佐々木味津三

右門捕物帖 献上博多人形—— 佐々木味津三

   

 ――その第二十七番てがらです。
 場所は芝。事の起きたのは、お正月も末の二十四日でした。風流人が江戸雪といったあの雪です。舞いだしたとなると、鉄火というか、伝法というか、雪までがたいそうもなく江戸前に気短なところがあって、豪儀といえば豪儀ですが、ちらりほらりと夜の引きあけごろから降りだしたと思ったあいだに、たちまち八百八町は二寸厚みの牡丹雪《ぼたんゆき》にぬりこめられて、見渡すかぎりただひと色の銀世界でした。風がまたはなはだしく江戸前にわさびのききがよくて、ひりひりと身を切るばかり。――しかし、二十四日とあらば、寒い冷たいの不服はいっていられないのです。あたかもこの日はお二代台徳院殿様、すなわち前将軍|秀忠《ひでただ》公のご忌日に当たるところから、例年のごとく将軍家の増上寺お成りがあるため、お城内も沿道もたいへんな騒ぎでした。ひと口にいったら、芝のあの三縁山へお成りになって、そこに祭られてある台徳院殿さまの御霊屋《みたまや》に、ぺこりとひとつ将軍家がおつむりをお下げになるだけのことですが、下げる頭が少しばかり値段の高い八百万石のおつむりですから、事が穏やかでないのです。七日まえにまず増上寺へ正式のお使者が立って、お参詣《さんけい》お成りのお達しがある。翌日、城内御用べやに南北両町|奉行《ぶぎょう》を呼び招いて、沿道ご警衛の打ち合わせがある。これが済んだとなると、すさまじいご権式です。二十四日のお当日は、江戸城三十六見付総ご門に、月番大名火消し、ならびにお城詰めご定火消しの手の者がずらずらと詰めかけて、お成りからご還御までの間のお固めを承り、沿道にはまた、表警備、忍び警備、隠れ警備の三手に分かれた町奉行配下の、与力同心小者総動員による警備隊が水も漏らさぬ警衛網を張りめぐらして、しかも御成門《おなりもん》から増上寺に至るまでのお道筋一帯は大名諸侯の屋敷といわずお小屋といわず、およそ家と名のつくものは一軒残らず煙止めとなるならわしでした。火気いっさいをお禁じになるのです。
「豪勢なもんさ。この寒いのに、火をたいちゃならねえというんだからね」
「そうよ。おまんまはどうするんだ、おまんまをな。火の気を使っていけなきゃ、お茶一つ口にすることもできねえじゃねえかよ。つがもねえ。こちとら下々の者は人間じゃねえと思ってらっしゃる[#「思ってらっしゃる」は底本では「思ってらしゃる」]んだからな。おたげえ来世はねこにでもなることよ」
 なぞと、うそにも陰口をきこうものなら、下民の分際をもって、上ご政道をとやかく申せし段ふらち至極とあって、これがまず入牢《じゅろう》二十日。糸ほどの煙を見せてもお目ざわりとあって禁じられるくらいですから、のぞき見はいうまでもないこと、二階のある町家はもちろんこれを締めきって、節穴という節穴は残らず目張りを命ぜられるほどの手きびしさでした。
「お手はず万端整いましてござります」
 やがてのことに、ご奏者番からご老中職へ、ご老中からご公方《くぼう》さままで、道々のご警備その他ぬかりのない旨、ご言上が終わると、
「お成りイ――」
 の声があって、ご開門と同時にお出ましがかっきり明け七ツ。冬の朝の七ツ刻《どき》ですから、ようやく三番|鶏《どり》が鳴いたか鳴かないのかまだまっくらいうちです。かくて道中、事も起こらずに増上寺へお着きとなれば、もうあとはたわいがないくらいでした。大僧正がお介添えまいらせて、予定のとおり御霊屋《みたまや》へご参拝が終わると、ご接待というのは塩花お白湯《さゆ》がたった一杯。召し上がるか上がらないかに、
「お立ちイ――」
 の声がかかって、すぐにもう還御です。
 しかし、そのあとがじつはたいへんでした。ひきつづきお跡参りと称して、紀、尾、水のご三家をはじめ十八松平に三百諸侯、それから老中|側《そば》御用人など要路の大官連ご一統のご参拝があるからです。この数がざっと三百八十名ばかり。いずれもこの日は大紋|風折烏帽子《かざおりえぼし》の式服に威儀を正して、お乗り物は一様に長柄のお駕籠《かご》、これらのものものしい大小名が規定どおりの供人に警固されて、三|位《み》、中将、納言《なごん》、朝散太夫《ちょうさんだゆう》と位階格式|禄高《ろくだか》の順もなく、入れ替わり立ち替わり陸続としてひっきりなしにお参りするのですから、その騒々しさ混雑というものは、じつに名状しがたいくらいでした。しかも、これがただお参りするのではないからかなわないのです。行きと帰りと絶え間なく続くそのお召し駕籠が、途中すれ違ったとなると、
「酒井|大和守《やまとのかみ》様ア――」
「土屋|相模守《さがみのかみ》様ア――」
 といったぐあいに、いちいち名のりをあげて、いちいちまたたれをあげながら、お大名どうし双方ごあいさつ会釈をかわさねばならぬしきたりになっているため、ややこしさ、ぎょうぎょうしさ、もしも気短者の伝六が万石城持ちの相模守にでもなっていようものなら、さぞかし、べらぼうめ、じれってえや、の巻き舌|啖呵《たんか》が絶え間なくお乗り物から飛び出したにちがいないほどの煩わしさでした。
 そのうえに見物は町々屋並みを埋めるばかり、将軍家還御になってしまうと、道に張られていた引きなわはいっせいにもう取りのけられて、見物かってのお許しになっているため、雪にもめげずに押し寄せた有象無象が、押すな押すなの大混雑です。
「ちくしょうッ」
「いてえ!」
「踏んだな!」
「やかましいや。半鐘どろ! やい。のっぽ野郎! そのろくろ首をひっこめろッ」
「じゃまっけで見えねえじゃねえか。ひっこぬいて、たもとの中へしまっちまいなよ!」
「なんだと! べらぼうめ。張り子のとらじゃねえや。首の抜き差しができてたまるけえ。産んだ親がわりいんだ。不足があったら、親にいいなよ」
 右からわめき、左からののしる声の間を、急がず遅れず溜《た》め塗りご定紋入りのお駕籠《かご》をうたせて、格式どおりのお供人を従えながら、しずしずとさしかかってきたのは、だれでもない松平の御前でした。わが捕物《とりもの》名人むっつりの右門とは、切っても切れぬゆかりの深い知恵宰相|伊豆守《いずのかみ》です。
 おりからからりと明けて、雪も間遠にちらりほらり……。
 さすがは天下の執権、ご威勢もさることながら、おのずからに備わるご貫禄《かんろく》もまたあっぱれでした。早くも宰相伊豆守のご行列と知ってか、わめき騒いでいた群衆はいっせいに鳴りを静めて、しいんと水を打ったようです。その中をお駕籠は粛々と行列をつづけて、駕籠止め下馬の山門に乗りつけたのがかっきり六ツ下がりでした。ここから先は、天下のご執権老中職といえども乗り物ご禁制です。
 ぴたりとお駕籠が止まる。
 長柄のかさを介添える。
 おぞうりをそろえる。
 たれが上がる。
「お着ウ。伊豆守様ア――」
「お迎イ。ただいまア――」
 応じ合って、お出迎え申しあげた寺僧の会釈をうけつつ、静かにお駕籠を降りた烏帽子《えぼし》姿のけだかき威厳!――しいんと鳴りを静めていた群衆は、さらにしいんと鳴りを静めて、等しくえりを正したのも名宰相伊豆守なればこそでした。
 しかし、そのせつなです。突如、黒山の群衆のその水を打ったように静まり返っていた一点が、さっとくずれたったかと見るまに、人影がばたばたと雪をけりつつ、駆けだすと、いまし山門に向かって歩みだそうとしていた伊豆守の行く手左わきにぴたり、もろひざを折り敷きながら、必死に呼びたてました。
「一期の願い、お慈悲でござります! この訴状お取り上げくださりませい! お願いでござります! お慈悲でござります!」
「…………」
「直訴じゃなッ」
「ならぬ!」
「さがれい!」
「不届き者めがッ!」
「押えろッ、押えろッ」
「取って押えい!」
 もとより直訴は天下のご法度《はっと》、沸然《ふつぜん》としてわきたったのは当然なことです。声が飛び、人が飛んで、訴人はたちまち近侍の者たちが高手小手。ご行列は乱れる、雪は散る、喧々囂々《けんけんごうごう》と騒ぎたてた群集をけちらして、表警備、忍び警備、隠れ警備の任についていた町方一統の面々が先を争いながら駆けつけると、われこそ宰相の御意にかなおうといわぬばかりに、ぐるぐると伊豆守のお身まわりに寄り添いながら、その下知を待ちうけました。
 しかし、伊豆守は声がないのです。何者かの姿を捜し求めるかのように、しきりとあたりを見まわしていられましたが、そのときふとお目に止まったのは、だれでもない、じつにだれでもない、わが捕物名人右門の姿でした。しかも、名人がまた騒がないのです。
「てまえならばここに――」
 いうようにひざまずくと、胸から胸へ、目から目へ、千語万語にまさる無言の目まぜをじっと送りました。同時に、宰相の口から、うれしい鶴《つる》のひと声がかかりました。
「おう、やはり参っておったか! 捜したぞ。――余の者どもに用はない。行けッ、行けッ。右門ひとりがおらばたくさんじゃ。みなひけい!」
 まことに、まったくこんな胸のすく一語というものはない。大鴻《たいこう》よく大鴻の志を知り、名手よく名剣の切れ味を知るとはまさにこれです。その力量を信ずることだれよりも厚い名宰相伊豆守と、その明知に畏服《いふく》することだれにもまさる名人右門とのやりとりは、意気も器量もぴたりと合って、つねにかくのごとくさわやかでした。――騒ぎもまたぴたりと静まって、押えつけていた近侍の面々が手を引くと同時に、はじめて直訴人の姿が雪の中から現われました。
 年のころは六十あまり、常人ではない。一見するに凛烈《りんれつ》、人を圧するような気品と凄気《せいき》をたたえて羽織はかまに威儀を正しながら雪の道に平伏している姿は、どうやら、一芸一能に達した名工、といった風貌《ふうぼう》の老人なのです。――ひざまずいたまま烱々《けいけい》とまなこを光らして名人は、ややしばし老直訴人の姿をじいっとうち見守っていたかと見えたが、さすがは慧眼《けいがん》無双、そちひとりおらばと名宰相が折り紙つけただけのことがあって、せつなのうちにもうあの眼《がん》がさえ渡りました。
「御前! 火急のお計らいが肝心でござります。必死の覚悟とみえまして、まさしく訴人は切腹しておりまするぞ」
「なにッ」
「みるみるうちに顔色の変わりましたが第一の証拠、直訴を遂げて気の張り衰えましたか、五体にただならぬ苦痛の色が見えまするでござります」
「いかさまのう。調べてみい」
 にじり寄って懐中を探ってみると同時に、果然、前腹からわき腹にかけて幾重にも堅くきりきりとさらしもめんの巻かれてあるのがその手にさわりました。直訴を遂げてしまうまでは死ぬまじ、倒れまじと、出血を防ぐために切腹した上をきりきりと巻き止めて、苦痛をこらえつつ伊豆守のご参着を待ちうけていたにちがいないのです。それが証拠には、さし入れた名人のその手に、にじみ出ていた生血がべっとりと触れました。もとより事は急、壮烈きわまりない訴人のその覚悟を見ては、ちゅうちょしている場合でないのです。とっさに、名人は血によごれたその手をさっと開いてさし出すと、目にものをいわせつつ伊豆守の処断を促しました。
「かくのとおり、みごとな覚悟にござります。殿、ご賢慮のほどは?」
「いかさま必死とみゆるな。命までもなげうって直訴するとは、あっぱれ憎いやつめがッ。そち、しかと、――のう!」
「はッ」
「あいわかったか、予に成り代わって、ふびんなそのふらち者じゅうぶんに取り調べたうえ、ねんごろにいたわって、しかとしかりつけい!」
「心得ました。ご諚どおりしかりつけまするでござります」
「いつもながら小気味のよいやつよのう。――ご僧! ご案内所望つかまつる」
「はッ、控えおりまする。ご老中さまご参拝イ」
 しいんと身の引き締まるような声とともに、宰相伊豆守の烏帽子《えぼし》姿は、なにごともなかったもののごとく、威風あたりを払いながら、さっそうとして山門の奥に消え去りました。同時です。名宰相伊豆守と名人右門との胸から胸へ、腹から腹へ、言外になぞを含ませた直訴お聞き届けのその応対をきいてにわかに気力がうせたか、年老いた訴人は、最後の悲痛な、しかし満足げな微笑をただ一つ残すと、がっくり雪の道にうっ伏して、そのまま落ち入りました。
「おみごとじゃ。ご老人、安心して参られよ。なんの願いか知らぬが、訴状は右門しかと預かり申した。必ずともにお力となってしんぜまするぞ」
 見ながめるや、時を移さずにじり寄って叫びささやきながら、すばやく訴人の手から直訴状をぬきとって懐中すると、待ち構えていた小者たちのところへ目まぜが飛びました。同時に、五、六名がはせつける。一瞬の間にむくろが取りのぞかれる。清めの塩花が道いっぱいにふりまかれて、ふたたび清らかに箒目《ほうきめ》のたてられたお成り道へ、
「堀《ほり》丹羽守《たんばのかみ》様ア――」
「太田|摂津守《せっつのかみ》様ア――」
「石川|備中守《びっちゅうのかみ》様ア――」
 声から声がつづいて、待ちうけていたお跡参りの乗り物があとからあとからと、洪水《こうずい》のように流れだしました。――目だたぬように名人はすばやく下乗札の陰に身を引くと、静かに直訴状を取り出して押し開きました。同時に、目を射た文字が、じつに不審なのです。


