佐々木味津三

旗本退屈男 第四話 京へ上った退屈男—— 佐々木味津三

       

 その第四話です。
 第三話において物語ったごとく、少しばかり人を斬り、それゆえに少し憂欝になって、その場から足のむくまま気の向くままの旅を思い立ち、江戸の町の闇から闇を縫いながら、いずこへともなく飄然《ひょうぜん》と姿を消したわが退屈男は、それから丁度十八日目の午下《ひるさが》り、霞に乗って来た男のように、ふんわりと西国《さいごく》、京の町へ現れました。
 ――春、春、春。
 ――京の町もやはり青葉時です。
 都なればこそ京の青葉はまたひとしおに風情《ふぜい》が深い。
 ふとん着て寝た姿の東山、清水《きよみず》からは霞が降って、花には遅いがそれゆえにまた程よく程のよい青嵐《あおあらし》の嵐山。六波羅跡《ろくはらあと》の崩れ垣の中からは、夜な夜な変な女が出て袖を引いて、いち夜妻のその一夜代が、ただの十六文だというのだ。
 されば、退屈男の青月代《あおさかやき》も冴え冴えとして愈々青み、眉間《みけん》に走る江戸名代のあの月の輪型の疵痕もまた、愈々美しく凄みをまして、春なればこそ、京なればこそ、見るものきくもの珍しいがままに、退屈が名物のわが退屈男も、七日が程の間は、あちらへぶらり、こちらへぶらり、都の青葉の風情を追いつつ、金に糸目をつけない京見物と洒落込《しゃれこ》みました。
 だが、そろそろとその青かった月代が、胡麻《ごま》黒く伸びかかって来ると、やはりよくない。どうもよくない。極め付きのあの退屈が、にょきりにょきりと次第に鎌首を抬《もた》げ出して来たのです。何しろ世間は泰平すぎるし、腕はあっても出世は出来ず、天下を狙いたいにも天下の空《あき》はないし、戦争《いくさ》をしたくも戦争は起らず、せめて女にでもぞっこん打ち込む事が出来ればまだいいが、生憎《あいにく》と粋《すい》も甘いも分りすぎているし――そうして、そういう風な千二百石取り直参お旗本の金箔《きんぱく》つきな身分がさせる退屈ですから、いざ鎌首を抬げ出したとなると、知らぬ他国の旅だけに、わびしいのです。あの旅情――ひとり旅の旅びとのみが知るはかなくも物悲しいあの旅情もいくらか手伝って、ふと思いついたのが島原見物でした。江戸にいた頃は、雪が降ろうと風が吹こうと、ひと夜とて吉原ぞめきを欠かしたことのない退屈男です。思い立ったとなると、その場に編笠深く面《おもて》をかくして、白柄細身をずっしり長く落して差しながら、茶献上《ちゃけんじょう》の博多は旗本結び、曲輪《くるわ》手前の女鹿坂《めじかざか》にさしかかったのは、丁度|頃《ごろ》の夕まぐれでした。
「お寄りやす。お掛けやす――ま! すいたらしい御侍様じゃこと。サイコロもございます。碁盤もございます。忍びの部屋もございます。お寄りやす。御掛けやす」
 その女鹿坂上の、通称一本楓と言われた楓の下の艶《なま》めいた行燈の蔭から、女装した目にとろけんばかりの色香を湛えて、しきりに呼んでいるのは、元禄の京に名高い陰間《かげま》茶屋です。――江戸の陰間茶屋と言えば、芝の神明裏と湯島の天神下と、一方は増上寺、一方は寛永寺と、揃いも揃って女人禁制のお寺近くにあるというのに、京はまたかくのごとく女には不自由をしない曲輪手前に、恐れ気もなく店を張っているのも、都ならでは見られぬ景物に違いない。
 通り越して、ひょいと向うを見ると、はしなくも目にうつったのは、「易断」と丸提灯に染めぬいた大道易者のささやかな屋台です。――退屈男は、にやりとやると、のっそり近づいて、千二百石の殿様ぶりを、ついその言葉のはしにのせながら、横柄に言いました。
「退屈の折からじゃ、目をかけてつかわすぞ、神妙に占ってみい」
「………」
「どうじゃ。第一聞きたいは剣難じゃ。あらば早う会うて見たいものじゃが、あるかないか、どうじゃ」
「………」
「喃《のう》! おやじ! どうじゃ。剣難ありと人相に書いてはないか」
「………」
「ほほう。こやつめ、答えぬところを見ると、場所柄が場所柄ゆえ、堅いほうは不得手と見ゆるな。よいよい、然らば女難でも構わぬゆえ観て貰おう。どうじゃ、身共の人相に惚れそうな女子《おなご》があるか」
「………」
「喃! おやじ! なぜ返事を致さぬ! 黙っているは女難も分らぬと申すか!」
 だが、老いたる観相家は、奇怪なことにもきょとんとしたまま、一向に返事をしなかったので、不審に思いながらよくよく見ると、返事のなかったのも無理からぬ事です。見台の端の建札に小さく、次のような人を喰った文字が書かれてあるのでした。


「唖ニ候エバ、御筆問下サレ度、陰陽四十八|占《ウラナイ》、何ナリト筆答致ベク候。
阿部流易断総本家。――一|珍斎《チンサイ》」

「わはははは。左様か左様か。唖じゃと申すか。犬も歩けば棒にあたるとはこれじゃな。面白い面白い、ずんと面白い。然らば、筆問してつかわすぞ」
 主水之介は、とみにほがらかになりながら、早速筆をとって書きしたためました。


  「退屈ノ折カラナレバ対手欲シ。
   剣難アリヤ。
  女難アリヤ。
  神妙ニ返答スベシ」

 差し出した紙片を受取りながら、老いたる白髯《はくぜん》の観相家は、自ら阿部流と誇称する通り、あたかも阿部の晴明の再来ででもあるかのごとく、いとも厳粛に威容を取り繕《つくろ》って、気取りに気取りながら、筮竹《ぜいちく》算木《さんき》[#ルビの「き」は底本のママ]をつまぐりはじいていましたが、やがて勿体らしく書きしたためた筆答が、また少なからず人を喰ったものばかりでした。
 「御気ノ毒ナガラ金運ナシ。
   サレド富貴栄達ノ相アレバ、一国一城ノ|主《アルジ》タラム。
  美姫《ビキ》アリ。
   西ヨリ来ッテ妻トナル。
  夫情《フジョウ》濃《コマ》ヤカニ致サバ、男子《ナンシ》十一人出生セム。
  剣難ナシ。
   サレド道ニ喧嘩口論ヲ挑ム者アリ、手向イ致サバ怪我スル恐レアレバ、逃グルニ如《シ》カズ。
  心スベシ。
  右神易ノ示ストコロナリ。疑ウベカラズ。見料モ亦忘ルベカラズ」

「わははははは。こやつ喰わせ者じゃな。阿部流総本家とはすさまじいぞ。わははは、わははは」
 退屈男は、思わず声をあげて、カラカラと笑い出しました。どれもこれも出鱈目《でたらめ》以上に出鱈目、滑稽以上に滑稽だったからです。千二百石取りの大身をとらえて、金運なしと空《そら》うそぶいたのも然り、富貴栄達の道がないからこそ退屈もしていると言うのに、一国一城の主云々と言ったのも然り。美姫あり、西より来って妻となり、男子十一人出生も人を喰った話ですが、わけても江戸名代胆力無双のわが旗本退屈男を目前にして、道に喧嘩口論を挑む者あり、逃げるに如《し》かずと当らぬ八卦を下すに至っては、一珍斎どころか大珍斎も大々の大珍斎でした。
「わははは、神易の示すところなりとは、おやじ、大きいぞ! 大きいぞ! 島原にもなかなか風流な奴がいるわい。察するに貴様|偽唖《にせおし》じゃな。わははは、わははは」
 愉快に堪えないもののごとく退屈男は、カンラカンラと打ち笑いました。
 しかし笑っているとき――
「邪魔だッ、ヘゲタレ! どかすか! ヘゲタレ!」
 異な声をあげながら、異な事を言って、不意に退屈男の刀のこじりを、ぐいと突きのけたものがありました。

       

