甲賀三郎

愛の為めに—— 甲賀三郎

夫の手記

 私はさっきから自動車を待つ人混みの中で、一人の婦人に眼を惹かれていた。
 年の頃は私と同じ位、そう二十五六にもなるだろうか。年よりは地味造りで縺毛《ほつれげ》一筋ない、つやつやした髷に結って、薄紫の地に銀糸の縫をした半襟、葡萄の肌を思わせるようなすべすべした金紗《きんしゃ》の羽織、帯や着物など委《くわ》しい事は私に分らないけれども、それらのものが、健康を思わせる血色、撫でたような然し肉付の好い肩つき、楚々とした姿にすっかり調和して、ほんとうに私の好きな若奥さん型なのだ。もっと気に入った事は、抱いている赤ン坊が、生れて半年位かしら、女の子らしいが、頬べたが落ちそうに肥って、文字通り林檎のようで、自分の身体の三倍位の大きさの、眼の醒めるような派手な柄の友禅に包《くる》まっているのが、なんと愛らしい事だ。女中なんか伴に連れないで、お母さんの手で抱いているのが耐らなく好い。
 でも、自動車を待っている多くの人達は、この奥さんの事などは考えていないらしかった。その人達はちっとでも早く乗ろうと思って、前へ前へと出て行くのだった。自動車が人々の前へ止った時には、奥さんはいつの間にか後の方になって、未だその後から押して来る人達との間に揉み込まれて終《しま》った。
 私はほんとうにしようのない人達だと思って、犇《ひし》めき合う群集を見ていた(この東京駅の前から出る呉服店行の自動車は店の人がついていて世話をしている時は、みんな渋々一列に並ぶけれども、誰もいないとすぐこれだ!)。
 私は別にあわてて乗ろうとはしなかった。実を云うと私は、呉服店などに用のある人間じゃあないのだ。毎日毎日疲れた足を引摺《ひきず》って、減った腹を抱えて、就職口を探している哀れな青年なんだ。父親と衝突さえしなければ、今年あたりは学校を卒業して、親の光で、苦労もせず相当な地位が得られたんだろうが、そんな事を今更悔んだ所で仕方がない。今も丸ビルの五階の或る会社へ出かけて、体よく断られて出て来た所で、もう今日は中途半端になって、どこと云って行く当もないし、裏長屋の一間で淋しく待っている妻の所へ帰ろうかと思ったが、ふと眼の前を走って来た赤く塗った、呉服店の自動車を見て、久し振りでそこへ行って見ようと云う気を起したのだった。
 あまり混雑するので、乗ろうか乗るまいかと決し兼ねている中に、又一台自動車がやって来た。群集の半分は忽ちその車の前へ集って中の人が降り切らないうちから犇めき出した。私は人波に押されて運よくその新しく来た車の前の方へ出る事が出来た。ふと見るとさっきの奥さんが、之も人に揉まれて、赤ン坊をつぶされまいと一生懸命に庇いながら、直ぐ私の傍へよろめいて来た。私は直ぐ自動車に乗る事に決めた。そうしてデッキに片足をかけて、奥さんに、
「赤ちゃんを抱っこしましょう」
 と声をかけて、奥さんの返辞を聞かないうちに、もう赤ン坊を受取って、中へ飛び込んだ。
 未だ初めの方だったから、私はずっと奥の方へ席を占めた。続いてドヤドヤ乗り込んで来たので、忽ち車は一杯になり私の前へは背を曲げて窮屈そうに二三人の人が立並んだ。車は直ぐ動き出した。
 車が動き出すと、間もなく心配になり出した事は、どうも奥さんの姿が見えない事だ。何しろ一杯に混んでいるから、両隣りの人でさえ、どんな人だか分らない位で、無論入口の方に乗っている人などはてんで見えないのだが、どうも奥さんが乗っているらしい様子が感じないのだ。私はだんだん心配になって来た。
 やがて自動車は、呉服店の前で止った。
 私は気が急いたけれども、中々降りる番が廻って来ない。漸くの事で片足が地面についた時に、それでも私はニコやかに迎える若い奥さんの姿を予期していた。が、どこにもその姿は見えなかった。
 私は情けない気持で次の自動車を待った。故障でもあったのか、自動車は中々来なかった。私はなき出したくなった。やがてブルブルと音を立てて自動車が眼の前へ止った時はああ助ったと思ったが、どうしたと云う事だ! 奥さんの姿は見えないのだ!
