国枝史郎

岷山の隠士——- 国枝史郎


「いや彼は隴西《ろうせい》の産だ」
「いや彼は蜀《しょく》の産だ」
「とんでもないことで、巴西《はせい》の産だよ」
「冗談を云うな山東《さんとう》の産を」
「李広《りこう》[#「李広《りこう》」は底本では「季広《りこう》」]の後裔だということだね」
「涼武昭王※[#「日/高」、第3水準1-85-36]《りょうぶしょうおうこう》の末だよ」
 ――青蓮居士謫仙人《せいれんこじたくせんにん》、李太白の素性なるものは、はっきり解《わか》っていないらしい。
 金持が死ぬと相続問題が起こり、偉人が死ぬと素性争いが起こる。
 偉人や金持になることも、ちょっとどうも考えものらしい。

 李白十歳の初秋であった。県令の下《もと》に小奴となった。
 ある日牛を追って堂前を通った。
 県令の夫人が欄干に倚《よ》り、四方《あたり》の景色を眺めていた。
 穢らしい子供が、穢らしい牛を、臆面もなく追って行くのが、彼女の審美性を傷付けたらしい。
「無作法ではないか、外《よそ》をお廻り」
 すると李白は声に応じて賦《ふ》した。
「素面|欄鉤《らんこう》ニ倚リ、嬌声|外頭《がいとう》ニ出ヅ、若シ是織女ニ非ズンバ、何ゾ必シモ牽牛ヲ問ハン」
 これに驚いたのは夫人でなくて、その良人《おっと》の県令であった。
 早速引き上げて小姓とした。そうして硯席に侍《はべ》らせた。
 ある夜素晴らしい山火事があった。
「野火山ヲ焼クノ後、人帰レドモ火帰ラズ」
 県令は苦心してここまで作った。後を附けることが出来なかった。
「おい、お前附けてみろ」
 県令は李白へこう云った。
 十歳の李白は声に応じて云った。
「焔ハ紅日《こうじつ》ニ隨ツテ遠ク、煙ハ暮雲ヲ逐《お》ツテ飛ブ」
 県令は苦々しい顔をした。それは自分よりも旨いからであった。
 五歳にして六甲を誦し、八歳にして詩書に通じ、百家を観たという寧馨児《ねいけいじ》であった。田舎役人の県知事などが、李白に敵うべき道理がなかった。
 ある日美人の溺死人があった。
 で、県令は苦吟した。
「二八誰ガ家ノ女、飄トシテ来リ岸蘆《がんろ》ニ倚ル、鳥ハ眉上《びじょう》ノ翆《すい》ヲ窺ヒ、魚ハ口傍《こうぼう》ノ朱ヲ弄《ろう》ス」
 すると李白が後を継いだ。
「緑髪ハ波ニ隨《したが》ツテ散リ、紅顔ハ浪ヲ逐《お》ツテ無シ、何ニ因《よ》ツテ伍相《ごしょう》ニ逢フ、応《まさ》ニ是|秋胡《しゅうこ》ヲ想フベシ」
 また県令は厭な顔をした。
 で李白は危険を感じ、事を設けて仕《つかえ》を辞した。
 詩的小人というものは、俗物よりも嫉妬深いもので、それが嵩ずると偉いことをする。
 李白の逃げたのは利口であった。
 剣を好み諸侯を干《かん》して奇書を読み賦《ふ》を作る。――十五歳迄の彼の生活は、まずザッとこんなものであった。
 年二十性|※[#「にんべん+蜩のつくり」、第4水準2-1-59]儻《てきとう》、縦横の術を喜び任侠を事とす。――これがその時代の彼であった。
 財を軽んじ施《し》を重んじ、産業を事とせず豪嘯す。――こんなようにも記されてある。
 ある日喧嘩をして数人を切った。
 土地にいることが出来なかった。
 このころ東巖子《とうがんし》という仙人が、岷山《みんざん》の南に隠棲していた。
 で、李白はそこへ走った。
 聖フランシスは野禽を相手に、説教をしたということであるが、東巖子も小鳥に説教した。彼は道教の道士であった。
