国木田独歩

運命論者——国木田独歩

      一

 秋の中過《なかばすぎ》、冬近くなると何《いず》れの海浜《かいひん》を問《とわ》ず、大方は淋《さび》れて来る、鎌倉《かまくら》も其《その》通《とお》りで、自分のように年中住んで居《い》る者の外《ほか》は、浜へ出て見ても、里の子、浦の子、地曳網《じびきあみ》の男、或《あるい》は浜づたいに往通《ゆきかよ》う行商《あきんど》を見るばかり、都人士《とじんし》らしい者の姿を見るのは稀《まれ》なのである。
 或日《あるひ》自分は何時《いつも》のように滑川《なめりがわ》の辺《ほとり》まで散歩して、さて砂山に登ると、思《おもい》の外、北風が身に沁《しむ》ので直《す》ぐ麓《ふもと》に下《おり》て其処《そこ》ら日あたりの可《よ》い所、身体《からだ》を伸《のば》して楽に書《ほん》の読めそうな所と四辺《あたり》を見廻《みま》わしたが、思うようなところがないので、彼方此方《あちらこちら》と探し歩いた、すると一個所、面白い場所を発見《みつ》けた。
 砂山が急に崩《ほ》げて草の根で僅《わずか》にそれを支《ささ》え、其《その》下《した》が崕《がけ》のようになって居《い》る、其|根方《ねかた》に座って両足を投げ出すと、背は後《うしろ》の砂山に靠《もた》れ、右の臂《ひじ》は傍らの小高いところに懸《かか》り、恰度《ちょうど》ソハに倚《よ》ったようで、真《まこと》に心持の佳《よ》い場処《ばしょ》である。
 自分は持《もっ》て来た小説を懐《ふところ》から出して心|長閑《のどか》に読んで居ると、日は暖《あたた》かに照り空は高く晴れ此処《ここ》よりは海も見えず、人声も聞えず、汀《なぎさ》に転《ころ》がる波音の穏かに重々しく聞える外《ほか》は四囲《あたり》寂然《ひっそり》として居るので、何時《いつ》しか心を全然《すっかり》書籍《ほん》に取られて了《しま》った。
 然《しかる》にふと物音の為《し》たようであるから何心なく頭を上げると、自分から四五間離れた処《ところ》に人が立《たっ》て居たのである。何時此処へ来て、何処《どこ》から現われたのか少《すこし》も気がつかなかったので、恰《あだか》も地の底から湧出《わきで》たかのように思われ、自分は驚いて能《よ》く見ると年輩《とし》は三十ばかり、面長《おもなが》の鼻の高い男、背はすらりとした※[#「月+叟」、第4水準2-85-45]形《やさがた》、衣装《みなり》といい品といい、一見して別荘に来て居る人か、それとも旅宿《やど》を取って滞留して居る紳士と知れた。
 彼は其処《そこ》につッ立って自分の方を凝《じっ》と見て居る其《その》眼《め》つきを見て自分は更に驚き且《か》つ怪しんだ。敵《かたき》を見る怒《いかり》の眼か、それにしては力薄し。人を疑う猜忌《さいぎ》の眼か、それにしては光鈍し。たゞ何心なく他を眺《ながむ》る眼にしては甚《はなは》[#「甚」は底本では「其」]だ凄味《すごみ》を帯ぶ。
 妙な奴《やつ》だと自分も見返して居ること暫《しば》し、彼は忽《たちま》ち眼を砂の上に転じて、一歩一歩、静かに歩きだした。されども此《この》窪地《くぼち》の外に出ようとは仕《し》ないで、たゞ其処らをブラブラ歩いて居る、そして時々|凄《すご》い眼で自分の方を見る、一たいの様子が尋常でないので、自分は心持が悪くなり、場所を変る積《つもり》で其処を起《た》ち、砂山の上まで来て、後《うしろ》を顧《かえりみ》ると、如何《どう》だろう怪《あやし》の男は早くも自分の座って居た場処に身体《からだ》を投げて居た! そして自分を見送って居る筈《はず》が、そうでなく立《たて》た膝《ひざ》の上に腕組をして突伏《つッぷ》して顔を腕の間に埋《うず》めて居た。
 余りの不思議さに自分は様子を見てやる気になって、兎《と》ある小蔭《こかげ》に枯草を敷て這《は》いつくばい、書《ほん》を見ながら、折々頭を挙げて彼《か》の男を覗《うかが》って居《い》た。
 彼はやゝ暫《しばら》く顔を上《あげ》なかった。けれども十分とは自分を待《また》さなかった、彼の起《たち》あがるや病人の如《ごと》く、何となく力なげであったが、起《た》ったと思うと其《その》儘《まま》くるり[#「くるり」に傍点]と後向《うしろむき》になって、砂山の崕《がけ》に面と向き、右の手で其|麓《ふもと》を掘りはじめた。
 取り出した物は大きな罎《びん》、彼は袂《たもと》からハンケチを出して罎の砂を払い、更に小な洋盃《コップ》様のものを出して、罎の栓《せん》を抜《ぬく》や、一盃《いっぱい》一盃、三四杯続けさまに飲んだが、罎を静かに下に置き、手に杯を持たまゝ、昂然《こうぜん》と頭《こうべ》をあげて大空を眺《なが》めて居た。
 そして又《また》一杯飲んだ。そして端《はし》なく眼《まなこ》を自分の方へ転じたと思うと、洋杯《コップ》を手にしたまゝ自分の方へ大股《おおまた》で歩いて来る、其|歩武《ほぶ》の気力ある様は以前の様子と全然《まるで》違うて居た。
 自分は驚いて逃げ出そうかと思った。然《しか》し直《す》ぐ思い返して其《その》まゝ横になって居ると、彼は間もなく自分の傍《そば》まで来て、怪《あやし》げな笑味《えみ》を浮べながら
「貴様《あなた》は僕が今何を為《し》たか見て居たでしょう?」
と言った声は少し嗄《しわが》れて居た。
「見て居ました。」と自分は判然《はっきり》答えた。
「貴様は他人《ひと》の秘密を覗《うか》がって可《よ》いと思いますか。」と彼は益《ますます》怪げな笑味《えみ》を深くする。
「可《よ》いとは思いません。」
「それなら何故《なぜ》僕の秘密を覗《うかが》いました。」
「僕は此処《ここ》で書籍《ほん》を読むの自由を持《もっ》て居ます。」
「それは別問題です。」と彼は一寸《ちょっと》眼を自分の書籍《ほん》の上に注いだ。
「別問題ではありません。貴様が何《な》にを為《し》ようと僕が何を為《し》ようと、それが他人《ひと》に害を及ぼさぬ限りはお互の自由です。若《も》し貴様《あなた》に秘密があるなら自《みず》から先《ま》ず秘密に為《し》たら可《よ》いでしょう。」
 彼は急にそわ/\して左の手で頭の毛を揉《むし》るように掻《か》きながら、
「そうです、そうです。けれども彼《あ》れが僕の做《な》し得るかぎりの秘密なんです。」と言って暫《しば》らく言葉を途切《とぎら》し、気を塞《つ》めて居たが、
「僕が貴様を責めたのは悪う御座《ござ》いました、けれども何乎《どうか》今御覧になったことを秘密に仕《し》て下さいませんかお願いですが。」
「お頼《たのみ》とあれば秘密にします。別に僕の関したことではありませんから。」
「難有《ありがと》う御座います。それで僕も安心しました。イヤ真《まこと》に失礼しました匆卒《いきなり》貴様を詰《とが》めまして……」と彼は人を圧《おし》つけようとする最初の気勢とは打《うっ》て変り、如何《いか》にも力なげに詫《わび》たのを見て、自分も気の毒になり、
「何もそう謝るには及びません、僕も実は貴様が先刻僕の前に佇立《つった》って僕ばかり見て居《い》た時の風が何《なん》となく怪《あやし》かったから、それで此処《ここ》へ来て貴様《あなた》の為《す》ることを覗《うか》ごうて居たのです。矢張《やはり》貴様を覗がったのです。けれども彼《あ》の事が貴様の秘密とあれば、堅く僕は其《その》秘密を守りますから御安心なさい。」
 彼は黙って自分の顔を見て居たが、
「貴様は必定《きっと》守って下さる方です。」と声をふるわし、
「如何《どう》でしょう、一つ僕の杯《さかずき》を受けて下さいませんか。」
「酒ですか、酒なら僕は飲ないほうが可《よ》いのです。」
「飲まないほうが! 飲まないほうが! 無論そうです。もう飲まないで済むことなら僕とても飲まないほうが可いのです。けれども僕は飲《のむ》のです。それが僕の秘密なんです。如何でしょう、僕と貴様と斯《こう》やって話をするのも何かの運命です、怪《あやし》い運命ですから、不思議な縁ですから一つ僕の秘密の杯を受けて下さいませんか、え、如何でしょう、受けて下さいませんか。」という言葉の節々、其《その》声音《こわね》、其眼元、其顔色は実《げ》に大《おおい》なる秘密、痛《いたま》しい秘密を包んで居《い》るように思われた。
「よろしゅう御座います、それでは一つ戴《いただ》きましょう。」と自分の答うるや直《す》ぐ彼は先に立《たっ》て元の場処《ばしょ》へと引返えすので、自分も其|後《あと》に従った。

