国枝史郎

加利福尼亜の宝島 (お伽冒険談) ——国枝史郎

        一

「小豆島《あずきじま》紋太夫が捕らえられたそうな」
「いよいよ天運尽きたと見える」
「八幡船の後胤もこれでいよいよ根絶やしか。ちょっと惜しいような気もするな」
「住吉の浜で切られるそうな」
「末代までの語り草じゃ、これは是非とも見に行かずばなるまい」
「あれほど鳴らした海賊の長《おさ》、さぞ立派な最期《さいご》をとげようぞ」
 摂津国《せっつのくに》大坂の町では寄るとさわると噂である。
 当日になると紋太夫は、跛《ちんば》の馬に乗せられて、市中一円を引き廻されたが、松並木の多い住吉街道をやがて浜まで引かれて来た。
 矢来の中へ押し入れられ、首の座へ直ったところで、係りの役人がつと[#「つと」に傍点]進んだ。
「これ紋太夫、云い遺すことはないか?」作法によって尋ねて見た。
「はい」と云って紋太夫は逞《たくま》しい髯面をグイと上げたが、「私は、海賊にござります。海で死にとうござります」
「ならぬ」と役人は叱※[#「口+它」、第3水準1-14-88]《しった》した。
「その方|以前《まえかた》何んと申した。海を見ながら死にとうござると、このように申した筈ではないか、本来なれば千日前の刑場で所刑さるべきもの、海外までも名に響いた紋太夫の名を愛《め》でさせられ、特に願いを聞き届けこの住吉の海辺において首打つ事になったというは、一方ならぬ上《かみ》のご仁慈じゃ。今さら何を申しおるぞ」
「いや」
 と紋太夫は微笑を含み、
「海で死にたいと申しましたは、決して海の中へはいり、水に溺れて死にたいという、そういう意味ではござりませぬ」
「うむ、しからばどういう意味じゃな?」
「自由に海が眺められるよう、海に向かった矢来だけお取り払いください[#「ください」は底本では「くだい」]ますよう」
「自由に海を眺めたいというのか」
「はいさようでございます。高手小手に縛《ばく》された私、矢来をお取り払いくだされたとてとうてい逃げることは出来ませぬ」
「警護の者も沢山いる。逃げようとて逃がしはせぬ。……最後の願いじゃ聞き届けて進ぜる」
「有難い仕合せに存じます」
 そこで矢来は取り払われ波|平《たいら》かの浪華《なにわ》の海、住吉の入江が見渡された。頃は極月二十日の午後、暖国のこととて日射し暖かに、白砂青松相映じ、心ゆくばかりの景色である。
 太刀取りの武士が白刃《しらは》を提げ、静かに背後《うしろ》へ寄り添った。
「行くぞ」
 と一声掛けて置いて紋太夫の様子を窺《うかが》った。
 紋太夫は屹《きっ》と眼を据えて、水天髣髴《すいてんほうふつ》の遠方《おちかた》を喰い入るばかりに睨んでいたが、
「いざ、スッパリおやりくだされい」
 とたんに、太刀影《たちかげ》陽《ひ》に閃めいたがドンと鈍い音がして、紋太夫の首は地に落ちた。颯《さっ》と切り口から迸《ほとば》しる血! と見る間にコロコロコロコロと地上の生首渦を巻いたが、ピョンと空中へ飛び上がった。同時に俯向《うつむ》きに仆れていた紋太夫の体が起き上がる。
 首は体へ繋がったのである。
「ハッハッハッハッ」
 と紋太夫は大眼カッと見開いて役人どもを見廻したが、
「ご免|蒙《こうむ》る」
 と一声叫ぶと、海へ向かって走り出し、身を躍らせて飛び込んだ。パッと立つ水煙り。そのまま姿は見えなくなった。

 小豆島紋太夫の持ち船が、瀬戸内海風ノ子島の、深い入江にはいって来たのは、同じその日の宵のことであった。
 船中|寂《せき》として声もない。
 二本|帆柱《ばしら》の大船で、南洋船と和船とを折衷したような型である。
 鋭い弦月が現われて、一本の帆柱へ懸かった頃、すなわち夜も明方の事、副将|来島《くるしま》十平太は、二、三の部下を従えて胴の間から甲板《かんぱん》へ出た。
「ああ今夜は厭な気持ちだ。月までが蒼褪《あおざ》めて幽霊のように見える」
 呟きながら十平太は東の空を振り仰いだが、「今頃|骸《むくろ》は晒されていようぞ。ああもう頭領とも逢うことが出来ぬ」
「とんだことになりましたな」一人の部下が合槌を打つ。「あの偉かった頭領がこうはかなく殺されようとは、ほんとに、夢のようでございますなあ」
「俺はあの時お止めしたものだ。……大坂城代も町奉行も我ら眷族の者どもを一網打尽に捕らえようとてぐすね引いて待っている由《よし》、危険千万でござるゆえ、大坂上陸はお止めなされとな。しかし頭領は聞かれなかった。――近頃南洋のある国よりある地理書を城代まで献上致した風聞じゃ。是非とも地理書を奪い取り、書かれた中身を一見せねばこの紋太夫胸が治まらぬ――こう云って無理に上陸したところ、はたして町奉行手附きの者に、騙《たば》かられて捕縛《めしと》られ、無残にも刑死をとげられたのじゃよ」

        二

 その時、あわただしく胴の間から一人の部下が飛んで来たが、月の光のためばかりでなくその顔はほとんど真っ蒼であった。
「どうした?」
 と十平太は訝《いぶか》し気に聞いた。
「大変なことが起こりました」胸を拳で叩きながら、「頭領の部屋に、頭領が……」
「なに?」
 と十平太は進み出た。
「えい、あわてずにしっかり[#「しっかり」に傍点]云え!」
「はい、頭領がおられます! はい、頭領がおられます。いつものお部屋におられます」
「馬鹿!」
 と海賊の塩風声《しおかぜごえ》、十平太は浴びせかけたが、
「首を打たれた頭領が何んで船中におられるものか。嘉三貴様血迷ったな!」
 嘉三と呼ばれたその男は、そう云われても頑強《かたくな》に、頭領がいると叫ぶのであった。
「いえ血迷いは致しませぬ。この眼で見たのでございます」
「そうか」ととうとう十平太も不審の小首を傾《かし》げるようになった。と、見て取った手下どもは一時にゾッと身顫《みぶる》いをした。迷信深い賊の常として、幽霊を連想したのであった。
 十平太は腕を組んでしばらく考えに沈んでいたが、バラリ腕を解くと歩き出した。
「よろしい、行って確かめてやろうぞ」

 胴の間の頭領の部屋は、諸国の珍器で飾られていた。
 印度《インド》産の黒檀の卓子《テーブル》。波斯《ペルシャ》織りの花|毛氈《もうせん》。アフガニスタンの絹窓掛け。サクソンの時計。支那の硯。インカ帝国から伝わった黄金《こがね》作りの太刀や甲《かぶと》。朝鮮の人参は袋に入れられ柱に幾個《いくつ》か掛けてある。
 と、正面の扉《と》が開いて、十平太がはいって来た。すると部屋の片隅のゴブラン織りの寝台《ねだい》から嗄れた声が聞こえて来た。――
「おお十平太か、よいところへ来た。ちょっとここへ来て手伝ってくれ」
 頭領小豆島紋太夫の声に、それは疑がいないのであった。
 はっ[#「はっ」に傍点]と十平太は呼吸《いき》を呑んだが、さすがに逃げもしなかった。
「頭領」と声を掛けながら寝台《ねだい》の方へ突き進んだ。見れば寝台に紋太夫がいる。広東《カントン》出来の錦襴の筒袖に蜀紅錦の陣羽織を羽織り、亀甲《きっこう》模様の野袴を穿き、腰に小刀を帯びたままゴロリとばかりに寝ていたが、頸《くび》の周囲《まわり》に白布で幾重にもグルグル巻いているのがいつもの頭領と異《ちが》っている。
 両手で頸を抑えながら、大儀そうに紋太夫は立ち上がった。
「頸へさわっちゃいけないぜ」
 嗄《しわが》れた声で云いながら、黒檀の卓の前まで行くとドンと椅子へ腰掛けた。
「頭領」
 と十平太は立ったまま紋太夫の様子を眺めていたが、「いつお帰りになられましたな? そうして頸はどうなされましたな?」
「そんな事はどうでもよい。これちょっと手伝ってくれ。隠《かく》しから、書籍《ほん》を出してくれ」相変わらずいかにも呼吸《いき》苦しそうに紋太夫は云うのであった。
 で、十平太は書籍《ほん》を出した。黒い獣皮で装幀された厚い小型の本である。
「これだよ、地理書は! ああこれだよ!」
 嬉しそうに紋太夫は笑い出した。「アッハハハウフフフフアッハハハハ。ヒヒヒヒヒ」
 音はあっても響きのないいかにも気味の悪い笑声で、聞いているうちに、十平太は身の毛のよだつような気持ちがした。
「まるでこれでは幽霊だ。それに何んのために白い布《きれ》を頸にあんなに巻いているのだろう」
 口の中で呟いて、十平太は見詰めていた。
「ああそうだよ。これが地理書さ。……上陸すると俺はすぐに城代屋敷まで行ったものさ。かなり厳重な構えであったが、忍ぶことにかけては得意だからな。うまうま盗み出したというものさ」
「しかし頭領」と十平太は椅子に腰をかけながら、「あなたは町奉行手附きの者に捕らえられた筈ではありませんか」
「うん」
 と紋太夫は頷《うなず》いたが、「いかにも俺は捕らえられ住吉の海辺で首を切られたよ。が、この通りここにいる。そうしてお前と話している。ハハハハ、これでいいではないか。ただし首へはさわるなよ。ひょっと[#「ひょっと」に傍点]落ちると困るからな」
 書籍《ほん》を取り上げ頁《ページ》を翻《ひるがえ》し、じっと一所《ひとところ》を見詰めたが、ガラリ言葉の調子を変え紋太夫はこう云った。
「聞け十平太! よく聞くがいい! 宝は海の東南にあるそうじゃ」
「どのような宝でございますな?」
「隠されたる巨万の富だ!」
 紋太夫は愉快そうに云う。

        

「隠されたる巨万の富?」十平太は鸚鵡《おうむ》返しに、「場所はどの辺でございますな?」
「遠い遠い海のあなたのメキシコという国じゃそうな」
「メキシコ? メキシコ? 聞かぬ名じゃ」
 十平太は呟いた。
「そこに一つの湾がある」
「大きな湾でございましょうな?」
「日本の九州より大きいそうじゃ。湾の名は加利福尼亜《カリフォルニア》という」
「加利福尼亜《カリフォルニア》湾でございますかな」
「そこに一つの島があるそうじゃ。チブロンという島じゃそうな。宝はそこに隠されてあるのじゃ。――みんな地理書に記されてある」
「どのような宝でございましょうな?」
「砂金、宝石、異国の小判」
「無人の島でございますかな?」
「兇暴残忍の土人どもが無数に住んでいるそうじゃよ」
「頭領」
 と十平太は立ち上がった。「土人どもを平《たい》らげて宝を奪おうではございませぬか」
「航海は往復二年かかるぞよ」
「二年?」と十平太は眼を見張った。
「恐ろしいか?」と紋太夫は笑う。
「何んの!」と十平太は哄笑した。
「瀬戸内海の大海賊、小豆島紋太夫の手下には、臆病者はおりませぬ筈!」
「おおいかにもその通りじゃ、それではいよいよ加利福尼亜《カリフォルニア》へ行くか!」
「申すまでもございませぬ」
「準備に半年はかかろうぞ」
「心得ましてございます」
「鉄砲、大砲も用意せねばならぬ」
「それも心得ておりまする」
「四方に散々《ちりぢり》に散っている友船を悉《ことごと》く集めねばならぬ」
「すぐに早船を遣《つか》わしましょう」
「よし」
 と紋太夫は拳を固め黒檀の卓をトンと打った。とたんに首ががっくり[#「がっくり」に傍点]となる。
「ほい、あぶない」
 と云いながら、両手で頸《くび》をグイと支えた。
「まだまだ首は渡されぬて、ハッハハハ」
 と物凄く笑う。
 真に気味の悪い笑声である。

 八幡大菩薩の大旗を、足利《あしかが》時代の八幡船のように各自《めいめい》船首《へさき》へ押し立てた十隻の日本の軍船《いくさぶね》が、太平洋の浪を分けて想像もつかない大胆さで、南米|墨西哥《メキシコ》へ向かったのは天保末年夏のことであった。
 幾度かの暴風幾度かの暴雨、時には海賊に襲われたりして、つぶさに艱難を甞めた後、眼差す加利福尼亜《カリフォルニア》へ着いたのは日本を立ってから一年後の夏でもうこの時は軍船の数もわずか五隻となっていた。
 ここで物語は一変する。
 墨西哥《メキシコ》国、ソラノ州、熱帯植物の生い茂っているドームという海岸へ舞台は一変しなければならない。

 チブロン島とドーム地帯とは小地獄という海峡を距《へだ》ててほとんど真っ直ぐに向かい合っていた。その距離一里というのだから、互いの顔さえ解りそうである。
 そのドームの深林の中に天幕《テント》が幾十となく張ってあった。大英国の探険家ジョージ・ホーキン氏の一隊で、これもやはりチブロンの大宝庫を探し当てようため、遠征隊を組織して今からちょうど一月ほど前から窃《ひそ》かにここに屯《たむ》ろして様子を窺《うかが》っているのであった。
 熱国の夕暮れの美しさ。真紅|黄金《こがね》色、濃紫《こむらさき》落ちる太陽に照らされて、五彩に輝く雲の峰が、海のあなたにむら[#「むら」に傍点]立ち昇り、その余光が林の木々天幕の布を血のような気味の悪い色に染め付けている。
 鳥の啼く音や猿の叫び声や豹の吠え声や山犬の声などが、林の四方で騒がしくひっきり[#「ひっきり」に傍点]なしに聞こえていたが、それはどうやら遠征隊の傍若無人の振る舞いを怒っているようにも聞きなされた。
 と、一羽のメキシコ孔雀《くじゃく》が虹のような美しい尾をキラキラ夕陽に輝かせながら林の奥から飛んで来たが、天幕《テント》の側《そば》の低い木へ静かに止まって一声啼いた。
「やあ孔雀だ。綺麗だなあ」
 こういう声が聞こえたかと思うと、天幕の口から一人の少年がひらり[#「ひらり」に傍点]と身軽に走り出た、これはホーキン氏の令息でジョンと云って十二歳のきわめて愛らしい美少年であった。
「よし、こん畜生|捕《つか》まえてやるぞ」
 跫音《あしおと》を忍んで近寄って行き、そっと片手を差し出すと、孔雀はピョンと一刎ね刎ね他の灌木へ飛び移った。
「おやおや、こいつ狡猾《ずる》い奴だ」
 ジョンは口小言を云いながらまたそっちへ近寄って行く。
 とまた孔雀は他の木へ移った。
「いけねえいけねえ」
 と呟きながらジョンはそっちへ追って行く。

        

 ジョンの姿はいつの間にか、木蔭に隠れて見えなくなった。
 夕栄えが褪《さ》め月が出て、原始林はすっかり夜となったが、どうしたのかジョンは帰って来ない。炊事の煙りが天幕《テント》から洩れ焚火《たきび》の明りが赤々と射し、森林の中は得も云われない神秘の光景を呈したが、ジョン少年の姿は見えない。
 と、先刻ジョンが出て来たその同じ天幕から、
「ジョンはどうした。見えないではないか」
 こういう声が聞こえたかと思うと、長身肥大の立派な紳士が、片手に銃を持ちながらつと[#「つと」に傍点]戸外へ現われた。
「ジョン! ジョン! ジョンはいないか!」
 呼びながら耳を澄ましたが、どこからも返辞は聞こえて来ない。
 この紳士こそ一隊の隊長ジョージ・ホーキン氏その人であったが、次第に不安に感じられると見え、いちいち天幕を訪ねながら、「ジョンはいないかね?」と尋ね廻った。
 ジョン少年失踪の評判が隊全体に拡がった時人達はいずれも仰天した。我も我もと天幕を出て隊長の周囲《まわり》へ集まった。
 そうして四組の捜索隊が忽ちのうちに出来上がった。松火《たいまつ》を振り龕燈《がんどう》を照らし東西南北四方に向かって四つの隊は発足した。
 愛児を失ったホーキン氏は自《みずから》一隊を引率し、海岸に添って南の方へ飛ぶようにして、下って行った。
 行けども行けども密林である。眼を覚まされた鳥や獣がさも怒りに堪えないようにけたたましい鳴き声を響かせ時々一行に飛び掛かって来た。サーッサーッサーッサーッと生い茂った雑草を分けながら隊の行く手を横切るものがあったが、云うまでもなく大蛇である。
 一時間あまりも走った時、一行は小広い空地へ出た。
 と、ホーキン氏は立ち止まった。
「しまった」
 と小声で叫びながら空地の一所へ走って行き体を曲げ手を伸ばし地上から何か拾い上げたが、松火の火ですかして見ると、
「やっぱりそうか! もう駄目だ」
 こう云って愁然と眼を垂れた。拾い上げたのは小さい帽子で、紛《まご》うべくもないジョンの物だ。
 帽子に着いている血の染《しみ》と、急拵えの石の竈《かまど》と、その傍《わき》に落ちていたセリ・インデヤ人の毒矢とを見れば、ジョン少年の運命は知れる。チブロン島の土人どもが、こっそりここへ上陸し、竈を作り焚火を焚き、遠征隊の動静を密《ひそ》かに窺っていたところへ、ジョン少年がやって来たのだ。そうして殺されて食われたのだ。
 ジョージ・ホーキン氏の悲しそうな様子は、部下の者達を皆泣かせた。獅子であろうと虎であろうとビクともしない大冒険家も、肉親の情には堪えられないと見え、顔も上げえず咽《むせ》んでいる。
 その時、遙か北の方から、大砲の音が聞こえて来た。
 一同は驚いて耳を澄ました。
 するとまた一発聞こえて来た。
 にわかにホーキン氏は奮い立った。
「ドームへ!」
 と一声号令を下すと、元来た方へ一散に、先頭に立って走り出した。
 ドームの露営地まで来て見ると、別に変わったこともない。天幕《テント》もそのまま立っている。捜索隊も帰って来ている。北へ向かった一隊だけがまだ帰っていなかった。
 ものの半時間も経った頃その一隊も帰って来た。
 そうして彼らは云うのであった。
「異形の軍船《いくさぶね》が五隻揃って湾を静かに上《のぼ》って行きました」と。
「大砲の音は?」
 とホーキン氏が訊いた。
「やはり異形のその軍船から打ち出したものでございます」
「どこへ向かって打ったのか?」
「島へ向かって打ちました」
「チブロン島へ向かってか?」
「はい、さようでございます」
「ふうむ」
 とホーキン氏は考え込んだ。解らないのが当然である。日本という東洋の国の紋太夫という海賊が船隊を率い大海を越え、こんな所へやって来ようとは、誰しも夢にも思い付くまい。
 さて、それにしてもジョン少年ははたして土人に喰われたであろうか?

