幸田露伴

二日物語—– 幸田露伴

    此一日

      其一

 観見世間是滅法《くわんけんせけんぜめつぽふ》、欲求無尽涅槃処《よくぐむじんねはんしよ》、怨親已作平等心《をんしんいさびやうどうしん》、世間不行慾等事《せけんふぎやうよくとうじ》、随依山林及樹下《ずゐえさんりんきふじゆげ》、或復塚間露地居《わくぶくちようかんろちきよ》、捨於一切諸有為《しやおいつさいしようゐ》、諦観真如乞食活《たいくわんしんによこつじきくわつ》、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。実《げ》に往時《いにしへ》はおろかなりけり。つく/″\静かに思惟《しゆゐ》すれば、我|憲清《のりきよ》と呼ばれし頃は、力を文武の道に労《つか》らし命を寵辱の岐《ちまた》に懸け、密《ひそ》かに自ら我をば負《たの》み、老病死苦の免《ゆる》さぬ身をもて貪瞋痴毒《とんじんちどく》の業《ごふ》をつくり、私邸に起臥しては朝暮|衣食《いゝし》の獄に繋がれ、禁庭に出入しては年月名利の坑《あな》に墜ち、小川の水の流るゝ如くに妄想の漣波《さゞなみ》絶ゆる間《ひま》なく、枯野の萱の燃ゆらむやうに煩悩の火※[#「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64]《ほのほ》時あつて閃めき、意馬は常に六塵の境に馳せて心猿|動《やゝ》もすれば十悪の枝に移らんとし、危くもまた浅ましく、昨日見し人今日は亡き世を夢と見る/\果敢なくも猶驚かで、鶯の霞にむせぶ明ぼのの声は大乗妙典《だいじようめうてん》の御名を呼べども、羝羊《ていやう》の暗昧《あんまい》無智の耳うとくて無明の眠りを破りもせず、吹きわたる嵐の音は松にありて、空をさまよふ浮雲に磨かれ出づる秋の夜の月の光をあはれ宿す、荒野の裾のむら薄の露の白珠あへなくも、末葉元葉を分けて行く風に砕けてはら/\と散るは真《まこと》に即無常、金口説偈《きんくせげ》の姿なれども、※[#「目+(黒の旧字/土)」、117-上-19]※[#「塞」の「土」に代えて「目」、117-上-19]《ぼくそく》として視る無き瞎驢《くわつろ》の何を悟らむ由もなく、いたづらに御祓《みそぎ》済《すま》してとり流す幣《ぬさ》もろともに夏を送り、窓おとづるゝ初時雨に冬を迎へて世を経しが、物に定まれる性なし、人いづくんぞ常に悪《あし》からむ、縁に遇へば則ち庸愚《ようぐ》も大道を庶幾《しょき》し、教に順ずるときんば凡夫も賢聖に斉しからむことを思ふと、高野大師の宣ひしも嬉しや。一歳《ひととせ》法勝寺御幸の節、郎等一人六条の判官《はうぐわん》が手のものに搦められしを、厭離《おんり》の牙種《げしゆ》、欣求《ごんぐ》の胞葉《はうえふ》として、大治二年の十月十一日拙き和歌の御感に預り、忝なくも勅禄には朝日丸の御佩刀《おんはかせ》をたまはり、女院の御方よりは十五重りたる紅の御衣を賜はり、身に余りある面目を施せしも、畏くはあれど心それらに留まらず、ひたすら世路を出でゝ菩提に入り敷華成果《ふげじやうくわ》の暁を望まむと、遂に其月十五夜の、玉兎《つき》も仏国西方に傾く頃を南無仏南無仏、恩愛永離《おんないえいり》の時こそ来つれと、髻《もとゞり》斬つて持仏堂《ぢぶつ》に投げこみ、露憎からぬ妻をも捨て、いとをしみたる幼きものをも歯を切《くひしば》つて振り捨てつ、弦を離れし箭《や》の如く嵯峨《さが》の奥へと走りつき、ありしに代へて心安き一鉢三衣《いつぱつさんえ》の身となりし以来《このかた》、花を採り水を掬《むす》むでは聊か大恩教主の御前に一念の至誠を供《くう》じ、案を払ひ香を拈《ひね》つては謹んで無量義経の其中に両眼の熱光を注ぎ、兀坐寂寞《こつざじやくまく》たる或夜は、灯火《ともしび》のかゝげ力も無くなりて熄《と》まる光りを待つ我身と観じ、徐歩《じよほ》逍遥《せうえう》せる或時は、蜘蛛《さゝがに》の糸につらぬく露の珠を懸けて飾れる人の世と悟りて、ます/\勤行怠らず、三懺の涙に六度の船を浮めて、五力の帆を揚げ二障の波を凌がむとし、山林に身を苦しめ雲水に魂をあくがれさせては、墨染の麻の袂に春霞よし野の山の花の香を留め、雲湧き出づる那智の高嶺の滝の飛沫《しぶき》に網代小笠《あじろをがさ》の塵垢《ぢんく》を濯《そゝ》ぎ、住吉の松が根洗ふ浪の音、難波江の蘆の枯葉をわたる風をも皆|御法《みのり》説く声ぞと聞き、浮世をよそに振りすてゝ越えし鈴鹿や神路山、かたじけなさに涙こぼれつ、行へも知れず消え失する富士の煙《けぶ》りに思ひを擬《よそ》へ、鴫立沢《しぎたつさは》の夕暮に※[#「筑」の「凡」に代えて「卩」、第3水準1-89-60]《つゑ》を停《とゞ》めて一人歎き、一人さまよふ武蔵野に千草の露を踏みしだき、果白河の関越えて幾干《いくそ》の山河隔たりし都の方をしのぶの里、おもはくの橋わたり過ぎ、嵐烈しく雪散る日辿り着きたる平泉、汀《みぎは》凍《こほ》れる衣川を衣手寒く眺めやり、出羽にいでゝ多喜の山に薄紅《うすくれなゐ》の花を愛《め》で、象潟《きさかた》の雨に打たれ木曾の空翠《くうすゐ》に咽んで、漸く花洛《みやこ》に帰り来たれば、是や見し往時《むかし》住みにし跡ならむ蓬が露に月の隠るゝ有為転変の有様は、色即空《しきそくくう》の道理《ことわり》を示し、亡きあとにおもかげをのみ遺し置きて我が朋友《ともどち》はいづち行きけむ無常迅速の為体《ていたらく》は、水漂草の譬喩《たとへ》に異ならず、いよ/\心を励まして、遼遠《はるか》なる巌の間《はざま》に独り居て人め思はず物おもはゞやと、数旬《しばらく》北山の庵に行ひすませし後、飄然と身を起し、加茂明神に御暇《おいとま》告《まを》して仁安三年秋の初め、塩屋の薄煙りは松を縫ふて緩くたなびき、小舟の白帆は霧にかくれて静に去るおもしろの須磨明石を経て、行く/\歌枕さぐり見つゝ図らずも此所|讚岐《さぬき》の国|真尾林《まをばやし》には来りしが、此所は大日流布《だいにちるふ》の大師の生れさせ給ひたる地にも近く、何と無く心とゞまりて如斯《かく》草庵を引きむすび、称名《しようみやう》の声の裏《うち》には散乱の意を摂し、禅那《ぜんな》の行の暇《ひま》には吟咏のおもひに耽り悠※[#二の字点、1-2-22]自ら楽むに、有がたや三世諸仏のおぼしめしにも叶ひしか、凡念日※[#二の字点、1-2-22]に薄ぎて中懐淡きこと水を湛へたるに同じく、罪障刻※[#二の字点、1-2-22]に銷《せう》して両肩《りやうけん》軽きこと風を担ふが如くになりしを覚ゆ。おもへば往事は皆非なり、今はた更に何をか求めん。奢を恣《ほしいま》まにせば熊掌《ゆうしやう》の炙りものも食《くら》ふに美味《よきあぢ》ならじ、足るに任すれば鳥足《てうそく》の繕したるも纏ふに佳衣《よききぬ》なり、ましてや蘿《つた》のからめる窓をも捨てゞ月我を吊《とむら》ひ、松たてる軒に来つては風我に戯る、ゆかしき方もある住居なり、南無仏南無仏、あはれよき庵、あはれよき松。

 久に経てわが後の世をとへよ松あとしのぶべき人も無き身ぞ

       其二

 真清水の世に出づべしともおもはねば見る眼寒げにすむ我を、慰め顔の一つ松よ。汝は三冬《さんとう》にも其色を変へねば我も一条《ひとすぢ》に此心を移さず。なむぢ嵐に揺いでは翠光を机上の黄巻《くわうくわん》に飛ばせば、我また風に托して香烟を木末《こずゑ》の幽花にたなびかす。そも/\我と汝とは往時《むかし》如何なる契りありけむ、かく相互に睦ぶこと是も他生の縁なるべし。草木国土|悉皆成仏《しつかいじやうぶつ》と聞くときは猶行末も頼みあるに、我は汝を友とせん。菩提樹神のむかしは知らねど、腕を組み言葉を交へずとも、松心あらば汝も我を友と見よ。僧青松の蔭に睡れば松老僧の頂を摩す、僧と松とは相応《ふさは》しゝ。我は汝を捨つるなからん。