 江戸に生れて三十四年、伝法に育って、鉄火に身を持ち崩してはいるが、いまだ嘗てヘゲタレとは耳にしない言葉です。――不審に思って退屈男は、静かにふりむきました。
 と同時に目の前を、奴凧《やっこだこ》のように肩を張って、威張りに威張りながら通りぬけようとしていたのは、三十二三のぞろりとした男です。――江戸ならば先ず、町の兄哥《あにい》の鳶頭《とびがしら》とでも言うところに違いない。
「町人!」
 退屈男は至って静かに、おちついて呼びとめました。
「まてッ、町人!――こりゃ待たぬか! 町人」
「なんでえ! 呼びとめて何の用があると言うんだ」
「異な事を申したゆえ、後学のために相尋ねるのじゃ。ヘゲタレとか申すのは身共のことかな」
「阿呆ぬかすない。身共なればこそ言ったんだ。因縁つけて喧嘩を売ろうと言うのか」
「のぼせるなのぼせるな。骨の固まらぬ者が左様に気取るものではない。そのヘゲタレとか申すは、食べ物の事かな」
「ちょッ、こいつ吐かしたな。ヘゲタレを知らねえような奴あヘゲタレなんだ。どなたのお道中だと思ってるんだ。珠数屋《じゅずや》の大尽がお通りじゃねえか! 所司代様だっても関白様だっても、お大尽にゃ一目おく程の御威勢なんだ。どきなどきな。どいて小さくなっていりゃ文句はねえんだよ」
 町人|風情《ふぜい》の葉ッ葉者が、武士を粗略にした雑言《ぞうごん》を吐いたばかりか、ききずてにならぬ事を言いながら、わが旗本退屈男を痩せ浪人ででもあるかのごとくに取扱って、遠慮会釈もなくぐいぐいとうしろに押しのけたので、いぶかりながらふり返って見眺めると、いかさま大道狭しと八九人の取り巻を周囲に集《たか》らせて、あたりに人なきごとく振舞いながら、傲然《ごうぜん》としてやって来たのは、一見して成り上がり者の分限者《ぶげんしゃ》と思われる赤ら顔の卑しく肥った町人でした。しかも、その取り巻の中には、公卿侍《くげざむらい》か所司代付きか、それともどこかの藩のお留守居番か、いずれにしてもれっきとした二本差が四人までも平身低頭せんばかりにしながら集《たか》っているのです。――退屈男の口からは自《おの》ずと皮肉交りな冷笑がほころびました。
「ほほう、これはまた珍景じゃな。下郎! あの珠数屋の大尽とか申すは、どこの馬の骨じゃ」
「何だと!」
「騒ぐな騒ぐな。虎の威を藉《か》りて生煮えの啖呵《たんか》を切るものではない。農工商の上に立つお歴々が、尾をふりふり素町人の御機嫌を取り結んでいるゆえ、珍しゅう思うて尋ねるのじゃ。あの成上がり者はどこの虫けらじゃ」
「ヘゲタレ! ぬかしたな! お歴々だろうと二本差だろうと、小判に頭が上らなきゃ仕方がねえんだ。引込んでろ引込んでろッ。お道中先を汚されたんじゃ、露払いの弥太一と名を取ったおれ様の役目にかかわるんだ。振舞い酒にありつきてえと言うんなら、口を利いてやらねえもんでもねえんだから、小さくなって引込んでろッ」
 思い上がっての雑言か、それとも虎の威を藉《か》りての暴言か、身の程知らぬ啖呵《たんか》を切って争っている姿を、のっしのっしと道中しながら見知ったと見えて、取り巻侍のひとりがつかつかとやって来ると、要らざるところへ割って這入りました。
「何じゃ、弥太一! この浪人者が何をしたというのじゃ」
「どうもこうもねえんですよ。あの通り誰も彼も目の明いている者は、みんなお大尽のお道中だと知って道をよけているのに、このヘゲタレ侍めがのそのそしていやがるんで、どきなと言ったら因縁をつけたんですよ」
「左様か。よしッ。拙者が扱ってつかわそう」
 まことに嗤《わら》うべきお猪《ちょ》ッ介《かい》です。こういう場合の用心棒に雇われてでもいるというのか、これみよがしに大きく結んだ羽織の紐をひねりひねり近づいて来ると、恐るべき江戸名物の退屈男とも知らず、横柄に挑みかかりました。
「因縁つけて何をしようというのじゃ!」
 きくや退屈男のまなこは、編笠の奥深く冴え冴えと冴え渡って、その口辺に不気味な微笑がのぼりました。取るに足らぬ下郎下人の雑言ならば、相手にするも大人気ないと笑ってきき流すつもりだったが、形ばかりなりともいち人前の二本差が割って這入ったとすれば、対手にとって不足はなかったからです。わけても、取り巻四人の節操もなく気概も持たぬ、屈辱的な物ごし態度が、三河ながら江戸ながらの旗本魂にぐッとこたえたので、眉間《まゆね》のあたりをぴくぴくさせながら、静かに開き直ると、不気味に問い返しました。
「身共が因縁つけたら、おぬしこそどうしようと言うのじゃ」
「知れたこっちゃ。これが物を言うわッ」
 ぐいと胸を張って、ポンと叩いたのは柄頭《つかがしら》です。
「ほほう、これは面白い!」
 全くこれは面白くなったに違いない。刀に物を言わせようとは、元より退屈男の望むところです。悠然と片手をふところにして、おちつき払いながら促しました。
「では、因縁をつけてつかわそうぞ。なれども、尊公ひとりでは物足りぬ。ゆっくり楽しみたいゆえ、あちらのお三人衆にも手伝うて貰うたらどうじゃ」
「なにッ」
「何だと!」
「ほざいたな!」
「よしッ。それほど斬られたくば、痛い目に会わせてやろう! 出い、出い! 前へ出い!」
 風雲の急を知ったとみえて、残っていた三人の取り巻侍達も、口々に怒号しながら詰めよると、一斉に気色《けしき》ばんで鯉口をくつろげました。
「せくでない!」
 だが、退屈男は憎い程にも自若としたままでした。
「せくでない。せくでない。ならばあしらってつかわそうぞ。しかし、念のためじゃ。見せてつかわすものがある。とくと拝見いたせよ」
 静かに制しながら、のっそりと四人の前に近づくと、おもむろに編笠をとりのけました。と同時に現れた面のすばらしさ! 今にして愈々青く凄然として冴えまさったその面には、あの月の輪型の疵痕が、無言の威嚇を示しながらくっきりと深く浮き上がって、凄艶と言うよりむしろそれは美観でした。しかも退屈男は腰のものに手をかけようともせずに、莞爾《かんじ》としながら笑っているのです。笑いつつ、そしてずいと近よると錆のある太い声で静かに言いました。
「どうじゃ、見たか」
「………?![#「?!」は横一列]」
「いずれも少しぎょッと致したな。遠慮は要らぬぞ。もそッと近よってとっくりみい」
「………」
「のう、どうじゃ。只の傷ではあるまい。江戸では少しばかり人にも知られた傷じゃ。これにても抜いて来るか!」
「………」
「参らばこちらもこの傷にて対手を致すぞ。のう、どうじゃ。来るか!」
 すばらしい威嚇です。不気味な威嚇です。――抜くか? 来るか? かかって来るか? 無論こうなったからには、時の勢いとしても多勢を恃《たの》みながら抜きつれ立って来るだろうと思われたのに、だが結果はいささか案外でした。眼《がん》の配り、体の構え、そして退屈男のすさまじい胆力と、不気味に妖々として無言の威嚇を示している額の月の輪型が、尋常一様の疵痕でないことに気がついたとみえて、四人はじりじりとうしろに体を引きながら、互に何か目交《めま》ぜで諜《しめ》し合わせていましたが、合図が通じたものか、そのとき恐れ気もなくのこのこと間に割って這入って来たのは、誰ならぬお大尽でした。
「分りました、分りました。それならそうと、あっさりおっしゃって下さりましたらよろしかったのに、何もかも、もう分りましてござります。ほんのこれは些少でござりまするが、わらじ銭代りと思召しなさいまして、お納め下されませ」
 卑しげに笑い笑い、憚りもなく差し出したのは紙にもひねらぬむき出しの小判が二枚です。
「控えろッ」
 当然のごとくに退屈男の一喝が下りました。
「目違いするにも程があろうわッ。身共を何と心得おるかッ。そのような汚物《おぶつ》がほしゅうて対手したのでないわッ。退屈なればこそあしろうたのじゃ。それなる四人! 急に腰の一刀が鞘鳴りして参った。前に出ませい! 尋常に前へ出ませい!」
「いえ、もう、お四人様はともかく、手前が不調法致しましてござります。そのように御威張り遊ばさずと、お納め下されませ。小判の顔を拝みましたら何もかも丸う納まります筈、では失礼。お四ッたり様もお早く! お早く!」
 不埓《ふらち》にも町人は飽くまでも退屈男を、ゆすりかたりの物乞い浪人とでも見下げているのか、小判を足元に投げすてながら、四人の取り巻侍を促して逃げるように姿を消しました。

