古川緑波

駄パンその他——古川緑波

武者小路先生の近著『花は満開』の中に、「孫達」という短篇がある。先生のお孫さんのことを書かれた、美しい、たのしい文章である。
 その中に、四人のお孫さん達が、食べものの好き嫌いがあるということを書いて、
 ……僕は勿体ないとか行儀が悪いとか言うので、たべたがらないものを無理に食べさすことにはあまり賛成ではなく、偏食はよくないと思うが、食慾が起らないものを無理に食べさす必要はないのではないかと思っている。食物を外にすてる方が不経済か、胃腑の中にすてる方が不経済か、僕にはわからない。……
 と言って居られるのは、大変面白い言い方だと思った。全く、嫌いな物を食べることは、胃腑の中へ捨てるようなものだろう。
 丁度、これを読んだ頃、サンデー毎日の「パリ勤めの苦しさ」(板倉進)というのを読んだら、ここには、「食べ残し」の説が出ていた。パリのレストオランに於ては、
 ……先ず食べ残すことを覚えるのが、第一課である……
 とあり。
 これも、無駄なものを、胃腑の中に捨てることはいけないと言う説である。
 パリのレストオランのことを読んでいて、思い出すのは、それは文藝春秋の四月号だった、福島慶子さんの「巴里たべある記」の中に、
 ……凝ったフランス料理は、いくら美味でも毎日食べたら胃袋も財布も堪らない。こういう食事をした晩は何もしないで体を休め、翌日は断食、三日目に僅かな粗食と果物類を主にとり、四日目に再び美食に向って突進するに限る。さもなければ我々菜食人種は病気になる事受合だ。……
 とあったことだ。
 僕は、これを読んだ時、ああ福島慶子さんは偉い、流石《さすが》は武士の心がけ! と感心したので、ノートして置いたのである。まことに、此の中の「翌日は断食」というところでは、感動した。
 この心がけがなくては、食通とは言えない。食物を愛する者とは言えないと思う。胃袋のコンディションのよくない時に、何を食ったって、第一、味が判りはしない。「腹の減った時に不味《まず》いものはない」とは永遠の真理である。
 Hunger is the best Sauce.
 という表現も、同じことを訓《おし》えている。
 そういう受け入れ態勢を、自分で用意することは、料理人に対する礼であろう。料理人も亦、芸術家なのだから、芸術家に対するエチケットを心得るべきである。
 そして、福島慶子さんは、言うのである。
「四日目に再び美食に向って突進するに限る」
 ああ、美食に向って、突進[#「突進」に傍点]!
 花柳章太郎、鴨下晃湖などを同人とする、俳句の雑誌「椿」(第十二号)に、伊藤鴎二氏の「喰べもの記」がある。その中に、パン(いわゆるショクパン)のうまいのを探す話が出て来る。
 プルニエのパンを賞めているのは、賛成。
 ……併しパンだけ貰いに行くわけには行くまい。……
 と、なるほど、プルニエへ、パンだけお呉れと言って行くわけにも行かないだろう。
 僕にしてからが、レストオランで、うまいパンにぶつかった時は、帰りに「分けて呉れ」と言うことはあるが、それは料理を食った後のことだ。
 この伝で、僕は、十八屋のフランスパンを、よく買って帰ることがある。レストオランで、パンのうまいのは、割に少い。
 伊藤氏が、OSSのパンを、「色も白く軽い風味で、ビフテキなぞの対手にはもって来いである」と評しているが、あの、アメリカ式の、なるほど色は白いが、スカスカと、味もソッケもないパンは、僕は嫌だ。アメリカ式の、純白パンは、終戦直後にこそ、輝くばかり、宝物のように見えたものだが、今となっては、パンは、アメリカ式の製法のは、ごめんだ。
 レストオランで、パンのうまいところを、最近発見した。それは、日活国際ホテルの食堂である。ここのは、パンが、うまいと言うよりは、種類を色々出して呉れるのが嬉しい。ボーイが、持って来る銀盆に、五六種のパンが載っているのを見るとウワーと声を出したくなるほど嬉しい。
 再開されてから、未だ行く機会がないが、箱根の富士屋ホテルの食堂を思い出した。
 戦前の、富士屋ホテルは、パンの種類が揃っていて、ボーイの運ぶ銀盆を眺めて、「さて、どのパンにしようか」と迷う時の幸福を忘れない。再開後も、果していろいろなパンを出して呉れるであろうか?
 又、此の文中に、三州味噌のはなしが、出る。僕も、味噌汁が大好きなので、毎朝の味噌に苦労しているが、三州味噌は、結構なものである。特に、しじみの味噌汁は、三州味噌に限るのではなかろうか。
 岡崎の八丁味噌も、僕は好きだ。
 ココアのように、濃い奴、そして身は、里いも(名古屋辺では、何とか別の名があったようだが、兎に角、里いものたぐいだ)の、それも、大きい奴(八つ頭ほどは、大きくない)を薄く切ったのに限ると思っているのだが。
 僕の味噌汁好きは、相当なもので、夏の朝食は、パンにしているが、それでも、味噌汁は欠かさない。
 トーストに味噌汁ってのは、合わないようでいて、まことに、よく合う。それも、豚肉や牛肉を入れたりして、味噌のポタージュと言ったものにしないで、純日本式の、いつもの[#「いつもの」に傍点]がいい。身は、豆腐、大根、葱、里いも――何でもいい。
 あんまり同好の士は、ないようであるが、一度試みていただきたい。
 トーストのバターの味と、味噌の味が混り合って、何とも言えなく清々《すがすが》しい、日本の朝の感じを出して呉れるから。
 パンの話で思い出した。
 近ごろ――と言って、これは一体、何時ごろから売っていたものなのだろう――カレーパンだの、コロッケパンというものがある。少くとも、これは僕らの若き日には、見たことがない。見た目からして、駄パンである。(駄菓子の駄の字なり)
 多く、学生たちが、お昼に食ったり、遠足などに持って行くものらしいが、お値段が、一個十円なんで、これは、安い。
 カレーパンというのは、カレーライスの上にかかっている、カレー汁を、パンで包み、それを、ドーナッツの如く揚げてあるのだが、兎《と》に角《かく》これが十円は安い。甘いような、辛いような、馬鹿にされたような味であるが、この値段を思えば、実に、上等な食物であろう。
 コロッケパンも、店によるだろうが、僕の食ったのは、とても美味くて、やっぱり一個十円だった。
 駄パンも亦、よきかな。
 文藝春秋九月号に、ジョージ・ルイカー氏の「日本料理は女房の味」が、ある。この中では、
 ……所謂料亭と名のつく様な場所では、高級料亭である程、それに正比例して、中身は益々少く、容器は増々大きくなる様である。……
 という観察を、面白いと思った。

底本:「ロッパの悲食記」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年8月24日第1刷発行
   2007(平成19)年9月5日第3刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2011年12月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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