 彼が山中を彷徨《さまよ》っていると、数百の小鳥が集まって来た。頭に止まり肩に止まり、手に止まり指先へ止まった。そうして盛んに啼き立てた。
 それへ説教するのであった。
 李白はそこへかくまわれる[#「かくまわれる」に傍点]ことになった。
 ある日李白が不思議そうに訊いた。
「小鳥に説教が解《わか》りましょうか?」
「馬鹿なことを云うな、解るものか。あんなに無暗《むやみ》と啼き立てられては、第一声が通りゃアしない」
「何故集まって来るのでしょうか?」
「俺が毎日餌をやるからさ。小鳥にもてる[#「もてる」に傍点]のもいいけれど、糞を掛けられるのは閉口だ」
 一度彼が外出すると、彼の道服は鳥の糞で、穢ならしい飛白《かすり》を織るのであった。
「一体道教の目的は、どこにあるのでございましょう?」
 ある時李白がこう訊いた。
「つまりなんだ、幸福さ」
「幸福を得る方法は?」
「長命《ながいき》することと金を溜めることさ」
 洵《まこと》にあっさり[#「あっさり」に傍点]した答えであった。


「どうしたら金が溜まりましょう?」
「働いて溜めるより仕方がない」
「その癖先生はお見受けする所、ちっとも働かないじゃありませんか」
「うん、どうやらそんな格好だな」
「働かないで溜める方法は?」
「よくこの次までに考えて置こう」
 一向張り合いのない挨拶であった。
「どうしたら長命が出来ましょう」
「いろいろ方法があるらしい」
「それをお教え下さいませんか」
「俺には解っていないのだよ」
「物の本で読みました所、内丹説、外丹説、いろいろあるようでございますね。枹木子《ほうぼくし》などを読みますと」
「ほほう、それではお前の方が学者だ。ひとつ俺へ話してくれ」
 李白これには閉口してしまった。
 ある日東巖子が李白へ云った。
「天とは一体どんなものだろう?」
「ははあこの俺を験《ため》す気だな」
 すぐに李白はこう思った。
「道教の方で申しますと、天は百神の君だそうで、上帝、旻天《びんてん》、皇天などとも、皇天上帝、旻天上帝、維皇上帝、天帝などとも、名付けるそうでございますが、意味は同じだと存じます。天は唯一絶対ですが、その功用は水火木金土、その気候は春夏秋冬、日月星辰《じつげつせいしん》を引き連れて、風師雨師《ふうしうし》を支配するものと、私はこんなように承《うけたま》わって居ります」
「ふうん、大変むずかしいんだな。俺にはそんなようには思われないよ。色が蒼くて真丸《まんまる》で、その端が地の上へ垂れ下っている。こんなようにしか思われないがな」
 これには李白もギャフンと参った。
「地についてはどう思うな?」
 これは浮雲《あぶな》いと思いながらも、真面目に答えざるを得なかった。
「地は万物の母であって、人畜魚虫山川草木、これに産れこれに死し、王者の最も尊敬するもの、冬至の日をもって方沢《ほうたく》に祭ると、こう書物で読みましたが」
「お前の云うことはむずかしいなあ。俺にはそんなようには見えないよ。変な色の、変に凸凹した、穢ならしいものにしか見えないがね」
 これにも李白は一言もなかった。
「お前は人の性をどう思うね?」
「はい、孔子に由る時は、『人之性直《ひとのせいちょく》。罔之生也《これをくらますはせいなり》。幸而免《さいわいにまぬかれよ》』こうあったように思われます。しかし孟子は性善を唱え、荀子は性悪を唱えました。だが告子は性可能説を唱え、又|楊雄《ようゆう》、韓兪《かんゆ》等は、混合説を唱えましたそうで」
「だがそいつは他人の説で、お前の説ではないじゃアないか」
「あっ、さようでございましたね」