        

 チブロン島の海岸に近く、土人部落が立っていた。椰子や芭蕉や棗《なつめ》の木などにこんもりと囲まれた広庭は彼ら土人達の会議所であったが、今や酋長のオンコッコは、一段高い岩の上に立って滔々《とうとう》と雄弁を揮《ふる》っている。
「……俺達の国は神聖だ。俺達の国土は穢《けが》れていない。俺達の国土はかつて一度も外敵に襲われたことはない。……俺達の国は金持ちだ。黄金、真珠、輝瀝青《きれきせい》、それから小判大判が山のように隠されてある。俺達セリ・インデアンは、祝福されたる神の児《こ》だ。そうして俺達のこの国はその神様の花園だ。それだのに無礼にもこの俺達と、俺達の大事なこの国とを、征服しようとする者がある。それは色の白い毛の赤い欧羅巴《ヨーロッパ》人とか云う奴らだ。そうしてそいつらは海峡を隔《へだ》てた大陸の林に陣取っている。ちっとも恐れる必要はない。しかし決して油断は出来ない。鏃《やじり》を磨き刀を研ぎ楯を繕い弓弦を張れよ!」
 この勇ましい雄弁がどんなに土人達を感心させたか、一斉に土人達は歓呼した。そうして彼らの習慣として広場をグルグル廻りながら勇敢な踊りをおどり出した。
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赤い鶫《つぐみ》が飛んで行った
そっちから敵めが現われた
矢をとばせよ、槍を投げよや
可愛い女達を守らねばならぬ
部落のため、島のため
家族のために死のうではないか

赤い鶫が飛んで行った
そっちから敵があらわれた
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 彼らの唄う戦いの歌は森に林に反響した。勇ましい愉快な反響である。
 その日が暮れて夜となった。土人達は篝《かがり》を焚いた。血の色をした焔《ほのお》に照らされ、抜き身の武器はキラキラ輝き土人達の顔は真っ赤に染まり凄愴の気を漂わせた。
 しかしその晩は変わったこともなくやがて、夜が明け朝となり太陽が華々しく射し出《い》でた。
 この時一大事が持ち上がった。
 島の北方ビサンチン湾へ、物見に出して置いたゴーという土人が、息急《いきせ》き切って走って来たが、
「大きな船が五隻揃ってビサンチン湾へはいって来た」とこういうことを告げたものである。
「どんな船だか云って見ろ!」
 悠然と床几《しょうぎ》へ腰かけたままオンコッコ酋長はまず云った。
「不思議な帆船でございます。見たこともないような不思議な船!」
「どんな人間が乗り組んでいたな?」
「それが不思議なのでございます。私達と大変似ております」
「肌の色はどうだ白いかな?」
「いえ、銅色《あかがねいろ》でございます」
「そうか、そうして頭の髪《け》は?」
「それも私達と同じように真っ黒な色をしております」
「なるほど、俺達と同じだな」
 オンコッコは腑に落ちないように、眼を閉《つむ》って考え込んだが、急に飛び上がって叫び出した。
「集まれ集まれ皆《みんな》集まってくれ! 伝説の東邦人がやって来た!」
 そこで再び大会議が例の広場でひらかれた。そうしてオンコッコは岩の上へ突っ立ち、再び雄弁を揮うことになった。
「俺達の先祖はいい先祖だ。立派な国を残してくれた。しかし一方俺達の先祖は悪い予言を残してもくれた。ある日ある時東邦人が、五隻の船に乗り込んでこの国へやって来るだろう。そうして謎語《めいご》を解くであろう。そうして紐を解くであろう。そうしたら国中の財産を東邦人へくれなければならない。……こういう予言を残してくれた。今、どうやらその連中が船へ乗って来たらしい」
 この酋長の言葉を聞くや土人達はにわかに騒ぎ出した。あっちでも議論こっちでも議論。広い空地は土人達の声で海嘯《つなみ》のように騒がしくなった。
「東邦人を追っ払え! 宝を渡してたまるものか!」
「東邦人が利口でもあの謎語《めいご》を解くことは出来まい」
「たとい謎語は解くにしても、あの紐だけは解くことは出来まい」
「とにかく充分用心しよう。少しの間様子を見よう」
 最後の議論が勝ちを占めた。しばらく様子を見ることになった。
 やがて三日が過ぎ去った。東邦人はやって来ない。と云って五隻の軍船《いくさぶね》が湾から外海へ出ようともしない。現状維持というところだ。
 と、事件が持ち上がった。物見をしていた土人のゴーが東邦人に捕らえられたのである。

        

 オンコッコは憤慨したが、相手が名におう伝説にある東邦人というところから、どうすることも出来なかった。
 こうして、またも数日経った。その時、船から使者が来た。その使者こそは、他ならぬ来島十平太その人であって、案内人はゴーであった。
 酋長オンコッコは熟慮した後、その十平太と逢うことにした。通弁の役はゴーである。
「我らは東邦の君子国、日本という国の軍人でござる」まず十平太はこう云った。
「それには何か証拠がござるかな?」オンコッコも負けてはいない。
「証拠と申して何もないが、東邦人には相違ござらぬ」十平太は昂然《こうぜん》と云う。
「それはそれとして何用あって我らの国へは参られたな?」オンコッコは突っ込んだ。
「交際《まじわり》を修め貿易をなし利益交換を致したいために」
「東邦人に相違なくば、祖先より伝わる数連の謎語と、固くむすぼれた不思議な紐とを、何より先にお解きくだされい。修交貿易はその後のことでござる」
「ははあさようか、よろしゅうござる。一旦船中へ取って返し、御大将《おんたいしょう》に申し上げ、改めて再度参ることに致す」
 こう云い残して十平太は湾の方へ帰って行った。ゴーも一緒に従《つ》いて行く。どうやらゴーは土人などより東邦人の方が好きになったらしい。
 翌日数十人の東邦人が土人部落へやって来た。小豆島紋太夫と十平太とが部下を従えて来たのである。と、酋長のオンコッコはこれも部落中の土人を従え例の広場へ出張って来た。
「拙者は小豆島紋太夫。東邦人の頭領でござる」
「拙者はオンコッコと申すもの。チブロン島国の酋長でござる」
 こう両軍の大将は物々しげに宣《なの》り合った。
「何か謎語《めいご》がござる由《よし》、拙者必ず解くでござろう」自信あり気に紋太夫は云う。
「しからばこなたへおいでくだされい」
 こう云ってオンコッコは歩き出した。十平太初め部下の者が紋太夫の後から続こうとするのを、オンコッコは手で止めた。そうしてたった[#「たった」に傍点]二人だけで林の中へ分け入った。ただし通弁のゴーだけは従いて行かなければならなかった。
 三人はずんずん進んで行く。
 林の中は薄暗くそしてほとんど道がなかった。しかし豪勇の紋太夫はびく[#「びく」に傍点]ともせず進んで行く。
 行く手に巨岩が立っていた。数行の文字が刻《ほ》り付けられてある。
「これでござる」
 と云いながらオンコッコは足を止め、指で石文字を差し示した。
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この地上に一物あり
四脚にして二脚にて、三脚なり
しかして声は一あるのみ
四脚を用いて歩む時、彼の歩行最も遅し。
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 こういう意味のことが刻《ほ》り付けてあった。
「その一物とは何物じゃな? もしこの謎語を解くことが出来れば、大岩自然に左右に開く、とこう伝説に云われております。その一物とは何物じゃな?」
 酋長オンコッコは得意そうに云った。
「何んだ詰まらないこんな事か。よろしいすぐに解いて進ぜる」紋太夫はカラカラと笑ったものだ。
「聞け、よいかさあ解くぞ。そもそも人間というものは、赤児《あかご》の時分には四つ脚がある。手が脚の用をするからじゃ。壮年時代に至っては云うまでもなく脚は二本だ。老人となって杖を突く、すなわち脚は三本となる。四つの脚を働かせて這い廻っている赤児時代に、人間は一番歩行が遅い、人間には声は一つしかない。謎の一物とは人間のことじゃ!」
 こう叫んだそのとたんに、岩に刻られた文字が消えた。
 そうして岩が二つに割れ、左右へ開いて道を作った。道のあなたに社殿がある、古びた小さい社殿である。
「一つの謎はこれで解けた。さあこんどは二番目だ」
 酋長オンコッコは胆を潰したが、こう云って社殿の方へ走り出した。
 社殿の棟から太い紐が長々と地の上に垂れていた、それは細い細い女の髪の毛を、千八重《ちやえ》に結んで出来た紐で、たといどのように根気よく幾年かかって解こうとしても人間業では解けそうもない。
「さあこの紐を解くがいい、細い髪の毛をバラバラに、一本一本解くがいい」
 オンコッコは怒鳴り出した。
「うむ、これか」と云いながら、紋太夫は紐を握ったが、「一本一本解けばよいのか? バラバラに解けばよいのだな?」
「一本一本バラバラに解いて、それが神の御旨《みむね》に適《かな》えば社殿の奥から鈴が鳴る筈じゃ」
「よし心得た」と云ったかと思うと、紐を小脇に抱《か》い込んだ。

        七

 と、やにわに腰の太刀を掛け声も掛けず引き抜いたが、そのまま颯《さっ》と切り付けた。髪のより紐は中央《なかば》から断たれ、結ぼれていた髪の毛は瞬間にバラバラに解けてしまった。その時はたして社殿の奥からカラカラカラカラと鈴の音がした。
「おお鈴の音がする鈴の音がする。神がご嘉納なされたと見える」
 オンコッコは仰天し、思わず両手を天へ上げたが、にわかに何か叫びながら社殿の格子戸を引き開けた。と、内陣の板の間に老土人が一人眠っていた。そうしてその側《そば》に少年がいた。しかし土人の子供ではない。白い肌、青い眼、黄金色の髪、紛れもないそれは欧羅巴《ヨーロッパ》人で、他ならぬそれはジョン少年であった。そうしてジョンは鈴の紐を両手に握って振っていた。そのつど鈴はカラカラと鳴る。
「こやついったい何者だ!」
 オンコッコは怒鳴りながら、ジョン少年を睨《にら》み付けたが、老土人の側へツカツカと進み、
「起きろ起きろバタチカン」こう云って肩を揺すぶった。
 バタチカンと呼ばれた老土人は、眼を覚ましてムックリ起き上がったが、
「おおこれは酋長様で」
「こやついったい何者だな?」ジョン少年を指差した。
「ああその子供でございますかな。欧羅巴《ヨーロッパ》人の子供だそうで」
「それでは俺達の敵ではないか」オンコッコは顔をしかめ、
「いったいどこから捕らえて来たのだ?」
「ドームの森の附近《ちかく》だそうで」
「誰がいったい捕らえたのだ?」
「物見に行った仲間達で」
「何故俺達の敵の子を神聖な社殿などへ隠匿《かくま》うのだ?」
「あまり不愍《ふびん》でございましたから」
「不愍とは何んだ。何が不愍だ」
「この子を捕らえた仲間達は、戦勝を祈る犠牲《にえ》だと申して、この子を神の拝殿の前で焼き殺そうと致しました、見るに見かねてこの私が命乞いを致したのでございます。私は祭司でござります。神の御旨《みむね》はこの私が誰よりも一番存じております。神は助けよと申されました」
 祭司バタチカンはこう云いながらジョン少年を引き寄せようとした。
 酋長オンコッコは月形をした長い太刀を引き抜いたが、左の腕でジョン少年を捕らえ、自分の方へ引き寄せた。怯《おび》えて泣くジョン少年。バタチカンはひざまずいて何やらブツブツ云い出したのは神へお祈りでもするのであろう。
 オンコッコは力をこめてジョン少年の胸の辺を偃月刀《えんげつとう》で突き刺そうとした。とにわかに手が麻痺《しび》れた。
「お待ちなされい!」と沈着《おちつ》いた声。紋太夫が背後《うしろ》に立っている。オンコッコの腕は紋太夫の手の中にしっかり握られているのであった。
「女子供には罪はない。女子供は非戦闘員でござる。助けておやりなさるがよい」紋太夫は静かに云った。
「おお助けよとおっしゃるなら助けないものでもござらぬが、それには償いがいり申すぞ」オンコッコは憎さげに云う。
「拙者代わって償いましょう」
「この深い深い林の中を西へ西へと三里余り参ると一つの大きな巌窟《いわや》がござる。巌窟《いわや》の中に剣《つるぎ》がござる」
「ははあそれではその剣を持って参れと云われるのか」
「さよう」とオンコッコは頷《うなず》いた。
「いと容易《やす》いことじゃ。すぐに参ろう」
 こう云うと紋太夫は社殿から下りて林の中へはいって行った。
 彼はズンズン進んで行く。

「ははあこれだな」
 と呟《つぶや》きながら、大岩の前に彳《たたず》んだのは、それから三時間も経った後で、永い永い南国の日も今は暮れて夜となっていた。
 彼の眼前に大岩が――大岩というより岩山が、高さ数十丈広さ数町、峨々《がが》堂々《どうどう》として聳《そび》えていたが、正面に一つの口があってそこから内へはいれるらしい。
「内は暗いに相違あるまい。松火《たいまつ》を作る必要がある」
 紋太夫はこう思って、枯れ枝を集めに取りかかった。やがて松火が出来上がる。燧石《いし》を打って火を作る。松火は焔々と燃え上がった。
 で、紋太夫は元気よく、しかし充分用心して窟《いわや》の内《なか》へはいって行った。道が一筋通じている。その道をズンズン歩いて行く。
 やがて一つの辻へ出た。道が二つに別れている。紋太夫はちょっと考えてから左の方へ進んで行った。道はきわめて平坦でそして天井も高かった。しかし幅はかなり狭く、腕を左右に拡げると、指の先が岩壁へ届くのであった。

        

 紋太夫はズンズン進んで行く。
 とまた辻へ現われた、道が四つに別れている。で、同じように左を取って彼は躊躇《ちゅうちょ》せず進んで行った。行くにしたがって次々にほとんど無際限に辻が現われた。そうして全く不思議なことには、二、四、八、十六というように、枝道の数が殖《ふ》えるのであった。こうしてとうとう十回目の辻の前へ立った時、彼はすっかり当惑した。一千〇二十四本の枝道が別れているではないか!
「むう、さては迷宮だな」初めて彼は気が付いた。
「うかうか先へは進まれない。今のうちに引っ返すことにしよう」さすがの彼も心細くなり、元来た道へ引き返そうとした。しかしその時彼は一層当惑せざるを得なかった。どれも、これも同じような道である。今来た道がどれであるか全く見分けが付かないのであった。
「…………」彼は無言で立ち止まった。初めて恐怖が心に湧いた。
「この無数の枝道のうち戸外《そと》へ出られる道と云えば、今自分が通って来たその道以外にはありそうもない。その他の道は迷路に相違ない。むう、こいつは困ったぞ。戸外《そと》へ出られる肝心の道を俺はすっかり見失ってしまった。それをいちいち調べていた日には十日も二十日も掛かるだろう。食物がない。水がない。みすみす俺は餓え死ななければならない。土人酋長オンコッコめさては俺を計ったな!」
 紋太夫は歯噛みをしたけれどどうすることも出来なかった。
 そのうちに松火《たいまつ》の火も消えた。四辺《あたり》は真の如法暗夜《にょほうあんや》。そうして何んの音もない。
 紋太夫は生きながら地の中へ全く葬られてしまったのである。
 こうして幾時間か経たらしい。
 その時一つの枝道の、奥の方から一点の赤い火の光が見えて来た。
「おお」と思わず歓喜の声が紋太夫の口から飛び出したのはまことにもっとものことである。いわば地獄での仏《ほとけ》である。彼は勇気を振り起こし、火の光の方へ走って行った。近付くままによく見れば、そこは小広い部屋であって、一人の女が火を焚いている。打ち見たところ土人の娘であるが、どことなく様子が違っている。
 紋太夫は側《そば》へ寄って行った。そうして手真似《てまね》で話し出した。
「あなたはいったい何者です? ここで何をしておられるのです!」
 すると娘も覚束《おぼつか》ない手真似で、
「妾《わたし》は巫女《みこ》でございます。ここが妾の住み家なのです」こうようやく答えたのである。
「拙者は東邦の人間でござるが、計らず洞中へ迷い入り、帰りの道を失ってござる。あなたのご好意をもちまして洞窟外へ出るを得ましたら有難き仕合せに存じます」
「それはとうてい出来ますまい」
 これが巫女の返辞であった。
「それはまた何故でござりますな?」
「何故と申してこの妾《わたし》も、やはり出口を存じませぬゆえ」
「おおあなたもご存じない?」
「はい妾も存じませぬ。物心ついたその頃から妾はずっ[#「ずっ」に傍点]とこの洞内に起き伏ししておるのでございます」
「食物もなく水もなくどうして活《い》きておいでなさるな?」
「いえいえ水も食物も、運んでくださる方がござります」
「それは何者でござるかな?」
「妾は一向存じませぬ」
「ご存知ないとな、これは不思議」
「きっと妾のお仕えしている尊い尊い壺神様《つぼがみさま》がお運びくださるのでござりましょう」
 紋太夫は早くも聞き咎《とが》めた。
「何、壺とな? 壺神様とな?」

