこわい声をだすおとうさんですから、よっぱらってだす、そのあらあらしい声には、なにかこわい動物《どうぶつ》のほえ声みたいなところがあります。それが林太郎には憎《にく》らしくて憎らしくてなりませんでした。それにまたおかあさんをわけもなくいじめるのですから、たまらなかったのです。けれど、どうかすると、おとうさんはそのあらあらしい声の中で、「林太郎をどうする。」とか、「こうする。」とかいうことがありました。林太郎はふとんの中でそのことをきくと、からだ中、ぞくっとしました。それは、やっぱり自分《じぶん》の頭のことについていっているのだと、ひとりぎめにきめてしまうからでした。つまり自分は、「ごろっこ」のように頭でっかちなので、それがおとうさんとおかあさんとのあらそいのたねになるのだというふうに考えるからでした。
 これには林太郎はすっかりまいって、ひとり頭をかかえてべそ口をしているばかりでした。そうして小さな胸の中で、おかあさんにすまない、といっているばかりでした。

 それは、夏のはじめで、田植《たう》えのすんだ頃《ころ》のある夜でした。林太郎は、右どなりの家のおきぬさんという娘《むすめ》につれられて、湖のふちへほたるをとりにいったのでした。
 おきぬさんは、林太郎からみれば、もう「およめさん」になれそうな娘さんでしたので、ねえちゃん、ねえちゃんとよんでいました。おきぬさんもまた林太郎を弟のようにかわいがってくれるので、このひとだけには、おかあさんにもいえないことがいえるような気がしていました。
 林太郎は、おきぬねえちゃんの手につかまって、たんぼのあぜ道を湖《みずうみ》の方へ歩いていきました。月がでていましたが、かすみにつつまれてほの白く見えているだけでした。いくほどにかすみはだんだん深くなりました。そして湖の岸の土手《どて》までいくと、湖面《こめん》はまるで夢《ゆめ》を見ているように、とろんとかすんでいました。「霞《かすみ》ガ浦《うら》」という名はこういうところからでたのにちがいありません。まったくかすみにつつまれた霞ガ浦ほど、なごやかなやさしい自然はないでしょう。
 林太郎はなんだかもの悲《がな》しくなりました。夢のようなかすみの中にいるせいか、それともおきぬねえちゃんに手をひかれているせいか、どっちだかそれはわかりませんが、なんだかひとりでになきたくなってきたのです。うす浅黄色《あさぎいろ》のかすみの中に、ほたるがいくつもほの青い光の尾《お》をひいて、高く低くとんでいましたが、林太郎はそれをつかまえようともしません。ばかりか、ほたるのその青い光までが、目にかなしくうつるのです。
「林太郎ちゃん、どうしたの。」
 おきぬねえちゃんが、ふと林太郎の顔をのぞいてそういいました。
「…………。」
 林太郎は、なんとも答えず顔をふせてしまいました。
「こんなとこ歩いてるの、おもしろくないの。じゃかえろうか。」
「……ううん、かえりたくないよ。」
 林太郎はやっと鼻声《はなごえ》で答えました。
「そんなら元気をだして、ほたるをとりなよ。そら、すぐそこを、すいすいととんでるじゃないか。」
「……ねえちゃん、おれ、おれ……死《し》にたいんだ。」
「……なあに?」
「おれ、死にたいんだよ。」
「林太郎ちゃん、なにいってるのさ。夢を見てるんじゃない!」
「だっておれ、あたまでっかちだろう。それでみんなが笑うだろう。それでおとっつあんも、おっかさんをいじめるんだもの……」
 林太郎は、大きなおでこの下の小さな顔をいかにも思いあまったというふうにして、そういうのでした。そのようすが、おきぬねえちゃんにはちょっとおかしくもなったので、
「林太郎ちゃんは、おばかさんだわねえ。」
といって、林太郎の肩《かた》をだいてやりました。と、林太郎はおきぬねえちゃんのからだへ、大きなおでこをおしつけて、うーん、うーんとむせびながら、
「おとっつあんは、おれのほんとのおとっつあんじゃないだろう。そうだい。だからおれのごろっこ頭が気に入らないで、あんなにおっかさんをいじめるんだろう。だからおら死にたいんだ。」
と、いうのでした。
 林太郎のおとうさんは、きのうの晩《ばん》も酒《さけ》によってきて、林太郎のことをいっては、この家をでていけ、と、おっかさんをいじめたのでした。それがいま、林太郎の頭の中にありありと浮《う》かんでいるのでした。これにはおきぬねえちゃんも困《こま》って、
「林太郎のおとっつあんはほんとのおとっつあんなのよ。ちがうのはおっかさんの方なのよ。だから林太郎ちゃんが頭でっかちだからといって、おとっつあんがおっかさんをいじめるわけはないのよ。」
と、いってきかせました。
 すると、これがまた林太郎をひじょうにびっくりさせました。林太郎はこわい顔でおきぬねえちゃんをにらみつけながら、きゅうに大きな声で、
「そんなことないや、そんなことないや! おっかさん、おれのおっかさんだい。」
とさけびたてました。
 これにはおきぬねえちゃんもはっとしました。悪いことをいったと思いなおして、
「ええ、うそよ、うそよ。そんなことないの。ほんとにそんなことないの。」
と強くうちけして、
「だからまま親なんていうのはみんなうそなのよ。おとっつあんもおっかさんもほんとの親なのよ。だから、林太郎ちゃんの頭でっかちのことで、おとっつあんがおっかさんをいじめるわけもないの。ただ、どこの家にもいろんな心配《しんぱい》ごとがあるものだろう。それでおとっつあんとおっかさんがいいあいするんだろうけど、そんなこと子どもは知らないふりをしていればいいのよ。」
と、しみじみいいきかせました。
 林太郎は、こんどは怒《おこ》りもせず、またなきもまず、ただだまりこんでしまいました。林太郎には、自分が考えていることがほんとうなのか、おきぬねえちゃんのいったことがほんとうなのか、わからなくなったのでした。