「で、お前はどう思うのだ?」
「さあ、私には解《わか》りません」
「解るように考えるがいい」
「あの、先生にはどう思われますので?」
「俺か、俺はな、そんなつまらない[#「つまらない」に傍点]事は、考えない方がいいと思うのさ。形而上学的思弁といって、浮世を小うるさく[#「うるさく」に傍点]するものだからな」
 これには李白は何となく、教えられたような気持がした。
「不味《まず》[#ルビの「まず」は底本では「まづ」]い物ばかり食っていると、肉放れがして痩せてしまう。美味《うまい》物を食え美味物を」
 こう口では云いながら、稗《ひえ》だの粟《あわ》だの黍《きび》だのを、東巖子は平気で食うのであった。
「綺麗な衣裳《きもの》を着るがいい。そうでないと他人《ひと》に馬鹿にされる」
 こう云いながら東巖子は、一年を通してたった[#「たった」に傍点]一枚の、穢い道服を着通すのであった。
「出世をしろよ、出世をしろよ、いい主人を目つけてな」
 こう云いながら東巖子は、山から出ようとはしないのであった。
 彼は言行不一致であった。
 それがかえって偉かった。
 彼は盛んに逆理を用いた。
 李白は次第に感化された。※[#「にんべん+蜩のつくり」、第4水準2-1-59]儻不羈《てきとうふき》の精神が、軽快洒脱[#「洒脱」は底本では「酒脱」]の精神に変った。
 ある日突然東巖子が云った。
「お前は山川をどう思うな?」
「山は土の盛り上ったもの、川は水の流れるもの、私にはこんなように思われます」
「さあさあお前は卒業した。山を出て世の中へ行くがいい」
 ――で、翌日|岷山《みんざん》を出た。


 開元十二年のことであった。
 李白は出でて襄漢《じょうかん》に遊んだ。まず南|洞庭《どうてい》に行き、西金陵《にしきんりょう》揚《よう》州に至り、さらに汝海《じょかい》に客となった。それから帰って雲夢《うんぽう》に憩った。
 この時彼は結婚した。妻は許相公《きょそうこう》の孫娘であった。
 数年間同棲した。
 さらに開元二十三年、太原《たいげん》方面に悠遊した。
 哥舒翰《かじょかん》などと酒を飲んだ。
 また※[#「言+焦」、第3水準1-92-19]郡《しょうぐん》の元参軍《げんさんぐん》などと、美妓を携えて晋祠《しんし》などに遊んだ。
 やがて去って斉魯《せいろ》へ行き、任城《にんじょう》という所へ家を持った。孔巣父《こうそうほ》、裴政《はいせい》、張叔明《ちょうしゅくめい》、陶※[#「さんずい+眄のつくり」、第4水準2-78-28]《とうべん》、韓準《かんじゅん》というような人と、徂徠山《そらいざん》に集って酒を飲み、竹渓の六逸と自称したりした。
 こうして天宝《てんほう》元年となった。
 この時李白四十二歳、詩藻全く熟しきっていた。
 会稽《かいけい》の方へ出かけて行った。
 ※[#「炎+りっとう」、第3水準1-14-64]中《えんちゅう》に呉※[#「竹かんむり/均」、第3水準1-89-63]《ごいん》という道士がいた。
 二人はひどく[#「ひどく」に傍点]ウマが合った。共同生活をやることにした。
 東巖子《とうがんし》に比べると呉※[#「竹かんむり/均」、第3水準1-89-63]の方は、ちょっと俗物の所があった。それだけにその名は喧伝されていた。
 時の皇帝は玄宗であった。
「※[#「炎+りっとう」、第3水準1-14-64]中の呉※[#「竹かんむり/均」、第3水準1-89-63]を見たいものだ」
 こんなことを侍臣に洩らした。
