国枝史郎

犬神娘—– 国枝史郎

        一

 安政五年九月十日の、午《うま》の刻のことでございますが、老女村岡様にご案内され、新関白|近衛《このえ》様の裏門から、ご上人《しょうにん》様がご発足なされました際にも、私はお附き添いしておりました。(と、洛東清水寺|成就院《じょうじゅいん》の住職、勤王僧|月照《げっしょう》の忠実の使僕《しもべ》、大槻《おおつき》重助は物語った)さて裏門から出て見ますると、その門際《もんぎわ》に顔見知りの、西郷吉之助様(後の隆盛)が立っておられました。
「吉之助様、何分ともよろしく」
「村岡様、大丈夫でごわす」
 と、二人のお方は言葉すくなに、そのようにご挨拶なさいました。その間ご上人様にはただ無言で、雲の裏に真鍮《しんちゅう》のような厭な色をして、茫《ぼう》とかかっている月を見上げ、物思いにふけっておられました。でもいよいよお別れとなって、
「ご上人様、おすこやかに」
 と、こう村岡様がおっしゃいますと、
「お局《つぼね》様、あなたにもご無事で。……が、あるいは、これが今生の……」
 と、たいへん寂しいお言葉つきで、そうご上人様は仰せらました。
 行き過ぎてから振り返って見ましたところ、まだ村岡のお局《つぼね》様には、同じところに佇《たたず》んで、こなたを見送っておられました。
 それから私たち三人の者は、ご上人様のご懇意の檀那《だんな》で、御谷町《おたにまち》三条上ルに住居しておられる、竹原好兵衛様というお方のお家へ、落ち着きましてございます。
 すると有村|俊斎《しゅんさい》様が、間もなく訪ねて参られました。
 吉之助様と同じように、薩州様のご藩士で、勤王討幕の志士のお一人で、吉之助様の同士なのでございます。
「さて上人の扮装《みなり》だが、何んとやつしたらよかろうのう」
 と吉之助様はこうおっしゃって、人並より大きい切れ長の眼を、ご上人様へ据えられました。
 すると側《わき》にいた俊斎様が、
「竹の笠に墨染めの腰衣《こしごろも》、乞食坊主にやつしたらどうかな」
 と、眉の迫った精悍な顔へ、こともなげの微笑を浮かべながら、そう吉之助様へおっしゃいました。
「それには上人は立派すぎるよ。神々《こうごう》しいほど気高いからのう」
「なるほど、優しくて婦人のようでもあるし」
「高僧の姿そのままで、駕籠に乗って行くが無難じゃろう」
「途中で疑がわれて身分を問われたら?」
「薩摩の出家じゃと申せばよか」
「それにしては言葉がちとな」
「師の坊は幼少より京都におわし、故郷《くに》に帰らねばとこう申せばよか」
「なるほど、上人の京訛《きょうなま》りも、そう云えば疑がいなくなるじゃろう。それでもとやかく申す奴があったら、この有村たたっ切る」
「痴言《たわごと》申すな!」
 と吉之助様が、その瞬間に恐ろしいお声で、こう俊斎様を叱咤なされました。
「月照上人は近衛殿から、俺《おい》が懇篤《こんとく》に頼まれたお方じゃ! それに俺《おい》には義兄弟じゃ! 安全の場所へおかくまいするまでは、上人の身辺で荒々しい所業など、どうあろうと起こしてはならぬ! それを何んじゃ斬るの突くのと! もう汝《おはん》の力など借りぬ! 俺《おい》一人で送って行く! 帰れ帰れ、汝《おはん》帰れ!」
 力士陣幕に似ているといわれる、肥えた大きなお躰を、いつものんびりと寛《ゆる》がせて、子供に懐《なつ》かれるような優しいお顔を、たえず長閑《のどか》そうに微笑させておられる、そういう吉之助様ではありましたが、たまたまお怒りになりますると、雷《らい》が落ちたと申しましょうか、霹靂《へきれき》が轟《とどろ》いたと申しましょうか、恐ろしいありさまでございました。
(いったいどうなることだろう?)と、私は小さくなって見ていました。
 でも何んともなりませんでした。吉之助様に対しますると、弟のように柔順な俊斎様が、
「これは俺《おい》がよくなかった。軽卒な真似など決してせぬ。帰れといわれて帰られるものではなし、一緒に上人を送らせてくれ」
 と、こう穏《おだや》かに詫びましたので、吉之助様の怒りも解け、
「俺《おい》も少し云い過ぎたようじゃ」
 と、気の毒そうに云ったからでした。
 この間ご上人様は何もおっしゃらず、透きとおるほど白いお顔の色、和尚様《おしょうさま》と申そうよりも、尼君様と申しました方が、いっそう似つかわしく思われるような、端麗|柔和《にゅうわ》の上品のお顔へ、微笑をさえも含ませて、争いを聞いておられました。これは吉之助様のご性質や、俊斎様のご性質を、知りきっておられたからでございまして(争いの後には和解が来る)ことを、見抜いておられたからでございます。
 ご上人様を上等のお駕籠にのせ、私たち三人がご警護して、竹原様のお家《うち》を出ました時、東の空は白みはじめ、涼しいよりも少し肌寒い風が、かなり強く吹いておりました。

        