子を思う親の心は上下みな一つと存じ候《そうろう》。お取り上げこれなきをさらさらお恨みには存ぜず候《そうら》えどもご政道に依怙《えこ》のお沙汰《さた》あるときは天下乱る。
  ご賢察|奉願上候《ねがいあげたてまつりそうろう》。
   芝入舟町|甚七店《じんしちだな》 束巻師《つかまきし》 源五兵衛《げんごべえ》
    謹上《つつしんでたてまつる》

 墨痕《ぼっこん》あざやかに書かれてあったのは、右のような不思議きわまりない幾文字かでした。かりにもご禁制のおきてを犯してあまつさえ一命を投げ捨ててまでも直訴するからには、少なくももっと容易ならぬ文言を連ねておくのが普通であるのに、ご賢察奉願上候とあっさり訴えてあるのです。
 何のなぞ?
 何の直訴か?
 不審なその訴状を見ては、いかな名人右門もはたと当惑するだろうと思われたのに、いつもながらじつにおそるべき慧眼《けいがん》でした。上から下とすらすら読み下すや同時に、早くもなにごとか看破するところがあったとみえて、さわやかな微笑をほころばせながら、静かに下馬札の陰から姿を見せると、群れたかる黒山の群衆を望んで、しきりと何者かを捜し求めました。せつなです。
「あっしですかい! あっしですかい! え? だんな。お捜しになっているのはあっしでしょうね。まだかまだかと、しびれをきらして待ってたんだ。行きますよ、行きますよ。今めえります」
 聞いたような音色が突如として群衆の中から揚がったかと見るまに、ここをせんどと得意顔をうちふりながら、ひょこひょこと駆けだしてきたのは、だれでもない伝六でした。しかも、これがいっこうにおかまいもなく、豪儀と大立て者にでもなったようなつもりで、さっそくもう始めました。
「ざまあみろい。ちくしょう! まったく胸がすうとすらあね。どんぐり眼でしゃちこばっているやつらが今もあそこに何百匹並んでいるか知らねえが、用だ、あいきた、あっしでしょうねと、目から腹へ話のできる者ア、はばかりながらこの伝六様ひとりきりなんだからね。来ましたよ、来ましたよ。ね、ちょいと。御用の筋ゃなんですかい、お駕籠《かご》ですかい」
 ひとりで心得ながら、得意になってはせつけたのを、むっつり流十八番、にこりともしないのです。黙ってぬうと伝六の手にあのなぞ深い直訴状を渡しておくと、
「忙しいんだ。ついてこい」
 いうように、黙々としてそでの雪を払いおとしながら、群れ騒ぐ群衆の間を押し分けて、さっさと道を急ぎました。

