佐々木味津三

旗本退屈男 第五話 三河に現れた退屈男 ——佐々木味津三

     

 ――その第五話です。
 まことにどうも退屈男は、言いようもなく変な男に違いない。折角京までやって来たことであるから、長崎、薩摩とまでは飛ばなくとも、せめて浪華《なにわ》あたりにその姿を現すだろうと思われたのに、いとも好もしくいとも冴《さ》えやかなわが早乙女主水之介が、この上もなく退屈げなその姿を再び忽焉《こつえん》として現したところは、東海道七ツの関のその三ツ目の岡崎女郎衆で名の高いあの三河路でした。――三河は、人も知る十八松平、葵宗家《あおいそうけ》の発祥地《はっしょうち》、御領主様は智慧者でござる。仏高力《ほとけこうりき》、鬼作左《おにさくざ》、どへんなしの天野三郎兵衛と、そのかみ三河ッ児の洒落たのが舂引音頭《うすひきおんど》に作って、この一角を宰領した三奉行の高力与左衛門、本多作左衛門、天野三郎兵衛の奉行ぶりを、面白おかしく唄いはやしたのは遠い昔のことです。と言うところの意味は、神君家康、甚だ人を用うるに巧みで、いわゆる三河奉行の名のもとに、右の高力、本多、天野の三人をその奉行に任じ、三人合議の三頭政治を執り行わしめたところ、この高力が底なしの沼のような果て知れぬ善人で、本多の作左がまた手もつけられぬやかまし屋で、その真中にはさまった天野三郎兵衛が、また薄気味のわるい程の中庸《ちゅうよう》を得たどっちつかずの思慮深い男であったところから、公事訴訟《くじそしょう》一つも起らず治績また頗る挙ったために、領民共その徳風に靡いて、いつのまにか前記のごとく、御領主様は智慧者でござる。仏高力、鬼作左、どへんなしの天野三郎兵衛と、語呂面白く舂引唄に作って唄いはやしたと今に古老の伝うるところですが、いずれにしてもこの一国は、江戸徳川にとって容易ならぬ由緒の土地であると共に、わが退屈男早乙女主水之介たち、譜代直参の旗本八万騎一統にとってもまた、祖先|発祥《はっしょう》功名歴代忘れてならぬ土地です。
 だが、人の心に巣喰う退屈は、恋の病共々四百四病のほかのものに違いない。一木一草そよ吹く風すら、遠つ御祖《みおや》の昔思い偲《しの》ばれて、さだめしわが退屈男も心明るみ、恋しさ慕《なつ》かしさ十倍であろうと思われたのに、一向そんな容子がないのです。
「左様かな」
「え?……」
「何じゃ」
「何じゃと言うのはこっちのことですよ。今旦那が左様かなとおっしゃいましたが、何でござんす?」
「さてな、何に致そうかな。名古屋からここまでひと言も口を利かぬゆえ、頤《あご》が動くかどうかと思うてちょッとしゃべって見たのよ。時にここはどの辺じゃ」
「ここが音に名高いあの赤坂街道でござんす」
「音に名高いとは何の音じゃ」
「こいつあどうも驚きましたな、仏高力、鬼作左、どへんなしの天野三郎兵衛のそのお三方が昔御奉行所を開いていたところなんですよ」
「いかいややこしいところよ喃《のう》、吉田の宿《しゅく》へはまだ遠いかな」
「いえ、この先が長沢村でござんすから、もうひとのしでごぜえます」
 物憂《ものう》げに駕籠舁共《かごかきども》を対手にしながら、並木つづきのその赤坂街道を、ゆらりゆらりとさしかかって来たのが長沢村です。何の変哲もなさそうな村だが、何しろ時がよい。六月初めの夕焼け時で、空はいち面の鰯波《いわしなみ》――。こやつが空に散ったときは奇妙に魚が釣れると言い伝えられているその鰯波です。事実また魚の方でもあれが空に散ると、いくらか情を催すと見えて、駕籠にゆられながら、道に沿った流れをひょいと見ると、しきりにキラキラと銀鱗が躍っているのだ。――刹那!
「まてッ」
 すさまじい気合でした。ピリッと脳天にひびくような鋭い声で呼びとめながら、のっそり駕籠から降りると、まことにどうも主水之介は、糸の切れた凧のような男です。
「駕籠屋、流れにハヤがおる喃」
「笑《じょう》、笑談じゃござんせんよ。あんまり大きな声をお出しなすったんで、胆《きも》をつぶしました。魚は川の蛆《うじ》と言うくれえなものなんだもの、ハヤがいたって何も珍しかござんせんよ」
「いいや、そうではない。流れに魚族が戯れおるは近頃珍重すべきことじゃ。身共はここで釣を致すぞ」
「え?……」
「予はここでハヤを対手に遊興を致すと申すのじゃ。どこぞ近くの農家にでも参らば道具があろう。江戸旗本早乙女主水之介、道中半ばに無心致して恐縮じゃが、刀にかけても借り逃げは致さぬゆえ、暫時拝借願いたいと、かように口上申してな、よく釣れそうな道具一揃い至急に才覚して参れ」
「呆れましたな。旦那のような変り種は臍《へそ》の緒《お》切って初めてでございますよ。まさかあっし共をからかうんじゃござんすまいね」
「その方共なぞからかって見たとて何の足しになろうぞ。荘子《そうし》と申す書にもある。興到って天地と興す、即ち王者の心也とな。道中半ばに駕籠をとめて釣を催すなぞは、先ず十万石位の味わいじゃ。遠慮なく整えて来たらよかろうぞ。早うせい」
 実にどうもわるくない心意気です。即ち王者の心也とゆったり構えて、駕籠屋共に釣竿を才覚させながら、あの月の輪型の疵痕を夕暮れ近い陽ざしに小気味よく浮き上がらせつつ、そこの流れの岸におりて行くと、これで暫くは退屈が凌《しの》げそうだと言わぬばかりに、悠然と糸を垂れました。
 だが、なかなかこれが釣れないのです。胆力衆に秀で、剣また並ぶ者なく、退屈することまた人に抜きん出て、どれもこれも人並み以上でないものはないが、釣ばかりはいかな早乙女主水之介も御意のままにならぬと見えて、手の届きそうなところにひらひらと泳いでいるのが見えながら、たやすく魚の方で対手になってくれないのです。
「わはははは、憎い奴じゃ。憎い奴じゃ。細《こま》い奴が天下のお直参をからかいおるわい。のう、駕籠屋、駕籠屋、こうならば身共も意地ずくじゃ、刀にかけても一匹釣らねばならぬ。折角これまでお供してくれたが、もう乗物は要らぬぞ」
「へ?……」
「へではない。このあんばいならば二三日ここを動かぬかも知れぬゆえ、もう駕籠に用はないと申すのじゃ。ほら、酒手も一緒につかわすぞ。早う稼ぎに飛んで行け」
 おどろいたのは街道稼ぎの裸人足共でした。呑気というか、酔狂というか、板についたその変人ぶりにあきれ返って立ち去ったのを、しかし退屈男は至っておちつき払いながら、本当に釣れるまでは二日かかろうと三日かかろうと、一歩もここを動くまいと言わぬばかりで、次第に怪しく冴えまさって来た双の目をキラキラ光らせながら、しきりに小ハヤのあとを追い廻しました。――その最中。パッカ、パッカと街道のうしろから近づいて来たのは、どうやら駿馬《しゅんめ》らしい蹄《ひづめ》の音です。釣に心を奪われているかに見えたが、さすがに武人の嗜《たしな》みでした。
「ほほう、なかなかの名手じゃな」
 早くもその蹄の音から余程の上手と察して、何物であろうかとふり返ったその目にくっきりと映ったのは、逞しやかな黒鹿毛に打ち跨った年若い農夫の姿です。しかもそれが見るからすがすがしい裸馬なのでした。その裸馬を若者は鮮かに乗りこなしつつ、パッカ、パッカと駈け近づいて来ると、ヒラリ馬をすてて、不意にいんぎんに退屈男へ呼びかけました。