 駕籠の前方半町ばかりの先を、俊斎様が警戒して歩き、吉之助様が駕籠|側《わき》に附き、私がその後からお従いする――といった順序で歩いて行きました。坊主負いにした風呂敷づつみの荷物を、揺り上げ揺り上げ従《つ》いて行く私の、眠りの足らない眼にも町の辻や角に、捕吏らしい人影の立っているのが見えて、心がヒヤヒヤいたしましたが、眼にとめて駕籠を見送るばかりで、誰何《すいか》するものとてはありませんでした。平然と歩いて行ったからでしょう。
 こうしてとうとう京の町を出はずれ、竹田街道へさしかかりました。と先を歩いていた俊斎様が、足早に引っ返して参りまして、
「捕吏《いぬ》らしい奴ばらが十二、三人、向こうの茶屋に集《つど》っておるがな」
 と、吉之助様に囁《ささや》きました。
「さよか」と吉之助様はおっしゃいまして、しばらく考えておられましたが、「轎夫《かごや》、この駕籠を茶屋の前で止めろ、人数の真ん中へ舁《か》き据えてくれ」とこのようにおっしゃってでございます。
 私も驚きましてございますが、俊斎様も驚いた様子で、首を一方へ傾《かし》げましたが、でも何んともおっしゃいませんでした。(西郷どんは大相もない人物、考えがあってやることだろう)と、こう思われたからでございましょう。
 茶屋というのは立場茶屋《たてばぢゃや》のことで、町から街道へ出る棒端《ぼうはな》には、たいがいあるものでございます。
 そこへ駕籠が据えられました。
 と、不意に吉之助様が、
「あんまり早く起こされたので、わッはッはッ、この眠いことはどうじゃ。渋茶なと啜《すす》らんと眼が醒めんわい」
 と、大きな声で云われました。
 すると隙《す》かさず俊斎様が、
「俺は酒じゃ、冷酒《ひやざけ》じゃ。こいつをキューッとあおらんことには、腹の虫めがおさまらぬげに」
 と、これも大声で云われました。
 捕吏らしい様子の者が十二、三人と、早立ちの旅人らしい者が五、六人がところ、土間にも門口《かどぐち》にも門《かど》の外にも、ごちゃごちゃ入り混んでおりまして、茶屋は混雑しておりました。
 駕籠は門口へ据えられたのでした。
 往来を警戒するかのように、捕吏たちの多くはその門口に、かたまって立っていたのでしたが、その真ん中へ駕籠を据えられ、吉之助様や俊斎様に、そんなような態度に出られましたので、疑惑を起こさなかったばかりでなく、むしろ飽気《あっけ》にとられたような様子で、駕籠から離れてしまいました。
 そこで私たち三人の者は、駕籠をその場へ舁《か》き据えたまま、土間の中へはいって行き、上がり框《がまち》へ腰をかけました。
 と、この茶屋の娘らしい女が、茶をついだ湯呑みを盆にのせて、人混みの中を分けるようにして、ご上人様の駕籠の方へ歩いて行きかけました。
 その時声が聞こえましたっけ。――
「ちょいと娘さん妾《わたし》へおかしよ。……妾の方が近間だよ。……代わってお給仕してあげようじゃアないか」
 綺麗な張りのある声でした。
 門口に近い柱に倚《よ》って、甲斐絹《かいき》の手甲《てっこう》と脚絆《きゃはん》とをつけ、水色の扱《しご》きで裾をからげた、三十かそれとも二十八、九歳か、それくらいに見える美しい女が、そう云ったのでございます。痩せぎすで身丈《せい》が高く、抜けるほど色が白い、眼は切れ長で睫毛《まつげ》が濃く、気になるほど険があり、鼻も高く肉薄で鋭く、これも棘々《とげとげ》しく思われましたが、口もとなどはふっくりとして優しく、笑うと指の先が沈むほどにも、左右に靨《えくぼ》が出来るという、そういう眼に立つ女でした。
「ではおねがいいたします」
 茶屋の娘がこう云い云い、差し出した盆を片手で受け取ると、その女はそれを持って人を分けて、門口《かどぐち》の方へ行きました。
 ご上人様の駕籠に近寄ったのでした。
 何がなしに不安を感じまして、私はハッといたしましたが、吉之助様も俊斎様も、同じように不安を感じられたと見えて、顔を見合わせましてございます。
 といってどうすることも出来ませんので、私たちはじっと見詰めていました。
 駕籠へ近寄りますとその女は、何か云ったようでございます。すると駕籠の扉が細目に開いて、ご上人様の手が出ました。湯呑みを取ろうとなされたのでしょう。女の手にしても珍らしいほどの、白い細い柔かい、指の形などのいかにも上品な――とんと形容しようもないほどに、お美しいお手でございました。
 と、どうでしょうそのご上人様の手先を、甲斐絹《かいき》[#ルビの「かいき」は底本では「かひき」]の手甲の女の手が、ヒョイと握ったではございませんか。
(あッ)と私が思いましたとたんに、吉之助様が腰を上げました。手を刀の柄《つか》へかけながら。

        

 その次に起こった出来事といえば、ご上人様が手を引かれたことと、それについて女が半身を泳がせ、駕籠の扉へもたれかかり、扉の間から顔を差し入れ、ご上人様のお顔を見たらしいことと、その拍子に湯呑みが盆から落ちて、地面へ茶をこぼしたことでした。
 吉之助様は門口まで突き進んでいました。
 でももうその時にはその女は、湯呑みと盆とを両手に持って、こちらへ引っ返して来ていました。
「とんだ粗相をしたってことさ」
 土間へはいると伝法な口調で、でもいくらか恥じらった様子で、こうその女は申しましたっけ。
「妾《わたし》ア湯呑みをひっくりかえしてしまったよ……。お給仕されることには慣れているけれど、することには慣れていないんだねえ。……姐《ねえ》さんあんたから上げておくれよ」
 で、わたしはホッといたしまして、胸をなでおろしましてございますが、不意にその時わたしの横手で、
「おいどうだった?」
 という男の声が、囁《ささや》くように聞こえましたので、そっとその方へ眼をやって見ました。
 四十そこそこらしい旅姿の男が、ご上人様へお茶をあげた例の女の側《わき》に、佇《たたず》んでいるではございませんか。合羽《かっぱ》を着、道中差しを差し、両手を袖に入れている恰好《かっこう》は、博徒か道中師かといいたげで、厭な感じのする男でした。三白眼であるのも不快でした。
「駕籠の中のお方はご婦人だよ」
 これが女の返事でした。

