佐々木味津三

右門捕物帖 七化け役者—— 佐々木味津三

     

 ――ひきつづき第十六番てがらにうつります。
 事件の勃発《ぼっぱつ》いたしましたのは、五月のちょうど晦日《みそか》。場所は江戸第一の関門である品川の宿、当今の品川はやけにほこりっぽいばかりで、さざえのつぼ焼きのほかは、あってもなくてもいいような、場末の町ですが、このお時代の品川となると、いろいろな点から、なかなかふぜいのあったもので、上方から下ってきた旅人には、ほっと息をつくやれやれの宿、江戸をあとに旅立つ者には、泣きの涙の別れの関所――。古い川柳の中にもこんなのがございます。
「品川で遺言をする伊勢《いせ》参り――」
 だから、ご一新前までは、やれやれそば屋、別れ茶屋などといった看板の家があったものだなんかと、見てきたような悪じゃれをいうものがございますが、いずれにしても、このお時代の品川は、むしろ当今よりもずっと繁盛していたくらいのもので、しかるに時も時五月の晦日というような切りつめた日に、まこと前代|未聞《みもん》といってもいい不審きわまりない事件が、突如この品川宿において勃発いたしました。そのまた事の起こりが、じつは尋常一様でないときに勃発したものですが、というのは、ちょうどこの日、尾州徳川様が参覲《さんきん》交替のためにご出府なさいましたので、まえの日のお泊まり宿であった小田原のご本陣を出発なさいましたのが明けの七ツ、道中いたってのごきげんで、おそくも夕景六ツ下がりまでには品川の宿へご参着のご予定、という宿役人からの急飛脚がございましたものでしたから、将軍家ご名代の老中筆頭松平知恵|伊豆《いず》様につき従って、そのご警護かたがた右門主従もお出迎えに行ったのがちょうど暮れ六ツ少し手前の刻限でした。と申しますと少しく異様に聞かれますが、東北路は山形二十万石の保科《ほしな》侯に、それから仙台六十四郡の主《あるじ》の伊達《だて》中将、中仙道《なかせんどう》口は越前《えちぜん》松平侯に加賀百万石、東海道から関西へかけては、紀州、尾州、ご両卿《りょうきょう》に伊勢《いせ》松平、雲州松平、伊予松平ならびに池田備前侯、長州の毛利、薩摩《さつま》の島津、といったようなお歴々が参覲交替のためにご出府なさるときは、遠路ご苦労であるというおもてなしから、必ずともに将軍家が東北路は小菅《こすげ》、中仙道口は白山、東海道口は品川までわざわざお出迎えにお越しなさったもので、しかしあいにくこのときは二、三日まえからのご風気でございましたために、ご名代となられたかたがいま申しあげた名宰相松平伊豆守様でした。これがただのご遊山《ゆさん》ででもあったら、町方の者までがぎょうぎょうしくご警護申しあげる必要はございませんが、将軍家ご名代としての格式を備えたお出迎えなんだから、お気に入りの右門主従がこれにお従い申しあげたのは当然なことなので、しかるに、いつ、いかなる場所へ行っても、およそあいきょう者は例のおしゃべり屋伝六です。おりからの夕なぎに、品川あたり一帯の海面は、まこと文字どおり一望千里、ところどころ真帆片帆を絵のように浮かべて、きららかな金波銀波をいろどりながら、いとなごやかに初夏の情景を添えていたものでしたから、そこには伊豆守様をはじめ、お歴々がお控えなさっているというのに、場所がらもわきまえず、たちまちお株を始めました。
「ちぇッ。なんともかともたまらねえ景色じゃござんせんか。死んだおふくろに、いっぺんこのながめを見せてやりたかったね。目と鼻のおひざもとに住んでいながら、おやじめがごうつくばりで、ただの一度も遠出をさせなかったんで、おっちぬまでいっぺん海を見て死にてえと口ぐせにいってましたっけが、今度のお盆にゃ位牌《いはい》を抱いてきて、しみじみ拝ましてやるかね」
「バカッ」
「えッ?」
「おめでたいお出迎えに来ているというのに、死ぬの、位牌のと、不吉なことを口にするな」
「そうですか。じゃ、おめでたいことを申しますが、ねえ、だんな、あそこの茶店の前の目ざるに入れてある房州がにゃ、とてもうまそうじゃござんせんか。ご用が済んだら十ばかりあがなってけえって、晩のお惣菜《そうざい》にかに酢でもこしれえますかね」
「よくよくしゃべりてえやつだな。松平のお殿さまに聞こえるじゃねえか。うるせえから、あごをはずして、ふところの中へでもしまっちまえッ」
 しかられているまに、八ツ山下をこちらへ回って、葵《あおい》の金紋打ったるおはさみ箱がまず目にはいりました。それから、これも同じご紋染めたる袋をかむせた長柄がさ、つづいて茶弁当を入れたお長持ち、それに毛鞘《けざや》巻いたるお供槍《ともやり》――。
「エイホウ。エイホウ」
 景気のよい小者どもの掛け声に交じって、
「寄れッ。寄れッ」
 供頭《ともがしら》の発する制止の声です。――ついでだから申し添えておきますが、道中しながら天下晴れてこの寄れッ寄れッが掛けられたものは、紀、尾、水のご三家にかぎったものだそうで、声とともに道行く者はいっせいに土下座。その間を前駆の足軽|徒侍《かちざむらい》六十名が、いずれも一文字がさにももだち高くとって、ざくざくとよぎり通る。つづいて尾州侯のお召し駕籠《かご》。とみて、伊豆守様がお静かに歩を運ばせる。お駕籠がぴたり止まって、近侍の者がたれをかきまいらせながらおはきものをささげる、それからお出ましになってのごあいさつですが、一方は六十二万石の将軍家ご連枝、こなたはまた六十余州三百諸侯の総取り締まりたる執権職なんだから、そのごあいさつの簡にして丁重、いんぎんにして要を得たるぐあいというものは、人見知りをしないことおしゃべり屋の伝六ごときぞんざい者をもってしても、おのずと頭が下がるくらいのものでした。
「豆州か。お出迎えご苦労でござった」
「おことば恐れ入ってござります。道中つつがのうございまして、祝着至極にござります」
 まことにどうもこの、豆州か、というような鷹揚《おうよう》で、威厳があって、それでいてじゅうぶんに親しみのある呼び方なぞというものは、お三家のかたででもなくては、なかなかこんなふうに板にはつかないものですが、しかるに、そのごあいさつのさいちゅうです。すこぶるいぶかしい大名駕籠が一丁、尾州侯のお行列を左に避けて、ちょうどそこの二また道になっていた八ツ山坂の坂道目ざしながら、逃げるようにすたすたと通りぬけました。金鋲《きんびょう》打った飾り駕籠のあんばい、供侍らしい者を三、四名従えたぐあい、見ようによっては、二、三万石ぐらいの小大名がどこかその辺へおしのびでの通りすがりと見られましたが、逃げるように駆け抜けていった点がすこぶる不審でしたから、ちらりと認めるや同時で、ピカピカとその目を鋭く光らしたものは、余人ならぬわれらの捕物《とりもの》名人でした。
 しかし、あいにくとそのとき、おふたりのごあいさつが終わって、尾州侯がふたたびお駕籠に召されながら、伊豆守様のお召し駕籠ともども、しずかにお行列が練りだしましたものでしたから、いぶかりながらもお見送り申しあげていると、後詰めの徒侍《かちざむらい》がやはり六十名。それにお牽馬《ひきうま》[#「お牽馬」は底本では「お索馬」]が二頭、茶坊主、御用飛脚、つづいてあとからもう一丁尾張家の御用駕籠が行列に従ってやって参りました。参覲交替にお替え駕籠というのもあまり聞かない話であるし、もしおへやさまなぞをこっそりとご同伴であった場合は、世間体をはばかるために、普通お行列よりも半日くらい先に立たせるか、ないしはまた遅れてお道中をさせるのが通例であるのに、どうしたことか、どなたがお召しになっているのか、もう一丁御用駕籠がお行列につき従ってやって参りましたものでしたから、はてなと思って怪しんでいると、まさにそのせつなです。くだんの八ツ山坂を向こうに駆け抜けていった不審の駕籠が、そこのちょっとした木立ちの陰にぴたり息づえを止めたかと見えましたが、咄《とつ》! 奇怪! ――怪しの駕籠の中から、二本の腕がぬっと出るやいっしょで、きりきりと双手《もろて》さばきの半弓が満月に引きしぼられたかと思われましたが、ヒュウと一箭《いっせん》、うなりを発しながら一本の矢が風を切って飛来すると同時に、今、右門が不審をうった行列うしろのその御用駕籠へ、たれを通してぶつりと命中したものでしたから、なんじょう騒ぎたたないでいられましょうぞ!