     

 しかも、早い。じつに早い。
 さすがの伝六も毒気を抜かれて、追いつくことも鳴ることもできないほどにすばらしく早いのです。大またにすたすたと裏小路へ抜けて、金看板のむっつりぶりもあざやかに、一路目ざした方角がまたじつに意外でした。何を訴えた訴状であるか、直訴の的はどこにあるか、なぞを解くならまず第一番に訴人が住まいの入舟町へはせつけて、そこから先に手を染めるのが事の順序であろうと思われたのに、奇怪にも目ざした道はまがうかたなく数寄屋橋《すきやばし》のあのお番所なのです。
「ああ、くやしい。くやしすぎて目がくらみやがった。どうせね、え、え、そうでしょうとも。どうせあっしなんぞはね――」
 ようやく追いついた伝六が、よくよくくやしかったとみえて、陰にからまりながら鳴りだしたのは無理のないことでした。
「どうせそうでしょうよ。え、え、そうでしょうとも、どうせあっしなんぞは血のめぐりもわりいし、いつまでたっても人前で恥をかかされるようにできた人間なんだからね。さぞやだんなはあっしに赤っ恥をかかせていい心持ちでしょうが、それにしても場合というものがあるんだ。場合がね、え? だんな!」
「…………」
「くやしいね。どれだけいやがらせをしたらお気が済むんですかい。ちっとはあっしの身にもなってみるといいんだ。なんしろ、時が時だし、人出もあのとおりの人出なんだからね。とちっちゃならねえ、男をたてずばなるめえと思ったればこそ、だんなが御用というまで、がまんにがまんをして待っていたんですよ。ところへ、お顔が下馬札の陰からぬっとのぞいたんだ。うれしかったね。え、だんな。考えてもみりゃいいというのはここですよ。きのうやきょうの仲じゃねえんだからね。死なばもろとも、出世もいっしょと、口にこそ出して約束したんじゃねえが、あっしが女だったら、人さまにやかれるほどもうれしい仲なんだ。なればこそ、しめたとばかり――」
「うるさいね」
「いいえ、きょうはいうんだ。なにも、ああまで人前で恥をかかせなくともいいんだからね。きょうは腹の虫がいえるまでいいますよ。うるさかったら、だんなもとっくり考えてみりゃわかるんだ。いまかいまかと待っていたところへ、ぬうとお顔がのぞいたんでね、さてこそおれの出幕だ、話せるね、いい気性だよ、あっしに花を持たせるおつもりなんだと思ったればこそ、喜んで勇んで飛んでもいったのに、ありゃなんです。あのまねゃなんです! ぬうと出して、ぬうとそっぽを向いて、ありゃいったいなんのまねですかよ!」
「…………」
「え! だんな! ね、ちょっと!――くやしいね。なんてまたきょうはやけにそう足がはええんだろうな。そんなにお急ぎだったらおごりゃいいんだ。気まえよく駕籠をおごりゃいいんですよ。ね! ちょっと! だんなってたらだんな!」
「…………」
「しゃくにさわるね、あっしがうるさくいうんで、意地わるに急ぐんだったら、あっしも意地わるくいいますぜ。なにもだんなに、伊豆守様をお気どりなせえというんじゃねえがね。せめてあのとき、ひとことぐれえおっしゃったっても、ばちア当たらねえんだ。おお、伝六か、捜したぞ、おめえが来ねえことにゃ役者がそろわねえんだ、かわいいやつだね、ついてきな、とでもおっしゃってごらんなせえよ。わッときたにちげえねんだ。日本一、親方ア、よう伝あにいとね。エヘヘ、エッヘヘ――」
「バカだな」
「え……?」
「がんがんやっていたかと思や、ひとりで急に笑いだしやがって、おめえくらいあいそのつきるやつは、ふたりとねえよ」
「そうでしょう。ええ、そうでしょうとも。どうせあっしはあいそのつきる人間なんだからね。笑ったり、おこったり、方図のねえ野郎ですよ。それにしたっても気に入らねえんだ。これがいったいどうしたっていうんです。え! ちょっと。この直訴状のどこがどうしたというんですかよ。親心に上下がねえならねえで、しかじかかくかく、せがれがこれこれこうでごぜえますゆえ、依怙《えこ》のご沙汰《さた》はごかんべんくだせえましと、何が何してどう依怙の沙汰だか、どうせ死ぬからにはもっと詳しくけえて直訴すりゃいいんだ。それをなんぞや、においばかりかがしたきりで、ご賢察願いあげ奉り候とはくどいですよ。いかにも思わせぶりで、しゃくにさわるんだ。しかも、だんながまた、――ああ、いけねえ! どこまで人に気をもませるんでしょうね。まさかと思ったのに、そこをそっちへ曲がっていきゃお番所じゃねえですかよ。ここにちゃんとけえてあるんだ。ご賢察《けんさつ》奉願上候《ねがいあげたてまつりそうろう》。芝入舟町|甚七店《じんしちだな》束巻き師源五兵衛と所名まえがはっきりけえてあるんですよ。ひと飛びにあっちへ行ったほうが早道なんだ。ね、ちょっと!――ちょっとったら、ね! ちょっと!」
 鳴れど叫べど、ひとたびこうと眼《がん》をつけてやって来たからには、もうむっつり右門です。町々つじつじの警備に出払ってしまってひっそり閑と静まり返っているお番所の中へさっさとはいっていくと、てこでも動くまいといいたげに、どっかりすわったところは訴状箱の前でした。しかも、すわると同時に、これがいかにもおちついているのです。一状、一封、一枚、一枚、と箱いっぱいに投げ込まれてある訴え状をかたっぱしから丹念に見調べだしたので、鳴り屋の千鳴り太鼓が、ここをせんどとがらがらやりだしたのは当然でした。
「じれってえな。そんなものを調べりゃ何がおもしれえんですかよ。色文《いろぶみ》にしたっても、日がたちゃ油がぬけるんだ。その中にあるやつア、みんなかびのはえた訴え状ばかりですよ。てっとりばやく入舟町へいって洗いたてりゃ、たちまちぱんぱんとらちがあくじゃねえんですか!」
「…………」
「え! だんな! くやしいね。そもそも、あのおやじが気に入らねえんだ。雪の降るさなかに、なにもわざわざあそこまで飛び出してみえをきるがものはねんですよ。直訴をしてえことがありゃ、息の根の止まらぬうちに、ここへ来りゃいいんだ。それがためのお番所なんだからね。よしやだんなが虫の居どころがわるくてお取り上げにならなくとも、あっしという者があるんだ。あっしという気性のいい男がね。この伝六様がいるからにゃ、どんなうるせえねげえごとでも聞いてやりますよ。ね! ちょっと! え! だんな!」
「申しあげます! あの、もし、お願いでござります。お願いの者でござります!」
「うるせえな。いううちに来りゃがった。忙しいんだよ。伝六様は、いま手がふさがっているんだ。用があるならあしたおいでよ」
「いいえ、あしたになってはまにあいませぬ。てまえは京橋|薬研堀《やげんぼり》のろうそくや大五郎と申す者でござります。うちの女房が、けさほどお将軍さまのお成り先へ裸で飛び出したとか、駆けだしたとか申しまして、こちらへお引っ立てになったそうでござりまするが、あれは三年まえから気の触れている者でござります。座敷牢《ざしきろう》に入れておいたのを知らぬまに飛び出したのでござりますゆえ、お願いでござります。お下げ渡しくださりませ。お願いでござります」
「べらぼうめ。人の気違いの女房なんぞ、だれが酔狂にさらってくるけえ。おら知らねえや。係りが違うんだ。お係りが違うんだから、あっちへ行きなよ」
「ウフフ」
「え! なんです、だんな! いちいちとしゃくにさわるね。ウフフとは何がなんですかよ。お係りが違うから違うといったんですよ。骨おしみをしてはねつけたんじゃねえんだ。笑う暇があったら、だんなこそとっととらちをあけりゃいいんですよ。ほんとにまったく、がんがんしてくるじゃござんせんかい」
「控えろッ」
「え……?」
「おきのどくだが、そのらちがな」
「あいたんですかい!」
「あいたからこそ、うれしくもなったじゃねえかよ。まあ、そこへすわって、あごでもはずして、ふところへしまってから、とっくりとこれを見なよ」
 ようやくのことに、訴状箱の中から目ざしたネタを捜し当てたとみえて、さわやかにうち笑《え》みながら、かんかん虫の伝六の目の前に差しつけたのは、じつに次のごとき三通の訴え状です。