      二

「これは上等のブランデーです。自分で上等も無いもんですが、先日上京した時、銀座の亀屋《かめや》へ行って最上のを呉《く》れろと内証《ないしょう》で三本|買《かっ》て来て此処《ここ》へ匿《かく》して置いたのです、一本は最早《もう》たいらげ[#「たいらげ」に傍点]て空罎《あきびん》は滑川《なめりがわ》に投げ込みました。これが二本目です、未《ま》だ一本この砂の中に埋《うず》めてあります、無くなれば又買って来ます。」
 自分は彼の差した杯《さかずき》を受け、少《すこし》ずつ啜《すす》りながら彼の言う処《ところ》を聞《きい》て居たが、聞くに連れて自分は彼を怪しむ念の益々《ますます》高《たかま》るを禁じ得なかった。けれども決して彼の秘密に立入《たちいろ》うとは思なかった。
「それで先刻僕が此処《ここ》へ来て見ると、意外にも貴様《あなた》が既に此《この》場処を占領して居たのです、驚きましたね、怪《け》しからん人もあるものだ僕の酒庫を犯し、僕の酒宴の莚《むしろ》を奪いながら平気で書籍《ほん》を読んで居るなんてと、僕はそれで貴様を見つめながら此処を去らなかったのです。」と彼は微笑して言った、其《その》眼元《めもと》には心の底に潜《ひそ》んで居る彼の優《やさし》い、正直な人柄の光さえ髣髴《ほのめ》いて、自分には更に其《それ》が惨《いたま》しげに見えた、其処《そこ》で自分も笑《わらい》を含み、
「そうでしょう、それでなければあんな眼つきで僕を御覧になる訳は御座いません。さも恨めしそうでした。」
「イヤ恨めしくは御座いません、情なかったのです。オヤ/\乃公《おれ》は隠して置いた酒さえも何時《いつ》か他人《ひと》の尻《しり》の下に敷《しか》れて了《しま》うのか、と自分の運命を詛《のろ》ったのです。詛うと言えば凄《すご》く聞えますが、実は僕にはそんな凄《すご》い了見《りょうけん》も亦《ま》た気力もありません。運命が僕を詛うて居《い》るのです――貴様《あなた》は運命ということを信じますか? え、運命ということ。如何《どう》です、も一《ひとつ》」と彼は罎《びん》を上げたので
「イヤ僕は最早《もう》戴《いただき》ますまい。」と杯《さかずき》を彼に返し「僕は運命論者ではありません。」
 彼は手酌《てしゃく》で飲み、酒気を吐いて、
「それでは偶然論者ですか。」
「原因結果の理法を信ずるばかりです。」
「けれども其《その》原因は人間の力より発し、そして其結果が人間の頭上に落ち来るばかりでなく、人間の力以上に原因したる結果を人間が受ける場合が沢山ある。その時、貴様は運命という人間の力以上の者を感じませんか。」
「感じます、けれども其《それ》は自然の力です。そして自然界は原因結果の理法以外には働かないものと僕は信じて居ますから、運命という如《ごと》き神秘らしい名目を其《その》力に加えることは出来ません。」
「そうですか、そうですか、解《わか》りました。それでは貴様《あなた》は宇宙に神秘なしと言うお考《かんがえ》なのです、要之《つまり》、貴様には此《この》宇宙に寄する此人生の意義が、極く平易|明亮《めいりょう》なので、貴様の頭は二々《ににん》が四《し》で、一切《いっせつ》が間に合うのです。貴様の宇宙は立体でなく平面です。無窮無限という事実も貴様には何等《なんら》、感興と畏懼《いく》と沈思とを喚《よ》び起す当面の大いなる事実ではなく、数の連続を以《もっ》てインフィニテー(無限)を式で示そうとする数学者のお仲間でしょう。」と言って苦しそうな嘆息を洩《もら》し、冷《ひやや》かな、嘲《あざけ》るような語気で、
「けれども、実は其方が幸福なのです。僕の言葉で言えば貴様は運命に祝福されて居る方、貴様の言葉で言えば僕は不幸な結果を身に受けて居る男です。」
「それでは此《これ》で失礼します。」と自分は起上《たちあが》った、すると彼は狼狽《あわて》て自分を引止め、「ま、ま、貴様怒ったのですか。若《も》し僕の言った事がお気に触ったら御勘弁を願います。つい其《そ》の自分で勝手に苦《くるし》んで勝手に色々なことを、馬鹿な訳にも立たん事を考《かん》がえて居《お》るもんですから、つい見境もなく饒舌《しゃべる》のです。否《いいえ》、誰《だれ》にも斯《そ》んなことを言った事はないのです。けれども何んだか貴様《あなた》には言って見とう感じましたから遠慮もなく勝手な熱を吹いたので、貴様には笑われるかも知れませんが。僕にはやはり怪《あや》しの運命が僕と貴様を引着《ひきつけ》たように感ぜられるのです。不幸《ふしあわ》せな男と思って、もすこしお話し下さいませんか、もすこし……」
「けれども別にお話しするようなことも僕には有りませんが……」