 此所をまた我すみ憂くてうかれなば松はひとりにならんとすらん

 あら、心も無く軒端《のきば》の松を寂《さび》しき庵の友として眺めしほどに、憶ひぞ出でし松山の、浪の景色はさもあらばあれ、世の潮泡《しほなわ》の跡方なく成りまし玉ひし新院の御事胸に浮び来りて、あらぬさまにならせられ仁和寺《にんなじ》の北の院におはしましける時、ひそかに参りて畏くも御髪《みぐし》落させられたる御姿を、なく/\おぼろげながらに拝みたてまつりし其夜の月のいと明く、影もかはらで空に澄みたる情無かりし風情さへ、今|眼前《まのあたり》に見ゆるがごとし。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。実《げ》に人界《にんがい》不定《ふぢやう》のならひ、是非も無き御事とは申せ、想ひ奉《まつ》るもいとかしこし。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏阿弥陀仏。おもへば不思議や、長寛二年の秋八月廿四日は果敢なくも志渡《しど》にて崩《かく》れさせ玉ひし日と承はれば、月こそ異《かは》れ明日は恰も其日なり。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。いで御陵《みさゝき》のありと聞く白峯といふに明日は着き、御墓《おんしるし》の草をもはらひ、心の及ばむほどの御手向《おんたむ》けをもたてまつりて、いさゝか後世御安楽の御祈りをもつかまつるべきか。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

       其三

 頃は十月の末、ところは荒凉たる境なれば、見渡す限りの景色いともの淋しく、冬枯れ野辺を吹きすさむ風|蕭※[#二の字点、1-2-22]《せう/\》と衣裾《もすそ》にあたり、落葉は辿る径を埋めて踏む足ごとにかさこそと、小語《さゝや》くごとき声を発する中を※[#「足へん+禹」、第3水準1-92-38]※[#二の字点、1-2-22]然《くゝぜん》として歩む西行。衆聖中尊《しゆじやうちゆうそん》、世間之父《せけんしふ》、一切衆生《いつさいしゆじやう》、皆是吾子《かいぜごし》、深着世楽《しんぢやくせらく》、無有慧心《むうゑしん》、などと譬喩品《ひゆぼん》の偈《げ》を口の中にふつ/\と唱へ/\、従ふ影を友として漸やく山にさしかゝり、次第/\に分け登れば、力なき日はいつしか光り薄れて時雨空の雲の往来《ゆきき》定めなく、後山《こうざん》晴るゝ歟《か》と見れば前山忽まちに曇り、嵐に駆《か》られ霧に遮《さ》へられて、九折《つゞら》なる岨《そば》を伝ひ、過ぎ来し方さへ失ふ頃、前途《ゆくて》の路もおぼつかなきまで黒みわたれる森に入るに、樅《もみ》柏《かしは》の大樹《おほき》は枝を交はし葉を重ねて、杖持てる我が手首《たなくび》をも青むるばかり茂り合ひ、梢に懸れる松蘿《さるをがせ》は※[#「髟/參」、第4水準2-93-26]※[#二の字点、1-2-22]《さん/\》として静かに垂れ、雨降るとしは無けれども空翠凝つて葉末より滴る露の冷やかに、衣の袖も立ち迷へる水気に湿りて濡れたるごとし。音にきゝたる児《ちご》が岳《たけ》とは今白雲に蝕まれ居る峨※[#二の字点、1-2-22]《がゞ》と聳えし彼《あの》峯ならめ、さては此あたりにこそ御墓《みしるし》はあるべけれと、ひそかに心を配る折しも、見る/\千仭《せんじん》の谷底より霧漠※[#二の字点、1-2-22]と湧き上り、風に乱れて渦巻き立ち、崩るゝ雲と相応じて、忽ち大地に白布を引きはへたる如く立籠むれば、呼吸するさへに心ぐるしく、四方《あたり》を視るに霧の隔てゝ天地《あめつち》はたゞ白きのみ、我が足すらも定かに見えず。何と思ひも分け得ざる間に、雲霧|自然《おのづ》と消え行けば、岩角の苔、樹の姿、ありしに変らで眼《まなこ》に遮るものもなく、たゞ冬の日の暮れやすく彼方の峯に既《はや》没《い》りて、梟の羽※[#「睹のつくり/栩のつくり」、第4水準2-84-93]《はばたき》し初め、空やゝ暗くなりしばかりなり。木立わづかに間《ひま》ある方の明るさをたよりて、御陵《みさゝぎ》尋ねまゐらする心のせわしく、荊棘《いばら》を厭はでかつ進むに、そも/\これをば、清凉紫宸《せいりやうししん》の玉台に四海の君とかしづかれおはしませし我国の帝の御墓ぞとは、かりそめにも申得たてまつらるべきや、わづかに土を盛り上げたるが上に麁末《そまつ》なる石を三重に畳みなしたるあり。それさへ狐兎《こと》の踰《こ》ゆるに任せ草莱《さうらい》の埋むるに任せたる事、勿体なしとも悲しとも、申すも畏し憚りありと、心も忽ち掻き暗まされて、夢とも現《うつゝ》とも此処を何処とも今を何時とも分きがたくなり、御墓の前に平伏《ひれふ》して円顱《ゑんろ》を地に埋め、声も得立てず咽《むせ》び入りぬ。

       其四

 実《げ》にも頼まれぬ世の果敢《はか》なさ、時運は禁腋《きんえき》をも犯し宿業は玉体にも添ひたてまつること、まことに免れぬ道理《ことわり》とは申せ、九重の雲深く金殿玉楼の中にかしづかれおはしませし御身の、一坏《いつぱい》の土あさましく頑石叢棘《ぐわんせきさうきよく》の下《もと》に神隠れさせ玉ひて、飛鳥《ひてう》音《ね》を遺し麋鹿《びろく》痕《あと》を印する他には誰一人問ひまゐらするものもなき、かゝる辺土の山間《やまあひ》に物さびしく眠らせらるゝ御いたはしさ。ありし往時《そのかみ》、玉の御座《みくら》に大政《おほまつりごと》おごそかにきこしめさせ玉ひし頃は、三公九|卿《けい》首《かうべ》を俛《た》れ百官諸司袂をつらねて恐れかしこみ、弓箭《きうぜん》の武夫《つはもの》伎能の士、あらそつて君がため心を傾ぶけ操を励まし、幸に慈愍《じみん》の御まなじりにもかゝり聊か勧賞の御言葉にもあづからむには、火をも踏み水にも没《い》り、生命を塵芥《ぢんかい》よりも軽く捨てむと競ひあへりしも、今かくなり玉ひては皆対岸の人|異舟《いしう》の客《かく》となりて、半巻の経を誦し一句の偈《げ》をすゝめたてまつる者だになし。世情は常に眼前に着《ぢやく》して走り天理は多く背後に見《あら》はれ来るものなれば、千鐘の禄も仙化《せんげ》の後には匹夫の情をだに致さする能はず、狗馬《くば》たちまちに恩を忘るゝとも固《もと》より憎むに足らず、三春の花も凋落の夕には芬芳《ふんばう》の香り早く失せて、※[#「虫+夾」、第3水準1-91-54]蝶《けふてふ》漸く情疎《じやうそ》なるもまた恨むに詮なし。恐れ多けれども一天万乗の君なりとて欲界の網羅を脱し得玉はねば、如是《かく》なり玉ふこと如是なり玉ふべき筈あり、憎まむ世も無く恨まむ天もあるべからず。おもんみれば、赫※[#二の字点、1-2-22]たる大日輪は螻蟻《ろうぎ》の穴にも光を惜まず、美女の面《おもて》にも熱を減ぜず、茫※[#二の字点、1-2-22]たる大劫運《だいごふうん》は茅茨《ばうし》の屋よりも笑声を奪はず、天子眼中にも紅涙を餽《おく》る、尽大地《じんだいち》の苦、尽大地の楽、没際涯《ぼつさいがい》の劫風《ごふふう》滾※[#二の字点、1-2-22]《こん/\》たり、何とりいでゝ歎き喞たむ。さはさりながら現土には無上の尊き御身をもて、よしなき事をおぼしたゝれし一念の御迷ひより、幾干《いくそ》の罪業《つみ》を作り玉ひし上、浪煙る海原越えて浜千鳥あとは都へ通へども、身は松山に音をのみぞなく/\孤灯に夜雨を聴き寒衾《かんきん》旧時を夢みつゝ、遂に空くなり玉ひし御事、あまりと申せば御傷《おんいたは》しく、後の世のほども推し奉るにいと恐ろしゝ。いざや終夜《よもすがら》供養したてまつらむと、御墓《みしるし》より少し引きさがりたるところの平《ひら》めなる石の上に端然《たんねん》と坐をしめて、いと静かにぞ誦しいだす。妙法蓮華経提婆達多品《めうほふれんげきやうだいばだつたぼん》第十二。爾時仏告諸菩薩及天人四衆《にじぶつかうしよぼさつきふてんにんししゆ》、吾於過去無量劫中《ごおくわこむりやうごふちゆう》、求法華経無有懈倦《ぐほけきやうむうげけん》、於多劫中常作国王《おたごふちゆうじやうさこくわう》、発願求於無上菩提《ほつぐわんぐおむじやうぼだい》、心不退転《しんふたいてん》、為欲満足六波羅密《ゐよくまんぞくろくはらみつ》、勤行布施《ごんぎやうふせ》、心無悋惜《しんむりんじやく》、象馬七珍国城妻子奴婢僕従《ざうめしつちんこくじやうさいしぬびぼくじゆう》、頭目身肉手足不惜躯命《づもくしんにくしゆそくふじやくくみやう》、……
 日は全く没《い》りしほどに山深き夜のさま常ならず、天かくすまで茂れる森の間に微なる風の渡ればや、樹端《こずゑ》の小枝《さえだ》音もせず動きて、黒きが中に見え隠れする星の折ふしきら/\と鋭き光りを落すのみにて、月はいまだ出でず。ふけ行くまゝに霜冴えて石床《せきしやう》いよ/\冷やかに、万籟《ばんらい》死して落葉さへ動かねば、自然《おのづ》と神《しん》清《す》み魂魄《たましひ》も氷るが如き心地して何とはなしに物凄まじく、尚御経を細※[#二の字点、1-2-22]と誦しつゞくるに、声はあやなき闇に迷ひて消ゆるが如く存《あ》るが如く、空にかくれてまたふたゝび空より幽に出で来るごときを、吾が声とも他《ひと》の声ともおぼつかなく聴きつゝ、濁劫悪世中《ぢよくごふあくせちゆう》、多有諸恐怖《たうしよきようふ》、悪鬼入其身《あくきにふごしん》、罵詈毀辱我《ばりきじよくが》、と今しも勧持品《くわんぢぼん》の偈《げ》を称ふる時、夢にもあらず我が声の響きにもあらで、正しく円位※[#二の字点、1-2-22]※[#二の字点、1-2-22]と呼ぶ声あり。