 ご上人様を京都から抜け出させて、薩摩へ落とすよう計らいましたのは、近衛殿下なのでございます。井伊様がご大老にお成りになられるや、梅田源次郎様や池内大学様や、山本槇太郎様というような、勤王の志士の方々を、追求して捕縛なさいまして、今後も捕縛の手をゆるめそうもなく、そこで以前から勤王僧として、公卿《くげ》と武家との仲を斡旋《あっせん》したり、禁裡様から水戸藩へ下されましたところの、密勅《みっちょく》の写しを手に入れて、吉之助様のお手へお渡しになったりして、国事にご奔走なさいましたところの、ご上人様のご身辺も危険になられました。それを近衛様がご心配あそばされ、吉之助様にお頼みになり、ご上人様をどこへなと安全なところへ、お隠匿《かくま》いなさろうとなされましたので。最初はご上人様の知己《みより》の多い、奈良へでもということでございましたが、意外に捕吏の追求が烈しいので、薩摩へということになったのでございます。
 竹田街道の立場茶屋《たてばぢゃや》の変事も、何事もなく済みまして、無事わたしたちは伏見《ふしみ》に着きました。それから船で淀川を下り、夕刻大坂の八|軒屋《けんや》に着き、上仲仕《かみなかし》の幸助という男の家へ、ひとまず宿《やど》をとりました。わたしたちが大坂におりましたのは、二十四日まででありましたが、この間に鵜飼《うがい》吉左衛門様や、そのご子息の幸吉様や、鷹司《たかつかさ》家諸太夫の小林|民部輔《みんぶのすけ》様や、同家のお侍|兼田《かねだ》伊織様などという、勤王の方々が幕府の手により、続々捕縛されまして、ご上人様追捕の手も厳しくなったという、そういう情報がはいりましたので、これはうかうかしてはいられないというので、その夜のうちに薩摩へ向けて立とうと、土佐堀の薩州邸下から小倉船に乗り、漕ぎ出すことにいたしました。一行はご上人様と吉之助様と、俊斎様と私とのほかに、薩州ご藩士の北条右門様との、この五人でございまして、三人のお方が駕籠を警護し、私だけが半町ほど先に立って、あたりの様子をうかがいながら、纜《もや》ってある船の方へ行きました。おりから晴れた星月夜で、河岸の柳が川風に靡《なび》いて、女が裾でも乱しているように、乱れがわしく見えておりましたっけ。と、一|木《ぼく》の柳の木の陰から、お高祖頭巾《こそずきん》をかぶった一人の女が、不意に姿をあらわしまして、わたしの方へ歩いてまいりましたが、
「重助さん、ご苦労だねえ」と、こう云ったではありませんか。
 わたしはハッとなりドキリとして、早速には言葉も出ませんでした。
「あのお方の手、綺麗だねえ」
「…………」
「綺麗な手のお方をお送りして、重助さん遠くへ行くんでしょう」
「…………」
「だからご苦労と云っているんだよ」
「女ってもの変なものでねえ、男の何んでもないちょっと[#「ちょっと」に傍点]したことに、くたくたになってしまうものさ。たとえばその人の足の踵《かかと》が、桜貝のような色をしていたというので、旦那をすててその人と逃げたり、その人が笑うと糸切り歯の端《はし》が、真珠のように艶《つや》めくというので、許婚《いいなずけ》をすててその人と添ったり、おおよそ女ってそんなものだよ。……あの人のお手、綺麗だねえ」
「…………」
「八百八狸も名物だけれど、でも四国にはもっと凄いものが、名物となっている筈だよ。犬神《いぬがみ》だアね、犬神だアね」
「…………」
「でも犬神もこんなご時勢には、ご祈祷《きとう》ばかりしていたんでは食えないのさ……。犬の字通り隠密《いぬ》にだってなるのさ。……取っ付きとさえ云われている犬神、こいつが隠密《いぬ》になったひにゃア、どんな獲物だって逃がしっこはないよ」

        

 わたしとその女とは突っ立ったままで、話しているのではありませんでした。わたしが河岸《かし》の方へ歩いて行くので、その女が従《つ》いて来て、そう小声で話しかけるのでした。
「でもねえ」とその女は云いつづけました。「そういう女が裏返ると、かえって力になるものでねえ。……綺麗なあの手に触れてからというもの、わたしは、そうさ、犬神の娘は。……それはそうと、ねえ重助さん、向こうにどんな奴が集《たか》っていたって、船頭の奴らが何をごて[#「ごて」に傍点]ようと、心配はいらないからそう思っていておくれ。……それからねえ重助さん、わたしたちのお仲間犬神の者は、四国は愚《おろ》か九州一円に、はびこっているんだから安心しておくれ。福岡にであろうと薩摩にであろうと。……じゃア重助さんさようなら、折りがあったらわたしのことを、手の綺麗なお方へおっしゃっておくれよ。……でも重助さん解ったかしら? わたしって女誰だかわかって?」
「へい、竹田街道の立場茶屋で。……」
「ああそうさ、あの時の女さ。……では重助さんさようなら」
 こういうとその女は私からはなれて、先へ小走って行ってしまいました。
(このことは吉之助様や俊斎様へ、お話した方がよいだろうか? それとももう少し封じておこうか?)と、思案のきまらない心持ちで、私はノロノロ歩いて行きました。
 するとすぐに駕籠に追いつかれました。
 距離がはなれていたためか、私とその女とが話していたことが、吉之助様たちには解らなかったらしく、どなたも何んともおっしゃらなかったので、わたしも黙っておりました。
 わたしたちは進んで行きました。
 すると柳の老木があって、濃い影を地に敷いておりましたが、そこに十数人の人がいて、こっちをじっ[#「じっ」に傍点]と窺っていました。それがどうやら捕吏らしいのです。
「どうしよう?」と俊斎様が囁かれました。
「かまわん」と吉之助様がおっしゃいました。
「船はもう眼の先にある。面倒になったら叩っ切れ」
「斬ってはならんとおはん[#「おはん」に傍点]申したが。……」
「時と場合じゃ、今はよか。……斬り払って上人を船に乗せるのじゃ。乗せてしまえばこっちのものじゃ」
「斬りたいの。久しく斬らん」
「そういう心がけで斬ってはよくない」
「フ、フ、フ、なるほどそうか」
 捕吏らしい人影の前まで来ました。
 にわかにそいつらが動き出し、五、六人が飛び出そうといたしました。
 するとさっきの女の声でした。
「妾アお供の露払《つゆはら》いの奴に、たった今謎をかけて確かめてみたのさ。人違いだよ捨てておきな。駕籠の中にいるなア女だよ」
 地面に近い二尺ばかりの宙に、小指で朱を捺《お》したような赤い火が、ポッツリ光っておりましたっけ。例の女がしゃがみこんで、煙草《たばこ》を喫っていたんですねえ。
 とうとうわたしたちは船の纜《もや》ってある岸まで、無事に着くことが出来ました。
 そこでご上人様を駕籠から出し、真っ先に船へ乗せまして、わたしたちもつづいて乗りました。
「上人船へお寝なされ」
 そう吉之助様がおっしゃいました。
 云われるままにご上人様が、つつましく船底へ横になりますと、吉之助様は自分の羽織を脱がれ、その上へ素早くお着せになり、
「さあ船夫《かこ》いそいで船を出せ」
「駄目ですよ、出せませんねえ」
 と、不意に一人の船夫《かこ》が云って、
「なアおいお前《めえ》たちそうじゃアないか」と、仲間の方へ顔を向けました。
 するともう一人の若い船夫《かこ》が、
「こんな深夜に坊様を乗せて、船を出すとは縁起が悪い。そうともよ船は出せねえ」と、合槌を打つように云ったものです。
「黙れ」と俊斎様はお怒りになり、鋭いしかし窃《ひそ》めた声で、「ぐずぐず申すとその分には置かんぞ。これ早く船を出せ!」
 こうおっしゃって刀の柄へ、もう手をかけておられました。
 でも船夫たちはますます図太く、
「へえ、斬るとおっしゃるので。ところがあっしたち斬られませんねえ。水の上ならこっちが得手で、刀を抜いてお斬りになるのが早いか、あっしたちが水へ飛び込むのが早いか、物は験《ためし》だ、やってごらんなせえ」
「水へ飛び込んだらいよいよ得手だ、船なんかすぐにもひっくりかえして見せる」
 と、こう口々に云うのでした。
「よか、まアまアそう申すな」
 吉之助様は穏《おだや》かに云われて、小粒を三つ四つ懐中《ふところ》から出され、
「これで機嫌を直してくれ、約束の他の当座の酒手じゃ」と、なだめるように申したことです。

