幸田露伴

馬琴の小説とその当時の実社会 ——幸田露伴

 皆さん。浅学不才な私如き者が、皆さんから一場の講演をせよとの御求めを受けましたのは、実に私の光栄とするところでござります。しかし私は至って無器用な者でありまして、有益でもあり、かつ興味もあるというような、気のきいた事を提出致しまして、そして皆さんの思召《おぼしめし》に酬《むく》いる、というような巧なる事はうまく出来ませぬので、已むを得ず自分の方の圃《はたけ》のものをば、取り繕《つくろ》いもしませんで無造作に持出しまして、そして御免を蒙るという事に致すことにしました。ちょうど温かい心もちが無いのではありませんが、機転のきかない妻君が、たまたまの御客様に何か薦《すす》めたい献《たてまつ》りたいと思っても、工合よく思い当るものが無いので、仕方なしに裏庭の圃のジャガイモを塩ゆでにして、そして御菓子にして出しました、といったような格でありまして、まことに智恵の無い御はずかしい事でありますが、御勘弁を願います。
 さてその智恵の無い談話の題目は「曲亭馬琴の小説とその当時の実社会」というのでございます。題の付けようが少し拙《まず》いか知れませんが、私の申し上げてみようというのは、その当時、即ち馬琴が生存して居た時代との関係が、どんな工合であろうかという点にあるのでございます。ただしかように申しますと、非常に広い問題になりまして、どうも一席の御話には尽す事が出来ないのでござりまする。馬琴が用いましたその小説中の言語と、当時の実際の言語とも一つの重要な関係点でありますれば、馬琴の描きました小説中の風俗習慣や儀式作法と、当時の実際の風俗習慣や儀式作法との関係も、また重要の一カ条でございますし、馬琴の小説中にあらわれて居りまする宗教上の信仰や俗間の普通思想と、当時の実際の士民男女の信仰や思想との関係もまた重要の一条件でございまする。その他曰く何、曰く何と相接触して居る関係点は非常に沢山あることでござりまするから、それらをいちいち遺漏無く申上げる事は甚だ困難の事で、かつまた一席の御話には不適当な事でございますから、ただ今はただ馬琴の小説中に現われて居りまする人物と当時の実社会の人物という一条について、御話を試みようと存じます。小説と社会との重要な関係点は、幾干《いくつ》も幾干も有るのでございまするが、小説中の人物と実社会の人物との関係と申す事は、取り分け重要であり、かつまた切実な点であることは申すまでもない事だと存じまするのでございます。
 馬琴という人は、或る種類の人、ひと口に申しますれば通人《つうじん》がったり大人物がったりする人々には、余り賞されないのみならず、あるいはクサされる傾きさえある人でありますが、先ず日本の文学史上にはどうしても最高の地位を占めて居る人でございまして、十二分に尊敬すべき人だとは、十目十指の認めて居るところでございます。なるほど酸《す》いも甘いも咬《か》み分けたというような肌合の人には、馬琴の小説は野暮《やぼ》くさいでもありましょうし、また清い水も濁った水も併せて飲むというような大腹中《ふとっぱら》の人には、馬琴の小説はイヤに偏屈で、隅から隅まで尺度《ものさし》を当ててタチモノ庖丁《ぼうちょう》で裁ちきったようなのが面白くなくも見えましょうが、それはそれとして置いて、馬琴の大手腕大精力と、それから強烈な自己の道義心と混淆化合してしまった芸術上の意見、即ち勧善懲悪という事を主義にして数十年間を努力した芸術的良心の熱烈であった事は、どうしても人をして尊敬讃嘆の念を発せしめずには居らしめないだけの大文豪であります。かくの如き馬琴が書きましたるところの著述は、些細なものまでを勘定すれば百部二百部ではきかぬのでありますが、その中で髄脳であり延髄であり脊髄であるところの著述は、皆当時の実社会に対して直接な関係は有して居りませぬので、皆異なった時代――足利時代とか鎌倉時代とか大内氏頃とか、最も近くても数十年前の時代を舞台にして描いて居るのであります。ですから馬琴の小説中の人物は、無論直接には当時の実社会の人物とは関係が無いのでございます。