「くせ者じゃ、くせ者じゃッ」
「狼藉者《ろうぜきもの》でござりまするぞッ」
 すわ珍事とばかりに、呼び叫んだ声といっしょで、めでたかりし参覲途上のお行列は、たちまち騒然と乱れたち、まず何より先にと供まわりの一隊が十重二十重《とえはたえ》の人楯《ひとだて》つくって、尾州侯豆州侯お二方のお召し駕籠をぐるりと取り巻きながら、とりあえず安全な地点へお運び申しあげる。一隊はまた坂上のくせ者めがけて逃がさじと駆けつける、残りの徒侍どもは矢を射こまれたなぞの御用駕籠をこれまたぐるりと取り巻いてご警固申しあげる、呼ぶ声、叫ぶ声、駆けこう足音、五十三次やれやれの宿の品川浜は、思わぬ珍事に煮えくり返るような騒ぎとなってしまいました。
 もちろん、われらの捕物名人が、事起こるといっしょで、伝六、辰の両配下を引き従えながら、時を移さず怪しの駕籠のくせ者大名目ざして駆けつけたのはいうまでもないことでしたが、しかるに、これがいかにも奇怪なのです。矢を射る、当たる、駆けだすと、ほとんど時をまたずにいずれもが駆けつけていったのに、なんたる早わざでありましたろう! 怪しの大名駕籠は、とっくにもうもぬけのからでした。お供の者も三、四人はいたはずでしたから、せめてそのうちのひとりぐらい押えられそうに思われましたが、それすら完全に煙のごとく逐電したあとで、ただ残っているものは怪しの駕籠が一丁のみでしたから、いかな捕物名人も、あまりのすばしっこさに、すっかり舌を巻いてしまいました。しかも、それなる残った駕籠がまたすこぶる用意周到で、飾り塗り、金鋲《きんびょう》、縁取りすだれ、うち見たところお大名の乗用駕籠には相違ないが、よほどの深いたくらみと計画のもとに遂行されたとみえて、駕籠の内外には証拠となるべき何品もなく、せめて唯一の手がかりと思った紋所さえもどこに一つ見当たらなかったものでしたから、これにはわれらの捕物名人も、はたと当惑いたしました。
 けれども、むろんそれは一瞬です。よし墨田の大川に水の干上がるときがありましょうとも、江戸八丁堀にぺんぺん草のおい茂る日がありましょうとも、むっつり右門と名をとったわれらの名人の策の尽きるときがあろうはずはないので、しからばとばかりに河岸《かし》を変えると、矢を射込まれたいぶかしき御用駕籠検分に、烱々《けいけい》としてあの鋭い目を光らしながら取って返しました。

     

 しかるに、それなる矢を射込まれた駕籠がまた、なんとしたものでありましたろう。距離はかれこれ一町近くもあるうえに、得物は同じ弓であっても大弓ではなく半弓でしたから、それほどあつらえ向きに命中するはずはあるまいと思われたのが、すこぶる意外でした。よほど手ききの名手とみえて、みごとに耳下にぶつりと的中、あまつさえ鏃《やじり》には猛毒でもが塗り仕掛けてあったものか、ご藩医たちがうちうろたえて、介抱手当を施したにもかかわらず、すでに難をうけた者は落命していたものでしたから、いよいよいでていよいよ重なる奇怪事に、名人のしたたか驚いたのはいうまでもないことでしたが、それよりもよりもっと意外に思われたことは、それなる毒矢に見舞われた当の本人が、なんともいぶかしいことには、大振りそでに紫紺絖《しこんぬめ》はいたるお小姓なのです。容色もとよりしたたるばかり。年のころもまた二九ざかり。さすがご三家のやんごとないご連枝がご寵愛《ちょうあい》のお小姓だけあって、玉の緒絶えたるのちもなお目ざめるほどのたぐいまれな容色をたたえていましたものでしたから、さらにいでてさらに重なる不審な事実に、三たびうちおどろきながら、じっと鋭くまなこを注いでいましたが、――せつな! まことにいつもながらの古今に無双なその烱眼《けいがん》は、むしろ恐ろしいくらいのものでした。
「よッ。それなるおかた、お小姓姿におつくりではござるが、まさしくご婦人でござりまするな!」
 と――、ますますいでて、ますます奇怪でした。ズバリといった看破の一言に、居合わした供頭《ともがしら》らしい尾州家の藩士が、ぎょッならんばかりにうろたえながら、荒々しくこづき返すと、江戸八百八町の大立て物をなんと見誤ったものか、けわしくきめつけました。
「めったなことを申さるるな! 用もない者がいらざるお節介じゃ。おどきめされッ。そちらへとっととおどきめされッ」
 寄ってはならぬといったものでしたから、聞くやいっしょで、湯煙たてながらしゃきり出たのは、だれでもない向こうっ気の伝六です。
「なんだと※[#疑問符感嘆符、1-8-77] おい! いなかの大将ッ。用がねえとは何をぬかしやがるんでえ! おいらのだんなが目にはいらねえのかッ」
 江戸っ子気性の伝六としてはまた無理のないことでしたが、巻き舌でぽんぽんといいながら食ってかかろうとしましたので、名人があわてて制すると、微笑しいしいいたって物静かにいいました。
「ご立腹ごもっともにござりまするが、てまえは伊豆守様のご内命こうむりまして、お出迎えご警固《けいご》に参りました八丁堀の同心、役儀のある者でござりましてものぞいてはなりませぬか」
「ならぬならぬッ。だれであろうと迷惑でござるわ! さっさとおどきめされッ」
 しかるに、藩士はあくまで奇怪――ふたたび権高にこづき返しましたので、短気一徹、こうなるとすこぶる勇みはだの伝法伝六が、ことごとくいきりたちながら、あぶくを飛ばして名人をけしかけました。
「だんなともあろう者が、何をぺこぺこするんですかッ。こんなもののわからねえ木念仁のでこぼこ侍をつかまえて、したてに出るがもなあねえじゃござんせんかッ。ぽんぽんといつもの胸のすくやつをきっておやりなせよ! 名めえを聞かしゃ、目のくり玉がそっぽへでんぐり返るにちげえねえから、早いとこずばりと名を名のっておやりなせえよッ」
 まことに伝法伝六のいうとおり、右門おはこの名|啖呵《たんか》を一つちょっぴり、この辺できってやったら、よし江戸と名古屋と東西百里の隔たりはあっても、広大無辺なその名声に、少しはびっくりするだろうと思われましたが、しかし、こういうところがまたやはり右門流です。
「そうでござりまするか。寄ってはならぬとおっしゃるならば、いかにも手を引きましょうよ」
 あっさりいってのけると、いいつつ、じろりとあの鋭いまなこを注いで、半弓に用いた毒矢を遠くから烱々《けいけい》と見ながめていましたが、それさえ検分すればもうじゅうぶんというように、さっさと向こう横町まで引きあげていくと、疾風迅雷《しっぷうじんらい》の命令一下――。
「さ! 伝六ッ。駕籠だッ、駕籠だッ。例の駕籠だよ!」
 しかるに、あいきょう者の雲行きが少しばかり険悪なので。いつもこれが名人の口から飛び出せばもうしめたもんだから、すぐにもしりからげになって駆けだすだろうと思われたのが、案に相違してことごとくほっぺたをふくらませると、つんけんとそっけなくいいました。
「せっかくですが、いやですよ」
「ほう。江戸の兄いがまた荒れもようだな」
「あたりめえじゃござんせんか! いくら尾州様がご三家のご連枝だからって、江戸へ来りゃ江戸の風がお吹きあそばすんだッ。しかるになんぞや、迷惑だから手をひけたあなんですかい! それをまただんなが、なんですかい! たかがいなかっぺいのけんつくぐれえに尾っぽを巻いて、江戸八百八町の名折れじゃござんせんか! あっしゃくやしいんだッ。ええ、くやしいんです! くやしくてならねえんですよ!」
「…………」
「ちぇッ。黙ってにやにや笑ってらっしゃるが、何がおかしいんですかい! え? だんな! 何がおかしいんですかい!」
「坊やが吹かしがいもしねえ江戸っ子風を吹かすからおかしいんだよ」
「ちぇッ。じゃ、だんなは、江戸っ子じゃねえんですか!」
「うるせえな。おめえが江戸っ子なら、おりゃ日本子だッ。はばかりながら、あれしきのけんつくに、むっつり右門ともあろうおれが、たわいなく尾っぽを巻いてたまるけえ。眼がもうついたんだから、駕籠をよんでくりゃいいんだよ」
「へえい。じゃ、なんですかい、あのお小姓姿に化けていた女の素姓も、眼がついたんですかい」
「きまってらあ。ありゃ尾州さまがご寵愛《ちょうあい》のおへやさまだよ。そういったら、またおまえが口うるさく何かいうだろうが、おへやさまだからこそ、諸侯のお手本ともなるべきご三家のお殿さまが先へたって行列とごいっしょに参覲《さんきん》道中させたと聞かれちゃ、世間体がよろしくないため、わざわざお小姓にやつさせたんだ。なればこそ、またあの供頭の大将が、それをおれにあばかれちゃならねえと思って、あんなに目色変えながら、忠義だてにけんつくを食わしたんじゃねえか。どうだい、江戸の兄い。それでもまだ駕籠にやはええのかい」
「そ、そりゃ連れてこいとおっしゃれば、仁王《におう》様でも観音様でも連れてまいりますがね。でも、眼のついたというなそれだけで、くせ者大名の乗り捨てた駕籠に紋が一つあるじゃなし、おへやさまのお素姓に探りを入れようとすりゃ、あのとおり、でこぼこりゃんこ(侍)がご三家風を吹かしゃがるし、どう首をひねってみてもそれだけじゃ、手の下しようがなさそうじゃござんせんか」
「いちいちだめを押しやがって、うるせえな。むっつり右門は鳥目じゃねえや。あの毒矢を見て、ちゃんともうりっぱな眼がついてるんだッ。おまえなんぞおしゃべりよりほかにゃ能はねえから知るめえが、ありゃ西条流の鏑矢《かぶらや》といって、大弓はいざ知らず、矢ごろの弱い半弓に、あんな二また矢じりの重い鏑矢を使う流儀は、西条流よりほかにゃねえんだよ。しかも、その弓師っていうのが、おあいにくとまた、このおひざもとにたった一人あるきりなんだ。かてて加えて、乗り捨てた駕籠の様子が大名にちげえねえとしたら、よし紋所はなくとも、何家の何侯に半弓を納めたか、そいつを洗えばおおよその当たりがつくじゃねえか。のう、江戸っ子の兄い、それでもまだ駕籠のお許しゃ出ねえのかい」
「みんごと一本参りました。――ざまアみろ! でこぼこりゃんこのかぶとむしめがッ。おいらのだんながピカピカと目を光らしゃ、いつだってこれなんだッ――そっちのちっちゃな親方! のどかな顔ばかりしていねえで、たっぷり投げなわにしごきを入れておきなよ。どうやら、城持ち大名と一騎打ちになりそうだからな、遺言があるなら、今のうちに国もとへ早飛脚立てておかねえと、笠《かさ》の台が飛んでからじゃまにあわねえぜ」
 がてんがいけば天気快晴。いらざるむだ口を善光寺|辰《たつ》にたたいておいて、横っとびに向こうへ飛んでいったと思われましたが、ほどなく宿場育ちの屈強な裸人足を引き連れてまいりましたので、いよいよここにまこと伝六のことばのごとく、城持ち大名と捕物名人の古今|未曽有《みぞう》な力と知恵の一騎打ちが、いまぞ開始されんず形勢とあいなりました。

     

 行き向かったところは、むろんのことに、今、名人がいった江戸にただ一人しかないという西条流鏑矢のその弓師、名は六郎左衛門《ろくろうざえもん》。住居は牛込の河童坂《かっぱざか》――士官学校があったあの横の坂ですが、河童がここで甘酒屋に化けていたとかいうところからそういう名が起こったのだそうで、家を捜すはこれまた伝六のおはこ。
「だんな、だんな。めっかりましたぜ」
 その河童坂を上りきったところで、てがら顔に呼び招いた声がありましたものでしたから、ただちに駕籠をのりつけさせました。まだ元和《げんな》慶長ながらの武の道がお盛んな時代ですから、もとより商売はことのほかの繁盛ぶりで、三間間口の表店には、百丁ほどの半弓がずらりと並び、職人徒弟も七、八名――。
 伝六、辰を引き従えてずかずかはいっていくと、
「許せよ。六郎左衛門は在宅か」
 うれしいほどに重々しく鷹揚《おうよう》でした。
 だのに、職人どもがどうしたことかまたぼんくらばかり。いわゆる巻き羽織衆と称して、およそ八丁堀にお組屋敷を賜わっているほどの町方同心ならば、いずれも羽織のすそを巻いて帯にはさんでいるのが当時の風習でしたから、それだけでもひと目見たらわかりそうなのに、とち狂ったのがもみ手をしながらまかり出ると、いらざることをべらべらと始めました。
「いらっしゃいまし、半弓はどの辺にいたしましょう。あちらの十六丁は柘《つげ》に櫨《はぜ》の丸木弓でござります。ちと古風でござりまするが、それがお不向きでござりましたら、こちらが真巻きにぬり重籐《しげとう》、お隣が日輪、月輪、はずれが節巻きに村重籐《むらしげとう》。どの辺にいたしましょう」
 のぼせ返って聞きもしないことをまくしたてたものでしたから、鋭い一喝《いっかつ》。
「控えろ。身どもの腰がわからぬか」
「なんでござりましょう」
「手数のかかるやつどもじゃな。これなる巻き羽織が目にはいらぬかときいているのじゃ」
「…………?」
 しかるにもかかわらず、なおぱちくりととち狂っていましたので、ついにずばりと名のりあげました。
「わしがあだ名のむっつり右門じゃ」
 同時にぎょッとなって血の色を失ったのは当然。いずれもぎょうてんしながら青ざめているところへ、騒がずに[#「騒がずに」は底本では「騒かずに」]立ち現われたのは、尋ねるあるじです。年のころは五十かっこう、今がいちばん分別盛りな年配も年配でしたが、諸家諸侯にも出入りのかのう身分がそうさせたものか、さすがに貫禄《かんろく》品位じゅうぶん、丁重いんぎんに両手をつくと、そらさずにいいました。