 呉※[#「竹かんむり/均」、第3水準1-89-63]の許へ勅使が立った。
 出て行かなければならなかった。
「おい、お前も一緒に行きな」
「うん、よし来た、一緒に行こう」
 李白は早速行くことにした。
 やがて二人は長安へ着いた。
 長安で賀知章《がちしょう》と懇意になった。
 賀知章は李白を一見すると、驚いたようにこう云った。
「君は人間なのか仙人なのか?」
「どうもね、やはり人間らしい」
「仙人が誤って人間になると、君のような風采になるだろう。君は謫《たく》[#ルビの「たく」は底本では「てき」]せられた仙人だよ」
「まあさ、見てくれ、謫仙人の詩を」
 李白は旧稿を取り出して見せた。
 賀知章はすっかり[#「すっかり」に傍点]参ってしまった。
「素晴らしい物を作りゃアがる。こいつちょっと人間業じゃアねえ。君のような人間に出られると、僕の人気なんかガタ落ちだ。だがマアマア結構なことだ。御世万歳、文運隆盛、大いに友達に紹介しよう」
「話せる奴でもいるのかい?」
「杜甫という奴がちょっと話せる」
「聞かないね、そんな野郎は」
「だが会って見な、面白い奴だ。だがちっと[#「ちっと」に傍点]ばかり神経質だ」
「そんな野郎は嫌いだよ」
「まあまあそういわずに会って見なよ。君とは話が合うかもしれない。ひょっとか[#「ひょっとか」に傍点]すると好敵手かもしれない」
「幾歳《いくつ》ぐらいの野郎だい?」
「そうさな、君よりは十二ほど若い」
「面白くもねえ、青二才じゃアないか」
「止めたり止めたり食わず嫌いはな」
「どうも仕方がねえ、会うだけは会おう」

 杜甫は名門の出であった。
 左伝癖《さでんへき》をもって称された、晋の杜預の後胤であった。曾祖の依芸《いげい》は鞏県《きょうけん》の令、祖父の審言《しんげん》は膳部員外郎であった。審言は一流の大詩人で、沈※[#「にんべん+全」、第4水準2-1-41]期《ちんせんき》、宋之門《そうしもん》と名を争い、初唐の詩壇の花形であった。
 父の閑《かん》は奉天《ほうてん》の令で、公平の人物として名高かった。
 杜甫は随分傲慢であった。弱い癖に豪傑を気取り、不良青年の素質もあった。ひどく愛憎が劇しかった。それに肺病の初期でもあった。立身出世を心掛けた。その顔色は蒼白く、その唇は鉛色であった。いつもその唇を食いしばっていた。人を見る眼が物騒であった。相手の弱点を見透しては、喰い付いて行くぞというような、変に物騒な眼付であった。威嚇的な物の云い方をした。その癖すぐに泣事を云った。
 決して感《かんじ》のいい人間ではなかった。
 体質から云えば貧血性であったが、気質から云えば多血質であった。
 いつも不平ばかり洩らしていた。
 だが意外にも義理堅く、他人の恩を強く感じた。
 忠義心が深かった。
 義理堅いのをのぞき[#「のぞき」に傍点]さえすれば、彼は実に完全に、近代芸術家型に嵌まった。
 彼の幼時は不明であった。
 が、彼の詩を信じてよいなら――又信じてもよいのであるが――七歳頃から詩作したらしい。
「往昔十四五、出デテ遊ブ翰墨《かんぼく》場、斯文崔魏《しぶんさいぎ》ノ徒、我ヲ以テ班揚ニ比ス、七齡思ヒ即チ壮、九齡大字ヲ書シ、作有ツテ一|襄《のう》ニ満ツ」
 すなわちこれが証拠である。
「七歳ヨリ綴ル所ノ詩筆、四十|載《さい》、向フ矣《い》、約千有余篇」
 こんなことも書いてある。
 開元十九年二十歳の時、呉越方面へ放浪した。
 四年の間を放浪に暮らし、開元二十三年の頃、京兆の貢拳《こうきょ》に応じたものである。