「御清興中をお妨げ致しまして相済みませぬ。手前この近くの百姓でござります。川下で馬を洗いとうござりまするが、お差し許し願えませんでしょうかしら――」
「………?」
「あの、いかがでござりましょう? お差し許し願えませんでしょうかしら――」
「………?」
「いけませんようでしたら、明日に致しましてもよろしゅうござりまするが、いかがでござりましょう。お差し許し願えますようなら――」
「まて、まて。返事をせずにいたは、その方の人柄を観ておったのじゃ。そち、百姓に似合わずなかなか学問致しておるな」
「お恥しゅうござります。御領主様が御学問好きでござりますゆえ、ついその――」
「見様見真似でその方達までが寺子屋通い致すと申すか、何侯の御領内かは存ぜぬが、さだめし御領主は名君と見ゆるな。近頃心よい百姓に会うたものじゃ。苦しゅうない、苦しゅうない、存分に浴びさせてつかわしたらよかろうぞ」
「有難うござります。有難うござります。では御免下さりませ。――黒よ、黒よ、御許しじゃ。さぞ待ち遠であったろうな、今浴びさせて進ぜるぞ」
 人に物言うごとくその愛馬をいたわりながら、木蔭に這入って衣類をぬぎすてると、腰に閃く源氏の御旗もさわやかに、健康そのもののような筋骨誇らけき全裸身を、夕《ゆうべ》の陽ざしに赤々と照らせながら、ヒラリ、裸の馬の背に打ち跨ったかと見るまに、水瀑躍る碧潭《へきたん》のすがすがしげな流れの中へ、サッと乗り入れました。
   涼しさや、時雨《しぐれ》しあとの洗馬――。
 俳人|味通《みつう》の句にある通りです。絵なら、水墨《すいぼく》ひと刷毛の力描き、水に躍る馬|逞《たくま》しく、背に手綱かいぐる人また逞しく、空は夕陽の鰯波《いわしなみ》にのどけく映えて、流れはさらに青々と愈々青く、飛沫もさらにまた涼しく躍り、まこと清涼、十万石の眺めでした。
「鮮かじゃ。鮮かじゃ。自得の馬術と思わるるがなかなか見事であるぞ。馬も宇治川先陣の池月《いけづき》、磨墨《するすみ》に勝るとも劣らぬ名馬じゃ」
「………」
「そこ、そこ、そこじゃ、流れの狭いがちと玉に瑾《きず》じゃな。いや、曲乗《きょくの》り致したか。見事じゃ、見事じゃ、ほめとらするぞ」
 しきりに興を催しているとき、再び耳を打ったのは、街道の向うから近づいて来た蹄の音です。てっきり、それも同じような若者であろうと察して、ひょいとふり返って見眺めると、だが、馬上せわしく駈け近づいて来たのは、どこかの藩士らしい旅侍でした。しかも二人、その上何の急使かその二騎が、また変に急いでいるのです。急いで一散に街道を東へ轡《くつわ》を並べながら、丁度そこの洗い馬の岸辺近くまでさしかかって来た刹那――、全く不意でした。それまで背の上の主人共々、心地よげに水を浴びていた黒鹿毛が、突然高くふた声三声|嘶《いなな》くと、背に若者を乗せたまま、抑え切れぬ感興をでも覚えたかのように、さッと岸辺に躍り上がりながら、今し街道を東へ駈けぬけようとしている旅の二騎目ざして、まっしぐらに挑《いど》みかかりました。
「黒! 黒! どうしたんだ! 静かにせんか! 静かにせんか! 何をするのじゃ! 何をするのじゃ!」
 必死に手綱引きしめて声の限り制したが、事の勃発《ぼっぱつ》する時というものは仕方がない。さながら狂馬のごとくに鬣逆《たてがみ》立てながら、嘶《いなな》きつづけて挑みかかったと見るまに、疾走中の早馬は、当然のごとく打ちおどろいて、さッと棒立ちになりました。と同時です。馬上の二人がまた二本差す身でありながら、あまり馬術に巧みでなかったと見えて、あッと思った間に相前後しながら、竿立ちになったその馬の背から、もんどり打って街道の並木道に、蛙のごとく叩きつけられました。

       

「伸びたか。面倒なことになりそうじゃな」
 同時に退屈男もそれと知るや、早くも事のもつれそうなのを見てとって、手にしていた釣竿をゆらりゆらりとしなわせながら、のっそりと立ち上がりました。まことにまたこの位、面倒なことになってはなるまいと願っても、ならないではいられない出来事というものもないのです。一方は農夫、一方は切捨御免、成敗勝手次第のお武家である上に、挑みかかった方が、また一刀両断、無礼打ちにされても文句の言えぬその農民の農馬であってあれば、結果は元より歴然。――だが不審なのは、それまで殊のほか温順だった黒鹿毛が、なにゆえにかくも狂おしく弾《はず》み出したか、その原因が謎でした。不思議に思ってのっそり歩みよりながら、よくよく見|眺《なが》めると、無理ない。まことに天地自然|玄妙《げんみょう》摩珂《まか》不思議、畜生ながら奴等もまた生き物であって見れば甚だ無理がないのです。竿立ちになって躍《おど》り上った二頭の早馬は、なんと剛気なことにも、二頭共々々揃いに揃って、あやかに悩《なや》ましい牝馬《めうま》なのでした。しかも挑みかかった黒鹿毛がまた、いちだんと不埒《ふらち》なことには、かしこのあたりも颯爽として、いとも見事な牡馬《おうま》なのです。
「わははははは、左様か左様か。畜生共に恋風が吹きおったかい。わははは、わははは。道理でのう、道理でのう、いや、無理もないことじゃ、牝と牡なら至極無理もないことじゃ」
 カンカラと声を立てて退屈男は、傍若無人に笑いました。しかし、笑っていられないのはふり落された二人です。退屈男のその大笑いを、己れ達に加えられた嘲笑とでも勘違いしたのか、果然その満面に怒気を漲らせると、身も心もないもののように只おろおろと打ち慄えていた若者の近くへ、大刀をひねりひねり歩みよりながら、鋭くあびせかけました。
「出いッ、百姓! 前へ出い!」
「相すみませぬ。ご勘弁なすって下さいまし。これがわるいのです、この、黒めが、黒の奴がわるいのです。お許し下されまし。どうぞ御勘弁なすって下さいまし……」
「馬、馬、馬鹿を申すなッ。馬のせいにするとは何ごとじゃ! 己れが乗用致す馬が暴れ出さば、御する者がこれを制止すべきが当り前、第一下民百姓の分際で、武士が通行致す道先に、裸馬など弄ぶとは無礼な奴じゃ! 出い! 出い! 前へ出い! 覚悟があろう! 神妙に前へ出い!」
「そ、そ、そこをどうぞ御勘弁なすって下さいまし。このような下郎風情を斬ったとても、お刀の汚れになるばかりでござります。以後充分に気をつけますゆえ、お許し下さいまし。不憫《ふびん》と思うてお見のがし下さいまし……」
「ならぬわッ。武士にかような恥掻かした上は、下郎なりともその覚悟がある筈じゃ! 泣きごと言わずと前へ出いッ、潔よう前へ出いッ」
 どうでも無礼討ちに成敗せねば、醜態を演じた己れ達の面目が立たぬと言わぬばかりに、蟀谷《こみかみ》のあたりをぴくぴくさせて、プツリと鯉口切りながらにじり出たのを、片手にふわりふわりと長い釣の道具を打ち握ったままで、笑い笑い割って這入ったのはわが退屈男です。