 英国の探険家ジョージ・ホーキン氏は、愛児のジョンを失ったことを、驚きも悲しみもしたけれど、そこは冷静な英人|気質《かたぎ》、あわても血迷いもしなかった。
 彼は部下を呼び集め、今後の方針について物語った。
「我々の露営もかなり久しい。土人の様子もたいがい解った。平和手段では駄目らしい。で船を出し海峡を越え砲火を交じえて征服しよう。しかし、聞けば不思議な軍艦が、ビサンチン湾に碇泊し、やはり我々と同じようにチブロン島を狙っているそうだ。まず使者を遣《つか》わして彼らと一応商議しようと思う」
「賛成」
 と部下達は一斉に叫んだ。
 そこで二十人の部下達は、後備《こうび》少佐ゴルドンという勇敢な軍人に引率され湾を指して出発した。
 往復三日はかかるであろう。……こういう予定で出発したのが五日になっても帰って来ない。で、不安には思ったけれど、待っていることも無意味だというので、いよいよホーキン氏は全軍を率いチブロン島へ襲撃し土人と一戦することにした。

        

 ホーキン氏の率いる遠征隊が、チブロン島へ上陸するや否や、土人の斥候が早くも見附け、ピューッと鋭い笛を吹いた。するとその笛は他の笛を呼び、さらにその笛は他の笛を呼び、次々に吹き継いで、土人部落へ報告したらしい。
 海岸へ上がるやホーキン氏は直《ただ》ちに部下を一所《ひとところ》に集めた。
「土人を殺すが目的ではない。彼らを威嚇し降参させ、財宝を発見《みつけ》るのが目的である。鉄砲は是非とも打たねばなるまい。しかし急所は避けるがよい。戦闘力を失わせる! これが最も肝心である。……では諸君進もうではないか! 土人は毒矢を射るであろう。木立ちを楯に進むがよい」
 まだ言葉の終らぬうちに、一斉に毒矢が降って来た。
「林の中へ!」とホーキン氏は云った。
 遠征隊は一散に林の中へ飛び込んだ。棗椰子《なつめやし》や山毛欅《ぶなのき》や棕櫚《しゅろ》の木などに蔽《おお》われて林の中は暗かった。
「散って!」とホーキン氏が叫んだので密集していた部下の者は二間の隔《へだ》てを置きながら左右へ翼のように拡がった。
 毒矢は今は飛んで来ない。土人の姿も見ることは出来ない。全軍|粛々《しゅくしゅく》と進んで行く。
 深い林が浅くなり日光がキラキラ射し込んで来た。遙か前方に丘が見えた。そこに土人が集まっている。
「打て!」とホーキン氏が令を下した。と同時に火蓋《ひぶた》が切られ白煙りがパッと立ち上がり木精《こだま》が四方から返って来た。
 三人の土人が地に仆《たお》れた。あわてふためい[#「ふためい」に傍点]た余《あと》の土人は仆れた土人を抱きかかえ忽ち丘から見えなくなった。
「左へ!」とホーキン氏が号令を掛けた。
 全軍素早く左へ走り、敵に位置を知られないようにした。
 突然その時|背後《うしろ》にあたって異様な叫び声が湧き起こり、同時に毒矢が降って来た。案内知った土人軍は早くも背後《うしろ》へ廻ったと見える。
「止まれ! 伏せ!」とホーキン氏は勇ましい声で命令した。部下達はバタバタと地へ伏した。そうして後方《うしろ》をすかして見た。
 土人の姿がチラチラ見える。いずれも刺青《ほりもの》で肉体を飾りそのある者は鳥の羽根を附け、そのある者は髑髏《どくろ》を懸け、そうしてほとんど一人残らず毒矢を入れた箙《やなぐい》を負い、手に半弓を握っている。
「随意打て!」とホーキン氏は、全軍に令を下して置いて自分も銃の狙いをつけた。
 パン、パン、パンという小銃の音は、忽ち諸方から響き渡り、その音に連れて土人どもは見る見るバタバタと仆れたが、彼らも獰猛のセリ・インデアン、容易に退《しりぞ》こうとはしなかった。草に伏し木に隠れ岩を楯にし頻々と毒矢を飛ばせて来る。
 その時、今度は丘の方からワーッという声が聞こえて来た。そうして毒矢が飛んで来た。
 土人は挟み撃ちを試みるらしい。
 遠征軍は隊を分かち、前後の敵に向かうことになった。そうして数人毒矢に当たったが、幸いに命は取られなかった。永い露営のその間に研究して置いた対症療養がこの時効を奏したのである。
 戦闘は発展しなかった。敵も味方も居坐ったまま矢弾《やだま》をポンポン飛ばせるばかりである。
「これはいけない」とホーキン氏は鉄砲を打ちながら考えた。
「戦いが長引けば長引くほど味方の者を損ずるばかりだ。……一方の敵を打ち破り安全の場所へ引き上げることにしよう」
 丘の土人軍を一掃し、丘を手中に納めるよう彼は全軍に命を下した。遠征隊は立ち上がり、一斉に喊声を上げながら丘へ向かって突進した。敵は頑強に手向かったが間もなく散々《ちりぢり》に逃げてしまった。
 丘を占領した遠征軍は丘の背後《うしろ》に空地があり、空地を取り巻いて土人の小屋が円形の屋根を陽に輝かせ、無数に建っているのを見て驚きもし喜びもした。
「ついでに部落も占領するがよい!」
 ホーキン氏は銃を握り自身真っ先に駈け下りた。不思議のことには部落から毒矢一筋飛んで来ない。
 部落は文字通り空虚《からっぽ》であった。
 少しの家畜と少しの食料、それを部落へ残したまま住民はすっかり逃げてしまったらしい。しかし小屋は完全であった。で、小屋にさえはいっていれば土人の毒矢を防ぐことが出来る。
「諸所へ歩哨を立てて置いて、全軍、小屋の中で休息させよう」
 ホーキン氏はそこへ気が附いた。
 十人の歩哨を十方へ配り、その後で全軍は小屋にはいった。
 不思議のことには土人どもは、追撃をして来なかった。でのびのびと遠征軍は小屋の中で休むことが出来、元気を恢復したのであった。

        

 やがて日が暮れ夜となった。
 歩哨の数を二十人に増し土人軍の襲来に備え、その他は小屋で眠ることにした。人々は皆|疲労《つか》れていたのですぐさま深い睡眠《ねむり》に落ちたが、一人ホーキン氏は眠られなかった。考えられるのはジョンの事で、兇猛無残の土人のために殺されたことには疑がいないにしても、もしやどこかに活きてはいないか? どこからか泣き声でも聞こえはしないかと、何んとなく耳を澄まされるのであった。
「もう夜も大分更けたらしい。今、少しでも眠って置かないと、明日の戦いに差し支えるだろう。眠ろう眠ろう」
 と云いながら心を落ち着け眼を閉じた時、
「お父|様《さん》! お父|様《さん》!」
 と紛れもない、ジョンの呼び声が聞こえて来た。
「おおジョンか!」
 と飛び上がり、小屋の窓を開けて見た。
 しかし戸外《そと》は月の光が蒼茫《そうぼう》と空地に流れているばかり、林や森や土人小屋は、黒く朦朧《もうろう》と見えもするがジョンらしい少年の姿は見えない。
「ジョンの事ばかり思っていたので、それでそんなように聞こえたのであろう。……殺されたジョンがこんな夜中に何んでこんな所へ来るものか」
 ……ホーキン氏は窓を閉じようとした。と、また紛れもないジョンの声が、手近の椰子《やし》の林の中から、「お父|様《さん》! お父|様《さん》!」
 と聞こえて来た。
「おお!」とホーキン氏は驚いて、林の方へ耳を澄ましたが、
「紛れもないジョンの声だ! さては向こうの林の中に捕らえられているのかもしれない。……ともかく林まで行って見よう。ジョンよ! ジョンよ!」
 と呼びながら、用心のために銃を握り、小屋から戸外《そと》へ飛び出した。
 空地を横切り部落を駈け抜け忽ち林へ分け入ったが、
「ジョンよ! 私だ! ジョンはどこにいるな!」こう呼んで耳を澄ましたが、林の中はしん[#「しん」に傍点]と寂しく、木に当たる微風の幽《かす》かな音が耳に入るばかり、ジョンの声などは聞こえようともしない。
「それではやはり空耳かな?」疑がいが心に起こった時、
「お父様! お父様! 早く来てください! 土人が私を殺します! 恐ろしいお父様!」
 こう呼び立てるジョンの声が林の奥から聞こえて来た。
「おおジョンか、すぐ行くぞよ! 土人がお前を殺すって※[#感嘆符疑問符、1-8-78] その土人を撲《なぐ》ってやれ! お父様はすぐ行くからな! その土人を撲ってやれ!」
 ホーキン氏は夢中で藪を分け、遮《さえぎ》る木立ちを押しのけ押しのけ奥を指して走り出した。
「お父様! お父様! 早く来てください! 土人は刀を抜きました。私の胸へ差し附けました!」
「神様神様お助けください! おおジョンよすぐ行くぞよ! その土人を撲るがいい! その土人を蹴ってやるがいい! どこにいる? どこにいる? ジョンよどこにいるのだ※[#感嘆符疑問符、1-8-78]」
 云い云い奥へ走って行く。
「お父様。私は殺されます! 土人は毒矢をつがえました。私の頸《くび》を括《くく》っています!」
 そういう声はだんだん幽かにだんだん奥へ遠ざかって行く。
「ジョンよジョンよ失望してはいけない! これもう一度お父様と云え! もう一度お父様と云ってくれ! すぐ行く! すぐ行く! すぐ行くぞよ!」
 ホーキン氏はあたかも狂人《きちがい》のように、藪を潜り木立ちを分け、無二無三に走ったが、忽然《こつぜん》何者かに足を掬われドッとばかりに前へ倒れた。
 ハッと驚いて飛び起きようとする。とたんにバラバラと木蔭からセリ・インデアンが二十人余り、獣のように飛び出して来たが、起きようともがくホーキン氏の上へ折り重なって組み附いた。二十人に一人では敵《かな》うべくもなく、見る間にホーキン氏は縛り上げられた。
「むう、さては計略だったのか」
 初めて気が附いたホーキン氏は、牙を噛むばかりに怒ったが、縛られた今はどうすることも出来ない。
 喜んだのは土人達で、彼らは彼らの言葉をもって戦勝の歌を唄いながら、捕虜ホーキン氏を引っ立てた。
[#ここから2字下げ]
麦と燕麦《からすむぎ》と椰子《やし》の実と
俺《おい》らの神様へ捧げよう
係蹄《わな》にかかった敵の捕虜《とりこ》
神様の犠牲《にえ》に捧げよう
肉は肉、骨は骨
バラバラにして食おうじゃねえか。
ああ、ああ、ああ、
捕虜《とりこ》を殺せ!
[#ここで字下げ終わり]

        十一

 チブロン島の夜が明けて遠征隊は起き上がったが、隊長ホーキン氏の姿が見えない。
「きっと朝の散歩だろう。林の中へでも行ったんだろう」
 彼らは互いにこう思ってたいして[#「たいして」に傍点]心配もしなかったが、しかし間もなく昼となり、そうしてとうとう晩になってもホーキン氏の姿が見えないので、にわかに彼らはあわて出した。
 こうして彼らは土人どもが何らか不思議な詭計《きけい》を設けて彼らの隊長ホーキン氏を昨夜のうちに誘拐《おびきだ》しどこか土人どもの本陣へ連れて行ったに相違ないと、こうようやく感附いたのはもうずっと[#「ずっと」に傍点]夜も更けてからであった。
「とにかく手を分けて探すことにしよう。ああしかしどうもとんだことになった」
 そこで彼らは全軍を三つの隊に分けることにした。一隊をもって部落を守り、他の二隊は夜を冒して土人の本陣に向かうことにした。
 南に向かった一隊の将は、チャンバレンという予備大尉で非常に勇敢な人物であり、北に向かった一隊の将はジョンソンという会社員上がりで思慮に富んだ人物であり、部落守備の隊長はマコーレーという人物で、生まれながらの冒険家でありホーキン氏にとっては片腕であった。
 各隊の人数は百人ずつで、いずれも決死の覚悟をもって各※[#二の字点、1-2-22]《おのおの》の任務についたのである。

「みんな唄うがいい! みんな踊るがいい! 敵の大将を捕虜《とりこ》にしたぞ!」
 土人酋長オンコッコは、社殿の縁に突っ立ち上がり、さも得意気に喋舌《しゃべ》るのであった。
「……最初俺達は敵の大将ホーキンの子供を捕虜《とりこ》にした。そこで俺達は考えた。このジョンという子伜《こせがれ》めをどうぞうまく囮《おとり》につかって敵の大将をおびき[#「おびき」に傍点]出したいとな。……そこでジョンをふん[#「ふん」に傍点]縛り部落近くへ連れて行きピシピシ鞭《むち》で撲《なぐ》ったものさ。するとこっちの思惑通りジョンめ親父の名を呼んだものさ。そこで親父のホーキンめが一人でノコノコやって来た。それをだんだんおびきよせ[#「おびきよせ」に傍点]、以前《まえかた》係蹄《わな》をかけて置いた林の奥まで引っ張り寄せ、そこでうまうま捉えたというものだ! 何んと愚かな敵じゃないか! 何んと利口な俺達じゃないか! ……さあみんな唄ってくれ! 大きな声で唄ってくれ!」
 住み慣れた部落を惜し気なく捨てここ社殿へ住居《すまい》を移した千人に余る土人どもは、この酋長の話を聞くと老若男女一斉にワッとばかりに喊声を上げ、社殿の周囲《まわり》を廻り出した。
 体には刺青《ほりもの》、手には武器、頭や腰を羽毛で飾った兇猛無残の食人族が、不思議な身振り奇怪な手振りで、踊りつ唄いつ廻り歩く様子は、何んと形容しようもない世にも物凄い光景であったが、しかし間もなくそれ以上の恐ろしい光景が展開された。
「もうよかろう引っ張り出せ!」
 オンコッコが叫ぶと同時に社殿の扉が左右に開いて、まず現われたのはホーキン氏、次に引き出されたのはジョン少年で、二人ながら革紐《かわひも》で縛られている。
「そこの杭《くい》へ縛り附けろ!」
 社殿の前の小広い空地に一本の杭が立っていたが、二人はそこへ縛り附けられた。
「さあそろそろやろうじゃないか。血を出せ血を出せ! 肉を削《そ》げ肉を削げ!」
 このオンコッコの合図と共に、社殿を廻っていた土人達は、杭の周囲《まわり》へ集まって来た。そうして二人の捕虜の周囲をグルグルグルグル廻り出した。そうして歌を唄い出した。
 いよいよ虐殺が始まるのである。
 彼らは捕虜を廻りながら、手に持っている槍や刀で捕虜の体を切るのであった。そうしてほとんど一日がかりで嬲《なぶ》り殺しにするのであった。
 今や一人の蛮人が、手に持っている両刃の剣で、ホーキン氏の腕を切ろうとした。とその刹那木立ちを通し一筋の征矢《そや》が飛んで来たが、その蛮人の拳に当った。
「あっ」と叫んで持っていた刀を手からポロリと取り落とす。とたんにドッと鬨《とき》の声が林の奥から湧き起こり、朝陽の輝く社殿を目がけ雨のように矢が飛んで来た。それが一本として空矢《あだや》はなく、生死は知らず二十人の土人バタバタと地上へ転《ころ》がった。
「それ敵が征《せ》めて来たぞ!」「弓を射ろ槍を飛ばせろ!」「敵は向こうの林の中にいるぞ! 油断をするな油断をするな」
「踊りを止めて武器をとれ!」
「捕虜《とりこ》を攫《さら》われない用心をしろ!」
「それ敵めが現われたぞ! 毒矢を射ろ毒矢を射ろ!」
 土人どもは狼狽し、右往左往に立ち迷いながらもそこは勇敢なセリ・インデアン、襲い来る敵に立ち向かった。
 その時またも林の中からドッとばかりに鬨の声が上り、ひとしきり[#「ひとしきり」に傍点]征矢《そや》が飛んで来たが、忽ち人影が現われ出た。
 先《さき》に立ったは来島十平太で、後《あと》に続いたのはゴルドン大佐、そうしてその後から雲霞《うんか》のように続々として現われ出《い》でたのはゴルドンの引率した二十人の兵と、十平太[#「十平太」は底本では「十兵太」]の率いた二百人の武士、しめて二百二十二人、日英同盟の勇士達であった。