 だが旨々《うまうま》落第してしまった。


 彼はすっかり落胆した。
 奉天の父の許へ帰って行った。泰山《たいざん》を望んで不平を洩らした。
 二年の間ブラブラした。
 それから斉《せい》や趙《ちょう》[#ルビの「ちょう」は底本では「しょう」]に遊んだ。
 それから長安へ遣って来たのであった。

 李白と杜甫との会見は、賀知章が心配したほどにもなく、非常に円滑に行なわれた。
 会後李白が賀知章へ云った。
「彼は頗《すこぶ》る人間臭い。それが又彼のよい所だ。詩人として当代第一」
 また杜甫はこう云った。
「なるほどあの人は謫仙人だ。僕はすっかり面喰ってしまった。詩人としては第一流、とても僕など追っ付けそうもない」
 互いに推重をしあったのであった。
 李適之《りてきし》、汝陽《じょよう》、崔宗之《さいそうし》、蘇晋《そしん》、張旭《ちょうぎょく》、賀知章《がちしょう》、焦遂《しょうすい》、それが杜甫と李白とを入れ、八人の団体が出来上ってしまった。
 飲んで飲んで飲み廻った。
 いわゆる飲中の八仙人であった。
 酒はあんまりやらなかったが、一世の詩宗高適などとも、李白や杜甫は親しくした。
 三人で吹台や琴台へ登り、各自《めいめい》感慨に耽ったりした。
 ※[#「りっしんべん+更」、662-15]慨するのは杜甫であり、物を云わないのは高適であり、笑ってばかりいるのは李白であった。
 高適の年五十歳、李白の年四十四歳、杜甫の年三十二歳であった。
 だがこの時代は李太白が、誰よりも詩名が高かった。
 玄宗皇帝が会いたいと云った。
 で、李白は御前へ召された。
 誰が李白を推薦したかは、今日に至っても疑問とされている。
 ある人は道士呉※[#「竹かんむり/均」、第3水準1-89-63][#「※[#「竹かんむり/均」、第3水準1-89-63]」は底本では「※[#「くさかんむり/均」、662-下-1]」]だと云い、ある人は玉真公主だと云い、又ある人は賀知章だと云った。
 すべて人間が出世すると、俺が推薦した俺が推薦したと、推薦争いをするものであるが、これも将しくその一例であった。
 金鑾《きんらん》殿という立派な御殿で、玄宗は李白を引見した。
 帝、食を賜い、羹《あつもの》を調し、詔あり翰林《かんりん》に供奉《ぐぶ》せしむ。――これがその時の光景であった。非常に優待されたことが、寸言の中に窺われるではないか。
 彼は翰林供奉となっても、出勤しようとはしなかった。長安の旗亭に酒を飲み、いう所の管ばかりを巻いていた。
「李白に会いたいと思ったら、長安中の旗亭を訪ね、一番酔っぱらっている人間に、話しかけるのが手取早い。間違いなくそれが李白なのだからな」
 人々は互いにこんなことを云った。
 その時唐の朝廷に一大事件が勃発した。
 渤海《ぼっかい》国の使者が来て、国書を奉呈したのであった。
 国書は渤海語で書かれてあった。満廷読むことが出来なかった。
 玄宗皇帝は怒ってしまった。
「蕃書を読むことが出来なければ、返事をすることが出来ないではないか。渤海の奴らに笑われるだろう。彼奴《きゃつ》ら兵を起こすかもしれない。国境を犯すに相違ない。誰か読め誰か読め!」
 百官戦慄して言なし矣《い》であった。
 そこへ遣《や》って来たのが李白であった。
 飄々|乎《こ》として遣って来た。
「おお李白か、いい所へ来た。……お前、渤海語が解《わか》るかな?」
「私、日本語でも解ります。まして謂んや渤海語など」