       

 退屈男の憤激したのは言うまでもないことでした。四人も四人ながら、珠数屋の大尽とか言った町人の、許しがたき振舞いは、言語道断沙汰の限りです。凄艶な面に冷たい笑いを浮べながら、道行く人を物色していましたが、丁度通りかかったのは、夕遊びでもうひと堪能して来たらしい京男でした。
「まて、町人」
「へ?……」
「打ち見たところ大分のっぺりと致しておるが、その風体では無論のことに曲輪《くるわ》の模様よく存じておろうな」
「………?」
「何を慄えているのじゃ。大事ない、大事ない。知っておらばちと尋ねたい事があるが、存じておるか」
「左様でござりましたか。あてはまた、あまり旦那はんが怕《こわ》い顔していなはりますゆえ、叱られるのやないかと思うたのでござります。お尋ねというは何でござります」
「今のあれじゃ。珠数屋の大尽じゃ」
「ああ、あれでござりまするか。あれはもうえらい鼻つまみでござりましてな。ああして所司代付きのお武家はんを用心棒に買い占めなはって、三日にあげずこの廓《さと》をわがもの顔に荒し廻っていやはりますさかい、誰もかれも、みなえらい迷惑しているのでござります」
「ほほう、ではあれなる武家達、所司代詰の役人共じゃと申すか」
「ええ、もう役人も役人も、何やら大分高いお役にいやはります方々やそうにござりますのに、どうしたことやら、あのようにお髯《ひげ》のちりを払っていやはりますさかい、お大尽がまたいいこと幸いに、小判の威光を鼻にかけて、なすことすることまるで今清盛《いまきよもり》のようでござります」
 きくや、退屈男の江戸魂は、公私二つの義憤から勃然《ぼつぜん》として燃え上がりました。歴たる公職にある者達が、身分も役柄も忘れて一町人の黄金力に、拝跪《はいき》するかのごとき屈辱的な振舞いをするからこそ、珠数屋のお大尽なる名もなき輩《やから》が増長しているに相違ないのです。増長していればこそまた、世間をも甘く見、人をも甘く見て、今のさきのごとく、あらゆる事を小判の力に依って解決しようと、あのような思い上がった振舞いをもしたに相違ないのです。
「よかろう! ひと泡吹かしてやろうわ。奴等の根城《ねじろ》は何という家じゃ」
「ほら、あそこの柳の向うに、住の江、と言う灯り看板が見えますやろ。あれが行きつけの揚げ屋でござります」
 退屈男は躊躇なくあとを追いました。――折から島原の宵は、ほんのり夢色に暮れ果てて、柳の葉陰に煙る夕霧、霧にうるんでまばたく灯影。その灯影の下を雪駄《せった》の音が風に流れて、京なればこそ往き来の人の姿も、みやびやかにのどかでした。それゆえにこそまた、退屈男の江戸前ぶりは、威風あたりを払って圧倒的に爽かでした。いや、威風ばかりではない。その気品、水ぎわ立った恰幅《かっぷく》、直参なればこそ自ら溢れ出る威厳です。
「出迎えせい!」
 ずばりと言って、教えられたその住の江の店先へずいと這入って行くと、鷹揚《おうよう》に言いました。
「有難く心得ろ、今宵いち夜遊興してつかわすぞ」
 通ろうとしたのを。
「あの、もし……」
 慌てて遮ったのは、唇ばかり卑しく厚い仲居でした。
「何じゃ」
「折角でござりまするが、今宵はもう……」
「苦しゅうない! 苦しゅうない! 遊んでつかわすぞ」
「いえ、でも、あの、今宵はもう珠数屋のお大尽様が客止めを致しましたゆえ、折角でござりまするが、お座敷がござりませぬ」
「構わぬ、すておけ、すておけ。町人輩が小判で客止めしたとあらば、身共は胆《たん》と意気で鞘当《さやあて》して見しょうわ。――ほほう喃、なかなか風雅な住いよのう」
 まことにこれこそは真似て真似られぬ身に備わった威厳です。颯爽としながら上がって行くと、戸惑ってまごまごしている仲居の女共を尻目にかけながら、珠数屋の一座が女と酒と嬌声に仇色《あだばな》を咲かしている奥広間の隣室へ構わず這入って行って、悠々と陣取りました。しかも、なすことすべてが胸のすく程圧倒的でした。間《あい》の襖をさらりとあけて、あの月の輪型の疵痕をやにわにぬっとさらすと、千二百石直参旗本の犯しがたい威厳と共に、ずばりと一座の面々にあびせかけました。
「端役人共も下郎達も有難く心得ろ。隣り座敷での遊興、慈悲を以て許してつかわすぞ」
「なにッ」
「よッ」
「気味のわるい奴が、またやって来たな! 女将《おかみ》! 仲居! なぜあげたッ」
「客止めの店へなぜあげたッ」
「つまみ出せッ、つまみ出せッ。何をまごまごしておるかッ。早うつまみ出せッ」
 不意を打たれてぎょッとしながら、騒然と口々にわめき立てているのを、退屈男は心地よげに微笑しながら、悠々綽々として腰をおろすと、うろたえている仲居へ爽かに言いました。
「のう、女!」
「………」
「ほほう、血の道でもが止まったと見えて、青うなっているな。いや、大事ない大事ない。少々胸がすッと致したゆえ、今宵は身共も美人を一個|侍《はべ》らせようぞ。珠数屋の大尽とか申す町人の敵娼《あいかた》は、何と言う太夫じゃ」
「困ります。あのようにお大尽様が御立腹のようでござりますゆえ、困ります困ります。今宵はもう、あの――」
「苦しゅうない。何と申す太夫じゃ」
「八ツ橋はんと言やはりますが、それももうお大尽が山と小判を積みましての事でござりますゆえ、所詮、あの――何でござります。ちッとやそッとのお鳥目では、あの、何でござりますゆえ、今宵はもうあの――」
「控えい! 曲輪《くるわ》遊びは金より気ッ腑が資本《もとで》の筈じゃ。金も必要とあらば、江戸より千二百石、船で運んでとらすわ。それにても足りずば、将軍家に申しあげて直参振舞い金を一万両程お貸し下げ願うてつかわすゆえ、遠慮せずに八ツ橋とやらを早う呼べい」
 はしなくももらした将軍家直参云々の一語におぼろげながら退屈男の身分の何であるかを知ったか、なすところもなく呆然として見守っていた大尽一座の者が、いささかばかり荒肝《あらきも》をひしがれた形で、ぎょッとしながら互いに顔を見合わしているとき、あたりにえも言いがたい異香の香をただよわせて、新造、禿、一|蓮托生《れんたくしょう》の花共を打ち随えながら、長い廊下をうねりにうねって来たのは、問題のその八ツ橋太夫でした。しかもこれが、一脈の気品をたたえて、不埓《ふらち》なほどに美人なのです。
「ほほう、なかなかあでやかじゃ喃《のう》。――女! 早う伝えい。江戸の男が、気ッ腑を資本に遊びに参ったと、早う八ツ橋に伝えい」
 きいて知り、事のいきさつもあらまし知ったと見えて、間《あい》の襖のところから太夫八ツ橋が、花の八ツ橋、かきつばたにもまごう気品豊かな面をのぞかせながら、まじまじと退屈男の姿を見眺めていましたが、嫣然《えんぜん》として笑いをみせると、
「ぬしはん。またおいでやす――」
 一|揖《ゆう》しながらくるりとうしろを向くと、ぴたり襖をしめきりました。
「わははは、なかなか鮮かにあしらいおる喃。参った、参った。見事に負けたか。いや、よい、よい。京の女子《おなご》も存外と面白いわ。――さてのう。負けたとならば何とするかな」
 快然と打ち笑みながら、どうしたものかというように考えていたのを、隣りの一座は知ってか、知らずか、暫く騒がしいざわめきをつづけていましたが、そのとき不意に鋭く叫んだ声が、[#底本では「、」が脱落]襖の向うからきこえました。
「やっぱり睨んだ通りじゃッ。切支丹宗徒に相違ないッ。珠数屋、神妙にお繩うけいッ」

       