「飛んだお災難でござったな。何とも御愁傷《ごしゅうしょう》の至りでござる。わははは、わははは、黒めがなかなか味を致しましたわい。どうでござるな、御怪我はござらなかったかな」
「………?」
「いや、お気にかけずに、お気にかけずに。身共笑うたのは尊公方の落馬ぶりが見事でござったゆえではない。あれなる黒めが、人前も弁《わきま》えず怪しからぬ振舞い致そうとしたのでな、それがおかしいのじゃ。尊公方もとくと御覧じ召されよ。自然の摂理と申すものは穴賢《あなかしこ》いものじゃ。黒めが、やわか別嬪《べっぴん》逃《の》がすまじと、ほら、のう、あの通り今もなおしきりと弾《はず》んでいるわ、わはははは、わはははは、のう、どうじゃ、畜生のあさましさとはまさしくあれじゃわ。はははは、わはははは」
「なにがおかしいかッ。われら笑いごとでござらぬわッ。嘲笑がましいことを申して、おぬしは一体何者じゃ」
「身共かな、身共は、ほらこの通り――」
 打ち笑みながら、ずいと突き出したのはあの刀傷です。
「のう、御覧の通りの、ま、いわば兇状持ちじゃ。これなる眉間の傷を名乗り代りの手形に致して、かように釣の道具を携《たずさ》えながら、足のむくまま、気のむくままに、退屈払い探し歩く釣侍と思えば当らずとも遠からずじゃ、時に、いかがでござるな。御怪我はござらなかったかな」
「からかいがましいこと申すなッ。おぬしなぞ対手でござらぬ! 憎いはその百姓じゃ! 己れの罪を素直に詫び[#「詫び」は底本では「詑び」と誤植]たらまだしも格別、馬のせいに致すとは何ごとじゃッ。出い! 出い! 是が非でも打《ぶ》った斬ってつかわすわッ。隠れていずと前へ出いッ」
「いや、そこじゃて、そこじゃて。馬のせいに致したと大分御立腹のようじゃが、これなる若者、身共はいっそほめてやりたい位のものじゃ。見かけによらずなかなか学者でござるぞ。尊公方もまあ、よう考えてみい。男女道に会って恋心を催す、畜生と雖も生ある限り、牡、牝を知って、春意を覚ゆるは、即ち天地自然陰陽の理に定むるところじゃ。のう、いかがでござるな。甚だ理詰めの詫び[#「詫び」は底本では「詑び」と誤植]と思うが、それにても馬のせいに致したは御勘弁ならぬと仰せあるかな」
「つべこべ長談義申さるるなッ、われら、そのような屁理屈《へりくつ》聞く耳持たぬわッ。たとえ陰陽の摂理とやらがどうであろうと、先に挑んだはそちらの馬じゃ。ならば、乗り手に罪がある筈。――それともうぬが対手になろうとの所存かッ」
「うぬとは言葉がすぎる! 控えおろうぞ!」
「なにッ」
「とまあ叱って見たところで初まらぬと申すものじゃ。尊公はこちらの馬が先に挑みかかったゆえ、勘弁ならぬと仰せのようじゃが、肝腎かなめ、きいてうれしいところもそこじゃて、そこじゃて。夫《それ》、婦女子は慎しみあるを以て尊しとす。女、淫に走って自ら挑むは即ち淫婦なり、共に天を戴かずとな、女庭訓《おんなていきん》にも教えてあることじゃ。さればこそ、あれなる黒めも物の道理よく心得て、恋は牡より仕掛くるものと、花恥かしげに待ちうけた牝馬共に進んで挑みかかったのは、甚だうい奴と思うがどうじゃな。よしんば挑んだことが行状よろしからざるにしても、そこはそれ畜生じゃ。罪は決してこれなる若者にないと思うがいかがじゃな。身共も少し学問がありすぎて、御意に召さぬかな」
 召すにも召さないにも、こうやんわりと不気味に、しかも一向恐れ気もなく釣竿を肩にしたまま、大手|搦《から》め手両道から説き立てられては、いかに気負いの藩士でもぐッと二の句に詰ったのは当り前です。だが、返す言葉に詰ったからとて、今さらすごすごと引ッ込まれるわけのものではない。中の気短そうなひとりが、癇癪筋《かんしゃくすじ》に血脈《ちみゃく》を打たせながらせせら笑うと、退屈男のその言葉尻を捉えて、噛みつくように喰ってかかりました。
「ならば貴公、罪なき者は斬ってならぬ。罪あらば何者たりと斬っても差支えないと申すかッ」
「然り! 士道八則にも定むるところじゃ。斬るべしと知らば怯《ひる》まずしてこれを斬り、斬るべからずと知らば忍んでこれを斬らず、即ち武道第一の誉《ほまれ》なりとな。これもやはり御意に召さぬかな」
「かれこれ申すなッ、ならば目に物見せてやるわッ」
 罵り叫びざまに、さッと大刀抜き払うや否や、もろ手斬りに斬り払ったのは、若者と思いきや、挑みかかった黒鹿毛のうしろ脚です。
「か、可哀そうに! なにをなさります! なにをむごいことなさります!」
 打ちおどろいて、言う声もおろおろと若者が涙ぐんだのを、
「ざまをみろ! 罪あらば斬って差支えないと申したゆえ、罪ある馬を成敗したのじゃ。勝手に吠えるといいわッ」
 憎々しげに言ってすてると、ひらりと馬の背に打ち跨りながら一散走りでした。
「まてッ。馬鹿者! 待たぬかッ。馬鹿者!」
 同時に退屈男が呼び叫びながらそのあと追いかけていったが、もう遅い。対手は小憎らしいことにも馬上なのです。並木の松に砂塵を浴びせながら、すでにもう遠く街道の向うでした。
「ヘゲタレよ喃。あれこそまさしく京できいたヘゲタレじゃ」
 苦《に》が笑いしながらとって返すと、血の海の断末魔の悲しい嘶《いなな》きをつづけながら、のたうち苦しんでいる愛馬の首を、わが子のようにしッかと抱きかかえて、声も絶え絶えと嘆き悲しんでいた若者へ、詫びる[#「詫びる」は底本では「詑びる」と誤植]ように呼びかけました。
「許せ、許せ、身共の扱いようがわるかった。あのような情知らずの奴等と分らば、手ぬるく致すではなかったに、馬鹿念押して馬を成敗致すとは、奴なかなかに、味をやりおったわい。さぞ無念であろうが、嘆いたとて詮ないことじゃ。これなる馬の代りは、身共がもそッと名馬|購《あがな》い取ってつかわそうゆえ、もう泣くのはやめい。のう、ほら、早う手を出せ、足りるか足りぬかは知らぬが十両じゃ、遠慮のう受取ったらよかろうぞ」
「………」
「なぜ手を出さぬ。これでは足りぬと申すか」
「滅、滅相もござりませぬ。恵んで頂くいわれござりませぬゆえ、頂戴出来ませぬ……」
「物堅いこと申す奴よ喃。いわれなく恵みをうけると思わば気がすまぬであろうが、これなる黒鹿毛、身共に売ったと思わば、受取れる筈じゃ。早う手を出せ」
「いえ、なりませぬ。くやしゅうござりまするが、無念でもござりまするが、それかと言うて見も知らぬお方様から、そのような大金頂きましては、先祖に――、手前共先祖の者に対しても申しわけありませぬ」
「なに、では、その方の先祖、由緒深い血筋の者ででもあると申すか」
「いいえ、只の百姓でござります。家代々の水呑み百姓でござりまするが、三河者《みかわもの》は権現様《ごんげんさま》の昔から、意地と我慢と気の高いのが自慢の気風《きふう》でござりまする。それゆえ頂きましては――」
「いや、うれしいぞ、うれしいぞ、近頃ずんとまたうれしい言葉を聞いたものじゃわい。三河者は意地と我慢と気の高いが自慢とは、五千石積んでもきかれぬ言葉じゃ。なにをかくそう、身共の先祖も同じこの国育ち、そうきいては意地になっても取らせいではおかぬ。早う手を出せ」
「では、あの、お旦那様も――」