       其五

 西行かすかに眼《まなこ》を転じて、声する方の闇を覗《うかゞ》へば、ぬば玉の黒きが中を朽木のやうなる光り有てる霧とも雲とも分かざるものの仄白く立ちまよへる上に、其|様《さま》異《こと》なる人の丈いと高く痩せ衰へて凄まじく骨立ちたるが、此方に向ひて蕭然《せうぜん》と佇《たゝず》めり。素より生死の際に工夫修行をつみたる僧なれば恐ろしとも見ず、円位と呼ばれしは抑《そも》何人にておはすや、と尋ぬれば、嬉しくも詣で来つるものよ、我を誰とは尋ねずもあれ、末葉吹く嵐の風のはげしさに園生の竹の露こぼれける露の身ぞ、よく訪《と》ひつるよ、と聞え玉ふ。あら情無や勿体なしや、さては院の御霊《みたま》の猶此|土《ど》をば捨てさせ玉はで、妄執の闇に漂泊《さすら》ひあくがれ、こゝにあらはれ玉ひし歟、あら悲しや、と地に伏して西行涙をとゞめあへず。
 さりとてはいかに迷はせ玉ふや、濁穢《ぢよくゑ》の世をば厭ひ捨て玉ひつることの尊くも有難くおぼえて、いさゝか随縁法施《ずゐえんほふせ》したてまつりしに、六慾の巷にふたゝび現形《げんぎやう》し玉ふは、いとかしこくも口惜き御心に侍り、仮現《けげん》の此|界《さかひ》にてこそ聖慮安らけからぬ節もおはしつれ、不堅如聚沫《ふけんによじゆまつ》の御身を地水火風にかへし玉ひつる上は、旋転如車輪《せんでんによしやりん》の御心にも和合動転を貪り玉はで、隔生即忘《かくしやうそくまう》、焚塵即浄《ふんぢんそくじやう》、無垢の本土に返らせ玉はむこそ願はまほしけれ、頓《やが》ては迂僧も肉壊骨散《にくゑこつさん》の暁を期し、弘誓《ぐぜい》の仏願を頼りて彼岸にわたりつき、楽しく御傍に参りつかふまつるべし、迷はせ玉ふな迷はせ玉ふな、唯何事も夢まぼろし、世に時めきて栄ゆるも虚空に躍る水珠の、日光により七彩を暫く放つに異ならず、身を狭められ悶ゆるも闇夜を辿る稚児《をさなご》の、樹影を認めて百鬼来たりと急に叫ぶが如くなれば、得意も非なり失意も非なり、歓ぶさへも空《あだ》なれば如何で何事の実在《まこと》ならんとぞ承はりおよぶ、無有寃親想《むうをんしんさう》、永脱諸悪趣《えいだつしよあくしゆ》、所詮は御心を刹那にひるがへして、常生適悦心《じやうしやうてきえつしん》、受楽無窮極《じゆらくむきゆうきよく》、法味を永遠に楽ませ玉へ、と思入つて諫めたてまつれば、院の御霊は雲間に響く御声してから/\と異様《ことやう》に笑はせ玉ひ、おろかや解脱の法を説くとも、仏も今は朕《わ》が敵《あだ》なり、涅槃《ねはん》も無漏《むろ》も肯《うけが》はじ、徃時《むかし》は人朕が光明《ひかり》を奪ひて、朕《われ》を泥犂《ないり》の闇に陥しぬ、今は朕人を涙に沈ましめて、朕が冷笑《あざわらひ》の一[#(ト)]声の響の下に葬らんとす、おもひ観よ汝、漸く見ゆる世の乱は誰が為すこととぞ汝はおもふ、沢の蛍は天に舞ひ、闇裏《やみ》の念《おもひ》は世に燃ゆるぞよ、朕は闇に動きて闇に行ひ、闇に笑つて闇に憩《やすら》ふ下津岩根の常闇《とこやみ》の国の大王《おほぎみ》なり、正法《しやうぼふ》の水有らん限は魔道の波もいつか絶ゆべき、仏に五百の弟子あらば朕《われ》にも六天八部の属あり、三世の諸仏菩薩の輩《ともがら》、何の力か世にあるべき、たゞ徒に人の舌より人の耳へと飛び移り、またいたづらに耳より舌へと現はれ出でゝ遊行するのみ、朕が眷属の闇きより闇きに伝ひ行く悪鬼は、人の肺腑に潜み入り、人の心肝骨髄《しんかんこつずゐ》に咬《く》ひ入つて絶えず血にぞ飽く、視よ見よ魔界の通力もて毒火を彼が胸に煽り、紅炎《ぐえん》を此《これ》が眼より迸《はし》らせ、弱きには怨恨《うらみ》を抱かしめ強きには瞋《いか》りを発《おこ》さしめ、やがて東に西に黒雲狂ひ立つ世とならしめて、北に南に真鉄《まがね》の光の煌《きら》めき交《ちが》ふ時を来し、憎しとおもふ人※[#二の字点、1-2-22]に朕が辛かりしほどを見するまで、朝家に酷《むご》く祟《たゝり》をなして天が下をば掻き乱さむ、と御勢ひ凛※[#二の字点、1-2-22]しく誥《つ》げたまふにぞ、西行あまりの御あさましさに、滝と流るゝ熱き涙をきつと抑へて、恐る惶《おそ》るいさゝか首《かうべ》を擡《もた》げゝる。