「ご高名のだんなさまとも存じませず、徒弟どもがとんだぶちょうほうつかまつりまして、恐縮にござります。てまえがお尋ねの西条流弓師六郎左衛門。ご不審のご用向きはなんでござりましょう」
 いうこともまたおちついているので、だからすぐにもきき尋ねるだろうと思われたのに、しかし、名人は黙念としてまず鋭い一瞥《いちべつ》を与えました。のちの赤穂《あこう》浪士快挙に男を売った天野屋利兵衛《あまのやりへえ》の例を引くまでもなく、ややもするとこの種の武士表道具に関する探索|詮議《せんぎ》には、命を捨てても口を割ろうとしない武士かたぎ男だて気質のめんどうなのが介在することをよく心得ていましたものでしたから、弓師六郎左衛門はたしていかなる人物かと、ややしばし烱々《けいけい》と鋭く見守っていましたが、べつにうろたえた色も見せず、目の動きもいたって尋常、懸念すべき点はなさそうでしたから、やがてのことに名人のさわやかなことばがずばッと飛んでいきました。
「神妙に申したてねばあいならんぞ」
「ご念までもござりませぬ」
「では、あい尋ねるが、そちの手掛けた西条流半弓一式を近ごろにどこぞの大名がたへ納めたはずじゃが、覚えないか」
「…………」
「黙っているは隠す所存か」
「め、めっそうもござりませぬ。そのようなことがござりましたろうかと、とっくりいま考えているのでござりまするが、――せっかくながら、この両三年、お尋ねのようなことは一度もござりませぬ」
「なに? ないとな! いらざる忠義だていたすと、せっかく名を取った西条流弓師の家名も断絶せねばならぬぞ。どうじゃ、しかとまちがいないか」
「たしかにござりませぬ。てまえは昔から物覚えのよいが一つの自慢。まして、ご大名がたへのご用ならば家の名誉にもござりますゆえ、あらば隠すどころか、進んでも申しまするが、せっかくながら、この三年来、ただの一度もお尋ねのようなことはござりませぬ」
 うそとは思えぬ面ざし向けて、きっぱりと言いきったものでしたから、予想のほかの的のはずれにはたと当惑したのは名人でした。また、これはいかな名人とても当惑するのが当然なので、第一の急所たるべき半弓|詮議《せんぎ》に望みが絶えたとならば、残るてだてはいずれもことごとく困難なものばかりです。例のからめて戦法にしたがい、非業の最期を遂げたおへやさまの素姓を洗ったうえで、いかなる恨みのもとにかような所業を敢行したか、そこから手を染めるのが一法。しからずんば、三百諸侯をひとりひとり当たって、西条流半弓の名手といわれる大名をかぎ出すのがまたその一法でしたが、しかるにからめて吟味そのものはすでに品川表のあの一条のごとく、無念ながらご三家ご連枝の威権によって剣もほろろに峻拒《しゅんきょ》されたあとであり、三百諸侯を洗うについては、これまた悲しいことに月とすっぽんどころか、あまりにも身分が違いすぎましたので、さすがの捕物名人も、ことごとくあぐねきってしまいました。
「ちぇッ。しようのねえだんなだな。八丁堀へけえるんだったら、そっちゃ方角ちげえですよ。そんなほうへやっていったら、信州へ抜けちまうじゃござんせんか」
 いわれるほどに道々思いに沈んで、ようようのことにお組屋敷へしょんぼりと帰りつくや、ぐったりそこへうち倒れてしまいました。捕物はじまってここに十六番、かつて見ないほどにも意気|悄沈《しょうちん》のもようでしたから、おこり上戸、おしゃべり上戸とともにいたって泣き上戸の伝六が、おろおろと手放しで始めました。
「ねえ、だんな。――だんなってたら、ちょっと、だんな。しようがねえな。あっしまでが悲しくなるじゃござんせんか。しっかりしておくんなせえよ。――」
 聞き流しながら、知恵も才覚もつき果てたようにややしばしぐったりとなったままでいましたが、しかし、そのうちに名人の手がそろりそろりと、あごのあのまばらのひげのところへ持っていかれました。ここへ静かに手先が伸びていくと、曇った空がたいていのとき晴れだすのが普通でしたから、それと知って、今のさっきまでの泣き上戸伝六が、たちまち喜び上戸に早変わりしたのはいうまでもないことです。
「おッ。みろみろ、辰ッ。もぞりもぞりとおはこが出かかったから、静かにしろよ。あのつんつんとひっぱるやつがお出なさりゃ、じきに知恵袋の口があくんだからな」
 と――いうかいわないうちに、果然、むくりと起き上がるや、微笑とともにあいきょう者へ、朗らかなところが飛んでいきました。
「な、伝六ッ」
「ありがてえ! 出ましたか!」
「出ねえでどうするかい。おれともあろうものが、とんだおかたのいらっしゃることを度忘れしていたもんじゃねえか。こういうときのお力にと、松平伊豆守様というすてきもないうしろだてがおいでのはずだよ」
「ちげえねえ。ちげえねえ。じゃ、老中筆頭というご威権をかりて、まっさきに尾州様へお手入れしようっていうんですね」
「と申しあげちゃ恐れ多いが、身分の卑しさには、それより道がねえんだ。三百十八大名をかたっぱし洗って、西条流半弓のお手きき殿さまをかぎつけることにしてからが、同心や岡《おか》ッ引《ぴ》きじゃ手が出ねえんだからな。こういう場合の伊豆守様だよ」
「大きにちげえねえや。それにまた、松平のお殿さまだって、お自分がお出迎えのさいちゅうにあんな騒動が降ってわいたんだからね。今まで、だんなにおさしずのねえのが不思議なくらいですよ」
「だから、まずおまんまでもいただいて、ゆるゆると出かけようじゃねえか。さっき品川でかに酢をどうとかいったっけが、ありゃどうしたい」
「ちぇッ。これだからあっしゃ、だんなながらときどきあいそがつきるんですよ。十ばかりさげてけえりましょうかといったら、とてつもなくしかりつけたじゃござんせんか。もういっぺんあごをなでてごらんなせえな」
「ほい。そうだったかい、今度は一本やられたな。じゃ、ちっとじぶんどきがはずれているが、いつもおかわいがりくださる伊豆守様だ。あちらでおふるまいにあずかろうよ」
 いいつつ、蝋色鞘《ろいろざや》を腰にしたとき――、表であわただしくいう声がありました。
「ご老中さまから火急にお差し紙でござります」
「なに! 伊豆守様からお差し紙が参ったとな――伝六ッ。なにかご内密のお力添えかもしれぬ、はよう行けッ」
 今、お力を借りに行こうといったその松平のお殿さまから、それも火急のご書状といいましたので、いかで伝六にちゅうちょがあるべき、――ねずみ舞いをしながら出ようとすると、四尺八寸のお公卿《くげ》さまが、いたってまめやかでした。のどかな顔をしながら、ちょこちょこと飛んでいったようでしたが、すでにそこへうやうやしくお差し紙をいただいて帰りましたものでしたから、取る手おそしと開いてみるに、そもいったいなんとしたものでありましたろう!