  !?
 意外に思って退屈男は、すっくと立ち上がると、一刀はしッかと左手、きらりとまなこを光らしながら、さッと襖をあけました。
 と――見よ! 一瞬前とは主客事かわって、珠数屋のお大尽は、今迄の取り巻侍だった四人の者に捕って押えられて、すでに繩目の恥を受けていたのです。その目の前には、また不思議な一個の観音像がおかれてあるのです。強いて名づけたら、いばら観音とでも言うか、頭にはいばらの冠をいただき、お姿もまた異相を備えた七八寸の土像でした。勿論異国渡来の南蛮像《なんばんぞう》に相違ない。
 どうしたと言うのか?――不審に打たれて呆然と佇んでいる退屈男の方を、四人の者はさげすむように見眺めていましたが、繩尻取っている中のひとりが、手柄顔に言いました。
「江戸の客仁、お騒がせ仕ったな。れッきとした二本差がいわれもなく素町人風情《すちょうにんふぜい》の下風についてなるものか。恥を忍んで機嫌気褄をとりながら取り巻いていたのも、こやつに切支丹宗徒《きりしたんしゅうと》の疑いがあったからのことじゃ。――御無礼仕ったな。千石だろうと二千石だろうと、お気のままに江戸から取りよせて、たんと遊ばっしゃい」
 嘲り顔に言ったその言葉を引きついで、露払いの弥太一といったあの小者《こもの》までが、面憎く言い放ちました。
「どうでえどうでえ。ちッとばかり江戸の先生もおどろいたろ。お国歌舞伎の芝居とは少々筋書が違ってるんだ。所司代付でも腕利と名を取ったお四ッたり様が、只でこんな馬鹿騒ぎをするもんかい。それもこれもみんなこの証拠の品の伴天連像《ばてれんぞう》をつきとめて、しかとの証拠固めをしたかったからこそ、みんなしてひと幕書いた芝居なんだ。――どうどす? きょとんとしていなはりますな。へえ左様ならだ、縁があったらまたお目にかかりましょうよ」
 言いすてると、大尽の繩尻とった一行の中に交って、意気揚々と引きあげました。――意外です。まことに意表をついた椿事です。
「ウッフフ、わッははは」
 退屈男は、爆発するように大きく笑うと、ほがらかに呟きました。
「そうであろう。そうであろうよ。所司代詰の役侍と申さば、痩せても枯れても京一円の警備承わっている者共じゃ。何ぞ仔細がのうては町人風情に追従する筈はあるまいと存じておったが、わははは、わははは。みな捕り物ゆえの大芝居か、面白い。面白い! いや、面白いぞ。――のう、八ツ橋。京も存外に面白いところじゃな」
 然るに、その八ツ橋太夫が、どうしたことか浮かぬげな面持《おももち》で、明け放たれた窓べりにより添いながら、しきりに往来を見すかしているのです。不安げに、うれわしそうに、そして合点の行かぬもののように、じっと見守っていましたが、不意にそのとき、何におどろいたものか、あッ、と小さく叫びながら慌てて面を袖でおおうと、よろめくように打ち倒れました。
「何じゃ! いかがいたした?」
 いぶかりながら歩みよって、窓べりからのぞいて見ると、意外です。さらに意外でした。今のさき雑言交《ぞうごんまじ》りの啖呵《たんか》をのこして一行と引揚げていったばかりのあの弥太一が、朱《あけ》に染まって呻き声をあげながら、ほんのそこの往来先にのけぞっているのでした。しかも、斬った対手は、同じ仲間と思われたあの四人の中のひとりなのです。そのいち人が血刀をぬぐいながら、はやてのような早さで、さッと闇の向うに逃げ走って行きました。
「ほほう。これはまた、ちと急に雲行が変ったようじゃな。面白い! 面白い! 京というところは、ずんと面白いぞ」
 声も冴えやかに、のっしのっしと降りて行くと、名代自慢の疵痕を、まばたく灯影に美しく浮き出させながら、人集《ひとだか》りを押しわけて、新らしく降って湧いた秘密と謎とを包みながら呻き倒れている弥太一のかたわらに、ずいと近よりました。

       