 それから三日ほどした朝《あさ》のことでした。おとうさんは野《の》らへ仕事《しごと》にでかけ、おじいさんは湖の岸へ、「のっこみぶな」というのをつりにでかけたあとで、おっかさんはひとりでよそいきの着物《きもの》にきかえ、ふろしきづつみ一つをもって、
「林太郎、おっかさんはむこうの家へいってくるから、おとなしく待っといで。」
と下をむいたままいいました。
 むこうの家というのは、おっかさんのお里《さと》のことでした。林太郎の家の裏手《うらて》の丘《おか》から北の方を見ると、霞ガ浦が入江《いりえ》になっていて、そのむこうに一つの村があり、その村におっかさんのお里《さと》があるので、それで「むこうの家」といっているのでした。
 おかあさんはいままでその「むこうの家」へかえるときは、かならず林太郎をつれていきました。だのにきょうにかぎってそんなことをいいだしたものですから、林太郎の顔色《かおいろ》はみるみる変わりました。
「おれもいくよ、おれもいくよ。」
 林太郎はおかあさんの手にぶらさがってそういいました。
「きょうはつれていけないの。」
 おかあさんはそっぽをむいていいます。
「なんでよ、なんでよ?」
「おとっつあんにしかられるから。」
 そういうと、おかあさんはいきなり土間《どま》へおり、裏庭《うらにわ》へでていきました。林太郎はもう夢中《むちゅう》になり、はだしのままおっかさんの後をおいかけました。そうして、ひきつったような声でなきさけびだしました。
 おかあさんもそれには困《こま》りました。おかあさんはかきの木につかまって考えていました。そして林太郎になにかいいそうにしましたが、それもいわないで、ただ、
「そんならつれていこ。」
とだけいって、林太郎の手をとりました。
 おかあさんのお里の村までは、丘《おか》づたいに入江《いりえ》をぐるりと回《まわ》っていけば、二|里《り》あまりありましたが、舟でまっすぐに入江を横ぎっていけば、十四、五|丁《ちょう》しかありません。それに湖の岸にすむ人たちは、女でも子どもでも船をこぐことはじょうずですから、おかあさんもお里《さと》へかえるときは、いつも自分で船をこいでいきました。船は、このへんで「さっぱ船」という小さな船で、田植えをするときなどなくてならないものですから、どこの家でも一つぐらいは持っていたのです。
 おかあさんは、そのさっぱ船のまん中へ林太郎をのせると、竹ざおをとってするするとおしだしました。その日はいかにも初夏《しょか》らしいお天気で、丘の上の新緑《しんりょく》はほんのりかすみ、空も水もふっくらとふくらみ、かわずはねむそうにないて、なんともいえないいい気持でした。
 しかしおかあさんはだまりこくって、さおをあやつっています。林太郎はぼんやりとゆくての村の方を見ていましたが、その頭の中ではこんなことを考えていました。
「やっぱりおれの頭がでっかちなので、なにか困ったことが起《おこ》ったんだな。」

 まもなくおっかさんのお里のおうちが見えてきました。若葉《わかば》がふっくらとしげった木々のあいだに、大きなわら屋根が見え、それから米倉《こめぐら》の白い壁《かべ》が見えてきました。その白い壁は朝の日をうけて、あたたかそうに光《ひか》っていました。
 おっかさんはそれが見えてくると、いつもにこにこして元気《げんき》よく船をおしだすのでしたが、きょうはその方を見ようともしません。下をむいたまま、たいぎそうにさおをあやつっているばかりでした。
 林太郎は悲しくなりました。それで、ふなべりから手をのばして、水面《すいめん》に白く咲《さ》いているすいれんの花をむしってはすて、むしってはすてて、泣《な》きそうになるのをがまんしていました。
 やがて船は、米倉の下の岸《きし》へつきました。水ぎわにあそんでいた、たくさんのあひるどもが、があがあなきながら泳《およ》ぎにげました。
 おっかさんは林太郎の手をとって丘へ上がると、今わたってきた入江の方へ見返ってため息《いき》をつきました。それから米倉の前を通って母屋《おもや》の庭へはいっていきました。
 母屋の縁《えん》には、おっかさんのおっかさん、つまり林太郎にとってはおばあさんがめがねをかけて針仕事《はりしごと》をしていましたが、林太郎たちの姿《すがた》を見ると、めがねをはずしながら、
「おやおや、よくきた。林太郎もよくきたな。」
と、よろこんで、にこにこしながらいいました。
「きょうはおまえのうちは仕事が休《やす》みかい。林太郎も学校がお休みかい?」
と、聞きました。
 けれどもその日は、林太郎のうちでは仕事が休みでもなかったし、林太郎は学校がお休みでもなかったので、ふたりともなんとも答《こた》えませんでした。
 おっかさんは、持ってきたふろしきづつみを縁《えん》の上へおくと、おばあさんのそばへ腰をかけて、ひくい声でなにか話しだしました。話しているうちにおっかさんの顔はだんだんうつむいてきました。おばあさんは、うんうんといいながら聞いていましたが、やがておばあさんの顔も下をむいてしまいました。
 林太郎は、自分《じぶん》が聞いては悪いことを話しているのだ、と思いました。自分のあたまでっかちのことを話しているのだな、とも思いました。それで、おっかさんのそばをそろそろとはなれて、米倉《こめぐら》の方へとぼとぼと歩いてきました。