        

 ところがどうでしょうそうあつかっても、船夫たちは云うことを聞こうとはしないで、
「酒手が欲しくて云っているのではごわせん、深夜《よふけ》に坊さんを乗せるってことが……」
「船に坊主は禁物でしてね」
「それに深夜《よふけ》の坊主と来ては……」
「坊主は縁起が悪いんで」
 と、どうしたものかだんだん声高に、坊主坊主とそう叫んで、岸の上の方を見上げるのでした。
 さすがの吉之助様もこの様子を見られて、これはいけないと感じられたのでしょう、チラッと俊斎様へ眼くばせをされ、素早く刀の柄へ手をやられましたが、その時岸の上に女の姿があらわれ、
「船頭さん模様変えだよ、その人たちには用はないのさ。早く船を出しておあげ」
 と、綺麗な声で云うのが聞こえて来ました。申すまでもなく例の女なのです。ところがどうでしょうそう云われましても、
「姐《あね》ごのせっかくのお言葉ですが、あっしたちゃア姐ごに頼まれたんではなく……」
「藤兵衛の親分さんにご依頼受けたんですからねえ……」
「現在坊主が……」
 と口々に云って、船夫《かこ》たちは諾《き》こうとはしないのです。
「お黙り!」と女は癇にさわったような声で、「このお綱がいいと云ってるのだよ、そうさいいから船をお出しって……」
「しかし姐ご、現在坊主が……」
「餓鬼め!」
 とたんに女の片手が、髪の辺へ上がりました。
「ギャーッ」
 まるで獣《けだもの》の悲鳴でした。
 最初から頑強に反対していた船夫の、三十五、六の肥り肉《じし》の奴が、そう悲鳴して顔を抑えましたが、体を海老《えび》のように曲げたかと思うと、船縁《ふなべり》を越して水の中へ真っ逆様に落ち込みました。わたしの見誤りではありません、その男の左の眼から銀の線のようなものが、星の光にキラキラ光って、突き出されているのが見えたことです。小柄かそれとも銀脚の簪《かんざし》か? いまだにわたしには疑がわしいのですが。
「出せ船を!」
「出さねば汝《おのれ》ら!」
「同じ運命だぞ、命がないぞ!」
 見れば吉之助様と俊斎様と、そうして北条右門様とが、抜き身を差しつけ船夫たちを取り巻き、そう叱※[#「口+它」、第3水準1-14-88]しておられました。
 グ――ッと船は中流へ出ました。

 茅渟海《ちぬのうみ》の真ん中へ出ました時、ご上人様は一首の和歌をしたため、吉之助様へお目にかけました。
[#ここから2字下げ]
難波江《なにはえ》のあしのさはりは繁くともなほ世のために身をつくしてむ
[#ここで字下げ終わり]
 こういう和歌でございます。上《かみ》は御大老井伊直弼様の圧迫、下《しも》は捕吏だの船夫《かこ》などの迫害、ほんとにご上人様のご一生は、さわりだらけでございました。
 さてわたしたちを乗せた小倉船は、八昼夜を海上についやしまして、事《こと》なく下関《しものせき》へ着きましたので、とりあえず薩摩の定宿の、三浦屋というのへ投じました。十月一日の午後のことでございます。その翌日でありましたが、「藩の事情を探らねばならぬ」と、このように吉之助様は仰せられ、薩摩へ向かってご発足なされました。それから幾日か経ちました時に、俊斎様はご上人様を連れられ、竹崎の地へおいでになり、同志の白石正一郎様のお家《うち》に、しばらくご滞在なさいましたが、さらに博多に移りまして、藤井良節様という勤王家のお屋敷へ、お隠匿《かくま》いなさいましてございます。そうしてご自身におかれましては、吉之助様のご返辞の遅いのを案じて、薩摩へ帰って行かれました。
 どうでしょうこの頃になりますると、ご上人様追捕の幕府の手が、いよいよ厳しくなりまして、行くところに捕吏らしい者の姿が、充ち充ちておるというありさまであり、その人相書も各地に廻されていて、これを捕えて申し出る者には、恩賞は望みに任すとまでの布令《ふれ》が、発布されておるというありさまなのでございます。それでご上人様におかれましては、博多の地に滞在しておられましても、福岡ご城下の高橋屋正助という、侠商の別荘にひそんだり、斗丈翁《とじょうおう》という有名な俳人の、五|反麻《たんま》という地の庵室《あんしつ》へかくれたりして、所在をくらましておられました。

        