[#ここから1字下げ]
「――ただいま尾州家より家老をもって内々のお申し入れこれあり、品川宿の一条に対する詮索《せんさく》詮議《せんぎ》は爾今《じこん》無用にされたしとのことに候《そうろう》条、そのほう吟味中ならば手控えいたすべく、右伝達いたし候。
    松平伊豆守
                            近藤右門へ」
 意外にも吟味差し止めのいかめしやかなお書状でしたから、晴れたと見えたのもつかのま、この世の悲しみを一度に集めたごとく青々と面を青めると、力なく言い捨てました。
「伝六。床を敷け」
「…………」
「何を泣くんだ。泣いたって、しようがねえじゃねえか。早く敷きなよ」
「でも、あんまりくやしいじゃござんせんか」
「身分が低けりゃしかたがねえんだ。なんぞ尾州様におさしつかえがおありなさるんだろうから、早く敷きなよ」
「じゃ、辰とふたりでお口に合うものをこしれえますから、おまんまだけでも召し上がってから、お休みくだせえましな」
「胸がつかえて、それどころじゃねえんだ。世の中があじけなくて、生きているのもこめんどうになったから、早く敷いて寝かしてくれよ」
 悲しげに横たわると、そのまますっぽり夜具の中に面をうめてしまいました。

     

 その翌朝。――
 勤番出仕の時刻が来ても、なお名人は床にはいったままでした。ほんとうに世の中があじけなくなりでもしたか、いつまでもいつまでも床の中にはいったままでした。また、名人の身になってみれば、およそこの世にこれ以上のせつないことはなかったのでありましょう。日ごろご愛顧くださる伊豆守様までが詮議を禁じたうえに、そのまた禁じ方なるものが、さながら尾州家において名人の出馬するのを恐るるもののごときけはいがうかがわれましたものでしたから、身分の相違、役の低さに、しみじみとこの世がはかなく思えたのはむべなりというべきでした。しかも、その身に無双の才腕、無双な慧眼《けいがん》知力のあるにおいてをや[#「おいてをや」は底本では「おいておや」]です。だから、伝六、辰の両名が、河童《かっぱ》が陸《おか》へ上がったよりより以上に、日月|星晨《せいしん》をいちじに失いでもしたかのごとくすっかり影が薄くなったのは当然なので、しょんぼりと小さくまくらもとにすわりながら、黙々、ぽつねんとうち沈んだままでした。
 だのに、世間の中にはうるさいやつがあればあるものです。
「お願いでござります! お願いでござります!」
 不意に表玄関先で、けたたましく言いどなった声がありましたものでしたから、おこり上戸の伝六が八つ当たりに爆発させました。
「やかましいや! きょうはお取り込みがあるんだから、手の内ゃ出ねえよ!」
「いいえ、物もらいではござりませぬ! 右門のだんなさまのお屋敷と知って、お力借りに駆けつけました者でござりますゆえ、おはようお取り次ぎくださりませ!」
「うるせえな! お通夜《つや》に行ったって、こんなに悲しかねえんだッ。用があるなら庭へ回れッ」
 よほどうろたえているとみえ、ずかずか庭先へはいってくると、あわただしく言いたてました。
「てまえはつい目と鼻の小伝馬町に、もめん問屋を営みおりまする駿河屋太七《するがやたしち》の店の手代でござりまするが、ただいまたいへんでござります。おかしなご家人ふうのゆすりかたりがやって参りまして、小判千両出さずばぶった切るぞと、だんびらをひねくりまわしながら、しつこくおどかしてでござりますゆえ、お早くお取り押えくださりませ。お願いでござります!」
 伝六がちょっと色めきながら、どういたしましょうというように振り返ったのをぴたりと押えて、名人が吐き出すごとくにいいました。
「世の中があじけなくなってくると、訴えてくることまでがこれなんだッ。たかの知れたご家人ふぜいのゆすりかたりぐれえで、もったいなくもこのおれが、そうやすやすとお出ましになれるけえ。二、三十枚方役者が違わあ。おめえたちふたりにゃちょうどがら相当だから、てがらにしたけりゃ、行ってきなよ」
「じゃ、辰ッ。どうせ腹だちまぎれなんだから、あっさり締めあげちまおうかッ」
「おもしれえ。そうでなくとも、おいら、ゆんべから投げなわの使い場がなくて、うずうずしてるんだから、ちょっくら行ってこようよ」
 勢い込んで、手代のあとに従いながら、駆けだしていったようでしたが、ものの四半刻《しはんとき》もたたないうちにすごすごと帰ってきたのは、伝六、辰の両名でした。出がけにいったほどあっさりといかなかったのか、およそ面目なさそうでしたから、名人がややいぶかって、きき尋ねました。
「どうしたい。がら相当でもなかったのかい」
「へえい……」
「ただへえいだけじゃわからぬよ、向こうが強すぎたのかい。それとも、おまえたちが弱すぎたのか」
「ところが、どうもそいつが、からっきしどっちだかわからねえんでね。今も道々辰とふたりで、首をひねりひねり来たんですよ」
「あきれ返ったやつらだな。じゃ、ご家人でなかったのかい」
「いいえ、それがいかにも変なんだから、まあ話をお聞きなせえよ。行ってみると、ひと足ちげえに、ご家人の野郎め千両ゆすり取りやがって、今ゆうゆうとあの駕籠で出かけたばかりだからといったんでね。それっとばかりに、辰とふたりしながら追っかけて、手もなく駕籠を押えたまではいいんだが、それからあとが、いかにもおかしいじゃござんせんか。駿河屋の店先から乗ったときにゃ、正真正銘のご家人だったというのに、中を改めてみるてえと、いつの間に人間をすり替えりゃがったか、似てもつかねえ按摩《あんま》めが澄まして乗り込んでいるんですよ」
「ほほう。なるほど、ちっと変だな。それからどうしたい」
「でもね、いっしょに追っかけていった番頭がいうにゃ、しかと乗って出た駕籠にちげえねえというんでね、按摩の野郎を締め上げようとするてえと、こいつが偉い啖呵《たんか》をきりゃがったんですよ。ご禁裏さまから位をいただいた鈴原|※[#「てへん+僉」、第3水準1-84-94]校《けんぎょう》じゃ。不浄役人ふぜいに調べをうける覚えはない、下がれッとぬかしやがったんでね。くやしかったが、位のてまえ、そのまま引き揚げたんですよ」
「なかなかぬかすな。頭は坊主か。それとも、何かかむっていたかい」
「※[#「てへん+僉」、第3水準1-84-94]校ずきんって申しますか、ねずみちりめんの、袋をさかさまにしたようなやつを、すっぽりかむっていましたよ」
「かわえそうに、みんごとお兄いさまたち、やられたな」
「じゃ、やっぱり化けていやがったんでしょうかね」
「あたりめえだ。ずきんの下でご家人まげが笑っていたことだろうよ。たぶん、針の道具箱もあったろうがな」