 私はあわてた。一生懸命にあやしても、兎もすると泣き出そうとする赤ン坊を抱えて居ては気が気じゃない。それに往来の人がジロジロと見るような気がする。考えて見ると――今まで何と云う迂闊《うかつ》な事だったろう――私はこんな人眼につく所にウロウロしている訳には行かないのだ。知ってる人にでも見つかればどんなにか困る事だ。私は横丁へ曲った。そうして時折大通の方へ見に出た。角の交番の巡査が何となく恐かった。
 自動車は引続いて二三台来たけれども、奥さんは来ない。もしや横丁に引込んでいる間に来たのじゃないかと、私は思い切って内部へ這入った。そうしてよくこんなに這入ったものだと思われる大勢のお客の間を縫って、一階二階と順に上へ昇ったけれども、考えて見ると随分無理な話だ。こんな雑踏した所で、両方で探し合った日にはどうして出遭う事じゃない、でも私はもう夢中だった。何階だかも分らなかった。赤ン坊を揺り動かしながら昇ったり降りたりして探し廻った。終いには腹立しさと情けなさとで涙がにじみ出た。美麗に着飾った夫人や令嬢が怪訝《けげん》な顔で私を見送った。
 何べん目かで一番下へ降りた時に、私はふと入口の所に後向きに立っている一人の紳士に眼がついた。横顔を見ると驚いた。父なんだ。足かけ三年遭わない内に、気のせいだかいくらか窶《やつ》れたようだが、いかつい肩、利かん気の太い眉、骨の高い頬の皺まで、三年前そのままだ。父はじっと入口の方を睨んでいた。でもいつこっちを振り向くか分らない。私は大急ぎで出口の方に向った。そうして夢中で下足をとって外へ出た。もう大通りの方へ出る勇気はなかった。私は大通りと反対の方へ歩んだ。堀端へ出ると、銀行の前から橋の方へブラブラ歩き出した。
 幸な事には赤ン坊は時々渋面は作ったが、まだ泣き出しはしなかった。だが、私はどうしたら好いんだろう。父がいる間は呉服店へ行く事は出来ない。呉服店の男衆に訳を話して預けようかと思ったが、容易には預ってくれまい。何しろ赤ン坊なんだから。角の交番へ行けば無論その女が来るまで待てと云うだろう。それに人目を忍んでいる私には警察が苦手なのだ。と云ってその中に赤ン坊が泣き出したらどうしよう。あのお母さんは半狂乱で私を探しているに違いない。私は、呉服店の前で待っているべきだ。だが、父が居るのをどうしよう。私は三年前父の前で、お世話にならなくても、一人前の人間になって見せますと放言したのだ。このみすぼらしい身装を、しかも他人の赤ン坊を抱いて、どうして曝す事が出来よう。
 私は思案に余った末、一度宅へ帰る事にした。妻はきっと驚くだろう。けれども訳を話せば納得するに違いない。妻なら赤ン坊の世話も出来るし、泣き出せば近所のおかみさんが乳を呉れるだろう。赤ン坊を妻に預けて置いて私は直ぐ、呉服店に引き返えそう。今は三時だから呉服店の閉る五時までには充分本所まで往復する時間はある。その時分には父は帰っているだろうし、あの奥さんは自分の子供の事だ、余計に心配をかけるのは気の毒だが、きっと待っているだろう。そう決心して私は電車に乗った。
 妻は私が赤ン坊を連れて帰ったのを見ると、丸い眼をはち切れるように瞶《みは》って吃驚した。
 私が手短に事情を話すとまあと云って赤ン坊を受取った。そうして、
「なんて可愛い赤ちゃん」と云った。
 誰だって、この赤ン坊を見たならばこう云わないで居られるものか。赤ン坊もやっぱり妻に抱かれる方が気持が好いのだろう。ニコニコと笑った。
 妻は父に見つけられはしないかと、ひどく恐れたけれども、私は云い宥《なだ》めて、すぐ呉服店に引返えした。