 さてこの頃のことでございますが、ある日私は五反麻を出、福岡ご城下へ用達しに行きました。そうして夕暮れになりました頃、斗丈様の庵室へ帰ろうと思って、その方へ足を向けまして、ご城下はずれまで参りました。歩きつかれておりましたので、道端の石へ腰を下ろして、しばらくぼんやりしておりましたっけ。この辺は人家もたいへんまばらで、その家々も小さなもので、全体がみすぼらしく眺められましたが、私の眼の前にある家ばかりが、一軒だけ立派で宏壮でした。巡らされてある土塀も厳《いか》めしく、その内側に立っている幾棟かの建物も、やはり厳めしく立派でした。でもそのうちの一棟が、とりわけ高く他の棟から抽《ぬき》んで、しかもその屋根に千木《ちぎ》を立て、社《やしろ》めいた造りに出来ているのが、不思議に思われてなりませんでした。それにその屋敷全体が、どうやら無住の空家らしく、雨戸も窓も閉ざされていることも、何か心にかかりました。この日の最後の夕陽の光が、猩々緋のように華やかに、千木の立ててある建物の雨戸にあたって、火の燃えているように見えているのへ、わたしは無心に眼をやりながら、つかれた膝の辺を撫でていました。
「おや?」
 とわたしは思わず云いましたっけ。
 その雨戸が細目に開いて、そこから手が一本あらわれて、何かを庭へ捨てたようでしたが、すぐにまた引っ込んで、雨戸もすぐにとざされたからです。
(あの屋敷、空家ではなかったのか)この意外さもありましたが、しかしそれよりも雨戸の間から出た、白い細い上品な手――肘の上までも袖がまくれて、二ノ腕の一部をさえあらわした手が、見覚えあるように思われたことが、わたしに「おや」と云わせたのです。
(ご上人様のお手に相違ないんだがなア)
 女にもなければ男にもない、何んともいえず綺麗で上品で、勿体《もったい》ないほど優美のご上人様のお手を、たとえ遠くから瞥見したにしろ、わたしとして見違えることがあるものですか。
(あれはたしかにご上人様のお手だ。……でもしかしご上人様があんなところにおられる筈はない)
 この疑惑に苦しんで、わたしはしばらく途方にくれていました。と、その時わたしの背後《うしろ》から、咳をする声が聞こえて来ました。
 ふり返って見ますると五十歳ぐらいの、墨染めの法衣《ころも》に黒の頭巾をかむった、気高いような尼僧《あま》様が数珠をつまぐりながら、しずかに歩いておるのでした。
「尼僧《あま》様」とわたしは声をかけました。「突然失礼ではございますが、あれに見えます土塀のかかったお屋敷は、どなた様のお屋敷でございましょうか?」
 すると尼僧様はわたしを見、それから屋敷の方へ眼をやりましたが、
「あああのお屋敷でございますか、あれは世間普通のお方とは、交際《つきあい》もしなければ交際《つきあ》ってもくれない、特別の人のお屋敷なのですよ」
 と、大変清らかな沈着なお声で、そうお答えくださいました。
「世間普通のお方と交際《つきあ》わない、特別のお方とおっしゃいますのは?」
「それはねえこうなのです。そのお方が何かを欲しいと思って、それを持っている人を見詰めた時、その人がそれを与えればよし、与えない時にはその人の身の上に、恐ろしい災難が落ちて来るという……」
「ああではとっつき[#「とっつき」に傍点]なのでございますね」
「そう、ある土地ではとっつき[#「とっつき」に傍点]と云い、あるところでは犬神《いぬがみ》ともいいます」
「犬神※[#感嘆符疑問符、1-8-78]」とわたしは思わず叫びました。「あの女も犬神だった!」
 竹田街道の立場茶屋や、土佐堀の岸で逢った例の女のことを、忽然思い出したからでございます。
「でもあの屋敷はずっと長い間、空家になっているのですよ」
 と、そう尼僧《あま》様が云いましたので、わたしは尼僧様の方へ眼をやりました。尼僧様は歩き出しておりました。
「いえ、ところが、雨戸が開いて、たった今綺麗な手が出たのです」と、私は云い云い腰を上げました。
 でも尼僧様は何んにも云わないで、わたしのことなど忘れたかのように、少し足早に五反麻の方へ、歩いて行っておしまいになりました。
 それでもわたしはなお未練らしく、眼の前の屋敷を見ていました。すると土塀の正面の辺に、頑丈な大門がありまして、その横に定式《おきまり》の潜門《くぐり》がありましたが、その潜門《くぐり》が内側《なか》から開きまして、一人の男が出て来ました。
(やはり空家ではなかったのだな)こう思いながらわたしはその男へ近寄り、
「ちょっと物をおたずねいたします」と、こう声をかけました。
「何んですかい?」とその男は云いましたが、わたしの顔をすかすようにして眺め、変に気味悪く笑いました。