取り急ぎ書面をもって奉願上候《ねがいあげたてまつりそうろう》。拙者せがれ弥七郎儀、七年このかた芝露月町土偶師|泥斎《でいさい》方に奉公まかりあり候ところ、なんの子細あってか、昨二十日夕刻よりとつぜん行くえ知れずにあいなり候との由。寝耳に水のしらせうけ候あいだ、ぎょうてんつかまつりさっそくに八方心当たりを捜し求め候《そうら》えども、いずれへ参りしものかさらに行くえしれず、親の身として心痛ひとかたならず候につき、書面をもってお訴え申し上げ候。なにとぞ特別なるご慈悲をもって、火急にご詮議《せんぎ》お取り調べのうえ、一日も早くお捜し出しくだされたく。右伏して奉願上候。
 正月二十一日

                   願い主 芝入舟町甚七店
                     ]束巻き師 源五兵衛
家出人お係りさま御中

 というのが一通。


昨日、取り急ぎ書面をもってお訴え申し上げ候えども、いまだなんのご沙汰《さた》もこれなく、いかがにあいなり候や、てまえせがれはただのせがれには候わず、天にも地にも掛け替えなき一粒種にて、日ごろ心だても優しく、他より恨みを受けたることなぞもとよりこれなきばかりか、賭《か》けごと、女出入りは申すに及ばず、ただの一度も悪所通いいたせしことこれなきほどのりちぎ者に候えば、それゆえにて世間をせばめ、入水《じゅすい》投身なぞ、つまらぬ了見起こせしとも思われず、なにゆえの家出かただただ心労にたえず候。ことに不審は、昨夜またまた奉公先なる露月町|泥斎《でいさい》方へ参り候ていろいろ問い正せしところ、先方の申すには拙者方へ参るというて立ちいで候よし、なれども当方へは参った形跡まったくこれなく、今は生死のほども計りかね候あいだ、さだめしお役向きのことどもご繁忙には候わんも、別してご憐憫《れんびん》をおかけくだされ、火急にご詮議《せんぎ》くだされたく、改めて奉願上候。
 正月二十二日

                    願い主 芝入舟町甚七店
                       束巻き師 源五兵衛
家出人お係りさま御中

 というのが一通。


昨日、一昨日と再度お訴状差し出し候えども、いっこうにお取り上げこれなきは心外にたえず候。お役向きご繁忙にてお目漏れなら格別、もし何かいわく子細これあり候ために依怙《えこ》のおさばきなされ候てかくお取り上げこれなくとならば、われらにも覚悟これあるべく候。なんのこれしき、下民のせがれの家出くらいとおぼしめすかも候わんが、弥七郎を失わば拙者の命奪わるるも同然、

 子を思う親の心は上下みな一つと存じ候《そうろう》。お取り上げこれなきをさらさらお恨みには存ぜず候《そうら》えどもご政道に依怙《えこ》のお沙汰《さた》あるときは天下乱る。
  ご賢察|奉願上候《ねがいあげたてまつりそうろう》。
   芝入舟町|甚七店《じんしちだな》 束巻師《つかまきし》 源五兵衛《げんごべえ》
    謹上《つつしんでたてまつる》
  子を思う親の心は、お係りさまはじめ、みなみな一様と存じ候えば、至急にお取り上げお捜し出しくだされたく、右懇願つかまつり候。
 正月二十三日
 
                    願い主 芝入舟町甚七店
                      束巻き師 源五兵衛
家出人お係りさま御中

 というのがその第三通めでした。
「はあてね」
 うるさいやつが、読み終わると同時に、さっそくあの首をひねったことです。
「ちっとこりゃおかしいじゃござんせんか」
「何がよ」
「きょうは忘れてならねえ二十四日だ。最初の一通は二十一日、次は二十二日、しめえは二十三日の日づけになっているところをみるてえと、三日まえから毎日毎日お番所へお百度を踏んだってわけですかい」
「決まってらあ。だからこそ、いつまでたってもお取り上げにならねえので、われらにも覚悟これあるべく候とある、その覚悟の直訴をしたんじゃねえかよ。そんなことぐれえがわからねえんでどうするんだ」
「いいえね、それをいってるんじゃねえんですよ。見りゃ弥七郎とかいう至極とできのいいせがれが、奉公先の露月町で姿をくらましやがったとけえてあるじゃござんせんか。そんなれっきとした大騒動が持ち上がっているなら、なにもこんなふうに直訴状へ陰にこもった思わせぶりを書かなくたっていいでしょう。はっきり書きゃいいんだ、はっきりとね。しかもですよ、この直訴状の表には、お取り上げこれなきをさらさらお恨みには存ぜず候えどもとぬかしているくせに、この三通めの文句はなんですかよ、いわく子細これあり候ために依怙《えこ》のおさばきがどうのこうのと、さもさもお番所勤めをしておる者は、そでの下しだいで十手吟味をしてでもいるようなことをぬかしているじゃござんせんか。べらぼうめ、おれがおるんだ。生きのいい江戸っ子のこの伝様がいるんですよ。え? ちょいと。それでもひねっちゃわりいんですかい。え! だんな!――気に入らねえね、何がおかしくてニヤニヤするんですかよ」
「あいかわらず、この伝様とやらがご利発でいらっしゃるからだよ。考えてもみろい、直訴じゃねえか。直訴は天下の法度《はっと》だ。お取り上げくださるかくださらねえかは、先さましだい、風しだい、腹しだいだよ。さればこそ、お取り上げなさらぬときに訴状をろくでもねえやつに拾われて、上お役人、われわれお番所勤めの者たち一統をあしざまにけえたことが世間に知れちゃ、あとの響きも大きかろうと、それを遠慮して特にこんななぞをかけた文句だけでぼかしたんだ。その心づかいがいっそゆかしいじゃねえかよ。死にぎわもまた源五兵衛、りっぱなものだよ。おめえなんぞは知るめえが、束巻き師源五兵衛といや、源五巻きという名で通るくれえの、刀の束の綾巻《あやま》きじゃ江戸にひびいた男だ。さすがは刀いじりの職人よ。町人ながら腹かっさばいたうえで直訴するたア、性根が見上げたもんじゃねえかよ。おいら、心がけのゆかしさに、ちっとばかり今ほろりとなっているんだが、いけねえかい」
「あやまった。あやまりました。なるほどね、ちくしょうめ、さあ来い! もうこうなりゃ忙しいんだぞ。事がそうと決まりゃ、露月町の泥斎《でいさい》とやらが本能寺だ。ぱんぱんと早手回しにやってめえりますからね、ちょっくらお待ちなせえよ」
 飛び出していったかと思うと、いかさま早い。
「へえ、お待ちどうさま。お駕籠ですよ」
 そろえて待って、さあいらっしゃいとばかりちょっと気どりながら、伝六なかなかにやるのです。――雪の道を二丁前後させながら、急ぎに急いでやっていったところは、いわずと知れた芝露月町土偶師泥斎の住まいでした。

     