       其六

 こは口惜くも正《まさ》なきことを承はるものかな、御言葉もどかんは恐れ多けれど、方外の身なれば憚り無く申し聞えんも聊か罪浅う思し召されつべくやと、遮つて存じ寄りのほどを言《まを》し試み申すべし、御憤はまことにさる事ながら、若人|瞋《いか》り打たずんば何を以てか忍辱《にんにく》を修めんとも承はり伝へぬ、畏れながら、ながらへて終に住むべき都も無ければ憂き折節に遇ひたまひたるを、世中《よのなか》そむかせたまふ御便宜《おんたより》として、いよ/\法海の深みへ渓河《たにがは》の浅きに騒ぐ御心を注がせたまひ、彼岸の遠きへ此|土《ど》の汀去りかぬる御迷を船出せさせ玉ひて、玉をつらぬる樹《こ》の下に花降り敷かむ時に逢はむを待ちおはす由承はりし頃は、寂然《じやくねん》、俊成《としなり》などとも御志の有り難さを申し交して如何ばかりか欣ばしく存じまゐらせしに、御|納経《なふきやう》の御望み叶はせられざりしより、竹の梢に中つて流《そ》るゝ金弾の如くに御志あらぬ方へと走り玉ひ、鳴門の潮の逆風《さかかぜ》に怒つて天に滔《はびこ》るやう凄じき御祈願立てさせ玉ひしと仄に伝へ承はり侍りしが、冀《ねが》はくは其事の虚《いつはり》妄にてあれかしと日比《ひごろ》念じまゐらせし甲斐も無う、さては真に猶此|裟婆界《しやばかい》に妄執をとゞめ、彼《かの》兜卒天《とそつてん》に浄楽は得ず御坐《おはし》ますや、訝《いぶか》しくも御意《みこゝろ》の然《さ》ばかり何に留まるらん、月すめば谷にぞ雲は沈むめる、嶺吹き払ふ風に敷かれてたゞ御※[#「匈/(胃-田)」、121-上-27]《おんむね》の月|明《あか》からんには、浮き雲いかに厚う鎖すとも氷輪無為の天《そら》の半に懸り御坐《おは》して、而も清光|湛寂《たんじやく》の潭《ふち》の底に徹することのあるべきものを、雲憎しとのみおぼさんは、そも如何にぞや、降《くだ》れば雨となり、蒸せば霞となり、凝れば雪ともなる雲の、指して言ふべき自性も無きに、まして夏の日の峯と峙《そばだ》ち秋の夕の鱗とつらなり、或《ある》は蝶と飛び猪《ゐのこ》と奔りて緩くも急《はや》くも空行くが、おのれから為す業ならばこそ、皆風のさすことなるを何取り出でゝ憎むに足るべき、夫|尺蠖《せきくわく》は伸びて而も還《また》屈《かゞ》み、車輪は仰いで而も亦|低《た》る、射る弓の力窮まり尽くれば、飛ぶ矢の勢変り易《かは》りて、空向ける鏃も地に立つに至らんとす、此故に欲界の六天、天高けれども報尽きては宝殿|忽地《たちまち》に崩れ、魔王の十善、善|大《おほい》なればとて果《くわ》窮まれば業苦早くも逼る、人間五十年の石火の如くなるのみならず天上幾万歳も電光に等しかるべし、御怨恨《おんうらみ》も復《かへ》し玉ふべからむ、御忿恚《おんいきどほり》も晴らさせ玉ふべからん、さて其暁は如何にして御坐《おは》さんとか思す、一旦出離の道には入らせたまひたれど断縛の劒を手にし玉はず、流転の途は厭はせられたりしも人我《にんが》の空をば肯《うけが》ひは為玉はざりしや、何とて幺微《いさゝか》の御事に忌はしくも自ら躓かせたまひて、法《のり》の便りの牛車を棄て、罪の齎らす火輪にも駕《が》さんとは思したまふ、生空《しやうくう》を唯薀《ゆゐうん》に遮し、我倒《がたう》を幻炎に譬ふれば、我が瞋《いか》るなる我や夫《それ》いづくにか有る、瞋るが我とおぼすか我が瞋るとおぼすか、思ひと思ひ、言ふと言ふ万端《よろづ》のこと皆|真実《まこと》なりや、訝《いぶ》かれば訝かしく、疑へば疑はしきものとこそ覚え侍れ、笑ひも恨みも、はた歓びも悲みも、夕に来ては旦《あした》に去る旅路の人の野中なる孤屋《ひとつや》に暫時《しばし》宿るに似て、我とぞ仮に名を称《よ》ぶなるものの中をば過ぐるのみ、いづれか畢竟《つひ》の主人《あるじ》なるべき、客《かく》を留めて吾が主と仰ぎ、賊を認めて吾が子となす、其悔無くばあるべからず、恐れ多けれど聡明|匹儔《たぐひ》無く渡らせたまふに、凡庸も企図せざるの事を敢て為玉ひて、千人の生命を断たんと瞋恚《じんゐ》の刀を提《ひつさ》げし央掘魔《あうくつま》が所行《ふるまひ》にも似たらんことを学ばせらるゝは、一婦の毒咒《どくじゆ》に動かされて総持の才を無にせんとせし阿難陀《あなんだ》が過失《あやまち》にも同じかるべき御迷ひ、御傷《おんいた》はしくもまた口惜く、云ひ甲斐無くも過《あやま》たせたまふものかな、烈日が前の片時雨、聖智が中《うち》の御一失、疾《と》く/\御心を翻《ひるが》へしたまひて、三趣に沈淪し四生に※[#「足へん+令」、122-上-1]※[#「足へん+屏」、122-上-1]《れいへい》するの醜さを出で、一乗に帰依し三昧に入得《につとく》するの正きに仗《よ》り御坐しませ、宿福広大にして前業《ぜんごふ》殊勝に渡らせたまふ御身なれば、一念※[#二の字点、1-2-22]頭の転じたまふを限に弾指《たんし》転※[#「目+旬」、第3水準1-88-80]《てんけん》の間も無く、神通の宝輅《はうらく》に召し虚空を凌いで速かに飛び、真如の浄域に到り、光明を発して長《とこし》へに熾《さかん》に御坐しまさんこと、などか疑ひの侍るべき、仏魔は一紙、凡聖《ぼんじやう》は不二、煩悩即菩提《ぼんなうそくぼだい》、忍土即浄土《にんどそくじやうど》、一珠わづかに授受し了れば八歳の竜女当下《りゆうによたうか》に成仏すと承はる、五障女人《ごしやうによにん》の法器にあらぬにだに猶彼が如し、まして十善天子の利根に御坐すに、いかで正覚を成し玉はざらん、御経には成等正覚《じやうとうしやうがく》、広度衆生《くわうどしゆじやう》、皆因提婆達多善知識故《かいいんだいばだつたぜんちしきご》と説かれ侍るを、誰憎しとか思す、恐れ多けれど、そもや誰人憎しとか思す、怨敵まことは道の師なり、怨敵まことは道の師なり、眼《まなこ》をあげて大千三千世界を観るに、我が皇《きみ》の怨敵たらんもの、いづくにか将《はた》侍るべき、まこと我が皇の御敵《おんあだ》たらんものの侍らば、痩せたる老法師の力|乏《とも》しくは侍れども、御力を用ゐさせ玉ふまでもなく、大聖威怒王《だいしやうゐぬわう》が折伏《しやくぶく》の御劒をも借り奉り、迦楼羅《かるら》の烈炎の御猛威《おんみやうゐ》にも頼《よ》り奉りて、直に我が皇の御敵を粉にも灰にも摧《くだ》き棄て申すべし、さりながら皇の御敵の何処《いづく》の涯にもあらばこそ、巴豆《はづ》といひ附子《ぶし》といふも皆是薬、障礙《しやうげ》の悪神《あくじん》毘那耶迦《びなやか》も本地は即《すなはち》毘盧沙那如来《びるしやなによらい》、此故に耆婆《きば》眼《まなこ》を開けば尽大地の草木、保命《ほうみやう》の霊薬ならぬも無く、仏陀《ぶつだ》教を垂るれば遍虚空《へんこくう》の鬼刹《きせつ》、護法の善神ならぬも無しと申す、御敵やそも那処《いづく》にかある、詮ずるところ怨親の二つながら空華の仮相、喜怒もろともに幻翳《げんねい》の妄現《まうげん》、雪と見て影に桜の乱るれば花のかさ被《き》る春の夜の月が、まことの月にもあらず、水無くて凍りぞしたる勝間田の池あらたむる秋の夜の月が、まことの月にもあらじ、世間一切の種※[#二の字点、1-2-22]の相は、まことは戯論《げろん》の名目のみ、真如の法海より一瓢の量を分ち取りて、我執の寒風に吹き結ばせし氷を我ぞと着すれば、熱湯は即仇たるべく、実相の金山《こんざん》より半畚《はんぽん》の資を齎し来りて、愛慾の毒火に鋳成《いな》せし鼠を己なりと思はんには、猫像《めうざう》或は敵《かたき》たるベけれど、本来氷も湯も隔なき水、鼠も猫も異ならぬ金なる時んば、仮相の互に亡び妄現の共に滅するをも待たずして、当体即空《たうたいそくくう》、当事即了《たうじそくりやう》、廓然《くわくねん》として、天に際涯《はて》無く、峯の木枯、海の音、川遠白く山青し、何をか瞋《いか》り何にか迷はせたまふ、疾《と》く、疾く、曲路の邪業《じやごふ》を捨て正道の大心を発し玉へ、と我知らず地を撃つて諫め奉れば、院の御亡霊《みたま》は、山壑《さんがく》もたぢろき木石も震ふまでに凄《すさまじ》くも打笑はせ玉ひて、おろかなり円位、仏が好ましきものにもあらばこそ、魔か厭はしきものにもあらばこそ、安楽も望むに足らず、苦患《くげん》も避くるに足らず、何を憚りてか自ら意《こゝろ》を抑へ情《おもひ》を屈めん、妄執と笑はば笑へ、妄執を生命として朕《われ》は活き、煩悩と云はば云へ、煩悩を筋骨として朕は立つ、おろかや汝、四弘誓願《しぐせいぐわん》は菩薩の妄執、五時説教は仏陀の煩悩、法蔵が妄執四十八願、観音が煩悩三十三|身《じん》、三世十方|恒河沙数《がうがしやすう》の諸仏菩薩に妄執煩悩無きものやある、妄執煩悩無きものやある、何ぞ瞿曇《ぐどん》が舌長《したなが》なる四十余年の託言《かごと》繰言《くりごと》、我尊しの冗語《じようご》漫語《まんご》、我をば瞞《あざむ》き果《おほ》すに足らんや、恨みは恨み、讐《あだ》は讐、復《かへ》さでは我あるべきか、今は一切世間の法、まつた一切世間の相、森羅万象人畜草木《しんらばんしやうにんちくさうもく》、悉皆《しつかい》朕《わがみ》の敵《あだ》なれば打壊《うちくづ》さでは已むまじきぞ、心に染まぬ大千世界、見よ/\、火前の片羽となり風裏の繊塵《せんぢん》と為して呉れむ、仏に六種の神通あれば朕に千般の業通あり、ありとあらゆる有情含識《うじやうがんしき》皆朕が魔界に引き入れて朕が眷属となし果つべし、汝が述べたるところの如きは円顱の愚物が常套の談、醜し、醜し、将《もち》帰り去れ、※[#「けものへん+胡」、122-下-21]※[#「けものへん+孫」、122-下-21]《こそん》が瞋《いかり》を賺《す》かす胡餅《こべい》の一片、朕を欺かんとや、迂なり迂なり、想ひ見よ、そのかみ朕此讃岐の涯に来て、沈み果てぬる破舟《やれぶね》の我にもあらず歳月《としつき》を、空しく杉の板葺の霰に悲しき夜を泣きて、風につれなき日を送り、心くだくる荒磯の浪の響に霜の朝、独り寐覚めし凄じさ、思ひも積る片里の雪に灯火《ともし》の瞬く宵、たゞ我が影の情無く古びし障子に浸み入るを見つめし折の味気無さ、如何ばかりなりしと汝思ふや、歌の林に人の心の花香をも尋ね、詞の泉に物のあはれの深き浅きをも汲みて分くる、敷嶋の道の契りも薄からず結びし汝なれば、厳しく吹きし初秋の嵐の風に世を落ちて、日影傾く西山の山の幾重の外にさすらひ、初雁音《はつかりがね》も言づてぬ南の海の海遥なる離れ嶋根に身を佗びて、捨てぬ光は月のみの水より寒く庇廂《ひさし》洩る住家に在りし我が情懐《おもひ》は、推しても大概《およそ》知れよかし、されば徃時《むかし》は朕とても人をば責めず身を責めて、仏に誓ひ世に誓ひ、おのれが業をあさましく拙かりしと悔い歎きて、心の水の浅ければ胸の蓮葉《はちすば》いつしかと開けんことは難けれど、辿る/\も闇き世を出づべき道に入らんとて、天《そら》へと伸ぶる呉竹の直なる願を独り立て、他《あだ》し望みは思ひ絶つ其麻衣ひきまとひ、供ふる華に置く露の露散る暁《あした》、焼《た》く香の煙の煙立つ夕を疾《とく》も来れと待つ間、一字三礼妙典書写の功を積みしに、思ひ出づるも腹立たしや、たゞに朕が現世の事を破りしのみならず、また未来世の道をも妨ぐる人の振舞、善悪も邪正もこれ迄なりと入つたる此道、得たる此果、今は金輪崩るるとも、銕囲《てつゐ》劈裂《つんざ》け破るゝとも、思ふ事果さでは得こそ止まじ、真夏の午《ひる》の日輪を我が眼の中に圧し入れらるゝは能く忍ぶべし、胸の恨を棄てなんことは忍ぶべからず、平等の見は我が敵なり、差別の観は朕が宗なり、仏陀は智なり朕は情なり、智水千頃の池を湛へば情火万丈の※[#「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64]《ほのほ》を拳げん、抜苦与楽《ばつくよらく》の法|可笑《をかし》や、滅理絶義の道こゝに在り、朕が一脚の踏むところは、柳紅に花緑に、朕が一指のそれと指すところは、烏も白く鷺も黒し、天死せしむべく地舞はしむべく、日月暗からしむべく江海涸れしむべし、頑石笑つて且歌ひ、枯草花さいて、しかも芬《かを》る、獅子は美人が膝下に馴れ大蛇は小児の坐前に戯る、朔風暖かにして絳雪《かうせつ》香しく、瓦礫《ぐわれき》光輝を放つて盲井醇醴《まうせいじゆんれい》を噴き、胡蝶声あつて夜深く相思の吟をなす、聾者《ろうしや》能く聞き瞽者《こしや》能く見る、劒戟も折つて食《くら》ふべく鼎钁《ていくわく》も就いて浴すべし、世界はほと/\朕がまゝなり、黄身《わうしん》の匹夫、碧眼の胡児《こじ》、烏滸《をこ》の者ども朕を如何にか為し得べき、心とゞめてよく見よや、見よ、やがて此世は修羅道《しゆらだう》となり朕が眷属となるべきぞ、あら心地快や、と笑ひたまふ御声ばかりは耳に残りて、放たせ玉ふ赤光の谷※[#二の字点、1-2-22]山※[#二の字点、1-2-22]に映りあひ、天地忽ち紅色《くれなゐ》になるかと見る間に失せ玉ひぬ。
 西行はつと我に復りて、思へば夢か、夢にはあらず。おのれは猶かつ提婆品《だいばぼん》を繰りかへし/\読み居たるか、其読続き我が口頭に今も途絶えず上り来れり。[#地から2字上げ](明治二十五年五月「国会」)