「それは有難い。これを読んでくれ」
 渤海の国書を突き出した。
 李白は一通り眼を通した。
「では唐音に訳しましょう」
 そこで彼は声高く読んだ。
「渤海|奇毒《きどく》の書、唐朝官家に達す。爾《なんじ》、高麗《こうらい》を占領せしより、吾国の近辺に迫り、兵|屡《しばしば》吾|界《さかい》を犯す。おもうに官家の意に出でむ。俺《われ》如今《じょこん》耐《た》うべからず。官を差し来り講じ、高麗一百七十六城を将《もっ》て、俺に讓与せよ。俺好物事あり、相送らむ。太白山の兎、南海の昆布、柵城の鼓、扶余《ふよ》の鹿、鄭頡《ていきつ》の豚、率賓《そつびん》の馬、沃州綿《ようしゅうめん》[#ルビの「ようしゅうめん」は底本では「ようしうめん」]、※[#「さんずい+眉」、第3水準1-86-89]泌河《びんひつが》の鮒、九都の杏、楽遊《がくゆう》の梨、爾、官家すべて分あり。若《も》し高麗を還《かえ》すことを肯んぜずば、俺、兵を起こし来たって厮殺せむ。且《か》つ那家《いずれ》が勝敗するかを看よ」
 皇帝はじめ文武百官は、すっかり顔色を変えてしまった。
「いま辺境に騒がせられては、ちょっと防ぐに策はない。一体どうしたらいいだろう」
 風流皇帝の顔色には、憂が深く織り込まれた。
 誰一人献策する者がなかった。


 すると李白が笑いながら云った。
「文章で嚇《おど》して来たのです、文章で嚇して帰しましょう。蕃使をお招きなさりませ、私、面前で蕃書を認め、嚇しつけてやることに致します」
 翌日蕃使を入朝せしめた。
 皇帝を真中に顯官が竝んだ。
 紗帽《さぼう》を冠り、白紫衣《はくしい》を着け、飄々と李白が現われた。勿論微醺を帯びていた。
 座に就《つ》くと筆を握り、一揮して蕃書を完成した。
 まず唐音で読み上げた。
「大唐天宝皇帝、渤海の奇毒に詔諭す。むかしより石卵は敵せず、蛇龍は闘わず。本朝運に応じ、天を開き四海を撫有し、将は勇、卒は精、甲は堅、兵は鋭なり。頡利《きつり》は盟に背いて擒《とりこ》にせられ、普賛《ふさん》は鵞を鑄って誓を入れ、新羅《しらぎ》は繊錦の頌を奏し、天竺《てんじく》は能言の鳥を致し、沈斯《ちんし》は捕鼠の蛇を献じ、払林《ふつりん》は曳馬の狗を進め、白鸚鵡は訶陵《かりょう》より来り、夜光珠は林邑《りんゆう》より貢し、骨利幹《こつりかん》に名馬の納あり、沈婆羅《ちんばら》に良酢の献あり。威を畏れ徳に懐《なず》き、静を買い安を求めざるなし、高麗命を拒《ふせ》ぎ、天討再び加う。伝世百一朝にして殄滅す。豈《あ》に逆天の咎徴、衝大の明鑒に非ずや。況《いわん》や爾は海外の小邦、高麗の附国、之を中国に比すれば一郡のみ。士馬芻糧万分に過ぎず。螳怒是れ逞《たくまし》うし、鵝驕不遜なるが若《ごと》きだに及ばず。天兵一下、千里流血、君は頡利の俘《とりこ》に同じく、国は高麗の続とならむ。方今聖度汪洋、爾が狂悖を恕す。急に宣しく[#「宣しく」はママ]過を悔い、歳事を勤修し、誅戮を取りて四|夷《い》の笑となる毋《なか》れ。爾其れ三思せよ。故に諭す」
 実にどうどうたるものであった。
 皇帝はすっかり喜んでしまった。
 そこで李白は階を下り、蕃使の前へ出て行った。文字通り蕃音で読み上げた。
 蕃使面色土のごとく、山呼拝舞し退いたというが、これはありそうなことである。
 奇毒、すなわち渤海の王も、驚愕来帰したということである。

「俺は長安の酒にも飽きた」
 で、李白は暇《いとま》を乞うた。
 皇帝は金を李白に賜った。