「そうよ。権現様御自慢の八万騎旗本じゃ」
「そうでござりましたか。道理でちッと――」
「ちッといかが致した」
「類のない御気性のお方と、男惚れしていたのでござります」
「男惚れとは申したな、いや話せるぞ、話せるぞ。ならばこれなる十両、惚れたしるしに取ると申すか」
「頂きまするでござります。頂きませねばお叱りのあるのは必定、それがまた三河育ちの御殿様達が御自慢の御気風でござりましょうゆえ、喜んで頂戴いたしまするでござります」
「いや申したな、申したな、なかなか気の利いたことを申す奴じゃ。ついでにもう十両遣わそう。そちらの十両は馬の代、こちらの十両は身共もそちへ惚れたしるしの結納金じゃ。これで少し胸がすッと致したわい。だが、それにつけても――」
 心憎いは今の二人です。
「目ざした先はまさしく東《あずま》じゃ。今より急いで追わばどこぞの宿《しゅく》で会うやも知れぬが、いずれの藩士共かな」
「薩摩の方々でござります」
「なに! 島津の家中《かちゅう》じゃと申すか」
「はっ。たしかにそれに相違ござりませぬ」
「とはまた、どうして知ってじゃ」
「どうもこうもござりませぬ。今日その島津様が参覲交替でお江戸入りの御道中遊ばします筈にござりまするゆえ、よく存じているのでござります。いいえ、手前ばかりではござりませぬ。何と申しまするか、御大藩の御領主様と申すものは兎角わがまま育ちでいられますのか、島津のお殿様がこの街道をお通りの折は、なにかと横道《おうどう》なお振舞いを遊ばしまして、お手討ちになったり、通行止めをされたり、ここらあたりの百姓共は毎度々々むごい迷惑をうけておりますゆえ、厄病神《やくびょうがみ》の御通りだなぞ申して、誰も彼もみんなお日どりから御時刻までもよう存じているのでござります。それゆえ、わたくしもまたつまらぬ災難に会うてはと存じまして、あのように急いで馬を洗いましたのに、とんだ悲しいことになったのでござります」
「ほほう、左様か。いかにもな、七十三万石と申さばなかなかに大禄じゃからな。島津の大守も大禄ゆえにいささか御慢心と見ゆるな。いや、そう承わっては――鳴って参った。急に血鳴りが致して参ったわい。家臣の不埒は即ち藩主の不埒じゃ。七十三万石何するものぞ。ましてや塵芥《ちりあくた》にも等しい陪臣共《またものども》が、大藩の威光を笠に着て、今のごとき横道な振舞い致したとあっては、よし天下のすべてが見逃そうとも、早乙女主水之介いち人は断じて容赦ならぬ。いや、面白いぞ、面白いぞ。島津が対手ならば、久方ぶりに肝《きも》ならしも出来ると申すものじゃ。街道の釣男、飛んだところで思わぬ大漁に会うたわい。では、追っつけ薩摩の行列、練って参るであろうな」
「はっ、恐らくあともう四半刻とは間があるまいと存じます。それゆえ今の二人も、うちの殿様の御容子がどんなか、こっそりと探りに飛んでいったに相違ござりませぬ」
「何のことじゃ、不意に異なこと申したようじゃが、うちの殿様とは、どなたのことじゃ」
「わたくし共長沢村の御領主様でござります」
「はてのう、一向に覚えないが、どなたのことじゃ」
「ぐずり松平のお殿様でござります」
「なに! ぐずり松平のお殿様とな! はてのう、きいたようでもあり、きかぬようでもあるが、その殿の御容子を探りに参るとは、一体どうした仔細じゃ」
「どうもこうもござりませぬ。ぐずり松平のお殿様と言えば、この街道を上り下り致しまするお大名方一統が頭の上らぬ御前でござります。ついこの先の街道わきに御陣屋がござりまするが、三代将軍様から何やら有難いお墨付とかを頂戴していられますとやらにて、いかな大藩の御大名方もこの街道を通りまする析、御陣屋の御門が閉まっておりさえすれば、通行勝手、半分なりとも御門が開いておりましたならば、御挨拶のしるしといたして御音物《ごいんもつ》を島台に一荷、もしも御殿様が御門の前にでもお出ましでござりましたら、馬に一駄の御貢物《おみつぎもの》を贈らねばならぬしきたりじゃそうにござります。それゆえ、今の二人も慌てて早馬飛ばしましたあたりから察しまするに、御陣屋の容子探りに先駆けしたに相違ござりませぬ」
「なるほどのう、それで分った。それで分った。漸く今思い出したわい。さては、ぐずり松平の御前とは、長沢松平《ながさわまつだいら》のお名で通る源七郎|君《ぎみ》のことでござったか。いや、ますます面白うなって参ったぞ。御前がこのお近くにおいでとは、ずんときびしく退屈払いが出来そうになったわい。素敵じゃ、素敵じゃ。島津七十三万石と四ツに組むには、またとない役者揃いじゃ」
 退屈男は目を輝かして打ち喜びました。無理もない。まことぐずり松平の御前とは知る人ぞ知る、この東海道三河路の一角に蟠居《ばんきょ》する街道名物の、江戸徳川宗家にとっては由々しき御一門|御連枝《ごれんし》だったからです。即ち始祖は松平三|河守親則公《かわのかみちかのりこう》とおっしゃったお方で、神君家康公にとっては、実にそのお母方の血縁に当る由緒深い名家なのでした。それゆえにこそ、家康海内を一統するに及んで兵馬の権を掌握するや、長沢松平断絶すべからずとなして、御三男|忠輝公《ただてるこう》を御養子に送ってこれを相続せしめ、長沢の郷二千三百石をその知行所に当てた上、これを上野介《こうずけのすけ》に任官せしめて、特に格式三万石の恩典を与えました。即ち、その内実は二千三百石の微々たる御陣屋住いに過ぎないが、いざ表立ったところへ出る段になると、上野介の官位が物を言い、三万石の城持ち大名と同じその格式権威が物を言うと言う有難い恩典なのです。ところが、結果から言って、その恩典が、実は長沢松平家にとっては甚だ有難迷惑なものとなりました。と言うのは、なまじ格式ばかり三万石の恩典を与えられたために、世上の付き合い、道中の費用なぞ、いたずらに三万石並の失費が嵩《かさ》むばかりで、実際の収入はその十分の一の三千石にも足らない微禄だったところから、次第次第にふところ工合が怪しくなり出しました。しかしそれかといって、東照権現家康公のお母方につながる徳川御連枝中の御連枝なる名家が、まさかに無尽《むじん》を作って傾きかけた家産を救うことも出来ないところから、思い余ってその窮状を三代将軍家光公に訴えました。公は至っての御血筋思い、甚だこれを不憫《ふびん》に思召されて、忽ち書き与えたのが次のごとき御墨付です。
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「長沢松平家は宗祖《そうそ》もこれをお目かけ給いしところ、爾今諸大名は、東海道を上下道中致す場合、右長沢家に対して、各その禄高に相当したる挨拶あって然る者也。――諄和《じゅんな》、奨学両院《しょうがくりょういん》の別当、征夷大将軍、源家光」