        七

 その笑った男の顔を見て、わたしはヒヤリといたしました。竹田街道の立場茶屋で、「おいどうだった?」とお綱という女に向かい、声をかけたところの男だったからです。
「何か用ですかい」とその男が云って、もう笑顔を引っ込ませ、怪訝そうに訊きかえしました。
「いいえ……ナーニ……なんでもないんですが……お見受けしましたところあのお屋敷から……」
「あの屋敷がどうかしましたかな?」
「いいえ、ナーニ、何んでもないんですが……空家だと思っておりましたところが、あなた様が潜門《くぐり》から出て来られたので。……それに綺麗な手が見えたりしましたので……」
「綺麗な手? なんですかそいつ[#「そいつ」に傍点]は?」
「千木《ちぎ》の立ててある建物から――建物の二階の雨戸から、綺麗な上品な手が出ましたので……」
「ナニ、千木のたててある建物から、綺麗な上品の手が出たんだって」と、その男はひどく驚いたように云って、その建物を振りかえって眺めましたが、「何を馬鹿らしいそんなことが。……お前さんあそこはあらたか[#「あらたか」に傍点]な所でね、ある一人の女の他は、誰だってはいれねえところなのさ。……はいったが最後天罰が……だが待てよ、そこから手が出た? とするとあの女の手なんだろうが、俺《おい》らあの女とは今しがたまで、別棟の主家《おもや》で話していたんだ」
 後の方はまるで独言《ひとりごと》のように云って、もう一度その男は振りかえって、その建物を眺めましたが、
「馬鹿な、そんなことがあるものか! ……それはそうとオイ重助さん、五反麻の生活《くらし》面白いかね」
「え?」とわたしはギョッとしましたが、「へい……何んでございますか」
「あのお方たっしゃかい」
「え? へい……あのお方とは?」
「ご上人様のことよ、しらばっくれるない」
「…………」
「アッハッハッ、まあいいや。……おっつけお眼にかかるから」
 云いすてるとその男は飛ぶような早さで、町の方へ走って行きました。
 道々考えにふけっておりましたので、斗丈様の庵室へ行きついた時には、初夜《しょや》近い時刻になっていました。小門をくぐろうといたしました。
 と、どうでしょう手近のところから、呼子《よびこ》の音が聞こえて来たではありませんか。
「おや!」と思わず云いましたっけ。
 と、生垣と植え込みとによって、こんもり囲まれている庵室を眼がけて、数十人の人影がどこからともなく現われ、殺到して行くではありませんか。
(捕吏だ!)と私は突嗟に思いました。(ご上人様を捕えに来た捕吏たちだ!)
 そう思った私を裏書きするように、
「方々捕吏だ、捕吏でござるぞ!」と叫ぶ、斗丈様の狼狽した声が聞こえて来ました。
 それに続いて聞こえて来たのは、戸や障子の仆れる音、捕吏たちの叫ぶ詈り声などで、その捕吏たちが庵室へ駈け上がり、奥の方へ乱入して行く姿なども、影のように見えました。わたしは夢中で走って行きました。
 でも庵室の縁の前まで行った時、抜き身を揮《ふる》って喚く北条右門様や、鞘のままの大刀を左手に提げ、右手で捕吏たちを制するようにしている、わたしの見知らない若いお侍さんや、顔色を変えている斗丈様、そういう方々によって警護され、しかし大勢の捕吏たちによって、奥の部屋から引き出されたらしい、ご上人様の法衣姿《ころもすがた》が、勿体なく痛々しく現われて来ました。
(ああとうとうお捕られなされた?)
 と、私は眼をクラクラさせ、地面へ膝をついてしまいました。
 そういう眩んだわたしの眼にも、ご上人様の片袖を握っている男が、竹田街道の立場茶屋で逢い、そうしてたった今しがた、怪しい屋敷の前で逢ったところの、例の男であることがわかりました。
 何んという無礼な男なのでしょう、その男は不意に手をあげて、ご上人様の冠っておられた黒の頭巾を、かなぐりすてたではありませんか。
「あっ」
 わたしも驚きましたが、捕吏たちもすっかり胆をつぶし、叫んだり喚いたり詈ったり、座敷から庭へ飛び下りたりしました。
 突然笑い声が爆発しました。
 右門様が抜き身を頭上で振りまわし、躍り上がりながら笑ったのでした。
「ワッハッハッ、思い知ったか!」
「だから拙者申したのじゃ」と、右門様の笑い声に引きつづき、総髪の大髻《おおたぶさ》に髪を結い、黒の紋附きに白縞袴を穿いた、わたしの見知らないお侍様が凛々《りり》しい重みのある澄んだ声で、そう捕吏たちに云いました。
「人違いじゃ、粗相するなと。……平野次郎|国臣《くにおみ》は嘘言は云わぬよ。……月照上人など当庵にはおられぬ。……これなるお方は野村|望東尼《ぼうとうに》殿じゃ。……福岡において誰知らぬ者とてはない、女侠にして拙僧の野村望東尼殿じゃ。……和歌の会|催《もよお》そうそのために、望東尼殿も拙者も参会したものを、月照上人召し捕るなどと申して、この狼藉は何事じゃ」
 内外森然としてしまいました。
 おおおおそれにしても何んということなのでしょう、ご上人様と思っていたそのお方は、さっき方怪しい屋敷の前で、わたしが物を訊ねましたところの、尊げな尼僧《あま》様でありましたとは。

        八

 這々《ほうほう》の態で捕吏たち一同が、斗丈庵から立ち去った後、わたしたちは奥の部屋へ集まりました。野村望東尼様や平野国臣様が、この夜斗丈庵へ参りましたのは、お二人ながら勤王の志士女丈夫なので、同じ勤王家のご上人様を訪ね、国事を論じようためだったそうです。このことはよいといたしまして、わたしたちにとりましてどうにもわからない、一大事件の起こっておりますことを、庵主斗丈様の口から承わり、わたしたちは驚いてしまいました。というのはこの日の昼頃から、ご上人様のお姿が、庵から消えてしまったことなのです。
「庵の内は申すに及ばず、庵の外の心あたりを、くまなくおさがしいたしましたが、どこにもおいでござりませぬ」
 こう斗丈様はおっしゃるのでした。
 誰もが一言も物を云わず、不安と危惧とを顔に現わし、溜息ばかり吐《つ》いておりました。
 とうとうわたしは我慢出来ずに、思っていることを云ってしまいました。
「お城下外れにある犬神の屋敷に、どうやらご上人様は監禁あそばされておると、そんなように思われるのでござります」
 ――それからわたしは出来るだけ詳しく、例の屋敷の建物の一つから、ご上人様の手だと思われる手が、雨戸の隙から出たということを、四人のお方に申しました。四人のお方は半信半疑、まさかと思われるようなお顔をして、黙って聞いておりましたが、
「ああそれだからあの時重助さんは、あんなことをわたしに訊いたのですね」と、望東尼様が仰せになり、「まさかそのような犬神の屋敷などに、ご上人様がおいでになろうとは思われませぬが、といってここに思案ばかりして、無為《むい》におりますのもいかがなものか。……せっかく重助様がああおっしゃることゆえ、ともかくもそこへ行って探ってみては?」
「それがよろしい」と平野国臣様が、すぐにご賛成なさいました。
「疑がわしきは調べた方がよろしい」
「では拙者も参るとしましょう」こう右門様もおっしゃいました。
 斗丈様ばかりを庵へ残し、わたしたち四人が五反麻を立って、犬神の屋敷へ向かったのは、それから間もなくのことであり、後夜《ごや》をすこしく過ごした頃には、屋敷の前に立っていました。
「まず拙者が」と云いながら、北条右門様が土塀を乗り越し、内側から潜《くぐ》り戸をあけましたので、わたしたちは構内へ入り込みました。
「静かに! ……いる、誰かいる。……それも大勢いるらしい」
 植え込みの間を分けながら、千木の立っている建物の方へ、わたしたちが数間歩きました時、囁くような声で国臣様は云われ、にわかに足を止められました。
「北条氏、北条氏、貴殿には望東尼様を警護されて、ゆるゆる後からおいでくだされ。……重助おいで、わしと先駆《せんく》じゃ」
 そこでわたしは国臣様とご一緒に、先へ進んで行きました。手入れをしないからでありましょう、植え込みは枝葉を林のように繁らせ、雑草は胸まで届くほどにも延び、それが夜露を持ちまして、手や足に触れる気味の悪さは、何んともいいようがありませんでした。
「重助、あぶない、伏せ、地へ伏せ!」
 国臣様が小さいお声で、でも叱※[#「口+它」、第3水準1-14-88]なさるかのように、振りかえってそうわたしにおっしゃいましたのは、十間ほど進んだ時でした。
 わたしはすぐに地へ寝ました。
 寝たまま見ている私の眼の前を掠めて、二人の男が木蔭から飛び出し、左右から豹のように国臣様を目がけて、組みついて行くのが見てとられました。
 つづいてわたしの眼に見えましたのは、飛鳥のように国臣様が飛び退き、瞬間片足を蹴上げたことと、それに急所を蹴られたのでしょう、一人の男が呻き声をあげて、あおのけざまに仆れたことと、しかしもう一人の男の方が、もうその時は国臣様の体へ、背後《うしろ》からしっかり組みついたことと、でもその次の瞬間に、その男は振りはなされ、振りはなされたとたんに国臣様によって、おそらくあて[#「あて」に傍点]身をくわされたのでしょう、これも呻き声をあげながら、地に仆れたことでした。
「重助来い!」
「へい」
「向こうだ!」
 木立のあなた遙かの向こうに、ぽっと火の光が射していましたが、その方へわたしたちは走って行きました。
 千木のたててある建物が立っていて、その門の戸があいていて、そこから火の光が射していて、その前に十数人の人影がいて、何やら叫んでおります姿が、わたしたちの眼に見えました。
 そうしてそれらの人々の背後に、丘のような蘇鉄《そてつ》の植え込みがあり、その蔭へわたしたちは走り込み、彼らの様子をうかがいましたが、屋内の様子に気をとられていたからか、彼らはわたしたちに気づきませんでした。