        十二

 ところでどうしてこれらの勇士達が忽然《こつぜん》ここへ現われ出で土人に向かって攻撃を開始し、ホーキン氏親子の危い命を、間一髪に止めたかというに、それには次のような経路がある。
 ゴルドン大佐はホーキン氏の命で、日本の海豪《かいごう》小豆島紋太夫と、同盟の相談をしようものと、往復二日の予定をもってドームの露営地を出発したところ、不案内の蛮地であったがため予想外に日数がかかり、目指すビサンチン湾へ行き着いたのは実に五日目の真昼であった。
 しかるにこの時日本軍の方では、頭領小豆島紋太夫が土人部落へ行ったまま、五日経っても帰って来ず何の消息もないところから、来島十平太を大将としていよいよ土人の部落に向かい進撃しようとしていた時であった。
 そこで同盟はすぐに整《ととの》い、全軍五百のその中から二百人だけ選抜し、それへ英人二十人を加え、十平太とゴルドンが両大将となり、チブロン島を横断し計らずもここまでやって来たのであった。
 今や日英同盟軍とセリ・インデアンとの戦いはまさに白熱の最中にあったが、いかに土人が勇敢であってもとうてい日本武士には及ぶべくもなく次第次第に敗け色になった。
 土人酋長オンコッコは早くも味方の負け色を見ると、逃げ出すことに覚悟を決めたが、みすみすホーキン氏とジョン少年とを、奪いかえされるのが残念と思ったか、刀を握って走り寄り二人の傍《そば》へ近寄るや否や杭《くい》へ繋《つな》いだ縄を切り二人へ刀を突き附け、社殿の中へ連れ込もうとした。
 しかるにこの時思いもよらず裏切り者が現われた。他でもない祭司のバタチカンで、彼は最初にジョン少年が仲間の土人に捕らえられ殺されようとした時に、命乞いをして助けて以来、ジョン少年が可愛くてたまらず、杭に繋がれたその時からどうぞして助けようと思っていたところ、今その機会がやって来たので、隠れていた社殿の扉《と》を押し開き脱兎《だっと》のように走り出て、オンコッコの側《そば》へ近寄るや否ややにわにジョンを横抱きにして林の中へ逃げ込んだ。
 あっ[#「あっ」に傍点]と驚いたオンコッコは、
「裏切り者だ! 謀反人だ! 早く早くバタチカンを捉らえろ!」
 大声を上げて叫んだが、戦い最中のことではあり、誰とて耳に止めるものはない。そのうち早くもバタチカンの姿は木蔭に隠れて見えなくなった。
「よしよし餓鬼《がき》は逃げるがいい。そのうちきっと捉えてやる。……こうなったからには親父の方はどんなことがあっても逃がすことは出来ない。……さあ来やがれ! さあ来るがいい!」
 オンコッコは叫びながらホーキン氏の腕を引っ立て社殿の中へ連れ込んだ。
 すぐにガラガラと扉を締《と》じる。
 それからオンコッコはニヤニヤ笑い、柱の一所へ手を触れた。
 と、恐ろしい音がして、ホーキン氏の立っている足の下へ忽然として穴が開《あ》いた。すなわち床板が外れたのであって、アッという間もあらばこそホーキン氏の体はもんどり打って深い深い地の底へ落ち込んだ。
「おいホーキン! おい大将! そこでゆっくり[#「ゆっくり」に傍点]休むがいい。もっとも少し暗いけれどな。そうして少し黴臭《かびくさ》いけれどな。アッハハハゆっくり休みねえ。けれどあらかじめ云っておくがな、あんまりノコノコ歩き廻らぬがいい。うかうか歩くと迷児《まいご》になるぜ」
 暗い穴の中を覗きながら、オンコッコは悪口を云った。それから外れた床板を篏めるとやがて扉《と》を開けて外へ出た。
 戸外《そと》は戦いの最中である。

 穴の底へ落ちたホーキン氏は幸い酷《ひど》い傷も受けず、落ちた拍子に縄も解けにわかに自由の身になった。
「やれやれどうも酷い目に会ったぞ。おやおや手足が擦《す》り剥《む》けている」
 呟き呟きホーキン氏は四辺《あたり》の様子を探ろうとしてそっと立ち上がって歩いて見た。
「これが右だ。石の壁らしい。……これが左だ。やはり石壁か。……これが正面。これも石の壁だ。……さて背後《うしろ》はどうだろう? やはり石壁じゃあるまいかな?」
 で、背後《うしろ》へ手をやって見た。スベスベとして酷く冷たい。石ではなくて鉄の壁らしい。
「鉄とあっては石壁よりまずい[#「まずい」に傍点]。おや、待てよ、変なものがあるぞ。……や、これは金《かね》の錠だ!」
 力をこめて捻《ね》じって見た。金が腐っていたのであろう、何んの苦もなく捻じ切れた。とたんに鉄の扉がギーと開いて冷たい風が吹いて来た。
 どうやら道でもあるらしい。

        十三

 窟《いわや》の中の生活には昼もなければ夜もない。いつも四辺《あたり》は闇である。その闇々たる窟の中で、土人の巫女《みこ》を話し相手として焚火《たきび》の火で暖を取り、小豆島《あずきじま》紋大夫は日を送った。
 会話と云っても手真似《てまね》である。その覚束《おぼつか》ない手真似をもって、ようやく紋太夫が聞き出したのは、壺神様《つぼがみさま》の事である。
「この窟の奥、五里も八里も隔《へだ》たっている遠い遠い窟の奥に、壺神様の神殿がおありなさるのでございます。そうしてそこには蛇使いの恐い恐いお婆さんが、沢山の眷族《けんぞく》を引き連れて、住んでいるそうでございます。壺神様のご神体は剣《つるぎ》だそうでございます。それもただの剣ではなく、活き剣だそうでございます。物を云ったり歌を唄ったり歩いたりするそうでございます。恐い蛇使いのお婆さんは、神主《かんぬし》なのでございます」
 これが巫女《みこ》の話であった。紋太夫は早くも感付いた。
「土人酋長オンコッコめが、俺に取って来いと云ったのは、この活き剣の事だったのか。取って来いなら取っても来よう。活き剣とは面白い」
 で、手真似《てまね》で巫女《みこ》に訊いた。
「壺神様の神殿へはどう行ったらよいのかね?」
「奇数、偶数、奇数、偶数と、こう辿っておいでになれば、参られるそうではございますが、しかし行く事は出来ますまい」
「何故行くことが出来ないな?」
「行く道々悪者どもが蔓延《はびこ》っているそうでございます」
「とにかく私は行くことにしよう」
「これまで沢山の人達がその活き剣を取ろうとして、幾度《いくたび》行ったか知れませぬ。けれどそのうち一人として帰って来た人はござりませぬ。恐ろしい所でございます。決しておいでなさいますな」巫女は熱心に止めるのであった。
「私は東方の君子国日本という国の侍じゃ。恐ろしいということを知らぬ者じゃ」紋太夫はカラカラと笑い、「一旦行くと云ったからはどうでも一度は行かねばならぬ。これが武士《さむらい》の作法なのじゃ。巫女《みこ》殿まことに申しかねるが、一日分の食糧と松火《たいまつ》とを頂戴出来まいかな」
「どうでもおいでなされますか」
「活き剣を手に入れてきっと帰って参りまするぞ」
 そこで松火と食物とを巫女の手から貰い受け、紋太夫は元気よく出立した。
 ものの十町と行かないうちに無数の枝道が現われた。
「奇数、偶数、奇数、偶数、こう辿《たど》ればいいのだな。一は奇数だ、云うまでもなくな。……一の道を行ってやろう」
 一番手近の枝道を彼はズンズン進んで行った。とまた無数の枝道へ出た。今度は手近から二番目の道を――偶数の道を進んで行った。奇数、偶数、奇数、偶数、これを繰《く》り返し繰り返し紋太夫は先へ進むのである。
 行く手は暗々《あんあん》たる闇であったが手に松火《たいまつ》を持っているので道を間違える心配はない。
 半刻余りも歩いた頃、遙か行く手の闇を染めて薔薇色《ばらいろ》の光が射して来た。
「ははあ、何者かいるらしい。いずれ悪者の仲間であろう」
 呟《つぶや》きながら紋太夫は足早にそっちへ進んで行った。はたして一人の大男が、狭い坑道に立ちはだかり[#「はだかり」に傍点]、豪然《ごうぜん》と焚火《たきび》に当たっていたが、紋太夫を見ると、手を拡げ、大きな声で叫び出した。何の事だか解らない。
 そこで紋太夫は十八番の手真似をもって話しかけた。
「何用あって俺を止めた」まずこれから食ってかかる。
「見れば見慣れない人間だが、貴様はいったい何者だ?」大男は聞き返した。
「俺は東邦の人間だ。壺の神の神殿へ行く」
「おお行きたくば行くがよい。しかしその前にこの関門を、貴様どうして通るつもりだ」
「関門とは何だ? 何が関門だ?」
「すなわちここが関門よ。そうして俺こそ関守《せきもり》よ」
「関門であろうと関守であろうと、俺は腕ずくで通って見せる」
「腕ずくでは駄目だ、智恵で通れ」
「おお面白い。何でも尋《たず》ねろ。紋太夫即座に答えて見せる」こう云うとポンと胸を打った。
「それ訊《き》くぞ。答えろよ」大男はニヤリと笑った。
「使えば使うほど殖えるものは何んだ?」
「へん、べらぼうめ。そんな事か。他でもねえ人間の智恵だ。さあドシドシ訊くがいい」紋太夫は大得意だ。
「形がなくて声がある、早く走るけれども足がない。これは何んだ、当てて見ろ」
「いよいよ益※[#二の字点、1-2-22]愚劣だな。それは風と云うものだ。さあ何でも訊くがいい」
「だんだん肥えてだんだん痩せる。死んでも死んでも生まれるものは何んだ?」
「智恵のねえ事を訊きゃあがるな。それはな、空のお月様だ」

        十四

「さあ今度は貴様が訊け」大男はとうとう我を折った。
「よし訊くぞよ、答えるがいい。……大きくて小さく、形あって形ない。これは何んだ? さあ答えろ!」
 紋太夫は大喝《だいかつ》した。
「むう」と云ったが大男は返辞をすることが出来なかった。
「どうだ?」と紋太夫は嘲笑い、「返辞が出来ずば関を通せい」
「仕方がねえ。通るがいい」
 大男は片寄った。そこを眼がけて駈け抜ける。
「大きくて小さく、形あって形なし、――どうも俺には解らねえ。いったいこれは何者だな?」
 大男は訊いたものである。
「実は俺にも解らねえのさ! そんな物は世にあるまい。アッハハハ」と駈け過ぎる。
「いやはや馬鹿な奴ではある。うまく一杯食いおったわい」
 こう心地よげに呟きながら、松火《たいまつ》の光で道を照らし先へ先へと進んで行った。
 とまた遙か行く手に当って蒼白い光が見えて来た。近付くままによく見れば、肥えた傴僂《せむし》の老人《としより》が岩に一人腰掛けている。背後《うしろ》の岩壁を刳《く》り抜いてそこに灯皿《ほざら》が置いてあったが、そこで灯っている獣油の火が蒼然と四辺《あたり》を照らしている態《さま》は、鬼々陰々たるものである。
 と見ると老人《としより》の足もとに深い穴が掘ってある。
 消え入るような悲しそうな声で何やら老人は話しかけた。しかし紋太夫には解らない。彼は手真似で訊き返した。
「足を洗わせてくださいませ」こう老人は云っているのであった。「諸人の足を洗うのが私の役目でござります。罪障消滅のそのために足を洗わせてくださりませ」繰り返し老人は云うのであった。
「変わった事を云う奴だな。これは迂濶《うかつ》には信じられぬ」心中怪しく思いながら、紋太夫は思案した。「岩から泉水《いずみ》が流れている。ははあこの水で洗うのだな。……ここに深い穴がある。穴! 穴! これが怪しい」
 この時忽然彼の心へ、老人の姦計が映って見えた。「ううむそうか。よく解った。そっちがそういう心なら、こっちはその裏を掻いてやろう」
 つと紋太夫は片足を老人《としより》の前へ突き出した。とたんに老人は膝を突き、その足首を掴んだが、真っ逆さまに紋太夫を穴の中へ投げ込もうとした。
「えい!」と云う裂帛《れっぱく》の声、紋太夫の口から※[#「しんにゅう+奔」、189-5]《ほとば》しると見るや、傴僂《せむし》の老人の小さい体は、幾十丈幾百丈、底の知れない穴の中へもんどり打って蹴落とされた。
「人を咒《のろ》わば穴二つ、いい気味だ、態《ざま》ア見ろ」
 じっと穴の中を見込んだが、文目《あやめ》も知れぬ闇の底から冷たい風が吹いて来るばかり、老人の姿は見えなかった。
「なるほど巫女の云った通り、小気味の悪い悪人どもが到る所に蔓延《はびこ》っているわい」――油断は出来ぬと心を引き締め、松火《たいまつ》の火を打ち振り打ち振り紋太夫は進んで行く。
 奇数、偶数、奇数、偶数! ――幾百ないし幾千本、どれほど枝道が現われようと、彼は驚きはしなかった。奇数、偶数と行きさえすれば迷う心配がないからである。
 今の時間にして十時間余り、道程《みちのり》にして十二、三里、紋太夫は歩いたものである。その時|洞然《どうぜん》と打ち開けた広い空地が現われた。それは空地と云うよりもむしろ一個の別天地であった。丘もあれば林もあり人家もあれば小川もある。蛍の光か月光か、蒼澄んだ仄《ほの》かな微光《うすびかり》が、茫然と別天地を照らしているが何んの光だか解らない。
 どこからともなく人声がする。と歌声が聞こえて来た。その歌声を耳にすると紋太夫はアッと仰天した。日本の言葉で日本の歌を鮮かに歌っているからであった。
「おおここには日本人がいる! ここはいったいどこだろう?」
 夢に夢見る心地と云うのはこの時の紋太夫の心持ちであろう。歌声は益※[#二の字点、1-2-22]はっきりと、益※[#二の字点、1-2-22]美しく聞こえて来る。紛れもない日本の歌だ。
「ここはいったいどこだろう」
 紋太夫は感にたえ思わず繰り返して呟いた。しかり! ここはどこだろう?
 壺神様を奉安した神秘崇厳の神境なのである!
 壺神様とは何物ぞ? それには一場の物語がある。

        十五

 昔々遙かの昔に、墨西哥《メキシコ》の国ガイマスの地にガイマス王という国王があった。その王子を壺皇子《つぼみこ》と云ったが、早く母上と死に別れ、継母《ままはは》の手で育てられた。多くの継母がそうであるようにこの継母も継子を憎みどうぞして壺皇子を殺そうとした。
 壺皇子八歳の時であったが、天変地妖相継いで国内飢餓に襲われた。その時継母は国王に云った。
「神のお怒りでござります。神様が何かを怒らせられ飢餓を下されたのでござります。大事な宝を犠牲《にえ》として、お怒りを和《なだ》めずばなりますまい」
「犠牲《にえ》には何を捧げような?」
「一番大切な宝物を」「一番大切な宝物とは?」「壺皇子をお捧げなさりませ」
「なるほど俺《わし》の身にとって皇子より大事なものはない。皇子を捧げずばなるまいかな」
「皇子を犠牲となされずば神の怒りは解けますまい」
「人民のため国家のため、それでは壺皇子を捧げる事にしよう」
 王は悲しくは思いながらも継母の甘言に心迷い壺皇子を犠牲にすることにした。
 祭壇が築かれ薪木《たきぎ》が積まれ犠牲を焚く日がやって来た。八歳の壺皇子がそれとは知らず嬉々として祭壇へ上った時火が薪木へ掛けられた。しかし神は非礼を受けず忽ち奇蹟を現わされた。忽然巨大な一振りの剣《つるぎ》が雲の中から現われ出たが、まず継母の首を斬り、次いで壺皇子を束《つか》へ乗せ、どことも知れず翔《か》け去ったのである。
 剣は皇子を乗せたままチブロン島まで翔けて来たが、そこで一旦地上へ下り、さらに虚空を斜めに飛び窟《いわや》の中へ飛び込んだ。
 この神秘境へ来たのである。
 活ける剣は窟の中で壺皇子を人知れず養育した。皇子の寂寥を慰めるために人界から人間を連れて来た。その人間は次第に殖え、ここに部落を形成《かたちづく》った。
 そこで壺皇子はその部落の帝王として君臨した。
 部落は平和に富み栄え、壺皇子は数百年活き延びたが、天寿終って崩御《ほうぎょ》するや、人民達はその死骸《なきがら》を林の中へ埋葬し神に祀って壺神様と云った。御神体は活ける剣である。
 その後部落は一盛一衰、幾多変遷はあったものの、今に及んで絶えることなく、不思議な国家として存在した。――以上は島の土人によって、今も語られる伝説なのである。
 それはそれとして、部落の中から、日本の歌の聞こえるのは何んと解釈したものであろう?
「何んという不思議なことだろう?」
 小豆島紋太夫は佇《たたず》んでしばらく歌声に耳を澄ました。
「歌の主を探し当てよう。それが何よりの急務である」
 ――で、紋太夫は足を早め、声のする方へ辿《たど》って行った。
 行くに従って歌声は次第にハッキリ聞こえて来た。歌の文句も聞き取れた。
「あれは万葉の古歌ではないか。これはどうでも歌の主は日本の人間に相違ない」
 こう考えて来て紋太夫は怪しく心の躍るを覚えた。彼はとうとう駈け出した。
 林の中へはいった時、石に腰かけた土人老婆が、無心に歌をうたっているのを、微光《うすびかり》の中に見て取った。
「や、日本の人間ではない!」
 紋太夫は叫んだものである。と、老婆は歌を止め、紋太夫をつくづく眺めたが、流暢《りゅうちょう》な日本語で話しかけた。
「おおあなたは日本人ですね」
「さよう、私は日本人」
「助けてください助けてください!」
 老婆は大地にひざまずき、日本流に合掌した。
「助けてやろうとも助けてやろうとも、しかし何を助けるのです」
「妾は聖典を盗まれました」
「何、聖典! 聖典とは?」
「それには諸※[#二の字点、1-2-22]《もろもろ》の尊い智恵が記されてあるのでございます」
「そうして誰が盗んだのだ?」
「旅籠屋《はたごや》の主人でござります」
「その旅籠屋はどこにある!」
「林の奥でござります」
「では俺が取り返してやろう」
「どうぞお願い致します。どうぞお願い致します」
「それにしても不思議だな。どうして日本語を知っておるな?」
「それには訳がございます。いずれお話し致します。聖典をお取り返しくださいませ」
「心配するな。取り返してやる」
 紋太夫は林を分け奥へ奥へと進んで行った。
「重ね重ね不思議なことだ。いろいろの事件にぶつかる[#「ぶつかる」に傍点]わい」
 行っても行っても深い林は容易に尽きようとはしなかった。