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 という物々しい一|札《さつ》なのです。まことにどうもこのお墨付の、相当したる挨拶というその挨拶の二字くらい、おびただしく意味深長な文字はない。征夷大将軍が城持ち大名に対《むか》って特に挨拶せいとのお声がかかったのであるから、今日は、さようなら、また会いましょう、失敬、なぞのなまやさしい挨拶では事が済まないのです。十万石は十万石並に、五十万石は五十万石並に、それぞれふところ工合に応じた挨拶をしなければならないのであるから、喜んだのは長沢松平家でした。いわゆる西国大名と名のつく大名だけでも、優に百二三十藩くらいはあるに相違ないのであるから、参覲交替《さんきんこうたい》の季節が訪れると共に、街道を上下の大名行列が数繁《かずしげ》くなるや、忽ち右の「挨拶」が御陣屋の玄関に山をなして、半年とたたぬうちに御金蔵が七戸前程殖えました。しかし、人窮すれば智慧が湧く、言わば迷惑なそのお墨付に対して、だんだんと智慧を絞り出したのは街道を上下の西国大名達です。道中するたびにいちいち行列をとめて、わざわざ乗物をおりたうえ、禄高に応じた手土産|音物《いんもつ》を献上してのち、何かと儀式やかましい御機嫌伺いの挨拶をするのが面倒なところから、中の才覚達者なのが考えついて、通行の一日前とか乃至は半日前に音物だけをこっそりと先に贈り届け、陣屋の御門を閉めておいて貰って、乗り物を降りる手数の省《はぶ》けるような工風を編み出しました。それが次第に嵩《こう》ずるうちに、大名共、だんだんと狡猾《こうかつ》になって、お墨付には別段音物付け届け手土産の金高質量を明記してなかったのを幸いに、いつのまにか千両は五百両にへり、五百両は二百両に減って、年ごとにその挨拶の相場が下落していったために、窮すれば人また通ず、甚だ小気味のいい妙計を案じ出したのが松平家です。それまでは一枚のお墨付を虎の子のように捧持して、子々係々居ながらに将軍家公許の通行税頂戴職を営んでいたが、上手《うわて》をいってこれを積極的に働かすことを案じ出し、分相応の付け届けを神妙に守る大名には門《かど》を閉めてやって通行勝手たること、少し足りないと思う者には、半分位門をあけておいて、もう一度挨拶金を追加させ、特に目立って、吝嗇《けち》な大名は、その行列が通行する頃を見計らって、松平の御前|自《みずか》ら何ということなく門前のあたりを徘徊《はいかい》しながら、いち段とやかましく礼儀をつくさせて、挨拶手土産献上品を程よく頂戴するように、巧みなお墨付利用法を編み出しました。就中《なかんずく》、当代源七郎君は、生来至っての御濶達《ごかったつ》。加うるに高貴の御血筋とも思えぬ程の飄逸《ひょういつ》な御気象に渡らせられたところから、大名共の手土産高を丹念な表に作り、これを道中神妙番付と名づけ、上から下へずっと等級をつけておいて、兎角、音物《いんもつ》献上品《けんじょうひん》を出しおしみ勝ちな大名が通行の際は、雨の日風の日の差別なく、御陣屋前の川に糸を垂れてこれを待ちうけながら、魚と共に大名釣を催されるのが、しきたりだったために、誰言うとなく奉ったのが即ちこの、世にも類稀《たぐいまれ》なぐずり松平の異名《いみょう》です。いかさま見様に依っては、その異名のごとくぐずることにもなったに違いないが、しかし、同じぐずりであったにしても、一国一城の主人《あるじ》を向うに廻してのことであるから、まことにやることが大きいと言うのほかはない。しかもぐずり御免のその御手形が、先の征夷大将軍家光公、お自ら認めて与えたお墨付たるに於ては、事《こと》自《おのずか》ら痛快事たるを免れないのです。それゆえにこそ、退屈男もまたこの際この場合、二人と得難きぐずり松平の御前が近くにおいでときいて、これぞ屈竟《くっきょう》の味方と、目を輝かしつつ打ち喜んだのは無理からぬことでした。まことに鬼に金棒、徳川御一門の松平姓を名乗るやんごとない御前をそのうしろ楯に備えておいたら、いかに島津の修理太夫が、七十三万石の大禄に心|奢《おご》り、大藩領主の権威を笠に着たとて、ぐずり御免のそのお墨付に物を言わせるまでもなく、葵《あおい》の御紋どころ一つを以てこれを土下座せしめる位、実に易々たる茶飯事だったからです。
「わははは、面白いぞ、面白いぞ、さては何じゃな、今の二人が陣屋の雲行《くもゆ》き、探りに参ったところを見ると、島津の太守、つね日頃より松平の御前の御見込みがわるいと見ゆるのう。そうであろう。どうじゃ、そのような噂聞かぬか」
「はい、聞きましてござります。いつもいつも献上品を出し渋り勝ちでござりますとやらにて、道中神妙番付面では、一番末の方じゃとか申すことでござります」
「左様か、左様か、いやますます筋書がお誂え通りになって参ったわい。然らば一つ馬の代五千頭分程も頂戴してつかわそうかな。御陣屋は街道のどの辺じゃ」
「ついあそこの曲り角を向うに折れますとすぐでござります」
「ほほう、そんなに近いか。では、早速に御前へお目通り願おうぞ。そちも早うこの馬弔うておいて、胸のすくところをとっくりと見物せい」
 若者に教えられて、御陣屋目ざしながら出かけようとしたとき、いかさま容子探りに行ったのが事実であるらしく、足掻《あが》きを早めながら駈け戻って来たのは先刻のあの二人です。パッタリ顔が合うや否や、馬上の二人は、退屈男の俄かに底気味わるく落ち付き払い出した姿をみとめて、ぎょッと色めき立ちました。だが、今はもう退屈男にとっては、名もなき陪臣《またざむらい》の二人や三人、問題とするところでない。目ざす対手は、大隅《おおすみ》、薩摩《さつま》、日向《ひうが》三カ国の太守なる左近衛少将島津修理太夫《さこんえしょうしょうしまずしゅりだいふ》です。
「びくびく致すな、その方共なぞ、もう眼中にないわ。七十三万石が対手ぞよ。行け、行け、早う帰って忠義つくせい」
 皮肉にあしらいながら馬上の二人をやりすごしておくと、五十三次名うての街道をわがもの顔に、のっしのっしと道を急ぎました。

       

 折からそよそよと街道は夕風立って、落日前のひと刻の茜色《あかねいろ》に染められた大空は、この時愈々のどかに冴え渡り、わが退屈男の向う傷も、愈々また凄艶に冴え渡って、いっそもううれしい位です。――行くほどに急ぐほどに、いかさまそこの大きな曲りを曲ってしまうと、すぐ目の前の街道ばたにそのお陣屋がのぞまれました。知行高は僅かに二千三百石にすぎないが、さすがは歴代つづく由緒の深さを物語って、築地《ついじ》の高塀したる甍《いらか》の色も年古りて床しく、真八文字に打ち開かれた欅造りの御陣屋門に、徳川御連枝の権威を誇る三ツ葉葵の御定紋が、夕陽に映えてくっきりと輝くあたり、加賀、仙台、島津また何のそのと大藩大禄の威厳に屈しない退屈男も、その葵の御定紋眺めてはおのずと頭の下がる想いでした。襟を正して厳そかに威儀改めながら歩み近寄ろうとしたとき、計らずもその目を強く射たのは、御門の前の街道を隔てた川べりに糸を垂れていた異様極まりのない人々の姿です。まさしくそれこそは、ぐずり松平の御異名で呼ばれている源七郎|君《ぎみ》に違いない。だが、そのお姿の物々しさを見よ。同じ釣りは釣りであっても、さすがは将軍家御一門のやんごとない御前が戯れ遊ばす御清遊だけあって、只の釣り姿ではないのです。まんなかに源七郎君、右と左には年若いお茶坊主が各ひとり宛、うしろにはまだ前髪したる小姓が控えて、源七郎君おん自らは、葵の御定紋もいかめしい朱塗り造りの曲※[#「※」は「祿-示」、第3水準1-84-27、144-上-9]《きょくろく》に、いとも気高く腰打ちかけながら、釣るがごとく釣らざるがごとくに何とはなく竿を操り、右に控えたお茶坊主は金蒔絵《きんまきえ》したる餌箱を恭《うやうや》しく捧持《ほうじ》して、針の餌を取り替え参らすがその役目、左に控えた今ひとりのお茶坊主は、また結構やかなお茶道具一式を揃えて捧持しながら、薄茶《うすちゃ》煎茶《せんちゃ》その時々の御上意があり次第、即座に進め参らすがその役目、そうしてうしろのお小姓は、飾り仕立てのお佩刀《はかせ》を、これまた恭しく捧持して神妙に畏まり、その物々しさ大仰さ、物におどろかない退屈男も、思わず目をそば立てました。