 恐々内部へ這入ったが、父の姿はもう見えなかった。そうして何とした事だ、赤ン坊のお母さんの姿もどこにも見えないのだ。
 私は呉服店が閉るまで、内部をうろつき廻った。閉っても未だ暫く外に立っていた。けれどもとうとう奥さんの姿は見えなかった。
 重い足を引摺って暗い気持に浸りながら、再び私は宅へ帰った、赤ン坊はスヤスヤと寝て居た。留守中に一度激しく泣いたそうだけれども、二三軒先のおかみさんに乳を貰うと、そのまま寝ついたのだった。
 私は妻と顔を見合せてホッと溜息をついた。
 私達二人でさえ、もち扱っているのだ、こんな天使のような悪戯者が飛び込んで来て、どうすることが出来ると云うのだ。
 二人はいろいろ相談した。
 何と云っても、警察へ届けるのが一番だけれども、それは出来なかった。父は警察へ私の捜索を依頼しているに違いないから、第一父に見つけられる事が恐かったし(之は妻が特別に恐れた。何故ならもし私が見つかればきっと二人の仲を裂かれると思っていたから)、私達が偽名して今の所に住んでいるのが、ひょっと知れるのも恐かった。
 私は三年前今の妻と恋に陥ちた。妻は当時あるカフェの女給をしていた。彼女はほんとうに真菰《まこも》の中に咲く菖蒲《あやめ》だった。その顔があどけなく愛くるしいように、気質《きだて》も優しくて、貞淑だった。けれども頑固な父は女給であると云う事だけで私達の結婚をどうしても許さなかった。父にして見れば早く妻に別れて、男手一つで育て上げた一人息子は掌中の珠より可惜《いと》しかった。その大事な息子の魂が、父の見解に従うと売女としか思えない女給風情に盗み去られると云う事は、耐らないことであったのだ。
 或日とうとう最後の時が来た。私は父に袂別の辞を述べて家を出たのだ。それから人目を避ける為めに偽名をして、この路次の奥のささやかな家に世帯を持っているのだ。
 それから三年越し私達は随分苦労した。私は妻とした上は女給をさせて置く事は出来なかったから、僅か許り持出した金を頼みに、内職をしたり、ホンの僅な給料で勤めたりして、細々と生計を立てて来た。それが、何と云う不幸だろう。三月程前からすっかり職に離れて終ったのだ。一生懸命に倹約《つつま》しくして、やっと手つかずに残して置いたいくらかの貯えも、もうあと二月とは保たないのだった。それで私は毎日就職口を探して歩いていたのである。でも父に詫びると云う事はどうしても私の意地が許さなかった。こんな情けない有様を父に見られるのは死ぬより辛い。こんな事情で警察へ訴える事は、どうしても出来なかった。
 と云って同じような理由《わけ》で、新聞広告も出来なかった。私立探偵となると、費用はよし後に先方で出して呉れるとした所で、いつ先方の知れる事が当がなかった。
 私達は可愛い赤ン坊を間に置いて当惑した。
 どうしよう、どうしようと云いながら二三日経ってしまった。いろいろのものを赤ン坊の為めに買い調えねばならなかった。親の方では随分探しているだろうと思って、新聞社の前へ行ったり、隣のを借りたりして、新聞の広告には残らず眼を通したが、それらしいものはなかった。もしやと思って、呉服店の前へも二三度行って見たが、駄目だった。
 でも赤ン坊は障りなく育って行った。もう大分馴れて、私達の顔を見るとニコニコ笑う。それにつけてもほんとうの親達の心はどんなだろうと思うと、じっとしていられなかった。
 妻はお襁褓《むつ》をこしらえたり、それを取り替えたり洗ったり、それに世帯の苦労が加わりながらも、始終機嫌の好い顔をして、赤ン坊の世話をした。妻は真から赤ン坊を可愛っているようだった。三日目の朝こんな事を云った。
「あなた、この赤ン坊宅の子にしましょうか」