「林太郎《りんたろう》や、遠くへいくんじゃないよ。」
と、おっかさんがうしろから声をかけました。
「うん。」
と林太郎はふりむきもしないで答えて、さっきおっかさんとのってきた船がつないである水際《みずぎわ》の方へおりていきました。そこにはさっきのあひるどもが、やっぱりがあがあなきながら、いかにもおもしろそうに泳《およ》ぎまわっていました。林太郎はそれをぼんやり見ながら、自分はとうとうひとりぼっちになってしまったような気持になりました。
 すると、後の方で、おん、おん、おんというなにかのなき声がしました。ふりむいてみると、小さなまっ白なむく犬がいました。ひつじのようにむくむくした、毛ののびた前足を前へつっぱり、くりくりした茶色《ちゃいろ》の目《め》をきょとんとあけて、わん、わんというよりは、おん、おんというような声でほえたてています。
 犬の大好《だいす》きな林太郎は、いままでなきそうにしていた顔をきゅうに明かるくいきいきとさして、その場《ば》にしゃがみながら片手《かたて》をさしだし、ちょっちょっと舌《した》をならしてよびました。が、むく犬はかえってあとしざりしながら、おん、おんとほえたてます。林太郎はそれをつかまえてやろうと思い、立ち上がっていきました。と、むく犬はこんどはむこうをむいてばらんばらんとにげだしました。あんまりきゅうにかけだしたので、前へのめってころんとひとつもんどりをうって、それからあわてておき上がり、またかけだしました。
 子犬というものはみんなあたまでっかちなものですが、そのむく犬はわけてもでっかち頭に見えました。それできゅうにかけだしたりするとのめるのでしょう。林太郎はおかしくなって、
「やあい、でっかちあたまあ……」
と、どなってやりました。しかしそれは、自分が村の子どもらからしょっちゅういわれていることでした。林太郎はへんな気持《きもち》になりました。そしてそのむく犬がとてもなつかしくなりました。自分のきょうだい分《ぶん》のような気がしてきました。
 それから林太郎は、なんとかしてそのむく犬を手なずけようと考えました。口をとんがらしてへたな口笛《くちぶえ》をふいてみたり、なにかたべるものをくれるように見せかけたり、いっしょに遊ぼうというように道ばたの草の上にねころんで見せたりしました。むく犬は、もうにげようとはしませんが、でっかち頭をくるくるまわしたりして、おどけるようなまねをしながらも、なかなかそばへよってきませんでした。
「おまえの名はなんちゅうんだい? 名なしの犬ころかい? 白いからしろだろう。そうだ、おれが名をつけてやるよ。しろ公《こう》とつけてやるよ。……しろ公や、こっちへこいよ。おれのでしにしてやるよ。でしでいやなら、弟《おとうと》にしてやるよ。」
 しろ公はにこっと笑《わら》ったように林太郎には見えました。それから前足をちょいとあげて、ぼく、うれしいな、というようなようすもしました。が、それでも、そばへはよってきません。
 と、母屋《おもや》のお庭《にわ》からおっかさんが、
「林太郎や、おひるだよお……」
とよびました。林太郎は残念《ざんねん》そうにその場をひきあげました。