「そう言わないで何卒《どうか》もすこし此処《ここ》に居《い》て下さいな、もすこし……。噫《ああ》! 如何《どう》して斯《こ》う僕は無理ばかり言うのでしょう! 酔《よっ》たのでしょうか。運命です、運命です、可《よ》う御座います、貴様にお話がないなら僕が話します。僕が話すから聞いて下さい、せめて聴《きい》て下さい、僕の不幸《ふしあわせ》な運命を!」
 此《この》苦痛の叫《さけび》を聞いて何人《なんびと》か心を動かさざらん。自分は其《その》儘《まま》止《とどま》って、
「聞きましょうとも。僕が聴《き》いてお差支《さしつか》えがなければ何事でも承《うけ》たまわりましょう。」
「聴いて下さいますか。それならお話しましょう。けれども僕の運命の怪しき力に惑《まど》うて居る者ですから、其|積《つもり》で聴いて下さい。若《も》し原因結果の理法と貴様《あなた》が言うならそれでも可《よ》う御座います。たゞ其原因結果の発展が余りに人意の外《そと》に出て居て、其|為《ため》に一人《ひとり》の若い男が無限の苦悩に沈んで居る事実を貴様が知りましたなら、それを僕が怪しき運命の力と思うのも無理の無いことだけは承知下さるだろうと思います、で貴様に聞きますが此処《ここ》に一人の男があって、其男が何心なく途《みち》を歩いて居ると、何処《どこ》からとも知れず一《ひとつ》の石が飛んで来て其男の頭に命中《あた》り、即死する、そのために其男の妻子は餓《うえ》に沈み、其為めに母と子は争い、其為に親子は血を流す程の惨劇を演ずるという事実が、此世に有り得ることと貴様《あなた》は信ずるでしょうか。」
「実際有ることか無いことかは知りませんが、有り得ることとは信じます、それは。」
「そうでしょう、それなら貴様は人の意表に出た原因のために、ふとした原因のために、非常なる悲惨がやゝもすれば、人の頭上に落ちてくるという事実を認《した》たむるのです、僕の身の上の如《ごと》き、全《まっ》たく其《それ》なので、殆《ほと》んど信ず可《べ》からざる怪《あや》しい運命が僕を弄《もてあ》そんで居《い》るのです。僕は運命と言います。僕にはそう外《ほか》には信じられんですから。」と言って彼は吻《ほっ》と嘆息《ためいき》を吐《つ》き、
「けれども貴様|聴《き》いて呉《く》れますか。」
「聴《き》きますとも! 何卒《どう》かお話なさい。」
「それなら先《ま》ず手近な酒のことから話しましょう。貴様は定めし不思議なことと思って居るでしょうが、実は世間に有りふれたことで、苦悩《くるしみ》を忘れたさの魔酔剤に用いて居《お》るのです。砂の中に隠して置くのは隠くして飲まなければならない宅の事情があるからなので、その上、此《この》場所は如何《いか》にも静で且《か》つ快濶《かいかつ》で、如何《いか》な毒々しい運命の魔も身を隠して人を覗《うか》がう暗い蔭《かげ》のないのが僕の気に入ったからです。此処《ここ》へ身を横たえて酒精《アルコール》の力に身を托《たく》し高い大空を仰いで居る間は、僕の心が幾何《いくら》か自由を得る時です。その中《うち》には此激烈な酒精《アルコール》が左《さ》なきだに弱り果《はて》た僕の心臓を次第に破って、遂《つい》には首尾よく僕も自滅するだろうと思って居ます。」
「そんなら貴様《あなた》は、自殺を願うて居るのですか。」と自分は驚いて問うた。
「自殺じゃアない、自滅です。運命は僕の自殺すら許さないのです。貴様、運命の鬼が最も巧《たくみ》に使う道具の一は『惑《まどい》』ですよ。『惑』は悲《かなしみ》を苦《くるしみ》に変ます。苦悩《くるしみ》を更に自乗させます。自殺は決心です。始終|惑《まどい》のために苦んで居る者に、如何《どう》して此決心が起りましょう。だから『惑』という鈍い、重々しい苦悩《くるしみ》から脱れるには矢張《やはり》、自滅という遅鈍《ちどん》な方法しか策がないのです。」
と沁々《しみじみ》言う彼の顔には明《あきらか》に絶望の影が動いて居《い》た。
「如何《どう》いう理由《わけ》があるのか知りませんが、僕は他人の自殺を知って之《これ》を傍観する訳には行きません。自滅というも自殺に違いないのですから。」と自分が言うや、
「けれども自殺は人々の自由でしょう。」と彼は笑味《えみ》を含んで言った。
「そうかも知れません。然《しか》し之を止め得るならば、止めるのが又人々の自由なり義務です。」
「可《よ》う御座います。僕も決して自滅したくは有りません若《も》し貴様《あなた》が僕の物話《はなし》を悉皆《すっかり》聴《きい》て、其《その》上《うえ》で僕を救うの策を立てて下さるのなら僕は此《この》上《うえ》もない幸福です。」
 斯《こ》う聞いては自分も黙って居られない、
「可《よろ》しい! 何卒《どう》か悉皆《すっかり》聴かして貰《もら》いましょう。今度は僕の方からお願します。」