「馬鹿を云え」私は答えるのだ。「そんな事が出来るものか。第一親が承知しやしないよ」
「でも親が、今だに何ともしないのは可笑しいわ。きっと何か事情があって、棄子にでもしたんじゃないでしょうか」
「何を云うんだ。真昼間大勢の中で、棄子をする奴があるもんか。それに撰りに撰って、貧乏書生なんかに渡す奴はないよ」
 とは云いながら私にも実は不思議でならないのだ。新聞に広告さえも出さないで、子供の行衛を尋ねようとしない親の心が分らないのだ。
 妻は黙って終った。私には妻の心がよく分るのだ。私が自分の不注意から、こんな厄介物を背負込んで来た事を、苦に病んでいる事をよく知っているものだから、妻は自分の気苦労を押し隠して、私を慰めるように、ああ云うのだ。ほんとうに可愛そうな妻よ。私はどうしたら好いのだろう。
 所が、天は何と無情なんだろう、それとも親に背いた罰なのか、この窮境の時に、私はふと風邪を引いて終った。然し風邪を引いたと云って、じっとはしていられないのだ。就職口と赤ン坊の親とを探し出さねばならぬのだ。私は無理に外を歩いた。
 二三日すると私はどっと床についた。四十度の熱が出た。我慢にも起きられない。肺炎になったのだ。貯えの尽きようとしている時に、他人の赤ン坊を背負込んでいる時に、私は動けなくなったのだ。泣き叫ぶ赤ン坊と、高熱に浮かされる夫の間で、甲斐甲斐しく働く妻を見ると思わず熱い涙がハラハラと溢れるのだ。でも、私はもう筆をとる事さえ出来なくなった……。

        妻の手記

 夫が寝てから一週間になる。四十度の大熱が続いて、今が一番危険な時だとお医者さんが仰有った。肺炎には手当が肝心だと云うので、氷で冷したり、湿布をしたり、吸入をしたり、私は夜も寝ずに介抱した。でも未だ先が見えない。私はどうしたら好いだろう。
 夫も心配だけれども、赤ン坊にも伝染《うつ》りはしないかと随分心配だわ。だって赤ン坊は他所の子ですもの。夫が思いもかけぬ大病になって、その中で赤ン坊を馴れぬ手に育てる。それもあり余るお金でもあれば別だけれども、こんな貧しい中で、明日にもなくなるお金の事を思うと、ほんとうに情けなくなる。然し之もみんな神様がお試しなさる事だ。夫がこのまま治って呉れれば、赤ン坊が育ってさえ呉れれば、今までの苦労は何でもない事だわ。けれども、夫が寝込んだ為めに赤ちゃんのお母さんを探す事が出来なくて困って終う。ほんとうにお母さんはどうしていなさるんでしょう。
 夫が始めて赤ちゃんを連れて帰った時に、私は随分驚いたけれども、夫の話に真実偽りがあろうとは思いません。ほんとうに親の身になったら、どんなにか辛い事だろう。一時も早くお返えし申したいと思ったわ。
 けれども、その翌日、ふと赤ちゃんが夫によく似ている事を発見《みつ》けた時に、私はどんなに驚いたろう。横顔がそっくりなんですもの。私、疑っては済まないのだけれ共、夫が他所で生ました子で、何かの訳で連れて来たのだと思いました。でも余り夫の話が奇妙なんですもの。
 私、随分考えたわ。夫に限ってそんな筈はないと思うのだけれども、もしやと思うと、そりゃ情けなかった。けれども赤ちゃんはほんとうに可愛くて仕方がない。これが夫の子なら、この子のお母さんさえ承知なら私は喜んで育てるわ。私は心から夫を愛しています。私の為めにお父さんと喧嘩して、その為めにこんな悲惨な暮をなすっているんですもの。夫の子だと思えば私自分の子のように愛せるわ。私何遍か夫にその事を云おうと思った。だって、余りよく似ているんだもの。でも流石にそうとは云い兼ねて、一度冗談のように、宅の子にしようかと云ったら、すぐ馬鹿と叱られて終った。でも女と云うものはしようのないもの、私はまだ迷っていたわ。