 通りからちょっとはいっていくと、いかさまひとひねり凝った構えの住まいの前に、それとひと目にわかる看板が見えました。
「宗七焼き人形師、泥斎」
 達筆に書きつづったそういう看板がさがっているのです。見ながめるや同時に、ずばりと小気味のいい右門流がもう始まりました。
「なんでえ。つがもねえ、こりゃ博多《はかた》人形のこぶ泥《でい》じゃねえかよ」
「フェ……? こぶ泥たアなんですかい」
「知らねえのかい、あきれた物知らずだな。訴え状に土偶師泥斎と書いてあるんで、どこの何者かいなと頭をひねったんだが、こりゃ博多焼きのこぶ泥だといっているんだよ」
「はてね」
「まだわからねえのかい。お手数のかかるおあにいさんだな。博多人形はその昔宗七というのが焼きだしたんで、ほんとうの名は宗七焼きというんだよ。その博多焼きの泥斎ならば、二十年間博多で修業したといういま江戸で折り紙つきの名工だ。左の耳下に福々しいこぶがあるところから、人呼んでこれをこぶ泥というのよ。おまえよりちっと物知りで、気に入らねえかい」
「どうつかまつりまして。ちくしょうめ、やけにうれしくなりゃがったね。そういうふうにずばりずばりとだんなの眼《がん》がついてくりゃ、もうしめたものなんだ。なんともかんともたまらねえね。え! だんな。――やい、こぶ泥、通っていくぞ」
 じつにどうも、伝六がうれしくなったとなると、いいようのない男です。先にたってどんどんはいっていくと、そこの仕上げべやにうずくまりつつ、しきりと焼き人形の仕上げを急いでいる老人と若いのとふたりに、ぱんぱんとあびせました。
「このとおりお出ましなんだ。景気のいい親方がいっしょになって、おっかねえだんながじきじきにお出ましなんだよ。ね! おい! わけえの! 年寄り! 気をつけてものをいいなよ。奉公に上がっていたといや弟子《でし》にちげえねえんだ。その弟子の弥七郎は、どけえいったのかい」
 えッ――というように、不意を打たれて、ギョッとなりながら見上げたふたりを、じろり見すくめた名人の目のつけどころはまた、おのずから伝六なぞと格が違うのです。目の動き、顔いろのそよぎ、心の芯《しん》に何ぞ狼狽《ろうばい》しているところはないかと、その鋭く烱々《けいけい》と光るまなざしでじいっと両名を見すくめました。
 見ると老人は五十五、六。左耳下にこぶがあるからには、まさしくそれが泥斎にちがいない。しかし、しいんとおちついてなんのうろたえも見せないのです。そのうえ、どことはなく人品|骨柄《こつがら》に渋みがあって鍛えられたところがあって、寂《さ》び冴《さ》えすらもがたたえられて、さすがは名取りの焼き人形師と思われる名工ぶりでした。
 隣にうずくまっているのは二十五、六。弟子か?――いや、そうではない。どことはなし泥斎に面ざしの似通ったところがあるのを見ると、まさしくせがれにちがいないのです。しかも、これが何を恐れているのか、ひた向きにさしうつむいて、五体のうちにもあきらかな震えが見えるのでした。
「ウフフ。ちとにおいだしたぞ。泥斎、親子であろうな」
「…………」
「なぜ、はきはき答えぬか! せがれでなくば甥《おい》であろうが、どちらじゃ」
「甥ではござりませぬ」
「ひねったことを申すのう。甥でないゆえせがれじゃと申したつもりか。せがれならばせがれと、すなおに申せ!――せがれ! 名はなんというか!」
「名、名は……」
「名はなんというか!」
「粂《くめ》、粂五郎と申します……」
「ひとり身か!」
「ま、まだ家内を迎えませぬ……」
「ウフフ。それだけ聞いておかば、これから先はちっと生きのいい啖呵《たんか》入りでいこうかい。泥斎老人、お互い心配だな。弥七郎は二十日《はつか》の夕刻から消えてなくなったってね」
「へえ、しようのないのらくら者で、三日にあげず悪所通いはする、ばくちには入れ揚げる、仕事はなまける、いくつ人形を焼かしても手筋はわるい、七年まえから内弟子に取ってはいたんですが、からきしもう先に望みのない野郎でございましたんで、どこへいったのやら、あの晩ふらふらと出ていったきりいまだに帰らねえところをみると、また女のところにでもはまっているんじゃねえかと思っているんでごぜえます」
「ちっと変だね」
「何がでございます?」
「でも、おやじの源五兵衛の訴え状にゃ、たいそうもなくできのいいりちぎ者だと、きわめ書きをつけてあるぞ」
「とおっしゃいますと、なんでございますか。源五兵衛どんがなんぞお番所へでも訴えてまいったんでございますか」
「訴えたどころじゃねえ、腹を切って伊豆守様に直訴をしたぜ」
「えッ――。まさか! まさかに、そんなことも――」
「これをみろい。直訴状だ、みごとな最期だったよ。肝が冷えたかい」
「なるほど! そうでござりましたか――。思いきったことをやりましたな。いいや、無理もござりますまい。のらくら者でしたが、老い先かけて楽しみにしておったひとり子でござりますもの。それが消えてなくなったとなると、親の身にしてみれば心配のあまり、命を捨てて直訴もする気になりましたろうよ。それにしても、親の心子知らず、どこへ姿をかくしたのやら、弥七郎めはばち当たりでござります。てまえども親子にうしろめたいことはなに一つござりませぬ。ご不審の晴れるまで、どこなとお捜しくだされませ。お案内いたしまするでござります」
「さすがは名工、肝に鍛えができているとみえて、なかなかに神妙のいたりだ。弥七郎が寝起きしていた居間はどこかい」
「ところが、変な男といえば変な男でござります。あちらにあれのためのへやが一つ取ってあるのに、人形の中へ寝るが好きじゃと申して、毎夜この仕事べやに寝起きしておりましてござります」
「ほほう。のらくら者で、仕事に魂の打ち込めぬなまけ者が、焼き人形の中に寝るが好きとは、なにさま変わっておるな。だいぶ色焼きのみごとな人形が並んでいるじゃないかよ。宗七焼きの粋というしろものを、しみじみ拝見するかね」
 いいつつ、あちらこちらとたなからたなへ見ながめていたその目に、はしなくも映ったのは、ひときわできばえのすぐれた三体の人形です。珍しいことに、その三体が三体共に、ただひと色のじつにすっきりしたいやみのない群青《ぐんじょう》色でした。
 しかし、よくよく見比べると、三体の焼きぐあい、色付けの仕上がり、細工のできばえに、あきらかな優劣が見えるのです。右がいちばん上でき、まんなかがそれにつづき、左端のがもっともふできでした。
「こぶ[#「こぶ」は底本では「ごぶ」]泥《でい》、いや、泥斎」
「はッ」
「いい焼き色だな。この三体はだれの作かい」
「てまえとせがれと弥七郎とで、それぞれ一体ずつ、この正月の初焼きにこしらえたものでござります」
「いちばん左はだれの作かい」
「せがれでござります」
「まんなかは?」
「てまえの作でござります」
「ほほう、そうかい。とすると、右端が弥七郎の作だな」
「さようでござります」
「おかしなこともあればあるものだ。ちょっと拝見するかな」
 仕事に精進していないといったはずの弥七郎の作が、師泥斎をもしのぐできばえに不審をうって、いぶかりながら手にとりあげて台じりを返して見ると、なるほど彫りがある。泥斎門人弥七郎作、という焼き彫りの銘が、無言のなぞを秘めながら刻まれてあるのです。――名人の声がそろそろとさえだしました。
「妙だな。泥斎! ちっとおかしかねえかい」
「何がでござります」
「せがれ粂五郎のふできはとにかくとして、のらくら者の弥七郎が、師匠のおまえさんより上物をこしらえるとは変じゃないかよ」
「なるほど、しろうと目にはさように見えるかも存じませぬが、どうしてなかなか、われわれくろうと目には老いても泥斎、自慢するのではござりませぬが、まだまだ弟子に劣るようなものはこしらえませぬ。弥七郎ごとき及びもつかぬはずでござります」