もっとも馬琴も至って年の若かった頃は、直接に実社会の人物を描いて居りまして、いわゆる「洒落本《しゃれぼん》」という、小説にもならぬ位の程度のものを作って居ります。『猫じやらし』という一巻ものなどは即ちそれで、読んでみますると、本所《ほんじょ》辺の賤しい笑を売る婦人の上を描こうと試みて居るのでございます。しかしそれらは素《もと》より馬琴のためにこれを語るさえ余り気の毒な位の、至って些細な、下らぬものでありまして、名誉心と道義心との非常に強かった馬琴は、晩年に至りまして、これらの下らぬ類の著作を自分が試みたといわれるのを遺憾に思って、自らその書をもとめては焼き棄てたといい伝えられて居る程でございます。馬琴と相前後して居る作者には、山東京伝《さんとうきょうでん》であれ、式亭三馬《しきていさんば》であれ、十返舎一九《じっぺんしゃいっく》であれ、為永春水《ためながしゅんすい》であれ、直接に当時の実社会を描き写して居るものが沢山ありますが、馬琴においては、三勝《さんかつ》・半七《はんしち》を描きましてもお染《そめ》・久松《ひさまつ》を描きましても、それをかなり隔たった時にして書きまして、すべてに、これは過ぎた昔の事であるという過去と名のついた薄い白いレースか、薄青い紗のきれのようなものを被《か》けて置いて、それを通して読者に種々なる相を示して居るのでございます。御覧なさいまし、『八犬伝』は結城《ゆうき》合戦に筆を起して居ますから足利氏の中葉からです、『弓張月』は保元からですから源平時代、『朝夷巡島記《あさいなしまめぐりのき》』は鎌倉時代、『美少年録』は戦国時代です。『夢想兵衛胡蝶物語《むそうびょうえこちょうものがたり》』などは、その主人公こそは当時の人ですが、これはまたその描いてある世界がすべて非現実世界ですから、やはり直接には当時の実社会と交渉がきれて居りますのです。
 それで馬琴のその「過去と名のついたレース」を通して読者に種々の事相を示した小説を読んでみますと、その小説の中の柱たり棟《むなぎ》たる人物は、あるいは「親孝行」という美徳を人に擬《なぞら》えて現わしたようなものであったり、あるいは「忠義」という事を人にして現わしたようなものであったり、あるいは強くて情深くて侠気《おとこぎ》があって、美男で智恵があって、学問があって、先見の明があって、そして神明の加護があって、危険の時にはきっと助かるというようなものであったり、美女で智慮が深くて、武芸が出来て、名家の系統で、心術が端正で、というようなものであったりするので、当時の実社会のどこをさがしてもなかなか居りませぬ人物です。当時どころではありません。明治の聖代の今日だって、犬塚信乃《いぬつかしの》だの犬飼現八《いぬかいげんはち》だの、八郎御曹司為朝《はちろうおんぞうしためとも》だの朝比奈三郎《あさいなさぶろう》だの、白縫姫《しらぬいひめ》だの楠《くすのき》こまひめだののような人は、どうも見当りません。まして火の中へ隠れてしまう魔法を知って居る犬山道節《いぬやまどうせつ》だの、他人の愛情や勇力を受けついでくれる寧王女《ねいおうにょ》のようなそんな人は、どう致しまして有るわけのものではありません。それでは馬琴が描いた小説中の人物は当時の実社会とはまるで交渉が無いかというと、前々から申しました通り、直接には殆ど関係が無いのでありますが、決して実社会と没交渉無関係ではありませんように考えられます。