     彼一日

       其一

 頼み難きは我が心なり、事あれば忽に移り、事無きもまた動かんとす。生じ易きは魔の縁なり、念《おもひ》を放《ほしいまゝ》にすれば直に発《おこ》り、念を正しうするも猶起らんとす。此故に心は大海の浪と揺《ゆら》ぎて定まる時無く、縁は荒野の草と萠えて尽くる期《ご》あらねば、たま/\大勇猛の意気を鼓して不退転の果報を得んとするものも、今日の縁にひかれて旧年の心を失ふ輩は、可惜《あたら》舟を出して彼岸に到り得ず、憂くも道に迷ひて穢土《ゑど》に復還るに至る。されば心を収むるは霊地に身を※[#「宀/眞」、第3水準1-47-57]《お》くより好きは無く、縁を遮るは浄業《じやうごふ》に思を傾くるを最も勝れたりとなす。木片の薬師、銅塊《どうくわい》の弥陀《みだ》は、皆これ我が心を呼ぶの設け、崇《あが》め尊まぬは烏滸《をこ》なるべく、高野の蘭若《らんにや》、比叡《ひえ》の仏刹《ぶつさつ》、いづれか道の念を励まさゞらむ、参り詣《いた》らざるは愚魯《おろか》なるべし。古の人の、麻の袂を山おろしの風に翻し、法衣《ころも》の裾を野路の露に染めつゝ、東西に流浪し南北に行きかひて、幾干《いくそ》の坂に谷に走り疲れながら猶辛しともせざるものは、心を霊地の霊気に涵《ひた》し念を浄業の浄味に育みて、正覚の暁を期すればなり。鏡に対《むか》ひては髪の乱れたるを愧《は》ぢ、金《こがね》を懐にすれば慾の亢《たかぶ》るを致す習ひ、善くも悪くも其境に因り其機に随ひて凡夫の思惟《しゆゐ》は転ずるなれば、たゞ後の世を思ふものは眼に仏菩薩の尊容を仰ぎ、口に経陀羅尼《きやうだらに》の法文を誦《じゆ》して、夢にも現にも市※[#「廛+おおざと」、第3水準1-92-84]《してん》栄花《えいぐわ》の巷に立入ること無く、朝も夕も山林|閑寂《かんじやく》の郷に行ひ済ましてあるべきなり。首《かうべ》を回らせば徃時をかしや、世の春秋に交はりて花には喜び月には悲み、由無き七情の徃来に泣きみ笑ひみ過ごしゝが、思ひたちぬる墨染の衣を纏ひしより今は既《はや》、指を※[#「てへん+婁」、123-下-27]《かゞな》ふれば十《と》あまり三歳《みとせ》に及びて秋も暮れたり。修行の年も漸く積もりぬ、身もまた初老に近づきぬ。流石心も澄み渡りて乱るゝことも少くなり、旧縁は漸く去り尽して胸に纏《まつ》はる雲も無し。忽然《こつねん》として其初一人来りし此裟婆に、今は孑然《げつぜん》として一人立つ。待つは機の熟して果《このみ》の落つる我が命終《みやうじゆう》の時のみなり。あら快《こゝろよ》の今の身よ、氷雨降るとも雪降るとも、憂を知らぬ雲の外に嘯《うそぶ》き立てる心地して、浮世の人の厭ふ冬さへ却つてなか/\をかしと見る、此の我が思ひの長閑さは空飛ぶ禽もたゞならず。されど禅悦《ぜんえつ》に着《ぢやく》するも亦是修道の過失《あやまち》と聞けば、ひとり一室に籠り居て驕慢の念を萠さんよりは、歩《あゆみ》を処※[#二の字点、1-2-22]の霊地に運びて寺※[#二の字点、1-2-22]の御仏をも拝み奉り、勝縁《しようえん》を結びて魔縁を斥け、仏事に勤めて俗事に遠ざからんかた賢かるべしとて、そこに一日、かしこに二日と、此御仏彼御仏の別ちも無くそれ/\の御堂を拝み巡りては、或《ある》は祈願を籠めて参籠の誠を致し、或は和歌を奉りて讃歎の意を表し来りけるが、仏天の御思召にも協ひけん聊か冥加も有りとおぼしく、幸に道心のほかの他心《あだしごゝろ》も起さず勝縁を妨ぐる魔縁にも遇はで、終に今日に及ぶを得たり。既徃の誠に欣ぶべきに将来の猶頼まゝほしく、長谷の御寺の観世音菩薩の御前に今宵は心ゆくほど法施《ほふせ》をも奉らんと立出でたるが、夜※[#二の字点、1-2-22]に霜は募りて樹※[#二の字点、1-2-22]に紅は増す神無月《かんなづき》の空のやゝ寒く、夕日力無く舂《うすつ》きて、晩《おく》れし百舌の声のみ残る、暮方のあはれさの身に浸むことかな。見れば路の辺の草のいろ/\、其とも分かず皆いづれも同じやうに枯れ果てゝ崩折《くづほ》れ偃《ふ》せり。珍らしからぬ冬野のさま、取り出でゝ云ふべくはあらねども、折からの我が懐《おもひ》に合ふところあり。情《こゝろ》を結び詞《ことば》を束ねて、歌とも成らば成して見ん、おゝそれよ、さま/″\に花咲きたりと見し野辺のおなじ色にも霜がれにけり。嗚呼我人とも終には如是《かく》、男女美醜の別《わかち》も無く同じ色にと霜枯れんに、何の翡翠の髪の状《さま》、花の笑ひの顔《かんばせ》か有らん。まして夢を彩る五欲の歓楽《たのしみ》、幻を織る四季の遊娯《あそび》、いづれか虚妄《いつはり》ならざらん。たゞ勤むべきは菩提の道、南無仏、南無仏、と観じ捨てゝ、西行独り路を急ぎぬ。