 ――疵は、逃げようとしたところをでも追い斬りに斬り下げられたらしく、右肩から左へ斜《はす》にうしろ袈裟《げさ》が一太刀です。しかし、斬った方でも余程慌てていたと見えて、危うくも急所をはずれていたのは、せめてもの幸運でした。
「ほほう、手当を急がば助からぬものでもないな。よしよし。――見世物ではない。退《ど》こうぞ。退こうぞ」
 物見高く囲りに集《たか》って、なすところもなくわいわいと打ち騒いでいる群衆を押しのけながら、退屈男はのっそりと露払いの弥太一といった、その若者の傍らに歩みよりました。
「ち、畜生ッ、うぬまでも来やがったかッ。後生だッ。後生だッ、もう勘弁してくれッ、この上斬るのは勘弁してくれッ。さっきヘゲタレと言ったのは、おれが悪かった。か、勘弁してくれッ。この上|弄《なぶ》り斬りするのは勘弁してくれッ」
 それを弥太一が思いすごして、敵意あってのことと取ったらしく、必死にもがきながら訴えたのを、
「目違い致すな。江戸侍は気《き》ッ腑《ぷ》が違うわッ」
 全くそうです。ずばりと爽かに言いながら、目早く群衆を見廻していたが、近くに若いのが大いにイナセがって、三尺帯を臍《へそ》のあたりにちょこなんと巻きつけていたのを発見すると、
「お誂え向きじゃ。ほら、くるッと三べん廻って煙草にしろ」
 ねじ廻すようにくるくると身体を廻しながら、素早く白三尺をほどいて取って、当座の血止めにキリキリと傷口を、それもごく馴れた手つきで敏捷に結わえました。その江戸前のうれしい気性と、うれしい手当に、すっかり感激したのは露払いの弥太一です。
「仏だ。仏だ、ああ痛え! おお痛え! いいえ、旦那は生仏《いきぼとけ》でござんす。悪態《あくたい》ついた野郎を憎いとも思わねえで、御親切[#「御親切」は底本では「御視切」と誤植]な御手当は涙がこぼれます。おお痛え! ああ痛え、畜生ッ、ほ、骨がめりこむようだ。いいえ、涙が、涙がこぼれます。御勘弁なすっておくんなさいまし、さっきの、さ、さっきの悪態は御勘弁なすっておくんなさいまし」
 必死に歯を喰いしばって、必死に苦痛を耐《こら》えながら、手を合わさんばかりにお礼の百万遍を唱えました。――だが、退屈男は淡々たること水のごとし!
「現金な奴よ喃《のう》。ヘゲタレにしたり生仏にしたり致さば、閻魔様《えんまさま》が面喰らおうぞ。それより女! こりゃ、女」
 そこの暖簾先《のれんさき》に住の江の婢共《おんなども》が、只打ちうろたえながらまごまごしているのを見つけると、叱るように言いました。
「大切《だいじ》なお客様がお怪我を遊ばしたのじゃ。早く介抱せい」
「………」
「何をためらっているのじゃ。京のお茶屋は、小判の顔を見ずば、生き死の怪我人の介抱もせぬと申すかッ」
 辛辣《しんらつ》な叱咤《しった》です。仕方がないと言うように手を添えた女達を促して、退屈男が瀕死の弥太一を運ばせていったところは、一瞬前、遊女達の美しい仇花《あだばな》が咲いた二階のあの大広間でした。
「ま! むごたらしい……」
 血まみれなその姿を眺めて、ぎょッと身を引きながら生きた心地もないように八ツ橋太夫は唇までも青ざめていたが、さすがは京の島原で太夫と言われる程の立て女でした。
「みなの衆は何をぼんやりしてでござんす。気付け薬はどこでござんす。医者も早う呼んであげて下さんし」
 新造達を叱って、取りあえず応急の手当にかからせました。だが、退屈男にとって第一の問題となり、何よりも急がれたものは、それまで行動を共にしていた者が、なにゆえ不意に斬られたかその不審です。手当の気付け薬で弥太一が、徐々に元気づいたのを見ますと、ぜひにもその謎を解いてやろうと言わぬばかりに、膝を乗り出してきき尋ねました。
「定めし深い仔細《しさい》あっての事であろう。何が因《もと》での刄傷じゃ」
「何もこうもねえんです。あの四人の野郎達は猫ッかむりなんです。喰わせ者なんです」
「なに! では所司代付の役侍とか申したのは、真赤な嘘か」
「いいえ立派な役侍なんです。役侍のくせに悪党働きやがって、人をこんなに欺《だま》し斬りしやがるんだから猫ッかむりなんです。おお痛え! 畜生ッ、くやしいんだッ、人を欺しやがって、くやしいんだッ。これも何かの縁に違えござんせぬ。打ッた斬っておくんなせえまし! 後生でござんす。あっしの代りに野郎共四人を叩ッ斬っておくんなせえまし!」
「斬らぬものでもない。退屈の折柄ゆえ、事と次第によっては斬ってもつかわそうが、仔細を聞かぬことにはこれなる一刀、なかなか都合よく鞘鳴りせぬわ。そちを欺したとか言うのは、どういう事柄じゃ」
「そ、そ、それが第一|太《ふて》えんです。話にも理窟にもならねえほど太てえ事をしやがるんです。こうなりゃもうくやしいから、何もかも洗いざらいぶちまけてしまいましょうが、あっしゃ珠数屋へ出入りの職人なんです。ちッとばかり植木いじりをしますんで、もう長げえこと御出入りさせて頂いておりましたところ、――おお痛え! 太夫、命助けだ。もう一服今の気付け薬をおくんなせえまし、畜生めッ、旦那に何もかもお話しねえうちは、死ねって言っても死なねえんだッ。――ああ有りがてえ、お蔭ですっと胸が開けましたから申します。申します。話の起こりっていうのは、さっき御覧になったあの観音像なんです」
「ほほう、やはりあれがもとか。どうやら異国渡りの秘像のようじゃが、あれがどうしたと言うのじゃ」
「どうもこうもねえ、野郎達四人があれを種にひと芝居書きやがったんです。というのが、珠数屋のお大尽も今から考えりゃ飛んだ災難にかかったものだが、十年程前に長崎へ商売ものの天竺珠数《てんじくじゅず》を仕入れにいって、ふとあの変な観音像を手に入れたんです。ところがどうしたことか、それ以来めきめきと店が繁昌し出しましたんで、てっきりもうあの観音像の御利益と、家内の者にも拝ませねえほど、ひたがくしにかくして、虎の子のように大切にしている話を嗅ぎつけたのが、所司代のあの四人の野郎達なんです。これがまたおしい位の腕ッ利き揃いなんだが、ちッとばかり料見がよくねえんで、ひょッとすると切支丹の観音像かも知れねえと見当つけやがったと見えてね、ご存じの通り、切支丹ならば御法度《ごはっと》も御法度の上に、その身は礫《はりつけ》、家蔵身代《いえくらしんだい》は闕所《けっしょ》丸取られと相場が決まっているんだから、――おお、苦しい! 太夫水を、水をいっぺえ恵んでおくんなせえまし――ああありがてえ、畜生めッ、これでくたばりゃ七たび生れ代っても野郎四人を憑《と》り殺してやるぞッ――だからね、どうぞして観音像の正体を見届け、もしも切支丹の御秘仏だったら、御法度を楯に因縁つけて、大ッぴらに珠数屋の身代二十万両を巻きあげようとかかったんだが、お大尽がまた何としてもその観音像を見せねえんです。だから手段《てだて》に困って、出入りのこのあっしに渡りをつけやがって、うまくいったら五百両分け前をやるからと、仲間に抱き込みやがったんです。われながらなさけねえッたらありゃしねえんだが、五百両なんて大金は、シャチホコ立ちしたってもお目にかかれねえんだから、つい欲に目が眩《くら》んで片棒かつぐ気になったのがこの態《ざま》なんです。だけどもお大尽は、幾らあっしがお気に入りでも、どんなにあっし達が機嫌気褄《きげんきづま》を取り結んでおだてあげても、あの観音像ばかりはと言って、ちっとも正体を見せねえので、とどひと芝居書こうと考えついたのが、こちらの八ツ橋太夫なんです。――おお苦しい! もう、もう声も出ねえんです。苦しくて、苦しくて、あとはしゃべれねえんです。これだけ話しゃ、太夫がもう大方あらましの筋道もお察しでしょうから、代って話しておくんなせえまし。くやしいんだッ、是が非でも奴等の化けの皮を引ッぱいでやらなきゃ、死ぬにも死にきれねえんだッ。いいや、旦那にその讐《かたき》を討って貰うんです! どうやら気ッ腑のうれしい旦那のようだから討って貰うんです。だから太夫、話してやっておくんなせえまし。あっしに代って、よく旦那に話してやっておくんなせえまし……」
「よう分りました。どうもお初の時から御容子が変だと思いましたが、それで何もかも察しがついてでござんす。話しましょう、話しましょう。代って話しましょうゆえに、江戸のぬしはんもようきいておくれやす。十日程前でござんした。こちらの弥太一様がわたしを名ざしでお越しなはってな、お前はこの曲輪《くるわ》で観音太夫と仇名されている程の観音ずきじゃ。ついては、珍しい秘仏をさるお大尽様が御秘蔵[#「御秘蔵」は底本では「御秘像」と誤植]じゃが見とうはないかと、このようにおっしゃったんでござんす。観音様は仇名のようにわたしが日頃信心の護り本尊、是非にも拝ましておくんなさんしと早速駄々をこねましたら、あのお大尽をお四人様達大勢が、面白おかしゅう取り巻いてお越しなはったんでござんす。なれども、よくよくお大切《だいじ》の品と見えて、なかなかお大尽が心やすう拝ましてくだはりませんのでな、みなさんに深いお企らみがあるとも知らず、口くどうせっつきましたところ、ようようこん日拝まして下はるとのことでござんしたゆえ、楽しみにしてさき程、ちらりと見せて頂きましたら、御四人様が不意に怕《こわ》い顔をしなはって、まさしく切支丹じゃッ、お繩うけいッ、とあのようにむごたらしゅうお大尽をお召し捕りなすったんでござんす。それから先は、どうしてまた弥太一様が、こんな姿になりましたことやら、わたくし察しまするに――」
「どうもこうもねえんだ。おいらを、この弥太一を生かしておきゃ後腹《あとばら》が病めるからと、バッサリやりやがったんです。斬ったが何よりの証拠なんだ。奴等の企らみが、あくでえ[#「あくでえ」に傍点]細工が、世間にバレねえようにとこの俺を斬ったが何よりの証拠なんだ。野郎共め、今頃はほくそ笑みやがって、珠数屋の二十万両を丸取りにしようとしているに違げえねえんです。いいや、お大尽も早えところ片附けなきゃと、今頃はお仕置台《しおきだい》にでものっけているに違げえねえんです。いっ刻《とき》おくれりゃ、いっ刻よけいむごい目にも会わなきゃならねえに違げえねえんだから、ひと乗り乗り出しておくんなせえまし、後生でござんす! 後生でござんす!」
 ギリギリと歯ぎしり噛んで、苦しげに訴えた弥太一の血まみれ姿を黙然と見守りながら、わが好もしき江戸名物の旗本退屈男はじりじりと傍らの白柄細身をにぎりしめました。事実としたら、もとより許しがたい。企らみのあくどさは言うまでもないこと、より以上に許せないのは四人のその身分です。御禁中警固、京一円取締りの重任にあるべき所司代詰の役侍が、その役柄を悪用して不埒《ふらち》を働こうとしているだけに許せないのです。しかし、問題は珠数屋のお大尽に、切支丹の気があるかどうかなのだ。これをお繩にしたのだったら、止むをえないが、全然それらしい匂いすらもない者を、無実と知りながら罪におとし入れようとの細工であったら、――退屈男の双の目はキラリと冴え渡りました。
「珠数屋というからには仏に縁がある筈、よもやあれなる大尽、切支丹宗徒ではあるまいな」
「ねえんです。ねえんです。切支丹どころか真宗《しんしゅう》のこちこちなんだのに、只あの変な観音様を内証《ないしょ》に所持しているというだけで、やみくも因縁つけようというんだから、今となっちゃあっしまでも野郎達四人が憎くなるんです。言ううちにも、お大尽がお仕置《しおき》にでもなッちや可哀そうだから、ひと肌ぬいでおくんなせえまし。大尽のうちゃ、つい近くの西本願寺様を表へ廻ったところなんだから、行ってみりゃ容子がお分りの筈です。おお痛てえ! もう死にそうなんだッ。打ち斬っておくんなせえまし! 早えところお出かけなすって、打ッた斬っておくんなせえまし! 後生でござんす! 後生でござんす!」
「ようし! 参ろうぞ。対手が所司代付きとあらば、骨があるだけに、どうやらずんと退屈払いが出来そうじゃわい。ならば八ツ橋太夫、弥太一とやらの介抱手当は、しかと頼んでおくぞ」
「大丈夫でござんす。御縁があらばあとでしッぽりと、いいえ、ゆるゆる。……ゆずる葉! お乗り物じゃ。お乗り物じゃ。早うお駕籠をとッて進ぜませい」
 色香も程の、うれしく仇な八ツ橋の言葉をあとにして、ひらりと駕籠に乗るや一散走り。――