 林太郎は、いろりのある台所《だいどころ》で、おばあさんとおっかさんのあいだにすわって、おひるのごはんをたべていました。すると、さっきのしろ公が、いつのまにかそこの土間《どま》へきていて、みんながごはんをたべているのを、さもうらやましそうに、しっぽをふりながら見上げていました。林太郎はびっくりしてよろこび、
「やあ、しろ公だ、しろ公だ。」
と、のび上がっていいました。
「おやおや。」
と、おばあさんもしろ公を見下ろして、
「林太郎のうちのかい?」
「ううん、さっき、ひとりであそんでいたから、おれの弟にしてやったんだよ。」
「それじゃ、野ら犬かな?」
「野ら犬であるもんか。しろ公というなまえがついてるんだもの。」
「あの犬が、自分でそういったのかい?」
「……うん、そういった……」
 おばあさんは、
「ああ、そうかよ。」
と、それから声をあげて笑《わら》って、
「それじゃ、なにかたべさしてやろうかな。」
「うん。おれ、くわしてやるよ。」
 やがて林太郎は、おばあさんが、ねこのおわんへもってくれた汁《しる》かけ飯《めし》をもって、土間へおりていきました。しろ公はよっぽどおなかがすいているとみえて、もうにげだすどころか、小さなしっぽをふりちぎりそうにうちふりながら、がつがつとくいつきました。
 それから林太郎としろ公はすっかり仲《なか》よしになりました。しろ公はまったくの弟になったように、林太郎のいくところはどこへでもついてきました。林太郎はもう、ひとりぼっちになってしまったような気持を、きれいに忘《わす》れてしまいました。
 林太郎はしろ公をつれて、母家《おもや》のまわりをかけまわりました。米倉のまわりもかけまわりました。入江のふちの道もいったりきたりしました。ときどきだきあげてやると、しろ公はあんまりよろこびすぎて、おしっこをもらしたりします。草の上へねころんでふざけると、しろ公は夢中《むちゅう》になりすぎて、林太郎の手や足に歯《は》あとがのこるほどかみつきます。そんなとき、
「しろ公のばか。気をつけろよ。」
 そういってかるく頭をぶってやると、しろ公は目をしょぼしょぼさせて、ごめんね、とでもいうように林太郎の手の甲《こう》をしゃりしゃりなめたりします。
 林太郎はどうしていいかわからないほど、しろ公がかわいくなりました。

 そのうちに、晩春《ばんしゅん》のながい日もくれかけました。けれど林太郎は、それも知らずにしろ公と遊んでいると、おっかさんがそこへでてきて、
「林太郎、もううちへかえりなよ。」
と、いいました。
「おっかさんもいっしょにかえるんだろ?」
「おっかさんはきょうはかえれないよ。そのかわり友《とも》さんをつけてやるから、いいだろう。」
 友さんというのは、おばあさんのうちの作男《さくおとこ》でした。
「友さんでは、いやだ、いやだ。」
「そんなこといわないで、きょうだけおとなしくかえっておくれ。でないとおかっさんが困るから。」
「………」
「それじゃ、そのしろ公もいっしょにつれていきな。林太郎にはしろ公という弟ができたんだもの、もうさびしかないだろう。」
「………」
 林太郎はしろ公をだきながら、指《ゆび》のつめをかんでいるばかりです。おっかさんは大きなため息《いき》をついて、
「困ったなあ。」
と、また、うつむいてしまいました。
 林太郎は、うわ目でおっかさんのようすをしげしげと見ていましたが、なにか決心《けっしん》したように、
「そんじゃ、あしたきっと、おっかさんもかえってくる?」
「あした……」
と、おっかさんはちょっといいつまったが、
「そう、あした、かえるよ。」
と、小さなこえでいいました。
 林太郎はそれがまた気になりましたが、とうとう、
「じゃ、おれきょうかえるよ。」
と、答えました。

 林太郎は、しろ公をつれ、作男の友さんに船をおしてもらって自分のうちへかえりました。そしてその夜は、しろ公の寝床《ねどこ》を土間のすみへわらでつくってやって、自分はおじいさんといっしょにねました。
 つぎの朝はいつもより早く起《お》きだして、しろ公をつれて家の裏《うら》の丘の上へのぼり、入江の方を見ていました。が、おっかさんはかえってきませんでした。林太郎は日がくれるまで、何度《なんど》となくその丘へきてみましたが、やっぱりだめでした。
 そうしてつぎの日も、またそのつぎの日もおっかさんはかえってきません。林太郎はおじいさんに、なぜおっかさんはかえらないのか、と一日に三度も四度も聞いてみましたが、おじいさんは
「そのうちに、帰るで、おとなしくしてるだよ。」
というばかりでした。
 夜になるとしろ公も、ひとりでねるのはさびしいというように、くんくんなきたてます。すると林太郎もたまらなくさびしくなって、おじいさんの胸へ顔をおしつけて、しくしくなきました。おとっつあんはときどき、
「林太郎はこっちへきてねるんだぞ。」
と、いいましたが、林太郎はそんなことはいつも聞えないふりをしていました。
 ある夜、林太郎は、おじいさんとねながら、とうとういいだしました。
「おじいさんよ。おれ、あたまでっかちだから、それでおとっつあんはおっかさんをおん出しちまったんだろう?」
「ばか。おまえがあたまでっかちだって、おっかさんの罪《つみ》ではないんだよ。」
「そんじゃ、おれが悪いんだろう。……そんじゃ、おれ……死んじまえばいいんだろう。」
「こら、なにをいうだ。」とおじいさんは林太郎をまじまじと見守《みまも》っていましたが、「よしよし、おじいさんがおっかさんをつれてきてやるから、もう余計《よけい》なことを考えるでないぞ。」と林太郎を胸の中へだきこみました。
 つぎの日おじいさんは、「さっぱ船」にのって、「むこうの家」へでかけていきました。そして夕方、暗《くら》くなってからやっぱりひとりでかえってきて、
「おっかさんはからだが少し悪いでな、なおったらすぐかえるといってたよ。」
と、いいました。
 だが、それから半月たってもひと月たってもおっかさんの方からはなんの音さたもありませんでした。