        十六

 建物の様子でそれと知れる土人|旅籠《はたご》の前まで来た時、その戸口から一人の土人が、笑いながら現われた。筋骨逞しい若者である。
 何か紋太夫へ話しかけたが、土人語で要領を得ない。
 そこで、度々の経験で、今はすっかり熟達している、例の手真似で紋太夫はその若者へ話しかけた。
「お前の所は旅籠屋かな?」「はいさようでございます」
「どうだ俺を宿《と》めてくれぬか?」「どうぞお宿まりくださいますよう」
「どんな物を食わせるな」「いろいろご馳走致します」
「で、上等の部屋はあるか」「聖典の間へお宿めしましょう」
「聖典の間? おおそうか」紋太夫は頷《うなず》いた。
「では俺を宿めてくれ」「さあ、おいでなさりませ」
 若者の後に従って紋太夫は家内《なか》へはいって行った。はいった所に部屋があり、部屋には無数の土人がいた。ガヤガヤ喚きながら酒を飲んでいる。残忍酷薄な表情をした見るから恐ろしい土人どもである。
 それからさらに二つ三つ大きな部屋を通ったが、やがて通された部屋を見ると、別に変わったこともない。床と天井とが石で出来ている。床に巌丈な寝台がある。寝台の側《そば》に卓があり、その上に書物《ほん》が載せてある。羊皮紙で作った厚い書物で、表紙には漢文字で「明智篇」と記されてある。
「はてな」と呟くと紋太夫はまず寝台へ腰を下ろし、それから書物《ほん》を取り上げた。書かれてあるのは漢文であった。
「范邸《はんたい》は浚儀《しゅんぎ》の令たり。二人絹を市に挟《さしはさ》み互いに争う。令これを両断し各※[#二の字点、1-2-22]一半を分《わか》ちて去らしめ、後人を遣わして密《ひそ》かにこれを察せしむ。一人は喜び、一人は慍《いきどお》る色あり。ここにおいて喜ぶ者を捕らう。はたして賊也」
「魏の李恵《りけい》、雍州《ようしゅう》に刺史たり、薪を負う者と塩を負う者とあり。同じく担《たん》を弛《ゆる》めて樹蔭に憩う。まさに行かんとして一羊皮を争う。各※[#二の字点、1-2-22]背《せな》に藉《し》ける物と言う。恵がいわく、これ甚だ弁じ易しと。すなわち羊皮を席上に置かしめ、杖をもってこれを撃《う》つ。塩屑《えんせつ》出《い》ず。薪を負う者すなわち罪に服す」
「相伝《あいつた》う、維亭《いてい》の張小舎、善《よ》く盗《とう》を察すと。たまたま市中を歩く。一人の衣冠甚だ整いたるが、草を荷《にな》う者に遭うて、数茎を抜き取り、因《よ》って厠《かわや》にゆくを見る。張、その出《い》ずるをまって、後ろよりこれを叱《しっ》す。その人|惶懼《こうく》す。これを掬《きく》すれば盗なり」
「またかつて暑月において一古廟の中に遊ぶ。三、四|輩《はい》あり。地に蓆《むしろ》して鼾睡《かんすい》す。傍《かたわ》らに西瓜あり。劈開《へきかい》して未だ食わず。張また指さして盗と為《な》して擒《とら》う。はたしてしかり。ある人その術を叩く。張がいわく、厠に入るに草を用う。これ無頼の小人。その衣冠も必ず盗み来たるもの。古廟に群がり睡るは、夜労して昼疲る。西瓜を劈《つんざ》くはもって蠅を辟《さ》くるなりと」
「なるほど」と紋太夫は呟いた。
「支那の昔の賢人の逸話を書き集めた書物《ほん》と見える。昔の人は利口であった。……老婆の話しの聖典とは恐らくこの書物のことであろう。この書物をさえ手に入れればここに止どまる必要はない」
 紋太夫は立ち上がった。それからツカツカと戸口へ行った。戸には錠が下ろされてある。外から下ろされているのである。見廻すと一つ窓があった。
 彼は窓へ飛んで行った。窓にも錠が下ろされてある。外から下ろされているのである。彼は捕虜《とりこ》にされたのだ。完全に監禁されたのである。
 彼は思わず唸ったが、どうする事も出来なかった。再び寝台へ腰を下ろし、心を静めて考えようとした。その時、石の天井が徐々として下へ下がって来た。
「あっ」と紋太夫は声を上げた。「南無三宝! 計られた! さては圧殺《おしころ》すつもりだな」
 石の天井はきわめて静かに下へ下へと下りて来る。間もなく天井は下りきるであろう。彼は圧殺《あっさつ》されるであろう。どこからも遁《の》がれる道はない。手を空《むな》しゅうして殺されなければならない。

        十七

 陰気な、鈍い、気味の悪い、キ――という軋り音《ね》を立てながら、一刻一刻、徐々として、釣天井が下がって来る。重い重い釣天井だ。それに圧《お》されたら命はない。平目《ひらめ》のように潰されなければならない。
 豪勇小豆島紋太夫もどうすることも出来なかった。「俺の命もここで終えるか」――こう思うと残念ではあったが、遁がれ出ることも出来そうもない。床は部厚の石畳であり四方の壁も石である。たった一つの戸口の扉には外から閂《かんぬき》がおろされてある。……キー、キー、キー、キー、天井は央《なかば》まで下りて来た。
 紋太夫は切歯したものの、坐っていることが出来ないので、ぴったり石畳へ横臥した。間もなく天井は部屋の高さの三分の二まで下がって来た。しかも尚も下がり止《や》まない。やがて紋太夫は背の辺へ天井の重さを感じるようになった。とうとう天井が彼を殺すべく背まで下がって来たのである。
「もういけねえ」と紋太夫は観念の眼を堅く閉じた。「大日本国の武士《もののふ》が、異国も異国南米の蛮地の、しかも不思議な窟《いわや》の中の日の目を見ない妖怪国で、野蛮人どもの姦計に落ち、釣天井に圧殺されようとは! 無念も無念、残念ではあるが、これも、天命のしからしむるところか。――あ、苦しい! 息詰まるわい!」
 もう一押し押されたなら、紋太夫の体はひとたまりもなく、粉微塵《こなみじん》になろうと思われた。と、その時、彼の寝ている厚い石畳の真下に当たって、コツコツコツコツと音がした。
 こういう危険の場合にも、紋太夫は正気を失わない。「はてな?」と耳を傾むける。
 コツコツコツコツとその音は、次第次第に高くなったが、ザーッと土でも崩れるような騒がしい音が聞こえたとたん、グラグラと、石畳は左右に揺れ、そのままドーンと下へ落ちた。あっ! と思う暇もない、紋太夫の体は宙を飛んで、どっと床下へ落ちたものである。
「ああ助かった!」
 と紋太夫は、思わず歓喜の声を上げ、忙がしく四辺《あたり》を見廻すと、石畳の外れた跡の穴から、仄々《ほのぼの》射し込む光に照らされ、朦朧《もうろう》と四方《あたり》は明るかったが、見れば自分のすぐ側に一人の男が立っている。
 土人でもなければ日本人でもない。長崎あたりでよく見掛ける、それは西洋の人間であったが、いかにも意外だと云うように紋太夫の顔を見守っている。これぞ他ならぬジョージ・ホーキン氏で、同氏が酋長オンコッコのため神殿の床下へ押し込められたことは、すでに説明した筈であるが、その後同氏はその床下に地下道のあることを発見し、死中に活路を得ようものと無二無三に突き進んだ結果、ほとんど一昼夜を費したところで、その地下道がこの地点で行き詰まったことを発見した。そこでふと天井を眺めて見た。と、平石《ひらいし》が並べてある。長い年月を経たものと見えて石と石とのその間にわずかながらも隙間《すきま》があって、そこから光が洩れていたのでさては地上へ出られようも知れずと、饑えと、乾《かわ》きと疲労とで、弱っているにも拘《かかわ》らず夢中で土を掘ったのであった。果然平石が落下して、穴の開いたのはよいとして、それと一緒にいとも凛々《りり》しい立派な人間が落ちて来ようとは思い設けないことであった。
 その落ちて来た人間が、土人でもなければ自分の味方でもなく、東洋の武士《もののふ》だということが一層彼を驚かせた。
 紋太夫はつと[#「つと」に傍点]進んだ。
「これはどなたか存じませぬが、あぶないところをお助けくだされ何んとお礼を申してよいやら、私事は日本の武士小豆島紋太夫にござります」
 こう恭《うやうや》しく云いながら丁寧《ていねい》に腰をかがめたけれど、英国人のホーキン氏にそれが解ろう筈がない。でホーキン氏は当惑してただ黙って立っている。しかし人間の感情は、日本人であれ英国人であれ、大して変わるものではない。で、ホーキン氏は手真似を加え、それで和蘭語《オランダご》や西班牙語《スペインご》や、知っている限りの言葉を雑《まじ》え、
「私は英国の探険家ジョージ・ホーキンと申すもの、お見受けすれば何事か恐ろしい事件の起こられた様子、事情お話しくだされますよう」
 ところが、小豆島紋太夫は、かつて長崎の和蘭人《オランダじん》から、久しく和蘭語《オランダご》を学んだことがあって、会話ぐらいには事を欠かなかった。そこで忽ち二人の者は、お互いの遭難を語り合うことが出来た。話し合って見れば同じような境遇、親しくならざるを得なかった。
「釣天井で圧殺とは、聞いただけでも身が縮《すく》む。無残なことをする奴らだ」
 ホーキン氏もさもさも驚いたように歎息しながらこう云ったが、「これは捨てて置かれない。是非とも復讐をしなければならぬ」
「さよう、復讐をしなければならぬ」紋太夫は頷いて、「石畳が落ちた後の穴から、屋上へ二人躍り出て土人どもを撫で切りにするか。それともきゃつらが結果を案じ、いずれ地下道へ下りて来るであろうが、そこを待ち受けて討ち果たすか、さあどっちがよかろうな」

        十八

「敵は大勢、味方は二人、広場へ出ては敵《かな》いそうもない。きゃつらが地下道へ来るのを待って、容易《やすやす》討つに越したことはない」これがホーキン氏の意見である。
「なるほど、それがよろしかろう。逸《いつ》をもって労を討つ、これ日本の兵法の極意じゃ」
「我が英国の兵法にもそういうことは記されてある。兵の極意は科学的であるとな」
「科学的とは面白い言葉だ。つまり理詰めと云うのであろう」
「さようさよう、理詰めと云うことじゃ。敢て兵法ばかりでなく、万事万端浮世の事は、すべからく総《すべ》て科学的でなければならない」

「科学もいい、理詰めもいい、しかしその外にも大事なものがある」紋太夫は昂然《こうぜん》と云う。「他でもない大和魂《やまとだましい》よ」
「大和魂? 珍らしい言葉だな。俺にとっては初耳だ。ひとつ説明を願おうかな」ホーキン氏は不思議そうに訊く。
「いと易いこと、説明してやろう。君には忠、親には孝、この二道を根本とし、義のためには身を忘れ情のためには犠牲となる。科学や理詰めを超越し、その上に存在する大感情! これすなわち大和魂じゃ!」
「ははあ、なるほど、よく解った。英国流に解釈すると、つまり騎士道という奴だな」
「騎士道? 騎士道? いい言葉だな。しかし、俺には初耳だ。騎士道の説明願おうかな」
「何んでもないこと、説明しよう。我が国中古は封建時代と称し、各地に大名が割拠《かっきょ》していた。その大名には騎士《ナイト》と称する仁義兼備の若武者が、武芸を誇って仕えていた。その騎士は原則として、魑魅魍魎《ちみもうりょう》盗賊毒蛇、これらのものの横行する道路険難の諸国へ出て行き、良民のために粉骨砕身、その害物を除かねばならぬ。多くの悪魔を討ち取った者、これが最も勝れた騎士で、その勝れた騎士になろうと無数の騎士達は努力する。これがすなわち騎士道じゃ!」
「なるほど、説明でよく解った。いやどうも立派なものだ。いかさまそれこそ大和魂だ」
「それではそなたは大和魂で、そうしてこちらは騎士道で、土人どもに当たるとしようぞ」
「向かうところ敵はあるまい」
「そろそろ土人ども来ればよいに」
「や、にわかに明るくなったぞ」
 危難を眼前に控えながら、小豆島紋太夫とホーキン氏とはお国自慢兵法話に、夢中になっていた折りも折り、薄暗かった地下道の中がカッと明るく輝いたので、驚いてそっちを眺めると、石畳が落ちて出来た穴から、松火《たいまつ》が幾本か差し出されている。土人どもが覗いているのだ。
「さてはいよいよ下りて来るな」「少し奥へ引っ込んでいようぞ」
 地下道の二人は囁《ささや》き合いながら、そっと奥へ身を引いたが、ちょうど幸い左右の岩壁から、体を隠《かく》すに足りるような二つの岩が突き出ていたので紋太夫は左手の岩の蔭へ、ホーキン氏は右手の岩の蔭へ、素早く姿を隠したが、困ったことにはホーキン氏は手に武器を持っていない。酋長オンコッコに捕らえられた時、悉皆《しっかい》掠奪されてしまった。
「小豆島氏、紋太夫殿」ホーキン氏は呼びかけた。
「何んでござるな? 何かご用かな?」
「拙者、武器を持っていませぬ」
「武器がないとな。いやいや大丈夫。武器を持っている土人めを拙者真っ先に叩き斬るゆえ、そいつの武器をお使いなされ」
「これは妙案。お願い申す」
 で、二人は沈黙した。じっと向こうの様子を窺《うかが》う。
 と、五、六人ヒラヒラと穴から地下道へ飛んだ者がある。とまた五、六人ヒラヒラと蝙蝠《こうもり》のように飛び下りて来た。武器を持った土人どもである。すぐに彼らは一団となり、何か大声で喚きながら、地上を熱心に探し廻る。紋太夫の死骸を探すのでもあろう。死骸のないのを確かめたからか、彼らはいかにも不思議そうに顔を集めて話し合ったがややあって颯《さっ》と別れると、一列縦隊に組を組み、ここへ足早に走って来た。
「ホーキン氏《うじ》、来ましたぞ」「さようかな、それは面白い」
 こちらの二人は囁き合いながら、土人の近寄るのを待っている。
 土人が手に持った松火《たいまつ》の光で、地下道の中は昼のように明るく、そのため土人の行動は手に取るように解ったが、二人は岩に隠れているので、土人の眼には映らない。今や土人は二人の前を足早に奥へ走り抜けようとした。
 日本人同士の戦いではない。相手は無作法の土人のことだ。紋太夫はあえて掛け声もかけず、振り冠っていた白刃を、ピューッと一つ振り下ろした。ドンという鈍い音! 土人の首が地へ落ちたのだ。松火の光を貫いて一筋の太い血の迸《ほとばし》りが、四尺余り吹き出したのは、物凄くも壮観である。土人はあたかも枯れ木のようにドンと斃《たお》れて動かなくなった。