      

「僕は高橋信造《たかはししんぞう》という姓名ですが、高橋の姓は養家のを冒《おか》したので、僕の元の姓[#「姓」は底本では「性」]は大塚《おおつか》というです。
 大塚信造と言った時のことから話しますが、父は大塚|剛蔵《ごうぞう》と言って御存知でも御座《ござ》いますか、東京控訴院の判事としては一寸《ちょっと》世間でも名の知れた男で、剛蔵の名の示す如《ごと》く、剛直|一端《いっぺん》の人物。随分僕を教育する上には苦心したようでした。けれども如何《どう》いうものか僕は小児《こども》の時分から学問が嫌《きら》いで、たゞ物陰《ものかげ》に一人《ひとり》引込んで、何を考《かん》がえるともなく茫然《ぼんやり》して居ることが何より好《すき》でした。十二歳の時分と覚えて居ます、頃《ころ》は春の末《すえ》ということは庭の桜が殆《ほとん》ど散り尽して、色褪《いろあ》せた花弁《はなびら》の未《ま》だ梢《こずえ》に残って居《い》たのが、若葉の際《ひま》からホロ/\と一片《ひとひら》三片《みひら》落つる様《さま》を今も判然《はっきり》と想《おも》いだすことが出来るので知れます。僕は土蔵《くら》の石段に腰かけて例《いつも》の如《ごと》く茫然《ぼんやり》と庭の面《おもて》を眺《なが》めて居ますと、夕日が斜に庭の木《こ》の間《ま》に射《さ》し込《こん》で、さなきだに静かな庭が、一増《ひとしお》粛然《ひっそり》して、凝然《じっ》として、眺《なが》めて居ると少年心《こどもごころ》にも哀《かなし》いような楽《たのし》いような、所謂《いわゆ》る春愁《しゅんしゅう》でしょう、そんな心持《こころもち》になりました。
 人の心の不思議を知って居るものは、童児《こども》の胸にも春の静《しずか》な夕《ゆうべ》を感ずることの、実際有り得ることを否《いな》まぬだろうと思います。
 兎《と》も角《かく》も僕はそういう少年でした。父の剛蔵[#「剛蔵」は底本では「剛造」]はこのことを大変苦にして、僕のことを坊頭臭《ぼうずくさ》い子だと数々《しばしば》小言《こごと》を言い、僧侶《ぼうず》なら寺へ与《やっ》て了《しま》うなど怒鳴ったこともあります。それに引かえ僕の弟《おとと》の秀輔《ひですけ》は腕白小僧で、僕より二ツ年齢《とし》が下でしたが骨格も父に肖《に》て逞《たく》ましく、気象もまるで僕とは変《ちが》って居たのです。
 父が僕を叱《しか》る時、母と弟《おとと》とは何時《いつ》も笑って傍《はた》で見て居たものです。母というはお豊《とよ》といい、言葉の少ない、柔和らしく見えて確固《しっかり》した気象の女でしたが、僕を叱《しか》ったこともなく、さりとて甘やかす程に可愛《かわい》がりもせず、言わば寄らず触らずにして居たようです。
 それで僕の気象が性来今言ったようなのであるか、或《あるい》はそうでなく、僕は小児《こども》の時、早く不自然な境に置《おか》れて、我知らずの孤独な生活を送った故《ゆえ》かも知れないのです。
 成程父は僕のことを苦にしました。けれども其《その》心配はたゞ普通の親が其子の上を憂《うれう》るのとは異《ちが》って居たのです、それで父が『折角男に生れたのなら男らしくなれ、女のような男は育て甲斐《がい》がない』と愚痴めいた小言を言う、其言葉の中にも僕の怪しい運命の穂先が見えて居たのですが、少年《こども》の僕には未《ま》だ気が着きませんでした。
 言うことを忘れて居ましたが、其頃は父が岡山地方裁判所長の役で、大塚の一家《いっけ》は岡山の市中に住んで居《い》たので、一家が東京に移ったのは未だ余程後のことです。
 或日《あるひ》のことでした、僕が平時《いつも》のように庭へ出て松の根に腰をかけ茫然《ぼんやり》して居ると、何時《いつ》の間にか父が傍《そば》に来て、
『お前は何を考がえて居るのだ。持《もっ》て生れた気象なら致方《しかた》もないが、乃父《おれ》はお前のような気象は大嫌《だいきらい》だ、最少《もすこ》し確固《しっかり》しろ。』と真面目《まじめ》の顔で言いますから、僕は顔も上げ得ないで黙って居ました。すると父は僕の傍に腰を下して、
『オイ信造』と言って急に声を潜《ひそ》め『お前は誰《だれ》かに何か聞《きき》は為《し》なかったか。』
 僕には何のことか全然《すっかり》解《わか》らないから、驚いて父の顔を仰ぎましたが、不思議にも我知らず涙含《なみだぐ》みました。それを見て父の顔色は俄《にわか》に変り、益々《ますます》声を潜《ひそ》めて、
『慝《かく》すには及ばんぞ、聞《きい》たら聞いたと言うが可《え》え。そんなら乃父《おれ》には考案《かんがえ》があるから。サア慝くさずに言うが可え。何か聞いたろう?』
 此《この》時《とき》の父の様子は余程|狼狽《ろうばい》して居るようでした。それで声さえ平時《いつも》と変り、僕は可怕《こわ》くなりましたから、しく/\泣き出すと、父は益々《ますます》狼狽《うろた》え、
『サア言え! 聞いたら聞《きい》たと言え! 慝《かく》すかお前は』と僕の顔を睨《にら》みつけましたから、僕も益々|可怕《こわく》なり、
『御免なさい、御免なさい』とたゞ謝罪《あやま》りました。
『謝罪れと言うんじゃない。若《も》し何かお前が妙なことを聞《きい》て、それで茫然《ぼんやり》考がえて居るじゃないかと思うから、それで訊《き》くのだ。何《なん》にも聞かんのなら其《それ》で可《え》え。サア正直に言え!』と今度は真実《ほんと》に怒って言いますから、僕は何《なん》のことか解《わか》らず、たゞ非常な悪いことでも仕《し》たのかと、おろ/\声で、
『御免なさい、御免なさい。』
『馬鹿! 大馬鹿者! 誰《たれ》が謝罪れと言った。十二にもなって男の癖に直《す》ぐ泣く。』
 怒鳴られたので僕は喫驚《びっくり》して泣きながら父の顔を見て居《い》ると、父も暫《しばら》くは黙って熟《じっ》と僕の顔を見て居ましたが、急に涙含《なみだぐ》んで、
『泣《なか》んでも可《え》え、最早《もう》乃父《おれ》も問わんから、サア奥へ帰るが可《え》え、』と優《やさ》しく言った其《その》言葉は少ないが、慈愛に満《みち》て居たのです。
 其後でした、父が僕のことを余り言わなくなったのは。けれども又其後でした僕の心の底に一片の雲影の沈んだのは。運命の怪しき鬼が其|爪《つめ》を僕の心に打込んだのは実に此《この》時《とき》です。
 僕は父の言葉が気になって堪《たま》りませんでした。これも普通の小供《こども》なら間《ま》もなく忘れて了《しま》っただろうと思いますが、僕は忘れる処《どころ》か、間《ま》がな隙《すき》がな、何故《なぜ》父は彼《あ》のような事を問うたのか、父が斯《か》くまでに狼狽《ろうばい》した処《ところ》を見ると、余程の大事であろうと、少年心《こどもごころ》に色々と考えて、そして其大事は僕の身の上に関することだと信ずるようになりました。
 何故《なぜ》でしょう。僕は今でも不思議に思って居るのです。何故父の問うたことが僕の身の上のことと自分で信ずるに至ったでしょう。
 暗黒《くらき》に住みなれたものは、能《よ》く暗黒《くらき》に物を見ると同じ事で、不自然なる境に置《おか》れたる少年は何時《いつ》しか其《その》暗き不自然の底に蔭《ひそ》んで居る黒点を認めることが出来たのだろうと思います。
 けれども僕の其黒点の真相を捉《とら》え得たのはずっと後のことです。僕は気にかかりながらも、これを父に問い返すことは出来ず、又母には猶更《なおさ》ら出来ず、小《ちいさ》な心を痛めながらも月日を送って居ました。そして十五の歳《とし》に中学校の寄宿舎に入れられましたが、其前に一ツお話して置く事があるのです。
 大塚の隣屋敷に広い桑畑《くわばたけ》があって其横に板葺《そぎぶき》の小《ちいさ》な家がある、それに老人《としより》夫婦と其ころ十六七になる娘が住《すん》で居ました。以前は立派な士族で、桑園《くわばたけ》は則《すなわ》ち其屋敷跡だそうです。此《この》老人《としより》が僕の仲善《なかよし》でしたが、或日《あるひ》僕に囲碁の遊戯《あそび》を教えて呉《く》れました。二三日|経《たっ》て夜食の時、このことを父母に話しました処《ところ》、何時《いつ》も遊戯《あそび》のことは余り気にしない父が眼《め》に角《かど》を立《たて》て叱《しか》り、母すら驚いた眼を張って僕の顔を見つめました。そして父母が顔を見合わした時の様子の尋常でなかったので、僕は甚《はなは》だ妙に感じました。
 何故《なぜ》僕が囲碁を敵としなければならぬか、それも後に解《わか》りましたが、其《それ》が解った時こそ、僕が全く運命の鬼に圧倒せられ、僕が今の苦悩を甞《な》め尽す初《はじめ》で御座いました。