 それならどういう風に関係が有ったろうかといいますと、便宜上その答案を三つに分けて申しますが、馬琴の小説中の人物は大別すれば三種類あるのでして、第一には前に申しました一篇の主人公や副主人公やその他にせよ、とにかくに篇中の柱たり棟たる役目を背負って居る「善良の人物」であります。第二には、梟悪《きょうあく》・奸悪等の「邪悪の人物」であります。『弓張月』で申しますれば曚雲《もううん》だの利勇《りゆう》だの、『八犬伝』で申しますれば蟇田素藤《ひきたもとふじ》だの山下|定包《さだかね》だの馬加大記《まくわりだいき》だのであります。第三には「端役《はやく》の人物」で、大善でもない、大悪でもない、いわゆる平凡の人物でありますが、これらの三種の人物中、第一類の善良なる人物は、疑いも無く作者たる馬琴および当時の実社会の善良なる人物の胸中の人物であります。もとより人の胸中の人物でありますから、その通りの人物は実世界において居なかったには相違ありません。しかしながら人の胸中の人物というものは、胸中の人物として別に自《おのずか》ら成り立って居るものでありまして、胸中の人物であるから世に全く無いものであるという訳にはまいりません。仏教徒は仏教徒の胸中の人物がございます、基督《キリスト》教徒は基督教徒の胸中の人物がございます、インデヤンにはインデヤンの胸中の人物がございます、鎌倉武士は鎌倉武士で胸中の人物があります。いわゆる「人の胸中の人物」は、「時代」により「処」によっていろいろに異なって居ります。そのいろいろに異なって居る所以《ゆえん》は、即ち「時代」により「処」によりて「人の胸中の人物」が生れたり活きたり死んだりする所以で、人の胸中の人物もあたかも実の人であるかの如くであるのであります。馬琴時代の「人の胸中の人物」は、紫式部時代の「人の胸中の人物」とは全然別なのでありまして、そして即ち馬琴時代にはその当時の人々の胸中に活きて居ったのであります。それを捉えて馬琴は描写したのであります。即ち馬琴の書いた第一種類の人物は当時の実世界には居らぬこと勿論であるが、当時の実社会の人々の胸中に居たところの人物なのであって、他の時代や他の土地の人々の胸中の人物を描いたのでは無い。ですから決して当時の実社会と没交渉や無関係な訳では無くて、そして、それであったればこそ、当時の実社会の人間を沢山に吸引して読者としたのであるのです。
 馬琴時代を歴史の眼を仮《か》りて観察しますれば、儒教即ち孔孟の教えは社会に大勢力を持って居りましたのです。で、八犬士でも為朝でも朝比奈でも皆儒教の色を帯びて居ります。仏教の三世因果《さんぜいんが》の教えも社会に深く浸潤して居りました。で、八犬士でも為朝でも朝比奈でも因縁因果の法を信じて居ります。神仙妖魅霊異の事も半信半疑ながらにむしろ信じられて居りました。で、八犬士でも為朝でもそれらを否定せぬ様子を現わして居ります。武術や膂力《りょりょく》の尊崇された時代であります。で、八犬士や為朝は無論それら武徳の権化《ごんげ》のようになって居ります。これらの点をなお多く精密に数えて、そして綜合して一考しまする時は、なるほど馬琴の書いたようなヒーローやヒロインは当時の実社会には居らぬに違い無いが、しかし馬琴の書いたヒーローやヒロインは当時の実社会の人々の胸中に存在して居たもので、決して無茶苦茶に馬琴が捏造したものでもよそから借りて来たものでも無いという事は分明《ふんみょう》であります。そして馬琴の小説はその点でも、当時の実社会と相離れ得ぬ強い関係交渉を持って居ると申す事が出来ると存じます。
 翻って第三の平凡人物即ち「端役の人物」を観ますと、ここに面白い現象が認められます。例を申しましょうなら、端役の人物の事ゆえ『八犬伝』を御覧の方でも御忘れでしょうが、小文吾《こぶんご》が牛の闘を見に行きました時の伴《とも》をしました磯九郎《いそくろう》という男だの、角太郎が妻の雛衣《ひなきぬ》の投身《みなげ》せんとしたのを助けたる氷六《ひょうろく》だの、棄児《すてご》をした現八の父の糠助《ぬかすけ》だの、浜路《はまじ》の縁談を取持った軍木五倍二《ぬるでごばいじ》だの、押かけ聟の簸上宮六《ひかみきゅうろく》だの、浜路の父|蟇六《ひきろく》だの母の亀篠《かめささ》だの、数え立てますれば『八犬伝』一部中にもどの位居るか知れませぬが、これらの人物は他の人物と共にやはり例の過去というレースのかなたに居る人物であるにかかわらず、即ち馬琴の生存して居る当時の実社会とは遥かに隔たって居る時代の人物であるにかかわらず、その実はその当時の実社会の人物なのであります。言い換えますれば馬琴が作中のこれらの第三類の人物は大抵その当時に存在して居るところの人物なのであります。