 間もなく夫の病気、大熱が続いたので、お父さんの事や、私の事や、随分いろいろと囈言《うわごと》見たいな事を云った。私は心配でおろおろしながらも、それでももしや夫が赤ン坊の秘密でも云いはしないかと、ほんとうに我ながら気の狭いのにあきれる、聞耳を立た事だった。けれども赤ン坊の事は気が確な時に二度許り、早く親の手に返えしたいと云った切り。人と云うものはこんな時に嘘の云えるものじゃない。自分の子なら心配してなんとか云うに違いない。私ほんとに疑るなんて済まない事をした。赤ちゃんは夫の子でもなんでもありゃしない。他の赤ちゃんなんだ。
 こう分ると、何だか張りつめた気がガッカリした。赤ン坊は可愛くて可愛くて、それに私によく馴染んで、離すのは嫌だけれども、いつまでもこうしてはいられない。早く親の手に返さなければならないし、夫は病気だし、どうしたら好いだろう。
 ああ又隣で子供が騒ぐ。隣の人達はみんな好い人で、それにお母さん一人で大勢の子供を抱えているのだから、無理のない事だけれども、安静が第一だと云う夫の病気に障ったらどうしよう。こんな日当りの悪い六畳に三畳切のバラックで病みついている夫が気の毒で仕方がない。私と云うものさえなければ何不自由なく暮して行ける身分なのに、このまま熱が下らなかったらどうしよう。それよりももう一週間も病気が続いたら、薬を上げる事も出来ない。ああ涙で何にも分りゃしない。この意気地なし奴。
 どうぞ一日も早く夫の病気が治り、そして赤ン坊の親が知れますように、神様お願いです。

        私立探偵の手記

 私は未だかつて取扱った事のない奇妙な事件を依頼せられた。依頼人は若い婦人であったが、その夫が東京駅前である未知の婦人から、その婦人が呉服店行の自動車に乗るのを助ける目的で、その婦人の子供と思われる赤ン坊を受取ったままはぐれて終って、その赤ン坊を宅へ連れ帰り、種々の事情からそのまま預り育てていると云うので、夫が大患に罹った為め、妻たるその婦人が私の事務所を訪ねて、秘密裡に母親を尋ね出す事を依頼したのである。
 これは誠に奇妙な事件だ。
 預った方が警察に届けなかったのは、まあ理由があるとして、預けた方が之を秘密裡に葬ったのは合点の行かぬ事だ。私は直ぐに都下の各警察署、並に同業各私立探偵社を調査したけれども、赤ン坊の捜索願と云うのは一件もなかった。
 前後の事情から考えると棄子とは思われない。赤ン坊も赤ン坊の母親と思われる婦人も共に相当の身装をしていた点から察しても、生活に困るものと思われない。それに警察を憚るとはどう云う訳だろうか。普通の常識から考えると、母親たるものは自分の子供を失って平然として居られるものではない。況やその子はどんな他人が見ても愛せずには居られない可愛らしい子だと云うではないか。
 警察に訴えて出ないのは何か後めたい事がある為めとしか考えられないが、一体どんな事を恐れるのだろうか。
 第一に考えられる事は母親か或は父親か、それとも一家の中の誰かが、警察のお尋ね者になっている事だ。けれども母親の様子は犯罪者に関係があるようには見えない。のみならず、母子の情愛は些々《ささ》たる刑罰位には替えられぬ筈だ。
 第二は母親が子供を手渡した後、直ぐに何かの事情で外部との交通を断れた事である。例えば万引其他の犯罪で検挙せられたか、或は誘拐せられたとか云う如きである。然し私の調べた所では検挙せられた様子もなく、家出人の届出にも似よりのものはなかった。