 そのうちに夏休みがきました。しろ公は、つれてきたときより三|倍《ばい》も大きくなり、夜はよく家の番《ばん》をし、昼間《ひるま》は林太郎のいうことをよく聞いて、いっしょにふざけながら遊んでもおしっこをもらしたり、手や足をひどくかむようなことはしなくなりました。
 それに、しろ公はひじょうにりこうで、林太郎が夕方などさびしそうにしていたりすると、ぴったりと林太郎のそばにすりついて、はなれませんでした。それはまったく林太郎のきょうだいのようでした。
 それで林太郎もいつか、このしろ公といっしょなら、ひとりではできないこともできるような気がしてきました。そして林太郎は、ある日、ひとりではできないことを、しろ公といっしょにりっぱにしてしまいました。それは、しろ公を、例《れい》の「さっぱ船」にのせ、自分が船をこいで、とうとうおっかさんのお里《さと》まで、入江《いりえ》を渡《わた》ってしまったのです。
 お里のおばあさんもそれにはびっくりして、
「まあ、林太郎は、ほんとうにひとりで船をこいできたのかい。」
と、なんべんも聞きました。
 林太郎は、さすがに少し顔色も変わっていましたが、元気よく、
「おれ、ひとりじゃないよ。しろ公とふたりだよ。」と答えて、「おっかさんをむかいにきたんだよ。おっかさんはどこにいるの?」と、聞きました。
 おばあさんは、これは困《こま》ったことになったぞ、という顔をしていましたが、
「おっかさんはな、まだからだがよくならないので、土浦《つちうら》の病院《びょういん》へいってるのだよ。よくなって退院《たいいん》したら、じき林太郎のとこへかえしてやるから、きょうはがまんして帰っておくれ。」
と、やさしくいいきかせました。
 林太郎は、くちびるをくいしばって聞いていましたが、
「うん。」
と、ひとこと答えたきりでした。
 さてその日、林太郎はしろ公をつれて、土浦の病院までおっかさんをたずねていこうと決心《けっしん》しました。土浦までは霞ガ浦のふちをぐるりと回《まわ》って、五里ちかくあります。おとなは自転車《じてんしゃ》で一日に往復《おうふく》しましたが、やっと十一|才《さい》の林太郎が、それも小さな足でぽつぽつ歩いて、まだ一度も歩いたことのない道をいこうというのですから、それはずいぶんの冒険《ぼうけん》でした。が、林太郎はおっかさんに会いたい一心《いっしん》から、もうあぶないことも恐《こわ》いことも忘れてしまったのでした。

一〇

 林太郎はしろ公をつれ、土浦へむかって歩きだしました。左手は、松林《まつばやし》や雑木林《ぞうきばやし》がつづいています。そこには、ひぐらし、みんみん、あぶらぜみなどがにぎやかにないています。右手は青々としたたんぼで、風がわたるたびに青い波がながれます。たんぼのむこうは霞ガ浦で、それは、いかにも夏の湖らしくきらきらと光っています。
 林太郎は、生まれてはじめて歩く道ですが、そういう景色《けしき》をながめながら歩いていると、そんなにさびしいとも感《かん》じませんでした。それに、土浦へいきさえすれば、おっかさんにあえると信《しん》じてもいるので。
 ただ林太郎にとって少し困ったことは、しろ公をおともにつれてきたのに、しろ公はおともらしく神妙《しんみょう》にしてついてこないことでした。しろ公もはじめて歩く道なので、いつものように横道へそれたり、見えなくなるほど先の方へ走っていったりはしませんが、道ばたにたっていつまでもくんくん、鼻をならしていたり、電信柱《でんしんばしら》があるごとに、その根元《ねもと》へおしっこをかけたり、ほかの犬の姿をみつけると遠くからにらめていたり、ちっともおちついていないのです。林太郎は、
「しろ公、ばか。」
「しろ公、げんこつくわせるぞ。」
「しろ公、おとなしく歩かねえと、おっかさんのとこへつれてってやらねえぞ。」
 などと、しょっちゅうどなりつけながら歩いていました。
 そのうちに、きらきら光《ひか》っていた霞《かすみ》ガ浦《うら》がだんだんうすむらさきに煙《けむ》ってきました。丘の上でなきしきっていたせみの声もいつしかしずまり、かなかなのこえだけ、小さなかねをたたくように聞えて、あたりは夕もやにつつまれてきました。気がついてみると、あんなにさわぎまわっていたしろ公も、林太郎の足元にすりつくようにして、とぼとぼと歩いています。
 林太郎はきゅうに心細《こころぼそ》くなりました。
「もう、どのくらい歩いたろうな。土浦はまだかしら。」
 そう思ってゆくてをみると、白い道が夕もやの中へきえて、その先《さき》の空《そら》には二つ三つ、黄《きい》ろい星が光りだしているばかり。ときどきすれちがう人もなんだか気味《きみ》が悪く、うしろからだしぬけに自転車が走りぬけたりすると林太郎はぎょっとしました。そこで林太郎は、こんどはやさしい声でしろ公へ話しかけました。
「しろ公、くたびれたかい。」
「しろ公、おなかがすいたかい。」
「しろ公、おっかさんのとこへいったら、うんとうまいものをくわしてやるよ。」