      四

 僕の十六の時、父は東京に転任したので大塚|一家《いっけ》は父と共に移転しましたが、僕だけは岡山中学校の寄宿舎に残されました。
 僕は其《その》後《ご》三年間の生活を思うと、僕の此《この》世《よ》に於《お》ける真《まこと》の生活は唯《た》だ彼《あ》の学校時代だけであったのを知ります。
 学生は皆な僕に親切でした。僕は心の自由を恢復《かいふく》し、悪運の手より脱《のが》れ、身の上の疑惑を懐《いだ》くこと次第に薄くなり、沈欝《ちんうつ》の気象までが何時《いつ》しか雪の融《と》ける如《ごと》く消えて、快濶《かいかつ》な青年の気を帯びて来ました。
 然《しか》るに十八の秋、突然東京の父から手紙が来て僕に上京を命じたのです。穏《おだやか》な僕の心は急に擾乱《かきみだ》され、僕は殆《ほと》んど父の真意を知るに苦しみ、返書を出して責めて今一年、卒業の日まで此《この》儘《まま》に仕て置いて貰《もら》おうかと思いましたが、思い返して直ぐ上京しました。麹町《こうじまち》の宅に着くや、父は一室《ひとま》に僕を喚《よ》んで、『早速《さっそく》だがお前と能《よ》く相談したいことが有るのだ。お前これから法律を学ぶ気はないかね。』
 思いもかけぬ言葉です。僕は驚いて父の顔を見つめたきり容易に口を開くことが出来ない。
『実は手紙で詳しく言ってやろうかとも思ったが、廻《まわ》りくどいから喚《よ》んだのだ。お前も卒業までと思ったろうし、又大学までとも志《こころざ》して居《い》たろうけれど、人は一日も早く独立の生活を営む方が可《え》えことはお前も知って居るだろう。それでお前これから直《す》ぐ私立の法律学校に入るのじゃ。三年で卒業する。弁護士の試験を受ける。そした暁《あかつき》は私と懇意な弁護士の事務所に世話してやるから、其処《そこ》で四五年も実地の勉強をするのじゃ。其《その》内《うち》に独立して事務所を開けば、それこそ立派なもの、お前も三十にならん内、堂々たる紳士となることが出来る。如何《どう》じゃな、其方が近道じゃぞ。』という父の言葉を聴《き》いて居る、僕の心の全く顛動《てんどう》したのも無理はないでしょう。
 これ実に他人の言葉です。他人の親切です。居候《いそうろう》の書生に主人の先生が示す恩愛です。
 大塚剛蔵は何時《いつ》しか其自然に返って居たのです。知らず/\其自然を暴露《しめ》すに至ったのです。僕を外《そと》に置くこと三年、其《その》実子なる秀輔《ひですけ》のみを傍《かたわら》に愛撫《あいぶ》すること三年、人間が其天真に帰るべき門、墳墓に近《ちかづ》くこと三年、此《この》三年の月日は彼をして自然に返らしたのです。けれども彼は未《ま》だ其自然を自認することが出来ず、何処《どこ》までも自分を以前の父の如《ごと》く、僕を以前の子の如く見ようとして居るのです。
 其処《そこ》で僕は最早《もはや》進んで僕の希望《のぞみ》を述《のべ》るどころではありません。たゞこれ命《めい》これ従《した》がうだけのことを手短かに答えて父の部屋を出てしまいました。
 父ばかりでなく母の様子も一変して居たのです。日の経《た》つに従ごうて僕は僕の身の上に一大秘密のあることを益々《ますます》信ずるようになり、父母の挙動に気をつければつけるほど疑惑の増すばかりなのです。
 一度は僕も自分の癖見《ひがみ》だろうかと思いましたが、合憎《あいにく》と想起《おもいおこ》すは十二の時、庭で父から問いつめられた事で、彼《あれ》を想《おも》い、これを思えば、最早《もはや》自分の身の秘密を疑がうことは出来ないのです。
 懊悩《おうのう》の中《うち》に神田の法律学校に通って三月も経《たち》ましたろうか。僕は今日こそ父に向い、断然|此方《こっち》から言い出して秘密の有無《うむ》を訊《ただ》そうと決心し、学校から日の暮方に帰って夜食を済ますや、父の居間にゆきました。父はランプの下《もと》で手紙を認《したた》めて居《い》ましたが、僕を見て、『何《なん》ぞ用か』と問い、やはり筆を執《とっ》て居ます。僕は父の脇《わき》の火鉢《ひばち》の傍《そば》に座って、暫《しばら》く黙って居ましたが、此《この》時降りかけて居た空が愈々《いよいよ》時雨《しぐれ》て来たと見え、廂《ひさし》を打つ霰《みぞれ》[#「霙」の誤り?、400-7]の音がパラ/\聞えました。父は筆を擱《お》いて徐《やお》ら此方《こちら》に向き、
『何ぞ用でもあるか、』と優《やさ》しく問いました。
『少し訊《たず》ねたいことが有りますので、』と僅《わず》かに口を切るや、父は早くも様子を見て取ったか
『何じゃ。』と厳《おごそ》かに膝《ひざ》を進めました。
『父様《とうさま》、私は真実《ほんと》に父様の児《こ》なのでしょうか。』と兼《かね》て思い定めて置いた通り、単刀直入に問いました。
『何じゃと』と父の一言、其《その》眼光の鋭さ! けれども直《す》ぐ父は顔を柔《やわら》げて、
『何故《なぜ》お前はそんなことを私に聞くのじゃ、何か私《わし》共がお前に親らしくないことでもして、それでそういうのか。』
『そういう訳では御座いませんが、私には昔から如何《どう》いう者か此《この》疑《うたがい》があるので、始終胸を痛めて居《お》るので御座ます、知らして益のない秘密だから父上《おとうさま》も黙ってお居でになるのでしょうけれど、私は是非それが知りたいので御座います。』と僕は静に、決然と言い放ちました。
 父は暫時《しばら》く腕組をして考えて居ましたが、徐《おもむ》ろに顔を上げて、
『お前が疑がって居ることも私《わし》は知って居たのじゃ。私の方から言うた方がと思ったことも此頃ある。それで最早《もはや》お前から聞《きか》れて見ると猶《な》お言うて了《しま》うが可《え》えから言うことに仕よう。』とそれから父は長々と物語りました。
 けれども父の知らして呉《く》れた事実はこれだけなのです。周防《すおう》山口の地方裁判所に父が奉職して居《い》た時分、馬場金之助《ばばきんのすけ》という碁客《ごかく》が居て、父と非常に懇親を結び、常に兄弟の如《ごと》く往来して居たそうです。その馬場という人物は一種非凡な処《ところ》があって、碁以外に父は其《その》人物を尊敬して居たということです。その一子が則《すなわ》ち僕であったのです。
 父は其頃三十八、母は三十四で最早《もはや》子は出来ないものと諦《あき》らめて居ると、馬場が病で没し、其妻も間もなく夫の後を襲《おそう》て此《この》世を去り、残ったのは二歳《ふたつ》になる男の子、これ幸《さいわい》と父が引取って自分の児《こ》とし養ったので、父からいうと半分は孤児を救う義侠《ぎきょう》でしたろう。
 僕の生《うみ》の父母は未《ま》だ年が若く、父は三十二、母は二十五であったそうです。けれども母の籍が未だ馬場の籍に入らん内に僕が生れ、其|為《ため》でしょう、僕の出産届が未だ仕てなかったので、大塚の父は僕を引取るや直《ただち》に自分の子として届けたのだそうです。
 以上の事を話して大塚の父のいうには、
『其《その》後《ご》私《わし》は間もなく山口を去ったから、お前を私の実子でないと知るものは多くないのじゃ。私達夫婦は飽《あ》くまで実子の積《つもり》でこれまで育てて来たのじゃ。この先も同じことだからお前も決して癖見根生《ひがみこんじょう》を起さず、何処《どこ》までも私達を父母と思って老先《おいさき》を見届けて呉れ。秀輔《ひですけ》は実子じゃがお前のことは決して知らさんから、お前も真実の兄となって生涯|彼《あ》れの力ともなって呉れ。』と、老《おい》の眼《め》に涙を見るより先に僕は最早《もう》泣いて居たのです。
 其処《そこ》で養父と僕とは此等《これら》の秘密を飽《あ》くまで人に洩《もら》さぬ約束をし、又《ま》た僕が此《この》先何かの用事で山口にゆくとも、たゞ他所《よそ》ながら父母の墓に詣《もう》で、決して公けにはせぬということを僕は養父に約しました。
 其《その》後《ご》の月日は以前よりも却《かえ》って穏《おだや》かに過《すぎ》たのです。養父も秘密を明けて却《かえ》って安心した様子、僕も養父母の高恩を思うにつけて、心を傾けて敬愛するようになり、勉学をも励むようになりました。
 そして一日も早く独立の生活を営み得るようになり、自分は大塚の家から別れ、義弟の秀輔に家督《かとく》を譲りたいものと深く心に決する処《ところ》があったのです。
 三年の月日は忽《たちま》ち逝《ゆ》き、僕は首尾よく学校を卒業しましたが、猶《な》お養父の言葉に従い、一年間更に勉強して、さて弁護士の試験を受けました処《ところ》、意外の上首尾、養父も大よろこびで早速其友なる井上博士の法律事務所に周旋《しゅうせん》して呉《く》れました。
 兎《と》も角《かく》も一人前《いちにんまえ》の弁護士となって日々|京橋区《きょうばしく》なる事務所に通うて居《い》ましたが、若《も》し彼《あ》のまゝで今日になったら、養父も其目的通りに僕を始末し、僕も平穏な月日を送って益々《ますます》前途の幸福を楽《たのし》んで居たでしょう。
 けれども、僕は如何《どう》しても悪運の児《こ》であったのです。殆《ほとん》ど何人《なんびと》も想像することの出来ない陥穽《おとしあな》が僕の前に出来て居て、悪運の鬼は惨刻《ざんこく》にも僕を突き落しました。