「ええ、ごぜえましたよ、ごぜえましたよ。なんだか知らねえが、特別でけえやつが、ひざのところに寄せつけてありましたぜ」
「しようのねえやつらだな。その道具箱の中に、千両はいっているんだ。もうちっとりこうにならなくちゃ、みっともねえじゃねえか。どういうわけでゆすり取られたか聞いてきたか」
「へえい。このまますごすごけえったんじゃ、だんなに会わす顔がねえと思いましたんでね。それだきゃ根堀り葉掘り聞いてきたんですが、なんでもあの駿河屋に勘当した宗助とかいうせがれがあってね、もう十年このかた行き先がわからねえのに、ご家人の野郎めがどこで知り合いになったか、その宗助に千両貸しがあるから、耳をそろえていま返せっていったんだそうですよ。だけども、借りた本人は生きているかも死んだかも知らねえんでね、すったもんだをやっていたら、せがれの直筆だという借用証書をつきつけやがって、あげくの果てに、とうとうだんびらをひねくりまわしゃがったんで、命あっての物種と、みすみす千両かたり取られたとこういうんですがね。でも、おやじがそのとき、ちょっと妙なことをぬかしやがったんですよ。勘当むすこの宗助はどういうわけで縁を切ったんだときいてやりましたらね、あんまり芸ごとと、それから弓にばかり凝りゃがるんで、十年まえにぷっつりと親子の縁を切ったと、こういうんですがね」
「なにッ。もういっぺんいってみろ!」
「なんべんでも申しますが、せがれの野郎め、あんまり芸ごとと弓にばかり凝りゃがるんで、先が案じられるから勘当したと、こういうんですよ」
「もうほかにゃねえか!」
「あるんですよ、あるんですよ。こいつあおやじの話じゃねえ、あっしがこの二つの目でちゃんと見てきたことなんだが、鈴原※[#「てへん+僉」、第3水準1-84-94]校の乗っていきやがった駕籠っていうのが、ちっと変ですぜ。きのう品川宿でくせ者大名が乗り拾てていったあの駕籠みてえに、金鋲《きんびょう》打った飾り駕籠で、おまけにやっぱり紋がねえんですよ」
「なにッ。そりゃほんとうかッ」
「正真正銘のこの目の玉で見たんだから、うそじゃねえんですよ」
 きくや同時! がばっとはねおきるや、カンカラとうち笑っていましたが、ずばりと小気味よげに言い放ちました。
「ちくしょうめッ。すっかりおれさまにあぶら汗絞らせやがって、とんだ城持ち大名もあったもんじゃねえか。な! 伝六ッ」
「えッ!」
「あんまりつまらぬうぬぼれをいうもんじゃねえってことさ。二、三十枚がた役者が違わあなんかと大きな口をきいていたが、もうちっとでむっつり右門も腹切るところだったよ」
「じゃ、なにかくせ者大名の当たりがついたんですかい!」
「大つきさ。ご家人と、按摩《あんま》と、にせ大名は、一つ野郎だよ」
「そ、そ、それじゃあんまり話がうますぎるじゃござんせんか」
「うまくたってまずくたって、ほんとうなんだから、しようがねえじゃねえか。おめえもとっくり考えてみねえな。いやしくも、正真正銘の大名が乗る金鋲駕籠《きんびょうかご》だったら、どんな小禄《しょうろく》のこっぱ大名だっても、お家の紋がねえはずあねえよ。しかるにもかかわらず、お大名の飾り駕籠で、まるきし紋がねえなんていうもなあ、しばいの小道具よりほかにゃねえんだ。また、小道具だからこそ、上への遠慮があるんで、駕籠はにせても紋はつけねえのがあたりまえじゃねえか。それとも知らず、品川表の出があんまり大きすぎたんで、尾州様を相手に取っ組むからにゃ、いずれ大名だろうと早がてんしたのが、おれにも似合わねえ眼の狂いだったよ」
「いかさまね。じゃ、野郎め、どっかの役者だろうかね」
「あたりめえさ。ご家人から按摩に化けることのうまさからいったって、しばい者だよ。しかも、おどろくことにゃ、ご家人も、鈴原※[#「てへん+僉」、第3水準1-84-94]校も、にせ駕籠大名も、みんな裸にむいたら十年このかた行くえが知れねえといった駿河屋の勘当むすこの宗助めだぜ」
「えッ。そりゃまた下手人が妙な野郎のところに結びついたもんですが、どうしてそんな眼がおつきですかい」
「どうもこうもねえ、おめえが今その口で、勘当むすこが芸ごとと弓に凝りすぎたといったじゃねえか。おおかた落ちぶれやがって、器用なまねができるのをさいわい、河原者《かわらもの》の群れにでも身をおとしゃがったにちげえねえんだ。弓にしてからがおそらく半弓にちげえねえよ。それよりも、肝心な証拠は直筆の借用証書なんだ。本人のてめえだからこそ、直筆だろうと真筆だろうと何枚だっても書けるじゃねえか」
「でも、それにしたって、生まれたうちへなにもご家人に化けていかなくたっていいじゃござんせんか」
「あいかわらずものわかりの悪いやつだな。七生までも勘当されたといったじゃねえか。あまつさえ、千両もの大金をねだりに行くんだ。勘当されたものがしらふで行かれるかい」
「なるほどね。そういわれりゃそれにちげえねえが、野郎めまたなんだって、千両もの大金がいるんだろうね」
「路銀をこしれえて、どこか遠いところへ高飛びするつもりなんだよ」
「えッ。そりゃたいへんだッ。さあ、忙しいぞッ。いう間もこうしちゃいられねえや! さ! 出かけましょうよ! な! 辰ッ。おめえも早くしたくしろよ」
「どじだな。行き先もわからねえうちに駆けだして、どこへ行くつもりなんだッ」
「そうか! いけねえ、いけねえ! あんまりだんながおどかすから、あわてるんですよ。じゃ、野郎の居どころも当たりがついていらっしゃるんですね」
「むっつり右門といわれるおれじゃねえか。じたばたせずと、手足になって働きゃいいんだッ。ふたりして、ちょっくらご番所を洗ってきなよ」
「行くはいいが、何を洗ってくるんですかい」
「知れたこっちゃねえか。このおひざもとで小屋掛けのしばいをするにゃ、ご番所のお許しがなくちゃできねえんだ。いま江戸じゅうに何軒小屋が開いてるか、そいつを洗ってくるんだよ」
「なるほど、やることが理詰めでいらっしゃらあ。じゃ、辰ッ、おめえは数寄屋橋《すきやばし》のほうを洗ってきなよ。おいら呉服橋の北町番所へ行ってくるからな」
「よしきた。何を洗い出しても、今みてえにあわ食うなよ。じゃ、兄貴、また会うぜ」
 まめやかなのに念を押されながら、ふたりは疾風――
 ほど経て、相前後しながら駆けもどってくると、善光寺のお公卿さまがまず一つ報告いたしました。
「ね、だんなだんな! 南町ご番所でお許しを出したというなア、神明さまの境内のあやつりしばいが一座きりきゃないっていいますぜ」
「そうかい。伝六兄いのほうはどんなもようだ」