        十九

 斬ると同時に紋太夫は岩の蔭へ身を引いたが、真に素早い行動である。しかしそれにも劣らなかったのは、斃れた土人が手に持っていた人骨製の短槍を、岩の蔭から手を伸ばし、素早く攫《と》ったホーキン氏の動作で、槍を握るとその槍で二番手の土人の胸を突いた。「ワーッ」と云ってぶっ[#「ぶっ」に傍点]仆《たお》れる土人。胸から滾々《こんこん》と流れ出る血で、土がぬかるむ[#「ぬかるむ」に傍点]ほどである。とまたパッと岩の蔭から躍り出たのは紋太夫で、構えも付けず横なぐり[#「なぐり」に傍点]に三番目の土人の肩を斬った。すなわち袈裟掛《けさが》けにぶっ[#「ぶっ」に傍点]放《ぱな》したのである。「キャッ」というとその土人は酒樽のようにぶっ仆《たお》れたが、切り口からドクドク血を零《こぼ》す。とたんに飛び出たのはホーキン氏で四番目の土人の腹を突いた。
「えい、ついでにもう一匹!」
 叫ぶと一緒に五番目の土人を、紋太夫は腰車に刎《は》ね上げた。
「もうよかろう」
「では一休み」
 二人は声を掛け合ったが颯《さっ》と隠《かく》れ家《が》へ飛び込んだ。汗も出なければ呼吸《いき》もはずまない。
 それこそ文字通り一瞬のうちに、五人殺された土人どもは、味方の死骸を捨てたまま、悲鳴を上げて逃げ出した。元来た方へ逃げ帰ったのである。土人の姿が消えてしまうと同時に松火も消えたので地下道の中は暗くなった。
「アッハハハハハ、弱い奴らだ」紋太夫は大声で笑い出した。「ホーキン氏、幾人斬ったな?」
「さようさ、二人は殺した筈だ」
「俺の方が一人多いな。俺は三人ぶッ[#「ぶッ」に傍点]放した」
「土人ども、どうするであろう?」
「このままでは済むまいな。いずれ大勢で盛り返して来よう」
「ちとそいつはうるさい[#「うるさい」に傍点]な」ホーキン氏は考え込む。
「来る端から叩っ斬るまでよ」紋太夫は平気である。
「しかしきゃつらは無尽蔵だからな」
「百人も殺したら形が付こう。茄子《なす》や大根を切るようなものだ」紋太夫は豪語する。
「しかしそれまでにはこっちも疲労《つか》れよう」
「ナニ、疲労《つか》れたら休むまでよ」
「俺の考えは少し違う」考え考えホーキン氏は云う。「俺は後へ引っ返そうと思う」
「引っ返すとはどこへ行くのだ?」
「俺の通って来たこの地下道は、幸いのことに迷宮ではない。枝道のない一本道だ。そうして社殿へ通じている。……だからこの道を二人で辿ってひとまず社殿へ出ようと思う」
「なるほど」と云ったが紋太夫は賛成の様子を見せなかった。
「なるほどそれもよいかも知れない。しかし俺は不賛成だ」
「ふうむ、不賛成? それは何故かな?」
「俺はオンコッコと約束した。剣《つるぎ》を取って来ると約束した。是非とも剣は取らなければならない」
「剣は大いに取るがいいさ。しかし今は機会《おり》が悪い」ホーキン氏は熱心に、「そうだ今は機会《おり》が悪い。とにかく一旦地下を出て、日の光の射す地の上へ出て、そうして部下を呼び集め、さらに再びこの地下道から地下の国へ侵入し、その剣を取るもよく、神秘の国の秘密を探り故郷への土産《みやげ》にするもいい。しかしどうしても一旦は地の上へ出る必要がある」
 さすがホーキン氏は英国人だけに、その云う事が合理的である。
「これはお説ごもっともじゃ」紋太夫は頷いた。「よろしい、お言葉に従おう。すぐに地下を出ることにしよう」
「おおそれでは賛成か。案内役はこの俺だ」
 云うより早く、ホーキン氏は地下道の奥の方へ走り出した。
 おおよそ十丁も来た頃であった。その時忽ち前方から――すなわち二人の行く手から、松火《たいまつ》の火を先頭に立て、その勢百人にも余るであろうか、真っ黒に固まった一団の人数が、こなたを指して寄せて来た。
 二人は驚いて立ち止まり、その一団の人数を見ると、意外も意外土人酋長オンコッコの率いる軍勢であった。
 その時、ワーッと鬨《とき》の声が、今来た方角から聞こえて来た。振り返って見ればさっきの土人が新たに人数を駆り集め後を追っかけて来たのであった。
 二人はここに計らずも腹背に敵を受けたのである。
「紋太夫殿、もういけない」ホーキン氏は嘆息した。
「いやいや、まだまだ、落胆するには及ばぬ。最後の場合には剣がござる。切れ味のよい日本刀! たかが南米の蛮人ども、切って捨てるに訳はござらぬ」
 日本武士の真骨頂、大敵前後に現われたと見るや、紋太夫は勇気いよいよ加わり、大刀の束《つか》に手を掛けながら前後を屹《きっ》と見廻したものである。

        二十

 ここで物語は一変する。
 ここは地上の森である。
 日光がキラキラと射し込んでいる。小鳥の啼き声、蜜蜂の唸り、小枝に当たる微風の囁《ささや》き、何んとも云えず快い。地上には草が青々と生え紅紫繚乱《こうしりょうらん》たる草花が虹のように咲いている。ジョージ・ホーキン氏と紋太夫とが、敵に襲われ敵を襲い、苦心している地下国と比べて、何んと気持ちよく美しいことぞ。
 と、森の一所から、嗄《か》れて神々《こうごう》しい老人の声と、楽し気な無邪気な少年の声とで、神を讃美する土人歌を、さも熱心に合唱している清らかな歌声が聞こえて来た。
 歌声はだんだん近寄って来る。と、一人の少年が、活溌に木の間から現われたが、他ならぬジョージ・ホーキン氏の子、美少年のジョンであった。
「小父さんおいでよ! 小父さんおいでよ」
 流暢《りゅうちょう》な土人語でこう呼ぶと、
「ジョンよジョンよ、足が速いのう、二歳《ふたつ》になった牝鹿のようだ」
 こう云い云い出て来たのは、酋長オンコッコを裏切ってまでジョンの危難を救ったところの、土人祭司バタチカンであった。
「あんまりピョンピョン刎《は》ね廻って、森の外へ出たが最後恐ろしい奴らに眼付《めっ》かるぞよ。さあさあここへ来るがいい。青草の上へ坐るがいい。面白い話を話してやろう」
 ジョン少年は穏《おとな》しく、祭司バタチカンの側へ行き、坐って話を聞こうとした。
 バタチカンとジョンとは親友《なかよし》である。ことに祭司バタチカンにとっては敵とも云うべきジョン少年が妙に可愛くてならないのであった。
 で、バタチカンはジョン少年を、最初の危難から救って以来、一心不乱に土人の言葉をジョン少年に教えたものである。土人の言葉は簡単であり、ことにジョンは怜悧であったので、わずかの間に覚えてしまって、二人はかなり困難《むずかし》いことまで土人の言葉で話すことが出来た。
「ジョンよ、ジョンよ、さあお聞きよ。これは大事な話だからね。そうしてこれは私達のうちでも、代々祭司を務める者だけが、わずかに知っている話だからね。……昔々遠い昔に、一羽の烏《からす》があったとさ。その烏は一本足でね、形は変に醜《みにく》かったけれど、大変利口な鳥だったそうだよ。その烏がある日のこと土人に向かってこう云ったそうだよ――
『チブロン島には宝はない。実は宝は海の上にある。船に乗って従《つ》いておいで! 私がそこまで案内しよう。けれど随分危険だぞよ。歌を唄う人魚とか、揺れている大岩とかその他山ほど恐ろしいことがある。それを承知なら従いて来い。宝の側まで連れて行ってやろう』
 ところが土人達は臆病で、従いて行こうとしなかったので、烏はとうとう愛想を尽かしてどこかへ飛んで行ってしまったとさ」
「それで烏はどこへ行ったの?」ジョン少年は訊くのであった。
「さあどこへ行ったものかね。それは私《わし》も知らないよ」
「二度と烏はやって来ないの?」
「さあそれも知らないよ」
「僕、烏に逢いたいなア」
「どうして烏に逢いたい?」
「僕、宝島へ行ってみたいよ」
「宝島へなら私《わし》も行きたい」
「烏! 烏!一本足の烏!」
 ジョン少年は歌いながら、森の奥へ駈けて行った。
 ちょうど同じ日の午後であったが、ジョン少年は森の奥で一羽の烏を発見した。残念なことにはその烏は一本足ではなかったけれど、しかし立派な大烏で、少年の空想を充たせるには、充分の値打ちを持っていた。
「烏、烏、大きな烏!」
 ジョン少年は歌いながらそっと石を拾い取り、何気ない風を装《よそお》ったが、忽ちビューッと投げ付けた。彼の考えでは石を投げ付け、黒い逞《たくま》しい二本の足の一本を折ろうとしたのである。
 狙った石は誤またず、一本の足へ当たったが、これが奇蹟とでも云うのであろうか、その足が折れて落ちて来た。
「あっ」
 と驚いたジョン少年は思わず声を筒抜かせたが、それより一層驚いたのは足を折られた大烏で、バタバタと枝から離れると、さも倦怠《だる》そうに羽摶《はばた》きながら、森を潜って舞って行く。
「烏、烏、一本足の烏! 烏、烏、一本足の烏」
 ジョンは夢中に叫びながら烏の後を追っかけた。
「ジョンよ、ジョンよ!」とバタチカンの声が、背後《うしろ》から心配そうに呼ばわったが、ジョン少年は返辞さえしない。
 いつしか森も出外れた。
 と、突然、海岸へ出た。潮が岸へ寄せている。一つの小さい入江があり、そこに一艘の丸木舟が、波に揺れながら漂っていた。そうして烏は海の上をゆっくり[#「ゆっくり」に傍点]ゆっくり翔《か》けて行く。
 ジョンは英国の少年である。そうして英国は海国である。ジョン少年は子供ながら、海の知識には富んでいた。丸木舟ぐらい漕ぐことが出来る。
 ひらり[#「ひらり」に傍点]と丸木舟へ飛び込んだ。
 烏を追おうとするのである。

        二十一

 一本足の烏に誘われ、ジョン少年が走り去ったとも知らず、司祭バタチカンは林の中を声を上げながら探し廻った。
「ジョンよ! ジョンよ! ジョンはいないかな! 林の外には敵がいるぞよ、林の外へ行くではないぞよ。ジョンよ。ジョンよどこにいるな!」
 しかしどこからも返辞がない。
 バタチカンは次第に不安になった。椰子《やし》の根もとに佇《たたず》みながら心配そうに考え込んだ。林の中は静かである。ここには何んの危険もない。美しい日光と涼しい風と香《におい》のよい草花と緑の木々、それらの物があるばかりだ。旨《うま》い果物《くだもの》や綺麗な泉、これらの物があるばかりだ。しかし一|度《たび》林の外へ出ると、恐ろしい土人が群れていよう。
「ジョンよ、ジョンよ!」
 とバタチカンはまた不安そうに呼んだけれど、ジョンの返辞は聞こえなかった。
「ああ心配だ心配だ。あの子はいったいどこへ行ったんだろう」
 益※[#二の字点、1-2-22]不安は加わって来る。その時にわかに大勢の人が歩いて来るような足音がした。
 ハッとバタチカンは仰天した。「オンコッコの仲間に違いない。見付かったが最後裏切り者として掟《おきて》通り殺されるだろう。逃げなければならない、逃げなければならない」
 彼は急いで藪地の方へ足音を忍んで走って行った。しかし藪地へ届かない前に彼は敵に見出《みい》だされた。それはオンコッコの仲間ではなくて、日英同盟の軍隊であった。すなわち来島十平太とゴルドン大佐との連合軍であった。
 忽ちバタチカンは縛《いまし》められ二大将の前へ引き据えられた。
「これ貴様は何者だ?」
 ゴルドン大佐がまず訊いた。
「土人の神職《かんぬし》でございます」バタチカンは英語でこう云った。ジョン少年からバタチカンは、速成に英語を学んだので普通の会話ぐらいは出来るのである。
「貴様の名は何んと云う?」
「はい、バタチカンと申します」
「仲間の土人はどこへ行った?」
「私、一向存じません」
「何、知らぬ? それは何故か?」
「仲間にとってこの私は裏切り者でございます」
「何をして裏切った?」
「ジョンという子供を助けましたので」
 これを聞くと英人達はにわかに態度を改めた。
「ジョン少年を救ったのはさてはバタチカンお前であったか。乱軍の場合ではあったけれど、一人の土人がジョン少年を酋長オンコッコの毒刃から救い、小脇に抱えて逃げ出したのを遠目ながら確かに見た。そう聞いては粗末に出来ぬ。バタチカンの縛《いまし》めを解かなければならない。……さて、ところでジョン少年は今もお前の手もとにいような?」
「それがいないのでございます」
「ナニ、いない? どこへやった?」
「いえやったのではございません。消えてなくなったのでございます」
 それからバタチカンはこれまでの事を、貧しい会話と手真似とで出来るだけ詳しく物語った。その態度にも、言葉にも偽《いつわ》りらしいものは見えぬ。ゴルドン始め人達は信用せざるを得なかった。
「探さねばならぬ。探さねばならぬ」
 英人達は云うまでもなく日本方でもこう云って、捜索の人数を出すことにした。
 しかし、いくら探してもジョンの姿は見付からなかった。で、人達は絶望してまた一所へ集まった。
 ジョン少年はどこへ行ったのであろう?
 ゴルドン大佐はバタチカンを捉らえ、いろいろのことを訊いて見た。
「実は俺達は土人軍を追って、島を縦横に駈け廻ったところ、不意に一時にその土人達が姿を隠してしまったのだ。まるで地の中へ吸い込まれたようにな。……この島には地下へ通う抜け穴のようなものがあるのではないかな?」
「はい、抜け穴がございます」
「おおあるか! どこにあるな?」
「しかも三つございます」
「おお、そうか、教えてくれ」
「一つは社殿にございます」
「ナニ、社殿? 社殿のどこに?」
「はい床下にございます」
「それは少しも気が附かなかった」
「それからもう一つは林の奥の窟《いわや》の中にございます。しかしここからは、容易のことでは地下の世界へは行けません。迷路が作られてありますので」
「で、もう一つはどこにあるな?」
「はいこの島の裏海岸の荒野の中にございます」
「さてはそこから逃げ込んだものと見える」
「恐らくさようでございましょう」
「地下の世界とはどんな世界かな?」
「恐ろしい所でございます。神秘の世界でございます」

        二十二

 一本足の大烏はズンズン海上を翔けて行く。
 ジョン少年は櫂《かい》を操《あやつ》りドンドン小舟を進ませる。空は晴れ、海は凪《な》ぎ、大変|長閑《のどか》な日和《ひより》である。
 舟はズンズン進んで行く。
 長い間漕ぎ続けた。振り返って見ると、チブロン島は低く海上へ浮かんでいる。海鳥が無数に飛んでいる。
 烏はどこまでも翔《か》けて行く。
 今の時間にして一時間余りジョン少年は漕ぎに漕いだ。その時二つの大岩が行く手の海に現われた。伝説にある浮き岩である。岩のくせに水に浮いている。そうして互いに衝突《ぶつか》り合い、恐ろしい泡沫《しぶき》を揚げている。その泡沫は雪のように四辺《あたり》の海を濛々と曇らせ、行く手をすっかり蔽い隠している。そうして互いに衝突《ぶつか》り合う音が雷のように響き渡る。
 烏は二つの浮き岩の間を電光のように翔け過ぎた。
 そうして背後《うしろ》を振り返ったが、ジョン少年を呼ぶかのように、「コー」「コー」と啼いたものである。
 ジョン少年は躊躇《ちゅうちょ》した。岩の間を乗り切ることが困難《むずかし》そうに思われたからだ。で彼は乗り切るのを止めて、一つの岩の周囲《まわり》を廻り先へ出ようと考えた。しかしその間に烏の行方《ゆくえ》が見失われたらどうしよう。それこそ虻蜂捕らずである。
「勇気、勇気、勇気が大事だ! 冒険、冒険! 冒険に限る! 構うものか乗り切ってしまえ!」
 ジョン少年は決心した。で櫂《かい》に力をこめ、岩と岩とが衝突《ぶつか》り合い、やがて離れた一髪の間にスーッとばかりに突っ切った。とたんに左右から二つの岩が轟然と憤怒《いかり》の叫びを上げ、動物《いきもの》のように衝突《ぶつか》って来たが、わずかに舟尾《とも》に触れたばかりで舟も人も無事であった。
 烏はと見れば行く手の空を悠々と向こうへ翔けて行く。安心をしたジョン少年は、さらに櫂に力をこめ先へ先へと漕いで行く。
 こうして半時間ばかり経った時一つの小島が行く手に見えた。近附くままによく見ると、子供達が沢山遊んでいる。それは非常に美しい島で、虹を空から持って来たように種々《いろいろ》の花が咲いている。赤、白、黄、紫、藍、黄金色! 空色をした花もあれば桃色をした花もある。花間《はなま》では兎が飛んでいる。可愛い緑色の小さい森! そこでは栗鼠《りす》が啼いている。森から流れ出るリボンのような小川! 水が銀色に光っている。沢山の子供達は手を繋《つな》ぎ合い輪を作って踊っている。そうして彼らは唄っている。
[#ここから2字下げ]
いらっしゃい、いらっしゃい、いらっしゃい、
夢の島、絵の島、お伽噺《とぎ》の島、
いらっしゃい、いらっしゃい、いらっしゃい、
[#ここで字下げ終わり]
 ジョン少年はしばらくの間、漕ぐ手を止めて見惚《みと》れていた。
「皆な楽しそうに遊んでいるよ。僕も一緒に遊びたいな」
 また歌声が聞こえて来る。
[#ここから2字下げ]
いらっしゃい、いらっしゃい、いらっしゃい、
花を摘んで差し上げましょう、
ここにはお乳が流れています、
甘い蜜もございます。
蜂はブンブン、蝶はヒラヒラ、
夢の島、絵の島、お伽噺《とぎ》の島、
いらっしゃい、いらっしゃい、いらっしゃい。
[#ここで字下げ終わり]
 唄いながら子供達が踊っている。足が揃って上へあがる。手が揃って前へ出る。輪がグルグル渦を巻く。伴奏の役目は小鳥である。
「ああいいなあ」とジョン少年はその子供達が羨《うらや》ましくなった。
「上陸して一緒に遊ぼうかしら」
 で、櫂《かい》へ力をこめ、小舟を島へ着けようとした。その時ハッと気が付いて行く手の空を眺めて見た。彼を導く大烏の姿が遙か彼方《むこう》の空の涯《はて》を今にも消えそうに翔けている。
「あ、しまった! 見失ってしまう!」
 ジョン少年は吃驚《びっくり》したが、急いで舟をグルリと廻すと、島を見捨てて漕ぎ出した。尚後ろからは子供達の唄う楽しそうな歌声が聞こえて来る。それは誘惑の声である。しかしもはやジョン少年は心を乱そうとはしなかった。ただ一心に漕ぎ進んだ。
 随分久しく漕いだので大分腕が疲労《つか》れて来た。その時行く手に陸が見えた。そうして烏はその陸を目がけ静かに静かに舞って行く。
 ようやく岸へ漕ぎつけて見ると、烏の姿がどこにも見えない。
「あ、とうとう見失ってしまった」ひどく落胆したものの、またこうも思って見た。「つまり烏はこの陸地まで、僕を案内して来たのかもしれない。物語の中の宝物は、この陸のどこかにあるのかもしれない」
 岸の木立ちへ藤蔓で舟をしっかり繋《つな》いでから、ジョン少年は上陸した。そうして奥の方へ歩いて行った。