       其二

 弓張月の漸う光りて、入相《いりあひ》の鐘の音も収まる頃、西行は長谷寺《はせでら》に着きけるが、問ひ驚かすべき法《のり》の友の無きにはあらねど問ひも寄らで、観音堂に参り上りぬ。さなきだに梢透きたる樹※[#二の字点、1-2-22]を嬲《なぶ》りて夜の嵐の誘へば、はら/\と散る紅葉なんどの空に狂ひて吹き入れられつ、法衣《ころも》の袖にかゝるもあはれに、又仏前の御灯明《みあかし》の目瞬《めはじき》しつゝ万般《よろづ》のものの黒み渡れるが中に、いと幽なる光を放つも趣きあり。法華経の品《ほん》第二十五を声低う誦するに、何となく平時《つね》よりは心も締まりて身に浸みわたる思ひの為れば、猶誠を籠めて誦し行くに天も静けく地も静けく、人も全く静まりたる、時といひ、処といひ相応して、我耳に入るは我声ながら、若くは随喜仏法の鬼神なんどの、声を和《あは》せて共に誦する歟《か》と疑はるゝまで、上無く殊勝に聞こえわたりぬ。特《こと》に参りたる甲斐はありけり、菩薩も定めしかゝる折のかゝる所作《しよさ》をば善哉《よし》として必ず納受《なふじゆ》し玉ふなるべし、今宵の心の澄み切りたる此の清《すゞ》しさを何に比へん、あまりに有り難くも尊く覚ゆれば、今宵は夜すがら此御堂の片隅になり趺坐《ふざ》なして、暁天《あかつき》がたに猶一[#(ト)]度誦経しまゐらせて、扨其後香華をも浄水をも供じて罷らめと、西行やがて三拝して御仏の御前を少し退《すさ》り、影暗き一[#(ト)]隅に身を捩ぢ据ゑ、凍れる水か枯れし木の、動きもせねば音も立てず、寂然《じやくねん》として坐し居たり。
 夜は沈※[#二の字点、1-2-22]と漸く更けて、風も睡れる如くになりぬ。右左に並びて立ちたりける御灯明《みあかし》は一つ消え、また一つ消えぬ。今はたゞいと高き吊灯籠の、光り朦朧として力無きが、夢の如くに残れるのみ。此寺《こゝ》の僧どもは寒気《さむさ》に怯ぢて所化寮《しよけれう》に炉をや囲みてあるらん、影だに終に見するもの無し。云ふべきかたも無く静なれば、日比《ひごろ》焼きたる余気なるべし今薫ゆるとにはあらぬ香の、有るか無きかに自然《おのづから》※[#「鈞のつくり」、第3水準1-14-75]ひを流すも最《いと》能《よ》く知らる。かゝる折から何者にや、此方を指して来る跫音す。御仏に仕ふる此寺《こゝ》のものゝ、灯燭《とうしよく》を続ぎまゐらせんとて来つるにやと打見るに、御堂の外は月の光り白※[#二の字点、1-2-22]として霜の置けるが如くに見ゆるが中を、寒さに堪へでや頭《かしら》には何やらん打被《うちかつ》ぎたれど、正しく僧形したるが歩み寄るさまなり。心を留むるとにはあらざれど、何としも無く猶見てあるに、やがて月の及ばぬ闇の方に身を入れたれば定かには知れぬながら、此御堂に打向ひて一度は先《まづ》拝み奉り、さて静※[#二の字点、1-2-22]と上り来りぬ。御堂は狭からぬに灯《ひ》は蛍ほどなり、灯の高さは高し、互の程は隔たりたり、此方を彼方は有りとも知らず、彼方を此方は能くも見得ねば、西行は只我と同じき心の人も亦有りけるよと思ふのみにて打過ぎたり。
 彼方は固より闇の中に人あることを知らざれば、何に心を置くべくも無く、御仏の前に進み出でつ、最《いと》謹《つゝし》ましげに危坐《かしこま》りて、数度《あまたゝび》合掌礼拝《がつしやうらいはい》なし、一心の誠を致すと見ゆ。同じ菩提の道の友なり、其|心操《こゝろばへ》の浅間ならぬも夜深の参詣に測り得たり。衣の色さへ弁《わか》ち得ざれば面《おもて》は況して見るべくも無けれど、浄土の同行の人なるものを、呼びかけて語らばや、名も問はばやと西行は胸に思ひけるが、卒爾に言《ものい》はんは悪《あし》かるべし、祈願の終つて後にこそと心を控へて伺ふに、彼方は珠数を取り出して、さや/\とばかり擦り初《そ》めたり。針の落つる音も聞くべきまで物静かなる夜の御堂の真中に在りて、水精《すゐしやう》の珠数を擦る音の亮《さや》かなる響きいと冴えて神※[#二の字点、1-2-22]し。御経は心に誦するとおぼしく、万籟《ばんらい》絶えたるに珠の音のみをたゞ緩やかに緩やかに響かす。其声或は明らかに或は幽に、或は高く或は低く、寐覚の枕の半は夢に霰の音を聞くが如く、朝霧晴れぬ池の面《おも》に※[#「くさかんむり/函」、第3水準1-91-2]※[#「くさかんむり/陷のつくり」、第4水準2-86-33]《かんたん》の急に開くを聞くが如く、小川の水の濁り咽ぶか雨の紫竹の友擦れ歟、山吹※[#「鈞のつくり」、第3水準1-14-75]ふ山川の蛙鳴くかと過たれて、一声※[#二の字点、1-2-22]中に万法あり、皆与実相《かいよじつさう》不相違背《ふさうゐはい》と、いとをかしくも聞きなさるれば、西行感に入つて在りけるが、期したるほどの事は仕果てゝや其人数珠を収めて御仏をば礼拝すること数度《あまたゝび》しつ、やをら身を起して退《まか》らんとす。菩提の善友、浄土の同行、契を此土に結ばんには今こそ言葉をかくべけれと、思ひ入て擦る数珠《ずゞ》の音の声すみておぼえずたまる我涙かな、と歌の調は好かれ悪かれ、西行|急《にはか》に読みかくれば、彼方は初めて人あるを知り、思ひがけぬに驚きしが、何と仰られしぞ、今一度と、心を圧《おし》鎮《しづ》めて問ひ返す。聞き兼ねけんと猜《すゐ》するまゝ、思ひ入りて擦る数珠の音の声澄みて、と復《ふたゝ》び言へば後は言はせず、君にて御坐せしよ、こはいかに、と涙《なんだ》に顫ふおろ/\声、言葉の文もしどろもどろに、身を投げ伏して取りつきたるは、声音に紛ふかたも無き其昔《そのかみ》偕老同穴の契り深かりし我が妻なり。厭いて別れし仲ならず、子まで生《な》したる語らひなれば、流石男も心動くに、況して女は胸逼りて、語らんとするに言葉を知らず、巌《いは》に依りたる幽蘭の媚《なまめ》かねども離れ難く、たゞ露けくぞ見えたりける。
 西行きつと心を張り、徐《しづか》に女の手を払ひて、御仏の御前に乱《らう》がはしや、これは世を捨てたる痩法師なり、捉へて何をか歎き玉ふ、心を安らかにして語り玉へ、昔は昔、今は今、繰言な露宣ひそ、何事も御仏を頼み玉へ、心留むべき世も侍らず、と諭せば女は涙にて、さては猶我を世に立交らひて月日経るものと思したまふや、灯火暗うはあれどおほよそは姿形をも猜《すゐ》し玉へ、君の保延に家を出でゝ道に入り玉ひしより、宵の鐘暁の鳥も聞くに悲く、春の花秋の月も眺むるに懶くて、片親無き児の智慧敏きを見るにつけ胸を痛め心を傷ましめしが、所詮は甲斐無き嗟歎《なげき》せんより今生は擱《さしお》き後世をこそ助からめと、娘を九条の叔母に頼みて君の御跡を追ひまゐらせ、同じ御仏の道に入り、高野の麓の天野といふに日比《ひごろ》行ひ居り侍《はべ》るなり、扨も君を放ち遣りまゐらせて御心のまゝに家を出づるを得さしめ奉りし徃時《そのかみ》より、我が子を人に預けて世を捨てたる今に至るまで、いづれか世の常としては悲しきことの限りならざらん、別れまゐらせし歳は我が齢、僅に二十歳《はたち》を越えつるのみ、また幼児《いとけなき》を離せしときは其《そ》が六歳《むつつ》と申す愛度無《あどな》き折なり、老いて夫を先立つるにも泣きて泣き足る例《ためし》は聞かず、物言はぬ嬰児《みづこ》を失ひても心狂ふは母の情、それを行末長き齢に、君とは故も無くて別れまゐらせ、可愛き盛りに幼児《をさなき》を見棄てつる悲しさは如何ばかりと覚す、されど斯ばかりの悲しさをも、女の胸に堪へ堪へて鬼女蛇神のやうに過ぎ来つるは、我が悲みを悲とせで偏に君が歓喜《よろこび》を我が歓喜とすればなるを、別れまゐらせしより十余年の今になりて繰言も云ふもののやう思はれまゐらせたる拙さ情無さ、君は我がための知識となり玉ひぬれば、恨み侍らざるばかりか却て悦びこそ仕奉れ、彼世にてもあれ君に遇ひまゐらせなば君の家を出で玉ひし後の我が上をも語りまゐらせて、能くぞ浮世を思ひ切りぬるとの御言葉をも得んとこそ日比は思ひ設け居たれ、別れたてまつりし時は今生に御言葉を玉はらんことも復有るまじと思ひたりしに、夢路にも似たる今宵の逢瀬、幾年《いくとせ》の心あつかひも聊か本意《ほい》ある心地して嬉しくこそ、と細※[#二の字点、1-2-22]《こま/\》と述ぶ。折から灯籠の中の灯《ひ》の、香油は今や尽きに尽きて、やがて熄《き》ゆべき一[#(ト)]明り、ぱつと光を発すれば、朧気ながら互に見る雑彩《いろ》無き仏衣《ぶつえ》に裹《つゝ》まれて蕭然《せうぜん》として坐せる姿、修行に窶《やつ》れ老いたる面ざし、有りし花やかさは影も無し。
 これが徃時《むかし》の、妻か、夫か、心根可愛や、懐かしやと、我を忘れて近寄る時、忽然《たちまち》ふつと灯は滅して一念|未生《みしやう》の元の闇に還れば、西行坐を正うして、能くこそ思ひ切り玉ひたれ、入道の縁は無量にして順逆正傍《じゆんぎやくしやうばう》のいろ/\あれど、たゞ徃生を遂ぐるを尊ぶ、徃時《むかし》は世間の契を籠め今は出世間の交りを結ぶ、御身は我がための菩提の善友、浄土の同行なり悦ばしや、たゞし然《さ》までに浮世をば思ひ切りたる身としては、懐旧の情はさることながら余りに涙の遣る瀬無くて、我を恨むかとも見えし故、先刻《さき》のやうには云ひつるなり、既に世の塵に立交らで法の門《かど》に足踏しぬる上は、然ばかり心を悩ますべき事も実《まこと》は無き筈ならずや、と最《いと》物優しく尋ね問ふ。