「ほほう。しろうと目だというのかい。そうかもしれぬ。名作名品、芸道のこととなると常人の目の届かぬところがあろうからな。しかし、それにしても――」
「なんでござります?」
「土も同じ、薬も同じ、おそらく窯《かま》も同じ一つ窯であろうが、にかかわらず、焼き色、仕上がりに、できふできのあるは不思議だな」
「どういたしまして、土こそ、薬こそ同じでござりまするが、窯ばかりは一つでござりませぬ」
「それはまたどうしたわけかい」
「そこが流儀のわかれどころ、苦心の入れどころ、火くせ、焼きくせ、窯くせというものがござりまして、えもいわれぬ働きをいたすものでござりますゆえ、てまえの窯、せがれの窯、弥七郎の窯と、窯ばかりは三人別々でござります」
「なるほど、そういうものかい。その窯はどこにある」
「あの庭先の小屋の中に見えるのがそれでござります」
 縁側からさしのぞいてみると、いかさま雪に閉ざされた庭の向こうの小屋の中に、三つの窯が見えるのです。
「どれがどうだ」
「右端がてまえ、左がせがれ、まんなかが――」
「弥七郎の窯か」
「そうでござります」
「三窯ともに火口がふさいであるのう」
「この露月町はご承知のとおり増上寺へのお成り筋、煙止めせいとのお達しでござりましたゆえ、そそうがあってはならぬと、二十日《はつか》の夕刻に焼き止めまして、火口ふさいだままになっているのでござります」
「なに、二十日! 二十日の夕刻に火止めしたとのう!」
 つぶやきながら、じいっと三つの窯を見比べていたその目が、がぜん[#「がぜん」は底本では「がせん」]、きらりと鋭く光りました。色が違うのです。形も様式も三つながら同じであるのに、泥斎親子の窯といった左右の二つに比べると、まんなかの弥七郎の窯のすそがかすかながらも違った色をしているのです。――黒光り! というよりも油光りでした。しかも、なまなましい、ほんのりとした色ではあるが、まさしくなまなましい油光りなのです。
「伝六ッ。はきものをそろえろ」
 ちゅうちょのあろうはずはない。間遠にちらりほらりと、いまだに降りつづけている淡雪を浴びながら、庭先伝いに歩みよると、うち騒ぐ色も見せずに、烱々《けいけい》とまなこを光らしながら、いま一度三つの窯を見比べました。
 やはり、色がちがうのです。
 目のせいでもない。気のせいでもない。かすかに、ほんのりとにじみ出た色ではあるが、まさしく油光りがしているのです。
 いや、そればかりではない。より不審なことは、火口のそのふさぎ方に相違のあることでした。泥斎親子の窯の火口は、当然のごとく表からどろ目張りをもってふさいであるのに、弥七郎の窯の火口は内からふさいであるのです。
 せつな!――いぶかしみながらあとにつき従ってきた泥斎のところへ、さえざえとした声が飛びました。
「こぶ泥! びっくりするじゃねえぜ! おいらがどこのだれだか知ってるだろうな」
「はッ、存じておりまする。右門のだんなさまと気がついたればこそ、何をお見破りかと不審に思いまして、おあとについてまいったのでござります」
「ならば、改まって名のるにも及ぶめえ。右門流の眼《がん》のさえというな、ざっとこんなもんだ。よくみろい!」
 声もろともに小わきざし抜き払って切り裂いた疑問の火口が、ぽっかりと口をあけたとたん!
「あッ!」
 期せずして、伝六と泥斎の口から驚愕《きょうがく》の声が放たれました。紛れもない人の足首がぶきみにぬッと窯の口からのぞいていたからです。
「あれの足だ! 弥七郎の足だ! 泥斎のこの目に狂いはござりませぬ! まさしく、弥七郎めの足首でござります。ど、どう、どうしたのでござりましょう! あれが、あの男が蒸し焼きになっているとは、どうしたのでござりましょう」
「どうでもない。たった一つの出入り口の火口が内側から塗りこめられてあったとすりゃ、考えてみるまでもねえことよ、まさにまさしく自害だよ」
「えッ。自害! 自、自害でござりまするか! あの男が、弥七郎が、自害をしたというのでござりまするか!」
 泥斎のおどろきがつづけられているとき、
「あッ。ちくしょうッいけねえ! いけねえ! 野郎待ちやがれッ。だんな、だんな」
 うちうろたえながら、伝六が不意にけたたましい声をあげました。
「野郎が、野郎が、ね、ほら! せがれの青僧が、粂五郎が逃げ出しやがったんですよ!」
「なにッ」
「ね、ほら! ほら! あのとおりまっしぐらに逃げ出しやがったんです。逐電するからにゃ、野郎め何かうしろぐれえことがあるにちげえねえんだ。てつだっておくんなせえよ。野郎足がはええんだ。いっしょに追いかけておくんなせえよ」
 うろたえ騒ぎつつ駆けだそうとしたのを、だが右門はおどろくかと思いのほかに、ごく静かでした。
「あわてるな、あわてるな。逃げたきゃ逃がしなよ。どこまで逃げたからとて、おいらの目玉がぴかりと光りゃ、勘どころをはずれたためしはねえんだから、じたばたせずとほっときなよ。それより、こっちを先にかたづけなくちゃならねえ。神妙にしていろよ」
 制しておいて、ぶきみも恐れず近よりながら、じいっと窯の中をさしのぞきました。同時に、その目を射たのは、ふびんな最期を遂げた弥七郎のむくろを守護でもするかのごとく、そのそばに置かれてあった一個の立ち人形です。
 しかも、そのすばらしさ!
 地はだ、色合い、仕上がりともに、一点の非も見えぬすばらしい男の立ち人形でした。あまつさえ、その色のよさ!――魂までも引き入れられるようなただひと色の、さえざえとした群青色なのです。いや、ひと色ではない。ひと色はひと色であっても、その群青色のなかに幽玄きわまりない濃淡があって、その濃淡がおのずから着付けのひだ、しまめを織り出し、人形ながらもそこにあやかな人の息づき、いぶきが聞かれるような玲瓏《れいろう》たる上作でした。
 自分といっしょに焼いたにちがいない!
 形もまた弥七郎自身の面影を写しとったのではないかと思われる、意味ありげな陶工姿の立ち人形でした。否! 台じりを返してみると、紛れもなく銘があるのです。ワガ姿ヲ写ス、――泥斎門人弥七郎作、というきざみ字が見えました。
「なぞはこれだな! よしッ、伝あにい!」
 ひしとかいいだくようにその青人形を胸に抱いて、さっと身を起こすと、静かに命じたことです。
「野郎をつかまえろッ。粂五郎のやつが、なぞのかぎを握っているにちげえねんだ。跡を追いかけろッ」
「跡を追いかけろといったって、とうに野郎はもうつっ走ったんですよ。ばかばかしい。だから、あっしがさっきあわてて呼んだんじゃねえですか。今ごろになって、そんな無理をおっしゃったっても知りませんよ」
「あいもかわらず血のめぐりが鷹揚《おうよう》だな。おいらのやることにむだはねえんだ。これをみろ。きょうは何が降ってると思ってるんだい。よく目をあけてこれを見ろよ」
 おちつきはらいながら表へ立って、笑《え》ましげにほほえみながら、静かに指さしたのは庭一面、道一面を埋めつくしている深い雪です。いや、銀白のその深い雪の上に、逃げ延びた先を物語るかのように点々と残されてあった粂五郎の足跡です。
「ちげえねえ。なるほど江戸じゅう雪が積もってるからには、どこまで逃げやがったってぞうさはねえや。おれの血のめぐりもちっとばかり鷹揚《おうよう》かもしれねえが、これに気がつかねえたア粂五郎もちゃちな野郎だね。さあ来い、奴《やっこ》! もう逃がさねえぞ」
 まことに、いつもながら名人右門のすることなすことには、そつがない。雪に足跡の残ることを心づいていたればこそ、騒がずに悠揚《ゆうよう》と構えて、追いかけようともしなかったのです。――十手を斜《しゃ》に握りとったあいきょう者を先頭にして、なぞのかぎを追う主従ふたりは、その場から点々と残されている粂五郎の足跡を拾いはじめました。