たとえば磯九郎という男は、勇者の随伴《とも》をして牛の闘を見にまいりますと、ふと恐ろしい強い牛が暴れ出しまして、人々がこれを取り押えることが出来ぬという場合、牛に向って来られたので是非なく勇者たる小文吾がその牛を取り挫《ひし》いで抑えつけます。そこで人々は恩を謝し徳をたたえて小文吾を饗応します。すると磯九郎は自分が大手柄でも仕《し》たように威張り散らして、頭を振り立てて種々の事を饒舌《しゃべ》り、終に酒に酔って管《くだ》を巻き大気焔を吐き、挙句には小文吾が辞退して取らぬ謝礼の十|貫文《かんもん》を独り合点で受け取って、いささか膂力のあるのを自慢に酔に乗じてその重いのを担ぎ出し、月夜に酔が醒め身が疲れて終に難にあうというのですが、いかにも下らない人間の下らなさ加減がさも有りそうに書けております。これは馬琴が人々の胸中から取り出し来った人物ではありません。けだし当時の実社会に生存して居たものを取り来ってその材料に使ったのであります。というものは、この磯九郎のような人間、――勿論すっかり同じであるというのではありませんが、殆どこの磯九郎のような人間は、常に当時の実社会と密接せんことを望みつつ著述に従事したところの式亭三馬の、その写実的の筆に酔客の馬鹿げた一痴態として上《のぼ》って居るのを見ても分ることで、そしてまた今日といえども実際私どもの目撃して居る人物中に、磯九郎如きものを見出すことの難《かた》くないことに徴《ちょう》しても明らかであります。ただ馬琴はかような人間を端役として使い、三馬やなぞは端役とせずに使うの差があるまでです。馬琴の小説中の端役の人間は、実に馬琴の同時代もしくは前後の、他の作者の作中には重要の位置を占める人物となって現われて居るのを見出すに難くありません。も一歩進めていって見れば、京伝や三馬や一九や春水は、常に馬琴が端役として冷遇した人物、即ちわずかに刷毛《はけ》ついでに書きなぐったような人物を叮嚀に取扱って、御客様にも本尊様にもして、そして一篇なり一部なりを成して居る傾きがあります。磯九郎ばかりではありません、例に挙げたから申しますが、身の苦しさに棄児をした糠助なんぞでも、他の作者ならばそれだけを主題にしても一部を為《な》すのであります。少しく小説の数をかけて読んだお方が、ちょっと瞑目して回想なさったらば、馬琴前後および近時の写実的傾向を帯びた小説等の主人公や副主人公や、事件の首脳なんどが、いかに多く馬琴の著《あら》わした小説中の枝葉の部分に見出さるるかという点には必ず御心づきになる事であろうと信じます。
『八犬伝』の中の左母二郎《さもじろう》などという男は、凡庸人物というよりもやや奸悪の方の人物でありますが、まさに馬琴の同時代に沢山生存して居たところの人物でありまして、それらの一種の色男がり、器用がり、人の機嫌を取ることが上手で、そして腹の中は不親切で、正直質朴な人を侮蔑して、自分は変な一種の高慢を有して居る人物を、馬琴がその照魔鏡に照して写し出したのであります。何故と申しますまでもありません、馬琴の前後の小説、――いわゆる当時の実社会をそのまま描写することを主とした、小説ともいえぬほど低微なものでありますが、それらの小説は描写が実社会の急所にあたってること、即ちウガチということを主として居るものであります。そのウガチを主な目的として居るところの著作数種を瞥見《べっけん》しますれば、左母二郎のような人間がしばしば描かれて居るのを発見するに難くないのでありますから、左母二郎のような型の人物の当時に少なくなかった事はおのずから分明であります。ただ馬琴は左母二郎の軽薄|※[#「にんべん+鐶のつくり」、356-6]巧《けんこう》で宜しくない者であることを示して居るに反して、他の片々たる作者輩は左母二郎を、意気で野暮でなくって、物がわかった、芸のある、婦人に愛さるべき資格を有して居る、宜しいものとして描いて居るのです。