「そいつがね、だんな、ちっとにおうんですよ。もうそろそろ夏枯れどきにへえりかけたためか、願いを出したな両国|河岸《がし》に中村梅車とかいうのがやっぱり一座きりだそうですがね、尾州から下ってきた連中だとかいいますぜ」
「そうか! 尾州下りと聞いちゃ、犯人《ほし》ゃその両国にちげえねえ。じゃ、例の駕籠だッ」
「ちぇッ、ありがてえ。もうこんどこそは、尾張様だろうと百万石だろうとこわかねえぞ。ちっと急がにゃならねえようだから、きょうは特別おおまけで、三丁じゃいけませんかね」
「どうやらまた晴れもようになったから、世直し祝いにかんべんしてやらあ」
「むっつり大明神さまさまだッ。じゃ、辰ッ、そのまにだんなのお召し物をてつだっておあげ申せよ。そっちの三つめのたんすが夏の物だからな」
 言いすてると、伝六は早かごの用意。お公卿さまにてつだわさせた名人は、南部つむぎに浜絽《はまろ》の巻き羽織、蝋色鞘《ろいろざや》は落としざしで、素足に雪駄《せった》の男まえは、いつもながらどうしかられても一苦労してみたくなるりりしさでした。

     

 かくて、前後三丁、景気よく乗りつけたところは、両国河岸の中村梅車なる一座です。時刻はちょうど昼下がりの八ツ手前――。今と違って、あかりの設備に不自由なお時代なんだから、しばいとなるとむろん昼のもので、表方の者にきくと、ちょうど四幕めの幕合いということでしたから、にらんだ犯人《ほし》なる勘当宗助、はたして一座にいるやいなやと、ずかずか棧敷《さじき》のほうから小屋の中へはいっていきました。
 と――。どうしたことか、棧敷土間いっぱいの見物が、いずれも総立ちになりながら、しきりとなにかわいわいとわめき騒いでいるのです。その騒ぎ方がまた尋常一様ではなかったので、いぶかしく思いながら、かたわらの見物にきき尋ねました。
「なにごとじゃ。何をわめきたてているのじゃ」
「だって、あんまり座方の者がかってをしやがるから、だれだっても見物が鳴りだすなあたりまえじゃござんせんか。じつあ、この一座に尾州下りの市村宗助っていう早変わりのうめえ役者がいるんですがね。これから幕のあく色模様名古屋|音頭《おんど》で、市村宗助が七役の早変わりをするってんで、みんなそれを目当てでやって来たのに、今にわかと用ができて舞台に出られねえと頭取がぬかしゃがったんで、このとおりわめきだしたんですよ」
 早変わり役者で、あまつさえ名も宗助といったものでしたから、なんじょう名人の目の光らないでいらるべき! ただちに楽屋裏へやって行くと、居合わした道具方に鋭くきき尋ねました。
「市村宗助はいるか、いないか!」
「今、楽屋ぶろから上がってきたようでしたから、まだいるでしょうよ」
「へやはどこじゃ」
「突き当たりの左っかどです」
 走りつけていってみると、だが、目を射たへやの光景とその姿!――案の定、高飛びをするつもりからか、伝六がいったあのときの駕籠の中の鍼灸《しんきゅう》の道具箱を、たいせつなもののようにそばへ引きよせて、本人なる宗助自身は、巧みなその早変わりを利用しつつ、今度は女に化けて逐電しようという計画のためにか、なまめかしい緋縮緬《ひぢりめん》の長襦袢《ながじゅばん》を素はだにひっかけながら、楽屋いちょうに結った髪のままでせっせと顔におしろいを塗っているさいちゅうでした。しかも、そのうしろには、にらんだとおり西条流の半弓が、まだ残っている六本の鏑矢《かぶらや》もろとも、すべての事実を雄弁に物語るかのごとくちゃんと立てかけてあったものでしたから、名人のすばらしい恫喝《どうかつ》が下ったのは当然!
「鈴原検校《けんぎょう》! 駿河屋《するがや》のかえりには手下どもが偉いご迷惑をかけたな」
「ゲエッ――」
 といわぬばかりにぎょうてんしたのを、つづいてまたピタリと胸のすく一喝《いっかつ》――
「みっともねえ顔して、びっくりするなよ。さっきとこんどとは、お出ましのだんなが違うんだッ。むっつり右門のあだ名のおれが目にへえらねえのか!」
 きいて二度ぎょうてんしたのはむろんのことなので、しかるに市村宗助、なかなかのこしゃくです。三十六計にしかずと知ったか、楽屋いちょう、緋縮緬、おしろい塗りかけた顔のままで、やにわとうしろにあった西条流半弓を鏑矢《かぶらや》もろとも、わしづかみにしながら、おやま姿にあられもなく毛むくじゃら足を大またにさばいて、タッ、タッ、タッと舞合表へ逃げだしましたので、名人、伝六、辰の三人も時を移さず追っかけていくと、だが、いけないことに舞台はちょうど幕をあけて、座方の頭取狂言方が、宗助出せッと鳴りわめいている見物に向かって、平あやまりにわび口上を述べているそのさいちゅうでしたから、不意に飛び出した四人の姿に、わッと半畳のはいったのは当然でした。
「よよッ、おかしな狂言が始まったぞッ」
「おやまの役者が、弓を持っているじゃねえか!」
「おしろいが半分きゃ塗れていねえぜ」
 叫びつつ総立ちとなって、花道にまでも見物があふれ出たものでしたから、ために逃げ場を失った宗助は、ついにやぶれかぶれになったものか、突如、きりきりと引きしぼったのは、西条流鏑矢の半弓!――弓勢《ゆんぜい》またなかなかにあなどりがたく、寄らば射ろうとばかりにねらいをつけようとしたせつな。――だが、われらの名人の配下には、善光寺の辰という忘れてならぬ投げなわの名手がいたはずです。
「野郎ッ。ふざけたまねすんねえ! 昼間だっても、おれの目は見えるんだぞッ」
 いうや、するするとその手から得意の蛇《じゃ》がらみが投げ出されたかと見えましたが、いまし、名人の胸板めがけて窮鼠《きゅうそ》の一箭《いっせん》が切って放たれようとしたそのときおそくこのとき早く、実に名技、弓矢もろともぱッとからめ取ってしまいましたので、あとはもう名人の草香流でした。
「みろ! 痛いめに会わなくちゃならねえんだッ。他言をはばかる吟味だから、へやへ帰れッ」
 手もなく引っ立てられて、烱々《けいけい》とにらみすえられましたものでしたから、宗助も今はどろを吐くよりしかたがなくなりました。
「恐れ入ってござります。いかにも、てまえが先ほどおやじの家へ化けてまいりまして、千両ゆすり取りましてござりますゆえ、お手やわらかにおさばき願います」
「バカ者ッ。そんなこまけえ科《とが》をきいているんじゃねえんだ。なんのために、恐れ多くも品川宿で、あんなだいそれたまねしやがったんだッ。手間を取らせずと、すっぱり吐いちまえッ」
「…………」
「このおれを前にして、強情張ってみようというのかい! せっかくだが、ちっと看板が違うよ。早変わりを売り物にするくれえのおまえじゃねえか。時がたちゃ、こっちの色も変わらあ。痛み吟味に掛けねえのを自慢のおれだが、手間取らせると、きょうばかりは事が事だから、少々いてえかもしれんぜ」