        二十三

 間もなく一つの河へ来た。河岸に乞食《こじき》が転がっている。老い衰えた土人乞食で、手足は垢黒み衣裳は破れ、悪臭がプンプン匂って来る。とても穢《きたな》い乞食であったが、ジョン少年を呼び掛けた。
「小僧、小僧、ちょっと待て!」
 ジョンは吃驚《びっくり》して立ち止まった。
「俺は病気で歩くことが出来ぬ。俺を背負って河を越せ!」横柄な不遜な物云いである。
 ジョン少年はムッとしたが、相手が年寄りの病人だと思うと、怒鳴り返すことも出来なかった。かえって乞食が気の毒になった。
「病気なの? 気の毒だなあ。ああいいとも背負ってあげよう」こう云いながら背を向けた。と、乞食は立ち上がり、痩せ涸れた体を凭《も》たせかけたが、見掛けに似合わず目方がある。
「ううん、畜生、ヤケに重いなあ」呟き呟きジョン少年は河を向こうへ越して行った。
 すると乞食は負われながらむやみと悪態を吐《つ》くのであった。
「ヤイ薄野呂《うすのろ》! 間抜け野郎! そんな方へ行くと溺れるぞ! そっちは淵だ! 深い淵だ! ヤイヤイ小僧どこへ行くんだ! そんな方へ行くと躓《つまず》くぞ! そこには大きな岩があるんだ! 何んというこいつは馬鹿なんだろう! 真っ直ぐに行きな真っ直ぐに。そうだそうだ真っ直ぐにな。おやこの餓鬼は横へ曲がったな。餓鬼のくせに云う事を聞かぬ。根性曲がりの悪垂《あくた》れ小僧め、ほんとに小憎らしい小僧じゃアねえか!」などと憎々しく怒鳴るのであった。
 ジョン少年は何んと云われても、相手になろうとはしなかった。「可哀そうな乞食だよ。あんまりこれまで苦労したので気が狂ったに違いない」――こう思えば腹も立たない。で黙って進んで行く。
 やがて河を渡り切るとジョン少年はほっとした。そこで乞食《こじき》を背中から下ろし帽子を取ると挨拶した。
「お爺さんさようなら。僕はこれで失敬するよ」
「まあお待ち」と乞食は云った。「お前はほんとに感心な子だね。よくお前は忍耐したね。俺はほんとに感心したよ。お前はきっと成功するよ。それは俺が保証してもいい。……さあ、ご褒美にいい物を上げよう」
 こう云いながら左右の手を、ジョンの眼の前でパッと開いた。黒い色をした石の玉が二つ掌《てのひら》に載っかっている。
「これはな」と老人は説明した。「世に珍らしい武器なのだよ。だからこれさえ持っていれば、大概の危難は遁《の》がれることが出来る。恐ろしい敵が襲って来ていよいよ命があぶなくなったら、こいつをその敵へ投げ付けるがいい。まず最初に一つ投げる。それからもう一つ投げ付ける。そうしたらお前は助かるだろう。ではさようなら、健康《たっしゃ》で行くがいい」
 乞食はそのまま行ってしまった。
 ジョン少年は乞食の後をしばらくじっと[#「じっと」に傍点]見送っていたが、奇妙な黒い二つの玉を上衣《うわぎ》のポケットへ蔵《しま》い込むと、足に任せて歩き出した。すると遙かの行く手に当たって一軒の家が現われた。もうこの時は夕暮れでジョン少年は疲労《つか》れてもいたし酷《ひど》く腹も空いていたので、その家へ行って、宿も乞い食物も貰おうと決心した。
 邸の造作《つくり》も異様であったが、永く手入れをしないと見えて、門は傾むき屋根は崩れ凄まじいまでに荒れていた。――見たこともない家造りである。
「ご免! ご免!」
 と案内を乞うた。誰も答える者がない。ジョン少年は途方に暮れてぼんやり門口に佇《たたず》んだが、
「もし叱られたら謝まるばかりだ。構うものかはいってやれ」
 ――そこは英国の冒険少年、大胆に家の中へ入って行った。すると大きな部屋があり、一人の男が寝ていたが、ジョン少年の姿を見るとムクムクと体を起き上がらせた。そうしてジョンを睨み付けた。
「貴様は誰だ!」と大きな声で、突然その人は怒鳴ったものである。不思議なことにはその人は、土人の言葉は使うけれど、人種は土人ではなさそうである。
「怪しい者ではありません」ジョン少年は急いで云った。
「道に迷った子供です」
「いやいや貴様は泥棒だろう! また聖典を盗みに来たな!」不思議な男はまた怒鳴った。「貴様は蛇使いの一味だろう※[#感嘆符疑問符、1-8-78]」
「そんな者ではありません。僕は英国の少年です。ジョン・ホーキンと云う子供です」
「嘘を云え悪者め! が、子供などは相手にしない。サッサとここを立ち去るがいい。そうして蛇使いの婆さんに云え、早く聖典を返せとな!」
「僕、蛇使いの婆さんなどに一度も逢ったことはありません」
「ああ睡い、俺は寝る」云ったかと思うと、その男は肘を曲げてゴロリと寝た。とすぐ鼾《いびき》が聞こえ出した。

        二十四

 ジョン少年は呆気《あっけ》に取られ、少しの間立って見守っていた。
 その時一人の少年がツカツカと部屋の中へはいって来た。年|恰好《かっこう》はジョンぐらいである。やはり土人ではなさそうである。
「おや君はどなたです?」その少年は審《いぶか》しそうに訊いた。その言葉は土人語である。
「道に迷った子供です」
「ああそうですか、それはお気の毒……」その少年は優しく云った。親切そうな少年である。
「君は土人ではありませんね?」ジョン少年はまず尋ねた。
「ええ僕らは日本人です。……君も土人ではありませんね?」
「そうです僕は英国人です」
「英国人? ああそうですか。で名前は何んと云うのです? 僕の名は大和日出夫」
「僕の名はジョン・ホーキン」
「英国というとどの辺です?」
「遠くの遠くの海のあなたです」
「そこから一人で来たのですか?」
「どうして一人で来られるものですか。お父さんや仲間の者と、海を越えて来たのですよ」
「その人達はどうしました?」
「土人と戦争をしています。……ところでここはどこなのです? 大陸ですか島ですか?」
「チブロン島の裏海岸です」
「オヤやっぱりチブロン島ですか」ジョン少年は吃驚《びっくり》したが、「日本というのはどんな国です?」
「日本は東洋の君子国ですよ。そうして人間は利口ですよ。尚武《しょうぶ》の気象に富んでいます」
「チブロン島から近いのですか?」
「いいえ非常に遠いのです」
「いつこの島へ来られたのです?」
「ちょうど、今から五年ほど以前《まえ》に」
「何んのために来られたのです?」
「隠された宝庫を探すためにね?」
「やはり君達もそうなんですか」ジョン少年は眼を円くしたが、「そうして宝は見付かりましたか?」
「もう一息というところでとうとう失敗したのですよ。……つまり聖典を盗まれたのでね」
「その聖典とはどんなものです?」
「漢文で書かれた本ですよ」
「漢文というと支那の文章ですね」
「ええそうです支那の文章です。……その聖典には、益《ため》になる話が数限りなく書いてあるのです。……大事な大事な本なのです」
「いったい誰が盗んだのです?」
「蛇使いの婆さんがね」
「その婆さんはどこにいます」
「地下の世界にいるのだそうです」
「そんな世界があるのですか?」
「ええあるということですよ」
「何故他人の本なんか盗んだのでしょう?」
「宝の在所《ありか》が書いてあったからです」
「隠された宝と婆さんとは何か関係でもあるのですか?」
「その婆さんが守り主なのです。その隠された宝のね。で、婆さんは本さえ盗んだら宝は安全だと思ったのです」
「晩に来てこっそり盗んだのですね?」
「いいえ、そうではありません。その婆さんは毎日のようにここへ遊びに来ていたのですよ。そうしてある日大威張りで聖典を攫《さら》って行ったのですよ。土人酋長オンコッコなどもよく遊びに来たものです。その婆さんとオンコッコとがチブロン島の支配者なのでね。つまりオンコッコは地上の支配者、婆さんが地下の支配者なのです。そうして二人は力を合わせて宝を守っているのですよ」
「すると君のお父様はその婆さんやオンコッコ等《など》と、以前《まえ》から仲がよかったのですね?」
「つまりお父様はその二人を利用しようとしたんですよ。そやつらの口から宝の在所《ありか》を確かめようとしたのですよ。……すべて野蛮人というものは、歌を唄うことを好みますね。ことに蛇使いの婆さんは酷《ひど》くそいつが好きだったので、万葉という日本の古歌へ今様の節をくっ付けて、そいつをお婆さんへ教えたり、日本語を教えたりしたんですね。語学にかけては野蛮人どもは本当に立派な天才ですね。すぐに覚えてしまいましたよ。それを有難いとも思わずに聖典を盗んだというものです。それからというものお父さんはすっかり気持ちが変になって、人さえ見れば、泥棒だと思い悪口ばかり吐くのですよ」
 二人の少年は話している間に、互いに親しみを感じて来たのだった。と、突然ジョンが云った。
「僕、武器を持っています! 蛇使いの婆さんを退治てやろう! 地下の世界へ行けさえしたら、きっとそいつを退治てやる!」
「地下の世界へなら行けますよ!」
 大和日出夫は元気よく云った。「この附近《ちかく》の野の中に地下へ行く道があるのです」

        二十五

「地下へ行く道があるんだって? そいつを僕に教えておくれ。そうして二人は地下へ行こうよ」
 ジョン少年はこう云った。
「ああいいとも、教えてあげよう」
 大和日出夫は喜んだ。それから彼は先へ立って、ジョン少年を案内した。
 館を出ると荒野である。二人は荒野を歩いて行く。
 やがて一つの空井戸へ出た。空井戸だから水がない。そうして井戸の一方の側《がわ》に不細工に出来た階段がある。
「ね、ここにある階段ね。これが地下へ行く道なのさ」日出夫は云って指差した。
「それじゃここから下りて行こうよ」
「では僕が先へ行こう」
 で、日出夫が先に立ち、その後からジョンが続き、空井戸を下へ下りて行った。
 間もなく二人は底へ着いた。細い横穴が通じている。それを二少年は辿って行く。
 道は案外平坦で山もなければ坂もない。ただ暗いのが欠点である。
 二人はドンドン走って行く。
 二時間余りも走った頃、行く手に当たって人声がした。
「いよいよ地下の国へ着いたようだな」
「土人どもが騒いでいる」
「気を付けて行こうぜ」「そっと行こうよ」
 二人は互いに戒《いまし》め合い、足音を忍んで近寄って行った。

 小豆島紋太夫とホーキン氏とが、前後に大敵を引き受けて進退全くきわまったことは、既に書き記したが、さてその後どうしたかと云うに、他に手段もなかったので小豆島紋太夫はオンコッコ軍に向かい、またホーキン氏は地下人軍に向かい、悪戦苦闘をしたものである。
 ワッワッという叫び声、悲鳴、掛け声、打ち物の音、狭い地下道は一瞬にして地獄のような修羅場となったが、その中で紋太夫は十五人、ホーキン氏は十人の敵を生死は知らず切り伏せた。
 これには土人軍も辟易したが、ド、ド、ド、ドと一度に崩れを打ち、元来た方へ引き返したが、しかしすっかり逃げたのではなく、一時退却したまでである。
 こなた二人はホッとしたが、さすがに体は疲労《つか》れていた。
「さてこれからどうしたものだ」こう云ったのはホーキン氏である。
「いずれすぐに盛り返して来よう。戦うより仕方がない」紋太夫は憮然《ぶぜん》として云った。
「さよう、戦うより仕方あるまい。敵は大勢味方は二人、とてもこっちに勝ち目はないな」ホーキン氏は暗然とした。
「そうばかりも云われない」紋太夫は故意《わざ》と元気に、「世には天祐というものがある」
「俺はそんなものは認めない」ホーキン氏は冷ややかに、「それは憐れむべき迷信だ」
「いやいや決して迷信ではない。日本には沢山例がある」
「いや迷信だ。非科学だ。合理的とは認められぬ」
「西洋流の解釈だな」
「そうして正しい解釈だ」
「しかしそいつはまだ解らぬ。……や、来た来た盛り返して来たぞ。議論をしている暇はない」
「うん、来たな。サア戦争だ」
 二人はそこで以前《まえ》のように前後の敵に向かうことにした。
 衆を頼んだオンコッコ軍はひたひた[#「ひたひた」に傍点]と紋太夫へ攻め寄せる。
 ビクともしない紋太夫は、ピッタリ岩壁へ体をくっ付け、しばらく敵を睨んでいたが、パッと敵の中へ飛び込むと、やにわに二人を切り伏せた。そうして次の瞬間にはピッタリ岩壁へ身を寄せた。と、またパッと飛び込むと同じく二人を切り仆し、仆した瞬間には彼の体は既に岩壁へくっ付いている。
 六人、八人、十人と、見る見る土人は切り仆されたが、紋太夫も体へ一、二箇所傷を負わざるを得なかった。
 この凄まじい太刀風にまたもや土人軍は退却したが、その時忽然地下道を震わせ轟然たる大音響が鳴り渡り、それと同時にその時まで雲霞《うんか》のように集まっていたオンコッコ軍が数を尽くしバタバタと地上へ転がった。
 濛々と立ち上る黄色い煙り、プンと鼻を刺す煙硝の匂い、誰か爆弾を投げたと見える。
 あまりの意外に紋太夫は、驚きの眼を見張ったまま暫時《ざんじ》茫然と佇《たたず》んでいたが、忽ち煙硝を分け、二人の少年が現われたのを見ると、さらに驚きを二倍にした。
 その少年こそ他ならぬジョン少年と日出夫である。

        二十六

 一方ジョージ・ホーキン氏は、地下人どもを相手とし、人骨製の槍をもって、悪戦苦闘を続けていた。五人の土人を突き伏せた時、自分も数痕《すうこん》を蒙《こうむ》ったが、そんな事にはビクともしない。さらに敵中へ飛び込んで行った。その時、耳朶《じだ》を貫いたのが大爆発の音響である。
 これにはホーキン氏も驚いたが、一層驚いたのは土人達で、ワッという悲鳴を上げると共に十間余りも逃げ延びた。
 で、ホーキン氏は振り返って見た。濛々たる煙り、累々たる死屍、その中から走り出た二人の少年のその一人が、自分の子のジョンだと知った時、その喜びと驚きとはほとんど形容の外《ほか》にあった。
「ジョンよ! ジョンよ! ジョンではないか!」
 思わず大声で呼んだものである。
 呼ばれたジョンはホーキン氏を見たが、
「あッ、お父|様《さん》だ! お父|様《さん》だ!」
 歓喜の声を高く上げると、鞠《まり》のように飛んで来た。それをホーキン氏は両手を拡げひしとばかりに抱き締めた。
 親子久しぶりでの邂逅《めぐりあい》である。死んだと思ったのが生きていたのである。……しばらく、二人は抱き合ったまま、一言も云わずに立っていた。涙が頬をつたわっている。
 と、不意にジョン少年は地下人の群れを睨んだが、
「ああ、あいつらは土人ですね。憎い僕らの敵ですね。それでは僕退治てやろう」
 云うより早く、ポケットから、れいの不思議な乞食から貰った黒い玉を取り出すと、土人目がけて投げ付けた。
 ふたたび轟然たる爆発の音が、坑道一杯に鳴り渡ったが、続いて起こった大音響は全く予期しないものであった。
 その辺の岩組が弱かったためか、左右の岩壁と天井とが、同時に崩れて来たのである。
 地下人どもは一人残らず岩石の下へ埋められたが、今まで通じていた地下への道も同じくその地点で埋没された。
 こうして腹背敵を受けたその危険からは遁《の》がれたが、神秘を極めた地下国へは再び行くことが出来なくなった。
 しかし地上へは出ることが出来る。
 でホーキン氏を先頭に、ジョン少年、大和日出夫、小豆島紋太夫が殿《しんがり》となり、坑道を先へ辿ることにした。
 一里余りも行った時、道が二つに分れていた。左へ行けば社殿へ出られ、右へ行けば空井戸へ出られる。
「さてどっちへ行ったものかな?」――ここで一同は躊躇した。
 その時、左手の坑道から大勢の足音が聞こえて来た。そうして人声も聞こえて来た。
「また土人軍がやって来たらしい」一同は少なからず当惑した。
 大勢の足音はそういう間も次第次第に近寄って来る。はっきり[#「はっきり」に傍点]人声も聞こえて来る。
「や、あれは日本の言葉だ」紋太夫は思わず云った。
「英国の言葉も雑っている」続いてホーキン氏もこう云った。
 松火《たいまつ》の火を真っ先にやがて人影が現われたが、それは土人の軍勢ではなく、土人祭司バタチカンを案内役に先に立てたすなわち日英の同盟軍――来島十平太とゴルドン大佐と、彼ら二人の部下とであった。
「これはこれは小豆島殿!」「ああお前は十平太か!」
「これはこれはホーキン隊長!」「おお君はゴルドン大佐か!」
 忽ち双方から歓喜に充ちたこういう会話が交わされた。
 そこで一同熟議の結果、大和日出夫の父の邸へひとまず落ち着こうということになった。で、道を右に取り、元気よく一同は先へ進んだ。
 一里余りも進んだ時、狭い坑道は行き詰まった。空井戸の底へ来たのである。そこで一同は順々に空井戸を上へ登って行った。それから日出夫を先に立て、荒野をズンズン歩いて行った。
 間もなく日出夫の邸へ着いた。
 思わぬ大勢の来客に日出夫の父は仰天したがまた甚《ひど》く喜びもした。
 誰も彼も空腹であった。日出夫の父は家内を探しあるだけの食物《たべもの》を提供した。
 それから一同一室に集まり今後の方針を議することとした。
 真っ先に立ち上がって発言したのは大和日出夫の父であった。
「拙者は日本の本草家|大和《やまと》節斎《せっさい》と申す者でござる」
 これを聞くと紋太夫は驚いたような顔をしたが、
「ナニ大和節斎殿とな? これはこれはさようでござったか。和漢洋の学に通じ、本草学の研究においては一流の学者と申すこと、噂に承《うけたま》わっておりました。しかし今より十数年前、支那|上海《シャンハイ》の方面にて行方不明になられたと、もっぱらの評判でござりましたが、意外も意外このような土地に、ご壮健にておいでとは、不思議な事でござりますな」
「いやそれには訳がござる」節斎は微妙に笑ったが、「まずともかくもお聞きくだされ。これは不思議な話でござる。そうしてこれは皆様にとって最も有益な話でござる。実はな拙者|上海《シャンハイ》において珍らしい書物を手に入れたのでござる」