 すういとな、すういとな。
  ぬしが帰りの駕籠道に
   憎や小雨が降るわいな。降るわいな。

 灯影を縫ってどこかの二階からか、やるせなさそうな爪弾《つまびき》の小唄が、一散走りのその駕籠を追いかけてなまめかしく伝わりました。

       

 道は、壬生《みぶ》のお屋敷小路を通りぬけてしまうと、目ざした西本願寺前までひと走りです。行きついて見ると、いかさま珠数屋というのは、この界隈《かいわい》名うての分限者らしく、ひとめにそれと分る程の大きい構えでした。いや、それよりも退屈男の目をそば立たしめたものは、疾風迅雷的《しっぷうじんらいてき》に闕所取払《けっしょとりはら》いの処断をつけてしまおうというつもりらしく、すでにもう所司代付きの物々しい一隊が押しかけて、家の周囲にはいかめしく竹矢来を結い廻し、目ぼしい家財道具はどしどしと表に運び出しながら、しきりと右往左往している不埒な端役人《はやくにん》達のその姿でした。元よりそんな言語道断な処置はない。かりにも闕所ところ払いというがごとき、町家にとって最も重い処断をするについては、一応も二応も細密なお白洲吟味《しらすぎんみ》にかけた上で、踏むべき筋道を踏んでから、初めて一切を取りしきるのが御定法《ごじょうほう》の筈です。然るにも拘わらず、珠数屋のお大尽を引ッ立てると殆んど同時のように、かくも身代押えを急いでいるのは、弥太一の言ったごとく、役向き権限を悪用して巧みに財物を私しようとのよからぬ下心であることが、すでにその一事だけで一目瞭然でしたから、退屈男の江戸魂は勃然として義憤に燃え立ちました。
 のっそりと駕籠から降りて、折からの宵闇を幸い、そこの小蔭に佇みながら見守っていると、それとも知らずにあちらへ命じ、こちらの小者達に命じながら、しきりに采配振っているのは、先刻、お大尽を繩にしてこれ見よがしに引き揚げていった四人のうちの二人です。しかも、その采配振りが実に不埒《ふらち》でした。金にならないような安家財はこれを所司代詰所に送り、めぼしい品は、数多くの千両箱と共に、どこへ送ろうというのか、その行く先を心得ているらしい小者達に命じて、どんどんと違った道を違った方向に運ばせているのです。無論、かくのごとき言語道断な処分の仕方というものは、あろう筈がない。公儀定むるところの掟《おきて》に従って、家財没収身代丸押えの処断をするなら、金目安物、ガラクタめぼしい品と、その財物をふた色に選り分けて、ふた所に運ぶという法はないのです。あきらかにその一事もまた、私財横領のよかならぬ悪計を察するに充分な行動でしたから、無数と言ってもいい程の千両箱を行列つくって担《にな》わせながら、しすましたりというように引き揚げようとしていた二人の前にずいと立ちふさがると、退屈男は黙ってバラリ編笠をはねのけました。
「よッ――」
「………」
「さッきの奴じゃな! 行く手をふさいで何用があるのじゃ! 何の用があってつけて来たのじゃ!」
 ぎょッとなって色めき立ったのを、およそ不気味な威嚇です。否! 実に痛快な一語でした。
「何の用もあって来たのではない。江戸侍の怕いところを少々御披露しに参ったのよ」
「なにッ、怕いところを披露とは何のことじゃ! われら、うしろ暗いことなぞ一つもないわッ。道をあけろッ、道をあけろッ。しつこい真似を致すと、役儀の名にかけてもすてておかぬぞッ」
「早い。早い。その啖呵《たんか》はまだ早い。うしろ暗いところがなくば結構じゃ。あとでゆるゆる会おうわい。充分に覚悟しておくがよかろうぞ。では、あちらでお待ち致すかな。腰のものの錆なぞよく落して参れよ」
 気味わるくあっさりあしらっておくと、
「供! 供! お供! 所司代番所じゃ。威勢よく参れッ」
 ゆったり乗って、所司代詰所目ざしながら駕籠を打たせました。――その行き先を耳に入れて、俄《にわ》かに狼狽《ろうばい》し出したのは、今のさき、うしろ暗い事なぞ毫もないと、大見得を切った件《くだん》の二人です。
「少々……」
「うむ、分った! こちらは付添って参らずとも万事心得ている筈じゃ。先廻りしろッ、先廻りしろッ、先廻りしてひと泡吹かせろッ」
 謀《しめ》し合わせて、千両箱の行列は、小者達もろとも向うにやりすごしておいてから、気色《けしき》ばみつつ退屈男のあとを追いかけました。無論おおよその察しをつけたに違いない。何の目的を抱いて所司代番所を目ざしているか、退屈男の底気味わるく落ち付き払った始終の容子から、さてはと察しがついたればこそ、目色を替えて追いかけ、色めき立って必死に先廻りしようとしたに違いないのです。けれども、わが早乙女主水之介は、カンカラと大きく打ち笑ったままでした。
「わはははは、ちと肝が冷えて参ったようじゃな。もそッと走れ、もそッと走れッ。程よく腹がすいてよかろうぞ。もそッと走れ、もそッと走れッ」
 笑いはやしつつ、心持よげにゆったりと駕籠を打たせました。よし察しをつけて所司代詰所に先廻りしながら、役侍の威厳を楯に笑止な刄向い立てしようとも、その身にはより以上にすばらしい千二百石直参お旗本の天下御免なる威厳があるのです。それで不足ならば、これまた天下御免なるあの胆力で行くのだ。それでも足りずば篠崎流《しのざきりゅう》折紙つきの縦横無尽なる軍学智略で行くのだ。なおその二つでも不足だったら、あれで行くのです。あれで行くのです。江戸御免なるあの月ノ輪型の向う疵と、諸羽流正眼崩《もろはりゅうせいがんくず》しのあのすさまじい剣脈で行くのです。
「しっとりと霧が降って、よい夜じゃ。京は霧までが風情《ふぜい》よ喃。駕籠屋! 帰りにどこぞで一杯参ろうぞ」
 などと江戸前の好もしくも風流なわが退屈男は、胆力すでに京一円を蓋《おお》い、気概また都八条を圧するの趣きがありました。
 だが、目ざしたその所司代番所へ行きついて見ると、これがなかなか左様に簡単には参らないのです。必死に駈けぬけて先廻りした二人が早くもその手配をしたのか、それとも夜はそうしておくのが所司代番所のならわしであるのか、門は元よりぴたりと一文字に堅く締め切って、そこには次のごとき威嚇顔の制札が見えました。