「し、しかたがござりませぬ。では、もう申します。いかにもお供先を乱したのはてまえでござりまするが、でも、あの毒矢を射込んだおへやさまってえのは、こう見えてもあっしの昔の情婦《いろ》なんでごぜえますよ」
「だいそれたことを申すなッ。かりにもご三家のお殿さまからお寵愛《ちょうあい》うけているお手かけさまだ。下司《げす》下郎の河原者なんかとは身分が違わあ」
「でも、あっしの情婦だったんだからしようがねえんです。できたのは一年まえの去年のことでしたが、駿河屋のおやじからは勘当うけるし、せっぱ詰まってとうとう江戸を売り、少しばかりの芸ごとを看板にして、名古屋表のこの一座の群れにはいっているうちに、お喜久といった茶屋女とねんごろになっちまったんです。するてえと、できてまもなく、ぜひにも百両こしらえてくれろと申しましたんで、八方苦しい思いをやって小判をそろえて持っていったら、それきり金だけねこばばきめて、どこかへどろんを決めてしまったんですよ。くやしかったが、人気|稼業《かぎょう》の者が、そんなぶざまを世間に知られちゃと、歯を食いしばってそのままにしているうちに、忘れもせぬついこないだの桃のお節句のときです。ご酒宴のご余興の上覧狂言に、尾州様があっしたち一座を名古屋のお城にお招きくだせえましたので、なにげなくお伺いしてみるてえと、おどろくじゃござんせんか、一年知らぬまに茶屋女のお喜久めが、いつのまにか尾州様のけっこうな玉の輿《こし》に乗って、あっしとらにゃめったに拝むこともならねえお手かけさまに出世していたんですよ。だから、その晩でござりました。あっしを生かしておいちゃ、昔の素姓がわかってうるさいと思ったんでごぜえましょう。お喜久のやつめが――じゃないお喜久のお方さまが、あっしに三人刺客を放ってよこしたんです。でも、さいわいに西条流の半弓を少しばかりいたしますんで、どうにかその晩は殺されずに済みましたが、うっかりしてたんじゃ命があぶねえと思いましたんで、さっそく一座を勧めて、この江戸へやってめえったんでごぜえます。するてえと、因果なこっちゃござんせんか、参覲交替で尾州さまが、あっしのあとを追っかけるように、お喜久の方さまともども江戸へお越しと人づてに聞いたんで、見つかりゃあっしの昔の素姓を知っているかぎり、いずれまた刺客をさし向けられて、笠《かさ》の台が飛ぶは必定、いっそのことに先手を打って、こちらからお命をいただいちまえと、去年の苦しい百両をだまされて取られた腹だち紛れもてつだって、とうとうきのう、あんなだいそれたまねをしたんでごぜえます。親の金を千両いたぶったのは、むろん高飛びの路銀。――蝦夷《えぞ》へでも飛ぼうと思ったところを、とうとう運のつきに、だんなさまのお目にかかってしまったしだいでござります。それにつけても、器量よしの女は、あっしが看板ぐれえの七変わりや百変わりではござりませぬ。いつ、どんな者に早変わりするかわからねえんだから、もういっさいかかわり合いはくわばらくわばらでごぜえます」
 聞き終わるや、ややしばし捕物名人が、じっと考えに沈んでいましたが、まことにこれこそは右門流中の右門流。そこにあった矢立てをとると、懐紙へさらさらと、次のごとき一書をかきしたためました。
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「――尾州さまご家老殿へ上申つかまつりそうろう。八丁堀同心近藤右門の口は金鉄にござそうろうあいだ、おん秘密にすべきお喜久の方様のご条々は生々断じて口外いたすまじく、さればこれなる下人一匹、些少《さしょう》ながらご進物としてさし上げそうろうまま、一服盛りにでもご手料理くだされたくそうろう
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]頓首《とんしゅ》再拝」
 したため終わると、伝六、辰に命令一下。
「近所の自身番へこいつをしょっぴいていって、軍鶏駕籠《とうまるかご》へぶちこんでから、この手紙をつけて尾州様の上屋敷へ届けるようにいってきな」
 そして、ふたりの配下が命令どおりに手配したのを見すましながら、あごをなでなでゆうぜんと引きあげていきました。けれども、あとからついていったお公卿さまが、しきりに首をひねるのです。
 まめやかにちょこちょこと従いながら、いとものどかにひねり出したものでしたから、いつものように早くも見つけて、何か名人がきき尋ねるだろうと思われたのが、これはまたおよそ変わったことがあればあるもので、珍しく伝六がいたって兄分顔に気取りながらいいました。
「みっともねえな。何がふにおちねえんだい」
「でもね――」
「なんだよ」
「あれほどのだいそれた[#「だいそれた」は底本では「だれそれた」]まねをしたっていうのに、なんだってまた尾州さまは、おらのだんなに手入れすんなとおっしゃったんだろうね」
「ちぇッ。しょうのねえどじだな。それだから、おまえなんぞ、いつまでたっても背が伸びねえんだよ。知れたこっちゃねえか。道々お小姓姿におやつしなさって、お連れ申し上げたくれえもご遠慮したんだもの、おへやさまの素姓が世間へ知られりゃ、何かとお家の名誉にもかかわるじゃねえか。だからこそ、だんなも一服盛って、早く宗助の野郎をやみからやみへかたづけてほしいと、わざわざお書面をお書きなすったもんだ。もっと食い養生をして、りこうになれよ」
 すっかり口まねをして、とんだ説法をしたものでしたから、破顔一笑、腹をよらんばかりにいったのは名人でした。
「偉いところで、今度は伝六兄いが、おれに早変わりしちまったな。思いのほかに変わり方があざやかだから、おめえにも軍鶏駕籠《とうまるかご》を雇ってやろうか」
 よき主従のなごやかなやりとりをめで喜ぶかのように、大川渡った初夏の江戸風が、そよそよとさわやかに吹き通っていきました。

底本:「右門捕物帖(二)」春陽文庫、春陽堂書店
   1982(昭和57)年9月15日新装第1刷発行
※誤植は、『右門捕物帖 第二巻』新潮文庫と対照して、訂正した。ただし、底本、新潮文庫版ともに「牽馬」は「索馬」とあるが、「牽馬」とした。「おいてをや」もともに「おいておや」とあるが、「おいてをや」とした。
入力:tatsuki
校正:M.A Hasegawa
2000年4月22日公開
2005年7月20日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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