        

 彼らは捕吏の一部でした。さっきかた斗丈庵へ押しよせて来た、その捕吏の一部でした。そうしてその中に例の男――竹田街道の立場茶屋や、この屋敷の門前で逢い、斗丈庵では望東尼様の頭巾を、かなぐりすてましたところの例の男がいて、それが屋内に呼びかけていました。
「お綱、出て来い! ヤイ下りて来い!」
 でも屋内からは返辞がなく、森閑としておりました。
「来ないか、来なければ俺が行くぞ!」
 またその男は叫びました。
 しかし依然として屋内からは、何んの返辞もないらしく、森閑としておりました。
「行きな、親分、とり逃がしたら事だ」
「姐ごは心変わりしたんですぜ。……今ではあべこべに敵方で。……ですから親分踏み込んで行って……」
 集まっている捕吏の口々から、そういう声々が叫ばれました。
「うむ、そいつは知ってるが、ここは迂濶《うかつ》にはいれない、あらたかなところになっているのだからなあ」
「あらたかもクソもあるものですかい。あっしたちの手入れの先廻りをして、お尋ね者を連れ出して、かくまっている姐ごじゃアありませんか。よしんばそいつが親分の情婦《いろ》にしたところで……」
「そうともよ、見遁がせねえなあ」
「そいつを愚図愚図しているようなら、目明し文吉の兄弟分、三条の藤兵衛とはいわせませんぜ」
「うるせえヤイ!」と藤兵衛という男は、突然怒り声をひびかせましたっけ。「そうまで手前たちにいわれちゃア。……お綱、いよいよ下りて来ねえか、よーしそれじゃアこっちから行く! ……手前たちここに待っていろ、俺ひとりで踏み込んで行くから」
 藤兵衛という男の勢い込んで、門口《かどぐち》から屋内へ駆け込んで行く姿が、すぐにわたしたちの眼に映りました。と、その後しばらくの間は、ひっそりとしておりました。でも俄然「わーッ」という声が、門口に群れている藤兵衛の乾児《こぶん》――捕吏たちの間から湧き起こり、つづいて蜘蛛《くも》の子を散らすように、四方へ逃げ出したという意外な出来事が、惹起《ひきおこ》されたではありませんか。
「重助、行こう、さあこの隙に!」
 国臣様が走り出しましたので、わたしもついて走りました。
 しかし千木《ちぎ》のある建物の、その門口まで走りついた時には、わたしも国臣様も「あッ」と叫び、思わず足を止めてしまいました。
 肩から※[#「てへん+宛」、第3水準1-84-80]《も》ぎ取られた男の片腕が、まだ血を※[#「てへん+宛」、第3水準1-84-80]げ口から吐きながら、土間にころがっているからです。
「怯《おじ》けるな、行け!」
 と国臣様が叫び、はじめてお腰の刀を抜かれ、左の袖で蔽うようにされ、上がり框《がまち》からすぐに二階へ、ゆるい勾配につづいている広い階段を、飛ぶようにお駈け上がりなさいましたので、夢中でわたしも駈け上がりました。階段をあがりきった時でした、笑うとも嘲けるともたしなめる[#「たしなめる」に傍点]とも、どうともとれるような不思議な気味の悪い、鬼気を帯びた嗄《しわが》れた女の声で、
「まだ懲りぬか! ここへ来てはならぬ!」
 と、そういうのが聞こえて参りましたが、つづいて何かが投げつけられました。
「…………」声も出されずわたしはへたばってしまいました。肩から※[#「てへん+宛」、第3水準1-84-80]ぎとられた片腕が、わたしの胸へあたったからです。
 へたばったままで顔を上げて、奥の部屋を見た時のわたしの恐怖は! おお何んと云ったらいいでしょうか! ともかくもわたしの一生を通じて、忘れられないものでございました。
 一匹の巨大な白犬が、人間の男を抱きすくめ、その喉笛《のどぶえ》を食い裂いているのです。
 犬神の娘のお綱という女が、巫女《みこ》の着る白い行衣を着、裾まで曳きそうな長い髪を、顔や肩へふり乱し、両腕を※[#「てへん+宛」、第3水準1-84-80]がれて呼吸《いき》絶えているらしい藤兵衛という男を両手で抱きすくめ――後で聞いたことではございますが、この藤兵衛という目明しは、梅田源次郎様その他の志士を、あらゆる姦策をもって捕えました結果、自分も志士方に惨殺された、有名な京都の目明し文吉、この男の兄弟分でありましたそうで、そうしてお綱の情夫だったそうで、そうしてご上人様を捕えようとして、京都から浪速、九州と、つけ廻して来た男だったそうでございます。――その藤兵衛という男を抱きすくめ、その藤兵衛という男の咽喉《のど》を食い裂いた、血だらけの口、血だらけの顔を、藤兵衛という男の肩ごしに、わたしたちの方へ向けながら、怒りの眼《まなこ》を光らせている様子は、全く白犬が人間の男を、食い殺しているとそういう以外、いうべき言葉はありませんでした。古び赤茶け、ところどころ破れ、腸《わた》を出している畳の上には、蘇枋《すおう》の樽でも倒したかのように、血溜りが出来ておりました。おお血といえば行衣姿のお綱の、胸から腹から裾の下まで、血で斑紋をなしているのです。血で縞をなしているのです。この凄まじい光景には、さすがの国臣様も怯えましたものか、抜き身を頭上にふりかぶったままで、進みもなさらず退きもなさらず、小刻みに肩を刻んでおられました。でもわたしはこういう際にも、ご上人様はどこにおられるかと、座敷の四方を見廻しました。おおご上人様はおられました。遙かの奥に古び色ざめた、紫の幕が下げてあり、金襴縁《きんらんべり》の御簾《みす》がかけてあり、白木ともいえないほど古びた木口の、神棚が数段設けられてあり、そこに無数の蝋燭が、筆の穂のような焔を立てて、大きな円鏡の湖水《みずうみ》のような面《おもて》を、輝かせながら燃えていましたが、その前の辺に俯伏しになられ、凄まじい惨酷な光景を見まいと、両の袖で顔を蔽われて、月照上人様はおられました。
 でもどうしたらそのご上人様を、この恐ろしい犬神の祈祷所《きとうしょ》から、連れ出すことが出来るでしょうか? ただわたしは喘《あえ》いでばかりおりました。