彼の芝居で演じます『籠《かご》つるべ』の主人公の佐野治郎左衛門《さのじろうざえもん》なぞという人物は、ちょうどこの左母二郎の正反対の人物に描いてありまして、正直な、無意気な、生野暮な男なのであります。しかるにその脚本にはその田舎くさい、正直なのを同情するよりは、嘲笑する気味がありありと現われて居ます。時代の風潮は左母二郎のようなのを愛して居るのであります。また、谷峨《こくが》という作者の書いたものや、振鷺亭《しんろてい》などという人の書いたものを見ますれば、左母二郎くさい、イヤな男が、むしろ讃称され敬愛される的となって篇中に現われて居るのを発見するのでありまして、谷峨の描きました五郎などという男を、引き伸ばしの写真機械にかけますれば、左母二郎になってしまわずには居ないような気が致します。
 さて第二類の「悪の方の人物」はと申しますと、これはどうも実際社会に現存して居る人物の悪者を極端まで誇張して書いたような形跡があります。まさかに馬琴の書きましたほどの悪人が、その当時に存して居ったとは思えませぬが、さればとてそれは全く馬琴の空想ばかりで捏造したものではありません。ここに至りますと、半分は実社会の人物を種として、半分はそれに馬琴の該博な智識――おもに歴史から得来《えきた》った智識の衣を着せて、極端に誇張し、引き伸ばして、そして作り出したように考えられます。つまり悪の人物は、前に申しました第一第三の種類の人物の中間的に作り出されるかと思われますのです。ですからこれまた無論実社会と無関係没交渉では無いのであります。
 これはひとり馬琴に限って論ずる訳ではありませんが、すべて仮作物語の作者と実社会との関係を観察しますと、極端に異なった類例が二種あるのであります。一つはその仮作物語と実社会と並行線なのであります。他の一つはその仮作物語と実社会と直角的に交叉線《こうさせん》をなして居る、――物語そのものは垂直線をなして居るのであります。並行線をなして居るのは、作者の思想や感情や趣味が当時の実社会と同じであるところより生じ、交叉線をなすのは作者の思想感情趣味が当時の実社会と異なるところより生ずるのであります。京伝だの三馬だの一九だのという人々は即ち並行線的作者で、その思想も感情も趣味も当時の衆俗と殆ど同じなのであり、したがってその著作は実社会をそっくり写したような訳合《わけあい》になるのです。馬琴に至りますと、杉や檜《ひのき》が天をむいて立つように、地平線とは直角をなして、即ち衆俗を抽《ぬき》んでて挺然《ていぜん》として自《みずか》ら立って居りますので、その著述は実社会と決して没交渉でも無関係でもありませんが、しかし並行はして居りませぬのです。時代の風潮は遊廓で優待されるのを無上の栄誉と心得て居る、そこで京伝らもやはり同じ感情を有して居る、そこで京伝らの著述を見れば天明《てんめい》前後の社会の堕落さ加減は明らかに写って居ますが、時代はなお徳川氏を謳歌して居るのであります。しかし馬琴は心中に将軍政治を悦んでは居りませんでした。誰が馬琴の『侠客伝』などを当時の実社会の反映だとはいい得ましょう? 馬琴以外の作者は実に時代と並行線を描いて居ましたが、馬琴は実に時代と直角的に交叉して居たのであります。時代の流れと共に流れ漂って居た人で無かったのであります。自分は自分の感情思想趣味があって、そしてその自分の感情思想趣味を以て実社会を批判して書いたのであるという事を認めなければならんのであります。
 下手《へた》の長談義で余り長くなりますから、これまでに致して置きます。                      (明治四十一年四月)

底本:「南総里見八犬伝 (十)」岩波文庫、岩波書店
   1990(平成2)年7月16日第1刷発行
底本の親本:「露伴全集 第十五巻」岩波書店
   1952(昭和27)年
入力:しだひろし
校正:オーシャンズ3
2007年11月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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