     下乗《ゲジョウ》之事
  禁中ヨリノ御使イ、並ビニ江戸
  公儀ヨリノ御使者以外ニ夜中ノ
  通行堅ク御差止メノ事

 はっきりと禁裡御所からのお使い、並びに江戸お公儀からの使者以外は、夜中の通行堅くお差止めの事と書いてあるのです。無論その表書き通りであったら、たやすく開門させることは困難であろうと思われたのに、しかし退屈男は、まるでその制札なぞ歯牙《しが》にもかけないといった風でした。
「ほほう。賄賂《わいろ》止めの禁札があるな。よいよい、禁札破り致すのも江戸への土産《みやげ》になって面白かろうぞ。駕籠屋! 帰りのお客は珠数屋のお大尽様じゃ。たんまり酒手をねだるよう、楽しみに致して待っていろよ」
 一向に恐るる色もなく、その上なおどういう理由を以てか、容易ならぬその制札を至ってあっさり賄賂止めと言ってのけながら、珠数屋の大尽も亦すでにもう奪い返したごとき朗かさで、お供の者達をそこに待たしておくと、のっしのっしと近づきながら、いとも正々堂々と大音声《だいおんじょう》に呼ばわりました。
「物申そうぞ! 物申そうぞ! 直参旗本早乙女主水之介、当所司代殿に火急の用向きあって罷《まか》り越した。開門せいッ。開門せいッ」
 と同時でした。窺《うかが》うような足音と共に、そこの物見窓から、ぬッと顔をのぞかせたのは、まさしく先程うろたえながら抜け駈けしていった、あの役侍達二人です。否、のぞいたばかりではない。今ぞ初めてあかした直参旗本のその身分|素姓《すじょう》に、二人はしたたかぎょッとなったらしく、二重の狼狽を見せると、それだけにまたこの恐るべき退屈男に堂々と乗り込まれては一大事と見えて、威勢を張りながら必死にはねつけました。
「ならぬ! ならぬ!」
「開門なぞ以てのほかじゃッ」
「貴公の目玉は節穴かッ」
「直参であろうと、旗本であろうと、夜中の通行は制札通り御禁制じゃッ」
「かえれッ。かえれッ」
「とッとと帰って出直さッしゃいッ」
 代る代るに罵《ののし》りながら、表の禁札を楯にとって権柄ずくに拒んだのを、だが退屈男は心に何か期するところがあると見えて、至って朗らかに、至って悠然としながら叫び立てました。
「騒々しゅう申すな。立派な二つの目があればこそ、公儀お直参が夜中のいといもなく直々に参ったのじゃ。どうあっても開門せぬと申すか」
「当り前じゃわッ。表の制札今一度とくと見直さッしゃいッ。禁中よりのお使い並びに江戸公儀よりの御使者以外は、万石城持の諸侯であろうと通行厳禁じゃッ。江戸侍とやらは文字読む術《すべ》御存じござらぬかッ」
「ほほう、申したな。笑おうぞ、笑おうぞ、そのように猛々《たけだけ》しゅう申さば、賄賂《わいろ》止めのこの制札が笑おうぞ」
「なにッ、賄賂止めとは何を申すかッ。この制札が賄賂止めとは何ごとじゃッ。不埓《ふらち》な暴言申さば、御直参たりとも容赦ござらぬぞッ」
「吠えるな、吠えるな。そのように口やかましゅう遠吠えするものではない。揃いも揃うてよくよく物覚えの悪い者達よ喃。この一札こそは、まさしく先々代の名所司代職板倉内膳正殿が、町人下郎共の賄賂請願《わいろせいがん》をそれとなく遠ざけられた世に名高い制札の筈じゃ。無役ながら千二百石頂戴の直参旗本、大手振って通行致すに文句はあるまい。早々に出迎い致してよかろうぞ」
「ぬかすなッ。ぬかすなッ。出迎いなぞと片腹痛いわッ。どういう制札であろうと、通行お差し止めと書いてあらば開門無用じゃッ」
「ほほう、なかなか口賢《くちざか》しいこと申しおるな。ならば制札通り、禁中、お公儀の御使者だったら、否よのう開門致すと申すか」
「くどいわッ、くやしくば将軍家手札でも持って参らッしゃいッ。もう貴公なぞと相手するのも役儀の費《つい》えじゃッ。おととい来るといいわッ」
 面憎《つらにく》げに罵り棄てると、この上の応対も面倒と言わぬばかりに、ピタリ物見の窓をしめ切りました。同時に当然のごとく退屈男が嚇怒《かくど》して、大声に叱咤《しった》でもするだろうと思いのほかに、その一語をきくや否や、期せずして凄艶《せいえん》な面に上ったのは、にんめりとした不気味この上ない微笑です。
「先ずこれで筋書通りに参ると申すものじゃ。然らばそろそろ篠崎流の軍学用いて、否やなく開門させて見さしょうぞ。駕籠屋!」
 さし招くと、
「ひと儲けさせてとらそう。早う参れ」
 一二丁程向うにいざなって、ちゃりちゃりと山吹色の泣き音をさせながら、裸人足共の手のうちに並べて見せたのは天下通宝の小判が十枚――。
「これだけあれば不足はあるまい。どこぞこのあたりの駕籠宿に参って、至急にこれなる乗物、飛脚駕籠に仕立て直して参れ」
「どうなさるんでござんす」
「ちと胸のすく大芝居を打つのじゃ。ついでに替肩の人足共も三四人狩り出して参れよ。よいか、その方共も遠掛けのように、ねじ鉢巻でも致して参れよッ」
 命じて去ろうとすると、いかなる奇計を用いようというのか、退屈男の口辺に再びのぼったのは不気味な微笑です。――そうして四半刻……。

       