      

 井上博士は横浜にも一ヶ所事務所を持《もっ》て居ましたが、僕は二十五の春、此《この》事務所に詰めることとなり、名は井上の部下であっても其《その》実は僕が独立でやるのと同じことでした。年齢《とし》の割合には早い立身と云《い》っても可《よ》いだろうと思います。
 処《ところ》が横浜に高橋という雑貨商があって、随分盛大にやって居ましたが、其|主人《あるじ》は女で名は梅《うめ》、所天《つれあい》[#「所天」は底本では「所夫」]は二三年前に亡《なく》なって一人娘《ひとりむすめ》の里子《さとこ》というを相手に、先《ま》ず贅沢《ぜいたく》な暮《くらし》を仕《し》て居たのです。
 訴訟用から僕は此家に出入することとなり、僕と里子は恋仲になりました、手短に言いますが、半年|経《たた》ぬうちに二人《ふたり》は離れることの出来ないほど、逆《のぼ》せ上げたのです。
 そして其《その》結果は井上博士が媒酌《ばいしゃく》となり、遂《つい》に僕は大塚の家を隠居し高橋の養子となりました。
 僕の口から言うも変ですが、里子は美人というほどでなくとも随分人目を引く程の容色《きりょう》で、丸顔の愛嬌《あいきょう》のある女です。そして遠慮なくいいますが全く僕を愛して呉《く》れます、けれども此《この》愛は却《かえ》って今では僕を苦しめる一大要素になって居るので、若《も》し里子が斯《か》くまでに僕を愛し、僕が又た斯《こ》うまで里子を愛しないならば、僕はこれほどまでに苦しみは仕ないのです。
 養母の梅は今五十歳ですが、見た処《ところ》、四十位にしか見えず、小柄の女で美人の相を供《そな》え、なか/\立派な婦人です。そして情の烈《はげ》しい正直な人柄といえば、智慧《ちえ》の方はやゝ薄いということは直《す》ぐ解《わか》るでしょう。快活で能《よ》く笑い能《よ》く語りますが、如何《どう》かすると恐しい程沈欝な顔をして、半日|何人《なんびと》とも口を交《まじ》えないことがあります。僕は養子とならぬ以前から此《この》人柄に気をつけて居《い》ましたが、里子と結婚して高橋の家《うち》に寝起することとなりて間もなく、妙なことを発見したのです。
 それは夜の九時頃になると、養母は其《その》居間に籠《こも》って了《しま》い、不動明王を一心不乱に拝むことで、口に何ごとか念じつゝ床の間にかけた火炎の像の前に礼拝して十時となり十一時となり、時には夜半過《よなかすぎ》に及ぶのです、居間の中《うち》、沈欝《ふさ》いで居た晩は殊《こと》にこれが激しいようでした。
 僕も始めは黙って居ましたが、余り妙なので或日《あるひ》このことを里子に訊《たず》ねると、里子は手を振って声を潜《ひそ》め、『黙って居らっしゃいよ。あれは二年前から初めたので、あのことを母に話すと母は大変|気嫌《きげん》を悪くしますから、成るべく知らん顔して居たほうが可《い》いんですよ。御覧なさい全然《まるで》狂気《きちがい》でしょう。』と別に気にもかけぬ様なので、僕も強《しい》ては問いもしなかったのです。
 けれども其《その》後《ご》一月もして或日《あるひ》、僕は事務所から帰り、夜食を終て雑談して居《い》ると、養母は突然、
『怨霊《おんりょう》というものは何年|経《たっ》ても消えないものだろうか。』と問いました。すると里子は平気で、
『怨霊なんて有るもんじゃアないわ。』と一言で打消そうとすると、母は向《むき》になって、
『生意気を言いなさんな。お前見たことはあるまい。だからそんなことを言うのだ。』
『そんなら母上《おっかさん》は見て?』
『見ましたとも。』
『オヤそう、如何《どん》な顔をして居て? 私も見たいものだ。』と里子は何処《どこ》までも冷かしてかゝった。すると母は凄《すご》いほど顔色を変えて、
『お前|怨霊《おんりょう》が見たいの、怨霊が見たいの。真実《ほんと》に生意気なこというよ此《この》人《ひと》は!』と言い放ち、つッと起《たっ》て自分の部屋に引込《ひっこ》んで了《しま》った。僕は思わず、
『母上《おっかさん》如何《どう》か仕て居なさるよ、気を附けんと……』
 里子は不安心な顔をして、
『私|真実《ほんと》に気味が悪いわ。母上《おっかさん》は必定《きっと》何にか妙なことを思って居るのですよ。』
『ちっと神経を痛めて居なさるようだね。』と僕も言いましたが、さて翌日になると別に変ったことはないのです。変って居るのは唯々《ただ》何時《いつ》もの通り夜になると不動様を拝むことだけで、僕等《ぼくら》もこれは最早《もはや》見慣れて居るから強《しい》て気にもかゝりませんでした。
 処《ところ》が今歳《ことし》の五月です、僕は何時《いつも》よりか二時間も早く事務所を退《ひい》て家へ帰りますと、其《その》日《ひ》は曇って居たので家の中は薄暗い中《うち》にも母の室《へや》は殊《こと》に暗いのです。母に少し用事があったので別に案内もせず襖《ふすま》を開《あ》けて中に入ると母は火鉢《ひばち》の傍《そば》にぽつねんと座って居《い》ましたが、僕の顔を見るや、
『ア、ア、アッ、アッ!』と叫んで突起《つったっ》たかと思うと、又|尻餅《しりもち》を舂《つい》て熟《じっ》と僕を見た時の顔色! 僕は母が気絶したのかと喫驚《びっくり》して傍《そば》に駈寄《かけよ》りました。
『如何《どう》しました、如何しました』と叫《さ》けんだ僕の声を聞いて母は僅《わずか》に座り直し、
『お前だったか、私は、私は……』と胸を撫《さ》すって居ましたが、其《その》間《あいだ》も不思議そうに僕の顔を見て居たのです。僕は驚ろいて、
『母上《おっかさん》如何《どう》なさいました。』と聞くと、
『お前が出抜《だしぬけ》に入って来たので、私は誰《だれ》かと思った。おゝ喫驚《びっくり》した。』と直《す》ぐ床を敷《しか》して休んで了《しま》いました。
 此《この》事《こと》の有った後は母の神経に益々《ますます》異常を起し、不動明王を拝むばかりでなく、僕などは名も知らぬ神符《おふだ》を幾枚となく何処《どこ》からか貰《もら》って来て、自分の居間の所々《しょしょ》に貼《はり》つけたものです。そして更に妙なのは、これまで自分だけで勝手に信じて居たのが、僕を見て驚ろいた後は、僕に向っても不動を信じろというので、僕が何故《なぜ》信じなければならぬかと聞くと、
『たゞ黙って信じてお呉《く》れ。それでないと私が心細い。』
『母上《おっかさん》の気が安まるのなら信仰も仕ましょうが、それなら私よりもお里の方が可《い》いでしょう。』
『お里では不可《いけま》せん。彼《あれ》には関係のないことだから。』
『それでは私には関係があるのですか。』
『まアそんなことを言わないで信仰してお呉れ、後生だから。』という母の言葉を里子も傍《そば》で聞て居ましたが、呆《あき》れて、
『妙ねえ母上《おっかさん》、不動様が如何《どう》して母上《おっかさん》と信造さんとには関係があって私には無いのでしょう。』
『だから私が頼むのじゃアありませんか、理由《わけ》が言われる位なら頼《たのみ》はしません。』
『だって無理だわ、信造さんに不動様を信仰しろなんて、今時の人にそんなことを勧《すすめ》たって……』
『そんなら頼みません!』と母は怒って了《しま》ったので、僕は言葉を柔げ、
『イヤ私だって不動様を信じないとは限りません。だから母上《おっかさん》まア其《その》理由《いわれ》を話て下さいな。如何《どん》なことか知りませんが、親子の間だから少《すこし》も明《あか》されないようなことは無いでしょう。』と求めました。これは母の言う処《ところ》に由《よっ》て迷信を圧《おさ》え神経を静める方法もあろうかと思ったからです。すると母は暫《しばら》く考えて居《い》ましたが、吐息《といき》をして声を潜《ひそ》め、
『これ限《ぎ》りの話だよ、誰《たれ》にも知《しら》してはなりませんよ。私が未《ま》だ若い時分、お里の父上《おとうさま》に縁《えんづ》かない前に或《ある》男に言い寄られて執着《しゅうねく》追い廻《まわ》されたのだよ。けれども私は如何《どう》しても其男の心に従わなかったの。そうすると其男が病気になって死ぬ間際に大変私を怨《うら》んで色々なことを言ったそうです。それで私も可《い》い心持《こころもち》は仕《し》なかったが、此処《ここ》へ縁づいてからは別に気にもせんで暮して居ました。ところが所天《つれあい》[#「所天」は底本では「所夫」]が死《な》くなってからというものは、其《その》男の怨霊《おんりょう》が如何《どう》かすると現われて、可怖《こわ》い顔をして私を睨《にら》み、今にも私を取殺《とりころ》そうとするのです。それで私が不動様を一心に念ずると其怨霊がだん/\消《きえ》て無《なく》なります。それにね、』と、母は一増《ひとしお》声を潜め『この頃《ごろ》は其怨霊が信造に取ついたらしいよ。』
『まア嫌《いや》な!』里子は眉《まゆ》を顰《ひそ》めました。
『だってね、如何《どう》かすると信造の顔が私には怨霊そっくりに見えるのよ。』
 それで僕に不動様を信じろと勧めるのです。けれども僕にはそんな真似《まね》は出来ないから、里子と共に色々と怨霊などいうものの有るべきでないことを説いたけれど無益でした。母は堅く信じて疑がわないので、僕等も持余《もてあま》し、此《こ》の鎌倉へでも来て居て精神を静めたらと、無理に勧めて遂《つい》に此処《ここ》の別荘に入《いれ》たのは今年の五月のことです。」