     

「ウッフフ。ありますぜ。ありますぜ。バカだな。こんなでけえ足跡がおっこちているのも知らねえで、いい気になりながら逃げやがったんだからね。それにしても、なんてでけえ足だろうね。十一文甲高、仁王《におう》足というやつだ。ね! ほらほら。向こうへ曲がっておりますよ」
 伝六の悦に入ったこと、さながらに子どものようです。拾っていくうちに、
「はてな、ちきしょう、おつなところで止まっておりますぜ」
 てっきり表を町のほうへでも落ち延びたろうと思われたのに、足跡はぐるりと住まいのまわりを半分回って、ぴたり、そこの縁の下のところでとぎれました。――と見えたのが、迷ったにちがいない。もぐって隠れようか隠れまいかとためらったあげく、また逃げだしたとみえて、やはり足跡は表口から往来につづいているのです。
 しかし、そう思われたのもつかのま、出てからまたさらに迷ったとみえて、あちらにふた足、こちらに三足、行きつもどりつ、しどろもどろに逃げ惑ってから、くるり引っかえして、足跡はふたたび住まいの庭の裏口目ざしてつづきました。
「ウフフ。あきれけえった野郎だね。めくらが火事に飛び出したんじゃあるめえし、こりゃまたどうしたんですかよ。どこへ逃げやがっても雪ゃあるんだから笑わしゃがらアね」
 だが、名人右門の推断はまた別でした。
「やつめ、察するにおくびょう者だな」
「え? そんなことが、またどうしてわかるんですかい。足跡に肝ったまの大小がけえてあるんじゃあるめえし、だれの足跡でも雪に残りゃこういうかっこうをしているんですよ」
「ところが、おいらが見るとちゃんとけえてあるから妙じゃねえかよ。走ったかと思やとまり、止まったかと思やまた逃げだして、その逃げ方もあっちへいったり、こっちへ来たり、まごまごと迷ってばかりいるのは、気の小せえ証拠、度胸のすわっていねえ証拠だよ。――どうやら、裏庭は木戸も抜け道もねえ止まりのようだ。どこかにもぐっているにちげえあるめえ。さっさと拾っていってかいでみな」
 一つ一つたぐりながら探っていくと、果然、裏庭のいちばんすみの、小屋ともつかぬ穴倉の前で消えているのです。――おそらく、人形用の細工土をかこってある土室にちがいない。足跡はその入り口のところでぴたりと止まって、入り口にはまた厚そうな土の戸が見えました。
「ウッフフ。よくよく、ちゃちな野郎だね。けっこうこれで隠れおおせたつもりでいるんだからね。――やい、野郎ッ、知らねえのかッ。知らねえのかッ、頭かくしてしり隠さずってえしゃれた文句が、いろはがるたにちゃんとあるんだ。出ろッ、出ろッ。――しかし、だんな、いいんですかい、小せい声でお頼み申しておきますがね。窮鼠《きゅうそ》かえってねこをかむってえ古ことわざもあるんだ。主従のよしみだからね、いざとなったら、あれをちょっぴり、ね、ほら、いいですかい。草香流でおまじないを頼んますぜ。――さあ来い、野郎ッ。なにもないしょ話したんじゃねえんだぞ。つええんだッ。つええんだッ。草香流を背中に背負ってるんだから、手出しすりゃ、首根っこがそっぽへ向くぞ。出ろッ、出ろッ」
 さぞや死にもの狂いに手向かいするだろうと察して、景気をあおりながら伝六が用心しつつおどり込んでみると、これがふるえているのです。いろはがるたを地でいって粂五郎は、土に頭をもぐらせんばかりにしながら、必死とちぢこまりつつがたがたとやっていたさいちゅうなのでした。
「なんでえ。そのざまは! どこからどこまでもちゃちな野郎じゃねえか。出ろッ、出ろッ。しゃれにもならねえじゃねえか。どろへもぐったからにゃ吐くどろもあるにちげえねえ。とっとと恐れ入っちまいなよ!」
 ひきずり出して、ここを晴れの舞台と伝六が締めあげようとしたのを、
「荒締めゃ身の毒だ。待ちな、待ちな」
 ぴたり押えながら名人が静かに歩みよると、穏やかに、しかし、ぴーんと胸にしみ入るようなことばが、ふるえている粂五郎の頭上に下りました。
「上には慈悲があるぞ! 目もあるぞ! しかも、このおいらの目玉は、雨空、雪もよう、晴れ曇り、慈悲にもきくがにらみも江戸一ききがいいんだ。なんぞおめえ細工をしたろう。すっぱりいいな」
「いいえ、あの、あっしが、あっしが――」
「あっしがどうしたというのかい」
「あっしが蒸し焼きにしたんじゃねえんです。殺したんじゃねえんです」
「それをきいてるんじゃねえんだ。さっき仕事べやへへえっていったときに震えていたあんばい、今こうして逃げまわったあんばいからいっても、無傷じゃあるめえ。弥七郎が思い案じて自害しなくちゃならねえような種を、何かおめえがまいたろう! どうだ。ちがうか!」
「め、めっそうもござりませぬ。無、無実でござります! 無実のお疑いでござります。あっしゃ何もしたんじゃねえんです。ただ、二十日《はつか》の晩、弥七郎がいなくなったあの二十日の晩に――」
「二十日の晩にどうしたんだ」
「見たんです。ちらりと、ちらりとあれがあの窯《かま》の中にはいるところを見かけたような気がしましたんです。何をするだろうと思ったんですが、はっきり見たわけじゃなし、まさかと思っておったら――」
「思っておったら、どうしたんだ」
「その夜から明けがたにかけて臭かったんです。たしかに人の焼けるようなにおいがしたんです。だから、だから、かかり合いになっちゃなるまいと思って、前後の考えもなく逃げかくれしただけのことなんです」
「ほんとうか!」
「う、うそ偽りはござりませぬ。人の焼けるにおいがしましたんで、ひょっとしたらと思ってはいたんですが、のぞいてみるのもこわいし、よけいなことをしてまたつまらぬ疑いでもかかってはと、ひとりでびくびくしておりましたら、今のさきだんなさまが手もなくお見破りなすったんで、かかり合いになっちゃあと逃げだしただけのことなんです」
「まちがいないな!」
「ご、ござりませぬ」
「こちら向いてみろッ。向いて目をみせろッ」
 こわごわふり向けたその目の色を、じいっと見すくめながら探ってみたが、濁りもない。乱れもない。いかさま、うそ偽りの色は少しも見えないのです。
「そうか! 狂ったか! 狂ったことのないおいらの眼《がん》が狂ったか! 用はない。いけッ」
 吐き出すような、というよりもむしろそれは悲しげな嘆きの声でした。無理もない。天下第一の器量人、名宰相伊豆守ですらも舌を巻いて、あれは無比無双じゃと折り紙つけたむっつり流、狂い知らずのその眼に狂いがあったのです。もののみごとにはずれたのです。
 かつてないほどにうち沈んだ姿でした。思案にあまり、思いに屈したというように、深くふかく考え沈みながら、踏む足も重たげにとぼとぼと取ってかえすと、ものをもいわずにすうとあの仕事場に上がって、かかえ持っていたなぞの青焼き人形を、静かにその前に置きすえながら、どっかと端座して黙々と腕こまねきました。
 へやにいたのはあの泥斎《でいさい》です。意外に思ったか、あっけにとられたものか、それともなにか泥斎自身も思いに沈んでいたのか、無言のままに見迎えて、声もかけずにじいっと押し黙ったままでした。
 しかし、その目は、ときおり、芸道にいそしむ者のみが持つ、燃えるような、きらめくような、異様な光とともに、吸い寄せられでもするかのごとく、青焼き人形にふりそそがれました。
 名人右門の目もまた同様です。
 おくれてはいってきた伝六も――、いっぱしの立て役者がましく、気味わるそうに青焼き人形をながめては首をひねり、ひねっては名人の顔をうちながめ、ながめてはまたしきりに首をひねって、あのやかましいのが事の意外な変わり方にしたたか肝をつぶしたらしく、すっかり鳴りをひそめたままでした。
 なぞはいたずらに濃くなるばかり。
 ただ、いぶかしいのは生き身もろとも、共焼きにしたその青焼き人形です。ワガ姿ヲ写ス、弥七郎作とある銘もなぞ、共焼きもなぞ、色もなぞ。その色がまたぶきみなほどにもさえざえと美しくさえかえって、青みに青み、澄みに澄んだ群青色が、人の心、人の魂をしいんと引き締め、引き入れるような美しさであった。
 声はない……。
 四半刻《しはんとき》!
 声はない……。
 半刻!
 声はない……。
 しんしんとただ気味わるく静まりかえって、なんの声も放たぬなぞの青人形に注がれている三人の目が、六つのひとみが、怪しく輝き、異様に光り、とんきょうに輝きながら、ぶきみにきらめいているばかりです。――いや。やがて、ぱらりと名人の鬢《びん》の毛が、三筋、四筋、六筋、七筋、青白く思案に沈んだそのほおにみだれかかりました。――とたん、かすかにそれがゆれたかと見えるや同時に、はらわたをふり絞ったような声が、悲壮に、うめくように放たれました。