 第三は、之は甚だ薄弱な理由だけれども、この外には最早考えるべき所は残っていない。即ちその子が正当な子でない事で、私生児、姦夫の子、或は犯罪人の子などで、父親なり母親なりの身許を警察に知られたくない場合であるが、然しこんな事はよし訴え出た所で、充分隠せる事だし、又警察でも一身上の秘密を曝露するような事はしない。だからこんな事は、自分の子を失った母親を引止める障害となろうとは思えない。その外|継子《ままこ》、貰子、拾子等実子でない場合が数えられるけれども、いかに実子でないと云っても、他人に手渡して行衛が分らなくなったのを、そのままにして置く気遣いはない。
 そこでふと思いついたのは、その婦人は何かの理由で、赤ン坊を受取った青年を見知っていたのではないか、と云う事である。何故なら以上論じ尽した理由によると、どうしても見ず知らずの他人の手に赤ン坊を渡して、母親が晏如《あんじょ》としている筈がないからである。どう云う理由でかは分らぬが、その婦人が青年を知っていたとすると、その婦人は赤ン坊が無事にいつかは我手に戻る事が信ぜられるから、幾分落着いていられる訳である。こう考えると、その婦人が訴えて出ない事にも幾分解釈がつく。即ちその婦人は青年が世を忍ぶ身である事を知って、彼に同情して訴え出ないのだ。
 この考えの許に、私は依頼人の知人関係を調べる事にした。何しろ依頼人自身が身許を隠しているので、この調査は頗る困難であったが、三四日の後判明した事は、依頼人の夫たる青年は某銀行家の一人息子で、結婚問題から一昨年家出したものであった。銀行家からは警察は勿論我々同業へも捜索の依頼がしてあった。皮肉な事には私の所へもちゃんと依頼が来ていた。その銀行家は一時の激昂の余り一人息子と義絶した事を後悔しているらしく、殊に二年に余る行衛不明はだんだん年をとって行く身に犇々とこたえると見えて、最近に一層猛烈にその行衛を尋ね出したのであった。
 親の方の関係、それから青年の友人関係と辿って見たが、最近赤ン坊をなくして悲嘆に暮れている家は見当らなかった。私の見込ははずれたのだろうか。
 私は母親の身になって考えて見た。よし自分の赤ン坊が知人の手にある事が分って、その知人が人目を避けているので急に遭えないと云う事が分っても、じっとして居られるものだろうか。彼女は青年が何かの手段で赤ン坊を返えしに来て呉れる事を予期しているに違いない。だが青年は彼女の名も所も知らないのだ。ではどこへ返えしに行く。それは彼等が共通に知っている所でなければならぬ。ではどこ? 東京駅前だ。呉服店だ。現に青年も健康でさえあれば、そこへ出かけた筈ではないか。
 時刻は? 矢張り始めに別れた時刻だ。
 そう思って私は依頼を受けてから五日目、午後二時過ぎ、東京駅前に行った。
 駅頭は相変らず混雑していた。呉服店行の自動車には群集が犇めいていた。私は思わず微笑んだ。
 二三台の自動車を見送っているうちに、ふと私はそこから少し離れた所に一人の婦人が佇《たたず》んでいるのを発見した。
 年の頃は二十五六、少し面窶《おもやつ》れはしているが、丸髷に結った奥さん風のすっきりとした美しい婦人である。
 じっと観察していると、彼女は自動車の発着の度に、眼を輝して忙しく乗降の人を探し求めている。自動車の姿が消えると、そのぱっちりとした眼は急に悲しそうになる。
 私は思った。この婦人だ。この婦人に違いない。私は思い切って傍へ行って言葉をかけようとした。その時に予期しない邪魔者が這入った。私が近寄らないうちに、私と反対の方から、一人の憂鬱な皺を額に刻んだ頑丈そうな六十近い年頃の紳士が太いステッキを振り振り婦人の傍へツカツカと寄って、一言二言囁いたと思うと、一緒にさっさと歩き出したのである。