        

 と、その時わたしの横を、しずかにしっかりと通って行く、人の気配を感じました。わたしたちの後から上がって来られた、野村望東尼様でございました。(あッ、あぶない!)とわたしは驚き、声をあげようとしました時には、もう望東尼様はご上人様の側《そば》まで、足を運ばれておりました。何がその次に起こったでしょう? 吠えるような声をあげながら、抱きすくめていた男の死骸を投げ出し、犬神の娘《こ》が猛然と、大切な餌のご上人様を奪い、つれ出そうとする望東尼様に向かって、躍りかかろうといたしました。でもその瞬間に二人の人が――国臣様と北条右門様とが、抜き身をさしつけて立ちふさがりました。
 と、訓すような憐れむような、しかし凛々しい望東尼様のお声が、すぐに続いて聞こえて来ました。
「女の心は女が知る、お前様のお心持ち、この望東にはよくわかります。しかし月照上人様は、お前様一人のお方ではござりませぬ。この日本《ひのもと》みんなのお方でござります!」

 犬神の娘の慟哭《どうこく》する、犬の悲鳴さながらの声を、千木のたっている建物の、二階の部屋に聞き流して、ご上人様をお守りして、その屋敷から脱け出しましたのは、それから間もなくのことでございました。

 斗丈庵《とじょうあん》へ帰られてから、ご上人様はおっしゃいました。
「今日の昼頃奥の座敷にいると、さも悲しそうな女の声で、ひっきりなしにわしを呼ぶのじゃよ。そこでわしは行ったのじゃよ。夢のような心持ちでのう。……はッと人心地のついた時には、あの祈祷所に坐っていたのじゃよ」
「あのお綱という犬神の娘は、何をご上人様になされましたので?」
「ただわしの手をしっかりと握って、撫でたりさすったりしたばかりじゃよ」
「ご上人様には一度雨戸をあけて、お手を出されたようでございますが?」
「あまり撫でられたりさすられたりしたので、手がどうかなりはしないかと思って、あの娘《こ》が階下《した》へ下りて行った隙に、陽にあてて手を見たまでじゃよ」
 ――考えてみますれば犬神の娘が、犬神の法力でご上人様を、斗丈庵から誘い出したばかりに、斗丈庵で捕吏にとらえられるところを、お助かりなされたのでございます。
 でもその後におけるご上人様の、おいたわしいお身の上というものは! 何んと申してよろしいやら、涙あるばかりでございます。
「旅衣《たびごろも》夜寒むをいとへ国のため草の枕の露をはらひて」という、望東尼様の惜別の和歌に送られ、平野国臣様に伴《とも》なわれ、もちろんわたしもお供をし、吉之助様のご消息の遅いのを案じ、薩摩をさしてご上人様が、福岡の地をご出立なさいましたのは、同じ年の十一月一日で、薩摩のお城下に着きましたのは、同月十日でございました。
 するとどうでしょう薩摩藩の情勢が、吉之助様たちのご努力にかかわらず、佐幕論に傾きまして、ご上人様を薩摩藩でかくまう[#「かくまう」に傍点]ことを、体《てい》よく拒絶《ことわ》ったばかりでなく、国境いにおいて斬殺する目的のもとに「東目送り」という陰険きわまる法を、あえて行なうことになりました。
 義に厚く情にもろい吉之助様が、なんでご上人様を見殺しにしましょう。その結果が十一月十五日の夜、ご上人様と吉之助様とが、恋人同志のように相擁され、薩摩潟にご投身され、吉之助様は蘇生なされましたが、ご上人様はそのままお逝去《なくな》りなされた、あの悲劇になったのでござります。
「大君のためには何かをしからん薩摩の瀬戸に身は沈むとも」これがご辞世でございます。
 でも、おおおお、わたしといたしましては、それもこれも犬神の娘の、狂気じみた恋にひきずられて、はいったが最後恐ろしい運命が、落ち下るという犬神の祈祷所へ、ご上人様がおはいりなされました、その結果ではあるまいか? ……いえいえ、いえそんなことが!
 でもやはり私には……。

底本:「怪しの館 短編」国枝史郎伝奇文庫28、講談社
   1976(昭和51)年11月12日第1刷発行
初出:「講談倶楽部」
   1935(昭和10)年9月増刊号
※「叱咤」と「叱※[#「口+它」、第3水準1-14-88]」の混在は底本通りにしました。
入力:阿和泉拓
校正:多羅尾伴内
2004年11月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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