「さすがは権現様お血筋、なんとはのう御気高くましまして、早乙女主水之介、知らず知らずに頭の下がる思いにござります」
 言わぬばかりに膝こごめながら、御前の近くに伺候《しこう》しようとしたとき、
「ホウイ、ホイ」
 と、槍持ち奴共《やっこども》の声も景気よく吉田の宿《しゅく》の方から街道目ざして練って来たのは、どこかの藩の大名行列でした。無論、退屈男が待ちうけている薩州島津の行列ではない。それとは反対に無事江戸参覲を果して、久方ぶりでのお国詰を急いでいるらしい藩侯に違いないが、折も折に願うてもない道中行列が近づいて来たのはお誂え向きです。音に聞えたぐずり御免のあのお墨付が、どの位の威権を持っているか、まのあたりその御威力を拝見するには好機会と、急いで退屈男は、その道わきに姿をひそませながら、まなこを瞠《みは》って窺いました。
 と――案の定《じょう》、それまで供揃いもいかめしく、練りに練ってやって来た行列先のお徒士頭《かちがしら》らしい一人が、早くも源七郎|君《ぎみ》の釣り姿をみとめて、慌てふためきながら君公の乗物近くへ駈け戻っていったかと見ると、ぴたりと駕籠がとまって、倉皇《そうこう》としながら道中駕籠の中から降り立ったのは、一見して大藩の太守と覚しき主侯《しゅこう》です。しかも主侯自ら腰を低めて恐懼《きょうく》措《お》く能《あた》わないといったように、倉皇としながら小走りに、近よると、釣りの御前の遙かうしろに膝をこごめて、最上級の敬語と共に呼びかけました。
「源七郎|君《ぎみ》におわしまするか。土州にござります。いつもながら御健勝に渡らせられまして、恐悦に存じまする……」
「おお、土佐侯でござったか。いや、恐縮じゃ恐縮じゃ――」
 主侯は誰でもない南海土佐二十二万石の太守山内侯でした。だが、どうやら土佐侯は、そのお見込も上乗、道中神妙番付面に於ても上位の方にあるらしく、ぐずり松平の御前至って御機嫌であったのは、むしろ心よい位です。
「御身がこん日、御道中とは一向に心得ざった。お構いなく、お構いなく――」
「有難い御言葉、却って痛み入りましてござりまする。いつもながらの御清興、お羨《うらや》ましき儀にござります」
「いや、なになに、それ程でもない。近頃年を取ったか、とんと気が短うなって喃《のう》。禅《ぜん》の修行代《しゅぎょうがわ》りにと、かようないたずらを始めたのじゃ。時に江戸も御繁昌かな」
「はっ、近年はまた殊のほかの御繁昌にて、それもみな上様の御代《みよ》御泰平のみしるし、恐れながら土州めも、わがことのように喜ばしゅう存じあげておりまする儀にござります。これなるは即ち、その江戸よりのお手土産、御尊覧に供しまするもお恥ずかしい程の品々にござりまするが、何とぞ御憐憫《ごれんびん》を持ちまして御嘉納《ごかのう》賜わりますれば恐悦にござりまする……」
 近侍の者に捧持させて、何よりも先ずそれが事の第一と言わぬばかりに、土州侯が恭々しく運ばせたのは、けっこうやかな島台にうず高く盛りあげた土産の品の数々です。曲※[#「※」は「祿-示」、第3水準1-84-27、146-上-12]《きょくろく》の上からその品々を見るような見ないようなおまなざしで、いとも鷹揚《おうよう》にじろりとやると、おっしゃったお言葉がまた、この上もなく松平の御前らしい鷹揚さでした。
「ほほう、これはまたいかいお気の毒じゃな。毎度々々よく御気がついて痛み入る次第じゃ。折角のお志、無にするも失礼ゆえ、遠慮のう頂戴致そうわい。以後はな、成べくこのような事致さぬようにな」
「はっ、いえ……。取るにも足らぬ粗品、さっそくに御嘉納賜わりまして、土州、面目にござります。では、道中急ぎまするゆえ、御ゆるりと――」
「うんうん、左様左様、手製の粗茶なと参らすとよろしいが、もう御出かけかな。では、遠路のことゆえ、御身も道中堅固にな、国元に帰らば御内室なぞにもよろしくな。――いや、言ううちに、妙庵《みょうあん》、妙庵、ハヤが餌を悉く私《わたくし》致しおったぞ。ほら、ほら、のう不埒《ふらち》ないたずら共じゃ、早うつけ替えい」
 とぼけて松平の御前は竿の方へ、土州侯は腰を低めてお駕籠の方へ、まことにどうもそのぐずり加減、ぐずられ加減の程のよさというものは、なんともかとも言いようがない。いやなになに、禅の修行代りでなと、いかにも空とぼけたことを言いながら、遠慮するごとくせざるごとく、鷹揚に手土産を御嘉納するあたり、おのずから品が備わって、むしろほほ笑みたい位です。――始終を眺めた退屈男は、えもいいがたいその飄逸《ひょういつ》ぶりに、悉く朗かになりながら、土州侯の行列が通り過ぎてしまったのを見すますと、腰低くつかつかと進みよって、いんぎんに呼びかけました。
「お付きの御坊主衆にまで申し入れまする。江戸旗本早乙女主水之介、松平の御前にお目通り願わしゅう存じまするが、いかがにござりましょう」
「なになに、旗本とな――」
 声をきいて、源七郎君お自ら磊落《らいらく》そうにふり向くと、流れに垂れた釣竿をあやつりあやしつつ、じいッと退屈男をやや暫し見守っていたが、伯楽《はくらく》よく千里の馬を知るとはまさにこれです。
「ほほう、眉間に惚れ惚れと致す刀像が見ゆるな。何ぞ物を言いそうな向う傷じゃ。これよ、石斎、石斎――」
 併らのお茶道具を守っていた茶坊主を顧みると、不意に奇妙なことを命じました。
「何の用かは知らぬが、江戸旗本ときいては、権現様の昔|偲《しの》ばれていちだんとなつかしい。どうやら胆もすぐれて太そうな若者じゃ。野天のもてなしで風情《ふぜい》もないが、何はともあれひとねじりねじ切ってつかわしたらよかろうぞ」
「心得ましてござります。主水之介殿とやら、お上がお茶下し賜わりまする。ねじり加減はどの位でよろしゅうおじゃりましょう?」
 面喰ったのは退屈男でした。江戸八百万石の御威勢、海内《かいだい》に普《あまね》しと雖も、ひとねじりねじ切ってつかわせと言うような茶道の隠語は今が最初です。
「何でござりましょう? 只今のねじり加減とは何のことにござりましょう?」