「わからぬ! わからぬ! くやしいな! 伝六ッ」
「…………」
「解けんわい! 解けんわい! この人形のなぞばかりは、なんとしても解けぬ。自害にちげえねえんだ。火口一つより出はいりする口はねえ、その口を中から塗りこめてあったからにゃ、自害にちげえねえんだ。だのに、だのに、くやしいな! 伝六ッ。――みろ! この人形を、とっくりとみろ!」
「み、みているんですよ。そ、そんなに悲しそうな声でおこらなくとも、ちゃんと見ているんですよ」
「見たら、おめえにだってもわかるはずだ。ワガ姿ヲ写ス、弥七郎作と銘が入れてあるんだ。女じゃねえてめえの姿だ。その人形を抱いて共焼きに蒸され死にした弥七郎の了見がわからねえんだ。女なら考えようもある。解きようもある。好いた女にそでにされて、慕っても慕っても思いが通らねえので、せめてもその女の姿を写しとって、心中がわりに蒸され死にしたってえなら話もわかるが、そうじゃねえんだ。てめえの姿を抱いて共焼きになってるんだ。くやしいな! 伝六。わからねえ! 解けねえ、このなぞばかりゃ解けねえよ!」
「だ、だんなにわからねえものなら、あっしに、わたしに、と、解けるはずアねえんですよ。――生まれ変わりてえな。知恵の袋をうんとこしこたま仕込んで、今ここでぴょこんといっぺんに生まれ変わりてえな。く、くやしがらずと、そんなにくやしがらずと、なんとか知恵の水の井戸替えしてみておくんなせえな」
「いくら考えても、それがわからねえんだ。未熟だな……申しわけがない。伊豆守様にお会わせする顔がない……、な! 伝六! 未熟だな。まだおいらも修業が足りねえんだ……この世に、おいらが考えて、おいらがにらんで、解けねえなぞはなにひとつあるめえと思っていたのに、人の心の奥の奥の奥底だきゃわからねえな。いいや、芸道に打ち込んだ者の、魂まで打ち込んで芸道に精進した者の、命までかけた心の秘密ア、心のなぞは、さすがのおいらにもわからねえわい――。未熟だな……未熟だ、未熟だ。くやしいよ。伝六、くやしいな……情けねえな……身の修業の足りねえのが、いまさら恨めしいわい……」
 せつなです。
「申しわけござりませぬ!」
 不意でした。肺腑《はいふ》を突きえぐるようなその声を、黙々として聞いていた泥斎が、とつぜん言い叫んだ声もろともに、がばとそこへひれ伏すと、意外な秘密を明かしました。
「すみませぬ。あいすみませぬ。この老いぼれが隠しだてしていたのでござります」
「なにッ、えッ――。そなたが、そちがか! そちが隠しごとしていたと申すか!」
「はッ。申、申しわけござりませぬ。明かさばこの身の恥になることと存じまして、今の今まで気どられまいと、色にも出さずひたがくしに隠しておりましたが、だんなさまのただいまのせつなげなおことばを承りましては、もう、もう、おろかな隠しだてしてはおられなくなりました。いいえ、泥斎、身にこたえましてござります。おひとことに打ちのめされましてござります! いいえ、いいえ、弥七郎が苦心の果てのこの群青焼きを見ましては、心魂打ち込んだこの青焼きを見ましては、泥斎恥ずかしゅうてなりませぬ。お笑いくださりまするな。事の起こりは、やはり、みなせがれかわいさの親心からでござります」
「なに! 親心からとは、またどうしたわけじゃ。どうした子細じゃ!」
「いうも恥ずかしい親心――源五兵衛どのが、子ゆえにみごと腹切り召されて、直訴までもしたその親心に比べますればいうも恥ずかしい親心でござりまするが、おろかなせがれ持ったが悲しい因果の一つ、利発な弥七郎めを弟子《でし》に持ったが恨めしい因果の二つ、それゆえにこそ泥斎がこのようなあさましい親心になりましたことも、おしかりなくお察しくだされませ。と申したばかりではおわかりでござりますまいが、じつは、てまえも、せがれも、弥七郎も、三人ともども、この青人形のような濃淡自在の群青色焼き出しを、もう二年越しくふう苦心していたのでござります。なれども、せがれはご覧のような鈍根のうつけ者、群青色焼き分けは夢おろか、てんからふできな、先に望みもないやつなのでござります。それにひきかえ他人さまの子の弥七郎は、さきほどだんなさまがそこのたなの三体をお見比べなさいましてずぼしをお当てなさいましたように、いたっての腕巧者、師匠のこの泥斎すらもときおり舌を巻くような上作を焼きあげるのでござります。それがあさましい親心のきざしたる基、手を取って教えた弟子のなかから流儀流派の名を恥ずかしめぬ門人が生まれましたら、子を捨ててもその者に跡目譲るべきはずのものを、そこがつい親心でござります。せがれに譲りたい、譲るには弥七郎がおってはじゃまじゃ、なんぞ罪着せて破門するが第一と、もともとありもしない秘伝書を盗んだであろう、かすめたであろうと責めたてたのがこんなことになりました。手こそ下しませぬが、この泥斎が殺したも同然、無実の言いがかりに責められるを悲しんで、知らぬまに窯《かま》へはいり自害したに相違ござりませぬ。せめてものなごりにと、このみごとな群青焼きを置きみやげに自害したのでござります」
「そうであったか! つかなんだ。つかなんだ。それまでは察しがつかなんだ。そちも音に聞こえた陶工、名人達者といわれるほどの者の心に、そのような濁りあるまいと存じて疑うてもみなかったのだ。それにしても、泥斎!――魔がさしたのう!」
「面目ござりませぬ! 源五兵衛親子ふたりを殺した泥斎の罪ほろぼしはこれ一つ! ごめんなされませ!」
 突然でした。悲痛な声もろともにすっくと立ち上がりざま、そこのたな奥にあった素焼きのかめをかざし持って、頭から五体一面に中の水液をふりかぶったかと思うと、泥斎の覚悟また壮烈です。
「これこそ南蛮渡来の油薬、とくとごろうじませい」
 叫びつつ火打ち石取り出して、五体かまわずに切り火を散らし放ったかと見えるや、全身たちまちぱっと火炎に包まれました。同時に、雪の庭へ駆けおりると、生き不動です、生き不動です。火に包まれた不動明王さながらの姿の中から、悲痛な絶叫を放ちました。
「弥七郎許せよ! そなたも焦熱地獄の苦しみうけて相果てた! せめてもの罪ほろぼしに、この泥斎も業火に身を焼いていま行くぞ! 許せよ! 許せよ! いま行くぞ!」
 叫びを聞いたとみえて、そのときまでもなお土室の中に隠れすくんでいたらしいあの粂五郎が、まろびつころびつ駆けてくると、遠くからおろおろとして呼ばわりました。
「なにをなさります! おやじさま! そのありさまは、そのお姿は、なんとしたのでござります!」
 あと先かまわず走り寄ろうとしたのを、
「行くでない! 寄るな! 行くな!」
 身じろぎもせずに端座したままで名人右門が、ぴいんと胸にしみ入るような声もろともしかりつけました。
「死なせい! そちゆえに犯した罪を悔いての最期じゃ。名工の最期飾らせい!」
 放たれた声といっしょに、断末魔迫ったか、ばたり、泥斎は火炎に包まれたまま、雪の庭にうっ伏しました。――同時に、まばたきもせず見守っていた名人の口から一言、沈痛な声が放たれました。
「みごとじゃ。泥斎、安らかに参れよ!」
 はっと折り曲げたように首をたれると、二筋、三筋、そのほおにしずくの流れをおとしました。――ほっとわれに返って、伝六もいったものです。
「えれえ! さすがはお江戸の名人と名工だ。火をかぶった泥斎もえれえが、じっと見ていただんなもみごとだね。しいーんと身の内が締まりましたよ」
「感心している場合じゃねえや。この人形たいせつに持って、すぐに伊豆守様のお屋敷へいってきな。――直訴のなぞは、この青焼き人形でござります。恐れながら、これには三人の人の命がこもっておりまするゆえ、末長くご秘蔵願わしゅうござりますと、ご用人さまにお取り次ぎお願いしてな。羽織はかまで今からすぐ献上に行ってきなよ」
「なるほど、そつがねえや。名工と名人が世に出したこの青人形が、名宰相さまのお手もとに納まりゃ、仏も人形も浮かばれましょうよ」
 泣き伏している粂五郎をあとにしながら、必死と青人形をかかえ持って駆けだした伝六の背に、ちらりほらりと江戸雪がもの悲しげに散りかかりました。

底本:「右門捕物帖(三)」春陽文庫、春陽堂書店
   1982(昭和57)年9月15日新装第1刷発行
入力:tatsuki
校正:kazuishi
2000年5月23日公開
2007年2月19日修正
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