一一

 そうして林太郎としろ公は、どのくらいの道を歩いたろうか。ふと目を上げるとはるか右手のほうに、たくさんの電灯《でんとう》が、まるで野原|一面《いちめん》にさきみだれた花のようにきれいにともっているのが見えました。
「ああ、土浦《つちうら》だ、土浦だ!」
 林太郎はとび上がってよろこび、
「やいしろ公、おっかさんのいる町がめえるじゃねえか。」
 けれどしろ公はやっぱりとぼとぼと歩いています。林太郎はそのしろ公を両手《りょうて》で高くさしあげて、
「それ見ろよ。あれだよ。すてきだろう。」
 林太郎はすっかり元気づき、走《はし》るように歩きだしました。
 だが、町の灯《ひ》はすぐそこに見えていながらなかなか遠いのです。林太郎が近づいていけばいくほど、町のほうで遠くへにげていくようにも見えます。それで林太郎は、はあはあいいながら夢中《むちゅう》で進んでいきました。そしてやっと町の入口へついたときは、足は棒《ぼう》のようになり、頭はぽうーっとなっていました。しろ公もすっかりまいったとみえ、しっぽをおなかの下へまきこみ、ひょろひょろ歩いています。
 この町の灯《ひ》を遠くから見ながらくるときは、林太郎の目にはこの町がおとぎ話の竜宮《りゅうぐう》のように美しいところに思われたのでした。が、きてみるとそれどころか、小さな店がごちゃごちゃとならんで、いやなにおいがして、むし暑《あつ》くて、どこにも美しいところがありません。それに、人をふきとばしそうなサイレンをならしている自動車《じどうしゃ》、往来《おうらい》いっぱいになってがたがた走《はし》ってくる乗合自動車《のりあいじどうしゃ》、うるさくベルをならしながらとびまわる自転車《じてんしゃ》などで、うかうかと歩いてもいられません。林太郎はしろ公といっしょに幾度《いくど》となく往来《おうらい》のすみっこにたち止まっては、
「まったく、やんなっちゃうなあ。」
と、ひとりごとをいいました。
 しかしそんなことをしていたら、いつまで歩いていてもおっかさんに会うことなどできません。林太郎はある荒物屋《あらものや》の店先《みせさき》へ立ち、学校でならったていねいな言葉《ことば》で聞きました。
「土浦の病院はどこですか。」
「土浦の病院? それだけじゃ、わかんねえよ。」
 荒物屋のことばはらんぼうです。
「土浦の病院だよ。」
「このでっかちあたま、土浦には、病院がいくつもあるんだからな、その名前を聞いてこい。」
 林太郎はおずおずとその店先をさりました。林太郎は、この町へきて「土浦の病院」とさえいえばすぐわかり、それでまたおっかさんにも会えるものとばかり思ってきたのです。林太郎は困ったなと思いました。が、ひょっとしたらあの荒物屋はなんにも知らないのかもしれないと思いなおしました。で、またしばらく歩くと、ある乾物屋《かんぶつや》の前へたって、
「土浦の病院はどこでしょうか。」
と、聞きました。
「へえ?」と、乾物屋のおかみさんは笑いながら、「おまえさん、どこからきたの。」
「……」林太郎はそれには答えず、「おれのおっかさんのいる病院だよ。」
「おや。犬ころとふたありで、おっかさんに会いにきたのかね。だけど土浦の病院だけじゃわからないよ。なんという病院だえ?」
と、おかみさんはやさしくいいます。
 そういわれると林太郎はなんだか少し悲しくなり、きゅうにおろおろ声で、
「土浦の病院というんだよ。そんな病院ないのけ?」
「なるほど、それじゃ、土浦病院のことだろう。それならね、これをまっすぐにいってつきあたったら、右へまがっていくと、左側《ひだりがわ》にあるのがそうだよ。りっぱな西洋館《せいようかん》だからすぐわかるよ。」
 林太郎は、ああよかったと思いました。それでそのおかみさんへぼうしをぬいでていねいにおじぎをして、教わったとおりの道を歩いていきました。
 町はだんだんとにぎやかになり、ならんでいる店もりっぱになり、ある店には、赤や青の電灯が、つばきの花を糸へさしたようにならべてあって、蓄音機《ちくおんき》が大きな声で歌をうたっています。林太郎もその前ではしばらく立ち止まって、
「やっぱり竜宮《りゅうぐう》みたいなところもあるなあ。」と感心《かんしん》したりしました。