 李白の放浪は始まった。北は趙《ちょう》魏《ぎ》燕《えん》晋《しん》[#ルビの「しん」は底本では「し」]から、西は※[#「分+おおざと」、664-上-20]岐《ぶんき》まで足を延ばした。商於《しょうお》を歴《へ》て洛陽に至った。南は淮泗《わいし》から会稽《かいけい》に入り、時に魯中《ろちゅう》に家を持ったりした。斉や魯の間を往来した。梁宋には永く滞在した。
 天宝《てんほう》十三年広陵に遊び、王屋山人|魏万《ぎまん》と遇い、舟を浮かべて秦淮《しんわい》へ入ったり、金陵の方へ行ったりした。
 魏万と別れて宣城《せんじょう》へも行った。
 こうして天宝十四年になった。
 ひっくり返るような事件が起こった。
 安祿山が叛したのであった。
 十二月洛陽を陥いれた。
 天宝十五年玄宗皇帝は、長安を豪塵して蜀に入った。
 李白の身辺も危険であった。宣城から漂陽にゆき、更に※[#「炎+りっとう」、第3水準1-14-64]中《えんちゅう》に行き廬山に入った。
 玄宋皇帝の十六番目の子、永王というのは野心家であったが、李白の才を非常に愛し、進めて自分の幕僚にした。
 安祿山と呼応して、永王は叛旗を飜えした。弟の襄成王《じょうせいおう》と舟師《しゅうし》を率い、江淮《こうわい》[#ルビの「こうわい」は底本では「こうれい」]に向かって東下した。
 李白は素敵に愉快だった。
「うん、天下は廻り持ちだ。天子になれないものでもない」
 こんな事を考えた。
 詩人特有の白昼夢とも云えれば、※[#「にんべん+蜩のつくり」、第4水準2-1-59]儻不羈《てきとうふき》の本性が、仙骨を破って迸しったとも云えた。
 意気|頗《すこぶ》る軒昂であった。自分を安石《あんせき》に譬えたりした。二十歳代に人を斬った、その李白の真骨頭[#「真骨頭」はママ]が、この時躍如としておどり出たのであった。
「三川北虜乱レテ麻ノ如シ、四海|南奔《なんぽん》[#ルビの「なんぽん」は底本では「なんぱん」]シテ永嘉ニ似タリ、但東山ノ謝安石《しゃあんせき》ヲ用ヒヨ、君ガ為メ談笑シテ胡沙《こさ》ヲ静メン」
 などとウンと威張ったりした。
「試ミニ君王ノ玉馬鞭《ぎょくばべん》ヲ借リ、戎虜《じゅうりょ》ヲ指揮シテ瓊筵《けいえん》ニ坐ス、南風一掃|胡塵《こじん》静ニ、西長安ニ入ッテ日延ニ到ル」
 凱旋の日を空想したりした。
 ところが河南の招討判官、李銑《りせん》というのが広陵に居た。永王の舟師を迎え[#「迎え」は底本では「迎へ」]討った。
 永王軍は脆く破れた。
 永王は箭《や》に中《あた》って捕えられ、ある寒駅で斬殺された。そうして弟の襄成王は、乱兵の兇刄に斃《たお》された。
 李白は逃げて豊沢に隠れたが、目つかって牢屋へぶち[#「ぶち」に傍点]込まれた。
「どうも不可《いけ》ねえ、夢だったよ」
 憮然として彼は呟いた。
「兵を指揮するということは、韻をふむ[#「ふむ」に傍点]よりむずかしい。そうすると俺より安石の方が、人殺しとしては偉いらしい。もう君王の玉馬鞭なんか、仮にも空想しないことにしよう……。ひょっとか[#「ひょっとか」に傍点]すると殺されるかもしれねえ。何と云っても謀反人だからなあ、もう一度|洞庭《どうてい》へ行って見たいものだ。松江の鱸《すずき》を食ってみたい。女房や子供はどうしたかな? 幾人女房があったかしら? あっ、そうだ、四人あったはずだ」
 李白はちょっと感傷的になった。
 無理もないことだ、五十七歳であった。
 李白は皆に好かれていた。
 新皇帝|粛宗《しゅくそう》に向かって、いろいろの人が命乞いをした。