「いや、それかそれか、存ぜぬは無理もない。これはな、当国三河で下々の者共が申す戯《ざ》れ語《ご》でな、つまりはお茶の濃い薄いじゃ、飴《あめ》のごとくにどろどろと致した濃い奴を所望致す砌《みぎ》りに、ねじ切って腰にさすがごとき奴と、このように申すのでな、下情に通しておくは即ち政道第一の心掛けと、身が館《やかた》でも戯れに申しておるのじゃ。その方はどうじゃな。別してねじ切った奴が所望かな、それとも薄いが所望《しょもう》かな」
「なるほど、いや、お気軽に渡らせられまして、なかなか味あるお言葉にござります。手前は至って濃い茶が好物、では恐れながら、ひとねじりねじ切って頂きとうござります」
「うん左様か左様か、ねじ切った奴が好物とはなかなか話せるぞ、石斎、石斎、丹田に力を入れての、うんときびしくねじ切ってつかわせよ」
 磊落《らいらく》に言いながら、お自らもとろりと見るからに苦そうな一服を楽しみながら用いると、気性に促しました。
「時に、目通りの用向きは何じゃな」
「はっ。実は余の儀でござりませぬ。こん日、島津の太守がここを通行の筈にござりまするが、御前はそのことを御承知に渡らせられましょうか」
「うんうん、それならばよう存じおる、存じおる。修理太夫には久しい前からの貸し分があるのでな、こうして身も先程から待ち構えておるのじゃ」
「いかさま、お貸しの分と申しますると」
「いやなにな、つまりあれじゃ、島津の太守、大禄|喰《は》みながらなかなか勘定高うてな、この十年来、兎角お墨付を蔑《ないがし》ろに致し、ここを通行致す砌《みぎ》りも、身が他行《たぎょう》致しておる隙を狙うとか、乃至は夜ふけになぞこっそりと通りぬけて、なるべく音物《いんもつ》届けずに済むようと、気に入らぬ所業ばかり致すのでな、頂かぬものは即ち貸し分じゃ。いけぬかな」
「いや分りましてござります。重々御尤もな仰せなれば、手前一つお力添え致しまして、十年分ごといち時に献納させてお目にかけましょうが、いかがにござりましょう」
「ほほう、その方が身のために力を貸すと申すか、眼《がん》の配り、向う傷の塩梅、いちだんと胆も据っておりそうじゃ。見事に貸し分取り立てて見するかな」
「御念までもござりませぬ。お墨付を蔑ろに致すは、即ち葵御宗家《あおいごそうけ》を蔑ろに致すも同然、必ずともに御気分の晴れまするよう、御手伝い仕りましょうが、一体いかほどばかりござりましたら?」
「左様喃。何を申すも十年分じゃ、三万両ではちと安いかな」
「いや頃合いにござりましょう。然らば恐れながらお耳を少々――」
「うん、耳か耳か。よいよい、何じゃな……」
「………」
「ふんふん、なるほどな。では、先刻供先の者共、身が容子探りに参ったと申すか。七十三万石にも似合わず、なかなかに細《こま》かいのう。いや、その方の工夫至極と面白そうじゃ。言ううちに行列参るとならぬ。早うせい。早うせい」
 忽ち奇策成ったと見えて、退屈男自らも手伝いながら、釣りをしまって川岸を引きあげると、陣屋の中にすうと姿をかくして、ぴたり真一文字に御門の扉を閉め切りました。
 それと殆んど同時です。供先揃えながら、鳥毛、挟み箱の行列も七十三万石の太守らしく横八文字に道を踏んで、長蛇のごとく練って来たのは待ちに待たれた島津のお道中でした。しかも、先刻容子探りに早駈けさせた両名が先供《さきとも》を承わって、その報告に随い、今日ばかりは素通り出来まいと早くも用意したのか、形ばかりの音物を島台に打ちのせて、静々と練り近づいて来たかと見えたが、居た筈の源七郎君が川岸に見えないのみか、ぴたりと御門までが閉ざされていたのを知ると、まことに言いようのないはしたなさでした。俄かに献上品を片付けさせて、この機と言わぬばかりにあの両名が命令を与えながら、うまうま通りぬけようとしてさッと行列の面々に足を早めさせました。――刹那! 御門のわきのくぐり門が、音もなく開いたかと思うと、片手に何の包みか葵の御定紋染めぬいた物々しげな袱紗包を捧持しながら、威容も颯爽としてぬッと姿を見せたのはわが退屈男です。同時にすさまじい大喝が下りました。
「もぐり大名、行列止めいッ。素通り無礼であろうぞッ」
「なにッ」
「よッ、先程の釣り侍じゃな? 七十三万石の太守に対《むか》って、もぐり大名とは何ごとじゃッ、何事じゃッ、雑言申《ぞうごんもう》さるると素《そ》ッ首《くび》が飛び申すぞッ」
 怒ったのも無理がない。もぐり大名との一言に、あの両名を筆頭にした七八名の供侍達が、ばたばたと駈け戻って気色《けしき》ばみつつ詰め寄ろうとしたのを、
「頭《ず》が高いッ、控えいッ、陪臣共《またものども》が馴れがましゅう致して無礼であろうぞッ。当家御門前を何と心得ておる。まこと大名ならば素通《すどお》り罷《まか》りならぬものを、知らぬ顔をして挨拶も致さず通りぬけるは即ちもぐりの大名じゃッ。その方共は島津の太守の名を騙《かた》る東下《あずまくだ》りの河原者《かわらもの》かッ」
「なにッ、名を騙るとは何事じゃッ、何事じゃッ。よしんば長沢松平家であろうとも、御門が閉まっておらば素通り差支えない筈、ましてや貴殿ごとき素姓《すじょう》も知れぬ旅侍にかれこれ言わるる仔細ござらぬわッ。供先汚して不埒な奴じゃッ。搦《から》めとれッ、搦めとれッ。行列|紊《みだ》す浪藉者《ろうぜきもの》は、打ち首勝手たること存じおろう! 覚悟せい! 覚悟せい」
 競いかかろうとしたのを、霹靂《へきれき》の一声でした。
「無礼者、土下座せい! これなる袱紗《ふくさ》の葵御紋所《あおいごもんどころ》目にかからぬかッ。わが身体に指一本たりとも触れなば、七十三万石没所であろうぞッ。畏くもお墨付じゃ。土下座せい!」
 叱咤《しった》しながら、バラリ袱紗を払いのけて恭《うやうや》しく捧持しながら、ずいと目の前にさしつけたのは、前の将軍家光公御直筆なる長沢松平家重代のあのお墨流れです。これに会っては敵わない。陪臣共の百人千人、いか程力み返って見たところで、手の出しようがないのです。パタ、パタ、パタと土下座すると、土を舐《な》[#底本ではルビ《な》は「土」につく形に誤植]めんばかりにひれ伏しました。その中をずいずいと、威儀正しく歩み進むと、薩州侯の乗物をのぞみながら、凛《りん》として呼ばわりました。
「下郎共が無礼仕ったゆえ、直参旗本早乙女主水之介、松平の御前の御諚《ごじょう》によって、とくと、承わりたい一儀がござる。島津殿、お墨付にござるぞ。乗物棄てさっしゃい」
「………」
「なぜお躊《ため》らい召さる。征夷将軍がお墨付に対《むか》って、乗物のままは無礼でござろうぞ。※[#「※」は「勹」の中に「夕」、第3水準1-14-76、152-上-2]々《そうそう》に土下座さっしゃい」
 むッとした容子だったが、大隅、薩摩、日向三カ国の太守と雖も、江戸八百万石御威光そのものなる御墨付の前には気の毒ながら塵芥《ちりあくた》です。
「ははっ――、修理太夫控えましてござります」
 倉皇《そうこう》としながら土の埃の街道ににじり出て、頭《かしら》も低く平伏したのを小気味よげに見下ろしながら、わが退屈男はやんわりと皮肉攻めの搦手《からめて》から浴びせかけました。