 私は機会を失して茫然とその後姿がだんだん小さくなるのを見送っていた。
 だが、私は幸されていた。その夜、思いがけなく、赤ン坊を人に預けたまま、行衛を見失った母親が、その赤ン坊の捜索を私に頼む為めに私を訪ねて来た。美しい丸髷の婦人で、今日東京駅前で見たその人であった。

        再び妻の手記

 流元《ながしもと》で氷を砕いて立上ろうとすると、くらくらとして急にあたりが暗くなって終った。それからどれ位経ったか、赤ン坊の泣声に気がつくと、私は台所の板敷につっ伏《ぷ》していた。永い間の寝不足で瞼がひとりでに塞って、気が遠くなるのを一生懸命に堪えて、部屋に這入ると、寝ている夫の頭にそっと氷嚢を載せた。それからそっと三畳に寝ている赤ン坊を覗き込んだ。
 夫は一時下りかけた熱がブリ返えして、高い熱が又一週間続いている。赤ン坊は幸せと丈夫だったけれども、病気の夫を抱えて、馴れない赤ン坊の世話だもの。気苦労ばかりで、思うように行かない。今にも動けなくなる時が来そうな気がする。
 それに、薬代とか、氷代、炭代、赤ン坊の牛乳代など、倹約にしていれば二月位あるだろうと夫と話していた貯えは、二週間のうちに費《つか》い果して終った。明日からはどうしよう。
 隣近所のおかみさん達はほんとによくお世話下さる。でもみんなそれぞれ自分達の子供や仕事があるのだ。況《ま》してお金の事など、どうして頼む事が出来よう。意気地のない私はお金を儲ける事などは無論のこと、借りに行く所さえないのだ。
 お父さんをお訪ねして、事情を申上げれば、可愛い息子さんの事ですもの、私は憎いかも知れないけれども(そうなれば私は身を引くばかりだ。意気地なしめ、涙なんか流す奴があるものか)、きっと何とかして下さるだろうと思った事は一度や二度じゃないけれども、もしや明日にも熱が下るかと空頼みをして、それにあれ程堅い決心をしていなさる夫に後で叱られる辛さに、今日までは歯を喰い縛って辛抱して来た。
 赤ン坊の親達はどうしていなさるだろう。一週間前に私立探偵社へ頼みに行ったんだけれども、今だに分らない。今更愚痴な事だけれども、せめてこの赤ン坊さえ預らなければ夫の世話も届くんだったのに。ああ思うまい。思うまい。みんな神様の覚召なんだ。
 でも、明日からどうしよう。お金がなくてどうして夫の病気を治す事が出来よう。赤ン坊を育てて行く事が出来よう。夫にもしもの事があれば私はお父さんに合す顔がない。どうしよう。
 私は泣いて泣いて、流す涙も尽きて終った。精も根も尽き果てて終った。畳の上へどうとつっぷして終った。
 その時に思いがけなくガラリと格子が開いた。はっと起き上ると、案内もなしに一人の年とった紳士がぬっと這入って来たので、私は吃驚した。よく見ると、それが一度お目にかかった事のある夫のお父さんだったので、驚くまい事か、私は恥しさと恐しさとで、忽ち畳に頭を摺りつけて終った。
 お父さんは、ズカズカと夫の傍へ寄って、じっと痩せ衰えた顔と激しい息遣いを見て居られたが、お眼に涙が光っていた。
「えらい苦労をかけたのう。もう大丈夫じゃ。安心おし」
 思いがけなく、優しい言葉をかけられたので、私は耐らなくなって、わあと声を上げて泣いて終った。
「赤ン坊はここかな」
 こう仰有って、三畳の間の襖をガラリとおあけになって、部屋へ這入ると、お父さんはいきなり赤ン坊を抱き上げた。
「おお達者でいたか」とあやしながら私の方を向いて、「お前さんのお蔭じゃ。厚くお礼申しますぞ」と云われた。
 私は何が何やらさっぱり分らない。
 赤ン坊は抱かれながら円々《まるまる》と肥った顔をニコニコさせていた。