「どいたッ、どいたッ、早駕籠だッ」
「ほらよッ、邪魔だッ、早駕籠だッ」
 道々に景気のいい掛け声をバラ撒きながら、程たたぬ間に人足達は、早打ち仕立ての一挺を軽々と飛ばして来ると、得意そうに促しました。
「どうでござんす」
「ほほう、替肩を六人も連れて参ったな。いや、結構々々。これならば充分じゃ。では、その方共にも見物させてつかわそうぞ。威勢よく今の門前へ乗りつけて、江戸公儀からの急飛脚じゃ。開門開門とわめき立てい」
「………?」
「大事ない。天下の御直参が申し付くるのじゃ。心配せずと、いずれも一世一代の声をあげて呼び立てい」
「面白れえ。やッつけろ」
 乗るのを待って、さッと肩にすると、掛け声もろとも威勢よく、さき程のあの所司代番所門前に風を切って駈けつけながら、ここぞ一世一代とばかり、口々わめき立てました。
「早打ちだッ、早駕籠だッ」
「江戸お公儀からの早駕籠でごぜえます」
「開門! 開門! 御開門を願いまあす!」
「江戸表からの御用駕籠だッ、お早く! お早く! お早く! 開門を願います!」
「なにッ――」
 声をきいて、慌てふためきつつ物見窓から顔をのぞかせたのは、先刻のあの二人です。
「しかと左様かッ。たしかに江戸お公儀からの急飛脚でござるか」
「たしかも、しかもござんせぬ! この通り夜道をかけて飛んで来たんでござんす! お早く! お早く! 早いところ開門しておくんなせえまし!」
「いかさま替肩付きで急ぎのようじゃな! 者共ッ、者共ッ、開門さッしゃい! 早く開門してあげさッしゃい」
 打ちうろたえながらギギギイと観音開きにあけたのを、編笠片手にぬッと駕籠の中から、ぬッと悠々と姿を見せたのはわが退屈男です。
「よよッ。うぬかッ、うぬかッ、うぬが計ったかッ、うぬが計ったかッ」
 歯ぎしり噛んで怒号したがもう遅い。
「お出迎い御苦労々々々。夜中大儀であった。遠慮のう通って参るぞ」
 至っておちつき払いながら退屈男は、ずいと門内に通りました。だが、通してしまったら、二人の者達にとっては一大事に違いないのです。プツリともう鯉口切って、固めの小者達にも命じながらバラバラッとその行く手に立ちふさがると、血相変えてわめき立てました。
「ならぬ! ならぬ! とッて返せい! 引ッ返せいッ」
「恐れ多くも御公儀の名を騙るとは何ごとじゃッ。かくならばもう大罪人、禁札破りの大科人《おおとがにん》じゃッ。帰りませいッ、帰りませいッ。たって通行致さるるならば、お直参たりとも手は見せ申さぬぞッ」
「控えい!」
 ずばりとそれを一|喝《かつ》すると、胆《たん》まことに斗《と》のごとし! 声また爽やかにわが退屈男ならでは言えぬ一語です。
「大科人とは何を申すか! 公儀のおん名騙ったのではない。公儀お直参の旗本は、即ち御公儀も同然じゃ。――その方公旗本は禄少きと雖も心格式|自《おのずか》ら卑しゅうすべからず、即ち汝等直参は徳川旗本の柱石なれば、子々孫々に至るまで、将軍家お手足と心得べしとは、東照権現様《とうしょうごんげんさま》御遺訓にもある通りじゃ。端役人共ッ、頭《ず》が高かろうぞ。もそッと神妙に出迎えせいッ」
「言うなッ。言うなッ、雑言《ぞうげん》申さるるなッ。いか程小理屈ぬかそうと、夜中|胡散《うさん》な者の通行は厳禁じゃッ、戻りませいッ、戻りませいッ。この上四ノ五ノ申さるるならば、腕にかけても搦《から》めとってお見せ申すぞッ」
「控えろッ。胡散な者とは何事じゃ。さき程その方共は何と申した。公儀お使者ならば通行さしつかえないと申した筈でないか。即ち、われらは立派なお使者じゃ。行列つくって出迎えせい」
「まだ四ノ五ノ申しおるなッ。まことお使者ならば、公儀お差下しのお手判がある筈、見せませいッ、見せませいッ。証拠のそのお手判、とくとこれへ見せませいッ」
「おう、見せてつかわそうぞ。もそッと灯りを向けい。ほら、どうじゃ。これこそはまさしく立派なお手判、よく拝見せい」
 にんめり笑って、ずいと突き出したのは眉間のあの向う傷です。
「どうじゃ。何より見事な証拠であろう。この向う傷さえあらば、江戸一円いずこへ参ろうとて、いちいち直参旗本早乙女主水之介とわが名を名乗るに及ばぬ程も、世上名代の立派な手判じゃ。即ちわれら直参旗本なること確かならば、将軍家お手足たることも亦権現様御遺訓通りじゃ。お手足ならば、即ちわれらかく用向あって罷《まか》り越した以上、公儀お使者と言うも憚《はばか》りない筈、ましてやそれなる用向き私用でないぞ。どうじゃ、覚えがあろう! 身に覚えがあろう! その方共端役人の不行跡、すておかば公儀のお名にもかかわろうと、われら、わざわざ打ち懲らしに参ったのじゃわッ」
「なにッ」
「おどろかいでもいい。その方共が口止めに、卑怯な不意討ちかけた露払いの弥太一は、まだ存命致しておるぞ。と申さば早乙女主水之介が、手数をかけて禁札[#「禁札」は底本では「禁礼」と誤植]破り致したのも合点が参ろう。ほしいものは珠数屋の大尽の身柄じゃ。さ! 遠慮のう案内せい!」
「そうか! 弥太一が口を割ったとあらばもうこれまでじゃッ。構わぬ、斬ってすてろッ、斬ってすてろッ」
 下知《げち》するや否や、固めの小者もろども、一斉に得物を取りながら、ひしめき立って殺到して来たのを、
「御苦労々々々。刄襖揃えて出迎えか、では、参ろうぞ。どこじゃ。案内せい」
 にんめり笑って、ずいずいと三歩五歩――。やらじと、引き下がって再び殺到しようとしたのを、
「いや風流じゃ、風流じゃ。白刄固《しらはがた》めの御案内とは、近頃なかなか風流じゃ。道が暗い! もそッと側へ参って手引せい」
 莞爾《かんじ》としながら深編笠片手にしたままで、剣風《けんぷう》相競《あいきそ》う間をずいずいと押し進みました。まことに胆力凄絶、威嚇ぶりのその鮮かさ!――まるで対手は手も出ないのです。剣気を合わすることすらも出来ないのです。じりじりと下がっては構え直し、下がってはまた構え直して、徒らに只《ただ》犇《ひし》めいている間を、わが退屈男はいとも自若として押し進みながら、珠数屋の大尽の囚われ先はいずくぞと、ひたすらに探し求めました。と――その闇の奥庭の遙か向うで、ぽうと怪しく燃え上がったのは、異様な篝火《かがりび》の灯りです。同時にその灯りの中から、ありありと浮び上がって見えたのは、正しく磔柱《はりつけばしら》を背に負った珠数屋の大尽のお仕置姿でした。しかも、最期は今近づいているのです。手槍を擬した小者達両名がその左右に廻って、今し一ノ槍を突き刺そうとしているのです。否、そればかりではない! そればかりではない! 仕置人足達の采配振っているのは、あの四人のうちの片割れ二人なのだ。互に手分けして二人は必死に門を固め、残った二人は珠数屋の大尽の磔処分に当ろうとの手筈だったらしく、声高に叱咤《しった》しているおぞましい姿が、ありありと灯影の中にうごめいて見えるのです。――知るや、退屈男は一散走り! 刄襖《はぶすま》林の間をかいくぐりながら、脱兎《だっと》のごとくに走りつけると、
「天誅《てんちゅう》うけいッ」
 声もろともにダッと左右へ、槍先擬していた二人の小者を揚心流息の根止めの拳当てで素早くのけぞらしておきながら、騒然と色めき立った周囲の黒い影をはったと睨《ね》めつけて、痛烈に言い叫びました。
「どこまで不埒《ふらち》働こうという所存じゃッ。無辜《むこ》の良民の命縮めて、上役人の掟が立つと思うかッ。神妙にせい! いずれも一寸たりとそこ動かば、早乙女主水之介が破邪の一刀忽ち首《こうべ》に下ろうぞッ」
 叫びつつ、磔柱をうしろ背にすッくと仁王立ちに突ッ立った凄艶《せいえん》きわまりないその姿に、采配振っていた片われ二人が、ぎょッと身じろぎしながら鯉口切ったところへ、気色ばみつつ走りつけて来たのは、通行を拒《こば》んだあの二人、右と左から口を寄せて何か口早に囁いたかと見えるや、同時でした。
「そうか! 何もかも弥太一からきいてのことかッ」
「露顕したとあらばもうこれまでじゃッ。うぬがうろうろと門前を徘徊《はいかい》致しているとの注進があったゆえ、邪魔の這入らぬうちに手ッ取り早く珠数屋を片付けようと、折角これまで運んだものを、要らざる御節介する奴じゃッ。木ッ葉旗本、行くぞッ、行くぞッ」
 ののしり叫びざまにギラリギラリと抜いて放って、四人もろとも、正面左右から迫って来たのを、退屈男は莞爾《かんじ》たり!
「参るか。望まぬ殺生なれど向後《こうご》の見せしめじゃ。ゆるゆるとこの向う傷に物を言わせてつかわそうぞ」
 静かに呟きながら、愛用の一刀を音もなく抜き払いました。刹那! 何ともどうももう仕方がない。ひとたびわが退屈男の腰なる秋水が鞘走ったとならば、何ともどうももう仕方がないのです。
「みい!」
 静かな声と共に、その秋水が音もなく最初のひとりを見舞いました。しかし、斬ったのはその右腕です。スパリと一二尺血しぶきもろとも、飛んで落ちたのを見眺めながら、何ともどうも不気味な微笑でした。にんめり微笑しつつ、静かに言いました。
「ともかくも役儀を持ったその方達じゃ。片腕ずつ殺《そ》いでおくのも却って面白かろうぞ。ほら、今度はそッちの獅子鼻じゃ。――すういと痛くないように斬ってつかわすぞ」
 言ったかと思うと、本当にすういと斬りとるのだから、どうも仕方がないのです。と見て、残った二人が必死に逃げのびようとしたのを、裂帛《れっぱく》の一声!
「またぬかッ。その方共を逃がしては、それこそまさしく片手落ちじゃ。ほうら! 両名一緒に一本ずつ土産に貰うぞッ」
 さッとひと飛びに追い迫って、左右に一刀斬り!
「四本落ちたかッ。ようしッ。もう小者達には用がない。早う消えおろうぞッ」
 慌てふためいて雑兵ばらが、呻き苦しんでいる四人の者を置去りにしながら逃げ去っていったのを、退屈男は小気味よげに見眺めつつ、静かに磔柱の傍に歩みよると、色蒼ざめて生きた心地もないもののように、脅えふるえながらくくられていた珠数屋の大尽のいましめを、プツリと切り放ちました。
「あ、ありがとうござります! ようお助け下さりました。い、いのちの御恩人でござります! 金も、金も、何程たりとも差しあげまするでござります!」
 ぺたりと這いつくばって言ったのを、
「またしても金々と申すか! 小判の力一つで世間を渡ろうとしたればこそ、このような目にも会うたのじゃ。その了見、そちも向後《こうご》入れ替えたらよかろうぞ。表に駕籠が待っている筈じゃ。早う行けッ」
 一喝しながら去らしておいて、退屈男は静かに懐紙《かいし》を取り出すと、うごめき苦しみながら、のた打ち廻っている四人の者の肩口からぶつぶつと噴きあげている血のりをおのが指先に、代る代るぬりつけて、燃えおちかかった篝火《かがりび》をたよりに、ためつすかしつ次のごとくに書きつけました。

「当職所司代は名判官と承わる。これなる四人の公盗共が掠《かす》めし珠数屋の財宝財物を御糺問《ごきゅうもん》の上、すみやかにお下げ渡し然るべし。江戸旗本早乙女主水之介、天譴《てんけん》を加えて明鑒《めいかん》を待つ」

 ぺたりとその血書の一札を磔柱に貼っておくと、
「いかい御雑作に預かった。これなる四本の片腕は弥太一への何よりな土産、遠慮のう貰うて行くぞ」
 血のまま四本を袖ごとくるんで、小気味よくも爽かに歩み去ると、表に待ちうけながらざわめいていた裸人足のひとりを招いて、いとも退屈男らしく命じました。
「ちと気味のわるい土産じゃが、早々にこれを島原の八ツ橋太夫に送り届けい。弥太一へ無念の晴れる迄とくと見せてつかわせと申してな。それから、今一つ忘れずに伝えろよ。縁《えにし》があらばゆるゆるとか申しおったが、東男《あずまおとこ》はとかく情強《じょうごわ》じゃほどに、深入りせぬがよかろうぞとな。よいか。しかと申し伝えろよ」
 言い捨てると、さてまた退屈じゃが何処へ参ろうかなと言わぬばかりに、ぶらりぶらりと的《あて》もなく更け静まった都大路を、しっとり降りた夜霧のかなたへ消え去りました。

底本:「旗本退屈男」春陽文庫、春陽堂書店
   1982(昭和57)年7月20日新装第1刷発行
※混在する「不埒」と「不埓」は、底本通りとした。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:tatsuki
校正:M.A Hasegawa
2000年6月29日公開
2000年7月11日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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