「念のために承わる。今しがた、御門前を騒がしたるあの下郎共は、御身《おんみ》が家臣でござろうな」
「左様にござります。それが何か?」
「控えさっしゃい。それが何かとは何事にござる。臣は即ち主侯の手足も同然、家臣の者が不埒働かば、主侯がその責《せめ》負わねばなりませぬぞ。お身御覚悟が、ござろうな」
「はっ。ござりまする」
「然らば問わん。今しがた彼奴共《あやつども》が、当松平家の御門閉っておらば素通り差支えないと無礼申しおったが、何を以って左様な曲言申さるるぞや」
「それはその……」
「それはそのが何でござる。恐れ多くもこれなるお墨付には、左様な御上意一語もござりませぬぞ。長沢松平家は宗祖もお目かけ給いしところ、爾今東海道を上下道中致す諸大名共は右長沢家に対し、各々その禄高に相応したる挨拶あって然るべしと御認めじゃ。さるをかれこれ曲弁申して、素通り致すは何のことでござる。上意にそむく不埒者《ふらちもの》、これが江戸に聞えなば島津七十三万石に傷がつき申そうぞ。それとも御身、江戸宗家に弓引く所存でござるかッ」
「滅、滅、滅相もござりませぬ。ははっ……、なんともはや、ははっ……、不、不調法にござりました。何とぞお目こぼし給わりますれば、島津修理、身の倖《しあわ》せにござります。ははっ、こ、この通りにござります」
「そうあろう、そうあろう。血あって涙あるが江戸旗本じゃ。わざわざ事を荒立とうはない。以後気をつけたらよろしゅうござろうぞ。ならば、これなるお墨付の条々も、有難くおうけ致すでありましょうな」
「はっ、致しますでござります」
「それ承わらば結構じゃ。――御前! 源七郎|君《ぎみ》! もう頃合いでござりましょうぞ」
 うしろに下がって声高《こわだか》に呼び上げた退屈男のその合図待ちうけながら、閉められていた御陣屋門がギイギイと真八文字に打ち開かれると、茶坊主お小姓一統を左右に侍《はべら》せて、あの曲※[#「※」は「祿-示」、第3水準1-84-27、153-下-2]《きょくろく》にいとも気高く腰打ちかけながら、悠然として、その姿をのぞかせたのは、ぐずり松平の御前です。しかもおっしゃったお言葉がまた、何ともかとも言いようがない。
「おう、薩州か。一別以来であった喃」
「ははっ――、いつもながら麗しき御尊顔を拝し奉り、島津修理、恐悦至極に存じまする」
「左様かな。そちが一向に姿を見せぬのでな。一度会いたいと思うていたが、身も昔ながらにうるわしいかな」
「汗顔《かんがん》の至りにござりまする。何ともはや……申し条もござりませぬ」
「いやなになに、会うたかも知れぬが年が寄ると物覚えがわるうなって喃。時に、薩摩の方は飢饉かな」
「と仰せられますると?……」
「久しく手土産を頂かぬので喃、七十三万石も近頃は左前かと、人ごとならず心配しておるのじゃ。どうじゃな。米なぞも少しはとれるかな」
「はっ。いえ、なんともはや、只々汗顔の至りでござりまする。――これよ! これ! な、何をうろたえおるかッ。早う、あれを、御音物《ごいんもつ》を、用意せぬかッ」
「いや、なになに、そのような心配なぞ御無用じゃ。御勝手元が苦しゅうなければ三万両が程も拝借致そうと思うておったが、飢饉ならばそれも気の毒じゃでな。お茶なぞ飲んで参らぬかな」
「いえ、はっ、恐れ入りましてござります。これよ! これッ、な、なぜ早う用意せぬかッ。御前が三万両との有難い仰せじゃ。とく献上せい!」
 右に左にまごまごと陪臣共が飛び走って、七十三万石の御太守も街道の真ん中に冷や汁流しながら、只もううろうろとすっかりひねられた形でした。やがてのことに整えられたのはその三万金です。うず高く積みあげて引き退ろうとしたのを、
「まだ忘れ物がある」
 呼び止めたのは退屈男でした。
「先刻供侍が馬を斬った筈じゃ。三河の馬はちと高うござる。五百両が程も馬代、支払わっしゃい」
 まことにどうも仕方がない。三宝に打ちのせて整えたのを小気味よげに見眺めながら、退屈男がいとも朗らかに言いました。
「御前。御意はいかがにござります。薩摩の山吹色はまた格別のようでござりまするな」
「うんうん、飢饉にしてはなかなか色艶もよさそうじゃ。これよ、薩州、いかい心配かけたな。ひと雨あらば小魚共もよう喰うであろうゆえ、二三匹が程も江戸の屋敷の方へ届けようぞ。無心致したお礼にな。では主水之介、そちにも骨折賃じゃ、二箱三箱持っていったらどうじゃな」
「いえ、折角ながら――」
 言下に斥けると、まことに退屈男の面目躍如たるものがありました。
「折角ながら、道中の邪魔になるばかりでござりますゆえ、御辞退仕りまする。こちらの五百両も――、言ううちに愛馬を斬られた御領内の若者がかしこへ参りました。何とぞあれへ。その代り――」
「何か所望か」
「手前、先程あれなる向うの川でハヤ共を一匹も物に致しませなんだが、いかにも心残りでなりませぬ。御前のその御曲※[#「※」は「祿-示」、第3水準1-84-27、155-下-1]《おきょくろく》、暫時の間拝借仕りまして、事のついでにお坊主衆もお借り受け申し、お茶なぞねじ切りながら、心行くまで太公望致しとうござりまするが、いかがでござりましよう」
「うんうん、若いに似合わず禅味があってうい奴じゃ、石斎、妙庵、気に入るよう支度致してとらせい」
 朱塗り御紋所打ったる曲※[#「※」は「祿-示」、第3水準1-84-27、155-下-9]を川岸に運ばせて、左右に二人の茶坊主を打ち随えながら、悠然として腰打ちかけると、あやつめがッ、要らざる節介に、と言わぬばかりでくちおしそうに睨み睨み通りすぎていった薩摩の行列に、晴れ晴れとして呼びかけました。
「七十三万石より少しばかり御無礼した味わいじゃ、坊主々々、ここらで一つねじ切ったらよかろうぞ!」

  付記 ぐずり松平について。

退屈男の第五話に見えるぐずり松平の事実は、隠れたる逸事として徳川三百年中東海道に鳴りひびいた秘話中の秘話です。十七代連綿として相つづき、その最後の第十七代|松平上野介忠敏《まつだいらこうずけのすけただとし》こそは、幕末剣客中の尤物《ゆうぶつ》で、神田講武所の師範代を長らく勤め、かの清川八郎なぞと共に、新徴組を組織して、その副隊長に擬せられた一代の風雲児です。ぐずり御免のお墨付と共に、家光公より拝領の名笛が維新後赤坂辺に逼息《ひっそく》していられたその後裔《こうえい》に伝えられていたという話ですが、今どこへいったか、現存すれば博物館ものでしょう。


底本:「旗本退屈男」春陽文庫、春陽堂書店
   1982(昭和57)年7月20日新装第1刷発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:tatsuki
校正:皆森もなみ
2001年5月18日公開
2001年8月6日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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