      

 高橋信造は此処《ここ》まで話して来て忽《たちま》ち頭《かしら》をあげ、西に傾く日影を愁然《しゅうぜん》と見送って苦悩に堪《た》えぬ様であったが、手早く杯《さかずき》をあげて一杯飲み干し、
「この先を詳しく話す勇気は僕にありません。事実を露骨に手短に話しますから、其《それ》以上は貴様《あなた》の推察を願うだけです。
 高橋梅《たかはしうめ》、則《すなわ》ち僕の養母は僕の真実の母、生《うみ》の母であったのです。妻《さい》の里子《さとこ》は父を異《ことに》した僕の妹であったのです。如何《どう》です、これが奇《あや》しい運命でなくて何としましょう。斯《かく》の如《ごと》きをも源因結果の理法といえばそれまでです。けれども、かゝる理法の下に知らず/\此《この》身《み》を置《おか》れた僕から言えば、此天地間にかゝる惨刻《ざんこく》なる理法すら行なわるゝを恨みます。
 先《ま》ず如何《どう》して此等《これら》の事実が僕に知れたか、其《その》手続を簡単に言えば、母が鎌倉に来てから一月後《ひとつきのち》、僕は訴訟用で長崎にゆくこととなり、其途中山口、広島などへ立寄る心組で居《い》ましたから、見舞かた/″\鎌倉へ来て母に此《この》事を話しますと、母は眼《め》の色を変《かえ》て、山口などへ寄るなと言います。けれども僕の心には生《うみ》の父母の墓に参る積《つもり》がありますから、母には可《よ》い加減に言って置いて、遂《つい》に山口に寄ったのです。
 兼《かね》て大塚の父から聞いて居たから寺は直《す》ぐ分りました。けれども僕は馬場金之助《ばばきんのすけ》の墓のみ見出して、死《しん》だと聞《きい》た母の墓を見ないので、不審に思って老僧に遇《あ》い、右の事を訊《たず》ねました。尤《もっと》も唯《た》だ所縁《ゆかり》のものとのみ、僕の身の上は打明けないのです。
 すると老僧は馬場金之助の妻お信《のぶ》の墓のあるべき筈《はず》はない。彼《あ》の女は金之助の病中に、碁の弟子で、町の豪商|某《なにがし》の弟と怪しい仲になり、金之助の病気は其《その》為《ため》更に重くなったのを気の毒とも思ず、遂《つい》に乳飲児《ちのみご》[#「乳飲児」は底本では「飲乳児」]を置去りにして駈落《かけおち》して了《しま》ったのだと話しました。
 老僧は猶《なお》も父が病中母を罵《のの》しったこと、死際《しにぎわ》に大塚剛蔵に其|一子《いっし》を托したことまで語りました。
 其お信が高橋梅であるということは、誰《だれ》も知らないのです。僕も証拠は持《もっ》て居《い》ません。けれども老僧がお信のことを語る中に早くも僕は今の養母が則《すなわ》ちそれであることを確信したのです。
 僕は山口で直《す》ぐ死んで了おうかと思いました。彼《あ》の時、実に彼の時、僕が思い切《きっ》て自殺して了ったら、寧《むし》ろ僕は幸《さいわい》であったのです。
 けれども僕は帰って来ました。一《ひとつ》は何とかして確《たしか》な証拠を得たいため、一は里子に引寄せられたのです。里子は兎《と》も角《かく》も妹ですから、僕の結婚の不倫であることは言うまでもないが、僕は妹として里子を考えることは如何《どう》しても出来ないのです。
 人の心ほど不思議なものはありません。不倫という言葉は愛という事実には勝てないのです。僕と里子の愛が却《かえ》って僕を苦しめると先程言ったのは此《この》事です。
 僕は里子を擁《よう》して泣きました。幾度も泣きました。僕も亦《ま》た母と同じく物狂《ものぐるお》しくなりました、憐《あわ》れなるは里子です。総《すべ》ての事が里子には怪しき謎《なぞ》で、彼はたゞ惑《まど》いに惑うばかり、遂《つい》には母と同じく怨霊《おんりょう》を信ずるようになり、今も横浜の宅で母と共に不動明王に祈念を凝《こら》して居るのです。里子は怨霊の本体を知らず、たゞ母も僕も此怨霊に苦しめられて居るものと信じ、祈念の誠を以《もっ》て母と所天《おっと》[#「所天」は底本では「所夫」]を救《すくお》うとして居るのです。
 僕は成るべく母を見ないようにして居ます。母も僕に遇《あ》うことを好みません。母の眼《め》には成程僕が怨霊の顔と同じく見えるでしょうよ。僕は怨霊の児《こ》ですもの!
 僕には母を母として愛さなければならん筈《はず》です、然《しか》し僕は母が僕の父を瀕死《ひんし》の際《きわ》に捨て、僕を瀕死の父の病床に捨てて、密夫《みっぷ》と走ったことを思うと、言うべからざる怨恨《えんこん》の情が起るのです。僕の耳には亡父《なきちち》の怒罵《どば》の声が聞こえるのです。僕の眼《め》には疲れ果《はて》た身体《からだ》を起して、何も知らない無心の子を擁《いだ》き、男泣きに泣き給《たも》うた様が見えるのです。そして此《この》声を聞き此|様《さま》を見る僕には実に怨霊の気が乗移《のりうつ》るのです。
 夕暮の空ほの暗い時に、柱に靠《もた》れて居《い》た僕が突然、眼《まなこ》を張り呼吸《いき》を凝《こら》して天の一方を睨《にら》む様を見た者は母でなくとも逃げ出すでしょう。母ならば気絶するでしょう。
 けれども僕は里子のことを思うと、恨《うらみ》も怒《いかり》も消えて、たゞ限りなき悲哀《かなしみ》に沈み、この悲哀の底には愛と絶望が戦うて居るのです。
 処《ところ》が此《この》九月でした、僕は余りの苦悩《くるしさ》に平常|殆《ほとん》ど酒杯《さかずき》を手にせぬ僕が、里子の止《とめ》るのも聴《きか》ず飲めるだけ飲み、居間の中央に大の字になって居ると、何《なん》と思ったか、母が突然鎌倉から帰って来て里子だけを其《その》居間に呼びつけました。そして僕は酔って居ながらも直《す》ぐ其|理由《わけ》の尋常でないことを悟ったのです。