 ふと気がつくと格子の外に丸髷姿の奥さんが立っていた。私は恥しくって声をかける事が出来なかった。夫が助かったと云う喜びと、赤ちゃんの親が知れた安心とで、夢を見るような心地でただウロウロしていた。

        再び夫の手記

 この頃の幸福な生活を思うと夢のようだ。去年の今頃は私は死生の間を彷徨していたのだ。裏長屋のジメジメした一室で大熱に悩んでいたのだ。妻は大病の私と、私が奇妙な出来事から抱いて帰って来た赤ン坊(其の赤ン坊は今はもう歩くようになって、現に今之を書いている私の傍で、せっせと悪戯をしている)との間に立って、あらゆる辛酸を嘗めていた。そこへ父が飛び込んで来たのだった。
 妻は父が這入って来た時にはひどく驚いたそうだ。父が赤ン坊を抱き上げてあやした時には何が何だか分らなかったそうだ。
 赤ン坊は父の子だったんだ。私の妹だったんだ。
 父は私が家出した後に奉公に来た小間使と恋に陥ちた。独身生活を永くやった上、たった一人の息子に背かれた父は五十を越した身で始めてほんとうの恋を味った。
 その女は間もなく子供を生んだ。それが私の見た赤ン坊のお母さんだった。赤ン坊のお母さんは以前に一度私の宅へ奉公に来た事があるそうで、私をよく見知っていた。あの日自動車に乗り悩んでいた時に、親切に赤ン坊を取って呉れた青年を一眼見ると、それが私だったので、あっと思ううちに自動車に乗り損って終った。次の自動車が中々来なかったのが間違いの元だった。彼女は気が気でないので、電車に乗った。その電車が故障を起したので、乗替場所まで歩いたりしていたので、大へん暇取った。そのうちに私は父を見つけて(父は彼女と赤ン坊を待っていたのだった。彼女とは別居していたので、時折打合して買物などを一緒にした)、外へ出て終ったので、彼女の来た頃には私は居なかった。父と彼女は私を探したけれども、無論見つからなかった。
 父は赤ン坊が他人ならぬ私の手に渡ったので、いくらかは安心していた。そして父はこの赤ン坊の事件を警察の手に出す事を好まなかった。父は久しい以前から、もう私を許しているのだった。父は私が帰りさえすれば、いつでも抱き迎えたのだった。それで充分手を尽して私の行衛を探していたのだったが。今度は同時に赤ン坊の行衛も突留める事が出来るのだから、赤ン坊の事は隠して、私の捜索のみを、事新しく警察に願い出たり、私立探偵社を煩わしたりして、一生懸命に手を尽したのであった。
 然し十数日の捜索が無効に終ったので、父はとうとう、母親をある探偵社にやって、赤ン坊の事を依頼さした。それが偶然私の妻が頼みに行った所だった為めに、すぐ解決する事が出来た。父は私の窮状と私の妻の貞節を聞いて涙を流した。そうして私達の隠家たる裏長屋に飛び込んで来たのだった。
 それから、父も私も妻も赤ン坊も赤ン坊の母親もみんな幸福だった。赤ン坊は私達を幸福に導いて呉れた天使だった。
 妹はみんなから可愛がられている。可愛がらずに居られるものか。でも、お前は私に似ているので嫂さんを心配さしたんだよ。
(「探偵文藝」一九二六年四月号)

底本:「幻の探偵雑誌5 「探偵文藝」傑作選」光文社文庫、光文社
   2001(平成13)年2月20日初版1刷発行
初出:「探偵文藝 第2巻第4号」奎運社
   1926(大正15)年4月号
入力:川山隆
校正:土屋隆
2006年11月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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