一二

 病院はすぐわかりました。林太郎はおそるおそるその玄関《げんかん》へはいって、まっ白な円《まる》い天井《てんじょう》に大きな電灯がともっている下に立ち、
「こんちは、……こんちは……。」
と、いいました。すると受付《うけつけ》とかいてあるところの窓があいて、
「もう夜だからこんばんはというもんだよ。」という声がして、白い服《ふく》をきた若《わか》い女が顔をだし、「なあに、くすりをとりにきたの。」
「ううん、おれのおっかさんいるけ?」
「ほっほほ。おれのおっかさんて、おまえさんなんという名?」
「林太郎……。」
「やな子、林太郎じゃわかんないよ。なに林太郎というの?」
「川並《かわなみ》林太郎というの。」
「川並……? おまえさんのおっかさんだね。」
「うん。」
「そんなお方、うちには入院《にゅういん》していないわ。」
「うそだあ。いるっていったよ。」
「だっていないんだもの。うそなんかいやしないよ。」
「……ほんとにいないの。」
 林太郎はうらめしそうににらみました。
「おまえさん、病院をまちがえたんだろ。この前を左へいくと、むこう側《がわ》にもひとつ病院があるから、そこへいってごらん。」
 林太郎は、しおしおとそこをでて、教わった、つぎの病院へいってみました。が、そこにもおっかさんはいませんでした。林太郎はそこでもまたべつの病院を教わって、また、そこへいってみましたが、やっぱりおなじことでした。そこでは、
「病院の名も知らずに歩いたってわかりっこないから、おうちへおかえり、でっかちあたまさん。」
と、いわれました。
 林太郎はもう顔も上げられないほど悲しくなりました。それでただもう足のむいた方へ歩いていきました。町の灯がちかちか光って見えます。涙《なみだ》が目の中にいっぱいたまっているのでそう見えるのですが、林太郎はそんなことは気がつきません。ただ町中がなんとなく恐《おそ》ろしく見えてきて、早くちかちか光る灯のないところへ出たいと思いながら歩いていました。
 そのうちやっと暗い通りへでました。それをどこまでもいくと、広《ひろ》い原《はら》っぱへでました。そこは霞《かすみ》ガ浦《うら》のふちで、一面《いちめん》に夏草《なつくさ》がはえしげっています。夏草には夜露《よつゆ》がしっとりとおりています。林太郎はその草の露をふみながら、またあてどもなく歩いていきました。
「しろ公、どこへいったらいいんだよ?」
 林太郎は、いつか足元にすりついて歩いているしろ公へ、そう話しかけていました。
「なあ、しろ公、おっかさんは、どこにいるんだよ?」
「なあ、しろ公、たのむからおまえが探《さが》してきてくれよ。」
「しろ公、おらなんだか気が遠くなってきたよ。」
「しろ公、夢《ゆめ》みたいだなあ。」
 そういっていたかと思うと、林太郎は草の上にふらりとすわってしまいました。そこは湖《みずうみ》の岸《きし》で、すぐ下は水です。林太郎はそこにすわったまましばらくはふらふらしていましたが、やがてずるずるとすべって、もう少しで水の中へすべりこむところを、そこに一カ所ちょっとしたくぼみがあり、林太郎のからだはその中へぐあいよくすぽりとはまりました。
 林太郎はそこで、虫のようにまるくなって眠《ねむ》ってしまったのです。かわいそうに林太郎は、おっかさんのお里《さと》を出てから、水一てき飲まずに五里ちかくの道を歩きつづけ、この町へきてもなにひとつたべずに、あっちこっちの病院をたずね回《まわ》ったので、もうからだも頭もへとへとに疲《つか》れてこんなところにゆきだおれてしまったのです。
 しろ公も林太郎とおなじように飲《の》まず食わずですから、もう少しでへたばりそうになっていました。が、林太郎がそんなにたおれてしまったのをみると、これは兄貴《あにき》の一大事《いちだいじ》とわかったらしく、しっかりと両耳《りょうみみ》をたてて、林太郎のそばにきちんとすわっていました。主人《しゅじん》のためには命《いのち》をすてて主人の危険《きけん》を救《すく》う犬がよくありますが、しろ公もまたそういう忠実《ちゅうじつ》な犬にちがいありません。といってしろ公は、そこにゆきだおれてしまった林太郎をどうして救《すく》うのでしょうか。

一三

 こちらは林太郎のおとっつあんです。おとっつあんはその日がくれても林太郎の姿が見えないので、これはてっきりおっかさんのお里へいったにちがいないと思い、さっぱ船にのってお里へいってみました。と、林太郎はおひるすぎにきはきたが、すぐ家へかえっていったとおばあさんのはなしです。
「それじゃ、どこへいったろう?」
「ひょっとしたら、おっかさんに会いたい一心《いっしん》で、土浦《つちうら》までいったかもしれないぞ。」
「でも、あんな子どもがひとりでいけるだろうか。」
「いやいやいったかもしれぬ。そういえばきょうの林太郎はいつもと違《ちが》って、くちびるをくいしばってなにか決心《けっしん》したような顔で、このうちを出ていったからな。」
「しろ公もいっしょだったか。」
「ああ、いっしょだった。」
「そんならやっぱりいったかもしれねえ。よし、じゃこれから迎《むか》いにいってくる。」
「ああすぐいっておくれ。それからひとつ頼みがあるが。」
と、おばあさんは目をしょぼしょぼさしていいます。
「どんなことでしょう?」
「ほかでもないが、林太郎はじぶんの頭がでっかちなので、そのためにおっかさんはおまえさんの家から追《お》い出されたのだと、思っているのだから、な。それをよく考えてやっとくれよ。」
「ああ、よくわかりました。すみません。」
 おとっつあんはそこで、その家《うち》の自転車を借《か》り、それにのって、もうチェーンがきれるほどペタルをふんで土浦《つちうら》へ走っていきました。で、わずか一時間ばかりで町へはいると、林太郎のおかあさんが入院《にゅういん》している病院へ、息せききってはいっていきました。
 林太郎さんのおっかさんは、もう病気《びょうき》もよくなり、少しは外へもでられるようになっていましたので、おとっつあんがたずねたというしらせをうけると、ひとりで玄関《げんかん》へでていきました。おとっつあんはまず、
「林太郎がきているかね。」
と、聞きました。
「林太郎が? きていませんが……」
「きていない。ああそれじゃまい子《ご》になっているのだ。」
「どうしたのです?」
 おっかさんも顔色《かおいろ》をかえました。おとっつあんは手みじかに、実《じつ》はこれこれだと、林太郎がいなくなったわけを話しました。するとおっかさんはもう涙声《なみだごえ》になり、
「林太郎はわたしの子ではないのに、わたしをほんとの親のようにしたってくれるのです。あんないい子をまい子にしてしまってはたいへんです。わたしもいっしょにさがしますから。」
と、外へ出ようとします。
「いや、おまえは病人《びょうにん》だからむりをしないでおくれ。わしがひとりでさがす。きっとさがしだしておまえのところへつれてくるから、気をもまないで待《ま》っていておくれ。」
 おとっつあんはそういいおいて、また自転車にとびのり、町の中へ走《はし》りだしました。
 それからおとっつあんは、無我夢中《むがむちゅう》で町中を走りました。が、どこにもそれらしい姿が見えないと、町はずれを、東へも南へも、北へも西へもでてみました。だが、それでも見あたりません。
 おとっつあんはもう気がくるいそうになりました。それで、まっくらな原っぱへ出たりすると、大きな声をだして、
「林太郎やあー……林太郎やあー……。」
と、どなりました。
 そのうちに夜はふけてきました。おとっつあんはもう声もかれはてて、林太郎をよぶこともできなくなりました。