        二十七

 大和節斎は演説を続けた。――
「さよう、拙者は上海《シャンハイ》において、珍らしい書物を手に入れました。孔子以後現代までの聖人賢人悪人どもの知識について書き記したもので、この本一冊持っていさえしたら、世界のあらゆる出来事はさながら掌上を指すがごとく理解出来るのでございます。で、拙者はこの書物を『聖典』と呼ぶことに致しました。さて、その聖典の暗示によって、この島のどこかに大宝庫があり、発掘を待っているということを、朧《おぼ》ろ気ながら知ることを得たのは十数年前のことであって、その時以来この島へ移住し、土人どもと交際をし今日まで暮らして参りました。最近聖典を失いましたため、一時研究を放擲《ほうてき》しましたが、大挙して諸君が参られたからは、再び勇気を揮《ふる》い起こし、所期を貫徹致すべく努力するつもりでございます」
 ここで彼は一|咳《がい》したが、
「さて、ついては今日まで、十数年間この島に関して、研究致しました成績について、あらかたお話し致しましょう。……まず第一この島には宝石の土蔵がございます」
 ここでまた一咳した。
「それから第二にこの島には黄金の土蔵がございます。そうしてこの島の樹木たるやいずれも珍木でございます。要するにこの島その物が一大宝庫なのでございます。しかるにこの島の土人なる者が、昔から剽悍《ひょうかん》でございましたので、幾多著名の冒険家達もついにこの島を窺うことが出来ず、今日まで捨てられておりました。さてところで、この島には、これら天然の財産の他に、人工的の大財宝が隠されてあるのでございます。すなわち代々の土人酋長が部下を従え海を越え、他国に向かって侵略し、奪い取ったところの貨幣珍器が、莫大もない額《たか》となって隠されてある筈でございます。ところでそれはどこにあるかというに、今日までの研究によれば地下の世界にある筈です。そして地下のどこにあるかというに、この島の伝説として語られている活《い》き剣《つるぎ》の神殿に、隠されてある筈でございます。拙者をして云わしむれば、活《い》き剣《つるぎ》に関する伝説などは作り話としか思われません。つまり物々しい伝説を作り地下の世界を神聖の物とし、他人の侵入を防いだのであります。秘密の通路を二つ設け、その一方を迷路としたのも侵入を防ぐ手段であります。
 で、我々がその財宝を手に入れようと思うなら、是非とも地下の世界へ行き、その活き剣の神殿なるものを発《あば》かなければなりません。しかるにまことに残念なことには、二つの中の一つの通路は、完全に破壊されてしまいました。でこの道からは行けません。ところでもう一つの迷路からも絶対に行くことは出来ません。お聞きすれば紋太夫殿は、迷路に住んでいる巫女《みこ》に教わり、奇数偶数、奇数偶数と、こう辿って行かれた結果、地下の世界へ参られたというが、しかし再びその巫女の所へどうして行くことが出来ましょう。なるほど、巫女の住む場所からはそういう順序でも行けましょう。しかし入り口から巫女の部屋へはそういう順序では参れません。もしそんな順序で参れるようなら、それは迷路ではありません。仮りにも迷路とあるからは、そんな簡単な順序では到底行くことは出来ません。
 で、要するに地下の世界へは、今のところ我々は、絶対に行けないのでございます。
 ではどうしたらよかろうか?
 当分の間我々には、地下の世界の財宝を諦らめ、この天産の無限に多い島その物の開拓に従事すべきではありますまいか。そうして緩々《ゆるゆる》その間に、壊れた地下道を修繕するもよし、新に開鑿《かいさく》するもよし、手段はいくらもございます。その上で地下へ参ったなら、成功することと思われます」
 節斎の長い物語はようやくここで終りとなった。
 他に手段がなかったので、紋太夫もホーキン氏もその説に従い、島を開拓することにした。
 まず住宅が作られた。
 各自愉快に生活した。
 予想にも増してこの島には天産物が豊富にあった。規則正しい労働と、この時代の文明から推してきわめて進んだ設備とで、彼らはドシドシ発掘した。
 この間、島の土人達と、幾度か小競合《こぜりあ》いが行なわれたが、とても彼らに敵すべくもない。間もなく完全にチブロン島は彼らの手中に帰することになった。
 島の政体は共和であった。第一期の大統領には紋太夫が選ばれた。選挙は毎年行なわれ、二期の大統領にはホーキン氏がなった。大和節斎は老人ではあり、且つ学者でもあったので、最高顧問ということになった。祭礼方面は土人司祭のバタチカンが司《つかさど》った。
 ジョン少年と大和日出夫とは、この共和国の寵児として仲間の者から可愛がられたが、云うまでもなくこの二人はこの上もない親友であった。

        二十八

 平和の月日が過ぎて行った。
 それは蒸暑《むしあつ》い夏の陽が、平和な島の草や木に、キラキラあたっているある日であったが、ジョン少年と日出夫とは、海岸の岩へ腰を掛け、愉快な会話に耽けっていた。
「……で、僕には不思議なのだ」ジョン少年がこう云った。
「ナーニ、ちっとも不思議じゃないよ」日出夫は笑って反対した。「要するにそれは蜃気楼《しんきろう》さ」
「蜃気楼だって? そんな筈はない。確かに僕は見たんだからね」
「でも、上陸はしなかったんだろう」
「ああ上陸はしなかった。少し先を急いだものだから」
「では確かに島があったと断言することは出来ないじゃないか」
「しかし、確かに見たんだからね」
「人間の眼というものは、案外アテにならないものでね」
「それに僕は歌声を聞いたよ。沢山の子供達が輪を作って、『いらっしゃい、いらっしゃい、いらっしゃい、夢の島絵の島お伽噺《とぎばなし》の島、いらっしゃい、いらっしゃい、いらっしゃい』ッてね、声を揃えて唄っているのを、僕はハッキリ聞いたんだが、これもやはり蜃気楼《しんきろう》かしら?」
「いやそれは空耳だよ。でなけれは聞き間違いだよ。潮の音か風の音かが、そんなように聞こえたのさ」
「でも繰り返して聞こえたがな」
「人間の耳というものは案外アテにならないものでね」日出夫は自説を曲げなかった。
 ややあってジョンはまた云った。「君は伝説を信じるかね?」
「それは伝説の性質によるね」
「では烏《からす》の伝説は?」
「烏の伝説? 聞いたことがないね」
「一本足の大烏が、隠されてある宝の島へ、案内するという伝説だがね」
「で、誰が話したね?」
「土人司祭のバタチカンがね」
「いや僕は信じないね。……だって君そうじゃないか、一本足の烏なんてものはどこの国にだってありゃしないからね」
「ところがあったから面白いじゃないか、僕はこの眼で見たんだよ。僕はその烏に案内されて、島の表から裏側まで、つまり君の家へまで、やって行くことが出来たんだよ」
「なるほど」と日出夫は鹿爪《しかつめ》らしく、「ほんとに君が見たのなら、そうして僕が君のように、その烏を見ることが出来たら、そうしたら、伝説を信じよう」
 この言葉の終えないうちに、一羽の烏が林の中から二人の方へ翔《か》けて来たが、すぐ前面《まえ》の岩の上へ静かに止まって羽根を畳んだ。
「一本足の烏! 一本足の烏!」
 ジョンは飛び上がって叫び出した。見ればいかにもその烏は、一本の足しか持っていない。
「ああ本当に一本足だ!」
 日出夫も驚いて飛び上がった。
 と、烏は悠々とこの時岩から舞い上がったが、一つの大きな円を描き、それからいかににも緩《ゆる》やかに海の方へ翔け出した。
「ジョン君、僕は信じるよ! 君の話した伝説をね! さあアノ烏を追っ駈けよう!」
 そこで日出夫とジョン少年とは、纜《つな》いであった小舟に乗り、海上遙かに漕ぎ出した。
 風もない夏の海は、蒼く平らにトロリと澄んで、魚の影さえ透いて見える。
 烏は二人を誘《いざな》うかのように、時々こっちを振り返って見ては悠々翼を羽摶いた。そうして千切れるように時々啼いた。
 烏と舟とは空と海とで永い間競争した。二時間の余も競争した。
 その時、舟の行く手に当たって、例の浮き岩が見えて来た。
「日出夫君、日出夫君、浮き岩だよ」
 ジョン少年は注意した。
「ああ本当に浮き岩だね」
 日出夫は櫂《かい》の手を止めた。
 二つの浮き岩は唸りながら、互いに相手を憎むかのように、力任せに衝突《ぶつか》り合っていた。飛び散る泡沫《しぶき》は霧を作り、その霧の面《おもて》へ虹が立ち、その虹の端の一方は、陸地《くがち》の断崖《がけ》に懸かっていた。
 その陸地はチブロン島の南の側に当たっていた。
 その断崖は岩で畳まれ、諸所に欝蒼と大木が繁り、上りも下りも出来そうもないほど、険しい様子を備えていたが、しかしどことなく人工的であった。
 この人工的の断崖の下の、深い深い海上で浮き岩が衝突《ぶつか》り合っているのであった。
 ここまで翔けて来た一本足の烏は、この時にわかに千切れるように幾度も幾度も啼き声を立てたが、スーッと低く舞い下がって来た。おや! と思う暇もなく、断崖の裾まで下り切ると、フッと姿が消えてしまった。

        二十九

「やッしまった、烏が消えた!」ジョンは驚いて叫び声を上げた。
「まあ待ちたまえ、考えがある」
 日出夫少年は腕を組み何やらじっと考えこんだが、
「ねえ、ジョン君、こう思うのだよ、理由《わけ》なしに烏が消える筈がない。消えるには消えるだけの理由があろう。いや理由がなければならないとね」
「ああ、そうとも、理由がなければならない」
「で、僕は思うのだがね、あの断崖の裾の辺に、何か秘密があるのだろうとね」
「ああなるほど、そうかもしれないね」
「恐らく洞窟《ほらあな》でもあるのだろう」
「ああなるほど、そうかもしれないね」
「しかも普通の洞窟ではない」
「そんな事までは解らないよ」
「いや僕は断言してもいい。きっと普通の洞窟ではない。非常に価値《ねうち》のある洞窟だよ」
「どうしてそんな事云えるだろう?」
「云えるだけの理由があるからさ」
「僕にはちっともわからない」
「君は浮き岩をどう思うね」日出夫少年は真面目《まじめ》に云った。
「天工と思うかね? 人工と思うかね?」
「それはもちろん天工だろう」
「ところが、あいつ[#「あいつ」に傍点]は人工なのだ」
「どういうところから発見したね?」ジョン少年は不思議そうに訊いた。
「見たまえ、鎖《くさり》が見えるじゃないか」
 こう云いながら日出夫少年は、二つの岩に挟まれている蒼い水を指差した。
 なるほど、そう云えば鎖が見える。すっかり錆びて赤くなり、そこへ海草がまとっているので、一見岩と見紛うけれどもまさしく太い鎖であった。
「ああなるほど、太い鎖だ!」ジョン少年は感動した。
「鎖で繋いであるのだからこの浮き岩は人工だよ」日出夫はさらに説明した。「こんな大掛かりの浮き岩を人工で作ったというのは、決して冗談や好奇心《おもいつき》からではあるまい。きっと必要があったからさ」
「その解釈は胸に落ちるね」
「そこで僕はこう思うのだよ、人工の浮き岩を作ったのは、何かを防禦《ぼうぎょ》するためだとね」
「ははあなるほど、そうかもしれない」
「つまり、洞窟《ほらあな》が大事だからだ。洞窟に価値《ねうち》があるからだ。で、その洞窟へ泥棒どもを侵入させないそのために、浮き岩なる物が作られたのさ」
「そうだそうだ、それに違いない!」ジョン少年は手を拍った。
「では早速行って見ようや」
「よかろう」
 と云うと日出夫少年は、櫂《かい》へグイと力をこめた。
 随分危険ではあった。けれど冒険に慣れている二少年はそれでもとうとう断崖の裾へ、自分達の小舟を寄せることが出来た。
 はたして想像をした通りそこに洞窟の口があった。
 二人はすっかり元気付き、その口から舟を入れた。と二人の眼の前へ、狭い水路が現われた。水路は遠くまで続いていた。
 二人はズンズン舟を進めた。舟が進むに従って水路は次第に広くなり、やがて一つの湾へ出た。
 湾の円周五丁もあろうか、その中央と思われる辺に小さな島が浮き出ていた。
「やあ小《ちっ》ちゃい島があらあ」
「おやおや烏があんな所にいるよ」
 一本足の大烏が、島の頂の木の枝で、羽根を畳んで休んでいた。
 二少年は舟を出て、島の渚《なぎさ》へ下り立った。
 島は美しく可愛らしく周囲一町もなさそうであった。
「これが伝説の宝島だろう」
「そうだそれに違いない」
「大急ぎで宝を目付けようぜ」
「よしきた、目付けよう、競争だ!」
 そこで二人は走り廻った。
 日出夫少年は頂上を目がけ兎のように駈け上がった。そうしてそこで目付けたのは巨大な鉄の箱であった。腐蝕した穴から黄金の光が燦然《さんぜん》と彼の眼《まなこ》を射た。
「目付けた!」
 と彼は歓喜の声を湾一杯に響かせた。そうだ、彼は目付けたのであった。それこそ伝説に語られてある「チブロン島の宝庫」なのであった。
 そこで二人は舟へ乗り、急いで外海へ出ようとした。
「おや、あんな所に階段があるよ!」
 こう云いながらジョン少年は、湾をグルリと囲繞《とりま》いていた洞窟《ほらあな》の内壁を指差した。
 洞窟の内壁を上の方で斜めに階段が出来ていた。その上層は闇に鎖ざされほとんど見ることが出来なかった。
 好奇心の強い二少年がこれを見遁がす訳がない。二人は舟を岸へ着けると揃って階段を上へ登った。

        三十

 やがて二人は登り尽くし、不思議な神秘的な平原へ出た。蒼白い光が充ち満ちていた。丘もあれば林もあり、人家もあれば人声もした。
 これぞ地下の世界であった。
 眼の前にこんもり[#「こんもり」に傍点]とした森があり、一宇の神社が建っていた。
 活《い》き剣《つるぎ》を祀った社《やしろ》であった。
 と、忽ち松火《たいまつ》の火がこっちを目がけて走って来た。土人が二人を目付けたのであった。
「それ大変だ、逃げろ逃げろ!」
 二人は急いで引き返した。階段を下り湾岸へ出、小舟の中へ逃げ込んだ。
「ヨイショヨイショ、ヨイショヨイショ」
 二人は夢中で櫂を使った。

 二人の少年の報告を聞くと、一同は驚喜して躍り上がった。
 にわかに海軍が編成され、宝島征伐が行なわれた。
 地下人どもを平らげて、完全に宝島を占領するには、それでも二十日の日数がかかった。ようやく手に入れた宝庫の中には、大和節斎が洞察した通り、黄金の貨幣や高価な器具が今の金にして五億円余あった

 日英合同の植民地は、こうして益※[#二の字点、1-2-22]繁昌した。種々の設備が行なわれ、まことに暮らしよい土地となった。政治も円満に行なわれた。
 しかるにある日紋太夫は、こんな変なことを云い出した。
「俺は最近にお暇《いとま》するぜ」
「お暇ですって? 何のことです?」
 来島十平太が不思議そうに訊いた。
 しかし紋太夫はそれには答えず、
「首にさわっちゃいけないよ、首にさわっちゃいけないよ」
「ええええ、首になんかさわるものですか」
「ところで」紋太夫はまた云った。「人間の意志っていう奴は、実に生命《いのち》より強いものだね」
「ははあ、さようでございますかな」十平太は怪訝《けげん》そうに答えた。
「どうも近来首が痛い」
「それはどうも困りましたな」
「ナーニ、ちっとも困りゃしないよ。所期の目的はとげたんだからな」
「所期の目的とおっしゃると?」
「チブロン島の宝庫発見よ」
「それなら充分にとげられましたとも」
「で、首が痛くなったのさ」
「あなたの云うことは解らない」
「本来俺は住吉の浜で首を切られた人間だよ」
「…………」
「意志は強し! 生命《いのち》より強し!」
 彼は愉快そうに哄笑した。

 それから間もなくのことであったが、彼の首がポッカリ外れた。しかし一滴の血も出なかった。その切り口もスベスベしていた。
 その顔もひどく愉快そうであった。島中の同志達もついに悲しむのを忘れてしまった。こうして紋太夫は死んだけれど、彼の精神は残っていた。
「意志は強し、生命より強し」こういう言葉によって残っていた。

底本:「十二神貝十郎手柄話」国枝史郎伝奇文庫17、講談社
   1976(昭和51)年9月12日第1刷発行
初出:「中学世界」博文館
   1925(大正14)年1月~8月
入力:阿和泉拓
校正:湯地光弘
2005年3月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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