 宣慰大使《せんいたいし》崔渙《さいかん》や、御史中丞《ぎょしちゅうじょう》宋若思《そうじゃくし》や、武勲赫々たる郭子儀《かくしぎ》などは、その最たるものであった。
 そこで李白は死を許され、夜郎へ流されることになった。
 道々洞庭や三峡や、巫山《ふざん》などで悠遊した。
 李白はあくまでも李白であった。竄逐《さんつい》[#「竄逐《さんつい》」はママ]されても悲しまなかった。いや一層仙人じみて来た。人間社会の功業なるものが全然自分に向かないことを、今度の事件で知ってからは、人間社会その物をまで、無視するようになってしまった。
 乾元《かんげん》二年に大赦があった。
 まだ夜郎へ行き着かない中に、李白は罪を許された。
 そこで江夏岳陽に憩い、それから潯陽《じんよう》へ行き金陵へ行った。この頃李白は六十一歳であった。また宣城や歴陽へも行った。
 あっちこっち歩き廻った。
 到る所で借金をした。九割までは酒代であった。
 のべつ[#「のべつ」に傍点]に客が集まって来た。
 やがて宝応元年になった。
 ある県令に招かれて、釆石江で舟遊びをした。
 すばらしく派手やかな宮錦袍を着、明月に向かって酒気を吐いた。
 波がピチャピチャと船縁を叩いた。
 十一月の月が水に映った。
「ひとつ、あの月を捕えてやろう」
 人の止めるのを振り払い、李白は水の中へ下りて行った。
 水は随分冷たかった。
 彼の考えはにわかに変わった。
 どう変わったかは解らない。
 李白は水中をズンズン歩いた。
 やがて姿が見えなくなった。
 それっきり人の世へ現われなかった。
「李白らしい死に方だ」
 人々は愉快そうに手を拍った。

 東巖子《とうがんし》は岷山《みんざん》にいた。
 相変わらず小鳥の糞にまみれ[#「まみれ」に傍点]、相変らずぼんやり[#「ぼんやり」に傍点]と暮らしていた。
 ある日薄穢い老人が、東巖子を訪れて来た。
「先生しばらくでございます」
「誰だったかね、見忘れてしまった」
 老人は黙って優しく笑った。
 なるほどまさしく薄穢くはあったが、底に玲瓏たる品位があった。人間界のものであり、同時に神仙のものである、完成されたる品位であった。
 で、東巖子は思わず云った。
「おお貴郎《あなた》は老子様で?」
「いえ私は李白ですよ」
「いえ貴郎は老子様です」
 東巖子は云い張った。
「どうぞ上座へお直り下さい」
 李白は平気で上座へ直った。
 数百羽の小鳥が飛んで来た。音を立てて庵の中へ入った。
 そうして東巖子の頭や肩へ……いや小鳥は東巖子へは行かずに、李白の頭や肩へ止まった。すぐに李白は糞まみれになった。

 今でも岷山のどの辺りかに、李白とそうして東巖子とが、小鳥を相手に日向《ひなた》ぼっこ[#「ぼっこ」に傍点]をして、住んでいる事は確かである。

底本:「国枝史郎伝奇全集 巻六」未知谷
   1993(平成5)年9月30日初版発行
初出:「大衆文芸」
   1926(大正15)年4月
※漢詩漢文の読み下し文の旧仮名づかいは底本通りです。また促音の大小の混在も底本の通りです。
入力:阿和泉拓
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年10月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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