 一時間ばかり経《た》つと里子は眼を泣き膨《は》らして僕の居間に帰て来ましたから、『如何《どう》したのだ。』と聞くと里子は僕の傍《そば》に突伏《つっぷ》して泣きだしました。
『母上《おっかさん》が僕を離婚すると云《い》ったのだろう。』と僕は思わず怒鳴りました。すると里子は狼狽《あわて》て、
『だからね、母が何と言っても所天《あなた》[#「所天」は底本では「所夫」]決して気にしないで下さいな。気狂《きちがい》だと思って投擲《うっちゃ》って置いて下さいな、ね、後生ですから。』と泣声を振わして言いますから、『そういうことなら投擲《うっちゃ》って置く訳に行かない。』と僕はいきなり母の居間に突入しました。里子は止める間《ひま》もなかったので僕に続いて部屋に入ったのです。僕は母の前に座るや、
『貴女《あなた》は私を離婚すると里子に言ったそうですが、其《その》理由《わけ》を聞きましょう。離婚するなら仕ても私は平気です。或《あるい》は寧《むし》ろ私の望む処《ところ》で御座います。けれども理由《わけ》を被仰《おっしゃ》い、是非|其《そ》の理由を聞きましょう。』と酔《よい》に任《まか》せて詰寄《つめよ》りました。すると母は僕の剣幕の余り鋭いので喫驚《びっくり》して僕の顔を見て居《い》るばかり、一言も発しません。
『サア理由《わけ》を聞きましょう。怨霊《おんりょう》が私に乗移って居るから気味が悪いというのでしょう。それは気味が悪いでしょうよ。私は怨霊の児《こ》ですもの。』と言い放《はな》ちました、見る/\母の顔色は変り、物をも言わず部屋《へや》の外へ駈《か》け出て了《しま》いました。
 僕は其まゝ母の居間に寝て了ったのです。眼《め》が覚《さ》めるや酒の酔も醒《さ》め、頭の上には里子が心配そうに僕の顔を見て坐《すわっ》て居ました。母は直《す》ぐ鎌倉に引返したのでした。
 其《その》後《ご》僕と母とは会わないのです。僕は母に交《かわ》って此方《こちら》に来て、母は今、横浜の宅に居ますが、里子は両方を交《かわ》る/″\介抱して、二人《ふたり》の不幸をば一人《ひとり》で正直に解釈し、たゞ/\怨霊《おんりょう》の業《わざ》とのみ信じて、二人の胸の中《うち》の真《まこと》の苦悩《くるしみ》を全然《まるきり》知らないのです。
 僕は酒を飲むことを里子からも医師からも禁じられて居ます。けれども如何《どう》でしょう。此《こ》のような目に遇《あ》って居る僕がブランデイの隠飲《かくしの》みをやるのは、果《はたし》て無理でしょうか。
 今や僕の力は全く悪運の鬼に挫《ひし》がれて了いました。自殺の力もなく、自滅を待つほどの意久地《いくじ》のないものと成り果《はて》て居るのです。
 如何《どう》でしょう、以上ザッと話しました僕の今日までの生涯の経過を考がえて見て、僕の心持になって貰《もら》いたいものです。これが唯《た》だ源因結果の理法に過《すぎ》ないと数学の式に対するような冷かな心持で居《い》られるものでしょうか。生《うみ》の母は父の仇《あだ》です、最愛の妻は兄妹《きょうだい》です。これが冷かなる事実です。そして僕の運命です。
 若《も》し此《この》運命から僕を救い得る人があるなら、僕は謹《つつ》しんで教《おしえ》を奉じます。其《その》人は僕の救主《すくいぬし》です。」

      

 自分は一言を交えないで以上の物語を聞いた。聞き終って暫《しばら》くは一言も発し得なかった。成程悲惨なる境遇に陥った人であるとツク/″\気の毒に思ったのである。けれども止《や》むなくんばと、
「断然離婚なさったら如何《どう》です。」
「それは新らしき事実を作るばかりです。既に在る事実は其|為《た》めに消えません。」
「けれども其《それ》は止《やむ》を得ないでしょう。」
「だから運命です。離婚した処《ところ》で生《うみ》の母が父の仇《あだ》である事実は消《きえ》ません。離婚した処《ところ》で妹を妻として愛する僕の愛は変りません。人の力を以《もっ》て過去の事実を消すことの出来ない限り、人は到底運命の力より脱《のが》るゝことは出来ないでしょう。」
 自分は握手して、黙礼して、此《この》不幸なる青年紳士と別れた、日は既に落ちて余光華かに夕《ゆうべ》の雲を染め、顧れば我運命論者は淋《さび》しき砂山の頂に立って沖を遙《はるか》に眺《ながめ》て居た。
 其《その》後自分は此男に遇《あわ》ないのである。

底本:「日本の文学6 武蔵野・春の鳥」ほるぷ出版
   1985(昭和60)年8月1日初版第1刷発行
底本の親本:「運命」左久良書房
   1906(明治39)年3月18日発行
      「國木田獨歩全集 第三卷」学習研究社
   1964(昭和39)年10月30日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※疑問点の確認にあたっては、「國木田獨歩全集 第三卷」1964(昭和39)年10月30日発行を参照しました。
入力:Mt.fuji
校正:福地博文
1999年5月13日公開
2004年6月28日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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