 慰められては又更に涙脆きも女の習ひ、御疑ひ誠に其|理由《ゆゑ》あり、もとより御恨めしう思ひまゐらする節もなし、御懐しうは覚え侍れど、それに然《さ》ばかりは泣くべくも無し、御声を聞きまゐらすると斉しく、胸に湛へに湛へし涙の一時に迸り出でしがため御疑を得たりしなり、其|所以《いはれ》は他ならぬ娘の上、深く御仏の教に達して宿命《しゆくみやう》業報を知るほどならば、是《こ》も亦煩ひとするに足らずと悟りてもあるべけれど然は成らで、ほと/\頭の髪の燃え胸の血の凍るやうに明暮悩むを、君は心強くましますとも何と聞き玉ふらん、聞き玉へ、娘は九条の叔母が許《もと》に、養ひ娘といふことにて叔母の望むまゝに与へしが、叔母には真《まこと》の娘もあり、母の口よりは如何なれど年齢こそ互に同じほどなれ、眉目容姿《みめかたち》より手書き文読む事に至るまで、甚《いた》く我が娘は叔母の娘に勝りたれば、叔母も日頃は養ひ娘の賢き可愛《いとし》さと、生《うみ》の女《むすめ》の自然《おのづから》なる可愛《いとし》さとに孰れ優り劣り無く育てけるが、今年は二人ともに十六になりぬ、髪の艶、肌の光り、人の※[#「女+瑁のつくり」、第4水準2-5-68]《そね》み心を惹くほどに我子は美しければ、叔母も生《おふ》したてたるを自《おの》が誇りにして、せめて四位の少将以上ならでは得こそ嫁《あは》すまじきなど云ひ罵り、おのが真の女をば却つて心にも懸け居ざるさまにもてあつかひ居たりしが、右の大臣の御子|某《それ》の少将の、図らずも我が女をば垣間見玉ひて懸想し玉ひしより事起りて、叔母の心いと頑兇《かたくな》になり日に/\口喧《くちかしがま》しう嘲《あざ》み罵り、或時は正なくも打ち擲き、密に調伏の法をさへ由無き人して行せたるよしなり、某の少将と云へるは才賢く心性《こゝろざま》誠ありて優しく、特《こと》に玉を展べたる様の美しき人なれば、自己が生の女の婿がねにと叔母の思ひつきぬるも然ることながら、其望みの思ふがまゝにならで、飾り立てたる我が女には眼も少将の遣り玉はざるが口惜しとて、養ひ娘を悪くもてあつかふ愚さ酷さ、昔時《むかし》の優しかりしとは別のやうなる人となりて、奴婢《ぬび》の見る眼もいぶせきまでの振舞を為る折多しと聞く、既に御仏の道に入りたまひたれば我には今は子ならずと君は仰すべけれど、其君が子はいと美しう才もかしこく生れつきて、しかも美しく才かしこくして位高き際の人に思はれながら、心の底には其人を思はぬにしもあらざるに、養はれたる恩義の桎梏《かせ》に情《こゝろ》を枉《ま》げて自ら苦み、猶其上に道理無き呵責《かしやく》を受くる憫然《あはれさ》を君は何とか見そなはす、棄恩《きおん》入無為《にふむゐ》の偈《げ》を唱へて親無し子無しの桑門《さうもん》に入りたる上は是非無けれども、知つては魂魄《たましひ》を煎らるゝ思ひに夜毎の夢も安からず、いと恐れあることながら此頃の乱れに乱れし心からは、御仏の御教も余りに人の世を外《そ》れたる、酷き掟なりと聊かは御恨み申すこともあるほど、子といひながら子と云へねば、親にはあれど親ならぬ、世の外の人、内の人、知らぬ顔して過すをば、一旦仏門に入りしものゝ行儀とするも理無《わりな》しや、春は大路の雨に狂ひ小橋の陰に翻る彼の燕だに、児を思ふては日に百千度《もゝちたび》巣に出入りす、秋の霜夜の冷えまさりて草野の荒れ行く頃といへば、彼の兎すら自己が毛を咬みて※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]りて綿として、風に当てじと手を愛《いとほ》しむ、それには異《かは》りて我※[#二の字点、1-2-22]の、纔に一人の子を持ちて人となるまで育てもせず、児童《こども》の間《なか》の遊びにも片親無きは肩|窄《すぼ》る其の憂き思を四歳《よつ》より為せ、六歳《むつ》といふには継《まゝ》しき親を頭に戴く悲みを為せ、雲の蒸す夏、雪の散る冬、暑さも寒さも問ひ尋ねず、山に花ある春の曙、月に興ある秋の夜も、世にある人の姫|等《たち》の笑み楽しむには似もつかず、味気無う日を送らせぬる其さへ既に情無く親甲斐の無きことなれば、同じほどなる年頃の他家《よそ》の姫なんどを見るにつけ、嗚呼我が子はと思ひ出でゝ、木の片、竹の端くれと成り極めたる尼の身の我が身の上は露思はねど、かゝる父を持ち母を持ちたる吾が子の果報の拙さを可哀《あはれ》と思はぬことも無し、況して此頃の噂を聞き又余所ながら視もすれば、心に春の風渡りて若木の花の笑まんとする恋の山路に悩める娘の、女の身には生命なる生くる死ぬるの岐れにも差し掛りたる態なる上、生みの子の愛に迷ひ入りたる頑凶《かたくな》の老婆《ばゞ》に責められて朝夕を経る胸の中、父上|御坐《おは》さば母在らばと、親を慕ひて血を絞る涙に暮るゝ時もある体《てい》、親の心の迷はずてやは、打捨て置かば女は必ず彼方此方の悲さに身を淵河にも沈めやせん、然無くも逼る憂さ辛さに終には病みて倒れやせん、御仏の道に入りたれば名の上の縁《えにし》は絶えたれど、血の聯続《つらなり》は絶えぬ間《なか》、親なり、子なり、脈絡《すぢ》は牽《ひ》く、忘るゝ暇もあらばこそ、昼は心を澄まして御仏に事《つか》へまつれど、夜の夢は女《むすめ》のことならぬ折も無し、若し其儘に擱《さしお》いて哀しき終を余所※[#二の字点、1-2-22]※[#二の字点、1-2-22]しく見ねばならずと定まらば、仏に仕ふる自分《みづから》は禽にも獣にも慚しや、たとへば来ん世には金《こがね》の光を身より放つとも嬉しからじ、思へば御仏に事ふるは本は身を助からんの心のみにて、子にも妻にもいと酷き鬼のやうなることなりけり、爽快《いさぎよき》には似たれども自己《おのれ》一人を蓮葉《はちすば》の清きに置かん其為に、人の憂きめに眼も遣らず人の辛きに耳も仮さず、世を捨てたればと一[#(ト)]口に、此世の人のさま/″\を、何ともならばなれがしに斥け捨つるは卑しきやうなり、何とて尼にはなりたりけん、如何にもして女と共に経るべかりしに、鈍《おぞ》くも自ら過ちけるよ、今は後世《ごせ》安楽も左のみ望まじ、火※[#「火+亢」、第4水準2-79-62]《くわかう》に墜つるも何かあらん、俗に還りて女を叔母より取り返さんと、思ひしことも一度二度ならずありたりき、然れども流石|年来《としごろ》頼める御仏に離れまゐらせんことも影護《うしろめた》くて、心と心との争ひに何となすべき道も知らず、幼きより頼みまゐらせたる此地《こゝ》の御仏に七夜参の祈願を籠めしも、女の上の安かれとおもふ為ばかり、恰も今宵満願の折から図らず御眼にかゝりて、胸には此事あり此|念《おもひ》あるに、情無かりし君が徃時《むかし》の家を出でたまひし時の御光景《おんありさま》まで一[#(ト)]時に眼に浮み来りしかば、思へば女が四歳《よつ》の年、振分髪の童姿、罪も報も無き顔に愛度《あど》なき笑みの色を浮めて、父上※[#二の字点、1-2-22]※[#二の字点、1-2-22]と慕ひ寄りつゝ縋りまゐらせたるを御心強くも、椽より下へと荒らかに※[#「足へん+易」、第4水準2-89-38]落《けおと》し玉ひし其時が、女の憂目の見初《みはじめ》なりしと、思ふにつけても悲さに恨めしささへ添ふ心地、御なつかしさも取り交ぜて文《あや》も分かたずなりし涙の抑へ難かりしは此故なり、と細※[#二の字点、1-2-22]《こま/\》と語れば西行も数度《あまたゝび》眼を押しぬぐひしが、声を和らげていと静に、云ひたまふところ皆其理あり、たゞし女の上の事は未だ知らずに御在《おはす》と見えたり、此の五日ほど前の事なり、我みづから女を説き諭して、既に火宅《くわたく》の門を出でゝ法苑の内に入らしめ終んぬ、聊か聞くところありしかば、眼前の※[#「二点しんにょう+屯」、第4水準2-89-80]※[#「二点しんにょう+亶」、第4水準2-90-2]《ちゆんてん》を縁として身後の安楽を願はせんと、たゞ一度会ひて言《ものい》ひしに、親|羞《はづか》しき利根のものにて、宿智にやあらん其言ふところ自ら道に協へる節あり、父上既に世を逃れ玉ひぬ、おのれも御後に従はんとこそ思へ、世に百歳《もゝとせ》の夫婦《めをと》も無し、なにぞ一期の恩愛を説かん、たとひ思ふこと叶ひ、望むこと足りぬとも、※[#「女+瑁のつくり」、第4水準2-5-68]《そね》みを蒙り羨を惹きて在らんは拙るべし、もとより女の事なれば世に栄えん願ひも左までは深からず、親の御在さねば身を重んずる念《おもひ》もやゝ薄し、あながち御仏を頼みまゐらせて浄土に生れんとにはあらねど、如何なる山の奥にもありて草の庵の其内に、荊棘《おどろ》を簪《かざし》とし粟稗《あはひえ》を炊ぎてなりと、たゞ心|清《すゞ》しく月日経ばやなどと思ひたることは幾度と無く侍り、睦《むつ》ぶべき兄弟《はらから》も無し、語らふべき朋友《とも》も持たず、何に心の残り留まるところも無し、養はれ侍りし恩恵《みめぐみ》に答へまゐらすること無きは聊か口惜けれど、大叔母君の現世安穏後生善処《げんぜあんのんごしやうぜんしよ》と必ず日※[#二の字点、1-2-22]に祈りて酬ひまゐらせん、又情ある人のたゞ一人侍りしが、何と申し交したることも無ければ別れ/\になるとも怪《け》しうはあらず、雲は旧《もと》に依つて白く山は旧に依つて青からんのみなり、全く世をば思ひ切り侍りぬ、とく導師となりて剃度せしめ玉へと、雄※[#二の字点、1-2-22]しくも云ひ出でたれば、其心根の麗せきに愛でゝ、我また雄※[#二の字点、1-2-22]しくも丈なる烏羽玉《うばたま》の髪を落して色ある衣《きぬ》を脱ぎ棄てさせ、四弘誓願《しぐせいぐわん》を唱へしめぬ、や、何と仕玉へる、泣き玉ふか、涙を流し玉ふか、無理ならず、菩提の善友よ、泣き玉ふ歟、嬉しさにこそ泣き玉ふならめ、浄土の同行よ、落涙あるか、定めし感涙にこそ御坐すらめ、おゝ、余りの有難さに自分《おのれ》もまた涙聊か誘はれぬ、さて美しき姫は亡せ果てたり、美しき尼君は生《な》り出で玉ひぬ、青※[#二の字点、1-2-22]としたる寒げの頭《かしら》、鼠色《ねずみ》の法衣《ころも》、小き数珠《ずゞ》、殊勝なること申すばかり無し、高野の別所に在る由の菩提の友を訪《とぶら》はんとて飄然として立出で玉ひぬ、其後の事は知るよし無し、燕の忙《せは》しく飛ぶ、兎の自ら剥ぐ、親は皆自ら苦む習なれば子を思はざる人のあらんや、但し欲楽の満足を与へ栄華の十分を享けしむるは、木葉《このは》を与へて児の啼きを賺《す》かす其にも増して愚のことなり、世を捨つる人がまことに捨つるかは捨てぬ人こそ捨つるなりけれ、たゞ幾重にも御仏を頼み玉へ、心留むべき世も侍らず、南無仏※[#二の字点、1-2-22]※[#二の字点、1-2-22]※[#二の字点、1-2-22]、と云ひ切りて口を結びて復言はず。月はやがて没《い》るべく西に廻りて、御堂に射し入る其光り水かとばかり冷かに、端然として合掌せる二人の姿を浮ぶが如くに御堂の闇の中に照し出しぬ。

                 (明治三十四年一月「文芸倶楽部」)

底本:「日本現代文學全集 6 幸田露伴集」講談社
   1963(昭和38)年1月19日初版第1刷
   1980(昭和55)年5月26日増補改訂版第1刷
初出:「國會」
   1892(明治25)年5月
   「文藝倶樂部」
   1901(明治34)年1月
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記を新字、旧仮名にあらためました。
※「御陵《みさゝぎ》」と「御陵《みさゝき》」の混在は底本通りにしました。
入力:kompass
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年3月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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