一四

 そうして、あるまっくらな道をよろよろと走《はし》っているときでした。どこからか一ぴきの白い犬が走りよってきたかと思うと、おとっつあんの足へかみつくようにしてほえたてるのです。見るとそれはしろ公ではありませんか。おとっつあんは自転車《じてんしゃ》から飛びおり、
「ああ、しろ公だ、しろ公だ。林太郎はどこにいるのだ?」
 と、しろ公をだいてさけびました。するとしろ公は、悲《かな》しいような、うれしいような声で、くうーんくうーんとなきながら、自分《じぶん》のからだをおとっつあんの胸へすりつけて、それからまっくらな道を走りだしました。
「ああ、そっちか。ありがとう、しろ公。ありがとう、しろ公。」
 おとっつあんはいいながら、自転車でその後についていきました。
 しろ公は、そのようにして、林太郎がゆきだおれている湖《みずうみ》の岸《きし》へ、おとっつあんをりっぱに案内《あんない》したのです。おとっつあんは、倒《たお》れている林太郎をだきあげると、
「林太郎やあ……林太郎やあ……。」
 声かぎりよびました。林太郎はその声でやっと目をあけました。そして、おとっつあんだと知ると、
「おれ、もう死んじゃうんだよ。」
と、いいました。
「ばかなことをいうでねえ。」と、おとっつあんは林太郎のからだをゆすぶり、「おとっつあんが迎《むか》いにきただ。もう、だいじょうぶだからしっかりするんだぞ。」
「おれ、おとっつあんなんぞいらない。おっかさんだ、おっかさんだ……」
「だから、おっかさんとこへつれていくだ。それで、あしたは、おっかさんと林太郎とおとっつあんと三人で、うちへ帰るだから、しっかりするんだぞ。」
「そんじゃ、おっかさんの病院わかったの?」
「ああわかったとも。おっかさんも林太郎のくるのを一生《いっしょう》けんめいに待《ま》ってるだ。」
「そんじゃ、おとっつあん、もう、おっかさんをいじめねえかよ。」
「だれがいじめるもんか。林太郎がしろ公をかわいがるようにかわいがってやるだ。」
「おれが頭でっかちでも?」
「林太郎の頭も、もうはあでっかちじゃねえだ。それ、しろ公だって、犬ころのときでっかちあたまだったが、いまはそうじゃねえだろう。林太郎もしろ公とおんなじよ。」
 おとっつあんは林太郎を草の上へ立たせ、その前へしゃがんで、
「さあ、おんぶしなよ。おっかさんとこへいくだ。」
「待ってよ、おとっつあん。」
「どうするだ。」
「おとっつあんはばかだなあ。しろ公を忘れてるよ。」
「ああそうか。」と、おとっつあんはしろ公の頭をなでて、
「しろ公、ありがとうよ。われのおかげで林太郎は助《たす》かったぞ。林太郎のおっかさんもおとっつあんも助かったぞ。」
 しろ公もうれしそうにしっぽをふっています。林太郎は、しろ公の前へしゃがんで、
「それ、しろ公、おんぶしなよ。」
「なるほど、そうか、そうか。」
 おとっつあんはそこで、しろ公をだき上げて林太郎の背中へのせ、その林太郎をおんぶして、そうして自転車へのり、ちょうど曲馬団《きょくばだん》の曲芸師《きょくげいし》のようなかっこうで、元気よくおっかさんのところへ走りだしました。       (昭10・2~4)

底本:「赤い鳥代表作集 3」小峰書店
   1958(昭和33)年11月25日第1刷
   1978(昭和53)年4月15日第19刷
初出:「赤い鳥」
   1935(昭和10)年2~4月
入力:林 幸雄
校正:富田倫生
2012年2月19日作成
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